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#古着屋アイデンティティー
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古着屋アイデンティティーでは投稿が1000件を突破しました!
新品のお洋服には出せない古着の魅力で、皆様の生活が少し幸せになるようなご提案をこれからもさせていただきます!
今後ともご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます!
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nemosynth · 5 years
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがる��うしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほど��でに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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xf-2 · 6 years
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中国の隠れ家
新疆ウイグル自治区の消滅したウイグル人たちはどうなったのですか?
中国は新疆ウイグル自治区の西部地域で数十万人のイスラム教徒を裁判なしで拘束したとして非難されている。 政府は、「テロと宗教的過激主義」に対抗する特別な「職業学校」に人々が自発的に参加するという主張を否定している。 今やBBCの調査は、現実の重要な新しい証拠を発見した。
砂漠での拘禁
2015年7月12日には、中国の広大な遠い西方の圧倒的な砂漠とオアシスの都市を衛星が揺らしました。
その日に撮影された画像の1つは、空の、触れられていない灰色の砂のパッチを示しています。
私たちの年齢の最も緊急な人権問題の1つに調査を開始する可能性は低いようです。
しかし3年足らずで、2018年4月22日に、同じ砂漠の衛星写真が何か新しいものを示しました。
巨大で安全性の高い化合物が実現しました。
それは16kmのガードタワーで区切られた2kmの外壁で囲まれています。
昨年、中国が新疆ウイグル自治区のイスラム教徒の収容所制度を運営していたという最初の報告が出始めた。
衛星写真は、グローバルマッピングソフトウェア、Google Earthでそのシステムの証拠を探している研究者によって発見された。
地方首都であるウルムチから車で約1時間のところにあるダバンチョンの小さな町のすぐ外にあります。
すべての訪問ジャーナリストを待っている窒息警察の精査を避けるために、我々は午前中早朝にウルムチ空港に着陸する。
しかしダバンチェンに到着するまでには、少なくとも5台の車が続いており、制服と平衣服の警官と政府関係者の品揃えが含まれています。
数日後に数十の疑惑のあるキャンプを訪問するという計画は容易ではないことはすでに明らかです。
私たちが幅広い接近道路を駆け上がるにつれ、遅かれ早かれ護送隊が私たちを止めようとしていることが分かります。
まだ数百メートル離れているが、予想外のことが起こる。
敷地の東にある衛星画像に示されている埃の多い地面は、もはや空ではありません。
その代わりに、巨大な拡張プロジェクトが形を取っています。
道路から見たDabanchengのサイト
砂漠から発達し、クレーンで盛んなミニシティのように、巨大な灰色の建物の列に並んでいます。それらはすべて4階建てです。
私たちのカメラが回転するにつれて、私たちは建設の程度を把握しようとしますが、警察の車のほうがずっと先に行動する前に行動します。
私たちの車は止められています。カメラの電源を切って出て行こうとしています。
しかし、私たちは重要なことを発見しました。これは、これまで外界が気付いていなかった莫大な余分な活動です。
世界の遠隔地では、Google Earthの画像に数カ月または数年かかることがあります。
しかし、ヨーロッパの宇宙機関のSentinelデータベースのように、衛星写真の他の公共のソースははるかに低い解像度ではあるが、はるかに頻繁な画像を提供する。
私たちが探しているものを見つけることがここにあります。
2018年10月のSentinelのイメージは、サイトがどれだけ成長したかを、われわれが見たいものと比較して示しています。
私たちが大きな収容所であると疑われたことは、今では巨大なもののように見えます。
そして、それはここ数年で新疆に建設された多くの同様の大きな刑務所タイプの構造物の一つにすぎません。
サイトを訪問しようとする前に、ダーバンチェンの中心部に停車しました。
誰にも公然と話すことは不可能でした。心配していた人たちは、近くに潜んでいました。また、私たちと挨拶をした人も積極的に報告していました。
何千人もの人がいる[再教育学校で] ...彼らの思考にはいくつかの問題がある
代わりに、私たちは町に乱数に電話をかけました。
当局が私たちの撮影をやめさせようと必死になっていた16台の時計塔とこの大規模な複合施設は何でしたか?
"それは再教育の学校です"とホテルの1人が語った。
「はい、それは再教育学校です」と別の店主が同意しました。
「現在、数万人の人々がいる。彼らは彼らの思考にいくつかの問題を抱えている。
この巨大な施設はもちろん、学校の客観的定義には適合しません。
新疆では、 "学校に行く"という意味を持つようになりました。
"私は自分の間違いを深く理解しています"
ウイグルの「学校」に関する中国の国営テレビの報道からの依頼は、
中国は一貫して裁判なしでイスラム教徒を拘束していると否定している。
しかし、キャンプの婉曲表現は長い間存在していた - 教育。
ほぼ確実に、国際的な批判が広がっていることへの対応として、当局はこの説明を全面的に宣伝活動に乗り出した。
国営テレビでは、きれいな教室と感謝している生徒がいて、喜んで授業に参加しているという光沢のある報告がありました。
この「学習」のために生徒が選ばれた理由やコースの期間については言及されていません。
しかし、手がかりがあります。
インタビューは自白のように聞こえる。
「私は自分の間違いを深く理解している」と、ある人はカメラを教えて、「私が家に帰った後に」良い市民になると誓った。
これらの施設の主な目的は、法理論、職業スキル、中国語訓練が混在することによって、過激派と戦うことです。
最後の項目は、あなたが学校やキャンプと呼ぶことを望むものであれ、目的とする目標は同じであることを示しています。
施設は新疆のムスリム少数民族のみを対象としており、その多くは母国語として中国語を話さない。
ビデオは、学校がドレスコードを運営していることを示唆している - 女子学生のうちの1人だけがヘッドカフを着ているわけではない。
中国国営テレビの映像は、
新疆には1000万人以上のウイグル人がいます。
彼らはトルコ語を話し、少なくとも中国の大半の人口である漢族と同じくらい中央アジアの人々に似ています。
カシュガル南部の都市は、地理的には北京よりもバグダッドに近いと指摘されていることが多く、文化的にも近づいているように感じることがあります。
反乱と中国統治への抵抗の歴史を持つウイグル人と近代政治の巨匠たちとの関係は遠いほど長いものでした。
共産主義のルールの前に、新疆は時折独立した短期間で中国の握りから脱落した。それ以来、抗議と暴力の散発的な流行に対処することを常にテストしてきました。
ドイツのほぼ5倍の地域のミネラル資産、特に石油とガスは、巨額の中国投資、急速な経済成長、漢族入植者の大きな波をもたらしました。
ウイグル人の間で、その成長の収入が不均一に分布していることに対する憤りは激しさを増しています。
こうした批判に応えて、中国当局は新疆の住民の生活水準の向上を指摘している。
しかし、ここ10年ほどで、暴動、地域社会間の暴力、計画的な攻撃、警察の反応が混ざり合って数百の命が奪われました。
2013年10月:天安門広場は2人を殺した車の攻撃の後に封鎖された
2013年には、2人の命と3人のウイグル人乗員を主張した北京の天安門広場の歩行者に対する攻撃が大きな瞬間となった。
死傷者数は比較的少ないものの、中国国家の基盤が不安定になった。
2014年3月:昆明の警察、31人の死亡後のパトロール
翌年、昆明(中国)の昆明(新疆ウイグル自治区)から2000km以上離れた鉄道駅で、ナイフをかぶったウイグル人の攻撃者が31人を殺害した。
過去4年間に、新疆は、国家が自国の国民に対して配備した最も制限的で包括的な安全保障措置の対象となっています。
これには、顔認識カメラ、携帯電話の内容を読み取る監視デバイス、バイオメトリックデータの大量収集など、技術の大規模使用が含まれます。
長いひげや頭飾り、子供の宗教指導、イスラムの名声を禁止するなど、イスラムのアイデンティティーや練習を抑えるために、厳しい新しい法律違反が導入されました。
分離主義は、いくつかの孤立した個人の問題として、もはやウイグルの文化とイスラム教に内在する問題ではなくなった。
それは、家族と信仰に対する忠誠心が重要な唯一のもの、すなわち共産党への忠誠心に従属しなければならないXi Jinping大統領のもとでの社会の緊張感と一致している。
