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#ライ麦畑でつかまえて
ma66ongurasse · 1 year
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ほんともう、十代の頃より気にはなっていた小説。 J.D.Salinger著 THE CATCHER IN THE RYE 村上春樹訳版 ううん、二度は、ないな。 IF a body catch a body coming through the ryeのセンテンスが登場するのは192頁 I’d just be the catcher in the rye and allについては286頁なのだが、何故故にこの本のタイトルとなったのかは僕には理解できなかったな。 兎にも角にも、二度は読みたいとは思わなかったのだけれど、しっかりとした小説なのは僕にも解った。 あと、 Richard Bach著 Jonathan Livingston Seagull 五木寛之訳 中学生の頃、確か新潮文庫の100冊フェアで気になって手にして以来、もうかれこれ5、6回は読み直した小説。 今更ながらに再読破したくなったのはどうしてだろう。 #ライ麦畑でつかまえて #サリンジャー #キャッチャーインザライ #村上春樹 #五木寛之 #かもめのジョナサン #リチャードバック #新潮文庫 #白水社 #小説 #読書 #ペーパーバック #ハードカバー #本が好き #冬の夜 https://www.instagram.com/p/CmwQqOhSscf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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leomacgivena · 11 months
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昔の麦の穂は長く(2mくらい)、畑の中に入ると外から見えないため、かつてのヨーロッパの農家では男女の営みをするために麦畑を使っていた(家に部屋割が無いためここが最も見えない)そうです。そのため「ライ麦畑でつかまえて」のタイトルが何の暗喩か、分かる人には分かったそうです。つまりセ
あきはばら博士さんはTwitterを使っています
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mlyzvt-no2157 · 7 months
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ネモフィラ畑でつかまえて サリンジャーの「ライ麦でつかまえて」のタイトルを借りましたが、内容は全く関係ないです。 めちゃくちゃ季節外れですが、ネモフィラ畑に佇むミロさんを描いてみました✒♏🦂 ネモフィラは、クリスタのブラシ素材をDLしました🌺 一面のネモフィラ畑って、現物を見た事が無いのですが、ひたちなか公園のネモフィラ畑が満開の頃、Xのポストで、かなり以前にカミュbotさんが、黄泉平坂みたいだとポストしてた事を思い出しました🤣
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cutecore-archives · 2 months
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『port - Import / Export EP』所感
#1. Song About Me & Human Beings
Pavementの”Pueblo”のチューニング(E♭B♭DFB♭D)で作った曲。激情ハードコアをやろうと思ったらこうなった。今聴くとヤケクソの5拍子に若いな〜と感じる。この曲特有のsadな雰囲気は他にあんまりない感じでカッコいい。
歌詞は安吾の『わたしは海をだきしめていたい』を下敷きに、恋焦がれている人に対する誇大妄想気味な眼差しを書いた。性的な関係がなくても、あなたが海と戯れている様子で僕は満足なんです、みたいな歌。
最近はめっきりセットリストから抜けているが、結成1年目の学祭野外ステージの最後に演奏したのはいい思い出。
#2. 札幌
徹夜で曲作りして上手くいかなかったけど、夜が明けてCOWPERSのライブ映像見てそのままギターを手にして15分で書いて、みんなで20分合わせて完成した曲。だから札幌。レギュラーチューニングながら、間奏の解放弦を使ったアプローチは今でもよく書けたと思う。Cコード(2カポだからキーはD)でこんな激しい曲になったのはミラクル。
徹夜明けなので朝には透き通る日差しが刺さる。革命の雰囲気に乗り切れずにフラストレーションがただ溜まっていく若者を題材にしている。1st EPで唯一の日本語詞。
ライブだと爆速になり、アステロの奴らは暴れ狂う。オモロいね。アンコールでよく演奏する。
リリース当時LPLのそうしくんが褒めてくれた(聴いた瞬間に鳥肌が立ったらしい)。本当に嬉しい。あと豊里がヤケに好きな曲。
#3. In Action
オープンD。この曲と「陸に帰る」をほぼ同時に書いた。たぶんデスキャブになりたかったんだと思うけど、マスロック的なアプローチも混入してしまった。拍の使い方は面白いと思う。サビは4/4なのに4/4に聴こえないし、14拍のフレーズがあったはず。portにしては落ち着いた曲調。曲作りでしょうきさんが苦戦してた記憶がある。
トラウマを追って戦場から帰ってきた軍人に、過去の思い出を振り返りつつ優しく寄り添う曲だったと記憶している。でも振り返ると散文的すぎて自分でもよく分からない。
