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#大俵引き
seijihoshi · 1 year
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 昨日は、#会津美里町観光協会 理事として、高田の #大俵引き の準備運営をしました。  初め、準備の頃は雨がぱらついていましたが、行事に支障はありませんでした。  残念ながらコロナ感染防止の対策で、一般の引き合いも、県外者からの #引き子 の募集もなく…😱  引き合いも2度で終了だったのですが、引き分けだったので、  商売繁盛!と豊作!の両方の結果になり、かえって良かったです☝️😉 https://www.instagram.com/p/CnbD73rrRfx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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g-men-movie · 9 months
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豪華キャストが大集結!公開記念舞台挨拶イベントレポート
このたび、8月26日(土)に映画『Gメン』の公開記念イベントを実施!全国47都道府県・120館でのライブビューイングでも生中継された舞台挨拶に、岸優太、竜星涼、恒松祐里、矢本悠馬、森本慎太郎、瑠東東一郎監督が登場すると会場から大きな拍手が。
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なお、登壇予定だった、りんたろー。の欠席が発表され、MCより到着したばかりというりんたろー。からのコメントが読み上げられました。「天王会の奴らにやられた。俺が行くまで耐えてくれ」という内容に「昨日やられて寝込んじゃったんじゃない?(矢本)」「遅刻って聞きましたよ(岸)」「寝坊でしょ、なにやってんだよ!(竜星)」とまさかの失態に開始早々総ツッコミが起こっていました。
映画初主演となる本作で門松勝太を演じた岸は「ついに公開を迎えられたので一緒に『Gメン』を盛り上げてくれたら嬉しいです」と元気いっぱいに挨拶しました。
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●SNSで事前募集した「#Gメンに質問」の回答コーナー
イベントでは事前にSNS上で質問を募った「#Gメンに質問」に答えていくことに。「共演する前と後で一番印象が違ってた人を教えてください!」の質問に対し全員で一斉に思い浮かぶ人を指差すと、岸と矢本はお互いを指名。岸が「矢本くん、顔が可愛いじゃないですか。でも会ってみたらめちゃくちゃ兄貴肌でみんなをまとめてくれて、想像以上にお兄ちゃんでした。撮影の最初でも話しかけてくれて、矢本くんのお陰で現場に溶け込めました」と述べると矢本も「岸はTVで観てた時はこの人特別だな、見たことない人だなって思ってたんですが、本人に会ってみたら想像以上に見たことなかったですね。よく無事に撮影を撮り終えたなと思う程、奇跡的な日常でしたよ。この先の岸が楽しみで仕方がない」とコメント。すかさず岸が「そんなヤバくないですよ。全然普通ですよ!」と返すと、矢本も「いや基本話し出すと人の話を聞いてないから」と応戦。「めちゃくちゃ言われるんですよ。人の話を聞いてないって。でもちゃんと聞いてますからね!」と反論しました。
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続く竜星と森本もお互いを指名。一番印象が違ったと思うポイントに竜星は「僕は慎ちゃんです。初めて現場で会ったとき短パンにサンダルで、アイドルだけどめっちゃラフで。そこからすごく好きになりました」とコメント。竜星からの話を受けた森本も「僕も同じです。竜星くんもめっちゃラフな服装で親近感があって」と回答すると、岸は「慎ちゃんは、現場に来る際に毎回右手に何か持ってるんですよ」と言うと、恒松も「佇まいがかっこいいですよね。今日現場に来るときもサンドウィッチに飲み物を持っていて。LAみたいな感じでした」と盛り上がっていました。
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さらに「2回目以降はここに注目して観て欲しいというシーンを教えてください」という質問に対して、尾上松也演じる加藤が率いる、凶悪組織・天王会との激しい戦いのシーンを挙げた岸が「2回目の人は蟹挟みのシーンに注目ですかね。アクションの早い流れの中で実は色んな動きを入れているので」とアクションシーンをプッシュしつつ、「3回目の人はどこだろう…何回も観れば着眼点も変わりますよね」と見どころの多い本作をアピール。竜星は「岸優太が笑いを堪えているところですね。いかに素の岸優太を観られるか注目してほしいですね」とコメントすると、監督も「(岸の)素の部分はめちゃくちゃ活かしました。全員が岸くんの素を引き出してくれていた」と添え、岸も「だいぶ笑いを堪えましたよ!良い意味で笑いの絶えない現場でした」と撮影を振り返りました。
本作のエンドロールでは、ザ・クロマニヨンズの主題歌「ランラン」とともに、まるで本編の延長戦のような勝太とレイナのシーンが流れるのも楽しいポイント。レイナを演じた恒松は、「勝太とレイナのシーンは2分間くらいのアドリブなんです。でもずっとやっていて体感では10分くらいに思いました」とアドリブで演じていたことを明かしました。岸も「アドリブのシーンはその場で生まれて来ました、なんかいい感じでしたよね」と振り返ると、恒松が「最後のこれ(ハートポーズ)が面白すぎて。普通は絶対出てこないです。さすが岸さんだなって感じました」と思いだし笑いをこらえつつも大称賛!それを受けた岸が「本当は聞きたくないんですけど、どこの話ですか?」といまいちピンと来ていないまさかの発言に、「うそでしょ!?」「ほら!人の話聞いてないじゃん!」とまた全員から総ツッコミを受け会場も笑いに包まれていました。
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●瑠東監督からキャストへ、「Gメン通信簿」発表!
続いて瑠東監督より、撮影から宣伝まで怒涛の日々を駆け抜けたキャスト陣一人ひとりに「Gメン通信簿」と題した成績発表のコーナーへ。まずは寝坊で舞台挨拶に間に合わず、不在のりんたろー。は「今日は遅刻で残念でした。退学です��」と、ねぎらいの言葉が出るかと思いきや、まさかの退学宣言を受けることに!続いて森本へ「みんなのムードメーカーで、ハードな撮影でも盛り上げ、楽しませてくれました。昭和のヤンキーがハマりまくって、机も壊し、大変よく暴れてくれました」とコメントし撮影用の壊れやすい机ではなく、普通の机だったことを明かしつつコメント。森本は「最後のアクションシーンで本当に机を真っ二つに割ったので。自分でもびっくりしました。2回目鑑賞時にぜひ注目してください!」とすかさずアピールしました。矢本には「初日からガンガンアドリブで攻め、みんなを笑わせ、スイッチを入れ、空気を作ってくれました。とにかく芝居の尺が長く、編集で困り大変よくやり過ぎました」と告げると、矢本が「自分が面白いと思うことをやっただけなんで」とかっこよく決めてみせました。
恒松に対しては「岸くんとの恋愛シーンは大変キュートでした。下ネタもコメディも凄く品があり、アクションも自ら志願し頑張りました。大変可愛らしかったです」と告げると、恒松も「助けられるばかりじゃなく自分からも戦っていけるヒロインでいたいなと思って」と喜びつつもキャラクターへ込めた思いをコメント。竜星へ「ワークショップの時から、みんなを引っ張り、アクションも天然キャラも久しぶりのイケメンも大変よくやり切りました。岸くんの天然もよく引き出してくれました」と発表。竜星も笑顔で受け止めつつ「良い話ですね。これ泣かせに来てるからね」と反応すると、岸も「卒業式っぽい、しっとりした感じもいいですね」と監督のコメントへ期待を寄せた。監督から岸に「映画初主演、全力以上の全力、常に120%で駆け抜けてくれました。期待通りの天然ボーイが連日炸裂しつつも、現場の熱を上げる素敵な愛され座長、大変よく頑張りました」とねぎらいました。岸は「みんな良いメッセージいただきましたね。嬉しいけど、瑠東さんとはいつも楽しいことばかり話している印象だから、マジなコメントいただくと恥ずかしくて」と照れながらも、喜びを実感していた様子でした。
●「Gメンポイントキャンペーン」で集まったポイント=G(グラム)にちなんで、皆の想い(重い)が詰まった60kgの米俵を岸が担ぐ!?
