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#キャップに工夫あり
fuuca8walkabout · 6 months
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足利ローカルの月星ソースを頂いた 遠い昔使っていた気がする スパイス効いてて美味しかった キャップを閉じると栓してくれる優れもの
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harawata44 · 4 months
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コレに突っ込んでおくだけで、歯ブラシを清潔に保てます | ギズモード・ジャパン
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・【楽天市場】歯ブラシ除菌キャップ 防水タイプMDK-TS06
以下一部引用
紫外線で歯ブラシを除菌
この「歯ブラシ除菌キャップ」は、医療機器や食品加工機械の除菌にも使われるUV-C(深紫外線)で歯ブラシを除菌するアイテムだ。
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一見すると少し大きな歯ブラシキャップのように見えるが、蓋の裏に紫外線を照射するLEDがついており、蓋をすると歯ブラシのヘッド部分を除菌してくれる。
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使い方は簡単で、水気をしっかりと切った歯ブラシのヘッドをキャップにセットして、蓋を閉めるだけ。 蓋と本体が一体なので蓋を無くす心配がないのもありがたい。
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スイッチはなく、スライドして蓋を締めると自動で紫外線が照射される。 紫外線は3分で自動で消えるようになっている。 これだけで歯ブラシの除菌が完了するので、忙しい朝や職場でサッと歯を磨いた後でも気軽に使えそうだ。
完全防水で水洗いできる
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この歯ブラシ除菌キャップは、完全防水なのでまるごと水洗いができる。 防水性能はIPX7(防水保護等級7)相当。IPX7とは防水規格で、水深1mの水槽に30分間落としても浸水がないことを意味する。 つまり通常の水洗いならば全く問題がないほど防水性能は高い。 これなら洗面台やお風呂に万が一落としてしまっても大丈夫なので、色々な場所で気兼ねなく使えそうだ。
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充電方式も防水を意識したマグネットタイプになっている。
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専用充電ケーブルを本体につなぐと充電が開始される。 充電に使うケーブルが増えるのはデメリットだが、このマグネット方式のおかげで強力な防水性が実現しているのだろう。
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ケーブルをつなぐと、中のLEDが赤く点灯して充電中であることを知らせてくれて、約2時間で充電が完了する。 一回の充電で60回ほど使えるので、一日2回の使用ならば1カ月使えることになる。 充電式デバイスは充電の手間がデメリットだが、この充電スパンなら無理なく使えそうだ。
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jaguarmen99 · 1 year
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目次の表示・非表示を切り替え 野茂英雄 13の言語版 مصرىDeutschEnglishEsperantoEspañolفارسیSuomiFrançais한국어MalagasyРусский中文Bân-lâm-gú他 4 言語 ページノート 日本語 閲覧編集履歴表示 その他 閲覧編集履歴表示 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 野茂 英雄 2011年2月16日 日南市天福球場基本情報国籍 日本出身地 大阪府大阪市港区生年月日 (1968-08-31) 1968年8月31日(54歳)身長体重 6' 2" =約188 cm220 lb =約99.8 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手プロ入り 1989年 ドラフト1位初出場 NPB / 1990年4月10日 MLB / 1995年5月2日最終出場 NPB / 1994年8月24日 MLB / 2008年4月18日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 大阪府立成城工業高等学校 新日本製鐵堺 近鉄バファローズ (1990 - 1994) ロサンゼルス・ドジャース (1995 - 1998) ニューヨーク・メッツ (1998) ミルウォーキー・ブルワーズ (1999) デトロイト・タイガース (2000) ボストン・レッドソックス (2001) ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004) タンパベイ・デビルレイズ (2005) カンザスシティ・ロイヤルズ (2008)国際大会代表チーム 日本五輪 1988年野球殿堂(日本) 殿堂表彰者 選出年 2014年得票率 82.4%(324票中243票)選出方法 競技者表彰 この表について[表示] この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート オリンピック 男子 野球 銀 1988 野球 野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務める。 概要[編集] 「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍した。 NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。 MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている[1][2]。 NPB/MLB通算最多奪三振(3122)記録保持者。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任[3][4][5]。 長男は2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めた野茂貴裕[6][7][8][9]。また、シンレンサイのメンバー、三戸キャップは遠戚にあたる。 経歴[編集] プロ入り前[編集] 小・中学校時代は全くの無名選手であったが、「体を捻って投げると直球の威力が増す」と理解し、後のトルネード投法の原型となるフォームで投げていた。高校は近大附など名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格となり、大阪府立成城工業高等学校(現・大阪府立成城高等学校)に進学する。高校では2年生からエースとなり、1985年7月19日に全国高等学校野球選手権大阪大会2回戦の大阪府立生野高等学校戦で完全試合を達成。3年時はベスト16(5回戦)進出などの成績を残す。高校時代の監督は後年その投法を振り返り、トルネードほど捻らないがその片鱗を感じたという意味で「つむじ風投法」と名付けた。 高校卒業時に既にプロから誘いがあったが、新日本製鐵堺へ入社(勤務先は子会社の新日鐵化学の総務部)。新日鐵化学での当時の給料は額面で11万9000円、手取りでは9万円ほど。新日鐵堺での1年目にはスライダーを習得できなかったため、最大の武器となるフォークボールを習得。2年目の1988年には都市対抗に出場。1回戦でNTT東京に完投勝ち、2回戦でも延長17回を投げ抜き大昭和製紙にサヨナラ勝ちを飾る。準々決勝は東芝の菊池総と投げ合うが早々に打込まれ敗退[10]。同年のワールドカップ日本代表に選出され、ソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献している。1989年の都市対抗も準決勝に進出するが、大昭和製紙北海道に敗れる[10]。同年のインターコンチネンタルカップ日本代表となる。 名実共にアマチュアNo.1投手となった進路が注目される中で行われた1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神タイガース、ロッテオリオンズ、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、オリックス・ブレーブス、近鉄バファローズ)から1位指名を受け、抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。推定契約金は史上初の1億円台となる1億2000万円、推定年俸は1200万円で、契約時に投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。 近鉄時代[編集] 1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き、パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの受賞第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫・上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。ただし木田は、当時の沢村賞の選定がセ・リーグのみだったため受賞対象者ではなかった)。奪三振に関してはシーズン2桁奪三振試合21回、5試合連続2桁奪三振(当時)、三振奪取率10.99(パ・リーグ最高記録)など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。 1991年には自身の記録を塗り替える6試合連続2桁奪三振を記録した。オールスターゲームでは第1戦(東京ドーム)に全パの先発投手として登板し、先頭打者の立浪和義をはじめ6奪三振を記録(1990年代の球宴では最多)する。第2戦(広島市民球場)では秋山幸二が自打球で負傷退場し、他に野手がいなかったため、代打で出場。結果は見逃し三振だったが、秋山が既に2ストライクだったため、記録上は秋山の三振。この時オリックスの中嶋聡のヘルメットを被って打席に立った。 1992年も18勝を挙げ、2年連続で最多勝や最多奪三振などのタイトルを獲得した。 1993年にも5試合連続2桁奪三振を記録。同時に1990年から1993年にかけ、史上初の新人年からの4年連続最多勝と最多奪三振のタイトル同時獲得を達成(新人からの4年連続最多奪三振は他に江夏豊がいるが、当時はタイトルではなかった)。 1994年は開幕戦の西武戦で4回までに11奪三振、8回まで無安打に抑えたが、9回に先頭の清原にヒットを打たれてノーヒットは途切れた。その後2四球で満塁となったとこで赤堀元之に交代したしたが、この試合前監督の鈴木啓示は「今日は野茂と心中や」とマスコミに発言しておりその言葉を聞いてた赤堀もそれを鵜呑みにしていたこともあり準備不足の中登板し伊東勤に逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びて敗戦した[11](野茂も鈴木の言葉を信じていただけにこの降板でモチベーションは下がった[12])。7月1日の西武戦では1試合16与四球の日本記録を作ったが、191球を投げて3失点完投勝利を挙げた。8月に右肩痛のためシーズン途中で戦線を離脱したため8勝、126奪三振に留まり、最多勝と最多奪三振の連続記録も途切れた。 近鉄退団の経緯[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年11月) 球団との確執[編集] 1994年の契約更改では複数年契約と、団野村を代理人とした代理人交渉制度を希望したが、球団は肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。この際球団は「君はもう近鉄の顔ではない」と告げたとされている。球団社長はマスコミに「年俸をもっとよこせ、ということでしょう」と述べ、要求はあくまで「年俸吊り上げのための口実」であり、「次の更改ではサインするでしょう」と楽観視していた。これに対し野茂は「お金の問題じゃないんです」と反論したが、この一連の動きに対してはマスコミも近鉄の意見に同調し、次第に孤立していった。更に球団フロントに対しては後に確執が表面化することになる球団OBの投手出身鈴木啓示に対して鈴木が監督になる以前の仰木彬監督の時代から不満をいだいていたと語っている。 開幕投手であるにも関わらず、球団関係者に本社の人間が来るので車を動かすよう要求された(藤井寺球場には選手専用駐車場が無かった)[13][14]。 観客動員が増えることで収入が増え、優勝したらその分年俸を上げなくてはいけなくなるため、契約更改の席で「(10.19決戦のように)熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」と言われた。 4年連続最多勝のシーズンオフに現状維��の年俸を提示された[15]。 球団は野茂が近鉄でプレーする意思を表明しない限り、トレードや自由契約ではなく「任意引退」として扱おうとした。自由契約にならない限り他球団でのプレーは出来ないためであるが、これがMLBへの挑戦を決意する1つ目の理由となった。代理人団野村は、野茂は当初からメジャー移籍を模索しており、近鉄球団から任意引退を引き出したのは作戦であったと後に明かしている[16]。 監督との確執[編集] もう1つの理由は、仰木の後任である鈴木啓示との確執だった[17]。野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げていた。当時の監督仰木彬はこれを快諾し[18][19]調整方法も本人に任せたため、野茂は仰木を信頼して尊敬する���うになった。これに関してはメジャー在籍時の晩年に「自分を信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった」と語っている。更に1993年に監督に就任した鈴木は、自身が主に先発で317勝という実績を挙げた投手出身ということもあってか、フォームや調整法など様々な事に関して干渉した。また選手指導としても厳しい姿勢を見せつけていた。例として野茂は開幕戦で調子が整えばそれで良いという考え方で開幕前はスロー調整であったが、鈴木はオープン戦から結果を要求していた。立花龍司とのマンツーマン指導で遠投など自己流でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し「では一体何周走ればいいんですか?」と問うと鈴木は「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや」と持論を押し通した。近鉄投手陣は立花に信頼を寄せていたが、立花が鈴木の冷遇によって1993年に近鉄を退団したため、投手陣の反発を買うこととなった。 監督就任直後、鈴木は道上洋三のラジオ番組への出演時に野茂について「三振は取るが四球が多すぎる。(投球)フォームを改造しなければ」「いまのフォームではいずれ通用しなくなる。その時に私に頭を下げてこられるかどうかだ」と野茂の制球力の悪さに不満を持ち、完全に野茂のフォームを否定していた。 こうした指導法が元で鈴木と対立するようになり、近鉄退団を決意する2つ目の理由になった。当時野茂とチームメイトだった金村義明は著書「勝てる監督 負けるボス」で、野茂の「僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけじゃない。ただ、あの監督(鈴木)の下ではやれないと思った、それだけなんです」という発言を紹介している。 これらの要因が重なった結果、野茂は球団フロントの制止を振り切り近鉄を退団しMLBに挑戦することとなった。自由契約ではなく任意引退扱いなのでNPBに帰った場合、近鉄に保有権があることになった。当時の野球協約68条第2項には「全保留選手は、他の球団と選手契約に関する交渉を行い、または他の球団の為に試合或るいは合同練習等、全ての野球活動をする事は禁止される」 となっていたが、任意引退前にコミッショナー事務局から任意引退による球団の保有権が外国の球団にまで及ばないことの言質を得ていたため、MLB球団と契約することが可能になった(その後、任意引退による日本人選手の流出に危機感を感じたNPB側が1999年に協約を改正し「外国のいかなるプロフェッショナル野球組織の球団をも含め」という条文を追加したため、現在ではNPBのみならずMLB球団を含め、任意引退した選手は世界各国のプロ野球球団と契約することが出来なくなった)。なお、近鉄は2004年にオリックスと合併したため、保有権はオリックスに移行したと解釈されている。
野茂英雄 - Wikipedia
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tsukuruhibi · 8 months
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検索:へバーデン結節
youtube
・運動(指のエクササイズ含む) ・消炎鎮痛剤?
