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#脳の断捨離
from0287 · 1 year
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snoopy-1962 · 1 year
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ari0921 · 9 months
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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kensasuke23 · 5 months
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今日は久しぶりに本気の大掃除。疲れた…… 断捨離ができない人間なもので、年々モノが増えまくる。それでもなんとか、ある程度まではまとめることができたかな。ある程度まで……は。
夜は肉が食いたかったので焼肉。いつもみたいに鉄板焼きにすると、せっかく掃除したリビングに油が跳ねまくりそうだったので、フライパンで焼くことに。いつの間にかキッチンで立ち飲みしてた。
行儀悪い、と脳内のお袋が怒ってたので、テーブルで。酒はプレミアムモルツでした。
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足りなくなったら追加で焼いた。けっこう食った(^^)
#焼肉
#ビール
#プレミアムモルツ
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kennak · 5 months
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連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえってくる。劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。業務をもう少し細かく説明すると、・入出立ち会いよく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。・イベント企画・運営お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。・チケット取次・配席ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。・グッズ作成お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。ジェンヌでもな��、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。会運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。そんなことがあるわけないだろ。平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。自分も、声を上げられなかったひとりだから。彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。妹さんにはお世話になりました、心��らのご冥福を祈ります。助けてあげられなくて、ごめんなさい。
ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話
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manganjiiji · 5 months
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よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないではなくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でかかっていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得るしかないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り、数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっているつもりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくてついつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない、ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死なのだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに楽天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格とは真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
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redfvplayer · 9 months
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本格派のゴミ屋敷育ちの俺から言わせたら、本当にゴミだらけの部屋住んでると無気力&注意散漫になる。 ゴミだけでなくシンクもトイレも風呂も常に汚い家だった。不快だが住んでるとすぐ慣れてしまうので子供の頃から掃除する感覚がわからなかった けど、清潔なばあちゃん家とかで何泊かしてから家に帰る時はぐっちゃぐちゃの台所思い出してめっちゃ憂鬱になるくらい汚かった 当時は目から入る情報が多すぎて、漫画、ゴミ、自転車の鍵、布団どけてイヤホン探したりと脳が常にガチャガチャしてて疲れやすいし不安感が強かった 大学入って家出たら、自分でできる範囲で掃除や断捨離をし、だいぶましな生活ができた なぜかゲームやらなくなった  モノの存在より、思い入れが大���に感じるようになった。タダや激安でも思い入れがないモノは欲しくなくなった。モノはこりごりに近いのかも たまに実家かえった時も、母親は使用済みの菓子箱ひとつ捨てられない様子。物を大切にするというより、手放すことで「損するかもしれない自分」が怖いみたい なんとなく、母親からみて俺(息子)とゴミみたいな菓子箱は同じ大事さ・同価値なんだろうなと思う ゴミ屋敷の中では存在はすべて「大事」なんだけど、ゴミと同じくらいの大事さでしかない 母親は俺が家を出る時凄まじく反対したわりに、俺が家を出てからまったく俺や俺の暮らしに興味がなくなった 元々何にも思い入れがないから、手が離れると息子でも無関心に戻ってしまう ゴミ屋敷の住人ってこんな感覚なんだろうと思うよ ちなみに母親は新しい友達をつくっては疎遠か絶交を繰り返す人だった 昔からの友人がいない
【衝撃】Twitter民「家を綺麗にしてから体力の回復スピードがエグい」 : 凹凸ちゃんねる
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keredomo · 10 months
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悪夢
 見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。  ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
 はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
 休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
 こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
 今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
 明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。  そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
 夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
 心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
 褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
 こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
 ある夜、こんな夢を見た。  ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。  あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
 あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
 眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
 わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
 いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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ophelia333k · 11 months
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2023年6月08日 離人症の天使、青く青く青く青い
 「午後三時、砂糖がけのウェブ」に「怒ることと、曖昧な当事者性」という記事を寄稿しています。読み直して思ったのは、自分にも怒りのような何かはあるのかもしれないけれど、エネルギーの向きが内向きすぎて「怒り」という形を取らないのかもしれない、ということ(「怒り」というのは外側に向かっていく力でしかありえないから)。
 ***
 久しぶりに心療内科(メンタルクリニック)に行って、ストラテラ(アトモキセチン)をもらった。以前通っていたところは、保険証やマイナンバーカードなど身分証すべてをなくして再発行できないままだったことに加え、何となくそこの先生も好きではなかったのでずっと行かなくなっていて、最近になって保険証を取り戻したので行けるようになった。
 今回のところは前に通っていたところよりも大規模で、入ったら待合室に数十人くらいの人が詰め込まれていた。いくつかの部屋に先生がいるようで、人が次々と呼ばれていく。自分は初診だったこともあって木の絵を描かされたりしていた。(初診であることも関係しているだろうけど)2時間近く待たされていて、その間、床にある大理石の、水面に絵の具を落としたあと混ざりあっていくときの渦みたいな曖昧な模様を眺めていた。
 今回の先生は女医で、やわらかい雰囲気を感じた。いわゆる臨床心理士ではない精神科医の人は硬くてこちらから何かを言い出しにくい雰囲気の人が多い気がするので、ベタに安心してしまった(一応精神科医の側に立つのなら、単純に、次々と患者を相手して薬を出していく作業になるから、作業的、事務的に接することにはなって、それゆえというのはあると思う)。
 でも、昔WAISの検査をやってくれた若い男性の臨床心理士さんの雰囲気はやわらかいものだったと思う。検査が終わったあとにどうすればいいのか分からずあたふたしていたら、「〇〇さんはこういうときの終わらせ方が分からないんだよね」と(悪い意味ではなくて)言われた記憶。
 薬については、アトモキセチンを80mgくらいにしたあと、様子を見てコンサータ登録してもいいかも、と言われた。事前にかなり検査(といっても自己診断みたいなやつだけど)をやらされた結果として、鬱の傾向も高めではあるけど閾値に達するほどではなくて、ADHD主体の治療でいいですか? と聞かれてはい、と答えた。描いた木のことも少しだけ言われたけれど、ネタバレ(?)みたいになるからここには書かないでおこうかな。
 薬局に行ったら一時間待ちだし、診療自体もけっこう待ったので、USJもしくはディズニーランドくらいの待ち時間。
 最近、部屋にまだ残っているものを売って所持金を0円(実際には240円くらい)から9000円くらいにしたのに、検査代込みで5600円+薬代(1000円くらい)を取られてまた厳しくなっている。
 ***
 韻踏み夫の『日本語ラップ名盤100』を読んで、KOHHのアルバム『DIRT』を聴いたら、かなりよかった。基本的にトラップはあまり好きじゃないはずなのに、こんなにも刺さるとは思っていなかった。
仲間とドラッグをやったり遊んだり、というノリがありながらも、その根底に絶対的な孤独みたいなものがあって、その揺るぎない感じ。単純なフレーズの反復の中に、意識の深いところが一瞬だけ垣間見えるような気がする。
 音楽の話をすると、大森靖子の『音楽を捨てよ、そして音楽へ』の弾き語りをやっていたのと、未来電波基地の『知之者不如好之者、好之者不如楽之者』の間奏のリフがずっと頭の中で響いている。
 ***
 小泉義之の「あたらしい狂気の歴史 精神病理の哲学」を読んでいたら、第八章が『狂気を経験する勇気――木村敏の離人症論に寄せて』という離人症についての論考だった。
 まず引用されるのは、丹生谷貴志の「離人症の光学」。
〈離人症は生きられるものとしての世界から弾き出され、薄い皮膜によって世界-事件の外部に隔離されてある状態であるだろう。生きられるものとしての世界から隔離された者にとって自身及び世界は直接的な時間を伴わない空虚に閉ざされる。そしてしかし逆にその者にとって、生きられたものとしての熱気を奪われた世界は、ちょうど冷ややかに観戦されるボクシングの試合のように、謎のない透明さと、如何に複雑な絡み合い迷いに満たされているように見えても、究極的には単純な解析可能の動態として見透かされる。離人症者は生きてある実感の喪失と引き換えに、奇妙な透視、空虚な神の透視の能力を付与される〉
 丹生谷はそこから始めて、それを団塊の世代とその直後の世代の対比に用いる。「つまりすべてを生きられた現実としてではなく、眺めらるもの、外的に透視し整理し解析するという場で教育」された結果、「離人症者」として教育学的に生みだされた世代(更にそのあとの世代である私たちはどうなのだろう?)
