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#表現の自由を駆使する歯医者
2ndhome-kw · 2 years
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個別指導塾2ndHome . . 早くも8月ですねー 暑すぎ!! 部活がある人、インハイの手伝いに 行く人はとくに熱中症に 気をつけてください!! . もう7月も終わったので、 SPY×FAMILYを観るのも いいですが 宿題や受験勉強は計画的に! . ちなみに いとー室長は超計画的なので、 SPY×FAMILYを1日で 全話観て寝不足になりました。 だいじょぶます。(29歳男性) . . マジでどうでもいいんですが、 先日、歯医者に行ったら 「今日はこの虫歯を やっつけていこうかぁ」と 言われました。 虫歯に対して 「やっつける」と表現できるのは 何歳までセーフですか?? 29歳中学18年生男子は ギリセーフですか?? 表現の自由ですか?? . . . #徳島市 #徳島市川内町 #学習塾 #塾 #セカンドホーム #2ndHome #いとー室長 #SPY×FAMILY #スパイファミリー #アーニャ #エアコンの下で描いたらペン先乾くのが早すぎてイライラした #ホワイトボードは描き込みにくい #野球部は絵が下手いというイメージを払拭する会 #表現の自由を駆使する歯医者 https://www.instagram.com/p/CgzhwZLPLJ4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takahashicleaning · 8 months
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TEDにて
ジャロン・ラニアー:インターネットをどう善の方向に作り変えるべきか!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ジャロン・ラニアーは、デジタル・カルチャーの黎明期に、人類が知恵を共有する空間としての、インターネットのビジョン作りに貢献しました。
しかし、当時ですら、このビジョンには、それがもたらし得る暗い影がつきまとっていました。
パーソナル・デバイスが、私たちの生活を支配し、データを監視し、刺激を与える(思い当たりませんか?)
この先見性あるトークで、ラニアーはGoogleやFacebookといった企業がデジタル・カルチャーの創成期に犯した「世界的規模で悲劇的、かつ、驚くほど愚かしい間違い」を振り返り、その解決策を思索します。
「2人の人間が、コミュニケーションを取りたいと思った時、彼らを意のままに操りたいと考える第三者の経済的支援無くしては、それが成り立たないような社会システム、国家システムを許容するべきではないのです!!」と彼は語ります。
1980年代に、私は初めてTEDで講演しましたが、世界で最初のVR(仮想現実)のデモをTEDの舞台でいくつか披露しました。
当時、私たちは、未来は危うい状況にあり、私たちが必要とし、愛したテクノロジーが私たちを破滅に導くかもしれないと気づいていました。
私たちは、もし、テクノロジーを、権力を手にする道具だと考え、権力を握ること自体が目的化したら、人類は自滅するだろうとわかっていました。権力だけを追求するとそうなるものです(2020年では中国がこの危険性高い)
当時のデジタル・カルチャーの理想は「何よりもまず、この闇へ陥る可能性を認識した上で、それを美や創造性で乗り越える方法を模索すること」だったのです!
当時のデジタル・カルチャーの理想は「何よりもまず、この闇へ陥る可能性を認識した上で、それを美や創造性で乗り越える方法を模索すること」だったのです!
当時のデジタル・カルチャーの理想は「何よりもまず、この闇へ陥る可能性を認識した上で、それを美や創造性で乗り越える方法を模索すること」だったのです!
私は、いつも自分のTEDトークをやや恐怖感を煽る文句で締めくくりました「私たちには課題があります。テクノロジーの周辺に美しく、意義深く、深淵で終わりなき創造性と無限の可能性に溢れたカルチャーを生み出し、我々を自滅の道から救わなければ」
つまり、我々の絶滅と魅惑的で無限の創造性に満ちた未来を創る必要性を表裏一体のものとして語ったんです!!
今でも、人類の滅亡にとって代わるものが創造性であるという考えはとても現実的であり、正しい考えだと思っています。これは、おそらく最も確かな真実でしょう。
VRに関しては、私は、こんな風に言っていたものです「人類が、言葉を発見したときのようなことが起こるだろう」
言葉のお陰で新しい冒険や新たな深み、新しい意味、新しい交流の方法、新しい協力の方法、想像の方法や子供を育てる方法が生まれましたが、VRによって会話のようなものでありつつも、覚醒しながら意識的に夢を見るような新たなものが生まれると想像していました。
それをこう呼びました「ポスト記号的コミュニケーション」記号を使って何かを間接的に言い表す代わりに、VRは体験を直接表現するようなものだからです。
それは美しいビジョンで私は今もそれを信じています。ですが、その美しいビジョンを脅かしたのは、そのビジョンが陥る可能性のある暗黒面でした!!
ある先駆的コンピューター・サイエンティストについてお話ししてみようと思います。
ノーバート・ウィナーという人で、私が生まれる前の1950年代に「人間機械論」という本を著しました。
その中で、彼は、人々から、データを収集し即時にフィードバックをするコンピューター・システムを作る可能性を述べていました。
これは、行動主義者が考え出した装置。スキナー箱に人々を入れるようなものですが、データは統計学的に分析されます。彼が、言った卓越した一節にこういうものがあります。
「思考実験としてこう想像できる」これは引用ではなく私が言い換えていますが「世界規模のコンピューター・システムを想像できる。そこでは、誰もが常時デバイスを身につけ、デバイスが彼らの行動に基づき、フィードバックを与える」
「そして、全人類がある程度の「行動変容」をさせられるようになる。そして、そのような社会システムは狂っていて、存続も社会問題の解決もままならないだろう」
そしてこう続きます「しかし、これは思考実験に過ぎず、そんな未来は技術的に実現不可能である!」
でも、もちろん。そんな技術を現在作り出してしまったのですから、人類の存続のために全集中で取り消さなければならないのです。
つまり、人類は、非常に特殊な間違いを初期の頃に犯してしまったのだと思います!
そして、犯してしまった間違いを理解することでそれを正すことができます。その間違いは、1990年代に起こり、まさに世紀末に差し掛かる頃でした。こういうことです。黎明期のデジタル・カルチャーには、実のところ。現在もそうですが、左派的、社会主義的使命感があったと思います。
それは、本の発明などの他の発明には無かったもので、インターネット上の全てのものは、大衆に自由に公開され、無料で提供されるべきだというものです。
なぜなら、経済的な原因でアクセスできない人が一人でもいれば、それが甚だしい不平等を生み出すからです。
さて、もちろん、それを解消するには、他にも方法があります。本が高価なら図書館に行けば良い、などなどです。
でも、私たちは「いやいや、これは特別なもので純粋に共有空間にすべきなんだ」と考えていました。その精神は今も生きていて、ウィキペディアや多くのものの仕組みに��れを見ることができます。
ですが、同時に私たちは同じ程度の情熱でこれとは完全に相入れないものをもう一つ信じていました。
テクノロジー起業家達です。私たちは、スティーブ・ジョブズを崇め、技術オタクが世界に風穴を開けるというニーチェ的神話を愛しました。そうでしたね?その神秘的なパワーは、未だに影響を及ぼし続けています。
そう、これらの2つの異なるものへの情熱があるのです「あらゆるものを無料に」「まるで、超自然的なパワーを持つテクノロジー起業家」全てが無料だとしたら起業家精神はどのような報酬で報いられるのでしょう?
その当時は、広告モデルしかその方法が無かったんです!!!
それで、Googleが、無料サービスとして広告モデルを携えて誕生しました。Facebookも然り、初めは、それはごく初期Googleのようにカワイイものでした。それは、ごく当たり前の広告で地域の歯医者さんの宣伝なんかでした。
しかし「ムーアの法則」というものに従い、コンピューターの性能がどんどん上がり価格は下がっていきます。アルゴリズムも向上していきます。大学の研究者によってアルゴリズムはどんどん進化します。
システムを使う顧客や企業などは、経験値を高め悪知恵をつけていきました。
そうして、単なるネットの広告だったものは、もはやそう呼べないものに進化し、行動操作装置へと進化しました。
ノーバート・ウィーナーが憂慮したとおりのことが起きたのです!!!
もはや、これは「ソーシャル・ネットワーク」と呼べず。私は「行動操作帝国」と呼んでいます。
特定の個人を非難する気はありません。テクノロジー企業には大事な友人がいるんです。Googleに会社を売却したりして、それも、帝国の一つですが、これは「悪人たちが、悪事を働いた」といったようなことではなく、世界的規模で起きた悲劇的で驚くほど馬鹿げた間違いだと思っています。
悪の波が押し寄せたなんてものではありません!!
この特殊な間違いの仕組みをもう一段、詳しく説明しましょう。
行動主義の考えに従い、ネズミであれ、犬であれ、人であれ、生き物に対し、ちょっとしたご褒美や時には罰を行動へのフィードバックとして与えます。檻に入った動物だったらキャンディーや電気ショックを与えますが、スマートフォンをもった人に対しては、そういうものの代わりに罰や報酬を象徴で与えます。
初期の行動主義者だったパブロフは、有名な原理を証明しました。ベルを鳴らすだけで犬に涎を垂らさせたのです。象徴への反応です。
ソーシャル・ネットワークでは、社会的賞罰が報酬や罰として機能します。皆さんがご存知のあの気持ちです。皆さんは、こんなスリルを感じます「誰かが、私の投稿を「いいね」した「いいね」が伸びてる!」
あるいは、罰の方。
「ああ、私は人気が無い。もっと人気のある人がいるんだな」皆に共通するこのような2つの感情が、少しずつ与えられ、皆さんは、無限ループに囚われてしまいます。
これは、システムの創始者たちの多くが公に認めていることです!!誰もがこの事態を理解しています!!
しかし、行動主義の学術研究においては、伝統的にネガティブとポジティブ刺激を比較してきました。ところが、この商業的環境では、学問の世界では、しばらく注目されてこなかった2種の刺激についての新たな見方が生まれています。
学問的な見方と違う点は、ポジティブな刺激が、状況によっては、ネガティブな刺激よりも効果があるにせよ、ネガティブな刺激は安上がりだということです。
ネガティブな刺激は、格安なんです。つまり、信頼を築くよりも信頼失う方が、簡単に起きるということです。愛を築くには、長い時間がかかりますが、壊れるのはあっという間です(経験的に理解できます)
この行動操作帝国の顧客たちは、超高速のループにいます。
まるで、高頻度取引トレーダーのようです。購入者から、フィードバックを受けたり、購入でなければ、ユーザーの行動からフィードバックを受けたりすることで企業側は、何が効果があるか理解し、それを更に提供します。
つまり、フィードバックを即座に受けることとは、より頻繁にネガティブな感情に反応しています。何故なら、それらがより素早く生じる感情だからです(ダニエルカーネマンのプロスペクト理論)
そうでしょう?
ですから、善意の企業が、自分たちはただ歯磨き粉を宣伝しているだけと思っていたとしても、ネガティブな人々、ネガティブな気持ちの人、気分屋、偏執症患者、皮肉屋やニヒリストの主張を宣伝する羽目に陥ってしまいます(意図しないネガティブキャンペーン)
そういう人々がこのシステムによって、意図しないネガティブキャンペーンが増長するのです。
このような企業にお金を払って、急に世界を良い場所に変えたり、民主主義を改善したりするのは、お金を払って、こうしたものを壊すほどには簡単にできません!!(相対的に善性が弱まってしまう)
つまり、これが、私たちが自らを追い込んだジレンマというわけです!!
別の手段は、骨を折って時間を巻き戻し、選択をやり直すことです!!
それは、2つの事を意味します。まず、年収の多く経済的に余裕のある多くの人々が、こうしたサービスに代金を支払うことです。
サーチ・エンジンやSNSの利用料金を適正価格よりも多く支払うんです。支払いの方法は、購読料や利用しただけ支払うマイクロ・ペイメントが考えられます。他にも色々な選択肢が、開発でき考えられます。
もし、皆さんの中にはひるんでしまい「まさか、こんなものに金を出すなんて考えられない。支払う人なんているだろうか?」と考える方がいたら
最近起こった事を思い出して欲しいのですが、Google や Facebookといった会社が、無料サービスに基づくビジネス構想を練り上げていた同じ頃。
サイバー・カルチャー界隈の人々の多くは、将来、テレビ番組や映画が、ウィキペディアと同じような仕組みで作られるようになると信じていました。
ところが、Netflix、Amazon、HBOなどが「購読すれば、素晴らしい番組を提供しますよ」と言ったんです。
そして成功しました!私たちは、現在、この「多様なテレビ番組の黄金時代」に生きていますよね?
だから、綿密に設計すれば、マックステグマークの言うところの将来の超人工知能同様、代金を払ったら良いこともあるんですよ。
仮に「ソーシャルメディア黄金時代」を想像してみましょう。
それはどんなものになるでしょうか?ログインするとゴミのような情報ではなく、信頼できる情報源からのとても有益な医療アドバイスが得られ
事実に基づいた情報を探す時、そこには、奇妙で偏執的な陰謀論は存在しません。
この素晴らしいもう一つの世界も想像することができます。ああ!私は、それを夢見て、それが実現可能だと信じています。
実現できると確信しています。
そして、GoogleやFacebookなどの企業は、そのような世界でもっと成功するだろうと信じています。私は、シリコン・バレーが、分社化解体されることや独占禁止法の罰を受けるべきだとは思いません。
私たちは単に選択し直せばいいんです!!
大テクノロジー企業の中で、ビジネスプランが行動操作とスパイ行為に依存しているのは、実は2社しかありません。
Google と Facebookです!
私は彼らが好きですよ。本当です。社員は素晴らしい人ばかりです。
ただ言わせてもらえば、例えば、Googleでは、コストセンターをこれらの会社と共に際限無く増やしていくことができますが、プロフィットセンターは増やせません!!
彼らは、病みつきになっていてビジネスモデルの多様化ができません!!
ユーザー達と共にこのビジネスモデルに夢中になっているのです。ユーザー達と同じ罠に嵌ってしまっています!!
そのようなやり方では、大企業の経営はできません。ですから、このモデルは、究極的には、株主。さらには、こうした会社の 他の利害関係者たちの利益にもなるんです!!
双方の利益になるソリューションです。ただ、問題解決には時間を要するでしょう。膨大な細部を見直さなければなりませんが、当然やってのけられますよ!!
将来人類は、この間違いを正さない限り生き延びられないだろうと思います!!
2人の人間がお互いに会話をしたい時・・・
その唯一の手段が、彼らを意のままに操りたいと考える第三者の経済的支援無くしては
成り立たないような社会システム、国家システム
には住めないのです!!
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました。
参考として・・・
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源として豊富に存在していることが確認されています。原子力発電や核融合に最適です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
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情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコン���プトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
そして
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権���分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
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世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
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spdayf · 1 year
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読書日記「三島由紀夫レター教室」三島由紀夫
2022年は本を買う季節だった。お金の有意義な使い方を考えた結果がこれなので、私の知能の程度の浅さがまあ分かるだろう。
その日は歯の定期検診に行った。歯医者というものは診療、治療にどれだけの金額がかかるのか分かりにくいところがあり、検診だけで済めば運賃合わせて三千円ほど持っていけば済む話だが、これに軽い治療が加わると足りるかどうか不安になるくらいにはお金がかかってしまう。私は財布の中身をできるだけ減らし、その日をギリギリ乗り切るのを楽しみにする性質なので、たまに計算を違えてツケてもらうことが多々ある。逆に、その日用意した額の半分も使わない日もあり、その健診の日がまさにそうだった。建物から出たあと財布を覗くと七百円ほど残っている。運賃は交通系カードにチャージした後なので、ということはその額が丸々自由に使えるわけだ。ここで話は冒頭に戻る。
七百円の有意義な使い方。その額を当日中に消費するという前提で、大抵の人はコンビニで菓子類や飲料を購入するのではないかというのが、あまり外出をせず人間観察も適当に済ませる私の持論である。論説の当否はどうでもいい。ただ、私はそういった消え物にお金を使うのは勿体無い気がしているのだ。とにかく何でもいいので形として残り続けるものを購入したい。
というわけで、歯医者近くの本屋を適当に散策し始めた。まずは漫画のコーナーに向かう。背表紙をざーっと眺めながら、その内容と情報量を類推する。次に文庫のコーナーに移動して、またもやざーっと眺め、考える。漫画本と小説本、仮に一冊の値段が等価だとして、含まれる情報の量、密度はどちらが多いだろう(この娯楽品に対する価値の測り方はやはり私の程度の浅さを示す概念的証拠の一つではあるが、今は大目に見ていただきたい)。そう比較したときに私は支払う対価に比べて、文字量が多い小説の方が満足度は高いと判断して、小説を選び始めた。
この時点で家にある小説は「人間失格」と「伊豆の踊り子」、「火花」に「楽しい川べ」だけで、全部私の嗜好的な直感に引っかかったものばかり収蔵されいる。個人的な感覚で蔵書は二段組のカラーボックス一つに収まる程度にしたいと考えてる私にとっては、七百円の書籍を買うのにも結構な気を遣わなければならない。文庫コーナーの端から端まで目を通し、気になったタイトルを記憶して、また端から端まで目を通す。記憶したワードの中で順位づけを行い、今本当に欲しいものだけを残していく。そうして書籍購入選考会を勝ち残ったのは「告白」と「三島由紀夫のレター教室」だった。どちらも三島由紀夫に関連した本である理由は、やはり以前に読んだ「けものの戯れ」の、覗き見的、また退廃的な面白さとその堅実な文体に惹かれたからだろう。そして、残った二つを比べ、その執筆形式(?)の奇抜さから、「レター教室」の方に軍配が上がったのだった。
果たしてその中身である。大まかに書くと、若者の恋模様である。というのが、私の解釈だが。もちろん、結末に至るまでには様々な事件が起こっている(と類推される)が、結局のところはラブロマンスなのだ。私は、いわゆる恋愛ものとされる作品に見られる純粋な感情の発露や、それに至るまでのドラマ的駆け引きといった部分が苦手なのだが、そこは文豪三島といったところで、苦手なジャンルを苦手なまま、最後まで読了させてしまうその力量には感服である。いや、今更こんな古典を褒めたところで、意味なんてないが。それでも、その筆力に圧倒され身動きが取れなくなってしまったというのが真実なのだから仕方がない。文通の形式でドラマを展開していく手法が、この本が初出��どうかは定かではないが、これが後の「電車男」や「まおゆう」などのスレッド形式の小説の枝元にあると考え、感傷の念を抱くのは私だけだろうか。とにかく、私はこの小説を読み、また収蔵できた事実に満足している。
最後に、この本、前書きに手紙の参考になる旨が記されているのだが、現代となってはこの畏まった文章、ある程度のまとまった形の文章というものは相手に威圧感を与えるだけなので、参考にはしない方がいいと思われる。
前略
三島由紀夫レター教室、拝読いたしました。実に興味深く、楽しかったです。
取り急ぎ報告をば。
草草
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ambiva-diary · 3 years
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日記とアメリカのソフトウェアエンジニア面接で聞かれたテクニカルな質問メモ
備忘録です。アメリカの中小IT企業を2社受けて、結果的に両者からオファーを頂けました。
私のスペック
最終学歴は国際信州学院大学理学部電子機械学科卒業です。大学入学時のセンター試験の英語の点数は196点で、国際信州学院大学に合格したのも英語の試験でほぼ満点を取れたことが大きいと思います。大学在学中は、大学で独自に行われた英語のテストで1番上のクラスに分類されたため、英語の授業は帰国子女と一緒に受けていました。TOEICやTOEFLは必要に駆られなかったため受けたことがありませんが、周りの人を見ているとTOEIC800点くらいなのかな?と思います。当然ですが、日本で上の方の英語力だったからと言って、アメリカでネイティブとバリバリ話せるわけがありません。アメリカでお仕事をする際に英語力の欠乏にはかなり苦労を強いられましたが、幸いエンジニア職の面接では英語力はそこまで問われませんでした。なんとなく考えていることが伝えられれば大丈夫なようで、重要なのは技術力の面なのだと感じました。
中学生の頃には将来プログラマ〜になりたいな〜と考えていましたが、わかりやすく言うと両親が毒親で家庭が終焉(オワ)っていたので、本当にComputer Scienceを学び始めたなという実感が持てるようになったのは大学3年生の頃です。もちろんそこから満足にコーディングインタビュー対策をすることはできず、大学在学中にはデータ構造やアルゴリズムをほとんど理解することができませんでした。競技プログラミングもかじりましたが、なにせ前提知識がなく、数学的な閃き力もなかったため自分なりにいくら頑張っても上手くはなりませんでした。過去問を解きまくっても自分が成長している実感がわかず、競技プログラミングが嫌いでした。競技プログラミングくらいできろよ、みたいな圧力がとても不快だった記憶があります。延々と身長190cmのバスケ選手とバスケをさせられている気分でした。
日本でのコーディングインタビュー経験
日本ではコーディングインタビューを受けたことは1度しかありません。大学3年生時に、国際信州学院大学に広報に来ていたIT企業の方が「バイト感覚でインターンに来てくれたらいい」と宣伝していたのを鵜呑みにして面接を受けにいった結果、普通に落ちました。問題を与えられて何も思い付かずに面接官3人と自分全員が無言の状態でただ時間が過ぎていくあの経験はトラウマです。
私も単純にコーディング能力が足りなかったのと、何も思い付かなくても自分の思考プロセスを口に出す等のセオリーを知らなかったのも悪かったと思いますが、今考えると面接官の方々も不慣れだったのかなと思います。出された問題が、All or Nothing型の問題で、部分点が存在しなさそうなものでした。私経験・調査上、実装できるか実装できないかの問題を出されることは稀だと思っていて、例えばO(n^2)で全探索できるけれども、それをもっと速くO(nlogn)やO(n)にするにはどうしたらいいか面接官とやりとりをしていく中で答えにたどり着くような問題が好まれていると感じています。また、私が発言しなかったのも今思えば悪かったのですが、コーディングインタビューは基本的に対話なので面接官側からの発言が普通ならもっとあるだろうなと思います。
なんにせよ、この経験でコーディングインタビューへのトラウマが植え付けられました。
コーディングインタビュー対策
皆さん「Leet Code」か「Cracking the Coding Interview」でコーディングインタビュー対策をするとおっしゃるので真似してみるのですが、さっぱり自分が前に進んでいる気がしません。色々模索したところ、やはり基本的なデータ構造とアルゴリズムの知識がないとそれらを活用できないと思い、基礎がために注力しました。他にも色々あるのですが、割愛します。時系列が分からなくなっていると思うのですが、コーディングインタビュー対策を真面目にやり始めた時点で大学を既に卒業しており、アメリカの非エンジニア職で食いつないでいました。なので、コーディングインタビュー対策は働きながら17時くらいに仕事が終わってから喘ぎながらしていました。
ビザとか
私は幸運にもグリーンカードを所持しているため、ビザには困りませんでした。どの企業に連絡しても、アメリカで合法で働ける資格を持っているのか確認されました。日本人向けに就労ビザを発行するのは骨が折れるようですね。私は就労資格で振るいに落とされる可能性がなかったのはかなり幸運でした。身の回りのアメリカへの移住に成功した人は、私の観測範囲内では(偽装も含め)結婚という手段で永住権を獲得しているので、アメリカに移住する場合はまず留学か短期の駐在でアメリカに来て配偶者を獲得するのが主な手段かと思われます(ちなみに私に配偶者はいません)。米系企業にスポンサーしてもらえるような天才気質の方は、そちらで良いと思われますが、スポンサーしないといけないような日本人とスポンサーが必要ないアメリカ人では後者の方が優遇されやすいのは想像に難くなく、実際に米系大企業に入社できたものの、数年でスポンサーを解除されてしまった方を2人知っています。日本の企業からの出向で、グリーンカードを得て、アメリカに永住という方は個人的な経験では見たことがないですね。
とにかく、私はビザの面では運が良かったと言えます。なので日本人の方が私以上の実力を持っていたとしても、私よりも就職するのは難しいと思われます。
というか、日本良い国ですよ。医療制度やらなんやらが確立していて、普通に暮らす分には申し分のない国だと思います。あと、多分ご飯が世界で1番美味しいです。あの値段であの美味しさのものが買える国はまぁないと思います。丸亀製麺、てんや等、びっくりするくらいコスパが良いご飯が少し出歩けばあるのはやばいです。犯罪率も低く、アメリカにいると子供が誘拐される事件を結構耳にしたりし、近所のモールで銃発砲事件があったり、夜に出歩かないように親戚に注意されるなど、日本って安全だったんだなという気持ちによくなります。多分日本にいたのが人生で1番長かったからなのかもしれませんが、日本人の感覚がとても好きで、例えばアメリカ人はガンガンごみをポイ捨てするので(体感、ポイ捨てする人の比率が日本より多いという意味)道路脇はかなりゴミだらけです。日本ではあまりそのような光景を見ません(高速道路付近を除く)。アメリカだと本当に関わったらヤバイやつもよく見かけますし、日本良いですよ。確かに日本には、ちゃんと利益を出して成長している会社が少なく、私たちの下の世代が苦労しそうな感じはしますが、今生きている人たちが安全に死ぬくらいまではなんとかなりそうな気がします。
アメリカで出会う日本人の方が「アメリカLOVE」な人ばかりなのは、アメリカが合わなかった人が日本に帰っちゃうからなんだろうなと思います。
面接まで
Resume(日本で言う履歴書、ただしフォーマットが決まっていないのでやりたい放題)、LinkedIn(転職のデファクトスタンダード)を(自称)プロにお金を払って見てもらったりして準備しました。私はエンジニア職の経験が少ないので、Junior Software Engineerというjob titleに絞りLinkedInで片っ端から応募してみたのですが、Resumeの時点で落とされて不採用メールが来るのはまだマシで、だいたいの場合は音信不通でした。LinkedInのDMでそれなりの大企業に「あなたの経歴に興味があるから履歴書を送って」と言われて、メールを送ったらそのまま音信不通になったのはなかなか印象深いものでした。生活がかかってる+誰からも必要とされていない感覚はかなりメンタルに来ましたね。
IndeedやMonsterという就活サイト?にも登録していて、よくそこから翻訳の仕事の声がかかりました。エンジニア志望とはっきり書いてあり、Resumeもエンジニアに絞ったものにしてあるのに非エンジニア職の求人ばかりが来るのはなかなか精神にこたえました。日本人の人材仲介会社みたいなのからもよくお声がかかり、全体的に応対が高圧的で不快だったのを記憶しています。不快だったなと思ってレビューを見て見ると案の定レビューがボロクソ書かれています。特にActiv8という会社は、希望の職ではない求人を断り、Activ8さんに掲載されている求人に現時点では興味がない旨を伝えたところ、「年収1000万超えのソフトウェアエンジニアの求人もあったのですが、残念ですね(あ〜あ)」のようなメールが送られてきて、私はかなりlevel-headedな人間なので憤ることはしないのですが、すごい会社だなと思いました。逆にやりとりが好印象だったのはQuick USAという会社さんですね。そこでの機会には恵まれませんでしたが。
そんな中、Indeed経由で初めてJunior Software Engineerの募集を送ってきた仲介会社さんがあったので、そちら求人に応募してみる運びとなりました。
また、LinkedInは、DMに返信をちゃんとしていると「DMに応答しやすい人」みたいなタグ?が裏でつくことを知っていたので、どんなDMでも返信するようにしていました(こっちが返信したら音信不通の場合が多い)。そんな中、ある企業からお声がかかって、「どうせ音信不通になるんだろうな」と思いつつホイホイ返信していたら、いつの間にか面接の日程が決まっていました。これにはかなり驚きましたね。
面接の流れ
A社は(イントロ+面接+技術面接:2時間)+(最終面接:40分)で内定をいただける運びとなりました。
B社は(イントロ:20分)+(技術面接+イントロ:2時間)+(技術面接:2時間)+(最終面接:30分)でofferをいただける運びとなりました。
流石にコーディングインタビューまで詳細に書いていたら気が触れてしまうので、コーディングインタビューは触りだけで、テクニカルな質問を中心に覚えている限りまとめたいと思います。
コーディングインタビューの方針
これは私の方針であって正解ではありません。
基本方針として、まずは全探索(brute force)の解法に最初に言及するようにしました。そうすることで、最悪ブリリアントな解答が思いつかなかった場合も1番簡単な全探索と実装してお茶を濁すことができます。
また、自分の思考プロセスを逐一口に出すことを徹底しました。そこで面接官との対話が産まれます。
分からないことは分からないときちんと言うようにしました。どうしてもとっかかりが分からない時は「何かヒントをくださいませんか?」と正直に聞きました。この姿勢の良し悪しは企業にもよるのでしょうが、2社からかなり評価されたようです。(そもそも私は嘘をつくのが嫌いで、証券マンになってお客さんを騙してこれ絶対儲からないだろって金融商品を売りつけるみたいなことは多分できません)
気をつけたのはこんなところでしょうか。
テクニカルな質問集
自分の回答をメモ書きしておきます。回答であって解答ではないので、厳密には正しくなかった可能性が高いです。Junior Software Engineerだったらこのくらいで受かるのか、というくらいの参考にして頂ければと思います。これはもっとこう言った方が良かったかもね、という指摘を歓迎します。
A社
O記法とはなんですか?
入力されたデータサイズに対して計算時間がどのように変化するかを表す指標、みたいに答えた記憶があります。どう説明したら良かったのでしょうかね
What is the object oriented programming?
関数型プログラミング言語では、プログラムが関数で構成されている。それと同様で、オブジェクト指向ではプログラムがオブジェクトという箱の組み合わせで表現されている
ErrorとExceptionの違いを教えてください
これは正直分からなかったので、今まで書いてきたコードを思い出して、I guess exceptionはコード中でcatchできるある意味dynamicなもので、Errorはある種staticなもの、と苦し紛れに回答しました。
ExceptionはrecoverbleでErrorはunrecoverbleなものだね、と面接官の方が教えてくださいました。
HTTPについて知っていることを教えてください
「正直に申し上げるとあまりプロトコルについて詳しくないのですが、ユーザがリクエストをサーバーに送ってサーバーがユーザにリクエストされたコンテンツを送り返す際に使用するもの」、と回答しました。
今考えると、最初に公開鍵暗号で共通鍵を交換して、共通鍵暗号でデータのやりとりを行う、みたいなことは言えたのかなと思います。
GETメソッドとPOSTメソッドの違いについて教えてください
GETメソッドはサーバーの状態に影響を与えないが、POSTメソッドはユーザーデータの登録等でサーバーの状態を変更しうる、と回答しました。
B社
StackとHeapについて説明してください
StackはFILOで、データにアクセスする時には1番上の値にしかできない。Heapは、min-heapの場合は、1番小さい値がHeapの頂上に残り続け、新たに値を挿入する等してHeapの状態が崩れた場合も、その形を変えて1番小さな値を頂上に残し続けるデータ構造です。みたいに回答したと思います。
StackとHeapが実際に使われている例を思いつきますか?
