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kuwashi-blog · 1 year
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wildfoodforaging · 1 month
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ワイルドフードフォレージングのコツ②
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2. フォレージングの安全性について知る
フォレージングは自然との触れ合いを楽しむ素晴らしい活動ですが、安全性を確保することが重要です。この記事では、フォレージング中に知っておくべき安全な採取方法や植物の識別方法、そして毒性のある植物に注意するポイントなどを詳しく解説します。自然の中で安全に楽しむためのコツや注意点を知ることで、より充実したフォレージング体験ができるでしょう。さらに、フォレージングを通じて新たな食材や自然の恵みを発見する喜びや、地元の生態系とのつながりを深めることができます。安全性に関する知識を身につけることで、フォレージングをより安心して楽しむことができます。ぜひこの記事を読んで、安全なフォレージングの方法を学んでみてください。
2.1 フォレージングのポイズンプランツと対処法
フォレージング中に遭遇する可能性のあるポイズンプランツは、注意が必要です。代表的なポイズンプランツとしては、ツツジ科やヒカゲノカズラ科などの植物が挙げられます。これらの植物は、誤って摂取すると中毒症状を引き起こすことがあります。
ポイズンプランツに触れた場合は、まず冷静に対処することが重要です。直接触れた場合は、すぐに流水で洗い流し、可能であれば医療機関を受診しましょう。摂取した場合は、吐き気や嘔吐、めまいなどの症状が現れる場合がありますので、できるだけ早く専門家の診察を受けるようにしましょう。
フォレージングを楽しむ際には、ポイズンプランツを認識し、遭遇した場合の対処法を理解しておくことが大切です。また、フォレージング中は植物の識別にも十分な注意を払い、安全な採取を心がけましょう。自然との触れ合いを楽しむためには、安全が第一です。
2.2 フォレージングエリアの安全性の評価方法
フォレージングを行う際には、採取するエリアの安全性を十分に評価することが重要です。安全性を評価するためには、以下のポイントに注意することが必要です。
まず、フォレージングエリアの地理的な特徴や地形を確認しましょう。登山道や遊歩道など整備されたエリアでのフォレージングは比較的安全ですが、未開拓の自然エリアでは地形や道のりに注意が必要です。地図や案内板を参考にしながら、安全なルートを選択しましょう。
次に、フォレージングエリアの周囲環境を観察しましょう。近隣に毒性のある植物や危険な生物が生息していないかを確認しましょう。また、野生動物の活動が激しいエリアでは、遭遇や接触に注意が必要です。
さらに、天候や季節の変化にも注意しましょう。雨や風の影響で地面が滑りやすくなったり、季節によっては昆虫の活動が活発になったりします。フォレージングを行う前に天気予報を確認し、適切な装備を準備しましょう。
フォレージングエリアの安全性を評価する際には、これらのポイントを考慮することが重要です。安全な環境で自然と触れ合いながら、楽しいフォレージング体験をお楽しみください。
2.3 フォレージング中の安全な採取と調理の手順
フォレージング中の安全な採取と調理は、楽しいフォレージング体験を確保するために重要です。以下は、安全な採取と調理の手順です。
まず、フォレージングする前に目的地を計画しましょう。地元の植物図鑑やインターネットの情報を活用して、フォレージングできる植物やその特徴を調べます。また、毒性のある植物や食べられる部分、季節による変化などを把握しましょう。
次に、フォレージングエリアに到着したら、安全な採取場所を見つけます。公共の公園や自然保護区では採取が禁止されている場合があるため、採取が許可されている場所を選びましょう。また、道端や農地など、汚染の恐れがある場所では採取を避けましょう。
安全な採取場所を見つけたら、植物を注意深く識別しましょう。正しく識別できない植物や、見慣れないものは採取せず、安全な植物のみを採取します。採取した後は、十分に洗浄し、調理する前に再度確認しましょう。
調理する際は、十分に加熱処理を行いましょう。これによって、微生物や有害物質を除去し、安全な食品として食べることができます。また、調理方法や保存方法についても注意し、食中毒や食材の劣化を防ぎましょう。
フォレージング中の安全な採取と調理は、楽しいフォレージング体験を保証するために重要です。これらの手順を守りながら、安心して自然の恵みを楽しみましょう。
まとめ
フォレージングの安全性は、自然との触れ合いを楽しむ上で欠かせない要素です。この記事では、フォレージング中に必要な安全対策や毒性のある植物についての情報を詳しく解説しました。自然界での安全な採取方法や植物の識別方法を学ぶことで、フォレージングをより安心して楽しむことができます。さらに、安全性に関する知識を身につけることで、自然の恵みを存分に活用しながら安全に過ごすことができます。フォレージングを通じて自然とのつながりを感じながら、新たな食材や体験を楽しむために、安全性に関する情報をしっかりと理解しておきましょう。
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tokyomariegold · 1 year
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2022/11/26〜
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11月26日 午前の予定の前に水回りの掃除と毛布洗いを済ませた!えらい!それと、14冊の本を電子書籍化サービスへ送った! 体の回りが悪くて、常に動悸?けいれん?を感じている。 午後は幸せなクリスマスの感じ、を、見たくなったので舞浜駅で下車をしてみた。ディズニーランドの入り口まで歩いてみたり、できる限りディズニーランドへ近づいてうろうろしたけれどクリスマス感はあまり感じられなかった。ペデストリアンデッキから外れて車道脇の道を歩くと途方もなく全てが遠くて、当てもなく歩いてはいけない道だ、と気が付きUターンをした。
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お土産物屋さんに入ってもあまりクリスマス感がなかった。
