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#アメリは6つの国に別れる
ari0921 · 3 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)12月26日(土曜日)
 暴動が起こり、米国の分裂状態は悪化する
  アメリカは六つに分かれるとロシア・アカデミーの学者
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 大統領選挙前後からアメリカは完全に分裂し「現代の南北戦争」の様相を呈していた。
 香港のひそみにならえばアメリカは「一国二国民」となったのではないか。中国はアメリカに代替できる覇権を狙うから米国分裂は欣快な出来事である。
 ロシアでは「アメリカ分裂は六つに割れる」と先走った主張をする学者がいる。それも珍説や暴論ではなく、歴としたロシア・アカデミーの学者が唱えているのである。
 嘗て筆者は「中国は十六に分裂する」と予測し『中国大分裂』(文藝春秋ネスコ)という単行本を上梓した。李登輝元総統は「中国は七つに分裂するのが適切」と言い出された。中国は不快感を覚えたのか、『亜州週刊』が李登輝総統非難とともに「分裂論に同調する日本人たち」として中嶋嶺雄、長谷川慶太郎、そして筆者の名前を挙げたこともあった。
 旧ソ連は崩壊後、十五に分裂した。
 ユーゴスラビアは東西冷戦崩壊で共産主義独裁政権が消え、七つに分裂した。
 イラクは三つに分裂状態だが、まだまとまっている。スペインのバスク地方など多数の国で分裂運動が起きている。カナダからニューカレドニアまで分離独立運動がある。
 米国は南北戦争で60万余の犠牲を出し、ようやく統一され、星条旗の下に「アメリカ人」というアイデンティティでまとまってきた筈だった。しかしベトナム戦争以後の価値紊乱とキリスト教の伝統的価値観を冒涜するようなLGBTQが象徴する左翼運動が蔓延した。歴史の英雄である銅像を次々と破壊し、差別とかの言いがかりをつけた暴力事件が頻発、そうした破壊的思想を蛇蝎のように嫌う南部の敬虔なキリスト教徒、エヴァンジュリカルらは絶望と希望の狭間を行き来しながらも伝統を守る運動を組織した。
 四年前にトランプを支持し支えたのはこの伝統的な人々だった。
 選挙結果が露骨な分断状況を晒した
 北東部から東海岸は極左的社会主義が蔓延り、ラストベルトの旧工業地帯には資本主義の絶望が聞かれ、南部から中西部は敬虔なキリスト教地盤にチカノが入り込んで混沌とし、西海岸は正真正銘の左翼の牙城となった。
 リーマンショック直後にもロシア外務省学士院学部長のパナリン教授が米国が六カ国に分裂すると主張したことを思い出す。
(1) カリフォルニア州を基軸とする西海岸は「カリフォルニア共和国」となり中国とべったりの外交を展開する。
(2) テキサス地域(南部)は「テキサス共和国」となり、メキシコとの関係が濃厚になる。
(3) 北東沿岸は「アトランティック・アメリカ共和国」(北東部から東海岸の大西洋沿岸部」。
(4) 中西部からラストベルトは「中北部アメリカ共和国」となりカナダとの結び付きを強める。
(5) アラスカはロシアに還す。
(6) ハワイは中国の保護国となる
などとする予測である。
さてどうなる?
               (北国新聞「北風抄」12月18日から再録)
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monqu1y · 3 years
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国連人権理事会 国連がどれだけおかしなことが起きる場所か知りたいなら、人権理事会がどのような国に支配されているかを考えてみればいい。中国、キューバ、ベネズエラ。世界でも有数の人権侵害国だ。
 市営住宅集会所で、次の講演を続けて聞いた。  演題は「国連人権理事会」。内容の要点は次の通りだった。  トランプ米政権が2018年6月19日、国連人権理事会からの脱退を表明した。ポンペオ国務長官はその理由として、中国やロシアといった「人権侵害国」が理事国になれるような仕組みは受け入れがたいことなどを挙げた。  米国務省にポンペオ長官とともに現れたニッキ・ヘイリー国連大使は、「偽善的で自己満足のための組織、人権侵害国の擁護者で政治的偏見の汚水槽」などの激しい表現で国連人権理事会を批判。トランプ政権が1年前から求めていた国連人権理事会の「大規模かつ抜本的な改革」が一向に進まない以上、「米国が残留して正当性を付与することはできない」と脱退を宣言した。  国連人権理事会の理事国は47か国で、任期は3年。国連加盟国を五つの地域に分けた上で、理事国の数をアジア13、アフリカ13、ラテンアメリカ8、東欧6、西欧その他7と割り当て、国連総会での無記名投票で過半数以上の票を得られれば、票数が多い順に当選する。  ところが、同じ地域内で候補となる国を事前に調整したり、票のやりとりをしたりすることから、人権侵害が指摘される国でも比較的容易に当選が可能になっている。2006年の発足以来、107の国が理事国を務めたが、中には中国、ロシア、ベネズエラ、コンゴ民主共和国、サウジアラビア、パキスタンといった、国内の人権状況が決して芳しいとはいえない国々も名を連ねる。  一方、国連加盟国にはイスラエルと敵対してきたイスラム諸国が多く、国連人権理事会も例外ではない。ヘイリー大使は、この1年で国連人権理事会が採択したイスラエル非難決議は、北朝鮮、イラン、シリアを批判する決議の合計よりも多いことを挙げ、「理事会は、人権を擁護するためではなく、政治的偏向を押し通すための組織になっている」と述べた。  