・テーピング(リング) ・エクオール?
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まあ、とりあえず運動とリング。 エクオールはどうしよーかなー? 命の母のエクオールは2㎎ DHCは10㎎
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数か月~数年で痛みは落ち着く?
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へバーデン結節、発症後に気を付けるべきこと
・スマートホンの操作や持つ方の注意
・ペットボトル等のキャップの開閉(オープナーを使う)
・ガーデニング
・鞄は指で持たない(ショルダー等)
・ドアの開け閉め
・タンス、クローゼット
・ボタン掛け、調理、掃除、裁縫ほか
 
💡手指を使わない工夫を考える
💡家族にできることは依頼する(できないことを説明、理解を得る)
治療法? 動注治療 ただし自費診療。
経験談 ブログ
やっぱエクオールか。
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次はコレを読むこと
EPA
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okracash · 11 months
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また明日も雨かあ。
雨の日は頭痛やだるさが付き纏うので相変わらず好きじゃないけど、登山グッズのフル活用で濡れない工夫をし始めてからは少し快適。他の人の雨装備を観察するのも楽しい。
眼鏡を掛けていると、傘を差してもレンズに水滴が付くから視界が悪い。最近、キャップを被ると水滴の量が断然減ることに気が付きました。しかもツバの範囲が狭いから、左右の視界は遮られなくて歩きやすい。眼鏡フレンズたちにはおすすめです。
でもやっぱり、雨の日はお家で雨音聞いていたいんだよな。
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specs-times · 1 year
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STANDARD CALIFORNIA - スタンダードカリフォルニア からスクリプトロゴのTシャツが到着!
STANDARD CALIFORNIA – スタンダードカリフォルニア より Heavyweight Script Logo T , UNSERIOUS Twill Cap の2アイテムが発売開始 ( 公式通販サイト.電話での購入可能 )
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Heavyweight Script Logo T
オリジナルのヘビーウェイトTシャツです。デザインは人気のスクリプトロゴを両面に配しました。ブラックボディはパープルプリント、ホワイトボディはネイビープリント、ネイビーボディはイエロープリントで全てラバープリントです。中肉クラスの糸の度目を詰めた、ヘビークラスの肉厚感と硬さが特徴のボディは着こんでも型崩れもしにくく、丈夫でドライな着心地。シルエットはボックス型。もちろんMade in Japanです。裾のStandard Californiaロゴのピスネームがさりげないポイントです。
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UNSERIOUS Twill Cap
UNSERIOUSのキャップです。今回のボディはクーパーズタウンのボールキャップ。ニューヨーク州クーパーズタウンにある工場で1986年に誕生し,現在もMade in U.S.A.を継続しているブランドです。古き良きアメリカを感じられるクラシックなツイル地のベースボールキャップにUNSERIOUSのロゴワッペンをシンプルに配しました。
STANDARD CALIFORNIA ( スタンダード カリフォルニア ) ONLINE STORE
石川県小松市のセレクトショップ
SPECS (スペックス)
【住所】
923-0832 石川県小松市若杉町2-38
【お問い合わせ先】
0761-23-0121
【営業時間】
(平日) 12:00 – 21:00
(土日祝) 12:00 – 20:00
定休日 (木)
【公式通販サイト 】
HP : www.specs03.com
通信販売 ¥10000以上購入で送料無料,最短翌日着
【instagram/インスタグラム】
新入荷情報や素早い情報をキャッチ
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STANDARD CALIFORNIA (スタンダードカリフォルニア) で人気の記事を読む
STANDARD CALIFORNIA – スタンダードカリフォルニア 2023SS 先行予約開始
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halu-kagoshima · 2 years
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HARVESTY / MOCK NECK BOX TEE
color / WHITE,BLACK,KHAKI BEIGE
size / 1,2
price / ¥ 8,250 in tax
オーバーサイズなモックネックTシャツです。
肩のラインが後ろ下がりの仕様で
着心地も良く動きやすい形です。
生地は度詰でドライタッチの
天竺カットソーです。
きれいな表面感とハリコシ感があります。
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KAVU / オーガニックストラップキャップ
color / KHAKI,BLACK
size /S,M,L
price / ¥ 5,940in tax
縁に付いた
アジャスタブルウェビングテープにより
サイズ調節ができ、
このウェイビングシステムにより、
強風でも脱げにくくなっています。
また、ツバの裏側は黒一色で統一され、
水面からの日光の照り返しを
防ぐという工夫もしています。
こちらのキャップでは
100%オーガニックコットンを使用しています。
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THE NORTH FACE / エスケープパック
color / BLACK
size / 32L
price / ¥ 14,300 in tax
シンプルな円形パターンの生地に
ドローコードを配置して形作ることで、
1枚の布から立体的なバッグ構造に変化する
エスケープコレクションです。
エスケープパックは、
32リッター容量のバックパックタイプです。
素材は、はっ水加工を施した210デニールの
リサイクルナイロンになっています。
必要十分な耐久性をもつ、
環境に配慮した生地を採用しています。
ショルダーハーネスは背負い心地を高めた
パッド入りで、取り外しが可能です。
フロントポケットとサイドポケットに加え、
内部背面側にスリーブポケットを装備しており、
クライミングギアや買い物時の
エコバッグとしてもマルチに使え、
足場やグランドシートとしても活用できる、
アイデア次第のユニークなプロダクトです。
今回ご紹介したアイテムや
インスタなどに投稿したアイテム等も
通販可能ですので
気になるアイテムございましたら
どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。
Instagram
https://instagram.com/halu_0921?igshid=1rma1gdn5e388
Online
https://matheruba.shop-pro.jp/
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sorairono-neko · 3 years
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結婚したら…
 厳しい注意をし、それを直すように言ったあと、勇利は確かによくなかった点を修正し、さらに、ヴィクトルが期待したり想像したりした以上の出来映えですべって見せた。ひとみをきらきらと輝かせ、はしゃいだように戻ってきた彼は、「どうだった!?」と声をはずませて尋ねた。 「よかったよ、勇利! すばらしかった! おまえは最高だ!」  ヴィクトルは勇利を抱きしめ、感嘆の吐息をついた。 「いまの感覚を忘れないようにね。誰もを惹きつける、魅惑的な演技だったよ」 「ほんとに? ヴィクトルのことも?」 「もちろんさ。俺がいちばんとりこになるんだよ」  ヴィクトルは勇利の額にキスし、それからつややかな黒髪をいいこいいこと撫でてやった。勇利は頬を紅潮させ、うれしそうににこにこした。 「もう一回すべってきていい? いまのを身体にしみこませるから」 「いいとも。すてきな勇利をたくさん見せてくれ」  勇利は注意されたこともそれで上手くいった演技も忘れることなく、練習時間が終わるまで充実したすべりを見せた。ヴィクトルは更衣室で着替えるときも勇利を褒め、引き寄せて髪に頬を寄せた。 「どんどんよくなってきてるね、勇利。俺は鼻が高いよ」 「試合のときもそう言われるようがんばるよ」  勇利が更衣室から出ようとしたので、ヴィクトルは引き止めて彼と向かいあった。 「ちゃんとしなくちゃだめだ」  ヴィクトルは適当にぐるっと巻いただけだった勇利のマフラーをぐるぐる巻き直して、隙間ができないように工夫した。ヴィクトルにはなんともないけれど、ロシアは寒いので、勇利にはつらいだろうと思ったのだ。ニット帽も耳がきちんと隠れるようにひっぱってやり、眼鏡が曇らないために気遣ってマスクの位置も変えた。 「勇利のかわいい顔が見えなくなるのはさびしいけど、仕方ないね」 「なに言ってるの?」  勇利は本気にしていないようで、楽しそうに笑うばかりだった。勇利に夢中のヴィクトルは本気で言っているのだった。 「それから手袋も……、勇利、なんてことだ、手がつめたいじゃないか」 「えっ、そう? 感覚としてはあったかいんだよ。たくさん動いたから」 「でもふれるとつめたい」  ヴィクトルは大きな手で勇利の手を包みこみ、丁寧にあたためてやった。 「いいよ、そこまでしなくて」 「俺がしたいんだ。おとなしくしておいで」 「ヴィクトルは過保護なんだよ」 「こんな手をしておいて何を言ってるんだ?」 「だから、ぼくとしてはつめたくないんだってば……」 「油断はいけない」 「油断じゃないよ。事実」 「すこしは俺の言うことも聞いてくれ」 「聞いてるよ。いつも」 「いつも……?」 「いつもじゃん」  拗ねて頬をふくらませる勇利が、たまらなくいとおしかった。ヴィクトルは自分の満足がゆくまで勇利の手をあたため、それからふたりでクラブを出た。 「夕食の材料を買って帰ろう」 「ぼくあれ食べたい。ビーツが入った……」 「いいとも」  ヴィクトルは勇利が希望したスープの材料をたっぷりと買いこみ、勇利と連れだって帰宅した。こうして勇利と買い物をして歩くのは、ヴィクトルのもっとも好きな勇利との行動のうちのひとつだ。ヴィクトルは勇利とすることはなんでも好きなので、「もっとも」も何もないのだけれど。 「着替えたら居間でのんびりしているといい」 「ぼくもつくるよ」 「いいんだ。勇利はマッカチンと遊んでてくれ。さびしかっただろうからね」 「うん……」  ヴィクトルが忙しい時期は勇利が毎日食事をつくっていた。それ以外にも家のことをすべてこなして、ヴィクトルの生活がとどこおりないようにしてくれていた。だからヴィクトルは、自分に時間があるときは、できるだけのことをしたいのだった。勇利が来るまで料理なんてしたいと思ったことはなかったし、そうしようという発想すら持っていなかったけれど、いまはちがう。勇利との暮らしをいとなむためならどんなことでも楽しい。 「さあできたよ。こっちへおいで」 「お皿並べる」 「いいよ。席について」 「並べる!」  そう言い張って手伝う勇利があまりにもかわゆく、ヴィクトルはきゅんとして胸を押さえた。かわいい俺の勇利……。  ヴィクトルのスープを、勇利は「フクースナだよ」と言って食べてくれた。そう言うときの笑顔の可憐なことといったら……。 「それはよかった」 「でも、ここのところずっとヴィクトルにつくってもらってる。明日はぼくがやるよ」 「いいんだ。好きでやってるんだ」 「ヴィクトルって料理好きだったの?」  新しいことを知った、と勇利はにこにこした。ヴィクトルにあこがれているあいだに彼が得た情報では、料理好きなんていう項目はなかったらしい。当然だろう。 「好きだよ。日夜研究に励んでいる」  ヴィクトルは胸を張った。そっかー、と勇利は笑った。「そっかー」という発音がかわいいといったらなかった。  入浴はふたりでするようにしている。「温泉とはちがう」と勇利も最初は抵抗したけれど、度重なると慣れたらしく、何も言わなくなった。 「今日も一緒に入るの?」 「入るよ。当たり前だろう」 「はいはい」  初め、身体を洗ってあげるということを提案したのだけれど、それだけはいやだと勇利は激しく反対し、結局、ヴィクトルが彼の髪を洗うということで落ち着いた。ヴィクトルはなぜだめなのかわからなかった。 「そんなに気にすることじゃないだろう」 「気にすることだよ……どういう考え方してるの……」 「俺は洗ってあげたいけどな」 「けっこうです」  ずいぶん前、そんな会話をしたのをおぼえている。  今夜も勇利は身体は自分で洗い、そのあとちいさな椅子に座ってヴィクトルに背を向け、ヴィクトルのしたいようにさせていた。勇利の髪を洗っていると、ヴィクトルは、これがあのさらりとしたつややかな髪か、とときめかしさで胸がいっぱいになる。使うのはもちろんヴィクトルの選んだシャンプーだ。勇利の髪質を考え、いろいろなものをためした結果、これにきまった。勇利はヴィクトルがたくさんのシャンプーの中から選んだことを知らない。一度、シャンプーが切れそうだと言ったとき、彼が「じゃあこれ」と自分で買おうとしたことがある。ヴィクトルからするとそれを使うなんてとんでもないという代物だった。急いで大反対し、俺が買うと主張してシャンプー選びから手を引かせた。勇利は、どれでも同じなのに、という顔つきだった。 「勇利、もうすこし頭を上げてくれ」 「んー……」  ヴィクトルが丁寧に撫でるようにしながら頭皮を指先でこすっていると、勇利が眠そうな声を上げた。ヴィクトルはふわふわした泡を勇利の髪からすくい上げた。 「眠いかい?」 「ヴィクトルのシャンプー眠くなるんだよね……気持ちよすぎて……」 「それは光栄だね」 「ん、口が半開き……」  ヴィクトルは笑いながら、勇利の耳の後ろをそっと掻き上げた。