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#仕事復帰
foulfuryartisan · 1 year
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英語関係の仕事につきたい女性は、たくさんいると思われます。 英語で仕事をしたいという方なら、英検の2級を持っているのではないでしょうか。 しかも取得したのは、ずいぶんと前だったり、中には、仕事で、TOIECやビジネス英語検定などにも挑戦された方もいると思います。   子育ても一段楽したし、もう一度英語を使った仕事を再開したいという方に、「英語でお仕事、再開の仕方」を考えてみようと思います。 一言に英語を使った仕事といってもそれぞれ「レベル」というものがあります。 <正社員> 英文経理事務員 TOEIC 850以上 営業・受付 TOEIC 670以上 英語講師 TOEIC 800以上、TOEFL 550以上 外国人付き秘書 TOEIC800以上 営業事務 読解力のある人 英語講師 ネイティブもしくはネイティブに準じる英語力を持っていること 英会話学校外国人講師のサポート 日常英会話程度以…
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ari0921 · 10 months
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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koch-snowflake-blog · 4 months
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村島 未悠は、日本のグラビアアイドル、女優、元アイドル、歌手、YouTuber。大阪府出身。ジェイロックを経て、2023年現在はホリプロデジタルエンターテインメント所属。 ダンスボーカルグループ「CHERRSEE」の元メンバーで、当時の名義はMIYU。 ウィキペディア
出生地: 大阪府 大阪市
生年月日: 1998年8月27日 (年齢 25歳)
身長: 157 cm
カップサイズ: F
スリーサイズ: 86 - 58 - 84 cm
デビュー: 2016年
別名義: MIYU
趣味・特技はけん玉、マラソン、バスケットボール観戦、ダンス。好きな色はピンク、白、黒。
ダンスについては、授業の際に指されるだけでも赤面するほどの人見知り(引っ込み思案)だったことを見かねた母により、10歳(小学4年生)から習わされた。「イケイケにさせたい」と半ば強引に金髪にさせられたこともあったが、そのおかげで仕事を始められた。グラビアについても、「やったらええやん」と背中を押してくれたことが志願のきっかけであり、自分とは正反対の陽キャラな母には感謝しているという。
昔から陰キャであり、人付き合いが得意ではなく友達が少なかったことも、ダンスを始めるきっかけになった。高校はもとよりCHERRSEEも恋愛禁止ではなかったが、そういう理由からも恋愛経験は少なく、個人活動中に帰省から偶然の再会を経て唯一良い感じになった同郷の友人との交際も遠距離ゆえの寂しさが災いし、2か月ぐらいで会わなくなった。自分の中では「交際=結婚」と思っているうえ、ナンパに勤しむ遊び人よりはちょっとオタクっぽい人の方が好みであるため、慎重になってしまうという。
足のサイズは本人曰く「20.5cmくらい」。普段はほとんどスニーカーしか履かない(本人曰く「スニーカーは大きめでもいい」)ため、��影時に用意してもらった靴も合わないことが多いほか、水着のサイズも着てみないとわからないため、衣装合わせに時間がかかってしまうという。
「むらみゆ」は高校当時のあだ名でもあり、本名への改名は「アイドル時代よりももっとファンの皆さんと近くなりたい」との理由による。それゆえ、『むらみゆ』についても「よりファンとの距離を縮めるような温かい1冊になったらいいな」と思っているという。
バックダンサー当時からアーティストに憧れており、CHERRSEEにはそれが高じて(J-POPとK-POPのジャンルを合わせたCHERRSEEのオーディションの広告を見つけて)オーディションを受け、所属した。CHERRSEE所属当時はアイドル活動はもとより生活的にも厳しく、焼肉屋にて3年間ほどアルバイトを経験した。一方、「グループが注目されるきっかけになれば」とグラビア活動を始め、頑張っていたものの実はそれまでプライベートで競泳水着しか着たことがなく、母の水着を借りて宣材写真を撮ったこともあったほか、グラビアの撮影に際しては上の水着を逆さまに着て1時間ぐらい気づかず、撮り直しになったこともある。それゆえにグラビアにはあまり自信がなく、撮影自体は楽しかったが慣れない部分があり、胸が大きいのもコンプレックスだったことから、ダンスの際にはインターネットにて購入したサラシっぽいスポーツブラを巻いたりしていた。グラビアを休んでいる間には何より��またグラビアに出て欲しい」との声を多くもらい、それに応えようと復帰した後には自分が輝ける場として前向きに捉えられるようになったという。
