Tumgik
hiirop8000-blog · 6 years
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船たちの設定
『暁の空、夕暮れの海』に出てくる軍艦たち、その他の船たち。 その細かい設定は、特に知らなくても問題ないのですが、知りたい人向けに少しずつ書き足して行こうと思います。
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◆敷島
我らが敷島。敷島型戦艦の1番艦。 日本、東京都東潤間市の長梁島沖で誕生したと思われる。 性格は傲慢で尊大、自分が世界で一番偉いと思っている。が、それが故に他者を思い遣る(こともたまにある)。 人間型の体は、撥ね癖の付いた茶髪、小柄な少年の姿に見える。
全長270m、全幅34m、喫水10.2m、排水量57000t。
主砲は41cm三連装砲が4基12門。副砲/高角砲の両用12.7cm連装砲が片舷5基ずつ10基20門。 対空砲として30mm四連装機関砲を24基、20mm連装機銃を16基装備。 舷側装甲は最厚部で380mm/19度傾斜、水平装甲は180mm。 最高速力は32kt、巡航速力は14kt。敷島は自分の機関の信頼性に自信を持っているらしく、たびたび長時間の高速発揮を行っている。
ほどほどのシアとゆるいフレア、バルバスバウを備えた平甲板型の優美な船型を持つ。 艦首側に主砲を2基背負式で配置しており、その直後に塔型の前部艦橋が聳える。艦橋の背後には艦後方に傾斜した低めの集合煙突がある。 煙突左右にスポンソンが張り出し、その上と周辺に探照灯や機銃類の射撃指揮装置が集中して配備されている。 煙突の後ろには艦載艇の収容スペースがあり、爆風除け程度の簡単な建屋で防護されている。 そのすぐ後方に三脚式のメインマストが立ち、通信線やレーダー等を展張・搭載。 メインマストの左右には大型クレーンを装備し、艦載艇・艦載機の揚収、荷役を担当する。主尾線方向で水平にすると艦体中央部にある射撃指揮装置等に干渉するため、直立姿勢が係止位置であるのがチャームポイント。艦尾から敷島を眺めると、クレーンがメインマストの大ヤードすぐ下まで伸びているのが見える。 メインマストの背後にはやや小ぶりな後部艦橋。 後部艦橋後方に再び背負式で主砲が2基搭載され、それ以降の後部甲板にはカタパルトと航空機操作用の小型クレーンが装備されている。 艦体の内部に手狭ながら航空機の格納庫があり、3〜4機の水上機を格納することが可能。
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◆大和 大和型戦艦1番艦。 西部太平洋にある船たちの国、西方艦隊の出身。現在、国防評議会(立法府)の議長を務める国家元首。 性格は温厚で理性的。自国の存続と繁栄を最���先し、ノーブレス・オブリージュの体現者であろうとする。 人間型の体は、金髪で筋肉質な偉丈夫のように見える。
全長264m、全幅39m、喫水10.5m、排水量68500t。
主砲は46cm三連装砲が3基9門、副砲が15.5cm三連装砲2基6門、高角砲が12.7cm連装砲12基24門。 対空砲には30mm四連装機関砲を20基、20mm三連装機銃を10基、同連装機銃を8基、12.7mm単装機銃を27基搭載している。 舷側装甲の最厚部は400mm/20度傾斜、水平装甲は200mm。 最高速力は29kt、巡航速力は14kt。
シアはゆるめだがフレアがかなり大きくついており、バルバスバウも装備。敷島と同じく平甲板型だが、艦尾付近のごく狭い範囲だけ一段落ちている。 艦首側に主砲を背負式で2基搭載し、その後ろに副砲が1基。 前部艦橋は塔型。艦橋構造物は前部副砲のバーベットから前部艦橋基部、後部艦橋基部まで一体化するように融合している。 艦の中央部を占めるこの構造物の大半が指揮通信設備に割かれている。その他にも国賓等の接受機能に優れており、豪奢さ・居住性は随一。 後部艦橋はメインマスト及び煙突と一体化したmack方式。基本は直立煙突だが、排煙口付近のみが45度後方に傾斜したシルエットとなっている。 その後方に副砲と主砲が1基ずつ、後甲板にクレーンとカタパルトが装備されている。
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◆海風
山風型駆逐艦4番艦。 アリューシャン列島フヴォストフ島沖の出身。 かつて、太平洋最北部を領有する船たちの国家「吹雪の艦隊」に属していた。 性格は社交的で活発。好色でもある他、自身の生存のためなら何でもできる一面を持つ。 人間型の体は、藍を帯びた黒色の髪に、整った容姿を持つ青年のように見える。
全長140m、全幅12.2m、喫水4.1m、排水量3900t。
主砲は12.7cm連装高角砲が4基8門。 魚雷兵装は61cm五連装発射管が2基10射線。 対空砲として30mm三連装機関砲を4基、20mm連装機銃を4基、同単装機銃を10基搭載。 また、対潜兵装として24連装小型爆雷投射機を6基装備する。 最高速力は41.5kt、巡航速力は16kt。ただし、本人は疲れるのと燃費が悪化するのを嫌うため、余り速力は出さないことが多い。
高いシアと十分なフレア、鋭い直線状の傾斜艦首を持つ、極めて大型の駆逐艦。 肥大した艦体と大重量の兵装を抱えながら高速を発揮するため、鬼のような出力の機関を持って生まれた。 艦首側に主砲を背負式で2基、その背後に艦橋が配置されている。主砲が背負式で高くなった影響で、艦橋の背も高め。前側がやや丸みを帯びた直方体のような形状をしており、トップはきちんと金属製の屋根付き。 艦橋の左右両側にはかつてボートダビットがあったが、海風は後天的にこれを撤去して跡地に20mm連装機銃座を1基ずつ追加した(波をかぶるため、艦橋2階の高さまで足場が持ち上げられている)。更に後には、機銃座の根元付近に24連装小型爆雷投射機も1基ずつ増備している。 艦橋のすぐ後方にフォアマストがあり、レーダー類をまとめて装備している。基本形状は三脚式。 第一煙突と第二煙突を持ち、双方ともやや後方に向けて傾斜している。2本の煙突の後���には1基ずつ魚雷発射管があり、合計で10射線を確保。ただし、次発の装填機構は持たないため、一度撃ち切ると補給の必要がある。 煙突の周囲に機銃座があり、ここには30mm三連装機関砲を2基ずつ、第一と第二煙突を合わせて計4基を搭載する。 第二煙突と発射管の後方には、メインマストと主砲予備指揮所兼水雷発令所がある。その背後にやはり主砲を背負式で2基装備。 後甲板にはかつて爆雷投下軌条と搭載台、専用の投射機が設置されていたが、艦橋脇の24連装小型爆雷投射機増載と同じタイミングでこれを撤去。同小型爆雷投射機を片舷2基ずつ4基に交換した。
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◆サクラメント
シルバーフェザーズ級巡洋艦の2番艦。 西方艦隊の生まれ。現在、西方艦隊の通商評議会(行政府)で議長を務めている。 性格は沈着冷静、信念に生きるタイプ。かと思えば割と茶目っ気もあるし、お調子者でもある。夢見がちな点もある。 人間型の体は、やや赤毛気味のロングヘアを持った成年の女性に見える。
全長170.2m、全幅18.5m、喫水5.6m、排水量9700t。
主砲は15.2cm三連装砲を3基9門、高角砲は12.7cm連装砲を5基10門。 対空砲として40mm連装機関砲を6基、20mm連装機銃を5基装備。 舷側装甲は最厚部で127mm、水平装甲は52mm。 最高速力は32kt。 こちらで言う"軽"巡洋艦に相当するが、彼らの住む世界にはロンドン海軍軍縮条約が存在しないため、単に巡洋艦とだけ類別されている。
タンカーやコンテナ船など、武装を持たない商船が殆どを占める通商評議会において、軍艦として初めての議長に就任し奮闘している。
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◆ダイマイ
ジェンナイ級巡洋艦の3番艦。 東南アジア南部に位置する人間たちの国家、シカイカウイ島嶼連邦の領有海域出身。現在は連邦構成国、ライハンガ王国の王立海軍で旗艦を務めている。 性格は忠義に篤く、思慮深い。双子の女王として君臨するバオ・ディとバオ・ドゥに、そして王室に忠誠を誓う。 人間型の体は、短髪で痩身の少年のように見える。
全長183.7m、全幅17.1m、喫水5.4m、排水量9600t。
主砲は203mm連装砲を3基9門、高角砲に127mm単装砲を4基4門。 魚雷兵装は610mm三連装発射管を2基。 対空砲として20mm連装機銃を4基、同単装2基、7.7mm単装機銃を1基装備している。 舷側装甲は最厚部で72mm、水平装甲は34mm。 最高速力は33kt……だったが、度重なる改装と重量増大のため30.1ktに低下。更に、近年は機関の不調も多いという。
貧しいライハンガにおいて、30年近くに亘る長期間運用されている巡洋艦。改装に改装を重ね、誕生当初の面影はなくなっている。 元は、主砲も20cmだったし、魚雷は553mm連装だったし、艦橋なんか本当にただの三脚マストだったらしい。新艦橋を設置する時に旧マストは撤去して別のを載せたとか。 お金も設備もないため不可能だが、本当はバルジを追加してエンジンも新調したいようだ。
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◆ローザ・ヴィターリエヴナ・フリーデリケ・ホノヴェレワ (ローザ・ヴィタリー・フリーデリケ・フォン・ホノヴェーレ)
ローザ・ヴィターリエヴナ級戦艦の1番艦。 やたら長い名前はどっちで言っても通じる。 ベーリング海の一部と、アリューシャン列島の南側に広がる海域を領有する国家、「吹雪の艦隊」で生まれた。現在、吹雪の艦隊で女王の座に就いている。 性格は快明で親しみやすいが、同時に頑固でもる。また、かなりの人間嫌い。船は船だけで生きるべきだと考えている。 人間型の体は、すらりとした長身の、色素が薄い成年女性に見える。
全長242m、全幅32m、喫水9m、排水量35800t。
主砲は38cm連装砲を3基6門、副砲に15cm連装砲を6基12門、高角砲に10.5cm連装砲を6基12門装備している。 対空砲は3.7cm連装機関砲、2cm単装機銃が各8基のみ。 また、53.3cmm四連装魚雷発射管を両舷に1基ずつ持つ。 舷側装甲は最厚部で310mm、水平装甲は105mm。 最高速力は30.2kt。
重量節減のため、また旋回性能向上のためもあって、艦首の底部が少しカットオフされている。 敷島、大和が共に4軸推進なのに対し、ローザは3軸推進なのも特徴的。 艦体中央部に、艦を左右へ横切る形で固定されたカタパルトを持ち、航空機を運用することができる。その後ろの四角い箱が航空機の格納庫。なお、格納庫の左右と天井は艦載艇置き場となっており、クレーンは航空機揚収用と共用。
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◆UB-3048
潜水艦3040型の8番艦。 吹雪の艦隊出身で、現在は女王ローザの第一諮問官、いわゆる側近を務めている。 性格は慎み深く努力家、だが腹の底が見えない不気味さも持つ。 人間型の体は、明るい髪色をしたそばかすの青年、もしくは少年に見える。
全長89.2m、全幅8.4m、喫水5m、水上排水量1580t、水中排水量2050t。
533mm魚雷発射管を艦首に6門、艦尾に2門備える。搭載魚雷数は発射管内の保管も含めて24本。 補助兵装として、隠顕式105mm単装砲を1基装備している。 水上速力は25kt、水中でも20.4ktで航行可能。静粛航行時は8-9kt程度。
最大潜航深度も、航続距離も、女王でさえ知らない絶対の秘密。
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hiirop8000-blog · 6 years
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日の出の王国 1
