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#縦連棟
tsukubaremodel · 2 years
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土浦市、カーポートの設置を致しました。 YKKAP レイナポートグラン 縦連棟 2台置き、積雪~20cm対応  ハイルーフ仕様 w2700 d10064  色:カームブラック 屋根材:ポリカーボネート(アースブルー) つくば市にありますリフォーム会社です。 内装工事も外構・エクステリア工事も 職人直営だから、高品質&リーズナブル お問い合わせ[email protected] Tel 029-896-5656 *************************************************** 茨城県つくば市上広岡429-1 当社ホームページhttp://www.tsukubaremodel.co.jp *************************************************** #リフォーム専門店 #リフォーム事例 #つくばリモデル #つくばリフォーム #縦連棟 #カーポート2台 #縦連棟カーポート #ハイルーフカーポート #UVカットカーポート #カーポート #カーポート工事 #つくばカーポート (at Tsukuba, Ibaraki) https://www.instagram.com/p/CdmgyggrqMn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hangorin · 9 months
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには��が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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misdrnet · 1 year
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に登れ!肇慶グリーンエネルギーはグリーン産業の発展を支える
『人民日報』に登れ!肇慶グリーンエネルギーはグリーン産業の発展を支える
投資肇慶2022-12-05 19:28
画像はエネルギーグリーン低炭素転換を着実に推進し、
将来の経済社会の発展を祝う重要な方向である。
12月2日、
『人民日報』第19版(財経)
『グリーンエネルギーがグリーン産業の発展を支える』という一文を刊行し、
システムは肇慶グリーン産業の発展成果を述べた。
では、一緒に調べてみましょう!
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△「人民日報」(2022年12月02日第19版:財経)
川の網が縦横に走り、生け簀が連なっている。広東省肇慶市高要区南岸街道の馬安コミュニティに位置し、養殖業は村民の伝統産業である。
グリーンローンの投入に伴い、光伏産業はここに根を下ろした。「漁光相互補完」は、経済効果と生態効果の両方の豊作をもたらす。
党の20大報告書は、グリーン発展を支援する財税、金融、投資、価格政策と標準体系を整備し、グリーン低炭素産業を発展させることを提案した。ここ数年来、我が国の金融業は実体経済のグリーン発展を持続的に推進し、昨年末までに、本外貨のグリーンローン残高は15兆9000億元に達し、保有規模は世界第1位だった。
従来のローンと比べて、グリーンローンはどのような特徴と優位性を持っていますか。伝統産業のモデルチェンジと発展を推進し、グリーンローンはどのような役割を果たすことができますか。人民日報記者はこのほど、馬安コミュニティのこのグリーンローンの承認、発給、使用過程を追跡して答えを探した。
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◆肇慶市高要区南岸街道馬安コミュニティの「漁光相互補完」モデル「上発電可能、下養殖可能」の場面。梁玉萍摂(データソース中国人民銀行)
★生け簀の新緑★
上は発電でき、下は魚を飼うことができる
「漁光相互補完」で村民の養殖収益が大幅に増加
「どきどき、どきどき…」朝一番の暖かい陽が池に降り注ぐにつれて、水中を泳いでいた魚が躍動し、水の音が馬安コミュニティの冬の静けさをそっと破った。
珠江水系の重要な支流として、西江はここで迂回の勢いを形成し、河川の南岸浸出と域内の分岐細流の共同作用は、ここの河川網が縦横に交錯し、生け簀が点在する景観を作り出した。
馬安コミュニティは6つの自然村から構成され、12の生産チーム、500世帯以上、3000人以上が集まっている。稲作のほか、養殖業は村の主な収入源である。
「コミュニティ全体の生け簀は1200ムーぐらいでしょう。隣の岡かまどコミュニティもこの数に近づいています」と話している間に、馬安コミュニティの養殖家の蒙立強は闘車で2パックの飼料を引っ張り、生け簀に行って魚に餌を与える準備をしていた。
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◆肇慶市高要区南岸街道馬安コミュニティの金山100 MW漁光補完プロジェクトの現場。西江日報記者の厳炯明撮影
蒙立強の足取りに従って池のそばに来ると、光伏発電板が整然と列し、塘田の上にはめ込まれたビーズチェーンのように壮観だった。銀色に輝く太陽光パネルの下には魚の群れがあり、「上で発電でき、下で魚を飼うことができる」という組み合わせは、村人たちの生活の中の景観となっている。
これは地元で新しく建設された「漁光相互補完」プロジェクトであり、蒙立強は馬安コミュニティで初めてプロジェクト契約を締結した農家である。
昨年、建設側の華電新能広東支社の関係者が馬安コミュニティに来て「漁光相互補完」プロジェクトを推進したが、多くの村人は光発電についてまだ概念がなく、光伏板に放射線の危険があると疑っている人もいる。しかし、蒙立強はいろいろと聞いて、「漁光補完」モデルの科学性を知り、最初の「カニを食べる人」になることにした。
この大胆な決定は、蒙立強に思わぬ収穫をもたらした。
肇慶市の夏の気候は暑い。「以前は光伏板がなく、高温の天気に遭遇すると焦るしかなかった」と蒙立強氏は記者に語った。2003年から、自宅は村のグループと100ムーの生け簀を借り、主に草魚、ヒラメ、2万羽近くのアヒルを養殖している。数年前は高温で稚魚やアヒルの苗が大半死んでおり、被害は甚大だった。
今、蒙立強家の生け簀では、高さ4メートルの光伏「傘」が日陰をもたらしている。水中の魚であれ、水面のアヒルであれ、生存率が向上し、これが「漁光補完」モデルによる最も直感的な収益となった。
「アヒルは寒さに耐えて暑さに弱く、高温の天気は発病率が高い」と蒙立強氏は言う。今年の夏の高温で一部の養殖業者が3割近く損失したが、彼のアヒルは太陽光パネルの下で飼育されており、以前より平均200グラムほど増えた。
蒙立強は帳簿を計算したが、以前は1ムー当たりの生け簀利益は約1000元だったが、今は光伏板の下で養殖しており、1ムー当たりの利益は2000元から3000元に達することができ、1年で50万元以上の収入を増やすことができる。
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◆西江日報記者の厳炯明撮影
好収穫は口コミで伝えられている。蒙立強に隣接する生け簀の農家蒙煥林果は絶えず追随し、すぐに生け簀に光伏板を架けることを申請した。
「以前はアヒルの小屋を建てるのに2ヶ月以上かかっていたが、今では1ヶ月半で柵を出て、これだけで20万元の収入を増やすことができる」とモンファンリンは指を折って勘定した。「以前はアヒル小屋を建てるコストは1平方メートル100元だったが、今は光伏板の支柱を借りて小屋を建てると、コストは50元に下がった」。
「漁光相互補完」がもたらすメリットはそれだけではない。
生け簀賃貸料は馬安コミュニティの重要な収入である。コミュニティの蒙力良副主任は記者に、コミュニティの1200ムーの生け簀は村の30戸以上の農家に貸し出され、賃貸料は農家の主な養殖コストだと伝えた。
昨年初め、華電新能肇慶会社の于仁暁副社長はコミュニティを見つけ、双方は「漁光相互補完」光発電協力を検討し、華電が毎年養殖業者の一定賃貸料を補助し、電気料金の優遇などを与え、農家の生産コストを削減した。
蒙力良はざっと計算して、1800元/ムーで華電グループに賃貸して、村の集団は1年に70万元余りの賃貸料収入を増やして、同時に農家の負担を軽減しました。「これは利村富民のいいことだ」と彼は言った。
集団収入の増加に伴い、コミュニティには3キロの標準セメント道路が敷設されている。日没時、村の入り口に立って眺めると、道の両側の太陽光街灯が自動的に点灯し、子供が家の前で遊んで、住みやすい田舎の光景を見せてくれた。
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◆肇慶市高要区南岸街道馬安コミュニティ「光伏夕焼け」。梁亮撮影
★産業興緑★
プロジェクトが完成した後、毎年提供できる予定
クリーン電力1億1000万度
3万世帯以上の1年間の電力使用量を満たすことができる
10月の馬安コミュニティの生け簀では、工事の音や人の声が相次いだ。
支柱をつなぎ、方位を調整し、コンポーネントを組み立てる……労働者たちは浮き船の上を走り回り、1枚の光伏板が池のために「緑の金の部屋」を作ったようだ。
プロジェクトの普及の初志といえば、華電新能広東支社工事部の葉飛主任は感銘を受けた--「漁光補完」モデルは漁業を発展させ、化石資源の消費を減少させ、太陽光発電を最大化利用し、会社のグリーン転換の発展方向に非常に合致している。
グリーン発展理念のリードの下で、新エネルギー発電は我が国のエネルギー企業のグリーン低炭素転換の重要な方向となった。
昨年、華電グループは、「第14次5カ年計画」期間中に新エネルギーの設備容量7500万キロワットの新規増加を目指し、「第14次5カ年計画」末の非化石エネルギー設備の比率は50%を目指し、非石炭設備(クリーンエネルギー)の比率は60%に近いと提案した。
このため、華電新能広東支社は肇慶を新エネルギープロジェクトの開拓の重点地区とし、華電新能肇慶公司が高要南岸100メガワットの「漁光相互補完」プロジェクトの建設と運営を専門に担当し、馬安コミュニティ、岡かまどコミュニティ及び周辺地域の池に光伏パネルを設置し、敷地面積は2000ムー余り、総投入額は5億5000万元に達する予定だ。
「プロジェクトが完成した後、毎年1億1000万度のクリーン電力を提供し、標準炭を約3万5000トン節約し、二酸��炭素を約10万トン、二酸化硫黄を600トン、窒素酸化物を約300トン削減し、明らかな生態効果がある」と于仁暁氏は述べた。
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◆西江日報記者の厳炯明撮影
1億1000万度の電気とはどんな概念ですか。1基のマイクロ火力発電所の1年間の発電量に相当し、3万世帯以上の1年間の電力使用を満たすことができる。
プロジェクトはなぜ肇慶に選ばれたのですか。葉飛氏によると、肇慶市の年間平均日照時間は1000時間を超え、太陽エネルギー資源が豊富で、南岸街道の馬安コミュニティ、岡かまどコミュニティと周辺の生簀が連なって分布し、平均海抜は10メートル前後で、自然の素質の優位性が顕著だ。
交通条件が優れていることもプロジェクトの着地を促進する重要な要素である。「ここの道路線網は比較的完備しており、沿道には大きな坂道やトンネルがなく、電池モジュールやその他の設備は自動車を通じて直接輸送でき、電力アクセスも便利だ」と葉飛氏は言う。
エネルギー企業にグリーン発展の需要があるだけでなく、地元政府も低炭素発展の道を歩むよう努力している。
「グリーン転換は肇慶の未来の経済・社会発展の重要な方向である」と肇慶市高要区発改局党組書記の呉翰棟氏は記者に語った。華電の「漁光相互補完」プロジェクトは高要区初のグリーンエネルギー重点プロジェクトであり、現地の関連産業の発展を促進し、就職拡大と第3産業の発展に積極的な役割を果たし、新たな経済成長点の開拓に有利であり、現地のグリーン低炭素経済の構築に模範的な意義がある。
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◆西江日報記者の厳炯明撮影
★金融支援グリーン★
新エネルギー発電プロジェクトの普遍的な投資は大きく、周期長
金融機関の長期的な資金支援が必要
生態効果と経済効果を兼ね備え、多角的なウィンウィンを実現し、「漁光相互補完」プロジェクトが迅速に建設された。しかし、資金はプロジェクトの推進において避けられない現実的な問題である。
新エネルギー発電プロジェクトには投資金額が大きく、リターンサイクルが長いという特徴が一般的に存在し、企業の自己資金投入だけでは、プロジェクトの進捗要求を満たすことができない。
華電新能肇慶公司はプロジェクトを開始する際、自己資本金は基本的にその初期建設の需要を満たすことができる。しかし、プロジェクトが展開されるにつれて、光起電力パネルを購入するには大量の資金が必要で、投資総額の40%を占めている。
「サプライヤーは決済を急ぐように要求しているが、そうしないと供給に影響が出るが、企業の自己資金は材料購入の要求を満たすには不十分だ…」と于仁暁氏は回想している。彼らは金融機関に融資支援を申請しようとした。
グリーンエネルギープロジェクトの貸付期間が長く、利益率が低いため、前期審査、中期貸付、後期貸付後管理などのプロセスは非常に煩雑で、多くの金融機関はこの分野の貸付業務に恐れを抱いている。
肝心な時、「漁光相互補完」プロジェクトは曙光を迎えた。
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△図源肇慶金融
「于経理、現在、池はすでに光伏板が正常に運営されており、新プロジェクトの進捗も順調だろう……」そう言ったのは、建設銀行肇慶市支店顧客部顧客経理の程麗雯氏だ。このグリーンローンの投入過程について、彼女は「一波三折」と形容した。
程麗雯氏は、プロジェクトの困難と資金需要を知った後、自分は最初に現地を視察して調査し、できるだけ早くプロジェクトのために適切な融資案を見つけたいと回想している。
しかし、挑戦はそれに伴う。半年の建設工期では、企業は最初の月に融資を受ける必要がありますが、肇慶市支店には融資業務のような経験はありません。
「利益空間が少なく、ローンの周期が長く、占有額が大きく、多くの銀行が出られないので、私たちはこのプロジェクトに慎重になりますか?」プロジェクトに介入したばかりの頃、支店には異議があった。
同僚の理解と支持を得るために、程麗雯はチームを率いて再び光伏プロジェクトの工事現場に来た。
「1年で生け簀の家賃は約7万元削減でき、飼っている魚やアヒルは以前より肥えている」と村人の説明を聞いたところ、光伏プロジェクトの経済的価値と発展潜在力を見て、チームメンバーは心の中の疑問を打ち消した。
「グリーン金融は建設銀行の既定の発展戦略であり、このローンの収益は少ないが、プロジェクトと顧客をうまく経営することで、私たちのグリーン金融の「受け皿」はます��す大きくなるだろう」と、再び支店の討論会で、ローンプロジェクトはついに定着した。
程麗雯氏はチームを率いて、太陽光発電産業という見知らぬ分野の研究に取り組んでいる。
厄介な問題がまた出てきた。「企業のプロジェクト部が設立されたばかりで、人員が不足しているので、短期間で研究可能な報告書や試算表などの申告材料を集めなければならず、大変だった」于仁暁は当時を振り返った。
