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#疾風巡拝
yamada50 · 1 year
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バイク神社として賑わう天王宮大歳神社 浜松市に鎮座し天王宮と天皇宮と大歳神社が江戸末期文化年間に合祀されその総称として天王宮大歳神社という成り立ちで天王宮は第14代景行天皇の御代に創建、大歳神社は延喜式内社に比定される古社です 一方天皇宮についてですが南朝縁の第98代長慶天皇とその父第97代後村上天皇が御祭神として奉斎されているのが珍しいと感じました 明治44年に南朝が正統とされる裁定がなされる際に義良親王が後村上天皇として、熙成親王を後亀山天皇として正統な天皇とされ歴代天皇に追加されました さらに大正15年に長慶天皇の在位が確認されたとされ歴代天皇に追加され第15代神功天皇が外れて現在の歴代天皇となります 江戸時代から国学が盛んに研究される中で影響力の大きかった水戸藩の大日本史を中心に色々議論されていた最中に、浜松といえば国学四大人の一、賀茂真淵のお膝元の影響があるかないかはわかりませんが御祭神として奉斎されていたのが面白いなと思いました どれが正しいかとか研究者じゃないのでわかりませんが明治以降になって正式に認められた天皇は他にもありそういった由緒を見ていくのも面白さを感じ興味が尽きません #天王宮大歳神社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 天王宮大歳神社(静岡県浜松市)(てんのうぐうおおとしじんじゃ) 鎮座地:静岡県浜松市東区天王町1484の1 主祭神:素戔嗚尊、大歳神、櫛稲田媛命 (配祀)大己貴尊 事代主尊 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 武甕槌命 経津主命 大田多根子命 長慶天皇 亀山天皇 後宇多天皇 後二条天皇 後醍醐天皇 後村上天皇 社格:式内小社 村社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #神社仏閣 #パワースポット #浜松市 #バイク神社 #疾風巡拝 #神社巡拝家 (天皇宮大歳神社) https://www.instagram.com/p/Ckn0e6MPrIS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mizu990612 · 2 years
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2022/10/22土曜日の #お詣り #ぶんのお詣り #桑名宗社 #春日神社 #皇大神宮御分霊社 #桑名東照宮 #春日稲荷社 #神社 #Shrine #疾風巡拝 #刻道守 #青龍 #拝受しました @kuwana_sousha._.kasuga_jinja #桑名市 #桑名 #kuwana #三重県 #三重 #mie #日本 #japan #visitmie #kankomie (桑名宗社) https://www.instagram.com/p/CkADk-NpeBG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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teamtoumou · 2 years
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疾風巡拝プロジェクト茨城制覇ツーリング🏍️💨 5件1日で廻るのは結構ハードだった(笑) 走行時間:9時間 走行距離:400㎞ 『疾風巡拝プロジェクト』 roadmania-japan.com #CRF1100L #アフリカツイン #CMX500Rebel #レブル500 #FTR223 #ツーリング仲間募集 https://www.instagram.com/p/CjLKNBcJF02/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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fuminaga · 4 years
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イラン中部のコム市では毎日、大勢の巡礼者がイスラム教シーア派の聖人を祭る廟の壁を手や唇で触れたりしてお参りをする。ウイルスの接触感染のお手本と言えそうな行為だ。でもコムを中心に新型コロナウイルスの感染が拡大した後も、イラン政府は巡礼を止めなかった。 また、政府は2月28日に国内の死亡者を34人と発表したが、BBCが病院へ電話取材したところ本当は210人を超えていた。ハサン・ロウハニ大統領は「神のおぼしめしで、ウイルスを乗り切れるだろう」と神頼みのようだが、コムのシーア派指導者も対策の指揮を執る保健省次官も副大統領も感染している。 疾病対策に必要なのは信仰と宗教ではなく、真実と指導力だろう。 韓国の例も参考にしよう。新天地イエス教会では信者が密集して礼拝を行うが、神様に失礼だという理由からマスク着用は禁止。国内の感染拡大が発覚したら、政府は情報公開とウイルス検査の徹底、つまり真実と指導力で対抗している。正解だと思われるが、残念ながら、感染の震源地である大邱市の感染症対策担当者も感染した。その人も新天地の信者だ。
新型コロナ対策でも「真実」を見ようとしないトランプ(パックン) | パックンの風刺画コラム | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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2ttf · 12 years
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geniusbeach · 6 years
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香川旅行記
 ゴールデンウィーク後半を使って香川を旅行した。計画したのは出発前日の夜中で、今回のテーマはうどん巡りと温泉だ。私は昨年末に二泊三日で高松、琴平、直島、豊島を巡り、うどん7杯を食べて大満足で帰ったのだが、以来香川のことが忘れられず、また行きたいと思っていたところだった。
 1日目(5月2日)
 午前4時という、朝がひどく苦手な私にとっては信じがたい時刻に友人の車で出発。9時ごろ善通寺に到着し、食べログ一位のうどん屋、長田 in 香の香へ。巨大な駐車場と50mにも及ぶ行列を目の前にして一軒目ながら若干ひるむ。待ち時間を使って宿探しをするも、さすがGWだけあってどこも満室。無計画な私たちも悪いが、10軒ほど電話して空いていたのは一室のみだった。しかし結局宿泊料があまりにも高かったため断念し、並んでいた他のお客さんに健康ランドに泊まれることを教えてもらったので、最悪の場合そこにすることに。一時間弱待った後入店し、釜揚げ大と冷やし大を一杯ずつ注文。各1.5玉で350円だ。つゆはいりことかつおのダシがよく利いており、もちもちの麺からは小麦の香りが強く感じられたいそう美味かった。皆うどんだけ食べてさっさと出るおかげで回転率がかなり良く、11時ごろには食べ終えることができた。
 続いて二軒目のはなや食堂へ。地元に愛されるおばあちゃんのお店といった印象。冷やしとタコ天を注文。うどんは200円、天ぷらは300円と安い。小ぶりなタコを丸々一匹揚げた天ぷらは衣が黄色くふわふわの食感。うどんも無論美味い。食後に宿探しを再開し、栗林公園近くのところに電話するとあっさりOKが出た。電話口の主人の対応が少し気になったが、一人一泊2600円、ガッツポーズだ。せんべい布団でも座布団でも部屋でゆっくり寝られるだけありがたいので、即座に予約した。
 腹ごなしがてら金蔵寺(こんぞうじ)を覗く。お遍路さんが多くおり、皆お堂の前で一心に真言を唱えていた。友人曰く「水曜どうでしょう」に出ていた寺とのことで、ファンである彼の記念写真を撮った。ここに至るまでの道端の電柱には、八十八か所巡りの巡礼者を図案化した標識があった。小さなところにご当地感があってほんわかした。
 次はこんぴらさんにお参りすることに。 暖かくなったのと休暇も重なったことで人がごった返している。登り口にあるアカボシコーヒーで一服してからほぼ休みなしで駆け上がる。中腹では神馬2頭を見た。その隣には大型船のスクリュー(直径6m)とアフリカ象の像があった。前者は94年に今治造船が奉納したそう(今治造船HPより)で、当社が海の神を祀っていることやお座敷遊びのこんぴらふねふねでお馴染みの金比羅船に因むことが予想できたが、後者の意図はわからず、奉納品であれば何でも良いのかと思った。関連するとすれば、この山の名が象頭山であることぐらいか。
 程なくして本宮へ到着し、参拝の列に並ぶ。普段神社で手を合わせる時は何も祈らないようにしているが、今年に入ってからずっと精神が低調なままので、久しぶりに願をかけてみた。神様はこういう時の心のよりどころなのでありがたい。どうか届きますように。今回は、前回その存在を知らなかった奥社まで行こうとしていたが、道が閉鎖されていたためあえなく断念、またまた次回への持ち越しとなった。さて、全785段の石段往復は少々足に応え、途中で石段籠を見かけた時には思わず乗せてくれと言いそうになるくらいだったが、良い運動になったと思えば悪くはない。籠は参拝客の会話によれば片道3000円程だそうだ。乗っていたのはお婆さん、担いでいたのはお爺さんだった。
 麓に下りてから、こんぴらうどん参道店でとり天ぶっかけを食べる。一杯690円だ。二人とも腹が限界で、なぜここまでしてうどんを食べているのかわからなくなっていた。最早それはこの旅のテーマとして設定したうどん巡りの義務感からでしかなかったと言える。満腹中枢が刺激される前に片付けねばならないと、タケル・コバヤシ(※フードファイター)並みの速度でかき込んだ。とり天はジューシーで、麺にはコシがあって美味かったが、胃の圧迫で心臓が止まりそうになり、「うどん死(デス)」という言葉が頭をよぎった。
 疲労が甚だしかったため、喫茶店でまたも一服。琴平駅周辺には、「カキ三(さん)コーヒー使用」を看板に掲げた店が多くあり、前回の旅行でもそのオタフクソースのパッケージのようなオレンジと黒の色��いに親近感を覚えつつずっと気になっていた。おそらくそのカキ三を使ったであろうアイスコーヒーで意識を保ちながら、風呂にでも入ってリフレッシュしようということに話がまとまり、近くにあったこんぴら温泉湯元八千代へ。屋上に市街が一望できる露天風呂があるのだ。塀が低く、少しでも浴場のへりに近づけば周囲からは丸見えとなる(といっても建物より標高が高い所からだけだが)ため、内心ヒヤヒヤしていたが、やはり最高に気持ち良かった。受付で混��と聞いて下品な期待もしていたが、二人組の女の子が少し覗いて引き返していったくらいで、終始客は私たちだけであった。なお、内風呂はごく普通の湯船がひとつあるだけだった。
 体力をわずかばかり回復し、瀬戸内の眺望を求めて五色台を目指す。16時半頃、大崎山の展望台に到着し、青空から海へと沈む夕日を眺めた。なんとも雄大なパノラマだ。遠くを見やると、薄水色の瀬戸大橋があやとりの糸のような慎ましさで陸地を繋いでいる。カメラで何枚も写真を撮った。ふと、ここ数日間で覚えた個人的な悲しみに対して、目の前に開けた海は、その豊満な胸で以て私を迎え、倒れ掛かる身体を圧倒的な光景によって生に押し戻してくれているような気がした。そうして下を見れば、山と山に挟まれた湾内の湿地に、草の生い茂る田んぼのようなものが広がっていた。これは木沢塩田跡地といい、秋頃にはアッケシソウという好塩性植物が紅葉することで一帯が赤く染まるそうだ(大崎山園地の説明看板より)。一度そんな不思議な絵を見てみたいと思った。この日は風が非常に強かったため、目だけでなく全身で自然を感じられて嬉しかったが、そのせいで体が冷えたのと日没直前に雲がかかったため、18時半頃に引き上げた。
