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#バカの語源
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馬鹿の語源
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紀元前200年の中国で秦の始皇帝の車馬係だった宦官の趙高(ちょうこう)が、始皇帝の死を機会に権力を得ようと始皇帝の遺言書を改竄して末子の胡亥を皇帝にすることで国政を執るに至る経緯で、左丞相の李斯(りし)に「胡亥は馬と鹿の区別もつかない愚か者だから2世皇帝に相応しい」と陰謀を企てたという史実を元に〝馬と鹿の区別もつかない愚か者〟から「馬鹿=無知」と日本に伝えられたのが〝馬鹿の語源〟となった。
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しかし中国の故事では、当時の胡亥は12歳と幼く、本来の意味は日本で言う「権力者がカラスは白いと云えば、黒いモノも白だと答える」と言うエスカレーションのことで「人を威圧して、まちがいを押し通すこと」の例えになっている。
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左丞相となった趙高が自分の権勢を示す為に家臣の前で鹿を馬ですと胡亥に献上したもので、胡亥が「鹿を謂いて馬となす」というと趙高は家臣に「これは馬か鹿か」と問う。この時「馬」と答えた家臣を死罪に追い込み恐怖政治を行った。
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2000年に発見された『趙正書(ちょうせいしょ)』の記述では、秦の始皇帝趙正には20人以上の後継候補がいたとされ、中でも18番目の胡亥は趙正に寵愛されていたことが判っている。
それまでの史実とは解釈が違っていると専門家が議論している。
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『趙正書』の記述によると、趙正(秦始皇帝)が長子の扶蘇を2代目に即位される様に文書を残して旅に出たが、旅の帰り道で急病になり死を悟り、左丞相の李斯(りし)と右丞相の馮去疾(ふう きょしつ)に後継者について今す��議論するよう伝えた。
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2人は末子の「胡亥」を後継者とするように進言し、それを始皇帝が裁可したとある。
紀元前210年に旅の途中で秦の始皇帝趙正は急死(49歳)した知らせを受けた趙高(ちょうこう)は、胡亥を2世皇帝に即位させる為に奮闘する。
趙高は、始皇帝に抜擢されて宮中の車馬係となった宦官だったが、権力を得る為に人生をかけた人物だった。
最終的に幼い胡亥は「扶蘇を廃して胡亥が太子として立つ」という趙高の謀略に同意してしまう。
胡亥が太子に即位すると趙高は長子の扶蘇(ふそ)と将軍の蒙恬(もうてん)を死罪に追い込み趙高が丞相と御史大夫の職務に就くことに成功する。
更に趙高は権力を絶対的なモノにする為丞相の権力を悪用して過酷な法律を次々と作って政治を思うがままに操るが、咸陽へ向かう劉邦と使者を派遣して秘かに通じていたことが2世皇帝に即位した胡亥にバレそうになると子嬰(しえい)と陰謀しクーデターを起こし胡亥を自殺に追い込んだ。
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紀元前207年、趙高は後継に公子である子嬰(しえい)を立て秦王として擁立する。
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しかし、趙高が楚(劉邦)と約束して、秦の宗室を滅ぼして関中の王になろうとしていることを知り、将軍「章邯(しょう かん)」に命令し趙高を殺害させた。
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楚の将である劉邦は秦軍を破って、武関を突破。
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子嬰が3代目に即位した46日目の紀元前206年10月、劉邦はさらに、秦の下嶢と藍田を攻め、張良の策により、戦わず秦を降伏させ秦王朝は滅んだ。
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takigawa · 6 months
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ギャルの間で流行っているらしい言葉「よさってる」の意味が「髪がぐちゃぐちゃ」らしく、その語源が “与謝野晶子→乱れ髪” からきているのを知ってもう最近の子はバカなのか賢いのかわかんない。 — ゆぅ (@yuuu_loove) November 19, 2013
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ari0921 · 11 months
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我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残ってい���す。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する���家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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nemosynth · 1 year
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episode 2 - CASIO CZ-101
史上初の民生機デジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の 挑戦者として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。
♬     ♬     ♬
創業者たち、その名も“樫尾さん”という苗字の四兄弟に由来するメーカー“CASIO”。1970年代からハイテクな電 子計算機やコンピューターを開発製造販売し、そしてG-SHOCKなど腕時計関連で名機を輩出させたことで有名。
1979年あたり、既にYAMAHAは小型でプリセット音色のみを搭載した電子楽器“ポータブル・キーボード”を発 売予定であることをNAMM Showでアナウンスしていた。ご家庭向けにエレクトーンを小型化したような文脈で考 えていたらしく、むろん販路は正しく楽器屋さん。その予告通り初代ポータサウンドことPS-1(鍵盤Fスケール2 オクターブ半)、PS-2(同3オクターブ)、PS-3(同3オクターブ半)の三羽ガラスが発売されたのが 1980年。 だがその出鼻をくじくかのように、CASIOは初代カシオトーン“CT-201 Casiotone”を、同年1月に発売したの である。しかも販路は電気屋さん! はなから楽器を相手にしていないエンタメ志向。
世の中アナログ・シンセしかなく、ましてや翌年にその王者ROLAND Jupiter-8が出るなんて誰も知らなかった 1980年1月、なんとCT-201は既にデジタル音源を搭載。計算機メーカーが楽器を作るだなんて無謀なことをと誰もが笑ったというが、なにしろ“デジタルはカシオ”(というCMが当時ありました)。デジタル・テクノロジーが可 能にせしなんぴとたりとも追いつけない価格破壊と優れた仕様と楽しい性能で、あっというまに低価格のご家庭用 お楽しみ電子楽器ファミリー向けプリセット型キーボードという世界を築き上げ、ゲーム・チェンジャーとなった ことは周知の通り。
1980年にして既にデジタル・シンセシスを搭載したCT-201。8音ポリ4オクターブ49鍵、ベロシティには対応 せず音色エディットも不可。その代わりプリセット29音色(YAMAHA初代ポータサウンドは4音色のみ)。スピー カーを内蔵しているので音も出る自己完結型の電子鍵盤楽器。9万7千円は高いと思われるであろうが、当時のシ ンセはアナログ・シンセばっかでポリシンセと言えば何十万円、モノシンセでも10万円前後というときに、ホー ム・マーケットへ向けて電子ピアノでもオルガンでもシンセサイザーでもない8ボイス・キーボードが、しかも飛 びきりの安価で殴り込んでくるとは誰も予想だにしなかったのである。
「電卓屋」とバカにされたCASIOには、だからこそ大きな武器があった。デジタル技術と生産技術である。
当時CASIOのデジタル技術は、YAMAHAよりも5年は先をゆくものであったという。そして絶対に売れるものを徹底的に量産する。それも安定してクオリティをキープしつつ、ありえない低価格で桁外れな数で大量生産。ここで忘れていけないのは、“数撃ちゃ当たる”とよく言われるが、“数撃ちゃハズレはもっと増える”のである。ハズレ撲滅! 花形の設計開発エンジニアたちがヒーロー・インタビューに応える影で、撃って撃って撃ちまくれの檄 (ゲキ) が飛ぶ中、ハズレ撲滅のためいかに製造/資材調達/品質管理の現場の皆さんが頑張っておられるか、それは美しきにっぽんのものづくり。不良率低減の5文字こそが工業立国メイド・イン・ジャパンの生命線。卓越したプロダクション・テクノロジー、イギリス英語ではインダストリアル・テクノロジー。廉価版デジ タル音源キーボードをしかも圧倒的な台数で作るというのは、実は電卓屋CASIOが電子楽器をして量産品にまで押 し上げし歴史的メルクマールですらあった。
庶民の味方カシオトーンはあっという間に新しい市場を開き、すぐさま自動伴奏機能が付いてファミリー向けの 定番となり、光ナビゲーションはもちろん、バーコードを楽譜の代わりに読み込むバーコード・リーダー搭載モデ ルまで出現、この痛快なる常識破りっぷりが大ウケ。音色やリズム・パターンのバリエーション急拡大。YAMAHA ポータサウンドと一騎打ち。
そして“子音母音方式”とも呼ばれたカシオトーンの音源方式は、その名の通り子音と母音、つまりアタック・ト ランジェントと持続音部分という2つの音色をまさに部分音合成するものであった。カシオトーンはその後のデジ タル・シンセのあり方すらをも予見させる迫力に満ちた先駆者でもあったのである。ROMに言わばエンジニア様直 筆の手描き波形まで仕込んだらしいから、すごいねぇ。
そのCASIOが家庭用キーボードからさらに一歩踏み出し、プロ用シンセを手掛ける初めとなった、いわばパイロ ット・モデルのような機種がようやくここで紹介するCZ-101。ときに1984年11月。
♬     ♬     ♬
MIDIが誕生すると同時にYAMAHA DX7が発売され、あっという間にアナログ・シンセが過去の遺物として片付 けられてしまってから1年。カシオが突如として発売した同社初のシンセCZ-101。それはDXへの最初のチャレン ジャー、デジタル・シンセ対抗馬、YAMAHAにしてみれば“またお前か!”と言いたかったやも。ミニ鍵49鍵とい うかわいいフォーマット。エンド・ピンも付いてダサかっこいい肩掛けもできる。そのポップで直線的な80'sデザ インは立花ハジメによるもの。のちのポップなカラーリングになった上位機種たちに比べれば、CZ-101のそれはま だまだ地味。だが既にDXとは全くテイストの異なる外観に、CASIOがYAMAHAの対抗馬となる片鱗が見えてい た。
だがいくらカシオトーンで成功していたとはいえ、さらにそこからいきなりヲタでニッチなデジタル・シンセへ と跳躍するには、持ち前の大量生産技術だけにとどまらないCASIOなりの勝算があったはずである。
まず計算機メーカーだったカシオは、その中枢となるデジタル演算を行うICチップなんぞいくらでもNECや日立 などから買うことができる大口の大得意様であった。というのも電子楽器のために特化したICを作るとなると、仕 様が特殊であるだけでなく計算機などと比べても圧倒的に販売台数が少なく採算割れするため、作ってすらもらえ ない。だが電卓屋カシオは既にチップ・メーカーからすれば御大尽さまご贔屓さま、むしろどんどんチップ・メー カーの方からさまざまな売り込みがあったはず。事実CZ-101には他社に作ってもらったICがたくさん搭載され、そ れでもって音源回路となした。電卓屋カシオ面目躍如!