リリース直後から全く演奏しなくなった曲。でも悪い曲じゃない。
#4. From Camel’s Back
port最初期に書いた。Pavement頻出のDADABE。エモリバイバルを意識した最初の曲。書いた頃の記憶がほとんどないが、フレーズが速すぎて当時の自分を憎んでいる。portで一番難しく、ギターのミスが多い曲かもしれない。それまではハンマリング/プリング/スライドの応酬だけど、サビ終わりの打って変わって開放的なフレーズはカッコいい。でもイントロの7拍子はやっぱりヤケクソかも。ドラムが7拍目で毎回ズドンなのが面白ポイント。
歌詞はサリンジャーの『フラニーとズーイー』を下敷きにした。というよりモチーフをそのまま持ってきている。シーモアやバディも歌詞に出しちゃったし。18歳〜20歳の曲は文学からイメージを拝借したものが多い。宗教的崇高さと世俗のギャップに悩む歌。やっぱりまんま『フラニーとズーイー』だ。あとタイトルの文法が少しおかしい(“a”を入れるべき)けど、語感を優先させてしまった。
今聴くとギターの撮り音を歪ませすぎたような気がしている。
個人的には、二流のエモリバイバルに堕ちずに、自分たちの色が良く出せた名曲だと思う。もっと人気になっていいと思っていたら、最近しょうきさんが「この曲が一番カッケえよ」と言ってくれて少しビックリした。portの中ではライブ定番曲として合意が形成されている。でも死ぬほどミスる。ムズいんだもん。
#5. Banana
portの前に組んでいたAmorous Mosquito最後の曲をportとしてセルフアレンジした曲。DADABE。アモラスはインディーポップやグランジやシューゲイザーをやっていたけど、ちょっとエモがやりたくなってこの曲を書いた。port版は更にパンク風のエモに仕上げた。イントロ〜Aメロの空気感のあるフレーズはお気に入り。アウトロのギターフレーズはメタルみたいでテクい。
歌詞は『ライ麦畑でつかまえて』を下敷きに、セックスについての気色悪さを書いた。「バナナ」は本当に陰茎のメタファー。そういう目線で歌詞を読み返したら面白いかもしれない。当時まろ鈴木に「Bananaの歌詞の意味分かったわ」と言われたので、多分バレていた。
豊里が好きな曲。個人的にあまり気持ちが乗らなくなってしまったのもあり、これも最近ライブでやっていない。今聴き返すと、諸々のフレーズはもう少し詰められた気がする。
レコーディングについて
2016年初めに、フラサンで2日間で録音しその後数日かけてミックスマスタリングしてもらった。岩崎さんレコーディング。ギターの音には全く納得がいっていないし、時間が許せばもっと色んな音を重ねれば良かったとも思う。これは完全にバンド、ひいては僕の音作りやディレクションの問題だった。しかし2015年初頭に結成したバンドがちょうど1年後に勢いで録音した事実にこそ価値があるのかもしれないし、そんな初期衝動を自ら価値付けすることにも問題があるのかもしれない。これらの反省が2nd EPの制作に若干反映される。
以上。忘れてて書き損ねていることがたくさんあると思うので、気が向いたら加筆修正します。
2024/2/20 太田直輝
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singosblog · 4 months
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【浅井健一🎸の音楽性について♪】
浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディラ���の方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴いて、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジファミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちになれる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそしんでいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
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asa-wt0 · 2 years
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あさの約100冊
エラリー・クイーン/オランダ靴の謎 エラリー・クイーン/ギリシャ棺の謎 エラリー・クイーン/エジプト十字架の謎 エラリー・クイーン/災厄の町 エラリー・クイーン/十日間の不思議 エラリー・クイーン/九尾の猫 パット・マガー/四人の女 パット・マガー/七人のおば 有栖川有栖/ダリの繭 有栖川有栖/スイス時計の謎 北村薫/空飛ぶ馬 北村薫/鷺と雪 宮部みゆき/ステップファザー・ステップ 宮部みゆき/心とろかすような マサの事件簿 宮部みゆき/ぼんくら 宮部みゆき/我らが隣人の犯罪 宮部みゆき/小暮写眞館 今村夏子/星の子 三浦しをん/風が強く吹いている サリンジャー/ライ麦畑でつかまえて サリンジャー/フラニーとズーイ サリンジャー/ナイン・ストーリーズ カズオ・イシグロ/わたしを離さないで ウィリアム・アイリッシュ/幻の女 堀江敏幸/雪沼とその周辺 綾辻行人/十角館の殺人 ローラ・インガルス・ワイルダー/大草原の小さな家 島田荘司/占星術殺人事件 サマセット・モーム/月と六ペンス 絲山秋子/袋小路の男 彩瀬まる/あの人は蜘蛛を潰せない 西加奈子/ふくわらい 西加奈子/炎上する君 谷崎潤一郎/春琴抄 佐藤多佳子/しゃべれどもしゃべれども 田牧大和/花合せ 濱次お役者双六 千早茜/あとかた 津村記久子/この世にたやすい仕事はない 津村記久子/ミュージック・ブレス・ユー!! 