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#五箇山自然文化研究会
nagomism · 1 year
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#参加 #してみた #沢登り #やってみた #紅葉 #源流 #南砺市 #たいら道谷高原 #美ヶ谷 #梨谷川 #滝 #晴れ #五箇山自然文化研究会 https://www.instagram.com/p/CkV69V_pNkx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2020zaji · 4 years
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#リハビリ|接続されたヒト(15)
「五十にして天命を知る」。古代中国の思想家・孔子と弟子たちの問答集『論語』にある「五十知命(ごじゅうちめい)」の書き下し文だが、そもそも「天命」とは何だろうか。一般には「天の命令、使命」と捉えるようで、「50歳にして自分の使命を知る」と解釈されることが多い。日本語辞書には「天命」に「天の定めた寿命」や「天の与える罰」などという意味もある。わたしの場合は50歳を迎えたからと言って使命を悟ることもなく、ぼうっと過ごしていたわけだが、親友が突然死で自分の人生から奪われるという無力感を通じて、なるほどこれが「知命」、命について人の力は及ばないことを知る、ということだろうかと思ったりはした。
 親友の死から約一年後、今度は自身が死にかけて入院したわけだが、ようやく「接続」を解かれて、リハビリテーション専門病院に転院する日がやってきた。点滴ルート確保のために刺さっていた留置針が抜かれた時、チューブ類から解放される「接続解除」を実感した。
「接続されたヒト」の腕や脚には血管に刺した針をそのまま医療用テープで固定しておく「留置針」が刺さっている。その留置針の端に点滴チューブを接続することで、輸液を身体に送り込むことができる。こうしてルートを確保しておくことで、毎日の点滴の度ごとに針を刺す手間や、刺される痛みを回避することができるという仕組みだ。
 だが、この留置針はずっと刺された状態なので、血管に輸液が入っていく時に圧がかかることもあって、刺された箇所に鈍い痛みがずっと続く。針が刺さっているからむやみに触ってはいけないが、テープでずっと固定されていると、痒みも出てきたりする。数日ごとに留置針を指す箇所を変えてくれるが、あちこち針の位置を変えるうちに、だんだん新たに刺せる箇所が少なくなっていく。手首や肘下部分に刺していた箇所がかぶれてしまって、手の甲の血管に刺していた時期もあったが、ここは血管が細いせいか痛みが強くて、それこそ「もうヤダ!」と癇癪を起こしてチューブを引きちぎりたくなるような気分に襲われた時もある。1ヶ月程度でこの始末だから、長期にわたって点滴に頼る辛さは察するに余りある。
 さて、「接続解除」の解放感を味わうことは出来たが、まだ車椅子の上に姿勢を維持できるのはせいぜい20分という状態。どうやって転院先に移動すべきなのかと思ったら、医療ソーシャルワーカーから「医療用タクシーというのがありますよ」と教えてもらった。ニーズのあるところに専門業者が誕生しサービスが提供される。なるほど、資本主義の市場システムは「消費者」にとって便利にできている。
 ちなみに、医療ソーシャルワーカーとは「保健医療機関において、社会福祉の立場から患者さんやその家族の方々の抱える経済的・心理的・社会的問題の解決、調整を援助し、社会復帰の促進を図る業務」(注2)を行う人たちのこと。病院の医療スタッフの一員である。
 たとえば。長期に入院すると医療費も高額になる。そこで利用することになるのが「高額療養費制度」。これは「医療費の家計負担が重くならないよう、医療機関や薬局の窓口で支払う医療費が1か月で上限額を超えた場合、その超えた額を支給する」(注2)という制度である。自己負担の上限額は所得に応じて異なる。手術や入院などで医療費が高額になることが想定される場合、利用しないことは考えられない重要な制度だが、こうした医療に関わる各種の案内をしてくれるのが医療ソーシャル・ワーカーの方たちなのだ。「高額療養費制度」という社会保障制度があって本当に良かった。こうした制度に使われるなら、税金も払う甲斐があるというものだ。
 ここで思い出すのが、奇才マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『シッコ(sicko)』(2007)である。合衆国アメリカの信じがたい医療実態が、あざとい手法ではあるが、それだけに生々しく描かれている。公的な医療保険制度が十分でないため、民間の医療保険に入っていない人は手術代や入院費で一気に貯金を使い果たし、病気や障害を抱えたまま経済的にも困窮する。貧血や盲腸でちょっと入院しただけでも数百万円という高額な医療費がかかるからだ。映画には、病院に行けずに自分で傷口を縫う人や、医療費のために家を失った人、さらには民間保険業や製薬業と政治家との癒着など、ショッキングな現実が次々に登場する。とりわけ印象に残るのは、入院治療費が払えない患者がタクシーに押し込まれ、貧民街の路上に放り捨てられる様子を隠し撮りした場面である。
 アメリカの医療制度の残酷さは他人事ではない。一時期話題になったTPP(環太平洋パートナーシップ)協定では医療保険分野も射程に入っており、日本医師会が反対する「混合診療」(注3)の全面解禁も検討されていた。TPPはトランプのおかげで沙汰止みになったとはいえ、日本ではあらゆる事業が民営化され市場システムに投げ込まれ続けている。それも、十分な議論がないままに。水道に民間事業が参入可能になった「水道法の改正」については国民の6割が「知らない」のが現状という(注4)。
 さて、話を退院手続きに戻そう。先の「高額療養費制度」とも関わるが「限度額適用認定証」の発行依頼を郵便で出したり、民間保険会社に保険金の請求書を出したり、入院費用の支払いをしたり、退院時には自分自身でやらなければならない必須事項がいくつもある。家族に任せることもできたのだが、自分が回復基調にあると思っていたわたしは、病院の介護士さんに車椅子を押してもらって、退院日の午前中に自分で処理することにした。転院先への移動時には母に付き添いを頼んだが、高齢なので満員電車を利用させるのは忍びず、諸々の手続きが終わる昼頃に来てもらうことにしていた。荷物類は前日までに連れ合いと母に整理してもらってあった。
「これで退院の計画は万全!」と思っていた。わたしは自分が病人であることを甘く見ていたのだ。確かに、ひとつひとつのタスクは、そう大変なことではない。そう、以前の自分であれば。だが、手術後の自分にはウルトラマンのタイマーがついているかのようだった。車椅子の上で姿勢を維持しているだけで猛烈に体力を消耗してしまい、ピコンピコンとタイマーが鳴り出す。脂汗が滲んできて、集中力を保っているのが難しい。手続きはいずれも「神経を使う」というのに。しかも、途中で投げ出すわけにもいかない。
 その結果、母が到着して医療用タクシーに乗り込む頃には、青色吐息の状態だった。経験したことのない疲労感。そんな馬鹿な、この程度のことで���! 自分でも、その消耗ぶりが信じられなかった。
 今更ながら思い返せば、わたしは「病人」なのだった。ずっとベッドに寝たきりで体力や神経を使う場面がなかったから、病人はいかに体力がないか、(脳の一部が傷ついている状態で)神経を使うことがいかに消耗するか、まったくわかっていなかった。ただ、「いつもの自分」が車椅子に座っているだけ、のように思い違いをしていた。「いまの自分」は、もはや「いつもの自分」でも「以前の自分」でもないというのに。
「接続解除」で「病人じゃなくなった」気になっていた自分を猛反省した。同時に、やがて自分が後期高齢者になった時の、こうした入退院にかかるであろうさらなる困難を想像した。
 確かに、資本主義の市場システムは「消費者」にとって便利にできているが、「消費者」以外は想定の外側、察する必要のない「余り」に組み込まれているとも言える。「余り」として切り捨てられる恐怖を持たずに誰もが安心して生きていけるようにするためには、市場システム以外の仕組みが必要になってくる。とりわけ、医療や介護のサービスは、水道などのライフラインや教育などと同様に、公的な介入によって安定的に提供される必要がある。
 たとえば、新型コロナウィルスによって世界のあり方が大きく変化しつつある2020年の現在。医療や介護の現場で働くエッセンシャル・ワーカーの重要性が注目されている。これまで待遇改善が言われながら果たされてこなかった医療や介護の従事者が安心して力を発揮できるような公的仕組みを整える。コロナ禍をそうした機会にすることもできるのではないだろうか。
「医療ソーシャルーカー」という仕事も、「資本主義国で医療社会問題が深刻化した19世紀末から20世紀初頭にかけて、貧しい労働者階級への対応策として生まれ」たという(注5)。高齢者人口が増え続けるなか、社会保障制度を支える若年層への負担も懸念される。だが「医療費が支払えない」という理由で患者が「貧民街の路上に捨てられる」未来になって欲しくはない。
 五十にして天命を知る。「知命」とは、命について人の力は及ばない、と知ること。同時に、だからこそ、命がこの世に存在する間は、人の力によって、相互に生かされていく、ということ。ひとまず、わたしにとっての「知命」とは、そういうことのようだ。
 次回からは、回復期リハビリテーション専門病院での入院生活を振り返ることにしたい。
注1)
「医療ソーシャルワーカーとは」『公益社団法人 日本医療社会福祉協会』ウェブサイト
https://www.jaswhs.or.jp/guide/socialwork.php
注2)
「高額療養費制度について」『厚生労働省』ウェブサイトhttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/juuyou/kougakuiryou/index.html
注3)
「混合診療ってなに?」『日本医師会』ウェブサイト
http://www.med.or.jp/nichinews/n150705n.html
注4)
橋本淳司(ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表)「水道法改正「知らない」63.1%だが水道の疲弊は進む」2019/7/29『Yahoo! ニュース』
https://news.yahoo.co.jp/byline/hashimotojunji/20190729-00136108/
注5)
「医療ソーシャルワーカーの歴史」『山口県医療ソーシャルワーカー協会』ウェブサイト
http://www.yamaguchi-msw.net/cms/page112.html
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kadookanobuhiko · 4 years
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貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 Ⅳ
 マーク・ラムザイヤーの論文は、間違いが異常に多い。読んでいて、いちいちひっかかる。それを逐一指摘していたら、一向に前に進まない。漫才でたとえるなら、次々とボケを連発するため、その都度ツッコミを入れなければならない。これではまるで、すべてを言い間違え、それに訂正を入れるナイツの漫才ではないか(当然、ラムザイヤーが塙、私が土屋である)。
 当連載では、昨年に発表された『On the Invention of Identity Polotics : The Buraku Outcast in Japan』の結論を読みながら、本文に分け入り、その内容を検証することにしている。論文は部落の起源から始まり、近代の共同体の特徴、反差別運動の勃興、補助金の略奪、同和対策事業を経た現在の部落の実態へと続く。
 これまで部落の起源と近代のムラの特徴を見てきたが、まだ論文の三分の一ほどを消化したに過ぎない。数回で連載を終えるつもりだったのだが、けっこうもたついている。引用文を検証していたら、あまりにも齟齬が多く、看過できなくなったのである。「もうええわ!」とツッコミを入れずに、最後までお付き合い願いたい。
  ※  ※  ※
 1922年(大正11)に全国水平社が結成されるまでに、ラムザイヤーはどうしても触れたい項目があった。米騒動である。ここでも全国の部落民は、目立った行動を見せているという。
<1918年、多くの府県にまたがる部落民は、暴力的な犯罪で耳目を集める。米価は1年で3倍になり、暴力的な群集の先頭には部落民がいた。もしそれ以前に、誰かが部落民と犯罪を結びつけていなかったとしても、1918年に新聞はそれを報じた>
 米騒動は、同年7月~9月、米価の暴騰のため、生活難にあえいでいた大衆が、米の廉売を要求して米屋・富豪・警察などを襲撃した事件である。富山県から始まり、全国に波及した。労働者・農民を主力とする未曾有の大民衆暴動に発展し、軍隊が鎮圧に出動し、寺内正毅内閣が倒れた(広辞苑)。
 ラムザイヤーは、官憲側の資料を使い、解説している。
<検察側は8200人を取調べ、4200人が有罪判決を受けた。不法侵入と放火が猛威を振るい、場合によっては死者が出たにもかかわらず、裁判官は比較的寛大な刑罰を与えた。死刑判決はなく、3件の無期懲役があっただけだった>
 確かに、後に検事によってめとめられた『所謂米騒動事件の研究』(司法省刑事局、1939年)には、そう書いてある。だが、後世の研究では、<第一審では死刑二名、無期懲役一二名、一〇年以上の有期刑五九名>を数えている(『日本史大事典』平凡社、1993年)。少なくとも死刑は確定しているので、平仄に合わない。なぜ、わざわざ80年前の当局の資料だけから引用するのだろうか。
 体制側の資料を重宝するラムザイヤーの本領は、ここから発揮される。
<暴徒は商店や倉庫、富豪から略奪し、焼き討ちした。暴動を主導したのは部落民だった。当時のジャーナリストや警察は、部落民をそう位置づけ、現代の研究者たちはその役割を追認している(Takayama 2005,p.66-69)。警察は大阪だけで9300人以上の部落民が米騒動に参加していると報告した。京都、大阪、兵庫、そして奈良の部落民は、平均して30~40%の部落民が参加した(Mitani 1985,p.82)。当時のジャーナリストや警察は、暴徒の中で部落民が最も暴力的であると位置づけた>
 米騒動で検事処分を受けた8000人余りのうち、部落出身者はその1割を超える900人弱にのぼる。前掲の『日本史大事典』には、<とくに被差別部落民はねらいうちに検挙され、総人口の二㌫を占めるにすぎない部落民が検事処分者の一〇㌫を超えるという差別裁判を受けた。大審院で死刑を宣告された二名も部落民であった>と記載されている。
 ”ねらいうち”にされたのか、それともそもそも”暴力的”だったのか? 見る者の視点が問われよう。ラムザイヤーの論文には、部落民が暴力的であった背景については、述べられていない。ただ、それが言いたかっただけなのだろう。
  ※  ※  ※
 ラムザイヤーが断罪するように、果たして当時のジャーナリストや警察は、<暴徒の中で部落民が最も暴力的>だと位置づけたのだろうか?
 少なくない部落大衆が、米騒動に参加したのは事実である。当時の内政・治安担当者には、部落民先導説を唱える者がいた。『中央新聞』は「某内務当局談」として、以下の談話を伝えている。『米騒動と被差別部落』(雄山閣、1988年)所収の藤野豊による「米騒動における被差別部落主導論の成立」から引用する。
<最初に起つた富山県の暴動は特種部落民には関係なきも京都、大阪、神戸及び岡山、三重県等に於ける暴動は何れも特殊部落民にて其他の群集は単に是等特殊部落民に雷同したるに過ぎざるが如くである・・・彼等は常に一般の人民より穢多として軽蔑さるヽを憤慨して居れば偶今回の米価暴騰を機として平常の鬱憤勃発して斯かる暴動をやつたのであらうと思はれる>
 部落民が中心であったとし、その背景についても述べている。
 部落民主導説を唱える者もいれば、それに否定的な官僚や治安担当者もいた。たとえば内務省の天野藤男は、和歌山・熊本・京都・埼玉などで、部落の青年が米騒動の防止に活躍したことを挙げ、部落民が参加したケースでも「普通都会にある良民が不穏な行動をしたのと何の異なる事はない」と喝破している(前掲の藤野論文)。
 暴動が起こる際、それなりの社会的背景があるのは、洋の東西、過去現在を問わない。現在よりはるかに差別が厳しかった時代に、仮に部落民が暴動を主導したとして、それに部落外の人々が従っただろうか。
 要は京都市内のように、地域によっては部落民が大きな役割を果たしたところもあるが、全国的に見て、一概にそうは言えないということであろう。
 ところがこれまでの研究をまったく無視するかのように、ラムザイヤーは<暴動を主導したのは部落民>と断じ、<現代の研究者たちはその役割を追認している>と書いている。
 引用した論文中の” Takayama 2005,p.66-69”は、ラムザイヤーが参照すべき資料として挙げた、高山文彦著の『水平記 松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年』(新潮社、2005年)である。ページ数は、米騒動と部落民について叙述されている箇所だ。
 ノンフィクション作家の高山は、同書で<米騒動に多数参加したのは、もっとも貧しい生活を強いられた部落民であった>と述べたうえで、ふたりの部落民の死刑判決に関し、次のように書いている。
<これは見せしめのためにおこなわれた判決としか考えようがない。というのも、米騒動に加わった部落民は、これまで露骨な差別を自分たちにおこなってきた豪農や米屋を、焼き討ちや打ち込みといったはげしいやり方で襲撃した。同じ部落内のボス層を襲った者もいる。しかし、なにも部落民だけがそのようなことをしたのではなく、一般農村の小作人が積年の恨みを晴らそうと地主を襲ったり、高利貸しを兼ねる遊郭を焼き討ちしたりしている。部落出身の侠客も、それに加わった。
 そうした人びとのエネルギーが、社会主義者と結びついて反体制運動へと盛り上がらぬよう、民衆を分断し騒動の鎮静化をはかろうとの目的で部落民を騒動の首謀者に仕立て、見せしめにたたいておけという判断が政府内にあったものと思われる>
 明確に、部落民主導説を否定している。原文の文意を無視し、自論の援軍とするのは、ラムザイヤーの常套手段である。
  ※  ※  ※
 高山は、権力側の部落民主導論に追随したマスコミも批判している。
<たまりにたまった鬱憤を部落民が晴らそうとして暴動にいたったという政府筋の観測は、ほとんど確信といってよい角度でジャーナリズムにも伝搬した。たとえば『やまと新聞』(八月二十五日)は「京都、神戸、大阪、名古屋等に於ける特種部落人の暴行は、最も凶悪残忍にして、掠奪強姦に及べるもあり、蓋し三百年来彼等が社会的に圧迫されし深刻なる復讐心の手伝えるなるべきも、凶険の度の甚だしきは、彼等特性の然らしむ所に外ならざるべし」と書き、『中外商業日報』(八月二十六日)は「(部落の)住民の中には、生活上の余裕無く、称して細民と云うべきもの亦甚だ多し。殊に牛馬等の屠殺を業とする者少からず。其生活状態の細民にして、屠殺を業とする者は、自然其性質は粗暴に動(やや)もすれば残忍に陥るの弊あり」として、部落民の職業や生活ぶりが彼らに凶暴な性質をあたえ、それによって暴動が引き起こされたのだと断定的にしるした。
 こうした論説はジャーナリズムのあるべき姿から程遠く、冷静な分析や取材の労を欠いた差別意識まるだしの悪質な宣伝にすぎなかった。雑誌ジャーナリズムも同じ論調をとり、いかにも米騒動の首謀者は部落民であるかのような記事を連発した> 
 ここでも部落民主導説を否定し、差別意識に沿ったマスコミを批難している。<現代の研究者たちはその役割を追認している >などとよく書けたものだ。ラムザイヤーこそ、暴徒と呼ぶべきであろう。 
  ※  ※  ※ 
<京都、大阪、兵庫そして奈良の部落民は、平均して30~40%の部落民が参加した>というラムザイヤーの記述(引用)についても、疑義を呈しておく。
 高山の『水平記』と同様に、引用資料として挙げているのは『火の鎖』(三谷秀治、草土文化、1885年)である。同書は、大阪の水平運動の活動家・和島為太郎を描いた小説だ。
 該当するページには、<米騒動による検挙者は・・・そのほぼ一割が部落の住民だった。部落の多い京都、大阪、兵庫、奈良などは、三割から四割にのぼった>とある。著者の三谷は”三割から四割”という数字の典拠を記していない。それに三、四割は、検挙された部落民であって、参加者ではない。
 ラムザイヤーは、こういった手口をよく使う。賀川豊彦が自著『貧民心理の研究』(警醒社、1920年)の中で、和歌山県の部落民の犯罪は部落外の3倍にのぼると書いている、と引用したが、賀川が引いた原典は書かれていない。賀川がそう書いている、というだけである。これでは、〇〇がそう言っていた、という噂話に等しい。まともな研究者の論文とは、とうてい言えない(そもそも賀川がまともだったのか、という疑問はぬぐえないのだが)。
 ちなみに『火の鎖』の著者の三谷は、共産党公認の大阪府議、衆議院議員を長らく務めた。同書では、米騒動において社会改革を求めて闘った部落民を<組織的で機動性に富>み<痛苦の深さと連帯意識の強さを示していた>と褒め称えている。そのエールが、”三割から四割”という根拠なき数字へと押し上げたのだろう。
 この数字は、ウィキペディアの「米騒動」の項目にも引用されている(ただし参加者ではなく、刑事処分者)。ハーバード大学教授はそれを見て、誤って引き写したのかもしれない。
  ※  ※  ※ 
 ラムザイヤーは、米騒動における部落民の横暴を前掲の資料『所謂米騒動事件の研究』(司法省刑事局)を読み込んだうえで、次のようにまとめている。
<基本的に米騒動は抗議ではなく、略奪と強奪が目的だった。暴徒は米の仲買人や商家、富豪をしばしば標的にした。彼らは現金の引き出しや米価の値引きを求め、それに応じない場合は放火をほのめかして脅した。もし攻撃目標が、躊躇もしくは固辞した場合、家中から強奪し、家屋に油をかけて火を放った。観察者がいうところの ” 窃盗団 ” の一味である女子供たちは、暴徒に付き従い、貴重品を持ち去り、暴徒が夜に焼き討ちした翌早朝には、焼け残った貴重品を持ち帰った>
 この文章で、ラムザイヤーが引用・参照したのは、前掲資料で計5点(5カ所)。うち騒動の主体が部落民ではないのが3カ所もある。部落に該当するふたつのうちひとつは、<特殊部落民多数を混じたる暴徒>で、部落外も含まれる。
 該当する、もうひとつ<神戸市騒擾に対し特殊部落民の参加したる状況>には、以下の記述がある。読みやすいよう句読点を付した。
<元来彼等の特性は、事変に乗じ、窃盗又は恐喝を為すに長ずるも、騒擾の主動者たるか如きは���て為さゞるが如し。特殊民中或は仲仕と為り、又は鍛冶職工と為りて普通民と相伍する者は、騒擾に当りても亦夫等の者と行動を共にせる者無きに非ず。然れども是極めて少数にして騒擾の為、警察の力及ばざるに乗じ、不正を働きたる者最も多数とす> 
 部落民は騒擾の主導者とは言えない、部落民で参加した者はきわめて少数と明記している。ラムザイヤーの自論である部落民主導説と、参照した文献の内容が、まったく逆ではないか。
 ラムザイヤーは、論文の米騒動の項目を次の文章でしめくくっている。
<暴徒の放火や略奪などの暴力は、全国にまたがった。時には火災現場に到着した消防士が襲われた。福井県では市長と警察署長の家宅が破壊され、警察署は焼き討ちされた。神戸では27ヶ所の鈴木商店の建物が放火された。福岡では暴徒はダイナマイトを投げ、銃で出動した軍隊を蹴散らした。最も大規模な暴動は大阪府で起こった。暴徒はときどき金庫を強奪して2万円を奪取し、建物に火をつけた>
 もうおわかりであろう。インパクトがある事件を並べ立ててはいるものの、記述のほとんどが部落とは関係がない。そもそもダイナマイト云々は軍部のデマだし、2万円強奪は私が調べた限りでは、1200円だった。
 そうしたいい加減な情報もさることながら、米騒動と部落民をテーマにした項目で、部落民以外の事件を取り上げるのは、倫理的にも学術的にも問題である。
 ラムザイヤーは、なにか部落に恨みでもあるのだろうか。いちど本人に、直接といただしてみたい。<2020・6・29>
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benediktine · 4 years
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【マダニが媒介する新興感染症「SFTS」の脅威 ペットの犬、猫を通じた感染例も (THE PAGE)】 - Yahoo!ニュース : https://news.yahoo.co.jp/articles/1cc399cdaad3ed9f8bea73f08c8c728c8bcb00eb : https://archive.is/q7q6U : https://archive.is/NYGWS : https://archive.is/3VlbD : https://archive.is/wGEC4 : https://archive.is/ARiFQ : https://archive.is/2zW6A 2019/1/11(金) 21:24配信
■《マダニに咬まれて人が死ぬ!?》
 近年、ダニに噛まれた人が病気になって死に至る、というニュースが話題になっています。その病気とは「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」と言われるウィルス感染症で、吸血性のダニであるマダニが媒介します。この病気は、2009年に、中国中央部で原因不明の発熱症が集団発生したことから調査が進められ、2011年に病原体ウィルスが特定された、新興感染症です。
{{ 外来爬虫類、昆虫などに寄生して「ダニ」が密入国!? 危険な種類も : https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160115-00000002-wordleaf-sctch.view-000 : https://archive.is/EF2fV }}
 SFTSウイルスに感染すると6日~2週間の潜伏期を経て、発熱、食欲低下、嘔気・嘔吐・下痢・腹痛などの消化器症状、頭痛、筋肉痛、意識障害・失語などの神経症状、リンパ節腫脹、皮下出血・下血などの出血症状などを起こして、最悪死に至ります。現在までのところ有効なワクチンも治療薬もなく、発症した場合は対症療法しかないとされる怖い病気です。
 当初、対岸の火事と思われたこの病気は、2013年1月に、厚生労働省より、日本初の感染事例が報告され、日本でもニュースとなって話題になりました。その後も発症例が報告され続け、これまでに393名の患者が確認され、うち64名が死亡しています(2018年11月28日時点、国立感染症研究所)。
■《マダニとはどんな生物か?》
 {{ 図版 1 : マダニの生活史 }}
 マダニとは、節足動物門クモ綱ダニ目マダニ亜目に属するダニのことで、世界で1500種以上、日本国内で40種以上が確認されています。マダニ亜目のダニには、皮膚の硬いマダニ科(Ixodidae)と皮膚の柔らかいヒメダニ科(Argasidae)が含まれていて、一般に「マダニ」と称される種類はマダニ科に属する「硬いマダニ」の種のことを指します。また、今回話題にするSFTSをはじめ、私たち人間に深刻な感染症をもたらすケースが多い種も「硬いマダニ」に属する種になります。ここでは、このマダニ科に属する「硬いマダニ」=マダニとして解説することにします。
 マダニは、主に自然環境中の森林や草むらの中に生息しており、哺乳類や鳥類(種によっては爬虫類)の血液を吸って栄養源にします。卵→ 幼ダニ→ 若ダニ→ 成ダニ→ 産卵という生活環を持っていて、幼虫、若虫、および成虫の各ステージで宿主動物に寄生して吸血を行います。
 ステージごとの生活様式を詳しくみてみると、まず、土の中に産み付けられた卵がふ化して幼ダニに発育します。この発生は春に限らず、夏から秋にかけても起こります。幼ダニの大きさはわずか1ミリメートル程度しかありません。これらの幼ダニはネズミなどの小型ほ乳類に寄生して3~4日間吸血します。そして飽血(満腹)状態になると地面に落下して休眠し、1週間程度で脱皮して若ダニに成長します。
 体長2~3ミリメートルほどの若ダニはウサギなどの中型ほ乳類や鳥類に寄生して4~5日間吸血します。そして、再び飽血して地面に落下し、休眠に入ります。休眠覚醒後、最後の脱皮をして成ダニに成長し、シカやイノシシなどの大型哺乳類に寄生して最後の吸血を行います。未吸血の成ダニは大きさが3~4ミリメートル程度で、5~6日間吸血することで最大2センチメートルまで膨れ上がります。
