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November of Mei Nagano.
11月。今日は30日。つまり、11月最後の日。今年の4月から毎月続けてきたTumblrだけど先月に引き続き今月も、締切に追われる漫画家のような気分で執筆開始。このながのの月記は【前書】【思考】【仕事】【音楽】【後書】の五段落で構成しています。今回この次の段落【思考】では、人と接するときに考えたいおもてなしの心〝接遇〟について書きたいと思っているんだけど、それに通ずる部分があるのかなと思った出来事をここで。出会いも別れもタイミングは選べないし、予期せぬ別れはどんな理由であれやっぱり辛い悲しい気持ちになっちゃいますよね。気付いたらいなくなってる人がいて、だけど他の人のところには帰ってきてて「なんで自分のところには来てくれないの?」って、そんな経験もあるんじゃないでしょうか。ながのはあります。だけどそこで「悲しい」「なんで」「その程度でしか見られてないのか」って思ってしまうのは正直まだまだだと思っていて、もちろん合う合わないもあると思うけどそれでも離れてほしくないと思うのなら離れてほしくないなりの行動をしなきゃいけないし努力をしなきゃいけない。それができないのに軽率に手を繋ぐのは失礼にあたるのではないか、とまで思ってしまいます。ながのにはこれといった取り柄がないから、ながのにできる範囲の努力は絶対に怠ってはいけないし他の人よりも頑張らなきゃいけない。まだまだみなさんの側にいたいから頑張らせてください。そしてちょこっとだけ欲張りなことを言うと、頑張れないときのながのも愛してやってください。前説っていう大事な導入部分で辛辣な意見を綴ってしまったことに若干の反省はしています、が「いいもん、めいのTumblrだもん!何を書くもめいの自由!」と全力で開き直って続きを書いていこうと思います。だって書き直す時間がない(事前に下書きしてなかったながののせい)からね。ざっ!っと書いて、ぐっ!っと読み直して、ちょちょちょ!っと直して、華麗に投稿ボタン押してやりますよ!あ、決して適当に書いてるわけではないですよ。だってこうして永野芽郁に、ながのという人間に触れるために大切な時間を割いてこのTumblrを読んでくれる方がいるんだから、適当になんてできない。「めいちゃんのこと知れたな」とか「こんな考え方もあるんだな」って少しでも有意義な時間を過ごしてもらえたら幸いです。
4月に58人いたフォロワーさんが今では69人になり、新しい出会いがあるたびに百人百様という言葉の意味を知る日々です。100人いれば100種類の姿、形、顔があるし100種類の存在意義があるんです。今月は〝接遇〟について考えました。人と向き合うとき他者の体験や経験、本やネットから得た知識を参考にするのが間違いだとは思わないけど、この方法が最良だ!なんてそんな便利なマニュアルはないんです。きっとここで考えなきゃいけないのは、今めいが向き合っている人は誰なのか。そして、他の誰かに効く薬がその人に効くとは限らないということ。じゃあながのが持ってる薬って、できることってなんなんだろう。先日「めいちゃんに相談したいことがあって」って悩みを話してくれたお友達に「どうしてめいなんですか?」って素朴な疑問をぶつけると「めいちゃんは悩みを無駄にしないからね」って伝えてくれたんです。「楽しい話をしてくれるから」「元気がでるから」「話しやすいから」いいように考えてもそんなところかな、と思っていたから相手がそう見てくれていたことがとっても嬉しかった。こうして綴ってみたけど、これが誰にでも効くってわけじゃないからまた難しいんだけどね。何気なく受け流している言葉は相手が縋るような思いで紡ぎ出した一言かもしれない。だから、1つも取りこぼさないように全部掬って無駄にしない、これはながのにできること、ながのがしなきゃいけないこと、そして存在意義の1つだと思って大切にしていこうと思います。
お仕事!11月は日本武道館でのイベントをはじめ、ドラマや映画の情報解禁などもあり盛沢山な1ヶ月でした。単独イベント『非公開』の会場では季刊誌「team mate」特別版を発売させていただきました。そして今年も『永野芽郁オフィシャルカレンダー2024』の発売が決定しました!12色のカラーテーマに合わせた写真はみなさんの毎日をカラフルにすること間違いなし!是非お部屋の片隅に置いて1年のお供にしていただければと思います。今回のお仕事紹介はお話したいことがたくさんあるので、以下3本立てでお送りします。
【フジテレビ系連続ドラマ『君が心をくれたから』】
月曜9時というドラマの中でも特別な枠だと思ってきた月9で、主人公の逢原雨を演じさせていただきます。愛する人のために〝心〟を差し出す、過酷な奇跡が引き起こすファンタジーラブストーリー。初めて台本を読んだときは、心が苦しくなったりこの役が自分にできるんだろうかという不安もありました。だけどそんなネガティブな気持ち以上に〝今の自分の全てをかけて挑みたい〟と思う作品に出会えたことが幸せだし、今撮影していて凄く嬉しいです。『君が心をくれたから』は誰かのことを純粋に想ったり何かをしてあげるということは素敵なことだと改めて感じられたり、逆に人を想って何かをすることが相手にとっては酷なことだったりもするという人間のリアルな部分も描いた作品です。今心がもやもやしていたり未来がちょっと不安な方が寒い冬の夜、心温まる〝愛の物語〟に救われますように。初回放送日は2024年1月8日成人の日。30分拡大でお送りします。お楽しみに!
【映画『からかい上手の高木さん』】
山本崇一朗さんによる人気コミック『からかい上手の高木さん』の実写映画版で主人公の高木さんを演じさせていただきました。原作で描かれている隣の席の女の子にからかわれ続ける男の子…から実写映画版では10年が経ち、母校で再会する2人を描いたオリジナルストーリー。お話を頂く前からいち視聴者として原作やアニメを拝見していたので『からかい上手の高木さん』の世界に入ることができてとても嬉しく思いながらのびのびと楽しく演じさせていただきました。自然豊かで穏やかな小豆島で撮影できたことによって、スクリーンの中にも穏やかで温かく観ていて心地の良い映画になっていると思います。全編小豆島で撮影された本作は2024年5月31日公開です。お楽しみに!
【永野芽郁『非公開』in日本武道館】
8月末に開催を発表させていただいてから3ヶ月、あっという間でした。まずは無事に開催することができたこと、ありがとうございます。日本武道館という場所はながのにとっては大きすぎて、大勢の人が集まってくれるとわかっていてもどうしても立てる自信がなくて、だけど11月23日イベント当日「めいちゃーん!」「大好きだよ!」って全部全部ちゃんと届いてたよ。ながのの不安を全部蹴散らしてくれる愛に溢れた人たちが、時間が、そこにはありました。とってもとっても幸せでした。大型二輪免許の取得、ピアノで作詞した曲の弾き語り、Vaundyくんが歌う『カーニバル』でのドラム演奏、一人芝居などなど、ながのにとっては〝挑戦〟だらけの2時間15分でした。そう、今回のながの的裏テーマは〝挑戦〟。きっとみなさんに楽しんでもらえる時間をプレゼントできたんじゃないかなと思います。そして(メタな話にはなりますが)、永野芽郁ちゃんに見合うように頑張らないとと感化された1日でした。これからもみなさん��応援したいと思ってもらえるような人でいられるように、自分らしく楽しく面白がりながら努力していきたいと思います。これからもながのについてきてください。一緒にいろんな景色を見に行きましょう。みなさんのことがメイトのことが、大好きです。
11月のながののイチオシソングは米米CLUBさんの『浪漫飛行』。いつまで経っても古くならない石井竜也さんの詩。やりたかったのにやっていなかったこと、逢いたかったのに逢っていなかった人、行きたいのに行けてなかった場所…荷物はトランク一つ、イメージははちきれそうなくらいに膨らんで心はあの人に話したいことで溢れかえる、そういう〝夢〟が『浪漫飛行』にはあります。〝夢〟や〝愛〟の前で不安になることもあるかもしれないけど、そのすぐ側には希望がいてくれているはずです。〝逢いたい〟その気持ちがあれば旅に出る理由は十分。準備万端。会いたい人がいるっていいですよね。会いたい人がいるうちはきっと大丈夫なんだろうと思います。会いたい人には今すぐ会いに行って!ながのは会いに行くことにするよ。
今月はお仕事の情報がたくさん解禁になったのでお仕事の話をたっぷりさせていただきました。気になるものはありましたか?大量の情報解禁とまとめる時間と技術のなさが相俟って(盛大な言い訳)長くなってしまいましたが…これからのながのも見たいと思ってもらえますように!もっと知って興味をもってもらえますように!自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。
12月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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「答えは愛」
「で、質問は何でしたっけ?」
Dr. アリーナ・レセニヒによるインタビュー
ゲスト:サンユ
オリジナル動画:https://youtu.be/ZJSXAyWoPw8
【和訳】 ALAE PHOENICIS by Telegram
サンユとは
Dr.アリーナ・レセニヒが「サンユ」を紹介:
サンユは私にとってとても特別な人。4年半前に出会ってから、私の人生はとてつもなく変化し、良い意味でひっくり返りました。それ以来彼女と共に歩んでいます。あらゆるレベルでの学びがあり、それまでの人生では想像も出来なかったことを実行できるようになりました。今やれていることは以前はとても出来ませんでした。私はとても怖がりな人間だったからです。特別な時代に、流れに逆らって泳ぎ、自分の顔を公に晒して啓蒙活動をし、多くの逆風を受けて…それでもって、結構楽しくしていられるなんて…誰も信じなかったでしょう。きっと叫びながら逃げ去っていました。
そして、考えたこともなかったような新たな人生の基準も得ました。
人との付き合い方や、自己表現の仕方はとても自由になり、彼女のおかげで濃い喜びを感じるようになったことで、人生が良きように代わりました。
本日、私のスピリチュアルな師であり、愛する友人であるサンユが来てくれてとても嬉しいです。
アリーナ:こんにちは、チョコ・マウス(笑)
サンユ:こんにちは、愛すべき人(笑)
アリーナ:来てくれてありがとう。彼女には大方50回ぐらいお願いしたのよ、私の公開インタビューに来て「愛」と言うテーマについて語って欲しいって。だって、それがサンユ自身であり、サンユが人生で体現していることであり、彼女を構成するすべてを表現しているから。
彼女は常に断っていたのだけど、あるとき私は彼女が弱気になった瞬間を捉えたわけ。とっても嬉しいわ。でも、エンジェル、どうしてこんなに時間がかかったの?
サンユ:…愛とは、永遠から来ているもの。言語とは、限られたツール。ということは、何かを言葉にする度に、私は「これは完全ではない、何かが違う」と感じる。それは「大海を風呂桶に流し入れる」ような感覚がする。そして…(口ごもって)
サンユ:それに...言語は、「味」を伝えることが出来ない。もし、私が今、あなたの知らないインドの果物の味を教えたくて、「想像してみてね、噛み心地はデーツとバナナを合わせたような感じで、甘みはラズベリーとキウイとパイナップル、でもそれほどジューシーではない」って描写するとします。…どれぐらい時間が掛かる?
アリーナ:決して無理な話ね。
サンユ:もし、果物の味さえも伝えることが出来ないならば、「たったひとつの味」をどうやって伝えられる?
一方で、言語はガイドにもなる。あなたが「塀を作りたいのだけど、どうすればいい?」と尋ねてきたとすると、「石、次に粘土、石、粘土…これを積んでいけば?」って伝えて、何が起こるか見てみましょう、となる。ここで私がどう思うのかはどうでもいいの。あなたが私を信じようが信じまいが、どうでもいい。要は、あなたが「この体験」に心を開けるのかどうか。そして、単純にまる一日、石と粘土を交互に積み上げてみれば、出来上がったものと「塀」とに結びつきを見つけられるのかどうか、あなたが自分自身のために知ることができる。こうして、「言語」は道標にはなる。
そうやって、あなたは私が弱気になる瞬間を捉えたわけ。
アリーナ:なんて、素敵!
でも…「愛」とはあなたにとって何なの?「とても言葉には出来ない」っていっているのはわかったけれど、それでも言葉にしてみようとするならば、どのように描写する?どういう意味で言っている?
サンユ:私のいう「愛」とは、二人の人間がお互いに「愛している」といい、それと同時に「他の人は愛していない、もしくはより少なく愛情を感じている、もしくは別の種類の愛情である」ということを示唆するものではないわ。私が話そうとしている「愛」とは、そういうジャンルのものではなく…
アリーナ:でもそれが、殆どの人が「愛」だと思っていることでしょ?
サンユ:そう。その通り。
私の云う愛は、ある種の、深くて���遍的な真実で、それは私たちの心の器の底の方に眠っている。そして、一つ一つの心は、巨大なダイヤモンドの一側面であり、神聖さを映している。すべての側面(ファセット)は、その神聖さを自分なりに映し出し、その他のあらゆる心を同じように照らす。なぜなら、それらも「自分なりの神聖さ」を映し出しているから。
つまり、私の云う「深い愛」とは、ひとつには「創造物全体の中に在る意識はたったひとつ、唯一の愛流である」ということ。そして私たちはこの愛を源泉として湧き出ているということ。愛という根源が私たちを織りなしてる物質。それが、私たちをここに生み出した意図だということ。
創造物は全体でひとつをなしており、人は誰でも、その「唯一の光」から生まれ出た。
私たちの身体は個性という差異のある世界に生まれ、その物質的なレベルにおいては多様性という原理がある。しかし、その物質的レベルの背後には、非物質的なもの、スピリチュアルなものがある。そして、そこにはこの、たったひとつの流れしか無い。
そして、ふたつ目の秘密。これは誰でも、望みさえすれば自分の中に発見できる。それは、私たちが永遠の存在だということ。生み出されたこともなく、死ぬこともない。私たちはスピリチュアルな精神的存在で、人間的な体験というのを80年とか90年間ぐらいをこの身体の中味わう。そして、身体が亡くなっても、私たちは未だそこに在る。つまり、私たちは永遠なる意識体として、時間制限付きで人間としての経験をしている存在だということ。
アリーナ:OK。ご説明ありがとう。でもね…
それは私たちが日常体験していることではないわ。だって、私たちはお互いに別々の存在としての体験をしている。分離され、孤立し、殆どの他人のことはどうでも良くて…なぜ、そうなのかしら?
サンユ:私たちにはある種の社会的に導入された催眠、心理的条件付けが施されている。「私は私の身体であり、私のマインドが考えているものであり、自分の過去を合計したものである」、そのように教育されている。いわゆる「ボディ=マインド・アイデンティティ」と呼ばれるもの。それはとても精鋭な輪郭を持っていて、形があり、顔があり、名前がある。「ここに居る私以外は、その他の世界」だと思っている。それを私は「分離のアイデンティティ」と呼んでいる。
エゴとはEGO - edged God out - つまり、普遍的な宇宙意識は自意識から追い出されている。まるでメルヘンにあるように、偽の王様(EGO)が王座に座り、本物の王様が追放されている状態。
アインシュタインは、こうして私たちが互いに分離していると思い込んでいることを「意識の視覚的錯覚」と呼んだ。
アリーナ:そうね… では何故、EGOと同一視するのをやめて「愛の意識」の中で生きることが大事なのかしら?
サンユ:量子物理学、そして古き叡智によると、私たちは自らの精神を以て、その現実・人生・世界を創造しているとのこと。イエス・キリストは「汝の信じる通りのことが、汝に起こる」「汝が考えるものに、汝はなるだろう」といった。
量子力学は「あなたの思考が、あなたの現実を創る」とした。
一日に、6万の思考がマインドに入ってくる。天才と統合失調症の人には一日8万にまで至ることも。
つまりそれは、まるで宇宙飛行士のヘルメットをかぶっているような感じで、その中では6万の思考が軌道に乗ってヒューヒュー飛び回っているようなもの。私たちは自己解釈の世界にいる、(頭を指して)これはストーリーテラーなわけ。これは毎秒毎秒、ストーリーを創り出していて、私たちはシミュレーションのような世界の中にある。
ここで、例え話をすると、真夏の暑い中、アイスカフェの外席に100人ぐらい座っているとして、そこへ想像を絶する驚くほど美しい女性がやって来る。ミニスカから覗く長くてスリムな足。豊満な胸。とにかく華麗そのもの。彼女は前列にあるすべてのテーブルの間を通り抜ける。最初のマインドが思うことは「ワオ!なんて美しいのかしら!…毎日鍛えてるの?どうしよう、私はもう半年もちゃんとトレーニングしてないわ。いい加減にジムに行こうとずっと思ってたのに。ああ、でも毎月の費用を払えるかしら…でももうイヤ、お腹はダボついているし、足だって…明日絶対に申し込みに行こう」。次のマインドはこう思う:「なんて女。あんなのと付き合いがなくてよかったわ」。その次のマインド:「まあ…60年前は私もああやって人生を楽しんだわ。人生の春は本当に良かったわ。でも正直なところ、80歳になった今は、あんな虚栄心市場で誰かと張り合ったりしなくていいので私は楽だわ。あの娘はせいぜい楽しめばいい」。次のマインド:「なによ、売春婦みたい。この世は売春宿じゃないのよ。もうちょっと肌を隠せないのかしら。親にしつけられていないの?破廉恥な」…等等。
あ、一つ忘れていた。もう一つのマインドは「おお!あの娘とベッド・インしたいな。でもあんな外見の娘が僕になびいてくれるはずがない」というやつ。
そこで、懸賞付きの質問。このアイスカフェの客たちは「誰」を見ているのでしょう?
