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#8度傾き呼びかけるはるはる
purplekittennight · 2 months
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喜び歌いつつ、主に仕えて、キリストの日まで
喜びながら主に仕えよ。 喜び歌いつつ その前に進み出よ。詩篇100:2
善を行い、 気力を失わないでいましょう。 怠ることなく励んでいれば、 キリストの時に至り、 私たちも刈り入れを迎えることに なるのですから。ガラテヤ書6:9(ド)
 ヤコブ書4:1~10  出エジプト記4:18~3 1(通読箇所)      (ローズンゲン日々の聖句2/22;木)
   ―――― α&ω  ――――
 聖書を通しご自身を啓示している方、 天の神、【主】、 「『わたしはある(I am)』という者」と 名乗られる方(出エジプト3:14)に仕えるのですね。 私たち。 喜び歌いながらこの方の御前に出て行って。
 私たち人間は、元々、 この方、天の神、【主】の 「さあ、人を造ろう。 われわれのかたちとして、 われわれに似姿に」(創世記1:26)との御思いによって 創造されたものなのだそうです。
「われわれ」、 【父である神】、【御子である神】、 【聖である霊】と呼ばれる神が、 互いに愛し合っておられ、 自由意思で、自発的に、 「自分の思いが成ることよりも、 相手が思っていることが成るように」と願い、 思いを一つにしておられる、 その「一つ」の中に、 愛において、自由意思で、自発的に加わる者をとの 願いによって。 それが喜び、生き甲斐である者にと(ヨハネ6:38、8:28)。
 けれども私たちは、 この、「神と思いを一つにする」在り方を捨て、 「神の一人のようになり、 善悪を知る者」となって(創世記3:22)、 天の神、【主】と対立、対抗して、 自分の理性だけよる「善悪」の判断で生きる者に なっています。 生まれたときから、神の創造の目的から「的外れ」な者に。
 イエスは、 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、 私たちの、この「神の一人のようになろう。 自分の理性の判断だけで善悪を決めよう」とする 「的外れ」になった〔生まれたときからの私〕という霊を、 死刑が完了したもの、死んだものと 手続きしてくださいました。
そしてイエスは、死んで墓に納められ、 三日目、日曜日の早朝、 新しい霊のからだに復活し、 40日にわたり弟子たちに何度も現れ、 神の国のことを語り、 御自身が生きていることを証明したあと、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、 天の、【父である神】の右の座に復帰されました。
そこで、【父である神】は、 かねてからの約束のとおり (エレミヤ31:31~34、エゼキエル11:19~20、36:25~28)、 このイエスを通して、 もう一人の方、 【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに遣わし、 この方によって御自身の思いを 私たちの心に置き、書き記して、 私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、 私たちがご自身と思いを一つにして生きるようにと 回復してくださいました。
喜び歌いながら御前に出て、 自分の思いをしていくことよりも、
この方が思われることをしていく者にと。
気力を失い、あきらめてしまうことなく、仕え続けていれば、 キリストの時が来て、 御霊から永遠のいのちを刈り取ることになるのですから。
 イエスの弟のヤコブは手紙で書き送っています。
「あなたがたの間の戦いや争いは、 どこから出て来るのでしょうか。 ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う 欲望から出て来るのではありませんか。 あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、 人殺しをします。 熱望しても手に入れることができないと、 争ったり戦ったりします。
自分のものにならないのは、 あなたがたが求めないからです。 求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと 悪い動機で求めるからです。  
節操のない者たち。 世を愛することは 神に敵対することだと分からないのですか。 世の友となりたいと思う者はだれでも、 自分を神の敵としているのです。
それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。 「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、 ねたむほどに慕っておられる。 神はさらに豊かな恵みを与えてくださる」と。
それで、こう言われています。 「神は高ぶる者に敵対し、 へりくだった者には恵みを与える。」
ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。 そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。  
神に近づきなさい。 そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。 罪人たち、手をきよめなさい。 二心の者たち、心を清め(単一にし)なさい。 嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。 あなたがたの笑いを悲しみに、 喜びを憂いに変えなさい。  
主の御前でへりくだりなさい。 そうすれば、主があなたがたを 高く上げてくださいます。」(ヤコブ4:1~10) 
 通読箇所、出エジプト記の続きです。
 ヘブル人(イスラエル人)の男の子が生まれたら ナイル川に投げ込めとのエジプト王の命令で、 葦のかごに入れられ、 ナイル川の葦の茂みの中に置かれた赤ん坊は、 水浴びに来たエジプト王女に拾われ、 モーセ(水の中から引き出したもの)と名づけられ、 王女の子として育てられることになりました。
大人になったモーセは、 苦役の中にある同胞を救おうと願い、 ヘブル人(イスラエル人)を打っているエジプト人を打ち殺し 砂の中に埋めました。
しかし、それがエジプト王の知るところとなり、 また、同胞からは、 「だれがおまえを、指導者やさばき人として任命したのか。 おまえは、あのエジプト人を殺したように 私も殺そうというのか」と拒否され、 ミデアン(シナイ半島の アカバ湾をはさんだサウジアラビア側)の地に逃げ、 羊を飼う者となっていました。 そして40年、イスラエルの人々は苦役にうめき、 神に叫びました。
モーセは、ミディアンの祭司、 しゅうとイテロの羊を飼っていて、 神の山ホレブ(シナイ山)まで来ました。 そこで燃える柴を見て 「なぜ柴が燃え尽きないんだろう」と近寄ったとき、 神がモーセに現れ、 「わたしは『わたしはある(I am)』という者」と名乗られ、 モーセをエジプトに遣わすと言われました。
モーセは答えた。 「ですが、彼らはわたしの言うことを信じず、 私の声に耳を傾けないでしょう。 むしろ『【主】はあなたに現れなかった』と言うでしょう。」
【主】は彼に言われた。 「あなたが手に持っているものは何か。」 彼は答えた。「杖です。」 すると言われた。「それを地に投げよ。」 彼はそれを地に投げた。 すると、それは蛇になった。 その蛇の尾をつかむと杖に戻った。
また、モーセが手を懐に入れるとツァラートに冒され、 雪のようになり、 もう一度、懐に入れ、出すと元の手に戻った。
さらに、ナイル川の水を汲んで乾いた地に注ぐと 血となるしるしを与えました。
しかし、なお、「私はことばの人ではないから」と 尻込みするモーセに、 「人に口をつけたのはだれか。 だれが口をきけなくし、耳をふさぎし
目を開け、また閉ざすのか。 それは、わたし、【主】ではないか」と答え、
雄弁なモーセの兄、レビ人アロンが会いに来るから、 「彼に語り、彼の口にことばを置け。 わたしはあなたの口とともにあり、 また彼の口とともにあって、 あなたがなすべきことを教える。 彼があなたに代わって民に語る。 彼があなたにとって口となり、 あなたは彼にとって神の代わりとなる。
また、あなたはこの杖を手に取り、 これでしるしを行わなければならない」と モーセを説得します。
そこでモーセは行って、しゅうとイテロの元に帰り、 「どうか私を、 エジプトにいる同胞のもとに帰らせてください」と伝え、 イテロから送り出されて、 モーセは妻子を連れ、エジプトへ帰ることになりました。
さて、【主】はアロンに言われた。 「荒野に行って、モーセに会え。」 彼は行って、神の山(シナイ山)でモーセに会い口づけした。 モーセは、 自分を遣わすときに【主】が語られたことばのすべてと、 彼に命じられたしるしのすべてをアロンに告げた。  
それからモーセとアロンは行って、 イスラエルの子らの長老たちをみな集めた。
アロンは、【主】がモーセに語られたことばをみな語り、 民の目の前でしるしを行った。 民は信じた。 彼らは、【主】がイスラエルの子らを顧み、 その苦しみをご覧になったことを聞き、 ひざまずいて礼拝した。(出エジプト記4章より)
 若い時、同胞を解放する熱意に燃えていたモーセ。 失意のうちに40年の時が過ぎ、熱意も気力もなくして、 尻込みするしかない弱いモーセを神は選び、 エジプトへ遣わされました。
私たちも、ありのままの、実体そのもので、 神の働きの現れを運ぶ手足、口、耳として 用いていただくのですね。 神が思われる思いと思いを一つにして。
喜び歌いながら単一な心、
悲しいなら悲しいだけ、 怒りなら怒りだけの私で御前に進み出て。
今日も。
      ~~~~~~~~~~~~~~
(聖書のことばへの疑問やご意見、 近くの教会を知りたい等の方、 また、婚活で広く出会いを求めたい 教会に行っていないけれど 葬儀をキリスト教でしたい、等の方、 お問い合わせは、 [email protected]へどうぞ。)
 
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palakona · 3 months
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呼ぶ声
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
どうも、こんにちは。1月28日(日)は、旧竜田川釣池に行きました。が、7時頃着いて、真ん中桟橋畑向きにへらロッドケースを置いて、車にへらバッグを取りに戻ると、上(高台)から「ガオくんやん。こっちおいで。もう、金払った?」と呼ぶ声がした。おお、Fさんです。日曜日の寺口釣池は混んでいるイメージがあって、のんびり竿を振ろうと隣の旧竜田川釣池(寺口釣池楽釣専門池)に来たのですが、席は空いているとのことでお邪魔することにしました。呼ばれるぐらいですから、寺口釣池は隣で徒歩で行けるのですが、車だと一旦は下の駅前まで降りてグルッと回って高台へ上がっていきます。寺口釣池に着くと、メンバーはFさん、IDさん、MMさん、NZさんで皆さん、ヘチを空けて座ってはったので、気を遣っていただいたのかヘチに座らせていただきました。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
おお、この席はYouTubeの「釣旅」で、KBさんが釣って見せた席じゃないですか。「床立て」すると、壁から池中央に向かって傾斜がついていて、左右で5節ぐらい変わるかな?エサ落ち目盛は7目出しで、僕は正面をトントンに合わせました。エサをつけて振り込むと、正面で5目出し、左(壁側)で7目出し、右(中央側)で3目出しって感じ。右は若干「タナ切れ」になりますが、エサがついている限りエサの重みで着底します。僕の右側がNZさんで、粘土オモリでじっくり時間をかけて「床立て」しているのが印象的でした。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
寺口釣池に来ると思ってなかったので、ロッドケースの中身は阪奈園へら鮒センター仕様のまま。10尺はベロンベロンの竹竿なので、今日の竹竿は9尺の「げてさく」にしました。硬くもなく、柔らかくもなく中庸の竿。阪奈園HCで使うならもっと柔らかい竿が欲しいが、寺口釣池とか西池にはちょうど良い竿です。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
浮子は舟水の「両ウドン・グルテン底 極細ソリッド」です。「返り」は遅いが縦の沈み込みには強いかな。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
全然っ釣れねえ。どうしよう…。今年の抱負は「せめて1枚は釣る」で、寒波の厳しい季節だが、年明けからまだボウズはないのに。僕以外の4人は同じ釣りクラブのメンバーで、さすがというか全員釣っている。そんな時、「ツン」って綺麗な「節魚信」(ふしあたり)で掛かったんだがスレでした…。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
Fさんが細かいまぶし粉で当たってるそうで、まぶし粉を変えたMMさんが早速釣ったので、僕も遅まきながらまぶし粉を菅原商会の3号→2号に変更。IDさんが白のまぶし粉で釣ったそうで、白も用意。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
結局釣れないままお昼になりました。5人で釣ってるけど、僕だけまだボウズや…(悲)。お昼ごはんは美味しゅうございました。寺口釣池はがっつりお昼ごはんを食べられるのがいいですね。阪奈園HCとか、朝も昼もコンビニのパンやもん。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
へら釣りには「床休め」というのがあって、昼食とかで釣りを中断した後、釣りを再開した時にすぐ釣れたりします。お昼ごはんから帰ってきたら、Fさんが僕に「床休めの後の第一投」をお膳立てしてくれたので、有り難くエサを打つとFさんとMMさんが見ている前で浮子が「ツン」と綺麗な魚信!今度は口です!安堵のボウズ脱出!
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
はあ、良かった〜。「せめて1枚は釣る」を継続出来ました。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
寺口池のイベントである「早釣り」が始まったので、フナを釣ると早い者勝ちで景品がもらえます。人気の景品は卵1パック。メンバーが色めき立つ中、Fさんが早速ゲット。僕にも2枚目が来たー。それ行け!
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
だが、しかし…僕が釣った時には、卵は売り切れ。ティッシュ箱をもらいました。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
今日の天気予報は、近畿北部は雨雲がかかるのが早く14時頃から降水確率が高まるが、中部は15時ぐらいまで大丈夫だし天気も保ちそうってことで、枚方市の阪本池は外して、貝塚市の水藻フィッシングセンターと天秤にかけて旧竜田川釣池に来���んだが、14時前に本降りになった。Fさんが僕を見つけて声をかけていなければ、僕は下の旧竜田川釣池の桟橋にいたはずなのでずぶ濡れになるところだった。降り出しから本降りになるのが早かったし、僕は降ってもポツポツ程度って思っていたので。初めて寺口釣池の伸縮式の屋根が展開するのを見たが、隙間があったりして意外と濡れますね…。僕の場所は隙間じゃなかったので濡れずに済みましたが。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
9尺だと屋根に当たるので、「若駒」8尺に変更。買ってから1回しか使ってないので、色々と思い違いが(^▽^;)。銘が「石舟」って思ってたし、柔らかいと思ってたがパリッとしてた。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
浮子は夢(伊吹)の両ウドン床釣り用のパイプトップ。「返り」が良いので使いやすかった。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
尺数を変えたので、フナが寄るかな〜と思ったが、すぐに釣れましたw。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
5目出しになってるから、壁によった時かな?
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
4枚目。一時はボウズになったらどうしようと思ったが、なんとか4枚釣れました。今日は4枚とも綺麗な節魚信で気持ちよかった。
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2024年1月、寺口釣池(奈良県)iPhone11
ということで、1月28日はヘラブナ4枚でした。寺口釣池は日曜日混んでるかと思いましたが、思ってたよりかは空いてました。高速道路を使えば1時間もかからないし、腕を磨きに来ようかな。ご飯もいけるし。
では、また。
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kennak · 7 months
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JR九州など3社が販売したマンション「ベルヴィ香椎六番館(福岡市東区)」は、施工不良を理由に築25年で丸ごと建て替えられたことで大きな話題を呼んだ。同時に、不動産業界には激震��走った。住民と管理組合の執念が、施工会社や販売会社の「逃げ得」を許さなかったからである。同物件は1995年に竣工、引き渡しが行われた分譲マンションだが、2年も経たないうちに、外壁のひび割れや玄関扉の枠のゆがみなどが発生した。1997年10月、管理組合として販売側へ問題提起したものの、施工会社と販売会社は構造物の瑕疵を否定した。  管理組合はその後も不具合を訴え続け、マンションの傾斜を問題視したのが2016年だ。建物の傾斜により最大10.1cmの高低差が生じ、部屋の壁と天井には「隙間」があった。夜、明かりを消すと隣から光が漏れてきたという。2020年4月、日本建築検査研究所(東京都渋谷区)の調査により建物を支える基礎杭が支持層に届いていないことが判明し、当初施工不良を認めなかった販売3社は同年7月、社長が謝罪した。販売3社は「杭の補修」「建て替え」「販売価格での買い取り」の3案を管理組合に提示した。管理組合は同年11月の臨時総会で全面建て替えを決め、21年4月から建て替え工事が始まった。そして、ついに今年5月、工事と引き渡しが終わった。 自治体は精緻な地盤調査をしてくれない  そもそも、このような欠陥マンションが建設された原因は何なのか。姫屋不動産コンサルティング代表の姫野秀喜氏はこう話す。 「このベルヴィというマンションは8棟で構成されているので、どうして六番館だけミスしたのか、かなり不思議な気がする。例えば、現場調査する人が、単純に納期が迫っていて適当に計算したとか、机上で計算したとか、そういう人為的ミスだったのか。だから、本当に人災なのだろう。しかし、めったに起きるものではない」  一般消費者はJR九州のような大手企業が販売元だと安心して購入しがちだ。とくに地方では、JRや電力会社のブランドへの信用は高い。この福岡の件は、基礎杭が支持層に届いていないことによる傾きが原因で、さまざまな不具合が表面化したわけだが、大手の物件でも、このレベルの欠陥マンションは、よくあることなのか。 「まず、大手だから安心とはいえないことは確か。不動産は一つひとつ、すべて別ものだ。地盤もそう。地盤に関して今は科学的にかなり正確に調査できる。自治体によっては精緻な地盤調査を行い、住民に地盤についての情報を開示してくれるところもある。ただ、多くの自治体では、あえてそういう地盤調査は行わない。というのも。一つは高額な費用がかかるということ。もう一つは、地盤調査をやって、ある部分だけ地盤が緩いというようなことが何か判明すると、その部分の地価の下落を招く恐れがあるからだろう」(姫野氏)  しかし、この福岡の事例は、紆余曲折はあったにせよ、結果的に大手だから建て替えができたともいえる。 「施工・販売が大手だから、数十年後でも会社が存続していて責任を取れる体力があった。だから、建て替えもできた。そういう意味では、大手のほうが安心というのは、本当にその通りだ。地方の建設・不動産会社は中小も多く、タイミング次第で資金繰りがうまくいかなければ倒産してしまう。30年後に存在していない会社だってあるので、何か瑕疵が見つかったときに、施主は訴える先がないということが起こり得る。振り上げた拳の持って行きどころがなくなる。そういう意味で、JR九州が入っていたのは良かったのではないか」(姫野氏) 瑕疵を認めさせることと管理組合での意見調整  建て替えまでにはいくつか大きなハードルがあった。まずJR九州などの施工・販売会社に瑕疵を認めさせること、そして、管理組合のなかで建て替えの承認を得ることだった。一般的に、分譲マンションは区分所有者の意見調整が難しい。瑕疵を認めさせる決め手となったのは日本建築検査研究所の調査レポートだが、そうしたボーリング調査費用にも数百万円がかかる。大規模改修の積立金から支出することになるが、もし結果が出なかったときは無駄になるかもしれないからだ。  建て替えの決定をする際も、実は傾いた六番館の住民の賛成5分の4だけでなく、他の棟を含めたマンション全体で4分の3の承認も必要だったという。他の棟の住民が「うちには関係ない」と考えたとしても不思議ではない。  3つ目のハードルとして時効の問題もあった。欠陥に対する損害賠償請求には期限がある。不法行為に基づく損害賠償請求権には除斥期間があり、20年と定められている。つまり、20年経つと損賠請求できなくなってしまうのだ。さらに住宅の瑕疵については、瑕疵担保責任を追及することができるが、責任の存続期間は、鉄筋コンクリートの建物では引き渡しから10年だ。販売元が長年にわたって、頑なに瑕疵を認めなかった理由はここにある。引き渡しから一定期間が過ぎれば法的には責任追及されないのだ。 相手の姑息な口車には乗らないこと  もし、分譲マンションを購入して、不運にも欠陥が多い物件だった場合、どのようなアクションを取るべきなのか。姫野氏はこうアドバイスする。 「戸建てもマンションでも、基本的に新築物件には契約不適合責任(瑕疵担保責任)が適用される。施工業者や販売業者に対して、不具合や欠陥を指摘して無料で補修や修理を要求する権利がある。ただ、たいていの場合は引き渡しから2年という期限があるので、2年以内に要求することが一番重要だ」  もし、相手側が瑕疵を認めなくても、期間内であれば、弁護士に相談するというのも手段の一つだ。 「業者は最初に小手先のことをやろうとする。例えば、ドアが歪んでいるとなればドアを交換するとか。しかし、小手先の修理で直らないことがわかれば、2年以内にしっかりと何回もチェックすべき。土台が傾いているとか根本的な原因の可能性もある。戸建ての場合、建物全体が均等に沈むのではなく、キッチンの左端だけちょっと床が傾いているみたいな例が多いので、土台の傾きはパッと見てわかりにくい。そして、瑕疵担保といいながらも、住めないほどではないので、建て替えではなく補修になる」(姫野氏)  この福岡の事例では、販売側はのらりくらりと瑕疵を認めず、さらには「お見舞金」として300万円を渡そうとしてきた。口封じ目的の裏金ということか。しかし、住民たちはこのお金を突き返した。 「昔、友人宅の近隣で工事があったとき、ドシンドシンとすごい振動を日々受けたせいで、その周辺の家の外壁にちょっとひび割れが起きた。地盤を叩いたせいで、全体的に少し地盤が動いたのではないかというような壊れ方だった。友人らは補修費用として、ペンキ代程度のお見舞い金を受け取ってしまった。ケースバイケースだが、相手がお金を払ってきたら注意すべきだ。ごまかそうとしているのではないかと疑ったほうがよい」(姫野氏)
傾斜マンション、JR九州など販売元は20年間、施工不良を否定→全面建て替え | ビジネスジャーナル
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itocaci · 11 months
