科学的に正確でもポリコレ的に正しくない、「不都合」な研究結果をどうするか。
現代西洋社会においてミソジニーは神話である—と唱える女性進化心理学者が、アカデミアの自己検閲、ジェンダー・バイアスと学術界における女性の影響、学問的アプローチに見る男女の違いなどを語った。
↓以下まとめ
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『Modern Wisdom』は、クリス・ウィリアムソン(Chris Williamson)が様々な思想家達を招き、社会・文化・健康などあらゆるテーマについて語る人気ポッドキャスト番組。ジョーダン・ピーターソン博士、サム・ハリス、アンドリュー・ヒューバーマン博士、スティーブン・ピンカー、ダグラス・マーレイなど、豪華なゲスト陣は十人十色で内容も興味深いものばかり。
第665回目のゲストは、ペンシルバニア大学助教授で社会心理学者、そして作家でもあるコーリー・クラーク博士(Dr. Cory Clark)。
クラーク博士は、学術心理学における自己検閲について、特にジェンダー・バイアスと学術界における女性の影響に焦点を当てた研究についての洞察を語った。
以下、クラーク博士とクリスの対談要約と関連する発言を一部抜粋して訳した(発言は繋がっていない場合あり):
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①アカデミアとジェンダー・バイアス
・アカデミアは必ずしも知的純粋さと真実の砦ではない
・蔓延する女性嫌悪という概念は、現代西洋社会においてはほぼ神話である
・もう一方の性に対して、どちらがよりひどい扱いを受けているのかという問いに答えるのは難しい
・我々は女性への加害により敏感な傾向があり、主流のナラティブは反女性バイアスにより重点を置いてきた可能性がある
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クラーク博士(以下、博士):「(一年前に発表した論文について)心理学におけるジェンダー・バイアスに関する最近の研究をレビューしたものなんですが、多くの場合、正反対のことが見られる。つまり、人々は様々な領域で女性に有利な方向へ偏っているんです。
男性よりも女性の方が良く扱われることが多い。男性よりも女性の方が好かれます。同じことをしても、女性は男性より罰せられません。女性は男性より優れているとする根拠が示された時よりも、男性が女性より優れているとする科学的な発見があった場合の方が、人々はより偏見を持ちやすいんです。
つまり、人々は女性が男性よりも優れていることを望んでいる。だから、社会は女性に対して性差別的であり、私たちは女性に対する潜在的な危害に警戒しなければならないという考え方は、実は私たちが男性よりも女性のことをとても大切に思っているという事実そのものから生じている可能性があると思われます。男性に対する偏見が見つかっても、誰も気にしないし、見出しにもならないわけです」
博士:「現代の西洋社会において、それ(女性差別)はほとんど神話だと言っていいでしょう、はい」
博士:「7年間も発表するのに苦労した研究があるんですけど、知能に関するもので。男性も女性も同レベルで知的である、女性は男性よりも知的である、男性は女性よりも知的であるという。
人々は男女が同じように知的、あるいは女性の方が知的というのを好ましく思うんですが、男性の方が女性よりも知的である、というのには苛立ちを覚えるんですね」
クリス:「どうしてでしょうね。というより、まず主流のナラティブでは反女性的バイアスが蔓延しているということになっていて、当の男性達ですら反男性的な感傷に呼応している」
博士:「そうですね。男性も女性も女性有利に傾いたバイアスを持っていますが、女性の方がそれはより強い傾向にあります」
博士:「女性の方が『価値』が高いという考え方は、進化の観点からすると、100人の女性と1人の男性がいれば100人の赤ちゃんを産むことができるが、1人の女性と100人の男性がいれば、1人しか産めないというのがあるかもしれないですね。すなわち女性は『限られた資源』であると。学者達もそう主張してきたし、まあもっともらしいと言えます」
博士:「1920年の時点で男性が女性より賢いとか、女性が男性より賢いというような研究を行ったとしたら、現代と同じ反応があったかと言えば、とても疑問です。
加えて、女性はX年間不利な立場に置かれてきたという文化的なナラティブがある。
これは大きな問題です。そして今、是正措置が進み、完全に逆転してしまった。そして多くの場合、男性は女性のために不利益を被っている。だから、どちらも社会において起こっていることだと思います。女性に対する性差別のようなものがあると、みんなワッと飛びついて炎上する」
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②ガンマ・バイアスの概念
・ガンマ・バイアスとは、女性の成功も男性の失敗も、見出しの中で性的に扱われてしまうという概念である
・人々が日々経験する世界は限られており、ニュースやソーシャルメディアが彼らの世界観を形成している