そのついでに、耳のかたちもなぞって綺麗にしておく。 「あ、それ好き」 「そうかい?」 「うん。ヴィクトルに耳さわられるの好き」 「どきっとするせりふだね」 「どうして?」  ヴィクトルはちょうどよい温度でシャワーを使い、「洗い流すから目を閉じて」と注意した。 「はーい」 「口も閉じて」 「よだれは出してないんだよ」  ふくれて言う勇利を抱きしめて髪に頬ずりしたい。泡だらけでもかまうものか。  しかしヴィクトルはその誘惑に耐え、勇利の髪を綺麗に洗い流した。 「さあ、終わりだよ。あとはゆっくりつかってあたたまろう」  浴槽に入るときは、ヴィクトルが後ろから勇利を抱く姿勢だ。勇利はヴィクトルの胸にもたれかかってよい気持ちそうにする。これもヴィクトルがしあわせを感じる瞬間だった。 「もっと脚を伸ばして。身体をこっちへ」 「あんまりもたれると重いかと思って。こぶただからね」  勇利はヴィクトルが「こぶたちゃん」と言うことをいつまでも恨みに思っているのだった。こころのこもった愛称なのだけれど、彼にはわかってもらえない。 「俺は勇利をリフトできる男だよ。勇利は羽のようにかるい。いや、勇利には羽が生えているのかもしれない。なにしろ天使だからね」 「何を言ってるのかわからない」 「いや……、天使以上にかわいいから天使ではないな……そんなものではない。もっと……」 「何を言ってるのかわからない」  ヴィクトルが引き寄せると勇利は素直にもたれかかり、完全に身体をあずけた。ヴィクトルは彼のすらっとした痩身を抱き、ちいさな顔に頬を寄せてまぶたを閉じた。なんてしあわせなんだ……。ヴィクトルは、勇利といつか結婚するということを考えた。  風呂から上がると、勇利は寝巻を着、簡単に髪を拭いただけで部屋へ引き取ろうとした。 「勇利!」  ヴィクトルは呼び止めて居間へ連れていった。勇利はいつもそうなのだ。こんなことをして平然としている。 「ちゃんと乾かさないとだめだ」 「大丈夫だよ。ほうっておけばすぐ乾くから。ロシアはいつだって部屋の中はあたたかいじゃない」 「それでもだめだ。風邪をひくかもしれないし、髪だって傷むんだよ」 「傷まないよ。そうだとしても気になるほどじゃない」 「だめだ! きみはいつもそうだ。俺の言うことを聞くんだ」 「わかったよ……」  ヴィクトルが叱りつけるようにとがめると、勇利はしおらしくうなずいた。しかし内心ではめんどうだと思っているにきまっている。ヴィクトルがいろいろ言うので反省したふりをしているだけだ。 「おいで。俺がやってあげる」 「自分でするよ」 「勇利は信用できない」 「ヴィクトルがぼくを信じないなんて」 「勇利のこういうことに関してはすべて疑ってかかるよ俺は」  ヴィクトルは勇利をソファに座らせ、ドライヤーで丁寧に髪を乾かした。勇利はヴィクトルの手がふれるあいだ、よい気持ちそうに目を閉じてじっとしていた。きっと髪を洗ってやっているときもこんな顔をしているのにちがいない。言うことを聞かない大変な子だけれど、このあどけない表情を見ているだけでヴィクトルは幸福を感じるのだった。 「かわいいな……」 「んー……? なに……?」 「なんでもないよ。すこし髪が伸びたね」 「へん?」 「いや、綺麗だ。勇利はいつも魅力的だよ」  勇利が笑いだした。どうやら冗談だと思っているらしい。 「さあ、これでいい」  ヴィクトルは納得してうなずくと、ついでに自分の髪もさっと乾かした。勇利はそのあいだぼんやりとテレビを眺めていたけれど、ヴィクトルがドライヤーを止めたところで立ち上がって、「じゃあ寝ようかな……」とつぶやいた。 「何を言ってる。まだすることがあるだろう」 「なんだっけ」 「毎日やってるのに勇利はおぼえていない」 「眠いんだよ」  確かに、あれほど練習しているのだから、疲れて眠りたくもなるだろう。しかし、だからといってじゃあおやすみと譲れるものではない。 「こっちへおいで。ここへ座るんだ」  ヴィクトルはソファの上であぐらをかき、膝を叩いた。 「やだよ、もう、そんなの……」 「何を恥ずかしがってる? 毎日裸だって見てるのに」 「変な言い方しないでよ。お風呂に一緒に入ってるだけじゃん」 「それでも裸を見てる」 「いちいち言い方が誤解を招くんだよ、もう……」  勇利はぶつぶつ言いながらヴィクトルのあぐらの上に横向きに座った。ヴィクトルは彼を自分に寄りかからせ、ほっそりした手を取って引き寄せた。この手が演技のときしなやかに動くのが、どれほど可憐でうつくしいことか。 「ほら、もっと手を出して……」 「くすぐったいよ」 「勇利が抵抗するからくすぐったいんだ」  ヴィクトルはききめのあるハンドクリームをすくい、それを勇利の手に伸ばして両手で包みこんだ。優しく、静かに揉むようにすると、くすぐったがっていた勇利がぴたりと黙った。 「痛くないかい」 「うん……」 「指先まで綺麗に……」 「こんなことしなくてもいいよ」 「だめだ。勇利は自分に無頓着すぎる」 「ヴィクトルがこだわりすぎなんだと思う」 「おまえはほうっておいたら何もしない」  勇利は溜息をつき、どうでもいいというようにヴィクトルにもたれかかって無抵抗だった。もっと自分のうつくしさについて考えればよいのにとヴィクトルは思った。もっとも、何も考えていなくても勇利は綺麗でかわいい。それに、こうしてなにくれとなく彼の面倒を見るのがヴィクトルは好きだった。可憐な勇利を、さらにうつくしくするのだ。 「もういい?」 「まだだ。片手しか終わってないだろう」 「ぼく、左手は何もしなくても大丈夫なんだ」 「何をわけのわからないことを言ってるんだ」 「ヴィクトルにわけわからないって言われたらおしまいだね……」 「俺こそ勇利にそう言われたらおしまいだ」  ヴィクトルは眠いとぐずる勇利をなだめすかして保湿をした。彼が黒髪やこめかみにキスすると、勇利は「そういうので騙されないから」などとかわゆいことを言った。 「勇利は俺をなんだと思ってるんだ」 「少なくとも、こんなにいろいろ言ってくるひとだとは思ってなかった」  勇利にだから言うのだし、世話を焼くのだけれど、この妙な子はそれをわかって���るのだろうか。ヴィクトルは甚だ疑問だった。 「さあできた。勇利、もういいよ」  満足してヴィクトルがクリームのふたを閉じたとき、勇利はヴィクトルにもたれかかったまま動きもしなかった。 「勇利?」  顔をのぞきこむと、彼はすうすうと子どものような寝息をたてて眠っていた。ヴィクトルはほほえんだ。 「おいで、マッカチン」  ヴィクトルはあかりを消し、勇利を抱き上げて寝室へ行った。そして彼を慎重にベッドに横たえ、自分も隣に落ち着くと、優しく抱き寄せて髪を撫でた。 「んー……終わったの……?」 「ああ、終わったよ。もうベッドだ。寝ていいよ」 「そっか……おやすみ……」  勇利は深い眠りに落ちたようだった。ヴィクトルは彼を守るように抱きしめ、鼻先に接吻して目を閉じた。 「ジャージで行くの?」 「ううん、今回はスーツ」  勇利の全日本選手権に付き添ったヴィクトルは、滑走順抽選に向かう勇利がスーツの覆いを取るのを見て溜息をついた。 「俺が贈ったやつにしなさいと言っただろう」 「あんな高価なの、普段遣いにできないよ」 「普段遣いにするために買ったんだ」  勇利は何もわかっていない。しかも彼は、自分で以前から持っている、ヴィクトルには信じられない型のスーツを手に取って気楽そうだ。 「勇利、だめだ」  ヴィクトルは注意をうながした。 「だめだっていっても、これしか持ってきてないんだから」 「そうじゃない。スーツはもう仕方ない。俺はゆるせないけど、いまから買いに行くわけにもいかないしね」 「当たり前じゃん」 「バンケットの前に考えよう」 「バンケットのスーツもこれだよ!」 「とんでもないしろものだ」 「失礼なんだよ」 「ネクタイはちゃんと結ぶんだ」 「結んでる」 「勇利はいつもすこし斜めになる」 「だってこうなるんだよ」 「きちんと丁寧に結べばそうならない。来てごらん」 「ヴィクトル、ぼく時間ないから」 「まだ三十分ある。予定表を見てちゃんと知ってるぞ」  勇利は頬をふくらませた。彼は、いつも予定なんて考えないヴィクトルなのに、とぶつぶつ言った。 「勇利のことではこまやかになる」 「無理しないほうがいいよ」 「好きでやってるんだ」  ヴィクトルは後ろから勇利を抱きこみ、彼のネクタイをゆっくりと結んでやった。勇利はうつむいておとなしくしていた。 「あの、抱きしめないとできないの?」 「勇利、前からネクタイを結べるかい?」  勇利はしばらく思案し、「できないね」と素直に答えた。 「そうだろう」  ヴィクトルはきちんとしたかたちをつくって結び終えると、優しく上着を着せかけ、すぐ前の鏡を示した。 「ほら、見てごらん。うつくしいだろう」  勇利はよくよく自分の姿を観察し、「確かに、ネクタイはいつもより綺麗だね」と同意した。 「俺が言ってるのは勇利自身もふくめてだ。さあ、もういいよ。そんなに時間が気になるなら行っておいで。迷子になりそうならついていこうか?」  勇利は何か言いたげな表情でヴィクトルをじっと見た。 「なんだい?」 「……ヴィクトルってさ……」 「うん?」  勇利は彼独特のうつくしい澄んだ目でヴィクトルをしばらく眺めたあと、「なんでもない」とつぶやいて部屋を出ていった。おかしな子だ。もっとも、勇利はいつでもおかしいけれど。  試合当日も、ヴィクトルは勇利の支度をいろいろと気にした。 「そろそろ着替えるかい?」 「うん。更衣室へ行ってくるよ」 「俺も行こう」 「ひとりで大丈夫だよ。迷子にもならない」 「そういうことを心配してるんじゃない。いつだってそうしているだろう?」  ヴィクトルは更衣室で勇利の着替えを手伝った。彼の後ろから衣装のファスナーを上げてやるとき、つややかな肩がキスしたいくらい綺麗だといつも思うのだ。しかしそうはしなかった。それは演技のあとにとっておこう。 「どこも窮屈じゃないかい」 「うん」 「じゃあこっちへおいで。髪をやってあげよう」  勇利はもう何も言わず、ヴィクトルの言うとおりにした。ヴィクトルは鏡の前に座る彼の背後に立ち、勇利の朱塗りの櫛で髪を梳き上げた。これはまるでおごそかな儀式のようで、ヴィクトルはこうすることをたいへん気に入っていた。勇利もこのときこころを研ぎ澄まし、演技のためにととのえているようだ。ヴィクトルは満足すると、勇利の頬を両手で包んで前を向かせ、彼と一緒に鏡をのぞきこんだ。 「うつくしいよ、勇利」 「そう……」  衣装を身にまとい、こうして戦うための姿になった勇利は、本当に凛々しく綺麗なのだ。 「これからおまえはすてきな演技をするよ。俺を魅了し、勇利自身もどきどきする演技をね。俺にはわかってる。勇利は俺の生徒だ。そして俺の誇りだ。俺のかわいい子だ。愛してるよ、勇利」  ヴィクトルはそう言って勇利を氷の上へ送り出した。  ヴィクトルの予言どおり、勇利はすばらしいプログラムを演じ、ショートプログラムもフリースケーティングも終えた。ヴィクトルは自分のもとへ戻ってきた彼を抱きしめ、頬ずりをしてささやいた。 「すばらしかった。アメージングだよ、勇利。おまえは最高だ! 勇利、俺の勇利。俺はおまえに夢中なんだ……」  勇利が汗にひかるちいさなおもてを上げたので、ヴィクトルは彼の顔じゅうにせわしなく接吻した。勇利が笑いだした。 「みんなが見てるのに……」 「かまうものか」 「カメラもいるよ」 「知ってるよ」  ヴィクトルは勇利にジャージを紳士的に着せかけ、ひざまずいてエッジカバーを左右ひとつずつつけてやった。それからキスアンドクライで膝にマッカチンのティッシュボックスを置いてやり、ファンから贈られたぬいぐるみをまわりに丁寧に並べた。さらに、勇利が飲み物を飲みたそうにしたので、キャップを外して渡した。彼が飲み終えるのを待って、ひとつまだ持っていたおむすびのぬいぐるみを腕に抱かせた。 「大丈夫だったかな。点数悪くない?」 「あんな演技をしておいて何を言ってる?」 「ちゃんとできたつもりだけど不安で。自分でわかってない失敗があったかも」 「何もおそれることはない」  ヴィクトルは勇利を引き寄せ、髪にキスして優しく撫でた。勇利は笑い、それから輝くひとみでヴィクトルをみつめた。 「なんだい?」 「ヴィクトルってさ……」  ヴィクトルは勇利の言葉を聞き逃さないよう、彼の口元に耳を寄せた。そのとき、得点が出、歓声が上がって、勇利がうれしそうに白い歯を見せた。  あのひどいスーツにもかかわらず、バンケットのために着飾った勇利はひどくうつくしかった。ヴィクトルはこのときも勇利のために髪を梳いてやり、すらっとした彼の姿勢と装いに陶酔したように見蕩れた。 「綺麗だよ、勇利」 「ありがとう」 「さあ行こう」  ヴィクトルは会場で勇利をエスコートし、影のように寄り添って離れなかった。勇利はヴィクトルの腕に指をかけ、ほかの選手に話しかけられるとひかえめに返事をした。 「みんな、勇利に声をかけてもらいたいんだね。何か自分から言ってあげればいいのに」 「人が寄ってくるのはヴィクトルがいるからだよ」 「勇利……おまえは何もわかっていない」 「なんのこと?」 「何か食べるかい? 取ってあげよう」  勇利はすこし緊張しているようだ。食べさせないと、自分では何も取ろうとしないだろう。立食形式なので、自分で好きに食べ物を選んでよい。ヴィクトルは勇利が気にしたものをひとつひとつ皿に取り、甲斐甲斐しく彼に差し出した。 「美味しいかい?」 「うん」  勇利は口をもぐもぐさせながらこくっとうなずいた。そのいとけなく愛らしいしぐさにヴィクトルはたまらない気持ちになった。早くこのかわいい子と結婚したいものだ。今回は日本の大会だったけれど、いずれ世界大会で彼が金メダルを獲れたなら……。 「食べてばかりじゃ喉が渇くだろう」  ヴィクトルは水のグラスを取り、勇利に差し出した。勇利は礼を述べてそれを受け取ると、大きな目をぱちりと瞬いてヴィクトルに向けた。 「ヴィクトルってさ……」 「なんだい?」  そのとき、「勇利くん!」とやってきた後輩があったので、勇利はふしぎそうにそちらを向いた。声をかけられてふしぎそうにするのは勇利くらいのものだとヴィクトルは思った。  時間が経つと、勇利がふうと息をついてつぶやいた。 「なんか酔ってきた」 「勇利、飲んだのかい?」 「水だけだよ。でも人いきれで……」 「もう引き上げよう。じゅうぶんだろう。帰ってる人もいるみたいだ」 「うん……」  勇利の頬がほてっている。ヴィクトルは彼を外へ連れ出し、庭をすこし散策することにした。 「風が気持ちいい」  月明かりを浴びた勇利はうつくしかった。ヴィクトルは彼に見蕩れていたけれど、どこからか話し声が聞こえてきたので、ほっそりした腰を抱いて奥の道へと導いた。こんなとき勇利は人に会いたがらない。 「こっちへおいで。静かだよ」 「うん……、ヴィクトルってさ」  勇利はぱちぱちと瞬いて言った。 「優しいよね」 「突然なんだい?」 「すごく親切だなあって……。もともとファンに優しい人だから当たり前なのかもしれないけど、それだけじゃなくて……。生徒にこんなに優しいなら……ヴィクトル……」  勇利はくすっといたずらっぽく笑った。 