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静かな波を装いに - amachi. "Undulate Jacket" / "Undulate Pants"
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こんばんは。
まずは、明日からの営業予定のお知らせだ。
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6/5 (月) 〜 6/11 (日) 営業予定
6/5 (月) 13:00 〜 20:00
6/6 (火) 13:00 〜 20:00
6/7 (水) 13:00 〜 20:00
6/8 (木) 15:00 〜 20:00 ※
6/9 (金) お休み ※
6/10 (土)13:00 〜 20:00
6/11 (日) 13:00 〜 20:00
※ 6/8 (木) は15時からの営業となります。
※ 6/9 (金) はイベント搬入のためお休みとなります。
※ 6/10 (土) より"osakentaro POP UP"が始まります。
いよいよ週末から"osakentaro POP UP"が始まる。かなりユニークなアイテムが並ぶはずなので、ぜひ遊びにきてみてはいかがだろうか。
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さて、本日の本題に入る前に。
先週、群馬の桐生に伺った際、オープン前に自然豊かな川辺やダム湖に連れていってもらった。
お天気にも恵まれて、木々の隙間を縫って日差しが差し込む川辺。
また、穏やかな波がたつ湖面。
大阪市内に拠点を置く身としては、なかなかと触れることのできない環境。
あまりの心地よさと美しさに、眺めているだけで心が落ち着く。
そんな風景を眺めていると、こうった自然の表情をテキスタイルに落とし込みたくなる気持ちが理解できた。
目の前に広がる、自然が見せる一瞬の表情。
それを切り抜き、布に閉じ込められたら。
そんなことを思わずにはいられなかった。
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さて、本日は、そんな水面の揺らぎに見た感動にちなんで、"amachi."の素晴らしいアイテムを紹介させてもらおうと思う。
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amachi. : Undulate Jacket ¥89,100 (tax in)
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amachi. : Undulate Pants ¥89,100 (tax in)
基本、"amachi."の服に用いられるテキスタイルは全て、オリジナルとなる。
シーズンコンセプトに合わせて、"amachi."がテキスタイルから作り込む。
だから、展示会に行くと素材の説明を聞かせてもらえるのだが、聞くたびになるほどとなるような、面白いテキスタイルに毎シーズン出会う。
素材好きな僕として、どれもユニークな視点や発想で、ワクワクさせられてしまうのだ。
今日、紹介するアイテムもそんなワクワクしたテキスタイルを用いた1着となる。
Collection 012 / SS 2023
"Regarding Wave"
波について
風について
それらを感ずる石を想う
葉や梢は媒介者
大気の中に存在するすべての道
打ち寄せる
流れ込む
吹きすさむ
そよぎ、傾き、浸食する
何を見て、何を見ないのか
とどまることなき存在の瞬間
今季の"amachi."のコレクションテーマを記載したカードには、このように書かれている。
自然に身を置き、観察することで、気がつくことをデザインに落とし込む"amachi."らしさを感じずにはいられない。
今日紹介するこのアイテム達。
素材はリネンとキュプラの異なる糸を用いたアイテムとなる。
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リネンの比率が多めなので、ムシムシ、ジメジメするこれからの季節にもサラッと着用することができる。
肌寒さを急に感じたり、夜も深まると急に気温も下がったりする。
こういったサラッとしたジャケットはこれからの季節にかなり重宝することができそうだ。
太めのリネンの糸とキュプラの糸を使って織りあげた素材に、加工を施すことで、テキスタイルに波打つような表情が生まれる。
先日、僕が桐生という街で出会った、穏やかで静かな波のような、そんな表情なのだ。
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そんなテキスタイルを用いたジャケット。
ゆったりとして、穏やかで、とても美しい。
ちなみに、ジャケットはリバーシブルで着用することができる。
裏側にすると、ライトグレーのような淡い色味となり、より爽やかな印象を与えてくれる。
一方、同素材を用いたパンツ。
ウエストは共布の紐で調整ができる。
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シルエットはワイドで、動きやすく、そして、何よりも涼しい。
リネンをベースにした素材ということもあり、夏場でも快適に着用ができそうだ。
また、個人的に、足元をキュッと絞れるようなデザインというのもおすすめのポイントになる。
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スニーカーやサンダルなどラフなシューズに、キュッと絞って合わせる。
とても素敵だと思わないだろうか。
波打つ素材が生み出す、奥行きのある表情。
装いに取り入れ、光が当たることで、その表情は一層際立つ。
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特にジャケットの背面のシ��エットが素敵だ。
ゆったりとして、ストレスを感じないのに、羽織った時、気持ちはちょっとピンとしたような。
特別な気持ちを感じていただける。
その瞬間、服を着る楽しみのようなものを強く実感する。
素材良し
デザイン良し
季節良し
この3つが重なった時、その日の装いは特別なものになるはずだ。
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もし良かったら一度店頭で袖だけでも通して見てほしい。
またこちらは現在オンラインショップにも掲載をしているので、合わせてそちらもご覧いただけると嬉しく思う。
波というと、海を先に思い浮かべてしまうけど、この"amachi."のアイテムにおける揺らぎというものは、静かで穏やかで。
そんな波に感じられる。
それは、川のせせらぎの合間に生まれる波だったり、湖のような閉ざされた空間で生まれる波だったり。
桐生から帰ってきて、店でこのアイテムを見た時、あの時の思いが呼び起こされた。
このアイテム達を纏った日。
きっと、そんな穏やかな美しい世界を感じてもらえるはずだ。
それでは次回もお楽しみに。
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zehimonashi8 · 8 months
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8/26 友枝雄人さんの「清経」「黒塚」見てまいりました 
あまりに素晴らしかったので備忘録として感想をば
「清経」
やっぱり「清経」は本当に音取が好き 能には小書という特殊演出があるのですが、今回の音取の小書は清経が笛の名手だったことに因んで、笛方の音色に誘われて清経の亡霊が登場するという演出です 今回は音取だけでもうお腹いっぱいという感じでした
妻の「枕や恋を知らすらん」彼女が夢に出てきてくれればと願ったときにどこからともなく笛の音、そして清経がぼんやりとあらわれる 一噌さんの笛の音はあまりに静かで 優しいようで冷たく仄かに光って、夜の砂浜へ降る月光をひどくリアルに浮かび上がらせる あの笛は妻の想い出の中で響く清経の笛の音なのでしょうか 彼女の夢に呼び寄せられて、清経は最初足元だけをあらわし、そしてぼんやりと橋掛りを歩いてくる たびたび迷うように止まりながら、ときにじっと妻の方を見つめながら笛の音とともに歩いてくる清経は寂しく(しかしそれが少し可愛らしくもあり)絶望の中で砂浜をとぼとぼ歩いただろう彼の哀しさが痛いほど伝わってきた 笛が途切れたときの静寂、痛いほどに静かであんなに意味のこもった静寂もないような、観客も演者もみんなが息をつめて月夜を想っていたと思います こんなに情景がリアルに、一瞬で塗り替えられるようなものは見たことがなかった、笛もシテもあまりに素晴らしくて忘れられない
音取のときは「聖人に夢なし」がなくそのまま「うたたねに」の歌に入るのも良いのですよね 清経も夢うつつのまま彼女の夢で鳴る笛の音に呼ばれてきたような感じだったので
清経のクセは本当に詞章が美しく哀しく、雄人さんの清経は力強さと優美さのバランスがとてもちょうどよかった 私は彼の舞が大好きなのですが、彼の何をしても一切ぶれない強靭な体幹をもって舞われる清経のクセはなんだかこの世のものではないような気がしました 「腰より横笛抜き出し」で一瞬静かになり、厳かだけれどもやさしさ(あきらめ)も感じるような不思議な音色で笛がゆっくりと始まる 「帰らぬはいにしへ 止まらぬは心尽しよ」「西に傾く月を見れば いざ我も連れんと」月を仰いで飛び込む清経、そして海の底へと沈みゆく 竹のような強さとしなやかさを併せ持つ澱みのない舞、武士の哀しみを舞う雄人さんは完璧でした その後の力強い修羅道の場面も格好良かったけれど私はやっぱりクセ舞の雄人さんが忘れられない 中将の面も哀しみを湛えながら自嘲的、どこかほほえんでいるようで何かをひどく憎んでもいるような不思議なお顔 雄人さんほど清経が似合う方もいないのではと思うぐらい洗練された完璧なお能でした 観られて本当によかった
「黒塚」 
黒塚の話が大好きでずっと見たかったところ、他でもない雄人さんの黒塚に出会えたこと本当に幸せでした
黒塚の解釈の大きな分かれどころとして、里女がすでに鬼であったか、というところがあります このあたりは後にリンクを貼る粟谷さんのノートが詳しく参考になりますが、雄人さんの里女は、まさしく心優しき里女、鬼では決してなかったように思われます
雄人さんの里女は、ただ人間を信頼したかっただけなのだと思います 何らかの事情で都を追われ、昔の流行歌を口ずさみなが��糸を繰る侘しい暮らし 彼女は獲物として祐慶ら旅の者を招き入れたのではなく、自分を人間でいさせてくれる存在として、信頼をかけて家へ入れた���彼女との約束を誰かが一度でも守れたなら、彼女は鬼ではないほんものの里女に戻れる気がしました 彼女は人を信じたくて、でも何度も何度も裏切られて、その怒りととてつもない羞恥のためにますます鬼にならざるをえなかった 彼女を鬼にしたのは彼女自身の罪咎ではなく、彼女を幾度も幾度も裏切った旅人たちなのだと思います だから祐慶さんたちよ お前らにはその鬼を「調伏する」資格なんて何もないのですよ 過剰なほど世を儚む里女の苦しみは彼女自身が罪悪を重ねてしまう苦しみだけではない そもそも他人が女を信頼しないこと、そして世界と完全に隔てられてしまっていることの苦しみでもある
般若の面というのは本当に色々な表情を見せるもので、彼女が僧侶たちを甚振るときの表情には哀しみしかなかったように思えました これは怒りではない、もはや他人に救うことはできない深い深い哀しみ 怒りと哀しみは同時に加速して彼女を引き裂いていく、その苛烈さは我々の胸を焼いてずっと遠くまで到達してしまっている
中入前の山へ柴刈りに行くところ、鬼らしさというよりは旅人のために早く戻ってこよう、という意気込みに見えた やや不気味な印象はあって、これから起こる不幸を予感させはしたけれど なんて可愛いんだ… そして般若となって戻ってきた時、白頭の小書のため柴を小脇に抱えて戻ってきた姿、あまりに可愛すぎる 抱き柴と負い柴は大分印象が違って、抱き柴は寒さに震える旅人を暖めようと急いで柴を取ってきたいじらしさが表されている気がする 抱いている柴を落とした時、彼女は本当に鬼になってしまったのだと思う
鬼というのは鱗摺箔の上に最初唐織を巻いて、あとで鱗落としとして唐織を捨てる、というのが一般的だと思っていたのですが、今回は後シテはずっと片脱ぎで唐織を着たままでした 彼女の人間でありたいという切実な思いが般若になってもなお唐織を着ている姿に表れているようで哀しかったです 柴を落とすのは鱗落としみたいなものなのかもしれません
ふたりの異形に愛を込めて
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ysnsgt · 1 year
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【刀剣乱舞】映画黎明感想2:解釈『刀剣乱舞』と刀剣と日本人
映画「黎明」、端的に言えば「最高でした」になるんですが、もう少し言葉を尽くしましょう。
物語の中の刀剣には元々興味があったのですが、2015年1月14日PC版「ONLINE」を始めてから本格化。以来実物の鑑賞勉強と多方面の本をちまちま続け、2022年12月だったかにやっと入り口としての問いに自分なりに解を出せました。
「なぜ刀剣なのか」 「日本刀とは、日本人にとって何なのか / 何だったのか」
一年の計は元旦、ならぬ春にあり。旧暦の春は一旦勉強を離れて5月から本腰を入れて刀と向き合おう。そういうタイミングだった2023年3月31日に公開された「黎明」は、私が8年かけてたどり着いた境地への「答え」そのものでした。
というわけで、この機に映画「黎明」の筋書きをベースに解を記したいと思います。
刀剣に関わり始めて幾度となく言われた言葉があります。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀剣は武器です。映画「黎明」でも冒頭では、罪なき(と思われる)人々が為政者によって無惨にも刀で斬り殺されている。それでもふしぎなことに、戦や暴力とは程遠い世界で生まれ育った少女が「綺麗」と見惚れる魅力を持っている。なぜなのか? その答えへと、天下五剣の中で最も「美しい」とされる三日月宗近と、「綺麗とか言うな」山姥切国広が主軸となって導いていく。これだけで映画「黎明」を喝采せざるを得ません。
先に答えを言ってしまうと、どんなに社会に溶け込めなくても、どんなに報われなくても、人を傷つけることを厭い、人を傷つける己を律する、そんな心を持った人間が刀と共にあり続けたからだよ。象徴するのは「美しい」刀2振りの仮の主、琴音と伊吹でした。
ユング心理学者の河合隼雄は、人間の精神性を「包含」と「分断」の2軸で説明しました。全体主義と個人主義とも言いかえられるでしょうか。日本人は前者の気質が強く、そのために時として他者どころか己の子を(心理的に)喰い物にする「山姥」のようになってしまうとのこと。それを防ぐためには「分断」の気質も高めて相互補完し、心のバランスを保つことが大事であるとかなんとか。
こうした説明を読んだ時、新渡戸稲造『武士道』の記述を思い出しました。
刀は不断の伴侶として愛せられ、固有の呼び名を付けて愛称せられ、尊敬のあまりほとんど崇拝せられるに至る。
刀は基本的には斬るための武器で、つまりは「分断」の機能を持っています。そんな刀を「伴侶として愛」することは、己の「包含」気質を抑え、心のバランスを取ることに寄与していた……つまり、概して日本人て刀と向き合い刀と共にあることで、やっと真っ当な人間でいられたのでは?
反対に、武器である刀を「包含」気質の強い日本人が持っていたからこそ、「分断」の機能が抑制され武器を超えた存在として千年受け継がれてきた。そういうことなんじゃないでしょうか。
さて。美しき刀の仮の主、琴音と伊吹からその辺りのことを見ていきましょう。
まず琴音。彼女は特殊能力故に居心地の悪さを覚えていますが、高校に通い、友達にも恵まれた、「平凡」の範疇に入れて良い少女です。日本のたどる歴史の中ではぬるま湯と呼んでも支障がないだろう21世紀にどっぷり浸かり、だからこそ事態が切迫しても理解が追いつかない。友達が被害に遭っているし察しはついていますが、解決策として人を殺すという選択肢がどうしても採れない。
大義のためには、という男士……刀の「分断」機能から見れば鬱陶しくなるくらいの甘ちゃんでしょう。私も実は最初ちょっと苛ついていたのですが、あれが日本人の持つ「包含」気質の象徴と思えばむしろああでなくてはいけないと思い直しました。ことここに至っても有害だからと切り捨てられない、だからこそ三日月は友の信じる主であり、歴史の流れに踏みにじられた弱者を斬る「汚れ」にはまみれずに済む。
そして琴音も、三日月という刀と繋がりを持ったことで、協力は嫌だと駄々をこねるだけのところから、彼女なりに伊吹を心の鬼と「分断」する力添えをするに至る。琴音はひたすら伊吹に言葉を投げかけていましたが、河合隼雄に言わせると言葉は「分断」属性なんだそうです。つまり彼女はあそこで象徴的に刀を振るっていると同義とみなせます。最後に物の「言葉」に耳を傾けられるのも「分断」機能が向上したからかもしれません。見事な相互補完関係です。
次に伊吹くんですが。まず目下の人間に暴力を振るうのは「低次の「包含」機能に支配されている」と河合隼雄はズバリ言ってます。要はまず父親からして「包含」気質の奴隷。そんな父親に支配された伊吹もまた「包含」に呑まれており、弟への執着……依存は、見ていて心配になるほどでした。実際弟との離別(「分断」)に気付いた瞬間伊吹は心の均衡を失い、父と同じ属性を持つ酒呑童子と一体化してしまいます。
そんな時、「分断」機能の権化たる刀・山姥切国広が問います。「それは本当に“あんたの”願いなのか」と。これは明確に、酒呑童子と伊吹を分断するための言葉です。三日月の影響を受けた琴音の言葉による介添えもあり、伊吹は己の「分断」能力を高め、山姥切国広と共に己の心の鬼を断つ。
さらに言うと、伊吹に対して山姥切国広は刀としての「分断」機能だけでなく山姥切という属性の持つ「包含」機能も活きたんじゃないかと考えています。
実は包含機能は母性原理(地母神)、分断機能は男性原理(天父神)として説明されることもあります。だからこそ負に働く包含機能が「山姥」に例えられるんですが、伊吹の家は、父、兄、弟で女が不在なんですよ。包含機能のモデルケースがいない。だからこそ父は暴力をふるい、伊吹も悪役として活動し鬼になりかけたんだと思うんですが、そこを補ったのが山姥切国広でした。
とにかく彼は言葉を挟まず伊吹に寄り添う。彼がすがる醜い「弟」をも込みで伊吹の心を守ろうとする。それで世界が滅んだとしてもその結果をも受け入れるつもりだったのでしょう。こうしたどこまでも温かな「包含」を与えられたからこそ、彼は鬼を分断する心を得られたんじゃないかなと。そして恐らく保護員である女性と繋がることができたのは、やはり象徴的です。
母性原理と父性原理はあくまで心理学上の便宜上の説明であり実際の男女の役割を固定化させるものではないんですが、まぁ21世紀から見るとちょっと野暮ったいですよね。実はその辺もうまく配慮されてて、映画「黎明」本当にすごいなと感心しました。
琴音は物の声を聞く審神者に近い存在。伊吹は鬼に憑依される依代に近い存在。古来審神者は男、依代は女に多く(絶対ではない)、両者の二人三脚で祭政が行われてきました。でも審神者に近い琴音は女、依代に近い伊吹は男で男女の役割が逆転しています。そして両者が恋仲……一対になるわけでもなく物語は幕を下ろす。
実弦と加々美も伝統的な男女の役割が逆転しているように思えました。実弦は恐らく黒田家の末裔。そういうポジションは従来だったら男が担うものです。そして加々美。為政者たる男に侮られ、細かな気配りでお茶を出し、長義には絶対服従というレベルで絶大な信頼を寄せて言葉少なに彼の意に添う。これ普通に良妻モデルですよ。でも彼は男です。けれどそれでおかしいわけじゃない。実弦は黒田家の末裔たるギャルだからこそ、加々美はまるで良妻な男だからこそ、それぞれの刀と最高の相棒関係を見せてくれた。ジェンダー規範に囚われず生きたい現代審神者への全力のエールだと思います。
そしてそういう現代的な生き方をする彼らを、日本の歴史そのものたる神道に携わる倉橋さんと、あの大江山急襲に参加していた髭切(渡辺綱が腕を切り落としていた)とその弟の膝丸が付かず離れず見守っているというのが、なんか、途方もなく優しかったなと、今思い返してちょっと涙目になってます。『刀剣乱舞』どこまでも推せる。
そろそろ終わりに向かうため、最初の問いに戻りましょう。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀は武器だ。けれどそれは、何も生身の人間を斬るだけじゃない。
日本最古の物語『古事記』には既に刀の物語が多く語られています。そのうちの一つである布都御魂剣は、初代天皇・神武天皇の東征時に以前の持ち主の加護を受け、霊障治癒、怪異退治を果たしています。これ、映画「黎明」で刀剣男士が行うそのままなんですよ。
彼らは元は異なる人の持ち物ですが、そこで培った力を活かして「新たな」主を守っていく。鬼を斬り、想いを吸われ病にかかったように倒れ伏した人々を回復させました。
そして持ち主が心をしっかり保っていれば、彼らは血に汚れることもなく、誰を傷つけることもなく、ひたすらに持ち主の心を守ってくれる。
「こんな素晴らしい“伴侶”を見て、楽しくないわけがありましょうか」
この言葉を胸に、ゲームに実物に物語に、死ぬまで刀と向き合っていきたいなと改めて思いましたし、改めて思わせてくれた映画「黎明」に心からの感謝を送ります。円盤ぜったいに買いますからね!
補記。刀の話に終始しましたが、刀にこだわる必要もないよっていうのを示しているのがまた映画「黎明」の憎いところでした。
大事な人からもらったブレスレット。ずっと身につけている腕時計。文字通り十把一絡げで売られているスーパーボール。どんなものだって、思い入れを込めた物なら心を守ってくれるんだよと。
「誰もが審神者になる可能性を持っている」という台詞はゲームのユーザー数を増やしたい的なメタ要素を置くとして、日本人と日本刀は長らく蜜月だったのでそりゃもう日本人や日本文化に興味を持つ人なら誰だって刀の加護を得られるでしょう。けれど刀に興味を持てない、どうしても怖くて近づきたくない人だっているわけで。そういう人だって、身近にある何かがあなたのことを守ってくれるよというメッセージは普遍的なもので、すっごく良いですね。
補記2。以上は人間たる私から見た解釈でしたが、主題歌「DESTINY」が刀からのアンサーとして見事で私は泣きました。別れは避けられないけどせめて彼らに悔いを残さないように死なないとなぁ。
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alaephoenicis · 1 year
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地球上の権力交代
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/n5uiFA0nVM0
公開日:2022年3月11日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
〈訳者からの前説〉
これまでご紹介してきたように、ロビンさんには過去生の記憶が鮮明に残っているようで、超ハイテク文明だったとされるアトランティスの滅亡の原因も語っています。彼はそれらの技術にも、ある程度精通していた様子。
また、過去生を覚えているという人の中には、高い視点から繰り返してきた自己の転生をはっきりと把握しながら眺めている場合があり、すると宇宙に「時間」が存在していないことも理解できています。実際には時間は線上に流れてはおらず「周波数によって相応の『場(バブル・泡)』を体験することになる」という法則の下に、現在周波数が創るタイムラインがどういう未来(という周波数の現実バブル領域)へ進むのか、という予測も可能なわけです。
そうしてロビンさんは、ロシアのウクライナ侵攻が始まった約2週間後、「何が本当に起こっているのか」を説明していました。
「この世は幻である、在るようでいて、実は何もない」とお釈迦様が仰ったのは、このことだったのか…というのは「私たちの意識がホログラムのように現実を創造している」と聞かされた時、まず思ったこと。
私たちが本気で何かを信じたとき、それはそこに現実として出現するということです。その仕組みを知っていて、意図的に操作された情報を流している存在がこの世を支配してきました。あなたがニュースを見続けたいのならば、それは完全にあなたの自由だし、それでも全く問題はないです。しかし、その場に居合わすこともなかったあなたは、一体何をもってそれが真実だと判断するのでしょうか?
