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#奉讃会
mizu990612 · 1 year
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本日2022/12/11は #桑名宗社 #春日神社 の #奉讃会 #桑名宗社奉讃会大会 に参加しました(^o^) #拝殿 にあがり #お祓い #玉串奉奠 しました🙏 #眺憩楼 #ちょうけいろう には #松平定信公 の#御筆 #松平定信公の御筆 #春日大明神御神号 が #特別公開 されました。 #はんこやふくちゃん の #御朱印 #特別御朱印 も 受けました♪ @kuwana_sousha._.kasuga_jinja @hankoya_fukuchan #皇大神宮御分霊社 #桑名東照宮 #春日稲荷社 #桑名市 #桑名 #kuwana #三重県 #三重 #mie #日本 #japan (桑名宗社) https://www.instagram.com/p/CmAkbLOPZFj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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powerinpraise · 5 months
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まっすぐ
礼拝の最後に語られた言葉が心に留まって
復習📖
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私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
今日司会担当で、読み上げたら、
凄く言葉が入ってきました👀
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信仰の対応を取る時に、主が働く
主の特別な業が試練を通して現わされ、
まさにこの上もない喜びになってくる
しかし私達がそれを肉の目で見、
また、肉的な対応を取る時に
その業を見ない、という事柄が起こってくる
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今 神様の大きな働きの直前となっていて、
ポイントになる皆さんに、色々な問題が生じているはず
霊的な圧迫とか、引かせる力とか、神様から離れさせる力とか(どうしてこういう状況が続くのかetc)
それは、次に神様がなされる大きな働きの備えであり、準備であり、さらに訓練である
こののち、大きな働きを見て行くという事を覚えておく
今回の、殉教聖会においても、白馬キャンプにおいても、特別なポイントがある
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白馬のキャンプが終わった次の日から、
12日間インドにチームが派遣される。
9万人の前で奉仕をするというのは、大変なことが導かれてきている
さらにもう一つの奉仕、これはこれからの働きの大きなポイントになるという事を感じる
非常に大きな強い働きが起こってくるという事を感じますので、
どうぞ引く事なく、目をそらす事なく、
神様の方向にまっすぐ行ってください
🕊️
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December 18,2023
今日もここごすで歌った聖歌讃美歌が内をめぐっていました👀
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家族に送りました😊😃
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myonbl · 1 year
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2023年5月6日(土)
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連休唯一のイベント、龍谷ミュージアムへとやって来た。ツレアイにここで写真を撮ろうと指さすと、逆に撮られてしまった。展示は<親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念 春季特別展「真宗と聖徳太子」>、
親鸞聖人の太子への篤い想いに触れるとともに、太子信仰の高揚に親鸞聖人と弟子たちが果たした役割を再確認
<友の会>メンバーなので入場フリー、大変面白く良い勉強になった。京都へ来られる予定のある方、お勧めですぞ。
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5時30分起床。
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朝食を頂き、洗濯をする。
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落語研究会の録画、駆け足で拝見。
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五条御前のホンダカーズ京都へ、車のブレーキ部品に欠陥があるとのリコール、チェックのために車を預ける。
西大路花屋町のセントラルスクエア花屋町店で猫砂を買って帰宅。
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ホンダへ戻る前の時間つぶし、AppleWatch の文字盤を色々変えて遊んでみる。iPhone で自作したミー文字を入れてみると、表情がコロコロ変化して面白い。
11時過ぎに再度ホンダへ、問題なしとのことでホッとする。
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ランチ、息子たちには肉うどん、私たちはドライカレー。
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龍谷ミュージアムへとやって来た。
鎌倉時代に大きな盛り上がりをみせた聖徳太子信仰は、日本人の精神文化に影響を及ぼしたばかりではなく、絵画や彫刻など数々の優れた美術品を生み出し、日本の美術史に大きな足跡を残してきました。