また徹底してコスト・ダウンすべく鍵盤におもりやスプリングなど付けることもなく、鍵盤下に敷いたゴム・ス イッチそのものにいきなり鍵盤を載っけて直接支えさせ、ぷにゅぷにゅ言わすことで鍵盤の反発力を生じさせてい る! すなわちYAMAHAのように楽器屋さんとしてのプライドと歴史からタッチ・センスにこだわるのではなく、 逆転の発想でタッチ・センスを省くことでしがらみから解放され、画期的にコスト・ダウンして斬り込んできたの である。しかも打鍵の強弱に左右され��いおかげで、誰が弾いても一定のクオリティとなるを担保。旧態依然とし た楽器にとらわれない、計算機メーカーならではの自由な発想であろう。
さらにカシオトーンに欠かせない自動伴奏機能からヒントを得たのであろう、マルチ音源化。そしてお得意のミニ鍵でもって設計リスクの小さなパイロット機種となし、かくしてCZ-101はCASIO初の量産型シンセとして、しかもアナログ・シンセではなくいきなりのデジタル・シンセとして飛び出した。
「Xの次はZだ!」
デジタルYAMAHAへの挑戦状を最初にたたきつけた思わぬ伏兵、CASIO CZシリーズ。ラインナップ急拡大。しかもヤマハDX9の失敗を見て、19万8千円がタッチ・センスなし機種として許される上限価格と見極めたのであろう、フラッグシップ・モデルCZ-5000とCZ-1とが、共に19万8千円で誕生。楽曲制作かプレイヤー志向かの二者 択一。史上2番目の民生機デジタルは、だがタッチ・センス無きビンテージ・アナログの戦略を踏襲しつつ、それ を画期的にデジタルで換骨奪胎して提示してみせた知恵者であった。
同じことは、カシオ独自のPD音源(Phase Distortion Synthesis)にも言える。FM音源と同じく位相変調方式 であり、サイン波の代わりにコサイン波を使うことでYAMAHAにシバかれた音源方式。だが、傍目にはただのデジ タル化された減算方式にしか見えぬ。DCO→DCW→DCAというフローに隠されたモジュレーターとキャリア。 DCWに至ってはDigital Controlled Waveという名の謎のモジュール。計33種類に達する音源波形なるものがもた らす音の多彩さは、とてもアナログ・シンセの比でない。レゾナント波形もあるばかりか、パルス波1波/サイン 波1波/ノコギリ波1波の3つが交互に出現するという、キテレツな波形もある。
そればかりでない。CASIOの鋭さは、アナログであればカットオフとEGデプスに分化しているパラメーターを一 つにまとめた合理化センスにもある。前例主義や様式美なお作法に対し、ちゃんと注意を払って革新しているので ある。トドメはYAMAHAですら採用しなかった8ステップのエンベロープ・ジェネレーターを、しかも音程、音色、音量の3ブロック個別に持つことで、アタック・トランジェントすらをもEGで自作できるというぜいたくさと 柔軟さを誇ったこと。すなわちトランペットを吹くときに唇が震えるリップ・ノイズ、撥弦楽器の弦のビビリなど など、のちのサンプルのような鏡写しでは無いにしても、キッチュながらリアルな独自のキャラを持つに至った。 アナログな音も、デジタルな音も、サンプラーのような音までもが出る万能シンセ! それがこんなちっちゃいボ ディで乾電池で駆動までできる! シンセ界のスイス・アーミー・ナイフのような機種、それが驚きの隠し玉CZ- 101。
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かくして音創りしやすい減算方式にしか見えないのに、新しい音がするところにデジタルが切り拓く未来があっ た。しかもサンプラーではなくシンセであり、PCMでもないが故、かえって自由に音創りできたところはシンセの 本分をよくとらえている。リング変調やノイズ変調まであり、CZシリーズ上位機種に至ってはぜいたくな三相コー ラスを備えるなど、画期的コスパも発揮。
なお、DCOという言葉が使われているが、本来DCOとはピッチのみをデジタル制御させたアナログ・オシレータ ーを意味する。だがCASIOが言うDCOとは実はDCOではなく、フル・デジタル・オシレーターであり、すなわち DOとも言うべきもの。この混同が、他のDCOシンセをしてVCO原理主義者アナログ・シンセ警察から“音が薄 い”などと因縁を付けられる要因になったやも。よもやクラブ・ミュージックにおいてCZの音が“デジタルなのにあ ったかい”などと重宝されることになろうとは、一体誰が思い描けたことであろう。
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一連のCZシリーズを展開する傍ら、CASIOは史上初の16ビット・サンプリング・シンセFZ-1、高橋幸宏のタイ コの音を搭載した言わばシグネチャー・モデルみたいなサンプリング・リズムマシンRZ-1、同じく幸宏が開発にか かわったデジタル・ドラム・セットDZ、音符マークが付いたボタンまで搭載し分かりやすい単体シーケンサーSZ- 1、なんとMIDIスルー・ボックスTB-1に至るまで、一気に電子楽器ラインナップを広げた。CZ-101から4年後には 次世代モデル、それもフルモジュラーなiPD音源(interactive Phase Distortion Synthesis)搭載デジタル・シ ンセVZ-1や、同音源を搭載したギター・シンセPGシリーズまで投入。
さらにはアドバイザーだった冨田勲のために和製Synclavier的な巨大ワークステーション・システム“Cosmo Synthesizer”も制作している。これはCZ-101に先行する極めて大規模な実験機種であり、MS-DOSマシンを中核 とし、PD音源モジュール8基、サンプラー音源モジュール2基が組み込まれたラック・タワーがそびえ、波形も音 色もシーケンスも専用PCエディターで編集し制御するのであった。それを冨田勲さんはメディアアート・イベン ト“アルス・エレクトロニカ”の一環としてオーストリアはリンツのドナウ河畔で開かれた超巨大立体音響野外コン サートに使った。CZシリーズが別名“コスモ・シンセサイザー”と称されるのは、これに由来する。
最初にMIDI規格を立ち上げたときにはかんでいなかったCASIOが、さりげなくCZを4パート・マルチティンバ ー仕様にしてきたことも先を見越した鋭さであろう。MIDI制定にカシオは関与してこなかったのに、それでいてそ の本質を見抜いた慧眼(けいがん)はやはり初めからデジタルに強いメーカーならでは。先述のCZ-5000はマルチ 音源であることを利用し、KORG M1に先駆けたワークステーション・シンセとなった。このマルチティンバーを生 かした進化形には SD音源(Spectrum Dynamics Synthesis)を搭載したシンセHZシリーズからHTシリーズへ と進化した“自動伴奏シンセ”まであった。
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史上初のデジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の挑戦者 として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。YAMAHAに挑み、その好敵 手となったのは実は門外漢だったはずのCASIOであった。
得意のデジタル・テクノロジーでもってシンセ界に殴り込んできたカシオ。他社がデジタル化に乗り遅れうろた えているときに、逆にしょっぱなからデジタルで斬り込んできたCASIO。楽しく音楽するためには、必ずしもシン セは楽器でなくてもいいと見抜いていたCASIO。楽器たるしがらみにこだわったYAMAHAとは真逆に、楽器メーカ ーでは無いからこそお気楽に楽しめる別な楽器の世界があると知っていたCASIO。優れたプロダクション・テクノ ロジーでもって親しみやすさ分かりやすさを命題としたCASIO。お高くとまった楽器にきっついブローをかました CASIOは、その実フレンドリーな庶民の味方であった。
外様だったはずのCASIOが暗に掲げたのは、楽器の民主化であった。いや、外様だったからこそ楽器の民主化を 掲げたのであろう。CASIOが実現したのは既存メーカーがなし得なかった価格破壊だけでない。CZを踏まえて登場 した自動伴奏シンセを、だっさいなどと思うことなかれ。弾くのがややこしい伴奏もノー・プロブレム、マルチテ ィンバー音源とマルチトラック・シーケンサーとの組み合わせでもって、そうとは感じさせることなく機械が人間 を自然にアシスト。
人と機械との親密でフレンドリーで幸せな関係、それを理屈抜きで分かりやすく提示する。アトムやドラえもん がいる日本ならではの、機械が人間と共存する理想的な関係。いずれたどりつくであろうその未来はAI vs 人間で はない。AI が勝つのでも人間が勝つのでも無い。ポジティブな“ウィズ AI”。そんな未来に至ることになろう一歩 二歩を、エンタメ楽器ならではの切り口で分かりやすく平べったく描いたのが、市民感覚CASIOの楽器であった。 つまりそれは、楽器であることを棄ててもまだ楽器、おつむのおカタい楽器に一石を投じる新しい楽器の産声であ った。
CASIOは、えらい!
(2021年9月21日Sound&Recording公式サイト初出)
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oimotoai · 1 year
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K-POPをフェミニストアートとして読む 
(G)-IDLE『Nxde』MV考察
はじめに 
 K-POP アイドルグループ、(G)I-DLE(アイドゥル)は2022年10月にリリースした新アルバム『I love』で、発売と同時に iTunes Top Album 部門全世界40地域で1位を獲得し、タイトル曲『Nxde(ヌード)』は韓国国内音源サイト全てで1位を独占する「パーフェクトオールキル」を達成した。また、タイトル曲『Nxde』はビルボードワールドデジタルソングセールスチャートで13位にランクインし、彼女達の影響力が韓国国内に止まらないことが示された((G)I-DLE 日本公式サイト 2022)。 
 「ヌードという言葉の検索結果をジャックしたかった」とメンバー達が話しているように、この楽曲が韓国社会の性被害問題に与えた影響は大きい。(G)-IDLE は韓国語で「아이들」と表記されるが、英語の「I(アイ)」の読みとしての「아이(アイ)」には、韓国語で「子ども」という意味がある(들は複数を表す接尾辞)。以前までは、韓国のポータルサイトで「아이 누드(子ども ヌード)」と検索すると、児童ポルノに関するサイトや画像がヒットしていたが、「아이들 (アイドゥル)」による『누드(ヌード)』という楽曲が発表されたことで、検索結果が彼女達の新曲のプロモーションで埋め尽くされるという現象が巻き起こったのだ(Sato 2022)。 
 タイトルだけでも社会に肯定的な影響を与えた『Nxde』は、歌詞に込められたメッセージ、様々なオマージュを用いた皮肉たっぷりのミュージックビデオ(以下MV)で、彼女達を「まなざしの対象」として消費する社会への反抗を表している。本稿では、この『Nxde』が、エンタメ業界及び社会全体に蔓延るmale gazeや商業主義を告発しながら、ステレオタイプを批判し、「ヌード」という言葉の再領有を試みている点について考察する。 
