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#朝鮮半島情勢
ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月22日(金曜日)
    通巻第8186号 
【書評】
ラピダスの2ナノ半導体は、「できっこない」のか
  経済安全保障のアングルに特化、日本再生を展望する『元気の出る本』
平井宏治『新半導体戦争』(ワック)
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 半導体戦争は米国vs中国がメインの戦場だが、半導体世界一は台湾のTSMC、韓国のサムスンとSKハイニックスであり、米国のインテルは後塵を拝している。だからバイデン政権はインテルに破格の195億ドルを支援し、捲土重来を期す。
 アップルの新型iPhoneは3ナノ半導体を搭載している。すでに3ナノを量産するTSMCは次世代最先端の1・4ナノ開発センターを台湾に開設した。エヌビディアは新型半導体を発表し斯界の度肝を抜いた。
 米国勢は頭脳部分の基本設計とルールを先に決めるのが得意だが、ものつくりはじつに下手くそ。そのくせ賃金が高いから、競争では負ける。インテルの優位回復は難儀するのではないか。
 さてバイデン政権は対中政策を厳格にすると言いながら、最高機密はどんどん中国の盗まれており『ザル法』と化している。そのうえ米国の半導体業界はバイデンの対中政策に反対しているから話はややこしい。
 評者(宮崎)も拙著『半導体戦争』(宝島社)で指摘しておいたが、半導体はもはや『産業のコメ』ではなく、『戦略物資』であり次世代の武器ならびに兵器システム、とくに兵士ロボットに用いられる。イラク戦争でピンポイント攻撃の制度が挙がったが、これから根本的に戦争形態が変わるのである。
 1980年代に日本は世界半導体市場の80%を占めていた。その頃、TSMCは誕生もしていなかった。
 それが様変わり、日本は先端の半導体競争ではるか後方にあって、もはや再生は不可能、絶望的と言われていた。
 ラピダスが挑む2ナノは2027年量産開始予定だが、現実の日本の半導体は40ナノ程度の生産しか出来ない。その格差は九世代、台湾系エヌビィディアのCPUには十世代の開きがある。つまり、9から10の「周回遅れ」である。
 そのうえ、第二の敗戦が重なり、「喪われた三十年」の間に半導体の技術者が日本から払底していた。優秀なエンジニアは外国企業に移籍した。
 TSMCには適わないと鬱々としていた。それが日本の半導体業界の空気だった。
「ラピダスが2ナノを2027年につくる」と宣言するや、「できっこない」の大合唱が日本のビジネスジャーナリズムを覆い尽くした。筆者の平井氏もいささか懐疑的である。
 たしかに2ナノ実現は「困難である」。しかし日本はこの目標を達成しなければならないのである。
 嘗て日米半導体協定で日本を潰したのはアメリカである。
 そのアメリカが「心変わり」。いきなり2ナノ半導体開発を日本に奨め、ラピダスに全面協力となった背景がある。IBMがラピダスを支援する態勢が急速に組まれ、突然、日本政府は9200億円の補助金を供与するまでになった。
 これは戦後GHQが日本を非武装の三流農業国家として落とし込んできた占領政策を百八十度変えて、武装と産業復活を推奨し始めたこととに似ている。この基軸の転換の直接動機は朝鮮戦争だった。
 半導体戦争で対日戦略をがらりと一変させたのは、まさに朝鮮戦争のケースと似ている。
 すなわち平井宏治氏が指摘するように「米国は中国を『競争相手』と位置づけるが、中国は米国を『超限戦』の対象、『闘争相手』」なのである。
 米国は中国に新技術を渡さないと決意し、ものつくりは『カントリーリスクの高い』台湾、韓国より日本がふさわしいという政治判断に至ったのだ。
 なぜか。
ファーウェイの新製品に7ナノ半導体が使われていたが、これはADSLのエンジニアが機密データを中国に渡したこと、韓国、台湾からスカウトされて技術者たちが協力し、当該半導体は流通の「抜け穴」を通じて中国のSMICに漏れたからだ。
 本書はつぎに中国にのめり込んでにっちもさっちもいかなくなったSBG(ソフトバンクグループ)と中国に売り上げの半分を依存する村田製作所の危ない体質に危険信号を発している。
 また中国に甘いドイツですら、中国国防七校からの留学生を閉め出し始めた。オランダもそうしているが、日本はノーテンキに受け入れ続けている。アメリカは「中国人とみたらスパイと想え」という認識で留学生受けいれを厳格にしており、大学留学も一年ごとにヴィザの切り替えをさせている。
平和惚けの日本は自衛隊基地の近くに土地や不動産を中国人が購入しても放置してきた。国家安全保障という概念が欠落しているからだ。
 次の指摘も重要だろう
 「日本の経済安全保障推進法にある四つの重要事項、(1)重要物資の安定的な供給確保、(2)基幹インフラの安定提供、(3)先端的重要技術の開発を支援、(4)特許出願の非公開条項である。これらを基盤とした「セキュリティクリアランス制度」は、これすべて「半導体産業に関連する」のである。
 平井氏は経済安全保障のアングルに絞り込んで、状況を分析しつつ、「眠れる半導体大国」の日本が再生するために何を為すべきかを具体的に述べる。理由
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takigawa · 3 months
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とある #国際ビジネスマンの視点 ❷次世代半導体は日本🇯🇵、アメリカ🇺🇸、ドイツ🇩🇪 2024年2月17日 12:59 前回 https://note.com/takigawa/n/nd2388572add1 に引き続き地政学と国際政治情勢から見るとある #国際ビジネスマンの視点  を紹介したい。 彼とは20年���上の付き合いで現在、特許取得技術によるIPOを目指しているとあるベンチャー企業の会長だ。 彼はアメリカでのIPOを目指すに際して超一流大学のトップ教授たちやアメリカの有名かつ本当に優秀な官僚政治家を自分の会社の取締役に招聘している。 その中で得られた知見が我々が暮らす日本での常識や視点を超えて来るので是非、みなさんにご紹介したいと思う。 今回は3ナノ以下の次世代半導体産業は日本🇯🇵、アメリカ🇺🇸、ドイツ🇩🇪になるという話だ。 ソシオネクスト、2ナノ品設計受託 TSMCなどと協業:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC188SY0Y3A011C2000000/ 前提条件として東京エレクトロンなどの半導体製造装置技術やフッ化水素の製造装置において日本🇯🇵は強いという事もあるのだが、彼の視点は地政学的、国際政治的なものだ。 一言で言えば、アメリカ🇺🇸は現在の半導体産業が韓国🇰🇷サムソンと台湾🇹🇼TSMCとアメリカ🇺🇸インテルという体制に不安を持ち、これを日本🇯🇵とアメリカ🇺🇸とドイツ🇩🇪に変更するという意志を持ったという事だ。 韓国🇰🇷はアメリカ🇺🇸の同盟国だが地政学的にも過去の行動からも中華人民共和国🇨🇳、ロシア🇷🇺、北朝鮮🇰🇵との繋がりは否定できないとアメリカ🇺🇸は見切った。重要な安全保障関連情報やインテリジェンスを韓国と共有すればリアルタイムで🇨🇳、🇷🇺、🇰🇵に流れる事をおそらく文大統領時代に既に確認した。 台湾🇹🇼もアメリカ🇺🇸の同盟国と言って良いと思うが、習近平が「統一」を公言している以上、台湾🇹🇼と🇨🇳の有事があれば半導体サプライチェーンは混乱するし、また両国が融和して行けば、先ほどと同じく国家安全保障関連情報インテリジェンスが🇨🇳に流れる懸念が高まる。 そこでアメリカ🇺🇸は🇰🇷と🇹🇼に代わる存在として日本🇯🇵とドイツ🇩🇪を選んだという。 (個人的にはオランダ🇳🇱もありそうに感じるが。 TSMC、インテルも注目!半導体業界待望「次世代EUV」に不可欠な日本の最強技術企業【3社】 | 半導体 投資列島 | ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/337857 TSMC、インテルも注目!半導体業界待望「次世代EUV」に不可欠な日本の最強技術企業【3社】 半導体の性能を高めてきた回路の“微細化”は一時、限界もささやかれていたが、近年、現行の技術の壁を打ち破る道が開けてきた。) アメリカ🇺🇸の国家の重要方針は大統領だけでは決まらないという、特に安全保障上の方針はCIA、国防総省などワシントンを取り巻く官僚組織やシンクタンク(その中での暗闘や内紛はあるにしても)の議論、検討の中で編み出され、20年単位ぐらいで変わることがある。 戦後、1945年8月15日以降のアメリカは日本🇯🇵を叩き潰す為に憲法や��政法や財閥解体、日本軍解体、文化解体、学者、教育機関、マスコミなど「改革」したし、今のその影響は続いている。 次にソ連、🇨🇳の脅威が現実化した1950年6月25日の朝鮮戦争以降は日本🇯🇵と韓国🇰🇷を強くする方針に変わった。 アメリカ🇺🇸は日本軍を解体したが同年8月には自衛隊の前身である警察予備隊を発足させている。 そこから日本の高度経済成長時代が幕開けして1985年9月22日のプラザ合意までは日本は好景気を謳歌した。 そこからアメリカ🇺🇸とヨーロッパの意志により、日本叩きが再開して、欧米は🇨🇳との取引強化を選び、🇨🇳の躍進が始まり、かたや日本の失われた30年間が始まった。 ところが🇨🇳習近平が2018年に「2035年にアメリカを超える」と宣言して、また本当に勢いがあったが、逆鱗に触れ、恒大グループの破綻など不動産バブルが崩壊して、今や🇨🇳のバブル債務がGDPの200%と噂されている。 そして今アメリカ🇺🇸は日本🇯🇵と(ロシア🇷🇺と接近し過ぎて今回のウクライナ🇺🇦戦争でアメリカ🇺🇸がお灸を据えた)ドイツ🇩🇪などを重視する政策転換をした。(瀧川注記:オランダ🇳🇱は?) そしてそれゆえ、自分の会社にアメリカ🇺🇸が今後20年は重要視する日本🇯🇵企業をパートナーとして迎入れたいというのが彼の切実な願いなのだ。 おりしも2024年2月16日 現在、日本の株価が大復活している。 彼の言いたいことは理解した。日本人としては納得しにくい面も大いにあるが、その視点を理解しつつ、出来る事をやるしか無いというのが、僕の意見だ。
https://note.com/takigawa/n/n1efa158bc728
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coolmoonhome · 4 months
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台灣腦性麻進一步如牛車慢車更進一步比烏龜慢爬~比美日韓慢千步前走勢!四年一次總統立法委員大選緩慢如牛!不爭事實!
我己年齡五十四,也不用在乎自己是重度腦性麻痺的身體障礙者!真誠、踏實、有不錯的幽默感。我喜愛各種類型的電影和音樂,總喜歡嘗試新鮮事物。
唉!台灣人利己心態,和歐美日皆不同原有善心出發點才去工作之!台灣則多半是工作不好找。就將就暫時性來做點愛心及社會圈普通叫之(暖男有前途不可量哦。取得成為「障礙者的居服員」資格後,再說吧@@@
為什們我們台灣的腦麻朋友活在這個世上,皆要受到年齡和身體諸多障礙不便的束服呢?本來可以活躍著比較起來幽默且變化多釆多姿也帶有激烈的生活手式活法,去描寫由腦麻所夾雜一生,性別身份所產生的切身有關的愛情/焦慮/忿怒,生活在此生活方式下的台灣中的單身女男性包括她本人的喜悅忿忿平平、情事与性愛債仇,以及友情的故事。這也一定是活在當中之下的她他的故事。
人家政府官大大權力也大大,老百姓只能逆來順受一條路幾乎而己! X政猛於虎這句話現在加減管用!人家朝野大,在野黨力小如雞蛋! 給人民花用討吉利只有過年的大紅包錢小小!官大大禮輕情意重啦!
因為有公益彩卷助行之下,台灣好多民眾對億來億去的錢己經不好奇了,政府對錢的用途也無所謂,反正己經撈錢很多了,又不是現在我要納稅去補財政缺,也不怕像冰島破產,反正此時他無所謂不在乎。
現在統治台灣只要善用台灣大部份人民善良古意的心理。。。不好意思啦。。。 文青式虛心自責的道歉之後。。。不久之後同樣意外情形。。。不再也一次重複發生,難不成人民選錯人,都只能苦悶等再等四年嗎!換人也許有新氣象。。。套句陳時中沒什麼路用,問題誰任命他的。
自己本身若非患腦麻殘疾或所生子女又非腦麻殘疾,想要什麼快活皆自己去打拚,才明白倒一杯茶也得來之不易,冬天上WC或用尿壺灑把尿是有多麼大不容易的事。
半中肯和半坦白的解釋,但不是挑起身障者對立,台灣人民族還是存在沒耐性和不相信腦麻有能力做立委這工作而己,腦麻朋友或許心懷大志想改變,但教育大家能相信腦麻者能力者還超不及格,台灣腦麻者問政之路停留在未知之數,如果沒有法令配套輔佐,一樣是超級困難的事,不是單靠撞擊就能改變這麼簡單,至少在我有生之年是不允許的事。
腦麻世界裡不管男女都活的辛苦,但是絕對不要放棄自己,在別人的眼裡你是要幫忙者,也因此才能搭起人性初心的橋樑,也或許雖自己眼裡毫無用處!別看輕自己,歪站變直站,還是有一片天,死亡沒奪走你,就是要你繼續做“愛自己的人”。
有個經驗談以自身經過和大家談談,腦麻不管讀書或工作都會有挫折或嘲弄,有形無形皆有,說沒有都騙人的啦! 國中及高工時因自己和同學長的不一樣,被嘲笑學習模仿捉弄,自己只能夠忍氣吞聲,經過很多次,才由一位班上比較算大哥級的出面,說你們夠了沒?下回你有麻煩我搞定,幾次同學被他教訓之後,就相安無事到畢業,或且怎不報告老師,那只會被霸凌更多次,以前也沒特教班,老師也睜一隻閉一隻眼,當無事帶過啦! 工作定額錄用,課長歧視到我最好不幹,,,,,,,,他有權力雇員,他才不管罰錢,反正公家出錢啦!也不怕考積乙等。 莫忘世上苦人多,珍惜目前所有的,不用羨慕別人有,珍惜放下才開心。
如果依我自己腦麻情況,腦麻患者是學習慢半拍導至跟不上正常學習,很容易被此定學習障礙,台灣腦麻特教進步慢,很難跟國外比,也就十二年國教完有能力的家長把腦麻送出國深造,因台灣cp教肓是有進一步,但是這叫進步嗎?見人見智!
腦麻兒童依據我自己成長心得可想而知,大多數家長抱持對不起SORRY心態,對孩子就算腦麻改變希望小,也不辛勞的為孩子付出!
與其給魚吃,不如教腦麻患者釣魚,有個建議各政黨可以把腦麻加入不分區立委名單,自己情況自己最了解,腦麻身障情形也不盡相同語言表達能力尚可者,就該自己權利也自己去爭取,來打破台灣缺乏完善的腦麻身障福利制度去著手立法進步才中肯.
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reportsofawartime · 4 months
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モスクワは、朝鮮半島でのエスカレーションにつながる手段を放棄するよう促す セルゲイ・ラブロフ外相が崔善姫外相との会談でこのように発言した。 主なテーゼを集めた: 露朝首脳の合意事項の履行に向けた作業が活発に進められている。 朝鮮半島情勢の解決に関するロシアの提案は交渉のテーブルの上にある。 米国の緊張を煽る政策は解決につながらない、ロシアはいかなるエスカレーションにも反対する ロシアはウクライナでの特別作戦における北朝鮮の支援を高く評価する
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kennak · 9 months
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松野博一官房長官が8月30日の記者会見で、関東大震災の直後に起きた朝鮮人虐殺について「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と発言した。だが、これは誤りだ。内閣府が事務局を務める中央防災会議に設置された「災害教訓の継承に関する専門調査会」が、2009年に取りまとめた関東大震災に関する報告書の中に、朝鮮人虐殺に関する記載が存在する。Advertisement また防衛省は、関東大震災直後に当時の内務省警保局長が全国に送付した電信文を保管していることを、6月の参議院法務委員会で認める答弁をしている。この電信文は、朝鮮人による放火などの流言を事実とみなし、取り締まりを指示する内容だった。松野氏の発言について、ハフポスト日本版はファクトチェックした。記者会見での発言は?まず、松野氏の発言を振り返る。8月30日の記者会見で、9月1日に100年を迎えた関東大震災の記録に関して、共同通信の記者が質問した。「当時被災地ではデマが広がり、多くの朝鮮人が軍、警察、自警団によって虐殺されたと伝えられています。政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、何を反省点としているのか、併せて現在の日本社会における在日コリアンを含むマイノリティに対するヘイトスピーチやヘイトクライムをどう捉えているのかお尋ねします」と問うた。これに対して、松野氏は「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」と述べ、受け止めや反省点について回答しなかった。Advertisement 後半のヘイトスピーチやヘイトクライムに関する質問に対し、松野氏は「特定の民族や国籍の人々を排斥する趣旨の不当な差別的言動、ましてそのような動機で行われる暴力や犯罪はいかなる社会においても許されないと考えています」との見解を示した。続く質問で、この記者は「朝鮮人虐殺の事実そのものを否定する言説が出回っている」ことを踏まえ、政府が事実関係の調査や実態を明らかにする考えはあるかと尋ねた。松野氏は「先ほども申し上げましたとおり、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」と、同じ見解を繰り返した。「殺傷事件の中心は朝鮮人への迫害」専門調査会の報告書会見での記者の質問の趣旨は、「政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、何を反省点としているのか」ということだ。これを踏まえると、松野氏の発言は「朝鮮人虐殺の事実関係を把握できる記録が政府内に見当たらない」という意味になるが、それは誤りだ。少なくとも、内閣府が事務局を務める中央防災会議に設置された「災害教訓の継承に関する専門調査会」は、2009年3月に取りまとめた関東大震災に関する報告書(1923 関東大震災 第2編)の中で、震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であり、流言がそのきっかけになった、と明記している。Advertisement <関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。(中略)(9月)3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した>(概要・第4章)<既に見てきたように、関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である>(第4章2節)<自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある>(同)報告書の206ページには、「官庁記録による殺傷事件被害死者数」の表も掲載されている。当時の司法省の報告書に掲載された起訴事件の被害者数は、朝鮮人233人、日本人58人、中国人は3人。「警察・民間人共同」の加害者による朝鮮人の犠牲者数は約215人と記されている。(このうち約200人は中国人だったとの説もあるとの注釈もある)「官庁記録による殺傷事件被害死者数」災害教訓の継承に関する専門調査会報告書よりAdvertisement さらに報告書は、警視庁編『大正大震火災誌』を出典とし、当時確認された流言の事例を列挙している。同誌「第5章 治安保持」には、流言の拡散を背景に「(民衆が)朝鮮人に対して猛烈な迫害を加え、勢いが過激になり、ついに殺傷した」ことが記録されている。「朝鮮人が井戸に毒薬を投入した」、「朝鮮人が放火や略奪をし、婦女に暴行した」など、警察が覚知した流言も記載されている。内閣府の防災情報のホームページによると、「災害教訓の継承に関する専門調査会」は、過去の大災害について、被災状況や政府の対応などの情報を収集し、被災経験の継承や防災意識の向上などを目的に2003年、内閣府を事務局とする中央防災会議で設置が決まった。中央防災会議は、内閣総理大臣をはじめとする全閣僚や公共機関の代表、学識経験者で構成する。内務省の電信文、防衛省が保管関東大震災直後の朝鮮人虐殺に関する公文書の存在を、防衛省も認めている。2023年6月の参議院法務委員会では、社民党の福島瑞穂議員が、関東大震災の後に当時の内務省警保局長から全国の地方長官宛て��送付された電信文(1923年9月3日付)を示した上で、防衛省が保管しているか否かを問うた。電信文は、朝鮮人による放火や爆弾所持といった流言を内務省が事実とみなし、取り締まりを全国に求める内容だった。防衛省の安藤敦史・防衛政策局次長は福島議員の質問に対し、この文書を同省の防衛研究所戦史研究センターで保管していることを認めた。Advertisement 一方で、この電信文が流言の拡散や民衆による朝鮮人虐殺につながったのではとの福島議員の指摘に対し、警察庁の楠芳伸・官房長は「警察庁におきまして調査した限りでは、ご指摘のような事実関係を確認することのできる記録が見当たらない状況」だとして、回答を拒んだ。このように、少なくとも一般に公開されている内閣府の調査会の報告書にも、大震災後の殺傷事件では「虐殺という表現が妥当する例」が多く、朝鮮人の犠牲者が最も多かったことが記されている。さらに、関東大震災後の朝鮮人虐殺に関する公文書は存在し、政府も保管していることを認めている。よって、「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」とする松野氏の記者会見での発言は誤りだ。
朝鮮人虐殺「事実関係を把握できる記録ない」と松野官房長官が発言→誤り。防衛省も「文書保管」を認める国会答弁 | ハフポスト NEWS
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tutai-k · 1 year
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年が明けた
大晦日の夜、日付が変わる前に就眠するようにしている。 これは高校生時代からの習慣だ。ホテルを中心とした接客業をやっていて、土日も年末年始もない暮らしをしていた。ずっと、土日や年末年始の休日があるひとがうらやましかった。休日の「楽しさ」や「癒やし」は、土日も祝日も年末年始もない暮らしをする人たちに支えられている。だけど、土日や祝日や年末年始の「ある」ひとたちは、土日や祝日や年末年始の「ない」ひとたちの生活にはじつは消費という形でしか直接的には関わっていなくて、「ある」ひとたちは、「ある」ひとたちを消費することで「楽しさ」や「癒やし」を得ている。 その不均衡を、わたしはやっぱり許せないと思うので、土日や祝日や年末年が「ある」ひとになってからも大晦日から元日の浮かれ騒ぎをこのましく思わない。 その時間に働いている人のことを思いながら(申し訳なく心苦しく思いながら)、さっさと寝るようにしている。
