Tumgik
#バイクの日発祥の店
bumaswing · 1 year
Photo
Tumblr media
スズキ。LOVE。マフラー付けおき開始!薬品。手がヌルヌルする #スズキ #スズキラブ #ラブ #修理 #バイク修理 #原付修理  #日本最古のバイク買取店 #バイクの日発祥 #バイクの日発祥の店 #東京#埼玉#中野区#豊島区#杉並区#練馬 #江古田 #バイク #原付 #バイクの日発祥の店 #819の日発祥の店 #バイクの日 #バイク買取の元祖bum #バイク買取の元祖 #バイク買取 #bum #bumアズウイング #アズウイング https://www.instagram.com/p/CqScRa3Pmn3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
tutai-k · 4 months
Text
2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不安もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた、他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいるわけだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。
Tumblr media
★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni文学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む岬でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらいいなと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の同級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通販の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので、お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れない作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印象深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反旗を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶/物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は『イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く。ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上ではお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降りだったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行くことがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
6 notes · View notes
tumnikkeimatome · 4 months
Text
近代郵便局発祥の地・日本橋郵便局で最後の出発式:1月1日に配達する年賀状前年比16%減の7億4300万通
年賀状配達の象徴的な始動 2024年1月1日、東京都中央区の近代郵便発祥の地である日本橋郵便局で、年賀状の配達出発式が行われた。この日、配達員24人が新年の挨拶を届けるために元気よく自転車やバイクで出発した。式典では松本剛明総務相が年賀状の大切さを強調し、職員たちを激励した。 地域とのつながりとデジタル化の影響 近くの洋食店「たいめいけん」では、職員が明治期の制服を模した紺色の服で年賀状を届けた。店長は新年のメッセージとして、竜のような勢いで飛躍する一年であることを願った。しかし、全国的には前年比16%減の約7億4300万通の年賀状が配達され、これはデジタルコミュニケーションの影響が考えられる。 今後の変革への期待 2024年は、日本橋郵便局周辺の再開発が進行中であり、2007年から続く伝統的な出発式は今回が最後となる。今後の開催場所は未定だが、変化する社会と技術の中で、年賀状…
View On WordPress
0 notes
Text
I LOVE CMF / COMMO dos DRAGONS
I♡CMF / "COMMO dos DRAGONS"
LIVE: 2024.07.15 TBA.OSAKA 2024.06.02 HOKAGE.OSAKA 2024.05.18 SOCORE FACTORY.OSAKA 2024.03.29 NOON.OSAKA 2023.12.30 UMEDA CLUB QUATTRO.OSAKA 2023.12.24 HOKAGE.OSAKA 2023.11.05 KINGCOBRA.OSAKA 2023.10.22 environment 0g.OSAKA 2023.10.01 BAGUS.WAKAYAMA 2023.09.18 BSS SKATE PARK.KYOTO 2023.08.05 CLUB STOMP.OSAKA 2023.07.30 HOKAGE.OSAKA 2023.05.27 D.T Mama.SHINGUU.WAKAYAMA 2023.04.15 SENGOKUDAITORYOU.OSAKA 2023.03.21 JAMES BLUES LAND.KOBE 2023.01.15 SOCORE FACTORY.OSAKA 2022.12.11 NANIGOTOYA.OSAKA 2022.11.06 CLUB STOMP.OSAKA 2022.10.31 SUNHALL.OSAKA 2022.10.01 HOKAGE.OSAKA 2022.07.03 CLUB STOMP.OSAKA 2022.06.26 BAR COHIBA.OSAKA 2022.05.21 HOKAGE.OSAKA 2022.03.26 JOULE.OSAKA 2022.03.05 HOKAGE.OSAKA 2022.01.29 RED DRAGON.NAGOYA 2021.12.26 NOON.OSAKA shop information / CD取扱店舗
大阪: REVENGE RECORDS 大阪 EGYPT RECORDS 東大阪 ARTISTDOOR 大阪 DISK UNION 大阪店 TOWER RECORDS 梅田NU茶屋町店 TOWER RECORDS 難波店 名古屋: PUNK TRIBE CYBER RESERVATION DISK UNION 名古屋店 広島: DISK SHOP MISERY 東京: RECORD SHOP BASE (高円寺) TOWER RECORDS 渋谷店 TOWER RECORDS 新宿店 DISK UNION 新宿パンクマーケット DISK UNION 渋谷Rock in tokyo DISK UNION 池袋店 DISK UNION 下北沢店 DISK UNION 中野店 DISK UNION 吉祥寺店 DISK UNION お茶の水駅前店 DISK UNION 立川店 DISK UNION 町田店 神奈川: DISK UNION 横浜西口店 千葉: DISK UNION 千葉店 DISK UNION 柏店 ONLINE / 通販: DISK UNION ULTRA SHIBUYA TOWER RECORDS ONLINE HMV Amazon 楽天 TSUTAYA ♦サブスクリプション/ダウンロード♦ Subscription/downloads now available! https://ultravybe.lnk.to/commodosdragons #「I LOVE CMF」で検索してください Spotify Apple Music OTOTOY
Tumblr media
"100年後の不良少年少女へ" 大阪アンダーグラウンドを拠点としその名を馳せる"DAMAGE"、"GALAXY"、"SLEEPCITY"の メンバーらを擁し、ラフ&フリーキーを両手に掲げ、虚ろな眼差しと予測不能の享楽的ダンスパンクサウンドで 歪に界隈を騒がせる異色音楽集団、"I♡CMF"(アイラブシーエムエフ)。 先人達への敬意と夜の隙間から噴き出したどどめ色の煙にまみれて再構築したサウンドによって生まれた 1st ALBUM『COMMO dos DRAGONS』をリリース。
2018年暮れ、宅録コラージュユニット的な形式で発表した初のカセット"DIANA IS DEAD/ダイアナ・イズ・デッド"(著作権侵害とされアメリカの工場からプレスを拒否されるなどした問題作)をリリース、その後バンドを組織しライブを行うようになる。
2019年末に、ほぼ一発録りのラフなパンクサウンドにロックレジェンド達のアンサンブルを随所に混ぜ込み、呪文やおまじないをテーマに制作した2ndカセット"ELOIM WESSAIM/エロイム・ウェッサイム"をリリース、その後もライブ活動を継続しながらメンバーの手によるMUSIC VIDEOを公開している。2020年クリスマスにSUGIURUMN (DJ/THE ALEXX) produceによるソニックユースのエレクトロカヴァー"100%"をデジタルリリース。
今作"COMMO dos DRAGONS/コモドドラゴン"は前作の"ELOIM WESSAIM"をベースに新録音を5曲追加収録し「100年後の不良少年、不良少女へ送る」デビューフルアルバムとなる。
雑さやラフさを極力残した、スタンダードなバンドサウンドからの逸脱感や不道徳な楽曲テーマ等、いわゆる現在のロックバンド像からは異質の享楽的な近未来パンク/ダンス作品となっている。
Tumblr media
