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#突然夕飯に蕎麦が食いたくなる
makoto-oka · 2 years
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★☆ 麻布十番 堀井の鴨せいろ #gr3 #gr #ricoh #gr3x #grphoto #dinner #ディナー #yummy #happy #delicious #japan #ごはん #food #突然夕飯に蕎麦が食いたくなる #麻布十番更科堀井 (更科堀井) https://www.instagram.com/p/CjmOl7cPj_0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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myonbl · 1 year
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2023年2月5日(日)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、畑無農薬野菜・平飼い有精卵・特別栽培玄米・地鶏・手打十割蕎麦、加えて今回は手作りパンが届いた。年末に<シュトーレン>をいただいたときにツレアイが美味しいと洩らしたことから、今回また作っていただいたようだ。いずれは自分で小麦を栽培して安全で美味しいパンを焼きたいとのこと、そんなに無理をしないで欲しいのだけれど、美味しいものが届くことは嬉しい限り。奥川さん、いつもありがとうございます。
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今日は全員休み、朝寝を楽しんで6時30分に起床する。
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朝食は昨晩の炊き込みご飯+アオサ汁。
洗濯1回。
奥川ファームから定期便が届く。今夜は鍋、明日は無水チキンカレーに決定。
今日は終日テレビ観戦、まずは女子ジャンプ、高梨沙羅が今季初めての表彰台、おめでとー!。
男子カーリング決勝、軽井沢SCの21歳のスキップが凄い!
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ランチ、息子たちには月見そば。辛い物好きのツレアイは、<チャルメラ宮崎辛麺>という初めての商品を購入、試作してみたが、辛さはイマイチとのことだ。
録画番組視聴。
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テレビ70年記念ドラマ「大河ドラマが生まれた日」
初回放送日: 2023年2月4日
1962年、NHK芸能局の若手アシスタントディレクター山岡(生田斗真)は、局長(中井貴一)に「映画に負けない日本一の大型娯楽時代劇を作れ!」と突然命じられた。山岡と上司の楠田(阿部サダヲ)は大スター佐田啓二(中村七之助)の自宅に日参しテレビドラマ出演を頼みこむもののなかなか返事をもらえなかった。大河ドラマ第一作の「花の生涯」の現場では、画期的な収録方法がどんどん生み出され放送に向け突き進む。
いやぁ、面白い!
女子カーリング決勝、ロコソラーレがさすがの優勝。
軽く町内ウォーキング。
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夕飯、届いたばかりの地鶏と白菜をフィーチャーした鍋、ワインも美味しい。
録画番組視聴。
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カラーでよみがえる!大河ドラマ第1作「花の生涯」
初回放送日: 2023年2月5日
1963年に放送され、のちに大河ドラマとよばれるようになった大型時代劇の記念すべき第1作「花の生涯」。最新のAI技術によってカラーになってよみがえる! 
 激動の幕末を舞台に、攘夷(じょうい)論に反対しあくまでも開国を主張して、桜田門外で果てた大老・井伊直弼。その生涯を謎めいた女性をからませて描いた「花の生涯」。その第1話とクライマックスの「桜田門外の変」の一部を最新のAI技術によってカラー化。懐かしのスターが鮮やかな色彩でよみがえる!さらに時代劇ならではのカラー化の技術と制作舞台裏を阿部サダヲの語りで解説する。
私は小学校中学年、ツレアイは高学年、うろ覚えの私に対して彼女はほとんど明確に覚えていた。
片付け、入浴、体重は昨晩から300g減、まだまだ頑張らねば。
女子ジャンプ、日本人3選手がメダル独占、おめでとー!
明日の夕飯用に、無水地鶏カレー仕込む。
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歩数は少し届かなかったが、余裕で3つのリング完成。水分は1,800ml。
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gyohkou · 1 year
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01/01/23
年が明けた。
今回の年越しは、蟹もお蕎麦も紅白もなく、ただ昨日と同じくまた次の日が来ただけで、正月を迎えても晴れやかな気持ちは訪れず、不思議だった。
年が変わる節目に、前の年に荷物を置いてくるという感覚を覚える年があり、2021年から2022年へ年が変わった時はずいぶん重い荷物を下ろした覚えがあるのだが、それもなかった。ロンドンへ来る時に、日本へ色々なものを置いてきたからかもしれない。
直面している悩み自体が直接解決される場合ってあまりないと思う。悩みを含んだ外側の要素、あるいは悩みとは全く別の要素に変化をもたらすことで、バタフライエフェクト的に悩みの構成要素や位置関係も変化し、忘れることができたり、重心が別の物事へ移ったりする。
別の言い方をすれば、頭の中で描いているシナリオ通りに、悩みが解決されることはあまりない。悩みがあり、その悩みに対してどのようにアプローチをすれば解決される、あるいはそのアプローチを行わない場合は一生解決されない、みたいなことは可能性が低い。
自分の努力によって自分の人生が良くなっている、自分が怠けているせいで自分の人生が悪くなっている、みたいな感覚は、わたしはあまり持っていない。いつも人生の方が勝手にやってくる。
自分が雇ってもらえそうな仕事なんて何一つなくて、とりあえず地道に英語の勉強をしようと思っていた矢先、突然とある企業と面接をすることになり、待っていただけで機会が勝手にやってきたなと思った、という話。
英語喋れん喋れんと言い続けているけど、喋ってるじゃん、と言われる場面がよくあって、確かに、完璧な文法ではないし拙いかもしれないけど、確実に喋っているよな...と思う。口から英語が出て、相手とコミュニケーションが成立するなら立派な英語話者だ。わたしは英語が喋れます。
12月の某日に出向いたとある音楽イベントの会場と同じ建物内で詩のイベントも開催されており、そこで偶然友達になった人に誘われて、自分で作った詩をステージ上で読むという詩のイベントへ遊びに行ったら、なぜかわたしもステージへ上がる機会をもらい、聴衆の誰一人として日本語を理解しないのに、茨木のり子のモーツァルトを朗読することとなった。奇妙な夜だった。作者の名前、この詩を選んだ理由さえ言い忘れてしまった。ロンドンにいると、自分の個性がどんなものでもいいと思えてよい。ロンドンも東京も都会特有の距離感はあるけど、ロンドンの方が圧倒的に他者との交わりが多く、疎外される恐怖はほとんどない。
スペインから帰ってきたらフラットメイトは誰一人おらず、みなクリスマスと正月休暇で国や故郷へ帰っているようだった。久しぶりの一人暮らしで、優雅な日々を過ごした。お昼前に起きる。ゆっくり朝食を作って食べ、スーパーや本屋などへ軽く出かける。明るいうちに帰ってきて、机に向かって勉強し、お腹が空いてきたら夕食を作って食べ、Netflixをだらりと観て、眠る。退屈が隣にいるような過ごし方を、優雅だと感じることができるなんて、ずいぶん心が健康だなと思う。
誰もおらん年越し、と思っていたら、ガチャリとドアが開いてフラットメイト3が帰ってきた。カウントダウン花火を見に行くために出かけようとしたら、フラットメイト3の友人たちがわらわらとやってきて、キッチンで歓談が始まった。とても楽しそうにお酒を飲む彼らと出掛けに挨拶を交わし、セントラルロンドンへ向かう。日本のような慎ましやかな年末の雰囲気はなく、パーティーのようだった。見晴らしの良い丘の上から見た遠くのカウントダウン花火より、丘に集まった中の誰かが群衆のど真ん中で打ち上げた花火の方が綺麗だった。
改札を通るために長い列に並ばねばならないほど駅が混雑していたので、少し遠くの駅から帰る。ひどく喉が渇いていて、マックでファンタオレンジを買って飲んだ。人生でいちばん美味しいファンタオレンジだった。
Keep Camden Cleanとだけ書かれた、一見すると手洗い場のような、円柱状の建造物が駅前にぽつんと立っており、(Camdenは街の名前)、一緒にいた友人と正体を確かめるべく色々点検していたら、男性がやってきておもむろに立ち小便をし始めたため、男性用トイレであることが判明し、新年初笑いだった。
元旦はセントラルロンドンで行われるニューイヤーパレードを見に行った。マーチングバンドや生楽器の演奏など、(おそらく)有志のパフォーマンス団体が列を成して、歩行者天国となった道路を行進する。観衆がすごくて、みなパレードをしかと目に焼き付けるため、少しでも高い所にと、道路脇の植え込み、ゴミ箱、標識、バリケードなど何にでも人が乗っている状態だった。かくいうわたしも植え込みの上からパレードを眺めていたのだが...