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30日は、新しい仕事の相談会に行っていた。 繰り返しになるが本を作る仕事をすることになった。本を作ること、(下手をすれば)人から原稿を預かることにすら慣れすぎているわたしにとって、「はじめて」のひとたちと接することは、いろんな発見と「思い出し」がある。大切に本を作っていきたいと思う。 おひるめしに用意してもらったキーマカレーがとてもおいしかった。ほんとうはおひるめしには予約が必要そうなのだが、予約の方法がよくわかっていないので、こんどちゃんと聞いてみて、必要なときは事前にお願いできるようにしておきたいと思う。
その後は、ウェブ会。ひさしぶりに顔を合わせる面々とおしゃべりを楽しんで、久しぶりに飲み過ぎた。 なんだかくだを巻きまくっていた気がするが、無礼なことを言ってしまっていないか不安すぎて不安だ。 「わたしたち、2016年のときには一緒に貝を焼いていたんですよ」とTwitterを遡って話をしていたのを覚えている。文芸イベントで出会って、一緒にお酒を飲んだりするような関係が六年も続く、それもイベントに出られなくなった情勢でも……と思うと、感慨深い。 飲み過ぎたので、通話を切ってからそのまま寝落ちしたようだ。目が覚めたら、弟たちが帰省してきたときのために用意していた蒲団と毛布にくるまっていて、目の前に空の酒瓶二本とパソコン二台、マクドナルドのゴミがあった。 前後不覚になって寝床にたどり着けないなんてのは二十台前半ぶりだ。あのときは外で酒を飲むのが普通だったので、家に帰り着けずに、家の前の空き地で目覚めたりしていた。蚊にめっちゃ刺されていた。
そんなだから大晦日の午前中は二日酔いだった。「墓参りくらいはしろ」と言われていた墓参りも免除されて、こたつで延々と寝ていた。 ケーキを買いに行く仕事があったので、それだけ頑張って起きてでかけた。数の子を買いに行った業務用スーパーでは、閉店三時間前で、店員さんが鮮魚にぺたぺた半額シールを貼っていた。その店員さんを、「めでたいかまぼこにもシールを貼ってくれ」とおいかける客のおじさんがいて、「まだ時間じゃないから無理」と怒られているのを、よこから鮮魚担当の兄ちゃんが「このムツめっちゃいいよ! ムツ買って」と半額シールを貼ってないムツを持って追いかけていた。年末年始だなあ……。ちなみにおととし、わたしは兄ちゃんの手練手管(?)にかかり、大量の牡蠣を買った。そのときは店員さんが半額シールを貼ってくれた。あのムツも半額にしてもらえたのかも知れない。
一日。 ミミズクとチョウゲンボウが出てくる夢を見ていたら、「集合~! 集合~! 浜に行きます!!」と父親にたたき起こされる。 寝る前に父親が初日の出を見に行くとかなんとかブツブツ言っていたような気がしたが、今年も行くのか…。もうお湯も沸かして完全防備の父親が「浜にいかないかん!」と大騒ぎしている。雨の日も風の日も嵐の日も一日一回浜を見に行かないといけない人間なのだが、年末年始は一日二回も三回も浜を見に行く。 母親もたたき起こされて全員で漁船に乗って薄闇のなか沖へ出港する。 白みはじめた水平線には雲がかかっていて、富士山は見えなさそう。タンカーが横切ってゆく。遠ざかってゆくと、蜃気楼のようにぼやぼやと喫水線の部分からぼやけて浮舟になった。 雲のせいで日の出が遅いので、卵スープを作って飲む。 若いウミネコが船についてきていたので、写真を撮っていたら日がではじめる。 去年も船から初日の出を見たが、そもそもわたしはあまり日の出にも日の入りにも魅力を感じない人間で、やっぱり2023年の初日の出にもあまり感動は感じなかった。鳥が飛ぶと鳥の方に夢中になる。
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朝にお雑煮、昼にそばを食べる。 おやつを食べたい気持ちだったので、初詣がてらでかける。 ぜんざいについていた芋ちっぷすがおいしすぎたので、お土産に買ってきて、帰宅してからは、本当は31日に読み終えるはずだった『雨の島』呉明益を読む。 ネイチャーライティング・フィクションというジャンルらしい。わたしが読みたいものであり、表現したいものがここにある。 終章のサシバの表現がとてもよかった。タカを数えるひとは、タカと目があう経験を、するものらしい。 読み終えたので、30日に買ってきた『苦海浄土』(石牟礼道子)を読みはじめる。本当は年越し読書本になるはずだったのに、読めずに年を越した本になっちゃった……。
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79nihs · 1 year
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日記 / 5.7 / 写真を再び
どうもここ数ヶ月、写真が撮れなかった。半年前から撮っている写真のシリーズについてのことだ。製本ワークショップに参加して製本してみて、一度立ち止まって俯瞰的に見てみようと試みたが、これがまさかの急ブレーキとなってしまった。本の形になった高揚感に浸りつつ、「足りない」こと探し、粗探しを繰り返した結果、撮影を始めたときに抱いていた前のめりな感覚を忘れてしまっていたように感じていた。
京都国際写真祭でそれに拍車がかかった。凄みのある作品を三日三晩浴び続けることで、着眼点や撮影の技量、熱量、我が事とする力強さ、数え切れないポイントと比較ばかりして苦しくなってしまっていた。正直、息ができていない状態に陥っていた。1年前は「制作」をしていなかったから、どの作品も憧れのような対象だった。尊敬する写真家の自宅に訪ねて相談させてもらったり、他の写真家の方には、勤務中に彼の働く会社まで足を運んで助言を請うたりした。ようやく、自分なりの視点を持って撮影してこれたのではと、思った今年のはず…と思っていたのだが、違った。「作品をつくるようになった若い人」(と言われるようになった)は、先人たちから厳しいレビューを受け、落ち込んでしまったのだ。この落ち込みを誰かに解消してもらうことなんてできないし、親しい友人に話しても、結局情けをかけてもらいたいという気持ちから始まってしまうわけで、健全ではなかった。
先週には、撮影をお願いしていた方と長い時間お茶をして撮影に望んだが、正直に伝えた。「今は撮れるような状況ではない」と。相手からも、見透かされたような気がして、ブローニーフィルム一本を撮り切ることだけにしか集中できなかった。つまり被写体との対話ができていたとは言い難い。きょう、現像から上がってきた写真たちは、それなりに撮れているのだが、撮ったときの感情をまだ記憶しているので素直に見ることができないことで思い知らされた。現像があがるまでの高揚感、ポジティブな気持ちを抱いていなかったことに気づいた。
ここまでネガティブなことばかり書き連ねているのだが、ようやくトンネルを抜け出せそうな感覚をきょうは覚えた。一日を振り返りながら、いろいろ考えてみようと思ったからきょうは書こうと思う。
まずは、久々に早朝に起床できたことに始まる。朝マックに足を運び、エッグソーセージマフィンのセットを食し、スイッチを入れる。朝ごはんを食べると血糖値が高まり、血の巡りを感じる。ファストフードとはいえ、気持ちが前向きになったようだった。その勢いで、都内の展示へ。本当は丸木美術館に行きたかったが、せっかく晴れている日、2時間も電車に乗るのがもったいないと思い、終了日前日なのに諦めた。
昨日、WHOがコロナ緊急事態宣言の終了を発表。週明けにはコロナが第5類に移行する。パンデミック下に置かれていた日常は、ようやく活気づいてきたことを武蔵小杉から乗り換えた行楽日の総武線快速で感じた。先月行った京都も、外国人観光客が戻ってきて、マスクをしている人がほとんどみなかったので、不思議ではないのだが、東京にもコロナ前の日常が戻りつつあった。そんなことを思いながら、上野に着くとすごい人だった。動物園に並ぶ人々の姿も見えた。美術館前で記念撮影をする人。にぎやかな声が聞こえてくるから、自然と触発される。
向かったのは東京芸術大学陳列館。「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)(※)を見るためだった。初夏の日差しに浴びる青々とした葉をつけた木々が陰をつくる上野公園がこんなに気持ち良いとは思わなかった。陳列館の2階は、天窓から優しい日光が注ぎ込み、版画がすられたキャンバスや布がゆらゆらとしていた。版画は力強かった。日本、韓国、中国、香港、台湾、フィリピン、インドネシアのアーティストの作品をゆっくり何周もしながらみる。印象的だったのは、タイトルの通り、ボーダーを越えていくことの希望だ。
點印社(香港)の「私たちは輪になって食べる、刷る」は横長の大きな版画。テーブルでご飯を食べる様子を描いているのだが、そこに描かれているのは、人間だけでなく、シャチや、犬など動物もいる。コロナ禍によって幾多の国境が閉ざされた世界で、異なる国籍や民族やルーツ、バックグラウンドを持つ人々の間に境界線が引かれるようになったことを忘れてはいけない。そんな時代だからこそ、他者との時間を共有することを肯定し続ける力強さを感じた。登場する人々や、動物の表情は笑顔で豊かで、美しかった。決して丁寧に、きれいにつくられたわけではないけれど、その雑然さを版画で刻む描くことの尊さを感じた。
韓国のキム・オクさんが制作した7枚の版画からは、いつか未来で消える朝鮮半島の南北の境界線を想像させた。30年以上に渡り、朝鮮半島南部をくまなく歩き、フィールドワークしてきたというキムさん。農村地帯など韓国の原風景が描かれた7枚は、南北統一という先に続きがうまれるはずだという期待を抱かせ、そしていまだ解決しない南北問題について、極東の島国にいる自分をハッとさせた。
何よりエンパワーメントされた。この展示の作家の多くが社会運動に参画し、運動を活性化させたり、アジテーションを強化するという目的を持ったりしながら制作しているということを掲示されているテキストで知る。政治的抑圧に抵抗する。それは大きな主語を語りがちのように感じられるが、版画を刷るということによって我が事として捉える身体性が一層増していくように感じた。何より、作家自ら社会に対して、異議申し立てをするまでのプロセスを、自らの生活実践の場において果たそうとする姿勢が感じられた。だからこそ、「私たちは輪になって食べる、刷る」のカラフルな描き方に心が揺さぶられたのだろう。
何より、描いて、版を作り、刷るという繰り返しを諦めない。その先に、社会的に生じている苦しさから解放されるように思えた。新聞記者として多くの時間を、社会的課題について考えようとしながら、当事者性があるかどうかなど悩み、写真撮影においても強度があるかないかなど気にしていた自分にとって、今までの悩みがちっぽけに思えたし、何よりそうだ、自分が言いたいことを言えばいいんだと思えた展示だった。
彫り続ける作家たちの姿勢に刺激をもらい、浅草に移動してから入ったタリーズで本を開いた。坂口恭平の「継続するコツ」だ。数ヶ月前に綴方で購入したまま開いていなかったが、効果てきめんだった。「才能という言葉」の呪いにかけられたように、他者の作品を羨望の眼差しで見ていた。そして、撮影ができない状態に陥っていたけれど、それは「比較が始まり、否定が始まり、手が止まる」という項で正体が書かれていた。ある程度、自分がやりたいことを続けていくと「慣れ」が生じるというのだ。「慣れ」。なるほど。確かに、慣れてきた。こうして撮っていけばいいのだ。こう進めていけばいいのだという実感は、いつしか、「見る人に伝えるには○○が足りない」と完成度ばかり気にすることに変わっていたからだ。
製本して、足りないことが見えて、評価を受ける作家のアーティストブックやダミーブックに圧倒され、到底その領域に達していないのにと自分を卑下して、比較をし続けていたなと気付かされた。なんか自分が馬鹿らしくなった。撮っていく。それだけでまずは十分じゃないか。当初抱いていた撮りたい写真への気持ちは、いろんな人の助言や苦言や励ましで少しずつ変容したりしているけど、自分の撮りたいという気持ちに正直になれるのは自分しかいないわけなんだから。
そうだ。去年の7月、アレック・ソスに「SLEEPING BY MISSISSIPPI」にサインを入れてもらったとき、メッセージをお願いして書いてもらった言葉を思い出した。「Don't ever forget the feeling when you first piched up a camera」。そうだよね。初心忘れずって言うよね。いま撮っているカメラは別に「First」じゃないけれど、このカメラで撮っていくぞって嬉々としていたときのことを思い出した。小さな1Kで、千尋からも「買ってよかったね」なんて言われて、ファインダーを覗いて初めて装填したネガフィルムに彼女を焼き付けたんだっけ。うまく扱えず、フォーカスと露出を決めるのに時間がかかって切ったシャッターによって写し取られた千尋のふと力の抜けた表情が自分は好きだったんだなと。あの感覚があったから、静かに被写体となる他者に正対する感覚を今でも大事にしているのかもしれない。
そんなことを思いながら、ベトナムの写真作家たちのダミーブック展をあとにしたあと、ブローニーを装填した。ゴールデンタイムの日差しが当たる街にカメラを向けてシャッターを数枚着る。隅田川に沿って歩いていくと、ふと人を撮りたいなという気持ちが湧いた。
ふと、目が止まった。若い男女が微動だにせず、静かに抱き合っている姿に見とれてしまった。高校生か、大学生かな、と思い、声をかけさせてもらった。こうやって街にいる人に声をかけて撮りたいって伝えるの久々だな。心のなかで自分に語りかけていた。それに、やっぱり最初は緊張する。「ティックトックですか?」と聞かれたけど、「いえ違いますよ」という。最近、インスタやYou Tubeのショート動画で確かに「ストリートスナップ撮っているんですけど」という動画が流れてくるなと思い出した。それのおかげなのかな。恥ずかしがっていた彼らは、少し悩むそぶりを見せてくれたけれど快諾してくれた。撮らせてもらえる。高揚感が全身に走った。
マキナで露出を決め、フォーカスを固める。透明の四角いファインダーの向こうで、静かに佇む二人に引き込まれる。女性は恥ずかしいからマスクをしたままだったけれど、風になびく黒髪の隙間から見える青いカラーコンタクトをつけた瞳から向けられる視線が、まっすぐ力強く凛としていた。男性の方も、無表情ながら芯の強さを感じさせていた。
撮影後に聞くと、二人は15歳の高校1年生。男性はぼくの父とおなじ江戸川区で生まれ育ったという。在日朝鮮人の母を持ち、インスタグラムには日本と韓国の国旗アイコンを掲げる。聞きづらかったけれど在日コリアンかどうかを聞いてしまったが、「そうですよ」とさらりと答える。僕がこれまで川崎で取��をしてきたことなども伝えると、親しげな感じを見せてくれた。そして、なにより自分のルーツに誇りを持っているようだった。スケートボードが好きで、スケートボードが「バ先」だといって、店長のインスタグラムアカウントを見せてくれた。女の子はシャイだ。ファインダーの奥に見たあの視線の強さとは相反するのか、不思議だった。
街で声をかけ写真を撮る。撮影時間を入れても、賞味10分ほどしかなかったかもしれない。写真はSHOOTだ。池澤夏樹によると、「Shoot」は銃撃か撮影でしか使わない。だから、若い彼らをカメラの前に立たせる行為というのは、主従関係が生じ、抑圧・被抑圧の関係性が生まれることにほかならない。それでも、撮影を許容してもらうために、僕は彼らに誠意を伝えようとする。そして彼らも受け入れるために覚悟をする(覚悟を強いている可能性も忘れてはいけない)。そのわずかな時間でも、僕と彼ら彼女の間に一定の緊張感が生まれ、正対することによって他者を信じ切るしかないのだ。嘘偽りがないとは言い切れない。それでも、1/500秒という膨大な時間軸における一瞬、フィルムに焼き付ける行為そのものが、僕がこの社会に接点を築いていくことに必要なプロセスなのだと言い聞かせるには十分なんだ。そのことを、二人との出会いによって改めて認識させられた。
これが、明るい兆しだ。写真を諦めなくてよかったと思えた撮影だった。写真を撮ることでしか、僕は社会を知るすべがないことも知っている。それが、なにか明確なメッセージや、スローガンがなくても、そこに写し込まれた人々の姿によって、この社会の輪郭が際立ち、描かれていくことを信じたいから撮っている。僕にとって人を撮ること、正対してポートレートを撮ることとは、その決意表明みたいなものなのだ。沈みかけていた気持ちが、ようやく前を向き始めた。
※参考)近年、アジア各地で木版画による芸術・文化実践が再び注目を集めています。20世紀初頭の中国で魯迅によって始まった近代木版画運動は、民衆自身が社会や現実を表現する運動/方法としてアジア各地に伝播しましたが、20世紀後半になると社会構造やメディア環境の変化により下火となっていきました。しかし、2000年代から2010年代にかけてアジアの芸術家や社会活動家たちの一部は木版画を通じて社会や政治の問題を表現し、文化的直接行動や集団的創造の実験、さらには国境を越えた交流・ネットワークを生み出してきました。 本展は《「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)》と題し、アジア各地から12の作家・活動団体による木版画を紹介します。とりわけ2020年に始まったパンデミックでは、人やモノの移動を一元的に管理する国境の問題や、差別や排外主義などの社会的、心理的な排除や断絶の問題を現前化させました。本展はわたしたちの生きる世界や社会に張り巡らされた「境界」を改めて主題化し、これらの境界からの離脱・解体を志向するトランスナショナルなアジアの木版画実践とそのネットワークについて紹介します。同時に、コロナ期に各地で制作された木版画を比較することで「アジア」という地理的/政治的概念への批判的認識と、さらなる理解・議論の可能性を開くことを目指しています。
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8scorpiotemple · 1 year
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百年阡陌.開端
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人與神共用的黃金時代; 人被神統治的白銀時代; 而當宙斯成為第三代神王,他掌握了絕對權力後發現,一時興起製作的泥人偶開始增多,導致眾神分配的食物愈來愈少,而這些泥人偶驕傲又蠻橫,他們不懂耕作勞動,又酷愛戰爭,在欲望的驅使下,各種邪惡和醜陋出現在人間。 於是,希望讓這些泥人偶自生自滅的言語開始在眾神之間傳開。 人被神拋棄的青銅時代,將至。
位於伯羅奔尼薩斯半島的阿爾戈斯平原上,有一隻驢子緩緩前進著,在牠的背上坐著一個貌美的女子,紅色的卷髮梳成一個高髮髻,神情相當悠閒輕鬆,而她正是爐灶女神──赫斯緹雅。 這已經不知道是她第幾次遊歷人間了,不可否認的是,她愛好自由也不喜愛被約束。 「這感覺真好……」 正當赫斯緹雅閉著眼沉浸這種氛圍,靜靜享受的時候,她座下的驢子停止前進,她睜眼一看,是三個穿著戰甲的男人擋在她面前,但仔細一看,卻都是殘廢之身。 「女人,你身上的黃金可真多啊!」 赫斯緹雅抬手看著自己的手鐲配飾,「你們要嗎?給你們好了,那我就可以過去了嗎?」 赫斯緹雅個性溫謙,一向不喜歡與人起爭端,說著,就把手鐲給卸了。 看到赫斯緹雅這麼配合,三個人當下也慌了起來,「不是……妳起碼也反抗一下吧……」 「嗯?你們不是要嗎?要就給你們了。」赫斯緹雅把脫卸下來的飾品捧在手心,「吶。」 正當這三人還真不知道該拿不該拿的時候。 「就──跟──你──們──說──不──要──打──劫──旅──客──!」 聲音剛至,一棍子也砸上了三人,三人三聲慘叫倒地,其中一人立即爬起。 「阿瑪妲,妳聽我們解釋……」 名為「阿瑪妲」的女子叉著腰氣勢洶洶瞪著他們三人,「不用解釋了!死吧!」 說完又一棍子朝他們三人揮去。 「那個……這位太太……」眼看三人可能會被打死的下場,赫斯緹雅試著解圍,「是我要把金飾給他們的……」 阿瑪妲轉頭,看到雙手捧著金飾的赫斯緹雅,不禁脫口說出:「到底是哪來的傻子……」 看著赫斯緹雅不像是被打劫的樣子,再看看那三人也一直猛點頭,阿瑪妲收起手中的棍子,淡淡的說:「抱歉,誤會你們了,這點小傷,擦擦口水就好了。」 「哪能……!」三人本來同聲抗議,後來看到阿瑪妲掏出那根棍子,又異口同聲的說:「的確擦擦口水就可以好的。」 阿瑪妲再次怒氣衝衝對他們喝叱,「所以我才說平常你們不要做些讓我的羅里特斯看了會三觀不正的事!」 「羅里特斯三觀不正?我都沒見過比他還要正的孩子了!」 「果然是羅里特斯去告訴阿瑪妲的!」 「我就想那死孩子跑哪去了!」 阿瑪妲不再搭理他們,轉身問著赫斯緹雅。 「雖然不知道妳幹嘛要把金飾給他們,不過我知道妳是為了他們三個無賴說話,他們三個是什麼德性我會不知道?」 赫斯緹雅臉上寫著謊言被拆穿的困窘,臉上浮起一絲的尷尬。 「不過妳一個女的,怎麼會單獨來到阿爾戈斯平原的?」 「我、我去邁錫尼城邦找親人。」這是赫斯緹雅突然想到的說詞。 「啊……?不過最近那裡有點……」阿瑪妲看著赫斯緹雅白白淨淨、不諳世事的模樣,突然有點為她的人身安全著想,「要不這陣子妳先住在我那裡,等到……」 「住妳那裡……?」聽到這裡,赫斯緹雅露出不解的目光。 因為在這次下來的時候,赫爾墨斯一直耳提面命的告訴她,人間界已經不是當年她下凡的那種和平環境。 「這該怎麼說……」阿瑪妲皺著眉想了一下,「妳知道爐灶女神,赫斯緹雅嗎?」 「!」突然提到自己的名字,赫斯緹雅心頭一驚,「知……知道……」 「她的神諭告訴我們:『為真正需要的人提供庇護和食物,給予庇護的女性客人不會受到侵犯。』因為最近城邦那邊不安全,等到平靜了點,妳再過去。」 「……妳是她的教徒嗎?」赫斯緹雅露出欣慰的神情。 「不是,不過我很認同這個理念。」阿瑪妲淺淺地笑著,她的眼眸裡泛著和善。
於是赫斯緹雅牽著驢子跟著阿瑪妲與那三個人一同來到阿瑪妲的房子。 「羅里特斯──!」 「媽媽,你們回來了!」 迎面而來的,是一個藍發男孩,他的藍眼睛骨溜溜地盯著赫斯緹雅。 「這位姐姐最近要跟我們一起住……對了,妳叫什麼名字?」 「我是赫……啊……」赫斯緹雅突然禁口,在這個時候說出自己的名字適合嗎? 「……是赫雅姐姐!」羅里特斯臉上帶著猶如暖陽般的微笑,「妳好,我是羅里特斯。」 看著羅里特斯一臉的天真無邪,赫斯緹雅也給了他一個微笑。
阿瑪妲的丈夫早在三年前戰死,與她相依為命的就只有她的五歲兒子羅里特斯,跟原本和阿瑪妲丈夫同是戰友的那三個人──他們三人在一場戰役,因為被敵人砍傷殘廢,本來已經被軍隊拋棄,但身為隊長的羅里特斯的父親不忍他們送命,前去搭救他們的時候,才讓他失去撤退的時間而魂斷敵營。他們三人因為已殘,無法再上戰場,為了答謝隊長的救命之恩,於是想用一輩子的生命照顧隊長的遺孤,為了避嫌,也為了要互相照應,所以他們三人選擇住在離阿瑪妲三裡遠外居住。 而阿瑪妲每天都會送飯給他們。 赫斯緹雅的「工作」,就是每天都幫他們做上一頓餐點。 因為她第一天到來,為了答謝他們的照顧,就烹煮了一桌菜,五個人吃了驚豔不已,於是這往後日子的三餐全都是赫斯緹雅負責了。