ウイグル人のユニークなアイデンティティーは、彼らを疑いの対象にしています。
その見解は、様々な過激派と戦うために数百人がシリアに旅行したという信憑性のある報告によって強化されている。
ウイグル人は何千人もの歩行者と車のチェックポイントで民族プロファイリングを受けるようになりましたが、ハン・チャイニーズの住民は頻繁に手を振ります。
Kashgar、2017年3月の警察のチェックポイント
彼らは、新疆ウイグル自治区とそれを超えて、住民にすべてのパスポートを「安全な保管」のために警察に渡すよう強制している。
ウイグル政府関係者は、イスラム教の練習、モスクへの出席、ラマダンでの断食を禁じられている。
新疆市カシュガルの閉鎖されたモスクの上に中国の旗が飛ぶ
このことを考えると、中国がウイグル人の市民の多くに認識されている不法行為に対して、より古く鈍い解決策を導入したことは、おそらく驚くべきことではない。
政府の否定にもかかわらず、抑留所の存在に関する最も説得力のある証拠は、当局からの情報の集まりから来ている。
潜在的な請負業者およびサプライヤーに建築プロジェクトの入札を呼びかけている地方政府の入札文書のページは、ドイツの学術機関であるAdrian Zenzによってオンラインで発見されています。
彼らは、新疆間の数十の別々の施設の建設または転換についての詳細を提供する。
多くの場合、入札者は、腕時計、カミソリワイヤー、監視システム、ガードルームなどの包括的なセキュリティ機能をインストールする必要があります。
この情報を他のメディアと相互参照することで、少なくとも数十万人、場合によっては百万人以上のウイグル人や他のイスラム教徒の少数民族が再教育のために拘禁された可能性があると示唆している。
文書はもちろん、施設を収容キャンプと呼ぶのではなく、教育センターとして、またはより正確な翻訳では「再教育センター」と呼ばれます。
そのうちの1つは、我々が訪問した巨大な敷地にほぼ確実に関係している - 2017年7月、ダバンチング地区のどこかの「教育学校を通した変革」の暖房システムの設置のための入札。
これらの婉曲な表現や、記述された日常的な測定や数量において、急速に拡大している質量閉じ込めネットワークの紛れもない実体がある。
"彼らはウイグルのアイデンティティを削除したい"
2002年、レイラ・アブラチティは新疆から英国へ旅行して勉強しました。
彼女はイギリス人男性と出会って結婚し、イギリス国籍を取得し家族を始めた。
昨年、彼女の母親はいつもの夏の訪問のために来て、娘と孫と一緒に時間を過ごし、ロンドン観光をしました。
Xiamuxinuer Pida(66歳)は、中国の国営企業で長年の実績を持つよく教育された元技術者です。
Xiamuxinuer Pida
彼女は6月2日に新疆に戻りました。
彼女から聞いたことはないが、レイラは彼女が家に帰ったことを確認するように電話した。
会話は短く恐ろしいものでした。
"彼女は警察が家を捜していると私に言った"とレイラは思い出した。
調査の対象になったのはレイラだった。
彼女は彼女の書類のコピーを送る必要があった、彼女の母は言った - 英国の住所の証明、彼女の英国のパスポートのコピー、彼女の英国の電話番号と彼女の大学のコースに関する情報。
レイラアブラチティ
そして、チャイナモバイルチャットサービスを介してそれらを送信するように彼女に依頼した後、Xiamuxinuerは、Reyilaの背骨を冷やす何かを言った。
彼女の母親は彼女に "私にもう一度電話しないでください"と言いました。「今まで私に電話しないで。」
娘が彼女の声を聞くのは最後でした。
彼女はそれ以来、彼女がキャンプにいたと信じています。
「私のママは何の理由もなく拘束されている」と彼女は言う。「私が知る限り、中国政府はウイグルのアイデンティティを世界から削除したい」
BBCは海外に住む8人のウイグル人との長いインタビューを行った。
彼らの証言は非常に一貫しており、キャンプ内の条件と日常の証拠と、人々が拘束されている広範な根拠を示しています。
主流の宗教活動、穏やかな異議、そして外国に住むウイグル人とのいかなるつながりも、人々をシステムに掃討するのに十分なようです。
Ablet Tursun Tohti
毎朝、29歳のAblet Tursun Tohtiが日の出の1時間前に目覚めたとき、彼と彼の仲間の拘禁者は運動庭に1分かかっていた。
一直線になった後、彼らは実行されました。
「十分に速く動かなかった人々を処罰する特別な部屋がありました」とAbletは言います。「そこには二人の男がいて、ベルトで殴る人、蹴るだけの男がいた」
エクササイズ・ヤードは、新疆ウイグル自治区のホータンのオアシス・タウンで開催されたキャンプの衛星写真に明瞭に見ることができます。
「共産党がなければ、新しい中国はできない」という歌を歌いました」とAbletは言います。
"彼らは私たちに法律を教えました。あなたが正しい方法でそれらを暗唱できなかったら、殴られるでしょう。
Abletが拘留されていると言われている、Hotanのキャンプを示す2018年の衛星画像
彼は2015年後半に1ヶ月間そこにいたが、何とか彼は幸運な人の一人である。
収容キャンプの初期には、再教育「コース」の長さは短くなっているように見える。
過去2年の間に誰かが全く解放されたという報告はほとんどありません。
誰も外に残っていない
そして現在、パスポートの大量回収が行われているので、Abletは中国を出ることができる最後のウイグル人の一人でした。
彼はトルコで避難所を探していました。トルコは、強力な文化的、言語的な関係のため、大きなウイグル・ディアスポラを持つ国です。
彼の74歳の父親と兄弟姉妹の8人が収容所にいると、Abletは教えています。「外に誰も残っていない」と彼は言う。
Abdusalam Muhemet(41歳)も現在トルコに住んでいる。
彼は2014年に葬儀でイスラムの詩を朗読して新疆の警察に拘束された。
彼らは最終的に彼に告訴しない��とを決めた、と彼は言いますが、彼はまだ自由ではありませんでした。
アブドゥララム・ムエメット
「彼らは教育を受ける必要があると私に言った」と彼は説明する。
彼が見つけた施設は学校のようには見えなかった。
衛星写真では、Han'airike法教育訓練センターのガードタワーと二重周縁フェンシングを作成することができます。
かみそりワイヤーのロールは、厳しい砂漠の太陽の下で投げ込む影から特定することができます。
彼は運動、いじめ、洗脳の同じルーチンを説明します。
アブドゥララムが開催されたと言われているホータンのサイトの衛星画像
彼の本名ではなく、25歳のAliは、あまりにも公然と話すのが怖い人の一人です。
2015年、彼は警察が携帯電話で顔のベールであるニッカブを着ている女性の写真を見つけた後、彼がキャンプで終わったと言います。
「ある老婦人は、メッカへの巡礼をしたことでそこにいた」と彼は教えてくれた。
アリ(彼の本名ではない)は識別されたくない
強制的な運動の1つのセッションの間に公職の車はキャンプに入り、ゲートは一時的に開いたままにした。
「突然、小さな子供が、私たちと一緒に走っていた母親に向かって走った。
"彼女は子供に向かって行って、抱きしめて泣き始めました。
「警官が髪の毛で女性をつかんで、その小さな子供を収容所から引きずり出した」
州のテレビに映し出されたきれいな場所の代わりに、まったく異なる絵が現れます。
「私たちの寮のドアは夜間に閉じ込められました」とAbletは言います。しかし、内部にトイレはなく、彼らはちょうど私たちにボウルを与えた。
これらのアカウントを個別に確認する方法はありません。
我々は虐待の疑惑について中国政府に尋ねたが、回答はなかった。
新疆ウイグル自治区の外のウイグル人のニュースはほぼ完全に乾いています。
恐れは沈黙を生む。
家族のチャットグループから削除された人、または決して再び電話しないという人の報告は、現在一般的なものです。
ウイグルの文化にとって最も中心的なもの - 信仰と家族 - の2つが系統的に壊れています。
拡大家族全体の拘禁の結果、多くの子供たちが州の孤児院に入所しているという報告があります。
Bilkiz Hibibullahは2016年に5人の子供とともにトルコに到着しました。
ビルキズヒビブラ
彼女の最年少の娘セカイン・ハサンは、現在3歳半になるが、ビルキーズの夫と一緒に新疆に滞在した。
彼女はまだパスポートを持っていないし、彼女は1つを持って、家族がイスタンブールで再会するだろうという計画だった。
彼女は決してそのパスポートを持っていなかった。
彼女が2年以上見ていないビルキスの娘セキン
Bilkizは夫が昨年3月20日に拘束されたと考えている。
彼女は以来、家族の残りの部分との接触を失っており、今では娘がどこにいるか分かりません。
真夜中に、他の子供たちが寝た後、私はたくさん泣いています。
「生きているのか死んでいるのか、あなたの娘がどこにいるのか分からないほど悲惨なことはありません。
「彼女が今私のことを聞くことができれば、私は残念だと言いたい」
上からの景色
GMVによって強化されたホータンのサイトの衛星画像
公開されているオープンソースの衛星データのみを使用すると、新疆の暗い秘密を明らかにすることが可能です。
