「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
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わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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濁りがない心
Friday 7 March 2014
禅寺へ車で行く。ちょっとこの頃、横着をする真観。
今日の言い訳は雪が降り始めていたことと坐禅会が終ったらすぐ東京に行かなければならなかったこと。
S子
『ふ〜ん、そうなんだ』
7時45分、茶畑庵を出発した。御殿場エリアになると銀世界が待っていた。またもや前と同じ様な事態になるんじゃないのか?でも「気配」としては多分大丈夫だなと感じた真観。8時25分、予定通りのバスに乗り順調に東京へ進んだが東名インター辺りで12kmの自然渋滞。バスは遅れたものの10時半過ぎには新宿に到着。東京はけろっと晴れていた。駅前では今日も募金活動をしている。
『アフリカの貧しい子供たちに募金をよろしくお願いしま〜す』&礼。(リピート)
今朝の真観は募金はしなかっった。
総武線に乗ってオフィスへ。Uさんはまだ来ていない。時刻は、11時過ぎ。今日東京に来た第一の理由はオフィスのMacでiPhotoのブックサービスのデータをネットで送ることだった。真観のWifi環境ではスピードが遅すぎてアウト。今週は仕事も学校もないので静岡でゆっくりしようと思っていたが盲点はこの作業が静岡で出来ないことだった。金曜日の今日にこのデータを送れば来週頭には注文したブックは届くであろう。茶畑庵近くで光回線を借りれるサービスがあればいいのだが。このブックとは真観のクラスの卒業記念ZINEだ。この試みは初めてだった。仕上りがとても楽しみな真観。
Uさんもやって来て束の間のおしゃべりをする。何故ウクライナの問題が起きたのか?と真観がUさんに問いかけるといつも嫌な顔をせず答えてくれるUさん。人種とは?国境とは?・・・と話を聞きたいのは山々だったが真観は次の予定があった。Uさんの話を身支度しながらオフィスを出る。今回の東京はUさんとは「会うこと」を優先し話すことは次回と考えていた。
真観は、歩いて九段下駅に行く。そして表参道駅に向かった。約束の時間は、12時半。明らかに数分遅れると思った真観は、JのiPhoneにメッセージを送った。そう今日は、Jと会う約束もしていた。先月末から10日間東京を滞在しているJ。今回Jがセルビアから来日する前からJと会えるかどうかやり取りしていたが真観には東京に行く予定がなかったので諦めていた。2009年の真観の写真展の時にJからとんでもない不義理を受けそれ以来Jとは昨年まで絶交していた。しかし昨年ふと真観は、Jを許す気になって2人の関係は雪解けした。そしてタイミング良くJが東京に来る事になって彼と再会したのは昨年の4月。真観は、Jと和解したがJとの付き合いにあるルールを作った。
「絶対にJを待たない」
昔の真観だったら東京でもどこでも会いに行くと思うがもうしない。
12時半過ぎ、表参道の交差点でJと再会。一緒に共通の知り合いのAもいた。Jと真観馴染みのオーガニックレストランに向かった。前払いのレストランでレジの前では行列。2人はパティオのテーブル席に座って食事をした。Jも真観も山盛りの料理を皿に盛る。玄米ごはんを久しぶりに茶碗一杯に食べる真観。このレストランはマッチアズユーキャンの店だ。Jの今回の来日目的を何となくアレについてだと思っていた真観だったが彼から話を聞くと全く違う国家レベルの一大プロジェクトに携わる仕事が目的だった。その仕事はプロジェクトが大きいためこれからも何回か日本に来る必要がある様だ。
Jは、面白い!Jはお金がある時とない時の差が激しく今回の来日時の所持金は、100円程度。100円!成田の税関で案の定軽くトラブルになったが難を逃れた様だ。セルビアからの旅費は700€ほど掛かった様だがそのお金はこれまた奇想天外な機関から捻出していた。頼もしい限りだ。Jと真観は、和解してからFacebookで繋がっている。Jは、真観の「Today's Fashion」が大好きな様で絶賛していた。話題は次から次へと移り時間はあっという間に2時を過ぎていた。このランチの後Jは「子どもの城」で他の友人と会う約束をしていた。真観はその友人を知っていた。最初にJと一緒にいたAは共にレストランに来るはずだったがどこかに消えてレストランには来ず「子どもの城」にいるJの友人と合流していた。Jは『一緒に来ないか?』と真観に尋ねて来たが真観はやめておいた。
「絶対にJを待たない」
このルールはJと19年間付き合ってから出した結論だ。Jは、とてもいい人で心に濁りがない人だが時間に極端にルーズだ。今回のランチの間にもその「子どもの城」にいた友人たちから何度もJに催促の電話をして来た。その電話の目の前にいるのが真観。Jは、真観との時間を優先する。だから次の約束に遅れる。待つ方は毎度のことと諦めつつも苛立始める。真観もかつてはそうだった。今回は、待つ立場ではなかった真観。「絶対にJを待たない」Jがこの悪い癖を直そうとしていないのが少し残念でもあり人ごとであればそれも可笑しく見えてしまう。
Jは、また5月に来日予定だという。その時は、是非静岡に来て欲しいとリクエストした真観。今回の来日時もそうリクエストしていた。Jと表参道で別れ1人原宿駅まで向かう。東京も雪が降り始めていた。新宿駅まで移動しヨドバシカメラに寄り、機材の値段やインクジェットペーパーの入荷状況、ラベルシート等の確認をする。また駅前を通ると大震災で飼い主を失ったワンちゃんニャンちゃんたちの里親募集を呼びかけていた。朝のアフリカの子供たちのことと同様複雑な気持ちになる真観。ペットは解体が茶畑庵では無理だ。4時半のバスに乗った。バスに乗る前バスの営業所の自販機でドリンクを買ったがピックアップせずにバスに乗りあとから気付いた真観。キャイ〜ン!な真観。
バスの中にいた時Jからお礼のメッセージが届いた。
『Great to see you today and see you again soon!!』
Jから沢山のことを学んだ真観。
真観の人生のターニングポイントのキーパーソンのJ。
人間的魅力の溢れた素晴らしい人物。彼と出会えて良かった。
でも、「絶対にJを待たない」
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多くの人たちと同じように、ずっと、悲しんでうろたえて、ときどき泣きながら、日々を過ごしていますたくさんの漫画家さんや関係者や漫画を好きな人が、悲しんだり怒ったりしている慎重に誠実に言葉を選んで自分の考えを綴っている人もたくさんいるでも当たり前なんだけど、どんな人の言葉にも過不足がある 今回はなおさらその過不足が大きい自分の場合もひどかった、こんな目に遭った私は別にイヤな目には遭わなかった、みんないい人だったみたいな好悪りょうほうの事例が乱立していっても、この出来事への何かの足しになるのかどうかもわからない芦原さんに家族近親者がいるとして、今後、この業界全体の改善が進まなければ遺された人は傷付き続けるだろうけど、救いがないのは、今後改善が進んだとしても遺された人はきっとまた同じように傷付くだろうことです改善されていけば、「ならば、どうして、彼女が命を絶つ前にそういう改善がなされなかったのか」という思いがつのるばかりだと思うのでなので、
自分なぞがここに何か言い足したりしても、さらに同様の過不足というか、なんなら「お前は黙ってろ」くらいに思われるかもしれないでもこれは自分自身のために書くだから不愉快を感じた人は何も言わず静かに黙って外して済ませてください、今回はとくにここから、長いです多くの作家さんがどうにか言葉を発しようとしているのは、誰もが「自分にも同じ問題が起きた、起きたかもしれない」「自分のことのようによくわかる」からで、多分にもれず、自分にも覚えのある種類の問題ですそして自分が現役の時に(リアルタイムでの漫画連載時に)今回みたいに、同業の作家さんがこんなことで命を絶つなんて出来事があったら、とても平常心を保てないことが想像できるだから、今、現役で連載の執筆をしている作家さんは、自分なんかとはケタが違う動揺に見舞われ続けていると思いますでも言及したくないな、という思いも強いです言及すると、このことは自分の手の中からうしろに放って、もう言及したので済んだこと、にしてしまう心が伴うんですよねそれがイヤで、言及したくない、言及できない語るのもつらい、でも語らないのもつらい、という心もちは、多くの人の言葉や沈黙からも察することができて、「どうしたってこの出来事も遅かれ早かれ“後景”になっていってしまう」ということがわかっていて、そのことも含めて、皆が、うろたえて悲しんでいるのではないかと思いますでも1週間以上経って、当事者である大きな企業2社の現在の態度もあわせ考えて、このままだと、事態がどんどん良くない方向にしか動かない、というか何も変わらない、のではないかというおそれも、今、ものすごく大きいです何から書き綴る?また名前を持ち出して申し訳ないのだけど、庵野さんがそれまでに見たことないほど激怒したのを見たことがあります怒られた相手は、“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子だったのかなあ… シチュがめんどくさいんだけど、『沈没』連載の頃に、大西信之さんの個展に僕と僕のスタッフさんが噛んだことがあって、その時に庵野さんと樋口さんが一緒に遊びに来てくれたのね その流れで、大西さんが引っ張ってきた会場のギャラリー含めて飲み会みたいな流れになって、メインの大西さんが早々に酔い潰れて離脱、なんか知らんけど2次会にまで庵���さんは流れてくれて、僕と僕のスタッフ、庵野さん、あとギャラリーに居た知らん人が何人か、みたいなわけのわからんメンツで飲んでいたときに、多分、庵野さんの前に座ることになった「“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子」が、「何か創りたいと思うんですけど、創って世に出したらそれで評価が定まっちゃうし、自分の可能性を限定するみたいになっちゃうんで、なかなか作れないんすよね」みたいなことを、庵野さんに“相談”したんだと思うんですよね いくら酒の席でも、相手と話題を選びなさいよ、と思うんですけどね庵野さん、みるみるうちに、会って以来見たこともないようなおっかない口調になって来て、「そんなの、創って、恥をかいて、地獄を一度見ればわかります! 地獄見てください!」「地獄を味わったこともないくせに、何も作らないままグダグタ言ってても何も始まりませんよ!」というようなことを話していましたあのとき怒られていたあの彼は、どうしているだろう?