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#急ぎコンビニ
chinopan2 · 2 years
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rock-the-baby · 18 days
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【小説:2024年GWの貧困JAPAN】
2024年のGW、衰退国家日本は通貨危機に陥り、円は数年で40%も下落していた。
かつてあれだけハワイ旅行が流行った繁栄国家は急速に衰退し、貧しく海外に行けない国民ばかりになっていた。
貧乏な白痴大衆を主な視聴者層にするテレビ局はこぞって、「日本人はハワイに行って自炊生活をしています!ハワイへの旅行客は貧乏旅行をみんなしています!」と報道していた。
「ハワイに行っても楽しくないんだ! 俺は家で遊んでるけど幸せなんだ!俺は勝利している!」と国民は精神的勝利をし、「すっぱいぶどう」を見せるテレビ局と、それをみて満足に浸る視聴者の相互補完関係は今日も保たれていた。
東京で36歳になったたかしはまだ結婚をしておらず、GWの暇を持て余していた。
海外旅行に誘う相手もいないわけではないが、友人は次々結婚していき遊ぶ人間も減り、今年は円安であまりにも高いので、趣味の一人海外旅行も行かずに、特にすることがない。
銀座や新宿、渋谷にふらっと出かけていくと、外国人観光客で店がごった返し、次から次へと商品を買っていくのをみる。
かつて白人のみ、そして次に金持ちの中国人ばかりだった観光客。
いよいよ貧しくなり果てたJAPANでは様変わりし、一体どこの国から来たのかわからない国の人々ばかりになっていて、彼らの国籍は全くわからない。
渋谷の道端で缶ビールを飲む連中に、横一列で歩いてくる人々。時折悪態をついて見下してくるような態度を取る外国人。
いよいよ富裕層だけではなく中産階級でも来られるようになった国、JAPAN。
かつて日本人が東南アジアなどにいって現地の人々を下に見て、それが態度に出ていたように、彼らにマナーも期待することはできない。
好きだった海鮮の店も外国人向け商品ばかりになり疎外感を感じる。
今や海鮮丼が3000円4000円で、もう自分では食べられない。
店の中では外国人らが「What a price! Delicious!(マジで安すぎ!うまい!)」とガツガツ食べている。
店員も外国人ばかりになり、オーナーも経営者もおそらく外国人になったのだろう。
一体自分がどこの国にいるのかわからなくなり、日本に金が落ちるのかもわからない。
疲れ切って自宅に帰り、仕方なく冷凍食品を温めて食べる。
誰かを誘って温泉旅行にでも行こうと予約サイトを開く。
一泊一人3万も出せばそこそこの宿は泊まれるだろうと思ったが、一泊5万10万は当たり前で、20万30万の宿も出てくる。
あらゆるサイトを確認したが同じで失望する。
そういえば先日大阪に出張に行ったときも会社の規定の宿予算で泊まることができなかった。
大阪の街で買い物に興じる大量の外国人たちをみて、一体なにが起きているのかを理解した。
両親にLINEをして、帰省すると伝える。
東京駅に行くと、大きなスーツケースを抱えた外国人でごった返している。
駅の広告には「Uber Eatsで美味しい食事を頼みましょう」とか、「Netflixでシティーハンターを独占配信」という広告がどこの壁にも画面にも出てきて、我が国資本の広告は藤原竜也のよくわからないSKyなんちゃらというIT製品の広告しか目立たない。
そんな自分も、Google Mapで乗り換え案内を検索し、手元にはiPhone、仕事の携帯はAndroid、東京駅まで来る途中はSpotifyで音楽を聞き、旅の写真はGoogle PhotoかiCloudに、旅行にブッキング・ドットコムやエクスペディアを使っており、新幹線に乗る前にスタバでコーヒーを買っている。
これらを使うたびに円が売られドルが買われ、円安を加速させる。
かつて世界中に自国の家電や半導体、車を輸出しまくって外貨を稼ぎ、世界トップの金持ち国家に君臨していたのは日本だと聞いても、にわかに信じがたい。
新幹線の改札に向かうが、特急券と乗車券が分かれるという極めて奇妙なシステムを理解できない外国人らが改札で混乱し、スマートEXの使い方すらわからないアナログ日本人もまた通れず混乱している。
自動改札なのに駅員が大量に配置されている風景は、毎年繁忙期の風物詩である。
東京駅で、新幹線のぞみ号に乗る。
弁当を買っていたら時間がなく、申し訳ないと思いながらもグリーン車に飛び乗って、自分の普通車車両を目指した。
東��駅を出る時に弁当を食べ始め、新横浜に到着する前に食べ終わりゴミを捨て、そこから静かに寝るのが常である。
運良くグリーン車の隣の車両だったのですぐ座席についたが、隣に座った大きな荷物を持った外国人らがどこに荷物を置けばよいのかわからず、立ち往生していた。
大型荷物置き場の予約もしていなさそうだが、荷物置き場が諸外国の鉄道と比べ極めて少ない我が国の新幹線に苦労するのは当たり前である。
無理やり荷棚に置いたりしようとしてはうまくいかず、今度は最後尾の座席の後ろのスペースを勝手に使ったりと右往左往し、あれこれと出入りが多くて自分も弁当を食べることが出来ない。
車両をよく見みると、他にも外国人が多く乗っている。
JAPAN RAIL PASSというJRが提供する格安乗り放題チケットがあるが、ひかりやこだましか乗ることが出来ない。あまりにも安すぎて日本人差別かと言われるほどだったので、こないだ値上げをした。
JAPAN RAIL PASSのおかげで多くの外国人は「ひかり・こだま」押し込まれて「のぞみ」には乗っていなかったのに、今日はやけに多い。
JAPAN RAIL PASSの値上げのせいか、それとも「円安でのぞみ安いからこれでいこうか」となったのか、それはわからない。
さっき通ったグリーン車も外国人だらけで、しかもインドかタイなのか、かつては想定もしていなかった国々の人がたくさん座っていた。
結局は「日本が安いから」たくさん乗っていることは間違いない。
デッキには、指定席を買わず自由席券でケチって乗ろうとしたのか、GWは全席指定なのを知らなかったのか、ずっと座り込んでたり立っている日本人がちらほらいる。
弁当を食べて飲み物を飲みたくとも、車内販売は先日終了した。
日本を代表する高速鉄道である東海道新幹線の車内販売すら、少子高齢化による人手不足には勝てない。
今やここで水一杯を調達することも出来ない。
東京からうっかり飲み物を持たず博多までのチケットを買ってしまったら悲惨だ。
三島を超えると車窓から、雪が多く残る5月の富士山が見える。
かつて日本国民に愛された「シンカンセンスゴイカタイアイス」こと、スジャータのアイスの販売もグリーン車に限られ、たかがアイスですら上級国民と下級国民で差をつけられる現実をひしひしと感じて辛い想いがこみ上げてくる。
そういえば、先日北陸新幹線でスノボに行った時も、グランクラスに乗っていくのは外国人、というかインド人ばかりだったのを思い出す。
格安SIMのギガ数が少ないのでケチケチと新幹線のWifiにつなごうとしたが、全く速度が出ないどころかろくにつながらず途中で諦める。
N700Sという新しい車両が導入され、一部車両ではWifiは2倍高速と言っているのに繋がらない。
隣の外国人もWifiと悪戦苦闘し繋がらず、話しかけられたが何か助けることもできず、お互い言葉は通じないが諦めた顔をしている。
本当に通信回線が用意されているのか疑問に思いながら眠りについた。
実家の最寄り駅(といっても車で時間もかかるが)につくと、老いた父親がプリウスで迎えに来ていた。
車窓風景は何年たっても変わらないが、よくみるとなじみの店が閉店し、空き家が増え、建物は残っていても人が少なく街がひっそりしているように感じる。
家に到着すると、田舎者らしく居間には大きなテレビがありニュースを流していて、母がそこでお茶を飲んでいる。
ニュースは「本日はこちらの地域に振り込め詐欺の電話がかかってきています」などと呼びかけ、その他にも「85歳の老人がコンビニに突入しまいました」とかいうニュースが流れ、その車がプリウスであると心の中で予想すると、やはり映像にプリウスが流れる。
「外国人の爆買いは凄かったなあ」と疲れ切ってソファに座ると、テーブルの上には新聞の折込チラシが置かれていて、そのチラシをパラパラとめくって父が「ワークマンが最近いいらしいぞ」とワークマンのチラシを渡してくる。
誰かのXの投稿で「日本人がワークマンが凄いだのなんだの言ってる間に、東南アジア人はパタゴニアを着てスキーをするようになりました」と見たのは、1年半前くらいだろうか。
あの時は「そんなことはない」と思っていたのに、迫りくる現実をひしひしと感じ、なんとも言えない悲壮感が漂ってくる。
テレビをぼーっと見ていると、夢グループの通販が始まり、誰が使うかわからないポータブルDVDプレーヤーが1万円で売られており、「やすぅ〜い!」とおばさんの歓声があがる。