「私はあなた方のプロジェクト部に『出勤』に来ました」程麗雯は自ら企業の駐在所に招待し、昼間は企業の現場の人と連絡し、夜は編集資料を整理した。
同時に、建設銀行広東省支店は適時に介入し、多部門を組織してプロジェクトの評価分析を行い、省、市、区の3級サービスチームを設立し、企業の経営発展状況を実地調査し、迅速に材料を収集し、研究討論を行った。1週間以内に、与信案は順調に発売された。
「15年期、3億9000万元で、金利は同期のローンよりもかなり優遇されている」と審査結果を得た程麗雯は喜びに間に合わず、すぐに企業と契約し、関連証明書の取り扱いに着手した。
すぐに、最初の1億7000万元の融資資金が企業口座に入ることに成功した。
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◆馬安コミュニティの池にある光発電パネルのアレイ。陳進波撮影
★政策に緑を添える★
新しい理念、新しいプロジェクト、新しい取り組み
金融機関のグリーンへの延伸を推進している
新エネルギー発電プロジェクトには政策支援が欠かせない。
程麗雯がチームを率いて融資手続きに忙しい最中、中国人民銀行は炭素排出削減支援ツールを正式に発売した。「先貸後貸」の直通メカニズムを通じて、人民銀行は金融機関が炭素排出削減の重点分野内の関連企業に発行する炭素排出削減貸付に対して、貸付元金の60%に基づいて資金支援を提供し、金利は1.75%である。
「炭素排出削減支援ツールの支援を得られれば、企業により優遇された金利を提供することができる」と程麗雯氏は言う。しかし、炭素排出削減支援ツールの認定を申請するのは容易ではなく、炭素排出削減量と貸付金額を総合して炭素排出削減効果データを推計するには、金融機関のグリーンプロジェクトに対する自主評価能力が非常に試練される。
申貸の突破口に立って、程麗雯は明らかに少し難しい。炭素排出削減効果の推計、貸付用途の補充、証憑発行などの手続きは、審査・認可の進行を遅らせるに違いない。肇慶市が最初に申告したプロジェクトとして、プロセス規範はまだ模索段階であり、多くの不確定要素が存在している。
これらの状況を理解した後、人民銀行肇慶センター支店は自発的に介入し、建設銀行肇慶市支店の申告手続きの整備に指導と助けを提供した。各方面の支持の下で、程麗雯チームは炭素排出削減支援ツールを申告する自信を固めた。
チームメンバーの余展鴻氏は記者団に、「融資が発給された後、私たちはすぐに省支店を通じて炭素排出削減支援ツールの認定を逐次上申し、関連産業、環境保護、リスク管理などの資料はすべて関連要求に合致している」と話した。
現在、炭素排出削減支援ツールの支援の下で、肇慶市支店は高需要の「漁光相互補完」プロジェクトに2億6000万元のグリーンローンを次々と発行し、企業の2000万元以上の資金コストの節約を支援している。
プロジェクトの成功経験と国の政策支援があり、程麗雯たちはグリーン金融をめぐって文章を作り続けた。
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◆2022年肇慶・四会「政銀担企」合同会及び重点企業融資契約イベントが6月2日、四会で開催された。図ソース4会のパブリッシュ
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johncoffeepodcast · 1 year
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 実家に帰って久々に昔使っていた引き出しを開けてみたら、お年玉袋が入っていた。小花柄のプリントされた黄色いポチ袋で、糊しろに透明なでんぷんがこびりついている。便箋の宛名には兄の字で〇〇君へと書いてあった。俺がそれを手に取ったのは、2022年の事で、お年玉を貰ったのは兄がまだ社会人になりたての2011年の冬の事だった。妹と両親と過ごした正月の事だ。うちの家族は兄弟が3人いて、俺には3人の兄弟がいた。兄が1番上で真ん中が俺。俺の下には1つ離れた妹と、もう1人産まれたばかりの妹がいる。兄は俺より四つ上で真ん中の妹は一つ下だった。兄は俺がまだ学生の頃からもう社会人になっていて、この頃の兄はトラックの運転手をしていた。昔と比べると家族の様子はまるで変わった。犬のライトは居なくなったし、隣町に住んでいた祖父母の家も空き家になった。俺の家も俺たちが高校に上がったぐらいから母も働きだして、今では日が高いうちは家に人がいる事はない。俺は大学を一年休学していたから、妹とは実質同学年だった。
 2011年は私たちに大きな衝撃が降りかかった1年だった。3月に太平洋沿岸を中心とする東北に大きな津波がやってきたのだった。俺は丁度大学に入るためにアパートを探している最中だった。俺の生まれた街から、大学までは直線距離で2000km離れていた。俺は地元から出るつもりは無かったので、休学している間は良かった。しかし、入学してからの4年間は仕方無く、向こうで暮らす事になるんだろうなと言う諦めにも近い心積もりがあった。しかし幸か不幸か、俺が一年大学を休学をしている間に様々な出来事が起こった。もし俺が大学を一年休学していなければ既に暮らしていたは���の地域では、マグニチュード6.8の大地震が猛威を震っていたのだ。ニュースで見る限りビルや漁協や、その場所にある様々な民家は瓦礫一つ一つに返ったように、散りと化してしまっていたし、沿岸の建物も作業用のトラックも全て波が攫ってしまった。俺や妹達が住む実家にも、地震による日本中の電力の自給の安定の為に、日本政府から計画停電が発令された。夜の3時間は真っ暗になり、俺が家の玄関から草履を履いて外に出てみた所、普段は灯っているはずの街頭が一つもついていなかった。俺は父親に仕事用のトラックでドライブをしてみようと提案してみたのだが、電気を使うのを控えているのだからガソリンを使うのも控えた方が良いだろう。と言う事で、震源地から遠く離れた俺の住む街は、地震があってからの数週間しばらく停電が続いた。
 世の中が混乱の中にあっても新聞はしっかりと毎日届いた。原子力発電機の事故によって放射線が漏れた事、津波によってある地域では沿岸から数十キロが全て土砂に飲み込まれてしまったという実情が、連日連夜報道された。俺はその年の春、合格した大学の入学式に出るために3月5日に初めてキャンパスを訪れた。第一志望と第二志望に落ちた俺は、場所だけが魅力的に映った第三志望の大学に受かった。大学は海の見える場所にある縦長に5階建てのビルが三棟も建っているキャンパスだった。入学式の後は経済学部と文学部と法学部が同時に集まって新入生のオリエンテーションが行われた。その入学式の途中で俺の中に、そこはかとない違和感が湧いてきた。何故そんな違和感が湧いてきたのかというと、まだ顔を合わせたばかりなのに既に周りの皆んなが知り合いだったからだ。今ではSNSで知り合ってから入学式を迎えるのが一般的らしい。18年培ってきた自然な人間の交流が、大学へ入学した事によっていきなり閉ざされた気がした。俺の隣の席に座っている女子が『〇〇ちゃんだよね?』とそのまた隣にいる女子に話しかけていた。俺は何じゃそれ思った。それと同時にスタートダッシュに乗り遅れたと思い、既に地元に置いて来た筈の淡い期待は打ち砕かれ、萎れた感情を秘めながら受けた入学式のオリエンテーリングを受けていた事を思い出した。
 俺の住む街は電車が一本だけしか通っていない田舎街だった。友人の侑君は高校を卒業してからは実家の牧畜業を継ぐ事になっていた。俺が大学合格の通知を郵便で受け取った数日後、友人の侑君にこの春に地元を離れる事になるかも知れないと告げた時、侑は寂しそうな顔をしていた。『お前、勉強はよく出来ていたもんな。お前とC組のOOさんと、スポーツ推薦の〇〇君は来年は地元にいないんだ。』と学校の帰り道に歩きながら俺に漏らした。『でも4年もすれば、どうせ皆んな帰ってくるんだろ。』そして付け足すように侑は言った。『俺ん家にも家業があったらな。』と俺は何処かに呟いた。『お前んちだって塗装屋やってんだろ?』と侑は俺に言った。『塗装屋とは言っても、何でも屋みたいなもんさ。壁紙のクロスから何から何までやりますよって感じだよ。』と俺が付属で侑に弁解すると『じゃあお前も父親と一緒に塗装屋やればいいじゃん。』と侑は言った。『まあねぇ。』『まあねってなんだよ。』『塗装以外もやっているって事は、塗装の仕事がないんだよ。』『何だお前。偉そうな事言ってんじゃねぇ。まあ良いわ。数年待って考えろよ。』侑は言った。『俺も気持ちだけはここに置いて置くからさ。』俺は侑に言った。侑の家と俺の家は同じ町内にある一軒家で侑の家は真裏には牧畜の牛舎があった。侑の家に遊びに行くと、牛舎の横には乳牛から搾り取った生乳を溜めておく大きな白いタンクがあり、侑君は侑君の父親と毎朝牛車で一仕事してから学校に来ていた。俺が朝、学校に行くついでに侑君の家に回って行くと、侑の家の庭には常時何本かの干し草が散乱していた。朝、侑君が押し車で牛の餌の干し草を、牛車の中に運び入れる際に手押し車から落ちてしまうからだった。
 2011年の1月に三学期が始まった。三年の三学期は、進路が決まった者たちは学校で時間を無下に費やすだけだった。俺が第三志望の大学の合格発表を受け取ったのは1月12日の事で、同じクラスの皆んなはまだ、自分の未来の行末を案じながら合格発表を待っていた。俺学校は受験のランク的には県内では中の下あたりの普通校で、ひと学年下の妹も同じ高校に通っていた。俺の��も、この学校の卒業生だった。と言うもの、父親がこの学校の第一期の卒業生で、俺たち4人兄弟は全員この学校に通わせたかったそうだ。大学の合格通知を受け取った日の夕飯の食卓で俺は父親に聞いてみた。『何で俺たちを〇〇高に通わせようと思ったの?』親父は畳の上に腰掛けて、木製の丸いテーブルに乗った夕飯を食べていた。母親と、俺たち兄弟と父親は共に囲みながら、黙って木の箸で納豆をかき混ぜている所だった。『新しい道の見つけ方を教えてくれたからだよ。』父親は納豆を茶碗に乗せて、白米と共に口の中へ放り込みながら言った。俺は正直父親が、何に対して新しい道を見つけたのかさっぱり理解出来なかった。父親は父親のお父さんから塗装屋を受け継いで、今の今までに立派に営業しているし、高校時代もハンドボールに明け暮れていた。と言う話をお母さんから聞いている。お母さんはアップリケの付いたエプロンをしながら、父親の横で澄ました顔で焼き鮭を食べている。『真由は学校楽しかったか?』父親は1番下の妹に向かって言った。妹は学校に行く時はいつも二つ結びにしていたが、家に帰るとすぐに解いていた。『楽しいけど、校庭でバレーが出来ないのが辛い。』1番下の妹が言った。『あら、こないだ雪がまだ積もっているの?』とお母さんが妹に聞いた。『まだ端っこの所にだけは雪ぐ積もってるんだよ。真ん中はサッカーゴールがあるから男子が使って、バレーをやる子は端っこに行くの。』と再び1番下の妹は言った。それを聞いた真ん中の妹が『今度からバレーボールも真ん中ですれば良いのよ。』と言っていた。俺たち兄弟4人は、父親の過去に何があったのだろう。と言う疑念を腹の奥に押し込めながら、たわいも無い話題でその時の空気を払拭し、今日の夕飯は俺の合格祝いを兼ねた楽しい団欒が続いた。
 一つ下の妹は気が強く、それでいて俺たち家族の事を広い心で受け止めるような長女だった。陸上部に入っていて、地域の女子の中でも特段リーダーシップがあった。俺の住む田舎街では、一月の第二週目になると道祖神のお祭りがある。地域の子供やお年寄りが、薪や竹の倉を組んだ櫓に火をつけて、その業火で暖をとり、人々の無行息災を祈祷すると言うお祭りだった。俺と兄と妹達はお祭りには必ず顔を出し、飛び散る火の粉をわき目に、例年のように和太鼓を叩いた。和太鼓は誰が叩いても良かったが、大抵は男の上級生が叩いたりした。『春子先輩カッコよかぁ。』と下級生の女子達は、真ん中の妹が太鼓を打つ姿を見学して秘密裏に囁いていた。妹は隣町から来た他校の生徒とも交流がある様なカリスマ的存在だった。俺も侑と祭りの様子を見に行った。侑は俺の妹が赤い炎に照らされて、オレンジ色に染め上げられながらバチを打つ姿を見て『凄いな。あれお前んところの妹だろ。』と言っていた。妹の周りには、見物人の町内のご老人達が集まって、火を囲んで神事のお供物だった煮干しを食べたり、御酒(おみっき)を飲んだりしていた。太鼓の横でピーヒャラと縦笛を吹いているのは妹の友人の櫻子だった。俺のお母さんは婦人会で、御酒とお雑煮を地域の人々に振舞っている。するとお母さんと一緒にお祭りに来ていた1番下の妹が、俺の所にかけてきた。『どうしたよ真由?』俺は太ももにしがみついている1番下の妹に言った。『お母さんがお兄と遊んできてもいいって。』と1番下の妹は俺に言った。
 うちの家族の中で最年少なのは、俺の腕の中で抱えられている1番下の妹だった。妹は姉や俺が近くに居るとよくひっついて歩いた。まだ背は150cmにも満たない。今年保育園に上がったばかりで、台所に立ってはお母さんの料理の真似事をよくしていた。俺と侑は1番下の妹と祭り囃子が演奏されている太鼓の近くに寄ってみた。『お姉ちゃん。』1番下の妹が言った。真ん中の妹は太鼓を叩く妹はバチを大きく振り翳して妹の呼び声に答えた。『真由もお姉ちゃんみたいに大きくなったら、太鼓が出来るようになるんだぞ。』と俺は妹に手を繋ぎながら言った。俺と侑と1番下の妹は、炎に半身を照らされながら、太鼓の鼓動を聞いていると、近所の遊司さんがビニール袋を持って俺たちの方へ歩いてきた。遊司さんは大工さんで、俺のお父さんによく仕事を回してくれていた。遊司さんは実は俺の父親と同じ高校の同級生だ。『悟!侑!蜜柑持ってけ。』遊司さんは俺たちにビニール袋に入った蜜柑を差し出した。『神輿の準備で、山のお寺の方で配ってるんだ。悟。お前は今年は神輿担がんのか?』『今年は遠慮したんだ。』『何よ。どうして。』遊司さんは言った。『家からはお兄とお父が出る事になってるんだ。お兄今年から社会人だから、一年の商売繁盛を祈って神輿担ぐって。』『おおそうか、慶助と章介がね。とわいえ、慶助も親方冥利に尽きるってもんじゃないか。長男の章介が、まさか自分と同じ塗装屋になってくれるなんてな。』遊司さんはそう言うとガハガハと笑っていた。御神輿は山のお寺をスタートして里の神社まで地域の人達に担がれて運ばれる。この祭りのある夜は、一年のうちで1番街が一つになるはずだった。
 里の神社までは出店が30件ぐらい並んでいた。中には馴染みの顔もちらほら見かけた。黄色い暖簾のたこ焼き屋さんは、隣町のスーパーの前でたこ焼きを売っているおじさんだったし。りんご飴を売っていたのは、地元で有名な不良の女だった。俺は兄から貰ったお年玉を握りしめ、出店を矯めつ眇めつしながら里の神社に向かった。途中、1番下の妹がねり飴屋の前で立ち止まり、駄々をこねた。『お兄、わたしあれ食べたい!』と1番下の妹は言った。『わかった。わかった。帰りに買ってやるからな。』と俺は一度は妹を制するようにしてみたが、妹はねり飴屋の看板を見つめてそこから動こうとしなかった。その様を見た侑は、自分が発言にまったく責任を負わなくても良い事に、俺に向かって『せっかくなら買ってやれば良いじゃん。』とニヤニヤしながら言った。『お前が払ってくれるんなら考えるけど。』と俺は侑に言うと『真由ちゃん。兄ちゃん全然優しくないよな。』と侑は妹に向かって言っていた。妹は皆んなが食べてるのを見て、自分もねり飴が食べたくなったようだった。正直妹も初めは本気でねだっているようではなかったようだが、侑の発言を受けて段々とねり飴に関する欲望が増しているようだった。俺は仕方なく、お兄が父親から貰った少ない給料から捻出したお年玉を妹に渡した。兄がくれた3000円のうち400円を使って妹にねり飴を買ってやった。妹は『ありがとう。』と言って割り箸をこねくり回し、自慢げに道の端にある大きな石に座ってアメをせっせと舐めていた。『真由ちゃん良かったな。』と侑は言った。しばらくして御神輿が山の神社を出発すると、遠くから笛と鈴の音が聞こえてきた。