日子飛逝,眨眼間已經快過了半年了,又到了烹煮晚餐的時間,赫斯緹雅準備著烤餅要讓阿瑪妲帶給那三人──那是一種用著粗艾麥粉混鹽水而制的麥餅。 白天的練劍已經讓羅里特斯累的趴在阿瑪妲腿上睡覺了。 看著赫斯緹雅熟練在廚房忙進忙出的樣子,阿瑪妲忍不住問了一句:「赫雅妳是不是逃婚來著的?」 一塊餅差點沒掉到地上。 「……阿瑪妲妳怎麼會這麼認為?」 「我從以前就想問了……妳看嘛,妳人漂亮,個性又好,廚藝滿點,就算父母沒有給妳指派婚姻,肯定也有一堆男人守在妳家門口。」阿瑪妲托著腮,笑笑地看著赫斯緹雅,「所以妳不是來找親人的吧?」 赫斯緹雅不知道該承認什麼還是該否定什麼,她只好陪笑著。 「不過啊,結婚真的要選擇自己愛的人……」阿瑪妲的臉上出現了平常看不到的溫柔表情,「雖然跟羅里特斯的父親在一起沒有多少年,但一想到他,就算任何困難我也都可以笑著挺過,再加上羅里特斯……他留給我的這個孩子就是我一生的至寶。」 赫斯緹雅將包好的烤餅放在阿瑪妲面前,「羅里特斯再過兩年就要離開這裡去接受戰士的訓練了吧?」 自從她來到這裡,她天天看著羅里特斯拖著比他高一倍的長劍去三裡遠外找那三個人練劍。 阿瑪妲點頭,眼角掛著絲絲淚水,她捋了捋羅里特斯額前的頭髮,「他說他想成為跟他父親一樣的戰士……以後立大功賺大錢房子蓋高高什麼的……哈哈,其實嘛,當父母的,只要孩子平安長大,能不能出人頭地都是其次,我還想著再過十年,羅里特斯長大了,找個好女人,漂不漂亮都沒關係,他喜歡就好,最好給我生一窩小崽子,讓我每天都跟那些小崽子一起玩樂,你不覺得這樣人生最美好就是這樣而已嗎?」 赫斯緹雅微微頜首,同意阿瑪妲的說法,但在這種時代,這種愈簡單的願望就愈容易落空。 「……哎,說這些傷感話做什麼,」阿瑪妲隨意抹去臉上的眼淚,把羅里特斯安置好,「我去給那三個人送餐去了。」 待阿瑪妲走後不久,赫斯緹雅突然感覺到了什麼,不過看著羅里特斯還睡的正熟,她就走出戶外。 「是赫爾墨斯嗎?」赫斯緹雅輕輕叫喚著。 「姑姑妳的直覺好准啊!」赫爾墨斯從黑暗裡走出──他頭戴翼帽,腳穿插翼涼鞋,手裡拿著雙盤蛇帶翼權杖。 「好像就有感覺是你,」赫斯緹雅坐在長椅上,乘著徐徐涼風,十分愜意,「來找我有什麼事嗎?」 「是有幾件事要跟妳說,眾神提議要拋棄人類……」 赫爾墨斯講述著在議場裡聽到的── 人類已經不是當初普羅米修士製造出的純潔泥人偶,他們偷竊、爭吵、廝鬥的事屢見不鮮,每個人都在為自己的利益爭奪,根本不知道什麼叫謙讓,剩下的只有欲望,都用自己的智慧和能力去侵犯別人的利益,為了在爭得中取勝不擇手段,最重要的是,他們完全忘了神祇給予他們的恩惠。 「終究要走到這一步了嗎……?」赫斯緹雅眉眼間的舒心愉悅退去,取而代之的是一抹黯然落寞。 「所以雅典娜姐姐立即反對,她認為人世間既然有愛,神不該拋棄人類。哈迪斯認為姐姐想法單純天真,人類的劣根性已經開始漸漸展現出來,某些刻在骨子裡的惡劣已經無法通過神的救贖,沒有滅絕人類已經是神對最大的寬容,他們兩人為了這件事爭執不休。」 「雅典娜竟然……」赫斯緹雅有些訝異。 「後來父神決議,那就以兩百四十三年為一期的『裁決』來決定人類的命運……」赫爾墨斯頓了頓,提出自己的想法,「不過就我來看,對人類滅絕與否,救贖與否這話題,不如讓人類他們依靠自己度過難關,這才是神所展現出來的公平。」 「讓人類自己度過難關,才是神展現出來的公平……」赫斯緹雅的嘴唇默默地重複著這些話。 「可不是,雅典娜姐姐為了幫人類說話都把自己賠進去了。」赫爾墨斯解釋著,「因為其他眾神說既然雅典娜是支持人類一方的,那就得讓她用真身下凡體驗人間,而且還是得用人類剛出生的形態。」 「雖然是真身,不過嬰兒時期根本發揮不了力量,或許連保護自己的結界也做不到。」 「那個時候當場根本沒神敢附和雅典娜,所以這個不合理的事自然沒有說出來。」赫爾墨斯低咕著。 赫斯緹雅靜靜��忖著。 「……還有一件事,其實也不是很重要的啦,不過對妳可能有那麼一點點重要,可是妳不想聽也沒關係啦……」赫爾墨斯說的口若懸河,對上赫斯緹雅朦朧的眼神,他立即說出重點,「阿波羅來找妳了。」 「……」一聽到這個名字,赫斯緹雅默默的捂著臉,不由得又憂鬱起來,「明明都在宙斯的面前,跟他和波賽頓說了不可能和他們在一起的。」 「他是自大自戀了點……」看著赫斯緹雅傷感的樣子,赫爾墨斯也不好受,他怔了一會兒,情神穆肅地說,「所以不把話說的太清楚明白只怕他根本不瞭解。」 「我不喜歡把話說得那麼絕……」赫斯緹雅眼神再次低落。
「不要欺負赫雅姐姐!」 話音剛落,一把劍突然撲向赫爾墨斯而來,幸好赫爾墨斯閃的快,避開了那要命的一劍。 「小子!不要拿著一把劍隨便亂刺!」 「不要欺負赫雅姐姐!」羅里特斯根本不理會赫爾墨斯,辛苦的抬起長劍,又是一刺。 羅里特斯才剛睡醒,就聽到外面傳來的談話聲,他雖然不知道他們在說什麼,但看見赫雅那難過的表情,就直覺她是被欺負了。 「赫……不是,誰敢欺負她啊!」赫爾墨斯雖然瞬間理解這豆丁說的是誰,不過她可是神王的親姐,誰能這麼大的能耐「欺負」她。 「你讓赫雅姐姐難過了,你這個壞蛋!」 「哈……?解釋太麻煩了,你還是睡一下。」赫爾墨斯的雙蛇杖向羅里特斯輕輕一點,金色的光芒瞬間讓羅里特斯陷入昏睡。 赫斯緹雅立即上前抱住羅里特斯,不讓他跌倒受傷,並斥責著赫爾墨斯,「你何必對一個孩子這麼較真?」 「較真是他,不是我。」看著赫斯緹雅這麼呵護羅里特斯,赫爾墨斯竟然有些吃味了,「……還有,赫斯緹雅姑姑,妳這次在這裡住在太久了吧。」語氣中有著說不出來的醋意。 「也沒很久吧,奧林帕斯才過了……」 「已經很久了!」 赫斯緹雅苦笑著,是啊……明明都只是想待個幾天,想不到人間都快半年了…… 「我知道,我會儘快回奧林帕斯……」赫斯緹雅的神色落寞下來,眼瞳中倒映著羅里特斯的小臉。 看樣子要跟他們道別了……
【百年阡陌.開端.下】 過後幾天,赫斯緹雅告訴阿瑪妲她將要離開的消息,但她一直不知道要用什麼理由來解釋,但阿瑪妲什麼都沒問,赫斯緹雅既然有她的難言之隱,她就沒有必要揭人隱私,她只是靜靜的抱著赫斯緹雅,她告訴赫斯緹雅,無論她什麼時候走,或者什麼時候會再來,她都會歡迎。
赫斯緹雅告訴赫爾墨斯請阿波羅來人間界找她,除了她不想回到奧林帕斯再去處理這件事之外,最重要的是,宙斯已經允諾自己是永生的處女神,他是神王,他在裁決上有絕對的權力──這意味著不能對此事再有議論,現在阿波羅還心心念念著自己,那就可能會惹的宙斯不高興,她不能讓他們父子心生嫌隙。 一聽到赫斯緹雅要見自己了,阿波羅立即趕到人間界。 「赫斯緹雅,聽赫爾墨斯說妳願意見我了?」 赫斯緹雅看著阿波羅,心想著宙斯風流成性,他的兒子卻是個情癡男子──但也恰恰是因為他的情癡糾纏,才會害慘了一個名為達芙妮的寧芙,她寧願變成一顆月桂樹也不願跟他在一起,在這場愛情裡,他們都是傷心者,所以對於他,她實在不願意再來傷害他。 他們離開阿瑪妲的住所,走到附近的河流處。 「……阿波羅,我曾經用宙斯的頭髮起誓,不會跟任何人結婚的。」赫斯緹雅試著想再用勸導的方式來讓這男人瞭解。 「誓言這種東西,我們可以想辦法破除。」阿波羅還是不死心。
──所以不把話說的太清楚明白只怕他根本不瞭解。
「阿波羅,我告訴你!」赫斯緹雅眼神湛冷,語氣也強硬起來,「我赫斯緹雅,用月桂樹起誓──以頸為上,以腰為中,以腳為下,在我永生永世的生命裡,絕不會跟任何人,包括你阿波羅,共結連理。」 「赫斯緹雅……!」 「以後,我維斯塔教的貞女們,她們都會戴上這象徵純潔的月桂樹葉飾品以示我的決心,」赫斯緹雅以一副漠然神情及語氣直視阿波羅,「這樣,我說的夠清楚明白了嗎?」 阿波羅張嘴想要說什麼,但看著赫斯緹雅那態度堅定的模樣,只說了一句「我知道了。」就離開。 赫斯緹雅在阿波羅離開後,捂著自己的胸口長籲了一口氣,她總算說出來了。 突然平靜的草叢中,傳來「窸窸窣窣」的聲響。 「羅里特斯,已經知道是你了……」 一個驚呼聲從草叢中響起,然後再一陣窸窣的動靜後,羅里特斯的小腦袋瓜從草叢裡探了出來,藍色的眼睛撲閃撲閃的,「赫雅姐姐妳好酷啊!剛剛那個哥哥又高又帥耶,你竟然不要和他結婚?」雖然他還聽到很多事情,不過幾乎都聽不懂的就算了。 「那麼你想跟姐姐結婚嗎?」赫斯緹雅純粹只是鬧著玩的。 「誒……完全不想。」羅里特斯秒答,「姐姐是媽媽啊,如果姐姐女兒我倒還可以考慮考慮。」說完,擺起自以為帥氣的樣子。 赫斯緹雅被逗笑了,羅里特斯那副機伶的樣子,就覺得像極了赫爾墨斯,或多或少她也瞭解阿瑪妲的擔心。雖然國家將男孩培養成合格的戰士──但這些培養是建立在付出巨大代價的基礎上。如果想讓羅里特斯在這種時代上安然的度過一生…… 「羅里特斯,你閉上眼睛,姐姐送你一份禮物。」赫斯緹雅蹲下身,「可是絕對不能偷看喔!」 「禮物?好──!」 當羅里特斯閉上眼睛,赫斯緹雅現出真身,霎時她一頭火紅的髮絲帶出絢爛的火焰,周身似有烈焰環繞,她雙手捧著羅里特斯的臉,額頭抵著他的額頭,輕聲低喃著:「你,羅里特斯,將會得到我爐灶女神赫……」
──不如讓人類他們依靠自己度過難關,這才是神所展現出來的公平。
突然,赫斯緹雅想到赫爾墨斯那無意間的話,她立即將真身撤下。 「姐姐……?」緊緊閉上眼睛的羅里特斯還是不敢把眼睛睜開。
──神的……公平……
「……再見了,羅里特斯。」 赫斯緹雅在羅里特斯額頭輕輕一吻,待羅里特斯睜開眼睛時,已經再也不見赫斯緹雅的蹤影。 「赫雅姐姐……」
赫爾墨斯正坐在赫斯緹雅宮殿前等著她回來,遠遠地就看見赫斯緹雅乘著驢子飛了回來,赫爾墨斯迎了上去。 「赫斯緹雅姑姑,妳剛從人間回來嗎?」 「沒有,我去雅典娜那裡締結契約花了點時間,」赫斯緹雅下了驢,伸直了腰,深深地舒了一口氣,「在她下凡長大的這段期間,我可以用我的火焰保佑她的居住地不被敵人入侵……不過只限定她在那裡的這段期間,還有她長大後力量跟著覺醒,我的護佑也會跟著減弱。」 「喔……是嗎……」赫爾墨斯有一搭沒一搭的回應著。 「既然這是宙斯的決議,就是一場公平的『裁決』,這種保護起碼可以防範一些不安於室的壞東西介於他之間的爭鬥……」看著赫爾墨斯欲言又止的樣子,赫斯緹雅有種不好的預感,「……怎麼了嗎?」 「伯羅奔尼薩斯半島的阿爾戈斯平原已經淪陷了……」赫爾墨斯儘量說的平靜些,「有一支海上民族勾結了邁錫尼內部政權,他們聯手摧毀整個邁錫尼城邦,連同附近的村莊也一併剷除……」 「那羅里特斯和阿瑪妲他們……?」赫斯緹雅目光淡然無波。 「已經沒有任何亞該亞人(希臘人舊名)的存在。」赫爾墨斯不敢對上她的眼神。 赫斯緹雅腳下一個踉蹌,重重地撞上了身後堅硬的柱子。 「赫斯緹雅姑姑……!」 赫爾墨斯也沒想到向來端莊優雅的赫斯緹雅,會有這種反應,赫爾墨斯也有些不知所措。 赫斯緹雅沒有聽到赫爾墨斯的叫喚,她只是一直在想如果當初賜與羅里特斯神力的話,他跟阿瑪妲就可以躲過這場浩劫,但是歸根究底── 「為什麼人類要自相殘殺……」 赫斯緹雅恍惚的進入自己的宮殿,看著爐灶裡的火苗亂竄,想起不久前她還跟他們一起同桌吃飯,她坐在地上,拾起被火燒燼的白色灰燼捏著人形,並沒有發現在灰燼裡還帶有火苗,她想到阿瑪妲,想到羅里特斯,歎了一口氣──以火為生,以氣為命。 她手中的小人立即動了起來。 「──!」 赫斯緹雅立即意識到宙斯曾經下令不能再製造人類,她在慌張之餘想將灰燼給捏碎之時,小人的動作比她更快,它立即從她手中飛走,懸在半空中,看了赫斯緹雅一眼,似乎不瞭解為什麼眼前的這個造物主製造「它」出來,又要毀了「它」?即後,便沿著廳堂旁的柱子飛往外邊。 「我……宙斯說過不能再製造人類的……可是,再怎麼樣,也不能……」赫斯緹雅迷茫地看著自己顫抖的雙手,「我剛剛怎麼會想殺了那孩子……」 才剛回到奧林帕斯的赫斯緹雅,首先面對的是聽到「家人」的死訊;接著是違背「神王」的命令;再來就是想殺「孩子」的舉動,一連串的變故讓赫斯緹雅徹底攤在了地上,眼淚止不住的哭泣,一直不停地滴落下來。 我怎麼……
──其後,赫斯緹雅把奧林帕斯十二主神的頭銜讓給新一代的年輕酒神戴歐尼修斯後,她便把精力投入人間界,為人類造福,宙斯尊重赫斯緹雅的意願,於是允許她優先享受每一份公共祭品──這已是後話。
「它」在奧林帕斯與人間界漂蕩──也不知道過了幾百年還是幾千年,被赫爾墨斯發現,帶往冥界轉生,在東方一個小島的一戶商賈人家誕生,「她」跟兄弟承繼父親事業後,除了賺錢,她的愛好就是旅行,常有人問到她的感情事,都被她語氣嚇的不敢再提起,於是再過好幾十年,她離世後,再次投身為女胎,這次的出生地是在希臘雅典市區的貧民窟,這一世的家庭,不及上一世的富足,女嬰的父母嫌棄女孩子沒有辦法分憂家庭的經濟,於是把她丟在維斯塔教神廟的門口。 維斯塔教的教母發現門口的女嬰,將她抱進教裡,看見佇立在大廳的赫斯緹雅女神像。 「赫斯緹雅(HESTIA)女神……」不知道為什麼,每天都在注視的女神像今天卻特別有感覺,教母猶豫了半晌,再看看懷中的女嬰,「那就……叫妳赫雅(HEIA)吧。」 名為「赫雅」的嬰兒,發出清脆的笑聲。
──轉了一大圈,終究還是回來了。
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peterchiublack · 1 year
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《安倍回憶錄》原來日本與印度還有這麼一層關係。
微觀系列,《安倍回憶錄》出版:普京刀裏藏笑,最討厭文在寅,曝出很多內幕,2023/02/25。
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《安倍回憶錄》
《安倍回憶錄》
《安倍回憶錄》最近出版了,我們也跟風買了本,整本看下來還挺有意思的,尤其是外交部分透露了很多過去外人不知道的內容。
安倍最先聊的就是美國,畢竟美日這種上下關係很特殊。安倍和特朗普打交道非常多,在書裏也占最大頭,安倍對於特朗普的一句話評價是:“看似是個好戰者,其實是全世界最不願發動戰爭的人。”特朗普徹頭徹尾奉行“孤立主義”,他不想為別的國家多派一兵一卒,多花一分一毛,“但是,”安倍笑說,“這可不能說出去啊,因為讓朝鮮知道這一點的話,那美國對朝鮮的施壓將會無效,所以美國政府和官員,都不斷隱藏著特朗普很反感戰爭的本性”。
安倍跟著寫道,“特朗普和其他美國總統都不一樣,最大的不同是,他腦子裏沒有世界領袖的意識。”過去的美國總統都自認為是世界老大,世界警察,什麽都要管,在和他國領導人聊天時,也常常透露出美國要管全世界的態度。可特朗普腦子裏,沒有這意識,除了和美國有直接利益關係的事,其他都不想管。這裏安倍晉三並不喜歡特朗普這一點,因為特朗普這人沒有世界領袖的意識,所以在評價上,安倍認為特朗普只能算個二流領袖。而且由於特朗普是商人個性,和他談外交,談意識形態等都很困難,特朗普的價值觀裏,外交和意識形態都是可以用錢和利益來量化的,就看你報價夠不夠高了。
這在所有美國總統,甚至是全世界領袖裏,都是罕見的。另外安倍說,站在國家利益角度,特朗普也許不是個合適的大國領袖,但是站在私人角度,特朗普還是個很要好的朋友,安倍和特朗普的私下關係非常不錯,可能是美國盟友裏私人關係最好的一個,安倍說,特朗普很喜歡扯閑篇,經常和他打長途電話,而且一打就至少一小時,那電話裏聊什麽呢?安倍說,前十分鐘聊國家大事,後五十分鐘“扯閑篇”。尤其是聊高爾夫球,什麽球杆球技啊,哪塊球場好啊之類的,還有就是聊其他國家的八卦,比如聊英國首相特蕾莎梅又哭了,德國總理默克爾怎麽整天去找普京之類的,總之安倍覺得和特朗普打長途電話,閑篇扯太多,又不好拒絕,畢竟是美國老大哥,不敢挂電話,可也因為這樣,安倍搞起的“高爾夫外交”格外成功。
安倍說,和特朗普在一起是比較輕鬆的,兩人可以像朋友一樣相處,這裏他還嘴了一句奧巴馬,說“奧巴馬”這人不好相處,和奧巴馬一起的時候他不會和你談任何公事以外的事,奧巴馬滿腦子都是大國,都是博弈,和奧在一起談事腦子要高度緊張,無法輕鬆。特朗普則相反,嘻嘻哈哈,打打球扯扯閑篇,順帶聊聊國家事。
從字裏行間看得出來,雖然安倍被形容成是美國的狗,還有著名的這張“握狗手”照片,但在安倍心裏,他和特朗普的私交更好,隨後安倍講了特朗普的訪日趣事,說兩個人看完相撲後要去吃飯,美國的霸氣總統車隊,前後30輛車,浩浩蕩蕩的,而日本首相只有可憐的兩輛車,而且在國外,美國會有兩輛一模一樣的總統座車,一輛真一輛假,用來防止行刺,特朗普看安倍的座車那麽少,於是就主動拉安倍一起坐上他的凱迪拉克,這樣一路上還能多聊聊,安倍坐上老特的車,兩人又開始閒扯,特朗普看到外面馬路兩邊的日本民衆都在對車隊招手歡迎,特朗普就問安倍:“安倍啊,你覺得外面的人是在對你招手,還是對我招手呢?”
安倍說:“這當然是對大總統你招手啊,因為這是美國車,車上挂的是美國旗啊,外面的人又不知道我在車裏”。特朗普聽了很開心,突然把車窗打開了,也對外面的日本人揮手。
這可把總統特勤隊給急壞了,馬上告訴總統“我們搞兩輛車,就是為了保密,讓別人不知道你在哪輛車裏,你倒好,自己開窗了,那這安保還怎麽做”。
特朗普聽了笑起來,轉身安慰安倍說,“安倍桑你放心,美國這車可以承受200發子彈,數枚火箭彈,非常堅固。”
安倍陪笑,忽聽旁邊特朗普老婆冷冷來一句:“如果是201發子彈呢?”全車大笑。總的來看,“安和特”兩人,“私交很好,政交不好”。
和特朗普相處叫人愉快,可由於特朗普的“孤立主義”對日本不利,所以安倍對特朗普的評價是:缺乏長遠眼光的商人總統,這評價一點不高。之後安倍開始聊俄國,安倍說普京是那種典型的“刀裏藏笑”的政客(不是笑裏藏刀),一副誰敢惹我的強人形象。但是相處下來,卻叫人意外。安倍說普京讓他最喜歡的一點,是真誠,你在普京身上感覺不到裝腔作勢,和惺惺作態。安倍和普京公開會見了27次,他說:普京都是打直球給你,不會繞個彎子指東打西,講半天不知道要講什麽。還有普京“刀裏藏笑”的性格,講著講著會突然講一個冷笑話,然後別人還沒笑,他自己在那呵呵呵先笑起來,特別有意思。安倍說,這些都是沒和普京打交道前,所不可能知道的。日本和俄國最大的議題在“北方四島”,多少年了一直在談判,還是有點進展的,但安倍說最大的障礙不在日俄,而在美國。因為俄國擔心美國會在北方四島部署雷達或反導基地,除非日本能說服美國不這麽幹,不然這北方四島問題很難解決。總的來看,安倍對於普京的評價,全是正面的,回憶錄裏沒有講普京一句負面的話,至少證明安倍不反感普京這人。
畢竟美俄那麽差的關係,作為美國的忠誠小弟,日本首相居然給俄國總統都是正面評價,簡直不可思議,(這裏透露一下,安倍回憶錄裏最討厭的是韓國,是文在寅)。
接下去,安倍又用很大的篇幅,講了和印度的關係,可能很多人不知道,日本,感恩印度,安倍說從小他外公就常常和他講印度的故事,他耳濡目染的從小就知道,日印關係,是特殊的,安倍的外公,就是那位甲級戰犯岸信介,他當首相時第一個訪問印度,安倍說當時是五幾年,那時的日本剛戰敗,國家破,人民窮,而且因為二戰被全世界孤立瞧不上,那時候,是印度第一個對日本伸出了公平和歡迎之手,印度真誠的接待了我的外公岸信介,安倍寫道:當時的印度總理尼赫魯,抓著我外公的手高高舉起,對周圍所有人介紹,這是來自日本的朋友。尼赫魯又喊道:當年日本戰勝了俄羅斯帝國,震驚了整個亞洲,也鼓舞印度,讓印度人知道了歐洲人不是不可戰勝的,日本給了印度,戰勝英國的勇氣。“周圍的所有人都大聲鼓掌歡迎,這讓我外公熱淚盈眶。”所以我外公從小就對我說,“戰敗後,是印度第一個真誠的接受了日本,我們也要真誠的與印度做朋友。”
印度對日本,也是感情頗深。中韓在對待日本的二戰歷史問題上,是憤怒的,可印度在對待日本二戰問題上,是感激的。二戰時,日本打著“大東亞共榮圈”旗號,入侵東南亞,東南亞那些西方殖民者逐一戰敗,而西方殖民者部隊裏,大多數不是白人,而是印度人,日本俘虜了很多英國軍隊裏的印度人,於是日本就開始,幫助這些印度俘虜,成立一支印度國民軍,培訓他們,給他們槍和物資,支援這群印度國民軍,再去和英國人戰鬥,推翻英國在印度的統治,日本支援的印度國民軍軍官,組織起來去打英國佬,可以說,在印度人眼裏,如果沒有日本幫忙,印度不會那麽快擺脫英國殖民獨立,所以印度視日本,為印度獨立的恩人,後來,當日本戰敗後又破又窮,被全世界孤立,這時候印度站出來投桃報李,尼赫魯是第一個,以平等熱情的方式,歡迎日本首相來訪的人。
當時的日本首相,就是安倍的外公岸信介,這麽看來日印關係確實特殊,而整個安倍家族對印度的感情確實不錯。也因日印這種特殊關係,促使日印在面對共同的“對手”中國時,會更加統一,尤其是安倍在掌控日本政權的時候,安倍在回憶裏說:“我早就在拉攏印度成立新聯盟了。”
今天這個用來圍堵中國的“美日印澳”四方安全機制,看似是美國組的局,實際上是安倍努力了十六年的結果,安倍在回憶錄裏說,“早在2006年我提出了這個倡議,然後開始將它付諸實施。”但當時印度總理是辛格,他對於四方安全機制態度消極,不想組建這個明顯針對中國的機制,而當時的澳大利亞也因為和中國有巨大的經濟關係,也對這個“四方機制”冷感,一直到莫迪上臺後,安倍再去提“四方機制”,才撬動了印度。
2017年,莫迪親���對安倍說:“如果這個機制只有美國和澳洲的話,印度是很消極的,但如果四方機制由日本來各處拉攏的話,印度會參加”。可以說“四方機制”,是安倍構想、發起、成立的一個重要“外交成果”,這裏面還牽扯到日本和印度的特殊關係,以及共同應對中國的問題,所以在回憶錄裏著墨很多。而對於中國,安倍的回憶錄裏講的篇幅明顯小於美國和印度。
安倍對中國的總體評價是:“猶如一個難對付的將棋對手”。日本的將棋類似於中國的象棋,是一種你吃我一個,我吃你一個的遊戲,安倍打比方說,“你要吃掉中國的一個炮,就要做好中國吃了你馬的準備。”意思就是跟中國打交道,日本要做好中國絕不會客氣的準備,這是一場長期的,嚴峻的外交挑戰。而且,中國非常在意坐在對面的將棋棋手,是不是同一個人,意思是日本首相老是換(日本十年出了十個首相),這種頻繁換首相的狀況,讓中國對和日本談話,態度冷淡,安倍在書裏認為,“想要改變中國對日本長期的強勢態度,問題不在中國,而在日本自己,我和自民黨必須不斷贏下選舉,必須讓中國認為,日本的政權終於穩定了,這樣中日才有可能開啓漫長的緩和的外交。”
安倍跟著說,中國是日本最重要的鄰國,你不可能忽視他那麽龐大的存在,對中國要有長期的安全對話機制,以及積極的經濟往來,中國,依舊是日本經濟最大的機會,他不會把中日關係推向不可收拾的地步,同時他認為,中國也不想。在回憶錄裏,中國給安倍最大的一次震撼,是杭州的G20峰會,2016年杭州齊聚了全世界的大人物開會,晚上由張藝謀做導演,在西湖上鋪了幾萬塊板,將整個西湖作為表演舞臺。安倍說︰這場表演,讓他大受震撼,無論意境,舞美,他從沒看過那麽精彩的表演,遠遠看去這些演員就像在水上舞蹈一般唯美,當時坐在安倍旁邊的是英國首相特蕾莎梅,特蕾莎梅就對安倍說:“這麽震撼的表演,也只有在中國才能看到了”。安倍在看完後和中國官員聊天時還不斷誇讚這場表演,說:“我從沒見過那麽壯麗精彩的演出”。
中方的回應是,“我想你也是吧”(意思是,我想你應該也沒見過)。可見中國也對演出效果很滿意,足以讓外賓們驚歎。而更重要的是,2016年杭州G20後,中日終於可以開始正常對話了。安倍要表達的意思,他那一句誇讚中國的話“我從沒見過那麽壯麗精彩的演出”,是種主動示好,打破了中日過去難以對話的狀況。不說能對話出什麽結果吧,至少現在能坐一起談了。而從安倍的字裏行間可以看出,他當首相近3000天,最累的博弈就是和中國博弈,估計中國把他“折磨”的不輕。
可就算這樣,安倍在回憶錄裏倒也沒怎麽攻擊或者批評中國,反倒是對韓國,安倍似乎對韓國很有恨意,對韓國的評價,也是各國最低的。安倍對韓國的評價是:跟韓國沒法談,因為韓國人會踹棋盤,這評價對應的是上面說和“中國下將棋”,和中國你是可以坐下來博弈,坐下來下將棋的,可對韓國,安倍根本坐都沒法坐,因為韓國人會直接踹棋盤。
日韓關係糟糕到不可理喻,安倍說:日韓在慰安婦和勞工賠償的問題上已經解決,日本早就賠償過了,韓國也認可簽了協定,可2018年韓國再次要求日本賠償,還凍結了日本在韓資産,這完全是不可理喻的做法,2019年,日韓貿易戰爆發,日本對韓國所必須的半導體原料實施禁運,安倍更直接指控韓國總統文在寅,是明知故犯的罪犯,安倍說,當年日本和盧武鉉簽訂過相關賠償協定,文在寅作為盧武鉉的重要助手,全程參與這事。可是在2018年,文在寅在明知這事完全不合理的狀況下,依舊贊同凍結日方資産,而且文在寅的態度很堅決,日方和文在寅完全無法談判,文在寅需要對摧毀韓日關係,付主要責任,而且在私底下打交道時,安倍說“文在寅這人是他接觸過的,最難打交道的政治人物”,比中美俄這些人都難打交道。
文在寅是一根筋死腦子的典範,他為人很死板,不懂什麽是妥協,什麽是談判,非常難相處,安倍說:他可能不適合當個總統,而適合當個法官,認定一件事,就一條道走到黑那種,可當文在寅是總統時,不會給韓國帶來任何益處,因為總統和法官需要的個性和做法完全不同。(當然這些都是安倍的一面之詞,文在寅在中國的觀感,大多數還是不錯的)。
2016年,安倍押寶希拉蕊會贏得美國總統大選,但事實證明他押錯了。安倍在押錯注後,態度立刻180度大轉彎,馬上飛去美國,去找特朗普示好,當時日本媒體都指責安倍,首相怎麽變臉變這麽快?也太丟臉了。可是安倍在登上去美國的飛機前,對記者說了一句話,這話來自中國的易經:安倍說:“大人虎變,君子豹變。”意思是政治人物就必須像老虎的斑紋一樣,千變萬化,世上沒有永遠的朋友,也沒有永遠的敵人,政治人物必須清楚這一點,而不能因爲個人好惡和固執的性格,就一條道走到黑,尤其是對於一個非大國的國家來說,外交,需要充滿多變性和柔軟性,最後來看一段安倍關於外交柔軟性的調侃吧!