アリーナ:誰もが、自分のことしか見ていない。
サンユ:その通り。誰もが、この美しい女性をスクリーンに見立てて、自分の価値観、自分が癒せていない心の傷…または自己の存在価値に残された傷、自分の夢や願望、世界観、人間観を眺めている。
彼女はスクリーン。(頭を指して)これはスライド投影機で、スライドを差し込む割れ目がここにある。そしてこれまで自分が溜めてきたすべての条件付け・刻印・プログラミング・パターン・過去が、このスライドに入っている。このスライドを通して、自分自身をこの女性に見ている。…ということは、私たちはかつて、自分自身以外をこの世の中に見たことがない、ということ。誰もがこの女性の中に別人を見ているだけではなく、誰もがこのアイスカフェという同じ場所に居るのに、そこには100種の世界があって、ひとつは爆発せんばかりの楽しい気分になっているのに、1,5メートル先の席では爆発せんばかりの憤りを感じている。誰もが、自分だけの世界に生きている。
そうなると、トランプについて、コロナについて…何に関しても、誰かの意見に耳を傾けたところで、世界についてそんなに多くのことはわからない。実際には、「世界とはこういうものである」と主張している人物のことが、本を開くように見せられているだけ。
私がまだ、診療所を営んでいたころ、多くの愛すべき患者さんたちがやってきた。コロナの期間に関していうと、ある人は人類史上最大の残酷で邪悪な黙示録を目前にしており、ある人はパラダイス・黄金時代へ移行する直前のように感じていた。そしてその中間には更に、様々な色彩があった。そして、全員が同じ惑星に住んでいるのに、そこには75億種類もの世界が存在しているのは驚くべきこと。
エゴ意識には、いくつかの強迫観念がある。
その内のひとつは、分極化という意識。こいつは常に審判しないと気が済まない。審判のひとつは、世界を善と悪に区分化することで、当然、善側は私だ、となる。
アリーナ:違う違う。善側は私よ!私の方が善側よ!
サンユ:あら…(笑)言っておくけど、あなたは邪道に走っているわ。私たちのどちらか一人が善側なのだとすれば、それはどちら?
アリーナ:そう、それは私よ。善側は私。
サンユ:アハハハハ!じゃあ、こうしましょう。「私たち」は善側ね?OK?(アリーナ:OKよ!どっちにせよね(笑))
それで、「善良」だと謳ってきた者たちが残してきた血痕を辿れば…善良なキリスト教徒たち、善良な回教徒たち、善良な資本主義者たち、善良な植民地主義者たち、善良な共産主義者たち、善良な国家社会主義者たち… これらを振り返ると、私たちは本当に「善側」に属したいのかわからなくなってくる。そして意図的ではなかったことは確かであろうと、どうやら地獄への道というのは「善良」という名の石畳で張り巡らされている。
人類の歴史は、人類の歴史を何一つ教えてくれていない。今のところはね。でも、それはこれから変わるかも知れない。(アリーナ:今がチャンスよ)そうね(笑)。私たちには、自分自身と世界を別の形で眺めることが出来る。その別の形とは、創造物を全体として捉えることと、すべての小さなパーツは大きな全体を反映している。ラテン語の pars pro toto (一部が全体を代表)。小宇宙は即ち大宇宙である。イエスの述べていた、天界は即ち地上界、鏡の法則、アナロジーの法則。露の玉がどれだけ小さかろうが、それは創造物全体を反映している。どういうことかというと、私がこの世で目にするもののすべてを、私は自分の中に見出すことが出来るし、私が自分の中に見出すすべてを、私はこの世に見出すことが出来る。
そして…私は何に対して戦おうとしているのだろう。
そこで、あなたの「EGOから離れて「愛の意識」への移行がなぜ大事なのか」という質問だけど、アインシュタインの言葉を借りると「原因がつくられたレベルでは、その問題を解決することが出来ない」ということ。
アリーナ:つまり、憎しみは憎しみをもって解決できないし、怒りは怒りをもって解決できない、ということね?
サンユ:そういうこと。だって、不安・憎しみ・憤りといったものは、分離のアイデンティティから起こったものであり、この問題解決には、上位の階層へ移行しなければならない。それが「一体感」という意識。ワンネス、統合、愛。
そして…病んでいるマインド(意識)は、分離のアイデンティティという幻想の中にあり…つまりワンネスを破り飛び越えてしまっていて、断片化された世界を創造してしまう。
マインドが健全ならば、それは愛の意識の中にあり、愛に満ちた世界を創造することになる。
アリーナ:ここで、ちょっとプライベートな質問をするわね。あなたは心理セラピストであり、27年間いくつかの診療所を営んできたけれど、あの巨大な「C危機」がやってきたとき、あなたはあなた自身や何よりスタッフに、今後どのような規制が及ぶのかを懸念して、診療所を閉鎖する決断を下して、それまでほぼ500㎡の敷地にある大きな家に住んでいたのに、今後何をどうするのかわからないまま、ほとんどすべてのものを手放したわけだけど…
サンユ:でも知ってる?以前、私はいつも鍵を探しまくっていたでしょう?でも今は、この惑星で私の車の鍵はひとつしか無いのよ。なんという気楽さ!(笑)
アリーナ:それがまたあなたらしいわね。生活基盤のすべてを失ったのに、鍵が減ったって喜ぶなんて。でも、あんな形で自分の生活基盤を手放すよう強要されて、あなたにとってそれはどういうことだった?
サンユ:強要された?(アリーナ:ええ)
ねえ、ちょっとしたゲームをしない?(アリーナ:いいわよ)
私は思春期の娘で、あなたは私の母親ね。
あなたは娘に、自分の人差し指で自分の鼻を触らせたいの。
娘の私はそれを最高に馬鹿馬鹿しいと思っていて…だって子供が思春期になると親ってなんだか変になるのよね。私はそれが嫌で。母親のあなたは云うことを聞かせようと頑張って欲しいの。
アリーナ:わかったわ。
サンユ、人差し指で鼻を触ってご覧なさい、いい子だから。
…サンユ?…ほら、鼻を触ってよ。ねえ、触ってったら。今すぐに!
指図を受けて、うつむくサンユ
しつこく言われて、目をそらすサンユ
サンユ:OK。ちょっと待って。
では、云う通りにしなければ、どうなるの?
アリーナ:4週間テレビ禁止。3ヶ月間外出禁止。次の誕生会は3回なし。それとxボックスも3ヶ月間禁止。
サンユ:ちょっと待って…(上の条件を復唱すると、アリーナが肯定)。
ふーん…(しばらくうつむいて考えてから)
ゆっくりと鼻を触るサンユ
サンユ:エンジェル、(満足そうに微笑むアリーナ)今、決断して行動したのは誰?
アリーナ:あなたね。
サンユ:(頷いて)正解。どこで強要されたのかしら。私がやった。自分の決断。
そしてあなたの質問は、それがCの時期にどのように反映されたのか、ということよね…(しばらく考えて)そうね、アジェンダ2030を取り上げましょう。ワーストケース(最悪の場合)は、信じがたい虐殺があり、生存者は皆バイオロボットに変身。
私はそれ同類のものを自分の中に見いだせるのだろうか?
長く探す必要はない。私も人生の最初の3分の1はお肉を食べていた。たった3センチの口内で味わう喜び。如何なる呵責も感じずに、敢えて…いえ、何も考えてさえいなかった。この3センチの喜びのために、誰かが動物を一生「収容所」で虐待し、苦しませることを容認していた。
ここで誰かが、「サンユ、だって人間とは違って、動物なんだから」って云うかも知れない。それは理解できる。けれど、動物の痛覚は人間と変わらないことも今は知っている。動物も人間と同じように愛情を感じること、そして自分以上に子供に愛情を掛けることも知っている。私にとってその点で、人間と動物の区別がない。やっぱり「感性を持つ存在」。その意味で、それを主義として自分の中に見出すのなら、何に対して私は戦闘をおこなうのだろう。それでも、だからといって私はそのアジェンダに自分を差し出すつもりはない。全くない。どちらかといえば、私はその主義を自分の中に再発見しようと決断し、自分の中で統合しても、今後はマニフェストしなくて良いということになる。これは他のテーマにも繋がってくる。
「お前はクリスマスも大晦日も、家族と過ごしてはいけない」と言われれば「はあ、そうですか。ご説明ありがとう。でも私のつもりは全然違って、当然クリスマスを家族と過ごすために会いに行きます」と言うでしょう。
そう。当時、私はマスク解除証明を発行していたことで、警察との対峙があった。そして、自分の中のどこに“警察”を見いだせるのか、自問した。すぐに明らかになったのは、彼らは「自分たちの世界」、つまり「階層構造と秩序で成り立っている法と規律と義務と権利の世界」を愛しているということ。そして、彼らは自分たちのやり方で、自分たちのツールを自分たちの世界のために駆使する。私は自分のやり方で、自分の世界を、彼らとは違う手段で確保しようとするわけで、そこには当然差異がある。それでも、自分の世界を確保しようとする主義主張を彼らは映し出していた。そこで私は争う必要がない。
私に言えるのは、「ご訪問ありがとう。当然、私は証明書を発行し続けますが、この問題をどう解決しましょうか」ということ。「私は罰金を払わねばならない?なるほど。私がそれを受け入れたいのか、よくかわからないので、様子を見ましょう。私の子供はマスクを着用すべきということですが、何故なのかご説明いただけますか?あなたの見解は興味深いですが、私にとってはそれは全くもって真実ではないし、重要でもありません。私の子供がマスクを着用せずにいられるよう、何でもやります。父兄イニシアチブを設け、動画を構成し、なぜマスク義務に反対なのか説明します。その他の組織に働きかけ、法律家に相談します。これらのすべてに効果がなければ、私は子供を学校には行かせません。そして、あなた方がホームスクーリングをさせたくないのであれば、私たちは国を去ります」。
「あなた方は、私にワクチン接種を受けさせたいのですか?なぜ?絶対にイヤですね。どうしましょうか?私は刑務所行きですか?OK。この転生では私はまだ刑務所に入ったことがないです。では、外からの条件に縛られないで自由に生きるための訓練を喜んでさせてもらいます。それは何時からスタートしますか?」
これらはひと言で言い換えると、「no war(戦争反対)」。
私は繋がり(connected)続けていたい(訳注:高次の自分と)。この、何事もジャッジしないという繋がり(connection)。ドイツ語のUrteil (音:ウルタイル/意味:審判・ジャッジ) という言葉は良く出来ている。Urーというのは原初・オリジナルなものを指し、Teilというのは「部分、分けた一部」と言う意味。原初の段階ではひとつだったものが、意識によって分割されているからジャッジが起きる。
そうして、審判・ジャッジするいかなるものにも、私はエネルギー的に連結しようと思わない。それは私を弱らせるので。
つまり、私は自分自身のエネルギーの中に留まり、そこと繋がり続けます。それは当然「民事不服従」ということになる。だって、私の世界で不正が正義として扱われるのなら、民事不服従とは「愛の行動」だということになり、服従こそが犯罪。私が愛に満ちた抵抗の道を選ぶのは当たり前じゃない?でも、そこには憎しみも分断もなく、戦争も起こらない。
アリーナ:わかったわ。そこにあるのは唯一、愛だけ、ということね。でも、それならばこの世の邪悪はどうなるの?
サンユ:(大きく頷いて)…うーんと。
同様のイメージとして… 「電流」をとってみましょう。ラジオに電流を流すと音が出る。電球に流すと明かりが灯るし、ヒーターを通すと暖を取れる。
このイメージをもって、「愛」という流れを想像すると、権力志向の人の頭に差し込まれたスライドのフィルターを通った結果、その愛は「暴君」という姿で映し出されるかも知れない。
別のフィルター、お金に執着する人のスライドの場合、愛の流れがやって来ると、その先の結果は窃盗犯かもしれない。
3つめのフィルター、3つめのマインドセットであるスライド。それは宗教的…もしくは政治的思想。愛の流れがその意識フィルターを通ると、果には狂信的なテロリストが表現されるのかも知れない。
愛流は、どんなマインドセットによって濾過されるかで、最終的表現の形が異なるだけ
どんなスライドがフィルターになっているかによって、結果は歪み、果には倒錯的なものにまで至る。
だから、いわゆる「邪悪な人物」というのも、自分がやりたいようにやる権利がある…もしくは、それをするのが正しいことになるのかも知れない。…例えば自爆テロ…そうして他人を死の巻き添えにするとか。その者のマインドセットからは、それは正しい行動ということになっているか、もしくは「自分にはその行動を起こす権利がある」とみなされている。
改めていうと、私は彼らを正当化しているのではなくて、心というのはジャッジに興味がなく、ひたすら「理解したいだけ」なのです。
2000年前のベストセラー(訳注:聖書のこと)には「隣人を自分のように愛せよ」とあったけど、私には「隣人を自分自身として愛せよ」と聞こえてくるし、その声から更に「敵を愛せよ」とも聞こえてきた。
そして、ここであなたに質問するけれど、私は「隣人(訳注:原語では「最も近くにいる人)」そして「最も遠くにいる人」を愛すべきだという。では、この最も近距離の人と、最も遠距離の人、これら両者の間のどの辺りに切れ目があるのか?
どういうことかというと、ファウチだとか、ゲイツだとか、ドイツ健康相のラウターバッハだとか、シュワブだとかなんだとか…みんながこの中に含まれている。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」。
では、彼らは何故、知らないのでしょうか?