フォトセッションでは公式で開催された【Gメンポイントキャンペーン】で参加者たちが貯めたポイントの合計「60,726Gメンポイント」にちなんだ、60.726kgの米俵を用意。映画公開を楽しみにしていたファンの想いそのものであり、「末広がりに運が開けていく」縁起物であるお米の詰まった、特別な米俵を、岸が担ぐことに!いざ挑戦してみたものの20cm程度しか持ち上げられなかった岸は、思わず「これはだいぶ重いです…もう一回いいですか」とリベンジすることに。客席からの熱い声援を受け、再び米俵を持ち上げると「確実にさっきよりは上がりました。でもめっちゃ重いですよ、ただの60キロじゃない重みを感じました」とコメント。参加してくれたみんなの想い(=重い)を噛みしめながらも見せ場をやり切った岸の発言に、会場が温かい笑いに包まれました。
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最後には全員を代表して岸からの挨拶が。「みなさんにとっての夏の思い出になってほしいです。老若男女楽しめる作品なので、幅広い方に楽しんでほしい。“Gポーズ”も拡散して一緒に盛り上げてくれたら嬉しいです」とメッセージを送りイベントの幕が閉じました。
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koch-snowflake-blog · 4 months
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ちとせ よしのは、日本のグラビアアイドル、アイドル、タレント、コスプレイヤー。佐賀県神埼市出身、女性アイドルグループ「あまいものつめあわせ」のメンバー。SPJ Entertainment所属。 ウィキペディア
生年月日: 2000年1月8日 (年齢 24歳)
出生地: 佐賀県
身長: 158 cm
学歴: 佐賀県立佐賀北高等学校
カップサイズ: H
スリーサイズ: 95 - 65 - 98 cm
デビュー: 2018年10月
趣味は、夢占い、キックボクシング。
特技は、絵を描くこと、大食い、鉄工所にて覚えたCAD。幼少時から米俵を引けるほどの力持ちであったものの運動は苦手であり、2018年11月時点ではフラフープも縄跳びも上手くできないとの旨を明かしていたが、フラフープについては後に中京テレビのバラエティ番組『耳より三姉妹』の企画で克服しており、2023年3月時点では千葉県にて行われたDVD『いとしのよしの』の撮影の際にも普通に回している。
芸名の「ちとせ」は地元の旧名から、「よしの」は本名からそれぞれ取って母が決めた。なお、祖母曰く「小さい頃からあっけらかんとしてる子」だったという。
好物は、鶏肉などの肉類。小学生の時期には大食いを自覚しており、食パンを単独で1袋食べていたほか、父がパチンコで勝った日は回転寿司に連れていってくれたが、ちとせは大食いゆえにあらかじめアメリカンドッグを食べさせられていた。その後、高校生の時期には毎日コンビニエンスストアにて買い食いしていたうえ、「残飯処理班」なるあだ名が付くほど友人たちの給食の残り物も食べていたことから、ボディサイズも大幅にアップした。
地元では自宅の周囲に出前が可能な店が無かった(自宅が水田に囲まれていた)ため、上京後は「ポストの中に出前のチラシが入っている。それだけで幸せ」と語るなど、出前を頼めることを嬉しく思っており、上京した当初はピザばかり食べていた。
鉄工所では、作業着、ヘルメット、すっぴんの姿に加えて唯一の女性社員だったことから、既婚者ばかりの周囲には親戚の子供のように扱われていた。また、芸能活動を社長以外には内緒にしていたため、作業着の下が恵まれた身体であることについては、周囲に知られていなかった。それゆえ、「YAグラ姫2019」にてファイナリストに残ったことについては、恥ずかしくて連絡を取っていないという。なお、鉄工所の社長はちとせの退職に際して勤務期間が8 - 9か月だったにもかかわらず優しく背中を押してくれたうえ、退職が決まった後に求人を出すとすぐにCAD経験のある女性から応募があったため、ちとせは神様からも上京を命じられていると思ったという。また、作業着については、上京後も初心を忘れないよう自室に置いているという。
家族については、弟が1人いるほか、自衛官である父の仕事柄ゆえに小学生時代は佐賀県から沖縄県・久米島、福岡県、高知県へ移住していた転勤族であり、小学5年生から再び佐賀県に在住した。なお、弟もかつては自衛官だったがこちらは退職し、上京してちとせの自宅にて同棲しながら彼女のサポートを担当している。しかし、同棲を発表した当初は弟がちとせのことを呼び捨てにしていたことからも彼氏と見なして疑うファンがいたため、実弟であることを後に改めて発表している。
YouTubeチャンネル「よしのんチャンネル」は、コロナ禍による休業に遭って外出自粛期間中に何かできることはないかと考えて始めたものであり、YouTubeで広く知ってもらえるきっかけにもなったため、本当にやって良かったと思っているが、グラビアアイドルがよく通る道である収益化停止に遭った際には、悔しい思いでいっぱいだったという。SPJ Entertainmentは関わっておらず、当初は企画、撮影、編集をすべて自分で担当していたが、弟が同棲するようになってからは撮影を担当してもらっているほか、編集も一部手伝ってもらっている。また、弟は企画も一緒に考えてくれるうえ、編集についてはちとせよりも高いクオリティに仕上げてくれるという。なお、2023年5月時点での最多再生回数を誇るのは『Eternal』のメイキング映像を収録した動画であり、227万回再生を記録しているうえ、YouTubeでちとせを知ってイベントを訪れるファンも増えていることから、YouTubeの凄さを実感したという。
「よしのんチャンネル」にて、ポジティブな意味でオカズにされて嬉しいとの旨を公言しているほか、グラビアアイドルをそういう目で見ないでほしいとの意識への反論として、美味しそうなケーキを見た際に無意識に思う本能を挙げている。
佐賀県への思い入れは上京後も変わらず、2020年には写真週刊誌『FLASH』(光文社)のグラビア撮影を祖父母の暮らす実家にて行う、地元のラジオ番組にゲスト出演する、2021年には大町自動車学校のハロウィンイベント「大町 車肉祭 2021 in鍋島」にてトークショーに登壇する、2023年にはサガテレビのミニ番組『ユビサシカクニン』に出演するなど、地元への貢献のためにも時間を作っては帰郷している。また、将来は地元に貢献できるような仕事をしたいとも明かしている。 
  