 高松市内中心部に車で乗り入れ、今宵の宿へ。見るからに怪しげな建物に三友荘という傾いた看板がかかっている。隣の広東料理屋の前に中華系とみられる男が3、4人たむろしており雰囲気が悪い。中に入ると、フロントというよりは雑然と物が置かれた生活スペースが大きく広がっており、その山の中から主人が顔を覗かせて、一言いらっしゃいと言った。それから、かなり雑な態度で駐車場を案内され、やべーところに来てしまった、と思う間もなく会計を済ませて鍵を受け取り3階へ。廊下は廊下で床がはがれていたり、アメニティが散乱していたりとさながらお化け屋敷に入ったような気分になる。部屋に入ると、これまた昭和から時間が止まっていると思われるほど古くカビ臭い和室で、その異様さに一瞬たじろいだ。とにかく寝られれば良いのだと割り切ることにして、外へ風呂に入りに行った。
 車を20分ほど走らせて向かったのは、市内中部にある仏生山温泉だ。前回も訪れて、その泉質と洗練された建築様式が気に入っていた。町の歴史が古いため、ここも昔からあるのかと思いきや、2005年開業と比較的新しい温泉らしい(仏生山温泉FBより)。入浴施設とは思えない白い箱のような建物入り口の外観が特徴だ。中に入ると、ドーンと奥行きのあるシンプルな休憩スペースがお出迎え。端には小洒落た物産品が並んでおり、また壁伝いには文庫本の古本が並べられている。客がひっきりなしに出入りし、脱衣場と浴場はまさに芋の子を洗うような状態であった。なんとか湯船の空いたスペースに身体を沈め、一日で溜まったとは思えないほどの疲れを癒す。とろりとした湯で肌がツルツルになり気持ちが良い。露天風呂のある広い空間は現代的な中庭といった印象で、入浴体験を一段上のものへ引き上げてくれる。インスタレーション的な、「空間そのものに浸かる」といった感じだろうか。内部はそのように隅まで配慮が行き届いており、とても面白く楽しめた。
 さっぱりした後、宿に車を停め、土地の名物である骨付鳥を食べるために歩いて片原町近くの居酒屋蘭丸へ。本当は一鶴という店に行きたかったのだが、長蛇の列を目の前にして断念、ここに並ぶこととした。小一時間ほど待って入店し、とりあえずビールと親鳥・若鳥、それから鰆のタタキ、造り4種盛り、サラダを注文、香川の味覚に舌鼓を打った。特に親鳥は肉がぶりんぶりんの食感で旨味が凝縮されている。スパイシーな和風ローストチキンといった感じで、下戸なのに否が応でもビールが進む。皿にはたっぷりと鶏油が溜まっているが、それにキャベツをつけて食べるとまた美味いのだ。この骨付鳥の他にうどんと言い今日の行程と言い、なかなか歯応えのある旅だと思った。最後に親鳥をもう一皿と焼酎水割り、注いだ先から凍る日本酒を追加し、11時半頃ほろ酔いで宿に戻った。部屋では撮った写真を整理した後、もう一杯酒を飲んでから眠りについた。夜通し風がごうごうと窓を揺らしていた。
2日目(5月3日)
 7時半、なぜか小学校の廊下でスーフィーの集団と象に追われるという夢を見て飛び起きた。昨日神馬の横で象の像を見たせいか。しかしスーフィーは全くわからない。2か月ほど前に蠱惑的なズィクル(※スーフィズムの修行)の動画を見たからなのか。とにかく旅にはふさわしくない目覚め方だ。最近何かに追われる夢をよく見るのだが、おそらく疲れているのだろう。今日もよく眠れなかったようだ。他の理由としては強風もそうだが、宿が高架下にあるため電車が通るたび振動で部屋が揺れるのだ。夜中と朝方に何度か覚醒した気がする。昨日20時間近く活動した身体は、子供騙しのような睡眠では回復しきれなかったようだ。
 さて、今日は9時出発の船に乗り、犬島へ渡る予定だ。重い身体を叩き起こし、さっさと準備を済ませて高松築港へ。船の時間が近づいている。車を停めてから本気ダッシュで駅のそばにあるうどん屋味庄へと向かうも定休日だったため、近くにあったさぬきうどんめりけんやに入る。待ち時間にやきもきしながら冷肉ぶっかけ小を注文。430円だ。しっかり美味い。ここでも前日のごとくモリモリ腹に押し込み約3分で退店。ひょろい男の異常な食いっぷりに他の客は少なからず引いていたことだろうが、そんなことには構っていられない。再度、悪心を催すほどの全力疾走でフェリーの切符売り場へ。出航3分前、なんとか間に合うことができた。やる時はやる男なのだ、私たちは。などという安堵感も束の間、ここで無情にも定員オーバーが告げられる。肩で息をしながら愕然とする私たち。あーやってもうた、としか言えず、無意識に抑え込んでいたであろう胃の中で暴れるうどんに気付き普通に吐きそうになる。ただ次の便でも行けることが判明したことで難を逃れた。そうでなければ危うく待合所の床にBUKKAKEするところであった(読者よごめん)。そんなこんなで泣く泣く次便のチケットを買い、待つ間しばしの休憩タイムとなった。負け惜しみを言わせてもらえば、朝の海を見ながら飲んだコーヒーと吸ったタバコは格別に美味かった。これも良い思い出だ。
 10時過ぎの便に乗り込み、豊島の唐櫃港に到着。レンタルサイクルを借り、次便の出航する家浦港まで急ぐ。豊島美術館に寄ろうとしたが、1時間待ちと聞きパスした。せっかくの機会にもかかわらず無念だ。前回は誰も客がいなかったというのに、やはりGWは恐ろしい。立ち漕ぎで先を急ぐ。山のてっぺんまではギアなしの自転車と寝不足のエンジンにはかなりきつい坂が続いたが、なんとか越えることができた。途中、唐櫃聖水という空海伝説もある井戸に沸く、不思議なほど青々とした水を拝んでから家浦へ。初便に乗ることができていればこのように複雑な乗り継ぎも必要なかったが、私の性格上致し方ない。人生はエクササイズだと考えれば万事ハッピーだ。そうして無事チケットを買い、物産品店を冷かす。豊島の民謡集に熱を感じ、買おうか迷って結局やめた。そしてしばらくして船に乗った。
 13時前に犬島着。昼飯に港すぐの在本商店にて犬島丼なるものを食べた。白飯に甘辛く煮た大根や人参とともに舌平目のミンチを乗せ、甘めの汁をかけた瀬戸内の家庭料理だ。これに舌平目のフライと犬島産テングサを使用したコーヒーゼリーが付いたセットで1000円。どれも田舎風の優しい味わいで満たされた。出てから他の店も覗いてみたが、どこもコーヒーゼリーを出していた。単にさっきの店のデザートというわけではなく、これもご当地グルメのひとつのようだ。
 そしてようやく楽しみにしていた犬島精練所美術館へ。ここはかつて銅の精錬を行っていた跡地で、美術館内部は入り口から出口まで一定方向に自然の風が流れるように設計されているという。詳細は省くが、三島由紀夫の作品がモチーフになっており、意表を突くような仕掛けが多く、かなり強烈な印象を受けた。しかしその中でも悔しかったのが、便器の枯山水と銅製の文字が文章となってぶら下がる部屋があったことだ。この二つは自分の内に展示のアイデアとして全くと言っていいほど同じものを密かに温めていたのに、こんなにも堂々かつ易々と先を越されていた。やはり所詮は人が考えること、どんなにオリジナリティを確信していたとしても結局は似てしまうのだ。しかしちゃんと形にした人はすごいし、その点素直にあっぱれと言いたい。やや興奮した状態のまま外に出て周辺を散策する。レンガ造りの廃墟にノスタルジーを感じ、その歴史を想像した。少し歩いて砂浜へ行き、海を眺める。風が強いので瀬戸内の海といえど波が高く荒れていた。夏に来て本来の穏やかさを取り戻した海を一度泳いでみたい。その後、定紋石や家プロジェクトという名のギャラリー数軒を見て回る。F邸にあった名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」が個人的にグッと来た。発生は常に見えない、と私は詩に書いたことがあるが、言いたいことがそのまま形になっていた。2つの小部屋にはそれぞれ植物相と動物相のバイオモーフィックなモニュメントが数点あった。シンプルな発想ながらそこから湧き出す観念とイメージ喚起力の豊かさに驚かされた。創作において見習いたい点だ。
 船の時間が迫っていたため、港まで早歩きで向かった。全体的に時間の流れがゆるやかで静かな島であった。ここからは直島を経由して高松まで戻る。船内では景色も見ずに二人で眠りこけていた。直島に着くぞ、との声で飛び起き、本村港のチケット売り場へ猛然と走る。乗り継ぎ便が10分後に出るためだ。しかしここでも昨日と同じく定員オーバー、30分後に出る次便を待つこととなった。大型フェリーの前にはゆうに200mを超える列ができており、この島の人気の高さが伺える。そうして、ふと並んでいる時に自分のカバンが思ったより軽いことに気が付いた。はてなと思い中を探るとカメラがない。目の前が真っ白になった。置いてきたのは犬島か、船の中か、それとも盗られたか。考える間もなく、カメラ忘れた! と友人に叫びながら乗ってきた高速船乗り場へとダッシュした。出航していたらどうしようかと思ったが、一条の光が見えた。まだ停泊したままだったのだ。息も絶え絶えに駆け寄る私を見た人民服風の上下を着た船員が、カメラの忘れ物ですかあと声を上げる。良かった。あったのだ。すみませんでしたあ! と謝って相棒を受け取る。ほっと胸をなでおろした。どうやら寝ぼけて置き去りにしていたようだ。私は普段あまりものをなくさないので、こういう時必死に探して見つからなければひどく狼狽してしまう。特にカメラのような高価なものだとその後の旅に影響が出るほどだったのではないかと思う。今回は本当にラッキーだった。友人に詫びてから並び直し、島を後に。航行中は展望デッキからモノクロで日を撮った。夜のような昼の写真が撮れた。
 16時頃高松に着いた。後は帰るのみだ。最後にご飯を食べようということで、屋島を過ぎたところにあるうどん本陣山田屋本店へ。大きな屋敷を改築した店構えは壮観だ。本陣と名付くのは屋島の合戦ゆえか。前回の旅で、仏生山で終電を亡くした時に乗ったタクシーの運転手が、うどんならここらが本場だと言っていたため期待度が高まる。ざるぶっかけと上天丼を注文。うどんは570円、丼は720円だ。麺はもちもちとしており、良い塩梅にダシの利いたつゆと絡んですこぶる美味い。天丼にはサクサクの天ぷらがこれでもかと乗っており、ご飯が足りないほどだ。今流行りのロカボの逆を行く、ハイカーボダイエットにより思考が停止するほどの満腹感が得られた。これでコシの強いうどんともお別れかと思うと寂しい。京都の柔いうどんも薄味のダシがしみて美味いのだが、やはり一度讃岐のものを食べると物足りなく感じる。またすぐにでも来よう。次はざっくりと計画を立てて。それでは、さようなら香川。
 高速道路は予想通りところどころで渋滞が起こっていた。運転は最初から最後まで友人に任せっぱなしだったため大変な苦労を掛けた。ここに感謝したい。約5時間かけて京都に到着。0時半頃に岡崎で蛸安のたこ焼きを食べた。京都の味だ。ようやくカーボ地獄から抜け出すことができたと二人して喜んでいたが、よく考えなくともたこ焼きは炭水化物であった。うどんのオーバードーズのせいで腹だけでなく思考能力さえもやられてしまったようだ。喫茶店はなふさでマンデリンを飲み、旅費の精算��して解散となった。
 今回の旅も、弾丸(もはや散弾)にしてはうまくいった方ではないだろうか。休みに行ったのか疲れに行ったのかわからないが、気を紛らわすには最適な強行軍であった。うどんは5杯も食べられたし、その他のグルメも満喫できた。全ては偶然尽くしだったが、無計画だからこそ楽しめたものもある。私の場合は、ある程度見たいところを決めるだけで、そこに行っても行かなくても良いのだ。というよりはその方が楽だから、皆そうすればいいのにと思う。そこには予想もしない出会いがきっと多くあるはずだ。ただ、GWの人出を完全に舐めていたため、宿に関してだけは事前予約の必要性を痛感した。あと、食べ過ぎは単純に苦しいのであまりおすすめない。今回の旅でもうしばらくうどんは結構だ。などと思いつつ、翌日の昼には冷凍うどんを食べていた。どうやら脳までうどんになっていたようだ。しかし季節はそろそろ梅雨(つゆ)に入るので、ある意味おあつらえ向きなのかもしれない。
