Tumgik
#珍エピソード
mlyzvt-no2157 · 7 months
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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elle-p · 2 days
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Clean/full versions of some of Sogabe's coloured art?????
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■電撃「マ)王'08年8月号初出
曽我部先生の記念すべき『ペルソナ3』の初カラーイラスト。本誌の表紙以外にも、付録小冊子や、PR用の小冊子の表紙なども飾ったアイギス。ゲームではなかなか見られない人間っぽい表情をした貴重な1枚。
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■電撃「マ)王'08年8月号初出
こちらも表紙を飾ったアイギスと主人公のイラスト。アイギスの手に乗っているのは、ご存知クマ(のぬいぐるみ)で『3』と『4』がコラボした珍しい構図となっている。
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■電撃「マ)王'08年8月号初出
上のイラストと同じ本誌に付録として付いていた、コミックス用のかけかえカバー(裏表紙)として描かれた。こちらはアイギスの手にクマではなく綾時が乗っている。
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■電撃「マ)王'07年4月号初出
コミック版『ペルソナ3』の連載開始号となった、本誌の表紙を飾った主人公とそのペルソナ・オルフェウス。召喚器から立ち昇る白煙も、はじまりを告げているようだ。
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■電撃「マ)王'08年8月号初出
本誌の付録として付いたかけかえカバー(表紙面)用に描き下ろされた1枚。モノレール内で居眠りをする2人とアイギス。綾時の手にはアトラスの作品ではおなじみの顔も⋯⋯。
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■電撃コミックス『ペルソナ3』Ⅱ口絵初出
コミックス第2巻のカラー口絵用に描き下ろされた、主人公と綾時の2人。からませた腕と、綾時の表情がコミック本編よりも大人びた雰囲気で○。
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■電撃コミックス『ペルソナ3』Ⅳ初出
コミックス第4巻の表紙に描かれた美鶴。彼女の過去のトラウマ、そして決意が描かれる第4巻の表紙にふさわしい、キリッとした表情が印象的な1枚だ。
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■電撃コミックス『ペルソナ3』Ⅲ初出
コミックス第3巻の口絵に描かれた、荒垣、美鶴、真田の3人。主人公やゆかりがペルソナ能力に目覚める前、ひそかに活動していた面々。凛とした表情は、彼らの決意の固さを感じさせる。
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■電撃コミックEX『ペルソナ3電撃コミックアンソロジー』初出
たくさんの作家さんが描くショートコミックや4コマを収録したアンソロジーコミック。その表紙を飾った1枚だ。
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■電撃コミックス『ペルソナ3』Ⅲ初出
コミックス第3巻の表紙を飾った、特別課外活動部の面々。特に、この巻で中心となった画花をメインにすえ、夕日をバックにした構図は風花のエピソードを象徴しているようだ。
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■電撃コミックス『ペルソナ3』I初出
記念すべき初単行本、コミックス第1巻の表紙を飾ったイラストだ。召喚器を手にした主人公と、背景のオルフェウスがこれからの物語を予感させる、緊張感あふれる1枚。
(This one goes over the spine and on to the next page)
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■電撃コミックス『ペルソナ3』Ⅱ初出
コミックス第2巻の表紙イラスト。主人公と背中を合わせるゆかり、表紙ではその後ろに右のタルタロスのイラストが配されていた。
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■電撃「マ)王VOL.6初出
B2サイズの大判付録・ポスターカレンダー用に描かれた『ペルソナ4』の面々。それぞれのポーズや表情にもキャラクターたちの性格が表れているような幻想的なイラストだ。
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■電撃コミックEX『ペルソナ4電撃コミックアンソロジー』初出
ショートコミックや4コマ、イラストなどで 『ペルソナ4』の魅力を詰め込んだアンソロジ一の表紙イラスト。主人公と陽介をメインに、デフォルメされた残りのメンバーが描かれている。もちろん、全員メガネ着用!
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■電撃黒「マ)王VOL.6初出
右ページに掲載している、ポスターカレンダーの裏面用に描かれたりせ。アイドルらしく、南の島でロケをしたグラビア風で、艶っぽい表情もちょっぴりセクシー♡
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■電撃「マ)王'09年1月号初出
本誌特集のために描き下ろされたりせ。ゲームのオープニングに登場した、ステージ衣装を身にまとい、マイクを手にした姿はまさにアイドルといった感じだ。
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■電撃「マ)王'08年11月号初出
記事内の企画として、曽我部先生が描き下ろした千枝。ゲーム内でもあまりお目にかからない千枝の私服姿(ほぼ全身)は、こうしてみると意外に(失礼)女の子っぽい。
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■電撃「マ)王'08年12月号初出
電撃「マ)王08年12月号の表紙として描かれた主人公。このイラストはメガネをかけているが、同じ号の付録用・かけかえカバーの表紙には、同じイラストのメガネなしバージョンが使用されている。
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■電撃黒「マ)王VOL.5初出
『ペルソナ4』のコミック連載開始号の表紙に描かれた主人公。こちらにチラリと目を向ける主人公の表情が印象的。
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kennak · 5 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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diarytheroomoffuji · 2 months
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432
父のおもいで
子供達が今回の日本旅行で行ってみたかった所、トヨタ博物館とトヨタ産業技術記念館。あとオートバックスとアップガレージにも(笑)
息子も娘もクルマ好きになってしまったのは私の責任ではなく、今は亡き彼らの祖父の血だと思う。特に娘には、クルマの話などあまりしていなかったのに、気がついたら趣味クルマと足クルマの2台体制(笑)
息子は息子で車歴は既に10台でバイクは5台だし、この車歴変換の多さは私の父の血(苦笑)
そんな子供達のオヤジは子供の時に432Z に乗っていました。クルマ好きの父が乗っていて、当時近くの呉服屋さんがトヨタ2000GTに乗っていて、「432にも乗ってみたいからちょっと交換して・・」と、2000GTにも数日間乗ったりと、今では考えられないエピソードがいろいろとあります。
当時はスポーツカーなんて本当に珍しく、近所の子供達が432が来ると排気音も良いし、「かっこいい〜」と寄ってきて、助手席の私は恥ずかしかったのでした。スーパーカーブーム前の話です。
今ではこの432、相場価格は数千万円にもなるとかで、高度成長期に光化学スモッグをたらふく吸わされて育った私、良いこともあったのだと昭和を振り返る。
ちなみに “ 432 ” とは、4バルブ・3キャブ・2カムの意味で、当時のGT-R・S20エンジンであります。まあ、説明は要らないよね・・・
そんな昭和の光景が今も脳裏に焼き付いているけど、後世の孫が亡き父の愛車の写真を撮って送ってくれたのは涙ものでした。
合掌
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myonbl · 2 months
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2024年2月23日(金)
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世間では今日から三連休、ツレアイ(訪問看護師)も珍しく世間並み。それならと、<天満天神繁昌亭>の朝席を予約した。露の新治師匠の出番をのぞけば、京都以外の夜の落語会は正直辛くなった(早寝早起きが身上故)。朝席なら終わってからゆっくりランチ(+🍺or🍶)をいただいても明るいうちに帰ることが出来る。かくして、連休初日は美味しく楽しく過ごすことができたのだ。
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5時30分起床。
日誌書く。
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蕎麦がなくなったので、朝食は残りご飯を頂く。
洗濯。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
8時26分、七条御前通りからバス乗車、阪急桂駅から南森町へ、天満天神繁昌亭へ。