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nanaintheblue · 11 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを送れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決め��けて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果をみんなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって武器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方が楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思った。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい」と思うことがあるなんて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わないでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはここまで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄��したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさまった。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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oka-akina · 5 months
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1206(怒ってる)
KADOKAWAがヘイト本の出版をとりやめたとのこと。ド直球ヘイトをやりたい人が企画し(もしかしたらヘイトとは思ってないのかもだけど)、社内であんまりよく検討されずに刊行が決まり、情報が公開されたら思ったより怒られたから慌ててやめといた…きっとまあそんなところ。くだらねー話だと思う。そこに焚書とかなんか沸いている人がいっぱいいて地獄だなーと思った。相互フォローの人でもそういうの言う人がいてうげーーっと思った。原理原則が大好きな感じでなんか言ってるけどものすごいトンチンカンで驚く。出版する自由も出版に文句言う自由もあるに決まっている。思ったより批判されたからKADOKAWAがびびってやめただけでしょ。いろんな損得を天秤にかけてやーめたってして、それをもって「本を焼いた」はありえないでしょ…。ほんとにわかんないのかな。わかってて言ってんのかな。当事者やアライを攻撃する人がめっちゃいるの本当最悪。だいたい宣伝で直球ヘイトをやっちゃったのはもう取り消せないんだから終わってる。本当に終わってる。 こういうことで怒ってると敬遠されるのわかってる。なんであいつ怒ってんの?って思われるのもわかってる。当事者にはオープンにしていない人もいる。また当事者ではなくても、当事者のパートナーや家族や、親しい友だちという立場の人も心を痛めている。疲弊している。なんでとかじゃないだろ。
また、出版予定だった本が急に取りやめになることへの不安は、抗議した人ではなく出版社に向けるべきものだと思う。 とくに作家は、今後自分の書く本でもそういうことがあるかも的な怖さがあると思うんだけど、それは抗議した人に言うことじゃないでしょ。この出版社は守ってくれないんだな、方針のようなものはなくフラフラしてるんだなって感じでしょ。大したポリシーもなく、意思決定プロセスも整っておらず、雑な仕事してる。表現の自由とかの土俵以前だよこんなん。 なのに出版社ではなく抗議した人を怖いみたいに言い、どんな本でも出版されるべきっていう原理原則をいまあえて強調することで誰が喜ぶのか、誰の得になるのか、よく考えたほうがいい。桐野夏生の「大衆的検閲について」って文章を引っ張ってきて「正義が作家を滅ぼす」とか言ってる人いるけど、そこをあえて強調することでどういう効果があるかわかってんのか。 だいたいものすごく意地悪な見方をすれば、このKADOKAWAの担当編集者の人の一個人の気持ちとしては、出版が取りやめになってもべつにいいんだろうね。告知ツイートの文言はヘイト丸出しで憎悪を煽るものだった。そういう人的には、これだけ当事者やアライへのバッシングが盛り上がったんだから十分でしょ。べつにこれをもってクビにもならないし給料払われないとかもないんだろうし。出版物の粗製濫造が当たり前になっちゃってるから起きたことだよ。最悪だよ。
それでもなお、この本に抗議した人、トランスジェンダーやノンバイナリー当事者、アライのことがムカつくし怖いって思うのなら、あなたにはフォビアがあるんだと思う。得体が知れず怖い、気持ち悪い、自分が一生懸命掘り下げて考えたこととはちがうなんかよくわかんないことを言っていてムカつく…そういう自分の憎悪感情にもっとちゃんと向き合ったほうがいい。表現の自由とか焚書とかいろいろくっつけるなよ。自分の「なんかムカつく」をちゃんと見ろよ。 たとえばノンバイナリーとかAセクの人たちについて、なんかズルしてるみたいに思う、そうではない自分が責められているように思う…そういう苛立ちがあるなら、ちょっと立ち止まって考えたほうがいい。本読んだり他人と会話したり、なんかあると思うよ。誰にも話せないならわたしに言ってもいい。わたしでよければ話をきくし、何か話せることもあると思う。 あるいは取り沙汰されているような子どもの性自認についてはもっとまともな研究も議論もあるし、勝又栄政『親子は生きづらい トランスジェンダーをめぐる家族の物語』とかいい本もあるよ。現実として、いきなり手術するとかそういうふうにはなってないし。なってない。ちょっと調べりゃわかることだよ。じゃあつまり、べつに調べたくなんかないんだろ。自分の素朴な疑問とやらをそのまんま後押ししてくれる都合のいい意見を探しちゃってるだけだろ。本当に知りたいわけじゃないけどなんかこうムカついてる。逆撫でされている。 そういうフォビアを抱え、開き直って生活しちゃってる人はおおぜいいるからめずらしいことではないけど、それでいいのか。踏みとどまらなくていいのか。いっちょがみの意見をSNSで繰り返すうちに取り返しのつかない憎悪を抱え、撒き散らすようになってしまった人たちがいっぱいいるけど、あなたはそれでいいのか。本当にそれでいいと思ってるのか。とくに小説を書くおまえ。おまえだよ。おまえの良心はそれを許すのか。
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sryem · 8 months
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2023年9月17日
・明後日大学が再開するから、大学四年の最後の夏休みはこれでおしまい。悪くなかったと思う。いや、今恥ずかしがったな。たくさん遊んでたくさん働いて、結構良かったと思う。学生なんだから勉強したほうがいいんだろうけど、きっと許してくれるだろう。誰が?
