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#井の頭弁財天
water-fall-logic · 2 years
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柄杓
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michiyo-japan · 1 year
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昨日の東京は雪でしたね。せっかくならと吉祥寺にある井の頭恩賜公園を訪れました。
お目当ては公園内にある弁財天さん。こちらは絵画の題材にも用いられる有名スポット。せっかくなので有名な画家たちが描いた雪の弁財天と昨日の風景を比較してみました。
●1枚目 昨日の井の頭弁財天
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●2枚目 歌川広重(1797-1858)
「井の頭の池弁財天の社雪の景 (名所雪月花)」
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●3枚目 川瀬巴水(1883-1957)
「社頭の雪(井の頭弁天)」
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時間を超えた三者三様の弁財天さん。
自分ならどのように描くだろうかと空想した楽しい雪のひと時でした。
It snowed in Tokyo yesterday.I visited the Inokashira Park in Kichijoji.
My main attraction was Benzaiten temple in the park.This is a famous spot used as the subject of paintings. I compared the snowy Benzaiten painted by famous painters with yesterday's scenery.
・First picture
Yesterday's Inokashira Benzaiten
・Second picture
Utagawa Hiroshige (1797-1858)
'Snowy scene of the Inokashira Pond Benzaiten temple ( Snow, Moon and Flowers at Famous Place)'
・The third picture
Kawase Hasui (1883-1957)
'Snow at the shrine (Inokashira benzaiten)'
The three different Benzaiten from across time.
It was an enjoyable snowy moment when I fantasised about how I would have painted them.
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gerokichi · 11 days
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新緑の井の頭公園をひと回り。弁財天を出てから南側を池に沿って歩く。家族でボートも気持ちよさそう。ひと回りしたら吉祥寺駅北側のハモニカ横丁へ。
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illaalli444 · 2 years
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
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腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
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草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
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厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
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花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
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壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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shintani24 · 2 months
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2024年4月4日
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(耕論)教育勅語という亡霊 長谷川亮一さん、林恒子さん、佐久間邦彦さん(朝日新聞 連載:耕論 4月3日)2024年4月4日に追記
広島市長が市の職員研修で教育勅語を���用していた。しばしば政治家から擁護発言が出るのはなぜか。戦後、国会で失効を決議したにもかかわらず亡霊のように漂う教育勅語を考える。
■「天皇」切り離しはできぬ 長谷川亮一さん(歴史学者)
戦後、しばしば教育勅語を擁護する発言が物議を醸してきました。政治家や財界人など発言者はさまざまですが、擁護の仕方はワンパターンで、要は「中身はすばらしい」です。広島市長の発言にも、「またか」とあきれます。
いうまでもなく、教育勅語は戦前の忠君愛国主義の教育を生んだものであり、天皇のために道徳的であれ、いい国民であれと説いています。それなのに擁護する人たちは、歴史的文脈や天皇の存在を切り離して、「父母ニ孝ニ」や「夫婦相和シ」などの徳目だけを取り出して評価します。「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり「永遠に続く天皇の運命に命を捧げなさい」という目的が消されているのです。
教育勅語から天皇を消し去れば、もはや「教育勅語」ではありません。教育勅語は「明治天皇の言葉である」ことが大前提で、それが正しさを保証しました。「教育勅語」を語るのであれば天皇は不可分の存在ですし、親孝行などを説きたいのなら教育勅語である必要はありません。
1970年代に本格化した右派による教育勅語復活運動が、今なお続く擁護の声の背景にあると考えています。運動が広めたのが、教育勅語のさまざまな「口語訳」です。「天壌無窮ノ―」の箇所をすっぽり飛ばしたり、「天皇」を「国」にすり替えたりした上で、まるで平和を説いているかのように装う「誤訳」もありました。今なお「中身はいい」という人たちが頻繁に現れることを考えれば、運動はある意味「成功」したと言えるでしょう。
評価する人たちが天皇を切り離すのは、「国体を守れ」などと言っても人々に支持されないと分かっていることの裏返しでもあります。政治家による擁護発言でも全て肯定はせず、「問題はあったけれど」など必ず留保をつける。
それなのに、なぜ教育勅語を語らずにいられないのか。「これしかない」に尽きるでしょう。日本独自の、広く知られる唯一の道徳律が教育勅語なんです。「これしかない」けれど原文は直せない。だから、解釈し直そうという欲望が生まれるのです。
教育勅語を擁護するのであれば、「日本社会を戦前に戻したい」ともはっきり言うべきです。そうであれば、私は評価はしませんが、理解はします。さまざまな文脈を切り離して「中身はいい」と言えると考えるのは、無知に他なりません。(聞き手・田中聡子)
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はせがわりょういち 1977年生まれ。立教大学日本学研究所研究員。専門は日本近現代史。著書に「教育勅語の戦後」「『皇国史観』という問題」。
■子ども、素直に染まる怖さ 林恒子さん(元高校教員)
私が現在の小学校にあたる国民学校に入学したのは1942年です。学校教育は戦争と共にあり、その象徴の一つが教育勅語です。
教育勅語は「畏れ多い」存在でした。入学式や「旗日」に、モーニングを着た校長が教頭からうやうやしく捧げられた勅語を広げて奉読する。子どもたちは直立不動で、頭を下げてじっと聞く。書き写す「謹書」も一生懸命やりました。
今でも印象に残っているのは、学校の2階の廊下の壁一面に掲げられた教育勅語の「絵解き」です。十数枚あったでしょうか。徳目などを描いた日本画が、一枚ずつ額に入れられて並んでいました。「内容も分からずに覚えた」と振り返る人もいますが、私はあの日本画を見て自分なりに意味を理解していました。
一方で、違和感も抱いていました。「我カ皇祖皇宗国ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ」の絵解きには「天孫降臨」が描かれていました。天照大神が地上に送った神々が雲の上に乗っている。「雲は水蒸気なのに、あんなにたくさんの神様が乗れるだろうか」と疑問を抱いたものです。「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵(したが)ヒ」は、選挙の投票風景なのですが、男しかいない。「日本は天照大神の国なのに、どうして女の人は投票できないんだろう」と思ったことは、我ながらいささか感心します。
当時の私に「天皇のために」という思いを抱かせたものは、教育勅語だけではありませんでした。学校には天皇の写真が掲げられ、修身の教科書を開くときは頭を下げる。天皇の写真が載った新聞を、先生が「汚したり踏んだりしたらいけない」と、写真だけを切り取っていたこともありました。「まじめな良い子」だった私は、そんな雰囲気を吸収したのです。