GMVは、欧州宇宙機関(EIA)や欧州委員会などの組織を代表して、宇宙からインフラを監視する経験を持つ多国籍航空宇宙会社です。
彼らのアナリストは新聞に載っている101の施設のリストを見てきました - さまざまなメディアの報道と再教育キャンプシステムに関する学術的研究から作成されました。
1つずつ、新しいサイトの成長と既存サイトの拡大を測定しました。
彼らは、人の動きを監視し制御するために必要なもののような、監視塔やセキュリティフェンシングなどの共通の機能を特定して比較しました。
そして、各サイトが実際にセキュリティ施設である可能性を分類し、そのうちの44個を高いカテゴリまたは非常に高いカテゴリに分類しました。
その後、彼らは44の施設のそれぞれの衛星による最初の検出を時間の経過とともにプロットした。
画像は、Abdusalem Muhemetが開催されたキャンプの一部で行われた建築作業の程度を示しています。
GMVはサイトが何のために使われているのかは言えません。しかし、ここ数年の間に、中国は驚異的かつ増加しつつあるスピードで、多くの新しいセキュリティ施設を建設してきたことは明らかです。
それは本当の絵を過小評価する可能性が高い。
目立った結論が出ています。最近の傾向は、より大きな施設に向かう傾向です。
今年の新規建設工事は2017年に比べて減少している。
しかし、建設されている施設の全体的な表面積の点では、今年は最後のものよりも多い。
GMVは、この44拠点だけで、新疆の安全な施設の面積が2003年以来約440ヘクタールに拡大したと計算している。
この測定値は、ビルディングだけでなく、外部のセキュリティウォール内のサイト全体を指します。
しかし、440ヘクタールは多くの追加スペースを表しています。
文脈のために、ロサンゼルス市の14ヘクタールの場所(ツインタワー矯正施設と男性の中央刑務所を含む)には、合計約7,000人の囚人がいる。
ツインタワーズ矯正施設、ロサンゼルス
GMVの調査結果(ダバンチョンの施設での建物サイズの増加)の1つを取り上げ、オーストラリアのGuymer Bailey Architectsで長年の刑務所設計経験を持つチームに示しました。
衛星画像からの測定値を用いて、彼らは、最低限、施設が約11,000人の拘留者のためのスペースを提供できると計算した。
その最低限の見積もりでも、世界で最も大きな刑務所に並んでいます。
米国最大のニューヨークにあるRiker's Islandには10,000人の囚人のためのスペースがあります。
多くの場合、ヨーロッパ最大のイスタンブール郊外にあるシルヴィリ刑務所は、11,000人を収容するように設計されています。
Guymer Bailey Architects(GBA)は、サイト上のさまざまな建物の可能な機能の分析を私たちに提供しました。
Dabanchengでの占有率の最小推定値は、被収容者がシングルルームでのみ保有されていると仮定している。
代わりに寮が使用された場合、ダバンチョンの総収容能力は劇的に増加するとGBAは示唆している。外的制限は約130,000である。
できるだけ小さな領域に多くの人を詰め込むように設計された場所として表示されます
また、建築家であり、米国の組織である建築家/デザイナー/社会的責任の立案者でもあるRaphael Sperry氏にイメージを示しました。
「これは本当に大規模で荒れ果てた拘禁施設だ」と彼は語った。
「これは、最低の建設コストでできるだけ多くの人をできるだけ小さなエリアに詰め込むように設計された場所のように見えます。
利用可能な情報から、内部がどのように構成されているのか、建物のどの部分が他の機能ではなく勾留のために使われているのかを知ることはできません。それでも、あなたの寮の130,000人の見積もりは、残念ながらかなり可能です。
サイトへのアクセス不足は、この分析を独自に検証する方法がないことを意味します。
我々は、新疆の当局に、ダバンチョンの敷地が何のために使われているかを確認するように頼んだが、何の反応もなかった。
ブロックされた
カシュガル市のモスクへの門戸
新疆の収容キャンプのすべてが同じではない。
安全な施設の一部は、ゼロから構築されていませんが、以前は学校や工場などの他の目的に使用されていた構造の変換です。
これらはしばしば小さく、町や都市の中心近くに位置します。
Yiningの北部の郡では、私たちはそのような多数のキャンプを訪問しようとしました。
「安定を守る」という目的のために、「職業技能訓練センター」を5つ創設するプロジェクトのための地方政府の調達文書を見ました。
街の中心部では、以前はYining Number 3 Middle Schoolだった建物の外に立ち寄ります。
高くて丈夫な青色の鉄製柵が現場を取り囲み、正面玄関に重いセキュリティがあります。
遊び場には新しい監視塔があり、かつてはサッカーの試合であったものがあります。
ピッチは6つの長い屋根の建物で完全にカバーされています。
イニングナンバー3の中学校は留置場であると考えられている
外では、訪問している家族がセキュリティチェックで待ち行列に入っています。
もう一度、町のどこに行くにしても、2台か3台の車が私たちに従います。
私たちが灰色のフェンスに囲まれたキャンプの1つで映画に出ようとするとき、私たちは止められます。
当局者は、私たちのカメラレンズを手にして、今日この地域で行われている重要な軍事訓練があり、私たちは退去するように指示されていることを教えてくれます。
前の学校の外では、私たちは家族、母、そして2人の子供たちを見て、フェンスに静かに立っています。
心配している人の一人が話しているのを止めようとしますが、別の人は彼を過ぎ去らせるようです。
"彼らに話をさせてください"と彼女は言う。
私は訪問している人たちに尋ねます。
若い少年が答える前に、「私のお父さん」という一時停止があります。
手が私たちのレンズをもう一度カバーします。
カシュガルの街では、かつては賑やかでウイグルの文化の中心であり、狭い通りはまばゆいほど静かです。ドアの多くは閉鎖されています。
1つは、家族の所在地に関する質問にどのように対応するかを人々に指示する通知があります。
「社会とその家族の利益のために世話をしていると言いましょう。
市内の主要なモスクは博物館のようなものです。
私たちは次の祈りの時間がいつであるかを知ろうとしますが、誰も私たちに教えることができないようです。
"私は観光客に対処するためにここにいるだけです"とある当局者は私たちに語っています。「私は祈りの時代については何も知らない」
正方形では、数人のひげがない老人たちがチャットをしています。
他の人がどこにいるのか聞いてみましょう。
そのうちの1人は口にジェスチャーし、彼の唇をまとめてジャーナリストと話すことは危険すぎることを知らせる。
しかし、他のささやきは: "誰ももう来ない"
ある程度の距離を置いているヘルメット警官が、モスクの階段を掃除しています。
沈黙の中で、私たちはバケツの中の水のうねりとモップのスイカの音を聞くことができます。
中国人観光客が写真を撮っている。
私たちは高速道路にKashgarを残し、南西にウイグル族の村や農場が点在する地域に向かい、多くの疑いのあるキャンプがあります。
私たちはいつものように守られていますが、間もなく予期せぬ障害に襲われます。
私たちの前に、高速道路は閉鎖されたようです。
ロードブロッキングを担当している警察官は、暑い日に路面が溶けていると伝えています。
「進むのは安全ではない」と彼らは言う。
我々は、他の車がショッピングモールの駐車場に誘導されていることに気がつき、ラジオで、私たちは "しばらくの間、それらをそこに保持するための指示を聞く。
待つ時間は4時間から5時間と言われています。
私たちは代替ルートを探しますが、説明は変わりますが、常に別のロードブロッキングが現れているようです。
1つの道は "軍事訓練"のため閉鎖されています。
我々は最終的に敗北を認めなければならない前に、4つの別々の道で4回、回っている。
ちょうど数キロメートル離れたところには、約10,000人を収容すると言われる別の巨大なキャンプがある。
制御システム
新疆ウイグル自治区の権威の地位にはウイグル人がいます。
私たちを尾行し停止させた政府関係者や警察官の多くはウイグル人でした。
彼らがどんなやり方でも矛盾していると感じるならば、もちろんそれを言うことはできません。
新疆ウイグル自治区の壁紙には、「安定性は祝福であり、不安定性は災害である」
しかし、プロファイリングとコントロールのシステムはアパルトヘイトに一部のものに似ているが、それは完全に正確ではないことは明らかである。
多くのウイグル人はシステムに関与している。
実際には、より良い平���線は、中国自身の全体主義の過去に見られる。
文化革命のように、社会は救われるためには別々にする必要があると言われています。
ウイグル人のショーラット・ザキール(Shohrat Zakir)は、この地域で2番目に強力な政治家であり、理論的には戦闘がほぼ勝利したことを示唆している。
Shohrat Zakirは新疆ウイグル自治区の議長であり、ウイグル族
「過去21カ月間に、暴力的なテロ攻撃は起きておらず、公安を危険にさらすものを含む刑事事件の件数は大幅に減少している」と報道された。
"新疆は美しいだけでなく、安全で安定している。
しかし、拘禁された人が解放されたとき、何が?