コロナが始まった時、情報・誤情報が行き交う中、「情報の精査」という言葉がイヤに流行りましたが、単に「精査しなくては」と漠然と語られるだけで行動には現れていませんでした。
末端情報だけに振り回されないようにするためには、その情報が拡散される時にどんな要素が関わってくるのか、つまり「何時・何処で・誰が・何の目的で、情報発信しているのか」、が大事になってきますが、それを個々の情報を得るたびに調査しなおすことは到底無理なことです。代替メディアや個人が拡散しているものも、場合によっては情報発信している本人が「なぜ自分は情報提供者になりたいのか、なれていると思うのか」という自覚も無いことが多々あるからです。
このロビンさんの話から分かってくるのは、その我々の「自覚のなさ」を悪用した「人為的な仕組み」がそこにあったということです。ロビンさんの話にも、真実なのかどうか客観的証拠があるわけではありません。ひとつの「想定」です。ただ、私は上記の「精査」のためにずっとブレずに集中してきた焦点があり、それがまさにこの「仕組み」をしっかり掴んでいくことでした。色んなソースを聞いてこれまで蓄積してきたことで、私の中にもこの「仕組み」に関する一貫したストーリーラインが出来てきていますが、ロビンさんの話はそれを補強する内容であり、全体的に簡潔で分かりやすかったので、ぜひ和訳してご紹介しようと思いました。
この草稿が今後、皆さんが自覚をもって「自分の選択」をしていくための参考になることがあれば幸いです。
本編
親愛なる友人たちよ、
世界情勢が移り変わる中、現在次々と何かが起きてきています。そして通説としてまかり通っているストーリーの新章が何を含意しているのか、そしてここで路線づけられたタイムラインをこのまま辿っていけば、何が可能性として我々を待ち受けているのか、その集合的なエネルギーフィールドを私は読み取って見ることにしました。
以下の情報は、現場で作成された地政学的確率のシナリオであり、その真偽のほどは、皆様ご自身でお確かめください。
しかし、Covidの章はまだ終結しておらず、いわば水面下で活動を続けています。
メディアの報道は、戦争という新しい焦点を作り出しました。
そして、それとともに、通説となっているストーリーのシナリオで新しい章が始ました。
メディアが破壊と苦悩に目を向ければ向けるほど、私たちは自分自身の中に揺るぎない平和な場所を見出すよう求められています。
旧来の方法を用いたシナリオの新章は、過去に行われた自己破壊の歴史が繰り返される、明確な兆候を帯びています。
世界帝国の建設と崩壊を何度か経験した者なら、いま我々が直面しているのは、状況がエスカレートしていく可能性が高い一連の出来事の始まりであり、世界の支配構造の仕組みがかつてなかったほどに崩壊寸前であることを察知することができるはず。
私たちは、俗世の帝国が傲慢さと権力欲から自らを崩壊させるのを生中継のリアルタイムで眺めることが出来ています。
前世紀、世界帝国と呼ばれるものはイギリスが主導していました。今世紀では、自ら称する権威はアメリカ人が握っている。そして、この世界帝国は今まさに崩壊し、中国とロシアに権力のバトンを渡そうとしているように見えます。
このシナリオの新章は、世界的な権力再編の序幕です。そして、世界帝国の終焉。そしてこの終焉は、金融の領域だけでなく、地質・地球・地殻の領域にも、今後数十年の間にある程度及ぶ可能性があります。
中国文明は、光の集団構造の典型であり、仮想現実の時代を切り開くものであると同時に、ロシアの地域からはこの移行期にヴェーダ聖典にあるタイムラインが出現する可能性があります。
ヴェーダ系ロシアの思想は、自然に寄り添った個々の生活の原点を、人類に再び思い出させるパワーを秘めています。一方、中国の光集団は、デジタル制御の超社会主義の枠組みの中で、人類を均等に扱えるようにすることをめざしています。現在、世界最大かつ最も強力な国々によって考案されているこれらの地政学的戦略は、人類の時間軸に甚大な影響を及ぼすことになるでしょう。
ロシアは先ず、世界帝国アメリカに対する経済的、軍事的圧力を高めるために、中国と同盟を結ぼうとしているようです。
つまり、いま話題になっているタイムラインの大分岐は、中国とロシアの領域から始まる可能性があります。
おそらく、これらの大国の間で公然の戦争が起こることはないでしょう。なぜなら、それは現代人類の文明の完全な破壊につながりかねないからです。
しかし、個々の小さな紛争が温床となって、一部の集団が政治的な決定に抵抗するようなことも十分あり得るでしょう。
すべての紛争当事国の国民、また軍人の大多数は戦争に関心がなく、個々の紛争がどこまで拡大するかは、権威への服従か命令への拒絶かの問題でしかありません。
しかし、ヨーロッパの大部分が含まれるアメリカ同盟国は、権力を維持するためなら犠牲を払うこともいとわず、あらゆる手段を講じて迫り来る権力移譲を遅らせようとするでしょう、彼らもすでにそれを止められないことを知っているのですから。現在の世界情勢の対立を、グラスルが提唱した「紛争激化の9段階」を参考に分析するならば、我々はすでに紛争の最終段階にあり、紛争当事者はどちらも負けるしかない状況にあります。
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1) 硬化、2) 討論・論争、3) 言葉より行動、4) イメージと連合、5) 面目失墜、6) 脅迫戦略、7) 限定的破壊攻撃、8) 破砕、9) 双方破滅
日本語参考記事:ウクライナ戦争におけるエスカレーションとデ・エスカレーション
公然たる戦争では、誰も勝者にはなれず、全員が敗者となる。ここまでして、自分の存在を賭して相手に最大のダメージを与えようとするのは、当事者の思念(イデオロギー)の強さと馬鹿さ加減(イディオティー)なのでしょう。
一握りの支配者たちにとって、この争いはもはや権力だけの問題ではなく、彼らが知覚しているのは、単なる生存の問題であり、それゆえいくつかの命令が慌ただしく、急いで下されているのです。
地上レベルで争っていようと、上の層では権力者たちが互いにカードを出し合っており、それはいつも同じ構造で、紛争の裏側で戦争から利益を得るために、常に両陣営に資金が供給されているからです。
この世界の最大の戦争屋は現在、帝国を拡大しようとしていますが、もちろん自分たちは偉大な平和の到来者であると見せかけています。
対テロ戦争や世界平和のための戦争は、侵略と国家乗っ取りを正当化する口実です。
地球上で最大の戦争主義的同盟はNATOと呼ばれ、これもワシントンが支配しています。NATOは近代的な植民地化の形態であり、この同盟に参加しているすべての国は、間接的にアメリカ帝国の傘下にあります。世界の勢力図激動の衝突はヨーロッパで繰り広げられ、勢力図再編成がどの程度のスピードで進むのかは、巨大勢力に対するヨーロッパ諸国の結束力にかかっています。
もしドイツ語圏がアメリカの影響から脱却し、再び主権を持つようになれば、それはロシア語圏からは確実に支持されるでしょうから、この世界のパワーバランスは一気に傾くことになるでしょう。ヨーロッパも地理的に中間に位置するため、ヨーロッパ数カ国の結束が、今後のパワーバランスの傾きを決めることになります。
ゲルマン語圏はもともとケルト語やヴェーダ系ロシア語圏と密接な関係にあり、作為的に押し付けられた文明の下で、これら元来の文化潮流が友愛しあう心が今も息づいています。西洋の圧力に鍛えられながら、少しずつ文化が崩れていった国々に比べ、ロシアはまだかなり深くスピリチュアルなものが根付いている地域なのです。だからこそ、人間の自然でスピリチュアルな自己認識の回復のために、ロシアという地域は、特に中欧地域にとって重要な役割を担っているわけです。
私たちは、中つ国、いや、ヨーロッパというギリシャ神話から名前を借りた権力闘争の始まりに立ち会っています。神話では、ヨーロッパは雄牛に乗せて拉致されますが、象徴学を少しばかり知っている人は、神話からこの国家同盟の背後にある計画を見抜くことができます。
シナリオの新章が始まるとともに、権力のカードが再分配さています。しかしそれでも、これはもっと大きな構想のほんの一面に過ぎないことに気づくべきです。メディアのフォーカスが変更されたこともあり、デジタル化と非人間化は本格化し、今後も勢いを増していくでしょう。
デジタル・アジェンダは、人類を一貫してトランスバイオの時代に導こうとするもので、この世界におけるすべての主要文化圏を多かれ少なかれ網羅しています。
そうした意味で、ある特定の国家の独立主権はとっくに消滅���ています。なぜなら、デジタル金融複合体はメタ政府を形成しており、個々の国家はチェス盤の駒に過ぎないからです。
世界舞台では、特定の国の利益がかかっているように演出されていますが、これらの国々は我々に売り込まれている形態では、もはや全く存在してはいません。この地球上の大半の国々は、グローバルに展開されている企業ロゴで自身をカモフラージュしている影の政府によって支配されているからです。
国家レベルの見かけ上の対立は、権力移譲の合意に従っているだけで、地上階では昼間にチャンバラ合戦を繰り広げている者同士が、夕刻になると握手を交わし、深夜になれば共に世界規模の芝居の上演を祝うのです。
彼らが書いたシナリオを実行しているのは我々なのです。そして、このグローバル・アジェンダが、標的を定めた大衆心理と恐怖のプロパガンダで成り立っていることに最後の一人までもが気づくよりも前に、どこまで進んでいかなければならないのか、これも我々次第で決まるのです。
ニュースは、既に起こったことではなく、これから起こるはずのことを見せているのです。それは、ニュースが常にシナリオの中にあるイメージを私たちに送り、私たちが真実だと信じることによって、それは現実に置き換えられるからです。
メディアが人々の関心を引きつけることで、他のアジェンダが気づかれずに実行されやすくなる一方、また一方で、同様に人為的なイベントによって人為的なタイムラインを作り出すのに役立っているのです。その結果、デジタル・アジェンダのイベントと並行して、干渉・妨害されていない自然発展へのタイムラインも依然として進行していっています。
アジェンダの実行は、プログラミングされた感情エネルギー的なイメージを介して行われます。そして、新章が始まる度にアストラルな元素の存在が人為的に育成されることで、人間の集団心理の中にインストールされていきます。
戦争用の元素が非常に強いのは、すでに集団の記憶に深く食い込んでいるからで、それに応じて新たな元素は古い戦争のトラウマを呼び覚ますことができます。
逆の表現をすれば、まだ処理されていない戦争体験のトラウマを癒すために、再び戦争という要素が世界の舞台に登場したとも考えられます。戦争は人々の頭の中で勃発し、自らの意識内に潜む不和に注意を向けさせるために、世界にその姿を映し出しているのです。
従って、この世界の平和に貢献するためにあなたにできる最善のことは、どんなときでも一貫して自分の内なる平穏な場所で生活し、すべての思考と行動をその場所から行なっていくことなのです。
あなたの中には、揺るぎない永遠の平和が宿っています。もしかすると、世界で起きていることは、あなたがより強くその平和を感じ、意識的にあなたの内なる平和の波動を集団領域に流し込むよう、あなたに呼びかけているのかもしれません。
集団の流れが世界的に如何に推移し、シナリオの新章でどれほどの対立が起きようとも、自分が生きたいと思う世界を選択するのは、一瞬一瞬、各個人次第なのです。
世の中の多くの情報に惑わされないでください。そして、この激動の時代を確実に共に歩んでくれる、内なるガイドに自らを委ねてください。
個人でも集団でも、本来起こるはずのないことは起こらない。そして、おそらく人類の大部分は、まず自分自身を解放するまでの道程で、2つか3つの途中の段階を踏まなければならないでしょう。古くから抱えている諸問題への新たな解決策でさえ、人間に与えられている内なる自由の広大さにあなたが少しずつ慣れていくまでは、一時的な解決策に過ぎません。
離他という意識から人為的に創り出されたあなたの世界にある全てのものは、来るべき時に崩壊し、その背後にある天然の創世秩序が再び顕現されるでしょう。人間が神聖な創世秩序に立ち戻れば、これまで自分がいかに人為的な世界において自分自身から切り離されて来たのか、そして自分の最も内なる存在がいかに自然や地上のあらゆる生命と常に結びついていたのかに気づくのでしょう。
生命と創造の自然な発展の法則に逆らって作動するシナリオは、長期的には勝ることが出来ないのです。そして、神聖なる創造の基本秩序という平穏が地上に戻ってくるのも、さほど遠くはなさそうです。
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yoshitugutuduki · 1 year
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ネオファウナ
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 白と黒。それがこの台地に登って抱いた最初の印象だった。起伏に富んだ白い氷原のあちこちから、黒い崖が顔を覗かせる。雪がちらついているせいか、それとも大地の白を映し出しているせいか、空もまた、灰色のはずが白んで見える。初めて訪れる北極圏は、太古の昔から日の沈むことのない、かといって日が高く昇り、大地の氷河を溶かすこともまたない、薄明の世界だった。  雪原専用の8脚車両で、傾斜の緩い台地の東側から登って早半日、狭い空間で疲れは溜まっていたが、私の体重が他の乗組員より重い分、贅沢は言えなかった。大丈夫、あと数時間もすれば、発掘のためのキャンプ基地に到着する。この辺りは雪の粘度が低く、おまけに雪の下の固まった氷河をうっかり踏んでしまうと、車両ごと転倒する危険がある。車体の脚部分に付いた音響センサーで、なるべく雪の厚い場所を探りつつ、進むしかないらしい。  私の隣では、ダンと名乗った白いクマの男性が車両に接続して操縦している。一見すると椅子にもたれかかっているようにしか見えないが、後頭部には電磁コントローラが付いている。彼自身によればちょっと前の型番だが、車両を動かすには使い慣れたものが一番しっくり来るらしい。後頭部樹状核増設手術を受けているらしく、扱いには手慣れているという。もう10年になるそうだ。他の2名が小柄で、荷物もかなり多い以上、体重の大きいゾウである私と、ダンの2名はそれぞれコクピットとサブピットに座ることになった。  「僕は地元の村の出なんですが」  思いのほか、荒々しげな見た目とは裏腹に、丁寧な口調でダンは喋り出した。運転中とはいえ、重苦しい静寂に耐えられなくなったらしい。  「どうもそっちでも、起きてるみたいなんですよ、失踪事件」  「本当なんですか」  それまで黙りっきりだったネズミの男、ジェイが、淡々と訊いた。別段驚くでもなく、寒い車内の温度に合わせたような冷やかさだった。仕事をし始めて半年間、ここに来て躓くまで彼と世界を巡ったが、未だに彼の感情の起伏は捉えられていない。  「えーと、報告では、確かに4件の失踪事件が、マクファーレンさんのご出身の村で確認されてますね、種はいずれもバラバラですが」  そそっかしいラエンの女性、ライラと名乗ったか、が手元の携帯モニタを叩いて読み上げた。ダン・マクファーレンと同じく、ここに着いた際に中央都市の空駅で出会ったばかりで、なおかつ、私とジェイの終盤を迎えた調査が躓くことになった原因だった。  いや、原因というのはよそう。別に彼女が引き起こした事態ではないのだから。  私たちはこの地に到着した瞬間に、すでに躓いていたのだ。
 私とジェイ・マウゼリンクスが実地調査を始めたのは半年前、そのきっかけになった、彼の調査に同行したのが1年程前だったか。赤道地帯の高地で発見された膨大な壁画、そしてそれを覆い隠していた巨大な洞窟は、数万年前に明らかな、我々知的生物による文明が存在した最古の証拠となり得るものだった。当時一介の動物文化学者だった私に、その研究の最前線に入って欲しいと言うオファーが来たのは、ジェイの横やりあってこそだと聞く。途中から研究に無理やり入り込んだジェイを疎む者はいたものの、全知的動物の大系統を、分子を用いて提示し、世界的に注目されている彼には、表立って反意を示すことができなかったようだ。無理やり私を暑い洞窟へ連れ出した彼は、これまでの古代文化とも違う、独特な意匠の壁画と、その物語る意味を教えてくれた。  それはカタログ、と言ってもいいものだった。中央に描かれた、楕円形の物体の中から、様々な種の、知的生物が出てきて、一様に並ぶ光景。そこには何万もの「立った絵」があったが、1色で描かれていながら、それぞれの絵はディテールが異なり、明確に別種と認識できた。赤道付近と言っても、安定陸塊上、そう、オセアニア大陸に位置する以上、ゾウやウマといった旧大陸を出自とする種は、ここには載っていないはずだった。だけれど、私の種だけではない。たぶん、あらゆる現生の知的生物が、この「カタログ」に載せられているのだろう。  分子生物学者のジェイは、恐らく人類のルーツを明確にしようとしているに違いなかった。そこで私に、手伝ってくれるように要請した。  誰もが気づかないふりをする。  感情の起伏に乏しいジェイが、この話をする時は苦々しい顔を必ず浮かべる。我々知的生物、つまり動物は、単一の系統である微生物として誕生し、無脊椎動物、魚類を経て、爬虫類となり、そこか���それぞれ鳥類と哺乳類が分かれた。これが、どんなにプロセスに疑問を抱こうと、この地球の教育機関で、幼獣ですら習っている仮説だ。  しかしこの仮説には矛盾が生じている。我々は進化の過程で、知能が発達したが、知能が発達するのが先だったのか、それとも様々な種に分化するのが先だったのか、という問題だ。知能が発達するのが先なら、例えば知能を退化させた種や、相応の歴史を示す物が残っていてもおかしくないが、実際はそんな種や事物は残っていないし、現在昆虫や魚類で示されているような、進化に至る原理、突然変異や、特に自然選択が、知能を持つと生じにくくなるのではないか、という仮説もある。一方で、様々な種に分化するのが先で、その後知能が発達したという仮説なら、上記の問題はクリアするが、いくら収斂進化という、似た生態的地位の生物に似た形質が出るという仮説があるとはいえ、そのような斉一的な知的生物化が起こり得るだろうか、という疑問が浮かぶ。そもそも、様々な種に分化しているのなら、我々には様々な、枝の途中となり得る、祖先種が数多見つかるはずだ。しかし、現状そんなものは一切見つかっていない。化石記録は魚類まで、それも現生の無脊椎動物や魚類とはかけ離れた姿で、我々の現在の姿を支持しない。  このジェイの主張に私は魅せられたのだろう。彼に伴って様々な古い遺跡をフィールドワークした。そうして、場所を絞り込んでいくうちに、文明誕生の起源となる候補が、この、新大陸の北極圏内にある、大きな台地で見つかった遺跡だと突き止めた。  残すは実地調査、既にキャンプ地が作られ、行われるはずだった大規模な調査に参加させて貰えることになり、北極へ向かう途上は、一睡もできないほどだった。しかし、いつまで経っても迎えの車両が来ない。どうもおかしいと思って、上空から気象観測用の無人機で見て貰ったところ、キャンプ地に誰の気配もない、ということが判明した。地元の警官隊に待機を命じられた私たちは、警官隊所属でこの地域を管轄していると名乗るライラと、この辺の地理に詳しく、仕事柄車両の扱いにも慣れているらしいダンと共に、キャンプへ向かうことになったのだった。
 洞窟の中は、明るかった。発電機が稼働したままになっ��いたせいか、洞窟の壁に設置された���イトが空間を照らし出し、携帯ライトを持たずとも奥深くまでの道は見えていた。ずっと昔読んだ恐怖小説と違って、静寂こそあれど、何十人ものスタッフが失踪したような、不気味な雰囲気は感じさせなかった。  先を行くジェイを呼んで、私より二回りは小さな彼の様子を聞く。  「キュクロプスさん、この先は若干狭いがあなたでも入れないわけではなさそうだ。ただ灯りがもう設置されていない。誰かライトを貸して欲しい」  そんな声が狭い道の前、ダンやライラの前から聞こえてくる。私は持っていた携帯ライト、ジェイには若干大きいかもしれないが、をダン、ライラに渡し、ジェイに渡すように促した。  「この奥は広い空間だ」  「慎重に進んでくださいね」  ライラが呼びかける。裂け目が出来て落ちていたりしたら大変だろう。  ライラに続いてダンが、そして私が狭い穴をくぐる。真っ暗であまり見えないが。空間が広いのは声の響き具合でわかる。  「これは、特に岩の裂け目とかはないみたいだ」  慎重に前進して、ジェイから渡された携帯ライトで周囲を見渡したダンが、何かに気づいた。  「なんだ、あれ」  真正面の、ライトで灯された場所を見る。明らかに場違いな物が、岩に貼りついていた。  「扉、ですね」  ライラが立ちすくんだまま不安げに言う。  鎮座している金属製の、明らかに現代的な円い扉は、私でも余裕で通れるぐらいには大きい。左側には、取手のような金属製の棒も繋がっている。  狼狽しているのか、先にこの空間に入ったジェイは、扉を見て何か考え込んでいるように見えた。そんな彼の横を通って、ダンがおもむろに取手に手をかける。  少しだけ、空気の吸い込まれる音がして、扉が開いた。  考え込むのをやめたらしいジェイが、吸い込まれるように扉の奥に入っていく。  「マウゼリンクスさん!」  ライラは止めに入ろうとしたのか、後を追った。私もそれに続く。  後ろから足音が聞こえる。ダンも来ているようだ。  扉の奥は、少し上向きの傾斜のある、通路だった。4名分の足音、金属音が響く。それ以外は、ジェイの今持っている携帯ライトが頼りだった。  こんなところに近代的な人工物があったなんて、何かの軍事基地とかだと、非常に私たちはまずいことをしているわけだが、なんでこんな洞窟の奥深くにあるのか、見当もつかない。  好奇心はとうに消え失せ、徐々に後悔と不安と恐怖が胸の奥を占めつつあった。そんな時、ジェイが立ち止まった。  「行き止まり?」  最後尾のダンが聞いた。ジェイは短く、いや、とだけ答え、目の前の壁、いや、長方形の扉だろうか、に設置された黒いパネルに、手をかざした。  扉が開くのと、視界が明るくなるのは同時だった。しばらく薄明りや闇の中で過ごしてきたせいか、目が痛い。なんとか視界を取り戻すと、通路と思しき、私たちが辿ってきた空間が明るく、ライトのようなもので照らされているのが見えた。扉の向こうは、少し落ち着いた明るさのようだ。ライラやジェイに続いて扉をくぐる。  そこは、一面緑色の森だった。