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今日の朝席は<たましか・桂文鹿/笑福亭たま二人会>、ほぼ大入と言ってよい。たまさんは上方落語界では論理的分析力はピカイチ、<note>の有料記事は、いつも拝読している。対する文鹿さん、毎年インドへ出かけて当地で新作落語を作り、熱狂的なファンをお持ちの方。たまたま土曜日の朝席なので出かけたが、次回も朝席なら是非来たいと思わせる素晴らしい内容。ええ取り合わせですな。
終演が12時15分、天神橋筋商店街の飲食店は何処もいっぱい、3軒目に空席のある店があったので内容を確認することなく入店。彼女は煮魚定食、私は豚汁定食、生ビールも頂いて味よし値段よし。
帰宅は15時前、彼女は早速買物に走る。
わたしはと言えば、昨日の<TRAVELER'S NOTEBOOK>のセットアップの続き。YouTubeで参考映像を見ながらあれこれ試行錯誤、その自由度の高さに愛着が増す。
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早めの夕飯準備、ポークステーキ・半熟酢卵、画像はないがシシャモ・板わさも加えて🍷&🍶。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第37話「さらば提督」/ Last Salute to the Commodoreシーズン 1, エピソード 37 造船界の大立者で提督と呼ばれるオーティス・スワンソンは、創立記念パーティの会場で娘ジョアナの夫で現社長のチャーリーを儲け主義に走り、造船所を堕落させたと罵倒する。経済的にオーティスに頼りきりだった一族の者は、彼が一族全員を叩き出すつもりでいることに動揺する。
片付け、入浴、体重は305g増。パジャマに着替えて日誌書く。
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雨模様でウォーキングは諦めて、残念ながらリング完成ならず。水分は、1,710ml。
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lastscenecom · 2 months
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「一般的なアメリカ英語では、名前や敬称はほとんど使用されません。デフォルトでは、名前または好みのニックネームで人々を呼びます。上司、同僚、友人、恋人、子供たち...フォーマルな場を除いて、通常はすべて同じ呼び方で呼びます。日本語の敬語が含まれていない字幕は、キャラクターがお互いを下の名前で呼び合ったり、初めて「呼び捨て」を使用したりすることがシーンの要点である恋愛アニメではかなりぎこちなくなる可能性があります」 「とはいえ、稀な場合を除いて、アニメは字幕だけで理解できます。英語話者は、そもそも異なる情報が伝わることを期待しているため、日本語に「欠けている」ものの多くは、英語では欠けているとは感じません。『化物語』のような、翻訳不可能な言葉遊びに大きく依存しているアニメもありますが…エピソードを観た後、それが何を意味するのかの説明を読むだけで済みます」 「珍しい語尾は基本的に翻訳できません。単に「です」を使いすぎるキャラクターも含みます。イカ娘の「でげそ」をイカダジャレで伝えるなど、懸命に努力する翻訳者もいるが、英語メディアの登場人物にはそのような言語癖がないため、日本語よりも奇妙に映る」
私は日本人です。 アニメキャラのセリフのニュアンスわかりますか? :r/アニメ
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chaukachawan · 4 months
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こんちゃ、あろハムです。35期新人公演の役者紹介をします。各々から聞いたしょーもないエピソードを書いていたら文章量えぐくなったので2回に分けますね。ひとつ前提なのですが、各々に聞いたエピソードは私が長期記憶が苦手なもんで少し違うことがあるかもしれません。その辺りご了承下さい。では35期の紹介をお楽しみ下さい。
近未来ミイラ
大いなる演出家です。35期を見ていて才能ありまくりやなあって思う人はたくさんいますが、そんなかでもこの人は飛び抜けてるなって思います。一体どんな胎児期を過ごせばこんな子が生まれるんや。多分ミイラはお腹の中にいる時にはもうすでに早口言葉とかやってたんでしょう。そういえばミイラは一番好きなひらがなが「え」らしいですね。あのふにゃふにゃした感じが好きだとか。テストの答えがわからん時答え全部「え」にして先生に呼び出されたらしい。こっぴどく叱られてる時「え!?」「え〜、、、。」しか言わんしょうもないノリを続けて一週間停学になったとのこと。ミイラらしいなあ。ちなみに私は「そ」が好きです。
黒井白子
動きうますぎん?動きがうますぎて笑ったんは白子が初めてです。あと演技指導とかしっかりしてくれる頼れる最高な演出補佐。頑張りすぎて体調崩さないようにしてね。さて、そんな頼れる白子ですが、最近までずっと勘違いしてたことが一つあるらしい。それは、コナンと工藤新一は別人と全く思っていたとのこと。歳の離れた兄弟だと思ってたらしいです。ネタバレされた〜って言ってたけどあの説明知らんかったらコナン何もおもろないやろ。
冊まいむ
私は彼女のことが大好きです。声、演技、全て私の好みなんだろうね。そろそろストーカーしよっかな。さてそんな彼女ですが、なかなか面白い趣味を持っているんです。それは、「撮り鉄を撮る」こと。休日はよく近くの人気な駅に行って、撮り鉄を撮ってるらしい。なんで?って聞いたら、なんか撮ってる人ってどんなものよりも被写体としてふさわしくないじゃん?だから撮りたくなっちゃうとのこと。皆さん、これから写真を撮る時ふとインカメにしてみて下さい。みそかがニコニコして写真をこちらに向けてるかもしれません。
しょこら
本当に忙しいんだと思うだけど、短い稽古期間で一生懸命やってくれてる。頑張れこらしょ!君ならできるさ。そんなこらしょですが、真夜中に一度LINEが来たことがあるんです。「ん!?こらしょから?珍しい!」と思って開いてみると、チェーンメールでした。
海泥波波美
この人は本当に根から良い奴なんだろーなあーって思ってます。まあその分可哀想な目にはよくあってるけど。あさぎが周りから無視されてる時ほど面白いものはないです。そういえばあさぎはもののけ姫が大好きらしいですね。もう100回くらいは観てるって言ってました。最近は一周回ってもののけ姫をタイ語吹き替えで観るのにハマってるらしいです。おすすめされたけど苦笑いで済ませときました。
縦縞コリー
ちゃうか不憫ランキング堂々の一位です。そんな彼ですが、まーなんてったって演技がお上手。一緒に演技すんのが嫌になるくらい上手いんですよね。毎回羨ましく思ってます。そんな演技が上手なこりですが、人狼は苦手と言ってました。演技力高いのになんで?と言ったら何も言ってなくても一番最初に吊られるからって言ってました。日常では演技力よりこりの不憫さが一枚上手ということですね。
鴨兎春
なんか稽古ごとにグレードアップされていってるのが目に見えるから、まじ頑張ってるんだろうなって思う。あと彼女の芸術的センスはもうね、、、えぐい。海馬だけちょうだい。そんな彼女ですが、つい最近夢か現実か分からないような奇妙なことが起こったって言ってきたんです。なのでどんなことか聞いてみたんです。
白馬の王子様と結婚したいとずっと思ってたらびは、近くの城で行われる舞踏会に行ってみようと思いました。しかし、舞踏会当日寝坊してしまったらびは、化粧もヘアセットもせずにダッシュで城に向かったそう。そんな道中茂みから何かが飛び出してきました。「やあ、お嬢ちゃん元気かい?」なんと、下半身白馬、上半身王子様風近くで見るとあんまりだが薄目で見るとイケメンが話しかけてきたのです。それを見たらびは「いや白馬の王子様ってそうゆうことちゃうねん」とキレキレツッコミをしました。するとそいつは「ふっおもしれー女」と言って城まで乗せていってくれることになりました。そいつは「振り落とされんなよ。」と一言言い、走り出しました。ママチャリより遅かったとのこと。
多分夢やろ。
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tokyomariegold · 10 months
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2023/5/26
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5月26日 たくさん渋滞と混雑に巻き込まれながら長い1日を過ごした。 朝、いつものバスが間引かれていて、人が多過ぎて乗る気になれず、途中まで歩いて出勤。 とってもへとへとなのと、朝一で健康診断があるのとで、今日は省エネで過ごすつもりだったのに。
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健康診断はずっとざらつく心地で、測った数値を諸々見ない様に検診カードを持って回った。 問診の時に色々言われて、体調のこともだけれど「珍しい苗字だね、どこ出身?」と流れる���に聞かれた。東京です、と答えるとき、いつもなんかごめんなさいの気持ちになる。(最近はルーツは島根にあるらしい、というエピソードを付け加えられる様になった。)
13時に上野で待ち合わせをして恐竜博へ行く予定だったので、しっかり逆算して時間休をとったら、陸の孤島状態。電車が運転見合わせ中。 でも、全く乗ったことのない地方の電車を乗り継いで上野まで何とか辿り着いた。 2両しかない電車にぎゅうぎゅうに人が乗っていて、東京で通勤通学していた時は毎朝そんな感じだった気もするけれど、この地方の感じで満員電車ってつらいな〜、と思いながら、最近改めて聴き直しているDaokoを聴いていた。 窓の外には、ハローマックを居抜きしてできたマツキヨが潰れたテナントの建物が見えた(看板はないけれど配色がマツキヨ)。
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上野は修学旅行生と校外学習生でものすごく混んでいた。 待ち合わせした友人を30分くらい待たせてしまったけど、彼は改札構内で待っていてくれて、修学旅行の話をしながら科学博物館へ行った。 昔、音声ガイドの貸し出しスタッフのアルバイトをしていたのだけれど、当時一緒に働いていた方がまだいらっしゃった。
恐竜博はとても楽しかった! 背中にホイップクリームみたいなのが乗ったズール、1番強かった肉食のマイプ、ティラノサウルスのタイソンとスコッティ、福井で見つかった福井サウルス。 名前には意味があって、ズールはスネの破壊者、マイプは悪の霊みたいな名前。隕石の衝突で地球環境が変化したことで消えていった恐竜たちのこと、何も知らなかった。 2人でお土産コーナーのガチャガチャをして外のベンチで開けてみる。私のはマイプ!
