Tumgik
#恥ずかしながら帰って参りました
yoga-onion · 27 days
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Legends of the humanoids
Reptilian humanoids (12)
Toyotama-hime – Wani (Dragon) Goddess disguised as a human
Wani was a dragon or sea monster in Japanese mythology. Wani is discribed as "crocodile", or sometimes "shark".
Toyotamahime (See) is a goddess in Japanese mythology. Daughter of the sea god Watatsumi, she was said to reside in a dragon palace. Their palace was as if made from fish scales and supposedly lies undersea. Her true form was “Yahiro no Owani (meaning giant crocodile, approx. 24 m long)”, and she was the wife of Hoori (See2), is known as the epitome of human–animal marriage tales. She was the mother of Ugayafukiaezu-no-Mikoto (See3), father of Emperor Jinmu (the first Emperor: See4), and sister of Tamayori-hime (See5), the Emperor's mother.
Toyotamahime makes a fateful meeting with the demigod prince, Yamasachi, also known as Hoori ("Fire-Subside"). They married and lived happily in the dragon palace. 3 years later, she and her husband Hoori, who missed home, went ashore to give birth.
She then warned her husband, "All people from other parts of the world give birth in the form of their native country when giving birth. So I will give birth to a child in my true form”, and requested Hoori not watch how she gives birth. Hoori, however, was pazzled and peered in on his wife as she was giving birth, and saw her crawling around as a giant crocodile of about 24 metres (79 ft) long. He then startled in shock and retreated. Toyatama-hime learnt that being witnessed her true form by her husband, "I have always intended to pass through the path of the sea," she said, "but I am ashamed that you should have observed my true form.” She blocked the sea path, leaving the child behind and left.
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伝説のヒューマノイドたち
ヒト型爬虫類 (12)
トヨタマヒメ 〜人間に変身する和邇 (龍) の女神
和邇は、日本神話に登場する龍または海の怪物のことである。和邇は「ワニ」、ときには「サメ」と表現されることもある。 
トヨタマヒメ(参照)は、日本神話の女神である。海神ワタツミの娘で、竜宮城に住んでいると言われている。その宮殿は魚の鱗でできたようなもので、海中にあるとされる。その正体は「八尋の大和邇(やひろのおおわに: 体長約24mの巨大な鰐の意)」で、ホオリ(参照2)の妻であったことから、異類婚姻譚の典型として知られる。神武天皇(初代天皇: 参照4)の父である鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと: 参照3)の母であり、天皇の母である玉依姫(たまよりひめ: 参照5)の姉である。
トヨタマヒメは、半神の王子ヤマサチ、通称ホオリと運命的な出会いを果たす。二人は結婚し、竜宮城で幸せに暮らしたが、3年後、故郷が恋しくなった夫のホオリとともに出産のために陸に上がった。
その時、トヨタマヒメは夫に「すべて他国の者は子を産む時になれば、その本国の形になつて産むのです。それでわたくしももとの身になつて産もうと思いますが、わたくしを御覽遊ばしますな」と忠告した。ところが夫のホオリはその言葉を不思議に思い、妻が今盛んに出産している最中に覗いてみると、八丈 (約24m) もある長い鰐になって這いずり回っていた。そしてホオリは畏れ驚き退いた。しかるにトヨタマヒメは夫が窺見した事を知り、御子を産み置いて去った。「わたくしは常に海の道を通つて通おうと思っておりましたが、わたくしの形を覗いて御覽になつたのは恥かしいことです」と言い、海の道をふさいで帰ってしまった。
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longgoodbye1992 · 9 months
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
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夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
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白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
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雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
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店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
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「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
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「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
���あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」 
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」 
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」 
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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kennak · 2 months
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おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する.私はどこに出しても恥ずかしい陰キャでオタク。更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。.絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…����みたいに言われて、しんどかった。.そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父の訃報が届いた。深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから、会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツにニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。すごく綺麗な姿をしていた。きれい、なのだがおばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」.おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。私は車から仕事道具を持ち込みながら言った.「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」.葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃんの葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。気がつくと、他の親戚たちからの目線どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。.その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃんの相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って��したら、大層感謝してもらえたよ。そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。..翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。孫代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表はあんたじゃないでしょ」と否定的。そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。.そんなこんなで、本番。お経が終わって、孫代表の弔辞。名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫からの言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧。振り向いたとき、揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。葬儀屋さんも泣いていた。私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。.葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。あんなに素晴らしい弔辞きいたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。どんな仕事でも、活躍の場があるということ。なんだか、ありがたい経験だった。弟からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから、大人しく、お葬式は姉に任せなさいね。.そして、おじいちゃんありがとう三回忌法要、お参りにいくからね