L→R KEM/GAIJIN/サノバビッチ/TAKASHI/TAMBARIN/スン/シマ
youtube
youtube
アーティスト名:I♡CMF(アイラブシーエムエフ)
アルバム名:COMMO dos DRAGONS (コモドドラゴン)
フォーマット:CD
発売日:2022年1月26日
発売:デフラグメント 流通:ウルトラヴァイヴ 価格:¥2500(税別) 品番:FRAG-2201
プラケース/16pフルカラーブックレット仕様 初回出荷分のみ特製ホロシール貼付 全10曲収録 01. SHANGHAI BEAUTIFUL (4:50) 02. HOLYCALLING (2:31) 03. SEX (2:37) 04. JUDAS KREUZ (2:04) 05. MAKE SOME GUNS (3:51)  06. ABCDCMF (3:31) 07. 100% (2:49) 08. FUCKYOU (3:54) 09. AMEN (1:58) 10. KURT IS DEAD (3:36) KEM_sampler (DAMAGE) TAKASHI_guitar (GALAXY,ex-TRAITOR) シマ_vocal,guitar (SLEEPCITY) サノバビッチ_vocal,guitar,sampler (DAMAGE) MIYAGI_CEO,vj (de-fragment主宰) TAMBARIN_drums GAIJIN_bass (ex-殺悪愚) MARIO_vj (DAMAGE,SIZERS) recorded : TAKAHIRO IWASAWA at IMLab recording studio mixed and mastered : MASANORI SATO ( Traffic Jammies/ Stereo Records ) artwork:サノバビッチ 解説:(参考です)
❶「SHANGHAI BEAUTIFUL」 ビーバスアンドバットヘッドがどっかのエピソードで口ずさんでいたデスリフとチャイコフスキー「白鳥の湖」のルーズ+ダークな融合にソニックユースのDEATH VALLEYアレンジを更にミックスした電撃曲。新録
❷「HOLYCALLING」 FRICTIONの「ZONETRIPPER」にバグりまくったサンプル/クラップ音が暴走するバットホールサーファーズ直系のスピード全開即死系の危険なイカれチューン!新録 MV▼
youtube
❸「SEX」 メガデスのSYMPHONY OF DESTRUCTIONのリフにジェーンズアディクションの"SEX IS VIOLENCE"のシャウトをまんま載せた曲 エンディングはモトリークルーのLOOKSTHATKILLが炸裂するナンバーMUSICVIDEOは18禁設定にも関わらず1万回以上再生されている。▼MV
youtube
❹「JUDAS KRAUSE」 不穏なバイクのエンジンやサイレン音を背景にEDMのアップリフト感をバンド変換したハイパー・異国・ポップチューン💜 新録 CMF唯一のキャッチー&メロディアスな楽曲 ▼MV
youtube
❺「MAKE SOME GUNS」 ガンズの"MY MICHELLE"をごっそり使用し、さらにニルバーナアレンジにて最強のダンスチューンに改造****カルロス・ゴーン氏保釈時の言葉「THANK YOU NO COMMENT」を使用。▼MV
youtube
❻「ABCDCMF」 誰もが知ってる「きらきら星」のメタカバー(替え歌です)▼MV
youtube
❼「100%」 ソニックユースのカバー 新録
❽「FUCKYOU」 オジーオズボーンとモーターヘッドの共演曲「へルレイザー」を偶然モチーフにした楽曲にUKインディダンスバンドEMFの「アンビリーバブル」をミックス。映画「モンドニューヨーク」の坊主のグラサンのバンドからインスパイアを受けた 新録
❾「AMEN」 シマ(SLEEPCITY)がメインヴォーカルのエモ爆系ガンショット近未来スピードパンク。▼MV
youtube
❿「KURT IS DEAD」 ニルヴァーナの故カート・コバーン氏の死亡時のニュース音声を全面的にフューチャーしモトリークルーの"KICK START"のリフを配した衝撃的感電チューン。▼MV
youtube
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Tumblr media
▲2020年のクリスマスにリリースされた100% (Xmas Eve Mother Fucker version)のアートワーク
Tumblr media
▲2019年発表 バンドとしては初となる作品"ELOIM WESSAIM・エロイム・ウェッサイム" のアートワーク 
Tumblr media
▲2018年発表の"DIANA IS DEAD/ダイアナ・イズ・デッド"アートワーク ▼DIANA IS DEAD MVリンク
youtube
●I♡CMF/アイラブシーエムエフ/ILOVECRAZYMOTHERFUCKER/ DAMAGE、GALAXY、SLEEPCITYのメンバーらによるサンプラー/ライティング/映像のメンバーを含む近未来パンク/ダンスバンド。 ガンズアンドローゼス、モトリークルー、バットホールサーファーズなど伝説的なロックバンドのアンサンブルを丸ごとサンプリング演奏するスタイルと不道徳なテーマ、原色を多用した特異でユニークなコラージュアートワークで知られる。 これまでに2本のカセットをリリース。ファーストフルアルバム"COMMO dos DRAGONS"を2022.1.26リリース。
2 notes · View notes
xf-2 · 5 years
Link
事実を知らしめることが親善に
豊田有恒(作家)
愛国の一方で政府批判
 このところ、韓国の反日が常軌を逸したものになっている。いわゆる従軍慰安婦の問題は、日本の巨大新聞が、その強大な影響力を行使した結果、世界中にまき散らされた虚構なのだが、いわば韓国との連携のもとで、拡大した側面も見逃せない。
 明らかに、韓国は、変わってきている。なぜなのだろうか? 私は、1970年代の初頭から、韓国へ通い始め、韓国語も学び、多くの著書を上梓してきた。しばしば、親韓派と目されてもきた。弁解になるが、これには、理由がある。70年代の当時、例の巨悪の源泉である新聞社は、北朝鮮一辺倒だったのである。今日では考えられないことだが、北朝鮮を「地上の楽園」と美化し、相対的に韓国を独裁政権と規定し貶(おとし)めてきたのである。
 私は、もともと、小説家であり、思想的な背景はない。韓国へ行くようになったきっかけは、小説の取材のためでしかなかった。韓国は、あの新聞社が報じるように、独裁政権の国だと思いこんでいた。これは、おおかたの日本人の当時の平均的な理解だったろう。なにしろ、良心的と目されていた大新聞が、北朝鮮への帰国事業などを後援し、後にノーベル賞を受賞する有名作家や、国際無銭旅行で大ベストセラーを出した評論家などが、すっかり賛同しているのだから、実際に韓国へも北朝鮮へも行ったことのない人間は、そうだと信じこむしかなかった。
 しかし、韓国へ通ううちに、日本の報道が、おかしいのではないかと、うすうす思いはじめた。三十代はじめで若かったせいだろう、フットワークが良かったから、取材目的の古代遺跡のほかにも、あちこち歩きまわる。ディスコで知り合ったディスクジョッキーをやっているという同年輩の韓国人と意気投合したが、この男、どこでも政府批判ばかり口にする。こちらが、心配になって、周囲を見回したほどだった。日本では、KCIA(韓国中央情報部)の悪行ばかりが報道されていたから、言論の自由はないという先入観にとらわれていたが、こうした報道が、変ではないかと感じはじめた。
 また、一方では、政府批判もするが、この男、愛国心を口にする。ディスクジョッキーという軟らかい職業の男が、愛国心を口にすることに、違和感も持ったが、やや羨ましくもあった。当時、日本のマスコミは、左翼デマゴーグに牛耳られていたから、愛国心などと言えば、右翼と間違われかねないような風潮が、蔓延していた。しかし、韓国では、こうした言説は、この男だけではなかった。あちこちで、北朝鮮に偏している日本の報道がおかしいとする、多くの韓国人の批判を耳にするようになった。また、必ず日本に追いついて見せるという、愛国心をむき出しにした意見にも接した。
韓国の実情紹介に誹謗中傷
 韓国語が判るようになると、行動範囲も広がってくる。こうした韓国人が、KCIAに監視されているから、点数かせぎに愛国心を口にしていたわけではないと、だんだん判ってきた。バイク・カーマニアだったので、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)や大林産業(テーリムサノプ)のショールームに足を運んで、韓国の自動車・バイク事情に関心を持ちはじめた。
 日本で報道されるような「暗く抑圧された独裁国」といったイメージでないことが、しだいに判ってきた。日本で、しばしば誤解されていることだが、反日の激しさから、韓国人に険しいイメージを持つ日本人が多い。一面では当たっていないこともないが、日常の生身の韓国人は、妙になれなれしく陽気で人懐(ひとなつ)こい。
 あの大新聞は、「暗く抑圧された独裁国」という疑似イベントを売りまくって、北朝鮮を美化し、韓国を貶める方向へ、日本国民をマインドコントロールしていたのだ。
 韓国では、確かに日本より言論の自由が制限されていた。しかし、それは、金日成の個人崇拝による究極の独裁国家である北朝鮮と対峙するためであり、ある程度は強権政治を敷くしかなかったのである。当時、韓国では「誤判(オバン)」という表現が、しばしば使われていた。韓国国内が混乱していると見てとり、好機とばかりに北朝鮮が南進に踏み切るのではないかというわけだ。つまり、北朝鮮に誤判させないように、常に国内を安定させておかなければならなかったのだ。全ての韓国人が、ほん(・・)もの(・・)の(・)独裁国家である北朝鮮を恐れていたからだ。
 こうした韓国の実情を、広く知らせたくなった。小説家という職業柄、書くメディアには、事欠かない。小説家の仕事ではないという躊躇(ためら)いもあったが、最初のノンフィクションとして「韓国の挑戦」(祥伝社)を上梓したのが、昭和53(78)年のことだった。書評では、これまでの日本の対韓認識を一変させたとまで、評された。当時の私には、巨悪と戦おうなどという大それた問題意識は、まったくなかった。
