Tumgik
#門廻り
brownie-pics · 7 months
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'23.10.14 東大寺にて
この週末、東大寺では良弁僧正の没後1250年の法要イベントが行われていて、南大門~大仏殿はいつもと違う装飾(かなり大掛かりな)が行われていました。廻廊の裏にはNHKの中継トラックや電源車なんかが駐まってたり、法要が始まる前には高僧様の神輿行列があったり、増えてきた外国人ツーリストや修学旅行生も含め人も多く、鹿さんもちょっと戸惑っているように見えました・・というのは多分気のせいw
わちゃわちゃとした人の動きを横眼で見つつ撮り歩きます・・。
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lierrelearns · 3 months
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二の丸隅櫓
江戸時代、小田原城には5棟の二重櫓と1棟の平櫓がありました。この櫓は、関東大震災(大正12年:1923)後に再建された櫓で、二の丸隅櫓とも呼ばれています。延宝元年(1673)もしくはその翌年に2間 x 6間(約3.6m x 11m)土蔵としてはじめて建設されました。しかし、元禄16年(1703)の地震により倒壊し、奥行2間、折廻し7間(約13m)の鍵の手状の平櫓として再建されました。
小田原藩主居館がある二の丸の南東の隅に位置し、三の丸の大手門を入ると正面にこの平櫓が立ちはだかることになります。また、二の丸への入り口である馬出門を見下ろす位置でもあります。当時の櫓内部では武具等が保管され、小田原城防御の要とも言える櫓でした。
この平櫓だけが小田原城内唯一の建物として残されましたが、関東大震災により失われてしまいました。
現在の櫓は、江戸時代のものとは異なり、大きさは一回り小さいものとなっています。
During the Edo period, the Odawara Castle had five Niju Yagura (two-story turrets) and one Hira Yagura (single turret). This one is a single turret also known as a Sumi Yagura (Corner turret) of Ninomaru.
Storing arms and weapons inside, the turret, keeping an eye on both Ote-mon as well as Umadashi-mon Gates, had the most important role in a defense of the Odawara Castle.
In Meiji period, after many structures within the complex of Odawara Castle were demolished, only this Hira-yagura turret remained.
However, it was destroyed by the Great Kanto Earthquake of 1923, and the present one was reconstructed later. Unlike the one in the Edo period, the present turret here is a size smaller.
[Chinese]
Top picture: The Imperial Villa, Odawara 邸用御趾城原田小 明治42年(1909)〜大正12年(1923) 頃の姿
Bottom picture: Goyote Odawara, Sagami 邸用御原田小州相 明治42年(1909)〜大正12年(1923) 頃の姿 *Note, the Japanese on the first lines of these pictures appear to be backwards on the original.
Vocab 櫓 (やぐら)turret, watchtower 延宝(えんぽう)Enpō era (9.21.1673-9.29.1681) 元年 (がんねん)first year (of an imperial era) もしくは or, otherwise 間(けん)ken (6 shaku, approx. 1.818 m) 土蔵(どぞう)storehouse with thick (earthen) walls 元禄(げんろく)(Genroku era (9.30.1688-3.13.1704) 倒壊(とうかい)destruction, collapse 奥行(おくゆき)length 折廻(おりまわり)to provide the bend for the kagi no te 鍵の手(かぎのて)section of road that is curved on purpose as a defensive measure (see here) 藩主(はんしゅ)feudal lord, daimyo 居館(きょかん)residence, estate 大手門(おおてもん)front castle gate 立ちはだかる(たちはだかる)to stand in the way, block the way 馬出(うまだし)Umadashi 見下ろす(みおろす)to overlook, command a view of 武具(ぶぐ)weapons, armor 保管(ほかん)custody, storage 防御(ぼうぎょ)defense, safeguard 要(かなめ)cornerstone, vital point 唯一(ゆいいち)only, sole, unique 異なり(けなり)unlike 一回り(ひとまわり)one size (larger or smaller) 城趾(じょうし)castle site 御用邸(ごようてい)imperial villa
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blue-aotan · 9 months
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ハロー(´ー∀ー`)2023.8.11
2番目の姉が
【スポンジボブってチーズ?】
って言っててズコーッとなった私です。
スポンジ言っとるだろが!と突っ込まずにはいられなかったです←
確かにチーズに見えるけども🧀
チーズボブ!ズボンは四角!!
(語呂悪いw
ネギをネジと言い間違えるし、2文字を間違えるなんてことある?って言ってた後に「星の子、、、推し?星?どっち?」って言ってたし色々とやらかしてくれていました😂
確かに目の中に星があるから間違ってはいない←
7月末に次女が子供と帰省し、色々とお出かけしてきたのですがまずその件から。
【鈴木敏夫とジブリ展】
正直鈴木敏夫には興味ないんだけども←
ジブリ好きなら行っとくっしょ!ってことで行ってきました。(子供よりも大人の方がはしゃいでおりましたよね)
トトロと写真撮ったり、名言が吊るされたところで写真を撮ったり、カオナシや湯婆婆や銭婆もいましたよね。
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湯婆婆の所は占いみくじができるとかでね。姉の子供が恋愛の方引きたい!って事で私は恋愛興味ないんだけども一緒に引いてみました←
そしたらさー。
『いまや恋愛は時代遅れ』というおみくじが当たりました←
ウケるよね😇姉達も「やっぱさ、あおちゃんはそういう事なのよ」って笑ってましたよねってこと。
いい?私の人生は恋愛の要素は必要ないってこと。もっと別のことに目を向けて生きていけってこと。時代は恋愛よりも別のものへ舵を切ってるってことなんだからね。
(何を言ってるんだ←
(恋愛できない理由を都合よく作っているだけじゃないのか←
恋愛をしないといけない決まりもないし、お見合い結婚だっていいわけで。恋愛がなくても結婚はできるという時代なのかなんなのか←
人類の未来を考えると結婚しなくても子供を産めばそれでいいのかもしれないね。
だけど自分の人生だけで手一杯な人達が、自由に生きていける世界。。。そんな世界は今の時代にはないかもしれない。お金と心に余裕がある人達に繁栄を任せるしかないよね←
そもそも貧困へ向かっている日本に何の希望を持って生きていけばいいのか、よくわからないよね。
なんかめちゃくちゃ話逸れてるよね←
ジブリ展での戦利品はこちらです↓
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ススワタリが可愛すぎて買ってしまいました😆手に持った金平糖の色が違うのが何種類かありましたよ〜
(ロボット兵のマグネットは長女がくれました‼︎ありがたや〜
あとは【海響館】という水族館とその横にある【はい!からっと横丁】という小さな遊園地へ行って、帰りに【門司港レトロ】へ行きました。
で、、、どうやらそこでもらってしまったようですね、、、コロナを←
8月入ってすぐ発熱←