トランプ政権は昨年6月以来、「各地域が理事国の割り当て枠よりも多くの立候補国を出し、無風選挙にならないようにする」「総会で行う理事国選の投票は記名制とする」「国連人権理事会で特定の国を集中的に議題にすることはやめる」などの改革案を提示したが、ほかの加盟国から十分な賛同を得られず、改革は進展していない。  国連人権理事会が完璧でないことは、国連の加盟国に対して時として的はずれな批判を展開することにも表れる。例えば、日本は昨年、国連人権理事会の特別報告者から「慰安婦問題にからみ、政府が歴史教科書に介入することは不当であり、教科書検定の見直しが必要だ」といった批判を受けた。日本政府は、報告者の主たる情報源はうわさや伝聞情報だと抗議したが、受け入れられなかった。  脱退表明の前日、ザイド 国連人権高等弁務官 ( よるだんしゅっしん ) が、トランプ政権の移民政策を‘unconscionable’と批判した。不法入国者への厳しい対応が[人権侵害]だというのだ。  ニッキー・ヘイリーは、国連大使を辞めたあと、講演を行った。  国連がどれだけおかしなことが起きる場所か知りたいなら、人権理事会がどのような国に支配されているかを考えてみればいい。中国、キューバ、ベネズエラ。世界でも有数の人権侵害国だ。  真の民主主義国家は日常的に罵られている。世界中で何億人もの天与の権利を保護してきたアメリカは、あからさまに批判されている。
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 なぜ私がこんな話をしているのか?  多くの大学キャンパスが国連と同じくらい反米になった、つまりアメリカが道徳的に遅れた国だと見なすようになったからである。  そして、これを正すことができる唯一の人物はあなたである。  たいへんな重荷を背負うことを求められているように聞こえるのなら、まさしくそれこそが私が求めていることだからだ。  あなたにその能力がないと思っているなら、私はこんなことを頼みはしない。あなたにはその力があると心から信じている。  私は数多くの大学で講演を行った。ほとんどの学生には、この国に対する直感的で揺るぎない愛があると私は確信している。だからこそ私はアメリカの未来について楽観的なのだ。  しかし、声を上げるのが難しいこともわかっている。  大学当局はあなたの味方ではないだろう。  簡単にできることだとは私も思わない。しかし、これは必要なことなのだ。  では、私はあなたに何を頼もうとしているのか?  勇敢になることだ。あなたの権利を守るために声を上げることだ。アメリカを守ることだ。友だちと話すときに。大学の教室で。キャンパスで。あなたがどこに行くときでも。  声を上げることは、無礼になることでも、ましてや暴力に訴えることでもない。  それは、事実を確かめ、明瞭に、そして目的をもって真実を語ることだ。そして、もしあなたが真実を話しているのなら、クラスメートや教授があなたを愚か者のように見せようとしても、…。  …私の場合で言えば193の政府の代表者が私を愚か者のように見せようとしても、けっして引き下がらないことだった。  アメリカを守るには、アメリカの歴史を知る必要がある。最近の歴史教育の質が落ちたことを考えれば、授業以外に自分で学ぶ必要があるかもしれない。  自分でアメリカの歴史を調べよう。自分自身で態度を決めよう。  まず、一次資料にあたることだ。独立宣言、憲法、フェデラリスト・ペーパーズ、ジョージ・ワシントンの辞任挨拶、ゲティスバーグ演説、リンカーンの二期目の就任演説。そこから広げていけばいい。  アメリカを現実と比べているのであり、ユートピアと比べているのではないことを常に心に留めておこう。  また、現代の基準ではなく、当時の状況に照らし合わせて人々を評価する必要があることも覚えておこう。そうすれば、間違いなく私と同じくらいこの国を好きになる。  アメリカには、語る��き素晴らしいストーリーがあるしかし、まずあなたがそれを語る勇気を持つ必要がある。前の世代にとっての人種的平等を求める戦いは、あなたの世代にとっての言論の自由や知的自由を求める戦いだ。あなたは最前線にいる。あなたは反逆者だ。  私が生きてきた中で、これほど多くのアメリカ人が、何を考え、何を話すことが許されるのかを日常的に指図され、抑え付けられるような時代はなかったと記憶している。  では、アメリカでは何を話すことが許されているのか?  アメリカの一流大学において「洗練されている」と考えられているトレンディーな考え方とは何なのか?  多くの場合、人権理事会のならず者たちが信奉する考え方とまったく同じである。  いわく、アメリカはレイシストだ。いわく、アメリカの問題の根源は資本主義だ。資本主義こそ、何十億もの人々を貧困から救った唯一の経済システムなのに。いわく、社会主義は至福だ。いわく、言論の自由はそれほど重要ではない。  これらはとても悪い考え方だ。完全な間違いでもある。  アメリカはもっと良くなることができるし、良くならなければならない。その点に疑いはない。私たちの前には困難な作業が山積みだ。しかし、アメリカの民主主義や、アメリがすべての人に提供してきた機会に関して中傷をやめないのなら、ずっと酷い将来が待っているだけである。  アメリカを何か別のものに作り変える必要はない。たしかにアメリカは完璧ではないだろう。だが、あらゆる人種、民族、宗教の人にとって、これほど寛容で、裕福で、自由な国が世界の歴史上存在しなかったことも偶然ではない。  国連大使として働いていたとき、私は言論が保護されない国々のことを知るようになった。  政府与党の見解に異議を唱えるとき、オンライン・ハラスメントや悪い成績よりももっと酷いことを覚悟しなければならない国々だ。  あらゆる価値には代価がある。  しかし、その代価は支払う価値がある。なぜなら、アメリカにはその価値があるからだ。  真実を話すのは困難である場合も多い。だからこそ、勇気が必要だ。  アメリカと自由を守るために多くの人が死んだ。誰もあなたの命を賭けるように頼んではいない。しかし、あなたの世代が立ち上がるべきときがきた。  手を 拱 ( こまぬ ) いてたら、あなたの国も、あなたの自由も失うことになるだろう。