「ねえ母さん、こんなの誰が買うの?」と母の方を見ると、居間のすみっこに夢グループと書かれた段ボールが置かれているのがちらりと見える。なにが入ってるのか怖くて開けられなかった。
ニュースを見ても老人向けの意見ばかり言うコメンテーターばかり、バラエティを見てもよく知らない低俗な安い芸人が飯を食ったり、ガハハとつまらない話でひな壇で笑い合うだけのものばかりしかない。
CMにはコンドロイチンとか腰痛、尿もれパッドだのといった広告ばかりが流れ、同じ国なので東京と田舎でここまで違うかと驚愕する。
ワークマンの折込チラシの横においてある新聞を開いてみる。
母がむかし「高級紙」と呼んでいた朝日新聞。
「天声人語というのがあったな」と昔を思い出していると、母がおもむろに「こんなのが最近は本屋さんにあるのよ」と「天声人語書き写しノート」という公式の謎ノートを差し出してくる。これが累計500万冊以上売れてるらしい。
発行部数が減り実質不動産屋となって食いつないでいる会社の政治思想機関紙が、今でもこうして高齢有権者に幅広く読まれている現実を知って、複雑な気持ちになる。
数年前、YouTubeの見すぎで陰謀論にハマり、ディープステートだロスチャイルドだと毎日言い続けていた父。
地元の友人も離れていった者も少なくはない。
そこでNetflixやAmazon Primeを契約しインストールしたiPadをプレゼントし、YouTubeとの接点を消したのが一昨年の年末であった。
陰謀論を唱えることは多少減ったものの、右翼韓国嫌いの父はNetflixは韓ドラばかりで嫌だと言うので、U-NEXTを契約して日本や中国のドラマも見れるようにしたのが去年の年末。
あれから4ヶ月経ったが、U-NEXTでは実は隠し機能でアダルト作品が見放題になったのを私は知らなかった。
案の定、自慢げにiPadを町内会に持っていった時にうっかり視聴中の熟女系アダルト作品が大音量で再生されてしまったそうで、なかなか停止の操作もできず、大きな恥をかいたという。
アダルトの世界も女優の高齢化が進んでいるというが、視聴者が高齢者が増えているのが理由なのだろうか。
元気にこんな騒動をしている親も将来介護が必要になると思うとつらい思いがある。
いつか家を処分するのを見越して、私がかつて着ていた服とか、使っていた本とかを処分していく。
私が寝泊まりしていたかつての子供部屋には、ショップチャンネルやQVCの箱が山積みされ、食べ物や健康グッズなどを買った形跡があり、母が浪費をしていないか心配になる。
戸棚からカセットテープやCD、MDが大量に出てくるが、カセットテープからMDへの進化には当時誰もが感動したのに、もう今や誰も使っていない。
ソニーのウォークマンに電池を入れて久々に再生してみるとまだ動くことに感動し、浜崎あゆみのSeasonsが流れ、当時の情景が思い浮かんでくる。
ケツメイシの「さくら」が流れてくると、自然に手に取ってしまった高校の卒業アルバムを開いた。
一緒に勉強や部活を頑張っていた彼らはいまどこでなにをやっているのだろうか。
音楽は記憶を蘇らせる道具だなと感心する。
優秀だった何人かの名前を検索して見ると、大企業で管理職についていたり、外科医となり手術をこなして人を救っていたり、田舎に残って地元のイベントを盛り上げていたり、名前が出てくると嬉しくなる。
「あいつらも頑張ってるんだな」と思うと、自分も腐らず頑張ろうと思えるのは、いつの時代も同じなのだろうか。
頑張って活躍してる彼らに連絡を取れたらと思っても、携帯メールが衰退しLINEなどが勃興した今、連絡先は断絶している。
高校時代や大学時代のメアドに連絡してもきっと届かないだろうと思うと、技術の進化と人間関係の継続性については本当に進化をしているのだろうか、と考える。
そうこうしているうちに夕食の時間になった。
久々の帰省で張り切って高い肉を買ってきたのだろう、久々のステーキだった。
彼らはもう年金暮らしだが、お金はあるのだろうか。
「こんな良い食材わざわざ買ってこなくてもいいのに」
そう言っても、
「いやいや、たいしたもんじゃないよ」
と返す父と母。
陰謀論にはまろうが、怪しい通販にハマろうが、子を想う親の心は消えていないことに少し安心する。
「同級生の春奈ちゃん、二人目の子供産んだって」
「成績良かった大介くんは、トヨタで働いてるんですって」
「栄町の美奈子ちゃん、不妊治療でやっと1人目生まれたらしいわよ、よかったわね」
どれも本人たちに直接聞いた話でもなんでもない。
田舎人たちは、ITもクラウドもキャッシュレスも遅れているはずなのに、都会人よりも他人の個人情報を細かく早く把握しているのはなぜだろう。
自分は、同級生たちにどんな情報が伝わっているのだろうか。
「なあ、たかしはいい人はおらんのか?」
ビールで酔った父からそう言われても、
「いや、特に」
としか返すことも出来ず、美味しいステーキのはずが味が落ちていく。
なんとも言えない雰囲気になるが、
「つらいことあったら、いつでも帰ってこいよ」
と父が言う。
それから両親とはたいして多くを語り合うことはなく、休みも最終日を迎えた。
翌日、東京へ帰るバス停に両親が送ってくれた。
同じように、都会へ帰っていく若者たちが何人かバスを待っている。
バス停のプレートもずいぶん劣化し錆びてきている。
地面のアスファルトも割れが目立つ。
「つらいことがあったら、いつでも帰ってこいよ」
父がまた同じことを言う。
バスに乗り、車窓から両親を見る。少しさびしそうな顔をして、前より小さくなったような気がした。
バス停のアスファルトの割れ目からは、たんぽぽが咲いているのが見えた。
そのたんぽぽが、妙に力強く、たくましく見えた。
バスが発車すると、どんどん小さくなる両親。
両親も私も、お互いが見えなくなるまで、ずっとずっとお互いを見つめていた。
—終---
https://x.com/japantank/status/1786595831841509692?s=12&t=2udZ4HodM8nXVRmb1FbVUA
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asagaquru · 9 months
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ビール、ビール、ハイボール、ビール。後半に彼が飲んでいた男梅サワー、日本酒と柑橘系の酸味あるサワーを少し盗み飲んだ。楽しかったからって飲み過ぎである。
職場の他部署の先輩で、優しいな〜と思っていた人がいる。今年始め、軽くジャブ打ったのにスルーされてしまってから「どうせ長い彼女いるんですね〜」と気持ちに蓋をしていた。そうしたら急に8月に入って、インスタ経由で「今度、○○部の人たちで飲むのですが、一緒にどうですか?」と言われ、4人で飲んだ。なんで誘ってくれたんですかと聞くと「インスタ見てて飲むの好きなんだな〜と思ったから」と言われた。そうだけどさ。その時も、ビールビールビール。楽しかったが、「半年付き合っている彼女がいる」と知り、絶妙だなと思って半分勝手に落ち込んでいた。その後、初めてサシで飲んだ時の話を書く。
乾杯する時に、「かんぱ〜い」ではなく「こんにちは〜」とか「やっほ〜」と挨拶してしまう変な癖がある。やはりその日も「こんにちは〜」で✳︎✳︎さんに笑われてしまう。目を細くして笑う人だ。職場の話をし、山の話をし、カフェの話をし、パン屋の話をし、コーヒーの話をする。若干緊張していて、会話がぎこちなくなる時があったが3杯目にハイボール飲んでいるうちに完全に心が緩んでいた。「今の彼女と結婚するんですか」「わからないんだよね」「わからない?」「性格も落ち着いて静かで、似ているし落ち着くけれど好きなのかわからない。それを伝えて付き合ってる。好きになれるかなと思ったけど半年経ってもわからない」 なんだそれ、と思った。「それって答えでないのがもう答えなんですよ。✳︎✳︎さんは、明るくて連れ出してくれる人がいいと思いますけど」「確かにずっと好きになれないんじゃないかなって思ってる。なんならこのままずっと結婚できないんじゃないかって」「え、卑猥な話しますけど」「卑猥な話?」と笑われる。一拍置いて「それってセックスするんですか?」と聞いてしまう。「するねえ」 するんだ。「会うたび?」「会うたび。俺、性欲強いんだと思う」見た目から想像つかなくて「サイコーじゃないですか」と笑い出してしまう。「彼女いるのに飲みに行くってやべえ奴だなって思ってない?」「大人になっちゃえばよくあることかなとは思いますけど」 彼女いるのに来てくれるのかなとは思っていたことは伏せておく。久々にできた彼女との出会いや現状を聞いて、この人奥手なんだなと思う。内向的なアウトドア。「✳︎✳︎さんって弟ですよね」「なんでわかったの?」「めちゃくちゃ出てます。あと歳も離れてる」「5個上の兄がいます」「あとA型でしょ」「なんでわかるの」とまた目を細くして笑ってた。「お茶目ですよね」「あなたには敵いませんよ」