 街には相当な数の先時代の遺品がある。  先時代というのはこの地方独特の言葉で、要するに日本と合併する前の王国時代のことを言う。とはいっても現在の住民の多くは外から引っ越してきた人間だし、みんな身近にあるちょっとしょぼい観光資源として、あるいは面白い文化の僅かな生き残りとしてしか「王国」を認識してはいなかった。私もそうだ。
 私は高校を卒業した年に家を出てこの街へ移り住んだ。ここはかつて王城があったところで、その入り組んだ石積みの跡地を改造してできた有名な美大があったからだ。  それから四年が経った。高校の同期たちが各々就いた職に慣れて頭角を現し始めたり、あるいは大学を卒業した後のステップについて計画したりするような時期に入った。一方で私は日々を変わりなく過ごしていた。つまり、大半を寝��過ごした。
 私が入居した部屋は美大の領域内にあって、曰く五十年前に建築科の有象無象によって建てられた一棟だそうだ。たまに部屋を出て、昭和の香りを色濃く残した廊下に立ってみると、陽の光に炙られて羽根のような埃がたくさん舞っていた。しかし埃には違いないので、私は決まってひどい鼻水を出した。
 共同玄関を出て正面の砂利道を下っていく。ゆるやかにカーブする坂道で、すぐ左手にはこんもりした森が迫っていた。その森から向こうは一段と高い丘になっていて、ぼろぼろになった石垣が奥の方に見え隠れしていた。やがて反対の右側に開けた駐輪場が出てくる。といっても、土を均して固めただけの広場だから、個々人で用心していないと自転車はすぐに行方不明になる。私は居並ぶ銀輪の中から自分の愛車を見つけ出して、駐輪場の端の木にぐるぐる巻きつけたチェーンを外した。
 私は自転車に乗って坂道を走り降りた。前髪を空気の塊が撫でる。湿気を含み始めた六月の末の風だった。かつて城内の自然浄水池だった沼を過ぎて、第二グラウンドや工学試験場、新寮の団地、畑、南東食堂の裏を抜けていった。だんだん城跡の裾野に近付いて、標高は低くなっていく。外縁部にあるものほど美大の拡大に伴って増えていったものだから、景色も段々洗練された小綺麗なものに変わる。グラフィックデザイン学科の真新しいピロティを錆びた愛車で駆け抜けるのは、何度繰り返しても爽快だった。  芋くさい万年寝学生の面目躍如といったところである。これが誇りだ。  私は美大の敷地を出、揚々と街へ向かった。
 自転車を公共駐輪場に停め、東大通りの路面電車に乗った。この街には南北に二本の太い道路が走っていて、これはそのうちの片方。電車を通した上に車だって六車線入れるような、この辺では一番の栄えた場所だ。路面はクリームやレンガ色の石畳。もうだいぶ経年劣化で傷んできているが、これも先時代の遺品の一つだそうだ。
 東通りの左右には洒落た商店やアパートが並び、もっとずっと南下して駅の方まで行けば百貨店や高いビルもにょきにょき生えている。しかし今日の目的はその途中にあった。  路面電車はいくつめかの駅に停車した。私はお金を払い、電車を降りた。道路を渡ってすぐ目の前には、博物館がある。
 東通りの中心部に建っている博物館で、石造りの瀟洒な三階建てになっている。中庭やレストランも備えた、なかなか侮れないところだ。静謐で雰囲気も良く、何となく頭が冴える気がするので私は気に入っていた。冴えた結果実際の制作に繋がったことはないが。  ここのところ足が離れていたが、何となしに久しぶりに訪れてみた。信号を待って道路を渡り、正面玄関の方へ。歩道の街路樹で、ずいぶんと気の早いセミが一匹だけ鳴いていた。
 ロビーに入るとそこは大きな吹き抜けになっていて、床はつるつるしていた。心なしか、外より空気がひんやりしている。私は入口のすぐ横に設けられているカウンターでチケットを買い、一階の常設展エリアに向かった。二階の特別展は展示品の入れ替えのために停止していて、お客の入りが少なく、広さの割に閑散としていた。
 常設展では、やはりというか、かつてここにあった王国の展示が大半を占めていた。王国と言っても、お茶会やダンスパーティーを開いたり、派手なドレスに身を包んで豪奢を競い合うような華やかなものじゃない。王宮は石と木と土で、服は綿と羽毛とたまに絹で、食べ物は私と何ら変わらない野菜や肉や魚でできていた。
 千年ぐらい前から王国はあったようだ。それが百年ほど前に吸収合併のような形で日本の一部になり、消えていった。当時の国際情勢とか財政とか、そういったものが関係していたらしい。やがて慎ましやかな王家はもっと慎ましくなり、今では影も形も見かけない。この街へ引っ越して来れば何か耳にするかもと思っていたけれど、情報網に接続するスキルの不足で何にも分からない。いつかインターネットで調べた時、まだ一族の末裔がこの辺りに住んでいるとかいったことは出てきた気がする。
 王国の遺産は博物館の中にもちゃんと根を下ろしていて、整然としたガラスケースの中に、掛け軸のような絵や、漆で塗られた道具、演奏の難しそうな楽器が並んでいた。  私は中庭に面した列柱の廊下を通り過ぎ、博物館の一番奥まで行った。そこでは専用の部屋が一つあてがわれて、かつて王宮で用いられていた物品が置いてあった。赤や金で刺繍された着物に、祭礼に使う不思議な杖。かなりサイズの大きな石像や、かつて宮殿の一部だった柱もあって、そういうものたちはケースには入らずに剥き出しのままになっていた。
 私は解説を殆ど読まないから、それらがいつどんな風に、誰によって使われたものなのか、全然知らなかった。知らないままが良かったのだ。素敵なものはいつもどこか不思議な風味を帯びていて、それはちょっとした憂いだったり、くすみだったり、ゆがみだったりする。未知のものを未知のままにしておくことは、そうした憂いとかくすみを美しく見せる。気に入った小説ほど、作家の名を見てはならないのだ。
 高校の修学旅行で沖縄へ行った時に、資料館を見た。そこも、ここと似たような雰囲気を持っていた。用途も名前も知らない道具たち。かつての琉球王国も、ここにあった王国と同じような結末を迎えている。
 部屋の中央には、王宮から移設したという玉座も設置されていた。真紅と濃黄を基調として、きらきら光る糸で刺繍が縫い付けられていた。点々とほつれや何かの染みがあったり、色褪せたりしている。 台座の部分が高く、もうちょっと伸ばしたらプールで監視員もできると思う。ただでさえ展示のための台にも乗っているので、座面や背もたれは目線よりも上にあった。
 これは流石に、王さまの使ったものだろうなと思った。一族の名前は何と言ったか、ネットで検索した時に見たような気がする。でも、積極的に思い出すことはしないでおいた。
 私は林のような展示品の列から抜け出して、玉座の方へするりと歩んだ。背もたれ側だったので、半周回って正面へ移動する。そうして座っているかつての王さまの姿を思い浮かべてみようと、顔を上げた。すると、誰かが座っていた。誰かというか、少年が。  少年と目が合った。 「あ」  彼はばつの悪そうな顔をした。私の卓越した想像力が遂にリアルな像を結んだのかと疑ったが、そうではなさそうだ。彼はひょいと玉座から飛び降りると、私の方を向いて「これは、見なかったことに」と言った。
「いや、ちょっと待って」  そのまま去ろうとした彼を引き止めて、私は半袖の裾をつまんだ。つまんだつもりで引き止めきれずに指から抜けていったのはご愛敬だ。親指と人差し指で人一人の動きを静止できると思うなよ。それでも彼は律儀に立ち止まってくれた。訝しげにこちらを伺うような目つきを投げかけている。訝しむのはこっちだっつの。 「何してたの」  喉が思ったより緊張していて、まるで詰問するような話し方になってしまった。少し失敗したと思うが、仕方がない。「座っても、いいやつだったっけ」
 彼は少し様子を見るように黙っていたが、すぐに口を開いた。 「いや、そんなことはないと思いますよ。展示品には触れないように書いてあるし」  少し低めの、しかしよく通る声だった。彼は学生服を着ていた。それも、街の端の方にある私立高校のものだ。肩の青い意匠が独特で見間違えようがなかった。お堅い感じの校風で、偏差値も高いので名前はよく聞く。
「学校帰り、です、か? どうして座っていたの」  初対面なのだし、敬語の方が良いのだろうか。先程の意図せず尖ってしまった口調もリカバーしたい。普段脊髄で生きている私は脳を使ったので舌を噛んだ。 「あれは俺の椅子ですから。でも、確かに今は博物館が所有しているものだから、こっそりとやっていました」  見つかったけど。と、彼は肩を竦めた。 「きみの椅子?」 「そう、俺の」  軽く頷いて、彼は悪戯っぽく笑った。「俺は王族ですから」
 私は変わった話が大好きだ。不思議な体験談、とんでもない大法螺、うますぎる話、それから時には怪談。初めて自分の部屋にインターネットを引いた時、日がな一日机の前で掲示板やブログを読み漁った。止めておけばいいのに、洒落にならないほど怖い話を読んでしまって夜に布団で震えたこともあった。
 図書館へ通って歴史上の逸話を探したりもした。美大に住み始めてからは、ふあふあ敷地内を彷徨っているだけで妙な話題には事欠かなかった。おかしなことをしでかしていない人間はいなかったからだ。夜な夜な座禅を組んで股間に花火を指して燃やしている先輩の話、数年間撮影し続けているとされる中央階段の定点カメラの話。誠に変わっていれば変わっているほどめでたいもので、私とてあやかろうとアルビノのヘビの皮を集めて寮の廊下に干したところ、隣の住人に燃やされてしまった。展開として面白すぎたので、百点満点の出来事だった。
 今日、私は新たな変わった話を見つけた。平日の博物館で玉座に座る高校生。しかも自称王族。これを逃したらダメな気がする。私の魂が「面白そうな話には飛びつけ」と踊り狂っていた。しからば飛びつくのである。
「ケーキセット、ふたつで」  逃げようとする彼を必死で引っ掴み、ロビーを挟んで反対側の隅にあるミュージアムカフェへと連れ込んだ。ここは入館料を支払わなくても食事だけで利用をすることができ、展示ブースよりは人で賑わっていた。
「俺はお暇したいんだけどなあ」 「そう言わず、ちょっとだけ。奢るから」 「そういう問題じゃないんだけど」  やがて注文したものが運ばれてきて、紅茶とケーキとが机の上に置かれた。私はチョコレートケーキにして、彼はチーズケーキを選んだ。私は紅茶にだばだばとミルクを注ぎ、オレンジ色の液体が白と混ざっていくのを観察した。
「何をそんなに聞きたいんです」  彼はじっとりとした目で私を見つめ、紅茶には何も入れずに口をつけて啜った。「俺は何も面白い話はしないよ」 「さっきの話をしてほしいの。椅子の。あれはきみのだって。どういうこと?」  私は更に角砂糖を三つ追加して紅茶をぐるぐるとかき混ぜた。
「そのままの意味だってば」 「あれって本当なの」 「さあ、それはどうでしょう」 「あんまりそういうことばっかり言うと、監視員さんにさっきの所業言いつけてやる」 「うわ、最悪だな」  彼は苦い顔をし、もう一度紅茶を啜ってティーカップを置いた。滑らかで美しい所作だった。
「俺はここの王族で、まあ近々祖父から位を継ぐだろうってことになりました。最近はそれで色々と立て込んでいたので、つい出来心が起きて、たまには座り心地ぐらい確かめてもいいだろうと」 「何だそれ。継ぐって何、王位? きみはもしかして、VIP?」 「違います。もう併合の時に王統は廃絶しているので。勝手に身内でやってるだけですよ、今は」
 彼はティーポットから紅茶を注ぎ足し、カップのハンドルをつまんで持ち上げ、香りを嗅ぐように目を閉じた。 「話は以上。これで満足ですか?」 「すごい」  私はケーキを精密に二等分し、半分をフォークで刺して一気に食べた。 「それが本当だったら、きみは物凄い有名人ってことになるね。王様の一族ってことは、あれ、名字は何だっけ。調べたら出てくるかな」 「忘れてるならそのままにしてください。調べなくていい、俺も教えない」 「意地悪」
 彼は聞こえないふりをし、涼しい顔で紅茶を啜ってケーキを食べた。 「それから、俺の言うことを信用しないことです。俺は嘘しか言わない」 「いや、いや。でも、きみの顔は見たことある気がしてきたもの。ニュースか何かに出たんじゃない?」 「気のせいではないですか」 「そんなことはないと思う」
