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shinodayama · 2 years
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🎏 今年も相可高校の生徒さんが鯉米に挑戦されます🌾 篠田山養鯉場の鯉たちがお手伝いに行っております🎏 今年も美味しいお米が実ります様に🤗 #Repost @koi_okome ・・・ ⁡ ⁡ ⁡ 鯉放流!!鯉!!💞💞💞 ⁡ 今日は篠田山養鯉場さんの鯉を田んぼに放流しました🐟 去年のと違って大きめの黒鯉を放流しました!! 雑草の新芽を掘り起こしてくれて、 雑草の抑制をしてくれます。農薬を入れている田んぼと入れていない恋するお米の田んぼとの雑草の違いはあまり変わらず、鯉の効果はすごいと思います🐟🖤 ⁡ 先輩(去年放流した鯉)は、 田んぼに放流したあと泳ぎ回っていました😂 ⁡ 中干しまで沢山仕事をしてもらいます!! がんばれ鯉さん!🐟🐟🐟🐟🐟🐟 ⁡ ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ ⁡ 今年も鯉をありがとうございました。 ⁡@shinodayama_koi 💞💞💞 ⁡ ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ #相可高校 #相可高校生産経済科 #生産経済科 #相可高校農業クラブ #農業クラブ #コイするお米プロジェクト #お米 #コメ #こめ #鯉 #こい #コイ #恋 #鯉放流 #黒鯉 #篠田山養鯉場 #養鯉 #ありがとうございました #田植え #田んぼ #どんとこい #雑草対策 #鯉さん #がんばれ #よろしく (at 三重県立相可高等学校) https://www.instagram.com/p/CeihJVEJMOF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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cuttercourier · 4 years
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[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め���『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー��が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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xf-2 · 5 years
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1927年に権力者になった蒋介石は宣教師たちを蔑んでいた。
 しかし、ある時から自身が洗礼を受け、宣教師たちを擁護するようになる。それは自身の保身のための策略であった。
 ドイツの将軍を軍事顧問に迎えて万全の防御態勢を固めた上海戦で敗北すると、「宣伝戦」に切り替える戦略を採用する。孫子の兵法で称揚されているもので、自国の立場を有利にするプロパガンダ作戦である。
 蒋介石はそのための組織を1937年11月に整えるため、国民党中央党部と国民政府軍事委員会を改組して中央宣伝部を組織する。
 これは、上海戦で敗北し、南京への追撃戦が展開されている時であり、軍事力に代えて、「タイプライターで闘う」戦術への転換である。
 宣伝部副部長には米国の大学を卒業し、新聞編集にも長じた董顕光を当てる。留学以前にはわずかな期間ながら、蒋介石の英語教師をしたこともあり、戦後は台湾の駐日大使となる。
 また、宣伝部の下に対外宣伝を専らにする国際宣伝処を設け、その処長には大学教授で文学者の曾虚白をあてる。
 国際宣伝処の本部は重慶(南京後の国民政府の首都)に置くが、上海と香港に支部を開設、昆明や米英加豪墨印星(シンガポール)の首都か大都市に事務所を設ける。
 特に米国ではワシントンのほかにニューヨークとシカゴにも事務所を構えた(北村稔著『「南京事件」の探求』、以下同)。
 国際宣伝処は蒋介石に直属して各地の党機関と政府機関を管轄して活動する。本部、支部、事務所がそれぞれに刊行物を出し、通信社も設立する。
 宣伝に信憑性をもたせるために処長が採用した方策は、「中国人は顔を出さずに手当てを支払うなどの方法で、『我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人となってもらう』という曲線的手法」である。
 この国際友人として働く中心的な人物が、オーストラリア人の元ロイター通信記者で、当時は英国のマンチェスター・ガーディアン紙中国特派員のティンパーリー(中国名・田伯烈)である。
蒋介石の国民党・国民政府の顧問になり、「百人斬り競争」の武勇伝や「怒濤のごとく南京城内に殺到した」などと日本の新聞が報じると、これらを取り込み「日本軍の悪行」に歪めて『WHAT WAR MEANS』(戦争とは何か)をロンドンで上梓する。
 中国語版の『日軍暴行紀実』が同時並行して出る手際の良さは宣伝網が有効に機能していたことを示している。
 また、ティンパーリーからの話を受けて、金陵大学教授で安全地帯国際委員会委員でもあったスマイス(中国名・史邁士)が南京戦で日本軍が与えたとする被害状況『南京戦禍写実』(通称「スマイス報告」)を著述する。
 いずれも1940年のことで、「両書は一躍有名になった」というが、蒋介石政権の威信をかけた宣伝戦であり、当然であろう。
蒋介石の米国世論操縦策
 日中戦争時の1939年4月から12月まで重慶の国民党国際宣伝処で働き、のちにピュリッツアー賞も受賞するセオドア・ホワイト(中国名・白修徳)は回想録『歴史の探求』で、蒋介石の米世論操縦について明かしている。
 米国への接近は米国で教育を受けた蒋介石夫人の宋美齢が、夫を説き伏せてメソジストに改宗させたことから始まるという。
 そして主要な部長(閣僚)、たとえば財務部長(オバーリン大・エール大卒)、外交部長(エール大卒)、教育部長(ピッツバーグ大卒)、情報部長(ミズーリ新聞学校卒)は米国の大学卒で、政府内の米大学出身者を数え上げたらきりがなかったという。
 そうした中でも、各国に派遣された大使の面々は、圧倒的に米国の名門大学卒業生で、ワシントンにはコーネル大・コロンビア大卒、ロンドンにはペンシルバニア大卒、そしてパリにはコロンビア大で3つの学位を取得した顧維鈞を任命していた。
 顧維鈞は国際聯盟で日本非難の演説を行った人物で、息子もハーバード大に在籍しているのを自慢にしていたという。
 また、中国銀行頭取(ハーバード大卒)、司法院長(コロンビア大・カリフォルニア大卒)、国家保健監督官、海外貿易委員会、塩務署など中央機関のトップも多くが米国の大学出身者が占めていた。
 ハーバード大学を1938年秋に最高学位で卒業したホワイトは、世界旅行の給費を受け、ロンドンを皮切りに、パリからスーダンやパレスチナ、インド、シンガポールなどを旅して、39年初めの数カ月間を上海で過ごす。
上海を根城に北京にも出かけ、また日本軍のスポークスマンに取り入り、満州も旅行する。
 英米人などに牛耳られた上海では工場労働者の少女たちが日に何人もごみの山に捨てられている状況も見てショックを受ける。
 いままでに見たこともない不条理が記者になる決意をさせ、4月から重慶の蒋介石政権の宣伝員に繋がる。
 自身のハーバード大の学位はボストンよりも中国でずっと意味があり、「中国ハーバード・クラブを結成したが、会員にはジョン・F・ケネディ(大統領)がワシントンでハーバード・クラブを作ってもこうはなるまいと思えるほど、蒋介石政府高官の割合は大きかった」と述懐している。
 米国の学歴を持つ中国高官が多かったのは、ホワイトには「好都合な人脈であったが、中国国民にとっては大いなる悲劇であった」と冷静である。
 立派な英語を話す政府高官たちではあったが、「自国の民衆とは異質の存在で、民衆に対する理解を―重慶という古都についての理解さえも―欠いている」ので、「中国で何が起きているのか」さえ知らないと手厳しい。
 ホワイトは蒋介石に最初は尊敬と称賛の念をもっていたが、「次第に憐れみを感じ始め、最後は軽蔑するようになった」という。
 それでも「私はアメリカの世論を操るために雇われたのだ。日本に敵対するアメリカの支援は、政府が生存を賭ける唯一の希望だった。アメリカの言論を動かすことは決定的(に)必要なのだ」と述べる。
 当時のホワイトは、軍国主義日本に対する中国政府は正義という認識に立っており、「アメリカの言論界に対して嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだということをアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい、それは必要なことだと考えられていた」と明言している。
報道の真実性
 ホワイトは国際宣伝処で「自身が脚色した」戦時報道の実例を2つ挙げている。
 一つは、日本軍に占領されていた浙江省のある所の劇場で、日本軍兵士が観劇中に蔡黄華(ツアイ・フアン・フー)という中国人女性が手榴弾を投げ込んで数人を殺し、無事に逃げおおせたという中国語の記事を目にしたことである。
 ホワイトは文字から忠実に「ミス・ゴールデン・フラワー・ツアイ」とし、「ゲリラの首領、中国抵抗戦士団の巴御前」と英語に翻訳し、少しだけ脚色したというのだ。
 すると、ニューヨーク・タイムズ特派員のダ―ディン記者を除き、通信員たちは飛びつき、各通信員の本社からは写真を要求してきたという。
 そこで情報部の同僚が、腰に二挺拳銃を下げた若い中国人女性の写真を提供すると、彼女は「二挺拳銃のゴールデン・フラワー嬢」となる。
 通信員たちはますます情報を欲しがり、情報部は気前よく彼らの要求に応じ、数カ月のうちに「ゴールデン・フラワー」ツアイは、蒋介石夫人に次ぐ抵抗運動のヒロインになったというのである。
 リライトマンの手にかかった彼女の偉業は、米国で伝説となり、ホワイトがタイム誌の極東部長になっていた3年後には、タイム誌で取り上げたらどうかとの提案が持ち上がり、作り話の張本人であったことを白状しなければならなくなったというのである。
 もう一つは難民と彼らの苦難についての記事で、1937年から38年の漢口陥落までの14か月間に、国民救済委員会は難民キャンプに2500万食配ったというものである。
 ところが「どうしてか間違って」、記事では「統計によると中国が抵抗を始めた最初の数年間に日本軍侵略者の手を逃れてきた人々の数は、2500万人にのぼる」となってしまったという。
 数字は海外に伝送され、新聞社の資料に残り、雑誌の記事に使われ、日中戦争の学術的数値となって何度も現われ、「すでに歴史の一部となってしまった」と述べる。
 実際は「二百万あるいは五百万だったかもしれない」が、「二千五百万という数字がほとんど全ての歴史書にしっかり残っている」ので、「日本軍による混乱を(正しくは)誰一人知ることはないだろうと悟った」と自省している。
 誰も否定できない「嘘」の独り歩きは、「南京大虐殺」の構図を想起させる。
中国における米国人宣教師たち
 1931年に上海副領事として赴任し、第1次上海事変を体験した米外交官のラルフ・タウンゼントは、その後福建省副領事となるが33年に帰国すると外交官を辞する。
 そして、中国の真実が外部世界に伝わっていないとして著述したのが『暗黒大陸 中国の真実』である。
 中国に住んでいる外国人で中国の国情を把握しているのは宣教師、民間事業家、そして領事館員や外交官等の政府役人であるが、宣教師は事実が知られると援助が打ち切られる危惧を持ち、事業家は不買運動を恐れ、政府役人は外交辞令的なことしか言えないわけで、一種の「箝口令ともいうべきものが敷かれる」結果だという。
 3年の外交官生活でしかなかったが、新聞記者と大学教授をそれぞれ3年づつ経ての外交官であり、他方で書籍を通しての中国しか知らないで赴任したことや好奇心が旺盛であったことなどから、「中国の真実」が全く伝わっていないことを痛感し、その現実を宣教師と事業家と政府役人の在り様に見つけたのだ。
 全10章のうち大部は中国人と中国の実情、そして阿片に費やし、日本(人)と中国の関係などもあるが、中でも宣教師と布教については2つの章を割いて実例を挙げて「糾弾」ともいえる記述をしている。
 事業家や政府役人は概ね都市部に所在するが、宣教師は啓蒙などの使命から、辺鄙なところに所在し、危険なところなどにも出かけたりして、中国の実体を事業家や政府役人より詳しく知っているからである。
 他方で、米国では富める人も貧乏な人も分に応じた寄付をすすんで行うのは、それが有効に使われているという認識に立っているからであるが、中国での布教は不毛の歴史であったし、いま(当時)の布教活動の実態は国民の期待に沿うようなものではないとバッサリ切り捨てる。
 カトリックやプロテスタントを問わず、ミッション・スクールには米国から多大の金が投入されているが、聖職者になるのはほんのわずかでしかない。宣教師が中国人の孤児を育てても、成人して泥棒の親玉になって育てた宣教師を狙う話なども書かれている。
 宣教師の敷地を貸したら、ついには住みついて、返却を要求しても逆に損害賠償を請求される状況であるという。
 こうした事例をいくつも挙げ、他にも理解できないようなこと、理不尽なことが数え切れないほどあるが、ともかくこうした実態は何一つ本国、なかでも支援者たちに全然伝わっていないし、事実は全く逆のことになっているという。
 タウンゼントは上海や福建省で見た宣教師を主体に論述しているが、南京の宣教師たちも日本軍を悪者にする嘘を捏造してでも報告するのが中国(蒋介石政権)を助ける道という意識が通底していたと思われる。
 だからこそ、南京の宣教師たちは、日本軍兵士が行ったとする掠奪、強姦、放火(これらも中国敗残兵によるものが多いとみられるが)などを大虐殺に仕立てる蒋介石のプロパガンダ作戦に進んで協力したのだ。
宣教師による米国内の宣伝行脚
 国民党・政府の意を受けて大活躍するのはティンパーリーである。
 日本の罪行を告発する『WHAT WAR MEANS』を著述する前から、国民党外交の主目的である米国への工作を推進する。
 南京安全区国際委員会委員で国際赤十字委員会委員長でもあったアメリカ人のジョン・マギー牧師が撮影した金陵大学病院で治療中の民間人負傷者を示す16ミリ・フィルムが宣伝に活躍されることになる。
 ティンパーリーは米国人のジョージ・フィッチが持参したこのフィルムを見て、一計を案じる。フィッチはYMCA理事で、教会の関係者として、またロータリー・クラブの会員など交友範囲が絶大なことから、全米の宣伝マンにする発���である。
 「ハル(国務長官)からはきっと会見を申し込まれるだろうし、もしかすると、大統領(ルーズヴェルト)とも会うようなことになるかもしれません。彼のワシントン行きは、将来アメリカの中国政策にとって重大な意義をもつようになるでしょう」(北村著)とまで述べている。
 実際にマギーのフィルムをもって渡米したフィッチがたどった道を眺めてみよう。
 1938年1月19日、日本軍の許可を得て、軍用列車で日本兵とともに南京から上海へ行く。
 このとき、虐殺場面を撮ったとされるネガ・フィルム、8リール(ほとんどは大学病院で撮影したもの)をオーバーの裏地に縫い込んでいたため、「少し気を遣った」という。
 上海では直ちに複写するためにコダックの営業所に行き、4セットを作成する。
 フィッチは約5週間滞留しており、ティンパーリーに会い、米国での面会者などの根回しをしたに違いないが、ティンパーリーのことも、滞在間に何をしたかについても一切言及していないとされる。
 2月25日に上海を立ち、香港を経て広州からハワイに飛ぶ。ホノルルでは「ある中国人グループと食事をし」、次のサンフランシスコでは中国総領事に会い、「中国人の友人」も交えてチャイナタウンで会食する。
 さらに「ロサンジェルスなどで持参のフィルムを交えた2、3の講演会を行った」という。
4月18日、ワシントン着。国務長官や大統領には会えなかったが、国民政府の米国大使・王正廷に会い、また旧知のホーンベック国務省次官(彼は反日親中の中心人物)の斡旋で中国に関係の深い米国人の要人たちに面会し、下院の外交委員会、戦時情報局、新聞記者団に件のフィルムを見せている。
 その後、ニューヨークに赴き、6月に中西部を経由して7月に再び西海岸に戻り、サンフランシスコで講演する。
 このとき、会場にいた唯一の日本人から「脅迫に近い抗議を受けた」とされる。北村氏は、この頃に日本側もフィッチの反日的言動をマークし始めていたとみる。
 フィッチはこのあと再びニューヨークに戻るが、やがて体調を崩して入院。11月10日に西海岸のロングビーチから中国への帰途に就く。
 「フィッチのアメリカでの活動は文字通りの大旅行であり、多額の資金と周到な計画を必要としていた。これら全てが、国民党国際宣伝処によりアレンジされたことは容易に想像がつく」と北村教授は述べる。
当時の日本側の見方
 『スマイス報告』は、昭和15年、興亜院(1938年に設置され、42年に大東亜省に吸収)に勤務していた吉田三郎氏が上海に調査に行き、同所でアメリカ長老教会のミリカン夫人を知り、同夫人から紹介された金陵大学のベイツ教授から説明を受けた時に入手する。北村教授の前掲書中の「『スマイス報告』の徹底的検証」から、当時の日本がどのように見ていたかが分かる。
 吉田氏は「こういうものを世界中に配って基金を集めているのです。その中には南京地方に於ける農産物の調査、南京地方の人口調査等、いわゆる科学的調査を標榜しつつ、そのことによって日本が飛んでもないひどいことをやっているような印象を世界中に統計を通して与えている。しかしよく見ると科学的な研究という面を被った排日宣伝文書であります」と報告を見抜く。
 その理由として、「南京地方における損害の統計を作る場合に、(中略)火災の場合についていえば、支那軍が逃げる時に放火したために焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。・・・これで見ると皆日本軍がやったことのように見えるのです。斯様に巧妙なる科学戦争というものが世界中に、この機関を通してまかれている事実を見た」というように、的確に指摘している。
 また、ベイツ教授は「今度の戦争による被害が支那全体でどの位あるかということを書いたものですが、それを是非読んで貰う必要ある」として「WHAT WAR MEANS」を紹介する。吉田氏は上海の書店で��手する。
殺人競争の章を見て、「材料は日本の新聞から取ってありました。何々少尉武勇伝という記事がそのまま載せてあったのであります。そういうように新聞記者が日本の文献その他日本側に不利な情報を編集してできているのがこの本でありまして、かような排日的な宣伝文書は外国人の間に多く読まれている」として危惧する。
 ミリカン夫人にこのことを話すと、「ぎょっとして『あれはあまりよい本ではない。あの書物は熱を以て書かれているのだから、歴史家があれをそのまま談じては困る。あなた方は歴史家であるから、もっと客観的にものをみなければならない。・・・ああいうものが全部であると思われては困る』と言って居りました」と、外国人でも疑問視していたことを指摘している。
 「その書物を見ますと、日本の官憲の或る部分はこの書物を出すことを支持していると書いてある。・・・恐らくそれは嘘だろうと思います。この書物による利益は皆赤十字社に寄贈すると書いてある。なかなか上手に出来ています。かような種類の本がどんどん売れているのですから全く困ったことです。日本の左翼の人がそれを訳すことを許可してくれといって盛んにミリカンのところへ来る」と聞いたと述べる。
おわりに
 当時の日本人の方が賢明ではなかっただろうか。世間の信用をバックに、戦争に伴う「通常の犯罪」(もちろんないに越したことはない)を「大虐殺」に衣替えさせるのに米国人宣教師たちが大いに関係していたのだ。
 すべては全世界に巧妙に張り巡らせていた国際宣伝処の仕業であったことが今や明確になってきたのではないだろうか。
 日本軍も犯罪は犯した。しかし、それは中国が主張するような人道に悖る何十万人の市民を虐殺するなどではなかった。
 中国は依然として「南京大虐殺」を主張し、拡大流布さえしようとしているが、論点のすり替えや証拠資料としていたものの撤去など、綻びも見えてきた。
 日本は決然と否定することが大切ではないだろうか。
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yamashita03 · 6 years
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迷ったら中米に行こう!~戦々恐々とコスタリカを旅する~
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20代最後の夏に思い切って中米コスタリカへ行きました。
幼稚園からの友人が海外協力隊として現地で活動しており、彼を頼りに8月10日から16日の1週間、初一人海外へ出て行きました。
コスタリカで見たものや経験はどれもみずみずしく新鮮なものばかりで、この気持ちが少しでもフレッシュなうちにメモを残しておきたいと考え、帰国の途につくコスタリカサンホセ空港にてキーボードを叩き始めました。(が結局書ききれたのがだいぶ後になってしまいました汗)散文的な内容になることを恐れずゴリゴリ書いていこうと思います。
【コスタリカの概況】
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言語はスペイン語。国教はカトリック。そのため街の要所には教会が立ち並んでいる。
コスタリカの歴史は基本的にはスペイン人統治時代から始まり、それ以前の先住民の歴史的、文化的な遺産などの観光資源に乏しいのが現状。
しかし、先住民たちが森を切り開き巨大な文明を築かなかったことと恵まれた気候から自然が非常に豊かで九州と四国を合わせた程度の国土面積に、地球全体の5%もの動植物が存在すると言われている。
国はこの点を自国の観光資源として捉え、国土の多くを国立公園として保護し、その自然の中を探索する『エコツーリズム』を世界に先駆けて始めた。これが世界に受け入れられ、それまで農業依存だった国の経済構造を好転させた。
そのほかにも軍隊を持たない平和国家として、軍事費に充てていた費用を教育や医療、再生可能エネルギーなどに投資し、前述のエコツーリズムに加え、中南米で屈指の教育、福祉、自然エネルギーの国として強い国家アイデンティティを保有している。(日本も見習いたい)
街の観光地はどこもごみが少なく、水道水も飲めるのは中米に限らず世界的にも希少な国のひとつではないだろうか。
【コスタリカの人々】
・観光地のガイドからUberのドライバー、クラブに来ていた若者に小学生まで様々な人と触れ合ったが総じて気さくで穏やかな人が多かった印象。車の運転もアジアなどに比べても丁寧な感じだった。
・観光地やホテルでは英語を話せる人が非常に多いため、スペイン語が苦手でもガイドを受けたり簡単なコミュニケーションは十分可能(ただし自分は英語もできなかったため状況は変わらなかった)
・中米の中で治安が良く経済が安定していることもあり、多くの移民が存在し、とくに貧しいニカラグア人が市街地でホームレス化している現状が社会問題となっている。そのほかにも社会情勢が不安定なベネズエラ人なども目立った。
私のコスタリカ旅行
友人が1週間のバカンス休暇を取りほぼ土地勘もコミュニケーションもできない私にほぼ24時間付き添ってくれて様々な場所に行かせてくれました。
現地で撮った写真を見ながら適当な順番と粒度でコスタリカについて語りたいと思います。
1.市街地の風景
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成田からヒューストンを経由し、サンホセ空港に到着。
駅からバスでサンホセ市街地へ出て街を散策。初めての中米だが、町の雰囲気は東南アジアとも近い印象。首都ということもあり、おそらく単純に国の経済力、発展度によって似た雰囲気の街が出来上がってしまうのかもしれない。(日本も昔はこうだったのかも)
市街地には人通りが多い。また、路上に座り大声で物売りをする人も多く見かけたが、友人曰く彼らはニカラグア移民だとのこと。あまり近づかないようにした。
2.食事
「コスタリカの食事はマズイ」と友人から聞かされていたため戦々恐々として乗り込んだものの、総じておいしかった。ただし、値段の割に(というか高い店に限って)全くおいしくない店もあり、その辺はどんな店でも一定のクオリティは保っている日本の外食店文化のありがたさを感じた。
<上流国民編> 
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初日夜は友人の現地の友達で日本に留学経験もあるというコスタリカの方とコスタリカの中ではちょっとハイソな街で夕食。とてもいい方たちだった。
写真は2件目に行ったビールバー。クラフトビールの飲み比べができた。
※ここに関わらず外食費は総じて日本よりやや安いものの大きな差はなく、中米の中では非常に高いとのこと。家族を大事にし、家での食事を重んじる国民性があるとはいうものの、平均月収が日本の数分の一ということを考えると外食はなかなか大変な出費になるのだと思う。
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山でのレジャーや森の散策を楽しめるモンテベルデ自然保護区で止まったホテルの隣にあったレストラン。モンテベルデという土地柄もあり周りは外国の観光客だらけ。
キャンドルがあったりと店の雰囲気は日本の都会のおしゃれレストランさながらな雰囲気だったが、料理は10ドル弱、ワインもボトル15ドル程度となかなかのコスパ。そして味が抜群にうまかった。この旅の中でもトップクラスに満足した食事だった。
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同じくモンテベルデでの食事。わかりづらいが、本物の大木をそのまま残し、その周りに3階建ての建物を巻きつける(?)ような特徴的な構造を持ったモンテベルデの有名レストラン。パスタは15ドル程度と結構お高め。
ただ申し訳ないが味がマズかった。4分の1程度しか食べれなかった。友人が「コスタリカの料理は味が薄い」と言っていたのはこれか!と納得。
その後パスタは宿へ持ち帰るも、部屋に置いておいたら蟻の餌食となり無事死亡。
<庶民編>
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友人行きつけという現地の食堂にて。コスタリカでは米(左)、レモンとパクチーの効いたサラダ(中央)、ポテト(右)、豆(奥)を基本セットに、そこに豚肉やチキンなどのメインが乗るワン��レート料理がスタンダード。
米はタイ米などに近く、日本のよりも細長くて水分が少ない。また、黒い豆と米を合わせて炊くとコスタリカの伝統料理「ガチョピント」となる。
だが、米と豆を別々に食べても味は大差ない。
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これは別の店だが、基本は一緒。そこに焼きバナナなどがついていた。
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モンテベルデの屋台にて。鶏むね肉とポテトというシンプルで豪快なファストフード。非常にボリューミーだが500円程度。美味しかった。
<家庭料理編>
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チフリーゴ。友人がお世話になっているホストファミリーのお家に自分もお邪魔してごちそうになった伝統料理。
ご飯に鶏肉と豆が乗っており、そこに刻んだトマトとパクチー(←これもよくコスタリカで出てくる)をお好みで載せて食べるどんぶり。鶏肉にトマトの酸味やパクチーの刺激が合わさりとても美味しかった。
米を食べる文化があるため、各家庭に炊飯器もある模様。(米があるのはありがたかった・・・)
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朝は旦那さんのほうが準備してくれた。ガーリックトーストにソーセージに卵、そしてパパイヤとかなりボリューム満点でおいしかった。
3.文化編
<原住民編>
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原住民が木の実などをすりつぶす際に使用していたとされる石の机。独特な形状が面白い。石工技術の高さがうかがえる。
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よく日本のテレビなどでもコスタリカを紹介する際に一緒に出てくる謎の石球。その製造年代や製造方法、作られた目的などが不透明で一部ではオーパーツの一つともいわれていたが、現在では研究も進みその謎が徐々に明らかになっているとかいないとか。
ちなみに写真は国立博物館にあったレプリカ。本物はコスタリカの郊外にあるため、観光地にはしばしばこのようなレプリカが置かれていた。
<建造物>
国立劇場
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コスタリカを象徴する建造物の一つ。この建物を壊したくないがために内紛が起こらない、と言われるほど現地人からも愛されているという建物。劇場内部も見学ができる。
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息を飲むほどの迫力。今なお現役の劇場として使用されており、しばしば日本の能や和太鼓の演奏なども上演されるとか。
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受付兼待合室。豪華すぎて落ち着いて待てなさそう。
ロスアンヘレス大聖堂
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首都サンホセの隣の県カルタゴにある大聖堂。国内各地から人々が巡礼に訪れる聖地で建物も非常にでかい。
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中の造りも荘厳で素晴らしい。礼拝に訪れた人は中央の通路を膝立ちで移動して祭壇へ向かう慣習があるようだった。我々は邪魔にならぬよう脇の通路を回って見学した。
<若者文化>
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現地人が多く集まる深夜のクラブへ友人と2日連続で繰り出した。入場前にID(自分の場合パスポート)と場所によってボディチェックが行われ、さらに場所によっては入場料も支払う。
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クラブで飲むのは大体ビール。他の酒より値段が安いため、お金のない現地の人もビールばっか飲んでいるとのこと。
ちなみにコスタリカのメジャーなビールはimperialとPilsenの2種類。そしてちょっと高くてマイナーなBAVARIA(写真)がある。味はimperialが薄くて軽く、Pilsenは少し香りとえぐ味が強い印象。BAVARIAはその中間といった感じ。
美味しかったのは写真に乗せたBAVARIAのゴールド。一番日本のビールに近い。時点でimperialのsilverという種類のもの。
BAVARIAはあまり扱っているところが少ないため、一通り飲んだ後はimperialを選んで飲むことが多かった。
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左の黒人Jango。入場の手続きで手間取っていると後ろから声をかけてきた。身長めっちゃ高いし超怖い。
でも本当は荷物を預ける場所を教えてくれようとしていたこのクラブ界隈の従業員?オーナー?的な人だったらしい。その後テキーラを2杯もご馳走してくれた。めっちゃ気さくでいい人。
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ぶれぶれ。お酒飲みながら爆音の音楽を聴いてるとある若者グループの輪に招かれて一緒に踊ってた。なんとなくアジア人で(自分は楽しんでたけど)周りになじめてないオーラが出ていたのか誘ってくれたのだと思う。
言葉は通じないけどお酒もあいまって身振りや表情でコミュニケーションを取る感じがなんとも楽しかった。
友人が話したところそこのグループにいたほとんどの人がベネズエラ人だったとのこと。ベネズエラといえば近年の超インフレで経済が破綻寸前、首都の治安は世界最悪と言われている国。あんなに気のよさそうな彼らの背景にそんな深刻な事情があるのか、と色々と考えさせられた。
4.自然編
上でも触れたモンテベルデ自然保護区にて、昼と夜の森林散策ツアーやキャノピーなどのレジャーを体験した。
昼はオランダ人の家族と一緒にガイドの話を聞きながら野山を散策。
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トゥカーン(の子供)
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なんか笑顔の木
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景色が一望できる!と思ったもののあいにくの雨。朝は晴れていたのに、、
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羽が透明な蛾?
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ゴミをあさっていたアライグマ。全然人を怖がらない。
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ちょっとここからはモンテベルデではないけど、
これは幻の鳥といわれるケツァールを見にいくツアーでの朝の集合場所のロッジに来ていたハチドリ。
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で、1時間以上何か所もポイントを回ってやっとお目にかかれたケツァール。 これはメスのため尾が短いが、オスはもっと尾が長く色も鮮やか。残念ながらこの日オスはお目にかかれず。
5.その他
帰国最終日にどこ行きたいかを友人に尋ねられ、彼の職場のゴミ収集センターと地域の小学校へ行くことに。
サンホセのゴミ収集センター
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回収されたごみたち。袋の中身はまだまだ分別が行き届いていない状態。
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各地から届けられたごみ袋はこの台で職員の方が一つ一つ開封し手作業でごみを仕分けている。
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普段はこの仕分け作業をおばちゃん2~3人で行うそうだが、この日は民間企業からCSR活動の一環と職場体験ということでさらに数名参加していた。エライ
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ペットボトルは無色と有色のものを分けてプレス。プレスすることで輸送にかかるコストを下げている。
これらは民間の業者に売却され、資源として再利用される。
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段ボールも同様。談笑しながらも手際よく潰してトラックにつめていた。
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外では家庭のごみなどを持ってくる人がごみを捨てていた。まだまだポイ捨てなんかも多く、ゴミに関しての市民の意識が低いとも感じられたが、このように律義にごみを持ってきて捨ててくれる人がいることがありがたいとのこと。
サンホセの小学校
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その後サンホセの小学校にアポなしで突撃するも、友人の顔パスで難なく入れた。
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カメラを向けると照れて顔をそらす子供。なんかとても開放的で自由な雰囲気。
生徒たちは全員1日学校にいるわけではなく、上級生と下級生が曜日ごとに午前、午後の授業日を交代でまわすようなカリキュラムを取っているそう。
例えば月曜日の午前が上級生の授業なら、午後には上級生は下校し、下級生が授業をする。火曜日はその逆、といった感じ。
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後者が”ロ”の字型になっており、中庭が校庭になっており、中央の礼拝堂を挟んでコンクリートのバスケコートが二面あった。
ただしバスケを行っている生徒は誰もいなかった。コスタリカ人はサッカーが好きだからフットサルコートにでもすればいいのに。
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牛乳パックを再利用してできた机だそう。木のように固い。
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体育の時間で誰もいない教室。
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パソコン教育も行われている。ここのパソコンも友人の協力隊活動の一環で企業から提供されたもので、この部屋はそのために新たに作られたものなのだそう。
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食堂。おやつにフルーツを振る舞われることも。
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帰り際に先生に挨拶をすると我々もフルーツをゲット。リンゴをむしゃむしゃ食べながら帰路についた。
さいごに:コスタリカを旅行しての感想いろいろ
1.意外と多かった、日本を親しんでくれる人々
この旅で最も印象深く嬉しかったものの一つが日本に親しんでくれている人が多かったこと。上でも述べた初日に紹介してもらった女性たちのほかにも、例えば2日目に行ったクラブでは「日本人!?」と声をかけてくれたコスタリカ人がいたのだが、彼はなんと3月まで我々の地元の宮城県の東北大学に留学していたとのこと。
さらに4日目に利用したUberの車の後ろにはなぜか日本の国旗が飾ってあって、話を聞いてみると彼は日本にこそ行ったことないものの、日本の興味があり自主的に日本語を学んでいるとのことだった。友人曰くこんなに色々と日本を知っている人に出会うことは珍しくてラッキーだったとのこと。楽しい出会いのある旅行だった。
2.中米への関心が深まった
当たり前すぎる小学生並みの感想だが、こちらも自分の心に大きな変化をもたらした。
先ほども述べたようにあまり日本人にとってなじみのないコスタリカだが、地球の裏側では日本に関心を持ってくれている若者たちがいる。そしてみんな気さくで親しみやすく、とても可愛げのある人たちだった。
日本に興味を持ってくれている人たちがこんなにもいてくれていることを考えるとすごく嬉しく感じたのと同時に、自分たちももっと海外に目を向けていかなければいけないと感じた。
さらに前述したベネズエラ人との出会いも考えさせられるものがあった。恥ずかしながら自分はベネズエラなんていう国は国名を知っている程度の知識で、彼らに出会わなければきっとこの先もベネズエラに関してここまで関心を抱くこともなかったと思う。
帰国してすぐに、超インフレが進むベネズエラでは桁を減らすための新たな通貨の単位を作るという経済政策が打ち立てられたとのニュースが入ってきた。もちろんこんな政策ではさらに経済を混乱させることになりかねないという見方が大半だ。経済が混乱すれば他国への移民問題もより深刻になるだろう。これから先中米はどうなるのか、今後の情勢には色々と関心を寄せていきたいと考えるようになった。
3.外国語を話せるようになりたいと思うようになった
今回の旅行は友人のサポートもあり様々な出会いと気づきのある非常に楽しい旅行だったが、それゆえに言葉を理解して自分の気持ちを伝えられないもどかしさを抱えていた。
例えば彼のホストファミリーの家にお世話になった際も、食事を「美味しい」という気持ちすらうまく伝えられず非常にもどかしかった。お土産に持って行った九谷焼についても、本当はその背景にある日本の文化や歴史なんかを話したいという気持ちはあれどそんな高度なコミュニケーションが取れるはずもなく、、
ホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが本当に親切にしてくれただけに、自分の気持ちを言葉で伝えられない歯がゆさがあった。
海外旅行は恐らく簡単な英語と身振り手振りで頑張れば、観光地を巡ったり宿に泊まったりなどある程度の目的は達成することができると思うし、実際自分もその程度で良いと考えていた。
でも海外旅行で一番楽しいのは現地の人との生のコミュニケーションだろうと思った。その土地の人が何を考え同くらいしているのか、そういったことを言葉を介して理解し、また自分の考えも相手に伝えられるようになりたいと強く感じた。
せめて日常会話レベルの英語でも身につけたい。。30年弱の人生で今が一番外国語学習欲が高まっていると感じている。今やらないと一生やらない気がする��で、ひとまず本を読みながら拙いながらも話せるように勉強中。
4.ごみのことに関心を持つようになった
友人の職場に行き、いろいろとごみへの思いを語ってくれたこともあり自分もごみへの関心が高まった。
自分が普段何気なく出しているごみも処理には多くの人手が必要ということ、作業はハードなこと、そして何よりも地球上の多くの人が関わり、今後も関わり続けていかなくてはならないものだということ。
現地の方の仕事ぶりを見て説明を受けると、自分もなにかできないか自然と思いを巡らせていた。
例えば友人はごみを出す段階で分別がされていないことがひとつの問題と言っていた。
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なるほど、確かにゴミ箱は色分けされてどこに何を捨てるべきかが分かりやすくなっている。
ただ、ちょっとデザインの観点から考えてみるとゴミ箱の上にはごみの種類が分かるような絵を入れたり、ゴミの入れ口を入れるごみの形にしてごみを捨てる行為をアフォードさせるような施策があってもよいかと感じた。
現状だと識別する要素が色と小さく書かれた文字のみのため、例えば歩きながら街を歩く人がごみを捨てようとした際に反射的に自分が捨てたいごみの正しいゴミ箱を判断しづらいのではと感じた。色とごみの種類に明確な関係性がないため、ほかの要素で使い手に正しいゴミ箱を反射的に認知させる仕掛けが必要と考えた。
日本のごみ箱はまだそのへんが少し良くできていて、入れ口の直下に何を入れるごみ箱なのかを絵と言葉で入れることでごみを捨てる人の目に必ず入るように工夫されているとともに、口の形状で何を入れるべきかを感覚的に示している。
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缶やペットボトルなど、入れ口を丸くすることでそのごみ箱が飲み物の容器を捨てるものだと把握できるのと同時に、丸い形状に筒状のものを入れたくなる人間の心理も上手に作用させている。
そんな小さな改善を重ねながら、街がもっと綺麗になってコスタリカ人のごみへの関心が高まることを願っている。
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gunosy-news · 4 years
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もう限界!食べすぎて嫌いになった「大好物」
集計期間:2020年4月18日~4月20日 回答数:15035
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大好物の食べものは、どれだけ食べても飽きることはない…そう思っている人って、けっこう多いのではないでしょうか。
しかし、物事には限度があるもので、嫌というほど食べれば文字通り嫌いになってしまうことだってあるでしょう。そんな食べもの、貴方にはありますか?
今回は「あんなに好きだったのに、食べすぎて嫌いになってしまった食べもの」に関する調査を行いました。
食べすぎて嫌いになった食べ物はありますか?