そこには、子どもだからこその怖さがあります。よく聞き取れない玉音放送を聞いては「しっかりせよ!」という励ましの言葉と受け取り、敗戦を知った後もしばらくは「いつか復讐の時が来る」と闘志を燃やす「軍国少女」に、私は意図せずともなっていました。子どもは素直に染まってしまうのです。
戦後、民主的な教育が目指された一方、その反動も現在まで存在し続けています。教科書検定や教育基本法の改定などを通じて、戦前の教育への揺り戻しがじわじわと進んでいる。そして教育勅語を「中身はいい」と「つまみ食い」する政治家。「バカヤロウ」と言いたいです。(聞き手・田中聡子)
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 はやしつねこ 1935年生まれ。北海道の高校教員として平和教育に取り組み、退職後も講演や執筆活動。編著に「平和と平等を求めて」。
■���島らしからぬ動き、心配 佐久間邦彦さん(広島県原爆被害者団体協議会理事長)
「国際平和文化都市」を掲げる広島市で職員研修に教育勅語が使われたことに大変、衝撃を受けました。私たち被爆者団体は松井一実市長に強く抗議しました。
教育勅語は、親孝行や兄弟、夫婦仲良く、などと述べますが、明治天皇が、当時「臣民」と呼んだ国民に向けたものです。そもそも天皇が家庭のことに介入するのはおかしい。それぞれの家族で判断すればいいことです。
戦後、国会で教育勅語の排除や失効が決議されたのは当然のことです。主権在民の日本国憲法の精神と相いれないのですから。松井市長はそんな古証文を引っ張り出してきたのです。
私自身は終戦の前年に生まれたので、教育勅語による教育は受けていません。しかし、勅語をよく読めば、天皇のための戦争に国民を動員するのが目的だと分かります。そうした侵略戦争の結果、起きたのが広島、長崎への原爆投下でした。だから、被爆者は怒るのです。市長は、教育勅語を使うことについて撤回しないどころか、市民にきちんと説明もしていません。
第2次安倍政権は2017年、教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定しました。こうした政府のお墨付きがあるからこそ、松井市長は職員研修で堂々と使えるのでしょう。
歴代の広島市長は、保守的な人も少なくありませんが、被爆者の立場を配慮した慎重な行動をしてきました。しかし最近、松井市長のもとではヒロシマらしからぬ動きが起きています。
昨年は、広島市立の小中高校で平和教育に使われている教材が改訂され、漫画「はだしのゲン」が削除されることが明らかになり、論議を呼びました。市教育委員会は「被爆の実相に迫りにくいから」などと述べています。しかし、戦争がいかに悲惨で人々の心を傷つけるものなのか、「ゲン」ほど、いい教材はないと思っています。
また、平和記念公園と米ハワイ州のパールハーバー記念公園との姉妹協定をめぐり、市の局長が市議会で米国の原爆投下の責任について「議論を現時点で棚上げする」と答弁しました。これも納得できません。
生後9カ月で被爆した私も79歳です。被爆体験の風化という言葉は、使いたくありません。ただ、一連の動きに市民から大きな反応が出ないことが心配です。(聞き手・桜井泉)
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佐久間邦彦 1944年生まれ。生後9カ月で広島市内の自宅で被爆した。三菱重工広島製作所を退職後、被爆者相談所相談員などをへて現職。
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(耕論)「自分の名前」とは 出口顯さん、小国香織さん、高山朝光さん(朝日新聞 連載:耕論 4月4日)2024年4月4日
偽名で何十年も逃げた末、死の間際に本名を明かした容疑者がいた。自分にとって、社会にとって、名前とは何だろう。そして自分の名前を失うこと、名前を取り戻すことの意味とは。
■誕生と死、結びつけるもの 出口顯さん(文化人類学者)
指名手配されながら、半世紀近くも偽名を使って警察から逃げ続けた容疑者が、「最期は桐島聡で死にたい」と語り、名乗り出たと報じられました。
名前は「親からの贈り物」と言われることがあります。何かにちなみ、あやかり、メッセージが込められる。マルセル・モースは人類学の古典「贈与論」で、贈り物を贈られた相手は、同等の返礼をしなければならないという負い目を感じると指摘しました。
名前が贈り物なら、子は親に負い目を感じますが、親に名付けはできません。代わりに、次世代を名付けます。あるいはメッセージを込めようとする。
しかし、偽名で生きた容疑者は、そうした返礼ができなかった。好意を寄せた女性に「幸せにできない」と語ったのも、それを物語っていると感じます。
ただ、名付けをめぐる現在の日本のあり方が普遍的なわけではありません。イヌイットではかつて1人にいくつもの名前があり、ブラジルの先住民には自分が知らない名さえある。名前を口にしてはいけない決まりもあります。
日本の現代の名付けも、明治維新後に始まったものにすぎません。しかし、多くの人は、生まれた時に名付けられた自分の名前が無くなれば、世界が壊れてしまうような感覚を覚えるはずです。生活の中で何度も呼ばれることで、名前が内面化されるからでしょう。
夫婦別姓を求める議論で、自身の家の姓を残すという家父長制的な側面があるにもかかわらず、旧姓にこだわるのは、実務的な不便さだけでないはずです。
容疑者もその感覚から逃れられなかったのではないでしょうか。ただ、それは都市的、あるいは現代的な感覚だとも思うのです。
かつては誕生と死の風景は、土地や家族の結びつきの中にありました。人を名前ではなく、屋号で呼ぶ文化も残っていました。しかし、いまや地域は過疎に直面し、墓じまいも広がる。
結びつきが失われゆく中で、自分自身の誕生と死を結びつけられるものは少ない。生まれた時に与えられた名前はその一つです。
容疑者が偽名で亡くなっていたら、葬儀もなく火葬場に直接送られ無縁仏とされたはずで、時代を体現した死とも言えます。自分を追い続けた権力を出し抜くことにもなった。それをしなかったのは、彼の誕生と死を結びつけるものが、本名しか残されていなかったからなのかもしれません。(聞き手・岡田玄)
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出口顯 でぐちあきら 1957年生まれ。放送大学島根学習センター所長、島根大学名誉教授。著書に「名前のアルケオロジー」。近著に「声と文字の人類学」。
■改姓で実感、失われた人権 小国香織さん(「別姓訴訟を支える会」副代表)
桐島聡容疑者が最期に本名を名乗ったと知り、偽名で生きている間は「本当の自分を生きていない」と感じていたのかも、という思いがよぎりました。結婚により改姓した私には、その感覚が分かります。
ラジオのロシア語講座で聞いたなぞなぞがあります。「自分のものなのに、他人が使うのなんだ?」で、答えは「イーミャ(名前)」。私は「半分合ってるけど、半分足りない」と思いました。「名前は個人の識別のためにある」という認識しか感じられなかったからです。
確かにそういう面はありますが、一方で、自分の名前は常に自分と共にあり、一番使っているのは自分です。名前を呼ばれれば返事をし、名乗ったり、名前が書かれたものを受け取ったり。名字も含めて自分の名前であり、自分が使う自分のものでもあるのです。
選択的夫婦別姓を求める訴訟の原告になった時、ニュースを見たある米国人の顧客が応援の言葉をかけてくれて、こう言いました。「It’s your name,not government’s name!(君の名前なんだから、政府の名前じゃないんだから!)」。まさに「my name(私の名前)」の話をしているのが、選択的夫婦別姓です。それなのに日本では「家族のあり方」の���論にされてしまい、「名前を変えたくない」という本質的な部分が十分には理解されていないように感じます。
この感覚は、名前を失ってみないと分からないのかもしれません。「人権は普段は分からないものだけど、皆さんをこの教室に閉じ込めたらすぐに理解できる」。以前、ある法律家が講義でしていた話です。侵害されないと理解しづらいけれど、失ったとたんに分かるのが人権なんだ、と。私はやっぱり、名前は人権だと思います。
かつて夫婦別姓訴訟で原告団長を務めた塚本協子さんは、事実婚を経て、仕方なく夫の名字に変えていました。集会などで話す時の訴えはとてもシンプルで、「塚本協子で生き、塚本協子で死にたい」。そして、2019年に、塚��協子に戻れないまま亡くなってしまいました。
今、新たな訴訟を支援していますが、細かい情報を集め、積み上げている弁護団の作業を見ていると、ここまでやらなければ自分の名前で生きることの意味や失うことの重大さが伝わらないのか――と残念な気持ちになります。(聞き手・田中聡子)
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小国香織 おぐにかおり 行政書士。2006年、結婚により夫の名字に改姓。11年に提起された選択的夫婦別姓訴訟で、原告団副団長を務める。
■立ち上がる、戦没者の人生 高山朝光さん(元沖縄県知事公室長)
1992年から沖縄県の「平和の礎(いしじ)」建設を担当しました。礎は「いしずえ」の沖縄の読み方です。鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員されながらも、くしくも生き残った大田昌秀知事の公約で、戦争終結50年の95年に完成させる計画でした。
沖縄戦は、私が10歳のころでした。沖縄本島北部で、撤退する日本軍の後を追って山を逃げ回る中で、多くの遺体を目にしました。どこの誰かなどわかるはずもない、名もなき遺体です。顔さえわからない日本兵の遺体もありました。
遺骨もない遺族もいます。沖縄には各地に慰霊碑があります。そこに刻まれた名前を、遺族が指先でなぞる姿を、私たちは見てきました。まるで本人がそこにいるかのように。
礎には、敵も味方も関係なく沖縄戦の全戦没者名を刻む。その名を永久に残し、沖縄戦を風化させず、平和を世界に発信する――それが目的でした。
問題は戦没者名の確定でした。すでにあった戦没者名簿には欠落があると研究者から指摘を受けました。
名前は尊厳であり、生きた証しです。完成が遅れる心配もありましたが、趣旨を考え、市町村の協力を得て、全戸調査を実施しました。すると、記録されていない犠牲者の情報が県民から次々と寄せられました。