 記憶とよく照合しようとして、じっとりと顔を睨みつけたところ、彼はそっぽを向いてしまった。窓から入ってくる午後の日差しが彼の瞳を複雑に光らせていた。その時にやっと気が付いたのだが、彼は鮮やかな青色の目をしていた。
 二人して注文のケーキセットを食べ終えたあと、支払いに関して戦闘が発生した。「連れ込んだのはこちらなのだから」と私は全額持とうとした。それに対し、彼は「よく分からない人から受け取るケーキはありません」と財布を展開した。
「私はこんなんでも二十二です。高校生に払わせるやつがあるか」と抵抗すると、彼も「ならこちらこそ、庶民から施される謂れはない」と呼応した。しょうむない応酬の末、「献上って言葉があるじゃない」と叫ぶ私の脇を巧みにすり抜けた彼がレジに伝票を叩きつけて「別々で」と宣言してし��ったので、私は敗北した。
 カフェを後にし、私たちは博物館の廊下に出た。相変わらず人影はまばらだ。 「ここにはよく来るの?」  私が尋ねると、彼はつやつやの黒髪を揺らして振り返った。少し考えるような間の後、「いいえ」と返事があった。 「たまたま?」 「そうです、本当にたまたま。来ないと言えば嘘ですが、年に一度来るか来ないか……」 「ふうん、残念。ここに来たらまた会えるかと思ったのに」 「ぞっとしませんねえ。俺は見せ物じゃないよ」 「ねえ、連絡先とか交換しない?」 「お断りします」 「けち!」
 私はせっせと悪態をつき、彼は素知らぬふうで歩き続けた。廊下を渡ってロビーへと戻る途中、ここは自分の曽祖父が在位していた時に建てられた日本の総督府を使っているだの、この階段で併合の視察に訪れた首相が転んだだの、そんな話をした。 「また信じるなとか意地の悪いことを言うのでしょう」 「よく分かりましたね。俺を信じてはいけないですよ」  彼はそのままロビーを出て、博物館を後にしようとした。さすがにいつまでも引き留めることは無理なので、せめてメールだけでもとしつこく頼み込んだ。 「やめておきます」
 彼は石の階段を下り、足早に歩き始めた。私も慌てて着いていく。広い歩道の街路樹で、まだあの気の早いセミが鳴いていた。 「本当に、どうしても、だめでしょーか」  私は後ろから肩越しに話しかけた。惜しくはあったけれど、もう一度断られたら、いい加減退散するつもりだった。すると彼は立ち止まって、すっと息を吸った。
「一つだけ本当のことを教えてあげましょう」  そうして不敵に笑むと、「俺は陸上部」と一言残して弾けたように走り出した。反射的に足が動きかけたが、私は反スポーツ精神にかけては一家言あるので、すぐに思い留まった。かつて我が美大の一角にあるテニスコートを数十人で占拠、桃の苗木を植えて義兄弟の契りを結んだこともある。私に運動は向かないと、私はよく知っている。
 それに実際彼は素早く、もう人か車の陰に隠れて見えなくなっていた。  彼に関する手掛かりは何ら残らなかった。王さまの家を一族郎党検索し尽くしたら何か分かるかもしれない。真偽も含めて。高校に探しに行けばまた出くわすかもしれない。彼や、彼の友人に。
 しかし、分からないならそれで良いと思った。たぶん私が、本人のいないところでこれ以上情報を探し回ることは無いだろう。未知のものは未知のまま愛でるのが正しいやり方だ。今日はなんだか不思議な出来事があった。  それで百点満点だ。
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hiirop8000-blog · 7 years
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ペイル・ブルーの海
 船体は静かに揺れている。  初冬のオホーツク海では、夏に一旦溶けた海氷が再び辺りを埋め尽くし始めていた。ほんの数ヶ月という短い期間で芽吹くように息を吹き返した海上交通は、またしても暗く長い夜に閉ざされることになる。  とは言っても、それは氷が海面を埋め尽くす沿岸部だけの話だ。港は凍てつき、小さな船は氷に潰されないよう陸上へ避難するが、開けたオホーツクの海原では航海に支障をきたすほどの結氷はない。  ぽつぽつと小島が点在し、まばらに船が航海するだけの吹雪の海を、彼は静かにたゆたってた。  彼は軍艦だった。細長く、優美な体を水に浮かべて静止している。甲板の上、艦尾の一番端のところには二つの人影があった。  そのうち片方は、この軍艦……駆逐艦海風の、人型をした方の体だった。もう片方は紛れもなく人間。ただし、ぐったりと座り込んで動かない。  海風はその人間の体を支えて、ゆっくりと爆雷投下軌条の上に乗せてやった。  二本伸びたレールの先は、艦の手摺が切り欠いたようになっていて、まっすぐ海まで障害物は何もない。  彼は静かにその人間の体を押し出す。  やがて甲板を転がり落ちて、姿が見えなくなった一瞬の後、どぼんという飛沫の音が聞こえた。それは、やはり動くこともなく、波のうねりに運ばれて遠ざかっていく。 「……じゃあね。二幻坂で」  しばらくじっとして見送っていた海風は、やがて二基のスクリュープロペラを始動し、その場を離れていった。    ◯ 「へえ、じゃあ、キミはどっちでもいける口なんだ? 相手の性別は」  カウンターの隣で、顔を赤くした人間が機嫌よく訊いてきた。  そろそろ日付の変わる頃合いだが、辺りではまだ騒々しい酔っ払いたちの笑い声が響き、ラジオからやかましいギターの音が流れている。 「そういうこと。だから俺、あんたにも興味あるなあ」 「何言ってんの、キミは!」  あれから海風は、寄港できる陸地を求めてオホーツク海を移動し、ここへやって来た。チョールナェ・ポーリェと名付けられたこの島は、決して広いわけではないけれども、オホーツクに散らばる島々には珍しく、それなりに人が住んでいる。  たぶん、工夫さえすればそれなりに作物の実る土地があるのだろうし、それほど他の陸地から遠すぎる訳でもないのだろうし、彼らからすれば住みやすい方ではあるのだろう。この島で陸地をうろつくのは、船より人の方が遥かに多いと聞いた。  ほんの見物に寄った程度のつもりだったが、意外にも港の近くは結構栄えていた。結局夜まで散策に使ってしまったので、そのまま何となしに、どうしようもなく古くさそうなバーに入ったのだった。 「キミも相当酔ってるよね、キミも」 「あんたに言われたくないなあ」  海風はグラスに半分ほど残っている酒を軽く嘗めた。この人間は、二時間くらい前に入店してきて、他がみんな埋まっていたので海風の隣に腰掛けた。それからずっと喋っているけれども、この人間の名前も、どこに住んでいるとか、普段何をしているとか、そういったことも特に興味はなかった。話の中で聞いたかもしれなかったが、忘れてしまった。ただ単に、調子のいい言葉を交わすのは得意な方だから、暇を潰してみているだけだ。 「ところでさ、キミはなんで、この島来たわけ?」 「あれ? それ言わなかったっけ」 「言ってないよ! たぶん。忘れちゃったな。たぶん言ってないよ」  そう言って手元のグラスを飲み干す。もうやめておけばいいのに、と思うけれど、口には出さない。 「寒いし、見るとこないし、よそから人が来る島じゃないと思う。あれ、よそから来たんだったよね? 違う?」 「よそから来たよ。でも俺、人じゃないからなあ。立ち寄ったのは、観光もあるけど、補給で」  そう言った瞬間、周りの騒ぎ声が少し静かになったように思えた。それも、海風は特に気にしなかった。 「へえ……そうなんだ。そりゃ余計、珍しいね」 「あれ、そうなの? 確かにさ、船より人のが多い島だって聞いてたけど」 「ねえ、キミは何をしてる船なの? 客船、じゃないよね。定期便以外は今日見かけてないし、漁船とか?」 「いや、俺は」  その時、背後から頭にびしゃりと水がかかった。「うわっ」と隣の人間が声を上げて仰け反る。最初はよく分からなかったけれど、かかったのは水ではなくて泡のたくさん出るビールだったし、ついでにたっぷりジョッキ一杯はある量だった。 「なんで船がこんな所うろついてんだ」  海風が振り向くと、肩をいからせて立っていた中年の人間がそう言った。店内の騒々しい笑い声はすっかり収まっていた。 「なんで船がうろついてる」  何か言葉を出そうと海風が口を開いた時、中年の人間は摑みかかるような勢いで踏み込んできた。 「ちょっとちょっと!」  思わず身構えていると、店主がカウンターの奥から腕を伸ばして二人の間に割って入った。 「揉め事は外でやってくれ」    ◯  結局、海風が店を出ることになって、それで事は収まった。  別に、船がこういう扱いを受けるのは割とどこにでもある話だし、取り立てて思うところはない。ああ、またか、というぐらいだ。  半分地下に埋まった店からの階段を転がり出て夜風に吹かれると、びしょぬれになった体が冷えていった。  もう一度店の扉が開く音がして振り返ると、さっきまで隣だった人間が階段を急いで駆け上がってきて、「うわー、すごいやこれ。すごいにおい! 大変だ」と笑い始めた。 「笑い事じゃないって。ほんとにきついぞ、これ」  そうは言っても、海風にも笑う以外に特にする事が思い付かなかった。風に乗ってビールのにおいが路上に撒き散らされていく。髪も服もベトベトになるし、いいことなしだ。 「なんでキミ、この島来たの、本当。ああいう人間多いよ、この辺」 「知ってるよ別に。もともとそんなもんだろ。オホーツクなんて」 「他がどうかは知らないけど」  まだ笑い続ける人間を放っておいて、海風は道路を歩き始めた。街灯は十分に灯っていたが、周囲のビルや建物で電気が点いているものは、すっかりまばらになっていた。 「どこ行くの?」  後ろから心許ない足取りで着いてきた。 「船に戻るよ、着替えなきゃいけないし」 「あ、キミの本体? この辺に泊めてるの?」 「いいや、少し沖に。ここまでは艦載艇……えっと、上陸用のボートで来た。俺は駆逐艦だから、いきなり入港したら面倒になるかもと思って」 「え、駆逐艦? キミ軍艦なの?」  隣をヒョコヒョコ着いてきた相変わらず上機嫌な人間は、わっと一際目を輝かせた。  ような気がした。 「すごいな、本当に珍しいじゃん。見たことないや、そんなの」 「何なら、見てみる? 今ならサービス」 「本当に? いいの、じゃあ見せてもらおう」  そう言って危ない足取りで飛び跳ねる。何度目かで転びそうになったので、海風が手を伸ばして支えてやる必要があった。  道路はきちんと二車線あって、歩道もアーケードになっていたり、商店が建ち並んだりしていた。車が何台か路肩に止まっているが、走っているものは一度も通らなかった。  やがてビルの代わりに倉庫が目立つようになり、大きく陸地を抉るように造られた水路を何本も跨いだ。小さなボートや漁船がたくさん繋留されていた。海風は、もしかしたら、彼らが街を歩いたり店に出入りすることはないのかもしれないと思った。  港の一番端、目立たないどうでもいい場所に、海風の艦載艇が繋がれていた。大きな軍艦は便利がいいように、小回りの利くボートを何艘か積み込んでいるのだ。 「あれ、見える?」  海風は遠い海面���指さした。仄かな月明かりの中、一隻の駆逐艦がぼんやりと浮かんでいる。 「見えないよ」  隣から両手で双眼鏡のジェスチャをした酔っ払いが文句を言った。「アルコールを舐めんなよ!」 「意味が分からない」  海風は笑いながら、ほんの一瞬だけ艦の灯りを点けた。真っ暗な海面に優美なシルエットがくっきりと浮かび、そして消える。「おっ、すごい」とはしゃぐ声がした。  港に繋いでいたロープをほどいて、ボートはするりと海に滑り出した。艇尾でエンジンが低い振動を起こして、スクリューが水を後方へ搔く。軍艦に比べれば小さなボートとはいえ、十メートルほどもあるから、いかに酔っ払いといえども転落することはしないだろう。 「頼むからちゃんと座っててくれよ」 「座ってるよう」  しばし揺られて、二人が海風の駆逐艦としての体にたどり着いた時には、ささやかな風にさらわれて酒気が少しずつ抜け始めていた。  海風は艦体のそばにボートを横付けし、舷梯という折り畳み式の階段から甲板に上がった。寒空の刺々しい星空を背景に、駆逐艦のごつごつとした装備や流麗な艦体のラインが影となって浮かび上がっていた。 「わ、やっぱすごいね! 本当にすごい」 「そうかな。そう言われると、少し照れるよ」 「キミは本当に面白いな!」 