彼らは、自分たちが何者かを、知らないのです。
自分が永遠の意識体であり、しばしの間、短い体験をするために肉体に宿っているだけなのだ、ということを知らなければ、その無知から苦悩が生み出される。それは、無常のものにしがみつくことであり、死に絶えてゆく儚さへの恐怖がそこにあり、自身をそれと同一視していると、その他の創造物と自分とは分離しているという世界観にあり、そのために利己的考えに陥って、その他の世界と自分との繋がりは絶たれてしまっている。
この世の犯罪のすべては、加害者が被害者と自分を同一視しないことから起こる。
だからこそ、私たちは自分の意識に働きかけ、エゴという意識によって生み出される分離分断を手放し、ワンネスの意識に至ることに価値を置くことになる。
アリーナ:うん…それで、この世の行く先についてのあなたの予見は?終末の世がやってくるのか、それとも新世界の誕生へ向かうのか。
サンユ:…蛹にとっての「この世の終わり」というのは、この世にとっては「蝶の誕生」を迎えること。
私たちは今、本当に自分たちがどのようなプロセスの中の、どの地点にいるのか、わかっているのだろうか。
私にはわからない。
ただ、愛というのは「目的地点」にとらわれてはいない。
想像してみて。今日が月曜日だとして、木曜日にはこの世のすべての核爆弾が投下されるとする。どの島だろうが、逃げ場はない。そこで、あなたの玄関のベルがなり、開けてみると誰もいないので、ドアを締めようとした時、足元の玄関マットには赤ちゃんが寝かされていた。木曜日には世界が崩壊すると知っているあなたは、足元の赤ちゃんを有機ゴミに出すだろうか?それとも、抱き上げて栄養を与え、おむつを換えて愛撫し、木曜日に原爆が落とされたら、自分の身体で赤ん坊を覆い、守ろうとするのだろうか。
それはつまり、愛は「結果とは無関係」だということであり、結果は自ずと現れてくる、それだけのこと。
アリーナ:そう、そういうことなのよね。ありがとう。私は皆さんに、身体的健康について自分の知識をシェアしたいとは思っていますが、その他にすこしでも、感情面、そしてスピリチュアルな側面についても自分が学んだことを、皆さんんにシェア出来ればと思って。
〈2022年秋に開催されたワークショップ・セミナーの紹介〉
サンユ:私たちの核となるものは、永遠に神聖であり続ける、これは全く持って素晴らしいこと。どういうことかというと、私たちの奥深くにある自然は太陽であり、人生において何が起ころうと、この太陽は決して破壊されることはない。この核心は永遠に神聖なまま。
スクリーンに上映されているのはホラー映画だったり、アクション映画だったり、家族ドラマだったり。しかし、上映が終われば、スクリーンは真っ白に戻り、なんの破損もなく、焼き跡もついていない。全く変化はなく、壊されることはない。私たちの内なる太陽(光)とはそういうもの。
人生を歩む中には、転生という観念、つまり別の人生の存在と共鳴することがある。人生は今回一度きりと考える人たちは、スラグのようなものに撒かれている。つまり幻想が玉ねぎのような層になっていて、そうした「概念(コンセプト)」に覆われている。それは分離の意識という誤った知覚であり、傷心、被害者意識にまみれている。
私たちが取り組むべきことは、この覆われた殻を取り外していくこと。
これはミケランジェロの説明に通じるものがある。
「こんな、雑な大理石の塊から、君はどうやってこの世のものとは思えないほど美しい、あのダビデのような姿を掘り出すことが出来るのか」という問に、彼はこう答えた「ダビデは既に大理石の塊の中に居るんだ。私はそれを覆っている余分な部分を取り除いているだけ」。
私たちはみんな、まさにそれをやっている。私たちは、真実ではないものはすべて、幻想として見抜くようになり、時と共に内なる光は自ずとして輝き出してくる。
こうした概念を自覚していくワークは大事。
私たちはあまりにも多くのことを、信じ込んできた。
そしてもしかすると、信じてきたすべてのことが、真実ではなかったのかも。
それで、人類は自分が考えていることを信じてきたために、苦悩してきた。繰り返して言います:もし、私たちがこれまで考えてきたこと、これが嘘であったのなら、これを信じていれば私たちは苦悩することになる。
しかし、素晴らしことに、宇宙は私たちの内部にナビシステム、いわゆる「感情ガイドシステム」を設置してくれた。私の感情は、私にとっての方磁石のようなもので、毎秒の如く私の日常、そして私の人生に寄り添ってくれている。
そして、アインシュタインはこうも言った:「私は神の思考が知りたい。それ以外は二の次だ」。
では、神の思考とは?実際には神は思考をしておらず、存在そのものなだけだけど、イメージとして、神という存在が思考するならば、。それは愛という思考。
もし、私たちが宇宙に漂う愛の思考と一致して振動しているならば常に、私たちは感謝、感激、献身、結束、幸福を感じるはず。
しかし、もし私たちが宇宙の思考と一致して振動していないのならば。即、憤り、悲しみ、失望、傷心…いわゆるネガティブな感情に襲われることになる。
そして、そのようなネガティブな感情が降りてきたときこそ、高次の自分はあなたに向かってサインを送っている:「君は今、君の真実とは共鳴しない振動の仕方をしているよ、戻りなさい」。
私たちはこれを学ぶべき。〈部分的にワークショップの内容紹介〉
アリーナ:締めくくりに、何か私たちに向けて言っておきたいことはあるかしら?
サンユ:アインシュタインの引用だけど、「人は、最初から実現不可能に思えるかどうかで、その思想の良し悪しを見極めることができる。それゆえ私は、希望するすべての人たちとともに、愛の思想、愛に満ちた世界をあえて夢見るのである」
そして、ヴィクトル・ユゴーの引用:その時が訪れたアイデアほど大きな力を持つものはない。そして今、約1万3500の戦争と36億人の死者を経て、ついに愛の時が来た。
安全を守るために自由を放棄すれば、自由も安全も失いかねない。
そして、安全とは港に停泊する船でもある。しかし、船はそのために造られたのではない。
そして今、変化の風が吹くとき、私たちは何を望むのだろうか?
防護壁を作りたいのだろうか?それとも風車を作るのか?
防護壁とは、抵抗すること、コントロールすること、しがみつくことを意味し、風車は手放すことを意味する。
そして時には、自分らしくいられるようにするため、私たちは自分らしさを手放さなければならないこともある。
そして、ケーテ・コルヴィッツ(ドイツの女流版画・彫刻家)はかつてこのように言った:私たちの才能は、使命である。(ドイツ語で才能は「ガーべ」、使命は「アウフガーべ」)
そして、私たちのガーべが誕生時に託されるものならば、今私たちはどうすべきなのか。闇について嘆きたいのか、それとも明かりを灯したいのか、そして、私たちのガーべを昼の光に晒し、大いなる全体に捧げ、私たちが己の道を行くことで愛の意識へと到達することを望んでくれる人たちのために、どんな明かりを灯すのか。
なぜなら、きっと今こそ人類史上最も重要な革命の時代が訪れているのだから。政治革命ではない。経済革命でも、社会革命でもない。
起ころうとしているのは、自己の意識変容。分離のアイデンティティから、愛の愛テンティティへと移行しようとしている。
マハトマ。「偉大なる呼吸」と言う意味。
マハトマはこう言った:「あなたがこの世に見たいと願う変化、あなたがその変化になりなさい」。
彼は、何故そのように言ったのでしょう。
それは、私たちはひとつであり、分離した存在ではないから。
そこにあるのは大きなひとつの意識という大海。
私たちは人間という意識領域の中に、互いに繋がり合いながら集団として存在している。
あなたが成し遂げる如何なること、どんな針穴をあなたがくぐり抜けようと、それは何処かの誰かに何かをもたらし、この誰かも、自分なりの針の穴をくぐり抜けている。
そして、何処かの誰かが自分のためにくウォンタム・リープを成し遂げたとして、それはあなたに跳ね返ってきて、もしかするとあなたは自分にとっての新しいレベルへとジャンプすることになるのかも。
一人は万人のために、万人は一人のために。
そして…危機というものが来るのは大抵、ある種の生き方がもう耐え難くなった時。
そして、問いかけるべきことは「すべての社会には、それ相応の革命が起こる」ということ。そして今、私たちは愛の革命を望むに値しないだろうか?
アリーナ:私はそれにイエスと答えるわ。そして、その道へ向かおうとする誰もを、喜ばしく思う。
サンユ:そして、その道へ向かおうとしない誰かをも、喜ばしく思っていいのよ。彼らが己の道を往き、自分の魂が求める全てを得ていけるよう、願いましょう。
アリーナ:その通りね。私のエンジェル、一千回、感謝を述べさせて。
サンユ:ありがとう。百回分の感謝をお返しするわ。
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わたしのはなし
前は自分には何も無くて此処でしか全てを発散出来なかった。自分を出せるのは此処だけ、文字だけやと思ってたし、自分しか信じられんと思ってたけど今はそんなこと思わなくなった。毎日ご飯を食べられて、友達と遊べて、いっぱい笑えるようになって、働けるようにもなって、自分の好きなものを見つ��られるようになって、陽の光も浴びれるようになって、息がしやすくなって、自分の居場所が少しずつ広がっていって、小さな夢も少しずつ持てるようになって、目の前が明るくなって。 きっとこれは周りの力も必ずあるけれども、自分の力も間違いなくあると思う。
思い出したくない、5年前。まだ制服を着て���たわたしはあることをきっかけに、制服を脱いで部屋の扉と心を完全に閉ざしてしまった。
そこから長い長い日々が始まった。喋れなくなり、全ての感覚が研ぎ澄まされているせいで少しの太陽の光も、少しの音も、からだが受け付けなくなってしまった。ご飯ももちろん受け付けなくなり、口にするものは水や氷など固形物は食べなかった。みるみるうちに痩せ、思考も乏しく、立てなくなった。目の前にあるのは大きな 死 だけだった。死ぬのが正解だと心の底から思っていた。一度家を裸足で飛び出して、車の前に飛び出たりそんなこともした。
もちろんこの状態を見ていた家族など周りは、必死にどうにかしようとしてくれていた。今なら分かるけどあの頃は、ただただ邪魔だった。食べれないのに毎日ラップして置いてあるご飯も、行かないのにいつも手紙を送ってくる学校も、なにもかもが邪魔で、こんなことも出来ない。と逆に自分で自分を殺し続け失望する日々だった。
そんな日は続き、病院に行くことになった。何も喋らない私、心配そうに見つめる母親、次から次へと質問を投げかけてくる主治医、待合室で待つ父親。目の前がぐるぐる回って、もうなにがなにか分からんくなった。恐怖 それしか頭になかった。そこから薬での治療が始まった。色んな薬を試した、副作用も決して楽ではなかった。ソワソワして夜中外を歩き回ったりもした、テンションが上がって何度も何度もピアスを開けたりした。それでもなんとか薬を変えたり、陽の光をできるだけ見るようにしたり、ご飯を少しずつ食べるようにした。歩けるようになった、話せるようになった。学校にも誰にも合わない時間に行けるようになった。少し状態がマシになった。
そこから良くなっていくと思っていたけれど、現実は神様はそんな甘くなかった。身内の不幸事が重なり、家族が少しバラバラになった。下で怒鳴り声が聴こえた日も少なくなかった。その度に私は震える身体を抱きしめては枕に顔を埋めて泣いた。呼吸困難も何度もなった。パニック障害になった。家にいることもしんどくなった自分は同じ境遇の人を探した、最初は話があってひとりじゃないと思ったけど、相手の悩みも自分の悩みとしてカウントされて、相手を救えないもどかしさと悔しさに腹が立ち、自分を傷つけるようになった。相手が思う自分を変えてはならないと思い、完璧に演じるようになった。乖離性障害になった。
もう死にたくてたまらなくて逃げたくて弱い私は、ついにドラッグに頼るようになった。幻覚と幻聴に耐えれなくて、ドラッグ。何度か吐血することもあった。意識が朧で車に轢かれかけたこともあった。薬物が自分を保てるものになっていた。正気でいられるモノになってしまっていた。自傷数え切れないくらい自分を殺した。死ぬ場所を見つけに、真夏の夜中から朝までそこらじゅうを練り歩いたこともあった。そしてついに閉鎖病棟に入院することになった。
真っ白な病室には、ベッドひとつ。テレビもなければ携帯もない。煙草も吸えない。自傷する恐れがあるとのことでペンすらも許可が出ないと使えなかった。お風呂も時間制。外に出るのもなにをするにも知らせなくちゃいけない。部屋にある防犯カメラをずっと見ていた。病棟には様々な患者さんがいた。アルコール依存、認知症、ドラッグ依存。ここで生活していたら余計自分は腐っていく。そう感じた。そこから少しずつ 当たり前 といわれる生活をできるように努力した。
退院。ここから出られるという気持ちもあったが、不安の方が圧倒大きかった。次、希死念慮に襲われたら本当に死んでしまうんじゃないかと思っていた。隔離がなくなった今、自由になってしまった私は不安だった。
退院した後も、前のリズムを崩さないように努力した。毎朝散歩はしたし、食事も取るようにした。でも夜には勝てなかった。孤独な夜は考えることが多すぎた。わたしには耐えられなかった。自分を傷付ける行為が自分の中での発散方法に変わった。それでも毎日生きようと必死になっていた。時には死にたくてたまらなかったけれど、何度も救急車で運ばれたけれど、心の中のどこかでくたばりたくないと思った自分が居たんだろう。
そこから色々また薬を変えた。そして好きなことを見つけたりするようになった、本を前より沢山読むようになった、絵を描くようになった。そしてずっと彫りたかったタトゥーを彫った。そこから確実に腕に傷をつけることは減っていった。だんだん見えてくる世界も変わってきて、自分の好きな場所に足を踏み入れることで、関わってくれるひとたちも変わっていった。自分の好きな物を素直に好きと言えて、共有できる。そんな場所が増えて自分らしくいられるようになった。
大まかだけど、わたしには闇に葬りたいくらいの過去がある。でも今はそれを愛おしいとも思えるくらいになった。全く恥ずかしいと思わない。この経験がないと気づけない事が沢山あったと思う。死んでたかもしれないしドラッグ漬けだったかもしれない。わたしは今、幸せだ。たまに泣いたりそんなときもあるけど、人間してるな〜と感じれるようになった。どんな感情もどんな自分も認められるようになった。無理に繕わなくなった。腕の傷もお酒や、天気が悪いと浮かんだり疼くが目立つことなく消えていっている。
わたしは、当たり前 の難しさを知っているから他人にそれを強要しないし、当たり前 という言葉が大嫌い。普通や当たり前というのはある意味異常だ。それと同時に 普通 という言葉も大嫌い。普通という言葉の意味は死ぬまで分からないと思う。あまり分かろうとも思わないが。
過去の方が、identityがあったなあと悲しくなっていたが、tumblrを見返したら思ってることが今と変わらなくて嬉しくなった。わたしの芯は変わってないと確認できた。あの頃の苦しみが文章に現れていて、人間臭くて、美しいとも感じられるようになった。
わたしはわたし。簡単に私のことをわかって欲しくない。
我儘で自己中な文章。それでもその裏にあるモノをみたら見方が変わってくる。きっとそれは何事もそう。本質を見極めたらきっと見えるものも変わってくる、わたしは表面上だけで見るんじゃなくて、本質を見るということを心掛けてる。
あの頃から5年経った今、わたしはまだ通院、服薬をしているが全く違う自分になれている。病気も治るわけではないけれど、受け入れることで病状が悪くならないでいるんだと思う。受け入れるのに5年強もかかった。だからみんな焦らなくていい、大丈夫 。何年かかってもいいから、
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chirumiru equiusのそんなに中身のない制作裏話
ちょうど半年かけて新作動画を投稿したので、過去に投稿してたchirumiru equiusのオーディオコメンタリーもどきをやります
・構想
動画を作るきっかけは基本的に「このジャンルでこれが見たいから」が大半です
今回は特にそうで、「十数年続いてるコンテンツでチルミルのパロディねえのおかしいだろ…」と思いエクィウスとチルミルの親和性も高かったので作りました
・本編
内容は元動画を踏襲しつつちゃんとオリジナルの要素も入れました
元動画そのままだとhomestuck側の原作要素とかみ合わないところもありますからね…
0:09~ ここは正直悩みました 翻訳が無い英語原作のキャラに日本語をしゃべらせるとか難しすぎる…
こことは別のブログで進めてる非公式翻訳もまだエクィウス出てない頃だったかな?昔エクィウスが出てるところまであったらしいですが、そっちでは(なぜか)ござる口調で翻訳されてたっぽいので一人称や語尾などのキャラの解釈に関わりそうなところを省きつつ、元動画に近いものにしました
0:18~ THIS IS STUPID(迫真)homestuckでコンビニパロをしている動画にこんな注意書きがしてあったのでそれを勝手にリスペクトしました ニコニコ動画にGB素材があって助かった
0:28~ 踊るエクィウスは単体を並べたものをGB素材にしたものと動く背景をそれぞれ個別で作りました
元気だお~という歌詞で出てくる面子は仲の良いネペタ+メジャーなトロールを適当にチョイスしたものです アーサーは地味に大ちゃんコスをさせています
0:47~ 幽々子と西行妖はテレジに、咲夜はアラディアにしました ちょうど原作でビンタされるシチュがあったのと、時のメイドつながりです 服装も咲夜コスです
0:50~ ダークリアーぽいですがこれはダークリアーの衣装を着たエクィウスです 一瞬だけ出るテキストはストライフにしました
0:51~ エクィウスみたいな強いキャラが簡単にボコボコにされたり返り討ちに合うわけがないので、パロディ動画を作るうえで色々悩んだ場面の一つです
元動画にあったロックオンの演出を入れた方が良いと思ったのでこの形にしました エンコードしたものを見たら良い動きになっていたのでお気に入りです
どうして弓が折れるとロボが爆発するのかはわかりません 多分自爆でもしたんでしょう
0:54~ うまい言い回しが思いつかなかったので半公式ネタのham steakを採用
0:56~ ここも、先述の通りエクィウスを返り討ちにするかつ元動画と近いシチュエーションのアイデアを出せる気がしなかったのでオリジナルの要素を入れました
シチュ的にはエクィウスのハイブにカーカットがや��てきて特訓をしており、エクィウスが見守っている→カーカットがロボを倒す→ハイタッチをしたところ力が強すぎて吹き飛ばされてしまう、という流れを想定しています
この二人ってあんまり絡み無い気がしますがネペタを吹っ飛ばすのはよろしくない気がしたのでカーカットにしました(無慈悲)
吹き飛ばされたカーカットを追いかけるエクィウスの動きは割と元動画っぽくできたんじゃないでしょうか
1:01~ 最強のフォントが貧弱すぎるがどうしようもなかった 背景は外国人4コマのパロディです 9が沢山出てくる演出は難しかったので某氏が配布していた赤黄色パカパカ素材を使用しました 保存しててよかった♡
1:05~ 原作ネタです 思いついた時はしっくりくるのが見つかって嬉しかった
カーテンも原作っぽくしました
1:08~ 人選はガムジーがポーションを売りつけるシーンから連想しました テレビショッピングの英訳をしばらく探し回りました うまく伝わってるだろうか…
1:10~ ここの絵を描くとき通話で「どうして原作者のケツでかく描かなあかんねん」とか言ってた
後ろに流れてる○○ランキングのテキストはしばらく悩み「これどうせ誰も読まないだろうしルイズコピペでいいよな…?」と思い、同じく通話中でこれルイズコピペでいいよね?と(homestuck知らん友人に)話を振ったところそれでいこう!となりました
化学式的なアレはいて座の星座です
1:13~ ここのゲーム風の絵が一番最後に描いた絵だった気がする
1:23~ 編集時、ここからしばらくしたところまで先に出来上がっていたのでwipをTwitterに投稿しました
ざっくりしすぎてるけど折れた弓の残骸です いくら力入れて描こうが一瞬しか出ないんだからこんなもんでいいんだよこんなもんで!