 飽血したメスの成ダニは地面に落下して産卵を開始します。1匹のメスで600~6000個もの卵を産みます。産卵後、メスはその生涯を閉じます。この卵から成虫に至るまでは2~3年かかるとされ、その長い生涯の間で、マダニはたった3回しか吸血しません。
≫――――――≪
■《マダニはどうやって獲物を見つけるのか?》
 {{ 図版 2 : ハラー器官のついた前足を振り上げながら獲物に向かって前進するマダニ }}
 ほとんどのマダニ種にはメスとオスがいて有性生殖を行いますが、マダニの1種フタトゲチマダニには有性生殖系統と無性生殖系統が存在し、無性生殖系統では、メスが単独で自分のクローン卵を産みます。
 マダニは目にあたる器官は持つものの、視力はほとんどなく、暗いか明るいかぐらいしかわからないようです。では、どうやって獲物を見つけるのか? マダニは前足の先端にハラー器官という、大気中の二酸化炭素を探知する器官を持っており、この器官によって、動物の吐息による二酸化炭素濃度の微妙な変化を感じ取り、宿主動物が近づいてくることを察知するのです。そして、草や木の先端に集まり、動物が接近したところでその体表に素早く取り付きます。
 そして宿主動物の皮膚上を徘徊した後、鋏角(きょうかく)といわれるはさみ状の口器をつかって動物の皮膚にメスを入れ、口下片(こうかへん)といわれるくちばしをその傷口に差し込んで吸血を開始します。
■《マダニが媒介する感染症》
 {{ 図版 3 : 人のSFTS発症報告数(2018年11月28日現在、国立感染症研究所HPより抜粋) }}
 マダニはSFTSだけでなく、もともと他にも怖い病原体を媒介する動物として知られています。日本国内で確認されているマダニ媒介性の感染症には以下のようなものがあります。
マダニが媒介する主な感染症(左から病名―病原体の種類―主な症状) 日本紅斑熱―リケッチア―発熱・発疹 Q熱―リケッチア―高熱、頭痛、悪寒、筋肉痛、倦怠感 ライム病―ボレリア―遊走性紅斑、筋肉痛、関節痛、頭痛、発熱、悪寒、倦怠感、神経症状 回帰熱―ボレリア―高熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、全身倦怠感、咳嗽 ダニ媒介性脳炎―フラビウイルス―発熱、痙攣・眩暈・知覚症状 SFTS―フレボウイルス―発熱、消化器症状、神経症状
 この他にも、海外では「クリミア・コンゴ出血熱(ウィルス)」「キャサヌル森林病(ウィルス)」などが報告されており、厚生労働省の感染症法で監視対象の指定を受けています。
 これらの感染症は、重症化すると、最悪死に至る恐ろしい病気ばかりです。媒介するマダニは、フタトゲチマダニ、キチマダニ、タカサゴキララマダニ、ヤマトマダニ、オウシマダニなど、全国に分布している種とされます。従って、マダニによる感染症の感染リスクは、本来、全国レベルで警戒する必要があります。
 もっとも、これらマダニ類の生息はほとんどが山林や草原など自然が豊かなエリアに限られており、マダニに噛まれること自体、頻繁に起こることではなく、また、噛まれて病原体に感染する確率、さらに病気が発症する確率は極めて低いことから、これまでダニ媒介性の感染症が社会的に注目を集めることはほとんどありませんでした。
 そんななか、突如としてSFTSという新興感染症が登場し、にわかにその危険性が増していることが社会的問題となりつつあります。
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■《SFTS感染リスクの増大》
 {{ 図版 4 : 野生シカにおけるSFTSウイルス抗体陽性個体分布およびマダニにおけるSFTSウイルス遺伝子陽性個体分布(都道府県単位)(国立感染症研究所HPより抜粋) }}
 SFTSの感染患者はこれまでに石川県以西の23府県で届出が確認されており、傾向として西日本に偏っているとされます。厚生労働省・国立感染症研究所の報告によれば、九州から北海道の28自治体で2007~2015年にかけて捕獲されたニホンジカのSFTSV抗体保有率を調査した結果、西日本を中心に高い保有率が示されています。抗体保有率が高いということは、そこに生息するシカが過去にSFTSウィルスに感染した割合が高いことを意味します。
 一方、九州から北海道の26自治体で2013~2015年にかけて国内に生息するマダニ野生集団内の重症熱性血小板減少症候群ウイルス(SFTSV)遺伝子保有状況をリアルタイムPCRで調査した結果、タカサゴキララマダニ、フタトゲチマダニ、キチマダニ、オオトゲチマダニ、ヒゲナガチマダニ等、複数のマダニ種から、SFTSV遺伝子が検出され、患者が発生している自治体に限らず全国的にウイルスを保有するマダニが分布していることが示されています。
 これらのことから、本来、SFTS患者は日本全国で発生する可能性があると考えられますが、実際には西日本に偏っています。その理由としては、シカなどの野生動物と人間の生活圏との間の距離が特に西日本エリアでは接近していることから、ウイルス保有マダニによる咬傷被害リスクが高いためであると推測されています。
 しかし、ウイルスに感染する動物はシカだけではなく、様々な野生動物が感染および媒介をしていると考えられ、その後の調査で野生のイノシシからもSFTSウィルスの抗体が検出されており、シカ・イノシシの人間社会への急接近がすでに全国規模で発生して、深刻な環境問題となっている現状を考えれば、今後、このウィルス感染症が全国規模に拡大する可能性を警戒する必要があります。
 そして、さらに感染リスクを高める要因として、外来生物の存在が指摘されています。
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■《特定外来生物アライグマによるSFTSの拡大リスク》
 {{ 図版 5 : 図6. 2010年から2017年に確認された日本国内におけるアライグマ分布情報(環境省提供) }}
 山口大学・森林総合研究所の共同研究チームによって、和歌山県内で捕獲されたアライグマのSFTSウイルス抗体保有率を調査した結果、2007年には捕獲個体28匹中わずか1匹しか保有個体が認められなかったのに対して、2008年以降、抗体保有率は年々上昇して、2015年には捕獲個体の50%以上に抗体陽性反応が認められたのです。
 さらに抗体保有個体の分布を調べた結果、海岸線に沿った平野部の市街地エリアで抗体保有個体が広がっていることが確認されました。このことは、外来種であるアライグマが新たなるマダニおよびSFTSウイルスの運び屋となっており、我々の身近なところまでこの感染症を持ち込むリスクが急速に高まっていることを意味します。
 アライグマはすでに日本全国に分布を拡大しており、特に関東や関西の人口密集エリアでの増加が問題となっています。アライグマ集団におけるマダニ寄生率が今後全国規模で拡大していけば、東京や大阪などの大都市でもSFTSの患者が増加する可能性も無視できなくなります。
■《ペット動物がSFTSを媒介!?》
 そして、SFTS感染リスクをもっとも深刻にする要因がペット動物になります。国立感染症研究所の調査によれば、西日本を中心に各地の飼育犬でSFTSV抗体保有個体が確認されており、さらに山口県の飼育犬における疫学調査研究では、136頭の検体中5頭(3.7%)にSFTSV抗体保有が確認され、さらに別の2頭(1.5%)の血液からはSFTSウイルス遺伝子が検出されました。しかもこれらの検体はいずれも全く症状が出ておらず、健康状態には問題がありませんでした。このことは、イヌの体内でウイルスが存在し続けていたことを意味しており、感染したイヌと濃厚接触をすることで、イヌから人へSFTSが感染するリスクを強く示唆するものでした。
 このイヌから人への感染が起これば、SFTSウイルスは従来のダニ媒介性感染症とは決定的にリスクのレベルが異なる病原体となります。つまり「ダニという動物に噛まれない限り感染しない」病気ではなく、「感染した動物からも感染し得る」病気、すなわちSFTSは「人獣共通感染症」という、狂犬病などと同じカテゴリーに属する危険な感染症となるのです。
 そして、実際にその恐れは2017年に一気に現実味を帯びることとなりました。同年10月に厚生労働省が、徳島県において病気で弱った飼い犬を介護していた40代男性の飼い主がSFTSを発症したとして調べた結果、イヌからもSFTSウイルスが検出され、状況からみてイヌから人に粘膜を介してSFTSが感染したものと判断される、との報道発表を行いました。幸いにして、このイヌと飼い主はその後回復したとのことでしたが、このニュースは関係者の間に大きな衝撃をもたらしました。「イヌも人間と同様にSFTSを発症する」=「ウイルスがイヌ体内でブーストするリスク」および「イヌから人へ感染するリスク」が示唆されたのです。
 イヌでの感染実態については中国においても同様の調査結果が示されていましたが、興味深いことに、ネコに対する調査では、一切、抗体保有個体が検出されなかったということで、ネコはもともとマダニには噛まれにくい動物なのではないかという推測もされていました。
 ところが、この推測もまた2017年に覆されました。同年6月に山口県においてSFTSを発症したネコが確認され、「ネコも人と同様にSFTSに感染して発症する」ことが明らかになりました。そして同年7月に、厚生労働省から、野良猫にかまれた50代の女性がSFTSを発症し10日後に死亡していた、と発表されたことで「SFTSはネコからも人に感染し得る」ことも明らかになりました。また同じ年の8月には、広島県安佐動物公園で飼育されていたチーター2匹が相次いでSFTSで死亡したことが報告され、ネコ科動物がSFTSウイルスに対して高感受性であることが強く示唆されました。
 さらに昨年2018年8月には宮崎県において、SFTSに感染したネコを診察した獣医師および看護師がSFTSに感染した事例が報告され、飼育動物を介したSFTS感染リスクの現実性は決定的なものとなりました。
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■《SFTSウイルスは大陸と日本の間を移動している可能性も》
 {{ 図版 6 : SFTSウイルスDNAの分子系統樹 。ウイルスが大陸と日本列島の間を移動していることが示唆される。(Li et al. (2017) Scientific Reports. DOI:10.1038/s41598-017-06853-1より抜粋) }}
 中国でSFTSウイルスが発見されて以降、そのDNA情報の収集と起源を探る研究が進められています。我が国においても、2013年に初の発症例が報告されてからすぐに、国立感染症研究所を中心に、ウイルスのDNA分析が行われてきました。これまでの調査結果によれば、大陸で検出されたウイルスと日本で検出されたウイルスの間にはDNA情報に差があり、日本のSFTSはもともと日本に古くから存在していたものと推定されていました。
 しかし、2018年に中国の研究者グループが科学誌「Scientific Reports」に発表した論文によると、アジア各地より検出されたSFTSウイルスDNAの分子系統解析の結果、日本および韓国で検出されたSFTSウイルスのDNA系統は中国国内においても認められており、大陸と日本の系統は二分されるものではなく、むしろウイルスは長距離を移動・分散していると考えられ、ウイルスを保有するマダニの運び屋として、渡り鳥の可能性も示唆されています。
 中国国内においてもSFTSの発症例の確認は2009年と比較的新しいことから、このウイルスの起源や、人間社会への進出年代、移動・分散のルートについては、さらに調査を進めていく必要があり、同時に日本、中国および韓国など、アジア全体での研究の連携および情報の共有が感染症管理の観点から重要になるものと思われます。
■《身近に迫るマダニの脅威》
 {{ 図版 7 : 山林から野生動物が人里へと進出することによってマダニが「下山」して、そのマダニを外来動物アライグマが都市部へと運び、ペット動物に寄生することで人間生活に感染症リスクをもたらす、という新しい人獣共通感染症の分布拡大プロセスが成立している }}
 実はSFTSに限らず、ダニ媒介性の感染症リスクは身近に迫っているとされます。「日本紅斑熱」というSFTSとは別のマダニ媒介性ウイルス感染症は、日本では以前から知られている病気でしたが、1994年まで年間10~20名程度だった症例数は、1995年以降増加傾向にあり、その発生エリア(県)も拡大しているとされ、やはり、マダニが私たちの身近なところまでその生息域を拡大していることを強く示唆しています。
 この分布拡大をもたらしている究極要因として、農山村放棄によるシカ・イノシシなどの野生鳥獣の増加、人間生活圏への進入、そしてアライグマなどの外来動物の分布拡大・都市適応など、我々人間の社会と野生生物の世界との間の境界および均衡(バランス)が崩壊していることが挙げられます。さらにイヌやネコといった愛玩動物までもがマダニ感染症リスクのキー生物となろうとしています。
 野生鳥獣管理および愛玩動物管理は今後、人間および野生動物の健康な社会を保全するためにも重要な課題となります。
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■《One Health(ワンヘルス)という概念の重要性》
 {{ 図版 8 : 黄色で囲まれら部分がツマアカスズメバチの巣が確認された樹林のなかで、赤色で示された樹林帯の脇の草むらエリアに無数のマダニ幼体が確認された。さらにその草むらの中にシカの糞(紫の囲み)が多数確認された(2018年7月) }}
 人間社会で流行する感染症が、野生動物の脅威になるケースもあります。SFTSも野生動物と人間社会の間でマダニを介して感染が広がっていますが、特にネコ科動物に対して深刻な症状をもたらすとすれば、今後、ツシマヤマネコやイリオモテヤマネコなど、希少な絶滅危惧種の存続を脅かす要因にもなりかねません。
 実際に、我々国立環境研究所の研究グループが長崎県の対馬に侵入・定着している外来昆虫ツマアカスズメバチの調査のために、同島に赴いた際、ツマアカスズメバチの野生巣を観察していたら、海岸沿いの道路脇に広がる草むらに想像を絶する高密度でマダニ幼体が生息していることを偶然発見して、大変驚くと同時に、今まで知らずに調査をしていたことに思わず恐怖を感じてしまいました。
 周辺を調べてみると、大量のシカのフンが確認されました。現在、対馬島内では野生のシカが増加を続けており、人の生活圏にまで侵入してきていることから、おそらくマダニもそれに伴って分布域を広げているものと予測されます。
 島内に生息するツシマヤマネコも、道路での交通事故件数が増えるなど、その生息域と人間の活動圏との重なりが拡大していることが問題となっているなか、ツシマヤマネコ集団中にマダニ寄生が急増するようなことが起これば、SFTS感染によって集団が壊滅状態に陥り、最悪絶滅する恐れも想定されます。
 現時点で対馬島内においてSFTS患者の発生は報告されていませんが、九州地方はSFTSウイルス患者の多発エリアとなっており、対馬においても早急にマダニ集団中におけるウイルス保有状況および野生動物やペット生物における抗体保有率の調査を行うとともに、ツシマヤマネコ集団の保全対策を検討する必要があります。
 現在、森林総合研究所が中核となって、国立環境研究所、山口大学および兵庫県立大学と共同でSFTS感染予防のための野生鳥獣管理プロジェクトが立ち上げられており、動物学者、ダニ学者、そして獣医学者が連携して調査・研究を推進しています。ツシマヤマネコの保全対策も本研究プロジェクトの一環として検討が進められようとしています。
 人間の健康と野生生物の健康、そしてそれらを取り囲む自然環境は一体であり、持続的な自然共生社会を構築するためには、医学・獣医学・生態学など様々な研究分野が学際的に連携して感染症対策に取り組むことが重要であるとする「One Health(ワンヘルス)」の概念が、いま世界的に広がりを見せています。
 SFTSの感染防止は、まさにワンヘルスとしての対策が求められる課題です。今後我が国においても、環境省、厚生労働省、農水省など関係省庁がセクトの壁を超えて、感染症対策のための連携体制を作り上げることが強く望まれます。
(解説:五箇公一 国立研究開発法人 国立環境研究所 生態リスク評価・対策研究室室長)
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kariyado-lab · 5 years
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第6回 気付けば”踊っている”藤田善宏のダンスワークショップ
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第6回 気付けば”踊っている”藤田善宏のダンスワークショップ
五月病も慣れたところで、次はじめじめとした長い東京の梅雨がやってくるのか、と鬱々とした気持ちになりかけていた。
それを振り払ってくれたのは藤田善宏さんのダンスワークショップだったのは言うまでもない。2019年5月30日、ワークショップデザイン+コミュニティマネジメントの講義は第6回を迎えた。
藤田善宏さんは、パフォーマンスユニットCAT-A-TAC(キャットアタック)主宰されている。ダンスカンパニー・コンドルズのメンバーでもあり、2017年文化庁芸術祭舞踊部門新人賞を受賞されている。その他では福井国体開会式典演技振付総合監修、群馬大学非常勤講師、小栗旬や加藤シゲアキ主演舞台、山田洋次監督演出舞台やNODA・MAP他、舞台MVなど振付ステージング出演など多数。身体表現を駆使した台詞のない物語(無声劇)、柔軟な発想を生かした異ジャンルとのコラボが得意。子供から大人まで幅広く楽しめるダンスや公演を三世代間のコミュニケーションツールとして活用実施。幼児教育教材監修や健全な心と身体を育む活動にも力を入れる。愛猫家。プロレス・仏像愛好家。メガネ・アンティーク収集家。ヘヴィメタル好き。というのがCAT-A-TACさんからいただいてきたプロフィールには書かれている。
このように苅宿俊文教授の授業では毎度毎度多彩な方々に登場していただいている。
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さて、まず行われたアイスブレイク。前回の勝部さんと鹿島さんのワークショップでも行われたことだが身体を動かす前の基本、柔軟体操だ。だけど今回はまた違った面白い柔軟からだった。
”オノマトペ”という言葉を皆さんはどれほどご存知だろうか。 これはフランス語で、日本語に直すと擬声語という言葉になる。 どういうものかというと、モノや自然や動物などが発する音を人間が音にして出すその音のことを言う。
例えばだらーっとしたいときに「ふえ〜〜〜」っと言いながら脱力するとリラックス効果まで上がると言う。ということで藤田さんはこれをまず行い、学生たちの持っていた最初の緊張を解き放って行った。だらーとか、ふぇーとかを口で言いながら自分の思うだらしない格好をしてみる。この瞬間に恥ずかしいとか人に見られるのが嫌、という感覚を少しでも解いて行こうことされていたのだと思う。
次は床を触るように前屈をしてもらい、自分の柔軟性がどの程度かを知る。
それから次はパートナーと組み、相手に自分の肩どちらかに相手の手を置いてもらう。今度は相手の手が乗っている肩の腕と逆の腕の手で肩に乗っている相手に自分の手を添える。そして前屈を行う。するとどうだろう。
うぉーーー!
会場からは驚嘆の声が漏れた。
そう、先ほどより床に手がつくのだ。不思議なことだけど。(※個人差あり)
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藤田さんいわく、身体をひねることで普段意識しない箇所が伸び、柔軟効果があるのではないかという説があるということを紹介されていた。果たしてどうなのだろう。グーグルに検索をかけてみたけれどキーワードが違うのか、この柔軟に関しては出てこなかった。誰かわかるひとがいれば教えて欲しい。青学の相模原キャンパス苅宿研究室にてお待ちしております。
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その後も続々と柔軟体操は続いた。
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次に行われたのは手と手を触れ合わせながら移動するというもの。
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前に。
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後ろに。
自分の手と相手の手を常に触れ合わせていなければならない。
その状態で移動するとき、進行方向を向いている側の人間は他の2人組とぶつからないようにパートナーをうまく”操縦”しなければならない。
とても楽しそうなワークだった。だけどこれもただ楽しいだけじゃない。このワークにはこの社会で生きるための多様な気付きや学びの要素がふんだんに含まれている気がする。他者に触れ、その他者のことを思いやりながら誰ともぶつからないように先に考えを巡らせ身体を動かすという行為がそれだけで、自分や他者のことを受け入れてこの社会を共に生きて行くという発想を軸にしているように感じる。大げさ過ぎるだろうか。いや、藤田さんならあり得るのではないか、そう感じる。
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今度は他のグループの作ったアーチの中をくぐる。
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次のワークでは腕と腕をくっつける。 そしてそれを軸に身体をスライドさせて行く。 まるで歯車が回るように身体に沿って。
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2人ひと組で始めたものを今度は他の組の人たちとそのままパートナーを交換する要領でスライドして行く。
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くるりん!!という感じに。
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パートナーをくるりんと交換したら今度は別の方とまたくるりん。
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そしてそれを終えたら次のワークに入る。
と、ここまで文章よりも写真が多くなってしまっているのだけど、これは決して楽をして記事を書いている、わけではない。むしろ、これらの写真からあらゆることを感じとっていただき、「写真を読む」という行為をゆっくりとしていただきたい、という思いもある、、、ついこの間も天安門事件の写真として有名な「無名の反逆者」というものがあるが、これがかなりの数、6月4日のあたりにSNS上でシェアされていた。確かにこの戦車の前に立ちはだかる男の写真を見ると、非言語としての視覚で訴えることは言語で語りかけることより時に雄弁だと感じる。この瞬間に戦車に乗っている兵士は何を思ったのか。そして兵士から見た光景としてのその反逆者と呼ばれる男はどのように見えたのだろうか。とても気になる。など、気付くことが出来るのであれば、写真一枚で考えを巡らせられる事柄は無限にあったりする。そしてそれこそがこの高速な瞬間を生きている僕らに取っては小休止の時間になったりする。
現代社会で生きていると、新聞はおろか、文字をじっくりと読む時間というのは持てないと思う。SNSを頼ってしまう自分もつい、自分の見たい知りたい情報だけに終始してしまうこともしばしばあり、友人に知らない話題を出された時に「あれ、自分のウォールやフィードには出てきていない話だな」なんて思うこともある。そういう時にこそ、自分のいつも見る世界と一歩離れて、外で起きていることを理解しようと他の情報に手を伸ばしてみる。例えば普���買わない雑誌を手にしてみたり。そんなことの繰り返しで様々な知識は蓄積されてはまた出て行く。
話はそれてしまったけど、次のワークは身体の様々な部位を使って、自分の名前を書く、というもの。そしてそれをグループに分かれてお互いに披露し合う。
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そして段々と身体が動くことに慣れて行ったら、今度は、円になり、「青山学院大学」の文字列を自分の体の部位、どこでも良いから駆使して、ひと文字ずつその体の部位を変えながら文字を円の中心に向かって描いてくるというもの。
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円の中心に辿り着いたら青学のイメージを、身体を使って体現する。それがこの動画だ。
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皆、思い思いに「青学」を体を使って表現していた。
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次に行われたのは「A4」の紙一枚で楽しむというもの。
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何をしているかというと、紙を落とさないようにとにかく部屋中を走り回るということだ。
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そして紙を扱うことに慣れてきたところで、次は紙を手でひらひらと扱う。
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その時には紙を落とさぬようにはもちろんのこと、あらゆる動きを入れてやってみようとうことで、皆工夫していた。
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次に紙を横に置き、今度は紙をあたかも持っているかのように、想像して先ほどまでと同じように落とさないようにする。これは自分の想像力次第で自由に色々な紙のコントロールの仕方があり、それを皆がまた、思い思いにやられていた。
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遊んでいるようにしか見えないかもしれない。いやむしろ遊んでいる。けれどもこれは今こそ必要な遊びなのだ。
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次に行われたのは今度はまた紙を持って、その紙をパートナーとパスをするというもの。もちろん、これも落とさないようにだ。
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紙も2枚使ったりなんかして。
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この時にはグループも4人にして。 協働的な要素も含まれている。
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これは私の主観なのだけど、今まででは見られなかったぐらいにここまでで皆本気で楽しんでいる様子だった。やはり体を使ってワークをするということは、映像作品を作る過程や座学とは違い、頭の中での思考よりも、より感覚的なものなのかもしれない。そして感覚的であればある程、身体を通しての学びが多い。ある意味でそれはより、生き物としての普遍的な何かなのかもしれない。
そのためか、リフレクションシートにも「今までで一番楽しかった」ということを書かれていた学生が多かった。おそらく、苅宿教授としては毎回毎回手を替え品を替え、必ず回を重ねる毎に面白みを感じるように工夫してデザインされているはずだが、それが実際に功を奏する場面というのをこのような瞬間に私自身も感じている。
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さて、最後のワークの時間がやってきた。
藤田さんはここで、「皆でダンスをつくろう」と言う。 8ビートに合せて、学生たちが青学と聞いてイメージするキーワードをもとにダンスを作って行く。そしてそれを皆で踊ろう!というようなラストダンスだ。
様々なキーワードがあがった。
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そして完成したダンスがこちらだ!