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そのあとマルイの地下のMUJI CAFEでお茶をして、またみんなで会いたいね、って言った。
帰りの電車も何だか少し遅れ気味でへとへとになってしまったので、珍しくずっとiPhoneを触ってしまった。
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何だかんだみんな関東にいるし、会おうと思えば会えるし、会いたいけれど、みんなを招集する労力を使えない程、私たちはそれぞれ人生をしていて、それが正解なのだと思う。 でも私は最近、それぞれ人生しているのは、私もそうであって、私の人生にはもっとみんなと会いたい人生があるのであまり他人の人生に配慮せず、会いたい人にお誘いをしたりできている。
帰宅してへとへとになって掃除をしていたら緊急地震速報が鳴ってとってもとっても怖かった。その時だけは誰かと生活したくなる。優しい他人にいて欲しくなる。 それでもう疲れているので早く寝るにつきる!と思って、でも早く寝ても地震が発生しなくなるわけではないしやっぱりずっと怖い!
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mlyzvt-no2157 · 3 months
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一文字の間違いで物凄い意味が違った事
【ご注意】
今回のエピソードは、かなりお下品です。っていうか、ガチで下品です。それでも大丈夫って方なら、どうぞ👇
私が前に勤めていた会社は珍事件の宝庫だった。特に、ユニークで面白いというか個性的(変な人とも言う)が非常に多く、常に誰かがネタを落としてくれていた。
私が新人の頃、嘱託で読書家だったZさんはスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を話すマルチリンガルで、若い頃の記者時代はキューバ革命や冷戦中のキューバ危機、コロンビアの紛争など、主にスペイン語圏の中南米の記者だった。そして、かのカリスマ革命家のチェ・ゲバラにも会ったという事で私も含めて若手記者達の目標と憧れでもあった。(ちなみに私は、アル・カイーダのウサマ・ビンラディンに会ってみたかったが、終ぞ、彼に会う事は叶わないまま、ビンラディンは死亡してしまった)
ただ、Zさんはラテン語は物凄く上手なのに、英語は超が付くほどド下手だった。ハッキリ言って、そこら辺にいる小学生や、中学生の方が遥かに英語が上手だろうと思うくらい、英語が下手で、普通に英単語の発音が間違っていたり、ラテン語が混ざっていたりするので、Zさんが使う英単語が何を意味するのか理解出来ない人がほとんどだった。例えば、イギリスのチャールズ皇太子(現チャールズ国王)をラテン語読みで「シャルル皇太子」と言うので、理解できるまで???状態になってしまう事もしばしばだった。
ある日、所属長のMさんと同期のS君と私との3人でのんびり過ごしている時、Zさんが我々の部署にやってきて、私の隣の席(もともと誰も座っておらず、常に空いている)に座り、声をかけてきた。
Zさん「なぁなぁ、みずほちゃん、今暇?時間大丈夫?」
私「暇なわけじゃないですが、立て込んでないので大丈夫ですよ」
Zさん「よかった。ところで、みずほちゃん、『ペニスの商人』って知ってる?」
私は教皇の間に呼び出されたミロのように、思わず、「はっ?」と言ってしまいそうになったのをグッと堪えた。
『ペニスの商人?なんじゃそりゃ????臓器売買のブローカーのことかな???いや、ペニスは臓器じゃないか(👈どうでもいい)...ペニスを除去するのなら、私が子供の頃はモロッコ、今はタイが主流だけれど、何の事だろう???そもそも、ペニスを取り除くって需要があるのは知っているけれど、ペニスが欲しいって需要なんかあるのかな?それとも、私が知らないだけで、ペニスの売買っていう市場があったのかな?しかし、需要と提供のバランスはちゃんと取れているのかな?ペニスを提供する人は何の為に提供するのかな?ひょっとして物凄い高額な市場なのかな?でも、聞いた事ないしな~???』
私の頭の中は疑問符が飛び交っていた。
私が珍妙な表情をして黙りこんでしまうと、Zさんは、「おーい、みずほちゃん、聞こえてる?」っと尋ねてきた。
「聞こえてますよ」
「じゃぁ、返事くらいしてよ」
「いや~、Zさんが仰った『ペニスの商人』って何だろう?って思って、考え込んでしまったんです。『ペニスの商人』って何ですか?臓器売買のブローカーか何かですか?」
「臓器売買のブローカーって恐ろしい事いうなぁ...ペニスの商人は明るい話で、有名な小説だよ。知らんの?」
「小説ですか。初めて聞きました。」
Zさんが、『ペニスの商人』が小説だと言うので、私はそのとき、ふと小松左京さんの『アダムの末裔』という小説の事を思い出した。以下がアダムの末裔の簡単なあらすじである。
ポルノ小説作家である主人公は、恋人と幸せに暮らしていたが、自分の作品がマンネリ化している事に悩んでいた。新しい小説の連載の締め切り期限が近づいているが、一向に新鮮なネタが思い浮かばず、悩んでいるとき、自宅のリビングの飾り棚に物凄く巨大なペニスのオブジェがある事に気付く。恋人と自分の関係もマンネリして、恋人がこの巨大なオブジェを買ったのだろうか?と疑問を抱きながら、主人公がオブジェを見ていると、なんと、そのオブジェが動き出した。ビックリ仰天した主人公は腰を抜かしてしまう。そして、気が付くと、自宅の周りには、その最初に見たオブジェと同じぐらいの大きさのペニスのオブジェが溢れかえっていた。恐れおののく主人公。巨大ペニスの大群が自宅の中を好き放題荒らしていったが、一匹(と言っていいのか分からないが💦)のペニスがネズミ捕りの罠にかかり絶命してしまう。その他のペニスはいつの間にか忽然と消えていた。すると、巨大な人がやってきて、そのペニスはずっと未来の人間の男性の姿なのだと言う。遠い未来、男性の役割は子種を残す為だけのものとなり、進化の過程の一環で、身体はペニスだけとなり、文明の繁栄をもたらす女性は巨大化したのだという。絶命したペニスは未来からやってきた女性に持って帰られ、主人公は男性の未来の姿がペニスだけになるという事い愕然とする一方で、男性で人類の祖先と言われている聖書の「アダム」の「末裔」が「巨大化したペニス」という小説のネタを思い浮かぶ
30年以上前に、親友に借りて読んだ小説なので、あまりはっきりとした事は覚えていないが、アダムの末裔のあらすじはこんな感じだったような気がする。私は、Zさんが言っている「ペニスの商人」と言うのは、ちょっと内容は異なるが、ひょっとして「アダムの末裔」のことではないかと思った。
私「ペニスをテーマにした題材なら、小松左京さんの『アダムの末裔』なら知ってますけど、「ペニスの商人」は初めて聞きました。誰の作品ですか?」
Zさん「ペニスの商人の作者は、日本人じゃなくて、外国人の作家。有名な作家だよ。けど、ボクは作者の名前を発音できないけど、ファーストネームは『ギジェルモ』で、ラストネームは『○×◆□×////』ダメ、ボクは発音できない。しかも、ペニスを売るからペニスの商人っていうタイトルじゃなくて、ペニスっていうのは地名だよ」
私「『ペニスの商人』は、ギジェルモ・ナントカさんって人が書いた小説なんで、ペニスは地名ですか...?」
私の頭の中は益々混乱した。
ギジェルモって誰だろう?有名な外国人作家でギジェルモなんて人はいたかな?トーマス・マン、フランツ・カフカ、オスカー・ワイルド、アレクサンドロス・デュマ、エミリ・ブロンテ、ビアトリクス・ポター、アーネスト・ヘミングウェイ、ドストエフスキー、レフ・トルストイ、チャールズ・ディケンズ、ヘルマン・ヘッセ...やっぱり、ギジェルモって人は知らんなぁ...
