最近更新の暇がなかなかない・・・orz
この間散歩先で、これが噂のギンモクセイかしらと思って撮影。白い花のキンモクセイ。同じような香りもしましたね。
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推しカプモエモエ四コマ漫画を描くぞ
可能な限り手を抜いて四コマ漫画を描きたい!
描こう!!
いやそもそも「推しカプモエモエ四コマ」って?
とりあえず推しカプがダベる景色の4コマ漫画です。
この記事は二次創作を前提にしています。
なのでこの記事も二次創作でお送りしています。そうだよ。
そもそもそも、漫画とは?
絵があってセリフがあれば全部漫画です。
ハードルが下がりましたか?
そうだと良いなと祈っています。
〜必要なモノ〜
・絵を描ける端末
アナログでもいいが手を抜きにくいので今回は非推奨です
……デジタルかんたん4コマ作業ちっぷすは望まれたらまた作ろうかと思います……
・推しの資料
原作ゲームなり原作漫画なり、アニメスクショなり
数は多ければ多いだけいい
おわり!
じゃあもうあとやるだけだ!!
じゃあ実際にやってみよう。
◎推しの可愛い所を箇条書きにしよう
とりあえず推し一人のカワイイ所書き出そう。
資料を見つつ推しのカワイイところを見つけよう。
箇条書きで構いません。
カワイイところ!だけでなくてもいい。
疑問とかでもいい
嫌だな……と思う所でもいい
例:犬で言ったら1歳半、早川アキくん
・ウサちゃんりんごを作るのでかわいい(カワイイ)
・お前のその頭どうなってるんだ(疑問)
・空っぽで悲しい(かなしい)
この作業はいくらやっても楽しいですね。
記事のために絵をたくさん描きましたが、文字でOKです。
ザックリかつ箇条書きでOKなので、移動中とか仕事が辛い時とかにもパパッとやれちゃうかなと思います。
◎片割れの反応を想像しよう
先ほど決めた「カワイイポイント」を目撃してしまった片割れの反応です。
例:早川アキVS天使の悪魔
・ウサちゃんりんごを作るのでかわいい
→多分天使は「かわいい」とは言わないな…
「この切れ込みにどんな意味があるんだ…」ってなるな…
・お前のその頭どうなってるんだ
→これはそのまま思っても良い…
髪の毛ちゃんと乾かすだろうにその頭はおかしいだろと思う。
・空っぽで悲しい
→「生きてて楽しい?」くらいは思ってるのでは?希死念慮があるから…
この作業もいくらやっても楽しいですね!!
…なのですが、あんまり「推しの反応が想像できない…何言うか分からん…」という事もあるかと思います。
最悪セリフとか書かんでも…ええでよ…
全部「窓越しに推しがなんかやってるのを見てるだけ」の4コマとかだったらセリフとか書かなくても済みますね、やったー!
コトバでごまかせないので、そこそこ画力は要求されるかもしれない。 あっ!「モブ視点推しカプ観察日記」でもいいんじゃないでしょうか!
◎この中から一番描きやすそうなモノを選ぼう。
今回はウサちゃんりんごかな〜
◎ほぼ完成です。
じゃあネームを描こう!
もう!?
もう。
黄金レシピ置いときます。
これは「基本系」に過ぎないので、各々臨機応変に対応してください。
・1コマ目
上記見つけた「カワポ」を描写するコマ
もしくは状況説明。
今回は「状況説明」にしました。
このコマでやりたかった事は
「お昼ご飯を食べようとしているシーン」+「リンゴが出てくるキッカケ」です。
・2コマ目
1コマ目を状況説明に使った場���の予備
もしくは目撃する片割れ
「カワポ」の描写です。
早川くんがウサギさんリンゴをくれました。かわいいですね。
…絵的には「キャラ描いとけばいい」という感じじゃない図で、少し難しそうですが、
このコマでの必須事項は「ウサギさんリンゴが映ればいい」ので、お膝の上のタッパーとか描かなくても良かった。
・3コマ目
カワイイポイントへのツッコミ
文字通りなのでとくに解説などもないです!
ツッコミが2つもあって(「ウサギの意味は…?」と「いうほどウサギか…?」で…)うるさいかもしれない。
でもなんかウッカリしてたら絵がちっちゃくなったので、まあいいか…と思った。
・4コマ目
それに対するカワイイ行動を行ったものの反応等
ツッコミに対する反応
4コマ漫画の4コマ目って緊張しますよね。
でも「大オチ!!!!」とかあまり意識しないでいいんですよ!
なぜなら…これは推しカプモエモエ4コマなのだから…
大モエ・コマにしたらいいんです!!
何の疑問も抱かず、手にある全てのリンゴをウサちゃんにしてしまう空っぽの推しかわいいですね…
…いや「大モエ」とかも意識しなくていいです。
出来たァ!
えっ!こんだけ!?
こんだけです。
いやいや…まだネームだし…
と思ったかもしれないが、後はもう、下書きしないでもいいし、
ペン入れなくてもいいし、トーンも貼らなくてもいい。
好きなトコで終了にしてください。
お疲れさまでした。今日も推しは可愛かったですね。
◎って言うけどネームむずいんだけど!?
それはそう。
なのでいくつか「コレやればある程度成立するよ構図」を置いておきます。
・メイン発言者斜め向き+ツッコミ側の後頭部。
この世の4コマの5割はこれで成立する。
・斜め向き顔面アップ
1本に1個くらいはやってもいい。
重要な表情や発言が続く時はもっとやってもいい。
・横(顔)
重要な発言の時はメッチャアップの横顔でもいいですね。
「喋っている事」が重要とされるコマ→口元がはっきり描ける横顔、という理屈だと思います。
他にも正面だと難しい動作はもう横にしよう。
飲み物を飲んでいる仕草とか、歩いてる所とか…
正面から描きたくねえもの…そんなもの…
◎さらに上を目指そうというのですか!?
この項目は「4コマ漫画の描き方くらい知ってらあ」という方向けの 「こうするとメリハリがつくかも」ポイントです。
4コマはコマが小さいので、感情表現オーバー気味な方が読みやすいです。
何をオーバーにしてくか…というちっぷすを挙げます。
・大きい動作をさせよう
ビックリしたら飛び上がって、慌てたら分身させて、落ち込んだら地底を見つめさせ…
推しはそんな事やらん!?
そう…………
・表情もクルクル変えさせよう。
悲しかったら目を潤ませ、嬉しかったら目を光らせ…
「普通の顔」をしている瞬間なんて1個も無くて良い…
そういうキャラもいます。
漫符も使おう。
推しはそうならん!?
そう……………………………
私はよく、表情はそのままで、周りに花を散らしたりさせてます。
かわいっ!
推しはそうならん!?
そうだが!??!
・身振り手振り
手を描く事からはなるべく逃げない方がいい。
手で出せる感情ってかなりあるので…
考えてる時は顎下に手を置かせ、閃いたらパチンと鳴らさせ、
困っている時は腕を組ませ、ビックリした時は指をガオ〜ッとさせ…
上記の「オーバーリアクション」で解釈違いを起すキャラには本当に有効です。
手がない子は知らないです…袖でも振ってみてください…
4コマはコマが小さいので顔面描いて終わりになっちゃいやすいので、顔面に位置的に近い手なら気軽に混ぜ込めますし、
そうやって情報量と表情を補足してあげると目に優しいのかなと思います。
あとは、ずっと会話劇になっちゃう人や
ずっと顔ばっかになっちゃう人向けちっぷすです
・動作を増やそう。
「なにもやってない」と単調なので何かやらそう。
ただ喋ってるだけのシーンでも、「飲み物飲みながら」にするだけで、
「じゃあ蓋を開ける動作をする必要があるな」とか
「ゆげをフーっとするシーンもあっていいか…」と仕草の広がりが産まれる。
定番は「食べる」「飲む」「歩く」辺りでしょうか。
喋っている場所ごと工夫してもいいかもしれません。
学校の屋上とか定番ですが、広い景色を描きやすい事と、風が強そうという、演出的使い勝手のよさがあります。
3ページ(6本/24コマ)もずっとブランコに乗せて喋るだけの漫画や、
1話まるまる(17本/68コマ)お風呂で喋らせていただけでギリギリ成立させた私を信じて欲しい。
ブランコはモノを食べさせることで解決を図りました。
お風呂は電話をしていましたが、正直マジでキツかった。
何でこんな事したの?
・思い切って足とか描こう。
4コマ漫画は基本的に上半身のショットばかりで絵がダレます。
これは4コマじゃない漫画セオリーですが、
場所移動をした場合、地面か天井が入っているコマを入れると場所説明が一瞬で終わるのでオススメ!
…ですが、4コマで場所説明とか超だるいですよね。
足のカットだけとか入れちゃってもええよ…
推しカプの靴や足のサイズくらいみんな見分けられるでしょうし…
わかるね!!!!!
足、絵がダレる事から一瞬で救ってくれます。
4コマ漫画!楽しいよ!
結局推しカプモエモエ4コマ漫画の良さというのは、読む側、描く側双方の気軽さだと思います。
(推しカプモエモエ4コマではない、連続したストーリーのある4コマの場合は、
少なくとも描く側の「気軽さ」は徐々になくなりますが、今回はそこには触らない事にします)
なので可能な限り肩の力を抜いてやっていきましょう!!!!
一番大事な気持ちは 「推しカプが 会話をしたら 可愛いな」です。
それを記す事を楽しみましょう!!
ねっ!!楽しいから!!ほら!!!!!
ねっ!!!!!
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2022年に観てよかった映画の感想など○旧作 洋画(順不同)
シモーヌ・バルベス、あるいは淑徳(1980)マリー=クロード・トレユ @配信+ジャック&ベティ
今年の初めに配信と、秋に劇場で計2回観た。なんか文句ある?って感じでずっと良い。ドアの開け閉めの音と、館内音楽なのか、劇中音楽なのか、いい具合にわからなくて、人物も狭いロビーを歩き回るので、目が回る。引き込まれていく。それにしても、ウサギの話するおじさん、ウサギそっくりすぎでは?「禿山の一夜」の謎ロックアレンジが素っ頓狂。そしてフェミニスト・ロックンロール、最高にイケてた。ナンパおじさんがフォーレの「トスカーナのセレナーデ」で涙するの絶妙に気持ち悪いし、だんだん顔色が悪くなっていくその肌の色が生魚みたいでこれも気持ち悪くて面白い。わたしをナンパしたのが運の尽きだよって具合にエグい話をかましたものの、最後は優しくしてあげてて偉いよね。自分を守るために女らしくしないのよ〜。最後のシーンは何回でも観たい。
エヴァの匂い(1962)ジョセフ・ロージー @配信
ジャンヌ・モローの、魔性の女そしてどこか影があるような…そんな感じの演技が大好き。そういう役どころのモローは、ドゥミの「天使の入江」、ブニュエルの「小間使いの日記」、他にもたくさんあるけれど、とにかくモローが好きなので全部好き。今年は「エヴァの匂い」のモローが、LINEのアイコンにしちゃうくらい最高だった。
ジャック・ドゥミの少年期(1991)アニエス・ヴァルダ @配信
とにかくヴァルダのおおきなおおきな愛。「ドキュモントゥール」を観た後に(これは残念ながら寝てしまったので、ほぼ観たとは言えないが… @ジャック&ベティ)レクチャーを聞いて、なるほど…ということもあったが、まあそれにつけてもおおきな愛故ですよね。ドゥミの身体(顔の細かいパーツ)、ひいては愛する人の輪郭をズームして撮る手法(?)はヴァルダならではなんじゃあないかなと思ったりする。
冬の旅(1985)アニエス・ヴァルダ @国立映画アーカイブ
先述のように、ヴァルダの作品を観たとき、いつも愛情に溢れていて、あったかいような気持ちになることが多い。けれど、この作品はモナ(サンドリーヌ・ボネール)のかかえている恐怖と緊張感の描写が鮮烈で、最後の最後まで幸せには終われない物語に、観終わった後強いやるせなさを感じた。ただ、端的に不幸な物語だとは言い切れないほどモナが強く、潔いほど自由で(だからこその恐怖と緊張ではあるが)、すがすがしくも思えた。
《ジャンヌ・ディエルマン》をめぐって(1975)サミー・フレイ @ジャック&ベティ
アケルマンの「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン」はベストムービーのひとつなので、このドキュメンタリーも非常に楽しく観た。セイリグがインタビューをされるシーンで、何故フェミニストになったかという問いに対し、長い話になるけれど、と前置きをし、ぽつりぽつりと言葉を選びながらも、“女性はみんなフェミニストである。そうでなければ死ぬしかないでしょう。”と言う。その返答に頭の中はずっと、Oui! C’est ça! Exactement!って感じだった。笑 わたしはフェミニストであるということが理由で、色々な人たちと、それにまつわる議題についての喧嘩をした経験が何度もあるが、このセイリグの言葉には100%同意する。ただ、ここでわたしがフェミニストであると言うことを、”強い”意見に捉えてほしくなくて、なぜなら、少しでも、女性の活躍を応援したり、身近な女性たち(また自分自身)の受けてきた酷いセクハラ被害に強い怒りを覚えたり、過去の偉大な功績である、女性の参政権のために働いた人たちを讃えられるなら、特段、フェミニストとしてなにか"活動"をしていなくてもフェミニストと名乗っていい、というか名乗る必要があると考えているから。まずはそうしないと何も変わらないと考えているから。
たぶん悪魔が(1977)ロベール・ブレッソン @ジャック&ベティ
ブレッソンの映画は、めちゃ良かった!と思うのと、眠いわ!というのがちょうど半分ずつある。これは超良かった、主人公(アントワーヌ・モニエ)がイケメンだったから!浮気相手の女の子(レティシア・カルカノ)の、ラベンダー色?群青色?のキャミソール、その着こなしが可愛くって、物語も面白く観たけれど(正直自分には絶望だったり、希死念慮だったりとか、自身の”死”について意識が向いていないために、この物語や主人公の気持ちに寄り添うような気持ちは湧かなかったので)、それというより、俳優たちとファッションの色彩感が好きだった。
北の橋(1981)ジャック・リヴェット @ヒュートラ渋谷
全体的にずっと”変”で面白い。正直おかしすぎるので、観ている間ずっと頭の中で は?やばすぎる~笑 って感じだった。極めつきには、謎の怪獣(あれはおおきな滑り台のように見えたがわざわざこの映画のために作ったのか、どこかの公園にある遊具なのか?)が出てきて、口から炎を吐き出すものだから、思わずツッコミを入れたくなる。しかも思っているよりすごい量でる!めちゃくちゃあつそう。主人公(ビュル・オジエ)でさえも、台詞で「イカれてる…!」的なことを言うのでウケちゃう。わけがわからなすぎて途中気絶しそうになったけど(とくになんか汚い小屋の2階で謎の繊維状のものにぐるぐる捕らわれている辺りはなんだったんだあれ)、最後の最後でKARATEの型の指導がはじまったりするのが最高すぎた。とにかく楽しそうで。ステヴナンおじさん良い~!
囚われの女(2000)シャンタル・アケルマン @ヒュートラ渋谷
なんてったって、ラフマニノフの交響詩「死の島」との親和性よ…。最初から最後まで何度もしつこいほど流れるが、それがめちゃくちゃかっこいい。ラストシーンで主人公(スタニスラル・メラール)が、ずぶ濡れで船に乗って戻ってくる様子は、アルノルト・ベックリンの絵画「死の島」そのものだった。アケルマンの映画の選曲センス、絶妙。
プレイタイム(1967)ジャック・タチ @配信
今年はじめてタチの作品を、まずは「ぼくの伯父さんの休暇」から観てみたのが、ちりばれられたユーモアにクスッと笑えても、どうしてもユロ氏が好きになれず(…)タチはわたしは合わないのかもしれない…と悲しく思っていたのだけれど(センスのいい人が好きだといいがちなので)、「プレイタイム」は、洗練された画、また俯瞰して見ているようなショット、パリのモダンなデザインが目に焼き付いている。ユロ氏がソファに座るたびに鳴る、ある種の効果音が忘れられない。MOTでやっていたジャン・プルーヴェ展で、オフィスデスク、チェアが展示されているところがあって、そこではおもわず「プレイタイム」の新製品展示会のオフィス家具のシーンを想起した。
こわれゆく女(1974)ジョン・カサヴェテス @配信
本当~に最低最悪!大きい声を出さないで!相手の顔の目の前で何度も手を叩くなんて酷すぎるー!と、他のカサヴェテスの作品を見ても毎度毎度ほんと無理…と思ってしまうが、めちゃくちゃ面白い。悔しい。苦しい。カサヴェテスが好きだという人は、映画にでてくる男たちをどういう目線で見ているのだろう?とんでもないやつらばっかり出てくるんだもん。
冬の子供(1988)オリヴィエ・アサイヤス @新文芸坐
思い人の家に不法侵入する映画は良い映画!なんてことを考えているので(これはほぼウォン・カーウァイの「恋する惑星」が好きすぎるが故)、結構好きな話だった。映画が全体的に寒色で、その上女性たちの口紅の銅色が際立っていたのが印象的。あとは、涙をほんとうに綺麗に流すので、わたしもあんな風に涙を流してみたいものだ…と思うなどした。
パリ、18区、夜(1944)クレール・ドゥニ @ジャック&ベティ
主人公カミーユ(リシャール・クルセ)の、仕事先のナイトクラブでのダンスシーン、音楽、そしてある種の官能的な目線あるいは好奇な目線を感じられるカメラワークがあまりにも良く涙が出てしまった!暗い画のシーンが多いので、また映画館でかかる機会があったらもう一度観に行きたい。
ゴダールのマリア(1984)アンヌ=マリー・ミエヴィル/ジャン=リュック・ゴダール @Stranger
ミエヴィル「マリアの本」は、両親の夫婦関係のうまくいかなさの中で窮屈に過ごすマリー(マノン・アンデルセン)の不安定さ、そしてそのストレスの発散の表現が圧倒的だった。マーラーの交響曲9番。ゴダールの方は、ゴダールのこの年代の作品をちゃんと起きて観れた試しがないんだけれども(…笑)、これは比較的に面白く観た。ミリアム・ルーセルのお顔がかわいすぎる。もう他の出演作で観れるやつ観ちゃった。
パリところどころ(1965) @Bunkamura
今年色々なところで1回だけやる、みたいなのが多くて見逃してきたけど、やっと観れた。好きに決まってらあ!というに尽きるのだけれど、観てるとき、ふと、フランス映画の何が(どこが)好きって食事のシーンがたまらなく好きなんだということに気がついた。気怠げにゆで卵をスプーンで割り、大きなお茶碗でコーヒーを飲む朝。チーズや千切られたパン、果物がお皿に散らかっていて、ワインを飲みながらああでもないこうでもないと語り合うアペリティフの時間。メインディッシュで食べるステーキ、そんなちっちゃく切るの?とかスープをスプーンですくって口元に何度も持っていく連続性。等々(他の映画を思い浮かべてしまっている)。全話、面白く皮肉に満ちていて、特にゴダールの「モンパルナスとルヴァロワ」 はもうとにかくやれやれ…というか全体的に最悪で最高なんだけど、男が二人とも違う分野で鉄材を扱ってるってのが個人的にはめちゃくちゃ面白ポイントだった。
エドワード・ヤンの恋愛時代(1994)エドワード・ヤン @TIFF(シネスイッチ銀座)
(心の中で)唸るほど画(構図)がよくて、登場人物2人ずつがフレームの中で永遠に掛け合いをしており、ほんとこういう会話劇って大好きで、もう感無量だった。出てくる登場人物みんなが良くも悪くもステレオタイプで、その性格、人となり どおりのファッションで、非常に面白く観た。映画の感想と関係ないけど、映画祭の雰囲気が良くて、ケラケラ笑って観れたのもすごく良い思い出で、みんなでよかったね〜って言いながら会場を後にする感じってすごく幸せだなあと思うなどした。
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遠く未知からさす光
ヴィル・シェーンハイト2020誕生日に寄せて
「知らないのか? 鏡は、受けた光をはねかえすだけだ」
そう言った少年の金の髪が、夕暮れの幽かな陽光を透かして風に揺れる。
岩山の上だった。眼下に広がる森は既に暗く、陰鬱に山の裾野を埋めている。その向こう、遠くに唯一明るく見えるのは、敷地じゅうに松明のともされた領主の城だ。
金の髪の美しい少年、領主の一人息子は、わざとらしく口の端を上げたハゲタカのように意地悪い顔で笑う。
「だから鏡のなかに死んだ友達がいるなんて、それは錯覚だよ。さみしいお前に似合いの嘘。日が沈んだら光は消えて、独りぼっちに戻って終わりさ」
その嘲笑を受けて肩を震わすのは――ブルネットの癖毛の男の子、あの城の召使の息子。彼はぼろを着た薄い胸に、一枚の手鏡をぎゅっと抱きしめた。
彼のまるい目がうっすら涙をためて、抱いた手鏡を見下ろす。その拍子に涙がひとしずく、鏡の縁どり、瀟洒な銀細工の上にぽとりと落ちる。
「そんなことない」
男の子は泣きながら、それでもはっきりと、意地悪な少年に言い返す。
「嘘じゃない。僕が魔法の鏡に向かって笑えば、いつも笑顔でいれば、あの子はきっと笑いかえしてくれる。僕はひとりじゃない……」
男の子の、薄暮においてもなおバラのように赤い唇が、そう言いながらだんだんとゆがむ。
少年は舌打ちをして、靴のかかとを鳴らしながら、硬い岩肌のうえを猛然と男の子に歩み寄る。
少年の細くしなやかな腕が、男の子の鏡を薙ぐように叩き落とした。
尖った岩にぶつかって、鏡は粉々に砕け散る。
男の子の悲鳴。割られてしまった鏡は、男の子の親友が唯一残した形見なのだと、観客はみんな知っている。
鏡の破片が黒い地面のうえで無数の涙のようにきらきらと輝く。傷つききった男の子は膝をつき、涙を流し、もうどうにもならないと分かっていても、鏡の破片をかきあつめる。
観客もきっとみんな涙する。男の子のふびんな境遇を思って、美しい少年の心無い仕打ちに憤って。
少年はそこで、「自分」も傷ついていることに気がつく。
「カット!」
スタジオに声が響いた。夕日の照明がさっと引いて、入れ替わりに点いた蛍光灯の地明かりが、岩山のセットをこうこうと照らす。ひとりの大人がやってきて、「最高のワル顔だったね」と少年の肩を優しくたたく。少年は「当然よ」と笑う。割れた小道具の鏡がホウキで無慈悲に掃かれ、撮影用の破片が新たに撒かれる。
この後は鏡に閉じ込められていた精霊が現れるシーンの撮影だ。CGでつくられた、主人公の親友にそっくりの精霊が、傲慢な領主の息子をこらしめてくれる。子ども向けのファンタジー映画。
男の子の方は演技で流した涙がなかなか止まらない。自分の感情をもてあまし、戸惑っているのか、スタッフの渡したタオルで顔をごしごし懸命に拭いている。
そんなふうにしたら肌が、と少年が言いかける。それと同時、スタジオの扉が勢いよく開いた。
「ハッピーバースデー!!」
途端、スタジオの音響機器がバースデーソングを流し始める。扉から現れたのは、スタッフの押すワゴンに乗った、平たく大きなケーキだった。消える蛍光灯。撮影用の照明が点いて、やわらかな光で主役を照らす。
主役は突然のお祝いに驚いて――涙に濡れたタオルを握りしめ、りんごのような頬をして笑った。
男の子の笑顔をうつす鏡のように、周囲のスタッフも役者も皆が微笑む。映画のメイキングを記録するカメラが最高のショットを逃すまいと男の子に近づく。
そのカメラに道を譲るため、スポットライトの外側で、少年は一歩うしろに下がった。
少年の手には、鏡を叩き落した時の痛みが、まだひりひりと残っていた。
*
#お誕生日おめでとう
#僕の憧れの人
#そして大好きな友だち
そのタグがついた投稿には一枚の写真が添付されていた。
ログハウス風のかわいらしい部屋。一枚板のローテーブルの上に広げられた菓子。くつろいだ雰囲気にそぐわない、一輪挿しに活けられた濃い赤色のバラ、それがこの部屋の住人ではない誰かのことを思わせる。
ちょうど写真の奥にうつるテレビも同じように、素朴な部屋と不釣り合いな、整った顔立ちの少年を画面に映していた。するどいほどに美しいまなざし。10年ほど昔に作られたファンタジー映画のワンシーンだ。
バラは彼のために飾られていた。
「おや、招かれざるお客人といったところかな」
そう声をかけられ、ヴィルはマジカメを開いたスマホの画面をテーブルに伏せた。顔を上げると、切りそろえた金髪をカーテンのように垂らしたルークがにこにことこちらを覗き込んでいた。
ヴィルのバースデーパーティ会場である寮の談話室では一通りの催しが済み、各々が食事を楽しみながら歓談しているところだった。ヴィルもゲストひとりひとりから祝福の言葉を受け終え、その祝福の言葉とともに供された皿――「誰が寮長に最もセンスよく料理をサーブできるか対決」が一部のポムフィオーレ寮生によって繰り広げられた結果――を味わいながら、今は談話室の奥にひとり腰かけていた。
で、そんな穏やかな時間を過ごしていたヴィルの元へ突然やってきてよくわからないことを言い出すのがルークという男だった。
「招かれざる……何の話かしら? アタシはゲストの全員からちゃんとお祝いを受けとったわよ」
「君のお皿の上の話さ。フラワーベースのそばに置いてあるそれ」
ヴィルの眉が、ぴく、と動く。ルークの指摘したとおり、一枚の皿が花瓶のかげに隠れるような位置へ置いてある。そこには数切れの、赤いりんごの砂糖漬けが残されていた。
ルークはこれをさして「招かれざるお客人」と呼んだらしい。手をつけずにこんな隅へ置いていたせいだろうとヴィルは思う。サーブされた料理のなかでヴィルがこれだけを好まなかった、とルークは解釈したのだ。シロップで煮た果物を白砂糖でコーティングした菓子なんて、たしかに普段のヴィルなら絶対に手をつけない。
だけれどヴィルは、「失礼ね」、とルークの胸を押しのけた。
「いただくわよ。これは――持ってきたのは一年生だったわね、まだまだ教育の必要はあるとしても――アタシへささげられた、賞賛と祝福の果実ですもの」
向けられた思いに報いるのは当然でしょう、とヴィルは続けた。
それを聞いてルークは、「私が間違っていたね」と微笑むと、寮服の裾をひるがえしてヴィルの隣に腰を下ろした。ずいぶんおとなしく引き下がったこと、と思いながら、ヴィルはかすかな違和感を覚える。
ヴィルの性格、他者の厚意を無下にすることをよしとしない考えを、誰より分かっているのはこのルークのはずだ。それなのに、「もらいものだけど食べたくないから残す」、なんてアタシが本気ですると思ったの?