「何がだよ」  店で出会った人間は、甲板の上をひとしきりはしゃいで歩き回った。 海風は、その人間の後を律義について回って、装備品でつまずいたり怪我をしないように見てやる必要があった。  暗くて何があるかもろくに見えないだろうが、星空に浮かび上がったシルエットだけで非日常感は刺戟されたらしい。上等だ。 「軍艦見たことない人って、こういうの、恰好いいと思うんだろ?」 「ふふん、そうだね。それに、よくよく見たら、キミは結構顔もカッコいいしね。お店じゃ気付かなかったな」 「酔ってたから?」 「そう、酔っていたから。……ついでに今も酔いは抜け切ってないんだけど、どうかな。今晩はこのまま、泊めてくれたりするの?」  海風はふふっと耐えかねたように笑う。 「別にいいけど。俺が店で言ってたこと、ちゃんと覚えてる?」 「あんたにも興味あるな、でしょ? いいよ。ちゃんと、分かっているから」    ◯  北の海に朝日が昇る。薄い灰色の空に光が差して、徐々に真珠のような淡く平たい青に染まっていった。  海風は夜の間に島から離れるように移動し、ぽつねんと海原に浮かんでいた。海風はこうして過ごすのが好きだったので、割合頻繁に沖合で行き脚を止めて停泊することがあった。  何もない海のど真ん中で漂泊していると、気分がふわふわとしてきて、何もかもを忘れていられるような気がする。昨晩のバーでのようなことも。陸地であった色んなこと、他の船と関わっていた時のことも。 「おはよ、海風君」  甲板の上、艦首にある第一主砲の手前で朝日を眺めていると、昨日の人間が起き抜けてきて挨拶をした。シャワーを浴びてきたようで、髪の毛が湿ってふんにゃりとしていた。そういえば確かに、先ほど艦体の中で湯の移動する感触があった気がするな、と海風は思った。 「なんだ、起きたのか」  円形のキャプスタンに腰かけていた海風は、首だけで振り返った。すると向こうは軽く手を振り返し、「腰が痛いよ」とぼやきつつ手摺にもたれかかって景色を眺めていた。 「こういうのは見たことある?」  海風が声をかけると、「ぜーんぜん」と返ってくる。 「島からは定期便ぐらいなら出てるけど、昼間しか運航しないし。キミが見せてくれなかったら、一生知らなかったかもね」 「そう」  海風は立ち上がって近付いていった。手摺に両手を乗せて海を覗いている、その相手の後ろから抱き着くようにして腕を回した。 「何してんの、キミは」 「ついでにオマケの景色を見せてやろうかと思って」  そう言って、海風は艦首にある二基の主砲を旋回させて見せた。物々しい形の防盾や砲身が朝日に煌めいて、武骨な厳めしさとは似つかわしくもないキラキラした輝きを反射していた。 「こういうのも見たことないだろ」 「うわ、すごいなあ」  海風の腕の中で、髪の毛をふわふわにした人間は首を回して主砲を見上げた。 「こういうの、本当に動いてるのを見ると、本物の軍艦なんだなって、不思議な気分」 「何言ってんだよ、当たり前だろ」 「だってさ、すっごいよね。あの辺に付いてる鉄砲もみんな、本物でしょ」  艦体の後方を大雑把に指さして、腕をぐるぐると回す。その通りだ、この人間が示した先には、針ねずみのように機関銃が搭載されているし、一番後ろにはもう二つ主砲だってある。 「そうだよ、全部本物だし。弾だって、当たれば人間の体なんか霧になって吹き飛ぶし」 「物騒なこと言うなあ」 「それに、主砲はもっと凄い。三十キロある砲弾を何万メートルも先まで飛ばす」 「それも『人に当たったら』とか言う訳?」  なぜだか少し仏頂面をしている。同種の生き物で喩え話をされたらこういう顔になるものかもしれない。  けれど、気を悪くはしないでほしいな、と思った。だって、いつも、夜はただの前座。  ここからの本番のために、毎回人間を連れ込んでいるのだから。 「直接当たんなくても、発射の爆風だけで死んじゃうんだよ」  背後の主砲をもう少し旋回する。ちょうど砲口がこちらを向く形。 「言い方がいちいち悪趣味だってぇ」 「そうかな。考えてたらいい気分にならないか?」  海風は、努めて変わらない口調で話し続けた。あまり気分の高揚が表に出すぎないように。 「機銃の弾で粉々になって死ぬ奴の気持ちってどんな感じだろう。それか、主砲だったらどう思うのか。ふつうの人間って、船が自分を殺すかもしれないって想像したこと、あるのかな」 「えっと……ごめん、どういうこと? 話がよく分からないんだけど」 「俺は、駆逐艦だからさ。殺したければ人間くらい、簡単すぎるっていうこと」 「ああ、そっか……、そうだよね、キミは軍艦だし、やっぱりそういうこと、よく考える方なのかな、うん」 「さあね。他の軍艦のことは知らないけどさ。少なくとも俺は考えるよ。船が今から自分を殺そうとしているかも、なんて、全然想像もしてない人間が多すぎて面白いって」 「そりゃあ……昔は多かったって聞くけど、今はさ」 「あんたのことだってば」 「ちょっとさ、変な話やめてよ」 「昨日はなかなかよかったよ。それじゃあね」  言い終わらないうちに、海風の腕の中でその人間は身じろぎをしようとした。怒ったような、焦ったような、それでもまだ本気にはしていないような、間の抜けた顔が見える。 「また会うことがあったら、二幻坂で」  海風は主砲の引鉄を引く。装薬に火が通って、砲弾が撃ち出される。砲口から迸る爆圧が、この人間の体を一瞬のうちに内外から押し潰すだろう。   今までの何十人もの遊び相手と同じように。そしてまた、動かなくなった体を海に投げ捨てる。  これからもずっとそれを繰り返していくのだろう、  きっと。    ○  船体は静かに揺れている。  初冬のオホーツク海、灰色に重く濁った吹雪の海を、海風は静かにたゆたってた。彼は波間に漂う人間の死体を見送った。  名前はとうとう最後までろくに聞いていなかったし、顔もそのうち忘れていくだろう。今まで乗せてきた人間がみんなそうなったように。この凍てつく海にさらわれて、どこかへ消えていくのだろう。何もかも。  海風はやがて二基のスクリュープロペラを始動し、その場を離れていった。  そして次の港へ、次の海へ。  そして次の人間を。
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hiirop8000-blog · 7 years
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短編集その1  商店街
 果てのない、長く長く続く一直線の道のり。  商店街、という言葉を聞いたことがあるか。  それは、この世界で一番ありふれたどこにでもあるもの、という意味で、だいたい空気と同じようなものだ。あって当たり前。人々の周りを無言で取り囲んでいる。  きみがいる建物の一歩外へ出て、左右を見てみろ。地平線を越えてどこまでも遠く、この商店街は続いている。顔を上げて、上の様子を確認してみろ。頭上をどこまでも覆う、やさしいクリーム色のアーケード。雨も雷も台風も、このアーケードの向こうで鳴っている音、という意味だ。  全てを覆い尽くす商店街。まるで、その外側を秘密で隠しているような。
 彼女らを乗せた車は、今日もかたいアーケードの下を軽快に走った。鮮やかな赤色の車体に白抜きの文字で『10番街糸電話修理店』と書かれており、ラジオからはノイズだらけの愉快な音楽が流れている。 「もうちょっとちゃんと合わせてくんないかな」  篠田が言った。   それはハンドルを握っている方のことで、むやみやたらと踏み込むアクセルに全霊を捧げている女のことだ。 「無理だって」高野が返す。助手席で地図を片手にレモネードを飲み、顔面へ惜しみなく風を当てている。「揺れるもん」 
 地図、という言葉は聞��たことがあるだろう。およそ一番何の役にも立たないもののことだ。アイボリの背景の上に、グレィのインクで道路が印刷されている。所詮どこまで行っても商店街なのだから、地図も縦に一本の線が入っただけの代物だ。 「それ、見るのやめたら」篠田が口をへの字に曲げた。「どうせ知ってるでしょここ」  二人を乗せた車は、音楽を響かせながら商店街を走り続けた。開いている店はまばらだ。人影はちらほらと見えるが、ずっと遠くまで対向車の姿はない。  途切れることもなく続く、所狭しと店のひしめき合う、果てのない直線。  それがここにある、商店街というものの全てだ。  どこまで商店街があるのか、いつからこうなっているのか、実のところは誰も知らない。本当はどっかで輪になって繋がってんじゃないの、と篠田は考えている。  ちょうど彼らの生業である「糸電話」がそうなのと同じように、だ。  二人が���まで引っ張りだして出掛けたのには、理由がある。ひとつは、遅い昼食をとること。もうひとつは、その糸電話が関わる仕事のためだ。  車のセンターコンソールに置かれたラジオは、簡単な無線も兼ねている。見かけは古いが、職場からの指示を受け取るのに便利なスグレモノだ。  ところどころ錆が隠し切れなくなってきたこの機械は、ただでさえうるさいノイズを一層ひどくした後、つめたい氷飴にカフェオレを混ぜたような声を受信した。 「篠田さん、スミレ、聞こえてるかな」 「スミレ出て、私運転してるから手が」篠田が目配せをする。 「はいよ」  高野は飲みかけのレモネードをボトルホルダに置き、ラジオから無線の送受信ができるモードに切り替えた。がさついていたノイズが一気に収まる。 「聞こえてるよ。ただいまお食事のため北上中」 「はいはい。セキグチです。今朝の修理の依頼なんだけど」 「おっ、あれ結局住所分かった?」 「ついさっき連絡付いて、やっと。ナビに送るから行ったげて」 「おっけーい。準備してから向かいま��す」
 準備と称して車が停まったのは、薄暗い内装をした寂れた店の前だ。  看板にはよく分からない変体仮名のようなものが掲げられているが、読めたものは誰一人としていない。誰もよく分かっていないので、たった一文字のその看板からとって「一文字屋」と呼ばれている。  高野は残り少なくなったレモネードを取って車から降り、一文字屋の奥へ入っていった。  一文字屋には、所狭しとシックな木製の棚が並べられている。そこに収まっているのは巨大な金魚鉢だ。透明なものから色つき硝子のもの、砂利の敷いてあるものそうでないもの。どれにも数匹の金魚がひらひらとヒレを遊ばせている。  店の一番突き当りには青白い蛍光灯が灯っていて、その下には、カウンタに置かれた年代物のレジスタがある。カウンタには一人、皺くちゃの婆さんが座っていた。  蛍光灯のためなのか、その一帯だけが妙に明るい。それとも、婆さん自身が発光しているのかもしれない。 「ばあちゃん、こんちは」 「おやぁ。久し振りだね」  婆さんは俯き加減だった顔を上げた。膝に載せた焼き物の鯉を撫でている。 「ばあちゃんまたヘンなもの手に入れて」 「かわいいだろう。この前、鯉が一匹逃げちゃってね。その代わりさ」 「ばあちゃん鯉なんか飼ってたっけ」金魚ばっかりだと思ってたな、と高野はカウンタに肘をついた。「あのさ、私ね、仕事で5番街まで行くんだ」 「そうかい。あすこはこの前新しい横丁ができてたよ」婆さんは撫でる手を止め、そう言った。 「そう。私も初めてだから地図を買いに来たの」 「あるよ。待っといで」  婆さんは焼き物の鯉を高野に押し付け、ふらっと立ち上がって棚の陰に消える。しばらくがさごそと何かを掻き回すような音が聞こえたあと、腕に大判の印刷物を抱えて戻った。 「いっつも助かるよ。ばあちゃんとこ何でもあるね」だめもとのつもりで来たのに、と高野がはにかむと、老婆は満足そうににっかりと笑った。 「いいんだよぉ。ついでにこれも持ってきなさい」  皺くちゃ婆さんは金魚鉢を手渡した。中には瑞々しい美味しそうな煮物が詰められている。「サービスだから」  高野はうんと目を輝かせ、婆さんに勝るとも劣らぬくらいに発光した。  「ありがとうばあちゃん。いつも悪いね」  高野は一文字屋を辞すると、皺くちゃの婆さんから受け取った地図と金魚鉢を両手に抱えて車へと戻った。  持ちきれなくなったレモネードのグラスは、婆さんへのプレゼントにしてきた。きっとあれにもそのうち金魚が入るだろう。   車の傍では、篠田が口をへの字に結んで高野を待っていた。  