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#源清ければ流れ清し
ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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gobangiri-news · 7 days
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスターキャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を演じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっしゃって、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見ていました。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと絡みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅さんは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町���親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者として見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さんとの共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生懸命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦労を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも話しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、私はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャストの)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。  
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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kennak · 8 months
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。��チスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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da-daism · 1 year
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あっちゃこっちゃ行っています;;
また岩手県へお邪魔して来ました。
奥州市埋蔵文化財調査センター さんにて【阿弖流為】の映画が上映されると言う事で行ってまいりました。2,3年ぶりに来たのかな? 
何だか普通に感動して泣いてしまったり; 1200年前の話ではあるけれど、現代とダブって見えるところもあり、考えさせられました。
あと、大友康平さんが阿弖流為の声当ててたんですが、ハスキーで凄く良い…! 
お客さんも年配の方が多かったように見えたので、もっと若い人に是非見て貰いたいなぁ…。。
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後は胆沢城跡を見て、行ってみたかった鎮守府八幡宮へ。(胆沢城跡は前回も見てきたので…)
坂上田村麻呂の時代から、藤原秀郷や源頼朝、豊臣秀吉、伊達政宗と、多くの偉人が関わっているようでびっくりです(語彙力よ…);;
参拝時、雨が少し降っていたのですが、嫌な雨ではなく、静かで清涼で、とても良い雰囲気でずっと留まっていたかったです。
また別の季節に来てみたいな。
とりあえず今日は雨の中、駅から徒歩で歩いたこともあり、めちゃめちゃ疲れました…。。
でも良い日だったぁ…(しみじみ)😊😊。
前は神奈川まで帰らなければ行けなかったので、来ても直ぐに帰ってたんですが、今は割りと気軽に来れるようになったんだ…と再確認出来て、本当に嬉しいです。
後は春になったら…。。
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patsatshit · 7 months
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9月の最終営業日、朝から関東在住の保育士ミサさんが「12時頃にタラウマラに行きます」と嬉しい連絡をくれたので、足の踏み場もない店内を少しでも片づけておこうと、開店するなり自転車整備に精を出す。中古自転車は入荷しただけでは商品にならず、一台一台きちんと点検し、メンテナンスをしないことには店頭に並べることもできない。当然、状態の良いものは手間も時間もかからず、それなりの価格をつけることができる。逆に程度の悪いものは手間も時間もめちゃくちゃにかかる。不具合箇所はすべて新品のパーツと交換しなければならないので、その時点で自ずと商品としての原価も上がる。だからと言って高額で売れる訳ではない。経年劣化、そもそもの状態が悪いのだから当然と言えば当然だ。このあたりがレコードや古書との決定的な違いだと思う。古いものに価値がある訳ではない。だから手間と時間とお金を存分に注いだものほどお客様には安価で提供しなければならないという地獄のような矛盾を自分のなかでどのように折り合いをつけていくかというところに、古物自転車商の醍醐味、面白さが潜んでいる。タラウマラの場合は自転車修理に加えて書籍や音源を含む物販の収入を売上のグロスに投入することで、利益を調整している。ただしそれぞれの柱がうまく機能し、循環していなければ焼け石に水となってしまうのだけれど。どれだけ尊敬するアーティストやレーベルからのリリース作品であっても、僕はその時々の状況や予算、実際の懐事情を鑑みて作品を入荷したり、しなかったりする。先様もそのあたりは理解してくれているのでとてもありがたい。出勤前にコーナンで大量に購入した整備用具一式を手に、自転車と向き合う。メラミンスポンジやウエスで清拭してやるとどんどん汚れが落ちて、注油の度に各部の動きもスムーズになってくる。はっきり言って気持ちが良い、が、しかし、ここで満足していたら、単なる金持ちの道楽と同じになってしまう。商売は趣味ではない。きちんとお金に変えていかないと意味がない。僕は人助けのために自営業をやっている訳じゃない。自分や家族がこのクソったれな世の中で何とか生きていくために全力で自衛している。整備を終えて店頭に並べた自転車が瞬く間に売れていく。淡路に引っ越してきたばかりだという男性と、タラウマラオープン当初に購入してくれていた常連さんが新たに買い替えの一台を選んでくれた。商品とお金が交差し、僕もお客さんも笑顔だ。ここは極めて重要、買い物の最終工程を機械に委ねたらあかん、感情だけは奴らに渡すな、マニュアルや利便性を自らの手で破棄してでも残る言葉と顔貌で交渉を成立させよう。このときの快感はなにものにもかえがたい。開店早々からお金も動き、僕も動き続け、修理のお客さんも後をたたない。秋とは思えない気温と首筋に照りつける強烈な日差しに汗びっしょり。あっという間にお昼、ミサさんの来店時間が迫っていた。と、そのとき、年齢も服装もばらばらの数名の男女が慌ただしくやってきて、こちらに対して一方的、矢継ぎ早に要求を伝えてくる。各者の言葉を要約すると、少し離れた場所で女性が自転車の後輪にスカートを巻き込んで身動きが取れない状態、だから助けてあげてほしいとのこと。そうこうしている間にも店頭ではパンク修理の依頼が2件、タイヤからチューブを引っ張り出しながら、いま店を離れることはできない旨を彼らに伝えると、助け隊のひとりが「こういうときに何とかするのがプロでしょ」と宣ったので、キレた。おうよ、そこまで言うなら行ってやる。幸いにもパンク修理のお客さんからも理解を得ることができたので、僕はタイヤを脱着させる際に使用する作業台と工具一式を担いで彼らの案内に従うことにした。店には「すぐに戻ります」の貼り紙。絶対すぐに戻る、どうかミサさん帰らないでね、という想いを込めて。目的の場所にはラグジュアリーな服装の女性が確かにロングドレスの裾を自転車の後輪に巻き込んでうずくまっていた。巻き込んだ際に転倒したようで足や腕、顎のあたりに擦過傷ができていた。可哀想に、せっかくのおめかしが台無しやんか。それ以上に女性を包囲する助け隊一派の存在が鼻についた。僕は女性にこれから行う作業内容を簡潔に伝え、最悪の場合はドレスの裾を切らなければならないかもしれないことを強く念押しする。