Tumgik
#雪のキャンドルホルダー
kurashinoshop · 1 year
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1月28日 土【暮らし】
スノークリスタルは繊細なつくり。
だからこそ、燈る灯りも美しく繊細です。
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メーカー:iittala / イッタラ
シリーズ:Snow Crystal / スノークリスタル
デザイナー:Valto Kokko / ヴァルト・コッコ
年代:1985 -1989
サイズ: W12.2 D14
フィンランド製
雪の結晶をガラスで表現したスノークリスタル。
イッタラのキャンドルホルダーの中でも大変人気の高いモデルです。
キャンドルの灯りが柔らかく結晶を照らし出し、
どこか幻想的な雰囲気に映ります。
また繊細な形状から、
状態の良いものがなかなか出てこないモデルでもあります。
今回の入荷品はステッカーもしっかりと残っており、
ダメージも見当たらない綺麗なお品になります。
是非店頭にてご覧いただけましたら幸いです。
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本日 土曜日は 12:00 -18:00 まで
1月は最後の営業日となります。
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aiyerholm · 5 years
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北海道にきて初めてのクリスマス🎄こっちへきて出来たお友達たちと、手作りリースを作ったり、子供たちのクリスマス会をしたり、今年の始まりでは想像も出来なかった事が沢山あり、クリスマスと北海道を満喫出来たように思います。そして、クリスマスにはフィンランドからお姑さんもきてくれて家族みんなで温かく過ごせました。 クリスマスツリーとクリスマスリースの材料は、なんとご近所から集めた物と、山から切ってきてくださった物で作りました♪(伐採した木の枝) #今日から本州へ移動 #雪のキャンドルホルダー #クリスマスリース #クリスマスツリー #キャンドル #christmastree #candle #2018 #family (Hokkaido) https://www.instagram.com/p/Br85WtKgKa9/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=vdaq7oj4a9gp
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egaodesign · 5 years
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三角形15枚で作る、ステンドグラスのテラリウム♪ ラグート先生のステンドグラス教室のサンプル写真が届きました😊 テラリウムなので、植物を植えて楽しむのはもちろんですが、キャンドルホルダーや、ボンボニエール的に楽しむのもオススメです!  ※ボンボニエールとはお菓子を入れる器のことです。  すべて紋様ありの透明ガラスでで、三角の一辺は6.5センチで、全体の形としては、いちばん大きいところで約11cmくらいです。  【開催日】 12月21日土曜日 ①10:00から ②13:30から  【参加費】 3500円+税  クリスマスを祝うテーブルに置いて、キャンドルを灯したり、小さなお菓子を入れたり、夢が広がります♪ ワイワイたのしいラグート先生のステンド教室、受付スタートです。  ご予約はお早めに♪   SNS掲載アイテムのお問い合わせは メッセージまたはお電話くださいませ。  *・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*  かわいい雑貨とハンドメイド教室tobiusagi tel 0832506890 山口県下関市長府安養寺1-2-23 チェリーブロッサムM1F  【定休日】 火・水・第4日曜日 ※例外あり。とびうさカレンダーを参照ください。  【とびうさカレンダー】 http://tobiusagi.jp/calender   *・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*  【今日のひとこと】 きのう、防府市は雪がちらついたらしいです。   *・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*     #手作り #ハンドメイド #下関雑貨  #下関雑貨屋  #下関へ  #門司 #山口県下関市 #プリンセス #tobiusagi #トビウサギ #とびうさぎ #雑貨屋さん #雑貨 #かわいい #ハンドメイド #ハンドメイド好きと繋がりたい #フォロバ #のんびり #cute #photooftheday #フォロワー #とびうさ #happy #girl #ステンドグラス #ステンド #ボンボニエール #クリスマス #丁寧に暮らす  #キャンドル (かわいい雑貨とハンドメイド教室tobiusagi) https://www.instagram.com/p/B5tkununweK/?igshid=37aqz785975n