3日間苦しみ、体と頭が痛くて眠れず…喉の痛みが激しかったです。そして1週間くらい経過して、においと味が全くしなくなりました。そして昨日…朝から息苦しくて、酸欠なのか過呼吸なのかわからずゆっくり何度も深呼吸しても息が苦しくて、頭がくらくらするし気分悪くなるし苦しいけどどうにもできなくて怖くなったので早退させてもらい病院へ行きました。
まずコロナの抗原検査→陰性
(日にちが経過しているから出なかったけど、他の症状からしてコロナだったんだろうねという診断
SPO2は問題なし、採血と胸のレントゲンも問題なし。
先生がみぞおち辺りを押して「うん、ここ悪いね…ストレスが溜まるとここが痛くなるんだけどストレス溜まってる?ストレスで息苦しさを感じる人もいるんだよね。漢方出しておくからそれを2週間飲んでみてどうなるかだね〜」
というまさかのストレスという診断←
ずっと体調が悪くてなかなか治らないことへのストレスはあるけど。
(職場のストレスは永遠にある←
でもさーストレスって誰にでもあるじゃんね。ストレスで片付けるのは簡単だよね。
という捻くれた私がいた←
うん、これはもうコロナ後遺症って事で仕方がない事だと思おう。
においと味がしない症状は、治るまで3ヶ月くらいはかかるかもしれないって言われました。
これが何よりも辛いです…
何を食べても全く味もにおいもしないことがこんなにしんどいとは…
何を食べても飲んでも美味しくないので、食欲が湧きません。美味しい!って食べたい😭
漢方は味しないけどめちゃくちゃまずいってことだけはわかるし、何より1包の量が多くて喉を通らないです😢でも少しは息苦しさが緩和された気もするので、頑張って飲み切るしかないですね。
咳は出るし喉も痛いけど、生きてるだけまだマシ。そう思ってます。
ゆっくりして〜とか安静にね〜とか言われるんだけど、めちゃくちゃ安静にしてかなり寝てるのにこれ以上どうゆっくりすれば治るんだろう…とかすぐ不安になってしまうんだよね。
連休わーーいってなればいいのに、やっぱり健康が1番だってことを思い知らされるんですよね。
そんな中、
「キングダム 運命の炎」
を観てきました。
ネタバレありますのでご注意ですよ!!!ココココ
嬴政と紫夏の話は、アニメではまだ先だったけれど(しかも王騎との会話で回想するのではなくコウとの会話の中での回想だった)ここで入れてくるんだーっと思いました。
しかも紫夏の仲間が1人減らされていた←
しかしこのシーンは涙無くしては見られない…実写でも号泣しましたよね←
病気で弱った心には耐えられなかった←
マスクがびちょびちょになりながらも、なぜ嬴政の子供時代の話でそのまま吉沢亮起用だったの?ってちょっと残念に思ってました←
闇落ち具合が映画ではあまり描かれていなくて、しかも母親も出てこなかったのでこの先の嬴政と太后の対立をどう描くのだろうかと思いました。
しかし杏ちゃんは紫夏だった!最後の弓と槍に刺されて倒れるシーンなんかはアニメと全く同じだった。たださ、馬車の馬1頭じゃ無理あるよねって😭何でそこケチった?1頭じゃ逃げ切れる訳がないしスピード出ないでしょってモヤモヤしたんだよね。
それと信の修行のシーン。ダイジェスト😭😭😭しかも私が1番楽しみにしていた「王騎の入浴シーン」がなかった←悲しみ
でも王騎と騰の「万の満々」のやり取りは笑いました🤣ずっと見ていたかったw途中で遮られてイラッとしている王騎も最高だった🤣
王騎が好きすぎて、全軍前進のところも泣いたし←
王騎が出てくるだけで涙が出てくるんだけどどーする?←
キングダム4で王騎は死んでしまうと思うけど、先がわかっているだけに映画館で私も涙が枯れて死んでしまうのではないでしょうか←
そして李牧ね。なんで小栗旬だったのでしょうか…私は瑛太さんがよかったのに←
一瞬だけ李牧出てきた時に、めっちゃコスプレやんってなりました←
1人で刀剣乱舞してた←
ほんで龐煖…もうねー龐煖やないのよね←
あれはただの吉川晃司😂
私は龐煖は伊藤英明さんだと信じていたのに←
残念でなりません
るろうに剣心のイメージが強いよね…
でも次あたりで廉頗将軍の話くるかな?そしたら輪虎は神木隆之介くんがいいです!!
(またるろ剣w w
でも戦のシーンは鳥肌が立ちました!軍勢VS軍勢のあの血が滾るような高揚感はやっぱりロードオブザリング以来の戦闘シーンでした。アニメと異なる部分もたくさんありましたが、ブルーレイ1〜3のセット出たら買います笑
そしてめちゃくちゃ途中で終わったよね〜。野営地に龐煖が出てきたところで終了。
1番最後でまさみちゃん出てきて「きゃ❤️」ってなったよね。
今後のキャストで気になるのは、王翦・桓騎・蒙驁将軍・蒙恬・王賁・廉頗将軍・輪虎だよねーーもちろんオギコも気になるよね🤣
原作は王騎が死ぬところまでしか買ってないのでそれ以降はアニメでしか知らないのよね。
原作欲しいなー。
そんなこんなでトランスフォーマーとマイエレメントはまだ観に行けていません。キングダム運命の炎から帰ってきて続きが気になって、またアニメを見返しているところ←
そして「カールじいさんの空飛ぶ家」を見返しました。
このカールじいさん、私の1番上の姉が好きなんだけども
「カーブじいさん録画し忘れて1日凹んだ」って言ってました。
カーブじいさんやら星の子やら、姉達のおかげでブログがいつも盛り上がっております!ありがとう!!
感謝永遠に!!笑
最後に、忘れていたのですが最近ハンターハンターを読み返しておりまして。
私は21巻までしか持っていないのですが、、めちゃくちゃ面白いところで終わったんですよね
(。>A<。)
続きが気になって仕方ないw
ゲームの世界にいくグリードアイランド編はイマイチだったんだけど(カードゲームの設定が細かすぎて私には難しすぎました)その後の虫編が面白くて敵が強すぎてどうなっちゃうんだって感じです。
そして読んでて思ったんだけど、この理詰めな感じの描き方が呪術廻戦に似てるというか、呪術廻戦の漫画家の人がリスペクトしてるんだろうなって感じがすごくわかった気がしたんだよね。
(こうしてまた呪術廻戦の漫画を読み返すというエンドレス←
この一連が終わったら次はゆっくりと「NARUTO」を読み返す予定です。
というかそろそろゼルダも再開したい😆
病気に苦しんだ分、においと味が戻ってきたら食事を楽しむんだーー😋早くチョコレートを味わいたいです。ということで皆さんも体調お気をつけください!
てめえら!!行くぞ飛信隊!!
(どこに行くねん
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mvrider6 · 4 months
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比叡山延暦寺
平安京の鬼門を守る比叡山延暦寺。高野山と並ぶ山岳信仰の歴史があり、数々の宗派の源となった日本仏教の母
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比叡山の中枢とも言える東塔エリア
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駐車場から最初に着く大講堂。比叡山で修行された各宗派の宗祖の木造が祀られており日本仏教の源を実感
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大講堂横の鐘楼
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国宝の根本中堂は修復中。令和9年12月に完成予定🤣一応中に入って不滅の法灯を拝むことはできる。
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修復中の外観を見学できるのでこれはこれでレア。一応中に入って不滅の
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廻廊の屋根
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本堂の屋根
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根本中堂を出て文殊楼に向かう急峻な階段
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一歩踏み外すと大変なことになりそう😅
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延暦寺の山門にあたる文殊楼
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文殊楼から大書院を臨む
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萬拝堂。日本全国の神社仏閣の諸仏諸��薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に迎えて奉安しているところ。休憩所もある。
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先祖回向の修行場の阿弥陀堂
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横にはエリアの名前に繋がる法華総持院東塔
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戒壇院
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最後は西塔エリアに向かい左右同じお堂を渡り廊下で繋いだ常行堂と法華堂のにない堂