1:26~ ここの一枚絵すごくお気に入りです 直後に入るギャグとのいいギャップになってるのではないでしょうか
シチュは最終決戦のシーンをイメージしています ミーナとカーカットのすぐ後ろにメイドエクィウスがいてくれて助かりました
1:29~ 手描きアニメのシーンは思ったよりうまくできました 地味に目の下のクマを描き忘れていますがこの動画では作画ミスどころか絵柄がところどころ違うまで通常運転なので気にしないでください
俺のターン!は通じるか怪しいのでゆっくりしていってね!に置き換えました(これも通じるか怪しいけど) そしてミエルファ&ネクタンの推しコンビをねじ込んで登場させることに成功しました やったね!
1:39~ 人選は���んかそれっぽい人々にしました 後ろに橙がいたはずですが作画の都��上入りきらないのでネペタの顔文字で代用しました
1:39~ エクィウスの衣装をメイド服にしました 通話でメイド服とチルノコスどっちがいい?と聞いたらメイド服って言われたので… 作画が結構綺麗にできたと思います
表情も地味にひきつった笑顔から満面の笑みになっています
元気だお~で出てくるキャラの人選はネペタはそのまま、誰も牛乳を飲もうとしない人々をチョイス
1:57~ homestuckの原作そのままにするとエクィウスが死んで終わるブラックジョークすぎる結末になるのでカナヤに来てもらいました
飛んでくるときの軌道は某フリゲの作業配信から見て学びました が、もうちょっと自分に技術があったらもうちょっとうまくできたかも…
2:02~ ブルーチームの面子です 元動画では5人しかいないのでエクィウスの真上に一人追加する形でアラディアを入れました
制作の流れは完全に行き当たりばったりで作りました
制作期間は2か月です 多分手描き動画は最速でこれが限界
構想、作画、編集すべて「やりたいところや簡単なところから先にやる」というスタイルです(後々地獄を見ます)
先に作れそうなシーンの構想だけしているので、後々しっくりくるネタ探しで時間をとられるという事があまりにも多すぎました
作画中に他のまだ演出の詳細が固まってないシーンのネタ出しをするなんてこともしばしば…
結果、4/13の記念日に投稿するチャンスを逃しました これは翌年も同じでした
この次に作る動画から先に演出やネタ、必要な素材をすべて書き出して頭から順にきっちり作るスタイルに変更しました(なお最近作った動画はそれで半年かかりましたが…)
この方向転換により、とりあえず「作画や編集がゲロ面倒くさい(略してゲロメン)」ということ以外で作業中詰むことが無くなりました 多分!!
・その後
投稿当初はそんなに…という感じでしたが、すぐにめっちゃバズってる神絵師からコメントが来て見つけていただけたり、投稿した翌年の記念日に超爆伸びしました
中でも「とある動画クリエイターさんにコメントを貰う」ということを遠い遠い将来の目標としていたのがあっさり一年越しに達成されてしまったのは衝撃でした 通知来てびっくりした…
チャンネル登録者も、この動画だけで少なくとも現在70人以上増えたことになっています(これきっかけに登録してくれた人たち変な白ハゲのコンテンツばっか投稿してすまんな……)
とりあえず結果はどうであれ頑張った結果「2022年のhomestuckファンダムに手描き動画が投稿される」「おそらく日本人初のhomestuckファン動画が生まれる」ということに繋がったので、頑張って作って本当に良かったと思います
この動画をきっかけにSNSで繋がることができた原作ファンの方もいましたし(ありがとうございます)
次回作のネタは溜まっていますがしばらくの間動画制作はこりごりなので、真面目に翻訳やら他のプロジェクトを再開しようと思います
ここまで読んでいただきありがとうございました
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日頃の自分たちの頑張りを労って家族旅行を企画した。因みに豊田道倫がパラダイス・ガラージ(PARADISE GARAGE)名義で1995年にTIME BOMBから発表した不朽の名作『ROCK'N'ROLL 1500』には「家族旅行」という美しい曲が収録されている。
(名曲「家族旅行」は29:48あたりから聴ける)
タラウマラの定休日にあたる第3木曜日に出発するので、自ずと息子たちは小学校をズル休み。担任の先生も「楽しんでおいでや」と快く我が子の背中を押してくれた。向かった先は播州赤穂、6月に鳥羽に旅行した際、ホテルの大浴場で言葉を交わした同じ年頃の子を持つお父さんが「赤穂も良かったですよ」と教えてくれて、それを聞いた息子たちは以降ずっと「行きたい行きたい」と言っていた。ほなみんなで旅行貯金するぞってことで、この数ヶ月それぞれに頑張ってきた。親は親、子は子で楽しみや目的はあるものの、こうして親子で共有できる目標があることは幸せだと思う。和太鼓やスケボーや日々のお絵描きもそう、将来それが何かに結実することを望んでいる訳ではなくて、ただひたすらに「いま」が大事なんです。大切な「いま」を共有するために、子どもに学校を休ませる親もいる。もっと大きく言えば「世の中にはいろんな人間がいる」ということを息子たちにも伝えていきたいだけ。休むからにはやらないといけないことも多々ある訳で、安易な正攻法なんてものはどこにも転がっていない。だだっ広い敷地面積を有する赤穂海浜公園にはノスタルジーを刺激する遊具やアトラクションがいくつもあって、息子たちは大喜び。恐らくは未就学児を対象としているであろうそれらの遊具にしおんもともねも夢中だ。ふたりともめちゃくちゃに良い笑顔。パンクだなんだと偉そうなこと言うてたくせに結局はお前も綺麗事かよ、と一笑に付されるかもしれないが、この笑顔のためなら何だってできるような気がする。ふたり乗りの珍奇自転車を楽しそうに漕いでいる我が子の姿を見て、親バカながら少し泣く。どこにでもいる年の近い兄弟、そんな息子たちだって毎日、何かしらストラグルしていることを少なからず知っているから。
物心ついたときから、長男しおんは次男ともねのことをとても大切にしていて、保育園の友人たちにも自分はさておき、弟のことを褒めたり自慢したりする感じだった。「ともね、凄いやろ!」が口癖で、自分の友人にも弟のことをいつも得意気に紹介していた。やがてふたりとも小学生になり、ともねは次男特有の器量の良さで周囲を魅了し、しおんにとっては明確な比較対象となった。何をやっても「弟に劣る兄」とまわりからイジられ、やがてしおんの同級生がともねだけを遊びに誘い出すようになる。それでもしばらくは「ともね、行っておいでーや」と送り出すしおんだったが、3年生になった頃、遂に感情を爆発させた。「俺はともねが嫌いや。俺の真似ばっかりすんな」そう叫んで学校で暴れてしまうことになる。その日を境にしおんは教室で授業を受けずに、会議室でリモート授業を受けていた。それでも学校に行きたくないとは決して言わない。自宅でも兄弟喧嘩を繰り返しつつ、なんだかんだで仲良く遊んでいた。そんなふたりが、近所のゲームセンターでクレーンゲームをしていた日のこと。次々に目当てのものをゲットしていくともねに反して、しおんは失敗を重ねてとうとうゲームセンターの閉店時間まで何ひとつとして商品を掬い上げることができなかった。しおんは家族のそばから離れて柱の影で、ひとり悔し涙を流していた。それを見兼ねたスタッフのお姉さんが「お兄ちゃん、諦めたらあかんよ。最後にもう一回チャレンジしてみて」と言って、閉店作業の手を止めて、なんとクレーンゲームのぬいぐるみをほんの少しだけ取りやすい位置に移動させてくれたのだ。その場にいる全員が固唾を飲むなか、しおんは無事にぬいぐるみをゲット。みんな声を上げて喜んだ。お姉さんも目に涙を浮かべて喜んでくれた。しおんは消え入りそうな小さな声で、ありがとうございますと言い、お姉さんに頭を下げていた。帰りの道中、ともねは「やっぱりともの方が何でも上手いよな!奇跡やんな」とハッスルしていた。兄弟には親にもわからない兄弟なりの想いがあるのだと強く感じた僕は、2023年の春に『ほんまのきもち』という小説を書いた。あれは息子たちの気持ちを代弁したものではなく「見るもの」と「語るもの」の狭間に横たわる絶え間ない葛藤を、自分なりに掬い上げたものに過ぎない。だから物語の核心となる「俺」が学童の担任教師に抱えられてはじめて感情を吐露する場面では、その気持ちを言語化することを意識的に避けた。そのような作品に『ほんまのきもち』というタイトルを付けるなんて些か捻くれすぎかとも思ったが、それ自体がそもそも僕の「ほんまのきもち」なのだからどうしようもない。
(https://wdsounds.jp/ca40/4300/p0-r-s/で購入可)
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世界樹の迷宮の二次創作の設定集
設定ばっかりたまっていくけど、今日のうちに投げとくよ
・世界樹の迷宮とは?
2007年に第1作が発売された3DダンジョンRPGで、ダンジョン探索に全振りしたゲームだよ
5人で1パーティとなるキャラクターを設定し、あとは5階ごとにフロアの装飾が変わる過酷な地下迷宮をひたすら探索するゲームで、町の人や先輩冒険者との会話以外特にストーリーもないゲームだからパーティー間の会話や関係性は妄想し放題だよ
今年6月にSwitchでリメイク版が出たから購入したけど、過酷すぎて全然進まないよ
特徴はマップを自分で描く作業があることなんだけど、Switch版だとオートマッピングができるので少しハードルが低いよ
でも扉とか階段とかは自分でアイコン置かなくちゃ記録できないよ
・キャラクターの設定って?
1個の職業ごとに5種類の立ち絵が用意されていて、立ち絵に職業制限はないから、名前と職業と立ち絵を決めればいいよ
・元ネタがわかりやすすぎる
それはごめんやで
そのものずばりの名前つけてた人フォロワーにいたから私もやってみようと思って
・本文
クソ長いので次のリンクの下から行ってね
役職:ソードマン(マンって言い方気に食わねえな、ソードマスターとか言えないのか?)
名前:メイユイ
別名:ハオラン(旧名)
年齢:18歳
GI:トランス女性
身長:170cm
体重:62kg
性格
非常に好奇心が強く突拍子もないことをしたり言ったりしがちだが、基本的には泰然自若としていて、パーティーのリーダーにふさわしい器をしている。わりと平気な顔をして死地に突っ込んでいくところがあるので、旧知の仲であるクリストフとアーリフの心労は絶えない。シエロから一方的に「主人」としてみなされており、ビャッコからも「将来が楽しみネ」と言われている
個性
ごくゆるいオムニロマンティック/オムニセクシャルで男性とみなした人に恋愛/性愛的な関心を抱くことが多かったが、勇敢だが落ち着いてさわやかな人物なので、男装時代は女性との交際経験が多く、男性とはまだ交際したことがない。
特技
パーティー一の怪力でクリストフをもしのぐ火力がある。
能力・スキル
得物は斧や剣を使うことが多く、斧による高火力の攻撃が決め手となることが多い
見た目
茶色いロングヘアを後ろで三つ編みにしていて、額をすっきりと出している。細身で筋肉質。この世界で言うアジア系のルックスをしている。
生い立ち
古い武家の次男の「ハオラン」として生まれたメイユイは、武芸の稽古こそ楽しんではいたが、自分が「男」であることには強い違和感を感じていた。幼い日のこと、「君が女子だからと言って僕が手加減したらそれこそ君に失礼だろう」と神学校の同級生のアーリフに勝負を挑まれた際に言われたこの言葉で、「彼女」は自分のアイデンティティがやっとわかった。それから「彼女」の本当の自分を手にするための冒険が始まる。
背景
兄より武芸に秀でていたので家督を継げないことを惜しまれてはいたが、性別違和を形にできた後は本人は兄には悪いが安堵を覚えている。見抜いたアーリフの次に相談したのは担任であったクリストフ。クリストフに相談しながら周囲や家族に性別違和を伝え、今回の旅立ちの許可に至った。
その他
「本当の自分を取り戻す秘術」は現実世界で言う性別適合手術を魔法でやるというもの。現実の手術と同様に負担が大きいのでやはり健康な人にしかできず、費用も高額である。保険がない世界なので。
役職:メディック
名前:アーリフ
年齢:18歳
GI:シス男性
身長:173cm
体重:65kg
性格
パーティーの中で一二を争う高い倫理観を持つストイックな人物で、困っている人を見ると放っておけない青年。それは彼が移民の女性カップルの養子であり、ゲイであることもだいぶ関係していると考えられる。けがや病気の治療にあたるメディックで腕を磨いている最中だが、治療の途中に「自分を大事にするように」と説教をしてしまいがち。
個性
自分の民族的ルーツはわからず、生まれたばかりで教会に預けられたところを移民の女性同士のカップルに育てられたシス男性のゲイで、ママたちからは無理しないでいいと言われていたが成長期の終わりとともにヴィーガンを始めた。
特技
特技は料理。ヴィーガンを達成するのに必須のスキル。得意料理はダール(豆)カレー。ってか動物性食品のコクにかわってスパイスで味に変化をつけるので大体料理が香りが強く辛い。シエロが辛いのが苦手なので料理をあまり食べてくれないのが悩み。
能力・スキル
けがや病気の治療が職業で、けがをしたときは彼に頼めば回復薬を使うより効率が良い。ただ命は大事に!と説教はされる。食材探しも兼ねているので、ダンジョン内の採集も得意。
見た目
イメージは南米ルーツの白人とアフリカ系黒人のミックス。肌は薄めの褐色で髪がカーリーヘアではない。これは立ち絵の都合。これまた立ち絵の都合で重装備になっているが、「回復役が倒れてはならない」という責任感で重装備をしていることにした。実際努力家でトレーニングもしていて力も結構強いほう。
生い立ち
所得に余裕はなかったが息子にちゃんとした教育を施してやりたいと思ったママたちは彼を比較的学費の安い神学校に入れる。幼い日に神学校に入ったばかりのころにメイユイ(その頃は「ハオラン」と名乗らされていたが)にライバル宣言をしたが、その流れで「彼女」が女性であると見抜く。以降二人は親友兼ライバルになり、メイユイの「本当の自分を取り戻す」旅にまで一緒に出ることになるわけだが。
背景
この世界は結婚にかんしてあまり手続きがちゃんとしていないので同性カップルが肩身の狭い思いをすることはないが、みんな平等に過酷な環境で生きているので、結婚のメリット自体が二人で所得を得られることと家事や育児を分担できること以外あんまりない
役職:パラディン
名前:クリストフ
別名:神父様
年齢:40歳
GI:シス男性
身長:190cm
体重:80kg
性格
やや潔癖なきらいのある高潔な人物。もともと神父をしていた関係で神学校の教師をしていたが、教会の教義にずっと疑問を持っていたのが耐えられなくなり、聖騎士の資格を取り教会をやめた。年下からモテがちで、若い女性から迫られたら非常に慎重に対応するが、男性および男性に見える者に迫られてしまうとガードが緩くなってしまう。
個性
博識かつ逞しい偉丈夫で凛々しく堂々とした人物。教会にはずっと隠していたが、バイセクシャル/バイロマンティックで、10代のころに男性の恋人がいた。しかし教会に入るために別れることを選んでしまい、それをずっと悔やんでいる。その後女性と結婚はしたが、その時の後悔が漏れ出てしまい、長期間の話し合いの末婚姻は解消した。子供はいないが子どもの未来を守りたい気持ちがあったので神学校の教師になった。が教義を教えるのが辛くなり、クィアの生徒たちも何かを感じ取ったのか自分を頼って相談してくれるようになり、やはり教会の教義に従うことはできないと思い、今度は聖騎士としてクィアの生徒たちと旅に出ることにした。
特技
アーリフほどは凝らないが料理ができる。シエロは好き嫌いが非常に多いが、クリストフの作った料理は食べられるものが比較的多い。料理を教えるのももともと教師だったのでうまい。しかしメイユイは素晴らしい生徒だったが料理だけは教えても全然うまくならない。クリストフによると、たぶん力の加減ができていないとのこと。ゆうてクリストフも自分一人分の飯を作るときはキャベツ引き裂いたり骨を素手で砕いたりはする。
能力・スキル
