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#家族風呂
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登山後の温泉でゆったり寛ぐ
@新天降川温泉
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amiens2014 · 1 year
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風屋/岐阜県高山市【新穂高温泉】貸し切り風呂付きのホテルに連泊、飛騨牛ステーキを味わう
風屋とは 風屋(かぜや)は、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂(ぎふけんたかやましおくひだお��せんごうかんさか)にあるホテルだ。 新穂高温泉(しんほだかおんせん)にある温泉旅館だ。 静かな一軒宿 天然温泉かけ流し 風屋 奥飛騨自家温泉掛け流し飛騨牛 風屋 宿泊予約【楽天トラベル】 から引用 Continue reading Untitled
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tariachildren · 1 year
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熊本、山鹿温泉♨️家族風呂 寒い時に温泉最高 長女、寒くて鼻水が笑 #熊本 #山鹿 #温泉 #家族風呂 #熊本温泉 #山鹿温泉 #肌 #肌つるつる #疲れが取れる #疲れ #癒し #ほっこり #寒い #あたたまる https://www.instagram.com/p/Cmbec_HJrua/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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1980fx · 2 years
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2022:05/27 #MiyazakiYohei #miya #miyamask #dad #boy #cat #girl #ghost #hotbath #家族風呂 #art #drawings #draw #drawingeveryday #1日1枚 #ドローイング https://www.instagram.com/p/CeEEM4FvJ8d/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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いよいよ初湯張りです!一番風呂♨️は今日のお客さんから。。。  やっとここまで来ました💦💦 手はボロボロだけど心は晴れ渡ってます♪ #温泉 #旅行 #温泉旅行 #露天風呂 #浴衣 #♨️ #家族旅行 #群馬 #onsen #女子旅 #旅 #朝風呂 #休日 #源泉掛け流し #japan #hotsprings #spa#樽風呂#檜風呂#ひのき#桧#diy#やればできる (四万温泉 地酒の宿 中村屋) https://www.instagram.com/p/CoOMLEovuDC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ayanonozaki · 1 year
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2週間に1回のお風呂。 今日はシャンプーでゴシゴシではなく、「ぬくりん」の炭酸湯に浸かって温まりました💜 うちのわんこ達はお風呂もシャンプーも大嫌い😭嫌いでも私は構いませ〜ん!清潔に‼️ #犬 #いぬのいる暮らし #犬好きな人と繋がりたい #多頭飼い #ヨークシャーテリア #トイプードル #保護犬 #保護犬を家族に #ayachannel #お風呂 #ぬくりん https://www.instagram.com/p/CntBrinyfox/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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papatomom · 3 months
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2024.01.28(sun)
金沢工業大学及び国際高等専門学校の白山麓キャンパス内にある『比咩(ひめ)の湯』の岩風呂で、雪景色を見ながらまったり。 学生さんの他に、若い家族連れが多かった。
帰り道、夕日に照らされる山の雪景色に出会えたのもよかった。
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wwwwwwwwwwww123 · 1 year
