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#こんな献身的になるような回答絶対してない
uinpuu · 8 months
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無計画に何かをするのではなく、計画的にだらだらするんです!!
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ari0921 · 10 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
*************************
 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
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tokyomariegold · 1 year
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2023/2/10〜
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2月10日 やっとiPhone14へ機種変更した!えらかった! 3時間くらいもう諦めようかと思ったり、とにかく焦ってその後なぜiPhoneなんかに振り回されているのだ?と思って、でも急に孤独になって悲しくなったりを通って、やっとApple IDと認証コード入力ができた! 長い1日すぎて気がついたらすっかり日が暮れていて、外に出て思い出したのは、今日が雪だったことと、都庁へ出張したいたこと。
朝、出かける前に思わず「雪!降ってるじゃん!」と言ってしまった。不安になる前にイヴを1錠のんでおく。新宿では外に出ずにずっと地下通路をあるけるので、雪の日なのにコートを着て汗ばむくらい。やっぱり東京は暖かい。 そして新宿は済ましたい用事が一挙に片付く街。 フィルム現像もApple storeもバレンタインのデパ地下も最果タヒの新刊もエトヴォスの化粧品もチューリップのお花も。あと、一応、お仕事も。 西と東を行ったり来たりして、全部できてしまった。
伊勢丹地下のお菓子売り場で「お日もちは◯◯日までです」と店員さんに言われ「大丈夫!すぐ食べちゃうから〜」と答えるご婦人がいた。 西口の献血のそばで、朝からお酒とアメリカンドッグを頬張るおじさんがいた。 雪予報でも遊びに繰り出す学生さんたちや、きっとアルバイトだろうデパ地下の店員さんがいた。 東京はいろんな人がいて、気も身も紛れる。
機種変作業前に、とにかく生活がだるいのにいっぱい掃除をして、それで機種変をして、さすがに身体が冷えてへとへと。またお守りのイヴを1錠飲んでみる。
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2月11日 今日は職場の1・2期下の方々に仲間に入れてもらって焼き鳥を焼く会をした。 こんな日が来るなんて…、と思い返して不思議な気持ちだし、とても何か楽しくて救われた。 それで帰ってきて、大切な何かを、やっぱりポロポロと落としていってしまった気持ちになり、あれ?と土手で写真を撮っていた。 いつも社会は私に写真を撮る原動力をくれる。
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焼き鳥はとても美味しかったし、おしゃべりの中で、お城巡りが趣味だったり、留学中に公園でひとり泣いていたり、大勢で遊ぶのは疲れるので構わず断ったり、妊娠というもの全てに拒絶感があることを受け入れてくれたり、職場の人たちの一律なライフプランを疑問に感じたりする話ができて、それに、本当に救われました。
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でも大切何かは落としてきてしまった。
なにかってなんなの?と言いながら土手に行って、��手ってどこにと街灯がなくて、人影を見つけては怯えた。
見た目も話し方も動作もなめられがちな弱々なままてま、誰にも守られることなく、わたしが1人でふつうに生きていけない世界っておかしい。 このままで、写真を撮らなくても大丈夫ならところに行くのが1番良いのかもしれないけれど、今いるところは大丈夫ではないので、とっても値上がりしているカラーネガフィルムを書い足そうと思う。
そして、ネットがない!をやっています。
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2月12日 ティルマンスの展示をヴィトンのギャラリーで鑑賞して、友人が見つけてくれた北欧のカフェでお茶をした。 ティルマンスの特別でない被写体を清潔に撮った写真が良かった。写真なのでよかったと思える写真。
北欧のチョコレートを職場の方へのプレゼントに包んでもらって待ち合わせ前に出したフィルムを受け取って帰宅している。
朝飲んだイヴの効果が切れてきているのを感じる息苦しさと身体のだるさがあって、いただいたチョコレートを今日は美味しく食べられなさそうな感じ。
そういえば今朝やっとインターネットを復活させた!何だかんだ機種受け取りから1週間かけて変更を完了させた。ともかくえらかった!
お茶の席で答えのない問いみたいな話題をしてしまって、半分お通夜みたいな雰囲気にさせてしまって少し反省していて、帰り道に相手に謝らせてしまったり、電車のトレインビジョンで明日の天気が雨予報なのを知って低気圧が来ていたから仕方ない、と言い聞かせているよ。
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2月13日 おとといのお礼ととても楽しかったことを伝えたところ「表情に全然出ないからわからなかった!」と相変わらずにざっくばらんに職場の2期下の方から言われる(わたしが初めて彼女に、ざっくばらんですね、と伝えた時、ざっくばらんの意味を調べて、まさに自分のことだ!と驚いたそう)。
昨晩スーパーでお隣さんに鉢合わせてしまい、あ〜引っ越ししたいよね〜、と思っていたら、今朝“髪色変えたんですね!すてきです”というラインが来ていて、引越しだ!!となった。
明日の産業医の面談のため中抜けする旨を上司に伝える。「え、ちょっとまさか悩みでもあるんじゃないでしょうね」と言われて、お世話になっている上司に余計なことを思わせたくなくて、今に始まった病ではないので大丈夫的な説明をしてしまった。
おととい昨日と人といた時間を過ごしすぎたのか、その時の相手のことやその時の自分の対応などを振り返ってばかりで頭が忙しくて、お仕事でも紛れなくてちょっと苦しい。 こうゆう時に最果タヒしか読みたくなくなる。大阪に行って詩の観覧車に乗りたい気持ちが高まっている。
きっとお目にかかれないと思っていたグルーエンの本を図書館で借りることができた!
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2月14日 新しい産業医の先生と面談をしてとっても疲れた! 面談のために時間休みをとる相談と報告を方々の上司たちにして、その説明をするたびに心がくだくだになった!
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2月15日 あっけなく診察の予約を取ることができてしまった。なぜ晴れて病院通いを自ら復活させてしまったのだろう、と、もうかつてほどひどい状態ではない自分が、紹介状を持って待っている人もいるのに、診察する権利はあるのだろうか?と平気モードになったりするあまのじゃく。通院のことを社会の皆さまへ情報共有しなくてはいけないことが、今まで通院をできなかった大きな要因でもあるので、まずそこを乗り越えないといけない。
今日もわけもなくスカートを履いて出勤できた!
そしてなんと明日お友達がわたしの職場にやってくるらしい…ほんとかな?あまり期待せず、でも、ほんとうに来てくれたら、今までずっと写真にもならずに孤独を堪えるだけの場所が、何か少し変わるかもしれない、と嬉しい気持ち。
部屋の真ん中にベッドを置きはじめてから、導線計画乱れまくりですが、なんだか少しよく眠れている気がする。
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に��園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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zo-sunz · 1 month
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話す──イスラエル・パレスチナ「敵」との対話
 互いのナラティブを語り合う場を提供する非営利法人の取り組みも近年、広がりを見せている。先駆けとなったのは1994年に米カリフォルニア州で創設された「デジタル・ストーリーテリング・センター」(「ストーリー・センター」に改称)(STORYCENTER. n.d.)だ。「誰にでも語るべき物語がある」という視点から、「深く聴く、物語る」をモットーに少数派のエンパワメントなどを目指す(北出 ct al., 2021.p.128)。アイルランドで誕生し、全世界に広がる「Narrative4」も教育者や学生らがナラティブ交換をするためのノウハウを提供している(Narrative4. n.d.)。「ストーリー・テリングは究極の民主主義」と提唱するこの組織は、国境や境界、性別や民族、貧富の差を超えた語りの交換を目指す。その合い言葉は「今日のストーリーをシェアすれば、明日のストーリーを変えられる」だ。
 2000年にデンマークの若者らが立ち上げた「ヒューマンライブラリー」は語り手を「本」、聞き手を「読者」と呼び、欧米諸国を中心に広がった。性的マイノリティや難民など主に少数派の人々が自らを「本」としてオルタナティブなナラティブを語る。「日本ヒューマンライブラリー学会」のホームページにはこのほか日本各地の大学や教育機関、市民団体やどでの同様の取り組みが紹介されている(北出 et al., 2021.p.144; 日本ヒューマンライブラリー学会. n.d.)。
 イスラエルとパレスチナ間の紛争は75年間も続くが、1995年に創設された非政府組織(NGO)「和平へのイスラエル・パレスチナ遺族の会」(The Parents Cirele-Pamilies Forum = PCFF)は、互いのナラティブの交換を続けている(PCFF.n.d.)。
 この会の代表メンバーたちは2003年6月に来日し、フォーラム「和平へ 憎しみを超えて」に参加した(朝日新聞社. 2003)。当時、現地は第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)のまっただ中で、パレスチナのイスラム主義組織ハマスによる自爆テロやイスラエル軍による掃討作戦が続いていた。代表を務めるイツハク・フランケンタールさん(51)は冒頭のあいさつで、組織を立ち上げた経緯をこう語った。