パーティーメンバーをかばうのが本職。立派な体格であり鍛錬も欠かさないので力もかなり強い(クリストフよりメイユイが火力があるのは彼女がとんでもない怪力だから)。簡単な回復の術も使える。
見た目
多くの人がイメージがしやすい白人の偉丈夫。背が高くがっしりとしていて、着やせしているが特に上半身が立派。髪は色が薄めの栗毛で、鼻が大きい。それゆえシエロからは「あのツラとガタイだろ?神父様はきっとアソコも立派だぜ」とド失礼なことを言われている。
生い立ち
彼自身はごく普通の家庭の出身と思ってはいるが、彼の家より苦しい状況の人はかなりいるという感じ。教会の運営に入り、教会を訪れる人と教会で働く者たちの状況があまりにも違うことに気が付きまずそこから教会への違和感を感じた。実は少年のころ今と変わらない姿のビャッコと出会っていて、世話も多少焼かれているが、本人はうっすらとしか覚えていない。
背景
この世界の教会は現実のカトリック教会に近い教義であり、やはり同性愛や妊娠中絶には厳しい。現実のカトリック教会ほど力を持っていないが、葬儀などは行うし、現実社会で言う公的機関の機能の一部も担っていて、学校などを運営していたりする。もちろん他の経営母体の学校もある。
役職:ダークハンター
名前:シエロ
別名:自称「悪魔」
年齢:非公開
性別:人間の定義で言うとノンバイナリー(本人曰く、「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」)
身長:180cm
体重:65kg
性格
冒険者ギルドに来たメイユイ・アーリフ・クリストフにビャッコとともに声をかけてきた。彼女たちに声をかけ、旅の動機を聞くと、メイユイを「勇者サマ」と呼び、気に入ったから一方的についていくと宣言する。下品で乱暴で欲望に正直、人を小バカにした態度を取りがちで、この世界の常識と規範を常にバカにしくさっているが、常識を疑い規範に抗う人間への協力は惜しまないと公言している。クリストフのことをメイユイたちに倣い「神父サマ」と呼んでいて、よく「誘惑」している。
個性
「悪魔」を名乗っていて、常識や規範をかなり厳しく罵倒するが、それは人間が自分以外の生物を搾取するようなものに対してである。本当に悪魔かどうかはわからないが、人を誘惑して重要情報を聞いたり、差別的な輩をだましてひどい目に遭わせたりするのはよくやる。「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」とパンセクシュアル/パンロマンティックを公言していて、自分の性別もバイナリーな表現をされると激昂する。性的に奔放だが、「器がデカい奴としか本気で寝ない」「性別気にしない奴がみんな俺みたいにすぐ誘ってくる奴ばかりじゃないのは知ってるぜ」などと言っている。器がデカい人物に惹かれると公言する通り、大物になりそうなメイユイとすでに立派な人物のクリストフが大好きなことを隠さず、愛でたり誘惑したりしている。しかし、アーリフもちょっかいをかけられており、純朴な彼はいちいちこいつの挙動に悩まされている。
特技
戦闘上では搦手を得意としており、得物は鞭が基本、剣も使える。鞭により対象の動きを制限したり状態異常にしたりといった搦手でじわじわといたぶるのを好む。実は鞭の必殺技が設定上すべてのスキルの中で最も火力が高く、その名も「エクスタシー」。
能力・スキル
戦闘以外では情報集めが得意で、町で単独行動した後に情報を持ち帰ってくるが、どうやらワンナイトでの「遊び」も兼ねている様子。ただ、基本的にその時にターゲットにしているのは一流の冒険者や組織で権力がある者である。「器がデカい奴としか寝ない」と言っているが、大人に寛容な対応をしてもらうとそういう形で「お礼」をしてしまおうとしがちであり、過去の厳しい経験があるだろうと推測されている。
見た目
ボサボサの銀髪にアーリフよりだいぶ濃い褐色の肌で、瞳は黄色っぽい。悪魔の力を使うときに瞳孔が横になりヤギっぽい目になる。普段は男性表象寄りで素肌にファーのついた上着を着ているという暑いんだか寒いんだかわからない格好をしている。腹筋が割れているのは痩せ気味のせい。外見年齢は20代半ば。悪魔の力で少し見た目を変えることができるらしいが、「続きはベッドで教えてやるよ♡」とのこと。
生い立ち
「悪魔」を名乗るまでの経歴は秘匿されているが、最初は人間として生まれ、幼いころはかなり厳しい環境で育ったらしい。絶望に沈みすべてを呪っていたらある日「悪魔」が現れて契約をして力を手に入れたとのこと。「悪魔」としての考え方はそいつから学んだらしく、「悪魔ってのは人間の欲望を肯定することで生まれた存在だから、基本的には人間の味方なんだぜ、だから悪魔はルールを押し付けて罰したりしないだろ?だから俺も悪魔らしく『人間』の誇りを取り戻そうとしてる勇者サマについていくわけだ」と言っている。自身の性別に関しては悪魔と契約する前からもともと男女二極でとらえてほしくないと感じていた。
背景
舞台となるエトリアは小さい街で迷宮探索目的の冒険者でにぎわっていて今は景気がいいが、エトリア以外の集落は規模や治安も様々で、格差の状況も様々。シエロは大きい城塞都市の非常に治安の悪い地区の生まれで特に格差が目立つところの浮浪児だった。過去の王の失政により大量の失職者、家を失った者、親に捨てられた子供たちが生まれていて、シエロは親も知らずそこで育った。シエロがエトリアの話を聞いたのは、悪魔と契約した後に誘惑したエトリア帰りの冒険者の寝物語が初めてだった。エトリアの情報を集めていくうちに、シエロの中で「悪魔がこんなところでくすぶっていてはいけない」という思いが大きくなり、拠点をエトリアに移し、自分が従うにふさわしい人間を狙うことにしたのだった。
その他
パーティーで一番の小食なので、メイユイと外食(ってかデート)した際にお互いに大盛と小盛を頼んであとで交換しましょうかと言われたが、「いや、そのままで行こうぜ、人目なんか気にするのは俺達らしくないだろ」とそのままメイユイは大盛を頼み、シエロは小盛を頼んだ。
役職:アルケミスト
名前:ビャッコ
別名:彼女の出身国での表記は「白狐」
年齢:???
性別:シス女性(人間ではない)
身長:172cm
体重:非公開
性格
シエロとペアを組んでメイユイたちに声をかけてきたアルケミスト。メイユイのことを気に入り「勇者ちゃん」と呼び、シエロと同時に彼女たちについていくことを表明する。大柄な中年男性のクリストフのことをなぜか「クリスくん」と呼ぶ。シエロと結構長いこと組んでいて、頻回に寝てもいるが、全然特別な感情はなく、大体の人間を変なあだ名で呼ぶ彼女だがシエロのことは「シエロ君」と変なあだ名もつけずに呼ぶ。
個性
はるか昔に遠い島国から移り住んできた「妖(あやかし)」で、狐の姿を持っている。アロロマンティック/アロセクシュアルのレズビアンで、メイユイがこれから施術を受けようとしているトランス女性であることも理解したうえでメイユイのことを愛しているが、年の差がありすぎるので一歩引いている。先に書いたように人外となったシエロとは冒険上のバディ兼欲望をぶつけ合うパートナーだが、回復ができる仲間がおらず、痛みを伴う激しいプレイができずにいた。
特技
博覧強記であり、速読でありながら読んだ内容も人間とはかけ離れたレベルで記憶できる。クリストフも人間としてはインテリではあるがそれとはレベルが違う。また食べる量が自由にコントロールでき、食料に困ったときは食べなくても生きられる。しかし本当はたくさん食べるのが好き。
能力・スキル
この世界には錬金術があり、それを活用して属性攻撃を行うのがアルケミストであるが、妖術を得意としていたビャッコの能力が解析された結果もそれに等しいものである。特に火属性の妖術に長けている。
見た目
金色のストレートヘアと涼やかな一重の目元の妙齢の女性の姿をしている。とんでもない長い時間生きていて見た目が変わらないので住むところを転々としていたが、冒険者はその状況にあっていてやりやすいようだ。エトリアでよくみられるアルケミストの服装に合わせて、両手に仰々しい籠手を付けている。
生い立ち
はるか昔から人の営みを見守ってきていて、実は世界樹の成立を知って興味を惹かれてエトリアの近辺に移り住み、世界樹についてずっと調査を続けている。世界樹が広がるときに多くの人間が犠牲になったのを悼み、その弔いのつもりで何回も世界樹の迷宮に挑んだが、そのたびに人間の仲間を失ってきた。やっと出会えた人間ではない仲間はずいぶん変な奴だが、そいつと今も一緒にいる理由は、そいつの信念に沿った人間こそがこの状況を打破してくれると信じられたから。
背景
ビャッコは途方もない長い時間世界樹の研究を続けているのだが、何せ彼女も社会的な状況もあって正体を明かすことができないので、せめて何世代も続けて書いてきたというていで世界樹の秘密を書物にしたいと考えている。実は幼いころのクリストフに勉学の楽しさを教えたのはビャッコ。姿を変えてないのがバレるとまずいのでクリストフの記憶をいじってその辺をあいまいにしている。
役職:レンジャー
名前:シータ
年齢:35歳
性別:シス女性
身長:158cm
体重:「なんで聞くのよ…」
性格
シータはエトリアから離れた川のそばの大きな国で夫とともに戦士として国に仕えていた。しかし、夫は獣討伐の任務の際に命を落としてしまう。夫に先立たれた際にその国の風習により夫を火葬する火の中に飛び込むことを強制されたが、幼い娘を連れて逃げてエトリアまでやってきた。普段は戦士としての冷徹さがありながらも男尊女卑が厳しい国で抑圧されてきたため遠慮がちであるが、いざとなったら上記のことをやり遂げるほどの胆力がある。
個性
夫のことは当時は好きなはずと思っていたが、国を出たことでその国に凝り固まった価値観を知り、それゆえに夫すらも視野が狭かったと思っている。実は誰にも言っていないが夫の前に交際していた男性が何人かいる。国の法律でばれたら拷問されるからずっと隠してはいたが。冒険者になったのは娘の養育費用のためで、自分が夫の後を追えば娘の生活を保障してやると国に言われてはいたが、自分に対してそのような扱いをする国のことが信用できなかった。娘には自分のように強制された職業ではなく好きなことをやらせてやりたいと思っている。
特技
非常に高い視力を持っている弓の名手。弓の名手であることが知られたがゆえに王宮に連れてこられ、そこで夫となる若い兵士と出会った。我慢強く育てられていて、食事にこだわりもないので長期間の野営もお手の物。こだわりがないゆえに別に料理上手というわけではないが、毎日毎日毎日毎日食事を作ることに苦痛を感じない。こだわりがなく自分と家族の生存に必要な作業としかとらえていないので。
能力・スキル
弓は命中率が相当高く、とどめの他足止めにも使える。また野営が得意なので迷宮内での素材集めも得意。
見た目
あまりカールしていない黒髪と褐色肌で割と肌が出た衣服をまとっている。エトリアではバード(吟遊詩人)のような衣服ととられやすい。肌が出た衣服は国の戦士だった頃から来ていた。任務に出ていない時は国でつけていた金属製の飾りをよく装着している。
生い立ち
河のそばの国の小さい村の出身で、その村出身の革命家となる父の指導で戦闘訓練が行われていた。その中で弓の才能が見いだされたのがシータである。父らの激しい戦いで祖国は植民地化を免れたが、父はその戦いで犠牲になってしまった。父が守ってくれた祖国に尽くすことこそが自分の生きる道と思ったが、子を迎え、夫の死後の自分や子供に対する国の扱いのひどさを知り、これからは自分と娘のために生きようと思った。それから彼女の人生が新たに始まったのだった。
背景
元ネタはRRRが入っていてそこは大丈夫なのか心配になる。
今いるキャラはこのくらいで、今のところシータさん以外で旅しています。シータさんは採集パにしたほうがいいかもしれませんが、彼女は戦士なので、戦いたいかもしれません。
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P3 Club Book pages 29-30 scan and transcription.
タルタロスの 不思議な ダンジョン
第1階層 : 世俗の庭テベル
第2階層 : 奇顔の庭アルカ
第3階層 : 無骨の庭ヤバザ
第4階層 : 豪奢の庭ツイア
第5階層 : 焦炎の庭ハラバ
第6階層 : 憂鬱の庭アダマ
第7階層 : 王居エレス
深層モナド
通常の影時間にも使われた影時間プラー。暗緑色ににじんでボヤける感じが禍々しい。
太陽の輝きが眩しい画面効果、ペルソナフレア。季節によって輝き具合が違ったりする。
Qタルタロスの不思議なデザインが大好きです。どこかの名画で見たような気もするのですが、タルタロスのデザインモチーフは?
美 名画というのは正しいな。デザイナー副島氏の希望で、タルタロスのテーマは、不可思議な空間、シュールレアリズムの要素を取り込む、というものとなった。そこで、オランダの画家マウリッツ・コルネリス・エッシャーや、イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの作品のテイストを積極的に盛り込んだのだ。
天 各階層の名前が聞きなれないんですが、あれも何か神話から?
ア 肯定であります。ユダヤ教の世界観・死生観にある、7つに分かれた地上世界をそれぞれ示す名でありますね。モナドも同じくユダヤ教で、あらゆるものの構成要素「1なるもの」を意味する言葉であります。
順 あれ?モナド以外の階層って6つしかねえよな?7つの地上世界じゃひとつ余るぜ?
真 ニュクス・アバターと戦う直前の屋上みたいなフロアがあるだろ。あそこが第7層、王居エレスだ。
美 それ以外の各階層の、デザインコンセプトも聞いてきた。コメントを引用させてもらおう。
○第1階層
世俗の庭テベル
学校の雰囲気を残しつつ影時間の要素を入れて構成しました。隠し階層の深層モナドは1階層と同じくタルタロスの低い位置にある階層で、同じく学校のイメージを大きく残した階層になっています。
○第2階層
奇顔の庭アルカ
表面的な恐怖を出してみようと思い、デザインをしました。床の模様に騙し絵が仕込んであり、ある方向から見るとドクロに、反対から見ると天使に見えるようになっています。ケルトゴシックの建築やギーガーの歌などの要素で構成しました。
○第3階層
無骨の庭ヤバザ
エッシャーの騙し絵にある。昇り階段がいつのまにか下りになっているという不思議な感じを出そうとデザインした階層。辻褄が合わない様子を3Dモデルへ入れるのに苦労しました。壁の模様や、階段に見えるスロープなどに騙し絵の要素が入れてあり、結果的に今作のテーマが一番濃く出た階層になったと思っています。
○第4階層
豪奢の庭ツイア
欲の塊、ということで金色のダンジョンに。物語も中盤を越えて盛り上がってきているので、それにあわせてゴージャスな階層にしようと思い、宝箱の中身よりも豪華な素材でできている階層、と思って作成しました。
○第5階層
焦炎の庭ハラバ
混沌とした雰囲気を出したいと思いサイケデリック、螺旋模様をコンセプトに。終盤になり、ここまでの階層と変化が出るように抽象的なモチーフで構成しました。また次の第6階層へ入った時に大きな変化が出るようにと、黒い空間にしています。
○第6階層
憂鬱の庭アダマ
最後の決戦を前にして、無駄な物が無い状態にしようと思いました。壁や床に刻まれている溝は天の川や、宇宙、大気の流れを表現しており、ゴッホの描いた『星月夜』という夜空の絵の雰囲気を参考にしました。基本色調が白いのは、決戦を前に白装束という意味合いも含めています。
順 へー、色々考えてるなー。
美 タルタロスに関してはもうひとつ、「影時間ブラー」と呼ばれる特殊効果の存在が大きいな。これは影時間に常に使われているもので、 画面端がゆらゆら揺れるように見える。
ゆ そうそう、あれ実際に中を歩いてると、気持ち悪いんだよね~。
風 そういえば、色々な画面効果があちこちで効果的に使われていますよね。私は昼間の眩しい日差しのエフェクトが好き。
美 それは「ペルソナフレア」と呼ばれる特殊効果だ。スタッフ会心の力作らしいぞ。
ア あんびりーばぶる、であります。
美 アイギス、私のセリフを取るんじゃない······。
真 さて、まだ細々とした質問が残っているな。どんどん片付けるぞ。
Q今回、戦闘シーンが かなりコミカルなんですが、どうして?