夕方に家へ帰ったらフラットメイト3の友人たちはまだ家にいて、夕飯の材料のレッドオニオンと鶏肉を抱えて帰宅したわたしを見ると、すぐにキッチンを片付けてくれた。ちょうど帰ろうとしていたところなのか、帰り支度を始める彼らと同じ空間で、夕飯の前のビールを開けてポテチをつまんでみる。彼らの仕事について聞いたり、ロンドンへ来た理由を話したり、スラングを教わったり、ポートレートを撮られたりする。他者の生活、他者のコミュニティと容易に交わりが生じる。やっぱり、基本的には、どんな形であれ、わたしは人がいる暮らしの方を好んでいる。
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古いデジカメでしか撮れない写真。雨のニューイヤー。
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harinezutaka · 8 months
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二年前日記38(2021年9/17〜9/23)
9月17日 今日から28週。いよいよ妊娠後期に突入した。ポタージュの素に片栗粉を混ぜて団子っぽくしたものにみたらしあんをかけて朝ご飯に食べた。とてもおいしかった。今日は就職相談に行く。カードを使って適職を考えてくれるそうだ。少し早く行って県立図書館へ。市立図書館にはない本を借りたかったので。リニューアル後は初めて行った。静かで広くてとても気持ちよかった。昔はここに市立図書館があったので、よく行っていたな。懐かしい。お昼はムジカフェとサンマルクカフェをはしごして、本を読んだり今までの職歴を振り返ったりした。相談は2時から1時間。診断はなかなか面白かった。参考までにといくつか求人も出してくれた。産まれたらなかなかそんなことは考えられないかもしれないけど、遅くても3年以内には社会復帰したいなと思う。子ども連れでもいいみたいだし、こういう窓口があることが知れただけでも収穫だった。本当に困ってから動くってしんどいことだからな。前職でももうちょっと早く相談に来てくれてたらという人をたくさん見てきた。1年後ぐらいには動き出すことを目標にしようと思う。帰り寄ったスーパーに知り合いが働いていて声をかけた。3日ぐらい前に共通の知り合いも来てきたそう。滅多にいくことがないのに、面白いな。晩ご飯は、都きしめん、お寿司、えのきとわかめのナムル。夫は帰りに鍼に寄る予定だったが、仕事がめちゃくちゃ大変で行けなかったみたい。お疲れだったけど少し楽しそうでもあった。
9月18日 朝起きたら、晴れ間が見えていてこの辺りは台風の被害はなさそうだった。夫は土曜出勤なので、私は平常運転。少し掃除を丁寧にして、片付けなども進める。来週にはコープさんの注文書を出さないといけないのでどんな感じで頼もうかカタログを見ながら考える。いっぱいあって慣れるまでは選ぶのも大変そう。本を読んだり、テレビを見たり。アマゾンプライムで『パンとスープとネコ日和』を見終えた。次は『かもめ食堂』を見ようっと。いいなと思った言葉メモ。「しまちゃんみたいな人はね、これから貴重なのよ。普通にきちんと暮らしていける人。普通に旅をしながら生きていける人」「そんな母の生きてきた場所で始まった新しい時間の中で、私は気づきました。今までの自分は自分自身が不自由にしていたのだということに。先生、私、真面目すぎました。私、これからは、不良になります。自分が自由になれて、人との時間は初めて始まるのだということに気づきました。母はそれを知っていたのだと思います。」夫は義実家に寄って帰る日。晩ご飯は、枝豆豆腐、ひじきと玉ねぎのサラダ、らっきょ。
9月19日 朝、高山なおみさんの番組を見る。色合いが、青みがかっていて、濱田さんの写真がそのまま動いているみたいで不思議だった。今日も市のプレママ講座に行くことになった。応募者多数で落選していたのだけど、キャンセルが出たそうで、繰上げ当選したそうな。市から届いたサポート券でお昼はカレーを食べた。ちょうどみんな届いた頃なのか、対象の店はなかなかのにぎわいだった。外で食べてる人にはもう感染対策とかあまり期待できない感じもする。自衛するなら、行かないことなんだろうな。まあでも有り難い話なので、サポート券はなるべくいろんなお店で少しずつ使おうと思う。本屋さんで本を買い、講座に参加。前、参加したものは2組だけだったし実践的だったが、今回のものは座学っぽい内容だった。最初に自己紹介の時間があり、予定日と聞きたいこととパートナーのいいいところを言うというのがあった。みんなとても積極的な感じで、ギスギスしてるのは自分たちも含めて少し上の世代ぐらいなのかなと思った。でも、産まれたらまた違ってくるんだろうな。帰りに夫は美容院の予約をしていたので、私はその間本を読みながら待っていた。晩ご飯は、買ってきたもので簡単にすませる。鶏皮とニンニク芽の炒め物、ささみと豆とひじきのサラダ、塩サバ、茄子の味噌汁。食べながら『アンという名の少女』を見た。
9月20日 朝はルーチン通りに過ごす。昼ご飯はひじきペペロンチーノとアボカドのポタージュ。アボカドのポタージュは今年のヒットだ。アボカドとグレープフルーツジュースと塩をミキサーにかけるだけ。あっさりしていて美味しい。少し昼寝をして、片付けタイム。押し入れに収納していた引き出し式の棚を外に出すことにした。どう配置するかを夫に相談したところ、思ってもいない配置で面白い。少しずつ本をしまっていく。夕方、冬用の布団乾燥のためコインランドリーへ。ひとりで行こうとしていたが、着いてきてくれた。図書館と西松屋にも行く。乾燥機にかけている間に買い物もすます。今日の晩ご飯は夫が作ってくれた。茄子に豚バラを挟んで焼いたもの、ピーマンとコーンのバター、ミョウガ と玉ねぎの味噌汁。レシピ通り作ろうとしたけど、茄子が大きすぎて大変そうだった。でも残すことなくぺろりと食べれてしまった。『アンという名の少女』がちょっとしんどくなってきたので、『きのう、何食べた?』を見た。夫は以前は少し抵抗がありそうだったが、今回は楽しそうに見ていた。
9月21日 朝、夫は鍼灸院へ、私は病院だったので送ってもらう。今日は4Dエコーの申し込みをしていた。赤ちゃんの位置的にいまいち条件はよくなかったみたいだけど、またしてもらうのもなという感じだったので、今日の分で写真を撮ってもらった。写真は何だかグロテスク。少しサイズが小さく出てるみたいで、念のため次回もエコーをすることになった。1000グラムは越えてるみたいなので、28週の壁は超えたのかな。30週も目前だ。性別は女の子でどうやら確定みたい。再び夫と合流して、蕎麦屋さんへ。ここもサポート券が使えるところで賑わっていた。小さなお店で、感染対策もあまりされてないみたい。夫は少し不機嫌になっていた。帰宅後、昼寝。起きたら4時だった。片付けをして、晩ご飯の準備。長芋と鮭のマヨグラタン、ハムと茄子のマリネ。夫は今日は夜勤だと思っていたら、休みとのこと。なーんだ。急にのんびりモードになる。『アンという名の少女』と『きのう、何食べた?』を見る。あんなに寝たのにまた眠たくなって気づいたらまた寝ていた。眠さに波がある感じ。赤ちゃんがぐぐっと大きくなるときに、眠くなるのかもしれないな。
9月22日 昨日よく寝たので今日はとても元気。午後から実家に行く。ちょっと久しぶりだったからか、最初私のことを一番上の姉だと勘違いしていたみたい。あまり動揺しなかった自分に驚いた。ようやく親の老いを受け入れられるようになったのだと思う。昨日は宅配のお弁当をお試しで頼んでみたそう。良いことだ。今度、新しくできた喫茶店にモーニングに行く約束をした。「お父さんと行っても仕方ないし」みたいなことを言うので。母は何でそういうこと言うのかな。本当は大好きなはずなのだけど。よくわからない。帰りに干物をもらった。車を止めさせてもらっているお向かいさんの土地がすっかりコスモス畑になっていた。世話をする元気もないのかもしれないな。晩ご飯は、手羽中のケチャップ炒め、玉ねぎとコーンのサラダ。なんだか胎動が激しめ。殴られているような感じ。小さいと言われたから頑張って主張してくれてるのかもしれない。あなたのペースで大きくなってくれたらいいからね。
9月23日 2度目のワクチン接種のために姫路に向かう。2時過ぎに家を出て、だいたい時間通りに着いた。今回もスムーズに進んだ。前回はご自由にお取りくださいと冷蔵庫に入っていた飲み物が今回は持ってきてくれるようになっていて、そろそろ先が見えてきて在庫をなくさないといけないんだろうなと思った。会場運営に携わっておられた皆さま、長い間お疲れさまでした。ありがとうございました。前回は御座候を買って帰ったが、今回はぶどうパンを買って帰ろうと思って、ボンマルシェに寄る。活気のあるスーパーだった。お魚もお肉も美味しそう。『妻のメシがマズくて離婚したい』というマンガがTwitterでは話題になっていて、その妻さんはお腹に入っちゃえば何でも同じという考えの人なんだけど、スーパーに来る人の顔ってスーパーによって全然違うからやっぱり食べものは大事なんだと思う。1回目のときより元気な気がして食欲もあるので寄り道したくなり、御座候がやってるラーメン屋さんに行く。野菜入りの胡麻味噌坦々麺。美味しくて安い。新生軒に行きたかったけどお休みだったのでこちらにしたけどよかった。家に帰ってからも、用意していた晩ご飯をちょこちょこ食べた。ピーマンと牛肉のオイスター炒め、鶏そぼろのスープ。今のところ熱が出る気配はなし。
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4ru-ame · 3 years
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年越しは恋人としてきました 26日から今日まで恋人とずーっと一緒に居たけれど、時間の過ぎ方がほんとに秒速すぎて笑っちゃいました 雪が降ってしまったので食材を買い込んで毎日お鍋やスパイスカレーを作って同棲生活みたいな日常を過ごしました 晴れた日には電車で一駅出て喫茶店に入る 天気がすぐれない日は炬燵で足をくっつけてアニメや映画をみる 夕方は決まって手を繋いでスーパーに買い物にいく 夜になれば狭いベッドで体温を分け合いながら眠る ストレスが全くなくて、だらっとゆるっとした毎日はあたたかくて楽しくてたまらないな 恋人の実家では日付けが変わる時に年越し蕎麦を食べるらしい 私の実家では夜ご飯に年越し蕎麦を食べるから、びっくりしたけど、今回は恋人の実家に倣ってみました 案の定かき揚げの油にやられて暫く眠れなかったけれど、それも今年初めの良い思い出 今日の朝方、外がまだ明るくなる少し前、眠気眼で体温を分け合ってからふたりでシャワーを浴びて、ベッドに戻って抱き合って目を閉じた 今日が一緒に過ごせる最後の日で、起きたらバイバイしなきゃいけない 恋人が肩に顔を埋めて「さみしい」って呟いて抱きしめた いつも私のほうがバイバイする前の日くらいに突然泣き出して「さみしい〜」って言って困らせちゃって、でも恋人が「大丈夫だよ、またすぐ会えるよ」って言ってくれるほうだから、めずらしいなあとおもって抱きしめかえして頭を撫でた それから恋人は静かに泣いていて、初めてそんな姿を見たのでとても動揺したけれど、愛おしくてたまらなくて、この人のことしあわせにし続けていきたいとおもった 早く帰るお家が一緒になればいいなあと思った この人をさみしいと思わせないためにあらゆる事をしたいと思った 家族も好きだけど、恋人のことがとても好きで、そのために転職も引っ越しも貯金もしたいと、本当に頑張りたいとそう思った 2021年、仕事も、生活も、遊びも、友達も、恋人も、全部たいせつにして、新しいに飛び込みたいです 怖いけどやってみるぞ!