・最近は日々をひたむきに生きていて、とても誇らしい。でも卒論から目を背け続けているから、私みたいな人間は本当に学問の道に進まなくてよかったと思う。大学院進学諦めて良かった〜(人生は常に自分の決断に『よかった』と思うしかない)。でももしかしたら最近毎日頑張れてるのも卒論からの逃避の副産物かもしれないし、私はなにかから逃げることでしか頑張れないのかも。そんなの悲しいけどまあそういうもんですかね。卒業したらどうしよう。仕事が本業になっちゃったら、一体なにから逃避すれば仕事を頑張れるんだろう。
・無知は罪ではない、という考えが自分の中にはっきりあって、それに度々救われている。バイト中も経験したことないことに直面して、うまく対応できなくて落ち込んだりすることもあるけど、「いや知らなかったしな」と切り替えられる。落ち込みたいなら次うまくいかなかったときに落ち込めばいい。たしか昔、匿名ラジオでARuFaさんが"petit"という単語を読めなかったという話題のときに、恐山さんが「なにかを知る機会が発生するかはある程度偶然」というようなことを言っていて、それがずっと心に残っている。その偶然がなかっただけの人を馬鹿にする筋合いも、される筋合いもないのだ。
・1つめのバイトの方をやめないとな~と思っている。現状2つのバイトを午前と午後ではしごしたりしているけど、就職先の方のバイトのほうが時給がいいことがわかった以上、そちらにより長時間シフトを入れたいし、掛け持ち中の移動時間は純粋なロスだ。授業日は週に1日とはいえ大学も始まるし、夏休みほど��き詰めにはなれないから。
 でも1つめのバイトは嫌いではないし、職場の人たちに愛着もあるし、やめるって言いづらいな~。引き止められちゃいそうとかじゃなくて、その人達とのつながりがなくなってしまうのが寂しい。別にLINEを交換してバイト時間外で会いたいとかじゃない。シフト時間内で話す希薄な関係性だけど、それが好きなんだなって気づいた。そういう種類の”好き”もある。
・たとえば「大した額使ってないくせに自分は推しに認知もらえてると思ってる人ほんとかわいい」とか、好意的な単語を使って人のことを馬鹿にしたり見下したりしている文章を見るとすごく嫌な気持ちになる。そういうふうに使われる言葉がかわいそうだなって思う。私が「かわいい」と言うときに感じているキラキラした想いを穢されたようにすら思ってしまうのだ。それに、見下したい相手に対して愛でるというスタンスを取ることで自分が土俵に立つことなく上の立場を取ろうとするのは、単なる冷笑的な態度より何倍も邪悪であるように感じる。それは暴力よりも一方的で陰湿だ。言葉は変化していくものだから「言葉を正しく使え!」とは思ってないんだけど、それでもこういう文章を読むと傷つく。
・地元のクレープ屋さんが潰れたらしい。聞けば今年の冬にはもう潰れていて、今はもう新しいテナントが入っているのだとか。前回地元に帰った時はあの辺りに行かなかったから知らなかったけど、そうか、潰れたのか。街が変わっていく。ただ事実として。
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poddyshobbies · 6 months
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糸島市大入の盆綱引き 2023(4)綱引き
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毎年8月15日に行われているお盆の恒例行事で、5年ぶりの開催となりました。綱が完成したところで綱引きが始まります。まずは出来立ての綱を神社に奉納します。
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子どもたちにお菓子が振舞われます。大人にはお神酒も。
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奉納がおわると、「子ども組」と「大人組」に分かれて綱引きをしました。勝負は3回で、3回目に審判がなたで綱を切ることで結果を「引き分け」にして、豊作や豊漁などを願います。心配された雨が降ることなく、無事に終了しました。綱引きの後は、この綱を砂浜に運んで土俵をつくり、相撲大会が開かれます。
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2023.8.15 ~ つづく
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manganjiiji · 5 months
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日記書いてる場合である
この日記……途端に無意味に思えてきた!日記本にするほどの内容でもないし、日記本にする必要がないのなら、その日記、なんか意味あるのかな……みたいな、日記本至上主義みたいな思想になってしまっており我ながら笑った。日記祭での衝撃が大きく、まだ尾を引いているようだ。日記本は面白いし素晴らしいこころみだと思うが、別にみんな日記を本にするために書いているわけじゃない(勿論するために書いている人もいる)。この日記はなにをもって始まったのかというと、Twitter上で私生活のあれこれ全てを呟くことをやめるかわりに、生活のことはこちらにまとめて書き、見たい人はそれでワンクッションになるように、みたいな考えであった。当時の私はTwitter上で行動全てを報告しないと頭がおかしくなるというつい廃だったので、まずそれをやめてもう少しクールなアカウントになろう、という気持ちがあったと思う。この日記に一日の私生活をまとめて書けば、Twitter上ではジャンルやカップリングのことを言うだけですむのではないか?または、緊急性の高い拡散や共有のみに絞れるのではないか?という目論見だ。実際にそれはある程度はそう機能したが、最近はもうどこまで日記でどこからをTwitterで言うかがだんだんゆるゆるになってきた気がします。というかまたTwitterで全ての行動を報告しているのでは…という日がよくある。フォロワー数が少ないので気が緩んでいるのもあると思うが、せっかく日記に私生活を分けているのだから、改めて少し自制したほうがいいなと感じる。tumblrだけ見てくださっている方には「はてな」という感じになる書き方をしていることがあるのは、この日記は基本的にTwitterを見てくださる方が、補助情報として使うためのものだからです。Twitterを見てくださっている方への付録みたいな感じで書いているので、基本情報や重大情報はそもそもTwitterで発信しており、そちらは日記に書いていないことがある。予想外だったのはtumblrにも日記文化があり、ここでのみ繋がっている関係(相互フォローの方など)が幾つかある事だ。これはこれでおもしろいなと感じている。Twitter上の私というのは、つまり「BL二次創作小説を書く私」であって、それは当たり前すぎるので日記ではわざわざ書かないが、その空白をなんとなく察してこの日記が読まれていることもあるのかと思うと、かなり不思議な感じがする。この日記はTwitterの補助装置なので、メインコンピュータの姿を知らないまま、このバックアップというか補完的なサブコンピュータのメモリを見られているのかなと思うと楽しい。もちろんTwitterも見て下さって全く構わないのですが(IDは@manganji_ です)。ここに殆どリンクを貼らないのは、リンク系は全てTwitterでの告知などで完結しているから。共有も拡散も、いや、言うなら貼れや、URLを、と思われることもあるかもしれないのだが、だいたいTwitterのほうですでに言及しているので、ここに例えば書籍情報のURLを貼るとか、別のサービス(プラットフォーム)のリンクを貼るとかは、ないなあ、と思った。tumblrびとたちは、この閉じた感じも含めて愛している感じもある。この日記に対しての自己言及にここまで文字数を使えるのもすごいと思う。つくづく私は話が長い人間だ。同じことを言葉を変えて何回も言うし。(これに関しては悪いと思っていない。二つの言い回しで表現して初めて伝わる、内容の「位置」があると思うから)
