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#特別な瞬間を楽しむカラー
modavc · 1 year
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メガネでアイメイクする「LILY COULURE リリクーレ」 特別な瞬間を楽しむカラー UTAGE 6カラー #メガネでアイメイク #メイクメガネ #リリクーレ #lilycoulure #特別な瞬間を楽しむカラー #utage #メガネをもっと楽しく #メガネ鑑賞 #メガネ #メガネレンズ #オプティコモダ #桜ノ宮 #都島区 #大阪 #予約優先 #reservationpolicy #qr決済出来ます😊 #クレジットカード使えます (オプティコ モダ(大阪府大阪市都島区中野町)) https://www.instagram.com/p/Cpru-dpBQg_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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juvenileblues · 6 days
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昨晩、レーベルの相談役と久しぶりに飲んだ。
出会って一発目のトークセッションからノイズキャンセリングイヤフォンのレコメン。タイムリーが過ぎる
積もる話もあり、旨い酒が飲めた。
酒の質って具体性もあれば精神性もあるよなあと。こういうのが空間のセッティングで時間を忘れさせてくれる感覚の快楽
身近な人間からミックスリリースに纏わる話でサンドバッグ状態になってしまい随分参っていたが、
薄っぺらい奴の言うことなど気にしなくて良し。
芸術に関心のない人間の意見は基本無視でOK(限度とマナーは有るが)
とご意見いただき
鬱積した日々に癒しが提供された。
持つべきものは信頼できる友だなあと。有難い
そして気を抜かないこと、
噂追っかけてる人のことなど気にしてる暇はないこと
音楽は自由。
ある意味、意味がないから最高。
ある種の支配性、自身のコントローラーでプレイする自信のない人が持とうとするもの。
自戒だが、相手の自信を失わせる言葉というものはやっぱり暴力。
しかも、これが何故か当人にはアドバイスという球種にすり替わって飛んでくるボール。
スピードメーターがあったらキャッチボールとは言えない球速だろう。
本来、教師の役割って問いのなかで聞き手に思考させて本人らしい答えへのガイダンスが役割だと思うんだけどな。先生になっちゃうと生徒の顔をするかさせられるかしかないから。それって宗教とかでよくあるアレなんじゃないかと
学びというものは聞き手の精神性に依存することになる。感受性の対義語ってなんだっけか
取扱説明書は自分で見つけていくほうが楽しい。
ガイドブック読めるタイプだったら話は別だろうけど
制作を始めて、自分のスタイルを見つけられたこと、これほどの財産はない。
基本、肯定の意識は持っていたい。
寄り添いの助言には包み、包まれる感覚がある。
管理と自己愛の認識ってそんな暴力的じゃない筈。これは間違っていないと思いたい。
深い人は全般好きなんだけど、やっぱりわるい人は苦手だなあ。浅さも大切、自覚と自認で深さと自分の浅はかさを知れる。自省の記録は溜め息と輝き混じり
それに、あくまで自分にとっての浅い深いの話だから誰かにとっては自分も浅くて深い訳で。あくまで
気付き、変わっていくもの。
知った気になることとわかった風なことは残酷だが傲慢さに近付きかねない。これも自戒
軽薄さはうざったく感じる。相変わらずビッチは苦手だ。トラウマから潔癖化してしまった部分
自分が持ち合わせているストイシズムって安易な快楽に走らないって意味合いだからある意味超快楽主義な自覚はあるんだけど
ついつい、下半身に支配されてる男にダサさを感じてしまうのはやっぱりプライドなのかなぁ。。
少なくとも、逃げこむ場所ではない。
足取り、というかパーティーの遊びかたとして軽快な人には憧れを持ってしまう。洒落てる不良の程良い軽さは滅茶苦茶イケてる
今後の課題かな。
余談に次ぐ余談だが、先月辺りにあるSNSのアカウントをハッキングされてからどうもおかしな事ばかり起きる。毎日面白いことしか起きてないとはいえ、覗く行為って不貞レベルのものなのかなとか。
アビスで充分
自分の思考になにか違うものが混ざってる感覚ってのは日常のノイズ(失敬)を創作に扱う場合、メリットとして扱うには部が良いものではない。
変化したおすすめ欄からハッカーの内情がみえた瞬間が最もキツくて逆に心配になってしまった。
正直、ギークの友達はいるから特定しようと思えばいつでもできたんだけど、まぁ、いいや。
{思考の整理}
有言実行って詐欺師の常套手段らしいからあんまり…なんだけど、道草、もとい脱線したレールを戻すという意味合いにおいての言い訳はメイビー
緊張、随分マシになったけど生まれつきのたかん症。主に掌
パーティー文化のなかでのアメリカンライクな部分であれ、毎度ダメージなんだよなぁ。ある意味コロナ禍のとき握手しないことが1番楽だった。わざわざ嫌な顔されるようなことしたくないもの。
これも自身の環境上、仕方のないものだが、緊張から生まれる一つの反応。そして速度
どんな場所であれ、初めての場所と人の多い場所ではどうも落ち着かない。
狂気っていうものが均一化された常識、のなかでの共有可能な正気だとすると
速度というものは、どうなんだろう。
BPMというのは人それぞれに存在している。
個性と調和、そして無理しないこと。
自分らしくいられる場所、LOFTでマンキューソがやっていたことは本当に偉大だと思う。
本来、クラブがセーフティネットの役割を果たしていた部分、
繋がないことでとても多くのものを繋いでいたようにも思える。
多様性とカラー、カラフルなものってもしかしたら社会にとっては受け入れ難いものなのかもしれない。
色と光の受苦について言葉を残したのってゲーテだっけか
でも、生きるってそういうことだと思うんだけどな。
究極のロマンティシズムな片道切符はさいごに取っておいてある。
普通、というか九分九厘の人間が怖がる概念なんだろうけど、もう何度もそんな目に遭ってるからなのかな。麻痺か狂気か愛か感謝か
生き急ぐのやめたから、のんびりそこに向かっていってる日々を感じることはそう悪くない。
それでも不思議と積み重ねるより積み減らしていく感覚も。
よくわかんないけど
緩和というもの。落ち着ける場所が欲しいな。
本来は家がそういうものであるんだろうけど、そうじゃなかったから手に汗握る展開体質を抱えてしまった。
信じられるものは少なくなったけど、より信じられるものは多くなったような気がする。
こういうのって視野を広げて、より集中というのだろうか。絶望には希望の影も必ずある
下手に人に迷惑かけたくない部分としてはもう森とかで1人暮らしたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。
関西出身の神格化されたある音楽家が山だったか森だったかで暮らしてると聞いたことがあるけど、理由は電波らしかったが、、他にもありそう
本音は海のみえる街で暮らしたい。両親の地元が南の島だからたまにはリフレッシュしにいくのもアリかな
東京でサバイブするのは楽しいけど、、
けどってつく辺りが現実の素直な自分自身だな。
受け入れることと変化を望むことと楽しく面白がることはきっと矛盾してない。
社会との接点をずっと探している。
ただ、そのレールに自分を偽ってまでまた乗れるのだろうか。
なければ作れって話か。自分らしくいれるとこ。
自分にとっての聖域はどこかな
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thetaizuru · 6 months
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 絆を求めるというのは人の生来的な欲求であると言えるし、絆というのは、人々の共感や共通の理解の上に成り立つ信頼関係のことだとも言える。言葉も、話してる本人にしか理解できないオリジナル言語みたいなのは言葉として成立しないし、あくまで共通の理解や共感の上に成り立つものだと言える。  ギリシア神話に登場するトロイア(イーリオス)の王女カッサンドラは、ゼウスの息子で詩歌や音楽の神であるアポローンに愛され、アポローンの恋人になる代わりに予言能力を授かったが、その瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、アポローンの愛を拒絶する。憤慨したアポローンは、カッサンドラの予言を誰も信じないようにという呪いをかけた。カッサンドラは、トロイア戦争において、トロイの木馬を市民が市内に運び込もうとしたとき、それはトロイアの破滅につながると予言し抗議したが、誰も信じなかった。  カッサンドラ(カサンドラ)の名は、ある人が正当な不安や警告を発しても、それが他人に信じてもらえない現象を指す比喩として、「カサンドラ症候群」「カサンドラコンプレックス」「カサンドラのジレンマ」などの形で使われる。こうした比喩としてのカサンドラの現象は、絆の喪失あるいは奇妙で有害な絆の形成が要因だと考えられ、いわばこれがアポローンの呪いにあたる。絆を失ったり歪めたりしてしまうと、言葉が通じなくなってしまう。  情緒的な絆の形成やその過程のことを心理学の用語で「ボンディング」(ボンドでくっつけること)というが、例えばストックホルム症候群のように被害者が加害者に対して心理的なつながりを築くこともボンディングであり、また、集団心理は、個人間の心的相互作用の集合過程を通して形成されるという意味でボンディングによく似た概念である。  「カサンドラ症候群」などの言葉は、危機感や不安を煽ることやヒステリー、あるいは異なる見解を排除することを正当化するためのエクスキューズとしても多々使われる。科学的に正しいと主張して危機を予言し、異なる見解を持つ人たちを散々バンした後で、最初から特に根拠もなかったし予言も外れたけど、警告は正当なものだったし、予言がはずれたのは耳を貸さなかったやつらのせい、みたいなことを結構真面目なメディアの記事にしたり、破滅的な予言がはずれたのって良いことじゃないかとか、せめて謎にバンされてるやつそろそろ解除してやれみたいなツッコミに対してヒステリックにブチギレて喚き散らすショート動画をアップすることを正当化し、バンされた人や陰謀論者とか差別者とかナチスとか散々なレッテル貼られまくってる人たちじゃなく私こそが悲劇の予言者カサンドラだみたいな感じで、予言を続けている。  同じように、心理学の用語などが歪んだ形で用いられることが、ここ数年の間、多かった気がする。医学や政治や経済などの課題をそれぞれの分野の人が語るが、どれもほとんど心理的というか、てかおまえのメンタルどうなってんだ的な言い合いになってしまい、どれも何言ってんのかよくわからないまま次に移る時間になぜかなるため、とりあえず何か心理学っぽい用語を使ってエクスキューズしたり、いやわからないやつの方が何かの障害だろみたいなノリになっていく。  また新しい話題が出てきて、また改めてどっち派かで区分されたそれぞれやあくまで中立とか現実主義とかのグループ名の下に集まった人たちが、またせっせとボンディングするというのがまた始まった。二週間後はニューヨークになるとか、バイデンは外交のプロだみたいな、異常に頭が悪いがなぜかボンディングとして機能していたものの賞味期限が切れ、新しいのに付け替えようとしている。闇の支配者とかが意図した通りかどうかはともかく、団結や連帯という言葉を掲げた分断になっているという意味で皮肉であり、絆を強く求めるが故に共感や共通の理解の形成をすっとばす形で同調してしまうため、信頼関係のない絆というような奇妙で歪んだものに支配されてしまうという意味でも皮肉である。  皮肉っぽく並べると、「プロジェクトカサンドラ」というアメリカの麻薬取締局(DEA)によるヒズボラの資金源の調査が再開したという2017年の報道の後に、こうしたナルコテロレジームって何なんだとか、エジプトのモルシ政権って何だったんだとか、アラブの春やカラー革命って何だったんだということについて何となく疑問などを交換していたことで、はっきりしたことは全くわからないままだし意見も立場も様々でオールドスクールな陰謀論からふざけたいだけなのまで色々あるが、何となく共通の理解や共感を形成したことがあるという経験が、メディアの煽りに釣られるだけでもなく、現実を忘れるための趣味の世界に籠るだけでもなく、ボンディングジャンキーにもならない形で、これまでの会話を続けられる心理的な場を維持することに役立っている。
 絆(ボンディング)は、自分と他者との関係だけではなく、自分自身の中の複数の考えだったり、例えば「昨日までの自分」と「今の自分」を結ぶものでもある。他者との絆を守るために自分の考えの多くを放棄するというのも辛いし、自分自身の考えのいくつかが互いに矛盾しあって拮抗している状態も辛い。こうした葛藤は常に起こっているか起こり得る状態にあるが何となく調停されていて、その調停の結果や調停の仕方が絆である。ただ、自分の中にある考えとは言っても、それらを同時に見ることも、それらがどうやって調停されたのかも見ることはできない。人が認識できるのはあくまでその時の特定の視点から特定の見方で見たものである。  遠近法に従った絵画で描かれている風景は常に画家の視点に相関的であるのと同様に、世界は常に特定の視点から特定の見方によってしか見られえないものであり、いかなる視点にも限定されない絶対的な世界認識などはありえないという考えを「パースペクティビズム (遠近法主義)」という。絶対的な世界認識(知性)の獲得は不可能だとする考えであり、まるで神にでもなったかのように自分が絶対に正しいと主張したり複数の場所に同時に存在するのはとりあえず何個か予言を当てたり千里眼を発現させたとしても頭ヤバいという考えでもあり、「反知性主義」ともいう。  19世紀にニーチェがこのパースペクティビズムを説きつつ、これを大衆民主主義に与えられた病名として「眺望固定病」と呼んだ。眺望固定病とは、自分自身を尺度として、自分の支配に好都合な価値をあたかも普遍的で客観的なものとして世界を見てしまうことを言い、価値観の押し売りなどがよい例だという。この眺望固定病に陥っているからこそ我々は「力への意思」を認識できないのだと説いた。しかしそれ以外の見方はなく、余裕ぶっていられる間だけ謙虚なふりができる程度だ。言い換えると、本当の考えあるいは自己は絶えず流れている動的なもののはずだが、それのほんの一部でたまたまその時に見えるものを、しかも固定させてしまわなければ見えない。ニーチェはこれを乗り越えようとして「永劫回帰」や「超人思想」の概念を提示したものの未完に終わる。  遠近法という絵画技法の名がついているこ���もあって、この考えは19世紀末から20世紀前半の画家に大きな影響を与え、それぞれが自分なりの解釈で取り入れようとした。遠近法を無視した絵画が注目されるのもこの時期である。ジョルジョ デ キリコも青年期にニーチェの思想に傾倒し、そうした思想を1910年代に「形而上絵画」として提唱した作品に落とし込んだ。形而上絵画は、遠近法における焦点のずれにより、見ている人に自分がここと数歩離れた場所、同じ建物の1階と2階などに同時に存在してしまっているような違和感を感じさせ、なぜか静謐や郷愁、幻惑や不安などを感じさせるという特徴をもつ。後にシュルレアリスムにおいて「デペイズマン」と呼ばれる手法が用いられている。  「デペイズマン」は、「人を異なった環境に置くこと」転じて「居心地の悪さ」「違和感」「気分転換」を意味するフランス語で、美術用語としては、あるものを本来ある文脈から別の場所へ移すことで違和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念を指す語として1920年代に用いられるようになった。同じ1920年代にドイツの新即物主義で使われるようになった「マジックリアリズム」にも似た概念で、技法的にも互いに影響を与え合っている。また、1910年代のロシアフォルマニズムにおける「異化 (慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法)」とも似た概念である。  シュルレアリスムは「オートマティスム(自動筆記)」という概念を重視し、「フロッタージュ(表面がでこぼこした物の上に紙を置いて鉛筆などでこすって模様を写し取ること)」や「デカルコマニー(2つ折りにした紙に絵具を入れて再び紙を開いて偶発的な模様を得ること)」などといった、いわば「描かない手法」を考案する。「描く手法」としてのデペイズマンは、デ キリコの1910年代の形而上絵画の影響のもとにほぼ成り立っている。  オートマティスムは、意識の介入を排除して無意識を表出させようという試みであるのに対し、絵を描くという行為やイメージ化は意識が必ず介在するというか意識そのものであるため、絵画のオートマティスムはそもそも不可能だとする考えはシュルレアリスムの運動開始当初からあり、これに対して、筆記や読むという再現行為なども思考の固定化だし意識化であって、そもそも矛盾があるのではないかという思想対立があった。  デ キリコはシュルレアリスムが始まったすぐ後に呼びかけに応じる形で参加するも、その時にはすでに古典的技法を一から学びなおして古典に回帰しようとしていた。すぐに思想的な違いが露わになり、1926年には決別を表明する。シュルレアリストたちは古典に回帰したデ キリコを非難した。  シュルレアリスムを創始したアンドレ ブルトンには、この芸術運動を共産主義革命運動に連動させようという意図があった。シュルレアリスムの実質的な活動期間は、レーニンが死去した1924年から第二次世界大戦が始まる1939年までで、ブルトンはトロツキーに感銘を受けていた。シュルレアリスム運動は共産党からの厳しい批判を受けていたがブルトンは共産党に入党したり、思想などの本質的な違いのために結局離れることになったりと紆余曲折する。この間にシュルレアリスムの運動から離れたものも多く、また、ブルトンは特に1930年代後半にエルンストやダリといったシュルレアリスムの代表的な芸術家の多くを除名した。ブルトンは1938年に、メキシコの画家でメキシコに亡命中のトロツキーと一時期愛人関係にあったフリーダ カーロをフランスに紹介し、カーロと交友関係のある芸術家たちと連携して運動を一新しようとするも、第二次世界大戦の勃発により実質的な運動は終わる。ブルトンはニューヨークに亡命し活動を続けたが、1940年にトロツキーが暗殺され、精神面での支柱を失う。  ブルトンがダリを批判し除名する際にも使った「ファシスト的思想」というのは、トロツキストが対立する相手を攻撃する際にとりあえず「差別者」や「ファシスト」と呼ぶというのをほぼ手法として確立していたというのもあるが、「描くデペイズマン」を指してもいた。描くデペイズマンは、デ キリコからの影響を介する形でニーチェの思想の影響を受けていて、トロツキストのみならず共産主義者は、特にナチスが政権をとった1933年以降、ニーチェの思想をナチスの思想だと解していた。