女性は首を縦に振った。高そうな服やのに、もったいない、気の毒やなぁ、などという助け隊の言葉は徹底的に無視。早速サドルを作業台に引っ掛け、チェーンカバーを外し、後輪のネジを外していく。それにしても見事なまでの巻き込み具合で、薄いレースのような生地がバンドブレーキと車軸との僅かな隙間に幾重にも層になって絡まっている。まるで伊藤潤二の「うずまき」のようだ。ゆっくりと同時に要所で力を込めてタイヤを回転させ、生地を引っ張る。少しずつ隙間から生地がぬらぬらと出てくる。助け隊のおっさんどもはお姉ちゃん頑張れ、水飲んどきや、ケガして可哀想に、美しいお顔がえらいこっちゃ、バンドエイド買うてきたろか、と引き続きうるさい喧しい鬱陶しい。何よりも困惑したのが、僕の作業する位置が女性のドレスの裾を覗き込むような格好になるので、見てはいけないものを見てしまうかもしれないという妄執に取り憑かれて酷く落ち着かない。はっきりと集中力が削がれる。何度かプラスドライバーの先端がネジの駆動部を舐めた。それを察してか女性もくねくねと腰をよじらせたり足の位置を変えようとするので余計に艶かしくなってしまい、むしろ逆効果。僕はええいままよと心を鬼にして、生地を引きちぎらんばかりの勢いで力いっぱいに掴んだ。手応えあり。いける!タイヤが滑らかに回り始めた。すると興奮した助け隊のおっさんどもが我先にとタイヤを回そうとしやがったので、僕の指がスポークに挟まる。痛い痛い痛い。ギョリンと睨みつけると、おっさんは慌てて手を引っ込めた。そこから消耗戦を続けること約15分、ドレスの裾を破くことなく無事にタイヤから引き離すことができた。額からは滝のように汗が流れてくるが、助け隊は女性の身を案じるばかりでこちらには見向きもしない。当の女性は平身低頭、とても申し訳なさそうに謝罪の言葉を何度も述べて、費用をお支払いします、と言った。僕は彼女の申し出をきっぱりと断り、来た時と同じように作業台を肩から下げて颯爽と現場を後にした……なんていう安っぽい美談に落ち着く訳もなく、僕はケガをした女性ではなく助け隊の連中に作業費用を請求した。集まった金はたったの1,000円。非常にしみったれているが、それでも彼らには伝わったと思う、善意には覚悟もリスクも必要だということを。リスクなき善意はただの偽善、それはもう傍観者と何も変わらない。急いでタラウマラに戻って、お預かりした2台の自転車のパンク修理を終らせ、店内でひと息ついたタイミングでミサさんご来店。貼り紙を見て、近くで時間を潰してくれていたみたい。彼女の快活な笑顔を見ると、ようやく僕もまた笑顔になれた。保育士であり、ドラム奏者でもある彼女が学生時代から好きだというMR. BIGの話で大笑いした。
MR. BIGと言えばこちら。イントロから鳴り響く、力強いドラムが印象的。
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実はこの公開日記「Pat Sat Shit」のパーソナリティであるvideo loverもミサさんも、代田橋にあるバックパックブックスの宮里さんの紹介でタラウマラに来てくれた人たちだ。僕とバックパックブックスの出会いについてはまた改めてきちんと書きたいと思っているのだけれど、このおふたりの存在からしてすでに最高で、バックパックブックスはきっと素敵なお店に違いないと確信している。ミサさんは大阪に向かう飛行機のなかで拙書『ほんまのきもち』を読んで涙を流したと言う。だからということでもないんだけど、数ヶ月前に同じことを言ってくれたドラム奏者Hikari Sakashitaのソロ作品『Sounds In Casual Days 2』をプレゼントした。高い交通費を払って遠方から来てくれる方には、条件反射のように何か贈り物をしたいと思ってしまうのは、僕のなかにアメ玉を配り歩く大阪のおばちゃんイズムが備わっているからでしょう。はい、アメちゃん、どうぞ〜。
Hikari君のドラムが冴え渡るこの曲が今日の「気分」。
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myonbl · 8 months
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2023年8月19日(土)
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<三重県紀北町・奥川ファーム>から隔週に届く定期便、今回は台風7号の直撃で農場は大きな被害を受け、野菜がほとんど駄目になったということだ。辛うじて大きなキュウリが4本あったので早速スライスして干し、唐辛子は酢に漬けた。本当は復旧の応援に行きたいところだが、私ではなんの戦力にもならない。僅かだがお見舞いを送金してその代わりとした。奥川さん、いつもありがとうございます。でも、暑さが続く中決して無理はしないでくださいね。
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早くにダウンしたので、3時に目が覚めた。
macOSのアップデート。
日誌書く。
朝食まで何をしているかと心配されるむきもあるのでちょっと紹介、毎朝のルーティンはブログ閲覧。
ここもあじあ(元同僚) 文楽と王朝と障害と(今も同僚) HOME★9(落語つながり) あちたりこちたり(落語つながり) はなしの屑籠(露の団姫) まいどおおきに露の新治です 日々是凡日(古今亭志ん輔) 梟通信(落語つながり) 総領の甚六(春風亭柳朝) 弟子便り(露の都一門)
上記は私の旧ブログにリンクが貼ってある。
シャワーで汗を流す。
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朝食、蕎麦がなくなったので奥川ファームのパンを解凍しておいた。
洗濯する。
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奥川ファームの定期便と、びーんず亭の珈琲が一緒に届いた。
干しキュウリ仕込む。
トウガラシ酢仕込む。
半熟酢卵仕込む。
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国立文楽劇場へ、今日は<第26回文楽素浄瑠璃の会>。ツレアイは今日からUltra使用。
源平布引滝 (げんぺいぬのびきのたき)  九郎助住家の段      竹本 織太夫     鶴澤 清志郎 ひらかな盛衰記 (ひらがなせいすいき)  松右衛門内より逆櫓の段      竹本 錣太夫     鶴澤 藤蔵 卅三間堂棟由来 (さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)   平太郎住家より木遣り音頭の段      竹本 千歳太夫     豊澤 富助
彼女の観察に寄れば、通常の公演よりもオッサン比率が高いとのこと。<卅三間堂棟木由来>は好きな演目だが、やはりこれは人形芝居が欲しい。
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いつも通り、帰路の桂駅で揚げ物買って帰宅、早めの夕飯開始。
録画番組視聴。
BS松竹特選落語から、「親子茶屋」「夢金」古今亭菊之氶
(30)「ショスコム荘」
ジェレミー・ブレット主演<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。名馬の馬主の周囲で起きた数々の不審な事件…若き日の俳優ジュード・ロウが出演! 名馬ショスコム・プリンスの馬主であるサー・ロバートの調教主任メイソンが相談に訪れる。サー・ロバートに関して不審な出来事が相次いでいるという。まず彼に多額の金を貸していた男性が失踪。仲が良かった姉とは話さなくなった上に、彼女の愛犬を人に譲ってしまう。さらには屋敷の地下にある炉の中から人骨まで見つかったというのだ。ホームズはワトソンと共にショスコム荘へ赴く。イギリス1991年制作。
片付け、入浴、体重は400g増。
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さすがに3つのリング完成は無理、水分は1.950ml。
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poetohno · 9 months
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第四楽章 水の旅路
「物語」
地球上の水のほとんどが塩が混ざり あるいは氷に閉ざされている
純粋な水として存在するには空に抱かれ 山に削られ 岩磐(いわいわ)の険しい旅路を行き 大地の洗礼をうけなければならない
地表に流れる水は命の源であり 様々な自然の関わりによって生み出される命の産物
水は天より降り注ぎ 山を下り 河を流れ 海に終着する水が渇き天に抱かれ空を旅する雲となるのなら風とは命の使いとも呼べないか
風は運命を垣間見せる全ての命は風に運ばれている
風の導きによって命の定めも決まるだろうか風が囚われれば世界は地獄と化し風が自由に歌えば生命もまた謳歌する
ふと目にするあの雲もまた空の彼方の海からやってきたのかもしれない雲は風に流れ 果てに行き着くだろうまた別の風は果てしなく巡っていることだろう