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クリス:「ガンマ・バイアスというのは、男性心理学センターのジョン・バリー博士が…少なくとも彼が広めた概念です。彼が考案者かどうかは忘れたけど。基本的には、特に一般的なニュース、メディアの記事において、記事が女性寄りのものであれば見出しに性別を表記する、というものです。
あるいは反男性的な記事であれば、見出しに性別を入れる。しかし逆のケースでは、男女の区別をつけない。つまり基本的に、女性の成功も男性の失敗も、結局は両方が取り上げられることになる。だから例えば、白人男性の射殺事件が見出しになったり、女性のCEOが見出しになったりする。
でも、その逆は必ずしも正しいとされないというか、その逆はあまり見ないわけですよね。結果、人々の世界に対する見方に歪みが生じる。今、より多くの人が外よりも家の中で時間を過ごしていて、すなわち彼らが日々経験する世界は限られている。つまり、ほとんどの人は読んだニュースやフォローしているソーシャルメディアを通して、それが世界観を形成してるんですね」
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③高等教育における女性
・2023年第1四半期、女性CEOの数は過去最多となったが、これは必ずしも女性にチャンスが多いことを意味しない
・心理学の学者も、データの解釈に関しては女性寄りのバイアスをもっている
・このようなバイアスは、誰が権力を握っているかということと、実際に何が起こっているかということに対する誤った認識の組み合わせによって引き起こされている
・女性が高等教育を支配するようになったことで、トリガー警告や弱者保護への懸念といった文化的な変化が起きている
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クリス:「科学が女性にとって不利な場合、人々はその情報を検閲したがる傾向にある、という研究もなさってませんでした?心理学者にも(女性重視の)バイアスがあるといういうような」
博士:「まず心理学の教授達にアンケートを取ってインタビューしたんですね。(中略)
動機は、よくわからないですが、いくつか考えられます。ひとつは… 前にも言ったように、私たちは女性により大きな関心を持っている。そして文化的な変化があり、その一部は、女性がより権力のある立場にいるという事実によってもたらされている。
女性がメディアや科学分野といった組織内で権力的地位を占めるようになり、自分達の利益をより気にかけるようになった、というのもあるでしょう」
博士:「この論文はうまくいけば今にも受理されそうなんですが、学者や一般の人々が雇用における男女差別を信じている、というものなんですね。
実際の求人に女性や男性の名前で応募してもらうというものなんですが、2009年ごろから、突然、ステレオタイプな男性向けの仕事でも、女性に有利なバイアスがかかるようになりました。ステレオタイプな女性向けの仕事では常に女性が有利でした。
しかし、一般の人々や学者達は、誰もがその逆だと思い込んでいる。ステレオタイプの男性的な仕事には、女性に対する大きな偏見があると思い込んでいるんです」
クリス:「男がCEOになった、という話には被害者カードを振り回す余地もないので、だからどうした、となるわけでね」
クリス:「ある種のミサンドリー(男性嫌悪)や、男性を非難し続けたいと願望を持つ女性がいるのは、まあ理解できますかね。
Google Scholarでミソジニーを検索すると114,000件ヒットしますが、ミサンドリーを検索すると2,340件しかヒットしません。つまり、人々は反男性的な偏見、特に女性からの偏見について研究していないし、関心もない。
『黒人が人種差別をするなんて、まさかそんなことはない』というヤツですよね。街頭インタビューやアンケートで『女性は性差別主義者ですか?』と質問したら、似たような結果になるに違いない」
博士:「Googleといえばもっと面白いのがあって、これは論文執筆後に見つけたんですけど、『Men are stronger than women(男は女より強い)』でイメージ検索するんです。(男は女より強い、というのは)平均的にというか、ほぼ例外なく事実ですよ。
すると検索結果に表示された41枚の画像のうち、1枚は当てはまるものでした。2枚は中立的なもの。残りは全て、女性の方が男性より強いとする画像だったんです。女性が男性より速く走るとか、女性が男性を頭上に持ち上げるとかね。
だから、『男は女より強いというのは事実だ』と言ったところで、『いや、女の方が強い。グーグルで検索した』となってしまうんですね」
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博士:「ここ数年で、学部レベルでは女性が圧倒的に多くなり、男性よりも女性の方がはるかに多く、大学院でも女性の方が多くなり、今では教員も女性の方が多くなっています。かつて教育機関のほとんどは男性によって運営され、学生も男性であったわけですが、今では女性が過半数になりました。
それが唯一の原因だとは言いたくないし、それだけとは思いませんが、過去10年間に起こった多くの文化的な変化の主な原因であることは間違いないでしょう。
なぜなら、それらの変化はすべて女性の価値観を優先しているからです。
