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#今日から本州へ移動
jujirou · 9 months
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おはようございます。
福岡県北九州市は曇り空です。
昨日は金沢を10時頃に輪島の先輩方と合流し、大阪南港までの車移動。
その後は大阪南港フェリーターミナルへ、予定通りに到着し、北九州へ移動。
今日も今日とて、ひとっ風呂浴びてからの一杯を頂き、知らないうちにZzz
そして北九州市新門司港フェリーターミナルに接岸後、小倉の展示会会場へ移動し、その後は展示会搬入の予定です。
今日も体調管理と安全運転に気を付けながら、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に‼︎
https://jujiro.base.ec/
#秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田のものづくり #髹漆 #寿次郎 #第45回西日本陶磁器フェスタ #西日本陶磁器フェスタ #ブースno159秋田川連塗寿次郎 #西日本陶磁器フェスタ2023 #展示会移動日2日目の出来事 #展示会移動日3日目 #9月14日から19日まで開催 #Kawatsura #Yuzawa #Akita #Japan #Urushi #japanlaquer #Lacquerware #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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shunya-wisteria · 2 years
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リゾートビューふるさと、乗ってみた。
長野発、篠ノ井線・大糸線を経るリゾートビューふるさと にて、秋の信州を旅してみた。
秋の行楽シーズンは信州に限るね、ということで今年も旅してきました。今回は、長野から篠ノ井線を経て松本、その先 大糸線へ入るJR東日本の観光列車 リゾートビューふるさとに乗ってみました。土日祝を中心に1日1往復運行される全車指定席の快速。指定券はえきねっとから予約し、信濃大町まで道中を楽しみました(この列車の終点はJR西日本との境界駅 南小谷)。
早朝の新幹線で東京から移動、一路 リゾートビューふるさと の始発駅、長野へ。乗車時間がそれなりに長いため、長野駅で飲み物とおやつを調達し列車へ。リゾートトレインとして設計されたこの車両は大きな窓と前後に広い座席が特徴。道中、信州の美しい秋の景色を楽しめます。
列車は善光寺平を望む篠ノ井線を進み、日本三大車窓の1つで、数少ないスイッチバック駅として知られる姨捨駅に到着、30分程の停車。ホームから善光寺平の美しい景色をじっくり堪能。善光寺平を離れた列車は一路 松本へ。
松本にて進行方向を変え、大糸線へ。途中、穂高駅で再び30分程停車、この時間を利用し駅近くの穂高神社を参拝可能。少しずつ色づき始めた紅葉のグラデーションが楽しめました。
再び列車に戻り、車窓から立山連峰の美しい山並みを楽しみ、信濃大町にて下車。のんびり心落ち着く3時間半の旅を堪能できました。乗車券+530円の指定券で乗れるので、大変お得ではないかと思います(座席間隔・窓の大きさとも、新幹線(E7系)、特急あずさ・しなの より優れているし)。
次の電車まで信濃大町の街をしばし散策、山並みを電線の干渉なく写真に収められるスポットを探す。おやきで軽く腹ごなしをした後、反対方面の普通電車で来た道を折り返し松本へ戻ります。
せっかく松本にきたということで、松本城を再訪。西日に輝く天守は紅葉と相まって大変 美しいものでした。外国人観光客の方も少しずつ増えてきている感覚で、ノーマルな光景が戻りつつあるなと感じました。また状況が悪い方向に変化しないことを祈りながら。
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myonbl · 10 months
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2023年8月6日(日)
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2日目の朝、前日に買っておいたコンビニのサンドとホテルの味噌汁・珈琲で朝食をいただく。8時15分にチェックアウト、まずは<南紀グリーンハウス>でS翁に焼香した後、Sさんから珍しいエアープランツのレクチャーを受け、お土産まで頂く。<丸山千枚田>へ移動し、昨年亡くなられたKさんを偲ぶ。<奥川ファーム>で定期便を直接受け取り、<奥伊勢PA>でランチ、13時51分に帰宅した。走行距離は518km、燃費は24.9km、愛車の初仕事は無事終了だ。楽しかったなぁ、お世話になったみなさま、ありがとうございました。
5時30分起床。
日誌書く。
当初は七里御浜を散歩する予定だったが、雨が降っているので中止する。
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Sさんとは<東紀州活性化大学>からのお付き合い、電話すると在宅とのことで<南紀グリーンハウス>にお邪魔する。社会調査実習で学生たちが大変お世話になったS翁に線香を手向ける。ハウスで最近の仕事ぶりを拝見し、珍しい<ヒガクシダ>の解説を受け、流木にセットしたサンプルを土産としていただく。
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<丸山千枚田>に移動、Kさん宅の横を通過するがガレージに車がないのが寂しい。広島に思いを馳せながら、静かに手を合わせる。
<浜峰浜街道店>に立ち寄り、昨日のお礼を申し上げると、こちらでも土産を頂戴した。
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紀北町の<奥川ファーム>に到着したのは11時過ぎ、用意していただいた定期便を車に積み、久しぶりなので記念撮影。奥川さん、いつもありがとうございます。
<奥伊勢PA>で早めのランチ、私は松阪牛うどん、彼女は伊勢うどん。
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順調に走行して帰宅、自分にお疲れさま。
まずは2日分の洗濯をする。
定期便の荷物をほどき、鰹が1本入っていたのですぐに生姜煮にする。
唐辛子は酢に漬け、蕎麦とパンは冷凍する。
ツレアイは買物に、私は軽く午睡。
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冷蔵庫掃除メニューで早めの夕飯、息子たちには珍しいイギリスのスパークリングワイン、私は一昨日届いた<瑞冠>をいただく。
録画番組視聴。
▽森乃石松「寄合酒」
初回放送日: 2023年8月5日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は森乃石松さんの落語『寄合酒』です。▽ご案内は河島あみるさんとらくご男子の皆さんです。
(28)「ボスコム渓谷の惨劇」
ジェレミー・ブレットが演じた<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。ボスコム渓谷で農園主が殺される。口論していた息子が犯人なのか?それとも…
ボスコム渓谷の沼地でオーストラリア出身の農園主が殺され、息子のジェームズが逮捕される。事件直前、父子は口論していたことが判明。地主の娘アリスとの結婚を父に強制され、ジェームズが反発したことが原因だという。ジェームズとアリスは幼いころからの友人だが、なぜジェームズは結婚を拒んだのか?それが犯行の動機なのか?ホームズの捜査の結果、新たな犯人像が浮かび上がる。イギリス1991年制作。
片付け、入浴、体重は一昨日から550g像、当然の結果だ。
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さすがに車移動なのでこんなもの、水分は1,795ml。
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kennak · 5 months
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■2016年4月18日(地震から2日後以降) 金曜深夜の地震から2日、月曜日になりました。 実家も事務所の入った建物の1階もつぶれてしまいましたが、うちは不動産屋です。今日から不動産会社としての仕事が始まります。 私は管理物件のクレーム(水が出ない、給湯器が倒れた、エレベーターが動かない等)対応は社員さんにお願いして、会社がある1階がつぶれた建物の入居者さんの対応をする事に決めました。 改めてみても、ひどい状況でした。 ①入居者さんへ補償をするべきなのか。仮に自社が地震保険に入っていたのならば入居者さんにそれを分けるべきなのか ②賃貸借契約はどうなるのか ③中の荷物をどうするか この3点が重要だと思いました。一番に、弁護士さんへ相談に行きました。弁護士さんは、すぐに、法律的な見解と建物所有者としてやるべきことを示してくれました。 ①オーナーも天災の被害者なので入居者さんへ補償をする必要はない。地震保険は仮に入っていたとしても入居者さんへ分配する必要はない ②「賃貸借契約」は建物が滅失した時点で終了している。敷金と建物滅失後の日割家賃は早く入居者さんへ返した方が良い ③中の荷物はオーナー側で運ぶ必要はない。建物への立ち入りを許可して事故になると責任が発生するので、入居者さんの自己責任で荷物を取りに行ってもらうこと これを聞いて、正直救われた気持ちになりました。入居者さんにお見舞金として、1部屋50万円くらいは支払わなければいけないだろうと思っていたからです。1部屋50万円でも16部屋なら800万円になります。 地震保険は父の方針で入っていませんでした。会社は事務所も備品も通帳も印鑑も手形もデータもないという状況でした。自社の事だけでも大変なのに、さらにそんな大金を準備できる体力はありません。 ■1階がつぶれた建物の入居者さん対応 すぐに入居者さんの次の住まい探しを始めなければと思いました。近所の不動産業者を回ったり電話を掛けたりしましたが、「管理物件の安全性がまだ確認できていないのでお貸しすることは出来ません」と言われました。 不動産業者は機能していない、と思いました。次にオーナーが自主管理している物件にお願いしようと、近所のオーナーにお部屋を貸してくださいと頼みました。すると「水が出ない状況でも良ければ」と了承してくれました。 次は、日割家賃と敷金を返金するために契約内容を調べる事にしました。 たまたま地震の約1週間前に私のPCの調子が悪くなって買い替えたのですが、これが奏功しました。 不動産関係のデータを外付けHDから、「シュガーシンク」というクラウドストレージに預けるように変えたばかりだったのです。「賃貸管理システム」を再ダウンロードすれば契約情報がわかるはず。システム会社に事情を話すと、その日のうちに使えるようにしてくれました。 夫は、入居者さんの為になる情報を集めてきてくれました。 これからの為に「罹災証明」という書類が必要になること、郵便物は倒壊した建物には届かない事などがわかりました。 私は調べた情報を一人ずつ、入居者さんへ伝えました。 ――――― ①賃貸借契約は建物が滅失した4月16日で終了したので、敷金と日割家賃の返金があること ②大変なご迷惑をお掛けしたので、補償金を支払いたいが、自社の事で手いっぱいでお金がなく、法的にもお互いに被災者で支払う義務がないため、申し訳ないが当てにしないで欲しいということ ③荷物を建物から出す作業に関しては、手伝ってあげたいけれど、社員に業務命令で危ない真似をさせられないから手伝えないこと。