しかも、ペニスなんて地名はあっただろうか?一体何処だろう?未承認国家の山の奥地かな?それとも、インドネシアのジャングルの奥地に住んでいる原住民みたいなペニスケースを衣服としている人々の集落かな?うーん、検討もつかない...Zさんは、一体何の何処の場所を言っているんだろう??
私の頭の中は、益々激しく疑問符が飛び交っていた。
私「ペニスってどんな場所ですか?未開の地のジャングルか山奥の原住民が暮らしている集落ですか?アフリカの奥地ですか?それともアマゾンの奥地ですか?もしくは、鎖国している国にある秘境か未開の場所ですか?」
Zさん「違う違う!ペニスはキレイな事で有名な街だよ。そうだな~一番の特徴は、お面を付けるお祭りがあることかな」
私「ペニスには、お面を付けるお祭りがあるんですか?」
Zさん「そうそう!お面を付けた華やかなお祭り!いっぱい観光客が来るよ♪」
私の頭の中はまたもや疑問符だらけになってしまった。第一「ギジェルモ」なんて名前の有名な小説家は聞いた事が無いし、お面を付けたお祭りなんて、ひょっとこのお面にドジョウ掬いぐらいしか思い浮かばなかった。ひょっとこのドジョウ掬いは、島根県に由来する事は知っていたが、私の頭の中で、島根県に『ペニス』なんて地名はない。島根県のドジョウ掬いを、外国の有名な作家が、わざわざ舞台にして小説化するだろうか?ドジョウ掬いの祭を見に行ったことはないが、観光客が押し寄せるとも考えにくい。しばらく考え込んでから、私は再びZさんに尋ねた。
私「お面を付けたお祭りって、もしかして、島根県でやる、ひょっとこのお面を付けたドジョウ掬いの事ですか?」
Zさん「違う違う。そんなんじゃなくて、もっと洗練されたカッコイイお祭!」
私「洗練されたカッコイイお祭りですか。ペニスってお面を付けたお祭り以外にも、何か有名な物ってないですか?」
Zさん「ええっとねぇ。まず、ヨーロッパにあって、観光客が常にいて、車の乗り入れが禁止されていて、アドリア海に面していて、昔都市国家だったときに凄く繁栄していた街。それでね、物凄く街並みがキレイで、世界遺産にもなっていて、ペニスは別名として『アドリア海の女王』とも呼ばれている所!」
私は、『アドリア海の女王』という言葉を聞いて、やっとZさんが言っていた「ペニス」が何処であるかを分かった。都市国家、車の乗り入れ禁止、物凄くキレイな街並み、かつては都市国家として栄光の歴史を歩んでいる、『アドリア海の女王』、これはすなわち、アドリア海に面した運河の街、イタリアのヴェネツィアで間違いないだろう、と。
私「Zさん、ペニスって、イタリアのヴェネツィアのことですか?」
Zさん「そうそう!ヴェネツィア!ヴェネツィアを舞台にしたギジェルモ・ナントカの喜劇小説!」
私「やっと分かりました。ウイリアム・シェイクスピアの『ヴェネツィアの商人』の事ですね」
Zさん「そうそう!その通り!」
ヴェネツィアは、英語読みすると『ベニス』と発音する。Zさんは、英語が恐ろしく苦手な人なので、濁音の「ベ」が半濁音の「ペ」になってしまっていたのだろう。そして、ウイリアム・シェイクスピアのファーストネームであるウイリアムはスペイン語読みで「ギジェルモ」と発音する。『シェイクスピア』をZさんは発音できなかったのだろう。
この後、Zさんとどういう会話をしたか、あまり覚えてないが、チラっとMさんとS君の方を盗み見ていると、PCの画面に顔を埋めて肩が小刻みに震えていた。恐らく我々の会話を聞いて、吹き出したいのを堪えていたのだろう。
私は、Zさんに、ヴェネツィアの英語読みは、『ペニス』ではなく、『ベニス』と発音すると教えてあげるかどうか迷ったが、Zさんに恥じをかかせる事になると思い、黙っておくことにした。
しかし、一文字の違い、しかも濁音か半濁音かの違いで、トンデモナイ意味の違いがあるのだなぁと改めて思った。同じ事を意味のつもりでも、『ヴェネツィアで、仮面を付け、仮装した人々でカーニバルが開催される』と『ペニスで、お面を付けたお祭りがある』では、Zさんにとっては同じヴェネツィアのカーニバルの事を意味していても、聞く方になってみると、全く違うモノを想像してしまう。
一文字の違いが、こんなに大きな意味の違いになってしまうとは、字書きとして、気を付けなければと思った瞬間だった。
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elle-p · 5 months
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P3xP4 World Analyze pages 30-31 transcription.