「あれは1994年7月7日のことでした。長男のアリクがハマスによって誘拐され、殺されました。息子を失ってからと、その前とでは、私の人生というのは、全く違ったものになりました。イスラエルとパレスチナとの和解・和平を達成するために自分ができることはすべてやろうと決意しました。息子の死で7日間の喪に服しました。その時、訪ねてきた友人たちに私はこう言いました。パレスチナとの和平は絶対あるはずだ、と。友はこう言いました。パレスチナ人は人間ではない。敵だ。おまえの息子を殺したじゃないか、と。私は言い返しました。『我々とパレスチナの間に平和がないために息子は殺されたのだ。私はイスラエルとパレスチナの間に和解と平和を達成するために最善を尽くす』」
 フランケンタールさんは図書館に通い、新聞情報などからイスラエル人の遺族422家族の名前や住所を調べ、手紙を書いた。44家族が彼の考えに賛同し、やがてその数は数百に膨らんだ。パレスチナ側にも数百人の遺族らを訪ね、活動の趣旨に賛同した210家族が参加した。2023年冬までに開かれた会合は500回以上を数える。
 フォーラムのパレスチナ側代表はパレスチナ自治政府社会福祉省に勤務するリハブ・エサウィさんが務めた。イスラエル軍による攻撃で弟、婚約者、母、甥を失い、自身も4回投獄されて復讐を誓ったこともあった。だがその後、フランケンタールさんと出会った。
「彼らの活動を見て自分の居場所はここだ、自分も何か貢献できるのではないかと思いました。以来、和解と平和を目指して自分がすべてをなげうって会の活動を支えてきました。我々の力はささやかなものでしょうが、いつしかこの状況を変えられるかもしれません」
 過去の「遺族の会」ではハプニングも起きた。
 兵役を終えたある大学生が参加し、その場で告白した。「ガザ地区で任務に当たっていた時に、ひとりのパレスチナ人を殺してしまいました。4、5年前です。それ以来、眠れなくなりました。」するとパレスチナ人の母親が立ち上がり「この人殺し。私の息子を殺したんだろう」と叫んだ。フランケンタールさんは駆け寄り、「あなたの息子さんを殺した人を私がここに連れてくると思いますか」と語りかけた。互いのナラティブに耳を傾ける2日間のプログラムが終了すると、この母親は学生にこう話したという。「私は、あなたを私の息子にしたい」。フランケンタールさんはフォーラムで当時を振り返った。
「これなんです。我々がやっていることは。たやすいことではありません。実に難しい。それぞれが国を愛するがゆえにやっているのです。私は息子を失いましたが、恐怖感も、憎しみもなく、和解を実現したいだけです。双方のすべての人がそんな境地になれるはずだし、そうなってほしいのです」
 フォーラムでは、防衛大学校教授(当時)の立山良司さんが基調講演者をした。立山さんは長年、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決にさまざまな場面で尽力してきた。フォーラムの開催から20年を経たいま、イスラエルではかつてないほと極右の政権が誕生し、和平への道はかたく閉ざされたままだ。それでも双方の遺族がナラティブ交換の場を持ち続ける意味はあるのだろうか。私の質問に立山さんは、「相手も普通の人間���のだということが分かる。それだけでも意義があると思います」と答えた。
 市民と市民がひざを交えて語り合う。それはいわば、ボトムアップの和平への取り組みだが、国際社会では政治的な「トップダウン」の和平交渉にばかり重心が置かれやすい。
 だがそれだけでは本当に持続可能な和平は実現しない。
 1995年11月にイスラエルで起きた暗殺事件はそれを裏付けるものだった。パレスチナ国家樹立を目指す「オスロ合意」が締結された2年後、イスラエルのラビン首相がユダヤ教過激派の青年に暗殺された。当時のイスラエル国内には、「パレスチナ国家の建設なんでとんでもない」といった反感や憎悪が漂っていた。
 事件を機に和平への機運は一気にしぼみ、四半世紀以上経った今も回復していない。ボトムアップのアプローチを軽視したトップダウンの1本打法では、和平は1ミリたりとも前進しないのではないか。私の問いに、立山さんはこう語った。
「ハマスのナラティブにしろ、ユダヤ教過激派のナラティブにしろ、相手を悪魔化するというか、そういう扇動、洗脳といったものが、互いに相手を知らないと、市民の間で受け入れられたり拡大したりしてしまう。そういう言説、ナラティブは政治的な和平の進歩があってもそれを内側から掘り崩してしまう。ラビン首相を暗殺したのは非常に過激な宗教的なナラティブだった。ああいう過激なナラティブを生まない、生まれても社会がある程度コントロール下に置けるような状況ができていないと和平交渉は進まない。相手の考えることが分かるようになっていれば、和解はより可能になる」
 東京学芸大学名誉教授の野口裕二さんは「対立」とナラティブの関係性についてこう述べている(野口. 2009b.p.275)。
「われわれは、『対立』や『問題』に出会うとどうしたら『解決』できるかをすぐに考えてしまう。そして、そのためには、問題の構造と原因を客観的に分析することが何よりも重要と考え、事態を『三人称の主語』で記述しようとする。このとき、『一人称の主語』の物語は周辺へと追いやられ、語られないままに終わるか、語られても聴かれないままに終わる。しかし、『対立』や『問題』は客観的な原因だけでできあがっているわけではない。そこにはさまざまな『物語』が絡まりあっている。したがって、われわれはまず、それぞれの『物語』を互いに『理解』しあうことから始める必要がある。ひとつの『正解』を発見することを目標にするのではなく、差異や多様性を『理解』すること、そこから『和解の物語』や『希望の物語』へとつながる道が見えてくる」
『人を動かすナラティブ──なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』 大治朋子 著 毎日新聞出版 2023年6月30日発行
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nvi143 · 2 months
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愛の悲しみ
主は、柔らかな花だった。君が笑いかければ、周りは癒されいつも人に囲まれていた。主の為なら身を捧げていいと献身する人や、弟子や、愛おしさを込めて高級な油を使って足を洗う女や、そんなのが沢山いた。僕は他の弟子たちより出会うのが遅かった。その頃僕は世界に僕しか居ないんじゃないか、というほどに孤独に苛まれていた。孤独で死にそうな朝方、初めて河のほとりで彼に出会った時僕は救われた心地がした。朝日に照らされた君が伸ばした手を掴んで、そこから側にいた。君は「君が1番信頼してて、愛しているよ」と笑った。信頼しているからこそ、会計を任されたりもした。でも僕は日が過ぎれば過ぎるほど、その愛が分からなくなっていった。主が、他の人に手を差し伸べる度に、慕われる度、微笑みかける度に、心の中にどろりとした感情が湧いた。マリアが香油で主を祝福したとき、自分のものが汚される心地がした。邪な心が沸いた時は神に祈ればいいと言われて、星に祈った。返ってくる答えはなくて、君への思いが募った。主が「僕だけ」を見ればいいのに、と。僕だけの主でいればいいのに、と。
君を慕う人は日に日に増えていった。それに伴って、自分の権力や地位が揺らぐと考えた人々は君を排除したがった。そういう奴らと、君を独り占めしたい僕は目的が合った。彼らは僕にイエスを引き渡せば金をやる、権力を失わせるだけだから。と僕にささやいた。君が権力を失う事で、絶対的な神の子の地位を失って、みんなから捨てられた君が僕のものになればいいと、そう思った。僕は君が苦しんででも、君を僕のものにしたかった。
主にいい話があると提案し、君と群衆達を彼らの前に案内した。裏切りの時。僕は君が主だということを知らせるように、頬に接吻をした。慈しみと、独占欲と、愛が混ざった口付けをした。その瞬間、君は柔らかい視線を僕に送った。僕が「裏切り者」になるということを君は前日から悟っていたのにも関わらず、彼は許した。奴らは群衆の中から君を捕まえ、引き摺るように連れて行った。群衆に紛れるように小さくなっていく彼の姿に胸騒ぎがした。僕は奴らからしばらく豊かに生活していけるほどの、まあまあな報酬を貰った。そのお金でパンを買い食べたが、味はしなかった。裏切りがバレた時点で、君はもう僕の元に帰ってこないことを悟った。それでもまた、愚かな僕は君に会いたいと思ってしまった。ぽつりと落ちた涙のせいで、味がしないパンは少し塩の味がした。
それから数日経ったある日、町に噂が流れた。イエスが十字架にかけられるらしい、と。奴らは僕に言った以上のことをした。目障りだから殺したかったのだろう。頭が真っ白になった。裸足で家を出て、群衆を押し除けた。君が十字架を引いて、他の2人の弟子と歩くのを見た。いつも貧しい民に食べ物を分け与えていた為元々細かった体は、さらに拷問で細くなり、白い肌からは血が垂れていた。民衆は石を投げた。「やめろ」と呟いても、民の罵声が大きくその声は掻き消された。苦しい状況にも関わらず、君は先を見て祈っていた。山の頂上に辿り着いたところで、君は十字架に貼り付けられた。見物に飽きた民衆たちは家に帰り、ただ君を慕っていた人たちが泣いていた。僕はそこに立ち尽くし、夜を明かした。祈っていた君はいつのまにかぐったりと眠り、死体は暫くして回収された。君は、息が絶えるその瞬間まで空を見ていた。僕が君の命を奪った。君の心を占めるものは結局神だった。何も勝てなかった。恨まれもせず、1番にもなれなかった。せめて、一緒に十字架にかけられた弟子達のように一緒に死にたかった。
君の死を見届けて、家に帰った。棘が刺さった足が今更じくりと痛む。そして、そういう痛みを感じるたびに、痛みを拭ってくれた手の温かい手のひらを思い出しては、もうそれを感じられないことに虚しくなり、涙が溢れた。声を上げて、どんなに泣いても、涙は枯れなかった。君の居ない世界では、生きている意味がないと悟った。そして、僕は柱に吊るしたロープに手をかけた。きっと死んでも、君の元にはいけないだろうと思う。行き先は地獄だけれど、このまま君のいない世界で生きている方が地獄だから。喉仏にロープが食い込む。その時に思う。もし時間が戻せて、君に手を差し伸べられたとして、また僕はその手を掴んでしまうんだろう、と。だって、どうしても、君を愛してしまう運命だから。
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voyagealiledeserte · 6 months
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エドゥアール・ルイ『誰が僕の父を殺したか』――翻訳で読めないフランス小説2.