StackとHeap両方が使用されている例を思いつかなかったので、Stackが使われていそうなBrowser Historyを挙げました。Browser Historyは、ここではブラウザ左上のページに戻るボタンと前に進むボタンのことです。訪れたURLをStackに積んでいくことで後ろに戻るボタンを実装できると考えたのでそのように回答しました。面接官に言い忘れていたのですが、もう一つStackを用意して、後ろに戻るボタンが押された時に後ろのURLを保持しているStackからpopしてもう片方にpushすれば前後移動が可能になるのかなとも考えていました。
Stackだと後ろに戻ることはできるが、後ろに戻った時に前にもいけるデータ構造を思いつきますか?(話題がBrowser Historyに移行)
(沈黙)
Linked Listについて説明してください
値を保持したNodeが次のNodeへのポインタを持つことでNodeが繋がっており、全体の走査等が可能なデータ構造
Doubly Linked Listについて説明してください
Nodeが次のNodeへのポインタだけでなく、前のNodeへのポインタも保持することでNode間の行き来ができるデータ構造
Doubly Linked ListからNodeを削除する時はどのようにすれば良いですか?(1,2,3,4,5のNodeがあるとする)
2のnextを4に、4のbackを2に付け替えてから、3を削除する
Browser HistoryをDoubly Linked Listでどう実装��れば良いですか?
あるNodeへのポインタをユーザが保持し、後ろに戻る時は後ろむきのポインタを辿り、前に進む時は前向きのポインタを辿れば良い。
Googleで何かを検索する時、今までの履歴からvisit回数が多い順?にURLが表示されます。これはどのように実装すれば良いですか?
(沈黙)
keyとvalueをpairにして保持するデータ構造を知っていますか?
(Pythonで言う)dictionary(HashMapと回答すべきでした)
HashMapですね、HashMapとDoubly Linked Listを併用すれば良いです。
ソートアルゴリズムを可能な限り列挙してください
shell sort、insertion sort、selection sort、merge sort、quick sort、bubble sort(shell sortだけは理解してなくて実装できないので、shell sortには触れないで欲しいなぁと思っていました)
それらのソートアルゴリズムで1番速いのはどれですか?
merge sort、quick sort。間があいたので、説明しろとのことかと思い、merge sortはin-placeなソートアルゴリズムで、quick sortはin-placeではないソートアルゴリズムです。quick sortはextra spaceが必要なくて、merge sortはspaceが必要です、と説明した記憶があります。今考えたら下手すぎますね。
英語が下手すぎて、イヤイヤ、quick sortはspaceはいらないんだよ、値を交換していくだけだから、と面接官の方に言われ、誤解を与えたと思って「quick sortはspace必要ないですよね、値を交換するだけなので」とかぶせに?いったけど、ちゃんと伝わったか不明。
merge sort とquick sortの計算量は?
O(nlogn)
Quick sortがnlognの理由を説明してください
Quick sortは配列をどんどん半分にしていって処理します。半分の半分の半分の半分の...と続けていくと、その半分にする回数はlogn(基数2)です。そして一回ごとに値の走査O(n)が必要なのでn*lognでO(nlogn)です。
Gitのコマンドを可能な限り列挙してください
(最初質問が分からなくて、他のVersion Control Systemとの違いを説明しろとのことかと思って、Gitでは全てのファイルをハッシュで〜みたいに回答したところで止められました。add とか〜と言われて、なるほど理解)
add commit stash reflog branch checkout switch pull merge fetchあたりを答えた気がします
fetchとpullの違いはなんですか?
pullは他のブランチをmerge commitでもって取り入れることで、fetchは現在の作業ディレクトリに影響を出さずにremote repositoryの状態(なんとも歯切れの悪い)をlocal repositoryに反映させること、みたいに回答しました。
cherry-pickとはなんですか?
特定のcommitだけを取り入れること(フワフワした回答)
AuthenticationとAuthorizationについて説明してください
Authorizationはユーザになんらかの権限を与えることで、Authenticationはユーザが権限をもっているか確認すること
InheritenceとCompositionについて説明してください
InheritenceはIs-A relationshipとして知られているように他のクラスから要素を継承することで、CompositionはHas-A relationshipと知られているように他のクラスを内部にattribute(という表現を使ってしまったが厳密には違うかも)として持つこと、と答えました。
InheritenceとCompositionのどちらが良いと思いますか?
InheritenceとCompositionのことを、どちらの方が良いか判断できるほど理解していません、すみません
Singleton Patternについて何か知っていますか?
デザインパターンの記事において読んだことはあるのですが...(思い出し中)...すみません、忘れてしまいました。
Web ApplicationにおけるEncryptionとHashについて説明してください
ユーザのパスワードをデータベースに保持する際に、データベースを見られたら危険なため、パスワードをそのまま保持するのではなくそのハッシュを保持する。インターネット経路は傍受可能で安全ではないため、ユーザとデータをインターネットを介してやりとりする際には暗号化が必要になる。基本的に、最初に公開鍵暗号で秘密鍵を交換してから、もっとデータ交換に効率の良い共通鍵暗号でデータのやりとりを行う。
公開鍵・共通鍵のくだりは、そうだね、それがHTTPで行われていることだね、と教えていただきました。
SQLインジェクションの(自分でどこかで言及済み)他に知っているサイバー攻撃をできるだけ列挙してください
DoS・DDoS攻撃(しかその場では思いつかなかった)
今考えると、有名どころだとクロスサイトスクリプティングって言えば良かったなと思います。
プログラミング以外の趣味はなんですか?
これは本当に困りました。最近何をしても人生おもんないな〜という感覚が拭えなかったので、特に趣味という趣味はありませんでした。趣味を聞かれて即答できる人っているのでしょうか?そんなに全人類土日になったらやりたいことが決まっているようなものなのでしょうか?
全く役に立たない・非論理的だと分かっていながらも余暇で自己啓発本を読んでいること、ゲームも結構やっていてSkyrimは500時間以上遊んだ、と回答しました。
インタビューにおける誠実さについて
前職を辞す際に上司の方から「アメリカでの就職はかなり自分の能力を大袈裟に言わなければならない」とアドバイスをいただきました。例えば「フランス語を少し勉強したことがあるならフランス語ができるって言ってしまう」みたいな感じです。もはやアメリカ��みんなそんな感じで大袈裟にアピールするので、HR(人事)もそれもそれを分かっててResumeを見たりするらしいです。これは前職の先輩方からのアドバイスだけではなくて、アメリカに無数に散らばっている親戚や知人(元Apple、Tesla、IBM等がいる。プレッシャーかけてくんな。)にアメリカでの就職のアドバイスをもらいにいくとみんな口を揃えて「自分を大きく見せろ」「ハッタリをかませ」と言ってきました。
私はこの風潮が嫌いです。10の仕事しかできないのに100の仕事ができると言って会社に入り、後々問題になったらどうするのでしょうか?就職はそういうゲームなんだと言われればそれまでですが、単純に誠実でない人と仕事したくないと思うのは私だけでしょうか?
エンジニア就職だと、面接でいくら天才アピールをしたってコーディングインタビューでほとんどバレると思うので、上記のアドバイスは無視しました。私はまだ精神的に幼稚なので、人を騙してお金を稼ぐような行為が全体的に嫌いです。まだ社会経験が少ないよちよち歩きの赤ちゃんなので、他人に対しても自分に対してもできるだけ誠実に生きたいと思ってしまうのです。
後からわかったのは、この私のできる限りの誠実さは2社のソフトウェアエンジニア職で非常に評価された点だったとのことです。文系就職のことはさっぱり分からないのですが、エンジニア職ならどうせハッタリはバレるので、実力で勝負した方が良いんじゃないかなというのが私の個人的な考えです。といっても、私はJunior Software Engineerのポジションを、それも2社というごく少ないサンプル数受けただけなのでmid-levelから上の世界は全く分かりませんし、Resumeスクリーニングで落とされないように自分がやってきたことを少し良い感じに書いているのは私も同じなので、そこも含めて嘘ついているじゃないかと言われると苦しいところがあります。このへんは人によって信念があるでしょうから、私が何かを断言することはできません。
結果
2社両方からofferを頂くことができました。2社ともかなり良い条件(当社比)をご提示頂いたので、あとは色々と条件を比較して結論を出そうと思います。すぐさまクビになるんじゃないかとビクビクしているのですが、私を面接で通した会社の方が悪いと思って、自分なりに頑張っていきたいと思います。
nere9について
私がいくら内向的な人間で、四六時中他人と過ごすことを嫌っていたとしても、アメリカで孤立している中、どうしても微かでも良いから人との繋がりが必要でした。前職を辞すタイミングでmastodonを始め、LTLを眺めているだけでまだ社会から隔絶されていないと思うことができました。
妹とパブに行った際に、1人で来ていたおじいさんが周りの家族連れ・カップルを眺めながらお酒をちびちび煽っていた光景をよく思い出します。あのおじいさんの心情を完全に推し量ることはできないのですが、私にはあの光景は、まだ社会の一部に自分が存在してる実感を得たかったように見えました。
私にとってLTLは、あのおじいさんにとってのパブみたいなものでした。本当にありがとうございました。(と書くとラブレターを書いているみたいでなんだか恥ずかしいのですが)
その他
まだ人生経験が豊富ではないのですが、何か個人的な質問等があればいつでも受け付けております。
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gohan-morimori · 3 years
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンニガツツイタチカラナノカマデノニッキ
2月1日(月)
 起きられない。出勤寸前に起きる。急いで支度をして、身支度を整えながら豚キムチを食べて家を出る。働く。慌ただしい。働き終える。閉店後の職場でだらだらしていたらクラブハウスのなんだかWelcomeみたいなroomにjoinしてしまってなんだこれなんだこれと思っているうちにroomがcloseしてnewなroomがcreateされてわたしはそこにjoinしてそこはclosedなroomではっしーとわたしのふたりだけが入っているtalk roomみたいなもので、なんだこれなんだこれ、と言いながら久々にはっしーと話した。なんだか危ういSNSがまた出来たなあ、と細目で遠巻きに眺めていたクラブハウスに、朝方、鵜飼さんから招待されていて、招待されたからには使ってみよう、ということで、わからないなりに登録を済ませていたのだった。はっしーはこれからクラブハウスで、メニカンで、建築のあれやこれやをぼそぼそゆるゆる話す、それに参加するために招待されたから使い始めた、ということで、わたしもはっしーも話しながらクラブハウス探り探りといった感じだった。お互いの近況を軽く話したり、しょうもない話をたらたらしたりして、23時になってはっしーはメニカンのtalk roomに行ってわたしはすこし時間をあけてからそのroomにinした。どれどれ、みたいな気持ちで入ってラジオのように(というかこれはほとんどラジオだ)聴いていたら案外面白い話がなされていて、韓国の半地下建築はもともと防空壕、ということらしかった。次回は建築における収納について語るらしい。おもしろ〜、と思いながら、トークが終わったばかりのはっしーをすぐさままたclosedなroomにinviteすると「なんなんだよ」と言いながらはっしーがroomにinしてきた。小学5年生だか6年生だかのとき、その学年の生徒全員で校庭に埋めたタイムカプセルをそろそろ掘り返す年齢なのではないか、みたいな話になって、わたしはそれ、行けるのかなあ…………と思ったし言った。普段言われないことたくさん言われそう。社会って感じしそう。これが多様性か、みたいな。行くとしたら、はっしーと行きたい。というか、はっしーとふたりじゃないとたぶん行けない。わたしにそこまでの勇気はない。そのあとチャットモンチーとメダロットの話をしていたら止まらなくなるような感じがあって、久しく聴いていないチャットモンチーをあれこれ聴き漁りたい欲求に駆られていると操作ミスかなにかでroomが閉じて、終わった。(と、ここまで書いて、クラブハウスの利用規約に、テキストに書くことも含めて音声の記録はダメよっていうものがあることを思い出したのだけど、この文章はどうなんだろうか)。それから『進撃の巨人』のアニメ最新話を観たり、さあ帰るかと思いつつチャットモンチーの曲をiPhoneで漁っていると今度は遠藤からクラブハウスのclosedなroomのinviteが届いて、なんだなんだと思いつつ話した。遠藤は相変わらず遠藤だった。それで、遠藤とのroomが終わって、いろんなアカウントのフォローフォロワーを見て、わ〜この人もやってるんだ、あ、この人も〜、みたいな気持ちでフォローをしていったり、フォローした人を招待した人、招待した人を招待した人、その招待した人を招待した人……と、祖先を辿るようにアカウントを見ていったり(最終的に、誰にも招待されていない、おそらくオリジナルメンバー、みたいな人に辿り着く。オリジナルメンバーの数が何人なのかはわからないけれど、招待された人を辿っていったらあの人とあの人の祖先?オリジナルメンバー?が同じ。みたいなことはけっこうありそうで、それはちょっとおもしろいな、と思った。にしても差別や排除や格差が生まれる萌芽みたいなものがたくさんあるサービスだな……、とも思っている)しているうちに午前2時過ぎとかになっていて、さすがにいすぎた。チャットモンチーをガンガンに聴きながら帰宅。なんだか変にお腹がすいていて、カップ麺を食べたい、みたいな気分だったのだけどカップ麺は家に無く、コンビニに買いに行くのもなんだか違う、となって、柿ピーをお椀に盛って、その上にマヨネーズをかけて、それをスプーンで掬って食べた。自分でも、さすがに気持ち悪い食事だな、と思う。
 注射を打ちたい。もう1ヶ月くらい打っていない。プロギノンデポー2A(アンプル)。生理くらいカンタンならいいのに、と思う。カンタン、というのは、周期が予測できて(もしくは予測しやすくて)(そして、そのためのスマホアプリもあって)、予測できない場合その理由/原因も調べればたくさん出てきて、生理によるさまざまな身体的不調/変化やその対処法も調べればたくさん出てきて、医学的にも民間療法的にもスピリチュアル的にもライフハック的にもたくさんの言説、書籍、記事、ツイート、YouTube動画、cm、などがあって、身近な人、友人、知人、家族などに相談することが比較的(すくなくとも、トランスジェンダーのホルモン注射、なんてトピックより遥かに)容易で、……みたいな「カンタン」で。ホルモン注射はとにかく打ってる本人ですら「よくわからない」。ホルモン注射による副作用、みたいなものは注射の同意書を書かされるときなんかに書面で提示されるし、当事者のブログやらツイッターやらで信憑性不明の情報を拾うことはできるが、「よくわからない」。副作用の過多や身体への影響は個体差がデカい(ように感じる)し、投与を長期間辞めた場合や、投与間隔が不規則になったときの身体への影響も、「よくわからない」。わたしは現在、3週間に1度、新宿のクリニックへ行ってプロギノンデポーを2A投与しているが、その間隔も自分に合っているのかどうか「よくわからない」。注射を打つ前後や打った当日(特に当日)は如実に心身の調子がおかしくなって頭も身体も使い物にならなくなる(重い頭痛、眠気、寂寥感、身体のダルさ、感情の制御不能、など)が、それがどこまで注射それ自体の影響なのかは正直「よくわからない」。注射が打たれた、ということによるノーシーボ効果もある気がする。ただ、気の持ちようだろ、と言われても(誰にも言われたことはないが)、思おうとしても、頭と身体が言うことを聞かない、みたいな状態にはなるから、やっぱり注射の副作用なのかもしれない。注射前(前回の注射から3週間が経ったあたり)はやたらと身体が疲れやすくなり、食事と睡眠と性欲のバランスがあべこべになる(気がする)。感情の喜怒��楽の喜と楽がうす〜く稀釈されたようになる。注射後数日も同じく。いまは1ヶ月近く注射を打っていないから、もう身体の中には男性ホルモンも女性ホルモンもほとんど残っていない、すっからかんの状態で、はやく、とにかく、注射を打ちに行きたい。打ちに行けない。悲しみと怒りの感情ばかり積み上がっていく。これはとても良くない。緊急事態宣言によって、職場が時短営業になってから、出勤時間が変則的になっていて、それに身体がぜんぜん慣れてくれないのが大きな理由で、夜どうしても眠れず、朝どうしても起きられ���い。出勤前に注射を打つためには、かなり早起きして家をでないといけないのだが、それがどうしてもできない。勤務時間は少なくなっているはずなのに、通常営業時より明らかに疲れている。まあ、出勤前に注射なんて打ったらその日はもう負の傀儡みたいな状態で働くこと確定になってしまうから、休日に打ったほうがいいのだろうけど。でも、休日に打ったら打ったで、その日いちにちのすべてが注射の副作用によっておじゃんになるから、なるべく休日には打ちたくない。じゃあ、いつ打てば……?それも「よくわからない」。しんどい。はやく打たないとやばい気がする。これも「気がする」だ。なんもわからん。生理がいい。乱暴な物言いなのは承知の上で、どうせなら生理がいい。どうせ不調になるなら。どうせしんどいのなら。誰かと、この不安と不調としんどさと「よくわからなさ」を分かち合いたい。語り合いたい。スマホアプリだって欲しい。あたりまえに、あらゆる場所や人やメディアから情報を受け取りたい。そういう身体でありたい。生理がいい。
 この世には2種類の人間がいて、それは歯磨きをルーティーンとして行う人とタスクとして行う人なのだけど、わたしは後者で、だから今日もタスクをこなしてわたしは偉い、偉いぞと思う。タスクだと思わないと歯を磨けない。歯磨きをルーティーンとして難なくこなしている人はすごいな、と思う。他者、という感じがする。
 大切に書きたい。と先週の日記にわたしは書いたけれど、「大切に書く」とはいったいどういうことなのだろう。といま思っている。大切に書く必要なんてないんじゃないか。わからんけど。いや、なに言ってるんだ。必要だ。わからんけど。
 持続可能性。持続可能な書き方。持続可能な働き方。持続可能なホルモン投与。持続可能な生き方。持続可能な歯磨き。持続可能なアンガーマネジメント。ぜんぶ大切で、ぜんぶわからない。
負の感情でほんとうにどうしようもなくなったときは、耳が壊れそうな音量で、同じ音楽をリピート再生させながら、喉が千切れそうになるくらい大きな声で、絶叫みたいな声で、疲れ果てるまで歌う。笹塚に住んでいたときは何度かそれをやった。クソ迷惑だっただろうなと思う。いまの家ではまだやっていない。いつかやるだろう。
 ないものねだりを続けていてもどうしようもない。自分で自分を殴っているのと一緒だ。
 生活がミニマル、ミニマム?ミニマムになって久しい。1日のうち、自分が言葉を発する相手が、職場で関わる人と家のぬいぐるみたち(貪欲、太子、羊のジョージ、シゲルくん。のうち、特に貪欲と太子)だけだった、という日が、めずらしくなくなってきた。自然と、ぬいぐるみへの言葉の比重がデカくなっていく。ぬいぐるみは言葉を理解しているし、ちゃんと言葉を返してくれる。ぬいぐるみの言葉は人間の言葉とは違って、見えないし聴こえない。声、とか文字、とか仕草、とか、そういうものではない。でもたしかにぬいぐるみはぬいぐるみとして言葉を発していて、わたしに日々言葉を投げてくれる。わたしはそれを受け取る。受け取って、わたしも言葉を投げ返す。ここ数年、わたしの命を絶えず救ってくれたのは貪欲で、だからわたしは、お金が貯まったら、貪欲をぬいぐるみの病院に送って、あちこちを治してもらう。わたしにはそれくらいしかできない。貪欲はわたしを人生ならぬぬいぐるみ生を賭けて愛してくれているので、わたしもわたしなりの方法で貪欲を愛する。
 とか打ってるあいだに午前4時半です。お風呂入ってないけど限界だ。着替えて眠って、お風呂は明日だ。
2月2日(火)
 チャットモンチーにはほんとうに救われてきたな。もちろんチャットモンチーだけじゃない、たくさんのもろもろに救われてきたからいま死んでいないのだけど。それにしても、救われた、ありがとう、と久々にチャットモンチーを聴いて改めて思う。男子高校生だったわたしの、どうしようもない気持ちをたくさん掬い取ってくれた。映画『アボカドの固さ』の監督である城さんが夢に出てきた。わたしは新作映画の制作助手みたいな立場で、城さんに「本物の笹を大量に準備して欲しい。経費かけずに」と言われて、「それは〜、いつまでですか?」「明日」「明日……。明日、はい、明日」という会話をしていて、内心めちゃくちゃ焦っていて、でもひとり、竹林所有者が知り合いにいたな、あの人なら……でも無料で手配してもらうのはできないかもな……いやいやでもやらなきゃ、交渉しなきゃ、と緊張しているあたりで目が覚めた。目が覚めてからもしばらく「笹……笹ってほんとうに準備しなくていいんだっけ……夢だっけ……」となっていた。洗濯機カバーが届いた。サッサで洗濯機を隅々拭いてからカバーをかけて、リビングとキッチンをクイックルワイパーで掃除して、トイレでロラン・バルト『物語の構造分析』をすこし読んで、コーヒーを淹れて、飲んで、煙草を巻いて、吸って、火曜だからInstagramの『ショート・スパン・コール』を更新。今日は「#017 醤油」。これは井戸川射子『する、されるユートピア』を何度も読んでいた時期に書いたもので、『する、されるユートピア』の文体にめちゃくちゃ影響を受けているのが読んでいて「ああ、そうだ」と思い出すくらい顕著で、でもなのかだからなのか、わたしはけっこう好きな1篇。そういえば2月だ、と思って、きよぴーのカレンダーの2月分を壁に貼って、『イラストレーション』2020年3月号の付録だった福田利之イラストの卓上カレンダーを2月に差し替えて、ついでにパソコンデスク周りをすこし整理した。FMラジオをつけっぱなしにしたままにしていたらラジオのゲストがシンバル職人の人で、未知の話が繰り広げられていて面白かった。シンバルを作るにはシンバルの音を何度も聴かなければいけないが、シンバルの音を何度も聴くと耳がやられる。そのジレンマについて語っていて、なるほどな〜〜と思いながらお腹をさすっていた(お腹がうっすら痛い)。マバヌアがナビゲーターを務めていて、ティンパニのすこし変わった奏法(マラカスで叩いたり)についてのハガキを読んでいたりして、流し聴きするつもりでつけたラジオだったのにずいぶん聞き入っていた。ツイッターを見ると脱マスク社会になるまで最低でも2〜3年はかかるみたいな記事があって、2〜3年か、と思う。中学生、高校生。小学生や幼稚園生や大学生も、だけど。20代以下の人たちは、いま、どういう気持ちで日々を送っているのだろう。うまく想像できない。というか、自分の幼少期〜10代、マスク社会ではなかった自分の過去を、いまの幼年〜10代の人たちに重ね合わせて想像することしかできない。しんどいだろうな、とか、つらいだろうな、とか、窮屈だろうな、とか思うことはカンタンだけれど、自分の幼少期〜10代といまの幼年〜10代を比べて「かわいそう」とか「しんどそう」とか思ったり言ったりするのはそれはそれで暴力だし決めつけだとも思う。いまの幼年〜10代の人たちの、それぞれの楽しさ、愉快さ、面白さ、切実さ、安心、揺らぎ、決心、葛藤、努力、知恵、衝動、を無視したくない。それらはたしかにあるはずで、どんな世界になっても、それらはなくならないはず。きっと。
 ふとしたきっかけで、ここ最近、短歌を作るときに大切にしていることや考えていることをある人に話すことになって、そのときわたしは「わからせない。共感させない。理解させない」こと(だからといってデタラメに言葉を並べて作るのではなく、あくまでわたしにはわかるし、表したいものはある、でも他人にわからせようとはしていない、という態度)を意識的にやっている、と答えた。それは去年の春前あたりか、もしくはもうすこし前、『起こさないでください』が出てからすこし経ったあたりに思い始めたことで。トランスジェンダー、といういち側面を持ったわたしが作る短歌には、意識的にせよ無意識的にせよ、必ずトランスジェンダーとしての意識や作為や視点や感情やそれらがないまぜになった機微が含まれているはずで。はずなのだけど、果たしてその、トランスジェンダーとしてのいち側面を加味した機微を、短歌界隈、特に「歌壇」とか言われている界隈、そこにいる評論家、歌人、などなどがどれだけ汲み取ってくれるのか。そういった機微を丁寧に(真摯に。もしくは、ジェンダー論やトランスジェンダーの歴史的歩み等の確固とした知識を持った上での冷静さで)わたしの短歌を読む人がどれだけいるのか。わたしは、そんな人は短歌界隈にも「歌壇」にも、現時点では存在しないと思っている。トランスジェンダーについて仔細に語れる人、教養を持っている人、背景を読み取れる人、がいない限り、わたしのただごと歌はただのただごと歌になり、あるある短歌はただのあるある短歌になる。『起こさないでください』では、わりと意識的に、わたしがトランスジェンダーだということを、「トランスジェンダー」「性同一性障害」という言葉をほぼ使わずに、「わかりやすく」「それとなく」示す、ということをしたのだけど、そういう努力は不毛だな、と思うようになった。どこだったか、レビューサイトで「性同一性障害当事者の方の歌集」みたいな紹介のされ方をしていて、なんだかすごく徒労感を覚えたのが大きなきっかけのような気がする。ショックだった。あんなに言葉を選んでも、そういう切り取られ方になるのか、と思った。だからもう、わかりやすくするのはやめて、どんどん、積極的に内に籠ろう、と思ったのだった。わかりやすくする必要はない。理解されなくていい。すくなくとも、短歌においては。理路がめちゃくちゃだしまとまっていないが、そういうわけでわたしは去年の春頃からずっと、自分の芯を誰にもわからせないように短歌を作っている。10年後、50年後、100年後、1000年後なのかわからないが、トランスジェンダーの短歌制作者が台頭して、そういった人たちの歌集があたりまえに編まれる/読まれるようになった遠い未来で(短歌界の現状を鑑みるに、ほんとうに、遠いだろうな、と思う)、ふと思い返される歌集であったらいいな、『起こさないでください』は、とささやかに、思っている。
 もたもたと支度をして家を出て急いで新宿に行く。注射。打てた。そのまま急いで職場へ。働く。今日はちょっとイレギュラーで、休日だったのだけど2時間だけ働くことに。働き終えて、頭がぐるぐるする。ふらふらと職場を出て帰宅。ずっしりと重たい気分。トイレに籠ってフジファブリック「タイムマシン」を久々に聴いたら涙が止まらなくなってだらだら泣いた。つらい。疲れた。しんどい。ヨダちゃんから電話が来て、へへへと思って出る。クラブハウスの話をする。途中で回線の調子がおかしくなって切れて、そのまま切り上げてお風呂に入った。お風呂から出て、中橋さんとLINEでやりとりしていたらなぜかクラブハウスで実況中継モノマネをしたりしながらだらだら話すroomをすることになってくっちゃべっていたら中橋さんのゆるい繋がりも参入してきて4時ごろまでふざけあって楽しかったけど疲れた。疲れているのにさらに疲れるようなことしてどうする、と思ってかなしくなって眠る。
2月3日(水)
 わかりやすく、注射の副作用、みたいな感じがする。なにかとても気持ちの悪い夢を見て目覚める。涙が出てくる。しんどい。起き上がれない。やっといたほうが、進めといたほうがいいのだろうけど今日はほんとうに動けない、と思ってnotionでこまかな仕事を割り振ってお願いして、ずっと横になっていた。たまに起きてトイレに行ったりごはんを食べたり。大前粟生『岩とからあげをまちがえる』、ケン・ニイムラ『ヘンシン』を布団に潜って、貪欲と太子を抱きしめながら読んでいた。森とかいう人のオリンピックやるやる駄々のニュースにもうなんの感情も湧かない。しんどさのピーク時あたりに短歌が1首できて、その短歌を軸にして「卒塔婆条項」という短歌連作が出来上がった。縦書き画像にして、ツイッターへ投下。短歌制作から縦書き画像作成、ツイートまでをすべて布団の中で行った。柴崎友香『春の庭』を読み始めた。すこし眠った。起きて、夜にスパゲティを食べた。涙が出る。しんどい。頭がぐちゃぐちゃする。眠い。だるい。くるしい。もう3日くらいお風呂に入っていないから、入らなくちゃ、と思う。『ショート・スパン・コール』94篇目はひとまず置いといて、先に95篇目をすこし書く。暗い未来の話。しんどいからすこしずつ書こうと思う。頭が思い。楽しいこと、面白いこと、愉快なこと、うれしいこと、考えられない。考えたい。『春の庭』をもうすこし読む。読んだら、お風呂に入って、たくさん泣いて眠る。
短歌連作「卒塔婆条項」 火事場かな いや卒塔婆だよ 馬鹿力出す機会なく今生を終え 冬の中にいま立っていて曇り空だから眩しい花一匁 語呂合わせで入れられた助詞煮え立てばそれがカンテラ 健やか欲の 白い服白くない服あてがってそれぞれの凸それぞれの凹 似顔絵を近影にする しばらくはカーテンの世話を焼く能もなく けん玉に蹂躙性を見出して手に持ったまま道路を歩く 言うなればみんな日記を書いていて総文字数が星に等しい
2月4日(木)
 起きる。家を出る。働く。しんどいことが続く。電話をかける。電話に出ない。メールを送る。帰る。寝る。
2月5日(金)
 起きる。返事が来ていた。ZOOMのURLをコピペしてメール。むずかしい。むずかしいな。と思いながら話す。話し終えて、どっと疲れて、すこし時間が余ったからいそいそと財布だけを持って近所のスーパーへ。なんだか普段は滅多に買わないパンでも買うかみたいな気持ちになっていて、食パン6枚切りと肉まん4個セットとナイススティックと納豆と豆腐とバターを買って帰って米を食う時間は無く肉まんをがつがつ食べていそいそと出勤。働く。働き終える。疲れた。被害者意識がつのっていて、とても良くない精神状態。ほんとうに疲れた。帰って、朝方まで眠れず。焦って寝る。
2月6日(土)
 起きる。肉まんを食べる。家を出る。働く。あたまがきゅうきゅうする。いそがしい。働き終える。疲れた。ここのところ連日夜〜夜中にクラブハウスでわちゃわちゃとしゃべっている。しゃべりすぎて喉がおかしくなりそう。でも誰かとなにかを話さないと感情がはちきれそうになる。朝方までしゃべる。眠る。
2月7日(日)
 起きる。お茶漬けと肉まんを食べる。家を出る。働く。頭の重さと共に働く。職場の環境、モノの配置や運用ルールなどが半月ほど前から毎日のようにがっちゃんがっちゃん変わっていて、慣れてきたと思ったら変わり、慣れてきたと思ったら変わり、のイタチごっこみたいになっていて、頻繁にバグみたいな動きをしてしまう。手が空を切る。その場でツイストする。視線が定まらない。でもそんなバグを何度も何度も起こしながらすこしづつ環境は整えられているような感じもしていて、いつか、いつか安定するようになるのか、ぜんぶ、とか思ったり忙しさに翻弄されて愚直に身体を動かしたり、もはや心が身体の奴隷みたいな状態でズビズバ動いていたら閉店になっていて忙しい日だった。足と腰が明確に重い。頭も重い。でもなぜか今日は昨日一昨日よりすこしは気持ちが明るくて、ばくばくとごはんを食べた。長らく気がかりだった原稿に対する処遇のメールが来ていて、開いて、読んで、ホッとした気分と「直接的な対話はついぞなかったな」「これだけコストをかけても原稿料は出ないんだもんな」といううっすらとした徒労感を感じながら、でもよかった、最悪の結果にならなくてほんとうによかった、諦めなくてよかったし最後までブチ切れなくてよかった、と思いながらビールを飲んで煙草を吸ってだらだらしていたら午前2時半になっていて慌てて家に帰る。今日は湯船に浸かってから眠る。原稿を書く時間と余力がなくてしんどい。なんとかしろ。来週中に。
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xf-2 · 4 years
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支持率急上昇の理由