2022年現在では芝居にも意欲を見せてオーディションを受けるようになっており、バラエティ番組『あの界隈を恋愛ドラマにしたら…不覚にもキュンときた』(同年10月22日、中京テレビ)内のショートドラマで主人公を演じたことが、「演技に挑戦したい」から「もっと演技できるようになりたい」に意識が変わるきっかけとなり、学ばせてもらったという。
モデル・女優の花山瑞貴は、ホリプロデジタルエンターテインメントでの先輩にして中学時代やEXPG時代からの親友である。また、元NMB48の木下春奈は高校時代3年間通して同じクラスだった。
YouTubeについては、「むらみゆ」の開設時点では企画から撮影、編集をすべて自分で担当していたが、2023年10月時点ではホリプロデジタルエンターテインメントの社員などにも手伝ってもらえており、グラビアのオフショット動画のおかげで登録者数が10万人まで伸びたという。  
  
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22oq · 3 months
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仕事を辞める決断をした。いつもいくカフェで、"お仕事辞めることにした"と伝えてたら、そのカフェで電話のために何度もカフェと外を往復してお仕事されていたお兄さんが帰り際に「僕も今、仕事を辞める電話をしてたところなんです」と話してくれた。なんかみんなで拍手してしまった。こんなことあるんだな。きっとこれは追い風。
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nanaintheblue · 7 months
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めちゃくちゃいやだけど記録しておこう。そう人生で何度あることでもなかろうから
選考通過の電話があった日は「ふーん まああんまり思いつめないようにしよー」と思う余裕があった。現実味がなかったこともあるし、うきうきしながらいろんな人に連絡した。通過したこと自体が嬉しかったからだ。
が、そこから3週間経過して、本当に、マジで、きついとしかいいようのない日々を送っている。
端的にきつい デスゲームに放り込まれた気分に近い 意識を保っている時間ずっときつい 人といる時間だけ緩和されるからそういう点では今は在宅勤務が悪い方向に働いている気がしないでもない 
ずっと「しにたい」「自殺したい」「意識を手放したい」しか頭に浮かんでこないんである
昨日20時半に思いついて図書館に予約資料を取りに行った。その帰り、自転車にまたがりながらなんだかぼろぼろ泣いてしまった。楽しく小説を書いて、その過程でプロになれればそれでいいんだろうけどわたしにはそれができないのだと思ったらかなしくてしょうがなかった。
結果を待っている間だけがきつくて案外そのあとはそうでもないということは前回学んだが、それでもしんどくてたまらなかった 朝起きた瞬間から「自殺したい」と思いながら起床して顔の筋肉ぴきぴきさせながらパソコンを開いてどうにか仕事はしている
つらいならもうやめればいい、誰かに強制されているわけではない……いまわたしは親にされたことをセルフでしているだけなのでは? と思ったらあまりの非生産性にまたぼろぼろ涙が出た 
どんな結果であれ今書くことを手放すことはあまりにも愚かな選択なのだろうけれど、お金もらえるわけでもないのにこんなこと楽しくやれる人、ではないのだ。わたしは。高校生の時からずっと。
楽しいからやってるんじゃなくて「書かなければ」という強迫観念がどうしても、ずっとあって、書いていない時はずっと自分を責める声がしていた 単なる自意識過剰といえばそれまでなのだろう
これを解決する方法は面白い小説を書くことしかないの、頭がおかしすぎる
とはいえすこし思いだしたことがある
死にたい……とどん底まで沈んでぐずぐずすることはある意味思考放棄なのでめちゃくちゃ楽でもあるのだということ。大学生の時こんな感じだったかもなあとうっすらとだけ思いだした こんなこと思いだしたところでって感じだが
それでもどうにか別原稿書いてるけどもうこんなのいいから終わりたい あと60年ぐらい命がもちそうなことを全く希望だとは今は思えない
…というのが二週間くらい前に書いた日記で以下昨日の記録
午前中に仕事をやっつけてあとはもう一日中眠っていた。一時間起きに目が覚めた。
声のトーンが明るくない時点で結果を察してしまい、本当にその通りの結果を告げられてぼんやりしてしまった。どういう結果であれ約束があったので着替えて銀座に行った。
ふりだしに戻ってしまった。
何かを失ったわけではなくむしろ前進と捉えるべきなのだろうがそんな前向きな気持ちが湧いてくるはずもなく、ぼうとしていた。
何が厭かって、もちろん全部いやなのだが、もし今後も小説を書いて、応募をする云々をつづけるのであれば、この一連の下りを、期待させられて一カ月きりきりまいで過ごさなければいけないこの一連を、少なくともあと一回はやらないと作家になれないということ。
ダルすぎる。