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)9月22日(金曜日)
    通巻第7920号 
〜書評〜
 金正恩の正妻と妾たちと、その子供たちはいま
  反体制の地下運動が大規模に展開され、金は身内の叛乱を極度に懼れている
  ♪
西岡力『狂った隣国  金正恩・北朝鮮の真実』(ワック)
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 北の「核坊や」を手なずけようと、トランプ前大統領は三回、金正恩と会談した。
初回は世界的なセンセーションとなったが、2018年6月12日、シンガポールの離れ島のリゾートで開催された。このときは挨拶ていどのジャブの応酬。余興かどうか、金正恩は夜に日本人観光客で賑わったマリーナ・ベイサンズ・ホテルのバアラウンジに突如現れた。同ホテルはカジノでも有名。
 弐回目の会談は2019年2月28日、ベトナムの首都ハノイのメトロポールホテルで開催された。米側は核の全廃と引き替えに経済制裁を解除するとしたが、北は応ぜず、物別れに終わった。合意はなく、ボルトン補佐官は「会談は失敗だった」とした。
 
 参回目は同年6月30日、南北朝鮮の境界線、板門店で開催され、やはりこれという成果はなかった。
ただし三回の会談を通じて、金正恩なる人物が意外に国際情勢に詳しく、アメリカの情報を把握しているという事実だった。彼はスイスに留学経験があり、そのとき派遣された世話役の玄松雪が愛妾となって子をなした。玄松雪は労働党宣伝扇動部副部長で金正恩の随行秘書だった。
 平壌の奥の院では正妻の李雪柱(歌手出身)と玄松雪との間に見えない対立がある。ほかに金正恩の子をなした側室に呂シム(在日帰国者。ピアニスト)と金玉珠(歌手)がいる。
本書で西岡氏は、系図を用いながら、まずこの金王朝の大奥内部の人脈を精密に描いた。これだけでも読む価値が高い。
さてトランプ金正恩会談の根回しに密かに精力的に動いたのはポンペオCIA長官(後の国務長官)だった。
 初回会談の根回しは、2018年にCIA長官だったマイク・ポンペオが極秘訪朝し、次いで同年5月9日にも訪問したときに公となった。2000年のオルブライト国務長官以来、18年ぶりの米国の高官訪問で、このときは人質の米国人三人が開放された。
 このポンペオ・金正恩会談でトランプとの会談が実行に移された。
 ポンペオの回想録に拠れば、「中国共産党は、北朝鮮が在韓米軍撤退を望んでいると米国に伝えている」と説明。正恩氏は笑って机をたたき「中国人はうそつきだ」と大声を上げ、「中国は朝鮮半島をチベットや新疆ウイグル自治区のように扱えるように米軍撤退の必要を主張する」と語ったという。
 このやりとりから、ポンペオは朝鮮半島で米軍がミサイルや地上戦力を強化しても北朝鮮は気にしないと判断したという。また金正恩はポンペオに向かって、「あなたが姿を現すとは思わなかった。あなたが私を殺そうとしてきたのを知っている」と語りかけ、ポンペオは「私はまだあなたを殺そうとしている」と冗談で応じた。
 その後、バイデン政権となって米朝の対話は途絶え、金正恩は無謀な核実験、ミサイル試射、ICBM発射実験を繰り返した。
 とくに日本の防衛白書が北朝鮮の核戦力を「小型核をミサイルに装填する技術をすでに保有しているとみられる」と分析し、岸田政権は『安保三文書』で確認した。事態は深刻な安全保障上の脅威である。
にもかかわらず日本のメディアはこの切迫した軍事状況を熱心に伝えない。
 米国に届くICBMを保持した以上、米国の核戦略と世界の軍の再配置の必要性が産まれ、日本や韓国を守るはずの「核の傘」は破れ傘となった。韓国が独自の核武装を打ち出したことは主権国家としては当然であり、日本の体たらくとは対照的である。
ユン大統領は過去の歴代反日馬鹿「ダイトウリョウ」たちとは異なって、ちゃんと国際情勢を見極め、また反日など後ろ向きの政治姿勢から離れて、したたかな力量をしめすようになった。
この点でユン韓国大統領は端倪すべからざる政治家になりつつあるのではないか。
トランプ・金正恩会談からはやくも四年を閲し、米朝の対話が断絶したのはコロナ禍、そしてウクライナ戦争による。しかしバイデン政権の熱意が中途半端なことが原因だろう。
 この間、何が起きていたか。
現地事情に通暁し、多くの情報通をと交流のある西岡氏が、空白の期間の謎に挑んだ。金王朝は内部がガタガタで、飢えに対して国民の不満が露呈しており、また軍に備蓄していた国家備蓄食糧の放出を決断したところ、すでに軍隊で食べてしまった後だった。ロシアに武器供与するために備蓄兵器を点検してみれば、殆どが錆びて、使えない旧式のものだった。そこで新型の自動小銃十万丁を手配した。
暗殺を懼れる金はボディガート部隊を増やし、影武者を十人抱えて、そのうえ極度の肥満による心臓発作と不眠症になやまされているともいう。
 9月初旬、金正恩は特別列車でロシア極東へ向かい、プーチンと会談した。
 その内容は北の武器在庫の供与、また北東アジア軍事バランスを潰乱するためのミサイル実験などと引き替えに食糧援助にある。報道では「食糧は足りている」と金正恩が余裕を見せたことになっている。この肥満総書記は芝居もうまいのか。
 金正恩の秘密資金は朝鮮総連の資金がとまり、外貨が枯渇している。「これまで40~50億ドルだった39号資金がほぼ無くなった」(81p)
 食糧不足に悩む北朝鮮は在外高官に食糧23万トンの調達を秘密指令したが集まらないばかりか在外公館のスタッフは給与ももらえず自給体制、なかにはサウナの三助のアルバイトで糊口を凌いでいる。
 「中国には繰り返し緊急食糧支援を要請したが、無償支援は断られた」(63p)
プーチンは朝鮮戦争でのソ連の参戦を、はじめて認め『血の友誼』を強調している。2023年7月27日の「『戦勝』70年記念式典」にプーチンの特使として平城いりしたシェイグ国防相はプーチンのメッセージを持参した。
 そこには「戦闘飛行を遂行した飛行士を含むソ連の軍人も、朝鮮の愛国者と肩を組んで闘いながら敵の撃滅に重みのある寄与をした」(104p)と明記されていた。
はじめてソ連の朝鮮戦争参戦をみとめたのだ。
 そしてシェイグは金正恩に10万の兵力の派遣を要請したという。 
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ronpe0524 · 25 days
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いろいろ予定がくるった3月(2024年3月の日記)
■2024/3/1 金曜日。3月がはじまってしまった。今月もまたInstagramのPost数をチェックしてみましょう。2525ですね。てことは2月に見た映画鑑賞数のトータルは79。なんと1月より多い。2月短いのに。短編映画もしっかり見ていくというのをやってることもあり大変順調です2024年。毎月1日は釜揚げうどんの日!釜揚げが半額、ということで丸亀製麺にて釜揚げ大と鮭おむすび。WOWOWオンデマンド『ハルモニア』を見る。U-NEXT『ポーカー・フェイス』E1を見る。ライアン・ジョンソンによるミステリー・ドラマ。『ナイブズ・アウト』の嘘をつくと吐いてしまうキャラクターのような、ひとつの特殊な設定をつくった上でミステリを作るのが好きなのかもしれない。ミステリ作りのひとつの手法ですね。MOVIX昭島にて『ARGYLLE アーガイル』鑑賞。
■2024/3/2 土曜日。朝からWOWOWオンデマンド『撮影/鏑木真一』を見る。渋谷へ向かう。『ヴェルクマイスター・ハーモニー 4Kレストア版』鑑賞@イメフォ。観終わってすぐに帰る。移動中にWOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E7を見る。これすごい。なかなかのコラボレーションなエピソードなんですが、事前にまったく知らなかったのでびっくり。本当はMCUとかもこういうレベルのものをやりたいんだろうなぁ。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E9を見る。Amazon Prime Video『アメリカン・フィクション』を見る。U-NEXT『アダプテーション』を見る。音源を1本編集。もう1本映画を見たかったけど力尽きて寝る。
■2024/3/3 日曜日。本日は娘と歩いて昭島へ。MOVIX昭島にて『映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)』鑑賞。娘と観る『映画ドラえもん』も今回か来年が最後だろうか。そう思うとちょっと切ない。昭島のミスドでお昼を食べて帰る。帰宅してすぐに自転車で昭島図書館へ。本を借りたり返したり。WOWOWオンデマンド『イツキトミワ』を見る。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E7を見る。ラジオを聴いたり、映画の感想を考えたり、雑誌を読んだりで時間がすぎていく。夜はイシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。2月の収録とインターバルが短いのでぜんぜん久しぶり感がない。
■2024/3/4 月曜日。午前中はミーティングで終わる。お昼にWOWOWオンデマンド『せん』を見る。中尾ちひろさんのカラオケをツイキャスを見る。資料作成をせっせとやる。仕事終わりで立川へ。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E3を見る。WOWOWオンデマンド『極道黒社会 RAINY DOG』を見る。シネマシティで『ネクスト・ゴール・ウィンズ』鑑賞。2週目でかなり上映回が減っていたけどたしかに集客悪い。けっこう楽しかったけど。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E10を見る。ラジオなど聴きながら僕モテメルマガの情報コーナーを書く。
■2024/3/5 火曜日。昨日から覚悟はしていたがとても急ぎの仕事の対応で午前中が終わる。ぜんぜんやったことない仕事を代打でやるもんだから手探り感ハンパない。たぶん本来それをやってる人が対応したら一瞬で終わるやつ。まぁしょうがない。お昼にNetflix『彼方に』を見る。ファミマおにぎりの新作、明太マヨクリームチーズを食べる。そりゃうまいでしょうよ。仕事終わりで立川へ。松屋にて、チキンマサラカレー。Disney+『SHOGUN 将軍』E3を見る。『コヴェナント 約束の救出』鑑賞@kino cinéma 立川高島屋S.C.館。映画館を出たら雪が舞っていた。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E11を見る。WOWOWオンデマンド『かぞくのくに』を見る。音源編集1本やりたかったけどもう元気が残っていなかった。
■2024/3/6 水曜日。雪は雨になってましたね。ちょっと今日の朝ウォーキングは断念。BSSTO『インディアナとアーシバルド』を見る。朝ウォーキングをしないと朝、家を出るのに30分ほど余裕が生まれる。この30分がとても大きくていろいろできる。じゃあいつもあと30分早く起きればいいのではないか?それができれば苦労などしないのである。お昼はマクドナルドにて、のり塩じゃがバターベーコンてりたま。Apple TV+『コンステレーション』E5を見る。会社のPCのパスワード変更。しばらくは慣れないんだよなぁ。帰宅してからBS録画『特攻野郎Aチーム』S2E12を見る。エンジェルがぜんぜん知らないおじさんをハンニバルの変相だと間違える場面が面白い。U-NEXT『フォルス・ポジティブ』を見る。音源を1本編集。ラロッカさんとDiggin' Netflixを収録。なんとか録画した『相棒』を見てから寝ようとしたが眠すぎて途中で寝落ち。
■2024/3/7 木曜日。今日はお昼に外に出る余裕がなさそうなのでランチ用のサンドイッチを朝からつくる。ランチ代節約にもなります。通勤しながらApple tv+『ミッドナイト』を見る。お昼休みにWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E4を見る。仕事忙しかったけど先行『関心領域』のチケットは忘れずに取る。まぁ余裕だろうとは思っていたけど余裕だった。帰宅してからNetflix『ジェントルメン』E1を見る。監督、ガイ・リッチーだ。U-NEXT『テッド ザ・シリーズ』E1を見る。今年は映画鑑賞を優先するために海外ドラマは基本的に1日1エピソードだけ見ようとしてるのですが、さすがに見たいドラマ作品が渋滞してしまっている。というわけで今日は3エピソードも見てしまった。で寝る前に映画を1本見ようとしたら眠くなってしまい途中まで見て断念。バランス、難しいな。
■2024/3/8 金曜日。夜中に雪が降ったようで寒い。小雨が残っていて朝ウォーキングは断念。通勤途中でNetflix『ハート・ショット』を見る。お昼はCoCo壱にて、五香粉香る魯肉スパイスカレー。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E8を見る。鳥山明死去の報。僕が影響を受けた漫画作品はゆでたまご先生の『キン肉マン』と鳥山明先生の『ドラゴンボール』の2つが抜け出てるぐらい大きい。こういう大きな喪失を感じることがこれから増えていくのだろうと思います。それだけ自分も年をとってきたってことですよね。帰宅してからAmazon Prime Video『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』を見る。Netflix『パレード』を見る。寝る前にYouTubeのばっけんのレトロゲームチャンネル「ドラゴンボール 神龍の謎」回を見る。子供のころ、クリアできなかったなぁこのゲーム。
■2024/3/9 土曜日。Netflix『ビフォア・マイ・アイズ』を見る。開館のタイミングにあわせて自転車で昭島図書館へ。本を借りたり返したり。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E8を見る。Amazon Prime Video『DUNE デューン 砂の惑星』を見る。吹替で見直してみましたよ。U-NEXT『トーク・トゥ・ハー』を見る。音源を1本編集。夜、娘が寝てからサントラ当てClubhouseに参加。だらだらした週末だ。
■2024/3/10 日曜日。娘は午前中から試験があるとのこと。頑張ってくれ。BSSTO『おべんとう』を見る。U-NEXT『それだけが、僕の世界』を見る。昼から立川へ。kino cinéma 立川高島屋S.C.館にて『エル・スール』鑑賞。ちょっと観るのをあきらめかけていたけど観れました。嬉しい。伊勢丹でホワイトデー催事的なのを見ようと思ったら信じられないぐらいどこも並んでいてあきらめ。タカノで娘もよろこびそうなゼリーを買う。高い。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E5を見る。R-1の録画も見る。『関心領域』先行上映@新宿ピカデリー。帰りの電車でU-NEXT『ロー・タイド』を見る。連続A24。帰宅してからU-NEXT『手紙と線路と小さな奇跡』を見る。
■2024/3/11 月曜日。うーむ、朝起きられず寝坊である。朝ウォーキングはあきらめ。オスカーの結果をTLで追いながら会社に向かう。お昼休みにBSSTO『マックス』を見る。なんかMeetingに出ては担当する仕事が増えていく感じで月曜から憂鬱です。帰宅してからWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E6を見る。Disney+『ラスト・リペア・ショップ』を見る。ラジオを聴きながら僕モテメルガマを書く。アカデミー賞授賞式(字幕版)も見たかったけどまだオンデマンドにきてなかったのであきらめ。
■2024/3/12 火曜日。お昼は丸亀製麺にて、焼きたて牛すきごぼ天ぶっかけうどん(温)並。WOWOWオンデマンド『Beyond Teruel/テルエルの彼方へ』を見る。ドラマの��SHOGUN 将軍』の配信時間がよくわかってなかったんですけど13時なんですね。お昼休みには見れないこの中途半端な感じ。仕事を切り上げ急いで帰宅。ノーランが出演するNHK「クローズアップ現代」をリアタイで見る。普段テレビ画面でテレビの番組を見ることがほとんどないので新鮮。Disney+『SHOGUN 将軍』E4を見る。U-NEXT『三度目の、正直』を見る。WOWOWオンデマンド『日本黒社会 LEY LINES』を見る。アカデミー賞のアーカイブ配信も部分的に見る。
■2024/3/13 水曜日。朝、家を出たらすさまじい強風。しかも追い風。なんか速足の朝ウォーキングとなる。通勤しながらWOWOWオンデマンド『The Bridge/希望のかけ橋』を見る。久々に社員証を忘れてしまった。昨日着てたコートのポケットにある入ってるはず。たぶん。お昼にWREPで「LUNCHTIME BREAKS」のMummy-Dゲスト回を聴く。WREPのツイートすると毎回読んでくれるジブさん。嬉しい。帰宅して社員証を確認。ちゃんとありました。良かった良かった。WOWOWオンデマンド『ハンサン 龍の出現』を観る。見応えある海戦韓国映画だったけどぜんぜん人物が覚えられないやつ。ラフランスさんとDiggin' Disney+を緊急収録、ていうほど大げさなものではないですがなる早で配信します。Apple TV+『コンステレーション』E6を見る。
■2024/3/14 木曜日。いやー困った。家の事情で今週末の予定がぶっとびそう。『デューン2』を観るのが遅くなるのはまぁいいとして、TBSドキュメンタリー映画祭に行けなそうだ。たぶん貴重な上映だったんだけどな。お昼休みにWOWOWオンデマンド『Heart of an Astronaut/宇宙飛行士の心』を見る。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E7を見る。ノーランの『フォロウィング』も劇場公開とのこと。Twitterで「日本劇場初公開」とツイートしている人がいたけど、『フォロウィング』は『メメント』公開時に日本でも劇場でかかっていたはず。もちろんHDレストア版は初でしょうけど。で、先日気づいたのですが、ノーランも10作以上長編監督作があり、僕はその全作を劇場鑑賞しているんですよ。なので『オッペンハイマー』も絶対に観逃がしてはならないのした。まぁ普通に考えて観ますけど。帰宅してから音源を1本編集。U-NEXT『幸せなひとりぼっち』を見る。
■2024/3/15 金曜日。通勤しながらBSSTO『ナルヴィックのヘアパーラー/ Frydenlund Hair Parlour』を見る。お昼にファミマおにぎりの新作「だし香る たけのこごはん」を食べる。中心に濃いめ味付けのたけのこが入っている感じ。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E9を見る。これも素晴らしいエピソードでした。仕事終わってまっすぐ帰宅。『デューン2』の公開日なんですけどね。今日も観れないし、土日も観れなそう。WOWOWオンデマンド『コンペティション』を見る。音源を1本編集。
■2024/3/16 土曜日。基本家にいなきゃな土曜ですが午前中に昭島図書館に行く。最近、ちょっと昔のキネマ旬報を借りてパラパラ読んでいます。WOWOWにて『OFF SIDE/カミーユとコンティさん』を見る。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E9を見る。これで完走。爆撃機の描写はなかなか凄かったです。BSで福岡×FC東京戦を見る。DAZNやめたのでBSでの放送ありがたいです。そしてFC東京の今季初勝利。1点目の長友、熱かった。DVD『記憶の棘』を見る。たまーに見るDVDって画質悪いですよね。冒頭の「新作紹介」とかムダに見ちゃいますが。U-NEXT『スライス』を見る。DVD『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』を見る。
■2024/3/17 日曜日。娘が新宿まで塾の試験を受けに行くってことで早朝からたたき起こす。本当は僕が新宿の会場までの送迎もする予定であったが塾友達のお父さんが行ってくれるってことで免除に。本当に助かります。これで近所の映画館であれば1本映画が観に行ける。てことでMOVIX昭島で『デューン 砂の惑星PART2』鑑賞。もちろん池袋のIMAXとかで観た方が良いのは云われなくてもわかっていますが、そういうのは時間的にも金銭的にも余裕がある人の言い分ですよ。僕なんてSMTの60P無料鑑賞クーポンで、スクリーンで観れるだけで感謝ですよ(週末の予定が狂いまくって感情がネガティブになっています)。帰宅してWOWOWオンデマンド『El Carrito/タマレス』を見る。NHK-BS特別番組「渥美清にあいたい 山田洋次×黒柳徹子」を見る。あー今月分の寅さんを見るのもの楽しみだな。U-NEXT『テッド ザ・シリーズ』E2を見る。夕飯は家族で外食。娘のリクエストによりがってん寿司。がってん寿司はけっこう高いので大人は遠慮しながら食べる。娘は(金額的には)僕の倍ぐらい食べてたでしょう。WOWOWオンデマンド『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』を見る。本当は渋谷でやってるTBSドキュメンタリー映画祭2024『オキュパイド・シティ(原題)』を観に行きたかったんですけどね。ただTwitterで流れていくる感想がどれも不評でややホッとしている自分もいます。まったく良くないマインドですね。DVD『ロードハウス 孤独の街』を見る。
■2024/3/18 月曜日。朝ウォーキング時の風がすごい。砂埃が目に入ったのでしょう。左目だけ真っ赤になってしまいホラー映画みたいな状態に。劇場鑑賞映画の記録をしていたら昨日観た『デューン2』が今年の50本目でした。2023年の50本目を調べてみると日付がまったく同じ。同じペースで映画を観れているってことですかね。お昼はマクドナルドにてハッピーセット食べてゾロリの本をGET。YouTubeにて短編映画『此処だけの話』を見る。仕事終わりで立川へ。かなり余裕をもっての予定を立てていたのに電車が遅れまくり、オンタイムでkino cinéma 立川高島屋S.C.館へ。『12日の殺人』鑑賞。映画観終わってから松屋のチキングリル定食を食べる。夜、WOWOWオンデマンドでドラマを見ようと思ったらメンテ中。しょうがないからU-NEXTで映画を見ようとしたけど途中で撃沈。なんかすぐ眠くなっちゃうな。
■2024/3/19 火曜日。どうも家でテレビ番組を録画しているトルネ(ナスネ)とスマホアプリの接続がうまくいかない。トルネに録画されている番組をスマホアプリで見ることはできるのですが、スマホアプリへデータを移動することができない。家のWi-Fi環境が変わったタイミングなのでそれが原因なのは間違いないのですが、じゃあどうやったらこの接続を戻せるのかがさっぱりわからない。ネットで調べても似たような理由で困っている人がたくさんいて解決方法がわからない。僕はテレビ番組をほぼこのこの方法で見ているのでとても困る。まいったな。お昼は 丸亀製麺にて、山盛りあさりうどんを食べる。ランチの予算オーバーなんですけど食べる価値あり。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E8。WOWOWアプリ、なんかUpdateされたのだろうか。帰宅してから『Portrait of a Disappearing Woman/消えゆく彼女の肖像』を見る。U-NEXT『ゴーストバスターズ』を見る。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E9を見る。昨日見れなかった分、今日は海外ドラマを2エピソード見てしまった。U-NEXT『はい、泳げません』を見る。
■2024/3/20 祝日の水曜日。春分の日。朝から娘と昭島へ。MOVIX昭島にて『恐竜超伝説2 劇場版ダーウィンが来た!』観賞。ダーウィンとイルミネーションとおしりたんていの三択だったのですが、娘のチョイスはダーウィンだった。ドキュメンタリー好きなんだよなぁ。お父さんは『FLY!』が観たかったんですけどね。モリタウンのフードコートの丸亀製麺でランチ。カルボナーラうどんを食べる。一度帰宅してから自転車で昭島図書館へ。Disney+『SHOGUN 将軍』E5を見る。WOWOWオンデマンド『No Ghost in the Morgue/安置所に幽霊は出ない』を見る。Disney+『X-Men '97』E1を見る。Disney+ 『SAND LAND: THE SERIES』E1を見る。U-NEXT『ゴーストバスターズ2』を見る。Netflix『妻消えて』を見る。日付変更と同時に土曜のル・シネマのチケ取り。中央席の埋まり方がエグいスピード。
■2024/3/21 木曜日。本日は仕事を休んで早い時間から通院。朝ウォーキングはなし。八王子の病院で検査と診察。超音波の検査はとくに問題なしってことで。想定内で時間で病院終わって横浜方面へ向かう。WOWOWオンデマンド『禁書のイロハ』を見る。さらにドラマを1本見ようと思ったけど眠くて眠くてムリ。仮眠をとりつつ桜木町に到着。馬車道うどん 頑陣本店にて、海老鶏餅うどん(温)特盛。夕飯食べる時間すらなさそうなのでお昼にたくさん食べておく作戦。時間があるのでみなとみらいエリアを散策。絶賛遅れまくりのradikoを聴きつつ水際を散歩。カモがいるかなぁと期待したけどほとんどいなくて残念。卒業式シーズンってことで大学の卒業式っぽ服装の子たちがたくさんいた。Apple TV+『コンステレーション』E7を見る。Disney+『X-Men '97』E2を見る。大変面白いのですが、日本語吹替がないのが本当に残念。Disney+ 『SAND LAND: THE SERIES』E2を見る。横浜フランス映画祭 2024『バティモン5 望まれざる者』観賞@横浜ブルク13。前代未聞のチケット販売後スクリーン変更があった回で、予想どーり多少うまくいっていない部分があったようですね。ラジ・リ監督のQ&A、客席にいたクレール・ドゥニが回答の補足をするというやりとりあり。インターバルでサッカー日本代表の試合をチェック。横浜フランス映画祭 2024『けもの』観賞@横浜ブルク13。僕は電車の関係でQ&Aはパス。エンドロールがはじまったら退席しようと思っていたぐらいなのですが、これが噂のQRコードエンドロール映画だった。つまり映画本編が終わるとQRコードがスクリーンに表示され、そのアドレスにアクセスするとエンドロールの動画が見れるという作品。こういう作品があることはたしか矢田部さんのブログで知っていたんだけどこの映画だったのか。慌ててスキャンしてダッシュで駅へ向かう。なんとか乗りたい電車に乗れました。帰りの電車でNetflix『三体』E1を見る。さすが中国版が30エピソードでやった内容を8エピソードにまとめているだけあってすごいスピード。明滅ってそういうことでいいのか。それにしても吹替版がないのが残念。多言語作品なので難しいところはあるかと思いますが。
■2024/3/22 金曜日。通勤途中にBSSTO『ある村で』を見る。昨日休んでしまったのでメールがためっていますよね。午前中ではとても対応しきれず。お昼、OKの弁当を食べながらWOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E10を見る。これでシーズン2完走。文句なしに面白かったんですけど。今回のエピソードはいい!という回が3つぐらいありましたよ。午後も仕事に集中。ミーティングが多かったのもあるけど気づけばけっこう仕事してしまった。サッカーU23の試合を見ながら帰る。帰宅してからNetflix『ゴーストバスターズ/アフターライフ』を見る。WOWOWオンデマンド『零落』を見る。国内ドラマをいけるとこまで見ようと思ったけど座ったままの姿勢で寝落ち。身体がいたい。
■2024/3/23 土曜日。なんか早起きできました。WOWOWオンデマンド『The Wake/覚醒の時』を見る。WOWOWオンデマンド『FALL フォール』を見る。ちょっと早めのお昼を家で食べてから渋谷へ。移動中にWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E10を見る。これでシーズン2完走。みんな勝手なことをするから大変なんですよ、ジェレミー・レナーが。『海がきこえる』鑑賞@Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下。たぶん満席だったんですけど客層がとても良い。今年、ジブリ映画を劇場で観るの4作品目ですよ。素晴らしいです。帰宅してからU-NEXT『ワンダフルライフ』を見る。U-NEXT『ヴァル・キルマー/映画に人生を捧げた男』を見る。僕も病気の状況によっては手術後にもっと発声できない可能性はあったので、ちょっとその部分はシンパシーを感じながら見てしまった。
■2024/3/24 日曜日。娘は美容室に行くとのことです。WOWOWオンデマンド『WILD SUMMON/ワイルドサモン』を見る。ランチというには早すぎる時間にチキンラーメンを食べてから横浜方面に向かう。移動しながらNetflix『三体』E2を見る。横浜フランス映画祭 2024『美しき仕事 4Kレストア版』観賞@横浜ブルク13。グッチーズのいい仕事。観終わって同回を観にきていたイシヤマさんとお茶する。けっこう久々に対面で会ったけど久々感はぜんぜんない。そのあと僕はもう1本、横浜フランス映画祭 2024『Vermines (原題)』観賞@横浜ブルク13。やっと今回のフランス映画祭のQ&Aで質問できました。本作、年内には日本公開あるみたいですね。帰りの電車でDisney+ 『SAND LAND: THE SERIES』E3を見る。帰宅してから音源を1本編集。U-NEXT『男はつらいよ 噂の寅次郎』を見る。
■2024/3/25 月曜日。娘は春休みに突入中。塾の春期講習も明日からってことで今朝はぜんぜん起きてこない。まぁいつも大変そうだからたまにゆっくりできるのもいいよね。僕ひとりで起きて朝食食べて仕事へ。微妙な小雨だったけど朝ウォーキングを決行。お昼はコンビニごはん。ファミマのおにぎり新作、もっちりしたもち麦入り鮭わかめ。WOWOWオンデマンド『Borekas /ボレカス』を見る。これでWOWOWにあった短編映画傑作選みたいのを見終わってしまった。またやってくださいこれ。中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。帰宅してからサッカーU23×ウクライナの試合を見る。FC東京の若手選手たちも頑張っております。Netflix『三体』E3を見る。子供が寝てからコヨイチのリモート収録に参加。収録終わったあとも夜中まで映画駄話。古い映画の話ほど盛り上がる。