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geniusbeach · 4 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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helloharuo-diary · 3 years
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電磁波 
2011.7.7.Thu
昨日寝てなかったせいかよく眠れた。でも朝食を食べてからまた寝た。そして昼過ぎになった。昨日の日記に書いた様に低反発の枕とマットレスの代わりに枕=バスタオル、マットレス=木綿の敷き布団に寝る前に交換しておいた。そんで起きたんだけどよく寝れたのはそのせいかな。
今日は更に改善した。昨日ギャラリーの三浦さんから仕入れた情報で備長炭が電磁波に効くというので枕元に二つ用意した。携帯はもう寝室には置かない。
思う事があった。
長年使っているメリットシャンプーに最近違和感が生じて来た。これって髪の毛に良くないんじゃない?ケミカルだし。なんか変な感じを受けていた。そういう事ってあるんだね。ある日突然何かが変わる、そんな感じ。それなら天然素材のシャンプーをと思い、この近くで唯一のナチュラルショップに行った。この間もそこに行って穀物コーヒーを買った。女子店員が可愛いんだよね。店内でオーガニックシャンプーを物色しているとその女子店員さんがやって来て『この石鹸でも髪の毛洗えますよ』っていうんだ。オーガニックシャンプーは、2000円前後するんだけどその石鹸は840円。結構でかいよ。安い商品を紹介してくれるなんて素晴らしい人だな。僕は言われるままにその商品を購入。よしこれでボディもこの石鹸で洗おう!ケミカルのシャンプー+石鹸さようなら。今までありがとう!またあの女子店員に会いに行こう。(笑)
夕方になってTSUTAYAで映画『北京の55日』を借りた。僕の生まれた年、1964年の作品だ。伊丹十三が出演している。その事は知っていたが初めて見た。でもあんまり面白くなかったかな。
夕食は、ご飯炊くのが面倒だったので具沢山冷やし蕎麦を作って食べた。体重は、70〜71kg台を行ったり来たり。
夜になってこうして溜まった日記やウェブサイトの更新している。まあ何とか出来てるからいいや。
お風呂でその石鹸使った。
夜は、備長炭効果でぐっすり眠れるかな。
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spiwish · 4 years
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怠惰な日その2。
今日も一日の半分以上を寝て過ごした気がします。
そして、二度寝も見事にかましました。
本当に、本当にダメ人間…。
今日はお休みです。
明日はまたバイトです。
しばらくは火曜日と日曜日がバイトの日になりそう。
土曜日はたまに後輩の男の子が入っていたので、
私が勝手に入ってその子の稼ぎ潰しちゃってもなぁ…と、とりあえず週2で入ってみました。
もし明日空いていたら、私が今週末入っちゃおうかな。
起きて、動き出したのがほぼ15時で、
もうその時点で休日終わったー…って思ってはいたのですが、
何とか残りの時間有意義に過ごしたい…!
と、まだ開いているであろうCafe de lipaさんまで歩きました。
今日の服装は、
先日買ったUNIQLOのちょっと大きいゆるゆるジーンズと、
インリビのグのパーカーでした。
私が買ったのは白だけなので、白です。
汚さないように気をつけなければ、その前に、ジーンズから色移りしないようにせねば…。
洗濯に気を遣いそうですね。
流石にそれだけだと寒いので、
いつものしまむらで買った適当ブルゾンを羽織って。
パーカーが裏起毛なので、とても温かかったです。
Cafe de lipaさん。
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今日はキャラメルマキアートをHOTでLサイズに。
コーヒーゼリーと、サービスチケットでミニスープもつけてもらいました。
今日のスープはミネストローネ。美味しいです。
私がトマトを好きになったのは、こことIvyさんのおかげです。
元々は大の苦手で、ミネストローネなんてとんでもない!って感じで…。
今日は白いパーカーに飛ばさないように、こぼさないように細心の注意を払っていました。(笑)
美味しすぎて、ついがっついてしまう。
キャラメルマキアート、ソースがいっぱいかかっていて美味しそうでしたが、
猫舌のため、少しの間我慢…。ちょっと冷めるまで…。
よだれがジュルジュルしそうです。
今日はテラス席で、手帳や日記を書いていました。
ちょっと花粉が舞い込んだか、今鼻水ジュルジュルです。どしてー。
セブンにも立ち寄って、
お夕飯だったり、明日の朝ごはんだったりを買いました。
母がチョップドサラダを御所望だったようで、
それも買って帰りました。
3種類、つまりは今晩と明日の朝兼昼と夜の分の食材を得たので、
今夜は何を食べようか悩み中…。
冷たい麺が復活していて、個人的には嬉しかったです。
とろろ蕎麦、つい買ってしまいました(笑)
きっとまだ寒いから、身体が冷えて大変なことになりそう。
母から、近くのドラッグストアの入り口に『箱マスク売り切れ』の札が貼ってあったよ、なんて話を聞きました。
まじかー、花粉症民辛いじゃん…。
私はもっと前から買い置いているので全然あと2シーズンぐらいは大丈夫なのですが(それもどうなのよ)皆さん大変でしょうね…。
特にお子様がいらっしゃる世帯にて、子供用マスクが手に入らなくて困っているなんて話も聞きました。
確かに、こればっかりは大人のマスクをつけさせる訳にもいかないし…。
そういえば、マスクといえば、最近の女子高生って黒いマスクなんだそうですよ。
私の時代には無かった選択肢だなぁ。いいなぁ黒いマスク。パンキッシュ。
私の高校時代はモロパンク服だったので、きっといい感じに似合ってたんだろうなぁ。いいなぁ。
今日は起きるのが遅かったので、
夕方の時点でまだポケモン起動していません。
今から始めたらあっという間に深夜に到達しそうなので、
今日はポケモン禁止も辞さない。
明日はバイトなのだ。
本当に最近起きれないのと眠れないのが重なるので…連休入ったら思う存分プレイしよう…。
母が頭痛がするので薬を飲んだ、と報告してきたので、
そういえば私も頭がくらっとしたよー気圧かなーなんて話をしたら、
あんたは寝てばかりで水分不足なんだと思うよ、と一蹴。
いやいや、嫌味もこもってるんだろうけど、なんか酷くない?
一旦は優しく受け止めておくれよー…。
悔しいので今一生懸命麦茶飲んでいます。
冷たい麦茶なので、お腹冷やさないようにチビチビ、でもゴクリと。
心配していた明日の朝食もなんとなく決まったし、
あとは今夜ちゃんと眠れればいいなー。
実は日曜日の出勤時、睡眠不足でした。
3時半とかにやっと眠れて、気合で8時半に起きて、そのあとずっと起きてて出勤して頭ぼーっとしてるし…と最悪だったので、今夜こそは…寝る!
明日余裕があったら出勤前にまたCafe de lipaさん行きたいな。
トイレが近くなるからカフェイン多めにはしない方向で。
今日ポイントカード満了したの使ってしまったので、また地道に貯めてこ。
面白いことに、Cafe de lipaさんに行こうと思うと割と早起きできる気がしてるんです。当社比ですが。
願掛けの意味も込めて、明日も行けることを目指して準備しよう。
辛いバイト前に娯楽があると自然と頑張れるものです。
稼ぎに行くのに、お金使ってんじゃん!の突っ込みを既に父から受けてるのでご容赦ください…。デリパさんそんなに高くない方だと思うんです…。
そろそろIvyさんに行きたいなぁ。
先週行けてないような…行ったっけ…?
皆さんに忘れられないうちに行きたい。
忘れてた、
明日メルカリの売上金が振り込まれる…はず!
微々たるものでも、売り上げは売り上げです。よっしゃ。
不用品をお金に変えられるこのフリマアプリ、私はあってよかったなと思います。
ペイとか何だとかは利用していません。
ポイントも買い物に使っちゃうし、残高はほぼほぼ売上金に換えてしまいます。
手数料、高いけど、何せ買い手がつくので、2〜3ヶ月に一度ぐらい、掃除したりして出てくるものを売りに出したりしています。
もうそろそろ、売るものがなくなると思いたい…。
今週の連休は、何をして過ごそうかな。
何も予定がありません…。
ポケモンをひたすらプレイして腐ろうか、
いつも通り町田あたりに出没しようか悩み中。
まだ考える時間はあるので、明日はそうやってニヤニヤしながらバイト頑張ろうかな。
ずっとスタンバイしてあったけど、
しばらくしていなかった読書を再開しました。
せっかくお気に入りのBelleさんで買ったブックカバーを着けていた本を、
机の一角に追いやったまま放置していました…。
久し振りに心を落ち着ける時間(暇なだけ)を設けることができたので、チロチロと読んでいます。
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読んでいるのはムーミン谷の彗星というお話。
ムーミンの原作の2冊目だったかな?
せっかく原作を全巻買ったのに、1冊読んでからほぼほぼ放置だったので、
やっと読んでいます。
寝る前に読もうとかなと枕元に置くと、寝相が悪くてグシャグシャにしてしまいそうで、机に置いてあったのですが、それすら放置してしまうという。
しばらくは意識して寝る前にちょこっとずつ読み進めようかな。
枕元の明かりも無印で買ったので、だいぶ読みやすくはなったと思います。
いつも、ベッドのサイドテーブルは我が家には無いので、狭い部屋の特権を生かしてデスク用の椅子をサイドテーブルの代わりにしています。
そこに置いておけば、グシャグシャにもならないはず。朝起きた時寝ぼけてお尻で踏んだりしなければ。(笑)
2月になったので、
まめこさんのカレンダーも2月に!