例えば、授業でトピックを教えるときに、トリガー・ウォーニング(センシティブな題材、性暴行や虐殺や人種差別などについて扱う前に、そうした話題が苦手な人達が教室を出たり記事を読むのをやめるなどして心理的な負担を回避できるように配慮する措置)を出したがる。
物議を醸しそうな問題を研究した学者がソーシャルメディアで攻撃されたり、解雇されたり、嫌がらせを受けたりするケースが急増しています。
学術雑誌の編集変更を見てみると、リスナーの皆さんには馴染みがないかもしれませんが、シュプリンガー・ネイチャー誌系列の科学界で最も権威のある学術誌が、ここ数年、一連の論説を発表していて、『人間の社会集団の尊厳を損なう可能性のある科学は掲載せず、撤回する可能性がある』と述べているんです。一体どういう意味かと」
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④男女の心理的な違い
・女性は歴史的に子供を育て守る責任があり、男性は集団を守るために連合を形成する責任があった
・女性は物事に対して平等主義的な傾向があり、男性は階層主義的な傾向がある
・女性は自分の功績を過小評価する傾向があり、男性は自分
の功績を過大評価する傾向がある
・女性は言論の自由よりも包摂的な社会を優先する傾向が強く、男性は包摂的な社会よりも言論の自由を優先する傾向が強い
・女性は他人を助けることを目的として科学を追求する傾向が強く、男性は世界を理解することを目的として科学を追求する傾向が強い
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博士:「アカデミアの男女比率構成が変わったことで、女性の関心、すなわち弱者を危険から守るという目的が優先されるのは避けられない結果でしょうね。また女性の方がはるかに形式的平等主義者でもあります。なので男性の方が階層集団的であるのに対して、女性は皆等しい結果になるのを好む傾向もあるんです」
博士:「(身体的特徴の差や原始社会から現在まで積み重ねられた役割の違いなどを鑑みれば)男女の差はものすごく大きいわけです。そして男女には優先順位の違いも見られます。
心理学の教授陣に関して言えば、男性教授は女性教授よりも科学の目的である真実の追求を支持していますし、女性よりも学問の自由を支持しています。
一方で女性は、それらと道徳的な懸念や危害の懸念とのバランスを取る必要がある、と考えています。
つまり、こういうことです。男女の性差や性格が進化し、教育機関の男女構成が変わると、その教育機関が達成しようとしている目標が根本的に変わってしまうのです。
科学の場合であれば、『真実(但し特定の誰かに対するネガティブなステレオタイプを広めないものに限る)』みたいなことになってしまっている」
クリス:「あなたの調査の中に、私の好きな統計があるんですが…男性の56%が、『大学は攻撃的な考えから学生を保護すべきではない』と答えたのに対し、女性の64%は、『保護すべき』だと答えた。
男性の51%は、『学生が暴力的な抗議運動をすると脅した場合にも、大学は講演者の来校を中止すべきではない』と答えたのに対して、女性の67%が『中止すべき』と答えている。
男性の58%は、『学生が攻撃的な発言を報告するために利用できる、大学の秘密報告制度に反対』しているが、女性の54%は『賛成』。
『学生新聞の物議を醸すようなニュースに関して、掲載前に管理者の承認を必要とすべきではない』と考える男性は63%、一方で女性は『承認を必要とすべきだ』が51%。
71%の男性が、『言論の自由を守ることは、包括的な社会を促進することよりも重要』と回答しているが、女性の60%は、『言論の自由を守ることよりも、包括的な社会を促進することの方が重要』と答えています。
つまり、男性は経験的に正しいことを進めることに比較的関心があり、女性は道徳的に望ましいことを進めることに比較的関心があるということでしょう」
博士:「学問の自由を当たり前に重要視していて、科学は当然のように真理を追求するべきだと考えている人には、これらの統計は非常に好ましくないものに見えるでしょう。女性が科学や学問の世界で問題を引き起こしているのでは、とね。
しかし女性達はこの統計を見て『やっとこれで(学問が)救われる』と考えているんです。『誰にとっても安全な場所を作り、科学が良いことをするようにするわ』とね。科学は害を成すものではないんですが。
科学者の優先順位について、別の論文があるんですが、男性は世界を理解し、何が真実なのかを知り、物事の仕組みを解明することに基本的な関心を持っている。
一方、女性が科学をするのは世の中に良いことを起こしたいから、です。つまり、彼女たちの動機としては真実を知りたいけれども、それは、それが他の人々を助けることに役立つ場合だけなのです。つまり、他の人々を助けないような真実、特に他の人々を傷つける可能性のある真実には価値がなく、科学や学問の分野でそれを追求すべきではないと考えるんですね」
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⑤進化心理学とジェンダー・バイアス
・男女は進化によって異なる心理的特徴を持っている
・生物学的性別は、大多数の人々にとって二項対立である