それとも、とヴィルは思う。もしかして見抜かれていたのだろうか。
きっと食べると心には決めながら、見えないようにわざと視界の隅へ追いやっていたのだと。
*
バースデーソングが佳境を迎える。
幼いころ、あの映画を撮影していた時期の記憶だ。
撮影スタジオでサプライズとして開かれたパーティの主役、ネージュは、なんとも愛らしい笑顔をふりまきながらケーキの前に進み出て、ろうそくの火を吹き消した。
拍手。歓声。はじけるクラッカー。記念撮影のシャッター音。おめでとう。おめでとう。
ヴィルも、さっきまで顔にはりつけていた意地悪な笑みをすでに殺して、完璧な笑顔で拍手を送った。ハッピー・バースデー。おめでとうネージュ。
そしてヴィルは、演技の悪役顔だけではなく、この場にふさわしくない自分の感情までもをいっさい殺してしまおうと思った。
どうしてアタシはまた悪い子の役なの?
大切なものが粉々に砕けるとき、壊してしまったほうも傷つくものだ。理不尽な仕打ちのせいで悲しむ人を見たら、当事者でなくても悲しいし、憤ろしいと感じるものだ。たとえそれがお芝居の上の出来事だとしても。
それともアタシは傷つかないとでも思った? ええ、それがアタシの役割だものね。
幼いヴィルはふてくされた素振りを少しも見せず、皆から同情され愛される役、主人公を演じるネージュに拍手を送った。
ヴィルは思う。だってそう、映画の台詞にもあったじゃない。
鏡は受けた光をはねかえすもの。
自分の望んだ仕事ができないからって機嫌を損ねるような、そんなダサいところを見せたら、周りからもあいつはダサいって思われるだけ。理想の自分からますます遠のくだけ。
だからアタシは不敵に笑わなくちゃ。なんともないって顔をして、ライバルの誕生日だって余裕綽々に祝わなきゃ。そうやって堂々とふるまえば、みんなもアタシをないがしろになんてできないわ。
与えられる厚意も好意も、自分から掴み取ったもの。
アタシの光がはねかえってきた結果なんだから。
「ヴィーくん!」
呼ばれて、ヴィルは我に返る。紙製の皿に乗ったケーキのピースが目の前に差し出されていた。
ほがらかな笑顔を浮かべたネージュだった。
「これ、ヴィーくんの分! りんごのケーキだって。すごくおいしそう」
「ええ……」
ヴィルは皿とプラスチックのフォークとを受けとりながら、ケーキを見下ろした。たっぷりの生クリーム、スポンジの間にはさまったシロップ漬けのフルーツ。表面にあしらわれた真っ赤な飾りは、着色料と白砂糖がまぶされたりんごのかけらだった。
自分でも無意識に、そこに含まれる糖質と脂質、それから食べきってしまった場合の摂取カロリー量をヴィルは思い浮かべる。いけない、とヴィルは思う。お祝いの席のケーキよ。
そうだわ、ちゃんと面と向かって、ネージュにおめでとうって言わなきゃ。
ヴィルは柔和に微笑んでネージュを見つめた。
そしてネージュの、あんなに涙でべちゃべちゃに濡れて、そのうえタオルで強く拭かれたはずの肌が――少しも傷まずに白く輝いているのを、目の当たりにした。
鏡の割れる音がした。
予備の小道具を、はしゃいだ子役の一人が壊してしまったらしい。その騒々しさに引き戻されて、ヴィルの視界にもネージュ以外の世界がうつる。ネージュの背後から一台のカメラが近づいてくるのが見えた。メイキング映像の撮影班だ。
ヴィルはいたずらっぽい笑みを浮かべてカメラマンに目くばせをした。
「ねえ、ネージュ。あんた、ケーキのどこがいちばん好き?」
「えっ? えっと、このケーキだったら……」
ここが好き、きれいだから。
ヴィルの突然の質問にもいぶかしむことなく、ネージュははにかみながら、ヴィルの持つケーキに乗った赤いりんごの砂糖飾りを指さした。
カメラには、ネージュが赤い飾りをねだっているように映っていることだろう。
ヴィルはフォークの先にその飾りをとって、ネージュのかわいい口にほうりこんだ。
驚いたネージュは丸い目をきょとんと開いて、頬を真っ赤に染めながら、おしこまれた砂糖のかたまりをおずおずと咀嚼する。
「これくらいしかできないけど、ハッピー・バースデー、ネージュ」
ヴィルは優しく目を細める。ネージュは、行儀よくりんごを飲み込んでから、「ありがとう」と呟いた。本当に嬉しそうに、舌に残る砂糖の味をかみしめるように。
その時、カメラマンがさりげなく親指を上げてみせたのを、ヴィルは視界の端にきちんととらえていた。
ネージュは喜んだ。撮れ高もばっちり。アタシにできることを完璧に、まっとうしてみせたわ。
そしてヴィルは、神様、と思った。
神様、どうか誰にも気づかれませんように。
自分が食べたくないものを、まるでネージュが欲しがっているように見せたこと。ネージュの口にあの砂糖漬けのりんごを押し込むとき、あの美しい肌が荒れて綻ぶところを、一瞬でも想像したこと。
アタシがほんとは悪い子だって、誰にも気づかれませんように。
でも、他の誰かが気づかなくたって同じことだと、本当は分かっていた。
アタシの醜い振る舞いは、鏡の受けた光のように、いつかアタシ自身にはねかえる呪いだから。
*
しゃくしゃくしゃく、と軽い咀嚼音が聞こえた。窓の外、天気のよい寮庭を眺めていたヴィルは、その音に嫌な予感がして即座に振り返る。
「ああ、シロップ煮の砂糖漬けというからヌガーのように柔らかなものを想像していたけれどまったく違った! りんごの果肉のしゃっきりとした食感を残しつつ、甘すぎないシロップで香りが高められている……そこに大粒の砂糖が最高のアクセント。なんて素晴らしい塩梅だろう、さすがはポムフィオーレ寮が代々信頼をおいてバースデーメニューを発注するケータリングサービスだ! 実にボーテ!」
そこまでほとんど一息にまくしたてたルークの手を、ヴィルは無言でガッと掴んだ。ヴィルが置いておいたりんごの砂糖漬けは、今やルークの持つフォークの先で、ほんの小さなかけらになりはてていた。
「アタシ、それは自分で食べるって言ったわよね?」
「言っていたね」
「そのりんご、まだ何切れも残ってたはずよね?」
「実に……」
美味だった、とルークは神妙にうなずいた。はあーーー、とヴィルは溜息をつき、ルークの帽子のつばをペチンと叩くと、フォークを取り上げて最後のひとかけらを口に放り込んだ。
ばかみたい、とヴィルは思った。りんごの砂糖漬けを見ただけで、小さな頃にあった嫌なことを思い出して。それこそ小さな子どもが嫌いな野菜を隠すように、皿を遠ざけたりなんかして。
ヴィルはもう一度細い溜息をついて、そしてあの頃の自分を思う。
ばかね。自分の理想に自分から遠ざかるようなことをして。
だけど安心しなさい、とヴィルは小さな自分に話しかける。
そんなことがあった後でも、アタシはちゃんと頑張ってるのよ。自分のなりたい自分になるために。
それに、とヴィルは、フォークを皿に置いてかすかに笑う。「誰かに気づかれたらどうしよう」なんて杞憂もいいところだった。あの時はみんなネージュとケーキと映画撮影の続きに夢中で、アタシの魂胆を探ってやろうと目論む人間なんて、現場には誰もいなかった。ネージュの口に砂糖漬けのりんごを突っ込んだワンシーンは映画のメイキング映像として残されることにはなったけれど、だとしてもそれは興行的にそこまで成功しなかった作品の、初回限定盤DVDの、特典ディスクの中のほんの数秒間にしか過ぎない。たったそれだけを見て、小さな子どものささやかな悪意を見抜く人間などこの世にはいない。
そう、ネージュが主演をつとめた映画を、特典まで含めて何度も見ていて、更には出演者全員の人となりまで全て把握しているような、そんな変態的に熱心なファンでもいない限りは……
不意にヴィルの背筋が冷える。
ぎこちない動きで視線を横へ向ける。
そこに座っているのは、変態的に熱心な、ネージュ・リュバンシェのファンだった。
「アンタ、もしかして……」
「ん?」
「違うわ。もしかしてなんて言わない。知ってたでしょう?」
ヴィルと見つめあうルークは「何のことだい」とは聞き返さなかった。
ただ無言で、その口のなかに甘いりんごが残っているかのように、機嫌のよい笑みをたたえていた。
にわかに談話室の入口近くがざわめきだした。ポムフィオーレの寮生が「何だね君たちは」と声を昂らせ、人山を築きはじめている。見やれば、どうやら他寮の生徒のうち、命知らずの何人かがパーティのごちそう目当てで乗り込もうとしているらしい。その悶着を、落ち着き払った三年生たちが「何もヴィル・シェーンハイトの誕生日にそんなことしなくても」「長生きしたらいいのにねえ」と鷹揚に眺めている。
「オーララ! 今度こそ招かれざるお客人がご到着のようだ。私が行って話してこよう」
「そうして。で、戻ってきたらアタシの話の続きよ」
ルークは振り向きざまにウィンクして、それから両腕をぱっと広げると、衣装のたっぷりとした袖をはためかせながら騒動のなかへ乗り込んでいった。
「こんな佳き日に争ってはいけないよ! ……おや、君たちはご存じでなかったかな? 今日は美しい天使が地上に舞い降りた日だよ」
芝居がかったルークの台詞を遠く聞きながら、ヴィルは思う。
これじゃあつじつまが合わないじゃない、と。
人の厚意も好意も鏡。自分の振る舞いがはねかえる。アタシの覚悟を受けとめて、きちんと声を返してくれる人には、だから誠意で応えなくちゃいけない。
だから、だから――つじつまが合わない。
アンタの大好きなネージュに、あの時アタシがあげた赤い実。あれは毒だと、アンタは知っていたのでしょう?
それなのにどうしてアンタは、アタシを天使などと呼ぶのだろう。
ルークはまだ戻らない。ヴィルはテーブルからスマホを取り上げた。
ディスプレイをつけると、先ほどまで見ていたネージュのマジカメ投稿があらわれる。彼はご丁寧にも、あの共演映画のワンシーンをテレビにうつした部屋の写真でヴィルの誕生日を祝っていた。
テーブルの上に散らばる菓子。あの子はまたこんなのを食べて、とヴィルは思わず目をこらす。
そして気づく。その中に、赤いりんごの砂糖漬けが置かれていた。
#お誕生日に食べるお菓子
#僕がもらって嬉しかったものたち
投稿のあと、ネージュが自分で追記したコメントは、「あれ? ヴィーくんのお誕生日に、僕が好きなものを用意するのは変だったね」。
誰かが談話室の窓を開けた。食べ物の匂いが風にはこばれて、代わりに四月の緑の香りが部屋へ吹き込む。カーテンがゆるくたなびいて、そのすきまから晴れた春の日の陽光が、ヴィルの座る場所へとさしこむ。
太陽の光。それがあたったところから、ヴィルの肌があたたまる。
それは、どこかからはねかえってきたのでもなく、誰かが頼んだわけでもないのに、ヴィルのもとへとふりそそぐ光の温度だった。
(遠く未知からさす光 了)
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死体袋の記憶
路地裏の夜に女の子が降ってきたから、あたしは驚いた。彼女の真っ赤なドレス、大胆に覗く太腿やアンバーの瞳は薄汚れた街角にはいかにも不釣り合いで、それがドラマの始まりみたいなものを予感させるから、思わず笑った。
「こんばんは」
その唇から日本語が出てくると(顔立ちで期待していたけど)、やっぱり驚いた。水をはじく薄絹みたいな彼女の声と一週間ぶりに聞く日本語が、するりと体にしみこんでいく。
「どうも、こんばんは」
「パリは観光?」
「仕事と半々かな」
「そう。騒がせてごめんなさい。良い夜を」
「いや、あれあれ」彼女が飛び降りたビルの扉が開いて、何人かのいかにも悪そうな男たちが辺りを見回した。彼らはすぐにこっちを指さして、走り出す。それはそれはおそろしい顔をして、夜なのにサングラスなんかして。「ダンスのお相手じゃなさそうだけど」
「だって下手なの。あの人たち」
「あたしが相手しよっか?」
「経験は?」
「なくはない、かな」
そう、とつぶやいてあたしと彼らを見比べると、彼女は言った。「ええ。踊りましょう」
「場所は?」
「任せてくれる?」
「オッケーオッケー」彼らはもうそれなりに近くまで来ていて、その内の一人の見た目に反してふわふわと柔らかそうな金色の髪が汗で貼りついているのを、じっくりと眺めた。「じゃあ、行こっか」
そうして、あたしたちは逃げ出した。ドレスにヒールでも彼女はちゃんと足が速くて、あたしも重たい荷物なんかは持ってなかったから、彼らをまくのはそれほど難しくなかった。あたしは、パリというのは面白い街で、想像よりずっと暑くて(走っているのだから当たり前だけど)、それと、この出会いはけっこう運命的だ、そんなことを思う。
最初に入ったクラブは正直どっちかといえばハズレで、こっちは二人で楽しんでるのに割って入ろうとする人が尽きないのがもうジャマでしょうがなかった。まあ大体は真っ赤なドレスのせいだし、それに、彼女がそういう男を次々に切り捨てていくのは見てて面白かった。
「場所、代えましょうか」
彼女は言う。それから、ハイネケンのボトルを片手に腰を抱こうとした誰かの腕をはねのけて優雅に手を振った。
「詳しくないんだけど、任せていい?」
あたしは答えて、��し出されたミモザのグラスをよそへ押しやる。それから、下品なハンドサインと笑顔を二度と会わない誰かと交わした。
「リクエストは?」
「おまかせしちゃう」
「主体性ないのね、意外と」
「そんなん、いる?」
四つ打ちのリズムやダークブルーのフラッシュライト、そういう強い流れから体を遠ざけると心が落ち着いた。おまけに(たぶんそっちがメイン)、騒音の中で声と一緒に耳に吹きかかる彼女の吐息は、真新しい感覚をあたしに引き起こして、次第に現実を遠ざけた。
「いらないわ。少なくとも、今夜は」そう言って彼女は、あらわな肩に掴みかかったハイネケンの男の腕をひねり上げる。怒声や悲鳴はフロアの喧噪、音楽と混じり合って、すぐに消えていった。「マナーがなってないのね」
「助かるわー」ハイネケンの連れ、カールスバーグのボトルを手にした男が立派な腕を振り上げて近付いてくるから、あたしは足をひっかけて(こぼすと悪いからボトルは貰っておく)、転げた背中を爪先で押さえつける。背骨の特に痛い場所をぐりぐりと刺激すると、彼もすぐに静かになった。「お気をつけて」
「好きなの?」
「アルコールなら大体なんでも」
「私と真逆ね」
「弱いんだ、意外」
「弱いわけじゃないわ」
「あはは、かわいい」いい加減、フロア中の視線を独占しようとしていることがいたたまれなくて、あたしは頭を下げる。どちらかと言えばその視線は味方なのだけど、一歩間違えれば百八十度入れ替わる、そういう兆候をはらんでいる。「ね、お騒がせしましたってフランス語でなんて言うの」
「さあ」彼女は事もなさげに答えると、手を振って、フロアに笑顔を振りまいた。「笑うか泣くか、それで夜は女のものでしょう」
そう言って、彼女はハイネケンの腕を解くと(落ちそうになったボトルを受け止めてカウンターへ返すと)、フロアを後にした。あたしはカールスバーグを解放して(名残惜しいけどボトルはカウンターに返して)、彼女の後を追う。
じりじりと、通路の明かりは明滅した。翻る真っ赤なドレスは、たしかに夜の帳そのものだった。
「へー、カメラマンなんだ」あたしが撞いた手球は小気味いい音を立てて、12番と6番を落とすと、流れるようにポケットに吸い込まれていった。「カメラは?」
「今日はこれ」彼女は(どこにしまってたんだか)スマートフォンを軽く振って、手球を真っ赤な3番の前に置く。コール、ショット、的球を落とした手球はきれいなバックスピンで4番の目の前へたどり着く。「表向きは、ね」
「まあ、黒服に追いかけられるカメラマンってのもね」
「なくはない、と思うけど」
「本業、当ててみせよっか」
「どうぞ」
「女スパイ」
「……残念」彼女は少し笑って、4番をポケットする。ぴたりと立ち止まった手球は、5番とはプール台の半分くらいの距離にあった。「手元が狂ったわ」
「狙いどおりだ」あたしはグラスを傾ける。プールバーなのにここには日本酒が置いてあって、だけどそれは、たった一口で飛びついたことを後悔させる味だった。次を頼もうかとも思うけど、お米の神さまに叱られたくないから、仕方なく気の遠くなるような道のりをグラスと一緒に散歩している。「情報屋だよね。人の嫌がるのか、喜ぶのか、扱うのはどっち?」
彼女は答えずにキューを構える。ルーチンにない深呼吸があって、撞いた手球は的球をかすると台の隅で動きを止めた。
「ラッキー」あたしはグラスをあおって(それでも半分は残ってる)立ち上がると、キューを片手に名刺を渡した。「わたくし、こういうものです」
「……そう、PMC」彼女はまじまじと名刺を見て、そうして、あたしを見つめた。「塩見、周子」
彼女に名前を呼ばれると、おなかの底の方に痺れるような感触が生まれた。鳥肌が立つみたいな、頬が勝手に緩むみたいな感覚の正体は、なんとなく、知っている。
「ご用の際はぜひ」あたしは、11番へ照準を合わせる。そうしながら、これは外れるだろうなあ、そんなことを考えている。「安くしとくよ」
「……情報屋だって、どうしてわかったの?」
「まあ半分はカマかけだよね」
「あとの半分は?」
「おかしなこと訊くんだね」あたしは、ほとんど機械的な動作でキューを振る。手球は的球を捉えると、やっぱりポケットへ導くことなくふらふらと台の上をさまよって、彼女の5番を包み込んだ。「あはは、狙いどおり」
それからふっと思い出してキューの先にチョークを塗ると、白い光の下、彼女の髪が宿す深い藍色をじっと目に焼き付けた。「隠す気なんて、なかったくせに」
彼女の目が、少し震えた。その表情は、うまく友達の輪に入れない女の子みたいで、彼女の心みたいなものを(思い違いじゃなければ)あたしに感じさせる。
「質問の答だけど」彼女は、丹念にチョークを塗る。そうして台の縁に体を預けると、太腿のタトゥー(かボディペイント)が、白い肌の上で鮮やかに踊った。「嫌がるのも喜ぶのも、どっちも扱うの」
「うん」
「けど、やめようと思って」
「そっか」
「それと、ね」
「うん」
「奏。速水奏」そう言って、彼女は水鳥が獲物を捕らえるようにキューを撞き下ろした。手球はぐるりを���を描いて彼女の5番を弾くと、クッションをなぞってポケットへ、優しく優しく連れて行った。「私の名前。ちゃんと覚えて」
それから彼女は一つも外すことなく的球を落としきって、このゲームをものにした。あたしはその妖艶なかたちを眺めながら、次々にポケットに吸い込まれていく色とりどりの球体に、自分の心を重ねた。
ちょっとだけ、調子のずれたバイオリン。主張しすぎるマンドリンと、決して音程を踏み外すことのないアコーディオン。その全部を統制するのは、半分くらい輪っかの外れたタンバリン(実はパンデイロという楽器だということは、後で教えてもらった)。重たげな木の扉を開くと溢れ出した音楽は、決して広くないその店の中で楽隊の形を取ってあたしたちを包み込んだ。
『カナデ、久しぶりじゃない』
『あなたも。肩の調子は?』
『悪くないわ。ねえ、その子は?』
『シュウコ。私の友達』
『よろしくね、シュウコ。あたしはソフィ、隣がマルタ、アデール、ロラン』
「ボンソワ、ソフィ。こちらこそ、よろしゅーこ」
そういうやり取りをして、あたしたちはバーカウンターに座る。それから乾杯をして、ダーツをした。くたびれた木のボードや錆だらけのバレルに高揚して、それと薦められたバスティーユがあまりに舌に合ったから、ぼろ負けだった。あまりにひどい負けっぷりだったから、哀れに思ったロランがビールをおごってくれて、もっと、酔わされた。
「奏ちゃん、もっかい、もっかいやろ」
「そんなに負けるのが好き?」
「あ、ひどい。泣いちゃう」
「ふふ、冗談よ。酔ってるの」
「ブドウジュースで? コスパよすぎる」
「ね、お詫びさせて」
そう言って、彼女は店の隅っこにあったアップライトピアノの前に腰を下ろす。布をたたんで、蓋を開けて、鍵盤を叩くと明らかに調子の狂った音が飛び出した。だけどそんなこと気にせずに、彼女は弾き始める。跳ねる、飛ぶようなリズムと切れ切れの陽射しみたいなメロディに熱っぽい歌声が混じって、楽隊がそれに応えた。
彼女は鍵盤を叩いて、不意に止めてはあたしを潤んだ目で見つめたり、ウインクを飛ばしたりした。だけど歌うことは決して止めようとせず、あたしは歌や音楽、太陽とか愛、たくさんの神さまを彼女に見つけた。
とうとう我慢できなくなって、辺りを見回すと壁にくたびれたアコースティックギターがぶら下がってたから、あたしはマスターにそれをせびる。彼のジェスチャーにしたがってビール(聞いたことのない地元の銘柄、信じられないくらいおいしかった)を一杯頼むと、ギターを受け取る。ほこりを拭いて弦の錆は諦めて、耳で合わせた音は少し上ずってたけど、そのずれは彼女のピアノとぴったり重なって運命みたいに響いた。
二、三曲歌ってから、あたしはギターを返して彼女を手招きする。それで彼女には全部が伝わって、立ち上がるとあたしの手を取って、ダンスが始まった。楽隊を従えたあたしたちはステップを刻んで、手を繋いだり離したり、抱きしめて、抱きかかえられてくるくると回ると見上げた天井が透明になって、天の川みたいな光帯が夜空に浮かんだ。あたしは驚いて、同じように彼女を抱きかかえてくるくると回ってみせた。待って、と彼女が言うから足を止めて、どうだったと訊ねる。すると彼女は「きもちわるい」と答えたので、あたしは大声で笑った。「バカ」と肩を叩かれながら、音楽に合わせて手拍子をして、その合間に彼女のブドウジュースを一口もらう。それは本当に甘くて、かすかな酸味は朝日のように鮮やかで、最高においしいと伝えると、「でしょう」と彼女はあかくなった頬を緩めた。それで、彼女が完全に酔ってしまったとわかったし、あたしはすっかり彼女に落ちているとわかった。
真っ暗な彼女の部屋に入ると、呼吸より先にキスをした。彼女の中には肌からは想像できないくらいの熱があって、あたしは溶かされてしまわないために懸命におなかに力を入れる。キスをしながらふらふら、壁やテーブルにぶつかりながらどうにかベッドに倒れ込んでやっと、唇を引き離すことができた。
「お酒の味」彼女はあたしを見下ろして、あたしの首を撫でながら言う。
「探してよ」あたしは彼女に見下ろされながら、彼女の髪に指を絡ませる。
「何を?」
「あたしの味」
「見つけたら?」
「もっと、奥までさわって」
それからまたキスをすると、彼女は内腿に隠していた銃をカーペットに落とした。あたしは応えて、腰に隠していたナイフを放り投げた。銃とナイフはカーペットの上で重なると一度だけ鈍い音をたてて、黙り込む。あとは、体が混じる音だけがよく聞こえた。
目を開くと、下着を着ける背中が目の前にあったから、しばらく眺めた。彼女の肩甲骨あたりには蝶のタトゥーがあって、それは彼女が動くたび、羽ばたくみたいに上下した。
「お酒は?」少し掠れた声で、彼女は訊ねる。
「平気、呑まれるような飲み方しないし」そう言って、あたしの声の方が掠れていることに気づいた。「水、水」
「どうぞ」
「ありがと。お金は?」
「部屋代、多めに置いておくから」
「じゃあ、あたしも。迷惑かけるし」床に脱ぎ散らかしていた服を拾って、慌ただしく着て、サイフからお札を十枚くらい取り出してサイドテーブルに置く。それから、ペットボトルの水を半分飲んで差し出すと、残りは彼女が一息に飲んでくれた。「相手、何人だと思う?」
「……六人、かしら」
「あたしは七人」
「合わせるわ」
「オッケー」