1.いったん小説を書くのを休む
→流れが来ているのだからやめるべきではない 休んだら休んだで自分を責めてしにたくなるのは目に見えているし人生の中で何回もそれをやった 今が一番踏ん張り時なんだから書くのをやめない方がいい!わかってる……わかったようなことを言ってくる人が一番むかつく おまえがやれよって思う 架空の声なのに…
2.がんばって書く
→それはそれで自罰的すぎるのでは?25歳から立て続けにやってきて、もう馬力が残っていない。というかそんなやつは作家になったところで続かないのではなかろうか。
デッドオアデッドの選択肢。わたしが3.���殺を選ばないのは自殺の成功率がとても低いことを知っているからでしかない。
なきながら鮨を食べたらすぐにお腹がいっぱいになった。やせたねと言われて、そうかもしれないと思う。一カ月間寝てばかりいたから筋肉が落ちたのだろう。シャンパンを煽っただけなのにストレスの負荷が大きすぎたせいか脳貧血を起こしてしまい、デザートが来る頃には耐えきれずに横になっていた。一生このままなのでは……と白濁する意識で思ったが、15分ぐらいで回復した。
丸の内線に乗っていたら彼氏からLINEが来たので家に来てもらうことにした。死にたい!とピーピー泣いたがさすがに人がいると思い切り泣けないもんだなと思って、あとは黙って買ってもらったアイスを食べた。
たくさん寝た。
色んな人がいろんなことを言ってくることを考えるだけで疲れた。
作家になどなれないのでは、と思ってしまって、このわたしがなれないなんておかしい、と言い返す気力がどこにも残ってない。時運も実力のうちなのだから。
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kensasuke23 · 29 days
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今日は晩酌なしの日。晩飯は親子丼。
実は連休あけから現場仕事に復帰しております。今日も現場でした。
なんかもう、腹がへって…… お昼も倒れそうだった。
#親子丼
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kyokocanary777 · 1 year
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昨日は横浜にいました
昨日は、仕事の用事と音楽の用事があって1日横浜にいました。
毎回、横浜や東京に行く時は、夜行バスで行って夜行バスで帰ってきます。宿泊はしません。
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理由は、節約もありますが、それだけではありません。
新幹線に乗って行ったり、宿泊するとなると、私にとっては負担が多いことに気づきまして…
まず、節約面の話をすると、京都から新横浜までの新幹線代は往復で2万6000円位で、
夜行バスは、平日ですと、往復が5000円から6000円ですから
かなり違います。
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しかも、夜行バスは京都駅まで行かなくても、近くの長岡京市から乗り降りできるようになってしまいましたので、移動も楽です。
そして、一時は事故が多くて勤務体制が指摘されていた夜行バスですが、現在は絶対に2名交代制になってます。
次に、新幹線に乗って東京や横浜に行く場合、私なりに感じる負担をあげてみます。
・朝早く起きなければいけない
・切符を買うのに駅まで行かなければいけない
・日帰りとなると滞在時間が少なくなる
・横浜の場合は、新横浜から横浜や石川町に移動しなければいけない
・宿泊するとなると宿泊代がかかる
・宿泊するとなると荷物の用意が面倒になる
こんな感じです。
さて、昨日は少しだけですが写真も撮りました。
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しかしながら、昼過ぎまでは順調だったものの、雨風が強くなってきて、関内駅でベイスターズファンと一緒に雨宿りするはめに笑。
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傘さしても、傘に風を受けて持つのが大変で、横殴りの雨が入り込んで結局濡れてるし、あんまり意味なしでしたね☔️
予定では、400枚くらい撮る予定だったのに、100枚くらいになってしまいました。
iPhoneでも撮りたかったのに、雨に濡れて壊れたら困るのでやめました。
雨宿りの間は、仕方なしにiPhone取り出してライターの仕事の記事をまとめてました。
アウトラインだけでも作成しておくと、後から楽なので♪
写真が撮れなかったのは非常に残念ですが、、、石川町にオープンした料亭屋さん経営のおにぎり屋さんと、桜木町のシアルの中のカフェに行けて、写真も撮れたのでよしとします。
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それと、関東の仕事関係や音楽人と話せて楽しかったです♪
では、後日写真など投稿していきます。