建物の立ち入りは自己責任でお願いしたいこと ④「罹災証明」という書類を役所で発行してもらうために、建物の外観の写真が必要。この写真はうちで準備して配ること ⑤郵便物は届かなくなるから、すぐに「転送届」を出して欲しいということ ⑥賃貸住宅用の火災保険は弊社で加入している人は地震保険の申請を手伝えること ⑦住む家を探したい人は、入居斡旋を出来る物件を対象にしたツアーを行うこと(みなし仮設住宅制度が出来る前でしたが、5名の方がこのツアーで次の住まいを決めました) ⑧建物の解体の時期はまだ決まっていないが、決まったら連絡すること ――――― ここまで、手探りで1週間近く掛かりました。未熟な私は1週間近く掛けてもこれだけしか出来ませんでした。でも、私の至らない点は、入居者さんたちが補ってくれました。 ご自分の仕事を差し置いて、毎日、入居者さんの荷物の搬出を手伝ってくれる方もいらっしゃいました。ご飯を分けてくれる方もいらっしゃいました。助け合いの心を感じました。本当にありがたかったです。 そして地震から数日後、入居者さんたちはそれぞれの次の住まいへと移っていかれました。一件だけ、何度も補償を求めて訪ねてこられた方がいましたが、街から被災割合に応じて支払われた「生活再建資金」150万円が支払われると、連絡はなくなりました。 ■被災した管理物件について 倒壊した建物の入居者対応に目途がついてちょっとほっこりしていると、社員君から、「他の物件も手伝ってください!」と声がかかりました。マジで今まで丸投げしててごめんなさいと、それから他の物件の対応に移りました。 <水が出ない> 水が出なくなった物件は、受水槽が割れていたことが原因でした。修理を依頼すると、「受水槽の搬入路が確保できないため、受水槽交換が出来ない」と言われました。FRP塗装でも受水槽の水漏れが治せるとわかり、その手配を取りました。ようやく水が出るようになったのは、地震から20日後でした。 <エレベーターが動かない> エレベーターは地震で部品が変形して動かなくました。EV屋さんが板金で部品を再調達してくれて、1週間程で復旧しました。 <電気温水器が倒れた> 電気温水器がある物件は、ほとんどの住戸で温水器が倒れました。設置の際に3箇所止めていたら倒れないらしいのですが、熊本市内の物件は2箇所止めしかされていないものが多く、数多くの物件で被害が生じました。 被害は深刻で、部屋中が水浸しになってカビが生えた部屋や、天井が落ちた部屋もありました。電気温水器を交換して内装工事をしましたが、すべてが完了するのに半年くらいかかったように思います。 <室内の被害への対応> 入居中の方から、「室内の被害を見て欲しい」という連絡が山ほどありました。クロスのひび割れや、物が倒れた事による床の傷・壁の穴については、退去時に「地震の影響」と言ってくれれば原状回復請求はしませんと伝えました(申し訳ないですが直しませんでした)。 古い戸建では瓦が落ちたり、お風呂のタイルがボロボロと剥がれたり、壁が割れたりしました。これはさすがに危険なので元に戻す修理をしました。 <地震保険の請求> オーナーチェンジで購入した物件は保険を引き継いでいたので、地震保険に加入していました。 外壁のひび割れなどが激しかったために、保険請求をしましたが、「RC構造は梁と柱の構造で外壁や設備は構造体ではないから、損傷の点数にならない」という返事で、一部損壊判定にしかなりませんでした。それでもひび割れをコーキング・塗装で治すくらいの費用にはなりました。 ■ありがたかった様々な支援 地震後に私が行った対応は、以上のようなものです。 1階が潰れた社屋ビルはその後、解体され、今は「貸土地」になっています。 被災して建物や設備に被害が生じた中小企業は「グループ補助金」を利用したところが多かったようです。うちも利用させていただきました。 あれだけの被害を受けても会社がなくならずに済んだのは、「罹災証明」の被害状況に応じて被災者に支給された国や地方公共団体からの支援金、そして全国の皆様からの寄付や義援金のおかげです。大変ありがたかったです。 <当時の支援内容(主なものの一部)> ・義援金 ・被災者生活再建支援金 ・仮設住宅 ・みなし仮設住宅(民間賃貸住宅借上げ制度) ・補修型みなし応急仮設住宅の補修費(入居時修繕負担金)の支援 ・被災民間賃貸住宅復旧事業補助金 ・公費解体 ・グループ補助金 これらは地震発生から時間が経ってから、徐々に発表されました。 今回、被災された方は、地震発生直後は色々ご不安だと思いますが、今回も同様の支援がある可能性がありますので、情報を追っていかれることをお勧め致します。 うちは夫が調べたり、申請用の書類を準備してくれたりしました。自分一人ではやりきれなかったかもしれません。こういう時は、人を頼ることも大事だと思います。 ■「耐震診断」と「補強工事」について 次に、地震に対する備えである「耐震診断」と「補強工事」についても少し言及させていただきます。 木造住宅であれば、安価で耐震診断・住宅劣化診断をして頂ける機関があります。「一般社団法人 木造住宅耐震普及協会」です。 熊本県で10年ほど前に会長の池上さんが発足した団体で、とても良心的に丁寧に建物の診断をして下さるので、耐震性に不安がある物件をお持ちの方は一度相談されてみることをおススメします。九州内は出張費用が掛かりますが、見てもらえます。 他の地域ですと、私は利用したことはないですが、「一般社団法人 日本住宅耐震普及協会」というところがあるそうです。相談してみるのも一案かと思います。 私の熊本地震での経験が何かのお役に立てば幸いです。
地震後の入居者対応。オーナーとしてできる事、できない事【地震編/後編】|不動産投資の健美家
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ashi-yuri · 4 months
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Citizen Sleeperと模範的な宇宙都市
都市に溶けて
現代欧州の都市を一宇宙船へと翻案しサイバーパンクに味付けした模範的SF小説がするっと読めました。良質都市小説でもある。
以下、実験的なテキストゲーム、SF・都市小説についてのとりとめない感想。DLC含めてネタバレ
直前にディッシュの「SFの気恥ずかしさ」を読んでたせいか、SFに期待しすぎてるめんどくさいマニアの感想になっちゃった。
最初の眠りでの自我の語りのシーン、いろんなひとが指摘してるとおりすごくDisco Elusiumオマージュ。テキスト表示欄も意識的に寄せてるはず。
テキストメインの実験的ゲームとして、Disco ElysiumとかKentucky Route Zeroあたりと比較されるのも見るけど、本作はわりと素直な模範的ゲームだと思う。
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ゲームシステムはダイスロールや選択肢によるダイナミックな変化とかはなく、遊びやすく簡素な印象。
硬派めSF小説を読ませるため、ページをめくる代わりにダイス振りと魅力的な立ち絵とクールでシンプルなUIを用意することは、テキストへの感情移入を容易にし、あまり小説読まない人など含めてより広い層へテキストを届ける試みとしてうまくいってるのだと思う。
淡々としたプレイフィールも文章を読むことを阻害せず、端正な読書体験として自分は楽しめた感じ。
基本的に、UIやインタラクティブ性やゲームプレイではなく、テキストそのもので素直に語りたいゲームという印象だった。
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逆に、UIそのものが語りと演出の機能を強くもつ前作“In Other Waters”と比べると、実験性は薄れた代わりにふつうに読みやすく遊びやすくなってるんだと思う。
SF小説・SFゲームとしては自分は前作の方が好きだけれど、Citizen Sleeperはより広い層に向けて訴求するゲームとして進もうとしてるのかもしれない。前作の3倍以上のSteamレビュー数は、この試みがちゃんと目的を達成したことを証明しているのだろう。
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肝心のテキストについても、素直で模範的なところは物語そのものに結構ダイレクトに出ていて、善人と悪人はかなりはっきりわかるようになってるし、でてくる人たちの9割は模範市民だし、展開も最後まで素直だし、現代欧州都市が持つ労働・移民・環境・政治などの課題はSF的に翻案されつつ現実そのままの手触りで持ち込まれ、SFとしては手堅くオーソドックスな手法で解決される。バイオオルタナ生物としてのきのこの話や自我論とかも出てくるけど、SFとしての奇抜さや飛躍は少なめ。
SFフィクションとしてはAIの擬人化などベタに感じる部分もあるけど、生々しいテーマをフィクションとして丁寧で魅力的なコーティングすることでより広い層に届ける役に立っているのだと思う。
SF小説好きとしては、本作のテキストは手堅く良質だけど、もうちょっと科学とフィクションの力でSFとして跳んでくれたら嬉しかったなという印象。一方、その手堅さや淡々とした模範性が本作のいいところかなあと思う。
自分はプレイ始めてから、記憶もなく得体の知れない異邦人である主人公に対して出会う人みんな最初から好意的でやさしすぎるし、やたらと仕事を頼んで頼りにしてくるのがずっと引っかかっていて、人情噺としてはいいけど、資本主義崩壊後の辺境都市としてのリアリティは削がれてると感じる。そのあたりは、Disco Elysiumはじめ都市を描いたゲームや都市小説と比較すると、都合の良いフィクションぽい感じが強い。
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でもそれは物語の都合なのかもしれないし、深読みすれば、登場人物たちはみな傷ついた労働者であり、おなじく傷ついた労働者たる主人公に対する共感・連帯によるものなのかもしれない。
逆に後半は、主人公が「瞳」という都市に対して献身的で、勤勉な労働者であることが実感できてくるので、出会う人みんな親切で頼りにしてくれることに納得感があった。(逆にDLCまで行くと主人公がなんでもできすぎる無双感が出てくる)
「どんな者でも労働による社会参加を通じて、その場所に受け入れられることができる」という感覚が本作にはある。だから真面目に都市の中で働けば、市民として受け入れられ、物語は報いてくれる。そして、労働を放棄した賞金稼ぎや奪うことしかできない傭兵、労働者として団結しえない者は悲しい結末を迎えてしまう。
この作品は資本主義が行きすぎた都市のリアリティより、危うい立ち位置にある現代都市でもこうあってほしいという労働者の模範性を描く。困っている隣人には手を差しのべ、勤勉に働き、労働者みなが都市というコミュニティの健全な存続を願い、行動することの価値を。都市が生み出す不道徳・罪悪を書くことを選ばず、あるべき労働者の姿を描写することを、作品はすでに選んでいる。だから本質的にプレイヤーの選択は不要で、ゲームはほぼ一本道のルートとなる。
欲望と資本主義の最果てを題材とするサイバーパンクにおいて、まっとうさと真面目な労働を真正面からよしと描くことは稀有な試みでもある。ゲームという、プレイヤーの欲望・願望により奉仕的なメディアでは特に。
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In other watersのようなオリジナルな実験性を勝手に期待してたところがあるので、Citizen Sleeperの真面目で模範的な姿勢にどこか物足りなさを感じつつも、でもやっぱりそういうゲームがしっかり人気を博す位置にいることは大事だなと思う。
その模範的な姿勢は今のゲーム、フィクション、そしてそんなフィクションが描かれる現代の都市に求められているものだとも思うので。
DLCクリア後の追記
労働、対話、寛容こそが私たちの信じる価値
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すごくよかった!