2軒目行こうかと言ってくれたけれど、お互い明日仕事なので帰ることにする。清算。外に出たら✳︎✳︎さんのリュックにしがみついて、周りをくるくる回ってしまう。じゃん負けでアイス食べましょ!と北海道に1番多くあり、道民が愛してやまないローカル大手コンビニ、セイコーマートに入る。じゃんけんには負けて、チョコミントアイスとブルガリアヨーグルトのアイスをそれぞれ食べながらケラケラと地下鉄まで歩く。出入り口まで着いて、もうバイバイなの嫌だなと思って少し間が空いた時に✳︎✳︎さんに抱きついた。笑いながら軽く抱きしめ返してくれて、2回目抱きついたら今度は強く抱きしめ返してくれた。余計帰りたくなくなって、手を取って頭に置いたらトントンと撫でてくれた。
「下まで行くよ」というから改札まで来てくれる。歩いている途中で「うちくる?」と言われたが、いかないのが良しと思って「今日はちゃんと帰りますよ〜」と返す。改札前のベンチで少し話す。この時には体温が上がって、アルコールが余計回ってしまって記憶があまりない。「好きですよ」と言った気もするし、「好意持たれてからがスタートだと思ってます」だとか「今すぐどうこうなろうとか思ってないので、今まで通りで良いです」とか気持ちを吐露しては言い訳していた気がする。彼は嬉しいと言い、「好意はあるんだろうなと思ってたけれど5個も違うからこうなるとは思わなかった」と言った。顔が近づいて、心の準備ができてなくて背けてしまう。ひとことふたこと話して、本当に帰る雰囲気になってしまったから「キスしないんですか」と言ったら軽く触れるキスを2度してくれた。わー!と叫び出したかった。居ても立っても居られなくなって、今すぐ逃げ出したいのと、ここで別れるのが吉と感じて、頬にキスして「じゃね!」走って改札に行く。改札通って手を振り、地下鉄に乗り込む。胸がどきどきしていた。
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nanaintheblue · 11 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを送れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決めつけて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果をみんなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって武器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方が楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思った。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい」と思うことがあるなんて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わないでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはここまで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄越したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさまった。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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kennak · 6 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会��減ってきたり 悲しみが薄れたりします���、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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patsatshit · 5 months
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2023年も色んなことがあった。嬉しいことも嫌なことも悲しいことも。それでもこの夏はきっと終わらないって、心からそう思わせてくれた特別な日がある。8月19日、あれは猛烈に暑い日だった。そして今年のタラウマラ営業日のなかでも屈指の忙しさと売上を記録した日だ。朝から途絶えることなく自転車修理と整備業務に追われて滝のように汗を流しながらタイヤ交換をしていたときにSTRUGGLE FOR PRIDEの今里さんが「土井さん、久しぶり」と言って朗らかな笑顔で店先に姿を現した。これまでに自分の日記やSNS等でSFPについて何度も書いてきたから、SFPに対する僕の過剰な思い入れについては周知の通りだ。とにかく20代の僕の生活には常にSFPとECDがあった。だからと言って熱心にライブに足を運んだり、血眼になって音源やマーチャンダイズを探し求めていた訳ではない。もちろんライブに行くこともあったが、当時は声をかけたりはしなかった。直接、話をしなくても心で対話をしているような錯覚を抱いていた。そう、当時の僕ははっきりと痛い奴だったのだ。20代の自分を振り返るとなかなかにクソったれな日々を送っていたけれど、無理に同志を見つけようとは思わなかったし、誰かとつるんで何かをしようとも考えなかった。ボクシングのプロテストに挫折してからは、ひたすらに小説を書き続けていた。執筆時に爆音で流していたのがSFPやECD、そしてデトロイトのUnderground Resistanceの音源だった。その頃は参考文献と併せてBGMを記載していて、彼らの楽曲は必ずセレクトしていた。
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それくらいSFPの存在は僕が生きていく上での一本の「筋」や「芯」だった。彼らが居てくれたから、ウダツの上がらないシミったれた日々も「何とかなるやろ」と肯定できた。前回の日常炒飯事くんのインタビューからの流れで言えば、SFPが僕にとって20年来変わることのない「推し」なのかもしれない。サイクルショップすずめをやっていたときには常連のハタさんが「土井さん、SFPお好きでしたよね?」と言って、超デカい今里さんのポスターをプレゼントしてくれて、それを店頭にデーンと掲示したことでマリヲくんと出会うことになる。そんな今里さんとはじめてお話をしたのが2年前の年末、旧グッゲンハイム邸で開催されたRC SLUM主催のパーティーだった。タカアキ(BUSHMIND)さんに手を引かれ、紹介された。今里さんは「俺、ソウタくんの真似してタラウマラに突撃しようと思ってたんですけど、寝坊して行けなかったんですよ」といつものあの笑い声を聞かせてくれた。
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それから2年ぶりの再会、夏、茹だるような暑さの淡路の路上で。今里さん、お久しぶりです、このタイヤ交換をちゃっちゃと終わらせるんで、店内でゆっくりしてて下さいと告げるも、今里さんはお邪魔でなければ外で見てて良いですか?と言ってずっと店頭で僕の作業を見ていた。しかし当のタイヤ交換を終わらせても一向に客足が途絶えず、パンク修理、タイヤ交換、自転車販売、スタンド修理、チェーン交換と立て続く。あまりの慌ただしさを見かねた今里さんが「土井くん!俺も手伝うわ」と手を差し伸べてくれた。車体を押さえてくれたり、タイヤを取ってくれたり、スタンドを調整してくれたり。そのスタンドはタラウマラの主要登場人物シュウ(小学4年生)のもので、このシュウという少年はなかなかの個性持ちで、阪急淡路駅の改札をサラリーマンの後について入場し、そのまま難波や心斎橋まで行って駅員に保護されたり、23時を過ぎた人もまばらな淡路商店街で空き缶やペットボトルを並べてボーリングをしていたり、方々で犬と本気で喧嘩をしていたり、知らないおっさんの部屋で一緒にゲームをして遊んでいたりするような最高に愛すべき問題児なのだが、今里さんの前では珍しく猫を被っていた。途中、今里さんがコンビニに行った際にシュウのお母ちゃんが僕にそっと耳打ちする、うちのシュウがビビってる、と。僕は思わず爆笑した。ちょうど今里さんがコンビニから戻ってきたタイミングで、CHOPPY'S SKATEBOARDの上野さんが来てくれたので僕は修理作業を継続しながら紹介すると、おふたりはスケートボードや共通の知人の話で盛り上がっていた。その頃になるとようやくシュウもギアが上がってきて「どっちかのお兄ちゃん、僕のお母さんと結婚して欲しい」と冗談とも本気とも取れる言葉をぶっ込んできた(シュウの両親は離婚している)ので、みんなで爆笑。お母ちゃんは「お兄ちゃんらにも選ぶ権利があるわ」と言うて苦笑していた。結局シュウのスタンドは完全には直すことができず、ちょうどサイズも小さくなってきたこともあって、まだ整備できてないけど一台シュウにぴったりのサイズの自転車があるからそれが出来上がったらお母ちゃんに電話するからそれまで辛抱しとき、と伝えると瞳を輝かせて、ほんま!絶対やで!約束やで!と嬉しそうに手を振って帰って行った。