かつて居た場所贔屓、かつてしていた仕事贔屓になってしまうけど、多くのクリエイションの中でも、やっぱりとりわけ漫画は、特別…という言葉を選ばないでおくなら、特殊な表現手段なんだと思います「作家個人ひとりに負うところ」が異常に多すぎる表現媒体なんじゃないかと思います漫画家を含めて、作家としての個人の名前が前面に出る仕事(そこには、だから、庵野さんみたいな人の仕事と名前も入るのはわかるでしょう)、そういう仕事は、やっぱりちょっと、特別、もとい、特殊なんです日本語でそれを括るなら、それが、“原作”“原作者”ということになるのかもしれませんその中でも日本の漫画はちょっと特殊すぎます作家個人が、ひとりだけで、ストーリーを考え、絵を描き、俳優を演じ、効果音を当て、お金の管理もして、ひとりで物語を構築する もちろんアシスタントスタッフは存在しますが、決定権というか決定の責任は漫画家個人にものすごく集中しています映画に例えるなら、監督、脚本、カメラ、美術、俳優全員、衣装、音響、編集、予算配分とスケジュール管理と会計処理と税務、すべてをひとりでこなして毎週映画を作り上げて納品するようなものです 狂気の沙汰ですよ映画の作業で残っているのは、そのフィルムに、オープニングタイトルとエンドクレジットを付け、宣伝し、配給し、チケットをもぎり、上映し、パンフとコーラとポップコーンを売ること それらは“プロデューサー”“配給会社”が担うことなのだと思うし、漫画に例えるならそれは主に出版社と編集者が担ってくれていますでも本当は、漫画の編集者は、多くの場合、作家が物語を創る作業に、もっと深いレベルで関わってくれているんですけどね そこがまた複雑でわかってもらい難い出版社と編集者の話はまたあとで“原作者”は、物語を構築するときに、それぞれの、自分だけが潜れる地下に潜って、自分だけがすすれる泥水をすすりながら、そこで手にした意味不明なんだけど意味あるものを地上に持ち帰って、地上の人にわかる言葉に翻訳して綴って、披露目る、そういう作業を繰り返していますそういう作業の最前線に自分もいた感触は、今でも残っています作家それぞれにもちろん技量や実績の差はあって、日本人なら多くの人が作品名や名前を知っているレベルの一騎当千の猛者もいれば、自分みたいに「はい、あの、なんとか銃は撃つくらいはできます…」みたいなヘッポコまでいるわけだけど、それでも、「商業漫画の連載」ってやっぱり別格の世界で、個別に、エゴのレベルで、あの人やあの人の創るモノとは気が合う合わない好き嫌いみたいなことはあるにしても、みんなが互いに、“最前線で戦っている同士”だっていう共感は持っているように、僕は、思います今もそうだよね?だから、みんなが今、人ごとと思えなくて、悲しんで、うろたえて、怒っているんだと思います“原作者”が自分の体と心を使って何をしているかというと、自分と外界の境界線を最大限にぼやかして自我をゼロに限りなく近付けて、なおかつ、「自分」が信じるものを出していかないとならないので、それは細胞の集合体である生き物の生存の定義に反する作業、「死」に触れる作業なんですよね自他境界を緩めると自我が世界に溶けちゃうんですよこのおそろしさは、もしかしたら、作家のもっとも親しい人にも理解してもらえないことなのではないかと思いますだからものすごい孤独を伴う何度も引き合いに出してすみませんが、庵野さんが死ななかったのは本当にたまたまだった…という話は、本人も何度もしていますみんな、そうなんですよ自分とて「あれはたまたま死ななかっただけなんだな」と思い返す出来事はひとつきりじゃあない生きている人は、「たまたま死ななかっただけ」なんですそういうエッジの上を進み続けることになるんですそして、作家が、地下に、海に、深く潜る際には命綱が絶対に必要で、多くの場合はそれは“編集者”“プロデューサー”が担っているのね船の上、陸の上で、命綱を握っているその安心感があるから、作家は“潜って”いけるんです漫画家にとっても、編集者の存在ってものすごく重要ですでも編集者は漫画家にはなれない 逆も同じです 多くの場合それは互いにじゅうぶんわかっていて、その中で信頼関係と仕事のしかたが構築されながら、作品は創られる編集者って必要なんですよ、ほとんどの場合佐藤さんはたしか「自分は編集者は要らない」と言い切っていたと思うんだけど、そんな強者はひと握りで、多くの場合は漫画家は編集者と二人三脚ですそれでも、ときに、しばしば、行き違いやコンフリクトは生じてしまう作家が、出版社への異議を唱えたり意見を述べると、それを出版社に属する人が「自分への攻撃だ」と認識することが多いのかもしれませんそうではなくて、個人である作家は、「あなたが属しているシステムの構造に異議を唱えているのだ」と言い続けているのだけど、その平行線がずっと続くことが多いですもう10年以上も前に、佐藤さんや雷句さんが、それぞれの考えとやりかたで、出版社や漫画業界のあり方に疑問を投じて、それは大きな波紋を起こしましたワタクシごとなんだけど、雷句さんのアクションの際に僕も僕の考えを書き述べたら、少年サンデーの編集者から「部外者が好き勝手にものを言わないでもらいたい」というメッセージをもらいました 当時の自分の文章を読み返すと、下手な文章だなと思うので「文章が下手だ!」と言われるならわかるんですが、的外れなことも誹謗中傷も書いておらず、何がそんなに相手を不愉快がらせたのかは今もよくわかりませんあれからもう15年以上も経っていて驚きます当時から知っている何人もの有能な編集者が、そのあいだ、作家や作品をないがしろにして仕事をしていたわけがないことはじゅうぶんに知っていますでも漫画家も多���だけど編集者だって忙しい余計なことに煩わされる余裕なんて無いんですよ編集者はかなり強く担当作家と二人三脚を組んでくれるし、愛する作家を愛するけれど、いっぽうで、関わりのない作家に冷たい面がある(会社の人間として振る舞う傾向がある)それは当たり前なんですけどねでも、編集者がおおぜいになった時に、作家もそこにいるというのに、作家の前で他の作家の悪口や噂話をするのはやめてほしかったああこの人たちは、自分の居ない場所では自分の悪口を言って笑っているんだろうな、という想像ができてしまう何かのおりに、いったん、作家と編集者(出版社)の対立が外部にあらわになると、漫画家は多くの場合に、「組織/おおぜい/システムvs個」の、“個”の側にたったひとりで立たされることになる二人三脚していた相手、個人だったはずの編集者が引っ込んでしまって、代わりに、組織である出版社が出てきてしまう芦原さんが言い残した「攻撃したかったわけではない」という言葉は、誰か個人を攻撃したかったのではなく、「組織vs個人」になってしまい、個人として困っている、ということを述べたかったはずです「パーソナルとマスの問題」なんだけど、マスの中で(組織の中で)個人(パーソナル)として、その理解で組織と個人の問題を捉えて、そして言語化できている人は多くない大きく括れば、これはハラスメントの問題に属しますパワハラは、立ち位置の不均衡を素地にして起こるこちらは個人、向こうは組織その不均衡を、多くの場合、組織(強者)に属する人は理解しきることができないヒトが2人以上存在する限り、どちらかが強い、あるいはどちらかが組織に属している度合いが強いので、パワハラが存在する可能性があって、同時にその不均衡の構造は、なかなかすべては語られ得ないのだと思います日本には、作家にエージェントが存在しない作家と編集者(出版社)の間にエージェントが居れば、また話は違うのかもしれないんですが、多くの場合はエージェントの役割を編集者が兼ねているんですよね何かあると二人三脚していた相手だと思っていた編集者が組織の中に引っ込んでしまうので、作家はひとりぼっちになってしまう取り残されてしまうんです今回の問題の実際のディテイルは、原作の改変ですけど、でも重要なのは改変の良し悪しじゃない改変の度合いに関与できないことが問題なのであって、改変がいけないわけじゃない「良い改変」とか「悪い改変」とかがたくさん例示されても意味がない良い改変だとしても原作者が納得しているか、もしかしたら逆に不本意な気持ちになるか、それはまったく別の問題だから「改変する」「改変しない」じゃなくて、原作者個人が取り残さないようにすること、追い詰められて孤立しないでいられることです取り残され追い詰められるのは個人なので組織を背負っている、全体に繋がっている、ほうの人は個人よりは孤立しない仕組みになっているのだから組織のエラーと、個人のエラーをごっちゃにして峻別出来なくなってしまっている今回生じているのは組織のエラーです 個人のエラーはそれに付随して起きたことでしかないそうすると、得をするのは時に応じて組織に溶け込める人間で、損をするのは“個人のまま”の人間、組織と個人を別々のものだと考え続けている、組織に溶けることなど知らない個人、なんです漫画家はそのほとんどすべてが後者です生前の芦原さんの対応には、見聞きできることを見聞きする限り、ひとかけらの瑕疵もない死を選ばずに済んだ道があったはずだそのことが余計に悲しくて悔しい相対することになってしまった脚本の人の心身の安全は守ってあげなきゃならないけど、死なないで良いんで「死ぬしかなかった苦しみ」「作家が味わった地獄」に関しては、芦原さんが味わったのと同様に味わってもらえないものだろうか、「地獄を見たらわかります」、とは思いますもちろんそのとき重要で必要なことは、プロデューサーやテレビ局は、それでも脚本のひと個人の命をちゃんと守りきることなんだよそこを怠ってはならない大きな話として、私たちの社会が、弱者をすくいあげる、ハラスメントに対応する、そういうことがもう出来なくなっているのでは、という視座が要るように見える“個”への、唯一無二への敬意が欠ける場合が多いというか、“原作”を構築するのは個人で、でも現代は“解説動画”とか“読み解き”とかをアピールする環境が大きく整っていて、そういうジャンルに足を踏み込む人はとても多い何かを楽しもう消費しようとする人々にとっては、原作も、読み解き動画も、面白ければ別にどっちでも良いと思って楽しむことも多いんじゃないかと思う“原作“は希少なのだ…という認識を分かち合い続けるのはとても難しい現代の世界は、余計に、“原作”の稀少さがないがしろにされていく素地があるんじゃないだろうか明日から全てが改善される改革なんてあるわけがないし、できるわけがないだろうだから少しずつでも良くならないといけないわけなのだけど、それはかなり強固な意志で重いハネ車を動かし始めなければならないことなので、今、やらないなら、やっぱりやらないのだろうこれ以上の解決や改善を試みないということは、「今のままでヨシとする」という意思表示と合意を意味するわけだからこれ以上は未解決のままでも、漫画の文化はたいして変わりなく続いていくでしょう 今でもまだ豊潤だから今までどおり、声にならないところで、誰かが割りを喰って、不満や悲しみを抱えながら、時々誰かが死んでしまったりしながら、続いていくのだと思いますでもやはり、どうか、少しずつ、少しでも、状況がマシになってくれまいかもし改善がなされないのだったら、物語を創りたい、商業漫画を描きたい、と考えるひとは、「この世界はこういうものなのだ」と心して近付く、あるいは近付かない、それを「自己責任」で判断して生きていってもらうしかないもうひとつもうひとつ、自分が抱えているジレンマは、じゃあ距離を置いた漫画の世界の話には言い及ぶクセに、今お前が属している飲食業の暴力にはダンマリかよ、という自問自答があります卑怯なんですよね、これ今、自分が属している業界に関しても、言葉を綴るべきなんだと思います 今回とても思いましただからこそ、多くの現役の作家さんが、言いたいことすべてを言えるわけはなくて、なのに、多くの人が考えに考えて、自分の言えること、言うべきことを発しようとして��ることも含めて、何もかも、痛いくらいにわかりますこのへんで幕引きみたいになって、またここから15年くらい、何も変えられないようになってしまうよりは、もう少し、言葉にして、言葉がまとまって、何かが少しでも変わったほうが良いのにな、と思います
芦原妃名子さん 2024年1月29日 - 一色登希彦/ブログ
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着物のイベントに行ってきたよ!
いろんな産地が勢揃いって感じで興味深かったです。その土地ごとの草木染めとか感心することばかり。八丈島は、黄八丈が作られてるから八丈島なんだって!八丈島で作られてるから黄八丈じゃないのよ。黄八丈が先なの��!え?!常識?