あたしはナイフを、彼女は銃を拾い上げる。カーテンの隙間から忍び込む街の明かりが、真っ赤なドレスと小さな拳銃、彼女の姿を浮かび上がらせた。
「巻き込んでごめんなさい」彼女は、言う。「情報屋なんて、嘘。私、人を殺して生きてる。あなたに会う前にも人を殺したわ。それでも、人を殺した後でもお酒を飲んで笑えるような女なの」彼女は続ける。廊下には、少しずつ近付いてくる血や煙の気配がある。「けど、やめようと思って、意味も知らずに人を殺すなんてうんざりで、ある組織を頼ってパリに来たの。そこでなら、きっと意味を持って引き金を引けるから」
まだ、たどり着けてないけど。そう言うと、彼女の唇は自嘲に歪んだ。あたしは、そんな顔は彼女に似合わないと思うから、答える。「知ってるよ」怪訝そうに見返す彼女へ、続けた。「魅惑の奏、ちゃん」
光より速く(それは言い過ぎだけどたぶん音よりは速かった)彼女が銃口をあたしの額に向けたから、あたしも反射でナイフを彼女の喉もとに添える。しまったと思ったのは、そうしてからだった。
「どうするつもり?」あたしは訊ねる。
「あなた次第よ」彼女は答える。
「じゃあ、お言葉に甘えて」あたしは左手から力を抜いて、ナイフを手放す。落としたナイフが床に突き刺さっても彼女が目線を外さないのをいいことに、ゆっくりと照準から頭を外して、それから、銃を構える彼女の手のひらにそっとキスをした。
まるで予想していなかったのだと思う、彼女は呆然とされるがままで、ふっと夢から覚めたみたいに目を開くと、頬を赤らめる。あたしはあたしで、ずいぶん気取ったことをしてしまったから、気恥ずかしさで顔が熱かった。
「ごめんね、奏ちゃん。あたしも嘘ついてた」あたしは言う。「PMCじゃなくて、ヤクザ。わかるよね、ジャパニーズマフィア。あたしも同じだよ。人を殺した、その帰りに奏ちゃんと出会って、飲んで踊って、キスした」あたしは、続ける。廊下の気配はもう、押し隠す足音や声に変わっている。「あたしには、大好きなご主人様がいる。家族みたいな、もっと大事なその子のために人を殺すのは、普通の幸せじゃないと思うけど、あたしには幸せなんだ。だから」
その続きを言おうとすると、喉の奥が詰まった。あたしはナイフを拾い上げて、その重みや鋭さに心を重ねて、どうにか続けることができた。
「だから、お別れ。あたしたち一緒にいられないし、奏ちゃんは、きっとそんな人に出会えるよ。あたしには、わかる。すっごく、よく」
じゃあね、と立ち上がると彼女に袖を引かれた。引き留める細い指先���愛おしくて、たまらなくなった。
「……行くの?」
「そうするよ。魅惑の奏、ちゃん」
「ちょっと」あたしが思わず笑うと、彼女はあたしの手の甲をぎりぎりとつねって、ちぎられるんじゃないかと思うくらい痛かった。「人が勝手に呼んでるだけよ」
「はー、ごめんごめん……信じるから、大丈夫」
「本当に?」
「ほんとほんと」
「そう」
納得したかはわからないけど、彼女は頷いて優しく笑うと、言った。「さようなら、周子」
「うん。さようなら」
「露払い、お願いしていい?」
「安くしとくよ」
「足りるかしら」
「ツケでいいよ」あたしは、ドアノブに手をかける。もう一度振り返って、真っ赤なドレスやアンバーの瞳を目に焼き付けたかったけど、キリがないからやめにした。「いつか、奏ちゃんの意味であたしを殺してね」
扉を開けて、閉じて、ほとんど素人みたいな黒服を六人(正しいのは彼女だった)できるだけ辺りを汚さないように始末して、ホテルを後にした。それから、三ブロックくらい歩いた街角のバイオリン弾きの演奏を聞いて、お札を一枚放り込んだ。彼が「ボン・ボヤージュ」と言ったから、あたしは「ありがとう」と答える。そうして、もう遠く離れてしまった彼女へ言う。「いい、旅を」
(several years later)
彼女はあたしの死体を真っ黒な死体袋に詰め込んで、私が始末しておきます、と言った。
連れ立った人と少し言葉を交わして、どこかへ電話をかけると、真っ赤なオープンカーを走らせた。死体袋はリアシートの下に隠されたけど、あたしには過ぎていく景色がよくわかった。
パリを出てオルレアンへ、クレルモン・フェラン、リヨンを過ぎてたどり着いたアルプスの麓、誰も来ない静かな林の奥、彼女は死体袋を土に埋めた。あたしのナイフで削った木の十字架に彼女の銃をひっかけて、振り返ることなく去っていった。
それから何度か季節が巡った頃、彼女がここを訪れた。それはちょうど春で、あたりには色とりどりの花が咲いていた。彼女は朽ちてしまった十字架やぼろぼろのナイフと銃、それと土の下の今はもうない死体袋に向けて祈った。そうして、ひときわ大きな白い花に口づけて、「あなたも」と答えた。
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2021/7/24
朝、目覚ましより先に目を覚ます。相変わらず遠足が楽しみで早起きしてしまう子どもです。すると雨が降りはじめ、なぬ! と思っていると、すぐに雨は止んで、むしろ陽射しが窓から注いでくる。浮きうきで支度をしていると、Nから連絡が来ている。Tが美容室に行くから午後からにしてほしいと。それならカリー食べられるじゃん、となり、予定通りに家を出る。今日も積雲の多い晴れ。上昇する夏のイマージュ。熱気球や光のきらめきを感化しながら、ふたりに会えるのが楽しみで仕方ない。
オープンと同時にOさんのお店に入る。今日は早いですねって驚かれる。この時間はいつもお客さんが少ないらしく、ほんとうにひとりもお客さんがやってこない。久しぶりに音楽談義に華を咲かせる。一昨日ひさしぶりに聴いたAC/DCが凄いかっこよかったってはなしから、Oさんは意外にもAC/DCの大ファンだと知れる。こう言っちゃあれですけど、AC/DCってバカのひとつ憶えっていうか、そんな感じだからバカにされがちだと思うんですけど、あの潔いギターがかっこいいですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、アンガス・ヤングって腹くくってギター弾いてるんですよね、そういう姿勢に惹かれるんですよ、どの曲も同じような感じなんですけど、ある意味でミニマルミュージックなんですって、かなり良いことを言う。ものすごく共感する。アンガス・ヤングのように腹をくくっているギタリストをもうひとり思い付き、キース・リチャーズもそんな感じですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、僕のなかではアンガスとキースは同類ですね、キースのギターもミニマルミュージック、ひとつのことをどこまでも突き詰めた職人芸ですよねって。お客さん、ほんとうに一人もやってこず、音楽談義が白熱する。
湘南新宿ラインで待ち合わせ。毎度のこと待ち合わせがめちゃくちゃ下手くそなわれわれ。時間を過ぎても誰とも会うことができず、平行世界(パラレルワールド)のことを考える、じぶんだけがいま待ち合わせの存在していない世界線にいるのではないか、と。偶然会うことは得意なのになぁ。そしたらNから連絡が来ていて、Nの居るらしいプラットホームの場所に向かう。Tにも連絡をする。遠足スタイルのNにようやく会うことができる。TからはOKサインがきている。ところが待てども待てどもTの姿が見えない。乗るつもりだった電車が行ってしまったそのあとすぐにTがひらひらとやってくる。バッド・タイミングすぎて、ある意味でグッド・タイミング。そんなのも関係なくTが久しぶりのNをわぁーーっと抱きすくめる。こんな光景を見られただけで大いに大満足で、わざわざこれから海に行かなくてもいいくらいに今日という一日を達成してしまう。これは勝手な偏見かもしれないけれど、ふたりはいい意味に左右対称というか左右非対称で、たぶん、おたがいに自覚していない長所をそれぞれに強く持ち合っている(コントラの感想もきれいさっぱり真逆だったし)。だから、ふたりが一緒にいると最強(最狂?)という感じがするし、ふたりはほんとうにいい友であると思う。
湘南新宿ラインのボックス席、昨日セブンでNに教えてもらったアンダー・ザ・シーをTも知っているかどうか5月8日のピアノの録音をTにも聴いてもらう。録音の日付を見ながら2カ月以上も気になり続けていたんだなぁと思う。電車で音が聴こえ辛いこともあってか、Tはまったくわからない模様。Nにも聴いてもらうと、すぐに昨日のあれねっとなる。Nとふたりでメロディを口ずさんでTに聴かせる。そんなこんなでディズニーやジブリのはなしになる。すでに何回も観ている映画にコメントを付けたり、ツッコミを入れながら観るやつやりたいなぁと思う。窓の外は積乱雲がものすごい。移動の時間が大好きだなぁとあらためて思う。どこかに行くっていう目的も目的でいいけれど、それに伴う移動の時間は目的に付随する二義的なものではなくて、むしろ、移動の時間のなかにこそ目的の限定的な立場からはみ出してそれを包摂するような自由な豊かさがあるような気がする。究極的には行って帰ってくるだけで充分なのかもしれない。
京急線に乗り換える。新幹線スタイルの座席、しかも、先頭車両の一番前の座席がロマンスカーのような展望座席になっている。生憎、展望座席は埋まっていて、後方の席に三人横並びで座る。トンネルの多い路線、トンネルの影のアーチが見えてきて、列車がトンネルの外に走り出て車内がそぞろ明るくなるたびに『恋恋風塵』の冒頭のショットを思い出す。Nは席を離れて、展望座席の後ろから展望窓の風景を覗いている。Tが今日のNちゃんの後ろ姿って小学生の遠足みたいだよね~って。前々からNが何かに似ていると思い続けてきて、ついにこの謎が解けた、トトロだってことを打ち明ける。展望座席が空いたから、そっちに移動する。窓の外は積乱雲がものすごい。線路の周りは緑にあふれ、山間の町並みは茶畑のように段々に家々が連なっている。遠くのほうに海が見えてきそうで、なかなか見えない。停車駅のひとつで、Tがその町並みを眺めながら、すごーい外国に来たみたいって。それは言い過ぎかってすぐに撤回する。大笑いしながら、まあ、イオンあるからねって。ついに車窓から海の濃いブルーが見えて三人とも大はしゃぎ。
三崎口駅に到着。電車から降りると、線路の途切れる終着地がある。バスで水族館に行く。���着点の水族館の名前のバス停で下車すると、空き地みたいなところにマリモをでかくしたみたいな変な植物たちが疎らに群れをなしている。なにこれかわいいと三人とも大興奮。植物が生えているというより、植物のような動物がジッと立ち止まって群れをなしているというほうがピンとくる。もののけ姫のこだまみたいな感じでジッとこちらの様子を窺っている。基本的には疎らに群れをなしていながら、三体がぴったりくっついて仲良し三人組みたいになっているのもいる。マリモのなかからエノコログサが飛び出ている。Tが夜になったらきっとここには誰もいないよ、みんな森に帰っちゃうんだ、みたいのことを言う。大笑いしながら、ほんとうにそんなふうに思われる。水族館のバス停のはずなのに、水族館はまだ先にあって、しかも、けっこうな距離がある。なんで水族館の前まで行ってくれないのって何度もブーたれる。入園してすぐ、でっかいアシカが眠っている。アシカってこんなにでかいんだってびっくりする。Nはアシカにも似ているような気がする。なんだろう、ヒゲの雰囲気がそう感じさせるのかな。まずは、当水族館の押しであるらしいカワウソの森に行く。想像とだいぶ違っていて、カワウソも一匹しか見られず、ちょっとショックを受ける。自然公園みたいなところに野生のヘビに注意の看板が出ていて、さっそくハンターことTの心が燃え上がっている。ヘビ捕まえていいの?! って言うから、野生のヘビならいいんじゃないって。水族館の屋内に入る。入口のところにサメの口の骨のとげとげしい模型があって、すぐ近くまできて、その大きさにびっくりして思わず仰け反るような姿勢になると、Nになんで~って突っ込まれる、ずっと見えてたのにって。いや、近くまできたら思ったよりでかいのにびっくりしてって弁明する。館内に入るなり、いきなりでっかいチョウザメがいて目が点になる。数体の古代魚が水槽のなかでゆらゆらと身を踊らせている。それから個々の小さな水槽を順番に見てまわる。大勢の魚がスクランブル交差点のように錯綜と泳ぎまわっている水槽で、TかNのどっちだったかが全ての魚たちが誰ひとりとしてぶつかることなく泳ぎまわっていることに感心している。チンアナゴがエイリアンみたいな動きでおもしろい。二階に上る。二階は円形の壁沿いにぐるっと大きな水槽が張り巡らされていて、魚たちが回遊できるようになっている。水槽の上からは太陽の光が注いでいて、フロアのあっちこちに光や虹のきらめきが踊っている。サメが特に目を引く。凶悪そうなギザギザの口に、何よりも眼球がひっくり返ったような冷徹な目。鼻に瘤のようなものを付けているサメがいて、あれは何だろうとしばらく後を追ってみるも、よくわからない。ノコギリザメがいて、ふたりにも声をかける。ノコギリザメはけっこうかわいい感じ。見にいくとノコギリザメは泳ぐのやめて、ジッとこちらの様子を眺めている。その瞳の動きで三人を順番に見渡しているのがわかる。ノコギリザメから離れると、ノコギリザメのほうも泳ぐのを再開させる。一階に戻ると、シマ吉くんの催しが行なわれている。魚も芸を覚えることにびっくり仰天。シマ吉くんかわいい。館内を出て、キムタクみたいなペンギンを見に行く。からだを唐突にブルブルッと震わせたり、羽を暢気にひよひよさせたり、ペンギンの動きには変なメリハリがあって見応えがある。そしたら、一羽だけ気ちがいのようにからだを意味不明にくねらせながら泳いでいるペンギンがいる。意味不明に水飛沫を立てるその一羽に三人とも釘付けになる。Nが私もこんなふうに動いてみたいけど人間だからなぁ、みたいなことを残念そうに口にする。でも、Nはたまにいきなり唐突に、衝動的に常軌を逸したような動きを見せるよなぁと思う。件のことで警察署に行くまえ、小川のところで連絡待ちしているときに、いきなりNがわあああっと手に持っていた葉っぱを小川に投げつけたのはほんとうに美しかった。いったん駅に戻って、三戸浜を目指すことにする。なんでバスは水族館の前まで来てくれないんだって相変わらずブーたれながら歩いていると、車がきて道を開ける。車が過ぎて、遠いバス停に向けて再発進しようとすると、Nがいきなり手に持っていたエノコログサをわああっと振り乱しながら急接近してきて、うわわわっと腰を抜かしそうになる。なんで、なんで、いきなりそんなことするの?! Nは悪い笑みを浮かべ、だってKさん、とここでいったん絶妙な間を置き、素直にそのことを言うべきか言わないべきか迷っているような、あえて間を置くことでそのことを強調するような感じで、ビビりなんだも~ん! って。この野郎、ひとをバカにしやがって、いつかぜったい仕返ししてやるからなって心に強く思いつつ、ほんとうに最高だなって思う。ビビりなんだも~ん! いままでNからもらった言葉でいちばん嬉しいかもしれない。
バスで駅に戻り、三戸浜を目指す。収穫が済んで畑にきれいに整列しつつも朽ち果てている植物たちの残骸をTが戦時中の死体のようだと形容する。あるいは向日葵の蛍光色の質感、夜になったら光り出しそう。子猫の亡骸。急に夏の終わりが顕在化する。いまが夏でよかったと思う、すぐに骨に還ってしまうから。Nが持ち歩いていたエノコログサを子猫に捧げる。持ち歩いていて、よかったなぁと心の底から思う。ねこじゃらしはそこらへんにも普通に生えていて、すぐにでも摘んでこられるけども、これは人間側のエゴかもしれないけれど、大事に持っていたそれを捧げるというのはせめてもの救いになる。意気消沈しながらも海への歩みは止まらない。海への入口の畦道を通り抜けると、大きな海が広がっている。夕陽を受けた波のまにまが橙色の光のすじを浮かべている。三人とも大はしゃぎで海のほうに駆けてゆく。サンダルのNが早速パンツの裾をたくし上げて海のなかに入っていく。勢いのある波を受けたNがこっちへ振り返って驚きと喜びの入り混じったようなとってもいい笑顔をみせる。さらにずいずい海のほうに身を入れてゆく。Nのからだが踊っている。このあいだと同じくらいの時間なのに波の寄せ方がぜんぜん違っている、浜のかなり深いところまで波が来ていて、くつで歩ける場所がほとんどない。そればかりではなく、このあいだは空の高いところにずっと見えていた月がどこにも見当たらない、昨日の感じからして今日はおそらく満月だろうと思われるけれど。じぶんもスニーカーと靴下を脱いで波打ち際を歩く。波はけっこうな勢いで、裸足だからと油断していると下半身がびしょ濡れになってしまう。びしょ濡れになって色々諦めたらしいTがサンダルを脱いで裸足になる。Nも裸足のほうが気持ち良さそうとサンダルを脱ぐ。まずは廃墟を目指す。でっかい丸太が波打ち際に落ちている。海のほうに蹴ってみるものの、重すぎてぜんぜん動いてくれない。それだというのに、ひとたび波が丸太に届くと、波はいとも簡単に丸太をさらって、さらに次の波が丸太を波打ち際に叩きつける。あっぶな! と三人で丸太をよける。Tが海の殺意を感じるよーとはしゃいでいる。波打ち際をずいずい歩いていると、後ろのふたりから何これすごーい! 魔法使いみたいって歓喜の声があがる。何かと思えば、じぶんの足が濡れた砂浜に触れるたびに、フワッと空気の膨らみのようなのがあたりに拡がっている。まさに魔法使いが歩いているかのよう、もののけ姫のシシ神様の歩き方みたいってはなしにもなる。波の勢いにかなり苦戦しながらも廃墟が近づいてくる。廃墟の辺りを境に砂浜が岩場に変わっていて、岩にぶつかった波が壮絶な潮砕けとなって舞い上がっている、絶句して、ゴクンと唾を飲み込む。廃墟に到達。Tからもらったウエットティッシュで足の砂を落として靴下とスニーカーを履き直す。いざ、廃墟に潜入! 底の抜けた階段の脇をロッククライミングのように慎重によじ登る。続いてTも。続くNが半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、この次どこに足をもっていったらいいのー?! って。どうにかこうにか登りきる。廃墟にもかかわらず落書きなんかがいっさいない、純然たる野生の廃墟。下から見る限り、底が抜けそうな感じがしたけれど、踏んでみるかぎり最初のフロアは問題なさそう。ところが、その先に伸びている廊下は底抜けしそうというより、すでに床の木肌がひび割れて底が見えている。あっぶな! と咄嗟に引き下がって、そばに来ていたTにも注意を促す。ここで行きにも少し話題になった(そんなことはすっかり忘れていた)Nの「ばけたん」なるお化け探知機がついに初お目見えになる。「ばけたん」が赤く光れば悪霊がいる、青く光れば天使がいる、緑に光れば平常でとくに何もない。どう考えても赤く光りそうなシチュエーションでありながら、どういうわけか青く光る。底抜けの大丈夫そうな場所をひと通り探索して外にもどる。出るときもNは半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、どうにかこうにか地面に帰ってくることができる。続いて洞窟。入り口の岩場にはでっかいフナムシが無数に蠢いている。ふたりから虫がだめなのに、なんでフナムシは平気なのって不思議がられる。セミが夏の天使なように、フナムシは海の天使だからって思っていることを素直に応えながら、でも、だとしても何で平気なんだろうって不思議に思う。ひとりでは怖すぎて一歩しか中に入れなかった洞窟も三人いれば心強い。スマホのライトで先を照らしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、中のほうに入ってゆく。洞窟の側面にも天井にも隙間なく無数のフナムシが蠢いている。Nがここでも「ばけたん」を発動させてみる、結果は緑の光。洞窟は大広間の先に細い小路が続いている。その入口まで行って引き返そうとすると、Tがこの先まで行ってみようよって。もう無理、もう無理、これ以上は無理って断ると、さすが度胸のあるTはひとりで小路に入ってゆく。小路の突き当たりまで行ってもどってくる。小路の突き当たりはさらに左右に枝分かれしているらしい。
夕陽は海上の雲にのまれ、空は暗くなりつつある。岩場をさらに進んでゆくと、一人キャンパーが三組だったか四組、おたがいに微妙に距離を取りながら座っている。焚火のいい匂いがする。岩場にはフナムシなかにカニもたくさんいる。そんな岩場の一角にどんなカニとも比べものにならないでっかいカニをTが発見、すぐさまハンターの心が燃え上がり、捕獲に向かう。カニの捕まえ方なんて知らないよ~(だったらヘビの捕まえ方は知っていたのか……)と弱音を吐きながらも果敢にカニに立ち向かってゆく。数分の格闘のすえ、見事にカニを捕獲、持っていたビニール袋に入れる。Nはその場に腰掛け、じぶんは岩場の先端のほうまで行き、Tはその中間くらいから三者三様に暮れてゆく空と海を眺める。岩にぶつかる波の潮砕けがもの凄い。しばらく経って、Nのいる地点まで戻ろうとすると、Nが大きく手を振る、大きく手を振り返す。ふたたび三人が集まると、Nが家が恋しくなっちゃうって泣きそうな声で言う。たしかにそうなのだ。こんな最果ての辺境で、しかも、もうすぐ夜が来ようとしている。どうして、じぶんはいつもこんなところにわざわざひとりで赴いているのかってことをこのとき初めて考える。それからNがいい写真撮れたよって、ふたりがそれぞれに海を眺めている写真を見せてくれる。そろそろ帰ろうか、来た道を引き返すことにする。廃墟の辺りで海を離れて、上の道路を歩くことにする。Nだけ足の砂を落としていなくてどこかで洗いたい、いちどは海に下りていこうとするけれど、あいだには砂浜があるから海で洗ってもまた砂だらけになってしまう。きっと、そこらへんに水道があるでしょってことになり、そのまま上の道路を歩いてゆく。しばらくすると、マリンスポーツの拠点みたいな施設がある。水道はありそうでなくて、人間はじぶんたちを除いて人っ子ひとりいない。そんな施設のさなかに芝生のお庭がある。芝生のお庭になら水道あるでしょって探すけど、水道はどこにもない代わりに芝生の隣に敷居に囲われたプールがある。その敷居は簡単に跨いでいける感じで、だあれもいないし、あのプールで洗っちゃえば。Tが敷居を跨ぐまでもなく普通に入口を発見して、勝手に入口の鍵みたいのを開けて中に入っている。足を洗ったNがプールの水すごいきれいだったって戻ってくる。ふふ。とうに日は暮れて、暗い夜の山道を駅に向かって引き返す。Nが暗いよぉ、怖いよぉと頻りに泣きそうな声で連呼する。そんなつもりじゃなかったけども、仕返しを無事に達成。Nのスマホのライトでできるでっかい影。とりわけ樹々の左右から覆い被さる真っ暗な坂道、ここで「ばけたん」をやってみようになるけれど、Nのかばんから「ばけたん」が消失してしまう。どこかに落としてきちゃったかなぁ。自動車のヘッドライトからほとばしる影に驚いたりしながら、街灯のある明るいところに移動して「ばけたん」の捜索。かばんを隈なくひっくり返しても見つからず、「ばけたん」の性能には半信半疑ながら三千えんのお買い物がたったの二日で消失してしまうのにはさすがに気の毒な感じがして、色んな可能性を示唆していると、かばんのポケットのひとつから「ばけたん」が発見される。よかったぁ。その場で「ばけたん」を発動させると緑色に光る。山道を経て、畑道のところまで来ると、びっくりするぐらい赤い光線を発する怪しい満月が空のかなり低いところにのぼっている。Tがどこかのタイミングで(たぶん廃墟だったかな)口走った『夕闇通り探検隊』の一言が胸に突き刺さる。月のなかを鉄塔の陰翳が横切る。