 文学界のグザヴィエ・ドランとでも言える新星がフランスに登場した。男性同性愛者を取り巻く社会状況を、スタイリッシュな文体で記す91年生まれのその作家の名は、エドゥアール・ルイという。
 21歳で『エディーに別れを告げて』という衝撃的な内容のオートフィクションでデビューした彼には、献辞をグザヴィエ・ドランへに捧げ、タイトルも『マイ・マザー J'ai tué ma mère』のオマージュのような短い小説がある。今回はその小説、『誰が僕の父を殺したか Qui a tué mon père』を紹介したい。
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 物語は非時間的で、思い出すままに語り手の父親への想いが呈示される。現在、50歳の父親は妻に捨てられて、フランスの田舎で暮らしている。まだ中年と言ってよいはずの彼は、酸素吸入器なしでは生きることもできず、歩行もままならない。彼がそんな風になってしまったのは、長らく働いた工場で、重機落下の事故に巻き込まれたせいだ。
 若き日の父親は家族に頻繁に暴力を振るい、彼のセクシャリティ――語り手はゲイである――を全否定してきた。この父親にとって何より大事なことは、タフに、男らしく生きることだ。子供時代の語り手がクリスマスに『タイタニック』のVHSを欲しがれば、「あんなのは女のものだ」と否定する。ホームパーティで女の仮装をした息子を恥ずかしく思って無視する。
 語り手はこの父親に対して、複雑な感情を抱いている。それは、父親が彼一人のせいで傍若無人な振舞いをするようになったからではないことを分かっているからでもあるし、この父親にも男らしさで括ることのできない一面があることを知っているからかもしれない。
 ある時、彼は母親に、どうして父を好きになったのかを尋ねる。そこで母親は、父親が香水をつけていたからだという。当時の男性たちが香水をつけることはなかったが、彼の父親はちがったのだと、母親は言うのだ。そうした女性的な仕草も身につけながらも、息子の同性愛や女っぽさを、彼は「ホモ(pédé)」と全否定する。まるで、自分は得られなかった自由を息子がもっていることを、憎しむかのように。
 あるいは、子供時代の語り手の早熟な同情……。クリスマスの日、自宅に停めてあった父親の車はトラックに追突されて、跡形もなく大破してしまう。その車のトランクには、わが子へのクリスマス・プレゼントが隠されているのだ。逃げ去るトラックを必死になって追いかけ、叫ぶ父親を見て、7歳の語り手は泣く。だが、7歳の語り手が泣いたのは、プレゼントが跡形もなくなってしまったからではない。なけなしの給料からプレゼント代を工面した父親の絶望した表情を前にして、通勤に必須の車が消えたことを理解して、彼は泣いたのだ。
「誰が僕の父を殺したのか」――その答えは社会であり、そして社会を支配するエリートたちである。物語の末尾では、シラク、サルコジ、オランド、マクロン……といった政治家たちの名前が、書物の題ともなった問いへの答えとして書き込まれている。背中に障害を負い、もはや歩行も困難になった父親も、生きるためにはまだ働くことを要請される。そんな社会保障が不十分な社会をつくったのは、エリートたちだ。
 16歳で勉学を諦めて、田舎の工場で重労働をするしかなかった一人の男を殺したのは、政治とそれを牛耳る支配階級なのだ。そして、父になった男は酒に溺れ、息子たちや妻へ暴力を振るうしかなすすべがない。実は彼の父親もまた、暴力を振るう親に育てられたのだった――《暴力は暴力の原因であると僕は長らく繰り返してきたが、間違っていた。暴力が僕らを暴力から救うのだ。》
こうした物語内容は、エドゥアール・ルイの実体験が元になっている。ルイは父を憎んでおり、かつては復讐を試みたことが分かる描写もある。しかし、今では冷静に自らの父親が陥った状況を分析し、原因を告発しようとしている。地方に生まれ、ブルーカラーの労働者となった人間が、社会の底部から這い上がることはあまりに困難だ。
《あなたはお金がなかった。あなたは勉学を修められなかった。旅に出ることができなかった。夢をかなえることができなかった。あなたの人生を表わすには、ほとんど否定的な言葉しかないのだ。》
 いわば、この小説はある種の「親ガチャ小説」なのかもしれない。「親ガチャ」問題がもたらす困難は、与えられた環境から抜け出したあとにも残存する。社会の下層に位置する社会階級から上方の別の階級への移動は、貧困・搾取から抜け出す一つの手段であるが、それは自らの元々属していた環境を捨てることにもなるだろう。
 自らが大卒者になることで親との軋轢が生まれることがあるし、階級の移動は過去の自身を否定することにもなるために、単純に喜ばしいことではない。この階級を捨てるという主題をめぐっては、労働者の父親と文学教師の娘の関係を記したアニー・エルノーが先駆者に当たるだろう(『場所』)。さらには近年、哲学者シャンタル・ジャケはこの現象を「階級の移動(transfuge de classe/transclasses)」と名付け、分析もしている。
 エドゥアール・ルイは経歴だけ見れば超エリートに見えかねない。現役大学生の頃にブルデューとフーコーについての論集を大学出版で編纂し、自作小説の出版にこぎつけている。しかも、処女作はベストセラーだ。だが、彼が暴力と差別の蔓延した北フランスの町で育ったことも事実だ。つまり、彼こそが、「階級の移動」を経験した張本人なのだ。
 語り手は先述の通り、父親に対して単なる憎しみとは言えない感情を抱いている。同性愛者で女っぽい自分をあれほど否定し続けてきた父を、語り手は単純に否定することができないでいる。そんな父と息子の関係を切り抜いた本作の後半には、次のような一節が存在する。
《数年後、町から逃げ出してパリに住むようになった時、夜のバーで会った人たちに、家族と僕の関係を尋ねられる。妙な質問だが、彼らはそれを聞いてくる。僕はいつも、父のことは大嫌いだと答えるのだ。でも、それは本当ではなかった。あなたのことが好きなことを自分で分かっている。それでも、あなたを大嫌いだと他人に言う必要を感じてた。だが、どうしてなのだろう?》
故郷と家族を捨て、高みを目指したひとりの青年の抱く苦悩を赤裸々に、本作は描ききっている。
【今回の小説】:Édouard Louis, Qui a tué mon père, Seuil, 2018.