女性作家さんの着物は、地模様が美しいうえに、桜や薊など草花が繊細・大胆に描かれていてすごく素敵でした。
色味を重ねた漢方染は、深みのある複雑な色合いでした。
内閣総理大臣賞を受賞した紬もありました。描くならまだしもこれを織るの?!と信じられません!
私がいいなと思ったのは、西陣織の着物です。最初、描いてるのかと思ったの。そしたら織りで表現してたの!わざと糸をずらして織ることにより少しゆらぎを出してそれがいい感じになってるの。よく見ると矢の模様の上に糸がドットに見えてる。染めだと全部染まっちゃうもんね。裏からも模様が同じように見えて、生地の色は違うリバーシブルみたい。写真1枚目は紫で左側が裏です。2枚目は黒です。
紫のを着てみたよ!みのり庵の方が選んでくれた帯がアート!さすがのチョイスね。
この着物を試着したのは、このイベントでは私が初めてらしい。なぜ私にオススメしてきたのか不思議。そしてそれを私がいいなと思ったのが面白い。
水彩画のように描いた着物も素敵だけど、私はこういう古典的なのが好きかな。母の着物を、気に入って着てるくらいだし。矢絣って、厄除けみたいな意味があったよね。と思って調べたら、矢のようにいったら戻ってこないようにって意味もあるらしい。
皆さんはどんな着物が好きですか?
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ゴジラー1.0観ましたよ!
ゴジラー1.0を公開当日、ゴジラの日の朝一番にドルビーアトモス上映で見てきた。
チケットも高いし、迷ったけど、迫力もあって、選んで良かった。
最初、ドルビーアトモスの紹介動画が流れたのだけど、特徴を際立たせたその没入感と音の迫力に思わず少し泣いてしまった。
自分のツボが謎すぎる。
予告編だけみて、内容の予想を勝手に立て、Twitterに投稿していた。
7月12日の事だ。
「ゴジラ-1.0勝手予想。運良く特攻を避けていた非戦派の主人公が、葛藤の末、
国産核兵器(京大制作)を積んで、唯一残っていたゼロ戦で、戦災を免れていた京都に現れたゴジラ相手に特攻。
日本人が日本人の手で0の日本を-1.0とする。クレーターと化した京都市内。煙の中から咆哮が…。劇終。」
「ゴジラ-1.0勝手予想2。昭和二十年九月二日。
東京湾で戦艦ミズーリが轟沈。連合国は日本の仕業と判断し、十一月、ダウンフォール作戦が発動される。
九州南部を強襲する連合国、迎え撃つ旧軍、そこへゴジラが現れ戦場は大混乱に陥る。
一方国内は物資欠乏、食料危機も迫るのだった…。」
という風でで、さて以下ではネタバレ込みで予想の適否とその他諸々の感想を書き殴っていく。
本投稿は予約投稿を指定しておき、3か月程度経過した後にポストされるようにする。
予想1、「特攻を避けていた主人公がゴジラを倒す為に特攻を決意、とどめを刺したかに見えたが咆哮が響く」
というのは、大枠で正解してしまったと言えるのではないだろうか。
何となく思っていた通りになってしまったことは、却って寂しい感じもする。
しかし、だからといって単調な駄作という事では決してなかった。
さて私も普通に生きてきたので、日本の大衆的な創作物の文脈にあるものを摂取しながら育った。
ある程度色々と見ると、その文脈の中でも頻出の「お約束」があり、それをを感じると却って醒めてしまうというのはよくある。
そうして私は所謂「所謂アンチ邦画派」になってしまった。世の中にも一定数そういう人がいるようで、
私もそうした人と同じように洋画と比べた時になんだか脚本が観客を舐めてないかとか、カメラワークが稚拙でないかとかをついつい考えてしまう。
今回のゴジラでも同じように、主人公とヒロインの心が通う…と思ったら…からのどっこいやっぱり…という展開にはやはり感じ入るものがある。
加えて、戦闘機の追加装備の件、私なら爆弾の安全装置が二重なんだと筑波の整備兵氏に嘘をつかせる。
ああやって言葉で説明しないと観客は理解できなかろうと思われている所が割に許せないのである。
座席の後ろに箱があり、大写しにしている時点でそれ位は察せるし、きちんとそういう演出をしているじゃないかと思う。
それと、全体的に生きろとか死ぬなとかセリフにあり過ぎてこれにも難を感じる。
私の感覚では、意外とそういう事は口にしないもので、人間危急の時であってももっと目の前の事を語るのではないかと思う。
生きろ、じゃなく逃げろならまだわかるかな。
比較してもしょうながいけど、シン・ゴジラの「幹事長は任せろ」みたいな物言いが「本物」なのではないか?とか思ってしまう。
一方で、昔は、「戦場から逃げてしまった負い目」とか「戦争のトラウマをひきずっている」とか、「それらを吐露して涙を流す」とかの描写も好きではなかった。
しかし、今、私も三十半ばとなり、自分自身も私を取り巻く現実にも大小様々な嫌な事、辛い事が満ちていて、
そうしたものに囚われながら生を重ねており、それがストーリーの軸になること自体についてはおかしく思わないようになってしまった。
むしろそうした描写に居心地の悪さを感じていたこと自体が、自分の怯えをそれと理解できなかったからだという風に考えるようになってきた。
さて、映画とかを見てちょっと醒める瞬間の話に戻して、
じゃあやっぱり「あ~三丁目の夕日かね、もっとシン・ゴジラみたいなら良かったね」と思うかというと全然そんなことはなかった。
ゴジラ自体が恐ろしすぎて、その「お約束」で逆にバランスを取れているんじゃないかと思わされる位だった。
人間がくちゃくちゃにされてしまうシーンは割と直截的であって、ゴジラの剝き出しの敵意と合わさってそれが恐ろしい。
逆にこの雰囲気だけで全編終わってしまったら、ただ後味が悪いだけになったろうと思う。
自分でも先に触れてしまった事だけど、直近の実写ゴジラといえば「シン・ゴジラ」で、あれは、ある種の「正解」になってしまっていると思う。
シンを鑑賞後にゴジラシリーズを振り返ってみると、要所要所にこれまでのゴジラシリーズのモチーフがあり、
例えば胸躍る音楽である所の「宇宙大戦争マーチ」にしたって、実はシン・ゴジラが初めてではないのであった。
にも拘わらず、初めて/久し振りに「ゴジラ」を見た人をああまで虜にするその新規性と作りこみという点が凄いと思う。
庵野作品だから。庵野作品が好きな人の感想ばっかり私が見ているから、とかもあるかも知れないけど。
でもユリイカのシン・ゴジラ特集の寄稿者の真剣味とかもそれはそれはすごい熱量だった。
とまあ、そこと比べられる事が前提でありつつ、
他方「山崎貴のエンタメ」を見に来る人を考慮に入れながら東宝の看板作品を撮るというのはどれ程難しいだろう。
私は、その両方を満足させられるだけのものを感じた。
一方で分かりやす過ぎるほどの分かりやすさを、一方で突き抜けた恐怖を…という感じに。
あれだけ人間を蹂躙できるのだから、浜辺美波ちゃんのところがどっこいも、なしにしようとすればできたと思う。
それを、そうせずに、ハッピーエンドを重ねつつ最後にひと押し崖から突き落とす示唆があるという所で、
私は印象を攪乱され、良いとも悪いとも断言できない深みを覚えたのであった。
正に、「恐れ入り谷の鬼子母神」。
以下、観ながら頭に浮かんでいた事の羅列。順不同。
第二復員省の関西弁のおじさん最高。
東洋バルーンの技術者さん達最高。
浜辺美波ちゃん。
佐々木蔵之介様~。
鐘がなりますきんこんかん♪
ジュラシックパークやん!
インデペンデンスデイやん!
電車パクーはファーストゴジラオマージュとしては誰もが喜ぶやつだよねー。
大人の男はタバコを吸うという描写から逃げないのいいね。朝ドラとは違う。
幼い子が出てきちゃうのははずるい。
浜辺美波は、シン・仮面ライダーでも成り行きで一緒に住むことになってしまった魅力的な女の子役だったけど、
まさかゴジラでも同じような役柄になるとは…。彼女の何がおじさん達にそうさせてしまうのだろうか。
にしても「できないよ!」からの「乗せて下さい!」は、あまりに碇シンジ君。
というか逆に、神木隆之介君は既にエヴァで本物の碇シンジ君になっていたか…。
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2024/1/31
バイトをしながら、深夜の馬鹿力をタイムフリーで聞いていたが、途中でそうだ、今週はスペシャルウィーク、TBSラジオではなくなったスペシャ���ウィークだ、ゴールデンラジオのゲストが宮台真司だということを思い出して、メインディッシュのコーナーから聞く。はじめから壇蜜が、宮台に対して「若い子が好きなんですね」と問い詰めていて面白かった。それに対して、宮台は恋愛じゃないんですよ、さらにグルーミングと批判してくる人がいるが、20歳の人を取り上げてグルーミングというのは、その人の判断力を見くびるのであって、女性差別だ、などと答えていて、なんだかなと思う。一方でその批判が的外れで宮台の言うことに一理あったとしても、ギャップが厳然と存在していて、とりわけ大学に所属する正規の指導関係でないにしろ、教える/教えられる、あるいは相談される/相談するという関係に伏在する性愛的なモーメントに無頓着なのは、研究者として大丈夫なのかな、と思う。他方では、恋愛だと仮定することになるが、適当な誤魔化ししかしないのは、相手の主体性を見くびっているようで、それは誠実さがないとも思う。総じてダサい。
輪をかけてダサいなと思ったのは、その後のトークでしてやったり、としていたようなところだった。話の流れとしては、宮台の言うところの異界、つまり未知なるもの、恐怖されるものらしいが、そうしたものがこう言っていないものの、近代的な合理性によって抹消されてきたという。それに伴い、SNSの登場により五感の使い方が変わり、2010年あたりからADHDやASDといったものが生まれ、つまらないという感覚が蔓延。くわえて、そのつまらないという気持ちを包摂するはずであった、身体的な場が失われてきたらしい。この前段を経たうえで、最後に捨て台詞のようにこう言っていた。「つまらないでしょ、生きづらいでしょ、面白そうな人を見つけると嫉妬、妬み嫉みで爆発的に炎上させる、そういう人たちを見るとかわいそうだな、つまらない生活を送ってんだな、死ぬまでやってれば」と。言われていないものの、俺はそうしたつまらないやつらと違って、行き詰った人を失われてきた身体的な場を構築することによって、助けてきたんだ、と言っているかのようで、それがむにゃむにゃとした言い訳と対照的でダサかった。暇な人は聞いてみるといいかもしれない。14:25からのコーナー。
その一方で、今日のラジオの内容をTwitterにポストしたところ、「ロリコンだもん笑」とリプライが飛んできた。そのアカウントを見てみると、私に対するのと同様のリプライを飛ばしつつ、AV女優にセクハラリプライもしていて、ただただ宮台のやっていることを羨ましく思っている人のようにしか見えなかった。なんなら、宮台の捨て台詞にまんまとはまっているようで、かわいそうであった。
次の一枚。2023年にリリースされたということで、throwcurveのDEEP CUT IN THE DUGOUT 2006 - 2010。これまで聞きたかった諸々の曲をようやく聞けて嬉しかった。くわえて、throwcurveのイベントにいったところ、ここには収録されなかった曲ももらえて、それも良かった。ここには憂国ブーム、TBSレディオとかが収録されていた。TBSレディオの歌詞を意味があるかのように取ることは誤りかもしれないが、この気持ちでいたい。