好きなイラストレーターさんが、クリスマスを観るために1人ディズニーをしているSNSの投稿を見て、いいな〜、と幸せになったので、いつかお散歩ディズニーをしてみたい。 行ったことがそういえばなかったイクスピアリへ入ってみる。ショッピングモールにしては複雑で良くできている虚構がかなりディズニーランドに近く造られていてびっくりした。なので、外国風の街角にゴンチャとかスリーコインズの興醒めテナントが入っている風景がおもしろかった。後、何度巡っても、気を抜くと2階の駅直結のメインゲート広場へ辿り着いてしまってパニック。毎度、あれ?ここどこ?!となった後に、やられた!という気持ちにさせられて、ショッピングモール空間の醍醐味だな〜、と思った。
大島さんの展示が12月にあるらしい!クリスマスイブまでの会期。
今日はついに生魚を買ってみた。レンジで魚がちゃんと焼けますように(100円ショップとかの便利グッズが苦手)。
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11月27日 年賀状の宛名を書き終えた。32枚くらい。何枚か昔の住所を書いてしまった。あと旧姓の宛名にしてしまった。 職場の一期下の方と目白で待ち合わせをして自由学園明日館へ行った。待ち合わせまでに池袋から明日館、明日館から目白のルートを1人でさらった。デートの下見みたい、と思いながら、いつもキアズマでお茶をする仲間じゃない、しかも社会の人とここで会う日が来るとは…と少し緊張した。
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明日館は結婚式のため内部は見学できず、でも講堂でクリスマス手作り市みたいなのがやっていて、入ることができた。天井や扉が低くて頭をぶつける人がいそうだね、と話した。 お話ししながら、池袋のルミネや東武の地下で退職される方への贈りものを選び、キアズマでお茶をした。 映画が好きで、昔はユーロスペースへ行って気になったものを観たりしていたらしい。おすすめを聞くと“裸足で鳴らしてみせろ”という邦画を教えてくれた。私がギンレイホールでアルバイトをしていたことを伝えた後、ギンレイにも行ってくれたらしい!そこで観た“セイント・フランシス”もお薦めしてくれた。今晩予告編を観てみよう。ギンレイホールへ行ってくれたことがとても嬉しくて、当時のことを話してしまった。 それと、一人暮らしでパルシステムを注文している話を聞いて、いいな〜と思った。
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いつものキアズマに、いつも私は仲間たちに“連れてきてもらっている”感じで何年も通っていたので、ここを知らない人を連れてくる側になって、何かこそこそしてしまった。マスターと顔を合わせたくない感じ。
いろんな旅行の話や、休日に他の職員さんと遊ぶ話などを聞いて、本当に持ち前の元気さは人によりけりだ…と実感する。 私は持ち前の元気なさすぎ。でもげんきつけるひつようもかんじないし、別に落ち込んでもない。
池袋まで歩きながら、今の職場の町へ引っ越してから「東京がとっても楽しくて東京の街を歩くのが幸せに感じるようになりました」と言っているのを聞けて良かった。
別れた後、1人で電車で音楽を聴き始めた時、1人になった時の感じ、を思い出した。ここ最近、本当に1人でずっと出かけたり家にいたりしすぎていた。少し疲れたけれど誰かと(しかも新しい方)会って話して、自分にまつわるしがらみ色々を忘れてしまう時を、もう少し増やしても良いのかもしれない。帰り道に聴く音楽が、いつもよりずっと楽しかった。写真は撮れなくなる。
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11月28日 体調を気にかけてくれている方から「水分を1日2ℓはとりましょう!」とメールが入っていて、NewDaysでお湯をかってみる。お風呂も水分摂取も苦手。水が苦手。
今日は電車もバスも職場も大学もスーパーも、何か人気がない感じだった。ワールドカップだから?
昨日でギンレイホールが閉館。今日は税関150周年の日。SNSでそれくらいを楽しんで、お花を買い忘れても平気で、写真を無理に撮らなくていっか、となかっているのは、人と遊ぶ楽しさを感じているからかもしれない。うーん。
明日は雨予報なのに、また傘をどこかへ忘れてきてしまった。
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11月29日 長崎のパックツアーを予約してみた! 長崎駅からハウステンボスまで1時間半くらいかかるみたいだけど行けるかな?税関にカスタムくんはいるかな?そもそも年末まで体力保てるかな?色々不安はあるけれど楽しみで、多分今が一番楽しみ。
散歩をしていたら、黄色い葉に紫のつぶつぶの実をつける植物を見つけて、嘘みたいな風景だった。
上司から「机のカレンダー、もしかして、てらおかなつみさん?」と言われる。犬好きの上司はてらおかさんのおじいちゃん犬のファンらしい。もちろんてらおかさんのイラストも好きで、焼き印の入ったカステラも購入したと言っていた。思いがけずこうゆうどんぴしゃなお話ができて、声を少し上げて話してしまった気がする。
明日退職される方へ、日曜に買った贈りもの(虎屋の干支(うさぎ)羊羹)を渡した。思いがけず、もう一生会わないんだろうな、な人になってしまうんだな〜、と寂しい。
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11月30日 朝出勤すると、デスクにチョコレートと個包装のお菓子が置かれていた。バターサンドらしく名前(忘れてしまった)が聞いたことありそうでない外国人の人名で、これはブルボン!と思った。
今日で退職される方とお別れをした。 なんだかこの数年間は、出会いも多いけれど、お別れが多くて社会に出ると別ればかりが印象に残る。ちゃんとどれもさみしくなるし、その度に、こうゆう人生の転機を相談したりその後を共有する友人や家族が外側にいる人達がほとんどっぽくみえて、別れる人たちのそうゆう相手を想像してしまう。 別れに気がつく度に、自分が何も動けていないことに不安になるし、転機を一人でやり過ごせずにSNSに報告するのかなと思ったりする。
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12月1日 今日から12月になったと思ったら突然しっかり寒い!帰り道にイルミネーションスポットが増えて嬉しかって、もう節電とかみんな忘れようね〜という気持ち。 明後日、何もなければ参加させてもらう結婚式があって、いつまで結婚式に参加することに慣れず、服装やら髪の準備やら、あと休日が一日潰れてしまって生活が荒れる恐怖やらで、恒例的に前日に有給を取ってしまった明日。でも来年に繰り越せない有休消化に充てた。
家に帰ってやっぱり掃除をして、手放したいもの、お部屋にあるのにないことになっているものたちをまとめた!えらい!