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シマエナガが、いる…!可愛い!!(*´◒`*)♡
まめこさんの絵は笑顔になれます。ほっこりします。大好きです。
今年もカレンダー買えてよかった。
またイベントでお会いできたらいいな。
カレンダーを飾る場所が取れなかったので、iPadを立てるイーゼルに設置しています。
iPadを外す度に、まめこさんのカレンダーを見て笑顔になります。
今夜は全然お腹が空かないなぁ…。
当たり前か、起動が遅かったもんね。
口の端っこにニキビが出来てしまって、大変痛いです。
ニコッと表情を作る度、ツンと痛みが走ります。
口角炎に変化しそうな感じもあるので、しばらくは寝る前モアリップで様子をみようかな。
肌が少しずつ整地されても、飽きずに出来るニキビの生命力たるや…。
暇すぎてだいぶ文章を打ってしまった気がします。
まだ19時なのですが、ここまで文章できていて更新忘れたら悲しいので、
そろそろ更新しちゃおうかな。
たまに打っても忘れちゃう日があります。
ブログの更新がなかった日の5分の1は文章ができているのに更新忘れです。
そういうの無くしたい。
では、失礼します。
明日は疲れて更新出来ないかもしれません。
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kskspsps-blog · 7 years
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懐かしい月は新しい月
 岩手にある実家では、林檎をつくっている。5月、白い花が満開に咲いた林檎畑と新しい蜜蜂の箱の写真が母親からlineで送られてきた。林檎の花の香りも、蜜蜂の羽音も遠い記憶のものでしかなかったから随分懐かしかった。母や他の家族にとっては、毎年繰り返している営みのひとつでしかないのだろうけど。それだけわたしにとってこの林檎園が縁遠くなって久しい。
 私が農園に駆り出されなくなったのは、体力や経験がないから足手まといにしかならないというのがひとつ。でも、それ以上に母親が私をあまり農園に近づけたがらなくなったということが大きい気がする。母親はよく畑仕事の愚痴を私にこぼしていたから。娘に同じ思いをさせたくなかったのかもしれない。農家のところには嫁には行かせない、と直接言われたこともあった。母親のノイローゼが一番ひどかった時だったと思う。
 代わりといってはなんだが、実家に帰ったときは私がひたすら家族のごはんをつくっている。ごはんをつくるために帰っている、という方が正確だと思う。そのために、地元の友達からの食事の誘いを断るくらいには。
 つくってみるとわかることだが、普段自分ひとりのためか、せいぜいふたり分くらいの料理しかしない人間が、突然家族5、6人分の食事を用意するのは意外と難しい。しかも体の大きい男が3人もいる。胃袋の許容量が私の想像を超えているので材料をどれくらい揃えたらいいかわからない。大体足りなくなる。 豚肉の大きいパックを一度の食事で2つも使うなんて信じられない。でも本当にこれくらいは必要なのだ。未だに半信半疑でスーパーの精肉コーナーをうろうろしてしまう。  ある程度慣れてくると、簡単に、かつ大量につくれるものでいいことに気づく。挽肉をトマトで煮込んでいるうちにパスタを大量に茹でれば父の好物のミートソーススパゲッティができてしまうし、鶏肉をカレー粉とヨーグルトに漬けて、一時間かそこら猫と遊んでるうちにバターチキンカレーの仕込みは終わる。  こんなもんでいいのか、と思う。それでも、それだけのことが私の家族には大変なことだったらしい、ということもわかる。母は家事と畑仕事と、祖母の介護をこなして、夕飯はつくるだけつくると、自分は食欲がないからといって自室(私が高校生まで使っていた部屋だ)に引っ込んでしまうらしい。 父は仕事があまりにも忙しくて、日付が変わるまで帰ってこないのが普通だった。私より先に社会人になった弟が頑張っていた。仕事から帰ってくると実家に顔を出しては家の細々した用事を引き受けていた。沿岸で働いている兄も、週末には帰ってきて畑仕事を手伝ってその日のうちに帰った。 そういうギリギリの状態の中で私が引き受けたのが、家の掃除をしたり、洗濯物を干したりしながら、ごはんをつくって家族の帰りを待つという役割だった。それだけの話だった。
“ この春に夫が死んだ。それでわたしは料理をやめた。30数年前に家庭を作って以来、料理しつづけてきた。料理して人に食べさせるということが自分の本質だと思い込んできた。それをやめた。そしたら、なんと、なんと、自由なことか。”――伊藤比呂美「料理しなくなって」
 「ひとのつくったごはんはいいわね。自分でつくると、もうレパートリーが限られちゃって。」普段夕食は食べないという母はそう言って、私のつくったものは食べたがった。「最近は、もう全然、料理する気がおきないの。昔はあんなにいろいろつくったのに。お菓子だってせっせとつくってあんたたちに食べさせたわ。どうしちゃったのかしら。また作る気になるのかな」 私の手元を覗き込みながら母が言う。あんた、エプロンつけなくていいの、油はねるよ、なんて小言がとんでくる。いいんじゃないの、別に。料理なんて、無理してつくるもんじゃないし。と私は返した。本心だったけれど、母にどれだけ伝わったかはわからなかった。 本当に、母は昔から料理上手だった。お願いすればなんだってつくってくれた。子供の誕生日のお祝いは、なぜか毎年イカリングのカレーライスだった。ひとりひとりつくるとなると面倒で仕方がないオムライスだって、家族分ちゃんと出てきた。 天麩羅をたくさん揚げると、自分は油に充てられて見てるだけでお腹いっぱいになる、ともよく言っていた。そういうもの全部、もう母のつくったものとして食べることはないかもしれない。でも全然構わなかった。代わりに私がつくるだろう。 料理なんて、つくりたいときにつくればいい。何十年と家族のためのごはんをつくりつづけてきた母にとっては、どこか後ろめたいところがあるのかも知れなかったが。「あんたのごはんを食べるようになったから、体重が少し増えたよ」と母に云われて、私は思わず「良かったね」と返した。
 一度、何を思ったのか父が台所に立ったことがある。父が採ってきたザル��っぱいの山菜を、天麩羅にしようと決めていた日曜日の夜だった。父は私と違って几帳面な性格をしているので、先に油に投入したタネを鍋の奥に移動させて、入れた順番を見失わないようにきっちり揚げようとする。ウド、コゴミ、パセリ、カボチャ、マイタケ…玉ねぎのかき揚げは揚げるのに時間がかかる。 父は真剣な表情をしてタネを箸でつついている。時計を見上げると、揚げ始めて一時間経ちそうになっていた。いつもならとっくに食べ始めている時間だった。お父さん、もういい時間だし、その辺でいいんじゃない?と訊くと、「そうか?でもまだ具が残ってるし、どうせだったら全部揚げっぺし」と言ってまた新たにタネを油にくぐらせる。マイペースなのだ。結局、腹を空かせた兄と弟に急かされる形で、その日はいつもより遅い夕食になったが、それでも父によって丁寧に揚げられた山菜の天麩羅は美味しかった。揚げきれなかった山菜の余りは、めんつゆに漬けて次の日のお昼にお蕎麦にのっけて食べた。
 多分、あの日台所に立ってたのが私ではなく母だったら、父は自分が揚げるとは言いださなかっただろうと思う。  そんな父も今日で退職である。定禅寺通りにある花屋で、仙台から岩手へ、花を贈った。どんなデザインにしますか、と訊かれたので、少し考えて、赤いバラにしてください、と答えた。父は、赤いバラが好きだった気がするので、と。
                                                   2017/06/01
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shibaracu · 4 years
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●江戸のリサイクルと物売り
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●江戸のリサイクルと物売り 江戸は凄い時代である。 当時の世界ではナンバーワンと言われるリサイクルが発達していた。 桶や樽などの再生からカマドの灰まで買いに来ていた。 桶屋たるはそこいらに放ってあったものを拾っていった。 我が家はうどん屋をしていて建物の壁一面に薪を積んでいた。 其れを燃やすわけだから灰が出てくる。 幾つまでだったか覚えていないけれども結構遅くまで来ていた。 竈(かまど)の口は大きかったので中に首ツッコミ小さな帚(ほうき)で キレイに履いていったもの。 煙突の煤(すす)もキレイに掃除して買っていったもの。 他に使い道がどのくらいあるのかは判らないけれどススは硯(すずり)などに使った。 灰は染料の色止めや灰汁(あく)抜きとして使った。 食品に含まれる、渋み・苦み・不快な臭いなどの元となる、 食事には不要な成分の総称に成る。 詳しくはhttp://wkp.fresheye.com/wikipedia/灰汁 などを読んで下さい。   物売りも結構来ていた。 焼き芋屋やアイスキャンデーや金魚売り 物干しの竿だけなんかも有った。 売り手のかけ声が懐かしい。 バナナなんかはちゃんとした口上(こうじょう)が有ったようだけど 私は聞いた事がない。 下の動画いくつか集めておいたので再生して聞いて下さい。 いつの間にか録音したものを車で流しながら売り歩くようになった。 これでは効率は良いけれども経費が掛かるのと客とのコミニケーションは 取れないだろうね。 心のふれあいが無くなり商売するから変に歪んだ商取引になり 騙されたの騙したのなんてなるのでは。 昔は無かった売りっぱなしで責任取らない。 これも権利の先行になり 義務を放棄する事になっている。 今ではその辺歩いている子供に声かけたら大変な事になる。 下手すると誘拐犯にされてしまう。 クワバラ クワバラ 恐ろしい時代になった。 私の日記読んで居る人でも知らなくて道であって声かけたら其れこそどうなるか。 世の中進歩するのも良いことだけど こんな進歩はして欲しくないもの。 コミニケーションが途切れたら同じ空気吸っていても完全に切れてしまう。 道歩いているだけでも眼を付けた なんて言われイチャモンつけられそうだから人の顔は見ないようにしないと。 寂しい時代だね。   ●いちゃもん 言いがかり。難くせ。文句。 「 -をつける」   ●「クワバラ、クワバラ」の意味は 災難や禍事などが自分の身にふりかからないようにと唱える、まじないのこと。   ●めっ・ける [0]【目付▽ける】 ( 動カ下一 ) 〔「見付ける」の転〕 「見付ける」の俗な言い方。見いだす。 「花子さん-・けた」   ●ENEOS童話賞について:童話賞の3つの願い - JXTGグループ https://www.jxtg-group.co.jp/hanataba/awards/wish/ ENEOS童話賞は、「心のふれあい」をテーマに、毎年一般の方からオリジナルの創作童話を募集しております。その中から、厳正な審査の結果、受賞作品を表彰するとともに、一冊の童話集にまとめております。ENEOS童話賞には、私たちの「3つの願い」がこめられています。   ●第50回(2019年) JXTG童話賞 【一般の部 最優秀賞】 雨がすき作者:宮田一平 / 絵:かべやふよう  花が窓から外をながめていると、空から大粒の雨が落ちてきた。 「おかあさん、雨がふってきたよ。」 「あらっ、たいへん。花、駅までお父さんを迎えにいってくれないかな。お父さん、傘を持っていないと思うから。」 「お父さん、いつもの電車?」 「そう、6時半に着く電車。」 「わかった。」 