■2024/3/26 火曜日。娘は今日から春期講習。がんばってくれ。そしてがっつり雨。さすがに朝ウォーキングは断念。時間があったので家でNetflix『ディスコ・インフェルノ』を見てから出勤。お昼はOKのTHE鮭弁当。全角。Netflix『三体』E4を見る。しかしずっと雨だな。帰宅してからDisney+ 『SAND LAND: THE SERIES』E4を見る。WOWOWオンデマンド『オットーという男』を見る。僕モテメルマガの原稿をやる。座った姿勢のままけっこうな時間寝落ちしてしまって腰が痛い。
■2024/3/27 水曜日。ちょっと寝坊してしまった。急いで準備。でも天気がいいので朝ウォーキングが気持ちいい。一応寝る前の薬は飲み続けているけど、僕の中での今年の花粉症は終わったな。良かった良かった。Netflix『愛してるって言っておくね』を見る。昼休みにDisney+『SHOGUN 将軍』E6を見る。帰宅してからDisney+『X-Men '97』E3を見る。面白いけどやっぱ吹替ほしい。Netflix『ゴーストバスターズ(2016)』を吹替で見る。友近の吹替はけっこううまい。昔、ビバヒルの吹替ネタとかやってたぐらいですからね。けんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。収録終わってからも、結婚するといろいろ大変だよね、って雑談をする(実は子供が生まれるとさらにスーパーハードモードが待っている)
■2024/3/28 木曜日。なんか今日も天気が悪そうです。午前中からアジア圏の人たちとオンラインミーティング。とにかく日本に出張に行きたい、桜の季節はまだか、と云ってくる。お昼は丸亀製麺でかけ並とジャンボカニカマ天。フィルムは記録する ―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―『隅田川』を見る。国立映画アーカイブがオンラインで映画を提供してるというのは知ってたけどラインナップがすごい増えてた。これは1931年の記録映画。監督のクレジットもない。当時の隅田川周辺を描いたドキュメンタリーみたいなものだろう、と思っていたらちょっと違う。運搬船で寝泊まりして暮らしているある父息子の暮らし、1日半ぐらいを描いていて脚本もあるっぽい。この作品の尺は21分。毎日1本短編映画を見る生活を続けている僕には掘りがいがありますね、このサービスは。午後、強烈な片頭痛。カロナール飲んでみたけど歯がたたない。帰宅してからApple TV+『コンステレーション』E8を見る。これで完走。何が起きているかわからなかった序盤が一番面白かった印象です。MCTOSに参加したかったけどあいにくの雨で断念。空いた時間で音源を1本編集。ラロッカさんとペップさんがやってたMCTOSアフタートーク(スペース)だけ聴く。U-NEXT『劇場版 からかい上手の高木さん』を見る。アニメのやつ。日付変更と同時の来週月曜の『とりつくしま』のチケ取り。オンタイムで座席選択画面までいけたときの席の埋まりぐあいに戦慄したがなんとかチケット取れた。嬉しい。
■2024/3/29 金曜日。雨、というか風が強い。さすがに朝ウォーキングはムリ。電車で出勤しながら、フィルムは記録する ―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―『馬の馴致』を見る。ビヨンセが日本にいるという情報と、サイン会をするという情報に驚愕。まぁ行けませんけど。でもなんでこの重要なタイミングで日本にいるんだろうな。不思議すぎる。お昼に来週の『リトル・エッラ』のチケット無事確保。イタリア映画祭の情報がやっと出たけどマッテオ・ガッローネ以外はよくわからないので詳しい人の調査結果を待ちます。てゆーかスケジュール出てないし。Netflix『三体』E5を見る。今日でけっこう退職する人がいて、お世話になりましたメールがとんでくる。お疲れ様でした。仕事終わりで立川へ。『RHEINGOLD ラインゴールド』鑑賞@kino cinéma 立川高島屋S.C.館。帰宅してからU-NEXT『シチズンフォー スノーデンの暴露』を見る。
■2024/3/30 土曜日。朝からBSSTO『月/ Moon』を見る。自転車でMOVIX昭島へ。『ゴーストバスターズ フローズン・サマー』鑑賞。帰宅してお昼ごはん食べながらNetflix『三体』E6を見る。また自転車で出かけて昭島図書館。娘の本を借りたり返したり。帰宅してBSにてJリーグ川崎×FC東京戦を見る。完敗。がっくり。Netflix『ビューティフル・ゲーム』を見る。U-NEXT『ザ・ヒューマンズ』を見る。Disney+ 『SAND LAND: THE SERIES』E5を見る。日付変更と同時にやっと『オッペンハイマー』のチケットを購入。火曜の。
■2024/3/31 日曜日。朝からフィルムは記録する ―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―『アテナ・ライブラリー 第六十四篇 軍用犬』を見る。Netflix『三体』E7を見る。自転車でMOVIX昭島へ。『美と殺戮のすべて』鑑賞。帰りにセブンイレブンで、あさりだしが効いた塩ラーメンを買ってきて食べる。たしかにこれは美味しい。たらこのおにぎりと一緒に食べたら最高でした。Netflix『恐怖の報酬』を見る。Amazon Prime Video『ロードハウス/孤独の街』を見る。Disney+『SAND LAND: THE SERIES』E6を見る。WOWOWオンデマンド『放課後アングラーライフ』を見る。娘が長い時間春期講習に行っているので自宅の映画鑑賞ががっつり進んでしまう。そんな感じで3月も終わり。
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yotchan-blog · 2 months
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2024/4/1 7:59:18現在のニュース
4月から登記義務化 昔の相続も対象だが8割「知らない」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 大阪・あべのハルカス、前「高さ日本一」が変えたミナミのミナミ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 若年性認知症、7割が離職 それでも「働ける職場」へ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) いまだに残る職業上の性差別 ADB児玉治美氏 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 代替医療による難病治療、患者との協働が成否のカギ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) ドライフラワー、長く楽しむコツ 日光と湿気が大敵 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 天気が悪くて頭痛や関節痛が悪化 「天気痛」は本当か - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 校歌、最初は愛国心育成が目的 各校共通の歌も存在 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 週休3日で離職に歯止め 新潟の介護施設、採用にも効果 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 八十二銀行と長野銀行、普通預金金利を引き上げ 4月から - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 2月有効求人倍率、新潟県で低下 能登半島地震で打撃 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:54:31) 無安打で迎えた決勝、僕は甲子園を最後に楽しめた センバツ(毎日新聞, 2024/4/1 7:52:14) 長野県東御市長選挙、花岡利夫氏が5選 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:48:43) 長野県小海町、企業戦士癒やすツアー 森の中でヨガ体験 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:48:43) オーガニックな木更津 世界に伝われ! 市のPRグッズコンテスト「スモークド・ブルーベリーメープルシロップ」が大賞 (東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:46:59) 千葉科学大、公立化の可否を判断 銚子市が14日に検討委初会合(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:46:59) <記者だより>新年度の始まりに(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:46:59) 小林製薬、「紅麹」健康被害800人に補償 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:42:43) ライドシェア12区域に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:42:43) 被爆体験に涙ぬぐうアメリカ人も オッペンハイマーの国に変化の兆し(朝日新聞, 2024/4/1 7:41:13) 民主主義を守ったものは? 混乱のセネガル大統領選、政権交代の背景(朝日新聞, 2024/4/1 7:41:13) <かながわ未来人>女性の境遇に共通点 韓国フェミニズムの書籍翻訳 朝鮮語翻訳・通訳者 金李(キム・リ)イスルさん(33)(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:39:21) 江戸文明に知恵とヒント 桜美林大・伊藤名誉教授が著書出版(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:39:21) 「世界のみんな ハッピーになって」 ダウン症の俳優・吉田葵さんがNYでスピーチ「毎晩手を当て心臓に感謝」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:39:21) 攻めてつかんだデフリンピック「銀」 アルペン女子25年ぶりメダル獲得の田苗選手、足立区長に報告(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:39:21) 朝ドラ「虎に翼」で注目 初代最高裁長官が愛した三淵邸・甘柑荘(毎日新聞, 2024/4/1 7:37:59) 気候変動対策、切り札は「水素」 普及拡大へ東京都が予算倍増(毎日新聞, 2024/4/1 7:37:59) LINEヤフー、ソフトバンク・ネイバーに資本見直し要請 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/1 7:36:35) 北区のふるさと納税返礼品 過去最高額 人間国宝一点もの(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:31:32) 「悪質ホストクラブに注意」新入生・社会人などへ 支援団体「青母連」呼びかけ 高額前払いなどの新たな手口も(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:31:32) <PFASを追う>地下水の広がりから汚染探る 国分寺で市民団体が学習会(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:31:32) ミサイル配備…南西諸島の情勢 講演や朗読など 12日、武蔵野で政治塾(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/1 7:31:32) ガザ情勢で原爆言及した米議員 「早く勝つ必要」の比喩と弁明(毎日新聞, 2024/4/1 7:30:57)
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shintani24 · 3 months
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2024年2月19日
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人権を「怖い」と敬遠する若者 ジャーナリスト安田浩一さんの危惧(朝日新聞)2024年2月19日
人間が持つ基本的な権利であり、何人も侵害されることがあってはならない――。「人権」について誰もが尊重し、とくに若い世代は、格差やジェンダーなどの身近な問題も含めて関心が強いとされる。その一方で、ジャーナリストの安田浩一さんは最近、取材の現場で「人権」という言葉が敬遠されたり、怖がられたり、時にはからかいの対象にされている、と感じることが増えたという。(聞き手・中島鉄郎)
 ――在日コリアンやアイヌ民族などへの差別やヘイトの現場を取材されています。現状をどのように思われますか。
「差別で苦しむ人たちの実態をジャーナリストが報道するのは当たり前だし、思想信条に関係なく政治家は差別を許してはいけません。人権を守るというのは、基本中の基本なはずです。ところが最近、そうした記者や政治家を、何やら偏った考え方をする、一部の特殊な人たちであると、敬遠するような態度を感じることが増えました」
人が怒る姿は怖い
 ――「特殊な人たち」というのは?
「差別を受ける側の立場に立つ人たちは怖い、という感覚に出合うことが増えたのです。以前、ある大学で講演したあと、雑談で大学生にこう言われました。『安田さんって人権方面の方ですよね?』。『方面』という言葉遣いの妙に一瞬感心したあと、その言葉遣いの背後に、人権に対する日本社会の寒々とした空気を感じました」
 ――「方面」とか「界隈」は一種のネット用語なんでしょうか。
「そうした部分もあるかもしれません。『方面』という言葉遣いには、彼ら大学生の『怒ることは怖いこと』という感覚があるように思います。例えば、辺野古基地建設反対運動の現場で反対派が機動隊員に抵抗しながら排除されたり、ヘイトデモの行進現場でデモ隊と反発するカウンターが激しくののしり合ったりする映像を見せると、まず『怖い』と言うんです」
 ――「暴力的で怖い」ということ?
「差別用語を怒鳴り散らす人々の姿が怖いとか、機動隊が見せる国家権力の暴力が怖い、というのとは明らかに違う。人々が争っている姿自体が怖い、怖いから関わりたくない、いやですと、そっちに力点がある」
「だから、彼らは見たくないわけです。デモ隊が霞が関の省庁前に座り込んで抗議したり、労働組合が集会でシュプレヒコールを上げたりする姿にも同じように感じる。意見が異なる人々が対立してもめること自体を異様に恐れる感覚です。そうならば当然、人権侵害と闘うジャーナリストは、特定の方面に集まる怖い人たちになるでしょう」
 ――ただ10代、20代の若い世代ほど、ジェンダーやLGBTQなども含む人権問題には敏感なはずですね。
寒々とした空気の正体
「確かにそう思います。例えば、入管法や外国人労働者の問題を取材したときには、一生懸命勉強して頑張っている多くの若者と出会う機会がありました。ぼくら大人とは全く違う感覚で、人種差別に反対している。国際性も豊かです。一方で、政治的無関心さも蔓延(まんえん)しているから、偏ったネット言論がまるごと受け入れられてしまうこともある」
「例えば、在日コリアンは差別の被害者ではない、という言説があります。日本では、社会的弱者や少数者が特権や利益を得ており、本当の被害者は国であり日本国民だ、と。その理屈だと、たとえばマイノリティーの側に立って差別反対を訴える人はかなり極端で偏っている人になる。中には、差別反対を訴える人はカネ目当てだという人も。これが薄ら寒い空気の正体だと思っています。人権が疎ましがられ、敬遠されている」
「自民党の杉田水脈衆院議員は、著書『なぜ私は左翼と戦うのか』の中で、こう言っています。『世の中には「あしき人権主義」というべきものが広くは��こっています。それは魔物のようにいつの間にか我々の近くにしのびより、耳に心地よくその主張が『正論』として響いてきます』。まさに、これです」
 ――その根っこには何がありますか。
差別黙認につながる姿勢
「国や政治家が、政治的中立を隠れみのにして、明確に『差別反対』という態度を示さないことが大きな原因です。先日、群馬県の県立公園内にある朝鮮人追悼碑を県が撤去しました。最高裁の判決に従った形で、県は『公益性に反する』と言います。ただ、追悼碑を反日的だと批判されたことがきっかけになっているのです」
「東京都の小池百合子知事は関東大震災における朝鮮人犠牲者に対して7年連続で、追悼文を送りませんでした。2023年の100年の節目でも『歴史家がひもとく問題』と片付けた。歴史家はもう徹底的にひもといていて、虐殺が歴史的事実であることには疑いようがない。にもかかわらず、小池知事はあいまいな態度を続け、震災の被害者と虐殺の被害者を一緒くたに論じようとするのです」
「こうした差別や人権に対する政治家の消極的な姿勢は、差別を黙認し、時には扇動にさえ加担していると思います。『差別せよ』と直接的に言語で扇動しなくても、歴史的事実をうやむやにすることで、差別者たちを勢いづかせ、人権侵害にあう人たちに恐怖感を与えることにつながっています」
「政治家が差別へ加担するとは、思想や立ち位置の問題ではなく、政治家のたたずまいとして決定的に間違っていると思います」
「恥を知れ」と明確に非難
 ――「たたずまい」というのは、どういう意味でしょうか。
「どのような思想信条を持っていようと、政治家は差別を許さないという態度を公に明確にしないといけません。私がすぐ思い出す例があります。2017年、アメリカのバージニア州シャーロッツビルで、人種差別に抗議するデモへ白人至上主義者が車で突入し、死傷者が出た事件がありました。当時のトランプ大統領が『両者に責任がある』的な発言だったのに対し、州知事は白人至上主義者たちを『恥を知れ』と激しく批判しました。ぼくは差別に対して公的立場の人が言うべき言葉はこれだと思います」
 ――なぜ差別はなくならないのですか。
「いろいろ理由はあるでしょうが、ヘイトや差別扇動にはマーケットがあることも一因でしょう。大出版社が、世間から非難されるリスクはあってもヘイト本を出す。これは一定の市場があって、お客さんが買ってくれ、利益が見通せるからです。政治でも全く同じ構図があります。差別や人権侵害に対する厳しさのない空気の中で育って、SNSやネットの情報の中で自己形成をしてきた層を掘り起こし、票という利益を得ることが出来るのです」
「人権」を嘲笑で見下す
「近年の特徴は、例えば在日コリアン、沖縄の人々の主張や言動に、抗議したり、怒ったりするのではなく、見下して嘲笑することが増えました。笑いです。沖縄の辺野古の基地反対闘争の現場に観光名所気分で来て、ピースサインをして、馬鹿にしたように笑う。こうした空気の中で、『人権は絶対侵害してはならない』という言説自体が何か嘲笑の対象になりやすくなっていると思います」
 ――あきらめずに議論や対話をし続けないといけないということでしょうか。
「議論や対話は必要でしょうが、議論後に、バリバリの差別者が改心したという成功例をぼくは聞いたことがありません。議論するのであれば、むしろその中身を第三者に見せることが大事なのではないでしょうか。自分の目で直接見て、聞いて、『やはり差別はダメだ』と感じる人が一人でも増えるかもしれませんから。もちろん、差別扇動は社会を壊すものだという考え方をしっかり確立させることこそ、もっとも必要ではないかと思っています」(聞き手・中島鉄郎)
安田浩一さん 1964年生まれ。雑誌記者などを経てフリー。著書に「ネットと愛国」「『右翼』の戦後史」「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」など。
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マライ・メントライン(よろず物書き業・翻訳家)【視点】 最近の若年層の「消極的な保守従属」傾向から見ると、『安田さんって人権方面の方ですよ���?』という言葉が出てくる背景にあるのは、「怒ることは怖い」という感覚よりも、「いま我々の上にある権力は、安田さんが奉じるタイプの人権のことをキライなんですよね…」という認識であるように感じられる。
そのあたりの心理的な感覚を研ぎ澄ませないと、旧来的な人権感覚の維持擁護は、ひたすらずるずると後退を続けざるを得ないように思えてならない。
富永京子(立命館大学准教授=社会運動論)【視点】 安田さんの議論と言うよりは見出しの問題ですが、ラディカルな抗議を忌避するのも反差別のために立ち上がる人を嘲笑するのも「若者」だけじゃないでしょう。”沖縄の辺野古の基地反対闘争の現場に観光名所気分で来て、ピースサインをして、馬鹿にしたように笑う”仕草で話題となったインフルエンサーもすでに40代ですし。嘲笑や忌避という現象そのものはを世代を問わず見られるし、もしかすると別の変数の方がよほど要因として強いかもしれない。それにもかかわらず、とりあえず政治的無関心ときたら半ば「手癖」のように若者のせいにする態度もよほど問題だと思います。
本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 差別研究の進展により、差別には、その対象を「劣っている」とみなす「古典的」な差別と、「すでに差別などなくなっているのにその対象が被差別者という”特権”をふりかざし不当に利益を得ようとしている」とみなす「現代的」な差別とに分類される。これらの差別意識、特に「現代的」なそれを誰が強くもつのかを、若者への調査によって分析した安久澤麻理子(『差別する人の研究』旬報社)によれば、「現代的」な差別意識が強い者とは、自己責任志向が強く、旧来の家族規範が強く(選択的夫婦別姓や同性婚を不支持)、愛国心教育を支持し、ネット上の差別言説に寛容であるという特徴がある(前掲書、第8章)。ただし、相対的には「古典的」な差別の方が「現代的」な差別よりも根強いとも指摘されている。そして「被差別者はこわい」という意識は、「古典的」差別と「現代的」差別の両方にまたがる要素となっている。「こわい」という感覚自体が差別の底にあることを物語っている。
同書では、日本の学校教育における人権教育が、弱者への「おもいやり」といった心がけの問題に矮小化されており、「自分は差別などしていない」「自分には責任がない」という考え方につながってしまっているとも指摘されている(終章)。いまだ社会システムそのものに差別が埋め込まれており、それを明るみに出して社会そのものを変えていくという志向につながりにくいのだ。
このような研究の進展は、差別という事象を考える上できわめて重要な示唆をもつ。ただ、この記事で安田氏が端的に指摘しているように、杉田水脈など裏金自民党の議員たちや、小池百合子のように、権力を手にしている保守的な政治家が明に暗に差別を煽動していることが、何よりも許しがたい。
「人権」を薄ら笑う人たちに対しては、邪悪で無能な政治家の口車に乗ってうれしいですか、恥ずかしくないですか、有害なのでやめてください、とまず言いたい。加えて、「人権」という言葉の基底にある考え方や社会認識を、「人権」という言葉だけに頼らず噛み砕いて伝えてゆくような、メディア・教育・学術の活動がもっともっと必要とされている。
市原麻衣子(一橋大学大学院法学研究科教授)【視点】 富永さんも指摘していらっしゃるように、人権問題から距離を置く傾向は若者だけに見られるわけではないと思います。むしろ、人権感覚は地域、語りの場、イシュー領域など、様々な場面でより細かな差が出るように感じます。都市部と地方での議論、SNS上と対面での議論、国内人権問題と国際人権問題に関する議論などに見られる差異以上に、若者と年配という括りで人権を巡る態度に差異が生じるかには少々疑問を感じます。
自分が子どもだった頃に比べれば日本人の人権感覚は大分ましになったように思います。男尊女卑に対する問題意識も拡大し、ワークライフバランスの重要性が意識されています。そして改善された人権感覚が最も明確に表れているのは、若年層ではないかと思います。職場の飲み会に若者が参加しなくなったとか、若者の離職率が高いなどというのは、彼らの人権感覚の一端を表しているように思います。
人権問題を敬遠する若者という指摘の本質は、人権問題への態度というよりも、コミュニケーションスタイルにあるのではないかという印象を受けました。目立つことを嫌う傾向がZ世代にあることは、これまでも指摘されてきました。
ただし、それすらも若者全体に関する表現としては適切でないように思います。ミャンマーで国軍によるクーデターが起こった後、ミャンマーの人々を助けようと募金活動を始め、今も訴え続けているのは若者たちが中心です。若者の政治参加を促す若者によるキャンペーンも行われています。
若者全体に人権に関する議論を忌避する傾向があるというよりは、自らを当事者・関係者として捉えるオーナーシップ感覚が以前より二極化したという方が適切な表現かという気がします。
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破産の東京ミネルヴァ法律事務所を除名処分 25億円の不正流用認定(朝日新聞)
2020年に破産手続きを開始した弁護士法人「東京ミネルヴァ法律事務所」(東京都港区)について、第一東京弁護士会(一弁)は19日、ミネルヴァを17日付で除名の懲戒処分にしたと公表した。
一弁は、金融機関から回収した過払い金約30億2千万円のうち、ミネルヴァが約25億4千万円を依頼者に返さず不正に流用したと認定した。
除名は、弁護士・弁護士法人の身分を失わせる最も重い処分だが、ミネルヴァは既に活動実態がなく、事実上の影響はない。
ミネルヴァは、過払い金の返還請求や、B型肝炎の給付金請求などを全国規模で手がけていた。だが、依頼者から、連絡がつかないなどの苦情が相次ぎ、一弁がミネルヴァの破産を申し立て、東京地裁が20年6月に破産手続きの開始を決めた。
一弁によると、ミネルヴァの運営では、事務所のネット広告を担っていた広告業者らが事務所に事務員を派遣。ミネルヴァの名義を使い、電話相談や契約書案の作成などの法律業務まで担っていたという。
ミネルヴァの代表弁護士を務めていた男性は、一弁の調査に「事務所は業者に実質的に支配されていた。預かり金は業者に広告宣伝費などの名目で支払われ、依頼者に返金できなかった」などと説明。一弁も、業者による支配を認定した。
一弁の永塚弘毅副会長は「非違行為があったことを重く見て弁護士会として懲戒処分をした」とした上で、「事案を厳粛に受け止めて再発防止に努める」と話した。(遠藤隆史)
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石川県、予算案に1000万円「大阪万博」関連事業費計上「私は維新の顧問」馳浩知事の開き直りに県民の怒り爆発(FLASH 2月19日)
2月2日の『BSフジLIVEプライムニュース』にリモート出演した、石川県の馳浩知事による「大阪万博、ぜひやっていただきたいと思っております。それも、身の丈に合った形でやっていただきたいと思いますし、万博というのは世界に我が���の技術力をオープンにする大事な場でもあります。我が国の経済成長にも必要です」という発言に、SNSが《ひどいなぁ、腹が立って涙がでるよ》《こんな時によく言えるなぁ》と、大炎上したことは記憶に新しい。
今度は、石川県が2月15日に発表した「令和6年度予算案」に、「大阪・関西万博を見据えた国際文化交流の推進」の予算として、1000万円が計上されたことがわかった。
「予算案全体では、地震対応もあり、一般会計が前年度比80%増の1兆1101億円になりました。初の1兆円超えです。復旧が急がれる地震被害の対応は、補正予算案も含め7718億円を計上していますので、災害の復旧復興に重点が置かれています。
とはいえ、『大阪・関西万博を見据えた国際文化交流の推進』という名目で、韓国・全北特別自治道(旧・全羅北道)への石川県の文化団体を派遣するため、1000万円をあてることには、県民の間でも違和感があるようです」(政治担当記者)
予算案発表を受けた知事の記者会見でも、このことに質問が投げかけられた。
「記者から、大阪万博開催についてあらためて考えを聞かれた知事は『過大な財政負担は自分で自分の首を絞めてしまう可能性があるので、身の丈に合った形で』としながらも『関西万博はやるべきだと、終始、一貫して思っている』と明言しました。さらに、知事が大阪維新の会の顧問をしていることで『(開催を推進する維新の会に)かなり気を使っているのでは』と質問されると、『私は大阪維新の顧問。馬場(伸幸)代表、松井(一郎)さん、吉村(洋文・大阪府)知事、また橋下(徹)さんとも古い友人です』と答えました。その流れで、顧問という立場なので維新の会の政策的な意思決定には参加していないとも言明しましたが、県民としては『どうして県の予算が大阪の万博に使われるの?』と疑問に思うはずです」(政治ジャーナリスト)
実際、SNSには《石川県の予算ですが万博に1000万計上? 被災地に使わないのか? 県民より万博なんですね》《県の金を使うな それは県民の物だ》《その1000万を、寒いこの時期に被災者へ温かい食べ物飲み物提供とかストーブ等への燃料費とかに使われるなら納得されるとは思うけど、大阪万博へはないよね》など、批判的な意見が圧倒的だった。
能登地震の被災者は、いまなお、苦しい生活を強いられているというのに……。
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coolmoonhome · 4 months
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台灣殘障福利如牛車慢行
各位腦麻朋友是否會感覺手腳天天冰冷呢?! 怎麼弄掉冰冷感呢?!我穿襪子踏在輪椅腳踏板上也冷(是不是材質關係)
一提到德國就容易想到BMW名車,但德國電動輪椅早想擺開(傳統電動輪椅古板樣式),電動輪椅的革命性且安全性,去掉一些操作面版許多按鈕只保留主要功能,做好自動安全?用作用!
