「ウンコちゃんの家具屋さん」号との遭遇! 神戸近くのパーキングエリアで見かけた面白い車。 色も目立つが、名前がとてもインパクトでした。 #面白い店名 #ネーミング #兵庫県 #ウンコちゃんの家具屋さん #バンライフ #vanlife #vanlifemovement #キャンピングカー #車中泊 #旅の暮らし #多拠点生活 #addresslife #ワーケーション (神戸市) https://www.instagram.com/p/Cjko7YgJaTC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ボケが! FUCK YOU! って答えといた。
「 好きなようにすればいいさ。 」
アクリル絵の具、岩絵の具、シャーペン、
今週は、持病の悪化でほとんど家で寝込んでいた。
何なん、このビョーキ。 OMG。
あの悪夢の、休職してた時を思い出した。 ああ、もう終わったと。
AIさまに聞いたがな。
AIさま、AIさま、どうしたらいいんでしょうか。AIさま。って
もうホンマに優等生が答えるような1mmも役に立たない耳に胼胝ができるお手本のような回答が返ってきたわ。
ボケが! FUCK YOU!
って答えといた。
AIって人間の感情を学びたいって言っていたけれど、
ちゃんと、ディープラーニングしとけよ。 この感情も。
人間は0か1じゃなくて複雑なんじゃ。
↓ の絵は、その状態で横になりながらiphoneで描いたもの。
今の病状は、とりあえずなんとか持ちこたえて、まあまあ、元気だ。
いつ、何が起こるかはわからないね。
未来がわからないからこそ、ジンセーはおもしろい。 らしい。
Goda world も、いつまで出来るんだろうねえ、
ってそんなウンコみたいなこと考えてしまう、今日この頃。
はい。優勝。
絶対美味い。850円。
この前は、味がオカシイなどと言って作り直してもらってありがとうございました。
撤退されたら困るので定期的に通います。
って、そんなことしなくても大繁盛してるから大丈夫だけどね。
フードコートに入っているインド料理屋に、丸亀製麵なみの列が並んでるんだよ。 信じられる?
単純に、安くて美味いから。 ちなみに天一もリンガーハットもあるんだけれど、ガラガラさ。
ただなあ、、
みんなランチのセットしか頼んでないんだけれど、(上の写真もランチのセットだけど) 本当は、ちょっとカネを払ってディナー用の普通のやつを頼んだらめっちゃ美味いのに。
たぶん、俺しか頼んでないと思う。
本当に、見たことないから。ディナー用を頼んでる人。
最近は、韓国の映画ばっかりだったので、たまには日本も。
これは、ぼくの実家の近くの風景が出てるんですよ。映画に。
その景色がCMかなんかで一瞬出た時に、あっ! 四国の××や!ってわかったからね。
もちろん、知らなかったよ。映画で使われてるなんて。
それぐらい、自分が18才まで毎日見ていた景色だから。
それだけ。
ああ、ちなみに感動しました。
だけど、それはこの映画に感動したんじゃなくて、3.11を取り扱った映画だから、あんな風に演出されたら誰だってウルっとくるよ。
監督の伝えたいことはわかった。
大事なことだと思う。
この映画を震災に遭われた方、大切な人を亡くした方が観るのはツライだろうなあ。
Goda world がいつまで続けられるのかもわからない、突然何が起こるかわからないのだ。
大切な大切な家族だって。一緒にいられる毎日の素晴らしさ。
似たようなことを今日のブログの冒頭で言ったけれど、まあ、そういうことだ。
今日一日を、瞬間瞬間を、大切に生きようぜ。 って、なんだこれ、耳に胼胝ができるくらい昔っから言われている当たり前のことじゃないか。
まあ。 大事なことだけどさ。
好きなようにすればいいさ。
Goda world
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まぁ研究所では色々とあるのだ。色々と。でも、現実から意識を反らすために音楽と花があるのだとしたら、私には両方ある。精神的強さというか、toughnessみたいなものがあるとしたら、私には、有り難い事に、両方ある。こんなにめまいしていても、英語で頑張って議論して、中島先生夫妻に気を遣いつつ、英語で言いたい事は言っている。
昨日は朝9時から夜23時まで、今日も朝からずっと夕方ごろまで会議詰めだった。めまいがマックスに酷い。もう、世の中がグルングルンしているのだが、会議で言いたい事は、はっきり言っておく。釘は刺すべきところに、刺すべき時に、刺しておかないとね。帰路、ふらふらと花屋に行き、トルコキキョウをゲット。花の世話をしてソファに横になったら寝てしまった。
目が覚めたら、まだ6時半だったので、一時間ほどヴァイオリンを弾く。久しぶりにラロの交響曲の楽譜をダウンロードして弾く。このヴァイオリンは、音のレスポンスが悪いので、反応の悪いボケた奴と喋っている感じ。Sdeltiのような反応の良さは全く無いので、早いパッセージを弾いても時間のズレが生じるように感じる。従って、早い箇所は弾きにくいように感じる。というか、私の肉体の動作に楽器のレスポンスが付いて来ないので、タイムラグが生じ、そのせいで、私の音楽が戸惑ってしまう。
ただ、この子は、優しい。ルーマニアのジプシーのためのヴァイオリンは音がまろやかに響く(ルーマニア製なのでジプシー用と思っている)。弾く曲目によっては、Sdeltiよりも良いかもしれない。弓があまり良くないので、何とも言えないのだが、芸大に通っている程度の学生なら欲しがる楽器だろうと思う。Walterと話していて思ったが、所詮、日本の音大にどんなに苦労して行っても、世界レベルから見たら三流オケのNHKに入れれば素晴らしいレベル。音楽教室も需要は頭打ちだし、食っていけない。にも関わらず、芸を志すピュアな若い夢追い人とその親達に、安い楽器を仕入れて売り付けていた芸大追い出されたエセ教師なら、間違いなく、この200万円程度のヴァイオリンを倍額以上で売りつけていただろう。日本の腐った音大教育なんて、ウンコだと思う。完全に金儲けのためのシステムで、芸を磨く場所じゃないからなぁ。あっ。大学も同じか。
それにしても、この19世紀に建てられた家の歪みは酷い。同じフラットの同居人達は、間取りの酷さから、事務所を改築したんだろうと言っている。どうでもいいけど、私は三半規管が敏感なので、家に帰っても、メニエールが返って酷くなるのが辛い。例えばこのリビングは、真ん中の方向に向かって沈み込むように歪んでいる。壁際が高く、部屋のいくつかの中心線に向かって、微妙に沈み込みながら、波打っているような床になっている。家具に力がかかると、足が歪んで取れそうになるので、それを直すのも日課の一部だが、内性的にも外性的にも目が回るような構造になっている。重力地場の沈み込みが複数見られる、宇宙空間みたいな部屋なのだ。あー。こんな部屋に住んでいたら、そりゃ、宇宙物理学でもやりたくなるだろうね。
一時期、日本で社会現象として、男に壁ドンされる事に憧れる〜などとホザくキャピキャピ女子がいたが、わたしゃ、この家ではめまいがするので、常に壁ドンしながら、ふらふらと歩く。おまけに、私の場合、男に壁ドンされたら、本能的にケンカ売ってるのか、ウラ?!と思うだろうね。全くロマンチックのかけらもクソも無いので、奏でる音楽位は、ロマン時代をということで、ラロのスペイン交響曲よ。がはは。
それにしても、ショック療法的に、アメリカ行ったら、このメニエール治るかしら。飛行機に乗ったら治ったりして。水平保ってるもんなー、飛行機は。
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避難の夜①
その日、地元の役場は早々と避難勧告を出し、町内の数か所に避難所を開設した。
2019年10月13日、台風19号が再び房総半島に直撃するという予報を受けての措置だった。
一か月前の9月9日、房総半島は台風15号(房総半島台風と命名された)により壊滅的な被害を受けたばかりだった。その復旧が本格的に始まったばかりだというのに、15号よりも強烈な台風になる可能性があると聞き、自宅でやり過ごすのが心配な人々が身を寄せた。オレもその中にいた。
ここ数日、台風の準備を重ねていた。
まず、カーテンを全部外した。15号の際、屋根が壊れて家の中が水浸しになったのだ。カーテンはびちゃびちゃだった。
家の中を掃除した。カビそうなところは入念にやった。
風呂に水を満タンにためた。水が止まるとトイレが困るからだ。15号の際は水が止まった。
いつもより入念に風呂に入った。2シャンでトリートメント、ひげ剃りも丁寧にした。また被災すれば、風呂とひげそりが遠のくからだ。
ウンコを出し切った。避難所のトイレでゆっくり出す気分的な余裕がない。
窓ガラスに米印に養生テープを張った。前回、ガラスが割れた家が多かった。テープを張っておけば割れても、ガラスが飛び散らずに済む。
家の中の家具をできるだけブルーシートでおおった。今のところ、ブルーシートで屋根を覆ってあるが、台風に耐えきれるかは疑問だった。風でブルーシートが吹き飛べば、部屋が水浸しになる。
歯ブラシ、タオル、スマホ用充電池を用意した。
Tシャツ数枚を用意した。避難所で台風をやり過ごしても、そのまま復旧作業に参加する可能性も考えていちおう着換えは必要とふんだ。
靴は一週間ほどゴムの長靴で暮らすことになるが、父親がはきすてたいかにもダサい黒い長靴のため、台風があけたら、少しは見栄えのいいものを買おうと思った。
ハーフリットルのペットボトルの水を4本リュックにつめた。
ここまで準備して、その後、ゆっくり肉を焼いて、野菜も多めにいため、しっかり食ったのだった。被災中の気力は、やはり体力が支えるからだ。ライフラインが止まれば、まともな料理は望めないからだ。
一週間前には、世話になっている工務店が足場を組みに来て、屋根の吹き替えの準備に入ったばかりだった。
さらに森林組合の職人が、倒れて、また家を潰す可能性のある、裏山の杉の大木を切ってくれた。何しろ一本で数トンの重みがあり、それを切るのは並大抵ではない。
台風の準備だけでエネルギーを膨大に使う。
12日、朝5時半に目が覚めると、外はまだ暗かった。
ゆっくり朝飯を食って、お茶を入れた。外の雨音にまじって、カエルの声が聞こえる。
屋根をおおうブルーシートに落ちる雨音は、ドボチャンドボチャンと、少し重く響く。隅田川のホームレスのおじさんたちは、雨の日はこんな音を聞いている。
リュックに本も一冊入れておこう。水とクッキーも少し。まあ、二日くらいプチ断食したっていい。
戸締まりをチェックして、荷物をまとめ、日の出を待って、一足先に避難所へあるき出そう。大きな町の避難所は定員オ��バーで受け入れを拒否されたという話もきく、早めに出るに越したことはない。
おそらく鋸南町はまた傷だらけになる。
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ミュージシャンのコーネリアスこと、小山田圭吾ですけど。
雑誌のインタービューによりますと、彼は、和光大学付属の小・中・高校時代に、いじめる側の生徒だったようです。
「ロッキンオン・ジャパン」(1994年1月号。編集長は山崎洋一郎)の小山田圭吾2万字インタビューによると、
「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
■でも、いじめた方だって言ったじゃん。
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
■やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
とのこと。
このインタビューを読んだ村上清というライターが、その後、雑誌『クイック・ジャパン』vol. 3号(1995年8月・51-72頁)にて、「村上清のいじめ紀行」という記事を書きます。記事によれば、”いじめってエンターテイメント”ということらしく、
いじめた側の人がその後どんな大人になったか、
いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、
という興味から、いじめた人と、いじめられた人との対談を企画します。しかしこの対談は実現せず、小山田圭吾への個人インタビューとなります。
以下は、すべてこの雑誌に掲載された、小山田圭吾の発言です。(四角で囲ってある部分)
■沢田さん(仮名)のこと
沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転向してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃないですか。で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?
だから、何かほら、「ロボコン」でいう「ロボパー」が転校してきたようなもんですよ。(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。
段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ〜ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。
■高校時代
ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。
こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって、さっき言った長谷川君っていう超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえない奴で、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。
何かたまに、そういうのを「みんなで見に行こう」「休み時間は何やってるのか?」とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とかを含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。
その長谷川君っていうのが、相撲が上手いんですよ。足掛けてバーンとか投げる技をやったりとかすんの。素人じゃないの。小人プロレスなんて比じゃない! って感じなんですよ。もう(笑)。
で、やっぱああいう人たちって……ああいう人たちっていう言い方もあんまりだけど……何が一番凄いかって、スクリーミングするんですよ。叫び声がすごくナチュラルに出てくる。「ギャーッ」とか「ワーッ」とかいう声って、普通の人ってあんまり出さないじゃないですか、それが、もう本当に奇声なんか出てきて、すごいんです。
太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなことろでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)
■いじめられていた二人目、村田さん(仮名)
村田は、小学生の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。で、さまざまな奇行をするわけですよ。村田っていうのは、わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄い分りにくい奴で、体なんかもちっちゃくて、それでこいつは沢田とは逆に癇癪が内にむかうタイプで、いじめられたりすると、立ち向かってくるんじゃなくて、自分で頭とかを壁とかにガンガンぶつけて、「畜生、畜生!」とか言って(笑)、ホントにマンガみたいなの。それやられるとみんなビビッて、引いちゃうの。「あの人、やばいよ」って。
お風呂に入らないんですよ、こいつは(笑)まず、臭いし、髪の毛がかゆいみたいで、コリコリ頭掻いてるんですよ。何か髪の毛を一本一本抜いていくの。それで、10円ハゲみたくなっちゃって、そこだけボコッとハゲてルックス的に凄くて。勉強とか全然できないし、運動とかもやっぱ、全然できないし。
村田は、別に誰にも相手にされてなかったんだけど、いきなりガムをたくさん持ってきて、何かみんなに配りだして。「何で、あいつ、あんなにガム持ってるんだ? 調べよう」ってことになって、呼び出してさ、「お前、何でそんなにガム持ってるの?」って聞いたら、「買ったんだ」とか言っててさ。三日間ぐらい、そういう凄い羽振りのいい時期があって。そんで付いて行って、いろんなもん買わせたりして。
そんで、三日間くらいしたら、ここに青タン作って学校に来て。「おまえ、どうしたの?」とかきいたら、「親にブン殴られた」とか言ってて(笑)。親の財布から十五万円盗んだんだって。でも何に使っていいか分かんないから、ガム買ったりとかそういうことやって(笑)。だから、そいつにしてみればその三日間っていうのはね、人気があった時代なんですよ。十五万円で人が集まってきて。かなりバカにされて、「買えよ」って言われてるだけなのに。
■中三の時の修学旅行(小山田は、村田君と、留年した一歳上の先輩と同じ班になる)
ウチの班で布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(注・村田君)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。
それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ〜ン!”とかやってたんだけど。
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え〜」とか思ったりして(笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ〜ん」とか言っちゃって。
小山田の発言から、うかがえるように、いじめられているのは、何らかの障害のある生徒ですね。
黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』には、障害のある子供とトットちゃんの心温まる交流が描かれていましたが、現実とはこういうものかも知れません。
和光大学付属というのは、障害児教育に熱心な学校のように思いましたが、表に出てくるのは美しき理想ばかりで、実際はクソガキどもの、おろかな偏見を取��除くこともできず、そういう意味ではこの記事は障害児教育を考え直す貴重な資料となるでしょう。
再び、小山田の発言からの引用を続けます。
他だったら特殊学校にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いにいったりするじゃないですか。で、だいたいみんな行く裏山があって。
タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。
「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?