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syupii · 5 years
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渡辺麻友プレミアムバースデーイベント 2019/3/24(日) 第2部
3/26に25歳のお誕生日を迎えるまゆゆ。これはまゆゆのお誕生日イベントに行った時の話。時間は1時間半くらい。まゆゆは今回も可愛かった。そしてまゆゆ節が炸裂。
・会場はイクスピアリ。舞浜駅のすぐ近く。初めて行く場所で建物の構造がいまいちよくわからなかったため同じところをぐるぐる回っていた。どうにか時間内に無事に着いた。
・スタッフさんがチケットのQRコードを確認。グッズ販売の待機列に並ぶ。既に大勢来ていた。 カレンダーとクリアファイルを買った。思ったほど余裕で買えた。ペンライトはファンミの時に買ったので買わなかった。この後は空いてた。ちなみにグッズは後日に通信販売された。
☆販売されたグッズ
・まゆゆオフィシャルカレンダー2019(A4サイズ) 2,200円
・まゆゆクリアファイル(2枚セット) 1,200円
・オフィシャルペンライト 1,200円
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・13時頃に第1部が終了したようだ。
会場前にバースデーメッセージの記入スペースがあった。そこでメッセージを書いた。
・スタッフさんの誘導で4列に並んで待機。この時大勢のファンが一堂に集まっていたため通行の妨げになっていた。スタッフさんグッジョブ。13:30から開場。会場内には体が不自由な方や中国人っぽい方々もいてスタッフさんは丁寧に対応していた。スタッフの一人が私に挨拶して下さって感じがよかった。
・スクリーンの前にピンクのバルーンがいっぱいあった。14時から始まる予定だったが開始が遅れていた。きっと準備に時間がかかっているのだろう。14:25にスタッフからアナウンス。スマホは電源を切るかマナーモードにしてほしいという旨の内容だった。14:30から開始。
・ディズニーのエレクトリカルパレード(?)の曲をバックにまゆゆ登場。ディズニー好きのまゆゆならではの演出。
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・MCは鯨井さん。ファンミでもMCだった。
お誕生日の歌をファン一同で歌った。名前は「麻友ちゃん」呼び。ここでバースデーケーキならぬバースデー唐揚げ登場。本日2度目とのこと。まだ食べられない。
☆24歳の年をTwitterで振り返ろう
クイズ形式で2018年のツイートを振り返るコーナー。
・375ツイート中本人のものは50ツイートだそうだ。ほとんど番宣。後はスタッフによるもの。まゆゆ曰くプライバシーはあまり出したくなくてチキンな人間なので炎上を恐れているとのこと。ツイッターは情報収集に使っている。美容系や動物関連、ネットニュースのツイートを見てる。
・2018/3/25のツイート。自分の誕生日を寝過ごした。年々誕生日のことはどうでもよくなっててあまり期待していない。誕生日に関してクールだと鯨井さん。
・4/8のツイート。4/8はデビュー11周年。ちなみにこの日はたかみなのお誕生日でもある。
・5/3、5/6、5/13、5/17のツイート。5月の時はアメリのことで大いに悩んでいた。できないかもと不安でしょうがなかった。ツイート内容からプレッシャーや葛藤があったことがわかる。
・5/22のツイート。綿棒をぶちまけたことが今世紀最大のショック。今思えばしょうもないとまゆゆ。本人も覚えていなかった。その綿棒は9割方新品だからもったいないと感じた。
・10/19は「こんばんは」。その次のツイートは10/31で「こんにちは🎃 」。12/25は「メリークリスマス🎄」。2019/1/1は「あけおめ🌅 ことよろ🎍」。季節を意識。
・最近のツイートは3/1の「3月」。月が変わることを忘れてしまいそうになることがあるそうだ。忙しいと時間があっという間に過ぎるからわかる。
・あまりにもツイートが少なすぎるためリアルタイムでツイートすることに。さっきのツイートの「さむ」 は第1部の時の。第2部は終了後のお楽しみ。鯨井さん曰く文字数がいっぱいらしい。イベント終了後に見たら「おなかいっぱい」だった。これはしてやられましたなあ。
☆W3∞(ダブミー)のキャラクターを作ろう
むちちとは別にダブミーのオリジナルキャラクターを作ることに。そう言われてみれば今まで無かったな。
・目・口・鼻・耳・体のボックスからお題を一つ選んでまゆゆが描く形式。
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※これは私が記憶を元に描いて再現してしたもの。たぶん全部合ってない。
第1部ではダンボおじさん、第2部はとんすけおじさん。みんなディズニーのキャラクターの名前からとられている。これはディズニーに怒られちゃう。まゆゆ画伯化。どっちも可愛くないので非公式キャラ扱いに。公式なのに?!と鯨井さんがツッコミ。
☆目安箱(質問コーナー)
目安箱はまゆゆが出演していたBS朝日の「4K大型時代劇スペシャル 紀州藩主・ 徳川吉宗」が元ネタ。目安箱は 不満や意見といった投書を入れられる箱のこと。私は残念ながら諸事情でこの番組は見られなかった。
Q.これからしたい髪型はありますか?