 そこには戦争の問題も関わってはいて、大袈裟に言えば「離人症」という実存への先天的な無能力を資質として生み出された、ということになる。
 そのあとの話も面白かった
〈同じく哲学的に覚醒しながら、離人症者は苦しみ、学者は苦しまず、むしろ喜ぶ〉(p206)
〈このように、事故の存在の真理に関して、離人症者はまさに学者のネガになる。学者は、離人症者をネガとすることによってポジティブな真理を述べる〉(p203)
 自分は「学者」に対して感じているずれは、自分が「離人症者」の側なのかもしれない、とも思う。
 あと、それとは遠い話として、神様が離人症であることについて想像している。もしも神様が存在するのなら、離人症によって朝から晩まで苦しんでいてほしい。きっと、そうなる。あるいは天使。
 ***
 新しくもらったアトモキセチンは日医工の青く青く青く青いカプセルで、その効果がどれくらいかはともかく、食欲に関しては飲んだその日からほとんどなくなった。そして、とにかく喉が渇く。
 食欲がなくなることは自分にとって必ずしも悪いことではなくて、あの青いカプセルで食欲が失われることを生かして、食のことを一切気にせずに本を読んだり音楽を聴き続けることができる。
 前回のメンタルクリニックではWAISの結果を重視してADHD傾向を判断していたけれど、今回のところはWAISとかはなく、質問紙的な検査をひたすら受けるという感じだったので、病院によって診断法はわりと異なっているんだな、と思った。客観的でないと言えば客観的でなくて。将来的にはたとえば脳という物質的なものから判断することも可能となるのだろうけれど、「真なるADHD」みたいなものを考えることに意味があるのかもよく分からない。「真なる離人症」みたいなものを考えることにも。精神なんていう訳のわからないものが相手なのだから。
 ***
 最後の話。市川沙央の小説『ハンチバック』を読みたい。文藝界新人賞、5月号。
  ***
 自分にとっての、この世界に対する図
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rize113 · 1 year
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Fairlady 1
 顔馴染みの従業員たちに軽く挨拶を終え、店の裏口から出る。
 十一月の肌寒い空気に、コートの前を気持ち閉め直しながら敷地内を歩いていると、駐車場に見知らぬ車が停まっている事に気が付いた。
 車に興味のない俺にはわからないが、傍目に見てもきちんと手入れがされているのだろう黒い車が電柱の光を反射している様は威圧感がある。
 そしてその傍ら、見知った長身の男が車にもたれかかって煙草を吸っている。彼は煙草を咥えたままじっと電灯の方を見つめていた。
「真秀さん…………お疲れ様、です」
 俺は男――睦門真秀に声をかけた。
 無視してそのまま帰っても良かったが、明日の朝の自分は無視した事を気に病むのだろう。声をかけた方が遥かにマシだ。
 睦門は「んーー……」と気の抜けた返事をした。視線はまだ電灯を見ており、煙草も咥えたままだった。
 何があったのかはしれないが珍しく白衣を着ておらず、黒い薄手のタートルネックセーターに黒のジャケットを羽織っているせいで余計に背丈が高く……スタイルが良く見えた。
「……虫数えてます?」
 当てずっぽうで尋ねると、やっと彼と目が合った。
 彼はポケットに突っ込んでいた左手で煙草を持ち、長く煙を吐いた。
「十五匹まで数えてわからなくなった」
「声掛けたからですか?」
「いやぁ……なんか、増えたり減ったりするからどうでも良くなってきて」
「暇なんですね」
「全然暇じゃないの知ってる癖に」
 睦門はけらけらと何時ものように笑い声をあげて、吸い終わった煙草をアスファルトにぽいと投げ靴底で火を消した。吸殻を拾う気配は一切無い。仕方なく俺はそれを拾い少し離れた場所にある従業員用の灰皿に捨てた。
「えらいえらい」
「犬扱いしないで貰えます?」
「猫可愛がりしてるだけだぞ?」
 戻ってきた俺の頭を睦門は撫でようとしたが、その手をそっと払い除ける。ふわと煙草の匂いがした。
「……あー……もう行って良いですか?」
「ん、帰るんなら送ってこうか?」
 睦門はそう言って車を指差した。
 一瞬、逡巡する。
 終電のないこの時間に自宅のマンションまで帰るにはタクシーを呼ぶ必要がある。高天から「仕事で来たのだから直帰する際も経費で落として良い」と許可を得ているので金銭面での心配はしていないが、この店の周りにはタクシーがいない為、ここまで呼ぶか、俺が駅前まで移動しなくてはならない。
 普段なら今すぐこの場で、ありがたく首を縦に振っていたことだろう。
 その上でそれをしないのは……運転手の技量が測れないせいだ。
 正直な話、睦門という人間に対してまともに車が運転出来るイメージが全くない。
 俺は率直に問いかけた。
「真秀さんって車の運転できるんですか?」
「できるからここに居るんだがなぁ」
「いや、運転手の方��かいらっしゃるのかなと、割と普段そうじゃないですかうちの会社」
「悠仁じゃあるまいし」
「あー…………はい」
「で? ガソリン経費で落とすから別に気にしなくていいぞ」
「その経費の計算するの俺ですよね」
「んはは」
 今日も睦門は機嫌が良さそうで、頻繁に声を上げて笑った。
 乗るかどうか決めあぐねていると助手席のドアが開けられ、俺は悩むことを諦め「お邪魔します」と断りを入れてからシートに着くことにする。
 エンジンがかけっぱなしだったのだろう。思っていたより中は暖かかったのでシートベルトをつける前にコートを脱いだ。
 彼の研究室と違い、車内は綺麗に片付いている。
 黒いケースに入った箱ティッシュとドリンクホルダーの缶コーヒーぐらいか、その他には何一つ私物が見当たらない。やれば片付けができるはずなのになぜこの人は自分の部屋を片付けないのだろうかと心底不思議に思った。
 ばん、とドアが閉まる大きな音で気がついて横を見るといつの間にやら、運転席に睦門が座っていた。助手席に座ること自体久しぶりで忘れていたが思ったよりも距離が近く感じる。
 最近俺は、この人が伏し目がちに何かを考えている時の横顔を好いていることに気がついた。今もそんな顔をしてカーステレオを操作している。何が楽しいのか口元がにやけていた。
「何かいいことでもあったんですか?」
「……何か?」
「いや、今日は真秀さん、ご機嫌だなって思って」
「ゴキゲンって言われると脳天気そうで癪に障るな。まぁ……そうだな、いいことは……あったよ」
 そう言うと睦門はステレオの操作を止め、車を発進させた。特にステレオから何かが流れてくるわけでもなかったので「この人は何をあんなに操作していたのだろう」と思った。
 助手席から外を見るとほとんどの窓は電気が消え、ぽつりぽつりと立った電柱の光だけが窓を横切っていく。
 時折信号で止まったり交差点を曲がったりしてわかったことだが、睦門は想像していたよりもずっと丁寧な運転をする人だった。法定速度も一時停止も守っているらしく、特段大きく揺れることもないので、俺は暖かな車内でのんびりと運ばれる感覚だけを味わっていた。
「真秀さんって、運転上手いんですね」
 車が動く音だけが聞こえる今の状況が少し気まずくて、俺は口を開く。
「なんか、絶叫マシンとか好きなタイプだろうし運転荒そうだなって思ってたんですけど」
「あはは、今すぐここで外に放り出されたいか」
「別に、タクシー呼ぶんでいいですよ。あと高天さんに明日いいつけます。真秀さんが夜中俺のこと車から追い出してそのまま置いてったって」
「あーーそれは……悠仁に怒られるなぁ」
 睦門は「冗談が通じないなぁ」と苦笑した。「やりかねないでしょう」と返し、俺も笑った。
「ま、通勤に使ってるからな、多少慣れはするだろうなぁ……」
「車通勤なんですか……っていうか真秀さんあそこに住んでるんだと思ってたんですけど」
 何度か足を運んだことがあるが、睦門の研究室は夥しい量の資料や機材の他に一通りの生活家電が揃っていたように思う。そもそも俺は彼の口から自宅の話を聞いた記憶自体が無かった。
「実際月の半分くらいは研究室に篭ってるかもな。前は悠仁のところに行ったり研究室に行ったりしないといけなかったからもっと家に帰ってたけど……累のお陰で研究に集中できるから」
「いや、家には帰りましょうよ」
「なんか面倒なんだよな……俺も悠仁のとこに住もうかな。行き来楽になるし、経過観察するのも楽だろうし」
「今も半分くらい住んでません?」
「んーだから、もう半分も住んだら行き来する場所が減って楽だなって話」
 何度目かの信号で再び車が止まる。それに合わせてか、なんとなく会話も途切れた。
 ふと景色の中に見慣れたコンビニの灯りを見つけ、いつの間にか自宅の近くまで来ていたことに気付く。ここの交差点って信号変わるまで長いんだよな、と思う。
「…………」