モンロー、バンクシーへのオマージュによるmale gazeおよび商業主義の告発
 「私が一番イケてる」とガンを飛ばす2NE1の『I AM THE BEST』、容姿を揶揄してくるアンチに唾を吐くMAMAMOO の『HIP』、自分らしくでいるときが完璧なのだと歌いあげる ITZY の『WANNABE』など、ありのままの自分で強く堂々と生きる姿を提示する、所謂「ガールクラッシュ」コンセプトは、K-POP市場において不動の人気を集めてきた。しかし、今回の(G)-IDLE による『Nxde』は自己肯定や個人の関係を描き出すことに終始せず、K-POP産業や社会の構造を俯瞰して捉え、痛烈に批判しているという点で、他とは一線を画している。 
 「Why you think that 'bout nude 'Cause your view's so rude」というフレーズに始まるMVのコンセプトはバーレスク。メンバーの衣装やブロンドの髪は明らかにマリリン・モンローへのオマージュだ。商業映画の中でmale gazeを向けられ、快楽の媒体として消費され続けたモンローに扮したメンバーは、スマホやカメラを手にした「鑑賞者」たちに囲まれながら歌い踊る。「私は裸で生まれたのであって、そこに卑猥な意味づけをしたのはお前達だ」という力強い歌詞さながらに、妖艶さを誇張するようなポーズを取りながらも、表情には彼女達の意志が感じられる。「見られている」という状況をその外側から写した映像という点では、女性を視線の客体として肖像化してきた絵画の構造に類似しているが、彼女達は見られていることに自覚的であり、その視線を拒否するどころか、見ている側であるはずのこちらに視線を跳ね返す勢いで、しかとカメラを見据えているようである。そこに、性的ファンタジーが投影された受け身の女性像はない。
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 モンローを引き合いに、女性たちに向けられてきたまなざしを可視化したことに加え、曲中 2:49での「변태는 너야(変態はお前だ)」という歌詞と共に裸の女性のイラストがシュレッダーにかけられるシーンは、バンクシーの『Love is in the Bin』を彷彿とさせる。アートが常に採点され、その所有権を争って金が積まれていくというオークションの商業主義を批判したバンクシーのパフォーマンスの引用によって示唆されるのは、女性(アイドル)たちを厳しい美的基準のもとで常にジャッジし、素行を監視し、採点し、競わせ、消費することで利益を産み続けてきたエンタメ業界の有害性への批判の姿勢だ。
 また、シュレッダーにかけられることになるイラストの女性が、輪郭を保ったままスキャンダル記事の断片から成るコラージュに変化していくシーンは、身体の断片化や平面化によって、女性を性的欲望の対象(=モノ)として描いてきた家父長的な映像・ショービジネス界隈の悪しき「伝統」への皮肉を感じさせる(Mulvey 1975: 809)。
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このように『Nxde』は、有名作品のオマージュを通し、女性 (アイドル)の身体が他者のまなざしによって占有され、評価され、利益のために利用されている構造を強く批判しているのである。 
ステレオタイプを模倣し批判する 
 「Baby how do I look? How do I look? 아리따운 날 입고 따따랏따라(美しい私を纏ってタッタラッタラ)」という『Nxde』のサビは、鑑賞者の性的な視線によって作り出された女性像及び、女性達が彼らを満足させるために纏ってきた「美しい私」の空虚さを暴き出す。ここで使われている動詞「입다(イプタ)」とは、衣服などを身に纏う・着るという意味で、「美しい私」の着脱可能性を示唆している。このサビの歌詞は、日々良きものとして消費されるアイドルたちの煌びやかな外見や振る舞いが、彼女らのありのままの姿ではなく、あくまで消費者達、業界関係者達のrude な視線によって着せられた括弧付きの「美しい私」に過ぎないことを暗示しているのではないだろうか。
 『Nxde』のMV中では、この括弧付きの「美しい私」が過剰に強調されており、例えばメインボーカルのミンニは『Diamond is a girl’s best friend』のモンローを思わせるピンクのドレス に身を包み、冒頭のAメロで以下のように歌う。
Hello my name is 예삐 예삐요  ハロー。私の名前はかわい子ちゃん
말투는 멍청한 듯 몸매는 섹시 섹시요  話し方はおバカみたい。だけど体つきはセクシー
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 舞台・衣装・ヘアメイクも相まって、この歌詞が「美人でセクシーな頭の悪い尻軽」という、いわゆる「blonde bombshell」ステレオタイプのことを指していることは明白だが、艶やかなクラブの舞台に立つ彼女をMVという媒体(もうひとつの舞台)を通じて見せることで、このステレオタイプがあくまで仰々しい演出の一部であり、「彼女たちはショーのためにそれをわざわざ演じている」ということを見る側に気づかせる。
 さらに、この歌詞に続くウギのパートでは、「그럼 다이아 박힌 티아라 하나에 내가 퍽이나 웃게 퍽이나 웃게(だからダイヤのついたティアラ1つで、私が喜ぶとでも思った?)」と、『Diamond is a girl’s best friend』で提示されるような「美しくおバカで何よりも高価なダイヤを求める女性像」を信じて近寄った者たちを突き放す。
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 ダイヤを渡せば我がものにできるような意思のない存在だと思っていた対象(女性)が、主体性を持って反論してくるという状況は、欠陥(lack)として扱われ、排除される女性の存在によってマスキュリニティの優位性が保たれてきた男性中心社会(Irigaray 1974: 308 女性を不完全な他者とすることで男らしさとは何なのかの輪郭が形作られるので、イリガライいわく、女性は男性の「鏡」。偶然か意図的か、MVにも鏡のシーンが出てくる...!)を動揺させる。このように、『Nxde』は欲望の対象をまなざすrudeな視線によって女性の身体に映し出される「美しい自分」像が、本当の彼女達個人とはかけ離れていることを示しながら、家父長的で一方的な性的消費が行われている社会構造を批判しているのである。 
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「ヌード」という語の再領有
 「美しい私を纏う」というサビからは、また別の意図も読み取ることができる。それは、「ヌード」という単語に肯定的な意味を見出し再領有することで、それが指すところの彼女たちの身体自体をも回復する試みである。美術界における「ヌード」とは、男が抱く異性愛的欲望を投影した「女」のイメージを意味し、描かれる対象である女性たちは徹底的に受動的な立場に置かれ、主体性を認められず、彼女たちが何者であるか、何を考えているのかなどの情報は性的幻想化の障害として徹底的に削除されてきた(笠原 2018:109)。作詞・作曲・コンセプトの提案まで担ったリーダーのソヨンは、この伝統的な「ヌード」への意味づけからの解放を目指しているようである。ソヨンは自分の本来の姿を「ヌード」と表現して曲を書いたのに、「エロい歌なの?」「扇情的すぎるのではないか」という会社の反応に、「絶対に世に出さなければ」と思い、ヌードが猥褻な言葉ではないということを世間にわからせてやると決心したのだと、出演したTV番組で語った(Todoroki 2022)。
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 また、サビ前の「꼴이 ��품없대도 어쩌면 네게도 다신 사랑받지 못한대도 (不恰好だとしても、もしかしたらあなたにもう愛されることができないとしても) Yes I'm a nude」という歌詞からの流れも考慮すれば、サビで纏う「美しい私=nudeの私」とは、他人の欲望を映し出す平面的な女性像ではなく、素のままの自分を意味していることが読み取れる。「Nxde」が収録されたアルバムのテーマが自己愛であることも考えれば、曲名の 「Nxde」で「u」が伏字になっている理由も見えてくる。彼女たちが描く「ヌード」に、性的な視線でまなざしてくる u(you)は必要ない。(G)I-DLE は「ヌード」という単語を自己愛の対象である「素のままの自分」として読み替え、女性の裸が欲望によって消費されることに反抗しているのだ。
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さいごに 
 本稿では、(G)I-DLE の最新曲『Nxde』のMVを、male gazeと商業主義批判、ステレオタイプ批判、「ヌード」の再領有という3つの観点から考察した。
 自分自身の身体は他者に占有され、評価されるべき物ではない。私は私の生まれたままを受容して、他者から気に入られないとしてもその態度を貫くのだ。このような強い意志を感じさせる『Nxde』が、K-POP史における画期的なフェミニスト的楽曲のひとつであることは間違いない。「あるべき姿」の強要に抗するメッセージを打ち出したグループのメンバー全員が、痩身で白い肌、大きな眼に整った顔立ちであることは、representationの面で限界があると言わざるを得ないだろう。それでも、韓国の美の基準を満たし、テレビに出演し、韓国だけでなく世界に向けて発信できる人気アイドルという地位を存分に利用し、社会に問題を投げかけていることの意義は非常に大きい。
 カムバック前に公開された動画 “I love” Interview における、わざとらしく欲望を掻き立てるような編集とと煽るような台詞は、フェミニストによる批判をシャットアウトしてきた「まなざす」人々のMV視聴を促進したに違いない。そうして扇情的な映像を期待した彼らは、最後に「変態はお前だ」と言い放たれるのである。
参考文献・サイト
Aya Sato,2022,「わいせつな検索結果を一掃…韓国アイドルの歌が起こした変化」COSMOPOLITAN(https://www.cosmopolitan.com/jp/k-culture/korean entertainment/a41741485/gi-dle-new-song-nxde/). (G)I-DLE 日本公式サイト,2022,「(G)I-DLE、Mini 5th『I love』米国ビルボード「トップアルバムセールスチャート」にランクイン」(G)I-DLE 日本公式サイト,(https://gidle.cubeent.jp/news/992). 笠原美智子,2018,『ジェンダー写真論』里山社. Laura Mulvey, 1975, "Visual Pleasure and Narrative Cinema." Luce Irigaray, 1974, "Speculum of the Other Woman." Yuki Todoroki,2022,「過激だと反対され…(G)I-DLE ソヨンが明かす「Nxde」の制作秘話」COSMOPOLITAN(https://www.cosmopolitan.com/jp/k-culture/korean entertainment/a41827839/221101-gidle-nxde/).