 だが、ベストセラーにはなったものの、あれこれ、雑音が耳に入ってきた。この問題が、当時のマスコミ界では、タブーになっていると知ったのは、発売されてからだった。つまり、ほんとうのことを言ってしまったため、このタブーに抵触した。期せずして、あの大新聞と言う虎の尾を踏んでしまったわけだ。
 朴政権に買収されている―は、まだしも上品なほうで、韓国に愛人がいるとか、韓国成り金だとか、いろいろ悪罵を聞かされることになった。そこで、子供たちもつれて、一家5人で毎年夏休みに韓国へ遊びにいき、印税を使い果たした。
日韓のため尽くした金思燁氏
 あの大新聞が主導して、日本人を親北朝鮮、反韓国という方向へ誘導していたわけだが、最近は、かつての報道姿勢が嘘だったかのように、あの大新聞は、北朝鮮を賛美するようなこともなくなり、いつのまにか北朝鮮への批判を、臆面もなく展開するようになった。
 それどころか、70年代当時あれほど嫌っていたはずの韓国に過剰に感情移入し、悪いのは全て日本人式の報道姿勢で、虚構に基づく従軍(・・)慰安婦(・・・)なる疑似イベントを垂れ流す始末である。多分、従軍(・・)慰安婦(・・・)報道についても、いったん非を認めたものの、真剣に謝罪するつもりなどなく、なし崩し的に、鉄面皮を決め込んで、風当たりが収まるのを待っているのだろう。
 実際、当時、私は、韓国人の魅力にハマってもいた。日本人のように、控え目でなく、陽気に自己主張する姿勢が、一度も宮仕えしたことのない私のような一匹オオカミの作家には、波長が合っていると錯覚したせいでもある。
 当時、知り合った韓国人のなかには、私の終生の師と仰ぐ人も、少なくなかった。東国大学の金思燁(キムサヨプ)先生とは、シンポジウムの席で知り合った。日韓バイリンガルの世代的な体験から、「日本書紀」「万葉集」を韓国語に、「三国(サムグク)史記(サギ)」「三国遺事(サムグンニュサ)」を日本語へ翻訳され、日韓古代史の研究におおいに貢献され、また、東国大学に日本学研究所を設立され、初代所長として、日本研究を韓国に定着させた功績は、おおいに評価されるべきだろう。
 金先生に招かれ、東国大学で講演したこともある。最初、韓国語���話しはじめたのだが、見るに見かねて、助け船を出してくださったのは、先生の優しさだった。私のほうも、日本人を知る方々が物故して、日本語スピーカーが減っていることに危惧を覚え、毎年、拙著も含めた文庫本を教材として日本学研究所へ寄贈し、日韓親善に努めたものである。金先生は、私のささやかな協力に、研究所からの表彰という栄誉で応えてくださった。ほんとうに尊敬できる立派な方だった。
 また、在日の人では、作家の故・金(キム)達(ダル)寿(ス)さんとは、古代史の会を通じて、親しくしていただいた。「日本の中の朝鮮文化」は、十数巻にわたる大著だが、日本全国に足を運んで、いわばライフワークとして書かれる際、金さんが自分に課していたことが、ひとつだけあった。韓国・朝鮮人の書いたものは、絶対に引用しないことだった。韓国・朝鮮人の書いたものなら、例の剣道の起源の捏造のように、なんでも朝鮮半島から渡来したと、こじつける文献が、いくらでも見つかるだろう。
 おそらく、金さんは、韓国・朝鮮人の書いた文章を引用したいという誘惑に駆られたこともあったにちがいない。しかし、日本人が書いたものしか引用しないと、いわば、痩せ我慢のように、心に決めていたのだ。
 金達寿さんとは、酒を呑んだり、旅行したり、また拙著の解説をお願いしたりしたこともある。艶福家で豪快な人だった。
今に伝わらぬ統治のプラス面
 時の政権を批判して、亡命同様に日本へ渡り、「コリア評論」を主宰されていた金三(キムサム)圭(ギュ)さんとも、知り合った。何度か、同誌をお手伝いした記憶がある。金さんは、東亜(トンア)日報(イルボ)の主筆の体験を生かして、当時は画期的だったクロス承認方式を提唱して、健筆を奮っておられた。南北朝鮮の対立状況を解消するため、中ソ(当時)が韓国を、日米が北朝鮮を、それぞれ承認することによって、平和を担保するというアイデアだった。
 しかし、その後の経緯を考えれば、中露は韓国を承認したが、日米は、北朝鮮と国交を持たないままである。あの当時は、かの大新聞の陰謀で、日本では伏せられていたが、北朝鮮という史上かつてない独裁国家の実像と戦略が、今や全世界で周知のものとなったからである。
 例の大新聞は、韓国を独裁国家と決めつけて、あれこれ捏造報道を繰り返したが、まもなく馬脚をあらわすことになった。あまり、褒められた話ではないのだが、不純な動機ながら、多くの日本男性が、韓国を訪れるようになり、本物の韓国を実際に目で見るようになったからだ。
 今も変わらぬ売春大国は、当時から有名だったのだ。空港などでは、団体旅行の男たちが、昨夜の女がどうのこうのと、聞えよがしに話しているのは、同じ日本人として、気が引ける思いだった。当時は、日本世代の韓国人が健在だったから、日本語を理解できる。あまりの傍若無人さに、舌打ちをしながら、露骨に「ウェノム」だの「チョッパリ」だの、差別用語を口にしている韓国人も、珍しくなかった。こうした日本人は、韓国語が判らないから、差別用語で呼ばれても、判らないのだから、おめでたい話だ。
 しかし、不純な動機から訪韓しようと、実際の韓国を見てくれば、韓国が制限付きながら、自由主義の国だと判る人が増えてくる。とうとう、例の大新聞も、疑似イベントのような韓国=独裁国家論を、引っ込めるしかなくなったようである。
 免税店などでは、日本世代の年配の女性が、若い人に日本語を教えているケースもあった。何度か訪れ、親しくなると、世間話のようなこともするようになる。さる女性は、つい最近(当時)、女学校の同窓会を行なったところ、多くの同窓生が日本から駆けつけてくれたと、嬉しそうに話してくれた。
 当時、女子の高等教育は、日本でも朝鮮でも、まだ途上だった。女学校は、いわば最高学歴で、いい家の子女しか、通えなかった。したがって、この方の同窓生は、かつてソウルに住んでいた日本人が多かったわけだ。いや、この方も、元日本人であり、内地か朝鮮かなどと、出自を気にすることなく、自由に青春を共にしていたのである。
 多くの悲劇も誤解も矛盾もあったが、こうした日本統治時代のプラス面が、日本でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。
良好になりつつあった日韓関係
 70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。
 むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」である。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。
 70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつもぼやいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。
 私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。
 また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。
 90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。
日韓離反狙う慰安婦捏造報道
 だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。
 1991年、いわゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。
 しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。
 平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。
 日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済州(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。
 しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年婦人層が、韓国を訪れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。
 朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。
 また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に、国際理解が進むことはない。 
慰安婦と同構造の原発報道
 だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。
 韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。
 事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。
 なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。
 私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。
 しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。
 ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。
 ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。
韓国人と〝あの新聞〟の共通点
 つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。
 いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。
 従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。
 誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。
 私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。
 以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、遠慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。
 国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。
 もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。
転向左翼の韓国利用
 いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレーキをかけてくださったのだ。
 70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。
 また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。
 それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺いを立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。
 70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。
 しかし、現在の日韓の確執を眺めると、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判ったら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。
事実伝えることが真の親善に
 翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓双方の美点を兼ね備えておられた。
 もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。
 日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。
 そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。
 大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。
 日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒めている。
 まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。
 現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、逆襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。
 私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。
 私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日本を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。
 あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。
 韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。
 とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。
※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載
3 notes · View notes
8tak4 · 2 years
Text
新旧軽井沢散歩と万座温泉に浸かる旅
休日も心身が休まらない日が続き、進捗の低下をひしひしと感じ始めた。週末にしたい・しなければならないことが多いことも一因かと考え、たまにはいつもの土地や行動から離れて無為に過ごす日もつくってみようと思い立った。
Swarmのチェックイン履歴をだらだら眺めていて、学生の頃に万座温泉の日進舘に行っていたのを振り返った。観光地というほど賑やかでなく、アクセスも車で数時間とそこそこ大変だが落ち着ける場所だった。以前行ったときは立ち寄り湯のみだったが、風呂に入る・食事を摂る以外に「なにもしない」のにいい意味で最適だった。早速日進舘の予約を済ませた。
日進舘では軽井沢駅や万座・鹿沢口駅から送迎バスが出ている(事前予約制)。スタッドレスタイヤを履いたレンタカーを借りたり路線バスを探すのもお金がかかって面倒なので、送迎バスの予約も済ませておいた。早めに駅に着いたとして、万座・鹿沢口の駅前で暇を持て余すのも退屈なので、軽井沢駅から乗ることにした。
宿泊当日の週末朝7時、立川駅から軽井沢行きの高速バスに乗る。このご時世だからか、またはウインタースポーツをする方は新幹線や車で早々に向かっているのか、乗客は私を含めて2人だけだった。バス会社にとって赤字だろうなぁと考えるが、私にとっては人が少ない方がリラックスできて都合がよかったりする。
途中休憩を挟み、3時間ほどかけて軽井沢駅に到着。現地に着いてから知ったが、駅前の通りは冬季休業のお店が多く、人もまばらだった。
Tumblr media
ちょうどお腹が空いたので軽く食事を済ませる。駅から北側へ2, 30分ほど歩き、11時ちょうどに旧軽井沢のベーカリー&レストラン沢村に到着。先客は数人待ちだったが、レストランは11時オープンなので、すんなり案内された。
カルツォーネは旧軽井沢のランチ限定とのこと。カルツォーネはピザを半分折りにしたものに相当するが、通常の円いピザもメニューにある。カルツォーネは具材が異なるものが数種類あるが、ねぎ味噌とチキンのカルツォーネを注文。自家製ねぎ味噌のことだが、このあたりだと信州味噌か下仁田ねぎが関連するのか無関係なのか、調べてるうちに前菜のサラダとメインディッシュができあがる。
Tumblr media
とろけるチーズが入っており、ねぎ味噌との甘塩っぱさのバランスがよい。わずかな七味のからさが食欲を増幅させる。ジューシーなので、こぼれないよう慎重に口に運ぶ。ビールも合わせて飲みたくなったが、ここはいったん我慢。腹7分目まで満たして散歩に繰り出す。
Tumblr media
もう少しお腹を満たすために喫茶を探す。軽井沢といえば丸山珈琲!と言いたいところだが、巡回セールスマン問題的に考えると駅北側から本店へは非効率なルートで時間もあまり余裕がない。丸山珈琲に寄るのは翌日に回して、1日目は旧軽井沢銀座のミカド珈琲で喫茶をたしなむことにした。
ここの定番はモカソフトなのだが、甘味が欲しい気分ではなかったのでハウスブレンドを注文。レモンのようなほのかな酸味があるが、酸味が苦手な方でも飲めると思う。あわせてマイルドな苦みもあり、バランスがとれている。フードなしでもコーヒー一杯で満足できる味。イートインの席数が非常に限られているが、ここもやはり閑散としていて、帰る頃には客が私一人となっていた。
Tumblr media
宿のバスの迎えまで残り1時間強というところで、駅の方面へ戻る。道中Quartet Brewingというブルワリー兼タップルームを見かけて、クラフトビール好きとしては立ち寄らない理由がないので寄り道をすることにした。タイミング悪くタップルームはテイクアウトのみの営業となっていたが、タップを直接缶に詰めてもらえる方式となっていた。
お店オリジナルのレゾナンスウィートを持ち帰り、近くの公園で飲む。麦の味とわずかな苦味、やさしく透き通る喉ごし。
Tumblr media
軽く酔いが回りつつ駅に到着。若干時間の余裕があるので、待合室で軽井沢駅について調べていた。どうやら駅そば発祥の地とのことで、発祥当時のそば屋はないものの、釜めしのおぎのやが駅そばを提供しているとのこと。釜めし以外にもメニューがあったことが驚きだが、せっかくなのでお腹のわずかな空きを満たすことに。
Tumblr media
380円のシンプルなかけそば。駅そばを食べること自体が、学生の頃に食べた弥生軒以来だった。それゆえ駅そばにあまり大きい期待はしていなかったが、つゆのうまみと出汁の香りが予想以上に効いている。麺も柔らかすぎない、蕎麦といえるものだった。駅そばなのだが期待を上回る出来で、じっくり食べたい一杯だった。
ほぼ定刻どおりに宿のバスに乗る。これもまた乗客が私一人で、わざわざ迎えに来てもらったのが申し訳ないくらいだった。途中うたた寝したり鬼押ハイウェー・万座ハイウェーの景色をぼーっと眺め、16時前に宿に到着。道路は雪が積もっており、わずかに滑る。こういうことを予想して足が濡れないよう3シーズン用の登山靴を履いてきたのだが、辺りは坂も多く、チェーンスパイクも持ってきたほうがよかっただろうかと思い始めた(結果的にさほど出歩かなかったので不要だった)。
Tumblr media
チェックインを済ませ、荷物を部屋に置き、数年ぶりに白濁したお湯に浸かる。立ち寄り湯は14時までだったので、予想よりも空いていた。一方でスキー客の家族連れが多く、露天風呂は比較的混んでいた。それでも天気のよい日だったので、リラックスして最高の雪景色を堪能した。
内湯は比較的熱めで、数分入っていると上せそうな気がしたので、長湯はせず複数の風呂をこまめにはしごする形式をとった。露天風呂は外気温とのバランスがよく、さらに脚を伸ばして全身浸かることができるので、ついつい長居してしまう。夕食後もまた宿泊者用の湯船に浸かり、合計3回風呂に出入りした。
......
