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#セクシュアリティ
kennak · 2 months
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なぜセクシュアリティだけ特別視されるのか説明して欲しい。たとえば東大教授の上野千鶴子は「ギャルゲーでヌキながら~滅びていってくれれば~再生産しないですみます」と直球のヘイトをしても教授のままだ。
[B! ジェンダー] 東京大学における性的指向と性自認の多様性に関する学生のための行動ガイドライン | 東京大学
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22oq · 6 months
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仕事に疲れきって、短い休みをとり、4回目の屋久島に行くことを決めた。
旅をするのがすきなわたしは、九州1周したり、四国一周したり、10年ほど通っていた伊豆七島の島があったり、日本の島は沖縄の離島から瀬戸内海とよく行ってきた。海外も10カ国は行き、好きな国は複数回行っている。それでも、回復や癒されることを考えた時に真っ先に浮かんだのが屋久島だった。屋久島だけだった。
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今回の屋久島は、癒されることが必要な者同士、友人2人で過ごした回復やケアのための時間だった。私たちは本がとてもすきで、この時間のために厳選に厳選した2冊ずつの文庫を抱え、屋久島に行った。
私たちは年齢も違えば、生まれも育ちも違うのに、なんだか変に境遇が似ていて、今の政治の違和感について、家族について、ジェンダーについて、セクシュアリティについて、結婚について、なんだって話していた。屋久猿や屋久鹿を眺め「動物を可愛いっていうのは、無責任なのではないか。」という会話もして、考えることを楽しんでいた。私より6つ年下の彼女はいろんなことを教えてくれるし、感じてきた時代の雰囲気も違う中で、希望のようなものを一緒に持って来てくれた。下の世代への希望のようにも感じるし、わたしが個人的に彼女に感じている希望のようなものが、いつも会話の中にあった。
私たちは、行きたいところにはどこまでも車を飛ばして行き、道中は話が止まらないのに、カフェに入ると2人で黙って海風を浴びながら本を読み耽た。道中の話が止まらないせいで、夜中にとんでもない山奥に迷い込んだりもしながら、日中は地元の人と一緒に熱い熱い温泉に入って、温泉にいた地元の赤子をみんなで愛で、最後は夕焼けを見に海中温泉まで走った。お金がない!と嘆いて入った郵便局のおばちゃまがとってもキュートで、ここ屋久島の素敵なところだからこの3つは行って来てねと教えてくれたりもした。お金なんて久しく窓口で下ろしていなくて、こんな時間すらもご褒美みたいな時間になるんだと思った。夜はスナックで地元のおじいちゃんたちと古い曲を歌っては喜んでもらって、帰ろうとしたら10分くらい若いお兄さんに引き止められた。
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何度か屋久島に来ている私は、会いたいけれどちょっと気負いするような関係性の人たちもいて、会いたいような会えないような感情を行き来しながらも、友人とちょっとだけ会いに行けた。久しぶりに会えた彼らは元気そうで、私がお世話になっていた時と同じだけの誠実さを持っていて、安心した。友人を変なことに巻き込んでしまった申し訳なさを持ちつつも、友人が微笑みながら、ずっとそばにいてくれたことにすごく感謝していた。私にとってやっぱり大切な人たちで、だからこそ友人と会いに来れて本当に良かったよってずっと思っていた。
回復の旅としながらも、書ききれないほどいろんな人に会い、いろんなところに行き、隅々まで楽しんだ。このペースは、2人にとって自然で必然で、必要な過ごし方だった。私たちにとって回復することが、興味関心に沿って制限なく動き続けることだった。
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この文章で、私は、私と友人の2人を、私たちと括りすぎてしまった気がする。でも、そのくらい一体感があって、共鳴していた。こういうことってよくあることではないし、きっとずっと続くものでもない。だからこそ、すごく特別だった。
今後、彼女は私が思いもよらないくらい飛躍していくだろうし、私たちのステージが全く変わっていけば、きっと感じていることも、自然と変わっていくだろう。寂しいことではなくて、だからこそ、今回のこの時間があってよかったなって思う。そして、互いの変わった価値観をぶつかり合う時間も屋久島であったらいいなとも思う。
今回はとにかく、ずっと忙しくて、ずっと癒されていた。"癒し"ってすごくカジュアルに使われるようになっているけれど、もっとフォーマルな治療という意味でずっと癒されていた。癒されるっていろんな形があるんだなって思った。
私たちはきっとこれからも傷つく。傷つく場所に躊躇なくでていく人たちだから。でもそういう時はまた何度でも、癒されにきたらいい。そして回復した自分を連れて、また社会の中で傷ついている人たちのところに行こう。やっぱり、見なかったことにはできないから。
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cokowiii · 9 months
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Espero que puedas googlear esto
あなたのセクシュアリティは何ですか?すごく興味がある。
Man I love using Duolingo and taking both Japanese and Spanish lessons
Odd question to read tbh lol
