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#ひっぱリンダ
insertnameherman · 1 year
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Stretch Panic Linda
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koppashiren · 9 months
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So I was playing this PS2 game called Stretch Panic (ひっぱリンダ) which is a 3D platformer developed by Treasure and published by Kadokawa Shoten in the Japanese version, while the PAL version was published by Swing! Entertainment and the US version was published by Conspiracy Entertainment. The game was released on December 6, 2001 in Japan, while the US version was released on August 28, 2001, and the PAL version was released on July 27, 2001. So I had this idea were Buddy from SuperKitties and Koppa from Shiren the Wanderer meeting Linda from Stretch Panic, mostly because I think it would be really cute seeing Buddy and Koppa meeting Linda.
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misuki-nau · 1 year
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HIPPA LINDA!!
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yorithesims · 5 months
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Get to know you@シムズスタイル日本語Ver.
前回のGet to know you - Sims Styleがベースです。 日本語で好きなだけ書きなぐりたい~始めちゃうよ!
♪( ◜௰◝و(و "
・あなたが気に入ってるシムの死因は何? 過保護プレイヤーやからシムの死因はMODで徹底的に排除するやで!それでも3のシムは目を離したらプールで溺死しよるし、4のシムは気を抜いたら雷に連続で当たってしんでまうやで☆もっとしっかりしてw(4のゴーストめっちゃ綺麗で家系に居てもええかなって思っちゃうけど)
・アルファCCとマキシスマッチならどっち派? ミックス♡(って言ってるひとがほとんどよね!自分も!) でも、髪だけはアルファに軍配が上がります♡ DOFで透過したってやっぱりアルファ髪がすきだーー!
・シムの体重をごまかす? 4はずっと2019年のMODのno_fatnessとno_muscles入れっぱなしなんやけど、めっちゃ太ってしまったとか筋肉質になったって見たこと無いから(たぶんプレイ量が足りない)今度テストしてみたい!
・オブジェクトを動かしますか? チートって便利ですよねッ♡ 4で3のようにオブジェクトいい感じに動かせなくてキィッってなるのもあり。逆もまた然りwシムにそこ行けませんけど!?って怒られるまでがセット☆ ・お気に入りのMODはある? シムズ4のお気に入り必須MODをいくつか♡ McCmdCenter/More Columns/TwistedMexi's T.O.O.L&Better BuildBuy/Pose Player あとCC管理が便利なSims 4 Mod Managerも書いておこう!
・あなたにとって初めてのゲームパック/スタッフパックは? ザ・シムズ2 ダブルデラックスがシムズ沼への入り口…ズブズブ。。 シムズ4はトライアルから始めて(今はもうないやつ?)シティリビング購入。シムズ3はスターターパックからの~アンビション購入。
・ライブモードは「aLIVE」または「LIVing」と発音しますか? (日本語ではなんて言ってる?また質問の2つならどっちがしっくりくる?) まず、ライブモードってのが耳馴染みないやねwシムズ4でいっぱい海外の方の言語や発音を耳にしてようやくわかってきたような…。それを踏まえて「aLIVE」のほうかな~と。しかしこれも初見くらいのワードやな。私がシムズを始めたころからずっと日本では「ゲームプレイ」もしくは「ゲームモード」で通じていたかんじ!(口頭だとゲーム画面・建築画面とか言うてしまうw)
・あなたが作ったお気に入りのシムは誰? シムズ4と3で同じ“大阪のおばちゃん”ポジションにいる「なんば あけみ」煮ても焼いてもご自由にスタイルの配布シムなので沢山のシマーにもらわれて皆様のワールドでのびのびと暮らしているようです♡
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・自分自身をシム化した? 4だと三毛村がそのポジション。我が4ワールド最古参シムw (診断ツール結果に沿って自シム作成)
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・お気に入りのEAのヘアカラーはどれ? 私のリスペクトシマーさんのシムの髪色の表現が素敵で忘れられない。彼女の名前はリンダ、髪色は“プラチナ・ブロンド”
・お気に入りのEAのヘアスタイルは? NOCCでシム3号(キャリコ)を作った思い出のこの髪かな!
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・あなたの好きなライフステージ(年代)は? やっぱりレガシープレイが基本やから若年+赤ちゃんになっちゃうやでwエルダー世代も楽しんでみたい~~~!
・あなたはビルダー?それともゲームプレイがメイン? ゲームプレイがメインです(^ω^ ≡ ^ω^)<タノシィィイイイイ そういえば4の建築ってちゃんとやったことない☆ お家を土地の中で動かせるの神仕様すぎる。
・あなたはCCクリエイターですか? 3と4のポーズメーカーです♡ まぁちょっと時間あったらここ見てってやw ・Simblr(Tumblrをやっているシムズプレイヤー)の友達や、シムズ仲間はいる? シムズという良縁に恵まれて、長く親しゅうさせてもろてます♡
・シムズのグッズを持ってる? 自キャラやシムズつながりなんかの概念グッズをつい買ってしまう件についてですね(^ω^ ≡ ^ω^)
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・長年のプレイを通じて、あなたの「シムズ・スタイル」はどのように変化しましたか? ゲームプレイで子育てを一心不乱にやっていた初期→キャラクター愛を深掘りしてストーリーテーリングへの道へ→EAアイテムのメッシュでアクセサリー化+ポーズ制作←イマココ 次はどんな大きな変化の波が訪れるのか楽しみです!
・あなたのお気に入りのCCクリエイターは誰? 気まぐれ更新やけど腕が確かなベテランCCクリエイターの友人達を紹介します!@toysofdukeness @aithsims4
・Simblr(Tumblrをやっているシムズプレイヤー)になってどれくらい? しむぶらー6年生くらい!
・スクリーンショットはどうやって編集してる? フォトショとか、オンライン画像エディターでちまちまと シェーダーはまだ初心者でなにをどうするんだい?状態w
・あなたのお気に入りのEP/SPは何? シムズ2はほんの少しのパックでしか遊んでないんやけど、 H&Mファッションパックめちゃくちゃ可愛かった…! 3は結婚式とベビーカーを狙って買ったジェネレーションズ♡ 4はシティ・リビング!トレーラーは何度見ても思い出深くてキュンとする♡
ーーーーーーーーーーーー あなたのことを知りたい!@シムズスタイル 日本語バージョンでした♡意訳で質問を翻訳しちゃってるけどw 短そうでやってみるとけっこう充実した内容なので前回は英語で回答した内容と異なるようにシムズ4寄りで書いてみました!
タグに気がついても、プレッシャーを感じないでスルーも可♡ 気が向いたらやってみてな~◇ I Tag♡@aithsims4 @shiroimejiro666 @yourinishi @teruterubox @es439lotus @kataoka2023
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しばらく仕事が忙しく、重い書き出しをかけることが多くてPCゲームはできないし、かといって本もいまいち読む気になれずで、気軽に見れる古めのアクション映画をたくさん見ていた。「気軽に」というところが大事。
ほんとは都度書いていこうと思っていたんだけど、全然できなくて12本まとめて!
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ターミネーター2, 3, ニューフェイト
"I'll be back", "She'll be back", "I won't be back"
1,2は子供の頃からもう何度も見てるターミネーターシリーズ。今回は見直してないけど1もすごくよくて、1,2が良すぎたせいで3以降迷走しちゃっててちょっと悲しい。3はやっぱりサラ・コナーが出てないのがなあ…。敵のT-Xも2のT-1000を見てるとそんなに…という感じがしてしまう。
最新作ニューフェイトはずっと続いてきたジョン・コナーやスカイネットをばっさり切り捨てて再スタートをがんばってる感じはあったものの、あまり売れなかったようで続編はないらしい。すごく続編がありそうな終わり方をする。個人的にはリンダ・ハミルトンのサラ・コナーがまた見れたのは良かった。マッケンジー・デイヴィスもかっこよかったし。
ちなみに4は結構良かったと思うけど、舞台が未来になってしまってターミネーターって感じがなくなってしまった気がする。ジェニシスは自分は昔からのファンなので楽しめたけど、マニアのファンムービー(映画というかYouTube動画みたいな)って感じかな…。
ニューフェイトは原題が"Dark Fate"なのでそのまま「ダークフェイト」でも良さそうな気もするけど…。日本公開時のタイトルって色々事情はあるとは思うけど、残念なものが多い気がする。特にひどかったなと思ったのはゼロ・グラビティ(原題 Gravity)。邦題問題については良かったものと良くなかったもので一回まとめて書いてみたいな…。
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ネメシス
サイボーグ刑事、アンドロイドの陰謀を止める。
ある意味ターミネーターにも近い感じの設定。でもこちらはもう少しハードボイルドな感じかな。冒頭の戦闘シーンはターミネーター2の未来のシーンの撮影セットの残りをもらって撮影したとか。そういえば最後エンドスケルトンみたいなのも出てきてたな。
アクションものとしては全然好きなんだけど、もうちょいがんばったらブレードランナーみたいになった気もしてちょっと惜しい感もある。いや、言い過ぎか…。なにせ床をマシンガンで破りながら脱出だからな…(笑)。
続編が2,3,4と出ているようだけど、配信はおろかDVDにもなっていないようで、見る機会はなさそう…。内容もひどいらしい。
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ブレイド三部作
人間とヴァンパイアのハーフ、日光も平気な"デイ・ウォーカー"「ブレイド」とヴァンパイア一族の戦い。全く読んでないけどこの設定って吸血鬼ハンターDなのでは…?
