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#アリューシャン方面の戦い
if-you-fan-a-fire · 8 months
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"MINIATURE SUBMARINES, a Shinto Shrine, chopsticks and Jap characters and wrecked Zeroes were all left behind by the hastily departing enemy on Kiska. American bombs that preceded our troop landings accounted for much of the damage to Jap installations. Sgt. Edmond Birdsell of San Francisco tries out the chopsticks on a bowl of Jap rice, stores of which were found by U.S. forces." - from the Kingston Whig-Standard. September 9, 1943. Page 2.
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kuroiookami · 1 year
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コード93
ソーラーコード93「主人との強い信頼で結ばれたトナカイ(犬)が、厚い防寒服に身を固めた探検家(冒険家)を乗せたソリを引いて、極寒の大地(北国、寒冷地、極寒地、北極や南極、ロシア、ロシア周辺諸国、アラスカ、カナダなど)を走ってゆく」
コードの現象化形態:孤独。逆境。克己心の必要。前途に厳しさが想定される状況。予期せぬ立場の低下。(ときに)過酷な生活環境。逆境の中での、異性のパートナーからの愛ある支援。果敢なチャレンジ精神を発揮して、ネガティヴな古い環境を捨て、新天地に向かうことによりチャンスを得る。(該当対象、ないし、警告地域として)北極や南極、ロシア、ロシア周辺国、シベリア、アラスカ、カムチャツカ、アリューシャン、北海道、青森、その他の北国や寒冷地。(コード92とのフュージョンで)エピグラム地域に関する地震の多発。ソリ。氷上のスポーツ。冒険家や探検家や登山家。
ルナーコード93「進路を決定づける最後の実力テストを目前に控えた受験生が、内面の緊張や焦り、不安と戦いながら、スタミナをつけるために特製の夜食を頬張る」
コードの現象化形態:環境からの強いプレッシャーや緊張。落ち着けない環境。不安や心配。心理的圧迫。食事の栄養バランスに気をつけ、障害に立ち向かうための体力をつける必要。
【コード93】 ■対向コード:273 ■統合コード:267 ■直角コード:183
顕著な地震コード92とコード93とコード101に継いで、北海道と東北地方に中規模地震と大地震を引き起こす強力な引き金となるコードには、コード260があります。
北海道に中規模〜大地震を含む地震を強力に誘発する最主力コードは、コード92−コード93、コード100−コード101−コード102、コード333とそのイコール対向コード153、コード153から続くメダリオンのコード154−コード155とイコール統合コードのコード204−コード205−コード206です。なお、コード141−コード142が絡めば、東北連動、ときに関東連動の広域地震に。ただし、東北・関東での単体地震となる場合も。東日本大震災の発生直接トリガーはコード51−コード52−コード53とイコール直角コードのコード141−コード142−コード143。東北・関東地方にとって危険な地震コード。危険度において万遍なく最強なのは、日本列島全体とそれを取り囲む海の震源に全てくまなく最凶等作用する地震誘発コード258。これは2011年3月11日に起きた東日本大震災発生当日の国家デイリーコードであり、また、2018年6月18日に発生し死者も出た大阪北部震度6弱地震の当日の日運コードでもあります。暗喩的ではなく直接的に地震を表す(地震だけではなく原発事故も含めますが)シンボルである顕著な「地震誘発コード」としては、コード206、コード248、コード279があります。ただ暗喩的でも同程度に危険な地震コードのコード92、コード93、コード101、コード141、コード297、コード333もあります。コード91−コード92−コード93とコード2、コード182、コード358は容易に同期作動する地震コード。コード43、コード44、コード61、コード91、コード92、コード93、コード101、コード142、コード258は、湾・沖震源の地震を顕著に引き起こす地震コードです。
コード91「渡津海の天使とともに地震リス・ウッドチャックが家々の戸口に立てる死のフラッグ」=コード181
コード92「関東地震」=コード182
コード93「北海道地震」「東北地震」=コード183
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shintani22 · 2 years
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2022年1月11日
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【本日 (1/11)の広島県内の感染状況】(広島県)
3連休で人の流れは半減 湯崎知事「感染急拡大続くと医療ひっ迫」 広島(RCCニュース)
オミクロン株による感染の急拡大が猛威をふるっている広島県内。県内一部の地域に「まん延防止等重点措置」が適用され、県全体でも外出機会の削減が求められています。
11日の会見で湯崎知事は、きのうまでの3連休の人の流れについて、「感染拡大前と比較して5割程度減少した」と県民の協力に感謝を述べる一方で…。
「このまま急拡大が継続すると、中高年の方々の感染者の増加、それから医療提供体制の圧迫のほか、通常の医療にも影響が出てくる。」(湯崎知事)
10日まで、4日連続で過去最多の新規感染者数を更新してきた状況に、改めて危機感を示し、「オミクロン株」は重症となる人が少ないという事実が、間違ったメッセージになっていると強調しました。
「オミクロン株の症状が軽いので、感染者が増えても大丈夫だと、こういう風に思わないでいただきたい。」(湯崎知事)
このままのペースで感染が拡大した場合、ホテル病床のひっ迫に備え、重症化リスクが低い人は、「自宅療養が基本となってくる」と述べました。
こうした中、湯崎知事は、「オミクロン株の重症化予防」として、ワクチンの追加接種の重要性を訴え、県の大規模接種会場について、前倒しでの設置を検討していると明らかにしました。具体的なスケジュールは、調整中だということです。
「これから減少局面に移��していくためには、人と人との接触機会を少なくしていかなければいけない。県民の皆様の健康を守るため、外出の削減、テレワークの活用などを引き続き、ご協力お願いします。」(湯崎知事)
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岸田首相、水際対策を2月末まで維持 3回目接種の前倒しも表明(毎日新聞)
岸田文雄首相は11日午前、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の急拡大を受けた、対応強化策を発表した。「2月末まで現在の水際対策の骨格を維持する」と述べ、外国人の新規入国の原則禁止などを継続する方針を示した。重症化リスクの高い高齢者らを対象に実施しているワクチンの3回目の前倒し接種に関し「3月以降、一般分についても前倒しする」と表明した。
首相官邸で記者団に語った。首相はまた、3回目接種用として自衛隊による大規模接種センターを設置する方針を表明。これまでワクチン接種の対象外だった12歳未満の子供については「薬事など必要な手続きを経て、希望者に対してできるだけ早く接種を開始する」と述べた。重症化を防ぐ経口薬(飲み薬)は、供給を進めるメルク社製に加えて、ファイザー社製についても「月内に購入の最終合意をし、2月中できるだけ早くの実用化を目指す」と語った。
また、企業や自治体に対しテレワークの拡大を要請。感染者や濃厚接触者の学校入試に関しては「追試・再追試などにより機会を確保し、4月以降の入学を可とするなど柔軟な対応を要請する」と述べた。
首相は、国内のオミクロン株について「地域によって感染者が急激に拡大する可能性がある」と指摘する一方、重症化率が低いとされることを踏まえ「過度に恐れることなく、マスク着用など冷静な対応をお願いする」と呼び掛けた。在宅・宿泊療養に対応する地域の医療機関数が1万6000に達したと説明し「計画をさらに3割上回る体制が準備できた」と強調した。【川口峻】
Jリーグ 新外国人監督と選手の入国について政府と協議する方針示す(スポニチ)
NPBとの新型コロナ対策連絡会議後にJリーグの村井満チェアマン(62)がオンライン取材に応じ、今シーズンのJリーグの新外国人監督及び選手の入国について、政府と協議していく方針を示した。
政府は新型コロナウイルス「オミクロン株」対策として、外国人の新規入国を原則禁止している水際対策を2月末まで継続する方向で調整。これにより、Jリーグの新外国人監督や選手が昨年に続いて2月18日の開幕に間に合わない可能性が出てきている。
村井チェアマンは、昨年3~4月にかけて、特例入国した外国人選手45人を対象に福島・Jヴィレッジで14日間の隔離措置(Jリーグバブル)を行い、14日間で4回のPCR検査と毎日の抗原定性検査を受けて全員が陰性だった事例をもとに「さまざまな検査や対策を講じながら対応してきた実績もある。こういったものをしっかりと説明しつつ、(政府に)理解を求めていく」と話した。
また、日本代表活動後の影響についても言及。今月27日のW杯最終予選中国戦、2月1日の同サウジアラビア戦の後、Jリーグの選手は14日間の「バブル方式」が義務づけられ、その間、所属クラブには戻れない。川崎Fと浦和の選手は2月12日の「富士フイルム・スーパー杯」の欠場を余儀なくされ、J1開幕(同18日)に向けても国内組のチーム合流は直前となる。外国人の新規入国の件と合わせて「リーグ戦やJリーグ等々に影響を及ぼす問題に関しては、JFA(日本協会)とともに政府と協議していく」とした。
三浦知良選手がJFL鈴鹿へ期限付き移籍
J2横浜FCの三浦知良選手が日本フットボールリーグ(JFL)の鈴鹿ポイントゲッターズに期限付き移籍したことが11日の午前11時11分に発表されました。
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〈アリューシャン列島でM6.7の地震 津波被害の心配なし〉
日本時間の1月11日(火)20時36分頃、海外で地震がありました。震源地はアメリカ、アリューシャン列島フォックス諸島で、マグニチュードは6.7と推定されます。(震源は太平洋津波警報センターによる)この地震による津波被害の心配はありません。
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xf-2 · 5 years
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その生涯において、3度もの「奇跡」を起こした樋口季一郎。彼はどんな状況においても、「日本人として大切にすべき人道」と「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を失うことはなかった。樋口を通して見えてくる、当時の日本の「真実」とは何であったのか。
樋口季一郎は、なぜ「3つの奇跡」を成し遂げられたのか
 日本はなぜ「あの悲惨な戦争」に突入したのか――それについて戦後の日本人の多くが暗黙の前提にしていたのが、「陸軍悪玉論」でした。日本陸軍こそが暴走と謀略を繰り返して、日本を「泥沼の戦争」へと導いたという見方です。しかし、歴史をそんな単細胞的な「悪玉論だけ」で語ること自体が、そもそも間違いです。ようやく多くの日本人がそのことに気づいてきたようで、歴史の真実を見直そうとする動きが、今あちこちで現れています。