 音色はどんどんと里の方に向かって近づいてきた。灯篭を持った従者の陰が、明かりの無い山の間を葛を折るやつに降りてくる。ここから肉眼で見ると、人の姿は豆つぶ程で、距離としても3km位は離れていた。山の神社の急斜面を神輿を担いで男達が降りてくるのだ。『俺の兄貴もあん中にいるのかな。』と侑が言った。神輿は成人になった村の男だけが担ぐことを許される。という昔からの村の風習があった。小さい妹と居た俺たちは、里の神社まで行く事を諦めて、広場の炎から数100m程離れた石置き場の所で御神輿を待つ事にした。3人で腰掛けるのにちょうど良い道端にあった丸石の上に座っていると、頭上の斜め上から声をかけてるくる女がいた。俺が顔をあげると、そこにいたのは櫻子だった。『悟君!』『おお、櫻子』俺は櫻子に言った。『お囃子見てたでしょ。』『真由が見ようって言ったからさ。』『春子の太鼓凄いんだから。地響きが指の先まで伝わってきて、皆んな喜んでくれていたみたいだし、今年もやって良かったなって思ったわ。』と櫻子は言った。『櫻子ちゃんも上手だったよ。』と俺の1番下の妹が櫻子に言った。『見にきてくれてありがとうね。』櫻子は俺の妹の頬を、人差し指を折り曲げて柔らかくさすった。『そういえば櫻子、俺の妹と一緒じゃ無いの?』『春子?春子は私は後で行くから先に行っててって。』『怪しいな。』と俺は櫻子に言った。『怪しいわよね。誰か待っているのかしら。』俺と侑と櫻子は示しを合わせるようにした。そして思い浮かぶ可能性の中であり得そうな共通の概念を思い浮かべた。『そんな冗談はさておき、じゃあ私行くわね。』『待ってよ。お前もここで見てけば良いじゃん。』歩き出す櫻子を制して侑が言った。櫻子は『うんうん、良いの。』と櫻子はそう言って、遠くで頭を左右に振りながら、小走りで行ってしまった。友達が里の神社で待っているからと、櫻子は暗闇の中に言い残した。そして櫻子は里の神社へ坂道を走っていっ���しまった。
 俺たちは神輿が降りてくるまで道端の丸い石の上で座った。妹は近くの川を覗いていたり、妹は川縁で引っこ抜いた芒の茎をつかって野良猫と遊んでいた。辺りはもう真っ暗になり、後ろを振り返れば里の炎が夕闇をほの赤く染め上げている。目線を神輿のあるところから、山の裾野あたりに移すと、侑の家の生乳タンクが暗闇のなかにぽつりと見えた。侑は一生この村で暮らすつもりでいるのか。と邪性の様な考えが俺の頭の中をよぎった。侑は俺がふと考えがあらぬ方向を向いてる事に気がついたのか、俺に普段はあまり話さないような事を聞いてきた。『お前にはさ、兄ちゃんがいるだろ。お前は、お前の兄ちゃんがやりたくて塗装屋をやったんだとおもっとる?』侑は俺に聞いた。俺たちは体育座りをしながら語った。『どうだろうな。』俺は言った。『たぶんそうじゃないんじゃないかな。俺は男が1人だからさ。何となく家に入るんだけどさ。お前のお兄も多少はそういう気持ちがあったんじゃ無いんかな。』『兄ちゃんそんな事言っとらんかったけどな。』俺は石ころを川に投げて言った。『そういうのって、言わんだけで誰でも思ってる事じゃんか。見てみい。真由ちゃんもまだ小さいし、お前は進学するだろう。いくらしっかりしているからって春子ちゃんは女だし、俺が継ぐしか無いんじゃないかって心の何処かで思ってたんじゃないかなって、俺そう思うんよ。』『そんなもんなんかな。』俺は言った。『そんなもんなんよ。』侑はそういうと、腰掛けながら俺の肩を力強く掴んだ。『だからお前は大物になってこの街に帰って来いって、あの時、俺はそう言う意味を込めて言ったんだからな。』『侑。』『なに?』『これからも、俺たち友達な。』俺は涙ぐみながらそういうと、俺と侑は手のひらをがっちり結んだ。笛と鈴の音がだんだん大きく聞こえるようになってきた。俺と侑は猫と遊んでいる1番下の妹を呼び寄せて、御神輿の来ているところまで行ってみることにした。
 川の行方とは反対に、俺たちは山の方へ歩き出した。一年が始まって間もないのに、祭りは活気を全て使い尽くしてしまっている様な気がした。神輿を担ぐ掛け声が、俺たちのいる所にも朧げに聞こえてくるようになった。山に近づくにつれて、河川敷にはだんだんと御神輿を待つ人々で溢れるようになった。中には同級生の顔もちらほら見かけたが、大勢の人並みをかき分けて、火を燃やしている広場に向かって人々の流れに逆らって一目散に駆けゆく人がいた。『空けてくれ!頼むから。俺に道を開けてくれって。言ってんのが分からんか。』その人は人々の間を大腕を振ってすり抜けていく。『あれ?遊司さんじゃね?』侑は俺に言った。遊司さんは誰かを探しているようだった。『おい!悟!侑!お前らのどちらかでも良いから居ないか!』両手を口元に当てて遊司さんは俺の名前を大声叫んだ。『ここです!ここ!ここ!』侑はそう言うと群衆の中で飛び跳ねて、遊司さんに俺たちの居場所を知らせた。遊司さんは再び人並みを凄い勢いで掻い潜って、俺たちの所まで走ってきた。『悟、大変だ。章介が。』『兄ちゃんがどうしたでて?』兄の名前を聞いた時、俺の耳筋に冷や汗が垂れた。兄は一家の中でも最も屈強で、村の人々からも慕われる様な男だったからだ。『章介兄ちゃんがどうしたって?』俺はすかさず、遊司さんに掴み掛かるようにして問いただした。『章介が、章介が神輿の下敷きになりやがった。』俺は全身の力が抜けた。その言葉のお陰で俺の血液は脚の血管から全てアスファルトにこぼれ落ちたように思えた。俺の目の前は濁り、血の気が引いた。サーッと意識が地中に引っ張られたみたいになって、俺の眼には暗い、遠くの山の緑色がぼんやりと映る。『悟。早く!行くぞ。』侑は遊司さんがきた方角へ引き返すように促した。侑は里の神社へ向かって走り出そうとしていた。俺は真由の手を握りながらただ、立ちすくんでいた。見かねた侑は、俺が真由と繋いでいた手を自分の方に引き受けて、代わりに真由と繋いだ。『俺が真由ちゃん見てるから。悟は早く兄ちゃんの所へ行け。俺は後で行くから、お前は早く遊司さんについて行け!』侑は怒鳴った。『早く行け!』俺は侑の一言で、一瞬で我に返り、遊司さんが先導して作った人並みの隙間を埋めるようにして我が物顔で神社まで走った。
 走っている間、俺の動悸が収る事はなかった。あらゆる可能性が思慮の中を巡り、あらゆる疑念が新しく出来ては消えた。俺が鳥居をぐぐると、神輿は地面に置かれていた。少し離れた所で鉢巻をした人々が石畳の上で心配そうに集団を見守っている。近くには若い大人が4.5人と、年寄りの大人7.8人が群になって立ち話をしていた。俺は遊司さんにつれられて、事故のあった場所に行った。あたりには兄を円の様に取り囲む群衆があった。『どいてくれ!』遊司さんは円の一角に向かって言った。円の一角は、割れて兄のぐったりした姿が俺の目に飛び込んできた。神輿は狛犬のすぐ側にうちやられ、金の天守閣の鳥が人々の背丈を通り越して、俺の眼だけに侮蔑の様な表情を投げかけている様に思えた。地面にぐったり寝そべった兄の頭を母親が膝の上に置いていて、真ん中の妹が兄の体をさすっていた。兄の方には、神輿が倒れた事による紫のアザが刻み込まれ、体の至る所がどこも黄色く内出血している。父親は鉢巻で自分の眼を隠しながら、兄に向かって仕切りに『大丈夫か。大丈夫か。』と母と妹の頭上から投げかけていた。『誰か、誰か救急車を!』遊司さんは祭りに参加している大勢に向かって言った。侑と真由はやってきた。侑は鳥居の入り口で1番下の妹が事をこっちに来ない様に一生懸命引き留めていた。ねり飴の割り箸を大切そうに持っていた妹は、苔むした参道で章介の姿を心配そうに眺めていた。
 後日、兄が運ばれた病院にお見舞いに来た遊司さんや、櫻子ちゃんが言うには、兄の事故は神社のすぐ近くで起きたという事だった。担がれた神輿は山から急斜面を降りてきて、里の神社へ入る時に大勢を崩した。ぐらついた時に、兄の反対側に身長の高い男が居た事で、神輿の重い天守閣の部分が兄の上へ梨崩しになる様にして倒れてきたのだった。神輿の音頭をとっていた人に聞いた話だと、神輿を担ぐ四角い角が兄の体を地面に向けて打ちつけたと言う事だった。病院で下された症状は打撲という事だったが、兄は肩の筋を痛めてしまっていた。病院の先生はせいぜい2ヶ月は入院が必要だろうと言う事だった。俺たちは三日三晩交代で、兄の病室をおとづれたが、兄は元々の兄より口数が減っていた。兄の表情には言葉に祭りでは見せた筈の覇気が全く篭ってない様だった。兄が事故に遭ってから2日目の晩、家は妹達と俺だけで家で留守番を任され、父親は遅くまで仕事に出ていて、母親が付き添いで病院に行っていた。妹は風呂上がりに居間で、濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら『こんな時に父さん、本当タイミングが悪いんだから。』とぼやいていた。1番下の妹は電球が点いたり消えたりする紐を引っ張って、部屋の明かりで遊んでいる。それを見た真ん中の妹は『真由、電気で遊ばないの。』と叱った。俺は大学から来た入学案内のお便りを、実感がないまま机の上に置いていた。
 その日父親が家に帰ってきたのは、夜の11時頃だった。長袖のポロシャツの肩のところにタオルを引っ掛け、1日履いて汚れたニッカパンツをズリあげた。玄関で足袋を脱ぐと、日焼けをした顔で入学案内を眺めている俺の事に気づいた。『おかえり。』俺は父親に言った。父親は『おう。』と言って洗面所に行ってしまった。妹は1番下の妹を自分の敷き布団の上に呼び寄せて、毛布に包まって一緒にテレビを見ていた。父親はそのまま風呂へ直行すると、真ん中の妹と俺はちゃぶ台を座敷の方から運んできて、夕飯の続きを父親の布団の空きスペースへ持って行った。父親は飯を食っている。その間、父は兄の事故に関しては一切口外しなかった。父親の鳶色の眼は青白いテレビの光が映ってビー玉の様になっている。『いつから行くんだ?』父親はテレビを見ながら、入学案内を眺めている俺に聞いてきた。『卒業式が終わってからかな。』俺は言った。『ふん。』そう言って、父親は味噌汁を啜った。飯を食っている間は目線をテレビから外す事なく、何か別の事を考えている感じでもなかった。『東北に行くんだから、もうすぐ下宿も決めるんだろ。もう検討はついているのか?』『まだ。』『まだって。準備してないのか?』『それより。兄ちゃん。大丈夫なのかよ。』俺は父親の話を遮った。そして、閉ざしていた扉を開けたみた。部屋の空気が少しだけ張り詰めた。俺と父親の様子を側で見ていた真ん中の妹は、まるで空気の流れを感じ取ったかのように『行こ。』と行って1番下の妹を2階につれて行こうとした。『大丈夫も何も。心配ねえだろ。俺があいつがいない間は手を回せない所をやるだけだから。』父親は言った。『俺が聞いているのは、塗装屋の事じゃなくて、兄ちゃんの具合の事だよ。父さん。あの時、何が起きたんだよ。近くで見てたんだろ。何が起きたか、少しぐらい話してくれても良いじゃないか。』『それはな。』父親が少しだけ語気を荒げ、箸をテーブルに置いた。『俺にもよくわかんねぇんだよ。』父親は俺の顔を凝視した。俺も父親の顔をじっくりと見た。
 次の日、父親は何事もなかったように仕事に行ってしまった。俺もアルミの弁当箱に妹が作った弁当を詰めて、俺も学校が休みだったので父親のトラックに乗った。今日は父親の仕事が終わった後、俺と妹達と父親で病院に行くことになっていた。父親のトラックは、ハケとブリキ缶で荷台がいっぱいになっていた。ペンキと建築資材を乗せた父親のトラックは、30分程田舎道を走った後、近くの新築現場の前で止まった。仕事場で朝の8時から1人で溶剤をかき混ぜる父親は勇ましかった。俺は父親に言われた事しかできなかったが、父親が混ぜて作った錆止めの溶剤をハケで壁に丁寧に塗っていった。家の壁を半分ぐらい塗った所で気づけばあっという間に1日が終わっていた。俺が兄の部屋から拝借したヤッケは、錆止めのグレー色が所々着色していた。父親は手を拭け。と言って、俺に端切れの布を渡した。そして、陽が落ちて夕方になると今日はここまで。というような事を俺に言って、トラックに溶剤とハケと、乾き具合を守る保護シートをトラックに積むように言った。俺はブルブル震えるトラックの排気口の前を何度も行き来して、父親に言われた通りトラックにペンキとハケを積み、仕事が片付いた午後の6時ぐらいになると、父親は『助かったよ。』と俺に言った。それからトラックのエンジンをかけて、俺と父親は兄の入院する病院に向かった。
 病室に入ると、既に母と妹達が兄のベットの周りにいた。兄は遅れて来た俺と父親を見て、『よ。』と手を挙げた。ペンキだらけの俺と父親の姿を見ると『なんだ。〇〇。手伝ってくれてたんか。』と兄は言った。兄は表面上は元気そうに思えた。俺は仕事の自負を請け負った人にしか言いえない、"手伝ってくれたんか。"という一言を聞いて兄の事が誇らしくなった。父親も兄に向かって手を振った。兄は小っ恥ずかしいそうに掛け布団の上の膝あたりをみていた。『具合どうだ?』兄の具合に関して、父親から話しかけたのが意外だった。『あと1ヶ月ぐらいの辛抱だって。』兄は他人事の様に言った。『兄ちゃんが良くなったら、うちももう安泰だね。』と真ん中の妹が言った。『退院したら、真由と菜の花見に行こうね。ってさっき約束してたぐらいだから、もうこれで安心だね。』真ん中の妹は兄の怪我した肩の部位を触りながら言った。『ほら。』母親が言った。『まだ完全に治った訳じゃないんだから、怪我した所を触らないの。』『はーい。』『それじゃあ私はこの子達と帰るから、後からお家に帰ってきてね。』母親は俺と父親に言ったようだが、俺には母が帰り際に兄に向けてもそう言ったように思えた。その後は俺と父親は病室のテレビで野球中継を見ながら、今日仕事で起こった事や、俺が錆止めを厚塗りするから塗料が切れて、途中で昔の塗装屋仲間が塗料を分けに来てくれた事。父親が老いぼれた後は、兄と俺で塗装屋をやろうな。と言う冗談を交えているうちに夜はだんだんと更けていった。
 一月はあっという間に過ぎて行った。より一層寒くなるにつれて、二月がすぐにやってきた。俺と侑はもうこの頃は学校が自由登校になっていて、侑は毎朝牛舎で仕事をするようになっていた。俺も侑と志しを共にした。というわけでなかったのだが、兄の不在があった為、引き続き父親の仕事を手伝う様になっていた。この頃になると、作業の流れが自分の体に染み付き、だんだんと父親から任せられる作業も増えていったのだった。そして仕事が早く片付いた土曜日の昼、学校の先生が俺の元にやってきた。先生は俺に久しぶりだね。と言うような事を言った後、一枚の封筒を俺に差し出した。そして、俺が開封する間のなく第二志望を出していた大学が定員が割れる事になったから君が繰り上げで合格になったんだよ。というような事を言ったのだった。俺はかなり混乱した。既に東北の大学に行く��筈は整え初めていたのに、突然第二志望の大学に行ってやりたい勉強が出来るという可能性が浮上したからだ。どちらにしても捨てがたい選択を迫られた俺は、三月までに先生に結論を言い渡さなくてはならなかった。先生は『ゆっくり考えれば良いよ。』と言ってくれたが、今の俺に悩み混んでいる暇はない。ペンキを塗り出せば、仕事の事で頭の中が一杯になってしまうし、飯を食えばすぐ寝る様に若い身体は出来ている。先生は自転車を漕いで行ってしまった。俺は学校に戻る先生の背中を家の玄関から見守った。