 ファシズムも共産主義も全体主義も、イデオロギーという強力な絆によって人々を一つに結びつけるものである。  ロシアフォルマリズムが「異化」という手法を用いた目的であり、おそらくは形而上絵画もデペイズマンもマジックリアリズムも同様の目的で用いられただろうとされるその目的とは、知覚の「自動化」を避けるということである。イデオロギーやなんやかんやですぐに自動化してしまう知覚や自動化状態にある事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」を取り戻すことである。
2023年11月 エト クイド アマボ ニシ クオド エニグマ エスト?
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itocaci · 10 months
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元気になる服 〜 BANSAN "Pleats See-through Print Dress"
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こんばんは。
まずは明日からの営業予定のお知らせだ。
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7/10 (月) 〜 7/16 (日) 営業予定
7/10 (月) 13:00 〜 20:00
7/11 (火) 13:00 〜 20:00
7/12 (水) お休み
7/13 (木) 15:00 〜 20:00 ※
7/14 (金) 13:00 〜 20:00
7/15 (土) 15:00 〜 20:00 ※
7/16 (日) 13:00 〜 20:00
※ 7/13 (木)は15時からの営業となります。
※ 7/15 (土)は15時からの営業となります。
さて、本日は、ちょっと夏らしい、ポップで明るい気持ちにさせてくれるアイテムをピックさせてもらう。
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BANSAN : Pleats See-through Print Dress (Wave Border) ¥36,300 (tax in)
波柄のボーダーワンピース。
カラフルな色が目を引く、インパクトある1着となる。
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ベースはポリエステルのシースルー素材。
非常に軽くて、ふんわりとしたシルエットを生み、茹だるような暑い夏の装いにぴったりな1着となる。
上半身と下半身でプリーツのピッチに変化をつけており、そんなプリーツの幅の変化によって波柄の見え方も変わる点がとてもユニークで、プリーツの使い方がとても素敵だなぁなんて唸ってしまう。
またプリーツのピッチは柄にメリハリをつけるだけではなく、シルエットにもメリハリを生み出している。
上半身はキュッと。一方下半身はフワッとした広がりを。
プリーツの幅だけでこれほどまで豊かに、素敵な1着へと仕立てているのだ。
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また、ピンクの首元もアクセントになっていて良い。
とことんポップなデザインを掛け合わせていくようなスタイルは、とても"BANSAN"らしい。
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日本の夏はとにかく蒸し暑い夏。
そんな夏に、シースルー素材はとても重宝できるのではないだろうか。
ノースリーブのトップスやキャミをインナーにサラリと1枚で。
ボトムスにはショートパンツやルーズなボトムスを合わせてリラックス感ある装いをオススメしたい。
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昨年の10月の展示会で僕は"BANSAN”から「元気になる服」という言葉を聞いた。
それはこのアイテムに限らず、今シーズンのアイテム全てに言えるのだけど、このワンピースを見た時に、一番その言葉が強く感じられた。
まだお店がオープンしてまもない頃のこと。
"BANSAN"の服からは引き算という言葉を知らないような、とにかく盛ったデザインが印象的で、でもそれらがうまく混ざり合って、独特な世界観を持つブランドだと思っていた。
一見、当時のアイテムとはちょっと違うのかもしれないけど、ベースでは変わらず、この1着にはそんな当時の面影すら見受けられる。
大胆な柄。
そして多色でポップな色使いに色合わせ。
さらに首元のアクセントにもなっている鮮やかな色。
そんな印象的なデザインの掛け合わせが、この1着を特別なアイテムにしているのだろう。
だからこそ、この1着を纏う日は、元気な、前向きな、明るい気持ちになれる。
そんな気がする。
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服を装うことにおいて、やっぱり僕は一番大切にしたいのは、テンションが上がるかどうかだ。
そしてこの1着は間違いなく、テンションを上げてくれる。
今年は淀川花火大会、天神祭。
僕の住んでいるエリアですら夏の風物詩とも言えるイベントが多く控えている。
そんな夏のイベントを一層楽しむための1着として。
もしくは夏の旅行を素敵な瞬間にするための1着として。
はたまた、何気ない夏の日常をドラマチックに過ごすための1着として。
この1着を纏ってお出かけする日。
その日が誰かにとってとっても前向きで楽しい日になることを約束する1着ではないだろうか。
ぜひ、そんな夏の日を過ごしてもらえると嬉しく思う。
なお、現在こちらはオンラインショップでもご覧いただける。
合わせてご覧頂けると嬉しく思う。
それでは次回もお楽しみに。
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takej618 · 1 year
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いつもご覧いただきありがとうございます。 やっぱり艶かなと思ってます。 白髪ぼかしで髪質改善してマイナス5歳を目指してみませんか? ↑↑↑ ご予約はプロフィール欄の【予約する】よりよろしくお願いします。 📲 ・ 2023年のテーマ✋ 「ちょっとアガル瞬間を〜」 美容室に来て綺麗になるのは勿論ですが、非現実な時間をゆっくり過ごしていただきたく思います。そして家に帰ってからの髪を扱う時にいつもと違う「ちょっとアガル瞬間を」感じていただきたく思います Menu Price💴 ♦️脱白髪染め♦️ 【髪質改善白髪ぼかしリタッチ】 8,800円 【髪質改善白髪ぼかしリタッチ➕カット】 14,300円 【髪質改善白髪ぼかし全頭カラー】 11,000円 【髪質改善白髪ぼかし全頭カラー➕カット】 16,500円 超ロング(胸下)+1,100円 ✨全て指名料込みのお値段になっております。✨ ・ ・ 👀白髪ぼかしについて👀 興味を持っていただきありがとうございます。 とても自信を持ってお勧めできるmenu【他とは違う白髪ぼかし】になります。 ちょっと簡単に説明とこだわりを ・ ❶白髪ぼかしとは・・・ 白髪染め剤とブリーチ剤を使わず、ファッションカラー(赤みを消す)剤のみを使用して行います。 白髪を黒髪に寄せる染め方を白髪染めと言い、黒髪を白髪が染まる透明感に近ずける染め方を白髪ぼかしとしています。 ・ ❷ダメージについて 優先順位に、1に白髪を目立たなくする2にダメージをおさえる、3にデザインというように優しいご提案を心がけています。 ・ ❸艶 大人女性が好むものとしてツヤツヤにします。トリートメント成分の高いカラー剤を使用します✨ ・ ❹手触り最高 白髪染め特有のゴワゴワとした手触りからバイバイ。1回の白髪ぼかしで9割近い方が実感👍 ・ ❺退色後の色がいい 時間が経ち毛先の色が抜けた後の色が赤みがなく更に透明感ある毛先に㊙️ ✨365日綺麗にいて欲しい✨ 【こだわり】 皆様に関わる美容師として「365日��麗な髪」を責任持ってデザインしています。 私が手を入れた翌日から常に綺麗で周りから褒められるヘアスタイルを目指しています。 「simple is best」で再現性の高い、朝自分でスタイリングした瞬間に感じる違和感を楽しんでいただきたいです。 ✂️カット✂️ カットへも特別な拘りがあります。 アップしてるスタイルはロングのみで統一しておりますが、実はショートのお客様が多いのはここだけの話🤫 一ヶ月二ヶ月先もスタイルが崩れないこだわりのカットを是非!! 髪に関する正しい知識からご提案する 皆様がもし、今よりもさらに綺麗な髪、艶のある髪、透明感のある髪を目指すのであれば 正しい髪に関する知識が必要不可欠です。 正しい知識を得て、正しい方法で扱ってあげるだけで大丈夫なんです。 皆様のための「綺麗の助っ人役」として。 ・ 是非一緒に白髪や普段のお手入れの悩みを解決しましょう😄👍 ・ 😱ヘナカラーされてる方はカラーが染まらないのでご予約の際はご注意ください!! カラートリートメントに関しても同じく色が入らないものもございます。一度相談してください。 ・ ・ ⚠️プロフィール下のURLより【指名して予約する】をタップし、クーポンを選び、スケジュールより希望の時間よりご予約ください。もし✖️になってても直接Instagramのダイレクトメッセージよりご連絡頂けましたらご案内する事も出来ますのでお気軽にお問い合わせください。 是非お得なクーポンをご活用下さいませ🙆‍♂️ ・ それでは皆さん快適なヘアーライフを🥰 @three.__official ・ ---------------✂︎----------------------------- #白髪ぼかし#40代ヘアースタイル #30代ヘアースタイル #大阪#北浜#美容室#TOKIOトリートメント#髪質改#脱白髪染め#エイジング#白髪染め#大阪美容室#明るい白髪染め#ゼロテク#頭皮につけない白髪染め#大阪白髪ぼかし#大阪脱白髪染め #50代ファッション #40代ファッション #30代ファッション #大人女性美容室#大人女性ヘアスタイル#大人女性ヘアカタログ#大人女性ヘアアレンジ#大人女性美容師#オトナ女子ヘアスタイル#頭浸浴#アンチエイジングヘア#40代女性美容室#50代女性美容室 (Three北浜) https://www.instagram.com/p/CqZ4YkprOV2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hxqiuhunn · 2 years
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ブルガリ(BVLGARI)は、黄金色に近いアプリコットカラーの暖かな空、ブルガリ コピー 激安 空が幾多の色彩を見せる瞬間、そしていつまでも終わらない夏の気分からインスピレーションを受けた2022年リゾート コレクション「サンセット・イン・エデン」を発売。ブランド コピー 激安 ハンドバッグやテキスタイル、サングラス、ジュエリー、ウォッチなど特別なセレクションを展開する。 ジュエリーは、ブランドのシンボルである「ブルガリ・ブルガリ」ネックレスが、ピンクゴールドの装いで新登場。アイコニックなコインモチーフに、アプリコット色の空を思わせるマンダリンガーネットとマザーオブ パールをあしらい、https://www.bulgari.com/BVLGARI ブルガリ 裏表で異なる表情を楽しむことができる。夕日をテーマにした「ブルガリ・ブルガリ」ウォッチは、サテンポリッシュ加工を施したステンレススティールを採用。サンレイ仕上げのオレンジラッカーダイヤルが特徴だ。 BVLGARI リング レディース 大人コーデに華を持たせるアイテム ブルガリ コピー 多色可選 デイリー コーデ おしゃれ セール 商品番号:HX2019JZ-BVL008DY品  番:HX2019JZ-BVL008-1ブランド:BVLGARI ブルガリ更新日期:2022-09-28 市場価格: 10800円 販売価格: 3600円 ご選択: サイズ、カラー 規格リスト»» サイズ: 6# 7# 8# 9# カラー: ローズ ゴールド ゴールド シルバー 注文数量: 1 お気に入り 商品の詳細関連商品お問い合せをする(0)発表評論 (0) 最新のブームになったファッションブランドブルガリのレディースリング秋冬最新品コピーは大人ライクなコーデに華を持たせるアイテムです。カジュアル感溢れたキラリと光るデザインを使用します。指までもおしゃれ感たっぷりになる大人気なファッションコレクションです。 ※お客様のお使いのPC、モニターの環境により商品のイメージ写真の色などが実際と違って見えることがあります。予めご了承ください ★備考★ HXQIU.COMで、安心してお買い物を楽しんで頂けますように ★当店は世界中のハイブランドのスーパーコピー商品ショップです ★最新シリーズ商品や人気アイテムは続々入荷 ★ご購入の際はご不明な点等ございましたら、この「[email protected] 」メールでおお気軽にお問い合わせ下さい。 ★メールが届かないお客様はのメールアドレス「[email protected] 」にご連絡ください。 http://www.hxqiu.com/?product-117585.html BVLGARI リング レディース 大人コーデに華を持たせるアイテム ブルガリ コピー 多色可選 デイリー コーデ おしゃれ セール http://www.ginzaweb.com https://hxqiuthey.on.omisenomikata.jp/ https://hxqiuthick.pixnet.net/blog
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kobayashimasahide · 3 years
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あけましておめでとうございます
              令和三年元旦