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kennak · 2 years
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信仰の話がTLに飛び交っているため、十数年前の2ちゃんねるコピペで流行っていた「欧米人の友達が真・女神転生シリーズのおかげでキリスト教の欺瞞に気付いた」というのを思い出してしまった。 この機会に女神転生(以下メガテン)の信仰とゲーム内分岐の描き方についてちょっと長い連ツイをしてみる。 【書きたいこと】 ・メガテンの分岐とは ・メガテン2サントラに見る東西冷戦の残滓と分岐 ・長年続いてきた「秩序-中立-混沌」分類 ・一神教vs(日本以外の)多神教と、対立から自由な日本神話 ・「中立」ルート信仰とその悪影響 ・「中立」を改める試み ・「秩序-中立-混沌」分岐をやめる試み 【メガテンの分岐とは】 メガテンシリーズというゲームは主人公=プレイヤーの選択によって複数の展開に分岐する。作品によって分岐数は様々だが、分岐がある作品では最低ふたつ、多いと6つ。中でもシリーズ最多を占めるのが「秩序」「混沌」「中立」の3分岐だ。 「秩序(ロウ)」は端的に言うとセム系一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教における「神」)に従うルート。総じてこのルートは大破壊で多くの人間が粛清され、神に従順で自由意志なき少数の人間だけが生き残るディストピアとして描かれやすく、プレイヤーも好意を抱きづらい終わりが多い。 「混沌(カオス)」はセム系一神教の大悪魔ルシファーを旗頭に、色々な悪魔(と呼ばれているキリスト教系以外の神々)と手を組んで一神教の神をやっつけるルート。 「既存秩序への疑問・反逆」をテーマにするシリーズが多いため、ロウより好意的に描かれる作品が多い。近年は少し変わってきた。 「中立(ニュートラル)」は秩序にも混沌にも与しない道。ゲームとしてはロウのボスとカオスのボスを両方倒すので難易度が高い。苦労が報われるよう大体は良い未来を示唆するベストエンディングになるので、ロウやカオスに進む意義��食いがち。メガテン最大の問題とも言えるが、それは後述。 分岐ができたのはファミコンの「女神転生2」。最初に示された神の命令どおり悪魔を皆殺しにしていると、大魔王ルシファーとサタンを倒したところで不気味なBGMをバックに唯一神の賞賛を受けて釈然としない終わり方になる。実は「途中で特定の魔王を殺さず、悪魔との和解を試みる」ことが必要。 ある魔王を殺さないでいると、終盤の魔王たちが「話を聞いてくれるのか」「私は唯一神に貶められた神だ」と神々しい姿を取り戻して仲魔になり、最後は唯一神を倒して人間世界を復興させるベストエンドになる。 神こそが黒幕で悪魔と人間を共に解放するという視点の転換、まあ興奮するよね。 なお、この分岐は東西冷戦の影響が見られる。『女神転生2』のサントラに以下の裏設定が書いてある。 ・悪魔は欲望パワーで西側を支配した。 ・いっぽう神はキリストの転生体レーニンを遣わして千年王国ソ連を作った。 ・東西両者に与せず独自に発展した日本は両者から憎まれ、ミサイルを浴びた。 ツッコミどころ多い設定だが「キリスト教の西側が金儲け優先で悪魔の手先」「宗教を拒否する共産主義がリーダー独裁」という両者への皮肉だと僕は見ている。 日本がヒイキされているのは、当時のゲームがほぼ日本市場向けだったのと、当時の主要スタッフの思想と、両方かな……。 ファミコンでは2分岐が限界だったがスーパーファミコンの『真・女神転生』からは3分岐に。秩序・混沌・中立のルートが確立したけど、ラストバトルの相手は「神/大魔王第一の配下」であり、神もルシファーもオマケ程度で、彼らとの決着は続編『真・女神転生2』を待たないといけなかった。 神と魔王の2勢力は割と豪快な分かれ方。 神勢力は大天使ミカエルやガブリエルが指揮官で、一部多神教の神を捨て駒として使い、人間を洗脳して労働力や戦力にする。 大魔王勢力は聖書で悪魔として描かれた多神教の神々が雑多に集まった連合軍。神に従う人間を敵視しがち。 さて、日本の神々は? 東アジア、特に日本の神々は「中立」。ゲーム上は秩序/混沌属性あるし、シリーズによって日本の神々同士内紛起こしてたりするけど、基本的に東洋の神々と手を組むのは正解ルート。 具体名としては太上老君、平将門、毘沙門天ら四天王、黄竜、たまに人工知能などが中立の導き手になっている。 日本の神々(インドや中国起源もいるが)と共にニュートラルルートを歩むのは物語としてもめっちゃスッキリする。 なんせ神は人間の自由意志を許さないし、悪魔は弱い生物を食い物と考えるので、どっちも人のためにはならない。両方ぶったぎるのが正解だ。 が、この第3の道は近年問題が出てきた。 個人的に考える問題点はコレ。 1.「提示された概念を全部否定するのが正解、という思想の問題」 2.「ゲームを世界市場で販売する時に日本神話バンザイでは伝わりにくい」 3.「現代世界が複雑化して第三極という概念が描きにくくなった」 まず 「1.」。ニュートラルの「神も悪魔も否定」は一見深いようで、プレイヤーが建設的に提案せずNoと答え続け、敵を全て倒すだけの思考停止ともいえる。「メガテンで神がおかしいと悟る」コピペの危険性はここにある。 開発者も気付いており、2002年からは全否定=バッドエンド行きが増えてきた。 「2.」は21世紀に入ってからメガテンシリーズの海外販売が増え、キリスト教=ディストピア行きでは通じにくくなってきたので「天使も仲間割れする混沌しかない世界」など新たな勢力分けが増えた。 ただ「変化をつけたらウケが悪くて、また秩序中立混沌に戻す」こと���多数。真3マニアクスとかな! 「3.」の世界勢力図の変化は「1.」「2.」とも関わっているはず。 初期の分岐は物語のわかりやすさ、および東西対立と相まっていい感じに定着した。だがメガテンは現代社会を批判的に描くシナリオが持ち味で、そうなると中立=正解とするのは世界的にまずいことがある。物語としてもマンネリだ。 【秩序・混沌・中立の見直し】 21世紀のメガテンおよび外伝作品は何度も3分岐からの脱却を試みている。パッと思いつくのはこのへん。順に語る。 『真・女神転生NINE』 『真・女神転生3』 『葛葉ライドウ対アバドン王』 『真・女神転生4FINAL』 『ペルソナ5 』 『真・女神転生DSJ』 『真・女神転生5』 『真・女神転生NINE』 秩序・混沌・中立×Light・Dark・Neutralの9ルートになった。完全中立のルートではすべてが無に帰り、完全中立ではあかんことを示すようになった。『真・女神転生4』でも全否定すると自分の手で世界を吹っ飛ばすことになってたな! 『真・女神転生3』 ある人の現実否定により人間が消え、全てが悪魔と混沌に包まれた世界。分岐は「実力主義」「世界の歯車」「完全孤立」「全否定(バッドエンド)」「少し成長した現実への帰還」。悪魔勢力もリセットされた革新的世界だったがウケは悪く、リマスターで「秩序と混沌」要素が復活した。 『ライドウ対アバドン王』 秩序・中立・混沌の代わりに風見鶏・切れ者・正直者という表現になった。物語はどのルートでもほぼ同じだが、風見鶏の象徴となるキャラは印象悪し。 アトラスは基本的に「秩序=変化を嫌って現状の問題から目を背ける」と解釈するので、ロウの描き方に悪意が入りがち。 『真4F』 ニュートラルルートしかないが、「人間皆と仲良くする」「人間も悪魔も皆殺しにして自分が新世界の神になる」というニュートラルな2分岐がある。あまりに両極端すぎて僕は皆殺しルートを選べなかった。どうしてそう極端な方向に思い切りがいいのよ! 『ペルソナ5』 西洋でバカ売れした傑作。真・女神転生シリーズやライドウの反省をもとに「現代でウケる秩序への反逆」を描いており、ペルソナだけどメガテンのカオスルートとして高い完成度を誇る。ゲーム中の日付で12/25に展開される「神殺し」はキリスト教者でも納得できるうまい構造をとっている。 『真・女神転生ディープストレンジジャーニー(DSJ)』 元作品『真・女神転生ストレンジジャーニー』ではロウもカオスも印象最悪だったが、追加エンドで「ロウ/カオスの問題を是正するエンド」「ニュートラルで救った人類は愚かなので問題再発エンド」が追加された。絵柄が濃すぎてプレイヤー少ない。 『真・女神転生5』 天使による独裁ルート「維持」、日本の神々を中心に多様性を目指す「革新」、神々も弱い人間も否定する新自由主義の「人間」、隠しルート「真・人間」に変わった。西洋が独裁、多様性ゼロの日本が多様性を説く皮肉は好きだが、一般には伝わりにくく「秩序混沌中立」と言う人多すぎ。 真・女神転生は秩序勢力を魅力的に描けない問題が長いことあったけど、真・女神転生5では「混沌の軍団を倒したら、今度は秩序の軍団が仲間割れ起こして混沌としたので、秩序を取り戻す」という新たな挑戦が見られた。 終盤グダグダすぎたが取り組みはよかったので、次回作でもその方向をお願いしたい。 以上。めっちゃ長くなったわ! ウクライナ・ロシア情勢により「そういや日本は西側だったわ」「これ中立をとったらマズイな」というのが明示されたので、必然的に描かれ方も変わってくるんでないかな。 とか期待したところで問題あるシナリオを放り込んでくるのもアトラスあるあるなのだが……。 余談。 真・女神転生4FINALのクリシュナの描き方にヒンドゥー教者から抗議があったけど、アレははっきりいってクリシュナの見た目も性格もまずかった。 特に声明はなかったけど、真5でシヴァらインド勢が孤高の勢力になったのは修正提案だと思われる。今度は悪魔合体システムに批判が来たけど。 余談2。 デビルサバイバー2は真・女神転生3の分岐世界にあたるけど、「神殺し」ではなく「神に人間の可能性を見せて和解し、自由を認めさせる」のがベスト扱いになっていた。 アトラスシナリオの現代批判は魅力的だけど中立万歳には僕が飽きている(主観)ので、新たな価値観を見られると嬉しい。
モト田中🎋さんはTwitterを使っています
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blue-aotan · 1 year
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ハロー(´ー∀ー`)2023.1.2
明けましておめでとうございます🎍
元旦起きてすぐ年末ジャンボ宝くじをチェックしましたが見事に大はずれでございました。
神様、今はまだその時ではないということですね←前向き
年末はやはり何かゲームをクリアしたくなる…
ということで、大晦日にバイオハザードヴィレッジDLCシャドウズオブローズをクリアまでしました😂
年越し配信になってしまいましたが、ローズがイーサンと会えて本当によかったよね…🥹
そして大掃除する予定はなかったのに、なぜかソワソワが止まらなかったので←
窓サッシの掃除と床拭きだけしました。
しかもクレイジージャーニー年越しをするとあれだけ言っていたのに、元日にのんびりと見ました🤣
元日の夜からは気分不良になり嘔吐←どしたw
発熱は無し、なんとなくの体調不良…現在もムカムカ継続中…
そんなのんびりスタートな2023年。
今年は無理しすぎず、人に合わせすぎず、自分らしく穏やかで楽しい一年にしようと思っております。
【自分らしく】というのがキーポイントです。テストに出ます!
(何のテストやねん←
自分らしく、の中には多少の自己中心的な要素を貫くという事も含めていきたいです。
(要はやりたい放題←
そんなこんなで最近みた映画の感想を少し語らせて下さい。
ハッチング-孵化-
大きな卵をあたためてる女の子が気になってレンタルしたんだけども、中から生まれたのは結構なグロテスクさのある鳥でした。その鳥がどんどん自分の姿になってくるんですよね。その鳥はとても凶暴で、女の子の周りの人を傷つけたり危害を加えるんだけども、きっとその暴力の影には女の子自身の自己嫌悪だったり自信のなさや卑屈、他人への妬みなど黒い感情がありその鳥=自分という表現になっているんだよね。
最終的にはその鳥をコッソリ部屋で飼ってるのも母親にバレるんだけど、母親にこそ根深い闇があってそれを娘で昇華させようとするあまりねじれてしまっているんだけどそのねじれがまた新たな悲劇を呼びそうな感じで終わりました。
面白いか面白くないかと問われたら、面白くは���かったです←
フォーエバーパージ
パージシリーズは面白かったのは1作目だけだったよね…と思いながらもレンタルしましたが、やはりもう観なくてよさそうです😅
カムプレイ
途中まで怖かったのに、お父さんが化け物に追いかけられるあたりからお父さん賢い!ってなったけど…なんか化け物が段々怖くなくなってきたよね←
こういうホラーほんと増えたよね。
スマホとかタブレットから出てくるみたいなさ、こんなアプリ取ってないのにいつの間にか入ってて…みたいなホラー。
正直こういう現代ホラー、怖さよりも何でそこが発生源なの?って疑問しかないのよね。
オバケとか悪魔とかは一応由来があったりして、発生源もきちんとしてて(きちんとって何だw)そこに歴史があったり呪いとかが強まる理由みたいなものがあるじゃない。人間が禁忌に触れた、とかさ。
でもね、これはないのよ←
この化け物はどこから来たんだろう?
