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#青海島遊歩道
amiens2014 · 2 years
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高野崎/青森県今別町【津軽国定公園】キャンプ場から灯台を通って朱塗りの太鼓橋を渡る
高野崎とは 高野崎(たかのさき)は、青森県東津軽郡今別町袰月村下(あおもりけんひがしつがるぐんいまべつまちほろづきむらしも)にある岬だ。 三厩湾(みんまやわん)を挟んで龍飛岬(たっぴざき)と向かい合う。 津軽国定公園に指定されている「袰月海岸高野崎」は、北に北海道、西に龍飛崎、東に下北半島が一望できる絶景の地です。 岬の先端には赤と白の灯台があり、その先を下っていくと岩場と岩場をつなぐ「潮騒橋」と「渚橋」という2本の赤い橋が。このふたつの橋を歩いて渡ると先端の岩場まで行くことができ、そこから見る景色はまさに絶景。潮風に吹かれながらどこまでも広く青い海を望めます。 夏は磯遊びや釣りなども楽しめるとあって家族連れにも人気。キャンプ場もあり、100張りもできる広々としたテントサイト、温水シャワー(有料)、屋根付きの炊事場も完備されています。 津軽国定公園…
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tokyomariegold · 4 months
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2023/9/29〜
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9月29日 朝の通勤で、隣の席の方が、明日からの大阪旅行の時刻を調べてメモしているのをぼーっと眺めていた。朝6時台の電車で玉川上水(!)から東京駅まで出て、そこから新幹線で新大阪へ。目的地は芦屋だった。
いま私が計画している大阪旅行の目的地と同じだったり、わりと実家近くの駅から出発する旅行に、少し親近感。
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今日は午前中出勤するけれど、大好きな服を着て、つらくなること(現場に出たりすること)はしないぞ!デスクワークだけする心意気で出勤すると、廊下から水が流れる音がしていて、?と給湯コーナーを見るとポットに水を溜めるために水栓が開けっぱなしになっていた。 もうすっかりポットから水が溢れて時間が経っていた様で、床が海。 でも今日の私はとても吸水作業ができる仕様ではなかったので、水を止めて、近くを通りかかった上司たちを引き止める様にして、みなさんに雑巾やモップで片づけをさせてしまった。 人力でこの海を処理するのは難しいのでは…と思���ていたけれど、みなさんが雑巾で水を吸っては絞るのを繰り返してくれて、あっという間に片付いた。 私はあわあわと見ているだけだった。
午前中だけの業務時間だと、いつもの3倍速のスピード感で仕事をしようとしてしまう。
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午後のチャイムが鳴って走って退勤して、上野へ向かった。 国立科学博物館の企画展“海”を鑑賞。 一期下の方がいただいた招待チケットに便乗させてもらって、海にまつわる展示を見てきた。 平日だけれどひとがとてもおおかった。 子供より大人が多くて、展示の内容も、宇宙から縄文遺跡まで海というか地球と宇宙にまつわるあらゆることが網羅されている展示で色んなことを知れて賢くなった気分。
前回、恐竜展に一緒に行った友人が科博の出口で「鯨好きなんだよね〜」と言っていたのを思い出して撮った展示の鯨の標本(本物って書いてあったから剥製?)の写真を後で送りたい。
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展示を見ながら、そこから思い出されたエピソードをしたり、油壺マリンパークに行ったことがあった話や冬に広島と下関に行く話を聞かせてもらった。 下関はかつて毎年言っていた���所なのでなぜか嬉しくなってしまった。
展示を観て、かっぱ橋方面まで歩いて、いつも帰り一緒にお話ししているけれど、それでも今日もお付き合いしてもらえて嬉しいし助かってしまう。
来週までが締め切りの個人調書に異動希望を示そうかどうか悩んでいる。
今日は中秋の名月。月みてね。
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9月30日 昨日は月がずっと雲に隠れていた気がする。 六本木と表参道へ遊びに出て、帰る電車に乗る時はまだ外が明るかったのにずっと地下鉄を走る電車に乗っていて、地上に出たら真っ暗でしばらくまだ地下なのかと思っていた。
今日も暑かったけれど、日がどんどん短くなって秋になっている。
ネイルをとってもらい、また新しく施してもらってしまった。一回やってもらうと嬉しいけれど、生活の不都合の方が優ってしまったり、一週間くらいで飽きてしまったりするので、帰りの電車でオフだけの予約をした。
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六本木のギャラリーは13時オープンで、着いた時はまだ閉まっていて入り口の扉の前に宅配便が置き配されていた。 残念だな〜と、表参道まで歩く途中、昔好きだった人がとつめていると言っていた出版社の建物の前を通って、そういえば乃木坂で勤めていて青山霊園とか散歩するのが良いです、みたいなことを言っていた。
さらに少し歩いたら、カメヤマキャンドルのお店を見つけ、ふらっと入ってみる。 インターネット見たことがあるワンカップ大関やココアシガレットの面白キャンドルの実物を見て、思わずあずきバーキャンドルを買ってしまった。 あとパチパチ音が鳴るキャンドルも買えた! ネイリストさんに、帰り際にあずきバーキャンドルを見せたら失笑されてしまい少し戸惑っていた気もしたので「なんか最後にごめんなさい」と気づいたら誤っていた。
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友人と待ち合わせして岡本太郎記念館へ。 先週鎌倉で「岡本太郎好きですか?」と誘ってもらっていた。(私はその時、片岡八幡宮や鎌倉の古美術店を眺めながらその質問を聞いていたので、勝手に片岡鶴太郎に変換していた。)
岡本太郎のアトリエ兼住宅を美術館にした建物。 食虫植物や南国系の草が生えるお庭に、所狭しと作品がざわざわと展示されていておどろおどろしかった。 太陽の塔の中はかなり良いらしい。マンスーンさんも楽しいって言ってたね。
最近の写真の活動の報告をしながら表参道をふらふらしていたら、先日写真展にも来てくださった先輩とぱったりすれ違う。カメラ好きでとてもおしゃれ(世の中のおしゃれ軸では計れない感じ)。 今日はF値のTシャツを着ていた。
先週カメラのファインダーがとてつもなく汚い(私の手ではどうにもできない範囲)ことを指摘されたこと、忘れていたけれど、今日も改めて友人から言われてちゃんとショックになり、そうだカメラを買おうかなと思っている。
良いフィルムカメラを探す、というタスク(?)に少しわくわくする。
ありがたいことに1冊写真集を買ってくださった方がいたので、梱包材や納品書の準備をしなくては!で、少し忙しい気持ち(写真がガビガビでごめんなさい!)。
現像したかったフィルムを持ってくるのを忘れてしまったので、明日は、何としてでも、現像出したい。気をつけたい。
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gyohkou · 10 months
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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parkhabiomaster · 1 year
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ザ・パークハビオ