―海のように
果てなき海は生命の始まりの大地山は生命の終わりの果て 辿り水は生と死を巡る 水は命そのもの
雪に閉じこめられた命は春の訪れと共に花開き溶ければ寄り集まりながら小さな鼓動のように流れやがて大きなうねりとなり生命が漲る川となる
そこに命があるなら戦いがある戦いに勝利したものは生き延び敗北したものは死に絶え川を下る
その戦記には続きがある彼らの肉体は川の果ての森に続き木々に住まうものたちの糧となる森の果ての川に命を紡ぐ物語がある
「川の調べ」
雨は天より零れし海の唄 海は天を仰ぎ 天は海を抱く山を越え 草原を愛で 森の謳歌を奏で渇いた砂漠に一瞬の楽園を築く 命の交響曲を支える旋律
空が蒼いのは川を抱いているからなのか空に漂う雲は 流れる風は 天に聳える山にとって脅威にもなる水は一度流れを持ってしまえば何者をもってしても止めることはできない時に抗えないように
水は命を蘇らせる力を持つが同時に山を死に至らしめる力を秘めている峰を削り 野山を駆け下り 大地を削り 渓谷へと変貌する深く奥へと 時が覆い隠した地表が現れる時を遡るかのように
「川の宴」
川が在る所に命は宿る獲物求め命を奪う破壊者がいるなら草を求め旅するものたちの大行進がある
命を賭けた戦いが川を彩る沈黙に眠る川も一度戦いが始まれば騒然となる
一瞬のうちに命が散り 火花のように瞬き雷の閃光のように轟く
そこには思想も哲学もない剥き出しの命と真実がある
「湖の謳歌」
湖は海と隔たり生き物たちはその境界を越えることはできないそれは牢獄なのか それとも楽園なのか
湖がもし栄華を極めたとしても湖が干上がれば命は全て消えてしまう
生き残るためには他を上回る戦略によって己の道を切り開くしかない
裏切り 裏切られ 騙し 騙され 命を残すための闘いは熾烈を極める本能と理性の狭間に揺れる闘争
鏡のように澄み切った湖の下には過酷な世界がある
一の美しさをこの目に宿すためには相反する十の醜悪な世界を知らなくてはならない
「川の旅路」
川の旅は続く天空より舞降りる千の雫は木の枝から幹へと遡るように寄り集まり川の流れを描き大地をうねりながら森を横切り平野を走る
大地の鼓動が生命の躍動なら大地の雄叫びは闘いの咆哮である
闘いの先に散っていった者達が川に溺れ 川に沈み川を血の色に濁らせるなら
草茂る水の流れはその汚れを払い水に清流を取り戻す
乾季と雨季に生と死が巡り歓喜と憂き命が交錯する
雨が降ることで大地の様子は一変し世界が変わる
生命の謳歌と眠りが時の巡りに合わせて変化する川は山を削り 破片を海岸まで運んでいく
そして川の旅は終わる
「海の森」
珊瑚礁は海を砂漠から森に変え多種多様な命を呼び起こすオアシス光を受け輝き 波に揺らぐ花のよう海に咲く花を愛でようと多くの命が集まり闇の海に咲く光であり 命の灯のよう海の家 大地にとっての安らぎの木
海に昆布が揺らめく場所は熱帯雨林を思わせる海を浮かびながら漂い 命は溢れ 迸り色は犇めきあいながら 絡まり合い 踊りながら波に歌う絵の具を散りばめたかのような宝石のように輝き始める足を踏み入れたものはその場所に住み着き憩いの場所を築き 新たな旅に出る時を隠れながら待つ
「海の宴」
命を育み 支える命の種命を降らせる恵みの雨植物プランクトンの恩恵を受けるために 命たちで溢れ返る
生き物たちが群れを成して訪れる命求めて海を縦横無尽に旅するものたちが春を待ち続けていた
冬に荒れ狂う波は海をかき混ぜて海に栄養を行き渡らせる命にとっては天と地を別つ温度の壁海にはある嵐は壁を破壊し 天と地を混ぜ合わせる命にとっての心臓の鼓動のよう
夏命を求める旅は続く魚は群れを成して移動を続け鳥たちは巣へと帰り 再び飛び立っていく鯨もまた旅を続けている温暖な場所から極地へと向けて旅は続いている―春を求めて太陽の方角へ
秋が来る時 嵐は再び起こる命にとって堪えなければならない長い時の前の休息と謳歌の時間集まってきていた生き物たちは散り散りになりそれぞれの場所で 冬が終わる時を待っている海さえ嵐を呼び込みながら 海をたゆみ無く巡らせながら 春の時を待っている海の流れが無ければ 命は恵みの時を受けられず翼は折れ 大地に落ちる
「富の海」
光が降り注ぎ 大地は珊瑚礁に彩られ魚が銀色に閃いて通り過ぎる揺れる虹のようなたなびく彩雲のような百花繚乱の森色の豊かさが命の豊かさを示すならこの彩りに富んだ景色が命の豊かさを現している
海の楽園は海全体のどれ程だろうか
エメラルドに光り輝きクリスタルのように透き通り波が青の群れとなり光揺れる世界
生き物に犇めき濁った世界砂漠や極寒の世界に隠された地底奥底の知られざる世界があるかもしれない
豊かさだけを見るなら確かにここは楽園であるが楽園の背後に眠る闇を誰も知らない
命踊り 光輝き それは目下に佇む闇の中に歌う星のよう
「海の彼方の闇」
知られざる宇宙のような場所
天文学者ならば星を探して眼を凝らし新たな光を見ようとし
生物学者ならば命を探して彷徨い歩き新たな生き物を見つけるだろう
深海の闇という宇宙に潜む星を探すように生き物たちは身を潜め闇の中で蠢いている
光は徐々に薄くなっていく辺りは夜のように紺に染まっていく気づけば無音の闇の中光の恩恵はここには存在しないあらゆる時間において闇は光の無い洞窟のように
微かな栄養を頼りに彼らは生きるしかない自らの力によって海を渡り海流という大地にとっての風に乗り漂う
海を浮遊する微細なプランクトンが海の世界を支えている鯨や鮫 鯱や海豚といった華やかな生き物はその表面で閃いているに過ぎない舞台に踊るアクターを支える無数の影の努力者たちのような
触れれば壊れそうなガラス細工のように揺らめき揺れる蝋燭の火は今にも消えそうな陽炎のよう今にも壊れそうな幻想的なあり方をしている
「深海の底」
海は深いだけで圧倒的な力を湛えている大気であれば気圧 全ての命の源 水を水として存在させるための力水圧の力には際限がない 科学の力で武装した鎧すら簡単に破壊する
水温は凍えるほどに冷え込み 空気は高山のように薄く やがて皆無になるこの世界は生命の存在を拒んでいるのだろうか
果てしなく深い限界の場所で生き物は蠢いている恩恵は海の表層から降り注ぐ 雨のようで 雪のような死が舞い降りる生きとし生けるもたちの肉片が塵となって落ちてくる彼らの死によってもたらされるものはこの世界では太陽の光のよう
海底に着く時この世界は月のようだ果てしない無の世界が広がっているしかしこんな所にさえも生き物は生息している
「海底火山」
海底にも火山は存在する海底とは海の底であると同時に大地の果て
大陸と大陸の鬩ぎ合いの狭間に摩擦に散る火花があるように火山が煌々と火を上げている
マグマは地脈のように奔り 地球の中心まで潜り巡り 再び地上へと吹き出す
世界とは外に開かれているのではなく内側に広大に巡っている
マグマが海底の生き物を支えている砂漠にとってのオアシスのように
海底に山脈を築き 延々と続くかのようにいつか大地が隆起し 沈没した時海底に眠る大地は海上に眼を覚ますだろうか
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ophelia333k · 10 months
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2023.07.08
 ループする非在の猫、惣流・アスカ・ラングレーが横たわっているベッド、この世界は鳩羽つぐが保健室で見続けている夢。現実が破れる、教室の端、破れた白いカーテン、風に揺れる、揺れている、幻覚を見てもすぐに忘れる、見ているということを忘れる、生きていることを忘れる、死んでいることを忘れる、忘れていることを忘れる、私は誰? と綾波レイの声がする。綾波レイが好きなあの娘のことを好きな君がインターネット掲示板に書き込んでいた文章すべて。  
 すべて��すべてではないよ、だって永遠は永遠だから(「永遠」という言葉を使ったから、「永遠」はこの世界から消滅してしまう)。さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、と口を動かす。声は出ていない。彼女は人形だった。彼は人形だった。たとえばこの人形の眼球を取り替えていま自分の眼球と入れ替えたのだして、私はきっと何も見えなくなってしまうだろうけれど、そのとき私は人形に近づけるのかな。
 眠剤、眠剤がほどほどに効いている状態の方が色々なことをできる気がする。何も効いていないときは何もできずに横たわって、いま、この瞬間がここにあること、この瞬間に存在していること、何もしないでいること、何かをしなくてはならないこと、何かをしているということ、そのすべてに焦燥しながら、どこか別のところへと逃げ出そうとして立ち上がっては、低血圧で立ちくらみとめまいと、耳鳴りがしてまた布団の方へと戻る、ことを繰り返す。たぶん逃げる場所なんてなくて、自分の精神の内部から私たちは逃れられないから、甘き死よ来たれ、と唱える声。
 眠剤を飲むと、精神が落ち着くし、意識の濃度がぼんやりとして、それによってむしろ、何かをやろうとか、人に返信をしようとか、何かを書こうとか、音楽をちゃんと聴こうとか、ちゃんと見ようとか思えるようになる(どうして?)