 唖然としていた私たちに、ジェイが呼びかけた。  「立体映像だ、本物の森じゃない」  各々が、凄まじい密度で生えている草木を触ろうとするが、すり抜けてしまう。どうやら本当に、偽物らしい。  「こんな植物見たことない。地球上でこんなの発見されてたっけ、それに日差しも」  「青い空だな」  上を見上げてジェイが言った。空と言えば、エアロプランクトンが漂っているため、地上からは緑色に見える、日差しもこんなに明るくはないはずだった。  「これが故郷の景色か」  そうジェイが呟く。  「その通りです、ここが本来の地球の景色です」  今までの穏やかな口調のまま、ダンが言い出した。  「マクファーレンさん?」  何を言い出すのか、と思い、私は振り向く。ライラも遅れて振り向いた。怯えているのか、その顔は強張っている。  「ようこそ、汎用生態系生産プラント、ネオファウナへ、私はこちらのオペレーションを行っているメインシステム、チャーリーと呼ばれています」  ダンは全員の方を向くと、恭しく礼をした。  「皆さんがご覧になっている映像は、本来の地球、東南アジアのカリマンタン島付近の熱帯雨林を再現したものです。本来の地球で最も多様性が保たれていた個所と言われています」  淡々と話すダンにはどこまでも表情が無かった。まるで愛想笑いを無理やり貼り付けたかのように、いや、人形や標本の魚のように、虚ろな笑みを浮かべたまま語り続けている。  「マクファーレンさん、どうしちゃったの?」  「私が現在操作しております個体は、身体の一部に改造を受け、なおかつ日ごろから電磁ネットワークに接続状態にありました。そこで、アバターを実体化させるよりも低電力で済むとみなし、デバイスとして使用するに至った次第です」  「俺をここに呼び寄せた理由はなんだ」  ジェイが、これまで聞いたことのない、敵意の籠った声で言った。赤い目が射止めるように、ダンを見つめている。しかしダンは答えなかった。  「ジェイをここに呼んだ理由は?」  今まで黙っていたライラが今度は言った。さっきまで怯えていたとは思えない、鋭い声だった。  「私は当該個体、あなたがジェイと呼ぶ個体を通して、ユーザーの設定した開始コードの発現タイミングを計算していました」  もはや私には何がなんだかわからなかった。洞窟の中の見知らぬ施設、見覚えのない緑、そして態度の一変した同好者たち。立っているのがやっとだった。  「一から説明してくれ、彼らがここに呼ばれた理由を」  ライラが続けた。ダンは薄笑いを浮かべ、苦虫を嚙み潰したような顔でジェイがそれをにらんでいる。  「始生暦時代に入って、人類の文明は大きく進歩し、大規模な星間文明を築くに当たりました。その過程で、本来の地球は大きく生態系を衰退させ、私が稼働を始めた段階では、乱開発防止のために所在不明とされていました。その代わり、多くの惑星が植民化され、人類は星間文明を自らの故郷とするに至りました。しかし、本来の故郷である地球への憧憬が無くなったわけではありません。数多の星々をテラフォーミングする過程で、人類はそのノウハウを蓄積させ、より高効率に、より速やかに他の惑星を地球化することを実現したのです」  「そして、故郷への憧憬は、私が制作されたネオファウナ計画に繋がりました。星間文明で用いられていた、地球由来の生物の遺伝情報を基に新たな労働力、知的生物を作り出す技術と、先に述べたテラフォーミング技術が結びつき、新たな地球を生み出すという計画へシフトしたのです」  「手順はまず、簡易な条件での地球化から始まります。条件に見合った惑星に、こちらのプラントで遺伝情報を改変し作製した大気性プランクトンなどを放ち、大気構成を地球により近いものとします。その後、水生プランクトンやごく微小な生物、水生生物、陸生植物、小型陸生動物といった順に作製し、放流します。生態系がそれぞれ安定してきた段階で次フェーズに移行し、最終的に大型動物を除いた不完全な生態系ができます」  「その後、大型動物をヒト型知的生物として作製し、惑星上に解き放ちます。初期はある程度の調整が必要ですが、徐々に文明化が進むと、自然と個体数も増えていくことでしょう。 ユーザーであるホモサピエンスに形態的に近いグループが作製されたのは、文化基準をかつてのユーザーの文明に合わせ、個体数増加を促すためです」 「ラエンのことだよ」  静かにライラが呟いた。  「私が開始コードを発現しようとしているのは、更にその次のフェーズです。当該個体を作製した私は、接続可能な別個体を使って、当該個体を外に出し、その脳を通して現在の惑星の状態を観察していました。もちろん、当該個体には脳神経の加速化措置と、私に情報を送るためのリソースも設置済みです。24年6か月を観察したことで、私は開始コードの発現を行うのに十分な時間が経過したと認識しました」  「それが、俺が作られた理由か」  相変わらずダン、否、チャーリーを睨んだまま、ジェイが吐き捨てた。  「開始コードの発現後はどうなる、先住種族と同じように、彼らを消去するのか」  「いいえ、開始コードの発現後は、現在作製している神経加速化の遮断、脳内の感覚抑制の解放、ボトルネック防止に用いられていた多系統繁殖用遺伝領域の切除、そして次代における原種形態への移行、これらを促すウィルス群を散布します。現在、その準備段階として、複数個体にこれらの措置が可能かどうかを試験しています」  「どういうこと?何が起きるの?」  何を言っているのか、門外漢の私にはわからない。だけれど何か恐ろしいことを言っている気がして、口走る。  「俺たち知的生物は知能を失い、動物に戻る。感覚も戻り、少子化対策に用いられかけてた遺伝領域はもぎとられ、子孫は四つ足の獣に、ってことだ。失踪事件は、その準備として、試験的にウィルスをばらまいたってことだ」  ダンは何も言わなかったが、ジェイが代わりに答えた。  「私に記録されている地球生命の情報は膨大ですが、基礎さえ完成すればあとは難しくありません。残りは生態系が安定するに従って、徐々に作製し定着させていく予定です。早ければ数十年で、この星は第2の地球となります。私やユーザーの願った地球の復活が遂に為されるのです」  ダンは両手を広げてまるで演説でもするかのように宣言した。私にはこれが夢の中の出来事のようでならなかった。  「当該個体と、そうですね、こちらの個体は私の本体にフィードバックすることにしましょう。現状のサンプルでは効率的なウィルスの散布が行えないので」  そう言うとダンの体は何も映っていない瞳で私の方を見た。ここが北極であることを思い出したかのような寒気が走る。先んじて捕まえられたジェイがもがいている。私も腕を強い力で引っ張られて、森の奥まで連れていかれそうになる。  「AIの癖によく喋るなお前は。中に誰かいるだろ、飛びっきりのイカれた奴が」  突然、腕が離れた。同時にジェイの咳き込む声がする。  見ると、大柄なクマを取り押さえているラエンの女性の姿があった。非現実的な光景に何が起こったのかわからなくなる。  「チャーリーだったか、以前遺跡を回って、似たような壊れた施設を見た時にあんたの名前を確認したよ。設置予定の生体プラント兼液体コンピュータの素体になるって時点でやばいと思ったが、こちとら先住種族を駆逐されんのも、せっかく根付いた知性を踏み台に懐古主義に走られるのもごめんでね、悪いが稼働停止してもらう」  出会った時の態度はどこへ行ったのか、荒々しい口調で告げると、周囲に火花が散った。  途端に、立体映像の森が消え失せ、通路と同じ無機質な灰色の部屋に変わる。  「案の定、システムはニューロン式を使ってたか。悪いけれど私はラエンじゃな���し、体はあんたの言うホモサピエンスでも、宿っている意識は年季の入った量子の寄生虫なんだ。量子脳に関してはこっちの方が上手なんだよ。3億年かけて辿り着いた、被食者と捕食者が共にいられる楽園、そう簡単に潰されてたまるか」  「私の活動が停止すれば、今後エアロプランクトンが作製されることもなくなりますよ」  苦しげでもない、さっきと同じ淡々とした口調でダンの体が言う。  「エアロプランクトンも継代を重ねて、あんたの供給なしに殖えるようになってるんだよ。この世界は変わっていくさ。でもそれは地球と違う、大型動物相の代わりに知的生物が優占し、交雑を重ね、多様化と均質化を入り混じらせる世界としてだ。本来の地球生命が今も変化を続け、この星だって変化の最中にあるのに、時を戻して止めようとした時点で、あんたは詰んでたのさ。わかったらとっとと凍りな、あんたの望んだ永遠の停滞だ」  轟音が響き渡った。床が震える。部屋のライトが点滅して、消える。真っ暗になった部屋が振動を続ける。盛大に転倒した私は、解放され糸が切れたように崩れ落ちたダンと、同じく転げまわるジェイをなんとか抱きしめる。  「私はこいつのやらかした後始末に行ってくるから、またどこかでね」  覚えているのは、そこまでだった。
 台地で起こったことは、巨大な雪崩によってキャンプ地と、内部の空洞が崩壊した、というニュースで片付けられた。私は他の2人と共に病室に缶詰になり、あれこれと話し合った。ダンは荒っぽいが人懐こい性格で、私のことは全く知らないが、幼い頃に父親が連れてきて兄弟のように育ったらしいジェイのことはよく覚えていた。ジェイは遺跡巡りと、ダンがジェイを覚えていないことで気づいていたらしい。  キャンプ地で失踪したスタッフと、近隣の村から失踪した住民が保護されたのは、私たちが洞窟の入り口で倒れていたところを発見された翌日だった。ちょうど反対側の海岸で見つかったらしいが、不思議なことに皆が一様に「吹雪が酷くなったのでビバークした」という記憶しか覚えていなかった。1本だけ、空の注射器が置いてあったそうだ。  ライラの行方は分からない。そもそも、地元の警官隊にはそんなメンバーどころかラエン自体がいなかったのだ。  「これからどうするんですか」  ダンは寝ている。病室の窓から空を見ているジェイが、どうしても気になった。  生きる目的を失ったのではないかと、思ったからだ。  「枷が外れた気分だ、清々しましたよ」  いつもと同じ、だけれど少し晴れやかな声色で彼が返した。  「なに、資料は集まってますから、最後の仕上げだけできなかったってことで」  彼らしくない、楽観的な言葉だった。彼も、吹っ切れたのかもしれない。  「あの場にいた誰もが、あの場所に関係している者だった、あなたを除いて」  「そうですね、傍観者として、大事たと思われたのかもしれません」  「チャーリーが言ってましたね、星間文明がどうとか」  「言ってましたね、多種族からなる星間文明とか、地球由来の遺伝情報で人類の伴侶を作り出すとか、あれ」  「そんなこと、言ってましたっけ」  記憶と知識の食い違いに、戸惑う。すらすらと出てきた言葉は、私の理解を大幅に超えていたはずだった。  「磁気映像で撮影した、あなたの脳のカルテを見せてもらいました。先天的な改変の痕跡が見つかったようです」  「私には、そんな自覚は」  「無いんでしょうね。誰かが、どこか遠くからあなたの脳を介して、この星を見ている」  私と同じですね、と彼は言った。彼が言っている間に、まるで目の奥の濁りが取れるみたいに、目の前は鮮やかになっていった。  目の前に広がるのは、白い空。  でもその向こうに広がるのは、プランクトンに覆われた碧色の空。  脳裏に浮かぶのは、あの時見た青い空。  「モッティさん」  白い空をバックに、白い毛並みの彼が振り向く。その顔には、見たことのない表情が浮かんでいる。  「この世界って、綺麗ですね
#SF
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mougen-nikki · 1 year
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22年振り返り
1月 誕生日に卒論を提出。ひなと「春原さんのうた」鑑賞。自身初のTRPGキャラ瀬川理さんをリリース、「悪霊の家」を通過。まお、はるかさんと三菱一号美術館で「印象派・光の系譜」を観る。「少女革命ウテナ」を一気見した。はるかさんとこうきがポコと面会。ポーランドの朝ごはんを食べに行き後方彼氏面。ももち、ぴよ、孫文さんとオンラインお絵描きバトルをした。2人目のTRPGキャラ、妄言ヶ原墓都で「カタシロ」を通過。IVEにハマり、ガウロンニのパートの少なさに憤る。
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2月 ポラ科旅行で初の富山。バレンタインフェアで1万円ほどチョコを買い込む。2winkバレンタイン曲が最高で涙した。大学生テンプレドライブ(アカオハーブ&ローズガーデン→さわやか→三島スカイウォーク)に行く。ムルSSRは引けず。3人目のTRPGキャラ、磯貝愛海ちゃんで「まつりの街」を通過。
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3月 「フレンチ・ディスパッチ」鑑賞。すみちゃんとハリポタ展。ポラ科ディズニー。軽井沢でポラ科合宿、テニス部発足。帰りに「あんさんぶるスターズ!!ーRoad to Show!!」を観て圧倒される。部活の同期と香川旅行。「THE BATMAN」を2回鑑賞、ブルース坊っちゃまとパティンソンへの想いが溢れてネトフリでドラマGOTHAMを観始める。卒論が学部賞をもらった。「14歳の栞」を観てまともな大人でいることを決意。こうきと上野の「宝石 地球がうみだすキセキ」に行く。ネイルサロンデビュー。卒業式にジャーファルさん色の袴とネイルで行くことにしていたら当日朝に何故かマギのミュージカル化が報じられる。ぴよと「ガンパウダー・ミルクシェイク」を観てミルクシェイクを飲む。もつ鍋会、こうき見送り。31日にようやく勤務地が判明。
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4月 入社式で配属部署を知る。1ヶ月在宅オンライン研修。簿記を始める。ひなたくんとみかのイースターシャッフルで慌てる。カムカムエブリバディが完結しスタンディングオベーション。ゴールデンカムイも完結し山猫の死のことを考え続ける。初任給で家族にご飯を奢る。おもしれ〜男ことTさんとの出会い。
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5月 4人目のTRPGキャラ、アメリア・アニングで「海底散歩と星の唄」を通過。「ファンタスティックビースト ダンブルドアの秘密」を観てゲラード……テセウス……になる。友人宅で「私ときどきレッサーパンダ」を観て感激。横浜でバラを眺めながらティータイム。GWの配信で刀ミュを観てふ〜んとなる。同期と初めて対面、本社で寿司を食べその後茨城へ旅立つ。真剣乱舞祭宮城公演で大助かりする。
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6月 ミュージカルマギを初観劇。マギと過ごした半生を振り返りしみじみする。ジュダルちゃんの好感度が爆上がりした。 同期のオンニ2人とあしかがフラワーパークに行く。同期のオンニ①とPLAN75を観に行き社会の悪口で盛り上がる。土日に同期とバスケをし、バスケが上手で良かった〜〜と思う。神里綾人欲しさに原神を始める。(G)I-DLEに爆ハマりしてなぜ今まで手を出さなかったのかと大後悔時代。
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7月 5人目のTRPGキャラ、キャサリン・アーンショウ(篠宮塔子)で「お助けくださいまし、お嬢様!!」を通過。「マイ・スモール・ランド」を観て埼玉県の将来を憂う。ひな、まおと「ベイビー・ブローカー」とTWICEの衣装を観る。バスケ部の先輩と「戦争と女の顔」の沼キョントークショー回を観る。部署に配属され上司&先輩と初対面。その直後コロナになり1ヶ月本社に姿を見せなかったため、同期に退職を疑われる。バリチルの内見にも行けず。
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8月 3年ぶりに地元の祭りがあったが久しぶりに行ったら自衛隊のPRが露骨すぎて辟易。一方で中学の友達が立ち上げたよさこいチームがデカくなっており感涙。滋賀へ初出張で京都に前乗り。念願の京セラ美術館で「綺羅めく京の明治美術」を観る。高台寺の夜間拝館でプロジェクションマッピングを見たり、にっかり青江のエピソードを怖がる人々を見て笑顔になったりする。初の野球観戦で東京ドームへ行き、走り回る野球人たちをシャンパングラスを傾けながら観察。久しぶりに家族4人で出かける(木更津アウトレット)。れみかと「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」を観る。20日にバリチルの借家人となる。ポラ科合宿で相模湖へ行き束の間のヴァカンス。「バリチル」という呼び名が誕生。「私は最強」にどハマりする。
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9月 母と母校の文化祭へ行き、妹のクラスメイトにかっこいいと言われ有頂天になる。バリチル入居に向けて家具探しが始まる。「ONE PIECE FILM RED」を観てパペットスンスンPOP UPへ行く。やはりシャンクスは養育費を払っていなかった。2回目の滋賀出張。ワンピース無料公開を読み始める。
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10月 バリチルに引越し。ももちと三日月宗近カクテルを飲む。刀剣乱舞宴奏会のために午後休を取る。レボライで予想外の客降りを浴びる。池袋のお洒落ホテルステイでナイトルーティーン動画とバルミューダの面白さが分かり始める。すえたんとAesop queer libraryに行きFILM REDに関する議論が盛り上がる。ディズニーシーで大人の遊び方をする。3回目の滋賀出張。すえたんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行きガチ中華を食べる。ココスのテニプリコラボに同居人を連れて行き、幸村のスープパスタと阿久津のモンブランパフェを食べた。
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11月 仕事帰りに「秘密の森の、その向こう」を観る。同期との飲みでワインを飲みすぎ有楽町までレスキューに来てもらうが翌週も懲りずに外でワインを飲む。数年ぶりの大学の先輩とインドネシア料理を食べた。ポーランドに旅立つゼミ同期の送別会に参加。会社の同期と木更津に旅行に行き、コストコの会員になる。ポーランド映画祭で「パン・タデウシュ物語」久山先生のトークショー回を観てから外語祭へ向かう。指導教員にはタッチの差で会えず、大雨だったので早々に退散した。先輩からお誘いがあり「バケモノの子」で劇団四季を初観劇。コミティアに行き同人女に差し入れを渡す。みなほさんとヒルトンお台場の刀剣乱舞コラボビュッフェに行き燭台切様から歓迎のドリンクをいただく。
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12月 すみちゃんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行き羊中華を昼呑みをする。出張で浜松、鈴鹿に初めて降り立ち、名古屋で味噌煮込みカツを食べて帰る。初めて高輪ゲートウェイで降りてチェコ料理を食べに行った。RRRを観てインド意欲が高まる。広島出張でほとんど自分の金を使わずに一泊2日する。ゼミ同期の職場でバロックパールを買いすえたんとまお、こうきをエンカさせた。日比谷のクリスマスマーケットに行く。バリチルでクリスマスパーティーを三日三晩弱行う。クリスマス当日にアフタヌーンティーオフ会をする。
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keredomo · 2 years
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 現実の上で、31歳を振り返っておこうと思い、こうして書き始めた。  観念的なことだけを著しておく気高さもあると理解しつつも、具体の苦しみもまた私の苦しみであるときちんと認めておかなければ、正しさに辿り着けないと考えたため。
 よって、これはいつにも増して自分のためだけの文章である。読んでいただく必要はない。
*** 
 去年は誕生日の記事を書く余裕がなかった。よく覚えている。前職の離職を告げて、後片付けに奔走していた。  転職が決まって人生が変わることになった6月は、毎日を事務的な疲弊と共に過ごした。人生を懸けて取り組むつもりだった仕事を手放す痛み、平穏な離職のために無意味な嘘をつかされる痛み、そういうものと闘っていた。
 誕生日は恵比寿のウェスティンの一室で小さいシャンパンを開けて過ごした。薄暗い日で、冷たい雨が降っていた。誕生日の祝いにとその日ホテリアーが提供してくれたチョコレートを、まだ食べ切らずにひっそりと一粒だけ残してある。赤いハートのガナッシュ。心臓のように思った。大切に、残している。
 退職し、思いがけずひと月半の夏休みを得て、毎日を言葉と共に過ごした。7月。新しい言語を習得するつもりが、持ち前の怠惰が邪魔をしてうまくいかなかった。熟達している日本語とずっと親密に遊んでいた。言葉は時間を埋めてくれる。言語ばかりでものを考える性向から、日々の日記はとんでもなく長いものになった。新たな外国語の習得は叶わなかったが、母語とのたわむれは、私に大いなる慰めを与えた。それでよかったのではないかと今は思う。
 8月に新しい仕事を始めてからは怒涛の日々だった。毎日、環境のよさに舌を巻きつつ、優しい上司と同僚に囲まれて慣れない業務をこなした。人格者ばかりに囲まれて、優しくされることに時折涙した。
 9月の終わりに父親が死んだ。12月に、人生を懸けて愛した人に決死の別れを告げた。死ぬかと思った。それら二つの衝撃にうちのめされて疲弊し、上手に人に優しくできなくなってしまった私を、家族の妻は拒絶し冷たく振る舞い、余裕のない私が彼女に優しくできないことについて大いになじった。くる日もくる日も、大泣きしながら夜通し罵倒しあった。私がわかりやすく優しくて有益でなければ私を愛さないこの自己本意でしかない者とはもう今後を共にしたくないと思い、家族から離脱した。もう愛したくなかった。私の人生に存在してほしくなかった。彼女に、傷つききった私をさらに追い詰めた自覚はあるのだろうか。お互い様だろうが、もう二度と愛せないだろう。心を傾けることはできないだろう。深く憎んでいる。それほどに、信頼していた人間に追い討ちをかけられた傷は深い。父を失い、恋人を失い、家族まで失った。友人も一人失った。失う時は、一気に失うものだ。
 失うばかりではない。得たものもあった。1、2、3月は、ふいに訪れたその衝撃を生に落とし込むことで精一杯だった。人に優しくされ、ありのまま過ごす姿を許される生活を、もしかすると送れるのかもしれない。私のような欠陥のある人間でも、誰かと生涯を共にできるのかもしれない。そう夢見た。がらにもなく期待してしまった。結局その夢は、次の誕生日に盛大に破られることになった。大いなる裏切りに遭い、再び失った。確かなものは、この世にはあまりにも少ない。安心は私の生に与えられるものではないのだと知った。思い知った。
 4月と5月は再び仕事に明け暮れた。仕事は私を求めてくれるから助かる。それと同時に、妊娠恐怖とふたたび闘い続けた。体の不調と異変を刻々と受け止めながら、子供をもつかもたざるか、真剣に考えた。一人で育てることができるのか。誰の子供にならば人生を捧げられるか。子供を持たない人生は女性として生まれたこの身の義務を果たさない罪なのではないか。子をなせば少なくとも虚無からは救われるのではないか。そんなことのために子を持っていいのか。考えた。怖かった。何を得て、何を捨てることになるのか。体の異変を覚えるたびに、想像し尽くした。うなされた。胃液がせりあがった。自分の生をやりきれていないのに、子をきちんと育てあげることができるのだろうか。私は子を殺してしまうかもしれない。きっと殺すだろう。むごいやりかたで幼児を殺してしまうだろう。睡眠不足の朦朧とした頭で、私の人生を奪うなと叫んで、殺してしまうだろう。
 春宵に、夜更けの京都の河岸で民族楽器を鳴らした。めちゃくちゃに叩いた不思議な楽器の音色が美しかった。空気は透き通っておらず、もったりと私たちを包んで、ただひたすらに綺麗な音とうっすらと聴こえる街の喧騒がそこに響いて、そこは黄泉のようだった。
 5月、随分遅れて、生理がきた。子を孕んでいなかった。心底落胆した。疲れ果てた。小説を書くことを決意した。それは今後の人生において妊娠を諦めることで生じる決意であった。
 私と親しい誰もが、その決意を喜んだ。爽やかな初夏だった。私だけが、晴れやかな顔で、人生を憎んでいた。私だけが、もはやこの生に期待できないと感じていた。何も持っていない。すべてを持っているのに、何も持っていない。
 美しい人と横浜で薔薇を見た。いちご飴を食べた。唯一の慰みであった。
 「あなたを母親にすることがためらわれる」と、その人との子を狂おしく望んだ相手に、かつて言われたことがあった。その言葉は私を縛り続けた。母親になることを諦めた今、その意味がよくわかる。育児は私の仕事ではないだろう。私の仕事は、人類という動物種を繁栄させることではない。生きることを余儀なくされている全ての人を救うための何かを残すことだ。
 子を諦めたのち、「あなたはあんなことはしなくていい」と、またその人に言われた。「子を産み育てるようなことは、しなくていい」と。私は、選択を間違えなかったのだと心底安堵しながら、同時に再び絶望した。
 こんなに苦しい思いに苛まれることが、この人生には必要なのだろうか。
 死んでいいだけの理由が、いくらでもある。私は、「死んでしまっても仕方なかったね」と人に思われるだけの理由を十分に抱えていると思う。それでも、死ねない理由のほうがもっとたくさんあるのだ。私を失った生を生きさせたくない人がいる。そう確信できるところにまで、自らの生を押し上げてしまった。そのことを誇りに思う。重荷であるとは思わない。
 ただ、ここまで傷ついてしまえば、いつ死んでもいいなとは思う。自死を免罪されるほどに、私は傷つき果てていると思う。その権利を、みずから行使することはないだろうけれど。もはや希死念慮も薄らいだ。
 白百合の派手派手しさは私を救う。眠りの横暴さも私を救う。紫煙のくゆりも私を救う。言葉も私を救う。私のためだけに連ねられた言葉たちが私を救う。私が私のために書き殴る言葉たちが私を救う。
 それさえあれば十分なのではないかと思う。本当は、これで十分なのではないか。私が求めすぎているだけで、本当は、これだけ持っていれば十分なのに、安寧を、浄土を、深呼吸を、深い眠りを、音楽を、眩さを、確かさを、求めていること自体が間違っているのではないか。
 浄土の英訳は「pure land」と言う。初めて知った時には笑ってしまったが、今はとてもよい英訳だと感じる。pure land。私の望むところはそこであるとはっきりと断言できる。pure landという訳が与えられたことで、「浄土」という言葉は(私の語彙において)仏教から離脱した。
 どこか、涅槃を超えたどこかに、私が私であるだけでよいとされる、pureな、もう二度と心を折らずに済む、もう二度と諦めずに済む、もう二度と心が張り裂けるような思いをせずに済むような土地が、もう二度と、私が私であることを妨げない土地が、あるのだろうか。あるといい。あってほしい。
 私を守る庭があってくれればいい。私の心を守る庭があってくれればいい。美しい百合に囲まれて、緑と白だけが支配する、ようやく呼吸のできる土地が、ようやく深い呼吸のできる庭が、安心して手脚をのばして横臥して、深く息を吸える土地が、誰も、私がのびのびと一人で眠って一人で目覚めて、世界の光の美しさに目を細めることを邪魔しない土地が、庭が、美しい庭が、あるといい。
 壊れてしまえばいいのにと願わずにすむような庭が、壊れてしまうかもしれないと怯えずにすむ庭が、あるといいのに。
 どうしてないのだろう。
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takahashicleaning · 4 days
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TEDにて
イギリス保守党。党首デービッド・キャメロン: 政府の新時代
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
2010年の時点でイギリス保守党。党首のデービッド・キャメロン氏は、私達は新しい時代に突入していると説く。
行政府の権力と財力が低下する、一方、国民がテクノロジーによって更に権限を得る新時代だ。
行動経済学の理論を利用して、このような傾向をいかにして賢明な政策に発展させられるか!についてキャメロン氏は探る。
前提として、行動経済学は、言葉の定義を明確にしてから透明性の高い説明責任を必ず行うこと!!