My answers idk
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oka-akina · 3 months
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コピー本交換会
コピー本交換会、いよいよ今週土曜日です! ドキドキするな。いろんな人と話せる機会になればいいなあと思います。 何か本を作ってきてもらえると交換できますが、読書スペースや物販などもありますので手ぶらでも大丈夫です。どなたでもお気軽にお越しくださいませ。
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2/17(土)13:00-19:00 つまずく本屋ホォル@mibunka 入場無料・出入り自由
17:00〜 トークイベント「本作り座談会」 ゲスト:谷脇栗太さん 瀬戸千歳さん
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ふだん文学フリマだったりwebショップだったりで同人誌,zineを販売しているんだけど、売りっぱなしになりがちなのがちょっとつまんないなと思ってて。なんかもうちょっと話したいな、読んで話せる場所がほしいなと思っていたとき、陰気なクィアパーティーやZINEフェス長野などの小さい規模のイベントに参加して、ああいいなって思ったの。 ただわたし自身はあんまり交流って得意な方ではなくて、友だち作りとか仲間作りみたいなのはなんかちがうなという気持ちはあって…。なんだろうな…。 あとzineのイベントのとき、それはまあそうなるだろうと思うしぜったいイヤというわけではないんだけど、「あなたは誰?」的な会話から始まるよなあと思う。あなたは誰?この本は何? そういう、属性や実績と作品を結びつけた自己開示は、ある程度元気なときでないと難しいなーと思う。なんかこう防衛反応的なものも働いてわかりやすい話に取り繕ってしまう自分もいる…みたいなことも思うし。 そうしてほんとに何年やってるんだって感じでお恥ずかしいんだけど、面と向かって小説の感想をお伝えいただたときってうれしさとか驚きとかいろんな感情でいっぱいいっぱいになってしまってワ〜〜とかア〜〜とか鳴き声みたいな声しか出なかったり…。たぶん少人数で3時間くらい話すといろんなことをチューニングできるかなあと思うんだけど、まさか文フリ会場でそんなことはできないしね…。
なので話すことに重きをおいたイベントにしようと思いつつ、わたしにどういうことが話せるのかなあとドキドキはしています。でも話したいよなあという気持ちはあることはある、去年いろいろ参加して自分にそういう気持ちがあることがわかったので、とりあえず場を開いてみる次第です。いろんなzineとか手を動かして遊べるものとか置いておくので、しゃべってもしゃべんなくてもいいしという感じでやれたらなと思います。読む時間をしっかりとりたいのもあるし。
なんかうまくまとまんないですが、緩やかにつながっていけたらなと思います。 今年入ってから文芸関係の人たちと新年会したりパレスチナ料理を食べに行く&作業会をやったりして、いろんなことを茶化さずに話せたことがほんとにうれしかった。初対面の人も多かったんだけど、それがかえって気楽なのか、社会のことや作品のこと、自分のセクシュアリティのことなどを気負いなく話せたの。で、それを誰も茶化さない場だった。そういうのって本当にうれしいし安心するんだなあと思ったので、自分でもちょっとずつやれたらいいな、輪を広げていけたらいいなと思います。
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quietdolls · 8 months
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なにかひとつ、光がさしたみたいに道がひらけていく気持ちがあった。ずっと、自分のセクシュアリティに自信が無くて(今も無いが)アロマンティックorアセクシュアルを自称するけれども今後理解者なくしてひとりでずっと生きていけるとも思えず、かと言って異性との恋愛や結婚など本当に心底御免なので、わたしは何をしたらいいのだろうと思っていた。やっとわかった。わたしがしたいのは同性婚だったんだ。
ともだちが同性と付き合ったことは知っていたけど、結婚すると聞いた。決断が早くて、最高で笑ってしまった。同性と結婚するにあたって、制度はクソだと思うけど周りの反応や家族や友達なんかに憤りを感じたことは今のところないと言っていた。
多様性って言葉や総称、ラベリングなんて、聞かなくなるくらい当たり前になったら良いのに。恋愛をするか・しないか、対象は、とか、そういうところまで当たり前に想像できるような人間でいたいよ。自分のセクシュアリティなんて、死ななければ証明できない。
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shredderwastesnow · 10 months
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クィアたちのZINE交換【前編】
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発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
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当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたら��ものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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hashirigaki-zzz · 2 months