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translucentemerald · 7 years
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クリスマスキャンドルホルダー #ハンドメイド #キャンドルホルダー #クリスマスツリー #雪の結晶 #handmade #christmas #クリスマス #christmastree #candleholder #snow #phosphorescent #蓄光塗料
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asa-ko · 6 years
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ウイスキーと今後の計画の話し合い
2018.6.21.20:21
こわがらないで、もう八時よ 安心して、まだ八時よ
お話の続きをしましょう
柔らかな闇と動き出す光
あたたかいケーキと あたたかくなる飲み物 ケーキは抹茶色で 飲み物は琥珀色です
喉があつくなって 安心します
こういうとき お水はチェイサーという名前に変わります
ずいぶんと平凡で わけのわからないところまで 歩いてきてしまったという気になります
わたしは 昨年の冬に弾いたピアノを聴いています なにもかもはじまりがなくて はじまりらしいところがしっかりあります
白熱灯は 火のそれよりも 優しい色なのかもしれません それはお日様に近いからかもしれません
今日はもう火を使う気になりません だからこうして気楽にやっています わたしたちは栄養失調で死ぬかもしれないけれど その前になにかべつのことで死ぬかもしれません
今日はピアノを弾きました とても良いラインになりました それはずっと肉付きを帯びて どんどん色気を増していくように思えます
今聴いているピアノは ほとんどの人が下手くそだと言うと思います 音をそこで繋ぎました 道がわからずにてくてくと歩くと なにか知らない場所に行きついたりするものです そこには迷子の音がありました たしかにどこかにたどりつこうとする 迷子の音が聴こえます これをわたしばかりで 美しいと思い続けます 今日の音は たくさんのことが詰まっていたので いつもよりも美しかったし 本当に近い気がしました それでもこのときほど透明な音ではありません そんなことはわたしばかりが感じていることです
今日弾いたラインの ほとんどすべてが この日の迷子の歩みの道を そっくり辿ることで 道という道になり得てきました
線と湯気、道と足跡
今日は名刺がどうしてもすれなくて そのままなぞの会合へと向かいました 思いがけず一人顔を知る女の人がいた気がしました すぐに見えなくなって わたしはなんのこともなくその広場を後にしました
なにか懐かしい気にはなりました
羊だろうと狼だろうと みんな群れて固まることで安住の土地を得ます
正しさも美しさも楽しさも つねに自らの手で更新され 選択されていくものだと思います
なにがみんなにとっての幸せになるでしょう?
そこそこよくできたパッケージを 共有し合うことでなく 皆がそれぞれに何かを掴み取っていくことができる土台
ピアノが高揚モードに入ってきたのでオフしましたよ
個と個があるということをわすれずにおいておいて 個と個の狭間でない場所で なにかを示すことをしていくことがこれからの仕事になる気がします わたしのこれまでの役割はそのままで やり方は変わ���ていかなくては わたしの身体がもう多分もたないと思います
飲んだくれて墓石になるんですよ
わたしはもうわたしのために生きようと思います それが一番のだいじなことです
わたしは不快を感じたくありません わたしの意識する範囲で何者かが苦しんでいることが不快です 完璧な配列になっていなくては不快です なにもかもが慈しみ合う関係性が成り立っていない場に身をおくことが不快です 意識を広げれば広げるほど不快が大きくなるなら せめて小さな家の中の不快を排除したいだけです 家の中は世界と繋がっています 何もかもがまるっきり関係をたてるところはありません もしあるとすればそれは わたしとあなたという ひとつとひとつが対峙したときのみです 世界の輪郭がぼやけて ほかのなにもかもが見えなくなるとき そういう場所をしっています
それはひとつとひとつのみにありますが それはつらなって 大きなあみになったりします
それがその網の外を排他することになってはいけません
なにってわたしは これからのために考え事をしたいんですよ
今までのように頭ばかりで考えていたら 完璧なように思えたとしても わたしが疲れる計画になってしまうから 頭を麻痺させながら 身体と心に聞くんです
わたしが楽しくて みんなも楽しい しあわせでうれしい計画にしたいんです
キャット ロマンス ロマンティカ
しあわせの食卓 って、もうすでにあったじゃない
ここはテーブルであり、ベッドである
寝食
ねるところからたべるとこまで
ハレの日もケの日も
ここはテーブルでありベッドである ねこであり花であり器である 今日であり昨日であり明日でありその日である あなたであり、わたしである
ねこのくちづけふれずにおいで わたしに教えて だいじなこと
なんて説明したら良いの?