朝4時に起きて、何度かあんスタを叩き、5時を過ぎたところで、簡易的なPC用デスクとプリンターを買った。この部屋とは長い付き合いになると思うので、家の中をもう少し整備して、やりやすいように変えていっていいのではないかと思った。大学の編入学試験を受けた際、面接で先行研究にとにかくもっと当たれと言われたので(その通りである)、別にまた編入学試験を受けるわけではないのだが、先行研究の論文を印刷しまくりたい、という欲が湧いた。ついでに、PCもいちいち書き物机に引っ張り出してくることをしていると全然使わなくなってしまうので、専用の机に定置し、いつでも印刷できる状態にしようと思う。書き物机というか、私の机は食卓でもありドレッサーでもあるので、ご飯を食べたり化粧をしたり、ノートや参考書を開いて勉強したりあんスタを叩いたり、とにかく役割が多いので、それに関連した物も多く、どんどん利用できる面積が狭くなってきている。そのうちまた机の上を断捨離して面積を増やさなくては、と思うが、今のところ化粧品とあんスタのグッズ、文房具がどんどん机の上に進出している。それでもまだ勉強する面積は確保できているので、この机にして本当に良かったと思っている。
まず印刷してファイリングしておきたい先行研究、論文、記事については、今日すでに検索して目星をつけてある。でも正直あまり、まさにこれ!という研究や記事は数本あったが、あとは「まさにこれじゃない、まさに、こういうことを書いている無駄な論文が多すぎる」みたいな感想をいだき、つまんね〜気持ちになった。とくに厚労省関連。クソがよ。そういうことじゃねえんだよ、というか………お前らがやれよ、仕事を……なんで、NPOに頼ってんだよ……おい……というむかつきを最大限感じた。もちろん行政のなかにも動きを作ろうとしている方がたくさんいるのはわかっているが、それはまだまだ表面化していない。論文や記事を読んでいく中で、だんだん「私は何がしたいのだろう」ということがよくわからなくなってきた。そもそも福祉社会学でいいのか?ということもわからなくなってきた。でもまあ、社会学の先生に「それは福祉社会学の領域であってうちよりもっと研究が進んでる大学なり研究機関がある」と呆れ気味に言われたので(ありがとう先生、無知ですみませんでした)、今のところ福祉社会学という方向を体が向いている。うーん。たぶん私のしたいことは、支援の方向性としては、虐待を生き延びた人々おもに若年層が、精神疾患を治癒しつつ、就労できるまでの活動をサポートしたいということだと思う。そしてもうひとつは、たぶんこちらが主目的なのだが、虐待を生き延びた人達の苦しみはそこで終わらず、かなりの年数を重い精神疾患とともに、貧困や、自分ではハンドリングできない苦しい生活の中で暮らす困難に陥ってしまう、ということ、その人たちのための支援が必要なことを世間に広く知ってほしい。もちろん知られていることは多いが(虐待サバイバー当事者の本やルポなども出ている)、ニュースで虐待死事件が報じられた時に、どうしても「虐待されても死ななかったやつはマシ。死ななかったんだから生きていけるでしょ」的な圧を感じてしまう。しかし、虐待を生き延びても、精神疾患やトラウマのために就労がうまくできず貧困に苦しむなど、第2第3の苦難が待っている。何よりもつらいのは、「虐待を受けずに育った人と同じ土俵で戦わなくてはならない」というシンプルで残酷な現実だ。虐待を受けていくら教育が自分から抜け落ちているとしても、体力や栄養が落ちているとしても、病気だとしても、そんなこと誰にも言えない。なぜなら、誰も「そんな話は聞きたくない」からである。誰だって親(家族)との確執くらいあるでしょ、虐待とか言って大袈裟に傷ついて、こっちだって「何も無い」わけじゃないっつーの、と思われて終わるだけなのが手に取るように想像できる(これはもう恐怖という名の偏見が濃いが)。ちなみに、虐待を受けても、それをあまり苦とせず精神疾患にも陥らず、普通に生きていける人ももちろん多数いる。そういう人は別に支援を必要としていないのでいいのだが、支援を必要としている人にはまだまだそれが行き渡っていない。うつ病を始めとする精神疾患、発達障害、その他いろいろ、社会生活上または、就労の場所においてハンデを抱えている人というのは、健康な人、健常者にとっては「めんどくさい、なんなら給料泥棒」な存在である。明らかに健常で優秀な人のほうが仕事量が多いだろうし、うまくできない人の尻拭いもそういう人達が結局はやらされている。いわゆる「仕事の出来ない人、すぐ休む人」の全員に疾患や障害があるかと言われればそうではないと思うし、虐待を受けていたのかと言われればそうではないと思う。でも頑張って工夫して自分なりに最大限努力してみても、どうしても、健常者の働きぶりに追いつけない、そんな自分を責め続けてしまう、そういう虐待サバイバーが、苦しんだまま、トラウマ治療も精神疾患の治療も受けずに孤立しているのではないかと思うと、もう気が気でない。世間の人というか体も心も強く生まれついた人は、かなり冷酷である。これははっきり言うが、まじで冷酷であるし、邪悪とも言えるケースさえある。自分の体や感覚がベースだから、他の人も当然自分と同じくらいのことはできる、努力の問題だと思っている。んなわけねえだろ。てめーーーーーーみてえに恵まれた体も生育環境も持ち得てねえんだよこっちは💢💢💢💢💢💢💢💢という呪詛が全国の虐待サバイバーから発せられていると思う。それでももちろんそんなことは口に出さない。誰もそんな話は「聞きたくない」からである!あー!むかついてきた!今までの上司も社員もあいつもあいつもあいつもあいつも!ああーーー!!良かったですね健康に生まれ育って他人を踏みにじることで勝ち上がっていけて!!!!!!私怨で荒ぶってしまった。まあこういう問題はACEサバイバーだけではなく、障害者問題やジェンダー平等問題にも通じてくると思う。全ての人が健康な成人男性として仮定された日本の就業システムの根幹的な問題だ。そもそも8時間労働は長いし、週に5日は多い。でもそこまで人員を稼働させて、敗戦という傷を工業国として立ち直ることでどうにかこの国は国際社会での立ち位置を固めることができた。つまり、日本から「仕事」を取ったら何も残らない、という恐怖があるのだと思う。他の国より多く長くよりプレッシャーをかけられて働いて、それは高品質で安いものがたくさん作れるに決まっている。しか���もうそれをやっても勝てないし追いつけないのだから、人間を守る方向で、一人一人が歯車ではなく人間として生きる方向で、産業の衰退を「推し進めて」いかなければならないと思う。マイナス成長でどうやって生きていくねん、と思うが、もう何をどうやっても生きていけない人達がいることを認めるしかない。正直今の60代以上が全員鬼籍に入れば、こんなに苦しい社会は終わると思う。こんなに少ない人数でこんなに大勢の高齢者を生かすことは、現役世代にかなりの貧困を強いる。あと30年すれば、そして成長を前提とした年金モデルをやめれば、どうにかこうにかもう少し人間らしい社会になると思う。そのためには今から徹底的に、いわゆる「弱者」と呼ばれる側の人々への支援を充実し、そもそもの競争社会的な思想を破壊しておかなければならない。生まれ育ちや障害やジェンダーに関係なく、お互いを尊敬・信頼しあって仕事ができるような仕組み作りをしていかなければいけない。福祉を充実させ、仕事ができる人、健康で優秀な人は高い給料をもらい、そこまでできない人はできないなりの給料をもらい、それで生活していけるようなインフラや、なにより思想を私たちが持たなければならない。虐待を生き抜いてなお苦しむ人々のケアや支援を充実させるのがまず最初だが、虐待が起きない社会がいちばんいいに決まっている(ただ、どこまで社会がよくなったとしても、子供を虐める親や養育者は絶対にいなくならない)。虐待が起きないためには、子供を産み育てる大人がきちんと成熟し、満足感をもって子育てできることが大切だと思う。児童虐待の発生の防止、というのは結局「弱いものいじめをする人を少なくする」ために社会をどう変えて、人間の考え方をどう鍛えていけばいいか、という大きな、結局は哲学や倫理の話になってくるのだと思う。
