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#外側カリっと中もっちりのパン
naganumapiano · 2 years
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トーストセット                     北海道産ハルユタカ(強力粉)100%に牛乳と発酵バターと塩だけを加えたミルクブレッドのトーストです。 酵母は白神こだま酵母を使用、贅沢なトーストに仕上げました。 スープは北長沼の佐賀井農園さんの完熟トマトと平田農園さんの玉ねぎにピアーノで製造した燻製ベーコンがコラボしたトマトスープで、パンに相性抜群!ぜひパンを浸してお召し上がりください。 付け合わせのジャムは北長沼クロスカントリーファームさんのりんごで作ったジャムです。フルーティな酸味と甘さがパンにベストマッチ。 一晩以上かけて抽出した水出しコーヒー(通常価格450円)が付いています。 本物の原材料にこだわったトーストセット。 是非お試しください。 1000yen〈税込〉 (学生割引△¥100) #長沼 #カフェ #外側カリっと中もっちりのパン #トースト香ばしい #スープに浸すと別物 #素直にバターとジャムも美味しい #ともかく一度味わってみて下さい #無化調のスープ #野菜とベーコンだけの滋味 #シンプルで味わい深く見た目以上のボリュームでご満足いただけると思っています。 (Cafe Piano piano カフェ・ピアーノ・ピアーノ) https://www.instagram.com/p/CjsprCmphWi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hananien · 4 years
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【/D】テーブルクロスの下で
AU、モブ×ディーン、モブ視点。8500字くらい
兄弟は少年(S10/D14くらい)。ジョンがいなくなり、里親に引き取られている。わるいソーシャルワーカーとわるい里親に搾取されるディーン。気づかないサム。
以前「誰にもいわないで」という話をアップしましたがあの設定で書きたかったのがコレです。でももう別物です。。
気味の悪い話です。
 人の家に招待されるのは慣れているが今回は特別だった。イドリスは今にも吐きそうな気分で塗装のはげたインターフォンに指を伸ばした。何十年も前に取り換え工事をしたのか古い配線がスイッチのすぐ側にぶら下がっている。その黒ずんだスイッチを見ていると腹の具合がますます悪くなる気がする。普段の彼ならこれに触れるくらいなら一晩の飯くらい喜んでキャンセルするだろう。今回は特別なのだ。  ベルが鳴ってすぐに見知った顔が彼を迎えた。この家の家主ではないがイドリスを招待した男だ。人好きのする丸顔。清潔そうな金褐色の口ひげを蓄えた、評判のいいソーシャルワーカーだ。イドリスは常々、恵まれない少年たちに対する彼の情熱と行動力に感心していた。今ではその感心は尊敬の念にまで達している。  「ようこそ。よく来てくれました」 ニックというその男はにこやかに挨拶をして、イドリスの上着と帽子を預かった。コートハンガーにはすでに重そうな上着が数枚かかっていた。イドリスは自分が最後の訪問者になったことに怯んだが、少しほっとした。というのも家の内装が外見といくらも変わらない古ぼけて汚らしいものだったからだ。ドアの前に敷かれたマットなど、うっかり踏もうものなら何百年もの間蓄えた埃と靴裏の糞を巻き上げそうだ。なかなか立派なシャンデリアや装飾額の絵画などもあるが、どれも埃のかぶった蜘蛛の巣に覆われている。長居はしたくない家だ。  ところがダイニングルームに入ると景色が一変した。部屋が明るい。広さはそれほどなく、八人掛けの長テーブルが置かれていてそれででいっぱいの印象だ。着席していた三人の男たちが一斉にこちらを見たので、イドリスはいつも通りの愛想笑いで会釈をして、ニックに示された席に腰を下ろした。清潔でシミひとつ見えない白いテーブルクロスと同じ刺繍をされたカーテンが、通りに面している六角形の窓を外界の視線から守っている。床は椅子が滑りやすい板張りで、埃ひとつ落ちていなかった。まるでここだけが他の家のように美しい。  「ようこそ、校長先生」 上座の男がいった。「アンドリュー・リックスです。あなたをご招待できて光栄です。こちらはアデリ保安官」 左手に座る男が小さく手をあげた。「こちらはキンツル医師」 右手の男が頷いた。  「こちらこそ、ご招待に預かりまことに光栄です」 イドリスは椅子を引き直した。滑りがよくてテーブルに腹がくっつきそうになり、足を踏ん張って少し戻す。向かいの席に座ったニックが自分に声をかけたことを後悔していたらどうしようと思ったが、ちらりと見た彼の顔には、新参者に対する期待と、これからの楽しい時を想像させるような高揚感の色があるだけで、ほっとする。「わ、私は、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、この地区の学校の校長をしていまして……」  とつぜん、みんなが笑いだした。イドリスはぎくっとしたが、それは緊張がほどけるような和やかな笑いだった。「いや、いや。あなたのことはよく知っていますよ」 グレーの髪を短く刈った、おそらくはもう六十代になるだろうに、若々しい印象のキンツル医師が手を伸ばしてきた。「イドリス・ウエイクリング校長。私の孫が来年転入予定です。よかったら目をかけていただきたいね」  「ああ、それは、ぜひとも」 あわてて手をつかみ、握手をする。  「私も先生のことはよく存じ上げています。一緒にコンビニ強盗を追いかけたでしょう? 忘れてしまった?」 アデリ保安官にも握手を求められる。ぱりっとしたクリーム色のシャツの肩がはち切れそうな体格の良い男だ。イドリスは日に焼けて皺の深い彼の顔をまじまじと見つめ、もうすいぶんと昔の記憶がよみがえってくるのを感じた。「――ああ! あの時の! あれはあなたでしたか、保安官!」  遠い未知の世界に飛び込んでいくものとばかり思っていたのが、あんがい近しいコミュニティの男たちに歓迎されていると実感し、イドリスの腹の具合はとてもよくなった。  「さて、そろそろ始めましょうか。お互いのことを知るのは食事をしながらでもできますしね」 家主のリックスが手を一度叩いた。「さあ、おいで」  暖炉の影からゆらりと人が現れて初めて、イドリスは少年がずっとそこにいたことに気が付いた。  少年のことは、当然イドリスは知っていた。彼の学校に通う問題児として有名な子だ。イドリスがこの集まりに参加する気になったのも、彼の学校以外の態度に興味があったからだ。  しかし、当の彼を見るまでは、信じられなかった。ソーシャルワーカーのニックは彼を”とても従順”だと評したが、イドリスはそれは自分を不道徳な会へ引きずり込むための方便だ���すら思った。学校での彼を見るに、とても”従順に”扱えるとは思えなかった。ニックは彼の舌のテクニックの上手さを声高にセールスしたけれど、イドリスは自分の大事な持ち物を咥えさせるのは不安だった。部下の教員が暴れる彼を抑えようとして二の腕を噛まれ、一か月も包帯を巻いて出勤したことを思うと震えが走る。それでも断らなかったのはこの少年が非常に端整な見目をしているからで、よしんば暴れる彼を押さえつける役として抜擢されたのだとしても、そうして嫌がる彼が弄ばれるのを見ることができれば上々と思ったからだ。  それがどうだ。ここにいる少年は、学校での彼とは別人のようだった。高い襟のボタンを上まで留めてまっすぐに立つ彼は若木の天使のように静かだ。  「ディーン、お前ももう腹がぺこぺこだろう。今日は先生もいらしてる。ご挨拶して、準備にかかりなさい」  「はい、おとうさん」  リックスの言葉に従順に頷くと、なんと彼はそのまま、”おとうさん”と呼んだ者の唇にキスをした。それが終わると、きちんとアイロンのかかったハンカチをズボンのポケットから出して、ていねいに口をぬぐった。そしてまた、今度はリックスの隣に座る保安官に「こんばんは、ようこそ、アデリ保安官」とあいさつすると、白い手で保安官の頬を包み、ちゅっとキスをしたのだった。  唐突に始まったショーに、イドリスはすっかり動揺し、その動揺を表に出さないよう必死に尻の穴を引き締めた。少年ディーンは、順当に隣のニックにもキスしたあと、やはりていねいに口をぬぐい、イドリスの横に立った。  「こんばんは、ようこそ、ウエイクリング校長先生」  「こんばんは」 だれも返事をしなかったのに、とっさに挨拶を返してしまい、まずいのかと思ったが、慌てて周りをみると、みな微笑ましい様子で見守っているだけだった。  「エヘン――」 気恥ずかしさに咳をしていると、するりと手が伸びてきて、頬を少年の手で包まれた。くるなと思った時には、もう柔らかい唇が触れていた。  小さなリップ音とともに唇は離れた。手が離れていくときに親指がやさしくもみあげを撫でていった気がした。イドリスがぼうっとしているあいだにディーンは自分の唇の始末を終え、最後のキンツル医師にも挨拶とキスをした。  最後にディーンは、それまで口をぬぐってきたハンカチで自分の目を覆い、頭の後ろで結んだ。  「さ、それではお楽しみください」 リックスの言葉が合図だったかのように、さっとしゃがむと、ディーンの姿はそれきり消えた。  キンツル医師が親切そうにほほ笑んで家主とイドリスの顔を交互に伺い見る。「アンドリュー、今日は彼は初めてだから……」  「ああ、そうか! ルールを説明しておりませんでしたな。先生、これは実に紳士的でシンプルな約束です。ディーンを呼ぶ時は足を使ってください。届かないからといって、靴を脱いで飛ばすのはなし。