物が時と場所をつなぐ あなたとわたしをつなぐ
教えてわたしの案内人 教えてキスキャット
テーブルを囲いほほ笑みかける 灯りを消して夜に寄り添う
永遠のロマンスを このひと時に小さくこめて
Tomorrow Toyama
河内の意見 ゆるやかであったかいイメージにしたい 制作もゆるやかであったかく 守られているこの状態を持続させる中 熱を持って魅力を曝け出してやわらかに、しなやかに、アピールしていく感じ 連携プレーをもっと組む
女性的なつながり
犬的な社会でなく 猫的な社会 縦社会でなく横社会 このへんのガラスの社会はもともとこれに値する
キャット、なんだったっけ Creative Air Team methodology
CAT
汗だくにならない
物ではなく 人は背後にあるストーリーを買う
富山弁のシーエム(?)
富山ガラス Glass CAT made in Toyama
Glass Creative Air Team
GCAT じいネコ富山
ロマンスにつなげて売っていく いろんな時代の幸せの時がある いつだってそこにあなたとわたしがある
ペット 子供
富山の薬
薬瓶 暮らしの薬瓶 しあわせなきもちになるテーブルウェア、ベッドウェア
こしのひすい、腰の青シリーズがあるなら、 薬瓶由来のものをこもんてーまにするべき
薬瓶の形を抽出するのでなく 薬瓶の概念を抽出し生活雑貨に注入する
乾杯が楽しくなるグラス ワインを冷やす、お花もいれられる大きな瓶 あたたかなきもちになるキャンドルホルダー 空間を包み込む灯りをデザインするランプシェード 普段のお水がおいしくなるグラスとジャー
薬売りはどこへでも
ふだんの暮らしに必要なのは お医者様ではなく 家の中の住民の あたたかく美しいこころである
富山のガラスは 家の中の特効薬に 変わらぬ形をとどめて いつも大切なものを守る 美しい時をかざる
先用後利 「用いることを先にし、利益は後から」とした富山売薬業の基本理念である。創業の江戸時代の元禄期から現在まで脈々と受け継がれている。始まりは富山藩2代藩主の正甫の訓示「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ。」と伝えられている。
富山市は、ガラスのまちへと… ということを決めた時、 産業にすることを先ずの目的にせず、 その環境を整え、広く知識を学ぶこと、価値観や可能性を広げることを試みた。 富山のガラスは、不思議なほどに多様性に富んでいる。 誰もが独自の道を各々に探す 研究所は、技術習得よりも、自己の表現追求に重きを置いた 伝統的なものを引き継いで習得することに囚われることなく、多文化のものも取り入れることに躊躇することなく、国内外の様々な作家を招いての教育に取り組んできた。 工房は、作家たちが各々の制作に取り組みやすくなるような仕組みを作り、県内外からも作り手の集まる場になった。 まちの様々な注文をうけ、たくさんいろいろな種類のガラスの製品を作り出してきた。 たくさんの人びとがガラスの魅力、ガラスの楽しさを感じ、喜んでもらいたいという思いから、体験の工房ができた。
それは、薬のときにもあった、先用後利の思いがもとにある。 約25年経ち、富山のガラスは、たくさんの人びとの支えによって、思いによって、深く大きくなった。 これから、富山のガラスは、今までよりも、もっと人びとの生活に寄り添い、人びとの暮らしを豊かにすることに、新しい一歩を踏み出していくことを決めました。