一方親鸞聖人は、「和国の教主」として聖徳太子に深く帰依し、晩年に至るまで太子を讃嘆する和讃「太子奉讃」を多数制作しました。そして聖徳太子像を傍らに安置し、聖徳太子に関わる法宝物の制作にも関与していました。
この展覧会では、親鸞聖人の太子への篤い想いに触れるとともに、太子信仰の高揚に親鸞聖人と弟子たちが果たした役割を再確認します。そしてその後の門徒たちが生み出してきた太子信仰に関わる多彩な法宝物をご紹介します。
全国各地から門徒が本山参拝に来ていることもあって、結構な人出である。面白かったのは、<三河すーぱー絵解き座>による実演、
絵解きとは――仏教の掛け軸をわかりやすく解説したレトロ話芸。
文字の読めない人びとにも仏教の教えを伝えるための手段として発達したが、時代の流れの中で忘れ去られてしまい、今では一部を除きほとんど継承者もいない。
絵解きの娯楽要素は掛け軸から紙芝居、テレビへと受け継がれている。
三河すーぱー絵解き座は、
おもしろくもありがたい絵解きという話芸の、数少ない継承集団である。
これだけでも入場料の値打ちはある。
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夕飯は残り食材総ざらえ。
録画番組視聴、シャーロック・ホームズ。
(15)「プライオリ・スクール」
ジェレミー・ブレットが演じたシャーロック・ホームズのドラマシリーズ。公爵の息子がプライオリ・スクールから失踪。同じころドイツ人教師も姿を消し、関与が疑われたが…
ホールダネス公爵の息子がプライオリ・スクールから姿を消す。捜索依頼を受けたホームズ(ジェレミー・ブレット)とワトソン(エドワード・ハードウィック)。手がかりは荒れ地に残る、2種類の自転車のタイヤ痕。同じころに姿を消したドイツ人教師が関与している可能性が。タイヤ痕のうちのひとつはドイツ人教師の自転車と判明。ふたつの痕は離れた場所でぷっつり途絶えていた。イギリス1986年制作。
片付け、入浴、体重は250g減、よし。
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ウォーキングしなかったので歩数は足りず、水分は1,740ml。
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uchu-household-blue · 3 months
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対蹠した状態がそこにあり、'声の聞こえないほう'に探しにいく、なのかなぁ 
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野蛮で。なんでもありになってしまう。本質主義的な、絶対的な何かを'信じたい''気持ちは分かるが'しがみついちゃうと 非人間化の対立を生んでしまう、正しさを背負ってしまう ⚖️ もう一項側で 相対主義的に振り切れてしまうとあらゆるものが野放しになってしまう。では、、どうして両方に倒れ込む恐れを持つのか。主語が純粋な個人にも、万人に!も、転がったらまた'われわれ'から線引くように外されていく感情だったり得られなくなる連帯がある。言葉はあいだにあるもので、もし変わりうるものだと、一方的にでなく説き合うのであれば、やっぱり排他的な話し方だけでは 選民意識から排除された人たちや特権の囲い込み自体を社会に括り出すだろう。引き続き恐怖と憤りと戦わないといけない部分もあるだろうけど、それこそ非暴力的な。対立のみを許して固定的な主張だけ問うてもな、本当にそれがしたいの?モノのように(そういえばセットの後ろにstill lifeと置かれてた笑)、対象を人間ではない状態で扱うの、自分の見ているものだけを信奉するの?'公的に'危ない、群衆の暴徒化のように倒れ込まないように、分かるわけないだろうを 分かるけれどバランスのほうが取るやつなのだよというのはまさにシンパシーからエンパシーだった。会話の続け方だった。おおらかなリベラリズムを言い換える時にそれでもやっぱり私的な、心の底で許す必要があるわけではなかったけれど、'連帯とリベラル'が紐付くとならば、安心して間違ってもいい前提に秩序と思える空間は、中間のようなところにもきっと見出せる、混同したとしたらどう帰結が変わるのかとか、の、意味も問える個人になりたい。本も読むなるべく(コンテンツとの中庸)。矛盾せずに冷淡になれて、道具のように思っていて、交じり合わない界も、遠くからの槍も飛ぶなかを、それでも血の通い方が必要で。本質主義じゃないながらも無とか繋がりとしての源は絵でもいいから持ちたい。しかし言葉にはのまれていくものだから、出会えるものでもあるから。畏れていく。
バランスを取るしかない、宗教と科学も やっぱり天秤の絵で繰り返していく想定というか、了解して頷くのだけども、面白いなー、最近で1番、要約的に 主張だったのに まとまらない。端的な話し方をする一方で柔らかかったのもすごかった。何より謎自体は解けた感がすごい。 同じ言葉づかい、メタファーやイデアの※触れ方だよな、だけでも 連帯感。 その分析や丸め込む言い切りのような理論は残酷で、今いるのか?と近しく思った 現状追認に終わりかねない。ウクライナの例のなかで、では僕たちはここまでロシアの言い分を聞いてきてない気がする と。残酷な苦境の中にいる側の人々の感情に移入してからいかにしてその残酷さを減らそうと思えるか が土台的なー連帯の優先順位なのだとのことで、やっぱり新しく感じた。話をする中で育ち合うシンパシーや興味関心、さらに距離、温度なのかもだしな。 現状追認は、ほんとに業のような作業に思えて。言い分や歴史だけなぞっても、他者からの名前つけ、③にあったようなキャラづけ、括りを容認して決めつけていく先鋭化した作業にも思える。傾いてしまいやすいのかもね。言い分に変化もない会話、自分ルールに対する言い切り、あるいは手を合わせて、教義のある宗教、神様のせいorおかげだけになると主張が空中に混同され暴徒化するだろうし。礼讃せず反例を探すような振る舞いのこともバランスだとは思うけど、残酷な方に行かないためのバランスとおもえばその時々の考え方の指針にはなるよね。民族性を鑑みるにも、感情教育は要るよね。政治の現場もそうね追認のディベートではなくダイアローグを重ねるべきなのだということなのだね 生き物としての言葉探すか。。?