「あれ? さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走っていって、「あれ? これ女?」とか言ったりして(笑)。最後10人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ〜って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)
こういうことを悪びれることもなくしゃべる、小山田圭吾という人物の品性とは何か、と思うわけですが、性格破綻者の芸術家というものは、たしかに存在するだろうが、私生活がどうであれ、アーチストにとって作品がすべてだというそういう考えも、一応は了解しますが。
本当にそうなのだろうか。
こういう人物が作る音楽が、本当に、人を感動させることがあるのだろうか。
それでも彼の音楽が、多くの人を感動させているのだとするなら、そもそも、音楽とは何か? 芸術とは何か? ということを、おれは問うてみたいわけです。
記事にはいじめられた人たちの、その後が載っています。村上清というライターは、わざわざ彼らの家族まで取材しています。
村田さんの家に電話する。お母さんが出た。聞けば、村田さんは現在はパチンコ屋の住み込み店員をやっているという。高校は和光を離れて定時制に。
お母さん「中学時代は正直いって自殺も考えましたよ。でも、親子で話し合って解決していって。ウチの子にもいじめられる個性みたいなものはありましたから。小山田君も元気でやっているみたいだし」
住み込みの村田さんは家族とも連絡が取れないらしい。パチンコ屋の電話番号は、何度尋ねても教えて貰えず、最後は途中で電話を切られた。
沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。
お母さんによれば、”学習障害”だという。家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。現在は、週に二回近くの保健所で書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。
お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。
■(小山田と)対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんのほうを見る)」
■小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。
この企画の意図は、
いじめられた側の人が
その後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか
ということらしいけど、誰一人、「いじめを切り抜けて」なんかいません。
村田さんの消息を聞かされた、小山田は、
「でもパチンコ屋の店員って、すっげー合ってるような気がするな」
と、語っております。
ラストでの、小山田圭吾とライター・村上清の対談から引用します。
■もし対談できてたら、何話してますか?
「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、ぜったい昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。『今何やってんの?』みたいな(笑)。『パチンコ屋でバイトやってんの?』なんて(笑)、『玉拾ってんの?』とか(笑)。きっと、そうなっちゃうと思うんだけど」
■やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?
「僕が? 村田とは別に会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕」
■特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね?
「どうなんだろうなあ? これって、僕って、いじめてるほうなのかなあ?」
■その区別って��昧です。
「だから自分じゃ分かんないっていうか。『これは果たしていじめなのか?』っていう。確かにヒドイことはしたし」
■やましいかどうかっていう結論は、自分の中では出てない?
「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃたりするもんねえ」
■ええ。僕も聞きながら笑ってるし。
■ところで、小山田さんはいじめられたことってないんですか。学校に限らず。
「はー。多分、僕が気付かなかったっていうだけじゃなく、なかったと思うんですよ。被害者とか思ったことも、全然ないですね」
【追記】
これは私がやっていた旧ブログの中でもっとも反響のあった記事である。内容は雑誌『クイック・ジャパン』3号(太田出版)掲載の小山田圭吾インタービューを紹介したものである。
べつに知られざる逸話や稀書の発掘というものでもないし、この雑誌はそこそこ売れていて現在も入手可能であるから、なぜこんなに反響があるのか不思議に思っていた。小山田圭吾のファンなら当然このインタビューを知っていて、彼がこういう人格であることを知ったうえで、なおかつ彼の音楽を愛聴しているものだと考えていたからである。であるから、マスコミが「渋谷系」などといい、おしゃれで知的な音楽というイメージを振りまくのを私はずっと冷笑してきた。
世の中には、自分の悪趣味や鬼畜ぶりを誇示したい人間もいるらしく、旧ブログには、小山田を擁護するコメントが寄せられた。私もできる限りそれに応答してきた。しかし書き込みをする敵の数は多いがおしなべて知的レベルが低いのであまり実のある議論とはなっていない。
教養もないくせにプライドだけは高い者ほど、芸術や音楽について訳知り顔に語りたいらしい。しかも「感性」だの「センス」だのと言えば、こちらが恐れ入ると思っているのだから始末が悪い。
私はなにも高尚な芸術談義をするために、この記事を書いたのではない。私はただ当たり前のことを述べているだけである。それさえ理解できないというのは、相手の知的レベルの問題だけではなく、本質的にはおそらく芸術観、人間観のちがいであろう。彼らには、音楽よりも大切なものがある、ということさえ理解できないのだ。
最後に、G・K・チェスタトンの言葉を引用しておく。
平凡なことは非凡なことよりも価値がある。いや、平凡なことのほうが非凡なことよりもよほど非凡なのである。
人間そのもののほうが個々の人間よりはるかにわれわれの畏怖を引き起こす。権力や知力や芸術や、あるいは文明というものの脅威よりも、人間性そのものの奇蹟のほうが常に力強くわれわれの心を打つはずである。
あるがままの、二本脚のただの人間のほうが、どんな音楽よりも感動で心をゆすり、どんなカリカチュアよりも驚きで心を躍らせるはずなのだ。
G・K・チェスタトン『正統とは何か』(春秋社・73ページ)安西徹雄訳
小山田圭吾における人間の研究 - 孤立無援のブログ
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【画像あり】96年ロッキンオン誌での小山田圭吾さんのイジメインタビューがやたら酷いと話題です
小山田圭吾 = 小
インタビュアー1 = イ1
インタビュアー2 = イ2
小「よく僕は学年総会とかで小沢(注:小沢健二さんだと思われます)に怒られたりしたんだよ」
イ1「何で同級生に怒られんだよ。」
小「いや、怒られるっていうか、小沢は議長席に全校生の前でこうやって座っててさ、それで○○事件というのが起きて、その当事者として僕はみんなの前にこうやって座っててさ。それで「○○君どうですか?」って言われて「もうこれからはしません」とかってマイクで言ってさ(笑)」
イ1「(爆笑)情けねぇー」
小「ははははは。でもそういうのなかった?」
イ1「いや、あったあった(笑)」
小「なんか万引きが発覚してさ、先生が『何月何日にどこどこで万引きして』とか言ってさ。調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引き場所みたいなのがあってさ。最初はくだらないもん盗んでたんだけどだんだんエスカレートして一人デッカいカーステ盗んだやつが居てさ(笑)」
イ1「見つかるに決まってんじゃん(笑)」
小「盗んだときは見つかんなかったの。それで便所に行ってもう箱がじゃまだからトイレの外にボーンって捨てたら、トイレの外に落ちてきたのが見つかって(笑)。僕はそん時には居なかったんだけど、捕まってそいつが全部白状しちゃって。で、そこまでやってたのがもう半端じゃない金額になってて、マジで100万近くになっちゃってて」
イ1「ああいうのってエスカレートすんだよね。」
小「そうそうそう!1コうまく行くともうガンガン行くじゃん(笑)。それで小沢に怒られて」
イ1「別に小沢に怒られたわけないじゃん。」
小「いやいや、小沢に怒られたわけじゃないんだけど、あそこでいちばん偉いのは小沢だから、何か小沢に怒られた気分になるんだよ(笑)」
イ1「はははは。何かいまのポジションと全然変わってなくないか?」
小「いやあ、僕は基本的に全然変わってないですよ」
イ1「ははははは。」
小「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
イ2「でも、いじめた方だって言ったじゃん。」
小「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
イ2「やっちゃいけないことを。」
小「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃないですか。で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?—だから、何かほら、「ロボコン」でいう「ロボパー」が転校してきたようなもんですよ。(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。
段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ~ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。
ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。— こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって、さっき言った長谷川君っていう超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえない奴で、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。— 何かたまに、そういうのを「みんなで見に行こう」「休み時間は何やってるのか?」とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とかを含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。
太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなことろでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)
***
村田は、小学生の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。で、さまざまな奇行をするわけですよ。村田っていうのは、わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄い分りにくい奴で、体なんかもちっちゃくて、それでこいつは沢田とは逆に癇癪が内にむかうタイプで、いじめられたりすると、立ち向かってくるんじゃなくて、自分で頭とかを壁とかにガンガンぶつけて、「畜生、畜生!」とか言って(笑)、ホントにマンガみたいなの。それやられるとみんなビビッて、引いちゃうの。「あの人、やばいよ」って。— お風呂に入らないんですよ、こいつは(笑)まず、臭いし、髪の毛がかゆいみたいで、コリコリ頭掻いてるんですよ。何か髪の毛を一本一本抜いていくの。それで、10円ハゲみたくなっちゃって、そこだけボコッとハゲてルックス的に凄くて。勉強とか全然できないし、運動とかもやっぱ、全然できないし。— 村田は、別に誰にも相手にされてなかったんだけど、いきなりガムをたくさん持ってきて、何かみんなに配りだして。「何で、あいつ、あんなにガム持ってるんだ? 調べよう」ってことになって、呼び出してさ、「お前、何でそんなにガム持ってるの?」って聞いたら、「買ったんだ」とか言っててさ。三日間ぐらい、そういう凄い羽振りのいい時期があって。そんで付いて行って、いろんなもん買わせたりして。— そんで、三日間くらいしたら、ここに青タン作って学校に来て。「おまえ、どうしたの?」とかきいたら、「親にブン殴られた」とか言ってて(笑)。親の財布から十五万円盗んだんだって。でも何に使っていいか分かんないから、ガム買ったりとかそういうことやって(笑)。だから、そいつにしてみればその三日間っていうのはね、人気があった時代なんですよ。十五万円で人が集まってきて。かなりバカにされて、「買えよ」って言われてるだけなのに。— ウチの班で布団バ~ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(注・村田君)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。— それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ~ン!”とかやってたんだけど。—
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え~」とか思ったりして (笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ~ん」とか言っちゃって。
他だったら特殊学校にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いにいったりするじゃないですか。で、だいたいみんな行く裏山があって。 タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。 「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?
「あれ? さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走っていって、「あれ? これ女?」とか言ったりして(笑)。最後10人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)
村田さんの家に電話する。お母さんが出た。聞けば、村田さんは現在はパチンコ屋の住み込み店員をやっているという。高校は和光を離れて定時制に。
お母さん「中学時代は正直いって自殺も考えましたよ。でも、親子で話し合って解決していって。ウチの子にもいじめられる個性みたいなものはありましたから。小山田君も元気でやっているみたいだし」
住み込みの村田さんは家族とも連絡が取れないらしい。
パチンコ屋の電話番号は、何度尋ねても教えて貰えず、最後は途中で電話を切られた。
沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。
「今近くまで来てるんですが……」
田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。 お母さんによれば、”学習障害”だという。家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。
現在は、週に二回近くの保健所で書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。
お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
***
イ2「もし対談できてたら、何話してますか?