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女と男を強調して伝えてくる人達に疲れたんだ。(男女関係でありたい時点で合わない…)セクシュアリティについて説明不足だったからだろう。
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m12gatsu · 2 years
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彼氏からの性的欲求に応えられない自分に戸惑っています。私は処女で今まで付き合ってきた二人ともこれが理由で別れています。
父親を4年前高校生のときに亡くしたのですが、母親は父の生前から不特定多数の男性と関係を持っていました。気づいたのは私だけだったと思うのですが、母親には男性との会話を録音したり日記を詳細につけたり収集癖のようなものがあり、たまたま寝ている母親の傍のボイスレコーダーから母親の性行為の声を聞いてしまった日以来、嫌悪感が消えず未だにトラウマになってしまっています。
それから性的魅力に頼ってしか生きられない女性を軽蔑するようになってしまい自分もその血を継いでいるのでいつかそうなってしまうのではないかと思うと彼氏の気持ちに応えられず申し訳ないと思う気持ちよりも自分自身への気持ち悪さが勝ってしまいます。
AVも観れますTLも読めます友達と下ネタも楽しく話せます、セックスに対して嫌悪感があるわけではないと思うのですが自分のこととなるとどうしても吐きそうになるくらいゾワゾワします。
たまたまだと思いますか?それともノンセクなんでしょうか。時間が解決してくれると思いますか。彼氏のこと嫌いになりたくないのになりそうです。普通に生きたいですしんどいです。
どうしたらいいと思いますか。
拝読しました。おいたわしや。3つ目のパラグラフなんて一文で読点も無い。でも反面、ご自身の苦しみを上手に言語化していらっしゃる、ともお見受けしています。
だから、そういう風に話をされてはどうですか、彼と。いや、もう嫌になるくらい話はなさっているのかもしれない、過去のお2人とも。でも、それでもなお話すしかないと思います。ナラティブです。たまたまだとは思いませんし、あなたのセクシュアリティのことは僕にはわからない。時間が解決するともあまり思いません。どうしたらいいと思うか、に対する僕の答えはこれしかありません。無責任かもしれないけれど。懸命に、賢明に、尊大に、あけすけに、飄然として、超然として、言葉を尽くして、絶体絶命で、泣いたり笑ったりして、伝わったり伝わらなかったりして、話をする。むろん彼にも話をしてもらってください。どうしてあなたと寝たいのか、彼の持てる贅言の全てを尽くしてもらってほしい。僕も彼も、世界中のレイプ犯と同じ体の仕組みなんです。土屋賢二の『ソクラテスの口説き方』とか読ませましょう。ダメだったら、すみません。でも、話をしないで続いていくよりいくらかいいんじゃないかと思います。
きついっすよね、親の性。でも、フロイト先生曰く至極健全な嫌悪感として、人間にプログラムされているらしい。僕は大学生の時に朝帰りしたらリビングで母が父の膝の上で横座りしてるのを目撃して、スっと扉を閉めました。最悪でした。まぁこれは笑い話なんだけど。すんまへん。
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asryweek · 6 months
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アソ龍ウィーク 2023
11月19日~11月25日
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すべてのプロンプトはファンアート、ファンフィク、コスプレ、音楽を受け付けます!
#asryweek、#asryweek2023、#asoryuuweek2023 のタグをつけて投稿してください!性的な内容の場合は、必ず #ASSoryuuweek のタグを使用してください!
イベント全体が円滑に進行するよう、ここにいくつかのガイドラインとルールを示します:
- 露骨な作品は許可しますが、私たちのアカウントでは公開しません。表示しないことはあっても、それ以外の方法で交流することはあります。
((とはいえ、すべての露骨な作品は、安全で、まともで、合意の上で描かれるべきです。また、作品の登場人物は18歳以上であること。それ以外は問題ありません。))
- メイン・ペア以外のキャラクターは、メイン・ペアの邪魔にならない限り、登場してもかまいません。
- 性別やセクシュアリティに関するものだけでなく、ヘッドカノンもOK。ただし、性別の変更は厳禁です。
その他の質問については、どのソーシャルメディアでもお気軽にお問い合わせください。
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yoga-onion · 2 years
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The Quest for Buddhism (60)
The story of the Elder Soreyya (Soreyyatthera-vatthu) - the subject matter of gender and sexuality clues in BCE
There is a famous incident related to Katyayana (Ref) with a double sex change motif, given in Verse 43 of the Dhammapada commentary.
A man named Soreyya was traveling with a friend and happened to see Katyayana adjusting his robes.