 当時の日本陸軍、あるいは当時の日本の「真実」とは何だったのか。それに迫ろうとするときに、非常に価値ある大切な「歴史の素材」となるべき人物がいます。終戦時に第五方面軍司令官を務めていた、樋口季一郎中将です。
 樋口季一郎の名は、あまり知られていないかもしれません。しかし彼は、まさに「奇跡」ともいうべき3つの事例に関与しています。
 1つ目は、昭和13年(1938)、満洲のハルビン特務機関長在任中に、シベリア鉄道経由で欧州から逃れてきたユダヤ人難民を、満洲国に働きかけて救出したこと。2つ目は、昭和18年(1943)、北方軍(後の第五方面軍)司令官在任中に、圧倒的なアメリカ軍の包囲下、玉砕を目前にしていたキスカ島の日本軍守備隊6千名弱の将兵を隠密裏に撤退させるという「奇跡の作戦」を成功させたこと。3つ目は、昭和20年(1945)、日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦し、終戦後にも侵攻を続けたソ連軍に対して「断乎反撃」を命じ、その野望を砕いたことです(北千島の最北端の島・占守島での勝利、そして樺太での奮闘によって、北海道は辛くも護られたのです)。
 いずれも、容易に成し遂げられることではありません。なぜ、樋口にはそれが可能だったのでしょうか。
 樋口は明治21年(1888)、淡路島に生まれます。家業の廻船問屋が零落したこともあって学費の安い陸軍幼年学校を経て、明治42年(1909)に陸軍士官学校(21期)を卒業し、陸軍将校としての道を歩み始めます。その後、歩兵第一連隊での勤務を経て、第一次世界大戦中に陸軍大学校に入学しています。
 樋口はドイツ語など多くの言語に通じ、終生語学を得意としましたが、陸軍大学校ではロシア語を割り振られます。これは樋口の生涯にとって、きわめて重要な意味を持ちます。なぜなら当時、陸軍の主敵はロシア(ソ連)であり、しかも陸大在学中(1915年~1918年)にロシア革命が起きているからです。さらに、彼が陸大を卒業した月(1918年11月)に、第一次世界大戦の休戦協定が結ばれます。つまり、その後の日本の歩みに重くのしかかってくる「世界革命と総力戦」の時代に、樋口はその圧力を最も鋭く受け止めざるをえなかった陸軍のロシア畑を歩むことになったのです。
 陸大卒業後、樋口は情報将校としてインテリジェンスに携わり、大正14年(1925)から3年間、ポーランド公使館付武官を務めます。その時、ダンスを学んで名手となり、社交界で人気者となったことで、大いに人脈を広げました。西洋人との社交界での付き合いを苦手とする日本人も多いなか、樋口一流の柔軟さが見て取れる逸話です。
 当時、ソ連とドイツに挟まれたポーランドは、インテリジェンス活動に大変な力を入れており、ポーランド陸軍はソ連・ドイツ両国の暗号解読に大きな成果を挙げていました。実は樋口のポーランド在任と時を同じくして、樋口と陸軍士官学校の同期である百武(ひゃくたけ)晴吉がポーランドで暗号研究に取り組んでいます。これにより日本陸軍の暗号技術はきわめて高度なものとなりました。
 大東亜戦争中、ミッドウェー海戦の大敗でも明らかなように、日本海軍の暗号は連合軍にほぼ完全に解読されており、海軍の作戦計画はすべてアメリカ側に筒抜けでした。これこそ日本の敗戦の最大要因といってよいでしょう。一方、日本陸軍の暗号は最後まで解読されず、逆に陸軍はソ連の軍事暗号をかなりの程度解読できていたのです。
 樋口が広げたポーランドでの人脈が、このような優秀な陸軍の暗号システムを築くことになる百武の活動を支え、また日本とポーランドが暗号解読を含む機密情報をやりとりできる関係――国家間で最も探い信頼関係――を結ぶ大切な素地となったのでした。
 樋口の柔軟さは、淡路島に生まれ育ったことと無縁ではないのかもしれません。関西出身の私は、淡路島の出身者と聞くと、社交的でまろやかで、常識に長けていて明るい人物をイメージします。零落した商家の一人息子という点も重要です。樋口の慎重さや理性的な側面、また組織の壁にも挫(くじ)けない独立心と自我の強さは、この境遇に由来するところも多いはずです。
 そんな樋口が、高い知性と合理的な思考を求められるインテリジェンスという仕事に就き、多くの人的交流の機会に恵まれ、豊富な海外経験を積んだことは、きわめて重要なことだと思われます。あの時代のワルシャワや、樋口がよく訪れたウィーンなどの中欧(中部ヨーロッパ)には、近代西洋文明の最後の輝きがありました。日本人としてこのような「場」に触れた感受性の高いエリートは、翻って「日本はどうか」「日本の大切なものとは何か」を考えるようになります。強固な愛国心と共に、必ずや、日本人が失ってはならない普遍的な「人間性」や「人としての心」に目を向けることになるのです。
 このような経験のなかで自らを磨いていくことで、樋口は「広い視野」と「日本人として大切にすべき人道」、そして「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を身につけていったのでした。
「人道主義の名において、私は衷心悲しむ」
 昭和12年(1937)、樋口は「関東軍の情報部長���ともいうべきハルビン特務機関長になります。そしてこの地で、ユダヤ人難民救出事件――いわゆる「オトポール事件」に直面することになるのです。
 当時、ナチスの迫害が吹き荒れる欧州からシベリア鉄道経由で逃れてきたユダヤ人難民の満洲への入国を、ナチス・ドイツの顔色を窺(うかが)う日本の外務省への遠慮から満洲国が渋り、満ソ国境の町オトポールで多くのユダヤ人が立ち往生していました。その窮状をハルビンの極東ユダヤ人協会から訴えられた樋口は、満洲国に働きかけて入国を認めさせ、彼らの脱出ルートを切り開いたのです。これは有名な杉原千畝(すぎはらちうね)の「命のビザ」の話よりも、さらに2年ほど前のことです。また樋口は、ハルビンのユダヤ人たちが開いたこの事件への謝恩大会で、「今日、世界の一隅においてポグロム(ユダヤ人虐待)が行なわれ、ユダヤに対する追及または追放を見つつあることは、人道主義の名において、また人類の一人として私は衷心悲しむ。ユダヤ追放の前に彼らに土地すなわち祖国を与えよ」と演説しました。
 これらは、当時の状況では、決して容易なことではありません。当初、満洲国や外務省が入国を拒んだのは、ナチス・ドイツと防共協定を結ぶ関係にあったことを慮(おもんばか)ってのことで、現に、ナチス・ドイツは樋口を名指しして日本に公式に抗議していますし、陛軍内部でも樋口の処分論が高まります。
 また、もう1つ忘れてはならないのは、当時日本でも「ユダヤ陰謀論」が根強く唱えられており、陸軍内部にも四王天延孝(しおうてんのぶたか)将軍などをはじめとして、それに加担する一派が存在したことです。これは事実として誤っていただけでなく、日本の進路にとって大いに問題のある議論でもありました。というのも当時、日本のマスコミ界ではとくに「ユダヤ金融資本の陰謀」を書き立てる傾向が強く、それがまた、「反英米」感情の火に油を注ぐ結果となっていったからです。さらに、そもそもベルサイユ会議(1919年)以降、「人種平等」を国是のように唱えていた日本が、本来ならば最も唾棄(だき)すべき「人種差別主義者」ナチス・ドイツと手を結ぶ下地にもなってしまったのです。
 このような状況下で、「日本も満洲もドイツの属国ではないのだから、ドイツの(ユダヤ人差別という)非人道的な国策に協力すべき理由はない」と明言した樋口の勇気ある姿は、その人物の大きさと共に、日本人としての誇りを感じさせてくれます。
 ハルビン特務機関長の任を終えた樋口は、陸軍のインテリジェンスを手掛ける参謀本部第二部長や、金沢の第九師団長を務めた後、昭和17年(1942)に札幌の北部軍(後に北方軍、第五方面軍)司令官に赴任します。これは決して軍の中枢とはいえないポストですが、この軍司令官時代に、樋口はアリューシャン列島のアッツ島・キスカ島の戦い(昭和18年)と、占守島の戦い(昭和20年)という重要な局面に立ち向かうことになるのです。
 それぞれの戦いの詳細は別稿に譲り、ここではその意義を述べたいと思います。
 アッツ島・キスカ島は、昭和17年6月に、ミッドウェー作戦の陽動作戦として、海軍の要請で占領したものです。しかし、海軍はミッドウェー海戦で大敗。そして翌年5月には、アリューシャン列島でも米軍の本格的な反撃に直面します。樋口は、アッツ・キスカからは早急に撤退させるか、そうでなければ強力な増援部隊を送るように大本営に強く働きかけますが、この申し出を、海軍が「燃料不足」などの理由から蹴るのです。
 当時、海軍大佐として軍令部作戦課におられた高松宮宣仁親王も、昭和18年5月22日の日記で、「熟田(引用者註 : アッツ島の和名)ノ守備(隊)ヲ犬死サセル必要ハアルマイニト思フ」と嘆いておられます。このお言葉は、重く響きます。これは戦後あまり指摘されませんが、海軍は当初、陸軍に派兵を要請しながら、結果的に見殺しにしたのです。ミッドウェーですっかり自信をなくした海軍の上層部は、当時まだ十分な(空母)機動部隊を有していたにもかかわらず、むやみに損害を恐れてアッツ救援のための出撃を拒否したというのが真相です。
 大本営からアッツ島守備隊への玉砕命令が下ったとき、樋口は号泣したといわれます。もちろん、現場の指揮官として2千6百名の部下を玉砕させることへの強烈な自責の念であったでしょう。しかしそれだけでなく、海軍の不条理さによって増援部隊を送れないことへの怒りの涙、そしてそれを撥ね返せない陸軍参謀本部の不甲斐なさへの悔し涙でもあったのではないでしょうか。
 樋口はそこで、「アッツ島の将兵を見殺しにするのならば、せめてキスカ島からの撤収作戦には海軍が無条件の協力を約束せよ」と大本営に頑強に迫ります。キスカ島の将兵6千の約半数は海軍陸戦隊でしたから、海軍も「身内可愛さ」から必ず覚悟を固めるはず、という読みもあったからです。この樋口の強硬な主張があったからこそ、「世界戦史上の奇跡」ともいわれるキスカ撤退作戦が実現したのです。
 そしてもう1つ、樋口が第五方面軍司令官として最後に下した決断が、「北海道の占領」をめざし終戦後にも国際法を破って侵攻を続けるソ連軍に対する、断乎たる反撃でした。
 そもそも日本は終戦時、「整然たる降伏」にこだわりすぎました。停戦後に一番危険なことは、丸腰に��った味方が殲滅され虐待されることであり、武装解除した後に行なわれる敵の不法な行為によって、決定的に国益が侵されてしまうことです。簡単に武装解除せずギリギリまで条件交渉すべし、というのが世界の常識なのです。
 にもかかわらず、大本営は8月16日に戦闘行為の即時停止を命令、そして「8月18日午後4時以降は、自衛目的の戦闘行動も全て停止」と命じます。「自衛目的の戦闘も停止」など、本来ありえないことです。自衛権は、いつ、いかなる時でも許される「人類普遍の自然権」だからです。戦後日本の「倒錯と自虐の精神」の萌芽が、すでにこの時点で現われているかのようです。
 それゆえ、広い世界的視野に基づく合理的思考に立脚してその誤りを排し、正面から反撃を加えてソ連軍撃退をやってのけた樋口は、やはり「独りよがりの世界観」から一歩抜きん出た存在だったといえます。日本を「分断国家の悲劇」から救った樋口のこの判断に、すべての日本人は感謝すべきでしょう。
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wmpsyndrome · 5 years
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ウォーゲーマーと振り返る太平洋戦争
1.0 はじめに
1.1 本日、8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」、いわゆる終戦記念日だ。
1.2 戦後の平和に思いをいたし、先の大戦への深い反省を新たにする日だが、私は一人の日本人である前に一個のウォーゲーマーなので、太平洋戦争を扱う戦略級ゲームの勝利条件を比較しつつ先の戦争がどの様なものであったのかを振り返ってみたい。
2.0 勝利条件