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12月2日 平日の街へ出て、午前中の予定を済ませる。 せっかくの平日休み、そして昨日からちゃんと寒い!ということで、やっとenfoldのコートを下ろしたよ! 昼過ぎからは表参道から乃木坂まで歩き、国立新美術館で展示を観た。NHKのテレビ番組の展覧会。建築は乾さん、テキスタイルは皆川さんの展示があって嬉しい。美術館を出て、ポスターを見返すと西沢立衛の文字があり、あれ?見逃していた?となった。
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眼科でコンタクトを処方してもらった。 ペッパーくんみたいなお兄さんは今日もペッパーくん。待合室のテレビで日本がサッカーを頑張っている事を知る。その後に行ったスーパーがとても静かで、町も静かで、中華そば屋から嘘みたいに中華鍋をゆさる音ばかりが聞こえて「みんなサッカーを見ているのかな?」と思った?あと隣の人の声が高らかなのもサッカーを見ているからなのかな(うるさい)。
家に帰って明日の結婚式で着るドレスのレンタル配送を待っていると、2週間くらい受け取れていなかった鏡が届いた!ものが届いて嬉しい以上に、梱包の段ボールと緩衝材の発泡スチロールをやっつけることに手こずってマンションの共用部を発泡スチロールの粉々で汚してしまって、逃げるようにお部屋へ戻る。そしてなかなか届かないドレスのレンタルを待ち続けて今日届かなかったらどうしよう!と不安になったところで、今!届いた!
そういえば、眼科の受付でクレームを言っている人がいて、何歳になってもこうゆう怒られ方をしたら、私はその場で泣いてしまうな、と思って、受付の人が泣いているかも!と、お会計を呼ばれた時怒られていた受付の人の顔を見ることができなかった。
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as-kimono · 1 year
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・ ヘアセットと訪問着の着付けでご来店いただきました。 卒園式の当日の朝は大忙しのお母さま 着付けの後でも足元は靴を履かれてお帰りになられました^_^ ボブヘアも衿足はスッキリ上げてまとめ髪に。 ご実家から届いたお着物選びからお手伝いさせていただき嬉しかったです! ご卒園おめでとうございました! ------------------- 入学式のお母さま着付け&ヘアメイク ご予約まだ間に合います! ご予約は朝6時から対応可能(別途早朝料金) お気軽にご相談ください。 ------------------- as|大阪本町のヘアメイク&着物サロン 大阪市中央区久太郎町3-1-22
OSKビル203 
TEL:06-7161-8724 【 完全予約制・不定休 】
ご予約に合わせてオープンしています。 早朝など、時間外のご予約も承りますのでご相談ください。 hairmake-as.jp HPの予約フォームもしくはLINEからご連絡をお願いいたします。 船場センタービル7号館と8号館の間(丼池筋)を��に入ってすぐ 御堂筋線 本町駅12番出口より徒歩2分
堺筋線 堺筋本町駅11番出口より徒歩5分 #卒���袴レンタル #はかま着付け #着物レンタル #着物着付け #asきものサロン (大阪本町のヘアメイク&着物サロンas) https://www.instagram.com/p/CqHhNeiPN9n/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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japanpromos · 1 year
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入卒式のファッション!JapanPromosでおすすめのコーディネートがオトク~
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asakusa1948 · 4 years
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テレビの影響でお祝いの予約が凄まじすぎたためインスタを更新していませんでした、ランチ6件ディナー6件これが今は限界です 通常のお席は受けられますがキャパを越えた予約はお断りしています しかし、このコロナの中で本当に感謝しています お店もできる限りのコロナ対策はそております お店の空間も3つに分かれてるのでなるべくネタバレしないように時間もずらして席のレイアウト考えております✨ 月見草の単独インスタも設立しました🎵 @asakusa.tsukimiso1948 結婚記念日💒 誕生日🎂 顔合わせなど🔔💏🔔 お祝いがある時は是非ご相談ください✨ 過去の投稿にいろいろできること記載しています🎁🎂 #TSUKIMISO #月見草 #浅草月見草 #お祝い #浅草 #ASAKUSA #着物レンタル #株式会社浅草 #入園 #グルメ #uwasa_東京 #入園式 #sucle #入学プレート #milk_web #おうちでたいとうグルメ #東京グルメ #浅草ランチ #浅草グルメ #誕生日 #デート #グルジョ #雷門 #コロナ #緊急事態宣言解除 #入学祝い #コロナウィルスが早く終息しますように #コロナに負けないぞ #コロナに負けるな (シーフードレストラン・月見草・TSUKIMISO) https://www.instagram.com/p/CC-BPCggwcg/?igshid=ljgi57voojid
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toku36 · 4 years
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hangorin · 2 years
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2018年平昌オリンピックに対する反対運動を行ってきた韓国のグループ「平昌オリンピック反対連帯」が、閉幕から3年後の平昌、江陵の現状について報告書をまとめました。以下、反五輪の会メンバーが日本語訳したものです。閉幕してもなお都市を蝕むオリパラの様子がよくわかります。必読。 (写真はリンク元の方が見やすいのでぜひ参照してください!)