祖父のお葬式で無双した
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oka-akina · 5 months
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1117-1120
1117
遠出したい。せっかく新刊もできたことだし遠くのイベントに出ようかなと思った。11/26のZINEフェス長野がまだ申し込めるようだった。あずさで行くかかがやきで行くか。うちからだと新宿に行くまでがけっこう遠いのでかがやきの方が速い気はするけどあずさ乗ってみたいよな〜と思った。
むかし妹が長野の男とつきあっていたときしょっちゅうあずさに乗っていた。その後結婚した夫も長野出身だけど場所はぜんぜんちがったと思う。過去の恋愛や人間関係を周囲の人間がずっと覚えているの悪いなあと思いつつずっと覚えている。わたしについてもきっと誰かが覚えている。恥ずかしいかというとわからない。指摘されたら恥ずかしいかも。
電車の料金を調べてみたら思ったより高くてびっくりしたので帰りは高速バスにしようと思った。バカデカ優人さんポスターを連れて遠出するの魍魎の匣っぽいかな。そんなことないか。デカいし。
遠出したくてうずうずして、1月のZINEフェス奈良も行きたくなっている。文フリ京都に出られないのでその代わりとして。文フリとZINEフェスがだいぶちがう種類のイベントだとはわかっている。あんまり小説を売るところではない。でもJ.GARDENもそうだけど、自分にとってどまんなかではない、正直そんなにたくさんは売れないイベントに出るのってそれはそれで気楽な面はある。交通手段とかホテルとか飲食店とか検索した。まだフワッとしている予定未満の予定についていろいろ検索しまくる時間がいちばん楽しいよな…と思った。
1118
パートナーとレッドロブスターへ。なんでもない日にやけにぜいたくした。文フリの打ち上げのつもり。パートナーはわたしの小説読んだことないけど。お店の人が生きているロブスターを一回テーブルに見せに来て、お写真撮りますかと言われたので写真を撮って「バイバーイ」とか言った。あの子はまだ自分が死ぬのを知らないのだ…と二人でつぶやきあった。いやな感じの冗談を言うときわたしたちは本当にイキイキしている。スチームしたロブスターはある程度お店の人が解体してくれるけど、自分たちでほじくったりちぎったりが必要なので、これはごく親しい人と二人で食べるのがちょうどいい食べ物だなと思った。知り合いやほかの家族とこれをやるのはけっこう気をつかいそう。
なんとなく頼んだフライのコンボ、白身魚のフライがふわふわでこんなに美味しいの初めて!と感激した。食べ慣れたもので美味しいものに出会うと本当にうれしい。そしてこれもなんとなく頼んだチーズビスケットが、想像していたよりずっとサクッとふわっとしていて、こういうのがこんなに美味しいことってあるんだ…と驚いた。これテイクアウトあったらいいのにねと話した。検索したらamazonで売っていたけどどうやらそれは1.5kg入りのミックス粉で、自分で作ってくださいというものだった。40個できるらしい。業者じゃん。
1119
ゴルフの練習。ゴルフを始めて2年になる。レッスンは週一。あんまりまじめにやっていないので当然なかなかうまくならないけどぜんぜんできないことをやる時間というのは新鮮で面白い気がする。先生に言われたことを言われたようにできない。説明はわかるけど頭でわかるようには身体は動かない。この不自由さ。そうしてそれがべつにぜんぜん恥ずかしくないのは、やっぱり歳をとったからなんだろうか。子どものころの体育の時間はとにかくぜんぶが恥ずかしかったし、演劇のときもそうだった。
集まるクィアの会へ。近くに用事があったので途中からになっちゃうけどちょっと行ってみた。新宿中央公園の芝生の上で、みんなでプラカードを書いたり、何か話したいことがある人は手を挙げてスピーチをしたり。途中参加のわたしは聞いていただけだったんだけど人の話を聞いていると自分もすっかり打ち明け話をしたような気持ちになる。これは本を読むときにも感じることで、胸を開くというか解放感がある。公園はいろんな人が思い思いに過ごしていて、晴れていて気持ちのいい時間だった。こういうところで話をしたり連帯をたしかめあうのはすがすがしい。先週デモに行ったときとはかなり気分が変わっている。これはそれがどういう集まりかということではなくたんにわたしの調子だし、おおまかに体調だと思う。なので、わたしの言うこと(書いた文章)はあんまり真に受けないでください…と思ってしまうけど、真に受けないでほしいからいっぱい書きたいのかもしれない。文フリでブースに来てくれたTANさんに会えてうれしかった。
なむあひさんとゆとぴやぶっくすさんへ行ってねぎで飲んだ。オフラインで話すのやっぱりいいなと思った。あたらよ受賞おめでとうございますのお花を渡した。もっとブーケっぽいのを買おうとしていたんだけど花屋で大輪のダリアを見つけたら思わず…なむあひさんはDAHLIA(X JAPAN)でしょう…と思って。ねぎは古いJ-POPばかり流れている店で、ちゃんとXもかかった。前奏が流れた瞬間なむあひさんが「Xですね…美しい…」と言ったのがすごくよかった。
1120
渋谷◯◯書店に文フリの新刊などを納品に行こうと思ったのに本を入れた袋をまるまる忘れて家を出てきてしまった。電車に乗って愕然とした。か? わざと忘れたような気もする。売上を紛失されて以来、◯◯書店での活動にやる気が出ない。いや、紛失された直後はそうではなかった。ちきしょう自分の場所を守るぞという気持ちでやる気がみなぎっていたのに、夏を過ぎたあたりでなんだか急速に興味がしぼんでしまった。
えもの家へ。電車の着く時間を伝えたら「コーヒーとおにぎりをあたためて待ってるね」と言われ、それがもうすごくあたたかいよなと思った。晴れているけど風が強くて寒い日。こういう日は冬っぽくて好きなんだけど、長い地下鉄に乗っているうちに日は陰ってしまって、電車が地上に出たらすっかり夕方だった。
展示の作品を見せてもらい、昨日なむあひさんから預かった『aneimo』を渡した。土曜に送った『疎林で寝る』とわたしの本は無事届いていてよかった。レターパックを追いかけるように家を訪ねてしまったなあと思ったが、会えてうれしかった。今日晴れてるからえもちゃんち行っていい?と急に声をかけたらのってくれて、わたしは先々の予定を立てるのが苦手なので急に遊べるのほんとにうれしいな…と思う。展示用の置き物やドローイングが本当によかった。アナログの表現がめちゃくちゃ上手いよなあと感嘆した。
電車の中でキム・ヘジン『中央駅』を読み終えた。ホームレスの「俺」が誰なのか、どこからきてどうしてここにいるのか、何歳でどんな容姿なのかとか、そういう過去やスペックのようなものは一切語られない。あるのはいま現在の「俺」の感情と感触。男女の愛の話だと思うけど「俺」と周囲の人間との関わりはブラザーフッドの話としても読める気がした。ぜんぜんうまくいかないブラザーフッド。
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このくらいの日記を毎日つけてzineにしてみたい気持ちがある。
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fuuuuareyou · 7 days
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4.18( 𝚃𝚑𝚞 )
この日でデートは実質最終日。って事で地元のショッピングモールに行こうと。俺らもまだまだ若いなぁ、なんて朝から思うぐらいにイチャつきながら、時間設定したもののグダグダして過ぎてたのは言うまでもない。でもいいよね。家でこうまったりする時間とか、こんな写真あるんだよって見せるのも。これからこんな素敵な時間が増えるのかと思うと、すんげえ幸せじゃんってなった瞬間だった。
昼過ぎてやっと出発して、平日だったから空いてたしラッキー。前日からラーメン食いてえって話しになり、中に入ってるラーメン屋に直行。いや、食える気はしたのよ。めっちゃ腹減ってたし。調子乗ってラーメンとチャーハン餃子セットー!とか頼んだら、まあ後半キツくて。大吾にあーんしたら食べてくれるっていう優しさね。(どんどん太らしたろ)
食後は苦しいお腹抱えながら、服を見たり館内をウロウロして。特に何を買うって訳でも無かったけど、今度ペアルックとかしたいなぁ、っていう願望あり。
で、いつぶり?ってぐらいのプリクラを撮りに行った。まっじ分かんねえ。中でも動画回してたり、ちょっと恥ずかしかったけども盛れ盛れ大吾の完成。俺の目どうした?ってレベルでデカくなってて宇宙人かと思ったわ。(笑)
ペットショップに寄って、ワンコとかミーアキャットに癒され。俺動物の中でミーアキャット1番好きで。いつかは飼いたいと思ってるぐらいには。今度触れ合える所に大吾と行きたいって思ったよね。きっと甲高い声で「 どしたん?可愛いなぁー!!」 って言ってるんだろうな…。
家出るのも遅かったし、夕方になって来たからスタバに寄って帰ろうってなって。俺が欲しがってたタンブラーをゲットしてくれてたから、それを2人で持参して大好きなメロンを堪能。毎年これが楽しみなのよ。そしてタンブラーありがとね。大事に使います。
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家帰ってから早めに風呂入って、プリクラの画像貰ったり。でもあの保存出来るサイトってさー、過去のものも消えずに残るじゃん。良し悪しあるよね。俺がチラッと見ちゃって、嫉妬してしまいーの、俺も反撃したら泣かせちゃって。最終日なのに俺何やってんだろって思ったけどさ。…まぁ、過去は過去に過ぎないけど見たくないよ。な?お互いに。
仲直りのハグして寝たのは良いけど、夜中に目が覚めて寝れなくて。そしたら大吾も起きて来て朝まで沢山お互いを確かめ合った。……だって最終日じゃん。寂しさで求めて仕方なかったんだ。寝不足にさせてごめんなぱい。
朝方寝たけど、起きたら結構時間ギリギリ。飛び起きて俺仕事だったから準備して。あーあ、これでしばらくまた逢えないのか。なんて思ったら離したくなかったし、帰したくなかったのが本音。
駅の近くまで送って。またねのキスを交し、泣いてる姿に胸が締め付けられちった。仕事行きたくねえって心底思いましたよこの時は。でも将来の為にもね、ちゃんと仕事はしないといけないから、泣く泣くその手を離してあっという間のデートが終わりました。
ちなみにその日の仕事はとことん元気が無かったでーす。空元気で作り笑顔爆発させて乗り切りました。てへ。
前回のデートよりも濃い日々を過ごせて、俺は凄く幸せ感じたし、未来の俺らが頭に浮かぶぐらい素敵な家庭になるんだと確信した。あともう少しの遠距離ライフ、こんな事もあったね。なんて笑って話せる日々が楽しみだ。近くに来ても初々しさを忘れず、いつでも手を取り合って照れ笑い出来るカップルで居ましょう。何があっても必ず、君を幸せにするよ。またカウントダウンしながら、次へ向けて頑張ろうな。
大好きだよ。
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myonbl · 15 days
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2024年4月13日(土)
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やっと週末、解放感に包まれて街へ出た。まずは<トラベラーズファクトリー京都>へ、以前から予約していた<実演名入れ>、持参したノートもしくは新しいノートを購入し、そこへ職人が目の前で刻印してくれるのだ。その後は京都大丸へ、<さんだかん燻製工房>でベーコン・ハム・ソーセージを仕入れる。夏日の週末は人でいっぱい、用を済ませてとっとと帰宅、明日は完全休養日としよう。
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5時起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
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朝食。
珈琲。
ツレアイはチラシをチェックして買物リスト作成、早速自転車で走り回る。
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ダイソー西七条店へ、ガラスボール3個購入。何に使うかと言えば、今日は気温が上がるとのことで、今季初めて素麺をいただくためだ。土曜日ではあるが、今日も私はランチ抜き。