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namiashi-diary · 11 months
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各々思ひ切り給へ・・
5/17(水)御入山慶讃大法要(宗門法要)に続いて、6/17(土) 身延山開創750年慶讃大法要 の 身延山伝承法要に参列します。
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本年、開闢(かいびゃく)750年の節目として、日蓮宗総本山身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)にて、6座の法要と高座説教、3席の清興にて身延山開創750年を慶讃する大法要です。
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身延山伝承法要は大法要のプログラムの一つで、身延山第92世内野日総法主猊下御導師のもと、以下の法要趣旨で厳修されます。
“開創以来750年に亘って身延山では数限りない法要が営まれてきました。その次第は時代とともに僅かずつの変化を遂げ、現在の身延山で奉行される法要式につながっています。本法要は、大導師に身延山第92世内野日総法主猊下、脇導師に身延山一老職と身延山と特にかかわりの深い山梨・静岡教区の宗務所長を迎え、日蓮聖人以来750年間伝承されてきた身延山の伝統的な法要が奉行されます。”( 身延山久遠寺オフィシャルウェブサイトより)
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法要終了後には、大阪府豊能管内檀信徒様にはお馴染みの倉橋観隆師(兵庫県妙興寺住職)が、高座説教のトリを勤められます。
【関西身延 真如寺 - 日蓮聖人御真骨奉安之霊場 】  ◎5月の法話 逆境に立ち向かう/倉橋観隆  ◎5月の法話 千の風になって/倉橋観隆
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御入山750では、当管区の青年会はじめ全国から結集した青年僧が勇壮な唱題行脚を披露し、開創750も管内の声明師や修法師、女性教師、団参一行などが大挙登詣して宗祖に報恩感謝の誠を捧げます
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「各々思ひ切り給へ」( 建治元年(1275)聖寿54歳 )・・我々はこれからも常に踵を接し、祈りを怠らず、行動を惜しまず、祖願達成をお誓いし、疫病の終息とウクライナの平和、四表の静謐を祈念いたします。
【君が代🇯🇵National Anthem】ウクライナ🇺🇦に響き渡る ...
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mitsujiwordpress · 1 year
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Tsugaru seems to have some interesting beliefs, such as torii demons and water tigers. In Tsuruta Town, there are still shrines dedicated to Torii demons and Suiko(A god in the form of a kappa. There are said to be about 80 temples and shrines enshrining Suiko-sama in the northwestern Tsugaru region). In the Tsugaru region, there is a belief that demons are worshiped as gods, and there are said to be more than 30 shrines in four cities and three towns, mainly in the northwestern Tsugaru region, where demons are enshrined in the torii gates of shrines. The origin of enshrining demons in the Torii gate is not clear, but since all the demons so far have been in shrines near the Iwaki River, they were enshrined to prevent the river from flooding due to heavy rain. It seems that it is speculated that there is not. At the end of the year, the Motomachi Yayoi Association dedicates the Yayoi paintings, which make use of the color of the grain and are finished without coloring, to Tsuruta Hachimangu Shrine, and people who visit the New Year visit the Yayoi paintings displayed on the torii gate. While looking at the painting, it seems to be entrusting a wish to the new year. Zaruishi turnip is a Western-style red turnip with a light red skin and pink fruit. It is used for pickles such as vinegar pickles, salt pickles, and rice bran pickles. It is said that the cultivation of this plant spread because it was brought to the Kugurizaka area in Aomori Prefecture by the Heike fugitives long ago. The native variety "Tsutsui turnip'' has been cultivated in the Tsutsui district of Aomori City, Aomori Prefecture. "Toyomaki red turnip'', a red turnip that turns red when pickled, was cultivated in the Toyomaki district of Inakadate Village, Minamitsugaru County, but recently the amount of cultivation seems to be decreasing. Currently, the producers are also aging, and it seems that they only grow them for their own use or to distribute to their relatives. The seeds are sown in August and the harvest is around November.
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newspaper-ckm-mirai · 2 years
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慈雲山法輪寺 晋山式を挙行 第二十二世 中澤要翠住職が就任
慈雲山法輪寺 晋山式を挙行 第二十二世 中澤要翠住職が就任  5月8日、雨宮の法輪寺で新しい僧侶が寺の住職となる儀式、晋山式が執り行われた。この日は晴天に恵まれ、式に先立って晋山行列が雨宮分館から出発。法輪寺の万灯連による奉納の行列は例年のお会式でも披露されるが、昨年はコロナ禍で境内のみ。今回はおよそ60人ほどが3年ぶりに寺まで数百メートルにわたり、街を練り歩いた。街法輪寺で晋山式が行われるのは前の第二十一世・中澤要良住職が継承した昭和46年(1971)以来51年ぶり。 新しい住職は中澤要翠(太郎)住職で、要良住職の長男。本来は昨年晋山式を開く予定だったが、新型コロナ感染拡大で一年順延されていた。また、式に合わせて、長年の功績を讃え世話人や総代ら役員がた。世話人や総代ら役員が表彰された 万灯連らによる晋山行列の様子 第二十一世 中澤要良住職(右) 第二十二世 中澤要翠住職(左)
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shakuhachi-kataha · 3 years
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第三十回ミニ講座☆朗庵とは、其の三! 