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続きは以下から
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jaguarmen99 · 1 year
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「楽屋で菊之助さんが、一門の尾上音三郎さん(50)にお叱りの言葉をかけたんです。 すると音三郎さんも返す刀で激怒し、“もう一緒にはやっていられない!”とそのまま荷物をまとめて出て行ってしまった。 そのとき楽屋内にいたのは5人ほどだったそうですが、大声は部屋の外にまで響き渡り、しかも翌日公演からはキャストが変更されたので、音三郎さんの“大立廻り”はたちまち舞台関係者に広く知られるところになりました」(舞台関係者) 音三郎は主に女形の役者で、いまから25年以上前に菊之助の父・尾上菊五郎(80)と菊之助の親子に弟子入りしたベテランだ。 菊之助より音三郎の方が年齢は上だが、「師匠と弟子」の関係に当たる。 以前より周囲が危ぶんでいたのは、菊之助の長男・丑之助(9)を挟んだ、菊之助と音三郎の関係だった。 「丑之助くんのおしろいの塗り方と着物の着方を音三郎さんが強めに注意したことがあったそうです。 ただ、丑之助くんは過剰に捉えてしまった。 それを伝え聞いた菊之助さんが音三郎さんをわざわざ自宅に呼び出して丑之助くんの前で散々に罵倒したうえ、“息子に土下座しろ!”と謝罪を迫ったことがあったそうです」
痛いニュース(ノ∀`) : 尾上菊之助、9才の長男を厳しく注意した役者に激怒「息子に土下座しろ!」 怒られた役者は怒りの引退 - ライブドアブログ
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ari0921 · 11 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)6月9日(金曜日)
     通巻第7787号
嘗て日米半導体協定でアメリカは日本から強引に競争力を奪った
今度は中国に対して同じ措置。そのために日本にテコ入れするのだ
************************
嘗て日米半導体協定でアメリカは日本から強引に半導体競争力を奪い、日本の頭越しに台湾と韓国へ先端技術を移した。今度は理由が安全保障とはいえ、同様な措置を中国に対してなした。
そのために日本にテコ入れするのだから、歴史のサイクルは皮肉。
日本政府は米国の圧力によって、半導体製造装置23品目を輸出貿易管理対象とし、7月23日から施行する
 経済産業省は省令改正理由を「国際的な安全保障環境が厳しさを増し、軍事転用の防止を目的として、ワッセナーアレンジメントを補完するとともに、半導体製造装置に関する関係国の最新の輸出管理動向なども総合的に勘案し、特定の貨物及び技術を輸出管理の対象に追加する」とした。
 追加項目は洗浄(3品目)、デポジション(成膜、11品目)、アニーリング(熱処理、1品目)、リソグラフィー(露光、4品目)、エッチング(科学的除去、3品目)、検査(1品目)となる。必要な技術(プログラムを含む)も輸出管理の対象となる。
 これらを輸出もしくは移転するには、経済産業大臣の許可を受ける。例外は米国やオランダなど「輸出管理を厳格に実施している国」への輸出について個別の認可は不要。つまり中国やロシアなど42ヶ国が規制の対象である。
 6月7日、日本政府は「特許非公開」の25分野をまとめた。2024年春から運用開始予定で、対象となる技術は「国家および国民の安全を損なう事態を生ずる恐れが大きい発明」と抽象的に表現された。
具体的にはステルス航空機などの擬装、隠蔽技術やサイバー攻撃回避設備、インフラの運行管理システムなど敵の攻撃に脆弱な分野が特定されている。現在のハッカー戦争、SNSに���ける技術の争奪戦争を背景に適宜対応したことがわかる。
 中国はこれにより大きな打撃をうけることになり、怒りの声名を出している。
一方でマイクロンの半導体などは輸入不要という措置を講じた。マイクロンの半導体は汎用品が多く、DRAM、フラッシュメモリーなど。IDMでは半導体売り上げで世界四位。東芝メモリーの部門を買収したことでも知られる。
 注目をあつめていたのはエヌビデアの出方だった。
 NVIDIAはゲーム向けやテスラのAIに組み込む半導体を製造する米国企業だが、創業者は台湾人の黄仁勲(ジェンスン・ホアン)という。トレードマークは革ジャン。60歳、台湾生まれでスタンフォードに学び、カリフォルニア州で起業した。
 ▼NVIDIA vs アーム、そして孫正義
 台湾にあってもTSMC並みに有名だが、孫正義が、このNVIDIAに英アームを売却しようとしたところ、中国の反対で実現しなかった「事件」があった。孫は英国で世界一の半導体設計企業のアーム社を三兆円で買収していた。
 そのアームは中国にも支社があり、定款では買収案件に中国法人の同意が必要だった。だから経緯が深く、政治的背景に、台湾人経営のアメリカ企業という要素がついて廻っていたことになる。
 NVIDIAの時価総額は過去二十年間に400倍に化けた。
もし当時、先見の目があって百万円を投資した人がいたら、いま4億円のミリオネアである。同社株は、この半年だけでも108・13ドルから419・58ドルへと暴騰し、時価総額が1兆ドルを越えた。これは史上八番目、生成AIとチャットGPTの急伸に裏打ちされた。
 CEOのファンは5月30日に台湾を訪問した。
これは台湾にAI研究開発センターを設立するためで、ちなみに台湾政府が67億NTドル(280億円)を支援する。他の台湾のハイテク企業も、北京の動きを横目にしながら中国へのコミットを減らすか、避けつつある。
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ichinichi-okure · 11 months
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2023.5.25thu_saitama
鷹取さんから日記を書く依頼をもらって、日記日記、、と朝から思っていた。正しくは前日から日記とは、、?と考えていた。 私は日記を書かない。日記みたいな感じで日々SNSに写真や文章を載せているけれど、それを日記だと思ったことはない。もっとなんか、軽くて雑で。生活の延長にあって特別でなくて良いもの。と書いたところで、じゃあ日記は私にとって特別なんだな〜と気づく。普段やらないこと、意識していないこと。それはちょっと遠い。うーん?と考えて寝たら悪夢を見て起きて、夢日記にしてしまいそうになる。他人の夢の話はつまらないという話も聞くけれど、どうか。そんなことはないと思うけれど、自分の悪夢は面白くないからやめる。夢の話といえば夏目漱石、『夢十夜』もだいぶ不気味だなあと連想ゲームみたいに脳内が廻る。「こんな夢を見た。」
そんなことを言いながら、この頃大学で授業をしている中で学生に自由課題として挙げたのは『日記(文学)』だった。美大の学生は日記のようにドローイングをしたりもするし、考えをメモしたりしている子もいそうだから、自分の日記的なものか世の中の日記文学から引用して作品を作ってねという話。(でも自分でテーマを決められる人はそのテーマで制作してもらうので、この課題はやらない人がほとんどのはず。テーマが決まらない人向けの一例で設定。余談。) 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」の冒頭が頭をよぎる紀貫之『土佐日記』や、沢村貞子さんが作った献立の記録集である『わたしの献立日記』とか、日記といっても創作日記なのか本当の記録の日記なのかも色々あって面白い。みんな何を見て何を考えているの?というのを垣間見せてくれるから、文学が好きだ。そういえば日記はその最たるものなのかも。写真も。アート全般か。
ここまで書いてみて、まだ今日のことを何一つ書いていない。 今日2023/5/25の埼玉県は晴れ曇り、爽やかな風が吹いていて洗濯物もよく乾きます。というのは天気予報からの情報で、体感としてはどうか。 机に座っている私の左側の大きな窓から日が射して、薄青い空が見えて、洗濯物が揺れていて、悪くない。正面ではだらだら昔の2時間ドラマがかかっていて、メールを返したり仕事の写真データを作ったりしながら時々事件を確認する。仕事に集中しているうちに別の刑事が事件を調査したりしていて、さっきの犯人はもうわからない。何か音が必要なだけだから時にラジオにしたり音楽をかけたりもするけれど、あんまり好きなものがかかるとそちらに気を取られて仕事にならないから、永遠に犯人がわからないくらいの興味でちょうどいい。 ところで昔のドラマだから、もう死んでいる人がたくさん映っている。あ この人もういないんだった とふと気がついて、俳優のその人のことも個人としても何も知らないのに、ニュースで流れるから死んだことを知ってるなんて変な話だなとなる。あと映像の中ではもちろん役として生きているから、死んでるけど生きてる〜という感じが不思議にもなる。そんなの映画でも写真でも音楽でもいつもそうなんだけど。十津川警部、信濃のコロンボあたりはいろんな俳優が演じていることによって、今は〇〇さん、次は△△さん、、?と面白くなって、この感じ水戸黄門だね!と時代劇のことも振り返る。あー永遠かーというのは時々考えていて、水戸黄門から式年遷宮のことも考える。「永遠に新しく、いつまでも変わらない」というのは外側の話なのか内側の話なのか総じての永遠なのか、何なのか。アートの永続性など。別に答えを出したいわけでも誰かに問いたいわけでもなくて、ただ私の内側でずっとぼんやり存在している問いみたいなもの。 午前中が過ぎた。