2男は昼食後、いつもの<バザールカフェ>へボランティアへ。
彼女は、<堺町画廊>のイベントへ。
3男は、久しぶりにバイクのエンジンを掛けて遠乗りへ。
私は、京都駅から地下鉄で御池へ、新風館へとやって来た。
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名入れの予約は15時30分、15分前に受付するとのことで、ベンチに座って読書しながら待つ。受付で予約していた新しいノートを受け取り、希望の文字を用紙に記入してしばし。店内は女性客が大半、少し居心地が悪い。名前を呼ばれて職人さんの作業場へ、スタッフから「初めてのノートですか?」「いえ、妻の誕生日プレゼントです」とこたえると、周辺の女性たちが一斉に「素敵ー!」、恥ずかしかった(^^;)。
次は京都大丸へ移動、いつもの無添加商品をあれこれいただいて帰宅する。
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新ジャガを使って肉ジャガを作り、骨付きハムは玉ねぎと和え、焼きソーセージ2種、息子たちはスパークリングワイン、我々は<加賀鳶>で乾杯。
いつものように録画していた<刑事コロンボ>を観ようとしたが、書き出したディスクの問題か、画像がえらく荒れている。結局3作目を観ようとしたが、その頃には睡魔到来。やはり空腹に日本酒は効くなぁ、すぐに布団の中に吸い込まれた。
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久しぶりの12,000歩越え、満足なり。
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imu888 · 1 year
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20220116
ここ最近は iPhone から Tumblr にアクセスできなくなってしまい、途方に暮れている。同じ人、いるのかなあ。 そんな話は置いておいて、高校の同級生の結婚式に行ってきた。
懐かしい人たちばかりのその席で みんなよそよそしく挨拶をしてみじんもそんなことを思っていないのに つまらないものですが、と品を差し出すように近況報告をし合う。
ああ、昔から小説で読んだあの場面たちが きれいに踏襲されているこの光景に、なんて言えばいいんだろう 懐かしさと、寂しさと恥ずかしさがどっと押し寄せた。
溢れるほどの懐かしい存在たちが 過ぎ去ったときの長さによって様変わりする寂しさと きっと10代の頃と考え方がまるで変わった自分にとって 再会から思い出される過去への恥ずかしさが ぐるぐると腹の底をかけっこしていた。
そんな感情を隠しもせず、戸惑い合う私たちは、 なんて滑稽なんだろう。
私に確かな演技力があれば バカみたいに戸惑いを見せることなく涼しい顔で会話に参加できただろう。
次にこんな場面があれば 涼しげにさらりと過ごす私になろう。
子供ができたと男性が言えば、育児について 男性は協力的でないから〜と自分が体験したわけでもないのに SNSでよく言われる言説を我が物顔でふりまく様子に 自分も気をつけなければと思う。
歳をとるほどに感じる、「余計なことを言わない」大切さ
でも、「余計なこと」って一体どこからどこまでなのか いまだにわかっていない自分がいる。
少なくとも何かを話さなければいけないのであれば 受け売りの言説をたれながすことはせず、 自分の見たもの、感じたことを語る人でありたい。
思った通りに生きていくことは難しい。 でも、思った自分に近づく努力は、近づきたいと思ったこの気持ちは 本当なんだ。
久しぶりの再会は居心地の悪さと、ほんのりとした苦さが感じられて いてもたってもいられなくなった私は式が終わってすぐに二次会に参加することもなくそそくさと帰路に着いた。
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ryecha · 2 months
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本当にイベントは好きなものを参加してください😌 特にインセンティブとかは気にしなくていいです🫠 まぁ気になるのも分かるけどね🥺 でもせっかくのイベントなので楽しんでもらえるのが一番だと思ってるし、もちろん収益になったらありがたいけどみんなが笑顔で帰ってくれた方がモチベーション的にも嬉しいな🫶 だがしかし!! 収益の方が大事って方もいるかららいだけは珍しいやつなんだなって思ってください🤧 とりあえず今決まってる握手会とコラボトートとお弁当は内容見て決めるなり、とりあえず全部出てみるなり、とりあえず全部スルーして様子見るなり、自由に決めてください🙇‍♀️ ただグッズの絡むコラボトートとお弁当は再販がないのでそこだけは気をつけてください😋 逆に握手会は好評だったら誕生日とか、半年記念とか、今後やれる可能性もあります🥳 今回異なる案件3つ用意されてるけど、好評だったものは似たイベントの案件きたら出るのでそれぞれ出た方は感想いただけると嬉しいです🥺
今日は全体的に告知枠だったけど、背景のラフを貰った話もしたし、カラオケでの歌枠の話もしたし👍 ちなみにカラオケ配信でいうと私法学部法律学科(の国際法専攻��関係ないけど)なので有名どころの法律は詳しいのと興味があって😳 だからイラスト関係もトラブルがおきないように使い方を確認してるし、それ以上の使い道の時は料金支払ってるし、トラブルにならないように徹底しているつもりです🥰 だからその辺はご安心いただけると嬉しいです✊ いつかみんなが休みやすそうな時期を見つけて私の休めそうな日も含めて調整した上でカラオケ配信やろうね🎤 あと混んでない日じゃないと許可取りできないかもだからその辺も見極めないとだね💦 初のスマホ配信は嫌だけどやるか…😖 恥ずかしい🙈💕
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charanporany · 3 months
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山形に行った。触れた。
冷たい外気とは対照的に、出会う人が皆温かくて驚くほど眩しい。
「こんな幸せでいいのか」
「こんなに優しくされていいのか」
そんな気持ちが溢れて脳内が水浸しになった。慣れない多幸感、知ってしまったら戻れない人から��裏のない愛情。これは何か大きな不幸の前触れで、最後の幸せ。そんなことを疑ってしまう気持ちが常にあった。少し重量のある様々な感情を冗談めいて伝えたら、真剣に元の重量でそんなことは絶対にないと言ってくれる人が帰りの新幹線で隣にいる。なんてことなのだろう。
山形についた日の夜に食べた人参すら私に優しくてほっくり甘い。「そういう」人参な訳ではなくて、少し面倒見の良いところで育ったごく普通の人参だそう。砂糖を入れることもしていないらしい。そんな甘さの魔法をかけるために、調理場に立ってくれたせつこさんは40分人参の面倒を見ていたらしい。褒めても褒めてもその魔法に匹敵する言葉がうまく引き出せず、今もまだあの人参が忘れられない。
「この人たちとの旅行なら絶対に幸せのまま帰れる」そんな確信があることがどれだけ恵まれていることか、痛いほどに分かる。大学の卒業旅行はたったひとりで北陸の卒業制作展をふたつ回る旅をした。無理に合わない人たちと我慢の多い旅をすることが耐えられず、社交性と協調性の無さに嫌悪感を抱くことすらあった。私は生涯このままひとりなのではと思いながらも、社長になってひとを雇うことでひとりを回避する夢を見た。社長になりたい夢は、自分の居場所を作る半分愚かな考えだった。
そんな私も今やこんなにも楽しいことを共にできる人に囲まれた。グミ1袋を20分で完食してしまうことをずっと恥ずかしいと思っていたのが、みんなにとっても日常茶飯事な出来事であることを知り、同じ星の人だと実感する。今この瞬間もう死んでもいいをずっと更新し続けている。人を幸せにするために今は社長になりたい。そのためにも長生きして色々なことを共にしたいよと思うばかり。そんな山形に触れた。
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bastei · 1 year
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2022
夢を見るには眠すぎる
 目が覚めると外は一面の雪景色に変貌していた。「すごいって、早く会社行って雪かきした方がいいよ」と妻がいう。もう少しだけ布団の中でグダつきたい。隣で寝ている息子の顔を眺めていたいけれども、妻のいうようにぐちゃぐちゃになった顧客用の駐車場のことを考えると、もう嫌な気持ちでいっぱいになった。この季節は全部マイナスからスタートしていくのが嫌だ。たとえプラマイゼロまで持って行っても、くだらない書類の空白を埋めていかなければならない。寝息を立てている息子のさらに隣で寝ている娘の顔を覗き込むと、私に気づいて信じられないくらい笑顔で笑っている。妻は先に目を覚ましており、蛍光灯もつけず私のお弁当を作っていた。これから始まる絶望的な季節、金にならない労働が幾分か頭をよぎっているようだった。だいたいこの時期になれば”こんにちは、雪です。一年ぶりですね”といった具合に簡単な挨拶にくるものだったから油断していた。”あー降ってきやがったなー”と思った翌日には、特殊作戦群が扉の前に"ステンバーイ…"と待ち構えていた。
繋がりとか縁とか言うとちょっと恥ずかしい
 ここに集まった人みんなは"何かのご縁"で集まっていると思います。今日を迎えるにあたって、僕とイトーくんの縁はなんだろうと考えました。出身も違えば大学も学部も違うし、サークルも違うし、仕事も趣味も多分違うし、多分国籍が一緒くらいなもんで、たまたま今から10年以上前にいった神楽坂の竹子——ほんとうにひどい飲み屋ですよ——の一角でたまたま隣のテーブルに座っていて、たまたま私の元カノの友達——それも2、3回しか会ったことなかったんですよ——といっしょにいて、酔った勢いで話しかけてみて、そのまま仲良くなるという縁が、ここまでずっと残るとはあの時思わなかったです。今になってみれば何であの飲み会行ったかも、逆になんで自分があの飲み会誘われたかも今ではよくわかんないし、もうすこし気持ちが乗らなかったら外に出なかったかもなーとか、竹子のビールがもう100円高くて上等なものだったらあそこまで酔っ払ってなかったかもなーとか、その後なんとなく皆んなで東京タワーまで歩く気分にもなってなかったかもしれないです。なんというか僕はラッキーだなーと思ったんです。
 そうして思い返していると、一緒にいると楽しいかもとか面白いことがことが起こるかもしれないという予感のようなものが縁だったのかなーと思うのです。よくわからん人付き合いには、ふわふわと縁なんて言ってヘラヘラ誤魔化してしまうんですけど、今日はもう少しだけ踏み込んでみるとあの時確かに"いい予感がした"んだって、やっぱり楽しいそうだなって予感が、あの時したんだと思います。みなさんも、お二人も、きっとそうじゃありませんか。
 そして、その元カノの友達はイトーくんと飲んだくれているうちに、今では直接の大事な友達として、今日まで仲良くしています。彼女はいまロンドンにいて、ここに来ることができませんでしたが、手紙をいただいておりますので、代読させていただきます。
Hからの手紙を読む
 結びになりますが、今日はお招きいただきありがとうございます。奥様とは今日初めてお会いしますが、二人が本当に愛し合っていることが身にしみてわかって、すごく嬉しいです。イトーくんをよろしくお願いします。今日は李賀のように飲みすぎるなと妻から釘を打ち込まれておりますが、たくさんお酒を飲んで、仲良くなって楽しい気持ちで帰りましょう。こんにちの縁が、美しい予感が、ずっと続くことを祈念しまして、お祝いのあいさつとさせていただきます。
手紙の中で語られた、昔イトーくんが酩酊状態で突如として朗読した李賀の漢詩
琉璃鍾 琥珀濃 小槽酒滴眞珠紅 烹龍炮鳳玉脂泣 羅幃繍幕囲香風 吹龍笛 撃鼉鼓 細腰舞 況是青春日將暮 桃花乱落如紅雨 勧君終日酩酊醉 酒不到劉伶墳上土
ガラスの杯は濃い瑠璃色に輝いている。 小さな桶から酒が滴って紅の真珠のようだ。 龍を煮、鳳を包み焼きすると、玉の脂がジュージューと泣くようにこぼれる。薄絹の帳と刺繍した幕にいる囲まれた中に、かぐわしい風がそよぐ。 龍の笛を鳴らし、ワニ皮の太鼓を打ち、白く美しい歯の美女が歌い、細い腰をくねらせて舞う。まして春だ。日はまさに暮れようとしている。桃の花は乱れ散り、紅の雨のよう。 君に勧める。一日中、ぐてんぐてんに酔いたまえ。かの劉伶でさえ、墓にまで酒を持ってはいけなかったのだ!