本人の許可なしに行うことは、基本的人権の侵害。
さらに、独占禁止法の優越的地位の乱用に適合するため、使用には厳しい規制や厳格な制限が必要。
ちなみに、前首相は、ゴードンブラウンです。
今夜、私が皆さんにお話したいのは、本当にシンプルで単刀直入な意見です。
現在、途方もない情報革命が起こっているのは、皆さんの方がよく知っていると思いますが、それに見合った政治哲学と考え方を合わせたら、実際に政治を作り変えて行政府と公共サービスを立て直すという素晴らしいチャンスになると思うのです。
そして、このスライドにあるような「私達庶民の生活における幸福」を大きく向上することができるはずです。
政治史を簡単に説明すると3つに分割できます。それは•••
官僚政治前?地方政治から、中央集権的な時代になるところから始めます。
絶対王政による君主制の時代。大陸を横断するには何週間もかかり、すべてを把握するのに数ヶ月もかかっていました。ですので、治安維持、司法、教育、医療、福祉の管理はできず、戦争を起こすくらいでした。
官僚政治時代?になると産業革命の時代も融合して、巨大な中央集権が産まれ立憲君主制もあり、治安維持、司法、教育、医療、福祉の管理が統合されていきます。
しかし、インターネットによる情報革命により変化してきます。特に、インターネットに特化したインターネットサービスと呼ばれる分野が爆発的に拡大した。
透明性(匿名化済)?選択肢の拡大?警察内部の説明責任?について弱者など庶民の生活向上のための解決アイデアを語ります。行政のオンライン化は始まったばかりです。
日本の警察や警視庁の情報もアメリカの情報公開法みたいに、過去何十年かを経過したら公開した方が良いかもしれません。
そして、裁判所の令状なしに監視カメラに人工知能を使用するのはプライバシー侵害です。
もしかして、日本国憲法の通信の秘匿にも?弱者である庶民への圧力?自動車のナンバーも無許可で読み取っています。
まず、影響力の巨大な政治家、役所、警察、テレビ局や大中企業の内部通報用として搭載して手本を示してはいかがでしょうか?
ゴードンブラウン首相の前は、トニー・ブレア政権で、サッチャー政権の負の遺産を修正し、地方公共団体や公企業が復活、民営化によるサービス低下への対策が行われ
医療予算は大幅に増額させ、国民健康保険も立て直し、教育政策においても負の遺産であるサッチャー政権が導入した競争型の中等学校が事実上廃止!?公立学校の地位向上がなされ元に戻りました。
有名なサッチャリズムと呼ばれている政策は、ケインズの双璧をなすミルトン・フリードマンやフリードリヒ・ハイエクの経済学に対する思想が、のちの新自由主義的な経済改革の源です。
主に、小さな政府や政府の市場への介入を抑制する政策、国有企業の民営化や規制緩和、金融システム改革(金融ビックバン)など。
さらに、改革の障害になっていた労働組合の影響力を削ぎ、所得税、法人税、の大幅な税率の引き下げを実施。
しかし、医療制度を機能不全に陥らせたり、金持ち優遇政策を採った副作用が起き始めます。
一方、付加価値税(消費税)は1979年に従来の8%から15%に引き上げられた。その後、小さな政府の柱の一つであった完全なマネタリズムを放棄し、リフレーション政策に転じていきます。
サッチャリズムと同時期に、アメリカでは、レーガノミクスが起きています。後に、「双子の赤字」と呼ばれる負の遺産を残します。
その後、2008年の金融危機でレーガノミクスを改善したような対策。
2006年から2014年にかけて就任したFRBバーナンキ議長の経済対策のようなプロセスに到達しています。
双子の赤字以上にアメリカの法人資産は金融工学を駆使しているし、黒字を維持し続けているので、膨大な金融政策でも成長しています。
2012年からの日本の経済政策も似ていますが、賃金だけが上がっていません。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
また、政治にはまったく興味はありません。テクノロジーや技術には興味があります!
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。
要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人とし���、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究��ら発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
バイデン大統領は2021年。
財務長官にイエレン就任した際の経済対策の一環
「世界が相互に結びついたことのもう一つの結果が30年に及ぶ法人税率の引き下げ競争だった」
というマクロ経済学の結果を明示した前提で各国の多年の法人税引き下げ競争を終わらせ、20カ国・地域(G20)で協力して共通の最低税率を設ける国際的な取り組み
法人税に世界的な「最低税率」を設定することで合意するよう調整していると言います。
実現が遠い世界的なデジタル課税よりも現行法の範囲での現実的な提案をしたかもしれない!
2018年くらいから、GAFAMなどに対して、事前分配、再分配に関するベーシックインカムや国民皆給付金。中央銀行のデジタル貨幣。
新型コロナウイルスのパンデミックで日本ではクリーニング師を含めたエッセンシャルサービスの重要性が再認識される。
GAFAMなどが基盤にしているストーカーアルゴリズムが問題になる。
規制を強化する方向に進んでます。
日本国憲法尊守を前提で、こんなアイデアはどうだろうか?
幸福がポイント。
ベーシックインカムは、現在の社会保障にプラスしていくことを前提条件として考慮しています!
もう一度。
ベーシックインカムは、現在の社会保障にプラスしていくことを前提条件として考慮しています!
さらに、中央銀行のデジタル通貨で光熱費料金もある程度、補助金という形で個人単位を補助し、実質的に料金を下げて欲しい。
電気やガス事業は、国防と密接で独占せざるを得ないから競争して、むやみにインフラ崩壊させるよりもデジタル通貨でベーシックインカム形式の光熱費補助にも特化して欲しい
「合成の誤謬を最小限に抑えること前提」
毎月国民一律皆給付ベーシックインカムは最優先だが、財源がない場合に備えて、特化オプションをそろえて柔軟に機動的に実行できる環境も重要です
「合成の誤謬を最小限に抑えること前提」
光熱費は毎月の消費なので貯金に回りづらいから庶民の生活下支えになる。しかし、競争しすぎてもデフレスパイラル競争になるから、光熱費領域は慎重に設計することが肝要。
内閣府の「マイナンバー制度の定義」は「マイナンバーは社会保障、税、災害対策の3分野で複数の機関に存在する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されます」
基本的人権侵害にあたるため、他分野へむやみに拡大するのは危険です。
金融の概念で分けられてはいる名称だが・・・
既存通貨に色は付かないので行政府が勝手に決めてる概念という前提で以下に展開します。
1、贈与。2、寄付。3、金融の貸付。
違いは、言葉の定義。
1、親族内。 2、他人同士で金利ゼロ返済不要。行政府経由なら「給付」という言葉の定義になる。サンデルの言う強者から弱者にマネーが100%流れれば善悪ない。 3、他人同士で金利ゼロか有りの返済付きで場合によりマイナス金利もある。
この場合、既存通貨は、追跡できないことが問題点。弱者をしつこく追跡することは法律違反で独占禁止法の優越的地位の濫用になります。通貨や人間が悪いわけではない場合が多い。
なら、政治資金規正法改正して、既存通貨の他に追跡できるデジタル通貨の形式で政治家限定で歳費支給したらどうなるだろうか?現状の歳費支給にプラスしてデジタル通貨分もプラスするから給与アップになる。追跡できるから不正もできない。
政治家への既存通貨での寄付は厳格に条件を決めた範囲内で政治資金規正法で透明化するのはいいこと。現実的に現状このルートは、デジタル通貨にせず、日本の場合は検察当局の存在理由も維持するためもあります。将来的にはデジタル通貨に完全移行が望ましいけど。
政治家からの既存通貨での弱者個人(選挙区内)への寄付は、自らの裁量で年収の低い弱者(選挙区内)だけに行うなら善性に沿うかもしれない。法律化しても問題ない。こちらも将来的には、デジタル通貨なら自動で透明化、効率化できます。
なお、国内の格差縮小にも貢献できるだろうし、万が一、強欲大中法人が賃金を下げてしまっても政治家が下支えできるという政治家本能やお互いの幸福も社会システムに組み込めます。
政治家から弱者低収入個人への寄付は概念では分配だと思うが、現行法では汚職?
法律が低収入庶民を苦しめる不思議?憲法違反?
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020��は、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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kennak · 10 months
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寝れないので、IT業界の客先常駐について書こうと思う。客先常駐は辞めとけ客先常駐は辞めとけ。よく言われることです。でもITには未経験だと客先常駐くらいしか無いのです。経験者でも客先常駐しかないのに未経験だと尚更。私はそこそこ有名な大学の院卒で、27の時に他業界からIT業界に入ったけども、普通に書類選考で落とされてました。最終的に微妙な企業2〜3社しか面接まで行けませんでした。当時は何も考えてなくて、とりあえず経験を積みたい、と採用してくれた企業に入社しました。年収300万で。ちなみに前職だと年収420万だったからめちゃくちゃ下がりました。そこそこの学歴で、しかもバリバリの理系でも、未経験だとやはり採用してくれる企業は少ないんです。ちなみに転職した時は30歳でしたけど、未経験の時に比べて書類選考の通過率はとても高かったです。客先常駐のここが嫌だ給料が安い安いんですよ、月収20万ほど。客先ガチャだスキルが身につかない客先もあるんです。というか結構多いです。客先のパワハラは防げない自社のパワハラは上に言えば対応できます。でもお客様からのパワハラは上に言っても防げません。これもガチャです。歳を取れば解雇かも客先常駐って永遠の就活生です。1つの客先が終われば次の客先の面接に。次が決まらないと解雇です。歳を取ったのにスキルがないと客先も見つからない。だから解雇です。仕事への愛着がなくなる客先常駐のメンバーは使い捨て。忙しい時期はこき使うけど、リリースできるくらいに落ち着いてくると切られます。1つの製品を設計からリリースまで関わることはまずないです。だからやり切った感もなく、愛着は失われていきます。人のせいにする技術の向上客先常駐は責任のある作業は損なだけです。責任は人になすりつけるもの。失敗は自分の責任にしてはいけません。なぜなら客先常駐はただの使い捨てなので責任なんて取れませんから。客先常駐に向いてない人正直、客先常駐は辞めとけ、と言いたいですが、IT業界の大半が客先常駐なので、辞めたくても辞められないんです。IT業界は運です。いい企業が運良く求人をかけてれば、年収が高くもなりましょう。いい企業はホワイトなので技術力よりも人間性や若さを重視したりします。実力があっても若さがないと、いい企業に入れなかったりします。文系でもいい企業に入れたりします。でも逆に運がないと実力があってもいい企業に入れなかったりします。だから経験を積むために客先常駐に入らざるを得ないと言う考え方もあります。だから客先常駐前提で考えます。以下は客先常駐に向いてない人です。公務員だ。正直、公務員を辞めてIT入るのはお勧めしません。年収300万ですよ?年収はなかなか上がらないですよ?年収一時的に下がってもいいから、とか思ってたら一生下がったままかもしれませんよ。文系だ。or プログラミングが好きではない。個人的にすぐ辞めちゃうエンジニアの大半は、向いてないのにエンジニアを目指しちゃった人です。向いてない人が来ちゃいけない業界なんですよ。目標達成能力がない自分で考えない人。目標達成に向けて努力できない人。指示待ち人間。このタイプは一生大成しません。ずっと安月給で働くならいいですが、IT業界の上層にはいけません。体験談とめどなく客先常駐について書いてきましたが、私は客先常駐に挫折して、一度会社を逃げ出すように辞めてます。私はITスキルについて一定以上であると自負しています。もともとは研究職を目指していたくらいの実力があります。そんな私でも客先常駐ガチャに失敗し、パワハラ上司にあたると簡単に挫折してしまうのです。客先常駐の怖いところ、それは客先常駐ガチャです。人によっては客先常駐はそれほど苦痛ではないと言うでしょう。しかし、「今」が苦痛ではないだけです。ひとたび、客先を切られ、別の客先に行けば、パワハラを受けるかもしれません。客先常駐は給与は低いです。しかしお客様が支払う単価は高いです。安くても60〜70万、高ければ100万や150万の場合もあります。その場合も給与は20〜30万です。お客様は100万の価値を求め、私たちは給与20〜30万のつもりで仕事をします。そこに大きなギャップがあり、それゆえにパワハラが起こりやすい環境にあります。長く働ける環境ではないのです。私は転職活動をしましたが、それも難航しました。IT業界3年でしたが、堂々と人に言えるようなスキルが身に付いていなかったのです。なぜなら、最初の客先は運用でした。次の客先はGUIツールを用いた開発。つまり、プログラミングにほぼ触れなかったのです。そこでJavaでWebアプリを作りそれを売りにしました。しかし、Javaは客先常駐では人気のスキルですが、社内開発ではそうではないのです。Javaは昔からあるプログラミング言語なので、できる人が沢山います。そのため、大型案件などの人を沢山必要とする案件ではJavaは人気の言語です。しかし、社内開発は少人数開発が多く、人を多く集める必要がないため新しいプログラミング言語が好まれる傾向があったのです。結局私は技術力を評価されたのではなく、人柄と若さを評価され、転職に成功しました。若さは大事です。技術力は定量的に評価できるものではありませんが、若さは定量的な評価が可能です。技術を身につけてから転職しよう、など思ってはいけません。若さの方がよっぽど貴重です。最後に客先常駐にもいろいろあります。最初から1人常駐させるところは辞めたほうがいいでしょう。SIerと呼ばれるところは、他のメンバの管理、もしくは技術リーダーなどをすることが多く、年収も高めなのでありでしょう。定時で帰れてパワハラもないホワイトな客先もあるでしょう。パワハラが横行していてメンバーの謎の失踪が常駐化しているヤバい客先もあるでしょう。しかし、一寸先は闇。それが客先常駐。客先常駐は辞めとけ、です。追記2023/05/27 8:49追記思ったより多くの反応を頂いていて驚いています。語弊があるようなので補足します。●研究⇒理学部系の研究者を目指してました。IT系への転職は未経験での転職です。●未経験転職でももっと良い企業に行けたのでは?⇒若さゆえに転職で自分のアピールをするのが苦手で、しかも未経験だからまずは経験を積ませていただけるのならどこでも良い、と考えてしまっていました。でも多分、転職で未経験なのに大手行けることはそんなに多くはないと思います。新卒だと学歴フィルターがかかりますが、中途採用だとかけにくいですし、そもそも大手は新卒採用で間に合ってるでしょうから、未経験を中途採用する必要がないですし。●前職⇒理系スキルをほぼ活かせない業界でオタクには向いてないパリピ向きな職種でした。(教職です。)向いてないので辞めました。●常駐必須の案件とは?最近はリモートワークも増えたので違うかもしれませんが、基本的にIT系は「常駐は必須かは分からない」けども、とりあえず客先常駐してもらう、というものなんです。理由としては、①社内ネットワークに接続する必要がある、②ノートPCを配布してどこでもアクセス可能にするとネットワークの監視や紛失などで情報漏洩リスクが出る、③入館カードや守衛さんを配置して物理的なセキュリティを担保して盗難などに備えたい、④普通に協力会社さんがサボってないか目視で確認したい、などだと思います。
IT客先常駐
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harawata44 · 7 days
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「ゲームボーイ」生誕35周年! ゲームを持ち歩くプレイスタイルを確立した携帯ゲーム機の金字塔「ポケモン」も「カービィ」もここから始まった! - ライブドアニュース
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以下引用
 任天堂が1989年4月21日に発売した携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」が、本日生誕35周年を迎えた。
 持ち歩いて出先でもゲームを遊べる楽しさを同社の「ゲーム&ウオッチ」から継承し、「ファミリーコンピュータ」と同様に専用のカートリッジを交換することで、遊ぶゲームを変えられる機能を持った携帯型ゲーム機だ。  自分だけのパーソナルな画面で好きなゲームを遊べる設計や、ユーザー同士が専用のケーブルを介して通信プレイができるなど、新しいプレイスタイルが提案されたことで新たな市場が開拓され、後継機種も含め全世界で累計1億1869万台(2023年12月末現在)を売り上げた。  本稿では当時からゲームボーイのヘビーユーザーだった筆者が、現在手元にある機器やソフトを使って、当時の思い出や個人的趣味でピックアップしたタイトルを振り返っていこう。
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激動の1989年/平成元年に誕生した、持ち歩いてどこでも遊べるゲーム機
 ゲームボーイが産声を上げた1989年は、1月に昭和天皇が崩御され、元号が「平成」と改められた年だ。バブル景気と呼ばれた好景気の末期であり、4月には3%の消費税が導入され、世界では天安門事件やベルリンの壁崩壊、東西冷戦の終結といった大きな出来事もあった激動の年であった。  ゲーム業界では、発売から6年が経過して円熟期を迎えていたファミコンに次ぐ新型機、16ビットCPUを採用したスーパーファミコンが前年の1988年に発表されていた(発売は1990年)。またセガのメガドライブや、NECのPCエンジンCD-ROM2なども既に発売済みで、“高性能”や“大容量”といった大きな進化にユーザーの注目が集まっていた頃だ。  そのさなかに発売されたゲームボーイは、当時のトレンドとは明らかに違う“モノクロ画面を備えたカセット交換式の携帯型ゲーム機”という独自の方向性を提示していた。ゲーム機を持ち歩いて、どこでも自由に遊べるという仕様は、任天堂がファミコン以前に発売したゲーム&ウオッチで確立したコンセプトに近いものだ。  ゲーム&ウオッチにあこがれ、LSIゲームをいくつか持っていた筆者は、このコンセプトに大いに刺激され、比較的早い段階でゲームボーイを入手したのだ。初代ゲームボーイは、携帯型といってもポケットに入れるにはかなり大きい、幅90mm×奥行き32mm×高さ148mmというサイズ。電池を含まない重量は約220gで、価格は12,500円(当時の消費税3%込)だった。
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本体に液晶画面を備え、プレイヤーが個別の画面を持つことで、新しいプレイスタイルが生まれた
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サイズは結構大きかったので、筆者は画像の巾着袋を買って、ソフトや通信ケーブルなどとともに一式持ち歩いていた
 ディスプレイには2.45インチ(解像度160×144)のドットマトリクス式モノクロ液晶を採用。高精細で色数も増える傾向にあった最新のゲーム機に対し、モノクロの画面は時代を逆行するものだったが、コストと省電力に優れ、特に後者は携帯型ゲーム機における重要な要素であった。単3アルカリ電池4本で35時間もプレイできるランニングコストは、主要ユーザーの子ども達のお小遣いにも優しかった。
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ドットマトリクスで標示されたゲーム画面。グラフィックスは4階調の濃淡が付けられる仕様で、モノクロでもある程度豊かな表現ができた
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単3乾電池を4本使用。当時はポピュラーではなかった同形の充電池も問題なく使えるが、電圧が若干異なるため、使用するときは自己責任で
 今やノスタルジーを感じられる黄緑色の液晶画面は、お世辞にも美しいとは言えないもので、画面に映るキャラクターが激しく動いたり、背景がスクロールしたりするゲームは残像が目立ち、同時発売タイトルに「スーパーマリオランド」があったことから、その欠点は発売直後から指摘されていた。またバックライトやフロントライトがなく、外光を反射して標示するタイプの液晶なので、薄暗い場所では画面が見づらくなり、布団の中では遊ぶことができなかった。
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残像が激しかったので、アクションやシューティングより、パズルやRPGのほうが遊びやすかった
 それでもやはり、前世代のゲーム&ウオッチと比較して、カセット交換によって別のゲームが手元の画面で遊べたのは革新的だ。実はゲームボーイ以前にも同様のコンセプトを持つゲーム機は存在していたが、任天堂や当時のファミコン市場を賑わわせていたメーカーが手がけたタイトルを遊べるのは大きな魅力だった。
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ファミコンタイトルをリリースしていたメーカーが続々参入。画面は「ゲームボーイ Nintendo Switch Online」より、カプコンの「レッドアリーマー MAKAIMURA GAIDEN」
 そしてゲームボーイ人気に拍車をかけたのが、専用の通信ケーブルを使った対戦プレイである。対応ソフトを挿入した本体2台をケーブルで繋ぐことで、気軽に対戦プレイをすることができる。互いに画面があることにより、同じ画面を見てプレイするファミコンのマルチプレイとはまた違った面白さがあるのだ。同時発売タイトルの「ベースボール」や「役満」も対応していたが、1989年6月発売の「テトリス」が通信対戦人気を一気に押し上げることとなり、誰もがゲームボーイとともにこのソフトと通信ケーブルを持ち歩いた。
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通信ケーブルはゲームボーイユーザーのたしなみ。専用のアダプターを使えば後継機との通信プレイも可能で、4人対戦用のケーブルなども発売された
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「ゲームボーイ Nintendo Switch Online」より「テトリス」。対戦時はブロックを2ライン以上消すと相手のブロックを押し上げられるルールで、先に30ラインを消すか、相手のフィールドを最上段までお仕上げれば勝利となる
 ゲームボーイはその後9,800円(1993年)→8,000円(1994年)と価格が改定され、1994年には6色のカラーバリエーション機「ゲームボーイブロス」が発売。1996年にはポケットにも入るサイズまで小型化された「ゲームボーイポケット」が、1998年にはポケットとほぼ同じサイズでバックライトが搭載された「ゲームボーイライト」が発売されている。  小型かつ低価格なこれら2機種は、液晶画面の性能が向上していて、初代よりもグッと画面が見やすくなっている。ゲームボーイポケットが発売された1996年は、初代の発売から7年が経過していたが、同年2月27日に「ポケットモンスター赤・緑」が発売され、それが長期的なブームを巻き起こしたことにより、ハードの価値が再び上昇。この機種を使ってポケモンを交換した経験がある人も多いのでは?