ギリシア神話における夜の女神 “ニュクス”
母なる “夜”
日の出が夜の間から太陽が生まれたように見えることから、夜は太陽の母と考えられた。また、夜空が無数の星々を抱いているように見えることから、夜は星々の母であるとも考えられた。いわゆる “地母神” という言葉は大地が植物や生命を生み出した母とする考え方だが、その大地をも生み出す原初的な母神として “夜” が存在する。いわば “祖母” = グランドマザーと呼ぶこともできるが、より概念的な存在であると考えられる。大地から生まれるものは実際に目にできるが、夜から生まれるものは想像によるものばかり。兄弟であり配偶者でもある “暗黒” エレボスとの間に生まれたのは “昼” の女神ヘメラと “大気” アイテル。ニュクス単独でタナトスやヒュプノスを始め、運命や宿命、不和や復讐、非難や苦悩といった形にならないものを多数生んでいる。ニュクスを含む原初の神々は、主要な神話のようなエピソードがあまり残っていない。
ここでのニュクスは生命に “死” の概念を与え、すべてのシャドウを生み出すきっかけとなった存在とされる。
カオスの眷属
ギリシア神話では世界が生まれるとき、最初に存在したのはカオス “混沌” とされている。これは神として人格を持った存在ではなく、空間あるいは宇宙そのものと言ってもよく、ニュクスはそこに親からというわけでなく発生した。同じように怪物を産む母神として神話に登場する大地の女神ガイアは、カオスを人格神としてその娘という立場になっているなど、より人間的に描かれている。ガイアがティターンやキュクロプス、テュポンなど具体的な怪物を産んでいるのに比べると、ニュクスが産み落とすのは人間でなくとも感じる根源的な恐怖。“眠り”ヒュプノスはそれ自体 “死” タナトスを連想させるが、“老い” ゲラスや “争い” エリス、 “定め” モロスなどもみな死に繋がる恐怖心であり、そうしたものに名前をつ��て夜にルーツを求めたのではないかと思われる。“三途の川の渡し守” と言われるカロンも、ニュクスとエレポスの子とされている。
ギリシア神話に登場する “タルタロス” はカオスの子で、二ュクスやエレポスとは兄弟ということになる。
夜の子供たち
怪物的な子供たちの母親であると同時に、ニュクスは “運命” の生みの親としての役割を持っている。死も運命のひとつと考えられる が、モロスやケルも死の運命を表し、“運命の姉妹神” モイライとして有名なラケシス、クロト、アトロポスも生んでいる。“夢”オネイロスや “苦悩” オイジュス、“復讐” ネメシス等も人の運命を左右するものとして同じ系統と捉えられる。
そんなニュクスの子供たちの中では “昼” の女神ヘメラが特殊な位置にある。夜と一対になる存在で、昼と夜の境目にだけ地の果てにある館 “タルタロス” で顔を合わせ、交代するというエピソードも用意されている。ヘメラの兄弟 “大気” アイテルも、父親である中の “暗黒” エレボスと対になっているが、天空神としてはガイアの子ウラノスが有名だったせいか、あえてアイテルの物語は創られなかったようだ。
ジンのペルソナであるモロスもニュクスの子であ、りストレガ内の人間関係を示唆するものといえる。
ニュクスの産んだ子供たち
[ネメシス]
復習の女神とされることが多いが、神話における本来の意味は “悪行への報復” であり、ネメシス自身も美しい女神として描かれている。ゼウスに言い寄られるが、さまざまな動物に変身して逃げるエピソードがある。また、森の妖精につれなくしたナルキッソスに、自分しか愛せなくなる罰を与えるのがネメシスで、この逸話はナルシズムの語源としてよく知られている。
[モイライ]
“運命を描く者” ラケシス、“紡ぐ者” クロト、“変えられぬ者” アトロポスの三姉妹を “割り当てる者たち” モイライと呼び、生まれた子供の運命を決めると言われている。もっともこの三姉妹は神話のバリエーションが多く、必ずしもニュクスの娘ではないともされる。
[ヒュプノスとタナトス]
ニュクスの子は多いが、“返り” ヒュプノスと “死” タナトスは特に結びつきが強く、神話でもともに描かれることが多い。タルクロスに居を構え、ふたり一緒に住んでいる。非情な兄タナトスに対してヒュプノスは優しく、母のをとともに人を眠りに誘うという。タナトスは死者の魂を冥界へ連れていく役割があり、トロイア戦争にもヒュプノスとともに現れている。
“怪物” を産む母神
ガイアやニュクスに代表されるように、母神が怪物を産むという神話は数多い。人が神として崇めたものは災害をもたらすような自然現象が多く、恐れるからこそ崇め災厄が起こらないことを願った。したがって、母なる大地から産まれる神々が恐ろしい怪物であるのは当たり前だった。古い時代は母権の強い社会が多く、怪物を産む母神はより強大な力を持つ存在として描かれる。オリエント神話のイナンナやイシュタル、ギリシア神話のガイアやレアなどがその代表に挙げられるが、彼女たちは人に似た神の姿だけでなく、怪物としての姿も持つことが多い。母なる大地もまた時折火を噴き、地を揺るがす恐ろしい存在だったからだ。
同一視される “夜” と “死”
タナトスのように “死” という概念が神として人格を持った存在とされることは珍しくない。世界各地の神話に “死の神” がいて、いわゆる死神に似た働きをする。よく言われるのは死者の魂を冥界へと連れていくというもので、キリスト教でも天使がその役目を担っていることから、そうした働きをする存在を “死の天使” と呼ぶこともある。冥界が川や海に隔たれたイメージが多いため、“渡し守” という役割で象徴的に描かれることも ある。“眠り” が “死” に近しい存在として描かれるのは、死の定義が難しく、死んだと判断された者が生き返ったように見えたりすることがままあったからではないかと考えられる。
キュベレ
現在のトルコにあたるフリュギアの地母神で、非常に古くから広い範囲で信仰されていた。ギリシアでは、ゼウスやハデスらの母である地母神レアと同一視したり、元々信仰形態が似ていたディオニュソスと関連付けてその信仰を取り込んでいる。
クイーンメイブ
ケルト神話に登場する、アイルランド北西部コナハト地方の女王。北東部アルスター地方の英雄クー・フーリンとは敵対関係にあり、何度も戦っている。後に妖精の女王としてティターニアと混同され、オベロンの要とされるこ ともあった。
タナトス
ギリシア神話の死の神で、眠りの神ヒュプノスとは兄弟で双子ともされる。寿命が尽きた人の前に現れ、髪の毛をひと房切ってハデスに献上してから、冥界に連れていく。ただし、英雄はヘルメスの担当で、タナトスは普通の人間を担当していた。
チェルノボグ
ロシアや東欧地域に伝わる “スラヴ神話” における神で、死神としての性質も持っていたとされるが、神話文献自体があまり残っておらず詳しくはわからない。名前は “黒い神” という意味で “白い神” ベロボーグと対立関係に ある。
パールヴァティ
インドのヒンドゥー教で信仰されている女神で、シヴァの妻としても知られる。6つの顔を持つ軍神スカンダや、象に似た姿をした学問の神ガネーシャを生んでいる。パールヴァティ自身も、カーリーやドゥルガーと同一視される怪物的側面がある。
イザナミ
日本神話の女神で、兄弟で夫のイザナギとともに日本の島々と多数の神々を産んだ。神々の中にはイザナミを売に至らしめるヒノカグツチを始めとする怪物的な存在も含まれており、他の地母神と共通する要素があること がわかる。
アヌビス
エジプト神話の死者の神。死の神であるオシリスの息子で、ジャッカルの頭部を持ち死者あるいはミイラを守る存在。“死の天使” の役割を持つものとしては別にウプアウトという犬そのものの姿をした神がいるが、アヌビス と同一視されている。
リリス
聖書に登場する “夜の魔女” で、男性を狙う妖怪。原初の人間アダムの精液から生まれた最初の妻とする説があり、“男を誘惑する夢魔” サキュバスと同一視された。夜の魔物には淫夢で誘惑するものが多く、リリスはその最初にして代表的存在。
神話上の “タルタロス”
[封印された者]
ギリシア神話における冥界のひとつで、ハデスの支配する冥府のさらに下に存在するが、カオスやガイアとともに生まれた原初の神のひとりともされ、ガイアとの間にテュポンやエキドナといった怪物を儲けている。冥界としてのタルタロスは、牢獄としての役割を持たされることが多く、ガイアが生んだ怪物たちのヘカトンケイルやキュクロプスらがここに幽閉された。その後、ゼウスがティターン族をここに閉じ込め、ヘカトンケイルを番人に改めるなど、神話中に何度も登場している。
[落とされた者]
ゼウスが罰としてタルタロスに落とした者には、キュクロプスを復讐のため殺したアポロン、人間に火を与えたプロメテウス、神の秘密を人間に漏らしたタンタロス、巨人ティテュオスらがいる。親族を殺した最初の人間でヘラと通じようとしたイクシオン王や、最初に少年愛を犯したタミュリス、神を騙そうとしたシシュポスやサルモネウスといった人間たちも、死後タルタロスに落とされた。ゼウス以外にも、アポロンやアルテミスらが罪人に罰を与えるためにタルタロスを利用している。タルタロスはいわゆる “地獄” として描かれている。
ヘカトンケイルには、海の妖精テティスに見出された “百本の腕を持つ巨人” ブリアレオスがいる。
シシュポスはタナトスを騙して捕え、幽閉したため、その間は人が死ななかったと言われている。
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kennak · 8 months