その後もなかなか客足が途絶えないため、今里さんが「軽くメシでも喰ってくるよ、オススメある?」とおっしゃったので、食い気味に「大阪王将」と言うと「いや、王将が美味いのは知ってるけど、もうちょっとローカルのが良いな、せっかくやから」と苦笑い。僕も思わず、ですよね、と吹き出した。さっき今里さんが行かれたコンビニの裏手に「いしかわ」という定食屋があって、そこのカスうどんめちゃ美味いですよ、と伝えると、じゃあ行ってくるー、と今里さん。僕は一度、頭から水を被って残りの作業を続ける。ようやくひと段落つこうかというタイミングで今里さんが戻ってきた。え、もう喰ってきたんですか?と驚くと、いや、やっぱり土井さんと一緒に食べようと思ってお好み焼きを買ってきた、と手に下げた袋を見せてくれた。僕らは一枚のお好み焼きを半分こして食べた。そこでようやくゆっくり話せるかと思ったんだけど、またしても来客があり、整備依頼が舞い込んでくる。ついつい話し込んで僕の手が止まることを懸念して、今里さんはこれ以上いたら邪魔になるので今日はもう行きます、と店を出る。たくさんのプレゼントを頂いたお礼に僕は自分の作品を手渡した。そのときたまたま定食屋「いしかわ」の社長がタラウマラにやってきたので、今里さん、この方がさっき言うてたカスうどんの美味い店をやってるお父ちゃんですよ、と伝えると、ああああ俺やっぱりカスうどん喰っときゃ良かった、とほんまに悔しそうにしていたのが可笑しかった。社長は、わしはカスうどんなんて認めへん、あれは孫が勝手にやっとるだけや、とか言うて何やねんそれ(笑)。そんな訳で2年ぶりの再会はゆっくり話せるなんてことはほとんどなかったけれど、その時に流れていた時間は僕にとってはSFPのライブの激しさとDJ HOLIDAYのミックスで聴ける優しさが全部つまった特別な瞬間だった。この夏はきっと終わらない、心の底からそう思った。汗だくヘトヘトで閉店作業をしているときに今里さんからメッセージが届いて、スマホを持つ手が喜びに震えた。
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sysy-11 · 6 days
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カイくんは、相変わらず冷静にメンバーのことを見守ってたなぁ。永遠バックしてたのは面白かった。
りょうがっちは、ずっと変なことを言ってた気がする。鼻の穴広げないで。
たくちゃんは、おねむだったのかふわふわしてたなあ。やでたくご馳走様!
ゆーきちゃんは、相変わらず元気。なのに急に寝るし。
タカシくんは、げらっげらだったね。すごい何言ってもずっと笑ってた。
アロは、サウナ!RPG!っていつも通りだったなあ。
ハルはスタッフさんの前で人権なくなりかけてたの面白かったよ。歯磨き指導してー!
昨日の電話で印象だったことを少しだけ書き出したんだけど、これだけでもこんなに濃いの、すごいよね。ほんとに、最高すぎるメンバーと出会えたと改めて思って、誇りに思ってる。俺は超特急に新しく入ってきたメンバーだし、ここに来たのも誰より遅いけど、ずっとみんなの中の大切なメンバーの一人であれたら嬉しいよー!なんか、し��みりしてきたからこの話はここまで!終わり!ギャルはコンビニにて昼飯調達してくる!!
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10scorpion21 · 2 months
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最高のふたり。
待ちに待ってた2人のオケキャス。一番乗りでキャスに行ってわちゃわちゃしてる会話聴きながらやっぱ落ち着く声してんのよ、2人とも。かっこええーって聴き入りながらコンビニ行って帰ってきてーってしたら急に聴こえて来たエゴと一途のイントロにポテト落としかけるっていう(笑)いやでもやっぱり俺の思った通りめちゃくちゃ藤ヶ谷くんの声に合うんよ!色っぽいエゴと一途が聴けて最高すぎた。そしてみつくんの絶体絶命!!めちゃくちゃ聴き込んでくれてたみたいで嬉しすぎたしこれまた声に合う!!最後の部分は2人やからこその歌い分けしててにやけた。他にも一緒にいるからこその掛け合いとかハモリとか…あっという間の5時間だったなー。いつか3人でオケキャスして見たいなーなんて思ってるから2人ともよろしくー、なんて(笑)自己満で書きたくなった記事でした!
あ…ハニトーどうしたんやろ…(笑)
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tanashin · 1 year
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その夜 
作業煮詰まって終電で新宿へ。
特急で3駅15分。帰り路急ぐ人波に逆らい歌舞伎町に向かう。「こんな時間に、」「歌舞伎町で、」と未だにわけのわからん優越感を持ってしまう自分に辟易する。単に地元の後輩が店長している飲み屋にしか行くところがないだけだ。
思い出横丁、大ガード、一番街を抜け、路駐の黒塗りの列の脇を曲がる裏通りの一角に「のぼせもん」がある。店は混んでいた。ラーメンやチャーハンのメシ客と呑みの客。鍋を振っている才木はオレに気付き顎でカウンターの角を指す。行く前にLINEしていたので手書きの予約の紙が置いてある。1人のときも2席分必ず確保してくれている。元々は博多ラーメン屋だったが場所柄呑みの客が多く、いつのまにかツマミが増えていき博多屋台メニューが並ぶようになった。もつ鍋まで出る。才木は平日ワンオペ���店を回す。
ウーロンハイと煮卵とチャーシューが出てくる。才木が作ったウーロンハイは本当にうまい。大五郎と伊藤園の烏龍茶なのにいちいち美味い。ウチで同じように作っても全然違う。不思議。反対側の角の高橋さんと目が合い会釈する。この辺りのキャッチの元締めのヤクザ。入れ替わりくる休憩時の若者にメシを食べさせている。高橋さんはいつもの一升瓶の黒霧のロックのセット。この店で一升瓶をキープしているのは、高橋さんとサニーデイの田中さんだけだ。混み合ってきたので一度外に出る。
散歩しながら撮影。いい瞬間はなかなか出会わない。一度森山大道を見かけて後をつけたことがある。歩きながらずっと撮影していた。その数秒後に自分も同じ場所に立つけど、なにをなんで撮っていたのかまったくわからなかった。小一時間ついて回ったが途中巻かれた、というか見失った。「夢のように薄い水割りを」と酒で体を壊した森山大道がどっかのバーで言ったらしい。
ホスト街を抜けてバッティングセンターの前のたくさんの自販機の光の下に女の子が座りこみ泣いていた。遠目から一枚撮るかとカメラ構えた瞬間目が合いやめた。ばつが悪いので、なにか飲むかと自販機に小銭を入れる。女の子は黙って桃の天然水を押した。リボンが異様にたくさんついたレース生地のワンピースとロングブーツ。かなり酔っていて涙で化粧が落ちていた。とりあえず隣りでタバコに火をつける。吸うかと差し出すが首を横にふる。「携帯貸して」と、調べものか誰かに連絡するのかと渡す。イヤホンをつけたまま渡してしまい外そうとすると手を払い除け耳につけて歩き出した。
背はかなり小さく細い。アスファルトを鳴らしながら、ではなく、目についた自転車や看板を蹴り倒しながらカラーコーンをぶん投げながら歩く。取れかけたツケマツゲも投げてた。倒された自転車や看板を元に戻しながら後ろからつかず離れずでついていく、声は届かない。もしトラブルになりそうなら出ていこうかと思ったけどみんなあっけに取られ何回か怒鳴られたが気にせず歩く。怒りか悲しみか大きなエネルギーが放出してる様はすごいライブで演ってる人が光って見えるのに似ていた。澱みがないから止まらない止められないのか。ランダムに設定していたレイジアゲインストザマシーンあたりが流れているのかと思ったら面白くてニヤついてたら、振り返り「キモ」と言われる。後ろ姿を撮りながら新宿をぐるぐる回る。たまに振り返ると「ウケる、Yahooニュースばっかり見てんじゃん、キモ」「フォロワー500人、キモ」とケラケラ笑う。見るなと言い返しても、もう背中聞こえていない。
どのくらい歩いただろう、そろそろ始発が動く時間で駅に向かう人が多くなってきた。あいかわらずなぎ倒しながら歩いていたが勢いはなくなっていた。酔いも覚めたのだろう。空の桃の天然水は持ったままだ。三丁目の飲み屋街から明治通り伊勢丹の向かいに出てきた。あーここ美味しいクレッソニエールと思ってたら突然立ち止まりイヤホンを外しiPhoneとペットボトルを思いっきり足元に投げつけてきた。
「おまえのハンパなやさしさが全部をダメにする」
と言い放ち新宿三丁目の駅に降りていった。拾うと画面はバキバキに割れていた。傷だらけで人質は解放された。音は鳴るかとイヤホンをつけるとpredawnが流れていた。
コンビニでアイスを買い店に戻る。誰もいない店内で才木は仕込みをやっていた。「にーやん遅かったね、瓶ビールでいい?」小さいグラスで乾杯だけして、才木はアイスをくわえながら厨房に戻る。系列の4店舗分のスープの仕込みを才木がやっている。さっきの話しを聞いてもらいたくて「少し休んで呑もうや」と誘う。「この豚は一度死んでウチにきてるから、2度死なすわけにはいかんのよ」と才木は言った。寸胴の中の豚骨を砕く才木の背中を見ながらアイスを食べた。