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1994年11月21日に発売された「ゲームボーイブロス」(右)。これは内部基板が透けて見えるスケルトンカラー。基本スペックは初代と同じだ
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1996年7月21日発売の「ゲームボーイポケット」(右)。幅77.6mm×奥行き25.3mm×高さ127.6mm、重さ約125g(電池含まず)。小型軽量化と同時に液晶の質も向上。電池は単4アルカリ電池2本となり、稼働は約8時間になった。写真は電池残量を表すLEDが再搭載された後期型
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バックライトにエレクトロルミネッセンスを採用した「ゲームボーイライト」は1998年4月14日発売。待望の布団の中でプレイできるようになったゲームボーイだ。バックライトは消灯もできる
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ゲームボーイで生まれた「ポケモン」。赤と緑は同じ内容で、出現するポケモンが異なる仕様。2本を同時購入した人も多いのではないか。その後、同様の複数のバージョンを用意するタイトルも増えた
 そして1998年10月には、上位機種と呼んで差し支えない、カラー液晶や赤外線通信機能を備えた「ゲームボーイカラー」が発売。ソフトは初代でも使えるタイトルからカラー専用のタイトルへと徐々に移行し、21世紀に入る頃には、次世代機の「ゲームボーイアドバンス」シリーズへと繋がっていく。これらも魅力的なゲーム機だったが、そのお話はまた次の機会に。
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次世代のゲームボーイ達。
「ゲームボーイカラー」(左上、1998年10月21日発売)、
「ゲームボーイアドバンス」(左下、2001年3月21日発売)、
「ゲームボーイアドバンスSP」(右上、2003年2月14日発売)、
「ゲームボーイミクロ」(右下、2005年9月13日発売)
(中略)
 駆け足で振り返った、栄光の初代ゲームボーイ。ユーザー個別の画面を備え、ゲームをそのまま出先に持っていって楽しむ携帯型ゲーム機の方向性は、現行のNintendo Switchにも受け継がれている。  また「ポケットモンスター」や「星のカービィ」、「Sa・Ga」、「聖剣伝説」、「スーパーロボット大戦」など、このゲーム機で生まれ育った傑作シリーズもたくさんあり、その原点を「ゲームボーイ Nintendo Switch Online」やリマスタータイトルを介して遊んでみて、35年の月日を改めて噛みしめてみるのもオツかもしれない。
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「ゲームボーイ Nintendo Switch Online」で配信中の20タイトル。Switchの携帯モードやテーブルモードで遊ぶと気分が上がる
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shintani24 · 11 days
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2024年4月18日
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2023-24 WEリーグ第15節 サンフレッチェ広島レジーナ 2-0 INAC神戸レオネッサ@エディオンピースウイング広島 2834人/12分 藤生 菜摘、34分 藤生 菜摘
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第15節観客数
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新サカスタにビアガーデン、ビール片手に広島レジーナ応援 INAC神戸戦で初企画(中国新聞)
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旧広島市民球場跡地「ゲートパーク」、1年で630万人来場 目標の6倍超(中国新聞)
広島市中区の旧市民球場跡地に昨年3月末に開業した「ひろしまゲートパーク」で、1年目の来園者が約630万人に達したことが18日、分かった。市民の日常利用や、250日を超すイベント開催で目標の100万人を大幅に上回った。
指定管理者のNTT都市開発(東京)を代表とする企業グループが人の流れを推計するシステムで算出した。来園者の58%は市内在住で、気軽に立ち寄っている様子がうかがえた。市外は広島県内が16%、県外が26%。年代で大きな差はない。
また、1日千人以上が集まるイベントを90日以上開く目標を達成。期間中で通算1万人以上となった案件が18回あり、うち4回が10万人以上を数えた。全国を巡る大型飲食イベントなどの開催地に選ばれているという。周辺では、今年2月にサッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」が開業。8月にはスタジアムの隣に広場エリアが、来年3月には広島城三の丸に飲食店や土産物店がオープンする。NTT都市開発の担当者は「各施設と連携し、中央公園エリアの回遊性を高めるゲート(入り口)の役割を強化したい」と話している。
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Amazonで遺骨の永代供養が出来るサービスが登場 - お寺とのやり取りも不要(マイナビニュース)
ビーテイルは4月24日、Amazonを用いた新サービス「楽養(らくよう) ご遺骨 永代供養サービス」の提供を開始する。
提供を開始するのは、Amazonを使って手軽に遺骨の永代供養が出来るサービス。
方法は、Amazonで梱包キットを注文し、届いた梱包キットへ必要書類と遺骨を同梱して郵送するのみで、従来のようなお寺とのやり取りをせず、明瞭な金額で遺骨を供養する事が可能となる。
永代供養は、熊野の地にある、開創1200年の歴史を持つ大泰寺(だいたいじ)で執り行い、法要後に永代供養納骨証明書が贈られる。
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日本人の祖先、大きく3系統か 理研がDNA解析で新説(日本経済新聞)2024年4月18日
日本人の祖先は縄文人や弥生人以外にもいる可能性がある(縄文時代の暮らしを再現した青森県の三内丸山遺跡)
理化学研究所の寺尾知可史チームリーダーらは3000人以上の日本人のゲノム(全遺伝情報)データを解析し、日本人の祖先には大きく3つの系統が関わっているとの研究成果をまとめた。日本人の祖先は縄文人と弥生人の大きく2系統としてきた定説の修正につながる可能性がある。
研究チームは、東京大学や理研が運営する日本人の遺伝情報のデータベース「バイオバンク・ジャパン」を使って、北海道から沖縄までの全国7地域から集めた計3256人分のDNAの全配列を詳細に分析した。
その結果、日本人の集団は3つの祖先系統が混ざって成り立ったと仮定すると、各地域の遺伝子配列の違いをうまく説明できることが分かった。3つの祖先系統のDNAはそれぞれ現代の沖縄、東北、関西の人々に比較的多く受け継がれている。
日本人の起源をめぐっては、弥生時代に大陸から日本列島に渡ってきた人々と縄文人の混血が進んだとする「二重構造モデル」が定説となってきた。ただ最近では遺跡で見つかった人骨の古代DNAの分析などから、古墳時代以降に渡来した人々の影響も大きいとする「三重構造モデル」などが提唱されている。
今回の研究成果の「3つの祖先系統」が縄文人や弥生人などと直接一致するわけではないが、理研の寺尾氏は「二重構造モデルでは説明が難しい」と指摘する。
絶滅した人類であるネアンデルタール人と関係する発見もあった。現代人の祖先はネアンデルタール人やデニソワ人と交雑したとされる。交雑によって日本人に受け継がれたとみられる遺伝子配列が新たに40カ所以上見つかった。デニソワ人から受け継いだ配列の中には、身長や2型糖尿病と関連するものがあった。
研究成果は17日付の米科学誌「サイエンス・アドバンシズ」に掲載された。
安川新一郎(東京大学未来ビジョン研究センター特任研究員/グレートジャーニー合同会社代表)
ひとこと解説 神奈川県大磯に高麗山がありますが、高句麗から王子が戦乱を逃れて亡命してきた場所とされています。
現代人の我々の想像以上に当時の海洋航海技術は進んでおり、中国やそれに連動した朝鮮半島の動乱の度に、古墳時代以降も新天地日本を目指したと考えられ、全国各地でその痕跡が発見されています。同時に韓国でも日本式の前方後円墳が発見されるなど、両国の交流は、上流階級レベルで古く長きに渡っていたと考えられます。
アリューシャン列島からの東北系と、東南アジア、台湾から北上する沖縄系と、大きくみてこの3系統を日本人の祖先と見る新しい定説には納得感があります。
新型コロナ 広島県の新規感染者12%減 2週連続で減少 5類移行時の水準まで下がる 18日発表(テレビ新広島)
新型コロナウイルス。広島県は18日、先週1週間(4月8日~14日)に広島県内の定点調査で確認された新規感染者数は257人、定点あたり2.34人と発表しました。
先週は前週と比較すると感染者数は12%減となり、2週連続で減少しました。2月以降、減少傾向が続いていて、去年5月の5類移行時の水準まで下がっています。(前週は291人、定点あたり2.62人)
広島県は、現時点で医療がひっ迫している状況にはないが、引き続き手洗いや換気など基本的な感染対策をするよう呼び掛けています。
このほかの感染症では、インフルエンザは流行が収束に向かっていると考えられるため、18日、21週ぶりに警報が解除されました。また咽頭結膜熱については、県は引き続き警報を発令し警戒を呼び掛けています。
※「5類」移行後、広島県内の感染者数
5月8日~14日 259人 定点あたり2.31人
5月15日~21日 253人 定点あたり2.26人 前週比 横ばい
5月22日~28日 266人 定点あたり2.38人 前週比 横ばい
5月29日~6月4日 344人 定点あたり3.07人 前週比 微増
6月5日~11日 443人 定点あたり3.92人 前週比 微増
6月12日~18日 493人 定点あたり4.36人 前週比 微増
6月19日~25日 532人 定点あたり4.71人 前週比 横ばい
6月26日~7月2日 771人 定点あたり6.88人 前週比 微増
7月3日~9日 1,060人 定点あたり9.46人 前週比 微増
7月10日~16日 1,245人 定点あたり11.12人 前週比 微増
7月17日~23日 1,548人 定点あたり13.82人 前週比 微増
7月24日~30日 1,783人 定点あたり15.92人 前週比 微増
7月31日~8月6日 1,639人 定点あたり14.77人 前週比 横ばい
8月7日~13日 1,302人 定点当たり11.94人 前週比 微減
8月14日~20日 1,601人 定点あたり14.29人 前週比 微増
8月21日~27日 1,633人 定点あたり14.58人 前週比 横ばい
8月28日~9月3日 1,637人 定点あたり14.62人 前週比 横ばい
9月4日~10日 1,697人 定点当たり15.02人 前週比 横ばい
9月18日~24日 1,073人 定点あたり9.58人 前週比 微減
9月25日~10月1日 880人 定点あたり7.79人 前週比 微減
10月2日~8日 535人 定点あたり4.73人 前週比 減少
10月9日~15日 411人 定点あたり3.64人 前週比 微減
10月16日~22日 303人 定点あたり2.71人 前週比 微減
10月23日~10月29日 321人 定点あたり2.84人 前週比 横ばい
10月30日~11月5日 285人 定点あたり2.52人 前週比 微減
11月6日~12日 189人 定点あたり1.67人 前週比 減少
11月13日~19日 194人 定点あたり1.72人 前週比 横ばい
11月20日~26日 300人 定点あたり2.65人 前週比 増加
11月27日~12月3日 306人 定点あたり2.71人 前週比 横ばい
12月4日~10日 313人 定点あたり2.77人 前週比 横ばい
12月11日~17日 356人 定点あたり3.15人 前週比 微増
12月18日~24日 360人 定点あたり3.19人 前週比 横ばい
12月25日~31日 671人 定点あたり5.94人 前週比 増加
1月1日~7日 682人 定点あたり6.04人 前週比 横ばい
1月8日~14日 918人 定点あたり8.21人 前週比 微増
1月15日~21日 1,291人 定点あたり11.42人 前週比 微増
1月22日~28日 1,598人 定点あたり14.14人 前週比 微増
1月29日~2月4日 1,944人 定点あたり17.36人 前週比 微増
2月5日~11日 1,751人 定点あたり15.77人 前週比 微減
2月12日~18日 1,056人 定点当たり9.43人 前週比 微減
2月19日~25日 849人 定点あたり7.51人 前週比 微減
2月26日~3月3日 623人 定点あたり5.51人 前週比 微減
3月4日~10日 593人 定点あたり5.25人 前週比 横ばい
3月11日~17日 538人 定点あたり4.76人 前週比 微減
3月18日~24日 410人 定点あたり3.63人 前週比 微減
3月25日~31日 417人 定点あたり3.69人 前週比 横ばい
4月1日~7日 291人 定点あたり2.62人 前週比 微減
4月8日~14日 257人 定点あたり2.34人 前週比 微減
※前週との比較
急増減…1:2以上の増減
増減…1:1.5~2の増減
微増減…1:1.1~1.5の増減
横ばい…ほとんど増減なし
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shukiiflog · 1 month
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ある画家の手記if.?-8 雪村絢視点 告白
朝起きたら乾ききった大量の血でベッドのシーツはシワになったまま固まっちゃってた。 してる間ずっと端によけてた布団は無事、だけど血痕が、床にも壁にもそこらじゅうに飛んじゃってるから、大掃除して色々買い換えないと。前の家にいた頃、完全に乾いた布とかの血を洗って落とすのは至難の技だったから無駄に時間消費してないで血で汚れたものは丸ごと捨てちゃってた。今は綺麗に落とせる洗剤とか売ってたりするかな。 部屋やベッドはひとまず放置して先に人体。
二人でお風呂にお湯をためて使いながら、弱く出したシャワーで派手な血の跡を体から軽く流して落とす。真澄さんの背中はまだ生乾きの部分もあったから、広範囲の傷自体を流したりはしないでおいた。 少し思う、真澄さんってどこか…弱い? まったく同じように転んで同じように怪我しても、出血が激しい人と滲む程度にしか血も出ない人といる。血圧とか血液量とか血液の凝固のスピードとか皮膚の違い? 理人さんは後者に近くて、血みどろになるような日はもっと激しい暴力があった日だった。真澄さんの派手な出血量と凝固の遅さが気になる。元からの体質がこうじゃないなら、体が弱ってるか深刻な病気の可能性もある。 「……」 体を拭いて着替えて、リビングのソファに座って真澄さんに両手の指の手当てをしてもらう。真澄さんの背中を手当てするには俺がまともに指使えないと話になんないし。 俺の指は包帯とガーゼで綺麗に巻かれた。とれた爪はどうにもなんない、割れたり指に刺さった爪を丁寧にピンセットで動かしながら処置された。出血が止まるのが遅いのに痛覚は鈍い、俺も弱ってる。
次は俺の番。真澄さんの背中、まだ生乾きだから止血帯大きく貼ろうかな…とかやり方考えてたら、インターホンが鳴った。約束の時間より少し早いけど、たぶん香澄だ。今日デートの約束してたから。 「…。」 「……」 真澄さんと顔を見合わせる。 この状況を今からバタバタ隠そうとしてもな、寝室見られたら事が起きた場所は一目瞭然だし、背中の怪我、いろいろと言い逃れるのは無理。香澄がどこまで察するかだって分かんないんだし、とりあえず下手に取り繕うのはスッパリ諦めよう。 鍵を開けて香澄が来るのを待つ。 ドアを開けて入ってきた香澄は、まず俺の指を見て唖然とした。 「香澄おはよ~。キッチンにハーブティーあるから飲んで待ってて。今手が離せなくてさ。すぐ終わるから」 いつものちょっと気怠げなような穏やかなようなゆったりした口調で話す。以前よりさらに口調から覇気が抜けた。ここも省エネ。 場に緊張感がないことを香澄に示すためにあくびとかしながら、玄関からリビングのもといたソファの位置にぽすっと座って、真澄さんの手当て続行。 香澄は紅茶も入れずソファにも座らず、俺たち二人を見ておろおろしてる。明らかに自分も何かをすべき状況に見える、でも何をすべきか何もわからない、ような感じかな。ごめんね、話せること、今回はすごく少ないんだ。 「ど…したの…その、怪我…」 香澄のほうに微かに走る緊張感と不安と恐怖、いつも通りを徹底することでこの異常事態を平常に錯覚させるとか俺にできるかな…真澄さんの協力があればできるかな。 「どれも病院行くほどのやつじゃないから。そろそろ終わりそうかも。香澄、俺の部屋からコート取ってきて~」 「うん…」 二人とも処置が終わって怪我をいつもの服で覆い隠して、ぱっと見だけでも装って、香澄の目につく頻度が落ちれば少しは気にせずに楽しく過ごせるはず。…楽しい記憶を、幸せな記憶を一つでも 多く香澄の中に遺したい
香澄が俺の部屋にコートを取りに行ってる間に、痛まないようにそっと真澄さんの背中に頬を寄せてすり寄った。 本当は傷を労わって今日はずっとそばについてたかった。でも俺も指を怪我してちゃきっと大したことできないし。もともと今日は香澄と約束してた。それを前日に事態をこじらせたのは俺だ。 昨日はずっと予想外のことが続いたけど予想外のことが起きる可能性には前もって思い到れたはずだ、踏み込んだ話をするんだから。俺がもっとスケジュールに余裕みて真澄さんと話すべきだった。 ソファから立ち上がったらコートを体にかけてくれる香澄と二人で玄関に向かおうとして、真澄さんのほうを振り返る。「絢…」呼ばれて香澄のほうを振り返る。定まらない視線が二人を交互に行き来した末に、床に落下した。 こんなのは嫌い。 とどめられなかったどうしようもなく溢れる感情の発露とか、それで泣いたり怒ったりとか、体力いるから苦手だけど嫌悪してるってほどじゃない、特にこの家に来てからは、なるべく自分の素直な感情を圧し殺さないって決めたから。 でもこれは、そういうのとも違う。二人の間でどっちにするのか俺はどうするのかうじう��俯いて悩んで、二人に決めてほしいアピールみたいで鬱陶しい… 「光を迎えに行くからそこらまで乗ってくか」 真澄さんが言い出してくれた。怪我させといて、また助けられてる…。 この場で俺が一番呑気でいい身分なのに。怪我も少ないし、ひどく詰られた訳でもないし、香澄みたいに事態の詳細がわからないまま俺も真澄さんも両方の怪我を心配してなくてもいい。 視線だけ俯いたまま動けずにいたら、頭にスポッと帽子被せられた。 「まだ家に居るんなら先に出るよ。もし出掛けるなら戸締まりしといて」 いつも通りの真澄さんに、背中の怪我は?って訊こうとして、結局訊けないまま俺も香澄も、さっさと廊下の横を通り過ぎて玄関から出ていく真澄さんの背中についていった。 「香澄、せっかくだしピアスのお店の近くに降ろしてもらおーよ。歩かずに済むし」 駐車場まであくまで笑っていつもみたいに歩きながら、先を行く俺の手を取ろうとした香澄が手をとめた。俺の指が痛むのを心配して。 香澄はいつも必要なときは真澄さんと接してるけど、多くを語る気はそんなにないみたい。これまでがこれまでだから、ってのは香澄の記憶の欠損で成り立たない。あるいはその欠損がギリギリ今の関係を保ってる、こっちかな。二人からは馴れ合いたくないというより不要に馴れ合えないみたいな、磁石のプラスとマイナスみたいなのを感じる。心配してることくらい語っていい気がするけど。 「今日は香澄が運転したら?うちの車、運転そんなに難しくないと思うよ」 暗に込めた意味をこれくらいなら香澄は十分察する。 「えっ うっうん…いや、あの」 「…」 察したせいで狼狽えてる。でもやっぱり詮索はできない。怪我の理由も、何があったかも。 俺は昨日の真澄さんとのことは、感情面や会話内容やしたことまでは詳しく話したくない。事実関係ならバレても平気だけど、…でもどこから寿峯に伝わるか分かんないし、知られればそこで寿峯の中では終わるって思うたびに、追い詰められるような、常軌を逸した悪いことをしてるみたいな気がして なんでそうなるのか分かってるけど解らないのがもどかしい、なんだって反論なら簡単だけど信じるものが違えばこうなる、多くの人が信じるものを寿峯も信頼してるから社会を形作る信頼を損なうなって指を指される俺は 悪者じゃなくて、ただの少数だよ。少数だってことを悪にするのが、悪だ。 「保険適応さしてねえからお前はだめだ」 「ち、ちがう!」 俺がごちゃごちゃ考えてる前後で真澄さんと香澄が言い合いしてる。ちょっとだけいいなとか思ったり。 「兄ちゃん怪我してるんだから運転はしちゃだめでしょ。車の運転は責任重大だよ!」 「お前話聞いてたか?大した怪我じゃねえって絢がそう言ったろう」 「うぐ…。…でも絢は兄ちゃんのこと心配してるよ」 「…」 三人で車に乗る。運転は真澄さんが緩やかに押し切った。 店の近くで二人で車から降りた。
いつもみたいに香澄の腕にまとわりつかないで、香澄の指先を包帯だらけの指先でキュッと軽く握った。香澄が俺のほうを見る前に、横顔で小さく呟く。 「俺、真澄さんのことが好きなんだ」 「……」 光さん、ごめんなさい。 家庭内だけに関係も事実もとどめて絶対外に漏らさないことで、誰からも許されなくても結実する関係だって。俺の想いを認めて、迷う俺に道を示してくれた、その条件が誰にも言わないことだったのに。 黙って静かに聞いてる香澄は”好き”の意味をちゃんと理解したかな。もっと小さな囁やくような声で付け足す。 「…まこには内緒にしてね」 眉を下げて、悲しく微笑む。 香澄も小さく「わかった」ってだけ答えた。 寿峯と一度少し似たケースで揉めた香澄なら責めないでいてくれるかも。直にぃとだけ結ばれたい香澄には理解不能で呆れられるかも。香澄も直にぃも愛す情香さんのことを知ってるから静かに納得してくれるかも。 俺は香澄にどれだけのことを求めてるんだろう。俺に守らせてくれるなら、俺の願いはたったひとつそれだけだったはずなのに。 「兄ちゃんのこと心配だよね?…戻る?」 隣から少し顔を傾けて俺のほうを見てくる香澄に、にっこり笑って返す。 「大丈夫。真澄さんは俺が香澄と一緒にいるほうが嬉しいと思う」 ピアス店の中に入っていきながら、真澄さんに借りた手袋をはめる。 店内が寒いわけじゃないけど包帯が目立つから。香澄は逆に手袋を外してた。白い毛糸の、ポンポンがついたクリスマスに俺が編んで香澄にあげたやつ。あの日の服に合わせて作ったけど、意外と香澄がはめてたら他の服とも合わないことない。俺の耳にはかいじゅうピアス。
綱渡りは避けるほう。100パーセントの安全がどこにもないにしろ、俺は俺の納得できるラインまで安全度が満ちるまでじっと待つ。でも同時に、ある程度のリスクと不確定の未来の恐怖に晒されてはじめて得られる堅実な安心や信頼ってものもある。 人間関係の深度が一気に進むときはそういうところを起点にしてたりとか。これまで築いたものが壊れる時に発生する。全てに言えるわけじゃないけど。 この前光さんが読んでた仏語の本を軽い気持ちでめくった、そこにあった”l’homme est d'abord ce qui se jette vers un avenir,et ce qui est conscient de se projeter dans l'avenir.”っていう一説。「人は賽子のように自分を人生の中へ投げる」? 本当の意味は知らないけど、言葉面だけならあんな感じなのかな。 黒髪に戻してからここまで外を出歩いたのって初めてだ。ここまで車だし、近場だけど。 来てるのはピアスのお店。寿峯が連れてきてくれた。香澄も寿峯とだいぶ前に来た記憶があるっぽい。
「思い立ってもさ、あの人の好みとか普段どういう系統の服着てるとか、俺なんも知らないんだよね。会ったのもほんの数回だし。そこで香澄の出番です。ピアス選ぶための手がかり知らない?」 ずらっと並んだピアスを二人で見ながら、横の香澄に振る。俺がピアスをあげたいのは情香さん。 最近、寿峯と香澄が少し衝突して仲直りした、なんの問題かは俺が本人たちに問うべき筋じゃないとしても察しはつく、香澄は寿峯の言い分に返す言葉がなくて情香さんに連絡した。情香さんは電話一本ですぐその場に来てくれて、香澄が傷つきすぎる前に寿峯と物理的な距離を離させた。 これはやや憶測混じり。だいぶ後になって和解も済んでから、香澄が俺との通話中にあのとき情香さんが来てくれたことを話したから、そこから。 「うーん…会ったばっかりの頃はカジュアルめなスーツとかだったけど、あれは仕事の都合だったみたいだし…最近は夏ならタンクトップとデニムに編み上げブーツとか、冬もロンTとデニムとか、ピアスはたくさんしてるけど飾り気なくてシンプルな…あ、靴はいつもすごく高いヒール履いてる」 「…」 それって護身用の武器としてのヒールじゃないかなぁ、とか思ったり。 情香さん、やり方は正攻法だけど同時に大胆でもある。誰かを守るとき仕方なく他の誰かから不興を買うことになっても大して意に介さないというか。俺は俺にとって瑣末なたった一人でも敵を増やさないように動くほうだから。 にしても、結果寿峯は香澄とは和解しても情香さんには不愉快な気持ちを抱えてた。おそらく情香さんが香澄を連れ出すときにそうなるように印象操作した、寿峯の中で香澄の立場が悪くならずにネガティブな感情は情香さん一人に集まるように。 一年前に真澄さんと話してた通り。情香さんはおそらく一生香澄を家族として守ってくれる。 それはおそらく、家族だからとか息子だからとか、そういう固定観念に縛られて愛情を落とした強迫的な守護の意思というより…愛情を基軸にした情香さんにとってごく自然なことだから。ただ自分だけにとって自然な行いっていうなら以前の直にぃもそうかもしれないけど、情香さんは自分の逸脱に仔細な自覚がある。 あの人柄なら、例えばいつか直にぃと香澄が完全に離別して戸籍も分けて他人として別々に生きるようになったとしても、情香さんは今とほとんど同じように香澄に関わり続けるだろう。 直にぃと香澄の関係は、情香さんと香澄の関係にそれほど影響しない、情香さんの価値観の中では、多分。 「あ、香澄のピアスあった」 指をさして香澄に見せる。ロップイヤーのピアス。 耳から下がるタイプより耳たぶに綺麗におさまるような小さめのがいいかな。香澄なりふり構わず唐突な動きとかするし。 「香澄はピアスしないの?」 「うーん、俺の服とピアスって合うかな」 「耳たぶからジャラジャラ下がってるアクセよりは小ぶりのが香澄は似合うかな?服には合うやつ探せばいいじゃん、ふんわりしたモチーフのさ、これとか」 目先にあった冠かぶったうさぎのピアスを掲げて見せる。 「か、かわいい… !」目を輝かせてピアスを見てる。確かにさっきのロップイヤーよりデザインがかわいいかんじ。 「まあ王子さまうさぎって実質俺だし。」 軽口叩きながらピアスを手に取る。これは俺から香澄へのプレゼント。香澄にはまだピアス穴も何もないし、これから穴あけてつけろって強要の意味でもない。 ピアス穴は放置し続けたらいつか自然に塞がってなくなる。またあけたくなれば香澄が自分であければいいだけで、そこには香澄の意思に基づいた決定と行動がある。刺青なんかより、ずっといい。 香澄が見つけた情香さんのピアスと、俺が見つけたインペリアルトパーズのピアスと、王冠うさぎ、これらを持ってカウンターに行こうとして、意外な二人組とはちあった。