基本的なことは上の印象から大きく変わってはいないけれど、自分たちの住む場所から離れざるを得なかった避難船団の人々、ヨーロッパに押し寄せる難民をモチーフとするであろう彼らの背負うものが多様で切実で魅力的で、ひとつの都市をさまざまな視点からら否応なく見させられることで、都市、そしてHomeを描くテキストとしてぐっと厚みが増している。
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故郷を捨てざるをえなかった人、終の住処として残る人、矛盾に縛られながら守る人、しがらみとともに捨てる人、生きるために去る人、過去を見る人、未来を見る人、誰もが物語を持ち、出会いと別れが交錯する、儚く忘れがたい場所としての都市の物語。
価値重視の理想主義的なところ含めて、ヨーロッパの先進都市から生まれるべくして生まれた作品なんだと思う。
最近ちょっと町の持続性とかよその国の都市のこととかいろいろ思うところがあったので、今の自分の気分にもはまってよかったな。
行動範囲が広くなってお散歩気分が増えたことと、限られたターン内にひたすら単調な物資集め・労働ターンを反復するタスク感も、「労働してる」という感じがして好感触。期限内にタスク全部こなせるとやっぱりうれしいね。
Citizen Sleeper2では銀河のはみだしもの・賞金稼ぎ的な世界が描かれるみたいなので、「労働による社会参加」が困難なひとたちのサイドからまたこの宇宙が描かれるのかなあと予想してる。今作で拾えなかったことをしっかり拾っていこうとする、そんなテーマ設定も真面目で模範的だね。
あとがき
いろいろぐだぐだ書いた結果、最初クリアしたときより満足してきたかも。
非常にウェルメイドで気持ちよくプレイできたし、やっぱり一市民として都市に溶けていくようなエンディングはとてもよかったし、きのこになれるのも楽しかった。次回作も楽しみ。
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(おまけ)
Night Call
薄いフィクションの膜で包んだだけの、現代パリを克明に描くビターでずっと薄暗いタクシー会話シミュレータ。都市の包容力と矛盾、都市市民の失望と矜持を表わす80人を超す多様な登場人物のリアルな会話テキストがほんとにいい!すごいテキスト量にもかかわらず、苦闘の末に個人翻訳MOD作っていただいてほんとうに感謝。
バグの多さやゲームシステムのこなれなさなど大きな欠点をいくつも抱えているけれど、現代欧州の一都市を描いたゲームとしてとても好み。
※スクリーンショットは非公式日本語MOD使用
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日本語MODへのリンク
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oka-akina · 2 months
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0330新宿南口デモ
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新宿南口が混み合っていて、バスタ側に移動できる人は行ってくださいとなった。これは2/18のデモのときもそうで、甲州街道を挟んでコールしあうのがまるで「川から海まで」声を響かせるみたいな、とても鼓舞されるいい時間だった。
今日もそんな感じで促されたんだけど、昼間だったからかバスタ側では路上ライブをやっている人たちがいたんだよね(2グループいた)。邪魔しちゃ悪いかな。デモは声出しなしでもいけるかな…。なんとなく大きな声でやるのはちょっとためらわれた。その場にいた乃衣さんたちとちょっと話した。 そうしたらコールが始まり、たぶん先導してくれてる方はバスタ側でやってきますねと声をかけてきたのだろう。声出ししよう、盛り上げよう、そういった何か責任のようなものを感じていたかもしれない。2月もここにいたのかも。いい記憶や経験は再現したくなるよなあと思う。
どうしようと思ってちょっとライブの方に近づいてみて、マイクを使って歌っているからコールやってても歌声はお客さんに聴こえるようだったけど、まあやっぱり邪魔だろうなとは思った。デモの役割の一つとして街でノイズになるのはあるけど、いまここでライブを飲み込むくらい大きな声を出したら、この人たちは「パレスチナ」に悪感情を抱いてしまうのではないか。いまあなたがたの歌よりデモの方が「正しい」みたいな態度をやるのは苦しい。実際、コールが始まったらわかりやすくマイクの音量が上がった。もともとライブは2グループ並んでやっていたわけだけど、ライブ同士は許容できてもデモの喧しさはやはり別物なんだろう。
もし自分だったら邪魔されてると思うだろうか。わたしの小説も自ら発信しているもので、いわゆる路上的な表現ではある。メジャーではない表現をやる人たちを、おおぜい集まった大きな声で押しつぶしたくない。ただ、路上で音楽をやるのと小説を書いて同人誌を売るのはあんまり一緒にはしづらいよなとは思い(もしも文フリでデモやっても影響の度合いがぜんぜんちがう、本っていつ読んでもいいのでライブのような一回性の表現とは一緒にしづらい)、わたしはこの人たちのことをあんまり想像できていない気がして後ろめたい。これに限らずだけど人の気持ちを想像しようとするときわたしは細かいことが気にかかって、いつもうまく整理できない。 そして、迷惑だろうかとあまり心配するのも、わたしにはこの人たちを見くびるような気持ちがあるんじゃないかと考え込んだ。この人たちもパレスチナに連帯する気持ちはあるかもしれない。たまたま場所と時間が重なってしまっただけかもしれない。いまここで歌っているイコール無関心と言い切っていいのか。まあぜんぜん希望的観測ではあるけど…。
なんとか歩み寄れないだろうかと思った。歌の合間に2分くらい譲ってもらえたらいいのにな。なんだったらちょっとだけ一緒にコールしてくれたらいいのにな。お互いに邪魔だなと思って無視しあうのは溝を広げるだけじゃないのか。なんとか、ちょっとでも話せないかな…。 とはいえそんな交渉はできなくて、コールを先導している人たちに声をかけるのもなかなか勇気が出なかった。それで本当に根本的な解決ではないんだけど、わたしたちはルミネ側に場所を移った。難しいね…。 (そしてほんとにどうでもいいことなんだけど、わたし今日財布忘れて出かけてきちゃって…。現金を一円も持っておらず募金もできないという体たらくで、それでなんかこう気持ちが弱いのもあったかも。財布忘れたような奴が何言ってるんだみたいな)
デモで大きな声を出すときの高揚感みたいなものはまちがいなくある。ここのところマイクを持つ機会もあったから本当にそれは噛み締めている。高揚することで鼓舞されるものが確実にあり、だからこその危うさもある気がしていて悩む。何であれ「一色に染まる」みたいなものがわたしはとても怖い。 あるいはSNSの言葉でもそうで、さすがにそれはキャッチーすぎないかと足踏みするものがけっこうある。大意としては賛成なんだけどその語を用いるのはなあみたいな…。なんだけど、いろんな人が精いっぱい言葉を発しようとしていて、口が滑ったり言いすぎたり言い間違えたりするのはどうしたってあることだよな、なんかこう「ジャッジ」の目線になっていやしないか?と考え込む自分もいる。難しい。ほんとに難しい。浅草や北千住でマイクを持ってスピーチしたとき、わたしは本当にうまくしゃべれなかったけど、そういうことはみんなあるだろう。そしてわたしくらいたどたどしい人がスピーチすることでハードルを下げていけたらみたいな気持ちもあるし。ぐるぐる考え込んでいる。
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それでいまやってる「五人の男」アンソロ(庄野潤三オマージュで父性、男性性を捉え直すアンソロ。5月文フリ東京刊行予定)で、まさとさんが書いてくださった論考を思い出した。
「面白がりと見下しの距離は近い。楽しさと不遜の距離も近い。」「だから、ていねいに自分の首を絞めたい。でも、それさえヒロイックに行いかねない。」 「自分もよくわからなくて仲間も「いいね」を示してくれないものに耳を傾けること。静かに不安感と憂うつを抱え続けて初めて変えられることがある。何も気にせずにすむというある種の特権(神谷、2022)から、まなざされることへと自らを曝露して嫌な気持ちになる。自分の酷さが心地悪くて辛い。そう感じることでしか始まらないものがある。」 「私の意図が・誤解が・相性がと言ってプレゼンテーション(説得・論破)するより、コミュニケーションしたい。話すために聴くより、聴くために話す。あるいは黙る。」
(「公的な別離へ──からかいへの男性性──」まさと(まなざしのフェミニズム)より)
まだほぼ情報出してないアンソロの原稿をいきなり引用してしまって本当に勝手にとても申し訳ないんだけど、考え続けたい、話し続けたい気持ちの背中を押してくれる文章で、ビリビリ痺れました。こういうアクションのこと、SNSのこと、それ以外でも、何かモヤモヤのある人にぜひ読んでもらいたいです。 (デモの日記から急にアンソロの話になって本当になんなんだって感じなんだけど、こういうことをまとめたzineも作りたいなと思っています〜)
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今日お会いできた乃衣さん堀川夢さん万次ノ輔さんくくるさん山田パセリさんフィリフヨンカさん、たいへんお世話になりました。また何かお話できましたら幸いです…!