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回答者15035名のうち、食べすぎて嫌いになった食べものがある人の割合は、全体の約28.4%という結果になりました。
ここからは、何を嫌いになったか具体的な意見を見ていきましょう。
あんなに好きだったのに…
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<肉類>
・バーベキューのやりすぎで焼肉が苦手になった
・しゃぶしゃぶで、牛肉をたべすぎ、それから、あまりたべられなくなった。
・焼肉のせんまい。独特の食感にハマって一時期は焼肉に行くとせんまいばかり食べていたけど、突然飽きてしまい今では全く食べません。
・すき焼き。昔、1人暮らししてた時に いつもコンビニ弁当を食べてたので正月休みの時にたまにはちゃんとした物が食べたいと思ってすき焼きの材料を買いすぎて正月休みの間ずっとご飯はすき焼きを食べてたら嫌いになった 
・子どものころ、母親がハンバーグばっかり作るからマジ嫌いになった。最近はわりと好き
・子供の頃、脂身たっぷりの豚の角煮を食べ過ぎて夜にリバース…トラウマで今も脂身が食べれない。
・冷凍春巻きを高校時代毎日お弁当に入れられてしばらく食べられなくなりました。
・幼い時、冷凍餃子を食べ過ぎて、冷凍餃子が嫌いになりました。
・学生時代、冷凍コロッケを常備していて、晩ご飯で困った時はコロッケを食べていました。あまりにも食べ過ぎたので、嫌いになりました。
・給食で出てた、鯨の竜田揚げ。休んだ人の分まで貰って食べてたら、食べ過ぎたのか、戻してしまった事があります。
・レバー大好きな子どもでした。少し体調が悪い日の夜ご飯にたくさん食べてしまい・・・その夜もどしてしまった。その匂いでたべられなくなりました。
・缶詰のポーク。幼い頃は生で食べるほど好きだったが、暫くの間食べずに過ごしてて久々にポーク卵おにぎり食べたら体が受け付けなくなっていた。
・関西出身で中部地方に嫁ぎました551蓬莱の豚まん大好きですが中部地方は冷凍しか販売しておらず里帰りした時は30個購入し帰路の車の中でまた帰宅後・次の日約24時間、家族三人で完食してましたが食べすぎて現在、豚まんとは疎遠になっています
・肉まんが大好きで 冬場6から7個を毎日食べていたら10 kg あっという間に太ったのでやめた。
<野菜>
・野菜が嫌い。小学生の時の朝食は毎日、ボウルいっぱいの野菜サラダだけだった。パンとか肉(ウインナーとか)など全くなし。食べ終わらないと学校に行けない。妹は時々遅刻していた。なので今の野菜嫌いはそのせいだと思っている。
・病院食に出るブロッコリー
・嫌いというよりアレルギー。昔ナスとトマトの農家で、食卓が出荷できないナスとトマトのメニューばっかりだった。今はアレルギーでどっちも食べられない
・椎茸。姉の嫁ぎ先で椎茸の栽培をしていた。遊びに行くと山の様にくれた。最初は美味しく食していたが、程度問題。鼻につきだし、もう見るのも嫌になる。
・しいたけが小さい頃大好きで、しーさんと呼んでよく食べていたら、大人になったら嫌いになった。
・メンマが大好きで瓶で食べてたら、大人になって食べれなくなりました
・子供の頃きゅうりのキューちゃんという漬物が好き過ぎて大量に食べた数時間後吐いてしまいそれ以来食べられなくなりました…
・大根小さい頃に毎日大根の味噌汁が好きで作ってもらって食べていた結果、今では大根どんな調理方法でもダメです
・子供のころ、毎食トマトを1人1個食べさせられていた。毎食なので、平日��1日2個、休日は3個。成人し、家を離れてからトマトは食べなくなりました・聞けば、兄弟3人とも離れてからトマトは極力食べないようになったと言ってた。
・毎日アボカドを2年くらい食べていたら食べたくなくなりました
・かぼちゃ妊娠中食べすぎて、今はもう食べたくない…見るのも嫌
・パクチー好きで食べすぎてカメムシの臭いに感じ出して以来食べられなくなった
・ネギが大好きで、何にでもかけたり、入れたりしてましたが、あるラーメン屋さんで、入れ放題だったんですが、何故か物凄く臭くて、吐いてしまい、それから、食べられなくなりました。
・きゅうり。となりのトトロでおばあちゃん家の畑で取れたてのきゅうりを食べてるメイちゃんのシーンを見て、当時幼稚園生の私は毎日2本丸かじりして食べてました。おかげで今はあの青臭さが苦手でウリ系全般苦手になりました。
・銀杏が子供の頃好きすぎて親戚と温泉に行った時みんなの茶碗蒸しから銀杏貰っていっぱい食べたら気持ち悪くなってみんなの前で吐いてしまいそれから銀杏食べれなくなった
・竹の子、シイタケ。田舎の暮らしは貧乏だったので、竹の子の季節になると裏山に次から次へと生えるたけのこが、毎日毎日食卓のおかず。大皿にいっぱいのたけのこの煮物。無くなると、また母が作り、時期が終わる迄、たけのこと、タクアンの漬物だけがおかず。米農家だったので、ごはんには事欠かなかったけど椎茸も同じような物で、裏山の松の木の枝に椎茸菌を植え込み、育った椎茸を売りに出していたので、季節問わず椎茸の煮物ばかり。母は農作業に忙しく、料理もあまり工夫もなくて、煮物しか作らない大人になっても暫くは、食べたいとは思えませんでした。還暦を過ぎ、やっとたけのこと椎茸のシブい味がわかるようになり、たまに食べてます。
<果物>
・実母の実家が農家をしていてイチゴ、スイカ、メロンが食べ放題…食べ過ぎた結果、食べると口の中がかゆくなるようになり、以降は食べなくなりました。
・メロンが好きで沢山食べていたら口が痒くなり、あまり食べれなくなった。
・キウイフルーツ。子供の頃にたくさん食べたら酵素で舌が痛くなり今はちょっと苦手になりました。
・パイナップル。食べ過ぎて舌が痛くなり嫌いになってしまった。
・梨。水分はいいけど、果肉が意外と腹に溜まる
・りんご。若い頃、りんごダイエットをしていて、一生分食べました。もう食べる事はないと思っていましたが、昨年、再びりんごダイエットをして、もう一生分を食べました。今度こそはもう食べる事はないと思います。
・バナナダイエットの流行に乗って食べたバナナ。あの時に食べすぎたせいで今はバナナの匂いだけで気持ち悪くなる。
・妊娠中にプルーンを食べ過ぎて嫌いになった
・スイカ。小さい頃志村けんの真似をして食べ過ぎてから今じゃ食べられなくなった。
・記憶にないくらい幼少期にレーズンを一袋1人で食べたらしく、(母親から聞いた)お腹を壊したか吐いたのか、口に入れると吐き気を催す。
<魚介類・海産物>
・子供の頃に生牡蠣が大好きで食べていたのですが今は食べると気持ち悪くなるし売ってるのを見ても美味しそうに見えないです。
・骨折後に小エビを食べすぎてその後はしばらく食べたくなかった
・ホタルイカを沢山食べて、食あたりを経験し、それ以来、たべつけなくなった。
・高校生の頃シーチキンを食べ過ぎて嫌いになりいまだに食べられない
・イワシが髪に良いと聞いて毎日食べ2ヶ月 さすが飽きました。まだまだあるけど何か美味しい食べ方ないかな?
・鮪とかの刺身。前夫の実家が都内で魚屋をやっていて近所だったから毎日のように、鮪のブツやら姑が調理した魚料理がワンサカもらって(要らないといっても強制的に持たされた)必死で前夫と食べてたから、もう食べたくない。でも再婚した夫は刺身大好き。‥仕方なく少し食べてるけど。もう一生分食べたから要らない。
・数の子。正月に祖父が、私のお皿に永遠に数の子を乗せて来たので、残してはいけないと食べ切った。
・うなぎ私が子供の頃、魚屋で働いていた母親が、売れ残りのうなぎの蒲焼きを、度々もって帰ってきました。ゴムみたいになったままの蒲焼きを何度も何度も食べることで、うなぎの蒲焼きが好きでなくなりました。きっと美味しかったら嫌いにならなかったと思います。
・タコですね。子供の頃なんか忘れましたが、食べ過ぎて熱を出し寝込み50年位前ですが、今は見るのは大丈夫だけど、食べれませんね
・鯖寿司。母が好物で、美味い店を見つけたと言っては1人一本買ってきて食卓に出しました。最初は良かったんですが、ずっと続いたせいでその内一切れも食べれなくなりました。
・しじみが大好きで、お味噌汁のしじみを、母親が良かれと殻をとって身だけをいっぱい入れてくれたが、その様が気持ち悪くて嫌いになった。
・寿司が苦手です。板前として働いていたので、食べません。
・大トロが小さな頃から好きで回転寿司や回らない寿司屋で食べまくっていたら高校くらいから気持ち悪くて食べられなくなりました。
・ムール貝。知り合いのお店に遊びに行ったら何故かムール貝のお料理が次々に出てきた。食べきれない程の種類と量に、お店中の人にもお裾分けしたがまだ余る。帰宅後、死ぬほど吐いたが、それ以来ムール貝は食べれない。
・修学旅行で北海道に行った時お店のかたが良かれとイクラ丼を超大盛りにしてくれて、正直そんなには…と思ったけど好意に悪いなとも思い、無理して食べた結果もう二度と食べなくなった
・親が海産系の仕事をしていて小さな頃はよくいくらや刺身を食べていたが、今ではあまり好きじゃなく、特にいくらはなるべく食べたくない
・しゃこえび好きで食べ過ぎて当たった。吐いて下痢してを一晩中繰り返して、二度と食べれなくなった
・だいぶ前の話ですが、カニ食べ放題で食べてしばらく食べれなかった。今もあまり好きでは無いです。
・お寿司のエンガワ。廻るお寿司屋さんで初めて食べた時、とても美味しかったので、エンガワ、エンガワ、エンガワと5皿も食べ続けていたら、次第に脂の味しか感じなくなり、それからそれを思い出して食べられなくなった。
・髪が黒くなると言われ、ひじきをいつも食べさせられて嫌いになった。
・切り昆布の煮物。毎日どんぶり1つ食べてたが吐き気がする様になってやめた
・うなぎ。子供の頃、身体が弱く、また好き嫌いが多かった私を少しでも栄養が高い物をと両親が印旛沼の専門店まで毎週買いに行ってくれて、週3くらい食べていた。幼稚園の弁当にも入れてもらい、アルミの弁当を冬にストーブの近くに置いてあたためてもらうと、うなぎだと匂いで周りの子にバレ、ウナギ女とあだ名をつけられて、食べ過ぎと嫌なあだ名が重なり嫌いになった。
・牡蠣です。昔から酢牡蠣が大好きで、頻繁に食べていたが、大学自体あたりから、いわゆる酢牡蠣で食当たりするようになり、その頻度が上がってきた。社会人になっても、性懲りもなく食べていたが、30過ぎたあたりから体が受け付けないというか、食べたいと思わなくなった。一度、食べざるを得ない状況となり、食べたところ、やはり体調不良となり、今では食べたいどころか、あまり見たくもない。
<ご飯もの・お餅>
・卵かけご飯です。小学生の頃、毎朝食べていたら、突然苦手になりました。今は食べれないわけではありませんが、基本的には食べません。
・学生時代に炒飯を毎朝出されて見るのも嫌になりました
・お餅が大好きだったけれど、かなり毎日食べ過ぎて苦手な食べ物なってしまった!
・香川県白鳥町のぶどうもちがあまりに美味しすぎて食べすぎたので何年か食べれなくなった事がある
<麺類>
・東日本大震災の後、コンビニにミートソースがいち早く並んだため、当時は好物で苦にならず連日おにぎりと食する日々が続いたが、ある日を境に身体が受け付けなくなり、今も可能な限りパスタは食べたいと思わなくなってしまいました。
・冷やし中華、チャーシュー小学生の時に食べ過ぎて。ちらし寿司バイトのまかないで食べすぎて。
・カップラーメンやインスタントラーメンが好きで中学生の時にほぼ毎日間食のように食べてたら今では風味が嫌いになりました。ラーメン自体好んで食べるものじゃなくなってしまいました。
・子供の頃、親が仕事をしていたのでインスタントラーメンを自分で作って食べてました。2年間食べて小3から食べていません。
・素麺を高校のクラブの合宿でバケツ一杯食べさせられて、素麺を見るたびにあげそうにない。
・35年ほど前に朝昼晩と1日3食×7日間、大好きな焼きそばを食べたら大っ嫌いになり、未だに食べられません。
・小さい時にお昼となると焼きそばかナポリタンが出て、しかも味のむらがあり、あまり美味しくなかった記憶があり、今でも苦手です。
・シンガポール仕様の「出前一丁」。日本より食材の値段が高く驚いて、スーパーで取り敢えず安かったこれを買って、こればかりお昼とかに食べていたら、本当に心底飽きて食べられなくなった。日本に帰ってきてからも一度も買っていない。
<豆類・大豆製品>
・小さな時に、納豆好きで食べてたが…中学生以降、突然嫌いになり、それから食べて無い
・貧乏だった幼少期に豆腐を食べさせられて今も嫌いです。多分、あの時期に一生分の豆腐を食べました
・小豆水ダイエットで毎日食べる茹でただけの小豆。痩せるし健康になるけど食事が楽しくなくなる。
・小学生の頃、家族でおばぁちゃんちに行った際、親戚から送られてきた落花生などがあり、1歳下の妹と一緒に落花生をどれくらい食べれるか競争して、食べ過ぎてしまったのか気分が悪くなり嘔吐してしまいました。それ以来、落花生を食べるのが怖くなり、食べず嫌いしています。アレルギー検査など1度もした事がありませんが、食べ過ぎでアレルギーを起こすという事例も多いと聞いたので、もしかしたらアレルギーになっている可能性ありますね。
<乳製品>
・中学生の頃、給食に出ていたスライスチーズが気に入って友達の分ももらって食べていたが、食べ過ぎて嫌いになった。
・ホイップクリーム10代までは美味しく食べていました。親元を離れてケーキバイキングに行けるようになり好きなだけ食べましたがある日突然気持ち悪くなり体が受け付けなくなりました。今では大嫌いです...。
・中学受験の頃にナチュラルヨーグルトにハマり、毎日500mlのパックを1つを3か月位食べ続けた結果、その後10年以上は「一生分のヨーグルトは食べたからもう食べない」と一口も食べられなくなった。最近また少しずつ食べるようになったけれど、まだ好きには戻れない。
<お菓子・スイーツ>
・ケーキ屋に勤めていた兄がチョコレートケーキの端切れを毎日持って帰って来てくれましたが、余りにも食べ過ぎた為それから10年程食べられなくなってしまいました。ある時たまたま食べたらとても美味しく感じられ、それ以降はまた食べられる様になりました。
・小学生の時の誕生日に、どうしてもケーキをワンホール一人で食べたいと言い張り、食べ過ぎて吐き、それ以来生クリームのケーキが嫌い。
・和菓子。以前のパート先で午前、午後の休憩時、年配の先輩から毎日和菓子の差し入れが(-_-
・嫌いにまではならずとも、一時的にドはまりして食べ過ぎたが故に飽きてしまい、自らでは殆ど買うことがなくなってしまったお菓子が多数あります。
・子どもの頃、コアラのマーチが大好きでした。家でコアラのマーチを食べていたら、盲腸のマックスの激痛と重なってしまい、それ以来トラウマとなり手が出なくなってしまいました。
・ゴーフル。小さい頃 大して美味しいお菓子もなかった中で、時々お土産でもらうゴーフルはもう格別に美味しかった。ほとんど自分だけで1缶食べてしまい、その夜 食べ過ぎで 全て吐いてしまいそれ以来 ゴーフルを見ると気持ち悪くなる。
・玉子ボーロ、小さい時大好きで毎日食べていたらある日突然食べると気持ち悪くなった。以来食べると気持ち悪くなるので40年以上食べてません。
・お菓子のおっとっと昔1日1箱食べてたんだけど、いつしか嫌いになってしまった
・小5の頃、やっすいラムネを(透明の箱で黄色の蓋の)をしょっちゅう食べてたら、蕁麻疹出てそれ以来二度とラムネが食べれなくなった
・ポテトチップスのコンソメ味が、発売された当初、母がいつも食べさせてくれたのですが、食べ過ぎて、今では、あまり食べたくないです。
・ポテトチップス、揚げつまみフライ等、油物に吐いて苦しい思いをしたので、もう食べないと思っていました。ずっと、食べずにいましたが、今は、ポテトチップスは、食べるようになりましたが、揚げつまみフライは、まだです
・心太(ところてん)。30年前、高校生の頃にダイエットしようと心太ばかりお腹いっぱい食べていたら気持ち悪くなった。それ以来、食べたくなくなった。
・抹茶。以前は大好きでした。でも今の職場が和菓子工場で毎日毎日抹茶のお菓子の味見やら抹茶その物の匂いにさらされて今では何もときめきません。
・小さい頃きなこが大好きでよく食べていました。しかし、ある時大量にきなこをかけたお餅を食べようとした時、きなこでムセてしまい…。もともと咳がひどく、ムセはなかなか治らず。それが原因であまり好きではなくなりました。
・コーヒーゼリーにハマってよく食べていたが、どんどん食べていくうちに味がマンネリ化してきて結果的にコーヒーゼリーもコーヒーも嫌いになった
・メロンパン。一時期ハマっていて色々なコンビニのものを食べ比べしていたけど、食べ過ぎて嫌いになった。
・プリンが大好きな友人に、コンビニの棚にあるだけのを全部買ってお礼に渡したら、次に会ったときには大嫌いになってた。
・子供の頃にプッチンプリンを食べ過ぎて、プリンが嫌いになりました。が、18歳頃から食べられるようになりました。焼きプリンから。
・小学生の頃輸入食料品店で売っていたシナモンのクッキーが大好きでよく食べていました。ある日いつもの様にクッキーを食べていたら、腕やお腹に赤い発疹が出て、小さな赤いブツブツがどんどん増え繋がって皮膚がボコボコに。蕁麻疹でした。それ以降シナモンの入っている食べ物は食べられなくなりました。嫌いと言うより、また蕁麻疹が出るかも?と怖くなってしまったのです。
・小学生の頃、プチシュークリームを食べ過ぎて、気持ち悪くなり、大人になるまで食べれなかったです。
・父がお土産にコンビニスイーツをたまに買って来てくれるのですが、ティラミスとかエクレアとか美味しいって言うとずっと買い続けるので、正直飽きて嫌いになってしまいました。
・ミルクチョコを食べ過ぎて油分が気持ち悪くなり食べられなくなったことがありました。その際は油分があまり感じられなかったホワイトチョコを食べてました(結局チョコは食べてました
・チョコレート。子供の頃、父がもらったバレンタインチョコを食べ過ぎて、気持ち悪くなってから、嫌いになった。
<飲みもの>
・自動販売機のコーンスープを飲み過ぎて嫌いになりました
・生茶パンダの懸賞でシリアル番号が欲しくて何箱も箱買いした。それでも当たらなくて生茶を飲みまくってたら体が受け付けなくなってしまった…。今でも生茶だけは飲めない。
<調味料>
・餃子にサウザンドドレッシングをかけるのにハマって毎日したらある日吐き気が。それからサウザンドドレッシングが無理。
・マヨラーだったので、ほうれん草のお浸しやツナサラダ等にもマヨネーズをかけて食べていました。ある朝お弁当に持って行くツナサンドを作ろうとして、マヨネーズをツナにかけていたら「ぷちゅんっ!」と容器から出てきてしまったのです。左手に着いたマヨネーズを舐めた途端に気持ち悪くなり、以来マヨネーズは苦手な調味料になってしまいました。
<その他>
・父がピザが安いときにピザばかり食べさせてきて、それ以来大嫌いになりました
・フィレオフィッシュを3日続けて食べたら気持ちが悪くなって食べられなくなった。
・ポンデリングを続けて3個食べたら気持ち悪くなって、何回も挑戦するけど気持ち悪くなってもう食べられなくなった
・うずらの卵の水煮。こどものころ、食べすぎて吐いて、しばらく食べられなかった
・家庭用たこ焼き器が流行った時に買い、母が作りすぎて嫌いになった
・天ぷらを食べすぎてお腹を壊し、以来滅多に食べなくなった。
・チーズタラを食べ過ぎて吐血した。大嫌いになった。
・子供のころ手作りの刺身こんにゃくを食べすぎてこんにゃくと名のつくものは全てダメ
・ダイエットしてこんにゃくとしらたきがにがてになりました
・幼稚園のお弁当で必ずご飯にかかっていた「さくらでんぶ」。一生分食べたので、今はもう見なくてもいい。
まとめ
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みなさんから寄せられた意見をまとめると、
・食べすぎた結果、体調を崩すなど痛い目に遭った経験が多い
・親の仕事内容など、家庭環境が左右する場合もある
・しばらく期間を空けた結果、克服した例も
といった具合です。大トロやいくらなどの高級品にくわえ、ハンバーグや天ぷらといった「子どもの好物」とされるものも挙げられており、人によって事情はさまざまであることがわかりました。
好きなものを腹いっぱい、嫌というほど食べてみたいという願いを叶えるには、相応のリスクが伴うようですね。
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
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honryu-report · 4 years
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『女性の視点から見た奔流の旅』
奔流の旅は7割が女性参加者です。競馬の時も、狂ったように疾走し先頭争いをするのは女性が多い。間違えなく男性よりも心が逞しくなっている日本の女性。女子にとって奔流の旅とはどういう存在なのか。彼女たちは旅に何を求めているのか。そう考えて、『女性の視点から見た奔流の旅』という文集を作ることにしました。現代日本女性の内面を社会に伝えると同時に、このような女性たちの夢をかなえ、安心かつエキサイティングな旅を実現してくれた奔流と張さんに深い感謝を伝えたいと思います。
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『奔流の旅は女子の解放の歴史に似ている』
奔流の旅は女性の解放の歴史に似ている。まるで某ファッションブランドがコルセット以外の女性の美しさの表現、新たな枠組みを見出すような旅であるように思う。
男女平等の意識が浸透してきたとはいえ、「性差」には埋められない壁があって、家から一歩外に出ると、世界的には安全だと言われる日本でも女性というだけで気を抜くことはできない。いざというときに力負けを防ぐのは至難の技だ。また別の視点でも、女性には独特の縛りがある。毎月やってくる女性のサイクルは、行動だけでなく思考回路にも影響を及ぼすこともあるし、はたまた出産、育児、仕事の両立ともなればどんなに男女平等と謳われていても均等な負担というわけにいかず、どうしても女性の負担が大きくなりがちだ。その環境からか知らず知らずのうちにその枠組みの中に捕われてしまう。だからこそ女性が解放されるにはまず壁が打ち破れるものであり、自分なりに枠組みを作り変えることができるということを知る必要がある。奔流中国の旅にはそんな解放の要素がある。
  私が奔流中国に関心を持ったきっかけは、幼少期からの夢を叶えたいという至極単純な動機であった。「スーホーの白い馬」を読んでからというもの、地平線まで馬で駆け抜けたいと思っていた。高校生のときは馬術部に所属し、馬で駆ける夢を叶えたがブリティッシュな乗馬であったので「地平線まで駆け抜ける」というイメージとは大きく違っていた。そんな折に馬術部の先輩から奔流中国の存在を教えてもらった。HPをみたときの迷いと胸の高鳴りがせめぎ合ったのを今も覚えている。申し込むには2つハードルがあった。1つ目は私自身の決意だ。参加してみて女性の参加者が少なかったら?1人参加で身の安全がもてるのか?中国語は全く理解できないが?などなど、高ぶる気持ちとは裏腹に不安は尽きなかった。その点については奔流中国の事務局に問い合わせをしたところ、女性スタッフの方が丁寧に教えてくれた。女性参加者が6〜7割以上で基本的にツアーなのである程度言語の問題も解決できるとのことだった。その他何点か質問をして丁寧に対応してくれたため、私は参加を決意した。2つ目のハードルは両親の説得である。20年間娘が安全に生きられるように育ててくれた両親からは、当時21時の門限を言い渡されており、誰とどこで何時から何時まで出かけるのか明確にして出かけることが必要だった。特に門限に関しては女性であるが故の制限だと両親からはっきりと言われていた。そんな両親が見知らぬ学生たちと旅行に行くことを許してくれるだろうか。私が旅に出たいと伝えた後、父はHPを熟読していた。私の予想よりスムーズに許可が降りたのだが、両親には多大な心配と葛藤があったと後から聞いた。私自身の受験や部活を理由にして挑戦することから足が遠ざかっていた時期だったが、奔流中国への参加の決断が私にとってその後人生のさまざまな局面において影響を与える「解放」の第一歩であった。
降り立った内モンゴルの大地は壮大であった。60頭もの馬が駆け抜ける足音は地を唸らせたがその足音すらも飲み込み、照りつける太陽と吹きすさぶ風が身体中から水分を奪っていくかと思えば、土砂降りの雨で馬と私たちごと大地を潤し、透き通るほど張り詰めた冷たい朝を運んできた。極限までカラカラになった細胞にハミウリの水分が行き渡る感覚は、まさに生命の実感であった。日に日に蓄積される疲労感に反比例して馬で駆け抜ける距離は長くなっていく。自分の体力がギリギリだと感じていたその時、主催者の張宇氏からかかる号令。「あの丘まで駆け足!!」馬たちが敏感に察知する。馬たちのエネルギーに屈しないようこちらもエネルギーを振り絞る。エネルギーとエネルギーがぶつかり合って、その日のトップスピードで駆け抜けたとき、ありとあらゆるしがらみから解放され頭の中を風が駆け抜けた。馬に乗り地平線まで駆けるという夢以上に魂の解放を体験することができたのだ。一度解放の体験をすると、その後の自分の選択が今までの自分からの解放、一歩進んだ選択ができているかを測る指針になった。この解放の感覚は今も私が何かを選択するとき、1つの判断材料になっている。今、自分を解放できているか!
  さて、私は非常に心地の良い解放を体験することができたのだが、私はその後一転してただ解放で止まってしまっては一種の逃避にすぎないこと気がついた。
どこまでも行き着くことない地平線、空と大地が繋がる夜の宇宙に取り残されたような深い闇。雄大なその空間を目の当たりにして枠組みがないことの恐ろしさを感じた。日本では自分の身体が見えなくなるほどの闇を感じることはほぼない。自分の身体が溶けるような飲み込まれるような不思議な感覚。改めて枠の存在意義を身体で感じる。干からびそうになっても走り続けることができたのは、笑顔で隣を走る仲間たちがいたからだ。キャラバン隊でなければ手に入らない暖かい食事、水、寝床。あぁ、ここで1人になったらどこに行き着くこともなく、死ぬな。
枠組みがなくなる恐怖を体感できたことは私にとって大切な経験であった。枠組みがない体験をしたからこそ、自分自身の枠を認識し、価値観に拡がりが生まれた。枠との付き合い方、つまり自分を縛るのも解放するのも自分だと客観視できた。この解放と枠組みを感じる体験は私のその後の人生にも大きく影響を与え、枠を超えて挑戦することに役立っている。
私は奔流中国以外のツアー旅行や海外旅行も経験があるが、奔流中国の旅のインパクトは他の旅にはなかなかないものを感じている。その鍵となるものはなにか。
 その鍵の1つが主催者である張宇氏の絶妙な手綱さばきではないだろうか。
張宇氏は極限まで馬と参加者に挑戦させる。「自分で選択したのだ」というその緊張感を与えることがキャラバン隊の統率力になっているのだ。自分で節度を持たないと事故を起こしてしまうかもしれないという危機管理能力を参加者に芽生えさせ、安全が守れるぎりぎりまで自由にさせる。縛りすぎないことでまとめ上げる。逆転の発想ではないだろうか。そして、その統率力は奔流中国に関わるスタッフに対しても生かされている。参加者たちは終始サポートを受け続けているのだが、中でも印象的なのは遊牧民からのサポートだ。私たちに例えると何に値するのか表現ができないくらい大切な馬たちに、素人の私たち参加者を乗馬させてくれる遊牧民の懐の深さには感謝しかない。何らかの事情で乗馬が継続できなくなった時は並走しているバスに乗ることもできるし、毎食草原のど真ん中に温かいスープとご飯を運び、ゴミまで回収してくれるのだ。体力的には過酷な体験ができつつ、精神的には厳しすぎない旅というのも女性にとっては魅力の1つではないだろうか。私がこの旅の魅力として前述した解放に浸るという体験は通常旅の最中において油断とも取れる状態だが、安心して浸れたのは一重にスタッフの皆様のサポートあってのことだ。
では今、奔流の旅で得た体験がどのように生きているのか。実は今回この文章の依頼を頂いた時、仕事こそなかれ生後数ヶ月の夜間授乳のある乳幼児を抱えながらの執筆であった。もともと文章を書くのは苦手で、今は大変なのですみませんとお断りしそうな性格であったが、引き受けるという意思表示をしてしまうことで引き受けたからにはやらなければならないと自分を追い込むようになった。
また仕事と育児の両立という面では、仕事も育児も1人の私として存在しているのに、仕事の枠組みと育児の枠組みは相反するものがあり、2つの枠組みを行ったり来たり。時には2つの枠組みがぶつかり合って問題を起こすのだが、大変な時は家族含めてさまざまな人にフォローをお願いしてもいいし、あえてその問題に飛び込んでしまう度胸が養われたのは、解放を肯定的に捉えられたあの旅が原点だと思う。「女性の社会進出によって子供にしわ寄せがあるのではないか」と見聞きすると、不安に駆られることもあるが枠組みを外していくことも含めて子供達に伝えていければいいなと思っている。奔流の旅は解放を与え、挑戦する力を育ててくれた。今後も旅で得たものをさまざまな場面で生かしていけたらと思う。
 2006年、2007年参加
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 『自由を追求する旅に出逢えました』
 私が今回参加した目的は、今回の旅で最高の癒しを得て、日々のSNS疲れや勉強疲れから解放されることでした。しかし、張さんはこれを軽く超えるかけがえのないものを与えてくださいました。奔流中国に参加しなければ私の人生は成り立たなかったと確信しています。堅苦しい文章になると思いますが、最後まで読んでくださると嬉しいです。
 私の日本での普段の生活は、情報系の学科ということもあり現代のIT技術と向き合う日々です。それはこれからも変わらないと思います。就職と同時に、人類にとっての利便性、安全性をより高くしようとする現代社会にさらに飲み込まれるでしょう。そしてそれを目の前にして、「自分は周りを気にして流されやすいタイプだから、将来誰かの言いなりになってもなにも思わないどこにでもいるような量産型の人間になりそうだなあ」と、社会人になることに不安を募らせていました。
 でもその中に、「自分と他人との違いを見出せない、ありきたりな人間にはなりたくない」という気持ちがはっきりとありました。その強い感情があれば、何事もなんとかなるという固定概念がありました。
 今回の旅の一番の収穫は、そんな自分の甘さに気づき、今の生活のままではダメだと気付けたことです。馬に乗って草原を駆けている時、馬のスピードに圧倒されて自分の体がうまく動かせない、その中で手綱を使って馬をコントロールしないといけない状況が、今の日本での生活と重なりました。草原を駆けることは、開放感に満ち溢れていましたが、それはつまり、決まった道がなく自分で進む方向を決める必要があるという責任を伴っています。目まぐるしく成長する技術により発達していく社会の中で、草原での乗馬のように、いかに自分から目をそらさずに自分の行動を決断できるか。それが鍵になると気づき、今までの思い込みをぶち破ることができました。
 乗馬している時も自分の甘さが原因で上手く乗りこなすことができませんでした。「走れ!」とか「止まれ!」という強い感情が伝わっていると過信して、体を使って確実に伝えることができていませんでした。本当に悔しかったです。「この悔しさをバネに」、これから生きていきます。
 草原を駆けることが現代の社会と重なったことで、今も昔も、大事なものは変わらないことを改めて感じることができました。最高の仲間と、最高のスタッフと、最高の指導者と、私は最高の旅を無事終えることができた果報者だと人生最大の感動に浸っています。自分が奔流中国に参加するという選択をしたことに誇りを持たざるをえません。
 次に奔流中国に参加する時には、さらに磨きがかかった自分を���意していきます。旅にいるモノリストの、パスポートよりも上に、必需品として。
 最後に、旅で出逢えた皆さん、次会えた時も最高の時間を共に過ごしましょう!大好きです。どうか早井つくしを忘れないで。
 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。謝謝♡
 2019年夏参加
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 『旅先で見たものー』
 私が参加した旅では、二人以外全員女性であり、圧倒的に女性が多かった。
一緒に旅に参加した仲間たちのように、私にも個性があって魅力的な一人であるかと聞かれると、「そうだ。」と言い切れるような特徴は特に思い当たらない。ただ、一年半経って振り返っても、奔流中国の旅が「最高であった。」と言える一人の女性として、旅のきっかけと旅で見た印象的な事三つに触れながら、旅の感想を述べたいと思う。
 ・旅に参加したきっかけ
旅に参加しようと思ったのは、奔流の旅を知ってその様子のビデオを見た時に衝撃を受けたからである。埃がたつ大地の中、表情を険しくし、自然の厳しさを全身に受けながらも、力強く、馬と共に前に進んでいく様子に私ははっとさせられた。
 この旅に挑戦するまで、私は、どこか閉塞感を感じ、自分に全く自信を持てずにいた。高校時代から、大した理由があるわけではないが、そんな暗い気持ちを抱えていて、大学に入ってからも、私の憂鬱な気持ちは続いた。
今ではそれらの原因となる複数の出来事にも向き合い終え、乗り越えられたと思っている。ただ当時の私は、「何にもうまくいかない」と悩み、自分が描いていた、理想の自分の姿からかけ離れた存在になったと思い、絶望していた。
 そんな中、どうやって調べてたどり着いたのかは覚えていないが、奔流中国を知った。初めて、旅の様子の動画を見た時は震えた。広い大地に、砂煙がたち、次の瞬間に馬に乗った連隊が現れてくる。それも、乗っているのは、私と変わらない年齢の人たち。「この集団は何なのだ。」と、とても驚いた。真剣な顔でひたすら前に進んでいく姿は、普通の青年たちとは違うと思った。「ここに行ったら、私は現状の自分の殻から突き抜けられるかもしれない」そんな期待をもって、些細なきっかけにも後押しされ、私は旅に出ることを決めた。
 ・旅をしてみて~旅先で見たもの~
 (1)景色
 乗馬をするフフホトまでは、船や列車を使って、4日くらいかけて向かった。船で海を渡り、列車で大陸を超えて、フフホトへ向かうという予定表を見た時は、暇を持て余すのではないかと心配であった。しかし、実際に行ってみるとそんなことなく、目の前の景色が常に変わり、そのかけがえのない美しい景色を見るのに必死であった。
海は、陸に挟まれている時と、陸から離れている時で波が違い、天気によって水の色も違う。だから、甲板に出ると毎回、全く違う景色が広がっていた。海のど真ん中で、星を見たのも初めてであった。
中国大陸を横断した時は、地域によって町の様子が全く違う事を知って、新鮮であった。寝台列車に二日乗って、いくつの街を見たのだろうか。経済都市、工業都市、農業都市・・・これは大きなくくりであるが、それぞれの町で様子が異なった。建物の形や立ち方、量が違い、人の様子や表情が違う。だから、それぞれの町で雰囲気が違い、外を見る旅驚いた。
 (2)仲間
 旅先で出会った仲間は個性的で魅力的に思えた。特技があって堂々としていたり、才能があったり、特に主張をするわけではないけれど、時々思慮深い表情を見せたりと「個」がしっかりある人たちが多かった。
「女性が集まるとグループができて面倒だ・・・」などと、たまに友人に言われることがあるが、自分をしっかり持っている人たちが集まるとあまりそんなことにならないと私は思う。奔流の旅でも良い意味でみんなマイペースに過ごしていて居心地が良かった。ほとんどの時間は、みんなでくだらないことを言って騒いだり、はしゃいだりしているのだがふとした時に何か考え始めたかのような顔をしてどこかに行ってしまったり、壮大な景色を見ながら、急に日頃の悩みを話し始めたり・・・。ただ他愛のない話で笑いあって楽しいというだけでなく、この旅の間は、なぜか初対面なのに、日ごろ自分の心の奥底で考えていることを口にしたくなってしまう気分になるのだ。
 「都心でみんなに出会っていても同じような印象を持てたのだろうか。」、人間は旅先では、大自然の前では、素直になるものだからかもしれない、とも思う。
 (3)乗馬                  
  もちろん、普段は見られない景色を見て、魅力的な仲間たちに囲まれて、「非日常の場でリフレッシュされた」なんていう感想を持つような単純な旅では決してない。この旅のメインで、自分自身も一番楽しみにしていた乗馬は、期待以上にやりがいがあって、意外であったのは、乗馬が自分と向き合う時間になったということである。馬と一緒に旅をすることは、単純に「馬に上手に乗る」こと以上の意味合いがあったのだ。
モンゴルの草原は空と草原の境界線が見れるほど本当に広い。そんな広いところを速歩で走り、風を受けるのはとても爽快であった。しかし、簡単に乗って縦横無尽に駆け回れたわけではない。実際に乗馬するとそんなに簡単ではないのだ。そもそも馬は人間に従順な動物では決してないし、それぞれで個性があるので、常に馬と馬に乗っている人がコミュニケーションを取りながら走っている。自分が進みたいように進むのにもコミュニケーションが必要であったように思う。
うまくコミュニケーションをとって進むには、自分が乗る馬から信頼を得る必要があったと私は考える。信頼というのは、自分の指示を聞いてもらえるくらい堂々とした姿勢をとって、真っすぐに自分の意志を伝えることである。乗馬の正しい姿勢というのが、堂々とした姿勢になるので、半分は慣れて技術を身につけることであると思うが、半分は自分の気持ちを常に落ち着かせられていることだと思う。
私は三日とも、同じ馬と一緒に旅したが、最初はうまく意志を伝えることができず、なめられていた。私の乗った馬は、何頭かの馬と一緒にて走るのを好んで、私は常に何頭かに囲まれ、窮屈であった。更に、私の指示ではなく、他の馬に合わせて動いたり止まったりするので悔しかった。何とかしようとして進行方向をずらして前へ出ようとして、手綱を右に、左に振って、はっきりしないでいたら、すごい形相でにらまれたりした。
うまくいかないと悪循環で、次々と自分の不得意な部分が思い当たるのである。例えば、私はすぐにうまくいかないとと落ち込み、姿勢を乱してしまう。すぐに立ち直って切り替えれば良いところを、「なんで駄目だったんだ。」、「自分の何が悪かったんだ。」と考えるうちに自分を責め始め、できない事をくよくよしてしまうのである。
今旅の中で馬に「あなたの言う通りには動かないよ」と何回も態度で示された。そのたびに自分の弱いところを考えさせられ、しかもその弱いところは日常生活の自分の問題につながる自分の短所なのである。
私は乗馬中、常に自分の弱さを突き付けられているような気がしたが、そう感じているのは私だけでないようであった。他愛ない話で盛り上がる仲間たちであるが、馬に乗った後はみんな複雑な表情をしている。それは単に疲れだけでなく、何かに納得できず考えているような顔であったり、案の定、休憩中に乗馬中の所感を述べあったり、ある者は、気が付いたことを毎回、張さんに話に行っていた。張さんに乗馬の話をする時も、単なる乗馬の技術的な話だけでえなく、いつの間にか自分が普段は隠している欠点やその欠点から派生する日常生活での悩みの話になるのである。張さんは、全体に対する支持も簡潔で、無駄な話をしないようであるが、こういう話をした時、とても鋭いことをいので、みんな一人の時間を見つけては、張さんのところへ行って話をしに行っていた。
私が行った旅は、乗馬が3日間だけであったので本当にあっという間で、馬に乗る爽快感を覚えると同時に、うまくいかない歯がゆさと不甲斐なさを感じて終わった。しかし、そんな風に「ただ楽しかった」で終わるのではなく、普段の生活では見過ごしてしまう自分の弱さと向き合えるのが、この旅をより自分の中で重要なものにさせたと思えるし、旅が終わってもまだ旅が続いているように思える理由なのだと思う。私はこの旅を通して、良い意味で自分自身に対して諦めがついき、また、だからこそ、自分の道を強く進んでいこうと思えるようになった。
最後になるが、こうして思いっきりぼーっと外の景色を見て、馬と対峙して、自分と対峙できたのも、旅のリーダーの張さん、乗馬中に旅を支えて下さった現地の皆さんを含めた同じ時間を共にした仲間たちのおかげであると思う。末筆ながら、心より感謝を申し上げたく思う。
 
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『人生を客観的に見ることができる馬旅,満天の星の下のキャラバン 』
「馬に乗る旅にでるお金があったら、私だったらどこかのリゾート地で五つ星のホテルに 泊まったりしたいけどね」
私が奔流の馬旅の話をすると必ずと言って良いほど耳に入ってくる言葉がこれだ。奔流の馬旅は「乗馬クラブ」の基準で考えると、あれほど乗せてもらえてありえないほど安い。しかし、旅行として、そして学生旅行としては、どこかのリゾート地の良いホテルに泊まってまったりする費用と変わらなくもない。若者なら、特に女子なら高級ホテルでマッサージ、エステ、美味しいものの食べ歩き、そんなことできるところに行きたい。それなの にどうして?どうして、聞いているだけでハードこの上ない馬旅にお金かける? 
