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#辿り着く向こう岸
cozy1118 · 2 years
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#辿り着く向こう岸 #シャンヤン #XiangYang #大地の芸術祭 #echigotsumariartfield #小豆島 #草壁港 #sd50 (小豆島 草壁港) https://www.instagram.com/p/ClLqUUevCec/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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m12gatsu · 1 year
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無題
年末に彼女とユリイカを観た。俺は2回目だった。2人兄妹で九州ネイティヴの彼女にも観てもらいたかった。半ば放心状態の彼女と劇場を出て、近くのはま寿司に入って、何か喋ると泣きそうだという彼女とぽつぽつ感想を話し合った。あの兄のアセスメントをどう見立てているか、と訊かれたから、自分のトラウマと折り合うために、不条理を道理にしたかったんだと思う、とこたえた。後ろのボックス席の大学生がうるさかった。彼女は静かにうなずきながら、勉強になる映画だった、といった。トラウマから立ち直っていこうとする人の姿を、三者三様で真摯に描いていたから、と。
正月は彼女の実家に帰って、義父の運転でユリイカのロケ地だった阿蘇の草千里と中岳の火口に連れてってもらった。美しい風景だった。冬枯れした草原が黄金色に光っていて、スクリーンで観た色に限りなく近いようだった。冬に行ってよかった。金色の野っすね、と俺がいったら、義父が、ナウシカやね、と笑った。火口付近は猛然と白煙を上げていて、到着してすぐは立ち入りが規制されていたけれど、程なく解除されて無事に見学することができた。太宰府で大吉を引いた義父のもたらした僥倖だった。スピード狂の義父は、車間を保って法定速度を順守している車たちに毒づきながら、快調に愛車を転がしていく。自損事故で長男を喪っているのに、と口にはしないまでも思う。車内には義母の好きなLDH系のアーティストの曲が終始流れていた。熊本地震の影響か、脱落して痘痕みたいになった山肌が何箇所も見えた。途中、数鹿流(すがる)崩れといって、大規模な山崩れの起きた遺構にも立ち寄った。東海大の学生が巻き込まれて……、ときいて、俺も当時の報道を思い出した。崖の途中に引っかかった路面やガードレールがそのまま遺されている。すぐ脇には再建された阿蘇大橋が架かっていて、真新しいコンクリートが光っていた。破壊と再生の風景だった、ここもまた。
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もう1日休みがあったから、彼女とレンタカー借りて海ノ中道に行った。車内ではジム・オルークやアルバート・アイラーを流した。陽が沈む前にと急いて急いて、すぐ向こうに海の気配を感じるのにどこまでも切れず伸びている松原を恨みながら海岸沿いの道路を駆け抜けて、ようやく辿り着いた浜辺はまさしくゴールデンタイムで、ハングル文字の書かれたペットボトルや半壊した冷蔵庫が漂着していた。世界の終わりによく渚の風景が描かれるのも頷けた。ぼろぼろになった海鳥がはらわたを晒して事切れていた。晒す、という字は西日と書くんだね。写真もたくさん撮った。現像が楽しみ。良い旅だった。巡礼の旅だった。いつか義兄が亡くなった現場にも同行させてほしい、と彼女に伝えた。
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altamugs · 6 months
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Song: その電車、中津止まりにつき / That train, stops at Nakamatsu Music / Lyrics: メガナガメ / Mega Nagame Vocals: Kagamine Ren
夕暮れ5時の心斎橋 あてもなく歩くアーケード 建物の切れ間 射し込む斜陽 途切れがちな僕らの会話のよう
5 P.M at dusk in Shisaibashi, Walking aimlessly under the arcade Sunlight filtering through the gaps between buildings, like our interrupted conversation
週末ずっと一緒だったから 口数は減ってきたけれど 君の手から伝わる熱とか 静かな時間さえも心地よくて
We've spent the whole weekend together, so there's not much else to say, but the warmth from your hand or these quiet moments are comforting to me
帰りの時を引き伸ばすように ゆっくりした足取りで歩く
We walk slowly to prolong the journey home
行きたくないな 君と僕を 隔てる500キロが 心まで遠ざけるのが怖くて 君の手を離さずに 連れて帰りたいけど 横たわる現実を動かすには 僕は未熟すぎて
I don't want to go the whole 500 kilometers separating you and me I'm scared that even our hearts would grow apart I want to take you home with your hand in mine but I'm still too inexperienced to move the reality lying ahead
二人を遠ざける合図のように 接近メロディが鳴り響く 大阪の動脈に飛び乗り 細胞になって流れてゆく
Like a signal pulling us apart, the melody that signals the train's approaching resounds Jumping onto the arteries of Osaka, becoming cells in it and flowing away
梅田でやたらと人が降りて ガラガラになった席に二人 腰掛けたすぐ後に流れる 「この電車は次の中津までです」
A lot of people get off at Umeda Right after we take the two seats that have become empty, comes the announcement, "The next stop of this train is Nakamatsu."
「新大阪まで行かへんなあ」 悪戯な顔で君が笑う
"It won't go to Shin-Osaka huh?" You laugh mischievously
あと少しで辿り着けない もどかしい距離は 迷い躊躇う 僕の気持ちみたいで かりそめの終点を 取り払った先にある景色に まだ自信が持てないんだ
Just a bit more but we can't cross it, this vexing distance, stuck in hesitation, just like my feelings I still lack the confidence in the scenery that lies beyond the point where the temporary terminal has been cleared away
円いベンチ腰掛ければ 僕らだけのエアポケット 電車の音も雑踏も 消えていくんだ いつの間に見違えた この駅のように 変わって行かなきゃなあ 僕も
Once we sit on a round bench, we're inside our own air pocket The sounds of the trains and the crowd all disappear Much like this train station, which, before I knew it, I hardly recognized, I'd have to change, too.
「帰りたないな」 僕のワガママ 音でかき消すように サヨナラの電車はすぐやってきて 「せやけど…」って 寂しそうな 作り笑いキミにさせたくないんだ させたくないんだ もう
"I don't want to go home" The goodbye train comes as if to drown my selfish wish in sounds "I know, but…" I don't want you to make that sad forced smile I don't want you to, anymore.
地下から出た電車みたいに 気持ちは向こう岸に届くかな 淀川に夕陽が滲む
Like the train emerging from the underground, will my feelings reach the other shore? The Yodogawa river is blurred by the evening sun.
「なあ 死ぬまで横におってくれへん?」 陳腐な言葉しか出なかった 悪戯な笑顔で応えた君を 守るよ 本当の終点まで
"Hey, will you stay by my side until I die?" Only cliched words come out of my mouth With a mischievous smile, you replied, "I will protect you, until the true end."