「結婚したらどうなっちゃうの?」  ヴィクトルはほほえんだ。もちろん、ずっと、もっともっと勇利に優しくするのさ。そう答えようとした彼に勇利は言った。 「相手の人、びっくりするだろうね」 「……え?」 「ヴィクトルにこんなに優しくされたら舞い上がっちゃうだろうな。生徒にこうなんだから、結婚相手にはもっとでしょ? どんなふうにするの? 想像もつかない……。いったいどうなるんだろ?」  ヴィクトルはぽかんとした。勇利の言う意味がわからなかった。もしかして彼は、生徒だからヴィクトルがこんなに優しくしていると思っているのだろうか? 結婚相手にはそれ以上のことをすると? まさか──。  冗談じゃない! 「結婚相手はおまえだよ!」  ヴィクトルは叫んだ。突然大きな声を出した彼に、勇利は驚いたように目をまるくした。 「え?」 「俺はおまえと婚約してるつもりだし、愛してるからそんなふうに接してるんだ!」 「え……えっ……?」 「結婚したら優しくするよ! もっと別のことでもね!」 「うそ……えっ……ほ、ほんとに……?」  勇利は口元を押さえ、信じられないというように瞬いた。つめたい風でおさまりかけていた彼の頬が、また赤く紅潮した。まったく……自覚のない子だと思ってはいたけれど、まさかこんなことさえわかっていなかったとは……。 「え……うそ……やだ……そうなの……?」 「いや!? 俺と結婚するのがいやなのか!?」 「これ以上優しくされたら……」  勇利はひとみを大きくみひらき、ほのかにきらめかせてつぶやいた。 「ぼく堕落しちゃうじゃない……どうしたらいいの?」  ヴィクトルは驚いた。こんなことを言われるとは思わなかった。さっきから勇利はびっくりさせることばかり言う。  ヴィクトルは笑いだした。 「ヴィクトル、ぼくのこと好きなの?」 「言葉でも態度でもあらわしてたつもりなんだけどね」 「やだ……もう……」 「何がいやなんだ」  勇利はまっかになって両手で口元を覆った。 「そんなの……、照れるよ!」  世界選手権でクリストフに会ったとき、「ヴィクトルは勇利をうつくしくするのに余念がないね」とからかわれた。ヴィクトルは笑い、勇利は頬をうすあかくして答えた。 「このひと、ぼくのこと愛してるんだって……だからこんなふうなんだって。結婚したら別のことでも優しくしてくれるつもりらしいよ」
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trinityt2j · 3 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶��作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当���の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソ���ト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎���。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひ���く不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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jaguarmen99 · 1 year
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目次の表示・非表示を切り替え 野茂英雄 13の言語版 مصرىDeutschEnglishEsperantoEspañolفارسیSuomiFrançais한국어MalagasyРусский中文Bân-lâm-gú他 4 言語 ページノート 日本語 閲覧編集履歴表示 その他 閲覧編集履歴表示 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 野茂 英雄 2011年2月16日 日南市天福球場基本情報国籍 日本出身地 大阪府大阪市港区生年月日 (1968-08-31) 1968年8月31日(54歳)身長体重 6' 2" =約188 cm220 lb =約99.8 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手プロ入り 1989年 ドラフト1位初出場 NPB / 1990年4月10日 MLB / 1995年5月2日最終出場 NPB / 1994年8月24日 MLB / 2008年4月18日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 大阪府立成城工業高等学校 新日本製鐵堺 近鉄バファローズ (1990 - 1994) ロサンゼルス・ドジャース (1995 - 1998) ニューヨーク・メッツ (1998) ミルウォーキー・ブルワーズ (1999) デトロイト・タイガース (2000) ボストン・レッドソックス (2001) ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004) タンパベイ・デビルレイズ (2005) カンザスシティ・ロイヤルズ (2008)国際大会代表チーム 日本五輪 1988年野球殿堂(日本) 殿堂表彰者 選出年 2014年得票率 82.4%(324票中243票)選出方法 競技者表彰 この表について[表示] この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート オリンピック 男子 野球 銀 1988 野球 野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務める。 概要[編集] 「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍した�� NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。 MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている[1][2]。 NPB/MLB通算最多奪三振(3122)記録保持者。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任[3][4][5]。 長男は2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めた野茂貴裕[6][7][8][9]。また、シンレンサイのメンバー、三戸キャップは遠戚にあたる。 経歴[編集] プロ入り前[編集] 小・中学校時代は全くの無名選手であったが、「体を捻って投げると直球の威力が増す」と理解し、後のトルネード投法の原型となるフォームで投げていた。高校は近大附など名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格となり、大阪府立成城工業高等学校(現・大阪府立成城高等学校)に進学する。高校では2年生からエースとなり、1985年7月19日に全国高等学校野球選手権大阪大会2回戦の大阪府立生野高等学校戦で完全試合を達成。3年時はベスト16(5回戦)進出などの成績を残す。高校時代の監督は後年その投法を振り返り、トルネードほど捻らないがその片鱗を感じたという意味で「つむじ風投法」と名付けた。 高校卒業時に既にプロから誘いがあったが、新日本製鐵堺へ入社(勤務先は子会社の新日鐵化学の総務部)。新日鐵化学での当時の給料は額面で11万9000円、手取りでは9万円ほど。新日鐵堺での1年目にはスライダーを習得できなかったため、最大の武器となるフォークボールを習得。2年目の1988年には都市対抗に出場。1回戦でNTT東京に完投勝ち、2回戦でも延長17回を投げ抜き大昭和製紙にサヨナラ勝ちを飾る。準々決勝は東芝の菊池総と投げ合うが早々に打込まれ敗退[10]。同年のワールドカップ日本代表に選出され、ソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献している。1989年の都市対抗も準決勝に進出するが、大昭和製紙北海道に敗れる[10]。同年のインターコンチネンタルカップ日本代表となる。 名実共にアマチュアNo.1投手となった進路が注目される中で行われた1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神タイガース、ロッテオリオンズ、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、オリックス・ブレーブス、近鉄バファローズ)から1位指名を受け、抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。推定契約金は史上初の1億円台となる1億2000万円、推定年俸は1200万円で、契約時に投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。 近鉄時代[編集] 1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き、パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの受賞第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫・上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。ただし木田は、当時の沢村賞の選定がセ・リーグのみだったため受賞対象者ではなかった)。奪三振に関してはシーズン2桁奪三振試合21回、5試合連続2桁奪三振(当時)、三振奪取率10.99(パ・リーグ最高記録)など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。 1991年には自身の記録を塗り替える6試合連続2桁奪三振を記録した。オールスターゲームでは第1戦(東京ドーム)に全パの先発投手として登板し、先頭打者の立浪和義をはじめ6奪三振を記録(1990年代の球宴では最多)する。第2戦(広島市民球場)では秋山幸二が自打球で負傷退場し、他に野手がいなかったため、代打で出場。結果は見逃し三振だったが、秋山が既に2ストライクだったため、記録上は秋山の三振。この時オリックスの中嶋聡のヘルメットを被って打席に立った。 1992年も18勝を挙げ、2年連続で最多勝や最多奪三振などのタイトルを獲得した。 1993年にも5試合連続2桁奪三振を記録。同時に1990年から1993年にかけ、史上初の新人年からの4年連続最多勝と最多奪三振のタイトル同時獲得を達成(新人からの4年連続最多奪三振は他に江夏豊がいるが、当時はタイトルではなかった)。 1994年は開幕戦の西武戦で4回までに11奪三振、8回まで無安打に抑えたが、9回に先頭の清原にヒットを打たれてノーヒットは途切れた。その後2四球で満塁となったとこで赤堀元之に交代したしたが、この試合前監督の鈴木啓示は「今日は野茂と心中や」とマスコミに発言しておりその言葉を聞いてた赤堀もそれを鵜呑みにしていたこともあり準備不足の中登板し伊東勤に逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びて敗戦した[11](野茂も鈴木の言葉を信じていただけにこの降板でモチベーションは下がった[12])。7月1日の西武戦では1試合16与四球の日本記録を作ったが、191球を投げて3失点完投勝利を挙げた。8月に右肩痛のためシーズン途中で戦線を離脱したため8勝、126奪三振に留まり、最多勝と最多奪三振の連続記録も途切れた。 近鉄退団の経緯[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年11月) 球団との確執[編集] 1994年の契約更改では複数年契約と、団野村を代理人とした代理人交渉制度を希望したが、球団は肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。この際球団は「君はもう近鉄の顔ではない」と告げたとされている。球団社長はマスコミに「年俸をもっとよこせ、ということでしょう」と述べ、要求はあくまで「年俸吊り上げのための口実」であり、「次の更改ではサインするでしょう」と楽観視していた。これに対し野茂は「お金の問題じゃないんです」と反論したが、この一連の動きに対してはマスコミも近鉄の意見に同調し、次第に孤立していった。更に球団フロントに対しては後に確執が表面化することになる球団OBの投手出身鈴木啓示に対して鈴木が監督になる以前の仰木彬監督の時代から不満をいだいていたと語っている。 開幕投手であるにも関わらず、球団関係者に本社の人間が来るので車を動かすよう要求された(藤井寺球場には選手専用駐車場が無かった)[13][14]。 観客動員が増えることで収入が増え、優勝したらその分年俸を上げなくてはいけなくなるため、契約更改の席で「(10.19決戦のように)熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」と言われた。 4年連続最多勝のシーズンオフに現状維持の年俸を提示された[15]。 球団は野茂が近鉄でプレーする意思を表明しない限り、トレードや自由契約ではなく「任意引退」として扱おうとした。自由契約にならない限り他球団でのプレーは出来ないためであるが、これがMLBへの挑戦を決意する1つ目の理由となった。代理人団野村は、野茂は当初からメジャー移籍を模索しており、近鉄球団から任意引退を引き出したのは作戦であったと後に明かしている[16]。 監督との確執[編集] もう1つの理由は、仰木の後任である鈴木啓示との確執だった[17]。野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げていた。当時の監督仰木彬はこれを快諾し[18][19]調整方法も本人に任せたため、野茂は仰木を信頼して尊敬するようになった。これに関してはメジャー在籍時の晩年に「自分を信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった」と語っている。更に1993年に監督に就任した鈴木は、自身が主に先発で317勝という実績を挙げた投手出身ということもあってか、フォームや調整法など様々な事に関して干渉した。また選手指導としても厳しい姿勢を見せつけていた。例として野茂は開幕戦で調子が整えばそれで良いという考え方で開幕前はスロー調整であったが、鈴木はオープン戦から結果を要求していた。立花龍司とのマンツーマン指導で遠投など自己流でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し「では一体何周走ればいいんですか?」と問うと鈴木は「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや」と持論を押し通した。近鉄投手陣は立花に信頼を寄せていたが、立花が鈴木の冷遇によって1993年に近鉄を退団したため、投手陣の反発を買うこととなった。