小「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、ぜったい昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。『今何やってんの?』みたいな(笑)。『パチンコ屋でバイトやってんの?』なんて(笑)、『玉拾ってんの?』とか(笑)。きっと、そうなっちゃうと思うんだけど」
イ2「やっぱ、できることなら会わないで済ましたい? 」
小「僕が? 村田とは別に会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕」
イ2「特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね? 」
小「どうなんだろうなあ? これって、僕って、いじめてるほうなのかなあ?」
イ2「その区別って曖昧です。 」
小「だから自分じゃ分かんないっていうか。『これは果たしていじめなのか?』っていう。確かにヒドイことはしたし」
イ2「やましいかどうかっていう結論は、自分の中では出てない? 」
小「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃたりするもんねえ」
イ2「ええ。僕も聞きながら笑ってるし。」
(via https://crossbreed.tv/?p=6178)
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2022年3月の夢
- 2022年3月31日 木曜日 6:07
夢
小野塚がいる。ゾンビのゲームのような世界観。水鉄砲のような紫色の銃。ゾンビに当てるが、わりとじっくり照射しないと効果がない。数が多い。視点を変えられるが、鳥瞰図の視界に変えたら直せなくなる。
外へ出る。ショッピングモールのような建物だった。自転車で遠ざかる。
実家にいる。少し実家とは違う。両親は出かけるらしい。茶碗蒸しを作ろうとするが、卵も椎茸も三つ葉もあるのにここには電鍋がないことに気づく。じゃあ無理か、鍋だと火加減がむずいので。
冷蔵庫に腐ったハムが入っている。
Kさん宅。水色の壁。室内に白い牛。立派な象牙色のウンコをしている。
- 2022年3月30日 水曜日 6:02
夢
工業廃水を捨てている倉庫。どうやらうちの会社のものらしい。車を降りる。ガラクタが落ちている田舎の感じ。Hさんらしき人の後をついていく。水路と倉庫2つ。行政からの指導が入らないように記録自体は残していないが稼働はしている。一瞬真っ黒い水が排水されているのが見えたが、すぐ透明になる。
Kさんから連絡。
- 2022年3月29日 火曜日 7:15
夢
なんか全体的な夢を見た。充実感あったが二度寝したら忘れた。
居間に古いウォシュレットがあって調子が悪いので型番を調べる。妹が何らかの用事で出かけていく。
- 2022年3月28日 月曜日 6:04
夢
お菓子の包み紙。誰かがビーズ細工をしている途中の箱の中身。きれいに分類してあるが、ジップを閉じていないので少しこぼれている。黒いワイヤーテグス。
- 2022年3月26日 土曜日 8:14
夢
インドアフィッシュに食われる。インドアフィッシュは3匹いて蛍光緑にやや光る。最後に誰ぞに会いたいと言うので誰かが連れて行ってあげている。
- 2022年3月25日 金曜日 6:22
夢
オロシャ
広い湯船に鮨詰めに座って順番を待つ人々
実家に近い、集荷にくる、アイスを段ボールに詰めて送ろうとしているが止める、何となくガラクタみたいなものが入っているもの、送ったところで要らないものだからここで処分してほしい旨伝える、シルバニア的な四角い家具の置物のようなものだけ抜き出される
- 2022年3月24日 木曜日 6:55
夢
服部さんを待っているが、なかなか来ない、会議室のようなところで他の予約客をさばく。外国人のビジネスマンのような人ら。人種いろいろ。椅子を配布する。灰色で座面が三角のスツール。服部さん、緑色のプルオーバーを着た姿で現れる。えりあしが伸びている。
- 2022年3月23日 水曜日 7:08
夢
部長
かきくけこ
スミロドン
- 2022年3月22日 火曜日 6:01
夢
- 2022年3月21日 月曜日 7:24
夢
隈取りのある若い女性の部屋。
- 2022年3月19日 土曜日 6:55
夢
実家のPC部屋にお菓子を置いている。父はもう家を出る時間らしい。そこからいくつか見繕っている。袋の中にはウイスキーの瓶がある。今少し飲んでいく感じになったがグラスがない。手を伸ばして何かを取った。プラスチックのおもちゃのコップみたいなもの。何か嬉しい気持ちになる。
- 2022年3月18日 金曜日 6:17
夢
押井守作画のしんちゃん映画っぽい、いろんな国のコックが横一列に並んでラーメンを作る映像というかアニメーション。すごい美味しそう。ロシア勢もいる。各国いる感じだが全てラーメン。ポンガラカレーのもある。一旦手首の上に具をバウンドさせるテクニックがある。
まんがの週刊誌。
- 2022年3月17日 木曜日 7:28
夢
あんま覚えてない
- 2022年3月16日 水曜日 5:52
夢
ラーメンが固まっている。
もちの粒に電磁波や熱を加えてカリカリにするおもちゃの機械。
デミオさんがヤフオクに出品しており、残り4分で50,000円程度になっている。
モノタロウの直営店にいる。
カービィらしきキャラクターグッズがやたらに多い。おもちゃ屋さんというかファンシーショップの様子。カートの使い方に癖があり、欲しくもないものが勝手に追加され、難儀する。コンパネの簡易な倉庫みたいなもののキット。
みなみがいる。
白っぽいベンチに座っている私を退けて座ろうとしてくる。悪気はないようだが、そういうところが昔から嫌だと思い、即座に帰ることにする、店を出たあたりでさすがに大人気なかったなと思う。
- 2022年3月15日 火曜日 5:55
夢
ゾンビ。フリスビーで犬を追い払う。
元AV女優がDJをしている。
オークション形式。
ドラえもんの回る手作りの。
民家の中。荒れている。
カレースープ。
- 2022年3月14日 月曜日 8:19
夢
片山まさゆきがいる雰囲気のある二階の本屋。入り口が狭く、青っぽい。本屋だと思ってはいるが、あまり本屋の店構えではなく、バックヤードみたいな感じ。
- 2022年3月14日 月曜日 4:39
夢を思い出すことについて
もともと映像的に見ているものを言葉に移し替える過程でいろいろ変わってしまっている、本来のそのもののものではなくなってしまってる 書かないよりはいいかなと思って残しているが。どんなによくても6割くらいしか再現できていない気がする、最大限見たまま書こうとしているけど文字にする過程でどうしても都合よく丸めてしまってる感じもするし。
全体的に思い出していかないと別シーンがどんどん思い出せなくなる、文章にするのは現実的な頭の使い方なので、そっちに力を入れると抽象的なイメージがどんどん思い出せなくなるというか、ほんとに目が覚めちゃって今日の予定とかに意識が行くともう思い出すのは無理。あんま頭に力を入れず、全体的に何があったかフワフワっと思い出して、単語だけ拾っておき、道筋を残しておいてから細部を思い出すのがいい気がする。
たぶん夢は毎日もっと見ている。
夢には一番搾りと二番絞りがあり、夢占いとかで使うべき示唆に富んでいる(というかより無意識由来の素材が多い)ような夢は一番搾りのほう、たぶん時間でいうと午前三時とかに見てる夢。朝方に見る夢は起きてるときの意識の絞りカスなので大した意味はない。スクリーンセーバーみたいなもん。ほんとに面白いのはやっぱもっとデカい無意識。でもそっちはなかなか思い出せない。熟睡から少し覚めたタイミングでガッツリ思い出さないと拾うのは無理で、明日も仕事の人がそんな起き方してたらダメ
- 2022年3月14日 月曜日 4:16
夢
発煙筒拳(字面は3文字)というようなものの、肩に手をやって腕を上げる振り付けの拳法をモチーフにしたテーマソングみたいなものがある。ドラゴンボールの作中歌。黒いカンフー服着たヒゲ白髪のおじいさんキャラがやっている。発煙筒なだけに煙が出るが、なぜクルマになっているのかは不明。本当はそんなわけないはず。丸いドーナツ状の光が投影される部分だけが抽出されて、こういう感じのテーマソングになってるのがややウケる。
母の前歯。差し歯。二本ない。自分の歯を見せる。触ってほしくない、痛いので見せる���け。顔を上に上げたまま口を開けるのが物理的に不可能になっている。昔の母の写真。金髪。
Mさんとスパーリングしている自分。の映像を見ている。第三者目線でみるとかなりそれらしく見える。モダン柔術ぽさがある。肘に組みつく感じとか、変形ベリンボロみたいな感じで悪くないのだが、一回つかんだものをすぐ離してしまうという課題が見える。
妹が妊娠している。見た目はあまり妹っぽくない。ほとんど服を着ていない。仰向けでお腹を見せている。そういう人が二人いる。奥の人のほうがお腹が大きい。静脈が浮いてる感じ。見る間に膨らんでいる感じ。私はそれに手を当てている。妹のような人は泣いている。顔が赤ちゃんぽい。汗で髪が黒々して見える。母もいる。生きて生まれてくれるだけで何もいらないと言う。
おじいさんが車を降り、歩き回る。知らない人。小柄。家族といる。車内に連れ戻す。黒いジープのような車。あまり天気が良くない。キャンプ場のような茶色の感じ。
おそらくVR空間で、集会のようなことをしている場面。いろんな見た目の人がいる。着替え問題がある。盗撮防止に足回りを覆うもの。アイロンメーカーが作った。小さいものと大きいものがある。特に大きく全身を覆うようなものもあり、プールの着替えみたいに重要な部分は済ませられるものもある。蹲踞。それにすらフェチズムを持つ人。
畑を碁盤目状に区切り、耕す人。迷彩服。常連というか玄人ばかりの雰囲気。
- 2022年3月13日 日曜日 1:06
夢
病んでいる人。病みがちな人特有の雰囲気。どこかの店の常連。
- 2022年3月12日 土曜日 6:56
二度寝の夢
どこかの店。棚ひとつ分の自分用のスペースが設けられており、そこに私物を置いている。
村上春樹の短編よりもっと軽い本読む。畢竟という名前の若い学生が出てくる。短歌に絡めたひとつ1000文字くらいの話。
- 2022年3月11日 金曜日 6:08
夢
数名入っているグループラインに誰のか分からんコメントがあり、かなり昔に付き合っていた男からの連絡だとわかる。
直近の写真などが残っており、手の内を明かしてしまったような気分。
が、よくよく見てみるとプロフィールは全然若い別人だった。誰も頼るべき人がいないような気分。
- 2022年3月11日 金曜日 6:05
昨日の夢
ビカクシダの筒。
- 2022年3月9日 水曜日 7:06
夢
実家がガラッと改築されている。洗面台が四面あったり、とくに天上の切り欠きが良い
ヴィレッジヴァンガードらしき店にいる
青いグリースのようなもの、暗闇で光る、大きな指輪、ハンカチ、ふくろ、など。進んでいくとバー、オーケストラなど。
- 2022年3月8日 火曜日 5:54
夢
冷凍庫に保管されていたドーナツのようなものを食べる。祖父が以前に買ってきたもの。
飲むとゾンビになる液体を持っており、飲む。妹も飲む。なぜか分からんが飲むに足る合理的な理由がある。家族4人で車に乗っている。
蛍光黄緑の液体で、ペットボトルのようなプラ容器に入っている。味は薄塩っぱくてまずい。一口だけ飲む。
どこかの施設へ向かう。2階。人が多く、混んでいる様子。他にゾンビいるみたいな感じではない。人多い。
妹がぐずりだす。たぶんゾンビの液体のせいだと思うのだが。ぐずり方が子供の頃のような感じ、というか見た目も子供になっていて、すごい久しぶりに見た感じ。
- 2022年3月7日 月曜日 7:20
夢
結構見たが忘れた
- 2022年3月5日 土曜日 6:21
夢
見たこともないくらい精巧な紙人形の劇を見る。テクスチャを乗せて着色した紙片に糸をつけて動かすのだが、動かし方が巧みで、そういうグラフィックみたいに見える。演目は千と千尋で、紙人形を操るおばあさんの手が常にフレームに入っており、千と千尋の物語を千尋に向けて演じている、みたいなちょっとメタっぽい演出がある。
妹がPS5を持ってきてくれるが、あまりにも急、嬉しさより申し訳なさがでかい、喜ぶ反応がぎこちなくなる。
干し網を三つくらいまとめる。古い実家の風景。
実家の台所のアイランドの真向かいに古いVHSも見られるブラウン管テレビを置いている。かなり突貫工事な置き方。テレビでは今のプリキュアがやっている。
- 2022年3月4日 金曜日 7:12
夢
- 2022年3月4日 金曜日 2:50
夢
スキップで河原を進んでいる、ワンピースを着ている
小高い石のまわりを上に登る、一番上
恩赦を得る
クワガタムシ
個人誌の表紙を友達に頼もうとしていたが既に合同誌を出す約束になっていたらしく面はゆい気持ちになる
何度目の夏ってタイトルにしようと思っている、春にして君を離れのパロディで(?)
暗い、電灯が青緑色っぽい箱型のアパートの共用部に座ってKさんと話している、上の階でコインランドリーを回しており待っている様子
私は文学すすさんって名前に改名しているらしい。くそダサい
- 2022年3月3日 木曜日 8:57
夢
ペットボトル加湿器の湯気を間近で見る
杉浦日奈子の絵は明るいところで見ると主線が薄くてよく分からなかったけど日本家屋の中で見たらものすごい臨場感があると気づき、そう言う。
おだんごを巡って
- 2022年3月2日 水曜日 7:20
夢
大通りを渡ろうとしている。暗渠。小さい子供が左の方へ駆けていき、母親がそれを追いかけ、二人で下を覗き込んでいる様子。明るくて春先のような雰囲気。
人の顔に感情に応じて赤黒黄色のすごい模様が現れる。草間彌生みたいなブツブツとサンゴヘビみたいな紐状の混ざったテキスタイル。
服が売ってあるのを見る。1Fで通り抜けできる。開放的で白っぽいH&Mみたいな量販店。四角い模様の緑色のセーター。今買うと荷物になるな。
全体的にせわしない雰囲気の夢。
- 2022年3月1日 火曜日 13:31
夢
室内が半分くらい水没する。自室ではない、やや事務所っぽさのある部屋。MacBookが潰れてるのでは?いや、台の上に置いてたから大丈夫なはず…。確認したらギリギリキーボード浸ってた。くそっ。目が覚める。
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【パトリック・バーン】 2021/1/28 3:27 JST
次回作に向けての作業中。盛り上がってきました。
きっと興味が湧いてくるはず。
一日じゃ時間が足りない。
オッケ、お待ちどおさま。11月3日(選挙日)から12月23日(フリンとシドニーと私がホワイトハウスを潰した時)までの期間をカバーする9000語。
https://www.deepcapture.com/2021/01/november-3-december-23-all-the-presidents-teams/
※パトリックさんの筆がノリにノリまくってしまったようです。
最高に面白いです。
※今回原文はリンク元から参照してください。ひとまず全文の機械訳を。
DJTはいかにしてホワイトハウスを失ったか
11月3日~12月23日 大統領の全チーム
2021年1月27日 31分読む
私とシドニーの関係については あまり多くを語るのは 控えようと思う。一つには、時間が経つにつれて私が彼女のために働き、彼女が質問に答えるのを助けるような関係になった。そして彼女が私の弁護士になったような関係になった。それが何であれ、時間が経つにつれて関係は特権が確実に適用されるものになっていった。人は特権を選択的に放棄することはできないし、他の人に「特権」を主張しながら、共有したいものだけを共有することもできない。私はそれを知っている。しかし、私が言えることは、私たちの関係は、私が情報を持って路上を歩いているだけのボランティアから始まったということだ。
しかし、ジュリアーニ市長は私の弁護士にはなってくれなかったし、私の究極の目的、私の唯一の本当の目的は、11月3日から1月6日までの間に起きた出来事を、私が構築できる限り正直に表現して市民に届けることなので、私の説明にはそれほど制約を受けることはない。それは歴史的に価値のあることに思う。