 ラブホテル、一週間くらい前に札幌のラブホテルの客室の浴槽から、頭部のない男性の遺体が見つかったというニュースを見た。眠剤が効いてはいるけれど、これはたぶん現実、現実に起こったことで、昨日くらいに続報のニュースを見たら、被害者の男性が60歳くらいだったこと、退室の電話の声が女性の声だったことなどが書かれていたと思う。
 自分も何軒かのラブホテルで清掃をやっていたから、いつものように浴槽の清掃をしようとしたら浴槽の中に死体がある、という状況をリアルに想像できてしまうし、実際、清掃をしている際にも、「浴槽の中に死体があったら」と考えていることはよくあったし、でも、頭部のない死体はあまり想定していないから、きっとびっくりしてしまう。口うるさいおばさんといい加減なおじさんと、発達障害の若者(もちろん自分自身もそうなのだけど)という4人の清掃員で、自分が浴槽に頭部のない死体を見つける。きっと、自分は「警察を呼んでください」と伝えて、そのあと、その日のシフトはどうなるのだろう。    頭部、頭部、頭部のない初音ミクの死骸を想像してみる。それはもう初音ミクではなくなっている(なぜなら、歌えなくなったしまったから)。歌えない初音ミクはどこにいくのだろう。電子の海? 電子の海を流れていくのは機械翻訳されたポルノ動画のタイトルたちで、はやく自分も機械翻訳されたから支離滅裂なポルノ動画のタイトルみたいに無茶苦茶になりたい。子供の名前を機械翻訳されたポルノ動画のタイトルそのものにして、そうして生まれた子供のたましいを抽出したあと変換してまた文字列にしたい。
 死体? 回帰する。亡霊のように、亡霊のように、亡霊のように。あなたが見ているものは夢、亡霊。時計の針が怖い、何もしないことが怖い、何かをしていることが怖い、いまこの瞬間に耐えられない、それは退屈さに耐えられないということにも近いかもしれないけれど、少し違う。人の生には振り払うことのできない本源的な退屈さのようなものがあって、それはむしろ……というよりも単に、無気力だから、あまりに本源的に無気力だから、そんな無気力な身体を無理矢理起こして立たせてその状態を努力して維持して、そこから歩く決心をして歩く、ということをして無理矢理に身体を動かして、無理矢理に何かをする、ということをこれからも続けていける気がしない。
 何も食べたくないし、どこにも行きたくないし、何も見たくない。四肢を切断され、目を花を耳を塞がれた状態の自分を想像してみる。何も見えないし何も聞こえないし感じられない。私はひとつの球体になったような気がする。球状の花が空へと舞い上がっていく、舞い上がった球状の花からツタが伸びる、スルスルと、ツタが伸びてゆく。
 ねぇ、忘れちゃうね。  ねぇ、忘れちゃうね  ねぇ、忘れちゃうね
 やっぱりそうだ、睡眠薬を飲むと、集中力が上がっているような感じがする。眠くなって素直に眠ることもあるけれど、明らかに過集中状態になることも多い(でも普通に考えてそんなはずはないのだけど、誰か理由を知っている人 いたら 教えてください)
 ここ最近はずっとLé Realというvaporwave系のラッパーの「1080p」という曲をずっと聴いている。歌詞を知りたいけれどどこにもない。舵をとれない、というよりもはじめから舵がない。あと、この文章を書いている間はずっと適度に睡眠薬を入れながらyung cortexの「skin contact」を聴いている。
外部と内部、超越と内在、そして神。外部とは内部へと織り込まれたもので、たとえば、神のために死んだ殉教者たちは「超越」しているのでしょうか?、「内在」しているのでしょうか? と先生に尋ねてみる。先生は「クリシェ」とだけ言って、私の制服を脱がした。そして、先生は私をラブホテルまで連れて行って、お風呂場で四肢を切断したあと、四肢のない死んだ私をお風呂場に放置して出ていってしまった。
 おかしい、何かが反復している。    頭部のないインターネットが亡霊のように徘徊する
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genkidesuka2022 · 10 months
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ただ飲めばいい? メリットだけじゃないプロテインのデメリット
筋トレ好きな方、筋肉を今よりつけたい時に、筋肉増倍をサポートする代表的なものと言えばプロテインです。
ですが弊害やデメリットについて詳しく知らないという人も多いかもしれません。
体に悪いと言われたり、肝臓に負担をかける、そして糖尿病にも関係してくると言われています。
今回はそんなプロテインの摂取量や副作用、太ると言われる真偽についてまとめてみました。目次
筋トレ時に愛飲されるプロテイン
プロテインの種類
プロテインの種類1・ホエイ(乳清)
プロテインの種類2・ガゼイン
プロテインだけでは太らない
意外と怖い…プロテインのデメリット
意外と怖い…プロテインのデメリット1・肝臓や内臓に負担がかかる
意外と怖い…プロテインのデメリット2・尿路結石の危険性
意外と怖い…プロテインのデメリット3・糖尿病の関係性
プロテインの副作用と摂取のタイミング
プロテインの副作用や乳アレルギーについて
プロテイン摂取の最適なタイミング
最後に
関連
筋トレ時に愛飲されるプロテイン
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プロテインと見聞きすると筋肉を増倍させたい男性が飲むものだと想像しません。
今では男性だけではなく、綺麗なボディラインを目指したい女性や健康意識を高く持った高齢者の人など様々な年齢層に愛されているのがプロテインです。
私たちの生活に浸透したプロテインは、それぞれの年齢層で必要な目標に向かってサポートしてくれる一つの役割を担っています。
今ではそんなプロテインは「タンパク質」のことを指し、筋肉を作る上で欠かせない栄養素になっています。
プロテインの種類
プロテインに詳しくない人はプロテイン=一つのものと捉えていますが、プロテインにはホエイ(乳清)と呼ばれるものとカゼインという種類があります。
プロテインの種類1・ホエイ(乳清)
まずホエイはヨーグルトでもお馴染みの体への吸収が早いタイプのものになり、タンパク質を豊富に含んでいるだけではなく筋肉の分解を阻止するアミノ酸のBCAA、ビタミン、ミネラルといった栄養素も含んでいます。
ホエイはヨーグルトから出る透明の液体と同じものなので既に知っていたという人も多いでしょう。
ホエイは筋トレ後、すぐ栄養補給したいという場面に適しています。
よく言われる30分以内にタンパク質を摂ろうと言われる時に最適です。
プロテインの種類2・ガゼイン
一方でカゼインは、分かりやすく例えるならば牛乳を温めた際に表面に出る薄い膜がカゼインです。
ホエイは牛乳から乳脂肪分と固形タンパク質を除去したその残りのものを指しますが、このカゼインというものはホエイを生み出す際に除去した固形タンパク質から作ったもののことを指します。
ホエイと比較するとカゼインは体内に摂取してから4時間もの時間をかけてゆっくりと吸収されていくのが特徴です。
プロテインを初めてまだ日が浅いという人や、これからプロテインを始めるという人は上記のホエイとカゼインが一つにまとめられたタイプのプロテインを摂取すると効率が良いと思います。
素早く吸収するホエイと後からじっくり吸収されていくカゼインがお互いの手助けになり、より体にとってうれしい効果と言えると思います。
プロテインだけでは太らない
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プロテインを始めると一度は耳にする「太る問題」ですが、結論から言えばプロテインのみで太ることはほとんど考えられません。
女性は特にプロテインで太ったという意見を言う人がいますが、それは日頃の食事をコントロールできていないためです。
厚生労働省は日本人が摂取すべき摂取量を定めており、20~30代の成人の人で1日60g。
運動していない人は体重1キロにつき1g計算になると考えで良いと思います。
更にダイエットや筋トレ、日頃からストイックな運動を常とするアスリートは、体重1キロにつき1.2~2.0gのタンパク質が必要と言われています。
プロテインから摂取したタンパク質を普段の食事から差し引くことで上手なプロテインの摂取が可能になるため、個々の生活に合ったプロテインの量を厳守することが基本です。
また、プロテインにはダイエット中の人が嫌悪する糖質や脂質が含まれています。
プロテインで過剰摂取し、食事でも高カロリーなものを口にしていれば当たり前ですが太ることは避けられません。
しかし、プロテインにこういった糖質や脂質が含まれている理由には、運動や筋トレをした際にエネルギーとして糖質を活用する仕組みになっており、エネルギーが足りない状態ではいくら筋肉増倍のためにタンパク質を摂取してもその筋肉を作るエネルギー源がないため十分な効果が得られるとは言えません。
筋肉アップする目的で糖質などが含まれているため、そういった部分も理解しながらプロテインの摂取がお勧めです。
また、プロテインが原因で太ってしまったと感じたら、まずは日頃の食事をヘルシーにしてみることが大切です。
意外と怖い…プロテインのデメリット
プロテインは筋肉増倍を意識している人でもしていない人でも関係なく常飲するという人も多くなってきましたが、そんな身近な飲み物だからこそ健康に被害はないのか心配になりませんか。
体をより元気にさせてくれるという点は誰もが周知している事実ですが、プロテインを使用するならば今一度その重要性やデメリットなどについて取り上げてみました。
意外と怖い…プロテインのデメリット1・肝臓や内臓に負担がかかる
プロテインの詳細を調べると必ず「プロテインは体に悪い」という情報が上がってきますが、何がどう体に悪いのか分からないという人が大半です。
ではなぜプロテインが体に悪いと言われているのかと言うと、その背景には「過剰摂取」が深く関係してきます。
普段人の体内に入ったタンパク質は、体の内部で合成と分解を繰り返しながら余ったものは分解を経て窒素に変化します。
この窒素を体外に排出するいわゆる尿にするためには肝臓や内臓の働きが必要不可欠で、分解の途中で不要になった窒素はアンモニアへと変わります。
アンモニアは体にとって有害なもののため、肝臓で害のない尿素に変えられた後に腎臓で尿として排出される仕組みになっています。
ところが、初めの過程で過剰なタンパク質を摂取してしまうとその後の過程もどんどん大変になってきてしまいます。
多くのタンパク質を多くの窒素に変換しなければならず、肝臓と腎臓などの内臓部分はフル稼働状態となってしまうため、このことから体に悪いといった情報が多いのかも知れません。
意外と怖い…プロテインのデメリット2・尿路結石の危険性
強烈な痛みでお馴染みの尿路結石とプロテインには何の関連性もなさそうですが、激痛を与える尿路結石の原因となるものには動物性タンパク質の過剰摂取も挙げられます。