牛の仮面   2005年5月7日  88 (h.) × 37 (w.) × 25 (d.) cm  2.8 kg    ・オートバイの二人乗り用掴みベルト付き座席    (合成皮革/スポンジ状ポリウレタン/プラスチック/鉄)  ・オートバイのブレーキ/クラッチ・レバー (アルミ)  ・  〃     バック・ミラー (鏡/鉄/プラスチック)  ・  〃     後輪泥除け (プラスチック)  ・ボルト・ナット等 (鉄)
Happy New Year !     January 1, 2021
Cow Mask  5/7/2005   88 (h.) × 37 (w.) × 25 (d.) cm  2.8 kg ・Tandem Seat with Grip Belt of Motorcycle   (Synthetic Leather, Polyurethane Foam, Plastics, Iron) ・Brake/Clutch Lever of Motorcycle (Aluminum) ・Rearview Mirror of Motorcycle (Mirror, Iron, Plastics) ・Rea Fender of Motorcycle (Plastics) ・Bolt and Nut etc. (Iron)
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 1943年の早春のある日のこと、ピカソはドイツ軍占領下のパリの街を歩いて家に帰る途中、道端にゴチャ混ぜになって積み上げられていた廃品の山の中に、錆びた自転車のハンドルと、その直ぐ横に転がる革のサドルを見つけました。その瞬間、その二つは電光のように閃いて頭の中で組み合わさり、それを家に持ち帰って接合し (後にそれを型取り・ブロンズ鋳造する)、この彫刻史に燦然と輝く––––錆びてますが (笑) ––––<牡牛の頭部>(1) を造ったのでした。
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(1)-1  ピカソ <牡牛の頭部> 1943
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(1)-2  自転車のハンドル (金属) とサドル (革) 正面下から見上げた
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(1)-3  ブロンズ鋳造
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(1)-4  少し左から見上げた 
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(1)-5  少し右から
 これこそが、私がこれまでに何度か述べてきた (2)「チャンス・イメージ」––––この場合はサドルが牛の顔に/ハンドルが角に似ているという「私たちの記憶像 (この場合は牛の) を喚起する偶然の類似形」––––と、その記憶像を、今度は逆にその類似形の上に脳内で重ね合わせる「プロジェクション (投映)」とが、一瞬で双方向に交差した典型的な例なのです。  これは、視覚/認知心理学や脳科学の分野では––––「シミュラクラ (あるものが顔に見える) ⊂ パレイドリア (あるものが何かに見える)」––––と称ばれている現象です。  そして、こうした視覚心理現象に基づく造形手法が––––「レディ・メイド (既成の物) 」としての「ファウンド・オブジェクト (今まで気にも留めなかった物が新たに見直される、そのようにして改めて見出された/発見された物体) 」の「アッサンブラージュ (寄せ集め/組み合わせ)」––––で、ピカソのこの<牡牛の頭部>は、まさにその栄えある先駆/嚆矢/原点でもあります。
 尤も、この視覚心理現象+造形手法と牛との最初の出会いは、実はピカソの遥か以前の1万8千〜1万年前に、既に始まっていたのでした。しかもその場所は、ピカソの故国スペインの––––それも彼が10歳から14歳まで暮らしたスペイン北部の町ラ・コルーニャのあるガリシア州から東に二つ隣のカンタブリア州の––––アルタミラ洞窟なのです。  「徐々に土中に向かって傾斜している」この洞窟の「すべての劇的なアクセントはただ一カ所––––大きな部屋の天井––––に集中されてい」て、「この天井の高さは…約2m から1m まで…奥にゆくにつれて徐々に低くなっている」とギーディオン(3) が書くその部屋を、ヒキ (引き) で撮った写真が (4)-1 で、ヨリ (寄り) で天井を撮った写真が (4)-2 です。
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(4)-1  アルタミラ洞窟 大きな部屋 全景 (白黒)
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(4)-2  大きな部屋 天井部分 (白黒)
 最初に敢えて古い横からの照明の白黒写真をお示ししたのは、私たちがそれを見る限りは只のデコボコと波打つ天井にしか見えないからです。しかし、これを旧石器時代末期のマドレーヌ人が見た時––––私たちには見えないのだけれど、彼らが常日ごろ見慣れ、或いは見たいと切望していた (からこそ見ることのできた)––––体を丸めて地面に横たわり出産しようとしている (食料とその安定供給をもたらす) 無数の雌の野牛の群れを見出したのです。  そして、その岩のレリーフ (浮き彫り) 状に膨らんだ凸塊に、鉄錆=酸化鉄系の赤い土 (性顔料) を塗ったり吹き付けたりして白っぽい素地から形を浮かび上がらせ、更に、形の内外を画す輪郭と、欠けていて足りない尻尾や角や背中のタテガミを形の外側に、また、折り曲げた前・後脚を形の内側に、いずれも黒い炭などの顔料で描き足して全体を完成させたのです (4)-3, 4, 5 。
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(4)-3  大きな部屋 天井部分 (カラー)
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(4)-4  上の (4)-3 の上中央の野牛 正面正対 (白黒)
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(4)-5  上の (4)-4 の野牛とその周辺 (カラー)
 ギーディオンは、こうした表現––––つまり「チャンス・イメージ ⇄ プロジェクション」/「シミュラクラ ⊂ パレイドリア」/「レディメイドとしてのファウンド・オブジェクトのアッサンブラージュ」––––を、彼の言い方で次のように記しています。    「実在する���然石の形をそのまま用い…, 岩の自然の形状のうちに潜在している動物…を識別する…循環現象により…作られ… (中略) …, 自然…すなわち岩盤の線と輪郭に従うことによって, 発生したのである.」(pp.371-372)  「マドレーヌ人の目には, 岩の表面が内面に動物の形を含んでいるようにみえ…またそういうことに…かれらはいつも気を配っていた.」(p.394)  「この動物の姿勢全体は岩の形によって決められた. …天井の表面の凹凸がこのような姿を暗示させたのである….」(p.427)  「横たわるビゾン  この身体をまるめた…ビゾンは倒れているのではなく, たぶん分娩しているのであろう…. この姿は完全に隆起した岩の形によってきめられている. 露出した岩石にたまたま眠っている生命を認め, それに形式をあたえる…マドレーヌの美術家たちの力のあらわれがある. われわれの目には, 色彩のない突起はたんに無定形の岩のこぶにすぎない. しかしマドレーヌ人はそれらをまったく違った感覚でうけとめた. …かれらは自然に存在している形に想像的に接近し…たのである.」(pp.427-428)  「岩の中にすでに存在した姿が…空想を産んだのである.」(p.489)
 このマドレーヌ期から1〜2万年後に形を変えて繰り返されたピカソと牛 との出会いは、子どもの頃に父に連れられて見に行き、すっかり魅せられて虜になってしまった闘牛 (コリーダ) から始まります。須藤哲生は『ピカソと闘牛』の中で次のように書いています。  「ピカソの芸術は闘牛とともにはじまった。現在までに確認されている最も初期の作品は、油彩にせよ、素描にせよ、コリーダを主題としている。……デッサン第一号も…『コリーダと六羽の鳩の習作』…で…、これをピカソの最も古い作品という説もあり、…十歳前後のデッサンであろう。……一枚の画用紙を天地に使って闘牛のシーンと鳩を描いたもので、……きわめて象徴的な意味合いを帯びている。闘牛と鳩。血なまぐさい闘技と平和のシンボル。まさに天と地の違いの、この二つのおよそ対蹠的なテーマは、ともに終生ピカソの芸術を貫いた主題であった。」(5)
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(6)  ピカソ <闘牛と鳩> 紙に鉛筆 1890 
 実際、この<コリーダと六羽の鳩の習作>(6) 以降、この牛は、ある時は牛頭人身の<ミノタウロス>(1933~)(7) となり、またある時
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(7)  ピカソ <ミノタウロス> 1933
はファシズムと母国スペインという相反両義の象徴となって<ゲルニカ>(1937)(8) の死児を抱いて泣き叫ぶ母の背後に佇み、また、ド
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(8) ピカソ <ゲルニカ> 1937
イツ占領下のパリではナチスの鍵十字ともキリストの十字架とも取れる両義的な窓枠の前に置かれた頭蓋骨––––<雄牛の頭蓋骨のある静物>(1942)(9) ––––となり、そして、この翌年の<牡牛の頭部>(1943) へと変身し続けて行くのです。
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(9)  ピカソ <雄牛の頭蓋骨のある静物> 1942
 私は拙作の題名を「頭部」ではなく顔面としての「仮面」にしましたが、ピカソの<牡牛の頭部>も––––特に型押し成形の革のサドル(10) の凸面は––––仮面的であり、彼が若き日のキュビスム時代に多大な示唆を得たアフリカの仮面彫刻を彷彿とさせます。このキュビスム/仮面性は、例えば戦後すぐに制作したリトグラフの連作––––モンドリアンの樹木を抽象化して行く過程を辿る連作にも似た––––<雄牛 I~XI>(1945~46)(11-1) の内の VI (11-2), VII, X にも窺えます。
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(11-1) ピカソ <雄牛 I~XI>(1945~46) リトグラフ
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(11-2) ピカソ <雄牛 VI> 12/26/1945  リトグラフ
 かくいう拙作も、当然ながらアフリカの仮面を意識的/無意識的に思い浮かべて––––尤も、牛とは限定せずに漠然と動物らしきものをイメージして––––造ったものですが、改めてウェブ上で拙作に似た––––細面の「馬面」で、真っ直ぐな角の––––牛の仮面を探してみると、牛は牛でも野牛/水牛 (Buffalo / Bush Cow) の仮面とされる (しかし実際の野牛/水牛とは一寸違うように見える) 幾つかの仮面の中に、似ているもの (12)-1, -2 がありました。
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(12)-1  野牛のマスク (マリ共和国-ソニンケ文化)
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(12)-2   水牛の仮面 (カメルーン共和国-バミレケ/バムン文化)
 なお、この未発表の旧作には「サトコ」(聡子)という名前が付いています。彼女は私が卒業研究 (作品制作) を指導した学生の一人で、このバイク・シートは、彼女が素材として集めたものですが、「これ、横のベルトの留め金具が目みたいで、動物の顔に見えるなぁ」と呟いた私に、卒業する時、「先生、どうぞ」と言って置き土産にしていったものです (彼女は卒業後、家具職人の修行をしにドイツに渡りました)。  当時、大学の直ぐ南隣の丘の斜面に、若者たちがやっているバイクの解体作業場があって、ジャンク・ヤードさながらに部品やら何やらが散乱していて、私のようなジャンク・アーティストにとっては、そこは宝の山でした。この仮面の耳と角 (ツノ) に見立てたバック・ミラーとブレーキ/クラッチ・レバーは、そこで見つけた物 (字義通りのファウンド・オブジェクト) です。  仮面と言っても、これは顔面に装着するコンセプトではない (そもそも重くて無理な) のですが、最後に、楽屋裏をお見せすると (下の写真) ––––色や形が肉を削いだ牛骨のようで、一寸グロいので御注意下さい!––––ご覧の通り、この耳も角も、極く普通の金具を使って、極く荒/粗っぽい、単純な取り付け方をしております。
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[註]
(1)-1   via [https://www.slideshare.net/nichsara/sculpture-upload––No.22]。 (1)-2   via [https://www.pablopicasso.org/bull-head.jsp]。アトリエを訪れた写真家のブラッサイに、作品の制作過程を語ったピカソの言葉が、末尾に引用されています。  なお、この作品の制作年に関しては、ニューヨーク近代美術館–ウィリアム・ルービン編集、日本語版監修-山田智三郎・瀬木慎一『パブロ・ピカソ–––天才の生涯と芸術』(旺文社, 1981, pp.351-352) のジェーン・フリューゲルによる年譜に従いました。 (1)-3   via [https://www.moma.org/audio/playlist/19/412]。鼻梁に沿って空いているはずの二つの鋲穴が塞がっているので、ブロンズ鋳造と分かります。 (1)-4   via [lezards-plastiques.blogspot.com/2010/09/sixieme-personnages-et-animaux-de-bric.html]。 (1)-5   via [sakainaoki.blogspot.com/2014/02/1942.html]。 (2)    例えば [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/189982445375/happy-new-year-january-1-2020-clockey] の [註]。 (3)    S. ギーディオン著、江上波夫・木村重信訳『永遠の現在–––美術の起源』(東京大学出版会, 1968, p.420)。 (4)-1    via [https://fascinatingspain.com/place-to-visit/what-to-see-in-cantabria/altamira-caves/#1505145409627-b0f76054-69219231-ea60]。 (4)-2   ギーディオン、前掲書 p.423-pl.「280. アルタミーラ 嶮しく傾斜する天井. 前面に多彩のビゾンが岩の隆起の上に描かれている.」の複写。 (4)-3    via [http://www.tsimpkins.com/2017/10/echoes-of-atlantis-by-david-s-brody.html]。  (4)-4   ギーディオン、前掲書 p266-Color pl. XIV. の白黒複写。 (4)-5    via [https://100swallows.wordpress.com/2008/10/11/art-in-the-great-altamira-cave/]。 (5)    須藤哲生『ピカソと闘牛』(水声社, 2004, pp.26~29)。因みに、平和の鳩に関しては、拙稿 [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/155212719705/happy-new-year-2017-dove-of-peace-masahide] で、作品の画像を一つ引用しています。 (6)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-3936.php]。 (7)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-1088.php]。この頭部は、次の (8) の戦時中の頭蓋骨を予感させます。  ところで、この牛頭人身のミノタウロス (Minotauros) とは、クレタ島の王ミノス (Minos) の妃が牡牛 (taur) と交わって生んだ息子ゆえに付けられた名前ですが、ミノス王自身もまた、ヨーロッパの語源となったフェニキアの王女エウロペが牡牛に変身したゼウス神と交わって生んだ半神半人の息子です。そのクレタのクノッソス宮殿には、突進してくる牛の二本の角を掴み、牛の背中の上で前方宙返りをし、牛の背後に着地する一種の闘牛的「牡牛跳びの儀式/競技 」を描いた壁画が残されています。ことほどさように、東地中海地域では、牛と人間との間には古く (ギリシャ以前のミノア文明の時代) から、深い関係がありました。