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いかがだったろう。 あまりに文字が少なく、写真が多くなってしまったのは大変申し訳ないのだけどそれほどまにこちらも感覚的にブログを上げてきてしまった。それは藤田さんのWSのおかげなのか、どうか、果たして、、、。
前回の勝部さんと鹿島さんのコンタクト・インプロビゼーション同様、今回の藤田さんのダンスワークショップでもやはり、踊ろうという意識を持つより前に、身体表現を通してダンスを踊ってしまっている。無意識のうちに体を動かしていたら、端から見たらダンスに見える。決して今までの価値観に囚われたダンスという概念ではなく、より自由を求めた上でのダンスとはなんなのか。本当に身体を通した表現というものはこの社会でどのような定義や意義を持つのか。そしてこれがこの2回のダンスワークショップから学んで欲しかったことなのだろう、と思う。
なかなか言語化するのは難しいことだけど、何度もこのワークショップ内で体験することができれば、皆、少しずつ自分のものにして行ってるはずだ。その感覚を。そしてそれを社会に出た時に使う日もそう遠くはないと思う。
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そしてワーク後はここのところ恒例のTEA PARTY。
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そしてこの講義であの流れでワークショップを用いたのはどういう理由があったのか、どういうデザインがされていたのか、を藤田さんご本人からご説明いただき、この講義は終わった。
これが今回の講義の流れだった。 ほとんど写真だけでここまで来てしまったのだけど、その中にはとても大切な学びが含まれていた。それにあえてここでは触れはしないが、この後の座学の講義内で出てくるかもしれない。何かそれについて書くのも、その講義を待ってからでも良いと思う。
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5484tabulae · 5 years
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、向島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
※こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取り結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、否が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくりかえされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」を不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて、記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性は、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわけではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルとなった“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起させます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮構された作者名といえるでしょう。
散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 巣鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 浜離宮 042 2012_03_03 吉見百穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神田 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田基地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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nagomism · 1 year
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#茅場 #茅刈り #やってみた #参加 #してみた #五箇山自然文化研究会 #森林ボランティア #南砺市 #五箇山 #菅沼集落 #庄川 #雪囲い #茅葺屋根 #宝引莊 #wwof #手伝い #こうりゃく https://www.instagram.com/p/CkVv97lp-uC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tsthxh · 4 years
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、      イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、      ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、      トリカブトのアコニチン。
四、      ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、      オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケルト教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効��と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
 幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国���の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の��加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
 私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
 さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット��方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。��ずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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kuroda-kanbee · 7 years
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数年分のコピペ007
6月 24, 2016 高校の同期に教えて貰った→ 「知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。 世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。 だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。 彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」 という。 エピソードを交え、様々な話をしていいただいたのだが、その5つをまとめると、次のようなものになった。 一つ目は、異なる意見に対する態度 知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす 二つ目は、自分の知らないことに対する態度 知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない 三つ目は、人に物を教えるときの態度 知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている 四つ目は、知識に関する態度 知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する 五つ目は、人を批判するときの態度 知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。 知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。」 http://blog.tinect.jp/?p=16095 (via takigawa)(libranixから)
2016/06/24 ※ これはPTAの脱退を妨害した(そもそも多数決すらさせなかった)当時の校長(松本)とか教育委員(ババア)と同じ手口 民共は「憲法改正阻止」と日本の足を引っ張ることを目標にしています。 民進党(偽)にいたってはツイッターで「まず2/3にさせないこと」と 憲法改正を発議させないことをひたすら主張しています。 憲法改正は最終的には国民投票によって選択されるのに その国民による選択という民主主義の手段を採らせないようにするのが民共の目的です。 国民には選択させないという彼らこそ民主主義の敵です。
6月 20, 2016 オーストラリア首相のジョン・ハワードは退任直前に「オーストラリアには百万人の中国スパイがいる」と述べて、オーストラリア人を爆笑させ、有名な中国礼賛政治家のケビン・ラッドが首相の座につく道を舗装したが、現実は常に意外なもので、この「オーストラリアの百万人中国スパイ説」はイギリスのような閉鎖的なところで政治が語られる習慣がある国では長い間常識とされていたことにすぎない。 ハワードは連合王国の誰かから在任中に警告を受けていたのでしょう。 アメリカに暮らす中国人スパイの人口は百万人どころではないが、なぜスパイ人の数がそんなものすごい数になってしまうかというと、「中国のスパイ」はかつてのロシアのKGBというような専門職ではなくて「パートタイム」だからです。 たとえば横浜のバーで働く若くて気立ての良い中国人ホステスがいたとして、日本の暮らしも悪くないと考えて働いて、横須賀の海上自衛隊の将校と恋に落ちる。 この将校がたとえばイージス艦の技術将校ならばまず間違いなく、知らない中国人があらわれて「これこれこういう情報を聞き出してくれれば報酬をやろう。断れるとは思ってないよね。きみの両親は四川省の成都にいるんだっけ?弟さんは優秀で北京大学で政治学を勉強しているのだったね」と言われることになる。 日本のような国では外交回復以前の「日中友好協会」時代から育てた専業スパイもいると言っていたが、こっちはブログで書くことではないと思う。 明日があるさ | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の  ふむ(via odakin)(gkojax-textから)
6月 20, 2016 ●がんセンターの集中治療室で働いています。 がんを奇跡的に克服したケースや、胸が張り裂けるような最期を多すぎるほど見てきました。そして自分は誰もが「自分の最期のとき」を決める権利があると強く信じています。
まだ若い家族が、命の質をとるか、長さをとるかで苦闘する姿も見てきました。 心に強く残っているのは若い女性で、何年も赤ちゃんが欲しくてようやく授かり、ところが2度目の検診時に結腸癌の診断を受けました。彼女は無事に赤ちゃんを産むことはできて、延命治療をしないことを選択しました。
今でも彼女の言葉は忘れられません。「私はもう治る見込みはゼロで、死ぬことがわかっています。幸運でも1年の延命ができるかどうかで、それをすると赤ちゃんを抱く力はなくなり、限られた時間をこの子と過ごすことができません。私は自分の運命を受け止めて、これからの数か月を有意義なものにしたいのです」
そう言って、彼女はその通りにしました。彼女の娘が将来、母親の読み聞かせを聞けるようにするため、見つけられる限りの子供向けの本を読んで録音しました。娘の誕生日カードやクリスマスカードを買い、毎年のメッセージを書き、母親からのアドバイスを録音していました。やがて彼女は弱っていき、自らの最期を自分で選び、全ての痛み止めを服用したのです。
●自分も集中治療室で働いています。人は尊厳を保って死ぬ権利があると強く信じています。 政府の補助金が途絶えないために、患者を生かし続けるように主張する家族の姿を何度も見てきました。家族には訪問者用の食事が提供されるので、そのためだけに患者を生かし続けるように依頼する人までいます。そうした人々は病院に来ると食事だけ要求し、患者にも会わずに帰って行きます。家族のことを気にもかけずに食事だけ求めてくるのです。ホームレスの人々がいるのも理解していますが、それが1か月も家族を訪ねない言い訳になるとは思えません。
むごい亡くなり方をする人々も見てきました。彼らは生きているとは言えません。とても人間とは言えません。肉の塊になっているだけのときもあるのです。チューブや点滴でつながれ、私たちが呼吸をさせ、血液をきれいにし、半永久的にそんな状態にし続けることができるのです。
だけどそれを生きているというのでしょうか。そして何が残るのでしょうか。しかし痛みは感じています。そんな死んだような状態で、とても苦しんでいるのを見ることができるのです。生かし続けるべきだという主張のために。本当に壊れた状態だと思います。それが自分の仕事で最もいやなところでもあります。
尊厳死を選んだこの女性は特殊であり、それは間違いだと言う人は、私の12時間の仕事に招待したいくらいです。私の仕事について、いろいろ見て、彼女がどんな苦しみを被ることになるのかを見ても、泣かずにいられるのかを体験してほしいです。怖いのは主張されたら生かし続けることができるところです。
●どうして他の人が苦しんでいてもいい���思える人がいるのか自分は理解できない。僕は救急医療士だが、想像を絶するような重病人を運んだことがある。
診療のために、どんな状態だろうと関係なく運んだ。苦しんでいるのがとてもわかり、そこには人生のクオリティというものがない。家族が「この状態が終わってくれればいいと思う」と言ったのを聞いたこともある。そして家族にも重い負担である。精神的にも肉体的にもだ。それが見てわかるんだ。そしてそれは悲しいことである。
正直に言うと、何度もこの人を楽にしてあげたらという考えが脳裏をよぎった。とてもつらいほどに。彼らの中で、心が落ち着いている人で、とても苦しんでいる人なら、本人に決めさせてあげてもいいと感じている。自分の選択であり、他の誰の選択でもない。動物は安楽死させるのに、人間は苦しませてもいいという考えが理解できないままだ。
●がんの研究が自分の専門だ。 1度、20代前半のとても若い患者を受け持った。胃がんで手の施しようがなく、モルヒネのポンプとともにホスピスへ来た。
憶測ではあるが、彼は私たちが何をしているかを常にわかっていたようだ。彼の痛みを和らげるために常に薬を投与していたが、彼の痛みはコントロールできないレベルまで来ていた。焼けるような苦痛が四六時中、彼を痛めつけていた。
ある日、新しく補充した直後に彼はポンプを離し、服用量の限度をリセットした。それから彼は自分が死ぬまでボタンを押し続けた。
彼に携わった全員が同じリアクションをした。「よくやったぞ」と。僕はいつも彼を思い出す。そのことだけでなく、彼が「いったいHo-spsice(ホスピスとホー・スパイスをもじっている)って何だったんだ」と尋ねたことを。
彼が笑顔だったときを覚えている。おそらく15年くらい前のことだが、彼のことが脳裏にこびりついているんだ。彼の名前はウィルだった。ウィル:ホー・スパイス・マンだ。安らかに眠ってほしい。
●ホスピスの看護士として、彼女の気持ちがよく理解できます。そしてこのことが合法になって、どこでも可能になるといいと思っています。
自分の患者への義務は、尊厳を持って亡くなるときのお手伝いをすることで、死が近いと知ることは幸運であると思っています。
自らの命を奪った彼女は、自己中心的だとか罪人だと呼ばれ続けるかもしれないけど、その本人の立場にいる人だけが本当に理解することができるし、今までに「全てを終わりにしてほしい」と患者に尋ねられたり、懇願されたりしてきました。
出来ることは痛みや苦しみをいくらか和らげる助けくらいで、最後に息を引き取ったときは自分の中の何かが安堵するのも事実です。だから彼女が生きて、自らそのときを選んだことを喜んでいます。
●私は腫瘍学の看護師をしています。膠芽腫の患者に、数えきれないくらい携わってきました。
この病気は人を別人に変えます。家族が知っている人はその目前で完全に消えていくのです。その苦しみは堪えがたいものです。彼らが感じる痛みがどれほどのものなのか、想像もつきません。
彼女のとった決断を支持します。同僚と私たちも同じことをしたと話し合っています。必要もない苦しみをずっと被り続けることに疑問です。最終結果は同じことになるのだから。 尊厳死について…多くの死を見てきた医療従事者たちのコメントが心を打つと反響 (via drhaniwa)(hiroakisから)
6月 20, 2016 息子へ おまえにこの手紙を書いたのには3つの理由がある。 1. 人生は幸福も災難も無常だ。いつ死ぬかは分からないので早めに言っておきたい。 2. 私はおまえの父だ。私が言わなければ、誰も言ってくれない。 3. この手紙は私の悲惨な失敗体験から得たものばかりで、おまえの人生に役立つだろう。 今後の人生において、以下のことをよく覚えてほしい。 (1)おまえを悪く扱う人のことを気にしない。私とお前の母親を除けば、誰もおまえによくしてあげる義務はない。だからおまえによくしてくれる人を必ず大切にし、その人への恩を忘れてはならない。 (2)世の中には、居なければ困る人は存在しない。所有しなければ困る物は存在しない。お前が愛しているすべてを失っても人生は何とかなるものだ。 (3)命は短い。今日も浪費しているこの命は、明日にはもう消えるかもしれない。命を大切にしたいのであれば、命を楽しむ時間を増やすとよい。長生きよりも早く楽しむことが大切だ。 (4)愛情は一種の感覚に過ぎない。時間や心境と共に変化する。最愛の人がおまえから離れた場合、慌てずに時間を待つがいい。時間がおまえの心を洗い清め、おまえの苦痛を和らげてくれる。恋に憧れ過ぎないこと。失恋を悲しみ過ぎないこと。 (5)確かに多くの成功者はあまり勉強していない。しかし、これは勉強しなくても成功できることを意味しない。勉強で獲得した知識はおまえの武器だ。人はゼロから富を築くことができるが、何の武器も持たないと無理だ。これを絶対覚えておくのだ。 (6)私の老後はおまえに頼るつもりはない。おまえの老後は私に頼れる訳がない。おまえが成人して独立した時点では、私の責任は終わった。今後、バスに乗るのかベンツに乗るのか、春雨スープを飲むのかフカヒレスープを飲むのかそれは、全部おまえ自身の責任だ。 (7)おまえは自分に信用を守ることを要求できるが、同じことを他人に要求できない。おまえは人に優しくすることができるが、同様なことを人に期待してはいけない。おまえが他人を扱うように、他人がおまえを扱うとは限らない。これを理解できないと人生は苦痛が溜まるばかりだ。 (8)私は26年間、宝くじを買ってきたが、未だに三等賞にも当たっていない。リッチになりたいならば努力して仕事せよということだ。この世にはただのランチなどない。 (9)おまえと私は一回限りのご縁だ。お互いの縁がいつまで続くかは分からないが、共に過ごす時間を大切にしよう。お互い愛があろうがなかろうが、来世にもう出逢うことはない。 「息子への家書」紹介 | gentak.info (via 719043) (元記事: drhaniwa (hustler4lifeから))
6月 18, 2016 大事なことは「栄養バランスの取れた食事」「価値のある人間に会うこと」「得意な事で社会貢献すること」であって、苦手を克服しても殆ど何の意味もない。 砂鉄さんのツイート: “大事なことは「栄養バランスの取れた食事」「価値のある人間に会うこと」「得意な事で社会貢献すること」であって、苦手を克服しても殆ど何の意味もない。苦手の克服ってのは「究極の贅沢」なんだよ。野生でこれに挑戦したら100%死ぬわけ。” (via sukoyaka) (akeylarideagainから)
6月 13, 2016 ダミーの日本人を使って日本の山が中国資本に買い占められつつあり、このままでは地下水脈が奪われ、タイと同じく干殺しの憂き目になりかねないと。 痛いテレビ : 櫻井よし子「タイの次は日本」 (via narukish) (via soulboy) (via
6月 13, 2016 しあわせは、なるものではなく、 気づくもの 3秒でハッピーになる 名言セラピー / ひすいこたろう (via ebook-q)(gen-destinoから)
6月 13, 2016 前職上司に言われた忘れられない言葉。「仕事とプライベートで同時に重要な問題が起こったら、プライベートを優先しなさい。あなたがどれだけ優秀でも、仕事ではあなたの代わりはいる。でも、プライベートであなたの代わりになる人はいないのだから。」ぼくが部下を持った時には必ず言おうと思ってる。 Twitter / shinichi_taka (via 13py2)(元記事: mezotaro (gen-destinoから))
6月 14, 2016 1949年の中国共産党による中華人民共和国成立に際して統合され、その支配下に入った(ウイグル人にとっては漢族による征服)。1955年には新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、自治区とはいえ実際の政治・政策は北京の中国共産党政府主導のもとで行われている。 また、中国政府は「政治犯」として50万人もの東トルキスタン人を処刑したといわれ、妊婦に対して「計画生育」と言う名目で胎児の中絶を強制し、犠牲になった胎児は850万に上ると推計されている。 またチベットでも同様の産児制限と中絶・不妊手術の強制が行われた[1]。 東トルキスタン - Wikipedia (via tiga)(gkojax-textから)
6月 14, 2016 昭和の韓寇・・・昭和27年6月 突然、韓国が竹島に侵攻し占領した。 以降、周囲で操業した漁師40人を殺傷4000人を強制連行し、人質とし、 昭和40年の日韓基本条約締結において、日本に対し、 現金(現在の円換算で100兆円)と、日本に密入国していた不逞朝鮮人への「特別 在留許可」を認めさせた(現在の在日)。 ※「竹島問題」 とは、竹島帰属の問題ではなく、韓国が日本を侵略したということ。
6月 14, 2016 沖縄県民による性犯罪は、今年9月だけで21件起きているそうです、内訳は被害者の内7人が高校生、14人が中学生です。この資料はあくまでも未成年者のみを対象にした資料なので成年者を含めると数はもっと増えると思われます。 しかし、未成年者が被害者でもこれだけ多くの性犯罪があるのにそれの報道はほとんどなく(新聞の隅に小さく載るだけ)、米軍人の性犯罪に対しては、新聞、ラジオ、テレビ、議会あらゆる場所で抗議の声が上がるのは何故でしょうか? おーるじゃんる : 石垣市議「沖縄県民による性犯罪は月に21件 米軍は年に1件の犯罪率なのにマスコミが騒ぐ おかしい」 (via jinx-)(amenokgから)
6月 14, 2016 在日による鬼畜強姦事件1
1.「聖神中央教会連続小学生強姦事件」 永田保こと金保  (少女を強姦するためのカルト宗教を創設、少なくとも小学生35人以上を「拒否すると地獄に落ちる」と脅して強姦)
2.「摂理連続強姦事件」 鄭明析 (日本人を強姦するために全国約80箇所に教会を設置、大学でサークル活動と偽って勧誘し数百人の女性をレイプ、小学生も強姦していた)
3.「国際福音キリスト教会連続強姦事件」 卞在昌 (強姦するためにカルト教団を利用し��私と一つになることは神と一つになることだ」と多数の女性を強姦)
4.「フジテレビ社員成りすまし140人連続少女強姦事件」 李昇一 (人気番組のスタッフを名乗り、「タレントに会わせてやる」と若い女性に近づき、薬物と強い酒を飲ませ約140人の女子中高生を強姦)
5.「カナヤマン少女連続強姦事件」 金山昇一 (少女を強姦する目的で偽の芸能事務所を設立、多数の芸能界志望少女を芸能人にすると嘘をつき強姦しその模様を撮影、映像はネット上にばら撒かれ永遠に回収は不可能)
6.「ルーシーブラックマンら連続強姦殺人事件」 織原城二こと金聖鐘 (1970年以来薬物を飲ませて少なくとも女性、400人以上を強姦、英国人ルーシー・ブラックマンさんら2人以上を殺した、親は密入国してきた賭博成金)
7.「大阪市女性2人キャリーバッグ拉致強姦強盗事件」 山元平和こと金平和 2008.4.22 (多数の女性をバッグに押し込み拉致して強盗強姦、10~18年に大阪、神戸両市内で計21件の強盗強姦事件を繰り返した)
8.「浜松連続強姦強盗事件」 李正遠 (浜松市内の家に侵入し、15歳の女子高生をはじめ中にいた女性など8人に強姦傷害、窃盗などの罪に問われあわせて11 の事件で起訴 )
9.「目白一人暮らし女性連続強姦強盗事件」 宋治悦 1998年8月21日 (目白通り沿いに住む一人暮らしの女性19人を強姦し金を奪った。銀行の防犯カメラの様子がテレビ局でも報道されたが、韓国人とわかると報道はなくなった。)
10.「逃亡韓国人による200名連続強盗強姦事件」 金允植 (43)  (韓国内の強姦事件で指名手配直前に逃亡目的で来日(98年9月)。大阪で夫が出勤後の民家を狙い主婦を連続強姦。2年間で被害者約200名、被害総額は、約四千二百万円以上) お前らが笑ったコピペを貼れ in 市況2 part37 (via rulebook) (tk1024から)
6月 14, 2016 うつで一番恐ろしいのは、気分が憂鬱になることではなく、判断力が低下することです。 判断力が落ちるとどうなるかと言うと、自分が健康なのかどうか判断できなくなり、仕事を休むべきなのかどうかで判断を誤り、病院に行くべきな のかどうかで判断を誤り、良い医者かどうかで判断を誤り、周りの助言は正しいのかどうかで判断を誤り、自分は絶望的な状況にあるのかどうかで判断を誤り、 生きるべきか死ぬべきかで判断を誤ります。 プログラマーが知っておくべきうつ病の知識 - aikeの日記 (via noteasuola) (元記事: noteasuola (amenokgから))
6月 4, 2016 人事関連の研究報告書 を見てみると、「お金」が社 員の満足度の促進要因でないことは数値的にも立証されています。 どんなリサーチ結果を見ても、「衣・食・住」といった基本的な欲求が満た されている限り、「お金」を満足度要因のトップに上げる人はほとんどいません。せいぜい四番目か五番目です。 だから、 「社員の幸せはお金では買えない」と いうのは、別にザッ ポスが言い始めたことではなくて、世間的にも立証済みのことなんです。つまり、 社員により高い給料を与える ことで満足度を上げようというのは、企業にとって、いわば「お金の無駄遣い」なのです。 社員が楽しく、やりがいを もって働ける企 業文化をつくること、また、個々の社員が、直属の上司とより良 く、より近しい関係を築ける環 境をつくることに注力したほうが、よりコスト効 率的に、社員の幸せを実現することができま す。 もうひとつの指標として、 「職場にどれだけ友人がいる か」、あるいは、「職場に親友がいるかどうか」は、社員のエンゲージメントや生産性に 大きな影響をもたらします。 企業のリー ダーというのは、そういった職場環境をつくることに努力を注 ぐべきで、ただ給料を上げればいいというのは、まったく「怠慢極まりない」経営管理の方法だと、僕は思います。 経営者が、「幸せ」について突き詰める、ということ :: INSIGHT NOW! (via nakano) (via tiga) (via yaruo) (via gkojax)
6月 5, 2016 マーケティングの究極の目標は、「人の嫌な気持ちを知ること」だと思っている。「もっともアタマにきていることは何か」「うんざりしていることは何か」「あきらめてしまっていることは何か」それさえ見つかればそれを言葉にすることさえできれば、金鉱を掘り当てたようなものだ(くらたまなぶ) balance-meter:
6月 6, 2016 日本にいて違和感を感じるのは、楽しくしていることがイケナイことみたいで、苦労していないとケシカランみたいな空気。一般的なアメリカ人なんかは、楽しくなければ人生じゃないと思っている。そもそもなんでわざわざ苦しまなきゃいかんのですか。生きてるだけで大変なのに。 balance-meter:
6月 7, 2016 どうして変わったのかというと、幕末にペリーがやってきて、日本は開国しました。 そのとき一般に言われる「不平等条約」が結ばれました。 欧米列強の「力の外交」の前に、日本は屈せざるを得なかったのです。 その後、日本は、この不平等条約の改正のために、血の滲むような努力を重ねました。 そのなかのひとつが、黒の喪服だったのです。 欧米では、喪服は黒です。 ところが日本は白です。 そこで日本が欧米並の文明国であることを世界に誇示し、条約改正を有利にするために、まずはご皇室から、喪服を白から黒にあらためました。 それが次第に政府高官に広がり、明治11(1878)年の大久保利通の葬儀のときには、多くの関係者が黒の大礼服で葬儀に出席、のちに次第に民間でも喪服が黒に変わっていったのです。 ちなみに、日本のご皇室では、外国の賓客を招くとき、晩餐会での食事にはフランス料理を出します。 けれども世界中どこの国でも、インドならインド料理というように、その国の民族料理を出すのが国際的慣例です。 ところが日本では、日本料理ではなく、フランス料理で賓客をもてなします。 これも、喪服を白から黒に変えたのと同じで、明治の日本が不平等条約の改正のために、日本が文明国であることを証明し、すこしでも条約改正を有利にしようと努力したことが発端になっています。 ですから、いまでもご皇室が賓客をおもてなしする際は、フランス料理です。 明治の鹿鳴館は有名です。 東京日比谷にある帝国ホテルのすぐ隣の敷地に明治16(1883)年に建てられたこの鹿鳴館では、毎夜舞踏会が行われました。 これも、日本が欧米と対等な文明国であることを、すこしでも印象づけようとした当時の日本の、まさに血を吐くような努力のひとつであったものです。 外国人が日本で犯罪を犯しても、日本の官憲はこれを取り締まることができない(治外法権)。 日本に関税自主権がなく、諸外国の製品から日本の産業を守ることができない。 欧米列強の力の前に、これら条件を飲まざるを得なかったことが、幕末の激しい攘夷論となり、戊辰戦争をひき起こし、ついには江戸幕府から明治新政府への転換に到りました。 幕末の志士たちにとって、日本が欧米と対等に付き合える国になること、それがまさに夢にまで見た手の届かない坂の上の雲でした。 日本は、喪服の色を変え、宮中晩餐会の料理をフランス料理に変え、鹿鳴館をつくり、日清、日���を戦い、やっとの思いでついに不平等条約の改正を実現したのは、幕末から半世紀を経た明治44年のことでした。 おそらく、喪服の色まで変え、外国の賓客を招いた晩餐会で、外国の料理を出す国は、世界広しといえども、日本だけであろうと思います。 ちなみに、お隣の韓国では韓国料理、支那では、あたりまえのように中華料理が出ます。 世界にただ一国、自存自立と人種の平等の実現のために戦い、満身創痍となりながらもそれを実現した日本は、同時に、悲しいまでに我慢と忍耐を続けた国でもありました。 そして私たちの諸先輩が、そういう努力をしてくださったおかげで、いまの私たち日本の繁栄があります。 皆様も喪服を着る機会がありましたら、葬儀のあとの精進落しの席で、お隣に座った方に、 「実は、江戸時代までは喪服の色は白だったんだ。それが黒になったのはね・・・・」と、ちょっとお話されてみられたらいかがでしょう。 白い喪服 ねずさんの ひとりごと (via chikuri) 2013-08-13
(via mmtki)
6月 2, 2016 >かつて自民党総務会で、野中広務が、 >「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した麻生太郎を吊るし上げたことがある。 >でも当時はまだ奥野誠亮がいて、 >「野中くん、きみは若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。 > 朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。 > そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」 >と言ったら、野中はそこで中座して出ていってしまった。 >横で聞いていた野呂田芳成が、「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を聞かせていただきました」と。 在日韓国人「仕事で通名を強要された」として提訴 <-応援する!通名廃止しよう!