特に多いシュウ酸カルシウム結石は、動物性のタンパク質を摂取することによって体内でシュウ酸や尿酸といった物質が増えるのですが、このシュウ酸はカルシウムと結合しやすい特徴を持っているためお腹の中でこの2つが結び付くことによって便になり排出されます。
また、腸で吸収が完全に行われなかったシュウ酸は尿になって排出されるのですが、この尿に含まれるカルシウムとシュウ酸が結び付いてしまうと尿管を詰まらせてしまう危険性はあると言えます。
意外と怖い…プロテインのデメリット3・糖尿病の関係性
神経障害や腎障害、網膜障害など人体に恐ろしい弊害を引き起こす糖尿病は、現代人には切っても切れない生活習慣病です。
血液がまるで砂糖水のような状態になり、血液の流れがドロドロになってしまうことで血管が傷ついてしまいます。
そんな怖い糖尿病と深く関わってくるのがご存じの通りインスリンです。
糖尿病を悪化させないためにも血糖値の急上昇は避けたいのですが、そのためには血糖値を下げる働きをするインスリンの分泌を活発にさせてあげなくてはいけません。
血糖値を下げるものはインスリンのみなのですが、そのインスリンを分泌させる物質はいくつか存在し、インクレチンという物質が小腸から分泌されて脾臓に作用し、インスリンの分泌を促してくれます。
糖尿病患者にとって日々の血糖値をコントロールすることは最も重要なことなので、朝起きて一番にプロテインを飲むことで血糖値を上手にコントロールさせることができます。
しかし、糖尿病というデリケートな体なので医師と相談の上試してみることが大切です。
プロテインの副作用と摂取のタイミング
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プロテインを始める際に心配なのが副作用や摂取のタイミングです。
メリットばかりに注目されていますが、実際のところはまだ初めてもいない人にとっては未知の世界でしょう。
では���ロテインに副作用はあるのか、そして適切にプロテインを開始できるタイミングをご紹介します。
プロテインの副作用や乳アレルギーについて
口に入れるものは何にでも副作用が気になりますが、プロテインには副作用と呼べる弊害やデメリットはないと言えるでしょう。
子どもに与えてもまず問題ないプロテインですから、成人した大人が摂取しても多大な問題が発生するとは考えにくいです。
上記でもお伝えしましたが、プロテインを過剰摂取すると体に悪いという情報があるのですが、それも科学的データがしっかりと出ているわけではありません。
少なからず、肝臓や腎臓に負担がかかる人もいるという情報なので、内臓などに問題を抱えている人以外であればまず副作用の心配はしなくて良いと言えます。
しかし、乳アレルギーを持っている場合は注意が必要です。ホエイやカゼインが含まれるプロテインは、乳アレルギーの人にとって腹痛やアレルギー症状が出る可能性大です。
そもそも乳アレルギーはこのカゼインとホエイに含まれるβ-ラクトグロブリンという成分が影響すると言われており、この二つの成分は加熱で処理しようとしてもアレルゲン性の力が弱くなることはないのです。
そのため、乳アレルギーの人は大豆を原料とするソイプロテインを選ぶなどの工夫がお勧めです。
プロテイン摂取の最適なタイミング
プロテインを適切に摂取したいという人は、まず運動した後の45分以内と就寝前、そして朝食時の3段階に分けて摂取していきましょう。
運動直後のプロテインは有名ですが、その理由は筋肉を動かした直後の不足した栄養素の補給を行うためです。
特にアミノ酸は3倍も筋肉へ送られるため、疲労した体を回復させるために絶好のタイミングなのです。
また、就寝前は成長ホルモンの働きを促す目的で使用するため寝る前の30~1時間前には飲んでおくようにしましょう。
また、朝起きたとき人の体は水分も栄養素も不足している状態です。
そんな栄養不足の体には様々な栄養素が含まれるプロテインでしっかり補給してあげましょう。
最後に
プロテインを日頃から愛用している人もいれば、体に悪い点が気になって中々手を出せなかったという人もいらっしゃると思います。
しかし、プロテインはむしろ体に良い効果をもたらしてくれるものなので、過剰摂取は絶対に避け、適量を守って上手に活用してみてはいかがでしょうか。
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kanglo · 10 months
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第12回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネス合宿(2023年8月26日-27日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202308.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/812427666889630
今年で11年目を迎えたオープン合宿。「160年の荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社&御岩山への巡礼も行う予定です。
そして、木の里農園さんのコテージを拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」での援農・収穫体験をし、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、そして冷たいスイカと花火で夏の日の夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラーの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★有機農指導担当:布施大樹さん(奥様:美木さん) ●東京都出身。東京農工大学農学部環境・資源学科卒業。在学中に沖縄の波照間島でのサトウキビ刈りアルバイトで農業に目覚める。栃木県の帰農志塾で研修後、1998年に現在地に就農。あらゆる野菜・作物の栽培、管理を行い有機農業の可能性を追求。家族で約2haの木の里農園の経営を行い、約50種類の有機野菜を全国に出荷している。
・木の里農園  http://konosato.com/ ・種継ぎ人の会 http://tanetsugibito.com/
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
■開催日:2023年8月26日(土)- 27日(日)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日27日16時頃に現地解散予定です
■集合場所:  道の��さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694−3)  http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)> *10時:集合場所(道の駅さとみ)   ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り  *10時15分〜:手打ち蕎麦ワークショップ  *12時〜13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション  *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン   ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶  *13時30分〜22時頃:  ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。   ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります)   ・300年古民家「菊地邸」訪問   ・木の里農園にて有機野菜の調達体験   ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け   ・よる花火とスイカのうたげ   ・荒蒔邸の囲炉裏を囲んでのダイアローグ(対話)   ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算)  *22時頃:自由時間  *23時頃:就寝
<8月27日(日)>  *05時:起床〜朝のさんぽ(朝陽を拝む)  *06時:全員で朝食準備&朝食&片付け  *08時〜:森夕花先生のマインドフルネスセッション  *10時〜:清掃・片付けをし移動  *11時〜:御岩神社、御岩山巡礼リトリート(標高492m)  *14時〜:日立おさかなセンター食事処で昼食&クロージング  *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。  お気軽にお申し込みください。以下は参考です。  どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、  スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、  リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。  お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります)  http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:15名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
Peatixからの支払いも可能です。 https://kanglohoops202308.peatix.com/view    ②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
④これにて「申込完了」となります。
■詳細パンフレットを下記よりダウンロード頂けます。雰囲気だけでもどうぞ。 https://firestorage.jp/download/0043db17b8ec86a09890b17a59239b92fbadf08d
■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
■協力:木の里農園 布施大樹さん・美木さん、深津澄世先生、田中尚也さん、本橋寿幸さん、藤井家母、実弟
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Yukari Takeba short story scan and transcription.