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<牡牛跳びの儀式/競技 > クレタ  クノッソス宮殿壁画   via [http://arthistoryresources.net/greek-art-archaeology-2016/minoan-bull-jumping.html]
 ピカソはスペインで生まれてフランスで暮らしましたが、先の (3)〜(4) のアルタミラのあるカンタブリア州から更に東に進むと、フランスとの国境を成すピレネー山脈があり、その北側から南フランスへと流れ出すガロンヌ川の源流域にも、沢山の旧石器時代壁画を有する洞窟群が展開しています (この西仏双方を合わせて「フランコ・カンタブリア地方/美術」と呼んでいます)。そのガロンヌ川源流域のレ・トゥロワ・フレール洞窟に、1m と隔てぬ近い距離で、このミノタウロスを思わせる二体の牛頭人身像––––「楽器を奏でるビゾン人間」と「人間の膝…ふくらはぎ…勃起し…た男根……をもつ野牛的動物」(前掲 (3) のギーディオン pp.499-507)––––が描かれているのです。
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<楽器を奏でるビゾン人間> ブルイユによるレ・トゥロワ・フレール洞窟壁画のトレース画 via [https://www.larevuedesressources.org/les-reponses-erotiques-de-l-art-prehistorique-un-eclairage-bataillien,605.html]
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<人間の下半身を持つ野牛的動物> ブルイユによるレ・トゥロワ・フレール洞窟壁画のトレース画   via [http://reportages.saint-pompon.com/reportages2/04e7589d8909f0601.php]
 このように、フランスと東地中海も含む南ヨーロッパ美術史における牛と人間との関係は、旧石器時代の昔から今日まで極めて深いものがあり、牛をモチーフやテーマにしたピカソも、単にその一例に過ぎないと言えるのかもしれません。  (8)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-170.php]。 (9)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-195.php]。 (10)   私もピカソへのオマージュとして、自転車のサドル (但し革ではなくプレス成形鉄板) を顔/頭にした (牛ではなくて) アルマジロを造っています ([http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/1916/1/Vol63p77.pdf -pp.94-95])。 (11)-1  via [https://pintura1krasmanski.blogspot.com/p/material-de-consulta.html?m=1––pl.2]。 (11)-2  via [https://artyfactory.com/art_appreciation/animals_in_art/pablo_picasso.htm––pl.6]。 (12)-1  via [https://www.azalai-japon.com/bois/masque/2298-08.html]。 (12)-2  via [https://www.auctionzip.com/auction-lot/Bamileke-Bamun-Bush-Cow-Mask-Cameroon-Grasslands_4A54B5983D]。
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goridesince2014 · 4 years
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Trail wear 2nd !
前回の受注が100件を超えて終了し、今制作段階、7月下旬に発送予定です。特にタケボウさんところから30件を超える受注があってびっくりでした。おかげさまでノルマであった年間50着を楽々クリア!サンボルトさんも認めてくれて、最低5着のところ3着にしてもらえました!888888888888!
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初回注文時の声として、ライダーの人からはブランドの気兼ねなく着れる長袖ウェアが少なかったということや、カメラマンの方からはシャッターを押す際にこれ誰だっけ?一瞬考えてしまうことので、みんな個性のあるジャージが改善してくれそう、ということを聞いて、うむ!と思った次第です。元々オリジナルジャージを作ったのは、レース会場で狐かリーさんばっかの状況でいいのかしら?と思ったことが発端でした。ええ、Want to the originalです。
もう道筋はつけたので気に入るのがなかったら自分で作ればいいんですよ(煽)それとカッコイイのは本職の方々にお任せして、目立つ!楽しい!繋がりがある!を中心に展開していきたいと思いまする。ということで今回のアイテムを紹介!
まずはYANS先生とのコラボモデル!昨年トレイルライダーのニットキャップを手に入れた時からこれいいなーと思ってました。今回はトレイル繋がりですし、最初から考えてたのでお願いしたら快諾いただけました!コロナでキソテクも伸びちゃったし、これで少しアクションになればいいなと思ってます。カラーはベーシックなベースボール柄とYANS先生と言えばな赤、それとウッドカモに赤を組み合わせた3パターンになっています。
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注文フォーム→ https://forms.gle/rVK95DERvTwY15zs8 次もコラボで、半島在住で横浜にお店のあるシコーバイシクルサービスさんからご依頼いただきました。シコーさんお気に入りのジムニーのホイールカバーのサイイラスト風にして欲しいってことで、イノシシに追っかけられるシコーさんをイラストにしてみましたよ。あと取り扱いのブランド、オー○シティのフレーム色をフィーチャーした2アイテムになっています✨
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注文フォーム→ https://forms.gle/FFTzA59GzWXVyVv67 お次はMTBJK!昨年Tシャツで最大ヒットを飛ばしたサローネデルモンテさんのるーちゃんを再びフィーチャーしたイラストモデルです。アメコミ風のイラストが背中にドーンと入ってますよ。Tシャツがいろいろな人に着られているのを見てSNSでアンケートを取ったら、女子モデルが一番だったもので(汗)ブルー基調のギザギザボーダーになっとります。
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注文フォーム→ https://forms.gle/ZQEabex1ozyovRXVA
そんでもってRideeverydayラインも4アイテムほど。黒ダルマJUNさんの要望でMTBFESモデルのブラックバージョンを加えたり新アイテムを2つほど投下しましたよ。見てわかるように、今回も遠くから目立つことしか考えてないです!
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注文フォーム→ https://forms.gle/Trv8XcHUuCxP2NPV9
最後におっさんが好きそうなレーシングライン「Racing Classics」を新たに投入!これ得意なのでいっぱい作れそうです(何)90年代以前のレーシングマシンでこんなのいいなーと言うのがあったら声がけくださいね。
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注文フォーム→ https://forms.gle/7AK84F9MjPVarar26
そんなこんなで今回も11アイテム(滝汗)でも3着からオーダーOKもらってますので気が楽です♪さあお気に入りのものをクリックしてちょ! 以下注文の概要です。
□商品概要
夏場のシングルトラックでは笹薮等の草による切り傷や虫さされを防ぐ意味で長めの袖は有効とずっと思っていて、半袖ではなくあえて3/4スリーブにこだわってみました。材質はポリエステルの吸発汗素材でサラサラしていて着心地がよくです。反面、厚みはないのでスピードを出して転倒した場合は耐久性は相応と思います。また今回は細身のモデルのためプロテクター着用の想定はしておりません。(そのモデルは今後考えていきたいと思います)
□発注の下限数
サンボルトさんのS-RIDETシャツ発注システムを踏襲するため、3枚以上の最低発注数が必要です。3枚に満たない場合は再募集となります。(どーしても欲しい奇特なお方には追加チャージを払っていただくと生産可能です)
□納期と価格
サンボルトさんの注文システムを使うため発注確定後最小で25日の制作期間がかかります。価格は注文数がまとまり次第発表しますが2パターンあり、税別送料込みで5200円or5800円(※合計注文数10枚以内の場合後者)になります。代金連絡後、入金を確認して発注となります。(※銀行振り込みのみ)コラボモデルについては6300円のみの設定です。枚数が売れればお店にも還元できるので、Tシャツ売れても一ミリも利益にならないですから!と言われてた状況���ノシを付けて返せるもんね!(キリッ)
□発送方法
追跡可能なクリックポストを予定しています。
□その他 紹介したデザインをベースとした色違いモデルやオリジナルデザイン(いずれも3枚位以上の注文に限ります)などのご要望にも承りますので、気軽にお声がけくださいね。
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kconasu · 4 years
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フレンチ・コネクション
1971年(日本公開は1972年)/アメリカ/カラー/104分
  NHK-BSでフレンチコネクションの放送があったのを後で知って「そういえば見たことないな。」と思いレンタルブルーレイでpart2と併せて鑑賞しました。
 ニューヨーク市警のドイル刑事(通称ポパイ。ジーン・ハックマン)とルソー刑事(通称クラウディ。ロイ・シャイダー)はコンビを組んで麻薬捜査をしている。二人は数々の実績をあげていたが、特にポパイは強引な捜査と人種差別的な言動を行った上での成果であった。しかしその実績は麻薬取引の末端のアフリカ系の密売人を捕まえるレベルでしか無く組織の中心部にはたどり着いていなかった。
 ある日アフリカ系の青年を捕まえた後、ポパイの彼女が勤めるナイトクラブに二人で一杯飲みに行くと、遠くの席で薬物に絡むマフィア達の中に見知らぬイタリア系の夫婦サルバトーレ・ボカ(通称サル。トニー・ロビアンコ)とアンジー・ボカ(アーリーン・ファーバー)を見つける。何かの事件の糸口になるかも知れないとにらんだ二人はボカ夫婦を尾行する。二人の勘は当たりサルバトーレが薬物取引の大物、ワインストック(ハロルド・ゲイリー)と接触したことから取引がある事がはっきりする。正直この取引が大きいのか小さいのか、相手が誰なのかも解らない状況だったが、ポパイの勘とニューヨークに入って来ているヘロイン量が不足している事からボカ家の電話盗聴の許可と連邦捜査官の協力を得られる事になった。
 一方フランスのマルセイユ。港湾関係の社長をしていると思われるアラン・シャルニエ(フェルナンド・レイ)は裏で麻薬ビジネスを行っていた。彼は裏家業のパートナーで殺し専門のピエール・ニコリ(マルセル・ボズフィ)、お金に困っているTV番組司会者のアンリ・デブロー(フレデリック・ド・パスカル)と共にニューヨークを訪れ麻薬取引を行おうとする。
 やがてポパイはサルバトーレへが外国から来た上品な金持ちと接触した事をつかみ、彼を追いかけるのだが…というお話でした。
 これは傑作!第44回アカデミー賞で多数の賞を獲得したのもうなずける内容です。「ただし」まあまあな暴力描写をドキュメンタリー風の臨場感ある感じで撮っているのでこの手の物が苦手な人には最初からダメかもしれないので注意はしておきたいです。主演のジーン・ハックマンも撮影当時「降りたい」と漏らすほど差別的な主人公だし、人種のステレオタイプにはめすぎで今だと鑑賞に当たっては相当高い年齢規制(レイティング)が適用されそう…。Black lives matter運動のきっかけになった「アフリカ系を見たら即逮捕」という警察の悪質な態度も公開当時の1971年から今まで何も変わっていない事が解ります。それを確認するだけでも見る値打ちがあるとも言えますが…。
 主人公の暴力性を肯定するためにその悪よりも強大な悪を置いておく手法はジャック・ニコルソン主演の「チャイナタウン(1974年)」と共通する手法で上手いな、と思いました。ただ、驚くのはこれは実話ベースであること。暴力刑事のポパイもクラウディも実在した警察官でそれぞれエディー・イーガンさんとソニー・グロッソさんがモデルです。彼らは警察アドバイザーとして役者として作品に参加しています。エディーさんはポパイ達の上官役。ソニーさんは連邦捜査官のうちの一人を演じています。ちなみにシャルニエのモデルとなったのはジャン・ジェハンというフランス人だったそうですが「麻薬取引に関わった」「逮捕するチャンスがあったものの第二次世界大戦でレジスタンス活動に参加していたためフランス当局がアメリカへの引き渡しを拒否したらしい」「最後はコルシカ島で亡くなった」以上の話が出てこない謎の多い人だそうです。
【事件としてのフレンチコネクションのウィキペディア(英語)へのリンク】
https://en.wikipedia.org/wiki/French_Connection
 話としては「麻薬がマルセイユからニューヨークに持ち込まれました。関係者を追いかけていく内に黒幕を見つけました。走って走って追いかけました。」とえらくシンプルな作りだったりします。ポパイとシャルニエが出会うまでの前半は物語の波としては単調でむしろ彼らのキャラクター造形に時間を割いているかのようです。その低空飛行の間にため込んだキャラクター造形を二人が出会った瞬間にバン!とはじけるのが上手い。そのバン!とはじけるまで物語が進まない欠点を補って余りあるのが先に書いたポパイをドキュメンタリータッチで追いかけ、緊張感のある音楽を被せた手法じゃないかな、と思っています。男ばかりで華やかさの欠けているので序盤のナイトクラブにスリーディグリーズのショウを入れ込んだのも見落とされがちだけど上手いテクニックでした。
 しかし「人種のるつぼ」と例えられるアメリカの、さらに濃いニューヨークなのでこんなに色んな人種が出てくる映画も珍しいかも。ポパイはドイル姓なのでアイルランド系。クラウディはドイツ系らしいんですがルソーはロッソとも読めるのでイタリア→ドイツ→アメリカの移民の歴史を持っているかも。後はイタリア系、アフリカ系。ワインストックはユダヤ系ですね。アメリカの移民の歴史からいくと後発組とか奴隷や差別の歴史を持っている人達なので良い方も悪い方もアウトサイダーで固められている感じがします。そんな彼らの中に大陸からエリート感のあるフランスチームがやってきて、という見方も面白かも。
 ちなみに吹替版で鑑賞。事件の糸口となったサルバトーレ・ボカを山田康夫さんが担当しているんですが、イタリア移民のちょっと憎めない悪党という設定のためかどこかルパンぽいです。字幕ではボカと呼ばれることが多かったと思うのですが、山田康夫さんのイメージと通称サルの響きが良かったのか吹替版はサルの方を多用したかな?
