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#着生ラン
tokyotaxonomy · 2 years
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セッコク( 石斛)
Dendrobium moniliforme
東北地方南部以南の山地や岩場に見られる小型の着生ラン。主に針葉樹林や常緑広葉樹林に見られる。細い根で木や岩に着生し、晩春から初夏に白や淡い桃色の花を咲かせる。高尾山のものは特に淡く桃色がかったものが多いと言われる。6号路で見る事ができる。
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hyakkasan · 2 years
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なんやかんや、長い期間 花が楽しめるっていいね😍 キロスキスタ ビリディフラバ 名前長い。園芸やってる人って、よくこういう長いカタカナ 覚えられるよねと我ながらにも思う🤣 #植物のある暮らし #植物好きな人と繋がりたい #蘭#無葉蘭 #着生ラン #着生蘭 #chiloschista #キロスキスタ #chiloschistaviridiflava #plants #orchid #キロスキスタビリディフラバ (Kasugai, Aichi) https://www.instagram.com/p/CdBIiCup1s2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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01-08-m-n · 11 months
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キスをしすぎると、キスの特別な価値みたいなものがなくなるんじゃないかと思った。「好きだった人に言われたずっと忘れてない言葉」みたいな、そういうキラキラした衝撃的な瞬間をこれからも君につくってあげられるのだろうかと思った。いつまでも、君の最高の女の子でいたいと思った。
彼氏が充電してくれたモバイルバッテリーが、それだけで宝物みたいに見えた。彼が入れてくれた電気が尊いものに思えて、一生使わないでおこうと誓いみたいに思った。旅行3日目に日が変わった深夜1時半頃、彼が買わせてくれた大きなぬいぐるみを抱きながら君を見ていた。ふかふかのベッドに横たわりながら、ぬいぐるみと君のパーカーを抱えていた。わたしのスマートフォンの充電がなくならないように、わたしのモバイルバッテリーを君が充電してくれた。君がやさしく充電機を差す姿がスタンドライトの逆光で影になって、描くことのはじまりって、愛する人の影をなぞったことなんだよって言いたくなった。君をなぞってずっと忘れないようにしたいって思った。何回も何回も君を反復して、擦り切れるくらいに思い出したら、生まれ変わっても覚えていられるだろうかって思った。
はじめて日焼け止めを塗り始めた5月1日がもう1か月前になろうとしています。お久しぶりです。青い月はいつだって燦然と眠って光っています。先日、恋人と2泊3日の旅行をしてきました。会えるのは2ヶ月ぶりでした。やっぱり、この人と一緒にいたいと思いました。付き合った日に彼が送ってくれた、俺の余生あげるから君の余生を幸せにさせてよって言葉が永遠に忘れられないでいます。
デートする度にここに書くのは、忘れたくないからです。一瞬一瞬を思い出せたら、永遠に忘れないかもしれないって思えるからです。
通勤で混んでいる新幹線で運良く2人席が空いていて、彼が乗る駅まで隣に誰も座らないように小さな抵抗をしてみた。彼が乗る駅に停りそうになって、ゆっくり流れる景色から君を探してみたけど見つからなくて気持ちいい不安があった。着いて5秒後くらいで会えて、いつもの恋人だと思った。大好きで嬉しくて、よくわからないくらい安心する。新幹線だから手は握らなかったけど、ずっと触れてる肩が嬉しかった。
ホテルに近い改札口をふたりで探した。ホテルまでは少し遠かったけど、冒険しているみたいだった。真っ直ぐな通りの先にはスカイツリーが見えた。その日はたくさん歩いてたくさん見てたくさん考えたけど、彼が一度も疲れたとか嫌だとか言わなかったことがすごくうれしかった。この人となら大変なことでも一緒に歩いていけるんじゃないかって、些細なことだけど。ホテルまでの帰り道からはライトアップされた紫色のスカイツリーが見えた。ライトアップの意味を調べて読み上げたけど、彼氏が眠そうでかわいかった。確か「雅」っていうライトアップだった。ふたりとも22時くらいにはきっと眠っていた。たまに目を覚ますとふとんに埋もれている彼がいて愛おしかった。ふとんをひっぱると、んーと唸りながら私に3分の1くらい渡してくれるのがかわいくて。目が覚めると朝の5時30分で、部屋に射す朝日が綺麗だった。君がくれたステンドグラスみたいな栞がキラキラ輝いて綺麗だった。うとうとしながら横になっている彼を見ながらお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。幸せだって思った。そういえば、フルーツティーを飲んだ後にキスしたら甘いって言ってたね。微睡んだ君の隙間から2つの水滴が垂れているのを見て、指でなぞった。わたしだけの秘密って思って、それを口にいれた。君はここにいるって思った。
ホテルを出てほとんど夏みたいな爽やかな空の下をキャリーケースを引きながら歩いた。街の看板や建物を見ながら君となんでもないことを話すのが楽しかった。駅のロッカーを探し回って、エレベーターを待っている時に君に日焼け止めを塗ってあげる。外でも首や顔に触れて家族みたいだなーって思った。自分がしてもらってたように自分もこうして人にしていくんだなって思った。少しだけ顔が白くなった君がかわいかったな。ケチな私がロッカーにキャリーケースを2台とも無理矢理入れたら取り出せなくなって君の手を煩わせてしょんぼりした。自分っていやな人間だなーと思ったけど君が仕方ないねって笑ってくれて大丈夫になった、やさしくてあったかくてずっと一緒にいたいって思った。メンチカツとかアイスとかふたりでおいしいねって分け合えるのがうれしい。おみくじを引いて当たっててうわーってなったり浅草寺の煙が目に直撃して泣いたりお参りしたりした。彼がちゃんと祈ってる後ろでそれを叶えてくださいってちゃっかり手を合わせた。
最果タヒのグッズを買いに紀伊國屋書店本店に行ったりサンシャイン水族館で毒を持った生き物を見たりして、外に出たらもう空が真っ黒だった。風が強く吹くサンシャインシティの広場で彼と手を繋いでひとりじめしてるみたいに歩いた。ベ��チでキスをしてるカップルの近くのベンチに座って、そこから見える光る塔が何なのかふたりで必死に調べた、今思うとなんでそんなこと?と思うけど楽しかったなあ、結局専門学校の偽物スカイツリーだったね。ふたり手を繋いで風に吹かれながら暗い空を見上げてた。星なんて見えなかったけど、灰色と藍色を混ぜたみたいな空に電飾が反射してもやがかかったみたいに見えていた。人混みの中を急いで歩いたけど乗ろうとしていた電車に間に合わなくて2マスもどる。
2時間くらいかかる電車に乗って次の場所へ。ぬいぐるみを掴みながら、イヤホンを片方ずつつけながらお笑いのショーレースを見た。吐いてる人がいたり電車を降りてお水を買ってきてくれる人がいたりなんとなく忙しい時間だった。 ホテルについて夜中までやっているアイス屋さんへ行くと長蛇の列。若者が多くてびっくりした。彼の好きなラーメン屋へ行って深夜1時に中盛りという名の大盛りのまぜそばを食べた。おいしかったね、わたしは眠すぎて食べながら眠りそうでしたけど。お酒を買ってもらったのにホテルに帰るとすぐ就寝。ほんとうにありがたい恋人。翌朝シャワーを浴びて彼にバトンタッチすると時間が足りないことに気付く。ゆっくりしたかったからフロントに電話して1時間延長、支度が大体終わったあとまだ終わらないでしょみたいな感じになってもう1時間延長。この1時間がなかったら帰るのが惜しいくらいだったと思う、会えているときくらい君に触れていたいよ
この日は急遽彼の友人とバーベキュー。正直めちゃくちゃドキドキした。めちゃくちゃかわいい彼女って思われたいじゃん。それが彼を立てることにつながる?みたいな私の筋の通らない理論。駅まで彼の友人が迎えに来てくれてわーってなった(表せない感情)。車がお兄ちゃんがこの前買った車でこの年代の人ってみんなこれ乗るのかな?とか思った。そういえばお母さんがこの車見ると毎回遊んでそうな若い男の人が乗ってて助手席に女がいるって言ってた。うちのお母さん調べ。友達と話してる彼氏を見るのが変な感じだった。嬉しすぎてtwitterにも書いたけど、彼氏の音楽の趣味が良いのは勿論で、彼氏の友達も音楽の趣味が良いのたまらんすぎた。3人で乗ってた車でボーイズ・オン・ザ・ラン流れてたの一生忘れないと思う、ほんとに。酔った彼氏が友達とアジカン歌ってたのも音だけ覚えてる、私も酔ってたから音だけ。それからふたりとも記憶がないままなんか電車に乗っててなんか駅にいてなんかトイレに行ってなんかベンチで介抱してなんか母親を怖がって急いで電車で戻って結局新幹線遅らせて酔いが覚めた彼に飲み物買ってもらってマックで爆泣きした。「君が笑っていられるように頑張らなきゃな」 みたいなことを言われてこの人が救ってくれるんじゃないかって思った。 前ここにも書いたかな?女子高生のわたしのインスタの裏垢に書いたの。 「君の生きる場所はここじゃないと 君が手を引いてくれ」 ずっと忘れてないわたしが書いた言葉。久しぶりに開いたけど綺麗で儚くてさいこうだった。なきそう。非公開から解放したのであなたもあの日のわたしのこと忘れないでいて。
違うことで着地しちゃったけどパラシュートじゃなくて君から借りたパーカーが風でふくらんで運ばれたっていいよね。この人がいいってもっと強く深く思う数日間でした。いつまでも幸せでいて。ここまで読んでくれてありがとう。もう君も目撃者だよ。
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taquaone · 6 days
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【翻訳】This is Peter Hewitt!