「武漢肺炎」問題は、いまや世界最大の問題だ。そのなかで小国・台湾の動きが光っている。   本稿では、組織の固有名詞や引用以外では「武漢肺炎」で統一した。台湾では、政府が公式に略称として「武漢肺炎」を使い、一部の親中メディア以外は「武漢肺炎」と呼称している。香港やマレーシアの中国語メディアでも、親中派を除けば「武漢肺炎」が一般的である。   台湾では政府の武漢肺炎対応が国民からも強く支持され、政府、政治家の支持率が急上昇している。2月24日に公表された台湾民意基金会の調査では、蔡英文総統(大統領)の支持率は、前月から11ポイント強増え68・5%に、なかでも防疫政策については、75.3%が「80点以上」と回答した。   衛生福利部長(厚生労働大臣に相当)の陳時中が指揮する中央流行疫情防治中心(中央伝染病予防センター)に対しても、平均84・16点という高い評価がなされた。ちなみに副総統の陳建仁と行政院副院長(副首相)の陳其邁、さらに衛生福利部の次長(次官)も公衆衛生の専門家である。つまり、蔡政権は最初から感染症対策に適した布陣なのだ。
国内感染者が1人も出ていない時点で「法定感染症」に
対応は迅速だった。   昨年12月31日に、中国・武漢市衛生健康委員会が「原因不明の肺炎の症例」に関する発表を行うと、衛生福利部(厚生労働省)が即日に注意喚起を出し、武漢からの帰国便に対する検疫官の機内立ち入り検査、空港等での入国時の検疫強化を実行した。   ちょうど日本ではカルロス・ゴーンの逃亡が騒がれた頃で、筆者は台湾政府の反応を見て、武漢肺炎の深刻さを知った。日本の厚労省が注意喚起を行ったのは、6日後の1月6日だった。   台湾は国内で感染者が1人も出ていない1月15日の時点で、「法定感染症」に定めている(日本の「指定感染症」の閣議決定は1月28日)。さらに、米国と同じく重大な感染症に対応するための衛生福利部疾病管制署(CDC)も整備されており、1月20日には「厳重特殊伝染性肺炎中央流行疫情指揮中心」(以下、指揮センター)を正式に立ち上げている(日本の対策本部立ち上げは1月30日)。   しかも「法定」の根拠法である「伝染病防治法(対策法)」では、各官庁に強い権限が認められている。以下の対策は、主に同法に基づくものだ。
中国人の全面入国禁止措置
台湾政府は早い段階からヒトからヒトへの感染は排除できないとして、武漢地区への危険レベルを引き上げた。WHO(世界保健機関)の情報を鵜みにして、しばらくの間は「持続的なヒトからヒトへの感染の明らかな証拠はない」としていた日本の厚労省とは明らかに異なる。   1月24日、台湾の指揮センターは他の省庁と協力して、「マスクの輸出禁止」をいち早く実施。マスクが不足し始めた民間情報をキャッチしての素早い対策で、「高値転売などへの処罰」 「政府備蓄マスクの放出」 「政府買い取り保証」なども日本政府より1カ月以上も早い対応だった。   2月6日からは国内で生産されるマスクをすべて政府が買い上げ、実名制で配給した。1人当たり週二枚の配給だが、ICチップ入りの健康保険カードで認証するため、国民のほか居留資格がある外国人も利用可能だ。3月12日からは「マスク実名制2・0」と題して、国民認証が必要なスマホアプリを使い、一定の枚数をネットで注文し、コンビニなどで受け取れるようにした。   中国からの入国制限も早かった。1月19日には、中国渡航者で肺炎の症状があれば、国籍に関係なく隔離を開始。1月26日には、中国人の訪台制限を強化して武漢市からの入国を禁止し、その後も対象地域を次々に拡大して、2月6日には中国人の全面入国禁止措置を講じた。
追加特別予算案は人口比で日本の4倍
学校閉鎖も先行している。   春節(旧正月)休みに入っていた2月2日、台湾政府教育部(文科省)は、同月10日までのところ24日まで延長する措置を命じた。2月20日には、今後は一斉休校は行わずに、教職員や生徒で感染者が1人出れば学級閉鎖、2人以上なら学校閉鎖との基準を改めた(安倍首相が一斉休校要請を行ったのはほぼ3週間遅れで、台湾が方針を変えたあとの2月27日だった)。   共働きの家庭などに配慮した対策も台湾では早かった。労働部(省)は1月22日には、労働者自身はもちろんのこと、発症した子供の世話のために、有給休暇の取得を可能とし、それを拒否した雇用者に対しては法に基づいて処罰するとした。   行政院(内閣)は2月13日、総合的な対策特措法「厳重特殊伝染性肺炎防治及困振興特別条例」案、および追加特別予算案600億台湾ドル(約2200億円)を作成、立法院が25日に可決した。日本が緊急対応策として計上した予算案は2700億円、人口比では台湾は日本の約4倍になる。ちなみにシンガポールは約5000億円規模で、人口比では日本の40倍を超える。   また、日本では実施されていないものとして、デマなどの「インフォデミック」への処罰と、医療関係者の6月までの出国禁止令(2月26日)が台湾では出ている。
世界が注目する若手天才大臣の活躍
マスク供給など台湾の対策は日本の国会やテレビでも話題となったが、特に注目を集めたのは、自身もプログラマーで起業家でもあるデジタル担当の政務委員(大臣)を務める唐鳳だった。   IQ180、38歳の若手天才大臣として知られる唐鳳(オードリー・タン)は、台湾各地の薬局のマスク在庫状況をデータ化し公開、それによって民間のエンジニアたちがボランティアで「マスク在庫マップ」などを次々と開発していった。   唐鳳は男性として生まれたが、女性に転換したトランスジェンダーであり、遺伝子鑑定でも性別は中間とされ、入閣時、性別欄には「無」と記した。子供のときからプログラミングで名を馳せ、15歳でIT企業を起こすなど、米誌『フォーリン・ポリシー』の「2019年のグローバル思想家100人」にも選出された世界が注目する若手政治家だ。
国民から厚い信頼を得ている厚生大臣
唐鳳以外にも台湾国民から厚い信頼を得ているのが、先述した衛生福利部長(厚生大臣)で指揮センタートップの陳時中である。台北生まれの66歳。歯科医出身だが、前の民進党(陳水扁)政権時代にも衛生署副署長(厚生副大臣)として国民健康保険制度の中心人物であり、公衆衛生にも明るい。1日1回は記者会見を行い、国民に丁寧な説明を行う姿勢も高く評価されている。
秀逸な情報公開
情報公開の仕方も秀逸だった。   台湾CDCのホームページはデザインも優れていて非常に見やすい。トップ画面の一番上には、目立つように黄色の背景で箇条書きした注意事項、その下には世界地図と全世界の感染・死者合計、台湾国内の検査数、陽性確定数、隔離解除、昨日の��査、確定などが並ぶ。ビジュアルが多用されており、国民が一目で分かるような工夫が見られる。   台湾の政府系通信社「中央通訊社」をはじめ、民間メディアでも、中国人の入国拒否を実施した世界の国の一覧、東南アジアをはじめ欧米中東の症例のまとめなど、様々な情報が公開されている。こうしたことから、台湾国民は台湾を世界やアジアのなかで位置付けて、中国や他国への警戒ができるようになっている。   一貫した政府の意思は、第一に「自国民を守ること」 「そのために適切かつ簡潔で具体的な情報公開、そして分かりやすく伝える工夫」である。
中国に忖度するあまり、親日国台湾からの信用を失ったら……
一方、日本の厚労省のホームページは文字ばかりで、発表資料を機械的にアップしているだけ。利用者である国民の便宜がほとんど考えられていない。そもそも政府が中国からの入国を延々と認めていたように、自国民を守ろうとする意思が欠けていると言わざるを得ず、何よりも世界からそう見られてしまう。   実際、3月13日時点で35カ国・地域が日本からの入国を制限した。入国後の行動制限を設けたのは76カ国・地域に上る。日本の感染者数はドイツやフランスより少ないにもかかわらずである。 大の親日国家として知られる台湾でも、日本への信用が低下している。ネットでは「日本はどうなっている?」 「失望した」などという声が飛び交っている。もっとも執筆時点では、「中国との往来を早期に遮断しなかった日本政府の優柔不断さ」が槍玉に上がっており、大本はやはり中国不信にあって、日本人そのものには及んでいないように思える。とはいえ、台北にいる知人は、日本語で話していたところ、マンションの住人に「日本人だ。困ったことだ」と避けられた、と話している。 政府が手をこまねいていると、日本および日本人全体のイメージ悪化に波及するかもしれない。中国に忖度するあまり、親日国台湾からの信用を失ったら、今後、日本外交のボトルネックになりかねない。   一方で、台湾政府は東南アジア、とくにベトナム、シンガポールとは密接な情報交換をしていると推測される。フィリピン、インドネシア、マレーシアとも情報交換を行っていると見られており、台湾と国交を維持し感染者ゼロ(3月13日時点)のパラオでは、トミー・レメンゲサウ大統領が、「台湾政府の支援に感謝する」という声明を発表したことからも、台湾と緊密な情報交換を行っていることがわかる。
未だにWHOに加盟できていない台湾
台湾がWHOに加盟できない点が、今回の場合は幸いしたとも考えられる。再三の要望にかかわらず未だにWHOに加盟できていない台湾は、独自の情報収集や近隣諸国との連携にも余念がなく、先手を打った迅速かつ的確な対応を主体的に実施した。   2016年に蔡英文政権が登場してから、中国と距離を置く政策によって、中国政府があてつけのように台湾への団体旅行を制限したため、中国から台湾への人の流入が減る傾向になっていたことも幸いした。   もちろん、台湾の事例がそのまま日本で可能かというと、両国には本質的な違いもある。公衆衛生などの専門家チームに権限を与えて指揮させるのは、台湾が大統領を直接選挙で選ぶ大統領制であるがゆえだ。
世界で成果をあげる対中警戒感の強い政権
だが、日本が台湾から学べることは多い。   第一には対中警戒感だ。他のアジア諸国を見ても、武漢肺炎対応で成果を上げているのは対中警戒感が強い政権、あるいはそうした国民が多いという特徴がある。   ベトナムは政府がホームページで公開している対策も見やすくよく作られているし、実際に感染者数の抑制に成功している。シンガポールは感染経路を特定したり、感染者の所属先、病院、経路などを公開したりしている。台湾を含めてこの3カ国の対応や情報公開の仕方は、大いに学ぶべきだ。   香港やマレーシアも、中国との交流の深さの割に感染者拡大は抑制されている。モンゴル、インドネシア、フィリピンは、国内の医療水準やシステムには不安は残るものの、それでも早期に中国との往来を制限し、拒否したことで、現時点で爆発的な感染者拡大にまでは至っていない。   シンガポールでは中国からの郵便物を全面拒否し、インドネシアでは食材の輸入も禁止したという。 いずれも中国と国境を接していて歴史的に中国から痛い目に遭っているか、または中国系住民(華人)がいるため中国政府の邪悪な意図を先読みできるという共通点がある。
国民を鼓舞した蔡英文の宣言
話を台湾に戻すと、台湾も日本と同じくお人よしは多い。だが、戦後初期に中国人政権を直接経験しているためか、中国社会に本能的に警戒感を持っている。日本人は中国に対して、あまりにも警戒心がなさすぎる。   何よりも、いまの日本に根本的に欠けているのは、「国家・国民を守る」という前提と強い意思だ。  新型ウイルスという、未知の見えない相手に対応する場合には、ウイルスを外敵の一種と捉えて、国家を守るという姿勢が欠かせない。   その点で台湾がはっきりしていたのは、「台湾の国家としてのプライドと国民の健康と安全などの生存権を守る」ということである。   1月11日の総統・立法委員選挙で、反中国的な民進党の蔡英文が総統に再選され、また立法院でも民進党が過半数を超える多数を死守できたことが大きい。   蔡英文は再選直後、英国BBCのインタビューでこう述べている。 「いかなる時も、戦争の可能性は排除できない(中略)。しかし重要なことは、自分自身が備えをして、自分自身を守るための能力を身につけることだ」 「(中国が)台湾を侵略すれば、非常に大きな代償を払うことになるだろう」   中国に対してきわめて強硬な姿勢、かつ台湾が独立国家として自信を深めていることを宣言した。
71%が対中強硬姿勢を評価
今回、台湾が世界に先駆けるように、昨年末から武漢肺炎に対して警戒感を持ち、いち早く手を打った背景には、そうした台湾のプライドと、中国への警戒感や反感が大きく作用したと言える。   台湾民意基金会の世論調査でも、自分たちを「中国人ではなく台湾人」と考えている割合は、過去最高の83・2%に上った。昨年末にビジネス雑誌『天下』が発表した世論調査では、年齢層別の数字もある。若い世代ほど、「自分は台湾人」だと思う割合が高い。台湾の現在の正式国名は「中華民国」だが、20~30代においては63・6%が「台湾」と呼ぶべきだとして、「中華民国」の30・5%を大幅に上回っている。   蔡英文の対中強硬姿勢についても「満足」 「まあ満足」の合計が71・5%に達しており、中国共産党の武漢肺炎に対する処理能力については67・3%が「能力はない」とし、中国の状況について88・2%が「きわめて深刻」と考えている。   つまり、中国共産党への不信感の強さと台湾に対する自信と誇りこそが、蔡英文政権の武漢肺炎対応と対中強硬姿勢への支持の高さを支えているのである。
バッタ200兆匹が中国襲来!疫病に蝗害こそ中華帝国崩壊の予兆
日本のメディアではほとんど報じられないが、中国には現在、東アフリカで大発生して、2つの海をわたってインドに襲来し、農作物に甚大な被害をもたらしたサバクトビバッタの大群も迫っている。その数は4000億匹だが、6月には200兆匹に増えるとの予測もある。    疫病に蝗害(こうがい)は、これまでの中華帝国の王朝崩壊の予兆として歴史的にも知られている。加えて、米中戦争でファイブアイズ(諜報活動についてUKUSA協定を締結している米国・英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド5カ国の通称)から一斉にバッシングを浴び続けている中国経済は、昨年の時点で青息吐息である。   アジア諸国がウイルス発生源の中国と次々に手を切ろうとしている今こそ、安倍首相が従来から提唱している価値観外交の原点に回帰すべき時ではないか。武漢肺炎は「脱中国」の契機と捉えることもできる。日本が台湾から学ぶべきことは多い。(初���:月刊『Hanada』2020年5月号)
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keredomo · 3 years
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『八月の光』、分厚いですよね(後半)
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 後半です。前半ではクリスマスとジョアナを中心に愛と承認についてうだうだ書きました。後半では腹を括って書ききれなかった「信仰とはなにか」問題について書かねばなりません。書き切るためにも、とにかく気合でページを進めるのみです。デスマーチ……(私はものを読むのが得意でない)。  後半で取り扱う人物がまー軒並みクズでして、奴隷労働をさせられることになった怒りをフォークナーに癒してもらうために読み始めたはずが、より一層怒り狂うはめになり���した。
【主な登場人物】
リーナ・グローヴ:神がジェファソンに導き給うた。そろそろ産まれそう。
ジョー・ブラウン:自分が作った酒でアル中になるバカ。
ジョー・クリスマス:愛した女を殺し家を燃やして逃走中。賞金首。
ジョアナ・バーデン:愛の渦に飲み込まれ死亡。享年44歳。
バイロン・バンチ:おれがリーナを守る!夫に会わせてやるからな!
ゲイル・ハイタワー:実はバイロンとマブダチ。本は結構読むらしい。
 それでは参りましょう。悪態が炸裂して大変なことになりそうです。
【目次】
383ページ 頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えない
395ページ 「確信」への憧憬  
403ページ ハイタワーの受け取った「おつり」
474ページ まるで死が賜物であるかのように
495ページ 黒人の神様
498ページ 罪を抱えきれない弱い人間
526ページ リーナの出産
574ページ このタイミングで新キャラ出すの何なの
631ページ ハイタワーの死/リーナの再出発
やっと読み終わりました(656ページ)
383ページ 頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えない
 前半冒頭で「走る下半身」として紹介したジョー・ブラウンという男がいましたね。こいつの名前は偽名です。リーナの夫になることから逃れるために町を移り、名を変えました。本名(かどうかも怪しいが)ルーカス・バーチ、バイロン・バンチと名前が似ていた偶然がリーナを彼のそばまで運んできたのです。必然でしょうね。  このクソ野郎は、リーナから逃げて流れ着いたこの町に同じく流れ着いたストレンジャーであったクリスマスとつるんで密造酒の製造販売で儲けようとするのですが、脳が5gくらいしかないのであちこちでヘマをやらかしてクリスマスに睨まれます。とはいえクリスマス自身もストレンジャー特有の警戒心があり他に仲間にできそうな人もなく、同じくストレンジャーであるブラウンと一緒に過ごすことを選びました。宿のない彼をジョアナに与えられていた小屋に招いて共に暮らすようになると、ブラウンはクリスマスとジョアナが男女関係であることを知るようになります。へえ、こいつはおもしれえや。あの北部人の女とね。のみならず、クリスマスが酩酊して「自分には黒人の血が流れている」と独白するのも聞く。いよいよこいつの弱みを握ってやったぜ。こいつは使えそうだ。  それで、火事の現場に偶然居合わせたブラウンに容疑がかかった際、相棒クリスマスの複雑で繊細な事柄をぜんぶ、ぜーんぶぶちまけて、自分の利益に替えようとするわけです。我が身の安全とクリスマスの首に懸かった賞金の千ドルのために、知ってることをすべて警察に打ち明けて、「あいつが殺したんだ!あいつが悪人だ!」と喚く。「俺は何もかも知っている!犯人を明らかにしたんだから千ドルよこせ!」とぎゃんぎゃん叫ぶ。なんなんだこの下劣野郎は。最悪すぎる。
ブラウンはしゃべりたがった、熱心に大声でしゃべりたがり、どうやら彼がそうするのも千ドルの賞金が欲しいためだとすぐに明らかになったのだった。 「おまえは共犯証言をして自分の罪を軽くしたいわけかね?」保安官が尋ねた。 「俺はそんな証言したくねえよ」ブラウンは表情も声もやや荒っぽく、突っかかるように言った。「誰がやったか俺は知ってるんだ、千ドルくれれば話すんだ」
 ちょっと頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えないですね。それとも、この時代、1930年代のアメリカの南というのは、ここまで人を貶めなければ自分が生き延びることができないような時代だったのでしょうか。
 2020年を生きる私はブラウンのキャラクターに対してはっきりと憎悪をもっていますが、当時の土地や時代のことや、信仰のもう手に負えないほどの形骸化のことに鑑みるに、彼が神を無視し、慣習を無視し、父親となってこの世に囚われることを拒み、逃げ、逃げ続け、この世に反抗して生きられるのならば何だってやる、という態度を選択するのももしかすると一つの生き様なのかもしれない、とわずかな同情の余地をもつこともできます。彼の発言や行動の迂闊さと利己心をみるに、そこまで確固たる思想があるとはまったく思えないけど、絶対ないとは言い切れないよね。
 もちろん、どう擁護しようと、こいつのせいでリーナは孕んで共同体から疎外され、こいつのせいでクリスマスはリンチに遭って死ぬわけです。  ですが、彼を悪であると断じていいのかどうかはわかりません。
 リーナはすごく晴れ晴れしく旅を続けています、この男を追う旅を。この小説のラストシーンは再びリーナの歩みで締めくくられるのですが、そのリーナの姿の晴れやかなことといったら。生きる勇気をもらえるラストシーンです。この美しさ、晴れ晴れしさは、未読の方には是非読み通して味わっていただきたいものです。  クリスマスは、これは想像にすぎないけれど、多分ジョアナを殺して一人になった時からずっと死にたかったのだろうと思います。二人で死ぬつもりだった女を一人で死なせて、彼はもう生きていくことはできなくなったような気がする。二人で死のうとしていたような女を一度人生に置いて、それから再び一人になるということはできないような気がします。
 ジョー・ブラウンの存在は、「引き金は意思を持たない」ということを示しているのかもしれません。事実、この世には、明確な意志で以って引かれる引き金なんかほとんどないのです(私たちが抗いながらも自殺に憧れる理由でしょうか)。
395ページ 「確信」への憧憬  
 これまでこの記事では愚昧な男バイロン・バンチと追放された牧師ゲイル・ハイタワーのことにはほとんど触れずにきました。どちらも物語の主要人物なのですが、どうも魅力に欠いて、それは彼らに主体性がないからだと思います。自己についても他者についても社会についても責任を有していない。呆れたことですが、一般的なことかもしれません。  動くことはもちろんsurviveするための能動的選択ですが、不動のまま耐え続けることもまた生き延びるための一つの選択肢でしょう。とくに共同体から疎外されては生きてゆかれないような状況では、動くことのほうが愚策であることが多い。  バイロンとハイタワーの両者は「耐える」ことを選んだ者でした。  ある側面では、この小説の結末について思えば、これはそういった「どこに自分を見出せばいいかわからない」ような生を生きてきた彼らを救済する物語であるとも言えるかもしれません。
「彼女はいまあなたがしているように僕を見つめてて、それから言ったんです、『その黒ん坊の名は何というの?』まるで神様が見るみたいに、人間の嘘から知りたいことだけを、尋ねもせずに、見つけだしちまうんです」
 バイロン・バンチがリーナに恋をするのも頷ける話です。確信を持つ人間は、従い続ける人間にはあまりにも眩しく見えるものでしょう。
 バイロン・バンチは、よりによってジョアナの死体と家が燃え上がっているまさにその時にジェファソンにたどり着いたリーナと偶然出会って恋に落ちます。「ルーカス・バーチ(下半身ジョー・ブラウン)を探していたら、バーチじゃなくてバンチならここにいるっていろんな人に言われたわ。バンチってあんたなのね。」みたいな感じで話します。今書き出してみて気づいたけど、売野機子の描く物語の登場人物にこういう話し方をする子がけっこういますね。『かんぺきな街』とか。
 バイロンがリーナを保護し、彼女の望みを叶えるためにブラウンに会わせてやろうとするその健気さ、甲斐甲斐しさというのは、明らかに当時理想とされていた男性像から逸脱したものです。言ってしまえば性役割が反転しています。ここがリーナというキャラクターの底知れなさで、この人、主語が一貫して「あたし」なんですよね。前半の登場人物紹介で「電波」と書きましたが、彼女を電波と言わしめる社会順応性のほうがどう考えても悪ですね。
403ページ ハイタワーの受け取った「おつり」
 『いかん、わしはせんぞ。わしはお役ご免の株を買ったんだ』。それがいまは口でしゃべる言葉ほどになって、繰り返し、執拗に、主張するように、『わしはそのために支払ったのだ、値段をごまかしはしなかった。誰にもそうは言わせんぞ。わしはただ平和が欲しかっただけだ。言い逃れもせずに彼らの値段どおり払ったんだ』。
 『 』は作中人物が頭の中で考えた会話や独白を示すそうです(原文では ‘ ’ )。ゴシック体(原文はイタリック)となっている“意識の中を走る「思考の流れ」”との違いが相変わらずよくわかりませんね。より強く現実に即している思考ってことなのかな。
 本書ではバイロン・バンチとハイタワーの対話に少なくない紙面が割かれているのですが、この箇所ではバイロンがハイタワーにクリスマスを助けるための嘘をついてくれないかと懇願します。  バイロンはハイタワーに頭を下げつつ、「悪人と同様に善人にも負債が——償わねばならぬ負債が——あるとあなたに言いましたね」と話しています。ハイタワーはそんなこと、つゆほども承知していない。  先に「耐える」者として触れたとおり、そして上記の引用からも見て取れるような、「ただ悪事を犯さないというだけで“善人”である」というスタンスをとっていたハイタワーには、自分が支払わなければならない負債なんか到底あるとは思えないのです。  しかしその後、ハイタワーはほとんど自らの意志で「おつり」を受け取ることになりました。
 この場面の前後で、クリスマスの祖父母が新たに登場します。ここにきて新キャラ出すのやめろ。クリスマスの(微妙にたいしたことない)出生の秘密が明らかになると同時に、前半で触れた孤児院の「番人」はクリスマスの祖父だったことが判明します。孤児院のシーンでの描写でも完全にヤバい男でしたが、何がどうなってあんなにヤバかったのかが明らかにされて私も安心しました。詳しくは後ほど。
474ページ まるで死が賜物であるかのように
それでいてなおその音楽は冷酷で執念ぶかい性質を持ち、用心ぶかくて、わが身を犠牲にする情熱もなく、頼み、懇願するのだが、それは生をではなく、死を請い願っているのであり、他の新教音楽と同様、人々に生命を禁じるその高い調子は、まるで死が賜物であるかのように、死を請い願っているのだ。
 ハイタワーが今は自分の所属先ではなくなってしまった教会、そこで奏でられるパイプオルガンの音色について回想しているこの箇所は、明らかにイエス・キリストを擬人化(擬人化?)した挙句クリスマスに重ねている文章ですね。  この、クリスマスの心情を髣髴とさせる一節をハイタワー(堕落した牧師)の思念として描き出すのもなかなか皮肉に満ちていながら、……もしかすると、「わかりあえなさ」を強調しているのかもしれません。
この人々は喜びや陶酔には耐えられぬようであり、そこから逃避するために暴力と酒と喧嘩と祈りを用い、破滅するときにも、また、同様に、きまって暴力を用いるのだ だから彼らの宗教も当然のことに、彼ら自身やお互いを、十字架上に追いあげるようなものになるのだ と彼は考える。この音楽の内奥には、あの人々が明日はせねばならぬと知っているものに対する彼らの宣言と献身とが聞きとれるように思える。また、前の週は奔流のごとく過ぎ去り、明日に始まる来週は深淵であり、いまだけは瀑布(ばくふ)の落ち口に集まった水の流れが一つに調和して厳粛で朗々たる響きをあげているといったふうなのだ、それも弁明のためでなくて自らの落下を前にしての末期の挨拶であり、それを神へではなくて鉄棒のはまった監房に死を��つあの男へであって、その合唱ばかりか他の二つの教会の音楽も聞えてくる監房にいる男に、彼らは喜んで磔のための十字架を建てようとしているのだ。(太字箇所はここではゴシック体)
『というのも、あの男を憐れんだりすればそれは彼ら自身への疑問を生むことになるからだ、彼ら自身を憐れむ希望と必要を生むことになるからだ。だから彼らは喜んであの男を磔にする十字架を建てるのだ、喜んで。それが恐ろしいことなのだ、まったく恐ろしい、恐ろしい』
 思念はイエス・キリスト、クリスマス、そしてハイタワー自身が民衆から受ける仕打ちを重ね合わせながら、自己を守るために他者の理解を拒むという民衆的暴力の陰惨さに辿り着きます。  この箇所を他人事として棚上げすることは許されないように思われます。私たちが他者を拒むとき、それが暴力の行使にあたることにはほとんど気づきません。しかしそれは、『八月の光』あるいは聖書に描かれる実際上の血祭りとなんら変わりないと、ここにはっきりと記されていました。
 ハイタワーとクリスマスは、それこそクリスマスの死の瞬間まで一切、直接に接触することはありません。隠居しているハイタワーは、クリスマスの存在を知ってはいるものの、バイロンの噂話で聞きかじる程度です。  こうしてかつての自分が民衆から受けた迫害にあらためて思いを馳せる夜を経たことで、その後ハイタワーはクリスマスを暴力と死から逃そうとする行動をとることになるのですが、結局守りきれず、無力感に包まれたままハイタワーもまた孤独に息をひきとりました。
 直接に愛し合うことのない人間がほとんど唯一の理解者としてこの世に存在しうるということは、絶望でしょうか。それとも希望でしょうか。自分が生きながらにして享受できない救いははたして救いなのでしょうか。生前評価されなかった画家を死んでから愛でるというおこないの下劣について、私たちはどう折り合いをつければいいのでしょうか。
 死が賜物であると宣べるとき、私たちはこの生の耐え難い無力感から解放されることの安堵に支配されてしまうのでしょう。その安堵に抵抗し続けることの困難に、それでも立ち向かわなくてはならないのですが。
495ページ 黒人の神様
『坊や、なんであっしばかり見つめとるだね?』するとその子(引用者注:孤児院時代のクリスマス)は言った、『おじさん、どうして黒ん坊になったの?』それで黒ん坊が言った、『あっしが黒ん坊だなんて誰が教えたい? ええこの白人の父(てて)なし子め!』するとその子が言うんだ、『ぼく黒ん坊じゃないよ』、そして黒ん坊が言った、『おまえはそれより悪いだ。自分が何だか知らねえんだから。それもだ、これからずっと一生知らねえだ。おまえは行きて、そいから死ぬだがそれでも死なねえままだ』
 呪いがすごい。この呪詛によって、人種差別の罪、暴力でもって黒人を奴隷として使役してきた白人の罪のすべてがクリスマスに注がれています。神なき人の子に重すぎる原罪を背負わせるのやめろ。
そしてその子が言うんだ、『神様は黒ん坊じゃないよ』、そしてその黒ん坊が言うのさ、『おまえは神様が何だか知ってるにちがいねえな、だっておまえがどんな人間かは神様だけが知っとるんだからよ』。
 「神様は黒ん坊じゃない」!  その次の黒ん坊のセリフもまたすごいものですが、「神様は黒ん坊じゃない」という一節に衝撃を受けました。そうだよな、黒人の歴史においては、キリスト教が布教される(あるいは強制される)その担い手は白人だったわけで、それは書物ではなく口承と絵図とモチーフのみによって教えられたわけで、イエス・キリストは黒人の姿をしていない……。一度も考えたことがなかった。黒人にとっては、神の子は自分と同じ肌の色をしておらず、よりイエス・キリストの姿(と思い込まされているもの)に近い白人たちのほうが上等な生き物であると思わされてきたのかもしれない。白人たちも当然その傲慢に染まっていたことでしょう。聖書におけるイエスの肌は褐色であるにもかかわらず。  ここで私が割って入って「神様は黒ん坊でもないけど白人でもありませ〜〜ん残念でした〜〜〜!」と叫びながらハリセンでクリスマスの頭をはたけたら何か変わっていたかもしれません。悔やまれます。
 その直後の黒ん坊のセリフ「おまえは神様が何だか知ってるにちがいねえな、だっておまえがどんな人間かは神様だけが知っとるんだからよ」、こっちが真実ですね。どんなに正しいことに触れても、それが正しいと知らなければ受け取ることは叶わないのはやるせないものです。私もきっとおびただしい正しさを取りこぼして過って生きているのだろうな。
 それにしても、構造が明らかになるにつれフォークナーの筆力にひれ伏すばかりです。私事ですが、ここ何年かは、複雑きわまりない人生から「咀嚼可能なていどに簡易化をほどこした物語」を抽出することに取り組んできましたが、そろそろ「複雑な物語構造を組んで現実を再構築する」ということに取り組んでみたい気がしています。
498ページ 罪を抱えきれない弱い人間
 クリスマスの祖父について少し触れておきたいと思います。老ハインズと呼ばれている、町で噂のキチガイ爺です。「番人」の描写の時もやたらと神神神神言ってましたが、この人もまたあんまりよろしくない形で神と共にあり神を都合よくつかって救われたがっている人です。彼は常時、神と会話(対話でなく会話です)をしています。
老ドック・ハインズはあれが馬車に乗って出てゆくのを見送ってから、神様がおいでになるのを待っとると神様がやってきて老ドック・ハインズに申された、『おまえも行ってよろしい。おまえはわたしの仕事を果した。あとはもう女の悪業しか残っておらぬが、それはわたしの選んだ手先に見張らせる値打ちもないものじゃ』。
 クリスマスを孤児院から養父母に引き渡したあとのシーンですね。老ハインズは自分を神の使者だと思っているようです。  彼の一人芝居の滑稽さには正直ちょっと笑ってしまうのですが、直後に来るシーンはかなり切実で泣けてしまいます。
夜になると彼は言った、『神様、あの父なし子は?』そして神様が言われた、『あれはまだわたしの大地を歩いておる』、そして老ドック・ハインズは神様と連絡をとっておってそして晩になると彼は言った、『神様、あの父なし子は?』そして神様が言われた、『あの子はまだわたしの大地を歩いておる』、そして老ドック・ハインズはなおも神様と連絡をとっておって、そしてある夜に彼はもがいたり荒れくるったりしてから大声で叫んだ、『あの父なし子、神様! わしは感じます! わしは悪魔の歯と牙を感じます!』そして神様が言われた、『それはあの私生児じゃ。おまえの仕事はまだ終っておらん。彼はわたしの大地の汚れであり憎しみなのじゃ』
 ぐううう……(ぐうの音)。いやね、今となっては「私生児くらいでそんな……」という感じですが当時は気が狂うほどの罪だったんでしょう。自分の手から放してしまった孫をずっと気にして、不安にかられて、神様、神様と唱え続けている老ハインズの哀れな姿に胸が締めつけられます。ついに不安も苦しみも罪の意識も自責の念も背負いきれなくなり、ハインズは神様に「彼はわたしの大地の汚れであり憎しみなのだ」と言わしめてしまいました。  貶めることで安堵しようとする。人間のそういう弱さはよくわかります。自分の罪を自分で抱えきるには人間は弱すぎる。老ハインズと同じことを私もよくやっていると思います。でも、人間が弱いからと言って、自らその弱さを手放しに許すことは堕落にほかなりません。生きる以上、私たちはこの弱さに抗っていかなければならない。
526ページ リーナの出産
 さて、物語も終盤にさしかかっています。ついにリーナが出産するのですが、ブラウンが彼女を匿うことにしたのは実はジョアナ・バーデン邸の一角、クリスマス(とブラウン)が寝泊まりしていた小屋なんです。  クリスマスがジョアナを殺して家を焼いたそのすぐそばの小屋でリーナの子が産まれた瞬間、そこには、大人になったクリスマスに再会することで罪を許されたいと願ったものの叶わなかったクリスマスの祖父母(老ハインズら)と産婆役のハイタワーが集い、ここまできてもなお事態を我が事とみなしていなかったために医師を連れて来るのが間に合わなかった情けないバイロン・バンチが遅れてやってきて……なんというか、すごい構図ですね。ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897-98)を思い出します。