翌朝は6時起床。時刻はいつもどおりだが、胃痛はいつもよりも落ち着いていた。事前に天気予報で降雪を確認していたが、吹雪いているようすはなくパラパラと降っていた。朝風呂、朝食、朝風呂(2回目)のルーチンを決め、身体に温泉のにおいが染み付いたところでチェックアウト。来る前は手指が乾燥気味だったが、帰る頃にはハンドクリームなしでも指先のひび割れがなくなっていたことに気づく。ふたたびバスに乗り、読書や仮眠をしながら軽井沢駅に戻った。
Tumblr media
到着時刻は12時過ぎ、直前に調べて決めていた駅前の洋食屋「フレスガッセ」へ。おしゃれな場所というよりも昔ながらの大衆食堂に近い。観光客向けというよりも地元の方向けという店構えだった。穀米と味噌汁、そして種類の異なるジューシーなソーセージの定食をいただいた。いい感じのレストラン並みの味と、定食という庶民的なバランスが面白かった。
Tumblr media
旅行もそろそろシメに入る頃、一日目にパスしていた丸山珈琲へ向かう。早歩きで20分。外気温は0度で身体は暖かいが手袋がないとやや厳しい。駅からは歩けないこともないが、駐車場は十分にあるので自動車で来た方が無難ではある。
店内は15人までに制限されていたが、そこそこ余裕のある日だった。期間限定ブレンドやシングルオリジンなど種類がとにかく豊富で迷ったが、本店限定の「丸山珈琲ブレンドクラシック1991」を注文。本店は基本的にすべてフレンチプレスで淹れられるため、豆の香りや味・そしてオイルを堪能することができる。ブレンドクラシック1991はキャラメルのような香ばしく甘味のある香りと、深煎りながらなめらかな舌触り、そしてスパイシーな後味を楽しめた。
Tumblr media
時間が余っているので、軽井沢から高崎までは新幹線で、そこから先は鈍行列車で帰路に着いた。社会人になってからお金よりも時間を大事にする意識が働いたのか、最近は新幹線を使ったりバイクで急ぐことが多くなっていた。今回みたいな徒歩や電車で時間をかけた移動も、その間に考え事をしたり調べものをする余裕があって、案外悪くないなと思った。
1 note · View note
lookpome · 4 years
Photo
Tumblr media
今回の夕食はフィンランド発祥の出前アプリWOLTでお好み焼きを利用してみました。 ここの徳川という店、広島焼きと関西焼きを両方置いてるんですよ。 送料は全品199円と日本の出前館やアメリカのUverEatsの300円以上と比べるとだいぶ安いですねー。 最近デリバリー需要が増えて道路を走っているとこの3社のバイクや自転車をよく見かけますね。 #出前館 #UverEats #wolt https://www.instagram.com/p/CCqWqaNDeff/?igshid=1fhr1tm2mtc5k
0 notes
wasite · 4 years
Photo
Tumblr media
WASITE.store 2020.02.21 now OPEN 今日の海 1878年の今日 世界最初の「電話帳」が発行! それはアメリカのコネチカット州 ニューヘイブン!!!にて。 イタリア系の移民が多く、 アメリカのピザ発祥の地みたいに言われてます。 フリスビーの発祥の地でもあります。 有名なイェール大学があって、 元アメリカ大統領ビル・クリントンが妻ヒラリー・クリントンと出会った街ですな。 ・・・(いちおう)ロマンティックなエピソード。 日本からも多くの留学生が学び暮らした街で、 その中では 鳩山和夫。(元日本の首相鳩山由紀夫はひ孫にあたる) 松方幸四郎(川崎造船所初代社長) それは 「男はKAWASAKI」 という、今やったら炎上しそうな刺激的なキャッチコピーが付いてくる「オートバイ」を作ってきたことで有名な 川崎重工のルーツ。 ゼッツー。 ニンジャ。 メグロ、からのダブル。 ダブルといえば「W3」という名車。 これらは全部カワサキのオートバイ。 映画や漫画や小説にもよく登場する。 その中でも好きな一冊 「彼のオートバイ・彼女の島」 W3に乗る主人公の話ですが、 今と全然違う時代観に、若い読者はクラクラするはず。 (おっさんはメロメロさ) まず、主人公が女の子と出会う方法がすごい。 雑誌に女の子がハガキを出す。 「大きいオートバイに乗りたいです。後ろに乗せてくれる人はいませんか?」 と誌面にそんなのが「名前と住所」と一緒に載るわけです。 それを読んだ主人公の男の子が、 ハガキでその子の住所に返事を書くわけです。 で、連絡を取り合って、電話したりして、会う日を決めて、 駅で待ち合わせ。 女の子が念願の大きなバイクに二人乗りでお出かけ。 帰りは疲れたから女の子には電車で帰れとバイクから下ろす。 女の子は嫌われたの?と泣きそう。 男の子はそうじゃない。単に疲れたし、危ないから電車で帰れと。 こうしてお付き合いに発展するわけなんですが、 ヒロインは彼女じゃないwww とまぁ、ストーリーをざっくり紹介したんだけど、 テーマもそこじゃない。 「個人情報のゆるさ」 142年前に電話帳は生まれ、 日本にも登場しましたよ。 「タウンページ」 なつかし〜、という声と、なにそれ〜、って声が真っ二つに聞こえそう。 お店や企業の名前と電話番号がのっているだけなら、 今でも理解されそうだが、 昔は個人で本名と電話番号がのっていた。 どんだけ〜。 だから、昔の不良映画でも、 不良グルーウに狙われたヤンキーの名前を 公衆電話に備え付けの電話帳で探して、 下っ端「ありやしたぜ!」 で、10円入れて電話して 怖いやつ「おいてめぇ、どこどこに今すぐ来やがれ!」 って呼び出されたりした。 それが、今じゃすっかり、 あの分厚い黄色い表紙のタウンページは存在感を薄めた。 それもこれも、インターネットとスマホのせい。 完全に便利である。 今では「iタウンページ」をネットで利用できます。 しかし、さすがに個人の電話番号はのってない。 みんなが気づいたのですよ。 「個人情報は漏れるとやばい」 今の時代には、普通すぎてやばい。常識。 芸能人やアイドルなんかは自宅がわからないように隠れますよね。 昔は男性アイドルの家に、 女性ファンがバレンタインチョコを届けていたようなゆるさ! 便利な世の中は素晴らしい。 けど、こんな大らかな時代も、もちろん良さはあった。 便利さと大らかさは共存できないの? ピザならハーフアンドハーフ。 半分はプルコギで、半分はケイジャンでもいいじゃん! どっちもピリ辛にしてしまった! なら、さらに分割してクォーターで間にマイルドな味を選ぶ。 それはまるで「BMW」のロゴマークのような美しさ。 あのロゴマークが飛行機のプロペラを表していると思っている人がいる。 否。 あれは、BMW本社があるバイエルン州の旗のデザインから。 そして、バイエルン州には、有名な街道の道があるんです。 「ロマンティック街道」 こういう道を、ゆっくりと、味わうように走りたい。 多分、現代のこの雰囲気は、急ぎすぎなんですよ。 大らかに、ロマンティックに。 今日もよき日を。 #WASITE #ワシテ (Wasite) https://www.instagram.com/p/B80FOSsjdpn/?igshid=5dqhrw1i44o3
0 notes
bumaswing · 1 year
Photo
Tumblr media