私たちが話した元の収容所の受刑者は、すべて憤慨して燃えていた。
そして、世界は、このような大規模な邪悪で秘密の施設であるダバンチョンのような施設で時間を過ごした人からはまだ聞いていません。
私たちの報告は、大量再教育プログラムが他の名前で拘束されているという証拠を追加しています。実際には法的手続きが全くないため、数千人のイスラム教徒が裁判や告訴を受けることはありません。
中国は既にそれが成功であると宣言している。
しかし、歴史はそのようなプロジェクトがどこに終わるかもしれないかについて多くの厄介な先例を保持しています。
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joe310728 · 3 years
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紅虎餃子房 けやきウォーク前橋店 〒371-0801 群馬県前橋市文京町2丁目1−1 けやきウォーク前橋1F #おいしい餃子が食べたい。その16 #メニューはいろいろあありますが、 #男の美学「#我慢」 #選択と集中。 #白飯と餃子のみ 4人がけテーブル12席 大餃子4p590円大きくてジユウシーらしい やみつき餃子6個で420円 あえてこちらのスタンダードのやみつき餃子を注文 白飯単品= 200円 定食セットライスを頼む。ライス.スープ.漬物250円 スープは卵スープでした。ありがたし。それも手の凝ったとろみの利いた超うまいスープ。 まずは素で食べます。 肉が大変多くて旨味が凝縮されている。皮がパリパリ。素で食べる餃子は紅虎餃子房が1番うまい 次はラー油と醤油で食べました。 ラー油が大変まろやか。市販のものでは無い。多分オリジナル手作りだと思う。 餃子の大きさは5cm× 3cm× 2cm。小ぶり。 値段は高め設定。 肉の旨味がアイデンティティーを主張してくる。辛くないので餃子を食べた後の独特な口の中の刺激がない。全般的に柔らかい後味です。 あまりにおいしいので、どうしても大ぎょうざ食べたくなってしまった。いったいどんな味がするのか? ライス200円と大ぎょうざ4個で590円。 餃子の大きさは9センチ× 4センチ× 3センチかなり大ぶり。 餡は普通のと比べて粗挽きです。びっしり入ってます。ジューシーと言う説明だったけど、それほどでは無い。存在感が非常にあってコンビニおにぎり一個食べている位の量にかんじる。サイドメニューでなくて完全にメインディッシュです。 男の美学を貫き通せなかったのがまずかった。もうお腹いっぱい。せっかくのおいしい餃子が台無しになってしまった。まだ自分の分析力でたりないのが皮の厚さ。0.9ミリか0.7ミリか判別がつかない。この判別がつくようになればもっといろいろが楽しくなる。 #でも自分が求めるてるんと違う。 #俺は一体どんな餃子が食べたいのだ? #それはニンニクががつんと効いた餃子ですね。 #餃子を求めて 16日目。 運営主体は際コーポレーション 福生発祥の古着屋さん。アパレルのお店8店舗位を展開し、その後雑貨、アンティーク家具、イタリアンレストランなどを福生で営んでいました。当時家が卸売業やってる時にお取引をアパレルのお店でさせていただいておりました。福生の街はこの際コーポレーションさんが開発したようなものです。その中で紅虎餃子房は抜きん出て全国展開に動き始めました。私も過去に2回ぐらい食べたことがありますが初めて今回は餃子に的を絞っていただきました。個人的な感情が入って贔屓をしているかもしれませんが本当においしい餃子です (紅虎餃子房 けやきウォーク前橋) https://www.instagram.com/p/CJiESFTnK1F/?igshid=rlvgnls9j0ao
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treasure05x · 7 years
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恋のしょっぱさを歌にする女子二人、yonige
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「大阪、寝屋川、yonigeです。よろしく」。 Tシャツにダメージジーンズ姿の牛丸ありさ(Vo/Gt)が挨拶して始まったyonigeのステージ。ラフな服装や3ピースという体制がいかにもライブハウスが似合いそうなバンドが、青空のmercury stageへやってきた。
派手な煽りやMCはなく「さよならアイデンティティー」で演奏を始めると、ハスキーかつどこかあどけない声で歌い上げる牛丸。楽曲の中で描かれる恋愛は、後悔も恨みつらみも、全ての感情があけすけに語られる。いつの間にか曲に入り込んで、感傷的な気持ちになってしまう人も多かったのではないだろうか。
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爽快感ある「our time city」を終え、「初めまして、大阪のyonigeです」と喋り始めた牛丸。ステージ向かいに広がる蒲郡の海を前に「えー…海ですね。今年海行ってないから、楽しみすぎて…水着を着てきました!」と話し、Tシャツをまくり上げて黄色の水着をチラ見せ!これにはお客さんも大盛り上がりだ。それを見たごっきん(Ba/Cho)も「そんなん盛り上がってしまうやん!」とツッコミながら、「今年プールも海も行かなかったんで、くそあげぽよです」と語り、そのゆるさに思わず顔を見合わせて笑ってしまっていた。
演奏を再開すると、〈ねぇ シスターきいてよ〉と繰り返す「センチメンタルシスター」に〈バリバリバリバリバーーン〉〈君に投げつけたアボカド〉と歌う「アボカド」など、次々とキラーフレーズが繰り出される。ちなみに「アボカド」の歌詞は比喩表現などではなく、牛丸の実体験だというから驚きだ。最後は9月20日発売の1stフルアルバム「girls like girls」から「さよならプリズナー」を披露。〈さよなら 君と笑っていた日々が愛しい〉というサビが青空に響き、せいせいするような勢いで演奏を終えると「またライブハウスで会いましょう!」と去って行った。
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ギターをストロークするプレイヤーの気持ち良さがそのまま伝わるようなバンドサウンドで、恋の甘酸っぱさではなく、しょっぱさを歌ってくれる彼女たちの音楽。誰かを傷つけたことも、情けなくて友達には話せないことも、yonigeの前でなら素直になれるだろう。
<SET LIST> 1.さよならアイデンティティー 2.our time city 3.センチメンタルシスター 4.アボカド 5.最近のこと 6.最愛の恋人たち 7.さよならプリズナー
text:青木美穂 photo:古川喜隆
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3by3by3-blog · 5 years
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2018下半期に聴いた音楽と適切に想像力を働かせるということ
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下半期聴いた音楽20タイトル。リンクとか貼らない相変わらず不親切な、音楽的知識が皆無だから妄想で書いたレビューと私情。 日々を生きる上でこの分析癖と妄想癖は意外と役に立っているし、自己満足でも文章にするのは自己追求でもあるから大事だと思っている(その割には更新しないブログ)
Years & Years/Palo Santo
Kelelaをもっとバーチャルにした近未来的エレクトロポップでありサウンドの隅々で体温のある”ナマ”を感じる作品。「アンドロイドに支配された惑星を舞台にした」というコンセプト・アルバムだが、現代世界へのアンチテーゼというポーズを取らないところが粋。むしろ怒りを手放すことで固定的な視点からの解放の地を、このディストピアから見ているのだ。尊いはずの現代世界への祈りと救済のソウル。癒されるなー。
ZU93/Mirror Emperor
イタリアのアヴァンジャストリオとカレント93のデビッドチベットの共作。ここで鳴らされるサウンドはチェンバーゴシック風のオーケストラあるが、内省的な独白を究極に突き詰めたチベットの意識を置き換える作業的なものでしかなく、音楽としてはギリギリのサイコドキュメントといった向き。チベットの歌唱は生々しく抉りとるような悲痛な表現を含むが、ある意味オブセッシブな正気に満ちていて詩的ですらありパーソナルなものを超越して訴えかけてくる魔力がある。「Hey, was that the Apocalypse?」知覚で歪曲された真実が全く別の形で迫ってくる1枚。
Laurel Halo/Raw Silk Uncut Wood
聖域と呼ばれる場所に安息を求めることは「崇高」か、あるいは「業」に数えられるか。瞑想ヒーリングとダークアンビエントのあわいで肉体が沈んでいくような感覚は、一抹の居心地の良さに甘えを許したなら最後、得体の知れない深淵がこちら���見ている...そんな感じの示唆に富みすぎるアートワークと音像の豊かさが、トラウマや深層心理まで抉ってきてやべー。1曲目の極上入眠チルアウトでさっさと寝るのが吉!