A.いっぱいありすぎて決められない。ドラマの撮影期間中は髪型が制限される。今はNHKの朝ドラ「なつぞら」の撮影のため暗めの色。ロングヘアにしたいと思った時もあったが短いほうが楽なのでたぶん伸ばしても切る。アメリの時はカツラだった。ブリーチを入れてピンクにしてた時もあった。金髪に挑戦したい。鯨井さん「似合いそう」。実際まゆゆは金髪も似合う。コスプレでたまにやってたっけ。
Q.ディズニーランドで一番好きなアトラクション(海外含む)は?
A.お気に入りの場所はカントリーベアーズ。
ディズニーランドはフロリダとパリ以外は制覇。上海ディズニーが一番好き。アトラクションはみんな好きだがトロンとカリブが特にお勧め。
・女性ファンの方が彼氏さんからプロポーズされたという内容。おめでとうございます!!ドレスの色についての相談。無難に白もいいが淡い色もいいという話に。ボーッとしてて全部聞きそびれた。答えは特に無かったっぽい。お幸せに!!
☆プレゼントコーナー
まゆゆセレクトのグッズ(サイン入り)を抽選でファンにプレゼント。
・プーさんのハンカチ(サインは麻友の頭文字のM)、ラプンツェルのメモ、ティッシュケース、ミニーちゃんのミニポーチ。特賞はディズニーのペアチケット。特賞すげえ!!太っ腹!!
・まゆゆはディズニープリンセスの中ではラプンツェルが一番好き。
☆ライブコーナー
今回は趣向を変えてほとんどカバー。
・準備中に流れたBGMは2004年のディズニーのお別れの曲(?)。マニアニックすぎてわからない。後で調べたところ「プラヴィッシーモ!」っぽい。火は水に恋をしたのやつ。ランドじゃなくてディズニーシーのほうらしい。
・まゆゆが歌った曲
「塔の上のラプンツェル」の「自由への扉」
映画は見たことがあるが忘れてた。主人公のラプンツェルが歌っていた歌。改めて聞いたら良い曲。
Coccoさんの「樹海の糸」
初めて聞いた曲。1944年リリースの曲だが2017年のNHKのドラマ「運命に、似た恋」の主題歌になった。歌詞が意味深。
秦基博さんの「Rain」
新開誠監督の「言の葉の庭」の主題歌。こっちも初めて聞いた。しっとりバラード系。私はこの曲が一番好き。
「シンクロときめき」
ご存知まゆゆの1stソロデビューシングル。まゆゆのソロシングルといったらこの曲。今回のイベントは倍率が高かったためいつものコールする方々が少なかったようでコールはいつもより大人しめ。
・この後は「なつぞら」の宣伝。最後はファンへ手を振りながら挨拶。例のう○このおもちゃを持ってきている方がいたようでまゆゆが反応していた。「そういうの持ってくれば喜ぶと思って〜!その通りだよ!!」と言っていた。クソワロタ。このおもちゃはこの前やってたさしまゆきりんのニコ生の貴族の時間(有料部分)で出たアイテム。イベントは16:05に終了。最後までファンの笑いに包まれた温かいイベントだった。
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yokiwi-k · 6 years
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25歳の夏休み
ヨーロッパでのバカンスについて、長くなりそうだけど、日を追って旅行の記録を残しておこうと思います。ちなみに旅程はパリ(ジヴェルニー)→アルル→ローザンヌという感じ。
9/15(土) 朝5時のアラームで目を覚ます。前日までバッタバタで仕事してたので、荷造り終わってなかったけどそのまま疲れて寝てしまったのでした。とりあえず5時に起きれば何でも解決すると思っている人間なので。 洗濯して、扇風機強風で乾かしながら、布団をしまって荷造りを終えて、だらーんとしていたらいつのまにか9時半になっていた。10時過ぎの新幹線に乗る前にタバコ買ってお金も下ろしておきたかったため、急いで掃除機をかけて家を出た。小雨が降っていたがバックパックから折りたたみ傘を出すのがめんどくさかったのでそのまま歩いたら、蒸し暑さで汗をかいてしまった。このあと40時間は風呂に入れないというのに。 旅行前でさえピシっとできないわたし、なんだかまだ現実感がわかない。実は飛行機取れてないんじゃないかとか、本当に今日から休みでいいんだっけとか、ていうかパリってどこ?みたいな気持ちになりながらなんやかんやで成田に着く。チェックインも荷物検査も出国審査もいつもどおりスムーズに通って、搭乗ゲート前で積読してた小説を読んだ。倉橋由美子の「暗い旅」。旅行のおともにするには向いてなさすぎるタイトルである。。 成田から、乗り継ぎのバンコクまでのフライトが30分押しで離陸。乗り継ぎ時間にそんなに余裕がなかったので内心気が気じゃないけど、隣の席になった同年代くらいの女性と仲良くなって、お互い旅行好きということで今までいった場所の話で盛り上がった。めっちゃいい人だった。バンコクでの乗り継ぎはやっぱりぎりぎりで、その人が一緒にいてくれなかったらたぶんわたし泣いてたと思う笑。彼女はそのあとロンドン行きということで、荷物検査を通った後にさようなら。名前すら交換しなかったけど、またどこかで会えたらいいな~。