家族全員が死亡したため戦没者の記録にない一家、確かに生まれた姿は見たけれど、混乱の中で戸籍も登録もなく、誰も名前を覚えていない赤ちゃん……。そうした子は「●●の子」として刻まれています。
20万を超す名が刻まれた礎が物語るのは、沖縄戦の激しさです。名前を刻んだ石が平和を願う波のように押し寄せる、その前で毎年、沖縄戦没者追悼式が行われています。
敵だった米兵や、沖縄の住民を殺した日本兵の名も刻まれていますが、県民から反対意見は一つもありませんでした。憎いのは兵士ではなく、戦争だという県民の思いなのでしょう。
戦後が遠くなり、戦争体験者も減っています。礎が物として残っても、その精神が失われないか心配でしたが、心強い動きも始まっています。礎に刻まれた名前を読み上げる、市民有志の取り組みです。
参加した中学生が言いました。「この人たちが、もし生きていたら」。名前を読むことで、一人ひとりの人生が立ち上がり、あったかもしれない現在を想像する。名前には、そんな力もあるのです。(聞き手・岡田玄)
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高山朝光 たかやまちょうこう 1935年生まれ。NHK沖縄放送局副局長、沖縄県知事公室長、県政策調整監、那覇市助役などを歴任。沖縄平和の礎の会会長。
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男性で国内最高齢の112歳死去 千葉・館山の薗部儀三郎さん(時事通信)2024年4月4日
男性で国内最高齢だった千葉県館山市の薗部儀三郎(そのべ・ぎさぶろう)さんが死去したことが4日、同市や厚生労働省への取材で分かった。112歳だった。死去した日時や死因は公表していない。
薗部さんは1911(明治44)年11月生まれ。2022年11月に広島県の男性が111歳で死去して以降、国内の男性で最高齢だった。
新型コロナ 広島県の新規感染者2%増 8週ぶりわずかに増加 4日発表(テレビ新広島)
新型コロナウイルス。広島県は4日、先週1週間(3月25日~3月31日)に広島県内の定点調査で確認された新規感染者数は417人、定点あたり3.69人と発表しました。
1月29日の週は、去年5月8日に新型コロナが5類に移行して以降、最多となっていましたが、先週は前週と比較すると感染者数は2%増となり、8週ぶりにわずかに増加しました。(前週は410人、定点あたり3.63人)
広島県は、現時点で医療がひっ迫している状況にはないが、引き続き手洗いや換気など基本的な感染対策をするよう呼び掛けています。
このほかの感染症ではインフルエンザ、咽頭結膜熱について、県は引き続き警報を発令し警戒を呼び掛けています。
※「5類」移行後、広島県内の感染者数
5月8日~14日 259人 定点あたり2.31人
5月15日~21日 253人 定点あたり2.26人 前週比 横ばい
5月22日~28日 266人 定点あたり2.38人 前週比 横ばい
5月29日~6月4日 344人 定点あたり3.07人 前週比 微増
6月5日~11日 443人 定点あたり3.92人 前週比 微増
6月12日~18日 493人 定点あたり4.36人 前週比 微増
6月19日~25日 532人 定点あたり4.71人 前週比 横ばい
6月26日~7月2日 771人 定点あたり6.88人 前週比 微増
7月3日~9日 1,060人 定点あたり9.46人 前週比 微増
7月10日~16日 1,245人 定点あたり11.12人 前週比 微増
7月17日~23日 1,548人 定点あたり13.82人 前週比 微増
7月24日~30日 1,783人 定点あたり15.92人 前週比 微増
7月31日~8月6日 1,639人 定点あたり14.77人 前週比 横ばい
8月7日~13日 1,302人 定点当たり11.94人 前週比 微減
8月14日~20日 1,601人 定点あたり14.29人 前週比 微増
8月21日~27日 1,633人 定点あたり14.58人 前週比 横ばい
8月28日~9月3日 1,637人 定点あたり14.62人 前週比 横ばい
9月4日~10日 1,697人 定点当たり15.02人 前週比 横ばい
9月18日~24日 1,073人 定点あたり9.58人 前週比 微減
9月25日~10月1日 880人 定点あたり7.79人 前週比 微減
10月2日~8日 535人 定点あたり4.73人 前週比 減少
10月9日~15日 411人 定点あたり3.64人 前週比 微減
10月16日~22日 303人 定点あたり2.71人 前週比 微減
10月23日~10月29日 321人 定点あたり2.84人 前週比 横ばい
10月30日~11月5日 285人 定点あたり2.52人 前週比 微減
11月6日~12日 189人 定点あたり1.67人 前週比 減少
11月13日~19日 194人 定点あたり1.72人 前週比 横ばい
11月20日~26日 300人 定点あたり2.65人 前週比 増加
11月27日~12月3日 306人 定点あたり2.71人 前週比 横ばい
12月4日~10日 313人 定点あたり2.77人 前週比 横ばい
12月11日~17日 356人 定点あたり3.15人 前週比 微増
12月18日~24日 360人 定点あたり3.19人 前週比 横ばい
12月25日~31日 671人 定点あたり5.94人 前週比 増加
1月1日~7日 682人 定点あたり6.04人 前週比 横ばい
1月8日~14日 918人 定点あたり8.21人 前週比 微増
1月15日~21日 1,291人 定点あたり11.42人 前週比 微増
1月22日~28日 1,598人 定点あたり14.14人 前週比 微増
1月29日~2月4日 1,944人 定点あたり17.36人 前週比 微増
2月5日~11日 1,751人 定点あたり15.77人 前週比 微減
2月12日~18日 1,056人 定点当たり9.43人 前週比 微減
2月19日~25日 849人 定点あたり7.51人 前週比 微減
2月26日~3月3日 623人 定点あたり5.51人 前週比 微減
3月4日~10日 593人 定点あたり5.25人 前週比 横ばい
3月11日~17日 538人 定点あたり4.76人 前週比 微減
3月18日~24日 410人 定点あたり3.63人 前週比 微減
3月25日~31日 417人 定点あたり3.69人 前週比 横ばい
※前週との比較
急増減…1:2以上の増減
増減…1:1.5~2の増減
微増減…1:1.1~1.5の増減
横ばい…ほとんど増減なし
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tatsumine · 5 months
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井の頭弁財天
ここの弁天様は
お寺なのでお線香
#OM写真投稿 #OMSYSTEM OM-D E-M1 mark Ⅲ #Olympus
#voigtlander_japan NOKTON 25mm F0.95
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niwanoki · 8 months
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2023/09/17
一日だけ京都にいた。京都国立近代美術館の展示を見たいと思ったからだった、あまり深いことは考えずに、なんとなくでも興味が湧いたら、それを単なる錯覚だとか抑えずに、とりあえず軽い気持ちで見に行ってみようというモードにあり、それを実行したかった。職場にコロナに感染した人がいて、自分のデスクに近い人だし備品を共用してた人だったので、最近の体調不良からして自分はグレーだと思われるし、今までにあまりない感じの深刻な頭痛がきていつもの薬が効かないということでいよいよこれは、と暗い気分になって仕事を早退した日の夜、22時くらいの夜行バスで向かった。どうもお腹の調子が悪い。でもバスに乗ったら平時の感覚が戻ってきた、たっぷりある移動中に山本精一の本を読もうと思って、財布とかと一緒にリュックに入れた。途中の鮎沢SAは涼しくていい匂いがした、自分の知っている少し昔の夏休みの匂いに近く、下界とは違ってさわやかだった。人の気配がなく、私にはまだ逃げ場があると思える、曇っていて星は見えないけど、この場所は多分自分の味方であり続けてくれるはずだ。途中で酔わない程度に本を読む、やっぱりこの人は頭がおかしい。お腹の調子が悪いしこんな寝不足じゃ、小学生の頃なら吐いていただろう、あんまり眠れないまま5時半に京都駅前に着き、時間的にまだ真っ暗だったら嫌だなと思っていたが思いの外明るくなっていて安心した。国道1号を北へすすみ、日がのぼる頃の鴨川を見たいということでどんどん歩いていった、くるりの「ロックンロール」を聴きながら歩くと歩くスピードと合ってて、人も全然いないし人の匂いも全然なく、空気はすずしく、なんとなく自由って感じがあり気分が良かった。高瀬川を渡り、左にカーブするコンクリートの橋を渡る、急に開けて広い川が見える、東側の山の稜線が朝靄と朝日でぼんやり霞んでいる、いいなあと思う、だんだんお腹が空いてきたけどそのままお寺とか神社に行くのがいいかもと、近くにあった豊国神社を参拝した。そのまま川の東側の小道を北へ進むと良さそうな和菓子屋さんがあったけど朝早すぎてやっていない。五条まで来て、川縁に降りてたもとを歩いていった。白鷺とかゴイサギとかカモとかカラスとかがいる、朝の方が川の水もきれいに見えて断然良い。とにかく朝が早すぎて落ち着けるところがそんなになく、疲れない程度に歩くしかなかった。8時半くらいまでぶらぶらして、期待外れだった朝ご飯のお粥をお腹に押し込み、地下鉄に乗って蹴上まで行き、今度こそ「インクライン」を見るんだと思っていたのに、結局やっぱり「インクライン」がどこにあるかわからず、以前来たのと同じルートで南禅寺に行き、水道橋と、本堂の龍の天井画を見た。もうこの辺りで気温が上がってしぶとい暑さに疲れ始めていた。やっぱり同じルートでそのまま平安神宮の方に琵琶湖疎水の脇を歩いて、美術館についたが微妙に開館まで時間があったので、その辺を一周してから入館。朝早いのに若者が結構きていて京都ヤングの文化程度の高さを感じた。眠すぎて時々急に電池が切れたように意識がブラックアウトする。工芸品が所々ケースなどに入れず直に展示されているので万が一そっち側に倒れ込んじゃったりしたら非常に危ない。