Upon seeing his golden complexion, Soreyya began to fantasize that Katyayana should become his wife or that his wife's complexion should be like that of Katyayana. Due to the nature of this thought, he transformed into a woman. He married a wealthy man from Taxila and bore him two sons.
Soreyya later approached Katyayana and explained the situation, apologising for his misconduct in thought. Katyayana accepted his apology, upon which Soreyya regained his male form. He then went forth as a Buddhist monk, and eventually become an arahant.
The truth about thousands of years ago is unknown, whether he really underwent a double sex change, was originally a hermaphrodite, or bisexual, or spoke of homosexuality as a variant.
In view of the negative representation of this anecdote, it is not hard to see it as propaganda.
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仏教の探求 (60)
長老ソレイヤの物語 (ソレヤッテラバトゥー)〜紀元前のジェンダーとセクシュアリティの手掛かり
『ダンマパダ(法句経)』の注釈書の第43段に、カーティヤーヤナ(参���)に関連する、二重性転換をモチーフにした有名な話がある。
ソーリーヤという男が友人と旅をしていて、たまたまカーティヤーヤナが衣を整えているのを見かけた。
その金色の顔色を見て、ソーリーヤはカーティヤーヤナが自分の妻になるべきだとか、自分の妻の顔色がカーティヤーヤナのようであるべきだと空想するようになった。この思いのせいで、彼は女性に変身してしまった。彼はタキシラの富豪と結婚し、二人の息子を産んだ。
その後、ソーリーヤはカーティヤーヤナに近づき、事情を説明し、自分の考えの誤りを謝罪した。カーティヤーヤナは彼の謝罪を受け入れ、ソーリーヤは男の姿に戻りった。その後、彼は僧侶として出家し、やがて阿羅漢となった。
彼が本当に二重の性転換をしたのか、元から雌雄同体 (しゆうどうたい)だった��か、同性愛を変形させて語ったのか、数千年前の真実は定かではない。
この逸話をネガティヴに表現されていることから見ても、プロパガンダと思えなくはない。
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kennak · 8 months
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核とセクシュアリティビキニ、リタ・ヘイワース、そして快楽の首都ラスベガスのイメージが重ね合わされることで、原子力爆弾は、極度にセックス化され魅惑化されていったが、兵器と女性の結びつきは、このときに生まれたものではない。それは、すでにアメリカ文化のなかで、戦闘機を機体を彩るピンナップガールの図像や、性的欲望を喚起するセクシーな女性を「Bombshell(爆裂弾)」「Dynamite(ダイナマイト)」と呼びならわすスラングを通してミーム化していた。原爆は、その人智を超えた破壊力によって、兵器をめぐる人びとの想像力や欲望を、それまでとは異なるレベルにまで引き上げた。放射線の被害が長らく過小評価され続けていたとはいえ、原爆の危険性に世の中が気づかなかったわけではない。1946年の「The New Yorker」の記事を初出とするジョン・ハーシーの著書『Hiroshima』は、6人の生存者の証言を元に広島の惨状を描き、「人びとの脳裏に原爆がもたらす地獄を焼きつけた」とコーコランは書いている。また、1954年の第五福竜丸の被曝が契機となって、放射性降下物の危険が急激に認知されるようになったとしている。ちなみに、日本において核爆弾を表象する最大のアイコン、"水爆大怪獣"の「ゴジラ」がスクリーンに登場したのも同じ1954年だった。原子力爆弾の危険を認識した上でもなお、アメリカでは、原爆の魅惑化が止まることはなかった。それどころか、核の恐怖は、むしろその誘惑を強化し、補完するものでもあった。世界に投下された4番目の原子力爆弾が、リタ・ヘイワース演じる妖艶な「ファムファタール」に因んで名づけられたことの含意をコーコランは、こう説明する。  