「カーナビもあるし、絶対要らんってそんなの」  「持ってても損にはならないでしょう」   高野は構わず後部座席に荷物を放り込んだ。勢い余って煮物がぼとぼとと零れたが、彼女は構わず助手席に戻る。すぐに篠田も運転席にどかりと座った。 「だってお金の無駄じゃん」  「健全な消費活動だよ。なにがだめなの?」  「呆れた」キーが回され、ぶぅんと大きな音が発生した。エンジンの音なのか、篠田の唸り声なのかは判然としない。「全部ツケにしとるくせに」  篠田が思う存分に唸り散らしてタイヤを回している間、高野はじっと購入したばかりの新しい地図を眺めていた。そして時おり、思い出したように窓から顔を出して外を見上げる。   アーケードはいつもどこまでも、変わりのない黄色さで人々を覆い尽くしている。ときたま隅のほうがくすんだように汚れていることはあるが、その程度はコーヒーの底に溜まった砂糖のようなものだ。  「ここんとこ、天気変わらんねぇ」  高野が考えていることを察した篠田は、まっすぐ前を向いたまま言った。 「天気っていうか、そもそも、時刻がね」   アーケードの下からは、その向こうがどうなっているのかを知る手立てはない。ぼんやりと明るい光が差し込み始めれば朝、暗くなり始めれば夜だ。  過ぎ行く時間を区切るための基準はおよそこれだけしか存在しないので、商店街での時間の流れ方は非常に曖昧だ。   そしていつの間にか、その頼みの綱まで動かなくなったのだ。  「いつからだっけ」  「さあ……十日ぐらい昼間のまんまな気がするけど、私」  「気まぐれもいい加減にしてほしいよな」  篠田は後部座席に向けて片手をへにゃへにゃと動かした。高野がすみやかに金魚鉢を取って寄越すと、篠田は皺くちゃ婆さん産の煮物をひょいとつまんで食べ始める。  単純だが奥の深い味わいで、婆さんの人生の長さがそのまま煮詰められたかのような滋味だ。  一部では、婆さんが物心ついてよりこのかた一度も水を替えたことのない金魚鉢の水で煮ているからだ、とまことしやかに囁かれている。  「お蔭で午前だけのはずだった仕事が大幅に伸びちゃったじゃん。そのせいで事務所の食堂は閉まっちゃうし、わざわざ外食しに出る羽目になるし」   午前というのは、朝起きてから、何となく区切りがついたような気になるまでの時間帯のことだ。したがって、人によって午前がいつまでかは変わる。  しかし、なけなしの昼夜の差すら消え失せた今となっては、一体いつからいつまでが午前かという合意の形成には困難を極めた。  「何にせよ、私がばあちゃんの店で買った煮物がこうして昼食となり、お腹をふくらしているんだもの。健全かつ正当な消費活動だったと言えるでしょ」 「買ってはないと思うけど、まあ、そんで良いよ」  篠田は高野の消費活動を褒めたつもりはこれっぽっちもなかったが、良いと言われたその部分だけを切り取って理解した高野は、フンフンと鼻を鳴らした。  面白くないので話をそらすことにする。  「いつまで眺めてんの。それ」  「へ?」   篠田は顎で高野の地図を示した。よくもまあ延々と代わり映えもしない紙切れなんて見ていられるな! と付け加えてしまいそうになったが、それは飲み込むことに成功した。  代わりに全部表情に出た。  「うるさいな、いいじゃん。面白いんだよ、お店の名前とか、全部載ってるし」  「寄ってあげないからね」   篠田は顔を顰める。高野の寄り道に付き合っていては、いつ目的地に辿り着けるか分からない。  「ちょっとそこで停めてもらっていい?」  「今の話聞いてたか?」  「吐きそう」
 カーナビの表示には『8番街』と出ていた。ここから先は、普段の仕事でもあまり訪れない場所だ。  辺りは薄暗く、ひんやりとした涼気に包まれている。天気が変わったからではない。8番街のアーケードはツタ植物に覆われ、左右の建物もほとんど呑み込まれつつあったからだ。  人の姿も碌にない。  おおかたこの区画は、油断しているうちに何やら生えだしてしまい、伐採が面倒くさすぎて放棄されたのだろう。  枯れた頃に戻って来ようと様子見しているのか、人が離れたことでますます爆発植物楽園と化してしまったか、どちらかだ。  車を路肩に停め、ハザードランプを点ける。助手席の馬鹿が車内で吐いたら大災害だ。ハザードの名には相応しかろう、と篠田は高野を車外へ蹴り出した。   高野は「すまんね」とでも言いたげに手をひらひらと動かし、側溝へと向かっていった。   しゃがんで溝の中を覗き込む。水は予想外に美しく澄んでいた。  これ、側溝かな、と高野は首を傾げた。随分と水深があるようだ。木漏れ日が水中できらめいて、青や緑や黄色に複雑に光っている。そのもっと下は真っ暗だ。どこが底か分からない。   こんなとこに吐くのは申し訳ないなあ、と高野は思う。思ったがそれとこれとは別なもので、迫り来る嘔吐感は否応なしに胃の中身を逆流させた。   すると、不意に水の中を赤色に照らすものがある。なんじゃろな、と訝しんで見つめていると、それは水底の淀みから躍り出た真っ赤な鯉だった。  軽やかに上層まで泳ぎ、ついさっき高野が水面に浮かべた不躾な流動食をぱくぱくと吸い込んでいる。これは運命かな、と確信した高野はむんずと鯉を鷲掴みにした。
「なにあんた、それなに」  「鯉だよ」   車の傍へ戻った高野は、自慢げに捕まえたばかりの鯉を見せびらかした。  「どうしたそれ!」  「いかにも獲ってほしそうな顔でノンビリ浮上してきたから」  「なにそれ。溝にいたってこと?」  「そうそう、そうだよ。どうしよっか。折角の煮物吐いちゃったし、こいつ捌いて食べる?」  「厭だなぁ、あんたのゲロ食った魚でしょそれ」篠田は今世紀最大に顔を顰めた。  「なんで分かった」  「とりあえず。金魚鉢にでも入れときなよ」  車は再び発進する。鯉は大人しく水を湛えた金魚鉢に浮かべられ、ちゃぷちゃぷと左右に揺られた。  かつて煮物が入っていた鉢だが、まだ吐瀉物で汚染されていないと思われる側溝の水を掬って持ってきたのだ。 10分ほど走ると、篠田は好奇心に負けたのか、片手をステアリングから離して鯉をつつきだした。  「こいつ、なんで溝なんかにいたのかなぁ。あ痛っ!」  篠田は急に走った刺戟に手を引っ込めた。まるで、非常に強力な静電気を喰らったように痺れる。 「なんだ今の」  「おお、すごい。こいつ、デンキウナギならぬデンキゴイなのかな」  「そんなやつ、いてたまるか」涙目でヒリヒリする手を振りながら篠田は抗議した。「あんたがまずやられろよ!」  「だから言ったでしょう、運命だと思ったって。こいつにも分かってたんだよ」   相手にしていられない、と篠田は無視してアクセルを踏み込んだ。苛立ち紛れにかっ飛ばしたのが半分。腹が立ったのがもう半分だ。   やがて鬱蒼としたツタの森を抜けた。代わりにアーケードを支える鉄骨からはパステル色の塗装が剥げ、てらてらとぬるい光を反射している。   カーナビの表示は『6番街』と表記を変え、進むべき道を指示する矢印は向きを変えた。ふと見ると、確かに唐突に横道が伸びている。  これが新しくできたっていう横道か、と篠田は納得した。ちらりと高野を盗み見ると、デンキゴイに地図を読ませていた。馬鹿はあてにならない。  「ここで左折」  篠田は一応馬鹿に話しかけた。  「どうぞしてくださーい」   高野は相変わらず鯉と戯れたまま返事をする。篠田はため息をついて一度バックに入れ、車を切り返し、横道に突っこもうとした。が、その直前でブレーキが踏まれる。  「だめだ」  篠田はもう一度溜め息をついた。  「なんで?」  「ちょっとは前見ろよ。この幅、車入らんわ!」   高野がパワーウィンドウを降ろして確認すると、なるほど前進すればバンパはへこんでタイヤが詰まって動けなくなっていただろう。新しくできたという横道は狭かった。  「あとちょっとなのに」  篠田は脱力してシートにもたれた。  「うーん、これはしょうがないよ。要るものだけ持って歩いて行こう」  「そうだね……そうしようか」   車から降りた二人は、カバンや工具箱、必要になると思われるものをトランクから引っ張り出した。それらを片っ端から抱えて歩き始める。  「気が遠くなるなあ」  篠田は両肩に工具入れを掛け、ぼそりと呟いた。  「歩いても一時間ぐらいでしょ」巨大なラージサックを背負い、腕には金魚鉢を抱えた高野が笑う。「楽勝だって」 「カーナビが持っていけないからなぁ」  「だからさ、ほら。買っといて良かったでしょう、地図」  「うーん、認めたくないけど、あとはあんたが頼りだなあ」 「よしきた」   横道を抜けると、別の商店街に出た。  商店街の横にはまた商店街があるという事実は、六十年ほど前から指摘されていて、それは時たまこうして新たな横道が誕生するから明らかになったことだった。ご丁寧にも横道には横道用の小さなアーケードが覆い被さり、商店街同士を繋いでいる。   別の商店街に出ると、アーケードの色はクリームから薄いピンクに変わり、頭上には『5番街』と大書された吊り物が下げられていた。  こうした吊り物自体は、住民が邪魔と感じて取り外さない限り、珍しいものではない。  「これを右に曲がって……途中で通行止めの区画があるから、そこだけ二階の臨時通路に登って迂回する、みたい」  高野が地図を片手にぼそぼそと呟いた。 「ばあちゃん、よくこんな所の地図持ってたな」  高野の言う通り、一時間少し歩いたところで、目印と伝えられていた看板が見えた。『青山理髪店』と書かれたそれは、チリチリと小さな音を立てながら光っていた。 静かに扉を押し開け、中に入ってみる。店内は清潔に整っているが、人気はない。入り口すぐのカウンタには、呼び鈴が置かれていたので、試しに鳴らしてみた。 すると、カウンタの背後にある上り階段からどすどすと足音が聞こえてきて、眠たい牧羊犬みたいな顔の男が姿を現した。  「やあやあ、こんちは、修理屋の人ですよね」  「どうもー、10番街糸電話修理店です」高野が答えた。「えっと、お電話の、佐山さん?」 「そうです。僕が佐山」  そう言って彼は二人と握手をした。  「青山じゃないんだ」  篠田は思わず言ってしまった。 「こっちは借家なんですよ。本当の僕の家はこの隣」  佐山は二人を手で招いて、階段を昇っていった。二階はごくふつうの居室になっていて、現代感あふれる一階とは打って変わったオールド・タイプの木造様式が印象的だった。  そして、廊下の突き当りの��が唐突に破壊されて巨大な穴になっているもの印象的だ。 「僕の家と行き来できるように、壁を抜いたんです。生家の一階は古いから、どうも建付けが悪くて、玄関が開かなくなっちゃったんですよ」 「そうなんですね」  高野は家と家の隙間を乗り越えて言った。腕の中の金魚鉢がちゃぷん、と音を立てる。 「直してほしい糸電話は、この下です」  佐山に案内された先は、彼の生家だという建物の一階だった。  もう営業している様子はないが、こちらはどうやら扇屋だったらしい。薄い硝子のはまった箪笥に、色褪せた扇が何枚も飾られていた。  店の一画に、床面が一段落ちたスペースがあり、そこの壁だけ腰板が外されている。普段は腰板に隠されているだろう位置には、横長の銀色をした蓋があり、『西81番』と書かれていた。 「これですね」篠田は壁に近づき、傷めないようにゆっくりと蓋を開けた。「拝見します」  蓋の中には、十数本の糸が張り巡らされていた。色はどれも同じ白だが、材質や太さがそれぞれ違う。これが彼女らの修理している糸電話の正体だった。  蓋は、糸電話のごくごく一部を覗き込める開口部でしかない。糸はそのずっと先まで、どこまでも長く続ぎ、大きな大きな円を描いてひとつなぎの輪になっている。ちょうど、商店街を髣髴とさせるように。  もう何百年も前から、この糸電話と形容される物体を利用して情報を保存する技術が活用されてきた。糸は一つの大きな輪になっているので、一旦どこかから音を吹きこめば、振動は輪を伝って永遠に流れ続ける。  やがて時が流れ、技術の進歩とともに、音として保存されてきた情報は、振動を0と1に見立てた二進数の情報に変わっていった。今でも、そのやり方で糸電話に大切な情報を保存する習慣は引き継がれている。 「確かに、糸がいくらか絡まったりしているようですけど」高野が中身を覗き込んで言った。「何が保存してありました?」 「声です。