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 ゴーギャンこれ。好きなんだよね。
『哀れな女だ』と彼は考える。『哀れにも不毛な女。あと一週間だけ生きのびておれば、幸運がこの場所に戻ってきたものを。この不毛の破滅した土地に運と生命が戻ってきたものを』。
 ハイタワーはリーナの小屋に医師役として通いながらこんなことを考えますが、ほんとにそうかなあ。ジョアナとクリスマスが破滅し、家が燃え上がって何もかも失われてしまったからこそ、ここに新たな生命が芽吹いたんじゃないのかな。わからないけど、そんな気がします。世界は運動し続けるもので、とどまることはないと思う。
574ページ このタイミングで新キャラ出すの何なの
 おい、もうほぼ読み終わろうとしているこのタイミングでなぜまたも新キャラを登場させる。すごい度胸だフォークナー。登場させたペラッペラの新キャラにクリスマスを惨殺させる役割を担わせるのに何の意図があるんだフォークナー。  この新キャラ(警官パーシイ・グリム)は物語に颯爽と現れて颯爽とクリスマスを殺して消えます。なんなんだ。
 留置所から逃げ出したクリスマスはハイタワーの家に駆け込み(クリスマスの祖母が彼に会いに留置所へ行き、ハイタワーが守ってくれるはずだと説いたためです)、ハイタワーも彼を追っ手の警官グリムから守ろうとするのですが、空しくクリスマスはグリムに撃たれて殺されてしまいます。
他の連中が台所に着いたとき、テーブルは横にのけられ、グリムは死体の上にかがみこんでいた。彼が何をしているのかと近づいて、一同は男がまだ死んでいないのを知った、そしてグリムのしていることを見たとき、彼らの一人は咽喉のつまった叫びをあげ、壁のほうへよろめいていって嘔吐しはじめた。グリムもまた、血だらけの大ナイフを背後に投げすてながら飛びさがった。「これで、きさま、地獄に行っても白人の女にいたずらできないぞ」と彼は言った。
 このシーンは……ちょっとあまりにも悲惨で口を噤んでしまいますが……。直後に「尻や腰のあたりの切り裂かれた服の間からは」という記述があるので、おそらくそういうことですね。一体、警官には正義の名の下にそんな仕打ちをおこなう権利があるというのでしょうか。正義は最悪。いや……マジで最悪ですね正義……。正義によって私刑が正当化されると思っている人間は本当に吐き気のする悪でしかないですね……。おえ。
彼らはこの澱んで僧院めいた薄暗さの中へ、いま彼らが彼にしたばかりの残酷な夏の光に似た何かを持ち込んだのであった。  その光の残映は彼らの上に、彼らのまわりに、ただよっていた——それは光の持つ恥知らぬ残忍酷薄な明るさともいえた。
 「八月の光」が何であったのか、端的に述べられた箇所です。  柔い光は人に優しく、あたりを照らして私たちに景色を与え、世に温度と色彩をもたらし、それは恩寵というべき恵みです。しかし、あまりにも強い光は私たちから視力を奪い、体を灼熱に焦がし、すべてを奪いつくす暴力と転じます。それは私たちの力ではどうにも操ることのできないもの、畏怖すべき自然です。  このグリム然り、『異邦人』のムルソー然り、どうも「太陽のせい」で人は道を踏み外しがちになるようです。それはお前が常日頃からきちんと責任について考えておらず、また畏れという意識のもとに生きてないからだと思います。バーカ。
631ページ ハイタワーの死/リーナの再出発
『いずれにせよ、人間の手で神様に非難や責任を押しつけえないものが、何かあるにちがいないのだ。どこかにあるにちがいない』。
 終わりから2番目の章はハイタワーが息をひきとる間際におこなう回想に充てられています。祖父の栄光、父の真面目さ、自殺させた妻のこと、などなど。相変わらずあまり反省の様子は見受けられませんが……。初めて知ったのですが、死ぬ間際にはアメリカ人にも走馬灯が見えるようです。
 それでも、上に引用したハイタワーの独白は、「八月の光」を否定しうる力強い一節に違いありません。この小説に登場した人物には、神を信じるのではなく、神に責任を転嫁したり、神を都合よく利用したり、神にすべてを預けて破滅へと堕ちていったりする者も多くありました。まともに神を信仰していたのは記憶の限りではリーナくらいでしょうか。  別に神を信仰することが圧倒的な是ということもなく、神のかの字も口にしないジョー・ブラウンのあっぱれな逃げっぷりもそれはそれでよかろうと思います。人倫には悖るし、局部を切り取られるべきはクリスマスではなくこいつなわけだが……。
 自分を手放してしまうこと、抗うことを諦めてしまうこと、すべてを「八月の光」のせいにして責任を取らないまま都合よく救済されようとすること。生きるという重圧からの解放に誘惑され、ともすれば抗い難く飲まれてしまうそういった堕落に抵抗し続けることこそ、私たちが生きるこの世界にたいする責任を果たすことに繋がるのかもしれません。
 ちゃっかり逃げおおせたブラウンを追って、リーナは再び立ち上がります。今度はバイロン・バンチも一緒です(残念ながらまだまだ片思いの模様。)。
『逞しいもんだ。男どもがあんたを踏みつけにして行っちまうと、あんたおはやつらの残したものを集めて、また進むというわけだ』
 そのとおり。私たちは何度踏みつけにされても立ち上がるのです。
やっと読み終わりました(656ページ)
 読み終わったぞーーー!!!ワーーー!!すごかった!!!  軽い気持ちで書き始めた感想文のために2周もするはめになり、私もリーナと一緒にずいぶん遠いところに来た気分です。私の読解力の低さゆえ一読では読みきれないところが結構あったので、こうして精読する機会を得られてよかった。
 しかしフォークナーの筆力えげつないな……。 
 と言うのが今は精一杯です。人の人生を初めから終りまで描き切るようなことは、今の私には逆立ちしたってできっこありませんが、「人の人生を初めから終りまで描き切るようなことも人間には可能なのだな」ということをこの20代の終りに初めて知れたので、おそらくこれから先、見ようとするもの、見えることをわかっているので見ようとすることができるもの、が格段に増えてくると思います。とても嬉しい。嬉しいな。精読できてよかったな。
 追うリーナ、逃げるブラウン、彷徨うクリスマス、助けるジョアナ、閉じるハイタワー、従うバイロン。人間同士を物語によって絡めあい、多様な生き様を浮き彫りにしつつ、フォークナーはけっしてその是非を問わない。善悪を診断しない。評価を下さない。優れた小説とはかくあるべし、というまさにお手本のような作品でした。これは個人的な感触にすぎず、後日もっと学びを深めたあかつきには撤回することになる謂いかもしれませんが、多くの小説においてはテーマがすでに正義を帯びているような気がします。気がするだけだけど……。
 というわけで、拙い感想文に長々とお付き合いくださり本当にありがとうございました。長かったでしょう……。読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。  最後に、フォークナーがノーベル文学賞を受賞した際のスピーチより有名な一節を引用して締めくくりたいと思います。
I believe that man will not merely endure: he will prevail. He is immortal, not because he alone among creatures has an inexhaustible voice, but because he has a soul, a spirit capable of compassion and sacrifice and endurance.
 ——私は、人間とはただ耐えるだけの存在ではなく、打ち克つことのできる存在であると信じています。人間は永遠の存在です。あらゆる生き物のうちただ人間だけが尽きることのない声をもっているから、というわけではありません。人間に魂があるからです。他者を思いやり、自己犠牲を厭わず、忍耐強く耐え抜くことのできる精神を人間が備えているからです。
訳は拙訳でした。全文はこちら↓ https://www.nobelprize.org/prizes/literature/1949/faulkner/speech/
 リーナの旅は続く。わたしは次は何を読もうかな。
(2020/05/17 16:21)
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tomoya-jinguuji · 5 years
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一 はじめに  平成最後の施政方針演説を、ここに申し述べます。  本年四月三十日、天皇陛下が御退位され、皇太子殿下が翌五月一日に御即位されます。国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、万全の準備を進めてまいります。  「内平らかに外成る、地平らかに天成る」  大きな自然災害が相次いだ平成の時代。被災地の現場には必ず、天皇、皇后両陛下のお姿がありました。  阪神・淡路大震災で全焼した神戸市長田の商店街では、皇后陛下が焼け跡に献花された水仙が、復興のシンボルとして、今なお、地域の人々の記憶に刻まれています。  商店街の皆さんは、復興への強い決意と共に、震災後すぐに仮設店舗で営業を再開。全国から集まった延べ二百万人を超えるボランティアも復興の大きな力となりました。かつて水仙が置かれた場所は今、公園に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。  東日本大震災の直後、仙台市の避難所を訪れた皇后陛下に、一人の女性が花束を手渡しました。津波によって大きな被害を受けた自宅の庭で、たくましく咲いていた水仙を手に、その女性はこう語ったそうです。  「この水仙のように、私たちも頑張ります。」  東北の被災地でも、地元の皆さんの情熱によって、復興は一歩一歩着実に進んでいます。平成は、日本人の底力と、人々の絆(きずな)がどれほどまでにパワーを持つか、そのことを示した時代でもありました。  「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」  明治、大正、昭和、平成。日本人は幾度となく大きな困難に直面した。しかし、そのたびに、大きな底力を発揮し、人々が助け合い、力を合わせることで乗り越えてきました。  急速に進む少子高齢化、激動する国際情勢。今を生きる私たちもまた、立ち向かわなければならない。私たちの子や孫の世代に、輝かしい日本を引き渡すため、共に力を合わせなければなりません。  平成の、その先の時代に向かって、日本の明日を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。 二 全世代型社会保障への転換 (成長と分配の好循環)  この六年間、三本の矢を放ち、経済は十%以上成長しました。国・地方合わせた税収は二十八兆円増加し、来年度予算における国の税収は過去最高、六十二兆円を超えています。  そして、この成長の果実を、新三本の矢によって、子育て支援をはじめ現役世代へと大胆に振り向けてきました。  児童扶養手当の増額、給付型奨学金の創設を進める中で、ひとり親家庭の大学進学率は二十四%から四十二%に上昇し、悪化を続けてきた子どもの相対的貧困率も、初めて減少に転じ、大幅に改善しました。平成五年以来、一貫して増加していた現役世代の生活保護世帯も、政権交代後、八万世帯、減少いたしました。  五年間で五十三万人分の保育の受け皿を整備した結果、昨年、待機児童は六千人減少し、十年ぶりに二万人を下回りました。子育て世代の女性就業率は七ポイント上昇し、新たに二百万人の女性が就業しました。  成長の果実をしっかりと分配に回すことで、次なる成長につながっていく。「成長と分配の好循環」によって、アベノミクスは今なお、進化を続けています。 (教育無償化)  我が国の持続的な成長にとって最大の課題は、少子高齢化です。平成の三十年間で、出生率は一・五七から一・二六まで落ち込み、逆に、高齢化率は十%から三十%へと上昇しました。  世界で最も速いスピードで少子高齢化が進む我が国にあって、もはや、これまでの政策の延長線上では対応できない。次元の異なる政策が必要です。  子どもを産みたい、育てたい。そう願う皆さんの希望を叶(かな)えることができれば、出生率は一・八まで押し上がります。しかし、子どもたちの教育にかかる負担が、その大きな制約となってきました。  これを社会全体で分かち合うことで、子どもたちを産み、育てやすい日本へと、大きく転換していく。そのことによって、「希望出生率一・八」の実現を目指します。  十月から三歳から五歳まで全ての子どもたちの幼児教育を無償化いたします。小学校・中学校九年間の普通教育無償化以来、実に七十年ぶりの大改革であります。  待機児童ゼロの目標は、必ず実現いたします。今年度も十七万人分の保育の受け皿を整備します。保育士の皆さんの更なる処遇改善を行います。自治体の裁量を拡大するなどにより、学童保育の充実を進めます。  来年四月から、公立高校だけでなく、私立高校も実質無償化を実現します。真に必要な子どもたちの高等教育も無償化し、生活費をカバーするために十分な給付型奨学金を支給します。  家庭の経済事情にかかわらず、子どもたちの誰もが、自らの意欲と努力によって明るい未来をつかみ取ることができる。そうした社会を創り上げてこそ、アベノミクスは完成いたします。  子どもたちこそ、この国の未来そのものであります。  多くの幼い命が、今も、虐待によって奪われている現実があります。僅か五歳の女の子が、死の間際に綴(つづ)ったノートには、日本全体が大きなショックを受けました。  子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任です。  あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません。何よりも子どもたちの命を守ることを最優先に、児童相談所の体制を抜本的に拡充し、自治体の取組を警察が全面的にバックアップすることで、児童虐待の根絶に向けて総力を挙げてまいります。 (一億総活躍)  女性比率僅か三%の建設業界に、女性たちと共に飛び込んだ中小企業があります。時短勤務の導入、託児所の設置などに積極的に取り組み、職人の三割は女性です。  彼女たちが企画した健康に優しい塗料は、家庭用の人気商品となりました。女性でも使いやすい軽量の工具は、高齢の職人たちにも好んで使われるようになりました。この企業の売上げは、三年で二倍、急成長を遂げています。  女性の視点が加わることにより、女性たちが活躍することにより、日本の景色は一変する。人口が減少する日本にあって、次なる成長の大きなエンジンです。  女性活躍推進法を改正し、このうねりを全国津々浦々の中小企業にも広げます。十分な準備期間を設け、経営者の皆さんの負担の軽減を図りながら、女性の働きやすい環境づくりに取り組む中小企業を支援してまいります。  パワハラ、セクハラの根絶に向け、社会が一丸となって取り組んでいかなければなりません。全ての事業者にパワハラ防止を義務付けます。セクハラの相談を理由とした不利益取扱いを禁止するほか、公益通報者保護に向けた取組を強化し、誰もが働きやすい職場づくりを進めてまいります。  働き方改革。いよいよ待ったなしであります。  この四月から、大企業では、三六協定でも超えてはならない、罰則付きの時間外労働規制が施行となります。企業経営者の皆さん。改革の時は来ました。準備はよろしいでしょうか。  長年続いてきた長時間労働の慣行を断ち切ることで、育児や介護など様々な事情を抱える皆さんが、その事情に応じて働くことができる。誰もがその能力を思う存分発揮できる社会に向かって、これからも、働き方改革を全力で推し進めてまいります。  障害者の皆さんにも、やりがいを感じながら、社会でその能力を発揮していただきたい。障害者雇用促進法を改正し、就労の拡大を更に進めます。  人生百年時代の到来は、大きなチャンスです。  元気で意欲ある高齢者の方々に、その経験や知恵を社会で発揮していただくことができれば、日本はまだまだ成長できる。生涯現役の社会に向かって、六十五歳まで継続雇用することとしている現行制度を見直し、七十歳まで就労機会を確保できるよう、この夏までに計画を策定し、実行に移します。  この五年間、生産年齢人口が四百五十万人減少する中にあっても、多くの女性や高齢者の皆さんが活躍することで、就業者は、逆に二百五十万人増加いたしました。女性も男性も、お年寄りも若者も、障害や難病のある方も、全ての人に活躍の機会を作ることができれば、少子高齢化も必ずや克服できる。  平成の、その先の時代に向かって、「一億総活躍社会」を、皆さん、共に、創り上げていこうではありませんか。 (全世代型社会保障)  少子高齢化、そして人生百年の時代にあって、���が国が誇る社会保障の在り方もまた大きく変わらなければならない。お年寄りだけではなく、子どもたち、子育て世代、更には、現役世代まで、広く安心を支えていく。全世代型社会保障への転換を成し遂げなければなりません。  高齢化が急速に進む中で、家族の介護に、現役世代は大きな不安を抱いています。介護のために仕事を辞めなければならない、やりがいを諦めなければならないような社会はあってはなりません。  現役世代の安心を確保するため、「介護離職ゼロ」を目指し、引き続き全力を尽くします。  二〇二〇年代初頭までに五十万人分の介護の受け皿を整備します。ロボットを活用するなど現場の負担軽減を進めるとともに、十月からリーダー級職員の方々に月額最大八万円の処遇改善を行います。  認知症対策の強化に向けて、夏までに新オレンジプランを改定します。認知症カフェを全市町村で展開するなど、認知症の御家族を持つ皆さんを、地域ぐるみで支え、その負担を軽減します。  勤労統計について、長年にわたり、不適切な調査が行われてきたことは、セーフティネットへの信頼を損なうものであり、国民の皆様にお詫び申し上げます。雇用保険、労災保険などの過少給付について、できる限り速やかに、簡便な手続で、不足分をお支払いいたします。基幹統計について緊急に点検を行いましたが、引き続き、再発防止に全力を尽くすとともに、統計の信頼回復に向け、徹底した検証を行ってまいります。  全世代型社会保障への転換とは、高齢者の皆さんへの福祉サービスを削減する、との意味では、全くありません。むしろ、高齢者の皆さんに引き続き安心してもらえることが大前提であります。  六十五歳以上の皆さんにも御負担いただいている介護保険料について、年金収入が少ない方々を対象に、十月から負担額を三分の二に軽減します。年金生活者の方々に、新たに福祉給付金を年間最大六万円支給し、所得をしっかりと確保してまいります。  こうした社会保障改革と同時に、その負担を次の世代へと先送りすることのないよう、二〇二五年度のプライマリーバランス黒字化目標の実現に向け、財政健全化を進めます。  少子高齢化を克服し、全世代型社会保障制度を築き上げるために、消費税率の引上げによる安定的な財源がどうしても必要です。十月からの十%への引上げについて、国民の皆様の御理解と御協力をお願い申し上げます。  八%への引上げ時の反省の上に、経済運営に万全を期してまいります。  増税分の五分の四を借金返しに充てていた、消費税の使い道を見直し、二兆円規模を教育無償化などに振り向け、子育て世代に還元いたします。軽減税率を導入するほか、プレミアム商品券の発行を通じて、所得の低い皆さんなどの負担を軽減します。  同時に、来たるべき外国人観光客四千万人時代を見据え、全国各地の中小・小規模事業者の皆さんにキャッシュレス決済を普及させるため、思い切ったポイント還元を実施します。自動車や住宅への大幅減税を行い、しっかりと消費を下支えします。  来年度予算では、頂いた消費税を全て還元する規模の十二分な対策を講じ、景気の回復軌道を確かなものとすることで、「戦後最大のGDP六百兆円」に向けて着実に歩みを進めてまいります。 三 成長戦略 (デフレマインドの払拭)  平成の日本経済はバブル崩壊から始まりました。  出口の見えないデフレに苦しむ中で、企業は人材への投資に消極的になり、若者の就職難が社会問題となりました。設備投資もピーク時から三割落ち込み、未来に向けた投資は先細っていきました。  失われた二十年。その最大の敵は、日本中に蔓延したデフレマインドでありました。  この状況に、私たちは三本の矢で立ち向かいました。  早期にデフレではないという状況を作り、企業の設備投資は十四兆円増加しました。二十年間で最高となっています。人手不足が深刻となって、人材への投資も息を吹き返し、五年連続で今世紀最高水準の賃上げが行われました。経団連の調査では、この冬のボーナスは過去最高です。  日本企業に、再び、未来へ投資する機運が生まれてきた。デフレマインドが払拭されようとしている今、未来へのイノベーションを、大胆に後押ししていきます。 (第四次産業革命)  世界は、今、第四次産業革命の真っただ中にあります。人工知能、ビッグデータ、IoT、ロボットといったイノベーションが、経済社会の有り様を一変させようとしています。  自動運転は、高齢者の皆さんに安全・安心な移動手段をもたらします。体温や血圧といった日々の情報を医療ビッグデータで分析すれば、病気の早期発見も可能となります。  新しいイノベーションは、様々な社会課題を解決し、私たちの暮らしを、より安心で、より豊かなものとする、大きな可能性に満ちている。こうしたSociety 5.0を、世界に先駆けて実現することこそ、我が国の未来を拓く成長戦略であります。  時代遅れの規制や制度を大胆に改革いたします。  交通に関わる規制を全面的に見直し、安全性の向上に応じ、段階的に自動運転を解禁します。寝たきりの高齢者などが、自宅にいながら、オンラインで診療から服薬指導まで一貫して受けられるよう、関係制度を見直します。外国語やプログラミングの専門家による遠隔教育を、五年以内に全ての小中学校で受けられるようにします。  電波は国民共有の財産です。経済的価値を踏まえた割当制度への移行、周波数返上の仕組みの導入など、有効活用に向けた改革を行います。携帯電話の料金引下げに向け、公正な競争環境を整えます。  電子申請の際の紙の添付書類を全廃します。行政手続の縦割りを打破し、ワンストップ化を行うことで、引っ越しなどの際に同じ書類の提出を何度も求められる現状を改革します。  急速な技術進歩により、経済社会が加速度的に変化する時代にあって最も重要な政府の役割は、人々が信頼し、全員が安心して新しいシステムに移行できる環境を整えることだと考えます。  膨大な個人データが世界を駆け巡る中では、プライバシーやセキュリティを保護するため、透明性が高く、公正かつ互恵的なルールが必要です。その上で、国境を越えたデータの自由な流通を確保する。米国、欧州と連携しながら、信頼される、自由で開かれた国際データ流通網を構築してまいります。  人工知能も、あくまで人間のために利用され、その結果には人間が責任を負わなければならない。我が国がリードして、人間中心のAI倫理原則を打ち立ててまいります。  イノベーションがもたらす社会の変化から、誰一人取り残されてはならない。この夏策定するAI戦略の柱は、教育システムの改革です。  来年から全ての小学校でプログラミングを必修とします。中学校、高校でも、順次、情報処理の授業を充実し、必修化することで、子どもたちの誰もが、人工知能などのイノベーションを使いこなすリテラシーを身に付けられるようにします。  我が国から、新たなイノベーションを次々と生み出すためには、知の拠点である大学の力が必要です。若手研究者に大いに活躍の場を与え、民間企業との連携に積極的な大学を後押しするため、運営費交付金の在り方を大きく改革してまいります。  経済活動の国境がなくなる中、日本企業の競争力、信頼性を一層グレードアップさせるために、企業ガバナンスの更なる強化が求められています。社外取締役の選任、役員報酬の開示など、グローバルスタンダードに沿って、これからもコーポレートガバナンス改革を進めてまいります。 (中小・小規模事業者)  中小・小規模事業者の海外輸出は、バブル崩壊後、二倍に拡大しました。  下請から脱し、自ら販路を開拓する。オンリーワンのワザを磨く。全国三百六十万者の中小・小規模事業者の皆さんは、様々な困難にあっても、歯を食いしばって頑張ってきました。バブル崩壊後の日本経済を支え、我が国の雇用の七割を守ってきたのは、こうした中小・小規模事業者の皆さんです。  新しいチャレンジをものづくり補助金で応援します。全国的に人手不足が深刻となる中で、IT補助金、持続化補助金により、生産性向上への取組も後押しします。  四月から、即戦力となる外国人材を受け入れます。多くの優秀な方々に日本に来ていただき、経済を担う一員となっていただくことで、新たな成長につなげます。働き方改革のスタートを見据え、納期負担のしわ寄せを禁止するなど、取引慣行の更なる改善を進めます。  後継者の確保も大きな課題です。四十七都道府県の事業引継ぎ支援センターでマッチングを行うとともに、相続税を全額猶予する事業承継税制を個人事業主に拡大します。  TPPやEUとの経済連携協定は、高い技術力を持つ中小・小規模事業者の皆さんにとって、海外展開の大きなチャンスです。「総合的なTPP等関連政策大綱」に基づき、海外でのマーケティング、販路開拓を支援してまいります。 四 地方創生 (農林水産新時代)  安全でおいしい日本の農産物にも、海外展開の大きなチャンスが広がります。農林水産品の輸出目標一兆円も、もう手の届くところまで来ました。  同時に、農家の皆さんの不安にもしっかり向き合います。二次補正予算も活用し、体質改善、経営安定化に万全を尽くします。  素晴らしい田園風景、緑あふれる山並み、豊かな海、伝統ある故郷(ふるさと)。我が国の国柄を守ってきたのは、全国各地の農林水産業です。美しい棚田を次の世代に引き渡していくため、中山間地域への直接支払などを活用し、更に、総合的な支援策を講じます。  農こそ、国の基です。  守るためにこそ、新たな挑戦を進めなければならない。若者が夢や希望を持って飛び込んでいける「強い農業」を創ります。この六年間、新しい農林水産業を切り拓くために充実させてきた政策を更に力強く展開してまいります。  農地バンクの手続を簡素化します。政権交代前の三倍、六千億円を上回る土地改良予算で、意欲と能力ある担い手への農地集積を加速し、生産性を高めます。  国有林野法を改正します。長期間、担い手に国有林の伐採・植林を委ねることで、安定した事業��可能とします。美しい森を守るため、水源の涵養、災害防止を目的とした森林環境税を創設します。  水産業の収益性をしっかりと向上させながら、資源の持続的な利用を確保する。三千億円を超える予算で、新しい漁船や漁具の導入など、浜の皆さんの生産性向上への取組を力強く支援します。  平成の、その先の時代に向かって、若者が自らの未来を託すことができる「農林水産新時代」を、皆さん、共に、築いていこうではありませんか。 (観光立国)  田植え、稲刈り。石川県能登町にある五十軒ほどの農家民宿には、直近で一万三千人を超える観光客が訪れました。アジアの国々に加え、米国、フランス、イタリア、イスラエルなど、二十か国以上から外国人観光客も集まります。  昨年、日本を訪れる外国人観光客は、六年連続で過去最高を更新し、三千万人の大台に乗りました。北海道、東北、北陸、九州で三倍以上、四国で四倍以上、沖縄では五倍以上に増えています。消費額にして、四兆五千億円の巨大市場。  観光立国によって、全国津々浦々、地方創生の核となる、たくましい一大産業が生まれました。  来年の四千万人目標に向かって、海外と地方をつなぐ空の玄関口、羽田、成田空港の発着枠を八万回増やします。世界一安全・安心な国を実現するため、テロ対策などの一層の強化に取り組みます。国際観光旅客税を活用し、主要な鉄道や観光地で表示の多言語化を一気に加速します。  来年三月の供用開始に向け、那覇空港第二滑走路の建設を進めます。発着枠を大幅に拡大することで、アジアと日本とをつなぐハブ機能を強化してまいります。  北海道では、昨年、フィリピンからの新たな直行便など、新千歳空港の国際線が二十五便増加しました。雄大な自然を活かした体験型ツーリズムの拡大を後押しします。広くアイヌ文化を発信する拠点を白老町に整備し、アイヌの皆さんが先住民族として誇りを持って生活できるよう取り組みます。 (地方創生)  観光資源などそれぞれの特色を活かし、地方が、自らのアイデアで、自らの未来を切り拓く。これが安倍内閣の地方創生です。  地方の皆さんの熱意を、引き続き一千億円の地方創生交付金で支援します。地方の財政力を強化し、税源の偏在を是正するため、特別法人事業税を創設します。  十年前、東京から地方への移住相談は、その半分近くが六十歳代以上でした。しかし、足元では、相談自体十倍以上に増加するとともに、その九割が五十歳代以下の現役世代で占められています。特に、三十歳未満の若者の相談件数は、五十倍以上になりました。  若者たちの意識が変わってきた今こそ、大きなチャンスです。地方に魅力を感じ、地方に飛び込む若者たちの背中を力強く後押ししてまいります。  地域おこし協力隊を、順次八千人規模へと拡大します。東京から地方へ移住し、起業・就職する際には、最大三百万円を支給し、地方への人の流れを加速します。  若者たちの力で、地方の輝ける未来を切り拓いてまいります。 (国土強靱(じん)化)  集中豪雨、地震、激しい暴風、異常な猛暑。昨年、異次元の災害が相次ぎました。もはや、これまでの経験や備えだけでは通用しない。命に関わる事態を「想定外」と片付けるわけにはいきません。  七兆円を投じ、異次元の対策を講じます。  全国で二千を超える河川、一千か所のため池の改修、整備、一千キロメートルに及ぶブロック塀の安全対策を行い、命を守る防災・減災に取り組みます。  四千キロメートルを超える水道管の耐震化、八千か所のガソリンスタンドへの自家発電の設置を進め、災害時にも維持できる、強靱(じん)なライフラインを整備します。  風水害専門の広域応援部隊を全ての都道府県に立ち上げ、人命救助体制を強化します。  ハードからソフトまであらゆる手を尽くし、三年間集中で、災害に強い国創り、国土強靱(じん)化を進めてまいります。 (東日本大震災からの復興)  九月二十日からいよいよラグビーワールドカップが始まります。五日後には、強豪フィジーが岩手県釜石のスタジアムに登場します。  津波で大きな被害を受けた場所に、地元の皆さんの復興への熱意と共に建設されました。世界の一流プレーヤーたちの熱戦に目を輝かせる子どもたちは、必ずや、次の時代の東北を担う大きな力となるに違いありません。  東北の被災地では、この春までに、四万七千戸を超える住まいの復興が概ね完了し、津波で浸水した農地の九割以上が復旧する見込みです。  原発事故で大きな被害を受けた大熊町では、この春、町役場が八年ぶりに、町に戻ります。  家々の見回り、草刈り、ため池の管理。将来の避難指示解除を願う地元の皆さんの地道な活動が実を結びました。政府も、インフラ整備など住民の皆さんの帰還に向けた環境づくりを進めます。  福島の復興なくして東北の復興なし。東北の復興なくして日本の再生なし。復興が成し遂げられるその日まで、国が前面に立って、全力を尽くして取り組んでまいります。  来年、日本にやってくる復興五輪。その聖火リレーは福島からスタートします。最初の競技も福島で行われます。東日本大震災から見事に復興した東北の姿を、皆さん、共に、世界に発信しようではありませんか。 五 戦後日本外交の総決算 (公正な経済ルールづくり)  昨年末、TPPが発効しました。来月には、欧州との経済連携協定も発効します。  いずれも単に関税の引下げにとどまらない。知的財産、国有企業など幅広い分野で、透明性の高い、公正なルールを整備しています。次なる時代の、自由で、公正な経済圏のモデルです。  自由貿易が、今、大きな岐路に立っています。  WTOが誕生して四半世紀、世界経済は、ますます国境がなくなり、相互依存を高めています。新興国は目覚ましい経済発展を遂げ、経済のデジタル化が一気に進展しました。  そして、こうした急速な変化に対する不安や不満が、時に保護主義への誘惑を生み出し、国と国の間に鋭い対立をも生み出しています。  今こそ、私たちは、自由貿易の旗を高く掲げなければならない。こうした時代だからこそ、自由で、公正な経済圏を世界へと広げていくことが、我が国の使命であります。  昨年九月の共同声明に則って、米国との交渉を進めます。広大な経済圏を生み出すRCEPが、野心的な協定となるよう、大詰めの交渉をリードしてまいります。  国際貿易システムの信頼を取り戻すためには、WTOの改革も必要です。米国や欧州と共に、補助金やデータ流通、電子商取引といった分野で、新しい時代の公正なルールづくりを我が国がリードする。その決意であります。 (安全保障政策の再構築)  平成の、その先の時代に向かって、日本外交の新たな地平を切り拓く。今こそ、戦後日本外交の総決算を行ってまいります。  我が国の外交・安全保障の基軸は、日米同盟です。  平和安全法制の成立によって、互いに助け合える同盟は、その絆(きずな)を強くした。日米同盟は今、かつてなく強固なものとなっています。  そうした深い信頼関係の下に、抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担の軽減に取り組んでまいります。これまでの二十年以上に及ぶ沖縄県や市町村との対話の積み重ねの上に、辺野古移設を進め、世界で最も危険と言われる普天間飛行場の一日も早い全面返還を実現してまいります。  