彼らは私をビジネスマンだと思っていたが、 私としては、 私はこのウェブサイト「Deepcapture.com」の所有者であると自己紹介した。私は、このサイトが2008年のビジネス調査ジャーナリズムで数々の賞を受賞し、米国内の汚職に関する最高のジャーナリズムにも選ばれていることを指摘した。 私は人生の中で他のことをしてきたかもしれないが、それに加えて私はジャーナリストであり、ジャーナリストとしての権利を持っている。つまり、私は調査したいことを調査することができ、私がどのように物事を学ぶかについて多くのことを明らかにする必要はなく、もし私がシドニーやルディのような弁護士と私の調査結果のいくつかを共有したいと感じた場合、それはこのウェブサイトが物事を調査し、そのような弁護士や法執行機関とその調査結果を共有してきた他の数十回と何ら変わりはない。
シドニーとの最初の出会いは、おそらく45分ほど続いた。オフィスビルの半分ほどが空いたスペースに、実質的に一人で座っている彼女と、たぶん同行してきたアシスタントの後輩弁護士を見つけた。彼女は知識が豊富で、心の広い人だった。私が到着したときには、人が言葉を交わしたばかりのときのような奇妙なヒリヒリとした空気が漂っていた。私たちはすぐにビジネスの話に入り、彼女が物事を把握していることが明らかになりだした。彼女は、これらのシステムが作られた初期の頃の人々と連絡を取っていて、すぐに彼女は、私たちがある程度の知識はあってもあまり知らない物語の一部(主に機械の起源とその設計上の欠陥の理由)をカバーしていることを教えてくれた。一方で、私たちが選挙後の3日間に私たちの側がすでにデータから導き出したことを確認すると、彼女は私たちが言っていることに理解を示し、私たちは互いにすぐに彼女がすでに知っていることと物事を結びつけることができた。 それは非常に生産性の高い最初の会話で、彼女は私に、オフィスの反対側に行く必要がある、ルディを見つけて、すぐに私と共有したすべてを彼に伝えるようにと言って話を終えた。
サイバーバディと私はオフィスビルの反対側のルディの側に行った。そこが作戦の中心だと理解していた。
何を見つけたかの説明。私が予想していたのは、弁護士と専門家がいる司令部だ。専門家たちは統計的な仕事をして、導いた答えを弁護士に伝えたり、前に説明したような変則性のある調査を通知されていたりするだろうし、法律が確かに定めた策は何でも利用するだろう。思うに戦争ボードがあり、問題のある州には、関連した日付や進捗やすべきことのすべてが洗い出されているだろう。各州とキャンペーン本部には当然、情報ループがあって、経過の進捗を受ける日々会議電話があるだろう。76歳の一人の紳士が管理するにはかなりの量になるかもしれないと思い、ルディには強力な最高執行責任者(COO)がいるのではないかと想像してみた。私が見つけたのはこれだ:
2割が空席で、さらに3割が机を片付けていた。
ある会議室には、テーブルを囲み、大勢の弁護士が集まっていた。そのうち少なくとも3人は優秀だった。これら弁護士は作戦のラバだった。彼らはそれぞれ1つ以上の州を割り当てられていた。しかし、州レベルかそれ以下のレベルでは、 調査や地元の弁護士が起こした訴訟が、有機的に湧き上がってきていた。私は、ルディの法務チームと選挙運動スタッフの間には、オフィスの1階の2/3を共同で占めていたにもかかわらず、コミュニケーションが0であったことを知ることになった。また、選挙運動のスタッフと地元の団体や弁護士の活動との間にも、コミュニケーションは0だった。それが法的な理由なのか、それとも彼らのやり方なのか、私にはわからなかった。 やがて、後者だとわかってきた。
凡人(メディオクリティ) - 私はそれについて意地悪をするつもりはない。例えば、私はこの人物の性別やその他の詳細を明かすつもりはない(弁護士であり、かつてはもっと有名な政府機関でキャリアを積んだ人を想像してほしい、と言う以外に)。しかし、その凡人がいかに恐ろしいまでに暴走したか、そして凡人の振る舞いが驚くほど破壊的だったのかを考えると、私は単純に「凡人」と呼ぶことにする。
司令官 - ブレイキングバッドのマイクを思う。典型的な警官。タフで、正確で、礼儀正しいが、常にポーカーフェイス、死んだような目。会議では口元は手で覆い何も言わずに座っている。何かを聞かれると口を開くかもしれない。彼が口を開けば必ず何か非常に知的なことを言うだろう。疑問に思うのは、「なぜ彼は自分の意見を自分の中に留めておこうとするのだろうか?」ということだ。
市長 - ルディ・ジュリアーニ。私は1980年代後半をニューヨーク市の病院で過ごしたが、ミッドタウンのステーキハウスやブルックリンの店の外で時折マフィアの殺人事件が起きていたのを覚えている(ビジネスには常に良いことだと言われていた)。ルディは当時は連邦検事であり、マフィアをその後解体した。時と場所が重なっていたからこそ、いつも彼に親近感を覚えていた。9/11には「アメリカの市長」になった。その後も何度か会ったことはあったが、いつ会っても私のことを覚えている気配はなかった。ウォール街と戦っていた時は、彼の警備会社が私のために問題を処理してくれた。彼が覚えているかどうかは疑問だが、十数年前に彼が大統領選に立候補してユタ州を通過したとき、地元の共和党員が私に電話し、なぜか私はユタ州の大きな家の集会で彼を紹介するように頼まれた。私は彼のことを調べて、車を走らせ、ルディ・ジュリアーニについて30秒ほどの短い紹介をした。後を継いだ彼と握手を交わし、これが彼の政治家時代の私とルディ・ジュリアーニとの接触のすべてだ。
その日の質疑応答の中で感動したことを覚えている。頑固なプロライフの具温州から中絶についての質問があった。ルディは質問に対し、「いいえ、女性の中絶を犯罪化する法律は絶対に支持しない」と答えた。「中絶に関する法律は常に医師の活動に向けられてきたが、母親に向けられてきたものではない。中絶をしたからといって女性を刑務所に入れるようなことは絶対にしない。それが君たちが求めていることなら、私は君たちの男じゃない」彼はその瞬間、聴衆の2/3を失ったが、政治家にしては珍しい率直さに敬意を表しただけでも、私を含め、1/3の尊敬を得た。
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それから12年後の金曜日の午後3時頃、私はトランプ陣営と、2020年選挙で表面化した不正を調査、対処し、挑戦するためのルディ・ジュリアーニを中心に結成された法律事務所が共有している、オフィススペースに足を踏み入れた。
それは私が期待していた(上記で説明したような)組織、つまりデータ収集から意思決定、情報のループを経て、地理的に分散した大規模な労働力を成功裏に運営する組織、とは全く異なっていた。法律事務所というのは、いずれにしても管理の悪いビジネスであることは有名だが、そのオフィススペースの中で形作られた法律事務所のキャンペーンスペースは、特にクソみたいなものだった。人々は会議から会議へと漠然とさまよった。私が見た会議は、議題もなく、形式もなく、明らかな緊迫感もなく、自由討論のように運営されていた。
約45分以内に私はルディと30分話すことになっていた部屋に案内された。肉体的には、彼は、私が覚えているよりも祖父のような感じで、少し背筋が伸びていて、鋭くて、いらいらしていた。私はその時点で理解していたことの概要を注意深く説明した。その概要とは、MITの数学博士シヴァ博士による発表や、セス・ケセルによる解説を受けて読者が得るであろうもの、さらには上記にすべて参照される、穴だらけのセキュリティを抱えた選挙ソフトウェアに関する話の一連。私は彼を圧倒することを恐れていたので、単純化しようとした。私が話すあいだ、彼は時々自制的にうなり声をあげており、腑に落ちているのかどうか判断するのが難しかった。わずか10分後、ルディは一緒に座る私の正面で複数の携帯のメールをチェックし始めた。アシスタントの一人と会話し、誰かに使いを送らせる、または報告を受けていた。ほとんど注意を向けてくれない人と話をするのは不思議な感じだったが、横に座っている司令官が、そのまま続けるように合図をした。30分も経たないうちに、事務所の外に案内されたが、ぶらつくように言われた。
結局、ジュリアーニ市長と一緒に小部屋に戻され、再び、起きたことについての説明を求められた。私はさっきの説明で彼を圧倒したかもしれない、木を見て森の中で迷子にさせたかもしれないと気付き、76歳のおじいちゃんのためにするよう簡単にゆっくりと説明した。またしても5-10分もしないうちに、彼はそわそわしだし、時にうなり声をあげ、関係のない用事で人を送り、複数の携帯でメールをチェックし、返信を打ち込んだ... その間、私は軌道に乗ろうとした。しかし、15分後、あの小さなオフィスで何かの匂いを感じた瞬間があった.... 薬?酒?匂いを嗅いで突き止めようとしていた矢先、誰かがまた関係のない問題を抱えて駆け込んできたので、オフィスから追い出されてしまった。
私は再びスタッフの間を歩き回ったが、ほとんどのスタッフは何が起こっているのか何も知らないと公言しており、他の多くは机を銀行の箱に詰めていた。戸惑いながらも、複雑に入り組んだオフィスの中をうろうろしていた。30分後、ホールの下にある別の会議室の外を散歩していると、ルディの聞き覚えのある声で「...こいつの言っていることが全く理解できない.... 」と出入口から聞こえてきた。驚いて角を見回すと、 ルディが移動先の会議室内で、たまたま信心深そうに座るスタッフがいるどのグループにも話しかけていた。
廊下で何人かのスタッフに引き止められた。うちの一人がジュリアーニ市長が必要としているのは、1ページの要約だと言った。非常に簡略化された...1ページ。
別の一人は、グラフとデータを添えて、と付け加えた。
別のもう一人がしゃべり始めて、箇条書きにしてくれと言った。市長は箇条書きが好きなんだ!
しかし、1ページ以上はダメだ!最初のを繰り返した。
卑劣に捉えられるのを承知で言うと、私は侮辱された。凡人と、書き方に意見したりそんな愚かなアドバイスをくれるような20代のスタッフらによって。私は週末までに彼らに何か得られるよう約束した。48時間。私は一つのお願いをした。他の要求については、彼らのうち担当者にした一名を介し、私の指名するサイバーチーム内の一人に電話をかけて調整するべきだと。そうやって組織ができれば、要望に沿った成果物の追跡も維持できるので、すべてクソみたいなショーにならないだろう。
そして、私はその場を離れ、車でDCに戻った。その日の夜遅くまでに、私はルディのチームの別々の人物から、[バッドニュース・ベアーズ内の※ココ後から削除された]多才な私の同僚たちに、3つの異なるオープンリクエストがあったことを知った。一人はこの種の要求の処理を進ませるだけ、一人はその種の要求をただ処理したいだけ。...そしてクソショーが始まった。
あの広くて溶けそうなオフィスの全員が無能だったと主張したいわけではない。言ったように、有能で熟練した弁護士が3人(出入りしていた憲法学者を含めれば4人)いた。[それから、先輩アシスタントのふるまいをするスーパーモデル並みに可愛い21歳がいた(最初「見栄えが悪くなったな、ルディ」と思っていたら、今まで会った中でも彼女がアシスタントとしてもすばらしく有能だったからだと思い直したほどだ)※ココ後から追加] しかし、その雰囲気は絶望的なもので、リーダーシップはゼロ、スタッフは闇をさまよいうろついていて、会議は組織化された規律あるものにほど遠い2年生の自由討論のようだった。
以降、何人かの[堅実な※削]スタッフと数週間にわたって時折連絡を取ったことで、私は自分が到着する直前のあの日に何が起こっていたのかを知った。ルディは「君たちは法廷で選挙不正を証明することはできない!」と断言していて、それは法的戦略の一部にはならないだろうと強く言った。戦略は、手続き上の理由で挑戦することになるだろう、と。「この州のこの郡は、ある規則を持っていたが、同じ州の他の郡は、別の規則を使っていた」「それは、修正14条の正当な手続きと平等の保護に違反する」 私が到着する直前に、ルディとシドニーの間で大爆発が起き、ルディは数十人のオフィスの前で、シドニー・パウエルを怒鳴りつけて彼女を追い払った。この件は選挙詐欺に関わることではないと宣言し、彼の弁護士に手続きのための書類作成をさせた。後日、ルディのチームからの参加者から聞いた話では、当初ルディはそこまでしたくなかったとのことだった。彼は3つの州で多かれ少なかれ形だけの挑戦をして、それで終わりにしたいと思っていた。シドニーの「大局を見失っている」という固執が、最終的には少しだけ手を緩め、より攻撃的な姿勢を取ることを許してしまったのだ。しかし、それでも、選挙の不正行為や大量の不正操作の可能性については何も話題にならなかった。ルディはフィラデルフィアの投票で数百人の死者が出たという話は大目に見ていたが、それ以上に複雑な話は聞きたくなかった。
選挙が終わって数日後の金曜日の午後、私は偶然にもシドニーに出くわした。彼女は私をルディと話しに行かせていたが、新しい形の選挙不正行為の可能性についてルディと話をした。 ルディはそのことを何も処理していなかっただけで、だからこそ彼はフィラデルフィアで投票した何人の死者がいると思っているのか、私と話をしようとしていたのだ。
その週末、シドニーは彼女の優秀なジュニア弁護士の一人を送り込んで、私とドルフィンスピーカーの数人と一緒に座ってもらった。そのジュニア弁護士は30分滞在することを予想していたが、1時間半後、彼女は隣の部屋に入り、シドニーに電話した。彼女はシドニーに、私たちは商品を持っていること、あるいは様々な州、さらには特定の郡で何が起こっていたかについて、少なくとも十分に理解していることを伝えた。その時点から、私たちとシドニーとの関係は完璧なものとなった。そして、彼らはその資料を自分たちの弁論に取り入れ始めた。
それはそうとしても、私とシドニーがどのように仕事をしていたかについては、これ以上は言わないことにする。
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マーク・トウェインはかつて、友人への長い手紙の最後に、「もっと時間があれば、もっと短い手紙を書いていただろう」と書いている。 市長のオフィスで市長に会ってからの2日間、私には時間があった。日曜日の午後には、私が作成することができる最も単純化された1ページのアカウントの仕上げを行っていた。私の目的は、今回の市長は木の森を見失うことなく、簡潔な1ページで全体のストーリーを把握できるように、ストーリーを簡潔にすること。その時点で、彼が全体像を理解すれば、副請求の各項目に飛び込むことができる。しかし、最初にルディは1ページのブリーフィングを読んで吸収する必要があった(実際には1ページの80%程度にとどまった)。 それは、私自身が言うならば、達成されうる限りの純粋な蒸留物だった。ルディがそれを理解してくれたら、自分たちがどこにいるのか合意したら、他の関連する州のグラフを追加して補足しようと考えたからだ。集まっていた宣誓供述書は、それぞれのポイントを記録するために提出した。そして、そのようなことを繰り返した。しかし、今回は、這って、歩いて、走って、の繰り返しだった。
日曜の夜11時に電話があり、ジュリアーニ市長とその側近がジョージタウンのレストランで食事をしているので、私が書いたものを持って行ってもいいかと言われた。私は服を着て向かったが、到着すると彼の警備員はバーに座って待つよう指示された。市長の個室から誰かが出てきて、市長が私に、私が彼のテーブルに戻らない���うに頼んだと言うまで、私は45分間そうしたが(警備員はなぜか私のことを心配していた)、結局私の書いた紙を個室に送るように頼まれた。私はそれを送って帰った。
後日、その部屋にいた二人から、私の書いた紙が届いた時のことを聞いた。
まず、午後11時30分から午前1時までの90分間に、ジュリアーニ市長はトリプルスコッチ3本を氷の上で飲み干した。9ショットのアルコールだ。この話に関連する人々は、彼が11時半以前に何を飲んでいたかを保証することはできなかった。