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emilylikestennis · 4 years
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エンリケ後悔王子
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
 ●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
 ●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいの���、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
 ●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
 橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
 ●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
  今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
  仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタ���オで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
 ●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
 ●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
  記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」 
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「���ドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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MAGAZINE - 2019.12.27
マック・マコーン (SUPERCHUNK)、加藤修平 (NOT WONK)対談 
NOT WONKがファースト・アルバムを出した頃、加藤修平は〈Superchunkみたいにギターを弾いてMEGA CITY FOURみたいに歌えたらいいなってずっと思っています〉(https://www.hmv.co.jp/news/article/1505140033/)と公言していた。そんな彼にとって、11月18日に開催されたスーパーチャンクの来日公演でバンドが共演を果たしたことは、ひとつ夢を叶えた瞬間だっただろう。実は対バン当日のお昼、加藤とスーパーチャンクのマック・マコーンは初めて言葉を交わしていた。国は違い、歳も30近く離れていながらも、ともにオルタナティヴであり、なによりパンクである2人の誠実な対談。
インタビュー、構成:田中亮太、与田太郎 通訳:竹澤彩 写真:佐藤祐紀
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●苫小牧でスーパーチャンクを聴いていいた唯一の高校生  加藤「僕はいま25歳なんです」 
 マック「そうなんだ! 僕が25歳のとき、はじめて日本に来たんだよ。たしか92年。その頃は未来のことをそんなに考えてなかったと思う。レコードを作ってツアーして、次のレコードを作って……という感じで目の前のことに精一杯だったからね。大きなヴィジョンを意識することもなかったんだ。とにかく世界をツアーして回ることを楽しんでいたね」 
 加藤「僕がスーパーチャンクを最初に聴いたのは、高校3年生のとき――2012年頃でした。僕は北海道のめちゃくちゃ田舎の街に住んでいるんですけど……」 
 マック「北海道でライヴしたアメリカのバンドといえばフガジだよね。彼らが北海道のことを話していたことを覚えているよ」 
 加藤「そうです。聴きはじめた頃は、たぶん僕が苫小牧で唯一スーパーチャンクを好きな高校生でした(笑)。初めて買ったギターのネックにもスーパーチャンクのステッカーを貼ってましたよ。それ以前はもっとテンポの速いパンクとかを聴いていたんです。少し違う音楽への入り口がスーパーチャンクでした。自分が好きなパンクのキャッチーな部分もいっぱいあるけれど、でももっと緻密に音楽を組んでいる感じ。そういうところに惹かれました」 
 マック「僕たちが音楽を始めた時期は70年代のパンクやハードコアを聴いていたんだけど、僕の好きなディッキーズやD.O.A、ジェネレーションXなんかはパンクだけどポップでキャッチーな曲もやっていた。加えて僕はラジオを聴いて育ったんだよね。70年代後半にパンクが出てくる前には、ELOやAC/DCなんかのポップやクラシック・ロックもよく聴いていたね」 
 加藤「パンクが好きな人はパンクしか聴かない傾向が強いと思うんです。スーパーチャンクを聴いたとき、パンクだけを聴いていたら絶対にこういう音楽はできないだろうなと思いました。すごくいろいろなもの……70年代のパンクの感じもあるし、さまざまな音楽がミックスされていて」 
 マック「それは田舎街にいたのも関係しているかもしれないね、80年代のノースカロライナは、北海道に負けないぐらい田舎で、とにかくNYなんかとは違ったんだ。だから、スミスとかローカルのパンク・バンドとかオルタナティヴなサウンドをラジオでチェックしていたんだ。そして、大学生になってバンドを始めるときに、自分が聴いてきたサウンドをミックスしてみた」 
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 加藤「スーパーチャンクをやるにあたって、最初���らオルタナティヴという方向性があったんですか?」 
 マック「はじめからそういうアイデアがあったというよりも、自分たちが好きなアーティスト、たとえばハスカー・ドゥやソニック・ユースなんかに影響を受けていただけなんだ。彼らのサウンドはとてもユニークだよね(笑)。だから僕らもおもしろいサウンドをめざしつつ、かつ良い曲を作ってみたいと思っていた。でも、それが何か特殊なことだと意識はなかったね」 
 加藤「それは僕と一緒です(笑)」 
 ●変わらない魅力、新しいことに挑む楽しさ 
 加藤「スーパーチャンクが去年リリースしたアルバム『What a Time to Be Alive』を聴いてビックリしました。マックも今年52歳で、いったらヴェテランなわけじゃないですか? なのに、こんなにフレッシュにギターを鳴らしている。キャリアを積み重ねてきたアーティストは音楽的に静かになっていく傾向があると思うんです。でもスーパーチャンクの新作はめちゃくちゃうるさかった(笑)。20年前のアルバムよりもうるさい。そこにすごく感激したんです」 マック「それは僕らにとってもレコードを作るうえでのチャレンジのひとつだったよ。聴いた人がほかの作品と同じサウンドだと感じてほしくなかったからね。それともうひとつ心がけたのが、ライヴで演奏して楽しめるものにしたかったということ。新しさと自分たちが納得できるサウンドのバランスをとりながら、それを自然な感じにしようとした。なかなか難しかったよ」 
 加藤「97年の『Indoor Living』とか2000年前後のスーパーチャンクの作品は少し静かになった印象だったんです。ラウドさよりもギター2本のコンビネーションなどに意識を置かれていましたよね?」 
 マック「そうだね。僕らはこれまでたくさんのレコードを作ってきたけど、あの頃はキーボードを使ってみようと思って、毎日練習しながらいろんな方法で曲を書いてみたんだ。ときにはダイナミックに、ときには静かなイメージで、ラウドなパートと静かなパートを組み合わせたりしながらね。そのアイデアがうまくいった曲もあるけど、そうでもない部分もある。だけど、とにかくそれまでとは違ったことをやってみたかったんだ。 そのあとツアーでは日本にも行った※し、ツアー自体はとても良かったんだけど、911が起きたタイミングだったんだよね。なんだかとても奇妙なムードで、人々は音楽なんか聴きたくないって雰囲気だったし、僕らはそんななかでどうやって続けようかと思いながらワールド・ツアーをした。本当にストレンジな時期だったよ。キーボードを使っていることもあって、この時期の曲はいまあんまりライヴでやってないんだけど、これからはアレンジを変えてやってみたいと思ってる」  ※ナンバーガールとの共演もはたした 
 加藤「いまはギターの入っている音楽は人気がないとよく言われていますよね。そうした時代のなかで、マックにはギターを弾くことに対するこだわり、意地みたいなものはありますか?」 
 マック「そうだね、説明するのが難しいけど、スーパーチャンクはギターで曲を書くし、ソロではシンセも使う。ソロを一緒にやっているメアリー・ラティモアはハーピストでもあるから、彼女とのレコーディングは初めてのことが多かった。自分にとっては新しい体験だし、いままでとは違ったことをやるのは楽しいよね」 
 加藤「マックは永遠のギター少年といった雰囲気があって、憧れています。」 マック「メコンズっていう70年代のイギリスのバンドがいて、2000年ぐらいに彼らのライヴを見たんだけど、とても楽しそうに演奏していた。ヨ・ラ・テンゴも大きな会場でライヴをやってるけど、昔から変わらない自分たちのスタイルで楽しそうにやってるよね。僕はそういうバンドたちにインスパイア��れてきたんだ」 
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 ●激動の時代、僕らはいつもどおりやるだけ 
 加藤「僕はマックのTwittterをフォローしているんですけど、マックはいつも何かに怒っていますよね(笑)。政治や女性の権利、ジェンダーについてのことなどさまざまな問題に言及しています。スーパーチャンクの音だけを聴くと、いわゆるパンクと思わないリスナーもいるかもしれないけど、マックはまさにパンク・イズ・アティチュードを体現していると思う。僕たちが日本で感じたり考えたりしていることと、マックの発言はすごくリンクしている気がするんです。住んでいる場所は違うけれど、時代が一緒だから同じ空気のなかにいるのかなと思えます」 
 マック「そうだね、政治的な不公平さとかについては、いつもなにがしかを感じてるよ。毎日クレイジーな出来事ばかりだから、人々はどう生きるべきかという問題を意識せざるをえないよね。子供を学校に連れて行って、仕事して、食事作って、さらにクレイジーな世界に向かってデモ行進もしないといけない(笑)。この不安な世の中をどう生きていくべきかって考えちゃうんだ」 
 加藤「マックはミュージシャンとして生活の中の音楽、生活者としての音楽というのを大切にしている気がするんです。自身のレーベル、マージを運営しているのもそうした態度の表れなのかなって」 
 マック「ミュージシャンでもありレーベルの人間でもあるのは、ちょっとおかしな感じなんだ。最初は自分のプロジェクトとして楽しめたんだけど、仕事となってくるとまったく別のものだし、どちらも良い部分と悪い部分がある。たとえば僕は音楽を聴いても〈このギターの音はどう作ってるんだろう〉とか〈プロデューサーはなにを考えてこのサウンドにしてるんだろう〉なんて考えてしまって、なかなか楽しめない、つい分析してしまうんだ。だから家にいる時はロックはほとんど聴かなくて、ジャズなんかを聴いてリラックスしてるよ(笑)」 
 与田「僕は彼の所属しているレーベルを運営しているんです。そこで訊きたいんですけど、マージは2000年以降に、アーケード・ファイアとかすごく大きなヒットを出していますよね。普通レーベルは初めのほうにヒットがあって、そこからなだらかに落ち着いていくものだと思うんです。マージが大きなブレイクを出し続けられる理由は、ご自身ではどうお考えですか?」 
 マック「特に秘訣や理由はなくて、マージは89年のスタートから少しずつ成長してきたと思う。最初の10年の間にはマグネティック・フィールズのアルバムがヒットした。世の中的にはそんなに大きなことではなかったけど、僕らにとってはとても意味のあることだった。次の10年ではアーケード・ファイアがヒットしたけど、そのときも大きな成功を機にやり方を変えることはしなかった。ずっと同じやり方でやってこられたんだ。アーケード・ファイアやスプーンみたいなビッグなバンドが、まだ僕らと仕事してくれているのは嬉しいよ」 与田「いまアメリカではCDやレコードが売れなくなっていると思うんですけど、マージはパッケージのセールスとストリーミングとの割合はどれくらいですか?」 
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 マック「それはバンドによるね。デジタルに強いバンドもいれば、フィジカルに強いバンドもいるから。ファンの世代にもよる。昔からCDやレコードを買い慣れているファンが多いバンドは、まだフィジカルのセールスが良かったりする。ただ僕はロック・バンドはもっとデジタルで成功する道を探すべきだと思う。いまのストリーミング・サービスはメイン・ストリームのポップス、ヒップホップやダンス・ミュージックが中心だけど、マージでもフルーツ・バッツやヒス・ゴールデン・メッセンジャーというバンドでは大きなプレイリストにプッシュしていくプロモーションに力を入れていて、結果を出しはじめている。そういうことは僕らも試行錯誤している最中なんだ。でもフィジカルなのかデジタルなのかは、バンドによると思うね」 