公表するぜ思想を
解放するぜ可能性を
行動しようぜ聴衆層
ダサい僕と
放送してよ希望を
提供してよ可能性を
行動しろよ富裕層
弱い僕と
DEEP CUTのほうに少しだけ話を戻せば、21世紀の退屈の「トム・ヨークが ひろゆきが 庵野秀明が ナウシカが 春樹が 僕らの頭をすごく良くしたはずなのに」という歌詞は笑ってしまう。
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「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて2018年14号から連載中の『呪術廻戦』が面白い。人間の負の感情から生まれる化け物・呪霊を呪術を使って祓う呪術師の闘いを描いたダークファンタジー。読者の予想を裏切りまくる展開で、数多の考察系YouTuberを幾度となく地獄に叩きつける作者のイヤラシイ才能に惚れ惚れする。ストーリー、人物造形、魅力的な術式の数々、どこをとっても見どころ満載で語り始めたらそのまま夜を駆けて呪いに転じてしまいそうなんだけど、特筆すべき点をひとつ挙げるとすれば、主要なキャラクターのひとりである羂索という呪詛師の存在。他人の身体を乗っ取り、永い時を越え自らの野望を叶えるために存在する人物。この羂索が物語を牽引するから本作は特別なものになっている。どこまでも純粋に面白いことを追求する奴が真に面白いと思ったことだけを次々に実践していく訳だから、その内容が面白くならない筈がない。
彼が目指すのは「呪力の最適化」である。 呪霊のいない世界でも牧歌的な平和でもなく、自らの生み出すもの以上の可能性を見つけること、つまりは呪術の力で新たな世界を創造しようとしている。 呪術師・呪霊・非術師、これらは彼曰く「人間という“呪力の形”の可能性の一つ」に過ぎないらしく、さらなる呪力の可能性の探求の為に、1000年もの間、様々な術師の身体を渡り歩いて暗躍を続けていた。 そして最終目標は日本全土を対象に人類への強制進化を成すため、人類と天元を同化させることである。 おまけに乗っ取った人物の身体能力、特徴だけでなく術式等の能力をもそのまま引き継ぐことができるのだが、本人の年齢及び本来の顔、性別も未だに不詳。ここまで書けば勘の鋭い方なら既にお気づきだろう。そう、これは完全にドゥルーズの生成変化である。生成変化とは他なる物事への複数の「外在的」な「関係」の付置それ自体としての、言うなれば「関係束」としての「自他」が組み変わることである。それは万象の渾然一体ではなく、互いに区別される関係束の多様な組み変わりである。ドゥルーズの動物論は、スピノザ的「生態学的倫理」として解釈されることが多い。要するに自己の「身体の能力」を開発し、他者のそれと絡み合わせ、自他が一緒に活力を増していく「強度の共同性」を拡大することである。まさに「闘争領域の拡大」というやつだ。そしてそれは数々の漫画作品からの場面引用と構図、展開等の組み合わせで『呪術廻戦』を構築する作者の意図としても汲み取ることが可能である。
つまりは羂索≒芥見下々であると、わざわざ声を大にして僕は言いたい訳だが、これは世界とは、断片的な物事のあらわれを「想像」に於いて「連合」した「結果=効果」であり、そして世界のいたるところに、互いに分離した想像する「精神」があるというヒューム主義を独自に咀嚼した庵野秀明原作・監督によるオリジナルアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の概念を字義どおりに渡り歩いた芥見下々の巧みな筆捌きからも察することは容易い。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』で作中人物の碇ゲンドウが目論んだ「アディショナルインパクト」をゲンドウ自身の言葉で要約すると「セカンドインパクトによる海の浄化。サードによる大地の浄化。そしてフォースによる魂の浄化。エヴァインフィニティを形作るコアとは魂の物質化。人類という種の器を捨てその集合知をけがれなき楽園へといざなう最後の儀式だ」ということであるが、これは羂索の最終目標である日本全土を対象に人類への強制進化を成す為、人類と天元を同化させようとする「超重複同化」と思想的にもかなり近しいものがある。『新世紀エヴァンゲリオン』は言わずもがな、他作品へのオマージュをふんだんに散りばめる『呪術廻戦』そのものが芥見下々なりの「アディショナルインパクト」であり「超重複同化」であり「生成変化」の一端であると言い切ってしまうのは、いささか暴論に過ぎるだろうか?
『呪術廻戦』と同じく「週刊少年ジャンプ」で連載中のギャグ漫画『僕とロボコ』の第156話「オマージュとロボコ」と題された一話にはオマージュを最大の武器としている作者・宮崎周平の意図を盛り込んだ内容で、そのあまりにも大胆かつバカバカしい試みに失笑を超えて思わず仰け反った。「パクりはもう卒業しました!」と切り出す主人公ロボコは「複数の作品の良いトコロを参考にすれば、それはオリジナルになりうる!」と豪語する。そして数え切れないほどの他作品の「良いトコロ」をつまみ食いしてオリジナル漫画を描き上げては周囲を唖然とさせるも、本人は至って冷静に「オマージュの範囲内ですね」と嘯く。そしてキャリア2年目の編集者が編集長の目を盗んで本誌掲載に踏み切り、結果、見事に大炎上するという極めてメタメタで知的な内容だった。オマージュについては『リズム・サイエンス』(青土社)という書籍にも深い洞察が垣間見える。本書はヒップホップやジャズなどのブラック・ミュージックから現代音楽、果てはメタルまでを往還する境域のミュージシャンDJスプーキーが本名ポール・D・ミラー名義で上梓した渾身の音楽論である。前述のロボコが描いたオリジナル漫画のタイトルが『ドキ♡孫・D・炭太郎の青春‼︎大秘宝‼︎』であったことを鑑みれば、宮崎周平の目論見は明確である。ミドルネームの「D」それは単なる偶然にしては出来すぎた話ではないか。近/現代思想を核に、音楽、映画、小説、詩をサンプリングしながらも、「他人の思考を自分のものにするのは発明するのと同じくらい難しい」と天を仰いだその真意とは。彼の試みは確実にイギリスの批評家マーク・フィッシャーに受け継がれ、氏の没後は言うまでもなく……。
東京を拠点に活動するラッパー、J.COLUMBUSが長野県松本市のトラックメーカーMASS-HOLEをプロデューサーに迎え、制作したアルバム『On The Groove, In The City』は、幾つもの言葉の断片が虚実の被膜ではなく、自己/他者の被膜をねっとりと愛撫するように言葉が置かれる。しかもそれらは決して打点を刻むことなく、じわじわと地中に溶解する。もはやJ.COLUMBUSの言葉とPAUL AUSTERの言葉に差異はない、否、具体的には決して交わらない他者と自己の言葉が混ざり合うことも溶け合うことも拒絶して地表に吐き捨てられる。これはストリートの詩情などという陳腐な戯れではなく、現前する意志を喪った風景を浮かび上がらせようとする稀有なる試みだ。因みに芥見下々は「パロディやオマージュの線引きは、自分の中では明確な基準がある」と明言している(コミックス16巻を参照)。ここまで記してきた僕の文章自体もWikipedia、ピクシブ百科事典、千葉雅也の論文「ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」を渡り歩いたものに過ぎず、無論、オリジナリティは皆無である。
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最近、各地で熊被害多いですね;
もうずっと気になっていたのが、以前も書いた太陽光パネルなんですが、これ、山道を車で走っていたりすると、結構な広範囲で木を切りまくってパネルを設置していて、こんなに山を削れば、元々住んでいた動物たちはどうなるんだろうと思っていたので、なんというか、ちょっと関連性を疑ってしまいます。(しかもあんなに木を切ったら逆に温暖化に拍車がかかるだけにしか…怒怒怒;;;)
それとは別に、これも以前ここでちらっと瑞巌寺の四寺廻廊行ってきたけど、印象的な事件があったとだけ書いて、放置してたやつなんですが…
因みに四寺回廊とは、六月かな?…にあった、慈覚大師が東北に開いた四寺、松島の瑞巌寺、平泉の中尊寺、毛越寺、山寺の立石寺を二日かけて巡礼する催しです。
その途中、岩手にある旅館に泊まることになって(上、画像)、庭が綺麗だし、川の方におりれるということも会って、同室になった品のいいお婆さんと朝の散歩に出掛ける事にしたんですよね。
森や川のそばで「綺麗ですねぇ」とか言いながらのんびり歩いていたら、旅館の人が血相変えて「動かないでください!!熊がいます!!!」と叫んでビニール傘持って(武器?;;)走ってきて、もう瞬間ドッと冷や汗が出て、身を屈めて、旅館までの道を誘導されて戻りました;;
私達自体は熊の姿は見ていないんですが、旅館に戻ると宿泊客の方らに囲まれて「窓からクマがいるぞー!って叫んでも気が付かないでどんどん言っちゃうんだおん!」とか「無事で良かった!」とか言われて、そのうちの一人から、窓から撮った写真を見せて貰って、そしたら本当に自分たちが森を眺めていた庵やら、茂みやら、うまいことすれ違うように近くを移動して;; 最終的には熊は近くの木に登って姿を消してしまったらしいんですが; 本当に自分って運が良いんだなというか: 気が付かないで移動していたのが逆に良かったのかなというか;
一緒に散歩に行ったお婆さんとは遅れて怖さと可笑しさが込み上げて、朝ごはんを食べながら二人でツボって涙が出るほど笑ってしまいました;;
でもなんというか、熊って本当に身近にいるんだ;;と私なりに実感した事件でした(いや見てはいないんですが;)。
隣町では結構住宅地でも出たりもしていたようですし、山梨の元アシさんも、実家の近所でクマが出たとも言っていたので。皆様、本当にガチで気をつけてくださいね;
私も相変わらずたまにふらっと神社巡りをしていますが、人気のない山深い神社は最近無理せず引き返すようにしています;;(熊注意の看板も立ってたりするし…。。)
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4月、 #飯能 へ教室の方達と遊びに行きました。
教室には飯能の方がいらっしゃっていて、
#蔵カフェ草風庵 さんの #パフェ や #トーベヤンソンあけぼの子どもの森公園 などのお話を聞いていて、とっても楽しみだったんです。
行く前に飯能の地図を描いて、みなさんにお配りしたので(少し前のポストを見てね)今度は行ったところを時系列で描いてみました。
飯能駅に集合し、 #飯能市立博物館 へ。
文様の展示をされていましたが、私の興味は林業で使う道具類。
道具が整然と並んでいる様子にそそられるんですよね。
それから、草風庵さんにちょこっと立ち寄り、お昼ごはんへ。
予定していたお店(予約不可)がまさかの臨時休業!
急遽 #プリマベーラ さんでパスタをいただきました。
その後、トーベヤンソンあけぼの子どもの森公園へ。
ここ、予想以上に楽しくて、すっかり楽しんじゃいました。
#きのこの家 のビジュアル、すてき。
そしてお目当ての草風庵さん。
4人で3種のパフェをいただきました。
このパフェ、ビジュアルもすてきで、フルーツもおいしくて、最高!!!