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reportsofawartime · 2 months
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トランプ大統領の第2次独立宣言! 「アメリカは立憲共和国として設立された。選挙で選ばれた者は、市民の多数派の言いなりになってはならない。むしろ、多数派の意思にもかかわらず、その地区(州)にとって最善のことをしなければならない。このようにして、すべての人々が平等に代表され、誰も抑圧されることなく、立憲共和国は静かで、安定していて、効率的で、好ましいものとなる。」ー>日本ももともとこれでしょ、政治は アメリカ建国者と独立宣言の起草者に最大限の敬意と賞賛を表し、アメリカ国民は、ある種の永続的な専制と専制主義の台頭に対する彼らの思慮深い慎重な対応を謙虚に見習う。 https://amg-news.com/president-trumps-2nd-declaration-of-independence/… 私たちもまた、知識と機会に恵まれた人々が「人民」のために働くことは道徳的義務であり、「人民」は、その恩人たちが分裂よりも団結を、グローバリズムよりもナショナリズムを、服従よりも主権を、抑圧よりも自由を選ぶときに最もよく奉仕され、すべての人間は生来の価値において平等であり、アメリカは神のもとに建国され、神から与えられた権利は正当な手続きなしに取り消されたり、停止されたり、否定されたり、剥奪されたりすることはないと信じている。 第2次独立宣言がその祖先と異なるのは、独立を求める対象である。 残念なことに、私たちの大きな不幸、恥、そして落胆は、再三の警告や安全措置にもかかわらず、外国人投資家や私掠船の陰謀によって、私たちの土地、私たちの富、私たちの労働力、私たちの幸福、私たちの未来、そして私たちの子供たちまでもが所有権を得ることに成功した。 第二の "企業 "憲法の密かな採択や、国民を破壊するいくつかの修正条項の不確かな批准など、重要な出来事のさまざまな解釈によって歴史は混濁しているが、重要なのは、1つ以上の異質な集団がアメリカとその資産の所有権を主張していることだけである。 動機について推測し、偏った説明、検証不可能な情報、豊富な理論や意見に不利な重みをかけるよりも、私たちは完璧な解決策に取り組む。過去も現在も、宣言され、特定され、ベールに包まれたすべての主張者から独立することを徹底するのだ。 そのため、この宣言で名指しされた簒奪者は代表的なものであり、特定のものでもなければ、先祖伝来のものであろうと、先行する道具や過程に関係なく、網羅的なものでもない。 偏狭さを正当化するには、単に罪や簒奪を列挙すれば十分だろうが、重要な出来事を回顧することで、歴史から欠落している重要な事実が明らかになる。これらの忘れ去られた事実は、洞察力、展望、明瞭さを加え、我々の最善の進むべき道を照らしてくれる。 1.避けられない南北戦争はアメリカの経済を破壊し、家族を引き裂き、かつての有望な国家の未来に疑問符を投げかけた。アメリカは財政難に陥り、立ち直るためには大規模な資本注入が必要だった。 2.ヨーロッパの国家建設ベンチャーキャピタルの陰謀団は、アメリカの復興に資金を提供することに同意したが、その投資を確実にするために政府に積極的な役割を要求した。1871年、借金地獄に陥ったアメリカ議会は、ある提携を結んだ。無限の財政支援と引き換えに、外国の投資家はアメリカの行政上の必要事項を処理することになった。 3.当初は無害な譲歩に思えたが、国家を建設するベンチャー・キャピタルが合衆国憲法の保護を越えてアメリカのビジネスを行うことを許した結果、破滅的なことが判明した。投資家たちは、外資系企業政府およびワシントンD.C.の至る所に事業を展開し、国民よりもアメリカの金融業者の利益に奉仕し始めた。1871年、アメリカは事実上独立を失い、国家を建設するベンチャーキャピタルが新たな支配者となった。 4.1900年代初頭までに、アメリカに資金を供給していた外国人投資家たちは、主要な新聞社やニュースサービスを支配し、何が報道され、どのように報道されるかを決めることができた。彼らは、国民に暴露され、否定されるのを避けるために、自分たちの足跡を隠さなければならなかった。 5.国家を建設するベンチャーキャピタリストたちは、アメリカの不穏当な高位制度を和らげようと努力した。建国者たちは、特に多数派の市民が少数派の市民を抑圧するのを防ぐために、民主主義ではなく立憲共和制を形成した。多数派の意思を強制するのではなく、その地区(または州)にとって最善のことをすることで、代表者はすべての人々に平等に仕え、民主主義に内在する騒音、分裂、暴力を排除する。物語の主導権を握る外国人投資家たちは、アメリカは民主主義国家であるという欺瞞を巧妙に宣伝し、その欺瞞が不安と混乱を招き、アメリカを脆弱にし、 潜入と操作のさらなる機会を生み出すと信じていた。 6.1913年、外国人投資家たちは名誉毀損防止同盟を設立し、彼らや彼らのアメリカ政治への浸透を暴露する者を中傷した。 7.1913年、憲法修正第16 条によって、外国人投資家はアメリカ国民に直接課税する権限を与えられた。国民が自らの財産と労働力を強制的に没収されることを進んで受け入れるというのは、非論理的であり、批准の正当性に疑問を投げかけるものである。 8.1913年、第17条修正条項によって、外国人投資家は、敵対勢力の侵入から共和国憲法を守る重要な安全装置を破った。以前は、上院議員は各州議会によって任命される「ステーツマン」であり、国庫を強奪する下院議員をチェックする役割を担っていた。今後は上院議員は、票と引き換えに「無料」の公的資金とサービスを約束する、見栄を張った下院議員として立候補することになる。批准の信ぴょう性は低い。なぜなら、州議会は、国民の家の欲望に歯止めをかける権限を進んで放棄することはないだろうし、連邦政府への権限移譲に応じることもないだろうからだ。 9.1913年、トーマス・ジェファーソン、アンドリュー・ジャクソン、エイブラハム・リンカーン、アンドリュー・ジョンソン、ジェームズ・ガーフィールド、ウィリアム・マッキンリー各大統領の悲痛な警告にもかかわらず、外国人投資家は連邦準備法を議会に押し通し、外国資本の中央銀行制度を確立することで、わが国の通貨を支配するようになった。連邦準備制度法は、ほとんどの議員がクリスマス休暇で不在だった12月22日午前1時30分から4時30分の間に、妥協した議員たちの助けによって可決された。 10.1920年、議会は独立財務省法によって、米国財務省とその資産(金と銀)を、1913年に設立された外国人投資家が所有する中央銀行制度である連邦準備制度理事会(FRB)に引き渡した。 11.1921年、外交問題評議会は、世界におけるアメリカの利益を促進するために結成された。実際には、CFRはロンドン市によって後援されており、ニュースや情報ネットワークでの工作活動を通じて、大統領、議会、物語を指示することによって、外資の連邦準備制度理事会の利益を促進するために機能しています。 12.1925年、連邦準備制度理事会(FRB)の所有者たちは(再び)アメリカ合衆国株式会社を設立した。発行された100株のうちわずか5株が特定され、残りのUS CORPの株主は匿名のままであったが、その金はロンドン市、英国王室、バチカンにつながって いた。 私たちが内国歳入庁に送った税金は、彼らの支配下にある国際通貨基金と世界銀行に使われる。 13.米国企業の正式な設立は、アメリカを立憲共和制の国民から、外国の利害関係者とその一族が所有する企業へと変貌させる舞台となった。その後数年間で、個々の州も企業として登録され、アメリカ企業のフランチャイズとなった。下院議員も上院議員も、アメリカ国民を代表しているわけでも、アメリカ国民のために働いているわけでもない。むしろ、彼らは米国株式会社の経営者であり、そのようなものとして、彼らはまず米国株式会社の最善の利益に奉仕する義務がある。大統領はアメリカの大統領にすぎない。彼は米国企業のCEOである。 14.米国という略語は、米国と米国株式会社の区別を曖昧にするために、意図的に両者を表す言葉として使われた。同様に、オリジナルの合衆国憲法は、これまたアメリカ国民を混乱させ欺くために、似たような名前と外観を持つ偽者の「企業(すべて大文字)憲法」に静かに取って代わられた。具体的には、「アメリカ合衆国憲法」は「アメリカ合衆国憲法」に置き換えられ、後者の会社法がアメリカの最高法規となった。 15.1933年、アメリカ連邦政府は破産を宣言し、最高経営責任者(CEO)代理であるルーズベルト大統領は、アメリカとその資産(国民と労働力を含む)をアメリカ公社に譲渡した。アメリカとその資産には、国民と労働力も含まれていた。1933年の破産は、間違いなく不必要なものであり、儀式的なものであり、国民の同意なしに仕組まれたものであったが、アメリカとその資産の強奪と、アメリカ企業を所有する同じ外国の利害関係者への譲渡を完了させた。
16.1933年の破産で、アメリカの公社はアメリカ国民に金を放棄させ、「ドル」と呼ばれる負債紙幣と交換させた。不換紙幣は実質的な価値を持たず、インフレによって減価し続け、現在ではわずか4セントの価値しかない。 17.1933年の破産によって米国公社は非常事態に陥り、アメリカ国旗の周囲に金の縁取りがあることからもわかるように、提督法を実施することができるようになった。US CORPの法廷では、あなたは海上にいるとみなされ、アメリカの「市民」ではない。 18.1936年、米国公社は社会保障番号の発行を開始し、そうでなければ主権を持たないアメリカ人を、企業という虚構の受託者に変え、私たちの労働を課税対象とした。米国公社によれば、あなたは生身の男性でも女性でもなく、むしろあなたの名前の法人の代表者なのだ。 19.1945年、匿名の所有者であるアメリカのCORPは、平和、礼節、人道支援を世界中に広めるという名目で、国際連合を設立した。しかし、その真の目的は、市民に国際的権威を認めさせることであり、彼らが約束した 「新世界秩序」を確立するための第一歩である。 20.国連の出版物である『アジェンダ21』と『アジェンダ30』は、ナショナリズム、愛国心、私有財産、個人の権利、二親家族、自動車、空の旅、専制的な政府から自らを守る権利の終焉を求め、「新世界秩序」のアジェンダを明確に示している。持続可能な発展」という目標に沿って、彼らは人口を90%以上削減し、反体制派や "役立たずの食い物 "をアメリカと世界から排除することを計画している。残された "有用な召使い "たちは、沿岸部のコミュニティーに住み、そこでマイクロ・アパートに積み重ねられ、詰め込まれることになる。 21.彼らの「新世界秩序」を阻む唯一のものは、強く、繁栄し、安全なアメリカである。世界征服という彼らの目標を達成するためには、アメリカは主権と指導的地位を失わねばならない。そのため、アメリカCORPの所有者たちは、過去100年間、自由奔放な方法と戦術を駆使して、私たちの文化、システム、信念、基準、願望、モラルを貶めることに静かに取り組んできたのだ。 22.私たちの労働に課税することで毎年数百万ドルを自由に使えるUS CORP.のオーナーは、私たちの国家を転覆させ、反対する人々を黙らせるために活動する外交問題評議会を含む、左派の非営利団体に資金を提供している。彼らは、AMA、APA、CDC、FCC、SEC、FDAを含む、最大の慈善団体や組織を運営する役人や管理者に便宜を図り、国務省、司法省、NSA、FBI、CIAを含む公式・秘密情報機関に工作員を送り込んでいる。 23. 米国CORPの匿名の所有者たちは、多額の助成金と寄付金と引き換えに、公立学校、大学、カレッジのカリキュラムと政治的感情を形成し、次世代を担う私たちの子どもたちが、自国、自国の歴史、自国の文化、自国の家族、さらには自国の民族性を軽蔑するようになることを保証している。 