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poetohno · 10 months
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第四楽章 水の旅路
「物語」
地球上の水のほとんどが塩が混ざり あるいは氷に閉ざされている
純粋な水として存在するには空に抱かれ 山に削られ 岩磐(いわいわ)の険しい旅路を行き 大地の洗礼をうけなければならない
地表に流れる水は命の源であり 様々な自然の関わりによって生み出される命の産物
水は天より降り注ぎ 山を下り 河を流れ 海に終着する水が渇き天に抱かれ空を旅する雲となるのなら風とは命の使いとも呼べないか
風は運命を垣間見せる全ての命は風に運ばれている
風の導きによって命の定めも決まるだろうか風が囚われれば世界は地獄と化し風が自由に歌えば生命もまた謳歌する
ふと目にするあの雲もまた空の彼方の海からやってきたのかもしれない雲は風に流れ 果てに行き着くだろうまた別の風は果てしなく巡っていることだろう
―海のように
果てなき海は生命の始まりの大地山は生命の終わりの果て 辿り水は生と死を巡る 水は命そのもの
雪に閉じこめられた命は春の訪れと共に花開き溶ければ寄り集まりながら小さな鼓動のように流れやがて大きなうねりとなり生命が漲る川となる
そこに命があるなら戦いがある戦いに勝利したものは生き延び敗北したものは死に絶え川を下る
その戦記には続きがある彼らの肉体は川の果ての森に続き木々に住まうものたちの糧となる森の果ての川に命を紡ぐ物語がある
「川の調べ」
雨は天より零れし海の唄 海は天を仰ぎ 天は海を抱く山を越え 草原を愛で 森の謳歌を奏で渇いた砂漠に一瞬の楽園を築く 命の交響曲を支える旋律
空が蒼いのは川を抱いているからなのか空に漂う雲は 流れる風は 天に聳える山にとって脅威にもなる水は一度流れを持ってしまえば何者をもってしても止めることはできない時に抗えないように
水は命を蘇らせる力を持つが同時に山を死に至らしめる力を秘めている峰を削り 野山を駆け下り 大地を削り 渓谷へと変貌する深く奥へと 時が覆い隠した地表が現れる時を遡るかのように
「川の宴」
川が在る所に命は宿る獲物求め命を奪う破壊者がいるなら草を求め旅するものたちの大行進がある
命を賭けた戦いが川を彩る沈黙に眠る川も一度戦いが始まれば騒然となる
一瞬のうちに命が散り 火花のように瞬き雷の閃光のように轟く
そこには思想も哲学もない剥き出しの命と真実がある
「湖の謳歌」
湖は海と隔たり生き物たちはその境界を越えることはできないそれは牢獄なのか それとも楽園なのか
湖がもし栄華を極めたとしても湖が干上がれば命は全て消えてしまう
生き残るためには他を上回る戦略によって己の道を切り開くしかない
裏切り 裏切られ 騙し 騙され 命を残すための闘いは熾烈を極める本能と理性の狭間に揺れる闘争
鏡のように澄み切った湖の下には過酷な世界がある
一の美しさをこの目に宿すためには相反する十の醜悪な世界を知らなくてはならない
「川の旅路」
川の旅は続く天空より舞降りる千の雫は木の枝から幹へと遡るように寄り集まり川の流れを描き大地をうねりながら森を横切り平野を走る
大地の鼓動が生命の躍動なら大地の雄叫びは闘いの咆哮である
闘いの先に散っていった者達が川に溺れ 川に沈み川を血の色に濁らせるなら
草茂る水の流れはその汚れを払い水に清流を取り戻す
乾季と雨季に生と死が巡り歓喜と憂き命が交錯する
雨が降ることで大地の様子は一変し世界が変わる
生命の謳歌と眠りが時の巡りに合わせて変化する川は山を削り 破片を海岸まで運んでいく
そして川の旅は終わる
「海の森」
珊瑚礁は海を砂漠から森に変え多種多様な命を呼び起こすオアシス光を受け輝き 波に揺らぐ花のよう海に咲く花を愛でようと多くの命が集まり闇の海に咲く光であり 命の灯のよう海の家 大地にとっての安らぎの木
海に昆布が揺らめく場所は熱帯雨林を思わせる海を浮かびながら漂い 命は溢れ 迸り色は犇めきあいながら 絡まり合い 踊りながら波に歌う絵の具を散りばめたかのような宝石のように輝き始める足を踏み入れたものはその場所に住み着き憩いの場所を築き 新たな旅に出る時を隠れながら待つ
「海の宴」
命を育み 支える命の種命を降らせる恵みの雨植物プランクトンの恩恵を受けるために 命たちで溢れ返る
生き物たちが群れを成して訪れる命求めて海を縦横無尽に旅するものたちが春を待ち続けていた
冬に荒れ狂う波は海をかき混ぜて海に栄養を行き渡らせる命にとっては天と地を別つ温度の壁海にはある嵐は壁を破壊し 天と地を混ぜ合わせる命にとっての心臓の鼓動のよう
夏命を求める旅は続く魚は群れを成して移動を続け鳥たちは巣へと帰り 再び飛び立っていく鯨もまた旅を続けている温暖な場所から極地へと向けて旅は続いている―春を求めて太陽の方角へ
秋が来る時 嵐は再び起こる命にとって堪えなければならない長い時の前の休息と謳歌の時間集まってきていた生き物たちは散り散りになりそれぞれの場所で 冬が終わる時を待っている海さえ嵐を呼び込みながら 海をたゆみ無く巡らせながら 春の時を待っている海の流れが無ければ 命は恵みの時を受けられず翼は折れ 大地に落ちる
「富の海」
光が降り注ぎ 大地は珊瑚礁に彩られ魚が銀色に閃いて通り過ぎる揺れる虹のようなたなびく彩雲のような百花繚乱の森色の豊かさが命の豊かさを示すならこの彩りに富んだ景色が命の豊かさを現している
海の楽園は海全体のどれ程だろうか
エメラルドに光り輝きクリスタルのように透き通り波が青の群れとなり光揺れる世界
生き物に犇めき濁った世界砂漠や極寒の世界に隠された地底奥底の知られざる世界があるかもしれない
豊かさだけを見るなら確かにここは楽園であるが楽園の背後に眠る闇を誰も知らない
命踊り 光輝き それは目下に佇む闇の中に歌う星のよう
「海の彼方の闇」
知られざる宇宙のような場所
天文学者ならば星を探して眼を凝らし新たな光を見ようとし
生物学者ならば命を探して彷徨い歩き新たな生き物を見つけるだろう
深海の闇という宇宙に潜む星を探すように生き物たちは身を潜め闇の中で蠢いている
光は徐々に薄くなっていく辺りは夜のように紺に染まっていく気づけば無音の闇の中光の恩恵はここには存在しないあらゆる時間において闇は光の無い洞窟のように
微かな栄養を頼りに彼らは生きるしかない自らの力によって海を渡り海流という大地にとっての風に乗り漂う
海を浮遊する微細なプランクトンが海の世界を支えている鯨や鮫 鯱や海豚といった華やかな生き物はその表面で閃いているに過ぎない舞台に踊るアクターを支える無数の影の努力者たちのような
触れれば壊れそうなガラス細工のように揺らめき揺れる蝋燭の火は今にも消えそうな陽炎のよう今にも壊れそうな幻想的なあり方をしている
「深海の底」
海は深いだけで圧倒的な力を湛えている大気であれば気圧 全ての命の源 水を水として存在させるための力水圧の力には際限がない 科学の力で武装した鎧すら簡単に破壊する
水温は凍えるほどに冷え込み 空気は高山のように薄く やがて皆無になるこの世界は生命の存在を拒んでいるのだろうか
果てしなく深い限界の場所で生き物は蠢いている恩恵は海の表層から降り注ぐ 雨のようで 雪のような死が舞い降りる生きとし生けるもたちの肉片が塵となって落ちてくる彼らの死によってもたらされるものはこの世界では太陽の光のよう
海底に着く時この世界は月のようだ果てしない無の世界が広がっているしかしこんな所にさえも生き物は生息している
「海底火山」
海底にも火山は存在する海底とは海の底であると同時に大地の果て
大陸と大陸の鬩ぎ合いの狭間に摩擦に散る火花があるように火山が煌々と火を上げている
マグマは地脈のように奔り 地球の中心まで潜り巡り 再び地上へと吹き出す
世界とは外に開かれているのではなく内側に広大に巡っている
マグマが海底の生き物を支えている砂漠にとってのオアシスのように
海底に山脈を築き 延々と続くかのようにいつか大地が隆起し 沈没した時海底に眠る大地は海上に眼を覚ますだろうか
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hitujijp · 2 years
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迷宮人、地下12170階
孤独とは比較対象の存在する中間的な状態でこそ感ずるものだから、そこへ漕ぎ出して行くのは苦しみを伴う。向こう岸に辿り着こうともがく途上は常に運任せだ。運が悪ければ悪い水に掴まって転覆し奈落へと引きずり込まれる。偶々運良く優れた水の流れに乗り向こう岸に辿り着いた者の都合の良い言葉だけが一人歩きしているが、この行為を成長と呼べるのかどうかオレには分からない。
過去には漕ぎ出そうとした時も有ったがそれらは全て徒労に終わり、結局の所オレは元の岸に戻る選択を選んだ。そして今この場所に充足を見い出す覚悟、つまりはこの部屋で生涯を終える覚悟を決めている。
しかしこの部屋と決めた所で、よくよく眺めてみると案外広い。やがて今までに気が付かなかった迷宮まで備えているのが分かると、オレはすぐに迷宮へと足を踏み入れた。迷宮は倫理を問う。何か一つの決まりに縛られたり縛られなかったりしながら、その迷いの中で成長する点にこそ迷宮の存在意義が有る。迷宮で尚、せっかく与えられた迷いを放棄し真っ直ぐ進む様な者は、迷宮では無く川の向こう岸を目指す方に適性が有る。
ひたすら迷宮と向かい合いながら自問自答によって成長したければ迷宮へ、孤独の波に煽られながら善意と悪意を持つ他者との出会いの中で成長したいなら濁流に漕ぎ出し向こう岸を目指せば良いのではないか。 もっともこの迷宮が何処に繋がっているのかは知るよしも無いが。それも迷宮の存在意義が迷う姿勢に有るとするのなら、出口は回答であり正直そこまで興味も無い。
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shodoshima-camera · 2 years