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お昼は実家に食べに行って、父の作ったパスタを食べた。35歳で母と結婚したとき父は家事が全然できなかったらしいのに、今はひと通りやれる。という事実が人間は大人になっても成長できるということを物語っている。私は今36歳で、だから私も何か変わりたくなったら変われるだろう。長生きしたらそれだけ変われる可能性がある。そら豆とグリーンピースとトマトのパスタは美味しかった。両親は週の半分弱くらい茨城にある祖父母の家で畑作業をして暮らしていて、そら豆もグリーンピースも無農薬で彼らが作ったもので、美味しさには身近な人の作った信頼の美味しさもプラスされているのかもしれない。自分以外の誰かが作ってくれる美味しさもある。 午後、データを作っていると納期の問い合わせが来る。連絡するのをすっかり忘れていた。いつも自分の中で言葉が渦巻いているのに、外に伝えるのを忘れるしうまく話せないし困ったものである。というか他の人に迷惑をかけている。すみません今日中に納品します!とすぐ返事をする。 日記を書けないのは、たぶん、こんなふうに長くなりすぎるからだろう。その日感じたことを全部書きたくなるかもしれないから、そんなのやばすぎる。献立だけ書けるような暮らしをしていない。今日だけだから、こんなふうに書ける。こんなの誰か面白いのかな?と頭に浮かんで、まあ日記なんだから良いかと思い直す。日記なんだからね。誰かが読む前提なのにこれで良いのかは謎。
そういえばここで一人称は「私」だけれど、実家に行くとほぼ「俺」に戻ってしまう。実家に居た若者の頃は女の子ぽくすることを拒否して、見た目も話し言葉も女性を感じさせるものからは遠ざかっていた。外の人の前ではあたしや私となり、家に帰ると俺になっていたのは今となっては面白いけれど、女性側に所属したくはないけど男の人になりたいわけでもなく、特別視されたくもなかったので当然ではある。内側にはこの先もずっと、俺として話す自分を飼い慣らして暮らすのでしょう。(現在は女の人の見た目の暮らしを楽しんでいるし、もう生き物としてそのまま何でもいい感じになって暮らしやすい。昔もそのようになりたかった。) そんなことも影響してか、赤木さんはよく分からない人ですね と言われたりもしていたけれど、そんなの私も分からないし、誰のことも本当には分からない。分からないのに案外人のことが好きで、知らないことばかりで、それを面白がっている。分かりたい気持ちと、結局どうでも良いかなというのが同居している。そういうのは駄目なのかしらね。誰にもジャッジされたくないし、したくもない。みんな好きに楽しく生きたら良いのにね。体現したい。
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夕陽が綺麗、夜を迎えた。夕焼けが綺麗だと次の日晴れるというのを信じている。明日は仲良くなりたい人と飲みに行くので、晴れてほしい。 写真家なのに、写真のことを書いていないしスマホで撮った写真を添付している。写真家だけど、人間がそれぞれ違うんだからいいよね。 もう少し仕事をしたら、今夜は悪夢を見ずに眠りたい。おやすみなさい。長い日記。
ープロフィール- 赤木遥 36歳 埼玉 写真家(今だけ大学講師でもある) http://harukaakagi.com
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kennak · 1 year
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六道世界では生前の悪業の報いによって畜生道に落ちると本能でしか生きられず仏門に入れず徳を積めないから畜生のまま輪廻を繰り返し苦しみ続けるという地獄
[B! 虚構新聞] 「牛に経��」実験中止 乳牛から次々後光 千葉電波大
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foucault · 2 years
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今年も、どちらから回してもすりやすいすり鉢が届いています。白と黒、四寸から八寸までそろいました。日野さんの紹介文は次の通りです。 「空回りしないすり鉢(岐阜県多治見市・山只華陶苑) もともとは荒物屋で売られるような、すり鉢専門工場でした。しかし跡取りは、地元で良質な土(青土と呼ばれる、硬質な炻器)の価値を認めて欲しい、とすり鉢のために立ち上がります。今のすり鉢の難点は、スリメが一定方向のため、逆側に擦ると空廻りすること。それをなくすため、苦節6年。この波紋が生まれました。料理好きも絶賛するすり鉢です。」 (工藝風向) https://www.instagram.com/p/CgL_B_tvhOc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book pages 17-18 scan and transcription.
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○ペンテシレア
桐条美鶴 (以下「美」) コホン、最初に言っておきたいことがある。私のペルソナの名は、ペンテ“シ”レアであって、決してペンテ“レ”シアではない! あちらこちらで間違われては、さすがに気分を害するというものだ��これを機に、しっかり覚えておいてもらおう。さて、そのペンテシレアだが、これもアイギスのパラディオンと同じくトロイ戦争の登場人物で、トロイ軍の増援として現われる女だけの国アマゾネスの女王だ。12人の女戦士を引き連れて颯爽と登場し、ギリシャ軍を猛烈に追い詰めるのだが、敵陣に英雄アキレスが参戦したことで勝敗は決してしまう。12人の女兵士ともども、ペンテシレアは討ち死にしてしまうのだ。討ち倒された直後は、ペンテシレアの亡骸はアキレスになぶり者にされるのだが、その兜を取って素顔を見た瞬間、アキレスは倒したことを後悔したのだという。まったく、男という奴は......! 余談だがアマゾネスの女性は弓を得意とし、弓を引くのに邪魔にならないよう右の乳房だけを切り落としたという説もある。ペルソナデザインに、そのエピソ一ドの名残が残っているぞ。
Penteshirea
○アルテミシア
美 このアルテミシアという名には、ふたつの由来があると言えるだろう。まず歴史上有名な女戦士として、ペルシャ戦争でギリシャ海軍を完膚なきまでに討ち破った、ハルカリナッンスの女王アルテミシアがひとつの由来と老えられる。彼女は別に自ら戦うべき理由は何もなかったにも関わらず、生来の激しく武勇を求める性格ゆえに、自分からギリシャ遠征軍へと参加したらしい。私が言うのもうひとつの由来は、先に紹介したペンテシレアのアルテミス (狩りの女神) 崇拝、アルテミスのカを受けし者という側面から来ると思われるもの。アマゾネスは狩民族だったため、女神アルテミスを厚く崇めていたらしい。なお、アルテミスは月の女神でもあり、口一マ神話のダイアナと同一視されることもあるようだ。
Artemisia
○ネメシス
天田乾 (以下「天」) 僕のペルソナはネメシス。ギリシャ神話の女神です。本編でみっともないところを見られてるんで、ちょっと恥ずかしいんですが、もうこれ以上ないくらい僕にピッタリな、復讐の女神です。しかも、神話でネメシスの母と言われるのが夜の女神ニュクス。これって、酒落になりませんよね。ただ本来の神話におけるネメシスというのは、人間が人間に対する復讐ではなく、神様が人間に与える天罰みたいなものを神格化したものらしいです。あー、でもあの当時は、荒垣さんに対して「これは天罰だ!」とか言いつつ復讐すること考えてたから、余計にハマっちゃってますね。いやまったく、僕もあの頃は若かったですから......。そうそう、ネメシスの別の一面として、復讐心をなだめて癒す神としてのものもあるようです。僕としては、こちらの解釈を取りたいですね。あ、 ちなみにペルソナの装着者が僕なんで勘違いしている人もいるようですが、神話のネメシスは女神ですからね。間違えちゃダメですよ?
Nemesis
○カーラ・ネミ
天 ネメシスが真のカを現わしたのが、このカーラ・ネミです。聞きなれない名前だと思いますけど、企画担当のスタッフの方が「ネットで検索しても名前すら見つからないはずだ!」と豪語するほど、専門書くらいにしか記述がない神様です。これはヒンドゥー教の古い女神で、カラ・ネミとも表記されます。ちょっとネメシスと名前が似てますよね? じつはギリシャ神話のネメシスのほか、 その他いくつかの神の名前の由来となるほど古い神なんです。名前の意味は、「時の輪の外輪」あるいは「天球の外輪」という意味で、時やカルマの輪廻を司っています。ペルソナのカーラ・ネミがプラネタリウムみたいな形をしてるのは、後者の意味からイメージされたらしいですよ。また、別の解釈として、カーラは「黒」( 大黒天ニ=マハ 一カーラのカーラと同様) 、ネミは「聖所、聖なる森」を意味する言葉にもなり、黒い森という聖地そのものを指すものとして捉えられることもあるようです。何だか、すいぶん難しいですよね?