今お持ちのバイクを乗る予定無い方々。年度末まで残り1週間きりました。通常営業の役所では今年は今月の31日までナンバー返納を行って下さい。バイクの処分回収は4月に入ってからでも良いのでとりあえず先にナンバープレート返納をお願いします。 #税金 #ナンバープレート #ナンバープレート返納 #節税   #バイク処分 #原付処分 #バイク回収 #原付回収 #バイク廃棄 #原付廃棄 #日本最古のバイク買取店 #バイクの日発祥 #バイクの日発祥の店 #東京#埼玉#中野区#豊島区#杉並区#練馬 #江古田 #バイク #原付 #バイクの日発祥の店 #819の日発祥の店 #バイクの日 #バイク買取の元祖bum #バイク買取の元祖 #バイク買取 #bum #bumアズウイング #アズウイング https://www.instagram.com/p/CqQBMJyPJaB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kiramekikids · 7 years
Text
渡部昇一日本への申し送り事項
総裁先生の
渡部昇一日本への申し送り事項
死後21時間、復活のメッセージ
を読みました この間
先生が読書会を
開いていたとういう
お店に
行ってきました
西荻は
懐かしいところで
幸福の科学の
発祥の地でも
ありましたね
何か
そういう
磁場でもあるのでしょうか
三十数年前
バイクで
入会願書を
取りに行った記憶が
未だに鮮明に残っております
改めて
街を歩いてみると
はじめての集い
緊張した顔ぶれ
法友との出会い
また
近々行くことに
なると思います
それにしても
こけしの屋
ミラミッドは
美味しいですね 。。。
1 note · View note
korehayabai · 4 years
Text
宇和島市職員 酒気帯び運転容疑|NHK 愛媛のニュース
https://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20191221/8000005274.html 宇和島市の県道で酒を飲んで車を運転したとして、宇和島市役所の職員が警察に逮捕されました。 逮捕されたのは宇和島市役所の職員、魚崎松芳容疑者(45)です。警察によりますと、魚崎職員は20日午後9時半ごろ、宇和島市保手の片側2車線の県道で、酒を飲んだ状態で車を運転したとして、酒気帯び運転の疑いがもたれています。警察によりますと、魚崎職員は車を運転していたところ、信号を待っていたバイクに後ろから追突したということです。110番通報を受けて駆けつけた警察官が魚崎職員を調べたところ、基準値を超えるアルコールが検出されたため、その場で逮捕されました。この事故でバイクを運転していた30代の男性は足に軽いけがをしたということです。魚崎職員は警察の調べに対し「飲食店で知人と酒を飲んでいた。酒を飲んで運転し交通事故を起こしたことには間違いない」と認めているということです。 職員の逮捕を受けて、宇和島市は会見を開き、岡原文彰市長が、謝罪したうえで、再発防止や信頼回復に努める考えを明らかにしました。会見では、はじめに、岡原市長が、「市民の模範となるべき職員が飲酒運転という重大な不祥事を起こしたことに心からお詫び申し上げます」と謝罪しました。宇和島市によりますと、逮捕された魚崎職員は国土調査課の主任で、20日は、職場の忘年会に参加していたということです。忘年会は、午後6時ごろから午後8時半ごろにかけて開かれ、魚崎職員は、ビールやハイボールを飲んだということです。魚崎職員は、午後8時50分ごろに帰ると告げその場を離れましたが同席していた上司は帰宅する手段を把握していなかったということです。市は詳しい内容を把握したうえで魚崎職員に対し、厳正な処分を行うとしています。岡原市長は、先月29日に、交通ルールを順守するようすべての職員に呼びかけていたということで、今回の不祥事を受けて「全職員に対し改めて公務員としての自覚を求め信頼回復に努める」としたうえで、週明けにも幹部職員を集め飲酒運転を決してしないよう訓示することにしています。
source https://ayano.work/?p=50978
0 notes
moja-asia · 5 years
Text
相生市で毎年開催されている一大イベント「ペーロン祭り」相生市が全力を注ぐ(ように見える)大イベントである。
が、相生に移住して3年間、というか同じ播磨地方の姫路に生まれ育ったのだが今まで全く興味が無く、行った事も無かったし、行こうとも思わなかった。もちろん前夜祭の花火大会も同様で、相生に住んでから子どもにせがまれて山の上から見には行くようになったが、まだ間近では見た事が無い。
そして今年はそのペーロン祭を子どもたちが行ってみたいと言い出したので、初めて行ってみた。
相生ペーロン祭りとは、
相生ペーロン祭 相生ペーロン祭(あいおいペーロンまつり)は、兵庫県相生市の相生湾(相生港)特設会場にて毎年実施される、「ペーロン競漕」を軸とした祭イベント。単にペーロン祭と呼称されることもある。 原則、毎年5月最終日曜日(前日の土曜日は「前夜祭」の花火大会)に開催される。
発祥 過去、相生町(現・相生市)内には播磨造船所(現・IHI)があった。1922年(大正11年)、長崎県出身の従業員により社内行事としてペーロンが紹介されたのが、相生におけるルーツだといわれている。終戦までは毎年5月27日の「海軍記念日」に、同社構内にある天白神社の例祭として、ボートレースと共にペーロン競漕が行われていた。 戦後になり、相生市・商工会議所・播磨造船所の共催による「相生港まつり」が誕生(前夜祭として花火大会も実施)。 1962年(昭和37年)には、相生市・商工会議所・石川島播磨重工業(現・IHI)が、相生ペーロン祭協賛会を結成。翌1963年(昭和38年)から「相生ペーロン祭」となり、現在に至る。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
駐車場とか良くわからなかったのだが、昼前に行っても比較的近い那波中に止める事ができた。花火の場合はほとんど通行止めになっていて本当にどうすれば良いのかわからんのだが、当日のペーロン競漕はそれほどすごい人手という事も無さそうだった。市の一大イベントとしてどうなんだ?と思わなくも無いが、あまりに人が多いと僕の場合絶対に行かなくなるので、ちょうど良かった。
それにしても初めて行くところってだいたい右も左もわからんのだが、僕の場合特に下調べもせずに行くのでそれがより顕著なのだが、行ってみてこれはわかりやすい案内だって思う事はほとんどない。相生市の場合も例外なくそれだった。駐車場の場所がわからん。どこで何やってるかわからん。会場まで行ってようやくパンフレットが置かれていて初めてなんとなくやってる事がわかった。
ペーロン競漕は湾内の海上で行われている。まあこれは見ればわかるのだが、いったいぜんたい今誰がボートを漕いでいるのか全く分からなかったのだ。
今年、子どもたちが見に行きたいと言い出したのは、自分たちの学校の先生が出場するらしいという事で言っていたのだが、その先生がどのボートに乗っていつ出場されるのか?行けばわかると思っていたが、結局わからずじまい。わかったのは先生の出番が終わって、予選落ちした後だった。
なるほど、この時ようやく出場したい人がチームを組んで予選から決勝までを競うらしいとういう、ペーロン競漕の趣旨みたいなものを知った。来年からは大丈夫だ。パンフレットもあらかじめ手に入れよう。
そして街中にはたくさんの出店が出ていて、いろんなイベントが行われていた。