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oto64 · 1 year
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2023.03.24
また、別の支店に出張があった。
ここにもほぼ同期Tさんがいて、
Tさんの出勤の日に出張なので
至極当然のように、夜ごはんに行くつもりだった。
出張の前の日。
「仕事終わったらTさん帰るって言ってるけど、
大丈夫?」
と、この前の出張で出会った
ほぼ同期Nさんから連絡がきた。
TさんとNさんは、本当に同期だから仲がいい。
は?となり、急いでTさんにチャットを送る。
「Nさんからなんか言われたんですか...」
とチャットがきて、嫌々でもいいから
夜は付き合って、と約束した。
わたしの出張の目的は、
コミュニケーション網を広げることだから。
仕事中のコミュニケーションなんて最低限なので
呑みニケーションがないと始まらない。
「それなら、俺も行くわ」
とNさんからチャットが来た。
近い支店とはいえ、違う都道府県にいるNさん。
来てくれたら嬉しいけど、とやりとり。
そんなすぐに、前回会ってから1週間は経たないうちに
再会できるとは思ってなかった。
出張の日は忙しく、Tさんと話しつつ
パタパタと過ぎていった。
仕事終わり、ふたりで歩いてごはんに行く道すがら、
Nさんが現れた。
Tさんには内緒にしてたから「え、はぁ!?」と
当然のことながら、驚いていた。
お店をはしごして、夜を楽しんだ。
Nさんはお酒が飲めないにも関わらず、
「2人だけいいなぁ」といい、少しビールを呑んだ。
ほんの少しなのに、顔が赤くなって、
しゃべらなくなってしまった。
「ホテルで休ませてあげたら?」
とTさんに言われた。
3人でわたしの宿泊先まで戻り、
Tさんとホテルの前で、解散した。
「2人の間に何かあったとしても、
俺は黙っとくから安心しろよ」
と言い残し、Tさんは帰っていった。
・・・
部屋に戻って、酔いが覚めるまで、と
ふたりで話していた。
いろんなことをずっと話していた。
歩んできた道のりは、全く違うけど、
お互いに関して、思っていることは似ていた。
そばにいると、安心する。
ずっと知ってる人だった気がする。
気を遣わずにいられるひと。
出会ってから2回会っただけなのに、
そんなはずないくらい、距離が近づいてた。
こうなるんだろうな、と
お互いどこかで思っていて、
お互いそうしたいな、と思ってたようで、
部屋の中でハグをした。
コンビニに散歩に出た。手を繋いで歩いた。
部屋に帰って、ふたりでスイーツを食べて、
あまいキスをした。
あー、もう止められないよね、って笑って
シャワーを浴びて、ベッドに潜り込んだ。
離れたくなくて、離れがたくて
眠ってしまうのが惜しくて、
ずっとくっついていた。
さすがに少しは眠ろうと、朝になって目を閉じた。
1時間半だけ眠って、目を覚ますと
彼はおはようといって、キスをしてくれた。
我々は、動物園にいるべきかもしれないね、と
そう言いたくなるくらい、何度も交わった。
ベッドから出たくなかった。
このままでいたかった。
後悔はなにもなかった。
出会った日にお互い感じていた。
遅かれ早かれ、こうなるんじゃないかな、と。
不思議なんだけど、ほんとにそう思ってた。
帰りのバスの時間を変更してくれて、デートした。
健全なカップルとして、
お互いのやりたいことをした。
ずっと手を繋いでいて、ずっと笑ってた。
寝不足すぎて、頭が回らなくなってたけど、
おしゃべりはつきなくて、ただ楽しかった。
本当は、健全なんかじゃないけど。
「墓場まで持っていこうね」と約束して
それぞれの街に帰った。
Nさんは、前回の出張のあとブリーチを施した先輩に
言われていたらしい。
「あのあと2人はホテル行ったんですか?」と。
出会った日から、そういう感じでちゃってたのかな。
次に集まるときは、気をつけないとな。
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longgoodbye1992 · 1 year
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久々の旅 最終日
最終日も朝は早く7時前にホテルを出た。
近くにあったデニーズで朝食を食べる。
母は柄にもなくパンケーキとサラダを食べ、パンケーキを半分俺に渡した。
食べ終わって向かったのは磐梯吾妻スカイライン。
一度は走りたい道として雑誌にも載る絶景が広がる道である。
過去に二回通ったことがあるが、いずれも十年以上前。
久々に走りたいと俺が言って通ることにした。
つづら折りを上っていくと福島市街地が見える。
更に上がれば浄土平。
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運転していたのでこれくらいしか撮影できなかったが、実際はもっと圧巻の景色が広がり、異国感というか浄土感とも言える感覚が楽しい道だ。
スカイラインを下りてコンビニでコーヒーを買い、道の駅でお土産のままどおるを買って猪苗代湖畔へと。
大きいスワンボートがある桟橋や野口英世記念館を超えて会津若松市へ。
俺にTumblrを教えてくれた子は確か会津の出身だった。この街で彼女は育ったんだなと思いながら先を急ぐ。
新潟方面へ車を走らせながら、寝不足の俺は母が運転する横でかなり眠ってしまった。
麒麟山温泉を過ぎたあたりで昼前。
昼ごはんにラーメンを食べたくなった母と俺はラーメン屋を調べ、通り沿いにある満月という店に入った。
辛味噌ラーメンが売りの新潟の名店らしいが、あっさりしたラーメンが食べたかったので中華そばを食べた。写真は失念したがあっさりしながらコクのあるラーメンでとても美味だった。
ここからは日本海を北上する。
海沿いを走りながら母が昔研修で働いたホテルがある瀬波温泉を通った。
そのホテルはもうないのだが、面影が残る通りを見て懐かしそうにしていた。
次にたどり着いたのは笹川流れ。
奇岩があるが波の落ち着いている海岸線。
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海の向こうに見えるのは粟島。
ここでソフトクリームを食べようと列に並ぼうとしたときに、地震警報の音がけたたましく鳴り響いた。震源は石川県と表示されていた。
目と鼻の先には海。
一瞬脳裏に死が過った。
すぐに外へ出ようとしたが、周りの人々は逃げようとしない。その様子が今の人々の危機感の薄さのような気がして少し呆れたが、落ち着いてニュースを見ると津波の心配は無いとの事。
揺れはもうおさまっていたらしく、特に気が付かずに終わった。
一安心したが、大きな被害があったことは帰ってからのニュースで知った。
気を取り直して北上する。
鶴岡の由良海岸を眺めたりしながら帰路へつく。
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帰りはステーキ店に入って母はビールを俺はノンアルコールビールを飲んだ。
また旅をしようと約束して家路へ。
東北をU字型にまわった旅は終わった。
次の旅はそう遠くないはずだ。
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slipawayyy · 2 days
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雑感⑥
気付いた時にしか言葉に出来ず、言葉にしたい時には思い出せなくて、本当はこうなんだよと伝えられないことが多いので書く。
友達に誘われて久々に東京へ遊びに行った。車で出掛けない時はついお酒を飲んでしまう。今日もお酒を飲んで楽しくなりつい遅くなってしまった。
母が23時到着の所を30分かけて迎えに来てくれた。母は自分とは違って贅沢や浪費をまったくしない人間で、毎日夕飯の発泡酒一本を美味しそうに飲んでいる。自分はそれを勝手ながら母なりの贅沢なのだと思っていて、時折申し訳ない気持ちになる。
帰路を急ぎ爆走する母の車に酔っ払いながら揺られていると急にその事を思い出して、飲酒運転ではないのかと聞いてみる。すると母は自分が出掛けている時はお酒は飲んでいないと言う。そんな母の優しさに、自分が見ていないだけで気付けなくて、やはり申し訳ない気持ちになり泣いてしまった。
母は本当なら寝ている時間にも関わらずいきなり泣き出した息子へ理由も聞かずにコンビニで水を買ってくれた。そんな優しさに余計申し訳なくなってコンビニの前でうずくまってワンワン泣いてしまった。
もういい歳になっても与えられて貰う事しかできない両親へこの先近くにいる事で返せる事があるのならば近くにいてあげたい、と心の底から思っている。
これが自分の栃木から出れない理由。
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pigu2870 · 22 days