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草壁港に浮かぶ大きな木の作品『辿り着く向こう岸』は、中国の古い家具や建具を修理して作られています。扉をあけて中に入ることもできて、ひとつひとつの模様をじっくり楽しむことがきました。 [map]
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keredomo · 2 years
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 現実の上で、31歳を振り返っておこうと思い、こうして書き始めた。  観念的なことだけを著しておく気高さもあると理解しつつも、具体の苦しみもまた私の苦しみであるときちんと認めておかなければ、正しさに辿り着けないと考えたため。
 よって、これはいつにも増して自分のためだけの文章である。読んでいただく必要はない。
*** 
 去年は誕生日の記事を書く余裕がなかった。よく覚えている。前職の離職を告げて、後片付けに奔走していた。  転職が決まって人生が変わることになった6月は、毎日を事務的な疲弊と共に過ごした。人生を懸けて取り組むつもりだった仕事を手放す痛み、平穏な離職のために無意味な嘘をつかされる痛み、そういうものと闘っていた。
 誕生日は恵比寿のウェスティンの一室で小さいシャンパンを開けて過ごした。薄暗い日で、冷たい雨が降っていた。誕生日の祝いにとその日ホテリアーが提供してくれたチョコレートを、まだ食べ切らずにひっそりと一粒だけ残してある。赤いハートのガナッシュ。心臓のように思った。大切に、残している。
 退職し、思いがけずひと月半の夏休みを得て、毎日を言葉と共に過ごした。7月。新しい言語を習得するつもりが、持ち前の怠惰が邪魔をしてうまくいかなかった。熟達している日本語とずっと親密に遊んでいた。言葉は時間を埋めてくれる。言語ばかりでものを考える性向から、日々の日記はとんでもなく長いものになった。新たな外国語の習得は叶わなかったが、母語とのたわむれは、私に大いなる慰めを与えた。それでよかったのではないかと今は思う。
 8月に新しい仕事を始めてからは怒涛の日々だった。毎日、環境のよさに舌を巻きつつ、優しい上司と同僚に囲まれて慣れない業務をこなした。人格者ばかりに囲まれて、優しくされることに時折涙した。
 9月の終わりに父親が死んだ。12月に、人生を懸けて愛した人に決死の別れを告げた。死ぬかと思った。それら二つの衝撃にうちのめされて疲弊し、上手に人に優しくできなくなってしまった私を、家族の妻は拒絶し冷たく振る舞い、余裕のない私が彼女に優しくできないことについて大いになじった。くる日もくる日も、大泣きしながら夜通し罵倒しあった。私がわかりやすく優しくて有益でなければ私を愛さないこの自己本意でしかない者とはもう今後を共にしたくないと思い、家族から離脱した。もう愛したくなかった。私の人生に存在してほしくなかった。彼女に、傷つききった私をさらに追い詰めた自覚はあるのだろうか。お互い様だろうが、もう二度と愛せないだろう。心を傾けることはできないだろう。深く憎んでいる。それほどに、信頼していた人間に追い討ちをかけられた傷は深い。父を失い、恋人を失い、家族まで失った。友人も一人失った。失う時は、一気に失うものだ。
 失うばかりではない。得たものもあった。1、2、3月は、ふいに訪れたその衝撃を生に落とし込むことで精一杯だった。人に優しくされ、ありのまま過ごす姿を許される生活を、もしかすると送れるのかもしれない。私のような欠陥のある人間でも、誰かと生涯を共にできるのかもしれない。そう夢見た。がらにもなく期待してしまった。結局その夢は、次の誕生日に盛大に破られることになった。大いなる裏切りに遭い、再び失った。確かなものは、この世にはあまりにも少ない。安心は私の生に与えられるものではないのだと知った。思い知った。
 4月と5月は再び仕事に明け暮れた。仕事は私を求めてくれるから助かる。それと同時に、妊娠恐怖とふたたび闘い続けた。体の不調と異変を刻々と受け止めながら、子供をもつかもたざるか、真剣に考えた。一人で育てることができるのか。誰の子供にならば人生を捧げられるか。子供を持たない人生は女性として生まれたこの身の義務を果たさない罪なのではないか。子をなせば少なくとも虚無からは救われるのではないか。そんなことのために子を持っていいのか。考えた。怖かった。何を得て、何を捨てることになるのか。体の異変を覚えるたびに、想像し尽くした。うなされた。胃液がせりあがった。自分の生をやりきれていないのに、子をきちんと育てあげることができるのだろうか。私は子を殺してしまうかもしれない。きっと殺すだろう。むごいやりかたで幼児を殺してしまうだろう。睡眠不足の朦朧とした頭で、私の人生を奪うなと叫んで、殺してしまうだろう。
 春宵に、夜更けの京都の河岸で民族楽器を鳴らした。めちゃくちゃに叩いた不思議な楽器の音色が美しかった。空気は透き通っておらず、もったりと私たちを包んで、ただひたすらに綺麗な音とうっすらと聴こえる街の喧騒がそこに響いて、そこは黄泉のようだった。
 5月、随分遅れて、生理がきた。子を孕んでいなかった。心底落胆した。疲れ果てた。小説を書くことを決意した。それは今後の人生において妊娠を諦めることで生じる決意であった。
 私と親しい誰もが、その決意を喜んだ。爽やかな初夏だった。私だけが、晴れやかな顔で、人生を憎んでいた。私だけが、もはやこの生に期待できないと感じていた。何も持っていない。すべてを持っているのに、何も持っていない。
 美しい人と横浜で薔薇を見た。いちご飴を食べた。唯一の慰みであった。
 「あなたを母親にすることがためらわれる」と、その人との子を狂おしく望んだ相手に、かつて言われたことがあった。その言葉は私を縛り続けた。母親になることを諦めた今、その意味がよくわかる。育児は私の仕事ではないだろう。私の仕事は、人類という動物種を繁栄させることではない。生きることを余儀なくされている全ての人を救うための何かを残すことだ。
 子を諦めたのち、「あなたはあんなことはしなくていい」と、またその人に言われた。「子を産み育てるようなことは、しなくていい」と。私は、選択を間違えなかったのだと心底安堵しながら、同時に再び絶望した。
 こんなに苦しい思いに苛まれることが、この人生には必要なのだろうか。
 死んでいいだけの理由が、いくらでもある。私は、「死んでしまっても仕方なかったね」と人に思われるだけの理由を十分に抱えていると思う。それでも、死ねない理由のほうがもっとたくさんあるのだ。私を失った生を生きさせたくない人がいる。そう確信できるところにまで、自らの生を押し上げてしまった。そのことを誇りに思う。重荷であるとは思わない。
 ただ、ここまで傷ついてしまえば、いつ死んでもいいなとは思う。自死を免罪されるほどに、私は傷つき果てていると思う。その権利を、みずから行使することはないだろうけれど。もはや希死念慮も薄らいだ。
 白百合の派手派手しさは私を救う。眠りの横暴さも私を救う。紫煙のくゆりも私を救う。言葉も私を救う。私のためだけに連ねられた言葉たちが私を救う。私が私のために書き殴る言葉たちが私を救う。
 それさえあれば十分なのではないかと思う。本当は、これで十分なのではないか。私が求めすぎているだけで、本当は、これだけ持っていれば十分なのに、安寧を、浄土を、深呼吸を、深い眠りを、音楽を、眩さを、確かさを、求めていること自体が間違っているのではないか。
 浄土の英訳は「pure land」と言う。初めて知った時には笑ってしまったが、今はとてもよい英訳だと感じる。pure land。私の望むところはそこであるとはっきりと断言できる。pure landという訳が与えられたことで、「浄土」という言葉は(私の語彙において)仏教から離脱した。
 どこか、涅槃を超えたどこかに、私が私であるだけでよいとされる、pureな、もう二度と心を折らずに済む、もう二度と諦めずに済む、もう二度と心が張り裂けるような思いをせずに済むような土地が、もう二度と、私が私であることを妨げない土地が、あるのだろうか。あるといい。あってほしい。
 私を守る庭があってくれればいい。私の心を守る庭があってくれればいい。美しい百合に囲まれて、緑と白だけが支配する、ようやく呼吸のできる土地が、ようやく深い呼吸のできる庭が、安心して手脚をのばし��横臥して、深く息を吸える土地が、誰も、私がのびのびと一人で眠って一人で目覚めて、世界の光の美しさに目を細めることを邪魔しない土地が、庭が、美しい庭が、あるといい。
 壊れてしまえばいいのにと願わずにすむような庭が、壊れてしまうかもしれないと怯えずにすむ庭が、あるといいのに。
 どうしてないのだろう。
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niyuuhdf · 1 month
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行屋灯彦:「死神を呼べ」
「私たちは死の向こうからやってきた 虚彦も」 「死の瀬戸際まで 虚彦を呼び続けてはくれないかい」
「虚彦のことを想えなかったって? あの時かい?」 「ああ…私が何度も似たような言葉を繰り返したんで、"そう求められている"、"求められるということは今の自分はそれに応えられていない、要求を満たせていないからしつこく問われ続けている"と逆説的に思い込ませてしまったかな… 」 「あの時 真澄さんは虚彦のことしか考えてはいなかったよ あの時も、か