 兄が退院してから、一家で初めて里の神社へお参りに行ってみた。梅の木の蕾が膨らみ出し、まだ枝葉にとまる鶯が、上手に鳴けずにいたようだった。俺と父親はお酒を一升もって、神社の賽銭箱の横に置いた。それから太いしめ縄をゆさゆさと大きく揺すると縄の上にぶら下がっている鈴がガラガラと鳴った。二礼し、二拍手した後に、兄は神様に向かって年始に起きた様々な事を詫びるなり、これからの人生に向かって願い事をするなりした。俺の後ろには大きな鳥居が聳え、その両脇に楠の木が壮麗に生い茂っている。兄が事故が起こった時は確かこの辺りで、すぐそこの石畳に人だかりが出来ていたなと俺は1人でに思い出した。しかし、神社に入る手前で事故が起きたのに、兄は、どういう経緯で神社の境内の石畳の上で倒れる事になったのだろう。という疑問が、俺の胸に芽生えてきた。祭りが終わった後は、神輿は大切に社屋の奥に閉まってある。水の湧く水飲み場で手を洗った俺はもう一度、神社の賽銭箱の方を見た。厳しい表情をしている狛犬の牙が、俺たちに剥き出しの嶺美を与えてくれているように思えた。
 翌朝の日曜日、この日は週に一度の休日だった。俺と侑はバスに乗って栄えている県庁所在地へ買い物へ出かけた。財布には父から1ヶ月の手伝いによってせしめた5000円と、正月に兄から貰ったお年玉が入っていた。侑はスマートフォンに装着するケースをみたり、新しいNIKEのナップサックをみたりしていた。俺も新しいジャージや、かけもしないサングラスを見たりしたが、そこでは何も買わなかった。俺と侑は昼食を駅の近くのチェーンの喫茶店で食べて、午後3時から映画を見る事にした。映画館では流行りの映画もやっていたが、俺たちはジョンウェインが出てくる西部劇を観た。馬の手綱を握る俳優は知らなかったが、父が仕事の合間に寄るタバコ屋のポスターで、見た事のある野人の様な男が映画に出ていた。俺は映画を見た帰り道、初めて作業着屋さんによって茶色い皮のベルトを買った。侑は『珍しいもの買うな。』と俺に言った。『普段にも使えるし良いだろう。』と俺はバスに揺られる帰りの道中で、侑に向かって言ったのだった。
 俺たちの卒業ももう目前に迫り、新しい季節の始まりと共に、3月の訪れがやってきた。俺は学ランを着て卒業式に臨んだ。3月1日をもって、俺と侑はこの高校を卒業する。C組の成績優秀者や、スポーツ推薦で大学に行く者、はたまた人によっては、生まれ育ったこの街を今後一切踏まなくなる人も出てくるだろう。俺は今日、校長先生から卒業証書を受け取った。担任の先生は俺が下した選択に内心満足に思っていない表情を浮かべていたのを俺はよく覚えている。しかし、俺はやっと自分で新しい道を、やっと自分がやってみたいと思える道を、この街で見つけたのだった。先生に説得されたので大学は一年休学した。しかし、3月11日にやってきた悍ましい大地震のせいで、俺の大学そのものが無くなってしまった。俺はその事を消極的に捉えていない。人生はなるようにしかならない。神様はいつだって自分に正しい選択をする様に人々の行動を調節しているのかも知れない。あれから兄ちゃんは、肩の筋が完全に治る事はなかった。兄ちゃんはやむなく塗装屋を辞めて、遊司さんの計らいで新しくトラックドライバーとして働き出した。真ん中の春子は相変わらず部活の陸上に打ち込み、この学校の最上級生として、学校の新記録を樹立した。1番下の妹の真由は保育園の学年が一つ上がった。俺たち家族にとって新しい日がやってきた。『悟。支度できたか?』そう言ったのは父親だった。俺は母親が作ってくれた弁当をさげて、車体の横に家族経営〇〇塗装店と塗装されたトラックに勢いよく乗りこんだのだった。
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guragura000 · 4 years
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手綱 (2016)
「パート社員になれないか」
 上司は開口一番私にこう言った。私は、やっぱりそうか、と思った。私の頭がおかしいからだ。
 事の始まりは大学一年生の時だった。人混みにいると「バカ」「くせーよ」等の悪口が聞こえるようになり、たまらず精神病院に駆け込んだ。
「あんたは病気です」
 医師からあっさり太鼓判を押された。何種類か薬を処方される。それらを飲み続け、はや五年になる。
 そういうわけで仕事中も私の疳の虫はてんで落ち着かない。体のどこかに暴れ馬が住んでいるのではないかと錯覚するくらいだ。
私は突然どこかに向かって飛び出そうとするし、実際に飛び出したりもする。先輩に連れ戻され、パンを買い与えられ、同情からの貰い泣きまでされてしまう。
また前ぶれなく涙腺が崩壊する。涙が止まるまでの三十分間、業務そっちのけでトイレに引きこもる。
朝、憂鬱で体が強ばり、片道徒歩十五分の通勤に四十分もかかってしまった。医者に相談するとマジかよと漢方を処方されるが、その対処法だけではやはり限界があるようだ。私の暴れ馬の手綱はどこへいってしまったのか。
というわけで私は自分が会社のお荷物だと知っていた。ポンコツをここまで使っていただいたのだから、むしろ感謝しなければなるまい。己の使えなさを自覚しているのにも関わらず図々しく居座るとは、全く迷惑な社員である。そんなわけで私のノーミソはクールにクビ宣告を受け止めた。かっくいい。
 だがしかし。アパートのドアをくぐった瞬間、私はぶっ壊れてしまった。腕を切り刻むのがやめられなくなってしまったのだ。暴走する体に反し、頭は冷静だった。この状況を馬鹿馬鹿しいと俯瞰する余裕があるくらいだ。いつもそうなのだ。唐突に私の体は突拍子もないことを始めやがるのだ。このドス黒い暴れ馬、こんちくしょうめ。
 右手が頑なにカッターを放そうとしないので、たまらず病院に駆け込んだ。ふらふらして椅子に座っていられない。そういえば七日間ほど物を食べていないような気がする。看護師に具合が悪いので寝かせてほしい旨を伝えると、優しくベッドまで案内してくれた。真っ白な布団に寝転がる。すぐに見知らぬ顔の男性医師がやってきて、カーテンを閉められた。穏やかな声で質問される。
「どこを切ったの?」
「お腹と腕と太腿です」
「見せてもらうね」
 あっさり服をめくられた。腕をまじまじと観察され、恥ずかしさがこみ上げた。誰かにリストカットの傷を見せるのは初めてだ。
「結構ひどいね」
と医師は言った。
 嘘だろう。ネットに転がっていた画像で、私より深い傷をこしらえた人々を嫌というほど見た。自傷というワードで検索をかけると、全世界の目立ちたがり屋が血液を搾り出しているところを容易く見物できる。本気で苦しむ彼らに比べて、私は甘えている。私は演技をしている。本当は辛くなんてないはずなのに、同情を買うためにパフォーマンスをしている。だから私は傷跡を隠す。自分の卑怯さを誰かに見られないように。十代の娘でもあるまいし、この年になって自傷しているなんて情けない。この程度の生活など皆容易くこなしているのだから、私も追いつかなくてはならない。私は不登校をして、ただでさえスタートダッシュに遅れているのだから、倍速で走らなければならないのだ。けれど、と私は思う。私が走った分だけ、皆は先に進んでしまう。私は一生彼らに追いつけない。それって、まるでアキレスと亀ではないか。
 医師は私を見た。悲しげな眼差しだった。そんな目で見ないでくれ。自分がいかに哀れか思い知りたくない。
「入院ですね」
と告げられた。
「どうしてだ」
と私は思った。私の頭頂部のコックピットの操縦士がケロッと言い放った。
「まだ大丈夫でしょ」
 私の心の声が反発する。
「いや大丈夫じゃないだろ、正気か。また体調を崩すぞ」
「甘ったれたこと言って。そんなんじゃ今に社会に適応できなくなるよ」
「もうなってるよ。それに仕事に戻ってまた腕を切り刻むはめになるのなんてごめんだね」
「自分の体よりも常識的に暮らす方が大事でしょ! だから今までガンガンいこうぜモードで運転してきたんじゃん。やっと人間のふりが板についてきたというのに、その努力を無駄にするの?」
 自分同士が問答している。全く私の操縦者は信用ならないやつだ。放っておいたらどこまでも無理をしようとする。だから私は医師に従った。これで私も完全なるキチガイだ。
 サインバルタ、メイラックス、ラミクタールにレクサプロ。そのような薬を飲み続けてもまだ大丈夫だろうと思っていた。自分のおかれている状況を説明することができたし、暴れ馬が顔を出しても誘因を突き止めようと頭を絞ってきた。使える手段なら何でも使った。本を読み、過去を分析し、自分の感情を書き出して整理し、思いの丈をぶちまけた動画を撮り何度も見返した。
 手に取った精神医学の本には、情緒不安定には少なからず親の愛情不足が影響していると書いてあった。何百回も読み返し考えたが最終的に出た結論は「アホか」。それだけである。過去はどうしようもないのだ。消えようのない記憶を突っつき回したところでどうなる。親を許そうとすればするほど憎らしくなるだけだった。精神医学者は揃いも揃って私に親殺しを勧めたいらしい。
自己カウンセリングなどといううさん臭い儀式も一応試した。「心の中でヨウショウキの自分を抱きしめてあげましょう」? できるか! そんなものただの茶番だ。抱きしめたところでどうなるというのだろう。イメージした幼い私には表情がなく、手触りもない。今の���と同じで「だからといって何なのだ」と呆れているようにも見える。お前が私の馬をギャロップさせるのか?可愛い悪魔め。
幾ら「客観的に」分析しようが、元の認知が歪んでいては意味がない。お手上げだ、と本を放り投げる。私一人ではどうしようもない。私は何とか自分を説明する術を手に入れた。暴れ馬に手綱を付けさえすれば完璧に手懐けられると思い込んでいたのだ。しかしそれは錯覚だった。手綱は、手綱はどこにある。
 緊急病棟に入れられた。割腹のいい主治医は、
「自主入院という扱いになるから、��んたがもう大丈夫だと思ったら退院していいからな」
と言った。何じゃそりゃ。あっさりしたものだ。
「とりあえず今週末まで居とくか?」
「じゃ、そうします」
「分かった、手続きしておく。⋯⋯もう絶対に自分を傷つけるな。傷つけたくなったら看護士に声をかけるんだぞ。いいな。これは忠告じゃない。約束だ」
 どうしてだろう。どうして人は口を揃えて自傷をやめろと言うのだろう。私は「やめます」と微笑みながら首を傾げ続けた。自ら死ぬのは悪いこと。自分を粗末にするのは悪いこと。言葉の意味は理解している。けれど感覚として分からないのだ。
 誰かと会話をし、笑顔で家に帰る。ドアがバタンと閉まった瞬間、私の何かが爆発する。狂ったように酒を飲み、ぶっ倒れゲロを吐き、またはカッターで腕を切り始める。翌日、何事もなかったかのように同じ相手と談笑をする。私は皆の笑顔を壊さぬために自分を傷つけていた。ストレスを自分にぶつけて発散していれば誰も傷つけずに済むからだ。私は自己犠牲的な精神を誇りさえした。思慮深い思いやりのつもりだった。だが私の心がけは、どうやら愛ではなかったようなのだ。私はいつの間にか間違った方法で人を愛そうとしていたらしい。
「お前、またやっちまったなァ」
 私の天使が頭上をひらひら飛び回り、笑う。悪魔は黙っている。もう笑い疲れたんだろう。
 自傷をしない。やればできるとたかを括っていた。ところがどっこい、すぐに切りたくて仕方がなくなり頓服をもらうはめになった。漢方だ。苦いくせに全然効かない。
 二日目、見えない手が私の頭を撫でる。気持ち悪くてライブ会場さながらにヘッドバンキングをする。看護士が頓服を持ってきてくれる。ホリゾンと書いてある。
 三日目、野獣のように唸りながら転げ回る。腕を切る以外の怒りの発散方法が分からない。ベッドを殴る。壁に這いつくばって拳を叩き付ける。天使が「クソくらえ!」と叫ぶ。随分口が悪い。冷静な私が部屋の片隅で「あーあ、外に聞こえちゃうかもな」と溜め息をついている。私が粉々だ。
 四日目、医師が診断書を持ってくる。「重篤な障害がある」と書いてある。「イカれちまった!」うるせぇ、三月兎はディズニーの中に引っ込んでろ。
 五日目、ようやく落ち着くものの、休む暇もなく色欲まみれのオヤジ、いや失礼、年配の男性患者に付きまとわれる。気安く名前で呼ぶな、と思いながら柔らかな笑顔で追い払う。病室のベッドでぼーっとしていると、
「ねえ!開けてよ!開けてよ!」
とドアをバンバン叩かれた。恐ろしくなって看護師に相談する。すぐに対応してくれたらしくオヤジの姿が消えた。主治医がやってきて、
「何があってもぜっっっったいに扉を開けるなよ」
と言い残し去っていった。もし鍵をかけ忘れていたらどうなっていたのだろう。私、結構ピンチだったのでは。ゾーッと鳥肌が立った。
 夜、どこかの部屋の婆さんが声を張り上げて泣き始める。何がそんなに悲しいのだろう。遠吠えのような悲鳴の中、私は睡眠薬漬けの眠りに沈んでゆく。
 六日目。外出申請の書類を記入する。ここでは書類を提出し許可が降りなければ外出できない。病棟の入り口に鍵がかかっているのだ。以前から知識として知ってはいたけれど、実際に体験してみるとひどい閉塞感だ。無事外出を許されたのでアパートに帰り、シャワーを浴び、パソコンを申し訳程度に触って病院に戻る。外出時間は一時間だけなので大したことはできない。
 消灯時間になっても眠れず、窓枠に腰掛け景色を眺めた。下方を車のライトがきらきらと駆け抜けてゆく。あれらはどこからやってきて、どこへ向かうのだろう。私はどうしてここにいるのだろう。私の人生はどこへ向かっているのだろう。健康体であるはずなのに、わざわざ薬を飲み腕を切り入院までしている。許可が出なければ外出すらできない。私は閉じ込められている。どこに。どこだろう。私の馬は、忘れようと押しやった私の痛みそのものなのだろうか。存在を思い出してほしいがため、何度も暴れるのだろうか。
 入院中、私は一度も泣かなかった。泣くような出来事は何一つ起こらなかった。私は不味い昼食を口に運びながら「仕事辞めよう」と思った。
 何日目か数えるのをやめる。ここでは食べ物しか娯楽がない。昼食にオレンジが出る。かぶりつくと爽やかな香りが口内に広がり、甘酸っぱさに舌がキュウキュウと悦ぶ。私は果実を見つめる。何てきれいな色なんだろう。じんわりと黄色い幸福に包まれる。ふいに、子供の頃オレンジをよく食べたことを思い出す。今では皮を剥く面倒さが先立ち手をつけなくなってしまった。私は青い匂いを嗅ぎながらふと「海に行きたい」と思った。それから花を見たいと思った。大きな大きな木の下で寝そべりたい。どこまでも続く草原に佇み、ざわめきに耳を傾けていたい。それか湖でもいい。凪いだ水面に滲む杉の木を見つめていたい。私はどうしてこんなところにいて、どうでもいいものに囚われているのか。
 大切な人々を戸惑わせてしまう、言うことをきかない私の体。本当は薬を飲みたくなんかない。体を傷つけたくなんかない。自室で腕を切る度に思うのだ。誰かあのドアを開けて入ってきて。カッターを取り上げて、暴れる私を思い切り抱きしめて。誰か私の血の、魂の流れ落ちるのを止めてほしい。この傷跡にキスをしてほしい。当然ながらそれが叶ったことは一度もない。
 私の天使が言う。
「問題を片付けるのはさァ、自分なんだからネ」
 そうっすね。
「最後に頼れるのはお前自身なんだって。分かってるんだろ」
 悪魔が言う。そうっすね。そうですよね。
 SOSの旗をあげたとする。だがここは海のど真ん中だ。船の航路からは外れている、誰にも気付かれやしない。泳いで陸まで辿り着くしかないのだ。あるいはここは地中深いトンネルだ。私のいる場所がどの地点かなんて自分にしか分からない。ここがどこなのか分からなくても、歩き続けなければならないのだ。どこかに辿り着くために。生きてゆくために。長い道のりだったように感じていたけれど、まだ人生の半分も歩いていなかったなんてね。
 病室を移される。同じ年頃の女性と同室になる。彼女の手首にも規則正しく傷が並んでいる。
 最終日、何となく話をする。
「どこかに行っちゃいたいなあ。何もかも捨ててさ」
 彼女は薬でもつれる舌で言った。私は頷く。
「ああ、分かります。私も出社する道すがらよく考えました。このままバスに飛び乗れば、二時間で東京に行ける。このまま引き返して車に乗れば、三時間で海に行けるって。そうして、できればいなくなってしまいたいんです」
 どうしてだろう?