・性的に強圧的な行動をとる傾向は、そのような行動をとる男性に進化上��利点を与えるために進化した可能性が高い
・ジェンダーバイアスは、STEM分野で女性の割合が低いことの最も重要な要因ではない
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クリス:「アレクサンダー・デイト・サイクス(Alexander Date Sykes )が発表した、本当にめちゃくちゃ素晴らしい研究があるんですけどね。彼には再来週あたりにゲストで来て話してもらう予定なんですけども。
55%の独身男性は、この1年の間、女性に声をかけたことがないというんです。女性の77%は、よりアプローチされたと答えていますが、それは18歳から30歳の層に限ります。
そして41歳以上になると傾向が反転し、55%の女性が「声をかけられたくない」と答えたんです。
ここで疑問なのは、『男性は女性にアプローチするのをやめよ』みたいな論説を誰が書いているのかということです。その年齢層の女性達なんですよね」
博士:「ああ、なるほどですね。つまり、女性にアプローチするのを止めろと言っているのは年配の女性で、アプローチされない層の女性なんですね。だから競争相手を排除するべく、20歳の女性を口説くのを止めろと言っているという」
クリス:「そうそう、女性の敵は女性じゃないの、なんて」
博士:「心理学の教授に、『教授は生徒とセックスしたら解雇されるべきか』という質問をしたことがあります。男性は『解雇されるべきではない』と答える傾向にありますが、女性は『解雇されるべき』と言いますね。自分の利益を考えているのかもしれない。
ひょっとしたら若い女性に気を配っているのかもしれない。年上の教授からハラスメントを受けては嫌でしょうから。でも年配の女性教授達にしてみたら、自分らとくっつくべき年齢層の男性教授が、24歳の大学院生と性交しているのが嫌というのもあるかもしれない。まあこれらのことを区別するのは難しいですよね。
個人的にはどちらもれっきとした理由だと思うんですけどね。例えば特に年配で子供がいる女性には、母性本能のようなものがあって、若い人を守りたいという願望があります。同時に若い女性は繁殖の競争相手でもあるわけです。あなたは40歳の女性教授で独身なら、45歳の男性教授が28歳の大学院生とデートするのを望まないでしょう」
クリス:「そうそう、ビル・バービット(Bill Burbitt)の話で、平均的な女性がよりボディ・ポジティブを支持する理由として、自分の周りの太っている友人に痩せて欲しくないから、という」
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クリス:「進化心理学、あなたの専門分野のひとつであり、僕が執着する分野のひとつでもありますけど、進化心理学がこれほど嫌われるのはなぜだと思いますか?」
博士:「私の目的は、なぜ人々が進化心理学や行動遺伝学を嫌うのかを知ることではなかったんですけどね。心理学で物議を醸す結論のほとんどは、あなたをトラブルに巻き込みます。それらはすべて進化心理学や行動遺伝学から来ているといっていいでしょう。
人々は集団の違いに関する結論を嫌うんですね。男女差や人種差、特に進化論的な説明や行動遺伝学的な説明によって支持される結論を嫌うんです。進化心理学も行動遺伝学は互いに相性が良く、というのも進化は私たちの遺伝子に働きかけるからですね。」
博士:「最初に話したように、その違いが女性よりも男性に有利なものであったり、黒人よりも白人に有利なものであったりするとね。
白人が黒人より、あるいは男性が女性よりも優れているようなことがあれば、それについて進化的あるいは遺伝的な説明をするじゃないですか。そんなことをしたらクビになるわけです。論文も撤回されることになる。誹謗中傷も受けるでしょう。
進化心理学はめちゃくちゃになってしまいました。特に、女性が学問の中心を占めるようになるにつれて、有害になりうる話題には気をつけよう、避けよう、となってしまっている」
博士:「まあでもいちばん行きたくないのは社会心理学ですね」
クリス:「ですね。様々な心理学分野の中で最も信頼性が低いのに、現在最も台頭していて、政治的に、感情的に最も支持されている分野という」
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⑥心理学における政治的バイアス
・保守派は心理学で十分に代表されていないグループである
・政治的バイアスは人種的バイアスよりも一般的である
・イギリスでは階級が決定的な要素であり、アクセントは階級を表すことがある
・人々は人種差別よりも政治的人種差別を容認しがちである
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クリス:「学者に平均的な世論調査をすると、特に今、現代の学界では、かなり左寄りになっていますよね」
博士:「それについては議論がありますね。保守派が科学に向いてないとか、科学が嫌いなだけだと言う人もいるんですが、保守派を差別して採用しなかったり招聘しなかったりすると、学者がはっきり言っている研究もあるんですね。だから、人々が保守派を差別していると考えるには十分な理由があるでしょう」