Curler Nemi
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manganjiiji · 1 year
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踊り踊るduality
端的に報告します、友人存命でした。ただまだ予断を許さない状況のようなのではらはらしていますが生命力のとことん強いひとなので大丈夫なのではないかという気がしています。1ヶ月間程ひたすら毎日心の中で大騒ぎして何度も泣いていたので、友人が生きている世界ってなんていいんだろう、とここ数日噛み締めています。はあ。よかった…………。まだわからないけれど、まだこの世にいてくれている、それだけで本当に心強い、有り余る元気が迸る。
それで気が抜けたのか、弾丸東京遠征で回復できないほどの疲労に負けてしまったのか、今日の低気圧にどうしても吐き気が止まらず、1時間遅刻させてくださいと職場に嘆願したところ「休め」と強めに言われて休みました!ああ〜〜皆勤賞ならず…。まあ仕方ない。言われた通りに休んで、なんと1日じゅう、朝(10時)から晩(20時)まで眠ってしまった。何度か起きたような気もするが、合間で何を食べたかも覚えていない。
最近は仕事仕事睡眠、仕事仕事睡眠、のリズムで暮らしているので、ほとんど小説を読んだり書いたりすることができない。それでも尻叩きとして出勝のWebオンリーに申し込んだのだが、結局途中までしか上げられず…泣いちまう。でも話は最後までできているので、あとはいかに書くかだけなのですが、その時間(と体力)確保があまりにも難しく、もうちょっと落ち着けよ、と自分に思っている。仕事では6割の力しか出さないことを目指して働こう!と言っていたのに気づいたら全力を出しているし、それは本当に働くことが楽しいからで、もう自分では止められんな、しょうがないな、と思っている。あまりにも楽しい、労働。なんでこんな楽しいことをさせてくれるんだ世界は。お気に入りです、労働が。労働じゃなくて仕事をしろよ、そろそろ。という話でもあるのですが、一応自分の仕事は3年後から始めることを目指して、今は楽しく労働しています。一兵卒というか下っ端として立ち働くのが自分に合いすぎている。だからいつまでも頭脳労働より肉体労働寄りで、年齢も考えずに未だに走り回っているわけですね。現場が好きだ。
小説は読書会の今回の輪読会のテキストでもある『雪国』を再読したいのと、ウエルベックの『ある島の可能性』。『優しい地獄』を赤森さんのツイートを見て買ったのだが、その帯文にも雪国への言及があり、2倍にも3倍にも楽しみだ。Amazonで突然本を爆買いしてしまった。年末に近所のブックオフで爆買いした辺り(内田百閒、ホモ・ルーデンス、変身、細雪、思考の整理学など)もまるまる積んでいるし、ナボコフの文学講義のためのマンスフィールド・パーク、批評理論入門のためのフランケンシュタインも結局積んでいる。基本的に小説を書くためにしか小説を読まないので、書く時間が取れないと永久に小説が読まれない。小説以外の本は割と読むが、小説は自分にとって書くための食事なので、読みたいという思いから読んでいるわけではない。食事なので…食べなきゃいけないならせめて好きなもの食べたい、みたいな感覚です。
漫画、アニメ、ドラマ、もろもろ見たいものが溜まっている。水星の魔女は1クール終わってしまったようだし、ぼっちちゃんの人気も気になるし、今更だがリコリコも見たいし、何よりNetflixに入ってしまったのでタイバニ2を見るしかない。小栗旬主演のドラマも薦められたので見たいと思う。ジェットマンやドンブラザーズも、井上敏樹脚本をあびたほうがいいことは解った。漫画は先日LINEマンガで20話無料だった『ガールクラッシュ』を続きも買って4巻まで読んだ。これはめちゃめちゃいい漫画だな!と久しぶりに手放しでおすすめしたい。電書しかないので知名度はあんまりだと思うが、とにかく絵が上手いし言っていることが全部筋が通っている。おもしろい。メダリストも読みたいな〜ぼんやり。とずっと思っている。めちゃコミックを解約するまでに1500ポイント使ってからにしようと思い、呪術廻戦を4巻まで読んだ!なるほど!となった。今はまだ虎杖悠仁さんのお話が主だが、早く伏黒恵のターンになってほしい。というのもここ1週間ほどで真剣に「どうしたら伏黒恵を幸せにできるか」ということを考えるまでに『五伏 R-18』検索で苛烈を極めてしまう読書体験を重ねており、いやほんと五伏すげ〜〜〜〜〜〜〜な…。バケモンみたいな書き手のかたがいっぱいいてめちゃ凄いと思いました。くにちょぎの読書体験を思い出す。五伏は読みたいものがすでにあるので自分が書く必要がなくて最高です。出勝は自分が書かないと読みたいものが読めないから書くけど…。早く書き上げて読みたいです。
気づいたら年末年始が終わっていたが、いつも通り仕事して寝て、の毎日。出勝Webオンリーは本当に楽しくて、参加できてよかったです。あのお祭りに自分も入れて貰えたことが本当に嬉しかった!可及的速やかに完成版を上げたい。ご感想も頂いてしまったので、もはや自分一人の問題じゃない!となり、使命感が加わりました。でも本当にクズ×幼女が好きなだけなので、完成版は全然誰の心も動かさないかも。ただ私が読みたいものはちゃんと書く予定です。あと友人のご友人はとても楽しみにしてくださっているようなので、労いと励ましもこめて、少しでも書き進めていきたいです。
2023.1.14
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alaephoenicis · 1 year
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死後に何が起こるのか?🕯️
前世の記憶があるロビン・カイザーさんの話
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オリジナル動画:https://youtu.be/dQARYL3BdCc
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
死が訪れた後、何が起こるのでしょうか。
誕生と死は、あなたの魂の旅において最も本質的な2つの転機であり、この境界を越えるときに起こる変容のプロセスは、通常、あなたが生涯で経験したどんなことよりも深淵で変容的なものです。
地上での身体的実体から離れたとき、転生した意識が何を経験することになるのか、その全体像を知るための旅に皆さんをお連れしたいと思います。
以下のシナリオはすべて違った形で表現され、体験されることもあるでしょう。なぜなら、死後に体験しうることの範囲は、根本的に地上世界での体験の範囲をはるかに超えているからです。
かつて地上には、死ねばどうなるのか問うことなど全くしない時代がありました。それは、自分の人生がそれらの世界からの延長線上で続いていることを当然のように洞察していたからです。
この問いが、多くの思想や思索、宗教的概念の出発点となったのは、人間が徐々に自己を忘れ去っていったからに他なりません。
多くの宗教は、人が魂の旅を続ける世界について洞察を欠き、それに応じて地上での生涯を枠にはめてしまうことに基づいています。
現代人が落ち着きや人生の方向性を完全に失ったのは、自らの転生の仕組みがわからなくなってしまったからです。
こうして、方向性が失われた状況の中で、少数の者たちには利益がありました。
地球上の人生なんて80年経てば終わるし、今まで生きてきたこと、経験してきたことはすべて無に帰する、と思っている人は、当然、自分の存在に不安を抱くでしょう。
また、自分がしてきた本質的な経験の層から、その意識というものを切り離すことが出来ていないと、輪廻転生についての疑問を投げかけたりは出来ません。
転生に関する知識には科学的な証拠がありますが、これらの議論は、自ら創り出した経験世界の眠りから意識を目覚めさせるには、ほとんど役に立ちません。
というのも、地球上であなたを導く転生ゲームの魅力の一つは、まさにゲームのボード上の限界を見極めることができないことにあるからです。
あなたは、ボード上で転生へと導いてくれる道を心得ているし、また、あなたが亡くなった後に開かれる道も、すでに何千何万回と歩んできた道なので、熟知しています。
同じスーパーにもう1000回も行っていれば、次に買い物に行くとき、いったいどうやって行くんだろう、買い物から帰ってきたらどうなっているんだろう、と思うことはないでしょう。
たとえ道中の経験が変わりやすく、他の存在に出会うなどして、毎回異なる自分を経験したとしても、道は常に同じです。
大袈裟な言い方をすれば、すべての魂は、人間として生まれるために、同じ宇宙の針の穴をくぐらなければならないのです。
そして、その入り口と地上の経験によって、出口となる門がどこなのか、その門からどのような道が展開されるのか、が決まります。
一生の間に経験したことはすべて、その人の退場の仕方に反映されます。このようにして、閾値の移行期に多くの人が表現する「人生の映画」現象が発生するのです。
意識は早送りで人生の主要な出来事に導かれ、個々の場面を健全な距離で再び観察するチャンスを与えられます。
人生映画は線状に構成されているわけではなく、人生の場面をその感情のエネルギーの連鎖の中で見せてくれるので、観察している意識にとっては、なぜある事柄がその人生の中で別の事柄につながったのかが明確になるのです。
ほとんどの場合、この段階にはすでにソウルグループからのガイドがいて、一緒に人生の連鎖を振り返ることができます。
この世の世界とあの世の間には、いわゆるバルド*と呼ばれる中間世界があり、意識は、それに応じて転生の用意をしたり、振り返って反省するために、そこを通過しなければなりません。
*Bardo :和訳は『中陰(ちゅういん)あるいは中有(ちゅうう)』:チベット仏教の教えで、現世と来世の間で起こりうる意識の状態を指す言葉。
生前に精神的、感情的な硬直状態に陥った人は、この中間領域に長い間留まり、魂が旅を続けられなくなることがあります。