市民の方々に支えていただいた恩恵を、返していく より発展させていく ガラスウェアを一大産業にしていく
事前使用システム
使いやすさを感じていただくために 〜日間レンタル可能
おまけ(おみやげ) 編集 富山の売薬の1つの特長としておまけ(おみやげ)を渡すことがあげられるが、江戸時代後期から行われているおまけで人気があったのが、富山絵(錦絵)と呼ばれた売薬版画(浮世絵)で、歌舞伎役者絵、名所絵(風景画)、福絵などいろいろな種類が擦られ全国の家庭に配られた。そのほか紙風船をはじめ、「食べ合わせ」の表や当時の歌舞伎の情報や、紫雲英の種など軽いものを中心に日本中に配った。また上得意には、輪島塗や若狭塗の塗箸、九谷焼の盃や湯飲みなどをおみやげとして渡していた。現在もおまけは渡しているが、高級品の進呈は業界の取り決めによりほぼなくなっている。
北原照久は『「おまけ」の博物誌』(PHP新書)で「おまけ」のルーツを求め、「富山が生んだ日本初の販促ツール」という一章を設けている。wikiより
富山のガラスを買ったら、薬のパッケージ入りのお菓子がつく、など
このガラスがあることで、家の中にしあわせがやってくる、不調(不幸)が回避される、というようなワクワク、あたたかい気持ちになるようなパッケージ、商品を考える。
お菓子が難しいならミニレターセットなどでもいい。
うれしくなるノベルティ
紙風船
小さなグラス拭きの布などでも。
バレンタインのときはそれにちなんだ、アクセサリーに近いもの、クリスマスの時は愛に効く薬、など、シーズンなどによって変えることで、商品そのもののビッグチェンジを毎回しなくても、スタンダードラインはそのままで、喜んでもらえる。
また、「庶民哲学」のような言葉を広めたとされる[10]。例えば、「高いつもりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位 深いつもりで浅いのが知識 浅いつもりで深いのが欲の皮 厚いつもりで薄いのが人情 薄いつもりで厚いのが面の皮 強いつもりで弱い根性 弱いつもりで強い自我 多いつもりで少ない分別 少ないつもりで多い無駄」などである。
ラグジュアリー層にこそ受け入れられる可能性のある、文字入り(手書き風)グラス、など
遊び心のある人に、「お薬グラス」などとして。もちろん、ステムをつけるなどして、安っぽくならないように。ラグジュアリーの中に、ラグジュアリーに浸るのをもうよしとしない、すこし?さらに教養の高い?層を狙う、またそういう人たちが増えることを願って。
海外にも飛翔した「富山売薬」
 この「売薬歌」で「満州支那の奥地よリ メキシコ南洋の果てまでも」と歌われている点についてだが、富山売薬は明治期に日本人の大陸進出などに伴ない、海外にまで進出していった。主として海外へ移住する日本人を追ってのものだったが、明治42年(1909)の『富山売薬紀要』によると、同19年に藤井諭三がハワイで配置売薬を始めたのを皮切りに、土田真雄が韓国へ、隅田岩次郎が清国アモイヘ、寺田久平や重松佐平が上海へと飛翔した。明治40年代の輸出売薬従事者は43名と4社。朝鮮半島、中国大陸、ハワイ、台湾、ウラジオストックなどから、さらに、遠くブラジル、インドにまで、富山売薬は日本人の行くところ、どこへでも進出して行ったのである。
ガラスも海外へ!
ブランドネーム、ロゴ、コンセプト
とやまる
とやま
富玻璃
Ecchu
こしの
越の国
便
BIN TOYAMA
BIN
phial phi・al /fάɪəl/ 【名詞】【可算名詞】 小型ガラス瓶; (特に)薬瓶,アンプル.