ディーンが怪我をしてしまうし、誰かが準備万端のアソコをむき出しにしてたら大変なことになるでしょう?」 ハッハッハッと、陽気に笑う。「基本的には終わるまでディーンはやめませんが、あまり長いと他のみなさんが不満になるので、私のほうで様子を見てやめさせることもあります。今まであったかな、そういうの?」  「ないよ、ない。だって十分だってもたない」 ニックが自分のことのように誇らしげに、自信たっぷりにいう。「ディーンはすごい。今までの子で一番だ。僕らはいまや、彼にすっかり飼いならされてるよ」  「その通りだ」  「たいした子だよ」 医師も保安官も笑い合って頷く。  「だれにもついていないのに、呼んでもすぐに来ないこともある。そういう時、彼は休憩中だから、少し待ってやってくれ」  「あとはサムだ」  「そう、サムだ。校長先生、サムのことは知っていますよね?」  「ああ、ええ。ディーンの弟でしょう。四歳下の。知っていますよ、教員が言っていました。学校でも二人はいつも一緒だそうです」  「サムがこの部屋にいる時は、最中だったらいいんだが、そうでなければサムがいなくなるまで待ってあげたほうがいい」  「サムがこの部屋に?」  イドリスは驚いた。この会合のあいだ、この部屋へは不道徳な合意を果たした者だけしか入れないものだと思っていた。  しかし、リックスは平然とした顔で頷いた。「ええ、彼には給仕を任せていますから」  「大丈夫ですよ、難しく考えなくとも」 キンツル医師がイドリスのほうへ首を傾けてささやく。「皿が空く直前に呼んでしまえばいいんです。サムが給仕しているあいだは特に良くてね。タイミングを教えてあげますよ」  リックスがみなに確認する。「では?」  三人の客がダン、と一斉に床で足を鳴らした。それと一息空けて、リックスが手元のベルを鳴らす。イドリスは少し様子をみることにした。テーブルクロスは床まで長さがあり、その中でディーンがどのような動きをしているか、まったくわからない。そもそも、ほんとうに彼はいるのだろうか? 男たちはテーブルの端に手をついて上半身をゆらゆら揺らしている。顔だけは澄ましてテーブルの上の蝋燭や果物を見つめているのが気色がわるく、たまらなく愉快だ。ここにいるのはいずれも地元の名士たちで、その彼らがダイニングルームで食事を待ちながら、クロスの中で足をバタバタと動かして少年を自分のほうへ引き寄せようとしているなんて。  イドリスは興奮しすぎて足を床から離せなかった。何とか自分もと、震える膝を持ち上げたとき、その膝にするりと手が置かれた。  「あっ」 と思わず声を上げてしまい、慌てて同士たちを見回す。彼らの顔に理解が浮かんだ。おそらくは、ルールの中に”クロスの下で行われていることなどないような顔をすること”も含まれているんだとイドリスは想像したが、彼が新参者だから大目にみてくれているのか、不届き者を見る目つきの者はいなかった。ただ少し残念そうな表情を浮かべて、みな背もたれに背を預けた。  こうなれば自分は見世物だ。イドリスはもう必死に尻の穴に力を込めて、みっともない声をあげないよう努力した。ディーンの手はゆっくりと太ももの内側を辿り、ズボンの上からふくらみを確認すると、ベルトに手をかけたまま、開いた足の間に膝をついて座ったようだった。イドリスは改めて、なぜこの部屋の床がよく磨かれ、埃一つ落ちていなかったのかわかった気がした。  ベルトを解かれ、ジッパーを外す音はよく響いた。これが食事中ならここまで音は目立たないのだろうと思った。もはやみなの目線は遠慮なくイドリスに当てられている。彼の表情の変化で、いまディーンがどのような技で彼を喜ばせているのか推測しようというのだ。全員が目と耳が澄ませているなか、ディーンの手が布の層をかき分けて熱い肉に触れた時、彼が漏らしたであろう吐息がはっきりと聞こえた。イドリスは視線を上げないようにした。少年にそんな声を出させた自分が誇らしかったが、まだそれを表に出すのは早すぎる気がした。  ディーンは広げたジッパーの間から出して垂らしたペニスを、指の腹を使って根本から丹念にしごいていった。すでに興奮で立っていたイドリスのペニスはすぐに天を向いた。裏筋を濡れた何かが辿っていき、それが彼の指でなく唇であると気づいたとき、彼はそれだけで絶頂するところだった。  ディーンの唇はゆるく閉じたり開いたりしながら上へ登って、ついに先端に到着すると、鬼頭だけを飲み込んだ。きゅっと絞るように吸い付かれ、時々力の加減を変えながら、そのまま先の部分だけをねぶられる。イドリスは目を見開いて、膝の上のテーブルクロスを握りしめた。それをめくって、ディーンが――学校一の問題児が――自分を――つまり、校長のペニスを――咥えている姿を見てみたい衝動を抑え込むのは大変な苦労だった。  「失礼します!」 明るく元気な声がダイニングルームに飛び込んできた。ディーンが口の力を緩めて息を吐いたのがわかった。イドリスはとっさに、テーブルクロスの下に手を入れて、彼が逃げないように髪の毛を掴んだ。  「サム、待ちくたびれたよ」 リックスがいう。  「ごめんなさい。ピンチーさんが遅刻したんです。オーブンの調子も悪いみたいで……」  トレー台のカートを引いたサムが現れた。兄にくらべて体が小さく、病気しがちという話は聞いていたが、実際、その通りの見た目だった。  「言い訳はいい。早く配って。その前にご挨拶なさい」  「はい。こんばんは、アデリ保安官、キンツル先生。ようこそいらっしゃいました、ウエイクリング校長先生」  「や、やあ、サム――」 ディーンに動くよう指示するのに、髪を掴むのはルール違反のはずだ。乱暴なやり方が他の同士にばれる前に、イドリスは手を放して、かわりに膝を揺らした。ディーンはためらいがちに舌でカリをこすったあと、顎を上下しはじめ、動きを大きくしていった。  「校長先生は君のために来てくれたんだよ、サム」 リックスが何をうそぶくのかと、驚きながら聞くイドリスだったが、何のことはない、それはニックからも聞いていた、この会合に招待される代わりの”寄付”のことだった。  「僕のためですか?」  「数学の勉強がしたいといっていただろう。これから週に一度、校長先生が家まで教えにきて下さる」  サムはびっくりして目が飛び出しそうな顔をしていた。当然だ、ふつう校長がそんなことしない。イドリスだって初耳だったが、週に一度というのは、この会合の後ということだろうか? それならば、特に断る理由もない。週に一度、彼の兄と遊ばせてもらう代わりに、数学を教えてやるくらい、どうってことない。むしろ、このテクニック。イドリスは根本まで唇に包み込まれ、舌の上下運動だけでしごかれている今の状態に、非常に満足していた。このテクニックと、背徳感を味わうためなら、もっと犠牲を払わなくては、恐ろしい気すらする。  「ああ、君のような、勉強熱心な子には、特別授業をしてあげなければと、そう思っていたんだ……」  「そんな……でも……本当に……?」  「ああ、本当だよ」  イドリスは、衝動にしたがい、右足の靴を脱いで、爪先でディーンの体に触れた。それが体のどの部分なのかもわからないが、シャツ越しに感じるやわらかでハリのある若い肉の感触に、たまらない気持ちになった。  サムは、養父のほうを見て、それからもう一度イドリスを見た、イドリスは、深い呼吸をしながら、これは、麻薬よりもクセになりそうだと感じた。サムもまた、可愛らしい見た目をしていた。兄のような、暴力的な裏面を持つがゆえの、脆さや、はかなさはなかったが、天真爛漫な、無垢な愛らしさがあった。それに、とても賢い子だ。  「ありがとうございます、ウエイクリング先生!」  自分は今、ディーンの口を使って快楽を得、それとは知らぬサムを喜ばせている。同時に二人を犯しているようで、言葉では言い尽くせないほどの興奮を覚えた。  イドリスのこめかみに伝う汗に気づいたキンツル医師が席を立ち、サムの給仕を手伝った。医師が大きな長テーブルに前菜とスープを並べているうちに、サムが一度キッチンに戻ってパンを運んできた。なるほどこれをサム一人がやろうとすれば、給仕に十分以上はかかったかもしれない。  「それでは何がご用があれば――」  「ベルを鳴らすよ。ありがとう、サム」 リックスが手を振り、サムはもう一度イドリスに向かってうれしそうに会釈をした。出ていこうとしたが、振り返り、こういった。「どうせなら、ディーンも一緒にみてくれませんか、校長先生? ディーンも本当は数学が好きなんです」  リックスはもう一度うるさそうに手を振った。「ディーンはバイトで忙しいから無理だ」  「でもおとうさん、週に一度くらい休んだって」  「ディーンは君のために頑張ってるんだよ」 ニックが自然と口をはさんだ。「知ってるだろ? 兄弟で同じ里親のもとにいられるのは幸運なんだよ。ディーンは学校とバイトをちゃんと両立させて、いい子だってことをアピールして、君と一緒にいるほうがいい影響があるって証明しようとしてるんだ。ソーシャルワーカーの僕や、ここにいる偉い人たちにね」  みんな、しようのない冗談をいわれたように笑った。サムもすねたように笑って、肩をすくめたが、すぐにまた真面目な顔に戻る。  「でもディーン、最近疲れてるみたいなんです。夜もあんまり眠れてなくて、何度も寝返りを打つんだ」  それでイドリスは、この兄弟がいまだ一緒のベッドで寝ていることに気づいた。興奮はいよいよ高まり、もう数秒も我慢がならないほどだった。  「ディーンに今のバイト先を紹介したのは僕だ。僕から言っておくよ、あまり彼をこき使わないでくれって」 ニックの声はやわらかく、有無を言わせない力があった。サムは会話が終わったことを受け入れ、いたずらっ子らしい仕草で唇の片方を上げると、空になったカートを押して出ていった。  「……お、オオオッ!」  サムが出ていった瞬間、イドリスは堪えていたものを吐き出した。  