詩・漢文集などから知る、朗庵の人物像📖
今まで二回、朗庵の講座をしましたが、絵画や地誌に記された朗庵は、未だ雲をつかむように判然としません。
そこで、まずは中塚竹禅著の「琴古流尺八史観」から「朗庵タイプの薦僧」の一部分を抜粋したものを読んでみましょう。
朗庵タイプの薦僧
(前略)所で此の薦僧に大体に二種類あった。其の一は、無主義無方針なる本当の乞食を目的とする薦僧で、まず無頓漢である。他の一つは、或る一つの主義主張なり信念なりを持った自覚的薦僧で、従って行雲流水は彼らの手段、其の眼目は深遠幽玄なる人生の奥の院に到達して其の神秘の扉を打ち開こうという、特殊な連中であった。だから薦僧というても実は一種の行者であり道者である。前者は純然たる社会の寄生虫であるから之は問題にならないとして後者は一宗の宗祖にも比すべき、純真なる其道の行者である。後に普化禅を信奉する事になった普化道者である、此の行者の一番最初の人が釈朗庵で最も代表的な人物も亦朗庵である、朗庵以前に朗庵はなく、朗庵以後に朗庵無しといっても過言ではない程、傑出した人物である。此の朗庵の主義主張が後世の虚無僧を指導したのである。
これか!
「朗庵以前に朗庵はなく、朗庵以後に朗庵無し」!
ともかく、朗庵なくしては虚無僧を語れないということですね。
この言葉に背中を押され(笑)また根気よく、詩・漢文集などから朗庵のことを探ってみました。
1300年代から朗庵は存在したのか?
義堂周信(ぎどうしゅうしん)の『空華集(くうげ)』漢詩文集に「朗庵主」とあります。
弔朗庵主水墳
宇治橋辺一艸堂 
安禅座穴幾松床 
三千刹界皆棺槨 
底事将身水底蔵
宇治橋辺りの一艸堂「朗庵」の庵主が入水自殺したという解釈がされています。
義堂周信(1325―1388)は、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧。
別に「空華道人」とも号する。土佐(高知県)長岡の人。土佐の吸江庵(ぎゅうこうあん)出身で五山文学の重鎮。
おお、
土佐に同じ名前の吸江庵があるのですね。
というか、こっちが多分先。
土佐の吸江庵とは南北朝時代を代表する禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)を開山とする。1318年、夢窓疎石が北条高時の権政を逃れるために四国に渡り、土佐国の五台山の山麓に結んだ草庵を起源とする。夢窓が草庵の前に広がる浦戸湾を「吸江」と命名したことで、草庵は吸江庵と称するようになった。夢窓が足利尊氏の政治顧問に就いたこともあって、室町幕府の厚い庇護の下に隆盛し、海南の名刹と呼ばれた。土佐の中世禅宗文化の中心となり、吸江庵の名は明国にまで聞こえたほど有名であった。
義堂周信は夢窓疎石の門弟で、この地で学び、京都五山(禅寺)で活躍しているので、宇治の朗庵も訪れたのでしょう。弔いの詩を書くくらいなので、朗庵主とはよほどの顔見知りであったと推測します。
その義堂周信の影響で、後世の朗庵主が彼の出身地「吸江庵」の名をつけた可能性は高い。との推察がされております。
ここで、吸江庵の名前の由来がわかりました。
お次は、
一休禅師(1394ー1481)『狂雲集』にも「宇治朗庵主」とあります。
『狂雲集』は、一休宗純による風狂破格の世界を呈する漢詩集。 ほとんどが七言絶句で、狂雲とは一休の号である。
一休禅師も尺八を嗜んだとの事。一休禅師に関しては次回に詳しく迫りたいと思います。
まずは、
「尺八」という題の漢詩です。
尺八  
因憶宇治庵主會   
飢腸無酒冷於水   
明皇天上羽衣曲   
偶落人間慰野僧   
因に憶う宇治の朗庵主
飢腸(きちょう)に酒無く、氷よりも冷し。
明皇は天上羽衣(うい)の曲、
偶々(たまたま)人間(じんかん)に落ちて野僧を慰む。
宇治の庵主を憶う、空腹で酒も無く、この庵は氷よりも冷めたい。
天上の唐の玄宗皇帝ゆかりの羽衣の曲が、思いがけず地上に落ち、放浪僧を慰める
(片羽訳)
この漢詩は尺八吹きの亡霊が出てくる、狂言の『楽阿弥』の事を詠んでいるのだろうという田口和夫氏の解釈もあるようです。
一休禅師も宇治の朗庵を訪れて、尺八の音色を聞いたのでしょうか。
『體源抄(たいげんしょう)』(1512年成立)には「宇治」と記載。
『體源抄』とは室町時代の雅楽家・豊原統秋(むねあき)によって編纂された中世の楽書。
又自両頭テ切断後 
三千里外絶知音 又云狂言云シ人作之
尺八節高円口連 彼尋出處宇治邊 
一聲吹落兩棲月 百万軍中聞不眠  
前半の「又自両頭テ切断後 三千里外絶知音」は、狂言『楽阿弥』のセリフに書かれていたり、『祥啓筆朗庵像』(1477年)の讃にも書かれています。いずれも最初に誰によって書かれたのかは判然としていません。こちらは一休禅師作といわれているがさだかではないそうです。
さて、
1800年代になりますが『糸竹古今集(しちくこきんしゅう)』には、朗庵像が描かれています。
『糸竹古今集(しちくこきんしゅう)』とは、近世の邦楽書。1805年刊。江戸の神谷潤亭(かみや-じゅんてい)とその門人伊能一雲の共著。当時衰滅していた一節切を再興し、一節切本来の楽曲の譜のほか、箏曲、長唄、俗曲に合わせて吹いた小竹(こたけ)の用法、楽譜(指孔譜)を記したもの。
(精選版 日本国語大辞典の解説)
その中に「異人」とあります。
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手事(てこと)に伝住む異人ありて常に一節切をふく。宗佐老人異人によって其傳越え、次に高瀬備前守その傳を得たり。