平昌五輪開催地 2021年夏季踏査報告書 2021年12月20日
(前編)
2018平昌冬季オリンピック・パラリンピックから3年余が過ぎ、次の北京冬季オリンピック開催を目前にする今も、開催地ではオリンピック災害が続いている。オリンピック開催の過程で消えた公的資源、森林破壊、地域住民と労働者の被害に対して、誰も責任を負わない中、「オリンピック・レガシー」という名の利権事業だけは人々の関心事となった。それぞれの事業ごとに数千億ウォンが注ぎ込まれ、毎年数十億ウォンの維持管理費を要するオリンピック施設の根本的な問題には触れず、施設活用を名目にとんでもない新事業があらたに推進されている。これらはオリンピックを名分として掲げ、特別法に基づいて様々な特恵の中で推進されたが、実情はオリンピック開催とほとんど関係もない各種の土建事業に対する疑惑は、どれも満足に明らかになったものはない。
公的責任の放棄とオリンピック・レガシー
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オリンピック招致のみを目的に1兆6800億ウォンの公的資金をかけて造成したアルペンシアリゾート(訳者注:2006年着工、2010年完成)は今でも公企業である江原道開発公社の資金で運営されている。建設費はおろか、維持費の負担にも耐えかねていた江原道開発公社は、アルペンシア竣工以後12年間、雪だるまのように膨れ上がる負債にさいなまれ、深刻な財政赤字に苦しんできた。オリンピック特別法に基づいて開催予算の75%以上を中央政府が負担したが、莫大なオリンピック費用は江原道の財政状況を悪化させた。オリンピック招致以前にも、全国自治体の平均財政自立度である50%に及ばない27%の水準だった江原道の財政自立度は、オリンピック招致以後徐々に低くなり、2021年は14.3%と歴代最低値を記録した。
厄介者のアルペンシアを処分するため、民間売却と交渉不成立を何度も繰り返した末、2021年6月に行われた5番目の入札で最終買収業者が決定した。しかし、その落札金額は建設費の半分にも及ばなかった。買収業者の財政状況は不透明で、この金額さえきちんと支払うことができるかどうかは分からない。地方議会は、売却の過程に不正入札があったのではないかという問題提起を行っている。すべての問題が解決し、2022年2月に残金支給が完了すると仮定しても、3千億ウォン以上の負債が残ることになる。その上、最も経済性の低いリゾート内のオリンピック施設は、売却対象に含まれまま残っている。
除外された施設の一つであるスキージャンプ競技場(写真左下)は、上部は展望台、下部はサッカー競技場として活用されているが、最低限の維持費にすらなっていない状態だ。
アルペンシア内に位置する国際放送センター(IBC ※写真右下)は「環境にやさしいオリンピック」を掲げ、使用後に撤去する計画で945億ウォンをかけて建設したが、開催後、特別な理由もなしに維持することに計画が変更となった。放置されたこの施設は2021年に設計を確定、2024年までに610億ウォンをかけて国家文献保存館として整備されることになった。
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スライディングセンターは、開催以前から大会後の活用に対する懸念が絶えず指摘された代表的な施設の一つだ。1100億ウォン以上をかけて建設され、維持費は年平均16億ウォン。氷を一回凍らせるだけで億単位の費用がかかるため、韓国代表チームは海外で訓練を続けている。代表チームのケースが特別なわけではない。スライディングセンターのような施設があるのは世界でも10ヶ所程度に過ぎない。建設に伴う森林破壊の問題、低活用度、莫大な維持管理費がその理由だ。隣国の日本・長野の「長野市ボブスレー・リュージュパーク(スパイラル)」は、1998年のオリンピック以来活用されることなく、2018年に閉鎖された。
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これに対する政府の解決策は、さらに費用をかけて新規事業を進めるというものだ。江原道庁は98億ウォン(うち国費32億5000万ウォン)をかけて、スライディングセンターに観光客用の体験施設を建てる事業を推進、文化体育観光部は数十億ウォンをかけてバーチャルリアリティのシミュレーション・トレーニング施設を建設した。我々がアルペンシアを訪れた時にはトレーニング施設の工事が本格化していた。重機がせわしなく行きかう工事現場の裏手にあるのは、3年以上放置されたままのスライディングセンターだった。
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※写真中:平和と和合の��リンピック
※写真下:2018年冬季オリンピック&パラリンピック開催都市・平昌郡訪問を歓迎します。平和オリンピック記念公園であの日の美しい追憶と感動を共にすることを願います。(黄文字)「平和の光・永遠の感動・国民と共に」平昌郡
アルペンシアと同様、主な雪上種目が行われたスキー場のある綿温(ミョノン)里の住民は、開催当時、組織委、平昌郡庁、江原道庁、中央政府などオリンピックに関連するほぼ全ての機関を訪ねて対策を訴えた。開催が差し迫った段階で、組織委は競技場以外の全てのスキー場の閉鎖と営業中断を一方的に告知、冬季装備レンタル業に従事していた住民が事実上営業を続けられない状況となったためだ。しかし、彼らが訪れた機関は、どこも責任をもって対策を行うどころか、住民との対話に応じることすらしなかった。当時、競技が開催されたスキー場前の進入路の周囲には9億ウォン以上をかけて「平和オリンピック記念公園」が造られた。「平和」「和合」「'夢」などという美しい言葉とオリンピックモニュメント、マスコット像の並ぶ公園で、住民が味わった苦痛の痕跡を見出すことはできなかった。
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平昌オリンピック施設の多くは、維持費の削減と環境への配慮を理由に使用後撤去する計画だった。653億ウォンをかけた平昌オリンピックスタジアムは、オリンピック・パラリンピック開閉会式で4回使われた後、5棟ある施設のうち4棟を15億ウォンをかけて撤去した。1年以上放置されていた残りの1棟は50億ウォンの事業費をかけて「2018平昌冬季オリンピック大会・冬季パラリンピック大会記念館」に改装された。
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平昌郡は残された敷地とオリンピックプラザ跡地に484億ウォンをかけ、2023年までに記念公園と平和センターを建設するという。オリンピックが掲げた見掛け倒しの価値と約束は、何一つ守られなかった。誰のためのものなのか分からない新事業を公共資金で推進するための口実が必要なだけで、「環境にやさしいオリンピック開催」だった以前の名分が、「オリンピック・レガシーの活用」へと変わったに過ぎない。
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※写真左下:「オリンピックのもう一つの追憶 ボランティア」 、中央上黒文字「ボランティアの皆様の献身に感謝します」 ※写真右下:白文字「冬季オリンピックのレガシー」、中央青文字「競技場レガシー」
記念館の内部を埋め尽くす美しい言葉やモニュメントは、オリンピックの欺瞞をそのまま縮小しているかのようだった。各国有数の防衛産業企業が製作した聖火を紹介するパネルや、江原道の財政に負担をかけながら放置されている施設を誇らしげに紹介する展示物など、平和を前面に掲げる展示館には、平昌オリンピックへの賛辞で埋め尽くされていた。