祖父の声。データ自体はバイナリで格納したみたいなんですけど」 「あれ。お詳しいんですね。バイナリなんて」  佐山は後ろから興味津々に作業を眺めている。篠田が肩にかけていた工具箱を開き、様々な器具を取り出していく。 「遺言だったんですけど。つい先日ですね。昔、家の7番糸に残したデータがあるから読んでくれって」  「それはそれは……」  高野は篠田からピンセットのような器具――止振子を受け取った。一時的に糸の振動を止めるためのものだ。問題の7番糸がもつれている部分を左右から挟むように数本留める。 「お悔やみを申し上げます」 「ありがとう。まぁ、ですから、糸のデータが知りたくて」 「すぐですよ」  篠田と高野は、二人がかりで手際良く糸のもつれを取り除いた。すぐに止振子を外し、糸の振動を再開させる。情報の喪失を引き起こさないため、職人の腕の見せ所となる作業だ。  次いで復元器と呼ばれる���械を糸につなぐ。こちらは、もつれた糸同士で混線してしまった振動を正しく選り分け、元に戻す機械だ。 「これで作業自体は終了ですね」篠田が腰に両手を当てる。「ですけど、おじいさまが昔に保存されたなら、今とはエンコード形式が違う可能性があります。そうなると、普通の機械では再生できないので、今、私たちが形式を確かめることもできますが……」 「ああ、じゃあ、お願いします。ぜひ」 「分かりました」  二人はカバンからコードを引き出し、端子を糸に接続した。反対側の端子を四角い機械に接続し、更にその機械から伸ばした配線をノートパソコンにつなぐ。これで糸の振動を読み取り、四角い機械、すなわちデコーダに送ることで、圧縮された情報を解凍することができる。そうして初めてパソコンで表示することが可能になるのだ。  ところが、  「あれ?」  篠田は頓狂な声を上げた。 「デコードエラーだ」高野が横からパソコンの表示を見る。「他のデコーダは?」  二人は次々にパソコンと糸の間の仲介をするデコーダを取り換え、いずれかの機種で解凍ができないかを確認した。だが、相変わらず画面にはエラーが吐き出されたままだ。 「おかしいな。形式が古いってだけじゃなさそうだ」 「どういうことですか?」  佐山が顔を曇らせた。 「未知のエンコード方式で保存されていますね、これ」  彼女らは腕を組んだ。独自の方法で圧縮されていた場合、解析するのには途方もない時間を要する。一朝一夕に解決する問題ではなくなってしまうのだ。  考え込む二人の傍で、金魚鉢の鯉がちゃぽんと水音を立てた。 「糸……、端子、電気信号……。電気、あっ。デンキゴイだ」 高野が思いつきに口を滑らせると、すぐさま篠田が反応した。 「お前、いきなり何言ってんの?」 「鯉だよ。この子は電気をピリピリできるでしょ。きっとよく分かんないバイナリも変換してくれるよ」 「あのなあ」 「この子は地図も読める賢い子だって」  怒りを顕わにする篠田と呆気にとられる佐山を尻目に、高野はデコーダを押しのけて金魚鉢をセットした。水の中へ端子を放り投げる。  すると、しばらくの間を置いてから、パソコンの画面に文字列が表示された。 「んな、馬鹿な」  篠田は目を剥き、阿呆極まりない形相となった。佐山が二人の隙間から画面を読もうとする。 「『絡繰時計の発条を巻いてやれ』……ですか?」 「絡繰時計? この文章、正しいですか? 何か心当たりが?」 「ええ、あります。二階の部屋です」  佐山は慌てて走り出し、階段を上り始めた。反射的に篠田も立ち上がり、後に続く。 「ええっ、ついてくの?」高野は金魚鉢を置き去りにした。  佐山が引き戸を押し開いたのは、二階でも一番奥まったところにある部屋だった。  六畳か、八畳ほどはありそうな板間で、部屋の殆どを大きな機械が占めていた。大部分は木でできているように見え、歯車や梃子や滑車がたくさん付いている。中央には円形の文字盤があった。 「止まってる」  彼は小さく息を吐いた。どうやら、時計は気付かないうちに止まっていたものらしい。篠田と高野も時計に近寄り、精緻な技工の妙を眺めた。 「なんじゃこりゃ」  佐山は時計の側面に回り、膝をついた。きりきりと何かを回す音が聞こえる。どうやらそちらに発条があるようだ。  ふと、篠田は高野の肩をつついた。ぱくぱくと口を動かし、酸欠の鯉のような表情をしている。  指は時計の文字盤を指していた。 「なんだよ。どうしたの」  高野もつられて文字盤を見る。文字が書かれていた。時刻の表示とは別だ。中央あたりに、たった一文字だけ、何かが刻印されている。何と書いてあるか分からない、変体仮名のような文字が。 「これ、一文字屋の」  高野がこぼすと、篠田は頷いた。  そこへ、突如として盛大な作動音が部屋に響きわたり始めた。佐山が発条を巻き終えたらしい。時計は動き出し、針も回り、佐山は二人の傍へ歩いてきた。 「ありがとうございます。遺言、やっぱりこれだったみたいですね。祖父はこの絡繰時計に、随分執心でしたから」彼はそろって酸欠の鯉と化した二人を見て、首を傾げた。「どうかなさいました?」 「あのう、差支えがなければで、いいんですけど。この文字は」 「ああ、これですか? これは、祖父のサインです。花押気取りなんですね。祖父がこの時計を作ったから」
 遠いし見送りは不要ですよ、と断ったのだが、佐山は結局二人が車に乗るまで歩いて着いてきた。5番街は来た時よりも少し薄暗くなり、夕暮れ時の静けさを孕んでいた。  二人は改めて別れの挨拶をし、車に乗り込む。Uターンをし、滑り出すように静かに走り出させると、車内のミラーに手を振る佐山が写っていた。  アーケードを透ける光は、どんどん赤みを増し、それと同時に弱く細っていく。商店街は、ごく久しぶりの夜の到来を告げたようだ。  パワーウィンドウを開け、顔に風を浴びる高野が最初に切り出した。 「時間、動き出したね」 「うん」  篠田はヘッドライトを灯した。 「これは、ただの私の想像なんだけど」 「うん」 「時間は勝手に動き出して、私たちも勝手に時計を動かした? それとも、あの時計が動いたから時間も動いた?」 「何を馬鹿なことを。でも」  篠田はわずかに後部座席を一瞥した。一仕事終えて、ぐっすりと眠りこけるデンキゴイが金魚鉢にたゆたっている。 「私もいろいろ思うよ。ばあちゃんはなんであんな新しいとこの詳しい地図を持ってたんだろ。ばあちゃんの屋号はなんで佐山さんのと同じなんだろ。これって、偶然?」 「さあね」  高野は首をひねった。 「この鯉と私も運命だし。鯉と佐山さんの糸電話も運命かも。じゃあ、いっぺんこの鯉をばあちゃんに見せてみて、もしもばあちゃんが逃がしちゃった鯉だったら、この鯉とばあちゃんと佐山さんは運命だったってことかな」  篠田は、ヘッドレストに頭を預け、肩から少し力を抜いた。 「私、いつもスミレの言ってる事よう分からんし、今もだいたい分からんけど、気持ちだけは分かるような気がするよ」  二人を乗せた車は、静かに来た道をひた走った。  早く本店に戻って、セキグチに修理完了の報告をしなければならない。  一文字屋の、皺くちゃの婆さんに鯉を見せるのも。  頭上をどこまでも覆う、クリーム色のアーケード。雨も雷も台風も、今晩は音を立てて騒ぎまわることもないだろう。なぜだか、そんな気がした。  全てを覆い尽くす商店街。その内側で起こるいろいろなことを、やさしく秘密で隠しているような。 
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hiirop8000-blog · 7 years
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Action Stations! (short ver) 「自分のキャラのテーマ曲ほしいよね」 の一心で作曲家の方にお願いした敷島のテーマ曲です ちなみに公開はして大丈夫とのことでお許しをいただいております。
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hiirop8000-blog · 7 years
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暁の空 2
「で、どうするんだ?」  目の前の少年は、まるで挑発するような目つきで彼女を見据えた。 「……もちろん。もちろん、行く」  彼女、川中昴には、少年からの申し出を断るという選択肢は浮かばなかった。  少年の名は敷島。  彼は、昴が長い間憧れ、乗り組むことを夢見てきた、戦艦だった。  その彼が、いつまでもここに留まるつもりはない、出て行く、と言う。  自分はこの艦に「乗せてもいい」と言われた。  乗ってもいいなら、行くしかない。 「言っとくけど、海軍サマにゃ当然話もつけてない。どこまでしつこく追い回されるかは知らねえけど、もちろんそれでもいいんだよな?」  断る、という選択肢は、二度目の問いに対しても浮かばなかった。
 カフェでの会計を済ませた二人は、山を下りることにした。  敷島に乗ると口で言うのは簡単でも、彼の本体である艦体は鹿児島港の沖合にあるのだ。  もう最終便ギリギリになったバスに乗って、港の方へと向かう。乗客も彼女たちの他には一人、二人しかいなかった。  降車する時、昴は敷島の分も払ってやるつもりで財布を用意したが、その必要はなかった。 「オレが一時的に陸で滞在する用の予算も下りてるんだってよ。残念だよな、そこまでした相手に出て行かれんだから」  敷島はケラケラと笑い、隅に佐世保鎮守府のロゴマークが入ったICカードで支払った。  二人は目の前の港を見下ろしながら、バス停前のガードレールに体を預けた。 夜の港は明暗のコントラストが強い。海面は真っ黒。だと言うのに、クレーンや港湾施設、事務所には煌々と明かりが灯り、夜通し荷役や出入港を捌く作業に打ち込んでいる。 「オレは内火艇を使うから、自分のフネまでは戻れる」  敷島はそっと呟くように言った。内火艇とは、大型の艦艇に附属しているエンジン付きのボートのことだ。敷島の本体は沖に停泊しているから、港まではそれで行き来しているのだろう。 「問題はお前だ。海軍サマがご丁寧に不届き者の侵入をチェックしてるからな、一緒には使えない」  そこで、と彼は昴に向き直った。 「まずオレが一人で戻って艦体を動かすよ。適当なところでお前を拾うからさ、飛び乗るか何かしろ」 「飛び乗るか何かって、あのねえ」  昴は呆れて眉を思いっきり八の字にした。 「あんまり無茶苦茶言わないでほしいんだけど」 「まあまあ、そう怒んなって」  敷島は悪びれた風もなく、愉快そうに笑っている。 「これから戦艦と航海へ出ようってのに、多少の無茶がこなせなくてどうする」