私は一人、東京じゃ、普段いるようなところじゃ信じられないような銀河流れる宇宙の 下、モンゴルゲルの中、Macで綴っていた。旅に出るときは絶対連れてくるこの Mac PC。旅先では自分が自分ではなくなるような経験をたくさんするし、それが普通になる。そんな時、普段の自分では決して発見できない観点がたくさん見えてくる。その観点こそが生活の中で困難にぶつかったときや迷いがあったとき、そして自分の視野を広げるときに必要なものだと思っている。だから書き留めるのだ。今日もその発見を書き留めようと、い ま、ひとりここに、この、中国語では蒙古包(meng gu bao)と呼ばれる、伝統的なモンゴ ルゲルの中に座っている。 
今日は女の子が一人落馬した。けっこう派手に落ちてしまったようだった。馬から落ちそうになって、でも馬にしがみついて、けっきょくすごい姿勢で何十メートル走ってから落ちたんだっけ。でも大丈夫だったみたいだけど。本流では常に遊牧民が馬に乗って私たちの後ろなり横なりについてくれて、何か異変があった時にはすぐに張さん(主催者)に知らせてくれる。「落馬」とはなんとも恐い響きだが、落馬したからって想像しているような恐ろしい事態にはならないのが奔流での馬旅の基本だ。張さんが必ず、落馬した原因を分析し、それを遊牧民、そしてみんなとシェアしてくれる。だから同じことが原因となる 落馬はそのツアーではほとんど発生しなくなるのだ。それにしても奔流は女子が多い。最初参加を申し込んだ時に男女比を聞いてちょっと驚いた。こんなワイルドな旅はきっと体育系男子の集まりなんだろう、と思っていたが、色白の可愛らしい女の子がたくさんいてびっくりした。こんな普通の子たちが乗れるの?といっても私も初心者から始めたので人 のこと言えないが…。 
バスで、内モンゴルで一番大きい都市の呼和浩特から二時間ほどかけてこの草原に移動し、たくさんいる馬の中から自分に合う馬を、張さん、そして遊牧民と見つけてから、この馬旅はスタートを切る。最初は並足(ゆっくり歩くスピード)からはじめて、二時間後には駆け足(中走りみたいなスピード)、進度によっては早足(一番早い走っているスピード)ができるようになっている。ほぼ全員できるようになっている。乗馬クラブに通ったことのある人はこれがどれほどすごいことなのかすぐにわかると思う。クラブではここまで到達するのに何ヶ月もかかると言ってしまって過言ではない。もちろんものごとには一 長一短があるのでどちらが良くてどちらが良くないということはない。ただ、草原で颯爽 と駆け抜けるのを体感したい人に、奔流以上に向くものはないだろう。 
奔流での楽しみはこれだけではない。中国の家庭料理にモンゴル族が食べている伝統料理が毎日の食事で味わえ、夜のイベント(キャンプファイヤーにトランプで大富豪などなど)で仲間と濃い交流ができる。そして、いま私の頭の上を流れているこの銀河を、その日の命がけの騎馬を終え、明日もその「戦場」に向かう、という体験したことのないような達成感に少し混ざった緊張感を抱いて、引き締まっていながらも大きく解放された心で見ることも、奔流ならではだ。そこには年齢も国籍も人種も性別も関係ない、馬旅の仲間 という関係が存在している。 
話を戻そう。奔流には多くの女子が参加する。比率でいうと、私の参加した2回のツアーでは2回とも8割が女子だった。なぜこんなにワイルドで汗臭くて過酷な旅に、女子、それも女子大生が好んで参加するのだろうか。私は、これは女性が持つ、一つのことだけでなく様々なこと同時に行いたいし行なえる、という性質が関係しているのではないかと思う。男性はどちらかというと一つのことにとことん集中しそれをやり遂げるのに向いている。一方、女性は、同時に行くつかのことをやりながら本業も行うことができるし、むしろそのようなやり方を好む女性も多い。馬旅だけでなく、旅というのは、一見、多く人 が自分の本業とする仕事とは相容れないものと捉えてしまうかもしれない。しかし、実は密接な関係にあると考える人も多くいる。例えば、仕事でややこしい人間関係にぶつかってしまったとする。「あの上司が嫌」「うちの先生は分からず屋」「後輩と仲良くやっていけていない、見下されている」こんなどこにでもあるような職場や学校でぶつかる壁。ものごとの渦中にいる人は、自分の主観的で先入観も入り混じり、その穴にはまってしまった狭窄な視点からしか、自分がぶつかっている問題を見ることができない。これでは解決の方法は見つからず、解決できないと、ますます窮地に追い込まれてますます問題は大きく なる、という悪循環に陥ってしまう。それではどうするか。 彼女らは旅に出るのだ。 
旅とは、他の人が見飽きてしまった景色、聞き飽きた音、嗅ぎ飽きたにおいを見に、聴きに、嗅ぎに行くことで、その人たちがし飽きたことをしに行くことである。例えば、オーロラを見に行く、氷河を登る、熱帯雨林をサバイバルする、砂漠で歩く、透き通る海で泳ぐ。これらは、どれもそこにいる人たちが毎日見飽き、そして、やり飽きてしまっていることだ。しかし、それは私たちにとって日常と大きくかけ離れている。だから新鮮で、 ここに旅をする意味がある。 
他の人が飽きたものを体験しに行くということと同様に、馬旅は、遊牧民が見飽きてしまった草原、聞き飽きてしまった馬の鳴き声、嗅ぎ飽きてしまった草原と馬のにおいを嗅ぎに行く旅であって、彼・彼女らがやり飽きてしまった騎馬をしに行くことである。これらの「飽きてしまった」ことはしかし、私たちにはとてつもなく新鮮なことなのだ。そこでは、いうまでもなく遊牧民の騎馬を体験でき、遊牧民のゲルを使った生活、そして料理 も味わうことができる。あの 360 度、まるで自分の周りを大きく、大〜きく、大〜〜きく円を描いたような地平線の向こう、それに向かって、人馬一体に呼吸を合わせて奔流しているとき、私は顔をあげて遠く地平線の彼方を見る。そうすると、自分の日常の風景が思い起こされるときがある。そのとき、なぜかその日常の中で出会ったことの中の悩みや問題は解決され、いや正確に言えば「馬に乗っている自分の器量によって、何が大事で何が大事ではないのかがわかる」のである。それがわかれば、問題の本質に迫って行くことができ、問題を解決できるようになる。これはすなわち、問題というのは、解いて行くと「何が大事で何が大事でないのか」という問題の本質に分離できる場合が多い。たとえば「論文指導の先生と合わない」という問題があるとしよう。「何が大事で何が大事でないのか」という問題の本質に分離できれば、この場合、「その先生と合う、ということは果たして大事なのか?」という問いにありつくことができる。単純に「論文指導の先生と合わない」といって漠然と頭を悩ませてきた学生にとっては、「では、その先生と合うようになることは大事か?」という問題の本質を見抜くことで、その問題をより解決しやすい形にできる。このように、「何が大事で何が大事でないのか」という問いを通して、問題の余分な部分を 削り落とし、問題の本質を露わにすることができるのが「旅」だと思っている。
旅は、私たちに、物事の本質を見極める力を身につけさせてくれる。特に、馬旅は、私たちの器量を大きくしてくれる。それによって人生で大事なことと大事でないことがわかり、問題が問題ではなくなる。そして、このような力を身につけ、体験をした私たちの人生は豊かになる。これを、女性は旅に求めているのではないだろうか。特に、馬旅は日常生活と大きく、大〜きくかけ離れている。ほとんどの人にとって、馬旅で見るものは普段決して見ることがないもの。馬旅で聞くこと、体験することは普段決して耳にしたり体験したりすることがなもの。馬旅で話すことは普段決して話さないこと。馬旅で得られる人 間関係は普段決して得ることができないもの。馬旅で食べるものは普段決して口にする機会がないもの。そして、馬旅で乗るものは普段決して乗ることがないものである。こんな体験をすれば、そりゃあ価値観変わって視点も変わってひょっとしたら性格まで変わってしまうのではないか。あのどこまでも続く、自分の右手から左手、それからぐるっと振り 返って、その左手からさらに右手を見渡してみた 360 度が一直線でつながる地平線に向かって奔流しているとき、我が身が馬と一体になって、すべてを忘れ、そしてすべてが解決 するのだ。 
「そう、私は、馬の背中に乗っている自分の器量が好きだから。そうしていると、人生で 出会うどんなことも良いみで小さく見えてきて、自分の人生を俯瞰できるんだよね。だか ら、どこかのリゾート地で五つ星のホテルに泊まるお金があっても、馬旅にでる…かな」
----------------------------------------------------------------------------------------------------------- 幼い頃から日本で育ち日本語の方が書く機会は多いのですが、旅行記はなぜかいつも中国 語で書いているので、日本語で書くのは実は初めてです。馬旅であったら声かけてね。
2018年夏、2019夏参加
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『二つの奔流旅を終えて』
今回の旅、参加して本当によかった。
ツウ好みのシルクロードコースよりも学生に人気のあるモンゴル乗馬コースの参加者はキャピキャピしていて世代ギャップを感じるのでは、という心配も杞憂だ った。男女比に偏りはあったが少ない男の子たちとはよく合い、みんな仲良くなれた。これからも長くつき合っていきたいと思う友達もできた。夏の旅で七グルー プの引率をした張さんも、あとで振り返って私たちの陣のメンバーは良かったと言ってくれ嬉しかった。
馬に乗って初心者なのにいきなり長距離を駆けたことも貴重な体験だった。乗っている時は体が痛く体力も集中力も使いしんどかったが、帰ってから思い出した り写真を見たりすると、また乗りたくなってしまう。
二〇一〇年と二〇一一年の二回、奔流中国の旅に参加して、自分の中で変わった部分が大きくあると思う。旅そのものの経験から直接的に得たものもあるが、閲 覧した張さんや過去参加者の文章や、また旅に参加したしたあとの自分が経験する日常の生活から得たものも多い。
まず、中国という国を知ったことだ。日本で報道されている限りでは中国にあまりいい印象を持つことができないが、訪れてみるとそれだけではなかった。良い 面もそうでない面もあるが、今ものすごい経済成長をしているだけの活気・パワーを実感できた。
今の中国だけではない。張さんに教わった、中国が辿ってきた歴史。モンゴル帝国がヨーロッパや大航海時代に影響を及ぼしたこと。文化が伝播したシルクロー ド。中国/ヨーロッパと分けて考えるのではなく、大きな視点で歴史を見ることが大切だということ。戦時中から文化大革命までの近代史。
日本が昔から関わってきた中国のことを知りたいと思ったと同時に、中国のことを知るならば、自分の国である日本のことももっと知らなければいけないと感じ た。自分が日本人だという自覚を持った。
  もう一つ大きなことは世の中やものごとに主体的な姿勢でいたいと思うようになったことだ。様々な面でその変化を感じる。
①やってもらうのを期待しすぎず、自分でやってみる
日本にいると、サービス業では色んなことを「やってくれる」。外国に行った時はもちろんだが、日本で活動している奔流中国自体もサービスがあっさりしてい て一年目は戸惑った。当時は「もう少し行き届けばいいのに」と思ったが、だんだん、やってもらえない場合は自分でやればいいのだという考えになってきた。奔 流中国の「あっさり&放任スタイル」はそれこそを目的としていた。
 ②トップに立つことの気持ちよさ、辛抱して頑張ることの大切さ
十代後半から体調のよくない時期が長かったこともあり、「何事もほどほど、平凡がいちばん」がいつのまにか自分の信条になっていた。日本全体にも「無理は しなくていい、頑張らなくていいんだよ」という風潮が広がっている。けれど乗馬を通して、体が痛くなったことやトップ集団で駆けた気持ちよさから、上を目指 して辛抱することや頑張ることの清々しさを思い出した。学生時代の部活で学んだ「少しぐらい辛くても簡単には諦めない」という単純なことを改めて実感できた のが新鮮だったし、嬉しかった。
  ③経済活動はやっぱり大切だ!
経済が苦手な私は、できるだけ関わらず済むように生きたいと思っていたし、経済が頭打ちになった日本は文化や心の豊かさを追求する方向に移行したほうがい いのでは、と考えていた。が、張さんの講座の中で「歴史は経済から」というフレーズがあった。シルクロード文明も交易から生まれたものだし、逆に戦争も経済 の覇権争い(領土争いも含めて)が原因の大半だ。昨年の引率者Rさんの「貯金も大切だが、運用しないと経済が回らない」という考えに頷かされたことに続き、
経済活動の重要性を思い直した。
  ④時代は変わってゆく。その変化に乗っかってみたい
日常のニュースや職場の勉強会などから時代は変わってゆくと確信させられる。変化が苦手で保守的な私は、これまでの社会のあり方の残り香にしがみつき、何 とかごましながら生きていけないかという受動的な態度でいた。変化すること=悪くなることだと思い込んでいたからだ。しかし、前述のような自分自身の変化と、 社会について真剣に考える人たちとの出会いもあり、日本は皆が悲観するほど悪くならないんじゃないかと思うようになってきた。そして、時代の変化に主体的に 乗っかってやろうという心持ちになってきた。
①②のことが③④に活かされると日本も良い方向に変わってゆける。社会のことを考えるようになったこと、受身だった のが「自分から」という姿勢になってきたことは自分でも嬉しい。今まで色々な理由のためにできなかったこと、言い訳を してやらなかったことにも挑戦してみたい。
二〇一〇年のシルクロードコース、二〇一一年の内モンゴル乗馬コースは全然違った。どちらがいいとは言えない。二つとも行ってよかったし、二つともに参加して、やっと何かが揃ったというか完成した感じがする。奔流のスピリット、張さんが日本の若者に伝えたいことが少しは理解できた気がする。
シルクロード(モンゴルや他地域も含む)に思いを馳せる時や、奔流の旅の空気感が好きだ。それに触れているときの自 分が好きだ。
好きな自分に出会うきっかけになったシルクロードはもはや私の核の一つになっている。これからもライフテーマとして 自分の中にあり続けるだろう。そして、それを逃げ場にするのではなく、日々の生活もしっかり歩んでいきたい。
 あとがき
年が明けて二〇一二年一月、成人式の連休に、東京へ行きました。旅の仲間と再会するためです。仲間の多くが東京在住であるため、せっかくの出会いをこれき りにしてしまってはもったいないと思って。
三泊四日で八人の仲間と張さんに再会することができ、東京でもう一度奔流中国の旅をしたようでした。トルコ式モスクを見学し、ブータン料理やブルガリア料 理を食べるという異国情緒たっぷりの体験や、張さんのオープンカーに乗せてもらって表参道を走るという滅多にない経験も。Nくん宅で鍋を囲みながらみんなと ワイワイ、久しぶりに味わう内モンゴル旅の空気感でした。毎日違うメンバーに会い、非日常な、まるで冒険のような旅でした。
そして、仲間との再会で内モンゴルのとき以上にぐぐっとお互いの結びつきが強くなった気がします。「仲良くなった」という一般的な言葉で表わすにはちょっと違う、少し特別な結びつきです。普段の生活で関わることはないけれど、その分一人ひとりの心の「特別な場所」に位置する繋がりだと少なくとも私は思ってい るし、ほかにもそう感じてくれている仲間はいると思います。
内モンゴルの旅そのものも楽しかったし良かったけれど、仲間との再会をこんなに嬉しく思えることが幸せです。
この旅行記、書く前に自分で予想していた通り、去年よりも長くなってしまいました。初めてよりも二回目のほうが深い部分に目がいってしまうし、張さんいわく乗馬コース自体が自分の内面と向き合うコースだそうです。でも自分のための記録だし、長くなろうが書き留めておきたかったことはすべて書きました。
張さんという人に出会えたことは大きかったです。一見物静かですが、実は熱い。本質を知る人という感じです。この人の歴史や文化、アート、社会に対するス タンスは結構好きです。時に厳しいと思うこともありますが、頷けることも多い。逆にこの人に認められると、ホンモノを掴めたようで嬉しくなります。だいぶ独 特で理解を超えるところもあるけれど(笑)、シルクロード文明に引き込まれて実際に旅ができたことも、素敵な旅の仲間に出会えたことも、それによって好きな 自分に出会えたことも、張さんが奔流中国をやっていたからこそなんですよね。そう思うとやはりキーパーソンですね。
二〇一〇年に神戸で開かれた説明会で、過去参加者の学生、陽香さんが「奔流がなかったら今の私はなかっただろうと思うぐらい」と言っていましたが、私もそ れに近いかもしれません。
二六歳から二八歳ぐらいまでは、自分の核をなす部分が弱まっていました。それまでは大学生活がすごく大切なもので自分の原点のような存在でしたが、それの 彩りもさすがに薄れてきます。過去にしがみつくことは褒められたことではありませんが、しがみつきたくてもそうすることに違和感を覚えるようになっていまし た。その空虚感をシルクロードの旅が見事に埋めてくれ、内モンゴルの旅はさらに「核」たる感じを強めてくれました。それは何も旅行の時だけではなく、仕事な ど普段の生活を送る上ですべてのベースになっています。奔流中国の回し者でも何でもありませんが、この旅行企画に出会えたことを本当に有り難く思い、心から 感謝しています。
さぁ、次は私、どんなステップに踏み出すんでしょう。ちょうど今の仕事がこの三月で終わり、また新たなステージです。そして、次の旅の目的地は
・・・
。旅も人生も、これからの自分が楽しみです。
長い旅行記におつき合いいただき、ありがとうございました。
二〇一二年 シルクロード/乗馬キャラバン/グレートキャラバン参加
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『発見の旅』
「女性は」と言われると一概には言えないと思うので難しいですが、「私は」旅をすることで「成長したい」、「新しい発見をしたい」と思っています。
私が奔流中国に参加した理由は単純に馬に乗って走り回りたかったからでした。実際に参加するまでは中国は日本人に対して嫌悪感を抱いているのではないか。危険なことは無いだろうか。と心配していましたが、実際に行ってみるとなんの心配もなく中国の観光地を楽しめました。初めてのアジア旅行でもあったので、日本と似ていて少し違う街の様子などを見るのが楽しく「百聞は一見に如かず」を身をもって経験しました。また寝台列車での就寝や街中の観光では自己責任で貴重品を管理します。平和ボケした日本での生活で油断していたので、危機管理能力のようなものが上がった気がしました。
奔流中国で学んだ「百聞は一見に如かず」と海外での危機管理能力のようなものは、参加
後の活動に大きく影響していきました。
奔流中国の旅では船に乗っている途中からスマホがネットに繋がらなくなります。ですから24時間仲間と交流して過ごすことになります。参加者は年齢も出身もバラバラで大学で学んでいることももちろん違います。ですから話のネタは尽きませんし、知らなかった知識などを参加者との会話で得たりもします。自分とは異なる価値観や経験がおもしろく、延々と話していられます。奔流中国の旅は「旅」と表現するのがふさわしく、旅行とは違います。船と寝台列車でゆっくり時間をかけて目的地へ向かいます。船旅も初めてだったので、揺れるお風呂や甲板からの朝日、中国人の乗船客や乗船していた旅人との交流など、全てが新鮮で刺激でした。参加者の半数以上が女子だったので一人参加でも安心できまたし、気の合う友達も直ぐにでき、中国に着くまでの旅路も楽しかったです。
日本とは違い、中国ではトイレットペーパーが流せなかったり、トイレが汚かったりと衝撃的で最初は嫌でしたが次第に慣れ、たくましくなった気がします。内モンゴル自治区での生活はトイレは開放的(青空の下、そのへんでしてました)で、お風呂には入れず、参加前は「まじか…」と衝撃的でしたが、実際に現地で生活すると気になりませんでした。参加後は「ひまわり畑トイレ」と「青空トイレ」はネタになっていますし、貴重な経験となりました。
念願の乗馬も最初は怖くてなかなか上手くのれませんでしたが、次第に慣れ楽しめるようになりました。もっと長い間乗っていたかったです。2日目でいきなり駆け足をして、落馬しそうになりましたが、人間いざと言う時は身体能力が上がるらしく、1度も落馬せず全身筋肉痛で苦しむだけでした。(しゃがむことも出来ないくらいの筋肉痛です)。衣食住と苦楽を共にしたこともあり、帰国前は参加者同士がとても仲良くなり、まるで小学校のクラスメイトのようになりました。
ついて行くだけの安全第一の団体ツアーとは全く異なり、奔流中国は自己責任ですし、油断をすると怪我をします。(その事は主催者の張さんから耳にタコができるくらい言われます)ですが日本では経験できないことばかりで、とっても楽しかったです。また参加したいと思っています。奔流中国の旅に参加してからは海外ボランティアや海外インターンシップ、ボランティア団体の立ち上げ、短期留学などに積極的に単身で参加するようになりました。奔流中国の旅に参加して、「百聞は一見に如かず」、「アジアの旅も楽しい」、「何事もやってみる 」、「一人で参加しても楽しい」といったことを学んだからです。大学4年間で「1番楽しかったことは?」と聞かれたら迷いますが、やはり奔流中国の旅が1番面白く。楽しかった気がします。私の固定概念や先入観を壊してたくさんの刺激を与えた、とても充実した旅でした。
2018年参加
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ただいま。乗馬の旅から帰ってきました。
船で2泊、列車で2泊してやっとたどり着いた新疆ウイグル自治区
どこまでも続く砂の大地。
   中国、
きもちいい程汚かった
びっくりする程きれいやった
中国人こわくなかった。
   中国は
わたしが思ってたんの100倍よりもっと広くて
色んなものが混在している国でした。
そんで多分、
わたしが思ってるのの更に100倍でかい。
地球はもっともっと広い。
   馬と走りました
まぎれもない生き物でした。
人間もほんとは自然の一部。よく忘れること。
  ともだちができました
一生あほできる仲間ができました
  言い訳はいつだっていらんのです。
いつも自分にまっすぐいよう
  - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
 なんでも、生まれては消えるものなのに
私は生むことばかり考えている気がしました。
ちゃんと、消すこと。
本当はすごく大切かもしれない。
   日本に向う船の甲板でねころぶと
星空が大きくゆっくりと揺れていた。
からだも、波と一緒に。
 いつまでもこうしてられると思っていたら
今まで見たことないほど
大きくて長い流れ星を見ました。
   部屋に戻ってめぐに話したら、
彼女もちょうど反対側の甲板で1人で見ていたと。
嬉しくなって、大笑いした。
   共有して、伝えて、感じて、このくりかえし。
何よりの幸せ。
  - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
 馬との関係を築いていく中で、
自分がこれまで築いてきた人間関係を何度も省みました。
 はじめて、自分が誰かを裏切るってどういうことか、感じた瞬間がありました。
馬がかけてくれた期待を、「落馬」というかたちで裏切ったのです。
二度と私を乗せて走ってくれなくなった馬に、ほんとうに申し訳なく思いました。
   人間同士ならごまかしが利くこと、言い訳ができることも、馬には通用しない。
声だけで走り出すこともあれば、
どれだけ鞭を振り下ろしても何の反応もないこともあります。
楽しそうに走る時と、いやいや走る時の違いが気持ちいいくらいによくわかります。
   朝から夕暮れまで移動し続けた5日半、
ひたすら馬との会話、闘い、感謝、悔しさ、ごめんね、安心、喜び、つっこみ、楽しい・・・
自分の内面をどんどんえぐられるようでした。
   私の中で、馬は今までなんでもない存在だったんです。
でも、今ちゃんと馬を馬として愛しく思ったり気になったりします。
  心が通じているような気がする瞬間があって、
一緒に走れた時はほんとうに楽しかったし、ドキドキしました。
   馬と走りながら、
日本に帰ったら、わがままに仕事をしようと思いました。
もっと貪欲に、お客さんに喜んでもらうこと、自分がいいと思うこと、
おもしろいこと、周りの人のためにできることを追求しようと。
  あっという間に過ぎていった、でも大きな9日間でした。
 ありがとう、張さん。
 2007年参加
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改めまして張さんお疲れ様です!
この度は本当に素敵な旅をありがとうございました!!!
人生初のモンゴルに人生初の乗馬でしたが日数が経つにつれて思い入れが深くなりました。
グループLINEでも送った通りですが、最後の最後に本当の人馬一体を感じれ、馬と駆けるのが本当に気持ちよく感じました!
先頭に並びモンクやジャロガ達とお喋りしたり、景色を楽しみながら馬と草原を渡れて、心の底から楽しいと思えた瞬間でした。
馬との相性が大切だということは日数を重ねる間に気づいてはいましたが、ここまで心を通わせることが出来るのか、ととても感動しました!!!
本当に他では絶対にできないこと、感じられないことを張さんを始め、たくさんの方の支えがあったからこそ得られたと思っています。
 本当にありがとうございました!!!
 きっとまた私は草原と馬を求めてモンゴルへ、奔流にお世話になるかと思いますが、その際はよろしくお願いします。
 文面だけでは全ての感動や気持ちも伝わらないと思うのでまた改めてお会い出来たらと思います。
本当にお世話になりました!