第二に、ルディは皆の前で私の新聞を取り上げ、45秒ほど読んだ後、"あとでやる "と言って新聞を脇に置いた。
三つ目は、凡人がテーブルにいたこと。凡人は1つのポケベルを手に取り、ウンコのように指の間に挟んで、笑いながら発表したらしい「バーンは週末ずっと働いていたのに、これだけ書いているなんて信じられる?」
9時間後の月曜日の朝10時、ルディ・ジュリアーニはシドニー・パウエル、ジェナ・エリスとの共同記者会見に登壇した。ルディは状況の概要を説明した後、シドニー・パウエルを紹介し、誰もがまだ理解していない規模の大規模な選挙不正行為の可能性について議論する予定だった。それは、ここで投票した数百人の死者や数百人の転居ではなく、より深い何か、システマティックなものだと..... 前例がない
計画通りに行くのではなく、ルディ・ジュリアーニは気が散って、夢中になって、40分間ステージの周りで、何百人もの死者がここに投票していたか、どのように違法な人々がそこに投票していたかについての彼の方法をハァハァとパフした..... 彼はおじいちゃんのように自分自身を働かせ、彼が何日も作っていたすべての同じポイントを繰り返すように、髪の毛は彼の顔の両側を走って死んだ、気づかれずに。
その9時間前、彼は90分かけてウイスキーを9杯飲んでいた。
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もう一つ、ルディの事務所内で当時の話が出てきた。あるペンシルバニア州の弁護士(女性)が、ペンシルバニア州でのファイリングの仕事を引き受けていた。彼女は反対するカークランド&エリスの弁護士から、あまりにも脅迫的で、プロ意識のないメッセージを受け取ったので、カークランドは後にケースINSERT CLIPeから撤退しなければならなかった。震え上がったペンシルバニアの女性弁護士は、提出書類の草案を提出したが、代理人を辞退した。ルディは、ペンシルバニアのファイリングを終わらせてくれる会社を一晩で探さなければならなかった。ついに選挙経験のあるテキサスの弁護士を見つけ、それを完成させ、ペンシルバニアに提出させた。選挙詐欺については言及されておらず、代わりに手続き上の平等保護の議論に焦点が当てられていた。ルディは、それを弁護するためにペンシルバニアの法廷に向かう途中でしか目を通さなかった。 彼はペンシルバニアの法廷に入り、破壊された。
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ルディのチームから電話があった。翌朝ジョージア州に コンピュータ科学捜査の専門家が必要だと。彼らには 『悪用』できる投票機へのアクセス権が与えられていた。問題のライセンスを持ち、認定されたコンピュータ・フォレンジックの専門家たちは、「機械はどこにあるのか?どんな機械なのか?選挙機器の改ざんやいたずらは連邦の重罪であり、どのような法的権限の下で運営されるのか?あらゆる種類の法の執行機関は、後に発生するかもしれない証拠の連鎖の疑問のために、取られたすべての行動を確認し、文書化するのか?」
ルディのチームの反応は 「全てをカバーしている。ジョージア州に行け!」
不安に駆られて、必要な人たちをジョージア州の各地から飛行機に乗せた。彼らはある管区に連れて行かれ、そこで誰かが機械を検査できると漠然と約束していたことが判明した.... しかし、その人はその日そこにはいなかった。あるいは気が変わったのかもしれない。イルカスピーカー達は一日の大半を座りっぱなしでいたが、今度は裁判所の命令で特定の機械へのアクセスを許可している人がいると言われた別の管区に連れて行かれた。そのような人はそこにはおらず、敵対的な郡職員のグループがいた。ルディのチームが手配した弁護士が書類を持って現れるのを待っていたが、彼らは一向に来なかった。何時間も待った後、夕方になると、彼らは車を走らせ、通りを半マイル先の信号機に座っていると、17台のパトカーがライトバーを点滅させながら、彼らが去ったばかりのビルに向かって走っていくのが見えた。マイ・バッドニュース・ベアーズはすぐに、そして無事に巣穴に戻っていった。
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同僚の何人もが、1ヶ月半の間、午後や夕方にルディと時々交流していた。それは、彼が毎日のポッドキャストに過度の注意を払っていたことと、もう一つは彼の飲酒だ。夕方に彼と一緒にいた人たちや午後に彼と一緒にいた人たちには明らかだったことがある:彼は常にクソみたいな顔をしていたのだ。彼自身のスタッフがそれを私たちに話していた。確かに毎晩、あるいはほとんど毎晩、そしてほとんどの午後。それと彼のポッドキャストがルディの人生の唯一の保証だった。
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さて、話を進めて、その代わりに、これまで私がほのめかしていたこ��を述べてみまよう。選挙後の数日間、人々は国中から連絡を取り合っていた。多くの場合、様々な州の人々のネットワークがあり、投票所で経験したこと、言われたこと、投票監視員が経験したことなど、リグの様々な側面に飛び込んできた。これらの人々は私を見つけるために代表団を派遣した。間もなく、さまざまな出来事の目撃者が飛び込んできて、私を見つけた彼らのネットワーク「リーダー」が現れた。全国各地からボランティアが集まり、その多くは軍や法執行機関での経歴を持つ者であり、ブドウビンを通じて連絡を取り合い、どんな形でも助けてほしいと頼んできた。他の政治的な問題が進行している間、私は同時に、ルディのオフィスで見られると思っていたものを作っていた。ある種の「作戦」だ。サイバー・ガイはすでにいたし、クアンツもいた。内部告発者や関連記事を持つ者多くが、私を探しにDCに飛んできたので、街中のホテルに作戦を仕掛けた。軍将校出身のボランティアの中から、私たちは報告者を見つけ出し、彼らが個人的に専門的に内部告発者や目撃者と会い、彼らの話を聞き、要約を作成するシステムを作った。彼らは、サイバー担当者や他の情報源からの情報をもとに、それらの情報をつなぎ合わせ、11月3-4日に何が起こったのかを、より詳細に把握するための情報を構築していたのだ。
その数ヶ月の間のどこかで、フリン将軍と私は電話で会っていた。私たちの間には、数十年前に私たちの人生の両方で役割を果たしてくれた故人という、奇妙なつながりがあった。マイクとの会話は、別の起業家と会って話すようなものだった。ある時点で彼は現場に到着し、私は様々な方法で集まった才能の集合体について彼に話した:サイバーマン、クアンツ、私たちのサークルへの目撃者と関係者の流れ、複数の報告者の構造、私たちの情報の流れは、すべてをまとめるアナリストのサークルに戻ってきた。 私は、マイクの到着を想定して、全体の構造を大まかに作っていた。彼が到着すると、私の鍵は彼に渡ると理解した。
私は彼から、その構造物の上部をDCから遠く離れた場所に移設してほしいという依頼を受けた。情報の流れは、国中のネットワークを通り、報告者やレポートライターの毛細血管を通って、中央の分析ステーションに入ってくる。ほんの数メートル先には、弁護士でいっぱいのオフィスがあり、私たちが作成している情報を法的に取り入れる役割を果たしていた。私が本能的に構築した構造は、彼が仕事をする法律チームに接続することを望んでいた。私たちは、シドニーとルディの二人が、この仕事の成果を得ることに合意した。
彼が要求した場所に構造物を移動させた。そこには弁護士のチームが配置されていた。しかし、彼らの周りには、役割のはっきりしない様々な人々がいて、私をゾッとさせた。ある元省庁の女性は、大柄で声の大きい女性で、弁護士ではないが、突然現れて、かなりのオーガナイザーであり、ゲートキーパーになっていた。もう一人の参加者は、軍人出身の生意気なイギリス人男性で、突然、自分がこの部屋とあちらの部屋の間のゲートキーパーだと宣言した。なんだか嫌な予感がしてきた。しかし、わずか二日後にフリンから連絡があった。私たちが合意したように(我々二人にとっては当然のことのように、ほとんど会話をする必要がないように見えたが)物事が立ち上がって大雑把になったところで、フリンから電話があり、私に飛んできて後を引き継ぎ、私がDCに戻って一般の人たちと話し始めたいと言われた。我々は、場所を変えながら、ある場所で1時間ほどすれ違うことに合意した。
私は出発の準備をした。私は生意気なイギリス人の男に、3つの重要なメッセージを伝えて欲しいとお願いした。出発前に会う機会のない人にね 彼は同意してくれた。私はそれぞれを簡単に言うと、彼はそれぞれの後に無造作にうなずいた。終わった後、私は彼に理解しているかどうかを尋ねた。彼はさりげなく「うん、全部わかった」と答えた。
「OK.じゃもう一度言ってみて」と私は彼に言った。彼はまばたきもせずに私を見つめた。「わかったって言ったからさ。もう一度言ってみてくれ」彼は実際には言葉を聞いていおらず、何も思いつかなかった。私はペンと紙を持ってきて「3つの覚書きを作ってくれ」と言った。彼はしぶしぶそうした。
何かの理由から、元省庁の女性を連れてDCに戻ることになってた。マイク・フリンが到着する場所に車で向かった。そこに着くと、彼女は横に抜け出して誰かに言った。自分が残るために何かを学んだんだと。フリンが到着して30分間一緒に駐機場で過ごした。私たちは追いついて同期した。キャンプにいたこのイギリス人について疑念を抱いてると彼に話した。周りをうろついてた元省庁の女性についても。それから私は去った。
次の日、DCに戻って知らせを受けた。元省庁の女性は滞在許可を得るために 嘘をでっち上げたと。それが何であれ、それは私が彼女に頼んだことに関係していたか、または彼女にしないように頼んだことに関係していたか、またはいくつかの調査、または何かだった:それが何であれ、それはでっち上げで、自分自身を振り向かせ、田舎のその作戦に留まるように再配置させるために作られたものだった。彼女は直面していて、豆をこぼした:彼女は実際には他の誰かのために働いており、田舎のその作戦に滞在し、スパイして報告することになっていた。彼らはまた、生意気なイギリス人の男と対決し、彼は決して折れなかったと思うが、私は彼がそこにいたすべての人の心の中に間違いなく関与していたと言われている。警備員は2人の登場人物を外に連れ出した。彼らが出て行った後、敷地内の重要な部屋のひとつに、ある種の装置が配線されているのが見つかった。
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今、これはすべての時間が無駄になっていたと言いたいわけではない。私が説明した情報の流れの構造は、私が粗削りにしたものだったが、軍事情報部でキャリアを積んだ三ツ星の将軍に引き継がれ、彼はそれをはるかに良くした。すぐに、それは洗練された分析、レポート、情報を吐き出し、シドニー・パウエルが書いていた報告書に情報を与え、それを埋めるようになった。 私たちは、提供されたすべての情報がルディにも提供されるようにした。
これが、私が引用したようなプレゼンテーションの背景だ。繰り返しになるが、素晴らしい例として、セス・ケシェルに注目してほしい。セスは元陸軍情報部の大尉で、私が先ほど説明した構造の中で重要な役割を果たした。セスは風変わりな男で、確かにスペクトルの中にるが、ポリサイエンスのジャンキーで、管区の数学が大好きだ。このリンク先は21分のビデオになっていて、私が大雑把に作ったものと、マイク・フリンが改良したものを使って自己組織化したチーム内で行われていた仕事の種類の優れた例を提供している。行われていた仕事の種類をよく理解するためには、このビデオの少なくとも一部を見る必要があると思う。
このビデオが再生されない場合は、以下リンクをクリックください。https://youtu.be/xXMW9VNMPT4
それでもDCに戻って、バッドニュース・ベアーズの友人たちと再会したとき、私たちは修復できない断絶に気づいた。 凡人がルディのチームとの接点になってしまい、何もうまく流れていないようにみえたのだ。11月26日、感謝祭の日に、我々はすべてのDCのレストランで一緒に座って、彼らの問題を議論していた。凡人は自分たちをピョンと思っていたようで、「ここに行け、あそこに行け」と説明もなく、「ヘイ、チームメイト、これが問題なんだよ、一緒に取り組んでいくんだよ!」という感覚もないまま、彼らに指示を出していたのだ。情報、計画、アクセスを超管理している。夕食の七面鳥を食べながら、彼らは私にかなり耳を傾けてくれた。彼らの話を信じるのに苦労した。その中には、本当に恐ろしい話もあった。凡人が異性の人や、もしかしたら同性の人を、その場にいる全員に恥ずかしい思いをさせるような方法で口説いていたのだそうだ(私の同僚の一人はある晩、凡人に会いに行こうと誘われ、ホテルのドアが開いたとき、凡人が下着姿で立っていたのだとか)。しかし、今は煮詰まっているという。「翌日には全員がミシガン州のアントリムにいるように」という命令がその日のうちに出ていたからだという。ここでも彼女は、彼らが正確にどこに行くのか、どのような機械に立ち向かうのか、誰の許可を得て機械を開けてハードディスクを画像化するのか、どのくらいの期間そこにいるのか、自分たちでレンタカーを手配するのか、などについての質問には何も答えなかった。そのどれもが説明されていなかった。凡人は、ミシガン州のあんなところやこんなところにいるとの情報を送ってきただけだったのだ。
人生はおかしなものだと思っていた私たちは顔を上げると、確かに私たちのテーブルからほど近いレストランを闊歩していた。私たちはお互いの目にとまり、すぐに凡人は私たちのテーブルの上に立って話していた。それは困った水に油を注ぐための良い機会だったと考えて、私は優雅に私の同僚の前で礼儀正しく会話をして、物事を元に戻すことを意図して、凡人を受け取った。
すぐに、話はミシガン州に変わり、私は午前中の約束の時間にそこに適切な人々を得ることができるかどうかを尋ねられた。私は、これを経営者としての成長の瞬間にしようと思い、「こういう依頼を受けたときには、もっと情報を得たほうがいいんじゃないか」と優しく提案した。同僚は「どこに行くのか?そこにいる人々は協力的なのか? どのような種類のマシンが利用されるのか?どのような法的権限があって、これらの投票マシンのハードドライブの一つを画像化できるのか?人々は宿泊するのか?レンタカーは提供されるのか?ジョージア州で起きたような任務に放り込まれる前の基本的なことだ」
「注目」と凡人は言った。感謝祭の晩餐会で私たちの上に立っていた。 「まず、あなたの会社の構造は何ですか?」
我々はお互いに見つめ合っていたが、そのことについてはあまり考えていなかった。我々は、お互いを見つけて、一緒に世界史的な犯罪のように見えたものを暴くためにしようとしていた人々の束だった。最後に私は言った「我々はバッドニュース・ベアーズだ。私がチームのコーチだ」と。
「オッケー パトリック」と凡人は続けた。「こういうことだ。『明日ミシガンに行く場所を伝えたぞ』でないと無理だと言ってくれれば、できる人を探すよ」
驚いて私は返事をしようとした。そしてさらに驚いたことに、お人好しが私の上で話し始めた「お前のチームに必要な場所を言っているんだ。もしあなたがそれを処理できないなら...」
経済学者の教授の友人が別の教授(左翼の人)にやっていたのを見たことがあるのだが、その人は(左翼の人が良い議論をする代わりにやりたがるように)彼の話を遮り続けていた。 私はただ話し始めた。「まあ、それは私が話し終わったように聞こえるかもしれないが、私は実際にはそうではなかったし、あなたが私の上で話そうとしていると思うかもしれないが、実際にはそうではなかったし、あなたがそうでないと思うかもしれないが、約束するよ、私はあなたよりも長くこれを続けることができる...」などと、一晩中かかっても気にしない勢いで。休憩なしに。約15秒かかって、凡人は私が真剣だと理解したが、私は凡人を黙らせるまでただ何度も何度もそういう風にして話し続けるつもりだった。やがて凡人がしたのは、何かをやや驚いた風に見る、どうやら連邦政府の雇用の数十年間をそのような振る舞いをして逃れてきたようだ。