2.1 太平洋戦争をテーマにした戦略級ウォーゲームの勝利条件は難しい。厳密にいえば、連合国側の勝利条件は至って簡単だが日本側の勝利条件は難しい。連合国の勝利条件については日本を抑え込むという点で一致しており、程度の差でバリエーションが生まれている。一方で日本の勝利条件はゲームによって扱いが大きく変わってくる。参考までに、Empire of the SunにおけるMark Hermanの言葉を引用する。
 The most difficult part of this design was how to determine Allied victory,while still making the game intersting for Japanese player.There was never a chance that Japan could “win” the war.(試訳:デザインで最も難しかったのは、日本プレーヤーにとってゲームを面白くしつつ連合国の勝利条件を決めるにはどうするかだった。日本が戦争で勝利を収めるチャンスは一つもなかったのだ)
2.2 本稿では太平洋戦争をテーマとした戦略級ウォーゲームにおける日本の勝利条件を以下の3つの類型に分ける。すなわち a国防圏の維持、bインド・中国・豪州・真珠湾等の攻略、cその他、の3つである。ゲームによっては3つのうちの複数の合わせ技などもある。次項からは個々のゲームの勝利条件を比較していくが、取り上げるタイトルは著者が所有しているものに限られる。なお未プレイのものも含まれるが、それらに関してはルールとマップデザインから言及できる範囲で取り上げる。
3.0 それぞれの太平洋戦争
3.1 太平洋戦史 (CMJ)
3.1.1 このテーマにおける本邦のベストセラー作品。勝利条件は攻略した港湾から得られる点数の積み上げなのでaとbの合わせ技だ。
3.1.2 セイロンや豪州を占領・攻略すれば大きく勝利に近づくが実現は容易ではない様にバランスされている。インド作戦やオーストラリア作戦なども想定はしているが、あくまで南方資源地帯を確保し内南洋を固めるべき、という意図がくみ取れる。
3.2  大東亜共栄圏 (ボンサイゲームズ)
3.2.1 太平洋戦史と同じデザイナーによる作品。勝利条件は、異なる二ヶ国の本拠地の占領か、もしくはマップの三分の一以上の占領なのでaとbの合わせ技である。実はこのゲームでは比較的容易にインドが陥落するので、まだ試していない方は是非確認して欲しい。
3.3 War in the Pacific(Whitdog games)
3.3.1 日本本土を踏むか原爆を投下すれば連合国の勝利、そうでなければ日本の勝利。類型としてはaに属する。スタック制限はないので本土に歩兵スタックを積み上げれば勝ち確では?と思われるかもしれないが、中国を除く海外領土を持たず本土に陸軍がいる (つまり本土決戦の状態になった) 場合は日本の負けなので外洋に国防圏を設置しなくてはいけない。
3.3.2 A2マップにインド・中国・豪州が収まっているが、たとえそれらを攻略しても何も起こらない。日本の攻勢に戦略的意義は全くない、という解釈が読み取れる。
3.4 Pacific Tide(Compass Games)
3.4.1 連合国は本土と沖縄以外の全てを占領するか原爆を投下すれば勝利、日本は1942年までに南方資源地帯に加えアリューシャン、ウェーキ、ミッドウェーを取っていれば即勝利、ゲーム終了時に沖縄に加えて硫黄島、フィリピン、アリューシャンのうち一つを取っていれば勝利。類型はc。
3.4.2. マップにはシンガポール以西は含まれておらず中国もオミットされている。サブタイトルは合衆国v.s.日本よりも山本五十六の戦いとかの方が合っている気がする。
3.5 太平洋艦隊(HJ)
3.5.1 日本の勝利は無いパート1。勝利条件は加点方式で日本は敵ユニット撃破の他に攻勢限界線外の港の支配、米豪分断、ビルマロード遮断で加点する。連合国はユニット撃破の他に攻勢限界線内の港の支配、日本本土の補給の枯渇、ラングーンの支配で加点。類型はc。マップにはインドやオーストラリアも含まれているが他の港と扱いは変わらない。
3.6 大日本帝国の盛衰(GJ)
3.6.1 日本の勝利は無いパート2。
 日本軍プレーヤーには勝利はない。(必ず敗北する)
勝利条件は日本が港湾を占領すると加点し失うと失点、米豪分断すると加点する。20VPで連合国の敗北、VPマイナスで連合国の勝利、ゲーム終了時0VPで引き分け。類型としてはaとbの合わせ技。
3.7 大東亜戦争(GJ)
3.7.1 勝利条件はユニット撃破、陸上スペース獲得による点数の積み上げなので類型はc。開戦直後と終盤では大型ユニット(Large Combat Unit)の撃破数によって講和が成立するようになっている点が特徴的である。
3.8 Empire of the Sun(GMT)
3.8.1 日本は本州が征服されるか海上封鎖されれば即敗北、講和が成立すれば即勝利。ゲーム終了時に日本が既に4ターン連続で戦略爆撃を受けているか、資源へクスを0~1のみ持っているか、東京がB29の射程に入っていれば連合国の勝利、そうでなければ日本の勝利。連合国のうち豪州・ビルマ・中国・ オランダ領東インド・インド・マレー・フィリピンが降伏すると講和に近づくのでaとbの合わせ技。
3.8.2 ゲーム開始時、合衆国の政治的意思は0(講和状態)だが真珠湾攻撃で+8になる。連合国諸地域が降伏すると0に近づくのだが、真珠湾攻撃で合衆国を刺激しておいて他の国を降伏させることで合衆国に詫びをいれる形になっているのはシュールでもある。
3.9 Across the Pacific(PACIFIC RIM PUBLISHING COMPANY)
3.9.1 ハワイに上陸し、南方資源地帯を維持し、奉天・京城・上海を支配していれば日本の決定的勝利。日本本土に上陸し、アッツ島を支配していれば連合国の決定的勝利。ゲーム終了時に中国全土の飛行場を支配しているかもしくは豪州ブリスベンに上陸しており、南方資源地帯を維持し、 奉天・京城・上海を支配していれば 日本の勝利。硫黄島・沖縄を支配して日本本土を爆撃機の射程に収め、南方資源地帯を遮断し、日本の大陸作戦を頓挫させれば連合国の勝利。類型はaとbの合わせ技。
3.9.2 中国全土席巻とブリスベン上陸が等値という点に違和感が残るが中国戦線をかなり重視している。日本は開戦5か月と1943年上半期にそれぞれCBI・PTOどちらかの陸軍総司令部を活性化できるが、地上ユニットに補給切れはないので石油が無かろうが関係なく大陸での戦争を継続できる。援蒋ルート遮断の為の仏印進駐~合衆国による原油禁輸~南方資源地帯の獲得という日米開戦の経緯はほぼ無視されているが他の部分は概ね史実に依るという点はwhat if的要素が強いと言えそうだ。
3.10 Pacific Victory second edition(Columbia Games)
3.10.1 日本がEconomic Centersを支配する度に得点を得る。積み上げた得点が25を超えると即勝利、5以下になると即敗北。ゲーム終了時の第15ターンに得点が24~16なら日本の勝利、12~6なら連合国の勝利、15~13なら引き分け。類型はaとbの合わせ技。 Economic Centers の内訳は開戦時14点、南方資源地帯で6点、中国内陸部で4点、ビルマで1点、インドで4点、豪州東岸海域で4点、アラスカ・ハワイ・合衆国西海岸で11点。
3.10.2 日本は南方資源地帯を取り切って20点なので中国・ビルマ・インド・豪州・アラスカ・ハワイのいずれかから5点取れば勝てる計算になる。また本州、朝鮮半島、中国沿岸部で12点なので加えて1点を守り切れば引き分けに持っていける。合衆国の反攻が本格化する第8ターンを境に双方とも時間と競争する事になる。
4.0 おわり��
4.1 以上、今回は10本のタイトルを取り上げた。きみの好きなゲームはいくつあっただろうか。勝利条件の類型を集計すると、a国防圏の維持:7、bインド・中国・豪州・真珠湾等の攻略:6、cその他 :3(重複あり)であった。史実において、太平洋戦争での日本は攻勢側だった。しかし合衆国に依存していた原油を他所に獲得する過程で合衆国と開戦してしまっているのでそもそも勝ち目は無かったといえる。国防圏の維持は日中戦争終結の為の手段なので、それ自体を勝利条件とする事には一定の説得力がある。一方で日本プレーヤーが攻勢に出る義務がなくなる点で史実とは離れていく。
4.2 インドや豪州、あるいはハワイなど複数の目標のうち日本がいつどこを攻めてくるか分からない、という当時の合衆国側が抱いた危機感は再現できなくなるが、 史実をなぞった先に日本の勝利はないのだから史実と離れたところに答えがあっても良いのかも知れない。無理な膨張政策を採らなければ補給不足による飢餓や疫病など戦争以前の要因で多くの将兵を失う事もなかっただろう。もっとも、国防圏をある程度維持し、帝政を敷いたまま連合国と講和したとしたら、敗戦後の朝鮮特需や日米貿易の結果としての好況は得られず、米ソ対立の緩衝地帯としての第三国という状況が予想されるので善し悪しの判断は難しいだろう。
4.3 最後に、戦争の犠牲となったすべての人々に対して追悼の意を表し、 世界の平和と我が国の発展を願って筆を置く。
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hiirop8000-blog · 6 years
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船たちの設定
『暁の空、夕暮れの海』に出てくる軍艦たち、その他の船たち。 その細かい設定は、特に知らなくても問題ないのですが、知りたい人向けに少しずつ書き足して行こうと思います。
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◆敷島
我らが敷島。敷島型戦艦の1番艦。 日本、東京都東潤間市の長梁島沖で誕生したと思われる。 性格は傲慢で尊大、自分が世界で一番偉いと思っている。が、それが故に他者を思い遣る(こともたまにある)。 人間型の体は、撥ね癖の付いた茶髪、小柄な少年の姿に見える。
全長270m、全幅34m、喫水10.2m、排水量57000t。
主砲は41cm三連装砲が4基12門。副砲/高角砲の両用12.7cm連装砲が片舷5基ずつ10基20門。 対空砲として30mm四連装機関砲を24基、20mm連装機銃を16基装備。 舷側装甲は最厚部で380mm/19度傾斜、水平装甲は180mm。 最高速力は32kt、巡航速力は14kt。敷島は自分の機関の信頼性に自信を持っているらしく、たびたび長時間の高速発揮を行っている。
ほどほどのシアとゆるいフレア、バルバスバウを備えた平甲板型の優美な船型を持つ。 艦首側に主砲を2基背負式で配置しており、その直後に塔型の前部艦橋が聳える。艦橋の背後には艦後方に傾斜した低めの集合煙突がある。 煙突左右にスポンソンが張り出し、その上と周辺に探照灯や機銃類の射撃指揮装置が集中して配備されている。 煙突の後ろには艦載艇の収容スペースがあり、爆風除け程度の簡単な建屋で防護されている。 そのすぐ後方に三脚式のメインマストが立ち、通信線やレーダー等を展張・搭載。 メインマストの左右には大型クレーンを装備し、艦載艇・艦載機の揚収、荷役を担当する。主尾線方向で水平にすると艦体中央部にある射撃指揮装置等に干渉するため、直立姿勢が係止位置であるのがチャームポイント。艦尾から敷島を眺めると、クレーンがメインマストの大ヤードすぐ下まで伸びているのが見える。 メインマストの背後にはやや小ぶりな後部艦橋。 後部艦橋後方に再び背負式で主砲が2基搭載され、それ以降の後部甲板にはカタパルトと航空機操作用の小型クレーンが装備されている。 艦体の内部に手狭ながら航空機の格納庫があり、3〜4機の水上機を格納することが可能。
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◆大和 大和型戦艦1番艦。 西部太平洋にある船たちの国、西方艦隊の出身。現在、国防評議会(立法府)の議長を務める国家元首。 性格は温厚で理性的。自国の存続と繁栄を最優先し、ノーブレス・オブリージュの体現者であろうとする。 人間型の体は、金髪で筋肉質な偉丈夫のように見える。