素敵な思い出をありがとうございました。
 2019年夏参加
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 『そうだ モンゴル、行こう』
 ●<あこがれ>
 私はXXゼミの3回生の女子学生です。ひとり旅をしてみたい。馬に乗って駆けてみたい。あこがれを実現しようとする強い気持ちが、私の背中をおした。偶然、廊下で見かけた1枚の��スターに惹かれ参加したモンゴル乗馬キャラバンだったが、私が見た世界は、想像をはるかに超えた。
 ●<夜行列車を降りると、そこは>
 360°見渡す限りどこまでも広がる草原と、白い雲が浮かぶ全天の青空は、今まで立ったことがあるどこ���りも広く、“壮大”という言葉では言い表せない景色だった。朝、ニワトリの鳴き声で目が覚め、地平線の向こうに陽が昇り、沈んでいくのを静かに眺め、ほんの少し前まで生きていた羊を食べる。まさに、「ありがたく、いただきます」である。出会ってまだ1週間の旅の仲間と隣り合って青空トイレを体験、背後からゆっくり迫りくる大きな黒い牛に焦る。夜になると、自分が飲み込まれてしまいそうな星々の空を見上げ、電球ひとつのゲルで眠る。ペットボトルの水で顔を洗い、これまでの生活とかけ離れた世界が広がる。
 ●<モンゴル3日間100キロを馬で移動>
 ファミリー牧場の乗馬体験で、お散歩程度のポニーにしか乗ったことがなかった私が、並足、速足、駆け足と、コツを掴み、2日目には、トップスピードを体感。馬とともに大草原を全速力で駆けたあの瞬間は、舞い上がる砂の事も、ずり剥けたおしりの痛みも忘れ、間違いなく、人生イチ気持ちよかった。叫ばずにはいられないほどの興奮と、馬の背から見た絶景、あの瞬間受けた疾風は、衝撃的で、目をつぶれば蘇り、私の記憶に深く刻まれた。
 ●<快い余韻>
 旅を終え、私は、私の暮らす場所に帰る。そこには「おかえり」と言ってくれる人がいて、部屋のベッドは寝心地がよく、トイレにもやわらかい紙があり、水も自由に使える。いつもの電車に乗ればぴったり時間通り目的地にたどり着ける。これが私の日常。なにか変わるんじゃないかと思って飛び出したけれど、今まで通りの毎日が待っていて、特に変わったことはなさそうで、変わっていないことにもほっとする。だんだん、旅のことが夢かと思えてきて、時間が経つほど私の中の「あの世界」が薄れていくようで寂しくなる。私の日常は、モンゴルの彼らにとったら非日常。少し乱暴だが、逞しくて心暖かいモンゴルで出会った人たちは、すごく自由で恰好良く見えた。何かに束縛されているようで、モンゴルでの非日常が懐かしい。
 ●<玉手箱を開けて日常モードへ、モード変換>
 しかし、そういえば私も自由だった!と、はっとした。自分が入れた予定に疲れると文句を言い、忙しいからとすぐに言い訳をする。帰国の船の中で、11日間使えなかったスマートフォンの電波が入り、溜まったSNSのメッセージやコメントを夢中で確認する。そして溜まっていた何百通にもなる通知を見て、とてつもない煩わしさに襲われる。改めてなにもなかったモンゴルに心を戻してみた。スマートフォンを持つことを選んだのも自分なのだと気付く。20歳の今、これから様々な場面に直面し、数多くのことを選択しなければならない。自分のことは自由に選べる、選ぶからには責任が伴うことをこの旅で学んだのだ。もっと自由でおおらかに生きよう。きっと選択ばかりの未来のことが、少しだけ愉しみに思えてきた。
 ●<この体験を、ゼミのテーマ『旅行心理学、心理的時間、人格発達心理学』等の観点から、分析してみたい>
 モンゴル大草原、壮大なシルクロードを馬で駆け抜けながら、国際交流や海外ボランティアを体験する奔流中国キャラバンの旅。その他、天空列車でゆくチベット秘境の旅や雲南少数民族の旅もあります。
 2014年参加
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 奔流中国  旅のメッセージ
心の扉を開け 
旅の流れに全てを訪ねる
やってくる風たちは
時に優しく 時に厳しい
あらゆる緊張を胸にし
全ての風を受け入れる時
異国の街で星空の下で馬の背中で
私たちは何を発見するのか
 たくさんの景色の中を
私の体は通り抜ける
たくさんの風景たちが
私の心を通り抜ける
そこで私がつかんだものは
私の心がとらえだものは
それは胸の深くに まれ
希望の鍵 明日への  力となる
  しやが世界へ たれ輝くだろう
勇気をもち信頼し愛し ねよ
そして受け取れ 命の輝きを
  の喜びを 美しいメッセージを
大地の強 なエネルギーを
 2017年参加
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『二つの時間』
 いつのまに、意識しなくても肩の力が抜けるようになっていたのだろう。誰かの視線に応えようと振る舞うのではなく、自分の身体のすみずみまでを、自分の意思を伝えるためだけに遣いこなす感覚。
 馬がどうしたいのかを察して応じることが、優しさだと思っていたこともある。しかし、今回初めて、自分がこうしたいのだとはっきり意思を示すことで、馬がそれに応じてくれるという感覚を得られたように思う。
言葉で通じ合うことができない以上、彼らが何を感じているかを察するなどというのは、ただの一人芝居だったのかもしれない。そうではなく、自分の働きかけに対してどんな反応をみせてくれるのか、ということが、どれほどたしかで愉しいことか。自分の矜持を同じように馬が持つようになると張さんが言ったけれど、私の乗った馬たちも、なにかを感じ取ってくれただろうか。
 この旅で感じたことがもうひとつある。零れ落ちてきそうな星を見るにつけ、地響きのようなモンゴル相撲の足音を聴くにつけ、自分をとりまく様々な事物が、誰かを呼び起こさせることが多くなったのだ。大人になるにつれて、目に映るものの名前を新しく知る、ということはめっきり減ってしまった。その代わり、あの子がすきだと言っていた食べもの、あのとき一緒にやったこと、あの人に見せたいもの…さまざまなものからふと記憶がたちのぼってきて、わたしだけに見せる表情になる瞬間。こういう瞬間を積み重ねていく、そんなひそやかな愉しみに気がついたからにはもう、追い求めずにはいられないだろう。
 香港の雑踏に溺れそうになりながら、いまでもわたしの中にはモンゴルの星空が溢れている。
 2017年参加
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『試練』
モンゴルの旅から帰ってきて、4日経ちました。あの旅はとても充実していて、日本に帰ってくるとついついぼ~っとしてしまい、頭の中ではあの草原が広がっています。2週間、共にすごした友達のことも忘れられません。あんなにずっと一緒にいて、楽しいこと辛いことを経験してきた人達が急にいなくなってしまい、寂しく思います。再会を誓った日がもう待ち遠しいのです。
中国を移動しての旅だったので、北京や上海を観光できたのもこの旅の良いところでした。雑技団や万里の長城、故宮など有名な観光地を回るなんて、ぜいたくなオプションみたいでした。
私達がモンゴルで過ごした日々はなかなか天候に恵まれず、一時は必死で寒さと戦わなければならない日もありました。そんな日に馬を走らせ、「走って良かったでしょう?」と声をかける張さんに、(なんてことを言うんだこの人は!!)と心の中で思いました。
しかし今になって、あの時必死になって生き抜こうとしたことは私自身をたくましくさせる一つの要因であったと思います。この旅を通して常に私が考えていたことは、自分が日本でどれだけ不必要なことをしてきたか、ということです。生きていくために必要なことは何か。モンゴルで学ぶことができました。
神戸港での別れの際、私のために涙を流してくれた友人がいました。彼女は旅の間、熱を出し、体調不良であるにもかかわらず、いつも私達を笑わせてくれました。そんな魅力的な人に出会えたことも私の財産です。
最後に、私は張さんにちゃんとしたお礼も言わずに、バスに乗ってしまったことを後悔しています。私達に試練を与えてくれたことに感謝しています。そして、それを一緒に乗り越えられたことが私にはとても嬉しく思います。どうも、ありがとうございました。謝謝
2012年参加
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『モンゴル3陣』
8月10日、神戸港の待合室、一歩入ってドキッとした。予想していたとは言え、参加者はほとんど20歳代半ば以下、中には10代かと思われる人もいるし、女性の多いのも特徴的。(社会人女性が1名おられたのでホッとする)
 私はといえば、この1月に仕事を定年退職し、第2の人生を全く違う生き方をしたくて、大学院に入り半年、奔流中国の企画に出会い、モンゴル乗馬キャラバン第3陣に参加した、おじさんの最たるものである。
 このメンバーで半月、行を共にするのだ、浮いたり、足を引っ張ることにならないか?チラッと不安がよぎる。 
 だがそんな懸念は、船中での最初の宴会で、すぐに皆とうちとけ、吹き飛んだ。
 ちなみに、船中や草原でメンバーの誕生会を企画するなど、男子学生の奮闘は特筆に値する。
 さて、乗馬や、草原でのゲル生活は思っている程楽ではない。乗馬は最初の内、脚や尻が痛くなり、ゲル生活はもとより文明の恩恵が受けられない。
 しかし、その苦労を乗り越え、鼓舞するのは、ゆるやかな起伏を伴い、果てしなく続く大草原、動くものはほぼ50騎余の我々の騎馬隊のみ。
 草原に影を落とし、時に歩き、時に疾走する、この快感は筆舌に尽くしがたい。
 私は、いつのまにか頭が空っぽになり、天と地、草原を吹きぬける風と全身で対話していたように思う。
 帰国後院の若い仲間に言われた、「中嶋さんどこか変わったね!」と、自分ほど開放的な人間はいないと思っていたが、それでもどこかに垣根があったらしく、それが取れたということらしい、、。
 奔流中国の企画は、別の世界があることを身をもって気付かせ、そして異文化に入るには、当然チャレンジ精神が要求され、それを持つことの大切さを教えてくれたと思う。
 そして副産物と言うにはあまりにも大きな、新たな人の輪を作ったようだ。
 それが証拠に、第三陣のメンバー内でいまだにメールが飛び交い、薄らぐどころかますます絆を強めつつある。
**23日、無事帰着しました。 奔流中国、すごい企画だと思います。 モンゴル乗馬キャラバンは過酷ではありましたが、それが又最高でした。 広大な草原と、そこを騎乗して疾走した体験は一生忘れられないでしょう! 若い人達ともすっかり仲良くなり、大きなエネルギーを貰いました。 ともあれお世話になりました。 張さんにもよろしくお伝えください。
 2010年参加
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 ただ、生きる ただ、そこに在る ただそれだけ、それがどんなにすばらしいことだろう… 私が旅で得たものは、今の私を支える全て。 体が震えるほどの感動と衝撃。 悠久の大地や風の吹きすさぶ荒野、降るような星空、澄んだ空気、地平線まで広がる草原を馬と共に駆け行く少年、やさしく暮らす人々… それまでの価値観や人生観は一瞬にして崩れ去り、「本当にたいせつなもの」に気付くことができた、そんな旅だった。 かけがえのない仲間と過ごした3週間を、私は決して忘れない。 今年もまた、誰かがあの地を踏みに行くんだな…なんて思うと、目に焼き付けてきた景色がファーっと広がってゆきます。 あまりに恋しくて、知らないその誰かさんをうらやましくさえ感じてしまいます。 でも、何か役に立てるのならよろこんで。 参加を考えている方、きっといろんな不安がありますよね。 女の子なら、特に。 私は「なるようになるさ」と旅立ったのですが、そうでない人でも何も心配することは実際無いと言ってしまえるほどに、旅の安全は保証されています。移動はもちろん、食事(ちなみに私は一切日本食を持って行かず、欲することもありませんでした)や宿泊施設(豪華です)etc…かえって、あまりの待遇の良さに「え?いいの?」なんて疑ってしまうくらい。体調は自己管理を。必要なのは少しの荷物と勇気、探究心、想像力、行動力…カタチにならないものばかりだなぁ。つまりはあなた次第、かな。 その体にめいっぱい受け止めてきてください。 では、すてきな旅を (^-^)
 2015年参加
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と���も感動しました。 私は今、就職活動中で内定もなく本当に奔流の旅に行けるのかが 本当に不安です。(もちろん決まらなくてもいくつもりです) しかも9月は求人が増える時期で、行くなら8月の方がいいと 就職科の先生に言われました。 タクマラカンもとても魅力的で、そっちにしようかなとも思いずっと悩んでいました。 でも、永遠に広がる大地と地平線、大きな空、きれいな星が見たくて見たくてたまりません。 たぶんどっちに行っても満足して帰ってくると思います。 でもどっちが自分に感動を与えるか、自分がどっちを望んでいるのか この書き込みを見て実感することが出来ました。 やっぱり蒼々シルクロードに参加しようと思います。 就職できるか出来ないか・・・9月に行くということはとても危険な 賭けだと思いますが、行ったほうがもっと魅力的な自分になれる気がします。 もちろん将来も大事ですが、蒼々シルクロードに参加した後の自分が楽しみです。 人生なんとかなるさって思えるようになるかな? とにかくとっても楽しみです☆
  やっぱ鳴砂山、カラクリ湖、カシュガルのバザールかなぁ~☆ でもやっぱり一番は、夜行列車の車窓から深夜に見上げた満天の星空! 日本じゃあ絶対に見られない透き通った月と星・・!3分ぐらい言葉が 出なかったです!(笑)( ̄∇ ̄) このコースの特徴はとにかく移動が多いことです!でも、だからこそ いっぱい色んな景色や現地の民族のオッちゃん、オバちゃん、ちびっ子達に出会えます!!(>_
 最近、よくモンゴルの写真を眺めることがあります。 2年前のことなのに、想い出は色あせる気配すらなく、その写真は私をまた同じ大地へと誘います。 この思いを何か形にしたかったので、書き込みたいと思います。  2年前の夏、私はモンゴル乗馬キャラバンに参加しました。それ以前にも2回、外モンゴルに行ったことはあったのですが、船を使ってゆっくりゆっくり同世代の仲間と内モンゴルを旅したことは、格別の体験でした。みんなとは神戸港で初対面だったにも関わらず、乗船後すぐ、ぎゃーぎゃーと騒ぎながら「仲間」になってしまいました。 みんなノリがよく、「気のいいやつら」だったので、旅は始終笑顔に満ち満ちていて、思い出はすべて天然色のまま、私の脳裏に焼きついているのです。    奔流の魅力、それは自分流にカスタマイズできること。  時間はたくさんあります。写真を撮るもよし、知り合ったばかりの友達と人生を語るもよし、草原でひたすら昼寝するもよし、現地スタッフとふざけあうもよし。  日本のめまぐるしい生活をしていたことが夢だったと感じるほど、時間は優しく、のんびりと流れていきます。  しかし、ひとつだけ勝てないものがあります。大自然です。 これに捕まってしまったら、素直に諦めましょう。人間が自然には勝てないと痛感することは、ともすると便利な日本の社会では、忘れられがちなことです。  馬に乗ってみたいけど、経験がない。そんな心配はいりません。大半の仲間は初心者だし、日本で馬に乗ろうと思ったら、莫大な時間と費用を費やします。それに、乗馬の本当のプロは、穏やかな心を持った小さな馬たち。難しいことを考えず、背に揺られていれば、何も問題ありません。乗っているうちに、馬と気持ちが一体化する瞬間が分かってくるでしょう。馬から降りた後、「ありがとう」と自然に首に抱きついてしまいます。  今でもよく、鼻腔の奥に甦ります。 馬の首から漂う香ばしい匂い。 蹄が踏みしめた東洋ハーブの匂い。 容赦なくレインスーツを叩く雨の匂い。 すべて、モンゴルの大地の匂いです。 それらを思い出す時私は、なんとも言えない切ない気持ちになるのです。 最近、こんなことを考えました。 私は人生の一部を、もしかしたら少し、あの大地に置いてきてしまったのかもしれません。
2013年参加
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 人間っていいと思う。きたない部分を間のあたりにするときもあるけど、それを、きたないよと素直にいえる人間になりたいと思ってた。
でも、今それをゆるしている。ゆるせる。みんなかわいい。
素直に生きる。わからんけど、1日24時間、ただ呼吸しているだけではいやだ。生きたしかばねとなってはつまらん。
張宇さんのみりょくは、しっとりとした強さ、よくわからんけど。
厳かな強さあると思う。
なにが本当なのか。
この出会い必然なのか偶然なのか。わたしは必然だと信じたい
 多摩美にきたときは絶対いってや
 2015年参加
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モンゴル旅行記 2014.8.1 ~ 8.11
 窓を見れば、景色が都会から大草原へと変わっていく。
自然と心が踊る。
バスを降りたら、草のにおいがした。
遊牧民の人たちが歌を歌いながらお酒を差し出して私たちを歓迎する。
中国の辺境の地、内モンゴル。
そこは思ったよりも優しい場所だった。
風が優しい。光が暖かい。
そして、初めて見た馬の目も優しかった。
 私が参加した団体は観光としてではなく、現地のひとと同じ目線にたってその国を感じることを目的に旅を提供している。
だから、内容はそんなに甘っちょろいもんじゃない。
私は、日本人としての常識は全部捨てた。
草原にいる間は馬で移動し、全部ゲルで寝泊まりして、お風呂にも入らないし、移動中のトイレは青空トイレ。
目の前で殺された羊を食べたり、なんかもうなにもかも非日常で毎日が新鮮だったけど、
やっぱり一番忘れられないのは馬に乗ったこと。
今でも鮮明に覚えているのは初めて馬の背中に乗ったときの感覚。
目線が急に高くなって、自然と背中がぴんと伸びた。
ごぉーっと風が吹いて、なんだか自分が強くなったように思える。
馬の体温が直接私の足に伝わって、あったかい。
絶対最後までこの馬と走り抜くんだ。
私は心の中でそう言って、足を引き締めた。
  チョボは私がつけた馬の名前。背中にチョボっとはげてる所があったから。
モンゴルの馬は名前が無い。みんな、背中につけられた烙印と役割で他の馬との区別をつけられてる。だからチョボって名前は心の中でずっと言っていた名前。
 チョボがゆっくり歩きだす。
旅が始まる。
 周りを見渡せば、果てしない草原。青い空。空が近い。土と草のにおい。パカパカ歩く音。手綱を握りしめる感覚。東のアジアと西のヨーロッパをつなぐ広い広い大地。何千年もの歴史。
自分が生まれるずーっと前からこうやって人々が馬にのって東西を渡り歩いてきたんだと思うと、なんだか自分がちっぽけに思えてきた。
私が生きているのは世界のほんのほんの一部。普段、コンクリートの建物に囲まれて生きているから、モンゴルの大草原を見るまで、何も無い大地がこんなに果てしないものだと知らな                    
かった。
 初めての駆け足。
私の体重が軽かったから、チョボにとっては走りやすかったみたい。
猛スピードで丘を駆け上がる。
私の体は一瞬で宙に浮いて、バランスを崩す。
あまりにも早いもんだから、落ちたら後ろの馬に踏まれて死ぬと思った。
乗馬がどれだけ危険か、事前に十分承知の上だったはずなのに。
急に怖くなってパニック状態。
自分が唯一頼りにできるのは手綱と鐙だけ。
頭が真っ白のまま、必死で手綱を引っ張って足を踏ん張った。
このときはまだ自分のことで精一杯。
  ずっと同じ馬にのってるとその馬がどんな性格なのかよくわかる。
チョボは子供っぽい。並足のときはだるそうに後ろのほうで歩く。
でも早足になるとだんだん調子にのってきてフンフンいいながら走り出す。
走ってるとき前に障害物があると気に食わないみたいで、よく群れから離れて暴走する。
それで遊牧民にムチでたたかれると急にすねる。
 駆け足の合図がかかるともう私の手には負えない。 
一気に丘の頂上へ。
チョボは全速力で走るのが大好きみたい。
でもチョボは甘えん坊。
止まってるとき、必ず他の馬の背中に頭をのせる。寂しがりやさん。
 結局何が言いたいのかって、チョボは本当に可愛かったってこと。
馬にのると馬のことが大好きになる。
たった3日だけでこうなったんだから、一生馬と走り続ける遊牧民の馬への愛情は私の比べ物にならないだろう。
長い長いモンゴルの歴史の中で、馬がどれほど大切なものなのか。
ちょっとは理解できた気がする。
  でも、お調子者のチョボだからこそ苦労することもたくさんあった。
走ってるとき、まったく私の言うことを聞いてくれない。
手綱を思いっきり引っ張って大声で叫んでもお尻叩いても全然効果なし。
周りのひとたちはだんだん自分の馬をうまくコントロールしていくのに、悔しかった。
つよく手綱を引っ張れば引っ張るほどチョボは嫌がる。
私もいらいらしてた。2日目までそんな調子。
  3日目の朝、早起きして、馬の世話のお手伝いをした。
馬はまだ鞍も手綱もつけられていない状態で、草原を走り回る。とっても楽しそう。
でもすぐに重いものをつけられる。私が鞍を見せると馬はみんな嫌がって、逃げていた。
そんな様子をみて、自由のない馬の運命をかわいそうに思った。
草を食べようとしてもすぐ手綱でひっぱりあげられる。
いっぱい走らされてお腹減ってるかもしれないのに。
ずっとあっつい太陽に照らされながら、重いものを背負って走らされる。
走ってるだけで相当暑いかもしれないのに。 
人間が草原で生き抜くためには馬が必要だから、仕方の無いことは充分分かってたことだけど、
でも自分だったらこんな一生嫌だなと思った。
乗馬のとき怖くて自分のことしか考えてなかったけど、このとき初めて馬の気持ちを考えた。
 だから、せめて自由にチョボに走らせてあげようと思った。
駆け足のとき怖くて手綱をきつきつに引っ張ってたけど、思い切って緩くした。
私のお尻は高く浮く。
チョボは駆け出す。
怖くて怖くて仕方なかったけど、ほんの一瞬、馬と自分が一体となって、風になったときがあった。
自分の体とチョボが一緒にパッカパッカパッカ。風を切る。
チョボ、走りやすかったかな?
私はあの一瞬、とても気持ちよかったです。
 結局、馬も人間と同じだ。馬にも意思はある。右に行きたい、左に行きたい、気持ちよく走りたい。
だからチョボの意見も尊重することにした。
そしたら、チョボも私の言うことを少しずつきいてくれるようになった。
チョボの考えも聞いて、でもけじめをつけるところはけじめをつけて。
  これって人生もそうじゃないかなぁ。
なにごとも中途半端な気持ちでやったらうまくいかない。
道をはずしそうになったときは手綱を限界まで引っ張っていかなければならない。自分の意思
も必要だ。
でもたまには手綱を緩めて、相手の思っていることもよく考えて、
お互いの気持ちが通じ合ったときに初めて心を開ける気がする。
 そんなこと、当たり前すぎて日常の中では忘れてる。
でもチョボの上に乗って、あらためて気づいたよ。
 きっと今日も元気よく生きているだろう。
チョボ、私と一緒に走ってくれてありがとう。
 もう理念とか、僻みとかどうでもいい。
私はこの自然の中で、地球の中で意思を持って生きている。それだけで十分幸せ。
 青い空と広い大地と度数の高い蒙古酒とたばこ。
私、この場所大好きだ。
張さん!素敵な旅をありがとう。
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 私が、この旅に参加したのは、すごく偶然なことだった。私は、春休みに、語学研修に行こうと思い、お金をためていたのだが、その企画が、定員に満たなくて中止になった。どうしよう、と思っている私の耳にとびこんできたのが、このシルクロードの旅である。金額的にもちょうどよいし、めったに行けないような所には行けるし、おもしろそうだから行ってみようかな、と思って申し込んだ。そんな簡単なきっかけだったけれど、この旅をふり返ってみると、予想以上に、深く心に残る経験ができた。本当に、行けてよかったと思う。この旅に参加するきっかけになったことすべてに、感謝の気持ちでいっぱいである。
 旅の途中で、張さんから投げかけられた2つの問い。シルクロードとは何か、自分にとってこの旅はなんだったか。3週間の旅が終わろうとしている今、うまくまとめることができないのだが、自分なりに出た答えを書いてみようと思う。
 まず、自分にとってこの旅は何だったか。3週間、毎日、沢山の人たち、沢山の風景、沢山のできごと…今まで見たことのない、沢山のものに触れて、考えさせられること、感動することが沢山あった。それぞれの場所で、それぞれの生活をしている人たちを見てきた。私は、日本に帰ったらまた、学校に行ったり、バイトに行ったりする毎日がはじまる。それでも、この人たちはここで毎日このような生活をしていくのだと思うと、不思議な気持ちになった。同じ時間をすごしているのに、広い世界の中では、色々な生活をしている人がいるのだと思うと、それが不思議だった。そして、ならば私の生活って何なのだろう、と考えはじめた。来年、私は4年生になる。卒業後の生き方を、決めなくてはいけない時である。今までは、ふつうに就職して働く毎日って何だかつまらないかなぁと思っていた。でも、この旅で、色々な人を見てきて、平凡なことって、つまらないことじゃないと思うようになった。平凡に暮らしていても、それがこんな風に、人に感動を与えたり、深く考えるきっかけをつくることができるのだから。また、毎日が、新鮮で、楽しくて仕方なかったけれど、そんな中で、いつも頭にうかぶのは、自分の家族のことだった。ホームシックという気持ちではなくて、でも、考えていた。私が、こんな風に旅している間、私の家族は毎日仕事に行ったり、学校に行ったりしているんだなぁと思うと、とても不思議だった。そして、私が、こんな風に旅をしたりできるのは、帰れる場所があるからなんだ、と思った。安心して、帰れる場所があるから、心から楽しめるのではないかなぁ、と思った。今は、まだ帰りたくない、って思うけれど、いつかは帰りたい。帰れる場所があるって、幸せだ。そして、いつかは、私が、誰かの「帰る場所」になれたらいいなぁ、と思うようになった。それも、すごく幸せなことなのではないかなぁと思う。とりあえず、まずは、就職に向けてがんばろうと思う。
 広い、広いシルクロードを旅してきて、自分が出した答えは、意外と小さなものだったなぁと思う。でも、小さいけれど、私はこの答えに満足している。広い世界を見れたからこそ出せた答えだったと思う。すごく、うれしい。
 シルクロードとは何か。まだ、一言でうまく言い表す言葉が思いつかない。でも、私にとって、かけがえのない大切な思い出を作れた場所である。シルクロードとは何なのか、いつか、答えが出てくるといいなぁ、と思う。
 2013年シルクロード参加
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 張さんへ、
  この旅、行く前はほんとうに、どんな旅になるのか想像すらつきませんでした。船に乗り、中国へ行き、人と出会い、別れ。自然を感じ、自分の小ささを感じました。この旅は、僕の人生において、とても大きな意味をもつ「発見」の連続でした。誰が何を言おうと、人生最高の旅(まだ21年しか生きていませんが)であると実感しています。残りの学生生活や、これからの人生で、この旅に負けないくらいの、旅をしたいと考えています。
 旅の途中で、張さんが話をしてくれた、中国のこと、シルクロードのこと、人生のこと、(もっともっと聞いておけば)という気持ちでいっぱいです。でもこれからが始まりだと考え、この先ずっと、良い関係を保っていただきたいと願っています。
張さんには本当に感謝しています。またお会いするのを、心から楽しみにしています。それまで、お体に気をつけて!
 ありがとうございました。
  旅の感想、そう考えただけで、いろんな事、いろんなもの、いろんな人の顔が走馬灯のように浮かぶ。うまく書けるか自信はないが、とりあえず感じたものを書き留める。
 「人間として生きる。」 今まで、少しは自分の力で生き、何とか一人でやっていけるかもと考えた自分を、この旅で恥じた。僕たちは、決して一人では生きていけないし、生きていこうと考えるのも、今となっては馬鹿らしい。列車で、言葉の壁にぶつかりながらも、その壁を越えて手をさしのべてくれる人のやさしさに触れた。街中で、カメラを向けたり、目が合うだけで笑顔を返してくれる人々の陽気さに触れた。そして手をさしだしてもらい、握手したことにより、人の力強さ、温かさに触れた。一人では決して味わえず、知ることすらできないものに、「人間として生きる。」ことで出会うことができた。
 そして、どの国の子供達も、みな一様に元気で、何事にかけても一生懸命ぶつかっていこうとする。こっちも言葉というものが通用しないため、体でそれを受け止め、体でそれに応えた。まだ物理的な力は小さいかもしれないが、彼らには生命力が満ち溢れている。だから彼らの目に力があった。
 そして、初めて砂漠に立った。目で見、耳で聴き、体で感じた。雄大で、何もかもを飲み込んでしまうような深みがそこにはあった。悠久の大地。日本の都会では決して感じることのできない、自然の強さ、冷酷さ、空の、天のでかさ。それらを肌で感じられる場所に僕はいた。
 シルクロードを渡った。遠い昔の人々の「東西交易の道」という名があるが、それよりふさわしい名「生命の道」。人々は生きるために道を渡った。何があるのか、どこまで続くのか、何もわからないまま、ただただ生きるために、明日を向かえるために。そこには、真に強い意志と、生への執着心がなければならなかっただろう。僕達の忘れかけているものが、そこにはあった。確かにあった。
 この旅は、「人間として生きる。」ことの難しさを、そして素晴らしさを、出会いの大切さを教えてくれた。
 そんな旅であった。だから、この言葉に尽きる。すべてに向けて、
  「本当にありがとう」。
 2014年シルクロード参加
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localventurelab · 6 years
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ローカルベンチャー最前線:HOTEL NUPKA 総支配人 坂口琴美さん(後編)
東京で縮まった、ふるさととの距離。 十勝の魅力をどう表現し、伝えていくかーー。
東京の下町で飲食店の経営に成功し、順風満帆な10代、20代を過ごした坂口さん。「すべてが初めての経験だったけれど、怖いもの知らずだからできたことがたくさんありました。ひとつひとつ壁を乗り越えて物事を理解したり、仕組みがわかったり。いろんな人に助けられて……そう考えると、私はただのラッキーな人なのかもしれませんね(笑)」と冗談っぽく笑う。向き合って話していると、ついホテルのオーナーであることを忘れてしまうくらい自然体。が、一方でしなやかでありながらブレない「芯」の強さが垣間見える。
千駄木のハンバーガーショップが軌道に乗り始めたころ、東京に居住する十勝出身の若手が集う「とかち東京クラブ」のメンバーが集まる機会があった。それは昼夜を問わず、夢中で働いてきた坂口さんが当時の“自分らしい”ワーキングスタイルを実現できた頃だった。「それまでは特に地元に強い思いもなく、今、目の前にある暮らしが精一杯。でも仕事が充実していて、体も心もきっと少しだけラクになったときに、ふと地元のことを思ったり、高校時代のお友達と会って懐かしいなぁという気持ちになりました」と振り返る。
「とかち東京クラブの定例会(飲み会)で、私のお店を利用してくれたりすることもあって、うれしかったですね。みんなの話を聞いていたら、やっぱり十勝はいいところだなって。あらためて気づくことがたくさんありました」と語る、坂口さん。次第に「じゃあ、十勝の魅力をどうやって表現して、発信していったらいいんだろう」と考え始めたのだと言う。
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▲「旅のはじまりのビール」を販売している東京根津にある「HOTEL GRAPHY(ホテルグラフィ)」でクラフトビールと十勝短編映画「my little guidebook」上映会を開催した時の1枚。グラフィーのメンバーに支えられ、東京と十勝が一つになる夜。
十勝を元気にしたい!という思いで つながった同志に誘われ、ホテルの共同オーナーに!?
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▲農水省主催のフードアクション・ニッポン アワード授賞式にて。地元十勝の農家さんと造るクラフトビール「旅のはじまりのビール」が、全国1008商品の中から10品に選ばれました。創業前からともに事業の運営や夢を共有する十勝出身の柏尾哲哉氏(左)、「旅のはじまりのビール」のレシピ開発や醸造責任を担っている本庄啓介氏(右) 。本庄氏は元キリンビール、アウグスビールの醸造責任者であり、柏尾さんの大学時代の先輩でもある。
とかち東京クラブで、いつも話題にのぼっていたのは十勝の魅力をもっと、より多くの人に発信できないかということ。 「国内だけでなく世界に向けた発信をしたいという思いがありました。そこで思いついたのが、十勝を舞台にしたストーリーと映像を作って発信しようと」。
なかなか大胆な発想にも思えるが、坂口さんはニューヨークから東京に拠点を移していた後輩の映像作家、逢坂芳郎さんに話を持ちかけた。そこから仲間を募り、映画『マイ・リトル・ガイドブック』を完成させた。台湾の旅行会社で働く主人公が、まだ知られていない北海道の観光資源を見つけるために十勝に派遣され、地元の人との出会いの中でドラマが生まれるストーリーだが、思った以上の反響があったのだそう。
この映画づくりの中心となったのが、同じ十勝出身の柏尾哲哉さん。柏尾さんは東京で弁護士として働く一方、生まれ育った帯広の、中心市街地の空洞化が進んで人通りが減り、かつてのにぎわいを失った景色を憂いでいた。「映画を通じて十勝を訪れる新しい人の流れを作り出したい!」。それは坂口さんと柏尾さんの共通の思いだった。
そんなとき柏尾さんが、帯広駅から徒歩3分の飲食街の一画で昭和48年から営業を続けていた老舗「ホテルみのや」が廃業しているという情報を入手。
「ここなら帯広の中心市街地から、十勝に何か貢献できるかも知れない」と感じた柏尾さんは、坂口さんに「帯広のまちのまん中で宿をやりませんか?」と声をかけた。
「学生時代のアルバイト、東京での自営を経て、日々お客さまと接することにやりがいを感じていた中、いつか宿を開こうと思っていた私は、東京・谷中の寺町にある長屋で、宿を開く準備に取りかかろうとしていた時期がありました」という坂口さん。 「ところが、ちょうどそのタイミングで東日本大震災が起きて、計画は白紙に。柏尾さんはそのことも知っていたので、声をかけてもらった時はうれしかったけれど、正直迷いました。東京の仕事もあるし、資金の準備も必要だし……」。
ところが柏尾さんは一歩先をいく行動に出る。ホテルみのやの所有者に相談し、「まちづくりのために生かしたい」という思いを丁寧に伝えた。結果、土地と建物を譲ってもらうことになり、「琴美さん!買って来ちゃいました!帯広でやりませんか、宿?」と声をかけたのだ。 このひと言が、現在のホテルヌプカに至るストーリーの始まりだった。
廃業したホテルに新たな価値を創造し、帯広の中心市街地を 盛り上げたい。共同経営という決断
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▲旧ホテルみのや=写真左=オープンしたのは、坂口さんが生まれる前の昭和48年。スクエアな外観に、風合いのあるタイル張りが印象的な外観は当時のまま。右の写真は現在のホテルヌプカ。
「そこからはもう、またまためまぐるしくて(笑)。『私、委託で運営はしません。やるなら共同オーナーにさせてください』って柏尾さんに(言いました)」と坂口さんは振り返る。面白い場所を点で作るのではなく、中心地全体を盛り上げて、面白い人がたくさん集まってくるエリアにしたいという大きな理想がある中で、「いざ2、3年経って、すぐに辞められるという状況にもしたくなかったし、東京のお店を犠牲にして取り組まなければならない部分も大きかったので、リスキーですけど、そう決めました。それくらい責任を持たないと、たぶん続けられないと思うから」。
そこで坂口さんは、柏尾さんとともに共同代表として、「十勝シティデザイン株式会社」を立ち上げ、いよいよ一大プロジェクトのスタートをきる。同社の事業は、宿泊施設やカフェの運営をはじめ、音楽やアート、セミナーなどのイベント運営、十勝に来た旅行者の旅のお手伝いなどだ。   以降、東京で購入した古いマンションと、帯広の賃貸マンションを頻繁に行き来する、忙しい日々に突入した。
しかしながら、オープンまでの道のりは決して平坦ではなかった。ホテルみのやが廃業するまでの数十年間は、まったく設備投資がなされていなかったため、老朽化した設備を再稼働するためには大工事が必要だったのだという。よって、オープンまでに2年の月日を要し、フルリノベーションの末にようやく完成。「ホテルヌプカ」は平成28年3月、開業した。
全国・世界から訪れる旅人を「暮らすような旅」で おもてなしするホテルヌプカを、十勝の新たな魅力に
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▲帯広の中心市街地をほっこり灯すホテルヌプカの1階部分。「まち・ひと・もの・こと・場所」をつなぐ拠点=Urban Lodgeを目指している。
宿泊施設とカフェ/BARの複合施設「ホテルヌプカ」は今、十勝・帯広への自分らしい旅の拠点として、まちの中から自然の中へバウンドする発着点として、さらに地元の人が集まる場として活用され、坂口さんの活動や発信は“感度”の高い道民や旅人たちからの注目を集めている。
一階はホテルのロビーであり、カフェやバーを併設。入り口には薪が置かれ、ぬくもりを感じられる空間に。奥のカウンターでは十勝産大麦麦芽100%を使用したオリジナルのクラフトビールや十勝の食材をふんだんに使った美味しいおつまみを食べることができる。ここはホテルのゲストだけでなく、地元の人も気軽に入ることできる。坂口さんや柏尾さん、スタッフ、また外部企画のイベントも随時開催され、全国、全世界から十勝を訪れるゲストと地元の人との交流の場にもなっている。
「十勝と世界をつなげる役割を果たしたい」という思いから「十勝の自然と街を旅するホテル」をイメージ。それは確かなカタチとなって、人と人、まちと人をつないでいる。    ちなみに2〜5階はシンプルで温かみのあるデザインを基調としたドミトリーと個室、それぞれのタイプの客室やランドリールームがあり、アートやグラフィック等のディレクションには十勝出身の若手クリエイター達をパートナーに迎えて、十勝に暮らす人々の日常の視点からホテルを作り上げた。
“外からの視点”を大切に、いいところ探しをして 十勝の無限の可能性をカタチにできたら
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▲ホテルヌプカで働くスタッフと。前列中央が坂口さん。
坂口さんが今、大切にしているのは、“外からの視点”。「地元の人にとってはあまりなじみのないことや、逆にあたりまえすぎることも、別のまちではわりと普通っていうことって、たくさんあるような気がします。そう考えると、まちの可能性は意外と外から入ってきた人たちの視点によって、広がることも多いのかなと。例えば、私が東京出身の人に、地元の話をすると『すごいね、それ!』って驚かれたりすることが、結構多いんですね。『こんなに美味しいチーズを作る工房が、そんなにいっぱいあるの?』とかね。最初は私自身も、“中の視点”で『何がすごいの?』って感じなんですけど、言われてみたら『確かにすごいじゃん』っていう気持ちになっていて」。
とかちの“いいところ”を笑顔で語る彼女の表情を見ていると、なんだかわくわくする。そんなふうに思っていたら、「すごい!って思う人の伝えるパワーって、とっても強いし、輝いていますよね。でも当たり前と思っているとなかなかパワーには結びつかない。田舎ほど、“外からの視点”に気付きをもらえたら、どんどん可能性は広がりますよね」。まさにその言葉を、坂口さん自身が無意識に体現していると筆者は感じた。
そういう���味においても全国、世界から訪れる旅人と出会えるホテルヌプカは、坂口さんにとって職場でありながら、情報の発信基地にもなっている。そして何より、今一番心地のいい“居場所”になっているのかも知れない。旅人と地元をつないで、一緒に楽しい時間を過ごせる場所に、そしていつでも戻ってこられるみんなの居場所にーー。
【プロフィール】 坂口 琴美(さかぐちことみ) ホテル&カフェ ヌプカ総支配人 。十勝シティデザイン株式会社 代表取締役。幕別町出身。2000年より東京都内にて飲食店の運営に携わり、2003年に個人事業主として自身がオーナーを務める飲食店をオープンさせる。2014年にホテルヌプカのプロジェクトを立ち上げ、2016年3月に開業。現在に至る。
会社名:十勝シティデザイン株式会社 所在地:北海道帯広市西2条南10丁目20-3 設立:2014年8月19日 資本金:50,000,000円(パート・アルバイト含む) 従業員数:社員12名 事業内容:不動産賃貸業、不動産管理業、飲食事業、広告業、ホテル業、旅行業、酒類の卸売及び販売、人材派遣業及び人材紹介業、レンタカー業及びその仲介 www.nupka.jp
取材・ライター:市田愛子 編集:伊藤衝
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korehayabai · 4 years
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玄界島女性殺害事件で男逮捕|NHK 福岡のニュース
県民への要請
生活や健康の維持に必要な場合除き外出を控える
外出する場合も人数を最小限に絞る
不要不急の帰省や旅行など都道府県をまたいだ移動は極力避ける
集団感染のリスクを高める3つの密(密閉 密集 密接)を回避
手洗い・消毒 マスク 咳エチケット 人との距離の確保に努める
感染拡大につながるおそれある催物や「3密」のある集まりを自粛