「異人」としか書かれていませんね…。
こちらの「一節切伝来系譜」には最初に「蘆庵」です。
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蘆庵→宗佐→高瀬備前守…と続いています。
こちらが蘆庵(朗庵)像。
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(画像はいずれも国立国会図書館より)
持っているものは確かに一節切です。
ここで、問題点ですが、鎌倉時代の書かれた「教訓抄」(きょうくんしょう)(1233成立)に「今は目闇法師・猿楽之を吹く」と、盲法師や猿楽の徒が尺八を吹いたという事実があり、『山科教言卿日記』の1408年3月24日の条に、後小松天皇が足利義満の北山第で尺八伴奏の草歌を聞いたという記事がある。隆達小歌も一節切を伴奏に歌われることもあったとのこと。
朗庵が存在する約200年も前から一節切が存在した事になりますね🤔⁉️
ぢゃ、なんで朗庵が一節切の祖?
という疑問を考えると、1200年代の戦国時代のことは一節切の事は江戸時代には判然としていなかったという事と、誰かを創始者に持ってくるのは権威付けもあったのではないでしょうか。
では一節切が古代(雅楽)尺八(節が三つに孔が六つ)から変化したのか?という説もありますが簡単には断定できないそうです。
一節切、外来説はやっぱり謎!笑
確かに宇治に朗庵と呼ばれた草庵はあったようだし、そこに住む人もいたようです。
ま、ともかく
「朗庵以前に朗庵はなく、朗庵以後に朗庵無し」!
ということで(笑)
虚無僧研究会機関誌「一音成仏」第四十五号、相良保之著「朗庵の足跡」にはとても詳しく書かれていますので、そちらも参考にして下さいませ〜。
...
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myoudani-church · 3 years
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2021/05/23 聖日礼拝
説教題:創世記(18)神様を礼拝する信仰
聖書:創世記12:1〜9
讃美:新聖歌3、20
  主の聖なる御名を崇めます。
牧師の突然の入院のため、ここのホームページに説教文をアップさせていただくことになりました。これをお読みになる方やおうちでネット礼拝をささげる方々に神様の豊かな恵みがありますようお祈り申し上げます。
 私たちは創世記を学んでいます。第12章に来て、神様がアブラムに行われたことを学びました。神様はアブラムに信仰をお与えになりました。その信仰とは次のようなものです。
一、古い人を脱ぎ捨てて新しい人を着る
二、神様の命令に従う
今日は、これに続いて「神様を礼拝する信仰」について学びましょう。
 まず、礼拝とは何ですか?色々の言葉で表すことができると思いますが、今日の聖書箇所から教えられることがあります。アブラムの行動からです。「礼拝とは、神様を求めること」です。神様はアブラムにこのような信仰をお与えになりました。
 まず、12:7を読みましょう。
主はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
 12:8も読みましょう。
彼は、そこからベテルの東にある山の方に移動して、天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は、そこに主のための祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。
 アブラムは、自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築きました。それから、しばらく経ってベテルの東にある山の方に移動して天幕を張りました。この時、アブラムはまだ遊牧状態だったことがわかります。
 では、アブラムが祭壇を築いた目的は何ですか?それはいけにえの動物を神様に献げるためです。いけにえの動物を神様に献げる行動は、旧約聖書に現れる「礼拝の行為」です。神様を礼拝する者が、感謝の意味として、あるいは罪の贖いの意味として、いけにえの動物を神様に献げます。
それから、7、8節に直接に書かれているように、祭壇を築いた目的は「主のため」であることがわかります。
 こういうことから、アブラムが祭壇を築いたという表現は、「神様を礼拝した」、或いは「神様を求めた」、「神様を覚えた」と言い換えられるのではないでしょうか。即ち、アブラムはカナンに着いて、神様を覚え、求め、礼拝したということになります。神様がアブラムにお与えになった信仰は、神様を覚える信仰、神様を呼び求める信仰、神様を礼拝する信仰です。これはまた、神様を恐れる信仰と言えます。
 異教の地に住んでいたアブラム、神様を知らなかったアブラムをお召しになり、彼をイスラエル民族の始祖としてくださった神様は、彼に神様を礼拝する信仰をお与えになりました。彼がカナンの地に着いて、一番最初に行った主な事は、祭壇を築くこと、すなわち礼拝でした。長い旅をして来た彼とその家族、まだ遊牧民のような生活が続く中で、彼は2回も祭壇を築きました。言い過ぎかもしれませんが、彼は行く所々で神様を礼拝したということでしょう。神様を覚え、求め、恐れている彼の信仰の様子が良く現れています。