1だけは昔見ていてわりと好きだったけど、2、3は多分初めてみた。2はギレルモ・デル・トロだったんだなあ。確かにぽい感じだった。
でも総合的には1が一番よかったかな。バットマン的なダークヒーロー感が一番出ていた気がする。敵がちょっといまいちだったけど。
デル・トロの2もよかったけど、ちょっとファンタジー感強めかも。デスストのノーマン・リーダスがだいぶ若かった。ロン・パールマン好きなんだけど、今回はちょっと弱すぎじゃないかなあ…。 ※2はデル・トロなのでかなりグロいシーンあり
3は…結構厳しいかな…。まずドラキュラがかなり残念…。赤ん坊を人質にしたり、ブレイドがいない時を狙ってブレイドの仲間を襲ったり、卑怯じゃん…。ビジュアルも結局筋肉バカっぽい感じでなんでわざわざドラキュラにしたのか…。 ジェシカ・ビールやライアン・レイノルズを新キャラで追加したのもなんかいまいちだったような。1,2で好きだったウィスラーもいきなり死んじゃうし…。ターミネーターもだけど、シリーズものにしちゃうとなかなか難しいな…。
まあでも、とにかくウェズリー・スナイプスがかっこいい映画。
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イーオン・フラックス
ユートピアの裏に潜む陰謀に挑むシャーリーズ・セロン。
たしか昔観たと思うんだけど、ほぼ忘れてた。ストーリー的にはわりとよくある感じかな。ただ、監督が日系の人らしく、微妙な和風が混じったビジュアルが変で面白かった。SFなんだけど無機質なメカっぽいデザインではなく有機的なデザインが多め。モニターが水面だったり、建物やインテリアもハイテクというよりはモダンな感じ。全体的に思ってたより良かったな。
改めて見るとこのストーリーはアーサー・クラークの「都市と星」に少し似ているかもなと思った。制約のある中で永遠に生きるのか、限られた命を自由に精一杯生きるのか。「惑星ザルドス」にもちょっと近いかな…? ほぼ同時期の映画「ウルトラヴァイオレット」にも色々似てる気がした。
あとはもうとにかくシャーリーズ・セロンがかっこいい。黒髪のイメージあまりないけど金髪よりかっこいいかも。議長役のマートン・チョーカシュはなんたか微妙に布袋寅泰に似て見えた…(笑)
元々はMTVの短編アニメだったそうで、そちらでは毎回主人公が死んで終わるらしい(映画見るとその設定も納得)。絵にかなりクセがあるけどちょっと気になる。
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モータル・コンバット1,2
リブートされた最近のではなく昔の方。元が格ゲーだからストーリーは厳しい所だけど、まあとりあえず色々あって世界を賭けた武術トーナメントで戦う話。
1は昔観たことあったけど、2は初めて見た。うーん、これは両方ともなかなか…。1は好きなクリストファー・ランバートが出てた(ライデン)ので、そこはよかったかな…。あとネメシスにも出てたケイリー・タガワがシャン・ツンだった。この人いろんな映画で日本人とかアジア人の役やってるよなあ。
2は全体的にひどかったけど、シャオ・カーン役の人がX-Filesのバウンティハンターだ!というのに気がついてそこだけ楽しかった。
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そして何よりすごかったのがテーマ曲。1995年という時代を考えればこうなんだろうけど、なかなかに"FATALITY"なチューン…(笑)。
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エンド・オブ・デイズ
1999年、千年紀の終わりに復活した(しそう?)サタンと色々訳ありな元刑事のシュワルツネッガーが戦う映画。
監督のピーター・ハイアムズはすごく有名ではないけど、「2010」、「カプリコン1」、「アウトランド」など結構好きな映画をやってて好きな監督。
シュワルツネッガーはこの映画では今までのようないわゆる「無敵のヒーロー」ではなくて、妻子を殺されてアル中になってて自殺願望があってとダークヒーロー寄りな感じ。キャラ合ってない気はする。途中までは割とオカルトサスペンス感あっていい感じなんだけど、後半がな…。シュワルツネッガー的なマッチョなヒーローとかアクション映画の時代もこの辺が最後くらいになるのかなあ。色んな意味で「千年紀」の終わりか…。
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コズモポリス
最後だけ、さっきまでの気楽に見れるアクション映画とは違うもの。
若くして億万長者になった主人公が一日にして転落する様…かな?
監督のデヴィッド・クローネンバーグが好きなので見てみたいと思っていたけどずっと見ていなかった。
クローネンバーグだし怖そうだなと思っ��いたけど、全然怖くはなかった。名物のグロシーンもなかったし、全体的にリムジンの中の淡々とした会話シーンで進んで、最後だけちょっと展開があって終わり。つまらないといえばつまらないんだけど、なんだか気になる映画だった。主役のロバート・パティンソンも最初はあまり合ってないような気がしたけど、その合ってない感じがこの映画には合ってるのかな。ロバート・パティンソンの奥さん役の人もなんだかすごく人工的で不自然な感じだったなあ。その対比としてのポール・ジアマッティがすごく際立っていた。
これは原作小説があるそうで、かなり原作よりの映画になっているらしい。気になるので読んでみようか…。ちなみに、主人公が転落する原因は中国元の下落なんだけど、原作では日本円だったらしい。時代…。
ジュリエット・ビノシュはすてき。
いわゆるアート映画的なものも大好きだけど、やっぱりこういうアクション映画もいいな。子供の頃たくさん見たからかもしれないけど。
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fairyfactorymarisa · 2 years
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sibling rivalry
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graffiti-gremlin · 2 years
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Treat yourself, and hit play!
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Some doodles of my Stretch Panic oc’s!
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kconasu · 2 years
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ザ・ビートルズ:Get Back
2021年/イギリス・ニュージーランド・アメリカ/カラー
Part1:第1~7日目 157分
Part2:第8~16日目 174分
Part3:第17日~22日目 139分
 ディズニー+で公開されている「ザ・ビートルズ:Get Back」を年末年始にかけて視聴しました。
 元々ポール・マッカートニーの提案で結束が弱ってきてソロ色が強くなっていたビートルズをもう一度バンドとしてやり直そう、そして最終的に観客の前でテレビ特番としてライブをしようと提案。そのテレビ特番で使う為にリハーサルの様子を収録することになりマイケル・リンゼイ=ホッグ監督によって撮影され、その素材が結果的に映画「レット・イット・ビー(1970年)」として公開。しかしこの時に撮影された全フィルムを改めて検証し、ビートルズファンでもあるピーター・ジャクソン監督に託しフィルムの修復と編集した結果の作品になります。
 本来は劇場公開される予定だったのですが、コロナが長引いたために劇場用作品としては中止し、予定を変更して長尺作品にしてディズニー+で公開することになりました。
 見終えてパッと思いつく感想としては「な、長かったなぁ(笑)!」でした。ビートルズのリハーサル映像集という見方も出来る作品でもあるのでどうしても単調に感じることもあって映画と同じ感覚で通しで見ることはしんどいかな、と思う所がありました。個人的には日にち単位で区切ってくれている(時系列的に行ったり来たりすることはない)ので見る日の気分で「今日は○○日目までにしよう」と決めて見ることをオススメしたいかな?
 こういう書き方をすると面白く無いような感じがしますがピーター・ジャクソン監督の意図として「変に監督の主張や誘導を入れずに長尺になったとしてもありのままのビートルズを観客に見せて、考えて貰おう」というのがあったと思うのです。ファンの中ではここで行われた通称「ゲット・バック・セッション」をきっかけにバンドの仲が悪くなったというのが定説(これは映画「レット・イット・ビー」で楽しそうに演奏していない映像ばかりを使ったせいでもある)だったのですが、実は全然そうではなかった発見が沢山見つかる面白さがあるのです。
 実際残り数週間しかないのにポールが提案したライブ会場を何処にするかも初日の段階から決めてもいないまま見切り発車でリハーサルを進めていますし、撮影されながらアップルコアや撮影クルーといった外部からの「ねえ?どうするの?」というプレッシャーにまだまだ20代のビートルズのメンバーの未熟な対応で答えているので彼らの中にイライラが全く無い訳ではないです。しかしそれは外部の人間がいる事と見られている事で起きている訳であって、一旦リハーサルを始めるとバンドだけの世界になり「やっぱりこいつらと一緒にやると楽しいな!」という感じで楽しく演奏していますし、中には他のアーティストのカバーや過去のビートルズ楽曲も演奏したりと相当遊んでいたりもしています。過去の定説では「ゲット・バック・セッション」でバラバラになったバンドをアフリカ系アメリカ人のビリー・プレストンを参加させた事で一体感を取り戻したと言われていますが、実際はジョージ・ハリスンの一次離脱はあったもののバンドの一体感は保っているので彼���参加したことで劇的にオセロのようにマイナスをプラスにひっくり返ったというよりは、元々プラスだったのがプラスアルファになった感じじゃないかと思います。
 あとオノ・ヨーコさんの再評価という面も見せようとしているところもあります。再評価と言っても「実は何もしていなかった」という事の証明と言った方が適切なんでしょうが。映画「レット・イット・ビー」ではオノ・ヨーコさんがビートルズ解散のきっかけのように描かれているそうなのですが(映画は初期にソフト化されたものを最後に廃盤されたままなのでまだ見ていません)、こうして長尺でじっくりオノさんを見るとジョンの精神的サポートに徹するためにそばに居るだけでほとんど言葉を発していない事に驚きました。ジョンの結婚はまだ20代ということでまだまだアイドル視されていた事でファン、特に女性ファンからの反発は大きかったと聞きますし、それは「ゲット・バック・セッション」の後に結婚するポールとリンダの結婚においても同じ事があった事を考えると余計な先入観を観客も製作陣もオノさんに対して持ち過ぎてしまっていたんじゃないなぁ?