全長264m、全幅39m、喫水10.5m、排水量68500t。
主砲は46cm三連装砲が3基9門、副砲が15.5cm三連装砲2基6門、高角砲が12.7cm連装砲12基24門。 対空砲には30mm四連装機関砲を20基、20mm三連装機銃を10基、同連装機銃を8基、12.7mm単装機銃を27基搭載している。 舷側装甲の最厚部は400mm/20度傾斜、水平装甲は200mm。 最高速力は29kt、巡航速力は14kt。
シアはゆるめだがフレアがかなり大きくついており、バルバスバウも装備。敷島と同じく平甲板型だが、艦尾付近のごく狭い範囲だけ一段落ちている。 艦首側に主砲を背負式で2基搭載し、その後ろに副砲が1基。 前部艦橋は塔型。艦橋構造物は前部副砲のバーベットから前部艦橋基部、後部艦橋基部まで一体化するように融合している。 艦の中央部を占めるこの構造物の大半が指揮通信設備に割かれている。その他にも国賓等の接受機能に優れており、豪奢さ・居住性は随一。 後部艦橋はメインマスト及び煙突と一体化したmack方式。基本は直立煙突だが、排煙口付近のみが45度後方に傾斜したシルエットとなっている。 その後方に副砲と主砲が1基ずつ、後甲板にクレーンとカタパルトが装備されている。
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◆海風
山風型駆逐艦4番艦。 アリューシャン列島フヴォストフ島沖の出身。 かつて、太平洋最北部を領有する船たちの国家「吹雪の艦隊」に属していた。 性格は社交的で活発。好色でもある他、自身の生存のためなら何でもできる一面を持つ。 人間型の体は、藍を帯びた黒色の髪に、整った容姿を持つ青年のように見える。
全長140m、全幅12.2m、喫水4.1m、排水量3900t。
主砲は12.7cm連装高角砲が4基8門。 魚雷兵装は61cm五連装発射管が2基10射線。 対空砲として30mm三連装機関砲を4基、20mm連装機銃を4基、同単装機銃を10基搭載。 また、対潜兵装として24連装小型爆雷投射機を6基装備する。 最高速力は41.5kt、巡航速力は16kt。ただし、本人は疲れるのと燃費が悪化するのを嫌うため、余り速力は出さないことが多い。
高いシアと十分なフレア、鋭い直線状の傾斜艦首を持つ、極めて大型の駆逐艦。 肥大した艦体と大重量の兵装を抱えながら高速を発揮するため、鬼のような出力の機関を持って生まれた。 艦首側に主砲を背負式で2基、その背後に艦橋が配置されている。主砲が背負式で高くなった影響で、艦橋の背も高め。前側がやや丸みを帯びた直方体のような形状をしており、トップはきちんと金属製の屋根付き。 艦橋の左右両側にはかつてボートダビットがあったが、海風は後天的にこれを撤去して跡地に20mm連装機銃座を1基ずつ追加した(波をかぶるため、艦橋2階の高さまで足場が持ち上げられている)。更に後には、機銃座の根元付近に24連装小型爆雷投射機も1基ずつ増備している。 艦橋のすぐ後方にフォアマストがあり、レーダー類をまとめて装備している。基本形状は三脚式。 第一煙突と第二煙突を持ち、双方ともやや後方に向けて傾斜している。2本の煙突の後ろには1基ずつ魚雷発射管があり、合計で10射線を確保。ただし、次発の装填機構は持たないため、一度撃ち切ると補給の必要がある。 煙突の周囲に機銃座があり、ここには30mm三連装機関砲を2基ずつ、第一と第二煙突を合わせて計4基を搭載する。 第二煙突と発射管の後方には、メインマストと主砲予備指揮所兼水雷発令所がある。その背後にやはり主砲を背負式で2基装備。 後甲板にはかつて爆雷投下軌条と搭載台、専用の投射機が設置されていたが、艦橋脇の24連装小型爆雷投射機増載と同じタイミングでこれを撤去。同小型爆雷投射機を片舷2基ずつ4基に交換した。
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◆サクラメント
シルバーフェザーズ級巡洋艦の2番艦。 西方艦隊の生まれ。現在、西方艦隊の通商評議会(行政府)で議長を務めている。 性格は沈着冷静、信念に生きるタイプ。かと思えば割と茶目っ気もあるし、お調子者でもある。夢見がちな点もある。 人間型の体は、やや赤毛気味のロングヘアを持った成年の女性に見える。
全長170.2m、全幅18.5m、喫水5.6m、排水量9700t。
主砲は15.2cm三連装砲を3基9門、高角砲は12.7cm連装砲を5基10門。 対空砲として40mm連装機関砲を6基、20mm連装機銃を5基装備。 舷側装甲は最厚部で127mm、水平装甲は52mm。 最高速力は32kt。 こちらで言う"軽"巡洋艦に相当するが、彼らの住む世界にはロンドン海軍軍縮条約が存在しないため、単に巡洋艦とだけ類別されている。
タンカーやコンテナ船など、武装を持たない商船が殆どを占める通商評議会において、軍艦として初めての議長に就任し奮闘している。
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◆ダイマイ
ジェンナイ級巡洋艦の3番艦。 東南アジア南部に位置する人間たちの国家、シカイカウイ島嶼連邦の領有海域出身。現在は連邦構成国、ライハンガ王国の王立海軍で旗艦を務めている。 性格は忠義に篤く、思慮深い。双子の女王として君臨するバオ・ディとバオ・ドゥに、そして王室に忠誠を誓う。 人間型の体は、短髪で痩身の少年のように見える。
全長183.7m、全幅17.1m、喫水5.4m、排水量9600t。
主砲は203mm連装砲を3基9門、高角砲に127mm単装砲を4基4門。 魚雷兵装は610mm三連装発射管を2基。 対空砲として20mm連装機銃を4基、同単装2基、7.7mm単装機銃を1基装備している。 舷側装甲は最厚部で72mm、水平装甲は34mm。 最高速力は33kt……だったが、度重なる改装と重量増大のため30.1ktに低下。更に、近年は機関の不調も多いという。
貧しいライハンガにおいて、30年近くに亘る長期間運用されている巡洋艦。改装に改装を重ね、誕生当初の面影はなくなっている。 元は、主砲も20cmだったし、魚雷は553mm連装だったし、艦橋なんか本当にただの三脚マストだったらしい。新艦橋を設置する時に旧マストは撤去して別のを載せたとか。 お金も設備もないため不可能だが、本当はバルジを追加してエンジンも新調したいようだ。
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◆ローザ・ヴィターリエヴナ・フリーデリケ・ホノヴェレワ (ローザ・ヴィタリー・フリーデリケ・フォン・ホノヴェーレ)
ローザ・ヴィターリエヴナ級戦艦の1番艦。 やたら長い名前はどっちで言っても通じる。 ベーリング海の一部と、アリューシャン列島の南側に広がる海域を領有する国家、「吹雪の艦隊」で生まれた。現在、吹雪の艦隊で女王の座に就いている。 性格は快明で親しみやすいが、同時に頑固でもる。また、かなりの人間嫌い。船は船だけで生きるべきだと考えている。 人間型の体は、すらりとした長身の、色素が薄い成年女性に見える。
全長242m、全幅32m、喫水9m、排水量35800t。
主砲は38cm連装砲を3基6門、副砲に15cm連装砲を6基12門、高角砲に10.5cm連装砲を6基12門装備している。 対空砲は3.7cm連装機関砲、2cm単装機銃が各8基のみ。 また、53.3cmm四連装魚雷発射管を両舷に1基ずつ持つ。 舷側装甲は最厚部で310mm、水平装甲は105mm。 最高速力は30.2kt。
重量節減のため、また旋回性能向上のためもあって、艦首の底部が少しカットオフされている。 敷島、大和が共に4軸推進なのに対し、ローザは3軸推進なのも特徴的。 艦体中央部に、艦を左右へ横切る形で固定されたカタパルトを持ち、航空機を運用することができる。その後ろの四角い箱が航空機の格納庫。なお、格納庫の左右と天井は艦載艇置き場となっており、クレーンは航空機揚収用と共用。
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◆UB-3048
潜水艦3040型の8番艦。 吹雪の艦隊出身で、現在は女王ローザの第一諮問官、いわゆる側近を務めている。 性格は慎み深く努力家、だが腹の底が見えない不気味さも持つ。 人間型の体は、明るい髪色をしたそばかすの青年、もしくは少年に見える。
全長89.2m、全幅8.4m、喫水5m、水上排水量1580t、水中排水量2050t。
533mm魚雷発射管を艦首に6門、艦尾に2門備える。搭載魚雷数は発射管内の保管も含めて24本。 補助兵装として、隠顕式105mm単装砲を1基装備している。 水上速力は25kt、水中でも20.4ktで航行可能。静粛航行時は8-9kt程度。
最大潜航深度も、航続距離も、女王でさえ知らない絶対の秘密。
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19 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2009/12/12(土) 13:18:19 ID:p7FkQ+SQ0 硫黄島が未だに、民間開放されてないのはなぜか。 社会常識としては、硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。 真相は単純。その原理は、旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。 夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。 硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、 戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。 新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。しかも、出るのが英霊。 オカルトだけでなく、政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。 それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。 こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけどアラスカ州のアリューシャン列島にもある。 こちらの方は、島の面積も広いし要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。 硫黄島の海みたいに、大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。 もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら今頃どうしてるところだったのかな。 だから、硫黄島から基地が移転することは無い。 何十年経っても、たとえ防衛省が民営化される日が来ようと 海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。
37 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2009/12/12(土) 21:35:58 ID:xiU7IPBD0 »19 俺の姉の旦那が海自で2年間硫黄島に出張だったがかなりでるらしいな なんか自衛隊でも幽霊対策のルールがあるんだってさ 寝る前は窓の外に水をいれたコップを置いておく 朝になるとコップは空っぽになるらしい 幽霊信じない若い奴がこれやらなかったら初日深夜に 「熱い~熱い~」と気が狂った様に部屋の壁叩いてたって あと土掘るとすぐに人骨がでてくるらしい、これの回収も仕事 昼間誰もいないのに軍隊の行進の足音が迫ってくる事があるらしい その時は上官が「撤収!」って叫んでみんな逃げるらしい ちなみに戦艦の幽霊は見たことないって
” -
硫黄島が民間開放されない本当の理由 面白2chまとめ (via terad)
引用:俺の姉の旦那が海自で2年間硫黄島に出張だったがかなりでるらしいな