野茂英雄 - Wikipedia
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liliyaolenyeva666 · 3 years
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🎼 00826 「Lonely Sea」。
"緊急事態宣言" がどうのこうので揺れる東京の空の下、今週も "仮面ライダー" のお時間がやって参りました。今回は 「3匹の発電怪人 シードラゴン!! (第76話)」 というお話です。"人間の自由のためにショッカーと戦うのだ!" とナレーションが聞こえる度に 現在の不自由な世の中をどうにかして欲しいなって思いますけれど、そんなことはさておき、道を歩く 少年仮面ライダー隊とガールを ふたりの怪しげな黒服や、雑貨屋のおばちゃんがチロチロと、彼らの様子を伺いながらサインを送り合っています。つい売っていたら買ってしまいさうな 仮面ライダーを模したヘルメットふうキャップを被った 少年ライダー隊らに "待ってました!" とばかりに 看板をガッと取り出した雑貨屋ふうなお店のおばちゃんは彼らを呼び止めます。「アメリカから輸入した怪獣モンスターのカンヅメだよー」 と おばちゃん。どう見ても手作りふうな "キミもそだてよう!" なんて書いてある看板と おもちゃのカンヅメを少し長くしたやうなカンヅメを見せられても 全く靡かない3人に 「安くしとく」 とおばちゃん。アメリカから輸入した割に、ひとつ200円というリーズナブルなお値段で薦めてきますし、3人に合わせたかのやうに カンヅメは ちょうど 3つしかありません。「水に入れると大きくなるよ」 とおばちゃん。何がどう大きくなるのかすらも聞かぬまま、怪しさのカケラも持たずに 何となく買ってしまう3人に 「どうもありがとう」 とおばちゃん。去っていったキッズの後ろで 物凄く悪さうな顔をしています。場面は変わり、深夜、部屋の中で 犬が吠えています。その隣の部屋で すやすやと眠るカンヅメを買ったひとり、少年ナオキ (なぜか両親は登場しません)。金魚鉢ともフラスコとも思えない透明の容器に 1匹のタツノオトシゴが入れられているのですけれど、突然に その容器から 赤や青の煙が ブクブクブワーッと吹き出してきます。夜のヒットスタジオでもはじまるのかと思いきや、そこに現るるは タツノオトシゴとは到底思えない、何だかキモい怪人です。吠える犬。キモ怪人は 右手の鞭の一振りで 犬を爆死させます。中々の迫力です。その音に目覚めたのか 目をこするナオキ。キモ怪人は どうしてかナオキの命は狙わずに ふっといなくなります。可哀想な犬。つづいて、ナオキと一緒にカンヅメを買った少年の部屋が映ります。こちらも 水槽がぶくぶくと黄色い煙を吹き出したりして お部屋の火災警報器が鳴りさうな雰囲気ですけれど、ナオキと違い 「ハッ!」 と目覚めた少年は 目の前に キモい怪人がフラフラ部屋を彷徨いているのを見て ガバッと毛布を被ります。けれども キモ怪人に気づかれてしまった少年は、水槽があったテーブルを軸に 時計回りで 早送りで襲われ逃げ回ります。部屋にあった消化器のやうな物を噴射させて応戦する少年。後片付けが大変さうですけれど、何とかキモい怪人を撃退します。そんなころ、工事を終えた工事現場の作業員は 何だかんだと言いながら作業を終えて 帰り支度を始めやうとしているのですけれど、そこに現れたキモ怪人に右手の鞭を ビシッと���びせられます。火柱を上げながら爆死する3人。どうして犠牲になったのかは最後まで分かりませんけれど、それこそが 無差別に殺戮を繰り返すショッカーのおそろしさです。そんなこんなで 夜が明けて、警察が作業員爆死現場の検証をしています。そこにバイクで現るるは アクション2人組。「見ろ、ふつうの燃え方じゃないぜ」 と 跡形もない作業員の亡骸を見つめる アクション大好き滝和也。ふたりは とりあえず おやっさん家に戻ります。と、ちょうどカンヅメがどうのと話していたナオキとおやっさんに その話にガッと割って入り 「ナオキ!その缶詰は 一体どこで買ったんだ?」 と本郷猛。ナオキを連れてバイクで買ったお店へ急行します。「ここだよ!」 とナオキ。「御免ください!」 と和也。お店はシャッターが閉まっています。「よし、裏へ回ろう!」 と猛。和也とふたりで裏へサッと回ります。が 「助けてー!」 と ナオキの叫び声。慌てて戻ったふたりは、いつの間にか高いビルの上で捕らえられているナオキとキモい怪人らを見つけます。「卑怯者め!」 と猛。「わめけ!もっとわめけ本郷猛!」 と そんな猛らをモニターしている地獄大使は 「貴様には 地球征服計画をことごとく邪魔されてきたが、もう手も足も出まい!」 と、地球征服というビッグな計画を立てていたことを つい漏らします。「発電怪人シードラゴンは 触覚がどうのこうので 死人の山が出来るでせう」 なんて首領に言っている最高幹部。どこが触覚なのかよく分かりませんけれど、最高幹部が首領とシードラゴンが ああのこうのと お話をしていた間に 屋上まで上って来たらしい猛は 「ショッカーの化け物め!」 と、ナオキの解放を要求するのですけれど 「この子どもを殺してから 貴様をころす!」 と シードラゴンに予想外なことを言われて驚いたところで お知らせに入ります。お知らせが明けると 「よく見るがいい!」 と、本郷猛に ナオキの首絞めを まざまざと見せつけるシードラゴン。動くに動けぬ猛。と、そんなところへ ちょうど階段を上ってきた滝和也が 戦闘員を叩きながら スッとナオキを救い出します。それにしても、廃ビルのやうな屋上で物凄く危険なアクションをかませながら戦う正義と悪の凄まじさ。「どうした!おじげづいたか本郷猛!」 とシードラゴン。本郷猛で無くてもおじげづくやうな場所です。「この鞭には 12,000ボルトの電流が流れているのだ!」 と右手の鞭を振り回すシードラゴン。これはたまらんと 「ライダー 変身!とぅっ!」 と変身をキメる猛。(しかし このボロンボロンの建物は元々何だったのでせう?)。とっても危険な廃ビルで 撮影ギリギリな死闘が繰り広げられる中、命綱も何もないままに 一歩誤れば命を落とすやうな場所で バック転する戦闘員。めちゃめちゃヒヤヒヤさせられますけれど 「ラァァイダー 貴様の最期だー!」 とシードラゴン。���ういうヒラメキなのか 「やつの弱点は足だ!」 と気づいた第1号は 不意にシードラゴンの足を掴み、ビルからブンッと投げます。地面に落ちて燃えるシードラゴン。何故に燃えたのかは分かりません。そんな有様をモニターしていたのか 「地獄大使!仮面ライダーはシードラゴンの弱点をついてきた!」 と首領。弱点は改良したから大丈夫っと最高幹部。そんなころ、帰りがけな猛の目の前で (池のやうな場所で) 溺れている男性を見かけます。「あー 助けてくれ!」 と男性。池に飛び込んで男性を助け出さうとする猛。と 「死ね、本郷猛 もうお前には邪魔させん!」 なんて言いながら 猛を罠に嵌め、池に沈めるシードラゴン二世。そんな光景をまじまじと見ていた 自転車ライダー隊のふたりは 「本部に連絡だ!」 と焦ります。いつものアジトふうな場所に連れて来られた本郷猛は、感電して完全に仮死状態らしいです。あの本郷猛が感電したくらいですから、きっと 池で生息していた生き物は全滅したんじゃないかなって思いますけれど、それはさておき 「待て!」 と最高幹部は 倒れている猛の命をあっさり奪おうとしたシードラゴンの手を止めます。誤った判断をする最高幹部。「あっさりころさぬ」 と誤った判断をする最高幹部。「頭の先から足の爪先まで悪の権化に作り替えてやる!」 と誤った判断をする最高幹部。「頭蓋骨に穴を開け、大脳と小脳を悪の電子頭脳と取り替えるのだ!」 と誤った判断をする最高幹部。「へへへへへへへ 本郷猛、今日からお前は生まれ変わって、最も優秀な悪の手先になるのだ!」 と あまり優秀ではない最高幹部は、手にした ホームセンターで売っているやうなドリルを使って 猛の脳天に穴を空けやうとします。が!「おかしいぞ!」 と最高幹部。急にドリルの回転が止まります。あわあわする最高幹部を睨みながら ドリルのコンセントを抜いた猛がニヤケます。「ハハハハハ!」 と、アジトが知りたくて死んだふりをしていた 悪の秘密結社よりも ずっとずっとワルな猛は、繋がれていた お立ち台から 「ライダー 変身!とぅっ!」 と再度変身をキメます。「シードラゴン二世、お前の威力を見せてやれ!」 とヘマが得意な最高幹部。第1号に襲いかかるシードラゴン。いつの間にか 最高幹部が手放したドリルを手にして、シードラゴンにブスブスと穴を空ける残酷ライダー。シードラゴン二世は何の活躍も見せないまま、空けられた傷口から液体を吹き出させ、苦しみながら絶命します。「おのれライダー!シードラゴン三世、やれっ!」 と最高幹部。「何っ!シードラゴン三世もここにいたのか!」 と第1号。陸に上がったシードラゴン三世を追う第1号。草むらから現れた戦闘員を次から次へと池に投げ落とす非情な第1号。そこへ颯爽と バイクメン滝和也が現れ、助太刀します。「ライダー!貴様を焼きころしてやる!」 と三世。戦闘員らを相手に バック転をキメる和也の格好良さと "Japan Action Club" と赤文字で大きく書かれた Tシャツの着こなしに痺れたわたし同様、余所見をしていたのでせうか 「ライダーめ 何処へ行きやがった!」 と 第1号を見失った三世は 隠れていた お茶目なライダーに ぬわっと襲われ、そして不意に繰り出した 「ライダー パンチ!」 を喰らって池の中に落ちました。「危ない!伏せろ!」 と第1号。池に落ちた三世は、水面を赤く燃やしました。ショッカーが自信を持って送り込んだ シードラゴンは 仮面ライダーのお陰で その行手を阻まれてしまいましたけれど、海水で生活していると思われるタツノオトシゴの改造人間が、海で戦えなかったことが そもそもの敗因かなって思います。
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silvercloud-mini · 4 years
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ADO16 Vanden Plas Princess 1300 #3
まだまだ続きます。
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外装を少々手直し。フューエルキャップはwilmotが付いていますが・・・
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wilmotを装着する為におそらく後付けされたであろうインナーリングの固定が緩くキャップごと抜けてきてしまいます。
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固定用のイモネジ・・・
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1本ネジ山が崩れているのか回りません。ドライバーも真っ直ぐに当たらないので・・・
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工具作製して・・・
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なんとか取り外し成功。頭のマイナス溝を深めに切り足して・・・
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ネジ山修正。
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取付けました。あまり強くイモネジ締めるとリングが変形してしまうのでほどほどにしか固定出来ませんでした。とりあえず大丈夫かと思いますが、再度緩んだ時はもう少し手の込んだ処置をする必要が��りそうですね。
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その他ご依頼事項のうちのひとつでフォグランプ系統。スイッチパネルから推測するに左右のフォグランプはそれぞれ独立して点灯するようですが・・・
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現状は右のスイッチで左右同時に点灯します。以前は左右別に点いていたようですがいつの間にか同時に点灯するようになっていた・・・という事で
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どうもこの辺りの・・・
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配線処理の仕方に問題がありそうなので探っていきます。
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オリジナルの配線では左のロービームやフォグランプに電源がいかなかったようで分岐タップを使い黒コードでジャンプさせています。
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原因は此処でした。おそらくオリジナルであろうコネクターの接触不良です。
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オリジナルコネクターだとしたら50年以上経過している事になります。流石にターミナル類は腐食しかけているので・・・
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アース端子を含めてバレットターミナルは全数交換します。
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もちろんスナップインコネクターも新品へ交換。
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左側も全数交換します。作業中に隠れていたオリジナルのフォグランプ用ハーネスも発見したので・・・
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これで左右独立点灯に近づいた予感。
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ジャンプさせていた配線は全て撤去してオリジナルに復元出来ました!