9/16(日) 予定時間より少し遅れて、パリのシャルルドゴール空港に到着した。空港では、SNSで知り合ったパリジャンのニコラと、ニコラの友達のユカさんと会うことになっていた。ニコラは思ってたより背が高くて、初めましてのハグとビズをしたときに云われた言葉が忘れられない。「ちっちゃいね^^」。 ユカさんはパリでワーホリ経験のある、フランス語もしゃべれる人。。ちゃきちゃきしてて私の憧れるタイプの方でした。とにかく私はまだ実感がわかなくてふわふわしてて、切符の買い方から二人に教えてもらってしまった。それぞれのホテルに荷物置いてから、バスティーユ広場のマルシェを歩いた。野菜も果物もパンもチーズもでかい。。。あと広場にあった、回転遊具のスピードが尋常じゃなくて、乗ってたちっちゃい子が泣いてた笑 絶対に絶対にオルセー美術館には行きたかったから、二人に美術館まで連れてってもらえてありがたかった。そこから別行動になってしまって、最初はびびったけど、後から考えたら美術館なんて一人で見た方がいいから、よかった。私の好きな絵も見れたし、初めて見るけど美しくて感動した絵もあったし、大満足でした。美術館のテラスから見えたモンマルトルがおもしろそうだったので、一人で地下鉄に乗って行ってみることにした。 パリの地下鉄はスリが多いって聞いてたけど、私は一人で乗ってても全然危ない目には合わなかったよ。たまに音楽鳴らしたり歌ったりして乗客にチップせびってる人はいたけどね。あ、そういえばチュイルリー公園でお土産とか水とか売ってる人もいた。なんかネジ巻いて飛ばすトリコロールの鳥のおもちゃが微妙に怖かった。どこ落ちてくるかわかんないから。 モンマルトルはそういえば、フランス語の先生の大おススメだった。「まじでMagnifiqueだから、まじで。」みたいに云われたのでちょうどいいや~と思い、地下鉄を待ちながらガイドブックをちら読みしたところ、映画「アメリ」のロケ地になったカフェがあるそう。ついでに探してみよ~と思いながら駅から出たら、ここにもマルシェが開かれていた。そうか日曜日か。 サクレクールの階段はなぜかおしっこのにおいしたけど景色は本当によかった。景色見てもどれがオルセーだかよくわからなかったけども。中に入ると壮大なモザイク画が天井を覆っていた。(撮影禁止だそうなので写真は撮っていません。構わず撮ってる人も多かったけど。) それからよさげな路地を見つけるたびに曲がったり下りたり登ったりを繰り返していたら道に迷った。アメルのカフェは結局見つからず。疲れて地下鉄の駅を探すも見つからず。やっと見つけた駅は最初に降りたところから2駅離れてた。疲れた。でもよかった。本当はそのあとエッフェル塔にでも行こうかしらと思ったけど、たぶんモンマルトルから見える景色とそう変わりないだろうなと勝手に納得してやめた。ただエッフェル塔は広場がとってもきれいらしいので次にパリに来たら絶対行こう。 夜はニコラとユカさんと合流して、ビルのテラスにあるカクテルバーに行った。夕日を背にしたエッフェル塔を見たときに、やっと自分がパリにいることを実感した。 次の日ジヴェルニーに行く約束してユカさんとお別れして、ニコラともう一軒だけ行って、ホテルの近くでバイバイした。
9/17(月) 目が覚めたら夜中の3時で、昨晩23時まで飲んでそのままベッドにうつ伏せになっていたことを思い出す。ぱりっぱりのコンタクトを外して、シャワー浴びながら服を手洗いして、ホテルの部屋にあった扇風機の最強にあててまた眠る。朝の6時半のアラームでまた目を覚まして洗濯物を確認したところまあまあ乾いてたのでちょっとうれしくなった。外のカフェで朝ごはんを待ちながら道行くパリの人々を眺めていた。歩行者は信号守らないんだなあなんて思いながら一服していたところ、トラックの運ちゃんに「マダム、一本ちょうだいシルブプレ」とか云われた。そう、こんな私でもフランスに来ればマダムと呼ばれるのです。 思った以上に朝食に時間がかかり、急いでチェックアウトを済ませてサンラザール駅に向かったけど遅刻は確実で、「ごめん、遅れる、本当にごめん」とニコラにメッセージを送るものの読まれた気配がなく、電話も出ず。おかしいな、これじゃ落ち合えないぞと不安になり、急いでニコラのインスタから辿ってユカさんのアカウントを発見し、メッセージを送るとまだサンラザールにいてくれていた。ていうかSNSってすごいね?? ニコラは寝坊したのでユカさんと二人でジヴェルニーに行くことにした。切符を買ってから発車までかなり時間があったので、私のアルル行きの切符を買うのまで付き合ってくれた。駅員さんにフランス語で色々聞いてくれたりして本当に頼りになる優しいお姉さん。。わたし朝遅刻したのに。。本当にありがとうございます。 ジヴェルニーにはモネの家を目的に行ったんだけど、もうその庭が、植物いっぱいですごくかわいくて、ユカさんが「女同士で来れてよかった」って言ってくれて嬉しかったし本当その通りだと思った。