自らの手で自らを守る気概なき国を、誰も守ってくれるはずがない。安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりません。  冷戦の終結と共に始まった平成の三十年間で、我が国を取り巻く安全保障環境は激変しました。そして今、この瞬間も、これまでとは桁違いのスピードで、厳しさと不確実性を増している現実があります。  テクノロジーの進化は、安全保障の在り方を根本的に変えようとしています。サイバー空間、宇宙空間における活動に、各国がしのぎを削る時代となりました。  もはや、これまでの延長線上の安全保障政策では対応できない。陸、海、空といった従来の枠組みだけでは、新たな脅威に立ち向かうことは不可能であります。  国民の命と平和な暮らしを、我が国自身の主体的・自主的な努力によって、守り抜いていく。新しい防衛大綱の下、そのための体制を抜本的に強化し、自らが果たし得る役割���拡大します。サイバーや宇宙といった領域で我が国が優位性を保つことができるよう、新たな防衛力の構築に向け、従来とは抜本的に異なる速度で変革を推し進めてまいります。 (地球儀俯瞰(ふかん)外交の総仕上げ)  我が国の平和と繁栄を確固たるものとしていく。そのためには、安全保障の基盤を強化すると同時に、平和外交を一層力強く展開することが必要です。  この六年間、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えて、世界の平和と繁栄にこれまで以上の貢献を行ってきた。地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、積極的な外交を展開してまいりました。  平成の、その先の時代に向かって、いよいよ総仕上げの時です。  昨年秋の訪中によって、日中関係は完全に正常な軌道へと戻りました。「国際スタンダードの下で競争から協調へ」、「互いに脅威とはならない」、そして「自由で公正な貿易体制を共に発展させていく」。習近平主席と確認した、今後の両国の道しるべとなる三つの原則の上に、首脳間の往来を重ね、政治、経済、文化、スポーツ、青少年交流をはじめ、あらゆる分野、国民レベルでの交流を深めながら、日中関係を新たな段階へと押し上げてまいります。  ロシアとは、国民同士、互いの信頼と友情を深め、領土問題を解決して、平和条約を締結する。戦後七十年以上残されてきた、この課題について、次の世代に先送りすることなく、必ずや終止符を打つ、との強い意志を、プーチン大統領と共有しました。首脳間の深い信頼関係の上に、一九五六年宣言を基礎として、交渉を加速してまいります。  北朝鮮の核、ミサイル、そして最も重要な拉致問題の解決に向けて、相互不信の殻を破り、次は私自身が金正恩委員長と直接向き合い、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動いたします。北朝鮮との不幸な過去を清算し、国交正常化を目指します。そのために、米国や韓国をはじめ国際社会と緊密に連携してまいります。  北東アジアを真に安定した平和と繁栄の地にするため、これまでの発想にとらわれない、新しい時代の近隣外交を力強く展開いたします。  そして、インド洋から太平洋へと至る広大な海と空を、これからも、国の大小にかかわらず、全ての国に恩恵をもたらす平和と繁栄の基盤とする。このビジョンを共有する全ての国々と力を合わせ、日本は、「自由で開かれたインド太平洋」を築き上げてまいります。 (世界の中の日本外交)  中東地域の国々とは、長年、良好な関係を築いてきました。その歴史の上に、中東の平和と安定のため、日本独自の視点で積極的な外交を展開してまいります。  TICADがスタートして三十年近くが経ち、躍動するアフリカはもはや援助の対象ではありません。共に成長するパートナーです。八月にTICADを開催し、アフリカが描く夢を力強く支援していきます。  世界の平和と繁栄のために、日本外交が果たすべき役割は大きなものがある。地球規模課題の解決についても、日本のリーダーシップに強い期待が寄せられています。  我が国は四年連続で温室効果ガスの排出量を削減しました。他方で、長期目標である二〇五〇年八十%削減のためには非連続的な大幅削減が必要です。環境投資に積極的な企業の情報開示を進め、更なる民間投資を呼び込むという、環境と成長の好循環を回すことで、水素社会の実現など革新的なイノベーションを、我が国がリードしてまいります。  プラスチックによる海洋汚染が、生態系への大きな脅威となっています。美しい海を次の世代に引き渡していくため、新たな汚染を生み出さない世界の実現を目指し、ごみの適切な回収・処分、海で分解される新素材の開発など、世界の国々と共に、海洋プラスチックごみ対策に取り組んでまいります。  本年六月、主要国のリーダーたちが一堂に会するG20サミットを、我が国が議長国となり、大阪で開催します。  世界経済の持続的成長、自由で公正な貿易システムの発展、持続可能な開発目標、地球規模課題への新たな挑戦など、世界が直面する様々な課題について、率直な議論を行い、これから世界が向かうべき未来像をしっかりと見定めていく。そうしたサミットにしたいと考えています。  これまでの地球儀俯瞰(ふかん)外交の積み重ねの上に、各国首脳と築き上げた信頼関係の下、世界の中で日本が果たすべき責任を、しっかりと果たしていく決意です。  平成の、その先の時代に向かって、新しい日本外交の地平を拓き、世界から信頼される日本を、皆さん、勇気と誇りを持って、共に、創り上げていこうではありませんか。 六 おわりに  二〇二五年、日本で国際博覧会が開催されます。  一九七〇年の大阪万博。リニアモーターカー、電気自動車、携帯電話。夢のような未来社会に、子どもたちは胸を躍らせました。  「驚異の世界への扉を、いつか開いてくれる鍵。それは、科学に違いない。」  会場で心震わせた八歳の少年は、その後、科学の道に進み、努力を重ね、世界で初めてiPS細胞の作��に成功しました。ノーベル生理学・医学賞を受賞し、今、難病で苦しむ世界の人々に希望の光をもたらしています。  二〇二〇年、二〇二五年を大きなきっかけとしながら、次の世代の子どもたちが輝かしい未来に向かって大きな「力」を感じることができる、躍動感あふれる時代を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。  憲法は、国の理想を語るもの、次の時代への道しるべであります。私たちの子や孫の世代のために、日本をどのような国にしていくのか。大きな歴史の転換点にあって、この国の未来をしっかりと示していく。国会の憲法審査会の場において、各党の議論が深められることを期待いたします。  平成の、その先の時代に向かって、日本の明日を切り拓く。皆さん、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。  御清聴ありがとうございました。
第百九十八回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説
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kyokantheaternews · 2 years
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いつも共感シアターを応援していただきありがとうございます! 毎週火曜日21時より生放送をしている「共感シアターナビ」では、"俺たち共感族!!“という視聴者の皆さまと戯れるコーナーがあります!視聴者の皆さまに「お題」を投げかけ、ご投稿いただいたお答えの中から抽選で10名の方の投稿をご紹介します。そして、その10名の中からさらに抽選で1名の方にどんな映画でも使える「ムビチケGIFT」をプレゼントします!そんな、3月29日のお題は「イケてる悪役(男女問わず)」です。以下の投稿は抽選の結果、読み切れなかった方の投稿を掲載しています。他の方の投稿も気になりますよね、ぜひ、ご覧ください!
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Im vengeance a.k.a. 千葉ダミアンさん:『死霊のえじき』ローズ大佐
奴は完全にイカれてる。ゾンビが世界のマジョリティとなり、ゾンビが世界を席巻する中、ある1人の馬鹿軍人が暴挙に出る。その名も、ローズ大佐!むしろ、こんな世界だからこそ、世界を取ろうとしたのだろう。『俺ならやれる!』大佐としてやってきた自信もあったのだろう、ローズにも。一時の彼は、凄かった!会議室で、科学者達に反論される最中、ローズが立ち上がる!反論する科学者に対して、部下に銃撃を指示するローズ!科学者の正論を無視して、権力構造を駆使して完全に逆ギレするローズ!もはや、呆れちゃうくらいの馬鹿な軍人の典型なのだが、ローズの目には曇りがない!俺が神だ!俺が支配している!こんな馬鹿で自信満々なイケてる悪役は他にいない。ゾンビが彷徨う世界が生んだアンチヒーロー・ローズ大佐!結局、天才ゾンビ・バブ君の敬礼と共に、ゾンビに食い殺される運命のローズ大佐も、全盛期のイケイケ振りは半端なく、最高のヴィランです!
ヒロ神崎さん:『007/トゥモローネバーダイ』ドクター・カウフマン
イケてる悪役、「007/トゥモローネバーダイ」のドクター・カウフマンです。ラスボスであるメディア王カーヴァーが妻とボンドの仲を勘ぐって差し向けた殺し屋です。自他共に認める射撃の名手にして法医学の専門家で趣味の拷問は玄人はだし(本人談)。演じるは「ゴースト・ニューヨークの幻」で幽霊となった主人公サムに「モノの触り方」を教えてくれる先輩幽霊の役をやったヴィンセント・スキャヴェリ。「ゴースト」では独特の髪型とタレ目で一度見たら忘れられない印象でした。本作では打って変わってスーツに身を包んだダンディな悪役という感じでしたが、タレ目は健在。「イケてる」とはいえないかもしれませんが、「私を愛したスパイ」の総金歯ジョーズと並ぶ愛すべき悪役です。ボンドを拷問するシーンとかもなくて、もうちょっと見せ場があるとよかったのですが、あっけなくボンドにやられてしまいました。
ベギラドンさん:『キル・ビル』エル
私が推したいイケてる悪役は、キル・ビルのエルです。エルは、卑怯で、嘘つきで、高慢で嫉妬深く、あなたの近くにいる嫌な奴らをまとめて煮しめたような悪い女です。ぶちのめされる姿を見ても、「ざまぁ…」としか思えないイケてる悪役です。最近、このような「私利私欲を貪る」系の悪役が減っている気がします。ちょっと油断すると、サノスのように「見方を変えるとこっちが正義かもよ」とか言い出したり、キルモンガーのように「闇落ちするには理由があってだな」と居直ってみたり…。悪役ならば、己の生理に忠実で、悪辣で、最後はみっともなく散ってほしいものです。この映画は、ユマ・サーマンの事故の報道によって、個人的には評価しづらい作品になりましたが、パワハラじじいを毒殺し、惚れた男のダメな身内に毒蛇をけしかけ、最後は目の玉をくり抜かれて踏み潰されるエルが、ダリル・ハンナのベストワークなのは揺るがないと思います。以上です。
ぜんぞうさん:『ロボコップ2』ケイン
イケてる悪役と言えば映画史に数えきれなくおり、挙げたらキリがありませんが、ここでは『ロボコップ2』のケインを推します!ケインは新型麻薬『ヌーク』密売組織のボスで、極悪非道、残虐極まりないハードコア暴力野郎。汚職警官を生きたままメスで切り裂いたり、ロボコップを強力磁石で捕らえバラバラに解体したりととにかく凶暴。その最凶メンタルを見込まれ、ロボコップら警官たちに襲撃され重傷を負った際、美人科学者に新型ロボコップ2号に無理矢理改造される。脳みそと目玉と脊髄を手術で引っこ抜かれ、液体の中に浮かんでいるシーンは白眉ですね!そしてケインはロボコップ2号『ロボケイン』に生まれ変わる。巨大で禍々しいボディ、超強力な銃火器を手に入れ、手始めに密売組織を壊滅させるも、レセプションパーティでヌークに釣られて大暴走。パーティ参加者を大虐殺。ロボコップと大乱闘のクライマックスは興奮が止まらない。極悪犯罪者から最強ロボコップ2号に変身したケインこそ、イケてる悪役です。
孔明(MOVIE TOUCH)さん:『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』デイヴィ・ジョーンズ
気持ち悪さとカッコよさが同居し、絶対に着ぐるみで再現出来ないデザインと、その姿になった原因が好きな人への片想いという人間臭さ、デッドマンズ・チェストに納められた自分の心臓を盾にされると相手にこき使われざるを得ないという使役される人間の哀しさ、そして悪役に見えて実は発言内容はまとも、と単なる悪人ではないキャラクターである点において、CGの進化が一定レベルの到達点に達し、悪役の中の人間性をより明確に描くようになった2000年代の映画を代表する悪役と言っても過言ではないと思います。いくらCGが発達しても、大事なのは技術ではなく基となる俳優の芝居とアニメーター達の表現力なんだと教えてくれる存在でもあるでしょう。
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toshihikokuroda · 2 years
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「野党は批判ばかり」の非難に答えます 間違った政治にも「黙って従え」というのでしょうか 2021年12月12日【3面】
 与党やその補完勢力、一部のメディアが行う「野党は批判ばかり」という非難は、事実と全く異なるものであり、自民党がどんなに間違った政治をやっても「黙って従え」といわんばかりの暴論です。いまこそ事実に基づく批判と一体に建設的な提案を示してきた野党の役割が発揮されるときです。
事実はまったく違う―さまざまな提案実現
国民の願いに立つコロナ対策推進  新型コロナウイルス対応を見れば、野党が国民の切実な願いに立って、さまざまな提案を行い、実現させてきたことは明らかです。
 野党が先頭になって進めてきたのがPCR検査の拡充です。政府が「検査抑制」論を振りまくなか、無症状感染の存在という科学的知見に基づき、医療機関や高齢者施設などへの「社会的検査」、繁華街などの「大規模・地域集中的検査」など具体的な感染抑止のための検査戦略を提案し、検査拡充を実現してきました。
 野党が“自粛と補償は一体に”を合言葉に、粘り強い論戦を続けてきたことも重要な成果を生んでいます。政府が2020年度補正予算案と緊急経済対策を閣議決定するなか、野党は補正予算案の抜本的見直しと「1人10万円の特別給付金」の実現を求めました。緊急事態宣言のさなかで、野党の提案に賛同が広がり、安倍晋三元首相は特別給付金の支給を表明。野党の提案で予算を組み替えさせました。
 また、コロナ危機の中で業者への「減収補償はできない」との答弁を繰り返す政府・与党に対し、国民生活の危機を訴え、「持続化給付金」や「家賃支援給付金」などの直接支援制度を実現。失業の広がりを防ぐための「雇用調整助成金のコロナ特例措置」の実施なども野党の要求に基づくものです。今なお、こうした休業補償や支援を一度きりにせず、再支給をと繰り返し提案しています。国民の命と暮らしを何よりも大切にするあたたかい政治をつくるためには、コロナ対応における新自由主義への批判こそ必要不可欠です。
あらゆる分野での建設的な提案  日本共産党など野党は、自公政権への批判と一体に、経済、環境、ジェンダー、平和のあらゆる分野で建設的な提案をし、実現のためにたたかっています。先の通常国会では、40年ぶりに小学校全体で40人から35人へ学級規模引き下げが実現。長年にわたる国民の運動と共産党の先駆的論戦が勝ち取った大きな前進です。
 自公政権を転換する共同提案も次々に提出しています。野党が共同提出した「原発ゼロ基本法案」は、原発問題で初めて野党が合意し提出した画期的な法案です。ジェンダー平等に関わっては、「選択的夫婦別姓法案」や同性婚を認める「婚姻平等法案」を共同提出。消費税率を5%に引き下げるなどの経済政策も野党各党が財源を明らかにした上で提案してきました。
古い政治への批判が新しい政治を生み出す  市民の声を受けた事実に基づく野党による批判は、実際に政治を動かしているし、新しい政治を生み出す力になります。
 外国人の追い出しを強化する入管法改定案を事実上の廃案にしました(21年)。「桜を見る会」疑惑や森友学園問題をはじめ権力犯罪への追及の動きも出る中で、検察私物化を狙い、検察庁幹部の人事に内閣が介入できる検察庁法改定案の採決を阻止(20年)し、受験機会や費用負担で地域間格差が生じ、教育の機会均等の原則に反する「民間英語試験」導入を中止(19年)させ、いくら働いても一定時間しか働いたとみなさない裁量労働制の対象拡大を阻止(18年)するなど、自公政権の悪政をただしてきています。
 野党は、森友学園問題や首相主催の「桜を見る会」疑惑など権力による国政私物化を批判してきました。いずれも、ウソや忖度(そんたく)のないまともな民主政治を取り戻すためです。
 弱肉強食の新自由主義を厳しく批判しているのは、国民の命、暮らし優先の政治をつくるためであり、9条改憲や大軍拡を批判するのは、9条を生かした平和外交で世界平和に貢献する日本をつくるためです。どんな問題でも、古い政治を批判してこそ、新しい政治をつくることができるのです。
野党に課された「憲法上の責務」  植松健一立命館大学教授(憲法学)は「『野党の批判』は、野党に課されている憲法上の責任ないしは責務だと思います」と言います。
 日本国憲法は国会と政府との関係について、憲法66条に「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う」と規定しています。政府は、国会に対し連帯して責任を果たすためには、国会への説明責任などを果たさないといけません。憲法では、62条で国会の国政調査権を定め、63条で、国務大臣を国会に出席させて答弁をさせることができるとしています。72条で内閣総理大臣は「一般国務及び外交関係について国会に報告」するとしています。
 植松氏は、「議院内閣制のもとで、与党が内閣を支える構造になっています。国会内の多数派(与党)が内閣を批判することはほとんどありません。国会で政府や行政の活動を監視するという憲法上の役割を果たすのは野党になります」と指摘。「野党は憲法上の責任を果たすために、内閣や行政の活動を批判しているのです」と主張します。
民主主義の危機につながる恐れ  植松氏は、「野党の批判」への攻撃は、民主主義の危機につながると警告します。
 「『批判』への攻撃によって、国会の本来の役割が見失われる危険性があります。野党の批判は、国民の批判でもあります。野党の追及は国民の追及です。野党の批判で政府が法案を修正したり、撤回したりすることが健全な議会制民主主義のあり方です」
 「野党は批判ばかり」という非難は、野党に責任を放棄させ、自民党政治への屈服、追従を迫る暴論でしかありません。
野党が提案し実現させた新型コロナ対策 PCR検査拡充 1人10万円の特別給付金 持続化給付金 家賃支援給付金 雇用調整助成金のコロナ特例措置 休業支援の対象を大企業の非正規雇用労働者まで拡大
野党が提出したさまざまな分野の共同法案 原発ゼロ基本法案 選択的夫婦別姓法案 種子法復活法案 被災者生活支援法改正案などを含む「被災4法案」 消費者の権利実現法案
野党が食い止めた悪法など 働き方改革一括法案から裁量労働制を全面削除 「民間英語試験」導入を阻止 検察庁法改定案を廃案に 入管法改定案を廃案に
著名人も指摘  「野党は批判ばかり」との非難に対し、各界著名人から事実に反すると批判の声が上がっています。
 作家の中村文則さんは、「毎日」電子版2日付の「中村文則の書斎のつぶやき」で、「日本の野党は大変だと思う」「いい対案も多く出しているが、マスコミはその事実を報じず『野党は批判ばかり』と言う。何だかもう、フェイクニュースである」と述べています。
 ジャーナリストの青木理さんは、『サンデー毎日』(12月19日号)で、「行政権力や時の与党に対する批判、監視機能は野党勢力が担うべき最大の役割」と指摘。「野党が健全かつ肝腎(かんじん)な批判を盛んに加えてこそ、行政権力と与党の歪(ゆが)みや問題点が可視化され、それが多少なりとも正され、決して十分ではなくとも、行政権力と与党の横暴や独善に歯止めがかけられる」と強調しました。
 作家の平野啓一郎さんは、ツイッターで「野党が批判するのは、次から次へと、とんでもないスキャンダルが噴出し続けたからで、それは誰が悪いのか? 与党だろ��。それを追及しきれなかったメディアは、何故『野党は批判ばかり』という愚論に荷担するのか?」と投稿しました。
(しんぶん赤旗)
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yamashita03 · 6 years
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迷ったら中米に行こう!~戦々恐々とコスタリカを旅する~
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20代最後の夏に思い切って中米コスタリカへ行きました。
幼稚園からの友人が海外協力隊として現地で活動しており、彼を頼りに8月10日から16日の1週間、初一人海外へ出て行きました。
コスタリカで見たものや経験はどれもみずみずしく新鮮なものばかりで、この気持ちが少しでもフレッシュなうちにメモを残しておきたいと考え、帰国の途につくコスタリカサンホセ空港にてキーボードを叩き始めました。(が結局書ききれたのがだいぶ後になってしまいました汗)散文的な内容になることを恐れずゴリゴリ書いていこうと思います。
【コスタリカの���況】
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言語はスペイン語。国教はカトリック。そのため街の要所には教会が立ち並んでいる。
コスタリカの歴史は基本的にはスペイン人統治時代から始まり、それ以前の先住民の歴史的、文化的な遺産などの観光資源に乏しいのが現状。
しかし、先住民たちが森を切り開き巨大な文明を築かなかったことと恵まれた気候から自然が非常に豊かで九州と四国を合わせた程度の国土面積に、地球全体の5%もの動植物が存在すると言われている。
国はこの点を自国の観光資源として捉え、国土の多くを国立公園として保護し、その自然の中を探索する『エコツーリズム』を世界��先駆けて始めた。これが世界に受け入れられ、それまで農業依存だった国の経済構造を好転させた。
そのほかにも軍隊を持たない平和国家として、軍事費に充てていた費用を教育や医療、再生可能エネルギーなどに投資し、前述のエコツーリズムに加え、中南米で屈指の教育、福祉、自然エネルギーの国として強い国家アイデンティティを保有している。(日本も見習いたい)
街の観光地はどこもごみが少なく、水道水も飲めるのは中米に限らず世界的にも希少な国のひとつではないだろうか。
【コスタリカの人々】
・観光地のガイドからUberのドライバー、クラブに来ていた若者に小学生まで様々な人と触れ合ったが総じて気さくで穏やかな人が多かった印象。車の運転もアジアなどに比べても丁寧な感じだった。
・観光地やホテルでは英語を話せる人が非常に多いため、スペイン語が苦手でもガイドを受けたり簡単なコミュニケーションは十分可能(ただし自分は英語もできなかったため状況は変わらなかった)
・中米の中で治安が良く経済が安定していることもあり、多くの移民が存在し、とくに貧しいニカラグア人が市街地でホームレス化している現状が社会問題となっている。そのほかにも社会情勢が不安定なベネズエラ人なども目立った。
私のコスタリカ旅行
友人が1週間のバカンス休暇を取りほぼ土地勘もコミュニケーションもできない私にほぼ24時間付き添ってくれて様々な場所に行かせてくれました。
現地で撮った写真を見ながら適当な順番と粒度でコスタリカについて語りたいと思います。
1.市街地の風景
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成田からヒューストンを経由し、サンホセ空港に到着。
駅からバスでサンホセ市街地へ出て街を散策。初めての中米だが、町の雰囲気は東南アジアとも近い印象。首都ということもあり、おそらく単純に国の経済力、発展度によって似た雰囲気の街が出来上がってしまうのかもしれない。(日本も昔はこうだったのかも)
市街地には人通りが多い。また、路上に座り大声で物売りをする人も多く見かけたが、友人曰く彼らはニカラグア移民だとのこと。あまり近づかないようにした。
2.食事
「コスタリカの食事はマズイ」と友人から聞かされていたため戦々恐々として乗り込んだものの、総じておいしかった。ただし、値段の割に(というか高い店に限って)全くおいしくない店もあり、その辺はどんな店でも一定のクオリティは保っている日本の外食店文化のありがたさを感じた。
<上流国民編> 
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初日夜は友人の現地の友達で日本に留学経験もあるというコスタリカの方とコスタリカの中ではちょっとハイソな街で夕食。とてもいい方たちだった。
写真は2件目に行ったビールバー。クラフトビールの飲み比べができた。
※ここに関わらず外食費は総じて日本よりやや安いものの大きな差はなく、中米の中では非常に高いとのこと。家族を大事にし、家での食事を重んじる国民性があるとはいうものの、平均月収が日本の数分の一ということを考えると外食はなかなか大変な出費になるのだと思う。
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山でのレジャーや森の散策を楽しめるモンテベルデ自然保護区で止まったホテルの隣にあったレストラン。モンテベルデという土地柄もあり周りは外国の観光客だらけ。
キャンドルがあったりと店の雰囲気は日本の都会のおしゃれレストランさながらな雰囲気だったが、料理は10ドル弱、ワインもボトル15ドル程度となかなかのコスパ。そして味が抜群にうまかった。この旅の中でもトップクラスに満足した食事だった。
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同じくモンテベルデでの食事。わかりづらいが、本物の大木をそのまま残し、その周りに3階建ての建物を巻きつける(?)ような特徴的な構造を持ったモンテベルデの有名レストラン。パスタは15ドル程度と結構お高め。
ただ申し訳ないが味がマズかった。4分の1程度しか食べれなかった。友人が「コスタリカの料理は味が薄い」と言っていたのはこれか!と納得。
その後パスタは宿へ持ち帰るも、部屋に置いておいたら蟻の餌食となり無事死亡。
<庶民編>
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友人行きつけという現地の食堂にて。コスタリカでは米(左)、レモンとパクチーの効いたサラダ(中央)、ポテト(右)、豆(奥)を基本セットに、そこに豚肉やチキンなどのメインが乗るワンプレート料理がスタンダード。
米はタイ米などに近く、日本のよりも細長くて水分が少ない。また、黒い豆と米を合わせて炊くとコスタリカの伝統料理「ガチョピント」となる。
だが、米と豆を別々に食べても味は大差ない。
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これは別の店だが、基本は一緒。そこに焼きバナナなどがついていた。
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モンテベルデの屋台にて。鶏むね肉とポテトというシンプルで豪快なファストフード。非常にボリューミーだが500円程度。美味しかった。
<家庭料理編>
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チフリーゴ。友人がお世話になっているホストファミリーのお家に自分もお邪魔してごちそうになった伝統料理。
ご飯に鶏肉と豆が乗っており、そこに刻んだトマトとパクチー(←これもよくコスタリカで出てくる)をお好みで載せて食べるどんぶり。鶏肉にトマトの酸味やパクチーの刺激が合わさりとても美味しかった。
米を食べる文化があるため、各家庭に炊飯器もある模様。(米があるのはありがたかった・・・)
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朝は旦那さんのほうが準備してくれた。ガーリックトーストにソーセージに卵、そしてパパイヤとかなりボリューム満点でおいしかった。
3.文化編
<原住民編>
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原住民が木の実などをすりつぶす際に使用していたとされる石の机。独特な形状が面白い。石工技術の高さがうかがえる。
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よく日本のテレビなどでもコスタリカを紹介する際に一緒に出てくる謎の石球。その製造年代や製造方法、作られた目的などが不透明で一部ではオーパーツの一つともいわれていたが、現在では研究も進みその謎が徐々に明らかになっているとかいないとか。
ちなみに写真は国立博物館にあったレプリカ。本物はコスタリカの郊外にあるため、観光地にはしばしばこのようなレプリカが置かれていた。
<建造物>
国立劇場
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コスタリカを象徴する建造物の一つ。この建物を壊したくないがために内紛が起こらない、と言われるほど現地人からも愛されているという建物。劇場内部も見学ができる。
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息を飲むほどの迫力。今なお現役の劇場として使用されており、しばしば日本の能や和太鼓の演奏なども上演されるとか。
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受付兼待合室。豪華すぎて落ち着いて待てなさそう。
ロスアンヘレス大聖堂
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首都サンホセの隣の県カルタゴにある大聖堂。国内各地から人々が巡礼に訪れる聖地で建物も非常にでかい。
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中の造りも荘厳で素晴らしい。礼拝に訪れた人は中央の通路を膝立ちで移動して祭壇へ向かう慣習があるようだった。我々は邪魔にならぬよう脇の通路を回って見学した。
<若者文化>
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現地人が多く集まる深夜のクラブへ友人と2日連続で繰り出した。入場前にID(自分の場合パスポート)と場所によってボディチェックが行われ、さらに場所によっては入場料も支払う。
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クラブで飲むのは大体ビール。他の酒より値段が安いため、お金のない現地の人もビールばっか飲んでいるとのこと。
ちなみにコスタリカのメジャーなビールはimperialとPilsenの2種類。そしてちょっと高くてマイナーなBAVARIA(写真)がある。味はimperialが薄くて軽く、Pilsenは少し香りとえぐ味が強い印象。BAVARIAはその中間といった感じ。
美味しかったのは写真に乗せたBAVARIAのゴールド。一番日本のビールに近い。時点でimperialのsilverという種類のもの。
BAVARIAはあまり扱っているところが少ないため、一通り飲んだ後はimperialを選んで飲むことが多かった。
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左の黒人Jango。入場の手続きで手間取っていると後ろから声をかけてきた。身長めっちゃ高いし超怖い。
でも本当は荷物を預ける場所を教えてくれようとしていたこのクラブ界隈の従業員?オーナー?的な人だったらしい。その後テキーラを2杯もご馳走してくれた。めっちゃ気さくでいい人。
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ぶれぶれ。お酒飲みながら爆音の音楽を聴いてるとある若者グループの輪に招かれて一緒に踊ってた。なんとなくアジア人で(自分は楽しんでたけど)周りになじめてないオーラが出ていたのか誘ってくれたのだと思う。
言葉は通じないけどお酒もあいまって身振りや表情でコミュニケーションを取る感じがなんとも楽しかった。
友人が話したところそこのグループにいたほとんどの人がベネズエラ人だったとのこと。ベネズエラといえば近年の超インフレで経済が破綻寸前、首都の治安は世界最悪と言われている国。あんなに気のよさそうな彼らの背景にそんな深刻な事情があるのか、と色々と考えさせられた。
4.自然編
上でも触れたモンテベルデ自然保護区にて、昼と夜の森林散策ツアーやキャノピーなどのレジャーを体験した。
昼はオランダ人の家族と一緒にガイドの話を聞きながら野山を散策。
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トゥカーン(の子供)
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なんか笑顔の木
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景色が一望できる!と思ったもののあいにくの雨。朝は晴れていたのに、、
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羽が透明な蛾?