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今回はThrasher2024年4月号に掲載された「This is Peter Hewitt!」の翻訳です。この記事はいわゆるQ&A形式のインタビューではなく、テキストだけ読むとPeter Hewittの独白のようになっています。翻訳だけを載せても何について話しているのか分かりづらいのでは?という理由から各節に番号・タイトルをつけてあります。画像は内容に関連するものを選んだつもりです。楽しんでいただければ幸いです。 ―TQ
1. My First Board
初めてのスケートボードをゲットしたのは6歳ぐらいの時で2年ぐらいは膝を使って乗ってた。いつも顎にかさぶたをつくってたから、母さんが「なんでいつも顎にかさぶたがあるの?乗り方、間違ってるよ」ってデッキを持って道路をカービングしたんだ。「うわあ!ああやって乗るものだったんだ」って思った。少しずつ立って乗ることも覚えていったけど、膝を使って乗る方が全然うまく滑れた。歩道に乗り上げたりできたしね。最初のうちはほとんど移動手段��して使ってたよ。バックパックにGIジョー人形をいっぱいに詰めて町の反対側に住む友達に会いに行ってたんだ。
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オレらは峡谷で戦争ごっこしたり、木材を工事現場から盗んでた。その木材を引きずれるところまで引きずっていって、「もうここでいいだろ。もう無理だよ」って場所にランプを建てた。ドライブウェイに兄弟で作ったランプがあったんだけど、そこがランプなんかを持ってる人たちに出会う場所になった。オレは他の子たちよりちょっとイカれてたんじゃないかな、喜んで痛い目をみようとするみたいなところがあったね。
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母さんはオレたちを週末にDel Mar(Del Mar Skate Ranch ※カルフォルニア州デルマーにあったスケートパーク)に連れてってくれた。はじめて胸を打って息ができなくなったのは、60~90㎝ぐらいのマジで狭いプラットフォームに立ってた時。Neil Blenderがいろんなインバートをやってて彼は口笛を吹いてたんだ―インバートでストールするたびに曲でも吹くみたいに。たぶん彼の足が当たったんだと思うんだけど、バランス失っちゃって後ろ向きに倒れこんで背中で着地して息ができなくなった。なにが起こったのか分からなかったよ、今までそんな目にあったことなかったからね!それから這い出していってわけのわからない状況のなかで呼吸を整えなきゃならなかった。Del Marの一番のショーはKeyhole Poolだったんだけど、オレらみたいなキッズはそこでセッションするなんてできなかったから他のセクションで滑ってた。Chris Millerが現れてパーク全体を滑ってたのを覚えてる。これこそ見たいものだった。この人たちは後ろにあるボウルをどうやって滑るんだろう?オレらがいつも滑ってるボウルは?ってね。あれはクールな見ものだったな。
2. Z to Team Hosoi
始めて袋叩きにあったのはFred Olande(※元Z Products・New Deal Skateboardsのライダー)が持ってたランプでのこと―目の周りにアザをつけて帰ったよ。そこはJay AdamsとGeorge Wilsonに出会った場所でもあるんだけど、オレたちはそれがJay Adamsだって分からなかったから「ジッパーヘッド」って呼んでた。理由は彼の頭にはジッパーのタトゥーがあったから。彼らは一度もパッドをつけなかったし、Jayはいつもかわいいコを連れてた。そんな流れでZ Products―オレの最初のスポンサーがついたんだ。特に問題なくZ-Roller(※ハンガー部分が回転する仕様のトラック)でも滑ってたよ、見た目も好きだったし、ロゴも好きだった。ライダーにはButch Sterbinsがいたな。タフなファッキン・チームだったよ。Hosoi(Skateboards)がスポンサーになりたての頃、Fredに言われたことを覚えてる。「ただZを抜けるってわけにはいかないぜ、注目されないとダメだぞ!」ってね。
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Linda Vista Boys Club(※サンディエゴにあったスケートパーク)から本当にいろんなことが繋がっていったんだ。近所の住人はラフだった。有料のパークで、ほとんどのローカル・キッズたちはそれが支払えないって環境だから緊張があった。オレたちは彼らのテリトリーにいるわけだから。スケートしてるとキッズたちが駐車場で車に侵入してるのが目に入るんだ。あそこは無法地帯だったね。オレたちは好き放題やってたよ。幸いなことに、ルールを教えてくれる年上の大人が何人かいたんだ。「同じ場所から2回ドロップインするな」みたいなこと言ってくれるGraham Stanners(※初期Foundationのライダー?)がオレたちの中で一番のインフルエンサーだったな。彼はどうやってそのランプをカービングするかとかを教えてくれたんだ。16歳の時、あの場所でHosoiのハンマーヘッドに乗ってマックツイストを覚えた。習得には一ヶ月かかったよ。そこでは別のルールもあって、「同じトリックを繰り返してセッションを妨害してはならない。自分のランの最後にトライするか、セッションの最後ですること」。それが決まりだった。同じトリックを何度も何度も続けてセッションを台無しにしたくないよね。その後すぐローカル・キッズがあるランプを全焼させて、そこは閉鎖になっちゃたんだ。
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Grahamは、オレたちをはじめての冒険に連れて行ってくれた。オレ、Matt MoffettとSteve Bailyを連れて、(オレたちにとって)はじめてのヨーロッパをスコットランド人たちと一緒に回ったんだ。はじめてMarseilles(※マルセイユ。フランスの港町)をスケートしたんだ-当時はグラフィティなんて全然なくて真新しかったよ。Grand-Bornad(ル・グラン=ボルナン。フランス東部)では、はじめてのプロ・コンテストに出場したし、大勢の酔っぱらった小さなキッズが町のあちこちで暴動を起こしてるのも見た。あれはヤバかった。
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3. Back to San Diego
ヨーロッパから戻って「よし、オレはプロ・コンテストに出てたんだからプロになったんだぞ」みたいな感じでいた。Santa Cruzからデッキももらってた。同時に両方の膝の手術も受けなくちゃいけなかった。オレの膝はその頃すでに壊れてたんだよ。両ひざを一緒にやっちゃってて、Santa Cruzからは、なんていうか「お別れのギフト」みたいにファミコンが送られてきたんだ。後から思えば「お別れのギフト」だったんだよ。「ほら、これがお前のファミコンな」って感じで送ってきた。彼らがオレを追い出すことはなかったよ―必然的に俺から電話しなくなっただけ。医者は半月板を縫合したんだけど、治療が終わったらまたすぐにスケートして、また両方ダメにしちまった。一年以上もスケートから離れることになったんだ。
もっと上手くなろうって決意してて、それがオレを前に進ませていたんだと思う。よく怪我してたけど、いつもすぐに「まあ、そういうもんだ」みたいに考えてた。でもそれから「治療モード」に頭を切り替えて、単純に完治させるぞって決意したんだ。そのほとんどは「信じる」ってことだと思う―自分が「治るんだ」って信じることが一番大きい意味を持つんだ。「もう、おしまいかな」って感じた時もあったけど、「じゃあ、違うことするか」って気持ちになったことないな。一度もスケートをやめたいって思ったことはないんだ。
何年か山で仕事をして、San Diegoに戻った。オレたちには暮らしていけるだけのかなり多くのルームメイトがいたんだ。オレにとっての「大学時代」。Eddy Alioto、Sam Hitz、Darren Nvarrette、Al Partanen、それにオレらの友だちSlayarで一軒家を持ってたからね。3年間そこに住んで20人ぐらいのファッキン・ルームメイトと暮らした。そこではクレージーなパーティーをしてたよ―単純に野蛮な破壊行為。25歳の誕生日にNihilist(デスメタルバンド)が祝ってくれたけど、その頃の彼らはコナン・ザ・バーバリアン(映画)みたいな髪型をしたSlayerを演奏するまだ小さなキッズだった。あれはすごかったな。
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4. The First Backyard Pool/Antihero/Red
最初に行ったバックヤード・プールの一つがNude Bowl。オレらが小さかった頃にオレ、Matt、Baileyでそこに連れて行ってもらって夜通しスケートしたんだ。のちにPrestonやRhinoそして彼らの仲間のプール・スケーターたちと出会うことになった。それまでそんな全く別のシーンがあるなんて考えもしなかった。彼らは物凄くたくさんのSan Diegoにあるプールを知ってたよ!衛星電話みたいのができる以前から路地裏を回ってプールを探してたんだ。オレらの可能性をかなり広げてくれるできごとだったよ。
Antiheroで滑る発端ができたのは99年で、最初に開かれたMarseille(※マルセイユ・フランス)でのコンテストだったと思う。John(ジョン・カーディエル)と Julien(ジュリアン・ストレンジャー)と一緒に滞在してて「お前をチームに加えたいけど、それには少し時間が必要なんだ」って言われたから「わかった」って返事したんだ。それからただ待ってたよ。最初に(商品が入った)ボックスが届いたのは2001年、Rabbi、Shaggyと一緒にSeattle(シアトル・アメリカ)に住んでいた時。それまでスケートボード会社にスポンサーされたのは、なんていうか短期間だった。その時は、まさか終の棲家になるとは思わなかったよ。20数年経った今でもまだ一緒に続けてるんだ。なかなかスゴいよね。