(via maconn) (via jacony) (via loveanymore) (via tscp) (via rivzoe) (via nyama) (via gkojax) (via rakugakityou)
(via hkdmz, akmt-d-blog)
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shibaracu · 4 years
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●アッツ島●キスカ島●樺太●占守島
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●アッツ島 キスカ島 ◆アッツ島の戦い - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/アッツ島の戦い アッツ島の戦い(アッツとうのたたかい、Battle of Attu)は、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘である。   ◆アッツ島- Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/アッツ島 アッツ島(アッツとう、英: Attu Island)は、アラスカ州・アリューシャン列島のニア諸島最西部にあるアメリカ領の島。東西70km、南北30kmの大きさ。 かつて日本軍によって熱田島(あつたとう)と命名された。 2015年現在、厳しい上陸規制があるため無人であり、アメリカ沿岸警備隊の巡回以外に上陸者はいない。 島内に存在する飛行場の滑走路は、老朽化が進み大型機の着陸は不可能とされている。重機を運び込むことも難しく補修計画は立てられていない。   ◆日本軍によるアッツ島の占領 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/日本軍によるアッツ島の占領 日本軍によるアッツ島の占領は、太平洋戦争中のアリューシャン方面の戦いにおけるAL作戦の一環として、日本軍により占領された。アメリカ合衆国本土が外国軍隊により占領されたのは1812年の米英戦争以来初めてのことであった。アッツ島の戦いでアメリカ軍が島を奪還して日本軍による占領は終了した   ◆アッツ島沖海戦 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/アッツ島沖海戦 アッツ島沖海戦(アッツとうおきかいせん)は、第二次世界大戦中にコマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦。連合国軍側の呼称はコマンドルスキー諸島海戦(Battle of the Komandorski Islands)。 細萱戊子郎中将 森友一少将‎: ‎チャールズ・マクモス少将 大日本帝国‎: ‎アメリカ合衆国 重巡洋艦2 軽巡洋艦2 駆逐艦4 輸送船3‎: 重巡洋艦1 軽巡洋艦1 駆逐艦4 重巡洋艦1小破戦死14、負傷26‎: ‎重巡洋艦1小破 駆逐艦2小破 戦死7   ◆アッツ島血戦勇士顕彰国民歌  https://youtu.be/MsNo-Y6qjA8 2015/03/28   ◆アニメンタリー『決断』 第16話 キスカ島撤退 2013/11/14 https://youtu.be/aeuVSMxP_ag   ◆キスカ島 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/キスカ島 キスカ島(キスカとう、英語: Kiska)は、アリューシャン列島西部のラット諸島に位置し、アメリカ合衆国アラスカ州に属する島である。 “キスカ”の名は、この地方に居住していた先住民族であるアレウト族がこの島の呼称として用いていたアレウト語(英字転化:Qisxa)に由来する。   ◆キスカ島撤退作戦 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/キスカ島撤退作戦 キスカ島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)は、1943年(昭和18年)5月27日から7月29日に行われた日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことである。正式名称はケ号作戦。 北方部隊指揮官河瀬四郎第五艦隊艦隊司令長官が総指揮をとる。 5月下旬から実施された潜水艦による第一期撤収作戦は成果の割には損害が多く、また効率も悪かったため6月下旬をもって打ち切られ、水上艦艇による撤退作戦に切り替えられた。 第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が収容部隊を指揮した第二期撤収作戦において、同艦隊がキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。 大日本帝国‎: ‎アメリカ合衆国 潜水艦3‎: ‎戦死2 河瀬四郎中将 古宇田武郎少将 木村昌福少将‎: ‎トーマス・C・キンケイド中将   ◆コテージ作戦 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/コテージ作戦 コテージ作戦(コテージさくせん、Operation Cottage)は、太平洋戦争中の1943年8月に行われた、アメリカ軍などによるアリューシャン諸島のキスカ島への上陸作戦である。本作戦は、大日本帝国陸軍のキスカ島守備隊が撤退した後に実行された。 なし(軍用犬3匹)‎: ‎34,426; 戦艦3隻; 巡洋艦2隻など なし‎: ‎同士討ちにより戦死122; 行方不明191; 駆逐1隻大破   ◆キスカ島の奇跡について調べてみた - 草の実堂 https://kusanomido.com/study/life/military/25303/ 2018/02/10 1942年6月、大日本帝国海軍はアラスカ半島に近いアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島を攻略し、ここに守備隊を配備した。 しかし、アラスカ半島に近い両島はアメリカ軍にとっては目障りな存在であり、日本に対する反攻作戦が開始されると、両島も攻略目標となったのである。 目次    アッツ島の玉砕    守備隊を救出せよ!    キスカ島突入!    キスカ島の奇跡    日本では活躍できなかった「日本製アンテナ」    最後に   ◆昭和18年のキスカ島撤退作戦は、適切な霧予報で成功した奇跡の作戦 https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20160729-00060070/ 2016/07/29 昭和18年7月29日、アルーシャン列島ほぼ中央部のキスカ島守備隊5183名が撤退をしています。5月中~下旬には、連合軍上陸作戦によって近くのアッツ島守備隊2600名のほとんどが戦死するなか、入念な準備と時期を待つ忍耐力、適切な霧予報で無血撤退でした。 同年の2月のソロモン諸島・ガダルカナル島撤退で多数の犠牲者を出すなど、太平洋戦争初期に太平洋の島々に展開した日本軍は、連合軍の反攻のまえに、多大な犠牲が相次いでいますので、奇跡の作戦でした。   ◆アッツ島玉砕の悲劇が導いた、キスカ島撤退の奇跡 | WEB歴史街道 https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4103 2017/07/14 「断乎反撃せよ!」 アッツ島玉砕から奇跡のキスカ島撤退へ。後世に伝えたい誇り高き日本人たちの知られざる戦記。   ◆キスカ島の奇跡、占守島の真実、ムルデカ独立の約束… 「断乎反撃せよ!」 2017/07/13   https://youtu.be/Gx03SZNKFVA 奇跡のキスカ島撤退、ソ連軍を撃退した終戦後の占守島、インドネシア独立を助けた残留日本兵たち……。後世に伝えたい誇り高き日本人。 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83655-3   ◆占守島の戦い 昭和20年8月18日 ソ連による日本の分割占領を断固阻止した史実  2017/01/23   https://youtu.be/9oNT1fjsQ3c スターリンの野望、ソ連による日本の分割占領を断固 阻止した将軍・樋口季一郎の決断。ソ連が、日ソ不可侵条約を破って非道な軍事侵攻を行う中で、北海道と日本を救った占守島の戦い。樋口季一郎の決断こそが、ソ連の日本分割占領を食い止めた。映像:企画・制作 株式会社 ACC   ◆占守島〔シュムシュ〕 日本以外の国は卑怯者ばかり 嘘つき 特に ... blogs.yahoo.co.jp › ... 2012/08/20 - 占守島〔シュムシュ〕○日本以外の国は卑怯者ばかり 嘘つき 特に大陸の国は ☆ねずさんの ひとりごと 占守島の戦い http://p.tl/3q0s 今日、8月20日は、樺太の真岡市で、郵便局の電信局の職員の女性9人が、集団自決をされ...   ◆●ソ連対日宣戦布告 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ソ連対日宣戦布告 ソ連対日宣戦布告(ソれんたいにちせんせんふこく 英語: Soviet Declaration of War on Japan) 1945年(昭和20年)8月8日に、ソ連が日本に対して行った宣戦布告を言う。 この布告では、連合国が発表したポツダム宣言を黙殺した日本に対し、 世界平和を早急に回復するために「武力攻撃を行うこと」が宣言されている。 これに先立ち、1945年(昭和20年)4月5日に、 ソ連は日ソ中立条約の不延長(事実上の破棄)を通告していた。 ソ連軍は連合国の要請により対日参戦し、 満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島への侵攻を開始し、 日本軍と各地で戦闘になった。 既に太平洋戦線の各地でアメリカ軍に敗退していた日本軍には、 ソ連軍の進撃を防ぐ手段は無く、日本の降伏を決定付けた。 布告はモスクワ時間1945年8月8日午後5時(日本時間:午後11時)、 ソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外務大臣から日本の佐藤尚武駐ソ連大使に 知らされた。 事態を知った佐藤大使は、東京の政府へ連絡しようとした。 モロトフ外相は暗号を使用して東京へ連絡する事を許可した。 そして佐藤大使はモスクワ中央電信局から日本の外務省本省に打電した。 しかしモスクワ中央電信局は受理したにもかかわらず、 日本電信局に送信しなかった。 なお、ソ連の宣戦布告に対する日本側の措置であるが本来対ソ宣戦を 決定すべき最高戦争指導会議がポツダム宣言受諾問題で紛糾していたため、 対ソ宣戦問題を討議する余裕が無く、結局日本側からの対ソ宣戦は行われなかった。 よって、日本側の対ソ戦闘は、国家としての意思決定された戦闘ではなく、 ソ連軍の攻撃に直面する現場での防衛行動という色合いが強い。 ソ連軍の攻撃は8月9日午前零時を以って開始されている。   ●占守島の戦い - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/占守島の戦い 占守島の戦い(しむしゅとうのたたかい)は、大東亜戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島 ... 千島列島のほぼ最北端にあり、北東は千島海峡(ロ���ア名「第1クリル海峡」)を挟んでカムチャツカ半島ロパトカ岬に面する。南には幌筵 .... 15日、日本軍のポツダム宣言受諾が公表され、正午にはソ連軍を除く連合国軍は積極的な行動を停止し、大部分の戦線で停戦状態となった。   ●日本を救った「占守島」の真実 - iRONNA https://ironna.jp/theme/435 終戦直後、祖国を分断から救うべくソ連軍に敢然と立ち向かった日本兵がいた。