そして帰宅。
本当に楽しい1日でした。
飯能を案内してくださったアリーさん、ご一緒してくださったみなさま、ありがとうございました!
あまりにも楽しかったので、ゆっくりにはなりますが、行った場所を個別に描いていこうと思っています。
また見てくださいね!
#art #sketchjournal #watercolor #pensketch #japan #スケッチジャーナル #水彩 #ペンスケッチ #1日1絵 #今日何描こう #今日何描いた #絵を描く暮らし #モンバルキャンソン
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この記事は、Ingress & Wayfarer Advent Calendar2022(その1)1日目の記事です。
はじめに
普段ブログ等の媒体を行使していないため、昔極たまに記録し��たtumblrをこの為に掘り起こしてみました。Ingress ENL AGのRasmil7(a.k.a 楽さん)と申します。
2022年、今年もあっという間でした。
皆様今年はどのように過ごされましたか?
私が住んでいる沖縄県では、やはり人の動きが激しい&狭い県の為かコロナウイルスの流行に敏感になる日々を昨年同様に送ってた様に感じます。とは言え、ずっとコロナ禍とも言ってられない昨今。Ingress界隈では久々のリアルイベントが徐々に再開されてきましたね。直近の横浜アノマリーに思いを馳せる方々も多いのでは無いでしょうか。
そんな年の瀬に、12月3日 FS@Home in 沖縄 の開催を決定。今後の開催がされないかもしれないバーチャルイベントの方です。せっかくの残り僅かとなるであろうバーチャルFS開催の記念に、沖縄のIngress事情を踏まえたミッションを作成してみました。
本記事ではミッションの解説等を出来ればと思っております。普段文章もそんなに書くことが無いため、拙い部分があるかと思いますが、少しの間お付き合いくださいませ。
設問&ルートは当FSのRES FL sakinoriyaが担当しています。彼なりのユーモア溢れる説明文や設問も要チェックです♪
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■1-6 おばけチキン
おばけ、と聞いてピンと来られた方はいらっしゃるでしょうか?
12月にFSをやろうと決心した際、「どうせなら何か企画をひとつ作りたい!」と思い、以前リアルイベントのFS(FS那覇 :2019.2月開催)でやられてたようなミッションを作成したいと考えました。
普段仲良くさせていただいており、ミッションメダル作成にも定評がある、RES AG:sasakenさんにお声かけし、メダルイラストを提供して頂きました。
■Question
台湾は電箱と呼ばれたポータルが非常に多くて迷いますが、本土から来たAgentが困った沖縄で多いポータル名とは? ※カタカナ4文字、ヒントはさっき回ったポータルです!
台湾の「電箱」私自身なんの事かさっぱり分からず調べたのですが、日本にもある電圧機等が入っているプラスチック製の屋外箱、これを「電箱」と呼んでるんですね!
どうやら台湾にはこの電箱がポータルになってる箇所が多い様です。地域ならではの不思議。
そこで我らが沖縄県ですが、沖縄の道中至る所に居ます。守護神「○ー○ー」が!
Ingress初期頃は母音を増やしたり、ローマ字書きにしたりと……色々と工夫してポータル申請を行ってたと良く聞きました(笑)
■2-6 おばけ靴下
■Question
このミッションのアイコンのおばけですが、このポータルの旧崇元寺は沖縄戦の激しい戦火で建物は喪失していますが、敷地に入ると“幸せを呼ぶ精霊”とも“いたずら好きの妖怪”の気配がします。その精霊もしくは妖怪の名前は? ※カタカナ5文字で!
おばけイラストにマジムン話の設問を掛け合わせてくるセンスに脱帽!(沖縄では、おばけや妖怪は、方言でマジムンと呼ばれてます)
そんなマジムンの中でも1番有名なのが、「キジムナー」ではないでしょうか。子供みたいにイタズラ好きで、幸せを呼ぶとも言われています!本土で言う「座敷わらし」と似たような感じですね。
■3-6 おきなわ
■Question
沖縄は海に囲まれていて、沖縄本島を囲むBAFをしやすいですが、それを一人でやっちゃおうと初めに思って実行して成功させた陣営はどっち?
RESまたは、ENLで回答してください。
「オキナワ」という文字メダルにちなんだ設問。こちらの作戦は「Op.ひとりでできるもん」という作戦名でした。本当に1人で海を渡りやってのけてしまったので、当時は「女帝」と呼ばれ当然話題になりました(笑)今でも現役バリバリの素敵なAGさんです。
■4-6 エフエス
■Question
FSといえば、クロスミション!首里城復興を願って、青と緑で首里城アートを作成しましたね。そんな首里城の木曳式も終わり、復元工事がスタートしましたが、首里城正殿の復元予定は西暦何年?※数字4文字で!
「エフエス」という文字メダルにちなんだ設問。2019年10月末日に火災で消失してしまった首里城の復興を祈願して、その年の12月にXFでフィールドアートを行ったというものです。私は当時仕事で不参加だったのですが、沖縄AGの軌跡がフィールドに表現され、その後の打ち上げでお話を沢山聞いて胸が熱くなりました。参加したかった!
実はこちらも首里からスタートするフィールドアートの記念ミッションがライブしております。
首里城正殿の復興は2026年予定。何度も燃えて復興する首里城ですが、次はどのような形で蘇るか楽しみですね!
■5-6 てぃだプレゼント
おばけ、文字、につづき、沖縄のレッサーパンダ、てぃだくんの登場です。サンタ帽がとってもお似合いですね。てぃだくんは過去にFS那覇に参加してたりしました。皆さんの手元にもBiocardがあるかもしれませんね?
■Question
沖縄でもノヴァが流行りましたね!青チームは、2021年 「Op.ハッピーターン」があり、緑チームは、2022年 「Ops.神輿は軽いほうがいい」がありました。では、この二つのノヴァ本数を合計すると何本?a,b,cのいずれかで答えてください。
a.2281本 b.4430本 c.6711本
しかし二つ足しても日本記録の 2020/10/17 逗子(神奈川) ENL 7,913 超えないんだね~。
IngressのAGさん方のオペレーション名のセンスは一体どこから湧いてくるのでしょう。
「Op.ハッピーターン」好物のハッピーターンから来ているようです(笑)
翌年に「Op.神輿は軽い方がいい」が実行。(実はこの「神輿」という字が読めずに、しん?こう?とずっと読んでおりました、恥)
RESの本数越えを目指して、ENLも大奮闘!
と、この2つの作戦を合わせても本土の本数には及ばないようです。皆さん、次の作戦は8000本超えを目指しますか?(笑)
■6-6 てぃだサンタ
■説明文
ハイサイ!Agent の皆さん!! 青と緑が切磋琢磨するって素晴らしいね! お互いがあるから相手を超えようと頑張るよね!! さぁ最後のミッションです! ジン~ジン~ジングルベル~、ジンがネ~ラン~♪ サンタさんからのプレゼントを期待して、最後のひと踏ん張り! 美栄橋郵便局がゴールです!
ジングルベルからのジンガネーラン♪
解説させていただくと、「きいやま商店」という沖縄の大人気ロックンロールバンドの楽曲のひとつになります。
気分をあげて華やかなイルミネーションが素敵な久茂地にラストスパートかけていきましょう!
■Question
サンタさんからのFSミッションは楽しんでいただけましたか?最後にこのミッションのルートは、沖縄県民大好きフードをイメージして作っています!ほら皆さんの近くにもきっとあるはずです!いまだってすぐそばに! または手に持ってるかも(笑) 沖縄県民大好きフードはなんでしょう?※カタカナで答えてね!
ラストのポータル、美栄橋郵便局はデパート パレットくもじの1階にあります。おや、その隣にはかの有名な、カーネルなサンダースな方が。あの、おばけが持っていたものと同じ物が食べれそうですね!🤤🍗
クリスマス問わず、沖縄県民はお祝い事には、こぞってこちらのフードをバケツ買いをする風習がありますよ!
終わった頃には、シーサー像の上に乗って、チキンをほうばるキジムナーの姿が見れるかもしれませんね?
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最後に
Ingress10周年という記念イヤーに何か出来ないかと考えた結果、前年度の経験もあるFS@Homeぐらいであれば、私自身も出来るのでは!と思い立ち、今回、主催の手綱を握らさせて頂きました。恐らく私のAG人生で一番最初に交流させて頂いたイベントがFS組踊(2016年11月)であり、その際に沖縄AGの交流の深さを知りとても感動したので、私自身にとってはFSというイベントに対してとても思い入れがあります。私事ですが、今年2月のクレーゼエフェクトアノマリー当日に出産を迎え、育児に忙しい日々を送っております。育児片手間で大変微力な事は重々承知ですが、私が沖縄で経験したFSで体験して楽しかった事を、新人のAGは勿論、@Homeの特性を活かして、県外のAGの皆様にもお伝え出来ればなと思っております。
きたる!12月3日 13時より YoutubeLiveにて、
沖縄のAG2人(AgentOlympiad2018出場者)がメインMCとなり、楽しくIngressのアレコレを「ゆんたく」します!
ゲストにはファミ通Appのライター深津庵さんをお招きしました。
子供のお世話片手に、リチャージ片手に、これまたオリオンビール(昼飲み?)片手もよし!
皆々様、この放送で再びIngressへの気持ちを盛り上げて、その熱量を横浜アノマリーEpiphanyDawnにぶつけませんか?
皆様のご参加、心よりお待ちしております。
Ingress FS@Home in 沖縄 への参加はこちら
P.S.