何度か前や後ろに倒れそうになりながら、そのため監視員にうっすらマークされながら一個一個見たんだけど、やっぱり時代が新しくなるにつれてつまんないというか、何をこいつらはしたかったんだろう、みたいな気持ちが湧いてきて飽きてしまった。60年代までは工芸品とオブジェの境界に迷うような姿勢が見えて、それが作品に直結してる感じがして良かったけれど。最後の部屋まで来てやっと意識が安定してきたので、また最初の方の部屋に戻って展示のストーリーを確認しながら見た、まあ話は分かったがなんかやっぱりつまらないので、単純にいいと思った展示物だけを見て終了し、コレクション展の階に行くと、やっぱりいい絵があったので、安心した。山崎隆の屏風絵《神仙》、《歴史》、村山知義のリノカット、伊藤久三郎の《人々》。これらを見られただけでも収穫だということにする。広くて明るくて客もあんまりいない、すいすいと自分のペースで回って、気分がいい。正常な空腹を感じたので、ああ自分は元気になったんだと安心し、東山からまた地下鉄で二条城前まで行き、頑張って微妙に体力を消耗する暑さの中を歩いていったのに、ちょっと一人で入るのに勇気が必要なカフェでは、狭い待合スペースにイケイケの若者、いや、文化に明るそうな高踏そうな?若者たちが鮨詰め状態なのが見え、すぐに心が閉じてしまって踵を返した、東西の太い道路を横切って、写真のギャラリーに行って、展示を見て、川崎祐という人の写真集を買った、東京で今個展開催中らしい(知らんかった)。最後にまた鴨川を見たかったけれど東海道新幹線の遅延の報を知り、しょうがないのでもう駅に向かう。やたら店内の暗いコンビニで適当に買ったアイスを食べながら日陰を歩く、どこもめちゃくちゃ混んでいて全ての人を黙らせたい衝動が起こったがナチュラルな関西弁は聞いていてそこまで気分が悪くない。京都駅で家にお土産を買って、結局定刻通りに運行しているらしい「ひかり」に乗る、名古屋まで30分くらい、忙しなさすぎてあんまり感傷?に浸ることもなく、でも夕方の車窓はやっぱり美しく、斜め後ろの座席の家族連れがうるさいな~ってことすら流せるくらい順調、定刻通り名古屋について颯爽と下車したら名古屋はまた死ぬほど人がいて、面食らった。改札近くのトイレも駅ビルのトイレもどこも全然空いてなくて、夕ご飯を買いたかった売店も観光客らしい人たちで大混雑していて、たかが名古屋のくせにと軽くイラついた。やっとのことで名古屋屈指の古い地下街の、そのまた地下(地下駐車場の)のお手洗いで用を足し、普通にバスにも間に合った、隣席は発車時刻ギリギリで乗り込んだ黒人の若いお兄さんだった。一瞬、バスジャックされたりしたらやだなとほんの一瞬思ってしまった(彼は終始、携帯などには一度も触れることなく、黒いリュックを抱えて多分寝ていた)。窓がでかいバスで、サッサカ暮れていく空と、高速の防音壁と、一瞬だけ帰ってきた名古屋の街とをゆったりした気分で眺めた、高速に乗る、というのはどこか、挑むみたいな気持ちになる。これからのとてつもない長い距離と時間に、後ろに去っていく風景に、空の色に、それがすごい好きだった。とてつもなく長い距離、というのが私にとっては重要なのです。とてつもない距離とそれが抱えている時間に次第に倦んでいく感覚さえ自分にとっては。こんなにも離れていたということ。これから離れていくということ、小さくなっていくことの寂しさと安心。夕方の名古屋高速はいい。伊勢湾岸道に入り、羅針盤のアルバムを聴きながらうとうとしていると、早々に「足柄から大井松田まで渋滞25キロ通過60分」の表示を見かけた。終電には間に合うかなと思って途中のSAで悠長にソフトクリーム(静岡茶味)を食べてたら、どんどん渋滞が伸びて40キロとかになっていた。横浜から首都高の入り口までも渋滞が始まってるということで地獄が待ってるらしかった。終電に間に合わなかったら交通費をいっぱいにケチった旅行が丸潰れになる~とか焦り始めていると、いざとなったらなんと父が東京駅まで出動してくれるという連絡が。ありがて〜けどそれもまた問題だよと思う。こんな年齢になった娘などもうどこで痛い目にあっていようがのたれ死んでようが放っておけばいいのにと思う。バスの運転手さんは非常に優秀な人と見えて、比較的空いている道ではちゃんとそれなりのスピードで走っていく。特に工事で端っこの車線が慢性的に通行止めの道でも、ガンガン右車線で飛ばしていき、どんどん後ろへ車が抜かされていくのが面白かった。この快調なスピードの上にいないとわからない音楽ってあるよね、ということで、くるりやスピッツやフジファブリックや奥田民生を聴いた。絶対そうなのだ。おなじみの足柄SAにたどり着くと、またものすごい数の車が集まっていて駐車場はごった返していて交通整理をする警備員さんが怒号ともつかない叫びで駐車できずあぶれた車、というかドライバーをさばいていた。御殿場を過ぎて雨が降ってきたけど、いつの間にか雲が切れて止んでいて、夜空はすごく澄んでいて星がいくつも見えた。こういう経験も、夏休みとか冬休み特有のものだった。渋滞でノロノロ進む車内でまた例の本を開く。人や動物に簡単にすぐ殺意を抱いたりしていて忙しそうで笑える。そもそも自分はこういう文体ににハマるたちだし、かなり真理らしいことを言ってたり考え方の極端さには共感すらしてしまうが、憤りとかマイナス?の力が増大した時の思考の飛躍と行動・言動が怖すぎて(ときどき時代錯誤感もあるし)、この人が父親でなくて本当によかった。歌声がいい、歌詞もいい、ギターもすっごいカッコいい、しかし。で、そんなこんなで終電に間に合うか、間に合わないか本当に微妙な時間になってきていたが、運転手さんの的確でメリハリある優秀な運転のおかげで遅れは1時間弱だった。心身ともにきついこともめちゃ多い仕事とは思うがやっぱり運転がうまい人はかっこいい。あと夜行バスは疲れている時はもちろん基本的には交通手段の選択肢から外すべきだ。どうせ眠れないから。ふらっとどこかへ消えたいと思った時、忙しない旅程を組むと感動する余裕も大して持てず帰ってきたときに何も変わっていない自分にただ、ただただ絶望する。0時前の混んでいる中央線快速、火でもつけたい気持ちに駆られつつ、急に疲労が襲ってきてまた意識がガンガン途切れて忘れたはずの吐き気も出てきて、薄めた地獄みたいだった。
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kei139-line · 1 year
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女子大生、花岬麻冬は吉祥寺で漆芸家の清乃と出会い、漆と陶芸の世界へのめり込む“心温まる陶芸ミステリー”『吉祥寺うつわ処 漆芸家・棗芽清乃の事件手帖』特設サイトと作品PVを公開
・がけっぷち女子大生&美しき漆芸家が贈る、心温まる陶��ミステリー ・「金継ぎ」という技術を通して、陶芸や漆芸の世界の魅力も楽しめる作品 ・舞台は吉祥寺!井の頭弁財天、ゾウのはな子像など実在するスポットも登場 マイクロマガジン社(東京都中央区)は、ことのは文庫『吉祥寺うつわ処 漆芸家・棗芽清乃の事件手帖』の特設サイトと作品PVを公開 ことのは文庫『吉祥寺うつわ処…
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hnagahama · 1 year
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末吉 (井の頭弁財天尊) https://www.instagram.com/p/Cm8HXVgPPk9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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asa-wt0 · 2 years
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歯ブラシは捨てた
「迎えにきて」と言う声はアルコールがしたたっているみたいに酔っ払っていた。 「京介。たのむ」 「いや……知りませんよ」  寒い夜で、携帯に向かって答えながらマフラーに鼻先を埋めた。おねがい、とバカみたいに甘ったるい声が聞こえ、俺は足元の石ころを蹴飛ばした。 「酔ってるんすか」と聞くまでもないようなことを聞き、先輩は「酔ってない」とお決まりの答えをする。「酔ってない、けど、ぐるぐるする」  ぐるぐるする。俺の一番下の妹だってもう言わないような語彙を、いったいどこから引っ張り出してきてるんだこの人は。 「先輩、俺いまデート帰りなんで。勘弁してください」 「ええ、マジ?」先輩の声はへらへら笑っている。「じゃデートの話聞かせにこいよ。今だれとつきあってんの」 「先輩の知らない人」というのは本当だったが、デート帰りというのは嘘だった。すいません嘘です、と言うタイミングを計りつつ、電話の向こうの沈黙を期待している俺の葛藤を知りもしない先輩は、「角の居酒屋にいるから」とあっさり言い残していきなり電話を切った。俺は携帯をポケットに突っ込んで、誰も見ていないのに、これ見よがしなため息をついた。でもそれより先に足は勝手に方向転換をして、行き先を自宅からよそに変えていた。つまり、バカなのはこっちってことだ。  「角の居酒屋」とは、出水先輩が一人暮らしをしているマンションの、通りを隔てたはす向かいのチェーン店のことだ。出水先輩は中にいて、ひとりでテーブルに突っ伏しかけていた。先輩、と声をかけると目が合ってうれしそうな顔をするわりに、「おせーよおまえ」と文句を言う。 「どんだけ飲んだんすか」 「うーんまあ、けっこういっぱい……」と言いながら、半分ほど残っているジョッキの持ち手をつついている。顔がほてっているのが見るだけでわかる。先輩は酔うとすぐ赤くなるのだ。 「いい加減、酔っ払って電話してくるのやめてもらえませんかね。それも、俺にばっかり」 「や、こないだは佐鳥にかけたんだけど」  眉間に力が入るのがわかったが、先輩はもう俺のほうを見ていなかった。 「でも佐鳥出なかった」 「それで、今日は俺?」 「うん、佐鳥でもいっかと思ったけど、あいつ来ないし、やっぱおまえじゃないと……」 答える先輩のまぶたがだんだん落ちてくる。これはもうだめだな。うんざりした気持ちが腹の底から湧いてくるが、ひとまず会計を済ませようと伝票を手に取った。注文されたグラスの量は、俺から見れば「けっこういっぱい」ではないが、先輩の酒量としては多すぎた。