昭和20年8月17日、千島列島北東端の島・占守島にソ連軍が突如侵攻し、樺太のみならず北海道の領有までも目論む熾烈な戦いが始まった。北方の島で死闘を演じた誇り高き男たちの覚悟とその思いとは。 敵の無法に敢然として起つ 1945年、占守島…日本を分断から救った男たち 『歴史街道』 2015年12月号 早坂隆(ノンフィクション作家) 終戦後の「忘れられた戦い」  日本は昭和20年(1945)の何月何日に戦争を終えたのか――。  この問いに「8月15日」と答えない日本人はまずいないと思います。  一方、大東亜戦争(太平洋戦争)におけ  る「地上戦が行なわれた日本の領土」といえば、  多くの方が「沖縄」を連想することでしょう。  しかし、「終戦の日」の2日後、昭和20年8月17日の深夜、  紛れもない日本の領土で始まった戦いが存在したこと���ついては、  知る人が少ないように思えます。  日本領千島列島の北東端・占守島(しゅむしゅとう)に不法侵攻してきた  ソ連軍に対し、日本軍が祖国を守るべく戦った「占守島の戦い」です。  現在の北方領土問題へとつながる出来事でもありました。   ●池上彰も「驚くべき史実」と語る占守島の戦い | WEB歴史街道 https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/2654 2015/11/20 「まさに教科書に載っていない歴史」(池上彰)  今年の夏以降、にわかに話題を集め続けている太平洋戦争期の「秘史」がある。  1945年8月の「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」だ。  占守島の戦いとは、太平洋戦争が「終戦」した2日後の  1945年8月17日深夜(18日未明とも)、日本領だった  千島列島北東端・占守島に、ソ連軍が攻め込んだ出来事だ。  当時、日本とソ連は中立条約を締結していたが、ソ連は千島列島、樺太、  さらには北海道の北部を日本から奪い取ろうと「不法侵攻」を仕掛けた。  この時、ソ連軍の侵攻を食い止めたのが、占守島に残っていた日本軍将兵だった。  この史実は、戦後の日本においては、作家の浅田次郎氏が小説『終わらざる夏』  で題材にしたことはあったが、語られることは多くはなかった。 「8月15日、皆が無事に帰れたわけじゃない」(宮崎美子)  「終戦って、いつなのか。1945年8月15日じゃなかったのではないか。どこで区切りつけるのか。占守島の戦いは、まさにその話。8月15日に玉音放送があって、その場で全部戦闘は終わり、皆、無事に帰れたわけじゃなかった。そこから始まった戦いがあって、その結果が、今の北方領土問題にもつながっています。  今回、ロシアでの取材で現地の方の話を聞きました。千島列島は、もともとは平和的にロシアと日本で条約が結ばれて、平和裏に日本の領土になったのですが、そうじゃないように現地では教えられていました。『日露戦争の時に奪い取られた千島列島を、我々が血で購って取り返した』と。  『だから北方領土も自分たちのものだ、当然だろう』って怒られたこともありました。そうした点は、実際に取材を行なわないと分からないことです」(宮崎美子氏)  ロシアの教科書には、占守島の戦いでは「正義の戦いとして載っている」(池上氏)という。その一方で、日本においては宮崎氏が「正直、私もこれまでは知らなかった」と語るように、ほとんど語られることはなかった。     侵略戦争と色んな方面から洗脳されて育った終戦以後 生まれの人間が今一度歴史の書を解いて見てはどうかな。 侵略戦争をしたと一方的な意見を押しつけられている。
戦争というモノはしてはいけない事では有る。 平和が一番。 平和だから良いだけでは済まない。 今現実に平和ボケし過ぎて世の中変になって居る。
物事総て行う時には何らかの理由が有り決行している。
今回の戦争も裏に色んなモノが絡んでいるのは間違いない。
人の持っているモノが欲しいだけで侵略していったのだろうか。
も一度原点に立ち振り返って見るのも大事では無いだろうか。   「アメリカ人も原爆について複雑な思いがある」スタンフォード大の研究者、戦争を語る【終戦の日】 https://www.huffingtonpost.jp/interveiw-dan-sensei_n_17747496 2017/08/14 なんども過去を思い出し、記憶し続けないといけません。オバマ前大統領がリスクを取って広島をたずね、戦争の記憶を蘇らせたことは貴重なことなのです。 竹下隆一郎 太平洋戦争が「終わり」を迎えてから、2017年8月15日で、72年がたった。今となっては遠い昔のことのように思えてしまうが、2016年5月、アメリカのオバマ大統領が現職として初めて広島を訪問した。 その直前、ハフポスト日本版はスタンフォード大学アジア太平洋研究所(APARC)のダニエル・スナイダー研究副主幹を取材した。 アメリカでは、広島と長崎への原爆投下が戦争を早く終わらせた「必要な手段だった」と考える意見も強い。スナイダーさんは、小さいころに日本に住み、記者として日本に滞在経験もある。戦争に対する日本人の心情に思いを寄せつつ、複雑なアメリカ人の「胸のうち」も語った。「8・15」に改めてスナイダーさんの言葉を紹介したい。
オバマ前大統領がリスクを取って広島をたずね、戦争の記憶を蘇らせたことは貴重なことなのです。 ... アメリカ人も原爆について複雑な思いがある」スタンフォード大の研究者、戦争を語る【終戦の日】 ..... 宇宙から見た光の街、いくつわかる?   ◆【士魂】しこん 士魂部隊 侍 https://plaza.rakuten.co.jp/shibaracu/diary/201211130001/ 2012/11/13 ★しこん 2 0 【士魂】 武士のたましい。 ★昇平夜話(しょうへいやわ) 江戸時代の武士の教訓書。上下2編、10巻。無苗氏著。1796年(寛政8)成立。無苗氏は、越後(えちご)(新潟県)長岡藩の儒者高野常道。... おもに諸侯に関する雑話を記し、下編は、風俗・賞罰・武備・文武・節倹・士魂・俸禄(ほうろく)・諸役人・衣服・飲食・家居・雑事の12章に分かれ諸士の心得となるべきことを述べる。   ◆1946年 2月20日 ロシアは押し込み強盗 千島・南樺太の領土編入を正式に宣言 https://shibaracu.blogspot.com/2013/02/1946-220.html ★ソ連が千島列島・南樺太の領土編入を正式に宣言(1946年) 所在地 ロシアの旗 ロシア (北樺太) ※現在も日本とロシアの間で平和条約が未締結であり、国際法上北緯50度以南(南樺太)は帰属未定地である。 ★樺太 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/樺太 1945年までは北緯50度線を境にして、南半分(南樺太、南サハリン)を「樺太(カラフト)」として日本国、北半分(北樺太、北サハリン)を「サハリン(ロシア語: Сахалин)」としてソビエト連邦が領有していた。日本領有下においては、南樺太およびその付属島嶼を指す行政区画名として「樺太庁」が使用された。   現在はロシア連邦が北樺太の領有に加え、南樺太をも実効支配している[1][2]。南樺太については、日本はサンフランシスコ講和条約によって放棄させられた(しかし、一部の日本人が領有権を主張している)。一方で、ロシア(ソビエト連邦)は、日本との間に南樺太に関する条約は結んでおらず、サンフランシスコ講和条約にも調印していない。従って、国際法上は日本の土地ともロシアの土地とも認められていない(帰属未定地域)とするのが日本政府の立場であるが、日本の他にロシアの領有権を否定する国はない。この問題は北方領土問題との関係も深い。   ただし、日本政府はロシアの実効支配について「異議を唱える立場にはない」としている。南部のユジノサハリンスクには日本国の総領事館が置かれており、島全体(サハリン州)をその管轄とし、所在地も「ロシア・サハリン州・ユジノサハリンスク」としている。   第二次世界大戦における日本本土最後の地上戦が行われた地でもある。   ◆占守島(しむしゅとう)https://ja.wikipedia.org/wiki/占守島 占守島(しむしゅとう)は、千島列島北東端の島。ロシア名はシュムシュ島(о.Шумшу)、英語表記はShumshu。サンフランシスコ条約締結以来、領有権の帰属は未確定であるが、ロシアの実効支配下にある。
元禄御国絵図にある地名「しいもし」や鳥居龍蔵の記録にある「シュモチ」はこの島に当たるとされる。
島の名前の由来は、アイヌ語の「シュム・ウシ(南西・<そこに>ある→南西に存在する、或いは南西に入る)」からとする説があるものの、この島の語源を「シー・モシリ(本島)」とし新知島の語源を「シュム・シリ(西島)」とする説や、占守島を「シュム・シュ(油・鍋)」とし新知島を「シュム・ウシ(南西にある、入る)」とする説もあり、山田秀三は「判断がつかない地名」としている。
現在この島の住民は灯台守だけで民間人はいない。また島への上陸はロシア連邦軍の許可が必要で、ペトロパブロフスク・カムチャツキーからヘリコプターで約2時間かかる。
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koukokume · 6 years
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アッツ島沖海戦からアッツ島玉砕の歴史。第二次世界大戦におけるアリューシャン方面の戦い
http://dlvr.it/QVK1zL
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if-you-fan-a-fire · 8 months
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"TINY JAP U-BOAT ABANDONED TO CANUCKS AT KISKA," Vancouver Sun. September 14, 1943. Page 3. ---- Examining the propellers of a miniature Japanese submarine, left in wrecked condition in Kiska harbor, are (left to right) Pte. George E. Verscheure of Chatham, Ont.; Pte. L. J. Bauerlein of Trenton, Ont., and L. Cpl. S. A. Kosior of Fillmore, Sask. They were among Canadians included in units of the task force which re-occupied the island.
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if-you-fan-a-fire · 11 months
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"MASSACRE BAY, on Attu island, was one of the beach-heads from which U.S. troops drove to meet another force in a pincer-move which has pinned the Japs in a fast-shrinking pocket.
FIGHTING FOG, as well as Japanese, U.S. soldiers worm their way up from the black volcanic beach of Massacre bay. Jap snipers, aided by the mist and camouflage. kept the Yanks under cover. This is one of the first pictures of actual combat." - from the Toronto Star. May 28, 1943. Page 33.