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長い間、コンクリートのスポットって聞いたことはあるけど実際にはもう滑れるものじゃなかったんだ。クラストがいる場所もあったからね。Jakeはどこへ行けば見つけられるか知っていた。彼はオレたちのツアー・ガイドだったね。その後MonkとRedがそれぞれGrindline、Dreamlandでコンクリート・パークを建設していって、オレたちのロードに出る言い訳のほとんどはRedが建設中のパークを見に行くことだった。何年か、いやもっと多くの年月だな、そんなことを続けていたんだ。Redと彼の仲間たちの背中を追いかけてね。Redの作ったパークに到着する、そこを滑る、それから彼の仕事が終わるのを待つ。そうすれば彼の動きが見れるからね。それ皆で「おお、この場所はあんな風に滑ればいいんだ」ってなるんだ。
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5. The Loop
あのループはTony Hawkが闘牛場に建てたランプで経験済みだったけど、Tampa(※スケートパーク)のイベントではギャラが支払われることになってたんだ。「マジか。どう滑ればいいか知ってるぞ」って思った。前夜にオールナイトでファッキンJake Brownとパーティーしてたんだ。オレは2回ぐらいでやめたけどJakeはまだ滑り続けてた。オレが見た時はまだパーティー・モードで攻め続けてたよ。たしか3回目のトライの後、「よし、じゃあスウィッチでトライしてみてもいいかもな」ってなった。で、あの古典的なパンプをしちまった―それは一番やっちゃダメなやつなんだけど。パンプして頂点で撃ち落とされて頭のどこかを打ち付けたんだと思う。担架の上で目が覚めて救急車に詰め込まれた。救急車で出発を待ってたら、「待て!もう一人いるぞ!」ってなったんだ。で、運ばれてきたのはBrian Schaeferだった。彼は「ヘイ、頭のストラップを緩めてくれないか?」って繰り返し尋ねてたよ。オレは「ヘイ、Brian。リラックスしなよ」って感じだった。それからオレたちは病院に担ぎ込まれたんだ。
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6. Jake and P-Stone
一日を始めるにはJakeとP-Stoneは最高の人たちだよ。二人とも、自分たちがどこにいるかの知識を持っていたんだ。どこに行ってもその地域の豆知識と実際の状況を知ってた。オレたちがイタリアのコンテストに顔を出した時なんだけど、P-Stoneは到着するなりたくさんのビールを砂の中に埋めさせたんだ。「オレらは一体なにやってんだ?」って思った。それから一日が終わって、楽しかったし、あれやこれやしてたらビールが切れちゃった。砂にビールを埋めまくったことなんて皆忘れてたよ―P-Stone以外はね。彼はそれを掘り出しに行って、持ち帰ったビールはキンキンに冷えてた。砂って天然アイスボックスみたいなもんなんだ。準備、P-Stoneは常に準備を怠らなかったね。
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Baileyが日本行きのミッションをまとめたんだ。あいつは北海道の「温度計(※温度計のような形状をしたセクション)」についての情報を持ってた。そこに行って「温度計」をスケートする、それがオレたちのメインの目的。その他すべては特典だった。Jakeはこの旅行にものすごく興奮してたね。この旅行はBailey、Luke、Diego、それにオレとJakeっていう構成で、この後たしか取り上げられたんだけどThrasher名義のクレジットカードを持ってた。かなり贅沢に過ごしてたよ。すごく良いホテルに泊まってた。ペントハウスのバーに行って飲んだりしたけど、Jakeは「なあ、あそこにサングラスしてるやつらがいるだろ?あれヤクザだぜ」なんて感じだったよ。
7. Washington Street
オレはWashington Street(※DIYスケートパーク)が、あの場所にどうして存在できてるのかさえ理解できてないよ。どうしてオレたちのプライベート・パークになったのかも分かってないし、保険についても完全に謎だし、どうやって未だに成り立ってるのか分かってないんだ。Chris Copeがあのパークで一番ヤバいスケーターなのは間違いない。あそこで滑ってる奴らの中じゃ、オレのリストではトップにいる。彼は隅々まであのパークを知り抜いてるんだ。さらに情熱を持って愛していて―オレは全部変えてしまいたいあのパークの何ひとつ変えたくないんだ。それも彼を大好きな理由だね。だけど、DIYスケートパークが年月を経たら変化が必要だし、進化していかなきゃいけないし、そうなるんだ。物事は変わっていくし、ただそれには時間がかかるんだ。
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8. The Balance
オレがNikeから追い出されたのは家のローンの書類にサインした直後。ヘコんだよ、短い間だけどね。なぜって、「バランス」が機能したんだって知ってたからね。そこにはなにかバランスを保つ必要があったってこと。ギブ・アンド・テイクっていう均衡がとれた状態に戻っていくんだ。「うまくいかなかった。てことは、ある程度バランスを取らなきゃいけなかったんだな」ってオレは考える。物事はそういう見方をするべきだと思うな。オレはそういう風にしか見れないし、それ以外は単純にエネルギーの浪費だね。
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9. Bucky's Bowl
Bucky(バッキ―・ラセック)のボウルがあった頃、滑りたいと思うのはあの場所だけだったよ。Buckyのボウル最高、以上。あそこはマジでお気に入りの場所だった。最高の2つの世界があった―「でかいトランジションと、どでかいボウル」というね。Darren(ダレン・ナヴァレッテ)とオレはすぐに、毎回あの場所を掃いておく必要があるって気づいた。目では見えないものがボウルの底に落ちてるんだ。あらゆる動物やらモノを引っ張り上げたよ。オレたちの間では「鷹が獲物の息の根を止めるために一度落下させて、それから急降下してそれを持ち去ってる」って説が有力だった。いつもその上空で鷹たちが急降下を繰り返していたからね。
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10. Another Bridge
亡くなった友達の全員、それぞれの形でオレに影響を与えてるよ。たとえば、Grosso(ジェフ・グロッソ)は、あるエリアの人たちとオレを繋げる橋になってた。彼がいなければ、もうその橋はない。でも時が経っていくと、他の人たちとの橋や道、違うコネクションを見つけていくもんなんだ。それと同時に、JakeとP-Stoneがいないスケート・トリップは全然違うものになったね。けど、なんて言えばいいのかな、彼らと何年も―25年以上の楽しい時間を過ごしてきたんだ!それってかなりファッキン長い年数だけど、さらに追加することもできたんだ。だから考えちゃうよね。でもまあ、不思議なことだけど、ある人たちが去って行っても―他の人たちがその代わりになるわけじゃない―たぶん、その人たちはできた溝みたいなもの埋めていくんだね。たとえばJeff(ジェフ・グロッソ)が生きてた頃、Mike Lohrman(初期Black Labelのライダー)はスケートしてなかった、だけど今オレは彼と一緒に滑ってる。それってかなりクールだよね。違う橋とまた繋がったってことだから。
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11. Skating with Neil
Neil(ニール・ブレンダー)とのスケートは、朝起きて一日を始めるのにナイスなやり方。なんでかっていうと、オレはいろいろやりたいけど良い感じのペースでやりたい。それと、Neilは朝方スケートする。だいたい9時から11時ぐらいの間、一緒に滑ってるよ。ほとんどの場合、まあ楽しもうって感じでね。カップのふたを見つけたらフリスビーみたいに投げて遊んでるみたいな、わかる?よく落ちてるものを見つけるんだ。(訳注:サン・ディエゴにある)OB(スケート・)パークは世界で最も衝突事故の起こるスケートパーク。ちなみに毎年3、4回は衝突事故が起こるね。計算してみてよ―あのパークは20年以上あるんだ。相当の数、自動車事故が起こってるってことになるよね。だから、あそこにはいつもなにか拾って投げたり遊んだりするものが転がってるんだ。
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12. Frank Gerwer
Frank(Antiheroのライダー、フランク・ガーワー)とオレは間違いなく20年以上ツアー・バンの後部座席に一緒に座ってるよ。ともかくオレたちはお互いを楽しませる必要がある。ナンセンスなくだらないことばかり言ってるね。ナンセンスであればあるほど、面白い会話になるんだ。二人でちょっとした企画をやってて、さっと描いた絵から台詞を思いつくんだ。ある時は数日間、そのキャラクターになりきってるし、それが次のトリップまで続くこともある。時にはそのキャラクターが変形していくこともある。時々、運転手の顔を見上げてるFrankの気を紛らわす必要がある。彼の目に恐怖が宿ってるのを見ることがあるからね。Cardiel(ジョン・カーディエル)が運転してる時―彼は素晴らしいドライバーだけど、たまに後ろから見てるとさ…気を紛らわしてやる必要があるんだよね。
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13. My Wife
歳は50で既婚者、家を持ってて二人にはナイスな住宅ローンがある。オレの奥さんはヨガ・インストラクターで、そのおかげで週に1回はヨガをやってる。今のところ週1ヨガ野郎だね。だけど楽しんでるよ。健康にものすごく役立ってる、うん。オレは単純にハッピーでいたいし、いまだに楽しめることを探してる。ただ楽しみを追求する、それがオレがやろうとしてきたことだよ。人生はあっという間に過ぎていくもの、だからあんまりシリアスになり過ぎない方がいいと思うよ♠
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rosysnow · 9 days
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ハニーライフ
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 たぶん、もう半年も残っていないでしょう。