 このような信仰を私たちに適用していただきたいです。アブラムに神様を礼拝する信仰をお与えになった神様は、同じく私たちにもお与えになりました。では、私たちは神様からいただいた「神様を礼拝する信仰」をどのように行っているのでしょうか。自分の信仰をかえりみていただきたいです。
 神様を礼拝する信仰とは、神様を求めることです。生活のどの領域においても神様を求めることです。「主よ。ここに来て下さい」と求めることです。神様の臨在を求めることです。これはほかのどのものよりも神様を第一に求めることです。聖日になって、教会に行って、礼拝式を行うこと以上に、私たち自分自身の中に常に神様を第一に求める霊の状態を持ち続けることです。それからその第一の場所に神様以外のものを居座らせないことです。これは出20:3の「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」というみ言葉を実践する生活です。
 では、私たちの実生活の様子を覗いてみたらどうでしょうか。私たちは弱くて罪深い者であって、知りながらも心の偶像、偽りの神を作ってしまいやすいのではないでしょうか。
 それでは、いったい偶像とは何でしょうか。それは、私たちが神様よりも重要だと見なすもの、私たちの心と思いのすべてを吸い込むもの、そして、私たちが神様からしかいただけないものをそこから得ようとする、すべてのものが心の偶像です。目に見える偶像を作っていなくても、とある石像を拝んでいなくても、上記のようなものが私たちの心にあるなら、それこそ心の偶像です。
 そして、私たちがこういった心の偶像を持っているなら、それは「偽りの神」になってしまうのです。神でないものを神のように見なすから、偽りの神です。まことの神様が居座っておられるべき場所に、神以外の何かが居座っており、そしてそれらが私たちの心をコントロールできるので偽りの神です。人はそれに情熱、エネルギー、感情、時間、金銭などを注ぎ込みます。
 偽りの神になりうるものにはこういうものがあります。家族と子ども、仕事や成功、金銭とそこから得られる満足感、虚栄や見栄え、人からの賞賛や人に認められたい欲求、社会的地位を維持すること、恋人や人間関係、身体の健康、将来の夢、ボランティア活動や救済活動、教会での奉仕などが偽りの神になりうるという事実を認めなければなりません。
 では、私たちの内にもしもあるかも知れない偽りの神を捨てて、まことの神様のみを第一にし、この方のみを礼拝することができるでしょうか。心の偶像、偽りの神を持っているということは、自分の心が神様以外の何かのために生きている、という状態です。ですから、心の偶像を捨てるためには次のようなプロセスが必要です。
 まず、自分に心の偶像があることを認め、悔い改めることです。ここから始めます。自分には神様以外の何かのために生きている自分自身があることに気づき、認め、悔い改めます。
 その次のステップは、心の偶像を神様に置き換えることです。神様が私たちのためになさったことを覚え、感謝し、喜び、味わい、そこに憩うことです。つまり、神様の愛を自分の心の中に植える作業をします。偶像を追い出しても、神様の愛を喜ぶことがないなら、偶像はまた来ます。神様から来るものだけで十分な喜び、満足感、楽しみ、生きがいを体験し続けている時、偶像は私たちの心の中に巣を作ることはできません。それらに見向きもしないし、関心も持っていないし、味わおうともしないからです。
 ここで思い浮かぶみ言葉があります。ハバクク書3:17〜18です。
「いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、オリーブの木も実がなく、畑は食物を生み出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。」
 何もなくても、神様にあって、神様のために喜び踊り、神様にあって楽しめる霊の状態になることです。神様から得られる幸せ、神様との関係から得られる平安、言いようがない喜びや満足が溢れているから、ほかのもので置き換えたくありません。神様を愛し、礼拝する甘さや楽しさにどっぷり浸かる人は、ほかの代替を思いめぐらすことはしません。簡単に言って、「もう、ほかは要らない!」という霊の状態です。
 願わくは、神様を礼拝する信仰がこのようなものであってほしいです。神様を愛し、神様を礼拝する甘さ、楽しさ、喜びにいつもどっぷり浸かっていて、神様のみで満足する者でありたいです。これこそ、神様を第一にする信仰、神様を最高の価値にする信仰ではないでしょうか。
 説教を終わりたいと思います。
アブラムは主のために祭壇を築きました。彼は神様を第一に覚え、この方を求め、礼拝しました。彼のこれからの人生に失敗も現れますが、彼をお召しになり、信仰をお与えになった神様は彼をずっと握ってくださり、信仰を守らせてくださり、導いてくださいます。この恵み豊かなお方を私たちの唯一の神様にし、いつまでも喜び、ほめたたえ、礼拝する者とさせていただきましょう。アーメン。
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happytime-en · 5 years
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『 江戸時代の道路標識 』
                                                                      みなさん こんにちは
結婚相談所
ハッピータイム県央&みなかみ分室
婚活アドバイザーの佐々木です。
渋川市にて、ポスティング中に発見!