虚彦くんと空ちゃんが俺たちより先に喫茶店から出ていって、愛想よく見送ってからソファの上で香澄にもたれてぐったりする。 「絢、疲れた?熱ない?」 俺の額に手を当ててる香澄の首元にグリグリ頭を押しつける。 「前よりさらに体力落ちたな~ってのもあるけど、そっちより気疲れ的な…人と話すの好きなほうなんだけどなぁ」 相手が悪かった。 空ちゃんのほうはかえって本人と話してよかったような感触。やっぱりデータ上だけだと憶測入れても拾えないものが多いな。だいぶ他人行儀に接されたけど、初対面の、それも成人済みの年長相手なら常識的だ。施設育ち、か。そういう対人スキルがないとやってけない場所だったってことか、…真澄さんがまったくどうでもいい他人に接するときの最低限の礼儀だけ弁えた態度とも少し似てなくもないか…?目もとが似てるからそんな気がしたかな。 面立ち…そんなに凝視するのも失礼だからそこまで念入りに見たわけじゃないけど、やっぱり目もとが似てるかな。年齢が比較にならない気がするけど、俺の歴代彼女とかとは全然違うタイプ。 元カノ、みんな細くてか弱そうで繊細そうで、顔やスタイルはキレイ系だけど化粧とかでニュアンス可愛くしてて、服は清楚で大学生の範疇から逸脱しないかんじで、俺が「こうしよっか」て言えばなんにでもついてきちゃう、常識とか判断能力がないわけじゃないけど、少し言いなりになりすぎるところがある、みたいな。 容姿だけなら空ちゃんもあんなかんじにもなるかもしれない。でも彼女には強い意志と自我があった。本人が強いとは自覚してないかもしれないような、潜在的な強さ。 なら、香澄のトラウマの起爆剤になるかもしれない自分を彼女がもし知ったとして、そんなものに成り下がるのはごめんだって反応、香澄がどうなろうが知ったことではないって反応、いろいろあるけど、どうかな…。 虚彦くん…は、俺には少し…おかしいように、見える。 あの子、まっすぐに俺のほうを見てくる。並んで歩いてるときも首曲げて俺の目を覗き込んでくるとかって意味じゃない。俺がそういう印象をあまりにも強く受けるって話。 静かに、まっすぐ。簡単なことのようで、普通は躊躇ってできない。 俺相手には虚彦くんは真顔みたいな無表情なことが多いから、あの目で見られると俺が俺を誤認しそうになる。…まるでとうに死んだ首吊り死体を見るような目で、目の前の事実を淡々と見つめてる、だから俺が気づいてないだけで俺の方が本当は首吊り死体なんじゃないか?ってふうに。 彼のモノの見方が全てになってモノの実態と入れ替わって支配する、そういう…少しだけ似てる目を知ってる。直にぃだ。 一、二度だけ会った若い頃の直にぃはもっと顕著だった。人間を無理やり強引に静物にする目をしてた。 相手の目を見て話しなさい、なんてよく言うけど、あれはその通りにするにしても相手の肩やせいぜい顎とかあちこちに目線は適宜移動させながら、本当に相手の目だけじっと見ろってことじゃない。 本当に相手の目を長時間じっと見つめて失礼じゃない関係っていうと、恋人同士とか夫婦とか。それも多分愛し合ってる感情を伝え合うための行為に分類される。 相手をじっと見ることは、付き合いの浅い相手とのコミュニケーションにおいてはディスコミュニケーションのほうに入る。 個人差はあれど一般的に、じっと見られてる相手は居心地の悪さや落ち着かなさや不快感を覚える。そういう不快感をわざと与えることでなんらかの感情を自分相手に抱かせて、その感情を恋愛感情や強い関心なんだって相手に錯覚させていく、結婚詐欺師とかそんな感じかな。 ぶっちゃけると昔の俺がよく使った手ってだけなんだけど。 二人が出ていって早々に手袋をとった。あったかい店内ではめてると蒸れて汗がしみ���から。怪我、虚彦くんにはバレてたけど。俺の包帯だらけの指先を香澄の指先がそっと撫でる。
「俺もう一杯なんか飲みたいな」 「俺も。次はコーヒーとかお茶じゃなくてジュースにしようかな」 「香澄、ぶどうジュース頼んでよ、俺カルピス頼む」 「? 俺のぶどうジュースも飲む?」 「そーじゃなくてさ、香澄と俺のジュースを二人で混ぜたら多分ぶどう味のカルピスできるじゃん?美味しそう」 俺の体をソファの上で上体だけ楽な姿勢で寝かせて、頭を膝の上に乗せさせてる、香澄は俺の髪を撫でる。 香澄と俺が初めて会って、会話っていえないような会話で話をした、そこも喫茶店だった。 あのときの香澄を、何も知らない俺は大雑把に区分してだいたいこういう人種だろって、乱暴にあたりをつけた。そうすると全部俺の都合のいいように解釈ができるから。俺と話す気なさそうで口数少ないのも楽しくなさそうなのも、ああ人見知りね、で終わっちゃうんだよな。きっとどこまでいっても俺に非がこない。 そういうとこは、つくづく理人さんに似てた。
香澄と二人で細長いガラスコップからぶどうジュースとカルピスを混ぜるのに四苦八苦して、最終的には交互にすばやく飲めば口の中で味が混ざる!なんて言って笑う。 飲み終えたら二人一緒に喫茶店を出た。 店を出るときに香澄が俺にマフラーを巻いてうさぎ耳のついた帽子を被せてくれた。 今朝家を出てくるときに真澄さんが同じことしてくれた。 ねえ香澄。血縁関係がなくたって、一緒に過ごした頃が曖昧だって、それでも香澄を育ててくれたのは真澄さんで、二人は似てないけどときどき似てるよ。
俺がそろそろ体力的にきつくなってきたから、俺の家まで一緒に帰ってきた。香澄はいつもみたいに泊まってく。 真澄さんは光さんと一緒に先に帰ってきてた。ソファで二人で話してたら光さんが途中で眠り込んじゃったかんじか、真澄さんの膝の上に小さなまん丸の頭を乗せて、光さんは珍しく俺たちが帰ってきても気づかないでぐっすり寝てた。 帰宅したときのいつもの感覚で、香澄と一緒にお風呂入ろうとして、やめた。指に爪がないのバレちゃうし、服の上から触って香澄もわかってはいるだろうけど、実物見ると怖がらせそう。痩せすぎた。運動して絞ったんじゃないからきれいな痩身でもないし。 真澄さんと光さんと香澄と俺で、寝るまでになんかして遊んだり、ただのなんてことない雑談でもいい、できたらなって思ったんだけど、帰るなり俺が熱出して、何もできなかった。 書斎で布団に入って大人しくしてながら、取り繕えなくなっていくのを感じる。前から外出した日は帰ってきたらだいたい微熱は出してたけど、普通に振る舞うことだってできた。でも今はこの程度の微熱が誤魔化せないくらいあつくて苦しくて痛い、寝てるしかできない。 香澄はずっと俺についてるつもりだったのを、真澄さんに首根っこ掴まれて書斎から引きずり出されてった。 久々に外出したんだし、外でもらってきた風邪とかインフルエンザだと確かに危ないから、一人で少し様子を見なきゃ。
そのとき真澄さんに借りた手袋返そうとして、ひっこめた。 両手で手袋を持って引き寄せて、頰にあてる。俺の手よりずっと大きな手。革の部分がきもちいい。帰ったときにすぐ殺菌消毒したから顔すりすりしても一応大丈夫なはず。 少し眠った間に、俺が握りしめてた手袋が口元からなくなってて、ほつれて解けかけて出血が滲んでた包帯がきれいに新しく処置しなおされてた。…真澄さん。 眠ってたら何時間か経って夜になってた。 急な高熱とかその前兆とかひどい頭痛や関節痛も喉の痛みも、これから発症する兆しはなにもなかったから大丈夫かなと思って、リビングに出てってみる。 途端に香澄に書斎の中に押し戻されて抱えられてベッドに入れられて布団かけられた。 「まだ安静にしてなきゃダメだよ」 熱のことか指のことか、どっちもかなこれ。 「…ひどくなんないから、いつもの疲れたときの体が火照ってる感じだと思うよ。ひとに移さないやつ」 熱って前提で話したら、俺が話すうちにも香澄はサイドテーブルに常備してる解熱剤を出して、水を用意して持ってきた。 俺もベッドの上で体を起こす。 「香澄、薬飲ませて」 指差し指の指先で自分の唇をトントン軽く叩いて示す。にこって笑いかけたら香澄が急に挙動不審になった。意味は伝わったってことかな。 俺と薬を交互に見てたけど、意を決したのか薬と水を口に含んだ。 こぼしちゃわないように唇をきれいに合わせて喉に通す。 すぐ間近に香澄の顔がある。切れ長の涼しげな、俳優さんみたいな綺麗な目。何事もなく普通に学校いって、友達作ったり、部活入ったり、そんなありきたりな愛しい時間を今日まで積み上げられたなら。香澄は容姿だけでもきっと人気者でいっぱいモテた、そんな香澄じゃなかったから直にぃと出会った。 幸せを願うことだけでも難しい。 しっかり飲み込めてから唇を離して、お互いに微妙に照れる。布団を持ち上げて俺の横のマットレスをぽんぽん叩いたら、香澄がもそもそ潜り込んできた。
ベッドの中でしばらく香澄と身を寄せあってたら、またいつの間にか眠ってた。 夜中。 一人で布団から起き上がった俺の横で香澄もぼんやり目を覚ます。 こういうことは ずっと言いたくなかった。 誰かの体について何かを強いるようなこと。強いてなくても、願うだけでも、今の姿と本人そのものを否定してるようで、 俺の気に入る姿に変わってくれって 前後にどんな事情があっても、要はそういうことだ。 それなら刺青を入れた綾瀬樹と、刺青を消せって言う俺に、何の違いがある。違わないんだ本当は。 愛から生じて香澄を守りたいがために。
刺青を入れるのも消すのも惨い苦痛を伴う。どこかで「痛いから嫌だ」って香澄に言ってほしい。 でも …真澄さん 昨夜、眠りに落ちる寸前、俺の頰に落ちてきた雫 伝い落ちて俺の唇の間に滑り込んだ 血じゃなかった 泣かないで、俺の愛する人たち 香澄の話を真剣に聞いてくれた寿峯 誰より香澄を生涯愛してくれる直にぃ 二人を見守ってくれる情香さん 裏で手を回してくれた慧先生 虚彦くんと空ちゃん はじめから俺が何も言わなきゃいい、香澄は気にしてないんだから。 だってそれは本人から 見えない位置にある。 だから、それを一番近くで見続けてきたのは 直にぃだ それでもきっと何も知らない直にぃはどれだけ傷つきながらも言い出すことができない なら、俺が いなくなったあとも二人が愛し合い続けられるように
香澄のまわりの愛する人が損なわれずに 明日も香澄を惜しみなく愛してくれるように
「香澄 その背中の刺青、…消してほしい」
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shimoda-text · 1 month
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シロクマハウスについての6つの文章
-------------------------------------------------- [テキスト] シロクマハウス:たとえば6つの解釈  ■1.住宅としての解釈  ■2.構造からの解釈  ■3.生態的な解釈  ■4.形式への解釈  ■5.コーリン・ロウ風の解釈  ■6.音楽としての解釈
■1.住宅としての解釈
 シロクマハウスの住人は、むかしから慣れ親しんだ実家の土地に新しく家を建て住まうことを決めました。建てた家は、折しもウッドショックや戦争の影響による資材高騰があり、また雪国特有の条例(建物外壁は隣地から1m以上の離れが必要なこと)などから、敷地に対してとてもコンパクトな立方体形状の家となりました。  全体の構成は、一辺が2.3mの立方体を8つ、それぞれ95cmずつ、外側は30cmずつ離して配置した、全体6.15mの立方体を基本としています。この立方体は敷地に収まる最大の容積を根拠に大きさを決めたため、人間のスケールや生活を根拠にしたものではありません。  この立方体を「建築」と仮託して、そこに土地の状況や生活の観点から、〈明るい場所〉〈暗い場所〉〈大きな場所〉〈小さな場所〉を住まい手とともに見極め、想像しながら「暮らし」として意味付けをしていきました。「建築」に「暮らし」を見出していくなかで注意したのが〈リビング〉や〈ダイニング〉などの言葉で使い方と場所を結びつけない、ということでした。明るくて爽やかな場所、大きくてふわっと明るい場所、小さくてしんと暗い場所、などを見つけながら、でも、意味を付けすぎないように、という作業を根気強くつづけました。吹抜けのある大きな場所は朝食を食べてもいいし、一段上がったキッチン横の場所は夕食が合うかもしれない。浴槽のある場所はいちばん明るくて爽やかな場所なので、そこで読書しても気持ちよさそうです。立方体の組み合わせによる単純な「建築」に対して「暮らし」が応答して出来上がったかたちは、とても複雑で多様な場所を生みました。  建物として家は完成しましたが、ここから住まい手自身が愛着をもって意味付けをしていければ、そこは唯一無二の大切な〈わが家〉になっていくでしょう。その意味付けのきっかけは〈他と少し違う外観〉かもしれないし、〈壁の手触り〉かもしれないし、〈台所の音〉や、あるいは〈匂い〉かもしれません。柱梁がむきだしの部分、段々に角がある部分、ざらざらした部分、つるつるした部分など、いまはまだよくわからないかたちにも、暮らしていくなかでその都度、意味を見出しながら使いこなして〈わが家〉にしていく、そういった主体的な暮らしの準備ができたと思います。
■2.構造からの解釈
 モノの流通が滞り、普通にあったものが手に入らなくなったり、高くなったりしている昨今、建物の材料や作り方を再考する必要性が生じています。このプロジェクトは北海道という土地柄、早くから構造材の四寸(120 mm幅)シリーズが品薄となっていたこともあり、一番手に入りやすくて安価な「三寸五分の正角材(105 mm×105 mm)のみの構造」、そして施工業者を選ばない「最低限の技術レベルでの組み立て」、その結果として「構造にかかるコストを最小にすること」は、今を反映した一つのプロトタイプになりえるのではないかと考えました。  プランは 2.3mを最大スパンとしているため、軸力も小さく柱は105 mm角で問題ありません。ただ、曲げがかかる梁ではそれでは役不足なので、柱を結ぶ大梁の位置では逆V字の斜材を上下の梁材の間に入れることによりトラス効果で床荷重を支持することとしました。  大梁で囲まれた2.3m角の床面は、通常のように一方向に小梁を流すと四周の大梁に均等に力が流れず、その負担分に差が出ます。そこで、力の方向性をなくすこと、スパンを減らすこと、トラスの斜材に直に力を流すこと、の3つの理由から火打ち梁のようにダイヤ型に梁を配置しています。  基本的には木造在来軸組み工法なので、簡易な構造といえます。トラス梁部分は少しイレギュラーですが、斜材端部は梁にその一部を差し込むことで、離れ止めのボルトのみで緊結するというシンプルなものです。このように特別な金物を使わないことは製作および現場施工を容易にし、コストも下げられます。 (文:正木構造研究所:正木健太さん)
■3.生態的な解釈
[ベルクマン・アレンの法則]  「ベルクマンの法則」とは、ドイツの生物学者ベルクマンが発表した法則で、恒温動物について、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体が大きいという法則です。例えば熊は、マレー熊など南方の熊は体が小さく、ホッキョクグマなど北方の熊は体が大きい傾向にあります。また反対に「アレンの法則」とは、恒温動物について、寒冷な地域に生息するものほど耳や尾などの突出部が短くなるというものです。ホッキョクグマの小さな耳はこの法則にのっとっているそうです。  さて、札幌の住宅を眺めると大抵どれも大きく箱型で、かつ、陸屋根というかたちをしています。これは東京などの都心部とは異なる土地事情によって一軒あたりの土地面積が比較的大きいこと、積雪に対しては落雪させずにスノーダクトを用いて雪を処理すること、などの要因が大きく関係していることはすぐに想像できるのですが、ここに「ベルクマン・アレンの法則」が見いだせるのではないかとも思っています。  あらためていまの札幌の住宅を眺めてみると、庇も少なく勾配屋根もあまり見られません。また外壁の凹凸も比較的少ない傾向に見えます。一方、建物全体のボリュームは都内の狭小住宅などに比べると、ひとまわり、ふたまわり、大きいような印象があります。つまり、突出部が小さく、かつ、その表面積に比べて体積が大きい、ホッキョクグマの体のような傾向がなんとなく見えてきます。  「ベルクマン・アレンの法則」は放熱の問題で説明されます。つまり、表面積に比べて体積を大きくすることは、体内の熱生産量に比べて放熱量を小さくする工夫だというのです。シロクマハウスの胴体にあたる立方体は球に次いで表面積の小さなかたちです。シロクマハウスは中心の大きな立方体をメインに、その少し外側に付加断熱を加えた外壁が「毛皮」のように取り巻き、また、生活に必要な玄関や納戸などの非居室が「鼻」や「尻尾」のようにくっついたかたちをしています。  この建物を設計していくなかで、なんとなく通称として仮に呼びはじめ、なんとなくしっくりきている〈シロクマハウス〉という名前は、このような北国の生き物、建物、の立ちあらわれ方を象徴しているようにも思えます。
■4.形式への解釈
[一辺が6.15mの立方体が与えられたとする]  「立方体」というのは公理に非常に近く、証明しようのない、根拠の無い、論理式に近いかたちです。いってしまえば、とても意味の無い、無意味なかたちともいえます。  四角い箱にはおおむね作られる意味があります。中にリンゴを入れるため、あるいは人が上に乗るため、など、いろんな意味のために四角というかたちをつかって箱は作られます。でも、四角というかたち自体に意味をつけることは、実は難しかったりします。四角がなぜ四角なのか、いろいろと意味を付けてみても、それら全部が上滑りしてしまうのが純粋な幾何学のかたちの不思議なところだと思います。むかしから四角いかたちの造形物(モノリス)が、異様な、未来からのものに見えたり、過去世界の遺物に見えたり、別世界のものにみえたりするのは、その純粋幾何学のかたちの無根拠さゆえかもしれません。  一方で、世界のありとあらゆるものをどのように意味付けて解釈するかは私たち人間に任されています。あらゆるものに意味をつけて世界を存在させること、それが私たちの主体性であって自律性でもあります。しばしば建築家によって〈自律的な建築〉とか〈他律的な建築〉とかいった言葉がつかわれますが、それは結局、ある人からはそう見える、というくらいのことなのかもしれません。建築自体の自律性や他律性を考えるのも面白いのですが、人間として主体的によく生きたいという、より根本的なものを目標にすれば、建築を含めたこの世界を意味付ける、人間の自律性の方がはるかに重要なものに思えます。  たとえば住まいをつくろうと考えたとします。たとえば住みたい場所が寒い地域だったとします。そういったなんとなく与条件として意味付けられるものたちと、立方体のような、あからさまに根拠が無くて、意味のよく分からないものを、同列に並べてみましょう。それらをあらためて自ら意味付け、解釈しようとするところに、私たち、設計者や住まい手の主体性や自律性は自覚されて、自分が置かれた環境を積極的に肯定していく人間的な暮らしにつながっていくのではないでしょうか。
■5.コーリン・ロウ風の解釈
[理想的ヴィラの数学]  「この住宅は立体の表象であるという観念が実現されるとき、ヴェルギリウスの夢という意図も果たされるのである。ここには絶対的なるものと偶然的なるもの、抽象と自然の衝突があり、理想世界とあまりに人間的な現実の急務とのギャップが悲哀に満ちて示されている。」 コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄、松永安光訳、彰国社、1981年)より。
 この住宅は、前後に付加された勾配屋根のヴォリュームを除けば、基本的なヴォリュームは 1 対 1 対 1 の立方体である。平面の構成は、中央の柱間を 1 とすると、前から後へおよそ 1/3 対 1+√2 対 1 対 1+√2 対 1/3 の比で進む。この比の構成は左右方向についても、また垂直方向についても徹底して保たれている。中央部のスパンに対して中間部のスパンが白銀比に近似している点は日本的比例の美学というよりは偶然的なものであろうが、その膨張した中間部のスパンに対して外周部のスパンが極端に圧縮されることによって、関心は中央から中間部へと移されることになる。3軸に同じ比が徹底されることによって中間部には 1+√2 の立方体が8つ現れており、それぞれの中心に重心が等しく置かれていることが暗示される。この住宅では3軸のシンメトリー 構成の中で、中央部への集中でもなく、周縁への離散でもなく、中間部において複数の中心の遍在というものが強調される。  この3軸が等しくシンメトリーな構成の中で、なおも上下左右を等しく相対化しようという試みに、床や壁、柱や梁といった構造も参加する。中央右手では吹抜けに面して2層をまたぐ壁面が垂直性を強調する一方、2層目左では同じ大きさの床面が水平性を強調している。柱や梁は同じ太さで縦横に現れ、重力の存在を示唆するのは二段梁の間を繋ぐ山形の方杖のみである。こうして通常、重力に基づいて積み上げられる壁・柱の垂直性や床の水平性は、ここでは解体され、立方体の6面すべてに均等な重要性が割り当てられることになるのである。均等に重力を与えられた6面は、離散することなく幾何学的配置にその中心を留め全体を構成する。  このように集中的なヒエラルキーを排しつつも離散を避けようとするどっちつかずの態度は、恐らく、多様な中心の遍在を認めるリゾーム的世界観によるものであろう。多様化した社会において、ある建物を住宅たらしめるのは行為として表現される暮らしそのものであり、慣習に拠る美を持ち込み、継承し、再生産し続ける「文字以前の文字(プロ・グラム)」である。一方、この住宅の理論は一種のポストモダンであり、過去の客観的美学=数学的規範を持ち込みつつ、それによって過去の構築を相対化し、集中と離散の二項対立を脱構築しようとする分裂的な試みである。そしてプロ・グラムと衝突するこの理論こそ、普遍的な生き生きとした力を喚起する幾何学なのである。
■6.音楽としての解釈
[マイルス・デイビス]  「非常にわかりやすい、見え見えなぐらいな部分と、全く意味不明の謎の部分というのが、丁度半分半分混じっていく、というのが、マイルス・デイビスの音楽であり、人となりであり、パッションであり、あらゆる彼の行動規範に張り付いているアンビバレンスです。」ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔さんはマイルス・デイビスをこのように解説しました。  マイルスによって完成された「モード・ジャズ」は、それまでのコード進行によるモダン・ジャズとは異なり、「モード」と呼ばれる音階内でのアドリブを特徴とするものなのだそうです。それまでのジャズの歴史でどんどん複雑化していたコード進行を極端に単純化したうえで、モードによってより自由な演奏を可能にしました。モードとは、西洋音楽の音階とは異なる音階、日本のヨナ抜き音階や、琉球音階、インドネシアのガムラン音階など、土着的で民族的なものを指し、マイルスはカリンバのアフリカ的な音階に出会ってモード・ジャズを完成させたともいわれます。おおむね7つの音で構成されるモードと、それを用いたモード・ジャズについて、菊池成孔さんは「少ない音、7つだけの音で自由に演奏しろと言われた場合はですね、自由度が高すぎてサウンドの審美眼とかセンスが露骨に出るので、非常に難しい、」と解説します。  シロクマハウスも、もしかするとそのモード・ジャズ、あるいはマイルス・デイビスのように解釈することができるかもしれません。シロクマハウスは、8つの立方体の間に95cm幅のスリットをたてよこ水平に入れるという「非常にわかりやすい見え見え」な構成ですが、その構成の根拠は恣意的かつ薄弱で「意味不明」でもあります。一方で、暮らしによって立ちあらわれている壁や窓や棚などの部分は、意味としては「見え見え」ですが、複雑で過剰なその全体のかたちは「意味不明」でもあります。  つまりシロクマハウスは、あからさまに単純な構成を〈コード〉とし、北海道という土地や社会などの〈モード〉のなかで、設計者の恣意性や手癖・住まい手の趣味や暮らしによる〈アドリブ〉が行われる、そんなモード・ジャズ、という見方ができるかもしれません。そしてそれは、意味とあらわれのアンビバレンスが振動するようなグルーヴを生んでいくのかもしれません。
-------------------------------------------------- [Text] Six Interpretations of the house “Polar bear”, for example      1. Interpretation as a HOUSE      2. Interpretation from STRUCTURAL engineering      3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view      4. Interpretation in terms of FORM      5. Interpretation in the style of Colin Rowe      6. Interpretation as MUSIC
1. Interpretation as a HOUSE
     The owner of this house decided to build a new house on a site in Hokkaido, which he had grown accustomed to living in since long ago. The house was built in a very compact cube form concerning the site, due to the rising cost of materials caused by the wood shock and the war, as well as a regulation unique to snow country (the building envelope must be at least 1 m away from the neighboring site). The overall composition is based on eight cubes of 2.3 meters on each side, 95 cm apart on each side, and 30 cm apart on the outside, for an overall cube of 6.15 meters. The size of this cube was defined based on the maximum volume that could fit on the site and is not based on human scale or traditional modules.      We considered this cube as "Architecture," and together with the owner and his family, we discovered and imagined "bright places," "dark places," "big places," "small places", etc. in terms of local conditions and lifestyles, and gave meaning to them as "living". In trying to give "Architecture" a meaning of "living," we were careful to avoid using generic terms such as "living room" or "dining room" to link behavior with place. We patiently continued our exploration, finding bright and breezy places, large and softly bright places, small and dark places, etc., without adding too much meaning to them. The large area with the atrium could be used for breakfast, and the area next to the kitchen, one step up, might suit dinner. The bathtub area is the brightest and most refreshing place, so it would be pleasant to read a book there. The resulting house, in which "living" responds to the plain "Architecture" of overlapping cubes, has generated a complex and diverse place.      The house as a building has been completed. However, the attachment of the owner and his family and the meaning they give to the house will make it a unique "home." The trigger for this attachment may be "the somewhat strange facade," "the hand feeling of the walls," "the sound of the kitchen," or even "the smells." The owner and his family are now ready to live with a sense of agency, finding meaning in forms that are not yet understandable, such as exposed pillars and beams, several intricate corners, rough and smooth surfaces, and so on, and using them to make the house his "home" while living in the house. 