こちらのブログも更新ペースが安定しつつありまして、最終的には短めの記事をメインに、1日1投稿になると思います。
Instagramは、2日に1投稿で、少しだけストーリーズやってます。
ぼちぼち。
では👋
2023/05/12
23:14
カナリヤ響子
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jujirou · 5 days
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、晴れのち曇りのお天気です。
仙台漆教室2日目。
昨日も前日からの続きの作業で、お皿の表側の上塗りを行いました。
午前中は布目の上塗りを行い、午後からは乾漆粉仕上げの上塗りを行いました。
夕方の時間内に何とか終えられ、今月の予定を確認してから、川連へ車で無事に帰りました。
そして今日は休み…ですが、車のメンテナンスやら、買物の運転手やら、明日からの仕事の準備やら、今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い休日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田の物作り #秋田の物つくり #髹漆 #寿次郎 #修理修復 #漆器修理 #お椀 #椀 #水研ぎ #研ぎ #漆教室 #仙台漆教室 #出張漆教室 #伝産法改正 #個人の未来と産地の未来 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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cmk-k · 1 year
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復帰しました。お久しぶりです! ひっそり姿を消しておりましたが、年末年始からお休み&療養しておりました。 Twitterのプロフ欄には一応「療養中」とは書いておいたのですが、気づいた方からメッセージなども頂いてしまい、ご心配おかけしてしまった方にはすみません&気にかけて下さりありがとうございます。 先日、人生初の入院手術など経験しておりました。 …こう書くと何か大変な事態のようですが、前回ブログで書いたとおり重大な病気や緊急搬送などではなく、かなり前から予定していた入院です。 おかげさまで特に問題なく終わり、経過も順調で、現在少しずつお仕事復帰しております。 写真は退院時に車田先生から頂いたお花です💐💐💐 入院中は、お医者様と看護婦さんたちのプロのお仕事に感動したり、普段あまり縁のない場所を見たり入ったりして、ある意味新鮮で(?)色々と興味深かったです。 何でも写真撮ろうとして引かれたりもしましたが笑、人生の経験値が上がりました。 そして療養中、偶然にも、わりと年齢が近いかな?と思われる作家さん絵描きさんがSNSで入院手術の報告をしていたり闘病されているのを数件お見かけして…、皆さんお身体のメンテナンス頑張れ…!私も頑張ろう!という気持ちになったりもしていました(自分は何も発信していない癖に;)。 私もお医者様に、もう数年早めだったらもう少し楽に済んだかもね〜などと小言を言われましたが、今のところ他は健康ですので、維持できるようにしていきたいですね。 とりあえず腹筋が息をしてないので、また少しずつ運動とか筋トレ頑張っていこうと思います(無理はしない)。 ひとまず私の2023年、ようやくこれから!といった感じです。 各方面へのご挨拶も、療養中は確実な見通しが立たなかったため滞っておりましたが、これから順次させて頂く予定です。 そして停滞していたセインティアの番外編シリーズの方ですが、3話目は近いうちに…?読んで頂けるかもしれません。 発表の許可が出ましたら、改めてお知らせしますね。 それでは、本年もどうぞよろしくお願いします! 久織
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kennak · 5 months
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つわりの症状が異常なほど重くなり、激しい吐き気と嘔吐が続く「妊娠悪阻(おそ)」は、妊婦を衰弱させ、命にかかわることもある疾患であり、妊婦の約0.3~3%が発症する。その原因や仕組みはよくわかっていなかったが、米南カリフォルニア大学ケック医学大学院で女性健康科学を研究するマレーナ・フェイゾ氏らは、妊娠悪阻に「GDF15」というホルモンがどのように関わっているかを示す画期的な論文を2023年12月13日付けで学術誌「ネイチャー」に発表した。  フェイゾ氏は、博士号を取得したばかりの1996年に第1子を妊娠した。妊娠中はひどい吐き気と嘔吐に悩まされ、出産までに2回も救急搬送されたという。1999年に第2子を妊娠したときの症状はもっとひどく、点滴や栄養チューブ、7種類の薬の投与も受けたが、効果はなかった。氏は衰弱し、話すこともできなくなった。  寝たきりで24時間の介護が必要になったフェイゾ氏は主治医から、「ご主人の気を引こうとしているだけでしょう?」