加納朋子/ななつのこ 朝井リョウ/もういちど生まれる 瀬尾まいこ/卵の緒 瀬尾まいこ/あと少し、もう少し 庄司薫/赤頭巾ちゃん気をつけて 本谷由紀子/嵐のピクニック 小川洋子/猫を抱いて象と泳ぐ 中島京子/小さいおうち 辻村深月/ぼくのメジャースプーン 辻村深月/スロウハイツの神様 円城塔/これはペンです 川端康成/眠れる美女 三崎亜記/バスジャック 飛鳥井千砂/はるがいったら 吉田篤弘/針がとぶ―Goodbye Porkpye Hat 梨木香歩/春になったら苺を摘みに 川上弘美/センセイの鞄 中山七里/さよならドビュッシー 桜庭一樹/私の男 恩田陸/夜のピクニック 時雨沢恵一/アリソン 江國香織/流しのしたの骨 山崎ナオコーラ/昼田とハッコウ 東野圭吾/悪意 冲方丁/光圀伝 最果タヒ/死んでしまう系のぼくらに 森絵都/風に舞い上がるビニールシート 司馬遼太郎/燃えよ剣 北方謙三/三国志 角田光代/八日目の蝉 近藤史恵/にわか大根 いしいしんじ/トリツカレ男 いしいしんじ/麦ふみクーツェ 木原音瀬/美しいこと 西川美和/ゆれる 米澤穂信/遠回りする雛 アガサ・クリスティ/春にして君を離れ ハリイ・ケメルマン/九マイルは遠すぎる 多和田葉子/百年の散歩 サン=テグジュペリ/人間の土地 穂村弘/本当は違うんだ日記 ミヒャエル・エンデ/モモ 中勘助/銀の匙 ボリス・ヴィアン/日々の泡 古谷田奈月/リリース 長嶋有/ねたあとに 皆川博子/開かせていただき光栄です 桜庭一樹編/江戸川乱歩傑作選 獣 ネイサン・イングランダー/アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること トルーマン・カポーティ/ティファニーで朝食を ジョン・ディクスン・カー/火刑法廷 ジョン・ディクスン・カー/皇帝のかぎ煙草入れ クリスチアナ・ブランド/招かれざる客たちのビュッフェ シャーリイ・ジャクスン/ずっとお城で暮らしてる カレン・マクマナス/誰かが嘘をついている フランシス・ハーディング/嘘の木 Roald Dahl/The Witches Louis Sachar/Someday Angeline ジル・チャーチル/ゴミと罰 ルシア・ベルリン/掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集 佐藤亜紀/スウィングしなけりゃ意味がない ジェフリー・ディーヴァー/ウォッチメイカー リアーン・モリアーティ/ささやかで大きな嘘 藤野可織/ピエタとトランジ サラ・ウォーターズ/荊の城 M・W・クレイヴン/ストーンサークルの殺人 ドロシー・L・セイヤーズ/学寮祭の夜 シャーロット・マクラウド/納骨堂の奥に P・J・トレイシー/沈黙の虫たち
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t-u-e-n-3 · 2 years
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カッコいい小説だった。友人から(俺の数少ない友人と言えるT氏)もらった服の中から出てきた本だ。最初見た時はゴミまで押し付けられたと思ったものだけど、書き出しからテンポが非常に良く、若さを滲ませた曖昧なドロドロした文体で、頷きながら読んでしまった。社会のどこにも属していないような感覚。数十年前の学生運動を背景にしていても、若者が感じる無力さとか排他的な社会への不満とか、ずっと残り続けてるんだなって思った。
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俺が思っててもうまく言葉にできないようなことをこのページで言ってくれてて、それだけでもうこの本を読み進めた価値が見つかった気がした。
俺が、俺と言う人間を決定つけるんだ。今まで出会ってきた数々の人間、出来事、それらひとつひとつを自分のものとして、俺が俺を作り上げてきた。もちろんそれは別な何か(音楽や、文や、映像)によって種が蒔かれ、できた芽だとしても、育て上げるのは自分から湧き出る水なんだ。人がどう思うかはまた別な話で俺は俺の胸を熱くさせ、湧き上がるものを信じてなくちゃいけない。その思いはいつか、俺の大切なところで俺を助けてくれるはずだから。
余談だけど、文体が俺の大好きなライ麦畑でつかまえてに似てるなって思ったけど、出版当初も同じような批評があって、著者はそれを痛烈に批判していたらしい。書き方がどうであれ、関係ないと思う。俺は感動したし、俺の考えた生き方は間違ってないと思えたから。
4/30
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kennak · 2 years
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キリスト教右派による禁書運動を何と捉えておられるのだろう?フロリダのゲイと言ってはいけない法案もLGBTQを差別したい保守派によるものです。もちろん民主主義の敵。左右問わず論外。/0733ツイート消したの確認。
[B! カルト] 知念実希人 小説家・医師 on Twitter: "アメリカではどんどん『焼かれて』いますね…… 『ライ麦畑でつかまえて』までもか…… 私は村上春樹氏が訳した『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で読みました。 NY図書館、禁書4作品貸し出し 「ライ麦畑でつかまえて」も | 202… https://t.co/nP4FIbwfvA"