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ゴミをあさっていたアライグマ。全然人を怖がらない。
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ちょっとここからはモンテベルデではないけど、
これは幻の鳥といわれるケツァールを見にいくツアーでの朝の集合場所のロッジに来ていたハチドリ。
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で、1時間以上何か所もポイントを回ってやっとお目にかかれたケツァール。 これはメスのため尾が短いが、オスはもっと尾が長く色も鮮やか。残念ながらこの日オスはお目にかかれず。
5.その他
帰国最終日にどこ行きたいかを友人に尋ねられ、彼の職場のゴミ収集センターと地域の小学校へ行くことに。
サンホセのゴミ収集センター
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回収されたごみたち。袋の中身はまだまだ分別が行き届いていない状態。
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各地から届けられたごみ袋はこの台で職員の方が一つ一つ開封し手作業でごみを仕分けている。
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普段はこの仕分け作業をおばちゃん2~3人で行うそうだが、この日は民間企業からCSR活動の一環と職場体験ということでさらに数名参加していた。エライ
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ペットボトルは無色と有色のものを分けてプレス。プレスすることで輸送にかかるコストを下げている。
これらは民間の業者に売却され、資源として再利用される。
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段ボールも同様。談笑しながらも手際よく潰してトラックにつめていた。
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外では家庭のごみなどを持ってくる人がごみを捨てていた。まだまだポイ捨てなんかも多く、ゴミに関しての市民の意識が低いとも感じられたが、このように律義にごみを持ってきて捨ててくれる人がいることがありがたいとのこと。
サンホセの小学校
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その後サンホセの小学校にアポなしで突撃するも、友人の顔パスで難なく入れた。
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カメラを向けると照れて顔をそらす子供。なんかとても開放的で自由な雰囲気。
生徒たちは全員1日学校にいるわけではなく、上級生と下級生が曜日ごとに午前、午後の授業日を交代でまわすようなカリキュラムを取っているそう。
例えば月曜日の午前が上級生の授業なら、午後には上級生は下校し、下級生が授業をする。火曜日はその逆、といった感じ。
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後者が”ロ”の字型になっており、中庭が校庭になっており、中央の礼拝堂を挟んでコンクリートのバスケコートが二面あった。
ただしバスケを行っている生徒は誰もいなかった。コスタリカ人はサッカーが好きだからフットサルコートにでもすればいいのに。
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牛乳パックを再利用してできた机だそう。木のように固い。
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体育の時間で誰もいない教室。
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パソコン教育も行われている。ここのパソコンも友人の協力隊活動の一環で企業から提供されたもので、この部屋はそのために新たに作られたものなのだそう。
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食堂。おやつにフルーツを振る舞われることも。
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帰り際に先生に挨拶をすると我々もフルーツをゲット。リンゴをむしゃむしゃ食べながら帰路についた。
さいごに:コスタリカを旅行しての感想いろいろ
1.意外と多かった、日本を親しんでくれる人々
この旅で最も印象深く嬉しかったものの一つが日本に親しんでくれている人が多かったこと。上でも述べた初日に紹介してもらった女性たちのほかにも、例えば2日目に行ったクラブでは「日本人!?」と声をかけてくれたコスタリカ人がいたのだが、彼はなんと3月まで我々の地元の宮城県の東北大学に留学していたとのこと。
さらに4日目に利用したUberの車の後ろにはなぜか日本の国旗が飾ってあって、話を聞いてみると彼は日本にこそ行ったことないものの、日本の興味があり自主的に日本語を学んでいるとのことだった。友人曰くこんなに色々と日本を知っている人に出会うことは珍しくてラッキーだったとのこと。楽しい出会いのある旅行だった。
2.中米への関心が深まった
当たり前すぎる小学生並みの感想だが、こちらも自分の心に大きな変化をもたらした。
先ほども述べたようにあまり日本人にとってなじみのないコスタリカだが、地球の裏側では日本に関心を持ってくれている若者たちがいる。そしてみんな気さくで親しみやすく、とても可愛げのある人たちだった。
日本に興味を持ってくれている人たちがこんなにもいてくれていることを考えるとすごく嬉しく感じたのと同時に、自分たちももっと海外に目を向けていかなければいけないと感じた。
さらに前述したベネズエラ人との出会いも考えさせられるものがあった。恥ずかしながら自分はベネズエラなんていう国は国名を知っている程度の知識で、彼らに出会わなければきっとこの先もベネズエラに関してここまで関心を抱くこともなかったと思う。
帰国してすぐに、超インフレが進むベネズエラでは桁を減らすための新たな通貨の単位を作るという経済政策が打ち立てられたとのニュースが入ってきた。もちろんこんな政策ではさらに経済を混乱させることになりかねないという見方が大半だ。経済が混乱すれば他国への移民問題もより深刻になるだろう。これから先中米はどうなるのか、今後の情勢には色々と関心を寄せていきたいと考えるようになった。
3.外国語を話せるようになりたいと思うようになった
今回の旅行は友人のサポートもあり様々な出会いと気づきのある非常に楽しい旅行だったが、それゆえに言葉を理解して自分の気持ちを伝えられないもどかしさを抱えていた。
例えば彼のホストファミリーの家にお世話になった際も、食事を「美味しい」という気持ちすらうまく伝えられず非常にもどかしかった。お土産に持って行った九谷焼についても、本当はその背景にある日本の文化や歴史なんかを話したいという気持ちはあれどそんな高度なコミュニケーションが取れるはずもなく、、
ホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが本当に親切にしてくれただけに、自分の気持ちを言葉で伝えられない歯がゆさがあった。
海外旅行は恐らく簡単な英語と身振り手振りで頑張れば、観光地を巡ったり宿に泊まったりなどある程度の目的は達成することができると思うし、実際自分もその程度で良いと考えていた。
でも海外旅行で一番楽しいのは現地の人との生のコミュニケーションだろうと思った。その土地の人が何を考え同くらいしているのか、そういったことを言葉を介して理解し、また自分の考えも相手に伝えられるようになりたいと強く感じた。
せめて日常会話レベルの英語でも身につけたい。。30年弱の人生で今が一番外国語学習欲が高まっていると感じている。今やらないと一生やらない気がするので、ひとまず本を読みながら拙いながらも話せるように勉強中。
4.ごみのことに関心を持つようになった
友人の職場に行き、いろいろとごみへの思いを語ってくれたこともあり自分もごみへの関心が高まった。
自分が普段何気なく出しているごみも処理には多くの人手が必要ということ、作業はハードなこと、そして何よりも地球上の多くの人が関わり、今後も関わり続けていかなくてはならないものだということ。
現地の方の仕事ぶりを見て説明を受けると、自分もなにかできないか自然と思いを巡らせていた。
例えば友人はごみを出す段階で分別がされていないことがひとつの問題と言っていた。
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なるほど、確かにゴミ箱は色分けされてどこに何を捨てるべきかが分かりやすくなっている。
ただ、ちょっとデザインの観点から考えてみるとゴミ箱の上にはごみの種類が分かるような絵を入れたり、ゴミの入れ口を入れるごみの形にしてごみを捨てる行為をアフォードさせるような施策があってもよいかと感じた。
現状だと識別する要素が色と小さく書かれた文字のみのため、例えば歩きながら街を歩く人がごみを捨てようとした際に反射的に自分が捨てたいごみの正しいゴミ箱を判断しづらいのではと感じた。色とごみの種類に明確な関係性がないため、ほかの要素で使い手に正しいゴミ箱を反射的に認知させる仕掛けが必要と考えた。
日本のごみ箱はまだそのへんが少し良くできていて、入れ口の直下に何を入れるごみ箱なのかを絵と言葉で入れることでごみを捨てる人の目に必ず入るように工夫されているとともに、口の形状で何を入れるべきかを感覚的に示している。
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缶やペットボトルなど、入れ口を丸くすることでそのごみ箱が飲み物の容器を捨てるものだと把握できるのと同時に、丸い形状に筒状のものを入れたくなる人間の心理も上手に作用させている。
そんな小さな改善を重ねながら、街がもっと綺麗になってコスタリカ人のごみへの関心が高まることを願っている。
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retepom · 3 years
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【慣れないこのピンヒール】No.072【10cmの背伸びを】
今日は土用の入りだそうですよ。我が家の晩御飯は丑の日を待たずウナギでした。美味しかったです。さてさて、今週は合併号…皆様、来週はズボンを履き忘れないように出勤してくださいね。私ですか?私はニチアサもジャンプも無いのでもうダメかもしれない。助けてくれ。そんな月曜日の本誌ネタバレ感想です。
「大丈夫かよ もう3日も寝てねーぞ」
 吸殻捨てなよォ…………………………………(泣)
何この俗世を捨てた作家みたいな不死……死にそうじゃん…不死なのに今までで1番死にそう……肺真っ黒になってるタイプの締切守れない作家先生じゃん……着流し着ますか??(???)海苔の為に前開けられてんのじわる。
 風子の頭に何か生えた!!!と一瞬思ってしまってゴメンな。テラーさんが脳波測定してるのね…お医者さんの問診かな?
『お人好しなお前じゃ俺にも不運が効きかねん』
「(その手があったか)」
いや、その手以外あったか!!?まず真っ先にそれでは…不運を使わず何とする!!いや、そういう所も含めてお人好しガールなんだよな出雲風子…君これからアンディ無しで不運強化するんですよォ……
各メンバー交代で通路監視、既に3日目。幕間…みんな監視以外の時間何してたの……教えてよ………そしてその間にも作戦を立てていた出雲風子。流石組織の女だ。
「最大のカベのテラーさんは」
「ビリーさんの許可がないと寝てくれない」
忠実で有能な部下が過ぎませんか。睡眠ぐらい自由に取ってくれよテラーさん。好きになるぞ!!(読者が)
その昔タチアナちゃんに「おやすみ、タチアナ」と優しく言うビリー様に想いを馳せていたけど部下に「ごくろう しばらく休め」とか言うよこの人とか昔の私に話してもたぶん信じない(信じたくない)
カインカワイイデス 呼吸の為に浮上とか噴気孔あるのとかリアルな生態も取り入れてくれてるの嬉しいですね、シャチカワイイデス
この作戦は7割失敗する!!(俺の占いは3割当たるの勢い)
 ❴…不死(アンデッド)に似てきたな❵
クロちゃんの表情もなかなかアンディに似てきましたよ。ねっ。
 ❴リスクをまるで考えてねー アイツは不死だから…❵
「大丈夫!ここじゃ不運は殺されない(不死)だから」
 ❴…❵
ンンン……ンンンン"(感情)
“殺されない”に“不死”とルビをうつ風子の…風子が……風子で………出雲風子ォ…………………UMAに三点リーダーを使わせる女ァ……………
作戦開始!のコマの出雲風子、顔が良過ぎてビックリした。えっ?顔が良い。ビックリした。ピンチもサバイバルもクールに越えたい……そしてリップゥ!!!からのラトラァ!!!!盛り上がってきたぜえええぇッッッ!!!!
「アンタねぇ せっかく助けてやったのに…」
「痛い目みたくなかったら…」
ラトラねーたまの黒手袋+ヴィランみのある言動+腹チラで健康にならない読者いる??いないだろ(確信)僕ぁねーたまが眉間にしわ寄せて歯ァ食い縛ってる表情も好きだがそれに捕縛なり打撃なりを目的とした腕のスウィングを加えられたらそれはもうフルコンボだドン。
「リィィップ!!」
ヘルプの出し方が強いねーたまも好きですね。バニーも落ちながらリップの名前呼んでたな…下の階で見張りしてたメンバー、ビックリでは?上からラトラ…アッ風子サン!!組織の強化メニューのこともっと教えて!!!ねぇ!!今それどころじゃない!!?せやな!!!!!!(正座)
「あは こっちに来たんだ」
アッッッ 新キャラ掘り下げタイムだ!!皆静かに(ハンドサイン)
「じゃあこんな言葉知ってる?」 バッ
お?なんだ、カメハメ波か?
  「愛は真心」
 UN CHASTE ―不貞―
  「恋は下心」
…………………………………………………  ?
  ??   ?
  ? ???
…………………………………???(????)
ん???   ン????
NowLoading……………………………………
……よし、いいよ、続けてどうぞ
「残念だったね これでアナタは私の虜」
おぉ?拘束型?レアな拘束型かい??
「回避方法もあったけどアナタじゃムリでしょ」
「自分(不運)にただ都合のいいだけの不死と出会い」
「恋に恋してるあわれなアナタじゃね」
UNDERは煽り属性が必須スキルなんですか!?まぁ出雲風子の煽り耐性が高すぎて効かないんだけれども………
「私はこの能力のせいで大好きなアイドルの道を諦めたの」
……………アッ
「だってあんなの公平(フェア)じゃないもん」
アァ…………………………………
「私こんなものなくてもファンをつくれる!!」
……………………(目頭を押さえる)
「神殺しにはあなたが要るんでしょ!?」
…ッ神!!神テメェ!!!!女の子の夢はみんなキラキラ輝く宝石(たからもの)なんだよ!!!!なのにテメェは…………テメェはァ"!!!!(警備の静止を振り切り掴み掛かるオタク)
 […良かった]
 [大好きなものに焦がれる気持ち 私にもよくわかるよ]
 [私はあなたを 理解できる…!!]
 読者もあなたを 理解できる…!!
「くるる」 「風子!!止まれ!!」
くる…?くるるちゃん……??(一瞬黄色のカエルが脳裏を過る)
「くるる!!なんで不貞を使わない!!」
「うあーーん使ったもーん!!」
泣かないで 泣かないで 抱き寄せたくなるから(心の舘ひろしがログイン)
リップさんにも効かないのね?わかった、それ覚えておくね。だから泣かないで………泣かないでくるるちゃん……君は魅力的……だから…(泣)
 [くるる 本名 来栖貞子]
…リップ……くるるって呼んであげてるの………能力はなんでか効かないけど“アイドルのくるる”を肯定してあげてるの?良いお兄さんが過ぎる…マジでこっち来いよ楽しいぜって鼻血出して舌ペロしてた頃のクレイジーサイコお兄どこ行ったんや(誤解を招く表現)(しかし事実)
 [特定のポーズ・仕草をする事で発動する]
 [視た者を虜にするが自分に襲いかかってくる]
………ッう"お"お"ぉ"離せ"ェ"ッッ!!俺は、俺がくるるちゃんをプロデュースするんだあああ"あ"ぁ"ッッッ!!!!(再び警備の静止を振り切り神に掴み掛かるプロデューサー)
くるるちゃんにお願いシンデレラ歌ってもらうまで死ねない(重課金の音)(バンはガードできない)
「穴が 遠い!!」
 ❴任せろ!!❵❴俺が何か長いもんに❵
カボチャの馬車はないけどキミがここにいるなら!!クロちゃん頼もし過ぎて泣いてしまう
 [回避手段は2つの内どちらか]
 [ひとつ] [まだ恋を知らない事]
………………ェ?
噴気孔から人間が出られる…カインのサイズが規格外なのが改めてわかるな……プルプルカインカワイイデス そして打ち上げ風子!!ダイナミックお邪魔しました!!!かーらーのォー???
 [ふたつ]
 [いかなるものでも揺らがない]
「クロちゃん!!」
 ❴あいよ!!❵
「ア」
アッ…………………………………
「アンディ!!」
 [愛する人が]
 [いる事]
「風子!!」
あ嗚呼あお"あ"あ"ァ""〜〜〜〜〜〜〜〜〜アン風ッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!(読者がひとつになる音)
[距離も越えて、想いは繋がるーー!!]
[次号、大人気御礼Cカラー!!!]
 大 人 気 御 礼 C カ ラ ー
世界一健康になる響きいいィ!!!!!ヒャアアアアアアアァ!!!!!!!(闇夜に駆け出す)
…ん?
……カラー?
 もしかして:UNDER MEMBERS COLOR ?
(気を失う)
0 notes
hiruzenmegata · 3 years
Text
近さの / なかに / はいる
※この記事はnoteに書いたものをそのまままとめて移植したものです
→もとの記事(初回)https://note.com/megata/n/n47f8d146b717
[1]
花になるなら、飾らず、まっすぐに伸びるヒマワリがいい。モードが言う。対してハロルドは、一面に咲くヒナギクを見下ろしながら、自分はこの花がいいと言う。あの花この花の区別なく、たくさん横並びで生えている、どれでも変わりないようななかのひと花でありたい、と。そんなふうにヒナギクを評するハロルドに対し、同じ花なんてないとモードは意見する。それから、こんなこともいう。世の中の不幸のほとんどは、他人と同じように扱われることに不満を持たない人々が生み出している、と。
ところが、「どこにでもいるやつなんて どこにもいない」式のことを述べたてるモードは、とてもとても極端な人物なのだ。名もなき雑草のひと花ひと花に愛情深い態度を示すような、落ち着いた穏やかな人格ではない。独善的で身勝手な狂老女、とみなされても不思議ではない。
ラブコメというジャンルはどのような構造で組み立てられているか、という話のなかで話題にのぼり、紹介された映画『ハロルドとモード』を実際にみてみた。とはいえこの映画は、いわゆるラブコメというジャンル映画ではないように思われる。家人の目につくところで自殺を演じ続ける少年ハロルドだが、ハロルドの母は、息子が首を吊ろうと手首を切ろうと銃で頭を撃ちぬこうと、まったく相手にしない。「いつものいたずらね」ということで軽く流し、かわりに精神科に通わせたり、軍人の叔父に預けようとしたりする。ただし同伴・同席はしない。ハロルドは一人で精神科や、叔父のオフィスに通わされる。 ハロルドはいつものように、知らない人の葬儀に勝手に参列する。そこで知り合った79歳の老女・モードもまた、赤の他人の葬式に参加するシュミがあった。二人は巡りあう。 モードは常に人の車を運転する。公道の街路樹を引き抜き、人の車にのせ、料金を払わず高速道路をぶっ飛ばし、白バイ警官をまいて、山に勝手に植えにいく。シャベルだって当然盗品である。しかしあっけらかんとしていて、罪の意識はない。法を犯していることぐらい理解しているだろうけど、罪を犯している自責はかけらもない。めちゃくちゃである。 惹かれ合った二人が、きちんと一夜を共にする描写(朝になって、裸の少年と老女がおなじベッドで目覚めるシーン)があるのがとてもよかったです。 「ラブコメ」のジャンル映画ではなさそうだったし、それに「恋愛」を描いているようにも思われなかった。おもしろい映画だったけどね。さあ「恋愛」ってなにか。
このごろ読んでいた嘉村磯多の「途上」という自伝小説のなかに、露骨な切れ味の描写があってハッとさせられた。中学校のなか、からかわれたり後輩をいびったり、勉学に励みつつ田舎出身を恥じらい、色が黒いことをバカにされたり先生に気に入られたり、下宿先の家族に気を使いすぎたりして、なんやかんやで学校を中退して、実家に戻ってきた。ぶらぶらしていると、近所にいる年少の少女に目が留まる。いつか一度、話したことがあるきりだが、やたらと彼女が気にかかる。そこにこの一文があらわれる:「これが恋だと自分に判った。」 そんなふうにはっきり書かれてしまうと弱い。「はいそうですか」と飲み込むほかない。 けれど、恋愛を描いている(とされるもの)に、「これが恋」って「判った」だなんて明確に言及・説明を入れ込むことは、どうなんだろう。少なくとも当たり前な、お約束なやり口ではないと思うけど。 世の中には、「恋」「愛」「恋愛」という単語の意味するところがなんであるのか今一度問い直す手続きを踏まえずに、じつにカジュアルに言葉を使っているケースばかりがある。そうすると、その場その場で「恋」の意味が変わっていくことになる。その「恋」が意味しているものは単に一夜のセックスで、「恋多き」という形容詞がその実、「ぱっと見の印象がイケてた人と手当たり次第やりまくってきた」って内容でしかないときも少なくない。 まあけど、それがなんなのかを追究するのはやめましょう。というか、いったんわきに置いておきます。
さて『ハロルドとモード』の紹介された雑談のトピック:「ジャンルとしてのラブコメ」ですが、これは単に、「イニシアチブを奪い合うゲーム」であるらしい。そういう視点で構築されている。要するにラブコメは、恋愛感情の描写とか、恋とは何かを問い直すとかじゃなくて、主導権や発言権を握るのは誰か?というゲームの展開に主眼がある。気持ちの物語ではないのだ。描かれるのは、ボールを奪い合う様子。欲しがらせ、勧誘し、迷い、交渉する。デパートのなかで商品を迷うように。路上の客引きの口車にそれなりになびいたうえで、「ほか見てからだめだったらまた来ます」って断りを入れて、次の客引きに、「さっき別の店の人こういってたんですよね」とこちら側から提示するように。 イニシアチブの奪い合い、というゲームさえ展開できればいいので、気持ちとかいらない。ゲームが展開できるのであれば、主体性もいらない。ラブコメの「ラブ」は心理的な機微や葛藤の「ラブ」ではない。奪い合っているボールの呼び名でしかない。(つまり奪い合い=おっかけっこ、が、「コメ(ディ)」ってワケ)
浮気はドラマを盛り上げる。人が死ぬのも、まさに「劇的」なハプニングだ。雨に濡れて泣きながら走り、ようやく辿りついたアパートの部屋はもぬけの殻、ただテーブルにひとことの書き置き「フランスに行きます」みたいな、そんな派手な出来事で試合はいよいよ白熱する。ところが、心理的な機微や葛藤というのはいつだってモノローグ的だので、気持ちの面での「ラブ」を描きたいなら、このような出来事たちはむしろいらない。うるさすぎる。もっとささやかで、短歌的な味わいのものがふさわしい。ひとりでいるときに、マフラーの巻き方を真似しようと試みて途中でやめたり、チェーンの喫茶店の安コーヒーの味が思い出でおいしくなったり、そういうのでいい。出しっぱなしのゴミ勝手に片づけたの、ちょっとおせっかいすぎたかなってくよくよ悩む、とかでいい。
恋愛の感情・心理がよく描写されているように感じられる物語の登場人物は、内面的な葛藤に閉じこもらざるを得ないシチュエーションに押し込められている場合が多い気がする。「ひとには秘密にしてないといけない」「誰にも言えない」という制約のある環境。仕組みとして、宗教の違いや人種や年齢の断絶、同性愛など、自分の思いを簡単にひとに打ち明けられないセッティングの話のほうが、「イニシアチブ奪いあいゲーム」からは遠ざかる。(それに、そんなようなセッティングだと、「世間の常識」が要求してくるジェンダーロールを無視して鑑賞しやすい場合も多い。)
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成功した実業家の息子であるハロルドは、経済的にも肉体的にも不自由なく暮らしている。が、なんだか欠落を抱えている。自殺遊びや他人の葬式への参加など、死に接しているときが最も楽しい。老女モードは、そんなハロルドの世界観を一変させることになる。彼女はかなりアナーキーな存在で、逮捕されるようなことばかり繰り返している。けれど悪びれない。自らの行為を、自分らしい人生を過ごしている実感を与えてくれる刺激として肯定している。
J.G.バラードに『コカイン・ナイト』という小説があって、この頃これを読みました。あ、そもそもこの記事は、最近読んだものや見たものについて、できるだけ網羅的に言及できないかと願いつつ当てずっぽうで書き出した文章です。できることなら人とのやりとりや、自分の過ごした日常についても記したいが、それがうまくできるかどうか。
『コカイン・ナイト』の主人公はチャールズで、世界中を飛び回っている旅行記者です。退屈について、カリスマについて、刺激について。さまざまな切り口から鋭い洞察が重ねられたこの名作の入り口は、ミステリーのかたちをしている。 スペインの南、ハイパーセレブたちのリゾート地で働いているはずの弟が窮地にたたされているから助けにいかなきゃ! という目的で、チャールズは物語の舞台にやってきます。弟の状況はよく知らないけど、あいつのことだし、そこまで深刻じゃないだろう。そう高を括ってやってきました。ところがどっこい、弟、かなりやばい状況でした。 大邸宅が放火により全焼し、五人が焼け死んだ。弟にその容疑がかけられている。捕まって、留置されている。裁判を待っている。けれども、誰も、弟が犯人であるとは信じていない。警察だって例外じゃない。明らかに、弟の犯行ではないのだ。それでも弟は、自分がやったと自白しており、嘘の自白を繰り返すばかりで取り下げない。いったいなにが起こっているのか。どういうことなのか。 地域の人らはすべて疑わしい、なにかを隠しているような気がする。チャールズは素人ながら探偵のまねごとをしはじめ、地域の人々から疎んじられはじめる。チャールズにとって、地域の人々の態度と距離感はますます疑わしいものに思えてくる。そして実際、普通には考えにくい、歪んだ事態を数々目撃することになる。余暇時間を持て余したハイパーセレブたちは、事故を起こして炎上するボートを楽しそうに見つめていた。拍手さえあがる。
『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン~』という映画があって、平和な村=表向きには犯罪のない村を舞台にした話でした。「表向きには」犯罪はない、というのはつまり、法に反した行為があったとしても、届け出や検挙がなければ統計にはあらわれない、ということを示しています。
世の中にはあたまのかたい人というのがたくさんいて、俺もその一人なんだが、すべてのルールは事後的に構築されたものなのに、これを絶対の物差しだと勘違いしている場合がある。法律を破ったのだから悪い人だ、みたいな感覚を、まっとうなものだと信じて疑わない人がたくさんいる。身近に悪いやつ、いやなやつ、いませんか。自分のなかにも「悪」はありませんか。それと「被告人」「容疑者」はぜんぜん別のことではないですか。 陰謀論がささやかれている。「悪いやつがいる、たくさんいる、てのひらで人を転がしているやつと、愚かにも転がされているやつがいる、自分はその被害者でもある」そう発想する立場に対し、逆の立場に立たされている不安を訴える声もありえる。「知らず知らずのうちに、自分は、陰謀に加担しているのではないか。なんならむしろ積極的に参加しているのではないか」あんなふうになってしまうなんてこと思いもよらなかった、ってあとで口走っても遅い。
『コカイン・ナイト』の主人公チャールズは旅行記者で、世界中を飛び回っているから定住地はない。 どこかに行くと、「自分にとって、ここが本当の場所だ」と感じられる旅先に巡り合うことがある。けれどその段階を越えたむこうに、「自分にとって、世界はすべて異郷である。どこにいても、自分は単なる旅人以上のものではありえない」その境地がある、というようなことを池澤夏樹が言っていたかもしれない。言ってないかもしれない。ともかくチャールズは定住地がない。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』には、 遊動の暮らしをやめて定住するようになったとき、人類は、財産や文明を手にするようになった。貧富の差が生じ、法が生じ、退屈が生じた。時代が下って便利になればなるほど、退屈は大問題になってくる。 というようなことが書かれていた。遊動の暮らし云々については資料がない話だから、この本がどれほど学問的に厳密なのかはわからないけど、発想としてはおもしろいと思ったので覚えています。記憶だから、読み返すとそんな話してないかもしれないけどね。 けどまあ、ともかく、遊動し続けていたチャールズは、退屈がまさに大問題になっている地域に巻き込まれるかたちで取り込まれていく。はじめは弟の部屋を使っていたチャールズも、その地域を牛耳っているやつが用意してくれた部屋にうつるときがやってくる。その部屋にはじめて足を踏み入れたチャールズに、こういった言葉がかけられる。「チャールズ、君は家に帰ってきたんだ……」 「今の気分を大いに楽しみたまえ。見知らぬ場所という感覚は、自分にとって、常日頃考えているよりも、もっと近しいものなんだよ」
この記事は当てずっぽうで書き出した日記ではあるけれど、記事のタイトルははじめから決めている。「近さの/なかに/はいる」 ようやく、「近さ」というキーワードを登場させられました。よかった。距離についての話を引き続き。
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[3]
いつか「ア・ホロイ」というグループ展で映像作品の発表をしたときに(おれのみヘッポコな)対談イベントの相手として巻き込んだ太田充胤(医師・ダンサー・批評家)が、ちょうどその当時スタートさせていたのが『LOCUST』という雑誌だった。Magazine for travel and criticism|旅と批評のクロスポイント。 執筆者たちはみんなで旅行をしにいく。そしてその場所についての文章を書く。これを集めて雑誌にしている。参加者は批評家だけではないが、肩書は別になんでもよい。いわゆる観光ガイドでもなく、かといって思想ムックでもない。地域と時事に結びついた、批評癖のある人らの旅行界隈記集で、最近、この第三号を買いました。三号の特集地は岐阜県美濃地方。
この本、千葉市美術館で買った。千葉市美術館ではいま、「大・タイガー立石展」が開催されている。立石紘一=立石大河亞=タイガー立石という作家については、これは子供のころ、好きで好きでしかたなかった絵本のひとつの作者として知りました。親近感、懐かしさがある。 60年代、日本のなか美術作家として活動、のちイタリアに渡り、そこで油絵もヒットしますが、同時にデザイナー・イラストレーターとしても、漫画家としても活躍。日本に戻り、絵本の仕事も手掛けるようになります。陶も捏ねます。 ナンセンス、毒々しくも軽妙で、湿度は高いんだけどしつこくない。筆運び色選びモチーフ選び影の黒さははっきりシュールレアリズム由来で、反逆児のフリをしつつジャンルの枠組みは壊さず、荒唐無稽なフリをしつつ不穏当で思わせぶり、祝祭的=黙示録的、派手好みのくせに辛気臭くすら感じられるガロ感がいつまでも抜けない。という印象。個人的には。