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「1週間は大きな地震に注意って言われてもなにやったらいいか分からん」という人がやっておくこと例 ・非常持ち出し袋を近くに置いておく ・入浴時に着替えを一式置いておく ・スマホをトイレや風呂に持ち込む ・外出時に水を持ち歩く ・走れる靴を履く ・こまめにスマホの充電 ・裸族は服を着る ・家具が倒れたなら2週間くらい倒れたままにしておく(強い揺れが来たらまた倒れる可能性があるので) ・家具が倒れていないならちゃんと固���する ・モバイルバッテリーを用意、充電しておく ・ライトを近くに置く ・枕元に靴を置く ・メガネの予備を用意する ・常用薬を持ち歩く 等
マガイトさんはTwitterを使っています
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cafelatte-night · 8 days
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ここでしばらくメッセージのやりとりをしていたひとが何も言わずにアカウントを消していなくなった。ちょっと悲しかったけど、結婚しているのに他の女とこっそり会うって言ってたからあまりいい人じゃなかったのかもね。はじめから既婚と知っていればわたしもメッセージのやりとりなんて始めなかったけど。さようなら、どこかでお元気で。
新しい仕事が始まって、一週間が過ぎた。濃かった。まだまだ成長できると思った。いまのところ、危険人物が社長以外に居なくて、仕事を教えてくれる同僚もやさしいひとだからよかった。荒波を立てないでやっていきたい。
華金だから、彼と夜ごはんを食べる。彼が仕事終わるの遅いから、少し残業して時間をつぶす。先週、いっしょにトンカツを食べに行ってとてもおいしかったから自分でつくりたいそうで、つくり方を教えてあげる。今日は彼の部屋に泊まって、いっしょにお風呂に入って映画を観て安心して眠る。いつも楽しくて幸せで、子供のときに自分の家族とこんな気持ちを感じたかったなと思う。
2024.04.19
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shoji · 5 days
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キング・カズこと元日本代表FW三浦知良(オリベイレンセ)の代理人を務めた田路雅朗氏によると、あるJクラブが大金を準備し、ビッグネームの獲得に動いたときに「年俸とか税金、年間の飛行機代とかを話し合い、まとまったかなってなったんだけど、最後に家が問題になった」という。フットサルがプレーできる大きな庭のある一戸建て。しかもプール付きが「絶対条件」として提示されたという。  海外ビッグネームにとっては休日に家族や友人たちと庭でフットサルを楽しみ、プールで癒やされつつ、バーベキューをする。これが「定番スタイル」だそうだ。だが「そんな物件、日本にはほとんどない。部屋数はいくつ以上、風呂場は何か所でって…。そんな貸家が都合よくあるのか。東京は絶望的だろうし、あったとしても費用はいくらなのか。地方だって難しい」と解説するように、住居問題で交渉が決裂することも珍しくなかったという。  かつてV川崎(現東京V)を指揮し、後にブラジル代表指揮官となったエメルソン・レオン監督は交渉時に「車はソアラだ」と指定し、交渉が決裂寸前になったことがあった。それだけに「大物に提供できる大きな庭の大きな家があるのか。大物ほど条件面で妥協しないから」と渋い表情。田路氏は、かつて日本企業のCM出演契約でC・ロナウドと交渉し、面識もある。だが、こうした事情から「(日本クラブの獲得は)難しいだろう」と語っていた。
C・ロナウドらビッグネーム招聘の最大の障害は住居問題 「プール付き、休日バーベキュー」が定番(東スポWEB) - Yahoo!ニュース
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朝食の後に、家族風呂へ
朝から幸せ
@山口屋別館
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tsukishiro-himari · 9 months
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「数年前備忘録」
お風呂上がり
アニメみたいにつるっと転び
泣き笑いながら育ててる木に
話しかけていたけど
冷静になると全てが恥ずかしいな
バウムクーヘン....
側面の堅いごつごつ部分を
ゴジラって呼ぼうと考えながら黙々と食べた
ゆいちゃんって言うとねねって言う
いくつになっても、こんな風でいたいな
いつも手を振ってくれるケバブ屋さん
やっと買いに行けたけど
手を振ってくれる時と違い
話す時は意外とシャイな方で
お互いしどろもどろしちゃった
そういえば今日
今年初めて紅葉が見れて嬉しかった
この世に存在する全てのものを
「それでも」美しいと捉える
その概念を考えると涙が零れる
そういえばね
前に写真集の撮影で江ノ島に居た時
道で女の子が
「月城ひまりちゃんだ」って言ってて
月城ひまりちゃんだって言ってもらえたって
すごく嬉しかったんだ
存在を知ってもらえてるって嬉しいね
たった一言とかたったそれだけのことで
救われることもあって
私なんかと思う人も誰かにとって
そういう存在だったり
そのことが分かるのは
話してみないと知れなかったりするから
話してくれることは凄く嬉しいね
「〇〇ってむずかしい」って感じる時
「むずかしく考えてるだけなのかも?」
って自問自答する様にしてるけど
家族ってやっぱりむずかしい
伝えてくれることとか伝え合えることとか