時間になると、花は玄関で大好きなオレンジ色の長ぐつをはき、傘入れから花の赤い傘とお父さんの大きな黒い傘を引っぱり出して、駅へ向かって飛び出していった。 花が駅に着いて時計を見ると、電車が着くまでにまだ少し時間があった。駅の待合は、花と同じお迎えの人たちや雨宿りの人たちの話し声で、いつもより少しにぎやかだった。花が駅の売店の方に目をやると、一人の少年がぼんやりと外を見ながら立っていた。 「あっ、たっくんじゃない。」 花は思わず大きな声を出して、少年のところへ飛んでいった。 「おっ、花か。どうした。」 .....1/5 �� ●日本語の音長律(1) 百人一首朗詠 - 「かささぎの」2011/02/10 https://youtu.be/76hMbZ0EK1M https://youtu.be/76hMbZ0EK1M?list=PLZyjyoHSWs6P67GI2JU7Yf1ZiVsxxJqXf ●日本語の音長律(2) 売り声 - 石焼芋, さお竹 https://youtu.be/b9PLUCzD_hg ●宮田章司・坂野比呂志 飴売りの売り声の比較 https://youtu.be/pYHsRZRA1mA ●バナナの叩き売り!口上:ありがとう三太さん https://youtu.be/8hOEk8GIGoo ● 江戸は物売りの呼び声が… https://mainichi.jp/articles/20170811/ddm/001/070/197000c 毎日新聞 2017年8月11日 東京朝刊  江戸は物売りの呼び声がにぎやかだった。夏、「ひゃっこい、ひゃっこい」は冷や水売り、「たまや、たまや」と来るのはシャボン玉売りだが、川柳に「荷が呼んで歩く虫売り、定(じょう)斎(さい)売り」というのがある  ▲定斎屋は暑気あたりの薬屋で、薬箱の金具がカタカタ鳴るのが呼び声がわり、虫売りは松虫、鈴虫などの鳴き声で客が集まった。その虫売りというのがまるで役者のような粋(いき)な格好をしていたという  ▲市松模様の屋台ともどもだんだんと華美の度を増し、ついには天保の改革で禁止されるはめになった。鳴く虫やホタルを売ったこの虫売り、初夏からお盆までの商売で、江戸の人々はお盆になると供養のため買った虫を放ったそうだ  ▲虫売りといえば、クワガタやカブトムシが幅をきかせる現代である。だが近年は輸入された外国産の種が野外で見つかる例が相次いでいる。無責任な飼い主が放ったりするためで、日本の固有種との交雑種が生まれている恐れもある  ▲オオクワガタやヒラタクワガタは外来種と雑種を作るのが知られている。以前の小紙報道によると、関西ではあごの形などが国産種と違うオオクワガタなどが見つかっている。自然界で交雑を放置すれば、やがて固有種がいなくなる  ▲売買や飼育への規制導入も、すでに大量に飼育されている現状では難しそうだ。専門家は飼い主のモラルを高める教育や啓発、飼育に困った外来種を業者が引き取る仕組みを求めている。外来種を放ってはならない。たとえお盆であってもだ。
物売りの声 寺田寅彦 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2514_9317.html  毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。もとは、「ポーピーポー」というふうに、中に一つ長三度くらい高い音をはさんで、それがどうかすると「起きろ、オーキーロー」と聞こえたものであるが、近ごろは単に「ププー、プープ」というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が変わったのかどちらだかわからない。 ●物売りの口上 https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%89%A9%E5%A3%B2%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%8F%A3%E4%B8%8A ●陣内智則 物売り屋さん https://youtu.be/jxrMOQakvq8 ●下町の物売りの声を思い出してみませう  千代ばあちゃんの思い出袋 http://hachisu-net.com/chiyo/taishouki.html   ●物売り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「http://ja.wikipedia.org/wiki/物売り」より ■物売り(ものうり)とは路上で移動しながら、主に鳴り物や独特の売り声を発しながら呼び込みをして食事を提供したり、物品などを販売、修理や古物や廃品の買取や交換をする者。 「引き売り」・「引売り」ともいうが「物売りの声」・「引き売りの声」という言葉が一般的に馴染深い。屋台や行商や街商と重複する部分もあるが、行商は固定客に対しての訪問販売が主であり、街商は市や縁日で一所(ひとつところ)で留まって商売する事や物売りが必ずしも屋台ではなかった事から区別する事が出来る。 ■ 歴史 鈴木春信画:『水売り』水売りの少年が描かれている浮世絵江戸時代から盛んになり「棒手振」・「棒手売」(ぼてふり)と呼ばれていて日用品の食材から生活必需品まで衣食住に係わる全てのものが売られており幕府の許認可を受け鑑札を持った物だけが営業できた。 これに違反すれば厳しい処罰があったが、生活困窮者や弱者の就業を目的とした幕府の政策でもあった。 季節物の販売も多く、蓮の葉商いの傾向も強いが市や祭事の門前町などの街商は場所代や既得権が必要であったが、棒手振は歩き売りという形を取っていたのが街商などとの差異であり、また季節物ではない代表的なものとして、夜鳴き蕎麦屋や鮨屋などがあげられる。 当時は大八車(リヤカー)ではなく主に道具や商品や食材の入った箱や笊(ざる)、籠(かご)や桶(おけ)などを両天秤にして天秤棒を担いで売り歩いたので棒手振と呼ばれていたが、道具や品物の入った箱を片方の肩で担いで売り歩く者もいた。 江戸時代にはその場で調理する屋台だけでなく、調理済みの天麩羅(てんぷら)、鰻(うなぎ)の蒲焼などを木箱に入れ、物売りが売り歩いていた。 近年では自転車やリヤカーをもとに形だけではなく設備も充実させ、煮炊きが出来る(ただし江戸時代から屋台では煮炊きの設備を備えていた)物売りも増え、昭和初期から昭和40年代まで品を替え(鮨や蕎麦は廃れおでん売りや菓子パン売りなどが盛んになった)世間で一般的に見られたが、江戸時代から変わらず続いた豆腐売りや納豆売りや金魚売りなども含め、今ではほとんど見る事はなくなった。 しかし現在では自動車に設備を載せ決まった場所(就労者は多いが外食産業や商店の無い所など)で食事や弁当やパンなどを調理、販売をしているものも見られる。また高齢化社会に伴い利潤のみならず地域振興や福祉目的を持って幾つかの小さな企業が、物売りとして豆腐などの大豆食品を呼び込みのラッパを使うなど、昔ながらの形態で販売を始めている地域も存在する。   ■ 物売りの種類と売り声や鳴り物 ●食事 ・鮨屋(すしや)---江戸前寿司の始まりは、物売りや屋台であったので今でも名残として立ち食いの鮨屋も東京を中心にみられる。 ・夜鳴き蕎麦(そば)---呼子といわれる笛を吹いていた。宵に笛を吹きながら商売したので「夜鳴き蕎麦」とよばれた。日本蕎麦はなくなり中華蕎麦(ラーメン)になり、笛もチャルメラという物に変わった。 ・鰻(うなぎ)売り---江戸時代当初は生をその場で捌いて客に渡したが、その後蒲焼にした物を売ったり、その場で調理するものもあらわれた。割り箸は鰻屋の発案で引き割り箸といった。 ・賄い(まかない)屋---江戸は女性の比率が二割といわれ独身の男性が非常に多く、宮使いで制約の多かった下級武士の専門の弁当屋として成り立っていた。 ・おでん売り---昭和40年代まで日本各地にみられ、晩のおかずに主婦が鍋を持って買いに来たり、子どもがおやつとして買っていた。 ●菓子 ・飴(あめ)売り---多種多様な飴売りが存在し競争も激しかった為、今の出店や夜店の的屋の元になる、くじ形式や余興や口上などで趣向を凝らしていた。 ・鼈甲飴(べっこうあめ)---練る飴細工も有名だが、鼈甲飴も溶かした飴を型などに流し込み、様々な形を平面的に作り上げて、売っていた。 ・飴細工---鋏(はさみ)や指先を使い飴を練って三次元的な立体造形の飴を作って売っていた。詳しくは飴細工を参照の事。 ・揚げ団子売り---昭和初期ごろまで見られ、小麦粉を甘く味付けして中華菓子の様にその場で揚げて、主に子ども向けに売っていた。 ・焼芋屋---「やきいもーやきいもー栗よりうまい十三里ー」栗より美味い十三里と言う文言は「栗」を九里と「より」を四里とを足して焼き芋のことを十三里というなぞかけ言葉である。 ●食材 ・蜆浅蜊売り---「しじみーあさりー」この他にも蛤や赤貝なども専門で売られていた。 ・鰯売り---売り声「いわしこーいわしこー」「いわし」は真鰯で「しこ」はカタクチイワシのことで獲れたてを海浜近郊で売っていた。魚は他にも、鯨、初鰹、烏賊、白魚、秋刀魚、鯵など旬の物も売られていた。 ・納豆売り---売り声「なっとー、なっとなっとうー、なっと」江戸時代から続いていたが近年では主に自転車に品物を積み販売していた。江戸では上記の蜆浅蜊売りとともにポピュラーな存在で、「納豆と蜆に朝寝起こされる」などという川柳も残る。 ・豆腐売り---ラッパを使い「とーふー」と聞こえる様に吹いた。行商の色合いが強い地域もある。 ・青果など---蜜柑、西瓜や大根、蕪(かぶ)、自然薯(じねんじょ、山芋の)、生姜など野菜や果物を季節ごとに販売していた。 ●生活用品の修理、販売 ・定斎屋(じょうさいや)---昭和30年頃まで存在したといわれ、江戸時代の物売りそのままの装束で半纏(はんてん)を身にまとい、天秤棒で薬箱を両端に掛け担いで漢方薬を売っていた。また力強く一定の調子で歩いた為、薬箱と金具や天秤棒のぶつかり合う音が独特の音となり近隣に知らせた。 ・羅宇屋(らうや)---煙管の羅宇と呼ばれる部分のヤニとりや交換をしていた。小型のボイラーを積みその蒸気で掃除をし、また蒸気の出口に羅宇を被せ蒸気機関車の警笛の様に「ぴー」という音を出して知らせた。詳しくは煙管を参照のこと。 ・竿竹売り(さおたけうり)---売り声「さおやーさおだけー」本のタイトルにもなり注目を集めた。 ・鋳掛屋(いかけや)---金属製の鍋や釜の修理販売をしていた。詳しくは鋳掛屋を参照のこと。 ・金魚売り---売り声「きんぎょーえー、きんぎょー」金魚とともにガラスの金魚鉢も売っていた。ちなみに江戸時代の金魚鉢は吊り下げ式で軒下などに吊るして下から観賞していた。 ・風鈴売り---風鈴の音色が呼び込みになった。 ・買取---古紙、古着、金物、番傘、屎尿、樽、桶、糠など様々で、江戸時代は最近の研究では、全ての時代の世界の中でも高い水準でのリサイクル社会であったと考えられている。 落ち買い---「おちゃない おちゃない」という呼び込みの声で抜け落ちた髪の毛を買い取っていた。京都では女性の専業であり、髪文字屋(「かもじや」と読み、付け毛製作販売業)に買い取った髪の毛を卸していた。「落ちていないか」が「おちない」から「おちゃない」に変化したといわれる。   ■振売(棒手売から転送) 振売・振り売り・振売り(ふりうり) 商品を天秤棒に担いで売買すること。転じて、そのような商売をする商人を指す。 この様式の商売は、行商のうち比較的狭い範囲を巡回する形態に多く見られる業態である。天秤棒の両端には商品を入れた桶や箱などの容器をぶら下げる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/振売   ●蓮の葉商い   http://ja.wikipedia.org/wiki/蓮の葉#蓮の葉商い 蓮の葉(はすのは)とは蓮という水生植物の水面に浮いている葉のことをさし漢方薬の伝来により荷葉(かよう)ともいう。