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週末の走行 2024/2/15-19
Miniz-Cup-Championships-Finals
その3大会2日目編~帰宅です。そこそこ続いた2023全国大会編もいよいよ最終回です。
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目覚め。そして少しずつ帰りの準備。
清掃なしのプランでも連泊4日目の今日は清掃が入るそうです。
メインの荷物は持ち出すので良いですが、他の荷物も清掃中に無くなっては困るので片付け後に証拠写真をパシャリ。荷物が多くて飛行機旅にも慣れてないので用心深いです。
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というわけで今日もセントレアにやってきました。毎日空港に出入りしているので、そろそろ国内線ターミナルの配置は暗記しそうです。今日は初めてホテルからターミナルまで送迎バスを使いました。ホテルから3分くらいでターミナルに到着。
バスの中は案の定昨日大会で見かけた顔ぶればかりでしたね。乗車中に挨拶の下りもありました。
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朝一番に会場入り。さすがに開場前の朝一だと人がいないですね。ボードには昨日の順位が貼られています。
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飛行機が飛べない関係で昨日レース1日目の夜に現地入りした仲間がいたので、救済の特別練習を見守ります。見た感じは絶好調?練習から戻ってきたときには上機嫌そうでした。
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ターミナル内のコンビニにご飯を調達しに行きました。ますのお寿司が珍しくて購入。お寿司って北海道のコンビニじゃ見かけなかったんですが、本州だと普通に売ってるものなんでしょうか?興味深かったです。普通においしかった。軽めの朝食とか、おやつにもいいかもしれないですね。北海道にもほしいラインナップ。
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大会2日目は、予選3回目→予選4回目→決勝 の流れです。
まずは予選3回目。
前列スタートということもあって好スタート。
2周目でトップの外人選手を1コーナーイン側から殺して追い抜きますが、ペースが違うのでここは仕方ないということにします。ユルシテ...
それ以降、特に目立った展開はありませんでした。緊張してミスが何回かあったので、「何やってんだか...」と思いながら走っていた記憶があります。悪くはない展開で結局トップを維持してフィニッシュ。ベストタイムも良い感じです。
ただ、ヒートトップをとっても結局は他のヒートに超強豪選手がいるわけで。思ったよりタイムが伸びておらず、昨日の予選2回目の方がタイム良かったみたい。タイム更新できずに順位は下がります。
マシンの感覚としては案の定曲がらない感じ。路面グリップもどこまで上がってくれるか心配。
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お昼休憩タイムで「つけてみそかけてみそ」を入手しました。道民割なるもので、北海道民にのみ配布されているようです。
往復チケットと身分証提示でゲッツできました。ラッキー。これをか���ると全てが名古屋風味になりますね。名古屋を感じたいときに重���しています。
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予選4回目。最後の予選です。気合が入りまくりですね。
そろそろ路面グリップが上がって安定してくるのが僕の読みでしたが、想像よりもグリップが低くて本当に苦戦しました。これ以上対処しようがないくらいにタイヤ径・切れ角・ジャイロなどで対応しましたが、まだ足りないくらいのグリップ感・・・。
嫌な予感がしながらも、最後ということで張り切っていきましたがダメダメですね。目立った展開はなくただミスが多いだけ。トップタイムもとれず、順位がダダ落ちです。
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予選はCメイン4位・総合16位で順位が確定。ここから決勝で挽回したい訳ですが、打開策を見いだせません。車のセッティングを大幅変更する手段もありますが、慣れてないことは避けたい。Bメインへの勝ち上がりの可能性を考えて、セットは変更せずに気合いで頑張ります。理想としては4位スタートから2位ゴールでBメイン勝ち上がりの展開です。
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さて、決勝。4位グリッドからスタートダッシュがバッチリ決まり、前方のミスもあって1週目終了時点で2位に浮上。スタートの出来だけはこの大会でもトップレベルで競える自信があります。ファイナルは各メイン2位までが勝ち上がりです。なんとかこのまま1位に食らいつきたいところ。
1位のマシンもペースが上がらないのか、こちら側がリスク承知で攻めれば追いつけるペースです。タイム差0.5秒あたりまで接近。切れ角を上げて追いつこうとしますが、案の定これ以上曲げることができない...。見た目上はペースの上がらない1位を追い抜けそうには見えましたがかなり必死です。
そこそこ攻めた走りを維持して残り30秒。せめて2位をキープしたい気持ちですが、3位が急接近してきて急に焦ってきました。3位の追い上げペースが速くて、対抗するために僕も攻めたところでフェンスにヒットするミス。残り3秒で追い抜かれてしまいました...。
結局Cメイン3位でフィニッシュ。僕の2023シーズンはここで終了です。
最後のワンミスがなければ次の決勝メインを走れたので反省...。
ここまで本気でやってきて、残り3秒のワンミスで上位メインを走れないのは本当に悔しいです。
フィニッシュ直後にプロポをぶん投げてやろうと思いましたが、私は偉いので感情を抑えます。借り物のプロポですし。
マシンとしては曲がらないからコーナリングスピードを確保できないということに尽きます。どのコーナーの立ち上がり��も素早くスロットルを入れることができず、基本的にフロントアンダーというマシン特性に悩まされ、楽しく走ることができませんでした。リアセクションのセッティングも、決勝では高グリップになると思って安定志向でセットしたのが路面に全くマッチしない結果でしたね。
曲がらないマシンを無理やり曲げようとして、タイミングが合わずにミスるというのが何回もあって恥ずかしい限りです。
もちろんファイナルの場というか雰囲気に慣れていないのもありますが、せめてマシンがもう少し走ればな~。セッティングも含めて慣れ・腕前ですね。
理想としてはフロントタイヤ径22.0~22.1mm、ジャイロ28前後、グリップ剤フロント内側1/2・リア全部でドンピシャだった気がします。路面グリップが想定より低くすぎて、メカニカルグリップを高めても曲がりすぎるということはなかったと思います。今回のマシンはハイサイドを絶対に起こさないということに重点を置きすぎて、攻めた走りができませんでした。
猛者ばかりのレースでキレた走りができないのは致命的ですね。ファイナル上位は本当にブチギレた走り同士のバトルというのを思い知りました。
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自分の出番がすべて終了したので、あとは上位陣の走りを見届けるだけです。一番上位メインの決勝だとグリッド紹介があるのは良いですね。やっぱり決勝Aメイン表彰台争いの走りは勉強になります。
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大会終了後はチームのお疲れさま会を兼ねてみんなで手羽先。北海道勢のみんながんばりました。
本場の山ちゃんは札幌よりおいしい気がします。満足。
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名古屋5日目は帰るだけ。ホテルから空港が近いと時間に余裕があって良いです。最後の食事は富士宮やきそばです。名古屋というより静岡のグルメらしいですが、ゆるキャンの記憶がよみがえって気になったので注文。
鰹節が良い感じに絡んでおいしいですね。ソース感も強くてご当地B級グルメって感じです。
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あいにくの天気ですが、飛行機乗ってるだけなので関係ありません。
セントレアー新千歳間って意外と近いですね。1時間40分くらいで着くので羽田と大して変わりません。ラジコンだけじゃなくて名古屋の街呑みもよかったのでぜひまた来たい。
以下、後日酒呑みの感想......