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kininaru-text · 9 months
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フディーズとセックスピストルズ。
というお題で1年ほど前に拙ブログで書いたことがあるが、ついにファッション界のパンク・リバイバルの波が地方の末端ティーンズにまで到達した感のある昨今、本当にフディーズとパンクが合体したとしか言いようのない少年たちが街を歩いているのを見かけるようになった。
革のライダ��スジャケットの下に黒のパーカー(フードは常時被る)、昨今ではスキニーと呼ばれているらしい(おばはんの時代の用語で“黒のスリム”)細身のジーンズを半ケツが出る高さまでずり下ろしてパンツのゴムを見せながら履き、腰回りにはシルバーの鎖をじゃらじゃら下げつつ、しかし足元はラバーソウルでなく軽快にハイカットのスニーカー。
この21stセンチュリー・パンク・ボーイズを最初に見た時、わたしは爽やかな感動すら覚えた。過去20年ばかり、いにしえのパンクに憧れてそれらしい格好をする若者たちは後を絶たなかったが、これほど70年代から剥離した着こなしは見たことがない。もはや彼らにはヴィヴィアン・ウエストウッドの“クチュール・パンク”は必要ではなく、そこら辺のスーパーで売っているパーカーと半分出した尻がクールのポイントなのである。実にブリリアントだ。リバイバルというのは、このようにある種のダウトと諧謔をもってオリジナルを憧憬しリスペクトするものでなくてはならない。
というわけで個人的に鼠男系パンクたちには弱いので、先日底辺生活者サポート施設の“ボランティア・デイ”でまさにそれ風の若者が隣に座った時にはどぎまぎしたのだったが、そんなことよりも真の問題はこの“ボランティア・デイ”であった。大変に濃厚なイベントであると聞いていたし、ハードコアな無職者が集うらしいので昨年はパスしたのだが、種々のしがらみがあって今年は逃げ切れず、グループディスカッションの時間帯に参加させられることになったのである。
円形に配置された椅子の一つに嫌々ながら腰かけると、右隣りに鼠男系パンク、左隣りにはあろうことかニックが腰かけてきた。この人は70年代のパンク時代にバンド活動をしていた御仁で、周囲がパンクだのバンドだのを卒業して就職したり、結婚して父親になったり、会社で昇進したりして行く中で、いつまでも革のライダースジャケットを着続け、黒のスリムことスキニージーンズを履いて25年間も無職を貫いてきたおっさんだ。
このように、いわばオールドパンクとニューパンクに挟まれて、「なぜ私はボランティアとして働くのか」というテーマでのディスカッションに参加せねばならなくなった我が身の不運を呪っていると、のっけから進行役の女性がわたしに質問をふってきた。
「あなたは、どうしてボランティアとして働いているのですか?」
「保育のコースを受けようと思ったんですが、無給、有給にかかわらず、どこかですでに子供相手に働いている人でないと当該コースを受ける資格はないということが判明したので、とりあえずここでボランティアすることにしました」
みたいな面白くもなんともないことを喋ると、よせばいいのに進行役は同じ質問を隣のニックにふる。
「俺がボランティアとして働くのは」
と言って彼は���ったいぶって深いため息をつき、意気揚々と演説を始める。
「俺は25年間ボランティアとして労働してきた。対価を貰って労働している人間が、世界や人間のためになる仕事をしているとは思えないからだ。企業がやっていることを見てみろ。みんな環境を破壊することしかしていない。企業の社会貢献なんてことが騒がれるようになって、どこの企業もプロパガンダとしての社会貢献ゲームをするようになったが、所詮イメージづくりのための貢献は長期的に見れば世界にとってダメージになることばかりだ。営利を目的にした途端に、ビジネスは全て人間のためにならないことになる。だから自分は営利を目的とせず、対価を貰わずに労働するんだ」
英国(特にブライトンのようなリベラルな街)にはこのタイプの長期無職者がけっこうおり、彼らが中心となって運営されているチャリティー団体がある。彼らはLibertarian(自由意志論者)又はアナキストと呼ばれ、集団で畑を所有して無農薬野菜を作り団体の中で流通してそれを食べて生活したり、フェミニズム、同性愛、環境問題、難民問題、動物愛護などの問題に関して極左的立場から流血の抗議運動を繰り広げたり(ということは近年めっきり減り、ラディカル本のライブラリー経営、オーガニック食品の販売などのソフトな方向に活動の軸が変化しているので、旧ヒッピー&旧パンクな高齢メンバーは怒っているようだが)しており、そうした団体で働いている人々は全て無給のボランティアである。ブライトンのロンドン・ロードにカフェを持つ某C・Club(Oxfamと1ポンドショップの間にあると書けばローカルな方々はもうおわかりだろう)などはその格好の例だ。
無職。というと、何もしないでだらだら家にいる人のイメージが強いが、こうした人々の場合はそうではなく、毎日きびきび労働している。が、それが利潤を生み出す企業・団体のための労働ではないので還元される賃金が存在しない。英国にはこの種の無職者がけっこう存在し、彼らは“ミリタリー系”無職者と呼ばれている。何故ミリタリー系なのかというと、軍隊の軍人並みに毎日しゃかしゃか熱心に働いているし、社会や政府を相手に“戦っている”意識が強いからだ。
そんなわけで放っておけば何時間でも熱く喋り続けそうな“ミリタリー系”ニックの話をなんとか終わらせ、進行役は他の人々にも同じ質問をした。
「無職の年数が長過ぎて、働く自信が無くなりました。それを回復するためにボランティアしています」「無職でずっと家にいると他者とのコンタクトに餓えます。それを何とかするためにボランティアを始めました」等のよくある発言が出回った後で、わたしの右隣りに座っている(おそらくグループで最年少の)フディーズ・パンクの番になった。
「あなたは、どうしてここでボランティアしているのですか」
進行係に尋ねられた鼠男系パンクは、ふふん、と不敵な笑いを浮かべ、喋り始めた。
「俺がボランティアをしている理由は、世の中のためではなく、自分のために何かをしたいからだな。実際、無償で働くっつったって、人間は金がなきゃ食っていけないんだ。で、どこからその金が出ているかって言ったら、政府だろ。そこの、ヴィンテージのライダースジャケット着た人も、失業保険貰ってるんだろ?じゃなきゃ、25年もボランティアなんてふざけた生き方、できねえよな」
わたしは左脇のオールドパンクの肉体からどよどよとした気炎がたちのぼるのを感じながら右脇に座っているニューパンクの傲慢な横顔を見ていた。
ああもうほんとにろくでもない場所に座ってしまったなあと思いながら。
「俺は働かないで政府から金もらいながら好きなことやってるんだ。ま、自分の場合、やりたいことって音楽なんだけどね。ボランティアしているって言うと失業保険事務所で係員と喋るときの印象もアップしてすんなり金が貰えるし、将来音楽で生計が立てられなかった場合に、ここでボランティアしている経験が役に立って金を貰える仕事にありつけるかもしれないじゃん。一石二鳥。って感じかな。俺がボランティアしている理由はごくプラクティカル。失業者に思想はいらねえ」
鼠男系パンクがはきはきと吐くその発言に、ニックの顔がぎりりと歪む。
「自分、自分、自分、って。貴様らはいつもそうだ。他人のことはどうでもいいのか! 世界に何が起きているかなんて貴様らは考えてもみないんだろう」
ニックが言うと鼠男系パンクは答えた。
「世の中って、MEの集団だろ。あんただって、自分はあくまでもMEで、社会の一部であるよりもかけがえのないこのMEでありたいと願うから、政府に税金を払わないで、他人の税金を還元してもらって好きなことやって生きてるんだ」
「俺は好きなことをやっているのではない。そういう次元のことではなくて、世の中の役に立つことをやっているんだ」
「リサイクリングや無農薬野菜栽培が?環境問題で世の中が救えると本気で思っているあんたは、とんでもなくナイーヴな人だな」
くすくす、と笑う鼠男系パンクにいよいよぶち切れたらしいニックは、がたんと椅子を後方に倒しながら立ちあがる。
ひいい、頼むから人の頭の上で殴り合いだけはやめてくれ��
と思いながら身をかがめていると、
「貴様のようなガキに何がわかる!パンクってのはなあ、ファッションじゃないんだ、生きざまなんだ。あくまでも世に警鐘を打ち鳴らし、オーソドックスを疑い、否定し、迎合することを忌み嫌う、その絶えることのない不変のアティテュードなんだ」
と大声でニックが怒鳴った。わたしの頬に彼の唾が打ちかかる。
と、その時、「大きな声を出すのはやめてください」と涼しげな声で言いながら近づいてきたのはアニー(レノックス似の底辺託児所責任者)だった。彼女は付設託児所だけでなく、底辺生活者サポート施設全体の責任者の一人でもあるので、このイベントを仕切っているのだ。
「このセンターには、様々な理由でボランティアを行う人々が来ています。そして、当センターのモットーは“寛容”です。自分とは違う認識や考え方を持つ人々を認め、リスペクトするというのが我々の信条の一つなのです。私はこの考え方を5歳以下の子供たちにも教えていますよ。それが大人に徹底されていないのは、悲しいことですね」
鶴の一声。みたいな感じでニックは静かになった。
「議論はたいへんに結構です。が、あくまでも冷静に、他者をリスペクトしながら行ってください」
にっこり。と柔和ながらも凄味のある微笑を浮かべてアニーは去って行く。さすがにこういう人々の扱いに慣れているというか、底辺アダルトの対応もプロである。
「ふん。所詮あいつは学校の先生なんだよ」
アニーの姿が遠ざかってから、ニックが小声で言う。その姿はまさに先生に叱られた子供のようだ。鼠男系パンクのほうは、くすくすくすくすフードの陰でおかしそうに笑っている。
あまりにも分が悪いな、この状況は。と思った。
これではあまりにも新パンクがクールで、旧パンクがアンクールだ。
ニックだって、戦うパンクが格好いい時代にはけっこうクールだった��かもしれず、鼠男の“音楽(または文学、芸術)やりたいけどそれだけじゃ食えないから失業保険もらう”にしたって、何も新しいライフスタイルではなく、UKでは古典的な生き方なのであって、ニックだって若い頃は同じ地点にいたのだ。
鼠男から見れば、ニックみたいなおっさんはどうしようもないルーザーに見えるだろう。音楽をやりたいという“ドリーム”の諦め時、引き際、というものを知らずに、ずるずる失業保険もらって生きていたら、いつの間にか何らの換金可能スキルもない雇用不能な中年男になってしまい、そんな自分を直視するのが辛いので社会が悪いのだと考えることにして、流血の抗議活動などに夢中になっていたら、頼りにしていたアナキスト団体ですら時代の流れと共にソフト化し、“戦うより地球にやさしくなりましょう”ってんで、気がついたら革のライダースジャケットにゴム長はいて畑を耕すじいさんになっていました。などという人生は、希望に燃える若者から見れば、あまりに侘し過ぎる。
が、そんなニックを笑う鼠男だって、現在は自分の好きなことで生きて行こう、駄目だった時には見切りをつけてきちんと社会人になろう、と思っているかもしれないが、25年後はニックになっている可能性だってないとは言えない。思っていることと現実とはいつでも食い違うものだからだ。
失業保険給付はいつの間にか生活保護給付へと切り替わり、その気になってうまく立ち回れば政府から金をもらいながら半永久的に生きていけるこの国で、“ドリーム”に見切りをつけるのがどれだけ大変なのかは、夢に生きている若者にはわからないことだろう。