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xlnth · 5 months
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「ライ麦畑でつかまえて。」
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siteymnk · 9 months
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「夏への扉」ロバート・A・ハインライン著を読了。 タイムトラベル小説の名作として世界的に支持され、「時間旅行もの」のジャンルを確立させ後世の作品に大きく影響を与えた古典的作品。
1970年のロサンゼルス、主人公のダンは自作の家庭用ロボットを送り出すため、友人と女性秘書と会社を設立したが運営方針で対立、追い出されてしまう。失意のダンはピーとと共に30年の冷凍睡眠することに。。西暦2000年に目覚めたダンは、自分が想像していた改良型ロボットが普及していることを知る。設計者はダン本人だった・・・ 冷凍睡眠、ロボット、タイムトラベルが登場するじSF作品の古典だが、未来技術の描写はもちろん、その世界に住まわう人々の生活や悲喜こもごも、ドキドキハラハラの展開で、あっという間に読み進んでしまった。 冷凍睡眠で未来へ行き、そこで見たことの経緯を解決させるべく、実は1970年代に開発されていた&死蔵されていたタイムマシンを口八丁手八丁で再起動させて過去に戻り、いろいろ片付けた上で再び冷凍睡眠で未来へ行く(戻る)、というかなりの荒業なのだが、いろんな場面で出会う協力者の力を借りて、ドタバタの中でストーリーは展開していく。 友人の義理娘リッキーとの恋は、どこか「ライ麦畑で捕まえて」の無垢な妹を想起させる。猫のピートはマスコット的であり、守り神的でもある。面白いのは、物語の最終段階で、主人公自身がタイムパラドクスの1例について自己言及している点だ。これこれこうなら、ここでこう気付くはずだろうが・・・気付かないこともあるのだ、みたいな。 前々から読みたい本リストに入っていて、せっかく夏なので手に取ってみたのだが、物語的には特に夏っぽい訳ではなかった。がしかし、面白かった。
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team-ginga · 9 months
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映画『レイニイ・デイ・イン・ニューヨーク』
 私はWowowとAmazon PrimeとU-Nextに入っていますが、新たにLeminoにも入りました。25日に予定されている井上尚弥vs.フルトンのボクシングの試合を見るためです。
 最初の1ヶ月は無料というアレで、井上vs.フルトンが終わったらすぐに解約しようと思っていますが、たまたまウディ・アレンの『レイニイ・デイ・イン・ニューヨーク』(2019)が上がっていたので見てみました。
 私はウディ・アレンの大ファンでした。『アニー・ホール』(1977)を見て「こんな映画があるのか!」と驚き、初期の『泥棒野郎』(1969)や『バナナ』(1971)、『ボギー、俺も男だ』(1972)、『誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXの全てについて教えましょう』(1972)、『スリーパー』(1973)も含めて、ウディ・アレンのほとんど全ての作品を見ているはずです。
 アレンが出している3冊の小説集『これでおあいこ』、『羽むしられて』、『ぼくの副作用』も読んでいます。今も本棚のどこかにあるはずです。
 『アニー・ホール』以降の作品ももちろん見ています。『マンハッタン』(1979)は人が言うほどいい作品とは思えませんが、『カメレオンマン』(1983)、『カイロの紫のバラ』(1985)は名作だと思いますし、それほど話題になった映画ではありませんが『スターダスト・メモリー』は生涯忘れられない映画の一つです。
 でも……いつの頃からかウディ・アレンはダメになりました。『世界は女で回っている』(1997)と『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)は名作だと思いますが、世間的には高い評価を受けている(のか?)『ブルー・ジャスミン』(2013)も含めて全くダメな映画です。
 『レイニイ・デイ・イン・ニューヨーク』は世間的には決して高い評価は受けていません。でも、私は割と好きでした。
 主人公はギャツビーとアシュレーという大学生のカップルです。二人は学生新聞を作っていて、アシュレーが有名な映画監督ポラードのインタビューをすることになったので、ニューヨークに出かけます。
 ギャツビーはマンハッタン出身で、恋人のアシュレーに街を案内し、ロマンチックな時間を過ごそうと考えていますが、アシュレーは有名人にインタビューできることで舞い上がり、ギャツビーとの予定をキャンセルします。
 そうして離れ離れになった二人がそれぞれ雨のニューヨークで過ごす1日を描くのがこの映画です。
 二人の「冒険」は寸断され交錯していますが、わかりやすいようにまずアシュレーの1日を書くとーー
 アシュレーは映画監督のポラードに気に入られ、新作の試写に連れて行かれます。ポラードは新作が気に入っておらず、失敗作だと言って出ていきます。アシュレーは脚本家のテッドと一緒にポラードを車で追いかけます。