 降っては上がる雨、途切れ途切れのトンネル、夏の台風、たまに鳴る電話、寄せては返す波、私の不健康な心臓、ころころ変わる処方。四季が一ヶ月に六十回やってきて、私はめくるめく美しさと乱暴さにすっかり目を回してしまう。どこにでも行ける。けれどどこに行っても、世間体と、金と、自分の体からは逃れられない。私の体は私の檻だ。私は、私の体と手を繫ぎたい。彼女は、私は、一体どこに歩いてゆこうとしているのだろう?
 机と椅子だけが置かれた、がらんとした診察室。浅黒く熟したエネルギーのカタマリが私に問いかける。
「いけるか?」
 私は主治医に頷いてみせる。
「いけます」
 先生は忙しくカルテをめくり、
「退院予定日は今日だよな。じゃ、午後には出ていいよ」
と言った。やっぱりあっけない。
 荷物をまとめる。同室の女性から退院祝いをもらった。ブルボンのプチチョコチップクッキーだった。私達は手を振り合って別れた。どこにも行かないで、と私は彼女に念じた。どこかに行っても、どこかで生きていて。
 天使が内臓の壁に寄りかかり、もの憂げにこちらを見ている。
「自分の体にどこにも行くなと言えるようになることが、あんたの馬の手綱なんじゃないの?」
 私は荷物をガサガサ言わせながら返事をする。
「分かってる」
「分かってないよ」
 私は、そうだよな、と思う。今まで形ばかりの「分かってる」を繰り返してきた。今回も本当にそれを理解しているのかと問いただされたら、怪しい。
 でも、分かりたい。
 外は暑かった。蝉が鳴いていた。車はキーを回せばたやすく走り出す。私はどこにでも行ける。けれど、今はとりあえず家に帰ろう。
 空に、狂いもなく正確な夏が来ている。
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orangehighlight · 3 years
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宝石の降る夜に
夜が好きだ。 僕を遠ざけて乱反射する都市の灯りさえも、ちょっとだけ好きになれるから。 室外機の音が静かに響くベランダで欄干に身を預け瞼を閉じると、 視界は仄かに明るかった。 そんな夜のこと。
三日月、徹夜明け、シューティングゲームのテーブル筐体とクリームソーダ きらーん。50円玉を投入。 あ、電気通るんだ。 蠱惑的なバックライト... .........飽きた。
昼も夜もなくなっちゃった真っ暗な世界の端っこで 緑の生い茂る広い広い広い団地マンションを歩く 7号棟の水色ポスト 53号棟、黒猫さん 982号棟には天使の輪っかが落ちてるらしい。 単焦点 35mm、少しだけ絞ってラフに構える。 ピシュゥン。 あっ。レーザービームの音がした。 天気予報士の言う通り、ここ数週間は鳴り止まない。 遠くに散らばる破片の正体 見えないフリをした。
ごめんね、大丈夫さ 根拠はないけどね ごめんね、大丈夫さ 生きてるって、なんだろうね
君に貰ったスニーカーはなんか履いてるだけで妙に楽しい とんとん、たたんと軽快に ひび割れてるコンクリートも気にしない 今夜、何してるかなあ。絶対ないけど読書とか笑。 今度、また会えるかな。あの頃みたいに元気かな。
連絡通路から見える光 縦に連なって地面に刺さる 役目を終えた列車の窓に ざくざく切り取られていた風景 雑踏、送電線、信号機、ねこ、ねこ、カラフルな女の子、 映画館、鉄橋、東横線、コンビニで買ったあずきバー、 漂着鯨と夏蜜柑、雑居ビル、ねこ、雑居ビルのねこ ザッピングに嫌気が差して、シュレッダーにかけた。
シェルターに響く轟音は さながら子守唄のようで 工業地帯のイルミネーションがパキパキと割れる 消えていく
ふと寂しくなった。
わっ、雷。......雨? 雨も好きだ。 少し寒くて頭が痛くなるのはつらいけど、水に包まれていると安心するから。 動かないエレベーターの中で、屋根を叩く音に耳を澄ます。
いつだって体が憶えてる いつだって心が憶えてる 聞き飽きたポップミュージック 擦り切れたポップミュージック レーザービームは鳴り止まない。 けど音楽だって鳴り止まない。 誰かが密かに生きてた証がいつもいつまでも鳴り止まない。
割れる 色収差 きらきら ズレていく 空 天蓋 世界の被膜 手を伸ばした 触れた 優しく撫でた
綺跡が降る
その瞬間
川沿いの夕焼けを思い出す あの子の手の冷たさを思い出す 魔法が解ける5秒前に、頬を伝った言葉を思い出す きらり、シルエットを思い出す 桜並木の呪文を思い出す 虹と彗星がこだまして、またこんな景色を思い出す
雑踏、送電線、信号機、ねこ、ねこ、カラフルな女の子、 映画館、鉄橋、東横線、コンビニで買ったあずきバー、 漂着鯨と夏蜜柑、雑居ビル、ねこ、雑居ビルのねこ、 サイダー、王冠、高架下、教会通り、冒険の書、 怖い夢、長い夢、ねこの夢、甘い夢、白い夢。 なみだ、なみだ、なみだ、なみだ、なみだ。 ひかり、ひかり、ひかり、ひかり、ひかり。
いつか会えたらきっと話そう いつか会えたらずっと喋ろう いつか、いつか、いつか。
ごめんね、大丈夫さ 悪魔だらけでも ごめんね、君が悲しむから まだ生きてみるよ。
夜が好きだ。 僕を遠ざけて乱反射する都市の灯りさえも、ちょっとだけ好きになれるから。 前髪をそっと揺らす風が心地良いベランダから部屋に戻ると、 ポットの湯気とお線香の煙が綯い交ぜになって薫る。 紅茶を冷ましながらパソコンの電源を入れたとき、 懐かしくて、暖かくて、馴染み深い鳴き声が聞こえた気がした。 そんな、どうしようもなく寄る辺のない夜のこと。
らららら。
よる よる よる よる 依る 因る 寄る 夜
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takahashicleaning · 4 years
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TEDにて
ケビン・ケリー: なぜ人工知能で次なる産業革命が起こるのか
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
デジタル業界の予言者ケビン・ケリーは「ひとつの雨粒が谷間へ流れていく道筋は予測できないが、その大まかな方向性は不可避なものである」と言い、テクノロジーも同様に驚きはもたらしても不可避なパターンに突き動かされているのだと説きます。
そして、あらゆるものをスマート化するという流れは、今後20年で私たちの活動ほぼすべてに大きな影響を与えると語ります。
ケリーは、人工知能(AI)を受け入れ その発展の舵を取るために押さえておくべき、AIにまつわる3つの傾向を紹介し、「20年後に最も人気になり誰もが持つようになるAIを使った商品は、まだ発明されていない。だから皆さんもまだ間に合う」と締めくくります。
テクノロジーはどこへ向かうのか!少しお話ししたいと思います。新たなテクノロジーが、次々に到来し、それがもたらすものには驚かされます。でも、実は、テクノロジーの大部分は思っているより、ずっと予測できます。テクノロジーの仕組みには、必ず傾きがあるからです。
特定の方向に働くパワー。流れがあるのです。こうした流れは、ワイヤーやスイッチ、電子にある物理、化学的な特性そのものに由来するものです。これにより同じパターンが繰り返し生み出され、このパターンによって流れや傾きができるのです。
これは、重力のようなものと考えていただいても良いでしょう。谷間に落ちていく雨粒を想像してみてください。ひとつの雨粒が、谷間へと流れていく道筋は予測できません。どこを通るかなど分からないのです。でも、大まかな方向性は、不可避なもので下へ下へと向かいます。
テクノロジーにまつわる仕組みには、流れや必然性なるものがこうして刷り込まれているので、物事がだいたいどう進むのか推し量ることができます。ですから、大きな意味ではこう言えるでしょう。電話の出現は不可避であったが、iPhoneはそうではなく、インターネットは不可避だったがTwitterはそうではなかった。
今、さまざまな流れが同時進行しているわけですが、そのなかでも特に重要だと思うのが、「なんでもかしこくする」という流れです。私は、これを「認知化」と呼んでいるのですが、人工知能(AI)としても知られています。私はこれこそが、今後20年で社会に最も影響を与える発展であり傾向、方向性、原動力のひとつになると考えています。
もちろん。それはすでに始まっています。私たちは人工知能(AI)をすでに手にしていて、AIは目に見えないところで動いています。病院の管理棟では、AIがレントゲン画像を人間の医者より正しく診断しています。法律事務所でも法的証拠をくまなく調べるのに、人工知能(AI)が使われ人間のパラリーガルよりよくやっています。
皆さんが会場に来るときに乗った飛行機の操縦にも人工知能(AI)が使われています。人間のパイロットが操縦するのは7、8分だけで残りは人工知能(AI)が操縦しているんです。もちろん、NetflixやAmazonでは裏でAIが動いていろいろお勧めをしてくれます。今は、こんなところでしょうか。
それから、ご承知のとおり。もっと先進的な側面をあらわす例としてAlphaGoが世界トップ棋士に勝利をおさめたことがあります。でも、それだけではありません。ビデオゲームをすることは、人工知能(AI)と対戦することでもあります。
さらに、最近では、Googleは人工知能(AI)を訓練し、ビデオゲームのプレイ方法を学習できるようにしました。ビデオゲームのやり方は、すでに教えていたわけですが、ビデオゲームのプレイ方法を自ら学ぶのは新たな段階になります。
これが「人工知性」です!!
私たちは、今、この「人工知性」をどんどんかしこく高めていこうとしているのです。���代からの人類が蓄積した膨大な概念。
この大きな流れのなかで十分認識されていない側面が3つあります。この3つのことを理解すれば、人工知能(AI)に対する理解もぐっと深まるはずですし、AIも受け入れやすくなるでしょう。AIを受け入れなければ、AIの舵取りなどできませんから大きな流れを受け入れてこそ実務的なことも動かして行けるのです。
それでは、この3つの側面についてお話ししましょう。
1つ目は、私たち自身の知性は、何が知性たるかをほとんど理解していないことです。私たちは知能をとかく1次元で考えがちです。音で言うなら、音量がどんどん上がるようにです。
知能指数(IQ)がまさにそうです。ネズミのような単純で低いIQに始まり、つぎが、チンパンジー頭の悪い人と高くなって行き、私のような平均的な人間が来て、それから天才といったように、このIQだけで表される知能は高くなる一方です。これは、完全な間違いです。
これは、知能ではありません!!少なくとも人間の知能ではないでしょう。知能は、むしろ、いろんな音のシンフォニー、交響曲に近いもので、さまざまな認知機能で奏でられる音が集まったものです!!
人間には、多種多様な知能があります。演繹的な思考や感情的な知能。空間的知能など。おそらく、100種類くらいの知能をみんな持っているのですが、それぞれの知能レベルの高さは、人によって違います!
そして、動物は動物でまた別の一式。さまざな知能をひと揃え持っています。私たちと同じ機能を持っていることもあるでしょう。動物も人間と同じように思考できますが、持っている知能レベルの組合せが違うので、人間より動物の方が優れている場面もあります。
例えば、リスの長期記憶は、本当に卓越したもので木の実を埋めた場所をずっと覚えていられますが、それ以外の知能はより低いかもしれません。
私たちが機械を作るにあたっても同じように設計することになるでしょう。つまり、ある種の知性は、人間よりぐんと高くするけれども、ほかの多くは必要ないので人間には遠く及ばないままという風にです。私たちは、このようにしてさまざまな知能を 人工的に寄せ集め、より変化に富んだ人工的認知能力をAIに与えようとしているのです。そして、それはもっと特化したものになっていくでしょう。
計算においては、計算機の方が、すでに、限界��はるかに超えて人間よりかしこいですね。空間ナビゲーションは、GPSの方が 限界をはるかに超えてかしこく、長期記憶においては、GoogleやBingが、限界をはるかに超えて人間より上です。
私たちは、こうした様々な思考を、人工的に取り出し抽出して、今度は、自動車に搭載しようとしています。自動運転のためですが、そうするのも、それが人間のように運転しないからです。人間と同じようには考えない。そこがミソなのです。妄想、雑念、気が散ることもなければ、フラッシュバックでコンロの火の消し忘れを心配したり、会計学を専攻したら良かったと悩んだりもしません。ただ!運転に集中するだけです。
ただ、運転に集中するだけですよ?もしかしたら、こんな宣伝文句で販売されるかもしれません。「意識ゼロ」その車には、意識がないので、さっき話したようなことに雑念はなく気が散らないんです。
つまり、私たちがやろうとしているのは、できるだけ多くの種類の特定思考を作り出すことなのです。この空間をあらゆる種類の特定思考でいっぱいにしようというのです。
ビジネスや科学の最先端の世界では、難しすぎて、人間自身の思考だけでは、手に負えないような問題も実際にあることでしょう。そんなときは2段階で対処します。新たな種類の特定思考を作り出して、私たちがそばで協働しながら、とても大きな問題。暗黒エネルギーや量子重力といった問題を解いていくのです。
つまり、未知の特定知能を創造するというわけです。意味で違った考え方をする(think different)のに、役に立つはずです。違った考え方が、創造や富、新しい経済の原動力なのですから。
2つ目の側面は、私たちが人工知能(AI)を使うことで、次の産業革命が起きようとしていることです。
最初の産業革命が起こったのは「人工動力」とも言うべきものの発明があったからです。それより前の農業革命においては、何かを作るとしたら、すべては、人間の筋肉か動物の力を使わねばなりませんでした。それ以外にやりようがなかったのです。
産業革命における大きな革新は、蒸気や化石燃料を使って、この人工動力を生み出し、それを使って何でもできるようになったことです。ですから、今では、高速道路を走りながら、スイッチをポンと押すだけで250馬力を意のままに操れます。250馬力ですよ!