オールドパンクとニューパンクは親子のようなものなのだ。
同じコインの、思いきり錆びた裏面とぴかぴかの表面のようなもので。
その後も新旧パンクたちの意見の衝突はあったが、アニーが部屋の角から目を光らせていたせいか大事には至らず、ピースフルにディスカッションは終わった。
互いを牽制し合いながら椅子から立って行った2人であったが、某スーパーから寄付された賞味期限本日付のパンが食堂で無料配給されていることを知ると、オールドパンクもニューパンクも我を忘れたようにカウンターの前に駆け寄り、公営団地ジャージ系シングルマザーや、全身から尿とアルコールの匂いを漂わせている天然ドレッドロック系ホームレスなどに混じって食パンやロールパンの配給を受けている。
縦横無尽に生きているはずのパンクもパンが欲しくて並ぶのだ。
まじめに勤労している人々からすれば、しょうもない屁理屈をこねている暇があったら、働いて自分の金で賞味期限の切れてないパンを買え。と一喝したくなるような話だろうが。
ふと窓の外を見下ろせば、付近にあるオフィスビルの窓から、紅茶片手に新聞を読みながら欠伸しているスーツ姿のおっさんと、死んだ鯖のような目をしてぼんやりと空を見上げている若者の姿が見える。
まじめに働いている気配はそこにもあまり無いように感じられたのは、たぶんわたしの気のせいだろう。
時間を売ってパンを買う人と、時間を潰してパンを貰う人。
同じコインの、裏表裏表。
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ari0921 · 10 months
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我が国の未来を見通す(71)
『強靭な国家』を造る(8)
歴史から学ぶ「知恵」の適用(その3)
宗像久男(元陸将)
──────────────────────
□はじめに
この度の自衛官候補生による発砲事件は、自衛隊を
退職して14年も過ぎた一OBの立場からしても、
とてもショックで、心が痛み、やるせない気持ちに
させる事件でした。言うまでもなく、たとえその動
機がいかなるものであっても、武器の使用が認めら
れている自衛官が万が一にも絶対に起こしてはなら
ない事件であるからです。
犠牲になられた二人の隊員に心よりご冥福をお祈り
申し上げますとともに、負傷された隊員にお見舞い
申し上げます。陸上自衛隊は調査委員会を立ち上げ
たようですので、警察の調査と協力して、事件発生
に至る原因と様々な角度から背景の解明、そして再
発防止を徹底してもらいたいと願いながら、それら
の全容が明らかになるのを見守りたいと思います。
この事件によって、全国津々浦々の自衛官たちの意
気消沈は想像を超えていると思いますが、事件の影
響により、陸上自衛隊が前向きのエネルギーを失い、
組織力の低下につながることがないよう切に祈りた
いと思います。
▼「相応の力を持つ」──気候変動・エネルギー問
話題を戻しましょう。現下の情勢から、“最悪”の
事態を視野に入れて、「相応の力を持つ」ことは、
エネルギー問題にも求められることは間違いないと
考えます。つまり、エネルギーの自給率を向上する
など、未来永劫にわたるエネルギーの安定確保体制
を維持することが求められています。
確かに、国際社会を挙げて気候変動対策が求められ
ていることから、2050年まで地球上の「脱炭素」
を推進するとしても、それまでの過度期にあっては、
再生エネルギーの供給不安定性と化石燃料の供給不
足、そしてそれに伴う価格高騰が経済不況やスタグ
フレーションと重なって、エネルギー争奪戦を引き
起こすリスクがあるといわれています。
現に、ウクライナ戦争の結果、そのような“悪夢”
がすでに現実のものになっていますが、米国コロン
ビア大学のジェイソン・ボードフ教授らはこの過度
期のエネルギーをめぐる新たな地政学を「グリーン
大動乱」と呼称して警鐘を鳴らしています。
このたび、我が国においても「GX(グリーントラ
ンスフォーメーション)」を推進するための法律が
可決されましたが、その目標に向かいながらも今後
30年間近く、化石燃料と原発と再生エネルギーの
最適な組み合わせに加え、世界に先駆けたエネルギ
ー分野の「イノベーション」も求められることは必
定です。
その意味では、先のG7広島サミットにおいて、
(あまり話題にはなりませんでしたが)日本の主張
が他の6カ国と違っていたにもかかわらず、それが
反映された声明がありました。まずは「脱炭素」化
の手法です。焦点となっていた石炭火力発電の廃止
時期が盛り込まれず、石炭火力にアンモニアを混ぜ
て燃やしCO2排出量削減を図る「アンモニア混焼
の導入」が掲載されました。英国やカナダなどが
「それではCO2削減効果が不十分」と批判する中
で、日本の主張を反映されたのです。
また、電気自動車など走行中にCO2を排出しない
ゼロエミッション車(ZEV)の数値目標導入をめ
ぐっても米国や英国と日本の意見は対立しました。
これらの背景に、我が国は太陽光発電などの適地が
少なく再生エネルギー発電を増やしにくいという事
情があるに加え、アンモニア混焼や低燃費車の技術
はG7の中で日本が最も優れていることから、我が
国には珍しく、安易な妥協に踏み切らなかったので
す。
「グリーン大動乱」も予想される中にあって、エネ
ルギー自給率の低い我が国が最優先すべきは、
(「脱炭素」の早急な達成よりも)“安定的なエネル
ギー源の確保”にあることは論を俟ちません。この
たびのG7サミットにおいて、我が国は、国の向か
うべき方向を明確にしたことは評価できると私は考
えます。
加えて、私自身もこの技術については最近詳しく知
ることになったのですが、読者の皆様は「ペロブス
カイト太陽電池」という名前をご存じでしょうか。
厚さ1マイクロメートル(0.001ミリメートル)
ほどの極薄のフィルムに「ペロブスカイト」と呼ば
れる結晶の構造をした物質を塗ることで太陽光を電
気に変えることができるという“優れモノ”で、桐蔭
横浜大学の宮坂力特任教授が発見した日本発の技
術です。
このフィルムは、従来の太陽光パネルに比べて厚さ
100分の1、重さが10分の1と薄くて軽い上に柔軟性に
優れているため、折り曲げて設置することができ、
これまでは重さがネックとなって設置できなかった
ビルの壁面や建物の屋上、さらに曲面の部分にも貼
り付けることができます。
実は、もっと重要なことがあります。「ペロブスカ
イト」という結晶構造の主な原料はヨウ素だという
ことです。我が国の国土の地下にはヨウ素を豊富に
含んだ地下水があり、ここからヨウ素を取り出すこ
とができるため、我が国はチリに次ぐ世界2位のヨウ
素生産国になっています。つまり原料を国内で調達
できるということです。よって、これが広く普及す
れば、我が国は、再生エネルギーに関して、現在の
ように“生殺与奪の権利”を外国に握られないです
むのです。
ただ、残念ながら、実用化まではまだ少し時間がか
かるようです。特に、現時点ではフィルムの劣化が
激し過ぎて、すぐ使い物にならなくなるとのことで、
フィルムを保護する技術の実用化が急がれています。
現在、関係企業、大学、東京都などが連携して世界
に先駆けて実用化を目指していますが、諸外国も最
優先して国家投資を行ない、実用化に向けてしのぎ
を削っています。宮坂教授に言わせると、「我が国
と諸外国では開発費の投入に雲泥の差がある」との
ことで、この分野の「人材育成がカギ」と述べて
“現状”に不満を漏らしています。
岸田総理も先日、テレビで「ペロブスカイト太陽電
池」という名前を口にされていましたので、その存
在はご存じなのでしょう。そうであれば、他に優先
して、政府が率先して実用化に向けた最大限の投資
をすればよいと誰もが考えますが、政府が本気にな
っているという声は聞こえてきません。
我が国は再生エネルギー分野においては悲しい歴史
があります。従来の太陽光パネルにおいて、我が国
は2000年代前半まで世界トップのシェアを誇っ
ていたのですが、中国との価格競争に敗れて次々と
撤退し、すでに紹介しましたように、今では世界シ
ェアの大半を中国に奪われてしまったのです。
それだけに、関係者は日本発のフィルム型太陽電池
で巻き返し、世界の新たなスタンダードを作りたい
と意気込んでいるようですが、私自身は、先日のテ
レビで、宮坂研究所がその製造プロセスを惜しげも
なく“公開”していたことに疑問を感じながら見入
っていました。
この“脇の甘さ”も重なって、またしても、我が国
発祥で、純国産の原料で実用化が可能な「ペロブス
カイト太陽電池」においても、中国など他国に追い
抜かれ、“後れを取る可能性がある”と言わねばな
らないのです。
ウクライナ戦争や米中の対立などで原材料のサプラ
イチェーンや供給網の強化が課題となっている中、
経済安全保障の強化という観点からも国策として
「ペロブスカイト太陽電池」の早期実用化に向かっ
て万全を期すべきと考えます。
気候変動、なかでも「脱炭素」政策に関する実行の
可能性や問題点などについてはすでに詳しく触れま
したので省略します。先日、エネルギー分野で仕事
をした経験を有する有識者と率直な意見交換をする
機会がありました。私が「我が国のエネルギー自給
率は12%」と述べると即座に「原発の再稼働がな
ければ、4%のみ」と即答され、改めてその厳しい
実態に驚愕しました。
2010年代以降から今般のウクライナ戦争に至る
間に、フクシマ、CO2、自然の気まぐれ、ロシア
のリスクまで、原子力、石油・石炭、再生エネルギ
ー、天然ガスのいずれのエネルギー源も大きなリス
クを露呈しました。このことは、すべての熱源や電
源をバランスよく使用しなければ、エネルギーの安
定確保は持続しないことを意味しており、このたび
人類は、ドイツをはじめとする欧州列国のように、
“エネルギーの安全保障なしに「脱炭素」の取り組
みは挫折する”ことを学びました。
エネルギー資源小国の我が国にとっては、この事実
がさらに重くのしかかることは自明です。エネルギ
ー分野においても、「相応の力を持つ」ために、ゆ
めゆめ“策の優先順位”を間違えないことが肝要で
す。
そのためにも、様々な分野の基金の乱立を見直すと
ともに、「脱炭素」に向けて15兆円もの税金を投
入して、“バラマキ”のような政策を即刻中止して、
これまで触れたような「原発再稼働」「核融合技術」
などに加え、「ペロブスカイト太陽電池」の実用化
など、“我が国の存立を左右する”「イノベーショ
ン」に特化して、国策として取り組むべきでしょう。
当然ながら、これらの技術は、結果として「脱炭素」
にも貢献し、国際社会に対する約束も果たすことが
できるため、国内外への説得力は確保できると考え
ます。政府の決断と政策の早期実行や望まれます。
次回以降、歴史から学ぶ「知恵」の3つ目である
「時代の変化に応じ、国の諸制度を変える」という
“難題”について、我が国の未来に向かっていかに
適用するか、について考えてみましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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karasutoragara · 11 months
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お題
ChatGPT Plusへの質問方法を変えて、回答の質と密度を高める試み。
①どう思いますか?