趣味とはいえ、全国・アジア規模の大会に出るとなると恥ずかしい走りはできないわけで1カ月毎日練習の日々となりました。
そんな日々も終わり。さすがに疲れましたね。大人の部活って感じでした。
仕事後に5時間ラジコンを走らせる日々も終わって落ち着いております。
ファイナルまで1カ月間毎日、マジモードで熱中し過ぎて訳わからなくなっていたのでしばらくは休憩です。イライラすることが増えては趣味じゃないですからね。正確に言うと燃え尽き症候群に似たようなものを感じます。
最近、本気で人と勝負をするということしていなかったので良い刺激でした。結果としては真ん中あたりの順位でフィニッシュでしたが、ファイナル初参加ということを考えれば十分でしょうか。結果よりも、全国各地から集まる強豪と一緒に走れたことが一番の経験となりました。本州勢に自分のことを認知されていたことも嬉しかったですね。全国に知り合いができました。
10年以上この趣味をやる中で、ファイナルに出るというのはずっと憧れでした。まさか自分がファイナルに出れるなんて考えもできない時期の方が長かった気もします。
そんなファイナルの権利を4年前に一度手に入れましたがコロナ渦で無くなってしまい、もう機会はないと思っていました。しかしながら今回、地区大会の段階からいろんな人のサポートもあって経験できました。感謝。憧れだった場所で走れて本当に楽しかったです。
Miniz-Cup-Final 2023編おわり。
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kennak · 2 months
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広島市にあるコンビニエンスストアで19日午後、男が刃物を振り回し、店員と客の女性2人がけがをしました。現行犯逮捕された男は「殺そうと思って力いっぱい刺した」と話しているということです。 警察によりますと、19日午後1時過ぎ、店の関係者から「急いで来てください。高齢の男性が刃物を振り回している」と通報がありました。 警察官が現場に駆けつけたところ、女性2人がけがをして店内で倒れたリ、座ったりしていて、男は店員に取り押さえられていたということです。 目撃者 「人が刺されたと聞いたから何かもって助けようと思ったときに警察が来た。女性が横たわっていて、腰から下しか見えていないが血が横にあって」 女性2人は病院に搬送されましたが、このうち59歳の買い物客が背中や太ももを切りつけられ重傷。もう1人の25歳の店員は手の指に切り傷を負いました。 男は、近くに住む76歳の無職で、殺人未遂の疑いで現行犯逮捕されました。調べに対して男は「殺そうと思って力いっぱい刺した」と供述し、容疑を認めているということです。 男は「金を出せ」などとは発言しておらず、警察は強盗目的ではなかったとみて、事件の動機など詳しいいきさつを調べています。
「殺そうと思って力いっぱい刺した」 コンビニ内で女性2人を切りつけたか 76歳の男を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕 広島・安佐南区(RCC中国放送) - Yahoo!ニュース
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chisasarasa · 1 month
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240108
熱がある。 耳の先端が真っ赤だ。
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240109
昨日のまま、熱がある。 1か月前も熱が出ていて、発熱が月1ペースになっている。 身体の中のなにかがうまくいっていない。
これまでずっと、先のことばかり気にしていた。 いつかこうありたいから、今、こうする、そう行動してきた。 いつも不安だった。 でも、そろそろ平気だって。流されて、きもちのいいところまで行けるって、そんな気がしてきた。
熱はあるけど、動けるし、野菜を食べておいたほうがいいだろう、とスーパーへ行く。 ねぎと白菜と、みかん。冬だ。 お米が重く感じて、ささみとねぎだけ焼いて食べた。
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240110
目覚まし時計はかけなかった。 8時間くらいねた。 おかげで熱が下がった。 勢いにのって、作業をし続けていたらへろへろになってしまった。 つくった本を宅急便に出して、帰り道、コンビニで紅茶花伝のミルクティーを買う。糖分が染み込む。 疲れたときには紅茶花伝のミルクティー。 いつでも思い出せるようにいたい。 がんばった甲斐があったようで、山を越えたらしい。 わたしの容量が少し空いた。 友人からの連絡に返事をする。たのしみな日々の約束。
御飯茶碗にもなるような小鉢を割ってしまった。 形あるものはいつか壊れる。そうなぐさめる。 割れた欠片を手にとってみると、軽かった。 なんとなく、卵の殻を思った。
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240111
朝、気怠い。 いつもよりは軽い心地だけれど、ぼんやりとゆううつで、どうしたら気持ちよく朝を迎えられるのだろう。 DMを作っていたら、1日が終わってしまった。 近所のスーパーの2階に、休憩所をみつけた。 100円の、カップに飲み物をいれてくれる自動販売機と机と、椅子。 部屋での作業に飽きたら、ここに来よう、と思った。 店内のあかるいばかりの放送がしみつきそう。
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to2geki · 10 months
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2023.8.5
淀川の花火大会に夏休み帰省している元彼と急に行くことになって、行ってきたけどお互い人多いところとか苦手なタイプなので、屋台を一通り見て周り、お酒とからあげとかき氷だけ買って、もう良くない?もうしんどない?インドアが外出たらろくなことないなあ。など喋りながら花火が上がる前に帰った😂
なんか自分たちらしいな〜無理したアカンなあ言うて電車乗り換えたらまさかの人身事故で電車ストップしてて、時間潰すか〜ってなって居酒屋へ行った、色んなこと話した。付き合ってた頃の話、今の話、お互いの今の話。お酒の勢いで話せる話。急に、「俺、彼女いること○○ちゃんに言ってたっけ?」って言われて、お互い結構お酒も入ってるしもうええか〜と思って「あれやろ、あのまだお互い付き合ってるときに○○くんが服貸したり、インスタあげたり意味分からん行動してブチ切れたあの娘やろ?もうだいぶ前から勘づいてたし気付いてたよ」ってちょっと皮肉交じりに言ってしまった。多分、単純に 好きな人がいる ということに苛立ちを覚えてしまってたんやと思う。 なかなか心から人を好きになれない自分からしたら相手が羨ましく思えてしまった。そうしたら、「○○ちゃんには言ってなかったやんな、周りには言ってたけど、多分言ったら○○ちゃん俺ともう一生逢ってくれへんと思った。正直俺が全部これを言うこと避けてた怖かったごめん」って言われた。わたしはこの人のこういう狡いところが苦手だ。と感じてしまった。必死に言い訳のようなモノを次から次へと述べてくる彼に正直まだ苛立ちを覚えてしまっていたし、そしてなんで今更急に?と思ったし、なんでわざわざ言ってくるのだろうとも思ってしまった。単なる醜い嫉妬が心の中で渦巻いていただけだったのかもしらない。
そして、その後呑みに呑み続け、電車が運転を再開し始めたとの事だったので自分たちの地元の駅まで帰ることにした。長年一緒にいることと元恋人なだけあってお互い違うことをしていても、良い意味で何も気を遣わないこの空気感が大好きだったなあと、思いながら電車に揺られていた。