就如同名牌輪椅主管所指出,台灣長照一些有閒錢向來太依賴外籍看顧工,個人助理和居服員又錢少又不足,說句沒什麼水準的話,現在的人記性老早就退化了!因為生活方式
行動輔具輪椅最好準備二台以上,室內用及室外用(因現在手推輪椅加上補助款又不是像以前很多錢,大約10000以上才有PRO級車椅子!)
需要出去外面遭遇台灣無障礙環境欠佳欠完美也非完全百分百完善的通用建築設置的行動輔具更不好挑選了!
而腦麻患者買台電動輪椅和電動代步車,因應你所居住的地區,無障礙設置建築之完美完善性也有很大差別,好的電動行動輔具,可以讓你更出入自如得心應手。
我己年齡五十四,也不用在乎自己是重度腦性麻痺的身體障礙者!真誠、踏實、有不錯的幽默感。我喜愛各種類型的電影和音樂,總喜歡嘗試新鮮事物。
唉!台灣人利己心態,和歐美日皆不同原有善心出發點才去工作之!台灣則多半是工作不好找。就將就暫時性來做點愛心及社會圈普通叫之(暖男有前途不可量哦。取得成為「障礙者的居服員」資格後,再說吧@@@
為什們我們台灣的腦麻朋友活在這個世上,皆要受到年齡和身體諸多障礙不便的束服呢?本來可以活躍著比較起來幽默且變化多釆多姿也帶有激烈的生活手式活法,去描寫由腦麻所夾雜一生,性別身份所產生的切身有關的愛情/焦慮/忿怒,生活在此生活方式下的台灣中的單身女男性包括她本人的喜悅忿忿平平、情事与性愛債仇,以及友情的故事。這也一定是活在當中之下的她他的故事。
人家政府官大大權力也大大,老百姓只能逆來順受一條路幾乎而己! X政猛於虎這句話現在加減管用!人家朝野大,在野黨力小如雞蛋! 給人民花用討吉利只有過年的大紅包錢小小!官大大禮輕情意重啦!
因為有公益彩卷助行之下,台灣好多民眾對億來億去的錢己經不好奇了,政府對錢的用途也無所謂,反正己經撈錢很多了,又不是現在我要納稅去補財政缺,也不怕像冰島破產,反正此時他無所謂不在乎。
現在統治台灣只要善用台灣大部份人民善良古意的心理。。。不好意思啦。。。 文青式虛心自責的道歉之後。。。不久之後同樣意外情形。。。不再也一次重複發生,難不成人民選錯人,都只能苦悶等再等四年嗎!換人也許有新氣象。。。套句陳時中沒什麼路用,問題誰任命他的。
自己本身若非患腦麻殘疾或所生子女又非腦麻殘疾,想要什麼快活皆自己去打拚,才明白倒一杯茶也得來之不易,冬天上WC或用尿壺灑把尿是有多麼大不容易的事。
半中肯和半坦白的解釋,但不是挑起身障者對立,台灣人民族還是存在沒耐性和不相信腦麻有能力做立委這工作而己,腦麻朋友或許心懷大志想改變,但教育大家能相信腦麻者能力者還超不及格,台灣腦麻者問政之路停留在未知之數,如果沒有法令配套輔佐,一樣是超級困難的事,不是單靠撞擊就能改變這麼簡單,至少在我有生之年是不允許的事。
腦麻世界裡不管男女都活的辛苦,但是絕對不要放棄自己,在別人的眼裡你是要幫忙者,也因此才能搭起人性初心的橋樑,也或許雖自己眼裡毫無用處!別看輕自己,歪站變直站,還是有一片天,死亡沒奪走你,就是要你繼續做“愛自己的人”。
有個經驗談以自身經過和大家談談,腦麻不管讀書或工作都會有挫折或嘲弄,有形無形皆有,說沒有都騙人的啦! 國中及高工時因自己和同學長的不一樣,被嘲笑學習模仿捉弄,自己只能夠忍氣吞聲,經過很多次,才由一位班上比較算大哥級的出面,說你們夠了沒?下回你有麻煩我搞定,幾次同學被他教訓之後,就相安無事到畢業,或且怎不報告老師,那只會被霸凌更多次,以前也沒特教班,老師也睜一隻閉一隻眼,當無事帶過啦! 工作定額錄用,課長歧視到我最好不幹,,,,,,,,他有權力雇員,他才不管罰錢,反正公家出錢啦!也不怕考積乙等。 莫忘世上苦人多,珍惜目前所有的,不用羨慕別人有,珍惜放下才開心。
如果依我自己腦麻情況,腦麻患者是學習慢半拍導至跟不上正常學習,很容易被此定學習障礙,台灣腦麻特教進步慢,很難跟國外比,也就十二年國教完有能力的家長把腦麻送出國深造,因台灣cp教肓是有進一步,但是這叫進步嗎?見人見智!
腦麻兒童依據我自己成長心得可想而知,大多數家長抱持對不起SORRY心態,對孩子就算腦麻改變希望小,也不辛勞的為孩子付出!
與其給魚吃,不如教腦麻患者釣魚,有個建議各政黨可以把腦麻加入不分區立委名單,自己情況自己最了解,腦麻身障情形也不盡相同語言表達能力尚可者,就該自己權利也自己去爭取,來打破台灣缺乏完善的腦麻身障福利制度去著手立法進步才中肯.
台灣各種身障類別,都先後加入立委修法行列,所以也有所不注意而遺失的地方去修改法律規章,如果都接受腦麻不了,更不用說有多重視弱勢身障福利,一切尤如空口說白話一樣,也減少社會對腦麻不夠了解,而產生的迷失誤解!
家內室內設計不一定適合老人及腦麻多元化肢体障礙者,而腦麻障者都局部五官和肢体障礙不協合失調,所以正常人建設局部室內設計皆要重新改造才合適及安全性,其中又以臥室及浴?佔危險性最大,要加以室內設計輔助,例如上下床加上軟式扶手,房間死角加設防止揰擊貼布,浴?止滑到位,加上多方式扶手。
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kennak · 2 years
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自民党と統一教会の関係って、アメリカ共和党とタリバンの関係に似ている。より強大な敵(共産主義やソ連)への対抗のためにカルト宗教団体を利用したことのしっぺ返しを食らったという点で。
[B! 宗教] 統一教会は、公安調査庁が出す「内外情勢の回顧と展望」というレポート(ニュースでも毎年内容が取り上げられるレポート)で取り上げられる組織だった。 「特異集団」というカルトや新興宗教団体などを扱う項目があって、 「こうした特異集団は,引き続き,独自の主義・主張の具現化に向け,危機感や不安感をあおって勢力拡大を図っており,その過程で不法事案を引き起こすことも懸念される」として、 「不透明な朝鮮半島情勢を背景に,「国内外の韓民族の和合と統一を図り,南北の平和統一に貢献する」として,我が国において,在日韓国・
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ishiwarawoshitemoji · 4 months
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天皇氏族の特徴
天皇氏族―天孫族の来た道 (古代氏族の研究⑬) | 宝賀 寿男
ここでは、天照大神や神武天皇の日本列島内における祖系を遡って探究するとともに、この天皇氏族・天孫族の様々な特徴を探り、それに関係した諸氏についても見ていく。検討すべき問題が多種多様で、それぞれが大きい問題を含むから、本書が紙数の制約のもとにあることを念頭におき、これまで検討してきた結論的なものを整理して、予めある程度示さざるをえない(このことを先ずお断りする)。
わが国天孫族の主な動向
これまで公刊してきた拙著『「神武東征」の原像』や『息長氏』など古代氏族シリーズ)を通じて、天皇氏族の基本的な人物たる神武天皇と一族近親、臣下・関係者について、各々の原像を具体的に示してきた。それらなどを踏まえて、以下に要点を記す。
神武天皇などの初期天皇:神武は、当初に居た北九州の筑前海岸部(天孫降臨伝承にいわゆる「日向」。具体的には筑前の早良・怡土両郡あたり)から、兄・彦五瀬命とともに畿内に東征を試み、紀伊の紀ノ川滞上ルートで大和侵攻に成功して、奈良盆地南部地域あたりを押さえ、大和朝廷の初代の大王(天皇)となった。治世時期は概ね紀元一七五~一九四年の約十九年間とみられる(資料編に掲載の表「古代天皇の治世時期の推定」を参照)。この東征は、邪馬台国本体の東遷ではなく、筑前の支分国の庶子・一族関係者による小勢力の東征活動にすぎない(要は、「神武東征」という事件はあったが、それは「邪馬台国本国の東遷」ではない。当地での前途を悲観した庶子たちによる他地への分岐活動という意味)。
神武に関連して現れる随行・敵対の人々と崇神天皇関係者とを比べれば、それぞれがまったく異なっており、「神武=崇神」という同一人物のはずがない(神武は崇神の五世代ほど前の祖先る)。鏡を象徴とすろ太陽神信仰(この奉祀勢力)の中心が北部九州から畿内に移動したと認めても、それが直ちに邪馬台国東遷だとみるのは論理の飛躍である(筑後川流域と大和盆地の地名の類似も、物部氏東遷の影響のほうが強いか)。
北九州の在地には、神武東征当時はまだ邪馬合国もその怡土支分国もともに残り。その後の一世紀半ほどの期間は、北九州と畿内に各々の王権勢力が列島内に並存した(三世紀中葉頃は、畿内のほうの勢力はまだ小さいから、列島内で二強の王国が並立という構造。規模ではない)
神武の後のいわゆる「闕史八代」の諸天皇は、実在性を否定する根拠に乏しい、。邪馬台国の九州残滓勢力は四世紀中葉頃には滅ぼされたが、これは、最終的には畿内王権・景行天皇の九州巡狩に因る(従って、古田武彦氏の言う「九州王朝説」は成り立たない)。大和王権がほぼ確立した崇神天皇の時代には、日本列島のうち本州主要部を版図としたが、西側は吉備ないし安芸くらいが西限であって、その勢力は北九州にはまだ達していなかった。
神武の父はは、天孫・瓊瓊杵尊の子の彦火火出見尊(山幸彦)で、母は海神族首長の娘・玉依姫である。
『記・紀』に神武の父とされるウガヤフキアエズノ尊(彦波瀲尊)は山幸彦嫡出の長子であって、実際には神武の嫡兄である。その子孫が怡土支分国の王家を継いでいったとみられるが、後裔の系譜や存続の詳細は不明である。
天照大神:高天原を主宰する男性神であり、名を天活玉命(生国魂神)ともいう(論拠は様々に異なるが、山片蟠桃以降、男性神説もかなり多い。天照大神は、卑弥呼ではないし、推古天皇や持統天皇など実在者の反映でもない。後世に造作された架空の人物でもない。本書では詳説しないが、拙著『「神武東征」の原像』『息長氏』等を参照のこと)。天稚彦の親として神代紀に記される「天国玉」や、天照御魂神にも相当する(鈴木真年著の『古事記正義』)。
天照大神は天皇家の遠祖だが、決して抽象神ではなく、神武の四代祖先という具体的な生身の人間である。長子の天忍穂耳尊(天忍骨命)の嫡子が天火明命(この神は物部祖神ではないことに注意)で、この系統が本国・高天原(筑後川の中下流域で、久留米市の高良山麓に本拠)の邪馬台国王を継いでいった(これも後商やその存続の詳細が不明で、大和王権側の記録には残らない。景行天皇の九州巡狩や神功皇后遠征の時の討滅対象のなかにあったものか)。
天火明命の弟が、高天原から筑前の「日向」へ天降り(移遷)した者で、これが瓊瓊杵尊である。祖先の居住地から支庶の者が分かれて新天地に遷ることを、東北アジアのツングース系の上古伝承では、「天からの降臨」という形で把握する傾向があり、日本列島でもその例にもれない。東北アジアの習俗・伝承を視野に入れない議論だから、こんなことは実際にありえず、後世の造作だと安易な速断をすることになる。東アジアの太陽神は、殷の太陽神俊や高句麗の例のように、全てが男性神であった。なお、記紀のいう「高天原」及び「日向神話、出雲神話」の舞台は、全て北九州にあった。
日本列島への到来者:本書では、以下に具体的に検討を加えるが、天孫族の分派が初めて分かれるのは、天照大神の諸子から始まるという形の分支流の系譜などから見て、天照大神のあまり遠くない祖先が北九州に到来したとみるのが自然であろう。
「倭人」を江南にあった呉の太伯(周王朝ど同族で姫姓)の裔とする伝承は、『魏略』逸文などに見えるが、種族・経路や時期等から見て、その支配層については疑問が大きい。すなわち、上古の「倭人」』の人々の大宗を占める海神族が越人(タイ系種族)と同種族とは認められるとしても、二世紀前半以降に北部九州における倭国連合体の長たる地位についた天皇家の先祖は、これとは系譜・種族が異なる。国の主な住民とその上に立つ支配層とは、朝鮮半島古代の例を見ても、別途考えることが必要である。
弥生時代に日本列島に渡来した主な種族・人々では、江南から(朝鮮半島南部を経て、稲作・青銅技術などの弥生文化をもって渡来した部族と、これにかなり遅れて、東北アジア地方(とくに中国東北部及び朝鮮半島)から渡来して鉄鍛冶技術をもった部族という二系統の部族があった、これら種族と、縄文時代から列島原住の人々(一種族ではないかもしれないが、とりあえず一括して「山祇族」としておく。総じて、クメール系種族)との混合体が「弥生人」とされよう。だから、単一種族として弥生人を捉えてはならない。なお、始皇帝によって東海に派遣され斉国の琅邪郡から船出した徐福が日本列島にある国の祖となったと言う「徐福伝説」は、肥前佐賀や紀州熊野などにあるが、とるにたらない。
天孫族の始祖・スサノヲ神
わが国における天孫族(皇統)の具体的な始祖から検討に入ろう。この始祖神としては、天照大神ではなく、「五十猛神(伊達神、射楯神)」(イタケル、イタテ)があげられる。この神は、『書紀』に言う、たんなる新羅からの渡来神ではない。別名を「渡し神(和多志神)、度津神」と言い、これは外地の韓郷から渡来してきたことに因る。佐渡一宮で式内社の度津神社(新潟県佐渡市羽茂飯岡)は海上交通の守護神として五十猛命を祀るなど、日本各地で同名で祀られる(『神道大辞典』など)。
この神の記事は少ないが、『書紀』第八段(宝剣出現)の一書第四および第五の記事に見える。素戔嗚尊が子の五十猛神を率いて先ず新羅国に天降り、そこから舟を作って出雲に渡ったとあり、また、五十猛神が天降りの際に多くの木種を将来したが、韓地には植えずに、筑紫より始めて列島内に木種を播いたとある。そうすると、韓地からの最初の到来地はむしろ筑紫になるし、渡来航路的にはそのほうが自然である。このように、韓地(朝鮮半島南部)からの渡来が『記・紀』に明確に記されるのは、天日矛(天日槍)より前の時代の神・人では、ほかにいない。五十猛神と妹二神(大屋姫命、抓津姫命。実態は妻神か)が「伊太祁曽三神」として紀伊国名草郡の名神大社で篤く祀られており、奉斉者が紀伊国造よりも紀臣氏(系譜は皇別とされるが、実態は天孫族系)とみられる事情にも留意される。
記紀神話では、その父「スサノヲ」は、高天原にあっては天照大神を困らせる暴れん坊神で、天照大神と争って敗れており、それによる追放後の「出雲」では開拓者的に描かれる。その終焉の地が出雲という伝承もあり、出雲市佐田町須佐の須佐神社(風土記・延喜式に記載)が祀られる。その攝末社に天照社・厳島社・須賀社などがあり、境内に千数百年という老杉や蘇民将来の祭もある。スサノヲの子の大国主神の子、加夜奈留美(女神?)の子孫と称する須佐氏が永年奉斎するが、少なくとも系図の初期段階などには疑問があり、出雲国造一族が��祀に関与したか(瀧音能之氏が須佐神社周辺の地をスサノオ神の本貫とみるのは疑問で、ここには同神は到来しておらず、子孫と称する家が祀っただけのこと。出雲国造一族が奉斎した神社も当初は熊野神社が主で、杵筑神社(現・出雲大社)でも長い間、祭神がスサノヲであった)。
スサノヲは、その子孫という大国主神を通じて地祇の三輸氏・賀茂氏や住道首などにつながるという系譜を伝える。これが『姓氏録』大神朝臣条や『旧事本紀』地祇本紀などに見える子孫の系譜であり(前者の大神朝臣条では、素佐能雄命の六世孫が大国主と記される)、『古事記』では「いわゆる出雲系」の多数の神々に通じる系譜が紀載される。しかし、五十猛神と大国主神との関係はこれら系譜では不明なままである(五十猛と大国主とは、祖先・子係の関係にない。出雲の大国主神の父は天冬衣命と伝え、その祖系のなかにも五十猛は見えない)。
このため、「スサンヲ」という神には複数の神格(人格)がおるようにみられている。実際には、このような名・通称で呼ばれる者が一族・同系統で複数いたり(部族長の通称的な使用もあるがか)、子孫が祖先の伝承を伴って各地へ移遷、展開したともみられる。朝鮮神話に見える檀君も、スサノヲに擬せられたり、高句麗からの渡来系氏族・八坂造氏が京都祇園(感神院祇園社)で祀る「牛頭天王」も、中国神話で牛首人身神とされる炎帝神農氏(赤帝)や蚩尤(兵主神)という頭に角をもつ武神(戦神)、兵器製造神にも通じる。わが国ではこれら神々の実体がスサノヲ神(ないし大己貴命)に通じるとされることが多い。蚩尤が鉄神とも言われる。
この「スサノヲ」の名は、同一部族(天皇氏族)の根幹系統を通じて、遠い祖先から見える「通称」ではないかと把握される。すなわち、五十猛神自身がスサノヲ(の一人)に相当するとしたほうがよい。五十猛神を祀る式内社は、出雲六社、播磨二社、紀伊二社など全国合計で十五社もあり、これら地域分布からは天孫族系の出雲国造族が主に奉斎したことが窺われる。これに関連して、わが国で兵主神を祀る式内社は、近江国野洲郡及び大和国磯城郡など名神大社三社を含め、合計で十九社もあり、うち但馬七社、因幡二社、近江二社、播磨二社、丹波一社などという地域分布に留意される(この辺に着目すると、但馬出石に落ち着いた天日矛一族が、韓地の新羅あたりから当該兵主神をもたらした可能性も考えられる)。
兵主神社の祭神は、いまは大己貴命、素戔嗚神などとされて、特に前者とされることが多い。これは、本来の祭神で鍛冶神たる八千矛神が、大穴持命に通じる大己貴命と混同され、出雲に兵主神の神社分布が多い事情に因るものか。八千矛神という神は、『書紀』には見えず、『古事記』で高志の沼川比売の求婚譚などに見えて、大国主神の別名として扱われる。同神の子には、「御井神」も見える。御井神は木伺神ともいわれ、多くの樹種をもって天降り、広く大八洲に播種したと伝える五十猛神の縁者というのがふさわしい。滋賀県蒲生郡日野町の八千鉾神社は、大屋彦神(五十猛神のこと)を祭神とする。銅矛・銅戈や銅剣は分布が北九州に多くあり、銅矛の出雲出土はあまり多くないので(最多出土の荒神谷遣跡でも、銅矛十六本に対し、銅剣が三五八本の多数で出土)その意味でも出雲の大国主神が八千矛神とされるのにはしっくりこない。
八千矛神とは、実はイタテ神(伊太弓、伊達、射楯こと五十猛神)のこととみられる(その場合、御井神とは高魂命〔高木神〕のことか)。銅矛・銅戈の出土が肥前唐津辺りに多く、銅剣も含めて銅製武器が北九州に多く出て、これが「銅剣銅矛分布圏」という把握もある。日本列島では、弥生Ⅰ期に朝鮮半島から銅矛が到来し、鉄矛は同Ⅲ期に出現して古墳時代中期以降盛行した(『日本考古学事典』)、とされるから、鉄矛も併せ持って渡来したのが天孫族か。天孫族の広い範囲に入るとみられるのが、新羅からの渡来を伝える天日矛(天日槍)である。唐津市の宇木汲田遺跡からは多数の銅剣・銅矛や多鈕細文鏡などが出土しており、天孫族の足跡を示すものか。
イタテの神は新羅系の韓鍛治の奉祀した神だと窺えると、真弓常忠氏は指摘する(『古代の鉄と神々』)。中国の原型である「兵主神」が額に角を持ち鉄を食べる蚩尤(上記)とされており、わが国で同神にも比定される五十猛神が角凝魂命(「角+鉄塊の意味の凝」)という別名をもつのも肯ける。吉野裕氏は、『風土記』の研究などから、早くに『風士記世界と鉄王神話』(一九七二年刊)や『素尊鉄神論序説』(一九七三年刊)を著し、スサノヲが鉄神だとみた。この鉄神性を同神に認める見解が多い。
端的にいえば、複雑な性格ゆえにスサノヲ神(素戔嗚神)の位置づけが難解であり、たいへん重要なのである。これが、記紀にイザナギ・イザナミニ神の子で、皇祖神たる太陽神・天照大神の「弟」とされたり、大己貴命の祖先とされたりと様々に混同が生じた(実際、記紀で天照大神と争った「戦った」という意味をもつ「スサノヲ」は、大己貴など海神族系の祖という性格では、別神としたほうがよい。現実の出雲と、実体が葦原中国〔筑前海岸部の那珂川波域〕たる記紀神話の「出雲」とを、八世紀段階の記紀の編者たちは混同したことなどに因る。
人皇ノ鼻祖という鈴木真年の指摘
一般には、記紀神話の影響で、スサノヲ神の子ないし子孫(六世孫『姓氏録』ないし七世孫)が大己貴命(大国主神)で、いわゆる「出雲族」(あるいは海神族)の祖神がスサノヲ神と受けとられている。
しかし、大己貴命は海神族の系統の祖神であるが、そうであっても、スサノラヲ神とは男系血筋でのつながりがなく(スサノヲ神後裔の女性を妻の一人としたことは考えられるが)、両神が血統一系というのは原型・実態とは異なる(両神の血縁関係を否定する先学の見解はかなりある。例えば、瀧音能之・藤岡大拙氏など。スサノヲの子に「八千矛神」がおり(五十猛神のことか)、兵主神社で該られるが、これが大己貴命と混同された結果、スサノヲの子ともされたものか)。ともあれ、「出雲神族」という概念は紛らわしく、使用には留意される。
スサノヲによる八俣大蛇(八岐大蛇)の退治の伝承も、竜蛇信仰をもつ種族のトーテム獣を退治したのだから、海神族の祖神であるはずがない。もっとも「八俣大蛇=九頭竜」という見方もあるようである(ギリシャ神話に出る竜迷体の巨大怪物ヒュドラーも九つの首をもつ)。これが、『古事記』では「高志之八俣遠呂智」と表記されるが、「高志」が越すなわち北陸地方とまでは、スサノヲの活動地域から読みとれない。ともあれ、皇威に抗う荒神(荒ぶる水神)の象徴として大蛇がでてくることになる。
この伝承も、同神が居て活動したのが北九州だとしたら、竜蛇信仰をもつ種族・国々(海神族系種族の国、主に奴国か)の退治・平定を意味したのだろう.スサノヲについて、韓地から渡来の鉄器鍛冶集団が信奉する神という説はかなりある。火山の神という見方もあるが、これは火に関わる鍛治神の祖神、竃の神からの転訛の可能性もあろう。
明治期の国学者で系図研究者の鈴木真年は、その著書『日本事物原始』や『古事記正義』で、この神について概ね次のような主旨で記している。
「素戔鳥命トハ人皇ノ鼻祖二坐シテ、二神ノ真名子タリ。故二、天神此葦原中洲ヲ賜テ、国土ツ開闢セシム」(適宜、句読点を付した)と切り出し、高天原から天降って新羅の牛頭方(楽浪郡のうちの地)に至り、伊太氐命(亦名を五十猛命、大屋毘古命、伊太祁曽命、神平多命)・速須勢理比売を生み、その後、太白山(平安北道寧辺の妙香山に比定。平壌の東北方)の下に至り檀木の下に互市(陸上での交易)するなど人事や社会運営を教え、これを国人が追末して檀君という。また神櫛玉命(亦名を櫛御気野神、気津御子神。すなわち、熊野大神)ともいう。
その子の伊太氐命を率いて東海に入り、多くの樹木種ををもって出雲国に着き、須賀の地に宮居したが、伊太氐命は妹と協力して樹木の種を各地に分布した。素戔鳥命の子の天忍穂耳命を、天照大神は子として養って天子の位につけた。」(ここで天忍穂耳命を「子」とするのは、天安川の河原における天照大神との伝承から、スサノヲの実子と考えたものか。ただ、この見方には疑問あり、実際にはスサノヲの子孫となろう。後述)
こうした真年の把握には疑問な点もいくつかあるが、スサノヲ神がわが国の「人皇ノ鼻祖」だという基本は妥当な線だとみられる。天照大神が男神だという性格(夫婿が知られずに子孫を残す女性が古代大族の祖先系図にはまったく現れない事情もある)や忌部氏の上古系図等を参考にして、これら記紀の記事を総合的に考え併せる必要がある。そうすると、韓地から日本列島に渡来してきた、わが国天孫族の始祖(天照大神の更なる違い祖先)こそがスサノヲ神であって、五十猛神とも同神(ないしその父神)だとみるのが適当となる。朝鮮の始祖とされる「檀君」(後述するが、後世の造作神となろう)とほぼ同種の性格をもつ神という程度は認めて良い。