#gallery-0-4 { margin: auto; } #gallery-0-4 .gallery-item { float: left; margin-top: 10px; text-align: center; width: 33%; } #gallery-0-4 img { border: 2px solid #cfcfcf; } #gallery-0-4 .gallery-caption { margin-left: 0; } /* see gallery_shortcode() in wp-includes/media.php */
自衛隊のバイクや車に乗せてもらったり、サンバを踊っていたり、パレードが行われていたりなどなど。そして思った以上にあちこちに出店ありわりと賑わっていた。たまにはこういうのに行ってみるのも悪くは無い。良い休日だった。
初めてのペーロン祭り 相生市で毎年開催されている一大イベント「ペーロン祭り」相生市が全力を注ぐ(ように見える)大イベントである。 が、相生に移住して3年間、というか同じ播磨地方の姫路に生まれ育ったのだが今まで全く興味が無く、行った事も無かったし、行こうとも思わなかった。もちろん前夜祭の花火大会も同様で、相生に住んでから子どもにせがまれて山の上から見には行くようになったが、まだ間近では見た事が無い。 そして今年はそのペーロン祭を子どもたちが行ってみたいと言い出したので、初めて行ってみた。 相生ペーロン祭りとは、 相生ペーロン祭 相生ペーロン祭(あいおいペーロンまつり)は、兵庫県相生市の相生湾(相生港)特設会場にて毎年実施される、「ペーロン競漕」を軸とした祭イベント。単にペーロン祭と呼称されることもある。 原則、毎年5月最終日曜日(前日の土曜日は「前夜祭」の花火大会)に開催される。 発祥 過去、相生町(現・相生市)内には播磨造船所(現・IHI)があった。1922年(大正11年)、長崎県出身の従業員により社内行事としてペーロンが紹介されたのが、相生におけるルーツだといわれている。終戦までは毎年5月27日の「海軍記念日」に、同社構内にある天白神社の例祭として、ボートレースと共にペーロン競漕が行われていた。 戦後になり、相生市・商工会議所・播磨造船所の共催による「相生港まつり」が誕生(前夜祭として花火大会も実施)。 1962年(昭和37年)には、相生市・商工会議所・石川島播磨重工業(現・IHI)が、相生ペーロン祭協賛会を結成。翌1963年(昭和38年)から「相生ペーロン祭」となり、現在に至る。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 駐車場とか良くわからなかったのだが、昼前に行っても比較的近い那波中に止める事ができた。花火の場合はほとんど通行止めになっていて本当にどうすれば良いのかわからんのだが、当日のペーロン競漕はそれほどすごい人手という事も無さそうだった。市の一大イベントとしてどうなんだ?と思わなくも無いが、あまりに人が多いと僕の場合絶対に行かなくなるので、ちょうど良かった。 それにしても初めて行くところってだいたい右も左もわからんのだが、僕の場合特に下調べもせずに行くのでそれがより顕著なのだが、行ってみてこれはわかりやすい案内だって思う事はほとんどない。相生市の場合も例外なくそれだった。駐車場の場所がわからん。どこで何やってるかわからん。会場まで行ってようやくパンフレットが置かれていて初めてなんとなくやってる事がわかった。 ペーロン競漕は湾内の海上で行われている。まあこれは見ればわかるのだが、いったいぜんたい今誰がボートを漕いでいるのか全く分からなかったのだ。 今年、子どもたちが見に行きたいと言い出したのは、自分たちの学校の先生が出場するらしいという事で言っていたのだが、その先生がどのボートに乗っていつ出場されるのか?行けばわかると思っていたが、結局わからずじまい。わかったのは先生の出番が終わって、予選落ちした後だった。 なるほど、この時ようやく出場したい人がチームを組んで予選から決勝までを競うらしいとういう、ペーロン競漕の趣旨みたいなものを知った。来年からは大丈夫だ。パンフレットもあらかじめ手に入れよう。 そして街中にはたくさんの出店が出ていて、いろんなイベントが行われていた。 自衛隊のバイクや車に乗せてもらったり、サンバを踊っていたり、パレードが行われていたりなどなど。そして思った以上にあちこちに出店ありわりと賑わっていた。たまにはこういうのに行ってみるのも悪くは無い。良い休日だった。
0 notes
e-camper · 5 years
Text
イケアで期間限定「シチュー&スープフェア」本日~開催
イケアで期間限定「シチュー&スープフェア」本日~開催 #イケア #期間限定 #シチュースープフェア #開催中
これは嬉しいかも。
いつもバイクで出かける、あるところに行くのに、ちょっと回れば付くところにイケアが有るのね。
寒いから、これは温まるし、ちょっと嬉しいかも。
本日から、イケア各店で、シチュー&スープフェアが開催されています。
期間限定「シチュー&スープフェア」開催 ~スウェーデンの家庭料理でからだを温めよう~ イケア・ジャパン株式会社
期間限定「シチュー&スープフェア」開催 – イケア
「より快適な毎日を、より多くの方々に」をビジョンとするスウェーデン発祥のホームファニッシングカンパニー イケアの日本法人イケア・ジャパン株式会社(本社:千葉県船橋市、代表取締役社長:ヘレン・フォン・ライス)は、全国のイケアストアにて1月17日(木)から2月17日(日)まで、シチュー&スープフェアを開催します。
この冬、スウェーデンの暖かな家庭料理がイケアレストランにやってきます。柔らかな頬肉のビーフシチ…
View On WordPress
0 notes
mixs-fan · 5 years
Text
イケアで期間限定「シチュー&スープフェア」本日~開催
イケアで期間限定「シチュー&スープフェア」本日~開催 #イケア #期間限定 #シチュースープフェア #開催中
これは嬉しいかも。
いつもバイクで出かける、あるところに行くのに、ちょっと回れば付くところにイケアが有るのね。
寒いから、これは温まるし、ちょっと嬉しいかも。
本日から、イケア各店で、シチュー&スープフェアが開催されています。
期間限定「シチュー&スープフェア」開催 ~スウェーデンの家庭料理でからだを温めよう~ イケア・ジャパン株式会社
期間限定「シチュー&スープフェア」開催 – イケア
「より快適な毎日を、より多くの方々に」をビジョンとするスウェーデン発祥のホームファニッシングカンパニー イケアの日本法人イケア・ジャパン株式会社(本社:千葉県船橋市、代表取締役社長:ヘレン・フォン・ライス)は、全国のイケアストアにて1月17日(木)から2月17日(日)まで、シチュー&スープフェアを開催します。
この冬、スウェーデンの暖かな家庭料理がイケアレストランにやってきます。柔らかな頬肉のビーフシチ…
View On WordPress
0 notes
sqm · 6 years
Text
空想自転車店[2]、アエロなやつ。BIANCHI
ここは空想自転車店。マニアックな店長の感性を求めて客が訪れる。
今日、相談に来たのは流行りものが大好き、ちょっとミーハーなB氏。店主に相談したのは、
「ひと目で目立つアエロ(=エアロ)なやつ」
店主「いまエアロが流行ってるからね。
・ cervélo S5
・MERIDA REACTO
・GIANT PROPEL
・TREK Madone