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江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそ��ような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店��ど様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
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moko1590m · 10 hours
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6回答 日本の歴史の中で貧しいからといって親が子を売るってあったんですか? nea********さん 2010/9/28 23:52 売るというと語弊がありますが、 形式的には子供を年期奉公(就職)に出し、その賃金を何年分も前受けの形で親が受けとったのです。 遊郭へ売られる場合も同じ形式でした。 で、その借金返済が済むと年期明けで自由の身になったのですが、遊郭では衣装代などに出費がかさむので年期明けがどんどん長くなるのがふつうでした。 親がその後一山当てれば、前受金を返済して引き取る道も残されていたわけで、これが純粋な人身売買とは違うところです。 遊女の場合は、ひいき客が見受け金を積んで買い取ってもらうことも(自由の身とは言っても自分の囲い者にするとか、運がよければ正妻に迎えられるとか)あったわけです。 ま、これが子売りの実態です。 これは日本では大正時代でもありましたよ。 きりたんぽりたんさん 2010/9/28 23:28 「大鏡」の冒頭で、語り手の一人である夏山繁樹が自分の生い立ちを次のように語っています。 「(私の親が)ご主人の使いで市へ参りましたとき、自分のお金を十貫持っていましたところ、赤ん坊を抱えた女が『この子は他人様にあげようと思います。子を十人まで産んだ末っ子でして、その上(親に祟るという)五月の生まれでして』と申しますので、(この私を)持っていたお金に換えてきたのです。」 特に作者のコメントがないところを見ると、こういう会話は当時の人には珍しくもなかったのでしょう。繁樹がこのことを卑下している様子もありません。淡々としています。 繁樹の育ての親はある貴族の家の使用人だったようですが、平安時代の貧民の子供というのは、このような身分の人が市場で買って帰れるようなものでした。こうなると、「人身売買」という認識すらありません。ペットショップで犬猫でも買うように、子供が売られていた時代が確かにあったのです。 sep********さん 2010/9/28 22:11 江戸時代には、吉原遊郭に売られる子供が とても多かったそうです。 親はふつうに子供売って新しい家庭を作ることも あったそうです。 今もありますよ、 親が子供を性の道具にして、お金をもうける。 これも親が子を売る行為にあてはまります。 ムーミンさん 2010/9/28 21:40 戦前までありました。 子を減らさないと親が飢え死にするためです。 殺す場合もあり、東北地方は飢饉が多かったので殺してしまったようです。 こけしは、子消しで、殺した子供を祭ったものが始まりです。 ID非表示さん 2010/9/28 21:39 昭和東北大凶作 http://www.mumyosha.co.jp/docs/01new/kyosaku.html 目次から プロローグ 「欠食児童世代」 歴史的な飢饉多発地帯 江戸・天明の大飢饉/天保の大飢饉 昭和五年(1930)世界恐慌の直撃 泣く子も地頭もかなわない/失業の大群とホイト(乞食) 昭和六年(1931)凶作の追い打ち 大不況と凶作と「満州事変」/粒々辛苦の甲斐もなく/北海道――辛うじて飢えをしのぐ飢餓地獄/青森県――ワラビの根を掘って食料に/岩手県――茅の野原のような田んぼ/秋田県――収穫皆無地1300町歩 昭和七年(1932)悲惨、娘身売りと欠食児童 売られ行く娘たち/欠食児童全国20万 昭和八年(1933)戦争への道行と三陸大津波 救農事業と「自力更生運動」/地主様と小作農民の悲哀/軍国美談の陰で/厳寒・暁の大津波 昭和九年(1934)ああ、昭和東北大凶作 恨みのやませ(風)/死の東北を救え! 飢餓線上の凶作激甚地を行く 岩手県――深刻な飯米の欠乏/青森県――娘たちを求めて人買い人が横行/秋田県――料金未納で電灯が消されていく/山形県――皮を食用にと裸にされた松の木/宮城県――凶作のうえに養蚕収入激滅の打撃/福島県――野獣対人間の木の実の争奪戦 重荷を背負った娘たち、空腹に泣く子どもたち 「悲しみの身売り列車」/走る食堂車からの恵みのパン/軍事予算に潰された農村救済 エピローグ 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ」 資料「南部盛岡藩~岩手県の凶作・飢饉年表」/参考資料と文献・写真の出典一覧 lib********さん 2010/9/28 21:39 島原、吉原等の遊女はそんな境遇の方が多かったみたいです(^-^)
日本の歴史の中で貧しいからといって親が子を売るってあったんですか? - 売ると... - Yahoo!知恵袋
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oisiihito · 9 days
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いい加減に 東京へ出てくるとうんざりするのをやめたい 新宿や渋谷ならまだしも 上野などでうんざりしているようでは 情けがないから やめたいのだけど やっぱりどうしてもああやって人が大きな塊になるような状況をみると 誰でもいいじゃないかという気になってくるので苦手だ そこにいるのは誰でもいい かけがけのないことのないただの記号という形をとった肉の塊にしか思えない だからそのような有象無象に気を配る気にもならない 中高生のような 人を殺す目で あれくらいの時期はみんな特に意味もなくあるいは大きな意志の元で人を殺したいと思っているものでは? うつむきながら 足早に肉塊を通り過ぎるしかない フードエッセイストである平野紗季子さんの (NO)RAISIN SANDWICH が クッキー・モンスター (青色のけむくじゃら) とコラボするということで 銀座のソニーパークへ 遊びに行く 銀座はよくわからない 近いようで遠い街だと思う 京橋や日本橋なんかは完全に他人事なんだけど 銀座に関してはどうしても割り切れない部分が個人的にあったりするわけで 上野から銀座線に乗り ライクアタイトル回収 銀座駅で降りる まずまずの人 ソニーパークは駐車場の傍らにある 以下HP引用 "銀座四丁目交差点改札より、そのまま地下コンコースを歩いてお越しください。B7とC3出口の間にある「西銀座駐車場」の入口を入ってすぐ左がSony Park Miniです" なんとも簡潔でいて分かりのいい文ではないの 無駄のないうえにそこまで事務的でもないのが良い 変な場所にある施設が 結構好きです 新橋の ニュー新橋ビル な 熱海の 第一ビル商店街 な 感じの施設 施設群? この日のために PACS の Round Corner Pocket shirts を卸した 真剣な青色で 名前の通り ザッツリテラリー ポケットがまあるくなっている 生地もスーピマコットンなので 肌触りも良い かつ光沢もあり品の良いシャツに仕上がっている かわいいねお気に入りです 大きめに着る 靴下もファミリーマートのアクアブルーだったので 話しかけられた店員さんに 「格好もクッキー・モンスターを意識されてるんですね!」 