「真澄さんもそっちへ帰りたいかい」  …おぼろな目つきのまま灯彦さん見詰める 「この先に私らの故郷があるよ」 海の先を指さして というか海の中 「きみは七に会ったことは?」 「虚彦の母 虚彦は姿や面立ちから体質まで母親似だねぇ」  「そうなんですか …」  知らない人 「おいで」って言って、真澄の腕を引いて海の中にどんどん入っていく 潜らせずに泳がせずに、足がつかなくなったら海面にふわりと浮かせて、浮いた真澄の身体を引いて、陸から遠く遠く離れて、陸がどこにも見えなくなるところまで連れていく  …断るべきだろうか  もしこんな ことで 帰れなくなったら … 「彷徨える時はほんとうに一度どこへも行けなくなればいい」 「そおら 陸は見えなくなった 身体の下には大きな鮫が牙を剥きながら泳ぎ回っている 陽が登れば海面に浮かんだ無防備な私たちの肉を海鳥が寄ってたかって啄む」 じいちゃんも海面に仰向けに浮かぶ… 真澄と一緒にぷかぷか… 「もう二度と陸へは戻れず どこかの岸へ都合よく打ち上げられることもない 泳いで辿り着けるどこかもない」  「…」裏切りだ  また間違えた  …せめて どうにか 偽装できるだろうか、いや  …うつひこにはバレる 「君は勘が良さそうだから まあそう考えてご覧」  火を炊くか?  …あんな風に出てくるんじゃなかった 「何に襲われることがなくとも飢えて死ぬ」  せめて 「あとは死を待つばかり」  最悪の回避を  …望んで死のう  …足掻かずに 隠れて  ますみん海中に潜った 逃さない 海面に浮かせる  …。  先にこの人を殺さないと 「あっはっは まあそう急くことはないよ」  うつひこじゃないのに 嫌だな 「…さて 死を待つばかりという身になって この窮状で君はなにを想うのかな?」  「対象一つのみなら全て異様だ」  「笑う意味がわからない」  「死を待つ意味もわからない」  「窮地なのはなぜ?死ぬからか」  「何もかもどうでもいい 僕は間違えた うつひこのところには帰れない」 「散らかった思考だね」 「つまりなにを想うんだい?」 「死の淵で 君が想うのはなんだ」 「帰れなくなったらどうだというんだい」 「虚彦を想って死んではくれないのかな」 「もう虚彦のもとへは帰れないとなると 虚彦のことは想えないかい? どうでもよくなってしまうのかな?」  「…わからない」  「うつひこがいない…」 「あの子が居なければあの子を愛しく想うことはできないかい」 「虚彦が恋しくないか」  「…できない  できない  …」  そこに誰もいない 僕も  いたらおかしい から 間違ってるんだ  間違えた  もう だめ  も う、  今度は沈もうとするわけじゃなくて自然身体の力抜けて沈んじゃう 沈むのを阻止する  心臓徐脈で止まりかけてる 浮かせる  胸押さえつけ続けたみたいな  息したくない  おかしい  何もかもおかしい 「私たちは死の向こうからやってきた 虚彦も」 「死の瀬戸際まで 虚彦を呼び続けてはくれないかい」 じいちゃん、一人でトプンと海の中に潜って消えて 真澄一人になった  うつひこのところにかえりたい  …帰れない 同時くらいに真澄の身体の横にざばん!とひとつの波が立つ  間違えた もう帰れない 「ーーーー真澄!!!!!」
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ichinichi-okure · 4 months
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2024.1.25thu_kyoto
Diary 2024.1.25 in Park City / Sundance Film festival
一年に一ヶ月休暇があるとしたらあなたはどこに行きたいですか?
日常でなんとなくもやもやしたときは、この質問の答えを考えると、だんだんわくわくしてくる
日本で正社員として働くと、ボーナスがもらえたり安定した給料がもらえて精神的に安心するかもしれないけれど、私にはお給料が安くてボーナスがもらえなくても、一年に一ヶ月休暇もらえるほうが価値があると思って今の働き方を選んでいます。 フリーターとして旅館と南インド料理屋さんの仕事を掛け持ちしているんだけど、この南インド料理屋さんは一年に一度インド研修のための休暇があります。
大体のスタッフは個々にインドの好きなところへ行って、おいしい料理や、まだ日本では食べれないような料理を探しに行っているんだけど、行���てもいいし、行かなくてもいいし、別のところに行ってもいい、っていうとてもフレキシブルな考えなところが大好き。
前回のインド研修で南インドに行ってから、次の行き先をわくわくしながら考えてみたんだけど、何となく今回は西海岸かなと思ってLAに住んでる友達のとこに遊びに来てみた。
そしたら「サンダンス映画祭に行こう!」と言われ流れに身を任せたら、ユタ州の雪山の映画祭に辿りついていました。
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今日はサンダンス6日目、そして私たちは明日ラスベガスに向かうので、今日が最終日。
朝、おいしいコーヒーを求めて近所を散歩。 標高2000mを超えるアメリカ随一のスキーリゾート、パークシティ。 見渡す限り雪が積もっていて、今日の最低気温は−5°の予報。京都の寒さから逃れるためにあたたかいLAを選んだと思ったのに、雪山に来てしまった。 時差ゆえに半日未来を生きている京都の友達が、雪が降っていると教えてくれた。 標高が高いから20分も歩くと汗をかくし、日差しも強いので京都よりも寒さを感じない。不思議。
野生のうさぎを横目に歩いていると、すごく大きな温室をみつけたので入ってみた。
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温室の中にテーブルがいくつかあって、隣のカフェでコーヒーなど買ってみんなくつろいでいたので、私もそうすることにした。
カフェラテと玉子とチーズのクロワッサンを頼んで、カフェのお客さんが連れてきていた犬と遊びながら出来上がりを待つ。
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アメリカではたいていのお店に犬を連れて入れて、犬用のクッキーが売っていたり、お店の外には犬の水飲み場があったり、ペットフレンドリーな環境なのでうれしい。生まれ変わったらアメリカで暮らす飼い犬になりたいと思ったりしている間に、私の顔より大きなクロワッサンを手渡された。
この温室は園芸店でいろんな植物を売っていた。気になる植物があったので見ていると、友達がchat GPTを使って調べてくれた。
この植物は夜に葉を閉じるのでprayer plants(祈り草)と呼ばれているらしい。 もっと色々な情報を教えてくれたのに忘れてしまった。AIはいつもわたしの何倍もかしこい。
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サンダンス映画祭はインディペンデント系の映画祭ではアメリカで1番大きいらしく、ハリウッドを中心にアメリカ国内だけでなく海外からも映画業界の人たちが集まってくるお祭りらしい。 車で30分ほどのソルトレークシティの映画館を含めると10こくらいの会場で、朝から晩まで映画を上映していていろんなワークショップも開催されているみたい。
LA滞在1日目に行ったギャラリーにブラッドピッドがいたらしいけど、全く気がつかなかった私は、世界中の映画ファンの皆様ごめんなさいという気持ちで、街をぶらぶらしたり映画を観たりしてすごしています。
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朝ごはんを食べたあと、友達が「初めて映画を撮るのに必要なことは?」というテーマのワークショップに参加するのでついていった。 3人の映画監督がそれぞれ映画を撮るのに必要なこととか、参加者の質問を交えて話しているのを聞いてみた。なんせ全部英語だし、専門用語も多いし、そもそも私は映画を撮ろうと思ったことがないので、へぇと何となく聞いていた。全ての映画ファンの皆様すみません。
お腹が空いたので、宿に戻ってタコスパーティをしよう!という流れに。
友達が6人くらい泊まれる2階建の貸別荘を借りて、数人でルームシェアをしています。シェアメイトは私と私の友達と3人の金髪美女。みんなハリウッドで女優をしたり映画監督をしたり本当に美人で、見惚れてしまう。
シェアハウス生活2日目に大量の食材が届いていて、デリバリーサービスの誤配達っぽくない?という話に。管理人さんからも近所の人からもデリバリー会社からも数日たっても連絡はなく、明らかに大量のタコスを作る材料があるので、最終日はタコスパーティだね、とみんなで話していた。
お腹いっぱいタコスを食べたあと、貸別荘の管理施設にサウナと温水プールがあることがわかったので、みんなで水着に着替えて泳ぎに行った。
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8人くらい入れそうな大きいジャグジーと、サウナ、屋外に大きい温水プールと小さい温水プールがあった。 貸別荘に泊まってる人たちは無料で利用できることを最終日に知って、みんなでくそーと笑いながら1週間分全力で楽しんだ。 雪の積もるなかモミの木に囲まれて、満点の星を見ながら、温水プールにぷかぷか浮かぶのは変な気分だった。温泉とは違う贅沢な遊びだなぁ、と全力でクロールをしてはしゃぐ友達をみながら思った。
連日のようにサンダンスではパーティが繰り広げられ、映画業界の人が意見交換をしたりしていた。最終日はパーティにも疲れて、ゆっくりしたかったけど、ブライアンイーノのドキュメンタリーをもう一度観に行くことにした。
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初めのシーンと最後のシーン以外はランダムに再生されるように作られていて、数億通りの再生パターンがあるらしい。映画はいつも同じように再生する必要があるのか?という監督のコンセプトと、ただのドキュメンタリーを嫌ったイーノらしい映画だなぁと思う。 DVD化も配信も難しい形態の映画なので、次はいつ観れるのかなぁ、と思いながら出来るだけ脳みそに刻んだ。
明日はラスベガスに向かうので、冷蔵庫に残ったピザを食べながら、荷物をまとめて私のサンダンス映画祭最終日はおしまい。
-プロフィール- yurinx 京都 Super Wooper Looper/SPICE HEAVEN (Spice curry出店) インド食堂タルカ https://www.instagram.com/yurinxox/