例えば、肉体生活におけるある側面への強い執着が死後も意識の中にある場合、意識はそのレベルの経験に縛られたままになります。奇妙な話ですが、このように意識を肉体世界に閉じ込めている、非常に地上色の強い人の中には、肉体の死を全く意識せず、自分の死を否定することで生前のように暮らし続けている人もいます。
幽界からは物理的なものを動かせなくなったこと、そして他人に見られたり聞かれたりすることがなくなったことは、自らの死を受け入れることがあまりにも耐え難いため、単に無視されることになります。
もし、肉体がなくなるとすべてが終わると強く信じている上で、自分の死を否定してはいないなら、その考え方が原因となって、何も存在せず何も起こらないバルドに移動し、その魂は旅の途中でこのバルドから非常に長い間、抜け出せないままでいることがあります。
人為的に無にされているバルドに魂が逃げ込んでいる時、それは一種の遊休駅のようなもので、高次元の存在と混同してはならないものです。そこでは特別なものは存在しないし、特別な何かが起こることもありません。
経験を積もうと転生した魂の向上願望は、遊休駅に長く滞在することによって低迷し、自己否定の度合いを高めてしまうこともあります。
基本として、地上でその存在が具現化されている最中なのか、それとも他の状態にあるときなのかにかかわらず、存在自身に起こることは常に本人の信念によるものなのです。
そして、地獄行きを硬く信じてい生きている人ならば、そこで煉獄観を修正するのに大抵はそれほど長くはかからないとしても、自分が抱いた観念がすぐに結果として現れることを経験するので、死後に何が起こるかは明白なはずです。
つまり、永遠の煉獄というものは存在しないのです。
また、人間が生前に意識的・無意識的に魂を売ったり、ある契約を結んだとしても、その契約が有効であると信じなければ、その契約は超次元的な効力を持つことはありません。
物理的な次元を離れた存在が再び入ることのできる経験世界は無数にありますが、それでも大抵の場合、自分の内なる意識の状態に最も近い世界へと自動的に導かれます。
むしろ、前の地上界と同じような構造をしている近くの幽界に入る可能性の方が高いのです。
それは、地上での記憶がこの経験世界を作り出しているからであり、宇宙的カルチャーショックを引き起こすような経験世界に直面しないように、世界はとても慈悲深いものになっているからです。
ほとんどの世界では、突然その中に身を置いてしまうと、人間は深く揺さぶられ、怯えることになり、高次の天界にさえ恐怖心を抱いて反応し、自らのエネルギーシステムを閉じてしまうのです。
地上での活動を終えたばかりの存在のエネルギーシステムがある程度オープンであるためには、慣れ親しんだ環境が必要であり、ソウルガイドは、超自然的な美しさと慣れ親しんだ環境を兼ね備えた世界に新しく亡くなった人を招き入れ、そこでさらなる旅路の可能性を伝えることに熟練しています。
死後、海辺のビーチで美しい夕日を眺めるという体験的な空間に移動する人もいます。
また、山の高いところなど、生きている間に同じような体験をした自然の中にいる人もいます。
また、多くの愛する人々が登場する場合も多く、最初はただ地上の状況について語るだけだったのが、徐々に全く異なるレベルの経験が広がっていることが分かってくるようになります。
幽体を通して得られる官能体験は、少なくとも肉体を通して得られる体験と同じ鮮明さ、鋭さのあるリアリティを持っています。
初期の順応段階を経ると、終わったばかりの人生のフラッシュバックが何度も起こるもう一つの現実があり、すべての経験を魂レベルで統合するために、精神と情緒のレベルで人生を徹底的に解明することが目的となります。
死後、地上での経験は、意識作業によって、魂が吸収できる情報形式に変換されます。
経験豊かな魂であればあるほど、この統合と転換のプロセスはスムーズに行われ、人は高い意識からもう一度、地上での経験を歩むことができるのです。
人生の場面はどこでも何度でも再生できますし、そのとき、自分の目からではなく、その場面にいる他人の目から眺めるという体験ができる特別な機能もあるのです。
地上での経験を統合することの一端は、自分が自分の振る舞いについて帰結を導き出すために、相手の経験的な観点から自分が経験したすべてを追体験することです。
ある程度の自覚と洞察力があるならば、どの強姦魔も自分の行いを被強姦者の皮膚から体験することを自由意志で選択するでしょう。
そして、この視点の転換によって、それに伴う学習プロセスが始まり、カルマの均衡がもたらされるのです。
生きている間に、自分の言動をすべて相手の目から認識する者は、二元的な経験における片寄りから脱却することができるでしょう。
これ以上カルマを積み重ねることことなく、統合意識へより深く到達することができます。
自分本位で多面的に捉えることができない者は、転生後、人生のすべての場面をまさにその同時多面的に経験する意識に導かれます。
その意味で、死後、審判や評価の権威が存在することはなく、あなた自身が、拡張された知覚、すべてを包括する視点に基づいて自分の行動を評価し、あなたの価値観に従って、新たな人生設計を記すことになります。
もしかすると、転生後に自分が社会的、感情的な面で悲惨な失敗をしたことに気づき、特にその経験を克服することを含む来世の人生設計をすることになるかもしれないのです。
人生と人生が直列に擦り合わされるのではなく、自分自身でいくつもの人生をデザインし、いくつもの体験レベルに同時に浸り、それに応じて死んだ後で自分自身に出会うということもあり得るのです。
死後、他の世界で体験した自分自身と、何とも言えない深いつながりを感じる分身に出会う可能性が非常に高いのです。
魂の旅には、転生後に定期的に集まり、それぞれの世界での体験を伝え合う俯瞰的な場があるのです。
だから、あなたには死後、地上での経験を変換する任務があるだけでなく、それを共有し、あなたの多次元的存在の別の側面に地上での経験を伝える、という名誉も与えられているのです。
そして、これだけはすでに言えることです。地球学校を卒業した存在は、その完成度の高さから、宇宙の他の場所でも尊敬され、評価されます。
なぜなら、地上での体験は他のレベルの創造物にとって超然たる高い価値を持っているからです。
ある意味で、そしてある種の世界では、あなたが戻ってきたとき、祝福されることでしょう。
死の後、あなたの魂はずっと前からあなたの帰還の祝宴の用意をしているかもしれません。
この饗宴で、あなたは転生の旅の苦しみから完全に立ち直ることができますが、野心的で成長を望む魂の存在の中には、非常に早く別の具現化を決心する者もいます。
あの世の暦はまるっきり違うので、この世の暦で死んだ人が何日か後にまた転生してくるということもあり得ます。
しかし、魂が転生するのは平均して一世紀に一度程度です。
地球での生活が過酷なものであればあるほど、あの世での回復と再生の期間も長くなり、2世紀、3世紀を平気で飛び越えてしまう人もいるかも知れません。
ここで、もう一度強調しておきたいのは、異世界の多くは時間をも超越しており、昇天した者はどの時代に新しい人生を送るかを自由に選択できることです。
つまり、「いつ」「どこで」というのは、常にその人生設計に対応したものになるわけです。
人生設計とは、人がその可能性を現実するために、そして自らの潜在能力を実現するために、自己を滑り込ませることができる経験としての可能な枠組みのようなものです。
しかし、人生設計で重要なポイントが満たされなければ、次の人生設計に持ち越されます。 転生に高度なカルマを持ち込んだ人の多くは、長い人生設計に過去の転生でおろそかにしたポイントを抱えています。
人生設計のあるポイントを達成するために、魂からある種の圧力がかかることがありますが、その尺度は常に対処可能な範囲にとどまり、該当者が壊れてしまうほど高度なものになることはありません。
もし、人生における重圧が過度に耐えがたいものに思えるなら、その重圧はあなたの魂から来るものではなく、あなた自身が作り出したものであると断定してよいでしょう。
魂は、地上での経験をまったく別の目で見ています。なぜなら魂にとって、すべての経験は経験に過ぎず、あなたがどう評価しようとも、すべての経験はそれ自体で価値があるものだからです。
そして、肉体がなくなった後に再び利用できるようになるのは、まさにこの魂の景色なのです。
もしあなたが生きている間に、魂のレベルで観察することになるなら、とりわけあの世であなたに寄り添ってくれるような体験シーンが見えてくるはずです。
魂レベルとの結合は、この世とあの世の間の分離のベールを剥がし、特に肉体の逝去によって、私があなたに明かすすべてのことが、身体的存在としてのあなたに開示されるようにしてくれます。
もし生前のあなたが、魂的なレベルで物事を眺めていれば、あなたには、特にあの世に行ってから身近にもたらされるような経験の側面が見せられることでしょう。
魂レベルでの結合は、この世とあの世を隔てるベールを取り払い、特に身体的存在の逝去に伴って明らかになるすべてのことを、あなたに開示するようにしてくれます。
このため、魂との神秘的な結合は、常に死のプロセスのように描写されます。
死後はどうなるのかという問いに対する答えは、魂との結合という「錬金術の結婚*」にあるのです。
*『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』:参考🔗
また、肉体の中で魂の生活を営む者は、肉体から離れても死ぬことはありません。
身体的な死のプロセスが始まると、人間という存在は自分をクラウン・チャクラを通して身体からリズミカルに押し出そうとします。
肉体に入ろうとするときも、肉体から最終的に離れようとするときも、人は針の穴のようなところを通らねばなりません。
そして、そこを通り抜けるには、それなりに労力が要るものなのです。
あなたをこの世の具現的姿へと生み出したエネルギー的ポータルである産道を、あなたは逆方向へ通って去っていきます。
そして、死は終わりに小さな光がある長い暗いトンネルである、と表現する人はすべて、このエネルギー的な誕生経路のことを指しているのです。