なんとなくね、男性と花とか見て「きれい」って言っても、どっか感じてる部分が違う気がするんだって。なんかわかるね。あとねモネの家見てたら自分の家建てたくなった。そういう変な話もできるの、同じ場所にいる同年代の同じ言葉の女性同士だからって気がしたな。 お昼に食べたクレープがめっちゃ多くてふたりで苦しい~って云いながら、それもそれでいい思い出です。クレープと一緒にたのんだニース風サラダとモネの庭が似てるなって思った。 食べながら、日本での仕事の話とか、ユカさんのワーホリの話とか、典型的なフランス人の性格とか、いろいろ聞かせてもらった。ほんと、いろんな生き方があるね。たった二日しか一緒にいなかったけど、ユカさんが大好きになった。 二泊目のホテルに荷物を移動させてからこの日こそはエッフェル塔へ!と思ったけど、やっぱり疲れてたし暗くなる時間だったのでおとなしく諦めた。タバコ吸う場所ある?ってスタッフのおじさん、サムに訊いたら、「君も喫煙者なの?僕のマルボロあげるよ、こっちの窓辺で吸ってごらん!あ、スーパーでビール買ったの?部屋で飲むの?よかったらここで僕のロゼでも飲みなよ。そうそう、キウイもあるけど食べる?君はどこから来たの?日本人って本当にいい人ばかりだけど君はベリーグッドだね!夜のパリって本当にロマンチックだと思わない?あ、マルボロもう一本どう?」みたいな感じでめっちゃもてなしてくれた。マルボロもロゼもキウイもおいしかった♥またパリに来たら絶対ここ泊まる。
9/18(火) アルル行きのTGVに乗るために、早朝にチェックアウトしたにもかかわらず、サムは嫌な顔ひとつせずまたねありがとうって手を振ってくれた。暗い時間の地下鉄は少し不安だったけど、やっぱり危ない目にはひとつも合わず、無事にパリリヨン駅に着いた。日本みたいに行先によってホームが決まっているわけではなくて、その電車ごとに電光掲示板に発着ホームが発表されるみたい。空港みたい。 私はアルルまで直通のTGVを予約していたから、そのホーム番号を確認して席に着いてすっかりリラックスしていたら、なにやらフランス語でアナウンスがかかり、みんな途中駅のサンテグジュペリ駅で降り始めた。「?」って顔してたら通路挟んで隣に座ってた若い男の子が「フランス語しゃべれる?アナウンスわかった?ここで乗り換えなきゃいけないんだよ」って教えてくれた。なんて親切なんだ。自分が逆の立場だったら同じことができただろうか。。。ありがとうムッシュー。しかし本当になぜ乗り換えなければいけなかったのか今となっては謎のまま。 そしてアルル駅を出た時の気持ちを決して忘れない。太陽と飛び交う言葉と土埃や建物の色。水の色。いよいよ一人旅が始まったんだなっていうのと、こんなに美しい場所に一人で来てしまってよかったんだろうかっていう思いと。もうもったいなさすぎて、友達にテレビ電話しちゃったよね。シェアしたさすぎて。あ、そう、思ったんだけど、一人旅でもネットが使えれば何にも心細くないんだなって!迷いそうになったらナビアプリもあるし翻訳アプリもあるし、シェアしたくなったらSNSもあるしね。 行先としてアルルは、まじでなんとなくで決めてたから何を見ればいいかわからず。。とりあえず一番目玉っぽい円形闘技場に行ってみたら、そのへんの遺跡とかミュージアムとか回れるパスが売られてたのでそれを買った。このこのへんからいよいよ一人旅が楽しくなってくる。パスと一緒にもらった地図を眺めながら、次はこの道を通ってここに行こうとか、おやちょっとこの路地が雰囲気いいから寄り道しようとか、時間が迫ってるけどもう一か所行けそうだから小走りで行っちゃえ!とか。うん。一人旅は楽しい。そしてアルルを選んでよかった。アルルのいいところはもうひとつ、パリと比べて英語が得意じゃない人が多いから、カフェのウェイターさんとか、こんなわたしにもフランス語で話しかけてくれるところ!下手くそでもフランス語通じて嬉しかったな。 人生初のドミトリーを経験したのもアルル。行く前は、他の人が部屋にいるのに洗濯物とかどうやって干せばいいんだろうって思ってたけど、開けた瞬間でっかいブラが干してあるの目に入って、その心配は吹き飛びました。でも部屋まで案内してくれた男性スタッフがちょっと気まずそうにしてた笑。同室の台湾人がめっちゃフレンドリーで、夕ご飯一緒に食べに行って、そのあとスーパーで次の日の朝ご飯と、ロゼを買い、フランスって水よりロゼが安いってほんとだねなんて言いながら、二人で円形闘技場の下で乾杯した。今までの経験したことのない特別な夜だった。おかげでロゼ、めちゃくちゃ好きになりそう。