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テスト。右のみ点灯
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左のみ
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左右同時
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全ての灯火類は正常に作動しました。コネクターを交換してあるので灯火類は以前より明るくなったような気がします(^○^)
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これでひとつ不安要素は解消されたかと思います。ミニでもそうですがこのターミナルを嫌って透明チューブのギボシ端子に交換してあるのをよく見かけますが、新車装着からの年数を考えるとこのコネクターの耐久性は非常に優秀であると思いますし何と言っても佇まいがね・・・やっぱり英国車にはこういうパーツを使って修理していくのが店主は好きなのであります。自己満足っていうご意見は好意的に受け取っておきますw
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そろそろ弾の補給もしとかないとなぁ。
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もう少しあるので後半戦も頑張りますm(_ _)m
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archibeambibibibibi · 5 years
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8年前のきょう
支離滅裂になると思うけど、書いていくぜ
8年前のきょう
僕は大学入試の後期試験の下見のために千葉大学に向かっていた。あの日、3月11日は後期試験の前日だった。電車に乗っていた僕は、翌日の試験のことで頭がいっぱいで、どんな問題が出るんだろうとか、朝ちゃんと起きれるだろうかとか、予約したホテルが喫煙ルームで臭かったら嫌だなとか、いろんなことを、だけどどれも情けないくらいに本当に自分のことだけを、ぐるぐると考えていた。
地震が起こった時、まさに電車は走っていた。車内は確か、それほど混んではいなかったけれど、座席は埋まっていて、立っている人もちらほら居た。
電車は大きく揺れた。何が起こったかはわからなかった。即座に、脱線かと思った。本当に倒れるんじゃないか、このままのスピードでどこかにぶつかるんじゃないか、というような、今まで電車に乗っていて感じたことのない揺れだった。直後にブレーキがかかり、電車は緊急停車した。
僕も、周囲の乗客たちも怪我はないようだったが、体にぎゅっと力を入れているように見えた。電車は止まったが、揺れていた。あ、地震なんだ。揺れは長く続いた。
「安全確認のため、しばらく停車します、お待ちください。危険ですので、電車の外には絶対に出ないでください」というニュアンスのアナウンスが流れた。
特にパニックが起こることもなく、電車の中は落ち着いていた。
当時はまだみんなガラケーを持っていた。車内の気を利かせた誰かが、わざと音量を最大にしてワンセグをつけ始めた。地震の報道が聞こえてきて、震源が東北であることを知る。地震の規模がとても大きいという報道も聞こえてきて、岩手にいる家族のことが気になった。
家族とは、もし何か災害が起きたら、集合しようと冗談混じりで決めてあった公園があった。西公園という家の近くの公園である。2000年代に、岩手山の火山活動が活発化しているという報道があったあたりに決めたのであろう。しかし千葉県から岩手県盛岡市の西公園までは遠すぎる。
父から、母と祖母は無事であるというメールが来た。よかった。そして、岩手は被害が大きいこと、父は職場に行って生徒を守らなければならないということ、だから、父は一関、母は盛岡、兄は埼玉、僕は千葉、家族は今バラバラだけど、無事である。特になおやは、知らない土地で、しかも入試の前日で、色々どうなるかわからなくて不安だろうけど、それぞれの地で、自分で頑張るべし、という連絡が来て、僕は、なんだか笑ってしまったのを覚えている。
あの時はまだ、その地震や津波の甚大な被害は、千葉の電車で、しかも、パケホーダイでもないからネットもほとんど見ていなかったし、バッテリーがなくなることを恐れて、ワンセグも見ていなかった僕は、何も知らなかった。ただ、少し聞こえてくる誰かのワンセグの音声を聞きながら、電車が再び動き出すのを待っていた。きっと30分もすれば動くだろうと思っていた。
だけど電車は動かなかった。
全然動かない。立っていた人たちも、しゃがんだり、座ったりしていた。電車が動く気配がない。みんな疲れ始めていた。
1時間、か、2時間ほど経ってからだろうか、車内アナウンスが流れた。
線路の安全確認が取れないので、電車から降りるというものだった。
まじかよ〜と思った。この時もまだ、状況が把握できていないので、僕は今日ちゃんとホテルにつけるかな〜とか、そんな心配ばかりしていた。
しばらくして、車掌さんが僕の乗っていた車両にきて、案内を始めた。ぞろぞろと隣の車両に歩いて行くと、本当にドアが開いていて、そこにハシゴのようなものがかけられており、ゆっくりとひとりずつ乗客が降ろされていた。
僕も後に続いて、電車を降りた。線路だった。うおー線路だ、と思った。どこに向かっているかわからないが、前の人に続いて、何分か線路を歩いた。このまま線路を歩いてどこかの駅まで行くのかと思ったら、線路横の階段を降りて行くと、地上に出た。普段は鍵がかけられている階段なのだろう。こういう通路があるのだな、と感心しながら、そして、僕は今どこにいるんだろうと、思った。
周りにもたくさん人がいて、なぜかわからないけれど、みんな同じ方向に歩いて行くので、それについていくことにした。土地勘がないし、今のようにスマホも持っていないから、本当にどこにいるのかもわからなかったけれど、きっと最寄りに駅に向かっているのだろうと思った。
何駅だったのだろう。予想通り、駅に着いた。とんでもない人だかりになっていた。そこまで大きくない駅なのに、駅の前のバスプールまで、人でごった返していた。おそらく、近隣を走っていた電車を降りさせられた人々や、近くの店に買い物に来た人々、駅に止まっていた電車に乗っていた人々、誰もが、バスやタクシーや、情報や、何かを求めて、みんな駅にいた。みんな安心するどこかへ向かいたかったんだと思う。
その時、驚くべきことが起きた。スクランブル’交差点のごとく人々が行き交う中で、同じ高校の1年生の時のクラスメイトを見つけたのである。
遠くから大声で呼んだ。彼はすぐに気がついて、僕の方を見た。
話をすると、彼も翌日に同じ千葉大学の後期試験を受けるという。3年生では、クラスが違ったので知らなかった。知っている人に偶然あえて、嬉しか��た。
今冷静に考えれば、あそこまで非常事態になり、電車が止まっていれば、後期試験が普通に行われるわけがなかった。だけど、僕たちは動揺していたし、情報がなかった。
僕の予約しているホテルは、歩くには遠すぎる。クラスメイトのお父さんは、当時偶然千葉に単身赴任をしていて、そのお父さんの家なら、タクシーを捕まえればいけるかもしれない、という状況であることがわかった。しかし、タクシーは捕まらず、もし乗れたとしても、道路は狂ったように混んでいて、それも良策なのかはわからなかった。どうしたものかと二人で困っていると、一人のお兄さんが声をかけてくれた。
キャップをかぶり、大きな布のカバンを持っている。困り果てた田舎の二人の高校生が突っ立っているので、見かねて声をかけてくれたとのことだった。すると、お兄さんは、近くの避難所に行くという。僕たちの状況を話すと、クラスメイトのお父さんの家も、歩くには遠すぎるし、車も、つけるかわからない、そもそもお父さんと連絡がついていなかったので、一緒に避難所に行こうということになった。
お兄さんは、大きなカバンを持っていて、とても大変そうだった。僕は中身はなんなのかを聞いた。
お兄さんは言った「義手ってわかる?」
お兄さんは義肢装具士だった。カバンの中には作ったり、直したりしている大切な義手が入っているという。
僕らは、岩手県の高校生であること、そして、二人とも、前期試験に落ち、明日が後期試験であることなどを話した。
そうかそうかとお兄さんは優しく話を聞いてくれた。周りにもたくさん歩いている人がいた。30分ほどだろうか、歩くと避難所についた。
お兄さんは、知り合いにあったらすぐに今度は義手を届けに病院まで歩くという。頑張ってね、と言われて、握手をした。そして、お兄さんは、きっと必要になると思うから、もっとけ、と言って、数千円を僕たちに渡して来た。受け取れません、お金は持ってるので、大丈夫です、と断った。お兄さんは、「俺は千葉に住んでるから気合で歩いて帰れるけど、もしかしたら君達は、何日も岩手に帰れないかもしれない、そしたら、お金がかかるから、とにかく、もっとけ、いいから」と言って、お金を無理やり僕たちに握らせた後、大きなカバンを持って、すぐにいなくなってしまった。
なんてかっこいい人なんだろうと、思った。今これを書くまで、あのお兄さんのことは忘れていた。けれど、どんどん思い出して来た。クラスメイトと、このお金は、大事に使おうと、話して、避難所に入った。
気づけば、夜になっていた。
電車に閉じ込められていた時間も長かったし、そのあとも結構歩いていたのだなと思った。避難所は、小さな階段状のホールが付いている文化センターのようなところで、人間がたくさんいた。みんな不安そうな表情をして座っていた。ベンチも廊下も、人がたくさん座っていた。
本当に大変な規模なんだな、と避難所を見て実感した。
避難所の廊下ではテレビが置かれ、ニュースが沿岸部の工場が津波をかぶり、爆発した様子を報道していた。津波の映像も流れていた。世界が終わるのかと思った。自分の地元は盛岡で、内陸とはいえ、岩手はどうなっているのか、とても心配になった。高校の友人や先輩の何人かの地元は岩手の沿岸部だった。知り合いの誰かが、巻き込まれていてもおかしくないということを知った。
交通機関が止まってしまい、家に帰れない人がとにかくたくさんいるのだと思った。今考えるとあほなのだが、そこで僕は、その日予約していたホテルに、たどり着けないということを悟り、ホテルにキャンセルの電話をしなきゃ!と思った。ケータイの充電も貴重だというのに、ホテルに電話をしたら、奇跡的につながった。事情を話すと、非常時なので、キャンセル代もかからないし、空き部屋もあるので、もし、ホテルに来れたら、泊まってもいいと言われた。
そういう対応になるものなのか、と感心して、避難所をウロウロした。いい感じに休めそうなスペースは、もうなかった。困っていると、ホールが解放されたとのこと。ホールの座席にとりあえず座った。数百席はあるだろうホール。どんどん席は埋まっていくが、ステージの明かりはついておらず、当たり前だが、なんの演目も始まらないホール。泣いている赤ちゃんの声だけが響いていて、どっしりとした不安感があった。僕たちは、二人でいたので、席を確保したまま、荷物を一人に預け、トイレに行ったりコンビニに行って見たりした。コンビニはすっからかんで、何もなかった。避難所では、非常食と毛布が配られていたが、子供と妊婦さんが優先されており、それも数が足りないとのことだったので、僕たちはもらいにいかないで、コートにくるまって、ホールの座席に座っていた。
翌日の後期試験が気がかりだった。交通機関が止まっていれば、延期になるはずだと、今では思うが、というか、その時も思ってはいたが、数十分おきにケータイで大学のホームページをチェックしても、延期という情報は出ていなかった。千葉大学、やるのかよ?は?いいから早く延期というお知らせを出してくれよと、クラスメイトの祈りながら何度もチェックした。
兄からもメールがきた。他のいくつかの首都圏の大学は、試験の延期の情報がホームページ出ているが、千葉大学は出ていない、と、兄は知らせてくれた。まじかよ。
そのうちに、ケータイの充電も無くなってしまった。
もし、明日の朝、電車が動き始めたら、後期試験は行われるのだろうか。そればかりが気がかりだった。そのうちに、翌日から電車が復旧するという情報が避難所にも届いていた。やっぱり、東北が被害が大きいけれど、関東はすぐに普段通りの日常に戻るのかもしれない、そう思った。明日は早起きして、電車に乗ろう、そして入試会場に向かおう、と決めた。不安と、緊張と、心配と、いろいろと、ホールの赤ちゃんの泣き声。全く眠れるわけもなく、朝を迎えた。
本当に今思えば、試験があるはずもないのだが、僕たちは気合で最寄駅へと向かった。駅は再び大混雑していた。生まれて初めての満員電車は、本当に満員で、ぎゅうぎゅう詰めだった。動き始めた時間は通常の始発よりもだいぶ遅く、しかも、安全確保のために通常よりも遅い速度で電車は動いていた。
なんとか窒息せずに、大学の最寄り駅に着いた。時計を見ると試験時間の開始数分前だった。やばい!友達とダッシュして改札に向かった。改札の向こうには、千葉大学後期日程試験、延期のお知らせという張り紙が大きく貼られていた。来る意味なかった。
あ、お父さん!