WET/Still Run
キャロル・キングの影響を感じる私小説的なポップソウル。オーガニックなサウンドと透き通るような歌声が深く印象的。ここ数年、ハイテクノロジーなR&B及びソウルがトレンド化し大量に消費されつつあるが、この作品の持つ普遍性は、歌を聴くという行為の、もっと能動的で原初的な喜びがある。モロThe Cardigansな90年代リヴァイダルの1曲だけが感情を顕にしているのも象徴的で、感傷に浸りたい時に聴くと癒される。意地悪そうな、だけどナイーヴな顔つきの顔ジャケにも愛着が湧く。
Foodie/All You Can Eat
バブルガム・ポップなんて甘くておいしそうな名称で紹介されてるけど、ロシアンルーレットで引き当てたわさび味のシュークリームみたいな気分屋のバンドの、いつでもにやけてしまう大好きな音楽。そこへさらに憧れのピチカートファイブやシンバルズの熱狂がブワッと眩んじゃって...ずっとヒリヒリしてたくなる。後味を引くという意味で、「おいしい」と「おもしろい」は似ているのかも。
Broken English Club/White Rat
ZOV ZOVと同一人物、Oliver Hoの別名義での作品。ドローンノイズをゴツゴツ煮たような陰気なアンビエントや硬質なビートが淡々と打ち込まれるトラックは現代的なテクノの文脈にあるが、シンセサイザー使いがクラフトワークのニューウェーブみを帯びていてパンクに近い精神性を感じる。かと思えば最後の曲が中東サウンドでZOV ZOVとリンクしたり。3部作の第1作目ということでなんとなく予言めいた作風なのかな。
ASEUL(아슬)/ASOBI
まんまYumi Zoumaな80年代シンセポップの再現度の高さ!そして、そのチルウェイヴな感覚はそのままにトリップポップみたいなダブの派生を思わせる音作りは、まるで緻密に書き込まれたボロボロの教科書から召喚された天使たちがじゃれ合ってるかの様。歌われる韓国語の響きもいっそう神秘を深めるもので、もはや空想でいっぱいになってる自分の頭の中が好き。ドリーム・ポップって誰も手に入れられない桃源郷みたいな、孤高の音楽なのかも。
PIPER MARU/Most of My Friends Died In Space(EP) 
捻りひしゃげた爆裂サウンドとブチギレた女性Vo.に神経という神経が全部起き上がるUSハードコア・パンク。なんと言っても、かわいいピンク色の猫ジャケがパーフェクトで、アメリカの郊外に住むローティーンの少女になって衝撃と憧れを噛み締めている気分。G.L.O.S.S.は解散してしまったけど、その炭は何度でも燃やすことができて、“社会のごみの外側で生きる未来からやってきた女の子たち”が、現在の好きな場所で生きられるようにゴミを燃やし続けているのだ。そういうムーブメントを脈々と感じられるシーンの一角。自分も切実にその一部でありたい。
tirzah/devotion
少ない音数と隙間だらけのローファイR&Bをハイファイ環境のもとでサウンド設計し直したようなコアな音楽。古典的なファンクやジャズのリズム感を研ぎ澄ますことで、エクスペリメンタルを有機的なポップ・ミュージックに昇華していておもしろい。「隙間の美学」というのが世界共通の認識なのかはわからないけど、芸術の意義が共振にあるとするなら、いつの時代も人の心は変わらずシンプルなんだと思う。
Anna Calvi/Hunter
男や女という性別は社会が決めつけたもので、セクシュアリティやジェンダー、それを取り巻く環境は、バラバラに砕いて違う形で積み重ねることができるということ。アンナ・カルビが「自分の中の女性性/男性性との付き合っていくこと」を歌の中で何度も達成していてカタルシスでいっぱい。また音の提示としても隙がなく、随所で光るアンナのギタープレイが格好良すぎて血の涙を流すしかない。”セクシー”ってアイデンティティーやジェンダーやビジュアルを超越した言葉だと思う。本当に最高。
落差草原 WWWW / Prairie WWWW
台湾のエクスペリメンタルフォーク。奇抜な創作意欲が民俗や土地への関心が密接に結びついていて面白い。宗教儀式のような呪術的トライバルサイケ、その呪縛から解かれたロック、クラウト的な酩酊感、さらには中東エスノまで踏み倒した後半のどんちゃん騒ぎから深遠なるアシッドフォークなど、多様な音楽が多様な解釈を持って物語を牽引する。めっちゃ草生えて楽しそうなのに、ガチすぎて全然草生えない...と思ったら、Wは音の周波数の波形だそう。一つ賢くなって草www
Pig Destroyer/Head Cage
ハードコアのアグレッションでデスメタルしてて好み。トラック1〜2の謎すぎるモンドミュージックからのブラストビートとか、グルーヴィーなリフが最早ストーナーみたいとか、突っ込みどころ満載なのにクッソ格好良い。インターネットの虚構をもりもり感じるドイヒーなMVにしてもそうだけど、この無駄の無いサウンドもまたクラストっぽい含みを持った複合アートなのかとか、妄想すると色々腑に落ちるところがある。健康な豚ってカンジでいいね!
SHOOK ONES/Body Feel 
LIFETIME直系の格好良いメロディックハードコア。メロコアっていうとなんだか青春の感傷みたいだけど、メロディックハードコアとはパンクでありハードコアなんだな。心の奥にしまい込んでいたものを高らかに掲げるぶっちぎりの青春。キッダイが「ハードコアにメタルを持ち込んだ奴は最悪」って豪語してたけど、めちゃくちゃわかる気分。 なんせbodyでfeelなんだ。ジャスト求めていたサウンドで最高。
Current 93/The Light Is Leaving Us All
8ミリフィルムの白黒映画を見ているかのような現実と虚像の狭間で揺れ動くアシッド・フォーク。ハーディーガーディーやバグパイプといった民族楽器の彩りがクラシック調で、ピアノやヴァイオリンのオーケストラと溶け込んでいて素敵。オケがクレッシェンドしていくと、呼応するようにチベットが壮絶に歌い上げる。孤高の雰囲気さえ纏っているが、それは常に芝居の中で「表現」として語りかけるものであり、必ず対話がある。色んな国からやってきた人達と酒場で飲み交わしてるかのような多国籍で無国籍感が心地良い。
Julia Holter/Aviary
ソングオリエンテッドな方向性と実験的アプローチを分断した構成が、まるで荘厳なバロックオペラと昔のディズニーアニメを交互に見ているみたいだ...。あんまりにもブッ飛んだ調子に、LSDキメてるんか?なんて勘ぐったりもするが、この90分越えの1本のフィルムはめちゃくちゃフィジカルにサイケデリアを描こうとしていて、わたしはそこに同時代性を感じたりもする。光の強さに溺れず、弱い光や小さな光を見逃さない音像。『知覚の扉』が開かずとも本質をみることができるのだな。
SHXCXCHCXSH/OUFOUFOF 
執拗に銃乱射するマシンビートの応酬は、インダストリアルと呼ぶには無味乾燥で、むしろ電車に揺られてるみたいな馴染みあるミニマルテクノ。存在や音楽をいくら記号化したところで「踊れないけど貧乏揺すりしちゃう」みたいな心理がこぼれ落ちているところがリアル。こういう地下テクノって音楽的にはかなり閉ざされているけど目の前の世界が広がってみえるのが不思議。わかんないけど別に知りたくないし知らないぐらいが多分おもしろいんだろうな。
DAUGHTERS/You Won't Get What You Want
4ADのDaughterの新作だと勘違いして聴くと心肺停止するやつ。マスコアばりの転調につぐ転調とともに劇的な頂点へと盛り上がっていく荘厳なサウンド。それをグラインドコアの直線的なアグレッションで繰りだしているんだから、格好良くないわけないのだが、オーケストレーションが軽すぎて多彩な音で塗りつぶされたサウンドが詰め物的に聴こえる。タイトルがタイトルなだけにガスで膨らんだ死体を見て欲を抑え込む的な迷走修行を思い出して落ち込むなど。まぁ、それは仏教の話なんだけど、トレント・レズナーが悪魔に魂を差し出したみたいなダークファンタジーとして妄想するとけっこう良い。
Reinier Van Houdt/Igitur Carbon Copies (feat. David Tibet) 
Reinierの前作「PATHS OF THE ERRANT GAZE」の断片が散りばめられたコラージュ。以前扱った内容をマテリアルとして捉えた音像は、自分の認識の外に存在する空間や時間、場所、過去未来を自由に行き来するほどの膨らみがあり、デビッドチベットの朗読が唯一、現実との接点のように思えてくる。ラジオ放送に混ざってくる雑音と混信の波を掻き分けながら一生懸命傍聴するかのように、禍々しくも引きつけられながら、チベットが提唱する「黙示録」というものは、例えば、権力者が作り出した社会で誰の声が抑圧されているのかを考えるようなことで、沢山の事実から真実を知る啓示なんでは、と解釈。
Ex:Re/Ex:Re
Daughterのエレーナ・トンラのソロデビュー作。exってバンドのことかと思いきや、元カレについてのことらしく、知らんがな...としか言いようがないわけだけど、こんな私的な内容でも4ADから出しちゃうだけあって、才能ある女性だと思う。乾いた空気を夜露が濡らすような音像に恋の死骸を抱き寄せて歌うエレーナ。それだけで鑑賞するのに十分な作品に違いないが、後半で明らかに違う音の変化には、まるで自分のことみたいにガッツポーズしてしまう。音の骨組みが剥き出しになったソリッドなビートとファズ・トーンがちょっとPJ Harveyみたいでどちゃくそ格好良い。明確に意図する音を持って、失恋の痛みを「景色」として昇華する華麗さに、すっかりエレーナの手の中という感じ。