一応あるのよ、現代人のスマホ依存から生じた「寂しさ」から化け物が生まれたみたいな話が。
でも「そーなんだ!それでね!」とはならないじゃないですか。
その化け物の話は誰が考えたのってなるのよ。
しかも最後で母親の愛を見せつけられて、息子を庇って化け物に連れ去られるんだけど最後の最後で化け物になった母親と息子が戯れるみたいなちょっとした感動エンドだったけど本当謎←
連れ去られる時の母親の顔が一番怖かったよねー😇
デッドアンドアライブ
とある部屋で目覚めた記憶のない男女2人が、脱出する為に頑張る的なありきたりなやつ←
衝撃のラストが気になってレンタルしたものの、初めから最後まで面白くなかった…しかも衝撃のラストが全然衝撃がなかった←
とある男性が死体から部位を寄せ集めて生き返らせてたのがこの男女だった、みたいなラスト。
しょーもな←
デンジャラスガイズ
私の好きなお2人が出演してる!これは観なきゃ!とレンタルしました。
悪い人には何一つ共感できないっていうこと←
ブラックフォン
これは始まってすぐ睡魔がやって来て、目覚めてはまた睡魔が来ての繰り返しでストーリーは全くわかりませんでした!←殴
見返そうという気も起こらなかったのよね。
男の子が誘拐されて、その部屋に黒い電話が取り付けられててそこに色んな人から電話がかかってきてたけど、あとは気づいたらもう脱出してたよね←
イーサン・ホークが変な仮面つけてたってこと。
8割寝てたから私に感想を語る資格はないってこと🤣
ザロストシティ
恋愛小説家のおばさんが実際にアホなイケメンと冒険をして結ばれるロマンスアドベンチャー。
サンドラブロックをおばさんって言ってごめんなさいね。でもピンクのテカテカのおばさんのロマンスはキツいよね←(ピンクは無理矢理着せられてたんだけどもw
私としてはイケメン枠の人も全然イケメンではないんだけど、それよりも何よりもおバカっていうのがもう無理だよね←笑える部分もあったけど
でもそんな事どうでもよくなるくらい序盤のブラピがめっちゃかっこよくてさ!!これよ!これ!ブラピのアクション観たかったのよ!!ってなってたらあっさり撃ち殺されて目が点になったよね←
ロマンスもコメディも興味のない私にはイマイチだったけど、アラフォーとかアラフィフでロマンス擬似体験したい人にはいいかもしれないね。
でもやっぱりおばさんのロマンスって需要あるのかね?って思っちゃう。
正直ラストで結ばれても結ばれなくてもどうでもよかったよね←
Xエックス
うーん…性欲の強い婆さんがエグい。とだけ言っておきましょう。レンタル失敗←
CUBE一度入ったら、最後
日本版のCUBEをようやく観ました。設定などは本家とあまり変わりないように思えました。(本筋が異なる部分もありました
ただね…CUBE内の扉だとか内装だとかが本当にチープすぎて。日本クオリティって何でこんな安っぽいんだろうって疑問。
セットで演技してます!
って感じ全開なんですよね。扉が開いた時とかもさ、自動で開かないというか…手動でスライドさせてたりその重みだったりが見ててもなーーんか違うって思った。
それと展開や演出も、なーーんか違う。そうじゃないんだ!!CUBEは!!って言いたくなりました。
改めて本家の良さが際立ってしまいましたね。
「今際の国のアリスシーズン2」
楽しみが一瞬で終わってしまった…
シーズン2もとても面白かったです!もう山Pがすごい。とにかくすごい。
バキバキすぎてエグい。
そして始めから最後まで裸族←
こんな役もするんだなーーって尊敬しました←
山Pのところだけまた見返したいくらいです🤣
(ちなみに山Pは別に好きではありません
シーズン2でも4回くらい泣いて、この生き残りをかけたゲームが何なのか全ての謎が解ける終盤には驚きました。
面白かった〜
「ヒメアノ〜ル」
森田剛が怖すぎました。
他人の家でカレーライス食べてるシーンが怖すぎて痺れました。人を殺すまでの判断と時間が一瞬すぎて、、、とても生々しかったです
「嘘喰い」
途中で離脱しました…ごめんなさい🙇‍♀️
「怒り」
3つの事件がどう繋がるのか、というもどかしさでイライラしました←
しかも繋がってないし、絶叫する演技は「?」
日本の映画って絶叫させるのが好きなのかしら。
感情を爆発させればいいという問題でもないと思う。
タイトル通りのことなのか。
やはり私は邦画との相性はよくないようです。
と、このような感じで年末年始のレンタル祭りは終了しました。最後に実写版キングダム3の公開日が決定しましたね(°▽°)
キングダムが完結するまでは死ねません‼️笑
すぐにスケジュールに登録です‼️
今年も定期配信を続けつつ、したいゲームをしたい時にできたらいいなー(°▽°)ストレスをうまく回避してのんびり生きていきたいです❤️‍🔥
今後ともブログ活動、配信活動共によろしくお願いいたします🌄
最後にわたくしの姉がトランスフォーマーのことを
トランスフォーマット
と打ち間違いしていたのでお知らせいたします。
今年も打ち間違い全開でいくそうです←
にょほほ( ´−ω−` )
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sakiko427 · 2 years
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松村早希子個展 わたしの かわいい はどこから来たのか 〜かわいい源泉掘りおこし〜 🌟展示について🌟 今回の展示は、ご覧の通り文章がギッシリ。 これは、自分がこれまで出会った「かわいい」価値観に影響を与えた革命的存在(一般の方、著名人、漫画のキャラクターなどなど)を、絵と文章で表しています。 キャプションの文章は、下記ABCと本文内容①〜③で構成(例外あり) A:その存在と出会った年、自分の年齢 B:個人名or作品名 C:見出し 【本文】 ①どのように出会ったか ②その存在の魅力 ③自分がどのような影響を受けたか 当然ながら全てが思い入れ強すぎて(構成の都合上泣く泣くカットした絵もあり)、自分一人で書くとどうしてもただのダラダラとした思い出語りになってしまうところを、そんなもん誰も読まない!と、夫氏から私にインタビュー形式で記述、地獄の編集作業を経て完成。「ちがう!それはただの思い出!」「それで?!どんな影響受けたの?!言えないってことは何も無いんじゃないの?!」などと厳しく煽られながらまとめ、気分は稽古中の月影先生と北島マヤ…😇 これが掘り起こすという作業か、こんなにも辛いことを(実情は知らないけど多分)、アーティストは皆たった一人でやっているんだな…とつくづく思った。この作業を20年前からやっていたらもっと胸張って「自分はアーティストである」と言えてたかもしれないけど、やってなかったから今この展示があり、今の自分があるわけだよな!(ポジティブ) たとえば、はじめて自分の家で飼った(という言葉にも抵抗ある、家にお越しいただいた…)愛猫しまこの章は、しまことの出会いや生活の描写がバカ長くなりすぎて、とてもお店の中で立ったまま読むような長さではなかったので大部分をカットしたため、逆にすごーくアッサリしてます。 🌟 展覧会は残すところあと3日! 5/27(金),28(土),29(日) 14:00-20:00 ストロベリー・スーパーソニック @strawberry_supersonic 高円寺駅徒歩3分 道に迷ったらDMください! #かわいい源泉 #松村早希子の絵 #高円寺ストロベリースーパーソニック🍓 #高円寺 #展覧会情報 #わたしのかわいいはどこから来たのか #清水美砂 #大路恵美 #チビ猫 #エドガーとアラン #江藤蘭世 #CHARA #UA #佐藤江梨子 #井出ちよの #ドリアンロロブリジーダ #氷川きよし #ゆっきゅん #山戸結希 #おとぎ話みたい #art #drawing #illustration https://www.instagram.com/p/CeDA_lfviw8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ashi-yuri · 2 months
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「ボーはおそれている」感想
君はまだ生まれる前の硬くて歪んだ殻のなか
長いしホラーは苦手なので見る気なかったけど、IGNの映画語り「銀幕にポップコーン」のネタバレ感想聞いて楽しそうなので見に行った。
怪作、なのに共感してしまう?『ボーはおそれている』の感想を語る:第329回 銀幕にポップコーン - YouTube
野口さんの怖がってる感想がとくによい。監督の前々作「ヘレディタリー」感想会で千葉さんが意図せず怖がってるのもいい。アリ・アスター監督が引き出すひとの恐怖を聞くのは楽しいなと思う。ひとが恐れているものを見たり聞いたりするのはいつだって楽しいので。
トラウマ必至!現代ホラーの傑作『ヘレディタリー/継承』:第65回 銀幕にポップコーン (youtube.com)
なので、「ボーはおそれている」もたのしかった。長いし疲れたけど。自分は怖がりなほうなので、わりと理解しやすかったのもよかった。
以下、ネタバレありの感想。公式のネタバレページだけ見た。
第一部で「社会に対する恐怖」、第二部で「家族に対する恐怖」、そして物語ることの虚構性と欺瞞性を挟んだうえで、第三部で「愛と性と生殖に対する恐怖」と、どんどん個人的で根源的な恐怖にさかのぼってくの、構成としてはきれいでわかりやすく楽しかった。一作品としては盛り込み過ぎだと思うけど、全部描きたい気持ちは伝わるから自分はわりと好きな感じ。
賑やかすぎる第一部より、第二部以降のほうがじっくり考えながら見れてたのしかった。話がすすむにつれて大げさでばかばかしく虚構性が高くなっていくのもよい!
ぜんぶ主観の中でしか話ができなくなってるから、うるさすぎる周囲の声も家族の声も結局ぜんぶ自分自身の声だし、母親以外の他者はぜんぶイメージでしかなくて、ほんとに「他者」「外部」が皆無。当然出口も解決もない八方ふさがりで、だからこそ鮮烈で不穏なイメージの中を堂々巡りするのは楽しかった。
この主観の硬い殻は、たぶん彼が己を守るために作り上げた強固な殻で、その殻がないと生きるのむずかしそうなので、もう好きなように語ってくれ、という気分になりました。
映画を見終わって、愛情と責任感と不安と支配が混然一体となってる雰囲気のあるご家庭を垣間見たことを少しだけ思い出した。たしかお子さんがすこし体が弱いということだったと思う。もうどこで見たのかも思い出せないし、時間が経つことや距離を置くことが、少しでも良い方向に働いているといいなと思うことしかできないけれど。
あとは思ったことをとりとめなくばらばらと。分け方は適当。
第一部「終わってる街篇」
うるさすぎる!
第二部「平和な家族篇」
『息子』を大事にしすぎ。みんな家族としてしか生きてない。悲劇。
幕間「家族の物語」
家族の物語をしすぎてる。その物語が見世物で虚構であることに気づいてるのに。母も息子も物語にこそ縛られてるのに。
妊婦に母子像をあげるという作中唯一の善行の報われなさが笑えました。このあたりから爆発オチなどバカらしさが加速してよい!
