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#奈良町家
kyokocanary777 · 9 months
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意外と楽しかったコンビニの派遣バイト
横浜の石川町にいる時、半年間くらいでしたが、コンビニの販売員の派遣バイトしてました。2018年11月くらいから半年程度だったと思います。
コンビニの派遣バイトって、結構時給高くて店を選べば、快適で楽しいです♪
私の場合はコンビニでの勤務経験があったので研修なしですぐ働けました。
実は、時給換算するとライターの方が高いのですが、その頃、家で一人で仕事することに疲れてきてたので、非常に良い気分転換になりましたね。
同じく派遣で働いてる人は、夢や目標を持っていた人が多く、話ししててもかなり面白かったです。
勤務地は、横浜と東京。
最初はローソンに派遣されましたが、あんまり合わなかったのでセブンイレブンに変更してもらい😏
ふつうのところにあるお店だけではなく、大学の中、オフィスビルの中、テレビ局の中、ホテルの中、駅のホームとかとか
ありとあらゆるセブンイレブンで働けましたよ😏
東京の新橋や赤坂、豊洲、品川、田町などは忙しすぎて、さすがに参りましたが、、、あれくらい忙しい方が楽しいかもしれません。
神奈川は横浜を中心に川崎や元住吉、武蔵小杉が多かったですね。
横浜は、近所の中華街に、みなとみらい、横浜駅付近のお店など、怖い人が少ないお店を選んでました。
新型コロナ発生後は自動釣り銭機が導入されたこともあり、私が働いていた頃とは仕事の内容が変わっているはずです。
たぶん、以前よりも仕事が楽になったとは思いますが、個人的にお金を数えて渡すのが好きだったのもあり、ちょっとがっかりしています。。。ヽ(;▽;)
そのうち、支払い票も読み込めるようになって、ハンコを押したり、控えをちぎって渡す作業がなくなってしまうかも?と予想しています。
そうなると、なんだかちょっと寂しいものですね😢
袋が有料になったので袋詰めの機会も減りましたしね。
遠い将来は横浜で暮らすので、その時にもしコンビニの派遣バイトがやっていれば、時々は働きたいです♪
交通費も出るから、ただで東京や横浜のいろんなところに行けるので、勤務時間外に写真とか撮れて楽しかったりします😊
あの街この街、客層もかなり違って、それが楽しかったりします。
浅草付近のお店も、数回だけ行ったことがあって独特の雰囲気でしたね。
まさにお江戸って感じです。
京都の実家に戻ってから、少しだけセブンイレブンで仕事しましたが、やっぱり都会で働くのがいいなぁと思いました。
やっぱり都会は基本的に忙しいのと、ダラダラしないのがいいです。
なかなか楽しい半年でした☀️
また機会があれば、コンビニの派遣バイトで働きたいですね♪
2023/07/23
21:49
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mvrider4 · 4 months
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智頭宿
奈良時代から畿内と因幡を結ぶ街道の宿場町
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鳥取藩主の参勤交代時の本陣跡
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重文の石谷家住宅
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人力車が
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立派な土間
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これぞ日本家屋
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チョット洋風も
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凝った造りの2階
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庭も素晴らしい👍
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喫茶室でランチも可
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lierrelearns · 11 months
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[1]奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター Nara National Museum Buddhist Art Library
仏教を中心とする歴史と美術にかかわる学術資料の作成・収集・整理・保管・公開を目的に、昭和55年(1980)に博物館の一部門として設置され、平成元年(1989)より現在の建物にうつりました。
資料公開日: 毎週. 水曜日・金曜日 (国民の祝日・休日、12月26日から翌年1月4日までを除く 開館時間: 午前9時30分〜午後4時30分 (複写受付は午後4時まで) 公開している資料: 図書、雑誌、紀要、報告書、展覧会カタログ、両像資料等 サービス内容: 閲覧、複写、レファレンス
調査研究を目的とする利用者に対して資料を公開しています。利用を希望の方は左側のインターホンを押して係員をお呼び出して下さい (水曜日・金曜日の公開日のみ)。
[2]重要文化財 旧奈良県物産陳列所 昭和58年(1983)1月7日 指定 奈良市登大路町50番地1
この建物は明治35年(1902)に竣工し、同年奈良県物産陳列所として開館したもので、県下の殖産興業と物産の展示販売をおかなう施設として利用された。設計者は、帝国大学工科大学造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)出身の建築史学者で、当時奈良県技師として古社寺建造物修理に尽力した関野貞博士(1867-1935)である。 木造桟瓦葺で、小屋組や河辺などに西洋建築の技術とりいれつつ、外観は和風を基調とする。唐破風造車寄を正面につけた入母屋造の中央楼から、東西に切妻造の翼部を延ばし、端には宝形造の楼をおいている。関野は大学在学中より宇治の平等院鳳凰堂を研究しており、屋根の形式や左右対称の優美な外観は鳳凰堂に範をとったものと思われる。また蟇股などのなどの細部には、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れ、この建物の設計と奈良における古建築研究との密接な関係がうかがえる。その一方で窓にはイスラム風の意匠もみられる。構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されている。 この建物は開館後、奈良県商品陳列所、奈良県商工館と名称を変え、昭和26(1951) に国に移管されて、昭和27年(1952)から55年(1980)まで間のに奈良国立文化財研究所春日野宇舎として利用された。昭和58年(1983)に重要文化財の指定を受け、同年奈良国立博物館が管理するところとなり、現在は当館の仏教美術資料研究センターとして活用されている。 平成23年7月 奈良国立博物館