出勤者数の7割削減を目指し在宅勤務を推進する
出勤の際も時差出勤などで人との接触を低減する
かぜの症状でかかりつけ医を受診の際には必ず事前に電話で相談
休業要請を延長
福岡県 県内の事業者などへの休業要請を5月31日まで延長
キャバレー ナイトクラブ ダンスホール バー 風俗業 漫画喫茶
ネットカフェ カラオケボックス 射的場 勝馬投票券発売所
場外車券売り場 競艇場外発売場 ライブハウス
大学 専修学校 各種学校など(床面積1000平米超)
自動車教習所 学習塾など(床面積1000平米超)
幼稚園 小中学校 高校 特別支援学校など
体育館 プール ボウリング場 スポーツクラブなど
マージャン店 パチンコ店 ゲームセンターなど
劇場 映画館 演芸場 集会場 展示場など
博物館 美術館 図書館など(床面積1000平米超)
生活必需品ではない品物を扱う店舗 (床面積1000平米超)
生活に必要といえないサービス業の店舗(床面積1000平米超)
協力を依頼
大学 学習塾など  床面積1000平米以下も休業を
集会・展示施設 商業施設 床面積1000平米以下も休業を
居酒屋など飲食店 営業時間 5時~20時に 酒類提供は19時まで
休業要請せず
学習塾などの教室 小規模店舗(床面積100平米以下)
病院 診療所 薬局など医療施設 保育所 放課後児童クラブ 
支援が必要な人の居住や支援に関する事業を行う施設など
卸売市場 食料品売り場 生活必需品売り場 コンビニなど
ホテル 旅館 共同住宅 寄宿舎 下宿などの住宅・宿泊施設
バス タクシー レンタカー 鉄道 船舶 航空機などの交通機関
宅配などの物流サービス
工場 作業場 メディア 葬儀場 銭湯 質屋 獣医 理美容
クリーニング ランドリー ごみ処理関係など
適切な感染防止策を講じたうえで営業継続を
10万円給付
福岡市 マイナンバーカード使ったオンライン申請は5月1日から
福岡市 オンライン申請受け付け分 5月11日から順次給付
福岡市 相談ダイヤル 5月1日開設 092-711-4301 9時~17時
福岡市 郵送での申請受け付けは日程調整中
太宰府市 うきは市 5月1日からオンラインでの申請受け付け
福岡県 支援策
売り上げ減少した中小企業(国の支援対象外)に最大50万円支給
売り上げ減少した個人事業主(国の支援対象外)に最大25万円支給
中小企業向けに新たに無利子 無担保の特別融資を実施
宿泊事業者のマスクやアルコール消毒液などの購入費用 75%補助
飲食店のデリバリーやテイクアウトの広告・容器費用 75%を補助
中小企業がテレワーク導入するための費用を補助
福岡市 支援策
休業に協力した事業者に50万円を上限に家賃の8割を補助
ライブハウスなど 無観客公演の配信機器購入 50万円上限に支援
宿泊事業者に対し施設内の消毒費用 50万円を上限に支援
デリバリーサービス 1回1000円以上利用で500円分ポイント等還元
市内すべての医療機関に1施設あたり40万円~600万円を給付
新型コロナウイルスの患者受け入れた医療機関に1人30万円を給付
高齢者・障害者施設に1施設あたり15万円~150万円を給付
民間保育所や障害児福祉の事業者などに15万円~60万円を給付
保護者が自宅で保育の場合 保育料を日割りで割引き 施設に依頼
保護者が自宅で保育の場合 保育料の割引き分は市が施設に支給
テレワーク導入費用 最大50万円支援 中小企業や小規模事業者対象
テレワーク導入費用 パソコン等購入費・リース料 40万円上限に半額支援
テレワーク導入費用 システム環境整備等コンサルティング代 最大10万円支援
テレワーク導入費用 支援申請は5月上旬から31日まで 原則インターネットで
中小企業などへの家賃補助 オンライン申請は5月13日から
中小企業などへの家賃補助 5月18日ごろから実施予定
非常勤職員の募集
福岡市 期限付き非常勤職員募集 就職内定取消の学生ら対象
詳しくは福岡市ホームページ または福岡市人事課092-711-4187
北九州市 支援策
休業や営業時間短縮に協力の事業者 40万円を上限に家賃の8割補助
市内の宿泊施設を利用したテレワーク 1人1日3000円を上限に補助
デリバリーサービスの開始 1か月50万円を上限に最大3か月間補助
新型コロナウイルスの患者受け入れた医療機関に1人30万円を給付
医療機関や高齢者施設などに施設規模に応じて5万円~600万円給付
保育所や児童クラブなどに施設規模に応じて10万円~60万円給付
行橋市 支援策
休業に協力した事業者に1店舗あたり20万円の協力金を支給へ
協力金の支給 複数の店舗を運営している場合 上限は40万円
古賀市 支援策
休業要請等で売り上げ大幅減の事業者に10万円支給
売り上げが前年同期比50%以上減の小規模事業者に給付
マスク配布 市内の妊婦1人あたり50枚 順次郵送
小郡市 支援策
売り上げ減少の市内の事業者に 3~5万円を支援する方針
久留米市 支援策
売り上げ減の中小企業に最大350万円融資 5年間返済負担 実質ゼロ
市の融資を受ける中小企業に家賃や人件費など最大30万円支給方針
県の要請を受けて休業か営業時間短縮の事業者に10万円を支給方針
飲食店など家賃減額した店舗 固定資産税など減額方針
就学援助受給世帯 児童1人につき「おこめ券」20キロ分配布へ
八女市 支援策
市内すべての事業所に一律10万円を交付へ
宗像市 支援策
売り上げ15%以上減少した市内の小規模事業者に一律30万円支給
感染拡大の影響で失業・収入減の人を対象に臨時職員30人雇用
直方市 支援策
5月6日まで休業・営業時間短縮の事業者に最大20万円支給
休業の遊興施設・生活必需品以外扱う商業施設 1店舗あたり20万円
営業時間短縮の食事提供施設 1店舗あたり10万円
0歳~中学生の子どもがいる世帯 子ども1人あたり5千円支給
嘉麻市 支援策
5月から半年間 すべての家庭の水道の基本料金を半額免除
5月から半年間 学校給食費を全額免除
5月から半年間 保育所に通う子どもの副食費を全額免除
市が貸し付けている奨学金の返済を1年間猶予
売り上げが15%~29%減少した事業者に一律10万円を支給
すべての医療機関と社会福祉施設に一律20万円を支給
太宰府市 支援策
前年同月比 50%以上売り上げ減少の事業者に最大30万円支給
30%以上50%未満売り上げ減少の事業者に最大15万円支給
0歳から中学生までの子どもに1000円分の図書カード配布
糸島市 支援策
県の休業要請に応じるなどした中小事業者に協力金10万円支給
売り上げ10%以上減少の花栽培農家やカキ養殖業者等に10万円支給
うきは市 支援策
売り上げ前年比20%以上減少の中小事業者に10万円を支給
小中学生がいる大きく収入減の世帯に給食費等の相当額を支給
みやま市 支援策
5月2日~6日 休業や営業時間短縮に応じた事業者に一律10万円支給
休業要請等対象外も30%以上売り上げ減の月ある事業者に10万円
全小中学生に地元の道の駅で農産品が買える3000円分商品券を配布
福津市 支援策
売り上げが去年比で30%以上減の小規模事業者に一律10万円支給
児童扶養手当受給の世帯と就学援助認定の世帯に米10キロ支給
那珂川市 支援策
売り上げが前年比30%以上減少した月がある事業者に10万円支給
ひとり親世帯の18歳未満の児童・生徒対象 1人あたり5000円支給
大野城市 支援策
売り上げ30%以上減の中小の事業者に10万円を支給
高齢者施設の感染防止策を支援 1施設あたり10万円支給
大牟田市 支援策
休業や営業時間短縮に応じた事業者に一律10万円を支給へ
前年比50%以上売り上げ減の事業者に10万円上限に家賃を8割補助
飯塚市 支援策
国・県の融資制度を活用した中小事業者と個人事業主に30万円支給
売り上げ見通し前年比5%以上減の事業者に無担保・無利子の融資
児童扶養手当の受給世帯に1世帯あたり5万円支給
医療機関や保育園・放課後児童クラブなどの職員に1人3万円支給
柳川市 支援策
川下り舟 船頭に1人あたり5万円を支給
連続2週間以上の休業や営業時間短縮に応じる事業者に10万円支給
売り上げが前年比30%以上減った月のある事業者に10万円支給
田川市 支援策
市内に事業所があるすべての事業者に一律10万円を支給
県の休業要請に応じた事業者に10万円上乗せ 合わせて20万円支給
春日市 支援策
売り上げ30%以上減の月がある事業者と個人事業主に10万円支給
休業手当などを支給した中小事業者に一律10万円を補助
オンライン学習を支援 タブレット端末など貸与 
筑紫野市 支援策
売り上げ30%以上減の月がある事業者と個人事業主に10万円を支給
休業手当などを支給した中小事業者に一律10万円を補助
小中学校の児童・生徒に1人あたり2000円分の図書カード配付
朝倉市 支援策
売り上げ15%以上50%未満減の企業10万円 個人事業主に5万円支給
売り上げ15%以上減の宿泊事業者に最大200万円を支援
内定取り消しや失業した人 短期の非常勤職員として20人程度採用
大川市 支援策
県の要請に応じて休業の事業者に10万円を支給
宮若市 支援策
売り上げ30%以上50%未満減の中小企業に最大30万円支給
売り上げ30%以上50%未満減の個人事業主に最大15万円支給
中学生以下の子ども1人あたり1万円を支給
筑後市 支援策
県の要請受け4月23日~5月6日の間休業した事業者に10万円支給
休業要請対象外の対面販売などを行う事業者も休業なら10万円支給
小中学生1人につき筑後市産の米5キロを配布
中間市 支援策
国や県の支援金給付対象外の中小企業や個人事業主に10万円支給
国の臨時特別給付金に上乗せして子ども1人あたり5000円を支給
上毛町 支援策
町民全員に生活支援金として1人一律2万円の支給を決める
支援金の申請受け付けは5月2日から 支給は5月15日開始
添田町 支援策
4月27日から5月6日まで休業した事業者に10万円の協力金を支給
粕屋町 支援策
休業・営業時間短縮の小規模事業者に20万円上限に家賃8割補助
新宮町 支援策
売り上げ30%以上減の小規模企業10万円 個人事業主15万円支給
岡垣町 支援策
国の給付金や県の支援金に上乗せ 中小事業者に最大20万円を支給
国の給付金や県の支援金に上乗せ 個人事業主に最大10万円を支給
ことし10月予定の上下水道料金の値上げを半年間延長
水巻町 支援策
4月30日から5月6日まで休業した事業者に10万円の協力金支給
臨時特別給付金に子ども1人あたり5000円を上乗せして6月に支給
収入減の子育て世帯 就学援助や高校入学祝い金の認定条件を緩和
全世帯に燃えるごみ指定ごみ袋を1世帯あたり10枚配布
須恵町 支援策
売り上げが前年比30%以上減の月がある小規模事業者10万円支給
全世帯に町内のスーパーなどで使える商品券1世帯1万1000円分支給
志免町 支援策
売り上げ前年同月比30%以上減の小規模事業者に10万円を支給
大刀洗町 支援策
7日以上休業か営業時間短縮の中小企業や個人事業主に10万円支給
売り上げ前年同月比30%以上減の事業者に最大10万円を支給
宇美町 支援策
売り上げ前年同月比30%以上減の小規模事業者に最大20万円支給
芦屋町 支援策
町民全員に1人あたり一律2万円を給付
町内のすべての事業者を対象に一律10万円を給付
家庭用のごみ袋の引き替え券を1世帯当たり30枚分配布
上下水道の基本料金6か月分にあたる現金給付
鉄道など
JR九州新幹線 一部の臨時列車を運休 5月7日-31日 6月6日-28日
JR山陽新幹線 博多駅発着のすべての臨時列車を運休
JR九州 5月2日から6日まで 在来線の特急をすべて運休
JR この他にも運休などの可能性 ホームページなどで確認を
西鉄天神大牟田線 土日祝の本数を約半分に 特急は取りやめ
西鉄貝塚線 土日祝の本数を約60%に
西鉄 詳しい時刻表は各駅やホームページで示すことに
筑豊電気鉄道 土日祝日は当面 運行本数を半分程度に
筑豊電気鉄道 平日は当面 土曜・休日のダイヤで運行
平成筑豊鉄道 5月8日まで 平日は土曜・休日ダイヤで運行
北九州モノレール 土日祝日の9-17時 一部の列車を運休 5月6日まで
北九州モノレール 平日は通常通り運行
甘木鉄道 5月10日まで日祝ダイヤで運行
バス
JR九州バス 高速バス 福岡県と本州各地を結ぶ便 15日まで運休
西鉄 高速バス 福岡県と各地を結ぶ便で運休・減便
西鉄 運転手と乗客との感染防止のため最前列の席の利用中止
西鉄 路線バス 6日まで 福岡地区と北九州地区 減便 
西鉄 路線バス 7日からの平日 県内全地区「土曜ダイヤ」
西鉄 路線バス 7日からの土日祝 福岡地区と北九州地区 減便
西鉄 路線バス 7日からの土日祝 久留米地区 減便
西鉄 路線バス 7日からの土曜 筑豊地区「日祝ダイヤ」
西鉄 路線バス キャナルシティライン線 都心循環BRT線 運休
西鉄 路線バス 天神海の中道線 太宰府ライナー旅人 運休
昭和バス 高速バス 福岡市と糸島・唐津・伊万里の便 6日まで運休
昭和バス 路線バス 九州大学線・マリノア線 6日まで減便
減便や運休増える可能性 最新情報はホームページ等で確認を
高速船・フェリー
高速船ビートル 博多港ー韓国プサン 全便運休
阪九フェリー 名門大洋フェリー 通常運航
松山・小倉フェリー 小倉港-松山観光港 5日まで全便運休
松山・小倉フェリー 6日~31日は契約貨物事業者のみ乗船可
オーシャン東九フェリー 無人車両だけ 旅客乗せず運航
関門汽船 10日まで 日中の時間帯に一部減便して運航
北九州市営渡船 若戸渡船・小倉航路 通常運航
県離島振興協議会 釣りや観光で離島を訪問するのは当面自粛を
高速道路
大型連休期間 NEXCO西日本 休日割引を適用せず
大型連休期間 サービスエリアやパーキングエリアに営業自粛要請
大型連休期間 ガソリンスタンドやコンビニなどは通常通り営業
各店舗の情報についてはホームページなどで確認を
観光施設利用制限
福岡県 釣りなど禁止 福津市 津屋崎漁港
福岡県 釣りなど禁止 豊前市 宇島漁港
福岡県 釣りなど禁止 宗像市 大島漁港
福岡県 釣りなど禁止 福岡市西区 小呂島漁港 
福岡市 釣りなど禁止 中央区 博多漁港
福岡市 釣りなど禁止 東区 弘漁港 志賀島漁港 奈多漁港
福岡市 釣りなど禁止 西区 浜崎今津漁港 唐泊漁港
福岡市 釣りなど禁止 西区 西浦漁港 玄海漁港
糸島市 5月6日まで観光スポットの駐車場を閉鎖
糸島市 市内全漁港での釣りを当面禁止
スーパー
イオンとイオンスタイル 通常営業
イオンモール 食料品などを扱うスーパーのみ通常営業
マックスバリュ 原則として通常営業も一部店舗で営業時間短縮
西鉄ストア 営業継続も午後9時までに全店舗閉店
サニー 通常営業 ピーク時間を避けての来店を呼びかけ
サンリブ マルショク 営業時間を短縮 
マルキョウ 通常営業も今後は営業時間短縮なども検討
ハローデイ 原則通常営業も一部店舗で営業時間短縮
ゆめタウン ゆめマート 通常営業も一部店舗で営業時間短縮
ゆめタウン ゆめマート 一部の専門店は臨時休業
各社 営業時間など最新情報はホームページなどで確認を
献血
献血は医療体制の維持に不可欠
福岡県内5か所の献血ルームは通常通り
人が集中しないよう日本赤十字社の専用サイトや電話で予約を
移動献血車の運行予定など 県赤十字血液センターHPで確認
運転免許
更新手続き業務停止 福岡試験場 北九州試験場 
更新手続き業務停止 筑豊試験場 筑後試験場 県内8警察署
渡辺通優良運転者免許更新センター 当面の間閉鎖
黒崎優良運転者免許更新センター 当面の間閉鎖
有効期限が3月13日~7月31日 更新期限を3か月延長
更新期限延長には手続き必要 最寄りの警察署や試験場で受け付け
資金繰り相談
福岡銀行(店舗など51か所) 5月2日~4日 9時~15時
西日本シティ銀行(店舗など39か所) 5月2日~4日 9時~17時
福岡中央銀行(12店舗) 5月2日~6日 9時~17時
筑邦銀行(40店舗の中で持ち回り) 5月2日~6日 9時~15時
北九州銀行(5店舗)5月2日~6日 9時~17時
各銀行 感染拡大防止のため事前に電話予約を
福岡ひびき信用金庫(店舗など13か所)5月2日~6日 9時~15時
大牟田柳川信用金庫(8店舗)5月2日~6日 9時~16時 
筑後信用金庫(店舗など2か所)5月2日~6日 9時~15時
飯塚信用金庫(2店舗)5月2日~6日 9時~15時
たがわ信用金庫(本店)5月2日~6日 10時~12時 13時~15時
おおかわ信用金庫(本店)5月2日~6日 9時~15時
遠賀信用金庫(店舗など3か所)5月2日~6日 9時~15時 
福岡信用金庫(本店) 5月2日~6日 9時~12時 13~15時
福岡信用金庫(2店舗)5月2日・3日 9時~12時 13~15時
各信用金庫 詳しい情報はホームページなどで確認を
中小企業の相談
資金繰りについての自治体や国の相談窓口はこれまで通り対応
福岡市 福岡商工会議所内 092-441-2171
北九州市 小倉北区 093-551-3619
北九州市 戸畑区093-873-1433
北九州市 八幡西区093-642-2861
久留米市 商工政策課 0942-30-9133
福岡県庁 0120-567-179
九州経済産業局中小企業課 092-482-5447
福岡市の制度融資手続き 原則として郵送でのみ受け付け
労働相談
県社会保険労務士会 092-414-4864 月水金 12時~17時 
県社会保険労務士会 092-414-4864 火木 12時~18時 
県社会保険労務士会 092-414-4864 第1土曜 第3日曜 10時~16時
法的問題相談
県青年司法書士協議会 生活・法的問題などの無料電話相談
県青年司法書士協議会 092-724-9505 3日~6日 10時-16時
DV被害相談
県弁護士会が無料電話相談 5月8日 10時~16時 092-753-6154
外国人の相談窓口
県外国人相談センター 外国籍の人向け生活相談 19の言語で対応
県外国人相談センター 0120ー279ー906 10時~19時
source https://uyscuti.biz/2020/05/05/32233/
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shibaracu · 4 years
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●新型コロナウイルス この先どうする 天に向かってつば吐いた人たち
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◆ “感染自覚”旅行、学生に賠償請求へ 韓国 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20200327-00000223-nnn-int 2020/3/27(金) 15:37配信 韓国・済州島の地元自治体は、新型コロナウイルスの感染が疑われる状況を自覚しながら旅行で島を訪れたとして、旅行後に感染が確認された19歳の女子大学生に対し、損害賠償を請求すると明らかにした。 済州島の地元自治体によると、19歳の女子大学生と母親は、今月20日から24日まで旅行で島を訪れた。親子は旅行後、新型コロナウイルスの感染が確認された。 これについて、済州島側は、大学生が、感染の拡大が続く留学先のアメリカから韓国に戻ったばかりで、のどの痛みなども自覚しながら、旅行を続けたとして、親子に、損害賠償を請求すると明らかにした。 営業を休止した店舗の損害や消毒の費用など請求額は、日本円で900万円を超えるとみられ、法的責任を問う姿勢を示すことで、広く再発防止を訴えている。   ◆一罰百戒(いちばつひゃっかい)の意味・使い方。 一人の罪や過失を罰することで、他の多くの人々が同じような過失や罪を犯さないよう戒めとすること。一つの罰で百人の戒めにする意から。   ◆どこの国にもこんな奴がいる。 日本も法律で対応すべき。   ◆この学生に続いてアメリカ人の親子も約1000万円の賠償請求、まさか日本人は居ないよね、日本攻撃の布石かもしれないからさ …にしても立証は無理、人道的に見ても個人責任は取れないと思うよ。   ◆女子大生、症状出た後に卒業式に出席…自粛せず欧州旅行後に発症 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200329-00050138-yom-soci 2020/3/29(日) 20:42配信  読売新聞オンライン  広島県の県立広島大は29日、新型コロナウイルスへの感染が確認された今春卒業の女子学生(20歳代)について、欧州を旅行後、症状が出た後に、卒業式に出席していたと発表した。大学側は1月以降、全学生に海外旅行を自粛するよう求めていた。  大学によると、学生は今月5~13日、英国などを旅行。帰国後、のどの痛みや鼻水などの症状が出たが、23日に学科別に開かれた卒業式にマスクをして出席した。学生は福岡県在住で、同県が28日にこの学生の感染を発表した。   ◆これは悪意がありすぎる。 勘弁してほしい。 むしろ、刑罰の対象にしてほしい。   ◆こういう人間を内定取り消しにすべき。 4月から社会人になる人間の行動とは思えません。   ◆就職前に旅行に行きたい気持ちはわかるけど、社会人として失格になっちゃったよ。   ◆東京が危ない 感染確認数3日連続100人超え…上野駅徒歩圏内で院内感染か https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200330-03290183-sph-soci 2020/3/30(月) 6:00配信  スポーツ報知  東京都は29日、新型コロナウイルスの感染が新たに68人確認されたと明らかにした。1日の感染確認数としては、前日(63人)を上回り最多。うち27人が感染者が多発している永寿総合病院(台東区)と関連があることが判明した。都は院内感染の可能性が高いとみて調査している。国内の感染確認数は3日連続で100人を超えた。  「爆発的な増加が発生するか否かの重大局面」。27日に小池百合子都知事(67)がそう指摘してからわずか2日。首都・東京でこの日も新たに計68人の新型コロナウイルスの感染が確認された。  首都圏の知事は週末の自治体間の移動自粛を要請しているが、感染者の数は増加傾向にある。都内では25日から3日間連続して40人台、28日は63人、この日も2日続けて60人を超えた。都内感染者数はこの日を含め430人。ウイルスの潜伏期間は1~2週間とみられており、3連休(20~22日)中の外出が増加の一因との見方も出ている。  感染経路の不明者の数も増えてきた。25日は13人だったが、26日には25人とほぼ倍増。28日は63人中23人、この日は68人中26人の感染経路が不明だった。感染者とのつながりをたどれないことで、市中感染がまん延している可能性がある。  感染経路不明の感染者が増えるなか、この日の感染者のうち27人は永寿総合病院と関わりがあることが明らかになった。同病院では24日に医療従事者と患者ら5人の感染が初めて判明。外来診療を中断し、消毒措置などを行うなどしたが、その後も数は増加。25日11人、26日10人、27日14人、28日29人と増加。この日新たに27人の感染を確認し、計96人となった。  都は院内感染の可能性が高いとみて立ち入り調査を実施し、感染経路の確認を進める。同病院はJR上野駅近くにある中核病院で、1956年に開業。1日最大で1000人以上が訪れ、24時間態勢で救急患者を受け入れるなど、地域医療を支えてきた。  都は感染者の急増を受け、28日からの週末に不要不急の外出を避けるよう要請。30日以降も平日はなるべく自宅で仕事をし、夜間の外出を自粛するよう呼び掛けている。大規模イベントの延期や中止の要請は4月12日を期限とするが、状況次第で一層の措置を取ることも検討している。小池知事は「感染爆発を抑止できるギリギリの局面」と述べており、予断を許さない状況は当分続きそうだ。   ◆何を躊躇しているのですか、4月中旬以降のことを考えるべき。思いきって緊急事態宣言発令を出す時のラストです。そして感染者の症状別病院を作成とコントロールセンターで区分けする制度いわゆる大阪方式を公表して体制面で、感染した後の安心感を与えてほしい。このようなマンネリ自粛対応では不安しか残らないのです。   ◆過去に健康診断に病院に行って、その日の夜にノロウイルスになった事があります。あとで聞いたらその病院でノロウイルスの感染患者がかなりいらしたそうで、、。不要不急に病院に行くのはやめた方が良いです。特にお年寄りの方は。   ◆4月から首都封鎖3週間やって、結局経済のダメージ考慮して閉鎖はそこまでで、あとは少しづつ罹って集団免疫つける方向なんだろうな。   ◆東京都、「感染源不明」増加に懸念 若者に警鐘、無症状拡散か 新型コロナ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200330-00000012-jij-soci 3/30(月) 7:11配信  時事通信  新型コロナウイルスの感染者が急増する東京都は、感染経路が不明なケースが増加していることに危機感を募らせる。  都は特に、感染しても無症状である若者がウイルスを拡散させる可能性があるとして、夜間の外出や、クラブなどの密閉・密集空間を回避するよう強く求めている。  都の感染者は、41人に急増した25日から29日までで計259人。うち、調査中を含め感染経路が判明していない人は104人に上る。  新型コロナは、感染しても無症状だったり、軽症だったりする若者が多いとされる。都が外出自粛を要請した25日、小池百合子知事は「行動力のある若い人は感染している自覚がないまま活動する(可能性がある)」と警鐘を鳴らし、密閉や密集、近距離で会話が行われる場所には出向かないよう呼び掛けた。  経路が判明しない感染者の増加は感染爆発につながり、患者を診察し切れない医療崩壊を招く恐れがある。感染拡大を防止するためには、小規模な患者集団を早期に発見し、発生の連鎖を止めることが重要となる。しかし都によると、若者は行動範囲が広く、若年層の患者集団発見は困難という。  このため都は、当面の間は週末や夜間の外出自粛要請を継続し、ライブハウスなどに対しても個別に営業自粛を求める方針だ。    ◆若者だけじゃないよ。 夕方から夜にかけては若者が多く出歩いているけど、朝は通勤のサラリーマン、昼間はマスクを買いにドラッグストアに並ぶ中高年。 自分はドラッグストアに並ばない中高年だけど、若者だけをターゲットにしている風潮はよくないと思う。 誰かがいけないと人柱にするのではなく、全年齢が協力しないといけないこと。 政治家や役人、マスコミの偏向に騙されないようにしましょう。   ◆大学でクラスター発生の可能性 京都産業大の学生8人が新型コロナ感染
2020/3/29(日) 19:10配信  京都新聞 大学でクラスター発生の可能性 京都産業大の学生8人が新型コロナ感染 会見する京都市長や京都産業大学長(京都市中京区・市役所)  京都市と京都府、京都産業大は29日、ヨーロッパの卒業旅行から帰国した市在住の同大学4年生と、卒業旅行に同行した別の学生の卒業祝賀会に出席した市在住3人、井手町在住1人の、いずれも20代男性の同大学生計5人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。ほかにも、発熱などの症状のある学生ら13人を含む濃厚接触者が市内外で47人おり、「府内初のクラスター(感染者集団)発生の可能性が高い」としている。 京都府の5人のほかに愛媛、石川で陽性  帰国した学生は、同大学4年の4人で3月2~13日にイギリスやスペインなど欧州5カ国を旅行。帰国後、4人のうちの2人(いずれも20代男性)は28日までに愛媛県と石川県で陽性が確認され、残る2人のうち京都市内在住の1人は21日から発熱など症状が出て、29日に感染が確認された。 28日に感染確認の女性も京都産業大生  この3人は19、21、22日にそれぞれ、京都市内の飲食店でゼミの卒業祝賀会やサークルの懇親会に出席。このうち21日の会合で愛媛県の男性と同席した市在住の3人と井手町在住の1人の陽性が確認された。また、28日に感染が確認された宇治市の20代女性も同大学生で、石川県の男性と接点があったことが分かった。  市や府はこのほかにも、卒業旅行から帰国した4人が接触した大学関連の計47人を濃厚接触者として、検査や健康観察を実施している。うち症状があるのは京都市内の4人を含め府内や他府県に計13人で、検査結果は30日にも判明する見通し。  京都市中京区の市役所で会見した門川大作市長は「持ちこたえていた状況だったが、重大なクラスターに発展しかねない事例が発生した。非常に危機感を抱いている」と強調。京産大の大城光正学長も、5月4日までキャンパス内への不要不急の立ち入りを禁止し、同10日まで授業を中止するなどの対応を発表した。  京都市ではこの日、別に市内の大学生の20代女性と自営業の60代男性の感染も判明。女性はすでに感染が確認されている両親の実家に帰省していた。60代男性は海外渡航歴のある人にも接客する仕事をしていたが、詳しい感染ルートは不明という。府内の感染確認は47人、うち市内は32人になった。   ◆若年者の自粛を無視した行動が批判を集める中、大学生のコロナ感染が相次いでいます。 29日には県立広島大学を今春卒業した女子学生が大学の海外旅行自粛を振り切り、イギリスなどを旅行。帰国後の23日、学科別の卒業式に出席しています(28日に大学が感染を発表)。 学生からすれば「インフルエンザの方が発症者が多いのに騒ぎすぎ」「若いから感染しても問題ない」と軽く考えているようです。 が、本人にも症状悪化で生命に危険を迎えかねないこと、そして、家族や地域住民などに感染させる加害者になりかねないことなど、問題は多くあります。 しかも、大学生の場合、所属大学が風評被害に遭うリスクもあります。 実際に、女性教員が発症した郡山女子大学は批判が殺到。附属高校は批判・中傷を避けるために制服着用の中止を発表したほどです。 自分自身と家族と地域と大学、すべてを守るためにもすべての学生は自重することが求められています   ◆欧州に行き帰国時 空港で検査されて発覚したのでしょうか? 症状はないのか軽症か? 他にも大学生で卒業旅行で海外に行ってきた方々がいそうにも思う。 しかしこのご時世で欧州に行くのは 危険だろう。 キャンセルすべきだったんだと思うが   ◆門川大作市長のTwitter見てください。 当選前までは、コロナ対策…当選を境に更新もなくなってます。わかりやすい! 京都の現状をどうお考えか知りたい。 もう京都もコロナが蔓延しているはずです。 どんどん感染者が増えていく一方でしょう。 いまだに、観光客の多さも目につきます。 京都市民も不安を感じています。   ◆京都もそろそろ非常事態。大学が多い街なのだから、早め早めにしっかりした対応をしてほしい。観光最優先ではダメ。学校の始業式はGW明けにするべきでは?   ◆K-1に行った人が インタビーウで 自己責任で来た。と言っていた。 感染すれば自己責任ではすまない。安倍昭恵と一緒。 自分勝手。早く辞めないかな。打つ手も無い人いつまでで続けるのかな。   ◆専門家「食料買いだめ控えて」 備蓄十分、流通も機能 店内は感染リスク増大 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200330-00000014-jij-soci 2020/3/30(月) 7:13配信  時事通信  新型コロナウイルスの感染拡大で、首都圏では週末の外出自粛要請を受け、食料品を求める客が小売店などに殺到した。  政府の緊急事態宣言が出された場合も同様の事態が起きる恐れがあるが、専門家は、買い物は「不要不急」に当たらず自粛対象ではないと指摘。「マスクと違い食料は十分にある」と、冷静な行動を呼び掛けている。  農林水産省によると、米は半年分、小麦は2カ月分以上の国内備蓄がある。生産や流通、輸入も止まっておらず、店頭の欠品は一時的という。担当者は「食べる量が増えるわけではない」と必要量の購買を求めた。  東京大大学院の関谷直也准教授(社会心理学)は、外出自粛を求めた25日の都知事会見以降、一部で見られた買いだめの動きについて、「混雑する店内や行列はリスクを高め、本末転倒だ」と断じる。「会見で危機感は伝わったが、ロックダウン(都市封鎖)という言葉が一人歩きし、何のための自粛なのか伝わらなかった」と話し、「ライフラインとなる食料品店は閉まらない。焦らないでほしい」と強調した。  買いだめに走る心理については、食料不安の方が感染よりイメージしやすく行動に移しやすいと説明。マスクとは根本的に供給事情が異なるにもかかわらず、マスクの品薄が解消されていないことも買いだめを助長したと分析した。  愛知工業大の小林富雄教授(流通経済)は、買いだめが続くと供給過多を招き、結果的に食品ロスにつながる恐れがあると危惧する。「絶対量は確保されており、必要な分だけ計画的に買ってほしい」とし、「家庭内に眠っている食品もある。これを機に整理してみてはどうか」と提案した。  また、「スーパーも医療機関と同じ社会インフラで、店員の健康も確保しないといけない。強制的な数量制限など、店側だけでなく行政にも介入してもらいたい」と注文した。    ◆高齢者と主婦が買いだめに走っているから、会社員が入手できない… と思っていたが、 テレビで連日、スーパーに物がない映像を見せられれば、誰だって不安になる。 で、その動きはテレビを見ていない人にも連鎖する。 結局混乱の主原因はテレビなんだよ。 文字でみる、耳で聞くより、映像で、目で見ることの影響は大きい。   ◆今回のコロナの件委ついて買い占め等を防ぐ為に専門家がこの様な提言をしても、マスコミの報道方法に問題がいるものと思慮します。マスク及びトイレットペーパーの件の時には、TVの放送でアナウンサーは在庫が充分にありますので安心して下さいとの報道をしますが、画像は空になった棚を放映します。この様な放映では視聴した者は画像の法を信頼し買い占めに走ります。もう少し考慮した報道を望みます。   ◆これから外出したくないから買いだめは当然。 ならば、スーパーでの感染リスクとネットスーパーなどの紹介など使える情報を流してみては。 CMも工夫の必要。 春の陽気に誘われて外出したくなるようなのはやめて著名人が外出自粛を呼び掛けてみてはどうか。 地震の時、ACばっかりだったのを思いだした。 もうその局面にきているような気がしている。   ◆テレビなどの取り上げ方も もう考えなければならないのに考えない。 売れればよいという考え。やはり 日本人はもう居ない。 優しくて 美しい それが日本人だった。ガキの一人二人 大人の心も 昭和は遠くなりにけりと 言う言葉が流行ったけども 日本の本当の システムを 壊してしまったから もう駄目だろう。 グローバルにしたから 木目の細かな 事が 出来なくなった。 高齢者などと綺麗事は無し。ジジババで 良いよ。 何もかも 壊しておいて キレイ事言わないでほしい。 何��も 愉快な世の中になってしまったものだ。 日本人は日本人で良かったのに。縄文はいつまで続いてたのかな。 優しく 美しい 時代だった。 今こそ 日本の本気を発揮するべき時に それがもう無い。   ◆なぜバカは"カタカナ語"を使いたがる https://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=474160927   ◆言葉狩り(ことばがり) https://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=474145208   ◆我が日本 https://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=474135858   ◆「日本病」を考える https://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=474107840   ◆その他色んな事を書いてきた。 これからは 総てではないけど 昔の日本に帰らないと地球自体が消滅。 一度 一思案という言葉があるように 急がずじっくりとやらないと。 慌てても仕方ない。考えて行動したらどう。自分勝手では収まらないよ。 自分に向かってつば吐いても仕方無い。 お前はどうかと言われるだろうけど それも含んで考えている。 この先どうする。
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ronpe0524 · 6 years
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GBWな7月(2018年7月の日記)
■2018/7/1
午前中だけ外出させていただき、朝からMOVIX昭島で『オンリー・ザ・ブレイブ』鑑賞。お昼はモリタウンのフードコートの豚丼を家族分買って帰る。娘はザンギ定食。すっごい食べてた。午後から ひろ君が彼女と北海道土産を持って家まで遊びに来てくれた。娘ちゃんはしゃぐ。夜は娘ちゃんを寝かしつけながら自分も寝落ち a.k.a 仮眠。そしてW杯ラウンド16 ロシア×スペイン戦。スペイン敗退。これでイニエスタが早く日本に来るかな。クロアチア×デンマーク戦も途中まで見てたが寝てしまった。
■2018/7/2
仕事終わりで立川へ。シネマシティで『マッド・マックス』、『女と男の観覧車』をハシゴ。帰宅してから3時間ほど寝てW杯 ベルギー×日本戦。残念ながら負けてしまったけど、ついに日本代表が決勝トーナメントで戦えるときがきたのか、とドキドキする一戦であった。インタビューまで見終わり、一時間ほど寝れるかなぁ寝室に入ると娘が起きてしまった。娘に「日本負けちゃったよ」と説明。娘はこの会話をすぐ忘れるだろうけど、僕は忘れないだろうな。
■2018/7/3
週一の英会話が先生の都合で休止になったのでしっかりと働き帰宅。『ルークケイジ』S2E4だけ見て早めに寝る。あわよくば27時に起きて ポルトガル×イングランド 戦を見れるかなぁと思ったけど眠すぎてムリだった。
■2018/7/4 
仕事終わりで新宿へ。シネマカリテで『名前』鑑賞。帰宅してWOWOW録画したチャットモンチーの武道館ラストワンマンを前半(第一部)だけ見る。近年は聴けてなかったけど、デビューから数年��っていたチャットモンチー。涙。
■2018/7/5
仕事を早めに切り上げて渋谷へ。復活となるシネクイントにて『セラヴィ』試写。MCTT 7月のお題作品でもあります。映画前に兆楽で焼きそば。久々。帰宅してからWOWOW録画のチャットモンチー武道館の続き(第二部)を見る。涙。
■2018/7/6
なんか寒いぞ。仕事終わりで昭島へ。MOVIX昭島で『バーフバリ 王の凱旋 完全版』鑑賞。
■2018/7/7
レインボープール無料日だったが曇りで寒そうだったので断念。図書館で娘の本を借りてくる。図鑑的なものをよく読んでいる。僕は『読書の価値』読了。
■2018/7/8
ペップさんを東京に招聘し、GBW in Tokyo開催。設備の問題やスタートの遅れは申し訳なかったけどペップさんの話と作品選びはさすがの面白さ。「Vol.1」と云ってくれていたのが嬉しい。これは「Vol.2」をやりたい。放課後 a.k.a 打ち上げにはSPゲスト登場。アメコミの話をたくさんできて大変勉強になりました。ヤマノウチは遠征して良かったね。さらに二次会まで楽しかった。参加人数がまぁまぁいたのでそれほどお話しできなかった方も。
■2018/7/9
午前中、仕事していたらペップさんからDM。昨日渡すはずであった交通費を完全に忘れていた。大変申し訳ない。ペップさんは大宮のイオンシネマで『カメラを止めるな!』を観るとのこと。幸い午後半休を取っていたので昼から埼玉方面へ。日進駅で映画終わりのペップさんに交通費を無事に渡すことができました。ふー。ペップさんと『カメ止め!』の話などしながら渋谷まで電車移動。三茶に行くというペップさんを田園都市線の改札まで送る。中途半端に時間ができたのでとりあえず やしまでうどん。それでも2時間ぐらい時間があったのでヴェローチェでTV録画のドラマやアニメを見まくる。『ゲーム・オブ・スローンズ』S1E10見終わり。UPLINKで『セデック・バレ』一部・二部連続鑑賞。日本公開時に観逃してから約5年、ついに観れた。けんす君の後ろの席だった。
■2018/7/10
英会話終わってから帰宅。夕飯食べて風呂にも入り、万全の状態でスリーピーマンズのツイキャスを聴く。どうやらけんす君が本の話をしてるあたりで寝たらしい。一応27時にアラームをセットして一瞬起きた記憶はあるけどW杯セミファイナルは見れず。
■2018/7/11
朝起きてW杯の結果確認。フランスかー。通勤しながら昨夜のツイキャスの録音を聴く。入社してから以来、おそらく一番偉いポジションの人とのミーティングに緊張。つかれた。仕事終わりで新宿へ。テアトル新宿で『菊とギロチン』鑑賞。上映前に伯周さんに遭遇。ちょっとお話。あと同じ回に楳図かずお先生が。よく吉祥寺に行ってたころ一度も遭遇しなかったのに、まさか新宿で遭遇するとは。赤白でなく黒白のボーダーを着てて驚いた。
■2018/7/12
仕事終わりで立川へ。シネマシティで『マッドマックス2』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』鑑賞。映画と映画の合間にやよい軒。帰宅してから『ルークケイジ』S2E5。今シーズンはゴーストフェイス・キラが登場。
■2018/7/13
昼休みに丸亀製麺ですだちおろしひやかけ並+長なす天。良い。仕事終わりで昭島へ。『ストリート・オブ・ファイヤー』爆音上映をMOVIX昭島で。area49さんと遭遇。会うの一年ぶりぐらいかな。立川に移動してシネマシティで『ジュラシック・ワールド/炎の王国』bスタ極爆。
■2018/7/14
今日から3連休。3連休ですが映画を1本も観れない。カリコレとか行きたいなぁ。娘と実家へ。地元の夏祭り。もうすぐ娘の誕生日なのでお誕生日祝い その①。夜は実家の庭で花火。そのまま実家に泊まり。スリーピーマンズのツイキャスを聴きながらW杯3決を見る。
■2018/7/15
今日も地元のお祭り。夕方マンションに戻る。娘を寝かしつけてからW杯決勝を見る。
■2018/7/16