24. US CORPの匿名のオーナーは、公教育、大手出版社、ニュースサービス、電波、社会・情報ネットワークを支配することで、歴史上最大の強盗と隠蔽であるアメリカの真の歴史について、国民を闇に葬り続けている。 25.米国公社の外国人オーナーは、社会と政府のいたるところで「操り人形」を支え、彼らの秘密主義とアメリカ征服のアジェンダを実行するために、何百万ドルもの取引をさせている。これらの裏切り者には、著名な政治家、ニュース読者、評論家、作家、映画スター、社会、ニュース、情報ネットワーク、主要スポーツチーム、音楽、娯楽産業のトップ、そして設計、製造、広告、購入、資金調達、消費される製品の90%以上を担う企業複合体が含まれる。 26.選挙キャンペーンに資金を提供し、選挙を仕組むことで、米国公社の所有者は最も影響力のある政治家たちに、アメリカを社会的、財政的に崩壊��せるという彼らのアジェンダを推進するよう義務づけている。彼らは、国を蔑視し、政府に依存し、放縦、無法、不道徳を助長し、市民を甘やかし、落胆させ、世界のエリートが後援する国際的な選挙で選ばれたわけでもない政府の偽りの約束と主権を交換するように仕向ける。 27.民主党と、テレビの司会者、エンターテイナー、ジャーナリスト、評論家、政策専門家を装った工作員たちによって、米資本党のオーナーは国民を洗脳し、グローバリズム、社会主義、テクノロジーが私たちの道徳的羅針盤となるような神なき社会を求める無効な議論や疑似科学を受け入れるように仕向けている。 28.外資系アメリカ資本の工作員たちは、ニュースや情報ネットワーク、学界、政府、社会全体に深く根ざしている。俗に「ディープ・ステート」「影の政府」「沼地」と呼ばれる彼らは、死刑に値する反逆罪を犯しているため、集団心理で行動している。彼らは自分たちの共犯関係を隠そうと必死であり、そのため自分たちの裏切りや不正行為を暴こうと脅す者すべてを組織的に標的にし、悪者にし、さらには「自殺」させる。 http://29.USコーポレーションの幹部たちは、無制限の移民受け入れを支持している。同化する時間を与えることなく、不法移民でアメリカを溢れさせることは、傲慢、分離、反米主義、そして国民に対する怒り、反感、対立を確実にする。また、アメリカを成功に導いた原則、倫理、制度が着実に希薄化していくことも予想される。さらに、不法移民の大多数は、米国資本の外国人所有者の意向に従って立法を行う民主党に投票する可能性が高い。 30.自由で開かれた、ほとんど鎖につながれていないインターネットは、アメリカの隠された強盗や、影で活動する犯罪ネットワークを明らかにするため、アメリカと人類に対する犯罪の加害者であるUS CORPのオーナーは、暴露されることを強く懸念している。国民が目を覚まし、組織化し、正義を実現することがないように、彼らは私たちが目にする情報にセンサーをかけ、精神作用のある薬物を飲ませ、政府からのお金で私たちを満足させ、永遠に続くビデオゲームで私たちの気をそらし、次から次へと無意味なスポーツイベントを宣伝する。 31.歪んだ統計、欺瞞的な世論調査、虚偽の事実、決定的な情報の省略と連動して、米CORPのオーナーは反米主義と彼らの「新世界秩序」アジェンダを促進する。フェイクニュースは、国民を混乱させ、誤った情報を与え、民族、性別、性的指向、宗教、経済階級で分断させ続けている。一方、彼らの債務システムは、監視を通して私たちを奴隷化し、フッ素塗布、予防接種、その他のテクノロジーは、実質的な反対を弱めるために展開されている。
32.USコーポレーションのオーナーは、彼らの全体主義や抑圧的な "新世界秩序 "の邪魔をする何百万人もの法を守る愛国者の武装を解除するために絶え間なく働いている。画策された銃乱射事件によって、「包括的な身元調査」に同意するまで、US CORPのオーナーは国民を恐怖に陥れ続けるだろう。この "包括的 "という言葉は曖昧で定義されておらず、対象となる人物が情緒不安定で社会にとって危険であると判断されるまで、心理学的・医学的テストを実施することができる。あらゆる近未来的な本や映画の予言どおり、愛国的なアメリカ人は、精神衛生上のスクリーニングという名目で、政治的なプロファイリングによって武装解除されることになる。 33.米国株式会社の外国人オーナーは、その巨大な洗脳マシーンを通じて、アメリカは民主主義であり、民主主義が最高の政治形態であると国民に信じ込ませている。民主主義とは定義上「群衆支配」であるため、これは問題である。民主主義国家が必ず破綻するのは、「多数派の群衆」が、過剰な課税やその他の社会主義的な政策によって調達された、より多くの公的資金やサービスを常に要求し、その結果、経済が破綻し、債務が暴走し、財政が破綻し、最終的には社会が崩壊し、約束され、予測され、恐ろしい、そして常に迫っている「新世界秩序」への扉が開かれるからだ。主権は、民主主義の悪弊を暴き、私たちの崇高な立憲共和制を再確立することなしには持続不可能であるため、私たちは以下の宣言をせざるを得ない: 34.民主主義という言葉は、アメリカ建国文書のどこにも出てこない。なぜなら、民主主義はいかなる形であれ、偽装であれ、致命的な欠陥があり、必ず抑圧、不安、社会の失敗、暴力、死をもたらすことを、建国者たちは知っていたからである。 35.近代的な政治形態はすべて民主的に選出される。選挙が終わった後、誰が決定を下すかによってのみ区別される。 36.民主主義では、多数派の市民が売り上げを上げ、少数派の市民は抑圧される。その結果、民主主義は常に騒々しく、分裂し、分断され、不十分で、不安定で、燃えやすく、財政的に無責任で、短命である。 37.アメリカは立憲共和国として設立された。選挙で選ばれた者は、市民の多数派の言いなりになってはならない。むしろ、多数派の意思にもかかわらず、その地区(州)にとって最善のことをしなければならない。このようにして、すべての人々が平等に代表され、誰も抑圧されることなく、立憲共和国は静かで、安定していて、効率的で、好ましいものとなる。 38.民主主義という言葉は気持ちのいいものだが、その根底には暴徒の支配があり、それは社会主義や共産主義、その他あらゆる専制的な政治形態に似ている。 39.最後に、合衆国憲法第15条第4節が疑問を解決してくれる。合衆国憲法第4条第4節は、「合衆国は、この連邦の各州に対し、共和制の"統治形態"を保障しなければならない」という疑問を解決している。 歴史上最大の強盗と隠蔽工作を暴露したことで、我々は要約することができる。アメリカとその資産は静かに乗っ取られ、隠蔽工作は国民と人類に対する想像を絶する犯罪をもたらした。敵対的な乗っ取りを許せば、最終的には競争的かつ不可逆的な支配につながり、真実、正義、そして善なるものすべてが根絶される。 この第2 独立宣言は、アメリカ合州国を破壊的な統一国家公社から区別するものである。 この宣言は、米国公社が違法に設立され、外資系であり、その株主が150年以上にわたってアメリカと静かに戦争してきたことを主張するものである。政府と "フェイクニュース "ネットワークに組み込まれた反逆的な工作員たちは、意図的に国民を分断し、国家間の対立を助長して、米国企業が違法に設立されたこと、外国資本であること、株主が150年以上にわたってアメリカと静かに戦争してきたことを隠している。 政府と "フェイクニュース "ネットワークに組み込まれた反逆の工作員たちは、意図的に国民を分断し、原住民同士の争いを助長している。 この第2次独立宣言はまた、米国企業による悪魔的な世界統治計画を、確信をもって否定するものである。エリートの、エリートによる、エリートのためのものであり、人民のためのものではないことに加え、彼らの偽りの宣伝する似非ユートピア的な選挙で選ばれない全体主義的な「新世界秩序」は、アメリカの主権に取って代わり、自由と繁栄のかけらも永遠に消滅させるだろう。 人間は近視眼的で柔順であり、簡単に騙されるようにできている。だから、アメリカ国民は、多大な犠牲を払って祖国を確保した先人たちから受け継いだ祖国を騙し取られた責任を負うべきだろう、そして、自由、機会、繁栄という、ほとんど評価されていない恩恵を、得体の知れない快適さ、軽薄な娯楽、大食漢の快楽という形の「装身具」と、ゆっくりと、しかし着実に交換してきたのだから。 しかし、アメリカ国民からの所有権の移転は、公然と、誠実に行われたのではなく、計算された意図と極悪非道な手段によって、身体の同意もなく、違憲のまま密かに行われたのである。アメリカ国民が是正の権利を主張するのは、後者の理由からである。 歴史上最大の強盗が合衆国憲法の制約の外で行われ、アメリカの最善の利益を代表するために選ばれた者たちが、受託者責任を犯し、権限を逸脱した。 戦争当事国による長年にわたる残虐行為の後、交渉により和平が成立した場合と同様、われわれは復讐を求めるのでも、過去の罪に対する正義を要求するのでもない。私たちはただ、正当に 国民のものであるものの返還を懇願し、アメリカが永遠に主権国家であり続けること、自由であり、自主的であり、現在の、計画され、革新された「新世界秩序」のいかなるバージョンやバリエーションにも属さず、依存しないことを、しっかりと、力強く、公に、公式に宣言する。 私たちは無血解決策を懇願する。偽旗イベントを含むすべての破壊活動を停止し、米国企業やその他の不法な法的構造および保管手段を解散させ、私たちの土地と金銀を含む資産を返還し、私たちの労働に徴収された税金をアメリカに戻し、「ディープ・ステート」と「 影の政府」の活動家を引退させ、秩序だった方法で影響力を後退させ、社会が繁栄し続けるようにする。 1776年に13の植民地がイギリスから、1825年にメキシコ国民がスペインから分離独立したことからも明らかなように、国家の束縛から解き放たれることは基本的かつ明白なことである。公認された代表によって歓迎される正式な宣言は、即時的で、完全で、無形であり、義務や条件や押しつけに邪魔されない独立をもたらす。 悲痛な領域に足を踏み入れるとき、私たちは、先人たちが自分たちを縛っていた政治的・家族的な絆を慎重に断ち切ったときに築いた不安定な道を思い起こす。私たちの心もまた、憂鬱と不安で満たされている。しかし、私たちもまた、より良い選択肢がないことに直面しているため、毅然とした姿勢と立場を貫いている。明白な危険にもかかわらず、黙認することの結果はさらに深刻であり、私たちは今一度、独立を厳粛に主張せざるを得ないのである。 そこで、神の摂理の保護に固く依拠するこの宣言を支持し、われわれは互いに、生命、財産、神聖な名誉を誓い合う。 (56名の署名者またはTHE TASK FORCEは、議会、大統領、50州議会、各州知事への贈呈時に付される)
目にしたんで備忘に、こんなん絶対トランプのちゃうやろこのルートは反欧ですまず反ユダヤなる
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ari0921 · 2 months
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桜の季節を迎えました。
今週は、私がTBS系テレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」の放映で注目された陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班べっぱん」について、ダイレクト出版のビデオ講座で〝証言〟したものをご紹介します。
下記は、ダイレクト出版のPRですが、ご覧頂ければ幸甚です。
 連載中の「金王朝の歴史」は、「金正日による日本人拉致」のうち、「日朝首脳会談」について書きました。
 近日中に五島列島・宇久島をモデルに「故郷の防衛戦略」というビデオ講座を発売します。乞うご期待!!
//////編集部からのお知らせ//////
「皆さん、私が嘘を言っていると思いますか?