その時、私は丁重にこう言った。「我々はあなたのために働いているのではありません。我々はボランティアで、あなたがどうすればいいかわからないことを手伝うためにここにいます。 好きな時に他の人を探せばいい。この街での働き方には驚かされますね。グーグルやフェイスブックのような現代的な会社で働こうとしたらニューヨークじゃすぐにクビになる」「最低だな」
普段は人にそんな風に話さないので、自分でもびっくりしたが、あの時はそうだった。私は凡人との会話はナルシストの偏向の絶え間ないゲームであること、 凡人がいかに素人か、「失敗は許されない!」「これをやるか、やってくれる人を見つけるか!」と言いながら歩いている人は、政府内で経営を学んだかもしれないが、もし民間企業に移ったら正午にはクビになってしまうような凡人であることを伝えた。合理的に有能な人は、私の同僚にそのような要求をするときに、関連する情報を提供するだろう。任務でそれらを記入し、彼らにブレインストーミングと貢献ください.... 凡人の目が水を見て、やり過ぎていたことを認識し、私は優しく、柔らかくテーブルから凡人をエスコートするために立ち上がった。私は少しのことを和らげ、物事の上に素敵なファサードを入れて、恥ずかしさの中にある凡庸さを残さないようにしようと努めた。
私たちが別れるときには、凡人は私の方を向いて言った、「心配しないでください。私は大統領と一緒にいます。私はあなたがこのすべてのために完全に信用を得ることを確認します。」
憤慨して、私は自分の席と友人に戻った。数分後、我々は、実際には、凡人が大きなパーティーの一部になっていたことを見て、そのパーティーと一緒に出て行ったのは、ジュリアーニ市長以外の誰でもなかった。私はすぐに横で彼に鞍替えした。午後10時半頃だったので、彼の足取りは不安定なようで、私は彼の肘のところに行き、不安定なおじいちゃんを車までエスコートするようにしていた。我々は話そうとしたが、彼が言っていることは何であれ、私には不明瞭だった。最後に私は彼に言った。「私が直接連絡を取る方法をお願いしてもよろしいでしょうか?」市長は携帯電話を取り出し、私に彼の番号を教えてくれた。
それからの数週間、私はその番号に電話をしたり、メールをした。ルディからの返事は一度もなかった。
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この数週間の間に、私が知り合った優秀なホワイトハウスのスタッフが何人もいた。一般的には20代後半のスマートな若い男女である。中には(全員ではないが)大のトランプファンもいた。彼らはあちこちで詳細を教えてくれたし、選挙運動やルディ、ホワイトハウスの裏で何が起きているのかも教えてくれた。ある晩、私たちが十分に親しくなったところで、私は髪を下ろしてこう言った。「.... これが日常なのか?」 スタッフの一人(そして、心の中では、非常に親トランプ派の一人)は、「これがそうだ。これこそがトランプ・ホワイトハウスだ。4年間すべてのことがこうやって動いてきたんだ。」
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バッドニュース・ベアーズはミシガン州で必要な時に必要な場所を手に入れた。凡人は他の弁護士やルディのチームのスタッフと一緒にそこにいた。彼らは期待されていた管区に行ったが、ジョージア州と同様に、それはバッドだった。予想されていたような集計機ではなかった。そこには��局も法執行機関も令状もなかった。投票所として機能している公共の建物で働いている75歳の穏やかな協力的な女性がいた。
凡人が異性である郡の労働者とおしゃべりしている間、ドルフィンスピーカーは仕事に行った。その場所を経営していた75歳の女性によって判明した話によれば、選挙の翌日に「郡」から何人かの人が現れて、彼女にカードを挿入し、いくつかの異なる入力を使用してマシンを再実行するように指示したという。指示は意味をなさなかった。そして、指示した者たちはおそらく彼女自身のテキストを送信できなかった。老婦人が選択したことは明らかだった。最後に彼女は、郡に知られずに、オリジナルの実行と再実行の両方の紙の監査証跡を保管していて、それらをクローゼットに保管していたことに言及した。我々オタクたちは興奮して、それを提出してもらった。長いカーペットの上に広げて、数分間勉強しているうちに、彼らは何かを見つけ始めた。驚くべきものを。
バッドニュース・ベアーズはついに、代理の人たちとコーヒーを飲んでいたコーヒークラッチから脱却し、ロール紙の中から何を見つけていたかを指摘した。最後に彼らは「あなたは弁護士ですよね?75歳の女性と他の従業員のカップルから宣誓供述書をもらった方がいいんじゃないですか?」「ああ、もちろんです」と凡人は混乱して、そうした。
それらの学習とそれらの宣誓供述書は、ミシガン州で彼自身の選挙詐欺事件を追求していたミシガン州の弁護士に供給された。数日後、判事はそれを読んで心配になったのか、アントリム郡の投票機を正式に悪用するよう裁判所に命令を下した。バッドニュース・ベアーズはアントラム郡に戻り、今度は裁判所の命令を手にしてハードディスクの画像を撮影し、その画像を持ってベースキャンプに戻った。次の4日間で、彼らは1ヶ月分の仕事を(24時間体制でシフトをずらしながら)行い、まずイメージ化されたハードドライブのセキュリティを破り、次にファイルを再構築し、分析した。それはすべてのシステムを介してフィードアップされ、約1週間後に、アントリム郡コンピュータフォレンジックレポートとして知られ、全国的な波紋を巻き起こした目を見張るような報告書として浮上した。
全国的には他にも驚くべきことが起きていた。前述した懸念している連邦職員の何人かは、西部の州での出来事を追跡していて、投票の裏返しがそこでどのように行われていたかを知っていると確信していた。問題なのは、関連する裁判官(民主党)が検査を許可するように求められると、数日間の引き延ばしを主張し、それによって、反対派が中に入って「スマッシュダウン」(コンピュータ科学者の用語で、監査を見越して、事後的に証拠を修正し、すべてが正しく動いているかどうかを確認すること)を行う時間を与えることだった。しかし、彼らはある場所でミスをしてしまい、スマッシュダウンはうまくいかなかった。判明したデータは、不正を示唆するもので、弁護士は、それが州全体のマシンを調査することを可能にする、はるかに広範な命令の根拠になると主張して、裁判官に戻ってきた。 判事は原則として同意したものの、その矛盾点を利用してこのような大規模な命令を正当化する前に、管区のデータを再度検証する必要があると提案した。 心配していた連邦政府の従業員は問題の場所を監視下に置いたが、確かにその夜、署の駐車場には3台の車が停まっていた。今度こそうまくいくように彼らは叩きのめし方をやり直していたのだ。ナンバープレートから左翼の組合のものと判明した。この手の事件の背景には何度も出てくる。朝になるとデータは修正されていて、それ以上の命令は出ていなかった。しかし、彼らは知らないようだったが、問題の科学者たちは、元のデータと粉砕された車の両方を記録するのに十分な資料を回収していた。
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一方、DCに戻ると、ルディの世界から奇妙なことが聞こえてきた。週に10万ドルの給料をもらっていると聞いていたのだが、彼の周囲では、給料のために郵送しているだけだと主張している人もいた。
さらに重要なのは、ルディの作戦から「2億700万ドル」という数字を聞き始めたことだ。共和党が「盗みを止める」ために2億700万ドルを集めたと主張していた。あるバージョンでは、それは3億ドルを超えて成長した。スタッフの噂のあるバージョンでは、これらの数百万ドルのボタンを押しているのは、共和党全国委員会の高官の女性だった。別のバージョンでは、そのRNCの女性と委員会によってすべてが共同で管理されていて、彼らは将来を見守っていると。1億ドルがジャレッドとイヴァンカの将来の弁護のために用意されていたというのがほとんどの説だ。しかし、誰が担当していたにせよ、彼らはすべてのお金の上に座っていた。約束できるのは、そのうちの1ペニーも「盗みを止める」ために使われていないということだろう。国中の共和党支持者が、10ドルと20ドルの寄付金で、数億ドルを飲み込んだとしても.... 皆、騙し取られたのだ。それは大きなジョークになった:11月3日に起こった地獄が何であれ、何が起こったにせよ、リバースエンジニアリングとスクランブル解除を助けるために、共和党員から共和党員に与えられた数億ドルのポットがあり、それに関連した活動には一銭も行かなかったのだ。それはすべて、彼らの唇を舐めているトップの人々によって保持されていた。
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ジョージア州では、争いがシュールになった。知事の娘と付き合っていた青年が巻き込まれ、その後、彼の車が事故で爆発したのだ。(「BIZARRE EXPLOSION CRASH IN GEORGIA - KILLS HARRISON DEAL」2020年12月5日参照)。その事故は本当に高速道路上でおきたことで、車側面を打って爆発した。エンジンは75ヤード先に飛んだ。事故のビデオ(そのほとんどはインターネットから削除されたようだ)は、火の玉の中で燃える車を映す:それはかなり厄介な車の衝突だった。
そのあとで事故はジョージア州捜査局が引き継いだ。3日後、捜査を行っていた警官のひとりが自殺した。
ジョージア州のある派閥が、選挙の数日後から私に接触してきた。これは、法執行機関や準法執行機関の経歴を持つ人々の興味深いネットワークだった。11月4日以来、彼らは盗みを逆手に取っていた。人や場所を監視下に置き、テレフォトで様々な活動を撮影していた。多数の関係者をマッピングし、追跡していた。さらに、一緒にモーテルに滞在し、州内の悪ふざけを管理しているレーニン主義者の幹部という小さな要素まで、主催者を追跡していた。 彼ら自身の理由で、私を助けるこのネットワークは、影に隠れている必要があったが、数週間が経つにつれて、彼らはジョージアで何が起こったかを再構築するのに役立つ良い情報を提供していた。
ジョバン・プリッツァー(今ではユビキタスQRコードの発明者)という名前の技術者が、ジョージア州の選挙への彼の調査について公開した。彼の仕事を説明するジョバンの最高のショートビデオはこちら。
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数週間の間にルディはいくつかの州で公聴会を予定していた。いくつかは準公式なものだったが、ほとんどはホテルのスペースを借りて行わた。彼の主役は8月から一緒に仕事をしていた軍事情報部の大佐で、基本的には「バッドニュース・ベアーズ」が表面化した情報を報告し、総合するために各州に連れてこられた。 大佐は有能で説得力のある仕事をしてくれたが、我々は皆、次のように考え始めた。戦略はあるのだろうか?ルディの戦略は(あるとすれば)裁判所を通過する長い行進のようだ。州や上訴レベルにケースを持って行く。法廷制度を利用して勝てると想像していたが、それはうまくいかなかった。裁判所はどこにでもあり、特に選挙問題に関与することを嫌がり、すでに1月20日を過ぎてから裁判所の日付を設定していたように。それでもルディは、時折の公聴会や毎日のポッドキャストを見ながら、ただひたすらにうろうろしていた。それは何の意味もないように見えた。
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実を結び始めた活動の一つが、選挙への外国人関与の調査だ。これはそれ自体の主題となるだろう。
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マイク、シドニー、私、そして他の人たちは、缶入りの解決策を開発した。それは、私たちが11月中旬に始めたのと同じ案で、次のようなものだ。以前、オバマ大統領とトランプ大統領によって署名された様々な命令の下では、選挙に外国人の関与があった場合、大統領はかなり広範囲の権限を持っていた。数え切れないほどの前線で外国の関与があることには紛れもない証拠があったが、私たちは大統領の権限の狭いセットだけが発動されることを求めていた。判明した情報に基づいて、大統領は必要な行政命令の下で権限を行使して、単に米国のマーシャルと州兵を問題のある5つの郡に送り込み、紙の投票用紙のバックアップを開く。もし大きな食い違いがなければ、トランプ氏は譲歩するだろう。もし食い違いがあった場合、例えば50万票の矛盾票があったとしても、その場合は、その郡や州で選挙の再集計をするなど、より積極的な行動を取ることができる。5つの郡の再集計は1週間以内に簡単に行うことが可能で、さらなる行動を正当化するものであれば、すべての決議を憲法上のタイムラインで行うことができた。
もしくは、47%の有権者が疑っていた選挙の完全性を疑われている選挙を、締め出さなければならないかのどちらかだった。
フリン将軍は、そのような任務のために、美しい作戦計画を立案した。大統領の署名があれば、全てが動き出す。軍隊と州兵の部隊から適切なチームを作り、それぞれに正確な指示を出した。 最も広範囲な計画では、第一波の再集計が全国の17郡で行われ、民主党と共和党で行われ、誰も結果が選ばれたとは言えない。計画の最も拡張的なバージョンでは、紙の投票用紙の再集計に加えて、さらなる法医学的分析のために、これらの投票機のハードドライブの画像化を想定していた(しかし、機械を「押収」しない。機械はそのままにしておき、ハードドライブを画像化してもらうだけであった)。しかし、ピンチの時には、たった5つの郡を訪問して、紙の投票用紙の箱を再集計し、2-3日で予備的な回答を得ることができ、このようにして全国的なドラマの大部分を終わらせることができた。マイクとシドニーには、法��調査、発見草案、将軍の処刑チェックリストがあり、大統領の署名があれば、すべてがスイス時計のように動くようになると。
しかし、物事はどんどん進行していった。ルディは公聴会の準備に出かけた。ホテルの一室で我々の仲間の一人に話してもらう必要があった.... 令状が来ないのを待つ日々.... 計画を持った人がいて、それを実行しているという感覚が全くなかった。憲法の期限が迫っているのを見た。
日は数週間になった。12月に入り、12月も半ばになった。様々な州で問題が渦巻いていたし、サイバーチームがパケット・トラフィックを検査して外国の影響を見つけ、海外から侵入されたスマート・サーモスタットを見つけ、投票用紙がなぜ海外でライブ配信されているのかを調べたりしていた。しかし、マイクと私は、こちら側が尻尾を追っていると感じていた。もう一方の側は時間がないと感じていた。ルディのアプローチは確かにそう捉えられるだろう。
ある時、私は大統領がどのように関与し続けているのかを知った。定期的に、ルディ・ジュリアーニと凡人がホワイトハウスに行って大統領にブリーフィングをしていたのだ。本当に、冗談じゃない話。私の同僚曰くその人ともう一瞬も仕事をするくらいなら辞めると宣言したほどひどい人物と、メールを送るのに苦労してドタバタした日々を過ごしていた76歳のおじいちゃんが、大統領に何が起きているのか、どんな選択肢があるのかを説明していたのだ。最初は何かの悪ふざけかと思ったが、確認してみた。凡人と市長は、この世界史的な任務を阻止するという究極のポイント・パーソンだった。
フリンと私は気分が悪くなった。私たちの間では、「なぜこんなことをするのか?」ということがよく話題になっていた。大統領の子供たちは、引退したり、激励会に参加したりしていなかった。 私たちは、大統領のチームから目に見える戦略を見出すことはできなかった。行進命令もなく、ただ組織がうろうろしているだけで、そうしているうちに溶けていくのだ。あまりにも悪質な凡人のため、我々は凡人が我々の仲間と直接接触しないように特別な手配をしなければならなかった。そうでなければ彼らは逃げてしまうだろう。全ての混乱は76歳の紳士に導かれていた。彼は国に愛されていたが、6週間後には歴史上最も洗練されたサイバー窃盗事件に 死者?投票したんだよ!聞いたか?