「ミス・アトミック・ボム」の歴史に関する洞察に満ちた記事の中で、Masako Nakamuraは原爆のイメージと女性のセクシュアリティの対比の、より広い社会的意義をこう強調している。 「ひとたび原爆が美しい白人女性のセクシュアリティや肉体と結びつけられると、原爆とその致命的な力は、いまにも爆発しそうな、魅惑的で、欲望を抱かせるもの、それでいて飼いならすことのできるものへと変容した」 女性性は、放射性降下物と同様に、神秘的でパワフルな力とみなされた。それはともに驚きと欲望と不安を呼び起こした。冷戦初期の原子力をめぐる支配的な物語は、この手に負えないエネルギーは、アメリカの道徳的権威に従って適切に封じ込められたなら、人類に奉仕し、より強いアメリカの礎になる、というものだった。燃料、輸送、医療といった分野で利用できるよう飼い慣らすことで、原子テクノロジーは、きらびやかな新世界の基礎を築くことができるというわけだ。 女性のセクシュアリティもまた、このユートピア的未来志向の物語の一部をなしていた。強いアメリカを実現するためには、家族の強化が必須であり、女性性と性的魅力は結婚、一夫一婦制、母性によって飼いならされ、服従させられる必要があった。 第二次大戦後の核をめぐる言説と女性をめぐる言説の類似は容易に見てとることができる。それを核のセクシュアル化と見るのか、官能の領域に軍事兵器が入り込んだと見るのか、いずれにせよ、女性性と放射能の融合が支配と征服という問題に根ざしていたことは明らかである。映画『バービー』のなかで「ファシスト」と罵倒されるほどに女性への抑圧を体現していた「バービー人形」が初めて披露されたのは、1959年のことだった。原爆と女性の歴史を踏まえて改めてバービー人形を見つめ直すなら、そこに、まさに女性性と性的魅力を「結婚、一夫一婦制、母性によって飼いならされ、服従させられた」女性の姿を見出すことができるだろう。
バービーと原爆:「#Barbenheimer」が浮き彫りにした「軍事」と「フェミニズム」という難問 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
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jaxfromthatcircus · 6 months
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あなたのセクシュアリティは何ですか?:0
恋愛に関するアドバイスももらいました..?
私は同性愛者です
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mo-no-nounai · 7 months
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将来の道の見つけ方の話
性の流動性の話
[10/8/2023]
またまたお久しぶりです、moです。
なんでか毎回朝方とか夜中に文章を書くことが多いです。特に寝れん日です。
寝れん夜はたまにアイコス吸って不安を落ち着かせることがあって(バカデカ不安は抗不安剤をちゃんと使います、なんとなくアイコスがいい日がある)、珍しくそれが今日でした。
涼しくなるとベランダ開けて涼みながら吸います。
本題は全然関係ない話です。始まります。
⚠︎某洋ドラたちのラストのネタバレが含まれるのでお気をつけて!!!!
ーーーー
最近sex educationラストシーズンと今日fleabagを全シーズン完走しました。
早速ネタバレに入ると、
どちらも、主人公の愛した人は、主人公のことを愛したまま別れを告げるんですよね、最後に。
相手への愛とやりたいこと、あるいはすべきことを、言い方は悪いかもしれないけど簡単に言うと天秤にかけて後者を選びました。
最近自分がよく考えているのが、自分は将来誰と過ごして何をしているんだろうということで、自分も同じようにそうやって天秤にかける日が来るのかなとまた漠然とした不安があったりしていて。
ドラマほどドラマチックでもなければ深刻な状況な訳でもないので、正直どちらも両立はさせられるはずではいるんです、人生変わるような何かがない限りは。ないと思ってますが。
今の交際者とはどうなんだろうと。
私が漠然とうーん…したくないな…と思ってる結婚というもの、仕事に支障が出たくないからとか自由を奪われたくないからとずっと思っていたのですが(実際それもある)、結婚することで必要になってくる様々な慣習が苦手だったり、何より精神的に、誰かに自分の人生を預けることがものすごく怖いんですよね。
自立すればそんなことないという話ではなくて、自立していても結婚は他人と先の人生を歩むことを決める重大な契りで、自分には相手を人間として「好き」という気持ちや絆だけでは到底やり切れないなと思ってしまいます。
だからもし、今の相手とずっと一緒にいることになっても、結婚という形はとりたくないと思っていたりします。それを考えるとコムアイさんがそのロールモデルでもあってやはりすごく尊敬しますね…
それとやっぱりずっと一緒にいたいと思う人は別にもいて、簡単に言うと同性の親友なのですが。やはり信頼という面では一番だなと思っています。だから先々のことが本当に、わからないし、迷う…苦しいんですよね。
結婚に関しては、こんな悩みを持てるのも、今この国ではマジョリティの特権を持つ者のみということも承知していて、とても複雑です。やはりこの国に対して苛立ちます。