Vocab 関わる (かかわる) to be concerned with, to have to do with 学術 (がくじゅつ) science, learning, scholarship 作成 (さくせい) making (a report, etc.) 収集 (しゅうしゅう) collection (of art, etc.) 整理 (せいり) sorting, organization 保管 (ほかん) charge, safekeeping, storage 公開 (こうかい) making available to the public, exhibiting 部門 (ぶもん) branch, division 元年 (がんねん) first year 祝日 (しゅくじつ) national holiday 翌年 (よくねん) following year 複写 (ふくしゃ) copying 図書 (としょ) books 紀要 (きよう) bulletin, memoirs 報告書 (ほうこくしょ) (written) report 物産 (ぶっさん)product 陳列 (ちんれつ)exhibition, display 登大路町 (のぼりおおじちょう)Noborioojichou 竣工 (しゅんこう)completion of construction 県下 (けんか)prefectural 殖産興業 (しょくさんこうぎょう)promotion of industry 設計者 (せっけいしゃ)designer 帝国大学 (ていこくだいがく)Imperial University (name of Tokyo University 1886-1897) 工科大学 (こうだいがく)engineering college 建築学 (けんちくがく)architecture 全身 (ぜんしん)previous existence, predecessor organization 出身 (しゅっしん)one’s origin (i.e. school) 史学者 (しがくしゃ)historian 技師 (ぎし)engineer, technician 古社寺 (こしゃじ)old shrines and temples 建造物 (けんぞうぶつ)structure, building 修理 (しゅうり)repair, mending 尽力 (じんりょく)efforts, exertion, services 関野貞 (せきの・ただし)Sekino Tadashi 木造 (もくぞう)wooden 桟瓦 (さんがわら)pantile 葺 (ぶき)roofing 小屋組 (こやぐみ)roof truss, room frame 河辺 (かわべ)riverside, riverbank 取り入れる (とりいれる)to adopt (e.g. an idea), borrow つつ while; even though 外観 (がいかん)exterior appearance 基調 (きちょう)basic theme, underlying tone 唐破風 (からはふ)karahafu, bow-shaped eaves of a gabled roof 車寄 (くるまよせ)carriage porch, entranceway 入母屋造 (いりもやづくり)Irimoya; building with a gabled, hipped roof 楼 (ろう)tower, tall building 切妻造 (きりづまづくり)gabled roof construction 端 (はし)end, tip, edge 宝形造 (ほうぎょうづくり)pyramidal roof 在学 (ざいがく)attending (school), enrolled 宇治 (うじ)Uji (city) 平等院 (びょうどういん)Byodo-in temple 鳳凰堂 (ほうおうどう)Pheonix Hall 左右対称 (さゆうたいしょう)bilateral symmetry 優美 (ゆうび)refinement, grace, elegance 範 (はん)example, model 蟇股 (かえるまた)curved wooden support on top of the main beam of a house (shape looks like a frog with open legs) 細部 (さいぶ)details, particulars 飛鳥時代 (あすかいじだい)Asuka period (550-710) 鎌倉時代 (かまくらじだい)Kamakura period (1185-1333) にかけて till, over (a period), through 建築様式 (けんちくようしき)architectural styles 設計 (せっけい)plan, design, layout における regarding 密接 (みっせつ)close (relationship, connection, etc.) うかがう to guess, infer, surmise 意匠 (いしょう)design 構造 (こうぞう)structure, construction 巧み (たくみ)craftmanship, design 評価 (ひょうか)appreciation, recognition 商工 (しょうこう)commerce and industry 移管 (いかん)transfer of control 国立文化財研究所 (こくりつぶんかざいけんきゅうしょ)National Research Institute of Cultural Properties 春日野 (かすがの)Kasugano 庁舎 (ちょうしゃ)government office building 国立博物館 (こくりつはくぶつかん)national museum 管理 (かんり)control, management
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dadnews · 7 months
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高田知彦さん(左) 起業家支援事業に役立てて 奈良中央信用金庫が三宅町へ企業版ふるさと納税で寄付 [奈良新聞] 2023-09-28
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yamada50 · 1 year