  となるとマイケル・リンゼイ=ホッグ監督が「レット・イット・ビー」で偽のビートルズ史を作ってしまったのでないかと思ってしまうのですが、 その責任はある一方で「ザ・ビートルズ:Get Back」を通して彼の雇われ監督としての立場や仕事ぶりを見ると責められないところがあるんですよねぇ。前述の通り見切り発車かつ二転三転していく企画に翻弄されていますし、下手すると映画としてラストのクライマックスとなるべきライブすら実行されない可能性のある中で我慢してカメラを回し続けていますし、「ルーフトップコンサート」は実行されたもののジョージの離脱くらいしか劇的な展開がない素材を元になんとか映画を完成させたのは頑張ったと言っていいのではないかと。
 ただ 「レット・イット・ビー」と「ザ・ビートルズ:Get Back」と比較できるようになった状態でわかるのは「ドキュメンタリーは作り手によってなんとでも言える」という事。ドキュメンタリーでこれですから「史実を元にしたフィクション作品」となると使いたいエピソードをえり好みしたり、時系列を組み替えたりすることでヒーローをよりヒーローらしく、悪役はより悪役らしく描ける訳なので、映画を見る上での教訓としてエンタメとしては大いに楽しみつつ、一方で盲信的に真実と思い込まない、話半分までいかなくても話75%くらいで受け取る事が大事なのかな?と思いました。その点で元々劇場用作品と考えられていた 「ザ・ビートルズ:Get Back」がコロナでサブスク配信の長尺作品になったことで誤解される余地もないくらいほぼ全てを見せることが出来る機会を得たのは怪我の功名だったのかもしれません。
 ただ唯一、ピーター・ジャクソン監督の誘導があるんじゃないかと思ったのはこの「ゲット・バック・セッション」の終盤にやってきた後のマネージャー、アラン・クレインの存在のことです。ビートルズの解散の原因として「ゲット・バック・セッション」と、このアラン・クレインのマネージャー就任に対してポールと他の三人が対立した(ポールはクレインの悪評をミック・ジャガーから聞いていたので代わりに妻リンダの父を押そうとしたが主導権がポールに集中すると警戒されてしまった)事の二つが大きな原因だと言われていたんですが、ジャクソン監督は「ゲット・バック~」に関しては否定し、アラン・クラインが解散の最大の要因だ!と言いたい感じがしました。ただ面白い描き方をしているな、と思ったのは「アラン・クレインが来たよ。」とビートルズ達の会話の中でしか出てこない扱いという事(プラスアーカイブからの写真)。収録されたフィルムの中に彼の映像があったのか無かったのかは不明ですが、それにしてもこの会話の中しか出てこないというのが、このセッションの後に起きる不気味な闇としてのフリとして扱っている感じがするのです。ただ「ゲット・バック~」にも解散の火種が全くない訳では無いと思いました。それはポールの頑張りすぎで、バンドのリーダーやマネージャー役、「ゲット・バック~」の企画責任者、もしかしたらアップルコアの経営も考えないといけない状態だったかもしれない事を考えるとかなりの活躍だったことは認めるところなんですが、他のメンバー、特にジョージがついていけない状態を作ってしまったところはあったと思います。解散の原因としては「ゲット・バック~」10%くらいのアラン・クレイン90%という感じだと思いました。さらにさかのぼればマネージャーだったブライアン・エプスタインが生きていれば…という事に行き着くのかなぁ…。
 一ヶ月もないスケジュールの中で次々と曲を完成させていく見事さは、ポールが度々口にする「僕たちは切羽詰まった時が強いんだ」をまさに実行していて驚きました。ある程度形が出来ている曲を持ち寄っていますし、後で足りない部分はフィル・スペクターによって補完されているとはいえ、どんどん仕上がっていくのも見ていて楽しかったです。
 あと小ネタとしてビートルズのレコーディングスタッフに後にアランパーソンズプロジェクトを率いるアラン・パーソンがいたり、日本のサディスティック・ミカ・バンドのプロデュースも担当するクリス・トーマスの姿も発見できます。あと小ネタと言うと失礼だけどリンゴ・スターのドラムをじっくり見ることが出来たことで改めてこの人上手かっただな、と思いました。
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【脳内劇場】 セールスマンの死 (1994) その1
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すっごい有名なお芝居みたいなので、間違ったことを書いちゃうのが怖いです😖
自分の人生は無意味だったのでは、と気づいた時には遅すぎたお父さんのお話。このお父さんが息子にかける誤った希望を生きがいにしているところなどは、同じ作者さんの 「橋からの眺め」 で姪っ子へのさらに歪んだ希望なくしては生きていけないおじさんが出てくるので、テーマなのかも。こういう人がヘタに自己実現の機会を与えられると、ブレキングバッドのホワイト先生みたいになっちゃうかもしれない…とか思ったり(笑)
夢や希望、人生の意味、親や子を喜ばせたい気持ち、または親や子への幻滅など、誰でも感じたことがあることが議論されているので、みんなが共感できるはず!
ジュード (21) は劇中では32歳の息子ハッピーを演じています。ハッピーの兄のビフ (34) はHBOのRomeにてマーク・アンソニーを演じたジェームズ・ピュアフォイ(30)、一家の父のウィリー・ローマンはケン・ストットという顔ぶれ。 フィリップ・シーモア・ホフマンがお父さんを演じた舞台もすごかったそうなので、それも見てみたかったですね (T_T) 面白いのは、この作品の監督のマシュー・ワーカス氏 (Matthew Warchus) が後にThe Old Vic劇場の芸術監督におさまり、ジュードの次の舞台作品、イオン (Ion, 1994) の監督のデイヴィッド・ラム氏 (David Lam) がその姉妹劇場であるThe Young Vicの芸術監督に就任、どちらの劇場も、「国立劇場のヘタな芝居を観るよりも、Vicに行ったほうが面白い」 という黄金時代を迎えることです(余談ですが、ワーカス氏の後にThe Old Vicの監督に就任するのがケヴィン・スペイシー)。二人の敏腕舞台監督と仕事が出来てよかったネ、ジュード!
この作品のお写真は残念ながら2枚しか残っていないので(イオン以降のお芝居はカラー写真がいっぱいあるよ!)、お写真は1985年のダスティン・ホフマン主演映画で補足。この映画もいいからみんな観てね~。
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主要登場人物紹介
ウィリー・ローマン
いいセリフ: 「死ぬほど疲れた」 一家のお父さんです。昔はそれなりによくやっていたセールスマンで(でも、本人が思う程ではない)、息子たちにも敬愛されていましたが、お芝居の時点では、売り上げが落ち、月給+出来高から出来高のみに格下げされ、友人から借りたお金を 「給料」 と嘘をつき奥さんに手渡す境遇です。さらに、妄想と独り言が多くなり、劇中では過去に自殺を試みたことも明かされ、家族を心配させています。
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リンダ・ローマン いいセリフ: 「凡人だって偉人と同じように疲れるのよ」
子供を愛し、夫を愛し、「今日はビフとハッピーが一緒にひげをそったの!」 などと些細なことに喜ぶ健気な人物です。子供が批判されれば子供をかばい、夫が責められれば夫をかばい、とにかくすごくいい母であり奥さんなんです。最後のシーンはこの人が一番可哀そうかも。ただ、優しさのあまり、現実から目を逸らそうとする夫の傾向を助長してしまうところがあります。例えば、夫が車で事故りそうになったことがわかるシーンでは、「眼鏡のせいかも」 「ハンドルのせいかも」 と率先して言い訳を与えてしまうのです。
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ビフ・ローマン
いいセリフ:「ちっぽけな人生だ。夏の暑い朝、地下鉄に乗って。株を持ったり、電話をかけたり、売ったり買ったりすることに人生のすべてを捧げて。たった2週間の休暇のために、50週間も苦しんで。みんな本当はシャツを脱いで外に出たいのに。その上、いつも人の一歩先を行かなければいけないっていうんだから。でもそれがー一人前になるっていうことなんだろう?」
高校の時には成績も良くスポーツ万能で、明るく人気者だったのですが、卒業間近にお父さんの浮気の現場に居合わせてガッカリ。これまで敬愛していたお父さんと、ひいては、彼の価値観を疑問視するようになります。浮気のショックで高校は落第し、お芝居の時点では、いくつも職を転々とした挙句に実家に帰って来たという状況です。自分は都会で働くよりも、牧場で働くほうが幸せなのではと気づいているのですが、両親を喜ばせたい気持ちも捨てられず、劇中では知り合いに職を斡旋してもらいに行きます。浮気を目撃したせいで、今までの価値観を査定する機会のあったこの子が、将来幸せを見出す可能性が一番高いのではと思います。
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ハッピー・ローマン (ジュードだよ~)
いいセリフ:「何のために働いているのかわからないよ。時々、アパートに一人でいるとー払っている家賃のことを考えて、頭がおかしくなりそうになるんだ。でも、それがおれのいつも望んでいたことだろ? 自分のアパートに、自分の車、それにたくさんの女。でも、ちくしょう、それでも孤独なんだ」
上のセリフを読むと、一家して存在危機かよ、ってツッコミたくなりますがそうです存在危機一家なんです。ハッピーはデパートに勤め、ビフよりかは成功している様子ですが、やはり親を喜ばせたくて、自分の役職について嘘をついたりします。女の子をとっかえひっかえして遊んでいる様子ですが、その生活には空虚さを感じています。しかしながら、出世したいという野心もあり、人に好かれて頑張ればなんとかなる、というお父さんの哲学を信じています。ジュードがインタビューで言っていましたが、この子がウィリー的な人生を歩むことになりそうで一番危なっかしい人物です。
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txtmatango · 4 years