Phial of T
phial 【名詞】 1. 薬を入れるビン(特に針から注入できるよう殺菌して密閉した容器)(a small bottle that contains a drug (especially a sealed sterile container for injection by needle)) ちょっとちがうかな
KOBIN
KOBIN ROBIN
ばいやく ちょっといや
Kusuri たぶんだめ
薬瓶をモチーフにしたロゴがあるべき ハートとかつけたい 家庭の病、なんにでもきく!!っていう当初のむだな彼らの自信を、喜んで反映させたい
くすりだちゃ びんっちゃ とやまだちゃ おくすりいるけ のまれんか しとかれ しられ
Koshinoharu 越波瑠 越春 越治(これでもこしのはる、と読む!) 越晴!
おくすりのように人を癒し生活を豊かにする的な〜
過去の歴史より
気をつける?こと
富山売薬最大の試練「売薬印紙税」
 富山売薬はこうして明治以降も伸張・発展を続けた。 しかし、それは厳しい試練にさらされてのものだった。 明治政府は「維新」の言葉からもわかるように、諸事を西欧化に一新することを基本とした。それは医薬・医療制度でも同様であった。政府は明治3年(1870)、衛生上、危害を生ずる怒れのある薬の販売を禁止し、有効な薬の製造を奨励する-との趣旨から「売薬取締規則」を発令し、従来の売薬の取り締まりに乗り出した。  当時、「神仏・夢想・家伝・秘方・秘薬」などの言葉を用い、「万病に効く」といった、あまりにいい加減な「妙薬」なるものが巷に野放し状態だったからである。富山売薬にとって不幸だったのは、西洋医学を第一とする維新政府関係者あるいは当時の有識者らには、漢方薬などとともに富山売薬の和漢生薬類の薬も、巷の「まがいものの薬」と同様に写り、「効果のない気休めだけの薬」との偏見の目で遇されたことである。  こうした政府の偏見で導入されたのが、明治15年(1882)に布告され、翌16年1月1日から施行された「売薬印紙税」だった。明治10年(1877)の西南の役以降の財政破綻の打開と、その後の伝染病対策費捻出のためとされているが、その背景には、「売薬の薬など害にさえならなければ、あってもいいが、なくなっても一向に構わない-」とする政府の売薬に対するいわゆる無効無害主義の立場があった。  新税は、定価1銭から10銭までは1割、それ以上は5銭増すごとに1銭の印紙を製品に貼付することを義務づける形で課せられた。これは売薬業者にとって大変な重税であった。特に当時、全国の売薬で大さな地位を占めていた富山の売薬業界が受けた打撃は深刻で、同15年に富山の売薬生産額672万円、行商人9,700人だったものが、「売薬印紙税」導入後の同18年には生産額50万円、行商人5,000人にまで激減した。わずか3年でおよそ12分の1にまで規模が縮小したのである。まさに壊滅状態に近かった。  「売薬印紙税」は、大正15年(1926)に廃止されるまで、44年もの間、売薬業界を苦しめ続けた。実は、前述した富山売薬人らの海外飛翔も、海外売薬にはこの重税が免除される特典があったからともされる。
 近代薬事法規制度への対応
 しかし、明治政府が行った、西欧にならった薬事関係法制などの近代化は、富山の売薬業界などには過酷なものであったが、反面、近代国家建設にとっては当然なことであった。明治10年(1877)に太政官布告された「売薬規則」では、薬の品質確保を重点に、製薬を主とする売薬営業者を規定し、さらに製薬せずに販売だけを行う請売業者、実際に薬を売り歩く行商人といった区分を初めて明確にした。製薬を行う売薬営業者は、「薬の品質に個々に責任を負うべし」とされたため、こうした政府の方針に対応して、より良質な医薬品製造のため明治9年(1876)に現在の広貫堂の前身である調剤所広貫堂が設立された。明治10年代に入ると、富山では売薬業者らが共同で次々と会社を設立し、また、薬学校も設立した。  