動物園で動物を飼うことの是非について。
昔は動物園に行くしか方法がありませんでした。
現在はインターネットで様々な情報に触れることができます。動物園で実際の動物を見ることに意味はありますが、海外の動物たちを見たり、あるいは一部の地域で動物園を運営し世界的にはネットを通して動物を見る方法が、動物福祉の観点では意味があるように思います。
###
どう思いますか?
※②・③・④のプロンプトは、この部分のみ調整。他は同一。
###
ChatGPT Plus
動物園で動物を飼うことの是非については、人それぞれの視点から見て様々な意見があります。一方で、動物園は教育的な目的で、特に子供たちが動物の生態や生物多様性について学ぶ重要な場所となります。また、絶滅の危機に瀕している動物種の保護や繁殖に貢献する役割も果たしています。
しかし、他方では、動物園は動物の自然な生息地から離れた場所で、しばしば限定的な空間で生活することを強いられ、これは動物��福祉にとって問題だと指摘する人もいます。動物たちは自由に動き回ることができず、ストレスを感じることがあるでしょう。
したがって、この問題についての最善の解決策は、動物の福祉を最優先に考慮し、教育的価値と保全努力を両立させることであると言えるでしょう。
②多角的視点でフィードバックして
ChatGPT Plus
動物園で動物を飼うことの是非について、多角的な視点で考えてみます。
1. 教育的視点: 動物園は、特に子供たちにとって動物の生態を直接学ぶための貴重な場所です。インターネットで得られる情報には限りがあり、実際に動物を観察することで得られる体験は独特なものです。
2. 保護の視点: 動物園は絶滅危惧種の保護と繁殖に大いに貢献しています。多くの動物園は保護プログラムを運営し、野生に戻すためのリハビリを行うなど、動物の生存を支援しています。
3. 動物福祉の視点: しかし、動物が自然環境から人工的な環境に置かれることは動物福祉の問題となる場合があります。適切なケアと管理がなされていなければ、ストレスや健康問題を引き起こす可能性があります。
4. テクノロジーの視点: インターネットやVR技術の発展により、動物をリアルタイムで観察する新しい方法が提供されています。これにより、動物を自然環境に留め置くという選択肢が増えています。
最終的に、動物園の存在は倫理的、教育的、生態学的な問題についての継続的な議論を生み出します。動物の福祉と人間の教育ニーズをどのようにバランスさせるかは、社会全体の課題であると言えます。
③「あなたの結論・意見・感想、賛成・反対・盲点・人文科学・社会科学・自然科学・私のメタ認知を支援する観点」から、必要な観点を選び、多角的なフィードバックをお願い。
ChatGPT Plus
それぞれの観点から多角的なフィードバックを提供します。
1. 結論・意見・感想: あなたが提供した視点は非常に重要で、動物の福祉を重視しつつ、教育的な価値とテクノロジーの活用の可能性を考慮に入れた意見は高く評価できます。インターネットやVRの活用は、動物福祉と教育の両方の観点から可能な解決策として有望です。
2. 人文科学・社会科学の観点: 動物園が果たす役割は、動物と人間の関係性や倫理に関する重要な問題を提起します。動物の福祉を確保しつつ、人間が動物について学ぶ方法は、倫理学、文化人類学、社会学など多くの学問に関連する問題です。
3. 自然科学の観点: 自然環境から離れて生活することが、動物の行動、健康、遺伝子にどのように影響するかを理解するためには、生物学や生態学の知識が必要です。
4. メタ認知を支援する観点: この問題を考えるときには、自身の前提や視点を理解し、それがどのように自分の結論に影響を与えるかを検討することが重要です。自分がどの観点(例えば、動物の福祉、教育の価値、テクノロジーの利用など)を優先して考えているかを理解することで、自身の意見や結論がより明確になります。
5. 盲点: 一つの可能性として、動物園の資金源や運営についての考慮が盲点となるかもしれません。例えば、一部の地域だけで動物園を運営し、他はネットを通して観察するという考え方は、実際の動物園の運営や資金集めの問題を引き起こす可能性があります。これらの要素を含めて考慮することは、より現実的な解決策を見つけるために重要です。
④「あなたの結論・意見・感想、賛成・反対・盲点・人文科学・社会科学・自然科学・私のメタ認知を支援する観点」から、必要な観点を選び、多角的なフィードバックをお願い。回答は体言止め・漢字の多用で文字数を節約し、最小限の文字数で回答せよ。
ChatGPT Plus
1. 結論・感想: あなたの視点、洞察力ある。福祉、教育、テクノロジーを統合した視点、価値ある。
2. 人文科学・社会科学: 動物と人間の関係、倫理の課題。教育方法、文化人類学、社会学の観点、重要。
3. 自然科学: 動物の行動、健康、遺伝子への影響、考慮すべき。
4. メタ認知支援: 前提、視点の理解、結論の明確化に有用。
5. 盲点: 動物園の資金源、運営問題、考慮に入れるべき。
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tomoya-jinguuji · 11 months
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「兵器支援より和平交渉を優先すべきでは」なぜ地元テレビ局はゼレンスキー大統領にそんな質問をしたのか 「広島サミットは失敗だった」論は根本的におかしい 「G7はかつてなく結束している」の意味 人々にさまざまな思いを残したG7広島サミットが終わった。実りの多いサミットであった。これほど多くの人々に「感動した」と言わせる国際会議は、珍しい。関係者の努力に敬意を表する。そのうえで、背景となった要素を三つ上げると、ウクライナ、ゼレンスキー、そして広島、ということになると思う。 ロシアのウクライナ侵攻の危機は、G7参加者にかつてない緊張感を与えている。G7メンバー(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ+EU)は、協調しつつ多大な努力を払って侵攻への対処策を講じている。アメリカのジョー・バイデン大統領をはじめとする多くの参加者たちが、「G7はかつてなく結束している」と発言したが、これは危機対応の緊張感がもたらしている事情でもあるだろう。 今回のサミットはG7それ自体の枠を超え、インド、オーストラリア、韓国、ブラジル、インドネシアなど、さまざまな国々の多彩な指導者が一堂に会した会議ともなった。とりわけ大きなドラマが、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が駆け付けたことだったのは言うまでもない。ゼレンスキー大統領とインドのナレンドラ・モディ首相の握手は、このG7サミットの成果を示す劇的な場面となった。 圧巻だった献花シーン しかしこれらの要素は、広島という舞台においてこそ、一層の輝きを見せたのだと筆者は考える。G7メンバーの首脳たちがそろって平和記念資料館を訪問した後、原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)に横並びして献花をしたシーンは圧巻であった。また、ゼレンスキー大統領も、岸田文雄首相と並んで資料館を訪れて献花をした後、「バフムトと広島が重なる」という印象的な言葉を残した。 G7サミットについては、政策的含意についても論じるべき点が多々ある。今回は3回に分けて論点を提示してみたい。1回目の本稿では、最も象徴的な要素としてサミット全体を貫く効果を発した「広島」について考える。 「サミットは失敗だった」論の根拠 サミット終了後、特定メディアから「サミットは失敗だった」という評価が集中的に流されたことが、SNS等で話題となった。これまで核廃絶運動をしてきた被爆者や運動家の方々を中心とした発言が、そうしたメディアでは大きく取り上げられた。大手新聞社出身の独立系メディアの記者が「逃げるんですか」と岸田首相に呼びかけたのも、核廃絶を語りきれていないことを糾弾したいという思いに駆られた行動であったようだ。 特定の層によるこうした評価は、かなり大きなイデオロギー的立場の違いから生まれた、見解の相違と言える。否定的な評価をされている方々は、「核廃絶の決意が弱い」といった精神的部分だけでなく、「核抑止を広島で語った」というかなり原初的な事柄を理由にして、サミットを批判したのである。 アメリカのバイデン大統領が平和祈念資料館で「世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう」と記帳したように、大枠としての核廃絶に向けたG7諸国の意志は、今回のサミットでも変わりなく示されている。それでも批判派に言わせれば、決意の度合いが足りない、というわけである。 さらにこうした人々は、核抑止という構造が存在しているという現実を広島で語ることが、広島に対する冒涜であると受け止めるようだ。被爆地では「即時の核廃絶」が絶対規範であり、核抑止を語るようなことはあってはならないのだという。 「広島とは何か」という問いから生まれる二つの立場 しかし、こうした原理的な立場を前提にすれば、いかなるG7サミットも「失敗」の烙印を押されることは避けられない。