クリス:「スコット・ギャロウェイ(Scott Galloway)が教えてくれたんですが、民主党の親の3分の1か5割だったかな、自分の子供が共和党員と結婚することを恐れているんだそうです。そう、政治的なものに対する集団内、集団外での憎しみは本当に大きく、人々はそれを認めているんですね。恥とも思っていない」
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⑦アカデミアにおける過敏症
・NYUは黒人専用の寮を検討していた
・シュプリンガー・ネイチャー・ガイドラインは、害を及ぼす可能性があるものは抑制すべきであると示唆している
・心理学の教授の多くは、何かを発表するかどうかを決める際には、道徳的な懸念よりも学問の自由を優先すべきであると考えている
・過敏症のせいで、2つの堅実な研究分野が悪評を立てられている
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博士:「NYUだったかな、黒人専用寮を検討していて、それもあれですけど、さらに白人のみの人種に関する集会で『黒人は参加できません。我々のしでかしたクソの山にあなた方は我慢してきたというのに、顔向けできないからです』みたいな感じで」
クリス:「あなたの研究に戻りますが、アメリカ中の心理学教授共を集めたわけですね。有害な結論に達した時それをどう対処するか、奴らは何と?」
博士:「男女の違いについて話してきましたが、私のデータ全体を見渡すと、ほとんどの人が学問の自由を支持し、何かを発表するかどうかを決める際に道徳的な懸念を考慮に入れることには反対しているんです。
なので私は訊いたんです;その発見が抑圧されてしまう前に、一体どの程度、その有害性が確実であるべきか、と。
最も一般的な回答は、『科学的知見を決して抑圧すべきではない』というものでした。そこから段階的に『害を防ぐ唯一の方法が、その発見を抑制することだという証拠があるべき』という感じで、驚いたことに一番下(抑圧すべき)にはほとんど誰もいませんでした。
驚いたというのは、先ほどお話ししたシュプリンガー・ネイチャー・ガイドラインは、『害を及ぼす可能性があると思われるなら、論文をリジェクトするか撤回すべし』というようなものだからです。
しかし、それが適切な線引きだと考える心理学教授はほとんどいなかった。だから私は、この分野がどこに向かっているのか、人々が何を望んでいるのかという認識は、実際にはどうなのだろうかと思うんですね。一部の過激派が、政策に影響を与えるような権力の座を得ようとしているということなのでしょうか。ネット上での声が実在する数以上に多く感ぜられるだけとか。
人々が何を望んでいるのかが歪められている気がしますね。
私たちの多くは怖くて何も言えない。その結果、声を上げる少数派の人達は、大胆な政策変更を行うことができるのです。闘いを挑む人はそれほど多くない。不満を持っている人は何人かいるが、反対意見を持つ人の多くは何も言わないので」
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⑧学界における女性の影響力
・女性がアカデミアを支配し、男性教授候補のプールはますます小さくなっている
・議論されているすべてのトピックの間に共通して通っている一本の糸筋は、ある種の偏狭さと、社会的に過小評価されているとされるグループに対する懸念であり、それはしばしば人生で苦しんだことのない進歩的な白人女性によって推進されている
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博士:「このような性差に加え、女性がアカデミズムを席巻しているのを目の当たりにすると、その数は当分の間、女性側に推移していくでしょうね。現時点では、男性側に戻るという希望はありません。
男性はもうそれほど大学に進学していないし。なので教授になれる可能性のある男性のプールは、日に日に小さくなっています」
博士:「進歩的な人達は本質的に黒人を見下すような話し方をし、黒人と話しているときに自信のなさを見せるのに対して、保守的な人たちは黒人も白人も同じように扱うという論文もあるんです。
他にも、どんなジョークが面白いか、不快か、みたいなことを調べた論文もあって、保守派は『一様に全員をからかう、みんな面白い、みんなこういうことの対象だ』みたいなのに対して、進歩派は『マイノリティ・グループをからかっちゃいけない、他のみんなはからかうけど、彼らをからかっちゃいけない』みたいな感じなんですよ」
博士:「ポーランドの学会にいたんですが、友人のマヤ・グラッソ(Maya Graso)が非常に興味深い発見をしていて。
どうやって計測したのかは失念したんですが、男性は外的危害あるいは肉体的危機の保護者であるのに対して、女性は内的危害や内面的損傷の保護者なんです。つまり、男性は他人が肉体的なダメージを受けているのを見ると立ち上がるのに対して、女性は特に心理的、感情的なダメージを受けている人を守るために立ち上がるんですね。
これは非常に興味深いもので、実際我々が目の当たりにしているのは、肉体的な被害の可能性を生み出してまで女性達が他者の「気持ち」を守ろうとするもので、彼女達は必ずしも二次的、三次的なことまで考慮していないように見えます」