 闘病してきたおばあちゃんの余命宣告は、あたしが一番最初に受けた。力が抜けて椅子を立てない。そんなあたしを、看護師さんが労わりながら立たせてくれた。
 廊下の長椅子に移っても、なおも茫然としていた。待合室の雑音と、消毒液の匂いに、意識がゆらゆらしている。
 おばあちゃんには、半年も残っていない。
 こみあげた涙をこらえる。両親に連絡しなくては、とやっと気がついた。一応、グループでなく個別のトークルームに、『おばあちゃんのことで話がある』とメッセを送る。でも、相変わらず仕事がいそがしいのか、だいぶ待ってみたけど既読すらつかない。
 こんな両親だから、あたしを育ててくれたのは、おばあちゃんだった。おじいちゃんは、あたしが生まれる前に亡くなっている。もう一方の父方の祖父母は、あたしが母方であるおばあちゃんにばかり懐くので、次第に疎遠になった。
 窓からの七月の夏陽がかたむき、病院のひんやりと白い壁は、暖かみのあるオレンジに染まっている。その夕射しにこもった熱に、軆は汗ばみかけている。
 入院生活が長くなったおばあちゃんは、最期の時間は、家で過ごしたいと言っていたっけ。「でも、玖鈴に介護なんかさせるのもねえ」と目をくしゃっとさせて苦笑していた。
 あたしはスニーカーの爪先を見つめていたけど、おばあちゃん本人に言わなきゃいけない、と思った。どうにか膝に力をこめて、その場を立ち上がる。そして、もう一度先生と話ができるか、通りかかった看護師さんを呼び止めた。
 おばあちゃんは、自分の余命宣告を飄々と受け止めた。「ホスピスでも行きますか��え」なんて言うから、「何で? うちで過ごしなよ」とあたしは割って入った。おばあちゃんの痩せて皺だらけの顔に、わずかにとまどいが浮かんだ。
「でも、久里子も錫也くんも、おばあちゃんの介護なんて──」
「あたしがするよっ。大学なんて休学すればいい」
「……あのねえ、そんなこと簡単に、」
「あたしだって、おばあちゃんときちんと過ごしておきたい」
 おばあちゃんはあたしを見て、困ったようなため息をついた。例の女医の先生は、介護士さんや訪問サービスなどの力も借りながら、おばあちゃんが望むように過ごしていいと諭した。
「おばあちゃんは、あたしと過ごすの嫌かな」
 あたしがしゅんとうつむいてしまうと、「……バカなこと言って」とおばあちゃんの声が涙ぐむ。
「玖鈴がいいよ。最後は、玖鈴と過ごしたい」
 ──両親がおばあちゃんの余命を知ったのは、翌日になってからだった。おまけに、おばあちゃんの希望も聞かずに、ホーム行きにしようとした始末だ。あたしがおばあちゃんの意思を伝えると、「ほぼ寝たきりの人だぞ」「プロに任せたほうがいいわよ」と情のかけらもなく言った。
「ヘルパーさんの力を借りないとは言ってない。寝たきりになったら他人なの? 死ぬ前のお願いも聞いてあげないの?」
 あたしに睨めつけられ、両親は厄介そうな面持ちを隠さなかったけど、「おばあちゃんとも話そう」とようやく譲歩した。おばあちゃんは、昨日あたしには弱気だったくせに、両親には「私は帰りますよ、自分が選んだ場所で死にますから」と我を張っていた。
 そんなわけで、長らく病院生活だったおばあちゃんが、久々に一軒家の自宅に帰ってきた。ほとんどベッドに横たわっているけど、精神的にはゆったりできているようだ。
 大学に休学届を出したあたしは、おばあちゃんの食事、着替えやお風呂を手伝った。おむつもやる気だったけど、素人では手際が悪くて、ヘルパーさんに手伝ってもらった。
 おばあちゃんの病状は、当然ながら良くなかった。けれど、さいわい認知症は出ていなかったので、ベッドサイドに腰かけたあたしと、想い出話を楽しんでくれた。
 幼稚園の送り迎え。よく一緒に作ったホットケーキ。お互い気が強くて、わりと喧嘩もしたこと。
「ああ、大人になった玖鈴を見守れないのは寂しいね。どんな男を連れてくるか、楽しみにしてたのに」
 おばあちゃんは窓を向いて、目を細めた。カーテンが残暑の日射しを抑えていても、じゅうぶん明るい。
「玖鈴はいい母親になるよ。だから、元気な子さえ生めば大丈夫」
「……うん」
「今、本当に彼氏もいないの?」
「いないなあ」
「そっか……。こんなかわいい子を放っておくなんて、見る目がない男ばかりだねえ」
 あたしは曖昧に微笑んで、クーラーの風にそよぐ自分のロングヘアに、緩く視線を泳がせた。
 あたしのことを受け止めてくれる人は、本当は、ちゃんとそばにいる。でも、それは家族には、特におばあちゃんには、絶対に言えないと思っている。
 嘘つきだ、あたしは。大切なおばあちゃんに、大切な人の存在がいることを隠して。きっと、すごく罰当たりだ。
 だとしても、打ち明けることがすべてではない場合もあると思う。
 那由多は、あたしがおばあちゃんっ子であることを知っている。というか、那由多があたしのことで知らないことなんて、たぶんない。おばあちゃんの介護が始まって、日中はなかなか会えなくなったけど、夜にはしっかり会っている。那由多は無論おばあちゃんに会ったことはないけど、今、最期を過ごしているのを心配してくれている。
「おばあちゃん、やっぱり、ひ孫に会いたかったのかな」
 彼氏のことを言われた日の夜、那由多の肩に寄り添ったあたしは、そうつぶやいて、甘い桃のお酒に口をつけた。レモンサワーを飲む那由多はうつむき、「ごめんね」とあたしの髪を撫でる。
「え、何で」
「僕が女の軆だから」
 あたしは咲い、「男だったら、まずつきあってないから、那由多はこれでよかったよ」と那由多の白くて柔らかい頬に軽くキスをする。グリーンのメッシュが入ったボブショの那由多も小さく咲って、あたしに寄り添い返す。
 那由多はあたしの五歳年上で、二十五歳だ。社会人として働き、このワンルームを借りて暮らしている。室内は雑然としているけど、けして汚部屋ではなく、あたしにとっても居心地がいい。
 この部屋で、こうして那由多の温柔を感じていると、生きててもいい、とあたしは自分を許すことができる。
 那由多と知り合ったのは、六年前だ。あたしは十四歳、那由多は十九歳だった。知り合ったきっかけはネット。SNSではなく、近年ではめずらしく掲示板だった。
 お互いを「相手」に決めたのは、隣り合った町に住んでいて、合流しやすかったから。あたしと那由多がアクセスしていた掲示板が置かれていたのは、一緒に死んでくれる人を見つけるための場所、いわゆる自殺サークルのサイトだった。
 あたしたちは、一緒に死ぬつもりだった。メールを交わしながら、身の上話はしなかった。相手のことは、深く知らないほうがいいと最初に決めておいた。
 なのに、いざ顔を合わせて、那由多が裏ルートで購入した青酸カリの小瓶を取り出して、でも沈黙したままふたを開けられずにいるうち、死にたくなるほどの理由から、今までのろくでもない人生を、とめどなく吐き出し合っていた。
 あたしは、同性にしか恋ができなかった。男の子とは、どんなに仲良くなっても友達でしかない。親友だからと思ってカムした同級生の男の子は、あたしの話に表情をゆがめ、「俺は玖鈴が好きなのに」と言って無理やりのしかかってきた。
「エッチしたら、これが普通だって分かるから」
 セーラー服と学ランを着たまま、あたしをつらぬいた彼はそう言って、息を荒くして中に出した。内腿に血が流れて、どろりと白濁と絡みあって流れる。
「ね、俺のこと、好きになったでしょ?」
 彼は恬然とした笑顔で、そう問うてきた。あたしは急にせりあげた嫌悪感で、その頬を引っぱたいた。押しのけて逃げ出して、家まで走りながら、どうしよう、と泣き出した。
 あたし、妊娠したかもしれない。だとしたら、ひとりぼっちで生むより、誰かに話して堕ろすより、一刻も早く子供もろとも死ぬしかないと思った。
 那由多も女の子に惹かれる人だ。それと、自分の性別が分からない人だった。女じゃないなら男、なんて単純なものではないらしい。男女の中間でもないし、男であり女でもあるという感覚もない。しいて言えば、どちらでもないというのが一番しっくり来る。
 それは自分の正体がつかめないようで、ひどい恐怖をともなった。女の子とつきあっても、自然と自分が「男役」になっているのがすごく気持ち悪かった。服装はラフが好みで、フリルやレースは着たくないのだけど、「男」に分類されても違和感しかない。
 男じゃない。女でもない。性そのものがない。まるで幽霊みたい。そんな自己を抱えて過ごしていくなら、生きることをやめてしまおうと那由多は決めた。
 気づいたら、ふたりともしゃくりあげるほど泣いていて、強く手を握り合っていた。「もう生きたくないよ」と言いながらも、「このまま死にたくない」とも言っていて、すがりつくように抱きしめあった。那由多はあたしの頭を撫で、あたしは那由多の軆にしがみついた。
「初めて……こんなに、自分のこと話した」
「ん……僕もだよ」
「聞いてくれて、ありがと」
「ううん、こっちこそ」
 那由多の心臓の音が聴こえた。死んだらこの音がなくなってしまうんだと思うと、やっと自分たちが飛びこもうとしていた淵に恐ろしくなった。
「あたし……」
「うん?」
「あたし、那由多さんといられるなら、今までみたいに嘘ついて生きなくていいかもしれない……」
 那由多の服をぎゅっとつかみ、それに応じるように、那由多もあたしを抱く腕に力をこめた。
「僕も、玖鈴ちゃんがそばにいてくれるなら、まだ生きられるかもしれない」
 あたしはぐちゃぐちゃの泣き顔を上げて、「そばにいるよ」と誓うような気持ちで言った。那由多も泣き腫らした瞳であたしを見つめ、「じゃあ」と言葉を選ぶ。
「一緒に、生きてみる?」
 あたしはうなずき、何度もうなずき、那由多の胸に顔をうずめた。那由多はあたしの髪に、濡れた頬を当てる。
「……婦人科は、行かないとね。僕が付き添うよ」
「できてたらどうしよう」
「まだ、それって何日か前だよね。アフターピルあると思うから」
 那由多の柔らかくて温かい腕に守られ、あたしはびっしょりの睫毛を伏せる。優しい心音が、鼓膜からあたしの傷に染みこんでいく。この人があたしのものなら死ななくていい。もっともっと、いつまでも、抱きしめていたい。
 ろくな人生を歩まなかった。そう思ってきたけど、これからそれが変わるなら、あたしは生きられる。ううん、そんなふうに思わないように、あたしは生きていきたい。
 アフターピルも飲んだおかげか、あたしは妊娠しなかった。でも、セックスに対する恐怖心はどうしても残った。那由多は急かすように求めたりしなかった。おかげで、あたしはあたしが那由多が欲しいと思えたとき、やっと那由多と結ばれることができた。
 あたしたちのあいだで、その行為が子供を生み出すことはない。しかし、確かに愛を育んでいると思うのだ。もしもこの愛が老い、朽ちてしまったら、今度こそあたしは、この世を追い出されて土に還る。