鞄が見当たらなかったのでぐにゃぐにゃしている先輩のパンツのポケットに手を突っ込んで財布を探す。頭のすぐ横から、先輩の息の量多めの吐息が吐きかけられる。舌打ちをした。  酔っ払いを半ば担ぐようにして、なんとか先輩のマンションまで連れていく。先輩がくしゃみをしたので、巻いていたマフラーを貸してやった。濃紺のマフラーは先輩には似合わなかった。  ドアの前で鍵を探すのにまたポケットを探ると先輩がうなりながら下半身をもぞもぞさせたので、玄関前に捨ておきたい衝動と戦うのに苦労した。やっとの思いでドアを開け、崩れ落ちた先輩の靴を脱がしてやっているあいだに出水先輩は一度正気を取り戻したらしく、目を開いて俺を見た。 「京介?」ほぼひらがなの発音だった。 「京介ですよ」と答えてやると先輩はにこっと破顔した。高校生だったころとまったく同じ笑い顔だった。何も言えない俺が先輩の靴のかかとに指を突っ込んだまま固まった、その一瞬で先輩はまた寝た。ベッドまでは引きずるしかなかった。  先輩の部屋はけしてきれいではないが、ごちゃごちゃしているからこその居心地のよさがあった。そう言い訳をしてずるずると居座ったのは一度や二度じゃなかった。前に来たのがいつだったかは簡単に思い出せるけれど、思い出さないように気をつけた。そのくせ記憶と変わったところがな��か探してしまう。知らない写真だとか、出水先輩の趣味っぽくない小物とか、あるいはベタに二本目の歯ブラシだとか、そういうものはどこにもなかった。顔だけ洗って、ベッドに戻る。出水先輩は眠っている。かわいいなと思った。バカな先輩はかわいい。  先輩もバカな俺をかわいいとか思ってるんだろうか。それじゃバカップルじゃないか。もうずいぶん前からカップルじゃないのに。  先輩の隣に潜り込んで目を閉じる。枕から出水先輩のにおいがした。  翌朝起きてきた出水先輩は、ぼさぼさの頭をさらにぼさぼさにかきまわしながら俺を見て、「おまえさあ」と言う。 「手、出せばよかったのに」 「それ佐鳥にも言ったんすか」 「は? 佐鳥? なんで?」  本当にわかってない顔をするので、「なんでもないです」で済ませる。 「酔っ払い相手に手なんか出しませんよ」実際は出そうとしたのだが、早々に寝入っていた出水先輩が、なにをどうしても起きなかったのだった。そうとは知らない出水先輩は、朝食に卵を焼いている俺の背後にぴったりくっついてくる。出会ったときはほとんどなかった身長差は、成長の止まった先輩を俺が追い越す形でどんどん広がり、今は先輩の小さな呼気が俺の首筋に当たるくらいになっている。ベーコンとかないんすか、と聞こうとして振り返る。出水先輩の顔が思ったより近くにあった。まつげが触れあいそうな距離まで先輩が近づいてくる。そのまま数秒静止してから、ちょんとくちびるがくっついた。先輩の目を見たかったけれど、近すぎてピントが合わない。 「いまって俺たち別れてますよね」 「別れてたらちゅーしちゃいけねえの?」 「ちゅーとか言うのやめてください」 「おまえ好きかと思ったんだけど」と先輩が小首をかしげるので、「いやまあかわいいすけど」と答えたら笑われた。 「そんなだからつけ込まれんだよ」と先輩が言う。「シャワー浴びてきたらどうですか」と俺が言う。「朝飯つくっときますから」焦げかけている卵を救うためにフライパンに向き直る。先輩は俺の言うことを無視して、きちんと乾かさなかったせいで半ば濡れている俺の髪を弄んでいる。 「おれら、いつ別れたんだっけ」 「最初に別れたのは三年前ですね」 「そん次は?」 「七ヶ月前」 「だんだんこらえ性なくなってきてんな、おれたち」 「先輩、皿出して」  ぺたぺたいう足音が背後を離れていく。白い皿を二枚俺によこして、先輩はリビングのカーテンを開けにいった。 「結婚でもしましょうか」 「だれとだれが?」 「俺とあんたが」 「なんで?」  カーテンの開く音がして、部屋にさっと光が満ちた。冬の低い太陽が先輩の髪を透かして、毛先がきらきら光っている。 「別れたりまたつきあったりするの、疲れません?」  卵をきれいに皿にのせて、リビングに運ぶ。先輩は散らかったテーブルをいい加減に片付けながら「ベーコンも焼いてくれりゃよかったのに」と言った。 「つーかおまえ、今の相手はどうすんの」 「そりゃ、別れることになるでしょうね」 「けっこう冷たいね、おまえ」  あんたに言われたくないとは言わなかった。トースターがチンと音を立てたので立ち上がる、そのタイミングで先輩は、「疲れるなら来なくていいよ」と言う。焦げたパンを手に振り返っても目は合わなかった。傷ついた顔をする先輩はかわいい。俺が傷ついていることを無視する先輩を、何年も前からずっと好きなままでいる俺は、先輩からどう見えているのか、何年も経つのにずっとわからないでいる。卵の上にトーストを放り出すと先輩は嫌な顔をして俺を見る。ざらざらした手で頬に触れて、ちゃんとキスをした。
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「おまえら最近どうなってんの」と太刀川さんが言った。太刀川さんはソファにひっくり返ってだらだらしているところで、おれは向かいのソファでみかんをむいていた。今日は任務もランク戦もないので、作戦室にいるのはおれと太刀川さんのふたりだけだ。 「おまえらって、だれとだれですか」 「おまえと烏丸だよ」と太刀川さんはあっさり言って、「ほかにだれかいるか?」とつけ足した。ほかにって、ほかにもそれなりにいる(いた)ことは太刀川さんだって知っているはずだ。昨日だって、ほかのだれかと別れたばっかのとこだったし。振られたやけ酒だったし。とは、もちろん口に出さなかった。 「なんか、結婚でもしますかって言われました」 「へえ。いつ?」 「いや、しないですよ」 「違う。言われたのいつだよ」 「それは今朝」 「ふうん」  聞いてきたわりにちっとも興味のなさそうな相槌を打って、太刀川さんはぼんやり天井を眺めている。もっとも、おれだって太刀川さんが真剣に相談にのってくれるようなタイプだったら、最初からこんな話はしていない。おれと太刀川さんのあいだにあるテーブルの上には、隊長が月イチで出さなきゃいけない報告書が投げ出してある。つまり、太刀川さんはこれをやりたくないがための時間延ばしをしているわけだ。 「あいつも��っこう一途だよなあ」  全然そんなふうには思えなかったが、面倒なので「そうですかねえ」と言った。視線の先ではソファに引っかかっただれかのジャージ(もしかしたらおれのかもしれない)がずり下がってきて、太刀川さんの頭にバサッと落ちた。太刀川さんがそれをまたソファの背にかける。勢い余って反対側へ落ちたが、気にするようすもない。  だって、おれと別れて先に恋人をつくったのは京介のほうだった。  京介と最初に別れたのはどうしてだったか。たぶん理由があったはずだがよく覚えていない。もうダメだな、と思ったことだけははっきり記憶していて、それを京介に告げると案外聞き分けよく「わかりました」と頷かれたのだった。京介が大学に進学した春のことで、桜がよく映える晴天の日だった。それがまたあいつが背負うとやたら絵になるのだった。京介のことがどんなにイヤになっても、たぶんこいつの顔を嫌いになることはないな、とそのとき思って、それは今のところ当たっている。  ぼんやり考え込んでいると、太刀川さんが「それ食わねえの」と顎をしゃくった。みかんをむいていたことをすっかり忘れていた。 「一個ちょうだい」 「かなりぬるくなっちゃいましたけど」 「いいよ別に」  半端に残っていた皮を取り終えて、太刀川さんが差し出してきた手の上に一房のせた。自分でも口に入れる。甘い。 「おいしいですか」  太刀川さんは頷いて、また手を伸ばしてくる。今度は三つ手のひらに置いてやる。太刀川さんはそれをいっぺんに食べている。みかんの汁が報告書にちょっとかかったことに気づいたが、どうしようもないので放っておいた。  冷蔵庫からもう一つ出してこようかと思っていると、太刀川さんがだしぬけに「結婚しないの」と言った。 「しないですよ。だいたいあいつまだ二十一だし」 「じゃあいくつになったらすんだよ」 「ええ……ていうかなんでするの前提なんですか。やだよ」 「おまえあいつとしか結婚しなさそう」 「結婚しなさそうとか、太刀川さんには言われたくないかも」 「失礼なやつだなおまえ」 「だって太刀川さん、全然変わんないんだもん。初めて会ったときから」  二十五になった太刀川さんが、二十二になったおれを見て、「おまえの大好きな太刀川さんのまんま?」と、バカみたいなことを言う。おれは思わず笑った。返事がないことを、太刀川さんは気にしない。そういうところが、確かに前々から好きだった。  別れた理由は覚えていないのに、京介がおれの知らないだれかとつきあいだしたと、最初に聞いたときの気持ちなら覚えている。今はもう慣れたけどあのときは、飲み込めない鉛みたいなものが、のどに引っかかって苦しかった。自分が傷ついたことを認めるのに一年かかった。ようやく認める気になって元鞘に収まってから、いつだったかつきあっていた相手の歯ブラシをおれの家で見つけた京介がぼそぼそと文句を言ってきたので、「おまえだっておれと別れてさっさと次いってたじゃねえか」と言ってやったことがあった。それを聞いた京介はますますいじけた顔になって、「先輩のほうが先だったでしょ」と言った。あれは、どういう意味だったんだろう。 「出水」  名前を呼ばれて顔を上げる。太刀川さんはいつのまにか立ち上がっていた。電灯が太刀川さんの表情を影にしている。くっきりしたのどぼとけだけが妙に目についた。  ごつごつした手がおれの口元に伸びてくる。それを黙って見つめたまま、心持ちゆっくりまばたきをした。  太刀川さんのかさついた指がくちびるをなぞった。おれは逆光になった太刀川さんの顔からくちびるを目で探している。キスをしたことが一度だけあるくちびるだった。あの日太刀川さんは酔っていて、ぬるぬるしたアルコールの味がした。 「みかんの汁ついてた」と言って太刀川さんの指が離れた。「はあ、どうも」とおれが言い終わる前に太刀川さんはまたソファに戻っていった。  それから結局みかんを二つ食べて、太刀川さんがようやく重い腰を上げて報告書にとりかかるのを見届けてから、作戦室を出た。ドアを閉めてすぐ京介が壁によりかかっていることに気づいて、思わず「うわ」と声を上げてしまう。 「うわとはなんすか。失礼な」 「おまえなにしてんの」 「先輩を待ってました」 「中、入ってくればよかったのに」 「太刀川さんいるでしょ」 「いるからなんだよ」というのには答えず、京介は勝手に並んで歩き出す。そこから、本部を出るまでどちらも口をきかなかった。  外に出て、コートの前をきちんと留めなおしていると、京介が「別れて来ました」と言った。 「それ言いに来たの?」 「そうです」 「別に、おれ関係ないし。好きにすれば」 「関係なくないでしょ」と言って京介はじっとおれの目を見つめる。今朝のやりとりを思い出しそうになって、おれはため息をついた。歩き出すと、京介はやはり当たり前のように隣に並ぶ。 「おまえ、今おれとつきあってなくてよかったな」 「なんでですか」 「そしたらもう今朝の時点で別れてた」 「プロポーズの返事がそれって、さすがにショックすね」  見上げた顔はいつも通り飄々としていて、そんなふうにはまったく見えなかった。京介のポーカーフェイスは今に始まったことではないが、長いつきあいなのだから多少は見分けがつくのだ。  なにもこたえずにいると、京介の手が伸びてきておれの手を掴んだ。横からおれのようすをうかがう気配を感じたけれど、わざと無視した。 「なんか高校生のときみたいすね」 「高校生のときにこんなのしたことねえだろ。だれと勘違いしてんだよ」 「冗談すよ」 「どうだか。イケメンは信用できねえ」 「先輩をだれかと間違うわけないじゃないですか」  京介の手は冷たかった。「先輩、手あったかいすね」と京介が言った。おまえの手が冷たすぎるんだよと思ったがなんとなく黙っていた。夜の道を歩きながら、おれは太刀川さんとキスをしたのが、京介と別れる前と後のどっちだったかを考えていた。