十世紀後葉の北宋に、日本の東大寺の僧・奝然らが雍熙元年(九八四)にやって来て、銅器や『王年代紀』などを献上したが、天御中主を初代とする皇統譜には、第十八代に素戔鳥尊(その前代が伊奘諾尊)、第十九代に天照大神尊、第二四代目に神武天皇の名前が記される(『宋史』日本伝)。平安中期の円融天皇治世のときに存在した『王年代紀』が何に基づくかは不明だが、天照大神の先代に素戔鳥尊があげられることに留意される。
スサノヲがスガの地に居たという上記伝承からか、全国の須賀神社はスサノヲを祭神とする例が多い。同社は、牛頭天王・須佐之男命を祭神とする祇園信仰の神社で、全国に広く存在し、島根県・高知県に特に多い。これら須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」「天王社」と称していた。牛頭天王は、播磨の広峯神社などでも祀られるが、同社は天孫族の針間国造の領域にあって、同じく凡河内国造一族が長く奉祀した。
なお、素戔嗚命の実体について、卑弥呼と対立関係にあった「狗奴国王」を考える説もあるが、これは根拠に乏しい想像論である(狗奴国の性格・習俗についての誤解が基礎にある)。また、習俗・祭祀やトーテムが異なる大国主神(海神族系氏族の祖)の父祖でもない。
八幡神の実体
豊前の宇佐八幡でも、祭神たる八幡神の実体が五十猛神だとみられる。応神天皇家や宇佐国造など天孫族の一派の実際の遠祖として、八幡神が考えられる。字佐国造は、高魂尊の裔孫の宇佐都彦(菟狭津彦)を国造初祖とするが、高魂尊の先が五十猛神とみられる。
弘仁五年(八一四)の太政官符や『宇佐託宣集』等に拠ると、字佐郡の小倉山の麓に八つの頭が一つの身体についた奇異な風体をもつ鍛冶翁がおり、金色の鷹となって示現し、その姿を見ようと近づく者の半数が死亡したが、神官(辛島勝乙目とするのが原型か)の祈持に応じて三歳児童の姿で八幡神が出現し、「我は始め辛国に八流の幡となって天降り、日本の神となって一切衆生を度する釈迦菩薩の化身なり」と託宣したという。こうした伝承などから、八幡神はもともと鍛冶神とする見方も古くからある(柳田国男氏ほか)。
後世では八幡大神にも擬せられる応神天皇は、実際の系譜は宇佐国造一族の支流の流れをひく鍛冶部族の息長氏に出ており、遠祖は神武に始まる王統と同じで、高魂命であった。金色の鷹は、金鵄や八咫烏にも通じる天孫族のトーテムである。
素盞嗚神という神は、海神族たる大己貴神(大国主神)の父祖としても伝えるが(記紀ともに見えるが、『古事記』のほうに多く伝える傾向)、その一方、熊野大神として、天孫族系統の物部連や鳥取部によって祖神として広く奉斎された。これら氏族の祖たる天津彦根命(天若日子)やその兄弟神は、素盞嗚神と天照大神との天安河原の誓約の際に息吹きのなかから誕生したと神話に伝える。
こうした両様の複雑な性格をもつ素盞嗚神は、本来は性格ごとに別々の人格神かとも考えるのがよいかもしれない。そのなかでも、最も主なものとしてはわが国天孫族の祖となる(こうした見方は、私の氏族研究の結論的な部分だけを記したので、分かり難いかもしれないが、紙数制約や論旨展開上の見地から、本書ではこのくらいに止める。以上の記述に関連して、本シリーズの『息長氏』『三輪氏」』などをご参照)。
天孫族の祖系と祭祀
現存の天孫族系統の系図では、天照大神より先へ遡る神統譜を記すものは少ないが、『姓氏録』では若干は記事が遺る。それが、角凝魂命を遠祖とする系譜をもつ諸氏(鳥取連・鳥取、委文連・宿祢〔倭文連・宿祢〕、竹��、美努連、税部〔鴨県主一族〕や額田部宿祢〔物部氏同族〕、雄儀連などで、殆どが少彦名神の流れ)である。
角凝魂命を祀る神社は全国で少ないが、鳥取連が奉斎した和泉国日根郡の式内社、波太神社(大阪府阪南市石田に鎮座。もと桑畑村、東鳥取村で、同国神名帳に従五位上波太岐社と記載。府社)の祭神として鳥取連の祖・天湯河板挙が垂仁朝に祖神を創祀したと伝える。波多の地名は肥前国松浦郡にもあり、当地に波多八幡神社(佐賀県唐津市北波多稗田で、宇木汲田遺跡の西南近隣)が鎮座する。「波多」は秦韓・辰韓に通じるものか。
忌部氏の系図(「斉部宿祢本系帳」」や「宮中八神」などを基礎にして、始祖の五十猛神以降の初期段階の歴代を整理、推定してみると、概ね次のようになる(第1図)。ただ、妻神(后神)は難解であり、推定の度合いが大きい。
各々の遠祖神が異なる複数の神名をもつことに留意されるが、天照大神は「斉部宿祢本系帳」では「天庭立命」として表記される(この名に近い「天壁立命」も天背男命の父神で左京神別の宮部造の祖とされるから同神となる)。
この神は、大阪市天王寺区の生国魂神社(東生郡の難波坐生国咲国魂神社)で奉音される神であるこれが、信濃国小県郡では名神大社の生島足島神社(長野県上田市下之郷)でも祀られて、その祭神が大八嶋を統べる「生島神・足島神」とされる。摂津国川辺都(兵庫県尼崎市栗山町)の生島神社では、生島神・足島神、天照大神、須佐男神、八幡大神、伊邪那岐・伊邪那美神をいま祀る(祭神の名に重複がある)。
この生島神・足島神は、天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀ともみられる八十島祭の主神とされる(この祭は、文献初見が文徳天皇の即位時の嘉祥三年〔八五○〕九月で、鎌倉前期まで廿二回確認されると言うが、由来は上古に溯るのだろう)。『延喜式』神名帳には、宮中八神殿で御巫祭神八座のなかで生産日神・足産日神(『古語拾遺』では生産霊・足産霊)として祀られ、神祇官に坐しては生島巫祭神二座として生島神・足島神があげられる。両名は併せて夫婦神(その場合、足島神のほうは妻神か)とみられ、男神は伊久魂命とも天活玉命ともいわれる。天照大神という名では、『延喜式』神名帳では宮中坐神三六座のなかに見えないし、『姓氏録』にも諸氏族の祖先として見えないことに留意される。なお、天活玉命を祀る神社は少ないが、越中の高瀬神社(富山県南砺市高瀬。同社は五十猛神も合祀)や讃岐の大麻神社(寒川郡の大蓑彦神社。香川県善通寺市大麻町)という式内社があげられる。
『書紀』には生申の乱の時(天武天皇元年〔六七二〕七月廿三日条)に生島神が見える。そこでは、高市社に坐す事代主神と牟狭社に坐す生霊神が神憑りして、神日本磐余彦天皇之陵(神武陵で、『書紀』にいう畝傍山東北陵か)に馬と種々の兵器を奉納すれば、両神が天武軍の前後に立って守護すると告げたが、この生霊神が生島神(生国魂神)に当たる。いま畝傍山の東北の裾、橿原市大久保町域(旧洞村)にある神武陵旧跡と伝える地の近隣には、生玉神社が鎮座する。
『古事記』には「天津国玉神」とも表記されるが、これは、天若日子(天稚彦。天照大神の子で別名が天津彦根命、天背男命、天湯河桁命であり、出雲国造や物部氏など鍛冶部族や鳥取部等の祖)が大国主神のもと(葦原中国)に派遣された事件に関連して見える。
その父神が高皇産霊尊であり、上記の宮中八神殿で祀られる高御産日神にあたる。この神のときころに筑後川流域に至って定着したとみられる。この神を天孫降臨の指揮者として皇祖神のはじめに置く見方が学究には多いようだが、上記系図に見るように更に父祖の神々を伝えることに多意される。
「宮中八神」の意義
ここまでに宮中八神にも触れてきたが、『延喜式』神名帳の冒頭に掲げる「宮中八神」には十分留意される。
すなわち、宮中神として大社三十座小社六座があり、そのうちの筆頭に「御巫等祭神八座」並大、月次新嘗とある神々で、①神産日神、②高御産日神、⑤玉積日神(玉積産日神)、④生産日神、⑤足産日神、⑥大宮売神、⑦御食津神、⑧事代主神、の八神があげられる。さらに、「座摩巫祭神五座」並大、月次新嘗として生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の五神、「御門巫祭神八座」並大、月次新嘗として、櫛石窓神と豊石窓神が四面門各一座、「生嶋巫祭神二座」並大、月次新嘗として並大の生嶋神、足嶋神の二神があり(ここまでが「神祇宮西院坐御巫等祭神」とされて、合計が二三神)、更に、「宮内省坐神三座」並名神大、月次新嘗として薗神社、韓神社二座、「造酒司生神」大四座、並大、月次新嘗として大宮売神社四座が掲載される。
「宮中八神」の次ぎにあげれる神々は、御門神(八座)を除くと、おそらく八神の異名・異称で重複するものだろう(ただ、座摩巫が祭る五神は、「大宮地を守り坐す霊神」とされるが、その実体は難解・不明。五神はみな始祖神関係の異名かもしれず、「生井、福井、綱長井」で三井・御井、「波比祇、阿須波」が五十猛神に通じるか)。そして、その皇統譜のなかで大祖先神としての位置づけにあった神々ではなかろうか。具体的には、天照大神夫妻を含めそれ以前の三代の夫妻神とみられる。上記の「第1図天孫族の初期段階の系譜」は、こうした見方のうえで推定記載をした。
注意すべきは、最も重要な天照大神にあたる神の名が二つ(玉積産日神、生産日神)あり、対偶を持たない「事代主神」があって、合計で「八神」となっている点である。天孫族系統では、「八」という神聖数をもっていた。
さて、ここの「事代主神」の実体は何だったのだろうか。抽象神としての意味は、「神憑りして神託をくだす神」であり(松前健、佐伯有清などの諸氏)、特定の固有名詞とされる必要はない。ところが、この神は、一般には地祇(国津神)・三輪氏族の祖で、神武天皇の皇后の父神が指される。これは、後代の諸天皇の母系祖神として理解が出来ないわけでもないが、それならば、天照大神の邊遥か後代の神であって、宮中祭祀のバランスを欠く。
そこで、「姓氏録』を見ると、天神としての「天事代主命」(天辞代主命、天辞代主命)が存在したとわかる。この神を祖神とするのが、左京神別の畝尾連、右京神別の伊与部、大和神別の飛鳥直の三氏であり、これら諸氏の系譜を考えると、みな中臣連一族の初期分岐となる(伊与部条には高媚牟須比命の三世孫と記載も、これは疑問)。畝尾連の一族は和泉神別にもあげられ、そこでは「大中臣朝臣同祖。天児屋命之後也」と記載がある。しかも、高市郡明日香村に鎮座の飛鳥坐神社(並名神大)では、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神を祭神とする。すなわち、天事代主命とは中臣氏の大祖神(天孫降臨痔の天児屋根命の父祖神か)の位置づけということになるが、そうすると、天照大神も含め、この神から遡って三世代の夫神の誰かの舅神で、天孫族系統の母系の祖として特掲された可能性があり、この場合には「宮中八神」に所掲の神々の活動年代とも符合するものとなろう(現在の当該飛鳥神社の祭祀では、転訛された影響で、有名な三輪の事代主神と混同されている)。
なお、{宮中八神」のなかに、元は「倭大国魂神」(実体は九州所在の大己貴神)も含まれていたとみる見解(若井敏明氏『「神話」から読み直す古代天皇史』)には反対である。天照大神以前の上古歴代の舅神の位置にはいないからであって、『書紀』崇神天皇大年条の記事には疑問がある。不祭祀のイザナギ・イザナミの諾冊二神も、実体をもつ神ではなかった。
韓国イタテ神の列島渡来
『延喜式』神名帳のはじめに、宮中で祀られる神々が「宮中坐神三十六座」としてあげられる。そのなかに宮内省に坐す神の三座(並名神大)があって、薗神(園神)の社と韓神の社の二座がある。この「韓神」こそ韓(伽耶)から渡来した五十猛神を指す。ちなみに、御巫等祭神の八座にあげる神産日神も大始祖たる五十猛神にあたるとみられ、五十猛神の妻神の御食津神(御膳神)も同八座のなかに見える。この女神は豊受大神でもあり、食物主宰の倉稲魂神(稲荷神)で保食神なのだから、薗神にあたるとみるのが自然である。織物と酒造を司る女神、大宮売神にも当たりそうな可能性もあるが、それを留保しつつ、この関係では別神としておいた(関連して言うと、丹波国多紀郡式内社の大売神社【兵庫県篠山市寺内]は、大宮売神を祀るが、「オーヒルメ」神社と読まれている。大宮売がアメノウズメの別名だとする平田篤胤説や、これに通じる『古語拾遺』の記事は誤りとみられる)。
かつて、黒板勝美博士は、天照大神より前の神々が皇室の祖先として奉斎されていないとの理由で、それらの実在性は認めがたいと考えた。しかし、上記のように現実に別の神名で宮中で永く奉斎されてきた。出雲でも、神産日神も神魂神社の名で、意宇郡六社の一としてあり(松江市大庭町)、出雲国造が長く奉仕した。同社は神火相続の神事で知られる。
「園韓神」には一に大己貴神・少彦名神・大物主神をあてる説もあり、平安京遷都以前に京の地を支配したのが渡来系の秦氏だとして、園神・韓神は元々は秦氏が奉斎した神とみる説(水谷千秋氏)もあるが、ともに論拠薄弱である。
園韓神社は宮中では唯一の名神大社であり、応仁の乱頃までの宮殿の宮内省に鎮座した。この神格・鎮座地からみても、秦氏にふさわしいとはとても言えない。例祭は園韓神祭といわれ、『江家次第』では神部四人が榊・桙・弓・剣を持って神楽を舞ったと見え���『百錬抄』では大治二年(一一二七)の大内裏火災で園韓神の御正体を取���出そうとした折に神宝として剣・桙があったと見える。帝王鎮護の神という役割や、皇祖神の系統からみても、これは始祖神の五十猛神夫妻とするのが妥当であろう。もとからこの地にあって平安遷都に伴い遷座させようとしたら、帝王を護りたいという託宣が韓神からあったとも伝える(本来は鴨県主奉斎か)。
御食津神はオオゲツヒメ(保食神)でもあり、穀物神(稲倉魂命)でもあった。五十猛神は大屋毘古神とも呼ばれ、一緒に植樹につとめた妹・大屋毘売(大屋津姫)は、名前の対応から考えて、「妹」とは実際には「妻」の意であろう。紀州にはこの女神を祀る神社もある(和歌山市字田森に鎮座の大屋都姫神社など)。この妻神は白山信仰の菊理媛命にも通じ、水神の罔象女神であり、多様な神格と名をもつ。八幡大神の妻神たる比売大神でもあって、宇佐八幡宮で祀られる。水神が竜神に通じ、仏教での同種の弁財天にも通じる祭祀もある。
筑後国御井郡や豊前国田川郡(豊比咩命神社という名で、いま香春神社に合祀)など各地の「豊比咩神社」の祭神であって(神武天皇の祖母とされる「豊玉姫」ではないし、「神功皇后の妹」のことでもない)、伊勢神宮外宮の豊受大神にあたる。香春の豊比咩神が宇佐の比売大神に相当すると岡谷公二氏も指摘する(上掲書)。豊比咩(豊姫)については、高良神の妻神という見方もあり、この辺の可能性を留保しつつ、比売大神という見方で一応、考えたい。
比売大神については宗像三女神説(宇佐神宮・石清水八幡宮の立場か)もあるが、大分県杵築市の奈多宮では、沖合の市杵島(または厳島)と呼ぶ岩礁に比売大神が降臨したと伝えるから、主祭神八幡神(=五十猛神)の后神で、端的に市杵島姫神と考えたほうがよい(その系譜は不明だが、天照大神の娘のはずはなく、海神族的な色彩があるものの、幹地から共に渡来したか、既に北九州にあった種族の出かは判じがたい)。
この女神は、水神の性格からは淀姫(興止姫神、世田姫)にもあたる。肥前国一宮たる佐嘉郡の與止日女神社(河上社。佐賀市大和町川上)、予賀神社なども含め、肥前中心に二十数社の多くで祀られ、とくに佐賀県の嘉瀬川流域に六社もあって祭祀が集中する。夫神・五十猛神と同様、石神の性格ももつ(脊振山に鎮座の脊振神社は、弁財天社ということで本地垂迹で市杵島姫を祀るが、この神にもあたる〔瀬織津姫や蛇神の宇賀神にもあたる〕。山城国乙訓郡の式内社、与杼神社〔京都市伏見区淀〕でも写る。安芸宮島の上厳島神社〔伊都岐島神社〕や近江の竹生島神社〔浅井郡式内社の都久夫須麻神社〕、相模江ノ島でも、市杵島姫【弁財天】を祀り、竹生島では、併せ宇賀神・浅井姫・龍神も祀る。淀姫が、一に「八幡大神の叔母、神功皇后の妹」とされるのは訛伝)。
唐津市呼子の加部島(別名が姫島)の宮崎鼻に鎮座する田島神社(松浦郡の式内名神大社の田島内神社)は、肥前最古といわれ唯ーの大社とされる。本殿の裏には磐境(祭場)とみられる地があり、立った三個の巨石や二個の平石、太閤祈念石と呼ばれる巨石もある。
加部島は、韓地��大陸への交通を考えると「道主貴(ちぬしのむち)」の鎮座地にふさわしく、市杵島姫を含む宗像三女神が礼られる(神名帳には「一座」と表記)。そうすると、韓地釜山(ないし対馬)辺りから筑前大島・沖ノ島を通る海路が「海北道中」と一般に解されるが(「海北」=は朝鮮半島を指す)、当該経路は、倭韓間の海上交通における当初のメインルート「壱岐・対馬を経由の線」だとみる田中卓博士の見方のほうが正しいものか。宗像大社では、九州本土の宗像市田島の地に辺津宮(総社)として現在、市杵島姫を祀る(『古事記』では、市杵島姫は中津宮、辺津宮鎮座は田寸津比売と記す)。
道主貴は、『書紀』(巻一第六段の一書第三)に「筑紫の水沼君等が祭る神」と見えており、水沼君(水沼県主)は佐賀君(佐喜県主)と同様、火国造同族とみられるから、これら諸氏の祖神でもあろう。『旧事本紀』天皇本紀には景行天皇の皇子のなかに武国表別命をあげ、筑紫水間君の祖と記される(同人は、「円珍俗姓系図」に讃岐の和気公・因岐首の始祖とされ、九州の阿蘇君・火君らの祖とみられる。『書紀』景行段に見える水沼別の始祖・国乳別皇子かその近親にあたる。同書の記事では、「弟の豊戸別皇子。是火国別之始祖世」と続ける)。
水沼君氏一族は、筑後国三潴郡の豪族で、久留米市西南部の大善寺町にある大古墳、御塚(全長約一二〇詩という帆立貝式古墳。中期古墳か)及びその北隣の権現塚(外径が全長約一五〇計かともいう。後期古墳か)の築造者とみられている。東北方近隣の同市高良内町には、これらに先立つ石櫃山古墳(全長が百計超【最大で一一五潮というで、境輪式を出土)もあったが、消滅した。久留米市北野町赤司に鎮座の赤司八幡宮(御井郡惣廟を称)がもと豊比咩神社といわれ、與止比咩命・高良大神や道主貴(三女神)、すなわち宗像三女神が祭神で、祠官家が水沼君氏との伝え(境内碑文)もあるが、領域からやや離れる感もある。
「韓」を冠する五十猛神
延喜式の神名帳には全国各地の官祭に関わる多くの古社があげられるが、そのなかで「韓」が頭につけられる神は五十猛神のみである。多くの樹木の種を持って大八洲に植えたと伝えて、紀伊国をはじめ各地で多く祀られる。わが国では伊達神(射楯神)とか韓国伊太神、伊太祁曽神ともいわれて、延喜式内社の奉斎神としてはかなり多くあり、全国で十五社を数える。
とくに、出雲には最多で合計六社もある。それが意宇郡・出雲郡に集中するが、意宇郡では玉作湯社や揖夜社に付属して鎮座する。これらは出雲国造一族の奉斎に係るものか。そして、これら出雲国内の六社が全て、韓国伊太氐神と記されて、式内社では類例の少ない「韓国(辛国)」が冠として付けられる。当地の曽枳能夜神社境内の韓国伊太氐夫神社(島根県出雲市斐川町神水)揖夜神社境内の韓国伊太氐神社(同県松江市東出雲町揖屋)など、韓国伊太所神社が出雲国の九郡中で意宇郡と出雲郡とに三社ずつ見られる(出雲国意宇郡の条に、①玉作湯神社、②揖夜神社、③佐久多神社に「同社坐韓国伊太氐神社」があり、西側の出雲郡条にあっても、「同社(神)韓国伊太氐神社」としての阿須伎神社、⑤出雲神社、⑯曽枳能夜神社が同様)。
このほかの式内社では、薩摩国曽於郡の韓国宇豆峯神社(鹿児島県霧島市国分上井)も、五十猛神(又の名を韓神曽保里神)を祀る。ここでも、とくに「韓国」を冠した神社の名前になっていることに留意される。これらの事情も、ての神の韓国からの渡来を示唆する(千家俊信『出雲式社考』にほぼ同旨)。出雲の西隣、石見国では現大田市五十猛町に近隣して韓神新羅神社・五十猛神社の両社が鎮座する。
この朝神新羅神社、出雲国出雲郡の韓竈神社(産銅遺跡のなかに鎮座)や安芸国御調郡の賀羅加波神社のほうは、素戔鳴命を屯るというが、五十猛同神か。
五十猛神については、記紀に見えるのは上記の一箇所だけであるが、イタテ神としては、『播磨国風土記』餝磨郡の因達里(姫路市街地の北部)の条に伊太氐之神が見える。因達里の伝承が、神功皇后が韓地征討で渡海する際、先導神としてその御船の上に鎮座したのがこの神である、という内容なのだから、「韓国」を冠しないイタテ神の場合にも韓国との関係がみられると石塚俊氏は指摘する。これが、餝磨郡式内の射楯兵主神社(姫路市本町に鎮座)である。イタテ神が神功皇后の先祖・天日矛にも通じるとしたら、祖神たちの加護を受けてその祖国の韓土に進攻したことになる。関連して、九世紀後半の貞観期当時の対新羅関係の悪化という背景のなかで、日本を新羅から守る目的で韓国伊太氐諸社が建立されたという説(瀧音能之氏)は疑問が大きく、この神の祭礼の由来は更に古かった。
伝承では、イタテ神は韓地の新羅から直接渡海し、日本列島に着いて出役に入り、そこから紀伊に遷ったようにうけとられる。出雲・紀伊には関係社が多くあり、出雲の西隣の石見国安濃郡にも、現・大田市五十猛町に五十猛神社と韓神新羅神社がある。五十猛命の降臨地としては、奥出雲、出雲国仁多郡の鳥上峰(船通山、鳥髪山)という伝承もある。これも、天孫族関係者が高山に天降りするという所伝の一環である。
九州の太宰府付近にも鳥髪山に相当するような山(例えば基山〔後述」」とか砥上岳(遠賀川源流地)がある。一方、対馬、壱岐を経由して九州の有明湾岸に上陸とも伝えるから、多くの関係請社や遺跡などの分布を具体的に見ると、やはり韓地→対馬→筑紫という地理的に自然な経路をとったとみられる。そこで、次ぎに北九州の分布を見てみる。
九州の五十猛神
対馬では、対馬島の北端で河内湾に臨む地に鎮座する岩立神社(岩楯神社ともいう。対馬市上対馬町大字河内)がまずあげられる。素戔嗚尊が韓土よりお帰り(到来か?)の時に、この浦に船を寄せたと伝える。元来、本社は岩楯の地に在って神籠磐境だといい、社殿がなく森の中に磐石があって、これを神位とする。
同名社では、備前国和気郡にも、磐梨別君氏(垂仁天皇後裔と称するが、実際には息長氏の一支流の和気氏)の奉斎とみられる同名の石立神社(現・備前市麻宇那)があり、社殿の下に大磐石があって、岩石崇拝に創まるとされる(『神道大辞典』)。姫大神も祀られ、近隣の北側対岸には祇園神社・磐井神社、稲荷神社や荒神社もある。石立神社の南方の備前市域、日生には高良八幡もあって、その社叢もウバメガシが占める海岸林で知られる。対馬の那祖師神社(対馬市上対馬町豊。島大国魂神社も合祀)など数社も、五十猛神を祭祀する。
大和にも同名社が添上郡式内社であり、「天乃石立神社」と記載される。現社名を天石立神社(戸磐明神)といい、奈良市柳生谷、戸岩山の北麓(奈良市柳生町の岩戸谷)にあって、本殿をもたず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。四つの巨石の総体が天石立神社と呼ばれるが、なかでも中心の丸い巨岩(きんちゃく岩と呼ぶ)が日向神社で、これが天照大神を祀り、他の三つは門神(豊磐門戸命、櫛磐門戸命)と天岩戸別命に当てられる。地域的に考えると、同社は磐梨別君同族の山辺県主一族が祭礼に関与したものか。