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棟中央にも千木を置くスタイルの波多神社 奈良時代第37代斉明天皇の御代に創建した美作国南部の山奥に鎮座する古社です 江戸時代初代津山藩主となった森氏の崇敬が厚く社領を寄進され江戸中期宝永年間に現在の社殿が造営されました 元々畑三社権現と称していましたが幕末に畑三座神社と改称し明治6年に現社名となりました 現在の御祭神は速玉之男命ですが、かつて三社権現と呼ばれていたのはおそらく熊野権現を祀っていたのではないでしょうか 資料が乏しく推測ですけども #波多神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 波多神社(はたじんじゃ) 鎮座地:岡山県久米郡久米南町羽出木896 主祭神:速玉之男命 社格:郷社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社建築#神社仏閣#パワースポット#岡山県#久米南町 #美作国 https://www.instagram.com/p/Cm6-pe8vSHu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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jujirou · 7 months
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、曇り空です。
#Repost @fei.art
本日より「日本×台湾 現代漆藝交流展」が始まりました。
2018 年よりスタートした台湾作家と日本作家による漆交流展も、6回目を迎えることになりました。
漆は自然と人間を繋げ、自然の鼓動に包まれた、ゆったりとした心地よい時間を与えてくれます。
脈々と繋がる漆の歴史の中で、新世代の作家は漆作品の創造において、伝統に囚われない表現を模索しています。漆も生きている、人間も共に成長していきます。
この創造的な交流が継続し、次世代へ伝えられ、友情が育まれていくことを望みます。
今回も台湾の漆藝作家を交えた創造的な作品をご覧頂けます。漆藝の奥行きを会場にてぜひご体感下さい。
【出品作家】
日本:岩田俊彦/伊能一三/いらはらみつみ/梅津奈保子/江村忠彦/大塚智嗣/小田伊織/小林秀俊/佐藤史幸/高田光彦/ 髙宮ヨウコ/中静志帆/中島靖高/藤田薫/柗井圭太郎/松島さくら子/松田環/三好かがり/村本真吾/吉田真澄/横田千明
台湾:張森洋/王賢志/謝袖妤/歐慧宜/趙崇源/賴明淳/吳明媛 /葉曉陵/廖勝文/陳衍志/蔡彥承
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展覧会名:日本×台湾 現代漆藝交流展
会  期:2023年10月3日(火)~10月19日(木)※月曜休廊
開廊時間:10:00~19:00 ※最終日は17:00まで
料  金:入場無料
会  場:FEI ART MUSEUM YOKOHAMA(フェイアートミュージアムヨコハマ)
住  所:〒221-0835神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町3-33-2 横浜鶴屋町ビル1F
TEL:045-411-5031 FAX : 045-411-5032 
E-mail : [email protected] 
共同主催:台湾漆研究会/台中市漆藝協会/FEI ART MUSEUM YOKOHAMA
URL: https://hfg-art.com
Facebook:https://www.facebook.com/feiartmuseum
Instagram:https://www.instagram.com/fei.art
Twitter:https://twitter.com/fei_yokohama
[ACCESS]
 *各線「横浜駅」西口 より徒歩6分
 *横浜駅西口地下街[南12番出口]より出て左
 [鶴屋町3丁目交差点]前方左角
お伺いする事が出来ませんが、ご興味の有ります方は是非、ご高覧頂けましたら幸いです。
そして今日もこれから秋田市出張。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec/
#秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田のものづくり #髹漆 #寿次郎 #日本台湾現代漆藝交流展 #現代漆藝交流展 #feiartmuseumyokohama #秋田川連塗寿次郎 #佐藤史幸 #Kawatsura #Akita #Japan #Urushi #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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tokyomariegold · 1 month
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2023/11/11
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11月11日 今日が11月11日であることに日記を書いて気がついて、スーパーで特段トッポやポッキーやプリッツ(こう考えると棒状のお菓子多い)がイベント販売されていなかったことに気がつく。 ポッキーの日って浸透しているようしきっていない。
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昨晩狂ったように掃除をしてしまいへとへとだったので、朝起きて余裕があったら9:30の歯医者へ行こう、くらいに思っていた。 急げば間に合う7:45に起き上がってしまい、特段急がずに支度をして家を出る。 売ってしまうつもりの赤いコートを着たけれど、それでも今日は寒かった。 15分遅刻した歯医者は30分もかからず外れた詰め物を入れ直してもらって終了。 次の予定まで時間があったので大学の図書館で久しぶりにゆっくり雑誌を読めた。まだ神保町の街は始まっておらず、でもキッチン南海とラーメン二郎には人が並んでいた。 図書館でファッション誌やインテリア誌、医療関係の雑誌をパラパラして、やっぱりインターネットで見るよりもずっと落ち着いて見れちゃうアナログ人間。
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12時に浜松町で友人と待ち合わせをして文学フリマへ行く予定だった。 ここ数日忙しすぎてあまり正確に気持ちは向いていなかったけれど、とにかく友人に会って、関西に移住できる表向きな理由をさがしていることや、さっき図書館の雑誌で見つけた深澤さんの展示とインヴィトウィーン展を観に行きたい事などを話したかった。
友人を待つ間、浜松町の駅で推している北陸旅行のカニの展示を眺めていた。 文フリっぽい人はあまりいない気がした。
20分くらい経ったところでラインを確認すると“夫が池袋で倒れたのでそっちに向かうのでキャンセルさせてください”とのこと。 私も倒れそうになった。
ドタキャン、ダメ絶対!だけど今日は私が彼女に会いたさすぎていて、こんな大変な時に大切にあってもらえない奈良別に今日でなくてもいいね、と思った。 いつも旦那さんのことを“同居人”と呼ぶところを“夫”と書いてあるところに、とても緊急性を感じた。大丈夫だったんだろうか?と思いながら、突然倒れた時に私が呼ばれる相手や、突然自分が倒れた時に呼ぶ相手が、今の私にはいなくて、突然自分が倒れっぱなしにならないように気をつけている毎日です。