Killerpass/delayed youth e.p
MILKやTHE ACT WE ACTと並んで名前をよく見かける気になるバンド。青春の感傷の方のメロコアなイントロの爽やかさにああ...と思ったのも束の間、ドラムがyouthcrewスタイルをストロングに決めてて大ショック。ドラムが前のめりでヤバいんだけど、ドラムについて行けるベースもヤバいし、ひたすら青いギターボーカルもヤバいし、音の構造が異様すぎるおかげで歌の内容が全く入ってこない。でも完璧に打ちのめされてしまった。とにかく熱くてめっちゃ良い。こういう音楽をメロコアって呼びたい。
(以下個人的な記録です)
「個性を尊重しましょう」と言いながら出る釘は打たれる社会において、多様性という考え方が特定の人に対して向けられた時、その言葉の善意は悪意となる
3歳半になる息子は今年も喋らなかった 療育手帳を更新するとB1からB2へ、より障害が重いものとして認定された
芸能人のカミングアウトによって、メディアでも発達障害の特集が格段に増えている 社会的に関心が増えているのは良いことだし、発達障害を「個性」と捉える考えにはわたしも賛成だけど、これを他人から言われると、他意はないのだろうが、めちゃくちゃもやもやする 本人や両親がものすごく努力した結果、驚くべき才能を発揮して社会的成功を収めたというようなサクセスストーリーは確かに希望がある けれども、結局、そのような成功者はごく一部でしかなく、「発達障害は努力次第で治る」というようなバイアス掛かった見方の影で、余計に生きづらくなってしまう人が誰なのかについては、想像が及んでいない
実際、そういった発達障害の取り上げ方に感化された実母からは、「普通の子よりも天才なんだから」「野菜を食べると障害が治る」「普通学級じゃなきゃ幸せになれない」と毎日のように言われるわけで、普段の育児の苦労に加えトドメを刺すように追い詰められ疲弊している
障害ゆえの特性はなんなのか? 何に困っているのか? どういった支援が必要なのか? 「個性」と片してしまうことで目を閉じて見ないようにしていないか 発達障害とは適切な支援が必要な尊重されるべき個性で、その背後にある環境が大事だということ、どうしたら正しく伝わるのだろう 理解を得るよりも、まず、誤解を解くのにものすごい労力の必要性を感じて、途方にくれるしかない
3歳半で1歳9ヶ月相当の成長と診断された息子は、障害があろうが無かろうがとてつもなく可愛い。遅くても成長しているし、今はそれがなによりも嬉しい。もちろん息子の特性も「個性」として集団に溶け込ませてあげたい。だけど息子にとって無理のない環境においてあげることを優先したいと思う。息子にとっての幸せは息子の心が決めることであって、他の子と比べるものじゃないから 
他者は自分を映す鏡というけれど見ている世界もまた同じようにその人の映し鏡だと思う。障害の有無に関係なく、見え方、聞こえ方、感じ方、人それぞれ違う個性を尊重したい 多様性って、そもそも考え方だし、みんな同じが大好きな日本で個人が使うには持て余しちゃうと思う。そんな難しい言葉は捨てて、シンプルに他者への想像力を、でいいんじゃないかなぁ
わたしは、目を開いて、ちゃんとその人を見たい。適切に想像を働かせること、意思や主張を持つことをやっていかねばと思う
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basement-6 · 7 years
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なごやでなごんだがや(と言いたかった犬山旅行記前編)
先日、一泊二日の旅行をしてきた。と言うのも、友人のOくん夫妻が愛知県の犬山市と言うところでこだわりの珈琲を出す喫茶店を開業したと言う話を聞いたからだ。最初は実家に帰省する時に途中下車して寄ろうかと考えていたんだけど、ちょうど友人のKsくんも遊びに行きたいと考えていたらしく、タイミングが合ったので、実家の帰省は来月あたりに引き延ばして一泊二日の小旅行にすることにした。バスはお互い別々の便で行き、現地で合流することに決まり、去る八月二十八日の日曜日に行くこととなった。以下はその旅行の内容を記憶をたどって大まかに再現したものです。ではでは↓
【14:30頃】
長距離バスから降りると晴天の空が広がっていた。名古屋駅は大きい。兵庫県は三ノ宮駅より大きい。埼玉県は大宮駅より大きい。東京は新宿駅よりは大きくはないが…まあ、大きい。そしてとても都会的できれいな駅である。高層ビルや、HAL学園の特徴的な建物があるあたりになんか、大阪や東京と似ている…って当たり前か。日本の三大都市のひとつなんだから。とりあえず先に着いている友人のKsくんに電話をする。反対口のジュンク堂書店にいるとのことで、中間地点で合流することに決まる。合流してから、とりあえず情報収集ということで、ジュンク堂書店に戻る。この非・合理的なところが世間的にはツッコミどころがあるようなのだが、我々の持ち味だったりする。ジュンク堂で名古屋の雑誌を読んでいて、「東京で言うところの名古屋スポット」の特集が目に入る。これは例えば「新宿駅→名古屋駅」というように、似ている街を連想して書いてあげて、関東からの読者にわかりやすく名古屋の都市をイメージしてもらう主旨の記事だ。そこで、都内で言うところの高円寺(古本古着音楽安酒。)に近いエリアが今池と書いてあったので、行ってみることにする。
【大体15:30】
今池に到着。僕が昼メシがまだだったので、飲食店を探してみたんだけど、閉まっている店が多い。名古屋と言えばソウル・フードがたくさんあり、(味噌カツ、小倉トースト、味噌煮込みうどん、あんかけスパゲッティ…)その本場の味を食べ歩くのも、この旅行の楽しみのひとつだった。(友人のKsくんは12時くらいに犬山に着いて、先に本場の台湾ラーメンを食べていた。KsくんはOくん夫妻が営んでいる店に早めに行って注文しない?と提案したが、僕は躊躇した。開店したばかりのお店では、これからお得意様になるお客さんも多いだろうし、出している物のクオリティからたぶん、忙しいだろうと思ったからだ。友人である我々に気を使ってもらうよりか、現地の顧客に気を使って欲しかったので、それをKsくんに伝え、閉店の19時以降にお邪魔してそこでツマミ等をお金を払って作ってもらおうかということになった。今後五年先、十年先まで行かないのなら、夫妻の作るランチを食べたほうが良かったかもしれない。でも、バス代だけなら片道三千円以下で来れるのだから、そんなに生き急がなくて良いじゃないか。と思った。営業時間にお邪魔するのは開業一年以降でも全然遅くはない。と、言うかそのほうが彼らも気が楽だろうと僕は思った)街をうろうろしていて、この時間帯でもやっている中華料理屋さんに入り「ちょい飲みセット」を注文する。店内のテレビでは24時間テレビがやっている。24時テレビの「愛は地球を救う」はエラソーなヤツらが会議室で自己満足に浸りながら立場の弱い人をうまく使って視聴率のために考えた企画を「良いことをしてますよ。ね。俺たちって偉大でしょ?」と上から正義を押し付けている臭いがぷんぷんしていて、お涙ちょうだいなところなんかを含めて、昔から嫌いだった。ひねくれていますかね。(現場で目にクマとか作りながら真面目に働いている人には悪いが)「ウィー・アー・ザ・ワールド」を何倍か薄くして、日本人向きにソフィスケイトして、泣かせるように人工的に辛子をまぶしたような番組だ(言い過ぎですかね)。人数多いアイドルグループの歌なんかも聴きたかねえし、正直消して欲しかった。しかし中華料理屋のおばちゃんや店員の男の人は良いひとで、「今池は夜の街の色が強いから、大須観音に行ったほうがいいよ」と教えてくれた。酒のアテも良かった。と、言うわけで、今池を後にする。
【たぶん16:30くらい】
大須観音に到着。まず来るべきはここでした。少しうろうろして思った感想は土地のマス目的な作りは京都っぽくもあり、街の雰囲気は原宿に似ている、だった。露店でインド料理の「サモサ」を売る店を発見して、「バルサミコ酢のキーマカレーサモサ」を注文する。客は中年の男の人ひとりで、店のお姉さんと話している。そのお姉さんに土地の情報を聞く。「もう少し先にマップを置いてある場所があるから」と教えてもらう。実はこのサモサ屋さんが後の伏線になるのです。Ksくんは「ナカタくんと俺が散策するとなぜかぐだぐだになるから、気を引き締めてまわろう」と、言わんばかりにマップを念入りにチェックしている。僕は「台湾まぜそば風カレー」の店が気になり、一時的に別れて行動することにする。Ksくんは「バナナレコード」と言うレコード屋に向かう。台湾カレー屋に来たのだが、店員のニコニコした写真がデカく貼られた看板により興味を削がれてしまい、やめることにする。その後べつの台湾カレー屋も見てみたが、こっちのほうも市長の写真と共に「名古屋市長推薦!」とかでっかく書いてあって、下品なのでやめた。僕自身もけっこう下品な人間ではあるが、このタイプの下品さはごめんだ(※こんなのにいちいち文句言ってたらキリがないんだけど、著しく街の景色を損なう看板などには行政もっと仕事したらどうですかね)。
バナナレコードに行きKsくんと合流する。東京の「ディスクユニオン」、神戸の「りずむぼっくす」の名古屋版、と言ったところか。僕の所持金は「地球と同じく限りある資源」なので、なにも買わなかった。値段も別に安くないし。Ksくんはもう少し物色してみると言うことなので、先に出て街をうろつく。