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getsuryoukai · 5 months
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2023.12.24〜28 越後駒ヶ岳(駒の湯から道行山の手前まで往復)
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ラッセル厳しく一人ではまったく歯が立たずでした。 メンバー:kwt
1日目(12/25) 晴れ→夕方から小雪 8:40除雪終了点〜14:00駒の湯〜17:00標高500m地点(泊)
早朝に東京発。上越線小出駅からタクシーで除雪終点まで。 ここから駒の湯まで4kmの車道歩き。スノシュー履いて脛ぐらいの積雪。ずっと平坦だけどかなり疲れた。駒の湯まで5時間かかった。 駒の湯の吊り橋は冬期は板が外されていて渡れず、最短ルートの小倉尾根は使えない(気合の入った人は無理やり吊り橋を渡ったり、渡渉したりするのだろう)。今回は銀の道コースから明神峠経由のルートをとる。銀の道コースは、道標は発見できたが登山道はよくわからなかったので適当に登りやすそうなところを登りはじめる。なかなかの急登で、空身でラッセルしてザックをとりに戻るを繰り返す。 この日は標高500mくらいの尾根上に無理やりテントを張った。予定では地形図で918mのピークまで行くはずだったので、かなり遅れ気味。
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除雪終了地点
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冬期通行止めの車道歩き。時折り越後駒ヶ岳が見える
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駒の湯まであと2km
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駒の湯の吊り橋。板は外されてブルーシートで覆われている
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銀の道コースの道標
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標高500m地点の尾根上に無理やりテントを張った
2日目(12/26) 晴れ→夕方から小雪 7:00標高500m地点〜16:00標高1000m地点(泊)
明神峠目指してひたすらラッセル。沢を挟んで対岸の小倉尾根が常に見える。小倉尾根に比べると銀の道コースはかなり遠回り感があり、恨めしい気持ちで小倉尾根を眺めながらひたすら空身ラッセル&ザックとりに戻るを繰り返す。この日は小倉山まで行けるかと見積もっていたが、まったく読み甘で明神峠までも届かず標高1000mのコルで幕営。
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小倉尾根と越後駒ヶ岳のヤバい北面。郡界尾根もヤバそう
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だんだん天気が悪くなってきた。
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ごはん用のお椀を持っていった。アルファ米も多少おいしく感じられる
3日目(12/27) 晴れ→夜から雪 7:00標高1000m地点〜12:00明神峠〜15:00道行山まであと700mの地点
この日に小倉尾根まで届かなかったら引き返そうと思っていた。標高1235m明神峠はひたすら遠く、ピークを越すと次のピークが現れ本当にうんざりする。ようやく辿り着いた明神峠からは越後駒ヶ岳、中ノ岳、荒沢岳、奥只見湖などがバッチリ見える。この時点で正午、大休止した。この先は道行山まで大きなアップダウンはないがラッセルは相変わらず。小倉山ははるか遠く、道雪山までもあと700mもある地点で行動をやめた。15時だった。この日は夜から雪が降った。
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越えても越えてもピークが続く
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ようやく明神峠が見えてきた
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明神峠より周囲の山々
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明神峠より荒沢岳。この山はカッコいい。冬に登りたい
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明神峠より越後駒ヶ岳
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小倉山へ続く尾根道。近そうで遠い。トレースは動物のもの
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小倉山への尾根道。傾斜は落ち着いたが空身ラッセル&ザックを取りに帰るを繰り返す
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越後駒ヶ岳の裏に陽が沈んだ
4日目(12/28) 小雪→曇り 8:00道行山まであと700mの地点〜14:00駒の湯(泊)
昨夜からの雪は勢いは弱まったがまだ降っている。天気も悪いしこれ以上進む気力もなく、雪が落ち着くまでテントの中でうだうだして、8時頃テントを出て、来た道を引き返した。昨晩からの雪でトレースが消えているところもあった。明神峠から銀の道への下降ポイントはコンパスを出して方向を確認した。初日から三日目までとても苦労した登りだったが、下りはやっぱり楽で14時には駒の湯に戻ってきた。気温が高く雪がグサグサのなか4kmの車道歩きが嫌だったので、駒の湯登山口にテントを張ってこの日の行動を終了した。
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3日目の幕営地。夜は雪が降り続いた
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来た道を引き返す。トレースは消えつつある
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あっという間に駒の湯まで降りてきた。雪が減った。初日はここの看板は雪に埋もれていた
5日目(12/29) 晴れ 8:30駒の湯〜10:40除雪終了点
昨日の午前中は駒の湯あたりでは雨だったようで、初日に比べると雪がかなり減っている。初日のラッセルの辛さに比べるとなんの苦労もなくスタート地点に戻った。
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天気は良いが疲労困憊。さよなら越後駒ヶ岳
結局、今回の山行はスノーシューとストックしか使っていなくて、アイゼン・ピッケルが必要なところまではたどり着けなかった。この時期にひとりで山頂にたどり着けるほど自分は強くなかった。冬の北鎌尾根や硫黄尾根、剱岳、黒部横断などに行く人は本当にすごいと思う。もしまた冬の越後駒ヶ岳にチャレンジすることがあれば、その時はラッセルと荷物と喜びを分かち合える仲間と一緒に行きたい。
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nozawa-seminar · 7 months
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野澤ゼミの夏休み in最北のまち
こんにちは! 4期生の惑々さんです! 今回は、9月に北の最果て・稚内へ訪れた際に面白いと思ったポイントをレポートしようと思います!!
さて、今回私が稚内を訪れた理由は以下2点です!
国防上重要である日本最北の都市であり宗谷管内唯一の市として、少ない人口でどのように機能を維持しているのか関心があったため
そういう趣味
それでは、少し特殊な来訪記になりますが、暫しお付き合いくださいませ!
目次
1.稚内へ 2.最北の市街地再開発事業 3.「コンパクトシティ」稚内 4.鹿 5.番外編・富裕の漁村へ
1.稚内へ
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札幌駅 7:00発 特急宗谷 稚内行に乗車し、北を目指します。札幌から旭川までは人の往来が多い区間なのである程度の街が続きますが、旭川を越えると北海道がその本性を表します。
徐々に景色が凄いことになっていき(語彙力)、最後の砦こと名寄を超えると、ここから先は150km、時間にして2時間半先の稚内まで纏まった市街地は存在しません。
宗谷線のハイライト、南稚内手前で日本海を望みます。綺麗です。綺麗なんですが、本当にあと10分で稚内駅なのか心配になってきます…。 北海道あるあるですが、開拓により都市が計画的に作られている場合が殆どなので、大自然の中から急に街が現われてびっくりしがちです笑
さて、稚内市は日本の最北端(正確には、一般的な旅行で辿り着ける北端)に位置し、旭川以北では最大の都市です。
それでも人口は約3万人。本州感覚では地方の小さな街といった規模感ですが、京都府と同程度の面積を持つ宗谷地方唯一の市として地域の重要な中心都市となっています。
稚内の気候は東西をオホーツク海と日本海に囲まれているため、冬の寒さは緩やかで道内では比較的過ごしやすいようです。私が訪れたのは9月の頭でしたが、昼の気温はなんと24℃ !! 地域特有の強い風も相まってとても爽やかです!主な産業は観光や漁業で、強風を利用した魚介の乾物などの生産も盛んに行われています!