また蓮根(れんこん)の葉としても馴染が深い。ヒンドゥー教、仏教、密教においては「蓮」そのものが特別な意味を持ち蓮の花、蓮の実と共に珍重される。蓮の葉はロータス効果という現象の説明において代表的なものでもある。 蓮の葉商い(蓮の葉商ひ、蓮葉商い)とは、古くから日本各地の朝市や縁日などで、その時々に自生する銀杏、アケビ、椎(しい)などの木の実や五節句、二十四節気の年中行事に必要な季節物をその期日の前に商いしていた者をさし、(近年、近代から八百屋や花屋や街商も季節物を売っていた)その中で盂蘭盆(うらぼん)に使う蓮の実や蓮の葉が特に珍重された事や、商品の多くを蓮の葉や蕗(ふき)の葉の皿の上に置いて売っていたという事などから、季節物を扱う商人を「蓮の葉商い」(はすのはあきない)と呼ぶようになった。しかし季節物という短期使用のいわゆる、消え物であることから多少品質が悪くとも問題にならない、しない物という捉えかたがされ、きわもの売りやまがい物を売る者という意味を持つようになり、蓮の葉の言葉の意味が際物(きわもの)やまがい物を指すようになった。 季節ごとの主な商品 ・1月 一月一日 - 七日の正月・人日の節句---橙(だいだい)、榊、松、竹 ・2月 二月三日の節分---鰯や柊、大豆「鬼が入らないための結界と追い出すための道具」 ・3月 三月三日の桃の節句---桃の花 ・4月 四月八日の灌仏会(釈迦の誕生日)---甘茶「紫陽花の近縁種の植物の葉」 ・5月 五月五日の端午の節句---柏の葉、菖蒲「柏餅、菖蒲湯」 ・7月 七月七日の七夕---笹や竹 ・8月 八月十三 - 十六日    盂蘭盆(仏教行事)---蓮の葉、蓮の実    お盆(日本古来の祖先崇拝の祭り)---鬼灯・酸漿(ほおずき)、真菰馬(まこもうま)、小豆、大角豆(ささげ)関東地方では豆がはぜるのが切腹と通じるのを嫌い小豆の代わりにこれで赤飯を作った。 ・9月 九月二十五日の月見---ススキ、枝豆、栗 ・0月 十月十九日・二十日の恵比寿講--- 大根、牛蒡(ごぼう)などの根菜や魚(恵比寿は日本では漁業の神でもある)「五穀豊穣と大漁祈願の祭事」 ・12月 十二月十三日のすす払い---鯨「すす払いの後、鯨汁を作って食べる習慣があるため」     十二月二十二日の冬至---柚、南瓜(かぼちゃ)「柚湯、南瓜粥で冬の��気を養った」   ●行商   https://ja.wikipedia.org/wiki/行商 行商(ぎょうしょう)は、(特定の店舗を持たず)商品を顧客がいるところへ運び販売をする小売業(サービス業)のこと。   ●屋台   https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)は、移動式の簡易店舗。簡単な飲食物や玩具などを売る。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階で物を売る店も含まれる。   ●商業   https://ja.wikipedia.org/wiki/商業 商業(しょうぎょう)とは、財やサービスなどの商品を所有している人やまたは存在している場所と、必要としている人または必要としている場所を結びつけることにより利益を得る職業または経済活動である。多くは貨幣の媒介を経て市場や個々の店舗において取引(商取引)という形式をとって行われる。ただし、貨幣や市場などを媒介しないケースを含める場合には「交換」と呼ぶこともある。また、「商業的」という場合、「営利を目的として」という意味になる(例:商業的生産)。   ●ろてん【露店】 道ばたに商品を並べて売る、屋台店(やたいみせ)。    「―商人」   ●ろてん【露店】  https://ja.wikipedia.org/wiki/露店   ●屋台       https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)とは、屋根が付いていて、移動可能で、飲食物や玩具などを売る店舗。 屋台の形態は国や地域によって様々なものがあるが、初期の形態としては、天秤棒で担いで売り歩いた形態があったが商品を多く運べないのが欠点。リヤカーのように可動式の店舗部分を人力、自転車、オートバイで牽引するものや、テントのように組み立て型の骨組みをもとに店舗を設置する場合もある。またトラックの荷台の部分を改造したものもある。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階の店先で物を売る店も含まれる。   ●蚤の市      https://ja.wikipedia.org/wiki/蚤の市 蚤の市(のみのいち、flea market、フリーマーケット)は、ヨーロッパの大都市の各地で春から夏にかけて、教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市。パリの蚤の市が有名。北米では大規模な倉庫や体育館など屋内で開催されるものもある。出店者は一般家庭や仲間で集まったグループから、古物商や雑貨商の様な事業者まで幅広い。   ●的屋     https://ja.wikipedia.org/wiki/的屋 的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。祭りや市や縁日などが催される、境内・参道・門前町において屋台や露店で出店して食品や玩具などを売る小売商や、射幸心を伴う遊技として射的やくじ引などを提供する街商や、大道芸にて客寄せをし商品を売ったり、芸そのものを生業にする大道商人(だいどうしょうにん)などが含まれる。「当たれば儲かる」ことから的矢[1]に準えて言われるようになった言葉である。 的屋(まとや)、香具師(やし)、三寸(さんずん)とも呼ばれる。   ●露天商      https://ja.wikipedia.org/wiki/露天商 露天商(ろてんしょう)とは露天(屋外や青空の下)で店舗を持たず商売をする者。露店商とも表記し、街商(がいしょう)ともいう。 的屋(てきや)、香具師、三寸は辞書[2]では、同じ説明がなされている場合が多い。職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農黄帝」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭い世界では神農(しんのう)とも呼ばれる。 警察においては、的屋を暴力団の起源の一つと定義しており、戦後の混乱期に的屋は、博徒・愚連隊と同様に闇市を縄張として、覚せい剤の密売などの違法行為を行っていたと警察白書に記されている。平成以降の暴力団の定義でも「博徒、的屋等組織又は集団の威力を背景に、集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織」としており的屋も暴力団の経済活動の一つとしている。   ●反社会的勢力 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/反社会的勢力 反社会的勢力(はんしゃかいてきせいりょく、英語: Anti-Social Forces)とは、暴力や威力、または詐欺的手法を駆使した不当な要求行為により経済的利益を追求する集団又は個人の総称である。暴力団や半グレ集団などを広く呼び、反社(はんしゃ)と略される。   ●ヤクザ  https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤクザ ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているものを言う。この偏倚(へんい)集団を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。また下っ端に該当する場合は「チンピラ」と称される。 大辞泉は「やくざ」について次の2通りの説明を示す[1]。    役に立たないこと。価値のないこと。また、そのものや、そのさま。「―に暮らす」「―な機械」「―仕事」    ばくち打ち・暴力団員など、正業(せいぎょう)[2]に就かず、法に背くなどして暮らす者の総称。「―渡世」 「やくざ」研究の古典的名著とされる岩井弘融の『病理集団の構造』の序説で「親分乾分(岩井は故意に、乾としている。読みは「こぶん」で同じ)」の関係は民俗学(柳田國男他)や社会学(川島武宜他)において説明されるところのオヤカタ・コカタの関係と共通の社会的基盤を持つと説明している。   ◆あんにゃとあねま - 縄文人の反乱 日本を大事に - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/1448c6d0f0267f9daef8224a69cbd13e 2012/02/29 あんにゃとあねま あねまあんにゃ 棒八もん 形見位牌 証文をまく コレは映画に出てくる幾つかのコトバ。 忘八だけは引っかかるけど後のコトバは100見ても出てこない。 ヤフーでいつも検索すると一ページに100表示するように設定している。 始め方に新しいページが出てくる可能性がある。 生地はなるべく新しい方が良い。 中には古くても良いモノも有るけど。   ◆木颪の酉蔵 ~ 浜木綿子さんが演じた女親分【Respect】  2016/06/29 https://youtu.be/7vXf5Xrymnc 木颪の酉蔵:「子連れ狼」"あんにゃとあねま" に登場した房州の揚屋・女衒の元締め。 萬屋錦之介版の子連れ狼では浜木綿子さんが演じました。
拝一刀とのやり取りで見せた貫録と美しさはひときわでした。 私もそうですが、この役は浜木綿子さんでこそ演じきれたと思う方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。 子連れ狼 第一部 (1973年4月 - 1973年9月) 日本テレビ放送網 製作:ユニオン映画、スタジオシップ 第三話 あんにゃとあねま 拝一刀 - 萬屋錦之介 大五郎 - 西川和孝 木颪の酉蔵 - 浜木綿子 お松 - 竹下景子
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benediktine · 5 years