今年生まれてきた娘についてのごく個人的な考察
 兄妹そろって妻寄りの顔つきなので、3人並んでいると本当にそっくりだなーと思う。加えていえば、妻は3つ子なのでこの世に似ている顔が6つあることになる。ややこしい。
じゃがいもについて
「ねえ僕は実はさ、じゃがいもってあんまり好きじゃないんだ」
「えっ?! どういうこと?? 私むしろ入れるようにしてたんだよ?お腹いっぱいになるかなって思って、それも結婚してから5年もたってるのよ?本気で言ってるの?」
「そうなんだよ、そこなんだよ、だっておなかいっぱいになっちゃうじゃないか。それだけでおなかいっぱいになっちゃうのが僕はダメだったんだよ実は」
「飢饉かよって思ってしまうんだ。いや、フライドポテトとかは別になんともないし、なんというかコロッケとかはむしろ好きなんだ」
「めんどくせー男だなオメーは。むしろなんにでも入れてたわ。これでもかってくらい」
「汁物に入っているやつが、なんか違うなってなっちゃう。いや、食べるよ別に、なんていうか食べれないわけじゃないんだ」
「同じコストでいろんなもの食べたいんだよ。人参とか玉ねぎとかは同じ量食ってもお腹いっぱいにならないでしょう?他のものも食べれるわけよ、米とか」
「ところがじゃがいもってマジでお腹いっぱいになるじゃん。さっき道の駅で買った郷土料理の汁物のなかに死ぬほどじゃがいも入っててさ、これじゃあじゃがいもじゃんって思っちゃって最低だったマジ。それでやっと気がついたっていうかさ、じゃがいもそんなに好きじゃないって。好き嫌い殆どないからさーあんまり考えたことなかったんだよ。いままで。そもそも山菜汁にじゃがいもいれてくるあたりセンスないよ。あの店潰れるぞ。僕は山菜が食べたいよ」
「ポトフはよく食べるじゃん」
「ポトフはギリギリ許せる。味がするから。嫌いなわけじゃないんよ、普通に食べるし」
「めんどくせー男だなーーーマジで」
「カレーは?」
「カレーはじゃがいもっていうかカレーだからイケるな」
「5年も真顔で好きでもないじゃがいも食べるのやばいって」
「そういうの早くいってよ」
今年買って買ってよかったもの
小型のマッサージガン マツダのcx-5(ディーゼル4WD) デスストランディング(いまさらプレイして最高傑作だった)
この記事は2022 Advent Calendar 2022の5日目として作成されました。前日は nobokoさん、明日はまとさん⭐️🇶🇦さんです。
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doctormaki · 5 months
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久しぶりのテキサス。11年振り。まだPjが修士を取り終えたばかりで、PimmyがAustinに住んでいた時に、Austinに行ったのが最後。今回は、Austinより少し南のSan AntonioでAARの年次会議があるので参加。仲間で出す本の会議や、来夏ローマの世界哲学会議の準備会合、自分の発表、研究者仲間内の夕食会などは全て月曜日に上手くスケジュール調整できてしまったので、金曜日から土日は遊ぶ。Dallasから飛んできたPimmyと空港で集合して、早速、テキサスといえばBBQ。巨大ベビーバックリブを食す。
SanAntonioはメキシコとの領土争いの時に、Rooseveltが拠点とした場所。今回宿泊したMengerホテル内には、Rooseveltがメキシコからの独立のために中心的に戦った12名のカウボーイを集めた酒場、Menger Barがある。彼らが戦闘拠点としたAlamoという場所は、元々はスペインからのミッションが立てた修道院。そこに立てこもってアメリカ人が戦ったので、テキサスがアメリカの一部になっている。Texas prideの中心地でもある。
Mengerでは4泊するので、角部屋のAlamoが見える良い部屋をあてがってくれた。土曜日は朝、ダラダラしながらUNESCO遺産になっているカトリック修道院の午後からの半日ツアーに申し込む。BrunchをTexmexで有名なレストランへ歩いて行く。San AntonioはRiverwalkといって川沿いの道が整備されており、川に沿って街が形成されようとしている。ここ二十年位でwalkable cityへ改造していっている。世界遺産は、スペインのミショナリーが建てた教会や共同生活場所。フランシスコ会や、ベネディクト会が主に来ていたらしく、イエズス会の強欲的ながめつさから思うと、フランシスコ会やベネディクト会は少し性格が異なる。アメリカンインディアン達を教化していくと同時に、機織り、鋳造などの技術も伝授したらしい。見物の後はJazzバーへ。満席といって断られたので、適当に夕食を取っていると、受付のボーイがわざわざ探しに来てくれた。ノーショーだから、席を半額で売りたいという。店にしたら二重の商売だが、有り難く、半額なだけにショーの半分だけを聞く。やっぱり、アメリカのJazzは良い。身体に音楽が染み込んでいるのが良く分かる。でも、この日は良く歩いて、Pimmyによると27000歩も歩いたらしい。
日曜は、またダラダラして、Pimmyが行きたかった有名なパン屋カフェに行く。注文が届くのが遅いと文句を言ったら、注文していなかった私の分のホットチョコレートもサービスでくれた。お昼過ぎにはPimmyを見送り、学会発表準備の結論部分を練る暇もなく、Yale時代の教え子、WayneがAustinから車をぶっ飛ばして2時間もかけて会いに来てくれる。
Wayneはずば抜けて優秀だった。お母さんが大好きな甘えん坊の次男坊。お兄ちゃんと一緒に日本を訪ねてくれた時は、二人を山梨ドライブへ連れ出した。暫くお互いに忙しく、全然連絡を取っていなかったのだが、NYにいる時に、そういえば、WayneってAustinにまだ住んでいるの?とダメモトで聞いてみたら、なに~!!!って感じで会いに来てくれた。金土日は、彼女の誕生日で小旅行中だったのに、彼女をAustinの家に連れて帰ってから、わざわざ来てくれた。ありがたい。
Wayneは、この4年ほどFacebookで働いていたらしいが、12月からはAI関係会社で決算状況をAI判断させるサービスを提供するらしい。Facebookでも、決算関係プログラムを統括していたらしい。コロナ禍で相次いでお父さま、お母さまを心筋梗塞で亡くされたらしい。もう2年前だよマキ。。。ようやく、立ち直ってきたとこなんだよ。。。と。そんなWayneを見ながら、私の方が大泣きする。毎週のようにお母さんやお兄ちゃん、お父さんの話をしては嬉しそうにしていたWayne。無邪気さが無くなり、急に大人っぽくなったと思ったら、苦労していたんだ。お兄ちゃんがいて良かった。。。と。そして、ボストン出身の彼女はお父さんが脳腫瘍宣告を受けて3ヶ月で亡くなるなど、若いカップルは、私の知らない間に、大変なコロナ時代を過ごしていたらしい。人に会わなくて良かったから、本当に助かったねと、段々、昔の無邪気な笑顔に戻る。
今度はいつ会えるのだろう。お兄ちゃんの側に住みたいからと、お兄ちゃんが家を買ったGeorgia、Atlantaに引っ越すらしい。それと同時に転職。彼女は、もうずっとオンラインでの仕事なので、どこに住んでも同じ。彼女ができた時は嬉しく、私にまで報告してくれたっけ。僕は未来に希望を抱いていたいんだよ、マキ。と微笑む。心優しいWayneは、昔のWayneのまま。そして、人生は色々あるね。疲れる。。。と溜息をつく。
Wayneだけでなく、今回はTianyuやYui、Tucker先生と、ほぼ10年程度会っていなかった友人達と再会できた。彼らは、まるで昨日までと変わらない。普通に、つい昨日も会っていたような感覚なのだ。人生の生き方やスタンスが変わらない。結婚やら何やらで人格が変わるように感じる人間は、やっぱり、元々が底浅い人なのかなぁなどと思う。本質は、変わらないでいてほしいが、それが変わったように感じさせる時点で、人間として底浅いっていうことなんだろうな。主体的に人生を生きていないで、周りに流されるバカの証拠でもあるが。。。それに気付かない、気付けないのだとしたら、家族といえど、もうアホすぎて付き合いきれんやろ。。。とも改めて思った。
世界中散らばっている若い友人達。私はなんて幸せ者だろう。Wayneは別れ際に、マキは何も変わっていない。マキはマキのまま。安心した。というかホッとした。Yaleを思い出した。と、ボソボソ恥ずかしそうに言っていた。ちゃんと言語化できているだけ偉い。やっぱり、Wayneはお母さんに可愛がってもらっただけに、性格が可愛いのだ。私はWayneのお姉さんを自負していたが、また、思い出した。お姉さんを自負している分、彼らみたいな良い人間達の精神的拠り所になり続けて上げられるようにと。
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p-ani · 1 year
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物語を詩へ 習作 ハル
先に物語として文章を書き、それを詩へと変換する試み。
実際的で現実的なものからもっと表象的で形而上の何かを表現することを目標としたい。
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君と僕は学校帰りの駅のホームでベンチに座って電車を待っていた。
この時間にしては珍しく他に人影はなく、プラットホームの大きな庇を超えて桜の花びらが舞い落ち、夕方の柔らかい光が二人を照らしていた。
そのときの僕らは特に言葉を交わすことはなかったけれど、二人の間に漂う空気にぎこちなさはなく、つまりそれは親密さゆえの沈黙だった。
君がスマホを取り出したりしないことが僕には嬉しかった。
君は差し込む夕日に目を細めながら、暖かい風に舞う花びらを見つめていた。
少し微笑んでいるように見えた。
君の横顔を見ながら、僕はこの時間が永遠に続けばいいと思った。
どこでもない駅の2番線に「 」が参りますご注意ください
桜の花びらが、横溢する色彩の速度で夕日を透過して舞い落ちる中、君と僕で永遠を待っていた
春の温度で漂う無言の交信としての愛は多少の気恥ずかしさを原因として光の粒子に変換されて空白へ還元される
体の温度が上がる感覚は君が海底に沈めた銀の指輪で地球の反対側から僕を照らす星に喩えたみたいだ
あらゆるものが金色に染められて静止したかに見えるここで、君は浮かんでは踊る花びらを静かに感じている
君は地球でたった一人の女王様みたいだ
そして僕は地球でたった一人の君の従僕でありたいと思った
難しい。
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imwatashi · 6 months
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2023.10.30
日曜日は兄の結婚式でした。帰省してすぐつけたテレビで流れたのが「なぜ若い女性は此処(地元)を出ていくのか?」というローカル番組の特集CMだったので少し気まずい、私ひとりしか見てなかったけど気まずい。そんな地元で一番身近な家族が、若くて美しいカップルが挙式をあげるのだからそんな捨てたもんじゃないと思うけどなぁとか思いつつ、じゃああんたは地元に戻る気あるの?と聞かれると素直に頷けはしない。結婚式仕様に付けたネイルチップが長くて文字が打ちづらい。相変わらず地元に帰ると相反する感情にのまれてどうしようもなくなるけれど、それでも結婚式はすごくよかった。昔、従兄弟が妹の結婚式で「やっぱり兄妹のは堪えるわ」と言っていたのを思い出した。あっという間に終わったし、お相手の親族に外国の方がいるから急遽父親のスピーチを英訳するっていう父からの無茶振りがあったせいで若干ナーバスだったけれど、それを含めてやってよかったし、参加して良かったなぁと思う時間でした。