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2009年卒の就活は氷河期どころか思いっきりバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。ちなみにこの時期は、マーチ内ですら「みずほ銀行とりそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率で内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人は5人いたけど5人全員内定してた。早慶なんかだと「メガバンクは赤だろうが緑だろうが蹴るもの」というのが常識だったようだ。今の時代の就活生や20世紀の就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間の就活から。この就職氷河期は、不景気突入の嚆矢となる象徴的事件(リーマン破綻)から新卒採用抑制の時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期に突入したのだ。秋頃にメガバンクの採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKのニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。それから・・・「マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接は儀式だから落ちない」という新卒就活の常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田の友達は東大法学部でしかもコミュ強で容姿も別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。そして、このリーマンショック起因の就職氷河期は11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。ここまでは事実である。さすがに13年卒の親しい人間は自分にはいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。誰か教えてほしい。とりあえず2009年卒はバブル、2010年卒から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。特にツイッター民に対して。【追記】メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙な位置づけだったのには理由がある。当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、したがって、「大手・低倍率・給料と福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断と偏見で作成したもので、記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール、三井住友銀行を蹴って中央発條に入社を決めた人間が友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹が放送されるずっと以前だったが、もうメガバンクが健康に人間らしく働くにはあまりに苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。同じように証券会社や保険会社も大手だろうが忌避されていた。ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。このように大手金融の採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、東京海上と日本生命(営業幹部採用じゃないほう)の総合職はマーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。身分違いだったのだろうか。さて、当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、それゆえに大手金融は09年卒であろうと10年卒であろうと「無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業」でしかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。それはみずほ証券と大手信託銀行である。みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園だから」という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、学歴とコミュ力とルックスとスクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行を希望するという謎のブームが生まれていた。ちなみに、私は当時の信託銀行ブームと距離を置いていた。ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収は30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天もソフトバンクも本体内定者の学歴ボリュームゾーンは日大って感じの会社だった。今は一橋や慶応になるらしいが隔世の感がある。就活も今と比較したら随分シンプルだった。大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。バイトかサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても周りから「凄まじく就活に気合を入れている」という見方をされていた。これはつまり、あっと驚くような体験や活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビアな現実を意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動のエピソードもなく、週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保に内定した。ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生と比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学の野球部の有名選手がいたことに「大学野球頑張っても俺なんかと同じ値打ちにされるのか……」と大変なショックを受けたと言っていた。実際、筆者は野球が好きなので六大学や東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブーストが全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。東大や早慶でも一般学生と期待値は大して変わらず、マーチや日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKとかにいけるのは直系附属出身者や県立トップ校から一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店が関の山だった。◯◯自動車”販売”とかもお馴染みの進路だった。そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活はインターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。
【追記あり】たった15年前の出来事もめちゃくちゃ間違って流布されてて衝撃を受ける
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littlesallywalker · 10 months
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日記
雨雨ですね。籠り日にして泣きの空と水玉を見る。
このまえチェキとポラロイドの実機を買い直しました。
あの頃ヴィレバンの裏手に住んでいて特にチェキは、
フィルム買いに行って店員さんに指さされ辛い...になるも。
それは物珍しい好意的な指で、友になったりして、
いま思うと平和でした。さほど昔でないんにね。
昨夜めしは実家のいんげんの油いためがよかったです。
あとは単なるすき焼き、虚無ではないけど具はねぎと牛だけ。
megさん、今もご活躍なのかな、歌だしてらした頃。
中田ヤスタカさんは学生時から秘めて好きで追って聴いて、
いつもmegさんに、こう...きれいなおねいさんという心がして、
アルバムとか買うと何枚ものドキドキな写真がついてきました。
「(*ノωノ)」←感じとしてはこれですよね。
そういえば従姉がデルモのチャンネーを当時していて、
国際フォーラムのチケット三列目とか余裕でとってくれるような...
そこはあまりうつくしくないエピソードにおもうのですが...
何せ人脈の海原なようで手品をたくさんみせてもらいました。
が、ぼくはmegさんは歌手活動が好きだったな。
CDたちも、groovetubeもmgrmxのアナログも持っている。
そんなmegさんがポラロイドのフィルムを買い占めた、
っていうニュース?を見て、実機を売りに出しました。
クリアカラーのお気に入りだったやつでしたが、
それだけ、手の届かないものになったのだって。
今回買い直したのは本当に単なる黒の実機、
チェキも当時ものではあるけど銀のものね。
カメラ屋のKさんで印刷するとき、先も書きましたが、
「これ貰います、おまけしますよ」
っておねいさん言ってくれて、それは失敗しちゃったという場面。
ありがたいのだけど、一体どこへ行くのだろうとたまにおびえます。
ノイズがひどいけどコンビニスキャンで荒く荒くするのにはまり中。
ただ、それでもKさんにはお世話になっている。過日の数枚も。
これは何を撮ったのかとか干渉しないでいてくれて心安らぐ。
漂白しながら着せ替えしながらごはん食べまい。
過日の検査の結果が芳しくないようでまた行ってきます。
さっき夢で小藪かずとよさんが成人式のヤンキーに殴られ、
「ほんまな、気ぃつけんとあかんな」とへこんでいらして、
なんでも「北斗の拳って見たことないなぁ」とつぶやいたら、
ぼこぼこにされたと、目のまわり腫れてらして気の毒でした。
物まね練習したいです小藪さんの。
「ほんまな、気ぃつけんとあかんな」見守ってください。