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⑨映画監督とジェンダーの優先順位
・映画監督をする上で、女性は男性とは異なる優先順位を持つ
・2020年版『ムーラン』の予算は2億円、興行収入は7000万円で、1億3000万円の赤字だった
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クリス:「20年くらい前でしたっけ、ディズニー映画の『ムーラン』が最初に作られたとき、主人公は小柄な女の子で、より賢く、より懸命に働くために、あらゆることをする必要があった。
彼女は自分の体格を補うために一生懸命に働いて、頭を使って体格のなさを上手く利用したりして、より速く、より経験を積み、困難を克服し、やったー、彼女は素晴らしい、となったわけですよね。
ムーランの最新版とは対照的なんです。
最新版の主人公は何もする必要がない。彼女はそこにいる男たち全員に見下されている。彼女は当然、その男共より優れている。彼女は困難を克服する必要がない。彼女は魔法のような女性の気、エストロゲンの気、それこそ何でも持っていて、そのおかげで男達全員よりも才能がある。
そして男達はみんな不器用で、恩着せがましい。そしてそれは…どこかで見た展開だよね」
博士:「1作目は男性監督で、2作目はおそらく女性監督じゃないですかね」
クリス:「そう思う?見てみよう。どうかな。なんてことだ。新しい方の『ムーラン』の監督はニッキー・カロ。ニュージーランドの女性映画監督だ。ファックだよ、古い方のは…男だ。バリー・クックとトニー・バンクロフト監督、1998年だって」
クリス:「参考までに『ムーラン』の予算は2億ドルで、興行収入は7700万ドルだった。1億3千万ドルという重い重い代償を払って、女性の脆さを支えたわけなんだね」
(まとめ&訳終わり)
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今回の動画は密かに大先生として尊敬している吉澤洋治さん(@yojireal
)にお薦めいただきました。いつもためになる書籍のご紹介やコメントをありがとうございます。
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💗私の宝もの
🛸虹の彼方から
地球🌏へ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
ぼく🌠
お星さまから来たよ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
25年前、自宅のお風呂で出産した体験記です。
まずは、生まれてから一年後(2000年)に書いた文章にそのままタイムスリップします。
🛸🎶💫🛸🎶💫🛸🎶💫🛸
🐬🎶🐳
1999年3月22日、予定日より少し早く3690㌘の元気な男の子、蒼(あおい)が生まれました🎉🎊
自宅のお風呂でパートナーと二人だけの水中出産です。
おしるしがあってから約三時間後父親の手で無事とりあげられました。
ヘソの緒がつながったままの蒼を胸に抱きかかえ
✨「よく来たねー」✨
✨「よく来たねー」✨
とこみあげてくる愛おしさで一杯でした。
覆っていた薄い透明感のある羊膜をはがすと、蒼は母親の顔を確認するように一瞬目を開け
✨「ふんにゃ〜」✨
と、ひと声
穏やかに優しい産声で挨拶してくれました。
「ぼく来たよ🐬 約束どおり・・・🎵」
そんな風に聞こえました。
それから、オッパイに吸い付いて スヤ…スヤ…スヤ…
そのまましばらく抱きしめていました🍀
ヘソの緒のカットも父親の手によってその辺りのハサミと糸で簡単に終了。
我が子が生まれたというより、再び仲間に会えたような不思議な感じでもありました🛸💫🛸
何となくベビーベッドもベビー布団も用意せずにいたので、私の布団に寝かせることにし、それからずっと一緒の布団に寝ています💕
ベビー用品などほとんどないことが、とてもたくさんのスキンシップにつながりました💞
忘れていた自然な出産は、病院での産後と違って母と子がひとときも離れることなく、蒼と二人でゆりかごの中にいたようでした🍀🍃
今までの出産は2回とも帝王切開で、医学上は普通分娩が不可能です。
2回となると傷口が裂けるというリスクが高いのがその理由です。
私の地球人生プログラムの中では、数年前からの様々な体験を通して女性性の解放と癒やしと同時に、この医学の倫理観を覆して命の本質へと戻していくメッセージを感じていました。
出産当日までは、たまーに不安が顔を覗かせたりしながらも導かれる流れにまかせて、深いところでは大丈夫!という確信がありました✨
陣痛が進行する中、ほんの一瞬だけ恐れが頭をよぎりましたが、全てを委ねきったとき内なるパワーは全開になりました✨
夫と二人で向かい合って両手を握り、蒼と三人の呼吸はぴったり合って、ベストなリズムで進行していきました✨
ただただ、
✨「ありがとう」✨
✨「ありがとう」✨
と湧き上がってくる想いが声に・・・
✨知識はほとんど必要なく、お互いに内なる叡智が全てを知っていたことを実感しました💖
🛸お風呂ごと宇宙船の中にいたような気もします🐬🐳
予定の出張助産婦さんが、出産予定日より遅れると言って先に他の出産へ立ち会っている間、同時にあおいは生まれてきました。
夫婦二人だけの水中出産になりそうなことは予定日が近づく頃から何となく感じていました。