 多少で済む無茶ではない。  が、分かったような分からないような屁理屈で丸め込まれた後、昴は一旦敷島と別れて鹿児島港の外れにある防波堤へと向かった。  結局、決まったプランはこうだ。  敷島は艦に一人で戻って機関を始動する。彼の周りには警護の駆逐艦がいるが、それらは戦艦である敷島と比べるとおもちゃのように小さい。よって強引にこれを振り払って港外へと向かう。水深が浅く、一般の商船も行き交う湾内では荒事に出られまい、という読みだ。  防波堤付近まで来ると、危険は承知で彼はぐっと速度を落とし、目一杯防波堤に体を寄せてくれる。ついでに、彼は内火艇や艦載航空機を揚収するための大型クレーンを備えているので、それも防波堤に向けて伸ばす。後は昴が根性で掴まるのみ。  いやはや、何とも意味不明だ。どうにかこっそり忍び込むとか、彼女は別のボートに乗って沖で合流するとか、もうちょっと穏やかな方法を考えてほしかったものだが、そこは流石戦艦か。  力押ししか知らずに生きてきて、実際力押しの一点張りで渡ってゆけるのが彼らなのだ。脳みそが手荒な成分のみで凝り固まるのも無理はない。  ならば、彼女も持ち前の頑固さで応えてやる以外にないだろう。  昴は強情なのだ。  敷島はさっさと自分の内火艇に乗るべく暗闇の中へ歩み去ってしまった。今頃は埠頭で門番から敬礼を受け、カメムシを見るような目で通過していることだろう。彼女は一人おとなしく、鹿児島港の南の外れにある防波堤へと向かうのみである。  昴は海岸沿いの道をずんずん歩く。次第に街明かりは少なくなり、視界を木々が埋める割合が増してくる。ときおり、彼女の頬を夜風が撫でた。髪を払いがてらに空を見る。  星は少なかった。都会に照らされた夜空の色だ。まんまるの月には薄い雲がかかり、水分に光が反射するのか、螺鈿の細工のようにきらきらしている。  やがて、防波堤の近くまでたどり着いた。一応、堤体へ至る道はフェンスで塞がれている。しかし、ここへ釣り人が侵入して注意を受けただの海に落ちただのという話は枚挙に暇がないことから、警備の実態は推して測るべしである。  昴がフェンスの網目に手足を引っ掛けたその時、遠く街の方からサイレンの音が響いてきた。慌ててフェンスを登りきり、内側に着地する。少し乱暴に過ぎたか、足首がじんと痛んだ。  急いで堤体に走り寄り、側面の階段を猛然と駆け上がる。ようやく木々の合間を抜けて海が見えた。水平線の近くでは、港湾施設の煌々たる明かりを背景にして、敷島が黒煙を吹き上げている。彼は巨大な艦体を傾けながら急旋回し、昴のいる方へと向かってぐんぐん速度を上げた。  昴も防波堤の突端へと進んでいく。彼がここに到着するまでは、どうだろう、一般的な大型艦の速度ならば、十五分くらいだろうか。敷島の後ろでは、今まで警備として付いていた駆逐艦たちが慌てて追跡している。  やがて昴は防波堤の終わりにたどり着いた。敷島は刻一刻と近付いている。そのうち、敷島の主砲塔――彼の艦体の前後に二基ずつ装備された最も強力な砲――が旋回を始め、真横を向いた。遅れて駆逐艦たちが諦めたように追跡をやめていった。おおかた性質の悪い脅しでも仕掛けたのだろう。  そしてクレーンも横を向き始める。もう、距離はほんの1kmほど。思ったより到達が早い。目算よりも速度の出る艦だったか。  敷島は徐々に速度を落としていく。  モールスの発光信号で「がんばれよ」と適当極まりない声援が送られる。  言われなくても頑張るか大怪我かの二択だというのに。  昴はぐっと身構えた。彼の巨大な艦体が、防波堤を掠めるように通り過ぎていく。ここまで集中し、緊張した状態でなければ、呆気にとられて見惚れていただろう。クレーンがあるのは艦体のほぼ中央部。もう少しだ。ロープを低く垂らして、すぐ傍まで来ている。敷島はもうほとんど徐行みたいな速度。  昴が今だとばかりにロープへ飛びつこうとした時、クレーンは一段と首を低くした。堤体の縁に絶妙な具合でフック部が引っかかる。ありがたい、と昴はその機会を逃さず掴まった。徐行とはいえ、元の速度のままでフックの金属に体当たりでもしていたらさぞ痛かったろう。  そのまま昴の体はロープと共に防波堤を離れ、海上に躍り出た。クレーンは、彼女を振り落とさないようにゆっくりと甲板に向かって回り始める。敷島の艦体は再び加速を始め、眼下の海面を派手に蹴散らしていく。  徐々に壮大な威容を誇る敷島の艦体が近付いてきた。思わず息を呑む。遙か高く聳えるマスト。要塞のような上部構造物。重厚で武骨な主砲塔。無数に生えた機銃や高角砲の針山。  昴はそっと甲板に下ろされた。予めクレーンの真下で待っていたのだろう、すぐに茶色い撥ねた髪の少年が近寄ってくる。 「よう、よくやったな」 「見たかこんにゃろう」 「見た見た。失敗してたら、そのまま置いてってやろうと思ってたけど」  敷島は悪戯っぽく笑み、両腕を軽く広げてみせた。 「ようこそオレへ。戦艦敷島はお前を歓迎しよう」 「そりゃありがと。で、これからどうするの?」  街と港の灯りは、もうかなり遠ざかっている。ひとまず、第一関門はクリアといったところだろうか。 「あー、それだな。状況整理といこう。……どうだ? 折角だし、艦橋に上がるか?」 「え、いいの?」  敷島は意外なほど簡単に頷き、昴を先導した。
 艦橋は、船を動かす上で必要な機能が集約された場所だ。もちろん非常に重要な存在といえる。敷島のそれは、要塞のように見えた上部構造物の上層に位置していた。 二人は機銃と高角砲の隙間を縫うように甲板を移動した後、水密扉をくぐって艦内に入った。  敷島の小さな背中を見ながら、複雑に絡み合う通路を抜ける。自分の乗る艦の構造を体に叩き込むのも乗員の訓練の内だが、なるほどこれは骨が折れると実感した。 エレベータに乗り込み、しばし揺られる。  扉が開くと、そこが敷島の艦橋だった。  フロアの一面に計器や画面や操作盤、双眼鏡に電話機といったものがひしめいている。  無機質な素っ気ない空間。しかし、敷島のようなフネたちの中では数少ない、人間のために空けられたスペース。  だって彼らは、自分だけの力で自分の体を動かせるのだから。人間が艦を動かすための設備なんて、本来は用意してやらなくてもいいのだ。  敷島に促され、昴は遠慮がちに艦橋の中へと足を踏み入れた。  控えめながらもきっちり視界は確保するように設けられた窓からは、ただ真っ黒な海と、行き交う船の明かりだけが覗ける。 「さて、お前にはこの席を提供しよう」  敷島は窓際の一画にある椅子をくるりと回した。それはかなり高めの位置にあって、一度踏み台を上ってから腰掛けるような代物だ。  昴は言われるまま傍に寄る。様々な機器に囲まれた中だが、腰掛けてみると案外窮屈な心地はしなかった。 「艦長サマ用の特別席だぜ」 「それは、ありがとう」  昴は自然喜び、思わず頬が緩んだ。退学が決まって、永遠に乗ることはないと思っていた大型艦の、頂点みたいな椅子にあっさり座ってしまった。 「ところでさ」 「どうするか、だろ?」 「それもだし、まず状況を確認させてもらわないと。今どうなってるの? 追っ手は?」  ああ、それなら、と敷島はどこか遠くを見遣る。 「諦めて帰らねえと市内に砲弾ブチ込むぞって警告したから、沿岸を離れるまでは大丈夫だろ」 「なんという狼藉を」 「つーわけで、暫くはそれで安泰だな。その後まで大人しくしててくれるとは思えねえが」  そこまで聞き、昴は一瞬だけ手元の操作台に視線を落とした。大小の画面や電話機が集中的に配置されていて、この椅子の重要さを物語っている。 「じゃあ、この艦の状態は? 整備状況は万全?」 「砲弾、機銃弾、艦載機、艦載艇は全て定数搭載だ。真水と燃料は半分だけ。他は問題なし。オレが港で浮かんでた時はまだ点検のためのドック待ちだったからな、変に手は入れられてねえよ」 「なるほどなるほど。で、この艦はどこに向かおうとしてるわけ?」 「ノープランだ」 「はぁ?」  思わず素っ頓狂な声が出た。 「燃料は途中で補給艦でも捕まえてさ、脅して搾り取ればいいだろ。どのみち沿岸を離れた時点で付いてくるなって警告は意味がなくなるからな、今のうちに南下して日本から離れられるだけ――」 「ちょちょ、ちょっと待った」 「あん?」  戦艦って本当に脳みそまで筋��でできてるんだ、と喉まで出掛かったが辛うじて堪える。 「さすがに無理があるでしょ」 「そうかぁ?」  どの面を下げて言うのか、敷島はどこか不服そうだ。昴は頭を抱えた。 「そう都合よく補給なんて手に入るわけないでしょ。しかも逃げ切れるかさえ不確かじゃんそれ」 「つっても……」 「とりあえず、とりあえず。今ある燃料でどこまで行けるの?」  敷島にとっては自身の空腹具合だから感覚で分かるのかもしれないが、昴には数字で言ってほしい部分だ。 「今は全速航行中。三十ノットで燃料の搭載が半分だからな、二千海里は行けるだろ」 「三十ね、随分早いんだ……ってマジ?」 「マジマジ」  敷島は得意気に胸を張る。確かに戦艦の体重で三十ノットも出せるのなら、それは充分誇りになる……というよりも、今までそんな艦は聞いたことがない。  この期に及んで下らない嘘をついても仕方がないし、やはり自分は思っていたよりとんでもない艦に乗ってしまったということだろうか。 「そっか、じゃあそれを信用するとね」 「おー。話してみろ」 「針路は東南東に取った方がいい。そっちにだったら、逃げられそうな場所がある」 「何だよそれ。どこに?」  敷島はじろりと湿っぽい目で昴を睨みつけた。だが、今度は昴が腰に手を当てる番だ。これみよがしに鼻から息も漏らしておく。 「あんた、生まれたばっかりだって? なら知らないでしょう、世間のこと、なぁんにも」 「何だよ。文句あんのか」  湿っぽく睨む目つきの湿度がさらに上がった。しかし、椅子に座った自分よりもまだ低い位置から睨まれたところで、ただオモシロいだけだ。 「ちょうどいいや。海図出してくれる?」  口を斜めに突き出したまま、彼はディスプレイの一つに海図を表示した。日本の本州近辺の海が映されている。最近の軍艦は、画面も液晶にフルカラーと大変読みやすい。いいことだ。  昴は紀伊半島の遥か南に離れた海域を指差した。 「このへん。ほら、プレアデス自治領っていうのがこのへんにあって」  敷島も少し背伸びをして画面を覗き込む。 「ここはプレアデスっていう情報収集艦の縄張りなの。ここに逃げ込もう。そしたら海軍の艦は追ってこれない。距離も千五百海里ぐらいだから、大丈夫でしょ?」 「しっかし、受け入れるかね、オレたちを。こちとらお尋ね者の厄介者だぜ」  茶色い頭が首を傾げた。こういう仕種だけ見ると、まだ愛嬌があると言えなくもない。 「君、生まれたばっかなんでしょ? 情報を売ればいいじゃん、プレアデスに。あの艦なら買うよ、絶対。まだ誰も見たことがない戦艦のスペックなんて、喉から手だと思うけど」  ついでに給油も要求したってお釣りが出るんじゃない、と言い放つ。 「そうか、そういうのもあるのか」  敷島はしばし考え込むような素振りを見せる。しかしそれも一瞬のことで、すぐにこくりと頷いた。 「おし、それでいこう」  再び自信に満ちた眼が昴を見据えた。自分にできないことはないと知っている色の光だ。 「転針する。取舵だ」
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hiirop8000-blog · 7 years
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暁の空 1
ともだち いえるかな         さく・え  あがの まゆみ
ともだちのなまえ いえるかな だれがいる? いぬ ねこ ふね わんわん ほえるよ しばいぬの しろ にゃあにゃあ なくよ みけねこの たま おしゃべり とくいだよ いちばんの ともだち おふねの……
 高千穂丸は、広い鹿児島湾を移動するための重要な足の一つだ。  あまりに大きなこの湾は、対岸まで架橋することすら適わない。無闇に陸路で行けば、車でも丸一日……などという憂き目に遭いがちである。そこで、高千穂丸を始めとした「かごしまシーライン」の世話にならない県民など一人もいなかった。  彼女は、後部デッキのベンチに腰掛けて鹿児島港の夕景を見つめていた。家々には光が灯り始めていて、その中で持たれているだろう団欒の時間を想像させた。  空はまだ少し明るいが、海面はもう墨汁のような黒さに染まっている。そこへ散漫に反射する陸上の光が、彼女の目には無性に空しく届いた。  やがて高千穂丸は港の一画に停泊する。彼女は普段使いの肩掛け鞄を手に取り、立ち上がった。  舷門に近付く。高千穂丸はそれほど大きくない船だ。桟橋がすぐ傍に見えている。 船の手すりは一部分だけ切り欠きになっていて、そこが船の乗降口になっていた。その両脇には二人の人影が立ち、乗り降りする乗客に挨拶の声をかけている。彼女は船を下りる直前、彼らに話しかけた。軽く、短く。いつもと同じように。 「ありがとうございました」  まずは、安全な運航を提供してくれる船長に。  そしてもう一つは、 「おつかれさま。高千穂丸」  この船自身である、彼に。 「こっちこそ。いつも、ありがとうございます!」  元気に手を上げて返事をした彼は、小さな子供の姿だった。溌剌として、人懐こい性格。毎日少なくない数の客を乗せ、湾内を駆け回る小ぶりな客船。  そう、船は。  船というものは、二つの体を持っている。  海の上を滑り、波に身を沈める鋼鉄の肉体と。彼女たち人間と変わらない形をした、親愛なる友としての肉体とを。