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 昼休みに佐鳥と大学の食堂でメシを食っていると、俺の背後に目をやった佐鳥が「あ、出水先輩だ!」と叫んだ。せんぱーい! と元気よく手を振る佐鳥につられて振り返ったら、ちょうど出水先輩が食堂に入ってこようとしているところだった。先輩は俺を見てあからさまに顔をしかめ、次の瞬間には踵を返して出ていってしまう。 「えっ、無視されたんだけど……」  行き場をなくした片手を上げたままの佐鳥が哀れだったので、「おまえじゃなくて俺を無視したんだと思う」とフォローを入れておく。 「そうなの? また出水先輩と喧嘩してんだ」 「喧嘩……」  あれは喧嘩なのだろうか。先週最後に会ったときのことを思い返す。手をつないでも嫌がられなかったことからして、怒っているわけではないはずだ。話の続きをするのが嫌なだけだろうから、喧嘩ではないような気がするが……。考え込む俺をよそに、佐鳥は能天気にカレーを食べながら「早く仲直りしなよ」と言う。 「佐鳥ならどうやって仲直りするんだ」 「オレ? そんなの素直に謝るしかなくない? あ、怒らせちゃったんだったら好きなもの買ってって機嫌とったりとか」 「なるほど」 「とりまるはいつもどうやって仲直りしてんの」  聞き返されて、かけうどんを啜りながら考える。一番大きな喧嘩と言えば、二度目につきあっていたとき、出水先輩の部屋でいい雰囲気になったちょうどそのとき太刀川さんから電話がかかってきて、出水先輩が当たり前のようにその電話に出た(そしてその後俺の相手を一切してくれなかった)のに端を発するやつだ。出水先輩の太刀川さんに対する敬愛、と言うと聞こえがいいけれど、正直に言えば俺はあの二人のあいだにもっと生々しいものがあるように感じていて、そのへんの疑念をぶちまけたら先輩はめちゃくちゃ怒った。その喧嘩がどう終結したかというと、面倒になった俺がセックスに持ち込んでうやむやにしたのだった(なのでその話は俺の中では終結していない)。  ということは佐鳥には言えないので、「まあなし崩しに」とだけ言う。 「なし崩し……」  半笑いでカレーをかきまわしている佐鳥に向かって、通路の向こう側から佐鳥くーんとうれしそうに名前を呼びながら手を振っている子がいる。ぱっと全開の笑顔になった佐鳥が手を振り返すと、それで満足したのかさっさと去っていく。相変わらず広報の仕事をしている佐鳥は顔が売れているので、大学構内でもこういうことはままあった。 「モテモテだな」 「そういうんじゃないし。とりまるに言われても嫌味っぽいんだけど」  カレーの続きにとりかかりながら佐鳥が口を尖らす。おまえにそういう顔をされても。 「出水先輩以外にモテても意味ないんだよな」 「出水先輩にもモテてるじゃん」  そうだろうか。うどんの最後の一口をすすり終えて考える。モテていたらプロポーズをして以来避けられるということにはならないのではないか。 「でもとりまると出水先輩って不思議だよね」 「なにが」 「だってタイプ全然違くない? 最初聞いたときびっくりした」 「そうか?」 「そうだよ。ていうかとりまるはさ、だれに告白されてもぜんぶ断ってたから、あーそうだったんだ、と思ったけど、出水先輩のほうがちょっと意外。とりまるなんだ! っていう。なんかもっとわかりやすくカワイイ子が好きそうな気がしてた。オレの勝手なイメージだけど」  残ったカレーをスプーンできれいにすくうのに夢中になっていた佐鳥は、俺が黙り込んでいるあいだしばらく顔を上げなかった。ようやく食べ終えて俺の顔を見た途端に、口をへの字に曲げる。 「ちょっと、そんな顔しないでよ。そういう意味で言ったんじゃないんだから」 「そんな顔ってなんだ」 「変な顔してる」 「おまえに言われたくない」 「ひどくない!?」  昼休みも終わりに近づいていたので、笑いながら食器を片付け、食堂を出たところで佐鳥と別れた。思い出して「おまえ酔っ払った出水先輩からよく電話くるのか」と聞くと、佐鳥は「それ聞かれると思った! 出たことないからねオレ!」と叫んでばたばたと去っていった。  電話がかかってきたのはどうも一度だけではなさそうだ、と考えながら講義室へ向かう。途中で携帯が震えた。バイト先からで、シフトにミスがあり今日は休みにしてほしいとのことだった。好都合だ、と思って足取りが軽くなる。  俺の鞄の中には自分の家だけでなく出水先輩の家の鍵も入っている。一度も使ったことがないので、出水先輩は渡したこと自体を忘れているのだろう。食堂で無視された意趣返しに、講義をすべて終えた俺が勝手に家に上がって、帰宅した先輩に「おかえりなさい」と言ってやったら、先輩はぎょっとした後に案の定「あー、合鍵……」と呻いてうなだれた。  鍵を返せと騒ぐ先輩をなだめすかしてベッドに連れ込む。先輩は流されやすいし、それ以上に俺に流されるのが好きなところがあるので、それはそう難しいことではなかった。  お互い一回ずつ出したころには先輩は鍵のことは忘れてしまったらしく、「いまっておれたち別れてんだよな」とぶつぶつ言っていたが、一度軽くキスをしたら静かになった。それから、「おまえにとって結婚ってなに?」と、気だるげに、どっちかというと投げやりに言った。 「家族になりたいとか、一緒に住みたいとか、そういうこと?」 「一生一緒にいたいってことです」 余韻でまだぼんやりしている先輩の顔をじっと見つめる。先輩はちょっと目を瞠ってから困った顔をして、でも「それは無理だと思う」とはっきり言った。 「二回つきあって二回ともダメになっただろ」 「そこはその、三度目の正直ってやつすよ」  先輩は俺の言い分を無視した。「だいたい、結婚したからって別れないわけじゃねえだろ」 「それくらいは俺だってわかってます」  汗の浮いた胸元に頬を寄せた。弛緩した先輩のからだはなんの反応もしなかった。耳を押し付けると先輩の心臓の鼓動がした。 「でも普通につきあってるよりは、別れるハードル高くなるでしょ」 「……そんな理由なの」 「そんなって」先輩が身じろぐ気配がしたので、軽く体重をかけて抑え込む。「俺にとってはかなり大事なことなんすけど」 「おれは」ベッドに投げ出されていた出水先輩の手が緩慢に持ち上がり、おれの頭の上に着地する。くしゃくしゃになった髪をくしけずる手つきがいやにやさしい。 「どうせまた別れんなら、もうつきあわないほうがいいんじゃねえかって思ってる」  胸の奥が痛みそうなのを、奥歯を噛んで堪えた。 「つきあわなきゃ、別れることもないし。おまえも疲れなくていいだろ」 「疲れるって言ったの根に持ちすぎじゃないすか」 「うるせーな。つうかおまえいつまで入れてんだよ」 「もう一回してもいいすか」  返事を待たずに揺さぶると、先輩が小さく息を吐いて悩ましげな顔をする。腰が重たくなったけれど、「とりあえずゴム替えろ」と先輩がかかとで俺を蹴ったので、しぶしぶ抜いて手早くゴムを付け替える。改めて先輩の中に入れながら、「俺は、別れてるあいだも先輩とつきあってるつもりでしたよ」と言ってみる。頬を上気させながら先輩は「いやちょっと意味がわかんねえ」と言う。 「じゃあおまえ浮気しまくりだったんじゃねえか、ふざけんな」 「え、そこなんすか」  眉間にぎゅっと皺を寄せて先輩が俺を見上げる。「出水先輩、俺のこと大好きじゃないですか」 「バカ、京介、おまえ……」だんだん荒くなる息をなんとか整えようとする先輩の、ひくつくのどぼとけに噛みつく。中がいっそう締まるのと、「知らなかったのかよ」と出水先輩がかすかに笑うのは同時だった。それだけで俺は達してしまって、先輩は「早すぎ」と言って、今度はもっとわかりやすく笑う。俺はなにも答えられないで、先輩の眦にたまっていた涙を黙って舐めとった。