・SCOTT Foil
あたりはいかにもエアロな形状でプロチームでも活躍してるし人気あるね」
B氏「SCOTT Foil は乗ったことあるんだけどビュンビュンカンカン走っていいね。でも、SCOTTってウィンタースポーツやる人は知ってると思うけど MERIDA や GIANT ほど知られてないよね」
店主「それならこれはどうだろ。BIANCHI の Oltre XR4」
Tumblr media
B氏「おお!Lotto NL Jumbo が使ってるやつ」
店主「エアロバイクでありながら、あまりの万能ぶりに Lottto NL Jumbo の選手たちは山岳コースも含めてすべてこのバイクで走ってしまうという、隠れた名作バイク」
B氏「いいね、それにしよう」
店主「レパコルの完成車が用意されていて、Campagnolo SUPER RECORD EPS組みで 1,880,000円(税抜き、以下同)。色をカスタムできる Tavolozza が 38,000円」
B氏「色もカスタムできるんだ。BIANCHI といえばマルコ・パンターニ。パンターニのあのカラー(※1)もできるのかな?」
Tumblr media
※1:チェレステカラーにイエローのグラデーションが入ってる
店主「カスタムと言っても塗り分けを用意されたパレットから指定できるだけでパンターニカラーはできないんだよね」
B氏「そうか。フレームセットもあるんだよね?」
店主「フレームセットもあるよ。410,000円。ほぼフラッグシップ(※2)の万能フレームなのにバーゲン価格だよね」
※2:価格ではSPECIALISSIMA(500,000円)の方が高い
B氏「さて、店主はこのフレームをどう料理するか」
店主「まずはコックピットから組み立てようか。いま、エアロなコックピットといえば各社が採用する定番は、VISION の METRON 5Dハンドルバー。ステムまで一体型で、Oltre XR4 の完成車も採用してる。もちろん、Lotto NL Jumbo でもこのハンドルを採用する選手が多い」
Tumblr media
B氏「VISION は Lotto NL Jumbo のスポンサーだしね」
店主「しかし、VISION METRON 5D で組んでしまうと完成車を買ったのとほとんど変わらなくなっちゃうので、オススメは ENVE の SES Aero Road Handlebar、50,000円。合わせるステムは同じく ENVE で 34,000円。特にステムはカーボンステムの定番品とも言える」
Tumblr media
B氏「イタ車にアメリカンなコンポーネントを組み合わせてやると」
店主「コックピットを ENVE で揃えて、ホイールも ENVE を持ってくると、派手な BIANCHI に通好みの ENVE というコントラストがいいと思うよ」
B氏「店主にしては珍しい、ど真ん中のストライクゾーンに投げ込んでくるじゃない」
店主「でも、個人的に組むならもうちょいハズすかな」
B氏「やっぱりパンターニ」
店主「そうだね。パンターニといえば BIANCHI だけど、同時に黄色のステムとサドルも印象的だよね」
B氏「パンターニのステムは ITM だったよね?」
店主「そう。3ttt や cinelli と並んで人気のあった ITM」
B氏「最近は見かけないね」
店主「アヘッドステム全盛期になって後からライバルがどんどん出てきて、最後は 3T とともに cinelli に買収された」
B氏「で、無くなっちゃったんだ」
店主「いや、cinelli が買収した後もしばらくステムを売ってたんだけど、3T とともに台湾の企業に売られちゃった。いまはその台湾の企業が ITM のブランドを使ってパーツを売ってる」
B氏「まだ現役なんだね」
店主「それもけっこう面白いパーツを作ってるよ。ハンドル周りだと、ステムとハンドルバーがほぼ専用品ながら、分離できる構成になってる X-ONE というシリーズがある」
Tumblr media
B氏「ステム一体型ハンドルバーだとステムの長さとか、ハンドルの幅とか選べないんだよね」
店主「この X-ONE ならステムの長さとハンドルの幅を選べるのに、エアロなコックピットになるっていう。値段も ENVE に比べて安い。カーボンステムが 29,000円、ハンドルバーが 39,000円」
B氏「もちろん、ステムはイエローに塗装して(※3)」
Tumblr media
※3:パンターニは ITM のステムをイエローに塗装してた。ロゴは黒
店主「サドルは Selle ITALIA の FLITE、イエローの革がたまに限定販売される。パンターニ刺繍モデルも探せばみつかるかも」
Tumblr media
B氏「グループセットは?」
店主「もちろん、Campagnolo。せっかくのエアロバイクだし、ここは RECORD EPS で」
B氏「ぜんぶ RECORD EPS で?」
店主「それも悪くないけど、ハズし技でクランクだけ FSA をチョイスしたい」
B氏「ほう」
店主「FSA の K-Force Light BB386EVO。これがエアロなデザインでかっこいい」
Tumblr media
B氏「いいね。ホイールはどうしよう」
店主「カンパ組なので定番中の定番、Campagnolo BORA ULTRA 50 TU を選べば間違いない」
B氏「本日、2球目のど真ん中ストライク」
店主「BORA ULTRA の性能にケチを付ける人は居ないと思うけど、エアロって感じは無いよね。エアロを売りにしたものからチョイスするなら VISION の METRON 55 SL T なんてのはどうだろう」
Tumblr media
B氏「VISION、FSA は台湾企業(※4)ながらイタリアっぽさを感じさせるから BIANCHI(※5)に合いそうだね」
※4:FSAやVISIONのブランドを販売しているのは台湾の天心工業股份有限公司
※5:発祥はイタリアだが会社は身売りを繰り返し現在の会社はスウェーデンに置かれている。スウェーデンなのは節税のためで実質のオーナーはオランダの企業
店主「タイヤはイタリアの定番、VELOFLEX の Roubaix。流行りの 25C の太さでエアロ」
B氏「またまたど真ん中ストライク」
店主「ペダルもエアロで攻めるなら SPEEDPLAY の ZERO AERO Stainless がオススメ」
Tumblr media
B氏「バーテープもイタリアブランドで?」
店主「バーテープは選択肢が多いからね。定番中の定番、cinelli もあるし、SILVA、Selle ITALIA、選ぶのが難しいほどあるんだけど、あえてここで日本ブランド、Kabutoはどうだろう」
B氏「これまた定番の」
店主「バーテープは Kabuto の BT-02、BIANCHIはチェレステのバーテープがあるのでチェレステカラーを選ぶ人が多いんだけど、あれはダサい。他のフレームを考えてみて、黒はともかく、他のカラーのフレームでフレームと同色のバーテープを選ばないでしょ」
B氏「確かに。フレームと同色は選んでいいのは黒か白に限られると思う」
店主「ボトルケージも Kabuto のやつ。RC-12 っていう片側のみ取り出せるボトルケージがあって、これがエアロっぽくていい」
Tumblr media
アエロ(=エアロ)なやつがテーマだったのに、いつの間にかパンターニ・リスペクト・モデルになってしまったB氏のニューバイク。ミーハーだからいいのか。
Tumblr media
0 notes