新婦さんは本当に素敵な人で、ご家族も素敵で、絵に描いたような仲良し親子っていう感じでそれは素直にすごく羨ましいなと思った。私は末っ子で自由にやらせてもらってるから結婚とか式をあげるとか家を買うとか地元に帰るとか、そういう少し煩わしい問題から都合よく目を逸らしてるけどやっぱり年齢も年齢だし人の結婚式を見るとそういうの考えちゃう。結婚式って日常に鋏を入れてくれるような素敵時間であるのは間違いなくそう思うけれど、友達の前で両親への感謝を伝えるとか死ぬほど恥ずかしくて誰もそんなの見たくないんじゃないかとか考えなくていいことまで考えて1人で疲弊してる。今の恋人はそろそろ社宅の更新が迫っていて新しい物件を探している、そのタイミングで自分の年齢なら「同棲しない?」とか話に上がってもいいはずなんだろうけど私はそういうところからずっと目を逸らしてるなぁとか思う。一緒に住みたいと思ったことはなくはないし、平日だって仕事の合間を縫ってお互いの家を行き来して泊まったりしてるし、一緒に住めたら楽なんだろうな〜と思うけど、相手もその話題は出さないし、まあいいかなと思って何も触れないでいる。ご祝儀の準備をしてたら親から「あんたのときに帰ってくるもんね」と言われて何とも言えない気持ちになった。親は私がいつか結婚すると思ってるし、挙式もあげると思ってる、それは特別な期待とかではなくごく当たり前の感覚としてそう言ってるところまで、わかる。私には心から大好きな人がいて、その人とずっと一緒にいたいと思っている、けれど、まだ結婚したくない、と思っているのもたしかなのだ。結婚したら自由がなくなるっていうのは私の考えすぎ?なのだと思うけれど、こういうことを考えるたびに、私にはまだ見たい景色がたくさんあるのだと痛いほどに実感する、そしてそれが痛く感じるのは、かつての自分のように今の私がひたすら若い自分じゃなくなったからなのだともわかる、健康で自由に行動できるエネルギーがある時間は、意外と限られているのかもしれないなんてずっと昔から気がついていた、憧れを潰さなければ永遠にタンブラーへ思いを綴る大人になっちゃう。なんて、書きながらそれを認めた東京行きの新幹線。内側で煮えたぎる思いがあるくせに、帰省のたびに家族との別れでいちいち泣きそうになる自分がバカみたいだった。そんな自分がいちばんありのままの私なんだと知っているから、余計にバカらしくなる。セブンイレブンで無糖レモンサワーを買った、一息ついてすべてを飲み込みたかった。
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kennak · 4 months
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中国に駐在する日本の垂たるみ秀夫大使がおよそ3年の任期を終え、日本への帰任を前に記者会見を開きました。 外務省で中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」として40年近い外交官生活の大半を中国との関係に費やすなど、キャリア官僚としては異例の経歴を歩んできた垂氏。 習近平国家主席への権力集中が進む中国で、何を目指し、何を感じたのか。離任を前に開いた記者会見の全文で迫ります。 離任の記者会見を行った垂秀夫大使とは 垂大使は、昭和60年に外務省に入り、中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」の出身として、中国・モンゴル課長や領事局長、官房長などを歴任し、およそ3年前から中国大使を務めてきました。 いわゆるキャリア外交官は、専門とする国以外に欧米先進国などへも赴任するのが通例ですが、垂氏が駐在したのは中国、香港、台湾で合わせて18年。異例の経歴です。 中国共産党の高官だけでなく、民主化を求め政権に異を唱える人たちにも人脈を築いてきたと言われ、中国政府が日本の政策を批判したときには、SNSも使ってすぐに反論するなど、異色の外交活動が注目を集めたこともありました。 その垂大使の離任に当たっての記者会見は、12月4日午後、北京の日本大使公邸で1時間あまりにわたって行われました。 以下、その全文です。 会見 (垂大使 冒頭発言) 皆さん、こんにちは。こんなにたくさんお集まりいただいて感謝いたします。離任記者会見ということで、ちょっとピンとこないですけれども、こういう機会をいただいたことに御礼申し上げたいと思っています。 中国駐在 垂秀夫大使 私は12月6日に任務を終え、この地を離れて日本に帰国することになっています。振り返れば大使の期間もさることながら、40年近い外交官生活の大半を中国関係に携わってきたという意味でそれなりの感慨はあります。 国民の税金で養っていただいたといいますか、公僕として、長年、力をためてきた知見とか経験とか人脈、これらを生かして、何とか大使の任務を、最後のご奉公をかろうじて勤めあげられたのではないかなと安堵しています。 後ほど皆さんから日中関係や中国の問題で質問があると思いますので、最初は私が大使として何をやってきたか、その時どういう気持ちでやってきたかという内容を簡単に��紹介、ご説明させていただければと思います。 私が中国大使として着任したとき、この場で記者会見が開かれました。そこで私は大使館の今後の大きな柱として2つのことを申し上げました。1つは日系企業支援、もう1つは邦人保護、邦人の安全確保でした。 まず日系企業の支援という点については、日々のいわゆるビジネストラブルへの対応、これはもちろんのことながら真剣に取り組んだつもりです。 また、中国で行うビジネスが昔に比べれば非常に難しくなっている昨今、どちらかというと互助団体的であった中国日本商会の組織改革を提案し、大きく改革していただきました。 その結果として、今年の春から日本商会は会長職が固定化されました。また、これまでの任務以外にもロービングや調査業務、発信機能、これらを非常に強化する力強い団体に変貌しつつあるところです。いいスタートを切れたのではないかと思います。 中国日本商会 本間哲朗会長(左)の記者会見  先ほど申し上げました難しい中国ビジネス、とりわけ経済安全保障という観点からも非常にいい動きではないかと思っています。 次に在留邦人の安全確保という点についてです。私は普段から同僚に対して、(大使館の)政治部にいようが経済部にいようが広報文化部にいようが、すべてが領事担当官であると。そう何度も言って常に館内の意識改革を行ってきたつもりです。 私もかつて領事局長を担当した身です。ひとつひとつの領事案件、本当に、なんというか、普通の事務処理で済ませてはいけないような非常に厚みのある案件がたくさんあるんですね。 そうしたときに、もし事件・事故が起きた時に当事者が自分の肉親であったらどうかと。自分の父親が、自分の兄弟が、自分の子どもが事件・事故に遭ったらどういう対応をするかと。常にそういうつもりで対応しようと皆で確認し合ってやってきたつもりです。 ときには涙を流すこともありました。それでも領事担当の同僚は非常によくやってくれたと思います。邦人の安全確保、邦人保護という点はわれわれの大きな柱でした。ただ、この邦人保護、在留邦人の安全確保という観点から申し上げれば、今年の3月に起きた、国家安全当局に拘束された在留邦人の方がまだこう留されているという状況につきましては、私個人としては極めてじくじたる思いです。 社員が拘束された大手製薬会社「アステラス製薬」 この2つの大きな柱に加えて、私は1つの試みを提案しました。それは何かといいますと、この大使公邸の開放です。この北京には多くの外交団がいます。その数ある外交団の中でもわが日本大使公邸は、その美しさ、あるいは格式の高さ、いずれの点においても最も優れた素晴らしい大使公邸だと自負しています。 調度品もたくさん素晴らしいものがありますし、平山郁夫画伯とか絹谷幸二画伯の絵がかけられているなど、本当に美術館、博物館のような大使公邸です。春には桜が美しく咲きますし、秋には紅葉が見事に色づきます。 北京の日本大使公邸の庭園(垂大使撮影) その美しい庭園も抱えたこの大使公邸を在留邦人に使っていただく。そういう試みでした。この公邸の建設はもちろん、維持管理は全て国民の税金で行われている。そういう観点から言えば使っていただいて当然であると。そういう出発点でした。 当初は、在留邦人の方も半信半疑のところはあったんですけれども、何度もわれわれが使ってくださいとお勧めしているうちにいろんなことで使われ、コロナの時期もありましたが、それでも私の任期中に120回を超える公邸開放、公邸の利用が行われました。 例えば企業間のMOU(基本合意書)の調印式だとか、あるいはジャズのコンサートだとか、あるいは剣道の試合だとか、あるいは某大学の同窓会だとか、もういろんな形で使われました。時には日本人学校の子どもたちを中心にこいのぼり参観、あるいはひな祭り参観、そういうことに使われたこともあります。 大使公邸で開かれた 日本の特産品などをPRするイベント(2023年3月) 普段、公邸とあまり関係がないと思われるような方々には、例えば駐在員の配偶者だとか日本人学校のPTAの方々には一般参観日も設け、対外開放する日もありました。そういう試みを行って、これまで十分に使っていただいたと思っています。この試みは非常に上手くいったのではないかと思っています。 さて、中国で仕事を行っていく上では、特に私の任期中はコロナが非常に蔓延まんえんしている時期でしたし、また、ちょうど去年は日中国交正常化50周年、今年は日中平和友好条約締結45周年というエポックメイキングなこともありましたが、時には厳しい勤務環境の中で日本ではちょっと考えられないようなことが起きることもありました。 閉鎖された武漢の海鮮市場(2020年) 例えば、去年の50周年の関係では、在留邦人の人たちが手作りで祝うために、い��んな交流事業、文化事業を準備したり用意したりしましたけれども、それを日中関係が悪いという状況の中で、コロナを理由に何度も延期されたり中止されたり、そういうことがありました。 また、われわれとしてはなかなか受け入れがたいような理由で、日本の政策を批判されるようなこともありました。そういう時、多くの日本の人たち、とりわけ中国に長く勤務しているような人たちには「中国だからしょうがない、郷に入っては郷に従わないといけない」と理不尽なことを受け入れてしまうきらいが、私はあるのではないかと思っています。 そうしたときに民間の人、それぞれの個人はなかなか言いにくいんだと思うんですね。立場上も言い難い、企業の人も言い難い。でも私は日本の大使として、しっかり主張すべきは主張する必要があるという気持ちで、必要に応じておかしいことはおかしいということを声にしてきたつもりです。 ただ、ここで大事なことは、相手に対して物申すようなときには、その基準が、私は日本の大使ですから、日本の国益、あるいは日中関係をしっかり維持し大局を守っていくためにやるということが基本であるべきだと思っています。 