 しかし、その途中、テッドは自分の妻が自分の親友と一緒にいるところを目撃してしまい、アシュレーの前で二人は夫婦喧嘩を始めます。
 テッドと別れて撮影所にポラードを探しに行ったアシュレーは、そこで有名な映画俳優フランシスコと出会い、ディナーを共にした後、フランシスコの家に行きます。
 二人はそのままベッドインしそうな雰囲気ですが、その時突然、フランシスコの婚約者の女優がやってきて、アシュレーは下着姿のまま雨の降る外に出されてしまいます。
 田舎出のちょっと野暮ったい女子大生が有名監督や脚本家や映画スターに気に入られるというのはちょっと不思議ですが、彼らにとっては野暮ったいからこそ新鮮に見えたのかもしれませんし、まあそんなに違和感はありません。きっと翌日になればアシュレーに会ったことさえ忘れてしまうのでしょうが、その時は本当に惹かれたのだと思います。
 ただ、アシュレーが有名人に会ってポーッとなるバカな女に見えたのはちょっと残念でした。
 一方、アシュレーにデートをキャンセルされたギャツビーは、街で高校時代の友人に会い、その友人が撮影している映画にエキストラとして出演することになります。シーンは車の中で女の子とキスするところだけーー相手役はギャツビーが高校時代に付き合っていた同級生の妹チャンです。
 チャンは言いたいことをズケズケと言う女性で、アシュレーがムッとする場面もありますが、なかなか魅力的な女性です。でも、その時はキスシーンを撮影するだけで終わります。
 そのあとギャツビーは兄のところへ行きます。兄は近いうちに結婚することになっているのですが、実は結婚したくない、婚約者の笑い方が嫌いだからだと打ち明けます。
 えーっと、それから何だったっけーーギャツビーは雨の中でチャンと再会し、チャンの家に行ってピアノを弾き、二人でその曲にふさわしい映画の場面を想像します。チャンは女が男を待っている場面がふさわしいと言いますが、ギャツビーは男が女を待っている場面がいい、場所はセントラルパークの時計台の下だと言います。
 二人は美術館に出かけますが、そこでギャツビーの叔父夫婦と会ってしまいます。叔父夫婦はその夜ギャツビーの母親がパーティーを開くからそこに来るように言い、ギャツビーはイヤイヤながら恋人と一緒に行くと約束します。
 しかし、アシュリーは全く連絡がつきません。そこでギャツビーはバーで娼婦を拾い、アシュレーのフリをさせて母親のところへ行きます。
 しかし、母親はギャツビーを自分の部屋に呼び、「あの女は娼婦でしょ。すぐにわかったから追い返したわ」と言います。ギャツビーは母親が常に賢く優雅でなければならないと言うことに辟易していると言い、なぜ娼婦だとわかったのかと尋ねます。
 すると母親は「わかるわよ。私もそうだったから」と答えます。母親はかつて田舎からニューヨークに出て、生きるために娼婦をしていました。その時の客だったのがギャツビーの父親で、二人は力を合わせて財産を作り上げた、だからこそ自分は自分にも息子にも常に賢く優雅であることを要求したと、母親は言います。
 なるほどね。
 若い主人公がニューヨークの街を彷徨い、最終的に家族と和解するからでしょうか、唐突な連想だと思いますが、これは『ライ麦畑で捕まえて』のウディ・アレン・バージョンなんだと、私は思いました。
 その後、ギャツビーとアシュリーは宿泊先のホテルでようやく再会します。アシュリーはいろいろあったけど、何も起きなかったーー誰とも寝ていないということですねーーと言い、ギャツビーは母親の話をして「僕はママを見くびっていた」と言います(ギャツビーは告白を聞いて母親のことが好きになったということですね)。
 アシュリーが「馬車に乗りたかったけど、明日帰るから無理ね」と言います。ギャツビーは「無理じゃないさ」と言って、二人は帰る前に馬車に乗ります。
 しかし、ギャツビーは突然、アシュリーに別れを告げ、馬車を降ります。彼の行き先はーー分かりますよね?ーーセントラルパークの時計台。
 そこで待っていると向こうからチャンがやってきます。二人が抱き合いキスをするところでジ・エンド。
 この結末はあまりに甘すぎるし、あまりにご都合主義だと思います。ギャツビーとチャンの会話が伏線になっているのはもちろんですが、時刻を指定しないと会おうにも会いようがないじゃないですか。ギャツビーはニューヨークでの一夜の彷徨を通して変わった、真実の愛に目覚めたと言いたいのでしょ���が、それって単に一人の女から別の女に乗り換えただけじゃないのとも思えてしまいます。この結末は男の願望であり、童貞の夢なんじゃないのかな(ギャツビーはもちろん童貞ではないでしょうが、女に夢を見すぎているという意味では「童貞」です)。
 それに、出てくる人物たちがみんな金持ちで豪華なアパートメントに住んでいるというのも、個人的にはどうかなと思いました。ギャツビーとアシュレーが泊まるホテルだって超豪華です。私は根が貧乏性なのか、大学生がそんなホテルに泊まるなよと思ってしまいました。
 ネット情報によれば、この映画は実は呪われた映画のようです。#Me too運動の高まりの中、ウディ・アレンが養子にした少女に性的虐待をしたという話が再燃し、この映画の出演者たちは次々と出演したことを後悔しているというメッセージを発信し、出演料を#Me too関連の団体に寄付したとのこと。
 うーん、そうなんだーーとしか私は言えません。
 個人的には決して嫌いになれない映画であり、少しだけ昔のウディ・アレンが戻ってきたような気がして嬉しくなりました。
 
 
 
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medickalmalpractice · 10 months