平昌オリンピック開催当時、2万人を超えるボランティアと軍からの派遣人員は、無給で必要欠くべからざる業務を引き受けた。明らかな利権事業にのために無報酬の労働力を動員したこと自体問題だが、彼らの待遇の問題はさらに深刻だった。食事、交通、宿泊の条件は最低レベルにも達しておらず、休憩時間も保証されていなかった。開催期間中、ボランティアは大統領府に60件以上の請願を送って事態の解決を訴えた。全ボランティアの6分の1は耐え切れず、閉会を待たずに辞めていった。平昌オリンピック組織委員会も国際オリンピック委員会(IOC)も問題解決に積極的に臨むことはなかった。トーマス・バッハIOC会長は、閉会式のスピーチで厚かましくも、ボランティアに感謝の意を表明した。記念館に残っているのは、真冬に冷たい水で身体を洗うことを強いられ、まともな食事ができなかったボランティアに対する搾取の記録ではなく、トーマス・バッハ会長の挨拶だけだった。
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残された施設の実情は、江陵にある競技場もそれほど違わない。行き交う人影もまばらな江陵オリンピックパークには氷上競技場が集中している。オリンピック開催が差し迫ると、江陵市はオリンピックを契機に江陵を氷上スポーツの都市にするとし、2年間で国費40億ウォンを費やして「氷上スポーツ人口10万 栗谷(ユルゴク 訳注1)プロジェクト」を推進し、各競技場を氷上スポーツの中心地として積極的に活用すると公言してきた。現在、競技場では時たま選手たちのトレーニングや競技が行われてはいるが、施設を維持できるレベルからは程遠く、競技場としての活用頻度が増える見通しも暗い。これまで競技場本来の目的とは無関係な公演や行事、撮影等への施設貸し出しを何度か行ってきたが、それぞれ1000億ウォン以上を費やして建設された4つの競技場から生み出される毎年数十億ウォンずつの累積赤字を防ぐには程遠いのが現状だ。
開催後の施設の問題は、オリンピックが開催されるたびに各開催地で繰り返されてきた。平昌オリンピックもまた、本格的な招致の動きがあった10年以上前から、オリンピック施設から必然的に発生する莫大な建設費、不透明な財政フロー、著しく低い活用度、維持管理の主体およびコストに対して、絶えず指摘されてきた。江原道と江陵市が管理主体の公共施設である競技場7カ所では、オリンピック閉幕後の3年間の累積赤字は135億ウォンだ。これらの施設は建設費だけで6580億ウォンがかかった。オリンピック競技場全体12カ所に広げると、赤字幅は毎年142億ウォンに達すると推定される。しかし、これ���でもこの問題を解決しようと、自ら進んで真摯に責任を負う者は誰も出ていない。地域の有力者と政治家は、オリンピック関連組織で要職を経た後、それぞれ「開催成功」、「未来」、「平和」を声高に唱えながら、次のキャリアを築くポジションへと移っていった。オリンピック関連事業を通して公的監視網をくぐり抜け、莫大な予算で利益を得た事業者たちは、今度は「レガシー活用」という新事業を継続するため、せわしなく動き回っている。江原道内の各自治体は。「オリンピックレガシー継承」事業と2024年の青少年冬季オリンピックのための新規事業に先を争って踏み出している。
訳注1「栗谷」 朝鮮時代の儒学者・李栗谷(イ・ユルゴク)。江陵で生まれ育つ。韓国の5000ウォン紙幣に肖像が描かれている。「10万」の数字の由来は、1583年に栗谷が国王宣祖(ソンジョ)に説いた「十万養兵(外憂に備えるため10万の常備兵を置く)」提言による。
(後編に続く)
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wildfoodforaging · 30 days
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 ワイルドフードフォレージングのコツ⑩
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10. ワイルドフードフォレージングの楽しみ方と注意点
自然の中で食材を採取するワイルドフードフォレージングは楽しく新鮮な食材を手に入れる方法です。森や野原を散策し、季節の植物やキノコを見つけることで、自然とのつながりを感じられます。しかし、未知の食材を誤って摂取する危険性もあるため、正しい識別が必要です。また、環境を守るためにもマナーやルールを守りましょう。
10.1 フォレージングの自然とのつながりを楽しむ方法
ワイルドフードフォレージングは、自然との密接なつながりを感じる素晴らしい方法です。まずは、自然に敬意を払い、植物やキノコの生態や成長サイクルを理解することが大切です。散策中には周囲の自然の美しさや豊かさに目を向け、季節の移り変わりや地域の生態系を感じ取りましょう。また、フォレージングの際には五感を活用して自然の恵みを楽しむことができます。植物やキノコの香りや触感、味を感じながら、自然との対話を楽しんでください。さらに、フォレージングの体験を共有することで、自然とのつながりを深めることができます。家族や友人と一緒にフォレージングに出かけ、自然の恵みを分かち合い、楽しむことで、より豊かな経験を得ることができるでしょう。
10.2 フォレージング中の安全とリラックスのためのヒント
フォレージング中に安全を確保し、リラックスした状態で楽しむためにはいくつかのポイントがあります。まず、フォレージングの際には安全な場所を選びましょう。特に初心者の場合は、地元の自然公園やガイド付きのツアーに参加することをお勧めします。また、フォレージング中は適切な装備を身に着けることも重要です。長袖の服装や帽子、手袋、適切な靴を着用し、虫や植物から身を守りましょう。さらに、フォレージングする際には十分な水分補給を心がけ、熱中症や脱水症状に注意しましょう。また、植物やキノコの識別に不安がある場合は、専門家の指導を受けるか、信頼できる情報源を確認しましょう。そして、フォレージング中はリラックスした状態を保つことも大切です。自然の中でゆっくりと呼吸を整え、周囲の景色や音を楽しむことで、より充実したフォレージング体験を得ることができます。
10.3 フォレージングの倫理と持続可能性について考える
フォレージングを楽しむ際には、倫理と持続可能性について考えることが重要です。まず、フォレージングをする際には、地元の法律や規制を遵守することが必要です。一部の地域では、特定の植物やキノコの収穫が禁止されている場合がありますので、地元の規制について事前に確認しましょう。また、フォレージングする際には、持続可能な収穫方法を心がけましょう。一度に大量の収穫を行うのではなく、必要な分だけを収穫し、残りを自然に還すことで、生態系への影響を最小限に抑えることができます。さらに、フォレージング中には生息地や野生動物に配慮することも重要です。植物やキノコを収穫する際には、周囲の生態系や野生動物の生活に影響を与えないよう注意しましょう。フォレージングは自然とのつながりを感じる素晴らしい体験ですが、その際には地球環境への配慮を忘れずに行いましょう。
まとめ
自然の恵みを探しに出かけるワイルドフードフォレージングは、自然とのつながりを感じる素晴らしい体験です。しかし、未知の食材を摂取する際には注意が必要です。正しい植物やキノコの識別、採取のマナーやルールを守ることが重要です。さらに、環境への配慮も忘れずに。楽しみながら安全に、そして持続可能な方法でワイルドフードフォレージングを楽しみましょう。
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koudelkalightnovel · 6 years
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作��ることが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが���    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
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ham-nico · 3 years