特定のG7サミットが、現実の枠を飛び越えていくようなことはあり得ないからだ。 一連の「サミットは失敗」報道に特徴的だったのは、会議でさまざまな問題が話し合われた中で、核廃絶というテーマだけに焦点が置かれていたことだ。核廃絶だけは特別な問題だと認識し、広島で実施したサミットなのだから強い核廃絶の決意が表明されなければならない、万が一にも核抑止などに言及してはならない、という確信を持つ特定の集団があった。その方々にとっては、今回の「広島サミット」は失敗だと言わざるを得ないのであった。 さて、この「サミットは失敗」という意見は、それとは逆の(そしておそらくは多数派の)「サミットは成功した」という意見と表裏一体の関係にある。それらに共通するのは、「広島とは何か」という問いであった。 「法の支配に基づく国際秩序の堅持」の意味 議長国・日本が掲げた広島サミットの一番のテーマは、「法の支配に基づく国際秩序の堅持」であった。「G7広島首脳宣言」の冒頭で「われわれの取り組みは、国際連合憲章の尊重及び国際的なパートナーシップに根ざしている」と記されたように、「法の支配に基づく国際秩序」とは、より具体的には国連憲章の諸原則を指す。「国連憲章を含む国際法の深刻な違反を構成する」ロシアのウクライナ侵攻が、とりわけ重要な議題となったのもそのためだ。 広島とは何か、という問題は、このサミットのテーマに深く関わる。G7がウクライナへの支援を約束するのは、国際法の深刻な違反を是正し、「公正かつ永続的な平和(just and lasting peace)」を達成することを目標としているからである。日本語の宣言文では「公正」と訳されているが(日本国憲法前文でも英文で「Justice」と日本文「公正」が対応している)、つまりは「正義 justice」を伴った平和を目指す、ということである。 ウクライナに��停戦」を叫ぶ人々が求めているもの この「公正で永続的な平和」を追求するG7の立場に真っ向から挑戦しているのが、現在も進行中のウクライナ侵攻について、即時かつ無条件の停戦を叫んでいる方々である。 ロシアの侵略行動が止まらないうちにウクライナが一方的に停戦を宣言することは、ほとんど降伏に近く、失われた領土の回復や保障も果たされることはない。仮に一時的にロシアが停戦に応じたとしても、抑止が効かなければ侵略が再開されることは確実であり、停戦はまやかしの平和でしかない――。こうした批判を受けても、「即時無条件停戦」派は上記の「公正」や「永続性」にこだわらず、事実上の「非武装中立」を突然一方的に宣言することが大切だと主張している、そしてその論理を基に、日本政府をはじめとするG7を糾弾している。 ゼレンスキー大統領の記者会見で地元のテレビ局の記者が行った、「兵器などの支援を要請することも大事なのかもしれないが、せっかく被爆地広島を訪れているんだから、もっと戦争を終わらせるための和平に向けて話し合いをしたほうがいいのではないか、広島で行われるサミットで違和感がある、という声もあります。その声にどう答えますか」という質問も、同様の文脈に属するものだろう。 「公正で永続的な平和」の価値を世界に示した 果たして「平和都市」として知られる広島は、「公正で永続的な平和」と「即時無条件停戦」のどちらを象徴するのか。 一つの都市の存在と、このような大きな問いを結びつけることは、通常は起こりえない。しかし世界に知られる平和都市であるがゆえに、広島は、これらの問いをめぐる葛藤と、深く結びつけられて語られてしまうのだろう。 サミットは失敗だと結論づける人々は、「即時無条件停戦」に大きくなびいている。広島は非武装・無抵抗の平和の象徴であり、たとえ自衛権の行使などの「国連憲章の諸原則」に従ったものであっても、この場所で軍事に関わる話をすることは許されない、というわけである。 一方G7の首脳は、明快に「公正で永続的な平和」を選択している。そして、広島という場所においてその立場を隠すことなく、むしろ一致団結した姿を見せることで、その立場を世界に示した。広島こそが「公正で永続的な平和」への決意を表明するには最もふさわしい場所だと言わんばかりの態度を、G7は示したのだ。 おそらくはそのことが、「サミットは失敗」派を激怒させたのだろう。だが、広島が象徴する平和は「即時無条件停戦」の平和であり「公正で永続的な」平和のことではない、と断言できるような根拠はない。むしろ被爆者の苦難を知り、「過ちを繰り返さない」と誓う行為は、「公正で永続的な平和」と親和性が高いと言っても過言ではない。 今回のG7サミットで、広島/日本が象徴する平和が、「即時無条件停戦」の平和ではなく、「公正で永続的な平和」のことであるという理解を、日本の首相が、同盟国・友好国の首脳とともに世界に示した。そのことの意味は、決して小さくない。 「復興の象徴」としての広島 ゼレンスキー大統領は、「破壊された広島の写真がバフムトに似ている」と述べたうえで、「いまの広島は再建した。ウクライナの街並みも早く再建できることを夢見ている」と述べた。これはいわば「復興の象徴」としての広島についての語りである。 岸田文雄首相も、ゼレンスキー大統領を見送った後のツィートで、「1945年の夏、広島は原爆によって破壊されました。平和記念公園が位置するこの場所も一瞬で焦土と化したのです。その後、被爆者をはじめ、広島の人々のたゆまぬ努力によって、広島がこのような美しい街として再建され、平和都市として生まれ変わることを誰が予想できたでしょうか。」と、語りかけた。「復興の象徴」としての広島を強く意識したメッセージである。 広島市長の説明に聞き入ったゼレンスキー ゼレンスキー大統領は、岸田首相と言葉を交わしながら、2人で並んで慰霊碑に献花をした後、松井一實・広島市長の説明に熱心に聞き入った。報道によれば、松井市長は、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と記された碑文などについて、説明をしたという。ゼレンスキー大統領は、広島の復興の精神に、強い関心を抱いていたのだ。 当然だろう。復興は、段階的には戦争中ですら始まっている。戦争が終わったときには、大々的な復興のプロセスを主導しなければならない。壊滅的な打撃を受けながら、不死鳥のごとく立ち直った広島の復興の歴史に、関心を抱かないはずはない。 ウクライナ復興に強力に関与するというG7の決意表明 G7は、初日に発表した「ウクライナに関するG7首脳声明」において、「ウクライナの復旧・復興に向けた支援」も強調し、「ウクライナが必要とする経済支援を確保することへの我々の強いコミットメントを再確認」したうえで、より具体的な領域でのウクライナの復興努力を支援していくことを宣言した。 もし広島が「復興の象徴」であるならば、G7はウクライナ復興に強力に関与するという決意表明を、世界で最もふさわしい場所で行ったことになる。その決意は、1列に並んで献花するG7首脳の結束を通じて、さらに広島平和記念公園を並んで歩く、議長国・日本の首相と復興の当事者であるウクライナ大統領の2人のパートナーシップを通じて、示された。 もし広島が「核廃絶」の象徴でしかないとすれば、どこまで核廃絶について語ったかということだけが評価基準になる。戦禍からの復興に関する議題などは、評価対象にならない。だが今回、議長国・日本は、他のG7メンバーと共に、いわば「復興の象徴」としての広島の意味を強調し、象徴的な画像を通じて、それを示した。 岸田首相だから実現した大きな成果 岸田首相の選挙区は広島一区、つまり広島記念公園からG7会場となったエリアを包み込む地域を地元としており、そこで過去に10回の当選を果たしている。広島の意味をめぐって、何が重要であり、実は異なる立場もありうるということについて、誰よりも知る人物であると言ってよいだろう。 「公正で永続的な平和」を目指す「復興の象徴」としての広島で、「法の支配に基づく国際秩序の堅持」を中心議題とするG7サミットを開く試みは、岸田首相という1人の具体的な存在をもって、初めて可能になったとも言える。「即時無条件停戦」論をはじめとするさまざまな異論も存在する中で、岸田首相でなければ、これほど明快な方針を打ち出すことはできなかったかもしれない。 広島とは何か、という問いは、日本とは何か、という問いとも深く結びついている。その解釈をめぐる葛藤は、今後も終わることはないだろう。たとえそうだとしても、今回のG7サミットが持った衝撃は、葛藤を抱える日本人の心の中にも、深く、長く、影響を及ぼしていくことになるだろう。
「兵器支援より和平交渉を優先すべきでは」なぜ地元テレビ局はゼレンスキー大統領にそんな質問をしたのか    「広島サミットは失敗だった」論は根本的におかしい
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m1sak1momona · 1 year
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JGmomentⅠ
twitterのモーメント移植
囈【たわごと:筋道の立てない言葉、寝言】自分めも 
自分の頭の中と、知識前提でこぼしてるからはたから見たら伝わらないし齟齬しか生まれそうにない
変装がうまいひとが化粧してあげるのほんとすきなの………でも首化粧とか死化粧とかもいい題材ですよね………
まぁ時代錯誤なんですけどね、生首は……でも死体偽装やってそうだからありです…?