 ふと隣を見ると睦門は暇そうに両手をハンドルの上に乗せていた。人差し指がコツコツと規則正しくハンドルを叩き、視線は信号機を見ている。秒数でも数えているのだろう。
「累ぇ」
 彼は真っ赤に光っている信号機を見ながら俺を呼んだ。
「……ドライブ、したくないか?」
 そうして、さも今しがた思いついたようにそう呟く。
 明日は休みだから、家に着いたら遅い夕食をとって、その後湯船にでも浸かりながら映画を見ようと思っていた。まぁそんな予定はあってないようなものだけど。
 もうすぐこの信号が青になって、そうすると数分もせずに家に着くのだろう。
 だとすると、それはなんというか、少し勿体ないような、気がする。
「いいですよ」
 俺が答えて間も無く、信号が青に変わる。車の走り出しはとても静かだった。
「晩御飯食べてないから、途中でコンビニ寄ってください」
 睦門は「ん」と短く返事をした。
 自宅のマンションから漏れる光が他の景色と一緒に窓の外を流れていく。
「真秀さん」
「……ん?」
「晩御飯奢ってよ」
 なんとなく甘えてみる。
「いいぞ」と言った彼の横顔はまだ口元が綻んでいて、なんだかやっぱり機嫌がよさそうだった。
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hummingintherain · 2 years
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頭を使いたくない疑惑 2022/05/20-2022/05/26
 5月20日(金)
 本が間に合わない。いろいろと間に合わせられない。
 5月21日(土)
 最近は夢をよく見る。今日はジャニーズと会う夢だった。職場の人がKing&Princeをこよなく応援しているのだけれども、その話をよく聞いたせいなのかついに夢にKing&Princeのメンバーが出てきた。しかしよく話に出てくる、つまりは彼女が推している永瀬くんではなくて岸くんが出てきた。岸くんも話には出るのだがなぜかあまり好かれてはいない。岸くんとくん付けをしているけれども彼女は岸と呼び捨てにしているし、永瀬くんと書いたけれども彼女は廉くんと呼んでいる。なので私も永瀬廉くんを廉くんと呼んでいるけれども、廉くんは出なかった。岸くんのことは岸とはとても呼べず岸くんと呼んでいる。ざっくばらんな話を岸くんとしていた。その内容は覚えていない。ただ、話の中で、うちの職場の同僚がキンプリ好きなんですけど廉くん推しなんですよね、ということを伝えていた。言う必要のない余計なことを言っているなと後から思ったけれど、きっとそれを言っても大丈夫な相手だと判断して口を滑らせていた。懐の広さに甘えていた。お酒を飲んでいた。現実だったら眩しく��直視できないけど、夢だった。
 それにしても永瀬廉、ながせれん、という字面が、物語の主人公というか、少女漫画の恋愛シーンのお相手役というか、片思い相手というか、最終的には両思いになるような、つまりは漫画やゲームのようなかっこよすぎる名前だなといつも思う。苗字も含めて。ながせれん。長瀬とかではなくて、永瀬であるあたりもなんだかくすぐられる。なにしろ永遠の永。決して永瀬が上位という話ではなく、字面からの印象としてかっこいいなと思うだけなのだけれど、永瀬廉、なんだか設定を盛りすぎた名前に、顔までしっかりとかっこいい。そんな彼が表紙になったananを買ってきては「見てるだけで妊娠しそう」と笑いながら言っているのを少々ぎょっとしつつもジョークに同調して笑って見ているのだった。ネットスラング由来かと思っていた言葉が、普段の会話の中で出てくるとぎょっとする。
 最近、主にネットでとてもカジュアルに使われている、普段の生活であれば聞き慣れない言葉、冷静に意味を調べてみるとけっこうとんでもない意味を含んでいたりする言葉でありながら、にこにこと(恐らくは)悪気なく使われているのを目にするとなんだかなあという気持ちになったりする。でも、過激だと思う言葉が、他人にとってはそうでもないというハードルの差は確かに存在する。それは価値観の差であり、環境の違いでもあり、慣れでもあるし、また時代の流れによっても変わっていくんだろう。いちいち反応するのも過敏なような、そうはいっても個人的には注意深くありたいとも思う。  それはそれとして、夢に出てきたのは岸くんだった。でもキンプリに特別好意的な印象を持ち合わせていないから、極端に夢の中で盛り上がることもなかった。ただただ話していた。ただただ話せるような関係値をその場でつくろえるはずもないのだけれど、夢の中ではただただ話していた。そのほとんどを覚えていない。きっとどうでもいいことをずっとだべっていたのだろう。全部夢の中に消えた。起きてからネットで検索して岸くんの写真をみたけれど、その顔がほんとうに夢の中の岸くんと合致していたのかもよくわからない。ただ夢の中での岸くんをみて岸くんだと思った。あの人はほんとうに岸くんだったのだろうか。確かめるすべももうない。
 5月22日(日)
 歯医者の定期メンテナンスへ行った。治療をしている間は、治療とは別で一ヶ月に一度行うらしい。さすがに何度も顔を合わせている歯科衛生士なので、だんだんとやりとりにも慣れていく。今、虫歯治療のため仮の詰め物をしている部分だけ磨き残しが多いらしく、そこを重点的にもう少し頑張りましょうと言われる。頻繁なメンテナンスに、歯の隙間からぷうぷうと漏れ出る文句がなかなか止まらないまま歯を磨く日々だったけれども、そもそも長いこと定期検診にも行っていなかった、虫歯もたくさんできていた不良人なのだから、この処遇は致し方なしと反省が上回ってくる。  どうにかコピ本ができあがる。目標の日程には間に合わなかったけれども、週明けには郵送できそうだ。本を作るのはしばらく休みたい、と前にも書いたような覚えがあるけれども、今度こそしばし考えない方向でいたい思いあり。
 散歩をしている時に思うのは、過去から未来へと流れる時間の感覚は歩行の感覚から来ているのではないかということです。歩いた距離と太陽の位置の推移は否が応でも時間が先に進んでいることを感じさせます。歩行による距離の感覚はそのまま時間の感覚となります。また目的地への歩行には寄り道も含まれます。私は寄り道が大好きです。寄り道には直線的な時間の感覚を狂わせる働きがありますね。 「時」といいますと、一定方向への流れをイメージしますが、もし「時」が「解く」と同じ仲間の言葉だとするならば、むしろ一定の流れからはぐれることのほうが、より本質的な時間なのかもしれません。寄り道をすること。さまようこと。(『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』小津夜景 須藤岳史 P.75 素粒社)
 5月23日(月)
 Youtubeやラジオの垂れ流しを、特に手を動かすこともせず延々とやってしまう、Youtubeの場合であれば映像をずっと観てしまうというような事態が続いている。日曜になると通知で一日平均の画面表示時間を報せてくれるのだけれど、さすがにあまりにも問題だと危機感を覚えていて、そもそもなぜついつい観てしまうのかを考えた時に、頭を使いたくないのではないか? という仮説に至る。
 何を最近熱心に観ているかというと、何故かスマブラ関連の動画を観ているのだった。別のゲーム実況を観ていたらたまたまプロゲーマーのスマブラ配信の切り抜き動画だとか対談だとかが出てきて、急に観るようになったのだった。私はアクションゲームが苦手なのでスマブラなんて全然できないし、既に発売から三年くらいは経っているであろうSwitch版は購入してもいない。だからスマブラプレイヤーたちのスマブラ関連の話の八割くらい、技名や入力コマンドのような基本的な部分ですらちゃんと理解できていないような状態なのに、昔から切磋琢磨して関係性を育んでいるのだろうプレイヤーたちの対戦の様子なりお喋りなり大会の雰囲気なりを何故か延々と観てしまうのだった。格闘ゲームならではなのか、対戦内容がスピーディでライトな感覚でもなんだか楽しめるし、出ているキャラクターも慣れ親しんだ者たちだからというのもあるけれど、仲良い人たちがわちゃわちゃと話す空気感や、対戦ゲームならではの火花迸る雰囲気が面白い、と感じていて、とはいえゲームそのものを熱心にプレイしているわけでもないのに自分の時間の大半を奪われていくほど熱中しているのは一体なんなのかとなると、総括して頭を使いたくないからではないか、となるのだった。楽しめるものは多いに越したことはないけれども、理由が危機的なもので、こわい。文章は進まない、読書もなんだか全然できない、映像に没頭しゲームなら熱中する、脳をまともに使っている感覚がない、ひたすらに膨大な情報の波を受容し、だらけたままで時間をむさぼり眠り朝目を覚まし仕事へ行く。仕事では脳をフル稼働させているつもりなのだけれど、その反動で何もしたくないのかもしれない。ただぼんやりと生きてどうにかなっているならそれに甘えていたいような。自分自身の生産性のなさには目の前がくらくらする。それなのについ対戦会の配信を観てしまう。スポーツ観戦と同じ感覚で観てしまう。心の中で応援とかしてしまう。それ自体は悪いことじゃない。けれどもほどほどにしないと、歯止めがきかない。簡単にのめりこんでしまうスマホ中毒の闇が深い。