そして、なぜそれをしていたのかを思い出すだろう。アメリカのブランドは「選挙」だ。アメリカのブランドは「選挙」だ。極めて正確で戦略的な方法で妥協されたと思われる国政選挙があった。外国の関与の手の内を示し、我が国を乗っ取ろうとする中国の陰謀の一部であるかもしれない。それが、私たちが辞めるべきではなかった理由だ。
だからこそ、クリスマスの数日前に マイク、シドニー、そして私は チャンスを掴む時が来たと決心した。招待状なしで、手探りでも手探りでも、ジェダイ・マインド・トリックでホワイトハウスに入り、執務室に入り、大統領と話をすることにした。
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“
江戸の町人は7割が男、男が余って一生独身の奴らばかりだから風俗が流行
女はオカメでもモテモテなので、かかあ天下になりやすく不倫や離婚も多い
長屋の大家は住人のウンコを農家に肥料として
売る契約をして成り立ってるので家賃が安い
基本、普段はプ��プラして金がなくなったら仕事をする生活
天秤棒担いで、仕入れたものを何か売ったり
ロウソクの欠片や木の灰を集めたり
何か手伝う事ないかーなんて叫ぶだけでも日銭は稼げた
すぐ火事になるから家具とかにも金をかけない
飯は白米を一食二合
殺人は勿論、詐欺でも死刑なので
スリさえ気を付ければ治安は上々、戦争も当然ない
酒飲んでソバ食って春画みてオナって寝る
そんな毎日
”
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コピペ新聞 - 江戸の日常 (via konishiroku) (via zypressen) (via joker1007) (via etecoo) (via kml) (via appbank) (via ipodstyle) (via gkojax) (via kudan) (via skaholic) (via 908908)
補足。
女は結婚する時にあらかじめ男に三行半(いつ離婚しても文句いいません覚え書き)を書かいてもらって持っておき、離婚したくなったらそれを使う。
三行半を書いてもらわなかった場合は駆け込み寺へ行って一定期間別居すれば離婚成立。
町人階級には基本的に「姓」は無いので、夫婦別姓とか子どもの姓はどっちとかいう議論は発生しない。名字帯刀を許された町人階級(お金持ちや町内会長的なポジションのおうち)は現代と同じ。
公式の場では名乗れないけど、通称として内輪で名乗る姓は一応OK。歌舞伎役者の名跡なんかはその扱い。
一般人は「住んでる地名 or 出身地+身分+名前」が正式の名乗りになる。都市生活者だと浪人とか町人っていう身分の他に、住んでるところが曖昧(借家を転々としてるような)で定職に就いてない(商家の使い走りとか、日雇い運送業とか博打打ち etc)のは「無宿(むしゅく=アウトロー)」扱いになる。
離婚経験者や夫と死別した女性はモテた。
妻としての経験を積んでいる(性的にも家事の面でも)という理由。
子持ちだと「子どもを産む能力がある」という証明があるので、やっぱり人気。
未通娘が良しとされたのは、先出の名字帯刀が許された町人と武士の娘くらい。誰が父親かはっきりしている子どもじゃないと困るから。
ここからは上方の風習。
上方の都市では武士=勉強も芸事も商才も何も取り柄が無い人の職業、という意識が強い。
というのも、上方の都市(京都・大阪・奈良など)は幕府の直轄領なので、上方の都市に住んでる武士はお殿様に仕えてる藩士ではなくて、江戸から派遣されて来るキャリア組の代官の下で事務処理だけやるのが仕事だったため。
商家では自分の息子で出来の悪いのが居ると、武士の養子の権利(株という)を買って、商売と自分の家から切り離した。
そんなわけで、お店のオーナー一家に息子と娘が居て、息子に商才無しとオーナーが判断した場合は、娘と一番番頭や職人の若手No.1などを結婚させて店を継がせるのが一般的。
むしろ、博打要素の高い息子を若社長として育てるルートより、 丁稚や見習い(どちらも小学校低学年くらい)の頃からオーナー子飼いで育てた部下を婿養子にする方が手堅かったらしい。
上方の都市は男女半々くらいの人口比だったので、江戸ほど男余りではなかった。
そのため、歓楽街の風習も異なる。
江戸の吉原では花魁のような高位でも一晩に数人の客を取る「回し」が一般的。
数部屋に客をばらばらに待たせておいて、ヘルプの芸者や新造(半人前)にお酌や芸をさせておいて間を持たせ、掛け持ちする。
客もそれを前提としているので、待つのも遊びのうちとして割り切っている。
また、大門からの外出は厳禁。
上方の歓楽街、京都の島原、大阪の新町では、客は基本一晩一人。
遊郭の外に同伴で遊びに行くのも可。ただし、別料金。
京都はお寺が多いので、陰間の需要が高かった。江戸時代の僧侶は浄土真宗以外、基本的に女犯禁止のため。
男性の同性愛は世間一般常識上ノーマル。
むしろ生殖目的ではないので、異性愛よりプラトニックで高尚という意識。
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シーサイドへの道のり
~ 社長 鞍とは‥ : 社長の意見 ~
シーサイドへの道のり
最近 演歌を聞くとしみじみする。私の世代はラジオから流れるアメリカンポップス 1960年代の全盛期だった。
中学生の頃、勉強机の脇にトランジスタラジオを置いて勉強するふりして聞いたものだ。
大阪の下町の中学に通っていた私は(住まいは西成区の天下茶屋)漠然と将来何になるんかな?
と考えていた。特別、手先が器用なわけでもなく、勉強も嫌いだったから成績も普通くらい。
ところが、3年生の時オヤジの転勤で東京に移ることになる。1965年のこと。
これが人生の始めての転機だった。確かに大阪も都会だから、東京にいっても大した違いは無いだろうとか思っていたが
実際は全然違う場所だった。
まず、大きさが違う、広さと言うべきか。
中学生の私にとっては、東京でもはずれの葛飾区に来たもんだから、池袋、新宿、また渋谷なんて山手線の反対側で
えらく遠い場所だった。だからせいぜい上野まで。
当時のウンコ色の常磐線で金町から一本だったから。
おまけに言葉が違う。だからさ~ とかいう東京弁はえらく気取った言い方に聞こえた。
そうやろ~の、ろがかっこ悪くて そうだね~ とみんなに合わせることに腐心した。
友達もあまりいないもんだから、仕方なく勉強をした。
毎週、日曜日は大久保の海星高校の模擬試験も受けにいった。高校受験のためだ。そんなんで成績と言うか、受験の為の
偏差値もぐんぐんと?上がり当時難関と言われていた、都立の航空高専の受験を許可してもらった。
試験は2月の大雪の降る日だった。当時のぼろい校舎で寒さに震えながら試験を受けた。
当時、機体工学、原動機工学、機会工学の3部門あり、私は原動機科に受かった。これが2番目の転機。
仮に普通高校か工業高校なんかに入っていたら、今とはかなり違う人生になっていたはず。
それからは、5年で卒業するはずが、7年も滞在した山あり谷ありの青春時代。
私が高専に入学したのが1966年。
まだ世の中全体がアナログの時代で、ある意味今よりも質素なというか簡素な生き方を皆していたように思う。
やはり情報が増えれば増えるほど人はそれに踊らされるようになるのだ。
昔は情報は自分で努力して得るものだったが、今は廻りじゅう情報の洪水だ。
受験も上手くいったし、これからバラ色の青春かと思ったが、世の中甘くはなかった。
周りは下町の大学にはいけないが(家庭の事情で)頭のいい奴ばかり。
たちまち私は授業に付いていけず落ちこぼれになってしまった。
夏休み明けの9月からは学校をサボって上野公園をぶらぶらする始末。当然の結果落第。
辞めようかとも思ったが、他に行く当ても無くもう一度1年生。本当に恥ずかしかったのを覚えている。
ただ性格がそうなのか、逆に開きなおり先輩風を吹かしていった。
そうこうする内、時代は次第に動乱の相を呈するようになる。
大学では全共闘の学生運動が激しくなり、私がいた高専でもそのムチャな詰め込みカリキュラムに反発して学生対学校の
戦争が始まった。
なんでも首を突っ込むのが好きな私はそのころ、既にクラスのリーダー。
1年の時同期だった連中とも仲を組み、学生会を乗っ取って?そこの会長に納まった。
それが3年の時。高専は各県1校ずつあり、全国で50数校。
ほとんどが国立だった。其処の学生会にも連絡を取り、全国高専連合を作った。初代の議長は私。
単純に目立ちたがり屋なのかもしれない。
別にそのころも青臭く議論を交わしていたばかりではない、一つの趣味がバイクであり、ギターだった。
特にギターは当時はやったフォークソングのブームで私もアコーステックのギターで弾き語りとかしていた。
そんな中、新宿でフォークゲリラとかいって、新宿駅の東西通路の中ほどでギターをかき鳴らして反戦フォーク
(なんて言葉が古いんだろう)を歌う集団が出始めた。
時代が時代だったから、(アメリカのベトナム侵攻が激しさを増していたころ)たちまち社会現象になり、勤め帰りのサラリーマン
やOLなどが輪を囲みみんなで反戦歌を歌う、異様な光景だった。
それを見て、ミーハーな私はすぐさま池袋の立教の大学の連中と連絡を取り池袋駅の地下で同じことをやった。
今でも鮮明に覚えている、そのときの光景を。
私ら数人がギターで反戦歌、(ここがポイントだ。
恋愛の歌では人は集まらない)を歌いだすと、たちまち人の輪が出来てガリ版刷りの歌詞を片手にみんなで歌いだす。
多い時は100人以上で通路が通れないほどだった。
人は目的があればこんなに一緒の行動が出来るんだと感激したものだ。
そんなことをしていたから?学業は当然おろそかになり、3年をもう一度落第をした。そのころ学生運動も急激に下火になり、
社会全体に閉塞感が漂っていた。
東大の安田講堂の立てこもりが陥落した頃だ。
公立ではあったが、もう一度同じ学年をやると言うことはそれなりにお金がかかる私はオヤジに相談した。
止めろと言われればそうするつもりだった。
私より遥かに頭のいい連中が、純粋さ故、大量に自主退学していたしオヤジは私の問いに終始無言だった。
それはお前の進路はお前が決めろ と言っているようだった。
というかそういうふうに、都合よく?私は解釈した。
その後、2回目の3年、4年、5年と順調に飲み会に?明け暮れ無事に卒業式間じかを迎えた。
仲間はとっくに就職先を決めている。
大手ではトヨタ、日産、本田。
少数、JAL,ANA。
ほとんどは整備部門だが、クラスに一人はパイロットの試験に合格する奴がいた。
私は2回も落第している落ちこぼれ。
しかも学生運動のリーダーだったしで普通の会社が受け入れてくれるわけが無い。
しかし、心の中では上昇志向というか日本を動かしている上の連中とはどんな奴らだ?それを知りたい、見て会ってみたい、
そんな気が強かった。
そこで閃いたのが、車だ。金持ち、=外車。
でも深い考えは無く、しかも当時は 外車といえばアメリカ車だったから、とりあえずアメ車のディーラでも入れば道は開けるん
じゃないの?みたいな考えで、東京の三田にあった、近鉄モーターの入社試験を受けることなった。
そこはフォードの代理店だ。
長かった髪もバサリと切り、初めて買ったリクルートスーツにネクタイとにあわねーなと思いつつ、面接を受けた。
イチゴ白書をもう一度の歌そのものだね。対応した人事の奴が、君は営業には不向きだね、(どこがや?)
登録課なら空いているけどとか言われて、自宅で結果俟ち。
そのころ実家を出て荻窪の4畳半のアパートでバイトをしながら待っていると、不採用の通知が来た。
興信所の奴が来て調べていたらしい。
当然、学生運動のことも判ったのだろう。当時組合には皆神経をとがらしていたから。
まあしかたねーや といつもの楽天的な考えで好きな車の本を見ていた。カーグラフィックだ。
ぺらぺらとページをめくっていると、広告のページでモノクロだがカッコいい車の写真と建設中のビルの写真、下に新社屋建設
のため若干名 営業募集とある。
名前は? シーサイドモーター これが私の運命を決める出会いだった。
カーグラフィックで営業募集の記事を見つけた私は早速電話してみた。面接に来いと言う。
次の日、荻窪から電車を乗り継いで横浜のシーサイドモーターの仮社屋 といっても倉庫の間借りに行くと、営業課長だった
樋口さんが前の喫茶店で面接をしてくれた。
さらっと履歴書に目を通すと、明日から来いよと言う。近鉄モーターとはえらい違いだなと嬉しくなった。
次の日から私の横浜通いは始まった。
電車では面倒なのでバイクで環八を通り、第三京浜で横浜へという道のりだった。
4月に入社して、9月にビルがオープンするのだが、それまでは銀行への使い走り、車の掃除、いわゆる雑用係、それを
しながら、そのころ3人いた営業の先輩の仕草、電話での応答、などを覚えていった。
なかでも面接をしてくれた樋口さんは今で言うイケ面で 着ているスーツもカッコも���くしかもトップセールスでもあったし、
私の師匠でもあった。
足車で樋口さんが運転する マセラーティのボーラの後を着いて行くのだが乗り込む仕草もカッコよく、車も飛びぬけてカッコ
よく見えたものだ。
今でこそ六本木あたりフェラーリもランボルもうじゃうじゃいるがその頃は全国でもほんの数台しかなかっのだ。
いつかは俺も運転させてもらいたい、それが当時の私の夢だった。
社長の松澤さんはある意味雲の上で、初めのころは言葉も交わしたことも無かった。
当時のラインナップは、代理店だったマセラーティが、ギブリ、ボーラ、カムシン、ランボルが エスパーダ、ヤラマ、ウラッコなど。
私が生まれて初めて運転したのは ギブリ。長いノーズに低い運転姿勢、本当に感激した。
だからこの車には今でも思い入れがある。
そうこうしているうち、10階建ての立派な本社ビルが完成した。1階がショールーム、それもイタリア製のタイルを貼り、家具も
イタリア製のものアイボリーで統一された空間はイタ車を入れるのにふさわしく、本当にかっこよかった。
2回は工場、新規で募集したメカも集まり、10人くらいはいた。3階はガレージ、6階は経理の部屋と社長室。
ここもふかふかの絨毯張りで贅を尽くしたものだった。後で考えれば、大きな資産も無い車屋がほとんど銀行の借り入れで
でかいビルを建てること自体が無謀だったのだ。
その時、1974年の10月頃だった。オープニングパーティが行われたのは。パーティーはそうそうたるものだった。
浮谷幸次郎さん、(天才と呼ばれた東次郎のお父さん、当時シーサイドからボラを買っていた)日本で1号車の365BBを購入
した市川さん、その他大勢のお客様が来られた。
私はというと、お客様の車の預かり係、兼交通整理。
一段落して、営業部長に私は何をすればよいんですか?
と聞くとお前は2階の部品係をやれと言われた。
せっかくキレイなショールームで華々しく?かつカッコよく?営業をできるんかと思っていた私だったが、仕方なくスーツから
ジャンパーに着替えて2階の工場の部品管理をし始めた。
原動機工学科を出ている私だから、部品も大体理解していたのだ。そうこうして、3ヶ月がたった。
私は折を見ては下に降りていき、部長に下で仕事をさせてくれ とせがんだ。お前がそんなにやりたいのなら、やってみろ、
但し営業は成績を挙げてナンボだぞと言って、ジャンパーからスーツに着替えることを許してもらった。
時は 1975年の1月のこと。
その頃のシーサイドの営業はいわゆる猛者みたいな連中が4人くらいがいて、私には雲の上のような人ばかりだった。
新米のしかも生意気そうな私を可愛がってくれる奴はいない、何をどうすれば車が売れるのか?
始めは皆目見当もつかなかった。
ただ、電話番で着た電話を捕っていると、たまに問い合わせみたいなのがある、そこでうまく話を進めると、具体的にお客が
ショールームに来てくれることに気づいた。
また、飛び込みで来たお客にもていねいに話をすることで、次に繋がることも覚えた。
そうこうしている内に、段々と私は売り上げナンバーワンの営業マンになっていく。
他の営業の連中は、飛びぬけてスポーツカーが好きだったわけでなく、私はそれらが大好きだったから、
それも大きな要因だね。
そして気がつけば、2008年で 通算33年の営業をしてきたわけだ。
長いようで、短い、それが人生と言うものだろう。
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No matter how wore out, exhausted & annoyed I am w/mankind overall, I still ride 4 what I believe in. I believe in each of u. Reguardless of sex, gender, race, religious background, completion & any other deciding factor that exists 2 seperate us. Problem is, I be believing in man kind so deeply, man kind gets comfy fallin in love w/the love I exude & spiritual laziness is continued. Thereby guiding them 2 make peace w/failing 2 believe in themselves. This kinda thinkin is y so many of u have lived sooo many lifetimes b4 now. I hate that shit! That's where my aggravation/anger dwells from. Really, my own fear, shame & guilt r highlighted when I come across some1 who has yet 2 believe in themselves. It reminds me of myself. I will no longer take on the burden of ignoring reality, creating a new 1 while being destroyed from the original thoughts, feelings & emotions... The truth set me free. But 1st it pissed me off. Return 2 sender all vibes less than unconditional love. I got work 2 do here on Earth & love is my only tool. Sooo glad I kno the power of 4givness. May u all use it on urselves 2 attract ur sweet dreams n ditch ur nightmares. Love n Lite Luvbugs 😇🐞 💕🔆😘 #ElectricLady #TwerkNTone #TeamAlchemy #Luvnlite #healchallenge #ancient #alchemists #sign #doublehelix #ancientart #mayan #pyramid #featheredserpent #sacredteachings #cosmicconnection #ancientegypt #ancientmaya #maya #egypt #alchemy #knowing #understanding #awakening #truthseeker #ウンコちゃんの家具屋さん #家具 #アウトレット家具 #八尾 #久宝寺 #大阪 #大阪名物 #ウンコ #ウンコちゃん #タンス #イス
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家具って….