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groyanderson · 3 years
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ひとみに映る影シーズン2 第四話「ザトウムシはどこへ行く」
 ☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、  誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。 (シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!! pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第四弾 牛久舎登「かっぱさん体操」はこちら!☆
དང་པོ་  洗面所で顔を洗い、宴会場に戻る。時計は丁度六時をまわった所だ。ふと、窓の外から懐かしい歌が聞こえてきた。 『かっぱさん体操第一ィィィ!』『プッペケプッぺップー』 「うー。何だよぉこんな朝っぱらからぁー!」 「ふわあぁ~」 「ああ、かっぱさん体操の時間……」  朝っぱらから近所迷惑な体操音楽によって、佳奈さん、万狸ちゃん、玲蘭ちゃんが同時に布団から出てきた。玲蘭ちゃんと私はカーテンを開け、大音量で音楽を流しながら体操する河童の家教団を眺める。 「牛久の河童はかっぱっぱーのパァー」 「お皿を磨いてツーヤツヤーのツャー」 「「みんなで腹からワッハッハーのハァー、笑顔に勝るー力なし」」 「は? 二人なんで歌えるの?」  歌詞を暗記している私達を、佳奈さんが訝しんだ。 「佳奈さんの地元にはいませんでしたか? 河童信者」 「ぜぇんぜん」 「北関東から東北あるあるなんじゃない? 私も会津にいた時はほぼ毎朝だったのに、沖縄(うちなー)では一度も聞いた事なかった」  影電話で万狸ちゃんにも聞いてみる。 <木更津はどう?> 「一度だけ布教に来た事はあったね……あの体操で大狸様を怒らせちゃって、追い出されてた」 <あはははは>  河童の家、案外ローカルネタなのかな。 「じゃあ、どの学年にも一人はいる子河童も知らないですか? 佳奈さん地元は京都でしたっけ」 「ううん、両親両方京都だけど東京生まれ東京育ち……そもそも子河童って何?」 「そこからですか」  茨城県に本拠地を置く新興宗教、河童の家。元お笑い芸人の牛久舎登が発足し、『笑顔に勝る力なし』を教義とする。そのため宗教活動では一発芸や話術を磨く修行をし、信者は男も女も子供も、皆河童のように頭頂部を剃り上げる。この教団が近所にあると毎朝『かっぱさん体操』という体操曲が爆音でかかり、また近隣の学校には通称『子河童』と呼ばれるお調子者な学生が何人か生息する。そして彼らは将来、教団が運営する芸能事務所『かわながれ興業』に所属するんだ。でも人を笑わせる、そして人から笑われる事も最上の幸福であるという教えを拡大解釈した信者が、パワハラやいじめ、体罰を起こして時折問題になっている。 「私が知っている河童の家についての情報は、こんなところですかね」 「へぇ……やけに芸能界に影響力がある宗教だと思ってたけど、そんなだったんだね」 「ああ、東北も多いけど、大阪には芸人養成学校があるから日本一信者が多いんだって」  玲蘭ちゃんがスマホで調べてくれた。  その時、トントン、と襖がノックされる。 「おはよぉございます……。お嬢さん方。河童さんが体操終えて食堂混む前に、朝食行きませんか?」  タナカDだ。 「そうしよっか」  カメラが回るだろうから、私達は各々最低限顔を描く。眉毛面倒だから影で作っちゃった。後で朝風呂に入ってからちゃんと直そう。 གཉིས་པ་  食堂に行くと、奥の席で既にタナカDが朝食を一品ずつ物撮(ぶつど)りしていた。テーブルには全員分のネームプレートと朝食が配膳されている。 「ぅあ~~~~~~~~……」  席につくなり、佳奈さんからアイドルが一番出しちゃいけないような声が漏れた。 「どうしたんですか佳奈さん、まるで深夜バスにでも乗ってたみたいな顔して」 「似たようなもんだよ……ずっとすごい雷鳴ってたじゃん。しかもなんか救急車の音とかしなかった? それで朝はかっぱさん体操。ほぼ一睡もできなかった」 「救急車、ですか」 「はぁ……一美ちゃんは本当にどこでも眠れるよね……昨晩大雨だった事も知らなかったでしょ」 「うーん……」  本当の事を言うと、眠るどころじゃなかったんだけど。それを説明する事もできないからもどかしい。 「雷雨ぐらい気付いてました。私も全然休んだ気がしないです」 「でも寝てただけいいじゃん」 「嫌な夢を見てたんですよ。私は地元のお寺の尼僧になってて、お御堂のバルコニーが浸水して和尚様が馬頭観音になってすっごい怒ってる夢」  この内容は嘘ではない。そういう夢を見たのは事実だ。 「ば、罵倒観音? なにそれカオス……それはうなされるわ」 「おう何だ何だ、お二人共だらしないですなぁ!」  タナカDが物撮りを終えて席につく。彼は朝から声が大きい。 「まあ冷めないうちに食べようじゃありませんか。『じゅんなぎ』もありますよ」 「へえ、じゅんなぎですか」  手元のネームプレートを裏返すと、朝食メニューが書かれていた。 『朝食 おこんだて イシガキダイのちらし寿司 小松菜とかぼちゃのお味噌汁 わかめの辛子味噌和え じゅんなぎ』  おお、朝からなかなか豪華だ。ちらし寿司は大きな鯛のお刺身がどっさり乗っていて海鮮丼のよう。お味噌汁のかぼちゃもほうとうを彷彿とさせる大きなスライスで食べ応えがある。わかめは勿論新鮮な生わかめ。そして、千里が島で一度は食べてみたかったじゅんなぎ! 「皆さん、これはですね。『蓴菜(じゅんさい)で鰻繋ぐ』、つまり『ヌルヌルした野菜でヌルヌルした鰻を捕まえるような行いは無謀である』という諺が由来の、千里が島の郷土料理なんです。蓴菜と冷製の鰻を湯葉で巻いてあるから、『不可能を可能にした縁起物』、すなわち霊力が上がるパワーフードなんですよ!」 「おぉいおいおい、紅さん。台本もないのに詳しいですなあ! ま、僕はじゅんなぎが無くても今日は無敵ですがねぇ……フフン」 「どうしてですか?」 「いやね? お二人が眠れない夜を過ごしていた間に恐縮ですけど。昨夜、狸おじさんのおかげですごぉく縁起の良さそうな夢を見ましてですねぇ!」 「へ?」  何の事ですか? と言いたげな表情で、隣のテーブルの斉一さんがこちらを見る。 「夢に人語を話す化け狸が出てきて、僕にお酌してくれるんですよぉ。なんかご利益ありそうでしょぉ。しかもただの化け狸じゃない、ドレッドヘアのちょいワル狸ですよ!」 「ぶっ!! げほ、げほ!」  斉一さんが辛子味噌和えをむせた。ていうか、その狸、完全に斉二さんの事じゃないか。 「い、いや、わざとじゃないんだよ!? なーんか俺もタナカさんと晩酌する夢を見た気がしてたんだけど、本当わざとじゃないのマジで!!」  当の本人は必死に否定している。要するに寝ぼけてタナカDに取り憑いたまま寝ていたという事らしい。どうりで今朝あんな事があったのに、斉一さんしか迎えに来なかったわけだ……! 「狸おじさん、風水的にはどうなんですか? ラスタな狸って縁起いいんですかね??」 「ん゙っ、ん゙んっ……き、聞いた事ないですね……あれかな! 昨晩私が張った結界が効いている証拠とか! はい、ぽ、ぽんぽこぽーん……ふっくくく……ぽっ、ぽこ……」  斉一さん、完全にツボに入ってしまったようだ。佳奈さんも釣られて肩を揺らしだした。 「ちょっふっふっふ……タナカDが能天気すぎるだけだよそれ! てか狸おじさん困ってるし……なにラスタな狸って!?」 「部屋にラスタな狸がいたら報告した方がいいですか?」 「あっはっはっはっは!!」  何故か玲蘭ちゃんまで佳奈さんに調子を合わせる。じゃあ私も。 「玲蘭ちゃん、ラスタな狸はタナカさんに譲るんで、可愛い女の子狸は私が貰っていい?」 「それなら昨夜ずっと一美の隣で寝てたよ」 「きゃー! アハハハ」  皆で和気あいあいと食事していたら、いつの間にかじゅんなぎを無意識に食べてしまっていた。けどなんか、別にもういいかな……という気分だった。 གསུམ་པ་  食後。手短に朝風呂に入り、軽く荷物をまとめてホテルを発つ。今日はまず主要な観光スポットを幾つか巡って、図書館で資料を見ながら埋蔵金の場所を推理する段取りだ。ロビーを出ると、青木さんが待ってくれていた。 「おはようございます。昨晩は凄い雨けど、ご快眠を?」 「全然だよー。そこの三角眉毛は別だけど」 「おう誰がデブで三角眉毛だとぉ? この極悪ロリータ」 「佳奈さんデブとは言ってないじゃないですか。いいから行きますよ、お二人共。青木さん困ってるでしょ」  手元で地図を見ながら、一行はまず徳川徳松こと御戌神(おいぬのかみ)が祀られる、御戌神社へ。ホテルから海沿いのなだらかな丘を五分ほど登ると、右手に見えたのは『石見沼(いしみぬま)』だ。青木さんが解説をしてくれる。 「中央に大きな岩をご覧で? あれに水切りで石当てるのに成功すると、嫌いな相手が怪我を」 「初っ端から物騒な観光スポットですね!?」  驚く私の背後で、カメラを抱えたタナカDがガハガハと笑った。 「これぐらいで驚いてちゃあ後が持ちませんよぉ紅さん! なにせ千里が島は縁切りのテーマパークですからなぁ。この後はもっともっと物騒な所をお見舞いしていきますよぉ」 「タナカさん、あなた本当にこの島を応援したいんですか? それとも視聴者をドン引きさせたいんですか?」 「ナハハハ、だぶか放送後は調布飛行場に行列が出来ているかもしれませんよ? 『あの紅一美がチビった恐怖の心霊島』と……」 「青木さん、石! 丸い石ください、水切りしやすそうなやつ!!」 「あややや、喧嘩はやめて下さいだぁあ!」  と、こんな所で尺を取っても始末に負えないから、小競り合いを演じたらさっさと移動する事に。暫く進み、御戌神社の鳥居が見えてきた。 「ウゲ……」  それを見た途端、私は絶句。それは鳥居と呼ぶには余りにも不気味な色に見えた。まるで糖尿病で壊疽を起こした脚みたいな……いや、この異常には心当たりがある。 「佳奈さん、この鳥居なんか変じゃないですか?」 「え、普通じゃない?」  思った通り、佳奈さんは平然としている。これは倶利伽羅龍王を討伐した時、地元の神様から聞いた現象だ。倶利伽羅を生み出した邪教、金剛有明団にまつわる物は、信仰心に準じて見た目が変わって見えるらしい。例えば倶利伽羅も金剛信者には美術品のように美しい龍に見え、金剛に恨みがある私には汚物にしか見えない。今回もそれと同じ……つまりこの神社は散減同様、金剛にまつわる領域なんだろう。我慢して入るしかなさそうだ。བཞི་པ་ まずは普通の神社と同様、手を清める。案の定手洗い場も気持ち悪く見えて、正直とてもじゃないけどここの水に触れたくない。ていうか臭い。牛乳を拭いた雑巾みたいな臭いがする。とりあえず口はつけず指先をちょっとだけすすいだけど、後で境外で肌荒れするまで手を洗いたい!  詳しく境内を見る前に、賽銭箱に小銭を入れて手を合わせる。金剛とこれ以上因縁が続いては困るから、小銭がない振りをして五円玉をタナカDからタカった。神様に手を合わせている間は金剛への嫌悪感を読み取られないように、無我を貫いた。  参拝が終わったら、境内を進み御戌神が眠る『御戌塚(おいぬづか)』へ。境内はそこそこ広い割に、随分と殺風景だ。まず社務所がない。青木さんいわく、神社境内に職員が常駐すると現世との縁が切れてしまうからだそうだ。そして狛犬もいない。御戌様が御神体だからだという。  奥へ進んでいる途中、私はふと左手に一際強烈な禍々しさを感じた。見ると竹やぶに覆い隠されるように、傘立てみたいな簡素な祠が建っていた。厳重にしめ縄が巻かれ、星型の中央に一本線を引いたような記号の霊符が貼ってある。 