ーーーー
これはいつかどこかで言おうと思っていた話なので少し話が逸れます。
セクシュアリティやジェンダーアイデンティティというものは流動的です。
改めて、
私はシス女性からクエスチョニング、そして現在はノンバイナリーへ、
アセクシュアル・グレイロマンティックからデミセクシュアル・クォイロマンティックと自身を認識しています。
デミセクシュアルに関してはいまだにそれで正しいのかはわかりません。他の自認に関しても曖昧な部分も多いです。
これはずっとずっと言っていることですが、ラベリングを選ぶことはその人の自由で強要すべきものではありません。
正直私もこうやって今、便宜上、ラベルを使った表現をしている部分もあります。もっと自分を表現するための語彙力が必要だと感じています。
アセクシュアルであった自分もシス女性であった自分も、もういなくなった別の人格のようには感じていなくて、今の自分を作るための基盤になってくれたのだと思っています。自分は毎日更新されていくもので、過去の自分も"自分"でいると考えています。
Twitterを辞めた理由が私のセクシュアリティの変化のことや考え方に対して意見をいただいて、そこでたくさん自分を否定してしまって、アセクシュアルでない自分はもう何者でもない、��つきだと思ってしまったからだったのですが、過去の自分も今の自分を作っているし、過去の考えも今の自分の考えを支えています。アセクシュアルを否定することは絶対にありませんし、当時の自分の持った"理解"を手放すこともありません。
やはり、自分を否定されたようで悲しかったです。正直本当にすごく悲しくて。アセクシュアルの自分を期待されて続けていたなら、それはもう私を見ようとしていないのだと思いました。SNSで誰にでも好かれようとかそんなことできるはずもないので私も人に期待するのはやめようとも思いました。
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ていう、話飛びまくったポストでした。
文章化がやはり苦手なので書けるうちに書かんと頭が働かんので…
自分の道の話とTwitterの裏話的なのでした。
正直今はTwitterがなくてびっくりするほど楽です。
たくさんしんどいものを見ていて、期待に応えようとしていたのかもしれないと気付かされました。自分らしくマイペースにいこう。
では!
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oka-akina · 4 months
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2月展示・コピ本交換会&座談会
ちょろっとツイッターでもつぶやきましたが、2月に小声書房さんで「オカワダアキナ本棚展」というフェアをやってもらいます〜。埼玉県北本市の書店さんです。ちゃんとした告知はまたすると思うんですが、まあtumblrはわたしのメモ書きとか日記帳なので…。 わたしの選書した本と同人誌の販売を予定しています。古本もちょこっと並べます。月ごとにいろんな方がやっているフェアで、文芸界隈だと昨年7月に伊藤なむあひさん、今月は旗原理沙子さんがやってるやつです。 おかわだの選書テーマは「MIC ON(マイクオン)——声を解放する」としました。
「心の中をすっかり打ち明けたような気持ちになる本。  わたしを解放し、声を出す勇気がわいてくる本。  読んだり書いたりすることはいつかの誰かのマイクを受け取ることだと思う。  次のあなたに手渡すために、いま吠える。」
という感じで20冊ほど選びました。小説多めかな。オールタイムベストというよりは最近読んだ本からおすすめを紹介する感じで、新しめの本(手に入りやすい本)をチョイスしました。3,4年前に読んだ新刊で気に入ってよく読み返してる…みたいなのも。おもに『イサド住み』や『顔たち、犬たち』を書いている間に読んでいた本で、プレイリストをシェアするみたいな感じです。
夏に展示のお声かけをいただきまして、最初は「アメリカ文学と暴力ーーDADDYに甘えたい男たち」みたいなテーマでやろうかなーと思ってたのね(わたしっぽいっしょ)。でもいろいろイベントや読書会に参加して、もうちょっと幅広なおすすめ本の方がいろんな人に楽しんでもらえるのかな…わたしもいろんな本の話したいしな…とラインナップを調整した感じです。 ZINEフェス長野で読書カレンダーを配布しながらあれこれおしゃべりして、すごく楽しかったの。読んでる本と書いている小説を並べて、こういう読書体験がこの作品につながってるんですねみたいなお話もできて、わたし自身発見もたくさんあって…。わたしの考えていることや問題意識みたいなものをあんまりまとまりなく並べてみた方が、かえって自己紹介的にもいいのかな、書いた小説のことも伝えやすいのかなと思って「声を解放する」としてみました。