“コレ“が嘘であればいいですね。」
自衛隊元陸将・福山隆先生が
不敵な笑みを浮かべながらそう話した時、
スタジオは静まり返っていました…。
というより、“先生の話す
「あまりに現実離れしたストーリー」に、
その場の全員が飲まれていた“と
言った方が正しいかも知れません…
先生の口から語られたのは…
誰も知らなかった日本人スパイの裏面史…
私たち日本人が知らなければならない…
自衛隊のもう一つの姿でした…
=====
From 福山隆
「ミサイル発射や
核開発を進める北朝鮮。
日朝関係は、常に緊迫した状態だ。
正しい状況判断をするための手立ては
『金王朝の歴史』を熟読することである」
金王朝の歴史(50)
金正日による日本人拉致(4)日朝首脳会談
今から20年以上も前、
時の総理の小泉純一郎と
北朝鮮の金正日が
初めて対面する
「日朝首脳会談」が行われ、
拉致被害者5人の帰国が実現した。
北朝鮮はその後、
金正日に引き続き
後継者の正恩も
核ミサイル開発に狂奔し、
世界の中では孤立化の道を
突き進んでおり、
日朝の対話も進展が見られない。
残念なことに、
今も12人の拉致被害者は
帰国できないままである。
〇 第一回日朝首脳会談
2002年9月17日、
小泉純一郎首相(当時)が
北朝鮮の平壌を訪問し、
金正日と会談した(日朝首脳会談)。
金正日は、その席で、
日本人13人を拉致したことを認め、
「遺憾なことであり
率直におわびしたい。
私が承知してからは、
関係者は処分された」と
口頭で謝罪した。
また、犯人については、
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を
行ってきたと考えている」とし、
関係者はすべて
処罰したと述べた。
金正日の
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を行ってきた」
という言い訳は、
明らかに嘘である。
金正日自らが首謀し、
指揮を執ったのである。
「嘘と誤魔化し」は、
彼らの本性とさえ言える。
この際、日本側が
安否確認をしたことに対して、
北朝鮮側は地村保志さん、
浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、
奥土祐木子さんの4人の
「生存」を明らかにし、
横田めぐみさん、田口八重子さん、
市川修一さん、増元るみ子さん、原敕晁さん、
松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さんの
8人を「死亡」と発表した。
更に、日本側も
把握していなかった
曽我ひとみさんの拉致・生存と、
横田めぐみさんの娘の生存も
明らかにした。
久米裕さん、曽我ミヨシさんについては
入国自体を確認できないとした。
北朝鮮側は「死亡」したとされる
8人に関する「死亡診断書」などの
情報を提出したが、
これらはすべて
捏造であったことを
日朝実務者協議
(2004年11月)で認めた。
この首脳会談で、
「2国間の懸案を解決し、
国交正常化へ努力する」ことを記した
「日朝平壌宣言」を
発表した。
同宣言には
書かれていないが、
小泉首相は「拉致を認め
被害者を帰国させれば
100億ドルを払う」と
約束していたという
(元北朝鮮外交官・太永浩)。
日朝平壌宣言では
「国交正常化の後」、
「経済協力を実施」することと
なっているが、
日本政府は
「拉致問題の解決なくして
国交正常化はありえない」と
当然のスタンスを
維持している。
その後の交渉で、
北朝鮮が生存していると証言した
5人の拉致被害者については、
一時帰国を条件に
2002年10月15日に
帰国が実現した。
交渉は外務省アジア大洋州の
田中均局��(当時)と
“ミスターX"の間で行われた。
田中局長は
「生きている拉致被害者を
4人から5人程度出せばいい」と提案、
北朝鮮側が了承し、
5人の一時帰国が実現した。
こんな提案を行った
外務省の田中局長は、
実に薄っぺらで、いい加減で、
無責任極まりない人物と
言わざるを得ない。
こんな外交官が日本の外務省の
局長になるのであれば、
我が国の外交は寒心に耐えない。
日本政府は
世論や拉致被害者家族会の
要望などにより、
一時帰国した5人の被害者を
「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、
5人の家族の帰国も
要求する方針をとった。
このため、北朝鮮側は
「日本政府に対し約束違反だ」と
主張した。
このような北朝鮮政府の抗議により、
その後の交渉は、
北朝鮮政府が
「日程を決めない」
などした為に中断した。
第一回日朝首脳会談で、
金正日が、
一連の拉致事案や工作船事案を
認めて謝罪した事で、
拉致を巡る世論は一変した。
マスメディアは連日、
日本人拉致問題を報道して
北朝鮮を激しく糾弾し、
国民の多くは
北朝鮮に対する制裁を
強く訴えるようになった。
韓国の東亜日報は、
当時の日本国民の激怒の有様を
「憤怒」と報じた。
報道の世界における
「タブー」として有名であった
北朝鮮の呼称方法
――「朝鮮民主主義人民共和国」――が
一斉にマスメディアから姿を消し、
単純に「北朝鮮」と
呼ぶ様になった。
日本人拉致問題を
「でっちあげ」と言い続けてきた
朝鮮総聯は、
本国から梯子を
外された格好となった。
朝鮮総聯は、
「拉致事件に怒りを覚えた
一部の日本人によって
チマチョゴリを着用した
女子生徒への嫌がらせ事件
(チマチョゴリ切り裂き事件)や
朝鮮学校生徒への暴言・
暴行がある」と主張したが、
日本の警察は、
それらの事件について、
「政治的背景はない」と
クールな判断を示した。
在日朝鮮人社会のショックは、
相当なものであった。
在日朝鮮人で
詩人の金時鐘は
「植民地統治を強いられた
被虐の正当性も、
これで吹っ飛んだ
気にすらなった」と嘆いた。
北朝鮮に対して、
比較的友好的な立場を採っていた
日本人の一部(左翼)は、
日本の世論の大転換を
目の当たりにして、
日本人拉致事件について
言及せざるを得ない状況に
追い込まれた。
日本人拉致事件を
「捏造・デッチ上げ」と
主張していた人々は、
事実認識の誤りを撤回して、
謝罪を迫られる状況に
追い込まれた。
〇 第二回日朝首脳会談
2004年5月22日、
小泉首相は2度目の
平壌訪問を果たし、
日朝首脳会談を行い、その帰途に、
蓮池・地村夫妻の子供たちを伴って、
祖国日本への帰還を叶えた。
また、曽我ひとみさんの場合は、
夫が脱走・亡命した
元アメリカ兵であるゆえ、
アメリカ軍による
軍法会議訴追の問題があるため、
北朝鮮政府側に執拗に
北京での面会を求めたが拒否され、
同年7月に
インドネシアのジャカルタで
家族と再会し、
その後、
日本に帰国を果たした。
〇 拉致被害者問題は解決が困難な重い課題――
一段と進む被害者家族の高齢化
北朝鮮が核ミサイル開発する中、
我が国は米国などと
制裁を課しているが、
これを解決する
決め手はない。
拉致被害者等は
令和の時代に至るも
全く進展していない。
拉致被害者等は、
事実上の「人質」であり、
日本国民・政府にとって
極めて重い課題として
今後も推移することだろう。
この20年余で、
政府が認定している
拉致被害者のうち、
安否が分かっていない
12人の親で、
子どもとの再会を果たせずに
亡くなった人は、
8人に上る。
このうち、市川修一さんの
父親の平さんは
2014年に99歳で亡くなった。
2020年には、有本恵子さんの
母親の嘉代子さんが94歳で、
横田めぐみさんの父親の
滋さんが87歳で死去するなど、
高齢化が進む中、
肉親との再会を果たせないまま
他界する親が相次いでいる。
健在な親は、
横田めぐみさんの母親の
早紀江さん(88)と
有本恵子さんの父親の
明弘さん(96)の
2人だけとなっている。
被害者のきょうだい世代も
高齢となり、
体の不調を訴える人が
多くなっていて、
2021年12月には、
被害者の家族会代表を
14年にわたって務めた
田口八重子さんの兄の
飯塚繁雄さんが83歳で死去した。
拉致問題は、今年、
最初の事件発生から47年、
北朝鮮による
拉致被害者家族連絡会が結成されて
27年が経過した。
家族は「親の世代が
被害者と抱き合うことなしに
拉致問題の解決はない」として、
政府に全力の
取り組みを求めている。
戦後の平和憲法・
憲法9条下の日本は、
外敵から国民の生命財産を
守れない体制にある。
一刻も早く、この
〝ハンディキャップ状況〟から
脱しなければならない。
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diarytheroomoffuji · 10 months
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タイプいろいろ
何をしたいのか?