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【We must live on.】 - 英国式自転車生活 : https://blogs.yahoo.co.jp/tenzen194/30396490.html : https://archive.fo/qTKJB 2012/12/21(金) 午前 3:15 この11日間は真夜中の国際電話にすっかり忙殺されました。なんだかぽっかりとした空虚感があります。なんだか何をやっても集中力が出ない。 「会うは別れの始まり」 昔、黒澤明の「7人の侍」を見たときに、「なんでつぎつぎにすごい人が死んでゆくのかな」と理不尽な感じがすごくしたのを覚えています。 しかし、いま自分が歳をとって見ると、世の中は理不尽なものだとの思いを深くします。 たぶん、7人の侍も、まったくの時代劇ではなく、黒澤監督のまわりで死んでいった、消えていった人たちを見た彼の実感だった気が強くする。人生ではなかなかすんなりときれいにはゆかない。 「こういう風にしたかった」という誰かの夢を知っていて、確たる文書も証拠となるものもなく、ただ記憶の中の、かわされた微かなニュアンスのなかにしか真実がない場合は少なくない。 そのおぼろげな記憶の中の夢、具象以前のイメージは誰が実現しなければならないのか? 推測でしかありませんが、アレックスも彼がなぜ突然かなりの間隔を置いてトラスをやりはじめたのか?これは普通に言われている以上に深い意味があると私は思います。英国の自動車産業はあの時期本当に行き詰まっていた。ものすごく高い失業率。どんぞこの不景気で新車開発もままならない。強まる排ガス規制、対衝突基準は厳しくなり彼のサスペンションを必要するほんとうに小さいクルマはつくれなくなる、Aピラーはどんどん太くなる、くわえて環境問題はいよいよ社会問題になる。 私の父は自動車狂でしたが、叔父もまた病に倒れたとき、「あにきも俺も自動車をつくるのが夢だった」と言うのを聞いて、どこか謎が解けた気がしました。しかし、自動車をつくるというのはなみたいていではありません。いまなお、ひとたび会社が外国に買い取られたら、新規に別の会社をたちあげるのはなみたいていではない。自転車の場合とはくらべものにならない。 多くの人が「未来環境を考えると自動車はこうあるべきだ」と考えていながら、そういう自動車は作れる環境にない。かつては世界的スポーツカーを作っていた人が超小型車、かつて日本にあったフライングフェザーの現代版をやりたいと思っても誰もやらせてくれない。ただ、過去の名声と過去のイメージの中で崇拝されて、過去の中に埋められてしまう。大資本商業・工業主義のなかでますますそういう傾向は強まっている。 私はアレックスのなかにはそういうフラストレーションと焦燥感があったように思えてならないのです。 自動車のメーカーの何人かはご記憶と思いますが、アレックスはニューミニとオリジナル・ミニ��詳細な比較図面を持って来日し、人々に見せて歩いていました。ボデイは大きくなっているのに、中は狭くなっているとアレックスは主張して、「自動車をすこしづつ大き���して、馬力を上げ速くしてゆく開発の方向性でいいのか?」と。 人は「お城」と呼びましたが、税金の高い英国であの規模の屋敷を維持する苦労はなみたいていのことではないはず。 自由にふらふらしている私を見て、アレックスは、 「R&Fはたいへん裕福な資産家の息子に違いない。」 とある人に言ったそうですが、実態は、フレシュネスバーガーにお茶に入ろうか、専門の喫茶店に入ろうか悩んでいるくらいの庶民(笑)。 裕福な人には裕福な人の、庶民には庶民の苦労がある。 人は彼が「お城で作っていたから高級感が漂う垢抜けたものができた」と「お城」「お城」と言いますが、私は違うと思う。彼のどこかには「巨大な屋敷に住む人」を演じなければならない重圧感があったと思う。 彼は日本に来ると、むしろ高級なものを嫌っていました。 「夕食は何がいいか?」 と聞くと、 「高級なレストランや、天麩羅などの高級店はやめてくれ。」 と言って、普通の町の蕎麦屋や焼き魚に味噌汁などの定食を好んでいました。 「ミソ・スープは美味いな。これがわしの家でも年中食べられるといいんだが。」 そう言っていたので、半生のインスタントの味噌汁をもっていっていました。 ある時は、ご招待で有名な天麩羅屋へ行ったのですが、4分の1も手をつけず、 「Finish this.」 残さず食べろ、と招待した人に差し出したことを思い出します。そういう時にはまったくこどものようでしたが、彼はその時たいへんお腹がすいていた。待ち合わせの前にお腹がすいたといっていたのでたしかです。 彼は別に天麩羅が嫌いだったわけではありません。スツールしかない、背もたれのない椅子の蕎麦屋で、蕎麦と別に出てきた柚子を糸のように細かく切ったのをふりかけたかき揚げを、 「これは美味だ。」 といって、たいへんうまかった、と調理場の人にお礼を言いにいったりしていました。 高級なところから高級なものが出てくるわけではない。「すべてのものはこころからつくられる」。 「どうにかしないといけない気迫」これこそが別格のものをつくる秘訣だろうと思います。 We must live on. 補遺: けさ、トニー・ハドランドから連絡がありました。彼とは故ジョン・ピンカートンを軸とするつきあいと、アレックスを軸とするつきあいとの両方から良く知っています。サンビームやラレーの歴史の話でも本を彼が出す時にいろいろやりとりをしていました。 「アレックスの葬儀はすべては順調だった。しかし、こっちは雨また雨だ。」英国は涙雨のようです。トニーとは長年のつきあいですから、多くの湿った話はなしです。「ジム・ウッドバーンが来ていたよ。今年会ったのは3回目だ。BBCは僕とショーンのインタヴューをしていってラジオ4で放送した。あとは、そうだな、昼飯時の話題としては、『ポルシェのワイパーは水の中でも利く』とかそんな話ぐらいだったな」。トニーらしいクールジョークで、自動車にほとんど関心がないトニーからすると、自動車関係者が多かったようです。
【We must live on.】 - 英国式自転車生活 : https://blogs.yahoo.co.jp/tenzen194/30396490.html : https://archive.fo/qTKJB 2012/12/21(金) 午前 3:15
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nui-and-me · 6 years
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181024 バッデストバースデー
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実は10/24は私の31回目の誕生日なのでありました。31回全ての誕生日を覚えているわけではないけれど、覚えている限り最もつらい誕生日だった気がする。苦笑 というか、誕生日感ゼロの一日。
息子の熱はなかなか下がらず、本当にしぶとい。薬がないから本当に自分の力で治すしかないっていうのを目の当たりにしている。でも今日になって初めて7度台をマーク。今日もまだ高熱が続くようなら再度血液検査だったのだが、それは免れたのだった。徐々にだけどゆっくりと快方の兆し。
機嫌良く遊んでいる時もあるのだが、突然火がついたように「やだ」を連呼し出す時がある。入院して「やだ」ってハッキリ言えるようになった。苦笑 やだよね、わかるよ、私もやだよ。
一方私の体調は正直地獄的に悪い。悪阻にプラスして、どうやら息子の風邪をもらったようだ。なんだか熱っぽくくしゃみ鼻水…もはや悪阻で具合悪いんだか、風邪の具合悪さなのか、なんなのかわからない。午後からはあまりにもつらすぎて旦那にSOSを出し、早退してきてもらった。普段仕事忙しいのは十分承知で、なるべく仕事の邪魔しないように、とか思ってるけど今回の事態に関してはもはや全員試合で臨まないと無理だ、と改めて思い直し、色んなところに迷惑顧みずバンバン協力要請を出さなければ乗り越えられないと思った。
旦那が来ている間に、夜私は歩いて10分程度の銭湯へ行く。病院から銭湯まで、246とその頭上を走る首都高を越えて向かうのだけれど、ものすごい都会な景色。そんな景色の間にポッカリと明るくてまあるいお月さまが見え、ああ、これが今年の誕生日プレゼントかな、なんて風流なことを思ったが、次の瞬間そんなのどうでもいいから早く息子が治って悪阻が終わりを迎えてほしいと正直に思ったのだった。
なんだかこのままだと救いようのない日記になってしまうので、小さな嬉しかったことも羅列しておこう。
・日勤の担当看護師さんが息子と同学年の子供がいる方で、少し育児の話や悪阻の話ができた。4月から職場復帰したとのことで、同じく働くワーママ。同志感が嬉しい。
・点滴でぐるぐるテーピングされたところにキャラクターのシールを貼ってもらえるのだが(看護師さんの手作り!)名犬チーズを貼ってもらえて息子にっこり嬉しそう。何度も見ては「わんわん!」と言っていた
・コンビニご飯に限界がきたので、夕飯は立ち食い蕎麦屋。冷たい蕎麦に梅干し、これがグッドだった。蕎麦は偉大
・銭湯で風呂上がりに飲んだ瓶のいちご牛乳が最高。
・吐き気対策に漬物が良い。塩分取りすぎだと思うけど、そんなこと言ってられない。こっちは吐くか吐かないかの瀬戸際。
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myonbl · 2 years
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2022年5月21日(土)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、平飼い有精卵・特別栽培玄米・畑無農薬野菜、それにおまけで鹿肉と梅が届いた。梅は洗って塩漬けの準備、鹿肉は今夜カツにしていただこう。いつもの蕎麦がないのだが、明日打つので月曜日に届けるとのことだ。我が家の健康を支えてくれる元気食材、いつもありがとうございます。
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5時起床。
二十四節気は<小満=万物が成長し、天地に満ち始める(暦生活)>。
日誌書く。
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いつもよ��30分遅い朝食、チクワそば+そば湯+ヨーグルト。
奥川ファームから定期便届く。鹿肉が入っていたので、夜は鹿カツに決定。
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今日は映画、西大路七条のフレックスの駐輪場に、餃子の自動販売機と宅配便受取ロッカーが新しく置かれていた。バスを待つ間に、1人の女性が宅配便を受け取りに来る、初めて見る光景だ。
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京都みなみ会館で、「わたしのはなし 部落のはなし」
日本に根強く残る「部落差別」を題材にしたドキュメンタリー。かつて日本には「穢多」「非人」と呼ばれる賤民が存在した。1871年に明治政府が発した「解放令」により賤民身分は廃止されたものの、それ以降も彼らが住んでいた地域は「部落」と呼ばれ、差別構造は残り続けた。現在、法律や制度上は「部落」「部落民」は存在しないが、少なからぬ日本人が根強い差別意識を抱えている。映画では部落差別の起源・変遷から現状までを描き、積み重なった差別の歴史と複雑に絡み合った背景をひも解いていく。監督は、屠場とそこで働く人々を捉えたドキュメンタリー「にくのひと」で第1回田原総一朗ノンフィクション賞を受賞した満若勇咲。「なぜ君は総理大臣になれないのか」の監督・大島新がプロデュースを手がけた。
10時30分から14時10分、途中で休憩が15分入る。いろいろ思うところはあるが、労作であることは間違いない。
帰宅して、残り物のカレーを温めて遅い昼食を頂く。
録画番組視聴。朝から笑タイム
▽桂小枝 落語「悋気の独楽(こま)」
初回放送日: 2022年5月21日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は桂小枝さんの落語『悋気の独楽』を。小枝さんへの爆笑インタビューもお見逃しなく▽ご案内役は南沢奈央・らくご男子
軽さはこの人の味に違いないが、雑すぎて私は好きになれない。
町内の社協委員が配り物と年会費の請求に来られる、20,000円を支払う。
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夕飯は鹿カツ、時間はかかるがやはり美味しい。
録画番組視聴。
(35)「闘牛士の栄光」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。舞台はメキシコ。伝説的な名闘牛士が長年の相棒を凶暴な牛に襲わせて殺害する。果たしてその動機とは? 