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[資料] 01 村上春樹さん 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の題は訳さないのですか? はるき30年ぶりの新訳で話題となった「ライ麦畑でつかまえて』。 村上春樹氏のなめらかな訳文 が原作を若返らせた成果は認めつつも、腑に落ちないのはその題名だ。 小説に限らず、 映画もCDもカタカナばかりが氾濫している文化状況。 このままで日本語の「翻訳力」は大丈夫か。あきお大学の授業で映画の話をしていてちょっとしたショックを覚えた。 
02
ヒッチコッ ク監督 『鳥』に言及したとき、 期せずしてくすくす笑いが起こったのである。 聞いてみると、 『鳥』というタイトルがおかしいのだという。 奇妙な話ではないか。“The Birds" が鳥でなぜ悪いのだろう。 しかし何しろ、いまや映画館にかかる作品の88パーセントまでがカタカナ題名 (「eとらんす」 6月号、 高橋昭男氏の文章を参照)という状況があるのだから、学生たちの反応も無理からぬものかもしれない。『トゥー・ウィークス・ノーティス』だの『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』だの、 その 「意味」 などはどうでもいい。 自分に訳すこともできない題名の映画を観ることに居心地の悪さを感じる者は誰もいないのだし、そもそも訳したりしたらかえってかっこ悪いという意識が、 広く共有されているのだろう。
03
身の回りにカタカナ語がむやみやたらに増えてきた。 そう実感しないわけには いかなくなってから久しい。 かつては中国・朝鮮に、 そして明治以来はひたすら西洋に学んできたこの島国である。 外来の言葉によって国語がおおきく揺すぶられ続けることは宿命であり、 またそこにこそこの国の誇るに足る活力の源があった。「翻訳文化」とはけっして「自虐的」な呼称ではなく、むしろ異文化に開かれた謙虚さと、学ぶ力の旺盛さのあかしなのではないか。 そんなふうにぼくは一介の外国語教師として、さらにはまた翻訳を手がける人間として考えてきた。
04
ところが、わが国の言葉や文化の成り立ちそのものとわかちがたく結びついた 翻訳という営みが、 いま著しく弱体化しているのではないか。 翻訳文化を支えていた活力――「翻訳力」 とでも呼ぼうかが、じりじりと減退しつつある。 そ れとひきかえに訪れたのが、われわれの身の回りをカタカナ語が幾重にも取り巻くという事態であると思えるのだ。
05 もちろん、カタカナまじりの喋り方を誇示する人間が明治の頃からいくらでも 資料 1957つぼうちしょうよう とうせいしょせいかたぎいたことは、 坪内逍遙 『当世書生気質』 を開いてみればわかるとおりだし、 そういう文章を書いて得意になる人間にも昔から事欠かなかった。 だが現在のカタカナ語氾濫は、もはやそうした教養や趣味のひけらかしとはまったく異なる深刻な段階に達している。 肝心な語をなぜか平然とカタカナ表記の英語にゆずりわたしてしまう。 いや、 肝心な語だからこそ、それを日本語で言い表すのが恥ずかしい。それを日本語に訳すのがとんだ粗忽な振る舞いであるかのように思われてためらわれる。そんな不思議な翻訳回避の姿勢が、すっかり人々のあいだに浸透してしまったらしい。
06 
肝心な語とは、映画タイトルやCDの表題といった、要するにいちばん人目に 触れるはずの単語のことだ。 振り返ってみると、80年代後半、 バブルのころから、『リーサル・ウェポン』、 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』式のやり方が主流になってきたのではないか。 訳さないのがあたりまえ。 「邦題不在」 を是とする感性がいつのまにか世の中を支配してしまったのだ。 07 
『ライ麦畑』 をつかまえろ 08 
翻訳文芸書で今年最大の話題作は早々に決定した。 言うまでもなく村上春樹氏 によるサリンジャーの新訳だ (白水社)。 なるほどページを開いて読んでみれば、実になめらかでスムーズな訳文の完成度はずば抜けて高いこと間違いなく、原作を一気に若返らせた偉業と言えるだろう――ただしもちろん、原作の売り物だった「今風の」若者言葉の語り口自体、 現在のアメリカ人読者にとってかなり古びてしまったはずなのに (筆者の知己であるアメリカ人の文学研究者によればそうであるという)、 それを若返らせたならば原作への 「忠実さ」を裏切ることになるのではないかという疑問は残る。 それはともかく、 ここでも肝心のタイトルがなぜか訳されていないことを、 残念に思わずにはいられない。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ」 やれやれ、と呟きたくなる。 「ライ麦畑でつかまえて』 という故・野崎孝氏訳の邦題のすばらしさが改めて思われる。 原題はアメリカ人読者にとっても、そもそも奇妙な響きをもつ不透明なタイトルだった (と同じくわがアメリカの友人は言う)。 それを単にカタカナで転記して、いったい何を伝えようというのか。 原題の最初の 「ザ」 が抜けているという語学的不正確さとともに、浮き彫りになるのは 「翻訳回避」の姿勢のみではないか。 「そのままカタカナ方式」 が歓迎される世相へのもたれかかりが気になってしまう。 むろんそんなことを気にする読者はほとんどいないのだろうが、唯一、ロシア文学者・沼野充義氏の発言に救われた (『文學界』6月号、「毎日新聞」 5月4日付)。 題も訳してほしかった、ロシア語だったらこんなやり方はとても無理だからと沼野氏は苦笑するのである。