 与田「数年前にNYのレコード・ショップ、アザー・ミュージックが閉店しましたよね。ショップが減っていることはレーベルに影響がありますか?」 
 マック「そこまででもないよ、NYの、特にマンハッタンは家賃も含めすべてがとても高いから入れ替わりも激しいんだ。その代わりラフ・トレードはブルックリンに巨大なショップを作ったし、まだマンハッタンで頑張っているお店もある。おもしろいのは大きなお店が閉店すると、かわりに小さな店がいくつかできることなんだ。だからレコード・ショップは減ってないと思うよ、いまアナログをリリースするレーベルも多いし、それぞれのショップが客さんに繋がろうと努力もしている。そういうお店からの情報はけっこう大事にしているね。ここしばらくは値段が高いカラー・ヴァ��ナルがとても人気があったんだけど、最近は普通の値段の黒いレコードが受けてきてる。そういう変化に気付くことがとても重要だよね。あとインストア・ライヴでその店のお客さんに直接会えたりするもの大事だと思う」 
 ●FEVERでの共演、その後 
 加藤「ツアーをいまでもやっていることについて教えて下さい。いちばんのモチヴェーションは?」 
 マック「もちろん楽しいからではある。でも僕らはそれほど大規模なツアーをやらないし、最近はヨーロッパにもさほど行ってない。なかなか収益があがらないし、赤字になってもしょうがないからね。家族もいるしさ。ツアーにはいろんなトラブルも付き物だしさ(笑)」 
 加藤「そこは僕らと変わらないんですね(笑)。スーパーチャンクはキャリアも長いし、ツアーもスムーズにこなせているのかと思ってました。」 
 マック「ライヴだけなら毎日楽しくできるよ(笑)。でもそれだけではないからね。物事をうまく進めるためには、その背景でいろいろな努力や工夫をしなきゃいけない。演奏するのは難しくないし、ただハッピーなんだけど(笑)」 
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   加藤「ツアーに出て、その土地土地の若いバンドとやることも多いですか?」 マック「それはツアーによるんだ。前回のアメリカ・ツアーにはサポートでトーレスという女性シンガーに一緒に回ってもらったけど、毎日違うバンドがサポートしてくれることもあるしね」 
 加藤「実は今回、このツアーが発表されたとき、僕らの出演は決まっていなかったんです。だからスーパーチャンクが来るとTwitterで知り、そして〈なぜ僕らを出してくれないんだ〉と激怒した(笑)。そこで、主催の方に直談判して今回は出させてもらったんです。なので、共演できてとにかく嬉しい。マックに僕たちのライヴを絶対に観てほしいです!」 
 マック「もちろんだよ!」 
 このインタヴューのあとに行われたFEVERでのライヴでは、NOT WONKのライヴをステージ袖で微笑みながら観ているマックが目に入った。そして、東京のあとに開催された大阪公演の合間に彼はFLAKE RECORDSを訪れ、NOT WONKの7インチを購入していったという。実は、この日彼らはもうひとつ約束を交わしていた。それは、次回の来日では、加藤のホームタウンである北海道でも共演を果たそう、ということ。その実現も遠くはないのかもしれない。
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takej618 · 1 year
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いつもご覧いただきありがとうございます。 4月の日程です。 まだまだご予約空きがございますのでよろしくお願いします。 ↑↑↑ ご予約はプロフィール欄の【予約する】よりよろしくお願いします。 📲 ・ 2023年のテーマ✋ 「ちょっとアガル瞬間を〜」 美容室に来て綺麗になるのは勿論ですが、非現実な時間をゆっくり過ごしていただきたく思います。そして家に帰ってからの髪を扱う時にいつもと違う「ちょっとアガル瞬間を」感じていただきたく思います Menu Price💴 ♦️脱白髪染め♦️ 【髪質改善白髪ぼかしリタッチ】 8,800円 【髪質改善白髪ぼかしリタッチ➕カット】 14,300円 【髪質改善白髪ぼかし全頭カラー】 11,000円 【髪質改善白髪ぼかし全頭カラー➕カット】 16,500円 超ロング(胸下)+1,100円 ✨全て指名料込みのお値段になっており���す。✨ ・ ・ 👀白髪ぼかし���ついて👀 興味を持っていただきありがとうございます。 とても自信を持ってお勧めできるmenu【他とは違う白髪ぼかし】になります。 ちょっと簡単に説明とこだわりを ・ ❶白髪ぼかしとは・・・ 白髪染め剤とブリーチ剤を使わず、ファッションカラー(赤みを消す)剤のみを使用して行います。 白髪を黒髪に寄せる染め方を白髪染めと言い、黒髪を白髪が染まる透明感に近ずける染め方を白髪ぼかしとしています。 �� ❷ダメージについて 優先順位に、1に白髪を目立たなくする2にダメージをおさえる、3にデザインというように優しいご提案を心がけています。 ・ ❸艶 大人女性が好むものとしてツヤツヤにします。トリートメント成分の高いカラー剤を使用します✨ ・ ❹手触り最高 白髪染め特有のゴワゴワとした手触りからバイバイ。1回の白髪ぼかしで9割近い方が実感👍 ・ ❺退色後の色がいい 時間が経ち毛先の色が抜けた後の色が赤みがなく更に透明感ある毛先に㊙️ ✨365日綺麗にいて欲しい✨ 【こだわり】 皆様に関わる美容師として「365日綺麗な髪」を責任持ってデザインしています。 私が手を入れた翌日から常に綺麗で周りから褒められるヘアスタイルを目指しています。 「simple is best」で再現性の高い、朝自分でスタイリングした瞬間に感じる違和感を楽しんでいただきたいです。 ✂️カット✂️ カットへも特別な拘りがあります。 アップしてるスタイルはロングのみで統一しておりますが、実はショートのお客様が多いのはここだけの話🤫 一ヶ月二ヶ月先もスタイルが崩れないこだわりのカットを是非!! 髪に関する正しい知識からご提案する 皆様がもし、今よりもさらに綺麗な髪、艶のある髪、透明感のある髪を目指すのであれば 正しい髪に関する知識が必要不可欠です。 正しい知識を得て、正しい方法で扱ってあげるだけで大丈夫なんです。 皆様のための「綺麗の助っ人役」として。 ・ 是非一緒に白髪や普段のお手入れの悩みを解決しましょう😄👍 ・ 😱ヘナカラーされてる方はカラーが染まらないのでご予約の際はご注意ください!! カラートリートメントに関しても同じく色が入らないものもございます。一度相談してください。 ・ ・ ⚠️プロフィール下のURLより【指名して予約する】をタップし、クーポンを選び、スケジュールより希望の時間よりご予約ください。もし✖️になってても直接Instagramのダイレクトメッセージよりご連絡頂けましたらご案内する事も出来ますのでお気軽にお問い合わせください。 是非お得なクーポンをご活用下さいませ🙆‍♂️ ・ それでは皆さん快適なヘアーライフを🥰 @three.__official ・ ---------------✂︎----------------------------- #白髪ぼかし#40代ヘアースタイル #30代ヘアースタイル #大阪#北浜#美容室#TOKIOトリートメント#髪質改#脱白髪染め#エイジング#白髪染め#大阪美容室#明るい白髪染め#ゼロテク#頭皮につけない白髪染め#大阪白髪ぼかし#大阪脱白髪染め #50代ファッション #40代ファッション #30代ファッション #大人女性美容室#大人女性ヘアスタイル#大人女性ヘアカタログ#大人女性ヘアアレンジ#大人女性美容師#オトナ女子ヘアスタイル#頭浸浴#アンチエイジングヘア#40代女性美容室#50代女性美容室 (Three北浜) https://www.instagram.com/p/CqWoEP3PSCI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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neu-ve · 4 years
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Aesopのホームケア
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Aesopのホームケアキットを買ってみました 今回は家づくりとは関係ないので 入居後のホームケア関連が気になる方、よろしければご覧下さい^^
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ギリシャ神話の芸術を司る女神達を讃えるコンセプトのギフトキットで、いくつか種類が組まれているのですが
ホームケアは音楽の女神エウテルペーがモチーフのスリーブになっています
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商品名、 国内品は“THE SOLOIST”ですが 海外品は“THE MELODIST”です
店頭で香りを確認してから、迷ったのち 今回はネットで並行輸入品を買うことにしました 私は基本的にどの国からの買い物でも 到着期間・保管コンディション・自分で消毒できるか(最重要ポイント) がクリアできてれば特に抵抗がないですが こちらは肌に直接浸透させるような物ではないのと、発売自体が昨年末だったので保管時間も問題ないな〜という判断です 気になる方は国内品(or正規輸入品)を^^
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全然関係ないけどこのチューリップの絵面がつよい😂 何と一緒に撮っても一瞬で強い印象になる… 寄生獣感… なんでフチをこんなギザギザにしようと思ったんだろうほんと凄い チューリップの中のフリンジ咲きという分類です で、後から調べたら品種が“ゴリラ”…だったんですけど… 名前もつよ…
浅水で、しっかり水切りを続ければ半月以上余裕でもったので、来年も発見次第買おう(メモ)
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中身はこちら
・ボディソープ ・トイレ用芳香剤 ・ルームスプレー 単品で買うより少しお得な内容です
私は普段どんなに得でも福袋等は買わないし 要らないものが入っているくらいなら、欲しいものだけピンポイントで買いたい人間なのですが
こちらは丁度どれも欲しいと思っていたアイテムで あとは置くだけやでと用途も明確だったから 奇跡的なセットなのでした
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ルームスプレーは寝室に 眠る前の短時間だけ香る物が欲しくて 今まではリードディフューザーを使っていたのですが、就寝前以外も蒸発してしまうのが勿体ないな〜と思い、スプレータイプのものを探していました 香りは好みの問題なので良い悪いは割愛しますが OLOUSというウッディ+シトラスの香りです ほんのワンプッシュ(もいかない半プッシュ)で数時間持続してるので 寝る前だけならとんでもないコスパな気がする 使い切れる自信が全くないレベル 経過後ピタっと香りがなくなるので後腐れがなくていいです ただ、好きな香りだけどそこそこの強さがあるので 空間ではなく紙にかけて物理的に破棄できるようにしています 隣にあるチューブもAesopのもので ご存知の方も多いと思いますがリップクリームです
保湿力はそこまで優秀じゃないけど 必要分だけ指にとれて衛生的だし サラサラマットなので万が一唇が寝具についても安心 これは“就寝前特化型リップ”だと思っている…
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ボディソープは浴室に 我が家では固形と液体両方のソープを置いているのですが 固形に関しては特に気に入っているものもなく ただただ清潔になればいいので・笑 使用感うんぬんよりも都度メーカーを変えて試すのが好きです Aesopをリピートするとしたら 動物実験を一切していない・動物性成分を使用していない点に意味あり 食事に関してはヴィーガンではないですが その他での犠牲は無いに越したことはない(あるべきじゃない) あまりストイックになると無理が出るから、出来る範囲からシフトしていこう…
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トイレ用芳香剤はもちろんトイレに 商品名はPOST-POO DROPS ぽすとぷどろぷす…?とP&Oの多さに困惑する夫… これは良い商品! 水洗後、数滴垂らして蓋をしておくだけで 次のターンでは空間が浄化されたような錯覚に陥ります😭 クセのないシンプルなシトラスの香りなので 柑橘類が好きな人は問題なく使えそうかな 今、トイレ内には夫が何年も前に買ってくれたMillefioriのセラミックストーン(現在は廃盤・超微香)を置いているのですが 無印にアロマ用のストーンが売っていたので、寿命が来たら買い替えてそこにPOST-POO DROPSを垂らして使っても良さそう…
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トイレ全体もなんとなく撮影しておきました 一見して消臭剤には見えないので凄くいいです^^
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アメニティケースは ちょうど換えどきだったメイクポーチとして普通に使うことに^^ ナチュラルなカラーだから、木製テーブルの上では馴染んで邪魔しないので出しっ放しに出来るようになりました…!