と言われたという。氏は結局、15週目に流産した。  流産後まもなく、氏は米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の博士研究員として研究に復帰した。妊娠悪阻について学べることをすべて学びたいと考えたからだ。それから約四半世紀が過ぎ、氏はついに今回の論文を発表した。(参考記事:「1割の女性がかかる激痛の子宮内膜症、なぜ誤診が多発? 治療法は」) 妊娠悪阻の深刻さ  妊娠悪阻を経験した女性なら、この状態を「つわり」とひとくくりにしないでほしいと思うだろうと、論文著者の一人で、非営利団体「妊娠悪阻教育研究(HER)財団」の共同設立者兼事務局長であるキンバー・ウェイクフィールド・マクギボン氏は言う。  妊娠悪阻の一般的な症状としては脱水と体重減少が挙げられるが、重症の場合は流産したり、ウェルニッケ脳症(ビタミンB1の不足による神経障害)で妊婦が命を落としたりすることもある。また、妊娠悪阻の母親から生まれた赤ちゃんは、早産、低体重、言葉の遅れを含む神経発達障害のリスクが高いことが、多くの研究で示されている。  妊娠悪阻に対して最初に投与される制吐剤(嘔吐を抑える薬)が効かない妊婦は多いと、ノルウェー、ベルゲン大学臨床科学科の教授である内科医のヨーネ・トロビク氏は言う。そして、脱水や電解質異常を和らげるために点滴や栄養チューブを施しても、母体を救うために妊娠を終わらせなければならない場合もある。  その深刻さにもかかわらず、妊娠悪阻は医学界でも見過ごされがちだ。HER財団の医療アドバイザーを務める産婦人科医のエイミー・ブレクト・ドーシャー氏は、自身も2回の妊娠で妊娠悪阻に苦しみ、そのうちの1回は流産している。  氏は当時の主治医の冷淡な態度を振り返り、「医師の中には、標準的な治療法に反応しない女性に対して、原因は心理的なものにあると決めつける人がいるのです」と話す。「私自身も、自分が妊娠悪阻を経験するまでは、医師としてそのように判断する傾向がありました」(参考記事:「産後うつの飲み薬が米国で承認、昔は懲罰療法も、長く悲惨な過去」) オンラインアンケートから始まった  フェイゾ氏が1999年の流産後、最初にしたことの一つは、妊娠悪阻になる人の割合や、妊娠悪阻に影響を及ぼす要素を知るためのオンラインアンケート調査だった。氏のもとには驚くほど多くの回答が寄せられた。その中にはマクギボン氏からの回答もあり、フェイゾ氏によると、「妊娠悪阻に関する情報がネット上にはまったくありません。私は妊娠中ですが、出産後に妊娠悪阻に関するウェブサイトを立ち上げるつもりです」と書き添えられていたという。
命に関わる激しいつわり「妊娠悪阻」、ついに原因解明、治療に光 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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kjh-417 · 2 months
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  mes possibilites aujourd'hui. 今日のわたしの可能性。   庭の水撒きをする。   多肉植物を植え替える。       暑い一日。 午後から不定期のお仕事なので、 ぎりぎり午前中に 庭の水撒きをする。   帰宅後、寄せ植えになっていた 英冠玉の様子がちょっと気になって、 植え替えてみることにした。 復活してくれますように…。   初めて食べた、Monsieur J の ブリオッシュ・シトロン、 ボリュームもちょうどよく レモンの風味がさわやかで 大変においしかった! またすぐに食べたい…!
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overjazztrio · 3 months
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龍の翼38/2024.1
Tinderが垢banされてから使い始めたBooというわけのわからんアプリで、クリスマスにとある女に会った。文章のやりとりで意気投合し、会って酒飲んで意気投合し、ベッドの上でも意気投合した。
大晦日に時間があいている、とそいつから連絡が来る。そんな世間が忙しい日に時間あくか??と思ったが俺にも何も予定が無かったので、宇都宮まで来てもらい家に泊める。セックスしたり煙草吸ったりしてる間に年が明け、ついでに夜も明けていた。
Uberでも頼もうやということで、昼過ぎに生まれて初めてUbereatsなるものを利用する。KFCのチキン共を2人で寝床で頬張っていたその矢先。
揺れた。地震である。
しかも長い。揺れ始めた2秒後には開いていたYahooリアルタイム震度を見て愕然とする。石川県沖、震度速報値は7。
石川県はうちの部隊の警備区域ではない。が、そこで震度7ならおそらく新潟で震度5以上は出ている。そして新潟はうちの区域である。くそ、女を家から放り出すのも申し訳ないし……なんでこんな日に……!!せめて1週間前に起こってりゃ俺は帰省により出勤免除されたものを……!!