 ──おばあちゃんが亡くなったのは、年越し前の冬だった。あたしは、何度か悩みつつも、自分のことを何も伝えなかった。年末におばあちゃんのベッドが撤去され、剥き出しになった青いたたみに寝転がると、これでよかったんだと天井を見つめた。
 受け入れてほしかったなんて、贅沢なことは思わない。いつかあたしが死んで、七色の虹を抜けたあとに、黒い針山を歩く罰を受けたとしても、やはり言わなくていいこともある。
 おばあちゃんの最期をかきみださず、穏やかに見送ることができた。あたしは、それでいい。
 男と結婚して、子を生むことが、「女の幸せ」なんて思わない。女として、しのごの言わずに生きろと言う人もいる。けれど、その声がどんなに大きくても、あたしは那由多と生きていく。それが、あたしにはかけがえのない蜜なのだ。
 おばあちゃんは、無垢な白昼夢に包まれて亡くなった。幸せに眠りつくことができるだろう。
 それを見送れたあたしは、もうこの家庭に未練はない。遅かれ早かれ、荷物をまとめて那由多の元に飛びこむ。
 生み出すことが生きる意味なら、あたしは那由多と愛を生み出そう。生み出すこということは、お腹を痛めて出産する子供だけではない。人によっては、パートナーがいなくてはならないわけでもない。
 ただ、ひとさじでも、甘い蜜がある人生であるように。
 カーテン越しに、窓で冬陽が透けている。おばあちゃんとの最期の日々をゆっくり思い返す。その時間は、白い光がきらきら広がっていて、巣箱から春に飛びこむための勇気になる気がした。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 白昼夢/杉野淳子 『生きる』収録
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fuku-okinawa-amami · 2 months
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この間の沖縄、那覇、市役所のガジュマル
デンファレとかランがいろいろ着生させてあり、萌え
沖縄に住んだら、庭の木に蘭を吊るしたいよね
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kanona3j · 1 year
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最近描いたイラストを一部抜粋しました!
①オペラオムニアのエースFR &アンヤ実装記念
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めちゃくちゃ嬉しい…ガチャ天井を覚悟していたのに素直にチケット10連一発目で来てくれました…大好き……😭😭
アンヤももちろん購入しました✌️
実装された日が12/8でEDの日の次の日なので、情緒が壊れるかと思った。
BT実装も我ら来たれりの日だったし、絶対にオペオムのスタッフは狙って実装してる。
②横顔A3J
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唐突に横顔が描きたくなって衝動的に描いた3枚。
横顔は結構バランスが難しくていつも苦戦しています。
加工や色の練習も兼ねて。
③『少女革命ウテナ』の生徒会学ランを着せてみたA3J
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少しずつ視聴しているアニメの生徒会の格好が好きで、どうしても着せたくなって着せました。
ズボンや装飾の色はキャラクターごとに少しずつ違うのですが、特定のキャラクターの服装をさせるのではなく少しずつ似合いそうな部分を拝借して色はなるべく統一しました。
描き終わってから、ほとんどいつもの零式の制服にマントをはずしただけの状態だということに気がついた😇似合うのは当たり前だった😇
白制服版も描いてみたいと思っていたので、ちょうど良かったのかもしれない…🤤
着色もいつもと変えてみましたが難しかった…いろいろな技法で描けるようになりたい…。
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cavane · 1 year
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styling gallery cavane Gathered Ribbon blous botanicalブラウス/ ca-23055 + Over skirt botanicalスカート / ca-23057 made in Japan 清涼感のあるフレンチ ボタニカルファブリックのコットンローンを用いたプロダクト ゆったりめなイージーシルエットですので大人の余裕あるリラックス感が印象的です。 クラシックでナチュラルな風合いをお楽しみください。 ウォッシュ加工が施されておりますのでご自宅でも洗濯が可能です。 カジュアルなスタイルから、クラシック・ヴィンテージまで幅広いテイストに溶け込むデザイン。 詳細は下記よりオンラインストアをご利用下さいませ。 https://cavane.shop ・ ・ ・ cavane NO : ca-23055 ITEM : Gathered Ribbon blous botanicalブラウス TYPE : women SIZE : F COLOR : BOTANICAL x WHITE 素材 本体:綿 (cotton) 100% 別地 襟裏:綿 (cotton) 100% 付属:ミルクボタン (vintage) ※前後ともに着用可能なブラウスとなります。 ・ ・ cavane NO : ca-23057 ITEM : Over skirt スカート TYPE : women SIZE : F COLOR : BOTANICAL x WHITE 素材 表地:綿 (cotton) 100% 裏地:綿 (cotton) 100% 付属:貝ボタン(shell) リネン・コットン・ウールを中心としたシンプルな天然素材を使用し、素材そのものの風合いを最大限に生かした丁寧なモノづくりで、人にも自然にも優しくありたいと思っています。 大量生産ではないため、限られた数しか生産できない「cavane(キャヴァネ)」の服。 時間をかけて一点一点製作をしております。独特の膨らみ・シワ感・色の奥行きを表現しております。 生地について: 薄手で程よいハリとコシのあるコットンローンのファブリックです。 100番手の細く滑らかでとても肌触りが良く、上品な雰囲気がありあます。 ローンの発祥はフランス北部、 オー・ド・フランス地域圏の都市「Laon(ラン)」 日本で言う「ローン」生地と言えば、綿で織られたものが一般的ですが、もともとは麻をで織られた薄手の織物でした。 すべて手作業によって完成され洋服が作られます。 工程は大量生産とは比較にならないほど手間がかかり、糸は不均衡なためネップ・糸むらや節などの特徴があります。 ヴィンテージ感の雰囲気、味わい深い素材をお楽しみくださいませ。 ※モデル着用画像 身長 158cm About Overseas Order Please send us the following information via email → [email protected] ・ [ Order information ] ・ [ Shipping information ] こちらよりお問い合わせください。 https://cavane.shop 商品価格についてお問い合わせはメール、またはonline shopの(お問い合わせ)、インスタグラムのDMよりご連絡をお願い致します。 ※ 当サイト内画像の無断転載はご遠慮ください。 画像等の無許可の転載、複製、転用等は法律により罰せられます。 ※ Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. ・ ・ #cavane #overskirt #fashionphoto #vintage #classic #gatheredblouse #cottondress #botanicalfabric #ヴィンテージ #コットンローン #オーバースカート #ボタニカルファブリック #ギャザーブラウス #春夏 #23ss (Cavane) https://www.instagram.com/p/CqUizP3P3vL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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04-a-13 · 1 year
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一足先に20歳になった私、12月に20歳になる彼、私はというと、まだまだ気持ちは10代のあの頃のままで、歳だけとっていく感覚がしてる、早く心も大人の女性になりたい
あの頃私と彼は教室という同じ箱の中で生きていた、チェック柄のスカートをあえて短く履いてた私、採寸で袖を長めにされたらしい学ランを着てた彼、彼が「ミステリアス」とクラスメイトの間で呼ばれていたのを思い出して今更笑う、懐かしい、そういった思い出話で盛り上がることも多くなってきた
あの時の2人は10代かーと思うと同時に来月にはお互い20代に突入しているのが信じられないなぁという気持ち、だんだんと10代の鮮やかだった記憶たちがどんどんぼやけてきているの感じて切ないよ、忘れたくないから写真を撮ったりこうして文章にして残したりしているつもりだ(私にとって写真を撮ることも文章を書くことも備忘録を残すためのものなのかな?と思うようになった)、それでもその頃感じてたフレッシュな感情とかそういうのがその瞬間よりは色褪せてる気がしている、、、人間は忘れるようにできているみたいだからそれが当たり前なのかもしれないがちょっと寂しい
でも!もう20代!一緒にお酒も飲めるし一緒に煙草も吸えるしお互い車を持ったりバイクでタンデムしたりツーリングしたりして色んなところに行けるしきっともっともっと素敵で大人な2人になる!!!!とも思っている!!!(唐突)
ラブリーな思い出たちを抱きしめながらこの先にある2人の道をしっかり歩いていきたいですな、これからも私たちらしく支え合って生きていきたいなぁと思ったな
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mirai-susume · 1 day
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消えゆく学ラン・・・!