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それからスリーブ
デザインはGiovanni Garcia-Fenech氏 枠ギリギリでモチーフを配置される作風のようで 印刷会社は余白のない(失敗できない)裁ち落としでめちゃくちゃ緊張しただろうし すごく好きな紙質で目立ちにくいけど地味に活版(凹凸)つかってるし この努力の結晶みたいな物を捨てるにはあまりに惜しすぎる、ので
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飾りました
なにこれAesop大好き芸人じゃん完全に 私にとってこのキットはあまりにも捨てどころがなかった…😂 本来は捨てるものだからと、かしこまらずラフに飾ったら案外いい感じで 内容物と同等くらいの価値が出ました
使ってるのは中川政七商店の画鋲です 真鍮製、フック型で小物もかけられるのでおすすめです 普段はリップくらいしか買ってない消費者が ギフトキットをたった1つ追加しただけなのに 無事Aesopの回し者になりました (ちなみに金が絡むとオススメするものに説得力がなくなるのでアフィ・ステマ等一切やっていません1円ももらってません何ひとつ得るものはないどころか記事を書けば書く程時間を失っていますヒィ😭) 気になる方は是非店頭へ! 香りの好みは千差万別、直接ご確認ください^^ それから、頂いてたコメントに全てお返事致しました
新記事更新のタイミングでお返事することが多いので、お待ち頂き申し訳ありません…! こちらからM邸オーナーのDisqusページに直接アクセス出来ますのでご覧くださいね^^
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●我が家と同じように建築家と家を建てている方のブログ集はこちら。 これから家づくりをされる方は是非ご参考ください。
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nemosynth · 5 years
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<デジタルシンセ戦国記 III ; KORG DW-8000>
●メーカー名
KORG
●機種名
DW-8000 Programmable Digital Waveform Synthesizer
61 鍵、ベロシティ・アフタータッチ対応 '85年発表、定価 198,000円
ご覧のとおり、サブタイトル的に「音色メモリー可能なデジタル波形シンセ」という意味の英語で銘打たれているが、ちょっとでもデジタルと言いたかった、つまりデジタルであると言えることが時代の最先端であった当事の世相というか、時代の流れに必死で追いつこうとしていたメーカーの意地のような気持ちが感じられる。
コルグ DW シリーズは ・2基のデジタルオシレーター ・1基のアナログフィルター(VCF) ・1基のアナログアンプ(VCA) による減算方式シンセであり、当時このようにオシレーターのみデジタルな機種は「デジアナシンセ」とか「ハイブリッドシンセ」と呼ばれた。
しかし当時のコルグは、あくまでデジタルであることを前面に押し出すことで、これを最先端の技術をもちいた一種のデジタルシンセ的存在として言いたかったらしい。そんなわけで、この時、倒産しかかっていたコルグの悲壮感を汲み取って、この「デジタルシンセ戦国記」に、ご登場いただく。
ちなみに時代は変わるもので、26 年が経過した 2011 年1月に発表された KRONOS の HD-1 では、デジタルシンセ用アイコンとして DW が、アナログシンセ用アイコンとして 800DV が、おのおのカラー表示されるようになっている。
●音源方式
D.W.G.S 音源 Digital Wave Generator System の略。
これだけでは、ただ「デジタル音源ですよ」と言っているだけで、あまり分からない。ai音源(advanced integrated:M1、Tシリーズ)、HI音源(Hyper Integrated:TRITON「トライトン」シリーズ)も、単に「はげしく集積しました」って言っているだけですよね。
現実の音をフーリエ解析し、その倍音構成を整数次倍音でのみ再合成。ここから1波のみ取り出し、音源波形としてプリセットし、あとはユーザーが通常の減算方式しかもアナログ回路で処理する。コルグが初めてつくったデジタルオシレーターであり「現実から得たデジタル音をアナログによる減算方式で処理する」という発想は、いうなれば現在のハイブリッドシンセの先がけでもある。
なお、DW-8000 における音源波形は、オクターヴごとにマルチサンプリングされたものがベースであったといわれる。
80年代終わりごろになると、DWGS 音源や PCM 音源は、まとめてウェーヴ・メモリー方式、あるいはウェーヴ・テーブル方式などと呼ばれた。ただしウェーヴ・テーブル方式とは、狭義では PPG-Waldorf が始めた「波形アニメ」的な方式を指すので注意。初代 DW-6000 では8種類あった音源波形も、DW-8000 では 16 種類に増えた。
●同時発音数
8音。
このころは、まだヤマハ DX を除けば最高でも6音ポリのシンセが多かったので、8音というのは微妙にアドバンテージがあった。コルグ Poly-800 なんか実は VCF が1基しかないパラフォニックで「ウソはっぴゃく」とまで言われたのに、それでも8音パラフォで「きゅっきゅっぱ」というコスパに、全世界の少年少女が乱舞したのである。
●内蔵エフェクトの性能と傾向
デジタルによる、ステレオ・モジュレーションディレイ1系統。
最大 512msec。独自の LFO を搭載しているので、モジュレーションかけてコーラスにもフランジャーにもなる原始的なマルチエフェクトとして、コルグは見ていた。デジタルであるということが、ここでも時代の先端を示すものであった。 とはいえ同社の名機 Polysix の、演歌ばりに泣きの入ったコーラス回路などとは、くらべものにならないくらい地味な効き味。ま、京都の薄味みたいなもんで、素材の味を大切にしはるわけどすな、はい京都生まれです私w
●内蔵波形、プリセットの傾向
16種。
普通のサイン波や鋸歯状波なども搭載。それ以外の波形は、現実の音を元にしてはいるので、ややリアルではある。しかし整数次倍音でのみ再現しているため、どこか音が甘い。しかも単に1波ループであるため、VCF / VCAエンベロープをかけないかぎり無表情なまでに一定の波形。つまり、PCM シンセのような、音源波形を出力しただけで完パケの音になるような便利さ安直さは、ない。
波形の元ネタは、生ピ、ベース、サックス、ディストーションギターなどあり、ただし前述のように生き生きとした PCM 波形ではないため、あくまで無表情な1波ループである。
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時代なのは、DX エレピを元にしたと思われる波形があることで、たしかによく特徴が出ているが、やはり正弦波合成による1波ループのため、これをそのまま使ってもせいぜい DX エレピの劣化コピーみたいにしかならず、うまく独自の味付けを考えて音創りするほうが良い。
金属ベルを元にした波形などは、非常におもしろく、DX エレピとはまた違った実に情感ゆたかなエレピ、それも DW-8000 でしか出ないエレピにしたり、金属的なパッドにして輝く雲のように演出させたりと、いろいろと使いみちがある。
鋸歯状波などはベーシックな波形のはずだが、やはり DW-8000 ならではの個性があり、はやりの JUNO-106 のような涼しげなストリングスにはならず、どことなく中域に倍音が密っぽいというか、なんとなく暑苦しい音になるのも、プログレにファンが多いコルグならでは、か。
波形メモリーには、256k bit ×4個のチップを使っているそうで、すなわち1メガビット、ということになる。仮にサンプリング周波数が8bit とすると、128 キロバイトの波形容量ということになるが、1波サイクルしか保存していないはずなので、これでも充分であろう。オクターヴごとにさりげなくマルチサンプルされているという噂があるが、聴いているぶんにはスプリットポイントが分からない。
8バンク×8音色= 64 音色メモリー。すべて上書き可能。 プリローデッド音色がどんなであったかは、すべて私の音色となってしまった今となっては知るすべがないが、Polysix のすごいやつを期待すると 「なんやしらんけどヤマハみたいな整った音やな。コルグにしては、ちょっと細いんちゃう?」 という感触をもつかも。
しかも最後はアナログのフィルターとアンプを通るので、どっかダイナミックレンジも狭く、S / N も色あせた、それでいて渋い音になる。
液晶表示による文字表示機能が無く、7セグ LED 数字表示しかないので、音色名も当然ない。しかし意外に簡単につかいこなせる。むしろ「下手にバイオリンなどという名前をつけますと、そのイメージにひきずられて、自由な発想ができません」とまで開き直っていた当時のコルグの恐るべき哲学(いや、ごもっとも!)と、なぜかオプションの MEX-8000(後述)取説に付属してついていた紙1枚だけのプリセット音色一覧表しかも音色に名前つきおまけにネーミングセンスがハズしているという謎の存在とが、過渡期の混沌ぶりをしのばせる。
●エディットの自由度と可能性
パラメーターの解像度は粗い。これはその後しばらく���コルグ製シンセすべてに言える事で、限界値が低いことや、解像度が粗い事もあって、実は緻密なエディットができない。しかしカタログを見ると「デジタルを越えた美しい音」とある。シンセはスペックではなく、実際に出てくる音でこそ勝負が決まる。これがコルグらしいこだわりであるとともに、私のような音色フェチには、ちょーっと寂しいというか「もーちょっと口あけてほしいなぁ」と言いたくなるところでもあり、その一方でカタログ通り美しい音にシビれ、その頑固一徹さに敬服するところでもある。
2 Osc. → 1VCF → 1VCA と、いたってシンプルな構造だが、残念ながら PWM やリング変調、クロス変調、ハードシンクなどのオシレーター変調は一切無い。そのぶん、倍音が豊富な音源波形の組合せとツインオシレーターでのピッチインターバルなどに、命をかけることになる。これが結構おもしろい。双子のメインオシレーターとは別個に、ホワイトノイズジェネレータを搭載しているのも良い。
スプリットやレイヤーは不可能、むろんマルチティンバー駆動も不可。ただし私が毎回はずさないユニゾンモードは、ちゃんとついていて、倍音の多い音源波形で本領発揮。コルグに独特の、異様にキツいフォルマントをもったディストーション系リード・サウンドは、このあたりから頭角を現してきたように思う。 さらに、ポリフォニック・ポルタメントを実現すべく、普通のローテーション・アサインの他に各ボイスを積み重ねる発音方式も用意されているのは、時代。
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VCF は、VCA とともにコルグ独自設計のチップ NJM2049 により実現されている。Polysix まではラダー型の SSM2044 だったが、Poly-800 からは、この独自設計の Quad OTA VCF チップに交代。マイナーな DW にあって、アナログ回路部分はさらにスルーされるきらいがあるが、どうしてなかなかまろやかに効く。しかも DWGS 音源によるデジタルオシレーターの音も、この VCF を通すことでアナログらしく色あせてくぐもった感じになり、ダイナミックレンジも狭くなってかえってレトロで良い、味わいぶかい。
このチップは、この次の DSS-1 / DSM-1 でも採用され、サンプリングした音がおもしろいほど変化するところを聴いてもわかるとおり、隠れた名器である。そしてヴィンテ・コルグ時代最後のアナログフィルターであり、アナログ世代最後の音へのこだわりの結晶となった。
ちなみに DW-8000 は8ボイスなので、このチップが8個搭載されているが、Poly-800 では1個しか搭載されないパラフォニック・シンセだったため、前述のとおり当時から「ウソはっぴゃく」と言われるも、誰もそんなこと気にせず、もうあこがれのシンセが手に入るただそれだけですでに嬉しかった。
EG が、フィルターとアンプとに個別にあるのも、当時としてはすばらしい。しかも、ADSR より1点多い ADSSR 方式(Attack、Decay、Slope、Sustain、Release)を初めて採用。上下反転させれば、ちょっとした複雑なアタック・トランジェントも演出できた。当時コルグが、これを誇らし気に DEG すなわち、でぃぢたるえんべろーぷじぇねれぃたぁ、と呼んでいたのが、これまた時代。どこまでも「デジタルシンセ」と言いたかったコルグの悲哀。しかも、極端に遅いエンベロープを組むと、階段状の音色変化が露呈してしまうのがご愛嬌。
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またピッチ EG の原型として、アタック時に自動的にベンドアップ / ダウンさせる機能だけがあった。極端に高い音程から、極端に短い一瞬で落下するようにかけると、例えばスラップベースのアタックにて「キュッ!!」と弦っぽい感触が得られてリアル。
画期的なのが、コルグとしては初めてキーベロシティとアフタータッチとの両方に対応していることで、豊かな倍音の音源波形、多ポイントの EG、オシレーターのピッチインターバルなど合わせて、じつは表現力は多彩である。先述の情感豊かなベル波形エレピの音などは、ほんとうに良い音なので、持っている人はぜひぜひ試行錯誤してみて下さい! ネモ秘伝の作りかたを、以下の通り大公開!