いや、来た意味はあった。千葉で単身赴任をしているという、友達のお父さんが、僕たちの行動を読んで、改札で待ってくれていたのである。ケータイの充電も二人とも切れてしまっていたから本当に助かった。
友達のお父さんは、初めて会う僕のことも車に乗せてくれて、お父さんの部屋に連れて行ってくれた。大変だったね、と言われた。大変だったけど、東北の人のことを思うと、僕たちは、大変とは思えず、なんと言って良いのかわからなかった。
家に着くと、朝、握っておいてくれたというおにぎりを食べさせてくれた。うまかった。そういえば、昨日のお昼の後、何も食べていなかった。
そしてシャワーも借りた。スウェットも借りた。とにかくお礼を言った。そして充電させてもらった。
3人でテレビを見ながら、僕と友達は、状況もよくわかっていなかったので、友達のお父さんから、関東は電車が動き始めていること、だけど、岩手にはすぐは戻れないことなどを教えてくれた。そして大学入試もすぐには行われないだろうという話とかをした。
だからしばらくここにいてもいいよと言ってもらった。ありがたかった。
ケータイを見ると、兄からメールが来ていた。
兄に電話をした。兄は埼玉で学生をやっていた。兄は、そこからなら、もう電車が動いているから、早くうちに来いと言った。
確かに、いつまでも友達のお父さんに面倒を見てもらうわけにもいかないし、兄のところの方が、僕も落ち着くだろうと思い、そのことを友達のお父さんに話した。すると、すぐに、じゃあ近くの駅まで送っていってあげると言われ、駅まで送ってくださった。
くれぐれもきをつけて、とお互い、話をして、友達と、そのお父さんと別れた。
僕は兄の住む埼玉へと向かった。
(続く)
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angyeong-12 · 5 years
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韓国語分からないSMEオタクが1人で弾丸日帰り韓国に行った話
書いておかないと忘れそう&次回行く時のための備忘録として。 (あと、私が行ったコースがSMペンさんに好評で、よくお問い合わせが来るので書きます)
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「今回のコース」 SME事務所→SMTOWN→COEX
「弾丸日帰り単独渡韓に至った経緯」
当時の会社の仕事(広告系)があまりにも辛くてですね、結構精神状態もやばかったんですよ。
(なんとか推しを拝むために瀕死で生きている状態。)
で、なぜかGWのど真ん中の平日休んでいいよと言われたので、どうせならこの機会にと思ってピーチエアで予約した次第です。
私が3月に5月のフライトを予約したときは、飛行機代だけで26000円でした。 (もっと計画的に予約すればこれくらい安いのネ、大阪とか往復で1万になったヨ)
で、次は円→ウォンなんですけど、今回の場合はちょうど韓国の友達が日本に来ていたこともあり、1万円と10万ウォンを手数料無しで両替。 (こんなにもウィンウィンな取引は今年なかった)
Wi-Fiに関しては、グローバルWi-Fiで借りて、1000円するかしないかぐらいだったかな、正直無くても良かったかなとは帰ってきてから思いました(笑)
さて、実際の旅行の話なんですが、私の場合はですね、国内も国外もそうなんですけど、隅々まで調べて旅行に挑む派なので、そりゃすごく色々と紙に書いたんですが、捨てました(笑) なので、思い出しながら書きますネ。
【4/30 深夜】
ピーチの韓国日帰り用フライトは 深夜出国の深夜帰国です。 羽田01:55-ソウル(仁川)04:35
すこし早めに空港に着いていたので、第二ターミナルに行ったり、イスで寝たりしてたんですが、出国何時間前とかに上司からわけのわからん怒りスラックが来てブチ切れてました。 (上司はもちろん私が韓国に行くことを知っていて、正直なところ人のお楽しみ直前にこんなメールしねえよ。何考えてんの?って感じでした。しかも今考えたら別に私悪くなかったし。グループで怒ってたから全員見てたという意味わかんない晒し。)
とまあ、ここまでは空港での手続きも終わり、順調だったんですが、問題は税関を通り、さあ出国って時。ロビーで並んでいたら、
「現地の気候状況により、遅延が決定致しました。 新しいフライト時刻は4時となります」
(四時半とかだったかも)
寝よう。おやすみなさい。
めっちゃ寝ました、東京だし、羽田の国際線の椅子きれいだし、人全然いないしでアホみたいに寝ました。
でもね、そもそも現地の到着時間が4時半で、そこからもろもろの手続きが終わって5時過ぎに開放されても、結局現地で寝るつもりだったんで、まあ遅延してくれてよかったかなと。
そしてなんとか起きて飛行機に乗り込み、1時間半弱?のフライトも爆睡し、韓国に着きました。(午前7時前くらい) ちなみに、LCCっておそろしく狭いんですよね。 私は幸運なことに身長がスホぴょんと同じなので、ロングフライトは苦痛なんですが、1時間は別に辛くなかったです。
あと、韓国の空港は撮影が制限されています。 (理由はなんとなく想像出来ますよね。) 場所によっては、あまり調子乗って写真撮ると怒られるかもしれません。。。
飛行機を降りたら、まず空港内の電車に乗って税関へ向かいます。 (人の流れに着いて行けば大丈夫!)
ここで書いて提出するものがあったりするんですけど、飛行機のなかでその用紙をもらえたりします。 でも、飛行機のなかはそんなに気にせず爆睡して平気です、結局空港内でもらえますので。 書くことの内容は覚えてないけど、名前とかパスポート番号だったかな。 実際に記入用スペースに日本語の案内があるので、それを見ながら書けば平気です。 間違ってても日本へ強制送還されるわけではないので、気楽に(笑)
まあもろもろの手続きを終わらせ、預け荷物受け取り場に行くんですが、私は日帰りなので、預け荷物はありません。素通りで出ます。 (初めての方は、ここまでの手続きが怖いの!って思うかもしれませんが、人の流れがありますし、案内も日本語で書いてありますので、安心して入国出来ますヨ。よく寝て。)
【5/1】
ワ〜〜〜韓国ゥゥゥゥゥゥって雰囲気を無表情で感じながら、まずコンビニへ。
日本で言うところのウィダーインみたいなやつの梨味(そこそこでかい)を買いました美味しい 実は、私昔から旅行先であまり食事しないんですね、胃がキリキリしちゃうんです、帰巣本能強すぎて帰りたくなっちゃうんですね、ええ。ちと辛いですよ。 家に帰ると治ります。
まずは韓国の交通系IC「T-moneyカード」を作らなくてはならないので、ある程度休憩したら再びコンビニへ。
「てぃもにかーどじゅせよ〜」 T-money card 주세요. (T-moneyカードください)
この魔法のことばで買えます。 んで、ついでに
「ちゅんじょんどへじゅせよ」 충전도 해주세요. (チャージもしてください)
いいですか、一度この記事のタイトル見てくださいね。 私は「韓国語分からない」SMEオタクです。 (なるほどね、こういう感じかー程度に見てね。) ※チャージジュセヨは言っちゃだめヨってネットが言ってた。
これでなんとか空港から出る方法をゲットしました。
ちなみに、コンビニで売ってるのはよう分からんデザインでした。 ラインやカカオの可愛いデザインをお求めの方は、空港にTmoneyカード自販機があるので、そこで買うといいと思います。 確か、オリーブヤングとか仮眠所の階にあった気がする。 曖昧だからここは自分で調べてね。 (私はデザインはもう何でも良かったので、適当なの買いました)
あと、自分の好きな写真とか印刷出来���やつはソウル市内の駅ナカにあるみたいです。 (これも詳しくはよく分からないや)
このあと、空港内を徘徊したりトイレに行ったりして時間を潰し、バスのチケットを買います。 (ま、結局今回の旅行はTmoney要らずだったんですよ)
アニョハセヨ、リベラホテルプリーズ (なぜ英語・・・・・)
今回まず、SMの事務所に行くので、バスの行き先はリベラホテルにしました。 バスの番号は、6006。4B乗り場です。
リベラホテルから10分弱?歩くとSM事務所です。 (慌てないで!!!!!!絶対ここ迷子にならないから!!!あとで説明するからここは!!!)