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yotchan-blog · 8 days
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2024/4/22 9:59:16現在のニュース
大谷翔平がメジャー通算176号 松井秀喜超え、日本選手最多本塁打 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/22 9:57:20) 大谷が日本人最多176号 8試合ぶり特大2ラン、チームも大勝(毎日新聞, 2024/4/22 9:52:53) 突然の文科省通知は障害者分離か 「ともに学ぶ」大阪の特別支援教育に逆行で保護者困惑([B!]産経新聞, 2024/4/22 9:52:04) ブリュッセル駐在、家族に語学研修義務 フランス語の負担重く グローバルViews - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/22 9:51:11) H2Oリテイリング、阪神タイガース優勝にうかれぬ最高益 脱シニア着々で若者呼ぶ 加藤彰介 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/22 9:51:11) 楽天モバイルから98億円詐取で会社社長実刑 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/22 9:51:11) 家庭教師のトライ、楽天モバイル前社長を招聘 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/22 9:51:11) 中堅・中小企業の「隠れチャンプ」、大企業上回る潜在力 日本再生の要 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/22 9:51:11) (短信)法科大学院の補助金、一橋大が配分率トップ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/22 9:51:11) 大谷翔平は前向きに歩き出した 水原容疑者騒動後に生じた「変化」(朝日新聞, 2024/4/22 9:49:31) 健康や地域の魅力向上に 「諏訪湖サイクリングロード」全線開通(毎日新聞, 2024/4/22 9:45:23) 山崎豊子生誕100年 大澤真幸さんが読み解く「戦後日本の弱点」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/22 9:39:57) 卒業生の流出を防げ 高知大が最先端農業に「地域枠」定員増申請 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/22 9:32:23) 香港のオフィス不況底なし 国際都市に空洞化の足音 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/22 9:31:56) 2023年の世界軍事費は377兆円 9年連続増 中東情勢など影響(毎日新聞, 2024/4/22 9:30:26)
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ishiduca · 26 days
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サーキット2+体幹+ラン30分(265Kcal、3.82Km)。読み物はNYTimesからThe Nobel Winner Who Liked to Collaborate With His Adversaries 先日90歳で他界したダニエル・カーネマンは、お金は多ければ多いほどよいが閾値をこえると幸福度は増加しないという有名な論文に対して反対論文が出たとき、反論の応酬となる「怒れる科学」を取らず、むしろ検証してよりよい解にたどり着くための「敵対的協力」を進め、両者それぞれに正しい部分と見落としがあることを突き止めた。合衆国憲法も、建国以前は同質の考えを持つ人が集まったときのみ共和制は機能するとして反対する意見があったが、実は敵対的協力の条件を整えるものだったと。非寛容が広まる世の中でこれがどう生きるか
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rosysnow · 22 days
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雨にとらわれて
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 誠弥くんは、私の肩に咬みつくような口づけをして、荒っぽく動きながら、しがみつくみたいに抱きしめてくる。まだ男性として未完成で、丸みの残る軆と低くなりきっていない声、匂いも甘い。
 私もそんな彼を腕に包みながら、じかに背中に触れているたたみに、湿った髪を流している。
 窓の向こうでは、まだ雨が降っている。冬の冷気が染みこんだ雨だった。その雨に濡れて、軆を温めて、私は恋人の弟であるこの子と軆を重ねている。
 こんなこと、この子の助けにはならないのに。
 激しい雨音が、このアパートのリビングを世界から切り離している。誠弥くんの息遣いが耳たぶに触れて、私に微熱をうつしていく。
 私は睫毛を伏せ、今だけ、と思った。
 そう、今だけ、これでこの子の気が済むのなら。
 ──長かった残暑が明け、ほんのひととき、季節が秋に彩られた。街路樹の銀杏が、アスファルトをひらりとひるがえっていく。秋晴れは青く澄み、頬をすべっていく風は心地よい涼しさをはらむ。もうすぐ十一月になるから、秋の味覚や夜長の虫の声は、いつのまにか過ぎ去ってしまったけれど。
 家電メーカーのコールセンターで働く私は、仕事を終えると、恋人の圭弥のアパートにおもむいて夕食を作る。
 圭弥は同じメーカーの実店舗でバイトリーダーをしている男の子だ。知り合った切っかけは、本社と店舗の交流会。私は短大を出て、圭弥は高卒から働いていて、年齢は同じ二十二歳だ。
 おとうさんはいない、おかあさんは留守がちの家庭で育った圭弥は、私の手料理を喜んで食べてくれる。圭弥には誠弥くんという中学二年生の弟がいるけど、彼も私の料理を無言でだけど、いつも平らげてくれた。
 その日は雨模様だった。スーパーで急いで献立の材料を買うと、赤い傘をさして圭弥の部屋に急ぐ。雨雫に湿った肩をはらい、ドアフォンを押した。
 こうすると、いつも誠弥くんが無表情にドアを開けてくれるのだけど、今日は反応がない。どうしたのかな、と思いつつ、合鍵はもらっているので、それで部屋にあがった。雨音が響く中で耳を澄ましても、誰かがいる物音はしない。
 時刻は十八時をまわっている。学校はとっくに終わっている時間だ。誠弥くん、どうしたのだろう。気にかかりつつも、私はエプロンをまとって夕食の支度を始めた。
 香ばしい秋鮭のホイル焼き。甘いさつまいものそぼろ煮。白いごはんと、豆腐とわかめのお味噌汁。
 ひととおり完成した夕食を味見していたとき、玄関で物音がした。振り返った私は、目を見開く。
 学ランを着た誠弥くんだったのだけど、髪にも服にも泥が絡みつき、疲れ切った面持ちをしていたのだ。
 私は慌てて「どうしたの」と玄関に駆け寄る。しかし、誠弥くんは私をちらりとしただけで、「何でもない」と吐き捨てるように言った。間近で見ると、肩や脇腹に靴底の痕がある。
「誠弥くん──」
 誠弥くんは何も言わずに私を押しのけ、自分の部屋に入っていった。昔は圭弥と誠弥くんの部屋だったらしいけど、今は圭弥は誠弥くんに部屋を譲り、自分はリビングで生活している。
 私は誠弥くんの顔を思い出し、顔には何もなかったけど、と思う。蹴られた痕。暴力。……イジメ? 安易な発想かもしれないけれど、そんな考えがぐるぐるよぎって、勝手に不安になる。
 翌日になっても、対応が終わって電話を切ったあと、ふと誠弥くんのことが思い出されて、心配になった。