第三部「家に帰る篇」
このあたりからぜんぶ嘘くさくばかばかしくなってより楽しい。
母の語りに押し込められて、びっくり男性器モンスターと衰弱した人間に分離させられてしまった「父」も、実在性のないイメージです!という感じでばかばかしすぎる。
一番の恐怖の根源である「生まれること」につながる生殖(父は失敗して死んだ)を死なずにやりとげてやったー!というところで全部ネタ晴らしされるのはさすがにかわいそうだけど、シーンとしてはいちばんバカバカしいので、怖いところで笑かしたいのかもしれない。
愛?と執着がつよすぎて母親もボーもお互いぜんぜん分離できなくなってるところや、ボーが母親の一面を非常に解像度高く理解しているのと同じくらい、ぜんぜん理解できてなさそうなところがリアルだなと思う。空の水槽(愛情が存在しないことのメタファー)に母親の死体を突っ込むのが結局虚無だ!という感じでよかったね。それも嘘だけど。
なんとか愛そうとしたことも、愛していることも、ほんとは愛していないことも、人生を奪われたことも、人生を捧げたことも、生まれてきてほしくなかったことも、生まれたくなかったことも、期待も、失望も、申し訳ないと思ってることも、許せないことも、憎んでいることも、死んでほしいと思ってることも���死んでほしくないと思ったことも、お互いぜんぶほんとだろうから、ぜんぶそのまま描いてるのはえらいなと思った。
第四部「最後の審判篇」
大げさすぎる審判のシーン、びっくりするくらい意味なくてすごくよかったな。声高でやたら大げさに自分と母の物語ばかり語ることのくだらなさ、ちゃんとわかってるんだ...としみじみしてしまった。
自分の見ていた映画館では第二部後半や謎の演劇シーンあたりから立ち上がって劇場から帰る人がぽつぽつ出始めてたんだけど、それもショーの観客が興味を失い帰っていくシーンとシンクロしていて良かった。こんなの付き合いきれないし帰る人が出るのは当然。
水と静寂だけが残るラストシーン、たぶんどんなに無意味だろうと、鮮烈でなによりも大事であると同時に、どこにでもある些末でバカみたいな家族の話をこれからも語り続けてくれるんだろうなという信頼と罪深さを感じた。次回作もたのしみ。
アリ・アスター監督の映画は自身のセラピーだとよく言われてるし、実際監督自身も、たぶん自分自身のフィクションを物語り続けないとおかしくなってしまう(ヘレディタリーのお母さんみたいに)自覚があるんだろうなと作品見て感じるけど、話作りがうまくて想像力がある分セラピーの道のりは長そうだな、と勝手な素人の印象としては思った。
作者側の物語ることへの強い執着と、自分も含め他人の恐怖のセラピーの物語を見たいという観客側の欲望がもたらす共犯関係、不健全でよくないことのような気もするけど、それもお互いおそろしい世界で生きていくうえで必要なことかもね、ということで納得して終わりにする。
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なぜ アメリカ人は ヨーロッパのダンス ミュージックを嫌うのか?
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エレクトロニック・ミュージックとクラブ・カルチャーについて痛烈に批判している。
音楽情報サイト「ザ・クワイエットアス」によると、パウエルはサンプリング使用の許可を得るため、スティーヴ・アルビニに直接メールを送り、彼の企画を説明し、彼がいかにスティーヴ・アルビニと彼のバンドを敬愛しているかを語ったという。
しかし、それに対するスティーヴ・アルビニの返答は、決して好意的なものではなかった。「私は、この種の音楽のオーディエンスではないんです」とスティーヴ・アルビニは返信している。「機械化されたダンス・ミュージックも、そのバカげた単調さも、そんな音楽を使うクラブも、クラブに行くやつらも、そいつらが使うドラッグも、くだらない会話も、着ている物も、そいつらの揉め事も……とにかくすべてが大嫌いなんです。100パーセント、すべての要素が嫌いです」
さらにスティーヴ・アルビニはこう続けている。「私が好きだったエレクトロニック・ミュージックは、ホワイト・ノイズとか、クセナキス、スーサイド、クラフトワークなんかの作品と、キャバレー・ヴォルテールやSPK、DAFの初期のもので、それは急進的でまったく異なるものです。こういった人々や音楽シーンがダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックといったカテゴリに吸収されてしまった時、私は戦いに負けたように感じたものです。私はこの地球上で最もクラブ・カルチャーが嫌いです。だから、あなたがやっていることにも反対だし、そもそも私はあなたがやっていることの敵なんです」
このように述べながらも、パウエルがスティーヴ・アルビニの音源をサンプリング使用することに対しては、「問題ない」と答えている。「わざわざリンクを開いて、音源を聴いていません。というのも主に今いるホテルのインターネット回線がひどいせいだけど、どちらにしても私の興味があるものではないだろうし、私たちお互いにとって良いことにはならないだろうからね。言い換えれば、君が手にしている物なら何でも自由にしてくれて構いません。気にせず、楽しんでください」
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shukiiflog · 6 months
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ある画家の手記if.109 行屋虚彦視点 告白
俺がこういうところに結構マメに顔出すのを意外って言うやつが多い。 好きで来てるわけじゃない、家よりマシってだけで。 最近あいつがやたら俺にまとわりついてくるから逃げ場がなくて 前よりは話が通じる感じになってる気はすんだけど 問題はあいつのもともと持ってる色だから。
パーティ会場に行く前に俺と一緒に来たがるあいつを撒いて一度カフェに入る。 先に行かせてしばらく窓際の席でホットミルク飲んでた。普段はコーヒーだけど、こういうときにコーヒー飲むとカフェインのせいか変調するから。ミルクでもなんか影響はしてくるけど。 窓際なのはいつもそうだから。空間が行き詰まった場所が苦手だ。そういうところに吐きそうな色が溜まるしいざってときすぐ逃げ出せないとパニクりそうだ。起こさねーけど 床が照明を照り返して、何人も同空間で雑多に行き交い入れ替わる、声、声、声、車が横を通り過ぎるhryukltffbヒールの音3488090hngfgddgd椅子が引かれる7630nn223ggty56ft5e48ju90kjudethhコーヒーの豆が変わった7bd432kiuloo98jソファの皮が光る432999878755661099034nhjkkw26guut6789099風の音4bgtilohhyuwo0987空調の強さが変わった121156466092129288mnt69空気の流れ69223311wwetrttrouikikinhliyutrfgyyjjbgrrtyjng414223142カビがあるなmnlloderuytiloow238ny室内の寒暖差785500321210mu775li9g0s7m66f3lo09n7073bhg05g5d47k8bドアが開いて外気600444sdyyhbcokwydluuoivgt5333hghgyrrolhtyui向かいの3347nhh67料理店の匂い445w22678ndkhbgghflslsleleltltliiokwntntnugututudoododuilihhh666868668人の服129bggytisswe8w9rt45床から立ち上る5650nnb44548787010102ひっきりなしに変わる560080dukm7n88m2n3bnxedljyg,mhyworubuyyihswe34br4r4t4tet4h4nf8juiyytghjikonoevfgghyuikmnjjjewshyu877777kkk7h7fftr4defrujnbghydd223422ccwc22cfrtgethhaatyuimmnbkkredfhjuikbftryiiii8i7iyyttrrgnkjkgffffdjkldljygmhykjjjjjhgnhliujkkdefghyyuilmnvvvcf890ww6llo9uijkij809人によっては空間全体を塗り替えるようなのもいる
「………。」 めまいがする。 ホットミルクを口に運びながら目立たないように、テーブルの下で人差し指を立てて動かす、指揮棒の振り方とか知らないしでたらめだけど案外役に立つ。 …ひとつひとつ全部拾わないように意識を調整して、できねーけど、でもなんとか、この場を全体でひとつだと見る、雑多でめちゃくちゃなもの全てがそうやって和をなして街になる、騒音同士が溶けあうように、イライラしないために指揮者みたいに指を振ってこの和を築き上げたのが自分だと思い込む、…そうやって切り抜けるしかない。 前は移り変わりに揉まれて翻弄されて引きずり回されてズタズタになって それが、俺をどうしようもなく絵に叩きつけさせるばっかで、視覚を潰さなきゃ終わりのない死ぬまで続く何かだと それが従順になるってことだと思ってた。イライラしてても環境とか境遇に不満があるわけじゃない、自分の感覚にキレてるだけだ。 でも…違ったのか…俺は自分についてうまく語ったりできない。する気がねーのかな。 とどまれない、従順なんて、そんなものには。 俺は絵を描くことをどうとも考えたことなかったけど絵を描くって行為をやたら特別視したり持ち上げるやつが嫌いで、それは今もまあそうだけど、でも多分卑下しすぎてもいる。 だからどうする気もないし自己肯定感あげないととか変わらないととかも思わねーけど。自覚あれば十分だろ。 雑多な空間に美しい調和を必ず見つけられるわけじゃない、ていうか現実は別に美しかねえし、俺の描くものが美しいだけで、俺の描き方が現実に依拠してても絵はただの俺の表現だ。絵にすれば、美しい。 うまくいかない日もあるけど今日はうまくいった、振ってる指をとめて一点を見てぼーっとする、色が混色して馴染み始めた、…偏頭痛になんなくてよかった、パーティ行けそうだ。
会場まではタクシー使った。タクシーの匂いってかなりきついけどどっちかというと好きだ。落ち着かない感じも、今の内心に合ってる。おかげで反発し合わない。 タクシーから降りて会場に入る。 一歩踏み込んだところで思わず足をとめて引きぎみになった、耳鳴りやべえ… なんだ?どっから…あー、バカでかいシャンデリアが震源地。光が乱反射しすぎだろ…  うわ、奥に最悪のセットある。耳が痛い…頭痛してきた、近づきたくねえ… 黒いグランドピアノ、と、その上に寝転がってるあいつ。 …ピアノが嫌いだ、弾いてない状態でもうるさくて耳鳴りみたいな高い音が、空気をまっすぐに分断してくるような、ピアノを中心にでかい輪状の鋭い刃物みたいな空気がすごい速さで飛んできて体が両断されるような気がする…。人殺しの黒い影がそのままゆっくり地面から這うように立ち上がってまるで害のない動かないものみたいなフリして静かにじっとしてるみたいだ。今にも人を殺しそうなのに動かないのが不気味で怖い。 …いやいや近寄ってって服をひっぱりながら声を掛ける。 「おい、ピアノって多分高いだろ。傷つける前に降りろよ」 そいつはダラダラした仕草で頭の下で手を組んで仰向けに寝転んだまま、紫と黄色と赤と青の混じった色で言い返してきた。 「楽器って頑丈だぜ? 傷がついても使えるし。そんときゃ金払って帰りゃいいだろ」 「そうじゃねーよお前がそんなだと俺もあれこれ言われんだよ」 体をひっくり返したそいつに髪の毛掴むみたいにされて顔見合わされて言われる。 「ウツ、あれこれとかそういうの気にしたこともねえのにそんなこと言っちゃダメだろ~?」 「………。」 機嫌良さそうにしてるのがムカつくから無理やりひっぱりおろしたら、というか落としたら床に落ちて背中打ってた、ザマァ。 なるべく頭上を見ないで床を見てうろつく。耳鳴り。猫背で少し俯いてる姿勢になる、ちゃんと顔を上げると目が見える。この姿勢だと髪の毛が白濁したほうの目にかかってちょうどいい。