話が壮大に逸れたが、目の前の課題としては、資金の潤沢なNPOを作りまくって、国からの補助をどんどん取り付けることだと思う。行政が一律に悪いとは言わないが、行政というのは貧乏で、事務員であり、福祉を担当するのにはかなり限界のある組織だと私は思う(家系に地方公務員が多いので、肌感)。福祉には金がいるし、事務能力ではなくてもっと他の、端的に言えば「助けたいという気持ち」がいる。現状、公務員がいくら助けたいと思っても、お金や時間の制約によりそれが成らず、気持ちのある人はどんどん心を病んでやめていくのが、市役所や町役場の福祉課という場所になっている。とにかく国が金を出さないなら民間で金を作りまくるしかない、最悪だがもう、自助になる。儲かっている企業は税金を多く取られていて、その多くは高齢者福祉に行ってしまうのなら、税金で取られる前の金を、直接児童・若者や貧困者の支援団体に寄付してもらうか、企業が後ろ盾となって財団を作ってもらうしかない。どんなに選挙をしたって、あと30年はこの状況は変わらないのだから、NPOを作りまくって、国からの認可を受けつつ、金の補助は企業や投資家を宛にすればいいと思う。投資家というのは、金が余って余って仕方がない、これ以上使い道がわからない、という人が結構いるのだ。じゃあ寄付しろよ、と思うが、彼らは競争に敗けた「努力の足りない」人間たちにお金は落とさない。というのは言い過ぎで、中には絶対慈善事業に興味のある人がいると思う。別にキリスト教圏、プロテスタントの国ではないから寄付文化が育たないとか、そんなことはないと思う。変えなければいけないのはエリート達の頭の中身であって、この競争社会と思い込まされている階層社会という真実を各々が認識することだと思う。
人間は自分の利益を最大化するために生きている。らしい。どうやら多くの人は。私はちょっと違うようなのだが、これは生まれつきでたぶん決まっている。この、自分のために生きるという理論でみんなが動いていることを、私は20年以上理解できていなかった。そしてもちろん、人間は自分の利益を最大化するために生きていい。そうしなくてもいい。それは自由だが、自己利益増大のために生きる人がたぶんこの世では圧倒的多数である。そうした人達が、どうやったら「他人のため」に気持ちよくお金を出してくれるのか、その方法を考えなければならない。圧倒的少数の「生まれつき利他」はだいたい、利他的なのでそもそも自分の財産をあまりもっていないし、そういう人は身近な生活のなかでどんどん他人に施してしまっている。だからお金は貯まらないし、貯まったらだいたいNPOを立ち上げる。つまり、NPOを立ち上げないタイプの、自分の金は自分のためにしか使いたくない、でも正直金は余ってる、という人からどうやって、支援のための金を引き出せるのか?いちばん手っ取り早いのは「税金」という仕組みだが、まじで本当にもう政府はだめだ、という印象しかない。なんでこうなってしまったんだ。老人だけで政治をするのをやめろ。もしくはもう少し利他的な考え方で政治をやってくれ。自己利益増大のためではなく、国民の生活を良くするために政治をやってくれ。しかしエリート層は基本的に資産家で、それが何代も続けばエリートの世界の中で人生が完結していく。エリートは自分より下の階層の人々の生活や命なんてどうだっていいし、そもそも感知していない。それが自己利益の最大化ということだ。でも、じゃあ「公」ってなんなのか、と思う。私費を増やしたいなら民間で企業を興せばいい。政治家をやっている以上は、公のものとして、ちゃんと社会に利するように動いてほしい。それが嫌なら政治家やめろ。世襲とか周りの圧力とかそういうの本当にばかばかしい。やりたいことがあるならやればいいし、やりたいと思って政治家になった以上は、まじで民のために生きろよ、と思う。明治維新を思い出せよ。お前らは明治のあの人たちの正統的な末裔なんだぞ。あの人たちがどれだけ国民のためを思って革命起こしたか、忘れてんじゃねえぞ。明治維新と同じことができる志がないなら政治家やめろ。プライドもって国家の行く末考えられねえなら今すぐやめろ。
ただ単に政治家への悪口になってしまいました、失礼いたしました。まあとにかく今の政治家はよくないですね。というか、国防と高齢者福祉に圧殺されて、その他に全然手が回ってないですね。だからまあ、政府がその���態であるうちは民間で「自助」して、人々の思想を少しでも、前に押し進めるしかないんじゃないかなあと思います。
おなかすいてきた。7時です。
2023.12.13
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melatonin2020 · 6 months
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脱稿しました。12月はwebに上げてたイラストの本が出ます。
最近はお疲れ様会をしたりオタクの集まりに参加してきました。
好きなものが同じでそれを語れるっていいですね… 周りの人達が本当にみんな素敵な人たちで、出逢いに感謝です。 毎回ジャンルごとに素敵な出会いはありますがこのジャンルの人たちもいい人たちだしめちゃ尊敬してます。
1年振り返り〜 今年は色々と学びの多い一年でした。 でも辛いことも色々経験することで少しでも成長につながればいいな…と思います。 怒りは同じレベルの相手とじゃないと発生しないから 理不尽なことがあっても同じ土俵にあがっちゃダメよ!って上司に言われてから大概のことをまあしょうがないなって済ませられるようになったので「何事も諦めない!」と言ってる方を見るとまぶしくて、 すごくかっこいいな!って思います。 もちろん自分も諦めない部分はあるけど、手放してもそばにいてくれる人がちゃんといるからこれはあげてもいいや〜って、自分一人で完結できないものや埒が開かないものに関しては早々に譲ることにしました。
いろんな諦めを、本当に大切なことに気付くための学びだったんだと思うようにしています。本当に大切なものは 誰に自慢するでもなく、讃えられるでもなく、自分がわかっていれば周りの認識が違っても問題ないんだな〜と… だからメリバ展開好きなのかも……笑 そう考えてから、誰かに怒ったり不満を持つことが本当になくなりました。元からあんまりないけど…あまりにも怒らなすぎて「もっと怒ったほうがいい!」と友人に言われてしまった…
絵の上達の方は、諦めずにぼちぼち頑張っていきたいです。 人生の修行期間みたいに書いちゃいましたが、楽しいこともたくさんあって下半期はいいこと沢山あってずっと好調でした。 あと自分が思っている以上に自分のことをちゃんと見てくれる人、信頼してくれる人が多くてそれが本当に嬉しいしありがたいです。 自分も相手のいいところとか、素敵なところを沢山相手に伝えたいな〜と思います。 推しの良さも、引き続き伝えていきたいと思いますので 来年もよろしくお願いします。
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m12gatsu · 2 years
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立て板と焼け石
よく一緒に飲む同僚が大物A氏の死について、「めちゃくちゃショック」だったとのたまっていた。御実家が山口なのだそう。俺はそれについて、そうなんですね、と努めて曖昧なことをいってお茶を濁しながら、こういう人もいるのね、と思った。いや、いるのは知ってたけど、インターネット上にいるのを見かけるだけで、実在するのを初めて知った。天井が破れたのか、底が抜けたのか。過日、俺のTLにはフォローしてないのに町山智浩氏の発言が流れてくる。氏の発言に限らずTwitterのバズってる投稿のリプライ欄は大体が賛同意見ばかりで、つくづくエコーチェンバーの温床だと思う。反論添えた引用リツイートも衆目に晒して犬笛鳴らしてるだけに見えることもある。この期に及んでよくわからないとかいってる手合いも結構いる。正常性バイアス? 家人と話していて、「カルトがヤバい」ってところは共通認識できるんだけど、「政党とカルトが結びついててヤバい」って部分がいまいち伝わらなくてもどかしかった。別に自分が正常だとは思わない、ようにしている。でも「ニュートラル」なんて言葉を使われると腹が立つ。もっとフェアに、揺らぎながら、正解のない政治の話がしたい。同じ土俵で、同じ俎上で、恋に恋するみたいに、政治を政治したい。恋と憂鬱と海辺のカフェと年収と資産運用と流行歌とマッチングアプリと木漏れ日と青息吐息と飲酒泥酔と喫煙と結婚出産とジムとサウナとトラウマとコンプレックスとあらゆる欲望と同じように、政治の話がしたい。
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seijihoshi · 1 year