これには政府も呼応し、売薬に対する考えを「無効無害主義」から「有効無害主義」に転換していく。 それが「売薬印紙税」の廃止につながっていくのだが、それに先見ち大正3年(1914)、政府は「売薬法」を制定し、より有効で安全な医薬品製造のため、西欧先進諸国と同様に薬剤師制度を設け、「薬剤師あるいは薬剤師を使用する者、または医師でなければ薬を調製してはいけない」とした。ここで初めて製薬に「薬剤師」の関与を義務づけたのである。  それまでの売薬業者は、行商から帰っては自宅で思い思いに次に配置する薬を自ら製造し、また行商に出かけた。だが、この「売薬法」制定の後は、薬剤師を使用するか、あるいは薬剤師を雇用している会社においてでなければ製造ができなくなった。また、その薬の処方も、従来のように「家伝」「秘方」などと称して秘密にしておくことは許されず、配合成分を公開することが義務づけられた(各業者は一部に家伝などの未公開の薬も扱った)。  ちなみに「売薬」という言葉は、戦時下の昭和18年(1943)に公布・施行された薬事法の制定まで、現在でいうところの「市販医薬品」の意味で法律上でも使用されていた。しかし、薬事法で薬は「日本薬局方医薬品」と「局方外薬品」に大別され、「売薬」は「局方外薬品」と同一に医療品全般に一括されることとなり、法律の文面から「売薬」の文字は消えた。
 「富山売薬三百年」存続の秘訣
 富山売薬の家の次男に生まれ、昭和26年(1951)に単身東京に出て、一代で都内を中心に約150店舗、従業員約600名を擁するドラッグストアを育て上げた人がいる。平成12年(2000)9月に東証2部に株式上場も行なった全国有数のドラッグストアチェーンである株式会社セイジョーの創業者で社長の斎藤正巳氏である。  同社は、他の大手ドラッグストアとは少々趣が異なる。社員1人当たりおよび売り場面積単位当たりの売上高が抜群に高いのだ。徹底した社員教育と説明販売で「薬局の東大病院」の異名をとり、利益率はドラッグストア業界ナンバーワンを誇る。その斎藤社長が、経営に積極的に取り入れているのが「富山売薬三百有余年存続の秘訣」であるという。  斎藤社長は言う。「富山売薬とは本来、個人業者のものだ。いろんなことを勉強していて話題が豊富で、話もうまい。知識プラス説得力もある。説得する貫禄もある。また、話し相手のいないご老人の話も上手に聞いてあげる。だからお客さんは『いい話を聞いた』『この人にまた訪ねてきて欲しいから、この人の置き薬を飲もう』という気になった。値引きも言い出さない。これがただの物販だったら、『もっと安くしろ』『もっと安く薬が手に入るよ』となる。富山の売薬さんは置き薬以外のところで、仲人��したり、田畑の作り方の指導をしたり、いっぱい『タネ』を撒いてきたのだ。これが富山売薬に限らず、ほんとうの意味での商いではないでしょうか」。  同社の社員教育は、まず徹底した顧客への接客態度に始まる。挨拶から釣銭の出し方に始まり、それから医薬品などに関する知識へと移る。最近では、ロイヤルカスタマー登録という顧客サービス制度も設け、幾度も来店する顧客に関しては、レジなどで名前で呼びかけるように社員教育しているという。店頭販売において顧客一人ひとりを「個」で捉えるまでに指導しているというのだ。コンピュータによる情報管理でそれがいっそう可能となった。  では、この顧客一人ひとりの「顔」を実際に見て、その一人ひとりに個々に対応してきたビジネスの代表は何か。それは言うまでもなく一軒一軒の家庭を訪ね、その家の人の「顔」と「生活の揚」をしっかりと見て商いを行なってきた、他でもない富山売薬だった。
 「礼儀作法」「教養」「モラル」