さらに、そうしたパワーを応用して、高層ビルや都市、道路を作り、工場では、人力では到底、作れないほど、大量の椅子や冷蔵庫などが生み出されるようになったのです。こうした人工動力は、また送電網を通じて、すべての家庭や工場、農場に届けられ、ただ、何かを接続するだけで、誰でもその人工動力を買うことができます。
これは、新たな革新の源にもなりました。農場では、手押しポンプにこの人工動力。つまり、電気を合わせて電気ポンプが生まれました。そんな変化が、何千、何万と膨れ上がる中で、その公式が生み出したのが産業革命でした。身のまわりのあらゆるもの。私たちが享受しているこの発展は、そのかけ合わせの産物なのです。
そして、今、同じことを人工知能(AI)でやろうとしています。人工知能(AI)はネットワークを通じて、届けられますから、あの電気ポンプを手に取って、それに人工知能を足せば、スマート・ポンプができます。そんな変化が何百万と生じれば、次なる産業革命となるのです。
高速道路を走る車は、250馬力を積んでいましたが、それに250の知力が加わって自動運転車になります。人工知能(AI)は、新たな公共資源となります。人工知能(AI)は「クラウド」という、ネットワークを流通していきます。電気がそうして広まったようにです。そして、かつて電化したあらゆるものを、今度は認知化するわけです。
ここで言いたいのは、これから出てくる1万のベンチャー企業の公式は、とてもシンプルなもので何かにAIを加えるだけです。この公式こそが、私たちがやろうとしていることです。それによって、これから、次なる産業革命を起こそうとしているのです。ところで、今、この瞬間ですが、すぐにGoogleにログインすれば、AIを自ら購入して6円で100回の処理をできます。すでに手に入るんですよ。
さて、3つ目の側面ですが、それは、この人工知能(AI)に体を与えることでロボットができることです。
ロボットがボットになり、私たちが、これまでやってきた多くの作業をこなすことになります。仕事も作業の集まりですから、私たちの仕事も再定義されるでしょう。一部の作業は、ロボットがするわけですから。でも、ロボットが入ることで新たなカテゴリーができ、新たな作業も大量に生まれることになります。
これまで必要だと気づかなかったものです。ロボットによって必要になる新たな仕事。新たな作業が生まれてくるのです。ちょうど自動化によって新たに作り出されたものの多くが、それまで必要とは思っていなかったのに、今では、当たり前になくてはならないのと同じです。
ロボットは、人間から奪う以上の多くの仕事を生み出していきます。大事なのは、アイデアで、ロボットに託す作業の多くは、効率性や生産性という観点で定義されるものであることです。肉体労働であれ、頭を使うものであれ、ある作業が効率性や生産性に落とし込めるものであれば、それはボットがやります。生産性は、もうロボットのものです。私たちはとかく時間の無駄遣いに長けていますから。
私たちは、非効率なことがすごく得意なんです。科学なんて、そもそも非効率なものでしょう。次から次へと失敗することで、前に進んで行くのです。試験や実験をしてうまく行かないから進展するのであって、それがなければ進歩しません。
科学はそれ自体に効率性がほぼ、ないことで構築されています!!効率性、生産性が無いのにイノベーションや幸福を創造している?どう言うことでしょうか?おかしいことでしょうか?考えさせられますね。
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました!
革新も本質的には非効率、非生産的なことです。プロトタイプを作って、うまく行かない機能しないものを試すんですから、探検も元来、非効率、非生産的ですし、アートも効率的、生産的ではありません。人間関係も効率的、生産的ではありません。こうしたことに私たちが引き付けられるのは、それが、効率的、生産的でないからです!!
もう一度言います!!エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました!!
何度でも言います!!エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました!!
これでもバカのひとつ覚えのように、生産性を高めますか?基本的人権も無視して・・・
効率性は、もうロボットのものです。今後、私たちはこうした人工知能(AI)と協働していくことになるでしょう。人工知能(AI)は人間とは違う考え方をしますから。ディープ・ブルーが、チェスの世界チャンピオンを破ったとき、これでチェスも終わりと思われていました。でも、実際のところ、今のチェスの世界チャンピオンは人工知能(AI)ではありません!
人間でもありません!人間と人工知能(AI)のチームです!医療診断に最も長けているのは、医者でも人工知能(AI)でもなく両者のチームです!私たちは、これからこうした人工知能(AI)と協働し、将来は、どれだけボットとうまくやれるかで給料も決まってくるでしょう。
これが3つ目の側面でロボットは私たちと違い、誰もが使うものだから敵対するのではなく協働するものだということです。敵対するのではなく協働していくのです!
さて、これからの未来はどうなるんでしょう?
今から25年先にいる人が、過去を振り返って私たちがAIを語るのを見たとしたらこう言うでしょう「それは人工知能(AI)なんかじゃない インターネットだって、25年先に使っているのと比べたらないのも同然だ」
現在、人工知能(AI)の専門家はいません。AIには多額のお金が流れており、何兆円ものお金がつぎ込まれています。非常に大きなビジネスです。でも、今後20年で期待される大躍進に見合うだけの専門家がいないのです。まだまだ始まったばかりです。まだ、すべてが始まって1時間。インターネットが始まって1時間。これから来たる未来が始まって1時間です。
これから20年後に最も人気を博し、誰もが使うようになる人工知能(AI)を使った商品はまだ発明されてもいません!!
つまり、皆さんもまだ間に合うということです。ありがとうございました。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
アメリカのノーベル賞受賞経済学者ミルトン・フリードマン、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」も言うように、金融危機2008、コロナショック2020などの急落に直面する対策として、ゼロ金利、マイナス金利、金融政策が出尽くした後に、よく登場する最速実行再分配政策が、個人への緊急的な現金給付!!!
各国によってスピードは異なるが、政策閣議決定後、人間の限界を遥かに超えるスピード。1秒以内で現金到着が理想。各国競争してみれば、今後の恒久対策として中央銀行のデジタル通貨なども考慮しつつ、新産業が産まれプラスサムになるかもしれません。
MMT(Modern Monetary Theory)によると、現状の貨幣での現実的なアイデアとして、社会保障に還元される日本の消費税は現状維持しつつ、現金給付額にも消費税がかかるので現金給付額を上げて、毎月給付にすると消費税率と社会保障費下支えとが均衡状態になる?と同時に、実体経済の経済成長率「g」の下支えにも寄与する?
これらの総量が、急激な不況時の資本収益率「r」以上なら、もしかして?回復して正常な経済環境に戻る期間も短縮できるかもしれません。
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ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
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xf-2 · 6 years
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台風21号は4日に徳島県南部へ上陸した後、日本列島を縦断した。全国に927カ所ある風の観測点のうち、近畿、東海、北陸、北海道にある計99カ所の観測点で、最大瞬間風速が観測史上最大値を記録したという。
 近畿地方を中心に甚大な被害が発生し、12人が死亡、741人が負傷した(消防庁HPより)。大潮の時期とも重なり、5000棟以上の建物が浸水や破損などの被害を受けた。農作物や水産関係の被害総額は数十億円規模に及ぶようだ。
 関西国際空港(関空)では、A滑走路と第1ターミナルが浸水した。停電も発生し、関空は一瞬で機能停止に陥った。さらに停泊していたタンカーが強風にあおられて唯一の連絡橋に激突。道路が破損して通行禁止になり、利用客と職員の最大8000人が取り残されて、空港で一夜を明かした。
 ネット上では、「駐大阪中国総領事館が派遣した十数台の大型バスが通行禁止の連絡橋を堂々と通行し、中国人のみを避難させた」という情報が飛び交ったが、デマだった。実際は5日午前に片側車線が通行可能になった後の出来事だったようだ。
 台風被害の復旧がまだ進んでいない6日未明、今度は北海道胆振(いぶり)地方を最大震度7の直下型地震が襲った。広い範囲で土砂崩れが発生し、41人が死亡、681人が負傷し、建物60棟以上が損壊した。
 震源地の厚真(あつま)町にある苫東厚真火力発電所が緊急停止したことで、地震発生から20分弱で北海道全域の電力供給が停止し、約295万戸が停電した。北海道は「ブラックアウト」の状態になった。もし、地震発生が厳冬期だったら、凍死者が発生していた可能性は極めて高い。
改めて言うまでもないが、日本は自然災害大国である。日本列島は見事なまでに台風の通り道にある。そのうえ、太平洋、ユーラシア、フィリピン海、北米という4つのプレートが集結する、いわば「地震と津波の発生源」の真上に日本はある。
 太古の昔から台風、地震、津波、高潮、洪水、火山の噴火といった自然災害は、日本列島を繰り返し襲ってきた。そのたびに、日本の先人は、一致団結して復旧に取り組んだ。被災者も涙を拭いて立ち上がった。日本人の我慢強さ、団結力、他人を思いやる国民性は、日本が災害大国であることに起因すると思う。
 避難所で働く公務員や、電気、水道、ガス、道路などのインフラ復旧を行う地元企業の社員たちは、自身も被災者なのに家族と離れて務めを果たしている場合が多いだろう。自衛隊や警察、消防だけでなく、彼らへの感謝や慰労を考えない人は、日本国籍保有者だとしても、日本人らしくない。
 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『儒教に支配された中国人・韓国人の悲劇』(講談社+α新書)、『トランプ大統領が嗤う日本人の傾向と対策』(産経新聞出版)、『日本覚醒』(宝島社)など。
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tka4blog · 5 years
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TJ個展「リバース/Reverse」11月23日〜29日 (ダイゾウ)
クラウドファンディングがついに終了しました。支援してくださった皆さん、本当にありがとうございます!目標金額は達成できなかったけど、入った分はちゃんとファンドされるので有効活用させていただきます。達成金額やリターンについては近日中に報告します。毎度後手にまわり申し訳ありませんがもう少々お待ちください。
個展!
さて、オープニングの狂騒も落ち着きいよいよ平常運転が始まったTKA4では早くも第二弾の個展が予定されている。11月23日〜29日、アーティストのTJによる「リバース/Reverse」である。
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【アーティストによる展示内容】 一年半ほど前から制作を始め、2018年4月に初個展 メタリックな絵の具で塗り固められた金属板のようなキャンバスに飛び交う、蛍光色のカラフルな画材 抽象的なようでいてどこか具体的なイメージを喚起する画面構成、デジタルイメージを思わせる鮮やかさを持ちながら画材が盛り上がった極めて具体的な物質感 絵の具が落ちた際に作る偶然の美しさに驚きそれを紡ぐことは、"瞬間を慈しむこと"であり"過ぎ去った一瞬を永遠のものにしようとする"行為である
今回、TKA4初の試みとしてアーティストへのインタビューを通して(いや、雑談か。録音もしていないのでメモと記憶を頼りに書いてます)アーティストや作品そのものといったミクロな切り口と、個展会場であるTKA4という場所、あるいは個展そのものの意義などのマクロな切り口を重ね、繋げ、撚り合わせてみたいと思う。まあ初の試みって言ってもオープンから間もないし誰かの個展自体二回目だから大体何をやっても「初の試み」になるんだけどさ。そういえば前回のブログにも「初の試みとしてフルセットのバンドライブ!」とか書いてたわ。
インタビュー(?)の経緯とタイトル
さる10月27日、TJが個展の打ち合わせも兼ねてTKA4に遊びに来てくれた。初めは日程、予算、セッティングなどの事務的な内容が主だったが、ビールの空き缶と煙草の吸い殻が増えるに従って徐々にコンセプトに関する雑談へと話題は移っていった。 コンセプトを練る上では、もちろん個人差はあるとは思うが大枠を決めてから要素で埋めていく演繹タイプと、集まった要素を並べてから枠を作っていく帰納タイプがあるように思う。今回の個展に関しては比較的前者のスタイルであったらしい。TJは雑談の中で、今回のタイトルには「リバース/Reverse」を考えている、と話した。しかし具体的なコンセプトらしいものはまだはっきりとはしていないらしく、この漠然としたタイトルを出発点にさらに掘り下げるべく僕たちはビールと煙草を追加した。
ミクロ(TJ個人の制作活動)
まずはミクロな観点、TJの作品制作そのものにスポットを当ててみよう。本人の語るところによると、美大を卒業してからずっと絵は描いていなかったという。それが再び制作をするようになったきっかけは、ある別れだった。 同居人との別れ。部屋の広さは倍になり、その密度は半分になる。よくある話と言えば、よくある話。別れは物理的にも精神的にもスキマを生み出す。そのスキマを埋める方法は人それぞれだろうが、TJの場合は制作だった。まずは壁のスキマを埋めるようにして、彼が絵を描き「始めた」のが今から一年半ほど前。壁のスキマを埋める作業は、同時に精神の空白も埋めていく。こうして制作を続けた彼は、今から半年ほど前、2018年4月に本人初となる個展「I have it」を新宿で開催するまでに至る。 一生命体として、我々人間は生誕から死、という時の急流の中に身を置いている。この急流の中で我々がコントロールできるのは、流される自らの姿勢程度しかない。その点から見ると、彼の初個展は過去にあった別れを常に意識した極めて「後ろ向き」なものであったそうだ。「後ろを志向した」と言い換えてもいい。ここでは「後方志向」という表現をでっち上げておこう。別れの傷を癒す、別れによって生まれたスキマを埋める。その行為はいつしか「前を志向した」行為へと転換する。流される方向が変わるわけではない。流される姿勢が変わる。方向転換。逆転。後ろから前へ。過去から未来へ。生誕から別れ、「前方志向」への転換を経て、それでもなお避けられない究極の「後方志向」、死へ。TJの個人的な物語における「後方志向」から「前方志向」への「リバース/Reverse」地点こそが今回の個展になるのだ。
マクロ(TKA4という場所)
次に、空間的な意味からマクロの視点を獲得してみよう。個展会場となるTKA4は、その基本理念にスクウォッティングを置いている。スクウォット(squat、動詞)とは、すでに廃墟になった建物を(主に違法に)占拠し、自分たちの空間に回収してしまうことだ。主にヨーロッパで盛んに行われており、パンクス、アーティスト、アナキストなどのコミュニティーと親和性が高い。 TKA4の所属するビル、都営高円寺アパート4号棟は厳密な意味において完全な廃墟ではない。一人だけとはいえ居住者もいるし、うちも含めて三店舗がいまだに営業中だ。規模を考えれば破格ではあるが家賃も納めている。しかし建物を見れば一目瞭然なように、あとは取り壊しを待つだけの廃墟といった風貌である(実際2020年の東京オリンピック後に取り壊しが決まっている)。 建造され、放棄され、取り壊される。この流れは、言うまでもなく生誕、別れ、死、と言う人間の個人的な物語と重なり合う。そして、建物の放棄という「後方志向」的状況を、自分たちの空間への回収という「前方志向」的行為へと「リバース/Reverse」することこそがスクウォッティングなのである。 そもそも建物とは経済活動の一環として建造されることがほとんどだ。もはや教条主義的に繰り返してきてはいるが、現代社会においては利用価値、金銭的価値があらゆる事物の価値そのものを規定する。都市のデッドスペースたる廃墟ほど現代社会にとって無駄なものはない。対してスクウォッティングは放棄されることにより都市に生まれていたスキマを埋め、金銭的な価値以外の価値をその空間に付加する。まるで、別れにより生まれたスキマを制作という行為で埋めるように。まるで、壁にできたスキマを腹の足しにもならない絵で埋めるように。
もう一つの仕掛け
さて、以上がざっくりと概念的な今回の個展の概要になるが、レシピを読んだだけでは料理の味はわからないように個展に直接足を運ばなければTJ個人の、そして彼の作り出す空間そのものの「リバース/Reverse」を感じることはできない。概要とはいってもあくまで雑談からひねり出したダイゾウの私見に過ぎないし、実際ここでは彼の作品の内容そのものについては触れていない。なので、TJから提案された一つの重要な、そして極めて視覚的な仕掛けもここでは触れないことにしよう。それが「リバース/Reverse」という縦糸に絡まった時どのような織物が生まれるのか。それは直接会場に足を運んで確かめていただきたい。
………..わかったわかった、じゃあ少しだけヒント!前回のイベント「Gluttony -貪食-」で描かれた壁画はその仕掛けのために全て塗りつぶされる。11月17日に行われるパーティー「Look Who’s Back “行きて帰りし物語”」が壁画を見る最後のチャンスになるだろう。芸術の秋はまだまだ続く!ぜひ、二週連続で!TKA4に遊びに来てください。
※「Look Who’s Back “行きて帰りし物語”」についてはこちらのリンクから! https://www.facebook.com/events/557860014661943/
ダイゾウ