帰りの電車でも頻りに「ばけたん」のはなしになる。乗換駅でも発動させてみる。緑色。廃墟でいちどだけ出た青以外はぜんぶが平常の緑色を示す。Nから、こんな胡散臭い商品なのに何��か高評価のアマゾンのレビューを見せてもらう。それでもまだ胡散臭さは拭えなくて、いっぽうで廃墟のときだけ色が変わったことがどうも引っかかっている。帰り際になってNがぽろっと口にした「乱数の偏り」という言葉にアンテナがビビッと反応して、これはきっと何があるぞと思う。帰ったらじっくり調べてみようと心に決める。
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2020年のメモ
2020年
1月3日、ロング・ショットを見てニコニコする。女性大統領……と遠い目になっていたけれども、今振り返るとトランプが落ち、カマラさんが登場した。
1月17日、地質年代「チバニアン」が正式決定。2019年に千葉美術館に「目 非常にはっきりとわからない」を見に行っていた。小・中・高生無料だったので、ティーンでにぎわっており、現代美術インスタレーション場面で「なにこれキモい!!!」というすごく楽しそうな叫びを聴き、とても楽しかった。チバニアン……。モノレールで美術館まで行こうとするも、なぜか全然美術館方面に行くモノレールに乗れず、数十分行ったり来たりして諦めてバスで行った。雨が降っており、寒く、だけど行って良かった。
1月、ラジオで武漢のニュースは聴いており、このころはまだ「マスクを常時つけてもそんなに効果ないかも」みたいな発表がされていた。
2月5日、ダイヤモンド・プリンセス号の話が出てくる。街中で「⚪︎⚪︎さん横浜に住んでるんでしょ、えー、もうかかってるんじゃない!?」等の酷い言いようが聞こえてきてびっくりした。
2月9日、パラサイトがアカデミー作品賞受賞。コクソンのファンジョンミン・ダンスを踊り祈りを捧げてよかった。私の2019年の映画納めはポン・ジュノとソン・ガンホと吉沢亮さん登壇のパラサイト上映だったので、ホクホク。キャッツの格好で出てきたレベル・ウィルソンのことばかり覚えている。ビリーちゃんも出ていたはずなのに…
2月19日、森友の籠池さんに実刑判決、教育勅語を子どもに読まさせようとする大人なんて思想としては最悪だけれども、ついこの前まで仲良くしていたのに口封じに逮捕するという安倍、クズというのは底がぬけきっているのだなと思う。
2月28日、小中高校一斉休校。マジかよ。木曜日に言うのかよそれを。
3月9日、チャーリーズエンジェルを見て冒頭から泣く。本当はダメだけど!と言いながら、劇中でも大事って言ってたし、と言って友達とハグ。
3月15日、何もかもめんどくさくなりミッドサマーのディレクターズカットをプレミア席で。歌唱に気持ちよくなってしまいとてもぼんやりといい気持ちになる。
3月14日、高輪ゲートウェイとかいう滅茶苦茶な名前の駅ができる。今でも山手線車内で「たかなわげーとうぇい」と表示されるたびに馬鹿なのかと思う。うぇい って駅名につけてんじゃねーぞ。
3月27日、デッド・ドント・ダイの先行レイトショーを泣く泣くキャンセル。この週末から映画館が閉じた。美術館も閉まった。
美術館と映画館とライブのない東京にはなんの価値もない。
あまりにも悲しいため、どうぶつの森に花を植えまくり火を焚きクマを燃やすことにする。
みんな家にいて島に住んでいたため、ミッドサマーのマイデザインなども活用し、いっぱい遊びに来てもらう。
4月、マスク配るとか言い出す、いらない。お肉券とかお魚券をくばられそうになる、ふざけるな。ほぼどうぶつの森で暮らす。
5月30日、閑散とした山手線に乗り、閑散とした日比谷公園の硬いコンクリートに尻を攻撃されながら友達と「どうぶつの森」をやる。同時刻、賭け麻雀をしてた黒川さんの処分への抗議で日比谷公園で「黒川杯」が行われていたことを知り、遠目で見たかったな~と思う。
大人がコンクリートの椅子でどうぶつの森をやり続けると翌日腰痛で大変しんどいことになると知る。
BLM運動がアメリカで起きる。日本の入管、海外から来てくださってる人への賃金や待遇やハラスメントの問題、差別についてとても辛い気持ちになる。
5月25日に緊急事態宣言というなにかが解除されていたが、2020年年末の感染状況はよっぽどひどく、あれは本当になんだったのか、というかなぜ今何も対策がなされていないのか。
6月6日、デッド・ドント・ダイをやっと見る。左右前後空けの映画館は快適すぎる。待ちに待った映画だったが、何故切ると粉になるのか。でももはや何でもいい、おかえるアダムドライバー。
6月20日、「はちどり」を見て号泣。エンドロールがアベンジャーズばりの長さじゃないと泣きやめないじゃないか、と思う。
夏至なので花輪を持ち肉を焼いた。ダニー、あなたに負けないぐらい燃やしてみせるわ。
6月25日、また映画館が閉まったらたまったもんじゃねぇと思いまたはちどりを見る。上映後、友達にチヂミ食べたくない?と聞いたら食べたい!!というので下調べしていた店でチヂミを食べる。
7月1日、レジ袋有料化。ほんとうにこの手指消毒しまくりの時期にやるべきことだったのか。疫病が流行る中、台風などの災害が来たらどうなるのか等は環境問題に直結しており、考えるべきところだと思うけれども、今そこからなのか。
菅さんは温室効果ガス実質ゼロ(菅さん本人は「こうしつおんかガス」と言っていたので本当はそこまで深い関心がないのではないのかという疑念もある)の名の下に、ただ単に原発を再稼動したいだけなのではないかと思う。
実際そのようなことを言っているが、原発により今も人が住めない土地を生み出し、海を汚染し、土地を汚染する原発が環境に優しいわけがない。わけがないのに。
あとまず沖縄の埋め立てを止めろ。あの地盤では完成なんてしないのに。なんのために海を、生物を
8月21日、ブックスマートを見て最高の気持ちになる。(感想:ガールズはもう死なない https://tamanine.tumblr.com/post/627348421934776320/ )
来週安倍が辞めるに1パピコ賭ける~~!と言う。3年以内に逮捕にもう1パピコ。
8月28日、安倍辞任。パピコまだ食べてない。長い、長かった……
10月10日、友達とプレゼント・ラフターを見る。超面白かった。カーテンコールで拍手するべきだった。アンドリュー・スコットは至宝。フリーバッグs2とモダンラブep7をみんなに見てほしい。
10月17日、スパイの妻を見る。銀獅子おめでとうございます、監督。「キヨシ 好きに映画 撮って!」シールを自作し、ハート形に切る。
11月1日、大阪都構想が否決。維新本当に嫌い。維新はやばい。なんであんなに非科学的で差別的なんだ。イソジン吉村は8月だったのか、一体何なんだ…
私は宇都宮さんに入れたのだけど、フリップ小池が居座ったままになってしまった東京。都構想否決で本当に良かった、何でどう調べても意味がわからない構想だった。
11月7日、バイデンさん当確。長かった…。夜中に何度も起きて結果が出てないか確認してしまった。アメリカ現地の気持ちはいかばかりか。4年前、髪を切りに行く時にヒラリーが負けて行くのを見て愕然として少し遅刻した。長かった……
8日が自分の誕生日なのでニューヨークの歓声や世界のスターの笑顔をたくさん見れて幸せ。
11月18日、THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女 には香港の街を一望する場面があり、この映画が撮られた当時と2020年は状況が変わってしまったと思い、泣いてしまう。映画に写っていた街には、あの人やあの人の学生生活があったんだろうなと思う。
12月5日、国会閉会。早えよ。やることあんだろうがよ。人の健康も生活も死も興味がないんだな自民公明はと思う。
12月13日、ハッピー・オールド・イヤーを見る。サノス心を見て、ありがたくゴミ捨てに生かした。
12月18日、あまり混んでいなかったけれどプレミアムな感じでカン・ドンウォンの半島 Peninsulaを見る。ゾンビになった途端素晴らしいダンサーみたいな身のこなしでビヨンとするので笑ってしまう。
韓国エンタメ、エンターテイメントひと皿に盛る量がすごい、乗せに乗せに乗せてくれる。大変楽しみました。
12月31日、冬に水仕事をするなんて非合理的だと思っているのに、コンロの向こうに妙な油の汚れが付く場所があり、よくよく見ると換気扇の汚れが原因なので紅茶を淹れている隙に少しネジを外してみたくなり、うっかり掃除をする。真空タンブラーはその後でも紅茶があたたかく、ミルクと蜂蜜をいれて飲む。
夕方、ニュースで東京の感染者数がとても増えたと報道がある。フリップ小池、フリップが効かないのでファックスを増設したのだろうか。東京都のサイトでの検査実施件数と、陽性率も併せた検査結果の陰性者・陽性者の合計はいつも後者の方が少なく、私は不信感を抱いている。
今交通事故にあったり、急病になっても通常の医療は受けられないのかもしれないと暗澹とする。
4月ぐらいに河川敷を歩きながら、2019年の11月の雨で引きちぎられた鉄製のブランコを眺めた。増水でグラウンドや公園が流されていってしまった。あの時の政権は内閣を組閣して、セレモニーを行っていた。
自民公明与党は何故危機感を自分のものにしないまま他者には危機だと一応言い、利権利権中抜き中抜きなのだろう。どうかしている。政治をやる資格が無い。
2020年は映画館には48回行った。良い本も読んだ。
あいつらが失墜するまで生き延びて、友達とたくさん映画を見たい。
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1012自分をはげます
制作活動に限らず、なにかを考えたり、じっと観察することをやりすぎて、それがクセになってしまうということは、「いじわるな人間になる」ということと非常によく似ていると思う。悪意をもって積極的に人を攻撃するような「いじわるな人間」とは違うにしても、常に一定の距離を保って、なにか対象について冷めた視線を自覚的に、意識的に持ち続けるよう自分を調教した人間が、しかも視座が多ければ多いほうがよかろうという批判精神を大切にしてさえいる。……このようにして、「いじわる」という言葉の響きの幼さ、素朴さにむしろ肯定的なにおいを嗅ぎつけたうえで、そのうえでいいますが、観察癖のある人間のいじわるさはすてきだし、いじわるな作品に出会うとうれしい。ソフィ・カルとかやばない?
(五年前に拾った手紙)
そうそう、ソフィ・カルに限らず、写真をつかったアート作品はなにかと、「絵画」とか「カメラ」の構造や制度について自己言及的・自己批判的・メタ的なふるまいをすることが多い。(ジェフ・ウォールかっこいい)メタ的な視点を持つこと(それをこうしてピックアップしちゃう注意力が身についていること)は、コーゾーシュギっちゅう時代の趨勢の残響のなかに生きているからこそかもしれんし、まあ平たくいってそういう視点にすぐ立てる身のこなしを得意とする人のこと「頭がいい」なんて表現したりするけど、ともかく、「メタ視点」への移動を可能にするのも「いじわるさ」な気がする。「ある種のいじわるさ」じゃなくて、むしろそれこそが「いじわるさ」のど真ん中な気がする。
「気がする」連呼しているのは「いじわるさ」への自信がないからで、それは裏を返せば、「いじわるになりたい」って考えているって話。いじわるになりたいし、いたずら、迷惑行為や犯罪行為、意味や主張のあることではなく、いたずら、がしたい。とは思うんだけど、「自分なりの条件にあてはまるいたずら行為をやりたい、というのがまず先にある」状態でなにをしても、それは「自分なりの条件」からはずれてしまう。いたずらができない。
蛭子能収さんが、単行本のタイトルを相談した編集者の提案「私はバカになりたい」を「まるでオイが天才みたいやからいいね」つっておおよろこびしたて話を思い出しましたけど、わたしはね、いじわるになりたいなあ、いじわるになりたい。意地が悪くなってみたいもんだよ。
わたしは嫌いなやつを自作の小説のなかに登場させ、そいつを殺したことがあるんですが、そういえば蛭子能収さんも、学歴の自慢をしてきた編集者を漫画に登場させて殺していた。これはこの記事を書いていて思い出したこと。蛭子さんと共通点が複数あること、あまりうれしくない。(漫画は好き)
さて前回の記事の最後に書いていた、友人と中華街を歩いた話から続けて日記を書きます。
彼は甥っ子がとにかく大好きで、仕事帰りにはいつも甥っ子の動画像をみたいのだけど、電車のなかでみてしまうとニコニコのニヤニヤになってしまうからそれが恥ずかしくて悩んでいる。ところがこの半年以上、甥っ子に会えていない。ということを、ほんとうにさみしそうにそう語る。「小さい子の半年は長いからね、もう忘れられてるかもね、誰にでもなつっこい時期や、誰にでも人見知りする時期が子供にはあるというし、いま会いに行っても相手してくれないかもね」追い打ちをかけておれは、ニコニコのニヤニヤでいじめます。数日後、連休を見つけた彼は突発的に帰省していました。「久々の甥っ子どうだった?忘れられてなかった?」と訊いたら、「そんなことはなかった!」とうれしそう。久しぶりのおじさんによろこんでくれた甥っ子に「絵本読んで!!!」とねだられて、いいよいいよって応えたら、甥っ子の持ってきたのはおもちゃのカタログだったそうです。トミカが欲しいらしい。それか仮面ライダーのなにか。このおじちゃんは甥っ子にはなんでも買ってしまう。甥っ子はそれをわかっている。話すテンポはゆっくりじゃないけど、「かわいい」という言葉だけすごくタメて言う(〇〇は〇〇ですよね、〇〇だったりして〇〇って〇〇じゃない? 〇〇みたい。ははっ、か~~~わ~~~い~~~い~~~~~)人だから、甥っ子の話のときは滞空時間が増える。
その友人、もちろん好きですけど、どこが好きかというと、きちんとしていなくても構わないっていう部分については徹底的にぼんやりしているところ。めちゃくちゃ隙がある。見た目はむしろちょっといかついくらいなはずなのだけど、ひとりで都心にでると四回に一回は必ず宗教勧誘を受ける。それでも善人なので、たとえばちょっと困ってそうな人がいると自分から声をかけて手助けすることもある。夏には、新宿で荷物を運んであげたおじいさんから日本酒が二瓶送られてきていた。けどそんな「いい話」はとても珍しく、たいていは何らかの勧誘につながっている。みなさん!都心で急に「このへんで、いいラーメン屋知りませんか?」と話しかけられたら要注意ですよ。
赤レンガ倉庫でビールをあけて、「このあいだ話」に興じます。彼の鼻の穴に血の乾いたあとがあるのを見つけました。今朝がた鼻血をだしたのかもしれない。
ワールドポーターズをぬけてコスモワールドの方向へ。固有名詞というか、ローカル名詞ばっかですみません、桜木町駅にむかって移動しているということです。ワールドポーターズっていうのはショッピングモールで、丸見えになるポイントがあるとは知らないんであろう場所でそこそこの年齢の男女が、エレベーターを待っているにしてはやりすぎなスキンシップをしているさまをふたり見下ろして、ちょっとひいたあと、露出狂というか、野外で性的な行為に及ぶ自分を人に見て欲しいというタイプの人がインターネット上にアップロードしていた、横浜の夜景をバックにはしたない姿になっている自分自身の写真がかなりきれいな写真で、画質もそうだが横浜の夜景がきれいで、あまりの美しさに笑ってしまった、みたいな話をしていました。ビールはあけたけどお互いひと缶ずつだけだし、とっても穏やかな調子で話しています。「おもしろ」になるかと思って書いているだけですが、この話の強烈さが印象つよくて、ほかの話題は思い出せないな。僕はそのとき、去年末にまた別の友人とワールドポーターズ通り抜けてたときのことを思い出したりしていた。そのときは、椎名林檎の文体はほかの人がつかうとクソ寒くなるよねって話をした。その話をしているとき、わたしは「無罪モラトリアム」のバンドスコアの質感を思い出していた。それから、カラオケ���福山雅治をいれる人がきらい、みたいなことを(話し相手が)していた。大森靖子さんやパフュームやあいみょんの話がされていた気がします。これはなんの伏線でもない。
時空を戻す。甥っ子大好きぼんやり人間の彼と歩く横浜、桜木町駅の近く、「日本丸(日本丸メモリアルパーク)」のところでアイドルっぽい人らが握手会っぽいことをしていた。ファンっぽい人たちが群れてたので近寄ってみたけど、ポスターのひとつも掲示されていない。あとで「横浜 握手会」などでツイッターを検索したら、NON STYLEみたいな名前のアイドルさんらが握手会してたみたい。
それを見送って道を渡ると、ショッピングビルの中庭的広場で大道芸人が「最後の大技」をしていました。机や椅子を重ねた上に立ち、火を飲んだりしていました。
横浜美術館の外観(トリエンナーレ仕様になっている)すらみずにランドマークタワーのあたりのビルにはいる。ジェラート屋さんの列で子供が走りまわる。彼はハンディアイロンと一般的なアイロンと、両方持っているがあまり使わない。今日着ているディーゼルの上着にはアイロンをかけている。高かったから。彼は翌日の予定を面倒がる。忙しさの波が激しい職場で、かなりヒマなとき机に突っ伏して寝る先輩がいる。「海上散歩」を読み間違えて「陸上散歩一時間800円だって」と看板を音読する。桜木町駅前を、彼は写真に撮る。兄が「ゆず」のファンだから、ゆずの聖地に立ち寄ったという自慢をしたいらしい。けれど、駅を知っている人はわかると思うが桜木町駅前って別に写真に撮ってわかりやすいような感じじゃない。桜木町駅にきたことのない人が写真だけぱっとみて「あ!あそこね!」ってなるようなものじゃない。まあ、わたしの知ったことではない。
以上のように事細かに、「話題はなんであったか」「どのような言い間違いがあったか」「どのような仕草があったか」「そのとき、なにを思い出していたか」などを書き留めてしまうのは、自分がなんらかの時間を過ごしたという歯ごたえに「この人と一緒にどこどこにいきました」という情報だけでは不満足が残るからだ。はっきりくっきり、どうでもいい情報をこそ記しておかなければならない。という焦りを持っているためです。とはいえ、律儀に書き残すことを近年ほとんどしていないのだけど。相手のプロフィールなど、つまり出身地や家族構成、勉強していたことや部活について、あるいは恋愛歴や読書歴は、なるべくメモするようにしている。見返すこともないのだけど。
桜木町から乗る電車はそのまんま和光市までゆく、東横線と副都心線のつながったやつ。車内で彼は、甥っ子が遊園地の、パンダの乗り物に乗っている動画をみてニコニコしています。わたしは、NON STYLEが好きという彼のその振る舞いをみながら、姪っ子のことになると涙腺がもろくなりすぎてしまうオードリーの春日さんのことを連想していました。
わたしはいま、映像作品をふたつ作っています。そのうちのひとつは、さまざまな人へインタビュー取材をさせていただき、収集したものを編集する、というもの。この制作のためのインタビューを撮らせていただくため、中華街の翌日、出演者の人に会いに行きました。場所は自由が丘です。ロケ場所が自由が丘であるということがわかるショットが欲しかったのですが、駅前では謎のイベントをしており、この音がうるさい。だから駅前を撮影しても都合が悪い。八代亜紀さんの新曲が云々、という声が聞こえたので一瞬、「え!八代亜紀さんがきているの!??うそ??」と期待しましたが、うそでした。駅前で、電波にのせずにラジオをやっているような状態。大音量でただ曲を流す。曲と曲の間に司会者によるトークがはいる。「去年は誰々さんをスペシャルゲストとして呼ばせていただいておりました!しかし台風のために中止になりました。それで、フィナーレを迎えることができませんでした!それでは次の曲です!」つって阿部真央的な感じの曲が鳴り響いていました。
AマッソのTシャツを着た出演者からたっぷりインタビューを搾りだし、小雨から逃げつつオムライスを食べて夜に解散。どのようなことをして、どのような話を聞いたのか、これは作品に関わることですしあまり書きませんが、それはそうとこの「作品」をどうしたものか。発表のアテがないのでふわふわ、はらはら、しています。この映像はいったいなんなのか。
しかしこの週末の日曜日にも、やはり同じ作品のためのインタビュー撮影を行った。ZOOMを利用しての録画です。というか、出演者8名のなか、7名はZOOMでの録画であります。自由が丘までロケしにいったのはかなり特別なシーン。背景や、写っているひとの胴体が動く映像が欲しかったのです、ZOOM録画映像だけだと視覚的にあまりに単調なのでね。とはいえこの日曜の録画は特別であった。なぜならインタビュー出演者は映像制作に携わっている人だから知識がある、それ以上に、部屋に機材がある。ほんでもってバッキバキにキマった画面になるってえワケ。
発表のあてのない作品制作を重ね、僻みでしかない被害妄想を膨らませ、自分の制作活動を呪いつつ、まあどうせいつか死ぬからいっか、と自分に言い聞かせてすごしています。ほんとうは金沢21世紀美術館に展覧会をみにいった話まで書きたかったんだけど分量的にこれでおしまい。お元気で。
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RDR2:26:南へ……
おっとこれってミッションタイトルじゃん? て感じに、そのまんまです。
ジョンがバレンタインで見つけた仕事、これを実行することで、1章はほぼ終わります。他にミッションが残っていても、2章への移行がスタート。
マイカがなにか言ってますけどそれは後回しにして(駅馬車強盗だし、マイカとやるってことは絶対荒事だし:( •ᾥ•):)、ジョンの「山羊と羊」もやってしまうことにしました。
今までずっとふらふらうろうろしてて、ミッション放置が基本だったとは思えない勢いでの進行です。
そんなわけで今回は、1章結末のネタバレ&2章冒頭です。
ホテルから出たら、すげー人が通ってました。こ、これはプロの猟師さんか? 2頭めの馬にめちゃくちゃ毛皮とか角とか積んでる。すげぇ。
ちなみにこの「2頭めの馬にも積む」は、アーサーにもできます。
ただ、自分が乗らない馬を連れて歩くってことは、襲われたら死ぬ可能性も高くなるので、なかなかそこまでして戦利品を運ぼうって気にはなりません:( •ᾥ•):オジサン ツヨイナ
さて、ジョンの奴はどこかなぁ。
で、どういう稼ぎ話なのかというと―――なるほど。バレンタインの羊をどうこうするわけじゃなくて、バレンタインで競売があって、そのために連れてこられる羊をいただいて、自分たちが羊飼いのふりして連れて来て売ろう、というわけか。
カレンが聞いてきた「時期によっては銀行に大金がある」というのは、ミッションにはならないのかな。銀行強盗したとき、タイミングによって金額が大きく変わるとか、いずれの話??