北九州の五十猛神祭礼では、筑前国御笠郡の筑紫神社(福岡県筑紫野市原田)や同国早良郡の五十猛神社(同県福岡市西区金武)が著名である。前者では、筑前・筑後・肥前の交通要衝に、筑紫の国魂たる筑紫大明神として祀られる。その別名の白日別神は、太陽神にも「日向」になも通じる。早良郡の西職りの怡土・志摩両郡(現・糸島市域)にも、五十猛神を写る神社が多い。王丸の白木神社前原の酒神社、草場や西浦の白木神社などがそれであり、潤神社も含め、その旧名が「白木神社」とするものも多い。これらの白木神社の群や、密集する白木の地名は新羅に因むといい、朝鮮半島由来の遣跡や伝承に彩られる。
肥前では、基山を神体山とする荒穂神社(佐賀県三養基郡基山町宮浦)がある。筑紫神社の後背地にあたる基肄郡の基山山頂には五十猛神が祀られ、玉々石という巨石の磐座や五十猛神伝承による「日本植林発祥之地」という石碑がある。同名社は、基山の別宮として、遠賀川上流域の福岡県嘉麻市牛隈(旧・嘉穂郡)にもあるが、祭神がニニギの尊で、元宮が馬見神社という。
『筑後国風土記』逸文には、荒ぶる「麁猛神」が筑前と筑後の境界に居て、往来の人々の半数を殺すので、筑紫君等の祖・甕依姫を祝にして祀ったと見え、麓の荒穂神社で祀られる。この実体が五十猛神とみられる。この地に朝鮮式山城の基肄城が築かれ、瓊瓊杵命が基山で国見をしたとの社伝もある。アラは伽耶の安羅(慶尚南道の咸安あたり)にも通じるし、「基肄」は紀伊国造の紀直氏や武内宿祢後裔と称した紀臣氏の「キ」にも通じる。杵島郡の稲佐神社・妻山神社(ともに同県杵島郡白石町域)なども、五十猛神やその眷属神の祭祀で知られる。
日本列島に杉などの樹種をもたらしたことで、各地の紀伊神社や杉山神社の祭神とされることも多い。とくに武蔵南部(旧都筑・橘樹両郡や横浜市港北区域)には、五十猛神を祭神とする杉山神社の分布が多い。これは、五十猛神を奉じた人々・部族がこの地域の開拓を進めたことに因るものであろう。
九州に戻って、五島列島、福江島の北部に位置する五島市(前・南松浦郡)岐宿町岐宿に巖立神社(岩立三所大権現)があり、社叢は椎の大木やナタオレの木などの原生林として長崎県文化財に指定される。対馬のイワタテ同名社に通じ、ここでは宗像三女神等を礼るが、本来は市杵島姫を祀るものか。長崎市香焼町の岩立神社では、境内に樹齢推定二百年という古木のエノキ(市指定天然記念物)がある。
岩立神社について言えば、このほか、出雲の東隣の伯耆西部にも同名社があり(祭神はいま大山祇命とされるが、疑問)、大山中腹の鳥取県西伯郡伯耆町岩立に鎮座する。ここでも、樹齢推定二百年、という樅・杉・銀杏の巨樹群が社を深く覆うことで有名で、裏山には「岩滝さん」と呼ばれる古くから信仰の対象とされた巨石があり、周辺に岩立古墳群もある。近隣の金持神社(同県日野郡日野町)や石見の物部神社別天神(島根県大田市川合町)などに祀られるのが、天之常立神である。この神は天地開闢の際に、別天津神五柱の最後に現れた神で、天(高天原)そのものの神格化ともされるから、具体的には五十猛神を指すのかもしれない。国常立神は、国土守護神ともされる。
これら五十猛神と眷属神を祀る神社や関連遺跡は、北九州では天山を含む背振山地の周囲に濃密に点在する。天山は、同山地の西部側、佐賀県のほぼ中央部に位置し、唐津・小城・佐賀・多久の各市に史る。その標高一〇四六㍍は、同山地東部の最高峰、脊振山(標高一〇五五㍍)に次ぐ。
この辺の事情を踏まえ、天孫族の様々な特徴を次ぎに見ていくことにしたい。
鳥トーテミズム
天皇家・天孫族には、鳥トーテミズムや、始祖の卵生伝承らしきものなど、鳥にまつわるものが多くある。古くは「天の鳥船」や「八咫烏の先導」の伝承があり、倭建命の霊魂が白鳥となって飛び去ったという白鳥伝承も代表的であって、その墓の候補のいくつかには「白鳥陵」という命名がある。
河内の古市古墳群にある津堂城山古墳は、前期末頃の巨大古墳で、倭建命の陵墓に擬される。すくなくとも、当時の大王一族関係者の陵墓とみられており、辺十七㍍の方墳状の特殊な施設には、巨大な水鳥形埴輪三体が配されている。この水鳥はおそらく白鳥ではなかろうか。烏型の埴輪は全国的に分布するが、応神天皇陵に比定される誉田山古墳や継体天皇供の可能性が大きい今城塚古墳でも見られ、これらに先行する。古墳の周濠から鳥形木製品が出土した例もあり、天上と地上を結ぶ聖なる動物という意味以上に、こうした鳥トーテミズムが大王一族にあったから祭祀に使われたものだとみられる(鳥形木製品や鳥装シャーマンは弥生時代から見られるが、穀霊信仰の現れとするのは疑問か)。中国の長江中・下流域にあった河姆渡文化期には鳥と太陽が象徴化されるとの指摘もある。
こうした鳥トーテミズムは、同族の息長氏から出た応神王統にあっても同様である。『記・紀』などに見える大雀・隼・雌鳥・鷺などを名にもつ応神・仁徳近親の王族も、鳥トーテミズムの現れであろう。この系統の遠祖、少彦名神は鳥の神様ともいえ、天日鷺翔矢命の名ももつ鳥取部造の祖神でもあった。
応神天皇自体が、宇佐八幡の伝承に、金色の鷹が金色の鳩に変じし、さらに小児となって現れて「誉田天皇広幡八幡麻呂」と名乗ったと伝える(『八幡宇佐宮御託宣集』)きも。この金色の鷹は、菱形池のほとりにいた鍛治翁の化身とされる。応神の前身(若い頃)は、垂仁天皇の皇子・ホムチワケ(品遅別、���津別)として記紀に登場する(「ワケ」の名からして、垂仁の皇子ではありえないが)。ホムチワケは成人してもものを言わなかったが、空をいく白鳥の声を聞いて初めて話をしたので、山辺の大鶙が命をうけ捕らえたとの伝承がある(記紀に多少差異があるが、捕獲者は少彦名神後裔の鳥取部造の祖)。「大鶙」は鷲鷹類の鳥を表す名(通称)であり、これに対応して『書紀』に見える名の「天湯河板挙」とは、実際には祖神の名であって、少彦名神の親・天若日子(天稚彦)の別名とみられる。
全国各地には白鳥神社が多くあり、日本武尊(倭建命)の伝説に因むとするものが多い。これらは、総じて天孫族諸氏の祭祀にかかるとみられる。福岡県にも白鳥の地名や同名社が多く鎮座する。順不同であげると、朝倉市白鳥・柳川市三橋町白鳥・京都郡みやこ町節丸字白鳥など白鳥の地名や、久留米市荒木町白口、田川市猪国、嘉穂郡嘉穂町馬見、八女市黒木町大淵、八女郡矢部村北矢部などに白鳥神社が鎮座する。大分県にも同名社が多い。久留米市白山町や神埼市神崎町城原にある「白角折神社」(前者の地ではシラトリ、後者ではオシトリと訓む)も関係社とみられ、後者には樹齢千年起という楠の巨木がある。
神武の大和侵入に際しては、���咫烏が道案内し、金色に輝く霊鵄(実体は八咫烏同神で、少彦名神後裔によるトーテム表示)が皇弓の筈(弓の弦をかける所)に止まって、抵抗する長髓彦軍の平定に助力したという伝承もあり、天孫の徵表が天羽羽矢であったとも記される(『書紀』)。天日鷲翔矢命(少彦名神の別名)の后裔には、長白羽神(天白羽鳥命)、天羽槌雄神や鴨族諸氏がいる。鍛冶神たる天目一箇命や少彦名神兄弟の父・天若日子(天津彦根命)は、自ら雉を射抜いた「反し矢」によって殺害されたが、その葬儀に際して、川鴈・雀など多くの鳥が役割を担ったと『書紀』に記される(割註では、本文より多くの鳥の名をあげる)。
これは、『春秋左氏伝』の昭公十七年条に見える山東省南部の夷系の国、郯子国の多くの鳥の名を付ける官名に通じるようであり、松本信広氏は、死者の魂を他界に連れていく鳥の観念と関連すると説く。朝鮮半島南部の弁辰(弁韓)でも、死者を天上に飛揚させるため、大鳥の羽根を用いて死者を送るという風習があった(『三国志』魏書弁辰伝)水上静夫氏も、中国の中原東方には郯子国など鳥トーテムをもつ諸氏族があり、殷族がこれらと一群の種族だとみる(『中国古代王朝消滅の謎』ー九九二年刊)。郯子国(郯国)は山東省郯城県(山東半島の基部の南方)の西南境に位置し、春秋時代に魯の属国であったが、東夷族の祖・帝少昊の後とされ、嬴姓の国とされるから、秦・趙や徐、黄、江、李などの国・君と同族である。山東にあった大国・斉は、もとは秦と同じく嬴姓の蒲姑(薄姑。殷代の侯爵国)の領域といい、少昊自体もその別名の「鷙」が手で鷹鷲をしつ執るという意味だとされる。
白川静氏も、金天少昊氏と山東の郯子とは同じ系列に属するとみる。殷は種族的には夷系に属するとし、殷の王朝的規模は、倭の五王期とあまり異なるものではなく、殷墟に残される十三基の地下王陵は、わが国の仁徳、応神の諸陵にほぼ匹敵し、殷が直接支配した地域も、西日本の全域程度のもので、絶対年代の異なることを除けば、両者の条件はきわめて似ている、と指摘する(『中国の神話』)
殷の始祖の舜には、もと太陽神であったらしい形跡があり、アマテラスの信仰と似ているといえよう、とも言う。
中国では、『春秋左氏伝』より更に古い『逸周書』の「王会編」に、鳥トーテムをもつ異族が見える。周王が成周(いまの洛陽)に壇を築いて万国を会集する状況を記述するなかに、森林が密集する山陵地帯の異族が多く奇鳥喘禽を献じており、鳥トーテミズムをもつ秦の出自がこの方面たあると白川静氏も指摘する(上掲書)。これら西方の庄爽は、黄河上流域山陵部の森林密集地帯(上古代の当時。内蒙古のオルドス地方か)のあたりに居たとみられる。
日本では、天若日子は、子の少彦名神を通じて、鳥取部造の遠祖でもあった。鳥の名をもつ人名(神名)も天孫族系統にかなり見られる。先にあげた天日鷲翔矢命の一族のほか、素戔嗚尊自体が須佐能烏命とも書かれる。出雲国造の遠祖・天夷鳥命(天鳥船命、武日照命)の実体が、鍛冶部族の祖・天目一箇命に通じると、別書(『越と出雲の夜明け』)で述べた。同国造の初祖の名は崇神朝の鵜濡渟命と伝える。国造家の遠祖・櫛八玉命(伊佐我命のことで、天夷鳥命の子)は、鵜となって水に潜り、水底で採取した埴土(赤土)で「天八十毘良迦」(多くの平たい土器)を作り、料理人となって大国主神に供膳したと伝えるが(『古事記』の国讓​りの段)、その伝承を思わせる名である(すなわち、「鵜が潜く沼」だから、一種の通称か)。
これと同祖の鍛冶部族・三上祝氏一族でも、鳥鳴海命(三上祝の祖)、速都鳥命(穴門国造の祖)、意富鷲意弥命(師長国造の祖)等の鳥の名の人々が見える。長門の穴門国造の系譜は、「国造本紀」には桜井田部連と同祖と見えるくらいだが、鍛冶神天目一箇命の後裔で天孫族たる近江の三上祝の一族であり、代々が式内の住吉坐荒御魂神社(現住吉神社。山口県下関市一の宮)に奉仕した。その由来は、託宣を行って韓地征討に功績のあった住吉三神の荒魂を、践立が神主となって当地の山田邑に祀つた、と『書紀』神功皇后摂政前紀に見える。同社(長門一の宮)及び近隣の忌宮神社(二の宮)では、特殊神事「スホウテー(数方庭)」があり、竹竿の頭に羽根を挿し鈴をつけた道具を用いる風習がある。
北九州でも、吉野ヶ里貴跡を始め弥生時代の出土品には、杆頭にとりつけられる木製の鳥製品が頻出する。このような竹竿は、朝鮮半島の「鳥杆」(鳥竿。杆頭に木製の鳥をつけて寺院の入口等に立てられ、「ソッテ」などとも呼ほれた)や「蘇塗」(大木に鈴鼓を懸けて鬼神を祭祀った)につながる。鳥杆に似たものが、佐賀県神埼郡千代田町の託田西分遺跡でも出ている。こうしたソッテの習俗は、ウラル・アルタイ族に普過的な信仰である北方的祭天儀礼と位置づけられ、シャーマニズム文化に帰属する(萩原秀三郎氏の「稲と鳥と太陽の道」)。
始祖の卵生神話
高句麗の祖・朱蒙(東明王)は、日の光に感精して生まれた卵から成長し、弓の名手であった鶏卵のような精気が天上から降りてきて女が妊娠し生まれたとも伝える。こうした所伝は早く、「好太王碑文」等にも見えており、始祖鄒牟(朱蒙のこと)は天帝(ないしその太子の)の子で卵を割って出生したとある。東夷の祖神・帝少昊の子(一に子孫)の揮は初めて弓矢を作り、張姓を賜ったと伝えるが、わが国の鳥取部・弓削部・矢作部を管掌した氏(鳥取連・弓削連・矢作連)は天孫族の出で、いずれも遠祖が少彦名神であった。
『魏書』やっ『隋書』等の高句麗伝では、高句麗の高官や使者は冠に「二本の鳥の羽」を挿すと記されており、これも鳥トーテミズムに関係しよう。「東明編」(高麗の李奎報の叙事詩。一一九四年成立)には夫余の祖・解慕漱(へ・モス)が頭に鳥羽冠をかぶり五竜車に乗り、百余人のお供はみな白鵲に乗って天降りしてきたと記される。この解慕漱が河伯の娘・柳花を娶るに際して、河伯との変身合戦で最後に鷹に変じて圧倒したので、ほんとうに天帝の子だと認めたという記事もある。高句麗には烏骨という城(遼寧省鳳城市に残る鳳凰山城で、高句麗最大の山城)、烏拙という大官(十二官位のうち第六)もあり、鬼神・社稷・霊星(農業神)を祀った。
古くは『逸周書』」王会篇に、周王朝第二代の成王が諸侯を招集したとき、高夷が見えており、これが高句麗族の源流だと、『隋書』を編纂した唐代の孔穎達が言い、鵠(白鳥類-のトーテムを祀るとする。「高夷」は遼寧省撫順市周辺に居たともいう。
新羅の国王初代で朴王家の祖・赫居世、金王家の祖・金閼智や昔王家の祖・脱解や、伽耶の金官王家の初祖・首露にあっても、卵生神話や誕生時に鳥にまつわる伝承(金閼智の場合は、その到来を白鶏が告知)がある。
わが国の天皇家には、鳥類にまつわる卵生伝承は端的な形では見られないが、これが天孫降臨の際の真床覆衾に関連するといわれる。この真床覆衾は、殷の王権・即位の儀礼に見られる「綴衣」という先王の用いた衾に通じると白川静氏がいう(『中国の神話』)。殷は東夷系で、玄鳥(燕)の卵を呑んで懐妊した女性の子・契(『荀子』に「契玄王」という表記あり)という者が始祖で、商の地に封じられたという卵生説話をもった。先祖の王亥は鳥形神の字形で表され、その神像は両手で鳥を操り、まさにその頭を食らう、と白川氏が『山海経』やト辞を踏まえて表現する。鳥トーテムの強い色彩があり、王は巫祝としてシャーマニズムが盛んであった。殷の子孫が周王朝の祭儀に客神として参加して降服の儀礼を再演し白鷺の舞を献じたことは同様に記される。
殷の伝承などから、この殷族を貊民族の一分派とかツングース族とみる見解(文崇一や、シロコゴロフの『北方ツングース族の社会構成』)がある。殷の起源は、祭祀・主食(オオムギ)などから考えて、西方からの侵入説(西方系の遊牧民族の一派とみるもの)を水上静夫氏が唱えており、これもおそらく妥当であろう。この場合、西戎は東夷に通じる模様である。
鳥のトーテムとシャーマニズムの関係でいうと、もとの筑前国怡土郡にあたる糸島市有田の上鑵子遺跡では、鳥の羽飾りをつけた鳥装の司祭の絵を刻んだ木板が出ている。これは弥生中期頃からの遺跡とされる(奈良時代の製鉄跡もある)。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大曲の瀬ノ尾遺跡(旧東脊振村域で、吉野ヶ里遺跡の東側の丘陵に位置)からも、羽飾りをつけた烏人とみられる絵を刻んだ弥生期の土器が出土した。吉野ヶ里遺跡の西方近隣、神埼市神埼町竹にある川寄吉原遺跡からも、頭に羽をつけた人物を刻んだ鐸形土製品や銅鏃が出た。韓国のシャーマン(巫師・祈祷師。「シャマン」とも表現される)は、今日でも雉の羽がついた帽子をかぶる。吉備でも、弥生中期頃の新庄尾上遺跡(岡山市北区御津新庄)から出た絵画土器には、鳥に扮した人(嘴とトサカ状の装飾がついた人)が描かれる。烏スタイの9シャーマンには山口博氏も注目するが(『大麻と古代日本の神々』、}、わが国の祭祀担当の忌部氏一族(中央及び阿波・安房に分布)は天日鷲命の後裔であった。
中国・吉林省南東部の集安市は高句麗の旧都だけあって、同市人民政府の庁舎前には高句麗の象徴である「三足鳥」(太陽に住むとされ、足が三本あるカラス。林巳奈夫氏は、実は龍山文化から伝統のある大型猛禽のイヌワシだという)の銅像が立つという。その案内板には「太陽鳥(三足鳥)は中国古代の伝説に登場する。高句麗の壁画の三足鳥は高句麗民族と中原民族が同じ太陽鳥を崇拝したことを示す」と書かれていた。現実に高句麗の古墳壁画に太陽の中に描かれた三足鳥が見られる。これは、わが国鴨族の祖・八咫烏にも通じ、三足鳥で描かれる。
イヌワシ(金雕)を現在でもトーテムとすることで知られるのが、中国・新疆ウイグル自治区に西隣する中央アジア・カザフスタンのカザフ族で、古代鳥孫の末后裔という(二〇一五年一月二九日のNHK第一テレビで、イヌワシを扱う少女鷹匠の話が「世界最古のイーグルハンターモンゴル・カザフ族」として放映された)。ウイグル族・タジク族や清朝(満州人)、エヴェンキ族・ホジェン族などのツングース種族も鷹をトーテムとした。鷹が天神テングリの使者であり、女人との間に生んだ男子が最初のシャーマンだと伝える(以上はネットの「百度百科」)。イヌワシをトーテムとする信仰が上古の華北文化に存在したとの指摘もある。四川省広漢市の三星堆遺跡(約三千年前の殷代晩期のものか)から発掘された青銅神樹(扶桑樹、太陽樹)の枝には九羽のイヌワシが止まっており、この鳥が太陽を表すとみられている。
太陽神の祭
鳥トーテミズムは、世界各地で太陽神信仰や鍛冶屋伝承に結びつくことが多い。中国の射日神話では、弓の達人・羿(ゲイ。后羿ともいう)が帝堯の命を受け、人々を苦しめる十個の太陽のうち、一つだけ残し九個の太陽を射落としたが、この射落された太陽の実体が三本足のカラス(火鳥)だつたという。鳥が霊魂を運ぶ太陽の使者だとする中国の神樹思想にも通じる。殷の王族は太陽の末裔だと当時考えられていた。十個の太陽(十日)は、帝俊(帝舜)と妻・義和との子とされる(『山海経』大荒南経)。なお、帝俊の妻・常羲(嫦娥)は天照大神に通じるともみられ、また、后の妻ともいわれ、これが月神ともされる。
わが国の天孫族もこの例に漏れず、鍛冶部族で鳥トーテミズム、太陽神祭祀をもった。皇祖神の天照大神が天岩戸に神隠れしたことで、高天原を含め世界が真っ暗になっ��という天岩戸神話が有名である。もっとも、こうした「日隠れ神話」は世界中にあり、上記の射日神話にも通じるから、わが国天孫族に限った話ではないが、天皇家が祭祀などで太陽神信仰セをもったことは疑いない。太陽神を祀る朝鮮半島・日本の巫覡に女性の数が多かったこともあり、これが推古・皇極・持統などの女帝出現とあいまって(推古女帝の出現が直接の契機か)、日本では太陽神が後に女性神に転化したが、原型は男性神であった。三浦茂久氏も、天照大神は本来、月神であったとみており、高天原神話に見える天照大神の機織りは月神の特徴だとされる(『古代日本の月信仰と再生思想』二〇〇八年刊)。
天照御魂神こと天照大神に代表される太陽神を、天皇家は伊勢皇太宮などで奉斎し、これに奉仕する日置部も天孫族の流れから多く出た。日置・日置部を名乗る氏には諸流あるが、応神天皇皇子の大山守王の後(『姓氏録』右京皇別)、忌部首の一族(同・未定雑姓和泉の日置部)や土師連の一族(出雲国造袋)などが知られる。
渡来系にも日置があって、高句麗に出自の日置造(左京・右京・大和・摂津の諸蕃)、日置倉人(大和諸蕃)の諸氏が「『姓氏録』に見える。こちら諸氏は高句麗の権臣・淵蓋蘇文(泉蓋蘇文、蓋金、伊梨柯須弥)の族裔であり、高句麗王家と同族の蓋(盖)氏の流れであった(遙かな遠祖は、天孫族と同じか)。この一族は、京都に居住して八坂造氏となり、祇園で牛頭天王ことスサノラヲ神を祭礼した。日本での先祖で、『書紀』斉明二年条に見える高麗の副使の伊利之とは、権臣の泉蓋蘇文の従弟の蓋須のことであった。その子孫には、日置造と八坂造との二大系統があって、後世に永くつながった。八坂造は後に紀朝臣氏と通婚し、紀姓を称した。泉蓋蘇文は高句麗五部のうちの順奴部の出で、父は東部大人、大対慮の宮職にあり、父の職務を承け高句麗軍事の大権を握り、主君栄留王と多数の支持者を殺害し、宝蔵王を擁立して大莫離支(宰相)にもなって、唐と対抗した。
天孫族の一派、鴨族の祖・鴨健角身命(天日鷲命ともいい、実体は少彦名神)は異名が「八咫烏」ともいわれる。その子孫が、神武の大和侵攻を先導した伝承のある八咫烏(先祖と同じ通称)であり、光り輝いて敵の戦意を消失させた金鵄にも化身した「(「金鵄=八咫烏」の平田篤胤等に同意。この「烏」の実態がイヌワシなら、後頭部の羽衣は光沢のある黄色で、英名〔Golden Eagle〕の由来でもある。林巳奈夫氏の著『中国古代の神がみ』では、青銅神樹に止まる「太陽の鳥」は、体つきから見ても、龍山文化から伝統のあるイヌワシだとする)。この八咫烏が、忌部首や日置部の遠祖でもあった。律令時代において、主殿寮に仕える名負五氏のなかに日置・鴨県主があり、日置氏と鴨県主が火を受け持つ類縁の間柄にあった。葛野郡の名神大社、木嶋坐天照御魂神社も鴨氏族の奉斎にかかる。
各地に多く針座する天照御魂神社は、祭神が物部氏祖神(饒速日命)とか天火明命だと受けとられることが多いが、基本的には皆、男神の天照大神のことである(穗積氏の伝えた系図には、天忍穗耳命の父として「天照御魂太神」と記される)。対馬の天道(天童)信仰も特徴的で(日ノ神、殻霊、祖霊の信仰という)、当地には扶余と同様な太陽感精神話も伝えられる。天孫族は渡来の経路として一族や祭祀・習俗を対馬に遺した。「国造本紀」には、津嶋縣直をあげ、始祖の建弥己己命は高魂尊の五世孫で、橿原朝(神武天皇)の頃に置かれたと記される。この官の設置の時期はに早すぎるが、系譜は出雲国造の同族の出であった。
太陽神信仰と鳥トーテミズム・卵生神話が合わされば、霊山信仰・霊鳥伝承や「天帝」の子孫の降臨・天降りやゃ国見の伝承にもつながる。広く伽耶まで含む東北アジア地方諸国の王家や天皇家について、祖先が高山(ないし、その山頂の高い樹)に降臨したという伝承が多い。それ故に、これら各々の国の聖山(新羅の吐含山、百済の北漢山〔高木山〕、金官伽耶の亀旨峰〔金海の亀山洞〕、大伽耶の伽耶山や、日本のクシフル岳(糸島市の高祖山のことで、原田大六などが言う。南九州の日向国ではない〕)として祭礼対象とされる例が多い。匈奴や鮮卑(遼西の朝陽付近の弾汗山)・烏丸、扶余などでも各々が聖山をもち、山上祭天の儀式をした。『三国遺事』には、天帝桓因の子、桓雄は父から三つの天符印(「鏡・剣・鈴」という)を授かり、大勢を率いて太伯山(今の妙香山〔平壌の東北方〕とされる)の頂上の神檀樹の下に天降っており、その教示に基づき人間になることに成功した「熊女」(熊トーテム族の女性と解する李丙燾氏に同意)との間に檀君を生んだ、という神話が見える。新羅の脱解王は、高麗時代にも「東岳神」と言う山神として祀られた。東嶽(東岳)とは、慶州市街地の東方の吐含山のことであり、新羅五嶽のうちに数える同市の最高峰で、日本海を展望できる護国の鎮山として神聖視され、天に祭祀を上げた聖山として知られる。脱解については、日本列島の出身で海路到来と伝えられ、天孫族や天日矛と同族の出とみられる(後述)。
ここまで、天孫族の祖系や祭祀・習俗などを見てきたが、天皇氏族の特徴的なもののうち、主に考古遺物・遺構などに絡まる関係は次の章で見ることにしたい。
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