 文章を書いている間は、映像による視覚的な影響は勿論のこと、ラジオや歌のような明確な言語も邪魔なので、こうやって書いていれば少なくとも動画の邪念からは逃れられる。筆が乗ればそのまま邪念を忘れて熱中できる。けれどもどうにも筆が乗らない時もある。そういうときには誘惑が脳を何度も横切る。今は強い自制心もあるせいか、とにかく目の前の、今、この『朝の記録』にぶつかっていて、忘れていられる。そうするとすこし安心する。この安心感を刷り込ませるように、書いている。自分に対する躾けのようだ。トイレをうまくできたら褒めるような、おやつをあげるような。
 あえて頭を使うように仕向けないと、すぐに怠けてしまう。ただでさえ、ズボラな性格をしているのだから。
 5月24日(火)
 今日は休みなので作業と歯医者。型取りをした部分が完成して填め込まれる予定。歯医者通院を終えるまでの道のりがまだまだ長い。歯との付き合いは一生もの、治療費のためにも稼がねばならない。それから昨日通勤の際に投稿しようとしていた依託のコピ本荷物を、うっかり忘れてしまったので、今日こそは出しにいかなければならない。
 5月25日(水)
 先日出産した友人のところに顔を出しにいくがてら出産祝を渡すために、デパートの子供用品売り場へと向かった。子供服にしろ、おもちゃにしろ、小さな子が扱うためにつくろわれた小さきものたちがどんなものでも可愛らしく、心の膜がとろけていくようだった。存在そのものが祝福に包まれているような、淡く白い優しさや希望にくるまれた空気感。内側にめくるめくときめきを自覚した。
 結婚祝は何人か送ったけれども、出産祝は今回が初めてだった。年齢を重ね、結婚に次いで子供が生まれたという話を人伝に聞くことはあっても、関係の近しい人の出産は初だった。一体どんなものが良いのだろうと、ネットで軽く下調べをしてきても、いざたくさんの小さきものたちを目の当たりにすると、よくわからなくなっていく。出産祝で検索して上位にあがってくるようなサイトには、それはもう天使のような赤ちゃんの写真がいくつも載っていて、かれらはギフトに贈られるような上等な洋服を着ている。子供は成長が早いから、服を贈ってもすぐに使えなくなってしまうのだから勿体ないと思っていたのだけれど、売り場に一番多く並んでいるのは服なわけなので、なるほどこれは贈りたくなるのも選びたくなる気持ちもわかり納得した。けれど服のセンスは欠けているし、産まれる前に、特に新生児の段階で必要になるものは用意してあるだろうし、結局どこかで勿体ないという気持ちを捨てきれず売り場のお姉さんに長く使えるものはどれかと尋ねる。悶々と迷って結局恐らくは無難なよだれかけとポンチョになるような可愛らしいバスタオルとを買っていった。
 繁華街を歩いていると、修学旅行生が多く観られる風景が戻ってきた。白く清潔な制服を着て、男女合わせて五、六人くらいで歩いている姿や、ぞろぞろと一クラス分くらいの列を成した団体行動。もうほとんど以前と同じような光景が戻っていて、違うといえばマスクをつけているくらいで、二年ほど前の閑散としてほとんど人がいなかった頃の光景がきっとどんどん薄れていく。けれど二年ほど前にはここに来れなかった空白の学生たちもいて、初めから奪われた不在の光景がかつてあって、手放しに良かったね、と祝福するのになんだか難しさを感じつつ、やっぱり良かったな、と思う。
 横断歩道を渡っているときに目に入った、きっとこの子たちは地元の子たちだろうな、という制服の、四人で下校しているだろう女の子たちの中には一人、ズボンの制服を着ている子がいた。白い夏服のブラウスにスカートを着た三人と、ブレザーの上着まで着たその子は外見としてはとても暑そうだったので余計に目を引いた。女子はスカート、男子はズボン、という制服の垣根がすこしずつ溶けていっている。その子が単純にスカートが嫌だからズボンにしたのか、もっと深い理由があってズボンにしたのかはわからないけれども、暑い夏日でもあった昨日ですら上着を着ていたくらいだから、なにかそう単純でない理由もあるのかもしれない。かれらとすれちがう。二人ずつで前後にわかれた子たち。後ろ側に消えていく。
 制服の子をみて、眩しいなあ、と思うようになって、出産祝とか結婚祝とか、なにかと贈りものを用意することも増えて、なんだか順当に年を重ねているとちゃんと自覚した瞬間が増えた。
 5月26日(木)
 今日は気圧が低下し、雨が降る、それも雷雨との予報あり、しかし朝の陽射しは強く眩しい。時折、強い夏を感じさせる厳しい光がカーテンの遮蔽も突き抜けていき、窓を開けなければ湿気と共に部屋の温度はすぐにこもってしまう。夕方の雲は、もうとうに寒い時期を彷彿させる羊の群や鱗がびっしりと覆い尽くすようなものではなくなって、おおらかな様相をしている。やがてもっと夏が進んでいったら、厚みを増した積乱雲や、強く青い影の印象的な雲が、遠ざかったばしょで佇むようになるのだろう。しかしそうはいっても、もう五月も終盤。あと一週間もすれば六月。既に湿気は梅雨を思わせている。ひとたびしばらく昼間の外を歩けば、たとえ日が差していなくともじんわりと汗が額に滲む。昨日もまた、夕方のシフトの交代時、先輩がぱたぱたと服を揺らして暑い暑いと嘆いた。その時私はまだ外に出かける仕事があったので、自転車を走らせて目的地と職場を往復している間に、走り抜ける風ではどうにもならない汗が吹き出していた。
 ネットの広告に掲載されているネット漫画を読む機会は少ないのだけれども、気の迷いのようなものである漫画の無料公開分の八話分ほどを読んだ。ジャンルとしてはティーンズラブに属するもので、貧しい子供時代をおくり学歴コンプレックスをもつ美人な女性主人公と、彼女の住む古いアパートの隣の部屋に住み始めた端麗な男性の御曹司を中心とした物語。漫画は漫画、創作は創作として楽しめばいいのに、どうにも随所に微妙な現実的な生々しさがある一方で(高卒・大卒の差であったり、お金の話であったり)、主人公があからさまに隙だらけであったり、女性と男性の部屋のベランダの間の壁に大きな穴が開いてしまったまま放置していたり、ツッコミどころも多い。この主人公、仕事は確実にこなせるし、弟には大学に行って欲しいからと懸命に働く姿がしっかり者の印象もあたえるのに、なぜこんなに無防備なんだと読みながらもやもやしてしまうのだった。しかもこのお相手となる男性の方はどうも、過剰な執着、ストーカー気質の人間らしく、だからこそ余計にこの主人公が心配でならない。無料公開分しか読んでいない、ただ布団の中で暇を潰しただけのような時間ではあったのだけれども、この、創作は創作として割り切らずに現実的なフィルターを通して読んで、安易に楽しめなくなったところもたくさんあるんだろうと思う。それはこのネット漫画に対してだけではなく、あらゆる物語について。そうすると、自分の作ろうとしているものも、余分に考えこむ。現実的なものが面白いというわけではないのに。
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jaguarmen99 · 2 years
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743 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:22/09/13(火) 11:38:42 ID:2S.kz.L1粉瘤について書いていた人がいたので思い出した私の衝撃体験。病気の描写が苦手な人はご注意下さい。私の父は宗教にかぶれていて、医者=悪、薬=毒の教えの元、家族がどんな病気���かかろうとも病院に連れて行くことがなかった。小5ぐらいの頃、学校で鼻風邪が流行り感染。高い熱が出て抗生物質を飲んでも治るのに一週間はかかると��が話しているほど質の悪い風邪だったのに、父は当然医者に連れて行ってはくれなかった。熱は常に38度を超えて40度を超えるときもあり、真冬に体が燃えるほど熱くて痛くて、親が仕事で居ない間、苦しみのあまり無意識に風呂場で冷水を浴びて体の熱を抑えようとしていた。そんなことをしてたから当然こじらせた。発病からずっと鼻から喉にかけて痛くて、血まじりの鼻水と痰が出てたんだけど、だんだんと鼻の奥に何かが詰まったような違和感ができ始めた。それが日増しにどんどん増して、違和感を通り越して痛みにまでなっていた。鼻は吐いても吸ってもミリも空気が通らず、やりすぎて耳まで痛めた。学校を休む日が2週目に入った頃、友達が大勢で見舞いに来てくれた。鼻詰まりのせいか声も出なくなってて、私は筆談してたんだけど、その時に鼻の違和感について相談。そしたら誰かが「それ掃除機で吸えばいい」と言い、その子が家で実践している方法で掃除機を鼻に当ててスイッチオン。