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 あれ以来、京介はおれの家に入り浸っている。おれの家からバイトや大学や玉狛支部に出かけて、終わったらおれの家に帰ってくる。なんだか知らないが、渡したっきりすっかり忘れていたあの合鍵を、今になって使うことに決めたらしかった。京介は家族を大事にしているから、つきあっていたときでさえ外泊をすることはあまりなくて、だいたいいつも実家にきちんと帰って寝ていたのに。本人が言うにはそろそろ一人暮らしをすることを考えていたらしい。一人暮らしじゃねえけどな。おれの家だから。  今日も起きたらいきなり京介の寝顔が目に飛び込んできた。影ができそうなほど長い睫毛はもとより、口が半開きになっているのもまぬけで、見ていて楽しい。血色はいいし隈もできていないのはなによりだけれど、くちびるがちょっとカサカサしている。あとでリップクリームをやろう、と思いながら、起こさないようにそっと京介をまたいで、ベッドを下りる。バイトや大学や防衛任務に忙しい京介のスケジュールをおれは全然把握していないので、寝ている京介のことは放っておくことにしていた。カーテンを開けるのも後回しだ。  顔を洗ってからテレビをつけた。京介を起こさないように音量を絞って天気予報を見る。カーテンのすきまから見えているのは曇り空だけれど、昼くらいから晴れてくるらしい。しばらくスマホをいじりながらだらだらしていたものの、空腹が限界になってきたので観念して立ち上がる。冷蔵庫の中身がすっからかんなのは見るまでもない。 ソファに置きっぱなしにしていたパーカーを着ているところで京介が起きてきて、ぼんやりした顔で「おはようございます」と言う。 「おはよ」と答えながら、財布を部屋着の尻ポケットに突っ込む。 「どっか行くんすか」 「ちょっとコンビニ。朝飯なんもねえから」 「俺も行きます」 「買ってきてやるけど」と言ったのに、「ちょっと待っててください」と京介は洗面所に消えた。すぐ戻ってきたところを見ると本当に顔だけ洗ったらしい。普段からもさもさの髪があちこち跳ねたままだった。  部屋を出てエレベーターを待っているあいだ、たまたま当たったと言えなくもないくらいの自然さで、京介の右手がおれの左手に触れた。知らん顔をしていると、ゆるゆると指先が絡まってくる。コンビニまでは歩いて3分もかからない。通勤や通学にはちょっと早い時間だったので、人通りはあまりなかった。 「今日の予定は?」 「午後から大学行きます」 「ならもっとゆっくり寝てりゃよかったのに」 「先輩は?」 「おれは夕方から防衛任務」  買い物かごにおにぎりやらカップ麺やらを適当に入れていると、京介が「野菜もちゃんととったほうがいいすよ」と言う。顔を顰めて野菜ジュースを手に取るおれを見て、京介がわざとらしくため息をつく。 「なんだよ」 「いやべつに」これ見よがしにコールスローを持ってきて、おれのかごに入れる。 「先輩、普段コロッケで野菜とってるつもりじゃないですよね」 「バカにしてんのか?」  レジに向かおうとして、ゴムがなくなりかけているのを思い出した。京介は方向転換したおれの後ろをついてきて、おれの見ている商品に気づくと「朝からなに買ってんですか」と仏頂面で言う。 「なに? 照れてんの?」 「いや照れてはないです」 「そういやおまえ歯ブラシ買ったら」 「あるじゃないすか」 「おれと同じ色のやつだろ。あれどっちがどっちかわかんなくて紛らわしいんだよ」 「俺はべつに間違っても構わないんで。……すいません嘘なんでドン引きするのやめてもらえますか」 「おまえの冗談わかりづらい」0.02ミリのゴムと、ピンクの歯ブラシを加えておれが会計をするあいだ、京介はレジ横でおとなしく待っていて、店を出たらまた手をつないできた。気まぐれにぎゅっと手を���ってみたり、力を抜いてみたりする。だんだん京介の手がぽかぽかしてくるのがわかる。家に着いて手を離すと、京介はちょっと顔を顰めておれを見た。 「かわいいことするのやめてほしいんですけど」 「おまえっておれがなにしてもかわいいんじゃないの?」 「いつからそんなかわいくないこと言うようになったんすか」 「かわいいのかかわいくないのかどっちなんだよ」  マグカップにインスタントの味噌汁をつくって、ソファに並んで腰を下ろす。ようやく開けたカーテンの向こうはもう青空になっていて、花粉がよく飛びそうな天気だと思った。京介が器用におにぎりのフィルムをはがす。それからじっとおれが見ているのに気づいて、食べるのをやめないまま首を傾げる。なにも答えずにいると京介がキスをしようと顔を近づけてきたので、寸前で顔を逸らした。 「先にリップクリーム塗って」 「ええ……」 「くちびるガサガサだと痛いからやだ」  不満げな京介が腕を伸ばしてバッグをつかみ取り、リップクリームを本当に探し始めるので、おれはケラケラ笑った。 「そんなにしてえの」 「したいですよ」 「かわいいな」振り向いた京介のくちびるはつやつやになっていて、よく見るとくちびるからはだいぶはみ出しているような気がした。京介はおれが持ったままだったマグカップを引っ繰り返さないようやさしく両手を添えて、それからキスをした。 「あのさ」 「はい」 「最初のうちはこうやってなかよくやれんのに、なんでいっつもダメになんのかな」  おれの手に触れていた京介の指がちょっとこわばるのがわかったので、また指を握ってやる。 「……なんでですかね。俺が聞きたいんですけど」 「今っておれたちつきあってる?」 「俺はそのつもりでしたけど」 「おまえのそういう、言わなくてもわかってるでしょって態度がおれ、けっこうイヤ」 「先輩が毎回俺を振るのってそのせいですか?」  寝癖がついたままの京介が薄く笑った。指の腹でおれの手の甲をゆっくり撫でる。傷ついたのを誤魔化すことばかりがうまくなってしまった、と気づくたびにおれも少しかなしくなる。 「わかんねえけど、おまえの一番嫌いなとこってそこ。肝心なこと言わないだろ」  そうすかね、と答える声は穏やかで、ちゃんと怒ればいいのに、と思う。おれはたまに京介をめちゃくちゃ怒らせたくなるときがある。いつだったかおれと太刀川さんの仲を怪しんできたときみたいに、あれは本当にとんでもなくバカげた勘違いだと思ったけど、でもあのときみたいにちゃんと言えばいいのにと思うことがある。くちびるを軽く噛んだら京介のリップクリームの味がした。 「……玉狛に転属したときだって、おれには言わなかった」  虚をつかれた顔で京介が瞬きをする。口に出した傍から後悔して、慌てて立ち上がった。背を向けたけれど当然京介はついてくる。 「いや、言ったでしょ」 「言われたけど! あれはただの報告だっただろ」   京介は二歩でおれの前に回り込むことができて(背が高いだけじゃなくて足も長くてムカつく)、おれの顔を覗き込む。とっさに俯いてまだカップを持ったままだったことに気づく。底にちょっと残ったお湯と、溶け残った味噌と、へばりついたワカメが見えて、情けなさに喉がぐっと鳴る。 「相談したほうがよかったですか」って、そんなやさしい声を出すなよ。 「いや……うちの隊辞めたのをどうこう思ってるわけじゃないけど。相談されたかったわけでもないけど、おまえ、大事なことはいつも一人で勝手に決めるじゃん。おれならわかってくれるとか思ってんのかもしんないけど」ここまで言って、なんだか余計なことまで言いそうになったので口を閉じた。 「そういうふうに見えてます?」 「見えてる」  京介はしばらく黙り込んでから、おれの持っていたマグカップを奪って、台所へ持っていった。少し爪の伸びてい���京介の裸足が遠ざかっていくのを見てようやく顔を上げる。京介と目が合う。 「俺は先輩の、言わなくていいこともなんでも言っちゃうとこがたまに嫌いですけど」 「おい」 「でも肝心なこと言ってくれないのはそっちも同じじゃないすか。別れ話する前にそういうの言ってくれたらよかったのに」 「……あのときは言ってもしょうがないと思ったんだよ」 「じゃ、今話してくれてんのは、見込みがあるってことでいいんすかね」 「おまえなんでそんな前向きなの?」  呆れて笑うと京介は至極まじめな顔でおれに手招きをする。手の届くところまでおれが寄っていったら抱き込まれて、京介の顔がおれの肩口に埋もれた。もさもさの髪の毛がくすぐったい。 「先輩、俺が太刀川隊やめたとき、ショックでした?」 「まあちょっとは」 「唯我とすぐ仲良くやってたくせに」 「おまえ唯我にまで妬いてんの?」  冗談かと思ったのに、京介は黙っておれの肩に頭をぐりぐりさせているので、もしかすると本気なのかもしれない。面倒くさいやつ、と同時に、かわいいなとも確かに思うので、おれも大概バカなのだった。 「俺も、先輩に振られたときショックでしたよ」と小さな声で京介が言う。子どもをあやすような気持ちになって背中をぽんぽん叩いてやった。 「じゃあ次はおまえがおれを振っていいよ」  京介が勢いよく顔を上げた。不機嫌そうなわりに顔がちょっと赤らんでいて、おお、となんだか感動する。中学生だったころならともかく、最近はめっきり見なくなっていた顔だった。怒っているくせに照れている。 「あんた、ほんとに」  言いかけて口を閉じて、への字に曲がった口のまま頬にかじりついてくるので、おれはいよいよ声を上げて笑った。 「でも先輩がプロポーズはぐらかそうとしてることはわかってますからね」 「あー、バレてたか」
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gerokichi · 11 days
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新緑の井の頭公園をひと回り。まずは吉祥寺駅側の入口から入って、大きく右に回る感じで弁財天まで。
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kachoushi · 2 years
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各地句会報
花鳥誌 令和4年7月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和4年4月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
花の舞ふ五叉路に迷ふ女かな きみよ 蛇穴を出て街中に紛れたる 梓渕 大江戸も春や二の橋三の橋 荘吉 ハワイアンたらたら流れ逝く春ぞ いづみ 大銀杏とは崩れつつ芽吹くもの 光子 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 春の地上へとエスカレーターエスカレーター 炳子 六本木ヒルズの方へ茎立ちぬ いづみ 小津映画ほどの間合や春の昼 美紀 春爛漫東洋英和女学院 梓渕
岡田順子選 特選句
女学館へとまやかしの蜃気楼 俊樹 道路鏡に真昼の空や鳥交る 炳子 花衣抱かれて泣く真昼かな 光子 花盛り帝都の地下を逝く列車 久 骨董を異人売りをり春市場 季凜 花衣とて親鸞のわらぢ履き 千種 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 開山堂椿は白に額は朱に 季凜 老酒の壺の箆跡風光る 和子 手のひらが日を受くやうに飛花落花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春光やコロコロコロと猫たはむ 喜代子 制服も夢も大きな一年生 由季子 ぶらんこや少し揺らぎて誰を待つ 同 遠い国桜咲くよな和みあれ さとみ 春灯や逝きし人宛文を書く 都 九頭竜に影を流して春の雲 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
鳥曇東尋坊に句碑幾つ 匠 日本海敦賀も能登も鳥曇 同 お精舎は花の宇宙となりにけり 笑 花見舟鳩も雀も乗りたかや 希 白猫も潜めし花の堤かな 天 空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