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美咲芸術世界が織りなすヘンテコな世界〜パリから棚田に舞い降りた常識ハズレの風雲児たち〜
 さきほど、共同アトリエと書いたが、「59リヴォリ」は、地元パリでは“スクワット”という愛称で知られている。一般的にスクワットとは、アーティストなどにより不法占拠されてしまった建物のことだ。  「59リヴォリ」も同様で、1999年に3人のアーティストによって不法占拠されたもの。3人は、ある晩に長年使われていない7階建のビルを発見し、「ここを俺たちのアトリエにしちゃおうぜ!」と決めた。深夜に潜入し、勝手に鍵を交換すると、「この建物は“スクワット“された!」という巨大な垂れ幕を下げた。もうパリは大騒ぎである。  すぐに世界中のアーティストが集結し、アーティストのコミュニティができ上がる。ルール遵守! を美徳とする日本からすると、不法占拠はどう考えても迷惑行為以上だが、そこらへんはさすがアートに寛容なパリである。「まさにピカソの洗濯船の再来!(※洗濯船はピカソが貧乏な頃に仲間たちと一緒に暮らしたアトリエ)」と市民は歓迎モード。パリジャンたちは、歴史の中ですでに姿を消したと思われたピカソやモディリアーニの創作の精神を「59 リヴォリ」に見出したのだ。
 その後、紆余曲折を経て「59リヴォリ」は、懐広いパリ市によって合法化され、共同アトリエとして運営されるようになる。楽画鬼さんが、「59リヴォリ」に出会ったころにはすでに合法化を遂げたあとだったが、3人の破天荒な創始者もまだ残っていたし、そのフリーダムでやんちゃなスピリットは脈々と受け継がれていた。  楽画鬼さんは、その後2年ほど「59リヴォリ」で活動し、世界のアーティストたちと刺激的で充実した日々をすごした。そして、リンダさんと結婚後は、ふたりでパリ郊外に自身のアトリエを構えた。
<中略>
実は、その廃校を使った作品は私も実際に見たことがある。2016年に開催された第一回目の美咲芸術世界の期間中、私はちょうど瀬戸内国際芸術祭の島々をめぐっていたので、好奇心で寄ってみたのだ。  あの日、瀬戸内海は汗ばむほどの暑さだったのに、山間部である美咲町はフリースを引っ張り出さねばならないほどの寒さだった。  「ここだよー!」とアーティストのひとりに廃校を案内してもらうと、校庭には不思議な迷路のようなものが設置され、校舎のなかには見る人を飲み込むようなディープな空間が広がっていた。  うわー、なんてカオスなんだ! こりゃ、確かに「リヴォリ59」そのものだな!と私は思った。  作品同士にキッチリとした境界がなく、空間全体にあらゆる作品が点在し、もともと学校にあった古い什器などと有機的に混じり合う。どこまでが作品でどこまでがもともとあったものなのかもよくわからない。壁は往年の汚れが染み付き、埃が舞い、その傍でどこか退廃的な雰囲気の似顔絵やカラフルな絵画が壁という壁を占拠する。  それは、理路整然としたコンセプトのもとにキッチリと積み上げられた瀬戸内国際芸術祭の作品群とはまさに一線を画すものだった。  当たり前かもしれないが、やっぱり59リヴォリのスピリットがちゃんと流れこんでいた。
 よくよく考えて見ると「59リヴォリ」のスピリットとはいったいなんだろうか?   その質問を楽画鬼さんにぶつけてみると、「そう言われるとなんだろう。アーティスティックであることかな」と少し考え込んだ。   そこで、影絵作品を制作するアーティストの笠原舞さんにも同じ質問をぶつけてみた。笠原さんは、第3回目の芸術祭の参加者で、現在も「59リヴォリ」にアトリエを構えるひとりだ。
 笠原さんは、即座にこう答えた。 「日本はなんでもすごくルールが厳しい。やってみたいけど、やっちゃいけないことがたくさんある。もちろん、フランスにもいろんなルールがあるんだけど、59リヴォリは、冒険心や好奇心で、そういったルールを奇跡的にくぐり抜けてしまった。だから、そんなミラクルや冒険という“蜜”に、夢見る虫であるアーティストたちが群がっている感じかな。ああ、こうやって、ルールを破っていろんなことをやっちゃっていいんだって、私たちに思い出させてくれるのかもしれません」  なるほど、と楽画鬼さんも私も納得した。  言い換えれば、彼らが“蜜”とか“冒険”と呼ぶのは、手を伸ばしてはいけない、でもやっぱり伸ばしたい、そんな「常識から逸脱した行為」だろう。たぶん、私たちはいつも無意識に「ここまでしかやってはいけない」と、行動の境界線を自分自身で引いてしまっている。ただ、時にそれを超えていかないとアートはどんどんつまらないものになってしまう。アーティストたちは、それを本能的に知っているのだ。
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hananien · 4 years
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【SPN】ギフト
――ディーンが自身の”ギフト”に気づいたのは、彼が十五の歳の夏だった。
続きを猟奇〇辱系にしたらいいか崇められ系にしようか迷って書けてない話です。妄想上の本編の導入部です。
※あとがきを先に ディーンの気づいたギフト=場を支配するような美貌ってことで書き始めたのに全然うまくいかない。本編は、弟が出ていくって知ったディーンがやけになって男を漁る話だった(やめておいたほうがいい)。猟奇系にしろ崇められ系にしろ、兄が自覚するのは監禁生活で伸びた髪を梳かすのを親子がポーっと眺めるというシーン、というのだけは決めていた。そうですリンダ・ハワードの「氷に閉ざされて」です。遭難中に出くわした親子の前で髪を梳かすヒロインに、ヒーローが「男を挑発するな!」と怒る(うろ覚え)。あれを読んで以来”髪を梳かす”=セクシーなんだ!という認識が根付いてます。 さらっとハワイ-5Оネタもぶっこみました。
 その年のジョンは本業よりも息子たちを鍛えることに積極的で、人里離れた山奥の古いコテージを借りて(本当に借りたのか、ただ”拝借”したのかはわからない)何か月もそこに籠りきり、訓練に明け暮れた。  ある日、兄弟は目隠しをされて車に乗せられ、地図も食料もなしに森の中で置き去りにされた。サバイバル訓練は初めてではなかったからディーンは冷静だった。ただし、いつもは一人だった。十一歳になった弟は、初めての状況に混乱していた。  とはいえ、幼い末息子の初めてのサバイバルにジョンもそれほど森の奥深いところを選ばなかったし、ディーンにはおおよその場所の検討がついていた。基点のコテージまで二日あれば帰り着く。もしも狩り(この場合は文字通り、即席の罠や弓で野生動物を狩る行為のことだ)に失敗して食料が調達できなくても死にはしない。ディーンはむしろ、弟と二人で山中を歩ける機会を得たことに喜びを感じていた。歳のわりに華奢なサムは、同年代の子どもに比べれば背も低いけれど、もうすぐティーンになるのだ。今回のことで、ジョンはディーンが弟をきちんと率いることができるのか、試しているのかもしれない。うまくやれば、今後はこういった過酷な訓練も、一人ではなく、弟と一緒にやることが許されるだろう。  ディーンはがぜん励んだ。もしも、彼らのキャンプに空からパラシュートをつけた男が落ちてこなくて、その男がヘリコプターから落としたという盗品のダイアを見つけるのに、サムを人質にとってディーンを道案内に選ばなかったら、すべてが順調にいっただろう。  結果的に、サムとディーンは三日三晩、男に連れまわされたあげく、最後には発狂した男をディーンが石で打ち殺して、悪夢のようなハイキングは終わった。  二人ともひどく憔悴していた。サムの状態は特に悪かった。ディーンはコテージに戻ることを諦めて、山を下りて近くにあるはずの集落へ向かった。ほとんど飲まず食わずで男に引きずられていたサムの意識はもうろうとしていた。ディーンは弟を負ぶって小さな木こり小屋に侵入した。誰かが住んでいる様子だったけれど無人だった。小さなキッチンの冷蔵庫に入っていたミルクをサムに飲ませようとして、サムが完全に意識を失っていることに気が付いた。ディーンは泣きそうになりながら、一滴一滴、サムの唇にミルクを落とし入れた。  コップ半分を飲ませ終わると、急に寒気が走った。気力を振り絞って、弟の服を脱がせ、しばらく使われていなさそうなバスタブに湯を溜めて一緒に入浴した。寒気は消えるどころかますますひどくなったけれど、弟を溺死させるわけにはいかないから必死で意識を保った。一部屋しかない寝室のワードローブからシャツを拝借して自分と弟に着せ、細い体を暖炉のある部屋のソファに寝かせると、ようやく仕事をやり終えた気がした。穏やかな寝息をたてるサムの額に手を当てると、やたらにひんやりと感じた。全身が燃えるように熱いのだと気づいたのは、床に崩れ落ちる一瞬前だった。  気が付いたときには、ディーンは寝室に寝かされていた。弟の姿が無くてパニックになり、ベッドから落ちた。物音を聞いてやってきたのは、小屋の住人の親子だった��  白髪の父親、ドンと、栗毛の息子のシミト。彼らは集落の外れに住み、樵夫としてほぼ自給自足の生活を送っていた。どちらも口数は少なく、自分たちの外出中に侵入し、ミルクとシャツを盗んだ子供たちが、どこからどうして来たのか尋ねることすらなかった。熱が下がらないディーンが警戒して差し出された薬を拒否すると、一度だけ「おまえが死んだら弟はどうなると思う」と脅しめいたことをシミトが言ったが、それ以上強要はしなかった。ディーンは迷ったすえ、アスピリンを飲み、ベッドに戻ることだけは頑として拒んで、ソファで眠るサムの足元にうずくまって休んだ。  その次にディーンが目覚めたとき、サムはソファに起き上がって、ディーンの頭を腿に乗せながらオートミールを食べていた。暖炉の前のアームチェアにどっかりと座ったドンが彼らを黙って見ていた。サムはディーンが気づいたことを知ると、スプーンを持ったままの手で彼の髪を撫でた。山修行で切る暇もなかった髪は耳が隠れるくらいに長くなっていた。サムが生きて食べているという事実を目の当たりにし、小さな手で髪を梳かれる心地よさに、ディーンはすっかり安心して身をまかせた。いつの間にか息子のシミトが戻っていた。野ウサギの死体をベルトに括りつけたまま、レンガを積み上げたマントルピースに寄りかかって、父親と同じように兄弟を見つめていた。  その夜、起き上がれるようになったディーンは、二人用に作られたダイニングテーブルに座り、サムと向かい合って野ウサギのシチューを食べた。食卓に着いたのが何年ぶりだったか思い出せなかったし、手作りのシチューの味は知らなかった。  親子は暖炉の前に座って食事をしていた。彼らのほうを見ると必ず二人と目が合った。ディーンは彼らが自分たちを警戒しているのだろうと思った。