しばらくは何事もなかったけど、掃除機をあて続けると鼻の奥で何かが動くような感覚があった。掃除機の吸引力が落ちないようにテープで口を半分にしてみたり当て方を変えてみたりしながら、掃除機に吸われている状態で思いっきり鼻を噛む動作をしたら鼻の奥からスポーン!!!とSサイズの卵ほどもある塊が出てきた。どうやって鼻から出てきたのかわからないくらい大きかったし、鼻が裂けたかと思うくらい痛かった。ここから汚い描写注意塊はゴムみたいに弾力性があってそこそこ固く、ベースは鼻くそみたいな緑色のブツで、固まった血液が血管の筋みたいにまとわりついており、ところどころうっすら紫(血液のせいかな)、一部卵の白身みたいなのもついていた。初見の感想は産みたてのエイリアンの卵。皆あまりのブツにフリーズしたあと、騒ぐこともなく「それ捨てたほうがいいと思う」と誰かが冷静に突っ込んで、ティッシュで厳重に包んでゴミ箱にダンクした。取れたあとは鼻がスースー通ると同時に、鼻の奥にぽっかり空洞ができてしまった感覚があった。それから私の蓄膿生活が始まるとは夢にも思わなかったが・・・。翌日、学校では私がエイリアンに寄生されて鼻から卵をうんだと囁かれてたらしいが、見舞い時の私があまりに弱ってたからそれをネタに弄るようなことはされなかったのが幸い。エイリアンの卵がとれてからは鼻の痛みも和らいで、熱もその日からどんどん下がっていった。エイリアンの卵がとれてから5日後くらいにまた鼻の奥に何かが溜まってきた気配があって、強めに鼻をかむと小規模の出来かけエイリアンの卵みたいなのがとれた。ねばーっとした鼻水と鼻くそと血の混合物が混ざってゼリー状になってた。これが固まって肥大化するとエイリアンの卵になるのか、と1人感心してた。結局あんな酷い鼻風邪は人生で一度きりなので、それ以降エイリアンの卵が出来たことはないんだけど、エイリアンの卵の医学的な正式名称がよくわからなくて、耳鼻咽喉科でレントゲンとって「片鼻だけ大きな袋ができちゃってますけど」みたいに言われた時に「昔そこにエイリアンの卵が・・・」と答えたら、素で「は?」と言われて結構傷ついた。なんて言えばお医者さんに伝わったんだろうか。いまだに謎。その時トータル20日は寝込んでたんだけど、医者にその話をしたら頭に菌が入って障害児になっててもおかしくないと言われたのが一番怖かった。744 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:22/09/13(火) 11:57:45 ID:Ob.ro.L1>>743どこかで蛹化前の芋虫みたいな大きさのものが出てきたと言うのを読んだことがあるけど鶏卵サイズはすごいね鼻ピッコロの称号を捧げたい>>その時トータル20日は寝込んでたんだけど、医者にその話をしたら頭に菌が入って障害児になっててもおかしくないと言われたのが一番怖かった。掃除機の友人は恩人だね医療行為を否定する宗教は邪教だと思う745 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:22/09/13(火) 12:52:07 ID:ko.kz.L1>>744父は医療行為否定しながら55年生きてきたのに、脳梗塞になったとき自分で秒で救急車呼んだよー。医者は悪だから健康診断で毎年コレステロールの高さを指摘されてたのに、医者の言うことは信じないって家族の分まで肉食べ続けての脳梗塞だしすごい宗教だわ。コロナ前だから面会もできたんだけど、医者の説明ですぐに手術できる状態じゃなかったらしく、頭が痛い状態をそのまま放置されてたんだけど、面会というか必要なもの持ってきた私と母に「薬!早く薬もってこい!痛み止めの薬!医者に今すぐ手術しろと言え!医者はどこた!さっさと手術しろ!」とキレ倒した。私が障害児になりかけるくらいの病気したり、母が肺炎で呼吸困難になって外で倒れても救急車呼ぶなと騒いでたのに、自分の身に振りかかったら家族の命よりも優先した宗教の教えそっちのけ、脳梗塞すら耐えられないらしい。宗教の教義に反したのに未だに宗教にすがりついてるよ。母は離婚して私達子どもたちもとっくに自立して離れてるのに、宗教やってれば私達が迎えに来て最後まで看取って葬式は宗教の葬式やって墓参りもずっと続けてもらえると思ってるみたい。宗教やってる本人が宗教やめられないのって、こういう思考にあるのかなーと思ってる。自分の行いがどれだけ非道なものでも、宗教やってれば最後はご都合主義でハッピーエンドと信じてるから一度はまるとやめられないんだろうね。あとはコンコルドの法則のせいかしら。これまで献金した分幸せ得られるまで辞められないみたいな。父の献金した分母が記録とってて離婚のときに趣味で一人で使った分として持ち出してたけど、宗教活動するからと勝手に早期退職して子どもたちには奨学金で高校と大学行かせてたのに家2軒立てられるほど献金してたわ。バブル全盛期に社会人してたから一軒分はそのときに献金した分らしい。バブルってすごい。
続・妄想的日常
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ari0921 · 1 year
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細川先生よりシェア
「対中迷走」のドイツは他山の石 明星大学教授・細川昌彦
細川 昌彦
「日本はアジアのドイツになるな」。長年信頼するワシントンのある外交専門家がつぶやいた忠告だ。ドイツのショルツ首相による訪中が念頭にある。今月4日、習近平国家主席との中独首脳会談が行われた。ドイツの産業界を同行させた訪中で、中国ビジネスを重視する日本の産業界が揺さぶられるのを懸念してのことだ。
ショルツ訪中に内外から批判
今回のショルツ訪中は中国の強い要請によるものだ。中国の狙いは明らかに対中包囲網に風穴を開けることにある。中国の思惑に乗ることに政権内の主要閣僚はこぞって反対したが、ショルツ首相は首相府の取り巻きだけで決断したようだ。ドイツ産業界はエネルギー危機に直面して深刻な事態だ。中国もそうしたドイツの状況を見逃さなかった。
しかし内外からの批判は予想以上であった。欧州連合(EU)は対中依存度を下げる方針を掲げる中でのショルツ訪中を苦々しく見る。米国も「ドイツはエネルギーのロシア依存と同じ轍(てつ)を踏むのか」と手厳しい。
ドイツは批判回避に躍起となった。新疆ウイグル自治区における人権問題や台湾問題にも注文をつけたことをアピールしている。訪中後、ショルツ首相はバイデン米大統領に電話で訪中内容を説明して懸念払拭に必死だ。
ドイツ国内では対中強硬論が勢いを増している。ショルツ訪中だけを見て、「ドイツは対中融和に舵(かじ)を切った」と結論付けるのは短絡的で、実態は迷走している。
例えば、最近、重要インフラであるハンブルク港のターミナルへの中国企業の出資を認めたものの、閣僚の反対で35%の出資比率を25%未満に引き下げて少数株主にとどめた。
さらに今月9日、中国企業による独半導体メーカーの工場買収を安全保障への懸念から拒否する閣議決定を行った。これまでの承認方針を一転して変更したのは、訪中への厳しい批判が背景にあるようだ。
産業界の対中共通認識
産業界の対応も注視すべきだ。中国はドイツ企業を先端技術の入手先として中国市場を武器に取り込みを強める。今回の産業界同行の訪中要請もそうした思惑がある。
しかしドイツ産業界は中国への新規投資に突き進むわけではない。訪中同行の12企業は長年、中国に投資してきた自動車や化学の大企業が中心で、すでに対中依存度が高く、危険水域だ。多くは現状維持をベースに、これまでの経済的利益を確保することに力点を置く。また近年、中国への警戒感から中国市場に新規参入する欧州企業はほとんどない。そこを読み誤ってはならない。
また在中国EU商工会によると、自動車も化学も「技術の線引き」で暗黙の共通認識があって、最先端の技術を出しているわけではないという。最近、対中投資の技術流出リスクについて警鐘を鳴らすリポートも出している。先月、米国が打ち出した新たな対中半導体規制においても「レッドライン(許容できない一線)」が引かれた。製造装置では先端半導体の性能値で線引きして原則不許可にする。半導体以外の戦略分野でもこうしたレッドラインが必要だ。仮に法規制がなくても、業界・企業で共通認識があるかだ。
中国は米国による規制を意識して、今回の会談でも半導体製造装置の投資・輸出を要請したとの情報もある。明らかに中国はドイツ企業を取り込もうとしている。さすがにこれにはショルツ首相は応じなかったようだ。
日本が問われる「距離感」
先般の共産党大会における政治報告でも、習政権の狙いは「国家安全」「自立自強」のための国産化戦略だ。そのために技術入手の標的とする外国企業に秋波を送る。それがドイツと日本だ。もちろん企業にとって中国市場は重要で捨てるわけにはいかない。しかし同時に必要なのは技術のレッドラインを明確にした「中国との距離感」だ。