(西)門前前通り→(中)新天地通り→(東)大須通りが、この大須観音の大きく分けた三大通りで、街の作りそのものはそんなに単純化出来ないけれど、西寄りには漫画やアニメやオーディオ機器屋等のマニア向けの専門店が多い印象で、逆に東は渋谷、竹下通りよろしく。カラアゲ屋、クレープなどの食べ物の店や、古着屋が多い印象だった。日曜日ということと、観光スポットということで、とにかくひとは多い。そんな中で程よくマニアックで、一見にも開かれている居酒屋はないかとマップを見ていたら、あった。おもしろそうなお店が。店名は「男キモノ&BAR蛙屋」。普段から店に飛び込みで入りまくっている僕ではあるが、ちょっと異空間過ぎたらどうしよう。と思った。でも店の前の看板を見て(大事ですよね)個性的でレベルが高そうな店だと思ったので入ってみることにした。
【17:30~18:00くらい】
階段を登り、二階にある店内に入ると、そこは感じの良いカフェチックなお店だった。愛想の良い女性が迎えてくれる。客は和服を来た中年男性ひとりだ。とりあえず(たぶん今夜は飲みまくるんだから)レモンチューハイを注文する。おしながきと、壁に貼ってあるおすすめメニューを見るに、フードにもかなり力を入れている。燻したタパスがおすすめらしいので機をうかがって注文しようと考える。お酒のほうも、キモノBARなので日本酒が中心なのだが、大葉を使ったモヒートや、きゅうりのモスコミュールなどしっかりお酒をわかっていて、しかも安い。「ああ、この店は『当たり』だ」僕はホッと胸を撫で下ろした。すると、横の男性客が「お兄さん、さっきみたよ」と、言う。(…。すれ違うくらいで覚えられるくらい特徴的な顔立ちと服装だっけかな?)と「?」をあたまの上に浮かべていると、「いや、ほら。サモサ屋。オレあの時店長としゃべってて。あそこの店の常連なんだよね」「………。あ。あー!あの時のひとですか?」
そう。たまたま。超たまたま我々は、同じ店を二軒はしごしていたのだ。これは中心街の店の多さから考えると確率的にすごいことだと思う。そこから一気に場に溶け込む。Ksくんから電話があり、俺も歩き疲れたからそっちに向かうと言われる。しばらくして合流する。Ksくんもレモンハイボールを頼み、燻したつまみ盛り合わせを注文。小魚やプロセスチーズやサラミなどの燻製で、これもとってもおいしかった。女性店長に尋ねると、この店は旦那さんと二人で切り盛りしていて、元々はデザイナー出身の方々らしい。四階は事務所で、着物の売り場も兼ねているようだ。二階(バー店内)にも着物を売っているスペースがあり、年季の入った、麦のストローハットがかっこよかったので見ていると、中年男性が「これ、みんないいって言うんだよ。たぶん君の前に四十人くらい買いたいってひとが列を作って待ってるね」そこで女性店長「もうね、それを作れるひとはいないから、非売品なのよ」と。うーん、欲しい。あと僕は「デニム着物」に非常に、(デニム大好きなので二回言います)非常に興味を惹かれた。店長いわく、元々着物屋以外で何か別の業態の店をしたかったが、男の着物の敷居の高さをもっと低くして広めたいとの思いもあり、バー形体のメンズ着物とお酒の店を作った、とのこと。「蛙屋」の名が示すように、バーカウンターに芸の細かいカエルのグッズも置かれていてこれもいい感じ。途中、坊主あたまに眼鏡の和服男性と、若い感じの眼鏡を掛けた男性も入店して来て、サモサ合流の男性も眼鏡で、Ksくんも眼鏡を掛けているので、ノー・メガネが、僕と女店長だけになる。まあ、だから何だ。ですけど。
【ここで話した小ネタ】
1.友達のKsくんが「名古屋のひとは関西人に比べて方言を話したがらない。なんでだろう」と言っていて、その疑問を店内の人にぶつけていた。確かにそうで、僕は元が関東の人間だからあまり気にはならなかったけど、イントネーション含め、大体が関東弁だ。「どえりゃー」や「おみゃー」なんて言うひとはいない。だいたいみんな標準語で「~だよね」である。ただこの問題をちゃんと論じようとしたら、たぶんそれなりに資料を読む必要があるし、コマカイ分析は専門書を読むほうがきっと手っ取り早いだろう。ぶしつけな質問を店内のひとはあまり意識していなかったようで、わりと解答に困っていた。まあ、これらの「現場の状況」をあと付けで勝手にまとめあげ、私見を述べると、大阪はいささか「東京」を仮想敵として意識し過ぎではないか。と思う。だから、厳密に言えば、いち地方都市である大阪は「東京vs大阪」の図式を作りたがる。より濃い「大阪文化を練り上げたがる(僕は全然悪いことだと思いませんが)」結果、「大阪人のアイデンティティー」まで話が膨らむ。だから、「大阪弁」は当人達にしても外部の人間からしても「意識的なもの」になる。これはたぶん笑いについてにも言える。むしろ、名古屋人の「ぼくら真ん中だしどっちにも寄ってないよーん。びよーん。…でも深いところはあるけどね」のほうがわりと(現在関西在住の目はあるが)自然な感じはする。実際に愛��に住んでいるわけではないので、別にどっちが優れているとかではないですが。たぶん名古屋の人のほうがフラットな感覚があるんじゃないのかな。まあ、要研究ですね。
2.女店長の親族が鳥山明と同じ高校で、(そうです、『Dr.スランプ』のニコチャン大王のだがや!でわかるようにここ愛知はみんな大好き鳥山明の地元です)この大須観音にある「漫画を売る」ではなく「漫画を描く」専門店が出来たばかりのころに、よく気楽に遊びに来ていたらしい。たぶん「鳥山明が来る」が広まって、めんどくさくなったんだろうか。最近は来ていないらしいですが、有名人って大変そうですね。
なごやかに談笑したあと眼鏡坊主の男性がなんと、「名鉄名古屋ホテル」の温泉チケットとドリンクチケットがあるんだけど、良かったらいる?と言ってくれる。これは僕もKsくんもテンションが上がり、Oくん夫妻の分も合わせて4枚もらい、お礼を言う。
店を出ると20 時を過ぎていた。はっきり言って、Oくん夫妻を待たせ過ぎである。Ksくんが「このチケットで許してもらおう」と言う。いやあ、僕もKsくんもマイペースさには定評があるが、ほんと申し訳ない。カレーを作る約束をしていたので大須観音のスーパーで食材を買い、電車に乗る。ここから一時間近くはかかるから、着くのは22時近くか。喫茶ボタン、待っててちょ!(つづきます)
※写真がなぜか貼れないので先に文字のみで載せました。
2017.9.8(fri )
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honyade · 7 years
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映画『函館珈琲』DVD発売記念トークイベント 黄川田将也さん × Azumiさん × あがた森魚さん × 小林三四郎さん
『函館珈琲』DVDの発売を記念して、スペシャルトークイベントを開催いたします。 ゲスト:黄川田将也さん、Azumiさん、あがた森魚さん 司��:小林三四郎さん(プロデューサー)
《作品紹介》 函館の街にひっそりと佇む、古い西洋風アパート・翡翠館。オーナーの荻原時子はそこを仕事場兼住居として貸し出し、若い才能を後押ししている。翡翠館の住人となるための条件は、ただひとつ。時子が”翡翠館にふさわしい人”と思うかどうか―だ。装飾ガラス職人を目指す堀池一子、テディベア・アーティストの相澤幸太郎、ピンホールカメラ専門の写真家・藤村佐和。住人のそれぞれが自分の居場所を捜し求めながら、明日への不安の中で生きていた。 夏のある日、入居予定だった家具職人・藪下の代わりに、桧山英二が翡翠館に現れる。晴れて翡翠館の住人となった英二は古本屋を始めることに。彼が仕事の合間に淹れるコーヒーには、住人たちの心に届く柔らかい香りがあった。だが、彼には翡翠館の仲間や時子にも秘密にしていることが…。
〇日時:2017年3月8日(水)19:00開演 (18:45開場) 〇場所:紀伊國屋書店 新宿本店 8階イベントスペース 〇定員:50名 〇参加方法:無料でご参加いただけるイベントです(要予約)。2月21日(火)10:00よりお電話番号にてご予約を承ります。(先着50名)
ご予約電話番号:03-3354-0759 紀伊國屋書店新宿本店 別館M2階DVD・CD売場直通(10:00~21:00)
※当店に繋がる他の電話番号にかけられてもご予約は承れませんのでご注意下さい。 ※間違い電話が頻発しています。上記の電話番号を今一度お確かめの上お掛け下さい。 ※イベントに関するお問い合わせも、上記の電話番号までお願いいたします。 *会場にてDVD『函館珈琲』(¥3,800+税 )をお買上げの方には、トークショー終了後、ゲストのサイン+握手会にご参加いただけます。 *事前に当店にてDVDをご購入された場合には、当日レシートとDVDをご持参くださいませ。
《プロフィール》 黄川田将也(役名:桧山英二) 2000年映画『ホワイトアウト』(若松節朗監督)でデビュー。映画作品『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』(2003、深作欣二・深作健太監督)、『狼 少 女 Day after tomorrow』主演(2004、大滝純監督)『仮面ライダー THE FIRST』(2005、長石多可男監督)、『仮面ライダー THE NEXT』(2007、田崎竜太監督)では平成の本郷猛が話題に。『クローズド・ノート』(2007、行定 勲監督)、『神様のパズル』(2008、三池崇史監督)、『ヘブンズ・ドア』(2009、マイケル・アリアス監督)『真夏のオリオン』(2009、篠原哲雄監督、)。2016年は2月東京公開『恋とオンチの方程式』(香西志帆監督)6月公開『MARS』(耶雲哉治監督)に出演。TVドラマでは世界初となる日・中・韓3カ国合作ドラマ「Strangers 6」(2012年、WOWOW、CX)出演。「カウンターのふたり 」(2012、TwellV ATP賞テレビグランプリドラマ部門奨励賞を受賞作品)NHK大河ドラマ「利家とまつ」(2002)、「天地人」(2009)。「八重の桜」(2013)、NHK連続テレビ小説「風のハル」(2005)、「まれ」(2015)、「不機嫌なジーン」(2005、CX)、「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」(2006、NTV)、他に出演。舞台作品「風が強く吹いている」(2009)、「ポン助先生」(2010)では主演を務めた。2016年は話題作、鄭 義信3部作「たとえば野に咲く花のように」に出演。