美 たしかに、総攻撃の際の演出はやり過ぎだろうと思ったが。慣れると、あれはあれで面白い。
風 ほかの部分もそうですが、今までのシリーズと違う新しいことをやろう、という意欲が強く出ているのが、この戦闘シーンですよね。テーマは、「とにかく生き生きと楽しそうに!」だったそうです。
順 生き生きってのは、マジでうまく表現できてるよな。コマンド入力待ちのときに、オレらがちょろちょろうろつく動きがあるじゃん か?アレ、けっこう処理が大変らしいんだけど、無理して入れた仕様らしいぜ。
天 楽しそうといえば、武器のデザインも面白いのが多いですよね。骨とかバス停とか。
真 あのグラブを装備させられたときは死にたくなったぞ······。ただ、本当はあの倍ぐらいのモデルが作られていたらしいが、事情があって未使用らしい。機会があれば、残りも見てみたいものだな。
順 できれば防具のグラフィックも変われば······ああ、男の夢、ハイレグアーマー······。
Qストレガのタカヤの剣青は、何か意味があるの?
順 おーい、チドリ。あの露出癖のある兄ちゃん呼んできてくれよー。
タ 誰が露出癖ですか、誰が。あれは失敗サンプルの証--烙印を飾るためのものです。
順 烙印?何だそりゃ?
ジ ペルソナ制御ができんヤツの肌にはな、暴走するペルソナの力が溢れて文様みたいなもんが浮かびあがるんや。タカヤの刺青の中心は、刺青やなくてその文様や。ホンマは、あんまり人には見せたないもんやけどな。せやから、ちょっとぐらい暑くても、露出がない服着とるんや。
順 げっ······マジ?あ!じゃあもしかしてチドリにもその文様が?だからいつも、あんなゴテゴテした服······?
チ これは趣味。
順 あ······そ、そう?
Qアイギスの姉妹機について話だけ出てきますが、具体的には?
ア 詳細は機密に抵触するため言えないのでありますが、試作1号機からわたしに至るまで、10機前後が開発されました。最初は、まさしくただの戦車だったであります。人型となったのは、わたしの前に作られた数欄にとどまり、さらにペルソナ召喚を可能にする核--黄昏の羽が搭載されているのは、わたしを含め、たった3機であります。ただ、わたし以外の2機は、10年前に起動する前に破壊されてしまいましたが······。
タカヤのタトゥー
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『TAR/ター』
カリスマ指揮者が見ている世界。かっこいいケイト様を期待して観にいくとボコボコにされます
(長いので目次)※ネタバレ注意
鑑賞直後の感想
不安を煽る「音」たち
傲慢さが招く破滅
すべてが幻想だったのか?
1. 鑑賞直後の感想
??????分からん…何…!?ひたすらリディア視点の世界だけを観たって感じ。映画が最後に近づくにつれて「みんなが憧れるカリスマ指揮者リディア・ター」の姿がどんどん崩れていって、怖かった。ぐったりしてしまった。
『ビューティフル・マインド』 を見たときの感覚に似てる。「本人はやばい自覚ないけど危険な方向に走って行ってる」みたいな感覚。リディアはあの映画の主人公みたいに統合失調症じゃないけど、指揮者としての自分の実力に自信過剰になって、傲慢さが増していった。
泣く準備万端で行ったのに全然ハンカチ使わなかった。私の感受性の問題なのかな…。映画見る前は、その音楽を洗練させていくことに重きを置いた映画だと思ってたのね。でも、なんか、何だろう、この映画内では、指揮者っていうのはあくまで作品構成要素のひとつでしかなくて、リディア・ターっていう人物の人生の苦難を描きましたよ って感じだった。公式サイトで、トッド・フィールド監���は「子供の頃に何が何でも自分の夢を叶えると誓うが、夢が叶った途端、悪夢に転じるというキャラクターについてずっと考えていた」と語っていた。『セッション』とも違うもんなあ。最後に演奏が完成されるわけじゃない。あれは完成に至るまでの苦しみを描いているけど、『ター』では完成した後それが崩れ落ちていくって感じ。いま人生の絶頂にいるからこそ、もうそれ以上にはなれない。だんだんと周りからの信頼が崩れていって、成長が見えなくなって、あとは落ちていくしかないという雰囲気が怖かった。
2. 不安を煽る「音」たち
この映画では音がかなり大事な要素だなと感じた。「熟睡できることが少ない」って言ってたように、リディアは音にとても敏感。家の中でふと聞こえてきた音やリズムを無意識のうちに復唱したり、ピアノのメロディにおこしたり。生活しづらそうだな~。神経質な人の世界ってこんな感じかな、と思った。
冒頭の生徒たちに指揮や演奏について講義をしているシーンでは、生徒役の方の貧乏ゆすりの演技がすごかった。足を揺らすときの衣擦れの音がすごく耳に入ってきて不快で、なんで周りの生徒は気にしてなないんだろうと思ってたんだけど、あれってリディアの耳に聞こえる音を私たちに聞かせていたのか!ホールで講義をしているはずなのに、リディアの声よりも貧乏ゆすりの音の方がよく聞こえてたと思う。あれは音に敏感なリディアの感覚を味わっていたのだと思う。
リディアに辞めさせられた副指揮者のペンをカチカチ鳴らす癖もそう。周りからしたら気にも留めない音でも、リディアにとっては不快な雑音。周りの人々とリディアとの感覚の違い、周りに理解してもらえない天才が故の苦しみをこの「音」で表していた。
3. 傲慢さが招く破滅
主人公のリディアはレズビアンであることを公表しており、パートナーは演奏者として一緒に働いている。同性婚をして子供を持ち、初の女性指揮者として成功し、自立しており、多様性の時代に先駆ける先進的な人物のように見える。でも、実は全くそうとも言えない。「多様性」という言葉をバカにしたり、生徒がバッハを女性差別者だと言ったことに反論したり、女性への門戸開放のために設立した財団を男性も入れるようにしようと言い出したり。リディアは割と旧世代的な考え方の人なのではと思った。
LGBTQや女性差別、ジェンダーロールの破壊といった今の映画の流行りを取り入れつつも、そうした要素を持っているリディアが実はミソジニー的な振る舞いをしたり自分が正しいと思い込んでしまったり。リディアは性的マイノリティへの差別に対して立ち向かっていくべきだと考えているし、それをそんなに大変なことだと捉えていない気がする。だからいまいちパートナーにも寄り添えないというか。「反骨心にあふれた自分がかっこいい」と思っているふしさえある。リディアは指揮者として成功して地位があったからとは考えておらず、自分の性格や実力のおかげでそうしたものを解決したと思っている。そこがリディアの傲慢さかなと思った。
レズビアンだからって多様性に必ずしも理解があるわけでもない、こういう人もいるよって言われている気分だった。トランスジェンダーの女性施設利用やジェンダーレストイレなどが最近話題になっているけど、この映画ではLGBTQがすべて正しく先進的だという認識に待ったをかけているとも思った。
観ていてうわっと思ったのは、リディアが楽団の中で若い女性をひいきし始めて、好意を抱きつつも相手にされないシーン。冒頭では美しくキラキラしたリディアの姿ばかり見ていたからこそ、中年おじさんが若い女性におかしなアプローチをかけているのを見てしまった時のような恥ずかしさを感じた。成功し続け、周りにもてはやされてきたから生まれてしまったズレた自信が空回りしているみたいな…。なんか、観ていてすごく恥ずかしかった。このシーン観たあとクリスタの告発について知ると、本当にクリスタに振られた腹いせに攻撃したのかもしれないと思ってしまった。リディア視点でそこの真否について描かれていないということは、本当にやってたのかも。
天才が故に、主人公のリディアは魅力ある人物だが敵を作りやすい性格でもある。はじめは彼女のカリスマ性の方が際立ってて気づかないんだけど、言葉選びとか相手と話すときの態度や姿勢、問題解決の強引さとかを見ているとだんだん「あ、この人ちょっと…」ってなるタイプの。
いじめをしていた子供に忠告するシーンもそう。「私は大人だから、誰もあなたの言うことは信じない」って台詞、怖すぎ…。子供を叱るというよりも、脅しや言葉の暴力で相手をねじふせている。平和的な解決じゃないんだ。他の人との関わり方がちょっと雑というか、自分の力で全部解決しようとする。だからパートナーにも告発されたことを相談できない。
あと、幻覚を見て転んだせいでできた顔の傷を「男に襲われた」と嘘をついたシーン。なんでそんな嘘をつくんだと思っていたけど、あらためてリディアの性格を考えるとこの嘘も彼女のプライドの高さからなのかなと思った。幻覚を見て転んだなんて、弱さでしかない。パートナーにも知られたくない。自分から孤独になりに行ってるんだよなあ。
4. すべてが幻想だったのか?
映画は全体として音、音、音で溢れていて、音に神経質な人の世界ってこんな感じなんだと思った。
メトロノームが夜中に鳴り出したり、子供が夜「足を持って」と言って怯えたりするシーンは「自殺したクリスタの幽霊がいるのかも」となんとなく思わせるけれど、鑑賞側に何が起こっているのかをはっきりとは示してくれない。クリスタの姿も現れないし、幽霊のしわざなのかリディアの夢なのか鑑賞側に教えてくれない。 何が起きているのか、私たち観る側が全部自分で考えなきゃいけない。説明してくれない。マネージャーも結局帰ってこないし、告発された後どういう結果になったのかも明確にわからないし、いつの間にか離婚してるし。全部言葉にしないよね。何が起こったとか何が起こってるとか全然教えてくれない。だからそれが怖い。この映画は観ている間ずっと不安で、本当にこれは現実?リディアの幻覚なの?ってぞわぞわさせてくる。私が今まで観ていた映画って、視聴者側にだいぶ親切に説明してくれるものばかりだったんだと思った。この映画を観ているときの漠然とした不安感って多分それが理由じゃないかなあ。夜見たからかマイナスな感想ばかりになってるのかもしれない。ずっと破滅に向かっているようなしんどさがある。朝見たら感想もちょっと違ってたのかなあ。
最期のコンサートは衝撃だった。観客は全員民族衣装っぽいおかしな恰好をしてて、コンサートなのにそれを台無しにするナレーション付き。しかもリディア本人はヘッドフォンをつけての指揮…。あのこだわりの強いリディアからしたら考えられない。そこまで落ちてしまったんだ、というたショック。そうまでしても指揮者であり続けようとする姿には確かに狂気なのかも。
本当に実在する人物の話なのかと思うくらい、ストーリーが生々しくて演技も凄かった。ケイト・ブランシェットの苦悩する姿がリアルで怖くてちびるかと思った。最後までざわざわした不安感が続くし、正直観ていてしんどいストーリーではあるけど、自分で考えなきゃいけない余白が多くて面白かった。
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推しカプモエモエ四コマ漫画を描くぞ
可能な限り手を抜いて四コマ漫画を描きたい!
描こう!!
いやそもそも「推しカプモエモエ四コマ」って?
とりあえず推しカプがダベる景色の4コマ漫画です。
この記事は二次創作を前提にしています。
なのでこの記事も二次創作でお送りしています。そうだよ。
そもそもそも、漫画とは?
絵があってセリフがあれば全部漫画です。
ハードルが下がりましたか?
そうだと良いなと祈っています。
〜必要なモノ〜
・絵を描ける端末
アナログでもいいが手を抜きにくいので今回は非推奨です
……デジタルかんたん4コマ作業ちっぷすは望まれたらまた作ろうかと思います……
・推しの資料
原作ゲームなり原作漫画なり、アニメスクショなり
数は多ければ多いだけいい
おわり!
じゃあもうあとやるだけだ!!
じゃあ実際にやってみよう。
◎推しの可愛い所を箇条書きにしよう
とりあえず推し一人のカワイイ所書き出そう。
資料を見つつ推しのカワイイところを見つけよう。
箇条書きで構いません。
カワイイところ!だけでなくてもいい。
疑問とかでもいい
嫌だな……と思う所でもいい
例:犬で言ったら1歳半、早川アキくん
・ウサちゃんりんごを作るのでかわいい(カワイイ)
・お前のその頭どうなってるんだ(疑問)
・空っぽで悲しい(かなしい)
この作業はいくらやっても楽しいですね。
記事のために絵をたくさん描きましたが、文字でOKです。
ザックリかつ箇条書きでOKなので、移動中とか仕事が辛い時とかにもパパッとやれちゃうかなと思います。
◎片割れの反応を想像しよう
先ほど決めた「カワイイポイント」を目撃してしまった片割れの反応です。
例:早川アキVS天使の悪魔
・ウサちゃんりんごを作るのでかわいい
→多分天使は「かわいい」とは言わないな…
「この切れ込みにどんな意味があるんだ…」ってなるな…
・お前のその頭どうなってるんだ
→これはそのまま思っても良い…
髪の毛ちゃんと乾かすだろうにその頭はおかしいだろと思う。
・空っぽで悲しい
→「生きてて楽しい?」くらいは思ってるのでは?希死念慮があるから…
この作業もいくらやっても楽しいですね!!
…なのですが、あんまり「推しの反応が想像できない…何言うか分からん…」という事もあるかと思います。
最悪セリフとか書かんでも…ええでよ…
全部「窓越しに推しがなんかやってるのを見てるだけ」の4コマとかだったらセリフとか書かなくても済みますね、やったー!
コトバでごまかせないので、そこそこ画力は要求されるかもしれない。 あっ!「モブ視点推しカプ観察日記」でもいいんじゃないでしょうか!
◎この中から一番描きやすそうなモノを選ぼう。
今回はウサちゃんりんごかな〜
◎ほぼ完成です。
じゃあネームを描こう!
もう!?
もう。
黄金レシピ置いときます。
これは「基本系」に過ぎないので、各々臨機応変に対応してください。
・1コマ目
上記見つけた「カワポ」を描写するコマ
もしくは状況説明。
今回は「状況説明」にしました。
このコマでやりたかった事は
「お昼ご飯を食べようとしているシーン」+「リンゴが出てくるキッカケ」です。
・2コマ目
1コマ目を状況説明に使った場合の予備
もしくは目撃する片割れ
「カワポ」の描写です。
早川くんがウサギさんリンゴをくれました。かわいいですね。
…絵的には「キャラ描いとけばいい」という感じじゃない図で、少し難しそうですが、
このコマでの必須事項は「ウサギさんリンゴが映ればいい」ので、お膝の上のタッパーとか描かなくても良かった。
・3コマ目
カワイイポイントへのツッコミ
文字通りなのでとくに解説などもないです!
ツッコミが2つもあって(「ウサギの意味は…?」と「いうほどウサギか…?」で…)うるさいかもしれない。
でもなんかウッカリしてたら絵がちっちゃくなったので、まあいいか…と思った。
・4コマ目
それに対するカワイイ行動を行ったものの反応等
ツッコミに対する反応
4コマ漫画の4コマ目って緊張しますよね。
でも「大オチ!!!!」とかあまり意識しないでいいんですよ!
なぜなら…これは推しカプモエモエ4コマなのだから…
大モエ・コマにしたらいいんです!!
何の疑問も抱かず、手にある全てのリンゴをウサちゃんにしてしまう空っぽの推しかわいいですね…
…いや「大モエ」とかも意識しなくていいです。
出来たァ!
えっ!こんだけ!?
こんだけです。
いやいや…まだネームだし…
と思ったかもしれないが、後はもう、下書きしないでもいいし、
ペン入れなくてもいいし、トーンも貼らなくてもいい。
好きなトコで終了にしてください。
お疲れさまでした。今日も推しは可愛かったですね。
◎って言うけどネームむずいんだけど!?