決して反中とか嫌中とかいう感情で批判したり物事を判断したりしてはいけないと自分を戒めてきたつもりです。私のそうしたやり方についてどう評価されるのかについては、これは私自身が決める話でもありませんし、日本の皆さん、あるいは世論が決めることでもないんだと私は思っています。私は常々歴史が決めるものだと。歴史が評価してくれると考えて仕事をしてきたつもりです。 日本では外交に関する資料は30年後には公表されることになるわけですね。その将来の、歴史家か評論家かわかりませんが、そういう人たちがどう評価するのか、判断するのかということが私にとっては一番大きな基準であると、そういうつもりでやってきました。 私は常々同僚に対して、歴史に耐えられる外交をやろうと。歴史に恥じない外交をやろうと。今、その時々を過ごすためのアリバイ作りのためだけの外交をやってはいけないと、そういうことを訴え続けてきました。同僚は皆、本当にそれに応えて非常によくやってくれたと思っています。 そういう意味においては、ちょっととんがっているかもしれませんが、そういう上司、大使を持って非常に大変だったと思いますが、私の同僚は本当によくついてきてくれて非常に良い仕事をしてくれたと思っていて感謝しかありません。 先般、サンフランシスコで岸田総理大臣と習近平国家主席との間で日中首脳会談が開かれました。一番大事な点として、日中両国は全面的に戦略的互恵関係を推進することを再確認するということが示されました。私は非常によい会談だったのではないかと思っています。 日中首脳会談(アメリカ サンフランシスコ 2023年11月) これからが実は大変だと思います。大きな方向性を示すこと、これは何とかやれました。ただそれを具体化、実現していくことが、実はある意味ではもっと大事である、そう思っています。そうした意味では、引き続き日中双方の外交当局、あるいは政府全体がともに努力して、日中関係をさらに高みに押し上げていく必要があると。建設的、安定的関係を強化していく必要があると考えています。 冒頭申し上げましたように、40年近い外交官生活において、18年間、中国大陸、香港、台湾と勤務して参りました。私なりに一生懸命やってきたつもりです。精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと今思っています。何の後悔もありません。「風光霽月」の心境です。非常に爽やかで、思い残すことは何もないと、そういう心境です。 私の第2の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかなと考えています。そのことを考えると、また非常にチャレンジ精神が出てくるという意味では、風光霽月と言いながら、また気持ちが震え上がってくるところがあります。中国も、日本も、あるいは台湾も、自然の美しさや一般庶民の喜怒哀楽には何の変わりもありません。私は中国大陸で撮りためてきた写真、そして日本、台湾で撮りためてきた写真、これらを多くの日本の方に示して、共通点をしっかりと伝えていくことによって、日中関係の更なる強化をお手伝いしたいと思っています。 垂大使が撮影した中国の農村 冒頭私からのご挨拶は以上です。 質疑応答 中国に長らく携わってきた外交官として今の日中関係についてどのような感想を。また今後の日中関係はどのようにあってほしいと考えるか。 今の質問で思い起こすのは、去年、日中国交正常化50周年のときの大使館公邸での記念レセプションです。私はそのレセプションの挨拶で、こういう風に日中関係をたとえました。これまでの日中関係はジェットコースターのようだと。上がったり下がったり、良くなったり悪くなったりだと。 遊園地で遊ぶジェットコースターは楽しいでしょうが、日中関係というジェットコースターに乗っている両国民はたまったものではないと。今後はジェットコースターではなく、ゆっくりゆっくり走る普通電車がいいのではないかと。要は、日中関係はしっかりと安定的に関係を構築していくことが大事だということを申し上げたつもりです。 日中関係が安定化するためには、やはり一番大事なものは日中間の意思疎通だと思います。日中は永遠の隣人であるのはこれはもう間違いのない事実なんですね。互いに引っ越すことはできないんです。国が違う以上、それぞれ国益を背負っているという意味において、ときには立場の相違だとか摩擦だとかがあるのは正常なことだと思うんです。自然なことだと思うんです。だからそれを恐れる必要は全くないんだと思うんですね。 恐れないといけないのは日中間で意思疎通がなくなることです。摩擦や意見の相違があればあるほど、本来であれば、日中の意思疎通は強化されなければならない。そういうふうに思います。首脳間から本当に民間レベルの交流に至るまであらゆるレベルで意思疎通が行われると。そういう関係が私は望ましいし、それが安定した日中関係につながるのではないかと思っています。 邦人保護の観点から。ことし3月に男性社員が拘束され、いまだ解放されていない。大使は11月28日にみずから領事面会に臨んだ。どういう思いで、なぜこのタイミングで臨んだのか。 サンフランシスコの日中首脳会談で、岸田総理は習近平国家主席に対して、できるだけ早期の釈放を要求されています。 それを受けて、この北京の一番の最前線で働く、なおかつその責任者である私が、そのための仕事を行うということ、これは、当然、まずやらないといけないことであると言えると思います。 さらに申し上げれば、私みずからが領事面会に行く必要があるとずっと考えていました。いろいろ事情があってそれは成し遂げられませんでした。 実は私による面会は領事面会としては8回目で、それ以前に7回領事面会が行われていました。その時、毎回、私は面会に行く同僚にメッセージを託していたんです。「われわれとしてはこの問題にしっかり取り組んでいくので気をしっかり持ってください」という趣旨のメッセージです。 今回、私が帰国することになり、やはりこのまま何もなしに本当に帰っていいのかと。私は、それは人の道ではないと。許されるのであれば直接会って帰国するという報告と、私の任期中に結果的には助けることができなかったことについてのお詫びを伝える必要があると感じていました。それが人の道であると感じていました。 また、私が行くことによって、例えば、メディアが関心を持ってくれ、日本政府としてこの問題にしっかり取り組んでいるというメッセージにもなると考えました。そして、非常に重要なことだと思いますが、この問題は決して風化させてはいけないと、忘れてはいけないと。多くの関係者の中でこの問題がだんだんと話題に上らないようになってはいけないと思っていましたので、私は自分が行くことが必要だと感じていました。 日中関係に関連した質問を。コロナが明けたあともビザの免除が回復しない状況。日本から中国を訪れる人が少ない状況になっている。今後何に期待するか。 人の往来が極めて少ない。とりわけ、日本���ら中国に来る人の数が極めて少ないです。いろんな理由があると思います。そもそもビザがなかなか取りにくい。昔はノービザということもありましたし。中国から日本へ行く旅行者、こちらも一番多かったときに比べればまだ半分にも達していません。ただこちらはそれでもそれなりの人が日本に行ってくれてはいます。 結果として何が起きるか。何が起こっているか、どういう影響があるかと申し上げれば、生の中国を見る機会があまりない、等身大の中国を知る機会がなく、中国に対する理解が深まらない。 上海 あるいは、万が一中国に対して誤解を持っていたとしたら、それにもかかわらずそれが増長してしまう、それが減じることもない、そういうことにも繋がってしまいます。 いずれにしろ、相互理解が深まらないということが、間違いなく起きています。昨今の日本人の対中感情の低さを表すいろいろな世論調査がありますが、それを見てもそのあたりは歴然と出ているのではないでしょうか。 広報スタイルについて。中国が発表した後に日本側が反論するという広報スタイルがあったと思う。それは垂大使から始まった形式だと思うが、この狙いは。 私どもからすれば、受け入れがたい理不尽な批判等もあったとき、あるいは申し入れがあったときには、われわれとしてあるいは私個人として、しっかり物申す必要があります。歴代の大使も同様にやられ、しっかりと反論されておられたと私は思っておりますし、信じております。 ただ、今おっしゃられたようなことが、私のやり方が特別に見えているのであれば、若干違いはあるのかもしれません。一般論で申し上げて、例えば中国側が私どもに申し入れをした時、私は必ず、あるいは歴代の大使もきっと同じだと思いますが、必ず反論する、あるいは日本側の立場を言う、日本としての申し入れを行うのです。 ところが、中国は国営の新華社通信がそれを流す場合、われわれの発言は完全に無視されるわけです。中国側の言い分しかないわけです。私はそれでいいのかと考えました。ある問題において、日本の大使が呼びつけられて、それに関する報道が中国側の一方的な主張しかこの世に出ない、それでいいのかという問題意識がありました。 ことばが悪くて申し訳ないのですが、中国が出していないのに、私どもがけんかを売る形で、われわれから直接出すということはなかったと私は信じています。中国側が出した時に、われわれが必ず反論すると。われわれも主張していることを出すということは確かに行いました。この世に中国だけの主張しかないことにならないように心がけたつもりです。 日本の(メディアの)皆さんを批判しているわけではありません。日本の皆さんは非常に立派なんです。中国側の主張も、日本側の主張も書かれるんですね。喧嘩両成敗じゃないですけど、大体、一応2つ書かれるわけです。最初の頃、私の主張がすごくちょっとしかなかった時もありましたが、だんだんと相当たくさん書いてくれるようになりました。 中国側はどんなことをしても自分たちのことしか書かないんです。それでも皆さん(日本のメディア)は書いてくれる。私はそれを信じて、中国側の主張しかないということになってはいけないと思ってやってきました。これは私の信念でやったことです。今後どうかということについては、私は申し上げる立場にありません。 大使の任期中、中国では習主席が3期目に入るという政治的に大きな動きがあった。3期目の習主席が率いる中国と日本は今後どう向き合っていくべきか。 極めて大事な、いい質問なんですが、私もまだ現役ですので、なかなか入り込めない部分もあり、答えが奥歯に物が挟まってるような言い方になるかもしれません。 中国は非常に変わってきています。どんどん変わってきています。それに応じた付き合い方、あるいは対中政策を考えていく必要があると思っています。一般論として言えば、私は首脳会談、この重要性がますます大事になっているんではないか。そういうふうに申し上げられるとこの場で言っておきたいと思います。 習主席になってから社会の統制が非常に厳しくなってきている。中国の人たちの価値観も多様化している。中国は社会統制の厳しさに耐えうるのか。また、仮に内側から変えようという動きが出てくる可能性があるかどうか、その場合日本としてサポートするようなことができるのか。 敏感な質問ですね。とても大事な質問なんですよ。いつもみたいに完オフ※だったらいくらでも喋りますが、ここは完オフではないので、そうした意味において申し上げればですね、今、言われたように、中国社会、社会統制がどんどん強くなってきているんじゃないか、それを内側から変えようとする力があるのではないか等々、そういう見方が存在していること自身、私は承知しています。