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学校で起きる怖い話
こつり。
その書きは、暗く大きな建造物の中に大きく広がり、ふっと消える。そして、また。
こつり。
まるでそれは、骨か石膏でできた心臓が発する、鼓動のよう。断続的に、一定のペースで、ゆっくりと。それが心音だとすると、その寿命は尽きかけているのではないか?そう思わせるほど、ゆっくりと、途絶えがちにすら思える音が、こつりこつりと響いている。
そこは、昼の光の中で見れば、明るく清潔な印象を与える場所だったに違いない。だが深夜、満月もほど近い、十三夜のほの暗く青い月光のもとでは、鮮やかな若草色のはずの床はどす黒く、陽の光を思わせある真っ白な壁は死人の肌のように蒼白で、ただひたすらに---怖い。
そんな場所の、長い廊下にゆらゆらと、頼りなげにうごめくひとつの影。ゆらりと動いては、止まり、また動いては、止まる。そしてそのたびに、こつりこつりと、音が鳴る。そ���影は、ひとつの扉の前でふと停止した。一拍置いて、影が細く枝分かれして、扉に伸びる。よく見ると、その影は小刻みに震えていた。やがて聞こえてくる、影と同じように震える声。
「······怖くない。こ、怖くないんだからね。 ぜんっぜんちっとも微塵も怖くなんかないから。な、なによ、たかが暗いだけじゃん。つ、月明かりもあるし。あ、あは。あははははは」
人影の正体は、月光館学園2年F組、弓道部期待のホープにして、シャドウを狩る特別課外活動部員こと、岳羽ゆかりであった。
「し、シャドウと戦ってるあたしが、こんな暗闇程度でブビ······ビビッてたまるかっつーの」
勇ましい言葉に反し、ビビリまくりで、しかもきっちり噛んでいる。どうやら、目の前のドアを開けるのに躊躇しているらしい。だが、それでも、ついに彼女は意を決して腕に力を込め。
がらり。
何の抵抗も無く、ドアは横にスライドし、その室内をあらわにした。そして。
「······うみゃああああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
壮絶な悲鳴だった。悲鳴を上げながら、ゆかりは既に10メートルは離れた場所を疾走している。悲鳴の後半がやや尻下がりに低く聞こえるのは、そのあまりのスピードによるドップラー現象が起こっているせいだ。
暗闇に取り残される、開きっぱなしのドアと、その内部の影。ゆかりに悲鳴を上げさせた元凶である、入り口脇に置かれた人体模型は、悲鳴を上げたいのはこっちだと言わんばかりに、大きく目を見開いて直立していた。
そもそもの発端は、タルタロスの探索に深入りしすぎたことにあった。満月を控え、いつもより実戦経験を積んでおきたかったこと。既に踏破済みの階層で、体力的には余裕があったこと。その他、いくつかの不幸な理由が重なり、あってはならない “事故” が起きた。
それは突然の風花の悲痛な叫びから始まる。
《これは······いけません! エントランスに戻ってっ!影時間から······弾かれますっ!!》
探索中のタイムオーバー。
誰にとっても始めての事態だった。
そのときに探索メンバーとして参加していたのは、ゆかり、順平、天田、そしてリーダー。風花の声に、全員が目を見合わせた瞬間に、それは来た。ぐにゃりと周囲の壁が歪む。一瞬で平衡感覚が失われ、高いところに放り投げられ、叩き落されるような衝撃。内臓が持ち上がり、また下がり、脳が揺さぶられる。そして気づいたときには---ゆかりはひとり、この場所に倒れていたのだ。
「ど······どこ?ここ?」
最初は、訳もわからず暗闇の中にいたが、徐々に目が慣れてくると周囲の状況が把握できるようになる。長い廊下と、壁の片面にだけ点々と存在する横開きの扉。壁の掲示板らしきボードには、「こんしゅうのもくひょう・きゅうしょくのまえに手をあらう」という文字が読み取れる。遠くに赤く光って見えるのは、たぶん消火栓の非常灯。
「学校······初等部?」
その推測は正しく、そこは月光館学園初等部の校舎内だった。以前、体育館に閉じ込められた風花が、タルタロスのいずこかへと飛ばされたことがあったが、今回はその逆転現象とも言える事態が起こったのだ。本来、タルタロス内部では、影時間が終了しても翌日の影時間へと間断なく入り込む。だが何らかの原因で、ゆかりたち4人はその影時間の流れから弾き出され、正常な状態に折り畳まれたタルタロス---すなわち月光館学園へ、バラバラに強制転移させられたのだろう。
「······とりあえず、外に出なきゃね」
事態を把握し、ゆかりは呟いた。そして、ゆっくりと身体を起し、ぱんぱんとスカートについた埃をはらう。落ち着いた、様子だった。だが実際は、まったくもって落ち着いちゃいなかった。彼女は既に、自分が大の怖がりだということすら忘れるほど、パニクっていたのだ。
そして、意識を取り戻してから十数分後、ゆかりはけたたましく喚きながら、学校内を疾走していた。その叫びは、もはや人類の解する言語ではなく、火災現場に急行する消防車のサイレンさながらである。
しかしそれでも、さすがに体力の限界が来たか、ゆかりは何階かも知れぬ階段の踊り場で足を止めた。目の前には大きな窓。冴え冴えとした光を帯びる月が、そこから見える。ガクガクと震える足を最後の力を振り絞るように動かし、ゆかりはその窓に近づいて、手をかける。窓から見える景色からして、そこが1階と2階を結ぶ階段の踊り場であることがわかり、ゆかりはぐっと腕に力を込める。
だが、窓はびくとも動かない。
その窓を隅々まで見たが、ロックに当たる機構は見当たらず、それがはめ殺しの窓であることが理解できると、ゆかりはがっくりと膝をついた。そう。ゆかりをパニックに陥らせている最大の原因が、この初等部校舎の構造にあったのだ。数年前、変質者が学校に侵入して子供を傷つけるという痛ましい事件が連続し、学校側の安全意識が大きく変化したことがある。その際、部外者を完全にシャットアウトするという目的で施されたのが、この
執拗なまでに完璧なセキュリティ体制であった。
大半の、開ける必要がない窓はすべてはめ殺しで強化ガラスが張られ、開けられる窓も内部からのみ操作可能な電子ロック式。外部に通じる扉もそれは同様で、外部からの侵入どころか内部から外に出るのも、教師によってロックが解除されないと自由にはならないという徹底ぶり。そのため、生徒および関係者がすべて下校し、完全に電源が落とされた現時点では、この校舎は脱出不能の密室と化していたのだ。
「っ······たく、か、火事でも起こったら、ど、どうすんのよ······ひぐっ」
べそをかきながらも、精一杯の虚勢を張ってゆかりが呟いた。実際には非常時に備えて、停電時でも手動で開けられる窓があったり、強化ガラスを打ち割れる特殊ハンマーが各所に設置されていたりするのだが、それを知らないゆかりには、ここはまさに牢獄であった。
だが、そこに救いの手が差し伸べられた。
《ゆかりちゃんっ!?》
心に染み渡るように柔らかな、それでいて包み込まれるように心強い声が頭の中に響く。ついに風花が、散り散りになったゆかりの位置を補足したのだ。それに対する返事は。
「もぎゃああぁythh@kwf*!!??」
先ほど以上に壮絶な、ゆかりの悲鳴だった。
《も、もう······びっくりしたよ》
「ごめん······」
おずおずと、しかしちょっと前は確実にカ強い足取りで、ゆかりは廊下を歩いた。
《あ、そこの角は右ね》
「うん、オッケー······うぎゃっ!!」
《ど、どうしたの!?》
「······は、あ、あ······だ、だいじょび、美術室の石膏像が、ちょっと······」
《あはは、月光館七不思議のふたつ目だね。“夜中にまばたきするビーナス像”》
「······やめてよ、もう······」
《最初に見たっていう “覗き込む人体型” と、さっ見た音楽室の “抜け出すハイドンの肖像画” と合 わせて、あとは“未来が見えるトイレの鏡”でコンプリートだよ。······ゆかりちゃん、トイレ行きたくならない?》
「ならないっつーの!ったく、だいたいそれでコンプリートって、4つしかないじゃん」
《それも、不思議のひとつなのかもね》
くすくすと笑う風花に、ゆかりもついつられて軽い苦笑を浮かべていた。