などと言われ 恥ずかしそうに頭をかきながらうんとかすんとか ヘラヘラするしかなかったよ 23にもなるのに 恥ずかしそうにヘラヘラするしかない場面がいまだにある ステッカーや缶バッジ なんとなく目当てにしていたクッキー・モンスターのTシャツはソールドだった まあそうだねと思いながら"PREMIUM COOKIE SANDWICH for COOKIE MONSTERS"を抱えて後にした この時点で汗が止まらなくて病気かと思う 汗をかきはじめると 周りの視線が過度に拡張されていく感覚になる 批評よりも批判よりの視線にさらされているような感覚 さすがに耐え難いので 鳥越の方に逃げた 昔に といっても2年前までは鳥越に居をかまえていたので 今でもマイメンな東京のスポットなのだ そんな場所は本当に貴重だ 鳥越神社という大きな公園のわきにあるアパートの一階部分には Torigoe T という小さなフランス料理のお店があったのだが それも1年前に閉店して今はアメリカ雑貨のお店になっているのを目撃した 6月は鳥越神社の例大祭があり 裸の男たちが蔵前橋通りを神輿担ぎ闊歩する 言語というよりむしろ発声に近い掛け声に混ざるぶつかり合う肌と肌の音は 何かしら象徴的に聞こえるものです 例大祭のチラシがあちこちに貼られているのに沿って鳥越の街を歩く もうこの街は 自室から浅草にあるアルバイト先まで 日陰から一歩も出ることなく歩いて行けるまでに 知っている 知っているのにすでに住んでいないというのはどうして不思議だ 1時間くらい歩き続けて観念したように浅草橋から総武線で新宿まで出張る 小田急線の急行で下北沢に着く頃にはもうだいぶ風が出て涼しくなったような気がして またシャツを羽織った だいぶ変わってしまったねこの街も 高校教師 (1993) には当時の京王井の頭線沿いも出てくるのだが 1993年時点での下北沢駅周辺はとても文化的ではなかったように見える ホームも薄暗くなんとなく湿り気のあるそんなイメージだった むろんあくまでイメージ 妄想ではある産まれてないしそもそも しかしな 今やサブカルチャーにとどまらず演劇や映画のベースメントとして 機能しているので 大したもんだと思う 人間が本気になれば 何もない場所に都市を計画し造ることなんぞは きっと造作もないのだろう 東京も元々大きな湿地帯であったことを考えると 人間のその豪胆さと労力の惜しげのなさには驚かされるばかりである 茶沢通りを北沢タウンホールに抜ける路地の左手に アンダーニース という楽器屋があり ビルの3Fで品揃えもいいしなによりオーナーの人当たりの良さ! この楽器屋でその感じなのありがたい 友人にお土産として Danelectro Black Coffee を買った DODのFX25B Envelope Filter とも悩んだが ゲインがフルテンで固定というオーナーの説明にクラッときたので そっちにした 朝からまともなものを食べていないことに気づいて 渋谷駅から渋谷川に沿って並木橋の方へ降りると恵比寿の手前にフレッシュネスバーガーがあるため そこでフレッシュネスバーガーとジンジャエールを食べる ジンジャエールがとにかく濃く作られており 自家製なのもあって 飲みごたえがすごいことになってんの 正直ハンバーガーには合わせない方がいい 完全に負けているので 狭い店内の後ろの席には 学芸会終わりの親子が感想戦などをしていた ジメっている恵比寿 リキッドルームに家主がやってくるということで 友人を誘った 昨年の12月に出したアルバムのツアー 恵比寿リキッドルーム ワンマン フルセット 整理番号はなぜか800以降のカスだが 久しぶりのライブも 友人に会えるのも嬉しい チケット代の代わりに 何かモノをくださいという暴力に 友人は旅館の灰皿とぶっとい葉巻で応えた 吸わなかったら灰皿で人を殺してもいいらしい とにかく喫煙が足りないと言われた 喫煙が足りない 喫煙が足りない? アウトレイジ 最近バイトや大学の合間を縫って アルバムのレコーディングなどしているらしく 小職よりも忙しそうにしているので頭が上がらない ライブはもちろん完璧だった 正直言ってここまでのめりこめるライブも少ない 撮影が可能らしく ちらほら撮影している観客もいたが 昔気質だからだろうか どうしてもライブという場において撮影という行為がイマイチしっくりこない いまそこにある景色を損なう可能性を 考えてしまって スマホへ手が伸びなかった 撮影などしなくてもライブはサイコーであるのであれば 無理して撮影する必要はない そうだよね ウン 途中マジで酸欠になって フロアが最高潮だからね クラクラしながら ぜんまいじかけ のリフが宙に浮いて見えたりしたが 無事 終演 熱冷めないまままた歩いて渋谷駅まで戻ることになり 家主の話よりむしろバックナンバーやクリープハイプの話になりなぜ? 家主の話をしないということによってむしろ家主の存在が際立っているような 哲学や文学の文脈でよく使われる論文の手法のような雰囲気で 道玄坂のロイヤルホストに滑り込んでひといきをつく 柴田聡子の新譜は ある種 脱構築的に音楽よりも言語 あるいは歌詞や詩の動きにフォーカスしたアルバムだと論じる 前作 ぼちぼち銀河 においてもその様子はたしかにうかがえたが 今回で完全に音と歌詞 (詩) は同時に存在するように作られはじめた それぞれで見てもイマイチパッとこない 納得できない そのふたつは 同時に鳴ることで私たちの前になにかしらの意味を持って突如立ち現れることになる そこが柴田聡子の独自性ではないかという話で盛り上がって 過ぎる時間 こんな話がしたかったと思っていることに気づいたのは分かれてから銀座線で上野御徒町へ戻る最中だった 山形行きの高速バスで 友人がSound Cloudにあげていると教えてくれた レコーディング中のアルバム そのリード曲になるというデモをこっそり聴く 疲れた身体でも 十分に良いと思える曲だった コンスタントな振動に揺れ カーテンをこっそり開けて 高速道路のナトリウムランプが玉になって流れていくのを眺め 耳を澄ませて友人の曲を何度も 繰り返し聴く はじめて聴くのが夜行バスの中で良かったと思った 眼をつむるまでにそんなに時間がかかることもないだろうなと 考える間もなく 眠った 朝の4時に福島にほおりだされて 始発で郡山へ戻り 8時には職場にいるのだから 頭がおかしいとしか思えない 一緒に住んでいる人には 花屋の娘 が入ったフジファブリックのCDをお土産に買った ディスクユニオンの袋に包まれたのを 満足そうに机の上から机の上へ置き直して ニコニコしている 郡山は肌寒く しまったはずの毛布を取り出した
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kachoushi · 3 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年11月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星の出るいつも見る山鳥渡る 世詩明 人の世や女に生まれて木の葉髪 同 九頭竜の風のひらめき秋桜 ただし 太陽をのせて冬木の眠りけり 同 生死また十一月の風の音 同 朝湯して菊の香に上ぐ正信偈 清女 懸崖の赤き菊花の流れ落つ 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋空の深き水色限りなし 喜代子 故里は豊作とやら草紅葉 由季子 菊花展我等夫婦は無口なり 同 しぐれ来る老舗ののれん擦り切れて 都 狛犬の阿吽語らず冬に入る 同 謎々のすつきり解けた小春の日 同 杣山の織火となりぬ紅葉山 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路 逝く秋をくづれゝば積み古書店主 順子 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 太き棘許してをりぬ秋薔薇 和子 弥陀仏の慈顔半眼草の花 昌文 綿虫のうすむらさきや九品仏 小鳥 参道で拾ふ木の実を投げ捨てる 久 綿虫は仏の日溜りにいつも 順子 香煙はとほく菩提樹の実は土に 小鳥
岡田順子選 特選句