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𓅼 𝓃ℯ𝓌 𝓅𝓇ℴ𝒿ℯ𝒸𝓉 HAM-NICOレンタルopen𓆸 プロフィールからアクセスできます𓆸 このチェックに一目惚れ𓅮 バーバリーチェックのセットアップには蝶ネクタイ×ネクタイの新デザインで作ってみました𓆸 卒園式入学式にもおすすめです𓆸 イベント企画や新しいプロジェクトも今動いていて毎日ワクワクドキドキしてます𓆸 2021年まだ2ヶ月しか経ってないのか!というくらい詰め込んだ毎日ですが夢を叶えられるようまだまだ走りたい𓅼 色んな人に協力してもらい1人では叶えられない事がカタチになってきていてもう本当感謝しかないです… 英語ももう少し(だいぶ)頑張って克服したいw カタチになってご報告できるよう頑張ります𓅼 #hamnico #handmade #minne #creema #ハンドメイド #postmyfashionkids #ロケーションフォト #madeinjapan #ベビーキッズ #七五三 #正月 #こどもの日 #端午の節句 #photostudio #着物 #フォトスタジオ #着物コーディネート #入学式コーデ #レンタル着物 #ひなまつり #フォトグラファーと繋がりたい #コドモダカラ #子育てぐらむ #コドモノ #お写んぽ #ママリ #fashionkids https://www.instagram.com/p/CLVCe7MJCL3/?igshid=1jyv1y27r7n0b
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asakusa1948 · 4 years
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お祝いのお客様もだんだん戻ってきました㊗️ 月見草の単独インスタも設立しました🎵 @asakusa.tsukimiso1948 結婚記念日💒 誕生日🎂 顔合わせなど🔔💏🔔 お祝いがある時は是非ご相談ください✨ 過去の投稿にいろいろできること記載しています🎁🎂 #TSUKIMISO #月見草 #浅草月見草 #お祝い #浅草 #ASAKUSA #着物レンタル #株式会社浅草 #入園 #グルメ #uwasa_東京 #入園式 #sucle #入学プレート #milk_web #おうちでたいとうグルメ #東京グルメ #浅草ランチ #浅草グルメ #誕生日 #デート #グルジョ #雷門 #コロナ #緊急事態宣言解除 #入学祝い #コロナウィルスが早く終息しますように #コロナに負けないぞ #コロナに負けるな (シーフードレストラン・月見草・TSUKIMISO) https://www.instagram.com/p/CBMw1f8geGy/?igshid=qoiocs74c53t
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toku36 · 4 years
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『こどもきもの撮影会 』11月・12月 ご予約承り中! アンティーク着物のセレクトショップである #宮川徳三郎商店 @toku36com にて、昭和レトロな雰囲気の撮影セットの中、 昭和初期に製作されたアンティーク着物を中心にした着物スタイリングをお選び頂き、プロカメラマンにより写真をお撮り致します。 七五三、卒園式、十三詣りの前撮りにもオススメです。この歳でしか撮れない思い出の1ページを是非! カメラマン @koco.fotografo ヘアメイク @gokkyun <撮影会の内容> -------------------------------------- 日時: vol.19◆11/7(土)→ご予約承り中 vol.20◆11/22(日)→ご予約承り中 vol.21◆12/5(土)→ご予約承り中 各日9時〜15時 ・場所:宮川徳三郎商店内 ・基本コース:38,000円(税別) ・限定:1日2組 ・所要時間:約1時間半〜2時間半(撮影されるご家族の人数により変わります) 内容: ・お子様の和装一式と着付け(1名分) (1歳〜13歳頃までの男の子と女の子) ・プロカメラマンによる写真撮影(データ10枚分)(※1) ・ヘアメイクアーティストによるヘア&メイク付(1名分) その他にも、 □ データ20枚コース:48,000円 □ データ30枚コース:58,000円 ※お二人様以上での撮影は、データ20枚・30枚・40枚コースをご利用ください。 <撮影会での和装レンタル追加> ------------------------------------------ 兄弟 7,000円(税別) 姉妹 10,000円(着付け・ヘアメイク込) 大人 7,000円から (大人のヘアメイクはオプション) <撮影当日の流れ> (1) お好きな着物をお選びいただき、スタイリストが着付け・ヘアメイクします。 (2) レトロな撮影セットにて、プロカメラマンが約60〜100カット撮影します。 (3) お好きな写真が購入されたデータ枚数お選びいただけます。 (4) 撮影データは、後日CD-ROMにてお届けします。 (写真セレクトはご自宅で出来ます。再来店の必要はありません) (5) 更に、追加データ・アルバム付きコースもあります。 ※ 撮影会当日の着物レンタルは撮影時のみで、着用しての外出はできません。 <申込み方法> ------------------------------------------ 撮影希望の方は、以下のメールアドレス、もしくはお電話からお申し込みください。 <お問い合わせ> ------------------------------------------ 京都着物 宮川徳三郎商店 (担当:宮川) tel:090-1223-0936 email: [email protected] または @toku36com までDM * #こどもきもの撮影会 #kocofotografo #撮影スタジオ #アンティーク着物 #こどもきもの #七五三撮影 #十三詣り #十歳の祝い #ハーフ成人式撮影 #卒業式 #卒園式 #百日祝い #ハーフバースデーフォト ・ #京都 #西京区桂 (京都着物 宮川徳三郎商店 Kyoto Kimono Store & Rental) https://www.instagram.com/p/CGZF7ceAteg/?igshid=uwrdthrqwc9g
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kamizake · 3 years
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2021
滋賀県大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺です。 標高およそ800メートル。冷たく澄んだ空気が辺りを包んでいます。 毎年、大みそかに行われる鬼追い式です。怒り、ねたみ、むさぼり。 人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。 新型コロナウイルス感染防止のため 参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。 4月、緊急事態宣言を受け 比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。 最澄が山を開いた 1200年前も疫病や災害が多い時代でした。 人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。 織田信長による焼き打ちなど 幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。 ことしも除夜の鐘が打たれます。 (鐘の音) (鐘の音)