花の昼一本の棒の如く臥す 悦子 野遊やゴム動力機風に乗せ 宇太郎 落花また落花画布まだ白きまま 栄子 少女らに余る日溜り菫濃く 都 戻りにも居るふらここの独りぼち 栄子 風光る雲に届けと竹蜻蛉 宇太郎 しやぼん玉橋の上から彼の世まで 栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
陽子墓碑追慕にしばし桜舞ふ 文英 鶯の息継ぎ長きとしあつ忌 百合子 たえまなく組んでほぐれて花筏 ゆう子 ふらここや立ち去る子等に揺れ残る 多美女 ふらここの空へ空へと蹴る愁ひ 百合子 チューリップ南部鉄器の壺の中 節子 ぶらんこや引つ越す友と風をきり 三無 天からの風に舞ふ花としあつ忌 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
鄙里の相聞歌碑や青き踏む 時 江 干鰈の骨透きとほる越の町 ただし 思案橋ゴルフボールは朧にて 三四郎 仏生会寺の柱に凭れけり 世詩明 花吹雪手に掬ひても停まらず 同 うららかや猫と話すは妻のこゑ 三四郎 家刀自の納戸色てふ花衣 昭上嶋子 花吹雪しの字への字と風に乗る みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
遠足の列に割り込む仔犬かな 史空 縋るものあれば絡みて豆の花 三無 豆の花叱られるのはいつも姉 美貴 遠足や新任教師もみくちやに 三無 遠足の思ひ出母の味噌にぎり 貴薫 遠足やほんのり甘き玉子焼 美貴 春風に心放たれ一歩かな せつこ 遠足の列笛の音に伸び縮み 三無 豆の花剪定の音惜し気なく 有有 遠足の信号待ちの列乱れ ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
椿咲く日々つがひ鳥顔うづめ みえこ 高架下電車の音も東風に乗り 紀子 病床の闇を香らせ沈丁花 令子 満開の花や背景埋め尽くす 裕子 暮遅し残業の無き日の余裕 紀子 完璧に弾けぬピアノや花の雨 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月12日 萩花鳥句会
乱鶯や競ふ息吹に山びこに 祐子 啓蟄や地下で避難す命あり 健雄 霧かかる山なみのぞむ花見バス 恒雄 病む体不安ばかりや春の闇 ゆかり 先々のことは預けて花見かな 陽子 初蝶を追ふ子の網に花ひらり 美恵子
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令和4年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
初蝶と云ふ前触れも告げぬ使者 雪 猩々と云ふ程もなき花の色 同 落ちさうで落ちかねてゐる白椿 同 花筏墨絵のごとく流れゆく 和子 森羅万象春の息吹の謳歌あり 同 花影やひとりで修す愛子の忌 眞喜栄 寺町へ路地幾曲がり鐘朧 英美子 百千鳥今極楽と鳴き交す 玲子 入院の衣裳としたる花衣 千代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
桜蘂降る城攻めの骸積み 斉 メタセコイア芽吹きの森に小さくゐる 要 供養する人に緋牡丹浄土なる ます江 蒲公英をたどりたどりて母の塔 久 鬨上げて城山囲む芽吹きかな 兎生 たんぽぽに膨らむ丘や母子像 斉 桜蘂まみれの犬とすれ違ふ 久 山吹に肩抱かれて石仏 三無 新しき柔道着の児葱坊主 亜栄子 梵鐘は鳴らず蜜蜂ぶんぶんと 慶月 稲毛三郎春風抱きて丘に立つ 佑天 陽炎や乳白の塔膨らみぬ 久
栗林圭魚選 特選句
春林の足音ふつとたしかめり 幸子 そぞろ来て鶯を聞きノラを撫で 炳子 蒲公英をたどりたどりて母の塔 久 紅牡丹美しき重さを競ひたる 三無 切口を曝し菩提樹芽立ち初む 眞理子 城山の谷間隠れの遅桜 兎生
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
花馬酔木少年指で句をつくる 令子 洗ひ髪束ねるまでにまだ遠く 清女 花衣杉田久女に想ひ馳せ 同 越前の土の臭ひも筍の里 笑子 暮六つや花雪洞に灯も入りて 希子 ふらここに心残りの揺れてをり 雪 落椿踏むには淋し過ぎる白 同 涅槃図の嘆き洩れ来る荒格子 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花仰ぎ空の蒼さを仰ぎけり 雪 初蝶と呼ばれ初蝶らしく飛ぶ 同 万葉の古歌の如くに散るさくら 同 目借時弁財天も琵琶重し 一涓 糸遊や虚子に中子師汀子師��� 同 天金の蔵書ひもどく朧月 同 菜の花や浄土と思ふ茜雲 ただし 父の歳三倍生きて日脚伸ぶ 同 競ふごと囁くごとく木の芽吹く みす枝 若緑むくりむくりと故山かな 同 子を抱きてくるりくるりと花吹雪 洋子 鈍重か威厳か蟇動く 昭上嶋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月24日 月例会 坊城俊樹選 特選句
姫女菀いつもどこかが欠けゐたる 和子 竜天に登る気配や神の池 幸風 蒲公英の絮の宇宙を壊しけり 和子 蠅生まる日をぎらぎらに絡ませて 光子 行春やゆつくりゆがむ田安門 千種 青き眼の鯉にまぶたや春の水 和子 招魂祭終へてふつくら大鳥居 三郎 亀の鳴く朝はほあんと白き月 炳子
岡田順子選 特選句
ものの影泛ぶ水面や春暮るる 三郎 著莪の雨ふり向けば立つ憲兵碑 和子 蝶生る斎庭に黒き翅濡れて 光子 金鳳花神宿るかに咲き満ちて はるか 春の鴨ひなたの石の色をして 光子 ラジオより小さき時報や囀れる 炳子 九段坂小さき登攀草芳し ゆう子 蓮巻葉かそけき光恃みとし はるか 二の丸は淡き襲の若葉かな 千種 石燈の幾柱立てば母の日に 慶月
栗林圭魚選 特選句
蓮巻葉かそけき光恃みとし はるか 春の鴨ひなたの石の色をして 光子 春陰や誰か在する橋懸 眞理子 水底の黙を脱ぎつつ蓮巻葉 順子 この坂は静謐な風ライラック 同 惜春の人へ神池水の音 政江 尚残花ありけり杜の静けさに 同
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令和4年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
長閑けしや纜ひと日軋みをり 志津子 永劫の城は動かず飛花落花 朝子 着て立ちてしつけ糸抜く花衣 佐和 大切なこと話せずに花あけび 光子 古代魚の飄々として春深し 久恵 海越えて来るやも知れぬ柳絮かな 愛 密漁区抜けだす船に雲の峰 佐和 演歌歌手の草履飛���だり花􄼪 美穂 青柳のたそがれの道夫を追ふ 朝子 亀鳴けりここが潮時じやんけんぽん ひとみ 三打目の筍傷に香を放つ 久恵 姿見に春の日射しのもうひとつ 桂 心空にして飛べさうな春の空 睦古賀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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shimohana18044 · 2 years
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2022/06/26(日)
■南新宿駅周辺で見つけた暗渠(6/24(金))
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①線路の下を通っている(こういうパターン多い)
左:南新宿駅 中央:下北沢駅周辺(京王井の頭線) 右:忘れてしまった(京王線)
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②蛇行具合が川の名残
水を使うクリーニング屋さんやコインランドリーがあったのも含め、怪しいと思い撮影していた。代々木川の暗渠であることがわかった。また、道端に弁財天(水に関係する神様)が祀られていた。
代々木川 ブログ 地図
暗渠と弁財天の関係 1(Twitter) 2(ブログ)
千川上水と宗教的建築物 論文
千川上水を初めて知った。ここでの弁財天は雨乞い、開運延命の位置づけ。水量・人口増加による水難供養目的で建てられた供養塔等もある。
暗渠化をきっかけに移設、建立、神仏勧請した例が多数見られた。
暗渠のサインにおいて暗渠化前からの名残/後からのもので分類できる。どちらの割合が多いのか。関連して、元が川だった暗渠に背を向ける家は多いが、暗渠化以降の新しい家は関係ない。しかし「やっぱり家の入口はジメジメした暗渠側でない方が良い」という心理、道の構造の関係もありそう。
■課題
・暗渠の写真、客観的に見てただの道
・先人のブログを追っかける現状 なぜここまでブログが発展しているのか
■今後
・楽しいですが「暗渠っぽい」と感じたら都度撮影する、という大ざっぱな方法だけではキリがないので先人が作ってくれた地図を見ます。しかし、たまたま散歩で見つけることも多いため塩梅が難しいです。
・独自性はどこか、制作物も現時点では未定なので焦っています。ひとまず調査して何か見つけてみようと思います。
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hmaya-blue · 2 years
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井の頭公園 井の頭弁財天 ホウチャクソウ 
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rikiohyosa · 3 years
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本日は花まつり🌺 4月8日はお釈迦様の誕生日…という事で「花まつり」。仏生会(ぶっしょうえ)」とも「灌仏会(かんぶつえ)」とも言います。 花いっぱいの御堂の中にお釈迦様誕生の像。これへ甘茶をかけます。 #井の頭弁財天 #井の頭公園 #吉祥寺 #月窓寺 https://www.instagram.com/p/CNZxSb7B4Iv/?igshid=1xiymqr21i8am
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yogidempsey · 4 years
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