“お詫びさせて下さい”とメッセージにあり、何がいいかな?と年内できるだけちょっとしたお茶をしてほしい、と思った。 あと、メガネは破ります。
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1人で文フリへ行く気分ではなかったので、日本橋へ取り寄せていた服を試着しに行った。髙島屋がとても空いていて心地よかったけれど、また百貨店存続の危機を感じる。
アポテーケフレグランスの金木犀のお香と、白いバラと、ビオセボンでちょっとしたスープやスパイスを買って、東京駅まで歩いて帰ってきた。
昨日tumblrを更新した時にメッセージが届いていたっけ、とおそるおそる確認。 “よろしければご参加下さい”とURLがあり、おそるおそるリンクへ飛ぶとインターネットの方々が各々の2023ベストオブイヤー(?)を語るアドベントカレンダーのイベント会場だった。 メッセージをくれた方は、たぶんIMAのコンペから私のインターネットのことを知ってくださり、ご自身のスクラップブック(?)で私のことを記述してくださっていた。 ベスト…と言えるほど2023のまとめを書ける自信はないけれど、写真を通して広がった新しいつながりの場に参加したい気持ち。
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年賀状も新しい作品も、今は手がつかなくて、日記の更新をするたびに日々が更新されて、こちらも追いついていない。少なくとも丸一年は日記を続けたので2023年で辞めてみても良いかもしれない、と思っている。
今日もぶんぶんチョッパーしてレンジでカレーを作ってみた。でもトマトの煮込みみたいになってきているので、やっぱりフライパンで炒めたりした方が美味しいのかもしれない。
お部屋の温度計が20℃をきった。
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myonbl · 22 days
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2024年4月7日(日)
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拙宅から徒歩10分の梅小路公園、週末になればなにがしかのイベントが開かれているが、今日は<循環フェス 2024>の日だ。先日町内の回覧板で知ったのだが、早速リユース価値のある古着を用意して会場へと乗り込んだ。午前10時オープンなのだが、すでに<0円マーケット>には長蛇の列、好きな古着3点まで無料とのことで人気があるのは納得。わたしはと言えば入口左側の古着回収ボックスに大きな紙袋一杯の夫婦の古着を投入してミッション完了。断捨離を要求される身には、次回の開催が待ち遠しいことだ。
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5時15分起床。
日誌書く。
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朝食には、昨日文楽劇場でいただいた<黒門市場200周年>記念の餅を頂く。
珈琲。
洗濯。
ツレアイは奈良での太鼓練習の日、近鉄東寺駅まで送る。
糠床メンテナンス、奥川ファームの大根と人参を漬ける。
コレモ七条店で買物、コンニャク・チクワ・飛竜頭、今夜は関東煮。
大根の下茹で。
出汁を取って関東煮の用意、小ゑん師のグツグツには登場人物が少ない。
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梅小路公園まで古着を持参、オープンすぐだが多くの人が集まっている。何であれ、近くで断捨離の機会があることに感謝。
ランチ、息子たちはサッポロ一番味噌ラーメン。
しばらくしてツレアイから連絡、近鉄東寺駅まで迎えに行く。
遅い時間のランチ、そば+🍶。
軽く午睡。
ツレアイは買物に、私は資料整理。
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早い時間に夕飯準備、今夜は関東煮。
録画番組視聴、サラメシ
(1)瀬戸内のり漁師夫婦▽53年使い続けた弁当箱 最後の日
初回放送日: 2024年4月4日 冬から初春に旬を迎える岡山県の海苔(のり)。栄養豊富な海水と冬の晴天に育まれ、甘みのある上質な味が特徴。代々漁師の家に生まれた妻と結婚を機に漁師になった夫。仲良し夫婦は漁港そばの食堂のお好み焼きがお気に入り▽神奈川県内の消防署で救急隊員として働く門倉正道さんは、中学生から50年以上同じ弁当箱を使い続けてきたが、今年2月に定年退職。最後の出勤日に密着!▽テレワーク中のランチをのぞき見「テレメシ」も。
落語研究会。
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再放送だが、やはり「百年目」は上方でないとねぇ。
片付け、入浴、散髪。
体重は50g増、明日からランチ抜きで頑張るのだ。
パジャマに着替えて日誌書く。
明日から授業開始、このリズムをキープせねば。
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何であれ、歩数を稼げば後はついてくるのだ。
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kennak · 9 months
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東京の美味しいパン屋を紹介するから、神戸の美味しいパン屋を教えてくれよな。=============================================■Sランク(一口目から違いがわかる。感動の名店。存在に感謝)・s.igarashi(木場)・ブーランジェリー セイジアサクラ(高輪台)■Aランク(めちゃおいしい。おすすめしたくなる)・ツォップ(松戸)・ザクロ(久里浜)・ブレッド&タパス 沢村(広尾)・パーラー江古田(江古田)・シナボン(六本木)■Bランク(期待以上。またいきたいお店)・VIRON(渋谷)・ブーランジェリー ブルディガラ(広尾)・ブーランジェリーアンサンブル(鎌倉)・365日(代々木八幡)・峰屋(新宿御苑)・ドゥヌラルテ(青山)■Cランク(期待通り。求めてた味を提供してくれる。値段に見合った美味しさ)・PAUL(神楽坂)・中村食糧(清澄白河)・ビースクエアード(清澄白河)・ホームベーカリー、自分で作る焼きたてスコーン■Dランク(期待外れ。値段に見合わない。2回目はない)・ブーランジェリー スドウ(松陰神社前)・トリュフベーカリー(門前仲町、広尾)・シティベーカリー(広尾)・メゾン ランデュメンヌ(麻布台)・モンシェール(東陽町)======個別コメントゾーン=========■s.igarashi(木場)2020年くらいにできた。福岡から東京に殴り込みに来たっぽい。当初行列がエグかったが予約制になることにより解消。エスカルゴという巻きデニッシュが名物。