親切に世話をしてくれたが、どこの馬の骨かわからない少年二人を家に上げて、警戒しないほうがおかしい。  「食べ物をありがとう。服も」 ディーンは長い裾をジーンズの中に入れ込んだシャツの腹を撫でた。脱ぎ捨てた衣類をシミトが洗濯してくれたが(洗濯機はないから近くの小川で手洗いしてくれた)、ジーンズ以外はボロボロだったので処分してもらい、盗んだシャツをそのまま譲られたのだった。  「朝になったら出ていくよ。何も礼は出来ないけど……」  「おまえたちは、親に捨てられたんだろう」 シミトがいった。ディーンは首を振った。「ちがう。親父はおれたちを探してる。ここから北西にいったところにコテージがあって、そこを借りてる」  「親に捨てられたんじゃなきゃ、こんなところには来ない」  「ちがうって言ってんだ。狩りの途中で迷ったんだよ。腹が減って死にそうだったんだ」  「沢の近くで男の死体を見つけた」 シミトは淡々といった。「あれがおまえらの親父だろ?」  ディーンもサムも、言葉が出なかった。  「俺たちが守ってやる」 ドンが初めて口を開いた。「湯を使って、今日はもう寝るといい。明日から狩りの仕方を教えてやる」  「いや……おれたちは……」 言いかけたディーンの手を、サムがぎゅっと握った。それから親子に向かっていった。「ありがとうございます。僕たち、少しなら狩りのこと知ってます」  「心配ない、俺たちが全部教えてやる。もう家族だ。おまえらは俺の兄弟だ」  ディーンの手を強く握りなおして、サムは頷いた。ディーンは反論したくなるのをこらえて、黙ってシミトをにらみつけた。  「あいつらは変だ」 一緒にシャワーを浴びながら、男たちに聞こえないよう、ディーンはサムの耳の側でささやいた。「死体があるのを知っても何も感じてないみたいだった。おれたちを騙して警察に売り飛ばす気かもしれねえ。今のうちに逃げよう」  「警察に”売り”飛ばしたりはしないでしょ。警察に”突き出す”ならあるけど」 サムの笑いを含んだ吐息がディーンの頬をくすぐった。「だめだ。逃げられないよ。ディーンはまだ熱があるし……」  サムの言葉をディーンは笑い飛ばした。「熱なんてないし、あってもそのうち治る。いいか、ベッドは一つしかなかった。あいつらマジで気味悪いけど親子で一緒に寝てるんだ。二人が寝静まったら出発しよう」  「だめだってば。あいつら一緒には寝ないよ。二時間おきに交代でベッドを使うんだ。昨夜はそうだった。一人が寝室を使ってるあいだ、一人が暖炉の前で寝ずの番だ。僕たちを逃す気なんかないんだよ」  それを聞いたディーンはぞっとした。「どういうつもりだ、あいつら? サミー、おれが寝てるあいだ何かされてねえだろうな?」  サムは首を振る。「じっと見てるだけ。危害を加える気はなさそうだよ。だからもう少し様子をみよう。ディーン、傷だらけだ」  手のひらを握られて、石を掴んだときにできた傷が沁みた。ディーンの顔を見たサムのほうが泣きそうになっていた。  人を殺して遺棄したことが、はるか昔の出来事に感じた。  「大したことない。もう塞がってる」  「ダッドは僕たちを探してるはずだ。ここで待ってたほうがいいよ」  ジョンの想定していた期限内に戻れなかったどころか、小学生みたいにお迎えを待つなんてディーンはイヤだった。それに薄気味の悪い親子とサムを長く接触させたくない。  「ここに留まったのが間違いだった。……服を着ろ」  「え?」  「いいから服を着ろ。そこの窓から脱出する。シャワーは出しっぱなしにしとけ」  ろくに体も拭かず、トイレタンクの上に置いた服を身に着けていく兄を、サムは呆気にとられたように見る。その後ろで、すりガラスのドアがノックされた。  「シミトだ」 ディーンはサムの衣類を投げて渡す。「風呂まで監視してるんだ、あいつ。変態の家にはいられねえよ。サム、早く服を着ろ!」  サムがシャワーを避けながら慌てて服を着るあいだ、ディーンはトイレタンクの上にある窓を開けた。湿った土埃が接着剤のように敷居に溜まっていて、スムーズに開かない。勢いをつけて開けたはずみで、ディーンが足にかけたタンクの蓋がずれた。  「先に出ろ」 サムは素直に従った。ディーンに助けられながら窓をくぐって着地する。ディーンの背後でドアがまたノックされた。  「ちょっと待ってよ。もうすぐ出るから」 大声を出しながらディーンも窓に足をかけた。「覗くなよ!」  ディーンが外に着地するのと同時に、浴室のドアが開かれた。「走れ!」 サムの背中を押して、ディーンは叫んだ。  「こんな、必要、ある?」 木々の間を走りながらサムがいった。「ただの、変人の、親子かも!」  風のうなる音がして、二人の間の地面に矢が突き刺さった。  「ただの変人?」 ディーンの声が上擦る。  「前言撤回。逃げよう、ディーン」  緩やかな丘を下りながら、ディーンは戦略を練った。背後に二人の狩人――”本物”の山男の気配。月と反対の方角ににちらほらと明かりは見えるから、そう遠くない場所に集落があるはずだ。けれど、足元に何があるか全くわからない。ここは奴らのテリトリーだ。回り込まれるのは時間の問題だし、もっと最悪の場合、崖や動物用に仕掛けた罠に誘導されるかもしれない。  このまま走り回るのは危険だと判断したディーンは、サムの肩を叩いて近くの木の根元に身を寄せた。  「いいか、よく聞け」 父親の口調を意識しながらサムの目を見つめる。「集落の方向はわかるな? 周りに注意して、なるべく木の間隔の狭い場所を進め。集落についたら……おれがさっきあいつらに言ったみたいに、親と狩りの最中で迷子になったとでも言って、保護してもらえ。親父の電話番号はわかるな? 通報されるまえに連絡するんだ。いいな?」  「ディーン!」  「ごめんな、サミー。おれのミスだ」 サムを人質にとられてから、男を殺すまで三日もかかってしまったのが最大の過ちだった。体力は大幅に削られ、来た道を戻ることもできない。もっと早く殺しておくべきだった。死体の処理だって、もっと慎重にするべきだった。  「行け! 早く」  兄が囮になるつもりだと知って、サムは木の根にしがみついて抵抗した。「いやだよ、ディーン! 一緒じゃなきゃ!」  「すぐに追いつく。そうでなきゃ、あの小屋でおまえと親父を待ってる」  「ディーン! ダメだ」  「行け!」 ディーンはサムの腕をとって木の側から突き飛ばした。追手に居場所を告げるように声を上げながら、サムとは反対方向へ走り出す。  サムは突き飛ばされた格好のまま、足音が遠ざかっていくのを聞いた。そして数秒間の静寂のあと、再びあの、風を切る矢の音を。  その音がサムの足を突き動かした。集落の明かりに向かって、サムは転げながら走り出した。
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tomtanka · 4 years
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『足の踏み場、象の墓場』全首評③(横書き引用ver.)
我妻俊樹「窓を叱れ」『足の踏み場、象の墓場』の全首評
中里さんの塗り替えてくれたアパートに百年住むこの夕暮れから
叱れと言われたら、これはもう、一時的にわずかな理性を取り戻してでも、説明せざるを得ない。 叱るのと怒鳴るのは、全然違う。声を張りあげて自分の感情をぶつけるのが怒鳴るだとしたら、叱るのには、もっと理路整然とした秩序が必要になる。叱ることによって、これまでの状況が変化することが求められるからだ。だから、叱る者には、全てを把握するための客観的な視点が必要だ。感情や状況にまつわる現状を、説明という器に乗せて、差し出すために。 叱れ、という命令は、私が理性を取り戻すだけのパワーを持っている。 なぜかというと、これまでの連作に登場したどの歌にもタイトルにもなかった、「命令」が初めて登場するからだ。 ささやかな願望・曖昧な提案・誰に対しても伝えたい感想と感嘆・シチュエーションに対する忠実な状況説明。 上記の4つがこれまでの歌やタイトルの8割を占めている構成要素だった(残りの2割が何なのか、それを説明するほど愚かなことはない)。 ところが、「叱れ」という命令は、誰の誰に対するどのような命令であれ、この歌集の中で異質さを放っている。 その理由は、作者も読者も知りようがないが、個人的に推測するに、それは、この連作が何かに対峙している唯一の連作であり(何かに投影・何かから投影している連作はあるが、もちろん対峙するのとはわけが違う)、そして、この連作の最初の1首目に、中里さんが登場するからである。 中里さんとは誰か。 それを探るためには、残念ながら何かを連れて来なくてはならない。ただ、直接連れて来るのはよそう。 覚えている人は、「世話する光」を思い出してほしい。 私は、この歌集は、ビーカーに水を注ぎながら、ひたすら目盛りを数える歌集だと思っているが、このビーカーに水を注いでいる人こそ、まさしく中里さんなのである。 ビーカーに水を注ぐ速さを調整できるのは、中里さんしかいない。 中里さんの設定した、アパートの耐用年数は百年だ。今ま���私はこのアパートに十六年住んでいたが、この築二十五年のアパートは、今度は百年しか持たないだろう。夕暮れをこんなに身近に感じることは、これまでなかった。あったとしても、それは時間の経過を感じるだけのことで、日が暮れるという感傷に浸っているに過ぎなかった。 誰がアパートを塗り替えてくれと頼んだのか。依頼主は誰か。 「そういうのを感傷と呼ぶんだよ」
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので)
スイスにようこそ! 客車から降り、石炭の匂いを感じながら、私は停車場の短い階段から野草の生い茂る草はらへと下った。駅舎までは多少、距離があった。改札で銀色の箱に切符を落とし、石畳のロータリーに出たところで、その男は大声でそう言ったのだ。 「スイスにようこそ!」 けたたましい警笛と、シリンジやポンプの作動音、蒸気の噴出される細長い音の後、機関車は走り出した。その男は、もう一度、「スイスにようこそ!」と叫んだ。 その男は、ホテルから私を迎えに来ていた。 その男は、ボタン穴の部分に白い花が刺繍された、キルト地の赤いチョッキを着ていた。民族衣装なのだろう。滑稽に見えた。 「スイスにようこそ!」 私が声を発さないせいか、その男はいつまでも叫び続けていた。
思いましょう 世界は果てが滝なのに減らないくらい海に降る雨
わずかな言い換えが、同一性をより担保してくれる。違いではなく、同じであるということに価値があり、光の当たり方が違うという指摘をすることに、この世界の意味があるのだ。 何も変えてはいけないし、そもそも何も変わっていない。 だから、ため息のような破調をため息だと断定するような、理性に支配された言葉や深読みの数々に、どうか、果てしない嫌悪を。