香川県高松市。 街を見守る弘法大師、空海です。 四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。 ことしは新型コロナウイルスの影響で お遍路に来る人が8割減りました。 久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないよう スタッフを増員するなど感染対策を講じています。 (お経) お遍路をもてなしてきた地元の人々。 ことしは、そのにぎわいが失われました。 人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。 かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。 外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。 離れていても同じ思いが込められています。 (お経) 街に、にぎわいが戻りますように。 (鐘の音) (鐘の音) 2人≫こんばんは。 高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。 石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。 帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。 高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら一緒に新しい年を迎えたいと思います。 石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。 奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして 信仰を集めてきました。 高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。 石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。 (お経) 高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。 石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。 今回、特別に撮影が許可されました。 高さは、およそ2m。 鎌倉時代に作られた鎌倉時代に作られた日本最大の僧侶の像とされています。
来年、感染拡大の終息を願って205年ぶりに寺の外で開帳が行われる予定です。
高瀬≫誰も想像しえなかった一年の終わりに穏やかな日々への思いをはせます。
石橋≫それでは年越しを迎える各地の様子を見ていきます。
華やかな夜景が広がる横浜です。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスでの集団感染から大きく揺れた一年になりました。 600ほどの店が軒を連ねる中華街。
ことし初め中国で感染が広がると街から感染者が出ていないにもかかわらず差別や風評被害にさらされました。
対策を徹底してきた中華街では密を避けるために年越しの神事も見物客を8分の1に制限しました。
「苦しいときこそ皆で華やかに年を越したい」。
思いを込めて舞います。
舞がささげられるのは媽祖廟(まそびょう)です。媽祖は災害や疫病などから人々を守るとされる女神。世界各地に建てられ華僑の心のよりどころになってきました。
感染拡大の終息。そして、商売繁盛への願い。苦難を経て年越しを迎えることができたことに感謝する中華街です。
原田≫雪の降りしきる大みそかとなりました鳥取市の白兎(はくと)神社です。因幡の白うさぎのけがを大国主命(おおくにぬしのみこと)がこの地で治したという神話から病気平癒の御利益があるといわれています。初詣を待つ人々の中にはこんな方もいます。こんばんは。
≫こんばんは。
原田≫なんとロボットです。
手を振っていますね。これ、実は離れた場所にいる人が操作をしているんです。
鳥取市の中山美智子さんです。中山さんは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で入院しています。
目の動きでパソコンを操作することでロボットを自分の分身のように動かします。
この1年、新型コロナの影響で家族との面会が難しくなりましたがこのロボットによってようやく、それがかないました。
実はもう一台ロボットがあります。これは夫・和夫さんが操作しているんです。和夫さんも難病を患っていて外出が難しい状態です。
ロボットを通して、2人は久々に再会することができました。 ロボットのレンタルを行う代理店の協力で念願だった、お二人での外出が実現したんです。
では美智子さんにお話を聞きます。 声を出すのが難しいので合成音声でお答えいただきます。
美智子さん久しぶりの2人での外出ですけれどもどんなお気持ちですか?
ロボット(美智子)≫夫と離れていて体調が気がかりでしたから久しぶりに話ができてうれしいです。来年は夫の体調がよくなりコロナも落ち着いて家で一緒に生活できるよう願っています。
原田≫和夫さん何を祈られますか?
ロボット(和夫)≫一日も早くよくなって皆さんに助けられてまた2人で暮らせますようにとお祈りしたいと思います。
原田≫お二人ありがとうございました。
離れていても同じ景色を見ていたい。2人の思いが詰まった初詣です。
7月記録的な豪雨が襲った熊本県。65人が犠牲となり今も2人が行方不明です。特に大きな被害を受けた人吉(ひとよし)市にある青井阿蘇神社は「青井さん」と呼ばれ親しまれてきました。国宝のかやぶき屋根の楼門(ろうもん)など5つの建造物が被害を受けました。
球磨(くま)川が氾濫し境内には1mを超える高さまで水が押し寄せました。復旧作業を行ったのは地域の人々でした。地域のよりどころがよみがえりたみ、むさぼり。人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。
新型コロナウイルス感染防止のため参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。
4月、緊急事態宣言を受け比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。最澄が山を開いた1200年前も疫病や災害が多い時代でした。人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。織田信長による焼き打ちなど幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。
ことしも除夜の鐘が打たれます。
(鐘の音)
(鐘の音)
香川県高松市。街を見守る弘法大師、空海です。四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。ことしは新型コロナウイルスの影響でお遍路に来る人が8割減りました。
久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないようスタッフを増員するなど感染対策を講じています。
(お経)
お遍路をもてなしてきた地元の人々。ことしは、そのにぎわいが失われました。人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。
かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。離れていても同じ思いが込められています。
(お経)
街に、にぎわいが戻りますように。
(鐘の音)
2人≫こんばんは。
高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。