「青木さん、あれは何ですか?」 「大散減(おおちるべり)というオバケを封じた祠ですだ。あまり直視したら良くないかも……ああっタナカさん、撮影など!」 「ダメかい? そんなに恐ろしいオバケなの、そのオオチルベリってやつは」 「モチのロンだから! 体が五十尺もある、八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で! しかも人間の肋骨食べて、一本足のミニ散減を生み出すとか。だからともかく、大散減は撮っちゃダメですだぁ!」 「一尺って何メートルでしたっけ、なんだか想像つかないですなぁ~」  タナカDは渋々とカメラを逸らした。人間の肋骨から新たな散減を生み出す……昨晩、おばさまの肋骨から散減が生まれた瞬間を私は見た。それに、倶利伽羅龍王も……。  そして私達は御戌塚に到着。平将門公の首塚みたいなお墓っぽい形状の石碑を予想していたら、実際は犬の石像だった。徳松さんご本人は不在のようだ。恐らく既に成仏されたか、どこか別の場所にいるんだろう。 「あれ? 一美ちゃん、これ犬じゃなくない? タテガミがあるよ」 「これはどちらかと言えば狛犬ですね。狛犬は獅子に似ているんです」 「あ。確かに、普通の神社の狛犬も、タテガミ生えてたかも! そういえば、徳川徳松は狛犬の魂を持ってたんだよね。じゃあお犬様の犬種って狛犬なのかな?」 「あはは、そうかもだ。それと、志多田さん。御戌様はわんこの『犬』でなくて、十二支の『戌』という字を」 「へー、どうして?」  青木さんによると、戌という漢字は滅ぶという字が元になっているそうだ。植物が枯れて新たな命に変わる様子を表しているんだ。早逝して祟り神になった徳松さんをよく表していると思う。 「御戌塚から伸びる道は、竹やぶで薄暗いのが『亡目坂(なきめざか)』、奥の見晴らしいい方が『足失坂(あしないざか)』で。いずれも嫌な奴を思い浮かべながら歩くと、それぞれ違ったご利益がとか。ちなみに足失坂を途中で右に下ると『口欠湿地(くちかけしっち)』が……」 「青木さん、今は特に切りたい縁はないんで大丈夫です!」  さすが御戌神社周辺は地名が物騒だ。昨晩斉三さんが言っていた、『気枯地』という言葉がしっくり来る。これ以上ここにいても千里が島のネガティブキャンペーンにしかならなさそうだから、私達は次の場所へ移動する事にした。ལྔ་པ་ 足失坂を下り、ザトウムシ記念碑がある『千里が島国立公園』へ。物騒な地名とは裏腹に本当に見晴らしが良い。閉塞的な御戌神社から出た瞬間、空がばっと広がったような感じだ。麓に見える口欠湿地も空の青を反射して美しく輝き、それをタナカDが嬉々としてカメラに収める。千里が島の縁切りや祟りといった暗い側面だけじゃなくて、こういった絶景も収録出来たのは本当に良かった。  国立公園は坂中腹からふもとまでの広い敷地を有する。地面は芝生とシロツメクサで覆われ、外周は桜並木に囲まれている。ただ、やはり気枯地だからか、桜はどれ一本として真っ直ぐ生えていなかった。  ザトウムシ記念碑は簡素な作りで、歌詞と小さなイラストだけ書かれた石碑だ。歌い継がれてきた民謡のため、作詞作曲者は不明らしい。また隣にはザトウムシの生態を説明するパネルもあった。 「ええと、『ぼくはクモに似てるけど、ダニの仲間なんだよ! 八本足に見えるけど、そのうち一本は杖なんだよ! 一人ぼっちよりも、みんなで集まるのが大好きだよ!』なるほど……ザトウムシがワサワサ密集してたらなんかちょっと嫌ですね」 「僕前に公園のベンチで、黒いタワシみたいな塊落ちてて……触ると大量のザトウムシがブワササーと」 「やだー! 青木君やめてよ~」 「わはははは!! それは最悪ですなぁ!」  公園を抜けて市街地へ降りていくと、月蔵(つきくら)小学校と併設する町民図書館が見えてきた。カメラに群がる小学生達に軽くファンサービスしながら、図書館へと急ぐ。私がお目当ての子はみんな「ドッキリ大成功! したたびでーす!!!」と絶叫しながら全力疾走で追いかけてくる。佳奈さんの影響だ。私も期待に応えて校庭をダッシュしたら、地面から急にスプリンクラーが出てきて水を撒き始めた! 「ぎゃー! また騙されたーっ!!」དྲུག་པ་ 何とか濡れずに済むも、息絶え絶えで図書館に入る。トイレを借り、やっと手を洗えた! と安堵して戻ると、皆は既に資料が並べられたテーブルを囲んでいた。太っているタナカDと大柄な青木さんは、小学生向けの低い椅子で収まりが悪そうにモゾモゾ蠢いている。私も着席するとカメラが回り、タナカDが進行を始める。 「実際に歩かれてみて、お二人何かお気付きになった事はありますか?」  気付いた事か。幾つかあったけど、金剛有明団や霊にまつわる情報は直接共有できない。少しぼやかして話そう。 「斉ぞ……ええと、狸おじさんから伺ったんですが、植物が曲がって生える土地は風水的に不吉らしいんです。それで今日気にして見ていたら、御戌神社がある坂の上に近づくほど木がねじれたりしてて、海沿いの石見地区や市街地である月蔵地区はそうでもないんです」 「御戌様が埋蔵金を守ってるからかな? じゃあ神社の近くが怪しいね!」  佳奈さんが消せる蛍光ペンでコピー地図を囲んだ。 「不吉な場所ですかぁ。だぶか神社から一番遠い南側、竹由……こりゃ『たけよし』で合ってるかい?」 「ですだ」 「竹由地区ね。この辺はまっすぐ生えてるんですかねぇ」  確かに地名に『よし』が入っていて、島の南側は縁起が良さそうではある。私達はまだ行っていない竹由地区の資料を見ると、小さなお寺が一つあるだけで後は住宅街のようだ。 「志多田さんはどうだい?」 「うーん、埋蔵金については何もなかったかなー。ところで青木君、この地図のここ、誤植じゃない?」 「え、誤植で?」  全員で地図を確認する。佳奈さんが指さしている箇所には、『新千里が島トンネル(旧食虫洞)』と書かれていた。昨日、私と青木さんが行ったコンビニの所だ。 「食虫……洞? 確かに変ですね。『虫食い洞』なら虫がトンネルを掘ったような感じで意味が通じるけど、食虫洞じゃ洞窟が虫を食べちゃうみたい」 「でしょでしょ? それともウツボカズラがいっぱい生えてるのかな」 「いえ、『食虫洞(くむしどう)』が正解で。ウツボカズラは生えてねぇけど、暗いから虫を食うコウモリが住んでるかもだ」 「うーん、そういう問題なのかな……? まあ関係ないからいっか……」  佳奈さんは煮え切らない顔のまま、地図を机に置いた。タナカDが仕切り直す。 「じゃじゃじゃあ、まずは今まで埋蔵金探しに失敗した方々の仮説を見てみましょうよ! 青木君」 「はい、こちらを」  タナカDは青木さんが差し出した資料を私達側に向ける。インターネット上で日本各地の徳川埋蔵金に関する情報をまとめたサイト、『トレジャーまとめ』さんの記事コピーだ。これまでザトウムシの歌詞をもとに埋蔵金のありかを探索した人々のレポートらしい。上からざっと目を通す。 ・その一 ザトウムシは座頭、盲目の暗喩だ。歌詞の『ザトウムシ』という言葉の総文字数を歩数として、記念碑から亡目坂を登る。そして到着地点の地面を掘ってみた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者の一人が島を出た後(以降は修正液で消されている) ・その二 『水墨画の世界』は白黒、あの世を表している。竹由地区には名前に『虫』がつく虫肖寺(ちゅうしょうじ)があり、そこには墓地が隣接している。その墓地で、黄昏時に太陽が見える西側の井戸内を調べた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者全員が数日後、(以降は修正液で消されている) ・その三 ザトウムシが埋蔵金を表しているなら、食虫洞は金を蓄える隠し場所に違いない。歌詞の通り、黄昏時から逢魔が時にかけての時間、トンネルを調査した。  結果 翌々日、(以降は数行にわたり修正液で消されている。塗りこぼしから微かに『トンネルが永遠に続いて外に出られ』という一文が垣間見える) ・その四 『口欠』『足失』『亡目』など体の欠損にまつわる地名は心霊現象や祟りが多いという。その三箇所いずれかに宝があるとみて、調査した。  結果 それらの地点には共通して護符の貼られた祠があり、護符を剥がした探索者は肋(次の行以降は紙ごとハサミで裁断されている) 「「いや怖いわ!!」」  全部読み終わる前に佳奈さんと異口同音! 「ちょっと青木君、これ元は何て書いてあったの!?」 「すいません、あんまりにも酷いデマなどが。根も葉もねぇので僕が修正を!」 「本当にデマなんでしょうね!?」 「嘘こいてねぇです、本当に事実無根なので! 大体、コトが事実なら普通新聞に載るなど……」  事実なら新聞に載るほどの事が書いてあったのか。これは下手に島を引っ掻き回すと、またとんでもない事になりそうだ。 「まあまあまあ、お嬢さん方。要はあなた方がね、埋蔵金を見つけちゃえばいいんですよ」 「なに他人事みたいに言ってるんですか、この三角眉毛は。祟られる時は全員祟られるんですよ? わかってんですか?」 「そーだそーだ、デブちん三角眉毛!」 「おう遂にちゃんとデブって言ったな!? 今日の僕にはラスタな狸がついているんだ。一人でもしぶとく生き残ってやるぞぉ」 「一美ちゃん、ちょっと今夜御戌神社で丑の刻参りしよっか」 「了解しました。加賀繍さんのぬか床に五寸釘入ってるから分けてもらって……」  ん? 「佳奈さん、今の言葉もう一回いいですか?」 「え? だから、『御戌神社』で『丑の刻参り』」 「……それだ!」  ラッキー! 今の超下らないやり取りで、歌詞の謎が一つ解けたかもしれない! 「おぉ何だい、そんな聞き返すほど僕を呪いたいのか小心者」 「違いますよ。見て下さい、歌詞の一番と二番の冒頭……」  ザトウムシの一番、二番の歌い出しは、それぞれ『たそがれの空を』『おうまが時の門を』だ。 「いいですか? 昔の日本は十二時辰(じゅうにじしん)、つまり十二支で時間を測る単位を使っていました。その単位では、『逢魔が時』と『黄昏時』……つまり夕方から夜に変わる時間帯は、『酉の刻』と『戌の刻』になるんです」 「じゃあ歌詞に当てはめると、一番は『戌の刻の空を』、二番は『酉の刻の門を』に変換できるって事?」 「はい。ここで思い出しませんか? 御戌塚から伸びる二つの道」 「薄暗い亡目坂と、見晴らしがいい足失坂……あっ、『戌』から『空』が見えるのは足失坂だ!」 「そうです。しかも続きの歌詞が『ふらついた足取りで』、足って言ってるんですよ! 一方二番……酉の門といえば?」 「神社の『鳥居』! 坂からまた神社に戻っちゃってる!?」 「そうなんです!」  つまり、私の説はこうだ。この歌は埋蔵金のありかを一箇所漠然と示しているんじゃなくて、そこに至る道順のヒントが歌詞になっているんだ。御戌塚から始まり、足失坂を通って何らかのルートを経���。やがて神社に戻って、そこからまたどこかへ行く……こうして遠回りをする事自体が、埋蔵金を発見するために必要なのかもしれない! 「なるほど、道順を! それは今まで誰もやらなかったかもだ……それにしても、お若いのによく十二支の時間をご存知で?」 「あはは、青木さんより若くはないですよ~。小さい頃ちょっとだけお寺に住んでた事があって、こういう歴史っぽい雑学にちょっと明るいだけです。ただ……」  残念ながら、歌詞に干支にまつわる描写はそれしかないんだ。そこから先の謎はまだわからない。私が自説をフリップに書き終えると、タナカDが佳奈さんに話を振る。 「志多田さんどうですか? 紅さんがワンアイデア出しましたよぉ」 「急かさないでよー。私まだ食虫洞の謎が頭から離れないんだから。そーいうタナカDこそ何かないの?」 「僕かい? そうですな……このサビの、『月と太陽が同時に出ている』って、日蝕か月蝕って事でしょ? 千里が島で日蝕月蝕が観測された事って歴史的にあるんですかねぇ?」 「え? この歌詞って単純に黄昏時の事じゃないんですか?」 「あ、そうか。そりゃ黄昏時には月と太陽が両方見えますな」  すると今度は佳奈さんが閃いた。 「ちょっと待って、日蝕……?」  佳奈さんは私の手元から地図を取り上げ、食い入るように見つめ始める。 