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karasuya-hompo · 6 years
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Conan Outcasts:58:さ��きょてん、ひっこしちゅう!(PvE)
 一昨日、基本的な物資やツールを立て続けに二度なくし。  だから昨日はせっせと鉄集めしつつちょっとダークな気分になったりもしていたドードー。  今日はなにをしようかなぁと考えて、とりあえずはサブ拠点で鉄を集めつつ決めることにしました。気分的には、今度こそホップを集めに行きたいなぁってところ。ちゃんと鎌も持って、アラネが見つけた池の南側とかから、ゆっくり探して歩きたい!  ……あ、あれ……? そういえば、うちの西側の川辺にあった、小さな豆腐にそこそこ設備置いてあるご近所さんが消滅してる……(´・ω・`)
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 それよりちょっと西の方に新しい豆腐ができていましたけど。あれは炉だろうけど、どういう拠点になるのか楽しみです。去る人もあれば、来る人もあって、欠けてゆく月も、やがて満ちてくる、なりわいの~中ぁでぇ~っ♪(←分かる人いるのか)  そうしていつものとおり、樹皮を集めつつ死の囁きの足元からミトラの静居の前を通って、道中の鉄鉱石を採掘したら到着。  ―――よし。  断熱木材で、とか言ってると他の人が住み着いちゃうかもしれないから、とにかく足場とベースの部分だけでも、砂岩で作るか!!  と、唐突にサブ拠点の移築を実行しはじめました。
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 まずはこう。下の岩は、這い登れ。以上。それができぬ者は我が輩の拠点に手出しできぬのだ。  とはいえ、これしか入り口がないと奴隷の運搬ができないので、ゴンドラはつけますけど、本拠地と一緒で、「ゴンドラが壊されても他の部分が崩落することはないし」というヤツです。
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 とりあえず土台と階段で、安定したところまで登ってきました。あのサブ拠点とも遠からずお別れ……ではあるのですが、右側の、設備置いてる小さな部分は残しておこうかと思ってます。通りかかった人が砂嵐でひーひーしてるときとか、とりあえず逃げ込める場所、みたいな。それに、大工とかはさておき、炉は二重稼働させてもいいし、輪も2つあって悪いものでもないし。  それにしても、こうして見るとオベリスクがほんとすぐ傍で。だからといって、ドラゴン退治に闘技場に行くほど進めるかは不明。  そういえば、地図部屋は他人が作ったものでも使えると分かったので、他のオベリスクの近くに、使用フリーの部屋がないか、いずれ探そうと思ってます。  で、本拠地には地図部屋作りたい!! そうすれば、サブ拠点に来るのはかなり時短できるわけです。ちなみにこの近くは、大蜘蛛と戯れてたときに登らせてもらったあそこが使用フリーならいいなぁって感じ。彩りさんとこはフリーズが怖いし……:( •ᾥ•):  施錠する、みたいなことってできるのかなあれ。今度また見に行かせてもらおうっと。(勝手に)
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 ひたすら岩と材木採取。岩はそこそこ豊富だけど、材木がですね、やや枝が多く採れる木しかなくてちと時間かかります。本拠地戻ったら鍛冶場で斧のアプグレキットも作ってくるか。  ちなみにあそこにいる蜘蛛は、キチキチいうし音楽も変わるけれど、近づいてこないシャイガール。岩陰からそっと覗いているあたりが風情であるな(謎  あ。そーいえば。  鋼の道具って、慌てて作る必要なかったなと今は思ってます。いずれ、中盤までの進め方みたいなのもまたまとめようかと思ってますから、その中にも書くでしょうけど、とりあえず今思うことでも。  簡易強化キットでも、一振りの収穫数が+1な感じです。これって、鉄→鋼と変わらなくて、しかも修理は鉄15個で、完全破壊から全治、つまりUPGなしのときと一緒。  鋼にくらべて壊れるまでは早いものの、鋼を入手するのに、クソ真面目に炉を動かしてる間は、鎌以外は強化キット使ったほうがお得じゃないでしょうか。  なにせ鋼は作るときに鉄が複数消費されますし、それでまた修理のときにも……修理道具持ち歩けばマシだけど、でもそれでも鋼は必要だし。
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 さて。  あっちの岩山にまで橋をかけることもできそうだなぁ。真ん中に、柱を下ろすのに丁度いい低い山があるし。  しかしそうすると、真下付近が軒並み資源枯れるので考えもの。草くらいしかないとはいえ、その草がね、屋根作ったりするのには必要なわけで。  まあ、こっちを大きくするとどっちが本拠地だよ!? になるので、コンパクトにしておこう。  ちなみに、付近に鉄鉱石があり、樹皮もあり、蜘蛛がちょろちょろしてるこの場所だと、ぶっ続けで建築してられますね。本拠地は鉄が近くにないのでその利便性に今更気付きました。  せっせと建ててる間に鉄がリスポーンしてるんだもんなぁ。鉄のつるはし(簡易強化つき)と斧使ってるので、摩耗した分をそれできっちり直していけます。この修理用鉄をわざわざ取りに行く必要がある分、本拠地は手間なのですな。  で、ハラ減ったなぁ、あぶり端肉なくなりそうだなぁって頃には、絡まれた蜘蛛を倒して手に入れた肉が20個弱くらいにはなってるという。  水だけが、ちょっと川まで行かないと手に入らないから、潤しの像持ってこよっと。  しかし、じゃあこっちを本拠地にするかっていったら……なんというか、あえて不便なところに本拠地を構えるオトナの余裕、みたいな?(。 ー`ωー´)
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 とか寝ぼけたこと言いつつも、相変わらず高所での建築なので、なにかと大変ではあります。安定性確保のため、念のためにと、見た目的にもよさ気で、途中の山肌にこうして着地させられそうなところは柱をつけてるのですが、上からは微妙な加減でここまで届かないし、下からは高すぎる。というわけで落ちるぎりぎりまで乗り出して、目視はできないけど赤いのが消えたぞ!?てときに設置。そして滑り降りて確認しにきた図です。  そしてまたよじよじと登っていくわけで、こんなこと繰り返してりゃ、そりゃ壁の登り降りは得意になっていくよなと。……ここにはデルケト祭壇作るかなぁ。セトと迷ってるんですけど、邪魔な虫の消費先になるし、自由のエリクサーのスタミナ上限+20はなかなかありがたいわけで。
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 そうしてまず登り階段と、家のベースが完成。  明かりをつけるのは、夜の仕事。どのへんが暗くてよく見えくなるかは、明るいうちには決してわかりませんのでね。  ちなみに一番上の、塀がきれてるところにゴンドラ設置します。  自力でてくてく上るのにもそこそこ時間かかるものの、上にあるゴンドラ降りてくるの待って、また上がっていくよりは圧倒的に早いかな。これは基本的には奴隷運搬用です。
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 ほとんど変化ないようだけど、家の壁がつきはじめてます。  壁をつけつつ、底面積のパネル数確認し、屋根をどうつけるか、設備をどう置くか考えてたり。
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 砂嵐なんぞ知ったこっちゃねぇのでもくもくと採取しつづけます。いやぁ、ほんと便利だな防砂マスク。  そんなことしてたら、なんか必死に走ってる人発見。あれ……もしかして、まじで必死? うち寄ってけばいいんだけど……ドアないし。と思って見ていたら、必死に走って通り過ぎ、そのままお亡くなりになられました。南無。  ううむ、くさっぱの服だから、初心者さんかな。戻ってきたら、ここにドアのない家あるから、こういうときは人のところだろうと駆け込めばいい、遠慮しなくていいんだよーと教えてあげようかと思ったけれど、採取とかしつつ見ているけれど戻ってくる気配なし。大したもの持ってないし遠いしとかで、諦めたのかな。
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 そうしてやっと、手前部分の家が完成。左側は、ちょっと底面積大きくなったので壁・天井なし、塀だけの庭にしてます。ここに苦難の輪と大たき火。監督官は、すまん、野晒しでがんばってくれ。  この奥に、1段高くしてもう一棟作ってる途中です。手前で生産設備すべて収納できればいいけれど、できなければ、拷問・職人あたりは奥の自室に、インテリアも兼ねて置いてもいいかなぁとか。  で、設備が一通り揃ったら、少しずつ断熱木材に差し替えていく予定(๑•̀ㅂ•́)و✧
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 そして帰り道。  ……ここもか……。ここはあれだ、基本的に豆腐だけど、広め・高めの土台に苦難の輪置いて、隣に草屋根の家作ってた、けっこうすっきりした感じだったところ。そういや行きに見かけなかったや。(行きは、このスクショだと右手側の少し高いところの道をいつも通ってる)  ヴァルキンいるってことはジャングルあたりまで遠征してた人なのに、やめちゃったのかな。  まあしゃーない(´・ω・`) 手に入れたもの、作ったもの消えるのがイヤだって人も少なくないし、一ヶ月も遊んだら十分っていえば十分だしね。
 さて、ここで一服した後、後半戦です(๑•̀ㅂ•́)و✧  後ろ側の建物を作って、設備をいくつか置いて、ちょっとしたネタも仕込んで……。  よし。
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 あんま変わってないように見えますが、奥にも建物ができてるんですぅ。
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 元の建物はここまでコンパクトに戻しました。というか、それ以外の部分って、ベッド置いてあるくらいでめちゃくちゃ無駄に拡張してたっていう。  ここには掲示板つけて、砂嵐のときは避難所にしてねって書いておこう。  中には、炉、大釜、粉砕機、囲炉裏、収納箱、乾燥台、圧搾機、輪を残してあります。  実際に使うのは炉と輪だけになると思うのですが、あんまり縮小すると放棄までの日数がね。  大工設備は壊して、それが乗ってた低い天井を壊し、すっきりさせました。  ほんとただの豆腐ですけど、わざと一ヶ所凹ませて明かり置いたり、2階があるようなないような? みたいな変な構造してたりします。
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 そて、こっちが新しいおうち。いつもどおりの、縦横組み合わせパターン。  窓の上寂しいから、今度剥製でもつけようっと。
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 奥側の建物。こっちはぺったん屋根というか、屋上型にしてます。
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 まだまだ内装してないけど、母屋=製作場所。あんまり凝った配置にするより、ざらっと並べてさっさと使えるようにって感じで。一応、大釜・粉砕・かまどは並べる、といった関連付けはしますけどね。
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 こっちは奥側の建物。山の一部が入り込んでるけど気にしない。使用頻度の低い拷問・職人台と、鎧も一応置くかなぁ、どうしようかなぁと考え中。
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 屋上。どう使うかは未定。……なめし台こっち置いたほうがすっきりしそうだなぁ。しかしあれ、作りなおすのが一番めんどくさいヤツ……( ತಎತ) でもここ、樹皮は簡単に集まるのでまだマシか。  そしてそこから更に1段高いところに、小さなスペース。  ……なんとかと煙は高いところが好き? 好きに言うておれw
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 高いところのは大蜘蛛の一件で登ったとこだけど、そういや下にあるところは見に行ったことないな。苦難の輪の四隅、なんか面白い飾り方してるんですよ。天井のあいた建物にしてたり、参考になりそうなので今度拝見しにいかねば。
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 で、この小スペースを寝室……というかリラックススペースにすることにしました。  ちなみに、右側はいったいどの拠点なのかは不明で、「占有されています」と出て拡張できません。塀も3箇所だけつかなくて、だったらいいやと木の塀で見晴らし良くしてます。ここも日よけ布置こうかなぁ。大を置いたらベッドも下に収まるといいんだけど。  ちなみに赤い日よけ布、大小で使う素材数同じってのは納得いきません( ತಎತ)
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 砂嵐が去って間もない空。水色の空に、薄い赤紫の光を浴びた雲が綺麗ですな。  ��ういう景色を見ていたいので、高いところに行きたがるんですぅ。  ちなみにイス、この座り方でないとちまーんとちょこーんと座るので、どうしてもこっちを置きたくなります。
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 で、ネタはこれ。
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 いやだって絶対ここから降りるのが一番早いし!! ドードーはここからしか降りてません。墜落……一度だけしましたけど、ぎりぎり死ななかったので尚更ゴンドラとか階段なんて使う気ナッシン!!  一応、崖から離れておらず、下までだいたいまっすぐちゃんと壁がある掴まりやすい場所になってます。悲鳴あげ始めた頃にし���みつくと、ズズズッと滑り落ちて丁度地面に足がつく感じ。……3秒実績取るにはあと3ブロックくらい足りないかな。命かけてぎりぎりまで粘ればこれでもいけるかもしれませんが。  てなもんで、さすがに一日に6時間も建築してると疲れたので、そろそろ帰ることにしました。  中断時にも一度本拠地に戻っているのですが、そのとき潤しの像持ってくるの忘れましてね。  それに、本拠地も上に行くのにかなりくねくね動くので、もう少しすっきりさせようかとも思ってます。しばらくは建築ラッシュ(๑•̀ㅂ•́)و✧
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 帰り道、隠し宝箱取って彩りさんとこ出たあたりの川。けっこうガイコツ沈んでるんだなここ……。創造主の手の下は自殺の名所っぽい印象でしたけど、ここは戦争の名残なのかな。闘技場も近いから、それがらみかもしれませんね。
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 ドラゴンさんちの最終ミトラ祭壇。  なんつーか……ミトラって、典型的な「よいかみさま」だなと。  一見きれいごと。ゲームシステム的にじんにく手に入れてるだろうがというのはさておいて、寛容なのも慈悲深いのも自分を信じる者に対してのみ。他の神とかその信者なんて絶対に許さない。であればこそ、祭壇で作るアイテムに他宗教のアイテムが混じってるのではないかな。どんなきれいなこと言ってても、根本は、「私を愛し崇め讃えなさい」。  そのへんがこの悪趣味な黄金像に現れてる気もします。
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 で、帰ってきてアイテム整理して、「おなかすいたからシシ皮揚げ~ŧ‹" ŧ‹" Ψ( ’ ч ’ )」とやったら出てきたこの数字。  ついったでも書いたとおり、「1枠の中のアイテムは順番に腐っていくので、1個めがなくなるまで、2個めの時間は経過しない」、その結果、1個めを食べてなくした途端に作りたてみたいな数字になるのはいいのですが……60時間って、なんぞ??:( •ᾥ•):  ちょっと待って。アラネは設定デフォにして、その後で奴隷の生産速度いじっただけだから、基本的には全部1倍のはず。それに、このシシ皮揚げ、ドードーで初めて作ったときも48時間って表示だったわけで。  ……もしかして、料理人つけると消費期限まで延びるの……? だとすると、こうやって料理人の管理下=かまどの中だけなんだろうけど。  コナンのシステム、未だにあれこれ謎です。
 それにしても、サブ拠点を拡張、充実させたからには、新たに職人たちもかっさらって来たくもあり。  ホップも採りに行きたいし、明日、明後日ももりもり遊んでそうです(´ω`*)
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kariyado-lab · 3 years
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第6回 「距離は遠くても心は近い」藤田善宏のダンスワークショップ
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(コロナウイルス感染予防のため、フェイスシールドをつけ、換気・消毒の徹底、十分な距離を取って実施しています。)
  コンドルズのメンバーで、コンテンポラリーダンスを中心としているダンサーの藤田善宏をゲストにお招きして、A棟アリーナにて第6回目のワークショップが開催された。
 藤田さんは、博物館の仏像展とのコラボレーションや、最近では伝統芸能である「石見神楽」とのコラボレーションを行っている。ダンスという領域を越えたコラボを行っており、越境的ダンサーとも言われている。コラボをする理由として、「人の力を借りたほうが引き出しは広がるからだ」と語る。
  さて、今回のワークショップの授業の内容に入る。
【自分とダンス】
最初に自分とダンスとの関係性について質問が始まった。
ダンスやっている人?