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kuroiookami · 1 year
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コード92
ソーラーコード92「魔法の絨毯に乗って急上昇した男が、高い空の上から眼下に広がる土地を眺める」
コードの現象化形態:立場の急上昇。(格式が良ければ)経済的幸運の獲得や経済的豊かさの実現。(ときに)破壊的プレッシャーの到来と、それをくぐり抜けた後での急上昇。(格式が並なら)逆境からの回復。ジャンプのある競技、ジャンプに関係する空中競技[遊戯]での事故、死傷(けがや死亡)。高所からのダイビングでの事故、死傷(けがや死亡)。航空競技や航空ショーでの事故、死傷(けがや死亡)。航空機や軍用機のトラブルや事故、衝突事故、墜落事故、死傷(けがや死亡)。ヘリまたはオスプレイやハリアーなどの垂直離着陸機の不具合・事故・墜落・不時着、死傷(けがや死亡)。(火災などからの)避難のための飛び降りによる事故、死傷(けがや死亡)。飛び込みや飛び降り自殺[未遂含]の多発。突き落とし事件。(スポーツなどによる)滑空やジャンプの際の事故や死傷(けがや死亡)。山岳事故や遭難の多発。登山やロッククライミング時の滑落や墜落などの事故、死傷(けがや死亡)。転倒や転落による事故、死傷(けがや死亡)。小〜中規模の地震の多発。大地震の発生による死傷(けがや死亡)。
ソーラーコード92「魔法の絨毯に乗って急上昇した男が、高い空の上から眼下に広がる土地を眺める」
現象化警告:ヘリまたはオスプレイやハリアーなどの垂直離着陸機の不具合・事故・墜落・不時着、死傷。(火災などからの)避難のための飛び降りによる事故、死傷。飛び込みや飛び降り自殺[未遂含]の多発。突き落とし事件。(スポーツなどによる)滑空やジャンプの際の事故や死傷。山岳事故や遭難の多発。登山やロッククライミング時の滑落や墜落などの事故、死傷(けがや死亡)。転倒や転落による事故、死傷(けがや死亡)。ジェットコースターなどの遊園地の遊具のトラブルや緊急停止や事故。小~中規模の地震の多発。大地震の発生、(ときに)それによる怪我や死亡。
ルナーコード92「化学物質万能主義に陥った現代文明の過ちを通して世に蔓延する新たなアレルゲンに、我知らずして健康を害していた人が、人間の営みの愚かさについての深い気づきを得る」
コードの現象化形態:ネガティヴさのある生活。劣悪な環境との戦い。ネガティヴな環境を改善するための努力の必要。化学物質による健康被害。急いで環境を(化学物質のない状態に)改善する必要。子供やペットの心身の健康のために安全で快適な住空間を早急に作り出す必要。
【コード92】 ■対向コード:272 ■統合コード:268 ■直角コード:182
コード92は顕著な地震コードで、大地震、火山性地震、火山噴火などを現象化させます。
「海、湾、沖合、諸島部付近の震源を異常活性化させ、大小の地震を世界的に多数発生させる」コード92「魔法の絨毯(地殻変動、地震プレート)に乗って急上昇した男が、高い空の上から眼下に広がる土地を眺める」【中〜大規模地震コード92】 コード92は、特に「海岸沿い、湾、沖、海洋、島、諸島、列島を震源とする小〜大規模の地震」を世界中で異常多発させます。
コード92と容易に連動して同期作動する「ロシア、ロシア周辺国、シベリア、 アラスカ、カムチャツカ、アリューシャン、北海道」などの「北方・極東地帯」のシグニフィケーターコード93のセットには、今後最大限の注意が必要です。これと同時に、隣接コードであるコード91(山岳事故・遭難・災害、海の事故・遭難・災害)の同期作動にも最大限の警戒が必要です。
コード296の隣接(接続)コードであるコード297も極めて顕著な「地震コード」であり、2016年に起きた熊本大地震や南米エクアドル大地震のような、時に甚大な人的物的被害をもたらす「大地震」をもたらします。コード92と最大同期影響をもたらす前後コード6度内には「九州」や「南米」や「中東」のエピグラムコード97もあるので、そちらにも目下最大の注意警戒が必要です。コード97は被災級の地震や悲惨な火災死亡事件のコードであると同時に、多数の死傷者を生むテロや航空機や旅客機や軍用機の墜落をもたらす絶望的惨事を現象化させる最強(凶)魔界コードの筆頭格でもあります。
顕著な地震コード92とコード258は、列島や島に、リスクの高い(実際に被害が出るか、仮に被害が出なくても被害が生じてもおかしくない[または、おかしくなかった]ような潜在的エネルギーと、その出力の長期的保持性を持った)大きな地震(揺れ)をもたらしやすい要最大警戒コードです。
顕著な地震コード92とコード93とコード101に継いで、北海道と東北地方に中規模地震と大地震を引き起こす強力な引き金となるコードには、コード260があります。これらのコードはすべて前後の隣接コードと同期作動する場合が多々あります。つまり、コード91、コード94、コード102、コード259、コード261との同期作動です。
コード208、コード210、コード91、コード92、コード304 「落下、転倒、転落、墜落、崩落」系の代表的コード
北海道に中規模〜大地震を含む地震を強力に誘発する最主力コードは、コード92−コード93、コード100−コード101−コード102、コード333とそのイコール対向コード153、コード153から続くメダリオンのコード154−コード155とイコール統合コードのコード204−コード205−コード206です。
なお、コード141−コード142が絡めば、東北連動、ときに関東連動の広域地震に。ただし、東北・関東での単体地震となる場合も。東日本大震災の発生直接トリガーはコード51−コード52−コード53とイコール直角コードのコード141−コード142−コード143。東北・関東地方にとって危険な地震コード。
危険度において万遍なく最強なのは、日本列島全体とそれを取り囲む海の震源に全てくまなく最凶等作用する地震誘発コード258。これは2011年3月11日に起きた東日本大震災発生当日の国家デイリーコードであり、また、2018年6月18日に発生し死者も出た大阪北部震度6弱地震の当日の日運コードでもあります。
暗喩的ではなく直接的に地震を表す(地震だけではなく原発事故も含めますが)シンボルである顕著な「地震誘発コード」としては、コード206、コード248、コード279があります。ただ暗喩的でも同程度に危険な地震コードのコード92、コード93、コード101、コード141、コード297、コード333もあります。
コード92「魔法のカーペット(地殻変動、地震プレート)に乗って大地から浮き上がった人」は、日本列島に(一部例外はありますが、特に海、沖合、湾、海岸沿いを震源とする)小・中・大規模地震を異常な高確率で引き起こす極めて顕著な最凶の《地震コード》です。
コード19「魔法のカーペット(地震プレート、断層)が大地の上を飛ぶ」とコード92「魔法のカーペット(地震プレート、断層)に乗って大地から浮かび上がった人」はイコールコード(同語含有コード)で、ともに顕著な「地震誘発・発生」のコードです。
コード91−コード92−コード93とコード2、コード182、コード358は容易に同期作動する地震コード。
顕著な地震コード92「魔法のカーペット(地震プレート)に乗って地面から浮き上がった人」と隣接コード93「トナカイがソリを引いて北国の大地を行く」は、同じく顕著な地震コード101「ウッドチャック(地震リス)」と容易に同期作動現象化します。
関東地震、首都直下型地震の顕著な誘発コードは、コード91、コード92、コード210、コード243、コード330、コード333、コード342。これらの危険コードが日運・月運・年運などの進行法や超極限最強ピーク化コードに来た場合は最大限の注意警戒が必要。
コード43、コード44、コード61、コード91、コード92、コード93、コード101、コード142、コード258は、湾・沖震源の地震を顕著に引き起こす地震コードです。
コード248は本当に怖い、最強の地震魔王です。 普段、中〜大地震をもっとも顕著に引き起こすのはコード92やコード101です。 コード248は、それらの活発さの陰に隠れて中々意識されにくいですが、コード297同様、被災級巨大地震が起きる際に、物凄い威力で発動し、関与します。
「関東ロックオン地震」コード92、コード101、コード237、コード238は、首都直下型地震を強く誘発する。
コード91『渡津海の天使とともに地震リス・ウッドチャックが家々の戸口に立てる死のフラッグ』とコード92『アラジンの魔法の絨毯のように活断層に乗って水平に滑走し、地震プレートに乗って空に垂直に上昇する人』は、コード101『地震神エビス』の同期作動イコールコード。
火山噴火、爆発の代表的コードは、コード92、コード170、コード167。これらが日運に来た時は、火山近くにいる人は注意が必要です。 この三つに次ぐ火山爆発コードは、コード54、コード101、コード178。 またこれらのコードは民家、店��、工場、倉庫、その他建造物の火災や爆発も顕著にもたらします。
「食中毒」の代表的コード159、コード281と共に、飲食において最大限に警戒しなければならないのが、コード92です。コード92は普通の人にとっても注意が必要ですが、特にアレルギー体質や過敏体質の人にとっては重篤なダメージやアナフィラキシーを起こす可能性もあるので最高度の警戒が絶対必須です。
コード92・コード159・コード165・コード281はアナフィラキシーコード
コード92「新型コロナウイルスワクチン摂取による副作用、重篤な副作用、またはアナフィラキシー」
コード92『化学物質万能主義に陥った現代文明の過ちを通して世に蔓延する化学物質の危険性と、利便性と利益ばかりを追い求めて自己を省みぬ人々の愚かさについての深い気づきを得る人』
エピグラム:毒物・危険物・化学物質による被害・健康被害・労災・事故・事件・災害・火災・爆発・死傷。
コード92『魔法の絨毯(白煙、噴煙、火炎、キノコ雲)が空高く急上昇する』
エピグラム:工場・倉庫・集積所などの爆発や火災。火山噴火級の大爆発。
コード92は「神が死後の魂を御手に包み、天の国に挙げられる」ことを表したシンボルです。
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xf-2 · 5 years
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【まとめ】
・北朝鮮挑発行動に国内向け国外向け2つの理由。
・中国の経済外交、軍事化と一体で拡大中。
・米中貿易戦争の本質は資本主義vs共産主義。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46020でお読み下さい。】
北朝鮮がまた挑発行為を始めた。5月4日の飛翔体に続き、9日には短距離弾道ミサイルを発射した。弾道ミサイルの発射は国連安保理決議違反となる。佐藤正久参議院議員に話を聞いた。
■ 北朝鮮ミサイル発射のわけ
佐藤氏は、今回の北朝鮮の挑発行動には、国内向けと国外向けの2つの理由がある、と話す。
「北朝鮮は、表向きには韓国とアメリカの合同軍事訓練に対しての反発と言っているが、国内には軍に対する志気の高揚、体制の締め付けの側面もある。ずっと融和路線をとってきて軍には相当不満が溜まっている。我々はしっかり守��べきものは守るんだという意味でミサイル発射をやったと言えるかもしれない。」と述べた。
一方、対外的にはアメリカと韓国は分けて考える必要がある、という。
アメリカに対しては「年末までに交渉を解決したいので、早くアメリカに再び交渉の場にでてきてほしいというアピール。交渉しないともっと挑発行為をやるぞというのもあるだろう。」とした。
対して韓国には「おせっかいな仲裁者ではなく、民族の当事者として我々の側に立てというメッセージがあったようにしっかり南北合意に基づいて支援しないともっと挑発するぞという見方もあるのでは。」と述べた。
・日米と韓国との関係
佐藤氏は北朝鮮に対し、「建前的にも実体的にも本来は日米韓でしっかり連携して対応すべき。ところが韓国が南北対話を最優先にしてアメリカとぎくしゃくし、日本とも徴用工の問題等含め関係が戦後最悪との見方もある。中国とロシアに対しても韓国内の米軍のTHAAD配備問題から上手くいっていない。」と述べ、日米韓の連携が重要としながらも実態は難しい、との考えを示した。
これまで2度行われた米朝会談では非核化と経済制裁が話し合われた。佐藤氏は「北朝鮮は、非核化のカードを段階的に切ることによって、効いている経済制裁を解除したいとの考えだろうが、彼らは非核化のための具体的をとっていない。そのため、非核化の交渉のテーブルに着く環境を作るまでは、日米が中心となって国際社会一体となって国連決議をもとに経済制裁を続けることが当面は大事だ。」との考えを強調した。
北朝鮮が今後もミサイルを撃ってくる可能性は十分ある。日本は軍事的な備えをどうしたらいいか、と聞くと、佐藤氏は「北朝鮮が核ミサイル廃棄のための具体的な行動を何も取っていない以上、ミサイル防衛で備えなければいけない。イージス艦の展開や、陸上配備型イージスの導入、また平和安全法制で議論されたような日米連携での警戒、いざという時、警戒監視から対処まで切れ目のない対応をとる、という体制をとる。」と答え、日米連携での対応の重要性を改めて強調した。