そういうふうにだけ申し上げておきたいと思います。また日本がそれにどういう風に関わっていくべきなのか、あるいは関わっていくのがいいのかということについては、私はまだ現役ですので、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。ご理解ください。 完オフ 「完全オフレコ」のことで、取材相手の名前や発言内容など一切を公表しないこと。 福島の処理水の対応をめぐり日本産の海産物の全面禁輸が続いている。この問題について今後どのように対応していくのか。 福島第一原発での処理水の放出(2023年8月) 私の見方で申し上げれば、今回の首脳会談でも2つ大事な点があったと思います。1つは、日中関係の位置付け、戦略的互恵関係を再確認すること。もう1つは、処理水の問題について。日中が、例えば専門家どうしがしっかり意見交換する。そういう形で互いにこの問題の解決に向けて知恵を出すといった方向性を確認したことだと思っています。 もちろん日本としては、今の「ALPS(アルプス)」の処理のやり方について、政府の一員として絶対的な自信を持っています。そうではありますけれども、一方で隣国の中国が別の意見を持っていることに対して、その意見、その主張は一切聞かないと、耳も貸さないというような姿勢は必ずしも適切ではないと思っています。 日中の関係当局、あるいは専門家どうしの意見交換、これを通じて、何とか着地点を見いだしていく、一刻も早く中国側の水産物の全面禁輸を解除するために努力することが大事だと思っています。 大使の在任中に最も印象に残っていること、また離任に当たって心残りなことがあれば。印象に残っている中国の指導者は。エピソードなどあれば紹介してほしい。 まず最も印象がある出来事、これはもういろんなことがありました。コロナについては、皆さんも同じように経験された方はたくさんいらっしゃると思いますが、特に去年の今頃なんかもう大混乱でしたしね。隔離生活も長かったりと、いろんなことがもう走馬灯のようにあるので、どれがと言われるとなかなか難しい。 PCR検査場に並ぶ人々(北京・2022年11月) 中国の古い友人、それから新しい友人とまた深い付き合いができたということも私にとっては極めて印象のあることでした。 あえて1つ申し上げれば、先般の日中平和友好条約締結45周年の際に中国が釣魚台迎賓館で行った記念レセプションで、私は大使としてスピーチする機会を与えていただきました。私はその中で、戦略的互恵関係、これが生み出された経緯を紹介するとともに、日中は戦略的関係の再構築が必要であると訴えました。スピーチが終わったあと、壇上から降りてきたときに、皆が座っている中で、1人、王毅中央外事弁公室主任兼外交部長が立ち上がって私のところまで迎えに来て、「大使、スピーチは良かった。素晴らしかった。ぜひ、戦略的互恵関係を再構築しよう」ということを言って、握手を求めてきたことは、とても印象のある出来事だったと思います。 日中平和友好条約45年の記念式典で垂大使に話しかける 中国 王毅外相(右・2023年10月) 何かやり残したことについてですが、私はやり残したことは、あえて言えば先ほどの邦人拘束の件です。 それ以外に申し上げれば、私は大使になってこういう大使館を作りたい、こういう気持ちで大使としての仕事をやろうと思っていたことについては、ほぼできたと思っています。もちろん、私が独りよがりにできたというよりも、私の同僚たちがしっかりついてきてくれたことが一番大きな理由です。私が思い描いていた大使館像、これをしっかり作れたと思っています。そういう意味では何ら思い残していることはないというのが私の心境です。 それから、心に残った指導者、中国側の指導者でいいですよね。これは、長い外交官生活の中でということで申し上げれば、私はやはり、あえて中国側のことを申し上げます。 日本はまだ何とか頑張ってらっしゃる方がいらっしゃる中で、本当にリスクを取って日中関係をしっかり進めていくんだとか守っていくんだという指導者が、今やそう多くないというかほとんどいない。 そんな中にあって、思い起こせば2009年。詳しいことは申し上げられませんが、2009年に、ある場で引退された曽慶紅※さんに会う機会があったんですね。そこで曽慶紅さんに、私の方から1つ質問したんです。曽慶紅さんは、中央組織部長で、いわゆる江沢民さんの側近中の側近であった方ですが、2002年4月だったと思いますが、訪日しているわけですね。 曽慶紅そう けいこう氏とは 元国家副主席。江沢民前総書記に近い実力者で、日本の政界にも幅広い人脈をもっていた。習近平氏が中国政治の表舞台に出てきた背景に、曽氏の影響力もあったといわれている。 なぜその訪日が大事だったかというと、実は当時、小泉総理の時代で、小泉総理自身が靖国神社に参拝した直後だったんです。その直後に、曽慶紅さんは日本を訪問されたんです。日本といっても大分県でした。確か私の記憶が間違いなければ武漢と大分のチャーター便を飛ばすか何かそういう話だったかと思います。 私は聞いたんです。「なぜ日本に行けたんですか。いろいろ反対とかなかったんですか」と。 曽慶紅さんは非常に満面に笑みを浮かべて、「日本には私の友人2人が待っていた。1人は野中広務さんで、1人は大分県の平松知事だ。日本の友人が待っているので、私は行かなければならないと思った。私は、2人の指導者に許可をもらった。1人が江沢民さん。もう1人が外交担当の副総理であった銭其シン【※王へんに、深のつくり】さん。2人とも喜んで行ってきなさいと言ってくれたから行きました。友人が待っていたから私は行ったんだ」と。私は本当にリスクを取ってでも日本を訪問する、日中関係を進めるという素晴らしい人だなと感じました。私にとってはとても心に残ったやり取りでした。 曽慶紅 元国家副主席(右・中国共産党大会 2022年) 改革開放で多くの日本企業が中国に来て経済交流を進めてきたが、足元では中国での事業リスクの高まりもあって対中投資意欲を大きく下げているという実情もある。中国で日本企業がおかれている状況や日中の経済関係は今後どうなっていくと考えるか。 私は2つのアプローチが大事だとつくづく思っています。1つは攻め、1つは守り。現実問題として、改革開放以降、日本経済、日本のビジネス界は中国との間の経済交流・経済往来を強化させてきました。ある統計によれば、今や中国大陸に、拠点数を入れた数字で申し上げれば、3万以上の日本の会社あるいは拠点があると。中国大陸の中で最も大きなプレゼンスを示しているのが日本企業なんです。 日本経済を考える上で中国経済を抜きに語ることはもうあり得ないと思います。もちろん、中国経済の大きなマーケット、これも非常に魅力的ですし、イノベーションやデジタル経済など、日本から見ても極めて目を見張るような動きを示していることもあります。どういうふうにして日本経済としてこれを活用していくのかというような視点は非常に大事だと思います。そうした意味では、中国との経済関係を能動的にしっかりと強化していくということはとても大切だと思っています。 日系企業の自動車工場 一方で、中国でビジネスをやっていく上で、今どんどんと難しくなっているわけです。いろんな問題も生じてきています。まず最初に中国経済そのものが、特に今年に入って、あるいは去年ぐらいから、非常に不景気である、デフレ気味の状況を示しているということもあります。それはまだ1つの経済の状況ですが、それだけではなくて、例えば、よく言われる自立自強のサプライチェーン、あるいは自国産品を優遇するような政策があります。 表面的には否定するんですが、内外差別を行っているのではないかと思われるような対応も見受けられます。業種によっては強制的な技術移転というような動きについても、われわれはいろいろ相談を受けていることも事実です。そういう経済安全保障的な側面から見ても、しっかりと守り、しっかり脇を締めて、中国経済、中国とのビジネスをやっていく必要があると。 私は両方が大事だと思っています。決して守りだけではダメだ、もちろん攻めだけで���ダメで、攻めがあって守りだと考えています。 「ゼロコロナ」政策について��大使は着任から隔離を受け、終了まで全部見届けた。日本と全く違うスタイルをとった「ゼロコロナ」政策をどう総括するか。 着任のときは2週間でしたね。10日ではなくて2週間の隔離生活でしたが、総括は、私が行うのではなく本来中国政府ないしは中国共産党が行うべきものです。実際もう何度も総括していて、中国政府・中国共産党としては勝利宣言を行っているので、それに私が横から総括するっていうのは変な話かもわかりませんが、印象だけ申し上げます。 正直申し上げて、前半期は、「ゼロコロナ」、一種の真空状態を中国の中でつくる。そのために隔離を2週間だ3週間だ、地域によっては2か月要求しているところがあったわけですね。そのかわり、そこに入れば無菌状態、実験室みたいな状況をつくって。実はそれはそれでうまく回っていたのも事実なんですね。 ところがオミクロン株の流行となって、それはもう効果を発せられなかった。オミクロンの威力、伝染力がもっと強かったんですね。私は政策を変更するタイミングを逸したんではないかと個人的には思っていますね。そのタイミングは相当間違ったんじゃないかと。それが私の印象です。その結果、後半の方は極めて、世界的にもまれに見るようなロックダウン等があったり、北京では「弾窓(タンチュアン)」という経験した人でないとわからないような政策がとられたり、いろんな不可思議なことがありました。最後は大混乱の中、「ゼロコロナ」政策が取り下げられていく。全体としての評価については、私の個人的印象だけを申し上げれば、タイミングがうまくいかなかったというか、良くなかったと思っています。 弾窓タンチュアン 「ゼロコロナ」政策のもと、スマートフォンの「健康コード」と呼ばれるアプリに表示されたポップアップメッセージのこと。感染者が出た地域に行ったと認識されると、濃厚接触者でもないのに「あなたはリスクが高い地域を訪問しました」と表示される。この表示は自分では解除できず、数日間建物へ入れなくなったり公共交通機関の利用ができなくなったりする。 米中関係について。サンフランシスコで米中首脳会談が行われたが、今後も米中対立の構図は続くとみられている。今後、米中対立が深まる中で日本の役割は何か。また日本政府として現状、どのくらい日本の役割を果たせていると考えるか。 米中首脳会談(2023年11月) 日本大使としての立場で第三国どうしの関係である米中関係について、表だった評価をするのはなかなか難しく、差し控えないといけないんですけれども、一般論として申し上げます。 米中関係の安定化は、日本としては非常に希望しているところです。今回のサンフランシスコにおける米中首脳会談についてもいろいろな論調があるのも承知していますけれども、私は今回の会談を歓迎しています。 日本がどういう役割を発揮するかということについて。アメリカはわれわれの同盟国であり、日米同盟という強固な信頼関係のもとで、われわれは必要に応じて中国に対して対話を重ねながら、必要な時には中国に対して大国としての責任を果たしてもらえるように働きかける。そういうふうに考えています。 拘束された男性社員に領事面会をした判断理由として、帰国の報告と、任期中に結果として救出できなかったお詫びを伝えたいということだった。実際に伝えて先方の反応はどうだったのか。 すみません、私の発言、私の思いはお伝えした通りですが、先方の方の発言、対応等については私の立場上、紹介するのは恐縮ですが、差し控えさせていただければと思います。 (12月4日 BS国際報道2023 などで放送) 垂氏が大使として赴任する前に行ったインタビューの記事はこちら