 圭弥は、知っているのだろうか。言ったほうがいいのかな。昨夜の夕食時には、何となく誠弥くんの視線に圧を感じて、何も言えなかったけれど。
 十月最後の週末、私はオフなのでお昼から圭弥の部屋に向かった。店舗勤務の圭弥は、週末はほとんど休めない。だから、誠弥くんの昼食を用意するように頼まれている。圭弥にも、腕によりをかけて夕食を作る。
 誠弥くんはいつも部屋にいて、「ごはん食べる?」と声をかけてやっと部屋を出てきて、ふたりなのが気まずそうだけど、やっぱり私の料理を平らげる。けれど、その日何となくドアフォンで知らせることなく合鍵で部屋に入った私は、誠弥くんがキッチンの引き出しを開けているところに遭遇した。
 その手は、封筒をつかんでいた。私が食材に出したお金は、圭弥がそこに忍びこませて返してくれるのが、暗黙の了解だった。そのときに使っている封筒を、誠弥くんが開いている。
「何、してるの」
 私がこわばった声で言うと、「違う」と誠弥くんは声変わりしきっていない声で言った。
「持ってこいって……でも���、一万円なんて���ってないし、」
「圭弥が働いて稼いだお金なのに、」
「そんなこと知ってる! じゃあ何だよ、にいさんは一万円くれんのかよ。あいつらに渡す一万円をよこせとか、……言うのかよ」
「………、それでも、」
「あんたに分かるかよっ。くそっ」
 誠弥くんは引き出しに封筒を投げこみ、閉じることもせずに自分の部屋に入っていった。私は当惑しつつ、引き出しを閉じる。
『あいつら』。やはり誠弥くんはイジメを受けているのか。それも、恐喝されるようなイジメを。それはもうイジメじゃなくて犯罪か。
 どうしよう。さすがに何かしてあげないといけない。けれど、ここで私の一万円を貸して、当座をしのぐのは解決ではない。
 そのあと、誠弥くんのぶんの昼食は作ったけど、声をかけても出てこないどころか返事もなかった。圭弥が帰宅した夕食時もそうで、「ごめんな、気むずかしい奴で」と言われて私は首を横に振る。圭弥はさくっと牛肉のコロッケを頬張ったあと、「とうさんがいた頃はよかったんだけど」と哀しそうに微笑んだ。
「おとうさん」
「その頃は、かあさんも家にいてくれたし──かあさんも、とうさんが死んだのを受け入れられないから、この部屋にあんまり寄りつかないんだと思うんだ」
「……うん」
「分かってても、子供にはそれは寂しいんだよな。とうさんがいないから、せめてかあさんの愛情が俺にも誠弥にも必要なのに」
「そう、だね」
「こんなぎすぎすした家じゃなかったんだ。とうさんが生きてた頃は、家の中はほんとに優しかった」
 圭弥はシーザードレッシングをかけ、プチトマトと千切りのキャベツを食べる。
 誠弥くんも、おとうさんがいれば頼りになる人がいて、救われていたのだろうか。傷つけられた心身を打ち明け、受けて入れてもらって、甘えて泣くこともできていたのだろうか。
 それからすぐ十一月に入って、秋が冬にうつろいかけて、冷たい雨の日が続いた。
 また誠弥くんが帰宅していない日、もしやと心配していると、案の定、誠弥くんはぼろぼろのすがたで帰ってきた。「大丈夫!?」と玄関に走り寄っても、誠弥くんは何も言わずにスニーカーを脱いで、私のかたわらをすりぬけようとする。
「ねえ、圭弥に言ったほうが──」
「言うな!!」
 鋭い口調に、びくんと口をつぐむ。誠弥くんは、いらいらした視線を持て余すようにして、目を床に伏せた。
「にいさんには、分かんないよ。あんたみたいな彼女もいて、いつも『頑張ってるね』って褒められて……僕ばっかり、出来損ないだ」
「そんなこと、」
「じゃあ、僕とやれんのかよ」
 急に睨みつけられて、私はまた口ごもってしまう。「口ばっかりじゃないか」と誠弥くんは疲れたように毒づいた。
「はけ口になる気もないくせに」
 そして、顔を背けると誠弥くんは部屋に行ってしまった。
 はけ口、って。いや、誠弥くんは学校で「はけ口」にされているのだ。だとしたら、誠弥くんにも吐き出す場所が必要なのだろうか。それを性衝動で発散したいというのなら、私があの子と寝れば、せめてもの癒やしになれる──?
 仕事中もそんなことを考えて、問い合わせ内容を聞き違えてお客様をひどく怒らせてしまった。落ちこみながら、その日も赤い傘をさして、圭弥と誠弥くんの部屋に向かう。
 吐く息が白いほど雨が冷たい。アパートへの一本道に入ったとき、前方を黒い学ランの男の子が歩いているのに気づいた。傘もさ��ず、ずぶ濡れになって、とぼとぼと歩いている。
「誠弥くん」
 思わず声をかけながら駆け寄ると、誠弥くんは振り返る。雨で髪も顔も服もびっしょりだけど、目の中が赤く潤んでいて、泣いているとすぐに分かった。しかし私はそれには触れず、「風邪ひくから」とかすかに震えている誠弥くんを傘に入れる。誠弥くんは拒絶せず、前髪からぽたぽた雫を落としながら、うつむいた。
 傘の下でひとつの影になって、私たちは一緒に部屋に帰った。家並みが雨脚に霞み、轟々と雨音が鼓膜を圧している。誠弥くんの横顔を見て、この子の笑顔って見たことないなあと思った。
 部屋にたどりつくと、私はすぐにお風呂にお湯を溜めた。誠弥くんは暗い表情で突っ立っている。まもなくお風呂が沸くと、「すぐ入ってあったまって」と誠弥くんの肩を優しくうながす。すると、誠弥くんは私を見上げて小さな声で言った。
「一緒に入って」
「えっ」
「……あんたも濡れてるし」
「私は、」
「嫌なの?」
 私は狼狽えたものの、ここで拒絶するのも誠弥くんを傷つける気がして、「分かった」とぎこちなくうなずいた。洗面所で、お互い無言のまま自分の服を脱ぐ。
 誠弥くんの軆を直視できないし、誠弥くんも私から目をそらしている。それでも誠弥くんは私の手を引いて浴室に踏みこんだ。
 軆を流してから、温まるために一緒に湯船に浸かる。ひとりで浸かる狭い浴槽だから、絡みあうように私と誠弥くんの肢体が触れ合う。
 雨の音が響き渡る。交わす言葉はない。でも、相手の息遣いに耳を澄ましている。
 そのうち引きあうように軆が近づき、急に、誠弥くんが私の腰を引き寄せた。乳房に顔をうずめ、初めて、甘えるようにしがみついてくる。
 ずっと、すりガラスの窓に当たって砕ける雨粒を見ていた。そんな私の軆を、誠弥くんはむさぼるように抱いた。私の中に入ってきて、波紋を起こしながら深く突き上げ、かろうじて私の体内でなく水中に吐き出す。
 でも、私は圭弥の恋人なのだ。だから、誠弥くんのそばにいることはできない。つながったけど、つながってはいけない。私と誠弥くんは、どうやってもつながれない。
 触れちゃダメ。
 触れさせてもダメ。
 なのに、浴室を上がっても私たちは軆を合わせた。激しい雨の中でかたちを崩し、ひとつになってしまうみたいに。でもお互いの心に手は届かないから、ひとつにはなれない。
 ああ、私は誠弥くんに何もできないんだ。
 雨はやまない。やむ気配もない。けして結ばれない私の軆を求めながら、誠弥くんはひとりだ。
 倦むことなく窓ガラスを殴る雨を私は眺める。この秋雨が過ぎ去れば、いよいよ冬だ。そうなれば、雨はやむだろう。
 しかし、この子は、いつまでやまない雨の中、ひとりなのだろうか。
 このままでは、その心に降りしきる雨はみぞれになり、神経を刺すように傷つけるのに──誠弥くんは、心を穿たれ、熱に浮かされ、雨にとらわれたまま、ひとり彷徨っている。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 止まぬ雨 ひとり/杉野淳子 『解放心章』収録
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play-movie0308 · 2 months
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公開直前ゲーム対決イベント レポート
この度、本作の公開を記念し、2月27日(火)にLFS池袋にてW主演の奥平大兼さん(郡司翔太役)と鈴鹿央士さん(田中達郎役)が登壇し、公開直前マスコミ様向けイベントを実施いたしました。また今回ゲーム好きでも名高いお笑い芸人霜降り明星のせいやさんが、高専生の青春を描いた作品にちなんで、学ラン姿でゲストとして登場し、主演2人と劇中に登場する“ロケットリーグ”で激しく熱い対戦を繰り広げました!