懇意にしている友人の家、友人なのかな、友人なんでしょうか。一緒にいる居心地はいいんだけど、話題が狭く、政治的な話も教養的な話もしない。あるのは惰眠と食卓で、生理的で予測可能なよろこびしかない。安心安全で退屈な時間を過ごす人。おれは人のことをバカにして生きてる。まあいいかそれはいま。ともかく、友人、そう友人の家を出て、千葉中央駅に到着すると、急に大雨が降りはじめた。美術館まで徒歩にしてほんの10分の距離ですけど雨はものすごい。駅ビル内のダイソーで傘を買って足を濡らして10分歩くなら値段的にもそう変わらないと判断し、駅前でタクシーに乗り込みました。「市立美術館まで」と注文します。「市立?」聞き返した運転手はメーターをつけずに発車、すぐに着いて、料金として500円を払う。車運転させておきながら500円玉1枚だけ払って降車するのは後ろめたい。ちょっと照れくさくもある。 タイガー立石の絵はいわゆるコピペっぽさというか、表面的なトレースが多い。ピカソの泣く女やゲルニカ、ダリの溶けた時計、ルソーの自画像、タンギーのうねうね、そんなものがはっきり登場する。作品によっては、モチーフらは一枚の画面にただ雑然と並んでいる。ライブハウスのトイレの壁みたく、全体のなかに中心のない、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 ずっと好きではあったけれど、とはいえどっぷりハマりこんだ覚えのある作家でもない。距離感としては「シュークリーム」とか「揚げ出し豆腐」みたいな。それでも、さすが小さなころからの付き合いだけあって、自分のなかに、あるいはタイガー立石をみる自分のなかに、自分自身の制作態度の原型をみるようで居心地が悪く、やはりちょっと照れくさくもあった。
もちろんカタログを買う。そのために美術館併設の書店に立ち寄った。そこで『LOCUST vol.3』を見つけたので一緒に買ったのだった。太田充胤が、「おいしい、と、おいしそう、のあいだにどんなものが横たわっているのかを考えた原稿を vol.3に載せた」と言っていた覚えがあったためだ。なんだそれ、気になる。そう思っていたところだった。 ぜんぶで7つのパートにわかれたその原稿の、はじめの3つを、ざっくばらんに要約する。 1・はじめの話題は日本の食肉史から。肉を食べることは力をつけることと結び付けられもしてきた。禁じられた時代、忌避された時代もあった。食肉への距離感っていろいろある。 2・野生動物の肉を食うことが一種のブームになっている。都市部でもジビエは扱われている。ただ、大義たる「駆除される害獣をせっかくだから食べる」というシステムは、都市部では説得力がうすい。都市部のジビエは「珍しいもの」としてよろこばれている? 舶来品の価値、「遠いものだから」という価値? 3・身近に暮らす野生動物と生活が接しているかどうかで、(動物の)肉というものへの距離感は変わる。都市部の居酒屋で供される鹿の肉と、裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉は、そりゃ肉としては同じ鹿肉であっても、心理的な距離の質は同じではない。
イモムシが蝶になる手前、さなぎに変態してしばらくじっとしている。さなぎの中身はどろどろで、イモムシがいったんとろけた汁であり、神話の日本の誕生よろしく、ここから形状があらわれ、蝶になるのだと、子供のころ誰に教えられたわけでもないのに「知って」いた。それは間違いだった。イモムシの背中を裂くと、皮膚のすぐ裏側に羽が用意されている。蝶の体つきは、さなぎになるよりずっと前から、体のなかに収納されている。さなぎはただ、大一番な脱皮状態を身構えてるだけの形態で、さなぎの中がどろどろなのは、イモムシや成体の蝶の体内がどろどろなのとまったく同じことだった。日高敏隆の本で知った。大学院生のころ、ひとの自作解説を聞いていたら、「イモムシがいったんその体の形状をナシにして、さなぎの中でイチから再編成しなおして蝶になるように」という言い方をしている人があった。同じ勘違いだ。 この勘違いはどうして起こり、どうして疑いなく信じ続けられるんだろう。だって、イチから再編成されるなんて、めちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃ不思議なことがあっても、それが「生命の神秘」や「昆虫の��思議さ」に結びついて納得されてしまえば、「ね、不思議だよね、すごいよね」で済む話になるのか。<現代人・大人たちが昆虫を嫌うのは、家の中で虫を見なくなってきたからだ>という論文を先日みつけました。隣近所の人とあいさつをするかどうかで生活の心やすさは大きく変わる。知らない人の物音は騒音でも、知っている人の物音はそんなに不愉快じゃなかったりする。「面識」のあるなしは非常に重要だから、背が伸びてもなお、公園や野原で昆虫と親しみ続ける人生を送っていれば、虫嫌いにはなっていかないだろう。けれど、そういう人生を送っていたとしても、いったん誤解した「さなぎ状態への理解」が誤りだったと、自然に気づけるものだろうか。
岐阜で供されたジビエ肉についての原稿をLOCUSTに執筆した太田充胤は高校の同級生で、とはいえ仲良しだったわけではない。今も別に、特別仲良しとかではない。なんかやってんなあ、おもろそうなこと書いてるなあ、と、ぼんやり眺めて、でも別にわざわざ連絡はしない。卒業後10年、やりとりはなかった。数年前、これを引き合わせた人がいて、あわせて三人で再会したのは新宿三丁目にある居酒屋だった。ダチョウやカンガルー、ワニやイノシシの肉を食べた。それこそ高校の頃に手にとって、ブンガクの世界に惹かれる強烈な一打になったモブ・ノリオの作品に『食肉の歴史』というタイトルのものがあったな、と急に思いついたけれどこれはさすがにこじつけがすぎるだろう。あ、 ああ、自分の話を書くことはみっともなく、辛気臭いからしたくないんだった。「強烈な一打」たるモブ・ノリオの『介護入門』なんてまさに「自分の話」なわけだが、他人の私小説のおもしろさはOK けど、自分がまさに自分のことを語るのは自分にゆるせない。それはひとつに、タイガー立石はじめ、幼少時に楽しんだ絵本の世界のナンセンスさ、ドライさへの憧れがこじれているからだ。 まとまりがなく、学のなさ集中力のなさ、蓄積のなさまであからさまな作文を「小説」と称して書き散らかし、それでもしつこくやり続けることでなんとか形をなしてきて、振り返ると10年も経ってしまった。作文活動をしてきた自負だけ育っても、結果も経歴もないに等しい。はじまりの頃に持っていたこだわりのほとんどは忘れてしまった。それでも、いまだに、自分のことについて書くのは、なんだか、情けをひこうとしているようで恥ずかしい気がする。と、このように書くことで、矛盾が生じているわけだけど、それをわかって書けちゃってるのはなぜか。 それは、書き手の目論見は誤読されるものだし、「私小説/私小説的」というものには、ものすごい幅があるということを、この10年、自分にわかってきたからでもある。むしろ自分のことをしっかり素材にして書いてみてもおもろいかもしれない、などと思いはじめてさえいる。(素材はよいほうがそりゃもちろんいいけど)結局のところ、なんであっても、おもしろく書ければおもしろくなるのだ。
こないだ週末、なぜだか急に、笙野頼子作品が読みたくなった。『二百回忌』じゃなきゃだめだった。久しぶりに引っ張り出して、あわてて読んだ。おもしろかった。モブ・ノリオ『介護入門』に接し衝撃を受けた高校生のころ、とりあえず、その時代の日本のブンガクを手あたり次第漁っていた。そのなかで出会い、一番ひっかかっておきながら、一番味わえていない実感のある作家が笙野頼子だった。当時読んだのは『二百回忌』のほか『タイムスリップ・コンビナート』『居場所もなかった』『なにもしてない』『夢の死���』『極楽・大祭』『時ノアゲアシ取リ』。冊数は少なくないが、「ようわからんなあ、歯ごたえだけめっちゃあるけど、噛むのに手一杯になってしまってよう味わわん」とばかり思っていた。 新潮文庫版『二百回忌』に収録されているのは4作品。いずれも、作家自身が作家自身の故郷や家族(など)に対して抱いているものを、フィクションという膜を張ることで可能になる語り方で語っているものだ。
『大地の黴』: 生まれ故郷に帰ってきた主人公が、故郷での暮らしを回想する。かつて墓場で拾い、そして失くしてしまった龍の骨が、いまや巨大に成長し、墓場を取り囲み、そして鳴る。小さなころ、その土地に居ついている、黴のような茶色いふわふわが見えていた。地元の人の足元にまとわりついていた。いま墓の底から見上げる、よく育った龍の骨たちのまわりにもいる。
『二百回忌』: 二百回忌のために帰省する。親とは険悪で、その意味では帰省したくない。しかし、二百回忌は珍しい行事だし、すでに死んだ者もたくさん参加する祝祭時空間らしいから、ぜひとも行ってみたい。肉親はじめ自分の人生と直接のかかわりをもったことのある地元の顔ぶれは嫌だけど二百回忌には出向く。死者もあらわれる行事だから華々しいし、時間はいろんなところでよじれ、ねじれる。
『アケボノの帯』: うんこを漏らした同級生が、うんこを漏らしたことに開き直って恥ずかしがらない。そればかりか、自分の行いを正当化ないし神聖化し、排泄の精霊として育つ。(漏らしたことで精霊になったから、その同級生には苗字がなくなった!)自分のうんこの話をするのははばかられるけれど、精霊が語る排泄は肥料(豊かさ)や循環の象徴であるからリッパである。
『ふるえるふるさと』: 帰省したらふるさとの土地が微動している、どうやら時間もねじれている。いろいろな過去の出来事が出来していく。
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[4]
『LOCUST』の第三号の特集は岐阜で、おれの祖父母の実家は岐阜にある。大垣にあったはずで、いまどうなっているかは知らない。 父方の祖母が一年ほど前に亡くなった。おれの祖父=おれの父からすれば実父は施設で暮らしはじめた。住む者のなくなった、父の実家は取り壊された。父は仏壇や墓のことを考えはじめ、折からの歴史好きも手伝って、寺を巡っては話をきいてまわるようになった。寺の住職はすごい。自分とこにある墓の来歴ならしっかり把握しており、急に訪れた父が「うちの母のはいった墓は、いつ、誰がもってきたもので、誰がはいっているのか」と尋ねればすらすらと教えてくれる。 つい数代前、滋賀の彦根から、京都の寺に運んできたとのことだ。ところが運んだ者がアバウトで、京都の寺は彦根の寺と宗派が違う。それもあって、一族代々の墓ではなくて、数代のうち、そのアバウトさに異を唱えなかった人らが結果的におさまっているらしい。よう知らんけど。 続いて調査に乗り出した、母方、つまり岐阜の大垣にあった家の墓の来歴についても、どうやらごまかしが多い。ひとりの「かわりもの」のために、墓の行き先がなくなる事態があったらしい。 昭和のなかごろ、青年らは単身で都会へと引っ越しはじめ、田舎に残してきた墓をそのままにしてると数十年のちに誰か死ぬ。次は誰の番だろうかと悩むころには、あれこれ調べて動かす余裕がない。嫁ぎ先の墓にはいるとか、別の墓をたてるとか、戦死してうやむやになってるとか、ややこしいからウチは墓を継ぎたくないとか、もはやふるさとはないから墓ごと引っ越したいけど親戚全員への連絡の手立てがないのでできる範囲だけを整理して仕切り直すだとか、そういうごたごたを探査するのがおもしろいらしい。 父から送られてきた、一緒に夕食を食べることを誘うメールには、「うちの墓についての話をしたい」と書いてあって、おれはてっきり、「墓を継げ!」というような説教をくらうのかと身構えていたのだけど、全然そうじゃなかった。墓の来歴からみえてきた、数代前のずさんさ、てきとうさから、果ては戦国時代の仏教戦争まで、わがこととしての眺望が可能になった歴史物語を一席ぶちたかっただけだったみたいだ。よかった。
京都で父は祖父、父からすれば実父と、たまにあそんで暮らしている。祖母なきいま、90近い祖父と話をできるのはあとどれくらいかと思いを馳せるとき、父はふと、戦争の頃のことを聞いておこうと思い立った。いままでぶつけていなかった質問をした。 「お父ちゃん、戦争のときなにしとったん?」 祖父は15歳だった。日本軍はくたびれていた。戦局はひどい。余裕がない。15歳だった祖父は、予科練にはいった。 「軍にはいれば、ご飯が食べられるから」と祖父は笑って話したそうだ。けれど理由の真ん中は本当はそこじゃない。どうせだめになるのだ、負けるのだ。自分の兄、つまり一家の長子を死なすわけにはいかない。兄=長男に家は任そう。長男が無理やり徴収される前に、次男である自分が身を投げうとう。 きっと必要になるから、と考えて、英和辞書を隠し持って予科練にはいった。敵の言葉の辞書を軍に持ち込んでこっそり勉強するなんて、見つかったらえらいことになる。 その頃、12歳だった祖母は、呉の軍需工場で働いていた。 生前の祖母、というか、祖父と出会ったばかりだった祖母は、祖父が、長男に代わって死ぬつもりで、自ら志願して予科練にはいっていたことを聞いて泣いたという。 おれの父親は、おれの祖父からそんなような話を引き出していたそうだ。父としても、はじめて聞く話だった。 90近くなった自分の父親が、目の前で話をする。自分の身に起きたこと、戦争時代の思い出話をする。子供の前で語ってこなかった話を語る。なんだか瀬戸内寂聴みたいな見た目になってきている。極端な福耳で、頭の長さの半分が耳である。 本人は平気な顔をして、ただ、思い出を話しているだけなのである。それでも、「大井川で、戦地へ赴く特攻隊を見送った。最後に飛び立つ隊長機は空でくるりと旋回したあと、見送る人々に敬礼をした。」と、この目で見た、体験した出来事についての記憶を、まさに目の前にいる、親しみ深い人物が回想し話しているのに接して、おれの父は号泣したという。これは「裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉」なのだ。
戦争への思いのあらわれた涙ではない。あわれみや悲しみでもない。伝え聞いていたという意味では「知って」いたはずの戦争だが、身近な存在たる父親が直接の当事者であったことがふいに示されて、戦争が急激に近くなる。父親が急激に遠くなる。目の前で話されていることと、話している人との距離感が急激に揺さぶられた。このショックが、号泣として反応されたのではないか。食事中、口にする豚肉を「ロースだよ」と教えてくるような調子でふいに、「この豚は雌だよ」とささやかれて受けるショックと同質の、「近さ」についての涙なのではないか。感情の涙ではなくて、刺激への反応としての落涙。 これでひとまず、自分の描く分を切り上げる。思えばいろいろなトピックに立ち寄ったものです。ラブコメにはじまり、犯罪的行為と共同体の紐帯の話、内的な事件「恋」の取り扱い方、ジビエを食べること、故郷についてのマジックリアリズム。 散らかすだけ散らかしておいて、まとめるとか、なにかの主張に収束するということもない。中心がない。さながらライブハウスのトイレの壁みたく、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 この羅列面に対して連想されるもの、付け足したくなったものがあれば、各々が好き勝手に続きを書いてください。うまく繁茂すれば、この世のすべてを素材・引用元とした雑文になるはずです。や、ほんとのことをいえば、すでにテキストというものはそういうものなんですけど。
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一 はじめに
(日本オリンピック)  五輪史上初の衛星生中継。世界が見守る中、聖火を手に、国立競技場に入ってきたのは、最終ランナーの坂井義則(よしのり)さんでした。  八月六日広島生まれ。十九歳となった若者の堂々たる走りは、我が国が、戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、自信と誇りを持って、高度成長の新しい時代へと踏み出していく。そのことを、世界に力強く発信するものでありました。  「日本オリンピック」。坂井さんがこう表現した六十四年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。  半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。  本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから、国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか。
(新しい時代へ踏み出す)  「日本はもう成長できない」。七年前、この「諦めの壁」に対して、私たちはまず、三本の矢を力強く放ちました。その果実を活かし、子育て支援、教育無償化、更には働き方改革。一億総活躍社会を目指し、まっすぐに進んでまいりました。  厳しさを増す安全保障環境を直視しながら、平和安全法制を整備し、防衛力を抜本的に強化しました。地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、世界を駆け回り、ダイナミックな日本外交を展開してきました。  我が国は、もはや、かつての日本ではありません。「諦めの壁」は、完全に打ち破ることができた。その自信と誇りと共に、今、ここから、日本の令和の新しい時代を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
二 復興五輪
 二〇二〇年の聖火が走り出す、そのスタート地点は、福島のJヴィレッジです。かつて原発事故対応の拠点となったその場所は、今、我が国最大のサッカーの聖地に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。  常磐自動車道に続き、本年三月、JR常磐線が全線開通します。これ���合わせ、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域における避難指示の一部解除に向け、準備を進めます。  浪江町では、世界最大級の、再生エネルギーによる水素製造施設が、本格稼働します。オリンピックでは、このクリーンな水素を燃料とする自動車が、大会関係者の足となります。そして、大会期間中、聖火を灯し続けます。リチウムイオン電池、AIロボット。未来を拓く産業が、今、福島から次々と生まれようとしています。  津波で大きな被害を受けた、宮城県を訪れる外国人観光客は、震災前の二倍を超えました。岩手県では三倍となっています。昨年九月に陸前高田市で開業したばかりの道の駅では、僅か一か月で十万人の観光客が訪れ、賑(にぎ)わいを見せています。  来年度で復興・創生期間は終了いたしますが、次のステージに向け、復興庁を司令塔に、政治の責任とリーダーシップの下で、福島の本格的な復興・再生、東北復興の総仕上げに、全力で取り組んでまいります。  九年前、ファーディーさんは、ラグビーチームの一員として、釜石で、東日本大震災を経験しました。  「ここで帰ったら後悔する」  オーストラリア大使館から避難勧告を受け、家族から帰国を勧められても、ファーディーさんは、釜石に残り、救援物資の運搬、お年寄りや病人の搬送。困難に直面する被災者への支援を続けました。  その感謝の気持ちと共に、本年、釜石は、オリンピック・パラリンピックに際し、オーストラリアのホストタウンとなります。岩手県野田村は台湾、福島県二本松市はクウェートなど、二十九の被災自治体が、支援を寄せてくれた人々との交流を深めます。  心温まる支援のおかげで力強く復興しつつある被災地の姿を、その目で見て、そして、実感していただきたい。まさに「復興五輪」であります。  東日本大震災では、百六十三の国と地域から支援が寄せられました。我々が困難の時にあって、温かい支援の手を差し伸べてくれた世界の方々に、改めて、今、この場から、皆さんと共に、感謝の気持ちを表したいと思います。
三 地方創生
(観光立国)  全体で五百近い市町村が、今回、ホストタウンとなります。これは、全国津々浦々、地域の魅力を世界に発信する、絶好の機会です。  北は北海道から、南は沖縄まで。アイヌの皆さんが受け継いできた伝統音楽や食文化、琉球舞踊など、我が国が誇る全国各地の地域文化に触れていただく「日本博」を、本年、開催いたします。  国の文化財を積極的に活用できる制度を設け、地域のアイデアによる観光地づくりを後押しします。自家用車による有償の運送サービス制度について規制緩和を行い、外国人観光客の皆さんの地方での足もしっかりと確保いたします。  首里城の一日も早い復元に向け、全力を尽くします。三月には、那覇空港第二滑走路の供用を開始します。発着枠を十万回以上拡大することにより、アジアのゲートウェイとして、沖縄の振興に取り組んでまいります。  オリンピック・パラリンピックに向けて、サイバーセキュリティ対策、テロなど組織犯罪への対策に万全を期すことで、安全・安心をしっかり確保いたします。五年後の大阪・関西万博も視野に、多言語化、Wi‐Fi環境の整備など、観光立国の基盤づくりを一気に進めます。高い独立性を持った管理委員会の下、厳正かつ公平・公正な審査を行いながら、複合観光施設の整備に取り組みます。  更には、外国人観光客の多様なニーズに応える宿泊施設など世界に冠たる観光インフラを整え、二〇三〇年六千万人目標の実現を目指します。
(農産物輸出)  世界に目を向けることで、地方に新しいチャンスが広がります。  昨年、EUへの牛肉やコメの輸出は、約三割増えました。TPP諸国への乳製品の輸出も、二割を大きく上回る伸びとなりました。甘い「紅はるか」は、シンガポールやタイで大人気です。さつまいもの輸出は、昨年、四割以上増加しました。  先月、中国への牛肉輸出について、解禁令が発出されました。今月発効した日米貿易協定も活かし、おいしくて、安全な、日本の農林水産物の世界への挑戦を、力強く後押しいたします。  農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます。販路開拓など海外への売り込みを支援します。  神戸牛、ルビーロマン、ゆめぴりか。農家の皆さんの長年にわたる努力の結晶である、日本ブランドを、海外流出のリスクからしっかりと守ります。  CSF対策を一層強化します。野生動物の感染が発見された場合にも、家畜伝染病予防法に基づき、移動制限などのまん延防止措置を実施できるようにします。ASFについても、海外から持ち込まれる肉や肉製品の検疫を強化し、水際対策を徹底します。
(地方創生)  昨年の台風十九号では八ッ場ダムが利根川の被害防止に役立ちました。水力発電や農業用水などを目的とするダムについても、緊急時には省庁の縦割りを打破し、一元的に活用するための対策を、全ての一級河川を対象に、この夏までに取りまとめます。  相次ぐ自然災害の教訓を活かし、全国で、川底の掘削、堤防の整備、無電柱化を進めます。送電線の計画的な更新、電力会社、自衛隊、自治体の平時からの連携などにより、強靱(じん)な電力供給体制を構築します。防災・減災、国土強靱(じん)化を進め、災害に強い故郷(ふるさと)を創り上げてまいります。  東京から鉄道で七時間。島根県江津市は「東京から一番遠いまち」とも呼ばれています。二十年以上、転出超過が続き、人口の一割に当たる二千八百人が減少した町です。  しかし、若者の起業を積極的に促した結果、ついに、一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました。  原田真宜(まさのり)さんは、パクチー栽培を行うため、東京から移住してきました。農地を借りる交渉を行ったのは、市役所です。地方創生交付金を活用し、起業資金の支援を受けました。農業のやり方は地元の農家、販路開拓は地元の企業が手助けしてくれたそうです。  「地域みんなで、手伝ってくれました」  地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が、原田さんの移住の決め手となりました。  「地方にこそ、チャンスがある」。そう考え、地方に飛び込む若者を、力強く応援してまいります。東京から地方に移住して起業・就業する場合に最大三百万円支給する制度を、更に使いやすくします。「移住支援センター」を全国一千の市町村に設置し、移住へのニーズを実際の人の動きへとつなげてまいります。  都市に住む皆さんの地方での兼業・副業を促すため、人材のマッチングや移動費の支援を行う新たな制度を創設します。関係人口を拡大することで、将来的な移住につなげ、転出入均衡目標の実現を目指します。  企業版ふるさと納税を拡充し、地方における魅力ある仕事づくりを一層強化します。独占禁止法の特例を設け、まちづくりの基盤である地方の金融サービス、交通サービスをしっかりと維持・確保してまいります。地方の創意工夫を、一千億円の地方創生交付金で、引き続き応援します。  若者が将来に夢や希望を持って飛び込んでいくことができる。地方創生の新しい時代を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
四 成長戦略
(中小・小規模事業者)  「東洋の魔女」が活躍したバレーボール。そのボールを生み出したのは、広島の小さな町工場です。その後、半世紀にわたり、その高い技術を代々受け継ぎ、今なお、五輪の公式球に選ばれ続けています。  全国各地の中小・小規模事業者の皆さんが、長年培ったオンリーワンの技術で、地域経済を支えています。しかし、経営者の多くが六十歳を超え、事業承継は待ったなしの課題であります。そして、若い世代の承継を阻む最大の壁が、個人保証の慣行です。  この春から、先代の経営者と後継者から個人保証を取る、いわゆる二重取りを原則禁止いたします。商工中金では、今月から、年間三万件、二兆円の新規融資について、個人保証なしの融資を原則とする運用を開始しました。  信用保証協会では、個人保証なしで後継者の皆さんの融資を保証する新制度を、四月からスタートします。経営の磨き上げ支援も行い、専門家の確認を得た後継者には、保証料をゼロとします。個人保証の慣行は新しい世代には引き継がないとの強い決意で、あらゆる施策を総動員してまいります。  七年前、十年ぶりの大改正を行った下請振興基準を、更に改正し、対象を拡大します。大企業に対しても、新たに金属産業、化学産業で、自主行動計画の策定を求めます。業界ごとの取引慣行に詳しい専門人材を下請Gメンに採用し、下請取引の更なる適正化に取り組んでまいります。  デジタル技術の進歩は、中小・小規模事業者にとって、販路拡大などの大きなチャンスです。デジタル取引透明化法を制定し、オンラインモールでの出店料の一方的引上げなど不透明な取引慣行を是正します。
(規制改革)  IoT、ビッグデータ、人工知能。第四次産業革命の大きな変化の中で、デジタル時代の規制改革を大胆に進めます。  本年から、無人自動運転を解禁し、中山間地域の皆さんに、安全で便利な移動手段を提供します。自動制御ブレーキを備えたサポートカーに限定した新たな免許制度を設け、その普及を拡大します。  AIが解析するデータのボリュームが、競争力を左右する時代です。個人情報を匿名化し、その詳細な分析を可能とすることで、ビッグデータの世界をリードしてまいります。  フィンテックによる多様な決済サービスが登場する中、金融分野の業法による縦割り規制を抜本的に見直します。マイナンバーカードの取得を促し、来年度中に健康保険証としての利用を開始します。あらゆる行政手続の電子化を進め、対面での確認が必要なものなどを除き、二〇二四年度までに完了いたします。  技術の進歩による急激な変化に対し、消費者の安全・安心を確保していきます。個人データの利用停止を可能とするなど、個人情報保護を強化します。あおり運転を刑罰の対象とし、道路へのカメラ設置などにより、悪質な運転者の取締りを徹底します。空港施設へのドローン飛行を禁止し、飛行経路の安全を確保してまいります。
(イノベーション)  吉野彰(あきら)先生のノーベル化学賞受賞を、心よりお慶び申し上げます。  吉野先生に続く、未来を担う若手研究者に、大胆に投資します。自由な発想で挑戦的な研究に打ち込めるよう、資金配分を若手に思い切って重点化します。安定的なポストを確保し、海外留学を含めたキャリアパスを確立することで、若者が将来に夢や希望を持って研究の世界に飛び込める環境を整えます。  変化のスピードを先取りし、これまでにない価値を生み出す鍵は、ベンチャー精神です。大企業などからベンチャー企業への投資を税制で支援し、いわゆる自前主義からの発想の転換を図ります。国の研究機関によるベンチャー企業への出資を促すことで、蓄積された研究成果や技術を新しい産業へと成長させてまいります。  第四次産業革命がもたらすインパクトは、経済のみにとどまらず、安全保障をはじめ、社会のあらゆる分野に大きな影響を及ぼします。国家戦略としての取組が必要です。  その基盤インフラは、通信です。5G、ポスト5G、更にその先を見据えながら、大胆な税制措置と予算により、イノベーションを力強く後押しします。安全で安心なインフラが、これからも安定的に供給されるよう、グローバルな連携の下、戦略的に取り組んでいきます。  次世代暗号などの基盤となる量子技術について、国内外からトップクラスの研究者・企業を集める、イノベーション拠点の整備を進めます。  月を周回する宇宙ステーションの整備、月面での有人探査などを目指す新たな国際プロジェクトに、我が国として、その持てる技術を駆使し、貢献いたします。将来的な火星探査なども視野に、人類の新たなフロンティアの拡大に挑戦します。  Society 5.0の時代にあって、教育の在り方も、変わらなければなりません。本年から小学校でプログラミング教育を開始します。四年以内に、全ての小学生、中学生に一人一台のIT端末を揃(そろ)えます。企業エンジニアなど多様な外部人材を登用することで、新しい時代の教育改革を進めます。
(アベノミクス)  今般取りまとめた新しい経済対策は、まさに、安心と成長の未来を切り拓くものであります。事業規模二十六兆円に及ぶ対策を講じることで、自然災害からの復旧・復興に加え、米中貿易摩擦、英国のEUからの離脱など海外発の下方リスクにも万全を期してまいります。  日本経済は、この七年間で十三%成長し、来年度予算の税収は過去最高となりました。公債発行は八年連続での減額であります。経済再生なくして財政健全化なし。この基本��針を堅持し、引き続き、二〇二五年度のプライマリーバランス黒字化を目指します。  この六年間、生産年齢人口が五百万人減少する一方で、雇用は三百八十万人増加しました。人手不足が続く中で、最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅となり、史上初めて全国平均九百円を超えました。足元では、九割近い中小企業で、賃上げが実現しています。  雇用環境が好転している今、就職氷河期世代の皆さんの就業を、三年間集中で一気に拡大します。この世代に対象を絞った求人を解禁するなど、あらゆる施策を講じ、意欲、経験、能力を活かせるチャンスを広げていきます。  兼業や副業をやりやすくするため、労働時間に関するルールを明確化します。労働施策総合推進法を改正し、大企業に中途採用・経験者採用比率の開示を求め、多様で柔軟な働き方が可能となるよう、改革を進めます。  経済社会が大きく変化する中、ライフスタイルの多様化は時代の必然であります。今こそ、日本の雇用慣行を大きく改め、働き方改革を、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