歩いてもどこにも出ない道を来たぼくと握手をしてくれるかい
空き地の真ん中にあるブランコを漕いでいる人はいなかった。しかし、そのブランコはもう2時間以上、揺れ続けていた。風が吹いたり、地震が起こったりしたのだろうか。犯人は誰だろう? ぼくはそんなことを考えながら、空き地から出て行った。夕映えでまぶしい道にも、もちろん誰もいない。
眉を順路のようにならべて三分間写真のように生まれ変わるよ
さっきまでスパゲッティが乗っていた皿だろうか。陶器が割れる音がした。いつ聞いても嫌な気持ちがする。盛り付けにどれだけ時間をかけたか知っているのだろうか。拳大の麺を掴んだトングを円の中心に垂直に下ろし、3°ずつ反時計回りで円を広げていく。麺が尽きたら、今度は尽きた箇所からもっとも近い皿の縁から、時計回りに同じことを繰り返す。規定量の麺がなくなるまで、それを反復し、最後に外・内の間隙に向かってミートソースをかけていくと、もっとも美しい、写真映えするミートソーススパゲッティのできあがり。 それを奴は台無しにしたのだ。 客に謝る声がした。愛想がなく、声が大きいのにこもって聞き取りにくい。 やがて奴が戻ってきた。こんな奴しかバイトに来ない。 怒りがこみ上げてきた。
鰐というリングネームの女から真っ赤な屋根裏を貢がれる
忘れもしない10月15日、三銃士マドモアゼル・リンダとの決戦。 私は地面へと頭から叩き落とされた。筋骨隆々の大女リンダは、背負い投げの途中で掴んでいた両手を離し、私は右側頭部にゴギュという音を聞き、次の瞬間には病院のベッドに横たわっていた。4日間、眠っていたらしい。脳だ。硬膜に、血が溜まってしまった。もう復帰できないだろう。リンダとの再戦では、今度こそ殺されるに違いない。 退院してからも、私の脳裏からゴギュという音は消えなかった。
バス停を並ぶものだと気づくのはいずれ人ばかりではあるまい
カラスの襲撃がはじまった。 毎朝、5時35分発のバスに乗るための列がある。そこで餡パンを食べる男子高校生が、その襲撃がはじまる原因だった。 その列には、イヤホンのつながったMDプレーヤーを持つ会社員らしき男、バスに乗ってからすればいいのになぜか待ち時間でチークを塗るOL、文庫本を読む一見して職業のわからないラフな出で立ちの中年男性が並んでいることが多かった。曜日によって数人増減する日もあった。 カラスは滑空した勢いで餡パンを盗ることもあれば、バス停の近くまでひょこひょこ歩いてきて、飛び上がる弾みに文庫本を掠めとることもあった。日によって、何を盗るのかまちまちで、規則性はなかった。 しだいに、そのバス停の5時35分発の利用者は減った。私の部屋はバス停の真裏の2階にあったが、観察するに、それまでの利用者は35分の前後のバスに変えたようだった。35分発の前は27分発で、後ろは少し間隔が空き、52分発だった。 カラスは35分発のバスに固執していたので、前後のバスの利用者を狙うことはなかった。 私はだんだん、そのバス停の35分発のバス列に並んでみたくなった。バスに乗らない生活が続いていたが、意を決して餡パンを食べながらそのバス列に並んだ。 並んだといっても、その日、私以外に並んでいる人はいなかった。 カラスが飛んできた。私の背後から近づいてきて、しばらくじっとしていたが、やがて朝焼けの空へと飛び去っていった。 私はバスに乗り、駅に向かった。駅に人はまばらで、なんだか楽しい気分になった。 どこに行こうかな。
拾った本雨で洗ってきた人と朝までつづく旅行計画
歩けば歩くほど、傘が遠のいていった。空き地の中央に突き刺さっている、一本の傘。半透明のビニール傘で、コンビニのテープが持ち手に付いたままだ。 誰もいないのに、傘がゆっくりと開いていった。時が止まる前の、緩慢な動き。 パラボラアンテナのように宇宙へと開いて、雨を受け止めている。 これから先、もうどこにも旅に行くことはできない。そう思うのに、時間は必要なかった。 朝は消滅した。
消えてった輪ゴムのあとを自転車で追うのだ君も女の子なら
自転車で行くには、あまりにも近過ぎた。ペダルを4回漕げば、そこに輪ゴムがある。わかっているのに、絶対に輪ゴムをひき殺してしまう。輪ゴムの断末魔が響きわたる。うんざりだ。
ブルーシートに「瀬戸内海」とペンで書け恋人よ 毛玉まみれの肩よ
瀬戸内海は本州と四国に挟まれ、九州と淡路島によって蓋をされている。こう定義したとき、瀬戸内海を狭いと感じるか、広いと感じるかは、人それぞれだろう。レトリックの差だ。 ただ、そもそもレトリックが生じるには、瀬戸内海に行ったことがあるか・ないか、が関わってくる。 私は瀬戸内海に行ったことがないから、レトリックが有効だ。 瀬戸内海=ブルーシートに座って、花見の場所取りをしていると、茂みからタヌキが顔を出した。私が瀬戸内海にいるので、タヌキが瀬戸内海に侵入することはなかった。 オオカミが来た時のことを考えて、もっと大きく書いておこう。 「おーい。オオカミが来たぞう」
牛乳を誰かが飲んだあとに来る 煙草をきみはねだる目をする
「おーい。牛乳が来たぞう」 「煙草、吸うかい?」 「これで無事に牛になれます」 「あいつは有名な牛なんだよ」 「知らなかったな」
月光はわたしたちにとどく頃にはすりきれて泥棒になってる
TEL「お電話ありがとうございます。ピザッチです」 わたしたち「注文お願いします」 TEL「承ります」 わたしたち「ピザッチの熟成ベーコン ダブルチーズスペシャルで」 TEL「レコードですね」 わたしたち「はい?」 TEL「月光ですね。お届け先を伺ってもよろしいでしょうか」
忘れてた米屋がレンズの片隅でつぶれてるのを見たという旅
夢なのか、旅なのか、映画なのか。 確かなのは、私が1眼レフを構えて、海辺のトタン屋根の小屋にレンズを向けていることだけだ。窓ガラスは割れ、部屋の中には砂が溜まっていた。防風林の木々の間から、風が流れ込んでくる。夢なのか。気がつくと、私は望遠鏡を覗き、宇宙の小さな米を見ている。星の中の、家の中の、米櫃の中の、一粒の米。われわれには、今目に見えているものが、米なのか、星なのか、区別することができない。
顔のなかに三叉路のある絵を描いた凧が墜ちても届けにいくわ
しかし、雲が突然、光を発した。本来見えていたはずの太陽をかすめている、飛行機の排気ガスの軌跡を柄のようにぶらさげた白いかたまりは、ゆっくりとひしゃげた。 私の頭の中と、想像の君の頭の中と、想像の中里さんの頭の中は、どれも凧が真っ青な空の中を落下する映像だけで占められていて、落下地点のことを決して想像することはなかった。つまり、野原で寝転んでいる中里さんの顔に向かって凧が落ちていき、中里さんの顔を凧の布が覆い尽くしたとは、誰も知らなかったのだ。 三者三様に、���いに行く途中で迷子になり、誰も帰って来なかった。
マサチューセッツ工科大学卒業後 ほんとうの自由にたどり着けるだろう
何も考えたくないという時の「何も」こそが「自由」であり、何もかも達成したという時の「何も」が「ほんとうの」だ。バカ田大学は実在しない大学で、マサチューセッツ工科大学は「ほんとうの」大学だ。
五時がこんなに明るいのならもう勇気は失くしたままでいいんじゃないか
卒業おめでとう。五次会へようこそ。
東京タワーを映す鏡にあらわれて口紅を引きなおすくちびる
自分がどこにいるのか思い出せない、いや、自分がどこにいるのかわからない。東京タワーが映っているということは東京都内のはずだが、もしかするとテレビの中の東京タワーを映した鏡かもしれず、その証拠に東京タワーはゆらゆらしているが、しかしそれはタバコの煙のせいかもしれないし、もしかするとスモッグか黄砂か霧かもしれないし、くちびるは口紅を加えてはっきりするということは、つまり鏡の中の口は自分の口で、くちびるは自分の口のくちびるで、ようするに自分が鏡の目の前にいるということ以外に確かなことはないと思ったが、塗っている自分の指と指は本当に自分の指なのか、「指?」、指ではないだろう、ここはトイレだからテレビはないはずだ、東京タワーは小さいし、自分は口紅を塗っている自分だ。
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
わたしと、マイケル・ジャクソン。この森はすべてうれしい。
こどもたちは窓のかたちを浴びていて質問してくるようすがない
遠い空を凧が浮かんでいたので、空について詳しくないぼくらには、それがいかに巨大か、近づいてくるまで分からなかった。 凧は風にあおられぐらつき、山の峰に触れた時、周囲の木々と凧の大きさの違いに、ぼくらは驚いた。 もっと遠くに浮かんでいると思っていた。 いや、あれは飛んでいたんだ。 あれは大人かな。 子供じゃないかな。子供が五人、凧の対角線に沿って張り付いている。 貼り付いている、の間違いじゃないかな。彼らは死んでいるよ。 五角形のそれが草原へと着陸した。ずどん、と。 ぼくらはそれに向かって駆け出した。
こうもりはいつでも影でぼくたちは悩みがないかわりに早く死ぬ
もぐらとこうもりは、ぼくたちにとって黒いかたまりだった。猫がもぐらを咥えて夕方の軒下にやってくると聞いたことがあったけど、中里さんはそれをぼくたちに見せてはくれなかった。 ただ、一度、ぼくはその死体を見たことがある。中里さんがどこかに埋めたもぐらを掘り起こしてきたのだ。でも、それは真っ黒に塗りたくられていて、まるで影が空中に浮かんでいるみたいだった。ぼくはそれを手に取った。これがもぐらだとは思えなかった。いや、思おうとする前にもぐらは、ぼくの手からその黒いかたまりをかすめ取り、夕闇の暗がりへと消えていったのだった。 ぼくが幼少期に死について考えたのはそのたった一回だったが、長い時間が経ってから思い出すと、ぼくはつねに死について考えていて、それはぼくたちにとっての共通のテーマだったが、今、捏造した記憶かもしれない。こうもりが、車庫の屋根裏から羽ばたき、ぼくの顔を覆った。苦しくなることが、ぼくはいま溺れているのか、どこで。
けむりにも目鼻がある春の或る日のくだものかごに混ぜた地球儀
バナナと梨とリンゴと葡萄がかごに混ざっていて、実はどれかが地球儀でーす、というクイズ。 正解は、バナナ。よく見てごらん。ほら、剥いてみて。
電球を抜く手つきしてシャツの中おめでとうってどこか思った
エルヴィス・プレスリーは振動を発明し、マイケル・ジャクソンは手つきを発明した。 アンチ・グラヴィティは、特許によって成立しており、靴と床の構造によって無重力を再現していた。なぜ、バスター・キートンやチャップリンとは「違う」のか。 「おめでとう」と言えるのは、マイケルだけだから?