メダルイラストを提供頂いたsasakenさん、並びにミッションを作成して頂いたsakinoriyaさん、ありがとうございました!この場を借りて御礼申し上げます。
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映画『シン・ウルトラマン』
『シン・ウルトラマン』(2022年、日本)
twitterより転載
率直な感想は"普通"です😓
コンセプトや各種設定は原作を踏襲しつつ、新たにアップデートした点はとても面白かったです👍
ただ全体に展開も画もフワフワしてるんですよね😅起伏になる場面や見せ場でそんなに盛り上げないし、戦闘シーンは原作と比べて動きのキレが乏しい💦
個人の感覚かもしれませんが、怪獣との戦闘シーン、着ぐる��&ミニチュアの怪獣ファイトに比べて写実的に描いたつもりなのかもしれないけど、動きのキレや重量感が不足してると感じました😅
パシフィック・リムではそれができてたので、CGだから悪いと言うわけでもなく動かし方の問題な気がします💦
山本耕史のメフィラスが見事‼️あの奇妙で知性を感じる演技はメフィラス星人のニュアンスとして納得👌
ウルトラシリーズの、人間の想像を超える別文明が絡んでくる不思議なSF感を現代に落とし込んだ全体のデザインも良かったです👍
やっぱり映画じゃなくて毎話解決型のTVシリーズ向けな気がしました💦
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twitterより転載
観てて最もテンション上がったのは、冒頭🌟過去の事件と禍特対の成り立ちをダイジェストで示す部分です‼️
想定してなかった映像が観られて、まさかそこも作ってるのかー⁉️と愛を感じ、驚きと共にワクワクが一気に高まり爆アゲでしたよ🙌
てか、あれ作品化して欲しいよー🤩
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twitterより転載
冷静にウルトラマンバイアス抜きで考えると、つまらないことはないが、やっぱ映画そのものの出来はイマイチだなと思います💦
ウルトラマン好きな気持ちは忘れ、もし全く同じ内容だけどウルトラマン設定やデザインを排して『スペシャルマン』という映画だったとしたら・・・😑
スペシャルマンだとキン肉マンバイアスがあるか😅
細かいこと以前に、ウルトラマンという歴史あるヒーロー、庵野秀明・樋口真嗣という作り手の作家性などを前提にして考えるんじゃなくて、ピュアにSF映画一本として俯瞰して観ると、つまらないとは言わなくとも、よく出来ているとは思わないです💦
ドラマパート、画面の質が悪くないです❓特に時々引くほど画質が違う映像が挟まれるのは何なんだろうか😓
唐突な展開が目立つし、見上げるようなカットを矢継ぎ早に繋ぎまくったような場面が何回も続くのは流石にくどいし、結構雑に撮ったような画も多い💦
楽しめたけど、ここは素直に良くなかった😥
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twitterより転載
少し記事を読んで知りましたが、シン・ゴジラ同様、iPhoneでの撮影を活用しているんですね💨
iPhone動画を繋げたりトリミングしてるから画質が悪かったのかな💦
iPhoneやハンディカムで撮影する必然性がある場面は良いけど、そうでなければかなり工夫しないと絶対ノイズになるのとは思うんですが😓
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twitterより転載
振り返って考えると巨大怪獣バトルの表現という観点では『パシフィック・リム』の出来栄えはピカイチです🌟
怪獣やメカの動き方はリアリティを感じるけど、ほどほどに特撮っぽい嘘臭い味わいを残してるし、カメラの微妙な揺れ方や緩急のある振り方がツボを押さえまくってて、よく分かってる、最&高🤩
まあこの規模のハリウッド映画で、怪獣好きな作り手が全力で作ったら高いクオリティになるに決まってるし、これと日本の特撮怪獣をぶつけて考えても比較にならないのは仕方ないですけどね😮💨
とにかく自分にとっては画期的で、この作品でギレルモ・デル・トロを一気に好きになりました‼️
『シン・ウルトラマン』はこの手のハリウッド映画に比べたら圧倒的に低予算だろうし、予算的・時間的な制約や、その他いろんな束縛もあって作ったのだろうし、不憫だったのかもしれません💦本当は上手くできてない、もっと改善すべきだということは作った人たちも自覚的なのではと思ったりはします😔
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うむ
楽しいニュース
“古今和歌集の注釈書、藤原定家自筆の原本 専門家「国宝級の発見」”
こちらは冷泉家の文庫だけど、この手の新たに見つかりました系ニュースは近衛家の陽明文庫などでもちょいちょい出てくるね。 生きてるうちにこういった所蔵品の全容が把握されることはないんだろうな…。
そしてこの間、三の丸尚蔵館で定家が書き写した『更級日記(国宝)』見てきたの思い出しましたね。(ただの定家つながり)
定家は定家様と言われる独特の書風を持ち、父の俊成ともども結構な癖字だったのは近眼だったからではないかとかむかーし聴講した講演会で聞いた気がする。
尾形乾山など定家様フォロワーは後世にいるそうだけど、和歌の方は明治に入って正岡子規にボロクソ言われたんだよな…といつも書道博物館行く時に子規庵の前通るたびに思い出す。
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。
昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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五篇 下 その五
東海道を離れ伊勢の参宮道に来ている弥次郎兵衛と北八。
雲津の旅館で、狂歌詠みがはじまる。
弥次郎兵衛が別の短冊に道々詠んだ歌を書きだしたのだがその間、北八は手もちぶさたなのでさっき胡麻汁が指し示したびょうぶを見て、
「へえ、恋川春町の絵がある。
もし、あの絵の横に書いてる文章は、賛(さん)ですかな。」
と、胡麻汁に聞いてみる。
胡麻汁は、北八の問いに、
「いや、あれは、詩(し)でございます。」
と答える。
北八は、また別の絵を指差して、
「こちらの布袋の絵の横に書いてるのは、詩(し)ですかな。
誰が、書いたもんです。」
胡麻汁が、
「いや、あれは、語(ご)でございます。
沢庵和尚が書いてくださった教訓でございます。」
と言うので、北八は心のうちにこいつはいまいましい奴だと思っていた。
賛(絵のかたわらに、書かれたその絵にちなんだ歌などのこと)と問えば、詩だと言い、じゃ、詩かと、問えば、語(教訓的な文句のこと)だと言う。
それならこっちにも考えがあるとそこらを見回して、
「もし、あの角にある屏風の絵のそばに書いてるのは、六でございましょうな。」
と、今度は、先に、ひとつよけいに言う。
胡麻汁は、北八が、言うものを見て、
「六か何かは、知りませんが、あれは、質(しち)にとったものでございます。」
と、いう。
北八は、むっとしている。
そのうちに、台所のほうから、女中がやってきた。
「はい、ひげ面さまから、お手紙が参りました。」
胡麻汁は、
「どれどれ、何じゃな。」
と、手紙を受け取ると、その場で読み出した。
『島渡ひげ面でございます。
ただいまお江戸から来られた十返舎一九先生が、私にお宅にご到着されたところでございます。
もちろん名古屋連中や杵吉田などからも書状がきております。
さっそくあなた様のことをお話すると、お宅にもお伺いなさるとの事ですのでまずは、ご連絡まで。』
胡麻汁が、声に出して一通り読むと、
「こりゃどういうことじゃいな。さっぱり訳がわからん。」
と、弥次郎兵衛の方に向き直って、
「先生、ただいま朋友どもからこのような手紙が来ましたが、こいつはたぶん尊公のお名前をかたってまいったものと見えます。
さいわい、まもなくここへ来るようですから、いっちょ、なぐさんでやろうじゃございませんか。」
と、言う。
弥次郎兵衛は、それを聞いて、真っ青になり、
「さてさて、大変なことだ。いやはや、横着なやつもあればあるものだ。
しかし、私は会いますまい。」
と、言うと、胡麻汁が、
「それはまた、どうして。」
と、問いかける。
「いやどうも、さっきから、持病の腹痛がおこりました。
そうでなければ、その偽者を懲らしめてやるものを。さてさて、困ったものだ。」
と、思いがけない展開に、さすがの弥次郎兵衛も、そわそわしている。
亭主の胡麻汁をはじめみんなさっきから弥次郎兵衛の様子がどうもおかしいので、さてはと気づいて、こいつの正体を暴いてやろうと互いにそでを引き合う。
茶賀丸が、
「でも先生。これからも、こういうことがたびたびあるかもしれない。
ご不快ではございましょうが、ぜひその偽者にお会いなさるがいいと思います。」
と、弥次郎兵衛の様子を伺いながら言うと、
「はてさて、こまったことをおっしゃる。」
と、弥次郎兵衛は、益々、そわそわしだした。
垂増が、
「ところで、先生のお宅は江戸のどこになるんですかな。」
と聞いてきたのだが、上の空の弥次郎兵衛は頭が回らない。
「さてどこだったか。おおそれそれ、鳥羽か伏見か淀竹田。」
それを聞いた、過雪が、
「山崎の渡しを越えて、与市浜へとお尋あれか。
仮名手本忠臣蔵の一場面じゃないか。茶化すな。ははは。」
と、笑いとばす。
胡麻汁が、
「そういえばたしか、あなたがたのお笠に江戸神田八丁堀、弥次郎兵衛と書き付けてありましが、その弥次郎兵衛さまというは誰の事ですかな。」
「はあ、聞いたことがあるような名だが、誰であったか。
おお、聞いたはずだ。私の実名は、弥次郎兵衛でございます。」
と、弥次郎兵衛は、やややけくそ気味で答える。
「ははあ、右や左の旦那様。よければお恵みをと回っている弥次郎兵衛とは、あなたのことであったか。」
と、胡麻汁が、言うと、
「さようさよう。」
弥次郎兵衛は、上の空で、返事をしている。
「ところで、弥次郎兵衛先生。
その偽者の一九を今すぐにでも、連れてきましょう。」
と茶賀丸が、意地悪く言うと、
「いや、私は、��う出立しましょう。」
と弥次郎兵衛は、立ち上がろうとする。
「なぜまた、今からお立ちになるので。
何時じゃと思っておられるのかな。もう、午後の十時をまわったが。」
と、胡麻汁が、怒ったように言うと、
「とうのも私の腹痛は変わっておりまして、このようにかしこまってばかりいるとだんだん悪くなる。
いつも夜分、外を歩いて、冷やすとじきに良くなりますから。」
と、なんとも間の抜けた言い訳をする。
「なるほどそれで、今から立とうというのか。
まあそうだな。そうするか。
たとえお前らがここにいると言っても、ここにはもう泊める部屋はない。
早く出ていけ。よくも人の名をかたって騙したな。」
と、胡麻汁が、弥次郎兵衛らの荷物をそこに放り出して言う。
「なに、かたっただと。」
と自分が悪いのを棚に上げて、弥次郎兵衛が詰め寄ると、
「そう、かたったわいな。
本当の十返舎先生は名古屋の川並道中から、状がついてきてるから間違いない。」
と弥次郎兵衛があまりにも威圧的に言うので、胡麻汁はちょっとひるんだがもっともなことを言う。
垂増が、
「最初からどうもおかしいと思っておった。
こちらから放り出されないうちに、ちゃっちゃと出てていかんせ。」
と、そっけない言いようだ。
「なんだ、放り出すだと。こりゃおもしろい。」
と、弥次郎兵衛がりきむが、
「おい弥次さん。このへんが潮時だ。だいたい、お前の思い付きが悪い。
さあここを出て、どこかの安い宿にでも泊まろう。
こりゃ、どなたも、真っ平御めんなさい。」
と、北八が、わびを入れる。
亭主の胡麻汁も腹は立ったが、おかしさもあってこのふたりが這わんばかりの様子でそこそこに支度し出て行くのを、家内の者どもと手を打ちたたき笑いながら見ていた。
弥次郎兵衛は、ずっとふくれっ面で、りきみかえっている。
北八の方は、おかしく思いながら、あとにしたがっている。
短冊に いやとは言わずに 旅の恥 書き捨てていく 偽りの名で
と北八が詠んで、なんとなくおかしくなって、笑い出した。