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札幌から5時間。最北の街稚内に到着しました!長かった!!
2.最北の市街地再開発事業
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さてこの稚内駅。新しく広々とした駅舎に驚かされます。駅に併設で、1階にバスターミナル・土産屋・コンビニ(もちろんセイコーマート)、2階には小さな映画館(!?)が入居する「キタカラ」という複合施設になっています。「丁度いい」サイズに必要なものが詰まっているという印象です。
…もしや と思い調べます。
「稚内駅前地区第1種市街地再開発事業」
まじか。出来るんだ、稚内で。
というのも、再開発は立て替える際にあえて余分に床を確保しておき、それを店舗や住居として入居者に売却することによって資金に充てます。これを「保留床」というのですが、 つまり、その都市に「保留床が埋まるだけの需要」が無ければ再開発は成立しないという訳です。近頃では仙台や広島といった名だたる大都市でさえ、床を埋め切るのは難しいと聞きます。あまつさえ人口3万人の稚内で一体どうやったのよ...
その鍵は、入居する事業者が長期的に関与することを前提に資金調達や事業の組み立てを綿密に行った上で実情に合うスケールの計画を立てたことにあるようです。
確かに稚内駅=キタカラには、地方都市でしばしば見られる巨大な再開発ビルの 「やっちまった感」がありませんでした..。
これは、計画の段階で事業継続が可能な賃料や規模について粘り強い協議が入居者や関係者によって為されたためで、結果的に地域の方も親しみやすく使い勝手のいいサイズ感になっているようです。2階の映画館の前には、誰でも自由に使用出来るロビーがあり、平日でしたが地元の方や観光客の方などの憩いの場になっていました!私もここでバスの時間まで座っていましたが、吹き抜けが開放的で1階の賑やかさが遠くから感じられるあたり、とても居心地が良かったです!
「キタカラ」の再開発では、資金の調達もビルの床を入居者にそれぞれ売却するのではなく、入居予定の企業や地域の関係者が少しづつ分担して出資した特別目的会社(SPC)がビルを購入・所有し、それを各入居者に賃貸する方法を採っています。賃料を抑える代わりに、「出資」によって入居者に長期的な関与を求めるという訳です。 これも「顔の見える関係」で成り立っている地方ならではの強みを生かした資金の集め方であると言えそうですね!
また、足りない資金は「ノンリコースローン」による調達を行っています。「ノンリコースローン」とは、その建物自体の収益性のみを審査基準とし、それによってのみ返済を行う(つまり、万が一返済不能になっても借入人にリスクが及ばない)融資の事で、これを利用できることがSPCを用いた手法の大きなメリットです。
未だ、地方でのSPCを用いた再開発の事例は多くないようで、先進的な事例の1つと言えるのではないでしょうか!
3.「コンパクトシティ」稚内
コンパクトシティ:人口減少に直面するこれからの都市が都市として存続していく上で重視される概念。小さい範囲に集住し、商業や公共施設などの都市機能を集中させることで、 少ない人口でも一定の経済規模の維持、質の高い公共サービスの提供、車を持たない高齢者でも不自由なく生活することを可能とする都市を目指すものです。
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駅を後にしてバスでノシャップ岬へと向かいます。バス停で時刻表を見るとその本数の多さに驚愕。その数なんと1時間に5本。東京の鉄道と大して変わりません。(ちなみに列車も5本です。日に。)
一通りの散策を終え、予約した稚内駅前のゲストハウスへ向かいます。
夕飯は、西條(道北の地元総合スーパー)で土地の食材を買って自炊することにしました。さて、稚内で商業施設が集まっているのは今いる稚内駅周辺ではなくひとつ手間の南稚内駅周辺なので、旅行者の私は公共交通機関を利用しなければなりません。しかしこちらも待つことなくバスでスムーズに移動することが出来ました。稚内⇔南稚内のバスの本数も充実しており、人の往来も多いようです!     ところで、最近地方のスーパーへ行くとよく見る「コストコ」コーナー、あれなんなんでしょうね... わざわざ札幌のコストコで買ってきたんでしょうか...
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感覚では、稚内は「公共交通機関と徒歩で生活可能」であると感じました。しかし、人口3万の街でこれだけのバスの利便性を担保するには、よっぽど市民が市街地にコンパクトに集住している必要があります。そうでなければ事業として成立しないからです。というわけで、調べてみました稚内市のDID人口比率※!
※DID人口比率:その自治体の人口集中地区(人口密度がざっくり4000人/k㎡以上の市街地)に居住する人口の総人口に占める割合。
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ご覧の通り、稚内は人口が近い他の同規模自治体と比較するとDID人口の割合がかなり大きく、市街地内に人口が集まっていることが分かります!!まさにコンパクトシティですね。
4.鹿
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鹿でした。
5.番外編 ・ 富裕の漁村へ
2日目は稚内でレンタカーを借り、オホーツク沿岸の街を北から順に見てきました!
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稚内市街から東側の宗谷岬を回り込みオホーツク沿岸を南下すると最初に現れるまちが「宗谷郡 猿払村」です! この猿払村は、人口3000弱の小さな村ですが、何故か日本の全市区町村の中で住民の平均所得がなんと6位です!東京23区の多くをも凌ぎます。 猿払はホタテ漁が盛んで、その漁獲量によって高い収益を得ている漁師の方が多いためです。
ホタテすげぇ…
はてさて、そんな猿払とは一体どんな街なのでしょうか!
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流石、立派な村役場です。そして、流石に写真を撮るのは憚られましたが通りかかった村立の鬼志別幼稚園もかなり立派でした。
では市街地(鬼志別)の様子はいかがでしょう?
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以上、稚内の街についてお届けいたしました!
実際は、わざわざ最北まで行かなくとも身近な都市で幾らでも発見はあります!
いつも見ている街を少し客観的に観察しながら歩いてみるだけでも面白かったりします。皆さんも是非、街へ飛び出しましょう!
好奇心旺盛で都市を愛してやまない2年生の皆さん! ゼミ試でお待ちしております!!
ではまた!
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uro-9000 · 8 months
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「お彼岸」という言葉の語源は、サンスクリット語(古代インド・アーリア語に属する言語)の「paramita(パーラミタ)」で、日本における音写語(外来語を、他の言語の文字を用いて書き写した言葉)は「波羅蜜多(はらみた)」です。
日本の仏教では、「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」という概念があります。
此岸(しがん)…こちら岸。欲や煩悩にまみれた世界(この世)
彼岸(ひがん)…向こう岸。仏の住むお浄土の世界(悟りの世界、あの世)
※この此岸と彼岸の間に流れる川のことを「三途の川(さんずのかわ)」と呼びます。
「波羅蜜多(はらみた)」の漢訳は「至彼岸(とうひがん)=彼岸に至る」になることから、「彼岸」という言葉は「悟りの世界(お浄土の世界)へと辿り着く」という意味になります。
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washi3 · 9 months
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23.08.29