石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。
高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら
一緒に新しい年を迎えたいと思います。
石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして信仰を集めてきました。
高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。
石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。
(お経)
高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。
石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。今回、特別に撮影が許可されました。高さは、およそ2m。
ことしも「青井さん」で年を越すことができます。拝殿には全国から大量の支援物資が届きました。新型コロナの影響でボランティア活動が制限される中寄せられた復興へのエールです。
「がんばれ熊本」。
熊本では今も4000人以上が避難所や仮設住宅などで暮らしています。
「青井さん」とともに復興の道を歩みます。
石橋≫再び、東京・深大寺です。
高瀬≫各地の様子を見ていますと離れていても心はつながっていたい一つでありたいという気持ちが伝わってきます。
皆さんにとって、2020年はどんな年だったでしょうか。
石橋≫さあ、新しい年を知らせる除夜の鐘です。
(鐘の音)
(花火の音)
(汽笛)
(爆竹の音)
横浜港の汽笛と魔よけの意味が込められた爆竹。新年を迎えた中華街です。ステージには色鮮やかな獅子が現れました。
(獅子舞の音)
頭を噛(か)んでもらうと厄(やく)を祓(はら)い福が来るといわれる獅子。中華街の祝い事に欠かせない人気者です。
2人≫明けましておめでとうございます。
高瀬≫2021年令和3年の幕開けです。
石橋≫新年を迎えここ深大寺でも人々が初詣に訪れていますが例年より、その数は少ないようです。
高瀬≫ことしは混雑を避けるため旧正月に当たる2月中旬までを参拝期間として分散初詣を呼びかけていくということです。
石橋≫皆さんはそれぞれの場所でどんな思いを抱きながら新年を迎えているのでしょうか。全国各地の様子を見ていきましょう。
ことしは、うし年。4時間ほど前に生まれたばかりの子牛も新年を迎えました。こちらの子牛が着ているのはちゃんちゃんこ。体温調節が難しい子牛を元気に育てるための習慣です。北海道・足寄(あしょろ)町の牧場です。
現在の気温はマイナス17度。北海道でも、とりわけ寒さが厳しい、この町では寒さに強い乳牛が人々の暮らしを支えてきました。今夜も数頭の牛が出産を予定しています。牛たちを見守るのは牧場主の山下和洋さんです。
牛を育てて40年。僅か2頭から始め今では830頭になりました。
山下≫おいで、おいで。
新型コロナウイルスの影響で牛乳や乳製品の消費は大きく落ち込みました。「どんな困難に直面しても牛の歩みのように一歩ずつ進んでいく」。 新年を迎え決意を新たにしています。
再び、比叡山延暦寺です。最澄が亡くなって1200年という節目の年を迎えました。国宝根本中堂(こんぽんちゅうどう)
では今、10年がかりの大規模な改修が行われています。屋根を覆っていた銅の板はすべて剥がされました。横40m、高さ25mの屋根は新たに葺(ふ)き直されます。貴重な木造建築の今しか見られない姿です。
建物の彩色はいったん、落として創建当時の姿に塗り直されます。山が開かれて以来守り伝えられているものがあります。最澄がともしたと伝わる不滅の法灯(ほうとう)です。
「一隅を照らす心」、つまり「一人一人が今いる場所で最善を尽くす心」を持てばよりよい世界につながると説きました。
ともし火とともに最澄の思いは受け継がれてきました。ことし、不滅の法灯から分けられた、ともし火が全国を巡ります。
不安な時代を照らす光が各地に広がります。
静岡県熱海市です。毎年およそ300万人の宿泊客が訪れる観光の町です。古くから旅人を守る神社として知られる來宮(きのみや)神社です。新年を迎え静かに参拝が始まりました。
(祝詞)
本殿では祝詞が読み上げられています。参拝者たちの願いを届ける神事です。氏子の多くが携わる観光業は大きな打撃を受けました。温泉旅館を経営する藤間崇史さんです。従業員とともに熱海の魅力を紹介する動画を配信するなど模索を続けてきました。
町に活気を取り戻すためできることはすべてやる覚悟です。境内の奥にあるのは国の天然記念物のクスノキ。樹齢は推定2000年です。高さは20m以上。長年、風雪に耐え今も成長を続けています。その生命力にあやかろうと人々は周りを一周します。
新たな年もこのクスノキが見守っています。
原口≫群馬県前橋市のアパートです。こちらの部屋にはことしこそはという思いで新しい年を迎えられた方々がいらっしゃいます。
皆さん明けましておめでとうございます。 選手たち≫おめでとうございます。
原口≫東京オリンピック・パラリンピックに出場するアフリカ・南スーダン共和国の陸上選手団の皆さんです。事前合宿のために1年あまり前に来日されたんですが去年、大会は延期。さらに新型コロナウイルスの影響で帰国が困難になったこともあってここで共同生活を送っています。こちらはふだんの練習の様子です。ホストタウンの前橋市では近くの運動場を無償で貸し出すなどして練習に集中できる環境を整えてきました。
多くの選手が日本に来てから自己ベストを更新しているそうです。選手たちは地元の人たちとも交流を重ねてきました。市内の幼稚園や小・中学校へは10回以上、訪問しました。そして、こちらは地域のお祭りに参加したときの写真です。
皆さん、今では前橋を第2のふるさとのように感じているそうです。 この一年間、皆さんは日本語の勉強もされました。書き初めをしていただきました。 「金」「メダル」そして「平和」。 母国、南スーダンでは長く紛争が続いてきました。
スポーツを通して平和をもたらしたい。そんな気持ちを込めたそうです。
男子1500mに出場するアブラハム選手です。こ��しこそ晴れの舞台に立って家族に活躍する姿を見せたいそうですね。
アブラハム≫メダルを取って南スーダンと前橋の皆さんを喜ばせたいです。 原口≫ありがとうございます。
遠く離されたふるさとそして前橋のために選手たちは新たな一年のスタートを切ります。
高瀬≫ことし、大きな節目を迎える場所があります。復興への道を歩み続ける東日本大震災の被災地です。
真っ暗な海に沿って再建した町の明かりがともります。東日本大震災の発生から10年を迎える宮城県石巻市洞源院(どうげんいん)です。
(太鼓の音)
被災地を望む本堂では新年の祈祷が始まっています。あの日から5か月の間ここにはおよそ400人が避難し共同生活を送っていました。壁には今も当時の約束事が貼られています。
「元気よく挨拶をしましょう」。
(太鼓の音)
人々は支え合いながら復興への険しい道を歩んできました。亡くなった人々の魂を鎮めるお焚(た)き上げです。全国から送られてきた千羽鶴も節目のことし 火にくべることにしました。避難所、仮設住宅そして、暮らしの再建。
いつもそばにあった千羽鶴を感謝を込めて焚き上げます。被災地の将来を担う子どもたち。人々に見守られ元気に育っています。
東日本大震災からまもなく10年。未来への希望の鐘です。
(鐘の音)
石橋≫ごく普通の日常のありがたさそして人々のつながりの大切さ改めて感じますね。
高瀬≫私たちも皆さんとつながっています。変わってしまった日常。だからこそ
新しい年を、このことばとともにスタートさせようと思います。2021年が皆さんにとって…。
2人≫すばらしい年になりますように。
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