腰かける丸太と秋を惜しみけり 光子 九品の印契結ぶや冬近し 眞理子 古に大根洗ひし九品仏 風頭 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 奪衣婆の知る猿酒の在り処 光子 神無月ならば阿弥陀も金ぴかに 俊樹 蚤の市に売る秋風と鳥籠と 和子 下品仏とて金秋の色溢れ 俊樹 綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ありきたりの秋思の襞を畳みをり かおり 秋日入む落剝しるき四郎像 たかし 返り花ままよと棄つる文の束 美穂 凩や客のまばらな湖西線 久美子 凩のやうな漢とすれ違ふ 睦子 小鳥来る小さなことには目をつむり 光子 流れ星キトラの星は朽ちてゆき 修二 凩に雲や斜めにほどかれて かおり 人肌を知らぬ男のぬくめ酒 たかし 老人が老人負うて秋の暮 朝子 冬の日や吾が影長く汝に触れて 同 身に入むや妣の財布の一セント 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋思消ゆ「亀山蠟燭」点せば 悦子 この��へ一途に滾り冬夕焼 都 新蕎麦を打つ店主にも代替はり 佐代子 添ふ風に方位はあらず狂ひ花 悦子 HCU記号音満つ夜の長し 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
トランペット響く多摩川冬に入る 美枝子 竹林の風音乾き神の留守 秋尚 公園の隣りに棲みて落葉掃く 亜栄子 句碑の辺の風弄ぶ式部の実 同 新のりの茶漬に香る酒の締め 同 歩を伸ばす小春日和や夫の癒え 百合子 朔風や見下ろす街の鈍色に 秋尚 ぽつぽつと咲き茶の花の垣低き 同 リハビリの靴新調し落葉ふむ 多美女 濡れそぼつ桜落葉の華やぎぬ 文英 露凝りて句碑に雫の朝かな 幸風 大寺の庭きりもなや木の葉散る 美枝子 山寺の風の落葉を坐して聞き 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
風除の日だまりちよっと立ち話 和魚 風除の分厚き樹林影高き 秋尚 揚げと煮し切り干やさし里の味 あき子 薄日さす暗闇坂に帰り花 史空 渦状の切干甘き桜島 貴薫 切干や日の甘さ溜め縮みたる 三無 風除けをせねばと今日も一日過ぎ 怜 切干や少し甘めに味継がれ 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
確かむる一点一画秋灯下 昭子 幽玄な美女の小面紅葉映ゆ 時江 釣り糸の浮きは沈みし日向ぼこ 三四郎 六地蔵一体づつにある秋思 英美子 赤い靴なかに団栗二つ三つ 三四郎 着飾りて姉妹三人千歳飴 ただし 正装で背中に眠る七五三 みす枝 雪吊の神の恐れぬ高さまで 世詩明 七五三五人姉妹の薄化粧 ただし トランペット音を休めば息白し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月14日 萩花鳥会
夜鴨鳴く門川住居六十年 祐子 捨てられて案山子初めて天を知る 健雄 ゴルフ玉直ぐも曲るも秋日向 俊文 山茶花や現役もまた楽しかり ゆかり 舟一艘ただぼんやりと霧の中 恒雄 献茶式津和野城下や朝時雨 美惠子
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令和5年11月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋の暮百均で買ふ髪飾 令子 虫食ひの跡そのままに紅葉かな 紀子 背の丸き鏡の我やうそ寒し 同 小春日や杖つく母を見んとする 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
小春日や日々好日と思ひたり 世詩明 禅林を通り来る風秋深し 啓子 何事も無き一日や神の旅 同 炉開きの一花一輪定位置に 泰俊 一本の池に煌めく櫨紅葉 同 三猿を掲ぐ日光冬日濃し 同 立冬こそ自己を晒せと橋の上 数幸 小六月笏谷石は饒舌に 同 如何にせん蟷螂は枯れ僧恙 雪 猫じやらしもて驚かしてみたき人 同 一匹の枯蟷螂に法の庭 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
小鳥来る赤き実に又白き実に 雪 幽霊の出るトンネルを抜け花野 同 おばあちやん子で育ちしと生身魂 同 見に入みぬ八卦見くれし一瞥に やす香 時雨るるやのつぺらぼうの石仏 同 近松忌逝きし句友の幾人ぞ 同 季は移り美しき言葉白秋忌 一涓 菅公の一首の如く山紅葉 同 落葉踏み歩幅小さくなる二人 同 冬ざれや真紅の句帳持ちて立つ 昭子 今日の朝寒む寒む小僧来たりけり やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 さきたま花鳥句会
からつぽの空に熟柿は朱を灯し 月惑 白壁の色変へてゆく初時雨 八草 六切の白菜余すひとり鍋 裕章 一切の雲を掃き出し冬立ちぬ 紀花 小春日や草履寄せある躙口 孝江 柿を剥く母似の叔母のうしろ影 ふゆ子 いわし雲よせ来る波の鹿島灘 ふじ穂 鵙たける庵に細き煙たつ 康子 雲切れて稜線きりり冬日和 恵美子 水鳥の羽音に湖の明けにけり 良江
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令和5年11月18日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
紫のさしも衰へ実紫 雪 蟷螂の静かに枯るる法の庭 同 二人居て又一人言時雨の夜 清女 母と子の唄の聞こゆる柚子湯かな みす枝 還りゆく地をねんごろに冬耕す 真栄 帰省子を見送る兄は窓叩く 世詩明 人に無く芒にありし帰り花 同 香水の口よりとどめさす言葉 かづを 時雨をり故山の景を暗めつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
浮寝鳥日陰に夢の深からむ 久子 呪術にも使へさうなる冬木かな 久 無敵なる尻振り進む鴨の陣 軽象 冬日和弥生も今も児ら走る 同 冬蝶の古代植物へと消えぬ 慶月 谿の日を薄く集める花八手 斉 冬天へ白樫動かざる晴れ間 慶月 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 旋回す鳶の瞳に冬の海 久 冬の蜂おのが影這ふばかりなり 千種 水かげろうふ木陰に遊ぶ小春かな 斉
栗林圭魚選 特選句
竹藪の一画伐られ烏瓜 千種 遠富士をくっきり嵌めて冬の晴 秋尚 白樫の落葉急かせる風のこゑ 幸風 切り株に鋸の香遺る冬日和 久子 四阿にそそぐ光りや枯れ芙蓉 幸風 白樫の木洩れ日吸ひて石蕗咲けり 三無 小春の日熊鈴つけしリュック負ひ 同 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 寒禽の忙しく鳴ける雑木林 貴薫 草の葉を休み休みの冬の蝶 秋尚 逞しく子等のサッカー石蕗咲けり 亜栄子 甘やかな香放ち桂紅葉散る 貴薫 あづまやの天井揺らぐ池の秋 れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
薄き日を余さず纏ふ花八手 昌文 耳たぶに冬の真珠のあたたかく 和子 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 雪吊をおくるみとして老松は 緋路 冬空を縫ふジェットコースターの弧 月惑 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 上手に嘘つかれてしまふ裘 政江 嘘つつむやうに小さく手に咳を 和子 手袋に言葉のかたち作りけり 順子
岡田順子選 特選句
池一枚裁ち切つてゆく鴨の水尾 緋路 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 自惚の冬の紅葉は水境へ 光子 玄冬の塒を巻きぬジェットコースター 同 光圀の松は過保護に菰巻きぬ 同 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 雪吊を一の松より仕上げをり 佑天 不老水涸れをり茶屋に売る団子 要 遊園地もの食ふ匂ひある時雨 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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siteymnk · 4 months