その鍵は今から四つかぞえたら夢からさめた私が開ける
なぜ、五や三とは違うのか。 「おめでとう」と言えるのは、四だけだから?
全世界 というとき世界が見おろせる星にかかっている羊雲
トートロジーに照らして考えたとき、全世界とは三角形であり、同時に正四面体でもある。つまり、三角形は四個あり、同時に十六個あるとも言える。 私は羊雲すら把握することができている。
部屋に見えるほど寒々と白旗をひろげなさいって誰に言われた?
凧は裏側の三角形に墜落した。ぼくらはそれを見ることができなかった。羊雲が青空に広がっていた。
犬がそれを尊ぶ「セックスアピールって要するにおっぱいだろ?」という目で
マイケルのそっくりさん「おめでとう」
たくさんになって心は鳥たちの動いたあとの光が照らす
「いらっしゃい」
新聞が花をつつんで置いてある よみがえるなんて久しぶり
長年考えていたのだが、と話をはじめることができれば、この話に説得力や教訓、哲学的な示唆があるのではないか、と耳を傾けてくれる人々が増えるのだとは思うのだが、実際はほんのついさっき考え出したことについて話をしたいと思う。しかし、これからずっと考えつづけていくに違いない事柄についてだ。 いや、私は長年、ずっと考えつづけていたのかもしれない。それを、ついさっき考えはじめた、と韜晦混じりに話している可能性もある。と、話を続けることしかできない。つまり、私には、いつ考えはじめたのか、全く分からないのだ。 いったい、新聞と何の関係があるのかと思うだろう。だが、話には順序がある。 まず、私が話したいのは、まさしく、わたしが陥ったある狂気についてである。 おそらく、世界中どんな場所にも、狂人と呼ばれる人間が必ず1人はいるはずだ。どういった人間かというと、たとえば、あからさまに口調がおかしかったり、あるいは身振りが不審な人間が狂人と呼ばれるのではなく、常識という土台はあるにも拘らず、その常識が生み出すはずの思考が常識とはかけ離れてしまう・少しずれてしまう人間のことだろう。 だが、何が狂人たらしめるのかというと、実際は時代時代の常識から見た「狂気」であり、大部分は、その人間が置かれた状況や環境に対する理解の欠如や、差別意識によるものなのではないか、とも思うが、しかし、土台の上の常識がずれるということについては、多くの人間は狂気と人間(狂人)を峻別し、その上で狂気に見舞われた人間を「狂人」と見做しているのではないだろうか。 ケースバイケースだ。こんなところで結論がでるような話ではなく、そもそも「土台」という考え方が、非常に差別的にちがいない。ただ、私が何を言いたいのかというと、この「土台の上」ではなく、まさに「土台」の部分で、私は狂気に飲み込まれてしまったということだ。 話を始めよう。 私はかつて、池袋で新聞少年だったことがある。しかし、それはほんの2週間でおわってしまった。当時の家庭環境からすれば、私は働きつづけなければならなかったのだが、体力はもちろん、幼稚さゆえの逃避癖から、楽で薄暗い方へと身を沈めてしまった。逃げたのだ。打ちっぱなしの床に、やけに赤いヒーターしかない作業所が苦痛だった。2階から聞こえる怒声が、ただ耳の内側に響き、昼の数時間の睡眠や不規則な生活が、だらだらと続くのに絶望した。 それはともかく、私は2週間の短い経験だったが、新聞、と呼ばれると、広告チラシと新聞を一括りで連想するようになってしまった。私にとって、新聞とは新聞紙のことではなく、チラシがハンバーガーのように挟まっていてこその、「新聞」だ、と言えば少しは分かりやすいだろうか。 そして十六年後、私はあるアパートに住んでいた。チラシを捨てることができず、十六年分のチラシが部屋にはあり、話とは関係ないが、毎日、ダブルチーズバーガーを食べていた。 私が陥った狂気について語ろうと思うが、前置きに比べてずいぶん短くなると思う。なぜかといえば、これは私が現在直面している狂気であり、私は正常と異常、時間の長短の区別がもはや付かなくなっているからだ。ようするに、私は説明することができないに違いない。 話とはこうだ。私はある日、部屋の壁中にチラシを貼る男を夢想した。それは私だったのかもしれないし、今、私がチラシを壁に貼っているのかもしれない。 「新聞が花をつつんで置いてある」 私は「新聞」に包まれている。 私は置かれている。 私は自分が花だとは言わない。しかし、「よみがえるなんて久しぶり」とは。 私が、自分が狂気に陥ったと考える理由は下句にある。 私は甦っただろうか。「久しぶり」には、世界に対する癒しが含まれている。 癒しは、包まれているのか。包まれていないのか。 文字が塗りたくられた円錐は、床に転がっている。 円錐の先に窓がある。 窓から、光が射し込んだ。窓にもチラシを貼っていたが、紙が薄かったので、窓は光っていた。 「よお」
*
引用はすべて、我妻俊樹「窓を叱れ」(『足の踏み場、象の墓場』、短歌同人誌『率』10号 誌上歌集、2016年)より。
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oka-akina · 4 years
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ここ何日か
ここ何日かの日記。
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HOME IS A FIREのライブ。 昨年5月に活動を休止していたがメンバーが変わり活動再開とのこと。年末に沼田から連絡をもらいふたつ返事で「行く!」と返事したものの、当日は雨で寒かった。雪こそふらなかったが出かけるのがおっくうで、忘れたふりでもしちまおうかな、もし沼田からリマインドのLINEがきたら風邪ひいたって言おっかな…と思っていたが、かれはそういうことをしないので(そういうことをしないところが好きだ)、わたしはちゃんとライブハウスへ向かった。 夜は沼田のライブに行ってくる、行くって返事してたの忘れてた、と夫に話し(忘れていたわけではないがおっくうに思ったことをそのように表現して、べつに伝える必要もないし伝わらないが口に出した、つまり懺悔だ)、夫は行ってらっしゃいと言った。それってこのあいだ鈴木くんが抜けるから解散だか休止だかって言ってなかった?とちょっと首をかしげた。だから別の人が入って再開するみたいよ、つまり「でんぢゃらすじーさん邪」ってこと?、たぶんね。そんな話もした。昨年ショウバイロックのアプリがサ終したが、このあいだ新しいゲームもアニメも始まり、そのときも、つまり「でんぢゃらすじーさん邪」ってことか?と言いあい、わたしたちはおはスタばっかり見ているのですぐコロコロコミックの話になる。 西永福JAM。新宿JAMがなくなり新しくできた…というのもそろそろ二年くらい前の話になる。学生時代、永福町に住んでいた子のことがちょっと好きだった。向こうもわたしのことをちょっと好きだったと思う。そういうのってわりとわかる。押せばいける、というか、どっちかが押し倒せばいけそうだな〜という空気はあって、おんぶしてもらったりおんぶしたり、上着を貸したり借りたりしたんだけど、なんかいろいろなタイミングが悪くてどうともならなかった。DJをやってて声がほわほわしていて背中からいいにおいがして、いま会計士だか税理士だかやってる子(人にこの話をすると会計士と税理士じゃ難易度がぜんぜんちがうぞと言われるし、流れでだいたい税理士の悪口になるんだけど、まあ、この話は今はいいです)。卒業後は会っていない。 西永福JAMは新しくてすごくきれいで禁煙。重たいドアを開けるのに難儀していたら、髪の長い男の人が気さくに手伝ってくれて、わたしはこの人をHOME IS A FIREのライブでよく見かける。たぶん沼田の友だちで、わたしは顔見知りですらないんだけど、見たことある人が元気でニコニコしているとうれしい。少し前までは、小劇場とかライブハウスに行くとむかしの知り合いと出くわしてどきどきしたりハラハラしたり寝た子を起こしたりしていたが、最近は誰とも会わない。そのかわり、名前も何も知らないけど顔だけ見たことあるみたいな人をちらほら見かけ、勝手に心の中で息災を願っており、気楽だなあと思う。ここ何年か、さまざまなストレスを減らすことにだいぶ成功していると思うが、そのぶん耐性がなくなってきた。ちょっとの波風でくよくよする。さっきも、とくに脈絡なく、週末に起きたささやかな波風がよみがえって心がどんよりしていた。 5月の活動休止ライブも西永福JAMでおこなわれた。そのとき、知らない誰かと知らない誰かが「あのピアノの代わりはなかなか見つからないでしょ」と鈴木くんの脱退(脱退ではないんだけど事実上の)について話していたのがきこえた。わたしもそう思った。鈴木くんの代わりなんていない。この話まじで何度もしてるからはしょるけど、鈴木くんのピアノが好きだった。鈴木くんはでっかい体で汗っかきで山田倫太郎略してリンダに似てるんだけど(リンダは実在しませんが…)、見るたびでかくなっ���気がしており、なんかでかくなったねえみたいなことをわたしが言うと、しばしば沼田が「あいつかさばるんすよ」と笑った(そう言う沼田はスリムでめちゃくちゃ顔がいい)。かさばる鈴木くんのことがみんな好きだった。 新しいHOME IS A FIREにはピアノはおらず、ギターが二人になっていて、雑に言うとピアノだったところをギターでやっているんだけど、ああちがうな、それじゃぜんぜん言い表せてない、あのね、めちゃくちゃかっこよかった。あんまりかっこよくてびっくりした。むしろ前よりよくなった気さえしてかなり興奮した。わたしは音楽のことじょうずに言い表せないしそもそもいい耳をしていないからうまく言えないんだけど、ドラムとベースが重く、ねばっこくなったというのか、それがギター二本とバシッとかみ合っている…ように感じた。前体制は暴れん坊だけど軽くてキュートな感じ、いまはもうちょいどっしりして聞こえた。ほんとにかっこよくて、すごく好きだと思った。鈴木くんがいないということ、いない音楽があり、それがかっこいいということ。べつにさみしいとか悲しいとかではなくて、そうだということが、とてもよかった。うまくいえない。一曲、新曲をやって、すんげえかっこよくて、終わったとき客席にいたたぶん弱虫倶楽部のVo.の人が「すごい曲でしたね!」ってかなりでかい声で発言した、それを客席もステージもみんなふふっと笑ったのがおもしろかった。すごかったんだよ。