出産のリスクを手放し、医学上のリスクを越えて自然出産が実現するには、夫婦二人の統合エネルギー☯️が必要不可欠でした。
(最も必要だったんです)
✨そこは、焦りや不安、恐怖の無い世界✨
✨(魂の)繫がっている安心と喜びのの世界だからです✨
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
そこには、医学の危険なんて全くどこにも無いのです
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
命がけの出産とか言いますが、そんな危険と隣合わせみたいなものではなく、
本来、いのちは
✨愛と光と叡智✨に満たされています💖
そまた、解放と癒やしの原点でもありました🌈
存在そのものへの祝福でした💝
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
🎠体験から
想うこと🎠
究極の喜びであるはずの出産は、西洋医学の統計上でしかない危険性をつくりあげられている為、本来の母性が不自然になって妨げられているのを感じます。
(万が一の為に…とか、最悪の場合…等、恐れの思考です。)
母性が本当の意味で大切にされていない現実を、産婦人科の医療という制度で最も強く感じました。
男性社会に���んでいる女性性への支配や抑圧(恐れ)を、私は産婦人科の現場に垣間見たような気がします。
本来、出産は病院の「ヤマイ」という字のつくところでおこなわれること自体が不自然だと思います。
💧多くの女性自らが、そのようなことにはほとんど気がつかず、疑問に思っていないことは残念な悲しいことです。
不自然になってしまった出産が、アンバランスな子育てにつながり、親子の問題はここから始まっているような気がします。
出産は、女性だけが主人公ではなく、男性と女性が平等に参加することによって、その後の子育ての同じスタートラインに立つことができるのではないでしょうか🎵💫🎶
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✨このままでいい✨
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💐自宅のお風呂で出産したことは、あふれ出てくる愛と感謝を喜びいっぱい自由に表現できて、命の原点のようなところを実感した体験でした。
💕「イブの出産 アダムの誕生」という本には、水中出産について色々書かれています。
出産は女性性の解放だから
思いっきり声を出して解放しなさい、ということや、
母性は野生性だ、というような内容がありました。
🍃また、生まれてくる赤ちゃんは、激しく泣かないのが、本来の自然体です。
オギヤーと泣き叫ぶのは、元気なしるしなんかではありません。
不安や恐怖で叫んでいるみたいなのです。
本当の命の自然体で生まれると、安心感に包まれているので自然にちょっと声を出すくらいです✨
掌はぎゅっとにぎしめないで、ふわ~と開いてリラックスしています✨
このことは、自然出産した知人たちも同じように語っています。
この出産の2年後、沖縄県宮古島のある助産婦さんのエッセイにも同様の内容が書かれていました。
私のようにしゃがんで産むスタイルは、宮古島の伝統的な出産だということです。
このスタイルは、赤ちゃんが真っ直ぐ真下に降りてくるので、産む側の親にとっても、生まれる側の子にとっても、最も楽な姿勢になります。
🐬🎶🐳
🍀その時、夫は こう語っていました。
✨ものすごい感動だった🎊
✨『自分が産んだ』✨
という実感だ!💫
そして、母子手帳の父親記入欄には蒼に対するメッセージ…💝
感動だった
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
✨このままで
いい!✨
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
この一言に、人生のありったけの愛を込めて、全身全霊の喜びを表したと思います。
そのまま、ここに全てがあり、完璧、という意味だったと思います✨✨✨
🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸
🐬💫🐳
ようこそ🍃🌱
母なる大地へ
🎉生まれてきてくれて🎊
💐ありがとう
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
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不思議な村に行った話
執筆者: 河合 曽良
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皆さんは田舎とかに行って、怖いと感じたことはありませんか?
怖いまでいかなくとも、「不気味だ」とか「不思議だ」とか。
僕はそういうの、滅多に感じない方なんですが、つい昨日そういう体験をしたんですよ。
別に何の変哲もない村だったんですけどね。
家屋はこまめに整備されているのか寂れた印象は全くなくて、緑もあおあおとし、水車の爽やかな音が心を落ち着かせてくれるとても心地が良い場所で
猟師が居て、女子どもが居て、年寄りも流れ商人も居る
普通でしょう?