1個500円とかするけど、生地もトッピングもうまいので通った■ブーランジェリー セイジアサクラ(高輪台)パン自体も美味しいのはもちろんなんだが、フィリング・具材の美味しさが抜群。■VIRON(渋谷)美味しい。美味しいが、絶品って感じでももうない。昔はすごく美味しく感じたけど、今は美味しいパン屋さん増えてきていて、埋もれてきた気がする。■マルイチベーグル(白金高輪)うーん。正直美味しいと思わなかったけどな。一応食べログ百名店らしい。まぁてかベーグル自体があまり好きじゃないだけかもしれない。■シナボン(六本木)パンってジャンルに分類していいか微妙だけど、まじでやみつきになる。中毒性がやばい。美味すぎ。スイーツ界のラーメン二郎。■ブレッド&タパス 沢村(広尾)パン自体はまぁ普通に美味しいレベルだけど、2階のレストランは最高。パンのおかわり自由だし、青のりとかきのパスタが本当に美味しい。ちなみに青のりのパン(ゼッポリ)がまじで美味しくて最高。ゼッポリ自体は1階のパン屋さんゾーンでは販売されてなくて、レストランだけで食べれる。最高。■ブーランジェリーアンサンブル(鎌倉)オリンピックのフランス代表にも提供されたクロワッサンらしい。すごいよね。本場の人たちが認めたクロワッサンってことでしょう。つまり世界最高レベルのクロワッサンを食べれたってこと。で、食べた感想としては、層がものすごい存在感あるし、サクサクで歯ざわり最高。バターの香りもすごくして美味しい。素晴らしい。けど、1個300円ってちょい高い。割と小さ目なサイズだし。でも、美味しい。すごく美味しいから妥当な価格な気がするなぁー。あ、もちろんレザンも美味しいです。GW中の13時くらいに伺ったが、割と空いてて良かった。じっくり選べた。パンも種類もまだ沢山あったから、なかなか使い勝手良い。価格:・クロワッサン:295円・パンオレザン:300円■シティベーカリーサワムラが運営している店。美味しいけど、全部高い!!1つ400~700円くらいする。やりすぎ。美味しいけどね。■メゾン ランデュメンヌ(麻布台)クロワッサン食べたけども、値段高すぎ。美味しさと値段が見合ってない。■ブーランジェリー ブルディガラ(広尾)今まで食べたクロワッサンの中で一番美味しいかも。(いや、最近食べた鎌倉のアン��ンブルってお店の方が美味しいかもしれないが)ちなみに、モンブランも食べたけど、軽すぎでした。まぁケーキはケーキ屋で食べるのが吉■トリュフベーカリー門前仲町本店はいつも並んでる。広尾で2度くらい利用。地下鉄の階段上るときめっちゃいいにおいする。ただ、そんなにうまいか?高いし。トリュフのパンというブランディングがうまくいった例だと思う■ツォップ(松戸)マジでうまいがマジで並ぶ。車でしかいけない。一度の会計で5,000円以上買ったのここくらいかも。なんでもうまい■ザクロ(久里浜)山の上にある。神奈川のツォップだと思ってるYRP野比っていう、IT研究者の島流しの地にあ・■空と麦と(代官山)うーん。豆パンみたいなの食べたけど、ちょっと印象薄い。■365日(代々木八幡)めちゃ美味しい。玉ねぎとゴルゴンゾーラのパン、ブリオッシュ、レザンを購入。ブリオッシュは凄い!なんかよくわからないけどすごく美味しい。■パーラー江古田(江古田)最後に食べてから10年くらい経ってるけど、本当に美味しかった記憶。食事パンの種類が豊富で生地の風味が楽しめる■PAUL 神楽坂店(神楽坂)内装は凝ってて面白い。ただ座席が窮屈。パンは美味しいかなぁ?わからないなぁ。パンの展示の方法はお洒落で良い!(日光当たりまくってるけどいいのかな?)ランチセットのグラタンみたいなの頼んだけど、チーズの酸味が強すぎたかなぁ。好みじゃないかもです。■ブーランジェリー スドウ(松陰神社前)まぁ美味しいのだけど、価格高すぎ。やりすぎ。意味不明。自分で作った方が沢山作れるし、そこそこの美味しさだけど、沢山あることの満足感は、トータルで負けないと思うな。スコーンは焼きたてには勝てん。価格:・メイプルシュガーのクルミのスコーン:370円・マルコナアーモンドと苺チョコレートのスコーン:370円■ラフォレ・エ・ラ・ターブル(鎌倉)第一印象としては、かなり具材の香りが強い。パンの香り、味がちょっと負けてるように感じた。もう少し小麦を感じたかったかな。まぁそういうパンを選べよってだけだけど。紅茶もオリーブも選ばれたものなのだろうなぁと思う。だってここまで味濃いのだから。・ティーブラン・グリーンオリーブバーを食べました。今度はシンプルパンを食べたいと思う。価格はちょい高いけど、納得感はある。GWの午後のタイミングで伺ったが、結構パンの種類もあって、ゆっくり選べてすごい良かった。■BREAD IT BE(鎌倉)コンプレ(全粒粉を使ったパンのことをコンプレというらしい)が美味しかった。お店の雰囲気も抜群に良くて、店員さんも感じよかった。クレイジーリッチ食パンは、まぁ、美味しかったが、美味しかったが、高いと思ったね。やっぱり普段食べてるものと比較できちゃうと高いなぁーと感じるのだろうな。(いつも家でホームベーカリーで食パン焼いてるからそれと比べちゃう…。)GWに伺ったが、店内空いていて、じっくりとパンを選べた。嬉しいねぇ。■les joues de BeBe(目黒)bebeパンが甘い系パンだと思ったら、チーズ系のパンだった。粉砂糖かと思ったら、小麦粉だった。美味しかったけど、選択ミスった。(2種類ともチーズ系になっちゃった)店内おしゃれだった。外にもベンチがあるの良い。大衆ビストロジルってところをやってる会社の店舗ショップリスト|株式会社ジリオン (bistro-jill.com)■円麦(札幌 円山)お店が洒落てる。美味しい。おススメ。■PUBLIC(岡山)美味しかったなぁー。素晴らしい。都会的な美味しさ。洗練されてる。■讃岐うどん やなぎ屋 西大浜店美味しかったー!!今のところ、人生で一番美味しいうどん屋でした。暫定1位。まぁ何って、うどんっていうより、天ぷら・おにぎり・ポテサラ等など、サイドメニューが最高です!■B² ビースクエアード(清澄白河)まぁまぁくらい。■ル・パン・コティディアン 芝公園店(芝公園)美味しい!フロランタンは、今までで一番かも。サンドウィッチに関しては、まぁパンというか、中身の味によるよね。ブルーチーズとくるみと蜂蜜のパンは、持った感じすぐわかるくらい重たかった。ボリューム凄い。味は人を選ぶかもしれない。結論としては、かなり美味しいパン屋さん■モンシェール東陽町工場まぁ安いけど…。ここでしか食べられないって感じでもないなぁ。ちなみに木場のヨーカドーでも買えます。■KIBIYA ベーカリー 本店(鎌倉)いやぁー。そこまでって感じ。■俺のBakery恵比寿(恵比寿)うーん。普通やなぁーって感じ。■パネッテリア・アリエッタ(五反田)小さなお店で品ぞろえはあまり多くなく、シンプルなパンが多いがうまい。店名を関したアリエッタがうまい■ヒンメル(大岡山)ドイツパンのお店。プレッツェルとかカイザー、配合比率の異なるライ麦パン各種などドイツパンが種類豊富。メトロの目黒駅に分店があったのに、コロナで消えてしまって残念■カトレア(森下)カレーパンが有名な店。カレーパンはおいしいけど、他は街のそこらのベーカリーと大差ない■峰屋(新宿御苑)有名バーガーショップにバンズを卸している店。シンプルなパンがうまい。クレセント■ジャンティーユ(中目黒)小さい高いパン。店員が赤リップだったりして都会を感じる■ブレッドワークス(品川)品川のエキュートならここがうまい。