五 一億総活躍社会
(全世代型社会保障)  この春から、大企業では、同一労働同一賃金がスタートします。正規と非正規の壁がなくなる中で、パートの皆さんへの厚生年金の適用を更に広げてまいります。三千億円を上回る、ものづくり補助金、IT補助金、持続化補助金により生産性向上への支援、社会保険手続の負担軽減を行いながら、従業員五十人を超える中小企業まで段階的に���大します。  高齢者のうち、八割の方が、六十五歳を超えても働きたいと願っておられます。人生百年時代の到来は、大きなチャンスです。働く意欲のある皆さんに、七十歳までの就業機会を確保します。  こうした働き方の変化を中心に据えながら、年金、医療、介護全般にわたる改革を進めます。  年金受給開始の選択肢を、七十五歳まで広げます。在職老齢年金についても、働くインセンティブを失わせることのないよう、見直しを行います。  二〇二二年には、いわゆる団塊の世代が七十五歳以上の高齢者となる中で、現役世代の負担上昇に歯止めをかけることは、待ったなしの課題です。  年齢ではなく、能力に応じた負担へと見直しを進めます。七十五歳以上であっても一定以上の所得がある方には、窓口での二割負担を新たにお願いすることを検討します。併せて、かかりつけ医機能の強化を図るため、大病院の受診に定額負担を求めることで、現役世代の負担上昇を抑えます。  医療や介護について、予防への取組を強化することで、いつまでも健康で、活躍できる社会づくりを行います。  子どもたちから、子育て世代、現役世代、そしてお年寄りまで、全ての世代が安心できる「全世代型社会保障制度」を目指し、本年、改革を実行してまいります。
(子育て支援)  子どもたちの未来に、引き続き、大胆に投資してまいります。  昨年の幼児教育・保育の無償化のスタートに続き、この四月から、真に必要な子どもたちの高等教育の無償化が始まります。私立高校の実質無償化も実現し、子どもたちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることができる社会を創り上げてまいります。  保育の受け皿整備を進め、待機児童ゼロを実現します。これまでの取組により、待機児童の数は、昨年、調査開始以来、最少となりました。いまだゼロが実現できていない自治体には、保育ニーズに応じた整備計画の策定を求め、取組を強化していきます。  妊娠、出産、子育てへの切れ目ない支援を行います。来年春までに、子育て世代包括支援センターを全ての市町村に設置します。所得の低いひとり親世帯への支援を拡大し、子育てしやすい社会づくりを更に強化します。「希望出生率一・八」の実現を目指し、深刻さを増す少子化の問題に真正面から立ち向かってまいります。
(一億総活躍社会)  我が国には、意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいます。全ての女性に活躍のチャンスを創り、その持てる可能性を十二分に開花することができれば、日本の経済社会は一変するはずです。  この六年で、女性の就業者数は、新たに二百九十万人増加しました。就業率は、二十五歳以上の全ての世代で米国を上回っています。M字カーブは確実に解消に向かっています。引き続き、女性活躍の旗を高く掲げ、女性の皆さんが働きやすい環境づくり、女性リーダーの拡大に向けた取組を一層進めます。更に、民間シェルター支援によるDV対策などに取り組んでまいります。  女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、更には一度失敗した方も、誰もが多様性を認め合いその個性を活かすことができる社会、思う存分その能力を発揮できる社会を創る。一億総活躍社会の実現こそが、まさに少子高齢化を克服する鍵であります。  バリアフリー社会の実現に向けて、公共交通機関における取組を強化します。耳の聞こえない方に対する、無償で手話通訳を利用できる電話リレーサービスを整備します。重度障害者の皆さんの就労の意欲を後押しするための仕組みを強化します。  「その能力は磨けば無限である。」  中村裕(ゆたか)医師は、長年、障害者雇用に熱心に取り組んでこられました。  「身障者の社会進出のためにもスポーツを奨励しなければならない。」  中村先生の情熱によって、一九六四年、東京パラリンピック大会が実現しました。その後、パラリンピックは四年おきに継続的に実施されるようになりました。中村先生の思いは受け継がれ、半世紀以上の時を経て、再び、日本へと帰ってきます。  本年のパラリンピックを、世界中の人々に夢や感動を与える、素晴らしい大会とする。障害のある皆さんが、世界で最もいきいきと生活できる国・日本を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
六 外交・安全保障
(積極的平和主義)  日本が、初めてオリンピック精神と出会ったのは、明治の時代であります。その時の興奮を、嘉納治五郎はこう記しています。  「世界各国民の思想感情を融和し以て世界の文明と平和とを助くる」  オリンピック・パラリンピックが開催される本年、我が国は、積極的平和主義の旗の下、戦後外交を総決算し、新しい時代の日本外交を確立する。その正念場となる一年であります。  日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との諸問題を解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を目指します。何よりも重要な拉致問題の解決に向けて、条件を付けずに、私自身が金正恩委員長と向き合う決意です。  もとより、我が国の国民の生命と財産を守るため、毅(き)然として行動していく。その方針はしっかりと貫いてまいります。米国、韓国をはじめ国際社会と緊密に連携してまいります。  北東アジアの安全保障環境が厳しさを増す中で、近隣諸国との外交は、極めて重要となっています。韓国は、元来、基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国であります。であればこそ、国と国との約束を守り、未来志向の両国関係を築き上げることを、切に期待いたします。  プーチン大統領と長門で合意した、元島民の方々の航空機によるお墓参り、そして四島での共同経済活動は、着実に前進しています。一九五六年宣言を基礎として交渉を加速させ、領土問題を解決して、平和条約を締結する。この方針に、全く揺らぎはありません。私と大統領の手で、成し遂げる決意です。  日本と中国は、地域と世界の平和と繁栄に、共に大きな責任を有しています。その責任をしっかり果たすとの意志を明確に示していくことが、今現在の、アジアの状況において、国際社会から強く求められています。首脳間の往来に加え、あらゆる分野での交流を深め、広げることで、新時代の成熟した日中関係を構築してまいります。
(安全保障政策)  いかなる事態にあっても、我が国の領土、領海、領空は必ずや守り抜く。安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりません。  この春から、航空自衛隊に「宇宙作戦隊」を創設します。更には、サイバー、電磁波といった新領域における優位性を確保するため、その能力と体制を抜本的に強化してまいります。  昨日、日米安全保障条約は、改定の署名から六十年を迎えました。日米同盟は、今、かつてなく強固なものとなっています。その深い信頼関係の下に、二〇二〇年代前半の海兵隊のグアム移転に向け、施設整備などの取組を進めます。抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担軽減に、一つひとつ結果を出してまいります。  日米同盟の強固な基盤の上に、欧州、インド、豪州、ASEANなど、基本的価値を共有する国々と共に、「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指します。
(国際社会の課題解決)  この七年間、八十の国・地域を訪問し、八百回を超える会談を重ねてまいりました。各国首脳との信頼関係の上に、国際社会が直面する共通課題の解決に向け、世界の中で、主導的な役割を果たしていく覚悟です。  中東地域における緊張の高まりを深く憂慮します。我が国は、全ての関係者に、対話による問題解決と自制的な対応を求めます。これまで培ってきた中東諸国との友好関係の上に、この地域の緊張緩和と情勢の安定化のために、これからも、日本ならではの平和外交を粘り強く展開いたします。エネルギー資源の多くをこの地域に依存する我が国として、こうした外交努力と併せて、自衛隊による情報収集態勢を整え、日本関係船舶の安全を確保します。  自由貿易の旗手として、二十一世紀の経済秩序を世界へと広げてまいります。EUから離脱する英国とも、速やかに通商交渉を開始します。TPPの更なる拡大や、インドを含めたRCEP交渉を主導します。データ流通の新たな国際ルールづくりを、大阪トラックでリードしていきます。  G20で合意したブルー・オーシャン・ビジョンには、既に五十九の国から賛同を得ています。この流れを更に世界へと広げていくことで、二〇五〇年までの海洋プラスチックごみによる新たな汚染ゼロの実現を目指します。  我が国は、五年連続で温室効果ガスの削減を実現いたしました。二〇一三年度比で十一・八%の削減は、G7の中で英国に次ぐ削減量です。長期戦略に掲げた脱炭素社会を早期に達成するため、ゼロエミッション国際共同研究拠点を立ち上げます。米国、EUなどG20の研究機関の叡智(えいち)を結集し、産業革命以来増加を続けてきたCO2を、減少へと転じさせる、「Beyondゼロ」を目指し、人工光合成をはじめ革新的イノベーションを牽(けん)引します。  世界の平和と安定、自由で公正で開かれた国際ルールの構築、気候変動をはじめとした地球環境問題への挑戦。より良き世界の実現に向かって、新しい時代の日本外交の地平を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
七 おわりに
 「人類は四年ごとに夢をみる」  一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。  社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。  国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。  世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。  御清聴ありがとうございました。
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skf14 · 3 years
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12150006
軽快なメロディが音割れしていることにきっと全員気付いているはずなのに、誰も指摘しないまま、彼は毎日狂ったようにそれを吐き出し続けている。
時刻は朝の8時過ぎ。何に強制されたでもなく、大人しく2列に並ぶ現代の奴隷たち。いや、奴隷ども。資本主義に脳髄の奥まで犯されて、やりがいという名のザーメンで素晴らしき労働という子を孕まされた、意志を持たない哀れな生き物。何も食べていないのに胃が痛い。吐きそうだ、と、50円のミネラルウォーターを一口含んで、押し付けがましい潤いを乾く喉に押し込んだ。
10両目、4番目の扉の右側。
俺がいつも7:30に起きて、そこから10分、8チャンネルのニュースを見て、10分でシャワー、10分で歯磨きとドライヤー、8:04に自宅を出て、8:16に駅に到着。8:20発の無機質な箱に乗る、その最終的な立ち位置。扉の右側の一番前。黄色い線の内側でいい子でお待ちする俺は、今日もぼうっと、メトロが顔を覗かせるホームの端の暗闇を見つめていた。
昨日は名古屋で人が飛び込んだらしい。俺はそのニュースを、職場で開いたYahoo!のトップページで見かけた。群がる野次馬が身近で起きた遠い悲劇に涎を垂らして、リアルタイムで状況を伝える。
『リーマンが飛び込んだ』
『ブルーシートで見えないけど叫び声聞こえた』
『やばい目の前で飛び込んだ、血見えた』
『ハイ1限遅れた最悪なんだけど』
なんと楽しそうなこと。まるで世紀の事件に立ち会った勇敢なジャーナリスト気取り。実際は目の前で人が死ぬっていう非現実に興奮してる変態性欲の持ち主の癖に。全員死ね。お前らが死ね。そう思いながら俺は、肉片になった男のことを思っていた。
電車に飛び込んで仕舞えば、生存の可能性は著しく低くなる。それが通過列車や、新幹線なら運が"悪く"ない限り、確実に死ぬ。悲惨な形を伴って。肉片がおよそ2〜5キロ圏内にまで吹き飛ぶこともあるらしい。当然、運転手には多大なトラウマを植え付け、鉄道職員は線路内の肉片を掻き集め、乗客は己の目の前で、もしくは己の足の下で、人の肉がミンチになる様を体感する。誰も幸せにならない自殺、とは皮肉めいていてよく表現された言葉だとつくづく思う。当人は、幸せなのだろうか。
あの轟音に、身体を傾け頭から突っ込む時、彼らは何を思うのだろう。走馬灯とやらが頭を駆け巡るのか、やはり動物の本能として恐怖が湧き上がるのか、それとも、解放される幸せでいっぱいなのか。幸福感を呼び起こす快楽物質が脳に溢れる様を夢想して、俺は絶頂にも近い快感を奥歯を噛み締めて堪えた。率直に浮かんだ「羨ましい」はきっと、俺が人として生きていたい限り絶対漏らしてはいけない、しかし限りなく本音に近い、5歳児のような素直な気持ち。
時刻は8:19。スマホの中でバカがネットニュースにしたり顔でコメントを飛ばして、それに応戦する暇な人間たち。わーわーわーわーうるせえな、くだらねえことでテメェの自尊心育ててないで働けゴミが。
時刻は8:20。腑抜けたチャイムの音。気怠そうな駅員のアナウンス。誰に罰されるわけでもないのに、俺の足はいつも黄色い線の内側に収まったまま、暗がりから顔を覗かせる鉄の箱を待ち侘びている。
俺は俯いて、視界に入��た己のつま先にグッと力を込めた。無意識にするこの行為は、死への恐怖か。馬鹿らしい。いつだって、この箱の前に飛び込むことが何よりも幸せに近いと知っているはずなのに。
気が付けば山積みの仕事から逃げるように、帰りの電車に乗っていた。時刻は0:34。車内のアナウンス。この時間でこの場所、ということは終電だろう。二つ離れた椅子に座ったサラリーマンがだらりと頭を下げ、ビニール袋に向けて嘔吐している。饐えた臭いが漂ってきて貰いそうになるが、もう動く気力もない。死ね。クソ野郎が。そう心の中でぼやきながら、俺はただ音楽の音量を上げて外界を遮断する。耳が割れそうなその電子音は、一周回って心地いい。
周りから俺へ向けられる目は冷たく、会社に俺の居場所はない。同期、後輩はどんどん活躍し、華々しい功績を挙げて出世していく。無能な俺はただただ単純で煩雑な事務作業をし続けて、それすらも上手く回せない。ああ、今日はただエクセルの表作りと、資料整理、倉庫の整理に、古いシュレッダーに詰まった紙の掃除。それで金を貰う俺は、社会の寄生虫か?ただ生きるために何かにへばりついて必要な栄養素を啜る、なんて笑える。人が減った。顔を上げると降りる駅に着いていた。慌てて降りる俺を、乗ろうとしていた騒がしい酔っ払いの集団が睨んで、邪魔そうに避けた。何だその顔は。飲み歩いて遊んでた人間が、働いてた俺より偉いって言うのか。クソ。死ね。死んでくれ。社会が良くなるために、酸素の消費をやめてくれ。
コンビニで買うメニューすら、冒険するのをやめたのはいつからだろう。チンすれば食べられる簡単な温かい食事。あぁ、俺は今日も無意識に、これを買った。無意識に、生きることをやめられない。人のサガか、動物としての本能か、しかし本能をコントロールしてこその高等生物である人間が、本能のままに生きている時点で、矛盾しているのではないか。何故人は生きる?生きるとは?NHKは延々とどこか異国の映像を流し続けている。国民へ向けて現実逃避を推奨する国営放送、と思うと笑えてきて、俺は箸を止め、腹を抱えてしこたま笑った。あー、死のう。
そういえば、昔、俺がまだクソガキだった頃、「完全自殺マニュアル」なる代物の存在を知った。当然、本を変える金なんて持ってなかった俺は親の目を盗んで、図書館でそれを取り寄せ借りた。司書の本を渡す際の訝しむ顔がどうにも愉快で、俺は本を抱えてスキップしながら帰ったことを覚えている。
首吊り、失血死、服毒死、凍死、焼死、餓死...発売当時センセーショナルを巻き起こしたその自称「問題作」は、死にたいと思う人間に、いつでも死ねるからとりあえず保険として持っとけ、と言いたいがために書かれたような、そんな本だった。淡々と書かれた致死量、死ぬまでの時間、死に様、遺体の変化。俺は狂ったようにそれを読み、そして、己が死ぬ姿を夢想した。
農薬は消化器官が爛れ、即死することも出来ない為酷く苦しんで死ぬ地獄のような死に方。硫化水素で死んだ死体は緑に染まる。首吊りは体内に残った排泄物が全て流れ出て、舌や目玉が飛び出る。失血死には根気が必要で、手首をちょっと切ったくらいでは死ねない。市販の薬では致死量が多く未遂に終わることが多いが、バルビツール酸系睡眠薬など、医師から処方されるものであれば死に至ることも可能。など。
当然、俺が手に取った時には情報がかなり古くなっていて、バルビツール酸系の薬は大抵が発売禁止になっていたし、農薬で死ぬ人間など殆どいなくなっていたが、その情報は幼かった俺に、「死」を意識させるには十分な教材だった。道徳の授業よりも宗教の思想よりも、何よりも。
親戚が死んだ姿を見た時も、祖父がボケた姿を見た時も、同じ人間とは思えなかった俺はきっとどこか欠けてるんだろう。親戚の焼けた骨に、棺桶に入れていたメロンの緑色が張り付いていて、美味しそうだ。と思ったことを不意に思い出して、吹き出しそうになった。俺はいつからイカれてたんだ。
ずっと、後悔していたことがあった。
小学生の頃、精神を病んだ母親が山のように積まれた薬を並べながら、時折楽しそうに父親と電話をしていた。
その父親は、俺が物心ついた、4、5歳の頃に外に女を作って出て行った、DVアル中野郎だった。酒を飲んでは事あるごとに家にあるものを投げ、壊し、料理の入った皿を叩き割り、俺の玩具で母親の顔を殴打した。暗い部屋の中、料理が床に散乱する匂いと、やめてと懇願する母親の細い声と、人が人を殴る骨の鈍い音が、今も脳裏によぎることがある。あぁ、懐かしいな。プレゼントをやる、なんて言われて、酔っ払って帰ってきた父親に、使用済みのコンドームを投げられたこともあったっけ。「お前の弟か妹になり損ねた奴らだよ。」って笑ってたの、今思い返してもいいセンスだと思う。顔に張り付いた青臭いソレの感触、今でも覚えてる。
電話中は決まって俺は外に出され、狭いベランダから、母親の、俺には決して見せない嬉しそうな顔を見てた。母親から女になる母親を見ながら、カーテンのない剥き出しの部屋の明かりに集まる無数の羽虫が口に入らないように手で口を覆って、手足にまとわりつくそれらを地面のコンクリートになすりつけていた。あぁ、そうだ、違う、夏場だけカーテンをわざと開けてたんだ。集まった虫が翌朝死んでベランダを埋め尽くすところが好きで、それを俺に掃除させるのが好きな母親だった。記憶の改変は恐ろしい。
ある日、俺は電話の終わった母親に呼ばれた。隣へ座った俺に正座の母親はニコニコと嬉しそうに笑って、「お父さんが、帰ってきていいって言ってるの。三人で、幸せな家庭を作りましょう!貴方がいいって言ってくれるなら、お父さんのところに帰りましょう。」と言った。そう。言った。
俺は、父親が消えてからバランスが崩れて壊れかけた母親の、少女のように無垢なその笑顔が忘れられない。
「幸せな家庭」、家族、テレビで見るような、ドラマの中にあるような、犬を飼い、春には重箱のお弁当を持って花見に行き、夏には中庭に出したビニールプールで水遊びをし、夜には公園で花火をし、秋にはリンゴ狩り、栗拾い、焼き芋をして、落ち葉のベッドにダイブし、冬には雪の中を走り回って遊ぶ、俺はそんな無邪気な子供に焦がれていた。
脳内を数多の理想像が駆け巡って、俺は、母の手を掴み、「帰ろう。帰りたい。パパと一緒に暮らしたい。」そう言って、泣く母の萎びた頬と、唇にキスをした。
とち狂っていたとしか思えない。そもそも帰る、と言う表現が間違っている。思い描く理想だって、叶えられるはずがない。でもその時の馬鹿で愚鈍でイカれた俺は、母の見る視線の先に桃源郷があると信じて疑わなかったし、母と父に愛され、憧れていた家族ごっこが出来ることばかり考えて幸せに満ちていた。愚かで、どうしようもなく、可哀想な生き物だった。そして、二人きりで生きてきた数年間を糧に、母親が、俺を一番に愛し続けると信じていた。
母は、俺が最初で最後に信じた、人間だった。
父親の家は荒れ果てていた。酒に酔った父親が出迎え、母の髪を掴んで家の中に引き摺り込んだ瞬間、俺がただ都合の良い夢を見ていただけだと言うことに漸く、気が付いた。何もかも、遅過ぎた。
仕事も何もかも捨て��ぼ無一文で父親の元へ戻った母親が顔を腫らしたまま引越し荷物の荷解きをする姿を見ながら、俺は積み上げた積み木が崩れるように、砂浜の城が波に攫われるように、壊れていく己の何かを感じていた。母は嬉しそうに、腫れた顔の写真を毎度俺に撮らせた。まるでそれが、今まで親にも、俺にも、誰にも与えられなかった唯一無二の愛だと言わんばかりに、母は携帯のレンズを覗き、画面越しに俺に蕩けた目線を送った。
人間は、学習する生き物である。それは人間だけでなく、猿や犬、猫であっても、多少の事は学習できるが、その伸び代に関しては人間が群を抜いている。母親は次第に父親に媚び、家政婦以下の存在に成り下がることによって己の居場所を守った。社会の全てにヘイトを募らせた父親も、そんな便利な道具の機嫌を損ねないよう、いや、違うな、目を覚まさせないように、最低限人間扱いをするようになった。
まあ当然の末路と言えるだろうな。共同戦線を組んだ彼らの矛先は俺に向いた。俺は保てていた人間としての地位を失い、犬に、家畜に成り下がった。名前を呼ばれることは無くなり、代わりについた俺の呼び名は「ゴキブリ」になった。家畜、どころか害虫か。産み落とした以上、世話をするほかないというのが人間の可哀想なところだ。
思い出したくもないのにその記憶を時折呼び起こす俺の出来の悪い脳を何度引き摺り出してやろうかと思ったか分からない。かの夢野久作が書いた「ドグラマグラ」に登場する狂った青年アンポンタン・ポカン氏の如く、脳髄を掴み出し、地面に叩きつけてやりたいと思ったことは数知れない。
父親に奉仕する母は獣のような雄叫びをあげて悦び、俺は夜な夜なその声に起こされた。媚びた、艶やかな、酷く情欲を煽るメスの声。俺は幾度となく吐き、性の全てを嫌悪した。子供じみた理由だと、今なら思う。何度、眠る父親の頭を金属バットで叩き割ろうと思ったか分からない。俺は本を読み漁り、飛び散る脳髄の色と、母の絶望と、断末魔を想像した。そう、この場において、いや、この世界において、俺の味方は誰もいなかった。
いつの間にかテレビ放送は休止されたらしい。画面端の表示は午前2時58分。当然か。騒がしかったテレビの中では、カラーバーがぬるぬると動きながら、耳障りな「ピー」という無慈悲な機械音を垂れ流している。テレビの心停止。は、まるでセンスがねえな死ね俺。
ずっと、後悔していた。誰にも言えず、その後悔すらまともに見ようとはしなかったが、今になって、思う。何度も、あの日の選択を後悔した。
あの日、俺がもし、Yesと言わなかったら。あの日の俺はただ、母親がそう言えば喜ぶと思って、幸せそうな母親の笑顔を壊したくなくて、...いや、違う。あれは、幸せそうな母親の笑顔じゃない、幸せそうな、メスの笑顔だ。それに気付けていたら。
叩かれても蹴られても、死んだフリを何度されても自殺未遂を繰り返されても、見知らぬ土地で置き去りにされても、俺はただ、母親に一番、愛されていたかった。父親がいない空間が永遠に続けばいい、そう今なら思えたのに、あの頃の俺は。
母親は結局、一人で生きていけない女だった。それだけだ。父親が、そして父親の持つ金が欲しかった。それだけだ。なんと醜い、それでいてなんと正しい、人間の姿だろう。俺は毎日、父親を崇めるよう強制された。頭を下げ、全てに礼を言い、「俺の身分ではこんなもの食べられない。貴方のおかげで食事が出来ている」と言ってから、部屋で一人飯を食った。誕生日、クリスマス、事あるごとに媚びさせられ、欲しくもないプレゼントを分け与えられた。そうしなきゃ殴られ蹴られ、罵倒される。穏便に全てを済ませるために、俺は心を捨てた。可哀想な生き物が、自己顕示欲を満たしたくて喚いている。そう思い続けた。
勉強も運動も何も出来なかった。努力する、と言う才能が元から欠けていた、可愛げのない子供だったと自負している俺が、ヒステリーを起こした母親に、「何か一つでもアンタが頑張ったことはないの!?」と激昂されて、震える声で「逆上がり、」と答えたことがあった。何度やっても出来なくて、悔しくて、冬の冷たい鉄棒を握って、豆が出来ても必死に一人で頑張った。結局、1、2回練習で成功しただけで、体育のテストでは出来ずに、クラスメイトに笑われた。体育の成績は1だった。母親は鼻で笑って、「そんなの頑張ったうちに入らないわ。だからアンタは何やっても無理、ダメなのよ。」とビールを煽って、俺の背後で賑やかな音を立てるテレビを見てケタケタと笑った。それ以降、目線が合うことはなかった。
気分が悪い。なぜ今日はこんなにも、過去を回顧しているんだろう。回り出した脳が止められない。不愉快だ。酷く。それでも今日は頑なに、過去を振り返らせたいらしい脳は、目の前の食べかけのコンビニ飯の輪郭をぼやけさせる。
俺が就職した時も、二人は何も言わなかった。ただただ俺は、父親の手口を真似て、母親の心を取り戻そうと、ありとあらゆるブランド物を買って与えた。高いものを与え、食わせ、いい気分にさせた。そうすれば喜ぶことを俺は知っていたから。この目で幾度となく見てきたから。二人で暮らしていた頃の赤貧さを心底憎んでいた母親を見ていたから。
俺は無邪気にもなった。あの頃の、学校の帰りにカマキリを捕まえて遊んだような、近所の犬に給食のコッペパンをあげて戯れていたような、そんな純粋無垢な無邪気さで、子供に戻った。もう右も左も分からない馬鹿なガキじゃない。今の俺で、あの頃をやり直そう。やり直せる。そう思った。
「そんなわけ、ねぇよなぁ。」
時刻は午前4時を回り、止まっていたテレビの心拍が再び脈動を始めた。残飯をビニール袋に入れて、眩しい光源を鬱陶しそうに睨んだ。画面の中では眠気と気怠さを見せないキリリとした顔の女子アナが深刻そうな顔で、巷で流行する感染症についての最新情報を垂れ流している。
結論から言えば、やり直せなかった。あの女の一番は、俺より金を稼いで、俺より肉体も精神も満たせる、あの男から変わることはなかった。理解がし難かった。何度殴られても生きる価値がない死ねと罵られても、それが愛なのか。
神がいるなら問いたい。それは愛なのか。愛とはもっと美しく、汚せない、崇高なものじゃないのか。神は言う。笑わせるな、お前だって分かっていないから、ひたすら媚びて愛を買おうとしたんだろう。ああ、そうだ。俺にはそれしかわからなかった。人がどうすれば喜ぶのか、人をどうすれば愛せるのか、歩み寄り、分り合い、感情をぶつけ合い、絆を作れるのか。人が人たるメカニズムが分からない。
言葉を尽くし、時間を尽くしても、本当の愛の前でそれらは塵と化すのを分かっていた。考えて、かんがえて、突き詰めて、俺は、自分が今人間として生きて、歩いて、食事をして、息をしている実感がまるで無い不思議な生き物になった。誰のせいでもない、最初からそうだっただけだ。
あなたは私の誇りよ、と言った女がいた。そいつは俺が幼い頃、俺じゃなく、俺の従兄弟を出来がいい、可愛い、と可愛がった老婆だった。なんでこんなこと、不意に思い出した?あぁ、そうだ、誕生日に見知らぬ番号からメッセージが来てて、それがあの老婆だと気付いたからだ。気持ちが悪い。俺が人に愛される才能がないように、俺も人を愛する才能がない。
風呂の水には雑菌がうんたらかんたら。学歴を盾に人を威圧するお偉いさんが講釈を垂れているこの番組は、朝4時半から始まる4チャンネルの情報番組。くだらない。クソどうでもいい。好みのぬるめのお湯に目の下あたりまで浸かった俺は、生きている証を確かめるように息を吐いた。ぼご、ぶくぶく、飛び散る乳白色が目に入って痛い。口から出た空気。無意識に鼻から吸う空気。呼吸。あぁ、あれだけ自分の傷抉って自慰しておいて、まだ生きようとしてんのか、この身体。どうしようもねえな。
どうせあと2時間と少ししか眠れない。髪を乾かすのも早々に、俺が唯一守られる場所、布団の中へと潜り込んで、無機質な部屋の白い天井を見上げた。
そういえば、首吊りって吊られなくても死ぬことが出来るんだっけ。そう。今日の朝だって思ったはずだ。黄色い線の外側、1メートル未満のその先に死がある。手を伸ばせばいつでも届く。ハサミもカッターも、ガラスも屋上もガスも、見渡せば俺たちは死に囲まれて、誘惑に飲まれないように、生きているのかもしれない。いや、でも、いつだって全てに勝つのは何だ?恐怖か?確かに突っ込んでくるメトロは怖い。首にヒヤリとかかった縄も怖い。蛙みたく腹の膨れた女をトラックに轢かせて平らにしたいとも思うし、会話の出来ない人間は全員聾唖になって豚の餌にでもなればいいとも思う。苛立ち?分からない。何を感じ、生きるのか。
ああ、そういえば。
父親の頭をミンチの如く叩きのめしてやろうと思って金属バットを手に取った時、そんなくだらないことのためにこれから生きるのかと思うと馬鹿らしくなって���代わりに部屋のガラスを叩き割ってやめた。楽にしてやろうと母親を刺した時、こんなことのために俺は人生を捨てるのか、と我に返って、二度目に振り上げた手は静かに降ろした。
あの時の爽快感を、忘れたことはない。
あぁ、そうか、分かった。
死が隣を歩いていても、俺がそっち側に行かずに生きてる理由。そうだ。自由だ。ご飯が美味しいことを、夜が怖くないことを、寒い思いをせず眠れることを、他人に、人間に脅かされずに存在できることを、俺はこの一人の箱庭を手に入れてから、初めて知った。
誰かがいれば必ず、その誰かに沿った人間を作り上げた。喜ばせ、幸せにさせ、夢中にさせ、一番を欲した。満たされないと知りながら。それもそうだ。一番も、愛も、そんなものはこの世界には存在しない。ようやく分かった俺は、人間界の全てから解き放たれて、自由になった。爽快感。頭皮の毛穴がぞわぞわと爽やかになる感覚。今なら誰にだって何にだって、優しくなれる気がした。
そうか、俺はいつの間にか、人間として生きるのが、上手くなったんだ。異世界から来てごっこ遊びをしている気分だ。死は俺をそうさせてくれた。へらへらと、楽しく自由にゆらゆらふわふわ、人と人の合間を歩いてただ虚に生きて、蟠りは全部、言葉にして吐き出した。
遮光カーテンの隙間から薄明るい光が差す部屋の中、開いたスマホに並んだ無数の言葉の羅列。俺が紡いだ、物語たち。俺の、味方たち。みんなどこか、違うようで俺に似てる。皆合理的で、酷く不器用で、正しくて、可哀想で、幸せだ。皆正しく救われて終わる物語のみを書き続ける俺は、己をハッピーエンド作者だと声高に叫んで憚らない。
「俺、なんで生きてるんだっけ。」
そんなクソみたいな呟きを残して、目を閉じた。スマホはそばの机に放り投げて、目を閉じて、祈るのは明日の朝目が覚めずにそのまま冷たくなる、最上の夢。
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