ともかく、これならバレンタインの人たちに迷惑はかからないからいいんだけど……なのにこの後、移動せざるをえなくなるんだよな?
新旧主人公の2ショット。ええですな(´ω`*)
ジョンが相手だとむやみと突っかかってしまうアーサーさんもええで。おとなげないけどそこが良い(´ω`*)
ジョンのほうがちょっと大人っぽく感じることもあるけど、そこはかとなく、アーサーに対等だと認めてほしい、みたいな感じを受けるのはなんでだろうか。気のせいかな。
移動中の会話は彼等の関係を知るために欠かせない要素です。
アーサーが怒ってるのは、やっぱりジャックを置き去りにしたことですね。出て行くなら出て行く、残るなら残る、はっきりすればいいのに自分の迷いだけでふらふらして、そのせいで子供を放置して……って感じかな。
でもジョンだってまだ26とかでしょ? この時代、こんな生き方なので現代よりは早熟だと思うけど、それにしたって、なにもかも背負うにはまだ若い。
で―――そういう計画立てたはいいけどジョン自身は羊飼いの真似事なんかしたことなくて、やるのは結局俺かいな、と( ・ὢ・ ) アーサーは一日ずつくらいならいくつかの場所でやってことがある、とか言ってますな。
銃撃で脅して羊飼いを追い払って、びっくりして散らばった羊を集めて追い立てて……。
無事に競売会場には連れて行ったけど、係員みたいな人たちもちゃんと「こいつら偽物、羊泥棒」と分かってましたな(´・ω・`)
そして相変わらずアーサーさん、変なところで食って掛かるというか、折れないというかw ジョンが「15%だ」とか交渉にかかってくれて良かったじゃん。あんただけならまた乱闘騒ぎとか通報されるとかになってたんちゃうか( ・ὢ・ )
そのくせこんなこと言うw 泳げないのは今関係ないじゃんww
そう、アーサーは、スタミナは消費するものの泳げます。でもジョンは全然ダメらしくて。動画で知って笑っちゃいました。1でもジョンは泳げなかった、というか、水の中に入ること自体できなかったとか、水没=即死だった? そのへんはさすがにもう覚えてないなぁ。
ともあれ、酒場にダッチが来てるので、報告にGO。
ダッチはここでレオポルドとなにか話してたみたい。
ジョンとレオポルドが出て行った後、「おまえの健康に」と言ってくれるダッチと乾杯。
ところがそこへ、コーンウォールの親玉が登場。一気にヤバくなりました。
冒頭の列車強盗で襲った鉄道会社のおっさん。護衛に用心棒、法執行官もかな。ぞろっと連れて押しかけてきてきやがった。
しかも、あほかジョンー!! 戦力じゃないレオポルドはともかくおまえがあっさり捕まるな―――ッ!! という具合に人質に取られてしまっています。
ダッチは、俺が時間を稼ぐから……と、あとは言うまでもなし。目・と・目・で通じ合う~♪
うっしゃデッドアイ!!(✧皿✧╬)
キーモーチーイーイー!(´ω`*) こういう状況で全員の頭にマークつけて、それから一気に連射で全員ヘッドショットとか、かっこよすぎでしょ! 人質とってたって関係なし。頭が完全に隠れてないかぎり余裕ょゅぅ(。 ー`ωー´)
できればその……もうちょっとかっこいいおようふくでやりたかったです(´・ω・`)
そんなわけで銃撃戦。町の人たちとではなく、コーンウォールが連れてきた連中とだけど、これじゃ町の人にだって俺がギャングだってバレバレじゃないかー。゚(゚´ω`゚)゚。
そんな具合で、バレンタインの近くにはいられなくなりました。こんな騒ぎを起こせばあたりは捜索されるだろうし、コーンウォールに居場所が知れてしまってるのはまずいわけで。
つーか、コーンウォールがダッチの居場所を嗅ぎつけてきたのだって、ただ彼等独自の情報網とかからなのか、密告してる奴がいるのかは微妙なラインですな。
追手をまいてようやく静かになりました。
あーあ……せっかく平和にのんびり暮らしてたのになぁ(´・ω・`)
あ、ラバだ。……ほしいけど、さすがに賞金かかってる状況で乗って行くものじゃないか(←
ゴールデンレトリーバーがいた(´ω`*)ナデナデ
横でヘンリーが荒ぶってますなw 「ダンナァ、あんた、お尋ね者って自覚はあるんですかい!?」みたいな?
立ち上がらせてみたり。もうちょっといい角度と光の加減で撮りたいですな。
む、テネシーの群れの中に一匹だけハンガリアンがいる。NEWHANOVERの「W」の右下あたり。
実はこいいうの、まめにマップをスクショしてストックしてます。馬の生息地マップはネットにあるけど、それ頼りでばかり探すより、自分で見つけておいたこういう地図で、「あそこ行ってみよう」て探しに行くほうがいいよねと。
キャンプに戻ってくると、もう半ば引っ越し準備完了してました。
ダッチはテントでホゼアと軽く口論。無法者で悪党だとしても、義賊だったはずなのに、最近ではその枠がガタついているんじゃないか、ただの殺人集団に成り下がってるぞとホゼア。
生き残るため……しかしそれを理由になんでもOKにしたら、それはもう義賊ではないのでは……。
ともあれダッチから、チャールズとともに次の候補地の下見をしてきてくれと頼まれました。場所を見つけてきたのはマイカ? ……あいつ、そういうマメなことするタイプじゃないと思うんだが……。
そうして見に行った近くに、死体を発見。どうやら襲われて殺されたようで、近くのキャンプで生き残りの人たちも発見。奥さんと子供が二人、どうにか隠れてやりすごせたようです。
ドイツ人の家族で、両親は英語が話せないようだけど、さすがは子供、片言っぽいけど英語で会話が可能。聞けば、父親が連れて行かれたとのこと。
アーサーとしては、追われる身なのだから、厄介事に関わるのはよしてさっさと目的を果たそう、というところなのですが、チャールズは「よし、任せろ」。アーサーはそんなことしてる場合じゃないと云いますが、チャールズいわく、「あんたはそういう人じゃないだろ」。困ってる人を本当は見捨てていけない人、ということ。「おまえは俺のこと、自分で思ってるほどには分かってない」と言うアーサーですが、……プレイヤーが操作してる限りには、めっちゃ人助けばっかりしてるよなアーサーさん?? なにせ天使様だもんな??
ちなみにアーサーからすればチャールズこそ、迷わず正しいことのできる、よく出来た人間。
義賊というなら、たとえ自分が苦境にあっても、難儀してる人を無視しちゃいかんと思うよ。そこで自分の利益、損害ばかり気にかけるなら、それはただの義賊気取りだもの。
でもアーサーの立場からすると、最近いろいろと不安はあるものの、それでもダッチは大切な存在で、彼の身に危険が迫るのをバレンタインで目の当たりにしてるんだから、「早く逃げないと!!」でも無理はないんだよなぁ。
なお、チャールズが痕跡を見つけて追跡してくれるので、アーサーはただついていくだけでもOKなのですが、イーグルアイを使えば自分で行き先を見つけることもできます。そうすると、ちゃんとアーサーが「こっちに向かってる」とか言って、チャールズは「さすがだな」とか答えてくれました。
……見事。いや、ゲームとして、これは上手いなと。ハビアとの民家強盗でもちらっと書いてますけど、「仲間とともにいる」という臨場感がすごい。
これがもし、チャールズについていくだけ(イーグルアイ使ってもアーサーもなにも言わないしチャールズも反応しない)、アーサーが見つけて辿っていきチャールズはついてくるだけ、だったら、「チャールズと一緒に行動している」という感覚は激減すると思います。
すべてがこうだとは言いませんけど、こういう細部の積み重ねが、RDR2の没入感につながっているのではないかと思いました。
さて、無事におっさん見つけて、案の定賊が出て撃退。ドイツ語しかしゃべれないおっさんなので、アーサーとチャールズにはなにを言ってるのかはさっぱりですし、おっさんのほうも「ついていっていいのか?」とか言ってますw
これ、字幕ではドイツ語も翻訳されてしまってるのですが……これは字幕入れるべきではなかったところではないかと。
無事に家族と合流し、夫婦は感謝感激。ありがとう、本当にありがとうと大喜びです。
そしてここで、お礼だと言っておっさんがくれるのは、金の延べ棒。
それを見たアーサー、「へっ?」みたいな感じで、受け取った延べ棒見下ろして呆気に取られます。だから、ここのドイツ語には字幕入れるべきじゃなかったと思うんです。
ここまでの道中で、このおっさんが金鉱の持ち主で、そのせいで殺されずにさらわれたってことがドイツ語で語られてます。でもアーサーにはそれが分かりません。だから最後に金塊出されて仰天するんです。
なのに翻訳されてしまってると、プレイヤーの視点では「金鉱の持ち主ならお礼が金塊ってのもアリか」になって、アーサーと驚きを共にできなくなるんですよ。
ただまあ、プレイヤーがドイツ語に堪能、あるいはドイツ人だと無意味なんですけどねww
ともあれ、チャールズとともに犯人を追っていった先のほうがキャンプ地には最適だということで、ここが移住先に決定しました。
……これ、地味に大事なポイントではないかなと思います。なにがどうポイントなのかは、結末のネタバレ知っていればこそなので黙ってますけっども。
ちなみに場所はここ。伝説のおさかながいる場所のすぐ傍だ!!( ✧Д✧)
つーかこれでキャンプにいながら釣りができ
「「「「「もう少しギャングらしく働け!!」」」」」
と全員からツッコまれたりして:( •ᾥ•):
雑用の内容はキャンプ地によって違うんですね。ここだと川辺での水汲みがあるので、さっそくやろうとしたら、ダッチに近づいたせいで自動的に会話になってしまいました。
ダッチは、俺たちはまだまだこれから巻き返すぜ! と言いますけど、アーサーは自分たちみたいな連中の居場所は、この世界からはなくなっていく一方だと感じているわけで。
しかもこの台詞、オフィシャルのアーサーのイラストに添えられているものじゃなかったっけ?
ダッチは空元気みたいに、アーサーの懸念を一笑に付し、ホゼアがこの近くに釣りのできるいい場所を知ってるから、久しぶりに一緒に釣りに行こうと言い出します。
この台詞ww
ギャングのメンバーはいろいろいるけれど、ダッチとホゼアが組んでたようなところにアーサーが飛び込んで、この3人が中心になってずっとやってきたのかなぁ。
だから、チャールズあたりのおそらくアーサーと同年代の仲間や、ジョンみたいなちょっと若手、レニーやショーンみたいな若者もいるけれど、二人にとってアーサーはまさに「息子」みたいな特別な感じ?
ギャングだけど、殺人犯だけど、泥棒で詐欺師だけど、それでもさ(´・ω・`)
―――と川に向かう途中で、……おいおいジョサイア、あんたなに捕まってるんだw
連行中のジョサイアに遭遇したので、うまく逃がそうとするダッチ。
雪山で小屋を訪ねるときも「俺一人のほうが警戒させなくて済む」と言い、「楽しんでいるところすまないが」と低姿勢に出て、物資を分けてもらえないか交渉しようとするわけで。ここでもダッチは偽名を名乗りながら気さくに保安官たちに話しかけ―――ダッチ、魅力的なのは間違いないですね。ただ荒っぽいだけのギャングとは違う、というのは真実かと。
あれは知り合いで、胡散臭いかもしれないがただの手品師だぞ、みたいなこと言ってダッチが気を引いている隙に囚人の一人が鍵を開けて逃亡。
どうもそこそこの凶悪なグループのリーダーとその手下だったみたい。ダッチはすかさず、うちの若いのに追わせよう、と協力を申し出、その代わりにジョサイアについては目こぼししてくれるように交渉する気かw
そんなわけでアーサー、保安官代理と一緒に列車に追いかけ、ギャング逮捕に協力します。殺すなと言われてるので、男の武器は拳じゃあぁぁ!!∵;.c=(ʘ皿ʘ ╬)q
リーダーはナイフ持ってますが、相手がナイフ持ちのときはタイミング良く□でスウェーしてかわすのですな。
というわけでダッチとホゼアは保安官とすっかり仲良くなり、ジョサイアも放免です。
もう帰るか? とも言われるのですが、一緒に釣りしたい釣り!! 釣り行こう~(´ω`*)
川辺に放置されているボートを一つ拝借。
漕ぐのはもちろん若い奴の仕事w
まったり会話しながら3人で釣りです。……ここまであんまり釣りをしてない前提のミッションなのか、ごくごく基本的なことを今更言われますなw
しかも、ゲームシステムとして、プレイヤーに「魚がかかった」と教えるためだとは思うのですが、二人して「アーサー、かかってるぞ」、「アーサー、引いてるぞ」、「アーサー」、「アーサー」っておまえらどんだけアーサーが可愛いんや!!∵;.c=[壁](ʘ皿ʘ;)qてなりますがなw
しかもリリースしまくるアーサーなので、ダッチが「優しいな」とか言うし。あーもうなにこの擬似親子!!
「こいつが20か21のときじゃなかったか」とか言って語る思い出話がまた可愛いのですが、あのさぁ、その台詞、完璧に実の親レベルやで? 普通は他人の出来事を、そいつの年齢とともになんか覚えてないで?
ほんとどんだけアーサーが可愛いのあんたたち。
帰りは、このまま船でキャンプまで行こうとなり、ダッチがホゼアになにか歌ってくれと所望。最初の歌が終わると、「いや、このシチュだから……」と、みんなで「3人の船乗り」という歌を歌い出します。
ところで字幕の話者が「シンガー」になのはいろいろと台無しなのでどうにかしてください orz
わたくし、結末のネタバレは知ってます。なにがどうなるかこまかいことは一切仕入れていませんが、エピローグで(ピー)とか、そもそもRDR1という最大のネタバレが存在してるので、ダッチギャングが崩壊するのは確定事項なわけです。
そういうあれこれを踏まえてこの平和な魚釣りイベント見てるとですね、「2周めのここで泣かずにいられなかった」というツレちゃんの気持ち、分かる。゚(゚´ω`゚)゚。
けれどこの平和は既にもう表面上のものでもあるはず。
本当は先行きへの不安を抱え、ダッチは変わってしまった、これでいいのかと思ってるアーサー。
時代の変化、自分たちの生き方の行き詰まりを感じ、ダッチのやり方に異を唱えることが多くなったホゼア。
二人がそんなふうに、かつてのような自分と一心同体の存在ではなくなってることには気付いてるだろうダッチ。
内に抱えるものはそれぞれあるはず。
だからこそ今はそれを忘れて、仲の良い、ちょっと変な親子みたいに過ごしたかったのかもしれないと思うと、それはそれで。゚(゚´ω`゚)゚。
今までメインを進めずふらふら放浪ばっかりしてきましたが、進めたことで先が気になってもきました。着地点は知っていても、どうやってそこに至るのかはほぼまったく仕入れていません。
しかし……進めば進むほど深刻になるのは分かっているので、アーサーさんでふらふらするなら、せいぜいで3章が限度ではないかって気もしていたり。
進めたい……でも進めるのも勿体無い……ああんジレンマっ。゚(゚´ω`゚)゚。
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第一回 橋本ハム太郎の「南極」という曲とそのMVについて
筒井康隆の『家族場面』という短編集に収録されている「九月の渇き」という短編を読んでいるとはっとする一文があったので引用する。
「おれも含めてだが、このような状況になっても都心部にしがみついていなければならない人間がこれほど多いという事実はひとつの驚きとして新聞にも載った」
小説で描かれる「このような状況」というのがどういった「状況」になのかは実際に読んでお楽しみいただくとして(ヒント:スカトロ)、 現実のコロナ禍においても結局ぜんぜん都心部から人が離れていくような気配がなく、渋谷や銀座といった街から人が消えたのは本当に数日間だけだった。
で、そんな人が消えた街を映像として記録したのが、わたしも所属するボウガイズ というヒップホップユニットの「南極」という曲のMVである。
この曲ができたのは確か2年前だったと記憶している。2年前の夏もとても暑い夏だったので、タイトルだけでも涼しくとメンバーのmu knee manが「南極」という仮タイトルでトラックを作ったのだが、それがそのまま曲名になった。
HIP HOPには土地をテーマにした曲は多く、古くは2pacの「California Love」とかJay-Zの「Empire State Of Mind」とか、日本でいえばSINGO西成の「ILL西成ブルース」などまあ要は「地元」もしくは「住んでいる街」をテーマにしているのだが��「南極」という土地は誰の地元でもないし、誰も住んでいない。従ってパロディになり得る。
この辺りの話は当MVを制作していただいたbacterサイト内でのインタビュー記事でもメンバーで語っているのでぜひご一読を!