二人は旅館から出たのだが、もはや十時を過ぎているので家並みは、戸を閉めてひっそりと静まり返っている。
どれが、旅館かもわからない。
暗がりの中、旅館を探しながら歩いているといきなり軒下の犬どもが起きてきてほえかかるので、弥次郎兵衛はきょろきょろして、
「ええ、この畜生め。大きな声でほえやがる。」
と石ころを拾って投げつけると、犬は怒ってますます弥次郎兵衛にほえかかる。
その様子に、北八が、
「かまいなさんな。犬までがばかにしてやがる。おや、弥次さん。
妙な手つきをして、お前何をしてるんだ。」
となにやら変なしぐさをしている弥次郎兵衛に、問いかけた。
「いやなに、犬ににらまれた時には空中に虎という文字を書いて見せると、犬が逃げるということだからさっきから書いてるんだが、いっこうに逃げない。
どうやらこいつら、字が読めない犬みたいだ。ししし。」
と、どうやらこうやら、追い散らかして行く。
しばらく歩いてどうやら、この町の外れまで来てしまった様子に、弥次郎兵衛が、
「こりゃ、失敗した。ええい、ままよ。北八よ。夜どうし歩こうじゃあねえか。
なあ、きつい事はない。行こう。」
と、言うのを、
「お前は、とんでもないことを言う。まだ、十二時にもなっていないだろう。
まだ、どっかやってる旅館があるだろう。」
と、北八は、疲れた様子で答える。
「そうは言っても、今まで、歩いてきて全然見つからねえじゃねえか。」
と辺りを見回すと、
「いやあるぞあるぞ。遥か向こうに火が見える。
あの火を目あてに行って、宿をたのもう。」
弥次郎兵衛が言うので、その方をみて、
「それがいい。しかしあれは、家の灯りには見えないみたいだが。」
と、北八が、暗闇を透かして見ながら言う。
弥次郎兵衛が、
「とんだことをいう。あれは、戸のすき間よりもれる火にちがいない。」
と、自分に言い聞かせるように言う。
「うん、そうかもしれない。家のうちでたく火だ。
なにがなんでも、あそこに頼んで泊めてもらおう。」
と、足任せに、急いで行く。
つづく。
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来世に乞うご期待
──嘔吐中枢花被性疾患、通称「花吐き病」。
元はとある物語に登場する架空の病気だった。しかしその原作がとある学校の生徒間で爆発的に流行り、結果「呪い」として現実に発症。めでたく高専預かりの事件として運び込まれた。
担当したのは、特級呪術師の五条悟。彼が所持する術式「無下限」は、術師本人への干渉を端的に言えば許さない。故に適任として派遣されたのだが、そこで五条はひとつ、致命的なミスをした。
率直に言えば、潜入先にて廊下の角でぶつかった女学生に一目惚れされ、胸元で吐かれたその花にうっかり触れてしまったのだ。
あまりのスピード発症故に、無下限を張る暇もなく。正に電光石火の刹那だった。
ぎゃー! と臆面なく叫んだ後、五条はすぐさま冷静な頭脳で、己がやらかしたことを悟ったものの。しかし今ならまだ何とかなるか、とも思い直した。
この「呪い」は被呪者が片思いを患った時に、花吐き病を発症させる。故に、現在惚れた異性どころか気になる女子すらいない自分ならば、ひとまず影響としては少ないだろう。そう皮算用していたのだが。
祓除完了後。
「おかえり、悟」
寮で夏油に出迎えられた瞬間、五条は盛大に「呪い」を吐いた。
それは小ぶりで白い花弁を携えた、イチゴの花の形をしていた。
発症したことを自覚した五条は、まず目の前の夏油に相談した。本来ならば、医療系に詳しい家入も含むべきなのも判ってはいる──現に部屋へ戻る前に、吐き気止めと胃薬とうがい薬をしこたま譲ってもらいはした──だが、なけなしの男子高生的な意地が、彼女をも巻き込むことを躊躇させた。様は、女相手に色恋ごとなんか相談できるかこっ恥ずかしい、である。
ひとまずは夜蛾への報告もそこそこに、五条の部屋へ夏油とふたりで立てこもった。地べたへ座り込み、図書室から拝借した本や、任務前に支給された資料などを床にばらまく。俗にいう、作戦会議の始まりだ。
手始めにこの「病」の前提、対処法などを、五条が掻い摘んで夏油に説明してやる。ふんふん、などと適当に相槌を打ちつつ。彼の指先が資料のページをぱらぱらとめくる。
「にしても、こんなトンチキな呪いもあるんだね」
「トンチキ言うな。結構えげつないんだぜ、コレ」
「えっ、それは……大丈夫なのか? 確かにさっきもえらい大量に吐いてたけど」
目の前で随分と景気よく吐かれるものだから、友を心配しつつ、夏油はついマーライオンを連想していた。白髪の五条ならば、ホワイトライオンか。
「いや、もう吐き方っつーか、体内も無下限の影響下に置く方法は、吐いてる最中にマスターしたから。次はそんなでもないかもだし」
「そんなん慣れるもんじゃないよ。体に悪い」
己の愉快な妄想は棚に置いてぴしゃりとたしなめつつ、夏油が五条の顔を覗き込む。
「で、相手って硝子だろ」
迷いなく言い切られたものだから、五条も負けじと即答する。「違う」
「何でいきなり硝子なんだよ」
「いやどう考えても消去法だとそうだろ。身近な女子なんて彼女くらいだし」
「まあ俺も最初はその線かなとは思ったんだけどさ。硝子はやっぱ無いわ」
「えーっ、そうか? 別に無いことは無くない?」
「オマエ基準で考えんな。てか三人しかいねえ同級生で、んな修羅場りたくねぇわ」
「それには同感」
にやり、と夏油が意地悪く笑う。
「まあさすがに、硝子の方が無いか。もし私が女の子でも、悟は観賞用もしくはアイドル枠だって判るし」
「ガチの正論はやめろ」
ちょっぴり傷付いた自尊心を庇う様に、五条は胃を押さえる。最近自身に芽生えた男子高生のハートは、どうにも傷つきやすくて面倒くさい。
そんな五条を、はは、とからかう様に笑ったかと思えば、
「私さ、今の三人でいる空気感が結構すきなんだ」
ぽつり。やわらかい声音で、夏油が呟く。
「だからよかった。もしふたりがくっついちゃったら、さすがに遠慮しないとかな、とか思ってたから。ちょっと、ほっとした」
何だよ、寂しんぼか? そう軽口を叩こうとしたのに、目の前の夏油があんまりにも素直にしょげている様に見えて。膝を立ててうずくまっているその様が、何だか。だから、五条は──
勢いよくゲロった。
脈絡なく口から飛び出てきた花に、夏油が体ごと後ずさる。
「うわっ、マジでつるっと出てきた」
「だから言ったろ。俺プロいって」
「そんなん極めるなって。いやでも、本当に大丈夫かい?」
「まあこんくらいは別に。今回出したのもちっせぇしな」
五条は吐き出した「呪物」をまじまじと見やる。六眼でも確認したが、花自体はあくまで「呪い」を発現させる媒介に過ぎない、と結論付けた。
その花だが、小ぶりで白い花弁故に、初回で吐いたものと同じかと思ったが、どうやら違うらしい。図書室からかっぱらってきた花図鑑を浚っていた夏油が、該当の写真をおずおずと指差す。
「これじゃない? ユキヤナギってやつ」
オマケとして、写真の下に花言葉も記載されている。意味は、愛らしさ、気まま、殊勝など。
「なるほど、見たまんまってかんじだね」
次いで、ユキヤナギを興味本位でつつこうとした夏油の指先を、五条は咄嗟に握り込む。
「コラ、花には触んなよ。それ感染型だから」
「そうなのか? そいつはまた厄介な……今のところ、私別に好きなひととかいないんだけど、それでもヤバイかんじ?」
「現状で条件に当て嵌まらない場合は、潜伏して合致した瞬間に発症するんだと」
「随分と気合の入った呪いだな……」
夏油のぼやきに、まったくだと五条も嘆息した。
かくして五条の片思い相手探しは、候補者の少なさの割に混迷を極めた。最有力の家入が早々に消えてしまった為、対象者を東京校の先輩、後輩、補助監督、果ては窓や卒業済の術師にまで範囲を広げたのだが、五条のアンテナに引っ掛かるものが一人もいなかったのだ。
そんな中、発症して三日目。
「ねぇ、もしかして庵先輩じゃないかっ?」
珍しく浮足立った様子で、夏油が五条の机を勢いよく叩く。揺れた机を押さえつつ、五条は目の前の友に胡乱な眼差しを返す。
「いや、何でだよ」
「だって悟、彼女には何だかんだ構いに行くし、何かからかってばかりだし、何だったらそれって好きな子にちょっかい掛ける小学生マインドじゃないか? って」
「「What」ばっかじゃねェか」
もうちょい証拠を固めてこい証拠を、と雑に手を振りかざせば。夏油はえー?と判りやすく唇を尖らせた。
「結構自信あったんだけどな」
のちに、諦めきれなかった彼が「悟って、庵先輩のこと好きそうじゃないか?」と家入へ話を振ったものの。
「でも歌姫先輩、ガチで五条のこと嫌いだよ」
なんて告げた彼女の目があまりにも酷薄で。
──あ、これはマジだ。
そう悟った懸命な夏油少年は、掲げた仮定をそっと己の胸の内へ仕舞った。
進展が無いまま、発症して一週間後。
またもや五条の部屋にて、作戦会議が開かれることとなった。
一旦現状を整理する為、どういった場合に花を吐くのか検証を行うべく、時系列ごとに状況を紙に書き出していく。どこで、誰と、何があったか。どんな花を吐き、その誰かに対して、何を思ったか。なんてことを、すっかり丸暗記した花図鑑のとある内容と照らし合わせれば、自ずと答えは見えてくるというもので。
ここまでお膳立てされれば、さすがに当の本人は気が付いた。
「オマエじゃねェーーーか!!!」
「えっ」
ダン! とローテーブルに力任せの拳を叩きつければ、ボールペンが放物線を描いて軽やかに飛んでいく。五条渾身の叫びに、夏油はびくりと肩を竦めた。
「なんか今すっごい冤罪掛けられなかったか?」
「冤罪じゃねえわ。ガチギルティだわ」
「なんかよく判らないが、喧嘩なら言い値で買うよ」
「喧嘩じゃないっつの。オマエの罪の話だっつの」
「だから私に何の罪があるって言うんだ」
吹っ飛んでいったボールペンを回収した夏油が、これ見よがしに渋面を作る。その彼の眉間を、五条は人差し指でまっすぐに突き刺した。
「オマエ」
「ん?」
「だから、俺の片恋の相手、オマエだっつってんの」
ぐりぐりと念を押してやれば、途端に夏油の小さな瞳がまんまるになる。音にすれば、正にきょとんだ。
「……えっ? 悟、私のことそういう意味で好きだった、のか?」
なんか違くない? というニュアンスを多分に含んで、夏油が首を傾げる。
「まあ俺も正直よく判らんというか、ダチっつーか、人間で一番すきなのは傑かなー、程度というか」
「ええ、君……友情の延長線上でこの呪いが発症しちゃったのか……なんてお労しい……」
よよよ、とわざとらしく夏油が口元を覆う。その割に、眼だけはしっかりと五条に同情���示していた。どうやら割とガチで憐れまれているらしい。常ならば拳骨のひとつでもお見舞いしてやろうかという所業だが、今は問題解決の方が先だ。五条は広い心で、夏油の視線を流してやる。
「でも私、正直悟のことはめっちゃ友達だと思ってるけど、それだけなんだが……」
「そりゃそうだろうよ。てかそうじゃないと嫌だわ。一応俺目線でも傑のことはダチ認識なんで」
「相違ないようで何より。うーん、なんかこう、両想いだってごまかせる様な方法があればいいんだけど」
とりあえず、まずは告白してみようかとの結論に至り。
「こーいう時ってなんて言うんだ?」
「好きです、付き合ってください、かな」
「好きです、つきあってください?」
「はいよろこんでー」
棒読みの五条に対し、居酒屋の様なノリで夏油が雑に応えを返す。
「どう?」
「ウンともスンともしねえ」
「やっぱダメか……」
ハナから期待していなかったが、やはり何の成果も得られなかった。「オマエの返事にムードが無さ過ぎる」「君の告り方に本気が感じられないからだよ」などと、お互いに責任を擦り付けはするものの、結局はどっちも悪かったで両成敗にしかならない。
「困ったね、出来れば友情パワーで何とかなればいいんだが……」
「それか、ダチ同士でならまずしないこととか?」
「えー……なんかあるかな……?」
それからふたりは膝をつき合わせて、やれもっと強い言葉で告れば何とか、愛してる、月が綺麗ですね、アイラビュー、それでもダメならハグでどうだ? エトセトラエトセトラ。
不毛なやり取りが続き、正直五条の方はちょっと飽きてきたくらいだった。現状そこまで不便さを強いられているわけでもない。たまに吐き気がするくらいで、何なら車酔いみたいなもんでは? などと宣えるくらい、この呪いをコントロール出来る自負もあった。
──ならもう、別にこのままでもいいんじゃね?