(via volnay007)
5月 18, 2016 第一次安倍政権 2008/4/27 安倍晋三とは たった就任3ヶ月で、教育改革と防衛省昇格を成し遂げ、 就任早々から各国との外交を精力的にこなし、 経団連の圧力に負けずにWCエグゼンプションの対象者を目標だった年収1000万円以上の近くで踏みとどめ、 それでいて企業側に非正社員の社会保険と厚生年金の適用を認めさせ、 児童福祉と子育て手当てとフリーター自立支援を予算に設けつつ、 国債を減らして財源建て直しをスピードアップ、 北朝鮮制裁をガンガン強化して朝鮮総連をガサ入れ、 パチンコ屋を税務調査の波状攻撃で締め上げて総連を逆ギレさせ、 貸金規正法を改正してグレーゾーン完全廃止で悪徳サラ金業者を締め、 「負けたら即引退スペシャル」の重圧下でも重要な選挙に連勝し、 「女系天皇容認」を白紙に戻し、 「日本海」を「平和の海」に改名しようと提案した盧武鉉大統領のアホな要求を見事に拒否し、 人権擁護法案を凍結し日本国民の言論と表現の自由を守って、 国民の大多数が疑問に感じていた「ゆとり教育」の見直しを明記し、 中国への武器輸出禁止解除反対をEUに働きかけて、 在日や凶悪犯罪を取り締まる共謀罪成立に全力をあげた政治家。 (via shinjihi)(peckoriから)
こちらが昭和32年、防衛大学の一期生に吉田茂元首相が贈った言葉です 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。 言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。 どうか、耐えてもらいたい。」
【社会】民進党 「次の内閣」会議で妊娠期からの養子縁組にも道を開く「特別養子縁組の促進等のための児童の養子縁組に関する法律案」を了承 [H28/5/17]  上のスレにもあるようにコレが狙いなのか?
 某国から妊婦が来日   ↓  養子縁組を探す ←←← 戸籍着手   ↓  その間の滞在出産費用を休眠口座金で賄う   ↓  出産したら養子拒否と滞在延長申請 or 背乗り   ↓  本国から家族を呼ぶ   ↓  ナマポ申請   ↓  寄生完了
5月 16, 2016 知り合いの教授が名誉毀損で刑事告訴された。名誉毀損と侮辱罪の違いをその教授が上手く説明してくれた。 「ブスにブス!と言ったら名誉毀損」 「美人にブス!と言ったら侮辱罪」 明快な回答に思わず拍手 裁判になったら傍聴しにいくと約束した。 Twitter / inukikanako1121 (via tkr)(908908から)
5月 15, 2016 太陽光発電モジュールは、火災を起こす ハンダが溶けて外れるぐらいの熱を出している、壊れたソーラーパネルが屋根にのっていたり、屋根に組み込んであったりしても、安全なのだろうか? まあ当然、まったくもって安全ではない。家ごと燃えることもある。国内事例だと消費者庁のサイトに一件だけ公表されているのがあるそうな。欧米では結構ばんばん燃えているらしい。日中燃えると、水をかけることができないので燃えっぱなしになるそうだ。消防士感電しちゃうからね。 太陽光発電は、日光が当たっていると絶対に止められない 家が燃えている時、水をかけたいから発電を止めたい、と思っても太陽光発電はとまらない。光が当たると絶対に電気が出てしまうのだ。原子力発電とは違った意味で、太陽光発電も人間の都合では止まらない。ほったらかした太陽光発電は、安全でも安心でもないのだ。 太陽光発電には安全神話がある (via deli-hell-me)(pgtwitterから)
5月 7, 2016 前も書いたけど日本人は日本が、 ・世界一の債権国で ・世界三位の経済規模 ・世界七位の国土(領海EEZ含む) ・世界十位の人口 を持つ大国だ、ということを忘れがち。そんな国が世界情勢と無縁でいられるはずがない(´・ω・`) Twitter / zakmustang (via netinago99) 世界六位の国土(領海EEZ含む)じゃなかったっけ? http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9410.html(newtonblueから)
5月 4, 2016 北朝鮮の一��の支援国は日本というブラックジョークがあったけど ジョークじゃなくてマジじゃん
30 :名無しさん@1周年 [] :2016/05/02(月) 11:13:55.40 ID:pfrdqC8Q0 (2/3) [PC] >>22 うん、北朝鮮最大の支援国家は間違いなく日本。 パチンコで莫大な送金ジャブジャブ。朝銀の1兆円も踏み倒され、 朝鮮総連の差し押さえさえ出来ない。 技術スパイたちもスパイ天国を謳歌。ホリエモンとかもロケット技術支援。 北朝鮮幹部から「在日を通じて何でも手に入る」と言われる始末。 [北朝鮮] 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)代表団が平壌到着 党大会に参加へ + 核研究で総連系から奨励金受け取る 京大准教授に対北制裁 再入国禁止措置 + 京大内情 | memo (via 774rider) (morisovaから)
5月 5, 2016 とにかく誰かに会ったら『この人が欲しがっているものは何か?』ちゅうことを考えながら接してみい。そして欲しがっていること、求めていることをできるだけ与えるようにこころがけるんや。 夢をかなえるゾウ / 水野敬也 (via ebook-q) (toufuから)
5月 6, 2016 学生時代にWILLFUという起業スクールに通い、次のことを教わった。 1:Said≠Heard 言ったからといって、聞いてもらえたわけではない。 2:Heard≠Listen 聞いてもらえたからといって、聴いてもらえたわけではない。 3:Listen≠Understood 聴いてもらえたからといって、理解してもらえたわけではない。 4:Understood≠Agreed 理解してもらえたからといって、賛成してもらえたわけではない。 5:Agreed≠Sympathized & Convinced 賛成してもらえたからといって、共感し、納得して行動したいと思ってもらえたわけではない。 ※参照:WILLFUでもらった資料 「伝えたつもり」では伝わらない。足りないのはテクニックではなく「回数」だった。 | Books&Apps (via mayumiura) (hirofusから)
5月 3, 2016 誰かの考えを変えようと思うのなら、人が憧れるような、考えを改めるような物語を最初に見せることです。 物語が世界を支配している。というのはネイティブアメリカンの言葉ですが、人を動かす憧れの源泉は確かに物語だと思います。 良い物語をきかせてあげてください。以上説明終わり。 Twitter / siva_yuri (via ryuuya)(quote-over100notes-jpから)
5月 3, 2016 同国との付き合い方について「理由なく謝れと言われたりカネを払えと言われたら、粛々と無視する。すると相手が勝手に自壊するので、それから付き合うのが正しい」と訴えると、会場からは大きな拍手が湧き起こっていた。 【韓国発狂】産経の加藤達也氏が韓国人との正しい付き合い方を伝授してるぞwww 2ch「素晴らしい!!」「経験者が語ると説得力あるな」 - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via 774rider)(the-man-of-justiceから)
5月 3, 2016 容姿端麗な14歳の王女が、目の前で勃発している戦争に対して「私も国民と戦います!」と軍服を着て軍需工場に通い始めて、3トントラックを駆りながら輸送人員として戦いだしたら、そらもう国民総決起しますよね。物語のヒロインのようですが、今のエリザベス女王2世のことです。 Twitter / bgizu (via ffftp)(yokokickから)
5月 3, 2016 機会には二種ある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。世間でふつうにいう機会は前者である。しかし真の機会は、時勢に応じ理にかなって我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、機会は我々が作りださなければならない(西郷隆盛)balance-meter:
5月 3, 2016 思想弾圧の手順なんて既にマニュアル化されてて 1.エログロなどこれは駄目だろうと思うものを規制する 2.社会全体に「理由があったら規制していい」という空気をができる 3.適当な理由で表現を規制していく 国民が馬鹿ならこのパターンを使えば100%楽勝で思想弾圧できる これに対して現代の国民が取った対策が「どんな理由があれど何一つ規制させない、そもそも空気を作らせない」というもので、これが「表現の自由」の存在理由なんだよ。これを守らないと何百万人と死ぬから、数万単位の生き死には含み損にしようという考えであって、別に人道主義でやってる訳じゃない https://twitter.com/satetu4401/status/681273081529147394 https://twitter.com/satetu4401/status/681274836857913344
(via mug-g)
(dotnukeから)
5月 3, 2016 あらゆる人間関係のトラブルは、他人の課題に土足で踏み込むことにより起こります アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉 / 小倉 広 (via ebook-q) (nashi-kyoから)
5月 3, 2016 中国人民解放軍中枢の日本自衛隊に対する認識の程度がわかる資料があります。 軍事委員会のやりとりの中でのQ&Aです。 Q....この映像(12年度自衛隊総合火力演習)は本物かね。 A....本物です。各国武官と一般日本人を対象とした公開演習です。 Q....空砲を使って何か細工をしている可能性は? A....ありません。これは実弾演習です。 Q....10式戦車と我が軍の戦車の能力差は? A....比較ができません。 Q....劣るというが、同等あるいは追い越すのに5年程度はかかるということかね。 A....はっきり申しまして、5年では無理かと思います。 Q....この戦車の砲はドイツ製と聞いているが国産率はどの程度なのか? A....100%日本国産です。 Q....我が国は兵器スペックを公表していないが日本は公表している。その信頼性は? A....最低100%。ほとんどがそれ以上です。 Q....青島出港の原潜が帰港まで全てチェックされていたというのは事実か? A....出港直後はわかりませんが事実です。 Q....我が国の潜水艦潜航深度は300m。日本は? A....現状配備600m。来年進水のそうりゅう型は800mと聞いております。 Q....ソナーの探知能力は? A....約20㎞~30㎞。日本は200㎞~300㎞程度と推測されます。 Q....魚雷の速度は日本の3倍だそうだが。 A....その代わり射程が15㎞程度で、日本は有線誘導魚雷でも40㎞以上です。 Q....魚雷に関して他にあるか? A....探知能力に差があり、かつ日本の魚雷は深深度魚雷です。けんかになりません。 Q....現状で日本潜水艦に対抗できるか? A....まず難しいかと......。 Q....水上艦艇はともかく、戦時に潜水艦の第一列島線突破は可能か? A....たぶん(無理かと)......。 Q....南シナ海への原潜展開について問題はあるか? A....空は監視衛星。海はケーブルセンサー網です。......。 Q....日本は監視衛星なんかもっていないだろう。 A....表向きはそうですが、すでに情報収集衛星は運用しています。   Q....我が国と比較して、その衛星の能力、精度はどの程度か? A....少なくとも100倍以上はあるかと....。 Q....具体的に説明してくれ。 A....光学5号の分解能はおそらく30㎝程度。米の軍事衛星と同等レベルでしょう。 Q....5年で追いつけるか? A....たぶん(無理かと).......。 Q....ケーブルセンサーというのはいったい何だ? A....海底電信同軸ケーブルです。現在は海底津波地震ケーブルとして運用されてます。 Q....そんなもの南シナ海の原潜展開にどんな影響があるのか? A....取り付けの6種類のセンサー情報は機雷、水上艦艇、航空機とリンクしています。 Q....その範囲は? A....日本海、東シナ海、南シナ海、インド洋、西太平洋全域です。 Q....知るところ、中国にこのシステムはない。なぜなかったのか。 A....必要がなかったからです。 Q....南シナ海のような深い海で機雷敷設など不可能だろう。 A....日本の機雷は深深度機雷です。少なくとも5000m以上の深度に対応できます。 Q....日本の戦略として海上封鎖は当然予想される。機雷封鎖には何ヶ月程度かかるか? A....日本海から南シナ海まで1000基程度ならば1日で終わるでしょう。 Q....戦争となれば地勢的に制海権確保は必須である。それができないということか? A....困難かと.....。 Q....空軍の比較だが優劣の評価は? A....個々の戦闘機の能力は別として評価すると明らかに劣勢です。 Q....具体的には? A....索敵システムとレーダーの能力、ミサイルの能力が比較になりません。 Q....ミサイルの1000発飽和攻撃というが、実際に可能なのか? A....(無言)......。 Q....中国全核基地において日米に気づかれずに核ミサイル発射準備は可能か? A....24時間監視されている。まず不可能だ。 Q....日本が対中国戦に核武装を決断した場合、抑止力レベルまでどのくらいかかるか? A....報復攻撃ならば、メガトンクラス10基に約3ヶ月程度でしょう。 余命3年時事日記:So-netブログ (via hapirai) (onibi-onibiから)
5月 3, 2016 わからない人のために解説。 若者の死因で自殺がトップになるのは,若者が「事故・病気・犯罪で死なない」から。平和だと自殺くらいしか死ぬ原因がない。 他国ではカーチェイスで死んだり,薬物に逃避して濫用で死んだり,犯罪に巻き込まれて死んだりしてるのだが,それを目指してどうするんだと。 Twitter / eis_baerchen (via shinoddddd)(y-kasaから)
5月 3, 2016 任天堂の岩田前社長が残した言葉 「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと」 感情的な人間が陥りがちな努力主義・苦労主義をぶっ飛ばす冷徹で理知的な言葉だと思います つまり、人は苦労して何かを身に付けると、それにすごい価値があると思い込みたがります。 でも実は自分は何気なくやってるけど他の人は結構苦労してる物があって、それこそが「金になる」本物のスキルだということです。 えいす|学園祭G-15_ド嬢本さんのツイート (via hutaba)(chartercourtから)
5月 4, 2016 人生を幸せに生きるためには、3つのものが必要です。 自分で変えられないものを受け入れる強さと、 変えられるものを変えていく勇気と、 その違いを見分ける賢さの3つです。  『20代にしておきたい17のこと』     (via mmgen)(mr-moaiから)
4月 30, 2016 山田氏は常々、「部下というのは『自分は評価されていない』『上司が無能』『部署にチームワークがない』など、必ず『何かしら不満』をもっているものや」と話していた。よって上司の仕事は、部下の不満につねに耳を傾け、できる範囲でそれらを少しでも減らすこと。それができれば、部署全体の生産性アップにつながる――。それが山田氏の持論だった。 楽園企業は「バカ管理職」にはとことん厳しい | 日本一“社員”が幸せな会社の「うらやましすぎる真実」 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
そもそもの問題として管理職が「管理」するのは部下じゃなくて仕事だという話なのに、部下を「管理」するんだと勘違いしているのが起点なんじゃないかなあ。
(via yoosee)
(gpx250r-ninjaから)
4月 27, 2016 俺は外国に出て気が付いたことがある。 日本人は必ず、どんな相手でも精神的に距離を置く。 身内の、親とか兄弟とかでさえ、距離を置いてるよ。 理由は知らないが多分、日本人の民族性だろうね。 これは外国人と親しくならないと気が付かない。 外国人は1度親しくなると、もの凄く精神的に入り込んでくる。 心の距離が凄く近い。 ここまで相手に入り込んでい来るのか?って驚くよ。 ただ、そういう親しい関係ってのは、相手が否定しだすと壊れるんだね。 日本人が精神的に一定の距離を置くのは、相手に否定されても ギリギリの所で関係を維持する保険のようなものだって理解してる。 外人とは1度関係がこじれると、身内ですら関係断絶されかねない。 外人は距離を置いて関係を維持するっていう事が出来ないからね。 http://copipe.cureblack.com/c/29684
4月 26, 2016 トヨタには「人を責めずに、しくみを責めろ」という言葉があります。  作業者が失敗をしても、個人攻撃をせずに、しくみが悪いと考えるのです。 トヨタ 仕事の基本大全 (中経出版) / (株)OJTソリューションズ (via qsfrombooks)
4月 25, 2016 外交にはカードが必要です。そんな事も分からない人は、予算しか見ない。日本とトラブルを起こしている国々は、外交に軍事力を使ってるでしょうが、そんな事もわからんのか?と問いたい。 「軍事力 カード」 これは戦争をするために持つものではなく、戦争をしない、その前の侵略をさせない。攻めこませない為に持つカードなんです。 切るべきカードもないのに相手と対等に外交交渉が出来ますか?
自衛隊がなかった時に、韓国が竹島を日本から奪ったんですよ。 自衛隊があるから、中国は尖閣諸島を奪えないんです。
予算を削って自衛隊を縮小している集団は売国奴だと言っているのはソコ。 「経済力カード」「軍事力カード」の両方を捨てろと言ってるんです 誰得ですか?考えれば分かるでしょ。日本の弱体化を狙っているんです。 25DD 新型5,000トン型汎用護衛艦|子供には読ませられないブログGIGO (via 719043) (元記事: jackrose (billmenhanakoから))
4月 21, 2016 これ読んでも分からんのならオレは風呂入る。 シナは領土の拡大を狙っている。 そしてアメリカのポジションを欲しがっている。 そしてシナは朝鮮半島を手に入れたいと思ってる。 北はシナの子分みたいなもんだから、ずばりキーマンは『韓国』だ。 すてに工作が進み韓国はどんどんシナに取り込まれている。 『安全保障はアメリカへ、経済はシナへ』が韓国の立ち位置だ。 すでにここまではシナの思惑通りになった。 そうなると次にシナは韓アの安保が気に入らない。 そして反米工作員を使い徹底的に反米、在韓米軍基地にデモをかけ、2015年7月に在韓米軍基地の撤退が決定した。これは韓アの安保が終わるという事だ。 シナは韓国を取り込み、まず朝鮮統一を図る。そして「中国領朝鮮自治区」となる。 日清・日露戦争がなぜ起きたか知ってるか?わからんならクグれ。 「第二次日清戦争」の脅威が目の前にあるんだ。 そうなる前に、芽を摘む為に、アメリカは日本に集団的自衛権の容認を急いぎシナに牽制したんだ。 これでも分からんなら池上彰に聞いてくれ。 集団的自衛権について真剣に議論したいんだ : 大艦巨砲主義! (via tamejirou)
4月 22, 2016 「オスプレイ、お前だったのか、今まで物資をくれたのは」オスプレイはこくりと翼を動かしました。反対派はぱたりとレーザーポインターを落としました。緑色の光線が、筒先からまだ出ていました #オスプレイ文学 ヤトー・M・エイブラムスさんはTwitterを使っています
4月 22, 2016 「来てもよい頃だろ、来いよモテ期!」って回文、「ロリコン外科医いい加減懲りろ」「世の中ね、顔かお金かなのよ」くらいの完成度を感じるな。すごい。 Twitter / 極東極楽 (via ssbt)
4月 19, 2016 日の丸への寄せ書きなどの注意事項 真ん中の赤い部分には何も書いてはいけません 名前を書くときも 最初の文字が赤い部分に触れてはいけません、にじんで赤い部分と接しないように離して下さい 漫画などで セリフなどが重なったり視覚効果を狙って日章旗の上に文字が描かれたものもあるかもしれませんが 実際の寄せ書きなどで 赤い部分に触れるのは畏れ多いとしてしなかったものです 知らなかったのなら仕方がありませんが 皆さんに知らせていただきたいです 米国から送られた寄せ書きでさえ 真っ赤な部分には触れずに書かれているのに 日本人がその事を忘れてしまうのはあまりにも悲しい事です 今日は敬老の日です。 「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日です。ニートな2ちゃんねらー日記 (via shima-ken)(nandemo812から)
4月 19, 2016 多くの中国人や韓国人がアメリカに移住したがるのは、それだけ中国や韓国が住みにくい国だからで、アメリカに住みたがる日本人が少ないのは、日本がアメリカなんかよりずっと住みやすい国だからです。 本来は喜ぶべきことなのに、それについて文句をいうなんてどうかしてます。 私はこのマキハラ・クミコという女性についてよく知りませんが、アメリカの新聞に英語で寄稿できるくらいだから、過去、アメリカに滞在した経験があるのでしょう。 彼女は離婚したシングルマザーだそうですが、別れた夫はアメリカ人だったんじゃないでしょうか。 彼女の文章を読んでいると、日本人であるにもかかわらず、アメリカ男と結婚していることで、自分がアメリカ人になったような気分になって、 上から目線でエラソーに日本人に説教を垂れる、欧米コンプレックス丸出しの外専オンナの姿が浮かんできます。 しかも彼女はそれを日本人に対してではなく、アメリカの新聞読者に向けてやっているわけで、相当、屈折しています。 人種差別の本場ともいうべきアメリカの地方新聞にわざわざ寄稿して、どうでもいいような日本人の外国人に対する偏見(?)の例を取り上げて、 日本人は人種差別主義者だと糾弾しているんですから、テキサス親父が呆れるのも無理はありません。 via ジャックの談話室 : アメリカの地方新聞に日本批判記事を書いている日本人女性 (via twinleaves)(kabakenから)
4月 19, 2016 特別な権利を略して特権といいます。 >三重で在日の住民税が半額 どう見ても特別な権利(特権)ですね。 http://gensen2ch.com/archives/58118216.html 東京新聞記者「三重で在日の住民税が半額なのは在日特権ではない。野間さんの本は素晴らしいから読んでください」 : 厳選!韓国情報 (via worldwalker2)(nerazurinerazuriから)
4月 19, 2016 日本人「日本では格差が開く一方だ」 インド人・ブラジル人・中国人・アメリカ人「はあ?スラム街ってあるの?親が子供の臓器を売ったり売春強制したりしてる?本当の貧困を見に来る?」 “自虐”日本に驚く世界のエリートたち ――日本人の自国批判で傷つく人も|田村耕太郎の「坂の上に雲はない!」|ダイヤモンド・オンライン (via jinon)(windsockから)
4月 19, 2016 ヤクルトは(故)代田稔博士がラクトバチラス・カゼイ・シロタ株という乳酸菌の育種に成功したのが起源です。 以来、派生商品はあれど、この1株に注力して商品開発をしてきた故のブランド力ですね。 この株は、正式には、Lactobacillus casei という種類の乳酸菌から、最もエリートの1株を純粋培養し、育て上げたものです。 ちなみに、ピルクルの菌もLactobacillus casei のNY1301株という乳酸菌。同じ種類で違う株ですね。 同じ種類で違う株… 人間もHomo sapiensという種類の生物ですが、頭脳や運動能力に大きな幅があります。人間でいえば、我々一人一人が『株』です。 微生物の『株』にはこれ以上の差があるのです。同じ種類でも、食べるものが全然違ったりします。 人間で例えるなら、 『おれは酸素で呼吸するけど、お前は無酸素でも土を食えば生きていけるよね』 くらいの差があったりします。 『株』のバリエーションはハンパないのです。 話を戻します。ヤクルトのシロタ株で現在解明されている主な健康効果ですね。 まず、機能性ヨーグルトでメジャーな効果は網羅しています。 プロバイオティクス、免疫向上、便秘解消、悪玉菌減少、ビフィズス菌増加… このあたりはヒト試験で豊富なデータが発表されています。 加えて… (マウス)免疫細胞の活性化によるインフルエンザウイルス感染の耐性向上 (マウス)ピロリ菌の増殖抑制 (細胞)免疫細胞(NK細胞)の活性化によるガン化抑制 (細胞)抗腫瘍、腫瘍転移の抑制作用 (細胞)シグナル伝達制御による腸管炎症の改善 などが動物実験、細胞レベルでは解明されているのです…。 まぁ、乳酸菌の最前線で研究していた身で言えば、 ヤクルトの乳酸菌はガチ ってことです。 乳酸菌のプロが本気で『ヤクルトとピルクルの違い』決定版を作ったよ - レコメンタンク (via junmyk) (awordlikealeafから)
4月 19, 2016 drhaniwa: この大風でシートを張らなければならなくなったりしていませんか? また、被災地では様々な理由で雨が降っていても、建物の中にも車中にも身を寄せることができない方もいらっしゃるんですね。 雨をしのぐ際にブルーシートは定番のツールなのですが、シート自体のハトメに紐やロープを通し、何かに固定することが多いと思います。ところが風が吹きシートがあおられると、このハトメって非常に弱くすぐに破れてしまうんです。 紐を使用しての比較的強いブルーシートの張り方の一部をご紹介します。板などでシート自体を抑え込めなかったり、土のうが載せられない現場でこういうやり方をよく行います。 1.シートのどこでもいいので、小石等(崩れないものなら何でも)を使い、てるてるボーズの要領でコブを作ります。 2.そこ(くびれた部分)を紐やロープで絞め込むだけです。 簡単でしょ!しかもハトメのピッチ(穴の間隔)にこだわる必要がないので、シートのどの部分でも引っ張れますし、ガッチリとその現場の状況にあった張り方ができるはずです。 一度お試しください。 (Facebook)drhaniwa:
4月 19, 2016 普通の商売では S社の5万のパソコンがある N社の5万のパソコンがある どっちも仕入額は4万で、1台売れると量販店のC社は1万儲かる。 土日でパソコンが50台売れるとすると50万儲かる。 この儲け方を純利益と呼ぶことにする(本当は全然違うけど、ここではそうします)。 この50万円を目指すだけだったら、 S社が25台売れてN社が25台売れても良いし、 S社が49台売れてN社が1台売れても同じ。 こんなことやってたら量販店は儲からない そしてなによりメーカーも嬉しくない。←ここが重要。 いつまで経ってもシェア拡大ができないからだ。 インセンティブを出すメーカーが登場する そこでS社が「土日の2日間でうちのパソコンを51台売ってくれたら追加で200万円C社さんに支払います」という。 メーカー(この場合はS社)が一番欲しいのはシェアであり、S社のパソコンを使っているお客様が世の中に増えることだからだ。 量販店��お客様に幾らで売ろうが知ったことではない。重要なのは、お客様が買ったパソコンが「S社製」であることだ。 そうすることで、そのお客様はテレビもスマホもS社製を選んでくれるようになるからだ。 その為にこの200万円は惜しまない(この200万円の呼び方は色々あるが、ここでは「インセンティブ」とする)。 「店員のオススメ!」の裏側 こうなると量販店側では、店員が必死になってS社を売る。 もちろん店頭には「店員のオススメ!」って書いてS社のパソコンを並べる。 N社のパソコンでは到底やらないような価格交渉も、もう一押しでS社のパソコンを買ってくれそうなお客様が相手にだったら凄まじく応じる。 なんなら仕入額4万のパソコンを39,800円にしちゃったりする。 もはや45台目くらいから、純利益なんてどうでもよくなっている。 S社が25台売れてN社が25台売れても50万の儲け、 S社が49台売れてN社が1台売れても50万の儲け、 S社が50台売れてN社が1台も売れなくても50万の儲け、 ここまでは同じ。 ただし、S社の51台目が売れるときは一気に250万の儲けになる。 この51台目はお客様との値引き交渉の末、3万で売ってしまっても(つまり1台分赤字にしても)、200万円のインセンティブと相殺して有り余るお釣りがくる。 そういうわけで、インセンティブの条件を達成できそうな見通しが立ち始める45台目くらいから、店員の方が「超絶値引きますから“今日“買ってください」ってテンションになってくる。 お店に入ってS社のパソコンを眺めているだけで、いきなり店員の側から「これ今なら値引きできますよ」って声を掛けてきたりする。 量販店はインセンティブで儲け��いる 量販店の店員の給料は、ほとんどこっちから出ている。 純利益なんてのは比にならないくらい、インセンティブで儲かるのだ。 さらに言えば、この条件下では S社のパソコンを4万円(=純利益0円)で、 N社のパソコンを5万円(=純利益1万円)で、 それぞれ店頭に並べてしまってもいい。 S社のパソコンは50台目までは儲けがゼロだが、51台目が売れた瞬間、インセンティブの200万円が入る。 つまりN社のパソコンを200台売ったのと同じだけ儲かるのだ。 5万のパソコンを土日とはいえ2日間で200台売るのは難しい。 20人の店員を雇ってN社のパソコンを200台売るより、5人の店員を雇って「1万円安いS社のパソコン」を50台売る方が遥かに効率が良いし、人件費も抑えられる。 (もちろん、さすがにこんな極端なことはしないが) そして、次の土日にはこうなる。 S社「先週はありがとうございました。申し訳ありませんが今週はインセンティブ出せません。」 N社「土日の2日間でうちのパソコンを51台売ってくれたら追加で200万円C社さんに支払います!」 そうして、量販店では週ごとに「店員のオススメ!」が違うメーカーのパソコンになるのである。 なぜ家電量販店で凄まじく値引ける(ことがある)のか教えてやる (via junmyk) (tk1024から)
4月 19, 2016 不要なもの一覧 1、千羽鶴・応援メッセージや寄せ書き 2、成分表が読めない海外食品(アレルギー成分がわからないため) 3、冷凍食品(冷蔵庫が使えないため) 4、保存食以外の食料(缶詰・瓶詰・カップ麺も賞味期限が切れたものは不安) 5、古すぎる古着・洗濯していない毛布・布団・下着など 6、自分で食料などを確保できないボランティア 今だから言える「要らなかった支援物資」 - 東日本大震災【第二の災害】 - NAVER まとめ (via prodigalboys)
南京大虐殺があったことは世界の常識です。 http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1274985931/
8 :Ψ:2010/05/28(金) 03:55:43 ID:14GPSzOZ0  久しぶりだなテンプレもはっておけよ
  「確かに有った。で?どれのこと?」   548年 東魏の降人侯景、南京(建康)を陥落、徹底的破壊され大虐殺。   589年 隋、陳の南京(建康)を陥落、徹底的破壊。大虐殺。   618年 隋の煬帝、南京(江都)で殺害され、南京大虐殺。   907-960年 十国五代時代 戦乱で南京(金陵)大虐殺続発。   1273年 元軍、南京(建康)攻略略奪、南京大虐殺。   1368年 朱元璋、南京(金陵)攻略、南京大虐殺。   1645年 清軍、南京乱入略奪、南京大虐殺。   1842年 英軍、南京突入、南京大混乱。    1853年 太平軍、南京乱入。腐敗清軍南京略奪。   1862年 ウォードの常勝軍、南京(金陵)乱入。南京大虐殺。   1864年 曾國軍、南京乱入。南京大虐殺。   1911年 辛亥革命、南京略奪。   1927年 国民党の国民軍、南京占領。南京事件。   1949年 中共軍、南京乱入、資本家の財産強奪、国民党員金持ちを大虐殺。
420 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 01:17:36 ID:iFmU0EF3
  「健全な精神は健全な肉体に宿る」は誤訳   本来は「美貌とか富とかは誰もが欲しがるけどトラブルの元にもなるから、   願うなら心身の健康くらいにしておきなさい」というような文脈だった
  「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は   人類平等を説いてるわけではない   本来はその後に「~と言えり(と言われている)」と続き、   「でも現実には利口な人がいればバカもいる。貧乏人がいれば    金持ちもいる。その違いを生むのは学問の有り無しである」と   書かれているから『学問のすすめ』   学校ってウソばっか教えるよなー
4月 10, 2016 女性を喜ばせる方法 * 食事を一緒にする * 一緒に飲む * 電話をかける * ハグする * 抱きしめる * サプライズを用意する * 褒める * 笑いかける * 一緒に笑う * 一緒に泣く * 寄り添う * 一緒に買い物をする * 花を買ってあげる * 手をつなぐ * ラブレターを書く * 世界の果てまでいって彼女の元へ戻ってくる らばQ : これでバッチリ、異性を喜ばせる方法 (via rm233) (via usaginobike)
携帯電話やスマートフォンで情報を収集し、知人と連絡を取りつつ欧州へ逃れる難民の人たちの映像に「難民がスマホを持っている」と驚かれる方が多いようです。しかし実態は逆です。難民がスマホを持っているのではなく、携帯やスマホをもって、欧米先進国と同様の生活していた人たちが、難民となったのです。 視点・論点 「シリア難民問題と日本」 | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス Source: nhk.or.jp
メーカーではおおむね、高卒→製造現場、高専卒→製造寄り技術(検査とか)、高専専攻科卒→設計と製造の間(品証とか)、大卒→設計、修士→開発、博士→研究 みたいな学歴による配属先の振り分け方がある、ってことを中学生に教えたい。 Twitter / OjohmbonX (via chptr22)
4月 6, 2016 事前に入念に調査を行い、避難所で真に必要とされている物を用意した。主な物資はおむつ、女性用ナプキン、トイレットペーパー、ウェットティッシュといった紙製品。靴下、下着、トレーナーといった衣類。ミネラルウォーター、あられ、菓子パン、カップ麺といった食品。マスク、タオル、歯ブラシセット、綿棒といった衛生関連用品、等々だ。 【拡散】東日本大震災で民主党が逃げ回ってる間、安倍首相が何をしていたか知っていますか?たった3人で動き出した安倍 晋三。マスゴミは総スルーだった : まとめ安倍速報 記事の内容云々じゃなくて、備忘録として(via irregular-expression)(the-man-of-justiceから)
4月 7, 2016 ある人が古くさい高級腕時計メーカーの社長になったとしましょう。 その新社長は、会社の資料ひっくり返して、大昔に作った限定品とか、持てる技術を注ぎ込んだ一品物とかの 資料を探すんです。 で、これはと思った物を見つけたら、その持ち主を探偵とかに頼んで捜すんですね。 それで運良く持ち主の高級腕時計コレクターを見つけたら、売ってくれ、とは頼まないんです。 オークションに出してくれ、と頼むのです。 そしてオークションに出されたら10億円とかスゴイ値段で落札するのです。 もちろんそれは世界中で大ニュースになりますよね。 史上最高額の腕時計!と。 10億円元の持ち主に払いましたが、あとはただで自社を宣伝してくれるのです。 そしてその後、その落札した高級腕時計のレプリカを、500万円で限定500セットとかで売り出すのです。 世界中でニュースになった物なのに、たった500セットなら簡単に売り切れますよね。 で500万円×500セットで、25億円懐に入るのです。 さっきの10億円の投資は回収できましたね。 ブランドとは歴史や伝統が作る物、ではないのです。 こうやってステマっぽいやり方ででっち上げる物なのですよ。 過コピペ@2ch タブーかもしれないコピペ集 披露宴でのタブー 他 (via growmoss) (元記事: kakopipe.blog38.fc2.com (gearmannから))
4月 7, 2016 また「仮に差別語ではないとしても、人が嫌がる呼称をわざと使うのはよくない」などと もっともらしいことを言う人もいますが、シナ人が嫌がっているというのも非常に疑わしい話です。 上に示した通り、シナは世界中の国々からシナもしくはその変形で呼ばれているのに、 なぜそれらに対して抗議をしないのでしょうか。 そもそも中華人民共和国の英語名は “People’s Republic of China” で、 シナ政府自身がつけた呼び名です。 これを日本語に訳すなら、「シナ人民共和国」になる事は言うまでもありません。 2002年、シナの巨大ポータルサイト 新浪(sina.com) に対して、 日本に留学経験のあるシナの学者が抗議をしたことがありました。 「sina は日本による差別語だから改名するべきだ」と言うおなじみの主張です。 その時 sina.com の代表者は 「シナは英語のチャイナ(China)の過去の発音で、それ自体に侮辱の意味はない」と言って拒否したそうです。 さらに続けて、「sinaを世界のブランドにし、シナ人が誇れる呼び名にする」と言ったそうです。 至ってまともな意見です。 大体シナを「差別語」だと主張する人達は、日本にいて日本のマスコミの報道に接した人が多いようです。 もしシナにいるシナ人が sina.com の名称を嫌がっているとしたら、 わざわざ日本に留学した学者に指摘されるまでもなく、最初から大騒ぎになっていたはずですし、 間違っても人気サイトなどにはならなかったでしょう。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (hustler4lifeから) 43 リアクション 4月 7, 2016 結局第二次大戦後、シナは満州国をまんまと自分のものにし、 日本が多額の投資をした満州の産業をも手に入れました。 しかしそれまで満州は、歴史上ただの一度もシナの支配下になったことはありませんでした。 それなのに満州国の建国を助けた日本は、いつのまにか「中国を侵略した」ということにされています。 その後シナは、モンゴル人(一部は独立)、ウイグル人、チベット人に対する侵略、抑圧、虐殺を繰り返し、 それらの地域に大量のシナ人を流入させて「民族浄化」を推し進めています。 シナ政府はこれらの地域で起きていることをひた隠しにしてきましたが、 亡命した人々が世界中で声を上げるにつれ、 次第に世界の人々もそこで何が起きているかに気づき始めました。 シナ政府は世界からの批判に対して「内政干渉だ」と言って反発していますが、 本来これらの国々は、清が倒れた時に満州国のように独立するべきでした。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (dormouse0から) 40 リアクション 4月 7, 2016 日本の山陽・山陰を合わせた地域を中国と呼ぶ歴史は非常に古く、 『類聚三代格』の元慶二年(878)二月三日の官符の記録に既に見られるということですから、 少なくとも千百年以上の歴史があります。 一方、一般に日本人がシナを「中国」と呼び始めたのは戦後の事ですから、 まだ60数年の歴史しかありません。 また「中国」と呼び始めた時点で、中華民国(建国1912年)はまだ三十数年の歴史しかなく、 中華人民共和国(建国1949年)に至っては存在すらしていませんでした。 ということは、千百年以上も在り続け、使われ続けて来た日本国内の由緒正しい地名を脇に押しやって、 海外にある新興国の略称を優先させていることになります。 なぜこんな不自然な事が起きてしまったのでしょうか。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (pipcoから) 50 リアクション 4月 7, 2016 それにしてもマスコミの力は絶大でした。 ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われ、 過去の戦争の名前までもが、 例えば「支那事変」は「日中戦争」にという具合に書き換えられました。 その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、 日本人がそう呼んでいたかのように触れ回りました。 つまり単に国の呼称が変えられただけではなくて、歴史全体が書き換えられたと言ってよいと思います。 このような洗脳により、最近まで日本人がシナをシナと呼んでいた事も歴史から消し去られて しまいました。 それでも個人の中にはいまだにシナと呼ぶ人はいるのですが、 マスコミがこぞってシナを強引に「中国」と呼び続けるものだから、 逆にシナと呼んでいる人達の方が、何か特別な意図を持った人のように思われています。 シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 (via gkojax) (dormouse0から)
「大和心への回帰」大和心さん 「昼寝ネコの雑記帳」昼寝猫さん 「待ち望むもの」豆腐おかかさん 「春、不遠。~はるとおからじ~」花菱さん 「神州再生を願うブログ」信濃太郎さん
4月 4, 2016 もし今の仕事が嫌で嫌でたまらない人は、もしかしたらその場所が本当はあなたに合っていないのかもしれない。そんな人には、昔どこかの本で読んだ、リンカーンだかフランクリンが言った名言を送りたい。 『もしあなたが、やけに銃弾が飛んで来るなと感じているなら、それは立っている場所が間違っている』 「仕事は楽しいか?」は愚問である。なぜブロガーは会社を辞めさせたがるのか? - さようなら、憂鬱な木曜日 (via namimory)(gallianoから)
4月 4, 2016 さまざまな経験を踏まえて、相手と波長の合う場合は交流し、そうではない場合は交流しないようにするのです。きわめてシンプルですが、人付き合いにおいて私はこれ以外の物差しを持たないようにしています。 悩まない / 矢作 直樹 (via pan-no-mimi)(元記事: ebook-q (it-shine-readingから))
4月 4, 2016 ウォーレン・バフェット曰く、
「時代遅れになるような原則は、原則ではない」 「私は76歳になった今も、19歳の時に本で読んだ考え方を実践している」 「ビジネスの世界で最も危険な言葉は、“他の誰もがやっている”だ」 「集団の中から飛び抜けた投資実績は生まれてこない」 「辛抱強さや冷静さは、知能指数より重要かもしれない」 「最も重要なのは、自分の能力の輪を大きくすることではなく、 その輪の境界をどこまで厳密に決めるかである」 「事業の多角化は無知を隠す1つの手段だ」 「どこかの会社がコスト削減に乗り出したというニュースを聞くたびに、 この会社はコストというものを理解していないと思ってしまう。 コストの削減は、一気にやるものではないからだ」 バフェットの名言 - 知識・教養ライブラリー - Yahoo!ブログ (via orekane)(1kanから)
4月 4, 2016 世の中にすきな人は段々なくなります、そうして天と地と草と木が美しく見えてきます。 夏目漱石『書簡』(大正三年三月二十九日、津田青楓宛) - つれづれ (via ginzuna)(80236から)
4月 4, 2016 「すべきこと」の選択肢がほぼ無限にある現代では、むしろ自分の価値観に照らした上で「しないこと」を決めていくことが非常に重要になってくる。現代において何かをしないと決めることは、何かをすると決めることと同等、あるいはそれ以上の価値がある。 何かをしないと決めることは、何かをすると決めるのと同じ価値がある――『しないことリスト』 - 脱社畜ブログ (via rancorcool)(rancorcoolから)
4月 5, 2016 ヘブライ語、英語、フランス語、スペイン語を話すイスラエル人に 「日本人は外国語を習得するのが苦手なんだよね」 と話したら、マルチリンガル人曰く 「日本は国がなくなる心配がないからね」 と返されました。 なんとなくですが、政情が落ち着かない国の人々はバイリンガルの人が多い感じがします。 バイリンガルな子供は「頭がいい」? | スラッシュドット・ジャパン サイエンス (via gkojax)(dormouse0から)
4月 5, 2016 労働とは商品である。資産を持たない人が変わりに労働力を商品として売るのだ。 それを投売りで、まして無料で売る事が以下におかしい事か日本人は理解してない。 って経済学の教授が言ってた。ちょっと感動したからよく覚えてる。 すくいぬ 日本の労働環境クソすぎワロタ (via gkojax)(mg360sから)
堀江 社会にそぐわないのは、よくないという強い思い込みがある。というかそもそも、学校なんて社会じゃないんですけどね。あんな小っちゃなコミュニティのなかで認められなくても全然、困らないのに。でも、そういうことは誰も言ってあげないんですよ。
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lubitelecaster2 · 5 years
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韻、偶然性、並行世界 ーー相対性理論の歌詞における主体性の変容と分離
 はじめに、相対性理論という音楽ユニットについて少し説明をしておく必要がある。ここで取り上げる相対性理論とは、アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)によって提唱された物理学における理論のことではなく、2006年に日本で結成されたポップミュージックユニットのことを指す。結成当時は四人組のバンド編成であったが、現在、当初のメンバーとしてはやくしまるえつこ(Vo)と永井聖一(Gt)のみが所属し、他メンバーは入れ替わったりパートの数を増やしたりしながら活動を続けている。
 結成時から一貫してユニットの中心人物として存在しているのがボーカル担当のやくしまるえつこである。初期(1stアルバム『シフォン主義』(2007))の頃にはメンバー全員で作詞作曲を行なっていたが、初期メンバーであった真部脩一(Ba)と西浦謙助(Dr)の脱退以降(4thアルバム『TOWN AGE』(2013)~)、ほとんどの楽曲の作詞作曲を手がけるようになる。2009年以降、やくしまるはソロ活動も積極的に展開しており、他アーティストへの楽曲提供や共同制作などを精力的に行なっている。
 以下では相対性理論による楽曲の歌詞における「主体性の変容と分離」という点に注目して論を進めていく。特に本稿ではやくしまるの作詞に焦点を当てて考察を行う。2ndアルバム『ハイファイ新書』(2009)以降、彼女は作詞作曲時の名義をティカ・α、あるいはTica・αに変更しており、やくしまるえつことは別の人格を設定している。その名義の使い分けと彼女の歌詞における主体性の問題は、同期的なものとして考えられるからだ。
 
◇エイドーロンーー”idol”の語源的考察
 以下では具体的な楽曲を取り上げてその歌詞の構造を分析していく。本節では『TOWN AGE』から、三曲目の「YOU & IDOL」という一曲を中心に見てみよう。
相対性理論『YOU & IDOL』MV https://www.youtube.com/watch?v=FYtBA-1eXhE
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【サビ】 あなたそれはYOU 有名人なの
     わたしそれはI 愛のラビリンス
【A】   気づかないような気づいてるような
     勘違いかな本当かな
     キスしたいなら貢いじゃってね
     段違いな夢 見せてあげるわ
【B】        好き・嫌い・好き・嫌い・好き・嫌い・好き・嫌い・好き
                  好きみたい・好きじゃない・好きって何だろう
【サビ】 あなたそれはYOU 優柔不断な
     わたしそれはI 愛の戦士な
     あなたそれはYOU 憂鬱気取った
     わたしそれはI 愛のラビリンス
【A】   見た目上々 味は濃厚
                  味見ついでにグラス空ける
【B】   あなたは来る・来ない・来る・来ない・来る・来ない・来る
                  狂ったように繰り返す 夏のエンドロール
【C】   お茶して笑い合って喧嘩する
                  あたりまえの青春に恋してた
【サビ】 あなたそれはYOU 有名人なの
     わたしそれはI 愛の戦士な
     あなたそれはYOU 夕日に隠れた
     わたしそれはI 愛のラビリンス
――――――――――
 上記に歌詞の全文の引用と、メロディの振り分けがどのようになされているかを示した。まずはサビの部分について見てみよう。三回繰り返されているサビの歌詞では、「わたし」と「あなた」の混交および循環が起こっている。どういうことだろうか。
 冒頭、一回目のサビでは「あなた=YOU=有名人/わたし=I=愛のラビリンス」となっており、「あなた」と「わたし」はそれぞれ独立した存在として記述されている。ところが二回目のサビにおいては「あなた=YOU=優柔不断なわたし=I=愛の戦士なあなた=YOU=憂鬱気取ったわたし=I=愛のラビリンス」、三回目のサビでは「あなた=YOU=有名人/わたし=I=愛の戦士なあなた=YOU=夕日に隠れたわたし=I=愛のラビリンス」となっている。
 つまり太字で記した部分の主体を「わたし」=「あなた」として読み取ることができる。それは「優柔不断な」や「憂鬱気取った」というフレーズが、次行の「わたし」や「あなた」という主体を修飾する形容詞句として機能しているからだ。
 このように歌詞を見てみると、「わたし(I)」と「あなた(YOU)」という二人の主体のみがあるように見える。しかしこの楽曲のタイトルは「YOU&IDOL」となっている。そこでこの”IDOL"とは一体どの主体を指しているのだろうか。
 ”idol”とはもともと、崇拝の対象となる偶像や聖像のことを意味する語であるが、現在の日本においては、理想の対象となるいわゆる有名人や芸能人といった人物を指す方が一般的だ。そこでこの曲のサビにおける「あなたそれはYOU 有名人なの」というフレーズに注目してみると、「あなた」は閉じた主体性として提示されていると捉えることができる。このフレーズを素直に受け取るならば、曲名の”IDOL”とは「あなた=YOU」である。しかし二、三回目のサビを見てみると、「わたし」と「あなた」の主体性が相互に溶け合っている部分がある。「あなた」は「優柔不断なわたし」であり、「わたし」は「愛の戦士なあなた」なのだ。ここで再び”idol”という語についての検討を行ってみよう。
 “idol”の語源はギリシャ語の”eidôlon(以下、エイドーロン)”であり、またその語源は”eidos”まで遡る。”eidos”はアリストテレスによる哲学用語として「形相」と訳されるのが一般的だが、外見、見た目といった意味も含んでいる。そしてエイドーロンは、幻や映像、理想像といったような意味を示す語である。古代ギリシャ、ヘレニズム期の哲学者であるエピクロス(B.C. 341-270)はこのエイドーロンについて、原子論について論ずる流れの中で思索を展開している。彼はその定義について、ある固体と類似した形に象られたもの(テュポス)であり、もとの固体が持つ一連の順序だった配列と秩序を保ち続けている希薄な剥離物(アポスタシス)であると記している[1]。さらにあらゆる表象像(パンタスマ)は、このエイドーロン(映像)が凝集して生じるのだとも述べている。[2]
 ここで注目すべきは、エピクロスが表象像に先立つものとしてエイドーロンの存在を認めていることである。エイドーロンとは私たちが何かしらの対象を認識する際にその対象から発せられるものであり、それが私たちの感覚器を通じて内部に入り込むことによって、対象を知覚可能なものとする。彼は表象を作り上げるこのエイドーロンの特徴として、もとの対象に備わっている属性がそのままエイドーロンにも受け継がれることの連続性を強調している(この考え方は、絶対的に安定して存在するアトムについて述べる彼の原子論に由来している)。
 さて、エピクロスによるエイドーロンについての思索を概観したところで先ほどの歌詞へと戻ることにする。ここで起きている「わたし」と「あなた」の境目が曖昧になるという事態は、正確には「わたし」による「あなた」のイメージの取り込みである。「あなた」という対象から放たれるエイドーロンは「わたし」の内部へと入り込むことで、相互の主体性は混ざり合い、循環する。それはあくまでも「わたし」の視点において、その内部で起こっていることだ。その根拠となるのは、全てのサビを締めくくるフレーズが「わたしそれはI 愛のラビリンス」で一貫しているという点だ。「わたし」は、映像としてしか捉えることができない偶像化した「あなた」に同一化したいと願うことしかできず、迷宮の中に囚われている。
 そしてもう一つ、この歌詞における迷宮の構造を別の形で言い換えている部分がある。それはBメロにある「狂ったように繰り返す 夏のエンドロール」という箇所だ。この二箇所における反復という主題およびエンドロールというモチーフによって、「わたし」の思いの届かなさが強調されているとともに、失恋後の心情を綴ったものであるという解釈が可能となる。さらには先ほど太字で示したサビの部分において、「わたし」を修飾する語が「優柔不断な」、「憂鬱気取った」、「夕日に隠れた」と比較的ネガティヴな意味合いを帯びていることもその解釈に至ることを助けていると言えるだろう。
 ここまで、楽曲における語の意味とその循環的な構造を中心に考察を行ってきたが、その構造を作っている形式的な特質についても論じておこう。今ほど例に挙げたBメロの「狂ったように繰り返す」というフレーズは、直前にある「来る」という語の音(=kuru)と韻を踏み、接続されている。そして「狂ったように繰り返」されているのは「好き・嫌い…」、「来る・来ない…」というBメロのフレーズでもあるのだ。そしてまたサビにおける「I」は「愛の戦士」の「愛」の音(=ai)で結びつき、「YOU」は「優柔不断」、「憂鬱」、「夕日」の頭文字である音(=yû)によって接続されている。