動画のおすすめにアメリカ在住(10数年)の方が「日本へ帰る帰らない」と言う内容の動画が出てきた。アメリカの某有名都市在住で、そこでの生活状況や日系人のコミュニティにもに疲れたとかで・・・
初めて拝見したのでその方の詳細も知らないし、どの様な仕事をされているのかも分からないのでコメントは控えたのですが、動画へ寄せられてるコメントもほぼ日本人で、寄せられたコメントの中には、「日本へ来たらオフ会をしましょう・・」など日本の方々から日本らしいコメントが多く寄せられていた。
今回その方は、4年ぶりに日本のご実家へ帰られるそうだが、その4年がその方にとって相当長い間日本へ行っていない感覚らしい。
私は15年、日本へ行っていないけど、帰りたいとも思っていないし時間の隔たりも感じてない。でもだからと言って私がこちらでの成功者でもないし、むしろ日系人がよく言う “ 勝ち組&負け組 ” で例えるなら負け組だ(笑)笑えないけどさ・・・父親の葬式にも行けない親不孝者
この動画を拝見し、大変失礼を承知で申し上げる私個人の意見は、「アメリカに何を求めて行ったのか?」と素朴に感じた。
現在の所が嫌なら大陸は広いんだから同じ州内でも全く違う環境があります。是非、別の町にも暮らす事を試してほしい。現在暮らしている所で思う様にいかないから帰国って・・と思いました。こんな声届かないけどさ。
日系コミュニティに疲れているのなら、なぜ日本人相手でなく異国の方々とやり取りをしないのか?その様な状況で今日本に帰っても何も変わらないと思うのでした。まあご本人しか分からない状況があると思うけど。
日本のご実家に身を寄せるとか仰ってたので、日本の受け入れ先もあると言う事で余計に心が折れたのかもしれませんが・・・
私がこれまで見てきた日本へ引き返す方々の多くはこの様な方々でした。常に頼る所がある。
ほぼ皆さん同じ図式。ご実家ご家族もある程度余裕のある方々で頻繁に日本へ帰る、そして日本の生活環境が忘れられない。異国での不自由さにどんどんマイナス思考に陥ってしまう。
私が強いとかではありませんよ。そして日本へ帰国する事を非難しているのではありません。
ただ私は、異国に出てきた目的がその様な方々とはハッキリ違うのです。日系コミュニティとも疎遠だし。
その感覚の違いって、私も来たばかりの頃は分かりませんでした。皆さん自分と同じ感覚で異国に出て来たと思った程で、時間と共に何年も経ち、周りの日系移住者との違いを肌で感じる様になって、自分の居場所を探すと言うか答えが見えてきました。
幸い私は日系人や日系コミュニティ相手の仕事ではないので自分の居場所も見つけ易かったとも感じます。異国の日系社会って日本を凝縮した様な所も多々あります。キツイですよ(苦笑)
勿論、その中でハッピーに暮らせてる人もいますからね。私は無理ですが・・・
異国は異国
オヤジのクドイ話をごめんね
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petapeta · 11 months
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ニューヨーク州アンゴラで生まれる。時計やミシンなどの修理を趣味としていた。数学が得意で、1895年にコーネル大学に進み、1901年に機械工学の学士号を得て卒業。その後、ヒーター、ブロワー、換気システムなどを作る企業 Buffalo Forge Company に入社し、ヒーター部門で材木やコーヒー豆を乾燥させるヒーターシステムの設計に従事した。 1902年7月17日、ニューヨーク州バッファローで働いていたころ、ブルックリン区の Sackett-Wilhelms Lithographing & Publishing Company に納入した装置に品質問題が発生し、その対策としてキャリアが書いて送った設計図が後に世界初のエア・コンディショナーと呼ばれることになった。この1902年に設置された装置は湿度制御を追加したものだったことから、これをエア・コンディショナーの誕生とする。一般に空気調和には次の4つの機能が必要である。 温度制御 湿度制御 空気循環と換気の制御 空気清浄化 さらに数年間改良と実地試験を重ね、1906年1月2日、キャリアは自身の発明の特許(米国特許番号 808897)を取得し、この世界初の噴霧式空調装置を "Apparatus for Treating Air"(空気を取り扱う装置)と呼んだ。水を加熱したり冷却したりすることで加湿と除湿ができるよう設計されている。この装置の1号機は1906年末に LaCrosse National Bank に納入された。 1906年、キャリアは結露し始める温度(露点温度)と湿度には比例関係があることを発見した。この発見に基づき新たに自動制御システムを設計し、1907年5月17日にその特許を出願。1914年2月3日にその特許を取得した(米国特許番号 1,085,971)。このためキャリアは「露点制御」の発明者でもある。 1911年12月3日、アメリカ機械工学会の年次会合で、キャリアは空気調和における最も重要かつ画期的な論文 "Rational Psychrometric Formulae" を発表した。この論文は、相対湿度、絶対湿度、露点温度の3者の概念を互いに結びつけたもので、与えられた条件に合うように空調装置を設計することを可能にするものだった。 会社設立[編集] 1914年に第一次世界大戦が始まると、キャリアが12年間勤めていた Buffalo Forge Company は新規開発をやめ、製造のみに特化することを決めた。このため、キャリアを含む7人の若い技術者が貯金を集め、32,600ドルで会社を設立した。これが Carrier Engineering Corporation で、1915年6月26日にニューヨーク州で設立したが、間もなくニュージャージー州ニューアークに移転した。 遠心形冷蔵機を開発し、1920年代には建物の冷房のための空気調和設備の市場が急激に成長したが、1929年10月のウォール街大暴落の影響で会社は財政的に行き詰まった。翌1930年、同社は Brunswick-Kroeschell Company と York Heating & Ventilating Corporation と合併してキヤリア社 (Carrier Corporation) となり、ウィリス・キャリアは会長に就任した。 ニュージャージー州やペンシルベニア州の4つの都市に拠点を持つようになり、1937年にはニューヨーク州シラキュースに本社を移転した。ニューヨーク州では最大の雇用を生み出した企業の1つとなった。1930年には日本に東洋キヤリア工業株式会社を設立している。朝鮮半島にも工場を設立した。 世界恐慌によって空調設備の導入は遅れることになった。ウィリス・キャリアは1939年のニューヨーク万国博覧会で未来の空調を展示したが、それによって空調設備の人気が回復する以前に第二次世界大戦が始まった。戦後になり、やっと空調設備市場が急速に発展することになった。 キヤリア社は大型の冷蔵庫の設計製造を最初に始めた会社である。また、空調の進歩により産業全体の夏季の工業生産能力が大幅に改善された。また、1920年代から住宅用空調設備が導入されたことで、サンベルトへの移住が促進された。同社は1980年にユナイテッド・テクノロジーズの傘下となった。キヤリア社は今も空調や冷蔵の分野で世界をリードしている。2007年の売り上げは150億ドル以上で、従業員数は約45,000名である。
ウィリス・キャリア - Wikipedia
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kijitora3 · 1 year
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いいことやってる正義感から移民を大規模受け入れ
その結果が決して通じ合えぬ2種類の国民への分断
欧州各国は今更慌てても遅い 圧倒的多数の白人が人種差別しながら平穏に暮らすのが欧州の日常だったのに
お互いに襲い襲われしながら互いに人種差別から殺しあう社会になってしまった どっちがマシなんでしょう
それにしてもフランスへの同化、忠誠をゴリゴリに要求するフランスでこれなんだから、日本がまったりとした気分のまま中国人、朝鮮人、ベトナム人を受け入れられてたら、フランスを超えて、乗っ取られるぞ
まあ、その前に日本人の行動に一大転換が起こって外国人受け入れを極限まで絞り込むだろうけど 一度受け入れてしまった外国人を帰すのは大変なのは中韓人で経験済みなんだから、一刻も早く日本人は野放図に受け入れるのをやめなきゃね
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jujirou · 9 months
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おはようございます。
福岡県北九州市小倉は、雨が降っております。
昨日は北九州市新門司港フェリーターミナルに接岸後、小倉の展示会会場へ移動し、その後は展示会の搬入やら設営を行い、何とかかんとか並べ終えられました。
その後、宿に移動する前に買物をし、宿到着後からはクタビレで知らないうちにZzz
そして本日14日から19日迄の6日間、北九州市小倉北区に有ります西日本総合展示場にて、第45回西日本陶磁器フェスタの初日が間も無く始まります。
一年に一度の北九州市での展示会。
今年も良いご縁が有ります様に。
そして皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に‼︎
https://jujiro.base.ec/
#秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田のものづくり #髹漆 #寿次郎 #第45回西日本陶磁器フェスタ #西日本陶磁器フェスタ #ブースno159秋田川連塗寿次郎 #西日本陶磁器フェスタ2023 #展示会移動日3日目の出来�� #展示会搬入日 #9月14日から19日まで開催 #Kawatsura #Yuzawa #Akita #Japan #Urushi #japanlaquer #Lacquerware #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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apoandbangpo · 11 months
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
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Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっている��とだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁ずると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、歌手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の粗い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギという3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだと確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの起源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別れのように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感を私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれが対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサート��明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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myonbl · 6 months
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2023年12月23日(土)
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今週の天満天神繁昌亭昼席には露の新治さんが仲入りで出演中、冬休みに入ったのでようやく伺うことができた。冷え込みが厳しいなかで客の入りを心配したが、場内は2階席にも人が入ってほぼ満席。私にとって今年最後の寄席を良い雰囲気の中で堪能することができた。明日からは兼業主夫として小掃除に精を出すのだ、頑張るぞ!
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6時起床。
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朝食。
洗濯。
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第4水曜日は<使用済み天ぷら油回収>、7時30分に幟とタンクをセットし、10時には業者が回収に来てくれる。今回は<2L>だった。
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繁昌亭のスケジュールをチェックすると、なかなか面白そうな会を発見、本日10時発売とのことで早速<ぴあ>でゲットした。
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ツレアイは和服に着替え、早めのランチはカップヌードル。
いつものように、阪急桂駅から南森町に向かう。
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なかなかバラエティーに富んだ番組で楽しめた。<まいどおおきに露の新治です>に送ったメモを貼り付けておこう。