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2023年の文化活動(一覧)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野口里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『    』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉松隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立近代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利と越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 第2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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miyanichi-event · 8 months
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2023しんきんチャリティーウオーク
11月3日(金・祝)に、こどものくに発着。海岸遊歩道から青島を一周し、宮交ボタニックガーデン青島を経由する約6キロのコ���スで開催します。航空券やホテル宿泊券などが当たる抽選会も行います。参加無料。事前申し込みが必要です。
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【時間】午前8時から受け付け。同9時10分から開会式、同40分スタート
【集合場所】宮崎市のこどものくに・みどりの広場
【申し込み】参加者全員の氏名と年齢、代表者の電話番号をファクス0985(25)5115、メールアドレス[email protected]、はがき〒880―0812、宮崎市高千穂通1の1の33、宮日総合広告「ウオーク」係のいずれかにご連絡ください。ペット同伴は不可
当日は募金を呼びかけ、寄せられた募金は日本赤十字社に届けます。
主催 宮崎県信用金庫協会、宮崎日日新聞社
※応募者の個人情報は本事業の運営のみに使用します。
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digoutourcorpses · 10 months
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人にやらせておいて自分は遊び、人の作ったものに文句を付ける
自分一人でできないことを他人に助けてもらいながら、それに文句をつける
自分で作ってみればいい、できなければ文句を言わず受け入れるべきだ
どこかの海が近い南の街
駅前には白い壁の古びた駅ビルがあり、ロータリーがあり、映画館の入ったデパート的な建物が向かいにある
夜にそこをコスメティック田中に似た人物が飛び回ったり、歩き回るMVを撮影する。
若者の女性集団から面白がられていた
ある日、その街の海の近くの集合住宅や家がある一画
四角くマンションや家が真ん中の駐車場を囲んでいる立地で、そこを抜けるとコンクリートと海橋が見える磯が近いところ
呂布カルマに似た人物がそこに歩いており、家と家の隙間に置いてあるゴミ箱に嘔吐していた
夕方、集合住宅の高層階に居て、ベランダに出ると海が見渡せた。海には対岸に工業地帯が霞んで見え、橋が向こう岸までかかっていて、コンテナ船が行き来する。
沢山の国旗を掲げた、黒ずんだ幽霊船が視界を端から端まで横切っていくのを見た
私はカメラでそれを撮影し、ビデオでそれを置い続けた
視界の右方向へずっとぐるりと追っていくと、まだ海が見えていて、手間の木々に遮られながら、船は垂直に伸びるマンションの壁の向こうへ隠れていった
それは予兆だった
ある日
その街の、海に一番飛び出た大きな埋め立て地で、大規模な祝祭が行われた
駅前のロータリーから海の方向へ伸びる坂の歩道橋を歩いていくと、その入り口がある
その道中で私は(Bjorkや大家さんに似た)老婦人に声をかけられた。気に入られたのか、私は彼女に案内されて、会場の中へ入っていった
この道を真っ直ぐ行くと、次第に右側の壁は高く聳え立った灰色の石壁になっていて、左側にはスペイン意匠の重厚で巨大な建築物があった。建築長い回廊が歩道に並行してずっと伸びており、この二つの間には庭もずっと伸びている。これだけ豪勢な建築物にも関わらず、庭はやや打ち捨てられた雰囲気で、水たまりや草の生えた彫刻、コンクリート片などが転がって日光を浴びて輝いている。逆にそれが、人の手を離れた、最も高貴な雰囲気を感じさせた。建物の隙間からは、海や高速道路が覗いた。
そこを抜けると、下り坂になり、急に視界が開け、様々な店や建物が建っていた。
遊園地、屋台、飲食店、服屋…ありとあらゆる店がそこに密集していた。左側は建物に阻まれて見えないが、右側はもう広大な海が見えて、海中からは巨大な岡本太郎の太陽が伸び、私たちを見下ろしている。
あらゆる建物がJagromanceで、呪力を帯びていた。
婦人は私を連れてどんどん先へ向かう。
下り坂は一度グンっと平地に戻ると、その先には、海に向かって下っていく大きな灰色の砂丘があった。
砂丘の向こうには一面に海が広がっており、川崎人口島がそこに浮いて私を見ていた。
婦人が先に向かうも、私は恐ろしさで固まってしまい、婦人を置いて引き返す。
商店や人でごった返す道を歩いていると、やはり心配になってきて、また砂丘の方へ歩いていくと、幸運にも再開できた。日は落ちて、夕方の青黒さが全体を包み始めた。
帰り道に、婦人と一緒にいくつかの店に寄った。東アジアの呪術仮面を売る店があり、そこからは夕方の黒い水平線が臨めた。
岡本太郎の太陽はライトアップを受けて鈍く金色に光り、海に佇んでいた。
駅前のロータリーまで戻ると、俗世に戻ってきた感があった。人でごった返す駅前で、婦人に感謝され、別れた。なんとなく、もうあの祝祭には戻ってはいけない感じがした。
その足で帰ろうとすると、ある若者に声をかけられた。
あの婦人は街で最も高貴な存在で、話すことなどできないという。
私はそれでいい気分になってしまい、またその若者と祝祭に戻ってしまった。
それまで婦人に案内された道を歩き、店を紹介して回った。もう夜はすっかり濃くなっていた。
有頂天になっていたので、砂丘まで行こうとすると、途中で分かれ道があったのでそっちに行ってみた。
そこには祝祭の外れで、坂を下った先に、真っ暗な公園や古ぼけた家々が遠くに見えた。普段貧困層が追いやられて過ごしている、引き返すべきだとすぐにわかった。
そこに神がいた。
寂れたトタンの家と家の間から老婆がゆらりと現れ、動物のように目は赤く光っている。
こちらに歩いてきて、若者が老婆に何かを言う。
そうすると老婆は凄まじいスピードでこちらへ走ってきて、若者を虐殺した。
もう一度、ここに来てはならない理由が分かってしまった。
私は老婆から逃げ、祝祭の中へ入っていった。
老婆も祝祭の中へと入り込み、人々を手当たり次第に殺し、店を破壊し始めた。
祝祭は一瞬で阿鼻叫喚の地獄へと代わった。人々はパニックに陥り、駅前のロータリーへ逃げていく。
気付けば老婆以外にも、様々な異形が店の間の闇から出てきて、人々を殺して回っている。
辺りが血でまみれている。
私が呆然としながら、岡本太郎の太陽が、こちらを睨み付け、何も言わず、沈黙しながら、海の中へとゆっくり沈んでいくのを見た。
私は逃げ回り、祝祭の中でも外れにある、美容院があるビルに着いた。
一回の美容院はガラス張りになっているが、そのガラスを通り抜けることができた。
壁一面に鏡が並んでいた。鏡の向こうには人がいた。他にも何人かそこにいた。
私は皆と同じように、鏡の前に座った。簡単な手続をして、自分の名前を書き、人々の記憶から私の存在を消し、この呪いを逃れることができた。
それでよかったのか?