 ―1人手が上がる。チアダンスをやっているそうだ。
ダンスやっていた人?
 ―2人手が上がる。
(そのうちの1人に対して)ヒップホップ系?
 ―うなずく
(もう1人に対して)ジャズ系?
 ―うなずく
(さらっと藤田さんはダンスの種類を当てたが、私はなんで当てられるのか内心驚いた。見た目で判断しているのか、雰囲気で伝わってくるのか・・・。私はダンスについて詳しくないのでさっぱり分からなかった。ダンスに長年関わっていると、その人を見てダンス経験の種類まで分かるようになるものなのか・・・。)
続いて���ダンス好きな人?
 ―ちらほら手が上がる
ダンスを見るのが好きな人?
 ―結構いるようだ
ダンスするのが苦手な人?
 ―結構いるようだ
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私自身もダンスを見るのは好きだが、ダンスをやるとなるとどちらかというと苦手意識があるかもしれない。
去年、私はこのWS&MCの授業を受講生として受けたが、同じような気持ちがあった。ダンスって高校の体育とか体育祭で踊ったくらいで、最近全然踊ってないしあんまり得意じゃないな。そんな不安感もあったが「このワークショップの授業ならなんとかなるだろう」と、どこかで安心感あった。うまくできなくても楽しくできればそれでいい、体験すること、やってみることに意味があるから・・・そう感じていた。家でオンライン授業を受ける日々。運動不足にさらに拍車がかかっていた私の身体だったが、久しぶりに汗をかいた。ワークが始まると不安感なんてものはなく、いつの間にか踊っていた、そんな感覚だった。
今年は対面で直接藤田さんにお会いできるということで、どのような内容でワークが展開されていくのか楽しみだった。
  今回やるのは、ジャンルがあるようでないようなダンス、つまり「コンテンポラリーダンス」
でもなく、なんでもありのダンスだ。
ゴールは「距離感、関係性を楽しむダンス」が着地点だ。
遊びとしてやるうち体を動かして、これも表現、ダンスかもしれないと感じてほしい、と藤田さんは話す。
【身体との出会い】
さっそく体を動かしてみる。
立った状態で手を床に伸ばして前屈をする。
そして、「自然界の音・声、物事の状態や動きなどを音で象徴的に表した語」であるオノマトペを用いてみる。
「くにゃあー」という言葉とともに前屈する。何も考えずに行ったときよりも体が柔らかくなったと感じる受講生がいた。
頭のイメージを体に伝える。表現の幅を広げる。
ダンスを後ろ向きに捉えると、体の動きに出てしまう。
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このワークを見ていて、身体の動きというのは言葉よりも、思っていることや感情がそのままでやすいのではないかと考える。言葉だと、「これは言わないほうがいい」などを判断して省いて話したり、うそをついたり、その場の雰囲気に合わせて思ってもいないことを話したりすることができる。対して身体は、本人は普段あまり意識しないが、その代わりにその人の考えや感情をありのままに、他者から見えるものとして現れるものではないだろうか。そのため、自分が考えていることをそのまま言葉に表現することより、身体の動きのほうが意識しないからこそ、より正直に表現されるのではないかと感じた。
ダンスに関するこんな言葉もあるようだ。
Dance is the hidden language of the soul of the body. (-Martha Graham)
そして、高校生の頃の友人が、「クラス替えのあととかに、初めて見て、この子と仲良くなりたいって思う子がいるんだよね。私も他の人にとって、いいなって思われるような存在になりたいんだよね。でも、どうしたらそんな風に思われるんだろう。」と話していたことを思い出した。
まだあまり話をしたことがない子でも、親近感がわいたり好意を持ったりするのは、「身体表現��とまではいかなくても、本人からにじみでる雰囲気やしぐさから判断しているのではないか、と考える。普段、コミュニケーションとなると言葉のやり取りをイメージしやすいが、身体もその一部を形成しているのだろう、と考える。
次は、クロールの動きと背泳ぎの動きをした後、右手はクロールで左手は背泳ぎの動きで腕を回してみる。うまくできる人とこんがらがってよくわからなくなってしまう人がいた。
すると藤田さんは、「膝をゆるくしてやってごらん」と声掛けをした。
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今度は、体育座りをして手を左右に振って一周回ってみよう。
なかなか一周回るのは難しく、藤田さんは「床を思いっきり蹴ってごらん。地面との面積減らすように回ってごらん。」などと声掛けをしていた。
次に、あぐらで座って手はつま先をつかんだ状態で、背中を使って円を描きながらもとの体勢に戻ってくる。
受講生は結構苦戦しているようで、藤田さんは「後ろに倒れているから、肩を床につけるように横にコロっと回ってみよう。左手で押してみよう。」など一つ一つポイントを教えていた。
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これまでのワークの、「オノマトペを使ってみる」、「最初はできない状態の人も藤田さんのアドバイスを聞いてできる人が増える」というこの状況は、ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」にも関係しているように感じた。ヴィゴツキーはある行為に対して、「一人でできること」、「一人ではできないが他者の助けがあればできること」、「できないこと」の3種類があるという。このうちの「一人ではできないが他者の助けがあればできる」ようになるという部分は、一人ではまだできない状態に、他者の支援があればできる、そして自力自身でできるようになるという発達の仕組みである。
この「一人ではできないが他者の助けがあればできる」ための足場かけを、藤田さんの声掛けのアドバイスによって達成しているように感じた。実際に、受講生も最初はできなくてもアドバイスによって、できるようになった人が増えていた。
【言葉と身体】
次に、藤田さんの指示を聞いて、その言葉通りに動くという行進が始まった。
そして、目をつぶって周りの人の行動を参考に判断できない状態で、藤田さんの指示を耳だけで聞き、同様に行進が始まった。
今度は、2人ペアになり、声で操縦する人とその指示を聞いて操られる人としてワークをした。
加えて障害物を使って同様に操られてみる。
ハコボ(椅子)だけでも、座る、上に立つ、開ける、持つ、など
他にも端に置いてあったモップを持つように指示し、モップをかけるなど
障害物の使い方は非常に様々だった。
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「はーい、ストップ!周り見渡してー、他の人たち何やってる?」
この藤田さんの言葉は、表現を豊かにすることだけでなく、今日のワークの着地点である「ほかの人との関係性」や「お互いに認め合う関係性」とつながるように思えた。
また、このワークは、苅宿研究室の専門とする「学習環境デザイン」の3要素である、ヒト・モノ・コトがでているように思う。
ヒト=教授、研究員、講師、受講生、ゼミ生
モノ=ハコボ、壁、モップ
コト=ダンスのワークショップ
【モノとの出会い・ダンスへ】
今度は、1人1枚の紙が配られ、投げてキャッチ、投げて一周回ってキャッチする。
おなかにくっつけて、紙が落ちないようにするには・・・走る!
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全員でアリーナの端から端まで直線で走る!
左右に蛇行しながら走る!
後ろ向きに背中から紙が落ちないように走る!
片手で紙が落ちないようにくるくる回しながら操る!
ジャンプしてみる!
受講生は笑顔で夢中になってやっていた。
今度は、2人組になって見合いながらやる紙をつかいながら動いてみる。
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次に、紙をしまってエアペーパーで動いてみる。
見ている側からしたらもう音楽に合わせてダンスをしているように見える。
そして、受講生を半分に分けて、エアペーパーダンスを見せ合う。
このとき受講生はきっと、ダンスが得意じゃないと身構えることなく、自然と身体で表現をしていたことに気づくだろう。
「いきなり自由に動いてと言ってもできない。1つのモノを挟むことで、モノに夢中になっているうちに動けるようになっている感覚を分かってもらえたらなと思います。」と藤田さんは言う。
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【リズムに乗る】
今度は、リズムに乗ってみる。
藤田さんの動きに合わせて拍手でリズムをとる。
ボディパーカッションで全身を使ってリズムをとる。
円になって一人ずつ手本になって、そのリズムをみんなで真似する。
���して、ホームグループの4人組でリズムを作る。
新たなホームグループで一つのものを作ることはこのワークが初めてだ。
掛け合い
フォーメーション
しゃがむ
横になる
回る ・・・
短時間だったが、グループごとに様々な工夫をして楽しみながら完成させた。
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【身体表現】
先ほどの「リズムに乗る」に加えて、今度は身体であるものを表現する
「青学」、「淵野辺」、「相模原キャンパス」をテーマにオリジナルダンスで表現する。
これらのワードから連想するものを挙げ、ホワイトボードに書いていく。
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そして、藤田さんを中心に全員でダンスの表現を考える。
広い、ピクニック、ソフトクリーム、駅伝、チャペルなど
全身を使って音楽にのせて踊っていた。
普段、アイスクリームを身体で表現しようなんて思わないだろう。身近なものからこんなに表現が広がった。そして、最後にはダンスや身体表現というものに抵抗がなく、楽しみながら取り組んでいるように見えた。
【省察】
ダンスのワークショップを終え、今回もポートフォリオの制作に入る。
その後、藤田さんと苅宿先生の対談が始まった。
その中で、「ワークショップの内容をカチッとしても脱線するので、6割詰め込みをして考えており、残りの4割は学生が埋めていく。」と語った。
このゆとりがあるからこそ、授業の中で受講生が作っていく感覚や、自分たちでつくり上げようという意識になるのだろう。
今日は様々なワークをした。
私的にまとめると、
・自分の身体について知る
・身体の動かし方に慣れる
・いつの間にかダンスを踊っていた
・リズムに乗る
・表現する
その中身は、流れるように構成されていた。
そして、これまでとは違い、非接触で距離をとっても成り立ち、心は近く、他者とともに楽しめる。新しい形のダンスワークショップであっただろう。
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今日の授業中、私も一眼レフカメラを使って授業風景を写真におさめた。
取りたいものにピントを合わせたり、動いているものを写したり、一眼レフって難しい。そう痛感した。
これまで一眼レフカメラの難しさは、耳でしか聞いたことがなかったものの、写真を見てはすごい!と感じていた私。
まだまだ初心者中の初心者だが、使いこなせるようにならなきゃなあ。
今回は少し筆が進んでしまい、4500字を超える程になってしまった。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
苅宿研究室3年 佐藤花帆
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oniwastagram · 3 years
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📸守貞cafe / 蕎麦 守貞庭園 [ 滋賀県日野町 ] Cafe / Soba Morisada Garden, Hino, Shiga の写真・記事を更新しました。 ーーお蕎麦とカフェ、古民家一棟貸しと枯山水庭園。明治時代の近江商人屋敷をリノベーションしたセンスの光るお店。 ...... 「蕎麦 守貞」は近江商人の街・日野のメインストリート“日野商人街道”沿いにある、明治時代の近江商人屋敷をリノベーションしたカフェ☕️及び石挽そばの店🥢 2020年からは一棟貸し宿「日野守貞別邸 千鳥」もオープン。カフェからは #枯山水庭園 を眺めることができます。 . 2020年秋、初めて滋賀県日野町を訪れたシリーズ。先に紹介した2つの文化財施設とともに行きたかったのがここ。 先の2つのお屋敷と異なり京町家のように縦に長い敷地に、1881年(明治14年)主屋(蕎麦処)、書院(一棟貸し)、ギャラリー“雪月花”“久樂”、そして大正時代の近代建築のようなステンドグラス🖼が特徴的な建物(これは新築?)のカフェーーと連なります。 . 一棟貸しの書院前にあるこの枯山水庭園が“太湖の庭”。“9”のような形をした石を立てているのがとてもユニークで惹かれる。 改装の時に新たに作庭されたのかと思いきや、これは元からあったもののようで。中国の太湖石を模した石ーーということで“太湖の庭”。 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/soba-cafe-morisada-hino/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #japanarchitecture #japanesearchitecture #housemuseum #karesansui #枯山水 #日本庭園 ‪#庭園 #庭院 #庭园 #滋賀 #日野町 #shigagarden #近江商人屋敷 #石庭 #rockgarden #町家宿 #古民家カフェ #町家カフェ #おにわさん #oniwasan (守貞) https://www.instagram.com/p/CJSz597A-7k/?igshid=1ve4vpvd246vf
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alpaca1 · 4 years
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ミリ波利用の超小型センサーで心拍数・呼吸数・体動など24時間監視するシステムが12月1日販売 フィンガルリンクは10月16日、ミリ波レーダーを応用した生体情報監視システム「FLミリ波バイタルセンサー」を開発、2020年12月1日から販売すると発表した。販売料金は未定(10万円前後)。 FLミリ波バイタルセンサーは、60~64Ghzのミリ波レーダーを活用することで、遠隔地でヒトの心拍数・呼吸数を24時間計測し、クラウドを使って様々な端末にその情報を蓄積・通報する生体情報管理システム。 同システムでは、サイズ縦700×横60×幅20mm/重量100gの超小型センサーを設置。室内のどこに設置しても、60~64Ghzのミリ波レーダーで対象者の心拍数や呼吸数、体動などを24時間計測できる。 また、センサーの高感度化により対象者の様々な動きにも対応可能で、センサー1台で最大12人を追跡・計測できるという。対象者に装着する器具などは不要で、普段のまま行動でき、健康への悪影響もまったくないとしている。 センサー内蔵のCPUで計測データを暗号化してクラウドに送信するほか、トラッキングも行え遠隔での監視が可能。複数センサーをネットワークでつなげれば、建物1棟を管理できる。 想定される活用先としては、病院(入院患者の監視)、介護施設(入寮者の健康管理)、保育施設(園児の動向監視)、一般家庭(高齢者の健康管理)を挙げている。 関連記事 ・プライバシーを保護しながら、介護施設の利用者の行動をモニターできるMITのワイヤレスシステム ・レーダー用いた高齢者見守りデバイスの米Tellusが7.3億円を調達、日本出荷とともに高齢者施設への普及目指す ・Boston Dynamicsの四足歩行ロボの医療版「Dr. Spot」は新型コロナ患者のバイタルサイン測定に役立つ ・MITがカメラを使わずに個人のバイタルサインを遠隔監視する技術を開発、介護施設での活用に期待 カテゴリー: ヘルステック タグ: FLミリ波バイタルセンサー、フィンガルリンク、ミリ波レーダー、日本 Source: テッククランチ・ジャパン
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