政府も中国との間合いが問われる。日本も今週以降アジアで開催される国際会議に合わせ、日中首脳会談を行おうとしている。批判を受けたドイツと���って事を慎重に進めるのは当然だ。「岸田内閣は対中融和に流れないか」と、バイデン政権からはドイツと同様に警戒の目で見られているのも事実だ。それが冒頭の忠告にもなる。
中国と対話することだけが目的になってはならない。問題は中身だ。尖閣を巡る安全保障問題、強制的技術移転等の経済問題など、日本が直面している問題はドイツ以上に深刻だ。中国へ厳しく注文をつけるのは当然だ。
ドイツは一方で先進7カ国(G7)の議長国として、覇権主義的な動きを強める中国を議題にして、台湾問題や新疆ウイグル自治区の人権侵害への懸念や中国による経済的威圧に対するG7の協力・連携を主導している。日本は来年のG7議長国として、こうした対中牽制(けんせい)の協調を牽引できるか問われている。(ほそかわ まさひこ)
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目まぐるしい昨日を終えても私は忙しい。
今日はオカルト研究同好会の集まりがあった。
ここでの詳細はいずれ記す事になるであろう。
その為、大幅に割愛させていただく。
ビートスで行われていたオカ研同の集まりを終え愛車で帰宅した。
玄関を開けキッチンに向かうと狼狽えた様子のテレスが居た。
強情な振りを決して辞めないあのテレスがここまで参った表情を浮かべているのもそうそう珍しい。
「どうしたのなにかあった?」
あまり深入りすればテレスの事だから面倒臭そうであるが、こればかりは無視できない。
「ラヴィの野郎から執拗に次回のアポイントを組もうとしてくるんだ。もう二度とあの人誑しなんざに割く時間なんてねえのに一歩返事を間違えれば底無し沼のように連絡が届きそうで嫌なんだ。なんか良い突き放し方の一つや二つあるか?」
「そうね。今のテレスが何をしてもラヴィさんは喜んでしまうと思うけどなあ。逆効果って奴かな。遠ざけようとすればする程、返って近づけかねないわよ。」
「じゃあ尚更身動きが取れないじゃない。無視択一黙り込みを決め込めば現状より悪化しない訳ではないだろう?」
「んー。そうだなあ。匙を投げてしまうようで申し訳ないんだけれど成るように成るんじゃあないと思ってしまっちゃうわ。」
「そりゃねえぜ。もう少し親身にもなってくれよ。」
「親身は荷が重いから姉妹身にならせてよ。んーそうね。幾ら思案したとて結局望まない展開に頭を抱えそうな気がしてならないけどね。どれだけ駆引をしたって悩みは尽きないのだから。一度は思うが儘に返信をしてみたら?」
「とは言っても中々に難しいぞ。経験が無い事を平然とやってのけるなんて。」
「じゃあ貸してみてよ。」
「ちょ、待てよ。」
往年の名台詞が飛び出たが易々と携帯を取り上げてやり取りを開き中身を見る。
都合の良い日取りを尋ねられていた所で会話は終了していた。
わたしはテレスにバイトが無い日を訊き適当に返事を返す。
「おい、勝手な事してんじゃあねえぞ。」
と漸くテレスの声が聞こえて来て携帯を取り上げられてしまった。
テレスは暫しトーク画面を見たまま固まっていた。
禁忌を犯してしまったアダムとイヴを彷彿とさせる程に絶望している。
「お前…これ…もう既読付いてやがる。」
「良いじゃあない。話が進展するわ。何々?見せてご覧なさいよ。」
今度は素直に携帯を渡したテレスの素直さには褒め称えたい。
煌々と光を放つ液晶にはこう記してある。
“せやなァじゃあ3日後の夜とかどうやァ?有無を言わさずに決まりやなァ。”
「良かったじゃあないかしら。面倒なやり取りを省略出来て。」
「面倒なやり取りを省略した所為で面倒な面会が決まったじゃあないか。なんて事してくれるんだ。」
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ただただ流るる出来事を目の当たりにしていたが最悪で災厄で最厄である。
あたしに携帯を返す前に“よろしくね。”とだけ返事を返答して返してきた。
「良かったわね。キッカケが出来て。いいなあ。わたしもそんな突飛な出会いが欲しいものだわあ。」
「そこまでのロマンチズムも感じないしドラマチックなんかでも無い。ただ現実的に男女が出会う過程じゃあない。誇大表現にて劇的にするのはやめてくれるか?」
「それほど憤慨する程の事でも無いかと思うけどなあ。せっかく仲人になってあげたというのに感謝の言葉の一つも無いなんて今度の初デートが思いやられちゃうな。」
「まさかだと思うが恋愛に発展するとでも勘違いしてないだろうな?世迷言も大概にしてほしいわ。」
「緊張からかまともな判断ができていない様に思えるわ。早く寝て頭冷やした方が良いんじゃなあい?」
「はあ。これでは会話にならねえな。あんたの方が粗熱を放出、出来てねえだろ。笑わせるなよ。」
「まあ、随分と怒り心頭な事ね。淑女は落ち着きが大事よ。」
「黙ってろ。」
そう勢い任せに言い捨て自室へと戻った。
怒りを通り越して自暴自棄になってしまっている自分への自己嫌悪でメンタリティと言えば最悪である。
徐にヘッドフォンを取り出してプレイリストを再生し始める。
外界との遮断が一旦の解決方法である。
現実は何ら変わりがないがこの夜を凌げればそれで良い。
歪みの効いたギターサウンドが脳味噌を劈く。
気が付けば朝を迎えていた。
今度はアラームの音が耳を劈く。
気絶に似た寝落ちであろう。
耳元からはヘッドフォンは無くなっていた。
僅かに聞こえる音漏れを頼りに何処にあるのかを探し当てる。
寝相が余り良く無いのもあってかヘッドフォンは枕元から遠く離れた所に位置していた。
手繰り寄せてまた装着する。
プレイリストはこの夜で何巡目なのかは判らないが昨晩の最後の記憶に流れていた音楽と同じ曲が今も流れていた。
今日こそは学校に行かないといけない日だ。
最近はサボり気味であったから今日こそはと思い身支度を始める。
アリスはまだ睡眠に没頭しているのを確認しキッチンを片付ける。
一通り片付けも終えて久しぶりにバイクの鍵を手に取り家を出た。
昨日の鬱憤を晴らすかの様に大きくエンジンを唸らせる。
昨日迄の曇天がフリになっている程、今日の空模様は快晴であった。
大学に到着し何ら特筆すべき事項も起こらないまま授業を終える。
こうして誰とも話さずに帰ろうかと思ったのも束の間肩を強めに叩かれた。
ヘッドフォンを着用しているから音が聞こえないのだ。
こればかりは悪気も無いし致し方ない。
振り返ってみると見た事のない男性が立っていた。
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鈍な身体を起こすのに時間を要したのは言うまでもない。
寝起きの悪さなら一級品だと自負しているが悪気のに迷惑を掛けてしまうからより腹が立つ。
起きるとテレスの姿は無かったが特段不自由な事も無いので芸人ラジオを爆音で流しながら溜まっている家事なりを済ませた。
やる事も無いと居ても立っても居られない性分なのではあるが、いざこうしてゆっくりしているのも悪くは無い。
珈琲でも淹れて、ずっと気になっていた名作映画でも見ようとするか。
プロジェクターを起動してサブスクを接続する。
我ながら極上の余暇を過ごせている事実に思わず頬が綻んでしまう。
至極の映画体験を終えて携帯端末を確認すると40分程前にバイト先の社員に当たるリンカさんからメッセージが届いていた。
「アリス。お休みの所申し訳ない。急遽シフトに穴が開いてしまったから来れるタイミング〜ラストまで穴埋め頼めないかな。」
文面に滲み出る様にリンカさんは物腰の柔らかな中年女性である。
「もー仕方ないですね。すぐに向かいます‼賃金割増でお願いします‼︎」
とだけ返事をし、すぐさま身支度に取り掛かる。
折角のヴァカンスだったのにと思わず文句も出て来る。
でも溜まっていた家事と映画を一本丸まる見れただけ収穫のある元休日を過ごせたのではないかと感じるようにした。
程々にメイクを施し車の鍵を持って地下駐車場まで移動しエンジンを始動させる。
軽快にアクセルを踏み込みバイト先へと向かう。
そういえばバイト先についての説明をしなければならない。
今ではめっきり見なくなった国内最後のアメリカンダイナーチェーン店である日の丸ダイナーで働いている。
日の丸ダイナーは前出したリンカさんの旦那であるエイブラさんの父に当たるジェームさんの更に父であるランクリさんが日本で本格ダイナーの普及を目的に設立した店舗である。
なぜこの職種かと問われれば理由は古いアメリカン映画の中に出てくる世界の追体験が出来るからなのと可愛いカーホップな衣装に惹かれてこのバイト先に応募したまでだ。
あと何よりこの店を推したいのは怪我の暴発の根源であったローラーシューズを撤廃しているのが働き手としては感謝しきれない。
そんな我が店内には現役で稼働するジュークボックスやギラギラネオン。