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そうなのだ。 要するに「丸投げ方式」 が通用するのはもっぱら、 英語が対象のかしましげる場合のみなのである。 ロシア文学やフランス文学では到底無理。 鹿島茂氏は愛するバルザックの傑作をいまの読者に何とか手に取らせようとして、『ゴリオ爺さん』の新訳を『ペールゴリオ』 (藤原書店)とフランス語そのままの題で出した。だがいっそのこと『ファーザー・ゴリオ』とか『ゴリオ・パパ』とした方が手っ取り早かった。 フランスもので言えば 『異邦人』 が 『ストレンジャー』、 『星の王子さま』 が 『リトルプリンス』 に変身する日だって近いのかもしれない。
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影響力甚大なる村上氏だからこそ、 『ライ麦畑でつかまえて』にかわる邦題を つかまえてみせてほしかった。 そもそも翻訳という営みの根幹にあるのは、異国の言葉に自らの言葉を対置させ、名付け直す作業だったのではないのか? [中略]
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「プルーストって人間ですよね」 
12 [中略] 「外国文学」 の惨状が [中略]、 カタカナ語氾濫時代の裏側に広がり出している。 そこには翻訳を読む力の低下と、翻訳を通して異国の文化を発見しようという欲望の減退がありありと表れている。
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先般 『ある人生の音楽』 (水声社) というフランス小説の翻訳を深い感動とともに読んだ。訳者は星埜守之氏。 わが旧友なのだが、 現在のフランス文学翻訳者のなかで最高の仕事をしている一人ではないかと常々畏敬している。 原作者はアンドレイ・マキーヌという、ロシアからフランスに亡命し、 言葉もロシア語からフランス語に取り替えて小説を書いている人だ。 フランスでは一般の読者からも広く支持されている人気作家である。 14
この翻訳書の書評がある新聞の読書欄に載っているのが目に留まった。 一読、 仰天した。 いまどきこういう難しい本の読者が日本にいるかどうか疑問だ、という風なことが書いてある。 そこまで読者を見くびっていいのかと思うが、しかしそれが正確な現状認識であるのかもしれない。ひたすら美しい小説なのに、 少しも話題にはならずじまいのようだし。 「外国文学」が窮状に追い込まれている。 「文学」 自体そうではないかという話はここでは置く。 異国の文学と真剣に向かい合い、 2カ国語のあいだを行き来する試練を経て翻訳を作り上げる。 読者はその翻訳を読むことで、 別の文学、 異なる文化のあり方を体験する。 それがさらには、日本語での新しい創造への刺激として働く。 そういううるわしい相互作用の総体が、かつて「外国文学」という領域として存在したはずだ。 たとえばフランス文学やロシア文学がそこで中核的な役割を演じた。 もちろん、 昔話にすぎない。 授業中ドストエフスキーの名前が出てきて、 東大の大学院生が 「それ誰ですか」 と質問したという話をわが同僚が活字にしていた。 ぼく自身、 プルーストという名前を口にして、「それって人間ですよね」と聞かれてしまった。 人か物かをまずはっきりさせてほしいというわけだ。
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そんな質問をした学生をぼくはむしろ愛しく思う。 堂々と質問するだけ立派で ある。 学ぶことへの熱心さがあるのだから、 彼が無教養な人間であるはずはない。問題なのは、 彼とドストエフスキーやプルーストとのあいだに立ちふさがり、それらの名前が目に入らなくしてしまっている現代日本文化のあり方のほうなのだ。
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ぼく自身はなぜだかわからないが、翻訳の小説や詩を読みふけって育った。 わ ざわざ外国の言葉から訳されたのだから、 それだけのことはあるに違いないと信じて読む。 するとなるほど手ごわくも強烈な世界がそこに広がっているではないか。その異質でしかも不思議にリアルな世界を知ることは間違いなく、 強い喜びを与えてくれた。 翻訳によって 「日本�� を超える文化と触れ合い、 それを異国の人間と共有することができたという実感。 そこにこそ「グローバル」と形容するに足る喜びがあったのだ。 そんな喜びに浸ったことのない若者がどんどん増えていることが、気の毒で仕方がない。
17 そこで翻訳論などという授業をやってみる。 愛読した翻訳書はと聞けばほとん どの学生は 『ハリー・ポッター』。 それよりつらいのは、翻訳書は嫌いだから読まないと断定する人間が必ずいることだ。 翻訳書の日本語は不自然で読みにくい、文学は翻訳して伝わるものだとは思わない等々と、立派な理由を掲げてくる。 困ったことだ。 それではロシア語をやらないかぎりドストエフスキーは読めないし、フランス語をやらないかぎりプルーストは読めないことになる。 そしてフランス語をやったとしても、プルースト読解への道ははるか遼遠だ。 しかも日本は、プルーストの立派な完訳が2種類も出ている世界でも稀な国なのだが。 そしてまた、日本語として「不自然な」 言葉を懸命に練り上げ、 かつ咀嚼していくなかで育まれてきたのが「翻訳大国」 日本の文化であり、言葉であったはずなのに…。
18 外国語の教育は英語だけで十分、 しかも子供のころから会話中心でやるべしと いう考えが、 「反受験英語」 イデオロギーに乗ってすっかり広まっている。 これまた、「翻訳力」 衰退を加速させる要因となるに違いない。 「使える」 英語を求めての会話中心主義を盲信したなら、ある程度から上のレベルの英語表現の読み書きに到達することは困難であることは、 すでに説得的に論じられている (気鋭の英語学者・斎藤兆史氏による 『日本人のための英語』 <講談社 > などを参照されたい。