神は私に対して怒っている。
この緊張感を常に持たなければならないのではないか
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team-ginga · 11 months
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映画『プライス 戦慄の報酬』
 Amazon Primeで『プライス 戦慄の報酬』(2019)という映画をみました。「あなたへのおすすめ」に出ていたからです。
 キャッチコピーには次のようにありました。
 「都会でアーティストとして活躍していたノーヴアルのもとに突然、彼が5歳のときに蒸発したきり会っていない父親から「会いに来てほしい」という一通の手紙が届く。感動の再会に期待を膨らませ父親の暮らす海辺の家へと向かうノーヴアル。しかし、再会した父親は横暴で明らかに言動もおかしい。再会を待ち望んでいたようには到底思えない…。「この人は本当に自分の父親か?」——疑惑と恐怖感をいだき足早に島を去ろうとするが、衝撃の事実が発覚。事件に巻き込まれ島を出られなくなってしまったノーヴアルに次々と悲劇が襲いかかる…!」
 しかも「ジャンル」には「サスペンス」、「コメディー」、「不安」、「奇妙な」とあります。
 え? 「コメディー」なの? あの名作『ウィッカーマン』のような映画なのかなと思って見てみましたが……
 主人公の青年ノーヴァル(35歳という設定ですが、それよりは若く見えます。口髭をたくわえ、フレディー・マーキュリーにちょっと似た感じ)が父親から手紙をもらって海辺の邸宅に会いに行きます。
 30年前に妻と子どもを捨てて出て行った父親にノーヴァルは「なぜ僕に手紙を書いたの?」と尋ねますが、父親は答えません。それどころか酒に酔った挙句、包丁を持ち出してノーヴァルを殺そうとしますが、その瞬間に心臓発作を起こして死んでしまいます。
 警察が来て、検察医が来て、不具合があって町の死体安置所が使えないので、検死が済んだら防腐措置を施して遺体を返すと言います。
 ノーヴァルはアルコール依存症で酒を絶っているのですが、どうしても気分が落ち着かなかったのか酒を飲み、検死から戻ってきた父親の遺体に話しかけます。
 物語はそこから思いもかけない方向に進みます。
[ここからはネタバレになります。未見の方はご注意を]
 ノーヴァルは家に隠し戸棚があるのを見つけます。そこには古い野球のグローブとアルバムが入っています。アルバムには家族写真が貼ってありますが、なんとそこに映る父親の顔は死んだ父親の顔と違います。
 ノーヴァルが居間のカーペットをどけると、そこには地下室に続く隠し通路があります。
 なぜそこに隠し通路があるとわかったのかわかりませんが、わかっちゃったのだから仕方ありませんーー私はこの辺りで「ははーん、酒を飲んでからは全てノーヴァルの幻想なんだな」と思いましたが、違いました。
 地下室では老人が鎖に繋がれています。その老人こそがノーヴァルの本当の父親だというわけです。
 誰かがやってきたので、父親はノーヴァルに「隠れろ。奴を殺せ」と言います。ノーヴァルが隠れて見ていると、やってきた男はボールペンを取り出し、「このボールペンには俺の排泄物がついている。これをお前の体に突き刺す。そうすればお前は感染症にかかる」と言って、ノーヴァルの父親の体を刺します。
 男はノーヴァルが隠れているのに気づき、二人は揉み合いになります。男は外へ逃げていきます。父親はノーヴァルにボールペンを壊せと言います。ノーヴァルはボールペンのかけらで父親の鎖についた錠を開けようとしますが、うまくいきません。
 父親は彼に「じゃあ、俺の親指を脱臼させろ」と言います。親指を折れば鎖から抜けられるだろうということですが、うまくいかず、人差し指まで折りますが、それでもうまくいきません。困ったノーヴァルが鎖の先を引くと、鎖はスルスルと伸びて、父親は自由になります。
 錠を開けようとしたり指を折ったりしなくても良かったわけですね。
 ノーヴァルと父親は地下室から脱出します。地下室の出入り口の上にテーブルでも置いておけば出られなかったはずなんですが、逃げた男はそこまで考えが及ばなかったのでしょうか。ここでもまたワタシは「やっぱりこれはノーヴァルの幻想なんだ」と思ってしまいました。
 ふと見ると父親には片耳がありません。先ほど逃げた男が父親に男の性液を飲むか、自分の耳を食べるか選べと言ったので、耳を食べたと父親は言います。
 嫌な顔をするノーヴァルに父親は「私は飢えていたんだ」と言います。するとノーヴァルは「性液の方が栄養があるのに」と言います。
 えーっと、これ、笑うところですか? 笑うところですよね。
 吐き気を催したノーヴァルがトイレに行くと言うと、父親が「大か小か」と尋ねるのも、トイレに行くとスキンヘッドの太った男が便座に座っていて、お尻にトイレットペーパーを挟んだまま襲いかかってくるのも、笑うところですよね。
 ノーヴァルはボコボコにやられますが、台所にあったサランラップで相手の顔をぐるぐる巻きにして、サランラップの芯でめった打ちにして殺します。
 サランラップの芯ってボール紙のはずですが……ここも笑うところですか?
 邸宅の外に逃げ出したところで父親はわけを話します。父親は三人の仲間と組んで悪いことばかりしていた。最後に金持ちの娘を誘拐して大金をせしめたが、父親は身代金を独り占めした。だから三人は身代金のありかを吐かせようとして彼を監禁したーーとのこと。
 えーっ、どうしようもない男じゃないですか。
 残った男(父親にウンチ付きのボールペンを突き刺した男)がノーヴァルの名前や住所を知ってしまい、「どこまでも追いかけていって酷い目に合わせてやる」と言うので、殺す���かないと父親は言います。
 ノーヴァルは男の車のトランクに入ってついていきます。男はモーテルに入り、娼婦を呼んだ様子。ノーヴァルはフロントに行って「部屋が欲しい」と言いますが、フロント係は「地理学会の連中が来ているので満室だ」と答えます。
 地理学会の連中というのはセックスマニアだそうで(ここも笑うところですか?)みんな女を呼んでしけ込んでいます。ノーヴァルは巨乳フェチのフロント係に「外にナイスバディーの女がいる」と嘘をついて鍵を持ち出し、男の部屋に入ります。
 仕事の邪魔をされた娼婦は怒ってノーヴァルを裸じめにとらえます(映画ではヘッドロックと言っていましたが、あれは裸じめですね。ここも笑うところなんでしょうか)。その隙に男は床に落ちていた尖った串のようなもの(なぜそんなものが床に落ちていたんでしょう。謎です)でノーヴァルの腹を何度も刺し、最後には頬に刺して逃げていきます。
 「主人公死す! やっぱりこれはノーヴァルの幻想なんだ」と思っていたら、どっこい彼は生きています(え? なぜ?)。
 ノーヴァルは逃げた男を追います。男は自動車で逃げようとして道路脇の標識に激突し、そのままフラフラと歩いています。
 ノーヴァルが追いつくと男は「お前の母親は娼婦だった。お前の親父は常連客だった。俺もお前の母親と寝ようとしたが、立たなかった。マイケル・ヘーゼンスタインに似てたからだ」と言い、「マイケル・ヘーゼンスタインというのは1980年代の英国の政治家だ」と付け加えます。
 えーっと、さすがにここは笑うところですよね。
 ノーヴァルは自分の頬に刺さっている串を抜いて、それを男の盆の窪(なんでしょうね)に刺して殺します。
 ノーヴァルはフラフラ歩きながら父親のところに戻ります。目を閉じたままの父親に「どうして僕に手紙を書いたんだ?」と尋ねます。
 父親は答えません。ただ、息子の手を取ろうとするかのように父親の手が少しだけ動きます。
 その後にほんの数秒だけ幼い頃のノーヴァルが父親と遊んでいるホームビデが流れます。そこにトラのぬいぐるみがちらっと映るのはうまい……というかずるい(もちろんいい意味でです)と思いました。
 映画の前半、ノーヴァルが戸棚を開けたとき、中に入っていたのと同じぬいぐるみだからです。
 全体としては、サスペンスのようでサスペンスでない(ベンベン)、コメディーのようでコメディーでない(ベンベン)、それは何かと尋ねたら「ようわからん」という本当に奇妙な映画です。
 フレディ・マーキュリーに似たノーヴァルを演じたのは、イライジャ・ウッド。
 え?