ハード系や食事パンがちゃんとおいしい大人向け。表参道にもある■ブーランジェリーラテール(品川)本店は三宿にあるらしい。クリームパン推しで確かにおいしい。ただラインナップはやや子供向け感ある。街のパン屋の上位互換。■満(曙橋)和風の総菜パンが多く店構えも和風。品川エキュートにもある■ブレッドアンドコーヒーイケダヤマ(五反田)パンドミがうまい。カフェスペースがある。駅から離れているので空いていてゆったりできる■ゴントランシェリエ東京青山店宮益坂の根本から新宿駅南口に移ったと思ったらいま青山にあるのか?ベイクルーズ運営のベーカリー。映えよくそこそこうまい。宮益坂時代はカフェ・新宿時代はイートインスペース併設でカフェ利用にも便利だった■スギノキ(五反田)店主が販売もしているワンオペの小さい店。もちもち系。ブリオッシュよく買ってた。うまい。■ドゥヌラルテ(青山)伊勢丹の地下にあったころよく使ってた。ブリオッシュと小さい角食パンとか。黄色×青の紙袋がかわいく手土産にも■ブーランジェリーボヌール(三軒茶屋)10年以上前バイトしてた。クリームパンとチョコチップパンがうまいよ■ベーカリーホシノ(戸越銀座)街のパンやでは健闘している。デニッシュブレッドがおいしかった■パンタレイ(清澄白河)店が小さいのもあっていつも並んでる。食パンや豆など練りこんだハードパンがおいしい。おしゃれな感じ■モンシェール(東陽町)テレビとかで行列って言われてるみたいだけど並んでるの見たことない。1,000円くらいででっかいデニッシュ食パンを売ってる。子ども向けの油と砂糖味。木場のヨーカドーでも買える■たかたまこむぎ(門前仲町)一見街のパン屋なんだけどハードパンがめちゃうまい。もっちり系。デニッシュ系はあっさりめ。1日5~6個しか出ない(てか多分全種類朝1回しか焼かない)ライ麦入りのミッシュブロートってハードパンがめちゃうまくてオープンから1時間以内に行って買い求めてた■中村食糧(清澄白河)完全予約制パン屋。高加水。知る限り一番もちもち度が高い。うまいけど、そこまでもちもちしたらもはや餅。ハマらなかった■ロッド(五反田)五反田勤務時よく朝食を買っていた。JR運営かな?サンドイッチやフルーツデニッシュがしゃれていてうまい 生地は普通=====================================================東京には普段使いされるパン屋と、訪問というイベント使いされるパン屋(トリュフベーカリーとか)が別々にある気がする 後者は単価が高い
東京のパン屋の格付け表作ったから、これたたき台にして遊ぼうぜ!
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yutaka-news · 2 months
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3月になりました。
いつも出演作品の告知が直前になってしまい恐縮です。
今回は出演作品のお知らせの前に日頃のこと、思っていることを先にこの場でお伝えしたいと思います。
能登で起きた地震から2ヶ月。 正直、自分が想像している復旧にはまだまだ程遠く感じています。
���ランティア登録をして、希望日時を出していますが、ボランティア協力したいという人が多いのでしょうか、受け入れがまだ整っていないのでしょうか、返事を待っている状況です。
僕は石川県民です。このまま時間だけ過ぎていくのがとてもつらいです。 自分にも日々の生活があり、毎日じゃなく時間をつくってのことになりますが、登録しないとボランティア活動できないというのもあり、能登につながりがある方、炊き出しのお手伝いとか少しの時間でも何かあればさせていただきたいと思っています。 個人的にでもご連絡いただきましたら幸いです。
次に自分が活動している業界のお話です。
日本の映画業界のパワハラやセクハラ、二次加害などについてです。
僕は2021年に出演作品がアップリンク吉祥寺で公開となり、映画館で公開されることを喜び、宣伝活動や舞台挨拶に登壇しました。 知り合いの監督は「申しわけないけどアップリンクなら行かないよ」と伝えられ、公開中のある日にはカメラマンの知り合いが僕に連絡をしてきました。 「アップリンクはパワハラ問題が解決したわけじゃないから、もうひとつの上映してる劇場に行きますね」と。 その連絡を受けて僕は「出演作品を上映してくれる」ことで問題を解決していない劇場を黙認してしまうことになる自分に嫌悪しました。
上映する劇場は監督や僕たち出演俳優ではなく配給会社が決めてきます。その結果、アップリンク京都も決まっていましたが、監督にアップリンク京都だと舞台挨拶も宣伝もしないとお伝えしました。監督も親身に相談にのってくださって、自主配給に切り替え、監督はもちろん、まわりのご協力もあり、劇場も変えて公開を続けました。 当時、自分が信用している方々やお世話になっていた映画祭のスタッフの方々などにはこの件はお伝えしていました。 そういった方々だけが知っていてくれればいいと思っていましたが、自分が今までどう思い過ごしてきたのかをこうして自分のホームページでお伝えすることにしました。
そして、いろいろな疑念や問題が解決されていない関係者の作品を上映することには断固、反対したいと思います。(※懸念していた劇場のひとつはスタッフによる反対の声もあり、上映中止になりましたので、削除し、訂正した文になっております)
自主制作映画などは監督はもちろん、キャスト、スタッフも撮影しているときにどこの映画館や映画祭で上映されるかはわかっていない状態で参加していて、俳優やスタッフの意見などを全部聞いていられないこともあり、意図してないところで公開などが決まります。
なので、上映する劇場の決定権のない(知り合いである)俳優などが疑念が晴れていない場所などで出演作品の上映が決まった場合に宣伝したりする気持ちはわからないわけではないけど、その場合は僕は応援はできません。
僕自身、正直、いろんな背景を知らなかったりもするので、今後もそういった情報を収集して、問題あることには注視していきたいです。それでも気がついていないことなど、教えていただきましたら幸いです。
そして、劇場や映画祭などでは監督やキャスト、スタッフなどに疑念がある作品は上映しないことを望みます。
僕自身も過去にその場を盛り上げようとしたり、無自覚に空気を読めず発した言葉で誰かを傷つけてしまったことがあり、当時、怒られたり、注意をうけて、猛省して今に至ります。 逆に上司や後輩から不条理なことを言われることもありました。 これからも日々気をつけて過ごしていこうと思います。
自分がお世話になった劇場や映画祭も今後はその姿勢を自分なりに捉え判断して、行かなくなることもあると思います。
そして、この業界だけでなく、あらゆる業界、業種で働く人々が搾取だったり、不利で不条理な環境に身をおかなくてはいけない世の中にならないことを望みます。
地方で細々と活動してる俳優のこのホームページをご覧の方は少ないとは思いますし、伝わることはないかもですが、こちらにて思っていることを綴りました。 (共感できることはないかもですが、まあまあ長い文でお時間もとらせてますので、まずは読んでいただきましたみなさまに御礼申しあげます)
さて、3月の出演作品などのお知らせです。