・中国の海洋進出
佐藤氏は、 中国は今、海洋進出を相当強化している、という。
「一帯一路という経済的な側面と安全保障を一体で広めている。ジブチに行ってきたが、まさに軍と一帯一路の連携が現実のものになっていた。新しくドラレ港を作り、コンテナクレーンも数多く存在し、その港の背後には荷を港から上げた時のコンテナヤードがあり、その脇には中国の海兵隊の要塞のような基地があった。」と述べ、遠くアフリカの地でも中国が経済外交の名のもとに、対象国に軍も使える港を築くなど、海外の軍事基地化を着実に進めている実態を明らかにした。
また、その新ドラレ港とエチオピアの首都アジスアベバへ、海抜0mから2,700mまでの標高差があるところに中国は鉄道を敷いている。まさにそういう経済的な面と軍事的な面が一体となる典型例がジブチだ。」と述べた。
また、中国は南シナ海でも西沙諸島・南沙諸島含めて軍事拠点化を進めている。スリランカのハンバントタ港、パキスタンのグアダル港あるいはオマーンのドゥクム港、ジブチと一帯に海のシルクロードを作ろうとしている。
さらに佐藤氏は、南シナ海は日本にとって生命線であり、中国の脅威に警鐘を鳴らした。
「油の道(“oil sea line”)を考えると、日本に来る石油の9割が中国が埋め立てた(南沙諸島の)人工島の脇を日本のタンカーが通っていく。タンカーに日本人船員はほとんど乗っていない。仮に南シナ海で中国に脅された場合、日本のために油を運ぶ外国人船員はいない。」と述べ、日本のシーレーンの安全を確保することが重要だとの考えを示した。
実際、海上自衛隊の護衛艦「いずも」が、佐世保の陸上自衛隊水陸機動団約30人を乗せて3ヶ月間の南シナ海巡行訓練を行っており、まさに動的に抑止を図る形で動いている、と述べた。
または陸海空の自衛隊が南シナ海の周辺国にそれぞれ共同訓練でプレゼンスを示す、あるいは海上保安庁も巡視船の使い方を教える、海賊対策を教える、技術・能力構築支援という形で周辺国に海上法執行活動能力を上げている。
・インド太平洋島サミット
8月、TICAD7(アフリカ開発会議)が横浜で開催され、インド洋の島国の首脳陣が来日する。佐藤氏は「TICAD7に合わせて、安倍首相が参加した形でインド洋島サミットのようなものを行い、インド洋での航行の自由、安全保障と経済表裏一体となった構想の議論を進めていくべき」との考えを示した。
太平洋については去年8月、中国のH6爆撃機6機が沖縄と宮古島の間を抜けた後、通常、南に行くところ、方向を変えて北東に進んだ。これに対し、紀伊半島沖は島がなく飛行場が作れないので、自衛隊としても護衛艦いずものように甲板を改修し、そこからF35Bを離発着できるようにすることによって太平洋正面をしっかり警戒したり、レーダーも届かないのでE2D等を導入して、上空から指揮統制、警戒監視したりと対応していく必要性を佐藤氏は指摘した。
第一列島線とは沖縄フィリピン台湾のライン、第二列島線は伊豆諸島小笠原マリアナライン、第三列島線はアリューシャン、ハワイ、クック諸島、ニュージーランドといわれている。佐藤氏は、今アメリカは中国が進出を目論む、第三列島線を意識して活動している、という。
中国の経済外交に対し、日本はお金の面で太刀打ちできないのでは、と聞くと佐藤氏は、先日のパプアニューギニアでの海底ケーブルを巡る争いを例に挙げ、「太平洋の島々は経済的に弱く、気候変動上も非常に危機感を持っている国なので、本当に苦しくなるとどうしても中国に頼ってしまう。日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド4カ国が中心に経済的に連携し、中国の”借金の罠”に陥って結果として港を長期間租借するということがないように、太平洋諸国もしっかりみておかないと 、南シナ海のようなことが起きかねない。」と危機感を改めて示した。
また、「中国の一帯一路は元々陸のシルクロードだったのが、今や、北極圏ルートの“氷のシルクロード”。それだけではなく”空のシルクロード”、5Gなどの”デジタルシルクロード”など、すべての分野を抑えようとしている。」と警戒感を示した。
また、「米中貿易戦争は、表向きはアメリカの貿易赤字の解消が主な目的だが、本音は資本主義と共産主義の戦いという、二重構造が本質だ。中国の、国益に対する補助金、あるいは知的財産の盗用、強制的な技術移転などを正さないとアメリカのハイテク産業が中国に抜かれてしまう。」との米の危機感が背景にある、と述べた。アメリカが最初に(対中関税)500億ドル分かけたのも、ハイテク軍事転用可能のものが主対象だった。
・宇宙における資源獲得競争
佐藤氏は米中の対立は地球上にとどまらず、宇宙にまで及んでいると指摘した。先日、中国は月の裏側に探査機を着陸させた。月の裏側は通信がまっすぐに通じず、中継用の衛星を間におかないと裏側は誘導できない。非常に高度な技術を要する。
(月の裏側には)核燃料に転用可能なヘリウム3が存在するという。月の資源の獲得については条約が不十分なだけに、米中の資源獲得競争が宇宙にまで及んでいることを警戒すべきだと佐藤氏は述べた。
また、佐藤氏はハイテク安全保障の必要性を次のように述べた。
「防衛力のハイテク化もどんどん進化している。 弾道ミサイルと違って低く飛んで方向を自在に変えることのできる高速滑空弾とか、 AIドローンとかなどだ。米中貿易摩擦の本質は、まさにハイテク安全保障のせめぎ合いだ。」
日本国内はオリンピックが約一年後に控えているが、サイバーテロに脆弱だも言われている。佐藤氏は「やはりお金かかっても安全に勝るものはない。投資しないといけない 」と述べ、備えの必要性を強調した。
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wmpsyndrome · 5 years
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積み木の太平洋戦争第2版について
コロンビアゲームズからPacific Victory 2nd edition(以下PV2nd、http://columbiagames.com/cgi-bin/query/cfg/zoom.cfg?product_id=3401)がリリースされた。
戦略級太平洋戦争ゲームは多くのタイトルを擁するテーマの一つだが、PV2ndはヒストリカル性、ゲーム性、プレイアビリティなどの点で良くまとまっていると思われる。とくに初版とはゲーム性など大きく異なっており、すごく良くできた面白いゲームなのだが、現時点で賛意を示してくれるのは私の他に2名ほどしか居ないようだ。とても勿体ないので少し長くなるが以下にレビューをまとめる。
本記事ではこのゲームの初版との違いやルールの概要などを紹介していく。
1.初版との違い
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初版の地図と勝利条件を見ると、日本軍プレイヤーは最終ターンに10点を守って引き分けとなっている。本土6点、台湾とトラックで2点なので他に2点保持している必要があり相当厳しい。また20点で即勝利だが南方作戦を完遂した上でインド、豪州の両方を攻める必要がある。得点源も限られており変化の余地に乏しい。
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第2版では中国戦線が追加されている。日本軍の初期領土は橙色と中国沿岸部の4ヶ所5点の計14点だ。13点で引き分けなので本土・朝鮮の7点と中国沿岸部の5点に加えて1点を守れば良い。また25点で即勝利だが初期14点に南方作戦で6点なので残り5点をビルマ、中国内陸部、インド、豪州などで取っていく事になる。
中国戦線の追加でバランスが向上し、日本軍の攻勢主軸が中国、インド、豪州と多角化していることが分かる。
2.ルールの概要(5つの移動とPinning、Blockades)
PV2ndのルールは比較的平易であり、地形効果(特にヘクスサイド)の表現が若干ややこしいものの要点を理解すればプレイは難しくない。
PV2ndには5つの移動方法がある。Operation Movement、Rebase、Strategic Movement(SM)、Sea Invasion、Raidsだ。
Operation Movementは通常移動であり敵基地に対しては陸対陸、海対海で侵入できる。Rebaseは 味方基地間を2倍の距離移動できる。Strategic MovementはHQを活性化して得られるSMsを消費して行う移動で1ユニット当たり1SMsで10ヘクス移動できるが敵性ヘクスには侵入できない。ターン毎に使用できるSMsはHQのステップ数に等しい。例えば1ターン目の日本軍は陸海軍あわせて8SMs使用できる。Sea Invasionは歩兵、機甲、海兵が海を隔てて敵基地ヘクスに侵入する移動で移動先に敵ユニットがいる場合2SMs、いない場合1SMsを消費する。Raidsは特殊な移動であり、ユニット毎に1SMsを消費して2倍の距離を移動し、射撃順位が自分以下の敵ユニットに対して先撃ちで1回射撃して即帰還するというものだ。反撃できるのは射撃された相手ユニットのうち生き残ったもののみである。一撃離脱の行動なので領土的メリットは無く生産コストの高いユニットへの狙い撃ちが主な使い方だ。生産コスト2の潜水艦とコスト4の空母が相討ちになれば御の字、といった感じである。
Pinningは侵入してきた敵ユニットと同じ数の味方ユニットはそのヘクスから脱出できないというものである。特に日本軍は駒が少ない(実際には駒の半分が日本軍なのだが少ないと感じる事が多い)ので攻勢に出るときは周りの敵ユニットをピンで釘付けにして空白地帯を取られないように気を付ける必要がある。
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Blockadesは敵海軍を撃退したものの敵陸軍が健在のまま戦闘が終了した場合、味方海軍を海上封鎖に残しておけるルールだ。blockadeされている陸軍は鉄道輸送以外では補給を受けることができなくなる。島嶼攻略で有効なルールだ。
3.プレイ方針の一例
私は数度のソロプレイと1度の対人プレイをしたのみだが、あくまで現時点での所感を以下に示す。
3-1.日本軍の方針
日本軍にとっての得点源は大スンダ列島、中国、ビルマ、インドに集中している。しかしながらこれのみに集中すると連合軍から抑え込まれがちなのでアリューシャン、ハワイ、豪州方面に圧力をかけて敵ユニットの分散を図るなどブラフとハッタリで間を持たせる事も必要だ。結果論として特に誘導されていないにも関わらずFS作戦やMI/AL作戦をする事になる。1度取った基地はdouble defence(2Hitsで1step loss)で1~2ターンほど稼げるので離島にユニットをばらまいて時間を稼ぐ事も有効だ。連合軍の主力は中部太平洋に集まりやすいのでこれを潜水艦によるRaidで叩いて時間を稼ぎ、虎の子の空母は豪州―インド方面で活用したい。
3-2.連合軍の方針
42年までの連合軍は戦力が不足しがちだ。とくにインド方面のイギリス軍は慢性的に非力であり中部太平洋方面も43年のエセックス級就役までは苦戦を強いられる。序盤の数少ない空母を日本の潜水艦や空母に襲われるのは痛手なので基地の選定は慎重にする必要がある。43年以降は強力な空母を活用し中部・南西太平洋から日本本土を目指す。戦域を跨ぐと指揮系統が変わってしまうが、攻撃後にRegroupingで元の戦域に戻ることもできる。
4.Free Deploymentのすすめ
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現時点で判明しているバグがあるので紹介しておく。写真は第1ターン目ヒストリカルセットアップのフィリピン付近。第1ターン目は日本軍先攻なのでダバオを取られるとフィリピンは補給切れになる。補給切れヘクスのユニットはLogisticsフェイズにステップロスするが、陸軍ユニット(HQを含む)は必ず1step残るため、SWPAのマッカーサーはフィリピンに閉じ込められる事になる。日本軍がこのままフィリピンを放置するとSWPAで作戦できなくなってしまう。このバグを回避するためにfree deploymentの活用を推奨する。すべてのユニットの配置を変えても良いし、例えばダバオのユニットとマッカーサーのみを置き換えるなどでも良いだろう。
5.おわりに
132個のブロック、ヒットダイスシステム、良好なゲームバランス、複雑になりがちな陸海空三軍の立体作戦をシンプルにまとめながら程よいヒストリカル性という太平洋戦争ゲームにしては希有なゲームなので是非ともプレイして頂きたいゲームだ。国内流通ではサンセットゲームズが和訳付き(http://www.sunsetgames.co.jp/col/victory/victory.htm)を扱っているので紹介しておく。
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