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ドキュメンタリー映画「だってしょうがないじゃない」を観た。 https://www.datte-movie.com 発達障害を抱えながら独居生活を送る叔父・まことさんを、発達障害と診断された映画監督が撮った三年間…という映画だけど、これ正確には「いとこ違い」だね(いや本題はそこじゃないんだけどそういうところをすぐ気にするほうで…)。いとこ違いは祖父母の兄弟姉妹の子だから、まあ「親戚のおじさん」であってる。親からみたらいとこ、親のいとこと自分。障害があり、年取っていく、そういう生活のこと。 愛しい映画だった。いや愛しいでは片付けられないことばかりで、しんどいことのほうがよほど多いけど、やっぱりそう思う。思いたい。 はじめはおそるおそる観察するようだった坪田監督のカメラが(カメラのまなざしがおそるおそるという感じなのだ)だんだんまことさんに近づいてゆく。一緒にいろんなことをやってみる、言い合いもするしなぐさめあいもする。施設に入るかどうか不安そうなまことさんに「でも、ベイスターズはまことさんとおれで行くぜ」って言う監督がすごくよかった。ふたりは映画を撮るようになって親しくなったし、ベイスターズの試合を一緒に観に行ったのはついこのあいだで、いつのまにか支え合っている。作業所に送り迎えしますよと監督が申し出るシーンは、そんなに背負い込んで大丈夫かなと心配になったし、作業所を見学後、ああいうところは行きたくないとまことさんが言うシーンは、年取ってだんだん家にこもりがちになった家族のことを連想した。また監督がADHDと診断されているものの家族の理解があまりうまくいっておらず、人前で薬を飲めない、自室でこっそり飲んでいる…というシーンに、ほんとうに、そうだよね、わかるよ、そうだよなあとうなずいた。そうしてわたしの生活やわたしの心の狭さをかえりみる。わたしはほんとに優しくない。優しくなりたいなあと思う。海岸を散歩するまことさんと坪田監督の頭上をヘリコプターが轟音で通り過ぎ(たぶん自衛隊)、そばでは子どもたちが凧あげしている。実家らへんを思い出した。十年くらい前の正月、友だちと公園で凧あげをしたことも。夜に鍋をやって、買い出しに出たときにおもちゃのゲイラカイトも買った。酔ったノリで買ったのではない、わたしは凧あげがしたいなあとかなり前から思っていて、ちょいどいい機会だと夢をかなえた。おおげさだけど、そのようにあげた凧だった。そういう動機とか経緯を大事にしよう…とまことさんを見ながら思った。まことさんの生活には自分なりのこだわりやルールがたくさんある。 ほんとにいい映画なのでおすすめ。いまは横浜のジャック&ベティでしかやってないんだけど、横浜の話だからいいと思った。順次いろんなところで公開するみたい。パンフレットもよかった。
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ミヤギフトシ「ディスタント」読了。 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027968/ このあいだ京都で買った本。帰りのバスで少し読んで、読み進めるのがゆっくりだったが、最後はかなり集中して読んでいた。 辛抱強い話だと帯で評されていたが、そう思う。読む人もある種の辛抱や粘り強さを求められ、それがすごくよかった。本作は、思い出したこと、べつの思い出したこと、いま起きていること、映画、ゲーム…などがシームレスに語られていて、ふと気をぬくといまがどこなのか誰としゃべっているのかわからなくなるが、自分のあたまのなかだっていまがいつだかどこだか誰と話したことだったかよくわかんないよなあと思う。わからなくなることを読んでいく。いや言葉は平易で読みやすいんだけど、題の通り、距離がある感じ。それは語りや作者(本作は自伝的な側面が強い)と、読んでいる自分とのわかりやすいちがい、出身地とか暮らし方とかセクシュアリティのことではなくて、小説のもつ静けさ、それによってもたらされた距離感や孤独感だと思う。たとえばわたしの場合、表面的なちがいをいえばもっとずっと共通項の少ないブコウスキーのことはゼロ距離で読める��思うし肌が近いなって思うんだけど、本作の静けさは遠いものだと思った。わたしの作品やわたし自身はなんてがさつなのだろう。そうして、遠いことが心地よかった。遠いもの、辛抱強く書かれた静けさをゆっくり読む時間が、いまのわたしには必要なのだと思った。 ところで遠さを感じる作品は同人誌やKDPの作家でもいろいろ思い出すし、すごく好きなんだけど、そういうことをうまく言える自信がなくて、あんまり口に出せない。というか最近かなり臆病で、わたしなんかが感想とか言っていいのかなと(自分だったらなにか言ってもらえるのはすごくすごくうれしいはずなのに)なんだか卑屈になっている。実はそんなに積まずに読んでいるんだけど、勇気が出たら、あるいはなんだか調子がよくなったら、ぽろっとつぶやけたらなあと思う。 「ディスタント」を読みながら森瀬さんの作品を思い出していたら、ちょうど「夜明けのビオトープ」が届いた。
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写真展「ニッポン複雑紀行」を観に行った。 https://www.refugee.or.jp/fukuzatsu/ 「ニッポン複雑紀行」は日本の移民文化・移民事情を伝えるwebマガジン。写真展にはweb以上の情報…新しい写真とかテキストはないんだけれど、さまざまなアプローチで発信していくのが大事だし、わたしにとって大切なことなので、行ってよかった。 webで見るより迫力があった…と言いたかったんだけど、ごめんなさい、わたしの目はあまり繊細ではなくそのへんのちがいはよくわからない。でも、大きく引き伸ばされた写真と向かい合う時間を作れてよかったと思っている。写真展は、この人はどういう属性でどういう名前で…というテキストはなくて、自分でwebの記事へアクセスしてねというつくり。
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たくさん書いて疲れてきた。 パフェを食べた。甥にあげるリュックを買った。プレイリストを整理した。ケビンアブストラクトにすごくはまっている。プレイリストにcoyote driveという題をつけ、これは今年ゆっくり書きたいつもりの小説の題…になるのかな。まだわからない。ノンちゃんの話…というか福生の話かもしれない。 ゆっくり書きたいから今年は秋冬のイベントをまるっと休んでみようかなあとも思っている。具体的には、9月文フリ大阪・10月J庭・11月テキレボ・コミティア・文フリ東京・来年1月文フリ京都をぜんぶ出ないとか…。要するに、今年5月の文フリ東京&静マルのあと、ざっくり1年くらい休憩してみようかなとか。ただわたしはすごく気まぐれなので、やっぱ出よっかなみたいなことはあると思います。 (合同誌やアンソロジーを預からせてもらっていると、定期的に出ていたいよなあみたいなのがある)
生協の野菜ボックス、いろんな野菜がランダムに入っているんだけど、今回はロマネスコが入っていた。夫はフラクタル怖いといやがっている。わたしは螺髪みたいでかわいいと思う。あとロマネスコって名前が好き。ここ何日か天気がよくてうれしい。
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kankan3310-blog · 5 years
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今日もたくさんのご来店ありがとうございます😊理容室のカンカンです。 熊本市北区鶴羽田1-13-50 096-343-2917 #ひとり娘 #杏奈#敬老会 #踊り #リンダ #セクシーすぎる6歳 #熊本 #色気 #わけておくれ #気分がのってるとき限定 #悩み多き #6歳#女子トーク #くまもん 昨日は利他丸くん、アレルギー検査、やっぱり卵アレルギー、保育園では卵除去食、家ではボチボチ食べさせていくつもり。。杏奈と清太郎君は片岡演劇道場へ しらんでたまたまばら撒きデイだったらしく、大量のおかしやら味のりやら。。ありがとうございます^_^大量のお菓子、カンカンのカウンターに置いてます!!食べてくださいね^_^ 今度の祭日月曜日は片岡演劇道場で辰も出演するので応援よろしくお願いします!^_^ https://www.instagram.com/p/B2jWT2mAoCE/?igshid=iwb5ux5r1ypg
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fairyfactorymarisa · 3 years
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i made a stretch panic oc awhile idk why i'm just posting her. this is Crawler she likes insects so the demons of vanity turned into one.
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