にんたまで某変装名人が変装には観察が必要、だから日頃からスケッチをして観察力を鍛える~ってあってですね、絵がうまいんですよ、つまり変装がうまい人は絵がうまいんですよ、……言いたいことわかるな?(という顔
今更だけど舞台OPのとこで田崎さんが福本さんにのとこ二部の伏線かな…
福本さんの潜入先としてどこかの定食屋の厨房とかもやってるかもね
多分ね、日本にいる間は料亭の厨房とか旅館の厨房とかにも出入りしてたと思うんですよね
福本さんの料理帖みたいなのもつくりたいきもちだけ
高身長いかしてモデルやってる福本さんとぼくさーの傍ら減量レシピ本だしてる福本さんとイケメン料理研究家として料理番組と雑誌連載もってる福本さんっていうネタがある(備忘録
まつげが長い&まっすぐ&伏せがちな人の目にはハイライトが本当に入りにくいのでみよさんはそんなイメージ
���うきちゅうさ(現���ロだと何かすごくて偉い人)の隣にいつもいるイケメン敏腕秘書っていうネタもある
和装のときの色合いといい黄色いレインコート・傘が、もしはたのさんご自身で選んでそれなのだとしたらはたのさんは致命的な部分がおわかりですね
自分の中の過去考察がないと脈略無さすぎるんだけど「揚屋のおねえさん方に遊ばれた(化粧、お着替えなど着せ替え人形てきな)のがきっかけで女装に抵抗がない」というのを踏まえた実井くんを描きたい
かえる場所はどこにあるのか。 いや、そんなものなど葬った。 待っているのは真っ黒な孤独だけだ。 帰る、還る
軽率にきりすと教における白百合の意味など調べてしまい、柩の献花としては普通なのだけれどこっち側が勝手に考察深めてしまっているのでみよさんはピエタやってほしいし、修道女だけどべるにーにの聖テレジアの法悦やってほしい
演者を演じる、というのも好き
あの学生集合写真も合成出きるんだなってわかりました
「必ず救うの軍なきものは必ず守るの城なし」:援軍のくるアテのない城でがんばっても、落城は時間の問題ということ。
「彼を知り己を知れば百戦して危うからず」中国の兵法家・孫武の言葉。戦いに勝つには敵をよく知り、自分の力を正しくつかんでおくことが何より大切ということ。 
猫の目時計:猫の瞳は薄暗い夕方になると、まん丸になる。忍者はこうした猫の瞳の変化で時刻を知ることが出来る。 教養なき忍びは滅びる
任務でペアくんで主従してるのもみたい(の名残が執事
者で学んだことがスパイにあてはまりまくるからやっぱり忍術の勉強したっての本当だよ?!?!?!???ってなる
戦の規模が大きくなればなるほど事前の調査ってものが必要になってくるでしょ、戦に勝つのは敵より情報収取が優れている場合です(事件の本質の段/庄・乱 メモ
最初のスーツを仕立ててるところもみたい、きんぐすまんみたいな…あーいう…かんじ…
それはそうと軽卒にきんぐすまんパロも、考えたりはしてるんだけどえぐじーとほまた逆方向の愚直さである佐久間さんは正義感でつっぱしるかんじなかな、と
和装の時に軽卒に極道ぱろを考えたり��てたんだけど純真に極道にそだってしまったさくま坊っちゃんもよい 。考えてたのは極道の家で警察官をめざすさくま坊っちゃん……。 和装からの軽卒ごくどうパロのチャートをかるーく考えているので今日はそれをもう少し練る()それはそうと機関員の背中に妖怪背負わせたい(墨でもすたじゃん刺繍でもよい
1話みるとなんで背の低いやつに天井裏~のこめんとが流れたりするんだけど背が低いから天井裏なんて狭いところ点検するんやで…( ˘ω˘ )って毎回なる。別に高いところは跳躍なり腕力なり梯子なりで上れるからな
盆栽にやさしいのはあの数の盆栽あったら家1軒買い替えるよりも高くつくからなんだろうなと思うのです…とくに自分で世話・といよりは作家から(もしくはコレクターから)買い付け⇒維持という意味での世話してそうなイメージ
軽率に忍びの卵とすぱいが脳内でお話しするんだけどスパイとして生き抜いたcvしものが影が薄いことを悩んでいるcvしものにうらやましいな、ってよく言ってる。 すぱいのほうのcvかじはにんじゃのたまごのcvかじの笑いどころがわからなくてすぐツッコミ役になってる
それはそうと機関員たちの見分けつくようになったよな~とか考えてたけど軍人とか学生(当時の)になったらそれこそ見分けつかなくなるわけで、あの時代だったら個性ありありじゃん~~~~って思い直しました(?)
あの姿(見目麗しい・洒落ている)をデフォルトとして印象付けといて、変装するときに一般的な外見にすることで同一視を避けてる感じなのかもしれないな…
今の感覚だと地味で終わってしまうかもしれないけど当時の感覚だと違うよね、スーツ一式仕立てて、ほぼ毎日で、そんな若い男性が複数人いるわけで
機関員世界線の現代なD組記憶もち転成ぱろで、機関員時代の記憶のせいでうまくいきができない機関員のそれぞれの子供時代~みたいな話が!よみたい!のでしっていたら教えてほしいです……(五体投地)にん…のたまごたちの二次だとたまにみかけるので……ありませんか…
自分の体にきすまーくつけられることは厭わないのに唇は奪わせない機関員…などをかんがえた
色の任務はするけどのらりくらりと唇にはしないしさせないんだァ…相手(女性だとして)にも「こんな男にあげちゃだめだよ」とか言ってそうだな~(キャラ指定はしてない)
機関員のうなじにバーコードつけたい
化物として生まれたのか、化物として育っていったのかというお話
愛される人を演じるのは得意なんですよ、(愛なんて知りませんけど)って機関員に言わせたい
在りし日の己を「友人」とか「隣人」とか言いながら話す機関員の物語よみたい
遠近法?で手で顔かくすやつやってほしい
絶対見せてくれないだろうけど機関員の瞳からつたう涙がみたい…かばーによってはわらうしおこるしかなしむだろうけど涙は見せないんじゃないかな
普段着で派手柄シャツきてる機関員がみたいんだよ~~(この呟きには友達と現代においては忍ぶ必要がなくなった機関員たち、という概念が含まれています
機関員たちはカバーを変えてるけれど、「彼ら」のカバーそのものは何も変えずに、人によって感じる印象がかわる、そんな鏡の様な彼らも見てみたい。
「僕らが変わったように思うのならば、それは貴方が変わったのですよ。」「僕らは何一つ、変わることはありませんから」
莫迦なことを言う。人間である以上不変であるはずがないのに。…………しかし、彼らは「人間」なのだろうか
唐突に脳内のはちやさぶろうが脳内の機関員たちに「いちいちカバーなんて作らないで別人に作り変わればよくない?」などといい放った……変装名人め
機関員の心臓抉り出しても死にそうにない感じ書きたい(死にますよ)
めも→風船、現像室、かめら、はーばりうむ、ぱずる、椅子
人はどうしたら神なくして聖者になれるか
あめ…かみなり…のなかに機関員をほうりこみたい(ひどい)
大きめ、派手めの耳飾りしてる機関員みたいな~爪塗ってるのもみたいんだけどさ~
手鏡、化粧台の鏡、姿見、あわせ鏡、無限回廊な大きいあわせ鏡(鏡の間)、ひびの入った鏡、鏡の破片、かーぶみらーなど
からばっじょのなるきっそすな三好とかも描きたいな
軽卒に探偵か詐欺師か強盗をやらせたい(トリックを考える頭がない)
自分の知ってる限りの料理番組の要素まぜこぜにしたふくもとさんの料理番組パロを考えてはいるのです、漫画描けないから……
は~~~満面笑顔の機関員描きたいな!!
死ぬな殺すな囚われるなでございますけれど、夢の中とか脳内で気に入らない、とか眼中にないとかそういう周囲の人を殺してる機関員の話みたい!
問答、過去を惨殺、耄碌して記憶混濁、糸が切れて落涙、アンデッド生きる屍生者の葬列死者の誕生、カバーと素顔彼が俺だった、人間化物、火遊び めも
顔に?似合わず雨で偏頭痛ひきおこす神永さんとか、雨の匂いがするねっていう甘利さん
禁断の果実としてのリンゴ、黄金のリンゴとしてのオレンジ(マルメロ、毒リンゴとしてのトマトとか描きたい
血濡れには基本ならないはずの機関員さんたちをどうにかこうにか血濡れにしたいのと前言ってた頭の中では殺戮犯とかワインとかも描きたい
「だって頭の中(ここ)では僕がカミサマ」
「人を殺したことがあるようなことをいうね」 「馬鹿言わないでくれ、不殺の誓いをたてているんだ」
化物の自覚があるのか、化物と言われたことがあるのか、化物を何と心得るか、化物でいることの自負心、反対に化物でいることの羞恥があるのかとかとか
間諜は生への執着が大事なんですけれども、すぐ生死への冒涜のようなことをさせてしまう許して
生き急いでるか、死に急いでいるのか
任務中にどこに住んでるの?的なニュアンスの「どこに帰るの?」という問いかけに「帰る場所なんてないんだよ」って笑顔で返す機関員さん
かれらは多重人格者…意識的だからカバーといえるのだろうけれど。耄碌してきてから自分が「誰」なのか混乱してほしさある
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