彼女は翌日も引き続き予定がないということで、ひとまずここにいてくれ、と話をしていると職場から電話が来た。態勢は2種、出勤決定である。愛液と精液臭いパンツを変えて迷彩服に着替える。
傾きかけた日がカーテンの隙間からスポットライトのように俺を照らしてくる。やめろ。これからまるで舞台に立つかのような演出はやめろ。そこまで立派なもんじゃねえんだ。使命感がないではないが、俺はただの、女との逢瀬を中断されて文句言ってる1人の若者に過ぎないんだ。人が死のうが怪我しようが、自分が知ってる人や場所じゃないならすぐ忘れてしまえるような人間なんだ。みんなと同じだ。同じなんだが、くそ。
だが世間はそうは見てくれまい。
国家公務員の幹部としての俺と、仕事に文句垂れるしがないアラサー男としての俺は、同時に家を出た。
概ね俺の正月はこのように過ぎた。
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今回被災された皆様、そして遠く離れた地で戦い続ける同僚たちへ。亡くなった方への冥福と、1日でも早い復興を祈ります。
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diarytheroomoffuji · 3 months
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通常運転
低気温だね
子供達も日本旅行から戻り、仕事に復帰していますがそれぞれ張り切っていて、親としてはほっとします。私なら2~3週間旅行してたら仕事へ行くの嫌になりますけど(笑)
そんなダメオヤジに似なくて本当に良かったけど、彼らの会社も良い環境なのが大きい。旅行へ行くときも、職場の皆さんは笑顔で送ってくれるし、帰ってきてもまた笑顔で迎えてくれる。今の日本は全く知らないけど私が日本で働いていた頃は、1週間も休むのは至難の業でした。表向きは有休とかあったけどさ、上司や先輩等からお小言ももらうし・・・
異国の方々がよく日本に憧れて日本へ行って、言葉悪いけど外国人だからチヤホヤされて(特に欧米人)ニッポンLOVEになり、その後日本に住み着いたりするけど、日本で生まれ育った日本人とはやっぱり状況が違います。ちょっと日本語喋れば喜ばれるし(苦笑)
そんな事をいつも感じる外国人が日本でやってる動画チャンネル。私の心が狭いからなのかもしれないが、昭和の頃からそうゆうことが多かったですよね。
どうなのニッポン?
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22oq · 7 months
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仕事に疲れきって、短い休みをとり、4回目の屋久島に行くことを決めた。
旅をするのがすきなわたしは、九州1周したり、四国一周したり、10年ほど通っていた伊豆七島の島があったり、日本の島は沖縄の離島から瀬戸内海とよく行ってきた。海外も10カ国は行き、好きな国は複数回行っている。それでも、回復や癒されることを考えた時に真っ先に浮かんだのが屋久島だった。屋久島だけだった。
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今回の屋久島は、癒されることが必要な者同士、友人2人で過ごした回復やケアのための時間だった。私たちは本がとてもすきで、この時間のために厳選に厳選した2冊ずつの文庫を抱え、屋久島に行った。
私たちは年齢も違えば、生まれも育ちも違うのに、なんだか変に境遇が似ていて、今の政治の違和感について、家族について、ジェンダーについて、セクシュアリティについて、結婚について、なんだって話していた。屋久猿や屋久鹿を眺め「動物を可愛いっていうのは、無責任なのではないか。」という会話もして、考えることを楽しんでいた。私より6つ年下の彼女はいろんなことを教えてくれるし、感じてきた時代の雰囲気も違う中で、希望のようなものを一緒に持って来てくれた。下の世代への希望のようにも感じるし、わたしが個人的に彼女に感じている希望のようなものが、いつも会話の中にあった。
私たちは、行きたいところにはどこまでも車を飛ばして行き、道中は話が止まらないのに、カフェに入ると2人で黙って海風を浴びながら本を読み耽た。道中の話が止まらないせいで、夜中にとんでもない山奥に迷い込んだりもしながら、日中は地元の人と一緒に熱い熱い温泉に入って、温泉にいた地元の赤子をみんなで愛で、最後は夕焼けを見に海中温泉まで走った。お金がない!と嘆いて入った郵便局のおばちゃまがとってもキュートで、ここ屋久島の素敵なところだからこの3つは行って来てねと教えてくれたりもした。お金なんて久しく窓口で下ろしていなくて、こんな時間すらもご褒美みたいな時間になるんだと思った。夜はスナックで地元のおじいちゃんたちと古い曲を歌っては喜んでもらって、帰ろうとしたら10分くらい若いお兄さんに引き止められた。