いまは風花の誘導で、仲間との合流地点を目指して進んでいるところだ。暗闇に一人きりという状況は変わらずとも、会話する相手がいるだけでずいぶんと心は安定する。そもそも携帯で連絡を取るということを、最初に考え付くべきだったが、それも先ほど風花に指摘されるまで、すっかりと失念していた。本当に、自分はこういうのはダメだと、ゆかりは深く自覚する。
《······本当に、ゆかりちゃんってお化けとか苦手なんだね》
ゆかりの心を読んだように、風花が言う。
「ま、まあね。カッコ悪いよね?あはは」
《ううん、そんなこと、ない。でも、なんでそんなに苦手なんだろね?》
「たぶん······ホントは、居て欲しいのかも」
《えっ?》
ゆかりの聞き取れるかどうかという呟きに、風花の軽く驚いたような声が返る。 少しだけ迷ったように間を空けて、ゆかりは言葉を続けた。
「あたし······お父さん死んじゃってるでしょ?できるものなら、もう一度話したいとか思ってる。だから、ホントに霊ってのがあるんなら、できれば······なんてね」
《ゆかりちゃん······》
ゆかりのさっぱりとした性格上、霊なんてないと否定すれば、それで済むはず。だが、そうしたくてもできない過去。その複雑な感情が、霊の存在を信じさせ、その想いに付随する形で、余計な恐怖をもたらしている、のだろう。
《あのね、ゆかりちゃん》
「ん?」
《気を悪くしないで欲しいんだけど、私は、こういう能力を持っているから、生きている人同士の心の繋がりや、それが持つ力を知っている。だからわかるんだけど······死んだら、人はそれっきり。もう、生きている人との繋がりは、そこで終わっちゃうと、そう思うの。だから私は、霊っていうものはないと思ってる》
「うん······」
《でも、だから、逆に生きている人との繋がりは、何よりも強いし、大切だと······思う。上手く、言えないけど······生きている私たちが、ゆかりちゃんの怖いこととか、辛いこととか、受け止めてあげること······できない、かな?》
珍しく饒舌な風花の言葉に、ゆかりはふっと心が軽くなったような気分になる。風花が言っていること、それは霊が存在するかどうかという議論とは、まったくピントの外れたものだったが、それでも、不思議と怖さが薄れていく。
「ま、要するにさ、 今は風花がいてくれるから、大丈夫ってことだよね?」
《そ、そういうこと、かな?》
「なによー、ハッキリしないなあ」
《あ、ご、ごめん》
「あはは、うそうそ。······ありがとね」
《······!う、う���!》
霊なんてものが、いるかいないかはわからない。でも、仲間がいれば大丈夫。それだけは、確実に実感できる。そして、それだけで、今のゆかりにとっては十分だった。
「で、 あとどれぐらいでゴール?」
《えっと······そこから10メートルくらい先の角を、左に曲がれば合流地点です。もう皆で、待ってるはずだよ》
「りょーかい!風花、さんきゅーね」
一人でいたときの怯えぶりが、まるで嘘のようにゆかりは元気を取り戻していた。いまだ、目の端に映る影が動くような気がしたり、ちょっとだけビクッとするときもあるが、すっかり恐怖は影を潜めたようだった。やがて、曲がり角のシルエットが、暗闇の中に現われたとき。
「······から、大丈夫だって······」
「······メですよ、 順平さん······に悪い······」
小さなささやき声が漏れ聞こえてきた。かすかでわかりにくかったが、どうやら順平と天田が会話をしているようである。
「順平?天田くん?いるの?」
明るい声を上げ、小走りになるゆかり。
「······しっ!」
「······知りませんよ······もう······」
順平と天田の、ちょっとばかり不穏な声は、あいにくと再会の喜びに浸るゆかりには届かなかった。そして満面の笑みで、ゆかりが角を曲がったとき、そこに見た物は。
「······!?」
懐中電灯で下からライトアップし、どこで入手したものか血糊らしきものを顔面に垂らして、白目を剥いて鬼気迫る形相を浮かべる順平のアップであった。もし、違う状況なら、こんな子供だましの脅かしは、一笑に付されて終わり、のはずだった。しかし、相手は人一倍怖がりの岳羽ゆ���り、場所は学校、時間は深夜、いくつもの原因が重なり······“事故” が起きた。
「&△×○#▼□%◇$●@+☆дつ!!」
その悲鳴は、もはや超音波を超え、衝撃波とすら形容できる恐ろしいもの。だが、それに続く、男性の悲鳴は、それ以上に血を凍らせるほど悲痛な、断末魔の声だった。
数日後、月光館学園初等部の昼休み。大型シャドウとの戦いでの疲労が残っているのか、天田乾はうーんと腕を伸ばしつつ、眠そうな目で大あくびをした。そこに、ひとりの女子クラスメイトが声をかけてくる。
「ねえねえ、天田くん、知ってる?」
「ん?何?」
「七不思議だよ、七不思議。ついに七不思議が揃ったんだって。何日か前、夜中に肝試しにきた6年生が見たらしいよ。えっと······確か、“絶叫して渡り廊下を走り回る女” と “玄関ホールに浮かぶ大きな牛の頭” と “はいずり回る血まみれの男” だったかな?嘘じゃないって!ホントにホントなんだってば!」
「う、うん······知ってる······怖いよね」
返事をする天田の脳裏に浮かぶのは、数日前の惨劇。いるかいないかわからない霊よりも、誠に恐ろしいのは、生きている人間、であった。
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ari0921 · 1 month
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月17日(日曜日)
    通巻第8178号
 米国における中国マフィアの「活躍」はフェンタニルだけではない
  中国の犯罪集団がラテンアメリカのマフィアと手を組んだ
*************************
 米国西海岸カリフォルニア州から東海岸のメイン州に至るまで、中国の組織犯罪が違法マリファナ取引の大半を支配している。
 中国マフィアは暴力、麻薬密売、マネーロンダリング、ギャンブル、贈収賄、文書詐欺、銀行詐欺、環境破壊、水や電気の窃盗などありとあらゆる犯罪に手を染めている。
 オクラホマ州麻薬・危険ドラッグ局ドニー・アンダーソン局長は「中国の組織犯罪がオクラホマ州と米国でマリファナを乗っ取っている」と語っているほど。被害者の多くも不法移民の中国人なのだ。
 中国人移民の多くはメキシコ国境を越えて密入国したあと、柵や監視カメラ、銃やナタを持った警備員で囲まれた農場で、過酷な労働を強いられている。人身売買グループは中国人移民の女性を強制的に売春させている。中国の秘密結社「三合会」に似た紋章を用い、中国の権力機構とは通じ合っているとの噂が絶えない。
 オクラホマ州は違法大麻の最大の供給源となり、年間180億ドルから440億ドルの取引があるらしい。外国マフィア、外国人犯罪グループの80%以上は中国系である。過去10年間で、中国マフィアが関連したフェンタニルを含む麻薬取引では中南米マフィアとは強力な協力関係が構築されており、巨額が、「世界で最も広範な地下銀行ネットワーク」に流れ込んだとオクラホマの当局は言う。
 米国議員50名はガーランド司法長官に書簡を送り、「中国共産党との潜在的つながりを持つ者を含む」中国人が「全米で数千の違法マリファナ農場を運営していると伝えられている」と懸念を表明した。
 中国大使館報道官は「大麻業界における中国の組織犯罪に関連する詳細については承知していない」と知らぬ顔を決め込んだ。
 報道官は、中国は「人類共通の敵」である麻薬に対して断固たる闘いを繰り広げているとしゃあしゃあと述べた。
 ▼中国の若者の将来のヴィジョンは替わった
 中国の大学新卒は2023年度が1058万人だったが、24年7月卒業予定は1179万人である。公式統計でも若者の失業率が21・4%。実態はもっと深刻である。ならば氷河期を避けて大学院進学か、海外留学という選択肢になる。
 23年12月に行われた大学院入試では、大学院進学希望者が438万人と空前の記録更新となった。でも大学院をでても就労先はあるのか?