親切でよく気がつく医師がスープ皿をテーブルの中央へ遠ざけてくれなかったら、胸元がカボチャ色に染まっていただろう。今までに体験したことはおろか、想像すらしたことのない、すさまじい絶頂感だった。  ���の裏がチカチカした。どうにか正気が戻ってくると、自分がとんでもない失態を犯してしまった気がした。これでは普通にしゃぶられてふつうにイッたのと変わりない。ここはバーの二階のソファでもホテルでもないんだぞ。秘密の会合。澄ました顔はどこにいった? ”テーブルクロスの下”のルールは。  その上、最初に出したものを飲み込んだディーンが、残りを搾り取るようにチュっと吸ったので、そこでも声が出てしまった。穴があったら入りたいという気持ちになったのはこれが初めてだった。不正入試がばれかけて両親にさらなる出費を強いたときも、こんなに恥ずかしい気持ちにはならなかった。  さぞやニックは自分を引き入れたことを後悔しているだろうと思ったが、ここでも彼は同士の寛容さに感動することになる。まずは保安官のアデリが快活に、気持ちのよい笑い声を上げて場の空気を明るくした。  「先生、若いですね!」 ボトルからワインを注ぎ、グラスをイドリスに差し出した。イドリスはまだ震える手を伸ばし、なんとかそれを受け取って、下でディーンがていねいな手つきで後始末をしているのを感じないようにして、一口飲み下した。たった一口で酔いが全身に回りそうだ。  「最初は誰だってそうなる」 医師の手が肩を撫でた。「慣れてくれば、サムがいるときに絶頂を合わせることもできるようになる。兄弟が同じ部屋にいる時にイくのはとんでもないですよ。どうしても声が出そうな時は、ナプキンを使うんです」  「……なるほど」 イドリスはそう返すのが精いっぱいだ。  「いや、でも、今日のシチュエーションは初めてにしてはハードでしたね。初めてで、サムと一緒の時間があって、しかもサムがお兄ちゃんを気遣うような言葉を使うなんてね。ラッキーだ。僕だってそんな条件の揃った状況でやったことないですよ、いいなあ」  ニックがそういってくれたことで、ほっとする。彼とイドリスとの付き合いは長く、ずっと昔、彼の担当する少年が不慮の事故で亡くなったことがあり、ともに処理をした。彼との絆は絶ってはいけない。それに、人見知りの強いイドリスが本音で話せる唯一の友でもある。  「うちの子はどうでしたと、野暮なことは聞きません」 リックスもむしろ満足そうだった。「あなたの態度が証明してくれましたからね。ようこそ、これで本当の仲間だ、先生」  その後もかわるがわる、イドリスが気をやまないよう声をかけてくれた面々だった。イドリスはスープを飲んだ。勧められたときにはワインを飲み、その味がわかるほど回復した。いつの間にかベルトはもとの通り閉められ、足の間からディーンの気配はなくなっていた。  気づくと、また男たちの上半身がゆらゆらと揺れていた。
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a2cg · 4 years
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日本語に聞こえるドイツ語と私 ・ 大学時代第二外国語はドイツ語でした。何か身につけたかと言われると押し黙ってしまいますが、先生が言った下らないことの方が意外と記憶に残っていたりするものです。 ・ “Ich habe einen Kater.”は直訳すると「私はオス猫を1匹飼っている」ですが正しくは「おれ二日酔い」という意味になります。 ・ 「ブス」と言ったら日本では怒られる類の言葉ですが“bus”と書けばそれが「バス」のことを指すとわかります。 ・ 「ティッシュ」も鼻でもかむのかと思えば”Tisch”と綴って「机」を意味することを知って変な感じでした。 ・ 「タンネン」も心を込めて丁寧に作っていそうですが”tannen”で「モミの木」という意味らしいですね。という訳で本日のモーニングは #ドイツパン のお店 #タンネ です。 ・ いつも通り在宅勤務前の散歩で浜町までやって来ました。色々あって迷ってしまいますが、40%OFFのお買い得を見つけ、そこから #ライ麦のピザ と #ウィンナーロール そしてドイツっぽい音の響きで #プレッツェル を購入しました。 ・ まずは #ウィンナー のパンを頂きます。しっかりとした噛みごたえが特徴な #パン は噛み締めると小麦の美味しさが口の中でいっぱいに広がる絶品です。中に入った #ソーセージ は少し辛味があって #チョリソー のような感じです。 ・ 続いての #ピザ は #チーズ 感が強めで濃厚な味わい。端っこの方はカリっとした食感ですが、内側は #マッシュルーム やトマトソースの旨さもあって、どんどんと食べ進められます。 ・ そして最後はハート型のプレッツェルです。ほんのり塩気も感じられる #パン で、江崎グリコのプリッツをイメージして食べるとちょっと違う感じ。 ・ パンでもプリッツでも無いけど程よく塩味と小麦の味をバランスよく食べられるような逸品に仕上がっています。 ・ 食べた後の感想は、どこら辺が「もみの木」であったのかは正直不明瞭でしたが、出てきたパンが一つ一つ丁寧に作られていたのは「丹念」であったのは間違い無いと思います。 ・ #浜町モーニング #浜町ランチ #浜町テイクアウト #浜町パン #とa2cg (ドイツパンの店タンネ) https://www.instagram.com/p/CAYn98cg71d/?igshid=f2bftajyjwas
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nyantria · 7 years
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* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者     1984年12月の証言 部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。 あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。 彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。 ・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。 私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。 私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。 しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。 もし出て行こうとするならば秘かに処刑されると脅されました。 * 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生      1995年10月 証言 私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。 注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された 総勢22~23人だったと思います。 平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、 3時間しか寝られないほどでした。 午後は隊員の助手をやりました。 2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。 その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。 平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。 ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、 安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。 安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。 20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。 その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。 竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。 気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて大丈夫だということでしたが、 風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります ・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。 全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。 初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。 しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、 名前は書いてありませんでした。 中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。 これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。 ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、 ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。 731部隊には、子どももいました。 私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。 1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。 1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。 もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、 そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。 解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。 それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。 “マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。 これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、 それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。 正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。 通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、 このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、 意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。 はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。 臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。 他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、 どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。 菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。 片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。 731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」と聞きました ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、 自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。 今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。 チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。 私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。 チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。 航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。 その後どのような効果があったか調査に入りました。 ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。 当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。 ・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、 ノミが地上に散らばるというやり方です ・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。 もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。 アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。 朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、 この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。 アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。 1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている) ・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、 肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。 各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って 肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、 明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。 私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・ * 匿名 731部隊少佐 薬学専門家 1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から 昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。 「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。 防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、 窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。 「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、 約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。 死が確認されると将校たちは、毒ガス残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。 1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。 死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。 「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。 この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。 ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。 すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。 それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。 この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。 昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。 佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、 マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。 婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。 婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。 その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。 死んだのだと思う。 * 山内豊紀  証言  1951年11月4日   中国档案館他編「人体実験」 われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。 吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、 どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。 みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。 * 秦正  自筆供述書   1954年9月7日  中国档案館他編「人体実験」 私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。 1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。 まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。 これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。 日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。 (このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた) その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。 *上田弥太郎 供述書  731部隊の研究者   1953年11月11日  中国档案館他編「人体実験」 1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。 すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、 一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、 被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。 残酷な凍傷実験を行っていたのである。 * 上田弥太郎   731部隊の研究者 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言 ・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、 足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。 しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。 こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。 警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、 殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ ・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。 彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。 私たちはマルタ何本と呼んでいる。 そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかはわからない。 * 篠塚良雄     731部隊少年隊   1923年生    1994年10月証言から ・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは 「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。 建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。 「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました ・・・・当時私は16歳でした。 私たちに教育が開始されました・・・・ 「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。 見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・ 「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、 併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました ・・・・石���式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました ・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。 ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。 「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです ・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、 通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。 江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように それぞれ専門の細菌研究が進められていました ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。 大型の高圧滅菌機器が20基ありました ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。 この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。 ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは間違いありません ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。 1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました ・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間のようです。 ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。 まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。 これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。 そうするとネズミは死にますが、 ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。 おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。 5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、 あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。 ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。 その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。 睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。 ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。 まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。 特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。     注:ノモンハン事件 1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。 ハルハ河事件とも言う。 4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、 約17,000人の死者を出した。 ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。 あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。 731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。 参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、 瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。 (注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります) * 鶴田兼敏  731部隊少年隊  1921年生 1994年731部隊展の報告書から 入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、 麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。 