9/19(水) 朝ご飯に、台湾人と一緒にオムレツを作った。日本にいる感覚で半熟卵にしちゃったけど、「台湾では卵に細菌がいるから絶対にしっかり焼いて食べるんだよ」なんて聞かされてからその日ずっと気が気じゃなかった笑。そんで午前中に急ぎ足でアルル観光の続き。ゴッホが病んで耳を切り落とした昔の療養所が意外と近くにあって、そこに寄ってポストカードを買った。療養所の庭はなんとなくモネのそれに似ていた。それからスーパーで適当にお土産用のお菓子を買い、レジ袋をもらえないので全部手にもってまた急ぎ足でゲストハウスに戻った。アルル、もっとゆっくりいたかったけど。でも次の目的地のスイスまではアルルから6時間かかるししかたないね。南仏は絶対またゆっくり遊びに来ようと心に決めました。いえ、円形闘技場に誓いました。その日が来るまで私の心はあそこに置き去りです。TGVの乗り換えで30分だけいたマルセイユもすごく眺めがきれいだった。海で遊びたいなあ。 6時間って、切符買ったときはすごく長く感じたけど、実際、電車に乗ってる間はそうでもなかった。移り行く景色がすごく新鮮で刺激的だったから。トウモロコシ畑!岩山!牛!羊!協会!赤い屋根!みたいな。スイスに入った瞬間は思わずナビアプリでスクショ撮ってしまった。 陸路で国境越えるときって入国審査とかどうするんだろうって思ってたけど、ジュネーブ駅からスイス鉄道に乗り換えるときにシェパード犬を従えた国境警察の前を通らなきゃいけなくて、そこで一人一人チェックすんじゃなくてランダムに呼び止めてIDを提示させてた。私は見るからに外国人だけどスルーされた。どういう基準だったんだろうか。スイス鉄道の車窓の景色もまた美しくって、あこがれのレマン湖をやっと望むことができて感動した。 ローザンヌのゲストハウスは丘の上にあって、バックパックをしょって歩くのはちょっとだけ大変だった。しかもスイス涼しいと思ってたから厚着しちゃってたし、汗かくし、喉渇くし。着いてみたらとってもきれいで近代的なゲストハウスだった。レセプションのお姉さんがちょっとそっけない感じだったけど毎日朝から晩までわけのわからない外国人相手に仕事してたらそうなるよね~しゃーないしゃーない。 荷物置いてちょっと休んで、スーパーを探したけど見つけられず、結局また坂を下って駅の売店で買った水が飲んでみたら炭酸入りでした。部屋に戻ったらかわいらしい台湾人の女の子がいて、その子もまた人懐っこい感じで色々しゃべってくれた。「スイストラベルパス買ってないの?これさえあれば電車もバスも船も乗れるしミュージアムにも入れるしめっちゃお得だよ。」と教えてもらい、そこから必死にネットでお得に買う方法を検索する。どうやらローザンヌ駅で買うのが一番よさそうだと思った��で、朝一で窓口に寄ろうと決心して寝た。
9/20(木) 寝坊しないか心配だったけど、ワクワクしすぎて6時前に目が覚めた。ドミトリーだったので周りを気にしつつ、ひっそり身支度を整えているとわたしより遅く起きた昨日の台湾人の女の子が、わたしよりも先に部屋を出ていった。颯爽と。 ローザンヌ駅でまた下手くそなフランス語で「スイストラベルパスを買いたい」と伝えたところまあなんとなく通じて、無事にゲット~そのままモントルーへ向かう電車に飛び乗った。モントルーは何があるのか知らないけどまあとりあえずフランス語の先生があそこはめっちゃきれいだよ!って言ってたしとりあえず行ってみるという感じで、電車の中で観光地をぐぐっていた。進行方向右手にレマン湖、左手にブドウ畑と、たぶん目玉が4つぐらい足りないなあと泣きそうな気持ちをこらえる。 モントルーといえばこれしかないっしょみたいな観光地、シヨン城というところを目指すことに決め、とりあえずレマン湖畔にあるらしいことだけ確認したので湖沿いをぐるりと歩くことにした。モントルーはレイクリゾートで有名なエリアなので、高級そうなホテルが立ち並んでいる。早朝の人の少ない散歩道をすがすがしい気持ちで歩いていたのだけれど、一人、バスタオル一枚で湖畔にたたずんでいる女性がいてちょっとびっくりした。治安いいからな~(?) シヨン城見終わってからはバスでまたモントルー駅に戻った。そういえばスイスってバスも電車も乗り降りするときお金払ったりしない。ばれなきゃ無賃乗車もし放題。ただ、不意打ちでチェックされることもあるらしく、そのときチケット持ってなかったらけっこうな額の罰金を払わされるんだって。スイストラベルパスがあれば大丈夫なんだけど、その路線が有効かっていうのがわかりづらかったから、知らずに使えないやつ乗っちゃってたらこわいなあとは思いました。 バス降りてからさすがにおなかが減っていたので、ブランチにカフェでパニーニを食べたのだけど、中に入ってたトマトが白いTシャツにこぼれてしまい、天気よかったし気温も高かったので脱いでしまうことにした。日本だとタンクトップ1枚でって歩き回りづらいけど海外だと全然気にならなくなるのなんでなんでしょうね。両肩から指先にかけて空気にさわる感覚がとっても気持ちいい。パニーニ食べながら次どこ行くか調べて、グリュイエールという村に行ってみることにした。そこは牧歌的な景色の中にある小さい村なんだけど、映画「エイリアン」のデザイン?をしたHRギーガーの美術館がある。わりと気持ち悪い作品しかなかったけどあの景色の中にあるから逆にいいんだろうな~と感じた。そこからもう少し丘をのぼったところにグリュイエール城があったのでそこにも立ち寄って、テラスから見える景色とか庭とか、いかにもスイスっぽい空気を堪能しました。このときだけは、誰も自分を撮ってくれる人がいないという状況をもどかしく感じた。 この日、ゲストハウスに帰ってから、また台湾人の女の子とおしゃべりしたんだけど、「グリュイエールってどこ?なんで行こうと思ったの?」とか聞かれて何も答えられなかった、、笑 ほんとに理由なんてなかったから「ただ私の足が選んだの」みたいな。