 『中国最新情報』(24年三月三週号)によれば、典型例に清華大学の動向が報じられている。
 精華大学大学院卒業は3200名、在学中が5200名もいる。
 大学院卒で出国率は8%。大卒の海外出国率は12・8%。しかも米国の留学生ビザがきびしくなって帰国組(海亀派)が大半となったという。せっかく米国の大学や大学院を出ても、米国企業がスパイを疑って、なかなか入社条件が厳しくなったからだ。
 清華大学卒業生のうち、53。6%が北京以外の企業に就職した。主な就職先は中国航天科技集団や国家電網などの有力国有企業。また民間では華為(ファーウェイ)やBYDだったという。
 中国の大学卒業生が遭遇した氷河期は、これからもっと深刻になる。大学は出たけれど、職はない上に、故郷には帰れない。この絶望と将来への不安が、さらに社会全体を暗くするだろう。
 そして絶望の挙げ句に中国を棄て、不法移民となって米国へ渡る。そこで待っているのはまっとうな人生なのか、それとも犯罪集団に欺されてしまうのか。
 中国は右肩上がりの四十年、きらきらかがやしていた時代は終わった。『中国経済、右肩下がりの時代』が、これから二、三十年は続きそうである。
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metabollica74 · 1 year
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kennak · 5 months
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当方、お医者さんである。国民民主党の玉木議員の医者の給与を減らせというツイートが昨今話題になっている。その理由は医療に金がかかりすぎ、成長と全体の幸福を損ねているから、らしい。ここに、手っ取り早い解決法を提案したいと思う。国民皆保険制度を廃止すれば良い。国民皆保険制度、そして高額医療制度は非効率な医療サービスのバラマキを行っている。発熱すらしていないコロナ患者に対するラゲブリオや末期肝硬変患者の貧血に対するエリスロポエチン。どうしようもなくボケちまった爺さん婆さんはあめ玉のようにアリセプトを舐めている。大正生まれのご老人に順内と血外の連中がTAVIやらEVAR,TEVARをするせいで、ピンピンコロリへの道筋が絶たれていく。一種の老人病である心アミロイドーシスという病気にタファミジスのような冗談みたいな価格の薬が投与される。PD-1阻害薬なんて薬ができたせいで森○朗が復活してしまい、東京五輪で遺憾無く老害っぷりを発揮したのは記憶に新しい。ヤニカスは年金を受け取る前に早く死んでくれるから財政的にトントンだったのであって、延命してしまえば単なる息の臭い金食い虫だ。糖尿病で腎臓をぶっ壊せば医療費がタダになる上に週3人工透析をする権利が付与される。これは米国だと週2回である。別に週2でも死にはしないのだが、政治家にとっての票田、透析病院にとってのアクティブユーザー数を維持する為に週3となった。そして今後これにレカネマブが加わる。この話を欧米の医者にすると、イかれてんなwどこからその金が出てんの?、と言われる。納税者の財布からである。日銀が円債を引き受け、円の価値を希釈させることでそれを行うこともやっている。世間のイメージとは裏腹で、日本の医療従事者の人件費はとても安い。これは一人当たり医療費支出を見れば明らかだ(4,691ドルでOECD加盟中15位/38位)。上述のような無意味なバラマキをしており、かつ失敗国家のような人口比率であるのにもかかわらず、日本の医療支出は相対的に低い。何故か?それは医療従事者の人件費が安く押さえられているからだ。米国の医者や看護師の給与水準は日本の5〜6倍くらいはある。最近は円安でそれにブーストがかかった。米国の一人あたりGDPが日本の2倍程度であるのを考慮しても、単純計算で3倍もらっていいことになる。しかも、日本は医療サービスを必要とする高齢者の割合が高く、富は高齢者に集中している。その上、日本の人口あたりの医者数は米国の二分の一強しかいない(看護師数は知らん)。自由競争が許されれば、価格はどこまで上げて良いのだろうか?社会主義的な医療制度を採用しているカナダ、オーストラリア、イギリスと比較しても日本の医療従事者の待遇は地を這うような水準だ。この差は、これら国々は費用対効果に見合う医療のみ提供する事より生まれる。そして、費用対効果という言葉は日本で最も忌み嫌われる言葉だ。医は算術ではなく、バラマキなのである。少々話が脱線するが、日本の医療は安いだけでなく、質が良い。看護師の方々の礼節は海外と比較するとびっくりする程だ。大して金を払っていない患者に対して奴隷の如くクソ丁重にもてなす(個人的にやめたほうがいいと思っている)。消化器の先生は海外ではまず不可能であろうESDなどを華麗にこなしてみせる。外科の先生はクソ面倒くさいリンパ節郭清などを毎回丁寧にやってらっしゃる(あれエビデンスあるんすか?)。心外、脳外、婦人科の先生方はキチガイじみた24hオンコールを律儀に請け負っている。ネットに出没する出羽守の方々が海外で稼げなくなってから日本に凱��するのはまさにこれが理由である。医療が安いだけが理由であったのなら、金が腐るほどある金持ちは海外で医療を受け、そこを終の住処とするだろう。要するに国民皆保険制度は医療従事者を抑圧する制度でもあるということだ。この手の話題では、医業の独占を医者から譲り渡すべきだという議論になりがちがだが、別にそうすればいいと思う。chatGPTの言われた通りに動けば素人でも9割方正解を出せる(残り一割はとんでもなく間違う)。ただ、麻薬とか向精神薬とか抗癌剤など人を殺せる系薬剤の処方権をお譲りするのは難しいと思うし、無免許医が患者に不利益を及ぼした場合、たとえ事前の患者の同意があったとしても殺人罪やら傷害罪が適応されるべきだと思う。じゃないと麻薬密売やら自殺幇助などがはびこるだろう。血圧とか糖尿病の薬程度であれば各々自由にやればいいんじゃないかな。ここら辺も匙加減間違うと死ぬけどね。ネット上では医者が率先して寝たきり患者を量産していることとなっているが、それは嘘だ。寝たきり患者が増えることで得をするのは病院であって、医者ではない(そして、病院にも大した得にならない)。医者が胃瘻やら中心静脈栄養やら喉頭気管分離を行うのは、家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。一度そう言われてしまうと、文字通りできる限りの事をしないと訴訟や医師免許お取り潰し、場合によっては殺人罪を着せられることになる。延命を行わないことのデメリットが甚大である一方で、メリットは皆無なのだ。そんな中でも過去にALS患者を安楽死させようとした医者や、透析を中断させようとさせた医者が過去に居たが、日本人はその行為の是非を議論しようとはせず、彼らは司法やらメディアの袋叩きに逢い、無事死亡した。「寝たきり患者量産」は、国是であり、日本国民の総意なのだ。医療従事者は、低所得者や生活保護者ともっとも交流する職業のうちの一つだ。実際に相手をしてみると解るが、大抵彼らは愚かで、卑しく、救い難い。そんな人々を相手にしたくないし、彼らのために真面目に労働し納税している人々の税金を注ぎ込む際には良心が痛む。だが、そうせざるを得ない。国民皆保険制度がそうさせているのだ。国民皆保険制度を廃止することのメリットは以下の通りだチューブ老人というグロテスクな存在が激減する財政が健全化するあなたが不摂生でない場合 (現状の社会保険料 - 民間保険料) は正の値になる 老人が減るので年金・介護・福祉に支払う支出が減る。 高齢化問題が緩和される介護に使う時間と金が減るので少子化解決の道筋が開けるあなたが介護・医療関係者の場合、待遇が良くなるデメリットは以下の通りであるあなたが金のない高齢者であった場合、死ぬあなたが生保であった場合、死に近づく喫煙、肥満、2型糖尿病などプリベンタブルなリスク因子を抱えている方々の民間保険料は、恐らく高額になる上記社会的弱者を糧とする方々が困る(透析病院とか、自民、立憲、共産、社民、れいわの先生方など) 超富裕層が困る(治安が悪くなるため。社会保険料は端金であり、円安は海外の資産でヘッジすればよい。道端でジョーカーみたいなのにぶっ○されることが彼らの最も恐れることなのだ。)要するにフリーライダーが死ぬということである。ただ、想像してみてほしい。ご高齢の方々は、周囲から疎まれながら、そんなに長く生きたいだろうか?役目を終え、尊敬される老人のまま、死にたくないか?デブやアル中、ヤニカスの皆様方は、太く短い生涯を送りたくて、そういったライフスタイルを営んでいるのではないだろうか?そしてなんといっても皆さん、フリーライダーは、お嫌いでしょう??「お前もいずれは高齢者になる」と言われるが、私の経験では生産可能年齢を過ぎてからの延命は本人含め、誰も幸せにしない。病院に巣くうご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である。家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている。そんな中貴重な医療資源を浪費し、死ぬはずであった今日を先延ばしにしているご本人は少しも幸せそうでなく、それどころか不機嫌な顔をしている。飯塚○三のような、あの顔である。医療に縋らないと生きられない時点で、生物として破綻しているのである。そんな中長く生きても、なーーーーーーーーーーーんもいいことないよ。私は、基本的には人の為になりたくて医者になった。給与や労働条件が他国に比べてイけてないのはまだ我慢できる。だが、劣悪な労働条件で滅私奉公し、それが故に国賊の様に扱われるのは納得がいかない。国民皆保険制度は医療従事者の待遇を悪化させているだけではなく、医療従事者が頑張れば頑張るほど、日本国民、および患者とその家族に不利益を及ぼすような制度設計になっている。悪いのは制度であって、医療従事者でも、患者でも、老人でもないのだ。皆保険制度は捨て去られるべきだ。レッツ、レッセフェーーーーーーーール!!!!!!!!!
(追追記致しました)(追記致しました)国民皆保険制度になくなってほしい
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒��海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗���がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意され��聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、��スク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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