Azumi(役名:藤村佐和 ) 北海道出身。Wyolicaのヴォーカルとして1999年大沢伸一プロデュースでデビュー。優しく透明感のあるヴォーカル、穏やかで切ない歌詞とメロディーを核に、振れ幅のある、且つオリジナリティー溢れるアイデンティティーを披露。スネオヘアー、FLOW、SOFFetをはじめ、様々なアーティストとコラボレーションし、特に Steady&co「Only Holy Story feat.Azumi」はアルバム曲ながらも大ヒットなり、現在でも根強い人気を誇る。2011年、ソロ活動再開と同時に、DJ活動も開始。親交の深いピアニストを招き、JAZZYでPOPなAzumiワールドを凝縮した1stソロアルバム「ひ.あのとあずみ」、2013年4月 リリースのガールズポップスを大胆にジャズアレンシジしたカヴァーアルバム「NEW STANDARD」は、共に iTunes Jazzチャート1位、総合アルバムチャートTOP10入りを記録し、好評を博した。 2012年にはヘアアクセサリーブランド「Tuno by Azumi」を設立し、デザイナーとして活躍中。2015年12月にファーストオリジナルソロアルバムをWARNER MUSIC JAPANよりリリース。プロデュース陣にはKj(Dragon Ash)、社長(SOIL&”PIMP”SESSIONS)、韻シストなどを迎え、feat.アーティストにはILMARI(RIPSLYME)が参加するなど豪華メンバーが集結。 2016年、夏公開の映画『函館珈琲』へ女優として初出演し、主題歌に自身の楽曲「Carnival」が起用される。また、仙台コレクション2016のメインヴィジュアルをつとめるなど、幅広く活躍中。
あがた森魚(役名:マスター) 1948年9月12日、北海道生まれ。1972年にシングル「赤色エレジー」でデビュー。20世紀の大衆文化を彷彿とさせる幻想的で架空感に満ちた独自の作品世界を展開。歌手、音楽制作、俳優、映画監督、執筆など多岐に活躍している。2014年~2015年に『浦島64』『浦島65BC』『浦島65XX』を連続リリース。全国でライヴを展開中。劇場公開作品3本『僕は天使ぢゃないよ』(1974)、『オートバイ少女』(1994)、『港のロキシー』(1999)を監督、『オートバイ少女』の函館での上映会より「函館ロープウェイ映画祭」を立ち上げ、1999年より「函館港イルミナシオン映画祭」へ名称変更した映画祭のディレクターを続けている。近年出演作に、映画『ジャッジ!』(2014、永井聡監督)、『そこのみにて光輝く』(2014、呉美保監督)、『くらげとあの娘』(2014、宮田宗吉監督)、『シュトルム・ウント・ドランクッ』(2014、山田勇男監督)、『映画 ビリギャル』(2015、土井裕泰監督)。
《注意事項》 *座席は自由席となります。 *トークは約1時間を予定しております。トークショー終了後、サイン+握手会は座席前列よりご案内させていただきます。 *サイン会のみの参加は承っておりません。 *サイン対象商品は同DVDのみに限定させていただきます。 *動画撮影・録音は固くお断りいたします。
イベント情報の詳細はこちら
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【軍物実品シャツ特集!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日の東京は曇り!
朝方は雨が降っており 少し肌寒さを感じました!
少し不安定な天気は 春らしさでもありますね!
さて! そんな日によって 気温の差がある今の時期!
コーディネートに悩む方も 多いのではないでしょうか!
そんな今の時期に最も使えるのは やはりシャツ!
でもシャツはシンプルな分 デザインで差がつけにくい・・・
そんな時に大活躍なのは 軍物のシャツでは ないでしょうか!
っということで 1枚で様になる! インナーとしても様になる!
最高にイケてるシャツを ご紹介します!
是非じっくりとご覧下さいませ!
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【ラルフローレンの春シャツ特集!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日の東京は快晴!
最高気温は25度!
春らしい 心地よい風が吹き 最高に気持ちがいいですね!
年々春が短くなっているような 気がしますが 短いからこそ 存分に楽しみたいですよね!
さて! そんな春日和にご紹介したいのは 古着の王道!
"ラルフローレン"
のBDシャツ!
シャツを1枚で 着れる時期だからこそ オススメしたいシャツが ここにあります!笑
是非じっくりとご覧下さいませ!
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【ラコステ春のワニ祭2024特集③!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日の東京は晴れ! 気温も高く 春の陽気ですね!
ここ最近は 寒暖の差もあり コーディネートに悩みますね!
さて! そんな春に使えるのは 前回も言っていた通り 薄手のアクリルニット!
古着のアクリルニットと言えば 欠かせないのは "ヴィンテージラコステ"! ではないでしょうか!
っということで 本日も ヴィンテージラコステの アクリルニットシリーズを ご紹介させていただきます!
是非じっくりとご覧下さいませ!
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【ラコステ春のワニ祭2024特集②!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日の東京は雨! 当分ぐずついた天気が 続くようですね!
桜の開花が待ち遠しいです!
さて! 気温も高くなり お花見シーズンも到来!
お出掛けの予��がある方も 多いのではないでしょうか!
そんな時には サラッと春色のカーディガンが 必要ですね!
っということで 前回の特集に引き続き 人気沸騰中の "ヴィンテージラコステ" をご紹介します!
是非じっくりとご覧下さいませ!
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【ラコステ春のワニ祭2024特集①!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日も東京は快晴! 午前中は激しい雨と風が 吹き荒れていましたが 午後からはカラッと晴れて 最高気温は22度!
春らしい暖かさで 過ごしやすいです!
さて! 本格的に春物が必要な時期!
大活躍するのは ヴィンテージラコステの アクリルニットでは ないでしょうか!笑
すごくピンポイントですが 古着好きの中でも評価の高い IZODラコステ! 今回もたくさん入荷しました!
是非じっくりとご覧下さいませ!
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【エルエルビーンのBDシャツ特集!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日も東京は快晴! 気温も高く 気持ちが良いですね!
さて! 先日のラルフローレンの BDシャツに引き続き 古着で評価の高いブランド!
"エルエルビーン"!
伝統のあるブランドですが 今またジワリジワリと トレンドの兆しが!
っというわけで エルエルビーンの BDシャツをご紹介します!
是非じっくりとご覧下さいませ!
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【ラルフローレンのBDシャツ特集!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日の東京は快晴! 風はまだまだ冷たいですが 気温は高く だんだん春めいてきましたね!
さて! そんな春に着たくなるのは 色物のシャツ! ですよね!
っということで 古着の定番!
"ラルフローレン" のBDシャツから 今すぐ着たい色物シャツ! をご紹介させて頂きます!
是非じっくりとご覧下さいませ!
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【春のアメカジブランドニット特集!】
本日の特集です!
ご覧いただき 誠にありがとうございます!
本日の東京は快晴! 気持ちが良いですね!
珍しく日曜日の朝に 投稿させて頂きます!
本格的な春直前ですが まだまだ朝晩は 肌寒い日が続きますね!
"ニット" がまだもう少しは 手放せない日が続きます!
さて! そんな今時期に おすすめしたいニットが ここにあります!笑
是非じっくりとご覧下さいませ!
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