中国・習近平体制と対峙した垂秀夫大使 ゼロコロナ 邦人拘束 日中・米中関係 離任前に何を語った? | NHK
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oka-akina · 9 months
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0721
 昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。  つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、いつもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
 さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が財布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。  でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなことを考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。  転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたとき、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。  なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
 そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけ���のなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。  読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。 「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
 お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。  並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの五分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたのですごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通に注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
 労働を終えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。  ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。  駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。  『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
 カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。カレーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。がつがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。  テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
 家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ずかしくなって寝た。文フリの話とか小説の話。  千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
 『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。  なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。  いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプをやることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。  偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言うと反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。  まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼることってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
 そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。
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straycatboogie · 7 months
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2023/10/07
BGM: Ryuichi Sakamoto - Tong Poo
今日は早番だった。仕事が終わったあと未来屋書店に行きそこで本を見繕う。清岡智比古『フランス語をはじめたい!』という本が目を引いた。フランス語か……買おうかどうか迷い、そうこうしているうちに歯医者に行く時間になってしまったのでその場は買わないことにした。でも、その後治療を済ませてグループホームに帰ったあとに「またフランス語をやり直すのも面白いのかもしれないな」と思ってしまった。MeWeでフランス人の友だちとチャットをする。彼女は「YouTubeで学ぶのはどう?」と薦めてくれた。その発想はなかったわ、と思ってフランス語を教えてくれるYouTuberを検索して時間を過ごす。Discordでもフランス語話者がいないものかと探してみたりもした。そんなことをしているうちにぼくの中の好奇心が疼き、大学時代にやってみてまったくものにならなかったフランス語をやり直すというアイデアにまた魅力を感じ始めたのだった。何はともあれ、お金ないけどその『フランス語をはじめたい!』を買ってやってみようかと思った。ぼくは(発達障害のせいもあるのか)こうしたマニアックで凝り性なところがある。その反面、ハマらないことは早々に飽きてしまう人間でもあるのでこのフィーバーだっていつまで続くものか怪しくもあるのだけれど。
大学生の頃に第二外国語としてフランス語を選んだきっかけというのはただ単にロラン・バルトを原語で読みたいという夢があったからだ。でも、あの頃はまだまだ自分は堪え性がなく「努力して何かを体得する」という当たり前といえば当たり前のことがらを「身体で」「腑に落ちる形で」学んだことがなかったのだった。言い方を変えると、努力することの大事さを「身体で」学んだことがなかったと言える。がゆえに「とにかく努力なんてまっぴらゴメンだ」と思い一夜漬けで授業に臨み、毎日行うべき予習・復習もまったくせず……書いていて恥ずかしくなってきた。もちろんこんなちゃらんぽらんな学び方でフランス語が身につくわけもない。現に、授業でも誤訳を通り越して暗号や呪文のようなフランス語や英語を披露してしまいとんだ恥をかいた。それもいまとなっては懐かしい。その後いろいろあってフランス語も英語もいっさいあきらめ、それどころか真っ当な勤め人として生きていくことさえもあきらめて20代・30代をすごしたこともいつも書いているとおり。ああ、人に歴史ありと言うけれどぼくの人生もこうやってロングショットで見てみると実に味わい深いとしみじみ思ってしまう。でもこんなことを書きたかったわけではなかったのでこの話はまたいずれ。
グループホームに帰り、本棚を見てみると中谷美紀の『オーストリア滞在記』があるのに気づく。中谷美紀のこの日記も面白く読んだのを思い出す。彼女もフランス語が堪能で、そしてドイツ語を学んでいて貪欲に海外の文化を学んでいるのではなかったか。少なくとも『オーストリア滞在記』で地道に・誠実にドイツ語学習に取り組む様子を日々記していた中谷美紀の筆致からぼくがあらためて学んだのは「語学学習は王道なし」「流した汗は裏切らない」ということだ。それは同時に、ぼくが参加しているDiscordのサーバ/グループで日本語という(ネイティブのぼくにとってさえも複雑怪奇な、ゆえに味わいのある)言葉を学び続ける人たちと交際していて学んだことでもある。いまはもうロラン・バルトを原語で読みたいという向学心もなくなってしまったが(それにぼくはさまざまな���究者・翻訳家の研究の精華としての「日本語訳で読む」ロラン・バルトにこそ愉楽を感じる)、これから努力すれば何か得られるものはあるのかもしれない。機械翻訳全盛の時代にわざわざ汗をかいてフランス語を学ぶというのは時代に逆行しているのかもしれないけれど、それでもやってみても面白いのかもしれないと思った。でも、いまから原語で読むとすると誰のどの本を読むことを最終目標にするべきか。ここはドカンと「ル・クレジオを原語で読もう!」と考えるべきか。いや、鼻で笑われそうだが(なにせまだ「その気になりかけている」な段階でしかないので)。
そして、こうして「フランス語を学ぶこと(裏返せば『学ばないとしゃべれない』くらいフランス語がぼくにとって『遠い言語』であること)」や「そもそも、英語ならそれなりにしゃべれてしまうこと」についても考えをめぐらせた。最近読んだ山口仲美『日本語が消滅する』の影響かなとも思う。というのは、ものすごくねじくれた・ひねくれた見方になるのだけれど「話せる言語」について考えていくとその言語を学ばせる環境がどのようにしてもたらされたかについても思いが及ぶからだ。難しい話ではない。仮に日本が完全にアメリカに占領されてしまいアメリカの「州」の1つとなり、英語が公用語になってしまってそれこそ「日本語が消滅する」という現象が起きていたらどうなっていたか……そんなことは起きなかった。そして、いまなおぼくたちはこうして古式ゆかしい日本語を使って読み書き・コミュニケーションすることができている。そう考えていくと、何となく目の前にあったりいま自分の中に根付いたりしているものが「当たり前」であることに驚異を感じる……うーん、どう書いても難しくなってしまう。たとえばイオンに行ったら5キログラム・10キログラムのお米が買える、ということがいかに驚異なのかという話なのだけれど……どうだろう?
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