カウンター席もあるし赤革のソファーのテーブル席だってある。
もし当店にいらして頂けるのであれば私からお薦め出来るメニューはやはり無難なチョイスにはなりますがダブルビーフバーガーと細いポテトのセットにドリンクをシェイクにして頂きたい所だ。
塩味と甘味のバランスと言ったらもう最高ですから。
おっと、話が大きく逸れ過ぎましたね
口語と文語を交互に披露してしまうと読者様に疲労を与えかねないですもの。
謝罪をここで申し上げさせてください。
すみません。
だなんてこんな寄り道をしていたら、あっという間に店先に到着した。
回転数が上がりグルルと唸るエンジンを落ち着かせる様に丁寧に駐車し裏口から入り制服へと着替える。
更衣室でテレスに
「申し訳ないけど急遽バイトラストまでになったから晩御飯は各自で宜しく‼︎」
と連絡しておいた。
厨房は挨拶しデシャップへと向かう。
「ほんと、無理言ってごめんなさいね。助かるわ。」
リンカさんから感謝の意を受け取った。
平日夕方だというのに店内はそれなりに盛況している。
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「え?なんか用でも?人違いなんじゃあ?」
ただでさえ嫌いな学生の責務を全うした後だというのに気分を逆撫でする行為を行った男性に対して増して無愛想に応対した。
「ほらやっぱりテレスじゃん。覚えてない?小中の同級生のギタンだよ。わかる?」
「え?あー確か神馬公園の近くに住んでたりしたっけ?」
「意外と覚えてくれてんじゃん。やるな。何か他にも覚えている事あったりする?」
“やるな”の上から目線には腹が立った。
「小中野球部だったとか?」
「意外とテレスって他人の事、覚えてたんだな。アリスとまるで違うから淡白な奴だと勝手に思ってたわ。」
ヘラヘラ笑いながらギタンはそう言ってのけた。
久しぶりに会う奴等は何奴も此奴も雁首揃えてアリスアリスアリスとばかり言う。
はっきりと言ってもう仲介役には疲れたものだ。
どれだけ他人からの愛を受け取るつもりなんだよ。
「そうだな。じゃあ帰るわ。」
イライラが募りすぎかけたので多少の語気は荒かったかもしれないが今後を過ごす相手でもないのでそこは気にならなかった。
別れの言葉をと思い発した言葉だったが思いもしない返事が返ってきた。
「ちょいちょい待って待って折角やし一緒に帰ろうや。沢山の積もる話もあるやろうしさ。」
「申し訳ないけど一般的な大学生みたいに駅通学してないから。」
「え?何で通ってんの?執事が送迎してくれているとか?」
「いや、普通にバイクだけど。」
「すげー女なのにバイク乗りなんだ。俺、後ろに乗っけてよ。」
「あーもうなんか全部気になってくるな。鮮やかなまでの女性蔑視にバイク乗りよりかはバイカーかライダーが表現的に適しているしお前みたいな奴なんか乗せる訳も乗れる訳ねえだろ。」
「コテンパンじゃん俺。どうやったら乗せてくれる?」
「そうやって自分で考えて行動しないからなんじゃあない?あたしにとっちゃあ知ったこっちゃねえけど。」
「えーもう少し協力的になってくれてもいいじゃん。」
「それはあたしの勝手でしょう?本当に帰るからな。」
じゃあなとギタンに背を向けて駐車場へと向かっている時アリスから連絡が来ていた事に気付く。
“申し訳ないけど急遽バイトラストまでになったから晩御飯は各自で宜しく‼︎”
と来ていたので「じゃあ今日はダイナーで済まそうぜー」と返しておいた。
なんで出会う男共は揃いも揃ってヘラヘラした情けない奴等ばかりなのかと鬱屈な感情を募らせながらもバイクのエンジンを捻り街を爆走して発散する。
帰りは一緒に帰る為バイクを置いてから電車で日の丸ダイナーまで向かわなければならない。
少し回り道をして帰宅し洗濯機を回してからダイナーへと向かう。
カランコロンとドアを開け店内を見回すと中平日だというのにそれなりに人で埋まっていた。
シェイクとポテトフライを注文しアリスの上がりの時間までは大学で出された課題に取り組む事にする。
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frlbmemo · 1 month
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カフェオレと不正アクセス
エンド9の話をしている
ニシくんがカフェオレを使って自分の肉体の記憶を読んでいるのを「不正アクセス」って言われてた事 言葉の意味そのままとるとするとニシくんには(ゲストユーザーレベルにせよ)何らかのアクセス権限があるんだけど それをニシくん/ヒガシくんの別個体が実験者側なのか、もしくは別の理由かで前者はそういう匂わせがあるんだけどミスリードとも取れるし判断つかないので後者で
実験に出てくる食事物品その他、これはおそらく2人の記憶を読んで知覚を弄って再現してる 出てくる食事が完全に記憶と同じ味付けだったりなくなった(燃やした)はずのものと同じものが出てくるの、実際は別のものが出てきて知覚弄って記憶に寄せてるんじゃ? それっぽいものを出して知覚の側をチューニングしてるというか 知覚を弄っている、は地面とか別の実験物でもそういうニュアンスを感じる ニシくんが何度かカメラを疑ってるし入浴スチルでは明らかにレンズというかガラスに水滴がついてるけどカメラを見つけられていないのも知覚を弄られてるのかも 有名な話だけど「味の変わらない老舗のラーメン」で常連が「ここはずっと味が同じ!」と褒めるけど 実際はスープをめちゃくちゃ濃くしていってて、それは味の流行の変遷があるから時代に合わせてるだけ という話で ニシくんもヒガシくんも「記憶と全く同じ味」と言ってるの ちょっと違和感を感じたため知覚の方を弄ってるのかな〜〜〜〜〜   と
ただ、この場合ニシくんは知ってるけどヒガシくんは知らない物や味で2人の間で齟齬があるとまずいのでその辺同調するようにしてるのかもしれない →カフェオレで出てくる子供のニシくんの、ヒガシくんが知ってそうにない情報知ってたので荒唐無稽すぎる話ではない 介入しない程度の参照機能がある? ヒガシくんは物凄く人を見てるのでその情報を整理しただけとも言えるけど 特にヒガシくんは記憶力とそれを再現する描写力があるので誤魔化しきかないのかなあと スケッチブックとペンが適時にしか渡されないのは齟齬をなくすためかもしれないけど。
記憶から再現万能3Dプリンターでもいいけど今出てる描写だとこれじゃないかな〜と思うなどしました。 カフェオレで自他の境界を曖昧にするのってもうはっきり言っちゃうと自己が溶けて消えるのってある意味幸福っちゃ幸福なんですよね。 戻ってこない限り。 ニシくんは自分を頼ってくれるヒガシくんを抱きしめて(ヒガシくん本人はろくに抱きしめられないのに!)死んでしまった妹に自分を兄だと肯定させて ヒガシくんも子供のニシくんと会話して(ただこれはちょっと)自分が殺した猫に許してもらって、両親に愛されて 「幸福の」カフェオレて自分の記憶を参照して肯定するような感じ? 本来そこまでの用途だったのがニシくんが「じゃあこれも出来るはずだ」って自分の履歴を見てしまって問題になったのかな〜〜〜 上手く言語化できない。 知覚をチューニングしたり記憶を流し込んだり消したり、という部分を刺激してなんかこう……してんのかな(ろくろ)
食事が絶対カロリー足りてない、栄養もめちゃくちゃっていうのは凄まじく気になっていて 10日くらい、アプリなら1ヶ月くらいだからいいのか?と思ってたけど 肉体を使いまわしてるなら〜…… 適時オーバーホールはしてると思うけど(オーバーホール???) 味は大きく乖離してなければそれっぽいのを出して栄養満点にしとけばいいのかな 肉体年齢とか戻せるのかな。ラボなら戻せそうな感じするけど…。 まあでも蘇生実験できるレベルの技術力だったらこの辺考えてもしゃーない感じするけど 本題じゃないし
ガスでヒガシくんがおしりの才能がありすぎるの、最初は経験がある→ラボで何度もループしてて肉体に経験がある?まで思ってたけど ニシくんのぶち犯したいという意識に「ニシくんに何でもしてあげたい」という潜在意識から同調してしまったのかな〜と思った
カフェオレの真面目な考え書こうとしてたけどカフェオレの小ニシくんみたら脳が破壊されて何もわからん文章になっちゃった
多分今の僕を捨てたいんだろ 常になのか君の前だけなのか… ここテストに出ます 僕はきっと何かをしたんだろうなぁ したんだねえ〜……ということはあれから敬語なのかな 敬語自体にはヒガシくん違和感もってなかったから小5のあれから敬語にしたんだろうな
ヒガシくん、敬語じゃないニシくんも好き ヒガシくんも何をされたか理解されてないから意味が通じてないけど事実知ったらどうなるんだろう まあ自分見てシコってたくらいは許してくれると思うけど 精液はどうなんですかね ヒガシくんはなんだかんだ許���てくれると思ってるけど………
私は許されたい方が攻の国の民です。