ぼくはすこし威張っている男性がおっかない症みたいです。
ただそれでも思想が遠い対岸でもおもしろい人っていますね。
なお画面越しはそうして、すこし離れてみることを時々します。
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肉がつづいたので今夜は何らかお魚をたべます。
はやくかえってきてください。
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lllusioninthehead · 2 years
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2022/10/19
帰郷と言う名の冒険
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母に見せてもらった父との結婚式の写真には母方の親族はいなかった。なぜだかずっと気になっていた。理由を聞くと実は母には婚約者が別にいて、その人と結納まで済ませて結婚寸前だったそう。
同じ会社の父は蛇のように(母がそう例えた)付き纏い求婚し、遊びに連れ回して、結婚までこぎつけた。お嬢様の母には新しい世界を見せてくれる父が魅力的に映った。
今も幸せに二人で過ごしてるのならば幸せな話なのにね。と笑いながら聞いた。結果は借金、貧乏、不仲、DV、蒸発とロイヤルストレートフラッシュだ。
「今でも覚えてるわ」とプロポーズのエピソードを感情なく話す母。その日は喫茶店で何故か父はチャーハンを頼み、母はコーヒーを飲んでいた。
チャーハンのひとくちを救うレンゲが震えていた。それを思い出すらしい。なぜ、プロポーズにチャーハンなのか、父よ。
母は婚約者がいる。困りますと何度も断ったと言ったという。
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お酒が切れたので余市の珍しい白ワインを買う。箔色の空気。冷たい風。薄い空。
変えたばかりのスマホの使いづらさ。いつか慣れるもの。触りづらい思い出も。ざらついた記憶も。ここに残そう。
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real-sail · 9 months
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日曜日午後2時、電波越しの達郎
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山下達郎がずっと嫌いで、好きだった。山下達郎(以下、達郎)は両親が好きな歌手で、わたしの理解では、あまり好みがオーバーラップしない両親ふたりにとっては珍しく共通の趣味のひとつとして楽しめるのが達郎の歌だった。それでも片方が好きで片方が嫌いな歌も存在するので、家族でのドライブのときにかけられるナンバーはかなり限られる。ゆえにわたしは「達郎のいろいろな曲を知っている」というよりは、「いくつかの限られた曲を聴き込んでいる」という嗜み方だ。でもそうしたわけで、幼い頃から達郎の歌声には親しんでいた、もうそれは否応なく。
嫌いだった理由はふたつある。ひとつに、その継ぎ目のないシームレスな声が、幼いわたしにはサイレンを彷彿とさせて怖かったのだ。そもそも町の防災サイレンが苦手な子どもで、火災予防週間になると余分に多く鳴るサイレンに耳を塞いで布団に潜り込んでいたくらい、わたしは「ぬるっと迫り来る音」が怖かった。すなわち達郎の歌声の繋ぎ目のなさは、わたしにとって人間離れしているもののように感じられた。それはすごい声を持っているからだということはのちに理解した。
もうひとつの理由は、両親が好きなものだから、同じものを好きになるまいとするある種の生存本能だと思う。エビデンスなしに書くけれど、ほら、自分と遠いDNAの人を人間は嗅ぎ分けられる、なんて言うじゃない。あれみたいなことだと思うのだが、子供の頃のわたしには両親が好きなものをたまにあえて避けたくなる機能が働くことがあった。
でも大人になってみると、達郎の歌はあまりにもわたしの耳にこびりついていることに気づく。何より、達郎の音楽をかけたり、達郎の日曜のラジオを聞きながら家族でドライブに行く図は、のちのち楽しい思い出として脳裏で再生された。一方で、自分の周りでは達郎を同じ濃度で聞いている友人がいなかった。高校、大学、または大学院での友人の中には自分たちの親世代に人気の歌手を好んで聞く人が何人かいて、それぞれの人が別の歌手のコアなファンだった。それにやや憧れて、わたしは達郎の曲が好きで聞くよ、なんてアイデンティティのように言うこともあった。
実際アイデンティティのひとつではある。両親はわたしの名前のインスピレーションを達郎の曲から得たらしい。国際ヨットレースのために書かれた曲を聞いて、帆を張ってさわやかな風を受けて海を進むヨットの図を思い浮かべたところから真帆という単語(何を隠そうこれは名前以前に船のとある状態を示す名詞なのである)に行き着いたと聞いている。
そう知って実際の曲『Blow』をCDプレイヤーでかけてひとりで視聴したときに、わたしは曲の渋さにびっくりしてしまった。それまでも耳にしていたがタイトルと中身が一致していなかった。この曲のことだったのか。『ドーナツ・ソング』のようなポップなほうをイメージしていたら、どちらかというと湿度が高いほうの曲。メジャーではなくマイナー。クラシックで言うところのレチタティーヴォのような感じ、というのは、まるで言葉を話すように歌われる曲で、文章にちょっと抑揚を強めに付けたら結果的に音程がついた旋律に聞こえる、そういう作りの曲だ。達郎の声のシームレスっぷりが遺憾無く発揮される。
そのときすでにヴァイオリンを弾いていたわたし、すなわち器楽奏者のわたしにとっては、レチは掴みづらくて苦手だった。もっとリズムがはっきりしていてほしかった。聴音能力もまだ未熟で、あまりに言葉然としている旋律は、絶対音感がありながら音高がわからなくなるくらいだった。器楽の人間ゆえに、今もそうだが、歌詞を聞き取る能力が弱い。言葉を単語としてではなく音として捉えてしまうので、言葉の存在感が強いと、わたしの耳はバグを起こしてしまうのだ。その曲はそれ以前から何度も聞いていたにも関わらず、わたしは達郎が何を言っているのかひとつもわからないでいた。
実際には普通に4拍子だし音高も楽譜にきっちり起こせるほうの曲だが、当時のわたしは、自分の知っている拍子と音高に明瞭に当てはまらない旋律にいらいらした。でも、両親はこの曲に良い印象を抱いたからこそ、大切な曲として聞き続けているのだと思うと、その愛を受け止めたかった。そしてわたしはヴァイオリンのお稽古の中で経験していた ― 第一印象で好きになれない曲も、根気強く付き合うと好きになれることがある、という現象を。きっとこの曲の良さがわからないのはわたしがまだ幼いからだろう、この良さがわかるまで何度も咀嚼していこう、とわたしは思ったのだった。
しかし達郎の歌の歌詞が聞き取りにくいというのは、一種の共通認識らしい。達郎のラジオ『サンデーソングブック』の中で忘れ難いエピソードがある。ある日のリスナーからのお便りで、「『LOVE GOES ON(その瞳は女神)』の歌詞の一部が空耳でどうしても『あけみ』に聞こえるけれど、それだと脈絡がないので絶対に違うはず、なんと言っているのですか」というものがあった。結局本来の歌詞は「アルケミー」のはずなのに「あけみ」という名前のように聞こえて仕方ないというオチだったはずだ。ちょうど、ひとりの女性への想いを歌い上げる曲なので、その女性が「あけみ」だという想像まで伴うところに可笑しさがあった。
このお便りを読み上げた達郎は、おもしろがっている様子だったが、答えを絶対に言わなかった。しつこくらい何度も「正解は歌詞カードを見てください」を繰り返して、答えを言わない達郎を、小学生のわたしは「意地悪な人だなあ」と思った。確かに、当時は音楽を聴くと言ったら必ずCDを買っていたはずだから、歌詞カードはそこにある。よほどお便りを出すより簡単に歌詞はわかっただろう。リスナーの人はそれでもお便りを出す手間をかけたのは、達郎との交流がほしかったわけで。ただ達郎のラジオを聞いてお便りするような人なら、そうした「意地悪さ」も嬉しがったかもしれない。そもそも、お便りが取り上げられただけでクジを当てたようなものだもんな。
でもわたしは、答えをその場で発表したほうがみんな楽しめるのに、と思った。わたしはそのあと曲がかかるまで該当箇所が思い浮かばなかったので、お便りへのコメントを聞いている間、すごくフラストレーションが溜まった。でも達郎流に言うなら、それで思い浮かばない人にまで親切にする義理はないのだろう。そういう人に“僕の音楽は必要ない”のかもしれない。
ちなみにその後しばらく空耳に関するお便りがいくつか続いた記憶がある。リスナーたちは「実は聞き取れない歌詞あるよね」と共感したのだろう。達郎はやっぱり、歌詞カードを見ろとしか言わなかった。ちなみにわたしは「高気圧ガール」をいつも「高気圧ケロロン」と空耳する。
嫌いだったはずなのに、すでにここまでで2500字以上も達郎の思い出を語っている。掘ればまだ出てくる。『新・東京ラプソディー』に準えて、母からはわたしに対して、自転車は国道246号線でしか乗らないでほしい、しかもおしゃれな緑色の自転車で、というかなり限定的なリクエストがあった話とか、中学時代の担任の先生が『クリスマス・イブ』を授業中に歌い出した時に、わたしはその曲の先の展開を知っているがゆえに「oh~yeah」という素人が真似をすると事故になりそうな部分で先生がどうするのか先回りして心配になってしまう話とか(先生は達郎風をやりきって教室は静まり返った)。それだけ達郎の歌はわたしに染み付いている。