電車に乗って千葉に行く。チーバくんの下腹部へと。生活で満たされていた頭を空っぽにしてガタンゴトンと電車に揺られる。ぼんやりと。音楽は聴かない。本も読まない。スマホも触らない。車窓越しに見える景色と共に意識も移ろいゆく。人と待ち合わせをしている。わたしといっしょに車で旅をしてくれる人。友人なのかもしれない。その人が来る。車で旅をする。車内では用意よくあらかじめブラーのライブ盤のCDが流されていて、わたしの意識をきわめてスムーズにドライブによる旅へとスリップさせてくれる。エンジンが動き出す。われわれの白いハイブリッド車はぬるっと移動を開始し、千葉の平坦な地形を走り出す。まずは干潟を見に行く。海は見事に干上がっている。景色がいい。視線を海の先のほうへ向けると、右には東京のスカイツリーが、左側には横浜のランドマークタワーがやや霞んで見える。その手前には遠くにさっと引いた海岸線。より手前には湿った砂浜が広がっている。その端っこの陸の側を視線を下に落としながら歩いていく。そこにはさまざまなものが流れ着いている。ひとことで言えば、ごみ。でもそういったものたちに目を向けながら歩くのはけっこう楽しい。ただ、そこに何か印象的なものは落ちていただろうか? ほとんど思い出せない。あるいはもはや思い出せないようなものだけがそこに流れ着くのかもしれない。そして今もまだそれらはそこに打ち捨てられている。次は蛍を見に行く。千葉の中央あたり、山奥まで車で移動し、まだ明るいうちから自然のなかに分け入っていく。そしてきれいに澄んだ水の湧き上がる場所へとたどり着く。あたり一帯は木々や藪などの植物に囲まれていて、人工的なものはいっさい見えない。話を中断して黙り込むと、世界は虫の声、それから木々のちょっとしたさざめきだけになる。およそ夏とは思えない自然な涼しさを感じる。次第に日も暮れて、世界は蝕まれるように闇に支配されていく。あるいは虫に支配されていく。虫の声。わずかに欠けた月が顔を見せ、世界を冷たく淡い光で照らし出す。見上げるとおどろくほどたくさんの星が瞬いている。でも肝心の蛍の光は見えない。帰ろう。荷物をまとめる。やっぱりだめだったねって言って、わたしたちは来た道を戻りはじめる。世界はすっかり真っ暗だ。木の板でつくられたひどく脆い道を、足もとに気をつけながら歩いていく。するとちょろちょろと湧水の流れているあたりに、ひとつ弱々しく光るものを見つける。蛍だ。ところがようやく見つけたそれは死んだようにすぐ光ることをやめてしまう。だとしても最後に蛍が見られてよかったねって言って、わたしたちはまた帰路を辿っていく。それからまたすこし戻ったところで、今度はさっきより明らかにはっきりと力強く明滅する光を見つける。光。わたしたちはその場にしゃがみこんでしばらくのあいだそれだけを見つめていた。それは人がゆっくりと穏やかに呼吸するときのようなリズムで明滅を続けていた。やがてわたしたちはどちらともなく立ち上がると、そこで瞬いていたものをそれぞれ胸のなかにひっそりとしまって、夏の終わりかけの夜空に浮かぶ月光がやけに濃い影を落とす道を再びたどっていった。
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team-ginga · 10 months
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映画『上海から来た女』
 オーソン・ウェルズ繋がりでU-Nextで『上海から来た女』(1947)を見ました。
 大昔、ビデオ屋でビデオを借りて見たことがある映画です。ほとんど覚えていませんが、覚えていないということはきっとつまらなかったのでしょう。
 改めて見てみるとーー
 有名な水族館のシーンやミラーハウスのシーンもありますが、正直どうということのない映画です。ジャンルで言うとサスペンスということになるのでしょうが、物語が破綻しているところがどうしようもありません。
 オーソン・ウェルズ演じる主人公マイケルは、ニューヨークの公園で不良に絡まれている女を助けます。女はエルザという名前で、かつて上海にいたことがあります。だから「上海から来た女」なわけですね。演じるは当時オーソン・ウェルズの妻であったリタ・ヘイワース。
 マイケルが船員だとわかると、エルザは翌日に夫とヨットで出航するので乗組員として来てくれないかと持ちかけます。マイケルは断りますが、翌朝エルザの夫で有名な弁護士のアーサーがわざわざ会いに来たので、渋々乗組員になることを承諾します。
 ここまで来れば、いやここまで来なくても、エルザは悪い女でマイケルを利用して夫を殺すのだなとわかりますよね。でも、実際はもう少し複雑なストーリーです。
 マイケルは嫌だ嫌だ、辞める辞めると言いながらずるずるとヨットに乗り続けます。そしてエルザと恋に落ちます(まあそうなりますよね)。
 旅の途中、ジョージという男がやってきます。アーサーと共同で弁護士事務所を経営している人間のようです。
 ジョージはマイケルに殺して欲しい人間がいる、五千ドルで引き受けてくれないかと持ちかけます。おお、アーサーを殺すのかと思っていると、さにあらず。殺して欲しいのは自分自身だと言います。
 「え? どういうこと?」って誰でも思いますよね。
 船がサンフランシスコに着くと、ようやくジョージは種明かしをします。ジョージは南の島でのんびり暮らしたい、でも失踪してもすぐに見つけられてしまう、だから死んだことにしたい、自分は殺されたふりをして失踪するので、マイケルは殺人を自供する書類にサインして欲しい、死体は見つからないのでマイケルが罪に問われる心配はないとのこと。
 怪しい。いかにも怪しい提案ですが、マイケルは受け入れます。
[この辺りからネタバレになります。未見の方はご注意を]
 決行の日、マイケルはジョージを車に乗せて一旦アーサーの家に行きます。マイケルを車に残して家に入ったジョージは、そこでアーサーの執事兼ボディーガードのブルームという男に「お前が悪巧みをしているのはわかっている」と脅され、ブルームを撃ちます。
 ジョージはそのまま車に戻り、二人は海岸に行きます。そこでマイケルは何発か発砲し、ジョージはそのまま姿を消します。銃声を聞いて海沿いのバーからわらわらと人が出てきます。
 マイケルもさすがにこの話はおかしいと思ったのか、エルザと話をするためアーサーの家に電話をかけます。しかし、電話を取ったのはブルームーー彼はマイケルにジョージが事務所でアーサーを殺そうとしていると言って、そのまま息絶えます。
 マイケルはアーサーの事務所に向かいます。事務所の前にはすでに警察が来て人だかりができています。でも、殺されたのは……アーサーではなくジョージです。何が何だかわからないまま、マイケルは逮捕されてしまいます。
 マイケルの弁護はアーサーが担当します。陪審員が戻ってきて有罪か無罪かを発表する直前にマイケルはアーサーが飲んでいた錠剤を奪って飲みます。みんなはマイケルが「毒を飲んだ」と思って大騒ぎになります。
 え? どういうこと?
 アーサーがどんな薬を飲んでいたかはわかりませんが、毒を飲んでいたはずはありません。一体どういうことなんでしょう。
 さっぱり訳がわかりませんが、マイケルは騒ぎに乗じて裁判所から逃げ、チャイナタウンへ行き、京劇か何かを上演している劇場に入ります。ようやくタイトルにある「上海」が活きてくる(?)わけですね。
 エルザはマイケルを探して劇場まで来ます。えーっと、どうして劇場にいるってわかったんだっけ。とにかくわかったんだから仕方ありません。
 エルザがマイケルの隣の席に座ると、警官が劇場に入ってきます。エルザはマイケルに「私にキスして」と言います。キスをして顔が見えないようにして警官をやり過ごそうというわけですが、キスの間マイケルは何気なくエルザのハンドバッグの中に手を入れます。
 そこにあったのはピストルーーその瞬間マイケルには全てがわかりま��。全てを仕組んだのはエルザだったのです。
 ……ということのようですが、全く訳がわかりません。どうしてエルザがピストルを持っていたら、全てはエルザが仕込んだことになるんですか。「これはジョージを殺したピストルだ」とマイケルは言いますが、鑑定もせずになぜそんなことがわかるのでしょう。無茶もいいところです。
 ようやく真相(?!)に辿り着いたマイケルですが、今頃になって薬が効いてきて気を失ってしまいます。目が覚めると彼は中国人が経営していて今は閉鎖されている遊園地にいます。
 エルザの手下の中国人がマイケルをそこに連れて行ったようですが、えーっと何のためにそんなことをしたのかな。マイケルを殺すためなら縛っておくべきですが、どういうわけかマイケルは自由に動けます。
 ミラーハウスに辿り着くと、そこにはエルザがいます。やがてアーサーもやってきます。えーっと、アーサーはどうしてそこへ来るんですか。さっぱりわかりませんが、アーサーはエルザが自分を殺そうと企んでいたことを知っていて、二人は撃ち合いをして相討ちになります。
 残ったマイケルは Everybody is somebody's clown(誰もが誰かの道化師だ)などと洒落たセリフを言いながら去っていきますが、いやいやこの物語のどこからそんなセリフが出てくるんですか。
 『黒い罠』といい、この『上海から来た女』といい、オーソン・ウェルズは撮影に技巧を凝らし、映画関係者を唖然とさせる画面を作ることには長けていても、シナリオを書く才能、論理的にストーリーを組み立てる才能はないのかもしれないと思ってしまいました。
 
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mori-mori-chan · 10 months
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暮らしをよくする向上心
誤って下書きを投稿してしまいましたのでいったん非公開にしておりまして、無事清書しましたので満を持して投稿します!!!!!