『イサド住み』や『顔たち、犬たち』を書きながら、声を出すことについて考えていました。トランスジェンダーの男性が主人公のラブストーリーだったり、セクシュアリティの揺らぎに戸惑いながら喜びを得る30代だったり、この小説を遠くへ届けようとするならもっと勇気を出したい、ドキドキするけどマイクを握りたいと思った。「読んだり書いたりすることはいつかの誰かのマイクを受け取ることだと思う」、いろんな人…いる人いない人見えない誰か…と輪になってマイクをまわしてもらってるということをもっと意識したいと思った。自分で書いた小説なのに変な言い方だけど、イサド住みの主人公・今くんをぜったいに失望させないぞみたいな気持ちもあって。 胸をはってクィアと名乗るとかそういう自分のことも、正直いまだにびくびくしているんですが、小説を書くことがわたしにできる抵抗だよなと思っているのでなんかこうがんばりたいな、声を出していきたいなと思っています。性の話やエロの話を楽しんでやっていくのも抵抗のひとつ。 自分で勝手に書いている同人誌なのでほんとに小さな行動で、これで何か人や社会にインパクトを与えられるとは思わないけど、書いているわたし自身を変える力はあるようで、マイクを受け取る勇気が出てきたように思います。次の誰かに手渡したいという気持ちもわいてきた。そしていまパレスチナで起きている虐殺に声をあげるさまざまなアクションも、自分の声を出すことだし自分の声を信じることだと思った。
そんなような思いをこめて選書しました。会期が近くなったらラインナップ等公開されるかと思いますのでよかったら遊びに来てください。本を買ってくださった方には特典のペーパーをお渡しします(いま書いてる)。 えもの展示『たたずむ』と同じ会場で同時開催ですのでわたしもめちゃめちゃ楽しみです…! たたずむ×MIC ON。
ちなみにタイトルの「MIC ON」は大好きなMAMAMOOのアルバム名から。ママムはパワフルな女性四人組アーティストで、なんていうの、女子校ガハハ感がいいよね…。入学時はちょっと怖そうに見えていた一個上の先輩たち感(いつのまにか打ち解けてタメ口でしゃべれる)。あとママムちゃんたち、レズビアン・バイセクシャル当事者のファンが多いのを認知してくれてる感じもあってうれし〜!ってなる。
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フェアにあわせてスタンプも作ってみたよ。
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↑使う予定のないフライヤー的なもの
そしてそして会期中の2/17(土)、コピー本交換会をやります! コピー本、折本、ペーパーなどを作って物々交換するイベントで、交換して読むことに重きをおきたいなーと思っています。6月に参加した陰気なクィアパーティーのZINE交換会がすごくいい時間だったので、自分でもそういうのをやってみたいなーと思いました。文学フリマの規模が大きくなってきたので、それとは別にいろんな人が小さい場をやってみるのもいいのかなって。これは小声書房さんではなくて別の場所なんですが、同じ埼玉県なのでがんばってハシゴしてもらえると…うれしい…。当日は読書スペースを設けたりわたしの読んだ同人誌を並べたりします。そしてゲストをお招きして装丁座談会みたいなことをする予定です。
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↑時間とかなにもかもフワフワしてるのであとでしれっと消しちゃうかもだけど、とりあえず作っているフライヤーというか告知画像はこんな感じ。深夜テンションで座談会のことを「SPECIAL TALK EVENT」って書いちゃってるのがチラ見えしているな…(いまアイドルの小説書いてるから気持ちがアイドルで…)
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いったい会場はどこの何ずく本屋何ルさんだろう〜?という感じですが、もうちょいちゃんと打ち合わせましてまたお知らせします。ひとまず2/17になにかやるので、なにか紙を印刷しておいていただけるとうれしいです…! 遠隔参加もできるようにしたいけどわたしに余力があるかわかんないのでどうなるかわかんないです。そして今回は集まるとかしゃべるとかを大事にしたいなあという気持ちもあります。安全な場所で安心してしゃべるって大事だなみたいな。なのでどなたでもお越しくださいではあるんだけど、安全な場づくり(セーファースペース)をいっしょにやれる方に来てほしいなあと思っています〜。
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on-30 · 8 months
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レディ・バード見てきた。
難しいことはわからないけど、見終わった後、自分の近くにいる人たちを無性に、そして自分の肩を自分で抱きしめたくなった。そんな映画。
サクラメントで生きる高校生の主人公のお話。
家族と愛情のやっかいさや暖かさ、狭いコミュニティの中での息苦しさと、その一方その中で芽生えていたアイデンティティ。宗教とセクシュアリティ。
主人公を取り巻く環境に触れながらも、ティーンの主人公の青春ストーリーとして話が進む。
個人の抱える問題がナチュラルな形で社会の課題ともゆるやかに接続しているところもとても良かった。
なにより、青春映画として見ていて楽しくって、笑ってそして泣いたし勝手に共感したりした。