額に親指を当て、真摯にうんうんと頭を悩ませている友を尻目に、そう内心で嘯いていると。
はっと何かに気付いた様に、夏油が薄い面を上げる。
「悟」
「あん?」
何だよ、と続けた言葉は、唇の先へ触れた感触に吸い込まれた。
ぐっ、と首が後ろへ傾く。ずれたサングラスの隙間から、夏油の緩く伏せられたまなこを認めた。意外とびっしりと生え揃ったまつ毛に感慨を覚えて。そうしてようやく、今の自分たちが客観的に何をしているのか、脳で判断が付いた瞬間。
五条は勢いよく夏油を引きはがし、大きく咽た。その一瞬を体の反射だけで動いてしまったことに気付いた頃には、後の祭で。いつの間にやら用意されていた夏油の手のひらで作られた皿に、唾液ごと呪いを吐き散らかす。
「あ、やった」
「……は?」
ひとまず冷静になった頭で、夏油の手から先ほど吐き出した「呪物」を叩き落す。べしゃりと床に失墜したのは、大振りで立派な花弁を携えている、黄味がかった白銀の百合だった。
「つか、触んなって言ったろこのバカ! どうすんだよ、オマエも多分感染したぞ」
「でも完治した証拠の花だし、ワンチャン無事だったりしないかな?」
「知らねーーーわ!」
五条は夏油の手をひっ掴み、用意していたアルコールをがむしゃらに噴射する。適当にティッシュを抜き取り、べしょべしょになった彼の両手を甲斐甲斐しく拭いてやれば、夏油がふふ、と小さく笑った。
「いやさ、小学生の頃、何故か「ピカ、●ュー」って言いながらチューするのが流行ってさ。クラスの半分くらいとはやったのかな? で、だから男子とのキスは割とノーカンというか、あんまり忌避感無くてね」
何だ、思い出し笑いかよ。どこか憮然とした心地で、五条はオェッと舌を出す。
「どんだけ爛れてんだよそのクラス」
「女子とはしてないからセーフだろ」
「そうか…………そうか?」
「だから私としては、ホントのファーストキスは女の子としたヤツ、って思ってたんだけど」
触れたままだった人差し指が、きゅっ、と控えめに握られる。
「でもまあ、それも今回のコレってことにするからさ、許して」
少しだけ照れた様子を見せる夏油に、五条は何となく、押し黙った。ただいま完治したばかりの病が、何故だかぶり返しそうだったので。
「──なんてこともあったね……」
けほ、と軽い咳を吐いて、夏油が苦笑する。己のしょうもなさを嘲る様な笑みだった。
彼の膝元には、赤いポピーが散らばっている。生憎この場に花図鑑は無かったが、五条の優秀な脳味噌は、彼の花に託された言葉を、よく覚えていた。
「まさか本当に発病するとは……結局ワンチャンも無かったな……」
本当にコイツ、イイ性格をしている。
これからオマエを殺す男に、感謝などと。
包帯で隠されていない六眼を、五条はこれ見よがしにしかめてみせる。その様子に何を勘違いしたのか、夏油が小さく頭を振った。
「誓って、君が疾患していた頃は普通に友情だったんだ」
ただ、と夏油が一拍置く。
「好きって言われてから気になっちゃった、典型的なパターンだよ」
なんて、遠い目をして優しく呟くものだから。
多分それで、魔が差した。
思いやり故に自分を殺すのだと思い込んでいるこの男に、胸の内を正しく、思い知らせてやりたくなったのだ。
夜明け前だからか、路地裏の奥は未だぽかりと闇が口を開けている。最も陽が遠いこの瞬間。五条の心は、確かにその暗晦へと足を踏み入れた。
「……傑」
「ん?」
「僕は今でも、オマエがすきだよ」
目の前の親友がこれでもか、と細い目を見開く。びっくりし過ぎだろ、なんて内心では吐き捨てつつ。けれど同時に、あまりにも間の抜けた表情を晒すものだから。少しだけ、かわいいと感じたことも確かで。
げほ、とひとつ。
赤いポピーがまたこぼれて。
げほ、とふたつ。
掌に吐き出されたその花々を認めて、夏油が小さく噴き出した。
ぱらぱらと彼の手から、赫と白に彩られた、鮮やかな雨を見送ったのち。
「最期くらい、呪いの言葉を吐けよ」
あんまりにもあどけなく笑う夏油に、五条は小さく息を呑む。
そして彼の胸目掛けて、そっと中指を弾いた。
「……結局最後まで本気にしなかったな、オマエは」
物言わぬ下唇を親指でこじ開ければ、端から血が音もなくこぼれる。つう、と伝い落ちる様を、五条はただただ無心で見ていた。
──ああやっぱりさっきの内に、キスのひとつでもしとけばよかった。
舌でも突っ込んでやれば。そうすればこの鈍感な男も、少しはこの慕情を理解出来ただろうに。いつだって俺は、自分の望みに気付くのが遅過ぎる。
夏油を救いたかったのだと気付いたのは、彼が去った後だった。触れたかったのだと気付いたのも、彼が失われた後で。だから五条は、「最後のチャンス」とやらをいつもすべて逃し続けるのだ。もうそういう星の元にでも生まれたのだろうかというくらい、己もまた、鈍かった。
故に、鈍かったなりに、呪いの言葉は上出来だと思ったのだが。
「人の決死の告白を何だと思ってんだよ、マジで」
赤いポピーと、青みがかった白銀の百合。
アスファルトに散らばっている、夏油が生み残した花弁に、五条はそっと手を伸ばす。術式を介さない指先には、確かに湿った心地を感じた。同時に、冬の空気で凍てついた冷たさも。
摘んだ花々をジャケットに突っ込み、しかりと握り込む。
彼が自身へ残した、情の忘れ形見。成れの果て。そして、愛の存在証明。
そのはずなのに、
──せっかく両想いだってのに、なんでフラれた心地になるんだか。
すっかり軽くなってしまった体を大事に抱えて、五条は忸怩たる思いでぼやいた。
「あーあ」
叶うならば、来世に乞うご期待、だ。
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(映画『ゴジラ-1.0』公式サイトから)
ゴジラ-1.0、見てきた!
これは驚いた!怪獣映画ではなく、正統派の映画になつてゐる!
ゴジラといふ有名キャラクターありきではなく、物語の中にゴジラといふ怪物が出てきて、それによつて登場人物達のドラマが展開してゐく。大衆映画としては大人の視聴にも一応は耐えると思ふ。
ビキニ環礁での核実験により、ゴジラにどのやうな変化があつたのかは事前知識があるので分かるが、そこは知らなくともまあ、話は分かるだらう。
監督の山崎貴といふ人は「永遠の0」の監督らしいが、今回は震電。
劇場を出る際思つたがポスターにある��-(マイナス)」は震電のシルエットなのか?
同じゴジラといふ事もあり、庵野秀明のシン・ゴジラとも比較されると思ふが、シン・ゴジラ公開は2676年であまり記憶にない。何といふかNHKのプロジェクトXとか仕事の流儀とかのドキュメントのやうな印象。ゴジラといふ現象に如何に対応してゆくのかといふ感じであつたか。人型ゴジラの伏線もあつたと思ふが、それこそ汎用人型決戦兵器でしかないと感じたな。
庵野秀明監督にはどうしてもエヴァンゲリオンの印象があるので、エヴァとの比較でいふなら、能力は優秀らしいがとにかくウジウジし続ける碇シンジと対比すると、ゴジラ-1.0の敷島浩一は今作の作中内で覚悟完了できたやうであり、シンジ君よりは観る側としてはストレスがない。
今作でもやはり続編の伏線はあるが、一応は一本の映画として終はらせてゐるのは好印象である。
ただし、本当に一本の映画として作るのであれば、初代ゴジラと同様にオキシジェン・デストロイヤーによるゴジラ撃滅、それを見届けた芹沢の自決といふ構造にするべきだつたかな。
-1.0ゴジラは最終的に民間組織により一応は倒されるのだが、構成員は元皇國軍人であり、参加は強制ではなく志願制である建前であつたが、それこそ神風特別攻撃隊と同じ志願制ではあるが、皇軍として命を掛けるのと、民間として命を掛けるのとでは、民間の方が補償面などリスクが高いだらう。
家族どうこうといふ理由で参加を拒むのは、一度拾つた命をまた捨てる覚悟をするといふのが難しいのだといふ事だらうか。
志願した神風特別攻撃隊から逃げた敷島浩一は、ゴジラによりヒロインを失ひ、娘の将来をゴジラから守るために、漸く覚悟が決まつたらしいのだが、己の命よりも妻や子を優先するといふ本能的行動は、敷島浩一の父母にしても、その祖先にしても同じであるといふ歴史的事実には気付かない。
最終的には、敷島浩一自身もヒロインも生き残つてゐた。ゴジラ討伐隊の誰も死ななかつたといふのでは、なんとも締まらない。結果的にはゴジラといふ存在はその程度の脅威でしかなかつたとも取られかねない。
妻の仇、子の未来のためにと覚悟完了できたのであれば、自身が逃げずに神風特別攻撃隊としての使命を果たしてゐたとすれば護れた命があつただらうといふ事実にも気が付かないものだらうか。逃げた事で代はりに失はれた命がある。それこそ、僅かにでも時間を稼ぐ事で自身の父母の命が助かつた可能性もある。現に隣人の女性は生存してゐるし、それこそ時間を稼ぐ事で自分達が巡洋艦・高雄の奮戦と犠牲により救はれてゐるではないか。
血の繋がらぬ子に対し、己の父性を確認できたのであれば、自身の代々の父祖達もやはり同じく父親であつたのだと分かる。
画面に映らぬところで失はれた多くの人達の仇と、自身の会つた事のない遠つ御祖らの御恩に報いるのが人の道である。
震電が悪いわけではないが、物語としては、やはりここは櫻花にすべきであつた。見事、散華して本懐を遂げるべきであつた。
ご都合主義のハッピーエンドが嫌いなわけではないが、カタルシスがない。
続編への伏線といふ言ひ訣で、物語の重みを損なつてゐる気がする。
人は誰でも必ず死ぬ。生き方とは詰まり死に方である。
命は一度きりで代へは効かない尊さがある。尊いからこそ散華なされた方達は護り神となる。
神代から 繋がる命 報ゆなら 命惜しむな 名をこそ惜しめ
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