もともと目つきはさんざんディスられてきてるからそれはもういいけど。 この白濁は全然見えてないわけでもなくて、日によって不安定。 あてもなくうろついてたら後ろから頭にガシって手が乗った。足元に波みたいに寄せる暖色と青色… 「稔さん」 「よく来たな  お前にこの空間は厳しいだろうに」 頭撫でながら俺の横に一緒に歩くように並んだのは稔さんだった。 色だけならこの人はあいつより全然いい。目に痛い色はなくてどれもアースカラー?ってやつで。 この人にはいい噂と悪い噂が同じくらいたくさんあって俺にも関わるなって人と関われって人がいるけど正直どれも全部どーでもいい。稔さんは彫刻家だけど絵も描くし、俺はその事実だけ信用する。 絵を描いてる事実はそれ以外のどんな意味も持たない。だから���れだけでいい。 「今日はあれがきつい」言って奥のピアノを目線でさしたら稔さんが笑った。 「楽器は使い潰してやればいい  あれで何か弾いてやろうか」 眉を顰めて稔さんを見上げる。 「冗談… これ以上情報増やさないでくださいよ、処理落ちする」 「そうか?  お前なりの順応方法をなかなか良いと俺は思ったが 」 さっきカフェでもやってたやつだ、指揮棒の。あれは色々場所によってやり方変える、あんまり人に話してないけど、稔さんは昔からそういう話を馬鹿にしないで聞いてくれる。科学的根拠もない理屈でもない話。 稔さんの靴、靴底にタイル貼ってあんだけど、歩くとすげー音が鳴る。俺とは動機が違うだろうけど、メトロノームみたいだなって思う。本物のメトロノーム持ってねーけど。 歩く地面にもよるけど、タイルがとにかく硬いからどこでもわりと一定の硬い音がしっかり鳴る。あれだけ強固な音をいつも自分で発する…自分で調整したリズムで発して、ただ歩くだけでそれがずっと続くのは、雑多な音の中で気が狂わないための自分だけのメトロノームを常に鳴らしてる、そういう風に、俺には見える。 だいぶ前に稔さん本人にそれ言ったら「好きに思え」ってだけ言われた。 「…あ。」 あいつと一緒に直人さんがいて話してるのが見えた。 「…じゃあまた」 「ああ  帰るときは声をかけろ 」 稔さんから離れてそっちに小走りで走り寄る。
直人さんと久しぶりに少し話したけど、途中から片腕に虫が這って、どういう話だったかはあんまり頭に入らなかった。 ただちょっと、前より話しづらい感じになったかも…直人さん。なんとなく、優しくされてる…好意的に接してもらえてる、のが、態度とか口調とか色々で分かって。 前はもっと遠慮なくズバズバ思ったこと言う人だったから、俺もそんな感じで、そういう関係って仲良しとは違うかもしれないけど、でも前の方が接しやすかった。 俺の描いた絵に対しても同じかんじで、これは良い、これはだめ、って、何がどう良いとかじゃなくただ断言されるのが安心できて、この人は心からそう感じてんだなってことはあちこちから見ても疑いようがないのが好きだった。 絵に対してはどうなんだろ…。さっきの気遣われてる感じで来られたらちょっと…いや、かなりきつい。 …なんで…一人の人間みたいに見られてんだ 俺たちはただの画家じゃねーの もともと親しくもなかったけどさ… 部屋貸してもらう約束だから人間的な礼節は尽くすけど…
直人さんの息子さん、えーと…こんなん思い出せるわけねーな。 稔さんのとこに行って服ひっぱって訊く。 「稔さん、あの人知ってる? 俺一度会ってるんだけどたしか稔さんにその事いくつか書いて話したよね?」 「ああ  …。866043778688860だな」 「ありがと」映像記憶ってこういうとき便利だな。 866043778688860…あやせかすみ?さんだったか…多分だけど… 一度会っただけだしお互いにあの時確か名乗ってもないから初対面くらいのノリの挨拶でいいかな… 近寄らなくてもわかる、足元まで赤い人だ、ところどころ白いのが人体を開いたときの脂肪分みたい、…髪の色が…赤系…茶系?…どっちが本来の色かは分からない、俺には見えない 近づいてって声かけてみた。 「あの…  どうも、行屋虚彦っていいます。直人さんから話がいってるかも知れないけど、部屋譲ってもらうことになったっていう…。」 その人は笑顔で会釈した。 「あっはい、聞いてます。…えと、俺は直人の養子で…名廊香澄です」 直人さんはこの人がいて画家を辞めて結局画家に戻った。どこまで関係してんのか…ていうか人間関係とかが絵を描くことに関係するもんなのか…? あいつにさんざん俺の描き方ディスられても結局描くもんは描くんだし、あれにイラついてはいたけどだから描き方変えるとか傷ついて描けなくなるとかはないし…そういう描けなくなるやつがいるのも存在は知ってるけど。折れるやつ辞めるやつはそこまでなだけだし。 今はいいか。謝っとくべきなことを先に済ましとく。 「敬語じゃなくていっすよ、俺まだ中坊なんで。…前に一度お邪魔した時はすみませんでした。なんか一方的に叫び散らしてって」 あの時は色々俺もバグってたな。直人さんの家に訪ねてくとかありえねーアクション…。 「…言い訳じゃないですけど、あの頃俺も母親失くした直後とかで私生活荒れてたから、ほとんど八つ当たりだったと思います。…よければそういうことにしといてやってください」 体を翻して香澄さんの横に並んで立つ。 「あ、あの時の…?大丈夫です、気にしてないから…  俺、部外者みたいなものだけど、何か手伝えることあったら言ってね」 あんま覚えられてなかったか。まああんな意味不明な出来事覚えてるのも変か…  割と言ったことは本心だったしいい線いってた気がするけどな。 「手伝えること…?ってなんすか。そんな変わった部屋でしたっけ」 中坊の一人暮らしには贅沢すぎる部屋ではあるかもな。 「えっううん、俺そんな特別なことはできないけど、引っ越しの荷物運びとか…あと友達は一人暮らし慣れるまで色々通ってた気がするから、えっと、うつひこくんがやじゃなかったら手伝うよってだけ」 「あーー…そっすね…俺ずっと実家暮らしで引っ越しもしたことないんで、そういうことなんも考えてなかったです…」 ちょっとビビりつつ香澄さんを見る。あんま人の顔直視しないようにしてんだけど、目つき悪いから。 本当にフツーの人?っていうのか?なんか、的確な表現でてこねー… 引越しの手伝いって、本人も言ってるけど部外者っつーか完全に無関係なのに、多分この人俺の絵見たこともないだろうし、それで俺と関わり合いになろうって… 善意ってことか?社交辞令でここまで言う必要ないよな。 突然少し離れたところの照明が落ちた …違う、黒くなった、…紛らわしいことしてんじゃねーよ なに話してるかは聞きたくねーから耳澄ましたりはあえてしないけど黒いってことは一応耳は拾ってんだろうな単語を、意識から弾く。あいつが言ったみたいに別に傷つきもしねーけど、だからってなに言ってもいいのかよ ふいにその仕草が目に入った、俺の白濁した方の目を指すみたいに自分の目を指してひそひそなんか言ってる。この目は自業自得だけど、 俺の私生活に関係する話すんのをやめろ この空間内の雑音処理をどんだけ集中してやったと思ってんだよ… ぶち壊しやがって なんか無性に蹴り飛ばしたい ポケットから風邪薬詰めた瓶を出して七錠あおる。 香澄さんに挨拶してそこを離れたけどなんて挨拶したか自分の声が意識から飛んだ、一応言えてたと思うけど、なんか返されたのかはわかんない
しばらく会場の外のソファに座って絨毯の敷かれた床を足の裏で蹴りつけてたけどどうにもなんない。 耳の奥でガリガリやばい音がする、過呼吸ぎみ。座った姿勢で髪の毛ひっかきながら項垂れる。 音が戻ったあたりで会場からかなり早足で出てったら前の道に一台の車が停まった …特徴的なアンティーク車。 迷わず助手席のドアを開けて飛び乗ったらすぐ発車した。 「…毎回すんません…」 助手席で深く体を沈めて座って、人差し指を曲げてこめかみを殴りながら言ったら、運転席から伸びてきた手に殴ってた手を掴まれた。この人彫刻やるから力強い。 片手運転… 夜の道で一瞬だけ稔さんがこっちに目配せした。 「グローブボックスの水と薬を使え」 「…」 手を離された、開けてみたらあった。市販薬は全然効かねーけどこの人の持ってる薬はめっちゃ効くからこうしてたまにもらってる。 なんとか薬を飲んで、頭痛がおさまってきたらそのまま寝落ちた。
…頭の中でガリガリひどい音がする 首の後ろで脈を打つ 何かに圧迫されて息が詰まる 耐え切れなくて出てきた涙をほっといた
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usono-musuko · 8 months
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2023年8月31日
「山月記が教科書に載ってることは大事なんだよ。ほとんど生徒はテスト終わったらすぐ忘れてようとも、クラスに1人くらいいる虎予備軍を暗黒面から救う。」
「私はどうも人より物をよく憶えているようであること
そしてそのために人と約束したこともよく憶えているようであること
でも相手は忘れているようであること
私にとっての約束が相手にとっては約束でない場合があるようであること
それでも私は約束を守りたいこと」
「キャラクターや衣装デザインする際に、知人にアイディアをヒアリングする事がある。ポイントとなるのはセクシー表現の加減についてだが、男はまーカマトトぶること!本当は好きな癖によぉ… その辺は寧ろ女性の方がイケイケな傾向があり、飾らない消費者の意見に近い気がする。
男は外では紳士ぶる。内の獣の性を隠しよる。ポリコレ全盛の現代だと特にそう。でも紳士としての意見はどこまで行っても建前。誰にも見られない所で消費者の立場に回った時は、獣の本性でコンテンツを選ぶに決まってるから。このパラドックスを作り手が真に受けると、梯子外されるから。」
「同じ授業に出てる学生が「私バカなんでよくわかんないすけど」と漫画のキャラみたいなこと言った時に 「それを二度と言わないようにしなさい。そのように自分を下げることを言うものではありませんし、ましてや発言の責任を軽くする言い訳にしてはいけません」 と遮った大学の先生 今もたまに思い出す」
「>相手の1番になりたくてSkebで必死になって貢いでたけど何が面白いって相手の絵師多分同性だから繋がって結婚とかないんだよね
マジで何してたんだろ そういう人のおかげで芸術ってのは発展してきたんだ 何もおかしいことじゃない」
「ネットで相手のことをよく知らない(ネットにアップしている部分しか知らない)にもかかわらず、実生活で会いたいという願望や憧れから関係が親密であると思い込み、一方的に親しみを感じてリプライを送ったりする普遍的で不気味な感情。それに「パラソーシャル」って名前がついてて大分スッキリした。」
「同僚のアメリカ人に日本語を教えていたら「過去、加工、括弧、格好が完全に同じ発音に聞こえる!違いが全く分からない!」と言うので「わいがいつもlow、law、row、rawが同じ音に聞こえる…って言ってるのと同じだよ」と返したら「お前の気持ちがやっと理解できた」と言われ、相互理解が深まった。」
「ダメな人ってプロを全知全能扱いするよね」
「来世でアリゲーターガーになるために徳の量を調節する」
「寝取られというか、浮気を自白された時に「じゃあしばらく二股かけてみて落ち着いたらどっちがいいか考えたら?」って返したら相手のなんらかの倫理観に抵触したようでパニックになられたことがある(なんでこの提案でおれ側が加害者みたいな展開になるんだとはいまだに思っている)
ついでにこれ浮気相手が普通に友人だったので、その後そいつと会った時に「寝取るならもうちょいちゃんと寝取れ」って謎のやりとりが発生した」
「こういう生まれる時代三万年くらい間違えてる人いるよね」
「「人から好かれることと倫理的に正しいことは必ずしも一致しない」という微妙な陰影が、マナーという平べったい単語に隠蔽されてしまうというか」
「>タチウオ釣りたいけどタチウオの釣れる釣り場は嫌い 常夜灯の下は基本的に戦場だけど、太刀魚が一番殺伐としている印象あるわ」
「>あらすじがスッキリハッキリ物語の売りを表明できているかは文章力の一番の指標だ あらすじ、第1話、最新話 この3つを読めば作者の力量ってだいたい分かるからな」