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2. Interpretation from STRUCTURAL engineering
     Recently, the distribution of goods tends to be stagnant, and what used to be commonplace has become unavailable or expensive, making it necessary to reconsider building materials and construction methods. Because of the location of this project in Hokkaido, where the 120 mm width series of structural timbers were in short supply from early on, we thought that "structure using only 105 mm x 105 mm structural timbers," which is the most accessible and inexpensive, and "construction at the minimum technical level" that does not require special contractors, and thus "minimizing the cost of the structure" could be a prototype that reflects the social situation of the present day.      The maximum span of the columns is 2.3 m, so the axial force is small, and 105 mm square columns are sufficient. However, this is not enough for beams that are subject to bending, so an inverted V-shaped diagonal timber was placed between the upper and lower beam members at the position of the girder connecting the columns to support the floor load with a truss effect. The 2.3m square floor is surrounded by girders, if the beams are placed in one direction as usual, the force will not flow evenly to the girders on all four sides, resulting in a difference in the amount of load. Therefore, the beams are placed in a diamond shape like a corner brace for three reasons: to nullify the direction of force, to shorten the span, and to flow the force directly to the truss members.     It can be said this is a simple structure because it is essentially a Japanese conventional post and beam structural system. The truss section is a bit irregular, but they are simply tied together by inserting a portion of the truss member into the beams and bolting them together. Thus, the absence of special hardware facilitates fabrication and construction, as well as lowers costs. (Translation by the author with some changes from the original text by the structural engineer)
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3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view
[Bergmann's and Allen's rules] “Bergmann's rule” is an ecogeographical rule that states that within a broadly distributed taxonomic clade, populations and species of larger size are found in colder environments, while populations and species of smaller size are found in warmer regions. For example, bears living in the southern areas, such as Sun bears, tend to be smaller, while bears living in the northern areas, such as Polar bears, tend to be larger. Conversely, "Allen's rule " refers to the fact that animals that live in colder regions tend to have shorter ears, tails, and other protruding parts than those that live in warmer regions. Polar bears' small ears are said to be following this rule.      When we look at houses in Hokkaido today, we can see that they are generally large, box-shaped, and have flat roofs. The reasons for this can be easily imagined to be that the area of land per house is relatively larger than in urban areas such as Tokyo, and snow ducts are used to deal with snow accumulation instead of letting it fall. And in these points, I suspect we can find " Bergmann's and Allen's rule " as well. Looking again at the houses in Hokkaido today, there are not many eaves, and pitched roofs are not seen very often. The exterior walls also tend to be relatively less uneven. On the other hand, the overall volume of the building seems to be larger than those of narrow houses in Tokyo. These facts suggest that the tendency of the polar bear's body to have a small protrusion and a large volume compared to its surface area seems to be somewhat common to the features of these houses.      The "Bergmann's and Allen's rules" are explained by the issue of heat dissipation. In other words, increasing volume compared to surface area is a device to reduces the amount of heat dissipated compared to the amount of heat produced in the body. The shape of the body of this house is a cube, which is the second smallest geometric form in surface area after a sphere. This house consists of a large cube in the center, with exterior walls with additional insulation surrounding it like "fur," and non-habitable rooms necessary for daily life, such as an entrance and a storage room, attached to it like a "nose" and a "tail”.      The name of this house, "Polar bear," which became somewhat comfortably familiar to us as we began to call it tentatively in the process of designing this house, seems to symbolize the appearance of this kind of northern creature and building.
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4. Interpretation in terms of FORM
[Suppose you are given a cube with a side of 6.15m.] The "cube" is very close to an axiom, a form that can never be proven, that has no ground, and that is very close to a logical formula. In other words, it is a very nonsense and meaningless form.      A square box usually has a meaning. Boxes are made in the shape of a square for various purposes, such as to put an apple inside, or for a person to ride on top. However, it is difficult to assign meaning to the square shape itself. The mysterious thing about the form of pure geometry is that even if you try to attach various meanings to why a square is a square, all of these meanings will slip over and over. A square-shaped object (monolith) often looks strange, like something from the future, a leftover from the past, or another world, perhaps because of the groundlessness of its pure geometrical form.      Meanwhile, it is up to us as human beings to make meanings and interpretations of everything and anything in the world. To create meanings for everything and bring the world into existence, that is our agency and our autonomy. Sometimes, architects use terms such as "autonomous architecture" or " heteronomous architecture," but it may just be that this is how it seems from their point of view. It is interesting to consider such autonomy and heteronomy of architecture, but if we focus on the more fundamental subject that we as human beings want to live well, the autonomy of human beings that makes sense of this world, including architecture, seems to be much more important.      For example, suppose you are thinking of building a house. Suppose, for example, that you want to live in a cold climate. Let's put such things that we can somehow make sense of as given conditions and things like cubes, which have no obvious basis and whose meanings we are not sure of, in the same line. In trying to redefine and interpret the meaning of these things, we, the designers and homeowners, become aware of our agency and autonomy, and this may lead to a humane lifestyle in which we actively affirm the environment in which we are placed.
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5. Interpretation in the style of Colin Rowe
[The Mathematics of the Ideal Villa] ... and the realization of an idea which is represented by the house as a cube could also be presumed to lend itself very readily to the purposes of Virgilian dreaming. For here is set up the conflict between the absolute and the contingent, the abstract and the natural; and the gap between ideal world and the too human exigencies of realization here receives its most pathetic presentation. …  (Colin Rowe. 1947. The Mathematics of the Ideal Villa. AR)
     The basic volume of this house is a 1:1:1 cube, except for the pitched roof volumes added to the front and rear. The configuration of the plane proceeds from front to back in a ratio of approximately 1⁄3 to 1 + √2 to 1 + √2 to 1⁄3, with 1 between the central columns. This ratio configuration is thoroughly maintained for horizontal as well as vertical directions. The fact that the middle span approximates the silver ratio to the center span may be more by chance than Japanese proportional aesthetics, but the extreme compression of the outer span relative to the expanded middle span transfers interest from the center to the middle. Also, the same ratio is thoroughly applied to the three axes, so that eight cubes of 1+√2 appear in the middle part, implying that gravity is equally placed in the center of each cube. In this house, the three-axis symmetrical configuration emphasizes the omnipresence of multiple centers in the middle, rather than their concentration in the center or their dispersion to the periphery.      In this symmetrical configuration with equal symmetry of the three axes, the structural elements such as floors, walls, columns, and beams also participate in the attempt to relativize the top, bottom, left, and right equally. On the right side of the center, the verticality is emphasized by the wall surface that spans the first and second floors of the atrium, while on the left side of the second floor, the horizontality is emphasized by a floor surface the same size as that wall surface. Columns and beams appear horizontally and vertically with the same thickness, and the only suggestion of the existence of vertical forces is the triangular truss members connecting the upper and lower beams. Thus, the verticality of the walls and columns and the horizontality of the floor, which are usually constructed by gravity-based stacking, are here deconstructed, and equal importance is assigned to all six sides of the cube. The six equally gravitated sides, which are not discrete, keep their centers in a geometric placement and make up wholeness.      This ambivalent attitude of avoiding discretization while eliminating centralized hierarchies is probably due to a rhizomatic worldview that recognizes the omnipresence of diverse centers. In a diversified society, what makes a building a house is the life itself, which is expressed as an action, and the "pro-gram" that continuously reproduces, inherits, and brings in customary beauty. Meanwhile, the theory of this house is a kind of postmodernism, a schismatic attempt to bring in the objective aesthetics of the past = mathematical norms, but thereby relativize the construction of the past and deconstruct the dichotomy between concentration and dispersion. And this theory that conflicts with the pro-gram and evokes our universal life force is geometry.
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6. Interpretation as MUSIC
[Miles Davis] “The ambivalence that characterizes Miles Davis' music, persona, and passions, and that accompanies all of his codes of conduct, is a half-and-half mixture of the very straightforward and obvious, and the completely mysterious and unintelligible.” (Translation by the author) Commentary on Miles Davis by jazz musician Naruyoshi Kikuchi.
     “Modal jazz," perfected by Miles, is said to be characterized by improvisation within a scale called a "mode," unlike modern jazz, which was based on chord progressions. And it allowed for more flexible playing through modes, taking chord progressions that had become increasingly complex in the history of jazz up until then, and simplifying them radically. Mode refers to scales that are different from those of Western music, indigenous and folkloric, such as the Japanese "yona nuki" scale, Okinawan scale, and Indonesian gamelan scale, and Miles is said to have perfected modal jazz when he discovered the African scale of the kalimba. Naruyoshi Kikuchi explains that modes, which are generally composed of seven notes, and modal jazz, which uses these modes, are "very difficult to play if you are asked to play freely with only seven notes because the degree of freedom is too high and the aesthetics and sense of the sound come out obviously.” (Translation by the author)       This house could also possibly be interpreted as modal jazz or even Miles Davis. This house has a "very straightforward and obvious" configuration of 95cm-wide slits horizontally and vertically between eight cubes, but the rationale for this configuration is arbitrary, weak, and "unintelligible" as well. On the other hand, the walls, windows, shelves, and other parts that respond to the daily life are "straightforward" in terms of meaning, but their complex and excessive overall form is "unintelligible.      Therefore, this house could be seen as a "modal jazz" in which a straightforwardly simple configuration is the "code," and the architect's arbitrariness, his/her habits, and the residents' tastes and lifestyles are "improvised" within the "mode" of the region and society of Hokkaido. And this may give rise to a "groove” in which the ambivalence between signification and manifestation vibrates.
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