環境も物語も違うけれど、自分自身も小さな山間の街の中で小中高と12年間を過ごしそのコミュニティの狭さを感じ、当時はここじゃないところへと行きた。
外に出た時、山もにおいも四季の姿もありのままにあったその場所は自分身体とも同期していたことに気がついたり。そんなことを思い出したり。
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shredderwastesnow · 4 months
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2023年、会社を辞めてからのあれこれ
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7月末に会社を辞めて、5ヶ月が経過した。 8月末からハワイに1ヶ月留学し、9月に帰国。10月からは大学の通信で学芸員課程の勉強を始め、現在に至る。 4単位分の課題とテストは終わり、2単位分は課題を出してテスト日程を調整中。今はさらなる2単位分の課題をやっている。来年の6月までに20単位を取って、7月に実習(3単位分)をクリアできれば、9月には晴れて課程修了となる。その先の転職活動がどうなるのか全く予想がつかないが、とりあえず今は単位取得の心配をする時間……と思うことにする。
勉強と並行して、昨年4月の引っ越しから手つかずになっていた段ボールの開梱も進めた。40個近くあった段ボール(私が一人暮らししていたアパートと実家の一軒家からの引っ越し荷物)を6個まで減らし、もう使わないものは断捨離した。本は古本屋に70冊ほ��売り、CDも中古CD屋に30枚ほど売った。 本棚や収納の中にとりあえず入れたものは後で確認して捨てるか残すか判断しなければならないが、その作業ができるスペースを確保するためにも段ボールを減らす必要があったので、年内にここまで進められたことは大きい。
今は課題も進めつつ、服の断捨離をしている。箪笥やクロゼットの中の服をすべてベッドに並べ、迷った時はその場で着てみて、残すかどうか判断する。古くなった服や、買ったものの結局あまり着なかった服をまとめて捨てた。会社員時代によく着ていた紺のブラウスは、襟の部分がすり切れかけていたので、一緒に処分した。このブラウスを着て、その上に黄色いカーディガンを合わせた格好でよく出社していたな、と記憶が蘇った。 手持ちの服を把握できたことで、今後どのような格好をしたいのか、そのためには何を買い足すと良いのかも具体的に考えられるようになった。12月に入ってからは、ブラウスや靴下を新たに買った。裾の縫い目がほどけてしまった夏のズボンと葬儀用のワンピースもお直しに出した。
そして、会社員時代の遅れを取り戻す気持ちで、色々なことをインプットしている。 呪術廻戦や少女革命ウテナなどのアニメを観る。気になっていた音楽をまとめて購入して聴く。読書会でジェンダー・セクシュアリティを考えるヒントになるような本を読み、人と感想を言い合う。(半分は課題のためだが)美術館に行く。舞台や映画を観る。パレスチナに関する展示を見たり、デモに行ったりする。
身辺が整ってきて、今後どう生きるか考える時間も持てるようになった。
会社員時代には、「作家かライターに転職したい」と強く思っていた。 でも時間ができた今は、私は純粋な作家には向いていない気がしてきた。何時間もパソコンや原稿用紙に向かうことを毎日繰り返しても、書けない時は書けない。収入も不安定だ。執筆も人生も計画が立てづらく(私が書きたいのはエンタメでなく純文学寄りの作品なので)、書いたものが誰かの人生を照らすまでには長いタイムラグがあり、場合によっては努力して書いても的外れな批判に晒され、それでも自分なりの良い作品の基準を持ち続けなければならない人生を思うと、それに飛び込むだけの覚悟が今の自分にはないことに気付く。 会社員だったら、とりあえず出社して手を動かせば、日によって出来にばらつきはあっても一応誰かの役には立ったことになり、その労働に対する報酬が月1回支払われる。会社員時代は日々のストレスで「もっと違う生き方がしたい」という気持ちが強まっていたが、私は決して会社員生活自体が嫌いではなかったのだと思う。業務内容や環境に納得できれば、会社員をやっている時間にも楽しみを見出せる気がする。 退社前の私は、文芸を生業にすることの大変さを真剣に想像できていなかった。そして、自分が優位に立っていることを事あるごとにアピールせずにはいられない父がいたことで、分かりやすく成功したいというエゴに囚われてもいた。「作家やライターになることで、自分は本当に幸せになれるのか?」と冷静に考えることができていなかった。 もちろん書くことは続けたいが、権威のある文学賞からデビューして、年間1冊は作品を出して……というような生活を私が目指す必要はないと感じている。自分のペースで、肩の力を抜いて、地道に書いていきたい。
手つかずになっていたタスクが少しずつ片付いてゆき、徐々に心がクリアになっている感覚がある。 来年の秋に学芸員課程を終えた私は、どんな未来を思い描いているのか。 残された時間は、まだ9ヶ月ある。慌てて答えを出そうとせず、散らかった身辺の整理と今後に向けたインプットを粛々と進めながら、冷静に心の声に耳を澄ませたい。
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