 『ロード・オブ・ザ・リング』のイライジャ・ウッドですか。
 私は『ロード・オブ・ザ・リング』を見たことがないので、別になんとも思いませんが、ファンが見たらどう思うんだろう。
 まあ、役者はいろんな役に挑戦する方がいいと思います。 
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kasayoichi · 1 year
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美しき故国①
 古の東亜―――海の時代
 大海の波風と天の采配に路を委ねる船旅は、すなわち死とも揶揄された―――
  大清康熙暦二十一年、初夏。
 「旅役は二度とごめんだ」
 魏徳賢高味根里之子親雲上こと朝明は、 戎克船の��板から身を乗り出し、日差しが照り返す水面を半目で見下ろしながら己に誓っていた。海に映った小麦色の肌と陽の光をうけて少し明��く見える結い上げられた黒髪が、波に揺られては縦や横に面白くかたちを変えている。時折吹いてくる潮風は、心地よさよりも肌にまとわりつくような湿り気を含んでいて、身に着けている薄く織られた着物がすこぶる重たく感じられた。
 東海の隅に浮かぶ小国で王府に仕えるこの青年は、このたび大陸の皇帝に謁見する使節の一員として海を渡った。二年に一度、海の向こうを治める皇帝へ貢物を献上する栄えある役を務めることは帰国後の昇進と家の筋目を約束されたも同然で、誰しもとまではいわぬが大方の士族―――とくに下級士族はこぞって手に入れたい契機である。たとえ末端の書記官補佐や通訳官であっても、齢三十手前で使節に同行できた朝明とその幼馴染である紅己煥の将来は順風なものとなるに違いない。
「……朝明は旅役なぞ務めなくとも勤功は貯まっただろう?」
 一体なぜ渡唐した、と気怠そうに甲板に背をもたれかけて座り込んでいる己煥は問うた。国で妻と育ちざかりの幼子たちが待っている己煥と比べれば、少し前に正室と離縁しひとり息子が出仕をする年齢になった朝明は身が軽い。しかし、他家に圧され聊か勢いがあるとは言い難い己煥の家に比べ、王族の支流である魏氏であれば、あえて旅役を務めずとも家柄だけでそれなりの役職は担保されているはずだ。
「そりゃあ、今のお前の顔が答えだろう」
 隣に腰を下ろしながらあらためて己煥を覗き込めば、もともと雪のように真っ白な顔は今や海の奥底より青く、玻璃のように透き通った御髪は半ば結うことを諦められ、緩く耳にかかりながら薄い肩から腰へ流されている。籠での移動や乗馬でさえ酔うこの麗人が進貢船に乗り込むのは今回で二度目であった。
「勤学のときはお前の兄上が一緒だったが、今回は俺がいなけりゃひとりだったろ」
「へぇ、私のためにわざわざ?」
「いや、ちょうど一昨年の今頃、チルちゃんと遊んでるのがウサちゃんに見つかってだな」
「揉めて町を歩きにくくなった、と」
「ご明察だ」
 チルちゃんとウサちゃんは城下の市場で働く物売りの娘たちである。どちらも卵のような小ぶりで色白の顔に墨を一筆引いたような涼やかな目元が上品で、たいへん朝明の好みであった。
「私もさすがにこれで最後にするよ……漢籍も学んだし通事にも就けたから渡唐はもう充分だ」
 そう何度も海を渡っていては、勤功や学問を得るよりも先に人としての生が終わってしまう。薄い瞼を気休めに閉じてみるが、耳の奥から頭を揺さぶられるような眩暈と胸の下からせりあがる不快感はいっこうに治まる気配はない。そんな己煥の様子を見るたびに、朝明はかたちの良い両の眉を一本にしてしまわないように気を付けなければならなかった。
「朝明……有難う」
 渡来してきた大陸の一族を祖に持ち、通事をはじめとした外との御取り合いを担う三十六家のひとつ紅氏に生まれた己煥は、幼少の時分に官話の才を見い出されて元服前から漢籍を学びながら出仕し、兄とともに進貢の使節に同行して大陸へ学びに出た。ただ、同じ唐栄の生まれのなかには生涯のうち幾度も大陸へ学びに行くものもいるが、丈夫とは言い難い身体に堪える毎日と残していく家族を考えれば、これ以上強いて渡海する必要はないだろう。それに、誰よりも己の体調に気を揉む幼馴染の眉間をこれ以上掘り下げたくはなかった。
「次はないな」
 あるとすれば、それは―――死地への旅だ。
 不死にでもならないかぎり、もう二度と唐旅をする気にはなれないだろう。
 朝明と己煥の安泰であろうこの先とは裏腹に、船を走らせる大海は不確かな自然に翻弄されるものである。行きは冬の北東風の気分を伺い二十日以上も経由地である離れ島に足止めされ、帰りも夏の大風で荒天が続いて出航が先送りにされているうちに、季節はすっかり一巡してしまっていた。 今回五度目の正直でようやく五月の末に福州を発った二艘の船は、今のところ時折雷雨にさらされながらも順調に帰帆の途についているが、これも果たして無事に港に着くか否かは海と風とお天道様のご機嫌次第だ。
 やはり、出世と引き換えに船旅で身を削るのはどう考えても悪手であると、朝明と己煥はお互いを見合いながら思うのであった。
つづく
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小説の書き方がわからんです。けどお話をとにかく目に見えるかたちにしたいと思ったので続きも頑張ります。1300字くらいしか書いてないんだねこれェ…
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no1-shochu · 1 year
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【カメハイでカンパイ♪】 ( 最強のハイボール『カメハイ』でテンションMax⤴⤴⤴ ) 今日はカメハイでカンパイ♪ オーク樽の芋焼酎とシェリー樽の麦焼酎をブレンドしたこだわりの焼酎『歩く一日』を使用したハイボール♪ (ラベルもほっこりするデザイン♪) 味は、バニラのような甘みとナッツを思わせる香ばしさです♪ ロック、水割り、お湯割り、炭酸割、どの飲み方も美味しいけど、私のオススメの呑み方は、強炭酸水で割って飲む『カメハイ』です♪ 私の一押しです(σ≧▽≦)σ⤴⤴⤴ ※私の一押し『カメハイ』の造り方♪ グラス(ジョッキ)にいっぱい氷を入れて、歩く一日を40㎖注ぎます(お好みで量を変えて下さいね)そして最後は強炭酸水をそそぎます♪ 最強のハイボール『カメハイ』の完成です♪ カメハイを飲んで、一日の疲れをとって明日もでテンションMaxで頑張りましょう⤴⤴⤴ 歩く一日 (カメハイ)情報 ・Alc.33% ・720mL / 1800mL ・希望小売価格:税込 1400円 / 3000円 ※皆さん是非、最強のハイボール『カメハイ』吞んでみて下さいね~♪ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ザ・ファブルを読みながら黒若潮(くろわかしお)で乾杯♪ ※ザ・ファブルは、週刊ヤングマガジン(講談社) に連載され累計発行部数750万部越えの超人気漫画です♪ その超人気漫画 ザ・ファブル に若潮酒造の焼酎が登場致しました\(^^)/ 登場した単行本は、第一部11巻、13巻、19巻、20巻、第二部第2巻、3巻です♪ ※週刊ヤングマガジン(講談社)にて、ザ・ファブル第二部連載開始中♪ ※単行本 第二部 第1巻、第2巻、第3巻、第4巻、第5巻絶賛発売中♪ ※映画にもなって、今一番注目されている漫画です‼️ 凄く面白い漫画です‼️ 南勝久 先生様有難うございます♪ 心より御礼申し上げます♪ これからも若潮酒造を宜しくお願い致します。 皆さん是非本屋さんにて超人気漫画ザ・ファブルを買って究極の日常酒 白若潮 (シロワカシオ)を探して下さいね~♪ ( ��・ファブルを読みながら白若潮で乾杯♪ ) 映画 ザ・ファブル 殺さない殺し屋 情報🎬‼️ 💿『ザ・ファブル殺さない殺し屋』DVD&BD 発売中‼️ 江口カン映画監督様作品。 