家族で日本橋へ。日本橋タカシマヤの資生堂パーラーでランチ。リカちゃんキャッスルのちいさなおみせにて娘の誕生日プレゼント購入。店の中にいられる雰囲気ではなかったので奥さんにまかせてお父さんは店の外で待つ。そのまま歩いて水天宮へ。大変遅くなってしまいましたが水天宮様へお礼、お札を返納。娘はもうすぐ6歳です。帰宅して、夜は娘のリクエストであるアイスケーキで誕生日祝い。娘を寝かしつけ、予想通り自分も寝てしまう。夜中に起きてラジオを聴いたりネトフリで『最強のふたり』を見たり。ついに見た感。  
■2018/7/17 
仕事終わりで下北へ。GRahAMBox番外編 ナツノカモプロデュース『このゆびとまれ』。いつもPodcastを聴いている岡部成司さん出演のコント公演。Podcastの相方でもあり岡部さんのお兄さんであるナツノカモさんが脚本・演出のコント×5本。小林賢太郎以外のコントを久々に観た気がするけど、自分の想定の外側にいけばいくほど面白い。爆笑とかではなく面白い。せっかく下北に行ったのに みん亭のシャッターがおりてたことだけが残念で仕方ないよ。吉祥寺まで移動していぶきうどんを食べた。これで「うどん旬報」のストックがまた1本できた。ちなみに僕がシネマクティフ東京支部のnoteで書いている「うどん旬報」、もちろん「キネマ旬報」的なタイトルをつけているのですが、「旬報」という言葉には「10日ごとに出す刊行物」という意味があるらしい。なので「うどん旬報」をはじめるときに10日ごとに公開しようかとも思ったのですが、さすがに10日ごとでは書くネタがなくなりそうなので、15日ごとに公開をしています。まぁ東京支部メンバーを含め誰も気づいてないと思いますが。帰宅してからネトフリで『サンバ』を見る。
■2018/7/18
仕事を早めに切り上げて新宿へ。シネマカリテでカリコレ2018作品をハシゴ。『リチャード・リンクレーター 職業:映画監督』と『ブラッド・マネー』。『リチャード・リンクレーター』上映後には入江監督のトークあり。スターチャンネルのイベントなのにWOWOWの話をガンガンする入江監督。最後にQ&Aの時間があったので質問させていただいた。「入江監督も『SR サイタマノラッパー』シリーズで約10年の期間、同じ役者で同じ役を描いてきたが、その面白さ または 難しさは?」という質問。入江監督は「リンクレーターもそうだと思うけど、その期間の自分(監督している人物)が作品に出ると思う」との回答。さらに『SR サイタマノラッパー』のさらなる続編は?という話になると『ほかに映画を撮れないような状況になったまた(SRに)帰ってくるんじゃないか。リンクレーターも『ビフォア』シリーズでそうだったように原点に戻るんじゃないか」と。トーク終わってから同回を観ていたチートイツさんから「良い質問でしたね」と云われたので僕モテ読者として役目をはたした感。チートイツさんに「もう1本カリコレ観ます」と『ブラッド・マネー』の内容を説明。「『6歳のボク~』のあの彼が主演なんすよ」とプレゼンし、「じゃあ俺も観ようかなぁ」とチケットを買うチートイツさん。取材の終わった入江監督ともちょっとだけお話。『ブラッド・マネー』について同じプレゼンをしたが、入江監督は「ふーん」と云って帰っていった。まぁ『ブラッド・マネー』はぜんぜん面白くなかったので入江監督が正解。チートイツさんゴメン。
■2018/7/19
仕事終わりで新宿へ。7月のMCTT。お題映画は『セラヴィ!』。今月は参加者6名と少なめ。参加してくれた常連のさっちゃんさん、ぃやっさんには超感謝。6人だとさすがにゆった���と話せる。自分が用意してきた内容をはじめて全部話した感じ。ジミソラジオを聴きながら帰る。帰宅してから『ルークケイジ』S2E6を見る。
■2018/7/20 
娘は昨夜から幼稚園のお泊り会。朝に娘がいないと完全に寝坊しそうになる。奥さんは起こしてくれない。昨夜のMCTT参加者の皆さんに丸亀製麺のうどん札をたくさんもらった。これを使いランチはひやかけ並を無料で食べたぞ。会社終わりで昭島へ。20日はMOVIXデーなので1100円である。『未来のミライ』と『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(2回目)をハシゴ。『炎の王国』はシネマシティの初回鑑賞時にあまり集中して観れなかった気がしたので再見したのだが、やや良くなったけどあまり印象変わらず。
■2018/7/21 
朝一で外出させていただき南大沢へ。TOHO南大沢で『アーリーマン ダグと仲間のキックオフ!』吹替で鑑賞。娘に行こう行こうと説得していたが断られ、そうこうしてるうちにTOHO新宿の字幕上映が終わってしまい、南大沢は朝8:10の回の観に。なんて扱いなんだ!と思うけど、行ってみたら観客は僕ひとりだった。作品はとても良かっただけになんか悲しい。昼に帰宅。娘の本を図書館に借りに行ったり、工作をして遊んだり。20時に娘を寝かしつけ、そのまま自分も寝てしまう。そして目が覚めたらもう朝の4時ぐらい。そこから録画したTVドラマやアニメを見まくる。Twitter上では主に映画館で観た映画のことばかりツイートしているが、実はまぁまぁTVドラマとアニメを見てると思う。現在だとドラマ『絶対零度』『高嶺の花』『遺留捜査』『ハゲタカ』『探偵が早すぎる』『チア☆ダン』『この世界の片隅に』『GIVER』『インベスターZ』『バカボンのパパよりバカなパパ』『ウルトラマンR/B』『マクガイバー』を見ていて、さらにこれからはじまる『dele』『黒書院の六兵衛』を見るだろう。アニメは『アンゴルモア~』『京都寺町三条のホームズ』『深夜!天才バカボン』『ハイスコアガール』『はねバド!』『バキ』『キャプテン翼』『鬼太郎』あたり、さらに『進撃の巨人3』を見るだろう。主に寝室か電車移動中に見る。PSVitaとトルネがないとこの量は見れていないだろうな。さらにネトフリやAmazon Primeで見る作品はなるべくTV画面で見るようにしている。
■2018/7/22 
本日は娘のピアノの発表会。1年ちょい前からピアノをはじめた娘にとってははじめての発表会。僕の両親と、奥さんの母上もやってきて、わが家にとっては大イベントである。はっきりいって娘より親の方が緊張している。娘の課題曲は素人の僕が聴いてもよくわからないが、昔ピアノをやっていた奥さん曰く、同年のほかの子の曲よりちょっと難しいとのこと。2曲目でちょっと間違えてたようだが、実力の9割ぐらいは出せたんじゃないだろうか。めちゃくちゃホッとした。親が。夜はまた20時ごろに娘を寝かしつけ、またそのまま自分も寝てしまう。26時ごろに起きて録画したJリーグの試合を見たり、Jリーグタイムを見たり、WOWOWドラマを見たり、明け方にリンクが飛んできたMCTNの音源を聴いたり。
■2018/7/23 
仕事終わりで有楽町へ。ヒュートラ有楽町で『クレアのカメラ』鑑賞。キネカ大森のもぎりさんこと片桐はいりさんも同回を観ていた。映画終わってからよもだそばでよもだカレーを食べる。帰宅してから『ルークケイジ』S2E7を見る。
■2018/7/24 
夜はNetflixで『疑惑のチャンピオン』を見る。スリーピンマンズのお題作品を律儀に見る自分、えらい。
■2018/7/25 
仕事終わりで立川へ。松屋でケイジャンチキン定食食べてから『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス』鑑賞@シネマシティ。帰宅してからスリーピンマンズのツイキャスを聴く。あべ君休み。『ルークケイジ』S2E8を見る。 
■2018/7/26 
午後半休で高田馬場へ。蔵之介でひやかけ+かしわ天+じゃこ飯。『メイド・イン・ホンコン』鑑賞@早稲田松竹。池袋へ。かるかやでスタミナうどん。ナイロン『睾丸』観劇@シアターウエスト。一番後ろの席だったのだけど前の席が人がすごい綺麗な人だなぁと思っていたら緒川たまきさん。僕よりぜんぜん年上なのですが信じられないぐらい若くて綺麗ですね。緊張。ほかにもクドカンや良々を客席で見かけた。後からケラさんのツイートで中村トオル、萩原聖人、平田の敦っちゃんなども観にきていたと知る。帰りながらジミソラジオ。帰宅してから『ルークケイジ』S2E9を見る。
 
■2018/7/27
フジロック初日。今年はYouTubeによるLIVE配信があるということで会社でこっそりストレイテナーのLIVEを堪能。これは良い。夜はチームの飲み会。自分はまったく呑まないので馬肉を腹いっぱい食べる。帰宅しながらフジロックのN.E.R.DのLIVE、帰宅してからPOST MALONEのLIVEを配信で。
■2018/7/28  
台風接近のためようちえんのデイキャンプという夏イベントが中止に。残念。ひたすら家で娘と遊ぶ。娘は何をやらかしたのか知らないが、現在TVを見ちゃいけないとママに云われてるようである。ひじょーに困る。しかたないのでスマホのネトフリで『皇帝ペンギン』を見る。スリーピンマンズの次回お題作品である。未見だと思っていたがどうやら観たことがあったらしい。感受性の強い娘は2、3回泣いていた。フジロックの配信ではイースタンユースと小袋成彬を見る。夜は娘の寝かしつけながら自分も寝てしまい夜中に起きる。WOWOW録画『江戸は燃えているか』を一幕だけ見る。オンデマンドにないんだよなこれ。
■2018/7/29 
台風は午前中で去ったようだ。近所の鈴木農園さんのイベント「1日だけのレストラン」に行く。野外でおいしいご飯をいろいろ食べる。ようちえんのお友達にも3人ぐらい遭遇。毎年可能であれば参加しているが、娘は年々楽しめるようになってきているようで何より。15時ぐらいから外出させていただき、移動中はフジロック配信のサチモスを見たり、block.fmのINSIDEOUTを聴いたり。渋谷に到着しVIRONでパンを買ったら店員さんがとても感じの良いメガネショートカットの子でびっくりした(VIRONの店員は感じ悪いのがデフォルトなので)。渋谷TOEIで『グレイ・ガーデンズ』二部作を観る。Gucchi'sの仕事には感謝しかない。けんす君が一部だけ観にきていた。帰りはフジロック配信でMISIA、帰宅してからceroのLIVEを見る。
■2018/7/30 
出勤しながらフジロック配信(再放送)でJack Johnsonを。この配信は来年もやってほしいし、なんなら他のフェスもやってほしい。メインステージじゃなくても良い。若い人とかフェスに行ったことない人は現地に行ってみたくなるだろうし、雰囲気もわかるだろうし。仕事終わりで新宿へ。カリコレ『ローライフ』鑑賞@シネマカリテ。映画観る前にかめやで天玉うどん。帰宅してから『江戸は燃えているか』の二幕を見る。 
■2018/7/31 
今週うちの会社にインターンの学生がきていて、僕の母校の学生なのでFreeな内容でMeetingをしてほしいとの依頼が。20年ぐらい後輩になるけど、就職に対する不安や、進学するかどうかの迷いは今もあまり変わってなさそう。正直な意見だけを話しておいた。英会話に出てから帰宅。Amazonビデオで『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』を見る。7月終わり。
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kuborie · 7 years
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加計学園 前川前文科次官会見詳報(2) 読売の出会い系バー報道で官邸の関与「あったと思う」
2017年6月23日
日本記者クラブで記者会見する文科省の前川喜平前事務次官=東京都千代田区で2017年6月23日午後5時28分、佐々木順一撮影
改革派と抵抗勢力の「勧善懲悪」の構図ではない
 この問題は規制改革を進めようとする改革派と、岩盤規制や既得権益に固執する抵抗勢力という「勧善懲悪」の構図で見ようとする方もいる。しかし、これはこの問題の本質を見誤る考え方だ。
 私も規制改革そのものに反対しているわけではない。必要のない無意味な規制は今でもたくさんあり、そうしたものは思い切って撤廃するということも当然だ。しかし、それきちんとした検討や検証の結果として判断されなければならない。
 私が(文科省で)現職中に携わったもので言えば、たとえば不登校の子供たち。今でも12万人の規模でいるが、学校という仕組みになじめない、そんな子供たちのために学習指導要領によらない特別な教育課程を編成する仕組みができた。最初は特区でやったことだった。この特区制度ができたおかげで救われた子供たちはたくさんいた。後に全国に広がるが、特区で始まり、全国展開した非常に良い事例だった。
 また、昨年12月には、教育機会確保法という法律ができた。これも一種の規制改革の方法で、学校外での不登校の子供たちの学習を正面から認めていこうというもので、これまで「ままこ」扱いされたフリースクールを、大事な存在として認めていくということで、大きな一歩を踏み出す改革だったと思う。 加計ありき 規制の「穴の開け方に問題」
 規制改革が必要というものはたくさんある。しかし、今回の問題は獣医学部の新設という規制に穴を開けたことよりも、穴の開け方に問題があると思っている。具体的に言えば、「私は行政がゆがめられた」と思っているのは、今治市における加計学園の獣医学部開設を認めるに至るプロセスだ。そこに不明瞭で不公正なものがあった。
 具体的に疑問点を言えば、まず「加計ありき」だったのではないかという問題。初めから加計学園に獣医学部を作らせるという結論があって、その結論に持っていくために、さまざまなプロセスを経由していったのではないかと思う。
 また、そのために最後の段階で、さまざまな条件が付け加えられた。「広域的に獣医学部が存在しない地域に限る」とか「平成30年4月に開学できるものに限る」といった条件のことだ。さらに最後で「1校に限る」という条件を設けて、最終的に加計学園しか該当しない形に持っていった。強力なライバルだった京都府の京都産業大学を排除した。
 これは規制緩和をしたように見えるが、規制緩和にさまざまな規制を乗せることによって、最終的に一つの主体だけが恩恵を被る形になっている。その根拠や手続きがきわめて不透明である。
 それから、第2点としてはこの検討を進めるべき、責任を負っていた国家戦略特区諮問会議、および諮問会議のもとに設けられていたワーキンググループが本当にちゃんと検討したのかということ��ある。本当に専門家や関係者の意見を反映させるような審議をしたのか。この点については非常に問題があるのではないかと思う。
 特に国家戦略特区という制度のことを考えてもらうと分かると思うが、国家戦略特区という制度は、特定の場所の特定の主体に特別なチャンスを与える仕組みになっている。その主体にだけ恩恵を与えるという制度だ。それだけに、決定のプロセスにおいては透明性や公平性の要請が高い。それらを十分確保しながら、きちんとした検討を進めることが必要だ。 京都産業大が排除された経緯は「非常に不明瞭」
 では、どういった検討が必要だったのか。一つには国家戦略特区の目的である国際競争力の強化や、国際経済拠点の形成というもの。国家戦略特区法の第1条に書いてある。そういうものに資するものを「特別扱い」することになっているので、本当に加計学園の獣医学部がそれらに資するものなのかという検証がされたのか。
 また、国家戦略特区は、閣議決定された「日本再興戦略改訂2015」の4条件というものがある。この4条件を満たしているということについて、きちんとした検討がされているのか。
 特に、獣医師が新たに対応すべき分野の人材需要とその規模が明らかにされているか。そして明らかにされた前提で、その人材養成は既存の大学では対応できない、もしくは困難という条件が、満たされているか。逆に言うと加計学園の獣医学部でしかできないことをすることになっているか。この検証が必要だ。
 また、既存の大学だけでなく、同じく提案が出てきていた京都府の京都産業大との提案と比べて、十分な比較、検討が行われたのか。この点も疑問が残るわけです。さらに人材需要に見通しを立てるということは農水省の実質的な参画は不可欠だが、そうであったか。私としては、実質的な参画はなかったと言わざるをえない。
 またライフサイエンスという新しい分野の人材需給ということならば厚労省の参画もえるべきだったは、厚労省は終始一貫、関与していない。
 そした意味でも、プロセスには疑問が残る。諮問会議は5人の民間委員が記者会見をした。私もつぶさに見た。その中で、5人の民間議員がペーパーを作って提示した。八田(達夫・アジア成長研究所所長)委員の言葉を借りれば、「このプロセスには一点のくもりもない」とした。
 しかし、私から言わせてもらえば、一点のくもりもないという客観的な事実ではなく、民間議員の方々から見て「くもりが見えていない」「見ないようにとしていた」「見せられていない」としか思えない。一方で八田議員は「政治のプロセスは不透明」と発言している。その部分に問題があるのだが、諮問会議ではスルーされていると私は思った。
 結果的に京都産業大の排除する効果を持った11月9日の諮問会議決定の表現がある。「広域的に獣医師大学の存在地域に限り」という言葉だ。これについて、諮問議員のペーパーを見ると「反対勢力の抵抗があったので、実現に向けて妥協点を探るためにこの文言を入れた」という話になっている。 「平成30年度4月開設」京産大排除の効果
 さらにワーキンググループの示唆によって山本(幸三・地方創世担当)大臣が入れた言葉で、これは京都産業大を排除する意図はなかったと話している。医学部新設の際の成田の特区の例を引き合いに出し、「極端な限定がされないような妥協策を提案するのが動機だった」「京都産業大をはじく意図はなかった」と八田さんは話している。
 内閣府の意図と、諮問会議の民間議員のこの文言を巡る意図は食い違っていたのではないか。(民間議員は)京都産業大を排除する意図を認識していないと考えざるをえない。もう一つ、平成30年度4月開設という条件もあるが、これも京都産業大を排除する効果を持っていた。そのことについても、諮問会議の民間議員の方々は全く認識を持っていない。
 では、なぜ今治に認めたのか。民間議員の説明では「まず1校ということならば、長年、提案をしてきた今治市。四国全域で獣医学部もなく、感染症の水際対策もあるのでいいんじゃないか」という考えだったようだ。その前提なら2校目以降があるということだ。しかし、その保証はない。国家戦略特区は特別な地域の特別な主体に特別な恩恵を与える仕組みだからだ。しかし民間議員は「1校目の突破口なんだ」という意識しかなく、そこにも我々の認識とのギャップがある。
 さらに民間議員の方が発表した文書では、「総理が特定事業者を優先する意向を示した。あるいは内閣府が文部科学省に伝えたという根拠はない」と断言している。しかし,断言できる理由を問われ、八田議員は「一切、知らない。こういったことはないと思う」と話した。「知らないから無い」ということでも、「無いというから無い」というものでもない。根拠はきわめて薄弱だ。改めて政策決定プロセスは検証される必要がある。 読売の出会い系バー報道は「私ははっきりと官邸の関与があったと思う」
 もう1点付け加えると、獣医学部を巡る問題で、私としての発言を1カ月前に行った。そして、全く別の問題として認識を新たにしたのは「国家権力とメディア」の関係だ。ここには日本を代表するメディアが集まっている。
 一つは私に対する個人攻撃と思われる記事が、5月22日の読売新聞に掲載されました。私としては不愉快な話だったが、その背後に何があったのか。それはきっちりとメディアの中で検証される問題だと思う。私ははっきりと官邸の関与があったと思っている。
 また、文書の存在や官邸からの働きかけについて、私に最初にインタビューを行ったのはNHKだった。しかし、その映像はいまだに放送されず、報じられていない。
 また、真相を示す内部文書の中でも非常に決定的なものに、9月26日の日付のものがある。「官邸の最高レベルが言っていること」という文言を含むものだ。これは朝日新聞が報じる前夜に、NHKは報じていた。しかし核心の部分は黒塗りされていた。NHKを責めているわけではないが、これはなぜなのだろうか?
 また、報道番組のコメンテーターの中には、いかなる状況証拠が出てきても、官邸の擁護しかしない方がいた。その方の名前は差し控えるが、森友学園のときも官邸を繰り返し行われていた。名前を出すことは控えるが、森友問題で官邸を擁護し続けた中には、ご本人の性犯罪が検察、警察にもみ消されたという疑惑を受けている方もいる。
 こういったことを踏まえて考えると、私は今の日本での「国家権力とメディアの関係」に非常に不安を覚える。国家権力と「第4の権力」とまで言われるメディアの関係を国民の視点から問い直す必要性、またメディアの方々の中で自浄作用が生じることを強く期待したい。
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korehayabai · 4 years
Text
名古屋の派遣型風俗を脱税で告発|NHK 東海のニュース
緊急事態宣言
▼不要不急の外出や移動の自粛を求める
休業要請の対象
〈遊興施設〉▼ナイトクラブ ▼バー ▼風俗店 ▼個室ビデオ店
▼ネットカフェ ▼漫画喫茶 ▼カラオケボックス ▼ライブハウス
▼競馬・競輪・競艇などの場外発売所
〈運動施設・遊技施設〉▼体育館 ▼水泳場 ▼ボウリング場
▼スポーツクラブ▼マージャン店▼パチンコ店▼ゲームセンター等
〈劇場・集会展示施設など〉▼劇場 ▼観覧場 ▼映画館 ▼演芸場
▼集会場 ▼公会堂 ▼展示場
〈大学など〉▼大学や専門学校などの教育施設
▼自動車教習所▼学習塾(床面積100㎡以下を除く)
〈博物館など〉▼博物館 ▼美術館 ▼図書館
〈商業施設〉▼生活必需以外の小売関係の店舗
休業要請の対象外
〈社会福祉施設など〉▼保育所 ▼学童クラブなど
▼介護福祉サービス
〈医療施設など〉▼病院 ▼薬局
〈生活必需物資販売施設〉▼食料品売場 ▼コンビニエンスストア
▼百貨店・ホームセンター・スーパーマーケットなどの
生活必需品売場
〈食事提供施設〉▼居酒屋を含む飲食店・料理店・喫茶店
営業時間は 前5時~夜8時までの短縮営業を要請
酒類の提供は 夜7時までとすることを要請
〈宿泊施設・交通機関など〉▼ホテル ▼バス ▼タクシー
▼レンタカー ▼鉄道 ▼船舶 ▼航空機 ▼宅配などの物流サービス
〈工場など〉▼工場 ▼作業場
〈金融機関・官公署など〉▼銀行 ▼官公署など
〈そのほか〉▼メディア ▼葬儀場 ▼銭湯 ▼質屋 ▼獣医
▼理美容 ▼ランドリー ▼ごみ処理関係
愛知県
▼県独自に東京などと同様の休業要請 期間は6日まで
▼要請に応じた地元の中小事業者に「協力金」一律50万円支給
▼理・美容室 6日まで休業で 休業協力金 最大20万円支給
休業相談窓口
▼休業要請実施の愛知・相談窓口
052-954-7453(毎日 前9時~後5時)
メールでも受け付け
sodan-corona@pref.aichi.lg.jp
労働相談窓口
▼愛知労働局 事業主や労働者からの相談受け付け
052-972-0266(平日 前9時半~後5時)
���治体独自の支援
▼小牧市 保育園・児童クラブの利用自粛で保護者に協力金
保育園児1人あたり1万円 児童クラブ利用1人あたり5000円
支給要件や申請方法は今後検討
▼小牧市 飲食店の経営支援のため上限15万円の補助金を支給
すべての家庭の水道の基本料金を半年間免除
▼小牧市 18歳までの子どもに5000円分の図書カード配布
75歳以上の人に1人1万円ずつ支給
▼小牧市 市民グループがマスクを手作りし福祉施設などに
寄付する活動に対して 5万円から20万円の助成金を交付
▼一宮市 休業に協力し 県の「協力金」の対象外の
昼間営業の喫茶店や理美容などの事業者に10万円の協力金
▼一宮市 家庭学習のための通信費や教材費などとして
子どものいる家庭を対象に 小中学生1人あたり5000円を支給
▼一宮市 学校給食費 免除の世帯に昼食費 1人9600円を支給
▼刈谷市 水道の基本料金と下水道の基本使用料を
5月の請求分から4か月分免除
▼犬山市 休業に協力し 県の「協力金」の対象外の
中小企業や個人事業主に15万円を支給
▼豊山町 町立保育園の保育料などを5月末まで無償化
町が運営する「放課後児童クラブ」の利用料を5月末まで無償に
▼東海市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼蒲郡市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼豊橋市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
県の要請より遅れて休業した理美容の事業者に5万円の協力金
▼豊橋市 市内の農業生産者で条件を満たせば
100万円~300万円の範囲で融資
▼新城市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
県の要請より遅れて休業した理美容の事業者に10万円の協力金
▼田原市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
4月29日~5月6日まですべて休業する飲食店に対し15万円
▼武豊町 県の要請より遅れて休業した事業者に20万円の協力金
▼岩倉市 県の要請より遅れて休業した事業者に10万円の協力金
▼豊川市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼豊川市 感染拡大の影響で内定取り消しや解雇された人を
臨時職員として5人程度採用することに 
雇用期間は6月~来年3月末 応��締め切りは15日
▼西尾市 水道の基本料金を6月の請求分から半年間無料
▼西尾市 県の協力金を受けていない宿泊施設
1施設あたり25万円の補助金を支給
▼西尾市 小中学校の給食費 無償認定世帯に給食費相当額を支給
▼岡崎市 水道の基本料金を7月の請求分から半年間80%減額
▼岡崎市 市立小中学校の給食費 給食再開後から9月まで無償
▼岡崎市 保育園・幼稚園・こども園などの3歳~5歳の給食費
宣言解除後9月まで無償
▼岡崎市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼東浦町 児童扶養手当を受給している児童に1万円を給付
▼大府市 感染拡大の影響で内定取り消しの新卒者などを数名採用
雇用期間は6月~来年3月末・募集期間は7日~13日まで
▼高浜市 小中学校の給食費 無償認定世帯に給食費相当額を支給
▼豊田市 小中学校や特別支援学校の給食費を再開後2か月分無償
▼豊田市 こども園に通う3~5歳の給食費を再開後2か月分無償
▼春日井市 小中学校・保育園などの給食費を6月~8月免除
▼春日井市 水道の基本料金を半年間免除
▼春日井市 愛知県の協力金対象外の中小事業者に支援金10万円
▼設楽町 県の要請より遅れて休業した事業者に20万円の協力金
▼半田市 社宅など退去余儀なくされた人に市営住宅4部屋提供
原則3か月間 最低家賃の半額 申し込み先着順(土日祝日を除く)
▼安城市 感染拡大で解雇や内定取り消された人を職員として雇用
事務作業ほか15人 採用期間7月1日~来年3月末
▼稲沢市 就学援助認定の小中学生がいる世帯に対し昼食費
児童生徒1人あたり1万3600円(4月・5月分)交付
▼稲沢市 小中学校の児童や生徒に図書カード1000円分配布
▼稲沢市 県の要請より遅れて休業した事業者に10万円の協力金
▼稲沢市 県の協力金対象外の昼間営業の喫茶店などの飲食店
4月29日~5月6日まで休業か夜間営業短縮で協力金10万円
▼稲沢市 水道の基本料金 7月請求分~10月請求分まで免除
▼豊根村 愛知県の協力金に間に合わなかった事業者に対し
4月25日~5月6日までの間に休業などに踏み切るか
営業時間を夜8時までに短縮するなどを条件に協力金20万円
▼みよし市 6月 7月 9月の小中学校の給食費無償化
▼みよし市 小中学生で給食費が免除される準要保護の認定を
受けている世帯や乳幼児のいる世帯に対して1人あたり1万円支給
▼みよし市 商工会が発行する食事券について1世帯あたり
最大1万円まで市が半額補助
学生支援
▼名古屋大学・岐阜大学 下宿生を対象 1人3万円給付
▼愛知文教大学 一般学生に 1人あたり5万円支給
▼愛知工業大学 すべての学生に 1人あたり5万円支給
▼学校法人愛知学院 すべての学生と生徒に 1人10万円支給
▼中京大学 すべての学生と大学院生に 1人5万円給付
▼椙山女学園大学 学生と大学院生に 1人5万円給付
岐阜県
▼岐阜県全域を対象に 休業要請 6日まで 
▼要請に協力した事業者には 「協力金」一律50万円支給
▼羽島市 感染拡大の影響で仕事を失った人などを
来年3月末までの非常勤職員として募集(8日まで)
▼瑞穂市 テイクアウトなど始める飲食店に経費補助の制度
使い捨て容器や箸など 7万円を限度に補助
▼関市 子育て世帯に地域で使える商品券を支給
対象は中学3年生以下の子どもがいる世帯
子ども1人あたり2万円分
ひとり親で児童扶養手当受給世帯 1世帯あたり最大3万円分
▼バーベキューなどの河川敷利用自粛を呼びかけ 6日まで
三重県
▼三重県全域を対象に 休業要請 6日まで 
▼要請に協力した事業者には 「協力金」一律50万円支給
▼旅館やホテルは対象外だが 営業休止や営業規模の縮小を理由に
大型連休中の予約を延期・キャンセルした事業者を対象に
「宿泊予約延期協力金」
1人当たり6000円 1施設当たり最大12万円支給
▼休業要請相談 059-224-2335(前9時~後5時)
▼鳥羽市 釣り 観光 帰省などの離島渡航自粛を呼びかけ
愛知・休校休園
〈県立高校〉5月末まで休校期間延長
〈県内市町村の小中学校〉5月末まで休校期間延長を要請
▼〈31日まで休校〉名古屋市 碧南市 刈谷市 知立市 高浜市
▼〈31日まで休校〉一宮市 岡崎市 豊田市 安城市 西尾市
▼〈31日まで休校〉みよし市 尾張旭市 長久手市 豊明市
▼〈31日まで休校〉日進市 大府市 瀬戸市 春日井市 小牧市
▼〈31日まで休校〉豊橋市 稲沢市 弥富市 愛西市 岩倉市
▼〈31日まで休校〉北名古屋市 清須市 江南市 津島市
▼〈31日まで休校〉半田市 常滑市 知多市 新城市 田原市
▼〈31日まで休校〉東浦町 東栄町 武豊町 幸田町 美浜町
▼〈31日まで休校〉扶桑町 蟹江町 豊山町 設楽町 阿久比町
▼〈31日まで休校〉南知多町 大口町 大治町 豊根村 飛島村
▼〈31日まで休校〉東海市 豊川市 蒲郡市 犬山市
▼〈29日まで休校〉あま市
〈特別支援学校〉5月末まで休校
〈市立幼稚園〉5月末まで休園
〈保育園〉一律に休園などは求めない
しかし 家庭保育が可能な場合 保護者に登園自粛を呼びかける
保育希望の家庭には 希望日時などを文書で提出してもらう方針
休校休園の助成金
▼子どもの世話のために休んだ保護者の賃金を補償する制度
申請先「学校等休業助成金・支援金受付センター」
0120-60-3999 (前9時~夜9時 土日祝日可)
児童相談センター
愛知・保護者感染で子育て困難な場合 一時保護所で子どもを保護
DV相談
全国共通のDV相談窓口 「DV相談+」
0120-279-889(24時間)
メールやSNSでも相談を受け付け
https://soudanplus.jp/
<愛知県>「愛知県女性相談センター」
052-962-2527(平日 前9時~夜9時 土日~後4時)
<名古屋市>「名古屋市配偶者暴力相談支援センター」
052-351-5388(平日 前10時~後5時)
児童虐待相談
<NPO>児童虐待防止に取り組む「CAPNA」
052-232-0624 (月~土 前11時~後2時)
公共料金
▼電気料金・ガス料金
大手電力会社と大手ガス会社 料金の支払い期限を1か月延長対応
▼電話料金 NTT・KDDI・ソフトバンクの通信大手3社
2月末以降支払いの携帯・固定電話料金 5月末まで支払期限延長
愛知・運転免許
▼運転免許 更新業務 当面休止▼有効期間の3か月延長が可能
対象は有効期間が今年7月31日までの人 
▼免許証再発行 記載事項の変更 失効手続きは通常通り
鉄道
▼JR東海 東海道新幹線 「のぞみ」の臨時列車を運休
東海道新幹線 運行本数を1日あたり2割程度減
JR東海 在来線は計画通り運行
▼近鉄・名鉄 平常通り運行予定
名鉄の特急列車「ミュースカイ」の土日・祝日のダイヤ
2日から当面 1日11本運休
▼名古屋市営地下鉄 おおむね平常通り運行予定
東山線で休日前日の最終電車を遅らせる措置を当面取りやめ
バス
▼<愛知> 名鉄バスの路線バス
岡崎・知立・津島・一宮・春日井・蒲郡の営業所管内
当面全線で休日ダイヤで運行
高速バスは現在 一部を運休 さらに減便する可能性も
▼ジェイアール東海バス 高速バスを 一部運休 
▼名古屋市営バス 当面 深夜バスなど 一部を運休
観光地をまわるルートバス「メーグル」は当面 運休
▼豊鉄バス 31日まで 一般の路線バスすべて土日祝ダイヤに
タクシー
▼つばめタクシーグループ 通常の半分ほどの台数で運行
▼名鉄グループのタクシー各社
名古屋市内で運行する会社は 夜の時間帯 通常の半分の台数で運行
西三河地域を中心に運行する会社は 通常の半分の台数で運行
名鉄岡崎タクシー 豊鉄タクシー 台数を減らして運行
名鉄知多タクシー 利用状況に合わせて台数を減らして運行
▼尾張地方中心の運行会社 通常の半分以下の台数で運行
▼名古屋近鉄タクシー 台数を減らして運行
航空
フジドリームエアラインズ 17日まで 全路線運休
フェリー
▼伊勢湾フェリー 当面 伊良湖発と鳥羽発の便
それぞれ 1日4便ずつに減便
金融機関
▼ATM 原則 平常通り稼働(休業する商業施設に設置除く)
▼多くの金融機関 2日~6日 一部店舗で資金繰りやローンの相談
区役所
▼<愛知> 名古屋市内に22ある区役所や支所
窓口業務を通常通り行う予定
住民票の写しや戸籍に関する証明書などの請求は 郵送も可能
名古屋国税局
▼<東海3県> 納付の猶予制度や申請方法の電話相談
052-968-5118(平日 前9時~後5時)
デパート
▼<愛知>松坂屋 食料品売り場を除き当面 臨時休業
名古屋店・豊田店食料品売り場(月~金)前10時~後6時 営業
2日・3日は食料品売り場も休業
▼タカシマヤゲートタワーモール 当面 臨時休業
ジェイアール名古屋タカシマヤ 食料品売り場を除き当面 臨時休業
食料品売り場は前10時~後6時まで営業
▼三越 栄店・星ヶ丘店 食料品売り場を除き6日まで臨時休業
食料品売り場は 前11時~夜7時まで営業
三越 栄店 2日・3日は食料品売り場も休業
▼名鉄百貨店 食料品売り場を除き当面 臨時休業
本店・一宮店の食料品売り場 (月~金)前11時~夜7時 営業
名鉄百貨店 本店 2日~6日は食料品売り場も休業
一宮店の食料品売り場 2日~6日 前11時~後6時まで営業
レストランフロア 本店は休業
レストランフロア 一宮店 前11時~後3時まで営業
▼西武岡崎店 食料品売り場を除き当面 臨時休業
食料品売り場は前10時~後6時まで営業
▼<岐阜> 岐阜高島屋 食料品売り場を除き当面 休業
食料品売り場は 後5時まで営業
▼<三重> 近鉄百貨店 四日市店は臨時休業
食料品売り場は 前10時~後6時まで営業
▼松菱 6日まで1階と地下食品売り場のみ営業 前10時~後6時
スーパー
▼アピタ・ピアゴ 東海3県の全店舗 6日まで夜8時閉店
▼ユニーとドン・キホーテ共同店舗
東海3県の原則 全ての店舗で閉店時刻を早める
▼イオン 東海3県一部店舗で食品以外の売り場閉店を1時間短縮
▼マックスバリュ 原則 全店舗で通常通り営業
▼イオンモール 食料品などを扱うスーパーは原則 通常通り営業
専門店エリアは臨時休業
▼バロー 一部店舗で時間を短縮して営業
▼ヤマナカ・フランテ 全店舗 夜8時もしくは夜9時閉店
▼オークワ 愛知・三重の一部店舗と岐阜の全店舗で営業時間短縮
▼フィール 愛知県内の全店舗で通常通り営業
▼アオキスーパー 全店舗で通常営業(商業施設内の一部店舗除く)
▼ヨシヅヤ 全店舗で通常通り営業
3日から一部の店舗で開店と閉店時刻30分早める
▼コープあいち 31日まで営業を夜7時まで短縮 一部店舗除く
▼コープぎふ 6日まで全店舗 営業を夜7時まで短縮
宅配は通常通り
▼平和堂 岐阜県内の多くの店舗で時間を短縮して営業
ドラッグストア
▼スギ薬局 一部店舗で 営業時間を短縮
コンビニ
▼セブン‐イレブン・ファミリーマート・ローソン
<愛知>原則として通常通り営業
各店舗の状況に応じ 休業や営業時間短縮する場合も
商業施設
▼<愛知> 名古屋パルコ 当面 臨時休業
▼大名古屋ビルヂング 商業ゾーン一部店舗を除き臨時休業 
クリニックは営業
▼日進市 プライムツリー赤池
専門店などが入る商業ゾーンは 一部店舗を除き臨時休業
食品スーパーは 営業時間を夜8時までに短縮
▼ミッドランドスクエア 当面 臨時休業
▼ららぽーと名古屋みなとアクルス
食品スーパーなどを除いて 臨時休業
▼サカエチカ 一部店舗で営業時間短縮・臨時休業
▼セントラルパーク 2日~6日まですべての店舗休業
7日からコンビニと薬局は営業 それ以外の店舗は当面休業
▼栄森の地下街 6日まで一部店舗を除き休業
▼エスカ 6日まで一部店舗を除き休業
▼ユニモール 6日まで一部店舗を除き休業
▼メイチカ 6日まで一部店舗を除き休業
▼<岐阜> モレラ岐阜 6日まで休業
ドラッグストアや食品を扱う一部店舗は 時間を短縮して営業
▼マーサ21 6日まで休業
主に食料品を取り扱う店舗は時間短縮して営業
イオンは一部時間を短縮して営業
▼カラフルタウン岐阜 10日まで 原則 全館を休館
施設内のイトーヨーカドーやクリニックなどは営業
▼イオンモール各務原 主に食料品を取り扱う店舗は
当面 前10時~夜8時まで営業 
施設内のイオンは一部時間を短縮して営業
▼マーゴ 本館専門店は当面休業 一部店舗は時間を短縮して営業
マーゴ内のイオンは一部時間を短縮して営業
▼アクアウォーク大垣 6日まで時間短縮営業 一部臨時休業
▼アル・プラザ鶴見 食料品売り場は通常営業 
一部店舗で臨時休業または営業時間を短縮
▼土岐プレミアム・アウトレット 当面 休業
ファストフード
▼マクドナルド <東海3県>店内での飲食 取りやめ
持ち帰りやドライブスルーは通常の閉店時間まで
▼ケンタッキーフライドチキン 
<愛知>全店舗で原則 夜8時までに営業時間を短縮
入居する商業施設の状況によって 休業する店舗も
コーヒーチェーン
▼スターバックスコーヒー <愛知・岐阜>原則全店舗で休業
<三重>午後7時まで テイクアウトのみの対応
▼ドトールコーヒー <愛知>直営店舗を休業
フランチャイズ店は店舗ごとに 営業時間を短縮などの対応を協議
ファミレス
▼ガスト・ジョナサンなど展開のすかいらーくホールディングス
<東海3県> 原則 夜8時までに閉店
▼サイゼリヤ <東海3県>原則 夜8時まで 一部店舗で臨時休業
▼ロイヤルホストや天丼てんやなどの ロイヤルホールディングス
<東海3県>夜8時まで営業 6日まで持ち帰りや配達のみ
外食
▼サガミホールディングス<東海3県>
多くの店舗で営業時間を夜8時までに短縮 一部店舗は臨時休業
▼木曽路グループ <東海3県> 木曽路 一部店舗を臨時休業
休業しない店舗についても 営業時間を短縮
居酒屋の素材屋 全店休業中
▼スガキコシステムズ <東海3県> 一部店舗を臨時休業
休業しない店舗についても 営業時間を短縮
▼コメダホールディングス 愛知県や三重県の一部店舗で休業
▼壱番屋〈東海3県〉夜8時までに閉店
一部店舗では 持ち帰りと宅配のみ 夜8時以降も取り扱う
牛丼チェーン
▼吉野家 <東海3県> 店内飲食は 前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は夜7時まで
▼すき家・なか卯 <東海3県> 店内は前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は取りやめ
▼松屋 <東海3県> 店内飲食は 前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は夜7時まで
公共施設など
▼<愛知> 名古屋港水族館 11日まで休館
▼竹島水族館 6日まで休館
▼名古屋市科学館・名古屋市博物館 当面臨時休館
▼名古屋市の鶴舞中央図書館と各区の図書館 当面臨時休館
▼愛知県図書館・愛知県武道館 6月1日まで休館
▼犬山城 31日まで閉城
▼愛知県体育館・愛知県美術館 31日まで休館
▼瀬戸市の愛知県陶磁美術館 6月1日まで休館
▼常滑市のAichiSkyExpo 31日まで休業
▼長久手市の愛・地球博記念公園の主な施設 6月1日まで休館
▼豊橋市総合動植物公園 「のんほいパーク」 全面休園
▼<三重>伊勢神宮 当面 参拝時間短縮 前6時~後3時まで
テーマパーク
▼<愛知> レゴランド・ジャパン 当面 臨時休園
再開時期については 今後の国や県の対応を踏まえ慎重に判断
▼リニア・鉄道館 臨時休館をさらに延長 再開時期は未定
▼豊山町の あいち航空ミュージアム 31日まで休館
▼安城市のデンパーク 当面 臨時休園
▼西尾市の愛知こどもの国 6月1日まで休園
▼弥富市の海南こどもの国 6月1日まで休園
▼美浜町の南知多ビーチランド 6日まで臨時休園
▼美浜町の南知多おもちゃ王国 6日まで臨時休園
がいこくじんむけ
Consultation services for 
foreigners
▼ 名古屋国際センター
Nagoya International Center
TEL 052ー581-0100
https://www.nic-nagoya.or.jp/
▼あいち多文化共生センター
Aichi Multicultural Center
TEL 052-961-7902
▼愛知労働局
Aichi Labour  Bureau
TEL 052-972-0253
▼ 名古屋外国人雇用サービスセンター
Nagoya Employment Service 
Center for Foreigners
TEL 052-855-3770
▼豊橋市国際交流協会 
Toyohashi International
Association
TEL 090-1860-0783
出入国管理局
▼名古屋出入国在留管理局 通常通り開庁予定 面会は停止
Nagoya Immigration Services Bureau will be open
as usual except for a part.