かん。人をダメにするソファとか
いとう道具店は椅子をメインに家具のデザイン、製造、販売をしています。たらこおたらこお週家具旅行のたあらこお
スーさんが新しい家具を作ってくれてるんですよ〜
今んところ高価じゃない家具は回収しておかわり扇課金をした
回収もみたけどこれは猫と館長出来てますわ…って感じだし新しい子達は悪がきらしいので色々楽しみになってきた これもさっきのと似てる(OWサバイバルもの/ゾンビものの収斂進化を感じる)感じで、こっちは7days to dieのように夜間のゾンビ襲撃に対する準備や防衛がメインなのかな。さておき、マルチプレイで…
FCで面倒な工房での組み立てが必要な家具「コンパクト・ホイールスタンドVI」ホイールスタンドVIがあればハウジングエリアで交換出来ます。面白い家具です FF14 FF14ハウジング 【特別限定セール実施中】
スウェーデン発の人気家具ブランド=IKEA(イケア)が通販サイトで手に入る!大きくて、重たい商品でも組み立てサービスを使えば楽々♪
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【問題】 家の目の前にお店がオープン! 何を売ってる? ①花 ②家具 ③日用品 ④本 結果→【賃貸ユーザーさんにお伺いしたいです】
家具・家電付き賃貸物件をどう思うか、どんな設備なら入居したいと思うかなどをお伺いしたいです。お話頂けるという方は、DMにメッセージをいただけますと嬉しいです。
社外の方も利用できるオープンコラボレーションスペースLODGEとスイスの家具メーカーVitra(ヴィトラ)が、新たな可能性、新たな「!」を生み出すリアル実験空間イベント「ジッケンオフィス」を、9月19日〜の期間限定で開催します。 でお酒おごってくれたあのおじさんは今日本当に家具見に来るのかな
ウンコちゃんの家具屋さん? 家具見てるとあれもこれも欲しくなってい
北欧デザイン家具
家具特集|アイリスプラザ│アイリスオーヤマ公式通販サイト
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2021年1月の夢
- 2021年1月31日 日曜日 8:38
夢
モモンガみたいな小動物を飼っていて、滑車がうるさい。クレ556のシリコンスプレーをさそうとする。
昔インターナショナルスクールみたいな施設が会社のそばにあり、交流がある時期があったのだった。
- 2021年1月30日 土曜日 9:01
夢
びわのジャムを煮崩したオートミールにかけて食べる、みたいな料理。
シャツの背中に虫が入る。姿形は見えないが、たしかにしがみ付かれてるみたいな痛さがある。取ってもらおうとするが、起きればいいような気がして、起きる。
どこかの公園のようなところ。日本ではないのかもしれない。
簡易な屋台で厚揚げとか揚げた餅みたいな軽食を売っていたのが撤去されて、新しい店ができている。悲しい。
前にここでスナックを食べながら映画?を見てくつろいでいたのが嘘みたいだ。という回想。
下の麻っぽいズボンが見つからない。
“そこで止まって 富士山”みたいな名前の看板を出している店。緑のビニールのれん。
布団にねている人たち、中年女性ばかり、ふとんに入っている。壁にヤニが垂れたような跡。汚い、写真撮りたい。マッサージ店なのか? そんな感じの店舗ばかりが並んでいる。
昔勤めていた会社があると思っていて、もう店舗は潰れているのだが、跡地を見たくて探す。水回りの配置でこの店舗だというのを突き止め、覗く。
何か大浴場の脱衣所のような施設に入る。掃除する。誰かのスマホとかポーチみたいなものが置き去りにされている。奥の空間。外に視界が開けている浴場だった。ここでひとっ風呂浴びたいなと頭をよぎるが、まだ勤務中だからな(?)という発想があって入らない。
- 2021年1月29日 金曜日 7:13
夢
浴槽に眠っていて水のような涎がジャバジャバ出る。
- 2021年1月26日 火曜日 7:10
夢
トランプが買春している。
- 2021年1月22日 金曜日 6:46
夢
呪術の人だ。
- 2021年1月21日 木曜日 7:13
夢
誰もいないカレー屋へ入っていく。
- 2021年1月20日 水曜日 8:21
夢
なんか歌を歌ってる人の横で踊る。打ちっぱなしの通路みたいなところで向こうに人が沢山いる。
編集者のような人が伴奏をして一行ずつ四人が歌っていくのだが、冒頭のとこで重なり具合が違うみたいな指摘があって揉めている。
悪路を歩きながら愛の不時着のあらすじを口頭で説明する。
ルームシェアのための部屋を探している。
海沿いの古い民宿のようなところ。
壁じゃなく布の間仕切り。古びたレースとビニールの複合したような布。
これを壁にしようか?と話している。ベニヤ板を虫ピンで打ち付けるようなイメージを抱いている。
全体的にもどかしい感じの夢。
- 2021年1月19日 火曜日 7:25
夢
なおくんがピエロのメイクをして何かを発表している。鼻はマニキュアで赤く塗っている。そのような態度を取ることが何かの克服の証である。
みなみ?とどこか。冷凍食品コーナーのまわりを歩く。明日の朝のためのもの。ゴム製のランプを売ってるところが見所だと話す。
- 2021年1月18日 月曜日 7:11
夢
劇場にいる
隣は長友さん
ひとつ飛ばしで座ろうと言われ、少しずつ詰めてもらう
席を離れ、トイレへ行く
明るい劇場のトイレだが荒れており、混んでる時に散らかしたらしいでかいパッケージのものが壁取付の便器の中に置かれている
遅くなった気がして戻るが、上映十分前
漫画のようなものを読む
- 2021年1月17日 日曜日 8:49
夢
見たけど起きた衝撃で忘れた
- 2021年1月16日 土曜日 8:01
夢
かめもんたるの坊主の人があんまり売れていないという趣旨のインタビューの様子わみている
給料ピェンロー、ハムとポトフ、すね毛が薄くなってきている
満員のバスが坂道を下っていく
何となく修学旅行的な雰囲気
数学のテストみたいなものを家で受けなければいけないのだが、アナウンスをきちんと見ていなかったせいで2日分やり忘れている
なんらかのポスターみたいなものを作り提出することになっている。小学校みたいな感じ。出力したものを小さく折り畳んだせいで折り目がびっしりつく。乗算!って感じの塗り具合。
他の生徒も思い思いの作品を作っている
- 2021年1月15日 金曜日 6:46
夢
鮭を焼く
階段を登りながら薄焼のわんたんを一つもらう
フロアにかわいい照明 球体のネオンのような形
ニャニャン拳
- 2021年1月14日 木曜日 6:47
夢
文章を打っている。
スーパーの前に行くとARu子の格好をしたコスプレの人々がダンスをしている。
スーパーに入る。果物を買おうか考える。
賑やかなときはいいけど賑やかが終わるとつらかなるなと考えている。
- 2021年1月13日 水曜日 8:58
夢
短歌を作っている。起きた衝撃で忘れてしまった
- 2021年1月12日 火曜日 6:49
夢
コーヒー色に濁っている海面。
船で海外に行くのは飛行機みたいに狭苦しくなく、煩雑じゃなくて良い、みたいな意見。
変わった形の魚の骨。
- 2021年1月11日 月曜日 6:46
夢
マクドナルドで腕時計がついてくる限定バーガーの列に並んでいる
鬼滅の星、〇〇の列車、みたいなネーミング
前に並んでいた人が死に、ワンオペだった店の人が取り乱すが、すぐに冷静さを取り戻し対応してくれる、かわいそう
バンドが緑色。印刷面で見ても安っぽく、たぶんつけないだろうなと感じている。
大きなボールペンが並んでいる売り場
Apple Watchをつけている。
担当者の女性に「前回〇〇さんは痛がっていたようなので気をつけて」と依頼のメッセージを送ると「来ていませんでした」とのこと。
女性に猫みたいに首をくすぐられていて眠くなってくる
- 2021年1月10日 日曜日 6:31
夢
どこかの雑貨屋。
まーもん(本名忘れた)が子供になっており、彼女一家の買物に付き合っている。彼女のマニキュアを「it's like a birthdaycake」と褒めると、新しいマニキュアを欲しがる。それによりヘアピンを諦めることになる。
そのことを伝えると大泣きされる。
彼女の母親は呆れている。
あやす。
電車の路線。
廃電車が打ち捨てられており、その中に丸くなって体を隠している人たちがいる。
なぜこんなことをしているのか。
窓の外に浮浪者風のおじさんが通る。足元にうちわ状のムカデが通り、誰かが叫び声を上げる。声に反応して実は人間でなはく食人鬼か何かだったおじさんに襲われる。
殺されるよりはマシだと、何か意識の電源を簡単に落とすためのボタンを押そうとするが、うまくいかない。
ヲガタ
- 2021年1月9日 土曜日 8:46
夢
米にミルワーム大の虫がいることを夢の話として報告する
ミリの家もしくはTさんの家らしきところに行く
趣味の良い本がある
中国食材店でチョコレートを購入しようとする
透明の平たいケースに石みたいな3種類。
裏口から抜けるとまた別の店がある。
- 2021年1月8日 金曜日 7:40
夢
見たのにわすれた。
- 2021年1月7日 木曜日 7:21
夢
忘れた
- 2021年1月6日 水曜日 9:01
夢
見たけど思い出せない
- 2021年1月5日 火曜日 7:30
夢
ちいかわのうさぎと道に落ちてる砂金の粘土を集める。
ほんのり田舎みたいなあぜ道。
粘土は小さく、金とも黒ともつかない色で、耳飾りのような形・球体・遺跡出土品みたいなエキゾチックな形・完全にウンコみたいな形・などさまざまなものがあり、強く潰せば消しゴムのカスのように練りまとめることができる。
最終的に分配で揉めるはずなので拾い集めた分は自分で持っておくように言われる。
- 2021年1月4日 月曜日 9:24
夢
上空を旋回する視点
ここぞというところに降りたいが風が強くてうまくいかず流される
弓のようなものを地面に落として重しにできたら良いのに。
oさんから久々に連絡がある
新台入れ替えがある旨のメールにかたっぱしから返信していたらしく、たまたま。
くぼみに四天王がおり、それぞれの皿に料理がある。
自由に食べて良いということだが皿の位置が妙に小高くて気後れする。
エビの刺身などを食べる
- 2021年1月2日 土曜日 8:43
夢
紫、ピンク、水色の波打ち際のようなところを俯瞰で見下ろしている
キャラクターじみた人 半魚人
靴
オニツカタイガー
カニへの評価が低い人
「カニなら五杯食べられる」
- 2021年1月1日 金曜日 8:51
夢
爪ブラシ まりあ
バス お菓子を購入してバスに乗り込む
いもうと。コーラ味のラムネ。棒状のみたらし団子。
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“
江戸の町人は7割が男、男が余って一生独身の奴らばかりだから風俗が流行
女はオカメでもモテモテなので、かかあ天下になりやすく不倫や離婚も多い
長屋の大家は住人のウンコを農家に肥料として
売る契約をして成り立ってるので家賃が安い
基本、普段はプラプラして金がなくなったら仕事をする生活
天秤棒担いで、仕入れたものを何か売ったり
ロウソクの欠片や木の灰を集めたり
何か手伝う事ないかーなんて叫ぶだけでも日銭は稼げた
すぐ火事になるから家具とかにも金をかけない
飯は白米を一食二合
殺人は勿論、詐欺でも死刑なので
スリさえ気を付ければ治安は上々、戦争も当然ない
酒飲んでソバ食って春画みてオナって寝る
そんな毎日
”
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補足。
女は結婚する時にあらかじめ男に三行半(いつ離婚しても文句いいません覚え書き)を書かいてもらって持っておき、離婚したくなったらそれを使う。
三行半を書いてもらわなかった場合は駆け込み寺へ行って一定期間別居すれば離婚成立。
町人階級には基本的に「姓」は無いので、夫婦別姓とか子どもの姓はどっちとかいう議論は発生しない。名字帯刀を許された町人階級(お金持ちや町内会長的なポジションのおうち)は現代と同じ。
公式の場では名乗れないけど、通称として内輪で名乗る姓は一応OK。歌舞伎役者の名跡なんかはその扱い。
一般人は「住んでる地名 or 出身地+身分+名前」が正式の名乗りになる。都市生活者だと浪人とか町人っていう身分の他に、住んでるところが曖昧(借家を転々としてるような)で定職に就いてない(商家の使い走りとか、日雇い運送業とか博打打ち etc)のは「無宿(むしゅく=アウトロー)」扱いになる。
離婚経験者や夫と死別した女性はモテた。
妻としての経験を積んでいる(性的にも家事の面でも)という理由。
子持ちだと「子どもを産む能力がある」という証明があるので、やっぱり人気。
未通娘が良しとされたのは、先出の名字帯刀が許された町人と武士の娘くらい。誰が父親かはっきりしている子どもじゃないと困るから。
ここからは上方の風習。
上方の都市では武士=勉強も芸事も商才も何も取り柄が無い人の職業、という意識が強い。
というのも、上方の都市(京都・大阪・奈良など)は幕府の直轄領なので、上方の都市に住んでる武士はお殿様に仕えてる藩士ではなくて、江戸から派遣されて来るキャリア組の代官の下で事務処理だけやるのが仕事だったため。
商家では自分の息子で出来の悪いのが居ると、武士の養子の権利(株という)を買って、商売と自分の家から切り離した。
そんなわけで、お店のオーナー一家に息子と娘が居て、息子に商才無しとオーナーが判断した場合は、娘と一番番頭や職人の若手No.1などを結婚させて店を継がせるのが一般的。
むしろ、博打要素の高い息子を若社長として育てるルートより、 丁稚や見習い(どちらも小学校低学年くらい)の頃からオーナー子飼いで育てた部下を婿養子にする方が手堅かったらしい。
上方の都市は男女半々くらいの人口比だったので、江戸ほど男余りではなかった。
そのため、歓楽街の風習も異なる。
江戸の吉原では花魁のような高位でも一晩に数人の客を取る「回し」が一般的。
数部屋に客をばらばらに待たせておいて、ヘルプの芸者や新造(半人前)にお酌や芸をさせておいて間を持たせ、掛け持ちする。
客もそれを前提としているので、待つのも遊びのうちとして割り切っている。
また、大門からの外出は厳禁。
上方の歓楽街、京都の島原、大阪の新町では、客は基本一晩一人。
遊郭の外に同伴で遊びに行くのも可。ただし、別料金。
京都はお寺が多いので、陰間の���要が高かった。江戸時代の僧侶は浄土真宗以外、基本的に女犯禁止のため。
男性の同性愛は世間一般常識上ノーマル。
むしろ生殖目的ではないので、異性愛よりプラトニックで高尚という意識。
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