「……しょく、ふき、ぞう、すずり……」 「佳奈さん?」 「あー、そういう事かあ! これ、千里が島の地名ってさ、繋げるとみんな漢字一文字になるんだ!」 「え、そうなんですか?」 「どういう事で?」  青木さんも知らなかったようだ。全員興味津々で佳奈さんの指さす地図に見入った。 「例えばこれ、食虫洞はさ、食と虫を繋げて書くと日蝕の『蝕』になるでしょ。亡目坂は盲目の『盲』、月蔵は臓器の『臓』」 「すごい、本当ですね! 石見は書道の『硯(すずり)』、竹由は『笛』ですか。あれ、でも足失坂は……」 「『跌(つまずく)』。常用漢字じゃないけど」 「つまずく?」  タナカDは自分のスマホで『つまずく』と入力し、跌と変換できるか試みた。 「ああ、跌(つまずく)だ! 確かに跌ですよ跌! いや、よく読めますなあ。ところで佳奈さん、最終学歴は?」 「いちご保育園だってば。何度も聞くなー!」  佳奈さんは国文学分野で大学を卒業しているけど、年齢不詳アイドルである彼女にとってそれは公然の秘密だ。タナカDはそれを承知の上で度々ネタにしているんだ。 「あれ、佳奈さん。それを当てはめたら歌詞解読できるかもしれませんよ!」 「え本当? よーし、やってみよう!」  こうして数十分試行錯誤しながら、私達したたびチームの歌詞解釈はほぼ完成した。それが、こうだ。 たそがれの空を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (御戌塚から始まり、空が見える方向へ進む)  ふらついた足取りで  ザトウムシ歩いてく   (そのまま神社境外に出て、つまずきやすい道、つまり足失坂へ進む) 水墨画の世界の中で  一本絵筆を手繰りつつ   (足失坂のふもとから水墨画の世界、硯と水を象徴する石見沼へ進む)  生ぬるい風に急かされて  お前は歩いてゆくんだね   (石見沼から風が吹く方向、口欠湿地方面へ進む) あの月と太陽が同時に出ている今この時  ザトウムシ歩いてく  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (口欠湿地から月が太陽を蝕む場所、旧食虫洞へ進む) おうまが時の門を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (食虫洞を抜けた所から丘を登り、御戌神社の鳥居をくぐる)  長い杖をたよって  ザトウムシ歩いてく   (神社境内から視覚障害者が杖を頼りに歩くような暗い道、亡目坂へ進む) ここまで考察した段階で、地図に道順を引いていた佳奈さんがペンを止めた。 「何これ……星……?」  蛍光ペンで地図に書かれた道筋は、島の中心に魔法陣のような模様を描いていた。五芒星の中心に一本線を引いたような、シンボルを。 「佳奈さん。まだ、解読できてない歌詞は残ってますけど……これはこの形で完成だと思います」 「一美ちゃんもそう思う? これ以降の歌詞って、対応する地名が見当たらないんだよね……」 「青木さん」  私はさっきの埋蔵金探し失敗談を手に取る。 「この消されている箇所、要するに全部『祟りがあった』って事ですよね?」 「はい……あ! いえ、そんな事は……」 「そうなんですね。つまり余所者が千里が島を検めるためには、正しい儀式か何かを踏まないと祟りに遭う。その儀式の方法こそが、この民謡ザトウムシに隠された暗号の正体だった」 「……」 「私、さっきこのシンボルを見たんです。御戌神社の、祠で……」  もう私の中で謎は核心に迫っていた。霊能者達は今それぞれ除霊活動に励んでいるけど、『ザトウムシ』……恐らくは、怪物の親玉であるそれを倒さなければ島の祟りは終わらないのだろう。 「結論が出ました、青木さん。ザトウムシは、徳川埋蔵金のありかを示している歌じゃありません。私はこれを……八本足の怪物、大散減を退治するための手順を示した歌だと思っています」  衝撃的な結論に全員が呆然としていると、窓の外で何かが破裂するような音がした。更に間髪入れず、河童信者が一人血相を変えて図書館に飛びこんでくる。 「たた、た、大変です! 大師が……大師が……紅さん、ともかく来てください!」 「え? どうして私が……うわあ!?」  河童信者は乱暴に私の腕を掴み、外へ連れ出した。他の皆も続く。牛久大師が私を指名したという事は、また散減が現れたのだろう。けど今はカメラが回っている。玲蘭ちゃんや万狸ちゃん達は別行動だし……私、どうすればいいの!?
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dreamingtime96 · 4 years
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戦争を可能にするもの
その時の割れそうなほどの強い悲しみと胸の痛みを今でも覚えている。
今から約20年ほど前、当時は幼稚園児の俺は親に聞いたのだを
「戦争で人を殺すのは国を奪うためで奪いやすくするためなの?」と。
親はそうだよ、と答えた。そのあっけなさ。戦争の輪郭と本源的な意味をはじめて自分で考えて、たどり着いた答えは恐ろしい世界の一端をしっかりと引き当ててしまっていた。わたしはなんていう世界に存在しているのだろう、わたしはなんて無力なのだろうと悲しみと虚しさに沈んでいくような気持ちだった。
国を奪いやすくするために人を殺す。その国の人間を殺せば、国は手に入りやすくなるからだ。士気を落としたり恐ろしがらせるために、時には残酷な方法も使う。そんな利己的な国の願望のために平然と機械的に人を殺戮するのが戦争なのだ。なのに、どうしてそんなことが現代まで行われているのか。人間の全てを無視した暴力を考えてただ重く悲しく怒りがこみ上げる。
頭や心で戦争がいかなるものであるか、何をもたらすどんなものなのかを考えることは簡単だ。けれど、目の前に戦争が迫っていてもそれがはっきり「戦争」なのだとわかるのは、戦争が産声をあげたときだ。その強大な脅威やざらついた姿のない不安を感触として捉えることが可能になるのは、戦争が始まる間際から戦争が開始されるタイミングなのではないだろうか。
この国の戦争観は戦禍によって引き起こされる直接的暴力の被害にのみ集中しているように思う。この戦争観の形成は戦争被害の語りを軸としている。当時を経験した人々が語りつぐことは必要だが、今それをすでにこの世に生まれてしまった次世代に引き継ぐ世代は被害者主観の人々だ。死の恐怖や恐ろしさに焦点があたることは自然なことではある。けれど、戦争という相互による被害と加害の拡大は危害を受ける自分という認識にのみ偏っていては全体としての戦争像を掴み、他者をいたわる感情が不足してしまうように思う。他国の人々に危害を加え、加担してしまっている自分という視点や認識や責任が被害者主観の中には最初から視界の中に存在していない。被害者主観から発生した思想感情は厭戦に近い。被害と加害という両側面と自分ではない他者の存在を認められてこそ、反戦なのではないかとわたしは思うのだ。
集団的自衛権が可能にしてしまった戦争参加(戦禍の拡大)のリスクを国民は懸念するが、自分たちが被害者になること中心でわたしたちに攻撃されることで命を落としたりあるいは大切な人やこれまでの日常を奪われ壊される他国の人々の存在はその中に存在していないのではないだろうか。
現実的な戦争の気配は常に死角となっている。死角にある見えなくなった戦争はこの国には米軍の基地や基地があることによる弊害や不安・負担への軽視や原発が空爆で狙われる問題などへの関心の薄さから伺うことができる。
靖国神社は「終戦記念日」だろうといつだろうと常に混雑しているが、無名の戦士たちが眠っている千鳥ヶ淵の戦没者墓苑は特定の戦争に関する記念日以外の日は閑散とし、存在感も非常に薄い。
この国の人々が如何に戦争という形を保ったイデオロギーの形象化を戦争として捉え、演出された強い国家像の理想を投影し、そこに国家と自分を結びつけているのかをこのエピソードに示されているように感じられてならない。
強い国家や偉大ないさましい兵士(実際は戦う前に無責任な命令で餓死していたり病死している兵士も非常に多い。あるいは上官の暴力で心を壊し、亡くなるまでを精神病院で過ごした兵士もいるが、排除されている)に共感し憧れる感覚は一体、どこから生まれ、育まれたものなのか。
8.15の終戦記念日は天皇がラジオで直々に国民に伝え、耐え難きを耐えて忍び難きを忍んでがんばれと言っただけの日であって実際の本当の終戦の日は異なる。天皇制は終わったものの、未だにこの終戦(を報告した)記念日が事実上の終戦記念日であるかのようにあつかわれ無条件的に伝統であるかのように重んじられているところに俺は天皇制支配という直列の家父長制の支配の影を感じるのだ。終戦記念日の尊崇は未だ現人神だった天皇の権威の温存でもあり、神聖視と崇拝だ。
現人神を父祖とする赤子(せきし)が『大日本帝国』の最小単位である各家庭の中で女性と子どもを管理し拘束した時代はそうした記念日の中でまだ重んじられているうちは、またいつでも当時に蘇ることができると思う。天皇は人間であり、今では象徴だ。現人神だった時代に作られた認識を今日まで引きずり、国家が国家に都合よく象っただけの英霊像をかぶせられた戦没者たちを尊崇する理由はどこにあるのだろうか。
それは次なる戦争に息を吹き込むようなことと同じではないだろうか?
この国は、ずっとどことなく戦前に近い状態をじりじりと重油が床を浸すようなスピードで直進している。それは時々高い波にかわる。今がちょうど、その時のような気がしてならない。
高校生の頃、エログロナンセンスが流行した時代と現代の文化の傾向と人々は似ていると思った。
不況の風で社会が荒れ狂うとき、雇用は安定を失い、失業や廃業が相次ぐ。そのような不安定な社会に属する人々の精神も同じように脈拍気味になっていく。差別はいつの世も娯楽になるが、不安の時代は所属する安心感と不安を散らし、怒りに理由をくれる差別が強力な娯楽になる。差別は心強く快い友になるのだ。
これは、コロナ禍の現在の日本にも重なる。
退廃的で、人々は楽観的でありながらも同時に深く疲労している。
現在、アゼルバイジャンとアルメニアはナゴルノ=カラバフを巡って戦争状態にある。この戦争にすでにトルコはアゼルバイジャンに加勢している。トルコはかつてアルメニアの虐殺を行った過去があるために、この戦争は泥沼化していくと考えられる。事態が拡大すればCSTOが動き、ロシアも戦いに加わるだろう。戦線が拡大すればNATOも動かざるを得なくなる。そうなると日本も全く人ごとではない。現在インドはカシミール地方を巡る紛争の気配が濃い。今世界はこれ以上なく緊張している状況にあり、今この瞬間も国家と国家のみとめる優位な民族によって少数民族や宗教弾圧が至るところで行われ人々の血が流されている。
ニュースは被害を無機質に数字でしか伝えないが、戦争の幾重にも折り重なった層の中で一般住民たちは数字に変えられることにわたしはいつも納得がいかない。いま国家や民族などの関係で、迫りくる危機が地層のように重なった狭間で人々は尊厳と命と自由その全ての人間としての権利を地層の上下に挟まれて不安と恐怖と見えない波の中にのまれてしまっている。
戦争に巻き込まれるのは子どもと女性、高齢者たち、全ての国民だ。彼らは幾重にも連なった抜け出すことができない地層の上下の間にいるのである。
戦争は子どもたちにPTSDや飢え、医療の不足や栄養失調による死、不満足な教育などのリスクをもたらす。かれらは本来ならば経験しなくても良いはずの自分と家族らの生命と心身の重篤な危機に直面させられ、心身に強大な負担を背負わせる。子どもは親を失った後孤児となり、路上などの生活を強いられる可能性と隣り合わせだ。もしくは兄妹や家族を亡くしたショックで廃人のようになってしまった親の介護や世話をする日々をやすみなく送るかもしれない。あるいは戦争による怪我や心身の後遺症で働けなくなった保護者のために小さな体で過酷な労働をするかもしれない。戦争以前から親もなく路上で生活していた子どもたちは戦争前よりもより困難な生活を強いられるのではないだろうか?