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そして会話に対し時代遅れとされる「訳読」 こそは、他者を「理解」する上でつきまとう困難と、 それに挑む姿勢を学ぶ上でもっとも重要なメソッドのはずだとぼくなどはいまだに信じている。 しかし近い将来、 「訳読」 をむやみに断罪する偏見はいよいよ強まり、 それが翻訳という営みへの無関心を加速させるのではないか。もちろんドストエフスキーもプルーストも、今よりもっと無名化していくということだ。 アメリカの属州としてふるまいつつ、事実上の文化的 「鎖国」へと日本は向かうのだろうか。 世界に向かって自らを閉じつつある当のアメリカの姿勢をお手本とするかのようにして。 いみじくもポール・オースターは、ここ15年アメリカでは他国の本の翻訳がろくになされていないと嘆いている (「朝日新聞」 6月20日付夕刊)。[中略]
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翻訳とは文化的レジスタンスの営みである
21 「外国文学」コーナーが書店からみるみる縮小され失われていき、毎月の文庫 新刊の広告を見れば、翻訳書はミステリー (そして映画化物)のみという状況を 前にして、「外国文学者」 や翻訳家たちの士気が上がろうはずもない。古典の翻訳は次々に入手不可能になり、同時代のアメリカ以外の) 文学が紹介される機 会も減る一方だ。
22 だがしかし、それは逆に言えば、いまや翻訳には、閉塞へと向かうそんな強力
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leomacgivena · 3 months
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昔の麦の穂は長く(2mくらい)、畑の中に入ると外から見えないため、かつてのヨーロッパの農家では男女の営みをするために麦畑を使っていた(家に部屋割が無いためここが最も見えない)そうです。そのため「ライ麦畑でつかまえて」のタイトルが何の暗喩か、分かる人には分かったそうです。つまりセ
あきはばら博士さんはTwitterを使っています
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dempameat · 10 months
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心配する親たちや宗教的な指導者たちが、長い間一部の本に対して反対してきた一方で、現在の検閲の増加はより暗く、より危険だ。わずか数年前、学校での禁書の最大の理由として報告されていたのは、性的な内容と攻撃的な言葉だった。しかし、物事は急速に変化している。現在の禁書は通常、ある本について異議が申し立てられた後、地元政府と教育委員会によって行なわれる。申し立ては、政治的主張団体による場合が多い。アメリカの学校や幼稚園で数十年にわたり必読書だった有名な本が突然、いくつかの保守的な州では使用禁止になる。『ハリーポッター』や『シャーロットのおくりもの』『トム・ソーヤーの冒険』『ライ麦畑でつかまえて』が禁書になっている場所もある。
Book banning in the US | ニュースで英語を学べる The Japan Times Alpha オンライン
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momomo-chi · 11 months
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かのこちゃんとマドレーヌ夫人/万城目学
星と伝説/野尻抱影
顔/安部公房
細雪/谷崎潤一郎
ルパンの大作戦/ルブラン
津軽/太宰治
十角館の殺人/綾辻行人
しろばんば/井上靖
ああ無情/ユーゴー
ライ麦畑でつかまえて/サリンジャー(村上春樹訳)
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singosblog · 4 months
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【 浅井健一 = イエス・キリスト 】
浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディランの方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴き、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジファミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちになれる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそしんでいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
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【 浅井健一 = キリスト・イエス】
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