『15番の金属波形と13番の波形とを使用。 VCF-EG は、アタックに鋭いピークをつくってから、ゆっくり減衰するように設定。つまりディケイまでをほとんど一瞬で終わらせ、そこからスロープを使ってゆっくりとしたセカンド・ディケイを演出する。ベロシティによる VCF の開閉具合と、この「コツ」っていう VCF のアタックでのピークとの調整が、ほんとうに微妙だが、デジタルなので安心の再現性 笑。エンヤの光輝くピチカートにセカンド・ディケイをくっつけた、くらいに聞こえるほうが良い。強いキータッチで DX ベルを彷佛とさせつつも、上品に倍音を抑えれれば完璧。弦をつまびいているようなデリケートさを兼ね備えた、素朴だが極上のエレピを耳にしたとき、「えー、これ当時はアナログシンセに分類されてたのー?w」と貴方が思うこと請けあい。 ついでに蛇足ながらアタックがカカっと2回聴こえるように内蔵ディレイをひかえめなレベルで設定してみると、さらにアタックが特徴的に思えて効果的。』
あとコーラスギターの音をつくると、バンジョーの明るい風味ありつつも古いギターのように甘いといおうか、デヴィッド・シルヴィアンの曲で使えそうな感じに飴色な夕暮れな感じがでて、なんとも不可思議なギターになって最高。これも手の内をちょろっと明かすと:
『音源波形には6番と10番を使い、VCF カットオフはこもらせ、レゾナンスは少し上げ気味に、フィルター EG デプスは軽く減衰がわかる程度にする。ベロシティでカットオフが大きく反応するように。』
未だにこの2音色を超える音色は、手にしていない。
フロントパネルは、Poly-61 以来の悪しき伝統で、たった1本のデータエントリー・スライダーを除いてツマミを一切排除した設計。この為、昨今のリアルタイムぐりんぐりんには、とうてい向かない。はっきり言って操作性は悪い。 しかし、のちの DS-8 や M1 に始まるワークステーションに受継がれたパフォーマンス・パラメーターと言う機能があり、DW-8000 では任意の1パラメーターのみを、スライダーにアサインしておける。任意の、というところがポイントで、応用すれば MIDI チャンネルすら演奏中にスライダー1本で変えれるため、マルチ音源をスレイヴにするときいい。ここまで出来るのは、DW-8000 くらいなものであろう。
また音色切替のために十の位だけを止めておくバンクホールド機能が、はやくもついていたが、DW-8000 ではこれをエディット中にパラメーター・ナンバー選択時にも使えるのが、気が効いている。フィルター関連は 30 番台、VCF EG は 40 番台、VCA EG は 50 番台、ディレイは 70 番台というふうに、パラメーターがわかりやすく配置されているので、バンクホールドも役立つのだ。
その場かぎりのアルペジエイターも搭載していて、打鍵した順番を忠実にリピート再生してくれるモードには拍手! 最大 64 ステップの簡易シーケンサーとして使えるので、内蔵ディレイと組合わせれば、工夫次第でいくらでも複雑なパターンを演出できた。しかも MIDI 同期可能! このおかげで、「音源波形も面白いし、実質的にはコルグ初のワークステーションなんちゃうのん?」と言いたくなるくらいの実力があった。Poly-800 には、ほんとにシーケンサーがありましたね。
音はどうか? どちらかと言えばカマボコ型には違いない。しかし、自作した音色を聞きかえしても、DWGS ならではの、つまりフォルマントが半端にはっきりした正体不明な音が多い。とはいえ Polysix のような、VCO の出力が過大で VCF 内部でクリップしているような、中域の太い乱暴さはない。無理なく音がでている感じがする。そしてアナログにしては、はんぱに明瞭な音がする。
しかも最後はアナログのフィルターとアンプを通るので、不思議に S/N もダイナミックレンジもちょっとくぐもったアナログシンセの音になる。CZ が VA っぽいなら、DW はアナログっぽいというか半端にデジタル半端にアナログな音色になる。あたりまえながら、デジタルシンセをアナログのフィルターバンクに通した雰囲気。
元の音源波形の由来を、とことん無視して音を作ると面白いが、それでも半端に軽く、半端に明瞭で、半端に太く、結局なにで作ったのか分からない音になるところが、実は一番の特徴。正体不明ながらに個性的で、じつは私がなによりも好きなところでもあった。
●拡張性
あるはずがない。
しかし偉いもんで、あったのである。MEX-8000 という弁当箱のようなサイズと形��周辺機器があり、これがなんとシステム・エクスクルーシヴをためこんで吐き出すだけの、RAM ボックス(!)であった。256 音色までストックできたが、データサイズが小さいので転送時間は一瞬で済む。64 音色バンク単位で送受するので、1音色だけロードとかは不可。おまけに、なんの表示もしない味もそっけもない弁当箱である。私も愛用していたが、どこになにをセーヴしたか、とんと思い出せないまま愛用。しかもバックアップ電池が必要で、これがまた乾電池であった。これを外すとえらいことになるので、AC アダプターが必須。
なお、この MEX-8000 は、DW-8000、DW-6000、Poly-800、Poly-800II、DVP-1 で使うことができ、相手となる機種を切り替えるには、本体にあるディップスイッチを使う。
DVP-1 って、変なヴォコーダー兼ピッチシフター兼ヒューマンボイス5音ポリ音源モジュールで、じつはおもろかった。
DW-8000 はコルグ最初期の MIDI シンセのひとつなので、Sys-Ex で音色をバルクダンプするにも、1音色ずつしかセーヴ / ロードできない。一括で送受信するには、いちいちプログラムチェンジを送信し、その上で1音色ずつデータセーヴリクエストなどを送信しないとデータを吐かないので、普通のバルクライブラリアンでは対応できないことがほとんど。
よって、むしろカセットテープ・インターフェイス内蔵であることを生かし、そこから出る音声データを DAW などで wav ファイルにでもするほうが、実は手軽だったりする!
●あなたにとっての長所
アナログでもデジタルでもない「これ何で作った?」というような正体不明の音色が、なによりもおもしろい。そして比較的簡単におもしろい音がたくさんつくれて、しかもタッチセンスにより表情がつくところが、また良い。VCF と VCA を通るためか、アナログっぽく S/N も悪いダイナミックレンジも狭いが、それがかえって渋い渋い渋ーい音色になるんですけどね。
私が手にした機材では、もっともつきあいが長かった。さんざん使いたおしたので、120 パーセント使いこなしました、と胸はって言える。
●あなたにとっての短所
今となっては、PCM シンセの方が多芸で音も多彩。さらに DW は、パラメーターの解像度は粗い、鍵盤のタッチも悪い、MIDI 受信したときのレスポンスの遅さは逸品。
せめて片方のオシレーターの直後にアンプ・エンベロープが独自に装備されていたら、もっと使い勝手が良かっただろう。これを克服するには第二オシレーターのピッチを極端に上げて倍音群として扱い、VCF-EG でその倍音群が一瞬だけ目立って聴こえるよう時間軸上のピークを作り、なおかつピーク部以外を削り取ってしまう事で、あたかも VCF-EG で第二オシレーターの音量まで制御しているかに見せる方法があった。見ろ。文句言うだけじゃなくて、ちゃん使いこなしているだろう!
●その他特記事項
中古でもあまり人気がないらしい。PCM ほどは明解な音がせず、かといってアナログにしては整った音がする上に、なんせのっぺりフェイスのせいで、リアルタイムで操作しにくいとなると、中途半端な印象をもたれるのだろう。確かに出音は、軽めのアナログっぽくもある。
発売当時も人気が無かった。なんといっても正真正銘フルデジタルの DX が、人気絶頂だったのだから、無理もない。
そもそも DW-8000 は、ヤマハ DX7によってどうしようもなく劣勢に立たされたコルグが、それでもなんとかして生き残りをかけて開発した機種である。
81年:Polysix 発売、24 万8千円、VCO ×1基、6音ポリ 82年:Poly-61 発売、17 万9千円、DCO ×2基、6音ポリ 83年:ヤマハ DX7 発売、24 万8千円、フルデジタル、16 音ポリ 84年:DW-6000 発売、18 万4千円、ハイブリッドシンセ、6音ポリ 85年:DW-8000 発売、19 万8千円、ハイブリッドシンセ、8音ポリ
Polysix といい Poly-61 といい、発売したての新製品が、たった1年か2年で、それこそもう回復不能なまでに時代遅れになってしまうなど、いったい誰が予想しえたであろう。
だが、それがために DX7対策として開発された DW-8000 は、なかなか完成せず、焦ったコルグは「ぜがひでも早急にデジタルシンセを!」ということで、急きょ、DW-6000 を開発し、先にデビューさせた。
両者をくらべると、こうなる:
DW-6000 ・’84 年 12 月発売 ・18 万4千円 ・6音ポリ ・6種類の音源波形 ・アフタータッチのみ対応 ・コーラスのみ内蔵 ・CPU×2基
DW-8000 ・’85 年9月発売 ・19 万8千円 ・8音ポリ ・16 種類の音源波形 ・ベロシティとアフタータッチとに対応 ・モジュレーションディレイ内蔵 ・CPU×1基
すなわち、定石通り CPU を1基だけで DW-8000 の開発を進めていたが、どうにも開発が遅すぎるというので、後から DW-6000 の開発が始まり、CPU を贅沢に2つも投入することで、重たいままの未熟なソフトウェアでも走るように、とにかくなんとしてでもマッハでデジタルシンセを発売し、世のトレンドに乗り遅れまいとしたのであった。
そんな悲壮な機種 DW-6000 は、当然ながら中つぎもいいところで、デビューして1年たたずに DW-8000 にバトンタッチすることになってしまう。だいたいユーザーはそんな事情を知る由もないから、せっかくお金貯めて買った DW-6000 が、一年たたずして後継機種に引き継がれるというアゴがはずれそうな事態に。
今から見れば、DW-6000 も Poly-61 も、なかなかいい音がする。 しかし、ヤマハ DX シリーズが破竹の勢いで新機種を投入し、鉄壁のラインナップを広げ、DX9という失敗作が出てもぜんぜんへっちゃらなくらい売れまくっていた当時。そうこうしているうちに、カシオという思わぬ新規参入メーカーがあらわれ、お得意のデジタル技術でもって賢い安い CZ シリーズを、これまたラインナップ展開させて売れまくる。時代はすっかりデジタル。フルデジタルでなければ遅れている、とみなされた世の中。その双頭をなすXとZに食い込まんとしたWは、フルデジタルになりきれず、MIDI 対応も中途半端で、それでもなお「デジタル」と言いたかった DW シリーズなのであった。
だが、そんな必死のぱっちの努力もむなしく、頼みの綱 DW-8000 が売れなかったせいもあってコルグは倒産しかかり、遂にヤマハの子会社となった。チップの設計をヤマハに委託したことで、しっぽを掴まれてしまったのだという説もある。
無念。
しかし繰返しになるが、DW シリーズの音色は個性的であるだけでなく、正体不明ですらある。まじめな楽器シミュレーションをめざして作られている以上、気品のある音もつくれて、しかも「これ何?」と言わせる謎めいた感じがする。元来シンセは、正体不明な音がするから面白いのであって、既存の楽器と同じ音がしては、いかんのでは無かったか? 他人と同じアナログではしっくりこない諸兄には、実は DW、うってつけかもしれん。中途半端な太さと輪郭をかねそなえたユニゾンモードでのスラップベースの音とか、そのうちにブレイクせんやろか? TX81Z と重ねると、またおもろかったりすんねんけどなぁ。
事実、海外では DW-8000 や音源モジュール版 EX-8000 を、Sys-Ex でもって外部制御することで、DW の固定観念をくつがえすぐりんぐりんのアナログな操作と音色変化とを実現している人がいたりする。
ジョー・サヴィヌルは prophet-5 を売って DW-8000 を購入したという、いま思えば奇特な方である。一時期のキース・エマーソンは、DW-8000 のラック版 EX-8000 を数台(ちなみに、まぎらわしい EX-800 という機種もあり Poly-800 の据置型モジュールである。これも使ったらしい)、Kurzweil K250、Oberheim Matrix-12、YAMAHA TX816 など、そうそうたる面々と重ねて図太いブラスの音を出していた。Emerson Lake & Powell のアルバムを聴けば、その咆哮に出会える。
そう、DX7よりも DW-8000 のほうがブラスやストリングスなどの音色は分厚いことは、すでにこの当時、誰もが知っていたのである。
その後も DWGS 音源の開発は進み、同社初のサンプラー DSS-1 は、DW-8000 の構造をそのままに音源波形をサンプリングに解放した、まさに DW-9000 とも言うべき構造になっていた。そしてコルグから DSS-1 用に発売されたサンプルライブラリーの中に、しっかりと DWGS で合成した半シンセ波形の数々も、おさめられていた。なんせ1波ループなので、メモリーもディスクスペースも消費しないのが良い。
Tumblr media
やがて DW シリーズの設計思想は、今度こそ何度めかの正直として社運をかけて開発された M1 にて、遂にフルデジタルの減算方式しかも二系統駆動可能となって具現化した。その音源波形には、DW-8000  に搭載されていた DWGS 波形の大半である 14 種類が移植され、さらに9種類が新規追加、DW を越える合計 23 種類もの DWGS 波形が、あまたの PCM 波などとともに収録され、結果、M1 の音源波形は 144 種類に達した。かくもぎゅうぎゅうに音色資産を充填された M1 は、待望のフルデジタルシンセというだけでなく、ワークステーションシンセという名の開祖となり、コルグ決死の起死回生満塁ホームランを放ち、たった一機種で十万台以上も売れるという前代未聞の快挙を成し遂げ、コルグがヤマハから株を大量に買い戻すための救世主となった。
XとZという双璧の時代からコルグを救うはずだったWは、ひっくりかえってMとなり、もう一度ひっくりかえって、まさにワークステーションのWとなって、コルグどころか楽器業界まるごとトレンドを変えることになる。 そして今、もはやXもZも現存しない。
その後も数々のコルグ機種に伝統芸能のごとく搭載されつづけた DWGS 波形、最新機種にまで搭載されているのも興味深い。
最後に、DW-8000 そのものは、なにかと不運なシンセだが、ここで初めて搭載された機能は、DWGS 音源のほかにも数多い。 例えば多ポイント EG や、MIDI 同期アルペジエイター、内蔵デジタルエフェクト、タッチセンス、パフォーマンス・パラメーター、原始的なコンペア表示などなど。いずれも未熟とはいえ、その後のコルグ・シンセを形成するに必要不可欠なものばかり。中にはポリフォニック・ポルタメントのように、その後、ひさしくコルグから聴けなくなったものすらある。パラメーターの解像度は粗いが、かたくなに出音の個性にこだわった頑固さにはただただリスペクトし合掌するばかり。人によっては、これが最後のコルグらしい音のするシンセだと言う人すらいる。そして何よりも、全体に貫かれた分かりやすさと親しみやすさへの配慮。まさしく現代コルグ・ワークステーションの原点となった機種であり、永遠にコルグ中興の祖の、そのまた礎となった名機と言えよう。
聴け! 未来のコルグへの胎動は、ここにあり!
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