戦争がもたらすものは直接の被害だけではない。攻撃によって家族の働き手が怪我・死亡した場合は子どもと女性たちは心に傷を負いながら、困窮した生活を強いられることになる。主計者を失ったことで貧困生活に転落する家族たちも多くなるだろう。主計者を失い、体に怪我を負って働くことができない家族、または子どもたちだけが生き残った場合はどうなるだろう。
戦争による大規模な人とものの移動は現在のコロナ禍の状況をより悪化させる。大規模な人員の投入、また、大量の避難民は過密状態での移送・移動が行われる。そうした状況でパンデミックはより深く広がり悪化するのではないだろうか。免疫力の低い子どもたちや高齢者たちは感染症に無防備だ。
人々が疎開・避難した先にたどりつくことができれば心身や命の安全が確実に保証されるのかというと、そうとは言えない。物的な資源の不足や攻撃による物資の足止めを食らうことにより、栄養面や医療的な危機、飢餓や精神の安全が脅かされる場合がある。女性は避難した先ではプライバシーも何もない場合が多い。レイプや妊娠、性感染症の危険と隣り合わせだ。
一時的に攻撃を避けるために集まる防空壕やシェルターでも感染や性被害のリスクは高まる。病院は攻撃で体を傷つけられた人々で溢れ、医師は不足する。その他の疾患の治療や手術が必要な人たちは医師が少ないために後回しになるだろう。大規模な攻撃が起これば小さな集落の小規模の病院は運び込まれる人々で過密状態が継続されてしまい、防護服や薬や消毒薬等の物資の不足が起こる。
閉じられた空間内での感染症やコロナの爆発的感染が充分起こり得る状況が戦争によって作られてしまうのだ。
戦後も人々が戦禍とコロナ禍に振り回された事実は変わらず残り、多くの子どもたちは心身の後遺症やその後の人生や生活に困難し苦労するだろう。戦争の傷は戦争が生んだコロナの拡大や性被害、あるいは戦時下の子どもの心身を戦争のためにコントロールする教育によって、または身近な家族の死によってより深くなっていく。
直接的に戦争維持に関わる軍人はさらに厄介な空間の中にいる。
作戦に従う兵士らは命を奪われる恐怖とストレスに直面されられる。戦後はPTSDとの戦いだ。死ぬか、殺されるかの環境は人の心をおかしくさせる。小隊の中での人間関係、上司の派閥や年功序列、兵士同士の人種間や宗教の争いも内部には溢れている。兵士は暴力性の規格や男同士の絆によって拘束されるのだ。戦争の恐怖やそのややこしさは単なる生命の危機だけに限定されることはなく、人間関係からも生じる。
戦時空間では正義の顔をした分断と排除が公的に行われ、暴力が肯定され、持続的な心身の供出と協力が求められる。
そのために都市化や工業化は持続され、工場で兵器の製造などに従事する貧しい人々は空爆の標的になる。より弱いものから先に死ぬのだ。
戦場という広域の空間を護持し、人々に空間の維持を促進させるのが「地層」の上部、つまり社会の意思決定とは法であり、ルールだ。これは戦争を可能にする法だけではなく、検閲のルールや監視のルール、国のために全員が一丸となって戦おうという意思決定の根拠となる、人々の集団化を促進させる、社会全体が自発的に守る規範である。
国に属する国民としての自覚が戦争の進む先を決めてしまう。そうした自覚は個々人に宿り、民族自決や折り重なった歴史から形成されていくものである。そうして、人々に自発的に戦時空間を維持させ、守らせることで人々の権利を上下から縮めていく。
監視は人々を統一し統合するために必要になる。行動だけでなく教育や文化、個々人の葉書やニュースなどの大規模なものから小規模なものまでの情報の流通や内容に関するものにまで監視は及ぶ。監視されているという無言の圧迫が自己検閲につながる。そうすると、国家に有利な人々ばかりが増える。国家が強権的に人々に干渉することで国家に有利な潮流を形作り、定着させていく。
女性は戦時空間の中で被害者であるが、男主導の社会空間のなかで男と同等の権力を持つために率先して戦争に積極的に関与したり協力したりして認めてもらい、加害者の側に転じる場合がある。
これも家父長制の罠である。
こうした現象は現代の政治の場でも起こっていることだ。党の中の派閥争いに打ち勝つため、あるいは支持者を集めるために巨大な家父長的な組織に属して家父長制を強化する立場になることもある。そして、「女性の立場からも家父長制を支持し、支援している。女性も納得しており、家父長制を望んでいる」という動機付けを与えている。
戦時空間の意義と秩序を護る皮膜はホモソーシャリティも関わっている。
日本人として自覚や誇り、都合よく編集された伝統などの優越感の皮膜によって差別や自国優先主義は守られてきた。国内で公然化する外国人差別や女性差別、憎悪、ウィークネスフォビアは家父長制の産物である。
物事の主観や決定権を片側の性別にのみ恣意的に伝統の名を借りて偏らせた状態の社会は常に戦争の火種を蓄えていると言っていい。
軍国主義の権威主義的パーソナリティはホモソーシャリティと強固に結びついている。視座に市民は存在せず、意向に沿わない市民は敵である。そうした国内の敵を排除するという政府と、そうした政府への支持や暴力的な権力者への思いやりもまた、ホモソーシャリティとの関わりが強いように思っている。
ホモソーシャリティの縫い目からこぼれ落ちた男は攻撃の対象となる存在であった。力こそ正義の空間では、そうした異端者は嘲笑と矯正の対象だ。
多岐にわたる細分化された差別と支配者主観を軸にした被差別層・差別層の区別を家父長制は正当化した。差別を温存する構造と文化・それらの形式の命脈を持続させてきたその集大成が戦争だとわたしは考えている。いわば、現状の社会は暴力を内包した空間なのだ。そうした者の中で男たちは男らしい力をふりかざす慈しみ深く悲劇的でいさましい国家がこしらえた兵士象に共感し、憧れ、彼らがあるから今のわたしたちがあるのだというふうに兵士像と一体化しようとする。
そのような空間で差別は民間防衛や「平和のため」という正義の皮膜をかぶってさらに公然と露出していくのだ。
戦死者は実像と人生を失い『英霊』や『偉大な戦士』という外部の人々が「そうであって欲しい」とねがう誇り高い戦士像の牢獄の中で永久に忘却されていく。人々は「英霊」の物語に心を傾け、個人が目と耳に優しいうるわしい戦争を望む限り、新しいかたちの差別は生まれ続け、家父長制が意思決定層を男たちにゆだねることで、戦争の火種がずっとありつづけるのだ。
この家父長制の国は家父長制の国だからこそ戦争に傾こうとも全くおかしくないと思う。いまだに政治のトップは敗戦を恨んでいるからだ。
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yamada50 · 2 years
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岡山市に鎮座する玉井宮東照宮 古事記、日本書紀にも詠まれたという玉井宮と日光東照宮より最初の地方勧請という備前東照宮の合わせて玉井宮東照宮です 疾風巡拝プロジェクトの幟が立ちバイカーに優しい神社でした(僕はバイカーではないですが) バイク神社といえば浜松の大歳神社ですが、大歳神社のバイク好き宮司さんが始められたと神主さんがおっしゃってました カドヤの革なので神社ソムリエの佐々木優太さんも絡んでますよね、と聞いたら裏でいろいろとのこと、暗躍されてますね 先に佐々木優太さんが予告参拝として疾風巡拝されてて岡山まで来るかな〜と思ったけど高砂で折り返しでしたので残念 今はバイク乗りではないので御刻印は授かってないですが神主さんに許可頂き撮影させてもらいました 革のリストバンドは「刻道守」でこちらを授かり、後ろの機械で自ら刻印を打つそうです 現在茨城から四国まで30社寺参加されていて、バイカーライダーの皆さんに人気を博しているそう たまにまたバイク乗りたいなぁとも思ったりもしますが昨今の異常なバイク高騰はなんなんすかね、昔は車買えないひとが乗るのがバイクみたいなイメージでしたが今は金持ちじゃないとバイク乗れない感じになってる気がしますのでお金持ちになることがあったらまたバイクに乗りたいと思います #玉井宮東照宮 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 玉井宮東照宮(たまいぐうとうしょうぐう) 鎮座地:岡山県岡山市中区東山1-3-81 主祭神:豊玉比売命、彦火火出見命、玉依比売命、徳川家康公 社格:県社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #神社仏閣 #パワースポット #岡山市 #御刻印 #疾風巡拝 #刻道守 #神社巡拝家 (玉井宮) https://www.instagram.com/p/CkBKevMvhXM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mizu990612 · 3 years
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日曜日の#お詣り #桑名宗社 #春日神社 #神社 #Shrine #晴れ #イマソラ #そら #空 #ぶんの空 #疾風巡拝 #疾風巡拝プロジェクト #御刻印 #桑名市 #桑名 #kuwana #三重県 #三重 #mie #日本 #japan #visitmie #kankomie (桑名宗社) https://www.instagram.com/p/CSStHBtpJGd/?utm_medium=tumblr
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-yama-san- · 7 years
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衝撃☆魅惑のストリート巡り☆
 シンガポールの夏は蒸し暑い。  よく、「日本の夏は海外と違って蒸し暑いからぁ~。」などと何人目線なのか分からないコメントをドヤ顔でのたまっていたのだが、少なくともシンガポールの湿度は日本と同等以上に高いらしい。何の根拠もなく「赤道付近の国々は日差しこそ強いが湿度は低いため日陰にいれば乾いた風が吹き抜け快適に過ごせる。」というイメージを抱いていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。  気温も高く湿度も高い、言うまでもなく日差しも強い。  日本の夏をサウナとするならば、こちらはサウナに入った状態で赤外線ヒーターを当てられ続けていいるようなものだ。なぜ死者がでないのか不思議だ。  開始早々愚痴ばかりになってしまって申し訳ないが、時はシンガポール旅行二日目。  まさに今、私と友人はホテルから徒歩でマーライオン公園に向かおうとした結果、道に迷って死にかけているのだ。  訪れるもの全てを落胆させるというシンガポール1のがっかりスポット、マーライオン公園。  当初訪れる気はさらさらなかったこの公園だが、意外とホテルから近いことが判明し、せっかくならばと2日目朝に立ち寄ることとなったのだ。  汗だくとなった我々が辿り着いたマーライオン公園はガッカリスポットの名をほしいままにしているにも関わらず、多くの観光客でごったがえしていた。  公園の大きさは学校のグラウンド程度で、植え込みの中に小ぶりなマーライオン像が立ち、中央の噴水では5、6メートル程のでかいマーライオンが口から水を吐いている。  つまりマーライオン像のある普通の公園だ。
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 終わった。  この公園に着いた瞬間、一目で観光すべき部分を見尽くした。  内心そう悟ってはいたのだが、数十分歩き回ってたどり着いた場所の観光を数秒で終わらせるようなことはできない。  どうやらマーライオンの背越しにマリーナベイサンズの写真を撮るのが人気であるらしく、我々も周りの観光客に倣い写真を撮る。ついでにそれぞれマーライオンとの写真も撮る。遠近法を利用してマーライオンのように口から水を吐く友人とマーライオンの水を口で受ける友人を撮る。  終わった。  限界まで楽しもうと努力したが、ここで他にできることはもうない。