 こうした韻を用いた偶然性によって異なる意味を持つ語が接続され、その間に新たな意味を発生させるという操作は他の楽曲においても頻繁に行われている。以下では他の楽曲における歌詞も具体的に検討しながら、その操作がどのように行われているのかを見ていこう。
◇韻と偶然性
 上記の「YOU&IDOL」を含むアルバム『TOWN AGE』は、全曲を通じて都市における日常性とでもいうべきものが主題となっている。例えば十曲目の「たまたまニュータウン」(多摩ニュータウンを想起させる)では、「ニュータウンで暮らす 2DKの入れ物で ミュータント増殖 なんてことない核家族」と皮肉めいたフレーズを織り交ぜながら、具体的な都市名を引用しつつ(他の曲では上海、ガンダーラ、ジャカルタなど)、単調な毎日の様子を綴るフレーズが目立っている。そのようなコンセプトを含むアルバムの中で、「YOU&IDOL」はかなり私的かつ「わたし」視点の内的な詞になっているように見える。
 一方、5thアルバム『天声ジングル』(2016)においては日常性と超越的なものの往復へと、そのスケールは拡大しているように見える。曲名だけをとってみても、一曲目の「天地創造SOS」や六曲目の「弁天様はスピリチュア」、十曲目の「おやすみ地球」など、都市から宇宙や神的なものへと、主題の拡張が見て取れる。しかしこのアルバムにおいても、「わたし」の内的な視点に焦点を当てた一曲がある。それは四曲目の「わたしはわたし」である。
――――――――――
【A】       昨日真夜中のコンビニで君を��かけたの 
      だけど昨日はもう今日じゃないから 
                   声はかけられなかった
【B】       明日にはきっと 
      今日も今日じゃないし 
                   いつもがいつもどおりでも 
                   なんか違う ちょっと違う
【A】       今日も真夜中のコンビニで君を見かけたの 
                   だけど明日はもう週末だから 
                   声をかけてみたい
【サビ】  ミッションコンプリートで深夜のハイテンション 
      ミッションコンプリートで深夜のハイテンション 
      いつかはコンビになりたいの 
      ふたりでコンビニ行きたいの
【B】         確かめてみたい 
                   今日が今日であるのかを 
                   いつもがいつもどおりでも 
                   なんか違う ちょっと違う
【A】       昨日真夜中のコンビニで君を見かけたの 
         もしかしてわたしがもうわたしじゃないなら 
                   声をかけられるかも
【サビ】  ミッションコンプリートで深夜のハイテンション 
      ミッションコンプリートで深夜のハイテンション 
      いい気分はふたり分ほしいの 
         いい気分にふたりでなりたい
    
       Why I am me? I don't know who I am 
       Why I am me? I don't know who I am 
       誰かがわたしになっていく 
       わたしがわたしになりたいの
――――――――――
 以上が「わたしがわたし」の歌詞とメロディの振り分けである。この詞において「わたし」と「君」が出会うのは超越的な場所などではなく、真夜中のコンビニという極めて日常的な場である。昨日見かけた「君」に声をかけられなかった「わたし」が、今日もコンビニで「君」を見かけ、声をかけてみようと決心するのだが、その心の変化はなぜ起こったのだろうか? 歌詞を追ってみよう。
 まず初めのAメロにおいて声をかけられなかったのは、それが昨日のことだからだ。今日から見て過去である、昨日の出来事を率直に反省していると解釈できる。そして二回目のAメロで「わたし」が声をかけてみたいと決心するのは、「明日はもう週末だから」である。これは、週末には「君」がコンビニに来ないことを「わたし」が知っているのだと推測することもできるが、その理由はあまり明確ではない。そして三回目のAメロでは、「わたし」がもう「わたし」でないのであれば声をかけてみたい、と思うのである。これはどういうことだろうか。
 これらの理由を考察する際に手がかりとなるのは、二つのAメロの前に共通して存在する、Bメロの「いつもがいつもどおりでも なんか違う ちょっと違う」というフレーズである。二回目のAメロにおいては、明日が週末であるということに加えて、単純に昨日から時間が進んでいるという事実が前提となっている。モーリス・ブランショ(1907-2003)によれば、日常的なものとは「再び見ることしかできないもの[3]」、つまり反復されることによって初めて認識できるものである。この歌詞における「わたし」は、そうした日常性、つまり「昨日と同じであること」を求めてはいない。昨日とは「なんか違う ちょっと違う」今日を求めているのだ。それは三回目のAメロで、「わたしがもうわたしじゃない」ことと対応する。したがって、時間が経過して昨日が今日に変わることが、「わたし」の変容と一致する。最後のサビ後半四行の歌詞における「誰かがわたしになる」とは、今日の「わたし」が昨日の「わたし」とは異なる主体に変容することを意味していると捉えられるだろう。だがそこには何ら必然的な結びつきはない、つまり「わたし」の偶然的な変容が起こるということだ。
 この偶然性による主体の変容という出来事は、言葉の繋がりの形式的な側面、つまり韻の持つ効果としても現れている。それは一回目のサビにある「いつかはコンビになりたいの ふたりでコンビニ行きたいの」に含まれている「コンビ」と「コンビニ」という二つの語において作動している。「コンビ」と「コンビニ」の間には、本来必然的な意味のつながりは何もないが、「コンビになる」ことと「コンビニに行く」ことが同じ文脈の中で並置されることで、「わたし」と「君」との恋の成就を示す連帯的な意味を帯びるのだ。
 こうした言葉の押韻が持つ偶然性の効果は、先ほどの「YOU&IDOL」のサビでも確認した通りだ。偶然性という問題について研究していた九鬼周造(1888-1941)は、偶然性を「独立なる二元の邂逅」と定義している。彼は主として日本の詩歌における押韻について考察した「押韻論」という論考を遺してもいるが[4]、韻とはまさに「独立なる二元の邂逅」なのだ。
 また彼は「偶然化の論理」の冒頭において、偶然性の哲学の意義についても述べている[5]。九鬼における偶然性への関心は、現実の世界が「他のあり得たかもしれない無数の世界の中の一つ」であることと、その現実を「動的に肯定する」ことと切り離せない。こうした思想の背景として、彼は一元論的汎神論を展開したバールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)の思想を、「実体が一つしかないから、神も一つしかないといふ論理は単にスピノザの独断に過ぎない[6]」と批判した後で、ゴットフリート・ライプニッツ(1646-1716)の用いる共可能性(compossibility)という概念の重要性について触れている。共可能性とはまさに九鬼が述べている、現実とは異なる「他のあり得たかもしれない無数の世界」の可能性だ。さらに千葉雅也(1978-)は、九鬼による偶然的な時間とは、現在への徹底的な内在であるのだと述べる[7]。韻や地口の非因果的な形態の結びつき、つまり押韻も、九鬼はこの現在という時間への内在によって捉えているのだと千葉は続ける。過去からも未来からも自由である、事実としての現在。その現在における可能性としてのあり得たかもしれない世界は、別の名で並行世界(パラレルワールド)と呼ばれることがしばしばある。
 やくしまるえつこ=ティカ・αの作詞を含め、相対性理論の歌詞においてはこの並行世界の様相が、日常的な出来事や恋愛感情の描写とともに置かれることが最も重要な特徴であるように思われる。ここまで考察してきた二曲の歌詞においても、「わたし」という主体の変容あるいは分離が、韻を含む言葉の形式的な偶然性によって起きている。そこでも「わたし」が内在しているのは、昨日や過去を思い返している今日あるいは現在だ。
◇「わたし」の変容=世界の変容
 すでに考察した二曲では、日常の外にある世界というものは直接出てくることはないが、「わたし」の別の容態としての「あなた」、または昨日の「わたし」とは異なる別の「わたし」が描かれている。対して「わたし」のいる場における並行世界が描かれている、というよりもまさに文字通り、並行世界そのものが主題となっている楽曲を取り上げて本論を締めようと思う。それは3rdアルバム『���ンクロニシティーン』二曲目の「ミス・パラレルワールド」という楽曲である。
相対性理論『ミス・パラレルワールド』MV https://www.youtube.com/watch?v=t2nTZrPQFFc
――――――――――
【A】       ひみつの組織が来て
       8時のニュースは大変
                 都会に危機がせまる
                 巨大な危機がせまる
                 暇ならわたしときて
                 こわれた世界を体験
                 時代の危機がせまる
                 稀代の事態になる
【B】     放課後 ふとよぎるテレパシー(シンパシー)
         わたし遠い未来にあなたとまた出会う
【サビ】   東京都心は パラレルワールド
【A】        ひみつの組織がきて
                  8時のニュースは大変
                  地球に危機がせまる
                  夜中にブザーがなる
【B】        十日も思いつめてジェラシー(くやしい)
                  わたし 遠い未来にあなたとまた出会う
【サビ】  東京都心は パラレルワールド
【C】         あなたはちょっと開けた
                   わたしの心のドアを
                   あなたはドアを開けた
【サビ】  まるで世界はパラレルワールド
                   パラレルワールド
――――――――――
 この歌詞においては、危機が迫る「地球」と、「わたし」の心のドアを開ける「あなた」という、スケールの異なる別の場における変容が比較的明確に描かれている。ここで既に考察した二曲とこの楽曲の共通点を確認してみよう。それは「あなた」、「YOU」、「君」といった二人称の相手の存在によって、「わたし」という主体に揺らぎが生じ、最終的に二者の関係性が安定しないということだ。「わたし」は変容の途上にある。それぞれの歌詞から抜粋すると、「当たり前の青春に恋してた」、「いつかはコンビになりたいの ふたりでコンビニ行きたいの」、「わたし 遠い未来にあなたとまた出会う」といった部分から、完全な恋の成就が達成されているわけではないことがわかる。
 「わたし」という主体の揺らぎが、「あなた」という二人称的存在によって引き起こされ、その揺らぎは同時に外部としての「世界」に訪れる変容と一致するのだ。それまでは日常的であった「わたし」のあり方と「世界」のあり方が、「あなた」の出現という偶然的な出来事によって変容してしまうこと。あるいは外部的な「世界」が描かれない場合には、それは歌詞の中の「韻」という形で現れるだろう。別々の語における意味の外側に現れる「韻」も、また「あなた」の存在によって新たな文脈のなかで意味を与えられるのだ。
 先ほど少しだけ歌詞を取り上げた「たまたまニュータウン」は、そうした変容だけでなく日常的な現実もまた、全く偶然的な出来事によって起こりうるのだということを端的に主題にしている。「たまたまわたしがそこにいただけ それだけ たまたまあの日に目が合っただけ それだけだったんだ」(「たまたまニュータウン」Bメロ1番) 
 そのように歌うやくしまる自身にもまた、並行世界における別の主体がある。それがティカ・αである。彼女は自身が歌ったり、話したり、姿を見せてパフォーマンスを行ったりするときはやくしまるえつこの名を用いるが、作詞作曲を行う際にはこのティカ・αという名を用いる。二つの名義の間には身体の有無という差異がある。いわば前者は表舞台における名であり、ティカ・αは裏方の存在なのだ。したがって楽曲提供をする際にも、その作詞者あるいは作曲者名はすべてティカ・αとなっている。当然、実際はこの二つの名を持つ人間は同一人物なのだが、主体の分離という形をとっているやくしまる=ティカという構造は、その分身として楽曲の歌詞の中で繰り返されている。
 しかしやくしまるえつこという具体的な一人の人物のことを考えるとき、現実に存在するのは身体を伴うやくしまるえつこの方だけなのだ。なぜなら「他のあり得るかもしれない」並行世界におけるティカ・αと、現実におけるやくしまるえつこは同時に存在することはできないのだから。「YOU&IDOL」を再び思い出してみるとき、これもまた「わたし」の異なる二つのあり様、分離する「わたし」の片割れとして「あなた」があるという解釈が新たに可能になるだろう。「わたし」とあり得たかもしれない別の「わたし」=「あなた」は、「やくしまる=ティカ」という現実の主体に対して、無数にありうる並行世界の一つにおける主体のあり様なのだ。
[1] ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(下)』加来彰俊訳、岩波書店、1994年、238頁。
[2] 同上、242頁。
[3] モーリス・ブランショ「日常の言葉」西山雄二訳、『終わりなき対話II』、筑摩書房、2017年、305頁。「…パノラマ的な視野のうちに閉じ込めることができないという意味で、日常とは知覚されえないものである。日常とは私たちが第一回目にけっして見ることのないもの、再び見ることしかできないものだからである」
[4] 九鬼周造「邦詩の押韻に就いて」天野貞祐、澤瀉 久敬、佐藤明雄編『九鬼周造全集 第五巻』、259頁において九鬼は、「語呂合わせ」が韻の上での偶然的な符号一致であり、またポール・ヴァレリーの言葉を引用しつつ、詩が言語の音響における偶然的な関係に基づくと述べている。
[5] 九鬼周造「偶然化の論理」天野貞祐、澤瀉 久敬、佐藤明雄編『九鬼周造全集 第二巻』、354頁。「偶然生の哲学の形而上学的展望は、この現実の世界が、唯一可能な世界ではなく、無数の可能な世界の中の一つに過ぎぬとして、現実の世界を動的に肯定することに存する。」
[6] 同上、365頁。
[7] 千葉雅也「此性を持つ無ーーメイヤスーから九鬼周造へ」『意味がない無意味』、河出書房新社、2018年、219-220頁。
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abouttetsukuzu · 5 years
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一遍と踊り念仏
一遍と踊り念仏 冨田粥
1. 一遍  一遍は鎌倉時代中期の僧侶である。  彼は現在の愛媛県道後温泉にて、河野通広の次男として生まれた。10歳のときに実母を亡くし、出家する。13歳のときには太宰府へ移り、法然の系譜を引く浄土宗西山派・聖逹上人のもとで修行を行なった。  一遍が25歳のときに父・通広が亡くなると、彼は伊予に戻り、そのまま妻をもつ。いわゆる還俗である。が、完全に還俗したわけではなく、頭は丸めたままだった。彼にはふたりの妻がいた。ふたりの妻と、その子供がいた。河野家は承久の乱で朝廷方についていたため、一族は没落の一途をたどっており、親戚同士での土地を巡った争いがすでに始まっていた。一遍は子供と輪鼓で遊んでいた。輪鼓は力を加えて回さなければ回らない。地面に落ちればその回転を止める。彼はその回転に六道輪廻をめぐる自身を重ねる。俗世で暮らすことこそが、自身が六道を巡る原因なのではないか、それをやめることで往生できるのではないか、と。
 そうして彼は再び出家し、長野県にある善光寺へと向かう。32、3歳の頃だった。一遍は善光寺である一枚の絵を写していた。その絵が「二河白道図」と呼ばれるものだった。絵に描かれるのは火河と水河の間に伸びる白く細い道で、火河は「怒り・憎しみ」を、水河は「こだわり・貪り」を表す。白道は南無阿弥陀仏を唱える清い心を指し、今ここで死ぬあるいはその覚悟がないのであれば、一心に南無阿弥陀仏を念ずることでしか往生できないというものだ。  一遍はこの絵を伊予国の窪寺に構えた閑室に掛け、そこで約3年間、念仏をひたすらに唱えて過ごしたという。彼はそこで、己心領解の法門「十一不二頌」を掲げ、自らを「一遍」と名乗る。時間的にも空間的にも離れた阿弥陀と衆生が念仏「南無阿弥陀仏」の6字によって平等に包括され一体となった世界を一遍は理想としていた。  彼はその後、修行をそれまでともにしていた聖戒と別れ、妻・超一とその子・超二、そして従者の念仏房とともに四天王寺、熊野本宮へと向かう。一遍はすれ違う老若男女に念仏札を配りながら、熊野の険しい道を歩んだ。そこで彼はある僧と出会う。いつものように僧に念仏札を渡そうとすると、僧は「いま信心が起こらない。信じることができていないのに札を受け取れば妄語の罪を犯すことになる」と札の受け取りを拒否する。一遍は「信心起こらずともうけ給へ」と半ば無理やり札をその僧に渡したが、同時に自身がこれまで行ってきた賦算に疑念を抱く。賦算によって衆生を導こうとしてきたのは間違いだったのか。そうしたしこりを残しながら、熊野へ詣でたとき、一遍は熊野権化の託宣を受ける。  衆生は一遍の勧進によって往生するのではない。念仏によってすべての者は往生するとすでに定まっているのだから、その者の浄不浄や信心に関わらず、ひたすら南無阿弥陀仏を唱え、念仏札を配ればよい。託宣はそういった内容のものだった。  一遍は熊野詣でを経て、より他力本願の念を強め、また、超一・超二らに別れを告げる。それから4年ほど、彼は一人で九州遊行を行なった。家はもちろんなく、ぼろぼろの服で野宿の寒さに耐え、食事も満足にとれはしなかった。そこまでして一遍が「捨てる」ことを行なっていたのは、上根・中根・下根のうち、自身は下根の者であると考えていたからだった。上根・中根・下根というのは、仏道における精神の素質を表すものであり、下根の者はすべてを捨てなくては往生できない。  また、衣食住への執着は三悪道に繋がるとも考えていた。彼は、世を捨て、身を捨て、さらにその捨てようという心さえ捨てた。そうしてすべてを捨てたとき、彼に訪れたのは静かな安らぎであった。一遍はそのような心境で、下記のような「自分を捨て、捨てようという心も捨てれば、もう何もこの世のなかに未練はない」という和歌を詠んでいる。 身をすつる すつる心を すてつれば おもひなき世に すみぞめの袖  一遍が九州を遊行していたのはちょうど元寇があった頃だった。彼はここで豊後国の大友兵庫頭頼泰に歓迎され、教えを説いていた。その際、真教という弟子をはじめとした幾人かの門弟を受け入れる。一遍は自身の弟子を「時衆」と呼び、彼らを引き連れ遊行を続けた。  時衆の中には尼も多くいた。というより、むしろ尼の方が多かった。一遍は、還俗していた頃にもった二人の妻の諍いを恐れ、しかし、再出家後にはその二人の妻のうち片方とその子供を同行させていた。前述の通り、一遍は熊野権現の託宣を受けたのち、その妻子にも別れを告げることにはなる。一遍がその別れにどれほどの思いを抱いていたかは定かではないが、尼を拒むことがなかったのは、そうした経緯や熊野権現の「浄不浄にかかわらず念仏札を配れ」という託宣があったからだ、ともいわれる。また、一遍は当時、不治の病とされていた癩病の患者をも拒むことがなかったという。癩病患者は「がきやみ」と呼ばれ差別されていたが、彼らを時衆に迎え入れたのも先の熊野権現の言葉があったからであろう。  その後、伊予国、信濃国、下野国などを通りながら、一行は鎌倉を目指した。踊り念仏がおこなわれるようになったのもこの頃とされている。郊外にも関わらず、彼らが念仏を称えるところへ人々が多く押し寄せた鎌倉での遊行を終えた一行は、東海道での遊行を経たのち、京都でも貴賎に関わらず多くの人々から歓迎を受け、人気を博していった。  その後、山陰でも遊行を行い、死期を前にした一遍は生まれの地四国へと再び帰る。彼は自身の経典などを自らの手で焼き捨て、本心から念仏を唱えるよう弟子らに遺言を残す。「捨てる」こと、念仏をひたすらに称えることを強く示し、51歳のときに一遍は息を引き取った。厳しい遊行による過労と栄養失調が死因と言われている。
2. 踊り念仏  踊り念仏自体は、一遍が始める以前から民衆の間に存在したものと民俗学者の五来重は考えている。平安時代中期の僧・空也も踊り念仏をおこなったとされ、一遍は空也にならって踊り念仏をおこなったともいわれる。  さて、一遍が踊り念仏を始めた場所として信州を先に挙げたが、詳しい場所に関しては二つの説がある。  善光寺への道をともにし、「臨終の際にふたたび会おう」と一遍から約束され別れた聖戒が記した『一遍聖絵』においては、1297年末に信州佐久郡小田切の里にて、念仏往生を願う武士の屋敷で念仏を称えた際に始まったとされる。一方、『一遍上人絵詞伝』では、信州佐久郡伴野とある。  『一遍聖絵』の方では、そこにいた皆に信心が起こり、一遍は時衆とともに念仏しながら鉢やざるを叩き踊り、紫雲が現れたという。五来は、佐久郡では善光寺の聖たちによって融通念仏が広められ、すでに踊り念仏が存在したのではないかと指摘した上で、「一遍は民衆の踊るのを見て、その宗教的エクスタシーと信仰共同体の一体感に着目したのであろう」と述べる。一遍の目的である勧進に踊りというのは効果的なものであり、それゆえ、伴野にて時衆の行儀に採用したのではないか、というのが五来の考察である。  ところで、一遍の遊行の最中には、しばしば紫雲––妙な音楽や不思議な香りとともに立ち込める紫色の雲でめでたいことの前兆と捉えられる––が見られる描写が多くある。そして、その紫雲は踊り念仏のエクスタシーによる共同幻視ではないかという説が根強くある。特に、『天狗草紙』では、踊り念仏と紫雲がともに繰り返し繰り返し起こっていることが引き合いに出される。  一方で、砂川博は『一遍聖絵』において紫雲の上る箇所を検証し、紫雲は「直接的、或いは間接的に往生の瑞相・表象という意味をもつ」と結論づけている。そして砂川はその前提の上で、踊り念仏とは「『踊躍』に念仏『行者の信心』を『示し』、『金磬の響』に阿弥陀仏の本願を『あらはし』、もって迷える『衆生』を救い、念仏に『結縁』させるためのものだ」という内容の『一遍聖絵』における一文を指す。踊り念仏の様子が描かれた『一遍上人絵伝』において、見物する民衆の数人が真上や宙に視線をやり、合唱しているなどの様子を挙げ、画面にこそ描かれていないものの彼らには紫雲が見えているのではないかと述べる。踊り念仏は鎮魂や慰霊が常に目的であったわけではないが、紫雲が出現しているように伺える点からそうした要素がまったくなかったわけではない、というのが砂川の見解だ。  また、林譲は、踊っているのが時衆のみである点を指摘し、「共同の幻想が成立するためには、踊る時衆と見る側とに共有する期待ともいうべきもの」が必要だと述べる。林は、一遍が理想とした「十一不二頌」について触れ、「踊念仏は、大人数への布教・結縁を要請する一遍の宗教から必然的に導かれた行為であり、紫雲が出現した踊念仏の場は、一遍が遊行と賦算とによって目指した『南無阿弥陀仏』という六字名号に包まれ一体となった理想世界の具現化する場と認識された」とする。  踊り念仏の起源や紫雲の解釈については見解が分かれるところではあるが、少なくとも踊り念仏が一遍の宗教的信条に合致していたことは確かだろう。念仏の合唱、踊りとそこで踏み鳴らされる足音、鉢などを叩く金属音、そしてなによりもそれらが繰り返される。繰り返しによって、リズムの予測そしてそれに「ノる」ということ、あるいは微妙な差異が生まれる。そうしたものによる興奮は音楽のそれと同じとも言え、そしてそれはおそらく紫雲-エクスタシー論が根強くある理由の一つであろう。加えて、一遍の理想は何度も述べている通り「十一不二頌」である。繰り返しによって時間の単線的な感覚が崩壊することにこそ恍惚があり、一遍の望む世界が、念仏を媒介して時空も仏/我の境界をも越え一体となる世界があるのではないだろうか。時衆に「ひたすら名号を唱える者たち」という意があるのも、一遍が念仏を「念ずる」のではなく「唱える」ことを強調したのも頷ける。そしてその世界を自身や時衆だけでなく、周囲の踊らぬ人々にさえ結びつけることに、踊り念仏の意義があるのだろう。
*参考文献 井上宏生『一遍 遊行に生きた��泊の僧』、新人物往来社、2010年 今井雅春編『遊行の捨聖 一遍』、吉川弘文館、2004年 今井雅春『一変と中世の時衆』、大蔵出版株式会社、2000年 金子清光『一遍聖絵新考』、岩田書店、2005年 五来重『踊り念仏』、平凡社、1988年 砂川博編『一遍聖絵の総合的研究』、岩田書店、2002年 柳宗悦『他力の自由 浄土門仏教論集成』、書肆心水、2016年
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benediktine · 4 years
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【命との向き合い方を問いかける。興福寺 × 近畿大学、学術的知見を取り入れた伝統行事「放生会」】 - ほとんど0円大学 : http://hotozero.com/knowledge/kindai_houjou-e/ : https://archive.vn/z5AYh date:2020.6.11 author:谷脇栗太
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「生き物を大切にしよう」。 誰もが子どもの頃に教わることだが、生きていくためには多かれ少なかれ他の生き物の命をいただかなければならない時がある。こうした矛盾に向き合う受け皿になってくれるのが、たとえば仏教の教えだ。
五重塔で有名な興福寺では、隣接する奈良公園の猿沢池に魚を放流する「放生会(ほうじょうえ)」という伝統行事が毎年行われている。むやみな殺生を戒め、生命はみな平等であるという教えを体現する行事として親しまれてきた。
その放生会で今年、近畿大学の協力のもとで学術的なアプローチによって画期的な取り組みが始まったという。取材してみると、お寺と研究者それぞれの命への向き合い方、そして奈良公園に秘められた自然と人間の関わりが見えてきた。
■《時代を反映し、刷新される伝統行事》
興福寺の放生会は、すべての生命は平等であるという仏教の教えのもと、毎年4月17日に行われる伝統行事だ。僧侶や地元の人々が手桶を使い、隣接する猿沢池に約2000尾の金魚を放流する。涼しげな風情ある猿沢池の春の風物詩として親しまれている。
一方で近年、環境問題に対する意識の高まりから、もともと猿沢池に生息していない金魚を放流することについてSNSなどで批判的な声も上がっていた。そこで放生会を学術的な見地から見直すべく、興福寺から協力依頼を受けたのが近畿大学の北川忠生先生(農学部環境管理学科)だ。
お寺と大学が連携する取り組みについて、北川先生にじっくりお話を伺った。
 {{ 画像 2 : 北川忠生先生。専門は保全生物学・分子進化学で、主な研究対象は日本の淡水魚。メダカの遺伝子汚染問題や、後に紹介するニッポンバラタナゴの保全活動などに取り組む }}
―――早速ですが、これまでの放生会の問題点について教えていただけますか?