八木原の道しるべ
佐渡奉行街道の八木原宿南の三本辻に
天保4年(1833)に建立されたもので
三角すいの安山岩の自然石で
塔身の高さは133cmあるそうです
(渋川市指定史跡)
表面の上部に「右高崎」「左江戸」と
大きく刻まれています。
その下に榛名山・一之宮・妙義山・
日光山・善光寺・伊勢太神宮
京都・大阪・讃洲金毘羅への道のり
刻まれています。
まず、目を引いたのは
 「左江戸」時代を感じますね。
さらに、この道しるべのすごい所は
県内の榛名、妙義のみならず
栃木県・日光山、長野県・善光寺や
三重県・伊勢神宮、大坂、京都、
讃州金毘羅までの距離が記されて
いること。
日光山・二十三里(92km) 
善光寺・三十三里(132km) 
伊勢神宮・百十里(440km) 
京都・百十一里半(446km) 
大坂・百二十四里半(496km) 
金毘羅・百七十五里半(702km)
  *一里を4kmで計算
これを見ると、江戸末期には庶民も旅行というか
お参りというかが、一般的になっていたのかもしれませんね
**********************************************
婚活応援団ハッピータイムグループ
★県央支部 〒371-0812 群馬県前橋市広瀬町2-1-9
★みなかみ分室 〒379-1305 群馬県利根郡みなかみ町後閑311-4
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TEL・FAX 0278-62-2792
携帯 080-1160-5479 支部長 佐 々 木 真 勇
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xf-2 · 5 years
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「KAWATAとNANAのRAPT理論」に、新しく動画をアップしました。
今回は、「生長の家」について深く掘り下げてお話をしています。
過去の記事でも、何度かお話してきたのですが、また別の角度から「生長の家人脈」をご紹介しています。
はじめに、「生長の家」の教祖、「谷口雅春」と「小泉純一郎」の写真を比較しています。
こちらの写真比較は、ツイッターで紹介されたもので、注目を集めています。
ここから、「小泉純一郎」の出生についてご紹介していきます。
以下の画像は、「小泉純一郎」の父親、「小泉純也」です。
<右:小泉純也>
「小泉純一郎」の生まれについては、以下の記事をお読みください。
○小泉純一郎は『日韓ハーフ』
若いころの「小泉純一郎」は、「福田赳夫」の下で秘書をしていました。
<福田赳夫>
———————-(以下こちらから転載)
福田赳夫の秘書を務め、後に総理となる福田から政治家としての薫陶を受けた。
社会人生活の第一歩を浪人でスタートした小泉は、毎朝4時に起床した。
横須賀駅5時半発の電車に乗って、2時間かけて世田谷区にある福田赳夫邸へと通った。
福田のもとには初当選したばかりの塩川正十郎がいた。
当時のことを塩川正十郎は『週刊文春』の阿川佐和子との対談でこう語っている
「そうそう。彼は早起きで、福田さんの家の玄関で靴揃そろえておったね。
下足番だったの」
「で代議士が帰るときモータープールで“何々先生お帰り〜お車ぁ〜”て運転手を呼んでたの(笑)。
だから、僕は彼のホームページに“まさか総理大臣になるとは思わなかった”って書いたんです。大変な苦労をしてますよ。」、
「そのとき、福田さんが“こいつは意地の強いやっちゃ。なかなかしっかりしとる。だから、大物になったら、とんでもない大物になるけど、はぐれたら処置ない奴ぜぇ”と言うたことがあるの」。
福田邸で秘書の仕事は午前中で終わり、午後からは地元横須賀で自身の政治活動を行っていた。
———————-(転載ここまで)
「福田赳夫」は、「生長の家」と深いつながりを持っています。
———————-(以下こちらから転載)
従って十一月二十二日の生長の家秋の記念日には、谷口雅春先生の喜寿を奉祝して、新築なった飛田給練成道場で、「谷口雅春先生喜寿奉祝全国信徒大会」が開催された。
翌十一月二十三日の夜には、各界の代表者が発起人となって「谷口雅春先生の喜寿を寿ぐ祝賀会」(発起人・世話人代表・岸信介)が東京・ホテル・ニューオータニで開かれた。
祝賀会には福田赳夫大蔵大臣、永野重雄日本商工会議所会頭、庭野日敬立正佼成会会長、作家の林房雄氏、山岡荘八氏、画家の林武氏らをはじめ各界の代表三百数十名が参列して、谷口雅春先生の喜寿を祝ひ、生長の家の偉大さを讃えた。
———————-(転載ここまで)
「生長の家」の���典、「生命の実相」を読んで、感銘を受けた人物として紹介されています。
この名簿の中に登場する「鳩山一郎」は、「フリーメイソン」のメンバーでもあります。
○Wikipedia-鳩山一郎
○フリーメイソン秘密の儀式部屋に潜入! 超重要な「二つの石」の意味
(「フリーメイソンロッジ」の壁の写真です。下から4番目に「鳩山一郎」の名前があります。)
こちらは、「小泉純一郎」と「生長の家」との繋がりをしめす、イベントの案内です。
詳細は、こちらのリンクからお読みください。
「小泉純一郎」が関係しているレイプ、殺人事件について。
○小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相
「小泉純一郎」は、「竹中平蔵」共に、日本をめちゃくちゃにする政治を行いました。
このことについては、「RAPT BLOG」で詳しく紹介されています。
以下のリンクから、お読みください。
○RAPT BLOG 小泉政権が行ったB層攻略マーケティング。その極秘資料を入手。
○RAPT BLOG 小泉・竹中改革下で起きた幾つもの暗殺・冤罪事件。日本はもう法治国家ではない。
○RAPT BLOG 日本をダメにした「小泉・竹中改革」の成功は、すべてトヨタ元社長「奥田碩」の力あってのお陰です。
「小泉純一郎」と「橋下徹」と「稲川会」の繋がりについては、こちらの記事をお読みください。
○「日本会議=生長の家」と黒い人脈。全ての悪は「生長の家」に通ずる。
ここから、「稲川会」と「ピーチジョン」と「生長の家」との繋がりを、ご紹介していきます。
「ピーチジョン」と「ワコール」の関係について
○苦境のワコールの最大の汚点、ピーチ・ジョン買収の代償…名門ブランド毀損
「ピーチジョン」と「稲川会」と「押尾学」の関係について
○Wikipedia-押尾学事件
○ピーチジョンと押尾の怪しい関係
<塚本幸一>
○Wikipedia-塚本幸一
事件後、釈放された「押尾学」は、参院のドン「村上正邦」の下で書生をしていました。
○あの押尾学が元「参院のドン」村上正邦事務所でお茶酌みしていた!(週刊文春)
<村上正邦>
彼は、「生長の家人脈」の中でも、特に重要な人物です。
くわしくは、以下のリンクからお読みいただけます。
「YouTube」で、対談もご視聴いただけます。
○RAPT×読者対談〈第121弾〉清和源氏と日本会議と蝦夷共和国と緑の星。
○RAPT×読者対談〈第122弾〉現代日本の支配構造は、安土桃山時代と全く同じ。
「村上正邦」の一言によって「森喜朗」が、総理大臣に就任することになりました。