 彼女、川中昴は、この一年間を過ごした仮の住まいへと舞い戻った。室内は既にあらかた片付き、何もない。元から彼女はあまり物を持たない性質だったから、わずかの荷物整理でほとんど部屋の中は空っぽになってしまった。今あるものは、「不用品。捨てて下さい」と紙を張り付けた段ボール箱が二つ。それに、備え付けの家具が少しだけ。  彼女は海軍学校の学生だった。成績は下から数えた方が早かったものの、一応難関とされる試験を突破して入学したからには、ゆくゆくは幹部となる人材を育成する学科で頑張っていくはずだった。  けれども、色々あった。色々ありすぎた結果――それは思い出したくないことばかりだけれども、ともかくも中途にして退学、寮であるこの部屋からは追い出され、どこかへ身を移すこととなったのだ。  彼女は鞄から数冊の本を取り出し、机の上にそっと置いた。それは、学校で使ってきた教科書だった。できるだけ最後まで持っておきたかったが、それもここまでだ。ここの生徒でなくなった者は、これを持っては行けない。  彼女は今日を限りに、寮を引き払わなければならない。 それは二週間前から決まっていたことだったが、いざその時がやってくると、溜め息さえ漏らすことができなかった。
 部屋から出て、鍵を閉める。もう、自分のものではなくなった部屋だ。踵を返して、暗い廊下を歩く。  エントランスで、寮監に鍵を返した。干渉しすぎないが冷たくもない、良い人だった。彼女がもう戻らない外出をする時、寮監は言葉をかけなかった。彼女にとっては、ありがたかった。  風は生ぬるく、日のすっかり落ちた空は群青色の夜の帳を落とした。 行くあてがない。  退学が決定して、書類を受け取って、寮を出る期限までの二週間。普通、退学者は、この期間を国許へ帰る準備や、別の住居を見つくろう時間にあてる。そのために与えられた猶予だから。  でも、彼女はそれをしなかった。  あてのない彼女は、行きつけのカフェへ歩みを進めていた。暇さえあれば、通い詰めた場所。頭で考えなくても、脚は勝手に正しい道順を追いかける。  きつい坂道を登った。鹿児島港の沿岸には、なけなしの平地と、すぐ背後に迫った山岳があった。平地には背の高いビルや港湾施設が所狭しと立ち並び、いつ見てもイルミネーションのように煌びやかな輝きを放っている。  それに対して山の方は、斜面を切り崩して通した道路や民家が肩を寄せ合うように張り付いている。彼女は家と家の間の石段を登り、高台の広場を通り過ぎた。そもそも寮が山の高いところに位置していたこともあって、山頂近くまでやってくるのに三十分とかからなかった。  一見、路地の裏に入っていくような細い通路に身を滑らせる。やがて左右は木製の塀になり、綺麗に剪定された蔦の植物に覆われていく。角を曲がると、整えられた庭と一軒の瀟洒な建物が現れた。  かつて、西欧の外交官が滞在する際の小邸として建てられたという触れ込みのそれは、いつからか軽食を楽しめるカフェとして改装されたということだ。  店内に入ると、穏やかなメロディのピアノ曲が流れていた。温室のようにガラスを張り巡らされた一角へ席を取り、肘をつく。それほど間を置かずして、ウェイトレスが注文を取りに来た。 「ホットミルクティーひとつ。サーモンサンドのセットで」  大してメニューも眺めずに彼女が言うと、ウェイトレスは軽くお辞儀をし、メモを書き付ける音をさせてから離れていった。  席は、小ぶりな店の外見からすると意外なほどゆったりとしている。あとは、注文の品を届けに来る時以外に誰かが近寄ることもない。引き続き頬杖をついて、彼女はただぼんやりとした。  壁に向かうように設えられた席に腰を落ち着けたため、眼前には一面のガラス張りを通して港が見える。山の頂上近く、海を見下ろせる最高の立地。これが、彼女が店を気に入る一番の理由になっていた。  試験に向けての勉強をする時、とにかく時間が余った時に、幾度となく眺めてきた鹿児島港の景色。今日の彼女は、身の振り方を考えろと否応なく迫ってくる現実からそれでも目を背けるためにここへ来た。  そう……、忙しなく鹿児島港を出入りする客船、貨物船、タグボート。そして、彼女がいつの日か乗り組むはずだった軍艦。これまでの人生で、あの学校で、ずっと憧れてきたものがそこにあった。  特に最近の鹿児島港は、格別だ。数日前から、見慣れないフネが現れた。 港の中央の方、埠頭からは二キロメートルほど離れたところだろうか。どかんと一隻の軍艦が陣取っている。  巨大。途方もなく巨大だ。その艦を形容する言葉は、それで充分。冷ややかな鋼鉄の塊。明らかに他の軍艦とは一線を画する威圧感は、その艦が「戦艦」と呼ばれる種類の軍艦だということを無言で示している。  彼女は、戦艦をこれほど間近のものとして見るのが初めてだった。なにしろ、他の種類の軍艦と比べて、数がとても少ない。  名前も知らないあの艦を見る度に、彼女は静かな興奮に包まれる思いがした。自分が乗れるはずもない艦。退学にさえならなければ、いつか乗れたかもしれない艦。ずっと乗りたかった艦……。 「何を見てるんだ?」  唐突に声をかけられた。一瞬、反応が遅れる。自分のことか? 彼女は、声がした方を振り返った。  小柄な少年が立っている。撥ねた茶色の髪。学生服のようにも見えるシャツとカーディガンを着ている。自分より幾らか年若い。 「えっと���…誰? 私の知り合い?」  彼女はやや投げやりに答えた。普段なら、もう少しは不自然でないように応対する。でも、今日という日はそんな気力が残っているとは思えなかった。 「いや。お前なんか知らない」  知らない、と言われたことで彼女は安堵した。学校で起きたことの嫌な記憶は、一瞬鎌首をもたげただけで消えてくれた。少年は彼女の隣の椅子に腰掛け、彼女の方へずらして距離を詰めた。 「あの艦か?」  少年は彼女の方を見ないまま質問を投げかける。少年もまた、あの巨大な艦を見ているようだった。 「あの艦だよ」  彼女は答えた。知らない奴と会話するのは疲れたけれど、適当に切り上げてこの場を離れる方法を考えることはもっと疲れた。 「ねえ、君はこんな遅くにウロウロしてていいの? 家に帰ったほうがいいんじゃない?」  だから、これも別に、席を立たせようとして言ったわけではない。浮かんだ疑問が何の脳細胞も通過しないで外に出ただけ。 「オレは帰らなくていい。てか、それを言うならお前もだろ」 「私、もう帰るとこなんてないもの」  ここで、背後からウェイトレスが皿を運んできた。注文したサンドと、ソーサーに乗った熱い紅茶。軽く頭を下げて、二つを受け取る。カップにミルクを注ぎ入れながら、彼女は続けた。 「家、なくなっちゃったから」 「そうなのか」  少年は、それ以上追及をしなかった。その代わりに、あの質問を続けた。 「なんで、あれを見てたんだ?」 「え?」 「あの艦だ。見てたんだろ」 「……そうだよ。で、特に理由はない。でも珍しかったし……私は海軍の学校にいたから」 彼女はミルクティーに口をつける。 「何で君はそれを訊くの」  少年は彼女の顔を見た。口角が上がった気がする。見間違いだったかもしれない、と思う程度。 「あれはオレだから」 「え?」  彼女は、二度目の台詞を口にした。きっと間抜けな顔をしていただろう。  信じて良いのか分からない。適当な嘘かもしれない。少年の答えはあまりに予想外だ。でももし、本当だったら? そんな訳はない。いや、でも、自分の目の前にいる少年が、あの戦艦だったとしたら? 「なんて?」  やっと返せたのがこれだった。やっぱり間抜けだったことだろう。 「オレは敷島。あそこの戦艦だ」 「嘘つけ」 「んな嘘ついてどうすんだよ。見てろ」  そう言うと、少年はガラスの向こうを指差した。黒々と聳える戦艦、敷島と言ったか、それを指し示している。すると、敷島は発光信号用のライトを一瞬だけ光らせた。あの種類のライトは、限られた狭い範囲にだけ光線を照射する。つまり、今の光は明確に彼女へ向けていたということだった。 「いや、待ってよ」  彼女はかぶりを振った。 「全然イメージと違うじゃん、そんな。だって君はちっちゃいし、ホラ、戦艦って……もっと大男ー、みたいな感じじゃなくて良いの? それに、夜中に街中をフラフラほっつき歩いて。軍規はどうなってんの」 「意味分かんねえイメージ持ってんじゃねえよ。他の船だって体格なんか関係ないだろが」  少年は、彼女がほとんど手をつけていないサンドを一枚ひったくって囓った。 「それに、オレは良いんだよ。ここの、あー、カイグン? それに入るなんて言った覚えは微塵もねえ」 「でも、君はあそこにいるんでしょ。この、鹿児島港の、軍港区に」  彼女は少年を凝視している。心が少し昂り始めているのを認める。未だに半信半疑ではあるけれど。 「そうだ。連れてこられた」 「連れてこられた?」 「ここの海軍の艦に取り囲まれてな。今だったら全員海の底に叩き込んでやるけど、その時は生まれたばっかで、何も分からなくて」  生まれたばかり。少年はそう言った。  その通りだ、誰もが知っている通り、船は海の中から生まれて、死ぬ時は海の中に還っていく。  広大な、人間が住む土地より何千倍も、何万倍も広い海のどこかで、毎日船が生まれては死んでいく。  船は、自分たちの気が合うもの同士、利害が同じもの同士で徒党を組んだり、自分たちの国を作ったりする。そうでなければ、ひとりぼっちで暮らすか、人間と共に働き、人間と共に生きるものたちもいる。  彼は貴重な戦艦だ。何百、何千という船の中に、たった一隻いるかどうか。  他者を圧倒する大きさと重量。屠れぬものはない最強の砲で武装し、いかなる攻撃も受け付けない最強の装甲を備えた艦。  まるで冗談のようだけれど、これが戦艦という存在の定義であって、だからこそ、 「すぐ見つかって、すぐ連れてこられたって訳?」 「そーゆーこと。でもオレは微塵も同意した覚えはない。今ならもう体も思い通り動かせるし、他人の言いなりになって働くなんて真っ平だ。だから今夜限り、出て行くことにしたんだけどな」  少年は、傍若無人にももう一切れのサンドを掴み取って頬張った。 「ま、最後に陸地の観光」 「そういう、こと、なの」 「お前は?」 「私?」  彼女は意表を突かれて目を丸くした。いきなり話題が自分のことに帰ってくるとは思っていなかったからだ。 「お前は今まで何してた? これからはどうするんだ?」  少年は真っ直ぐに射貫くような目つきだった。胸にナイフを突き立てられたみたいに、動けなくなる。  どうして少年が自分のことに興味を見せているのか、彼女は逡巡した。戦艦とは、もっと傲慢不遜で、周囲を顧みなくて、唯我独尊なのではなかっただろうか。音に聞く戦艦とは、どれもこれもそんなものだ。  いや、確かにこの少年の態度も、既に尊大ではあるのだが。 「私は……何もすることがないよ。何も決まってない。もともとは海軍の学校にいたけど、追い出されちゃった」  彼女は港の方を眺めるふりをして、ようやく少年から視線を外した。ついでに、ぬるくなってしまった紅茶も口に運ぶ。 「今までは寮に住んでた。実家はね、ずっと東の離島で……飛行機で丸一日かけて来るんだ。でも、そこには帰れない。家を出る時に、母さんと喧嘩したから。私はずっとフネに乗りたかった。強くて、大きい、軍艦に。でも、それもダメになっちゃった。もう何も、できないや」 「……ふぅん。つまり、お前は艦乗り志望で、失敗して、まあまあ無残な有様って訳か」 「うん。君の言う通りだよ」 彼女は両肘を机について、ティーカップで顔を隠した。 「そうか。そうなのか」  少年は芝居がかった仕種で腕組みをして、何度か頷いた。口元には明らかな笑みが浮かんでいる。 「なあ」  彼はこちらに向き直る。そして、この日出会ってから最大級に尊大な態度で、心底面白いものを見つけたという表情で、こう言った。 「お前、オレと一緒にここを出ないか?」
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hiirop8000-blog · 7 years
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現在絶賛準備中
好みのテーマの選定、htmlとcssを自分好みにいじる、一通りの投稿テスト、などなどまで終了。 せめて、パイカイカムイとカズクチの話にタイトル考えて、主な登場人物一覧のページを作ったら、「準備中」の標識を下ろしてツイッターでリンクを呟こうかな。という感じ。
よろしくおねがいひやしんす。
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