  「テレビ番組でもよく取り上げられる外来種の問題はご存知でしょうか。自然の生態系に外から別の生き物を持ち込むと、もともと存在した生物が減って最悪の場合は絶滅してしまったり、あるいは外来種と交雑してしまったりと、生態系のバランスを崩すことにつながります。
例年の放生会で放流されていた金魚は、フナを飼育用に品種改良したものです。もともと自然界に存在しない魚なので、放流されると外来種となるため、生態系保全の観点では放流は行うべきではありません。また別の観点では、せっかく放流したとしてもそれが『命を大切にすること』とは限りません。金魚は自然環境で生き延びることが難しいからです。
猿沢池に関しては、人工池だから放流を行っても問題ないという意見もありますが、これは正確ではありません。猿沢池の水は近くの春日山原始林の水源から地下を通って流れ込み、水かさが増すとまた地下を通って近隣の河川へと流れ出ています。猿沢池の環境が周囲の自然環境に影響を与えることも考えられます」
―――こうした問題を受けて、魚類の保全活動に取り組んでいる北川先生に興福寺からお声がかかったわけですが、どのようにお感じになられましたか?
  「私は奈良公園をはじめとするフィールドで在来魚の保全活動に取り組んでいて、各地で行われている魚の放流に対しても研究者として注意喚起を行っています。今回、興福寺さんの方からお声がけいただいたのは願ってもないことでした。興福寺の方も外来種問題を本当によく勉強してくださっていて、本気の姿勢を感じました。考えてみると、昔は寺子屋というものがあったように、お寺というのはもともと学術的なものを担う場所なんですよね」
―――興福寺といえば奈良時代から続く由緒あるお寺ですが、批判を受け止めて伝統行事を刷新していく柔軟さには拍手を送りたくなります。それで、実際にはどのような取り組みを行ったのですか?
  「今回の取り組みでは、『命を大切にする』という放生会の基本の考え方を踏まえ、金魚の代わりに、事前に行った調査で採取されたもともと猿沢池に生息している在来魚を、法要ののちに放流するという形を取りました。また、その過程で猿沢池の生態系の実態を把握し、外来種を取り除くことも大きな目的でした」
■《生態系の実態を把握し、正しい情報を発信する》
―――放生会に先立つ4月13日には、北川先生の研究室による猿沢池の調査が行われました。どんな調査だったのでしょうか?
  「今回行ったのは、猿沢池の魚類相の調査です。魚への負担が少ないモンドリという仕掛けなどを使って魚を採取し、目視による調査も合わせてどんな種類が生息しているか確認しました。
結果としては、一般的な在来種であるモツゴが1500尾ほどで最も多く、同じく在来種のヨシノボリなども少し見られました。外来種ではタウナギが1尾、それに捕獲はしていませんが、目視でコイも確認しました。以前は外から持ち込まれたブラックバスやガーがいた時期もあったのですが、今は想定していたよりも在来魚が多い印象でしたね」
 {{ 画像 3 : 調査は雨の中行われた。エサでおびき寄せる「モンドリ」とタモを使って魚を採取する : 雨の中、6人がかりで1時間半ほどかけて行われた採集作業。計6個のモンドリを15分程度沈めて回収する作業を2箇所で2回ほど行うと、大変たくさんのモツゴが採れた。その他、タモ網でも採集を行った }}
 {{ 画像 4 : 採取された在来種のモツゴ。環境適応力に優れ、都市部の川などでも普通に見ることができる }}
―――去年まで放流されていた金魚は見つからなかったのでしょうか?
  「今回の調査では見つかりませんでした。金魚は池の中でよく目立つので、残念ながら野鳥に食べつくされてしまったと考えられます。自然環境に本来存在しない生き物を放つことで、その生き物自身にとっても不幸な結果となってしまうことがあります。今回の調査でもそのことが実証される結果になりました」
―――在来種が増えたのは喜ばしいことですが、なかなか考えさせられる結果ですね……。調査を経て、放生会はどのように行われたのでしょうか。
  「採取したモツゴ約1500尾は放生会までの数日間、大きな水槽を用意して興福寺の敷地内で飼育しました。放生会当日はそのうち200尾ほどを桶に移し替え、興福寺での法要ののち、僧侶の手で猿沢池に放流されました。今年はコロナの影響で小規模になりましたが、例年は市民の方も参加され2000尾ほどが放流されるので、水槽での飼育はそのためのシミュレーションでもあります。
手桶から池の水面へ水を撒くように放流する例年のスタイルは魚への負担になるため、今年はスロープを使ってやさしく注ぎ入れる方法に変更しました。我々大学チームは、魚の移動をアシストしたり、スムーズに放流できるようにスロープに水を流したりといった裏方のお手伝いをさせていただきました。放生会の後、残り約1300尾のモツゴも放��しています」
 {{ 画像 5 : 放生会当日の様子。僧侶による読経の後、スロープを使って放流する。スロープは民間の協力企業から提供を受けている }}
―――当日の様子は新聞やテレビなどでも取り上げられましたね。
  「魚の調査や管理以外にもうひとつ気を遣ったのが、実はメディア対応でした。魚を放流する行事は全国各地で行われていて、中には生態系保護の観点から問題のあるものも多いのですが、ニュースではそれらを一絡げに『良いこと』として伝えてしまいがちです。そこで、今回の放生会の前に、外来種を放流することにどんな問題があるのかということを伝える事前レクチャーを記者クラブで実施しました。
興福寺さんと私たちの取り組みが、全国の同様の行事のモデルケースになることを願っています。正しい情報を発信して、多くの方に考えていただくきっかけにしていきたいです」
―――一過性のイベントとしてではなくきちんと文脈を踏まえて伝えるということは大切ですよね。放生会にまつわるひとつひとつの取り組みに、日頃から保全活動に携わっている北川先生だからこその説得力と強い思いを感じました。
■《お寺と研究者、それぞれの“命との向き合い方”》
―――ここからは、お話を聞いて気になったことをツッコんでお聞きしていきたいと思います。まず、調査で採取された在来魚は池に戻されたわけですが、外来魚のほうはどうなったのでしょうか?
  「これも事前に興福寺さんと取り決めて、池には戻さず近大で引き取って飼育することにしていました。問題は『特定外来生物』が採れた場合です。特定外来生物に指定されている生物は、採取した場所から生きたまま移動させることが禁止されているんです。通常はこうした場合にはその場で安楽死させるのですが、放生会はむやみな殺生を戒める行事でもあるので、立ち止まって考える必要があります。興福寺の僧侶の方と経典を紐解いて『殺生とは何か』というところから議論を重ね、より多くの命を守るために池に戻すことなく、外来種の命も繋ぐ術がないかという課題に向き合っています」
―――放生会ならではのジレンマですね……。今お聞きした中で、安楽死という言葉が気になりました。日本には活け造りや踊り食いといった文化もあります。お恥ずかしいことに、魚が苦痛を感じる、ということすらあまり意識していませんでした。
  「私たちの研究では、時として生き物の命を奪わなければならない場面がどうしてもでてきます。そのため、研究倫理に則って生き物がなるべく苦痛を感じないであろう方法で処理することが求められます。小さい魚類の場合はエタノールに浸して一瞬で意識を奪うか、氷で水温を下げて活動を停止させて死滅させるといった方法が取られます。おっしゃるように日本では魚食文化が根づいていることもあり、研究における魚類の扱いについては明文化されているわけではありませんが、海外の学術雑誌に投稿する際は、こうした適切な手段が明記されていないと論文自体を受け取ってもらえません」
―――お寺では仏の教えが、研究では研究倫理が指針になるわけですね。命に向き合う姿勢という根本の部分で、お寺と研究者の考え方には近しいものがあるのかもしれませんね。
■《人と共生するからこそ、豊かな自然が維持される》
―――もうひとつお聞きしたいことがあります。猿沢池が自然の水系の中に位置しているということは先ほど伺いましたが、それを取り巻く奈良公園の環境を先生はどのように見ていらっしゃいますか?
  「もともと猿沢池は春日山系から水が流れ込む湿地だったそうです。湿地では良質の粘土がよく採れるので、その土を使って興福寺の堂塔に葺く瓦が焼成されました。放生会のために作られた池だと思っている方もいらっしゃいますがそれは間違いで、興福寺放生会はもっと時代を下った戦前から始まった比較的新しい行事なのだと興福寺さんに伺いました。
奈良公園の木造文化財の周囲には池があることが多いのですが、これらは防火の目的で自然の水系を利用して整備されたものなのだそうです。そして、それらの池は人の手によって適度に維持管理されることで、生き物が棲みつき生態系が出来上がっています。
15年ほど前、そんな奈良公園のとある池で、県内では絶滅したと思われていたニッポンバラタナゴという魚が見つかりました。この魚はドブガイやヨシノボリといった他の生物と密接な関係にあって、豊かな生態系が維持されている環境でしか繁殖できません。この発見は、奈良公園がいかに豊かな環境かを見直すきっかけになりました」
 {{ 画像 6 ~ 7 : ペタキンオス : 地元では「ペタキン」の通称で知られるニッポンバラタナゴ(上がオス、下がメス)。環境省レッドリストでIA類に分類される絶滅危惧種で、奈良県では1970年代を境に絶滅したと思われていたが、2005年に奈良公園で発見。北川先生は生息環境の保全や繁殖活動に取り組んでいる }}
―――自然の水の流れに人の手が加わることで、豊かな生態系が維持されてきたんですね。近頃注目を集めている里山の維持管理の問題にも通じるところがあるように思います。
  「本来、人間の暮らしは自然か人工かにはっきり割り切れるものではなくて、人の手で自然を利用し、維持管理することで成り立ってきました。奈良公園は都市部に近い平地にもかかわらず、寺社仏閣のおかげで日本古来の自然と人間の営みが共生できている全国的にも貴重な場所です。宗教財や文化財があることで生物多様性にとってもタイムカプセルになっているんですね。そんな奈良公園の中でも猿沢池は街に近い場所にあり、人と自然が一番近くで接点を持てる場所と言えるかもしれません」
■《放生会と猿沢池のこれから》
―――最後に、北川先生の考える放生会の今後についてお聞かせいただけますか?
  「興福寺さんに寄せられていた意見の中には、そもそも放生会という行事自体を中止すべきだという声もありました。それもひとつの考え方ですが、今回のようなやり方ならば猿沢池の環境を定期的にチェックして改善することにも繋がりますし、またそうやって良い環境を保てないと放生会自体も続けられません。そうした持続的なサイクルの中で伝統行事を続けて、身近な自然に向き合い続けていくことに意味があるのではないでしょうか。今後は事前調査の段階から市民の方に手伝っていただき、環境教育につなげていきたいですね。
まだアイデア段階ですが、新しいプロジェクトについても話し合っています。興福寺には瓦の葺き替えの際に出た古い瓦がたくさん保存されており、これを何かに役立てられないかという提案がありました。瓦を猿沢池の底に沈めてやると、モツゴなどの小魚の格好の隠れ家や産卵場になると考えられます。興福寺の瓦は猿沢池の土から作られたということは先ほどもお話ししましたが、それをまたもとの場所で再利用することで、在来種の棲みやすい環境づくりに役立てたいと考えています」
環境問題がますます進行する現代。人間と自然との関係をどのように修復していくのかは私たちにとって厄介な宿題だが、放生会を通して命の大切さに思いを馳せることがそのヒントになるのではないだろうか。興福寺と北川先生の取り組みに、今後も注目していきたい。
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shibaracu · 4 years
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● 源 氏 物 語
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◆源氏物語 これだけ世に知れ渡っていて謎の多いものは無いだろう。 題名一つ定かでない。 二部構成説、三部構成説 或いは四部構成だというものまで入る。 帖数も54帖説が一般的で居なる説を解く人もいる。 巻名も その巻の中で使用されている言葉に由来するもの。 他の巻に見える言葉に由来するもの。 など諸説がある。 成立・生成・作者に関する諸説有る。 源氏物語60巻説 まで飛び出している。 これだけ有名なだけに動機も解からない部分があるという。 「もののあはれ」論がこれに重なる。 藤原氏と源氏の覇権争いの様も呈している。 いろんな人物や事柄を調べてきたけれども こんなのはなかった。 日本は謎の多い国であることは確かなようだ。 だから国学者は面白くてしょうがないのだろう。 はっきりしなければソレを野心として金儲けにも走るものまで出てくる。 考古学などもそういうたぐいの人は沢山居るようだ。 何年か前に捏造して捕まった教授が居たけれども自分の中の鬱憤などを 晴らすためにしたようだ。 学会というところはドコモかしこも個人主義が多いのではないかな。 認めて欲しい 認められないと何か事起こす。 人間らしくて良いけれども度が過ぎると御用学者に成り下がってしまう。 人が社会で生きるのは大変。 大変だけど 者の大切さだけは何時も肝に銘じていて欲しいものである。 素人は解からないものがたくさんあったほうが楽しいものだけど。
一度みなさんもこの妖艶と言うか奥の深い物語に一度足を踏み入れてはどうかな。   ● 5分でわかる源氏物語!紫式部が描く平安時代の貴族社会を解説 2017.10.27 https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4808 世界最古の長編小説とも言われる『源氏物語』。 光源氏を主人公にして、作者の紫式部は何を描きたかったのでしょうか。 ただの平安貴族の恋愛ストー��ーだけではない、 『源氏物語』を知るための本も合わせて紹介します。 『源氏物語』は平安時代中期の1008年頃に成立した長編小説。 20ヶ国以上の言語に翻訳され、世界的にも高い評価を受けています。 作者は女性歌人で作家の紫式部で、 『源氏物語』は彼女が遺した唯一の物語作品です。 およそ70年間におよぶ時代を描き、文字数はおよそ100万、 タイトルのみの「雲隠」を含めて全54帖(巻)から成っています。 (巻数については諸説あり) 登場人物は500人ほどで、彼らの心情に即した795首の和歌が詠まれており、 全帖が紫式部による執筆ではないのではないかという説もあります。 これも諸説ありますが、3部構成と考えるのが一般的です。    第1部:「桐壺」から「藤裏葉」まで。主人公光源氏の誕生と栄光を描いている。    第2部:「若菜」���ら「幻」まで。光源氏の苦悩と老いを描いている。    「雲隠」:タイトルのみで本文は無し。光源氏の死を示唆している。    第3部:「匂兵部卿」から「夢浮橋」まで。光源氏の死後を描いている。 第3部の最後の10帖は宇治を舞台としており、「宇治十帖」とも呼ばれています。 各帖は1帖完結の構成で、その集合体として長大な物語ができあがっているのです。 光源氏と女性の愛の物語を中心に、紫式部から見た貴族社会に関わる 女性の苦労話、藤原時代の摂関政治などが描かれています。 平安時代の公家文化の遺産とも言うべきこの物語は、 多くの現代語訳がされています。 明治から大正時代にかけては与謝野晶子、昭和に入ってからは谷崎潤一郎など、 著名な文豪も手がけました。 また現代語訳以外にも、現代風に書きかえられた小説やコミックなど、手に取り やすいものが増え、気軽に平安時代の貴族社会に触れることができますよ。   ●源氏物語|日本大百科全書・世界大百科事典 - ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=17 平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された長編の虚構物語。 正しい呼称は「源氏の物語」で、 「光源氏(ひかるげんじ)の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」 などの呼び方もある。 後世は「源氏」「源語」「紫文」「紫史」などの略称も用いられた。 主人公光源氏の一生とその一族たちのさまざまの人生を70年余にわたって構成し、 王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶(ゆうえん)に、 かつ克明に描き尽くしている。 これ以前の物語作品とはまったく異質の卓越した文学的達成は、 まさに文学史上の奇跡ともいうべき観がある。 以後の物語文学史に限らず、日本文化史の展開に規範的意義をもち続けた 古典として仰がれるが、日本人にとっての遺産であるのみならず、 世界的にも最高の文学としての評価をかちえている。 [秋山 虔]   ●源氏物語について - 和子/源氏物語 http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/genjimo.html 源氏物語は、平安時代中期1000年頃に、作者・紫式部によって書かれた世界最古の長編小説です。 その内容は、帝の御子でありながら源氏という臣下(ただ人)の身分に落とされ、皇位継承権を失った皇子(光源氏)の王権復活の物語で、当時の王朝貴族の華やかなりし時代を背景に語られています。  世界最古の長編小説「源氏物語」入門 http://wakogenji.o.oo7.jp/index.html 「和子/源氏物語」へ ようこそ http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/hajime.html   ●「紫式部の人生と源氏物語」(視点・論点) | 視点・論点 | 解説 2016年08月26日 (金) http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/251517.html 『源氏物語』は、天皇の息子・光源氏を主人公に、貴族たちの愛と人生を描いた長編小説です。物語は光源氏の誕生前から死後まで七〇年以上にわたり、登場人物は数百名に及ぶ大作であるとともに、文章の美しさ、盛り込まれた教養の豊かさ、人間洞察の深さなどにより、今なお日本文学の最高峰といわれる作品です。   ●女の大戦略! 紫式部が「源氏物語」を書いた切ない理由 | コラム ... https://www.tm-office.co.jp/column/20160328.html 2016/03/28 そこで今回は、切ない想いが約100万文字、54帖にもわたって綴られた日本最古の(世界最古とも言われている)大長編恋愛小説「源氏物語」に秘められた、千年の謎に迫ってみたいと思います……なんて言うと、きっと多くの源氏物語ファン ... ・ない想いを抱いたら「源氏物語」  切ない想いが約100万文字、54帖にもわたって綴られた日本最古の(世界最古とも言われている)大長編恋愛小説「源氏物語」に秘められた、千年の謎に迫ってみたいと思います……なんて言うと、きっと多くの源氏物語ファンから、こんなお叱りを受けるでしょう。  「えっ、そんな軽々しく源氏物語の謎に迫れると思っているの? これまで数えきれないほど多くの文学者や歴史学者が研究して、まだ分かっていないのに、素人がとんでもないことを言うな!」  もちろん、私も簡単に「千年の謎」を解き明かせるとは思っていませんし、私にできるとも思っていません。ただ、今の価値観をもって作者の紫式部の人生を深掘りすると、「人生がラク」になるヒントがザクザクと見つかるのです。  「紫式部がもし、今どきの女性だったら」――そんな視点で源氏物語が書かれた背景を読み解くと、びっくりするような“女の大戦略”が浮かび上がってきたというわけです。 ※源氏物語の解釈には諸説あります。これから展開する解釈に異論のある方は「こんな見方もあり得る」くらいの大きな心で、お許しいただければ幸いです。 ・紫式部はなぜ、“刺激的な”源氏物語を書いたのか   ●源氏物語 (げんじものがたり)とは【ピクシブ百科事典】 https://dic.pixiv.net/a/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E 紫式部による長編小説。最古のライトノベルとか最古の同人誌とかとも言われたりする。
恋愛というある種人間の不変のテーマを扱った作品であることから、近年でも小説やドラマに漫画、さらに恋愛ゲームの題材になるなど、様々なかたちで創作の素材になっている。
「世界最古級の長編小説」であり、時と所によっては「最古のライトノベル」「最古のナマモノ同人誌」等とも言われたりしている。 寝取られ(藤壺)、ヤンデレ(六条御息所)、ロリコン(若紫)と、現代の萌え要素が1000年以上前のこの時代に既にして完成していたことは、特筆に値する。なお、主人公の光源氏が、義母を父親から寝取ったり、幼女を誘拐したりした事については、話の中で、きっちりエグい報いを受けているので、ネタにする際は注意が必要。 政治に関する詳細については作中では少ししかでない。これは紫式部が女房という立場であったためで『源氏物語』には沢山の名前付きの女房が出てくる。 「若菜」は上下巻。巻名だけで本文の無い「雲隠れ」より後は光源氏の死後の話で、「橋姫」から「夢浮橋」までは宇治十帖と呼ばれる。「雲隠れ」を数えず「若菜」上下巻を分けてカウントすることもある また「桜人(さくらびと)」「巣守(すもり)」「輝く日の宮」「狭筵(さむしろ)」などのように現在まで伝わっていないが様々な文献上では現れる帖がある   ●源氏物語 (げんじものがたり) 防府歴史用語辞典 平安時代に紫式部[むらさきしきぶ]の書いた物語で、光源氏[ひかるげんじ]を中心に物語が進みます。全部で54巻あります。現在伝えられているものに、青表紙本[あおびょうしぼん]・河内本[かわちぼん]・別本[べつぼん]の3つがあります。 関連項目 防府の文化財「紙本墨書源氏物語」   ●登場人物の系図 - 和子/源氏物語 http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/keizu.html 第1部 桐壺(第1帖)~藤裏葉(第33帖) 光源氏の出生、継母藤壷への思慕、朧月夜との密会露見から須磨への流離を経て、 准太上天皇の地位を得るまでの栄華物語が綴られています。 ・光源氏(ひかるげんじ)父・桐壺帝の第二皇子。母が身分の低い更衣のため、「源氏」という臣下の身分に落とされ、皇位継承権もないままに育てられ、幼い頃から学問をはじめ琴笛に大層優れている。亡き母に大層よく似た継母・藤壷を慕い続けることから、愛の遍歴がはじまる。輝くばかり美しい容貌から光の君と呼ばれる。「源氏物語」は光源氏を主人公とした愛と栄華の物語である。   ●「早わかり!速攻!?源氏物語」 あらすじ 登場人物 - ZTV http://wakogenji.o.oo7.jp/index.html このページさえ読めば、源氏物語の成り立ちやあらすじがわかります。簡単な言葉を使い、1時間以内で読めるように要点をまとめています。登場人物の相関図、全文の現代語訳へのリンク、動画共有サービスによる映画「紫式部 源氏物語」も掲載しています。   ●この人物相関図、直ちに理解できたら神!「源氏物語」。 - ボンボン ... https://blog.goo.ne.jp/lunaluna0x0x/e/3348721a63f929d69ee86b768908e3ca 2015/05/30 こないだのマルガリータ王女だけどよ、近親結婚の例にもれず、 母の弟。つまり叔父と結婚してるのな。 ちなみにマルガリータの母マリアナは、初めはいとこと結婚するはずであったが、 彼が急死したために、その父。つまり伯父と結婚した。 二代続けての「おじ・めい」婚・・・ しかしこのパターンは、何を隠そうこの国の小説にもあった。 それは何かといいやすと・・・ 「源氏物語」。私は「あさきゆめみし」で読んでるけども、まぁエエやん。どっちも同じ。(笑) きょうび、たとえ現代語訳とはいえ、あの長大な王朝絵巻を文字で読み通せる人が そうそういるとは思えない。作者の大和和紀さんには感謝しても感謝しきれない思いだす。 この「源氏物語」は平安時代の上流階級の物語で、 登場するのは帝(天皇)を始めとする超セレブな貴族たち。 私がこれを読んでまず思ったのは、「近親結婚だらけ」・・・・ そう。今のシモジモの者たちには考えられないほど、 当時の貴人たちには近親結婚が当たり前だったみたい。   ●登場人物の関係図・六條院拝見・風俗博物館~よみがえる源氏 ... http://www.iz2.or.jp/rokujoin/jinbutsu.html 書物や絵巻物でしか味わえなかった源氏物語が立体になり、中には光源氏や紫上などの登場人物が配され、リアルに源氏物語 ... 桐壺院崩御後、東宮を守り源氏を後見者とするために自らは出家の道を選ぶ賢明さには、政治家としての資質を窺うことができる。   ●プレイボーイぶりに唖然!光源氏の愛した女性たち一覧 - NAVERまとめ https://matome.naver.jp/odai/2140836521438759901 2018/07/24 ☆現代だったら最低☆ でも一人一人に一生懸命な源氏の、代表的な妻、恋人一覧です。 年齢層やレパートリーの幅広さにも注目です。   ●【あさきゆめみし】光源氏と女性たち - NAVERまとめ 更新日: 2017年11月28日 https://matome.naver.jp/odai/2146072894313503201 源氏物語のマンガ化した「あさきゆめみし」は、 今でも受験生の古典のバイブル的存在です。 源氏は自分の周りの素晴らしい女性たちをどのように思っていたのでしょうか。   ●色んな人が描いてる!漫画「源氏物語」がカオスすぎるwww https://matome.naver.jp/odai/2142544844545464401 2017年05月12日 あの有名な「源氏物語」を題材にしたマンガについてまとめてみました。 「あさきゆめみし」だけでない、 源氏が栗になったりなめこになったりの漫画や、 男女逆転ネタやBLアンソロジーなども。   ●源氏物語/紫式部・光源氏|【あらすじ・解説】を世界一わかりやすく! http://www.xn--t8judv08rzua689koxn.com/2017/12/16/post-3316/ 更新日:2019年6月29日 今回は『源氏物語/紫式部・光源氏』として、