しあわせになるから
ひまも少しでも多く伝えられる様に
頑張るから待っててね
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kennak · 5 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって���も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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露天風呂撤去完了です。 数年前に婚約指輪💍をココで亡くした方がいて探しながらの高圧洗浄をしました。いよいよ新樽風呂がやって来ます❣️ #温泉 #旅行 #温泉旅行 #露天風呂 #♨️ #家族旅行 #群馬 #onsen #女子旅 #癒し #旅 #朝風呂 #秘湯 #源泉掛け流し #japan #hotsprings #spa#四万温泉 #diy #地酒の宿中村屋 #高圧洗浄機 #樽#自分で (四万温泉 地酒の宿 中村屋) https://www.instagram.com/p/CoCQRKjvaaI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ayanonozaki · 1 year
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今日はみんなの大嫌いなお風呂日。 我が家では2週間に一度お風呂🛀にしてるけど、今回は私の体調が悪くて、1週間伸びてしまいました💦 流石に3週間は限界になってきたので、散歩の後に全員お風呂に直行🛀🧼 #風呂 #犬 #犬のいる暮らし #シャンプー #保護犬 #保護犬を家族に #ayachannel #愛犬 https://www.instagram.com/p/ClvH6xCyAHd/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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imwatashi · 4 months
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2024.01.01 21:56
しばらく指の震えが止まらなくて、ようやく落ち着いてきたけれど、気持ちの面で落ち着かないので書きます。16時に地震が起きてからあっという間に21時になった、最初は震度4ほどの揺れで結構大きいの来たなぁとおもったら、そのあと震度5強のつよさで揺れました。自分にとって体感いちばんでかい揺れ、食器棚は地震対策済みで幸い割れたりしなかったが、家の中のあらゆるものが転倒、何より家族が自分の身をテーブルの下に隠すよりもテレビを押さえたりしていたので私はそれを見て勝手にパニクっていた(私もテーブルにも身は隠さずすぐさまベランダを開けていたのだけど)ちょうど親戚の家に向かおうとしていて、いつもより早めにワンコロに餌をあげていたところだった、ワンコロの餌はキッチンで食べるようになってるから、母親がワンコロをかばって食器だらけのキッチンから出てこないからいそいで犬を取り上げて外へ呼び出した
それからすぐさまテレビで津波警報、アナウンサーが叫ぶ声はただならぬ声色で、とにかく何かしていないと落ち着かなくて上着着たりマフラー巻いたり風呂に水溜めたりお菓子を手当たり次第カバンに突っ込んだり、その間に何度も地震速報が鳴り、テレビの画面上に赤い警告が表示され、そのたびに隠れて外に出ては戻ってを繰り返し、ライブカメラで海の様子を見たり家の中の危ない導線を整理したり、、、そういったことを繰り返しながら、自分の地域ではようやく地震が落ち着いてきました
同じ県内でもさらに内陸部に住む祖母は電話をすると意外とあっけらかんとした語り口で、この絶妙に海が近いというだけで緊迫感がこんなにも違うものかと実感する、震災の惨さをわかったつもりでいたけれどいざその立場になると何からやればいいのか、どこへ行けばいいのかの判断が難しく、帰省先とはいえ地元なのだからもっとちゃんとこの街の被害予想レベルを知っておくべきだと思ったし、どんな場所であってもちゃんと身を守る行動ができるようにしておかなきゃ本当にやばいと思った
ものすごく怖かった、良からぬことをたくさん考えてしまって、気持ちを落ち着かせたいのだけれどそれができない状況、今もそう、東日本大震災も熊本地震も大きめな地震があったあとに、本震がきたみたいだから、気持ちは落ち着かないけれど油断せずに過ごすしかない
咄嗟に身を守る行動に走ろうとする自分を知って、安全に生きていられれば何もいらないと思った、無意識に生に執着するように身を守るのは私が動物だからなんだなぁと思って、それでも避けられない災害があるというのがとても苦しかった、怖い思いなんかしたくないし、自分で選べる人生の選択ではいかようにも避けることができるのに、こうして避けられない恐怖があることの本当の怖さを知った、危ない状況でもワンコロをなんとか抱き抱えようとする自分とか、動物だけじゃなくて人間味もあるんだなぁと感心したし、両立がむずかしいさまざまな感情と本能、状況が重なるこの自然の厳しさが何よりもしんどいと思った
地震に遭われた皆様も、そうでない皆様も、どうかご無事でありますように。
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