そして最寄りに着いて、2軒目に行くことにした。歩いてすぐの居酒屋。こんなところあったんやって入った、また浴びるようにお酒を呑んだ。そうすると2人とも何に対しても暑くなってきたのか、別れた後も今こういう状況で居られてることが奇跡やし、人間としても一生断ち切れへん関係なんやと思うと色々感謝を述べてくれたので、わたしが精神的に参っている時期に家族より支えてくれた彼に素直に感謝を述べた。あの時があったから2人とも成長出来たんだという結果に至った。
そして数時間呑んだあと、ここで言う事では無いけれども駐車場に車を停めて居たので、ほろ酔いだったけど運転して帰ることにした。隣には大丈夫?運転出来る?と目がとろーんとした彼、駐車場まで少し歩かなければいけなかった。全然大丈夫やで任してや となんの可愛げもない返事をして煙草に火を灯す。箱の中を見るともう一本しか無かった。もう2箱も吸ってしまっている。〜と思っていたら、急に目の前が暗くなって人の温もりが私の身体を包んだ。あ、今抱きしめられてる?とアルコールのせいなのかなんなのか思ったより焦ったりもしなかった。そして数秒抱きしめられたまま、ゆっくり離されて手を取られまた歩き始めた。「急にどーしたん〜」 「なんもない〜○○ちゃん手冷たいわ」 とか他愛もない会話を交わしていると駐車場に着いた。車に乗りこみ、二人でまた煙草に火を灯す。やっと車の中が冷えてきた頃、まだ帰りたくない と彼の方から言われたので、家帰って呑み直す?と誘った。そしたら、うるさくなったら迷惑やから、お酒買ってホテルで呑み直そうよ と言われた。それを言われた瞬間なんか自分の中での何かがストンと落ちた。もうどうでもいいか。なんでもいいや。あれなんやこの感覚。と違和感を覚えながら、二つ返事を返していた。
コンビニで適当にアテとお酒を買い車を走らせ、ホテルに着いた。2人ともお祭りのあとと人混みと2軒ハシゴしたおかげか疲れ切っていたのですぐソファーに腰をかけた。「あ〜疲れた」 「疲れたなあ」 「まあ呑み直そや」 「せやなあ」 「てかこのテレビデカない」 〜 。などとくだらない会話をして1缶目に手を付けた。カンパーイなどと適当な挨拶を交わして呑む。正直わたしは酔っていなかったけど呑まなければ気が済まなかった。酔っている彼を横目に音楽を爆音でかけて呑んでは煙草に火を付けていた。そして数分経った時、彼がシャワー浴びてくると言って席を立った。一人の時間。微かに聞こえるシャワーの音が、元彼だという事に何故かおもしろくなってしまっていた。そしてあっという間に一人の時間は終わって、わたしもシャワーに入りたかったので、メイクは落とさず身体と髪の毛だけササッと洗って脱衣所に出た。鏡に映った自分を見て、思うことがあった。付き合っていた頃はお泊まりをしても、気にせずメイクを落としていたのにな。と思った。あの頃とマインドがこういう所で変わっていたことに気付いた。早く酔いたくてお酒を持ったままお風呂に入っていたわたしは一気にお酒を飲み干し、火照ったところで彼の元へ戻った。
戻ると部屋はすでにわたし好みの部屋の暗さになっていた、やっぱ分かってんな〜と思いながら彼の隣に腰を掛けた。また煙草に火を付けては背もたれに全体をかけた。自然と出る声、疲れたなあ〜と2人で2度目の乾杯をしてちょっと酔ってきた頃、彼はいつの間にかベッドに移動していた。わたしはまだ呑んでいたかったし、自分が流している音に委ねていたかったし、酔うと煙草をある分だけ吸ってしまう癖があるので、まだソファで横になっていた。
数時間後、「俺も煙草吸いたい、煙草無くなったから貰っていい?」 と既に寝ていたのかなと思ってた彼がむくりと立ち上がって言ってきたのでまた二つ返事を返して、煙草を一本差し出した。お酒が入る度に徐々に距離が近づいて行く感覚があった。「○○ちゃんずっと歌ってるし、煙草吸ってるやんか吸いすぎ」 「この時間がいっちゃん好きやねんもんしゃーないやんかー」 「呂律回ってないし」 「いや、自分もやん」 などと昔からひとつも変わらない内容をベラベラと話していた。何缶目か分からないお酒に手を伸ばし、酔っているのか酔っていないのか分からない感覚になっていた、でもただただ気持ちが良かった。
ようやくちょっと横になるか〜と思って、彼が居るベッドに横になった。「○○ちゃんやっと来た〜」 などと色んな言葉をまた交していた。そして少しウトウトしてきたころグッと引き寄せられた、「○○ちゃん眠い?もう寝ちゃう?」 また狡い言い回しするな〜と思いながら、「まだ寝ーへんよ」 「めっちゃ眠そうやん、寝ーよ」 なんか、自分も狡いこと言いたいなあと思いながら、でも自然と 「まだ今日終わって欲しくないもん」 と言葉に出ていた。この一言で彼もスイッチが入ったのか視界が暗くなり、いつの間にか彼が私の上に跨っていた。あ〜なんか久しぶりやなとか全然雰囲気もクソもないことを頭で思いながら、彼に身を任せた。
時間が経ち、彼も眠りについた頃、わたしはなかなか眠れずに色んな感情と向き合っていた。彼女が居るってやっと面と向かって言ってきたのによく誘えたな〜とかこうやって普通に浮気するんやなとか、多分付き合ってた頃もあの女の子に秘密で会ってこんなことしてたんやろうなとか、そう思ったら別れて正解やったなとか、今フリーで好きな人も居ないからか、この行為になんの罪悪感もなく、相手の彼女に対して申し訳なさもない自分が怖かった。逆にこの都合良い関係というか、恋人でもなければ普通の友達でもないこの関係が一番楽だと感じてしまっていた。もう終わってしまったことは仕方ないとほぼ強制的に考えることを辞めた私は彼を起こさないようにソファに移動してNetflixを選びながら煙草に火をつけた、もう煙草は3箱目に突入していた。
いつの間にか寝ていた。時刻は朝の5時。まだ流れているNetflixを観てみると、一話分しか眠れていなかった。最近不眠症がひどくなった。適当に彼が起きるまで時間を潰すか〜と起こさないようにそろりと脱衣所に行って歯磨きをしてもう一度シャワーを浴びて部屋に戻った。まだ彼は寝ていた。そういえばLINE溜まってたなと思って返すと、案外みんな日曜日なのに返信が早かったおかげで暇することなく時間を潰せた。
そして彼の携帯のアラームが鳴った。時計を見ると10時になっていた。彼が眠りについてから7時間も経っていた、男の子ってなんでこんな寝るんやろとか思いながら、鳴った途端すぐ消してまた眠りにつく彼を見て、何故かあの頃に戻ったような気分がして切なくなった。そんな気持ちを殺しながら、彼の元へ行った。「○○くんまだ起きひんの?」 「○○ちゃんいつから起きとったん」とまだ眠そうな口調に笑ってしまった。「なに笑ってんの、てかなんであっちで寝てんのなんで隣おらんの」 と言ってきたのでごめんやんとか適当に交わしながら、あったかい体温と布団に包まれていた。少し時間が経ち、シャワー浴びてくると立ち上がった彼を目で送り、煙草に火をつけベッドに横になっていた。お腹すいたな〜。この後何食べようかなとかしょうもないことを考えていたら、お風呂から上がってくる音がした。ドアが開く音。彼がこっちに向かってきたので、あ〜また抱かれるなと悟ったので、手を広げて彼にまた身を任せた。
水を飲んで、まだお互い下着のまま、この後何食べよかとか他愛もない話を交わして、話が纏まり静かになった時、急に背中に指が伝ってきた。びっくりしたがなんとか誤魔化して、「なにどーしたん」 「いや、刺青見いひんうちにまた増えたなあと思って」 「背中の龍入ってることたまに自分でも忘れてるねん」 「○○ちゃんそのままでいてね」 と少し意味深なことを言われたが、うん変わらんよ。と返した。なんかもどかしくて手元にあった煙草に火を灯した。もう3箱目も無くなろうとしていた。
部屋の暗さとは全く真逆で、外はもう十分明るく太陽が身体を突き刺すような暑さだった。もうこれ以上気温が高くなりませんようにと願いながら、車を走らせ帰路についた。彼を家まで送り届け、わたしも家に着くとLINEが入っていた、楽しかったありがとう 相変わらず、LINEだけはお互い必要最低限なことしか送らないことに笑えた。
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