1、「源氏物語」ってどんな物語?(解説付き) 2、【あらすじ】を箇条書きで5分まとめ! の2つを中心に、 ”世界一わかりやすく” まとめていきます。   ●源氏面白あらすじ 桐壺編(光源氏誕生) https://youtu.be/5d8krfp76Ow 2015/11/21 勉強にも対応?? 古文の世界を面白おかしく学びませんか? 学問的な正しさは知りません。 面白くなきゃ勉強じゃない!がコンセプトです。 笑ってもらえれば幸いです。 続き→https://youtu.be/h9swx-DwT80 本文の解説動画→https://youtu.be/7DSjgr5aMwo   ●源氏面白あらすじ2(桐壺 光源氏の誕生) https://youtu.be/h9swx-DwT80 2015/11/24 今回は少し短めで作成してみました。 そして、桐壺の巻はこれでおしまいです。 次回から箒木の巻です。   ●3分で分かる源氏物語の大まとめ!  2016/05/09 https://vokka.jp/2729 「源氏物語」は日本最古の長編小説と言われています。名高い傑作であるため、日本人である以上、読んでおくと様々な場で役立つことは間違い無いのはわかっていても、やはり「内容が難しそう」という理由で敬遠してしまう方が多いのではないでしょうか。そんな方のために、源氏物語を大掴みで理解できるよう紹介します。 目次    古典作品は難しいと思われがち    源氏物語    映画化もされた!    もっと面白く読むために    平安時代の昼ドラ   ●『源氏物語』よくわかる まとめ「源氏が関係を持った女性達」 https://chokochan.com/1719.html 2018/03/02 源氏物語には母桐壺更衣からはじまって、女性がたくさん出て来ます。 特に源氏が元服してからは、 源氏��恋愛を中心に話が進みますので、 恋人が次々に出て、結婚も何度もします。 源氏物語の中で出会ってから亡くなるまでの生涯を遂げている人も何人も居ます。     ●源氏物語登場人物  http://www003.upp.so-net.ne.jp/ocharake/hito1.htm            http://www003.upp.so-net.ne.jp/ocharake/hito2.htm Part.1 光源氏 ひかるげんじ 言わずとしれた源氏物語の主人公! 典型的プレーボーイだよね。おまけにマザコン! 容姿端麗、頭脳明晰、お金持ちで、出世して、女性にまめ・・・ こうなれば、もてないわけ無いんだけどね。 でも母親である桐壺が源氏が幼い頃に亡くなってしまったので、 母の面影を求めて、母そっくりな藤壺をずっと、追いかける。 しかし、藤壺は、父である桐壺帝の寵愛姫であったので、 人目を避けて強引に過ちを犯してしまうんだけど・・・・恋は実らず。。。 その後、桐壺&藤壺にそっくりな、紫の上を手元で、自分好みに育てる。 結局、人生においては位をきわめて成功者だったけど、 愛においてはなんとも中途半端な生き方だったような。。 すべての女性に愛されたようで、 その実、誰からも愛されなかったような気がする。 関わった女性たちを傷つけて、 理想の女性を追い求めてさまよう。 金と地位にものを言わせて、いろんな女性に手を出す。 ただし、1度でも関わった女性には、 「誠意」を尽くそうとする。 芸能人で言うなら、”羽賀健二”あたりが近いんじゃないかな?? 彼も「誠意の人」なんて言われたよね。(笑) でも外見のイメージといえば、線が細い感じで、キンキキッズの ”堂本光一”なら、イメージ近いような気がするけどなぁ~   ●源氏物語あらすじ全まとめ。現代語訳や原文を読む前におさらい https://intojapanwaraku.com/culture/2493/ 2019/09/05 目次    源氏物語は世界最古の恋愛小説!    明かされる光源氏誕生の秘密        一帖 桐壺(きりつぼ)        二帖 帚木(ははきぎ)        三帖 空蝉(うつせみ)        四帖 夕顔(ゆうがお)    紫の上登場!        五帖 若紫(わかむらさき)        六帖 末摘花(すえつむはな)        七帖 紅葉賀(もみじが)        八帖 花宴(はなのえん)    屈辱に震える六条御息所        九帖 葵(あおい)        十帖 賢木(さかき)        十一帖 花散里(はなちるさと)    光源氏須磨へ!        十二帖 須磨(すま)        十三帖 明石(あかし)        十四帖 澪標(みおつくし)        十五帖 蓬生(よもぎう)        十六帖 関屋(せきや)    光源氏この世の栄華を極める        十七帖 絵合(えあわせ)        十八帖 松風(まつかぜ)        十九帖 薄雲(うすぐも)        二十帖 朝顔(あさがお)        二十一帖 少女(おとめ)        二十二帖 玉鬘(たまかずら)        二十三帖 初音(はつね)        二十四帖 胡蝶(こちょう)        二十五帖 蛍(ほたる)        二十六帖 常夏(とこなつ)        二十七帖 篝火(かがりび)    夕霧、紫の上に懸想する        二十八帖 野分(のわけ)        二十九帖 行幸(みゆき)        三十帖 藤袴(ふじばかま)        三十一帖 真木柱(まきばしら)        三十二帖 梅枝(うめがえ)        三十三帖 藤裏葉(ふじのうらば)        三十四帖 若菜上(わかなじょう)    女三の宮と柏木の秘密        三十五帖 若菜下(わかなげ)        三十六帖 柏木(かしわぎ)        三十七帖 横笛(よこぶえ)        三十八帖 鈴虫(すずむし)        三十九帖 夕霧(ゆうぎり)    紫の上死す        四十帖 御法(みのり)        四十一帖 幻(まぼろし)    光源氏亡き後の物語がスタート        四十二帖 匂兵部卿(におうひょうぶきょう)        四十三帖 紅梅(こうばい)        四十四帖 竹河(たけかわ)        四十五帖 橋姫(はしひめ)        四十六帖 椎本(しいがもと)        四十七帖 総角(あげまき)        四十八帖 早蕨(さわらび)    ��舟登場!        四十九帖 宿木(やどりぎ)        五十帖 東屋(あずまや)        五十一帖 浮舟(うきふね)        五十二帖 蜻蛉(かげろう)        五十三帖 手習(てならい)        五十四帖 夢浮橋(ゆめのうきはし)        輝く日の宮(かがやくひのみや)    おすすめ関連書籍はこちら 源氏物語は、約千年前紫式部によって書かれた世界最古の恋愛小説です。時代を超えて読み継がれてきた大河ドラマである源氏物語は登場人物が多く、今を生きる私たちにとってハードルが高いのも事実。そこで、現代語訳や原文に挑戦する前に頭に入れておきたい全54帖のあらすじをまとめました。ばくっとあらすじを覚えておくと、源氏物語の世界に没入しやすくなること間違いなし!   ●『源氏物語』開題-入門編   1998.9.05 http://www.asahi-net.or.jp/~tu3s-uehr/genjimemo.htm    本解説は 『古典講読 源氏物語・大鏡』(角川書店・1998)によります。 入門編  「成立」 作者の『紫式部日記』によれば、寛弘五年(1008)に、『源氏物語』の手稿本が藤原道長の命によって持ち出され、次女の妍子に献上されたことが知られる。同じ頃、一条天皇が『源氏の物語』の朗読を聞いて、作者を前に「この人は日本紀を読みたるべけれ」と感嘆したことから、紫式部が他の女房に「日本紀の局」とよばれるようになった由来を記している。ただし、この物語に関する資料は、この日記の記述のみであり、成立過程等の詳細は一切不明と言う他はない。  「書名」 前記『紫式部日記』に『源氏の物語』と見えている。やや時代は下って菅原孝標女の『更級日記』治安元年(1021)にも、「叔母なる人」から『源氏の物語』が贈られた記述が見えることから、この物語の書名は、主人公光源氏の物語として流布したことがわかる。そもそも、先行する物語でも『竹取物語』『落窪物語』などのように主要人物の名が物語の書名になることは多い。   ●図書カード:源氏物語 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5016_9758.html 桐壺 紫式部 與謝野晶子訳  紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし      (晶子) どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。 最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。 その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焔を燃やさないわけもなかった。   ●あなたはどのタイプ?『源氏物語』に登場する魅惑の女性キャラからモテるための秘訣を学ぶ【文学恋愛講座#5】 https://pdmagazine.jp/works/genji-monogatari/ 今から1000年以上も前に書かれた長編小説、『源氏物語』。光源氏の心を射止めた女性キャラクターのうち、あなたは誰にあてはまるのでしょうか。診断チャートでチェックしてみましょう!   ●源氏物語の世界にどっぷり浸れる「宇治市源氏物語ミュージアム」 https://travel.navitime.com/ja/area/jp/guide/NTJsingle0001902/ 2016/10/13 「宇治市源氏物語ミュージアム」は、平安時代半ばに紫式部によって書かれた長篇小説『源氏物語』をテーマにした日本で唯一の美術館。映像によるあらすじの紹介や牛車や十二単なども展示されています。 三部構成になっている物語の最後の十帖は宇治が主な舞台。「宇治の間」へと続く「架け橋」は平安京から宇治への道中を体感することができ、ゆかりの地として日本最古の恋愛小説『源氏物語』の世界を身近に感じることができます。   ●源氏物語 - Wikipedia http://bit.ly/z2QQE3 源氏物語(げんじものがたり)は平安時代中期に成立した日本の京都を舞台とした長編物語、小説である。文献初出は長保3年(1001年)で、このころには相当な部分までが成立していたと思われる。 度々喧伝されている「世界最古の長篇小説」という評価 一条天皇中宮・藤原彰子(藤原道長の長女)に女房として仕えた紫式部が作者というのが通説である。 古写本は題名の記されていないものも多く、記されている場合であっても内容はさまざまである。 『源氏物語』の場合は冊子の標題として「源氏物語」ないしそれに相当する物語全体の標題が記されている場合よりも、それぞれの帖名が記されていることが少なくない。こうした経緯から、現在において一般に『源氏物語』と呼ばれているこの物語が書かれた当時の題名が何であったのかは明らかではない。 古い時代の写本や注釈書などの文献に記されている名称は大きく以下の系統に分かれる。 「源氏の物語」、「光源氏の物語」、「光る源氏の物語」、「光源氏」、「源氏」、「源氏の君」などとする系統。 「紫の物語」、「紫のゆかり」、「紫のゆかりの物語」などとする系統。 これらはいずれも源氏(光源氏)または紫の上という主人公の名前をそのまま物語の題名としたものであり、物語の固有の名称であるとはいいがたい。 また、執筆時に著者が命名していたならば、このようにさまざまな題名が生まれるとは考えにくいため、これらは作者によるものではない可能性が高いと考えられている。   ●源氏物語の写本 http://bit.ly/yT7dxi 日本の古典文学を代表する作品である源氏物語には数多くの写本が残されている。 日本でも木版による印刷技術は飛鳥時代から存在したものの、それによって印刷されたのは仏典や漢籍に限られており源氏物語のような文学作品は長く「印刷」される事は無かった。 そのために、源氏物語は平安時代中期に著されてから江戸時代初期までは写本でのみ読むことが出来た。 それ以降は古活字本を始めとする印刷本が流布する事になって行く。   ●成立・生成・作者に関する諸説 https://ja.wikipedia.org/wiki/成立・生成・作者に関する諸説 現在では3部構成説(第1部:「桐壺」から「藤裏葉」までの33帖、第2部:「若菜上」から「幻」までの8帖、第3部:「匂宮」から「夢浮橋」までの13帖)が定説となっているが、その成立・生成・作者・原形態に関しては古くからさまざまな議論がなされてきた。以下に、特に重要であろうと思われるものを掲げる。 作者は誰か 通説 紫式部 一条天皇中宮・藤原彰子(藤原道長の長女)に女房として仕えた紫式部が作者というのが通説である。物語中に「作者名」は書かれていないが、以下の文から作者は紫式部だろうと言われている。    『紫式部日記』(写本の題名はすべて『紫日記』)中に自作の根拠とされる次の3つの記述        藤原公任の「源氏の物語の若紫」という呼びかけ。        一条天皇の「源氏の物語の作者は日本紀をよく読んでいる」という述懐により日本紀の御局と呼ばれたこと。        藤原道長が源氏の物語の前で好色の歌を日記作者に詠んだこと。    尊卑分脈の註記    後世の源氏物語註釈書 「  「左衛門督 あなかしここのわたりに若紫やさぶらふ とうかがひたまふ 源氏にかかるへき人も見えたまはぬにかの上はまいていかでものしたまはむと聞きゐたり」  」 —底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本 「  「内裏の上の源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに この人は日本紀をこそよみたまへけれまことに才あるべし とのたまはせけるをふと推しはかりに いみじうなむさえかある と殿上人などに言ひ散らして日本紀の御局ぞつけたりけるいとをかしくぞはべる」  」 —底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本 「  「源氏の物語御前にあるを殿の御覧じて 例のすずろ言ども出で来たるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる すきものと名にしたてれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ たまはせたれば 人にまだ折られぬものをたれかこのすきものぞとは口ならしけむ めざましう と聞こゆ」  」 —底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本 「  「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」  」 —『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』 紫式部ひとりが書いたとする説の中にも以下の考え方がある。    短期間に一気に書き上げられたとする考え方    長期間にわたって書き継がれてきたとする考え方。この場合はその間の紫式部の環境の変化(結婚、出産、夫との死別、出仕など)が作品に反映しているとするものが多い。   ●物の哀れ http://bit.ly/wDLkRy もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)とは、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁。日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。
「もののあはれ」の発見 江戸時代後期の国学者本居宣長が、著作『紫文要領』や『源氏物語玉の小櫛』において提唱し、その頂点が『源氏物語』であると規定した。
江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教から生まれた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その概念を前提にして議論され語られた時期があった。この理念の発見はそれを否定し、新しい視点を生み出したことになる。
●勧善懲悪(かんぜんちょうあく)http://bit.ly/zT4VzT 「善を勧め、悪を懲しめる」ことを主題とする物語の類型の一つである。 勧懲(かんちょう)と略して使われることもある。欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型と比較できる。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
●源氏物語の世界 http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/ 本文、現代語訳を注釈付きで掲載。その他、関連資料を紹介。 定家本「源氏物語」本文の研究と資料 映雪荘 季節の暦(早春 立春から啓蟄まで)   ●源氏物語(トップ)http://www.genjimonogatari.net/ 源氏物語入門、源氏にぴったりのステキBGMを楽しんでください。 源氏をわかり易く、 楽しく、映像的に美しく魅せます。 「源氏物語」登場人物、あらすじ、人物系図等、常に 進化し続ける源氏を長い眼でお楽しみください。 源氏物語ホーム トップあらすじ登場人物人物系図あとがきリンク集更新日記メール画面を閉じる ◆源氏物語絵詞・第二図◆ 鎌倉時代、十三世紀後半(徳川美術館蔵) 背景画は、邸内に忍び入った匂宮が縫物をする女房たちのなかに、浮舟を確認する場面である。 図は「源氏物語」浮舟の前半と蜻蛉の一部を合装しており、全三十四紙分(うち白描の挿絵三図)が現存している。 柔軟性をもった格調高い細線を主に、人物の形態を的確に描き出し、頭髪や冠などを濃墨で塗りつめた「白描絵」の中でも最も古風な画風を示している。 本来は冊子本の形態をとっていたが、江戸時代には屏風に貼込まれ伝来し、近年になって順序を正し巻子装に改められた。絵巻ではないが、物語絵の古例として貴重である。   ●紫式部【源氏物語】第1話〜ロイヤルサクセスパニックラブストーリー感動巨編 2019/12/18 https://youtu.be/YYq2Gyp7c1M?list=PLZBrDKKxkxdgY5OEnpFBRQSW2Iv-ZmGTo   ●Hoàng tử Ánh Sáng_Hikaru Genji Monogatari Ep1 千年の恋 ひかる源氏物語 https://youtu.be/k83Xk4i7Ubg Hoàng tử Ánh Sáng_ Hikaru Genji Monogatari Ep2 年の恋 ひかる源氏物語 https://youtu.be/t1-nWT6WBBM   ●第4話 紫式部が言いたかったこと 【CGS ねずさん】  2014/12/04 https://youtu.be/0zfdt9QFmz0 紫式部と言えば源氏物語であり、世界最古の女流文学者と言えるでしょう。 彼女が生涯に詠んだ和歌の中から、一首紹介致します。 しかし最近の解説書では本来の和歌が改変され、意味が変わってしまっています。 和歌の原点は、少ない情報から状況を察することにあります。   ●源氏入門   http://bit.ly/yckL4J 「源氏物語」との出会いのきっかけと、その入門の参考になれば幸いです。 きっと「ぼけない」「若返り」のいいクスリになると思います。   ●源氏物語『源氏物語』原文とその背景を読む http://heian.cocolog-nifty.com/ このBlogでは、基本的に1記事読みきり・順不同で、『源氏物語』の場面解釈や物語に描かれた儀式・習慣、ゆかりの地などをご紹介しています。   ●源氏物語の世界 再編集版  http://www.genji-monogatari.net/ このページは高千穂大学の渋谷教授が公開しているホームページ「源氏物語の世界」を再編集したページです。
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ysnsgt · 4 years
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2019年よんだ本まとめ
前回の記事からだいぶ間が空いてしまいましたが、やっとまとめたよ。活字11��、漫画2作計4冊、合計15冊でした。活字は他にもたんと(薄めながら約20冊)読んだのですが、すべて一般流通してない本なのと私の素性と直結しすぎてるので伏せておきます。
見返してみるとだいたい山姥切のための下調べに1年を費やした感がありました。完全に現実を侵食されている。お陰で3次元生活が楽しいです。
■戦国史 上州の150年戦争(編:簗瀬大輔)
足利市「山姥切国広展」で開催された長尾顕長講演会の講演者様のご著書。やけに気になって買ったら長尾顕長、実家の由良(横瀬)氏とその主家・岩松氏、実母方の赤井氏の詳細をはじめ戦国期における上野国の情勢がまとまってて泣きながら読んだしひれ伏した。
何度でも読み返したいし、色んな方がご執筆されてるので今後気になったことも調べやすくなった気がします。そしてやはり現地の人に聞いたり現地で調べるのが一番確実だな……とこの本を通して気づいてしまい、この辺から私の遠征欲がおかしなことになっていった。
■疲れない身体の作り方(小笠原清基)
小笠原流礼法(弓馬術礼法の方)をおすすめされ、それならと取り敢えず手に取った本。現ご嫡男(というワードが現在に生きているだけで面白い)のご著書で、現代的な感覚、かつ小笠原流の信条(?)と同じく「実用・省略・美」に基づいた文章で読みやすくも分かりやすい。いやほんとあまりに美しい文章に泣いてしまった。
曰く身体の動きを整えることで心身への負担を減らし効率的に筋力も鍛えられて結果疲れないし疲れにくい体にもなるという話だったかと。試してみたらほんとだったよ。すごいな小笠原流(頭の悪い感想)。
■入門 小笠原流礼法(小笠原清忠)
こちらは現ご宗家(というワードが以下略)のご著書。上の世代の方の文だからか、理解が追いつくのにちょっと努力が必要だった記憶。とは言え実践できる情報量はこちらの方が格段に多く、なるほど「入門」書という印象。
トップクラスの武家に浸透していた礼法なので参考資料としても最高だな、と不純ながら思ってしまいました。しかし実践すれば自分が楽になるしたぶん品位も上がれば知欲も満たせ、あらゆる方向で活用できて最高では。
■史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち(飲茶)
押し付けらr もといお貸し頂きました。タイトル通り、インド、中国、日本を中心とした東洋哲学の変遷を紹介した本。著者はブロガーなんだろうか、web的なライトな文章で濃厚な説明をガンガンされてめちゃくちゃ楽しかったです。
お陰でFateと刀剣乱舞への理解が深まったよ!! オタクすぐこういうこと言う。あと5回くらい読んで原典にも当たってみたい。
■新田岩松氏(峯岸純夫)
著者は解析不能と言われた関東戦国時代にメスを入れた先駆者……だったかな。山姥切、を作らせた長尾顕長、の実家の由良(横瀬)氏、の主家である岩松氏、の平安~室町期の流れを説明した本。
興味のある時代には直接関わって来ないのでぼんやり読み流しちゃったけど(とは言え目論見通り横瀬氏は登場して万々歳)、いつか再挑戦したいなぁ。
■異界と日本人(小松和彦)
大好き小松先生のご著書。たしか息抜きに読んだんだったか。
中世に創作された平安期舞台の怪異退治譚の意義とか、中世に陰陽師と山伏は繋がっていたとか、一条堀川は鬼と戦う陰陽師が住んだ場所とか、心を潤すために読んだのに山姥切方面に活かせそうな情報が盛りだくさんでテンションおかしくなってた記憶。やっぱりこういう方面の読書が一番楽しいなぁ。
■鬼と日本人(小松和彦)
同上。こちらでは退治された後「宇治(平等院)の宝蔵」に収められたと語られる(≒レガリア化する)怪異の紹介などがあり、やっぱり刀剣乱舞とか刀剣説話方面に心が潤いまくりました。
『呪いと日本人』『神隠しと日本人』も同シリーズのようなので、今年中に読みたいところ。
■酒天童子絵巻の謎(鈴木哲雄)
上記小松先生のご著書でも紹介されてた酒呑童子退治譚の最新研究の成果。小松先生は「朝廷のために再生産された“神話”」と説明してたと記憶してますが、こちらでは中世坂東武士(千葉氏)の権威づけとして修験者(山伏)に創らせた話とのこと。
そういうこともあるか、と読んでたらこの千葉氏、先述した岩松氏と姻戚関係だったらしくてひっくり返りました。息抜き読書とは。
■新田一族の戦国史(久保田順一)
息抜きを終えてまた調べ物に戻って読んだ本。戦国時代における新田岩松氏と、後に実権を掌握し新田由良氏を名乗る家臣・横瀬氏の動向を説明した本。先述した峰岸純夫『新田岩松氏』の後の時代を押さえていて丁度良かった印象。
横瀬氏のことはお陰でだいたいわかったし、当たるべき史料集にも目星がつきました。あとやっぱ関東戦国期���色んな勢力が絡むから幅広い調べ物しないと全然わからなそうだな!!(血涙) が、がんばろう……。
■戦国大名北条氏(下山治久)
よく行く所に置いてあって、これも運命かと読破した。お陰で北条氏の基本的な動向がわかりました。ただ良くも悪くも出来事や背景を端的にまとめた本で内情がよくわからなかったような……まぁその辺は追って調べればいいだろう(死んだ目で)
当たり前と言えば当たり前だけど、由良氏や足利長尾氏のことも出てきてテンション上がりました。やっぱあのニ家は上野国支配の要だったんだなー。
■詳説 刀の鑑賞(基本と実践)(中原信夫)
入手してしばらく放置……もとい温存してた本。「五箇伝は使えど使われるな」とか現行の主流な意見によく反論してたり物理方面というか実用品としての刀の構造、意義に言及してたりでめちゃくちゃ楽しく、図も豊富でわかりづらくて最高。
刀剣鑑賞系では一番好きな本だけど、これを理解できるようになるにはこれまでの蓄積が必要だっただろうしで結構感慨深い。あと3回くらい読みたいです。
■英霊剣豪七番勝負1,2巻(渡れい)
買うしかなかったし今後も買い続けるしかない。今どき珍しい全アナログの画面が和風の世界観とよく合っててすっっっごい見応えがあります。けど絵として見るには美しくとも漫画として読むには時々引っかかってしまい……慣れの問題かなぁ。
目当ての佐々木は描写が解釈違いではあるのだけど、話の構造的にたしかにこう見せるべきだよなぁとも思うし、当カルデアとは関係ないのでまぁいいです……。
■魔法にかかった新学期1,2巻(ひかわきょうこ)
転入先の高校校舎に閉じ込められ魔に狙われるも、クラスメイトと幼馴染の教師と力を合わせて回避しつつ浄化して脱出するお話。
だいすきひかわきょうこさんの最新作。長らく気になってましたがやっと読みました。時代設定は違うものの描かれてるものが『御伽もよう綾にしき』と通じており、何より優しくきらめいた世界観が相変わらずのザ・ひかわきょうこ! て感じで癒やされながら読めました。
ところで『御伽もよう綾にしき』の続きって……あるんですかね……いやこれも楽しいしひかわさん作品なら何でも楽しめるんですけど、直垂ポニテ武士というド性癖がですね……。
以上! 今年も調べ物がんばるぞ(白目)
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