source https://uyscuti.biz/2020/05/02/32111/
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korehayabai · 4 years
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町役場で「俺コロナ」の男起訴|NHK 東海のニュース
緊急事態宣言
▼不要不急の外出や移動の自粛を求める
休業要請の対象
〈遊興施設〉▼ナイトクラブ ▼バー ▼風俗店 ▼個室ビデオ店
▼ネットカフェ ▼漫画喫茶 ▼カラオケボックス ▼ライブハウス
▼競馬・競輪・競艇などの場外発売所
〈運動施設・遊技施設〉▼体育館 ▼水泳場 ▼ボウリング場
▼スポーツクラブ▼マージャン店▼パチンコ店▼ゲームセンター等
〈劇場・集会展示施設など〉▼劇場 ▼観覧場 ▼映画館 ▼演芸場
▼集会場 ▼公会堂 ▼展示場
〈大学など〉▼大学や専門学校などの教育施設
▼自動車教習所▼学習塾(床面積100㎡以下を除く)
〈博物館など〉▼博物館 ▼美術館 ▼図書館
〈商業施設〉▼生活必需以外の小売関係の店舗
休業要請の対象外
〈社会福祉施設など〉▼保育所 ▼学童クラブなど
▼介護福祉サービス
〈医療施設など〉▼病院 ▼薬局
〈生活必需物資販売施設〉▼食料品売場 ▼コンビニエンスストア
▼百貨店・ホームセンター・スーパーマーケットなどの
生活必需品売場
〈食事提供施設〉▼居酒屋を含む飲食店・料理店・喫茶店
営業時間は 前5時~夜8時までの短縮営業を要請
酒類の提供は 夜7時までとすることを要請
〈宿泊施設・交通機関など〉▼ホテル ▼バス ▼タクシー
▼レンタカー ▼鉄道 ▼船舶 ▼航空機 ▼宅配などの物流サービス
〈工場など〉▼工場 ▼作業場
〈金融機関・官公署など〉▼銀行 ▼官公署など
〈そのほか〉▼メディア ▼葬儀場 ▼銭湯 ▼質屋 ▼獣医
▼理美容 ▼ランドリー ▼ごみ処理関係
愛知県
▼県独自に東京などと同様の休業要請 期間は6日まで
▼要請に応じた地元の中小事業者に「協力金」一律50万円支給
▼理・美容室 6日まで休業で 休業協力金 最大20万円支給
休業相談窓口
▼休業要請実施の愛知・相談窓口
052-954-7453(毎日 前9時~後5時)
メールでも受け付け
sodan-corona@pref.aichi.lg.jp
労働相談窓口
▼愛知労働局 事業主や労働者からの相談受け付け
052-972-0266(平日 前9時半~後5時)
自治体独自の支援
▼小牧市 保育園・児童クラブの利用自粛で保護者に協力金
保育園児1人あたり1万円 児童クラブ利用1人あたり5000円
支給要件や申請方法は今後検討
▼小牧市 飲食店の経営支援のため上限15万円の補助金を支給
すべての家庭の水道の基本料金を半年間免除
▼小牧市 18歳までの子どもに5000円分の図書カード配布
75歳以上の人に1人1万円ずつ支給
▼小牧市 市民グループがマスクを手作りし福祉施設などに
寄付する活動に対して 5万円から20万円の助成金を交付
▼一宮市 休業に協力し 県の「協力金」の対象外の
昼間営業の喫茶店や理美容などの事業者に10万円の協力金
▼一宮市 家庭学習のための通信費や教材費などとして
子どものいる家庭を対象に 小中学生1人あたり5000円を支給
▼一宮市 学校給食費 免除の世帯に昼食費 1人9600円を支給
▼刈谷市 水道の基本料金と下水道の基本使用料を
5月の請求分から4か月分免除
▼犬山市 休業に協力し 県の「協力金」の対象外の
中小企業や個人事業主に15万円を支給
▼豊山町 町立保育園の保育料などを5月末まで無償化
町が運営する「放課後児童クラブ」の利用料を5月末まで無償に
▼東海市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼蒲郡市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼豊橋市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
県の要請より遅れて休業した理美容の事業者に5万円の協力金
▼豊橋市 市内の農業生産者で条件を満たせば
100万円~300万円の範囲で融資
▼新城市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
県の要請より遅れて休業した理美容の事業者に10万円の協力金
▼田原市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
4月29日~5月6日まですべて休業する飲食店に対し15万円
▼武豊町 県の要請より遅れて休業した事業者に20万円の協力金
▼岩倉市 県の要請より遅れて休業した事業者に10万円の協力金
▼豊川市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼豊川市 感染拡大の影響で内定取り消しや解雇された人を
臨時職員として5人程度採用することに 
雇用期間は6月~来年3月末 応募締め切りは15日
▼西尾市 水道の基本料金を6月の請求分から半年間無料
▼西尾市 県の協力金を受けていない宿泊施設
1施設あたり25万円の補助金を支給
▼西尾市 小中学校の給食費 無償認定世帯に給食費相当額を支給
▼岡崎市 水道の基本料金を7月の請求分から半年間80%減額
▼岡崎市 市立小中学校の給食費 給食再開後から9月まで無償
▼岡崎市 保育園・幼稚園・こども園などの3歳~5歳の給食費
宣言解除後9月まで無償
▼岡崎市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼東浦町 児童扶養手当を受給している児童に1万円を給付
▼大府市 感染拡大の影響で内定取り消しの新卒者などを数名採用
雇用期間は6月~来年3月末・募集期間は7日~13日まで
▼高浜市 小中学校の給食費 無償認定世帯に給食費相当額を支給
▼豊田市 小中学校や特別支援学校の給食費を再開後2か月分無償
▼豊田市 こども園に通う3~5歳の給食費を再開後2か月分無償
▼春日井市 小中学校・保育園などの給食費を6月~8月免除
▼春日井市 水道の基本料金を半年間免除
▼春日井市 愛知県の協力金対象外の中小事業者に支援金10万円
▼設楽町 県の要請より遅れて休業した事業者に20万円の協力金
▼半田市 社宅など退去余儀なくされた人に市営住宅4部屋提供
原則3か月間 最低家賃の半額 申し込み先着順(土日祝日を除く)
▼安城市 感染拡大で解雇や内定取り消された人を職員として雇用
事務作業ほか15人 採用期間7月1日~来年3月末
▼稲沢市 就学援助認定の小中学生がいる世帯に対し昼食費
児童生徒1人あたり1万3600円(4月・5月分)交付
▼稲沢市 小中学校の児童や生徒に図書カード1000円分配布
▼稲沢市 県の要請より遅れて休業した事業者に10万円の協力金
▼稲沢市 県の協力金対象外の昼間営業の喫茶店などの飲食店
4月29日~5月6日まで休業か夜間営業短縮で協力金10万円
▼稲沢市 水道の基本料金 7月請求分~10月請求分まで免除
▼豊根村 愛知県の協力金に間に合わなかった事業者に対し
4月25日~5月6日までの間に休業などに踏み切るか
営業時間を夜8時までに短縮するなどを条件に協力金20万円
▼みよし市 6月 7月 9月の小中学校の給食費無償化
▼みよし市 小中学生で給食費が免除される準要保護の認定を
受けている世帯や乳幼児のいる世帯に対して1人あたり1万円支給
▼みよし市 商工会が発行する食事券について1世帯あたり
最大1万円まで市が半額補助
学生支援
▼名古屋大学・岐阜大学 下宿生を対象 1人3万円給付
▼愛知文教大学 一般学生に 1人あたり5万円支給
▼愛知工業大学 すべての学生に 1人あたり5万円支給
▼学校法人愛知学院 すべての学生と生徒に 1人10万円支給
▼中京大学 すべての学生と大学院生に 1人5万円給付
▼椙山女学園大学 学生と大学院生に 1人5万円給付
岐阜県
▼岐阜県全域を対象に 休業要請 6日まで 
▼要請に協力した事業者には 「協力金」一律50万円支給
▼羽島市 感染拡大の影響で仕事を失った人などを
来年3月末までの非常勤職員として募集(8日まで)
▼瑞穂市 テイクアウトなど始める飲食店に経費補助の制度
使い捨て容器や箸など 7万円を限度に補助
▼関市 子育て世帯に地域で使える商品券を支給
対象は中学3年生以下の子どもがいる世帯
子ども1人あたり2万円分
ひとり親で児童扶養手当受給世帯 1世帯あたり最大3万円分
▼バーベキューなどの河川敷利用自粛を呼びかけ 6日まで
三重県
▼三重県全域を対象に 休業要請 6日まで 
▼要請に協力した事業者には 「協力金」一律50万円支給
▼旅館やホテルは対象外だが 営業休止や営業規模の縮小を理由に
大型連休中の予約を延期・キャンセルした事業者を対象に
「宿泊予約延期協力金」
1人当たり6000円 1施設当たり最大12万円支給
▼休業要請相談 059-224-2335(前9時~後5時)
▼鳥羽市 釣り 観光 帰省などの離島渡航自粛を呼びかけ
愛知・休校休園
〈県立高校〉5月末まで休校期間延長
〈県内市町村の小中学校〉5月末まで休校期間延長を要請
▼〈31日まで休校〉名古屋市 碧南市 刈谷市 知立市 高浜市
▼〈31日まで休校〉一宮市 岡崎市 豊田市 安城市 西尾市
▼〈31日まで休校〉みよし市 尾張旭市 長久手市 豊明市
▼〈31日まで休校〉日進市 大府市 瀬戸市 春日井市 小牧市
▼〈31日まで休校〉豊橋市 稲沢市 弥富市 愛西市 岩倉市
▼〈31日まで休校〉北名古屋市 清須市 江南市 津島市
▼〈31日まで休校〉半田市 常滑市 知多市 新城市 田原市
▼〈31日まで休校〉東浦町 東栄町 武豊町 幸田町 美浜町
▼〈31日まで休校〉扶桑町 蟹江町 豊山町 設楽町 阿久比町
▼〈31日まで休校〉南知多町 大口町 大治町 豊根村 飛島村
▼〈31日まで休校〉東海市 豊川市 蒲郡市 犬山市
▼〈29日まで休校〉あま市
〈特別支援学校〉5月末まで休校
〈市立幼稚園〉5月末まで休園
〈保育園〉一律に休園などは求めない
しかし 家庭保育が可能な場合 保護者に登園自粛を呼びかける
保育希望の家庭には 希望日時などを文書で提出してもらう方針
休校休園の助成金
▼子どもの世話のために休んだ保護者の賃金を補償する制度
申請先「学校等休業助成金・支援金受付センター」
0120-60-3999 (前9時~夜9時 土日祝日可)
児童相談センター
愛知・保護者感染で子育て困難な場合 一時保護所で子どもを保護
DV相談
全国共通のDV相談窓口 「DV相談+」
0120-279-889(24時間)
メールやSNSでも相談を受け付け
https://soudanplus.jp/
<愛知県>「愛知県女性相談センター」
052-962-2527(平日 前9時~夜9時 土日~後4時)
<名古屋市>「名古屋市配偶者暴力相談支援センター」
052-351-5388(平日 前10時~後5時)
児童虐待相談
<NPO>児童虐待防止に取り組む「CAPNA」
052-232-0624 (月~土 前11時~後2時)
公共料金
▼電気料金・ガス料金
大手電力会社と大手ガス会社 料金の支払い期限を1か月延長対応
▼電話料金 NTT・KDDI・ソフトバンクの通信大手3社
2月末以降支払いの携帯・固定電話料金 5月末まで支払期限延長
愛知・運転免許
▼運転免許 更新業務 当面休止▼有効期間の3か月延長が可能
対象は有効期間が今年7月31日までの人 
▼免許証再発行 記載事項の変更 失効手続きは通常通り
鉄道
▼JR東海 東海道新幹線 「のぞみ」の臨時列車を運休
東海道新幹線 運行本数を1日あたり2割程度減
JR東海 在来線は計画通り運行
▼近鉄・名鉄 平常通り運行予定
名鉄の特急列車「ミュースカイ」の土日・祝日のダイヤ
2日から当面 1日11本運休
▼名古屋市営地下鉄 おおむね平常通り運行予定
東山線で休日前日の最終電車を遅らせる措置を当面取りやめ
バス
▼<愛知> 名鉄バスの路線バス
岡崎・知立・津島・一宮・春日井・蒲郡の営業所管内
当面全線で休日ダイヤで運行
高速バスは現在 一部を運休 さらに減便する可能性も
▼ジェイアール東海バス 高速バスを 一部運休 
▼名古屋市営バス 当面 深夜バスなど 一部を運休
観光地をまわるルー��バス「メーグル」は当面 運休
▼豊鉄バス 31日まで 一般の路線バスすべて土日祝ダイヤに
タクシー
▼つばめタクシーグループ 通常の半分ほどの台数で運行
▼名鉄グループのタクシー各社
名古屋市内で運行する会社は 夜の時間帯 通常の半分の台数で運行
西三河地域を中心に運行する会社は 通常の半分の台数で運行
名鉄岡崎タクシー 豊鉄タクシー 台数を減らして運行
名鉄知多タクシー 利用状況に合わせて台数を減らして運行
▼尾張地方中心の運行会社 通常の半分以下の台数で運行
▼名古屋近鉄タクシー 台数を減らして運行
航空
フジドリームエアラインズ 17日まで 全路線運休
フェリー
▼伊勢湾フェリー 当面 伊良湖発と鳥羽発の便
それぞれ 1日4便ずつに減便
金融機関
▼ATM 原則 平常通り稼働(休業する商業施設に設置除く)
▼多くの金融機関 2日~6日 一部店舗で資金繰りやローンの相談
区役所
▼<愛知> 名古屋市内に22ある区役所や支所
窓口業務を通常通り行う予定
住民票の写しや戸籍に関する証明書などの請求は 郵送も可能
名古屋国税局
▼<東海3県> 納付の猶予制度や申請方法の電話相談
052-968-5118(平日 前9時~後5時)
デパート
▼<愛知>松坂屋 食料品売り場を除き当面 臨時休業
名古屋店・豊田店食料品売り場(月~金)前10時~後6時 営業
2日・3日は食料品売り場も休業
▼タカシマヤゲートタワーモール 当面 臨時休業
ジェイアール名古屋タカシマヤ 食料品売り場を除き当面 臨時休業
食料品売り場は前10時~後6時まで営業
▼三越 栄店・星ヶ丘店 食料品売り場を除き6日まで臨時休業
食料品売り場は 前11時~夜7時まで営業
三越 栄店 2日・3日は食料品売り場も休業
▼名鉄百貨店 食料品売り場を除き当面 臨時休業
本店・一宮店の食料品売り場 (月~金)前11時~夜7時 営業
名鉄百貨店 本店 2日~6日は食料品売り場も休業
一宮店の食料品売り場 2日~6日 前11時~後6時まで営業
レストランフロア 本店は休業
レストランフロア 一宮店 前11時~後3時まで営業
▼西武岡崎店 食料品売り場を除き当面 臨時休業
食料品売り場は前10時~後6時まで営業
▼<岐阜> 岐阜高島屋 食料品売り場を除き当面 休業
食料品売り場は 後5時まで営業
▼<三重> 近鉄百貨店 四日市店は臨時休業
食料品売り場は 前10時~後6時まで営業
▼松菱 6日まで1階と地下食品売り場のみ営業 前10時~後6時
スーパー
▼アピタ・ピアゴ 東海3県の全店舗 6日まで夜8時閉店
▼ユニーとドン・キホーテ共同店舗
東海3県の原則 全ての店舗で閉店時刻を早める
▼イオン 東海3県一部店舗で食品以外の売り場閉店を1時間短縮
▼マックスバリュ 原則 全店舗で通常通り営業
▼イオンモール 食料品などを扱うスーパーは原則 通常通り営業
専門店エリアは臨時休業
▼バロー 一部店舗で時間を短縮して営業
▼ヤマナカ・フランテ 全店舗 夜8時もしくは夜9時閉店
▼オークワ 愛知・三重の一部店舗と岐阜の全店舗で営業時間短縮
▼フィール 愛知県内の全店舗で通常通り営業
▼アオキスーパー 全店舗で通常営業(商業施設内の一部店舗除く)
▼ヨシヅヤ 全店舗で通常通り営業
3日から一部の店舗で開店と閉店時刻30分早める
▼コープあいち 31日まで営業を夜7時まで短縮 一部店舗除く
▼コープぎふ 6日まで全店舗 営業を夜7時まで短縮
宅配は通常通り
▼平和堂 岐阜県内の多くの店舗で時間を短縮して営業
ドラッグストア
▼スギ薬局 一部店舗で 営業時間を短縮
コンビニ
▼セブン‐イレブン・ファミリーマート・ローソン
<愛知>原則として通常通り営業
各店舗の状況に応じ 休業や営業時間短縮する場合も
商業施設
▼<愛知> 名古屋パルコ 当面 臨時休業
▼大名古屋ビルヂング 商業ゾーン一部店舗を除き臨時休業 
クリニックは営業
▼日進市 プライムツリー赤池
専門店などが入る商業ゾーンは 一部店舗を除き臨時休業
食品スーパーは 営業時間を夜8時までに短縮
▼ミッドランドスクエア 当面 臨時休業
▼ららぽーと名古屋みなとアクルス
食品スーパーなどを除いて 臨時休業
▼サカエチカ 一部店舗で営業時間短縮・臨時休業
▼セントラルパーク 2日~6日まですべての店舗休業
7日からコンビニと薬局は営業 それ以外の店舗は当面休業
▼栄森の地下街 6日まで一部店舗を除き休業
▼エスカ 6日まで一部店舗を除き休業
▼ユニモール 6日まで一部店舗を除き休業
▼メイチカ 6日まで一部店舗を除き休業
▼<岐阜> モレラ岐阜 6日まで休業
ドラッグストアや食品を扱う一部店舗は 時間を短縮して営業
▼マーサ21 6日まで休業
主に食料品を取り扱う店舗は時間短縮して営業
イオンは一部時間を短縮して営業
▼カラフルタウン岐阜 10日まで 原則 全館を休館
施設内のイトーヨーカドーやクリニックなどは営業
▼イオンモール各務原 主に食料品を取り扱う店舗は
当面 前10時~夜8時まで営業 
施設内のイオンは一部時間を短縮して営業
▼マーゴ 本館専門店は当面休業 一部店舗は時間を短縮して営業
マーゴ内のイオンは一部時間を短縮して営業
▼アクアウォーク大垣 6日まで時間短縮営業 一部臨時休業
▼アル・プラザ鶴見 食料品売り場は通常営業 
一部店舗で臨時休業または営業時間を短縮
▼土岐プレミアム・アウトレット 当面 休業
ファストフード
▼マクドナルド <東海3県>店内での飲食 取りやめ
持ち帰りやドライブスルーは通常の閉店時間まで
▼ケンタッキーフライドチキン 
<愛知>全店舗で原則 夜8時までに営業時間を短縮
入居する商業施設の状況によって 休業する店舗も
コーヒーチェーン
▼スターバックスコーヒー <愛知・岐阜>原則全店舗で休業
<三重>午後7時まで テイクアウトのみの対応
▼ドトールコーヒー <愛知>直営店舗を休業
フランチャイズ店は店舗ごとに 営業時間を短縮などの対応を協議
ファミレス
▼ガスト・ジョナサンなど展開のすかいらーくホールディングス
<東海3県> 原則 夜8時までに閉店
▼サイゼリヤ <東海3県>原則 夜8時まで 一部店舗で臨時休業
▼ロイヤルホストや天丼てんやなどの ロイヤルホールディングス
<東海3県>夜8時まで営業 6日まで持ち帰りや配達のみ
外食
▼サガミホールディングス<東海3県>
多くの店舗で営業時間を夜8時までに短縮 一部店舗は臨時休業
▼木曽路グループ <東海3県> 木曽路 一部店舗を臨時休業
休業しない店舗についても 営業時間を短縮
居酒屋の素材屋 全店休業中
▼スガキコシステムズ <東海3県> 一部店舗を臨時休業
休業しない店舗についても 営業時間を短縮
▼コメダホールディングス 愛知県や三重県の一部店舗で休業
▼壱番屋〈東海3県〉夜8時までに閉店
一部店舗では 持ち帰りと宅配のみ 夜8時以降も取り扱う
牛丼チェーン
▼吉野家 <東海3県> 店内飲食は 前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は夜7時まで
▼すき家・なか卯 <東海3県> 店内は前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は取りやめ
▼松屋 <東海3県> 店内飲食は 前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は夜7時まで
公共施設など
▼<愛知> 名古屋港水族館 11日まで休館
▼竹島水族館 6日まで休館
▼名古屋市科学館・名古屋市博物館 当面臨時休館
▼名古屋市の鶴舞中央図書館と各区の図書館 当面臨時休館
▼愛知県図書館・愛知県武道館 6月1日まで休館
▼犬山城 31日まで閉城
▼愛知県体育館・愛知県美術館 31日まで休館
▼瀬戸市の愛知県陶磁美術館 6月1日まで休館
▼常滑市のAichiSkyExpo 31日まで休業
▼長久手市の愛・地球博記念公園の主な施設 6月1日まで休館
▼豊橋市総合動植物公園 「のんほいパーク」 全面休園
▼<三重>伊勢神宮 当面 参拝時間短縮 前6時~後3時まで
テーマパーク
▼<愛知> レゴランド・ジャパン 当面 臨時休園
再開時期については 今後の国や県の対応を踏まえ慎重に判断
▼リニア・鉄道館 臨時休館をさらに延長 再開時期は未定
▼豊山町の あいち航空ミュージアム 31日まで休館
▼安城市のデンパーク 当面 臨時休園
▼西尾市の愛知こどもの国 6月1日まで休園
▼弥富市の海南こどもの国 6月1日まで休園
▼美浜町の南知多ビーチランド 6日まで臨時休園
▼美浜町の南知多おもちゃ王国 6日まで臨時休園
がいこくじんむけ
Consultation services for 
foreigners
▼ 名古屋国際センター
Nagoya International Center
TEL 052ー581-0100
https://www.nic-nagoya.or.jp/
▼あいち多文化共生センター
Aichi Multicultural Center
TEL 052-961-7902
▼愛知労働局
Aichi Labour  Bureau
TEL 052-972-0253
▼ 名古屋外国人雇用サービスセンター
Nagoya Employment Service 
Center for Foreigners
TEL 052-855-3770
▼豊橋市国際交流協会 
Toyohashi International
Association
TEL 090-1860-0783
出入国管理局
▼名古屋出入国在留管理局 通常通り開庁予定 面会は停止
Nagoya Immigration Services Bureau will be open
as usual except for a part.
source https://uyscuti.biz/2020/05/02/32110/
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korehayabai · 4 years
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放火の男 神社の額窃盗で再逮捕|NHK 東海のニュース
緊急事態宣言
▼不要不急の外出や移動の自粛を求める
休業要請の対象
〈遊興施設〉▼ナイトクラブ ▼バー ▼風俗店 ▼個室ビデオ店
▼ネットカフェ ▼漫画喫茶 ▼カラオケボックス ▼ライブハウス
▼競馬・競輪・競艇などの場外発売所
〈運動施設・遊技施設〉▼体育館 ▼水泳場 ▼ボウリング場
▼スポーツクラブ▼マージャン店▼パチンコ店▼ゲームセンター等
〈劇場・集会展示施設など〉▼劇場 ▼観覧場 ▼映画館 ▼演芸場
▼集会場 ▼公会堂 ▼展示場
〈大学など〉▼大学や専門学校などの教育施設
▼自動車教習所▼学習塾(床面積100㎡以下を除く)
〈博物館など〉▼博物館 ▼美術館 ▼図書館
〈商業施設〉▼生活必需以外の小売関係の店舗
休業要請の対象外
〈社会福祉施設など〉▼保育所 ▼学童クラブなど
▼介護福祉サービス
〈医療施設など〉▼病院 ▼薬局
〈生活必需物資販売施設〉▼食料品売場 ▼コンビニエンスストア
▼百貨店・ホームセンター・スーパーマーケットなどの
生活必需品売場
〈食事提供施設〉▼居酒屋を含む飲食店・料理店・喫茶店
営業時間は 前5時~夜8時までの短縮営業を要請
酒類の提供は 夜7時までとすることを要請
〈宿泊施設・交通機関など〉▼ホテル ▼バス ▼タクシー
▼レンタカー ▼鉄道 ▼船舶 ▼航空機 ▼宅配などの物流サービス
〈工場など〉▼工場 ▼作業場
〈金融機関・官公署など〉▼銀行 ▼官公署など
〈そのほか〉▼メディア ▼葬儀場 ▼銭湯 ▼質屋 ▼獣医
▼理美容 ▼ランドリー ▼ごみ処理関係
愛知県
▼県独自に東京などと同様の休業要請 期間は6日まで
▼要請に応じた地元の中小事業者に「協力金」一律50万円支給
▼理・美容室 6日まで休業で 休業協力金 最大20万円支給
休業相談窓口
▼休業要請実施の愛知・相談窓口
052-954-7453(毎日 前9時~後5時)
メールでも受け付け
sodan-corona@pref.aichi.lg.jp
労働相談窓口
▼愛知労働局 事業主や労働者からの相談受け付け
052-972-0266(平日 前9時半~後5時)
自治体独自の支援
▼小牧市 保育園・児童クラブの利用自粛で保護者に協力金
保育園児1人あたり1万円 児童クラブ利用1人あたり5000円
支給要件や申請方法は今後検討
▼小牧市 飲食店の経営支援のため上限15万円の補助金を支給
すべての家庭の水道の基本料金を半年間免除
▼小牧市 18歳までの子どもに5000円分の図書カード配布
75歳以上の人に1人1万円ずつ支給
▼小牧市 市民グループがマスクを手作りし福祉施設などに
寄付する活動に対して 5万円から20万円の助成金を交付
▼一宮市 休業に協力し 県の「協力金」の対象外の
昼間営業の喫茶店や理美容などの事業者に10万円の協力金
▼一宮市 家庭学習のための通信費や教材費などとして
子どものいる家庭を対象に 小中学生1人あたり5000円を支給
▼一宮市 学校給食費 免除の世帯に昼食費 1人9600円を支給
▼刈谷市 水道の基本料金と下水道の基本使用料を
5月の請求分から4か月分免除
▼犬山市 休業に協力し 県の「協力金」の対象外の
中小企業や個人事業主に15万円を支給
▼豊山町 町立保育園の保育料などを5月末まで無償化
町が運営する「放課後児童クラブ」の利用料を5月末まで無償に
▼東海市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼蒲郡市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼豊橋市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
県の要請より遅れて休業した理美容の事業者に5万円の協力金
▼豊橋市 市内の農業生産者で条件を満たせば
100万円~300万円の範囲で融資
▼新城市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
県の要請より遅れて休業した理美容の事業者に10万円の協力金
▼田原市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
4月29日~5月6日まですべて休業する飲食店に対し15万円
▼武豊町 県の要請より遅れて休業した事業者に20万円の協力金
▼岩倉市 県の要請より遅れて休業した事業者に10万円の協力金
▼豊川市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼豊川市 感染拡大の影響で内定取り消しや解雇された人を
臨時職員として5人程度採用することに 
雇用期間は6月~来年3月末 応募締め切りは15日
▼西尾市 水道の基本料金を6月の請求分から半年間無料
▼西尾市 県の協力金を受けていない宿泊施設
1施設あたり25万円の補助金を支給
▼西尾市 小中学校の給食費 無償認定世帯に給食費相当額を支給
▼岡崎市 水道の基本料金を7月の請求分から半年間80%減額
▼岡崎市 市立小中学校の給食費 給食再開後から9月まで無償
▼岡崎市 保育園・幼稚園・こども園などの3歳~5歳の給食費
宣言解除後9月まで無償
▼岡崎市 県の要請より遅れて休業した事業者に25万円の協力金
▼東浦町 児童扶養手当を受給している児童に1万円を給付
▼大府市 感染拡大の影響で内定取り消しの新卒者などを数名採用
雇用期間は6月~来年3月末・募集期間は7日~13日まで
▼高浜市 小中学校の給食費 無償認定世帯に給食費相当額を支給
▼豊田市 小中学校や特別支援学校の給食費を再開後2か月分無償
▼豊田市 こども園に通う3~5歳の給食費を再開後2か月分無償
▼春日井市 小中学校・保育園などの給食費を6月~8月免除
▼春日井市 水道の基本料金を半年間免除
▼春日井市 愛知県の協力金対象外の中小事業者に支援金10万円
▼設楽町 県の要請より遅れて休業した事業者に20万円の協力金
▼半田市 社宅など退去余儀なくされた人に市営住宅4部屋提供
原則3か月間 最低家賃の半額 申し込み先着順(土日祝日を除く)
▼安城市 感染拡大で解雇や内定取り消された人を職員として雇用
事務作業ほか15人 採用期間7月1日~来年3月末
▼稲沢市 就学援助認定の小中学生がいる世帯に対し昼食費
児童生徒1人あたり1万3600円(4月・5月分)交付
▼稲沢市 小中学校の児童や生徒に図書カード1000円分配布
▼稲沢市 県の要請より遅れて休業した事業者に10万円の協力金
▼稲沢市 県の協力金対象外の昼間営業の喫茶店などの飲食店
4月29日~5月6日まで休業か夜間営業短縮で協力金10万円
▼稲沢市 水道の基本料金 7月請求分~10月請求分まで免除
▼豊根村 愛知県の協力金に間に合わなかった事業者に対し
4月25日~5月6日までの間に休業などに踏み切るか
営業時間を夜8時までに短縮するなどを条件に協力金20万円
▼みよし市 6月 7月 9月の小中学校の給食費無償化
▼みよし市 小中学生で給食費が免除される準要保護の認定を
受けている世帯や乳幼児のいる世帯に対して1人あたり1万円支給
▼みよし市 商工会が発行する食事券について1世帯あたり
最大1万円まで市が半額補助
学生支援
▼名古屋大学・岐阜大学 下宿生を対象 1人3万円給付
▼愛知文教大学 一般学生に 1人あたり5万円支給
▼愛知工業大学 すべての学生に 1人あたり5万円支給
▼学校法人愛知学院 すべての学生と生徒に 1人10万円支給
▼中京大学 すべての学生と大学院生に 1人5万円給付
▼椙山女学園大学 学生と大学院生に 1人5万円給付
岐阜県
▼岐阜県全域を対象に 休業要請 6日まで 
▼要請に協力した事業者には 「協力金」一律50万円支給
▼羽島市 感染拡大の影響で仕事を失った人などを
来年3月末までの非常勤職員として募集(8日まで)
▼瑞穂市 テイクアウトなど始める飲食店に経費補助の制度
使い捨て容器や箸など 7万円を限度に補助
▼関市 子育て世帯に地域で使える商品券を支給
対象は中学3年生以下の子どもがいる世帯
子ども1人あたり2万円分
ひとり親で児童扶養手当受給世帯 1世帯あたり最大3万円分
▼バーベキューなどの河川敷利用自粛を呼びかけ 6日まで
三重県
▼三重県全域を対象に 休業要請 6日まで 
▼要請に協力した事業者には 「協力金」一律50万円支給
▼旅館やホテルは対象外だが 営業休止や営業規模の縮小を理由に
大型連休中の予約を延期・キャンセルした事業者を対象に
「宿泊予約延期協力金」
1人当たり6000円 1施設当たり最大12万円支給
▼休業要請相談 059-224-2335(前9時~後5時)
▼鳥羽市 釣り 観光 帰省などの離島渡航自粛を呼びかけ
愛知・休校休園
〈県立高校〉5月末まで休校期間延長
〈県内市町村の小中学校〉5月末まで休校期間延長を要請
▼〈31日まで休校〉名古屋市 碧南市 刈谷市 知立市 高浜市
▼〈31日まで休校〉一宮市 岡崎市 豊田市 安城市 西尾市
▼〈31日まで休校〉���よし市 尾張旭市 長久手市 豊明市
▼〈31日まで休校〉日進市 大府市 瀬戸市 春日井市 小牧市
▼〈31日まで休校〉豊橋市 稲沢市 弥富市 愛西市 岩倉市
▼〈31日まで休校〉北名古屋市 清須市 江南市 津島市
▼〈31日まで休校〉半田市 常滑市 知多市 新城市 田原市
▼〈31日まで休校〉東浦町 東栄町 武豊町 幸田町 美浜町
▼〈31日まで休校〉扶桑町 蟹江町 豊山町 設楽町 阿久比町
▼〈31日まで休校〉南知多町 大口町 大治町 豊根村 飛島村
▼〈31日まで休校〉東海市 豊川市 蒲郡市 犬山市
▼〈29日まで休校〉あま市
〈特別支援学校〉5月末まで休校
〈市立幼稚園〉5月末まで休園
〈保育園〉一律に休園などは求めない
しかし 家庭保育が可能な場合 保護者に登園自粛を呼びかける
保育希望の家庭には 希望日時などを文書で提出してもらう方針
休校休園の助成金
▼子どもの世話のために休んだ保護者の賃金を補償する制度
申請先「学校等休業助成金・支援金受付センター」
0120-60-3999 (前9時~夜9時 土日祝日可)
児童相談センター
愛知・保護者感染で子育て困難な場合 一時保護所で子どもを保護
DV相談
全国共通のDV相談窓口 「DV相談+」
0120-279-889(24時間)
メールやSNSでも相談を受け付け
https://soudanplus.jp/
<愛知県>「愛知県女性相談センター」
052-962-2527(平日 前9時~夜9時 土日~後4時)
<名古屋市>「名古屋市配偶者暴力相談支援センター」
052-351-5388(平日 前10時~後5時)
児童虐待相談
<NPO>児童虐待防止に取り組む「CAPNA」
052-232-0624 (月~土 前11時~後2時)
公共料金
▼電気料金・ガス料金
大手電力会社と大手ガス会社 料金の支払い期限を1か月延長対応
▼電話料金 NTT・KDDI・ソフトバンクの通信大手3社
2月末以降支払いの携帯・固定電話料金 5月末まで支払期限延長
愛知・運転免許
▼運転免許 更新業務 当面休止▼有効期間の3か月延長が可能
対象は有効期間が今年7月31日までの人 
▼免許証再発行 記載事項の変更 失効手続きは通常通り
鉄道
▼JR東海 東海道新幹線 「のぞみ」の臨時列車を運休
東海道新幹線 運行本数を1日あたり2割程度減
JR東海 在来線は計画通り運行
▼近鉄・名鉄 平常通り運行予定
名鉄の特急列車「ミュースカイ」の土日・祝日のダイヤ
2日から当面 1日11本運休
▼名古屋市営地下鉄 おおむね平常通り運行予定
東山線で休日前日の最終電車を遅らせる措置を当面取りやめ
バス
▼<愛知> 名鉄バスの路線バス
岡崎・知立・津島・一宮・春日井・蒲郡の営業所管内
当面全線で休日ダイヤで運行
高速バスは現在 一部を運休 さらに減便する可能性も
▼ジェイアール東海バス 高速バスを 一部運休 
▼名古屋市営バス 当面 深夜バスなど 一部を運休
観光地をまわるルートバス「メーグル」は当面 運休
▼豊鉄バス 31日まで 一般の路線バスすべて土日祝ダイヤに
タクシー
▼つばめタクシーグループ 通常の半分ほどの台数で運行
▼名鉄グループのタクシー各社
名古屋市内で運行する会社は 夜の時間帯 通常の半分の台数で運行
西三河地域を中心に運行する会社は 通常の半分の台数で運行
名鉄岡崎タクシー 豊鉄タクシー 台数を減らして運行
名鉄知多タクシー 利用状況に合わせて台数を減らして運行
▼尾張地方中心の運行会社 通常の半分以下の台数で運行
▼名古屋近鉄タクシー 台数を減らして運行
航空
フジドリームエアラインズ 17日まで 全路線運休
フェリー
▼伊勢湾フェリー 当面 伊良湖発と鳥羽発の便
それぞれ 1日4便ずつに減便
金融機関
▼ATM 原則 平常通り稼働(休業する商業施設に設置除く)
▼多くの金融機関 2日~6日 一部店舗で資金繰りやローンの相談
区役所
▼<愛知> 名古屋市内に22ある区役所や支所
窓口業務を通常通り行う予定
住民票の写しや戸籍に関する証明書などの請求は 郵送も可能
名古屋国税局
▼<東海3県> 納付の猶予制度や申請方法の電話相談
052-968-5118(平日 前9時~後5時)
デパート
▼<愛知>松坂屋 食料品売り場を除き当面 臨時休業
名古屋店・豊田店食料品売り場(月~金)前10時~後6時 営業
2日・3日は食料品売り場も休業
▼タカシマヤゲートタワーモール 当面 臨時休業
ジェイアール名古屋タカシマヤ 食料品売り場を除き当面 臨時休業
食料品売り場は前10時~後6時まで営業
▼三越 栄店・星ヶ丘店 食料品売り場を除き6日まで臨時休業
食料品売り場は 前11時~夜7時まで営業
三越 栄店 2日・3日は食料品売り場も休業
▼名鉄百貨店 食料品売り場を除き当面 臨時休業
本店・一宮店の食料品売り場 (月~金)前11時~夜7時 営業
名鉄百貨店 本店 2日~6日は食料品売り場も休業
一宮店の食料品売り場 2日~6日 前11時~後6時まで営業
レストランフロア 本店は休業
レストランフロア 一宮店 前11時~後3時まで営業
▼西武岡崎店 食料品売り場を除き当面 臨時休業
食料品売り場は前10時~後6時まで営業
▼<岐阜> 岐阜高島屋 食料品売り場を除き当面 休業
食料品売り場は 後5時まで営業
▼<三重> 近鉄百貨店 四日市店は臨時休業
食料品売り場は 前10時~後6時まで営業
▼松菱 6日まで1階と地下食品売り場のみ営業 前10時~後6時
スーパー
▼アピタ・ピアゴ 東海3県の全店舗 6日まで夜8時閉店
▼ユニーとドン・キホーテ共同店舗
東海3県の原則 全ての店舗で閉店時刻を早める
▼イオン 東海3県一部店舗で食品以外の売り場閉店を1時間短縮
▼マックスバリュ 原則 全店舗で通常通り営業
▼イオンモール 食料品などを扱うスーパーは原則 通常通り営業
専門店エリアは臨時休業
▼バロー 一部店舗で時間を短縮して営業
▼ヤマナカ・フランテ 全店舗 夜8時もしくは夜9時閉店
▼オークワ 愛知・三重の一部店舗と岐阜の全店舗で営業時間短縮
▼フィール 愛知県内の全店舗で通常通り営業
▼アオキスーパー 全店舗で通常営業(商業施設内の一部店舗除く)
▼ヨシヅヤ 全店舗で通常通り営業
3日から一部の店舗で開店と閉店時刻30分早める
▼コープあいち 31日まで営業を夜7時まで短縮 一部店舗除く
▼コープぎふ 6日まで全店舗 営業を夜7時まで短縮
宅配は通常通り
▼平和堂 岐阜県内の多くの店舗で時間を短縮して営業
ドラッグストア
▼スギ薬局 一部店舗で 営業時間を短縮
コンビニ
▼セブン‐イレブン・ファミリーマート・ローソン
<愛知>原則として通常通り営業
各店舗の状況に応じ 休業や営業時間短縮する場合も
商業施設
▼<愛知> 名古屋パルコ 当面 臨時休業
▼大名古屋ビルヂング 商業ゾーン一部店舗を除き臨時休業 
クリニックは営業
▼日進市 プライムツリー赤池
専門店などが入る商業ゾーンは 一部店舗を除き臨時休業
食品スーパーは 営業時間を夜8時までに短縮
▼ミッドランドスクエア 当面 臨時休業
▼ららぽーと名古屋みなとアクルス
食品スーパーなどを除いて 臨時休業
▼サカエチカ 一部店舗で営業時間短縮・臨時休業
▼セントラルパーク 2日~6日まですべての店舗休業
7��からコンビニと薬局は営業 それ以外の店舗は当面休業
▼栄森の地下街 6日まで一部店舗を除き休業
▼エスカ 6日まで一部店舗を除き休業
▼ユニモール 6日まで一部店舗を除き休業
▼メイチカ 6日まで一部店舗を除き休業
▼<岐阜> モレラ岐阜 6日まで休業
ドラッグストアや食品を扱う一部店舗は 時間を短縮して営業
▼マーサ21 6日まで休業
主に食料品を取り扱う店舗は時間短縮して営業
イオンは一部時間を短縮して営業
▼カラフルタウン岐阜 10日まで 原則 全館を休館
施設内のイトーヨーカドーやクリニックなどは営業
▼イオンモール各務原 主に食料品を取り扱う店舗は
当面 前10時~夜8時まで営業 
施設内のイオンは一部時間を短縮して営業
▼マーゴ 本館専門店は当面休業 一部店舗は時間を短縮して営業
マーゴ内のイオンは一部時間を短縮して営業
▼アクアウォーク大垣 6日まで時間短縮営業 一部臨時休業
▼アル・プラザ鶴見 食料品売り場は通常営業 
一部店舗で臨時休業または営業時間を短縮
▼土岐プレミアム・アウトレット 当面 休業
ファストフード
▼マクドナルド <東海3県>店内での飲食 取りやめ
持ち帰りやドライブスルーは通常の閉店時間まで
▼ケンタッキーフライドチキン 
<愛知>全店舗で原則 夜8時までに営業時間を短縮
入居する商業施設の状況によって 休業する店舗も
コーヒーチェーン
▼スターバックスコーヒー <愛知・岐阜>原則全店舗で休業
<三重>午後7時まで テイクアウトのみの対応
▼ドトールコーヒー <愛知>直営店舗を休業
フランチャイズ店は店舗ごとに 営業時間を短縮などの対応を協議
ファミレス
▼ガスト・ジョナサンなど展開のすかいらーくホールディングス
<東海3県> 原則 夜8時までに閉店
▼サイゼリヤ <東海3県>原則 夜8時まで 一部店舗で臨時休業
▼ロイヤルホストや天丼てんやなどの ロイヤルホールディングス
<東海3県>夜8時まで営業 6日まで持ち帰りや配達のみ
外食
▼サガミホールディングス<東海3県>
多くの店舗で営業時間を夜8時までに短縮 一部店舗は臨時休業
▼木曽路グループ <東海3県> 木曽路 一部店舗を臨時休業
休業しない店舗についても 営業時間を短縮
居酒屋の素材屋 全店休業中
▼スガキコシステムズ <東海3県> 一部店舗を臨時休業
休業しない店舗についても 営業時間を短縮
▼コメダホールディングス 愛知県や三重県の一部店舗で休業
▼壱番屋〈東海3県〉夜8時までに閉店
一部店舗では 持ち帰りと宅配のみ 夜8時以降も取り扱う
牛丼チェーン
▼吉野家 <東海3県> 店内飲食は 前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は夜7時まで
▼すき家・なか卯 <東海3県> 店内は前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は取りやめ
▼松屋 <東海3県> 店内飲食は 前5時~夜8時まで
それ以外の時間は 持ち帰りや宅配 酒の提供は夜7時まで
公共施設など
▼<愛知> 名古屋港水族館 11日まで休館
▼竹島水族館 6日まで休館
▼名古屋市科学館・名古屋市博物館 当面臨時休館
▼名古屋市の鶴舞中央図書館と各区の図書館 当面臨時休館
▼愛知県図書館・愛知県武道館 6月1日まで休館
▼犬山城 31日まで閉城
▼愛知県体育館・愛知県美術館 31日まで休館
▼瀬戸市の愛知県陶磁美術館 6月1日まで休館
▼常滑市のAichiSkyExpo 31日まで休業
▼長久手市の愛・地球博記念公園の主な施設 6月1日まで休館
▼豊橋市総合動植物公園 「のんほいパーク」 全面休園
▼<三重>伊勢神宮 当面 参拝時間短縮 前6時~後3時まで
テーマパーク
▼<愛知> レゴランド・ジャパン 当面 臨時休園
再開時期については 今後の国や県の対応を踏まえ慎重に判断
▼リニア・鉄道館 臨時休館をさらに延長 再開時期は未定
▼豊山町の あいち航空ミュージアム 31日まで休館
▼安城市のデンパーク 当面 臨時休園
▼西尾市の愛知こどもの国 6月1日まで休園
▼弥富市の海南こどもの国 6月1日まで休園
▼美浜町の南知多ビーチランド 6日まで臨時休園
▼美浜町の南知多おもちゃ王国 6日まで臨時休園
がいこくじんむけ
Consultation services for 
foreigners
▼ 名古屋国際センター
Nagoya International Center
TEL 052ー581-0100
https://www.nic-nagoya.or.jp/
▼あいち多文化共生センター
Aichi Multicultural Center
TEL 052-961-7902
▼愛知労働局
Aichi Labour  Bureau
TEL 052-972-0253
▼ 名古屋外国人雇用サービスセンター
Nagoya Employment Service 
Center for Foreigners
TEL 052-855-3770
▼豊橋市国際交流協会 
Toyohashi International
Association
TEL 090-1860-0783
出入国管理局
▼名古屋出入国在留管理局 通常通り開庁予定 面会は停止
Nagoya Immigration Services Bureau will be open
as usual except for a part.