 帰ろう。  友人と私は薄ら笑いながら、どちらともなく公園を後にした。滞在時間は多めに見積もっても十分程度だった。  それでも、正直なところ思いのほか楽しめたのも事実だ。  期待値が極限まで低かったせいもあるかもしれないがなんやかんやでシンガポール=マーライオンというイメージが強いのと、公園からの景色が良好なことで「お、シンガポールに来たな!」という気分を十分に味わえたのだ。もはやガッカリスポットではない。道すがら寄るのはイイじゃんスポットだ。  数分程度の観光でそれなりに充実した気分を味わった我々は、いよいよ本日のメインイベントであるシンガポールエスニックタウン巡りに向けて地下鉄へと飛び乗った。  シンガポールは雑多な国の人々が厳格な法の下好きに暮らしている国らしく、その結果横浜の中華街的なそれぞれの国柄の色濃く出ている街が随所にあるらしいのだ。  有名なところだとアラブストリートにチャイナタウン、リトルインディアにプラナカン、といったところだ。  このうちプラナカンとは中国系の移民が現地のマレー系女性と結婚したことにより生み出されたとする文化で、とにかく全般的にカワイイ。プラナカン文化の色濃く残る街ではピンクやモスグリーンのパステルカラーを基調とした人形の家のような建物が立ち並び、他にもキュートな雑貨が盛りだくさん、と、もはやオシャレOLのインスタグラムを具現化したような存在なのだ。  そんな存在なのだが旅に出る前に友人と意思疎通を図った結果、「ごめん、プラナカンって興味ある?」「正直…ほとんど無いわ」「よかった!私も全然ない」と全会一致で方針が決定したため、この旅では割愛したい。  可愛さを旅から全面的に削ぎ落した我々が最初に向かった街、それがアラブストリートだった。友人も私も何故か中東あたりのタイルに施されているような細かな模様がたまらなく好きで、ついでに言うならモスクなどの建物も美しくて大好きなのだ。正直治安さえ良ければ今回の旅でトルコに行きたかった。死ぬ可能性があるので諦めたけれども。  最寄りの地下鉄BUGIS駅で降りた我々は、アラブストリートの目印であるサルタンモスクを目指して歩いた。  余談だが、シンガポールの地下鉄は駅構内が無駄に広く、ガイドブックに「○○駅より徒歩7分」などと記載されていても駅内の移動だけで10分、地上に出てさらに7分、なんて事はザラだ。田舎暮らしの私と友人は地下鉄の駅=地上の認識で旅のプランを立てており、そのせいで何度も疲労し汗だくの中地下鉄の構内を全力疾走することとなった。  しばらく歩いた我々の前に、突如として金色の玉ねぎ状のドームが現れた。  これだ!間違いない!アラジンで見た!  急激にテンションが上がり、遠目にもかかわらずモスクの写真を激写する私と友人。
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 近づいてみるとモスクは想像以上に大きく、入り口付近で来場者をチェックする警備員のようなおじさんが何人か待機していた。  モスクの礼拝堂は当然ながら異���徒の立ち入りは禁止なのだが、その手前までなら入ってもいいらしく、その際に露出度の高い恰好をしている人間にはここで羽織るローブを貸してくれるのだ。  私も友人も服装については事前に調べきっており露出などほぼない状態だったのだが、せっかくなのでローブを「え?必要なくない?」と怪訝な表情を浮かべるおじさんから借り受けモスク内へと入った。真っ青なローブで俄然気分が高まる。  モスクは入ってすぐが待合所のようなちょっとしたスペースになっており、その先に異教徒は立ち入り禁止の礼拝のホールが広がっていた。この礼拝ホールがもう、黒や緑を基調とした中に金色で細かな月や星が描いてあるのだが、とにかくもう美しいのだ。とにかく美しい。窓枠などの流線型の模様もそこから差し込む白い日の光も、穏やかで繊細で、全てが美しかった。
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 礼拝堂の前方には十数人の子供たちがカーペットの上に点々と座っており、それぞれが何かの本を読んで勉強している。張りつめた空気を想像していたのだがそんなこともなく、昼下がりの体育館のような静かで和やかな時が流れていた。
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 「すっごいな、これはもうちょっとしたトルコだわ」  「やっぱりアラブ系の模様が一番美しいね。めっちゃタイルの写真撮った」  モスクを出るなり各々思うことを好き勝手語り合い、我々はそのまま目の前の通りへと足を延ばした。モスクの前にはそこそこ大きな通りが二、三本まっすぐ続いており、その両脇にずらりと雑貨屋や飲食店が並んでいるのだ。  せっかくなのでなんかアラブっぽい綺麗なものを買いたい。  そう思い何気なく薄暗い店に入った我々は、入った途端に叫ぶことになった。  「ひゃぁぁー、めっっっちゃ綺麗!!!!」  比喩ではなく叫んだ。事実「めっちゃ綺麗!!!」だったのだ。  薄暗い店内には見渡す限り、大小様々な大きさのモザイク模様のランプが所狭しと吊るされており、その全てが青や緑、ピンクやオレンジの美しい光の欠片を周囲に少しづつ落としていた。ランプのモザイク模様もそれぞれ違っており、氷の結晶のようなものや花のようなもの、直線的で無機質なものなど、とにかくそのどれもが心がギュッとなる美しさなのだ。
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 「凄くない?凄くない?え?どうゆう状態?凄くない?」  あまりの出来事に私と友人が混乱しながら驚いていると、ニコニコしながら一人の老人が近寄ってきた。  このおじいちゃん、どうやらこの店の主で奥にいたようなのだが、私達の出川哲郎ばりのリアクションを聞いて店先まででてきたらしい。  笑顔のおじいちゃんは私と友人を店の奥まで招き寄せると、ある位置に立つよう身振り手振りで示した。  そこは店内でもとりわけ大きな、人一人でも抱えきれないほどの大きさのランプが飾ってあるところで、この位置でこのランプに手を添えて写真を撮ると綺麗な記念写真が撮れるよ、ということらしい。  実際に友人がその位置に立ち一番大きな青いランプに手をかざすと、ちょうど店内の数十個のランプ達とも同じフレームに映ることとなった。まるでこの世界のものではない、物語の中を切り取ったような一枚だった。  「ヤバくない?こんな写真無料で撮らせてくれるの?マジで金取られるんじゃない?無料?無料なの?」  物語とは程遠い俗世感溢れる私の確認に、半ば呆然としながら友人は答えた。  「無料っぽいよ。このお爺ちゃん優しすぎない?やっぱモスクが近いから徳高いのかな」  そんな会話が日本語で繰り広げられているとはつゆ知らず、お爺ちゃん店主は私にも同じように写真を撮るよう勧めると、その後、店内を好きに見て回るよう言った。  冷静になって店内を見て回ると、ランプのほかにも絨毯や陶器など、様々な雑貨が置いてあった。  そしてもう一つ気付いたことがあった。この店には値札が一切ないのだ。  コースターや小皿なども本当に可愛かったのだが、私と友人の心はすでに決まっていた。ランプだ。  さすがに天井から吊るすシャンデリア型のものは無理でも、スタンド式の卓上タイプのものならば我々の旅行ケースにですら何とか入る。せっかく旅先でこんなにも美しいものを見つけたのだ。その欠片くらいは持ち帰りたい。  意を決して値段を尋ねる我々に、お爺ちゃん店主は人好きのする笑顔で答えた。  「この大きなシャンデリアだと70万くらいだけど、この一番小さなスタンドライトなら2万円だよ(実際は英語なのでイメージ和訳)」  ひぇぇえー!!!度肝を抜かれるくらい高い!!もう宝石の値段じゃん!?もしかしてこれ、ガラスじゃなくて宝石でできてるのか!?  またしても出川ばりのリアクションをする我々を見て、じいちゃんは「ワァオ!」と、コミカルに驚くと言葉を続けた。  「けれどもあなた達は今日最初のお客さんで特別だし、私は日本人の友達がいるからスペシャルな値段にしてあげるよ。1万6千円にね!」  めっちゃ安くなった!それでも高いけど!  実際1万6千円は変えない値段じゃないがそれでも高い。旅の二日目でそんなにお金を使ったら今後に影響すること請け合いだ。けれどこんなに綺麗なランプを買わずに帰ったらそれこそ後悔することも必須…。  頭を抱えて悩む我々にさらに言い募るおじいちゃん店主。  「日本で使えるようコードも付け替えてあげるし、これはいい品だから壊れるようなこともない、ほら」  指し示すほうを見れば、若い店員が横倒しにしたランプの上で片足立ちし、頑丈さをアピールしている。なんて雑な扱いなんだ。  「もう時間だし、ちょっと落ち着いて、昼ご飯食べてからまた来ようか」  友人の冷静な提案に私も頷いた。ちょうど昼食をリトルインディアの有名店、ヒルマンレストランで予約していたのだ。  「ご飯食べてくるの?いいよ!リトルインディア?近いから車で送ってあげるよ!」  じいちゃんの過剰すぎる親切。それを固辞しタクシーに乗ること数分、我々はリトルインディアへと降り立った。  そして、数秒もたたずに物凄い違和感を覚えることとなる。  道行くほとんどの人間がインド人。  アラブストリートでも店員や道行く人々の大半がアラブ人だったのだが、彼らは何というか、顔の彫が深いだけで大半がニコニコしており、正直とっつきやすかったのだ。  けれどもインド人は違う。理由は分からないが道行くインド人の大半が男性で、しかもその全てが「目がこぼれ落ちるのでは?」というくらい目を見開いて真顔でこちらを凝視してくるのだ。  ベースの顔自体が色黒で彫が深く迫力があるのに、街にいるその顔の人間全員が無言でこちらをガン見してくるのだから正直言ってめちゃくちゃ怖い。  すれ違う人がシンガポールにしては珍しく自分の腹にリュックがくるように背負っていることからも、ここでの基本的な治安の度合いが伺われる。  なんにせよなんでこんなに穴が開くほど見られるんだ?何かマズイことをしているのか?とにかく怖いからやめて欲しい。普段神経の太さに定評のある友人ですら猫背で縮こまり、「マジでヤバいマジでヤバい。早く出ようよココ」と小声で連呼していた。私も完全に同意見だった。  死ぬまでに一度はインド旅行をしておこうと思ったけれど、これはちょっと考え直すべきかもしれないな。リトルでこれなら、本物のビッグインディアはどうなってしまうんだ?生きて帰れるのか?インド、こえぇー。とずっと思っていた。  それでもせっかくリトルインディアまできたからには、一件くらいは店に寄っておこうという貧乏根性を炸裂させ、我々は恐る恐るムスタファセンターに入った。ここはリトルインディア一のショッピングセンターで、日用品から食料、薬品までとにかくなんでも揃っているのだ。  正直怖すぎてあまり記憶がないが、ここでチリクラブソースやブラックペッパーソースを買った事と、シンガポール名物のタイガーバームを飛び切り安く買った事だけは覚えている。  タイガーバームとは虫刺されや蕁麻疹、果ては頭痛に至るまで、とにかく何が起こってもこれさえ塗っとけばオッケーというシンガポールが誇る万能軟膏だ。シンガポール名物なだけあって本当にどこにでも売ってあり、それゆえにその店での物価というか、おおよそのぼったくり具合の指標としても機能している。  ちなみにこの旅を通してダントツでタイガーバームが安かったのはこのムスタファセンターで、ダントツで高かったのはこの後訪れることになるナイトサファリだった。  とにもかくにもショッピングセンターに入って少しだけ落ち着いた我々は、足早に次なる目的地、ヒルマンレストランに向かった。  載っていないガイドブックなどないのではないかとも思える有名店ヒルマンレストラン。ここの名物ペーパーチキンは醬油や紹興酒で味付けした鶏肉を紙で包んで油で揚げたもので、香ばしくジューシーでとにかく旨いという評判なのだ。  否が応にも高まる期待。そして注文からたっぷりまたされた後に運ばれてくるペーパーチキン。パリパリのペーパーシートを箸で破き、中のジューシーな鶏肉に箸をのばす。