不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。 しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。 するとマルタとは死刑囚だと言うんです。 軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、 「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・ 基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。 そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。 ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、 その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。 そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。 死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。 一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。 ノミの採取は月に1,2度行なっていました ・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。 「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。 私たちは言われたままに作業をしました ・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。 「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、 あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。 部隊本部の2階に標本室があったのですが、 その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。 中国人の男性でした。 また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。 それもやはり中国人でした。 今もそれが目に焼きついて離れません。 * 小笠原 明  731部隊少年隊 1928年生れ  1993~94年の証言から ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました ・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。 それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。 標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。 すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。 全身が標本となっていました。 またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。 これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。 拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので 死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました ・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、 どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。 人名も書いてありました。 このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。 田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです ・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました ・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。 10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。 * 千田英男 1917年生れ  731部隊教育隊  1974年証言 ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」 ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。 4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。 つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・ *石橋直方      研究助手 私は栄養失調の実験を見ました。 これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。 この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。 これには2人のマルタが使われていました。 彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。 1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。 食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、 そんなに長いこと生きられるはずがありません。 *越定男    第731部隊第3部本部付運搬班 1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ- -東条首相も視察に来た 本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、 東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。 しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。 -マルタの輸送について ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、 間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。 マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、 それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。 日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。 最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。 ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、 足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せなかった。 いや死んでからも外されることはなかったんです。 足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。 -ブリキ製の詰襟 私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。 安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、 彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。 マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、 頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、 マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。 むごい実験でした。 -頻繁に行われた毒ガス実験 731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。 実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。 その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、 観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。 使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。 マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、 10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、 時間を計ったり、記録をとったりしていました。 マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、 観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。 私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、 毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。 -逃げまどうマルタを あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。 この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、 感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、 爆発の瞬間を待っていました。その時でした。 1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。 驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。 私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、 足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。 豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。 残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、 我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。 -囚人は全員殺された 731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。 戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、 石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、 「731の秘密は墓場まで持っていけ。 機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤���作業に入りました。 撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。 大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。 私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。 私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。 被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。 *傳景奇  ハルピン市香坊区     1952年11月15日 証言 私は今年33歳です。 19歳から労工として「第731部隊」で働きました。 班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。 私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。 1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で   いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。   当時私は若く中に入って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。 2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。   煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、   涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。 3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、 しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。 壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。 4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、 私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。 5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が 工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。 6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました *関成貴  ハルピン市香坊区  1952年11月4日 証言 私は三家子に住んで40年以上になります。 満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして賃金をもらい生活を支えていました。 康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で 日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、 それにサル等の動物の血を注射器で採って、 何に使うのかわかりませんでしたが、 その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。 その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、 ちょうど数を勘定し��いると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、 馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。 しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。 この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、 足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。 1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、 自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。 ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。 *羅壽山  証言日不明 ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて 半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。 彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。 猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
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brog-melimelo · 5 years
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お知らせしそびれていましたが、今日はクイニーアマン初登場してました!
ガレット発祥の地ブルターニュのお菓子です。ブルターニュ語で「パンとお菓子の間」という意味のクイニーアマン。キャラメリゼした外側はカリっ、中は層になってふんわりさくっとしています。バターたっぷりリッチなお味。こちらも石窯焼き。
また来週登場しますので、お見知りおきを〜^_^
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「おいおい、コレまじで美味しいの?」ネットで話題の “バズ飯” に片っ端から挑戦してみた
記事中画像撮影:筆者
SNSで話題になっていた、嘘のようなアイデアレシピ
ツイッターやインスタグラムなど、SNSではさまざまなレシピが話題になっていますよね。最近では動画配信のTikTokでも美味しそうなキャンプ飯を目にします。 SNSで話題になるレシピってパンチの効いたアイデア料理が多いですが、本当に美味しいのか気になりませんか? たとえば、アイスクリームのホットサンドとか……。 そこで今回は、SNSで目撃した5つの“バズ飯”を筆者が実際に作ってみて、素直な感想をお届けします!