他所者の僕たちに変な目を向けることもなければ、妙に擦り寄ってくるわけでもありませんでしたし
至って普通の、どこにでもある良い集落、といった感じで。
けど芭蕉さんがね。居なかったんですよ
村にお邪魔して少し歩いてから気がついたんですけど、後ろくっついて歩いてた芭蕉さんがいつの間にか居なくなってて。
まあアレも自由なジジイなんで。
勝手にちゃらちゃら村を歩き回ってるんだろう、バカが、と思ったんですけどね。村を一周しても見つからなくて、村人たちに尋ねて回っても「見てませんね」の繰り返しで(因みに何かを誤魔化したり、一点張りしたりなどという様子は無かった)
仕方なく村周辺の森なんかも見てみたんですが、結局芭蕉さんはどこにも居なかったんです。
で、そんなことをしているものだから日も暮れてきて
西陽も物凄く眩しくて暑くて、
途中 村の女性からいただいた甘栗なんかを食べながら、寝ぐらを探し始めました。集落だし、たまには屋根のある場所で一泊したかったですしね。
そこから半刻ほど経った頃くらいですかね? 痛い斜陽を浴びながら暫く訪ね回って、一軒だけ見つかったんです。
眼鏡をかけた短髪の若い主(装いは男性のそれだが顔つきは女性っぽいものでした)と、おろしたままの黒髪が艶やかな奥さんの、二人組のお家で、戸口にかけられた細い標縄(みたいな飾り)が印象的なお宅でした。
「ありがとうございます。助かりました。これからもう一人増えるかもしれないのですが、よろしいですか? 無理にとは言いません。ダメならダメで、別に構いませんので」
「けっこうですよ。どうぞ遠慮なく、くつろいでいってくださいな」
「それはどうも。恩に着ます」
「いえいえ。ただ、あの…」
僕が笠をとって頭を下げると、奥さんの方が声をひそめたんです。
「客間と寝所は、この家屋ではなく別の場所にあるのですが。よろしいですか?」
「? はあ。はい」
ちょっと首を傾げました。だって別にそんなこと、ひそひそ声で言うような内容じゃないじゃないですか。まるで人目を憚るような、ねえ?
それに村にしては この一帯はそこそこ広かったですし、この家が村長あるいは司祭の家系だとしたら、離れ屋敷があっても変ではないですから。
でもまあ気にせず、承諾したんです。
「では、お連れしますね。」
奥さんがそう言うと、主の方は陣羽織を着て、僕の背後に立ちました。奥さんが前、次に僕、後ろに主といった形で 、縦一列ですね 。
歩き始めてからは集落を抜け、薄暗い小山のけもの道を通って、苔だらけの石段を100段くらい登らされました。
また道中ずっと甘い香りがしていたことを覚えています。羊羹とかしぐれとか、そういうお菓子系の匂いで、森の中でこんな匂いがするものか?と妙な気分にもなりました。村には流れも居ましたから 、その手の職人がこの森を通っているのかとも思いましたけど、近くに人の気配や物音はありませんでしたし。
まあ、そんなふうに若干不思議な心地になりつつも、階段を登り切ったんです。
顔を上げると目線の先に大きな黒い鳥居が立っていて、まるで僕らを待ち構えているようでした。
その奥には苔むした社がありました。とても小さく、見立て六畳一間くらい。人二人がギリギリ横になれる程度でしょうか。
「ここ………ですか?」
奥さんの方に問いかけると、彼女は「ええ」と頷いて社の方に向かって行きました。そして扉の前で何かごそごそして 、間も無く扉が開きました。
するとどこからともなく、声が聞こえてきたんです。
何と言っているのか、この時は分からなかったんですが、主と奥さんに促されて社に入ると その声はより鮮明になりました。
「ねえねえ」
って呼んでるんですよ。
小さな女の子みたいな声です。あどけなさが声音に乗っている、けれど棒読みでどことなく無機質な声なんです。
しかもその声は段々と多くなってきて、
「ねえねえ」
「あのね」
「こっちこっち」
「きて」
など、色んな声が混ざって重なるようになりました。
これだけ聞くと、近くで子どもが遅くまで遊んでいるんだろうと思うでしょう?
けど、そうではないんです。耳のすぐそばから聞こえてくるんです
すぐ背後とか、真隣とか、頭上とか
そんなものですから、
まるでこの社の中に一緒に居る。
そんな想像がふと頭に浮かんで、流石に、まずいかもしれないと感じました。
その時です。
複数の声に混ざって、聞き慣れた声が社を通り抜けました。
「マーフィー君もいない。探さなきゃ」
耳元ではなく、明らかに社の外から聞こえてきました。ハッとして社から飛び出したんですが、周囲に芭蕉さんの姿はなかったんです。
当然心地は良くなく、舌打ちをして社の方へ向き直りました。戻って就寝するためではありません。荷物を取って、立ち去るためです。
お化けや怪異といった類は 怖くはありませんが、こんな不気味な場所で寝泊まりなんて、誰もしたくありませんからね。
けど身支度のために社に戻ると、ふとあるものを見つけたんです。
くたびれた熊のぬいぐるみ。
バカジジイのものです。
それをなんとなく拾って懐に入れて、社を出ると、ふと背後で声がしました。
「曽良君みっけた!」
振り返ると芭蕉さんが立っていました。
普段通りの気の抜けた笑顔で、無駄にバタバタ腕を振りながら「も〜どこに居たんだよ曽良君たら!凄く探したんだからね!!!」って。
僕、思わず言葉を失いまして。
そのまま主と奥さんの方に視線を向けると、主の方が僕の懐を見つめながらうっすら微笑んだんです。
そして平坦な声でこう呟いてました。
「あの人、命拾いしたな」
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