それはそう。
なのでいくつか「コレやればある程度成立するよ構図」を置いておきます。
・メイン発言者斜め向き+ツッコミ側の後頭部。
この世の4コマの5割はこれで成立する。
・斜め向き顔面アップ
1本に1個くらいはやってもいい。
重要な表情や発言が続く時はもっとやってもいい。
・横(顔)
重要な発言の時はメッチャアップの横顔でもいいですね。
「喋っている事」が重要とされるコマ→口元がはっきり描ける横顔、という理屈だと思います。
他にも正面だと難しい動作はもう横にしよう。
飲み物を飲んでいる仕草とか、歩いてる所とか…
正面から描きたくねえもの…そんなもの…
◎さらに上を目指そうというのですか!?
この項目は「4コマ漫画の描き方くらい知ってらあ」という方向けの 「こうするとメリハリがつくかも」ポイントです。
4コマはコマが小さいので、感情表現オーバー気味な方が読みやすいです。
何をオーバーにしてくか…というちっぷすを挙げます。
・大きい動作をさせよう
ビックリしたら飛び上がって、慌てたら分身させて、落ち込んだら地底を見つめさせ…
推しはそんな事やらん!?
そう…………
・表情もクルクル変えさせよう。
悲しかったら目を潤ませ、嬉しかったら目を光らせ…
「普通の顔」をしている瞬間なんて1個も無くて良い…
そういうキャラもいます。
漫符も使おう。
推しはそうならん!?
そう……………………………
私はよく、表情はそのままで、周りに花を散らしたりさせてます。
かわいっ!
推しはそうならん!?
そうだが!??!
・身振り手振り
手を描く事からはなるべく逃げない方がいい。
手で出せる感情ってかなりあるので…
考えてる時は顎下に手を置かせ、閃いたらパチンと鳴らさせ、
困っている時は腕を組ませ、ビックリした時は指をガオ〜ッとさせ…
上記の「オーバーリアクション」で解釈違いを起すキャラには本当に有効です。
手がない子は知らないです…袖でも振ってみてください…
4コマはコマが小さいので顔面描いて終わりになっちゃいやすいので、顔面に位置的に近い手なら気軽に混ぜ込めますし、
そうやって情報量と表情を補足してあげると目に優しいのかなと思います。
あとは、ずっと会話劇になっちゃう人や
ずっと顔ばっかになっちゃう人向けちっぷすです
・動作を増やそう。
「なにもやってない」と単調なので何かやらそう。
ただ喋ってるだけのシーンでも、「飲み物飲みながら」にするだけで、
「じゃあ蓋を開ける動作をする必要があるな」とか
「ゆげをフーっとするシーンもあっていいか…」と仕草の広がりが産まれる。
定番は「食べる」「飲む」「歩く」辺りでしょうか。
喋っている場所ごと工夫してもいいかもしれません。
学校の屋上とか定番ですが、広い景色を描きやすい事と、風が強そうという、演出的使い勝手のよさがあります。
3ページ(6本/24コマ)もずっとブランコに乗せて喋るだけの漫画や、
1話まるまる(17本/68コマ)お風呂で喋らせていただけでギリギリ成立させた私を信じて欲しい。
ブランコはモノを食べさせることで解決を図りました。
お風呂は電話をしていましたが、正直マジでキツかった。
何でこんな事したの?
・思い切って足とか描こう。
4コマ漫画は基本的に上半身のショットばかりで絵がダレます。
これは4コマじゃない漫画セオリーですが、
場所移動をした場合、地面か天井が入っているコマを入れると場所説明が一瞬で終わるのでオススメ!
…ですが、4コマで場所説明とか超だるいですよね。
足のカットだけとか入れちゃってもええよ…
推しカプの靴や足のサイズくらいみんな見分けられるでしょうし…
わかるね!!!!!
足、絵がダレる事から一瞬で救ってくれます。
4コマ漫画!楽しいよ!
結局推しカプモエモエ4コマ漫画の良さというのは、読む側、描く側双方の気軽さだと思います。
(推しカプモエモエ4コマではない、連続したストーリーのある4コマの場合は、
少なくとも描く側の「気軽さ」は徐々になくなりますが、今回はそこには触らない事にします)
なので可能な限り肩の力を抜いてやっていきましょう!!!!
一番大事な気持ちは 「推しカプが 会話をしたら 可愛いな」です。
それを記す事を楽しみましょう!!
ねっ!!楽しいから!!ほら!!!!!
ねっ!!!!!
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『荒野の夢拾い』イベントの感想(ネタばれあり)
※ゲーム内画像:私のスクリーンショット
『荒野の夢拾い』イベントが始まると知った時、本当に嬉しかった。
アンドルーがこれまでに出たイベントは、全員参加のものを除けば3周年記念(グローバル版)とCOAⅥ(Ⅳに巡路人もいるけど…実装してください!)。この2つのイベントでの役割はまさかの朗読あり・動画ありでとても嬉しかった。豪華で充分満足している。
けれど、その活躍を見た後でも、やっぱり季節イベントでの活躍も見たいと思っていた。
季節イベントは、季節の催しと共にキャラクターの価値観が伺えて、趣がありとても好きだ。第五人格は基本的にシリアスな世界観なので、気分転換になる。そんなイベントに大好きなキャラが参加する姿を想像しただけでわくわくする。そのうえアンドルーはゲームでの詳細や他キャラクターとの関わりがなかなか明かされなかったので、ますます公式の描くアンドルー・クレスを渇望していた。
常に何らかのイベントに出ますように……と祈っていた。今年も例年と同じく、あわよくば植樹節イベントに出てますように……と祈っていた。何気なくチェックしたTLで祈りが現実になったと知った時は夢かと思った。イベントのメインなうえに頭に葉っぱが乗っている。頭に葉っぱが乗っている(重要)。私は緑色や植物モチーフが好きなので、植樹節イベントは特に好きなイベントだった。本当の本当に嬉しかった。(↓浮かれて撮った写真)
しかし、イベントが始まるまでに喜びが落ち着いて疑いの気持ちが高まってきた。本当にアンドルーがイベントのメインになることがあるのか?実は人気者のペット化した3匹がメインのお話なのでは?等々。
でも今なら断言できる。アンドルーは間違いなくこの物語の主人公だった。
荒れた昼夜の世界を延々と歩き続けるアンドルー。
入手できるスタンプやアイコン、家具のモチーフ(それらのテキストまでも!)どれもがアンドルーの憧憬を表していた。イベントに入れば男の影が見えたという記述だけで喜び、本人が言葉を発しただけで喋った!!!とはしゃぐ。タスククリアでヒントが解除されることに気付かず湖景村から一生出られないのでは?という恐怖もまた思い出だと思った(後で無事クリアできた。)あまりの供給に囲まれすぎて放心状態が続いた。
しかし、最初は会えたことに喜びを感じたものの、一日ごとに少しずつ世界の背景が明らかになり、これまでの植樹節イベントと違い少しも緑が増えないことに不安を感じた。徐々に植物ノートも埋まっていく。色々知りたいけど同時に終わりに近づいていると考えると嫌で、少し怖かった。アンドルーが咳き込む様子や食糧・水も手に入らない世界を見て、最後はどうなってしまうんだろうと心配だった。
『これが枝から落ちた最後の葉でないことを祈る。』
衣装テキストは、O・ヘンリーの『最後の一葉』を彷彿とさせた。原作を読んだことはない。ただ、病人が窓の外の枯れ葉を見つめて、あの最後の葉が散るとき私の命も終わると言った……というくだりだけは知っていた。
この荒れはてた世界で独りぼっちの『枯れ葉』なアンドルー。どう考えても最後の一葉じゃないかと思った。日に日に弱る様子や改善されない過酷な世界を見せつけられて、『あれ』(おそらくイチハツの種)への執着と最期へのほのめかしがあって。そんな決まりきった現実の前で『そうでないことを祈る』だなんて、どうしてそんな皮肉めいたことを言うんですか?(これだから第五人格は……)
そう考えているうちに7日目が訪れた。アンドルーはイチハツの種を見つけてしまった。先日の砂糖缶を思い出して、今度は落胆しませんようにと思った。喜ぶ姿を見ることができても、素直に喜べなかった。イチハツの種と共に永久の眠りについてしまうことを考えると怖かった。
しかし、そんな心配をよそにアンドルーは思い直したような口ぶりで話し出した。今の大地は種を植える価値もないと。この嵐が自分を呑み込むまで行くと。そして再びイベント画面で、あの変わらない荒野を歩き続けた。
正直初めはぽかんとしてしまった。アンドルーが生き続けた。それは嬉しいことだけど、本人の願いは完全に叶っていなくて、しかしアイリスの種は見つかって…………
これまでのイベントとは違い、7日目の日が過ぎても大地には一つも芽吹かなかった。相変わらず暗い荒野をアンドルーは歩いている。
悪意に溢れた世界、闇夜、孤独、叶わぬ願い……本編とさほど変わらないラストにやりきれなさを覚えた。
それなのに、何も好転していない世界だというのに、自暴自棄にもならずイチハツ(アイリス)を――希望という花言葉を持つものを――抱いて歩み続けるというのか。
こういう人なのか、アンドルー・クレスは。
このイベントをきっかけに『最後の一葉』を読んでみた。あのくだりの後には続きがあった。
最後の枯れ葉が2晩の嵐に負けず奇跡的に留まり続ける姿を見て、病人は考えを改め病状は回復した。しかしその葉は、病人の事情を知った知人の老画家が嵐の中壁に描いた精密な絵の枯れ葉だったのだ。そして画家は無理が祟ったために病人と同じ病に掛かり、命を落とす。
嵐の中でも残り続けた最後の一葉。
それを見て生き続けることを決めた病人。
アンドルーにとっては不本意な選択だったかもしれないけれど、死への歩みを生きる方へと変えた姿が重なった。
『何かが、あの最後の葉を散らないようにして、 わたしが何て悪いことを思っていたか教えてくれたのね。』
何も知らない病人はそう言い、病と闘う身体を起こして明日への支度を始めた。しかしその「何か」は神秘的な超常現象ではなく、紛れもなく人から人への思いやりだったように思う。
灰色ウサギさんから白ウサギさんへ。白ウサギさんからアンドルーへと希望が託されたように。
冒頭に目覚め、アンドルー・クレスが話しかけた『お前』がどんな人物かは明かされなかった。もし私たちプレイヤーに語りかけていたのだとしたら、そのことに意味があったように思う。大地が不毛であり続け、希望のイチハツを探すたった一人の人間であったアンドルーが『枯れ葉』という名前だったことにも。私たちにそれを眺める日々があったことも。
私たちプレイヤーはラストの後どうするのだろう。避難所へ行き地上を忘れた生活を送るのか、あの場で立ち尽くすのか、それとも。
私たちプレイヤーに呼び名があるとしたら何だったのだろう。他人の僅かな安らぎを奪いただ生き延びる虫けらか、安穏とした環境でペットのように外のことをよく知らず生きてしまった動物たちか、もしくは。
あの切ないラストを見て、アンドルーを地上で最後の植物、希望を持つ最後の一人にしてしまうかどうかを私たちに委ねられているように思えてしまった。だから私は、プレイヤーも一枚の葉となれるのではないか、と思う。アンドルーが夢見たような青空と、緑の大地と、イチハツの花畑が輝く世界を信じて希望を持つ葉に。そのために必要なのは――戦争にしてもその後の生き方にしても――やはり『他人への思いやり』なのかもしれない。
アンドルー、他にもきっとあなたと同じ事を願う人たちがいるはずだから。
それで、そんな人たちが増えれば豊かな緑が帰ってくるはずだから。
そうしてあなたを取り巻くものが黒く濁るものたちでなく柔らかな緑となった時、最後の一葉でなくなった時に、豊かな大地にイチハツの種を植えてほしい。そして咲いた花々を見守って穏やかに眠れる日が来てほしい。
なんて素朴で難しい夢なんだろうか。
あなたの夢はいつもそうだ。
でもどうか、いつの日か叶いますように。
〈おわりに〉
・日没衣装の胸元がドリームキャッチャーだったの思い出して顔がクシャクシャになりました 夢を胸に抱き続け彷徨う人……
・奇跡的に夢が叶って青い空!緑の大地!!イチハツの花々!!!ができたとしてもアンドルーの体質だとその風景を暗がりから覗くことしかできないのでは?え?悲しい
・『3カ月探し続けた』というのがやけに具体的で意味ありげに思える。でも何を意味するかどこと繋がるのか分かりません。助けて……
・守り抜いていた研究所が実は……という雰囲気。でも具体的に実は何をしていた、というのが分からない。
→イチハツの種の資料を漁っていた時に見つけた奇妙な薬とは?「私」の予想とは?消えた灰色ウサギ(エミリー)、彼女が残した種とどんな繋がりが?
→ベトナム戦争に使われた枯葉剤もふと頭に浮かんだけれど確証はない。
容器の色から虹枯葉剤と呼ばれたとか?日本と違って虹の色は6色だけど……(アイリスは虹へと変わり……)(イチハツは花弁が6……)
・ログボの星座の文章がとても意味ありげで不穏だなと思いました。人間の成長を思い起こさせるような気も…?
・第七次大絶滅、完全にフィクションかと思っていたら現実でも大絶滅は既に5回起こっていてて、人類の環境破壊により6回目が起こりそうなんですね。6はあまりに近すぎるから7にしたのかな……未来の話として託されたのかな。
・こちらの方が翻訳された『最後の一枚の葉』を読みました。ありがとうございます。
https://www.hyuki.com/trans/leaf.html
・このたった二週間のイベントに歴史、植物学、アンドルーの背景推理や人となりが色々凝縮されてるなーと思いました。凝縮されすぎてて言いたいことがうまくまとまりません。あれこれ書きましたが……
毎度のことながら濃いイベントをありがとう。
来年の植樹節イベントはどんな内容でしょうね。全く別の舞台かもしれないし、もしかしたら続編かもしれない。今回のお話はあまりにも寂しすぎた(じゃなきゃこんな幸せを願う感想文書きません。)
次はもう少し賑やかで、誰かの幸せが叶えばいいなと思う。
ありがとう第五人格。これだから第五人格は……
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目を逸らさずに、立ち向かえ
L'événement @ Rectangle Productions 他
Directed by Audrey Diwan
執拗に観客を主人公と同化させようと試みる作品というものがある。やり方を間違えると白けるだけだが、本作は難なく成功している。スタンダードサイズの画面、彼女を追って周りがボケているピントの合わせ方。これら技術的な面も手伝っていることも確かだが、何よりとある「病気」が自分の身に降りかかるという状況が有無を言わせず全ての人間に当事者意識を植え付ける。彼女のバックグラウンドや、選択、考え方、仕草を気に入る気に入らないといった、通常主人公を批判的に見る隙を観客に与えることはない。観客は始めから彼女の肉体に囚われ、逃げることができない。
病気と書いたが、それは主人公が言うところの「女だけがかかる病気」「主婦になるという病」、すなわち妊娠である。大学生の主人公 Anamaria Vartolomei は予期せぬ妊娠に直面し、これでは文学あるいは国語の教師になりたいという夢を諦めなければならなず、自分の人生を捨てなければならない危機に見舞われる。しかし 1963年当時フランスでは中絶は違法であり、彼女を助けることができる真っ当な方法は存在しない。彼女は、アンダーグラウンドの中絶手術を求めることとなる。
冒頭の授業で詩の授業が行われている。読まれているのは戦争を描いた Louis Aragon の詩 « Elsa au miroir » である。
教授が Vartolomei に質問する。「この手法をなんと言いますか?」 « Une Anaphore » 「首句反復」と答える彼女。単語の響き、アンシェヌマン(フランス語の発音ルール)が起きてこう聞こえる。 « Une Nana Forte » 「強い女」。戦争に巻き込まれる強い女とは何者か?