さて、皆さんの中には、死ぬ間際にこの光に焦点を合わせ、その中に入っていくべきだという説があります。
また、そこには輪廻転生の罠のようなものが隠されているから、光の中には一切入ってはいけないという説もあります。
幽界には、死者を地球の近くに留めておくために作られた、一種の捕獲網、あるいはエネルギーグリッドが確かに存在しています。
そして、特に地上のしがらみや 執着が残っていると、亡くなった人はそのグリッドにはまり込んでしまい、高次の領域が閉ざされたままになってしまうのです。
肉体が亡くなれば、魂レベルとのつながりが即座に完璧な形で実現されるわけではなく、人間は死後、やはり自分が生前に築き上げていた魂レベルに、ほぼ相当するつながりの深さを許容するしかないのです。
つまり、エネルギー的なアストラルグリッドや低い波動の存在圏から抜け出せるのかという基盤は、生きている間にすでに築かれています。なぜなら、具現化された状態からしか変えられないものが、確実にあるからなのです。
サッカーの得点も、休憩時間ではなく、試合中にしか変えられません。
あの世での休止期間中に、自分の人生のインサイダープレーを根本的に反省し、新しい戦略や計画を考案することはできても、人生をマスターするためには、具現化された土俵の上でしかそれらを実践できないのです。
ワンハーフが終わって光の方へ行くか行かないか、あるいは休憩中に何をするのか、それは次のハーフに間接的な影響を与えるだけです。
トンネルの先にある光は、幽界のグリッドが仕掛ける誘惑の罠ではありません。
そして、自分自身が純粋で、心がもつれていない人は、これらの層を問題なく突き進むことができるのです。
しかし、それは暗いトンネルでもありません。なぜなら、この世とあの世のあらゆる内的な感覚的現象は、意識から生み出されるからです。
あなたの生と死に寄り添う最も確かな道しるべは、あなたの心の声なのです。
そして、その心の声と深く結びついている者は、来世においても、あらゆる心のもつれや罠を乗り越えて、それに導かれていきます。
しかし、もしあなたが生きている間に、何度も何度も盲目的な自己忘却の罠に陥り、自分自身から自分を切り離していたのなら、自分自身と再結合することを学ぶ道に、あなたは死後、捕えられるのかもしれません。
あの世ではある程度の内なる分離が許されますが、その量が多すぎると、あなたは引っ捕まって地上の土俵に直に投げ出されてしまうことになるかもしれません。
人によっては、回想と再統合のための時間を比較的短く済ませることができる者もいます。
一方、輪廻転生を繰り返しながら、自己統合の道をミリメートル単位で進んでいる人もいます。
魂の旅は、8000メートル級の山々を上った道と同じ程度の距離であり、一度転生するたびに、その一歩を踏み進めたことになります。
したがって、海辺の砂粒の数は、あなたが具現化した魂の数よりも少ないのです。
それでもなお、自分の内なる魂と神秘的に結ばれることで、この旅を完成させる義務が。あなたにはあるのです。
そして、あなたが自らを忘れて生きる、ということは、もともと想定されていたことではありません。
元々、すべての経験は、一つの身体から次の身体へと引き継がれていくものでした。
そして、あなた方は自分の具現化したものが相互に関連し、どのように成り立っているのかを意識できていたのです。
それなのに、輪廻転生を介した学習と記憶の糸が極めて規則的に遮断されることで、あなたの具現化体験は全く異なったものとなってしまうのです。
具現化状態に入るとき、あなたの意識を覆ってしまう忘却のベールは、前述したエネルギーグリッドと関係があり、これはあなたの地球の周りに人工的な磁場を張り巡らせています。
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この磁場を中を魂がさまようことは、ある種の削除ボタンのようなもので、そのボタンがあるレベルで過去のすべての経験を記憶から抹消し、より高い波動のレベルへと移行させるのです。
冒頭でお話したバルドは、地球を取り巻く磁界層に存在する意識を抹消する空間です。
こうした消去空間において、存在は真に自分に属さないものはすべて失うことになります。
そして、自分自身の内なる意識の深いところに生き、自分自身と一体になった存在だけが、消去空間で自分を見失うことなく通過することができるのです。
異空間では、生前に自分と繋がれていたのかどうかが試され、繋がっていない場合は、再び具現化へと戻されることになります。
あなた方の大半は、自分の輪廻転生の記憶の糸についてほとんど認識していないにもかかわらず、あなた方の今生は、この糸とドッキングしている、あるいはそれを引き継いでいるのです。
そして、記憶の糸全体があなたの意識の中に再び現れる時は来るでしょう。
人生は常に途切れている形態では限られた意味しかなしません。あなたの記憶の糸が放つ光を、すべての人生の原点まで遡れば、あなたの存在の意味は疑いなく開かれていくことでしょう。
あなたの地球上での遊び場の境界が、磁気消去領域とともにどんどん溶けてくることで、あの世の記憶があなたの元へやってくるようになります。
閾値を越える際の遷移が、よりスムーズになりつつあり、かつては大きな一歩だったものが、現時点ではほとんど負荷がなくなっています。
この世とあの世、地上のものと霊的なものが今、あなたの中で統合されようとしています。
そして皆さんは、具現化した後に自分を待ち受けているものが何なのかも、無言のうちに深く洞察することができるようになるでしょう。
皆さんの中に生じる「死後はどうなるのだろう」という疑問が静かな内なる確信へと変わり、その疑問がまったく生じなくなるような感覚になれるよう、私たちの言葉をもって寄り添うことができたことを、心から願っています。
あなたという存在が、この確信に深く満たされますように
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master of the court - Successor of the court - - Maîtresse de la Court -
森を抜け 墓場から追われ
Après vous être échappé de la forêt et poursuivi dans le cimetière
辿りつくだろう 古い映画館
Vous parviendrez sans doute au Vieux Théâtre
その場所で 貴方は裁かれ
En ce lieu, vous serez jugé,
罪を得るだろう 最後の審判
Vous comprendrez vos péchés et recevrez le Jugement Dernier
時計塔で廻る歯車
Les engrenages de l’Horloge tournent
人形(ドール)は父の遺志を継いだ
La Poupée héritant du souhait de son défunt Père
そうよ私が新たな法廷の主
C’est exact, je suis devenue la nouvelle Maîtresse de la Court
今 開かれる 冥界の門
Maintenant, je vais ouvrir, les Portes de l’Enfer
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
これが正しい選択でしょうか?
Ceci est le bon choix n’est-ce pas ?
心を持たぬ私にはわからないの
Moi qui suis dépossédée de cœur, comment pourrais-je comprendre ?
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
全員地獄送りでいいんですか?
Est-ce une bonne chose de tous les envoyer en Enfer ?
命を持たぬ私にはわからない
Moi qui suis dépossédée de vie, comment pourrais-je le savoir ?
語られぬ 唄もあとわずか
« Le chant qui ne peut être récité,
終わりは近いと 庭師は呟く
Arrive bientôt à son terme » me susurre le Jardinier
正しいのは 彼か魔道師(Ma)か
Qui a véritablement raison, est-ce lui ou bien la Sorcière (Ma) ?
わからないまま 槌を叩いている
Ne le sachant toujours pas, je continue d’abattre mon marteau
無機質な胎内に宿る
Bercé au sein de mon ventre inhumain
毒(イレギュラー)が身を震わす
Le poison (Irregulars) tremble de la tête aux pieds
いい子ね あなたの役目はこれからだから
Doux enfants, votre rôle ne se révèlera que plus tard,
今は子守唄で 眠っていなさい
Pour l’instant endormez-vous au son de cette berceuse.
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
これが正しい選択でしょうか?
Ceci est le bon choix n’est-ce pas ?
心を持たぬ私にはわからないの
Moi qui suis dépossédée de cœur, comment pourrais-je comprendre ?
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
理想郷(ユートピア)はこれでできるんですか?
Est-ce bien de cette manière que nous parviendrons à l’Utopie ?