https://bacter.elephantstone.net/magazine/1187
というわけで倒錯した欲望により2年前に作られた「南極」という曲はその1年後にレコーディングされ、さらにその1年後にMVが撮られた。なぜ2年前に作られ、ライブでもたいして披露していないこの曲でMVを撮ったかというと、監督をしてくれた今津がこの曲が良いと言ったからである。だが実はわたしもボウガイズ の中ではかなり好きな方の曲である。なんとなく童謡っぽい感じが好きなのである。
撮影や演出はすべて監督の今津に任せたので何も意見は出していないのだが、撮影時期がちょうどコロナの第一波と被ってしまい、室内撮影をした3月7日の時点ではまだ国内で100人くらいしか感染者がいなかったように記憶しているが、そのあとにどんどん増えて一気に緊急事態になってしまったため、本当は室内だけでなく屋外での撮影も3月中旬ごろに予定されていたのだが延期になってしまった。
すわお蔵入りかと思ったのだが、ちょうど街から人がいなくなったのだからその風景を収めておけば良い、後々レアになるから、ということになり(まあわたしがそう提案したのだが)、急遽予定されていなかった「無人の街」ショットが随所に挟まれることとなった。
繰り返すがこの曲が完成したのは2年前である。もちろんコロナのコの字も出ていない。しかし、こうしてコロナにより無人となった街の上に、この曲がかぶさると、まるで南極というメタファーを使ってコロナ後の世界のことを歌っているように聞こえる。
【Lyric】
(hook)
ここじゃ誰も出会わない
まだ僕が来たことのない世界
あたり一面見渡す限り
雪、雪、雪
[FAT-LEE]
南極、南極、Big Island
ここでおがむのはせいぜいアザラシの産卵
ファミマもマクドもドンキもない
もはや田舎、とかの類いじゃない
北が寒いのは百も承知
しかし南を極めたらば極寒の地
お前が着るそのチャラいニットは
まったく役に立たんぜきっとな
常人にとっては、ただの地獄だが、
研究者にとって、この環境は珠玉だ
多面的に物事を捉えた一例だ
そんなこと思う白夜時間の経過
過酷な生活と寒さのせいか
いつもより一段ときつく感じる傾斜
人類vs自然、上等だ
必ず観測するでかいオーロラ
[mu knee man]
まるでSF映画
一面の雪 マジ寒い寒い
手放せぬ防寒着 嘲笑うペンギン
ボーダーラインはない氷点下の平原
口呼吸は命取り肺が凍る
度数高いアルコールで暖をとる
缶詰タイカレー大好物
子供達とスカイプで交流
たまに戻りたくなる時が来るその時はひとり泣く
クソみてぇな地元のフィリピンパブも今思えば極楽
オメェらは何も知らぬまま
平穏無事な日々を過ごすダラダラ
そのついでに稼いでる円やユーロ、ダラー
特にmu knee manの「まるでSF映画」「口呼吸は命取り」「子供達とスカイプで交流」「フィリピンパブも今思えば極楽」などはもろコロナの世界を描いている。FAT-LEEの「人類vs自然、上等だ」も熱い。「ここじゃ誰も出会わない/まだ僕が来たことのない世界/あたり一面見渡す限り/雪、雪、雪」も��喩に聞こえる。繰り返すが2年前の曲だ。
こういった確実にコロナのことをテーマにしているわけがないのに、聞きようによってはそう聞こえる偶然の曲は他にもあって、例えばくるりなんかもそうだ。
目を閉じれば そこかしこに広がる
無音の世界 不穏な未来
耳鳴り 時計の秒針止めて
心のトカレフに想いを込めてぶっ放す
窓ガラスに入ったヒビ
砕け散る過去の闇雲な日々
止まった時計は 夜明け前5時
外の空気 君だけのもの
吸うも吐くも自由 それだけで有り難い
実を言うと この街の奴らは義理堅い
ただガタイの良さには 騙されるんじゃない
お前と一緒で皆弱っている
その理由は 人それぞれ
耐え抜くためには仰け反れ
この街はとうに終わりが見えるけど
俺は君の味方だ
サビで繰り返される「上海蟹食べたい」というのもコロナがテーマと思うとより切実に聞こえる(まあ今書いて思ったが、コロナでもなんでもないのに「あなたと上海蟹を食べられない」という事実の方が悲しいような気もするが)。
くるりの凄いところは偶然はこの一曲だけではないところである。
雨降りの朝で今日も会えないや
何となく
でも少しほっとして
飲み干したジンジャーエール
気が抜けて
安心な僕らは旅に出ようぜ
思い切り泣いたり笑ったりしようぜ
「安心な僕らは旅に出ようぜ 」こういうのをただの偶然と笑ってしまうこともできるし、予言だなんだと騒ぐのも楽しいが、それよりかは極限まで不安だったり寂しかったりする人の気持ちに寄り添って日頃から曲作りをしていたら、自ずと自然災害の時にもフィットする曲ができるのだと、そう考えた方がテンションが上がるのでわたしはそう考えることにする。
そういえば東京圏の人口が減っているとニュースでやっていたな。この街も歌詞のようにいよいよ終わるのか。昼間のオフィス街なんかを歩くとまだまだ人は多くて、とても減っているなどと感じないが、たしかに夜の街は確実に人が少なくなった。おい、たんに夜遊びが減っただけではないか。なんだそれは。くだらないにもほどがあるだろう。バカかお前らは。
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映画のイヌ
1.映画におけるイヌ概説
イヌは今では愛玩動物、いわゆるペットとして人間の側にいる。番犬やパートナー、場合によっては家族同然の存在として。その歴史は随分と過去まで遡り、考古学的には何万年も前からさまざまな付き合い方(ペット、狩猟、食用)を経て、現在に至るという。
最も人間の近くにいる動物として、イヌを愛してやまない映画作家は数多くいる。例えばルイス・ブニュエル、ジャック・タチ、アキ・カウリスマキらがそうである。そしてその映し様は多岐に渡るだろう。ひとつには、登場人物の映し鏡であったり意味作用そのものを具現化する、象徴的な演出としてのイヌ。また、ストーリーにおいて展開を転がすためやアクションを起こす、モデル(俳優)としてのイヌ。中でも最も重要視したいのは、ただそこに存在するだけのイヌ、映画としては目的性を欠いた自然としてのイヌだ。
これから、既存の作品を挙げつつ、イヌの映画での在り方を見ていこうと思う。
2.イヌと死(※追記予定 殺されるイヌ『人生案内』『ひかりのまち』)
イヌは映画において、死と関わり合いの深い動物であると言える。まず映画の起点として、冒頭にイヌが出演することがある。クレマン『禁じられた遊び』(1952)、フリドリクソン『春にして君を想う』(1991)、スタエルスキー『ジョン・ウィック』(2014)などが挙げられる。そしてこれらの作品には、主人公の旅、つまり物語を運び込む呼び声として、イヌの死が訪れるのだ。『ジョン・ウィック』に関しては、主人公は結末に再びイヌと出逢い、それがさらなる物語の鏑矢を示唆する装置として機能する。この循環は、イヌそのものに内在する特性である。すなわち、イヌの終わりである死は映画の始まりと同義である、ということだ。
登場人物と(意識的に)同等に映されるイヌには、このような意味作用がつきまとう。しかしカメラが捉えなければいけないのは、すべてにおいて等しい目線の事象であり、またそうしたイヌであると考える。でなければそこに、因果律や論理を断ち切った現実を感得する自然としてのイヌの姿があるはずもない。これは非常に重要なことなので、後述することにする。
また、イヌは死にとても敏感だ。イヌはしばしば、死(の予兆)を知らせる導線の役割を担う。デュヴィヴィエ『にんじん』(1932)では、主人公の少年が自殺しようとするまさにその時、イヌが少年のもとへと続く梯子に擦り寄る。それによって父親が息子のとろうとしていた行動に気がつくのだ。ルコント『髪結いの亭主』(1990)では、急死した床屋の女店主の体をイヌが押し転がすことによって、主人公少年は決定的な愛する女の死を目の当たりにする。これらは人間がするよりも違和感のない、動物の鋭敏な感覚を活かした演出を可能とする、イヌの持つ特性と言えるだろう。似た事例として、アブラハムソン『ルーム』(2015)におけるイヌの行動にもこの演出が当てはまる。監禁されていた主人公少年から発せられる不穏な匂いを嗅ぎとり、散歩中のイヌが少年へと干渉する。これによって少年は救われるのだ。イヌは、人間を直接救うことはできない。ただ寄り添うしかないその姿からは、抑えられた引き算の美学を感じさせる。
こんな論もある。イヌは冥界と繋がっているという、古代からの紐付けだ。浅学ゆえ多くは記せないが、エジプト��おけるアヌビスやギリシャ神話のケルベロスがそうである。イヌが死への案内人というモチーフを通して見てみると、カウリスマキ 『パラダイスの夕暮れ』(1986)で、主人公の同僚が死んでしまった直後に一瞬挿入される画面の奥へイヌが走って行くショットが、霊的な美しさを放っていることに素直に頷くことができるだろう。
死と不可分の関係にあるイヌは、俳優には手の届かないアクションを背負うとともに、始まりや終わりといった映画における時間的な仕切りのようなものをその身に宿していることになるだろう。
3.走るイヌ
ムルナウ『サンライズ』(1927)、カルネ『霧の波止場』(1938)、タチ『ぼくの伯父さん』(1958)、アザナヴィシウス『アーティスト』(2011)……と枚挙に暇がないのが、「走る」イヌが登場する映画だ。そしてこの「走る」というアクションが、映画、ひいては虚構の枠組みを揺さぶることになる。巨大なスクリーンは、かつてリュミエール兄弟が人々に発見せしめたように、葉っぱのざわめきや揺れる波のちいさくも尊い動きを見つけることができるという、ある喜びを浮上させる。そんな画面に映るイヌは、自然の挙動としてはあまりに巨大で、かつ持続的な、質量の移動を我々に見せつける。ともすればコントロールされ尽くした映画という総合の中で、この移動は生のダイナミクスを放ち、偶然の威力が作品を穿つ。しかし危険なのが、「走る」ことを捉えるのが、「走らせる」ことと表裏一体となることだ。一演出でしかないイヌに、魔力的な光は降り注がない。物語の一端を担うような、例えば前述した『アーティスト』のイヌの姿に、それがよく表れてしまっている。イヌから現出する最大限の魅力ではあるが、「走るイヌ」は文脈の一つに収まってしまうという危うさも備えている。
余談ではあるが、フラー『ホワイト・ドッグ』(1981)のイヌ疾走のシークエンスは瞠目の熱量で、一見の価値あり。
4.演じるイヌ
では、物語の一翼を担うイヌは、映画を貶めてしまうだけのものなのか? これはその限りでないと考える。ホークス『赤ちゃん教育』(1938)、キアロスタミ『パンと裏通り』(1970)のイヌたちを見ていく。
『パンと裏通り』は、子どもとイヌの織りなす、短くもスリル溢れる路地裏ドラマだ。ここでは子どもの目線でストーリーが進行することにより、イヌは我々が普段認識しているような、取るに足らないものではなくなっている。画面に映っているのではなく、映さざるを得ないのだ。その時カメラは、子どもとイヌとを、ようやく等しく焼き付ける。また、牙を剥いたり懐いたりといった、イヌの特長を意識したパフォーマンスも見られる。想像や予想を形にしてくれる、イヌの温かなイメージがそこにはある。
『赤ちゃん教育』には、まず伏線の一つとして、イヌが「音」を生み出す機能を有するものとして扱われる。イヌが吠えることはもちろん気にかけるほどのことでもない。そこをうまく突いた「見えない」演出であるが、そんな序盤からやたらと気にかかるイヌが、後半には驚くべき展開を見せることになる。動物園から逃げ出したとされる豹に、応戦(?)するのである。戦っているというよりはじゃれあっているようにも受け取れるショットだが、これは一体何が起きているのかと可笑しくなってしまうほど、イヌの底力を感じられるシーンとなっている。
この二作に登場するイヌは、どちらも映画に欠かすことのできないファクターとなっている。完全なるキャストとしてのイヌ、画面を(外からさえも)背負うイヌである。そして大切なのが、それらをどうフレームに収めるかである。全体を操ろうとする危なっかしさをぽろぽろと零し、無闇にイヌに触れようとしてはいけない。飽くまでイヌを世界の一部として、この2作品のように、穏やかに広々と捉えなければならないのだ。いやらしくヨったり、無理やりイヌの場所を作り上げたりと、そういうことをしていては、ヴォーン『キングスマン』(2015)のような見るに耐えないことになる。
5.現実、またはそうではないイヌ
では、映画の中にいながら現実を表すイヌとは? 冒頭で重要だと述べた自然のイヌは、どこに潜んでいるというのか。
ただそこに存在するだけのイヌ、この基本的な形式は、家族として寄り添うイヌがほとんどだろう。ヒッチコック『レベッカ』(1940)、サーク『僕の彼女はどこ?』(1952)、アンダーソン『愛おしき隣人』(2007)、イーストウッド『グラン・トリノ』(2008)などのイヌたちである。彼らはどこまでも自由でかつそれゆえに、カメラに捉えられているという点を除けば、映画からずれた場所にいる。上記の作品においては特に演技もしておらず、一切の演出から逃げ切っているのだ。このイヌたちの仕事は素晴らしい。画面を彩るだけでなくその一挙手一投足に自然の強度を従えて、モノやヒトとの間を行き来する。現実のエネルギーが虚構を希釈していくそのありさま、我々はフレームが進むごとにそれを意識せざるを得ない。
また、人間がこの世界に存在するのは自明のことであり、イヌももちろんそうである。映画にはイヌが必ずしも欠かせない要素であるわけではないからこそ、現実における価値を暴く。フラハティ『極北の怪異/極北のナヌーク』(1922)では、過酷な環境におけるドキュメンタリーによって、自然と同等に並べられるイヌという存在へ、鮮やかに寄り添うカメラに触れられる。
虚構と現実の間を絶妙に浮遊するイヌもいる。それが、カラン『奇跡の2000マイル』(2013)で主人公のパートナーとして砂漠を旅するイヌだ。映画の方法論によってイヌの位相が位置付けられる稀有な作品でもある。淡々と、主人公とイヌが砂漠を歩くさまが映し出される。ストーリーの欠落により、イヌを囲い込む虚構と現実の境界は立ち消え、イヌは「その作中世界の」イヌへといつの間にか変身する。しかし、創作の中に生きることになったイヌから現出する偶然性=自然のために、なんとも微妙な間隙を漂うことになるのだ。
このように映画のイヌは、ヒトやモノが辿り着くことのできない、非常に曖昧なものへ溶けていく。その揺蕩いに巡り合う、ボカノウスキー『海辺にて』(1992)のイヌを紹介して、この論を綴じようと思う。このフィルムは、超現実的とも言える加工された画面を用いた4つの構成から編み上げられており、海とそこに佇む事象を焼き付けている。人間たちの顔や輪郭はぼやけ、個人を認識することはできない。ロングショットを用い、観察映画のように撮影される記号性を剥ぎ取られた彼らへの認識は、最早人間かどうかさえもわからない抽象へと溺れていく。しかし彼らがヨットを扱うさまを目にすることで、道具の使用という人類の属性を取り戻し、彼らは世界と接続される。そんな中、波の狭間にいるイヌは、抽象化されたまま作為の中に取り込まれていく。あるがままの姿のはずが、作者の手から逃れられない。人間が現実へと立ち戻っていくとき、イヌは、虚構と現実の間を彷徨う亡霊となっているのだ。
6.おわりに(※追記未定)
7.おまけ
好きなイヌ
クレール『幽霊西へ行く』(1935)の卓球を邪魔するイヌ
デ・シーカ『ウンベルトD』(1951)のイヌ。オールラウンダー
ベルイマン『夏の遊び』(1951)のでかくてもふもふなイヌ
ファスビンダー『都会の放浪者』(1966)の突如出現するイヌ
タチ『トラフィック』(1971)の小さいイヌ、悪戯少年たちに攫われるときの為すすべないさまが素晴らしい。映画のイヌにはまったきっかけかもしれない
マル『さよなら子供たち』(1987)の雪が降る中子どもたちと戯れるイヌ
クストリッツァ『アリゾナ・ドリーム』(1992)のイヌ。でかい。わざとらしく吠えさせさえしなければ……。冒頭のイヌイットのイヌたちも素晴らしいが、海に落ちるところが可哀想で目を背けたくなる
ドライヴァー『豚が飛ぶとき』(1993)で幽霊といっしょになぜかドアをすり抜けてくるイヌ。普段のたたずまいも良い
フリドリクソン『ムービー・デイズ』(1994)の少年とサッカーするイヌ
五十嵐『息を殺して』(2014)の彷徨うイヌ
ルビン『ゾンビーバー』(2014)の囮にされるイヌ
ジャームッシュ『パターソン』(2016)のイヌ。窓辺に顔が見えるカットが良かった。郵便受けを傾けるのはあまり好きではない
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更新はだいたい休日になるのう
この前の夕空。朝ですけども。
市販のようなまろやかなミルクティーが作りたいのう。湯じゃなくホットミルク出しで作られてるのかな、あれ。希釈かもしれないけれど。
というわけで、これからは自分用に牛乳を常備しておきたい。ヘルシーではないけれど、やっぱり脂肪分が多くて濃厚なのが好きなのよ
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ウズベキスタン旅行2018 - Part 11
・・・なんだか、Part 20が見えてきた気がするorz けど、良いのだ!旅行記は自己満足ブログなので、書きたいように書く。
ウズベキスタン旅行2018 - Part 1 ← サマルカンド編(1日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 2 ← サマルカンド編(1日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 3 ← サマルカンド編(1日目~2日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 4 ← サマルカンド編(2日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 5 ← サマルカンド編(2日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 6 ← サマルカンド編(2日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 7 ← サマルカンド/ブハラ編(2~3日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 8 ← ブハラ編(3日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 9 ← ブハラ編(3日目~4日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 10 ← ブハラ編(4日目)
ブハラ2日目の昼食後、雲が晴れて青空が見えてきました。
レストランが建物の2回にあったのですが、そこから外を撮った写真。やはり、この土色、タイル色、青空、映えますね♪
この日はその後、旧市街地で前日行っていない方へ歩いていきました。
旧市街地の一番の見どころポイントが集まる場所でしょうか。
ブハラのシンボルと言っても良いカラーン・ミナレット(Kalon Minorai)。カラーンは、タジク語で「大きい」という意味で高さ約46mにもなります。以前は中に入って登ることが出来たそうですが、今は観光客には開かれていません。
ミナレットは、金曜ごとに信者にお祈りを呼びかける場所ですが、見張りの塔でもあり、砂漠を渡ってくるキャラバンや旅人にとっての灯台のような目印でもありました。
そして、実は死刑場でもあります。男性は前回のブログで書いたように広場で公開処刑されていたそうですが、女性の死刑囚は袋に詰められてこの塔の上から投げ落とされていたそうです。
カラーン・ミナレットと橋で結ばれているのがカラーン・モスク(Kalon Masjidi)。こちらも非常に大きなモスクで、広さ約1ha、1万人の信者が礼拝できたそうです。
カラーン・モスクの中庭から撮ったこの写真、ブハラらしくて気に入っています。本当に、晴れてラッキー(*´ω`)
カラーン・モスクに面して建つこちらは、ミル・アラブ・メドレッセ(Miri Arab Madrasasi)。現在も神学校として使われているので、内部の一般公開はされていませんが、美しいタイルのアーチの両脇に2つの青いドームが印象的な建物です。ソ連時代に中央アジアで開校を認められていた、数少ない神学校です。
こちら、アブドゥールアジス・ハン・メドレッセ(Abdulazizxon Madrasasi)。
このメドレッセの装飾にはインドやオスマン・トルコ帝国からの影響がみられるそうです。色彩が豊かです。
中はちょっと古い感じ。時の流れと共に、そのまま放置されているかのよう。 でも、ここもやはり、今は土産物屋が並んでいます。熱心に陶器をお勧めしてくる少年と、ディスカウントを試みる母。
私が萌えていたのは、自転車。ウズベキスタンでもしょっちゅう自転車を見かけていて、チャンスがあれば乗りたいなぁと思っていたのですが、普通のチャリは、私には大きすぎる感じでした。こちらの広場でたまたま見つけた子ども用?小径車。誰のものか分かりませんが「えぇなぁ~、乗りたいなぁ~。」と言っていたら、ガイドさんが「乗っていいですよ!」と。
「え?人のものでしょ?」と聞いたんですけど、大丈夫ですよ~!別に盗むわけじゃないですし(*^^*) とにこやかにおっしゃる。いいのか?本当に?
では、遠慮なく♪♪♪
良い子は絶対真似しちゃいけません。
日本では、やってはいけません。
ケラケラ笑いながら楽しそうに自転車に乗るアラフォー日本人。笑いながら見ている現地の人。・・・なんだこれ?
ウズベキスタンでよく見かけた自転車ですが、日本で一般的なリムブレーキがついていないものが多いんですよね。怖すぎんだろ!どうやって止めるのかというと、ペダルを逆回転させるという。。。三輪車かっ!!
この自転車もリムブレーキはついていません。そして、最初の写真を見てもらったら分かると思うのですが、サドルの前が上がっていて、乗るとお尻が後ろに落ちていく感じ。楽しすぎましたが、日本では絶対乗っちゃいかんやつな。
自転車で暫し遊んだ後はこちら、ウルグベク・メドレッセ(Ulug’bek Madrasasi)。ウルグベク・メドレッセ・・・どこかで聞いたことがあるな、と思っていただいた方、素晴らしい。実はサマルカンドにも同じ名前のメドレッセがありました。
ウズベキスタンの偉大な天文学者、ウルグベクさんが建てた神学校はウズベキスタン内に3か所あります。一つはサマルカンド、一つは陶器の街として有名なギジュドゥヴァン、そしてここブハラに建てられました。
このブハラの神学校は15世紀初めに建てられた、現存する中央アジアで最古の神学校だそうです。ウルグベクゆかりの建築物は、ブハラではここだけです。
見どころ満載のブハラ旧市街地。散歩途中で前日に行ったハサミ屋さんへ寄りました。正確には刃物屋さん?金物屋さん?でしょうか。
前日にはいなかったお姉さん。お店の方なのですが、この人のハサミの売り文句が、ガイドさん一押しなんですよね。このお姉さん、日本語でハサミの実演販売をしてくれるんです。日本語を話せる方ではないのですが、実演販売用の売り文句、いや、文句どころかちょっとした、「ジャパ●ットた●た」さん張りですよ!笑っちゃいかんけど、ほんと面白かった。日本から来ていたJICAの方に教えてもらったんだそうです。素晴らしい。こんなことなら、この日にお姉さんからはさみを買えばよかった。
さらにこのお姉さん、職人さんでもあります。
ナイフに装飾を施していらっしゃいます。なんとも細かい作業に見とれてしまいました。
まだまだ続くブハラ散歩。こちらは一見して、他の建物より古そうに見えるマゴキ・アッタリ・モスク(Mag’oki Attori Masjidi)。土砂で埋もれていたところを、1936年にロシアの考古学者に発見され、掘り起こされたそうです。
アラブの支配を受ける以前から、この辺りには仏教寺院があったり、バザールがあったり、ゾロアスター教の寺院があったりと、地域の重要な場所でした。アラブ支配後にモスクが建てられましたが、破壊と再建を繰り返していたそうです。今残っているのは9世紀のものだとか。この時代のものがチンギス・ハーンに破壊されずに残っている、埋まっていたからこその貴重な建築物です。
そんな建築物の中、今は絨毯博物館になっています。そして・・・
内装、、、な、なんじゃこりゃ?!ガイドさん激怒の内装工事でございます。Part 9で紹介したイスマイール・サーマーニ廟の、煉瓦造りの素晴らしい内装。それと比べて・・・煉瓦の上に白い壁材を塗り込み、黒い線で不可思議な模様が描かれている。。。
ガイドさん曰く、補修工事の結果がこれだ、と。ホンマか???適当に引かれたっぽい黒い線が、素人というかなんというか・・・。
はっ!!!これは!!!スペインのあれと似たり寄ったり!!!
https://www.bbc.com/japanese/44625028
気を取り直して(笑)。この後は旧市街地付近の地元の人の居住地をガイドさんと一緒にお散歩しました。
街角ショットを何枚か。
おぉ!ヒョウ柄チャリには、リムブレーキつけてる!!
一般のご家庭の扉。上部にウズベキスタンの一休さんが!!