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映画 『PLAY! 〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』 公開直前ゲーム対決イベント 【日時】 2月27日(火) 【場所】 LFS池袋 (東京都豊島区東池袋1丁目43−6 D-BOX 地下1階) 【登壇者】奥平大兼さん、鈴鹿央士さん、せいやさん(霜降り明星)  
    MC:平岩康佑さん
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本作の公開を目前に控え、映画のロケ地にもなったeスポーツ施設LFS(ルフス)池袋での公開直前ゲーム対決イベントが開催となった。W主演を務めた、今をときめく若手俳優のフロントランナーである奥平大兼さんと鈴鹿央士さんは、青春映画にちなんでブルーの差し色を取り入れた衣装で登場。奥平さんは「映画の魅力を伝えながらゲームを楽しみたいと思います」鈴鹿さんは「大勢の方の前でゲームをするのは初めてで緊張していますが、楽しみたいと思います」とそれぞれ挨拶を述べた。 本作で2人はそれぞれ高等専門学校2年生と3年生という役柄で、<全国高校e スポーツ大会>に出場する。この大会は劇中だけの設定ではなく、実際にも高校生を対象としたeスポーツの選手権が開催されており、つい先日2月12日 に東京での決勝戦が終わったばかり。劇中で登場するゲームは実際の大会種目にもなっている<ロケットリーグ>。プレイヤーはジャンプや飛行ができる“バトルカー”を操作し、ボールをゴールにシュートし得点を競う、カーレースとサッカーが融合したゲームだ。これまでの<ロケットリーグ>経験をMCから問われた2人。「有名なゲームなので存在は知っていたのですが、この映画がきっかけで初めてプレイしました。これから(イベント内で)するのですが、操作が難しいゲームです」と奥平さん。隣で思わず「難しかった…」とこぼす鈴鹿さんも「僕も存在は知っていて動画も見たことがありましたが、実際にプレイするのは(この映画がきっかけで)初めてでした。普段からゲームはよくするのですが、練習してみて難しいなと。資料として見ていた飛んだりリフティングしたりという動きは出来ないだろうなと練習初日は思っていました」と話す。
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そして今回、実際に<ロケットリーグ>をプレイするにあたり、是非2人に対決を挑みたいということで、ゲーム好きでも名高いお笑い芸人、霜降り明星のせいやさんがゲストとして登場。高専生の青春を描いた作品にちなんで、学生帽に学ラン姿で登場したせいやさんは「コンセプトはわかるんですけど、(衣装のチョイスが)古い!昭和!こんな学生帽のヤツeスポーツやらんでしょ!」と早速怒涛のツッコミを入れ会場を笑いに包み込んだ。「学生服でいらっしゃるとは聞いていたけれど、まさか、昔っぽい姿とは(笑)」「俺ら(作中での役柄は)学ランじゃなくてブレザーですし(笑)革のカバンを持っていそうな姿ですね」と鈴鹿さん・奥平さんからもそれぞれ昔ながら学生姿のせいやについてコメント。公開より一足先に映画を鑑賞したせいやさんは「eスポーツが遂に映画化されるという、確かに今の子は僕よりネイティブに入って来る題材なのかなと。僕は高校生の時に漫才大会で相方と出会ったのですが、それこそ僕らの世代でいうお笑いや音楽などのエンタメが今だとゲーム。それが映画化することによってもっとナチュラルに受け入れられていく。ほんで(主人公たちの)家庭環境が悪いのもリアルで、ゲームの中では誰でも平等にプレイできるというのがまさにスポーツやなと」と映画の感想を述べた。
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日本初のeスポーツの劇映画化である本作は、臨場感溢れるゲームシーンも見どころのひとつ。撮影に関して、奥平さんは「撮影の仕方が特殊で、スタッフの皆さんもやったことないだろうから、みんなで試行錯誤しながらやっていました。最初と最後では撮影の仕方も違って、それが普段できない体験で新鮮でした」と話す。実は、ゲーム画面は後から差し込まれていたので、何もない画面で演技をすることもあったという。鈴鹿さんは「表情だけを撮る時は、画面にパラパラ漫画みたいに車とゴールだけ映し出されていて、監督が『ゴール!』と言ったらゴールの喜びの表情をするといったこともありました。撮影が進んでいくと、後半はスーパープレイ集の動画を見ながらリアクションしたり、今までにない撮影方法でしたね」と撮影秘話を明かした。また、実は本作のプロモーション稼働の合間にプライベートでゲームをする仲になった2人。「つい最近一緒にやったよね」とお互い笑顔を見せる。昨日プロモーション稼働で一緒だった際は、ロケットリーグの対決を控え「練習しておかないといけないかなと2人で話していたんですが、せいやさんもあまりロケットリーグは経験がないとのことで、結局やらなかったんです」と話す奥平さんにすかさず「これはチャンスですね。後でお見せしましょう」と意気込むせいやさん。普段からゲーム配信もするせいやさんだが、ロケットリーグは初プレイ。「リハで練習したけど、めちゃくちゃ難しい」と話す。「サッカー歴は長いですもんね?その感覚を…」とMCからの振りにも「いいえ。このゲームは僕のサッカー人生とは全く関係ないです!」ときっぱり告げ、再び会場の笑いを誘った。 いよいよ、劇中にも登場したゲーム<ロケットリーグ>を実際にプレイしての対決へ。奥平さん&鈴鹿さんは劇中同様チームを組み、対するせいやさんは相方として”AIせいや”を召喚。空いている座席にはせいやさんのパネルが登場した。「亘の位置いただきますよ。2(映画の続編)に出してください!」とやる気満々のせいやさんに「オーディションですね」と奥平さん。そして”PLAY”チームVSせいやチームでの2対2の試合がスタート。開始早々、鈴鹿さんがゴールを決め、1点先取し会場からは大きな拍手が。だがすかさずせいやさんも「CAVEMAN(ゲーム内のAIのデフォルト名)いくぞ!」とファーストタッチでゴールを取り返し、同点に持ち込む。その後は鈴鹿さんが2ゴール目を決め、せいやさんが再びゴール、さらにAIがゴールを決め逆転の展開に。「AIがイベントで1人活躍すな!」と叫ぶせいやさんをしり目に、鈴鹿さんが2点連続ゴールを決め、劇中の役柄であるeスポーツ上位ランカー達郎さながらの素晴らしいプレイ!思わず奥平も「達郎さんだぁ」と声を漏らす。続いて奥平さんもゴールを決め、差を引き離す。しかしせいやさんも負けじとゴール。鈴鹿さんが再びゴールを決め、またせいやさんがゴール。両チーム大接戦を繰り広げ、5分間の試合は6対5で”PLAY”チームが劇中さながらの息の合ったコンビネーションで勝利した。
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白熱の対決を終え、最多ゴールを決める大活躍を見せた鈴鹿さんは「めちゃめちゃ楽しかったです!大兼が必死に動いてくれたのでブーストを温存しながら戦えました」とコメント。「めちゃくちゃ良い試合でした。せいやさんがファーストタッチでゴール決める瞬間が2回もあって怖かったですが、すごく楽しかったです」と奥平さんも感想を述べ、せいやさんも「作中さながらのめちゃくちゃ良い試合でしたね!いまから(映画に)入れ込めないですか?熱い戦いでした!」と大興奮。ゲームに集中して「ついつい黙っちゃいますね。でも本当に良い試合が出来て良かったです」と笑顔を見せる奥平さんに、鈴鹿さんも「まだ興奮しています。やばいしか言ってなかった。でも、”勝つとか負けるとかは、どーでもよくて”本当に楽しかったです!」と映画のサブタイトルにかけたオチがついたところでゲーム対決は終了。  最後に、せいやさんが「本当にこういう映画が今後増えるんじゃないかと思います。先駆けですよね。eスポーツを題材にした青春映画なので、今の子供たちは勿論、コメント欄が出てきたりゲーム配信をしている僕らも共感できるあるあるが盛り込まれた”今の時代”を感じる映画です」、続いて鈴鹿さんは「僕が演じた達郎は、誰よりも勝つことにこだわって執着していた人だったのですが、仲間と出会って絆を深めるうちに、勝ち負け以外のその先に大切なものがあるということを感じる、良い青春映画ですし、先程せいやさんも仰ったように、青春映画の良いところが沢山詰まった中に、新しい感覚がふんだんに盛り込まれた映画だと思います。是非劇場でご覧いただけると嬉しいです」、そして奥平さんは「今この世の中に、そして映画をご覧いただける方々の周りにeスポーツがどれだけ浸透しているかわかりませんが、eスポーツの良さ、楽しさを知っていただく良いきっかけになる映画だと思います。いまの高校生ならではの感覚が描かれているおかげで物語がどんどん進んでいくし、いまの若い子たちは共感できる部分があると思いますし、大人の方々には若い世代の子たちがこうやって生きているんだと知っていただけるきっかけになると思います。色々な世代の方々に観ていただける映画です。是非大きなスクリーンで観ていただきたいなと思います」とそれぞれメッセージを述べ、���ベントは締めくくられた。
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kenrow51 · 2 months
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繰り返すモノなんですね
30数年前
一応自分にもスクールデイズがありました
制服は学ラン
1年生は第一ボタンまで止めてフックしてカラー
を付けていないと先輩に後ほど優しくご注意
させられるので
学ランのインナーに目立たないようモックネック
を着るのが当時のマイブームでした
細やかな抵抗 楽しかったです 謎
チープカシオつけてエアマックス90で通学
2年はスラムダンクの木暮君のような
ツーポイントの眼鏡掛けて
体育とバリバリ部活をしてました
(※ 縁無し眼鏡で運動は危険です🙅
壊れますし割れますレンズの角でケガしますので
使用は控えてください🙇)
そしてスタンスミスで通学
3年になると個性と自由ではみ出していきます
学ラン着ず上はヘインズのTシャツで登校
赤タグ派青タグ派有りました 懐かしい〜
くびが直ぐに伸びましたw
秋はGジャンで登校 
リーバイスの3thとかで行ってました🙅
オフホワイトのコーデュロイがお気にでした 
もはや学ランどこいった…謎
adidasのサンバとDioで通学
PS
先輩の居なくなった部室は天国
寛ぎながらPOPEYEとかBOONなど読み
優雅にお茶を飲んでました..🙅
色々持ち込んで電源を入れると
ブレーカーが落ちるので先生が
飛んできます
体育会系の学校です リアルに秒で◯◯◯されます
ブレーカーが落ちると即座に窓からの脱出して
おりました🙅
ほんとうに不適切にもほどがありますね。。🙇
あくまで1994年の話になります
◯◯ハラとかコンプラとか人権の尊重という
言葉もスマホもパソコンも無かった時代です
自分の身は自分で守るか
工夫して何とかする時代なのでした
当時待ち合わせとかよく出来てましたね
ある意味でスゴい。。
話を戻しまして💦
娘にこの頃着ていた30年前のリーバイスを
半分冗談であげたら喜んでました w
なんか不思議です
これ〜っ このライムカラー
まさにこれ履いてました 32年前懐かしい。。
時折同じ型を見かけます
繰り返すモノなんですね
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