それは、一つに原作者の Annie Ernaux のことである。彼女の実体験を映画化した本作は、壮絶で孤独な戦いに身を投じる若い女性を描く。私はカメラワークが László Nemes の 「サウルの息子」や「サンセット」といった作品のようだと感じたが、戦禍の中、主人公がどこにピントを合わせて世の中を見ているかという点さえも観客に主人公との同化を強いる意味では当然の選択だったのだろう。観客は、彼女が見ていないものは知るよしもないが、逆に彼女が見ているものは全てくっきり見せつけられる。さらに、サスペンス的要素もこの作品の危機感をドライブする。3週、7週などとカウントアップされていくクレジットは焦燥感を煽り、観ている側もパニックに襲われそうになるのだ。戦争、病気といった非日常に突入したことによって、もはや自分にとって時間の数え方が変わってしまう。しかしこれはある意味、妊娠という状況でなくとも男女の大きな違いかもしれない。28という数字を聞いて、男はなんのことだろうと首を傾げるなどよくある話だ。
さて、妊娠が分かったヒロインだが60年代フランスにおいて人工妊娠中絶はいかにタブーであったかを思い知らされる場面が次々と出現する。まず、医者が「生理が来るように」無言で処方した薬は精力剤で胎児を元気付けるものだったという騙し討ち。あるいは、女友達は雑談の中で子供を堕すことを「冗談でも言わないで」と真顔で言う。当然の成り行きで、打ち明けた途端に巻き込まないでほしいと友人関係も疎遠になる。時間が経ってから、仲良し三人組の一人だった Luàna Bajrami が私は欲望のままに男と遊んだけれど、妊娠しなかったのは運が良かっただけど心の中を Vartolomei に打ち明けて歩み寄るシーンがあるが、 « Portrait de la Jeune Fille en Feu » で彼女は周りの登場人物にあんなに堕胎に協力してもらってたのに、本作での主人公への仕打ちはあまりじゃないか!と突っ込んだ。笑
追い詰められた彼女に手を貸したのは、悪い遊びを知っている男友達 Kacey Mottet Klein 。「経験がある」という学生 Alice de Lencquesaing にアンダーグラウンドで手術を請け負う Sandrine Bonnaire を紹介される。 Alice は告げる。手術のあと医者が「流産」と書くか「中絶」と書くかは運次第。後者ならみんな-妊婦、手術した人、協力者-刑務所行きだと。手術費用は400フラン。Vartolomei は大事な蔵書を売って金を工面する。そこで売られているのは Simone de Beauvoir や 冒頭の Aragon の著作。自由やそれを奪う戦争について彼女がいかに考えを巡らせているかを垣間見せる一場面だ。ちなみに、フランスは1789年の革命の頃まで中絶は合法だった。それが禁止されたのは1810年から。理由は、 Napoléon Bonaparte による戦争。国民全員が何らかの形で戦争に関わることになる近代国家にとって、人口の量と質の管理は至上命題であり、子供を勝手に堕ろされては政府にとって不都合だったのである。
クライマックスとなる堕胎の場面は、 Bonnaire の自宅へ足を踏み入れてから手術完了まで長尺のワンショットで見せる。ショットを映画における瞬きとするならば、ここは瞬きなしの一呼吸だ。一���目の手術では胎児は持ち堪えて失敗。もういちどと Bonnaire を説得し行った2回目では成功。彼女は大学の寮に戻ってから激痛に耐えた末、トイレで亡骸を産み落とす。この場面では便座に座る彼女を正面からカメラが捉えているのだが、ほんの少し下へ向けられる瞬間がある。そこには血だらけの肉塊が臍の緒一本で Vartolomei と繋がっている姿が映される。女性は血と肉、すなわち命をかけて妊娠をするものなのだという事実を観客に見せる姿勢に容赦はない。それが本作の映画化にあたり、考えられうる限り最大の誠実さを証明していることは言うまでもない。
最後には世間が行う時間の捉え方7月5日の文学の試験で幕を閉じる。試験前に教授が引用するのは Victor Hugo の言葉だ。その内容も顔を上げて、旗を掲げて歩めという戦争もの。若者たちよ、強い女性たちよ、歩き闘い続けよというメッセージが込められていた。
なお、この闘いは現在も進行中である。法律は変えられる恐れがあるからとフランスでは先月24日、憲法に中絶へのアクセス権を明記する憲法改正案が国民議会で可決されたばかりだ。右派が過半数を取る上院での可決は難しいらしいが、 US の動向に対する反動としても議論は続いていくだろう。最後に余談だが、成績が下がってきたヒロインに対し教授が冷たい態度をとったせいで Vartolomei ならぬ Ernaux は教師になんかならず作家になりたいと思ったのではないだろうか。であるならば、 Nobel 賞作家の第一歩を歩ませたという意味で彼はグッジョブだ。笑
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Knockin 'On ***'s Door 創作雑記
そういやここ創作雑記でも書くかぁって始めたんだよなぁと。徒然なるままに~つらつら~
私の今の文章の原点はどう考えたって艦これになるわけなんですけども、それ以前が自分の得意な土俵で想像できるものの範囲でイェーイ!って楽しく書いていたのが、まったくもって知識のない艦艇にまつわる史実、それに伴う描写を書くにあたって、あ、これはぜーんぜん書けへんわ、これは資料読まんとあかんですわ、ってなって"調べて書く"に変遷していったんだと思うのです。
そこで、全く知らないものを集めた情報により描写する問題にぶちあたるわけなんですけども、これが面白くもあり難しくもあり。やはりしっかりと資料を読み込まないと、説得力のあるものが書けないな、と思うわけです。そこで海上護衛戦という大井篤さんのめちゃくちゃ面白い本に出会い、二航戦に関する情報がいっぱいつまった飛龍天に在りに出会い、駆逐艦野分に乗っていた方がまとめた本にたどり着いたりとドラマがあるわけなんですが。これらに出会わなかったら書いてないですね、いやー、もうね、物書きが本業ではないのにめっちゃくちゃ面白い本を書くんですよね、みなさん。まったく知識がない人が読んでも情景がありありと浮かぶような言い回しといいますか。あったまいいんだろなーってのがわかる知的な文章なんですよね。
話は大いに脱線しましたが、そういった点で今回は参考にした本はないなと。体さばき、体の動かし方、刃物を持った人物に素手で対応するという内容だったり、制圧術であったり。最終的に古武術の動きに関する動画見てかっこいい~って真似してうちひしがれました。あんな簡単そうにやってるのに全然できないもんな。
そう、今回映像資料中心だったんですよ。だから言語化がとても難しくて、これできちんと動きは伝わるんだろうか、って大分頭を悩ませ書きました。
あとはフィクション部分をどれだけ説得力をもって描くことができるかっていうのも苦労しました。フィクションだし趣味で書いてるんだから好きにせーや、とは思うんですけれど、アルミってなんか他の金属より融点低そうだな……?低かったわ。となると、重装甲を高熱で溶かして斬るという描写は、なーんかしっくりこないなぁとか。加熱した金属って早々簡単には冷えないよな……鞘で冷却?でも急激な冷却では折れちゃうのでは……?って突っ込んでいるうちにおとしどころを得たんですけども、最終的にまったく別の性質の能力になってしまって、こーれはどーなの、いや彼女なら能力すら騙してそうじゃない?いけるやろ、な!!って最終的にごり押ししてまとめた。二次創作なんだからそのくらいええよね、へへ。
電流と磁界っていうと、なんか小学校でコイル作った記憶があるんですけれど、せっかくだから色々な能力に派生させてみよう!ってきゃっきゃと楽しく書かせてもらいました。現実の理論をフィクションに落とし込みつつ、うるせぇ!フィクションだ!!!っていうごり押しもありつつ。何事もバランスですよね、うん。
後はクルビアがアメリカを元にしているって言うから、なら公用語はクルビア語かなって想像してああいう感じに。結局語学の成長というものは、自分の言いたいことを伝えたいという想いありきで伸びるような気がするんですよね。だからきっと口喧嘩してるうちにペラペラになったんじゃないかな~という趣味100%をぶちこみました。
Dead Fish Handshake も、友人が授業で先生に握手を求められ、大人しく従ったらこれがDead Fish Handshake ですって真顔で言われたらしく、おっもしろいな~ってのを思い出していました。アジア圏出身者特有らしいですね、アジア人は気がひけて握手に力が入らず、そのふわっとした握手が気持ち悪いっていうからかいの表現らしいです。異文化交流は難しいね、ジャパニーズ気遣いも逆効果になることもあるんだね。
そんな感じでなんか毎回こういう感じの題材書いている気はするんですが、まぁ書いててたのしければよかろうということで。
後はタイトルが決まればおのずと話の方向性も定まってくるというか。一応元ネタ的なのはあるんですけども、フランカさん天国にいきますって感じの人じゃないよな、と思ってぼかす感じに。いい感じじゃないのー?って自画自賛しています、へへ。
もともと自分の需要を満たすために書いているし、0ブクマにも慣れたものなんですが、やはりブックマークしていただいたり、感想を頂けたりすると嬉しくなります、いつもありがとうございます。
さー後で誤字脱字見直そうね元気あったら……まさか後一章だ!!!から章が増えて、最終的に校正とルビふるのを含めて完成まで7時間もかかるとおもってなかったんよ……もの書いているときは音楽爆音で書くんですけども、おわんねー!なんでじゃーつらー!!!ってときに猫叉masterが流れてきてなっつ!となるなど。やはりよい音楽はどの時代でもよいものなのだ……サヨナラヘヴン、すき。
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ニトラムとモガディシュ
昨日、6,555歩。(今日は家でずっと文藝の「私小説」特集を読んでいたが、私小説というのは、この期間からこの期間までに書いて!という形式で長年の執筆歴がある人に頼むのは難しいことなのかもしれないと思った)
※
最寄り路線の電車の座席で顔を上げると、ジョージ・A・ロメロ作品のTシャツを着た人が向かいに座っていた。ロメロ、ロメロご覧になるんですね、全然関係ないけどマリグナントもご覧になっていらっしゃるでしょうか等とぼんやり思う。
ターミナル駅から映画館へ、寸前まで地下道で行けるがスクリーンへエスカレーターを昇りまくることを考えると時間がギリギリで、一直線に紀伊國屋の地下まで向かっていく。B6出口を目指して歩きながら、こんなにわけのわからない地下道でもどの辺に出るのか把握できていることが不思議になる。京都も大阪もまださっぱり分からない。紀伊國屋ビルの地下から上がり、商店の並ぶ1階を抜けて無印の横に入れば新宿ピカデリーだ。
相変わらず動線が死んでいる。あまりにもわけがわからない設計なので、1度映画館に入りさえすれば空いた席にこっそり入って��々に映画を見れる古の映画館を回顧しているのだろうか等と思う。映画泥棒のディケディケしたあの動画を予告の前に流してくれる映画館は少し嬉しい。新宿ピカデリーもそうなので、動線死んでるな〜と思いながらも映画館自体は好きだ、音響やスクリーンでハズレだと思うこともなかった気がする。映画の予告をいくつか見て、気分が映画に向いた瞬間にあの煩い泥棒動画を見せられると、1900円も払って座っていることがバカバカしくなる。あんなものを、『お金を払ってわざわざ映画館にいる』人間に毎回毎回見せ続けることがバカバカしい。動いていないCOCOAのCMを延々と見せられていたこともバカバカしかった。オリンピックの決算を出さなかったことも屈辱的でうんざりする。
ブラット・ピットが新幹線に乗る映画の予告を見ると景気の良さで気分が良くなる。
モガディシュはよく出来た映画だったが、ソマリアという国全体を野蛮な雰囲気に描いているため、内戦の政府軍・反政府軍のどちらもが悪役の映り方をしており、事情が全然違うのはわかっているけれども、ミャンマーや香港のニュースを知っている中で見ると、反政府軍にも切実な事情があるのではないかと気になってしまう。(映画の「モンスーン/monsoon」は、ベトナム戦争の切り取りかたが素晴らしかった。)
ク・ギョファンさんはペニンシュラとD.P.で見たが、スクリーンの中で見ると「平凡さ」の似合わない雰囲気が凄い。あくまで作品の中で見える雰囲気だけ(私生活や素顔は見たことがない)だけれども、親密なパートナーと穏やかな老後〜という将来像が全然浮かばない。やわらかい雰囲気があるのに愚かそうにも賢そうにも見える。
南北の協力があったらしいという事実が明らかになったのは近年のようだけれども(イミテーション・ゲームのように)、政府組織の本当の動き、があのような状況でもそれなりに残っていた、後年でも明らかになった、というのが羨ましい。日本だって、養老孟司さんが言っていることや坂口安吾が書いていることのように、第二次世界大戦前後で突然「正義」がガラッと変わったのだから、そのさまを映画化したらものすごく面白い映画らしい映画で描けそうな気がするが、大きな映画では見かけない。イッセー尾形さんの「太陽」がそのような映画だったか、全然思い出せない。民衆の映画ではないので違っているような気がする。スパイの妻でも、青鬼の褌を洗う女のような終わりになっただけだった。
行きの電車で見かけたロメロTの人がモガディシュ後のエスカレーターを降りていくのを見かけ、同じ映画を見てたのか〜と思う。
百貨店のブランド品の店舗の前を通ったが、以前はガラガラだった宝飾品店に行列ができていた。今年二度目の値上げのお知らせが載っていたからだろう。値上げ幅もどれくらい大きいかがわからない。日常的にたくさん買うかたは別の店舗の別の窓口でお買い物をされていることだろうと思う。いつか買いたいな、と思っていたものの値段がどんどん上がり、二度と買えなくなる未来が浮かぶ。ヨーロッパへの飛行機はロシア上空を通れず、あらゆる面で一気に遠くなってしまった。どんなに見たいものがあっても本当に一大決心をしないと行けなくなってしまった。行ったところで、言語に不自由がある中病気になったらきちんと帰って来られない。
外で食事をするのもなかなか落ち着かないので、お腹が空いたまま甘いジュースを飲みながら帰り、丁度カレーができていたのでありがたく食べる。
※
夜中、今見るものではないのかもしれないなと思いながら「ニトラム」を見る。静かで、被写界深度の使い方が良く、音響も丁寧で、映画館で見ていたらとても好きだっただろう。
ガス・ヴァン・サントのエレファントとは全く違う映画で、だから現代的であり、悲しい。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズがカンヌで賞をとったのはよくわかる。あの体型から見えてくる幼児性がうっすらと怖く、でもぎりぎりで「まだなんとかなったのでは」という気持ちが残る。
自分が子供の頃の、「親を悲しませてしまった」という記憶の強さを思い出して悲しくなる。父に対してではなく、母を悲しませてしまった記憶(父にはトップガンマーヴェリックを見せてあげられたので概ねチャラだ、海外旅行には行かせてあげられなそうなのが心残りだ、でも数年以内にどうにかなる気がしない)。母が買ってきたJリーグチップスか何かの感想を聞かれて、普通、と答えてしまい悲しませてしまったとか、いいお店の天ぷらを美味しそうな表情で食べてあげられなかったとか、限定品のBaby-Gを無くしてしまったとか、それくらいのことなのだけど。
マーティンの母親の「この子はもう無理かもしれない」という表情のリアリスティックな部分が凄い。ある程度はマーティンに向き合っていて、長い時間努力し、優しく穏やかな時間もあったはずだけれど、明らかにどこか諦めている。現実的なのだ。諦めも、残っている気持ちも両方ある。
マーティンの父親の切実さが悲しくて仕方がない。父親の方はずっと諦めきれず、マーティンの寂しさにも寄り添いがあり、綺麗な景色の家(B&Bの経営)に希望を託していた。「親の悲しむ顔」を見るのはあんなにつらいんだっけ。父親の方が諦めてしまった時に起こった出来事。
ヘレンの寂しさが自分の最近の寂しさに近く、つらくなる。自分の部屋にある、まだ着ていない新しい服。寂しさや惨めさが少しマシになるような気がして物を買ったりする。自分の価値は変わらないのに。
マーティンの悲しみと、惨めさがつらい。子どもの頃、母親が私の何かが気に入らず罵倒されているのを壁越しに聞いていた頃のことを思い出す。今は随分と、あの気持ちが遠いものになった。
ニトラムでは惨状は描かれておらず、wikiで事件の全貌を読んで驚いた。
私は他者に暴力をふるわないけれども(意図的には)、この映画のそれぞれのキツさの描き方は素晴らしかった。フォックスキャッチャーや、ナンシー(アンドレア・ライズボローさんの、凄く良い映画)のように寂しく、悲しかった。
映画の中で、マーティンがまともに褒められているのが銃を販売しているお店と銃の愛好者との会話だけで、あのお店でだけ彼はパーフェクト、素晴らしい、と一人前の大人の男のように扱ってもらえている。「一つだけでも居場所がある」状態があれば大丈夫なものなんだろうか、結局友達が多い人が一番偉いんだろうか?
※
うちに小学生が数人来ることがあり、時折、一緒に住んでいる小学生より友達が先に来てしまい、止むを得ずNetflixのキッズチャンネルにして「好きに見て待ってて」とリモコンを渡すことがある。
小学生が並んでミニオンズを見て笑っているのを見るととても可愛い。
明日はミニオンの新作を見に行く。
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