主演も超豪華、 岡田准一 様、 木村文乃 様、 平手友梨奈 様、 安藤政信 様、 黒瀬純 様、 好井まさお 様、 橋本マナミ 様、 宮川大輔 様、 山本美月 様、 佐藤二朗 様、 井之脇海 様、 安田顕 様、 佐藤浩市 様、 堤真一 様 監督 = 江口カン 様 ( KOO-KI - 空気株式会社 様 ) 脚本 = 渡辺雄介 様 漫画 = 南勝久 先生様 V6岡田准一 様の超凄いアクションシーンにも注目‼️ ____________________________ ✨若潮酒造受賞歴✨ 鹿児島県本格焼酎鑑評会 ✨25連続受賞‼✨ ____________________________ ※若潮酒造の焼酎は、プリン体0・糖質0・甘味料0 、体に優しい芋焼酎です(^^♪ ※焼酎は、色々な飲み方が出来て楽しいです♪ 冷やしてストレート、グラスにいっぱいに氷を入れてロック、氷と炭酸水を入れてソーダ割り(焼酎ハイボール)、グラスにお湯を入れてお湯割り、柑橘系&炭酸水を入れて、カクテル、酎ハイ、色々な飲み方が出来ます♪ 皆さん是非、自分好みにアレンジして楽しんでくださいね~♪ ※若潮酒造の焼酎が日本全土 、 全都道府県 に広がるように頑張ります。 ( 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 新潟県 茨城県 群馬県 栃木県 埼玉県 東京都 千葉県 神奈川県 山梨県 長野県 富山県 石川県 福井県 静岡県 愛知県 岐阜県 三重県 大阪府 京都府 滋賀県 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県 ) ★若潮酒造は見学、ツアーも出来ますので皆さん是非若潮酒造に遊びに来て下さいね♪ ( 会社が休みの場合も有りますので、見学に来られる際は事前に御連絡して下さいね。) 若潮酒造株式会社への 商品、見学、ツアー お問い合わせ 若潮酒造電話番号 = 099-472-1185 若潮酒造住所 = 鹿児島県志布志市志布志町安楽215 お気軽にお電話下さい (^^♪ #焼酎 #歩く一日 #カメハイ #シェリー樽 #亀 #オーク樽 #最強のハイボール #ハイボール #Highball #若潮酒造      #ウィスキー #若潮酒造株式会社 #ブランデー #最強の焼酎 #遊び心 #本格焼酎 #鹿児島県 #志布志市 #志布志 #わかしお     #麦焼酎 #焼酎好きな人と繋がりたい #飲酒タグラム #sake #酒 #酒好きな人と繋がりたい #Shochu #家飲み #PATISSERIEYANAGIMURA #Japanesesake     (若潮酒造株式会社) https://www.instagram.com/p/CpStPUhPKgL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2022.9.3(Saturday)🍁🍃 昨日は、ランニング練習🏃‍♀️しに行って、そんなに猛暑では、無く、丁度、涼しくて、最後は、蒸し暑かったけど、でも、雨降らずに良かったです🥰😊👍 #ランニング練習 #瀬谷本郷公園 #瀬谷海軍道路桜並木 #瀬谷境川 練習の後、お昼ご飯は、名代 富士そば 藤沢店ところ食べに行って、冷やしオクラとろろそば食べました、美味しいかった✌️😋 #名代富士そば #藤沢駅 食べ終わった後、江ノ島の海湘南江の島海岸海ところに行って、貝殻🐚拾ったり、海の波🌊少し、足元歩きながら、遊びで、自慢撮りしました、楽しかった✌️🥰😊🍁❤️🍀🌟✨ #江ノ島 #海湘南海岸 #江ノ島海岸 #海岸海 #自慢撮り #貝殻 #海の波 日焼けしっちゃったけど、いい天気に青空、晴れて、海も綺麗で、見れて、良かった🥰😊👍❤️🍁🍀🌟🥰 海の後、江ノ島かき氷 べたなぎところ行って、テイクアウト🥡のマンゴーかき氷🥭🍧食べました、凄く、冷たくて、美味しいかったです✌️😋🥰😊🌻🍁❤️🍀🌟✨ #江ノ島かき氷べたなぎ 夜ご飯は、湘南台大戸屋ところ食べに行って、沖目鯛の西京味噌漬け炭火焼き定食🐟と大戸屋チキンサラダ🥗食べました、久しぶりの大戸屋食べに行けて、美味しいかったです✌️😋🥰😊❤️🍁🍀🌟✨ #大戸屋湘南台駅前店 昨日は、一日、楽しく、過ごせた事、出来て、行けて良かったです、また、どっか、時間があれば、行きたいので、楽しみです🥰😊👍🍁❤️🍀🌟✨ #楽しかった思い出がよみがえる #またたのしみが増えた (江ノ島) https://www.instagram.com/p/CiFJrDZpLim/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 5 months
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星辰選集
花鳥誌 令和5年12月号
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令和5年9月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
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左手に聖書持ちかへ虹を待つ 天野 かおり ざわざわと黴雨の来たる人との間 伊藤 ひとみ 夏蝶のたはむれ城主墓に罅 四宮 慶月 水音は水を濁さず蜻蛉生る 田丸 千種 親指がほどの哀愁袋角 取尾田 美智子 もろもろの鳥遊ばせて樟茂る 松本 洋子 自転車にボード括りて夏に入る 海老澤 由希子 一族の潰えし郷の緑雨かな 渡辺 美穂 蟻の道辿ればやがて蟻の村 赤川 誓城
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梅雨出水過ぎて正気を歩きけり 斉藤 いづみ 罠であり結界であり蜘蛛の糸 渡辺 光子 二度廻る梓渕さんかも黒揚羽 松井 秋尚 咲き倦みて落つ事忘れゐる椿 村上 雪 単衣着て空念仏に去る漢 棈松 政江 水面裂くオール八本五月晴 崎島 六甲 済度する菩薩の眸子著莪点る 田中 惠介 風薫る旧びし墓碑の梵字にも 佐藤 ゆう子
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短夜の最後の看取り息浅し 岩原 磁利 炎天の瓦礫留めてゐる時間 岩佐 季凜 賽の目はぞろ目や夜の青嵐 冨永 桂 ソーダ水ぬるく漁港の日曜日 緒方 愛 生き死にを語る吐息の暑さかな 宮城 踏青 今年竹ただ青春の大空へ 続木 一雄 ハングルの難破漁船や夏の潮 鈴木 経彦 豆飯の湯気の中から母のこゑ 伊藤 ていこ
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花菖蒲八咫鴉てふ濃紫 奥 清女 坂の上の雲の館や若葉風 渡部 一馬 袋ごと枇杷をもげよと檀太郎 古賀 睦子 代掻くや越の富士山崩しつつ 多田 みす枝 五月闇こより捲かれし狛の脚 比嘉 幸子 ぐんぐんと入道雲へホームラン 田上 喜和 懐を深く神在す大夏木 伊木田 マリ 麦秋や昭和の映画語らうぞ 坂井 令子
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amiens2014 · 2 years
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青海島遊歩道/山口県長門市【ウォーキング】北長門海岸国定公園を代表する絶景ポイント
青海島遊歩道とは 青海島遊歩道(おうみじまゆうほどう)は、山口県長門市仙崎大日比(やまぐちけんながとしせんざきおおひび)にある観光地だ。 北長門海岸国定公園の中心に位置する青海島は、周囲約40kmで、別名『海上アルプス』と称され、大自然が削り上げた洞門や断崖絶壁・石柱など数多くの奇岩・怪岩などの芸術作品が多く、まさにスケールの大きい自然美術館と言えます。そんな青海島の景色を、陸上からは青海島自然研究路を散策しながら、海上からは青海島観光遊覧船に乗って楽しむことができます。 青海島 | 山口県長門市観光サイト ななび から引用 青海島遊歩道 山口県長門市仙崎大日比 (more…)
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