そうして音楽が染み付いていることで、音楽を作った人の思想も無意識のうちにインストールしているのではないかという気がしてきて、恐ろしくなってしまったのが、先日のあの『サンデーソングブック』の発言だった。名前にもまとった達郎の影に、わたしは恐れ慄いた。もし両親が達郎のことを擁護したら、わたしは両親に絶望してしまうとも思ったし、もし両親が達郎の発言を知らないとしたら、知らないままでいるほうが家族の幸せかもしれないとも考えた。でも ― その数日後に両親と顔を合わせたときに、両親のほうから言及があった。達郎の件の発言にものすごくがっかりして、冷めてしまったこと。これまで何十年も楽しんできた時間を、台無しにされた気分になったこと。実際のラジオを聞いて、その語り口にもがっかりさせられたこと。
わたしは考えた。確かに真帆という名前のインスピレーションは達郎の歌から得たものだった。でもその歌の歌詞には全く出てこない言葉で、それは両親が見つけてあつらえてくれたものだ。こうして一緒に達郎にがっかりしたと言える両親が選んでくれたものであり、何より、ここまでおおよそ30年は、わたし自身がこの名前に自分の生き様を刻みつけてきた。この名前が司る人格は、誰のものでもない、わたしが形作ったものだ。むしろ達郎なんかに影響されて、この大好きな名前に残念なイメージを持たせられて堪るか、とも思った。
思い出は色褪せた。そこに流れる達郎の曲を、わたしたちは今は楽しめない。でもそこにあった家族の団らんまで色褪せさせて堪るもんか。わたしはこれからも思い出を大事に抱えていく。でも、そこにあった音楽を愛せなくなる出来事があったことも、忘れない。
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dvlrechan1 · 2 years
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時々やって来る、大雨警報。これ実はちょっと前から用意しとっちゃん、本当に雨降ってたらどうしよ。ごめんね、計画的犯行よれーなの。なんてね。今日はちゃんと、自慢をいっぱいしたいと思います(笑)たまにはね!ちょっと許してね。
大親友でありだいすきな人なんです。だからかな、たかのことを最初、恋人って表すのが苦手でした(笑)何か烏滸がましさを感じたり、逆に恋人やけんできんことがあったり。それをストレートに伝えた事があって、上手にその気持ちを受け入れてくれて。っていうエピソードもありましたね。今ではすんなり理解してくれてっていう前にたかはきっと変な風に捉えたりせんでおってくれるよね。安心しとーと、そこは。
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「れーなはラッキーなのよ!」って言葉はきっと一生忘れんと思う(笑)れーな本当にラッキーなんです、桁違いのね!そんなことを堂々と言えるくらい毎日楽しくて、なんていうとやろ。れーなの苦手な部分とか嫌な部分を自然とカバーしてくれるというか、たかにとっては標準装備できっとたか自身は気づいとらんかも知れんとこもれーなに、そっと優しく寄り添ってくれると。本当に素直で真っ直ぐで愛情でいっぱいと。これはれーなに対してじゃなくてもね。毎回その性格に本当に救われてて、遠慮しがちな部分も遠慮しとったらたかはうれしくないからやーめた!って(笑)そういう風に思えると。不思議、普通人ってさ、こういう人やなって理解して接するやん?それがない訳じゃなくて、むしろそういうの敏感な人やと思うと。でもたーこは本当に元から備わったもので寄り添ってくれる感じと、あれ?これ普通のことみたいに聞こえる気する…伝わる?大丈夫?(笑)
 
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なんでもれーなといっしょにしてくれて、れーなといっしょにしたいって言ってくれるとことか。しれっと堂々と公の場でれーなの名前出してくれるとことか。ほかにもいっぱいあるっちゃけど、こういうのってできそうで出来ん事やと思うと。それをやってのけちゃえるとこかっこいいなって思ってます、はい(笑)きっと周りをめちゃくちゃ大事にしとーとこも目にいくけん、してくれる事やと思うんよね。れーなは特にそういうとこめちゃくちゃ気にしちゃうってのもあるっちゃけどね。でもね、実際好きな人に好きって大っぴらに言えるのが1番かわいいとよ!(笑)かわいいし、かっこいいと!AbemaTVで学びました。そりゃ頻度や限度やあるか知らんっちゃけど、当人達も周りも1番しあわせなのがそれったい(笑)ありがとうAbemaTV!!
…何か話逸れたっちゃけど、なんっけな?(笑)れーなが笑うといっしょに笑ってくれたりね!人よりよく笑う自覚も人とズレたとこで笑う自覚もあるっちゃけど、よくいっしょに笑ってくれるよね。なんで笑ったの?ってまで聞いてくれてまたいっしょに笑ってくれたりね。感動してます毎回。お陰様でいつも笑ってるね!ゲラ同士で楽しくてしょうがないっちゃんね!?(笑)れーなが好きそうっちゃん持ってきたとか、れーなが笑いそうやけんいっしょに見よー!とか本当は心の中でちっちゃいれーなが目を丸めて飛んでよろこんでます(笑)うれしい感情を考えんくても、素直に持って来てくれるとこがだいすきなとこであって、信じれる部分と。さて、ここまでまあー珍しいったらありゃしません、俗に言う惚気だけでやってきました(笑)本当に地球の平和を願うしかありません。先に謝ります、ごめんなさい!
こういう関係になって初めて見える部分やったり、出さなきゃいけない感情やったり、しないでいたい立場やったりいろいろあって。その都度いつも歩幅合わせてくれてて、いつも優しい感情向けてくれてね。れーな、本当に苦手な感情なんです、恋愛問題。人の恋愛は大好きなくせに(笑)さっきも言ったっちゃけど、そういう凸凹をしっかり埋めてくれるとよね。すごい人だよ。
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いつもいつもしてもらってることばっかりやけん、今日はお返しね。こんなこと書くのにびっくりして変なもの食べたかとか疑わんでね(笑)れーなの変な性格もたかのおかげでちょいとはましになりました。未だに呪いがかかってるとは思いますが、優しさに付けいらないようにするけんこれからもよろしくね。きっと特殊すぎていっぱい困らせてきたしこれからの分もいっぱい謝っとくね!あとこんな文章じゃ足りんとよ、書く事(笑)結局言いたいことは何も言えとらん気がする…。でもそろそろ黙らんとめんどくさい女になるっちゃんやめるよ!感謝してもしきれません。だいすきも足りんけん言いません!もう言っとーっちゃけど!(笑)いつもは恥ずかしさと烏滸がましさと自分の立場の考えすぎで言えんけど、記念日に乗っかりました。れーなのわがまま!(笑)
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moderndays · 2 years
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出版120周年 ピーターラビットᵀᴹ展  202204/30鑑賞
会  期  2022年3月26日(土)~6月19日(日) 開館時間  10:00~18:00(入場は17:30まで) 休  館  日  毎週月曜日(ただし、5月2日[月]は開館) 会  場  世田谷美術館 1階展示室
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好きな動物はうさぎ。ウサギ飼育(ペット)歴16年のうさぎ好きなのだが、キャラクターとしては正直ミッフイー派だった。
しかし改めて見ると、やはりどちらもいい。ミッフィーは平面的だが、リアルな質感を伝えてくるピーターラビットは、特にうさぎが身近にいた人にとってものすごく親近感がわく。
ピーターラビット出版120周年ということで、物語が誕生したきっかけより以前の、作者であるビアトリクス・ポターの生い立ちから追っているのが興味深い。 ピーターの物語は、お世話になった家庭教師の息子に充てたお見舞いの手紙がきっかけ、というのはよく知られているエピソードではあるが、いきなり作家デビューではなく、それ以前に挿絵画家としてデビューしていたのは知らなかった。 その時の作品がとてもいい。 街ですれ違ううさぎ達、相合傘をするうさぎ達。当時の英国ファッションに身を包んだうさぎ達がとても品が良く、ポターの画力に感心する。 簡単には出版社に採用してもらえなかったようだが、結局は大成功している。当時の英国は、女性の活躍は認められていたのだろうか。
そしてその画力を支えたのが、たくさんのうさぎのスケッチ。 ポターはペットとして最初の子が亡くなった後、すぐに次の子を迎えているのだが(奇遇だが私と同じ…)、その写実ぶりが素晴らしいのだ。 うさぎってこういう座り方するよね!横から見るとまさにこれ!寝転がるときこうなるよね(←特に感動)など、頷くことばかり。 ポターの飼っていたうさぎは穴うさぎだったのだろうか。ネザーランドのように耳が短めに見えるし、茶色なので我が家の歴代うさぎを思い出した。
それにしても、ピーターラビットのお話はしょっぱなから、なかなか残酷だ。 ピーター一家は母子家庭だが、父親は近所の畑で捕まって、既にミートパイになった所から始まる。この部分はショッキングなため、一時省かれていたらしい。 本企画展では会場入り口で、ピーター一家の家系図を展示していたが、父親の遺影は「ミートパイ」だった…。
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グッズが豊富でファンにはたまらないと思う。私も買いすぎないよう、よくよく注意。絵本で見ることができるイラストのポストカードは避け、ポターが出版以前に書いたスケッチを中心に。
ミッフイーともコラボした鳥獣戯画コラボのマルチケース。誕生日ごとに販売されていたアクリルキーリング。缶目当てにミントタブレット(アイシングクッキーの缶もかわいかった!)。 購入はしなかったが、お菓子や紅茶もたくさんあった。
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何気にセタビ(世田谷美術館)のカフェが気に入っている。 コロナで外食ランチも機会が減ったが、日焼けを避ける私には珍しく屋外テラスに出て休憩。
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