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明日、14日は #会津美里町 ( #高田町 )で3年ぶりに、#大俵引き があります。    コロナ感染防止対策による規制も色々ありますが、実施されることは大変嬉しいことです。  私が #会津美里町観光協会 理事になってから2度目の #大俵 作りをしましたが、2日がかりで大勢の人がボランティアで、一握りの #藁 から #巨大な俵 を作っていく過程は、知らない人も多いと思うので、昨年度の画像をアップします。  左右の丸い蓋の部分は、特殊な技術が必要で、後継者が、ただ一人の若者が頑張っています。が、2日で1枚がやっとなので、もう1枚は前年度の物を補修して使います。  昔からの行事を続けるための後継者作りは、様々な場所で苦労している事でしょう。  今年、3年ぶりに開催される事で、 #無病息災 、特に #コロナ終息 を強く願いたいと思います。 https://www.instagram.com/p/CnVGIAAS3Pu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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omiznewsviews · 1 year
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日本相撲協会は大相撲夏場所6日目の19日、元大関で東十両5枚目の栃ノ心(35)=本名レバニ・ゴルガゼ、ジョージア出身、春日野部屋=の現役引退を発表した。親方になるための日本国籍は取得しておらず、協会には残らない。今年初場所で左肩を痛め、春場所は5勝10敗。今場所は初日から白星がなかった。  入門前は柔道で鳴らした栃ノ心は2006年春場所で初土俵を踏み、08年夏場所に新入幕。右膝の大けがで幕下下位まで転落したものの、怪力を生かした右四つの取り口で復活した。18年初場所では平幕で初優勝。同年夏場所後に欧州出身3人目の大関に。19年九州場所で2度目の陥落。在位は通算7場所だった。
元大関の十両栃ノ心が引退 ジョージア出身、優勝1回 | 共同通信
協会には残らないのか、寂しい。この人も怪我がなきゃなぁ。
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tokyomariegold · 11 months
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2023/5/27〜
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5月27日 お金がない!と気づいてパニックになった日。 お金がないのは1番だめ。結果、総資産は増えていることが確認できたけれど、いま自由に使える分としているお金がこの一年で激減していた。 ゴールデンウィークの旅行や、夏の予定の先予約分の引き落としが重なったことが原因みたいだけれど、もう少し抑えられる出費がある気がする。 30で消えるから、と何も気にせずお金は使おうマインドで気持ちよく消費できていたし、使いすぎた、と言っても、したいことや買いたいものに使っているので全く後悔も反省もできず、少しショックから立ち直ってきた。 今年度は少しお金の支出入を気にしてみて、自分が生きれる感じを作っていこうと思う。
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帰りの電車でお金のことを気にしてしまって、今日はそれまでの時間が無かったことになってしまって、本当、貧しさってだめだ。
今日は久しぶりに神保町へ行った! 石内都の展示をしているギャラリーには辿り着けなかったけれど、丸香のうどん屋さんは今日も行列が長くて、オオドリーの前の歩道は広々新しくなっていて、東京医科歯科大は正面の仮囲いが外れていた。あとミロンガが移転してた!
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お金がなくても写真とインターネットを続けることはできそうだし、うん、きっと大丈夫。
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5月28日 お金の使い方を再検討したところ、無計画な貯金(すぐに使えないところに入っているお金)が原因だった。
午前の予定を終えたところで、猛烈に気分が悪くなりクリーニングを受け取りに行った帰りに、ドラッグストアでos1だけを買った。os1だけ買う人って危機迫る感じあって嫌だな〜と思いながらふらふらだった。 でも帰宅して、ポストにブックレットの試作が印刷屋さんから届いていたので嬉しくなり、なんだかんだos1しなくて、午後の予定はまた出掛けてしまった。 ブックレットはやっぱり仕上がりB6サイズが良さそう。あと作品用に高画質ネガスキャンデータを確認したら、色味が少し変わっていたり、私がいない方の画像をスキャニングしていたり、もう一度注文しないと。
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久しぶりに母と電話をした。 3月に退職してはずだったけれど、あまり(全く?)変わらずお仕事をしていて、土曜日の昨日も出勤していたらしく変わらずいつも少し疲れている感じだった。 「いま短歌が流行っているんでしょ?」と俵万智のNHKのトークを見たことを話してくれた。 使おうと思っていたコスメキッチンの500円クーポンは5月7日で有効期限切れ。 今月で実行するポイントが500ポイントある、とホットペッパービューティーからお知らせがあった。 確か今日までのRAGTAGのアプリ500円クーポンがあったけれど使わない気がする。 クーポンポイント墓場をまたつくってしまった。
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senatmam · 1 year
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6/4(日)折り紙チェーンに寄せて
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初めて、お母ちゃんの役です! 既婚者はあれど 親子‼️‼️ 自分の分身か(けれど他者)と思う我が子が 同じ作品に出て、言葉を交わしているのは、初めてです。
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親子、家族、思いを馳せて奇跡に賭けてみる話です。 他人でも家族。人と人が助け合う気持ちが育まれている、コミュニティのお話かなと、思っています。 真面目に厳しくお稽古シテイマス。
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TNX株式会社『TOKYO青春エンタメアカデミー presents 【朗読新劇「折り紙チェーン」】公演概要』 朗読新劇「折り紙チェーン」 作・演出:中西 広和 / 振付:江花実里 於・新宿歌舞伎町Sparkle  公演詳細▶︎ https://ameblo.jp/tuntube/entry-12800855094.html?fbclid=IwAR2NSnr2dqUdmEg3w-43w95G7HfhKocrBpOeLNMxiiHBW36xz_qYqkU8CP4
🎫 チケット https://tiget.net/events/247680
自分はどこに向かって歩いていけば良いか、何もない一年に放り出されてぽつり、でも、自分の中から向かう先が浮かばなくて、でも、それまで歩いてきた向かってきた道から外れたり 立ち止まり歩むことをやめたりは、できないと思った したくなかった
それだけはチラッと光るカケラみたいに掌に気づいた でもじゃあ、どこへ向いたらいいのか、ひとり夢中で頑張って歩いてきた時には周りにも同じような人の気配を感じてたはずが、その、気配も気づけばなくて、誰かいないかな、どしたらいいかな?どっちよって教えてくれないかな?と思っても hmmm...いまはひとりしかいないみたいだった。自分で考えるしかない.