3月2日 奈良県立図書情報館交流ホールにて 出演作品『かぞくわり』 (塩崎 祥平監督) 上映です
定員の50名はご予約にて満員御礼となっております。 ありがとうございます。
ーーーーーーーーーー
3月2日から9日まで 【あわら湯けむり映画祭】にて 出演作品『最後の生活』 (渡邉 高章監督)
Gプログラムとして会場の長谷川旅館さんと、セントピアあわらさんにて上映です
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3月9日 石川県白山市の社会福祉法人「ひびき」
同法人が運営する障害者福祉施設「つながりの家」(北安田町)にて
出演作品 『地球星人は空想する』 (松本 佳樹監督)
チャリティー上映会として上映されます。 主演を務めたのは「ひびき」施設職員の田中祐吉さんです。 田中さんは以前から上映会に向けて準備を進めていましたが、能登での地震の発生を受け、チャリティーイベントとして上映することを決めました。
10時と14時の2回上映です。 (30分前に開場) 定員は各回80人 料金は1000円 収益の全てを、被災地の障害者支援に取り組む認定NPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)に寄付するとのことです。
チャリティー上映会のことは北陸中日新聞さんのwebでも記事で紹介されています。
追加で情報が入ったり、告知忘れなどはまたSNSで随時お知らせいたします。
3月もよろしくお願い申しあげます。
この綴った文をまた年月が過ぎて、ふと読み返すことがあった時には、地震の復旧はもちろん、業界の問題などがよい方向へと解決していますように。
そして、この国にいたいなと思えるそんな国でありますように。
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kyoto4 · 5 months
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20231203 樫原
 ふつうに読めば「かしはら」「かしわら」で、奈良にあるのが、まさしくそうなのだが、京都の西にある町の名は「かたぎはら」という。江戸時代までは宿場町として栄えた。  以前、樫原廃寺跡を訪れたことがあって、このあたりまで足をのばすのは二度目か三度目である。(いや、ほんとうはもっと来ているのかもしれないけど)。  先々月あたりに、こちらに住む方のお話を聞く機会があって、あらためて目的地としてえらんだ。あとでしらべてみると家からの直線距離にすれば南西にむかって10キロ程度しか離れていない。道路にそってタテヨコにしか進めないので、じっさいにはもうちょっと走ることになるが、それでも往復30キロ程度である。  が、心理的な距離はずいぶんとある。理由のひとつは、その地が桂川のむこうにあるせいだと思っている。京都からみても、桂川は西のはじっこにあり、川幅はひろい。さらにそこをこえるとなると、ずいぶんと遠くまで来てしまった、感がある。また、西のほうは飛鳥時代の古墳など、京都がみやこになる前の時代のものが多く、よくわからないものがあちこちにある。  8時ごろに家を出て、9時すぎには樫原あたりにまで着いた。適当に走っているうちに、目的地にたどりつく。古い町屋があちこちに残る。ただし、京都の町中よりもちょっとずつサイズが大きい気がする。また、いわゆる『鰻の寝床』型の家は見当たらない。そして、道は碁盤の目ではなく、くねくねと地形にあわせて曲がる。  帰りは、ほぼ、来た道をもどった。桂川をこえ、天神川をこえ、七条を西にすすんで、西小路をあがる。ヨコに進んでタテに進む。あちこちでイチョウが落葉している。フィリピンで大きな地震があり、インドネシアのマラピ火山で大規模噴火があった。いずれも日本でも津波の到来が危惧された。大阪では南海トラフ地震で壊滅することがわかっている土地に、カジノ万博を強引におしすすめている。パナソニックをはじめとした関西企業が後押しをすすめているが、猛省をうながしたい。
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ari0921 · 6 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられ��
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒��療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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petapeta · 10 months
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 さあ、今度は「オランダ人による洋食伝来」が始まると思いきや、出島に引っ越して来たオランダ人もポルトガル人同様に「隔離」されてしまいました。「布教しない」と約束したにもかかわらず、幕府は出島からの外出を許さなかったのです。町中で一緒に生活することで「一般の人たち」に広く伝わった洋食は、今度は出島に入る事ができた「少数の関係者」だけに伝わる限定的なものになりました。  オランダ人たちの食事を垣間見ることができる「少数の関係者」とは、どういう人たちでしょうか。まずは長崎奉行所の「役人」、通訳係の「通詞」、人の出入りを監理していた「乙名(おとな)」、丸山の「遊女」、見学に来た「大名」や「知識人」も出入りしました。こうして見聞されたオランダ人の「洋食」は、見聞録などの「書籍」になって出版、世に知らされます。平賀源内の門人で蘭学者の森島中(ちゅう)良(りょう)は、著書『紅毛雑話』の中で、大槻(おおつき)玄沢(げんたく)が天明5年の「オランダ正月」に参加した時の献立について記録しています。オランダ正月とは、オランダ人が太陽暦の1月1日(旧暦ではだいだい12月上旬)を祝う行事で、日頃世話になっている日本人関係者を招待した「ニューイヤー・パーティー」です。スープからデザート菓子まで19種類もの豪華メニューで、それぞれの料理の材料まで明記されていました。中でも肉料理は多く、「牛」「鹿」「猪」「鶏」を煮たり焼いたり8種類もありました。玄沢は、江戸に戻って蘭学研究者の集い「新元会」を発足、元旦に召集し「オランダ正月」を再現しています。これが江戸における洋食の先駆けになりました。 "薬"だったらOK!  ところで、オランダ正月には、面白い習わしがありました。食事がはじまって、まず一同がスープを飲み始めます。ここまでは普通です。問題はその後。以降のメニューには一口、二口「味見をする程度」で丸々食べ残します。するとタイミングよく「一枚の皿」が用意され、各料理が詰め込まれます。西洋料理でいっぱいになった皿には「宛先」が記された紙が貼られて、家族や知人に届けられるのです。届いた料理はどうなったのでしょう。もちろん食されるのですが、「食事」としてではなく「薬」としてでした。出島の商館医だったツンベリーは『日本旅行記』に次のように書いています。 「日本人は肉、バター或は塩で加工された食品は普通食べないのであるが、このような品は或る病の治療薬として貯えておくのだそうである。例えば塩バターの団子をつくって、これを肺病の薬として毎日飲むのである」  キリスト教的だということで、牛肉を食する事が禁止されたことは先述しました。にもかかわらず、出島ではオランダ人も日本人も躊躇なく牛肉を食していたのはなぜでしょう。まずオランダ人に関しては、古くからの習慣ということで、牛肉を食べる事は許されました。日本人に関しては、まだ禁止中だったのですが「抜け道」があったのです。それが「薬喰(ぐ)い」という方法。病人の「体力回復」「養生」のために「薬」として肉を食べるのです。すでに飛鳥・奈良時代から「薬猟(くすりがり)」は行われており、特に江戸期には薬喰いが盛んでした。仏教に帰依した「貴族」「大名」も、何かと理由をつけて肉食を楽しんでいたのです。動物の種類としては主に「猪」と「鹿」でした。確かに猪を表す「牡丹」は、俳句の冬の季語にもなっています。牡丹鍋といえば「味噌」と「醤油」での味付けが一般的。この調理方法が、後の「牛鍋」のルーツになるのです。