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kennak · 5 months
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当方、お医者さんである。国民民主党の玉木議員の医者の給与を減らせというツイートが昨今話題になっている。その理由は医療に金がかかりすぎ、成長と全体の幸福を損ねているから、らしい。ここに、手っ取り早い解決法を提案したいと思う。国民皆保険制度を廃止すれば良い。国民皆保険制度、そして高額医療制度は非効率な医療サービスのバラマキを行っている。発熱すらしていないコロナ患者に対するラゲブリオや末期肝硬変患者の貧血に対するエリスロポエチン。どうしようもなくボケちまった爺さん婆さんはあめ玉のようにアリセプトを舐めている。大正生まれのご老人に順内と血外の連中がTAVIやらEVAR,TEVARをするせいで、ピンピンコロリへの道筋が絶たれていく。一種の老人病である心アミロイドーシスという病気にタファミジスのような冗談みたいな価格の薬が投与される。PD-1阻害薬なんて薬ができたせいで森○朗が復活してしまい、東京五輪で遺憾無く老害っぷりを発揮したのは記憶に新しい。ヤニカスは年金を受け取る前に早く死んでくれるから財政的にトントンだったのであって、延命してしまえば単なる息の臭い金食い虫だ。糖尿病で腎臓をぶっ壊せば医療費がタダになる上に週3人工透析をする権利が付与される。これは米国だと週2回である。別に週2でも死にはしないのだが、政治家にとっての票田、透析病院にとってのアクティブユーザー数を維持する為に週3となった。そして今後これにレカネマブが加わる。この話を欧米の医者にすると、イかれてんなwどこからその金が出てんの?、と言われる。納税者の財布からである。日銀が円債を引き受け、円の価値を希釈させることでそれを行うこともやっている。世間のイメージとは裏腹で、日本の医療従事者の人件費はとても安い。これは一人当たり医療費支出を見れば明らかだ(4,691ドルでOECD加盟中15位/38位)。上述のような無意味なバラマキをしており、かつ失敗国家のような人口比率であるのにもかかわらず、日本の医療支出は相対的に低い。何故か?それは医療従事者の人件費が安く押さえられているからだ。米国の医者や看護師の給与水準は日本の5〜6倍くらいはある。最近は円安でそれにブーストがかかった。米国の一人あたりGDPが日本の2倍程度であるのを考慮しても、単純計算で3倍もらっていいことになる。しかも、日本は医療サービスを必要とする高齢者の割合が高く、富は高齢者に集中している。その上、日本の人口あたりの医者数は米国の二分の一強しかいない(看護師数は知らん)。自由競争が許されれば、価格はどこまで上げて良いのだろうか?社会主義的な医療制度を採用しているカナダ、オーストラリア、イギリスと比較しても日本の医療従事者の待遇は地を這うような水準だ。この差は、これら国々は費用対効果に見合う医療のみ提供する事より生まれる。そして、費用対効果という言葉は日本で最も忌み嫌われる言葉だ。医は算術ではなく、バラマキなのである。少々話が脱線するが、日本の医療は安いだけでなく、質が良い。看護師の方々の礼節は海外と比較するとびっくりする程だ。大して金を払っていない患者に対して奴隷の如くクソ丁重にもてなす(個人的にやめたほうがいいと思っている)。消化器の先生は海外ではまず不可能であろうESDなどを華麗にこなしてみせる。外科の先生はクソ面倒くさいリンパ節郭清などを毎回丁寧にやってらっしゃる(あれエビデンスあるんすか?)。心外、脳外、婦人科の先生方はキチガイじみた24hオンコールを律儀に請け負っている。ネットに出没する出羽守の方々が海外で稼げなくなってから日本に凱旋するのはまさにこれが理由である。医療が安いだけが理由であったのなら、金が腐るほどある金持ちは海外で医療を受け、そこを終の住処とするだろう。要するに国民皆保険制度は医療従事者を抑圧する制度でもあるということだ。この手の話題では、医業の独占を医者から譲り渡すべきだという議論になりがちがだが、別にそうすればいいと思う。chatGPTの言われた通りに動けば素人でも9割方正解を出せる(残り一割はとんでもなく間違う)。ただ、麻薬とか向精神薬とか抗癌剤など人を殺せる系薬剤の処方権をお譲りするのは難しいと思うし、無免許医が患者に不利益を及ぼした場合、たとえ事前の患者の同意があったとしても殺人罪やら傷害罪が適応されるべきだと思う。じゃないと麻薬密売やら自殺幇助などがはびこるだろう。血圧とか糖尿病の薬程度であれば各々自由にやればいいんじゃないかな。ここら辺も匙加減間違うと死ぬけどね。ネット上では医者が率先して寝たきり患者を量産していることとなっているが、それは嘘だ。寝たきり患者が増えることで得をするのは病院であって、医者ではない(そして、病院にも大した得にならない)。医者が胃瘻やら中心静脈栄養やら喉頭気管分離を行うのは、家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。一度そう言われてしまうと、文字通りできる限りの事をしないと訴訟や医師免許お取り潰し、場合によっては殺人罪を着せられることになる。延命を行わないことのデメリットが甚大である一方で、メリットは皆無なのだ。そんな中でも過去にALS患者を安楽死させようとした医者や、透析を中断させようとさせた医者が過去に居たが、日本人はその行為の是非を議論しようとはせず、彼らは司法やらメディアの袋叩きに逢い、無事死亡した。「寝たきり患者量産」は、国是であり、日本国民の総意なのだ。医療従事者は、低所得者や生活保護者ともっとも交流する職業のうちの一つだ。実際に相手をしてみると解るが、大抵彼らは愚かで、卑しく、救い難い。そんな人々を相手にしたくないし、彼らのために真面目に労働し納税している人々の税金を注ぎ込む際には良心が痛む。だが、そうせざるを得ない。国民皆保険制度がそうさせているのだ。国民皆保険制度を廃止することのメリットは以下の通りだチューブ老人というグロテスクな存在が激減する財政が健全化するあなたが不摂生でない場合 (現状の社会保険料 - 民間保険料) は正の値になる 老人が減るので年金・介護・福祉に支払う支出が減る。 高齢化問題が緩和される介護に使う時間と金が減るので少子化解決の道筋が開けるあなたが介護・医療関係者の場合、待遇が良くなるデメリットは以下の通りであるあなたが金のない高齢者であった場合、死ぬあなたが生保であった場合、死に近づく喫煙、肥満、2型糖尿病などプリベンタブルなリスク因子を抱えている方々の民間保険料は、恐らく高額になる上記社会的弱者を糧とする方々が困る(透析病院とか、自民、立憲、共産、社民、れいわの先生方など) 超富裕層が困る(治安が悪くなるため。社会保険料は端金であり、円安は海外の資産でヘッジすればよい。道端でジョーカーみたいなのにぶっ○されることが彼らの最も恐れることなのだ。)要するにフリーライダーが死ぬということである。ただ、想像してみてほしい。ご高齢の方々は、周囲から疎まれながら、そんなに長く生きたいだろうか?役目を終え、��敬される老人のまま、死にたくないか?デブやアル中、ヤニカスの皆様方は、太く短い生涯を送りたくて、そういったライフスタイルを営んでいるのではないだろうか?そしてなんといっても皆さん、フリーライダーは、お嫌いでしょう??「お前もいずれは高齢者になる」と言われるが、私の経験では生産可能年齢を過ぎてからの延命は本人含め、誰も幸せにしない。病院に巣くうご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である。家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている。そんな中貴重な医療資源を浪費し、死ぬはずであった今日を先延ばしにしているご本人は少しも幸せそうでなく、それどころか不機嫌な顔をしている。飯塚○三のような、あの顔である。医療に縋らないと生きられない時点で、生物として破綻しているのである。そんな中長く生きても、なーーーーーーーーーーーんもいいことないよ。私は、基本的には人の為になりたくて医者になった。給与や労働条件が他国に比べてイけてないのはまだ我慢できる。だが、劣悪な労働条件で滅私奉公し、それが故に国賊の様に扱われるのは納得がいかない。国民皆保険制度は医療従事者の待遇を悪化させているだけではなく、医療従事者が頑張れば頑張るほど、日本国民、および患者とその家族に不利益を及ぼすような制度設計になっている。悪いのは制度であって、医療従事者でも、患者でも、老人でもないのだ。皆保険制度は捨て去られるべきだ。レッツ、レッセフェーーーーーーーール!!!!!!!!!
(追追記致しました)(追記致しました)国民皆保険制度になくなってほしい
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