謎のオリンピック仕様の壁。ただの趣味、、、らしい。
あかん、写真の枚数がヤバくなってきた。街角ショットの続きはまた次回。
ウズベキスタン旅行2018 - Part 12 ブハラ編(4日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 13 ブハラ~ヒヴァ移動編(5日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 14 ヒヴァ編(6日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 15 ヒヴァ編(6日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 16 ヒヴァ編(6日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 17 ヒヴァ/タシュケント編(7日目)
ウズベキスタン旅行2018 - Part 18 タシュケント編(7日目)
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仕事に復帰したけれど、な1月(2020年1月の日記)
■2020/1/1
今年もよろしくお願いします。2019年は大変だったので、2020年は平和な年だと良いなぁ。家族3人で実家へ、新年のご挨拶。ニューイヤー駅伝見たり、天皇杯決勝見たり。夜はすき焼きを食べたり。Amazon Prime『ウォッチメン』S1E1を見る。
■2020/1/2
家族3人で奥さんの実家へ、新年のご挨拶。お寿司を食べ、箱根駅伝を見る。ちょっと眠くて昼寝もしちゃう。帰宅するともう娘は眠そう。なんとか風呂まで入れて寝かせる。Abemaでフリースタイルダンジョンの特番をぼんやり見る。ディズニーデラックスで『マンダロリアン』S1E2を見る。Netflix『男はつらいよ 純情篇』を見る。
■2020/1/3
のんびりの3日、10時ぐらいまで寝てしまった。冷凍のお好み焼きなどを食べてから立川へ。キノシネマ立川で『燃えよスーリヤ‼︎』鑑賞。スーパーで買い物して帰宅。うーん、ラジオを聴くのが追いつかない。なのにコサキンが放送してるから聴いてしまった。Netflix『男はつらいよ 奮闘篇』を見る。
■2020/1/4
Amazon Fire TV Stickを買い換えた。サクサク動く。お昼から家族でけんす君のうちへ。恒例の新年会で手巻き寿司。うちの娘ははじめて手巻き寿司で、予想外にモリモリ食べていた。久々にみかん君にも会え、ボードゲーム大会も楽しかったです。僕はそこから五反田へ。おにやんまでうどんを食べ、喫茶店でコーヒーを飲んでからアトリエヘリコプターで五反田団の『新年工場見学会2020』。黒田大輔不在はさみしいが、今年もはじまった感があり良かった。金子岳憲さんが観にきてた。
■2020/1/5
娘と実家へ、のんびり過ごす。年末に行けなかった床屋へ。散髪もして仕事に復帰するときがいよいよきた感じである。U-NEXT『極道めし』を見る。Netflix『男はつらいよ 寅次郎恋歌』を見る。 BSで『贋作 男はつらいよ』の一話を見たけど、これはまぁ見なくていいかな。
■2020/1/6
会社へ。ほぼ4ヶ月ぶりに仕事に復帰であります。ひたすらメールを開いて開いて。初週は6時間勤務なのですがそれでも疲れる。早く帰れたので家族で夕飯。娘はまだ冬休み中である。寝かしつけまでやる。Amazon Prime『ザ・リトル・ ストレンジャー』を見る。
■2020/1/7
仕事終わりで渋谷へ。タコ���ルでBUTCHさんのSTAR BOXを購入。箱がでかい。イメフォで『つつんで、ひらいて』鑑賞。ヒュートラ渋谷で未体験ゾーンの映画たち2020『エスケイプ・ゲーム』鑑賞。けんす君にもらった無料券で。感謝。
■2020/1/8
早朝から病院へ。定期通院日。まだ会社でフレックスを使えない状態なので午前半休を取らなければならない。リハビリもやり、書類の依頼、薬局にも寄る。出社は午後からなので高倉町珈琲でのんびりする。録画したアニメ『映像研には手を 出すな!』1話をやっと見たら本当に良かったです。午後から出社。ぼちぼちまともな仕事をしている。仕事終わりで立川へ。やよい軒で早めの夕食を食べてからキノシネマ立川で『テッド・バンディ』と『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』鑑賞。
■2020/1/9
本日は海外にいる上司とネット経由のミーティング。まぁ英語が出ませんよね。手術内容の説明をしたら引いてました。仕事終わりで昭島へ。MOVIX昭島で『男はつらいよ お帰り 寅さん』鑑賞。パンフも買ってしまった。TV録画『フラッシュ』S3E10を見る。Netflix『ドラキュラ伯爵』S1E1を見る。Netflix『男はつらいよ 柴又慕情』を見る。漫画家の古泉智浩さんがやってるPodcast「ファミレス映画館」で『男はつらいよ』の感想を4作ぐらいずつUpしてくれてるのが最高に面白い。Netflixで見終わったらそのエピソードのPodcastを聴く。この流れが最高だ。
■2020/1/10
聴きたいラジオやPodcast、見たいYouTubeがたまりまくり。仕事終わりで渋谷へ。ヒュートラ渋谷で未体験ゾーンの映画たち2020『ハード・ナイト』『ブラインデッド』鑑賞。ディズニーデラックス『マンダロリアン』S1E3を見る。今週からTV画面で見れて最高。BS録画『主任警部モース』E5を見る。
■2020/1/11
朝から娘と吉祥寺の眼科へ。娘を習い事におくり自分は水道橋へ。アテネフランセ文化センターで『あれから』『共想』鑑賞。アテネフランセははじめて行ったのでどこらへんの席がいいのかなぁと迷いながら着席。ふと前の席を見たらチートイツさんが座っていた。あけましておめでとう。うん、僕の席選びは間違っていなかったようだ。とくに『共想』 は一昨年のフィルメックス、去年の上映会と2度見逃していたので待望。作品的にもとても良かった。客席にはシネマシティの 椿原さんの姿も。3本目も観るというチートイツさんと別れて立川へ。猿田���珈琲でゆっくりしてからシネマツーで『フォードvsフェラーリ』鑑賞。極爆で。熱い。
■2020/1/12
日曜日。午前中からmatsuさんのおうちへ。シネマクティフ東京支部の新年会。ゲストに名古屋支部からotokeiさん。ピザを食べ、各自の2019年ベスト10を発表。まるゆさんの発表が1時間を切っていたので成長を感じる(それでも長いけど)。ついでの音声配信もいくつか収録。今年もよろしくお願いします。Netflix『男はつらいよ 寅次郎夢枕』を見る。
■2020/1/13
祝日の月曜日。朝一で図書館に行ってから娘と実家へ。のんびり過ごす。BS録画『主任警部モース』E6を見る。TV録画『フラッシュ』S3E11を見る。Netflix『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を見る。Netflix『ドラキュラ伯爵』S1E2を見る。
■2020/1/14
3連休明けの火曜日。通院日なので午前中から病院へ。口と左腕のリハビリを続けていたのだけど、左腕については今回でおしまい。あとは自主練がんばれ、と。仕事終わりで八王子市役所に行ってから渋谷へ。ユーロスペースで『さよならテレビ』鑑賞。Blu-ray『ウォッチメン アルティメット・カット版』を見る。BS録画『主任警部モース』E7を見る。
■2020/1/15
今週は海外の上司が来日中。1on1でのミーティング2連発。久々の英語をなんとか話す。頭が疲れる感じ。発声は意外とできる。お昼は社内のカフェテリアに行くタイミングを逃してしまい近所の丸亀製麺へ。4ヶ月以上ぶり。うどん食べるの遅いんですけどなんか嬉しかった。仕事終わりで新宿へ。武蔵野館で『音楽』鑑賞。ほげやまさんと同回、matsuさんとニアミスだったようです。
■2020/1/16
仕事終わりで会社の皆さんとディナー。海外からのゲストと。僕の復帰祝いも兼ねているようでありがたい。懐石、食べやすい。ちょっと探し物があり実家へ。親と話していて気づいたのだけど、なんかあごの下が腫れている。うーん、これは再度病院に行くやつだな。
■2020/1/17
会社に休暇の連絡。そして午前中から予約なしで病院へ。予約なしだと診察とかが昼ぐらいになってしまう。今回は切ったりせずに抗生剤で対応することに。薬局で薬を出してもらってから郵便局へ。予定外の休みになったので平日にしかできないことをいろいろ。前からやらなきゃいけなかった通帳の住所変更など。ゆうちょ、なかなか対応が早い。調子に乗って銀行にも行っていろいろ変更が必要なことを依頼したらこれが大変だった。予想以上に時間がかかりがっかり。遅いお昼CoCo壱で食べる。グラマ。立川へ移動、キノシネマ立川で『ジョジョ・ラビット』を観たのですが、これがかなりの部分を寝てしまった。これはダメだ。来週もっかい見直しだ。手術のあと、本当に眠くなってしまうことが多いのだけど、その原因のひとつが抗生剤な気がする。なんか眠くなってしまうんだ。調布へ移動。『mellow』鑑賞@イオンシネマシアタス調布。映画を観る前に薬を飲むのをやめたので『mellow』超集中して観れた。ディズニーデラックス『マンダロリアン』S1E4を見る。
■2020/1/18
土曜日。娘と吉祥寺の眼科へ。眼科にいる間に雪が降りはじめる。寒い。眼科終わってから娘を習い事に送り、自分はUPLINK吉祥寺へ。『マーウェン』をやっと観る。観れて嬉しい。映画観てから遅めのランチでCoCo壱へ。グラマ2日目でスプーンGET、やったぜ。娘を迎えに行き二人で実家へ。夕飯は母親と娘と三人でバーミアンで本格中華。平和だ。娘を風呂に入れ、寝かしつけたら自分も一緒に寝てしまう。やはり抗生剤の影響かな。録画したTV見たり本読んだりラジオ聴いたりしたかったのだが。
■2020/1/19
日曜日。実家泊で結局朝まで寝てしまった。娘といっしょに8時間以上寝ている。今日は地元の駅伝大会なのでそれを応援する。実家の前がちょうどコースの道なのだ。朝ごはんを食べてから旗を自作する娘。町の駅伝なので、地元企業や町内会、少年野球チームなど、様々に人たちが出場している。娘が「がんばれ~」とか応援すると、「ありがとー」とか返してくれたり、手をふってくれたりして平和。自分も中学のとき、剣道部として出場させられたのを思い出す。走るのは苦手なので本当に苦い思い出である。娘の旗(紙製)はまぁまぁボロボロになっていたが、「オリンピックのときにまた使う」そうである。そう、東京オリンピックの聖火ランナーも実家前の道を通るらしい。昼は手巻き寿司。けんす君ちの新年会で食べてはまったらしい娘。ばくばく食べる。TV録画『フラッシュ』S3E12を見る。Netflix『ドラキュラ伯爵』S1E3を見る。これで完走。さすが『シャーロック』チームというトリッキィな構成で面白かった。
■2020/1/20
正月以降、ラジオを聴くのがまったく追いつかない。仕事終わりで立川へ。キノシネマ立川で『ジョジョ・ラビット』鑑賞。今度は万全の体制で観て楽しめた。
■2020/1/21
朝から映画秘宝の休刊号を購入。復活を信じています。仕事終わりで新宿へ。今年最初のMCTTは『フォードvsフェラーリ』。公開規模が大きい作品ですがなかなか参加者が集まらず。参加してくれた方には本当に感謝。なんとか幅広く告知していきたい。Netflix『ジャックは一体何をした?』を観る。BS録画『主任警部モース』E8を見る。
■2020/1/22
午前半休で病院へ。造影CTを受けたわけですが、この結果がよくない。どうやら再度手術が必要となりそう。病気の再発とかではないのですが。昨年9月の手術で下顎の部分(オトガイ部という名称です)を一度縦に切断していて、それをくっつるためにチタンプレートを入れてるんですけど、これがうまく機能していないっぽい。骨はくっついていないし感染を起こしている。で何をしなくてはいけないかというと、手術でプレートを取り、キレイにして、再度プレートで固定する必要あり。これに2週間ほどの入院が必要となる、と。早ければ2月に、と。うーん、これはあきらかに再度休職する必要がありそう。まいったな。とりあえず奥さんと親に連絡。午後から出勤して健康相談室の人にも相談。やはり休職すべきでしょうと。たまたまハイレベルの上司とも話せたので口頭で報告。明日以降いろいろ連絡、準備しないとな。落ち込んだりもしたけれど、病気の再発ではないしきっちり治さないとな、という気持ちで仕事終わりで立川へ。シネマシティで『マザーレス・ブルックリン』鑑賞。昨夜のMCTTでさっちゃんさんが推していた一作。面白かった。
■2020/1/23
朝、いちおう娘にも再度入院が必要になりそう、ということを話す。前日ママから聞いていたこともあり納得してる風ではある。出勤して同じチームの人や仕事で関わる人に再休職となりそうなことを説明。海外へもメールで説明。そりゃみんな心配してくれますよね。早めに帰宅して家で夕飯。娘が喜ぶ。娘が寝てからNetflix『ペット・セメタリー(1989年)』を見る。
■2020/1/24
行きたかったLIVEが取れた。がしかし、入院になるといろいろ行けなくなるものも出てきそうで心配。仕事終わりで吉祥寺へ。UPLINK吉祥寺で『ポゼッション 40周年HDリマスター版』鑑賞。ディズニーデラックス『マンダロリアン』S1E5を見る。BS録画『主任警部モース』E9を見る。TV録画『フラッシュ』S3E13を見る。
■2020/1/25
朝から娘と吉祥寺の眼科へ。娘を習い事に送ってからUPLINK吉祥寺で『his』鑑賞。チートイツさんとニアミスだったようです。AKIRA君ともニアミスだったかも。娘と合流してから帰宅。夕飯は奥さんが買ってきてくれたビリヤニ。Amazon Prime『ロスト・イン・ラ・マンチャ』を見る。Amazon Prime『スタートレック:ピカード』S1E1を見る。
■2020/1/26
朝から近所の図書館をハシゴ。トータルで4キロ以上は歩いたはずなので多少動けるようになってきた。朝のウォーキングも復活させたいが。立川へ。キノシネマ立川で『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』と『ペット・セメタリー』鑑賞。西荻へ移動。本屋ロカンタンでにて2019年外国映画ベストテン会議!千浦僚+村山章+結城秀勇。2019年の映画全体の話や流れの話を聞いて面白かったし、自分の観た映画も整理できた感じ。そうだ、ぷらすとの2019年ベスト映画も見ないとな。YouTube『TDF Really Works』を見る。
■2020/1/27
すごい寒い。当初の予定では仕事終わりでシネマート新宿まで行こうと思ってたんだけど、雪が心配なので予定変更、昭島へ。MOVIX昭島で『リチャード・ジュエル』鑑賞。映画館を出たらみぞれになっていた。歩いて帰宅。
■2020/1/28
上司や人事、産業医とミーティング。2月からの本格復職はなくなったが、2月1日付であわてて休職する必要はないとのこと。バタバタしないで良いので助かる。再休職のスケジュールは明日決まるかな。早めに帰宅。娘が喜ぶ。夕飯を食べて、娘を風呂に入れて、寝かしつけまで。Netflix『失くした体』を見る。Netflix『ARASHI's Diary -Voyage-』E2を見る。DVD『JAPONICA VIRUS ジャポニカ・ウイルス』を見る。
■2020/1/29
朝から病院へ。先生から手術の説明を受け、手術および入院、そしてその準備のスケジュールを決める。おそらく2月中旬から3月いっぱいまで再度休職することになるだろう。いろいろと予定が狂いまくる。そして2月のMCTTには参加できない。申し訳ない。家族にも連絡。手術の日の予定を確保してもらわないといけないのだ。午後から出勤。いろいろ連絡。もう連絡とか調整だけで半日が終わってしまうよ。仕事終わりで立川へ。シネマシティで『バッドボーイズ』鑑賞。極上音響上映で。懐かしいな。95年の上映時もシネマシティ(シネマワン)で観たかもしれない。昭島へ移動。MOVIX昭島で『シライサン』鑑賞。映画観終わって歩いて帰宅。
■2020/1/30
『AI崩壊』冒頭9分ぐらいが公開されたので見てみたらエキストラ出演した自分の姿を確認。まぁ自分以外の人はマジでわかんないと思います。休職に向けた手続きをいろいろと開始。仕事終わりで昭島へ。松屋でプルコギ食べてからMOVIX昭島で『風の電話』鑑賞。歩いて帰宅。
■2020/1/31
昼休みに出来上がった診断書を病院まで取りに行く。病院が歩いていける距離にあるとこういうところがありがたい。仕事終わりで立川へ。うどん食べてからシネマシティで『AI崩壊』鑑賞。もう、入江監督の新作については面白いとホッとする。ディズニーデラックス『マンダロリアン』S1E6を見る。そんな感じでいろいろ予想外なこともあった1月も終わり。
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2019Oggi12月号の濵田崇裕くんに恋をしたアラサーの手紙
全国50000000人のジャニーズWESTファンのみなさんこんにちは。むぎちゃんです。かれこれもう300年JKをやっています。プロのJKです。プロと呼んでください。プロJKなので渋谷の駅地下に住んでいます。そろそろ寒いです。ダンボールくれ。満を持してアップしてなかったOggi12月号建設物流部の濵田崇裕くんについての地獄散文を晒していこうと思います。
見ました?
はまだくんの脱がずの役満ボディ
死ぬかと思ったよ
Oggiてさあ!Oggiってなんなの!?すごくない!?神様仏様Oggi様だよ!どうしてこんなにジャニーズWESTを起用しこんなにいいところばかりを活かしてくださるの!?なんなの!?GOD!!ミリオンGOD!!天井知らず!!開店前から行列レベルやで!!!整理券取得に必死やこっちは!!!
Oggi発売前後、むぎちゃろは相当疲れていた。なぜならたくさん働いていたからである。自分でスケジュールをぶちこんでいるのでどう考えても自業自得なのだがあまりに働きすぎていた(当社比)。なにせ私は昔からカスなので早朝から決まった時刻に通勤通学するということがマジでできない超エリート系不規則最悪人間なのである。中学が義務教育でマジでよかった。どうやって高校を卒業したのかは覚えていない。大学の時は四年生の時に一年生の授業に出ていた記憶がある。しかも同じ授業の中に弟の友達がいてまじかよ〜〜〜wwwと爆笑した記憶がある。向こうからしたらドン引きだろう。いやそんなことはマジでどうでもいい。とにかくそんな私が早朝から仕事を連日して毎日深夜まで飲み歩いていたため疲労困憊パリスヒルトンて感じだったわけである。しかも家仕事が積み重なりPC周辺は資料とかお菓子とかで地下帝国状態であった。さながらカイジの気分である。なぜこんなことに。一日外出券を手に入れるため必死に働く私。そこに現れたのがOggi12月号である。
イヤァアアアァアアアアァアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアァアアアアァア!!!!!!!!!!!!!!!!!!好きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!
ページを開いた瞬間、キマった
楽しみにしていた。楽しみにしていたすごくOggi濵田くん回を。そそそそそそっそそそそそそそれにしても。それにしても。それにしても〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!
神!!!!!!!!!!!!!(;;)(;;)(;;)(;;)(;;)(;;)(;;)
詳しく見ていこう。まず1ページ目。コピーをご覧いただきたい。
<包容力のある男No.1>
ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!いきなりムリミナルマインド〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!
そそそそそんなあいきなりそんなそんなそんな勘弁してよお!!いきなりかいしんの一撃を喰らった気分である。ポケモン対戦だったらもういいもどれむぎ!って感じである。しかも次なる攻撃がむぎちゃろを襲う。
(建設物流部/入社9年目/30歳)
この完璧な設定が濵田崇裕という名前の下に記載されていたため私の脳は混乱する。あれ?もしかして。もしかして濵田くんて本当に株式会社ジャニーズWESTホールディングス建設物流部の人なのかな?あれこの人ほんとにそういう人なのかな?読モ的な?本当に存在しているのでは?これは?現実?フェイク?ドラマ?映画?私は一体いまどの世界線にいるの?と〜き〜を〜かけるアラサ〜〜〜。そしてページ下部を見て欲しい。名刺。名刺である。あれ?やっぱりこの人ほんとうにJWホールディングス勤務の濵田くんなのかな?完全に脳は錯覚を起こしている。名刺ってもう萌え萌え完全イメプアイテムすぎるじゃん!!名刺入れに入れたい。お守りにしたい。これがあればどんな仕事でも乗り越えられる気がする。そんな気はしませんか?する。しかもそのすぐ下の設定をご覧いただきたい。
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関西エリアの商業施設・オフィスビルの開発を担当するチームをまとめる。人望が厚く、後輩からも慕われている。職業柄、通勤中の街並みや街で出会う人たちに仕事のヒントを求めて入社当時から自転車通勤を続けている。特技は格闘技で、毎日の筋トレが日課。趣味は釣り。
この4行に渡る現実と妄想が混ざった絶妙な設定。Oggiという雑誌が、Oggiという雑誌を作り上げこの短期連載に臨んでくださっている編集チームさんたちがいかに素晴らしすぎるか物語りすぎている。もうこの1ページだけで完成度とファンへの気遣いと萌えさせてやんよオラァという気迫が伝わってくる。神。やばい1ページ目���相当書いちゃった。まあ仕方がない。まだ濵田くんのスタイリングになんの言及もしていないではないか。これからハイパー書くから同じことばっか書くから抑えるけどまずニーショットのデイパックのポケットに片手つっこみの身体は横向きからのこっち向いてる立ち姿のふんわりめヘアスタイリング。最高すぎる(;;)たかひろ(;;)しゅきぴ(;;)その最高なスーツからの次ページ寝起き筋トレシャワー上がり筋肉晒し。
無理(;;)(;;)(;;)いきなりこんなの無理だよお(;;)(;;)
この連載が朝から始まるということはもちろん知っている。しかし人とは愚かなので朝から始まることに脳が追いついていけない。朝からのはまだくんだあ……どうしようこんな……こんな……(;;)二の腕の筋肉がきれいすぎる。デッサンしたい。デッサンモデルにはまだくんが来たらどうしよう。そしたらもっと頑張って大学行ったわ。デッサンモデルはまだくんはデッサンモデルのバイトをしながらプロダンサーを目指している関西出身の…まずい話が逸れる。2ページ目中段左カットのはまだくんの前髪が真ん中分け状態になっていてとてもかわいい!かっこいい!真ん中分けのはまだくん本当に好き!嬉しい!シャワー上がりのはまだくんめっちゃかわいい。ブロー前にりんご食べるの?てかりんごをそのまま食べるのすごくない?りんご200年くらい食べてないかもしれない今すぐ食べたい
さて3ページ目である。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!好きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
言いたい。よく向こうの道路とか平面状態で重岡くんを見つけることにしなかったなあと。この橋の上っぽい立体状態から重岡くんを見つける設定にした編集さんに本当に感謝を述べたい。本当にありがとうございます!!立体的構図を図ってくださったおかげで自転車乗ってるけどちょっと背伸びっぽい動作をして下の方めな遠方に視線を向ける濵田くんのおめめが見られたわけである。神カット。しかもこの角度は私の大好きな濵田くんの輪郭も拝めるのである。う〜〜〜ん神。すごい。すごカット。しかもこれねえ濵田くんは右手でブレーキを握っているのである。だからきっと走行中重岡くんを見つけ停止したのだろう。なんて素敵な設定なのであろうか。しかも相手は重岡くんである。かわいい。私ははましげが好きなのでとても嬉しい。重岡くんを見つけたためにわざわざ停止して眺めているはまだくん、とてもかわいらしくかっこいい。あとコートがマウンパっぽい形のネイビーなのも最高だ。ヘリーハンセンを着ているはまだくん。ファッション誌って着用物が全部書いてあるところが何より最高だと思っている。アイテムも厳選されていてスタイリングに抜かりがない。特にOggiha付録や広告に頼らず中身で勝負という印象の強い雑誌なので余計に洗練感がある。最高。みんなもヘリーハンセンのコート買っておそろいにしようや。ああこれ建設物流部のはまださんと同じコートなんだあと思ったら人生が豊かになると思いませんか?私は思う。
4ページ目。
あああああああ!!!!!!!!!!!!!好きっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
11時47分。昼時である。カップ麺とおにぎりを買ってきて食べるはまだくん。サイコ〜〜〜だ。この2枚目のコンビニから買ってきたよ感がとてもいい。そこから3枚目カップ麺を作って(割り箸くわえてるところがワンワンワンダフル……)4枚目でおにぎり頬張ってもぐもぐしているところがたまらない。しかもきっとごはん食べたら暑くなったのかジャケットを脱いでいる。最高最大の物語である。この濵田くんはきっといつもコンビニ飯なわけではきっとないのだと思う。仕事のヒントを得るため街並みを観察したいがため自転車通勤をしているくらいなのでおそらくお昼は外に出てみるタイプだろう。知らないごはん屋さんやお弁当屋さん、出張ワゴンでランチを買ったり食べたりするタイプだと思う。そしてそれが仕事にきっと生かされているだろう。しかし撮影日はなんといってもコンペ前。資料の最終チェックもしたいしおそらくはちょっとひた身支度も整えたいはずだ。となればぱぱっとコンビニで買ってぱぱっと食べながら社内で昼食をとりたい。だからきっとコンビニごはんなのだろう。おそらくオフィスビル直結のコンビニなのでぱっと降りてあっと買って戻ってくるだけ。昼食に時間を割きたくない日もばっちり。地獄の考察おわり。
コンペうまくいったのかなあ><?大丈夫だったのかなあ><?というオタクの心配もきっちりカバーしてくれるのがそう、Oggi。次ページをめくれば17時4分のはまだくんがコンペは無事成功!と親指を立ててくれているのである。よかったあ〜〜〜ほっとしたあ〜〜〜!査定されるといいね!などといつものきゃわぴっぴお兄さんなはまだくんを眺めながら思っているとあっという間に少しも大丈夫ではなくなってくる。いきなりオトナのタカヒロだ。いきなりエロい目でこっちを見てネクタイを外している。
いきなりエロい目で!!!!!!!!!!��!!!こっちを見て!!!!!!!ネクタイを外している!!!!!!!!!!!!!
ハァアアハァアアアアアアアアアァアアアァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!今からエッチするのかな!?!?!?!?!?!?!?!?!?
そう思ってもおかしくはない。みなさんもそうは思いませんか?私は思う。I think H!!!!!21時3分のはまだくんに誘われている。てかあ〜〜〜照明エロくね!?!?!?間接照明だけの家かよ〜〜〜!!!!!エロ!!!!!エロティカセブンやなあ!!!!
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仕事帰りに広報部の小瀧くんに遭遇。話が盛り上がった勢いでごはんへ。ほんまおもろい子で笑疲れたわ!
この文章がもはや同棲している自分に帰ってきて掛けられた言葉に思えてくる。すごい。Oggiすごい。これが…これが……催眠……。そうだったんだあ!よかったねー!とっくにおうちでくつろいでいた私は中条あやみちゃんばりにハーゲンダッツを食べながらにこにこしている。妄想は自由である。え、でもさマジでほんとになんでこんな表情してるの崇裕くんは。いったいなにがどうしてこんな表情を?やっぱりどう考えてもこれからエッチするんだとしか思えない。平日だけどまだ21時だしいけるっしょって感じなのだろうか。うはおk把握。全然大丈夫である。全然いけいけどんどんである。私はいつだってガンガンいこうぜだ。ちなみにドラクエはレベルが低いまま進むのでいつでも行き詰る。21時3分でこんなエロい顔してどうするのかなと次ページに目をやれば。
23時11分!!!!!!!!!!!!!!!!!!乱れた胸元と!!!!!!!!!!!横たわった姿勢!!!!!!!!!!うっかり!!!!!!!!!!ソファーで!!!!!!!!寝てもうた!!!!!!!!
これ絶対ヤッたな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これ500%エッチしてソファーで寝落ちたべ?!?!?!?!?!?
なんという完璧な裏設定なのだろうかOggi大編集チーム閣下よ。すごい。すごすぎる。妄想をかきたてられすぎる。夢でキスキスキス、キスキスキスである。どこへもどこまでもである。むぎの卓球。シャングリラ。タカヒロというシャングリラ。
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あーこのまま寝たいけどあかんな…。
全然いいと思うよお><えらいねえはまだくゆ><
特筆したいことはどんなエッチをしたのかという考察はまだくんの脱がずの役満セクシーボディです。はまだくん好きな人あるあるだと思うのですが首元の骨と肉と血管のラインがたまりません。美しい。はまだくんの皮膚はどうしてこんなに魅力的なのでしょうか。厚くもなく薄くもない肌のなめらかさと色が懇情の慈しみと憂いと裏切りです。溶けたい。ていうかなんて目してるの。どうするの。どうしたいの。どうされたいのどうされたの。もっとなのまだなのもういいなの助けてなの疲れたなのなんなの。嗚呼。しんじゃう。おでこがかわいいね。いとしいね。ヘアスタイリングがとても好みです。でででちょっと唇うすく開けてるのもすっっっごくいい。この前半で身体晒す健全セクシーからの後半は脱がずの疲労セクシーなの完璧な塩梅すぎて本当にOggiのこの連載すごいなって思う。すごい。アカデミー編集賞を授与したい。6ページも遣ってくださって、逆にたった6ページでこんなに脳トロ状態にさせてくださって本当にありがとうございますという感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。家宝にします。死んだら棺桶に入れて一緒に燃やしてもらいます。私は幸せです。
そしてぎっしり詰まった5000字インタビュー。
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Oggiは大人っぽく、脱がすことなく色気を出してくださる。
本当にその遠りすぎる。すごい。それなのにハチャメチャに低俗なことばっかり言ってごめんなさい。前世からやり直します。このはまだくんの「出してくださる」って言い方がすごく好き。
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英語の勉強中、消しゴムを使ったりすると〜
おうちのダイニングテーブルで英語の勉強をしてしかも消しゴムを使っているところにとても萌えた。私も勉強したい。勉強しよう。なんかこういうすごく些細なディティールがとても嬉しいからロングインタビューって本当に好き。
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この秋は「お前それしか着てこうへんな」ってくらい着たろかな思ってるんです。
そのセットアップどこかで拝めるのかなあ〜〜〜?見たい見たすぎるよお………
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音楽を聴く代わりに今は英語の音声を聞いています。
えらい……えらひろ……私も向上しようってはまだくんの努力にはいつも動かされる。そのままでいいの?ってはまだくんに畳み掛けてくれたスタッフさん本当にありがとう。はまだくんの何かが見えてたのかな。人は影響しあって生きている。
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一ヶ月前から体重を増やし始めてなんと今、4kg増えたんですよ。でも目指してるのは、あとプラス3kg!
発売日にはもうSASUKEオーディションは終わってるので撮影&インタビュー時はオーデ前後、もしくは出演内定後だったのかな?やけに増量のこと話すからアクション系のキャスティングが来たのかなって妄想してたけど本当にマジのアクション系でびっくりしたやで。体重も筋力も理想までアップするといいね!応援してるしSASUKEいっぱい楽しみにしてるよお!
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これでは死ぬやんって思って、
生命の危機への感じ方がダイレクトすぎてワロタ
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僕の印象に合わせて、今回の裏テーマを「包容力のある男の隙」に設定してくださったそうで、ありがとうございます!
はぁああぁああぁああOggi大先生本当に本当に本当に本当にありがとうございます大感謝です本当に嬉しい包容力のある男の隙大好き大好き大好きただでさえ大好きなのにそれを濵田崇裕くんで演出してくださって本当にありがとうございます(;;)
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〜でもメンバーで言うと小瀧さんかな。(中略)〜伝え方もうまいし、いざというときに「無理せんでええで」ってフォローもしてくれるから包容力もあるなと。僕は小瀧さんに包まれてる感があるなと思ってます(笑)
めっちゃ萌えた。ほんとに。のぞむちゃんがはまだくんに対し「はまちゃんは守りたい妹みたいな感じ」と言ってた関係性の実態が垣間見える文だと思った。はまちゃんが言葉に詰まってうまく意見を提示できない時に「はまちゃんはこう?」って通訳的な役割をするってのぞむちゃんは言ってたけどその空気感を存分に感じられる一文である。泣いちゃう。小瀧望くんありがとう。はまこたがずっとはまこたでありますように。
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僕自身、包容力は…ある!包容力のかたまりでしかないです(笑)メンバーを受け止めるのが、僕の役目やと思ってるので。
涙で紙面が見えない。碇ユイじゃん。はまだくんて碇ユイだったの?濵田担補完計画まだ?自分の役目を把握してそれを受け入れているはまだくんが凛々しくも格好よくもあり切なくも愛しくも感じる。役目というのは相対的に自己を確立あるいは居場所を確認するもののひとつだと思っているのではまだくんがメンバー内でのそれを認識していることがエモーショナルすぎる。
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淳太が「Jr.のころ、自分では気付けなかったところを唯一言ってくれた」って僕のことを話してくれたんですね。(中略)淳太だから言えたんちゃうかな。
はまじゅん入れてきてくれてありがとうはまだくん。はまじゅんJr.時代エピソード5000億回聞いても飽きない。淳太だから、ってなに。ほんとなに。もお〜〜〜もうほんとはまじゅん好き。どうしてこんなにはまじゅんのことが好きなのかなあ。はまじゅんの糸は誰も絡むことができない。
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格闘技はアクションも両方やりつつなんですけど、週二で習い始めて一年半くらい経ちましたね。
絶対むくわれるよ大丈夫。絶対絶対むくわれる。私もはまだくんをならって未来でむくわれるような何かをしたいってめっちゃ思う。そう思わせてくれるだけではまだくんを好きになった価値みたいなものがありすぎるほどにある。はまだくんのアクションも格闘技も新しいアクロバットもいっぱいいっぱい見たいよ〜!私もいっぱいいろんなことしよう。ていうか週二でならいごとして英語もやってるはまだくん本当素敵めっちゃ素敵萌える。
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だからご褒美は買わないと思います。
毎晩ごほうびしてるわいのことはカスと呼んでくれ…
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だから、皆がレベル上がったのに自分ひとりポンコツやなって思って、習い事も始めたんです。
そんなことないよほんとに。全然ポンコツじゃないよ。自分のこと過小評価しないで。でもその向上心はすごくストイックでそういうところが濵田崇裕をつくっているのでしょうね。人生が見える。
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グループとしての目標はドームツアーと、24時間テレビや27時間テレビみたいな大型番組や紅白にも出たいし、アジアツアーとか世界にも行きたい。
全部やろ。全部いこ。全部全部全部みんなで叶えよ。絶対。こうやって表明してくれると本当に応援のしがいがあるしいけるって思うし私の人生も豊かになるし私の人生の目標へも勇気が出る。はまだくんがジャニーズWESTがドームツアーをするところ、24時間テレビや27時間テレビでパーソナリティーをしているところ、紅白へ出演するところ、アジアツアーをしているところ、全部全部見たい。
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全員が高め合っていけるグループでありたいな。
こんなに仲良しでいてくれるのにそう思ってくれていること本当に安心するし本当に嬉しい。なんていいグループなんだろうジャニーズWESTちゃん……
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楽しいことをたくさんやるので、ファンになってくれたら後悔はさせません!皆さんの応援が僕たちの力になります。よかったらジャニーズWESTからだれかひとり「推し」を見つけてもらえたらと思います!
ああ〜〜〜〜〜!!!!!!こういうこと誌面で言ってくれるの本当にときめくし自慢だし誇らしい〜〜〜!!!(;;)(;;)(;;)ジャニーズWESTのことは全然知らないOggi読者の方がこの短期連載を見てジャニーズWESTに興味を持ってくれたり推しを見つけてくれたら本当に本当に本当に嬉しいなあ〜〜〜!私この連載見てはまだくん好きになってOggi出ですって言いたいもん!!あ〜〜〜担降りしたい。はまだくんに担降りしたい。いつだって最新のタカヒロ新規やわしは………なんかなんかとても美しい5000字インタビューだったなあ。等身大のきちんとしたインタビューって感じで読んでてとてもよかった。30歳のはまだくん、良い意味でアウェーのインタビューのはまだくんて感じでとてもよかった。
裏ト〜〜〜ク、自転車かかえて階段のぼってる振り返りショットのはまだくんよき〜〜〜!
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オフィスでのシーンでは、コンペ当日の設定にもかかわらず「PCのパスワードが3時間前からずっとわからんねん…どうしよう」というオリジナル設定を足して演技をする濵田さんに現場は大爆笑。
かわいいおもろいの権化やないか。天才か。
てか〜〜〜!!!!!アザーカット1枚目のはまだくん相当やばくない!?!?!?!?これめちゃめちゃ好きなやつ〜〜〜!!!!!(;;)(;;)隙ありすぎ超かわいい超超かわいい超かっこいいああああたまらないやばい〜〜〜〜(;;)(;;)(;;)!!!!!A0で欲しい!!!!この!!!ピンナップ!!!!!うううう(;;)(;;)(;;)
続いて2枚目のドセックスカットも無理みがすごすぎるつらたんめんじゃんこんなの……どうしてこんな…人は…なぜ……(混乱)濡れたばらばらの前髪ほーーーーんと性癖がすぎる(;;)美しい輪郭だねえほんとに……もはや写真を開発した人に感謝を捧げたい。カップ焼きそば食べてるのかわいい信号待ちかっこいいモデルみたいモデルっぽさあるよねはまだくん海外コレクション出てるタイプのアジア人モデルっぽさストレッチヒロのサービスカットまでありがとうございます。
いつの間にか結構書いてた気がする。間違いなく間違いなくOggiの濵田崇裕くんに恋をしましたいやもう脳内で完璧な同棲を描けました。丁寧な描写や緻密な設定、Oggiさん本当に本当にありがとうございました。この連載はもはやファッション誌の域を超え疲れた身体に効きまくる栄養剤であり絶対唯一のポルノであり聖書であり合法ドラッグです。これからもオーバードーズしていきます。どうかこれからもジャニーズWESTを本当に本当によろしくお願いします。大好きです。感謝〜〜〜!!!
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2022/2/28
三村晴彦の『天城越え』を観てから十日が経ったきょう、『天城越え』のことを考えていたら、とうとうボロボロと泣いてしまった。映画というものは往々に、目撃した瞬間を沸点にして、あとはしだいに忘却されるものだと思うけれど、観たあとから段々と大きくなってくる映画とはまた珍しい。いまさらになってボロボロと泣いてしまったじぶんが言うのもなんだけれど、ほんとうにまったく大したはなしではない。単なるあられもないはなしで、学びもなければ救いもありはしない、単なるどうしようもない悲劇だけがそこにある。個人的に悲劇というのはそんなに好きではない、マックス・オフュルスの『忘れじの面影』に代表されるような悲劇の悲劇性に屈しない悲劇は大好きだけれど、『天城越え』はそういう映画でもない。強いていうなら日活ロマンポルノに近いのかもしれない、物語的な悲劇ではなく、映画制作における状況としての悲劇を疑似的に作り出しているという意味で。日活ロマンポルノにはジャンル映画として数々の制約があり、その制約を飲み込んだうえで、つまり制作があからさまにマイナスからのスタートになる、このマイナス分をどうにか乗り越えないといい映画にはならないだろうと制作陣はあらかじめ覚悟して臨むことになる。同様のことが『天城越え』にも言えるような気がする。まずひとつに、松本清張の原作で勝負しているということ。これは三村晴彦の師匠の野村芳太郎がぜひとも松本清張で勝負すべしと提言したらしい、なかなか粋なアドバイスをしてくれたなぁと思う。原作という型がある以上、はなしはすでに明るみになっているのであって、しかも、その型は推理小説というかたちをとっている。犯人があらかじめわかっている推理小説を原作にした映画をどうやって面白くしたらいいのか。もうひとつに、『天城越え』は回想形式を採用しているということ。回想形式ほど映画に相応しくないものもない、そもそもカメラは生々しい現在の瞬間を記録するものだし、現在と過去を行ったり来たりする回想形式は映画の説話においてはどうしてもダレを生んでしまう、どんなに過去を再現して映し出しても、現在における時間はいっこうに進まない、それだったらいっそのこと回想などやめてしまって、回想される事件そのものを映画にしたほうがよっぽど映画として相応しい。『天城越え』はこうした二重のマイナスを日活ロマンポルノのように疑似的に背負うところから始まっている。じっさいに、じぶんは原作のほうは未読でありながら、冒頭の現在のシーンからすでに犯人はわかってしまう。それでいて暢気に回想し始めるものだから、この映画だいじょうぶか? って、かなり心配になりはしたけれど、気がついたら開いた口が塞がらなくなっていた。二重にマイナスな点はどちらも脚本の側にある、きわめて凡庸な脚本、物語として起こるべきことが当たり前のように起こる、単なる脚本。それは裏を返せば、安定的なしっかりした脚本だとも言える。ちなみに脚本は三村晴彦に大ベテランの加藤泰が入って手直しを加えている。日活ロマンポルノは脚本からして理解不能な突飛なものが多いけれど、『天城越え』はじつに物語らしいシンプルな物語になっている。そうすることで、物語としてではなく、映画としてどうしていくべきなのかという課題がかえって浮き彫りになったのではないか、それが師・野村芳太郎と脚本に途中から加わった加藤泰の狙いだったのではないか。とるに足らない題材をあえて映画化するのであれば、そこからは、むしろ、映画の映画的な映画のいちばん重要なところしか零れ落ちてこない、それを下積み時代のめちゃくちゃ長かった(じつに二十年以上! の)三村晴彦に溜まりにたまった鬱憤のパワーを発散させる場として、満を持して監督させたのが『天城越え』ではなかったのか。
回想映画の難点として、キャスティングの問題がある。『天城越え』のように犯人の初老の男が少年時代を回想するのであれば、どうしても少年の男役と初老の男役をキャスティングしなければならない、ここに映画としての嘘、弱さがどうしても露呈してしまうし、これはある意味で二人の役者の使い捨てでもある、時を隔てた二人は単なる当馬として説明的な役に収まってしまう。こうした回想映画の至らなさをこんにち『フレンチ・ディスパッチ』のウェス・アンダーソンが、若い役の男が老いた役の男に「あとはよろしくな」とでも言うようにバトンを渡すというフィクションのフィクションとして、ひとつのショットを成立させたことで映画の尊厳を勝ち取った感動はひとまず脇に置いておいて、『天城越え』は犯人役の男をダブル・キャスティングするいっぽうで、犯人を追う刑事役の渡瀬恒彦に30代の新米刑事と60代の古株刑事を時を隔てた一人二役で出演させている。これはセルジオ・レオーネが4時間をかけて二人の不良と一人の女の少年期・壮年期・老年期を描いた大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』にも通ずるキャスティングにまつわるケリのつけ方だと思う。少年期はさすがに無理があるから若いキャストを配置しながら、ロバート・デ・ニーロとジェームズ・ウッズとエリザベス・マクガヴァンは年齢相応の壮年期を演じながら老けメイクで老年期も演じている。老けメイクの不自然さを差し置いてもなお、そこはやっぱり一人の役者で押し通すべきところで、おなじ嘘は嘘でも、老年期にも年齢相応の役者をキャスティングするのとは大きく異なる嘘をほんとうにする強引なパワーがある。『天城越え』は60代の古株刑事が足を引きずりながら街を歩き、とあるビルの階段を足を引きずりながら上ってゆくショットからはじまる。街では竹の子族の集団が踊っていて若者と老人の対比が際立ち、ビルの細長い階段を上らせる演出もにくい、サングラスとハットとロングコートで身を包む渡瀬恒彦がほんとうに老人のように見えてくるというか、この時点では渡瀬恒彦とはわからない。回想がはじまり、事件がひと通り描かれ、ようやく事件を追いはじめる新米刑事が出てきたところで、冒頭の老人が渡瀬恒彦であることがわかってくる。
ところで、回想に出てくる脇役たちが怪優ぞろいなのも凄まじい。家出の道中で出会って、しばしば山道を同行するのは柄本明。ガイシャを泊めた夫婦は石橋蓮司と樹木希林。そして、巡査の伊藤克信。彼らがそれぞれの持ち味をふんだんに活かして誰が主役なんだかわからなくなるくらい大活躍していることがこの映画を底上げしているように思う。この映画の主な視点は回想している犯人によるもので、そういう意味で真の主演は回想者ということになる。けれども、その回想者の顔はあまり画面には出てこず、出てくるのはあくまでも回想者の少年時代を演じた別の顔になる。没主演的な映画、このことが回想の脇役たちを際立たせ立体的な存在として浮かび上がらせるトリガーになり、時効の事件をいまだに追い続けている影の主演・渡瀬恒彦の執念にもなり、いまさらになって忘れていたつもりだった事件を掘り起こされる犯人の没主演的なあられもなさにもなる。そして、真の主演と影の主演の両者に思い起こされるのは、二人そろって罪を着せてしまった冤罪の女の顔にほかならない。起訴中に死んでしまって、もはや回想のなかでしかみることのできない女の顔、忘れようにも忘れられない女の顔。この顔のあまりにも途方もない美しさを演じきったのは、その直後に連続テレビドラマ『おしん』で歴代最高視聴率(未だに破られていない)を叩き出した田中裕子。リアルタイムで『おしん』を観ていたKさんのはなしでは、歴代最高視聴率の瞬間を叩き出した直後のニュース番組に出たアナウンサーが嗚咽してしまってとてもニュースにならなかったのだそう。その片鱗というか、覚醒のきっかけをつくったのは『天城越え』ではなかったのかと思う。『天城越え』の撮影現場は当初かなり不穏な雰囲気だったという。それは下積み二十年からついに監督にのし上がった三村晴彦の尋常ならない気合いのあらわれであろうし、渡瀬恒彦という役者生来の暑苦しさでもあろうし、田中裕子の役者としての意地でもあったのだと思う。この三人が芝居をめぐってバチバチにぶつかり合っていたという。そう、そんな気合いの熱量もこの映画には確かに記録されている。��想とモノローグで語られるこの映画は、回想とモノローグであるがゆえに物語的には宿命的に熱くなることができない。ただ、それはあくまでも物語的にということで、映画撮影におけるドキュメンタリーとしての熱さは確かに記録されている。この映画を観ながら、これはどっちなんだろうと、まぁ、どっちでもいいんだけど、どっちなんだろうと観ながらふっと思ったシーンがある、取調室で刑事に暴行される田中裕子がたまらずに失禁してしまうシーン。カメラはスムーズに水の流れを映すから、これは脚本にも書かれていただろうことはわかる。ただ、この水が役を演じる本人によるものか、そうでないか。観る側としては正直どっちでもいい、本人から放たれたもののほうがリアリズムとして優れているとは思わないし、そういうケースもあるだろうし、そうでないケースもあるだろうと思う。ただ、このシーンには、ふっとどっちなんだろうと思わせるほどの何かがあった、それだけが重要なポイントだと思う。観終わって調べてみると、ふっとの予感はやっぱり正しくて、どうやらこのシーンは撮影の大きな転機になったらしく、バチバチのぶつかり合いのなかで田中裕子が「仕掛けはいりません、自前でやります」と宣言し、そのひと言で三村晴彦は田中裕子の芝居を信頼するようになったという。そんなぶつかり合いや信頼の行く末にあの途方もなく美しい田中裕子の切り返しショットが生まれたのだなぁと思うとやっぱりいまさらになって涙を禁じえない、禁じえない、禁じえない……。
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