私の職場(私立女子大学)では22日(金)が年内授業終了、23日(土)になってやっと天満天神繁昌亭昼席に伺うことができました。土曜日とあって1階席はほぼ満席、2階にも客の姿があっていい雰囲気で開演です。トップバッターは希遊さん、軽いネタですがもう少しゆっくり喋ってくれると年寄りでも聞きやすいのですが(笑)。2番手はそうばさん、福岡出身の九州男児からすれば関西の言葉は品がないとのこと。そこから「ヒレ肉」「ヘレ肉」をざこば師匠へとつなぐ上手い運び、演題が何故こうなるかは木戸銭払った客だけの楽しみ。初めて聴きましたが漫談というより一席のネタになっています。続いて純瓶さん、寄席サイズにコンパクトにまとめて聴かせてくれました。似顔絵のいわみせいじさん、なんと隣に座るツレアいがモデルになることに、帰りに作品を頂きました。吉弥さんは三枝作品、初めて聴きましたが創作落語でもうまく聴かせてくれるのは実力の証明。さて我らが師匠は鉄板の狼講釈、狼の前で苦しむ五目講釈、いつも以上にリアリティーがありました(笑)。中入り後は染左さんが袴姿で登場、大きな所作の芝居話で楽しませてくれました。文都さんは自作でしょうか、日本昔話のパロディーをダジャレを恐れることなく連発して大うけでした。千田やすしさんは来年で芸歴50年とのこと、我らが師匠と(ほぼ)同じキャリアですね。腹話術には人形が登場するまでの巧みな話術が重要であることを再認識しました。トリは塩鯛さん、乗り物のマクラを十分振られましたが、できればマクラを軽くしてサゲまで聴きたかったですね。 私にとっては今日が今年の落語納め、明日からは兼業主夫として小掃除に励みます。
いつも通り、帰路の桂駅で揚げ物買って帰宅。
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息子たちにはスパークリングワイン、私たちは<瑞冠>を燗して乾杯。
片付け、入浴、体重は150g増。
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さすがに電車移動だけなので、3つのリングは完成せず。
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kennak · 15 days
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環境NGOは時代遅れになったのか? Have Environmental NGOs Become Obsolete? - by David Zaruk (thefirebreak.org) https://www.thefirebreak.org/p/have-environmental-ngos-become-obsolete?utm_source=profile&utm_medium=reader2 MAY 20, 2024 時代は変わったが、狂信者は変わらない 捕鯨船を追いかけるグリーンピースの活動家の時代から、政府の気候関連移行戦略を指揮する今日のグリーンNGO連合まで、過去50年間、環境NGOは政策論争を組み立て、メディアの物語を支配してきた。NGOは、自らを市民社会と社会正義の代弁者であり、産業の貪欲さと腐敗した制度から人類を守る細いグリーンラインであると自称していた...最近までは。 過去5年間のいくつかの出来事は、環境NGOの時代が終わり、その影響力が弱まり、人々の信頼が低下していることを示唆する。なにがおこった? ・Extinction RebellionやJust Stop Oilのような緩やかに組織されたグループは、NGOが環境保護に実質的な影響を与えていないことへの不満から結成された。 ・ソーシャルメディアは、Just Stop Oilのような小さなニッチグループを迅速に形成し、行動を起こし、前進することを可能にした。 ・Greta Thunbergのようなポピュリスト教祖は、自分たちの影響力を弱めるような運動やNGOには入らないと意識的に決断した。 ・財団は、より資金が潤沢で、より政治的でなく、より効果的なキャンペーンを自ら指揮するようになった。 ・ガーディアン紙やAP通信などの報道機関が、これまでNGOに寄付されていた一般市民や財団からの寄付に頼って、活動家のキャンペーンビジネスモデルを運営するようになった。 それで、NGOは時代の変化に適応できるのか?彼らは時代の新しいプレーヤーに従うべきか?彼らは自分の強み(ネットワーク、コミュニケーションスキル、政治経験など)をオルタナティブな運動を支援するために使うべきか?彼らはいかにして、これほどまでに、そしてあっという間にリーダーの地位から転落したのか? 自らの成功の犠牲者 1970年代、有毒廃棄物が住宅地に流出し、酸性雨、死んだ水路、制御不能な大気汚染がニュースを独占するなど、世界中の環境が現実にひどかった。しかし、その後の10年間で、政府は行動し、これらの環境問題は一掃された。NGOはさらなる制限を要求し続けたが、彼らのキャンペーンは、内分泌かく乱の可能性、低用量の化学物質混合物への曝露による影響の可能性、食品添加物や遺伝子組換え作物や農薬による未知のリスクなど、あまり明白でない、または現実的ではない問題に焦点を当てていた。そして、欧米の生活水準の引き下げに対する彼らの要求は厳しすぎた。環境活動家は、産業、資本主義、世界貿易に反対する政治的スペクトラムのうち左翼の小さな派閥になった。 しかし、過去10年間で、気候変動が主要な環境運動となり、NGOは再び表舞台に登場し政策の焦点となった。「気候危機」は、これらのグループが、産業、化石燃料、近代農業、化学、輸送、社会正義、世界貿易、国際金融に反対する行動を気候変動の傘の下にまとめることを可能にした。これらのNGOは、資金と政治的支援で再び資金潤沢になり、絶頂期を迎え、傲慢にも、エネルギー、農業、輸送、ビジネスで、持続可能な移行であると彼らが信じるものを要求する機会をつかんだ。 しかし、そのような贅沢な代替案を買う余裕もなく、恐怖キャンペーンに賛同することもできない人々に、こうした気候変動対策を押し付けることは、NGOを再び政治的枯れ井戸に置くことになった。一方、さらに左寄りの人々は待つつもりはなく、Extinction RebellionやJust Stop Oilのような、典型的なNGOとは異なる組織化されていないポピュリスト運動を開始した。 自らのかたくなさに溺れる 環境活動家を駆り立てる情熱には、破壊の種も含まれている。あらゆるものをナチュラルなものに、人工物による革新や企業投資に反対するグリーンイデオロギーへの彼らのコミットメントは、彼らに妥協を許さなかった。NGOのキャンペーンは、現実主義的リアリズムが必要とされる問題に対して、政治的理想主義に執拗に固執した。環境保護活動家は、ロシアのウクライナ侵攻後、エネルギーコストが急騰していた時期に、ドイツの最後の2基の原子炉を閉鎖することを主張した。欧州の農業技術制限のため、農民は生計を立てることができなかった。2024年、世界中の市民が再び街頭に繰り出したが、気候変動対策を呼びかけるのではなく、厳しい環境活動家の政策が情け容赦なく実施されていることに抗議した。 コスト、実際の環境への影響、公共の利益を考慮せずに、電気自動車、再生可能エネルギー、有機食品への移行をあまりにも厳しく急ぎすぎて、環境NGOは世論とは対立するようになった。彼らはもはや、自分たちが市民社会を代表していると主張することはできず、むしろイデオロギーに凝り固まった金持ちエリートである。昨年、特にヨーロッパでは、グリーン活動家のアジェンダに反対する政治的反応が見られ、提案されたグリーン政策のほとんどすべてが拒否された。 NGOにとってかわるもの こうした行き過ぎを踏まえて、NGOに代わるオルタナティブな組織が、より強い発言力を持ち始め、NGOが不要なものになったことを示している。 ・ソーシャルメディアの行動グループ: Extinction Rebellionのようなアドホック・グループの急速な台頭は、リーダーシップがほとんどないソーシャルメディア・グループを中心にメッセージやキャンペーンを効果的に組織できることを実証した。最盛期には、たった1年で、世界中の何百万人もの人々が気候変動キャンペーンに行動を起こすよう動機付けた。ジョージ・フロイドの死後、Black Lives Matter運動は、組織や構造をほとんど持たずに、大衆の行動主義と怒りを動機づける同じ能力を示した。 ・基金(財団): The FirebreakのFoundation Capitalism(財団資本主義)シリーズでは、財団が活動家グループへの資金提供から、キャンペーン自体を直接組織することへの移行を検証してきた。New Venture Fund (NVF) (Arabella Advisorsが運営)のような財団のコンサルタントは、登録団体を設立することなく「非営利の起業家」を促進する手段として「財政的スポンサーシップ」アプローチを説明している。簡単に言えば、NGOを増やす必要はない。このシリーズでは、NVFが非登録のフロントファンドである「説明責任、レジリエンス、適応のための集団行動基金(CAF)」を設立し、気候不法法律事務所であるSher Edlingを通じてキャンペーンを実施するために7つの大規模な財団から1,000万ドル以上を提供する方法も紹介した。この新たな形態の「特別目的運動体」には、どのNGOも関与していなかった。(詳細は別記事) ・市民集会:ヨーロッパ、カナダ、日本の国や地方自治体は、特定の政策について限定的な規模で決定したり助言したりするために、市民パネルや集会を実験的に実施している。Friends of the Earthのような活動家グループは、この取り組みを推進してきたが、彼らは物語をコントロールし自分たちの政策を推し進める能力を失いつつある。 ・メディア:報道機関は、NGOがキャンペーンを行うのと同じ方法で調査シリーズを制作し始めている。最近のFirebreakの分析では、ガーディアン紙やAP通信などのグループが、テーマ記事(つまりキャンペーン材料)を制作するために財団から多額の寄付を受け取っていることが実証された。ジャーナリストは今や活動家であり、編集者を指揮する利益団体から資金提供を受けている。Bloomberg Philanthropiesは、化学物質、ニコチン製品、食品による健康問題を調査する調査報道グループThe Examinationを設立した。昨年発足し、膨大な数の経験豊富なジャーナリストを雇用している。その財政的スポンサーはRockefeller Philanthropy Advisorsだが、活動家の運動グループらしきものの背後にいくつの財団があるのかは不明だ。明らかなのは、NGOに使われていた資金が、メディアに影響を与えようとして使われているということだ。 では、環境NGOは今後どのような役割を果たすのか?NGOの概念が常に広く定義されてきたことを考えると(市民社会組織、非営利団体、奉仕クラブ、宗教団体など)、これらのNGOは何らかの形で存在し続けるだろうが、その影響力はもはや大きくなく、彼らのキャンペーンはもはや信頼されず、政策プロセスにおける彼らの役割はもはや必要なくなるだろう。 さらば古き戦士たちよ。
2024-05-21 - foodnewsclip
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eccjrtamuracho · 8 months
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ECCジュニア田村町教室、いつになく真面目な中村です。
さ、今回のハワイネタは、ハワイの動植物たちのお話。 ハワイ島一周ツアーでガイドをしてくれた長谷川久美子さん( http://hawaii4u2c.com/ )は、ハワイ固有種の動植物の生息地を再生させる活動にも携わっている方です。
そんな久美子さんから聞いた意外な話😲 ハワイと言えば、どんな動植物を思い浮かべますか?
レイや髪飾りに使われるプルメリア、色鮮やかで至る所に見られるブーゲンビリア、真っ赤な大輪を咲かせるハイビスカス。
でも実は、こうした派手なお花たちって、外来種なんだそうです。 (因みにハワイの州花は、ハワイ固有種の黄色いハイビスカスです。)
道路を走っていると、その両サイドは黒い溶岩がむき出しで固まっている、なんて場所が多いのがハワイ島ですが、今回その溶岩の上に大量に黄金色の草が生えているのを見ました。 これ、fountain grassと呼ばれるアフリカからの外来植物だそうです。 土も雨も少ない土地で繁殖できる強い植物ですが、溶岩地一面に繁殖しているのを見ると、脅威を感じます。 枯れ草は燃えやすく🔥、一旦火事になると大きな被害が出る事も危惧されています。
植物だけではなく動物も。 マングース(←何回か見た)、野ヤギ🐐(←めちゃ見た)、野ブタ🐗、蚊🦟、カエル🐸など、多くの外来生物が在来種の生息を脅かしている問題、これは日本でも起こっていますよね。
ハワイの場合、動植物の在来種のうち、約9割が固有種、すなわちハワイのみに生息する貴重な種なのだそうです。 外来生物によってハワイの固有種の動植物が失われることは、その種が地球上から絶滅するということなんです😥
「世界の絶滅危惧種の宝庫」「the extinction capital of the world」などと言われているハワイで、少しでも固有種の動植物を増やすための活動をされている久美子さんの熱い想いを聞けたことは、今回の旅の中でも特別な思い出の一つです✨
写真は、キラウエア火山にある、ハワイ在来種の植物の森を案内してもらった時のもの。 途中少しだけ、静寂の森の空気と鳥たちのさえずりを感じられる動画を挟んでみました。
かつて私が林学科の学生だった頃、人の手が入った森に入る機会がありました。 正しく管理された森もあれば、人手不足で放置された森もある。 また旅先では、国内なら屋久島、小笠原、北海道、海外ならカナダやNZの森をトレッキ��グしたことがあります。
健康でパワーのある森って、明るくて、至る所で命が絡み合いながら、拡がろうとする生命力にあふれているのを感じられるんです。 今回訪れたこの森は、面積こそそれほど広くはないものの、やはりそうした命を感じる場所でした。
小さなその森を維持するために、外来の動植物が入らないよう、人が努力しています。 人の手で運び込み、人の利益のために増殖させ、コントロールが効かなくなったところで、結局人の手で排除するしかない動植物。 人の業は深いけれど、それでも何か出来る事を探し行動に移している方々には頭が下がります。
はてさて、じゃあ自分に出来る事は何なのか。 知る事、学ぶ事、そして伝える事。 更には、募金やボランティア活動への参加など、実際に行動されている方々の元で出来る事もたくさんある。 自分が何かをスタートされるのはハードルが高いかもしれませんが、自分でも踏み出せる一歩はあるものです。
次にハワイ島を訪れる機会があれば、私もボランティアに参加したいなぁ😊
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