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何度か屋久島に来ている私は、会いたいけれどちょっと気負いするような関係性の人たちもいて、会いたいような会えないような感情を行き来しながらも、友人とちょっとだけ会いに行けた。久しぶりに会えた彼らは元気そうで、私がお世話になっていた時と同じだけの誠実さを持っていて、安心した。友人を変なことに巻き込んでしまった申し訳なさを持ちつつも、友人が微笑みながら、ずっとそばにいてくれたことにすごく感謝していた。私にとってやっぱり大切な人たちで、だからこそ友人と会いに来れて本当に良かったよってずっと思っていた。
回復の旅としながらも、書ききれないほどいろんな人に会い、いろんなところに行き、隅々まで楽しんだ。このペースは、2人にとって自然で必然で、必要な過ごし方だった。私たちにとって回復することが、興味関心に沿って制限なく動き続けることだった。
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この文章で、私は、私と友人の2人を、私たちと括りすぎてしまった気がする。でも、そのくらい一体感があって、共鳴していた。こういうことってよくあることではないし、きっとずっと続くものでもない。だからこそ、すごく特別だった。
今後、彼女は私が思いもよらないくらい飛躍していくだろうし、私たちのステージが全く変わっていけば、きっと感じていることも、自然と変わっていくだろう。寂しいことではなくて、だからこそ、今回のこの時間があってよかったなって思う。そして、互いの変わった価値観をぶつかり合う時間も屋久島であったらいいなとも思う。
今回はとにかく、ずっと忙しくて、ずっと癒されていた。"癒し"ってすごくカジュアルに使われるようになっているけれど、もっとフォーマルな治療という意味でずっと癒されていた。癒されるっていろんな形があるんだなって思った。
私たちはきっとこれからも傷つく。傷つく場所に躊躇なくでていく人たちだから。でもそういう時はまた何度でも、癒されにきたらいい。そして回復した自分を連れて、また社会の中で傷ついている人たちのところに行こう。やっぱり、見なかったことにはできないから。
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asagaquru · 4 months
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なんだか詰めに詰め込んで充実した週末だった。まず、朝10時の回で役所広司主演の“パーフェクト デイ”を見に行った。劇的なことは何も起こらない日常を描いた映画で、劇的なことは何も起こらないけれど、日常の些細な煌めきを見つけるのが上手くなりそうな映画だった。通りすがりに愛でている観葉植物の葉にちょこんと触れるようななんてことのないシーンで数回泣いた。職場と自宅との往復だと変わり映えのない毎日に思える。でも実は、小さな変化や美しさに溢れている。本当に心が美しくある人は、愛情ある日常のなかに美しさや楽しさと言った煌めきを見出す。そんな映画だった。この感覚をこの映画を大切にしていこうと思った。静かな映画だったから、キャラメルポップコーンは口の中で溶かしながら食べた。
良い映画を観て、ほくほくした気持ちのまま新居の内見へ。内見と言えど、すでに入居を決めて審査完了ひている賃貸だ。21日に引っ越す。周りが戸建てばかりで、遠くにある藻岩山まで突き抜けて見えるのを今日知った。日当たりが良い。ガス台や冷蔵庫スペースや窓枠を採寸し終わって、今度はそのまま札幌駅へ向かう。夜の用事まで時間があるからと来たけれど、節分だから恵方巻きを食べたくなってしまう。デパ地下でひとつ買って家で食べる。方角を調べなかった。きっとわたしの行く方角はいつも幸運があるから大丈夫。
夜になって、友達と合流して恋人のライブに行く。家では陽気な恋人が、クールで笑った。音楽のセンスや知識はないわたしだけれども、楽しそうにみんなでジャズをしているのを観ていると、こちらも身体を横に揺らしてしまう。恋人がソロを吹いて、ぺこりと小さく一礼。座ろうとしたところで、ビックバンドのリーダーが煽って、即興でもうワンパート吹いていた。こんな一面もあるけど、普段から決してひけらかしたりしないことに感心する。その後に、ソロリストとして名前を呼ばれてもぺこぺことお辞儀するだけで、にこりともしない。翌日、「本当に楽しかった」って話すから、面白い人だなと思う。ジャズは演者同士が目配せや楽器で会話して、音楽となっていくから面白い。
ライブが終わって、恋人にひと声かけて会場を出る。「15分後にふたり座れますか?」と、ある酒場に電話をかける。すすきので1番好きな酒場。年明けてから行くのは初めてだった。いつからか顔見知りになった店主に「あけましておめでとうございます」と言って、ビールと日本酒を飲む。1杯目のビールが9.5%あったことを思い出したり忘れたりするくらい酔った。隣の席に座っていた30代のお姉様方とお話し、徳利の日本酒を勝手にお酌し、しばしガールズトークを楽しむ。「結婚しても子供が産まれても旦那に家のこと任せて飲みに出れるのいいな〜」と結婚の条件をまたひとつ上書きする。終電で帰宅。1時になっても彼氏が帰ってこないから、先に寝ることにした。