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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bsamngodangbralba · 5 months
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見���「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おと��へさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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yamada50 · 1 year
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京の東方鎮護 大将軍八神社 桓武天皇平安遷都の際、王城鎮護のために京の四方に祀られたうち東面の守護神です 東とされますが陰陽道による乾の天門守護として八将軍の一柱である金曜星(太白)の神格である大将軍を奈良の春日山麓から勧請し大将軍堂として造営されました 平安末期に制作された木造大将軍神像が多く残り80躯が国の重要文化財に指定されていますが、これだけ多数の古神像が一神社にまとまって残っている例は他にないそうです 室町初期に当社は現在の八坂神社の管理下に置かれ、素戔嗚尊と大将軍神の神格が似通っていることから大将軍が牛頭天王と習合し大将軍八神宮と改称される由縁となりました 応仁の乱で荒廃するも再興し江戸時代には方除厄除十二社詣りが流行し当社も栄えたといいます 御祭神は牛頭天王に由来する神社でよくみられる素戔嗚尊、御子神八柱とともに第40代聖武天皇、第50代桓武天皇が奉斎されています #大将軍八神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ) 鎮座地:京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目 西町55 主祭神:素盞嗚命,御子神八柱 社格:府社 巡拝:西大路七福社ご利益めぐり 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社フォトコンわたしと神社#神社とわたしの思い出#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#京都府#京都市#上京区#そうだ京都いこう#京都観光 (大将軍八神社) https://www.instagram.com/p/CnKLHI3v3i2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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jujirou · 7 months
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は快晴で、今朝も肌寒い感じです。
#Repost @fei.art さんより。
10月3日(火)より「日本×台湾 現代漆藝交流展」を開催いたします。
長きに渡るコロナ禍自粛の反動か、画廊にも人が戻ってきて活気付いて参りました。2023年も変わらず漆作品による台湾との交流を深めたいと思います。
2018 年よりスタートした台湾作家と日本作家による漆交流展も、6回目を迎えることになりました。
漆は自然と人間を繋げ、自然の鼓動に包まれた、ゆったりとした心地よい時間を与えてくれます。
脈々と繋がる漆の歴史の中で、新世代の作家は漆作品の創造において、伝統に囚われない表現を模索しています。漆も生きている、人間も共に成長していきます。
この創造的な交流が継続し、次世代へ伝えられ、友情が育まれていくことを望みます。
今回も台湾の漆藝作家を交えた創造的な作品をご覧頂けます。漆藝の奥行きを会場にてぜひご体感下さい。
【出品作家】
日本:岩田俊彦/伊能一三/いらはらみつみ/梅津奈保子/江村忠彦/大塚智嗣/小田伊織/
   小林秀俊/佐藤史幸/高田光彦/ 髙宮ヨウコ/中静志帆/中島靖高/藤田薫/
柗井圭太郎/松島さくら子/松田環/三好かがり/村本真吾/吉田真澄/横田千明
台湾:張森洋/王賢志/謝袖妤/歐慧宜/趙崇源/賴明淳/吳明媛 /葉曉陵/廖勝文   
/陳衍志/蔡彥承
--------------
展覧会名:日本×台湾 現代漆藝交流展
会  期:2023年10月3日(火)~10月19日(木)※月曜休廊
開廊時間:10:00~19:00 ※最終日は17:00まで
料  金:入場無料
会  場:FEI ART MUSEUM YOKOHAMA(フェイアートミュージアムヨコハマ)
住  所:〒221-0835神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町3-33-2 横浜鶴屋町ビル1F
TEL:045-411-5031 FAX : 045-411-5032 
E-mail : [email protected] 
共同主催:台湾漆研究会/台中市漆藝協会/FEI ART MUSEUM YOKOHAMA
URL: https://hfg-art.com
Facebook:https://www.facebook.com/feiartmuseum
Instagram:https://www.instagram.com/fei.art
Twitter:https://twitter.com/fei_yokohama
[ACCESS]
 *各線「横浜駅」西口 より徒歩6分
 *横浜駅西口地下街[南12番出口]より出て左
 [鶴屋町3丁目交差点]前方左角
2018年よりお誘いを頂き、今年も参加をさせて頂く事となりました。
毎年漆器だけの参加となり、申し訳ありません。
お近くにお住まいでご興味の有ります方は是非、ご高覧頂けましたら幸いです。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec/
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