昔の自分が聞いたら間違いなく白目をむくでしょうが、最近所謂ラップを聴くようになりました(※正直HIP HOPとラップの違いがよくわからないので調べました)。きっかけは去年存在を知ったvalkneeです。インターネットピープルからしたら「いや知るの遅すぎw」と鼻で笑われそうですが……。
以下、いかにして陰キャオタクBBAが彼女を知るようになったのか
①以前Twitterにてフォローしていたゆっきゅん経由で彼と田島ハルコとの楽曲『KING DIVA feat.ゆっきゅん』のMVを視聴
②田島ハルコの才能に恐れをなし彼女のMVを漁っているうちにYouTubeにて『未来世紀ギャルニアfeat.Marukido,valknee』に辿り着き、valkneeとと運命的な出会いを果たす
③ YouTubeでvalkneeの曲を聴きまくり、ヒップホップを超越した存在に魂を持っていかれる
はい。『未来世紀~』を聴いた時の衝撃、本当凄かったです。是非ともフルで視聴していただきたいのですがお忙しい方はvalkneeのところだけでも……。
私にとってのラッパーは高校の頃に読んでいたロキノンに載っていたような、DABOやらMUROやらNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDといった人達だったんですよね。例に挙げたアーティストがそうというわけではないんですが、髪に剃り込み顎に髭、タトゥーにキャップにダボっとした服で「前科があったり”薬物や草をやっているほどカーストが高そう"」と錯覚させる謎の空気感(※偏見入っています)、「曲の内容は他人へのdis或いは地元or母への感謝」なズダ・ダダ・ダダ・ダダ……みたいな重めの16ビート、みたいな音楽一辺倒(※めちゃくちゃ偏見入っています)な世界だと思っていました。当時タワレコ発行のフリーマガジン『BOUNCE』でアメリカ東西海岸ヒップホップ抗争に関する記事を読んだのことも、私をヒップホップから遠ざけるには十分な効果を持っていました(当時はYouTubeもTwitterもなかったので、入ってくる情報に偏りがあったことも大きかったのかな���)。
あと、「女性の存在感が薄い」ジャンルという認識もありました。当時のロキノン上で記事を見たフィメールラッパーは椿くらいだったような……母数が少なかったのか、それともメディアが取り上げなかったのか、はたまたそれ以外なのかはわかりません。ですが、今YouTube上で観られるような性別を超えたサイファー等はなかったように思います。メディアがそうなるように仕向けてたような気もしますが、フィメールラッパーである時点でVS男・男性社会・男尊女卑、みたいな構図に叩き込まれざるを得なかった空気感がありました。てか全体的に男性ラッパーってすぐ女性をビッチだのプッシーだのヤリマンだの性的な扱いしません(それはそれで表現なのかもしれませんが)(アホくせぇ~ってなります)?服装もコーンロウにチューブトップにスウェットパンツ、みたいな、Bギャルっぽいというか「男達を迎え撃つする強い女像」的な恰好をしていたように思います(なお個人的にはAIはR&Bシンガーという認識です)。
で。全然興味を持てずにいたヒップホップにvalkneeとの邂逅をきっかけに十数年越しに足を踏み入れてみたわけですが……めちゃくちゃ時代が変わっていて浦島太郎状態です!!服装もパーカーやタンクトップではないですしリリックも無駄に争ったりしておらず表現の内容に多様性を感じますし、何よりフィメールラッパーもかなり増えていて。valkneeや山田ギャル神宮のようなかつてのステレオタイプとは異なる(普通に歌モノっぽい曲をやっていたりいかにもラッパーな外見をしていなかったり)人達を見ていると「逆になにがhiphop?」となってくるわけですがそれが今回のタイトルに繋がるわけです。
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何でしょうね、ギャルがラップしている、この事実がなんかすごくいいなと。迎撃でも迎合でもなく、というか特に他のラッパーを気にするでもなくあくまで言い表したいことを音楽に乗せて吐き出していっているスタンスが非常に好きです。推しへの愛しさを綴った『SUPER KAWAII OSHI』、ラップじゃなくね!?でもそんなことがどうでもよくなるくらい楽曲めっちゃよくね!?となる『VOLCANIC EMOTION feat.valknee』、消費社会を消費する女の子を謳った『KILLING ME!』等、本当に光のギャル具合がすごくて、好きです。純粋にラップがうまくて痺れます。
valknee以外ではFARMHOUSEも衝撃でした。他人を叩き潰そうとする必要なんて今の時代のHIPHOPでは必要ないんだな、と理解できたのと圧倒的技術力が。
そういうわけで、食わず嫌いは勿体ないですね。暮らしをよくする向上心は常にハートに!
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)10月15日(土曜日)弐
    通巻第7493号 
 軍事地政学からいえば北朝鮮のミサイルは中国にも照準
  北京は金王朝の暴走をいかなる歴史感覚で認識しているのか?
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 北朝鮮の核ミサイル、数十発が日本海へ、日本のEEZへ、そして本土を越えて太平洋まで飛翔し、つまりは日本列島全体を蔽う攻撃能力を誇示する。
 日本の議論は、北朝鮮がいずれ韓国を従えて、日本攻撃を狙うという軍事脅威論が主流である。
 はたと考えた。ミサイルの射程地図を『あちら側』に伸びしてみよう。
すると樺太(サハリン)、沿海州、旧満州国の殆ど(現在の中国遼寧省、吉林省、黒竜江省、内蒙古、河北省から山東省、山西省、河南省、湖北省まで、つまり北京、天津、鄭州、洛陽、太源、青島、済南を超えるのだ)。
南へ転ずれば、上海から寧波を飛翔して、はるか温州あたりまでが北朝鮮の核ミサイルの射程内だ!
 中国が安全保障上の基本として、隣国の軍事力は脅威という認識を体質的に持っており、「この野郎、生意気な」と金親子三代のことを思っているに違いないが、すでに核開発を終え、実験を繰り返し、小型化に成功したという情報もある。
ミサイルに小型核を装填したと推定されている。ならば最大の脅威を感得するのは韓国であるべきだが、感度が鈍い。日本は非常事態にあるにも関わらず防空壕もシェルターもない。防御ミサイルがアリバイ証明的にちらほら。つまり国防意識がゼロに近い。
さて北朝鮮の核を中国がなぜ脅威と認識するのか。
 簡���ながら歴史を辿ってみよう。
 高句麗の建国は紀元前、668年に滅亡するまで栄えた。軍事力に突出していた。
 二世紀に後漢で起きた黄巾党の乱で、シナの王朝が衰えた隙に乗じた高句麗は、北部へ進出し、あちこちに山城を造成し、現在の吉林省集安を拠点とした。集安はこじんまりとした街だが、鴨緑江をこえるとすぐ北朝鮮であり、広開土王の石碑は、この地で発見されたのである。
 高句麗は最盛期に現在の北朝鮮から沿海州、中国吉林省南部と遼寧省から、韓国の北部半分を抑えていた。当時の地域大国だった。
 581年に隋が建国され、冊封体制に入るものの高句麗は隋に従う気配はなく、590年に最初の抵抗を示した。
文帝が死ぬと隋は煬帝となって、598年に水陸30万の遠征軍をおくりこんだ。ころが。燎河の洪水で隋軍の進撃が阻まれてしまい、撤退した。また突厥の台頭があって隋は高句麗だけを相手にしている場合ではなかった。
 612年、隋の煬帝は満を持して百万の軍を派遣したが苦戦の末に撤退した。 
 613年 進撃途中に兵站が切れて、又撤退した。
 614年 軍派遣するも隋国内に反乱が起こり退却する。
 617年 煬帝はまたしても軍派遣を準備したが沙汰止みとなる。
 さんざん手こずって、結局、随は高句麗に勝てなかった。
 日本では百済、任那府との関与が深く、隋と高句麗の戦線状況を把握していた筈である。
 645年に大和朝廷は乙巳の変で蘇我氏が滅亡したが、この同じ年に、唐の太宗は十万を高句麗に派遣し、激戦しつつ進撃をしたが、やはり撤退を余儀なくされた。新羅が唐に援軍を求めた。
 647年、648年に 唐は遠征に失敗したが、660年に13万の軍をおくり、大々的に百済を攻撃し、662年に百済は事実上滅んだ。日本に亡命していた王子に5000の兵をつけて、天智天皇は百済救済に立つが、白村江海戦で唐海軍に敗れ、撤退した。
 
 高句麗が滅亡したのは668年である。
そこで新羅が恩ある筈の唐に造反し、失敗して遺臣等は日本に亡命してきた。彼らを武蔵国に集団移住させた。その名残が、高麗神社である。
 高句麗にかわって30年後に渤海国が698年に建国された。渤海は安全保障のため遠交近攻策をとり、じつに727年から919年の間に34回、「朝貢」のため日本に来た。現在ロシア沿海州のポジェト港あたりから出向し、前半は出羽、佐渡島などに漂着した。
後半は能登以西の港に着岸した。ヤマト王朝は最初歓迎したものの「朝貢」というからには日本の方が負担が大きく、夥しい土産、物資が必要となり、やがて12年に一度の制度としたうえ、最後は「��う来なくても良い」となった。かれらは情報収集の傍ら朝貢の返礼品が目的で、交易で巨富を得ていたのだ。(渤海使の一覧は拙著『葬られた古代王朝「高志国」と継体天皇』(宝島社新書)にあります)。
 つまり、中国の皮膚感覚としての高句麗の脅威は、現在の北朝鮮の核戦力の脅威に連結している。
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