もぞもぞと彼氏がベッドに入ってくる。ライブどうだった?とか来てくれてありがとう、とかの前の第一声が、ここには書けないような中学生みたいな下ネタで、半分夢の中のまま笑った。なんじ?と聞くと「よじ」と言っていてアホだなーと言いながらまた眠りに落ちた。
次の日は、朝から不動産で新居の契約締結。昼前に料理が得意な男友達が家に来てポークステーキをさささっと作ってくれた。「日曜のお昼だからさ」と言ったそれは彩り鮮やかなブランチで、昨日ライブだった彼氏がジャズを流していたから、なんとも優雅な昼下がりとなってしまった。
その後は、演劇を観に行く。演劇は初めてだった。映画とは違って、自分の好きなところに目をやって楽しめるから、観客は神様視点だなと思った。毎年同じ夏の月末に、同じホテルに泊まる男女の話。毎年、それぞれの家庭や仕事、生活の近況を語り合ったり、イチャイチャしたり、本音でぶつかって喧嘩したり、胸の内の秘密を吐露して泣いてしまったりする25年間を5年おきにシーンカットした演劇。題名が「same time,next year」という。生身の人間が目の前で芝居するパワーや没入感、距離感が映画とは段違いに違う。感情移入してしまって数回泣いた。面白かったからまた行くと思う。札幌で触れる新たなカルチャーの予感。
地下鉄で恋人と感想を言い合いながら、帰宅。うどんを食べて、サウナへ。最近、彼氏の真似をしてサウナにハマっている。汗をびっしりかいて、-2℃の外気浴をする。不思議と寒くない。ひと足先に休憩所で待っていた恋人とオロナミンCとフルーツ牛乳で乾杯して、ほかほかした気持ちで家に帰る。
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europiumoon · 5 months
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『ある夜、彼女は明け方を想う』を帰りの高速バスで観ている。2回目。最近知人がInstagramで映画のアンケートをやっていたので書き込んだけど、私も思い出したら観たくなって観ている。今日はイベント対応で都内に出た。本来なら午後過ぎからだったけど少し早く家を出て会社の人とうどん屋さんに行って新橋銀座を歩き珈琲専門店に行って珈琲を飲んだ。普段腹を下すからと1ミリたりとも飲まない飲み物なのでとても苦くて酸味があるように感じたけど、不快感はなく、感じる前に飲み干した気がする。会場に向かいながら目がパキパキになったので体力回復に移動中少し寝た。今週はどうも仕事をしている日々ではないけれど、リセットするには十分な予定だと思っている。なにからリセットするかはわからないけど。イベントも1時間で終わり、同行者とは解散して前々から決まっていた会合に向かった。「○○と飲みたいってずっといっ���るんだよなぁ」と会社の年配層が前に一度お会いした別の部署の人たちと私との飲み会を作りたかったらしく、絶対ジジイだけだったら行かなかったけど行くことにした。初めましての方もいて、なんとも言えない空気感と時間が過ぎたけどなんやかんやで忘れない時間になったと思う。私はずっと、ジジイの息子の嫁にならないかと揶揄われていたけどずっと即答で嫌だ、と答えた。1番若い私に話を振ってくれていて助かりつつも、冗談で言ったであろう、引き抜きたいね、という台詞が冗談に聞こえなくてササーっと引いていた。ジジイよ、私を褒め称えるのはいいけど時と場合を考えろ。高速バスの時間が丁度いい時間にあったので途中退室。またいつか、と社交辞令を言い合い解散、で今に至る。キャリア採用で入ったという女性の左手に揺れる結婚指輪が間接照明に当たって綺麗だな、と横目で考えていた。先日友人の結婚式があったから今は敏感的に反応しているんだと思う。日本酒を滅多に飲まないけど飲まされたので思考が歪んでいたりもすると思う。ふと急に、不倫している女の感情メインの映画見たいと思い起こして冒頭の映画の話に戻る。話は変わるけどThe Wから知った梵天のしおたむ(妹)のツイートか何か前に見た時に結婚していることを知って急に好きになった。元々の顔も好きだったからだと思う、けど、若い(?)うちからこの人だとノリでもなんでも決めて結婚しているのが、いいな、と思った。私もしたいねぇ。と考えながら書いているとヒロイン役の黒島結菜と、若葉竜也のやりとりのシーンになった。結菜ちゃん最近氷魚くんとパートナーになったよね。いろいろな形がこれからも増えていくのかなあ。村田沙耶香の『殺人出産』の中にあったトリプルもこれからあったりするのかなとふと考えてみたり。色々多様化してっていつか昇華しちまえばいいのにと考えた。しきたりも存在も。ばぶと来月温泉旅行に行くことになった。2人きりの温泉旅行は一昨年の夏ぶりな気がする。そういえば受けた試験の正式な合格発表が今日で、合格していた。
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