 そうした「他人の生活の場」に足を踏み入れるにあたって、富山売薬人たちは砕身の注意を払ってきた。それには決して欠かしてはいけないルールがあった。それは「正直」であり、「勤勉さ」であり、さらに仏壇があれば必ず手を合わせ、その家のご先祖さまにまで敬意を表するといった「礼儀作法」であった。  置き薬を長年愛用してきた、ある地方のお得意先が作った川柳に、「戸を閉めて、またおじぎするクスリ売り」というのがある。富山売薬人にとっては、薬を売ることだけが商いではなかったのである。その前に、いかに礼偽正しく、美しくお客さんの前で振舞うか、自分の身のこなし、一つ一つをいかに洗練されたものにするかが勝負だったのである。その礼儀正しい態度にお客さんも応え、決して粗末に応対はしなかった。かつて、50年間に一度も値引きをしたことがなかったと話した富山の売薬さんは、その秘訣を「それはひとえに、正しい礼儀作法のお陰です」と語った。  富山売薬が三百有余年の風雪に耐えてきた要因に「先用後利の商法」「懸場帳」等などいろいろ挙げられる。そのいずれもが正しいかもしれない。しかし、それを超えて、その基本にあったものは、顧客を「個」で捉え、「個々」に対応し、その際に「正直」「勤勉」「倹約」を旨とし、さらに「礼儀作法」「教養」「モラル」に裏づけされた売薬人個々の「人間カ」だった。ひとえに、この「ヒト」に支えられて、富山売薬は江戸期から明治・大正・昭和という時代の風雪を乗り越えてきたように思えてならないし、この基本は平成の世になっても、その後も、なんら変わらないのではなかろうか。
わっしょいわっしょい
どうどう!
乾杯しましょう
なにも決まっていないけれど!
きっとなにか良いものに決まる気がするよ
とにかくこのあたりまで、こられてうれしい
抱きつきたいきぶんです!なにかに
なにかと楽しみですよん
おやすみなさぁい
とぅるとぅとぅとぅ〜
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pmato39 · 7 years
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@grapeejp
「誰かにちょっぴり自慢したい」 雪景色切り取るキャンドルホルダーって? ⇒https://t.co/EKFg8y6TqJ 雪景色を封じ込めたかのようなデザインの『キャンドルホルダー』。 幻想的な雰囲気を味わってみませんか? http://pic.twitter.com/7dSKQ2Fj0T
— grape (@grapeejp) November 29, 2017
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kurashinoshop · 4 years
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冷たい雨が降り続く仙台ですが、雪に変わることはなさそうです。 傘をはじく雨音に耳をかたむけながら通勤しました。 店頭には、ピエネオランシットよりイヤーマフラーとミトンが届いております。 フィンランド製のフェルトで、ユニークで可愛らしさ溢れる作品は、心も身体もぽっかぽかに。寒さが厳しいこの時季におすすめです。 ぜひお手にとってお確かめくださいませ。 明日より3日間、kocciさんがいつもの焼き菓子に加えて、工房で焼きたてのあっぷるパイをお持ちくださいます。 1月30日(木)31日(金)2月1日(土) 3日間限りの数量限定販売となります。 どうぞお楽しみに。 北欧食器の10%割引企画も31日までとなります。 本日も16時半まで皆様のご来店をお待ちしております。 足元にお気をつけてお越しくださいませ。 staff Y #クラシノ #kurashino #仙台 #仙台カフェ #宮城 #ピエネオランシット #フェルト #イヤーマフラー #ミトン #手袋 #フィンランド #暮らし #雨 #北欧食器 #キャンドルホルダー #アップルパイ #焼き菓子kocci (クラシノ[kurashino]) https://www.instagram.com/p/B74vc4lhEBC/?igshid=14imqr68x7wna
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