で、ひとまず考えた 感じるようにした どう足を出したいのかな 一歩また歩き出すことは決まってるなら、どうやって、どちらへ、
そんなこと思いながら、怖いな不安だなみたいなさざめきや喪失もやってきて
時々、ポカポカと心が暖かい時には、少し力が湧いて、 あれやりたいな こう言う瞬間を迎えたいな またあの自分になりたいな 達成できたあれをもう一度 以前ほど 長い/強い/具体的 みたいな言葉や気持ちではなくても  そよりと泳いでくることはあった だからそれを見つけて、 ア、て思って、アカチャン、やりたいのアカチャン、これからの自分が いくつかの可能性/候補/無限に居るあり得る自分 になり得るエケチェン、と思って大切に思って掬ったり眺めたりとにかくちゃんと知覚した
エケチェン、まだ大きく具体的に以前ほどエネルギッシュにいきなり19kgくらいの子どもレベルでは現前しないけど、スイミーたちみたいにスススと通って行った
ほんで、静かに過ごしていると、 お芝居は、わからない、やりたいけどやれないこともある、自分だけじゃどうともならないこともある、 ダンスは、やりたい、身体が動く可能な限りは、おどりたい、やり続けるだろうなと思った それは 多分趣味だから 仕事じゃないから 仕事になってる時は実際多いけど、わたしにとって、ダンスは、仕事じゃないと思っている思えているからだろうと思った もちろん、やるからには、同じだけの、自分の解釈する一番厳しい、プロフェッショナル、職人気質で、やるんだけど、 お芝居に対して思うことや土俵とはちょと違うんだとは思う
でもだから、そんな中で、歩みを迷い、立ち止まりたいわけじゃないが二の足を踏んでいる時に、 踊りたい、と、いうヤリタイは、どーんとたしかにあった。エケチェンたちのスススの中に、どん、イルヨー\(^^)/て、いた。
だので、 この機会に、企画に、気持ちが動きました。 どこで、何を、やりたいか、どう、次に、もう一度、と新たに一歩踏み出す時、何を、選びたいか、
そこに、スッとしっくりきてくれた。
私がやるなら、これだなと
そういう、想いで、
時々、そして以前より頻回に、意識的に、アンテナを立てて行動してってしてきたけど、出会いなので、そこで決まらないことも多い。1人のことじゃないので、縁が繋がるかは、1人ばかりでは決まらない。 その中で、思いがけず、踏み踏みしてた二の足をスッと軽く浮かせて、軽やかに手を引かれ、びっくりしたようにふっとすぐ歩けるような気がした
他にもある気持ちは今度また綴りますが
そんな想いを抱っこして、 ゆっくり、でも構えてたよりもずっと自然に、歩き出せて、歩くことを覚えていて、 不安や怖がりや痛みや怯えもあった自分を無かったことにしないで、そっと一緒にちゃんと一緒に、
また、少し、すすみます.
そんな感じで、のぞみます。
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mokkung · 1 year
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(短評)映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』
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(引用元)
『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』(2022年、米国、原題:Black Panther: Wakanda Forever)
人が人の意思を受け継ぐということの意味、そして意思を継承し未来へ繋ぐことの意味を、現実の俳優の死と重ねて哀悼と希望を込めて描かれており、重みを帯びた重要作‼️
故チャドウィック・ボーズマン追悼のための記念碑的な映画です😌
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ただぶっちゃけ長い💧 内容的には長いだけの場面が割と多く、もう少し整理してコンパクトにしたりテンポアップできそうな印象でした😅
また冷静に考えて俳優の追悼要素無しにすると、さほどフレッシュな展開はありません💨
後半の流れ、事の顛末も当然そうなるよねという内容💨
でも最後の最後は🥺
ネタバレせずに延べるのは難しいのですが、アレをしてあそこに行った時にアイツが出てきた時はグッときました‼️
前作もそうですが、例え辛い思いを募らせていても同じ土俵で直接手を下さず、暴力の応酬が生まれないように踏み止まり考えることの大切さを敵の行動原理含めて示してくれるのは素敵です👍
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ophelia333k · 2 years
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2022年5月22日
 夜、遠くの真っ暗な山の方に見える鉄塔の赤色の光を見ていると、その場所まで行って、真っ暗な世界にひとりで立つその鉄塔を下から見上げたいな、と思うことある。でも、到底そんな体力も気力も時間もないから、たぶん永遠にそこまでたどり着けることはない。
 同じように、いつも遠くから眺めているけれどきっといつになってもそこにたどり着けないものとして、特急の列車で通過していく区間にある川辺の町、自分が行くことのない方角に見える巨大なマンション、みたいなものがある。
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 前回の日記では文学(と呼ばれるもの)と「異化(私たちが見慣れているものを、見たことがないもののように新しく表現すること)」の話をして、大江健三郎が『新しい文学のために』の中で取り上げていた俵万智の「サラダ記念日」の歌を例に挙げたりなんかもしたけれど、この「異化」という手法は、穂村弘という歌人が『短歌という爆弾』で言っていた「驚異」の概念と重ね合わせられると思う(正確に言うと順番は逆で、「異化」を「短歌」という詩型へと限定したものが「驚異」であるということ)。
〈短歌が人を感動させるために必要な要素のうちで、大きなものが二つあると思う。それは共感と驚異である。共感とはシンパシーの感覚。「そういうことってある」「その気持ちわかる」と読者に思わせる力である(穂村弘『短歌という爆弾』p140〉
 続けて、
〈驚異=ワンダーの感覚とは、「いままでみたこともない」「なんて不思議なんだ」という驚きを読者に与えるものである(同、p142)〉
 ここで、穂村弘は、(ここでもまた)俵万智の〈砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね〉という歌を引用しながら、そこでは言葉が「驚異の感覚」を通過しているからこそ、経験を超えているにも関わらず、そこに普遍的な共感が可能だと指摘する(「驚異」と「共感」というのは難しい問題だけど、少なくとも、穂村弘はまず「驚異」がないと、ほんとうの意味での「共感」は不可能だと考えているんだと思う)。
 「驚異の感覚」を通過しているというのは、広く言ってしまえば「飛行機」や「翼」(そして「砂浜」)という言葉が異化されている、ということだけど、短歌と文学全体をパラレルの見ることが許されるのなら、言葉が「異化」されているからこそ到達できる「共感」もまた存在する、と言うこともできるはず。
 というか、自分も立場としては穂村弘に近くて、「驚異(あるいは異化)」を十分に通過していない共感なんて、あまりにも安易だし、既存の価値観に頼りすぎている、という風に思う(そして、これはある種の”インターネット詩界隈”的なものにも通じてしまう話かもしれない)。
 最後に少し補足しておくと、異化というのは言葉やものがその人の個人的・内面的な世界観を通過することが前提にあって、そうした個人的な発話が、いま私たちが生きているこの世界に対する既存の意味付けを組み替えていく過程、と言い替えることができると思う。(専門用語、みたいなものを使うことを忌避していたら逆に分かりづらくなったかもしれないけど、これはつまり広い意味でのラングとパロールの話です)
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第45回 穂村弘『短歌という爆弾』(宇都宮敦が書いている、穂村弘『短歌という爆弾』についての評論で、分かりやすいです)
 
 
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