おそらく、ここで高級リムジンと一般どっちにしよう問題が発生します。 事前の調査で、高級リムジンは値段高くないのにめちゃふかふかゆったり快適空間であることがわかっていたので、高級リムジンにしました。 仁川国際空港ーリベラホテル(14000ウォン、1400円くらい) やっっっすい
バスに乗り、異国の景色を眺めながら、気付いたらまた寝てました。 一時間半くらいかな・・・。 乗るときに行き先聞かれるし、チケットもぎられたので寝過ごしはないです〜。
はい、リベラホテル到着! チョンダムは噂通りDiorなどの高級ブティックがあってすごくキレイ。
まあ、バスを降りまして、しばらくバスの進行方向に進み、大通りを右に曲がり、そしてバス停のある大きな通りの信号で左を見ると我らが帝国です。 (多分これであってるヨ。でも、この情報で迷子になりましたというクレームは受け付けません。)
ソウルは道がとても広くて散歩すごく楽しいです。 (韓国の方が、「逆に東京は道が狭すぎて韓国人は絶対事故る」って言ってました) そんな散歩の終着点が我らが帝国なんですよ、ちょっと泣きました。
今回は、SM事務所のマーケットに行きたかったので開店時間の10分前くらいに着き、列に並んでました。
開店し、店内の推しを買いまくり、お会計。 (当時はSHINeeオンリー、ミノペンです。エクセルになるのはこの2ヶ月後。) あと、おいしそうな普通の飴ちゃん買いました。飴ちゃん。 ここでは6000円使いました。ちなみに、SMの粉物はおすすめしない。絶対に。 (なんかあと、開店とどうじにレジに駆け込む人々がいて怖かった。これがなんなのかは後で判明します)
で、先程通った道にバス停がありましたよね?そこまで戻りまして、 次の目的地、「COEX」に向かいます。(ここで10:20くらい)
本気を出せば歩ける距離だなとも思いましたが、体力が持たないのでやめました。 バスは、チョンダム駅の4番乗り場もしくは5番乗り場のどちらかに 「4419」という番号のバスが来ます。(多分4番、記憶が・・・・) これに乗って、「Korea World Trade Center」で降ります。 (色んなバスが来るので、乗るバスの番号を間違えないようにしてください。乗ればすぐ着くヨ。)
着いたら、ほんの数十秒歩くと帝国の領地「SMTOWN」です。
か、、、神よ、、、、、、、、この迷える魂を救い給え、、、、
とか言ってる間になんかどんどん開店待機列が長くなっていくので、黙って並ぶ。
「なるほど、噂通り割と並ぶのね。イスまで持ってきてる猛者がいる。。。。。」
11時、はい、開店。
ぞろぞろとみんなでSUM SHOPまで向かいます。
ここでようやく分かる、みんながすごい勢いだった理由。 EXOちゃんのタンブラー、コースターの発売日でした。
愚かなことに、このときはまだメンバーの見分けも付かないレベルだったので、素通り。 (しつこいですが、この2ヶ月後、京セラでE!X!O!って叫んでます。)
店内は意外と広くて、見落としあるのでは?って感じでした。 行かれる方は、今もあるのか不明ですが、アーティスト別のスタンプがたくさんあったので、ノートとか手帳を持っていくことをおすすめします。 (私は知らなかったので、航空券の裏に押しました。次行くオタク、この情報で救われろ。)
ここで1万5000円使いました。
あとはシアターやカフェ、ミュージアムですね。 私は不幸なことにミュージアムオープン前に行ったので、工事現場しか拝めず。 (本当はジョンの場所に行きたかった)
カフェには、恒例の粉物やお菓子、iPhoneケースが売っていて、アーティスト別のボトルも売っています。 しかも、飲み物付きで600円。安すぎて申し訳ない。 私は、りんごジュースにしたんですが、普通に美味しい〜〜〜ㅎㅎ (この当時は、黒キャップボトル。今は白キャップのNEWデザインなので、値段変わってるかも。)
ある程度散財し、遊びまくったらCOEX本体に向かいます。
私は最初、ずっとCOEXの地上をさまよっていたんですね。 なんにも無いの。電気屋さんくらい。
あ、扇風機安いな〜でもいいや、ぐらいしか無いの。
え、たくさんお店あるんじゃなかったっけ?と思って20分くらいあたりをウロウロしていました。
で、ふと地下に降りたんですね。お店いっぱいあったの。
いや、地下て。
安心して散財します。
ここで注意してほしいのは、声かけてくるっぽい人がいるんですね。 目的はわかりませんが。 (最近は何やら良からぬ勧誘が流行っているみたいです、、、)
しかし、私はあまりこういうところでオドオドキョロキョロするタイプでもなく、当時髪の毛が紫だったこともあり、一度も怪しい人に声をかけられず生き延びました。
ここはまさに散財天国です。 手当たり次第お店に入りますが、メニメニヘブン。 (天国がたくさん)
おすすめのお店があったんですが、名前を失念してしまったので、割愛。
ダイソーやイニスフリー、オリーブヤングなんかは絶対行ってください(絶対行け)
大事なのは、堂々と歩くこと。オドオドしない。
さ、帰りましょう。
仁川国際空港に直で帰りたい方は、SMTOWNの前の大通りの向かいにあるバス停から帰れます。 大きい通りを渡ってくださいね。
この写真は、その空港行きのバスの停留所で撮ったやつです。 番号を見て乗ってください。 多分1600円とかだったかな。
これはCOEXのマップ(日本語) おそらく役に立ちます。
そしてこのバスに揺られてどんぶらこどんぶらこと帰るわけですが、ここでも寝てました。 でも、序盤起きてると有名なSHINeeやバンタンの置物(くまみたいなやつ)がバスから見えます。
降りるときにターミナルが第一と第二あるから、そこ気をつけないとだめかも? でも、間違っておりても、巡回してる無料シャトルバスがあるから平気です。 気にせず寝てください。
はい、空港に着きました。ちょっと早すぎたかな。。と思いましたが、目的は果たしたので空港を徘徊します。 早朝に空港着だったので、ようやくお店をゆっくり見て回ります。
さっき書いたように、空港の中にもオリーブヤングがあったりイニスフリーがあるので、そこらへんを見て回りながら、ようやく食欲が出てきたのでコンビニのおにぎりを買いました。
で、日本って親切だなって思ったのがね、おにぎりのパケに鮭とか梅の絵が書いてあるじゃん? 韓国っておそらくそのおにぎりをプロデュースしたであろうシェフの写真が載ってるの。 違う、、、、違うんだ、、、、求めてる情報はお前じゃない、、 でも、カルビって書いてあったので買ったんですよ、そしたら雑穀米みたいなやつでちょっとテンション下がりました。
そんなこんなで空港で手続きをします。 ピーチエアは日本の会社(多分)なので、特になんの不安も無くすべて終わりました。 というか、英語も韓国語も分からなくても、絶対なんとかなります(笑)
で、仁川の中の免税店ですが、アホみたいに広い〜〜〜〜!!!!!! 私、イニスフリーの誕生石のパウダーが欲しくて、COEXでも見たんですが売ってなかったんですㅜㅜ 最後の望みと思ってひたすら探したらセットで売ってたので迷わず購入。 これ、バラマキ用に便利ですよ(バラまいてないけど)
あとね、1人でくまなく免税店見たのでわかったんですが、グッチやコーチはもちろんあるんですがね。 コンビニとかが無いの。 飲み物とかちょっと軽食とか無いの。 (もしかしたらあったのかもしれないので、見つけた方は教えてください。)
ただ、搭乗口付近には自販機があった気がする。 自販機だったかな?なんかあったんだよね。
と、まあ付近をウロウロして、帰国は無事に定刻通りでした。 (すぐに寝たので記憶がない)
よく寝て、よく金を使う旅でしたが、行ってよかったです。本当に。 めちゃリフレッシュ出来たし、また行きたいってめちゃ思いました。 あと、1人旅行って本当に楽しいなって分かったのもいい経験でしたワ。
今はミュージアムも出来て私が行った時より散財スポットが増えたと思います。 また行かなくては(使命感)
最後に、いるのかわかりませんが、このコースで行く方用にバスの番号など全部まとめます。
「仁川国際空港」→「SM事務所」 リムジンバス乗り場4B乗り場6006(高級リムジン) 1400円(14000ウォン) 停留所:リベラホテル 降りたらバスの進行方向を大きな交差点まで進み、右に曲がる。 困ったときは、 「エスエムエンターテイメントヌン オディエヨ?」 (SMエンタはどこですか?)
「SM事務所」→「SMTOWN」 チョンダム駅(清潭駅、청담)地上バス乗り場4OR5 (どっちかは覚えてない) 「4419」番バス、Korea World Trade Centerで降りる。 降りてすぐSMTOWN。
次はソウルコンとか行きたいけど、MC理解不能だから無理かな。。 でも、また行って金使わないと(使命感)
そして、このブログを見てくださった皆さん
最後に、私が作った韓流翻訳サービスを見ていってくださると嬉しいです
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gamedoinc · 2 years
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2021.12.24 お絵描きは角度が大事?
かるぱすです。
私は普段仕事で何か描くとき、板のタブレット(板タブ)を使用しています! しかし、板タブは慣れるまでが大変で、挫折しそうになる経験が何度もありました。 どうにか描きやすくなる方法はないかな~と色々調べたり模索する日々です。
そんな中で一番効果的だったのは、板タブレットのウラ側にペットボトルのキャップを付けるという工夫です。 こうすることで角度が付いて、手首がちょっと楽になります。とても描きやすいです!
これを発見してから前よりもかなりスイスイ描けるようになった気がします。今ではアナログで描くときも角度を付けています。 お家にペットボトルのキャップがある方はぜひ試してみてください!
余談ですが、内容を確認した近藤さんから「脚になる製品を買いますよ」と言ってもらえました!(笑)
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toshihikokuroda · 3 years
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総選挙 変える選ぶ 「イケサポ」で奮闘する会社員 佐谷孝介さん(29)=仮名= 2021年10月30日【社会】
SNSで発信 広がる協力者  「傍観しているだけじゃダメだな」―。
 そんな危機感を抱いていたとき自宅にポスティングされたビラをきっかけに、生まれて初めて選挙ボランティアに挑戦。今度の総選挙でも奮闘している会社員の佐谷孝介さん(仮名)(29)=東京都北区=。緑のキャップに黒のボストン眼鏡。「シティーボーイ」です。
 大学での専攻が政治学科だったので、周りの若者よりは政治に興味はありましたが、「自民党に投票したことも」と振り返ります。
 「政府って自分たちのためだったら何でもやるんだな」。自公政権に憤りを感じ始めたのは2018年。長時間労働を助長する裁量労働制の拡大などを盛り込んだ「働き方改革」一括法案が議論されていた中、厚生労働省の調査データが捏造(ねつぞう)されたものだと判明したときです。
 選挙を重ねる中で、「自民党の議席は減ると思っていたが、現実はそうはならなかった」と声を落とします。
ビラ配る人募集  日本共産党には、ユーチューブ番組「とことん共産党」などを通して数年前から関心を持っていました。
 18年10月に行われたJCPサポーターまつりで、志位和夫委員長が「みんなのちょっとを集めてみんなで政治を変えていく」と発言しました。「この言葉も大きかった」
 そんな中での東京都議選(7月4日投開票)。
 応援していた曽根はじめ都議が当選して「うれしかった」のと同時に、「総選挙ではもっと違うこともやらなきゃダメだ」。
 いまは、池内さおり衆院比例候補(東京12区重複)を応援する「イケサポ(池内さおりサポーターズ)」で奮闘しています。
 ツイッターで「ポスティングのボランティアを募集しています」と告知すると、5人が投稿を見て参加。SNSと実際の活動を組み合わせるなど、アピールの仕方を工夫しています。
仲間と毎日投稿  総選挙の投票日が迫りました。
 メンバー3人で「ネットでのアピールをさらに加速させよう」と企画を相談。25日からメンバーの“映える”写真と共に「なぜ、あなたは池内さおり推しなのか」のメッセージを毎日投稿しています。
 佐谷さんは、池内さんとのツーショット写真と共に投稿。「ジェンダー平等なんて、既に達成されていると勝手に思っていた。全然そんなことなかった。学び、労働、生活のなかには、男性優位がはびこっていた。気づいていなかったのは、自分が『男』という『優位側』にいたからだった。誰もが生きやすい日本に変えてほしい」
 (津久井佑希)
総選挙 変える選ぶ 沖縄の有力金融機関元幹部 仲里長介さん(61)=仮名= 2021年10月30日【社会】
基地ない島を取り戻したい  那覇市のビジネス街にそびえる本社ビルの一室。風格ある調度品が惜しげもなく配置され、ゆったりした室内はいかにも役員執務室の風情です。仲里長介さん(61)=仮名=が現役時代にすごした職場です。
 「この部屋は、国政選挙や首長選挙であいさつにきた自民党などの与党関係者を通していた。彼らは役員を目下のように扱い、自分が主人でもあるかのようにふるまうのが常だった」。今回の総選挙で自民党、保守系無所属から立候補している人物は「その常連でした」といいます。
 国や県が発注する公共事業に伴う金融取引を有利に処理するには与党議員の口利きが必要だったとも。その関係は「もたれ合いだった」と当時の「裏の仕事」を明かします。
日本は潤ったか  昨年、退職した仲里さん。「ビジネスでは自公政権との付き合いが欠かせなかったが、今はまったく違う」。沖縄1区のオール沖縄代表、日本共産党の、あかみね政賢候補を支援しています。
 「自公政治は、アベノミクスで経済をまわしたと言うが、本当に日本全体が潤ったか。大企業にはカネがまわったが、庶民の暮らしは豊かになっていない。安倍・菅自公政権はコロナ禍で場当たり的対応を繰り返し国民の命を守れてない」「辺野古新基地建設も軟弱地盤などで行き詰まっている。普天間基地は移設ではなく閉鎖・撤去しかない」
翁長さんの志を  仲里さんは、期日前投票であかみね候補に投票。親戚、友人にも「オール沖縄代表のあかみねさんに一票を」と訴えています。
 「共産党でしょう」との返答には、「あかみねさんら共産党は増税反対、辺野古新基地反対とくらし、平和でも軸がぶれず、堅実に仕事をしているオール沖縄の代表だよ」。
 「辺野古新基地ノ―」の民意を束ねて県知事になった故翁長雄志さんは高校の先輩。「翁長さんは基地こそが経済の最大阻害要因と指摘した。そのバトンを、元ビジネスマンとしてしっかりと受け継ぐ時だと思う」
 あかみねさんをはじめオール沖縄4候補全員の勝利で、「辺野古新基地計画の中止で、なんとしても基地のない、もとの沖縄にもどしたい」と目に力を込めました。
 (山本眞直)
(しんぶん赤旗、2021/10/30)
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