メキシコの元闘牛士で国の英雄でもあるモントーヤの牧場で、かつての相棒エクトールの息子が牛に立ち向かい負傷する事件が発生。エクトールと共に助けに向かったモントーヤは、突然、麻酔銃を彼に発砲し、荒くれ牛を放った。その後エクトールは牛に襲われ死亡する。モントーヤの動機とは?休暇でメキシコを訪れていたコロンボは、地元の警部に請われ、捜査に加わることに!
「横浜・川崎〜横浜・川崎は東京湾をどう進化させた?〜」
初回放送日: 2022年5月21日
海の上から横浜・川崎を見ると東京湾の数奇な運命が見えてくる!?その謎をタモリさんが船でめぐって解き明かす!▽京浜工業地帯・誕生の秘密!浅野総一郎の壮大な計画とは 
 「ブラタモリ#203」で訪れたのは東京湾の西側・神奈川県の横浜市と川崎市。旅のお題「横浜・川崎は東京湾をどう進化させた?」を探る▽拡大を続ける横浜港の埋め立て現場を目撃!▽小さな漁村だった横浜が大きな港町になった理由▽横浜の街なかで発見!石垣の秘密とは!?▽京浜工業地帯を生んだ実業家・浅野総一郎の計画を探る!▽大正時代に浅野が残したドックへ!▽新しい人気スポット・海から見たきれいな工場夜景の秘密
今夜もワインはグラスにⅠ杯だけ、密かに減量計画を進行させているのだ。
入浴・片付け、布団に入って柳家小ゑんのCDを聴きながらの読書、気がつけば夢の中。
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今日は映画館に籠もっていたのでこんなもの、水分は1,600ml。
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184kt078 · 7 years
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20170721
・耳がおかしくなった話 昨日の昼くらいから右耳に違和感を覚えるようになった。どうも詰まった感じで、気持ち悪いなーくらいの。 音は聞こえる、痛みはない、ただ確実に詰まっている感があって気持ち悪いな…とぼんやり思いながら夕方になって、いよいよ違和感が我慢できないくらいになる。先輩に伝えると、我がチームの先輩2/3名は突発性難聴経験者ということもあり、業務中にも関わらず真剣に話を聞いてくれた。色々と病院まで調べてくれたけど、木曜は基本的に午後休診。痛みもないし難聴のような違和感もないのでそのまま夕方休憩へ。 そこでタバコをいつもより多く吸ったからか、吐き気がちょっとひどくて、でもまあいつももそんな感じだしなあ、と思ってデスクに戻ったものの、いつもとは明らかに違う吐き気がどんどん強くなった。PC画面も見てられない。定時で上がらせて貰ったものの、どう考えても電車に乗れる感じではなく、会社の医務室で横になることに。 軽く眠ったからか、ゆらゆら揺れる船の上のような感覚は少し治ったものの、右耳はずっと詰まっているし、吐き気も治らない(夕方一回戻してる)、2時間近く横になってもベッドから出るのもままならないくらいだったんですが、取り敢えず帰宅までに乗り換えが一回あるのでそこまでは…と思いフラフラになりながら電車へ。昨日は遅がけから送別会という事もあり、たまたま連絡を取っていた会社の先輩に改札前までお迎えに来て頂くことに。 電車でも吐くか吐かないかで死にそうだったので、改札を出て先輩の顔を見た瞬間に号泣。支えられるようにして取り敢えずベンチへ、ベンチでも号泣、めんどくさい後輩やで…。 その後先輩は送別会もあるので、ずっと側で見てもらうわけにも行かずたまたま近くにいた兄を呼びだし、お迎えののち近くの兄宅へ。ピークからは落ち着いたものの、船酔いのような感覚は抜けない。 結局兄の家でしばらく横になったのち、兄の運転で実家まで送ってもらった。吐き気はあるけどお腹は空いてるし、全体的に心と身体のバランスがおかしい(お腹は鳴るし空いてるけど、吐き気が強くて食べる気にならない)状態で、横になってなんとか晩御飯にお蕎麦を半玉食べて少しずつ落ち着いた。絶望的な半日だったぜ…。 ・原因は不明 今朝も相変わらず耳の詰まりは感じる(調べたけど耳閉感っていうんだね)ので耳鼻科へ向かったものの、聴力の低下も無し、眼振検査も異常なし、極度のめまいや吐き気も治っており、お医者様もわからぬ!ということでした。メニエール?っぽいけど症状落ち着いちゃってるしな〜みたいな感じ。お腹は空くけど吐き気がある(=胃は元気なのに胃液の調節が出来ていない)とかは自律神経系がやられてる可能性が高いね、船酔いみたいのも三半規管系だしねえ、とのことでムムーの気持ち、おれはげんきだよ〜。 ・お休み 結局お休みを頂いてまったりしてるわけですが、相変わらず右耳は違和感です。まあでも昨日よりかは断然マシ!うれし!吐き気もまし!ずっとなんか食べてる!週末はゆっくりします、ハァ。
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myonbl · 3 years
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2021年7月25日(日)
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東京はもちろん、関西でも落語のライブは大分復活してきた。しかし、多くの芸人が仕事激減/生活苦にあることは変わりない。そこへ嬉しいニュース、デビューから応援している桂二葉さんが<芸歴10週年記念 桂二葉独演会>を開催するというのだ。幸い2日間ともチケットを取ることができ、本日発券開始ということでセブンイレブンまで走った。昨日のことはともかくも、10年前の彼女の様子はよく覚えている。娘の成長を喜ぶ父親のような心境・・・、あれ、孫のような・・・?
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納豆そば+ヨーグルト+豆乳。
洗濯1回。
ツレアイは朝になって緊急電話当番解除、ヘルペスはまだ続いているので静養して貰わなければならない。
オリンピック放送など見る気はないので、録画番組(サイモンとガーファンクル、落語研究会など)を適当に流しながらあれやこれや。
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朝も昼も、奥川ファームから届いた手打ち蕎麦。蕎麦と来れば酒、ま、休日だからね。
録画番組視聴。
らくごのお時間 
を、福島アナウンサーがずいぶんスリムになっている! 出演者は・・・忘れた。
名探偵ポワロ (63)「ハロウィーン・パーティー」
田舎町の家でハロウィーン・パーティーが開かれる。客の中には、ポワロの知人で小説家のオリヴァもいた。みんなで楽しく過ごしていたところ、突然ジョイスという少女が「殺人を見たことがある」と言いだす。だが誰も相手にしなかったため、ジョイスもそれ以上のことは言わなかった。そしてパーティーが終わるころ、いつの間にか姿が見えなくなっていたジョイスが遺体で見つかる。
スリリングな展開ではあるが、途中でダウンしてしまった。
西大路花屋町・セブンイレブンまで、桂二葉独演会のチケットを発券する。
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夕飯は昨日仕込んだ鹿肉ロースト・豚バラ肉と茄子とシシトウの甘辛煮、奥川ファームの食材を堪能する。この暑さでは、ワインも室温では無理、しっかりと冷やしていただく。
柳家小三治のCD鑑賞、今夜は「千両みかん」。東京の噺家では聞いたことはないが、演出の違いに驚く。いくら小三治とは言え、これは上方バージョンの方が噺に味がある。商人気質の違いかな?
入浴+ヴェリタスブロイ、いやぁこの4日間はいい休養になった。とは言え、明日は月曜日で私はオフ、もう1日のんびりしよう。
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セブンイレブン+αで、なんとか3つのリング完成。
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myonbl · 4 years
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2020年9月13日(日)
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私のような職業(私立大学教員)は、世間からみれば休みが多いと思われているだろう。事実、夏休み・春休みがあって授業のない期間は長い。だが、それは「休み」ではなくて業務は普通にあるのだ。とは言え、私自身は今年から「授業担当のみ」という契約となったので、同僚諸氏には申し訳ないがたっぷりと休みを頂いた(当然収入減ではある)。今日も今日とて3食手作り、兼業主夫の楽しみを満喫したことだ。
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奥川ファームから届いた手打ち蕎麦に放置栽培レモンをトッピング、これ、やみつきになる。
三男は24時間勤務。
洗濯1回。
腹筋30回。
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奥川ファームから届いた「虎の尾」を酢に漬ける。尾鷲地方のみで栽培される辛味とうがらし、私は直接いただくのは苦手。
クレジットカードの変更に伴う支払情報の更新、いろいろチェックしたはずだが JCOM(CATV)を忘れていた。早速手続きする。
先日予約した『柳家小満ん口演用[てきすと]<拾遺 その四>』について事務局から連絡、送料込み3,370円を振り込む。
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amazonから、山本 志乃『女の旅―幕末維新から明治期の11人 』が届く。先日楽しんだ『カンカン列車』の著者の古本、早速拝読。
全国漂泊、京都への出奔、米国留学、富士山越冬、蒙古行などの足取りを日記、手記等から再現。時代に立ち向かった女性達の人生を描く
コンパクトで読みやすい。
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ランチ、次男には炒飯、私たちはガーリックライス+鹿肉カレー、🍷つき。
録画番組視聴。
名探偵ポワロ(24)「スズメバチの巣」
夏祭りの会場で、ポワロは旧友の息子ハリスンと婚約者のモリーに出会う。会場には彫刻家のクロードもいた。彼はモリーとの婚約を解消し、今は良き友人としてつきあっているという。その後、モリーの車が、ブレーキがきかず立木に衝突する事故がおきる。そのブレーキはハリスンが直していた。さらに数日後、ハリスンの家に招かれたポワロは、庭でスズメバチに刺されてしまう。ハリスンは巣の始末をクロードに依頼していた。
これはよく覚えていた。
軽く午睡。
里芋煮る。
無水ミネストローネ仕込む。
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今夜は3人、早めの夕飯、奥川ファームの平飼い有精卵とさんだかんの無添加ベーコンで最強のベーコンエッグ。次男にはタマゴ2つ、私は1つ。
明日は出勤するので、久しぶりに散髪してもらう。
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明日からは後期授業開始にむけてウォーミングアップ開始、3つのリグ完成をめざすのだ。
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