<森喜朗>
「森喜朗」の神の国発言で話題となったスピーチの内容は、以下のようなものでした。
○Wikipedia-神の国発言
・日本は天皇中心の国である。
・森や自然を大切にしなければならない。
・どんな宗教も自由だから尊重する。
これらは、「生長の家」の教理と、ほとんど同じ内容なのです。
そして「森喜朗」は、「日本会議国会議員懇談会」の発起人であり、現在、「東京オリンピック組織委員会」の会長も務めています。
○Wikipedia-日本会議国会議員懇談会
前の動画で、「東京オリンピック」のエンブレムは、「生長の家」と深く関係しているというお話をしました。
「森喜朗」も「生長の家人脈」のひとりなのです。
芸能界も「生長の家」が深くかかわっているということが、判明しました。
この「生長の家」人脈は、どこまでもつながっていきます。
今回ご紹介したことは、ほんの一部です。
彼らは、大きなネットワークを通して、私たち庶民に、多大な影響を及ぼしています。
「生長の家」の正体については、「RAPT BLOG」で、詳しく紹介されています。
以下のリンクからお読みいただけます。
○RAPT BLOG 安倍晋三・稲田朋美をはじめ緑の勢力が「第三次世界大戦」を引き起こそうとしている厳然たる事実。
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nemosynth · 5 years
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの���段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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copyoffice · 6 years
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はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました?とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。君たち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。 そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。 きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。 そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。 さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。 というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。 それが正義であり「人としての���しい道」なんです。 そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。 いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中のどこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。 そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上!明治二十三年十月三十日天皇
作家、高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」が話題!! (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
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kotohiranomiya · 2 years
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もう一度ぉ♬会い~たい~♪讃岐の女~よぉ~♫
〝女〟と書いて〝ひと〟と読む。〝こんぴらさん〟が舞台の歌「讃岐の女」で有名な歌手、渡辺要さんが今日、新曲「お前に夢中」を奉納してくださいました。
渡辺さんは新曲を出すといつも必ず一番最初に神楽殿で歌って奉納してくださいます。
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rakkanoyukue · 6 years
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高橋源一郎氏の「教育勅語」現代語訳
教育勅語①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」
教育勅語②「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」
教育勅語③「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」
教育勅語④「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」
教育勅語⑤「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」
教育勅語⑥「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです
教育勅語⑦「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」
教育勅語⑧「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日  天皇」
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july-cross · 3 years
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告解室の天使
みずぼらしく 汚い格好で寝そべっていた 告解室で酒瓶を抱えて―― 誰ももてなしはしない 誰かは「死んでいる」と言った けれど 旅人をもてなすことを知っている者だけが 温かい食事とベッドを用意してあげた とある日 賛美をする奉仕者が倒れた 神を讃え歌う者を失った教会 途方に暮れる祭司 賛美のささげものへの諦め―― しかし 神は見捨てない 諦めようとしたささげものの時間 告解室から美しい旋律を歌う声 誰もがその声に酔った 誰もが今までかつてない賛美だと思った 扉を開けると そこには一本の酒瓶 誰もそこにはいなかった―― 天使は歌うためにやって来る 神への賛歌を携えて―― 天使は助けるために現れる 人に静かに仕えるために――
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