9/21(金) 朝っぱらからブドウ畑を見に行った。これも、台湾人の女の子の話を聞いて、行かなきゃ!と思ったから。(ドミトリー泊っていいね。はまりそう。)朝8時過ぎだったからか、ここも観光客が誰もいなくて、斜面にぶわ~っと広がるブドウ畑と朝日を映すレマン湖を独り占めしていた。熟れたブドウが放つ少しつんとしたにおいが祖父母の畑のにおいを想起させて、そっかこのへんの農家さんにとってはこの景色が日常なんだななんて思ったりした。丘の上の駅から湖畔の駅まで下るコースを歩いたんだけど、ゴールの駅で電車を待ってる間に湖の波打ち際まで行ってみたらちょっとした海水浴場みたいなつくりになっていて、9月も半ばを過ぎたというのに泳いでいる人がいた。こんなにあったかいって知ってたらわたしもそのつもりで水着とかもってけばよかったな~。 そのあとはヴェヴェイという町にあるチャップリン博物館に行った。晩年にチャップリンが住んでいた邸宅を博物館として公開しているところ。等身大の人形とか、映画のワンシーンとか、アカデミー賞授賞式の映像とか、映画で実際に使われてた小道具なんかも展示されていて、ファンとしてはぐっとくるものがありました。団体さんは地元の小学生とか、欧米からのご年配とかが多かった。みんな、流れてる映像を見て声をあげて笑っていて、いいな~と感じました。なんとなくチャップリンが演出してる笑いの表現って日本人にはピンとこないものも多いというか、だから子どもがああいう感じで笑ってるのを見て意外に思いました。 ヴェヴェイから船でローザンヌに帰り、そういえばローザンヌって全然観光してなかったなと気づいたので、とりあえず遠くからでもよく見える大聖堂に行ってみることにした。近くまで行ってみたら、美術館と博物館が隣接してあったのでまずそこに入った。美術館でクレイアニメの展示やってて、そういうのって言葉がわからなくても楽しめるしラッキーでした。ちょうど近所の学校が終わったぐらいの時間だったのか、学生カップルも何組かいた。大聖堂はステンドグラスがすごかった。パリのサクレクールに行ったときも思ったけど、宗教って芸術を生み出す力があるよね。信じてなきゃあんな細かい装飾できないよ。 そしてこの日が最後の夜だったんだけどついにマックスに会うことができた。彼もニコラと同じSNSで親しくなった人。見た目も話してる印象も思ってた以上にいいやつだった。ビール飲んでごはん食べて、小雨が降っている中だったけどローザンヌを少し案内してもらった。いつもマックスが服を買ってる店とか、日本食のお店とか、好きなビールとかね。ローザンヌ駅で、わたしがお土産でもっていった上善如水を二人で飲んだ。彼は日本のアニメが大好きで、特にナルトがお気に入りらしいので、「カゲブンシンノジュツ」とか「シャリンガンとか「カトン・スイトン・ドトン」とか、そういう日本語よく知ってるらしい笑 「ちょっと影分身の術やってみせてよ」って言ったら一生懸命印結んでて純粋な人だなあと思いました。 ちょっと寒かったし、おそらくあのせいで軽く風邪ひいたけど、思い出に残る特別な夜でした。またいつか会えるのかな。「来年僕が日本に行くね。約束だよ」なんて正直あまり期待してないんだぜ。
9/22(土) 日本に帰るため、ローザンヌからチューリッヒへ。。だから朝からゲストハウスを出なきゃいけなかったんだけどあの台湾人の女の子の方が先にチェックアウトしてしまって、「Bye」とだけ短く交わした挨拶が今思い返すととても寂しくなる。 そこから先、電車も空港でのチェックインも搭乗もすべてがスムーズに進んでいった。マックスがくれたチョコを食べたり、ブレスレットをいじってみたりしてるとやっぱり寂しくなったので、絶対にわたしはまた来ようと決めました。だから英語もフランス語ももっと上手になりたい。今の職場で2年勤めあげたらヨーロッパに移る。そう考えたらとってもワクワクするし何も寂しくないって思えるね。いろいろやり方はあるだろうけどいちばん理想的なかたちを求めていけば間違いないはずです。
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とにかく帰国してからの時間の流れが早すぎて、これを書きながら、あのとき確かにそう感じていたはずのこともこんなにも薄まってしまうのかと自分にがっかりしております。だから昨日フランス語のレッスンでも先生に軽く決意を伝えてみたりした。ていうか昨日知ったけど先生は今ワーホリビザで日本にいるからもうすぐいなくなっちゃうのね。やっぱり1年後とか2年後とか言わずすぐ行動できることを探さないと年齢制限あっというまに来ちゃうなあなんて、焦ったりしてます。
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