命を持たぬ私にはわからない
Moi qui suis dépossédée de vie, comment pourrais-je le savoir ? そうよ私が新たな法廷の主
C’est exact, je suis devenue la nouvelle Maîtresse de la Court
今 開かれる 冥界の門
Maintenant, je vais ouvrir, les Portes de l’Enfer
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
これが正しい選択でしょうか?
Ceci est le bon choix n’est-ce pas ?
心を持たぬ私にはわからないの
Moi qui suis dépossédée de cœur, comment pourrais-je comprendre ?
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
全員地獄送りでいいんですか?
Est-ce une bonne chose de tous les envoyer en Enfer ?
命を持たぬ私にはわからない
Moi qui suis dépossédée de vie, comment pourrais-je le savoir ?
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
これが正しい運命でしょうか?
Ceci est le destin correct à poursuivre, n’est-ce pas ?
心を持たぬ私にはわからないの
Moi qui suis dépossédée de cœur, comment pourrais-je comprendre ?
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father
理想郷(ユートピア)はこれでできるんですか?
Est-ce bien de cette manière que nous parviendrons à l’Utopie ?
命を持たぬ私にはわからない
Moi qui suis dépossédée de vie, comment pourrais-je le savoir ?
教えてよmy father
Expliquez-moi, my father 助けてよmy father
Je vous prie, aidez-moi, my father
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Lien fandom:
https://les-chroniques-devillious.fandom.com/fr/wiki/Ma%C3%AEtre_du_Tribunal_(chanson)
Lien vidéo youtube (ouNND dans ce cas) :
/None/
Lien chaîne de mothy:
https://www.youtube.com/channel/UCSmHk3xH3nkWqF0nm9z2-2Q
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illaalli444 · 2 years
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
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腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
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草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
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厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
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花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
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壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『���口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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nenbutsushuart · 19 days
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「釈迦八相」欄間彫刻 釈迦堂 YouTube https://youtu.be/xnfWYMyEi1g
「釈迦八相」と画像検索すると、念佛宗の画像が上位に出てくるようになってきました。
「釈迦八相 念佛宗」で検索をお願いします。 多くの方が検索すると検索補助に出てくるようになるかもしれません。
釈迦堂外面の欄間には、八相成道とも、釈迦八相とも言われる、釈迦御一代記が示されています。 幅3220 高1390 厚450mm 楠材
1、降兜率 ごうとそつ 釈尊は、過去に八千回もの輪廻を繰り返し、兜率天に昇り、善慧菩薩(ぜんねぼさつ)となられました。 機が熟し「我今、佛陀と成るべく閻浮提(人間界)に生まれる」と、六牙の白い象に乗り、降臨されました。
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2、入胎 にったい 七月十五日、菩薩が、六牙の象に乗って虚空の中から来りて、胎内に入る夢を見られた摩耶夫人は、ある婆羅門より、「胎の子は必ず佛に成るべき瑞相を現している」と教えられました。
3、誕生 たんじょう 四月八日、ルンピニlの花園の無憂樹(むうじゅ)の下で、摩耶夫人がその枝に手をかけた時、右脇から釈尊が誕生されました。 降誕された釈尊は、七歩歩まれ、右手で天、左手で地を示して「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と呱々の声をあげられ、七歩の跡には、七茎の蓮華が生じました。
4、出家 しゅっけ 何の苦労もなく、ひときわ恵まれた環境で育てられたにもかかわらず、老、病、死の苦から逃れることができない、一切皆苦を悟られた釈尊は、地位、名誉、財産など、全てを捨てて出家されました。御歳二十九歳。これ以後六年にわたる苦行を始められました。
5、苦行 くぎょう 多くの師について修行しても依然として、人間の苦悩の根本解決には至らず、釈尊は前正覚山(ぜんしょうがくざん)でただ一人、苦行を続けられました。 その凄まじさは、「過去にも、また未来にもこれ以上の苦行はない」とされるほどでした。
6、成道 じょうどう 苦行は、根本解決ではないと看破された釈尊は、尼連禅河(にれんざんが)で身を清められ、乳粥の供養を受けられると、菩提樹の下で膜想に入られました。 悟りを得るまで決してこの座を立たぬ、という強い決意のもと、欲望の支配者・悪魔を退け、ついに悟りを得られました。
7、初転法輪 しょてんぽうりん 御自ら悟られた佛法を、人々に弘めるように梵天から懇願された釈尊は、かつての修行の仲間を訪ね、鹿野苑で五人の比丘に初めて佛法を説かれました。 これを「初転法輪」といいます。法輪を転ずるとは、最高の真理を世に宣布することです。
8、涅槃 ねはん 釈尊は、クシナガラの地で、沙羅双樹の下に身を横たえ、涅槃の時を迎えられました。 時は二月十五日。最後のお言葉は、「万物は移ろいゆく、怠りなく��進せよ」 その御入滅を惜しみ、時ならず沙羅双樹の純白の花が降り注ぎました。
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kennak · 2 years
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末木さんは、鎌倉新仏教の多様性は天台本覚思想との「抜き合わせ」から出てきたという見方をとったのだ。ぼくはそこに惹かれてきた。ただし、その見方はかなり強靭な研究と洞察にもとづいているので、容易には説明しにくい。そもそも天台本覚とは何なのか。  少しわかりやすそうな順を追って言うと、本覚思想とは、かんたんにいえばこの世の現象界をそのまま悟りの下敷きとして肯定していこうという見方のことをさす。悟りが現象界に散らばっているというのだから、はなはだ現実肯定的な見方だ。生きとし生けるものに仏性(ぶっしょう)があり、草木虫魚とともに悟りを実感できる可能性があるというのだから、はなはだ楽観的でもある。誰もが使いやすい日本流の仏教OSめいてもいる。  仏性とは「成仏する可能性」のことをいう。『涅槃経』には「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょう・しつうぶっしょう)と説明されている。一切の衆生に仏性が芽生えて、みんな成仏できるというのは、このままそこだけを採ると「成仏の平等主義」のようにも見えるし、もっとありていにいえばずいぶんラクチンな見方だというふうにもなる。  仏教の世界観では衆生は六道をさまよっている。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天が六道で、衆生はこれらをぐるぐると変転しつづけている(六道輪廻)。衆生は誰のことかというと、われわれのことだ。サットヴァというサンスクリット語を鳩摩羅什(1429夜)が「衆生」と訳した。玄奘は「有情」と訳した。  玄奘は「心のはたらき」をもつものを有情と捉えて、岩石や草木の非情と区別した。ところが日本では、このあと説明するけれど、草木のような非情にもそれぞれ発心や成仏の可能性があるとみなすようになった。これを「非情成仏」の問題という。  そのためこの見方からは「草木国土悉皆成仏」という言葉が使われるようになり、さらにそれが変化して昭和平成の世では「山川草木悉皆成仏」という新たな言い方が罷り通ったものだった。梅原猛(1418夜)が言い出し、中曽根康弘が拡声したのではないかとおぼしい。  しかし、話はラクチンなままであるわけではなかった。そんなはずもない。現象界と悟りがつながると感じられるには、本覚が動かなければならない。本覚という言葉は『金剛三昧経』や『仁王般若経』に初出が見えるもので、その後の『大乗起信論』において「始覚」(しがく)と「本覚」(ほんがく)が対応してから、さまざまな議論がされるようになった。  始覚は初めて悟ることをいうのだが、悟りを体験したというのは、もともとその身に悟りの芽のようなものが備わっているからだろうから、その備わっているものを本覚と名付けた。「本来の覚性」が本覚なのである。そういう本覚に気づかないままになるのは「不覚」だった。  このように人間に本来の覚性(かくしょう)があると見るのは、とどのつまりは衆生(われわれ)にはもともと仏性が備わっているということでもあろう。そこで唯識思想などでは本覚は「本有」(ほんぬ)とか「始有」とも呼ばれた。これはまた衆生にはいわば如来が胎蔵されているとも解釈できるので、「如来蔵」(にょらいぞう)とも言われた。  如来蔵はサンスクリット語のタターガタ・ガルバの漢訳である。タターガタは如来を、ガルバは母胎あるいは母胎の中の胎児を原義とする。ということで、仏性や如来蔵は、われわれは「如来を母胎にもっている」、あるいはわれわれには「如来となるべき胎児がいる」ということを提示した概念となった。  それでここからが日本の話になるのだが、このような本覚思想が比叡山の延暦寺や園城寺で育くまれていったのである。
1802夜 『日本仏教入門』 末木文美士 − 松岡正剛の千夜千冊
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