その1. チーズ巻きフランクフルト
「チーズ巻きフランクフルト」というこのネーミングからして、美味しいことは言うまでもないでしょう。まさにカロリー爆弾。罪悪感すら感じてしまうこの組み合わせ、SNSでバズったのも納得です。 ▼材料(1~3人分) ・フランクフルト:数本 ・とろけるチーズ:適量 ・ケチャップ:適量 ・パセリ:適量 ▼作り方 1.熱したフライパンにサラダ油をしいて、フランクフルトを焼く。 2.フランクフルトを取り出し、油はそのままでチーズを片面焼く。 3.フランクフルトを巻いて、ケチャップとパセリを散らして完成。 簡単にできるのにめちゃくちゃ美味しい! カリっと&とろーりのチーズ好きにはたまらない一品。濃厚な風味が口いっぱいに広がります。 チーズはフライ返しを使うと巻きやすかったですね。グループキャンプやBBQでお子様から大人まで、人気爆発間違いなし。
その2. スーパーカップのホットサンド
多くのアウトドアブランドからホットサンドメーカーが発売されているほど、キャンプの定番メシとなったホットサンド。そこで「えっ!」と驚くアイデアレシピをSNSで見つけました。 なんと、アイスクリームをそのまま丸ごと挟んでしまうんです。なんと豪快で斬新なレシピ……さっそく作ってみましょう! ▼材料(1~2人分) ・食パン:2枚 ・スーパーカップ:1個 ▼作り方 1.ホットサンドメーカーに食パン、アイス、食パンの順に重ねる。 2.片面1~2分適宜ひっくり返しながら焼いて完成。細かい調理は一切なく、あっという間に作れました。 まるでフレンチトーストです! しかもバニラが香るので本格的。アイスが溶けて内側からパン全体にしみ込んで中はしっとりと仕上がります。 スーパーカップまるまる一個は多いかなと思いましたが、流れ出てくるアイスにパンを浸ながら食べればカフェのスイーツのようで最高!
その3. 冷製コーンスープ蕎麦
こちらもSNSで話題になった、意外な組み合わせのレシピです。液体のコーンクリームスープに、なんと「めんつゆ」を加える和洋折衷レシピ。 もともとコーンクリームスープが好きな筆者。めんつゆとの相性に期待です! ▼材料(1~2人分) ・液体コーンクリームスープ:1個(160ml) ・めんつゆ:小さじ2 ・蕎麦:100g ・長ねぎ:適量 ・みょうが:適量 ・黒こしょう:適量 ▼作り方 1.蕎麦を茹でて流水でしめる。 2.めんつゆを加えた冷たいコーンクリームスープに1を浸し、黒こしょうやお好みの薬味を加えて完成。 食べてみると見事な和と洋のコラボレーション! コーンの甘みとめんつゆのカツオ出汁が、意外にも相性抜群です。 スープはとろみがあるので蕎麦とよく絡み、そこもまた高ポイント。まるで、ラーメン屋の「天下一品」のようなのどごしです。冷製なので暑い季節にはピッタリのアイデアレシピですね。
その4. こんにゃくのアヒージョ
アヒージョといえば、価格の高い魚介系の具材を使うイメージがありますが、これはまさかの「こんにゃく」を代用したレシピ。“貧乏メシ”的なアイディアは、SNSで話題になりやすいですよね。 実際のところ、オイルとこんにゃくって相性いいのでしょうか……。なにはともあれ挑戦してみましょう。 ▼材料(1~2人分) ・こんにゃく:1枚(150g) ・オリーブオイル:100ml ・にんにく:1欠 ・鷹の爪:1本分 ・塩:適量 ・黒こしょう:適量 ▼作り方 1.こんにゃくを小間切りに、にんにくを薄切り、鷹の爪を輪切りにする。 2.オリーブオイルににんにく、鷹の爪を入れて香り立つまで炒める。 3.塩、こしょう、こんにゃくを入れて火をとおして完成。 食欲をそそるにんにくの香りが口いっぱいに広がるアヒージョです。食べてみて驚きましたが、こんにゃくのぷりぷりした食感がクセになる! また鷹の爪の辛みが程よいアクセントに。 こんにゃくは角が軽く焦げ付く程度火を入れた方が、中まで熱がとおって美味しいです。和食だけじゃない、こんにゃくの可能性を感じる一品でした。
その5. パッとできるビールカクテル
ドリンクでもSNSで話題になっているレシピがあります。それがコレ! あの「アイスボックス」を活用したビールアレンジです。 コンビニでも気軽に買えるセットですよね。さっそく一杯作ってみましょう。 ▼材料(1人分) ・アイスボックス(レモン味):1個 ・缶ビール:1本 ▼作り方 コップにアイスボックスを入れビールをそそぐ。お好みでレモンを添えて、はい完成。……作り方なんて説明不要でしたね。 手間なしでできるカクテル。一瞬でフルーティーでオシャレなビールに様変わり! すごく飲みやすいので、ビールが苦手な方にもオススメですよ。 レモンを絞れば一層爽やかな一杯に。仕事から帰ってきた後のご褒美に、毎日リピートしたいくらいです。
“バズ飯”でキャンプの人気者に!
スーパーカップのアイスをまるまるパンにのせている画なんて、なかなかパンチがありませんか? 今回作ってみたレシピは話題になっただけあって、全部クオリティが高かったです。なにより作っていて楽しいんですよね。 こういったSNSで話題になったメニューをグループキャンプに取り入れれば、人気者になること間違いなし!? 今年の夏は“バズ飯”でキャンプにアクセントを加えてみてはいかがでしょうか。
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