source https://uyscuti.biz/2020/05/02/32109/
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korehayabai · 4 years
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母親殺害の疑い68歳女を逮捕|NHK 東北のニュース
緊急の共同宣言
東北6県と新潟県の知事らが異例の「緊急共同宣言」を発表
大型連休中の外出や県をまたぐ移動の自粛を呼びかけ
▽村井知事「大型連休で油断すると患者が爆発的に増えてしまう」
     「この期間中だけは自宅で過ごしてほしい」  
▽郡市長「この期間に外出や移動をいかに抑えることが出来るか」
    「これが新型コロウイルスに打ち勝つ正念場だ」
共同宣言を発表したのは 青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の
東北6県と新潟県の知事 仙台市と新潟市の市長
電話相談窓口設置
県は電話相談窓口を設置 022-211-3332
午前9時~午後6時(平日)「どう行動したらよいか」相談を受付
県が休業要請
宮城県は「緊急事態宣言」が 全国に拡大されたことを受け
遊興施設や運動施設などに4月25日から5月6日まで休業要請
休業要請協力金
●宮城県
県の休業要請に応じた事業者に対して協力金30万円を支払う
県が20万 市町村が10万を負担 対象は約2万9千の事業所
国からの交付金と県の財政調整基金を切り崩し約30億円をあてる
事業者が必要な手続きは 県が大型連休明けに公表する予定
村井知事「県と市町村が出せる最大限の金額だ」
「早ければ5月中 遅くとも6月中には必ず渡せるようにしたい」
●仙台市
<休業要請協力金>市独自に10万円を上積みして40万円を支給
複数の店舗をもつ事業者には1事業者50万上乗せし最大80万に
※宮城県・仙台市「協力金を受け取るには4月25日から5月6日
 までの全期間で休業や時短営業することが必要」
<地域産業支援金を創設>
休業要請協力金を受け取らない事業者で個人事業者も対象 
今年2月~6月の売り上げが前年比で1か月50%以上減少の場合
20万円を給付する
休業要請行う施設
 <宮城県が特別措置法に基づき休業要請を行う施設>
●遊興施設等
⇒キャバレー、ナイトクラブ、ダンスホール、バー、
 個室付浴場業に係る公衆浴場、個室ビデオ店、ネットカフェ、
 漫画喫茶、カラオケボックス、ライブハウス、
 場外馬(車・舟)券場、等
●大学/学習塾等
⇒大学、専修学校、各種学校などの教育施設、自動車教習所、
 学習塾 等
 ※床面積の合計が1000平方メートルを超えるものに限る
●文教施設
⇒幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、
 中等教育学校、特別支援学校 等
 ※預かり保育などの提供を通じて、医療従事者やひとり親家庭
 など、保育を必要とする園児や児童などの居場所確保の取り組み
 を実施することはできる
●運動/遊技施設
⇒体育館、水泳場、ボウリング場、スポーツクラブなどの運動施設
 マージャン店、パチンコ店、ゲームセンターなどの遊技場
●劇場等
⇒劇場、観覧場、映画館、演芸場
●集会/展示施設
⇒集会場、公会堂、展示場
●博物館/ホテル等
⇒博物館、美術館、図書館、
 ホテル・旅館(集会のために提供する部分に限る)※宿泊は可
 ※床面積の合計が1000平方メートルを超えるものに限る
●商業施設
⇒生活必需物資の小売関係等以外の店舗、
 生活必需サービス以外のサービス業を営む店舗
 ※床面積の合計が1000平方メートルを超えるものに限る
 <具体的な施設については宮城県のホームページにも記載>
休業要請対象外
 <宮城県が休業要請を行わない施設>
●医療施設
⇒病院、診療所、薬局等
●社会福祉施設等
⇒保育所等(幼保連携型認定こども園を含)、放課後児童クラブ等
 介護老人保健施設、通所・短期間入所により福祉サービスや
 保健医療サービスを提供する施設、保健医療サービス提供施設
●生活必需物資販売施設
⇒卸売市場、食料品売場、百貨店、ホームセンター、
 スーパーマーケット等の生活必需物資売場
 コンビニエンスストア、ドラックストア等
●食事提供施設
⇒宅配・テイクアウトサービスを含む飲食店(居酒屋を含む)、
 料理店、喫茶店等
 ※営業時間を朝5時から夜8時までとし、酒類の提供は夜7時
 までとすることを要請(宅配・テイクアウトサービスを除く)
●住宅/宿泊施設
⇒ホテル、旅館、共同住宅、寄宿舎、下宿等
●交通機関等
⇒バス、タクシー、レンタカー、鉄道、船舶、航空機、
 物流サービス(宅配等)等
●工場等
⇒工場、作業場等
●金融機関/官公署等
⇒銀行、証券取引所、証券会社、保険、官公署、事務所等
●インフラ運営関係
⇒電力、ガス、石油・石油化学、LPガス、上下水道、
 通信・データセンター等
●飲食料品供給関係
⇒農業、林業、漁業、
 飲食料品の輸入・製造・加工・流通・ネット通販等
●その他
⇒メディア、葬儀場、銭湯、質屋、獣医、理美容、
 ランドリー、ごみ処理関係、家庭用品のメンテナンス関係、
 個人向けサービス(ネット配信、遠隔教育、自家用車の整備等)
 <具体的な施設については宮城県のホームページにも記載>
詐欺に注意
注文していないマスクが一方的に送りつけられるケース相次ぐ
●県消費生活センター
 「のちに高額な代金を請求される可能性もある」注意を呼びかけ
 身に覚えのない商品が届いた場合は
 ▽仮に請求書が入っていても代金を支払わない
 ▽個人情報を聞き出される可能性があるため送り主に電話しない
不審に思ったら自治体の消費生活相談窓口に連絡するよう呼びかけ
商業施設の休業
仙台市内の商業施設では一部を除き 臨時休業が続く見込み
●仙台駅周辺の施設
 ▽「仙台パルコ」4/18から当面の間 全館で臨時休業
 ▽「エスパル仙台」食品フロアと医療機関除き5/6迄臨時休業
 ▽「アエル」5/6まで商業エリアは臨時休業
●仙台市中心商店街
 ▽「仙台フォーラス」美容室1店舗を除いて臨時休業
 ▽「仙台三越」食料品フロアを除いて臨時休業
 ▽「藤崎」平日は時間を短縮した上で本館食料品フロアのみ営業
●仙台市太白区
 ▽「ララガーデン長町」当面の間 臨時休業するが
   4階にあるほとんどの医療機関は診療を受付け
●スーパーマーケット
 ▽「みやぎ生協」「ヨークベニマル」「ウジエスーパー」
 イオングループが運営する「イオン」「ザ・ビッグ」など
 県内の多くのスーパーは通常通りの営業を予定
発熱などの相談
発熱やせきなど感染が疑われる人は連絡するよう呼びかけ
電話 022ー211ー3883(24時間)
電話 022ー211ー2882(24時間)
感染者の情報
●4月28日 2人の感染確認 県内で88人に
 ▽仙台市10代アルバイトの女性 濃厚接触者を確認中
  ⇒4月25日に感染確認された飲食店従業員の女性と同じ職場
 ▽山元町50代会社員の男性 家族を濃厚接触者として健康観察
  ⇒県外で感染が確認された人の濃厚接触者
●4月27日 1人の感染確認
 ▽加美町40代会社員の男性 同居家族以外に濃厚接触者なし
  ⇒4月17日に感染確認された加美町在住の女性の濃厚接触者
●4月26日は感染確認なし
●4月25日 1人の感染確認
 ▽多賀城市20代飲食店従業員の女性
  ⇒店の利用客や従業員に濃厚接触者がいないか調べることに
●4月21日、22日、23日、24日はいずれも感染確認なし
●4月20日 1人の感染確認
 ▽名取市30代介護福祉士の男性 職場に濃厚接触者なし
  ⇒4月18日に感染が確認された20代女性と同居する家族
●4月18日 4人の感染確認
 ▽仙台市20代男性 飲食店の経営者⇒感染経路は不明
  仙台市30代男性 県立加美農業高校教職員 
  ⇒すでに感染確認されたいずみ保育園に通う女子の濃厚接触者
 ▽多賀城市 30代女性 
  ⇒福島で感染確認され多賀城市に越してきた30代男性の家族
 ▽名取市 20代会社員女性 ⇒感染経路は不明
●4月17日 4人の感染確認
 ▽富谷市10歳未満の女の子⇒20代パート従業員の女性 
  富谷市30代会社員女性
  ⇒いずれもASTER向陽台校関係者と生徒
 ▽加美町40代会社員女性 
  ⇒4月14日に大崎市で感染確認された50代男性の知人
●4月16日 10人の感染確認
 10歳未満の男の子/10代の女性2人/20代の女性3人 
  ⇒2人はいずみ保育園の保育士 もう1人は同保育園児の母親
 30代の男性1人/50代の女性2人/50代の男性1人
●4月15日 1人の感染確認
 ▽仙台市60代女性⇒4月2日に感染確認の女性と同じ勤務先
●4月14日 10人の感染確認
 ▽仙台市10歳未満の男の子⇒いずみ保育園の園児
  10代男性⇒ASTER向陽台校の受講生
  30代女性2人/40代男性2人/50代男性/50代女性
 ▽美里町80代男性⇒これまでに確認された3人と同居家族
 ▽大崎市50代男性⇒感染確認の宿泊施設勤務の男性の知人
●4月13日 3人の感染確認
 ▽仙台市50代女性⇒4月11日に感染確認の20代女性の母親
  仙台市20代男性⇒この20代女性のきょうだい
 ▽美里町40代女性⇒すでに感染が確認された男女の家族
●4月12日 6人の感染確認
 ▽仙台市女児1人⇒泉区「いずみ保育園」の園児
  仙台市男子児童1人と女子児童3人⇒泉区「向陽台小学校」
  ⇒5人は感染確認の外国籍20代女性が講師の英会話教室参加
  仙台市40代男性1人⇒建設局の南道路建設課に勤務
●4月11日 7人の感染確認
 ▽仙台市30代女性⇒泉区「いずみ保育園」保育士2人
  仙台市50代女性⇒泉区「いずみ保育園」保育士1人
  仙台市20代仙台大学4年男子⇒3月22~27日に東京へ 
  仙台市20代女性⇒3月17~18日と4月4日に東京へ
 ▽美里町30代パート従業員の男性 
  ⇒大崎市内の宿泊施設「ティファナ・イン」に勤務
  美里町80代女性⇒4月8日に感染確認の40代男性の家族
●4月10日 2名の感染確認
 ▽仙台市40代の会社員男性 ▽仙台市30代の女性
●4月9日 2人の感染確認
 ▽仙台市50代の男性1人 ▽多賀城市30代の会社員男性1人
●4月8日 1人の感染確認
 ▽仙台市30代自営業男性⇒3月に東京から来た10人程を接客
●4月8日 1人の感染確認
 ▽美里町40代会社員男性
  ⇒3月23日以降3回ほど車で仙台市に出張
●4月7日 6人の感染確認
 ▽名取市50代の会社員の男性1人⇒3月24~25日埼玉滞在
 ▽仙台市20代の女性2人と30代の男性2人
 ▽富谷市10代女子学生⇒4月3日感染確認の女性と同居家族
●4月6日 3人の感染確認
 ▽仙台市30代会社員の男性
  仙台市30代会社員の男性⇒3月31日に東京から仙台へ転居
  仙台市40代女性
  ⇒特別養護老人ホーム「ハートケア鶴ケ谷」の看護師
●4月5日 2人の感染確認
 ▽仙台市20代男子学生
  ⇒HUB仙台一番町四丁目店を利用 すでに感染が確認された
   外国籍の男性の自宅で飲食
 ▽仙台市50代会社員の女性
●4月5日 1人の感染確認
 ▽気仙沼市40代自営業の男性⇒3月24日~28日関東地方へ
●4月4日 2人の感染確認
 ▽仙台市60代会社員男性⇒2週間で海外渡航なし
  仙台市50代会社員男性
  ⇒4月2日に感染確認のパート女性の濃厚接触者
●4月3日 6人の感染確認
 ▽仙台市20代外国籍男性⇒HUB仙台一番町四丁目店を利用
  仙台市20代男女3人⇒3月28日東京から仙台に引っ越し
  20代男性⇒前の20代女性の引っ越しを手伝う
 ▽富谷市40代の女性
●4月2日 1人の感染確認
 ▽仙台市40代の女性 パート従業員
●4月1日 4人感染確認 HUB仙台一番町四丁目店の利用者
 ▽仙台市20代の外国籍女性⇒市立仙台高校勤務 
  仙台市20代の外国籍女性⇒立六郷中学校勤務 
  仙台市20代男子学生
  ⇒セブンイレブン仙台泉中央4丁目店勤務(東北学院大学生)
  仙台市20代男性会社員
●3月31日 1人の感染確認
 ▽仙台市40代の会社員の男性⇒3月19日と20日に東京へ
●3月30日 2人の感染確認
 ▽大崎市30代男性医師⇒市民病院に勤務
 ▽仙台市30代女性1人⇒HUB仙台一番町四丁目店を利用
●3月29日 2人の感染確認
 ▽仙台市30代の外国籍の女性と日本人男性
  ⇒2人は3月20日にHUB仙台一番町四丁目店で食事
   感染が判明している秋田県の外国籍の男女2人と立ち話
病床確保の動き
4月13日に仙台市内のホテルを借り上げ200室を確保と発表
ホテルは作並温泉にあるLa楽リゾートホテルグリーングリーン
日中は医師などが常駐 ホテル従業員と市や県職員が24時間対応
学校再開の予定
▽5月6日まで臨時休校を延長
 仙台市(入学式・始業式も5月7日以降に再延期)
 蔵王町 石巻市 東松島市 七ヶ宿町 丸森町 山元町 加美町
 女川町 塩釜市 気仙沼市 岩沼市 名取市 栗原市 登米市
 白石市  角田市 南三陸町 大河原町 川崎町 柴田町 亘理町
 七ヶ浜町 大和町 大衡村 涌谷町 村田町 色麻町 美里町
 大郷町 利府町 富谷市 大崎市 松島町
▽5月10日まで臨時休校を延長
 多賀城市
保育制度の相談
下記区役所の「保育所担当」まで 電話は区役所の代表番号
受付時間は 平日午前8時30分から午後5時まで
●青葉区役所・保育給付課 電話022-225-7211
●宮城野区役所・保育給付課 電話022-291-2111
●若林区役所・保育給付課 電話022-282-1111
●太白区役所・保育給付課 電話022-247-1111
●泉区役所・保育給付課 電話022-372-3111
●宮城総合支所・保健福祉課 電話022-392-2111
相談・支援の情報
●宮城労働局(4/20) 
 特別相談窓口を設置し 労働者の解雇に関する情報収集に努める
 経営者側が解雇を回避するための支援にあたりたい
 相談は電話だけでなくハローワークでも応じることができる
●宮城県 売上げ減少した県内中小企業に融資利率の引き下げ支援
 支援策の適用は「セーフティネット資金」など3つの融資制度
 ▽直近1か月の売り上げが前年同時期比で最大20%以上減少
 ▽今後2か月も同様の経営状況が見込まれる中小企業が対象
 ▽利率をこれまでの1.60%から最大で1.30%まで下げる
 ▽信用保証料も0.70%から最大で0.50%まで引き下げる
 ▽融資の限度額は8000万円まで
 電話022-225-5230 平日午前9時~午後5時15分
●県労働組合総連合は「労働相談ホットライン」を開設(無料)
 「賃金補償の説明がなく突然休みを言い渡された」という相談
 「生活の見通しが立たなくなった」という相談が多い
 雇い主に連絡とり補償受けられるか問い合わせるようアドバイス
●県社会福祉協議会は3/25から最大20万を融資する制度開始
 失業や収入の減少などで生活が苦しくなっている世帯が対象
 ▽2人以上の世帯は月20万▽単身世帯は月15万を3か月融資
 融資は無利子で保証人は必要なく 返済は10年
 新���コロナウイルスの影響で減収したことを証明する必要あり
 ▽会社員は給与明細か給与が振り込まれている通帳など
 ▽個人事業主は帳簿や通帳を持参することが必要  
(受付窓口)各市町村の社会福祉協議会
●七十七銀行は融資先への支援体制を強化 地元経済支える取組み
 企業への支援を行う専門の対策チームを立ち上げ
 コンサルティングの専門知識持つ行員が企業から相談を直接受付
source https://uyscuti.biz/2020/04/30/31985/
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korehayabai · 4 years
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連れ子暴行「以前からしつけで」|NHK 東北のニュース
緊急の共同宣言
東北6県と新潟県の知事らが異例の「緊急共同宣言」を発表
大型連休中の外出や県をまたぐ移動の自粛を呼びかけ
▽村井知事「大型連休で油断すると患者が爆発的に増えてしまう」
     「この期間中だけは自宅で過ごしてほしい」  
▽郡市長「この期間に外出や移動をいかに抑えることが出来るか」
    「これが新型コロウイルスに打ち勝つ正念場だ」
共同宣言を発表したのは 青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の
東北6県と新潟県の知事 仙台市と新潟市の市長
電話相談窓口設置
県は電話相談窓口を設置 022-211-3332
午前9時~午後6時(平日)「どう行動したらよいか」相談を受付
県が休業要請
宮城県は「緊急事態宣言」が 全国に拡大されたことを受け
遊興施設や運動施設などに4月25日から5月6日まで休業要請
休業要請協力金
●宮城県
県の休業要請に応じた事業者に対して協力金30万円を支払う
県が20万 市町村が10万を負担 対象は約2万9千の事業所
国からの交付金と県の財政調整基金を切り崩し約30億円をあてる
事業者が必要な手続きは 県が大型連休明けに公表する予定
村井知事「県と市町村が出せる最大限の金額だ」
「早ければ5月中 遅くとも6月中には必ず渡せるようにしたい」
●仙台市
<休業要請協力金>市独自に10万円を上積みして40万円を支給
複数の店舗をもつ事業者には1事業者50万上乗せし最大80万に
※宮城県・仙台市「協力金を受け取るには4月25日から5月6日
 までの全期間で休業や時短営業することが必要」
<地域産業支援金を創設>
休業要請協力金を受け取らない事業者で個人事業者も対象 
今年2月~6月の売り上げが前年比で1か月50%以上減少の場合
20万円を給付する
休業要請行う施設
 <宮城県が特別措置法に基づき休業要請を行う施設>
●遊興施設等
⇒キャバレー、ナイトクラブ、ダンスホール、バー、
 個室付浴場業に係る公衆浴場、個室ビデオ店、ネットカフェ、
 漫画喫茶、カラオケボックス、ライブハウス、
 場外馬(車・舟)券場、等
●大学/学習塾等
⇒大学、専修学校、各種学校などの教育施設、自動車教習所、
 学習塾 等
 ※床面積の合計が1000平方メートルを超えるものに限る
●文教施設
⇒幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、
 中等教育学校、特別支援学校 等
 ※預かり保育などの提供を通じて、医療従事者やひとり親家庭
 など、保育を必要とする園児や児童などの居場所確保の取り組み
 を実施することはできる
●運動/遊技施設
⇒体育館、水泳場、ボウリング場、スポーツクラブなどの運動施設
 マージャン店、パチンコ店、ゲームセンターなどの遊技場
●劇場等
⇒劇場、観覧場、映画館、演芸場
●集会/展示施設
⇒集会場、公会堂、展示場
●博物館/ホテル等
⇒博物館、美術館、図書館、
 ホテル・旅館(集会のために提供する部分に限る)※宿泊は可
 ※床面積の合計が1000平方メートルを超えるものに限る
●商業施設
⇒生活必需物資の小売関係等以外の店舗、
 生活必需サービス以外のサービス業を営む店舗
 ※床面積の合計が1000平方メートルを超えるものに限る
 <具体的な施設については宮城県のホームページにも記載>
休業要請対象外
 <宮城県が休業要請を行わない施設>
●医療施設
⇒病院、診療所、薬局等
●社会福祉施設等
⇒保育所等(幼保連携型認定こども園を含)、放課後児童クラブ等
 介護老人保健施設、通所・短期間入所により福祉サービスや
 保健医療サービスを提供する施設、保健医療サービス提供施設
●生活必需物資販売施設
⇒卸売市場、食料品売場、百貨店、ホームセンター、
 スーパーマーケット等の生活必需物資売場
 コンビニエンスストア、ドラックストア等
●食事提供施設
⇒宅配・テイクアウトサービスを含む飲食店(居酒屋を含む)、
 料理店、喫茶店等
 ※営業時間を朝5時から夜8時までとし、酒類の提供は夜7時
 までとすることを要請(宅配・テイクアウトサービスを除く)
●住宅/宿泊施設
⇒ホテル、旅館、共同住宅、寄宿舎、下宿等
●交通機関等
⇒バス、タクシー、レンタカー、鉄道、船舶、航空機、
 物流サービス(宅配等)等
●工場等
⇒工場、作業場等
●金融機関/官公署等
⇒銀行、証券取引所、証券会社、保険、官公署、事務所等
●インフラ運営関係
⇒電力、ガス、石油・石油化学、LPガス、上下水道、
 通信・データセンター等
●飲食料品供給関係
⇒農業、林業、漁業、
 飲食料品の輸入・製造・加工・流通・ネット通販等
●その他
⇒メディア、葬儀場、銭湯、質屋、獣医、理美容、
 ランドリー、ごみ処理関係、家庭用品のメンテナンス関係、
 個人向けサービス(ネット配信、遠隔教育、自家用車の整備等)
 <具体的な施設については宮城県のホームページにも記載>
詐欺に注意
注文していないマスクが一方的に送りつけられるケース相次ぐ
●県消費生活センター
 「のちに高額な代金を請求される可能性もある」注意を呼びかけ
 身に覚えのない商品が届いた場合は
 ▽仮に請求書が入っていても代金を支払わない
 ▽個人情報を聞き出される可能性があるため送り主に電話しない
不審に思ったら自���体の消費生活相談窓口に連絡するよう呼びかけ
商業施設の休業
仙台市内の商業施設では一部を除き 臨時休業が続く見込み
●仙台駅周辺の施設
 ▽「仙台パルコ」4/18から当面の間 全館で臨時休業
 ▽「エスパル仙台」食品フロアと医療機関除き5/6迄臨時休業
 ▽「アエル」5/6まで商業エリアは臨時休業
●仙台市中心商店街
 ▽「仙台フォーラス」美容室1店舗を除いて臨時休業
 ▽「仙台三越」食料品フロアを除いて臨時休業
 ▽「藤崎」平日は時間を短縮した上で本館食料品フロアのみ営業
●仙台市太白区
 ▽「ララガーデン長町」当面の間 臨時休業するが
   4階にあるほとんどの医療機関は診療を受付け
●スーパーマーケット
 ▽「みやぎ生協」「ヨークベニマル」「ウジエスーパー」
 イオングループが運営する「イオン」「ザ・ビッグ」など
 県内の多くのスーパーは通常通りの営業を予定
発熱などの相談
発熱やせきなど感染が疑われる人は連絡するよう呼びかけ
電話 022ー211ー3883(24時間)
電話 022ー211ー2882(24時間)
感染者の情報
●4月28日 2人の感染確認 県内で88人に
 ▽仙台市10代アルバイトの女性 濃厚接触者を確認中
  ⇒4月25日に感染確認された飲食店従業員の女性と同じ職場
 ▽山元町50代会社員の男性 家族を濃厚接触者として健康観察
  ⇒県外で感染が確認された人の濃厚接触者
●4月27日 1人の感染確認
 ▽加美町40代会社員の男性 同居家族以外に濃厚接触者なし
  ⇒4月17日に感染確認された加美町在住の女性の濃厚接触者
●4月26日は感染確認なし
●4月25日 1人の感染確認
 ▽多賀城市20代飲食店従業員の女性
  ⇒店の利用客や従業員に濃厚接触者がいないか調べることに
●4月21日、22日、23日、24日はいずれも感染確認なし
●4月20日 1人の感染確認
 ▽名取市30代介護福祉士の男性 職場に濃厚接触者なし
  ⇒4月18日に感染が確認された20代女性と同居する家族
●4月18日 4人の感染確認
 ▽仙台市20代男性 飲食店の経営者⇒感染経路は不明
  仙台市30代男性 県立加美農業高校教職員 
  ⇒すでに感染確認されたいずみ保育園に通う女子の濃厚接触者
 ▽多賀城市 30代女性 
  ⇒福島で感染確認され多賀城市に越してきた30代男性の家族
 ▽名取市 20代会社員女性 ⇒感染経路は不明
●4月17日 4人の感染確認
 ▽富谷市10歳未満の女の子⇒20代パート従業員の女性 
  富谷市30代会社員女性
  ⇒いずれもASTER向陽台校関係者と生徒
 ▽加美町40代会社員女性 
  ⇒4月14日に大崎市で感染確認された50代男性の知人
●4月16日 10人の感染確認
 10歳未満の男の子/10代の女性2人/20代の女性3人 
  ⇒2人はいずみ保育園の保育士 もう1人は同保育園児の母親
 30代の男性1人/50代の女性2人/50代の男性1人
●4月15日 1人の感染確認
 ▽仙台市60代女性⇒4月2日に感染確認の女性と同じ勤務先
●4月14日 10人の感染確認
 ▽仙台市10歳未満の男の子⇒いずみ保育園の園児
  10代男性⇒ASTER向陽台校の受講生
  30代女性2人/40代男性2人/50代男性/50代女性
 ▽美里町80代男性⇒これまでに確認された3人と同居家族
 ▽大崎市50代男性⇒感染確認の宿泊施設勤務の男性の知人
●4月13日 3人の感染確認
 ▽仙台市50代女性⇒4月11日に感染確認の20代女性の母親
  仙台市20代男性⇒この20代女性のきょうだい
 ▽美里町40代女性⇒すでに感染が確認された男女の家族
●4月12日 6人の感染確認
 ▽仙台市女児1人⇒泉区「いずみ保育園」の園児
  仙台市男子児童1人と女子児童3人⇒泉区「向陽台小学校」
  ⇒5人は感染確認の外国籍20代女性が講師の英会話教室参加
  仙台市40代男性1人⇒建設局の南道路建設課に勤務
●4月11日 7人の感染確認
 ▽仙台市30代女性⇒泉区「いずみ保育園」保育士2人
  仙台市50代女性⇒泉区「いずみ保育園」保育士1人
  仙台市20代仙台大学4年男子⇒3月22~27日に東京へ 
  仙台市20代女性⇒3月17~18日と4月4日に東京へ
 ▽美里町30代パート従業員の男性 
  ⇒大崎市内の宿泊施設「ティファナ・イン」に勤務
  美里町80代女性⇒4月8日に感染確認の40代男性の家族
●4月10日 2名の感染確認
 ▽仙台市40代の会社員男性 ▽仙台市30代の女性
●4月9日 2人の感染確認
 ▽仙台市50代の男性1人 ▽多賀城市30代の会社員男性1人
●4月8日 1人の感染確認
 ▽仙台市30代自営業男性⇒3月に東京から来た10人程を接客
●4月8日 1人の感染確認
 ▽美里町40代会社員男性
  ⇒3月23日以降3回ほど車で仙台市に出張
●4月7日 6人の感染確認
 ▽名取市50代の会社員の男性1人⇒3月24~25日埼玉滞在
 ▽仙台市20代の女性2人と30代の男性2人
 ▽富谷市10代女子学生⇒4月3日感染確認の女性と同居家族
●4月6日 3人の感染確認
 ▽仙台市30代会社員の男性
  仙台市30代会社員の男性⇒3月31日に東京から仙台へ転居
  仙台市40代女性
  ⇒特別養護老人ホーム「ハートケア鶴ケ谷」の看護師
●4月5日 2人の感染確認
 ▽仙台市20代男子学生
  ⇒HUB仙台一番町四丁目店を利用 すでに感染が確認された
   外国籍の男性の自宅で飲食
 ▽仙台市50代会社員の女性
●4月5日 1人の感染確認
 ▽気仙沼市40代自営業の男性⇒3月24日~28日関東地方へ
●4月4日 2人の感染確認
 ▽仙台市60代会社員男性⇒2週間で海外渡航なし
  仙台市50代会社員男性
  ⇒4月2日に感染確認のパート女性の濃厚接触者
●4月3日 6人の感染確認
 ▽仙台市20代外国籍男性⇒HUB仙台一番町四丁目店を利用
  仙台市20代男女3人⇒3月28日東京から仙台に引っ越し
  20代男性⇒前の20代女性の引っ越しを手伝う
 ▽富谷市40代の女性
●4月2日 1人の感染確認
 ▽仙台市40代の女性 パート従業員
●4月1日 4人感染確認 HUB仙台一番町四丁目店の利用者
 ▽仙台市20代の外国籍女性⇒市立仙台高校勤務 
  仙台市20代の外国籍女性⇒立六郷中学校勤務 
  仙台市20代男子学生
  ⇒セブンイレブン仙台泉中央4丁目店勤務(東北学院大学生)
  仙台市20代男性会社員
●3月31日 1人の感染確認
 ▽仙台市40代の会社員の男性⇒3月19日と20日に東京へ
●3月30日 2人の感染確認
 ▽大崎市30代男性医師⇒市民病院に勤務
 ▽仙台市30代女性1人⇒HUB仙台一番町四丁目店を利用
●3月29日 2人の感染確認
 ▽仙台市30代の外国籍の女性と日本人男性
  ⇒2人は3月20日にHUB仙台一番町四丁目店で食事
   感染が判明している秋田県の外国籍の男女2人と立ち話
病床確保の動き
4月13日に仙台市内のホテルを借り上げ200室を確保と発表
ホテルは作並温泉にあるLa楽リゾートホテルグリーングリーン
日中は医師などが常駐 ホテル従業員と市や県職員が24時間対応
学校再開の予定
▽5月6日まで臨時休校を延長
 仙台市(入学式・始業式も5月7日以降に再延期)
 蔵王町 石巻市 東松島市 七ヶ宿町 丸森町 山元町 加美町
 女川町 塩釜市 気仙沼市 岩沼市 名取市 栗原市 登米市
 白石市  角田市 南三陸町 大河原町 川崎町 柴田町 亘理町
 七ヶ浜町 大和町 大衡村 涌谷町 村田町 色麻町 美里町
 大郷町 利府町 富谷市 大崎市 松島町
▽5月10日まで臨時休校を延長
 多賀城市
保育制度の相談
下記区役所の「保育所担当」まで 電話は区役所の代表番号
受付時間は 平日午前8時30分から午後5時まで
●青葉区役所・保育給付課 電話022-225-7211
●宮城野区役所・保育給付課 電話022-291-2111
●若林区役所・保育給付課 電話022-282-1111
●太白区役所・保育給付課 電話022-247-1111
●泉区役所・保育給付課 電話022-372-3111
●宮城総合支所・保健福祉課 電話022-392-2111
相談・支援の情報
●宮城労働局(4/20) 
 特別相談窓口を設置し 労働者の解雇に関する情報収集に努める
 経営者側が解雇を回避するための支援にあたりたい
 相談は電話だけでなくハローワークでも応じることができる
●宮城県 売上げ減少した県内中小企業に融資利率の引き下げ支援
 支援策の適用は「セーフティネット資金」など3つの融資制度
 ▽直近1か月の売り上げが前年同時期比で最大20%以上減少
 ▽今後2か月も同様の経営状況が見込まれる中小企業が対象
 ▽利率をこれまでの1.60%から最大で1.30%まで下げる
 ▽信用保証料も0.70%から最大で0.50%まで引き下げる
 ▽融資の限度額は8000万円まで
 電話022-225-5230 平日午前9時~午後5時15分
●県労働組合総連合は「労働相談ホットライン」を開設(無料)
 「賃金補償の説明がなく突然休みを言い渡された」という相談
 「生活の見通しが立たなくなった」という相談が多い
 雇い主に連絡とり補償受けられるか問い合わせるようアドバイス
●県社会福祉協議会は3/25から最大20万を融資する制度開始
 失業や収入の減少などで生活が苦しくなっている世帯が対象
 ▽2人以上の世帯は月20万▽単身世帯は月15万を3か月融資
 融資は無利子で保証人は必要なく 返済は10年
 新型コロナウイルスの影響で減収したことを証明する必要あり
 ▽会社員は給与明細か給与が振り込まれている通帳など
 ▽個人事業主は帳簿や通帳を持参することが必要  
(受付窓口)各市町村の社会福祉協議会
●七十七銀行は融資先への支援体制を強化 地元経済支える取組み
 企業への支援を行う専門の対策チームを立ち上げ
 コンサルティングの専門知識持つ行員が企業から相談を直接受付
source https://uyscuti.biz/2020/04/30/31986/
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