「『午前十時の映画祭』に限らないけど、ガラガラの名画座で映画を見ると「自分の感動を他人と共有しなくていい、SNSで他人とコミュニケーションとることを前提に見なくていい」ことが心地よい。「一人で見て、一人で感動して、そのまま誰にも言わない」という、その「一人性」を得られることに癒される」
「スケベ二次創作はSNSに貼る絵くらいで付いたファンを有償一次創作エロに誘導するスタイルはだいぶ定着した感はある」
「もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい /岡野大嗣」
「80年代にゲーセンで遊んでいた学生は、「ゲームをやっている奴はろくな大人にならない」と言われる中、「勇気をもって自分でその趣味を選んだ」人が多いと思われる。覚悟決まっちゃってるから思い入れが強くなったのかもしれん」
「自分の知ってる有名作品がそのジャンルの起源だと思い込む人はかなり多い。創作者にもいる。」
「ときめきを忘れてしまった人は「デパ地下」に行こう。デパ地下にはきらびやかなスイーツと、美味しそうな唐揚げ、みたことのない海外ビールがあります。「好きなものを一つだけ買う」と決めれば1時間はワクワクしながら買い物できます。人生がつまらないと思った時はデパ地下に行こう。」
以上。
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blue-aotan · 2 years
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ハロー(´ー∀ー`)2022.9.15
自分って何でこんなに疲れやすいのだろうと以前から感じていましたが、ようやく答えがみつかりました。自己診断ではありますが、私はHSPのようです。
HSPとはハイリー・センシティブ・パーソンと言ってとても感受性が高く、生まれつき敏感な気質を持っている人を意味するそうです。
自分で言ったら何だか勘違いの痛い人のようにも感じますが←
ネット上の色んなHSP診断をしてみると当てはまる部分が多いです。
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電化製品の音(テレビの電源を入れた時に本体から聞こえるブーーンという小さな音や冷蔵庫の音、時計の秒針など)が気になったり、周りの人のネガティブな感情を受けすぎてもう聞きたくない!となることもあるしかなりメンタルが削られていくのが自分でわかったり、人間が苦手で1人が1番気楽だというのも当てはまっています。
とにかく疲れやすく、通常の精神状態に戻すまでかなり時間を要するのとその時間が年々伸びてきているように思えます。突然どうでもよくなったり、もう今日は必要以上に人とは話さない日にしよう、と思うことさえあります。
何でこんなに生きるのが辛いのだろうと思っていたけど、HSPというものが原因だったのかとわかるとなーーんだとも思ったし、それがわかったからといって何だって感じだけどもww
人に合わせ過ぎず、自分の安全なスペースを保って休み休み生きていくことを心がけていくことが大切かもしれないと思いました。
でもね、たまに敏感度がバカになる時もあるんですよね←
多分自分の許容範囲を超えてしまって、全てを無意識にシャットアウトしてしまうことがあるんですよね。周りの声が聞こえていなかったり、考えることをやめてしまったり、ボーーっとしてしまうことがあるし緊張する場面で欠伸が出たり←
あぁ、今ばかになってんな←って自分で思ってます。
自己防衛機能と私は勝手に思っていました。
以前の仕事ではかなり無理をしていたなと思います。
自分のペースで仕事はできないし、順番を決めていてもすぐに狂わされるし誰も助けてくれない。自分1人で頑張っている感じがどうしてもあって、日々何かに追われてずっと働いている…今考えるとよくそんな仕事が何年もできたなと感じます。
楽な仕事はないけれど、給料よりも心の健康が大事だと思います。今後も自分を大事になるべく生きやすい環境に身を置きたいです。
新しい環境に慣れるのにもかなり時間が必要です。前職でも何年も勤務しているのに、職場に着いたら緊張したり(面接か?ってくらいドキドキしたり)長く勤務していても打ち解けない人もたくさんいました。
そこで後輩が私よりも職場の人と馴染んでいる様子などを見て、どうして私はそれができないのだろう…と感じることもよくあったし無理をして話しかけるようにしていたこともありました。
でも今考えると、何も無理をする必要なんかないし人それぞれの対人スキルが違うのは当たり前であって人と比べる必要ないと思いました。
そうはわかっているんだけども、結局人と比べてしまうんですよね…←悪い癖
疲れたら休んで、、と今までは思っていたけど今後は疲れる前に休む、を心がけようと思います。
休む、を増やす。
リラックスする時間を増やす。
自分を責めないようにする。
もし同じようにHSPの方がいたら、そうそう!わかる!みたいに心強い同志だと思ったらいいんじゃないかと思う。
ということで今回も映画ブログ〜
「バタフライルーム」
U-NEXTのレビューは高い方だったけど、何で?となりました。一言で言ったら「頭おかしいババーの暴走」です🤣
蝶の標本作りが趣味のおばはんが街で女の子をみつけて懐柔し母親を殺して自分が世話をするというか、標本にしちゃうみたいな←
標本にされた女の子、めっちゃ息してたように見えたのよね←
目の錯覚なのかそのシーンはNGでは?って思っちゃったよね。
最後も「は?」みたいなねw
娘も母親と同じようになるのでしょうか。
観なくてもいい映画認定です←
「フェイシズ」
ミラジョボヴィッチ作品。
ある夜、殺害現場に出くわし犯人の顔を見てしまうミラ。追いかけられ橋から落ちるんだけど頭を強く打ったことで相貌失認という人の顔が判別できない障害を抱えてしまいます。
警察に協力はするんだけど、自分の恋人や友達の顔さえも分からず、毎回別の人の顔に見えてしまい苦悩の日々を送ります。
結局着ている服とか髭とかでその人かどうかを認識するしかないんだけど、犯人の顔も忘れているからさあ大変!
障害のせいで恋人との仲もうまくいかなくなったり、警察の人といい感じになったり←
この警察の人がカッコよかったな…髭がすごく似合っててしかもこの人だけミラには奇跡的に同じ顔に見えていたので「運命の人」みたいな←
ちょっとチープな展開(ひでぇ
恋愛に運命もクソもあるか派の私には何も響かなかったけれど←
結局この警察の人も髭剃ったら誰だかわからなかったという話←
犯人がこいつかよ!ってなったし、結末は悲しかったんだけどさ。
他の映画にもありがちな子供授かりエンドはちょっとね…興醒めポイントです🤣
よくあるよね。この子に引き継がれてる、とかこの子の中で生きてる、とか。
私としてはそうかもしれないけどさ、愛する男性の代わりにはならないのよってなる。
代わりとは思っていないだろうけど、亡くなった人はもういないんよ(当たり前)
映画くらい幸せな夢見させてよ
(バッドエンド好きが何言ってんだ
髭の警察官はカッコよかったけど、髭剃ったらタイプではなくなりましたよ
(誰も聞いてない
「エビデンス-全滅-」
映画監督の卵と女優の卵が映画を撮るためにキャストを集めてロケ地へ向かうんだけど、そこで起こる連続殺人事件とことあるごとに映像を録画していて、その映像を解析し真実を見つけようとする警察の話。
映像がビデオカメラで撮影しているので画面揺れがすごくて、いわゆるPOVホラー映画というやつなのでしょう。私が苦手とする手法のホラーです←
POVはポイントオブビューの略で、一人称視点という意味です。
私も知らなかったので説明してみました←
何の説明もなくネットでは「POV映画○選」とかよく見かけててイラッとしていました←
あたかもPOVという言葉は既に全人類周知の事実と言わんばかりの表記です。
(かなり捻くれている←
すぐ略して言ったり隠語を使ったり新造語などが次々と生まれるので、ネットの情報にもついていけなくなってきている今日この頃。
私の情報源はほぼ姉達ですよ←
みんな適応力高くてすぐ使ったりするのが本当にすごいなと感じます。
この映画の組み立て方は、最後のどんでん返し的な感じでいいと思いましたが、うーーーん。
面白くはなかった←
始まり方も、警察が映像に騙されるのもその時に流れる音楽とかもSAWを観ているようでしたがそこまでの驚きもなく。
終わり方が映画同好会みたいな感じで終わったwww
終わり方が全てを台無しにした気がした←
一人称視点だとわかっていたら観ていなかったかもしれません。
ちょっと設定に無理があるかなー。
「アド・アストラ」
何となくブラピに会いたくなって観たんだけど←
やっぱさー、俳優さんてどの角度から見ても綺麗よね←
宇宙って暗いんだろうけど、地球とか惑星が光り輝いてて(太陽の影響か?)その光に照らされるブラピが美しいおじさんなのよ。
(どんな感想よw
ストーリーはね、一言で言わせて下さい。
全部クズ親父のせい!!!!
クズ親父のせいでブラピは哲学思考に陥ってさー、宇宙まで自分探しの旅すんのよ。
クズ親父のせいでずっと縛られてんの。
任務の途中で色々あんのよ。
救難信号出してる船へ助けに行って襲われたりさ。
しかも宇宙人じゃないのよ、猿よ猿。
猿かよ!!
ってなった人!
はーーーい🙋‍♀️←
色々あんだけど、山場ナッシング。
退屈うとうと宇宙映画🥱
最後ね、ブラピが無事に地球に戻ってきたのよ。そしてちゃんと自分なりの答えみつけてんの。
よかったよねー(棒読み
最後に。。
話が長すぎて要点がない人へこのシェイクスピアの言葉を送りたいと思います
(唐突
『簡潔こそが英知の真髄である』
本人にこの言葉を言ってやりたかったわ、ってくらいぴったりな言葉。
(誰に向かってかは想像にお任せします
たまたま目に入った言葉だったけど、何となく書いてみました←
簡潔すぎてわからない人もいるよね←
そしてそして!
ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム
発売日決定しましたね〜
ブレスオブザワイルド2じゃないのね。
王国の涙なのね。
ハイラル王国また滅んじゃうの?
いやーこれは一作目またおさらいしないとでは?←
発売日は来年の5/12なので、まだまだ時間はあります。ほっ
そしてしれーっとクライシスコアリメイクの発売日が12/13って告知されてましたよね←
そしてそしてオクトパストラベラー2が2/24だって!?
積みゲーはペルソナ5が終わったら残り1本。
だけど購入予定のゲームが山盛りなんですよね←
どーする?
苦悩してるあおでございました😙
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crydayz · 2 months
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240216 金
下心の逆。上心(うわごころ)
下心が利己的で下卑た欲求という事であれば
上心は社会的で気高い欲求という事になる
藤子・F・不二雄のSFショートショート「気楽に殺ろうよ」の中で語られていた理屈によれば、生殖というものは人口を増やす為の社会的な行動なのだから利己的なニュアンスは乏しく、むしろ個を維持する為の「食事」こそが最も利己的で恥ずべき行動と定義されていた
なるほど、確かに説得力がある
実際、原始的な社会においては(食事が恥ずべき行為かはさておき)生殖はコミュニティを維持する上で極めて重要な社会的行為だった
エロスというものは「利己的な秘密の共有」の中にこそ宿る
広く開示され社会に容認された情報からはエロスが抜け落ちる
エロスの語源は愛
では愛は利己主義の中にしか宿らないのか? と問われればノーだ
公共的で、大勢から応援される形の愛もある
ただ、味はちょっと薄い。清々しい愛はあっさり塩味テイストだ
ドロドロで利己的な愛には豚骨醤油ラーメンめいた濃厚な美味さが宿る
臭いのだ。利己的な愛には「臭み」がある。臭くて臭くて匂いを嗅いだだけでも飛びそうになる
だが、味が濃くて臭気が強いものばかり食べていると舌と鼻がバカになるし健康も害する
自分自身から邪悪なスメルが漂うようになってしまう
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