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 うん、旨い!  旨いけど…と思い向かいの友人を見ると、微笑みとも真顔とも取れない微妙な顔をしていた。アルカイックスマイルだった。  「どう?」  その顔のまま、私に話を振る友人。言い辛いことをこちらから切り出させようとしているのだ。  「いや、美味しいよ」  「うん」  「美味しいけど…、正直お母さんが作るやつだわ」  途端に友人の笑みがアルカイックスマイルから通常の邪悪な笑みへと変わった。同意したのだ。  そう。旨いけど、これはお母さんが家で作るようなやつなのだ。出されたら美味しいと言って食べるが自分からリクエストする事はない。ましてやわざわざ外食で頼むようなものではなかった。  またしても勝手に高すぎるハードルを設定し勝手に失望してしまったようだな…。しょせんは焼いた鶏肉なのに、知らずめちゃくちゃ期待してしまっていたようだ。チリクラブが旨過ぎただけに、同等の期待をこの千円そこらの鶏肉にもかけてしまった。  にしてもこの店、見渡す限り客の大半は日本人観光客だしメニューも日本語。現地の店というよりは完全に観光客のためだけの店だ。なんでこの店が軒並みガイドブックで絶賛されるのだろう。やっぱりガイドブック会社に掲載店はバックマージン的なものを支払っているものなんだろうか…?  自分の評価とガイドブックのあまりの齟齬にそんな失礼な妄想を抱きつつ、一通り店の品々を堪能した我々は、話を本題へと移した。そう、ランプ購入問題だ。  「本気で欲しいけど、本気で高すぎるよね」  全てはこの友人の言葉に集約されていた。  「マジでね。しかもあの店に一時間近くいたせいで他の店全然見れてないし。夕方のナイトサファリのツアー前までにアラブストリートとチャイナタウン、巡り終われるかな…?」  早朝から出発したものの時刻はもうとっくに昼過ぎ。うかうかしている時間はないのだ。  「とりあえずここでガイドブックで行きたい店の目星をつけて、そこを中心にちゃちゃっと回ろうか」  友人からの提案に同意した私は、共にガイドブックを覗き込んだ。まだほとんど巡れていないものの、アラブストリートの魅力的な店々が並んでいる。  「あっ!さっきのランプ屋もあるよ!」  友人の言葉でガイドブックの一角に目を移した私は、友人と同時に息をのんだ。  そこには今まさに我々が欲しいと思い悩んでいる1万6千円のランプの写真が掲載されていたのだ『ランプ(小)6,000円』の文字と共に。  「…あのジジイ!」  怒り狂う我々。  「嘘だろ…信じられん。普通そこまでぼったくる?」  「あんな孫に対するような親密さで接した相手にそんなぼったくる?」  「あんな親しみのこもった笑顔向けた相手にそんなぼったくる?もう3倍近いじゃん?これでもぼったくりって言うの?どんな感受性してるんだ?」  「人間不信になるわ。何がスペシャルプライスだよ。ある意味スペシャルだけど」  止まらないじいさんへの悪口。エターナルジジイディス。  しかしまぁ、適正価格ならばランプが予算範囲内だということが判明した事も事実だ。なにせ買うか迷っていたボーダーラインから一気に3分の1近い価格になるのだ。これはもう買うしかない。  「じゃぁとりあえず他の店見て、ランプと他に良さそうなものがあったらそれを買おう。じいさんの事は忘れよう」  そう結論付けた我々は、再びアラブストリートの店へと戻った。  アラブストリートの店を何件か流し見た結果、ようやくいくつかの事実を学んだ。  まず、ここの店の商品の大半には値札がない。  客が気になる商品を手に取って見ているとどこからともなく店主が寄ってきて、「それは1万円(超ぼったくり価格)だ。だが貴方は特別な客なので7千円(ぼったくり価格)にしてあげよう」と言い出す。  そこで客が「それならいらない」と言うと店主が「いくらなら買う?」と尋ねる。  そして客が「4千円(適正価格)だ」と返答すると店主が『おいおい、何のジョークだい?』というおどけた顔をし交渉開始。  …と、おおよそここまでがこのあたりの店の当然の挨拶、様式美なのだ。  「貴方は特別な客だ」とする理由は「今日最初の客だ」「日本人の友達がいる」「私の友人に似ている」など様々なパターンがあるが、ほとんどがこの流れで事は進んでいく。  他の大半の店でランプの提示価格が最初は1万円、特別な客だから割引で6~7千円だったことからしてもあの爺さんがハイパーぼったくり戦士だったことは間違いないのだが、おそらく私と友人の出川ばりのリアクションを見て「こいつらなら3倍でもイケる!」と踏んだのだろう。事実買う寸前までいったのだし、じいさんの先見は正しい。年の功だ。  ひとまずランプはいろいろな店を見てから決める事にして、まずは純粋に通りを楽しむことになった。  「これほんとにカシミアか?」と疑わしくなるような中東風の模様で織られた格安カシミアストールや『パシミナ』と銘打たれたあからさまに怪しいカシミア風のストール。そしてとにかく多い絨毯。  どれもわくわくするような品物ばかりだったのだが、中でも特に私と友人の心を捉えたのがアラブストリートの一角にある香水瓶のお店だった。  エジプトやドバイから直輸入しているという嘘かホントか分からない香水瓶たちは色も形も見ているだけでうっとりしてしまう程美しく、ラクダや象をかたどった可愛らしいデザインのものまであった。  手作りのためか手に取って見ると完全に密封される仕様ではないため実際に香水を入れたら物凄い勢いで揮発しそうなのだが、そんなことはこの美しさの前では些細な問題だ。外からの光を浴びて輝く香水瓶たちは、その美しさだけで十分すぎるほどの価値があった。
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 迷いに迷って幾ばくかの香水瓶を購入した私たちが満足げに店を出ると、友人があるものを見つけて駆け寄った。  「ここここ!チャイのお店!」  友人が事前に調べてくれていたアラブストリートですこぶる美味しいチャイを出すというその店は、見るからに年季の入った店構えで、年季の入った店内で年季の入った店主のおじさんが年季の入った食器をかちゃかちゃさせながら素手でチャイを作っていた。  泥水やん。  と思ったが友人には言えなかった。友人はここのチャイを飲むのを本当に楽しみにしていたのだ。店に近づくと店の前にはシンガポール政府がホーカー(屋台)につける衛生度でB(ギリギリセーフ)と書かれたステッカーが貼ってあった。  どんな感情でかは分からないが、その店でチャイを飲むことを決意した友人は店のおじさんからコップに入ったチャイを受け取ると店外の席に腰かけ、いそいそと飲み始めた。チャイは濁ったウーロン茶ともニンジンジュースともつかない色をしており、心なしか泡立っていた。  私は正直この旅で、もう友人は脱落したな、と思った。BのおやじがBの手で作りBの食器に入れたBのチャイを飲んでいるのだ。食中毒待ったなしだ。
 一口二口飲んだ友人は顔をあげてこちらを見、「マジで美味しいよ!一口飲まない?」と言ってきた。私は「えー!?いいよぉー」と言った。よくそんなもの他人に勧めるよな、といった気持だった。  結論からいうとこのBのチャイは友人の体調に何の変化ももたらさず、私はこの時飲まなかった事を今でも少し後悔することになったが、それはもう結果論だ。あのBのチャイを飲んで無事に済む奇跡がたまたま訪れたにすぎない。  ともあれチャイも飲んですっかりアラブストリートに慣れた我々は、人の好さそうな夫婦の店で四千円でトルコランプを、そして数百円で謎のストールたちを買い集め、達成感と共にアラブストリートを後にした。  きっとこれでもまだぼったくられているのだがもうそれでもいい。日本でトルコ人おやじと対等に渡り合い価格競争できる人間なんてきっと大阪人くらいのものだろう。私の力では遠く及ばないのだ。  ちなみにこの時買ったトルコランプ、「本当に綺麗でうっとりしちゃう!」のは間違いないのだが日本の電圧の関係か明るさが四割減ぐらいになっており、「日の光の中では明かりをつけても全く分からないため完全なる暗闇の中でしか使えない。そしてとりたてて周囲の何かを照らすほどの光量もないため、ただ暗闇の中ぼんやり光るこいつの美しさを愛でることしかできない道具」と化している。  暑さと交渉疲れでだいぶ疲弊してきた我々だが、再び地下鉄を乗り継ぐと次なる目的地へと向かった。  辿り着いたチャイナタウンは、比較的慣れ親しんだ光景だった。基本的にカラフルな建物が多く、頭上にはずらりと提灯が吊るされている。台湾の夜市で見かけたようなカラフルな布に入った箸やけばけばしい色の中華風雑貨がところ狭しと並び、明らかにパチモンの面白Tシャツやキーホルダーなどが売っている。どちらかといえば日本にある中華街に近い陽気で雑多な雰囲気だ。  せっかくなのでちょっと見て回るか、と店をひやかして歩いていると、ヒンドゥー教のものだろうか、原色で色を塗られた神様や牛の像が雛人形の祭壇よろしく高く積まれた寺院が目に入った。
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 「凄い!凄くない!?」  宗教施設に目のない私と友人が吸い寄せられるように近寄ると、寺院の前には大きな看板が出されていた。この施設の由来か何かだろうか。  興味津々でそれを読むと、そこにはこう書かれていた。  『この寺で写真を撮ると金を貰います』  凄い…。中国人の生きる力凄いわ…。神をも上回る集金力。そう思うと我々は、そっとその場を後にした。  元来、私たちがこのチャイナタウンに来た目的は、寺社めぐりでもなければ中華アイテムを入手したかったからでもない。どうしても食べたいスイーツがあったからだったのだ。  このチャイナタウンには多くのスイーツショップがひしめいており、中でもマンゴーとストロベリーアイスを雪のようにふわふわに削り、その上からフルーツソースとイクラのような謎の球体をかけたスイーツが飛び切りおいしそうで有��なのだ。  目当ての店に入り注文を終えた我々は、空いている席に適当に腰かけた。  店内は超満員で食べ終わった人間が席を立つとすかさず店員が食器を片付け、それと同時に別の客が座る、といった具合だったのだ。  私と友人は件のマンゴーストロベリーアイスを頼んだ。友人に至ってはそれとは別に、マンゴータピオカミルクまで頼んでいた。  実際に席まで運ばれてきたスノーアイスはパンフレット通りの鮮やかさで、大きさは想像の1.5倍ほどだった。そのうえ横には苺とマンゴーが添えられている。
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 「めっちゃ綺麗!めっちゃ美味しそうじゃん!」  「いいね!良くない!?」  乏しい語彙でひとしきりアイスを称賛した私と友人は、ついにスプーンをとってアイスをひとすくいした。  雪よりも軽く柔らかいそのアイスは、すくっている手ごたえがほぼないほどだった。  ふわりとすくったアイスを口に入れる。  雪だった。結論から言うと、良くも悪くもこれは雪だった。  そのガッツリとした色味から、もっとパンチのあるマンゴー味を想像していたのだが、基本的にはマンゴーの香りが少しする雪、くらいの味だった。つまり、雪。味がほとんどなかったのだ。  「・・・このイクラみたいなの何なんだろ」  誰ともなく呟き横の謎の球体を口に運ぶと、無味無臭の球体がはじけ中から無味無臭の液体が出てきた。  マジでなんなんだこれは。  ふと向かいの席を見ると、友人が肩を震わせて笑っていた。  「どうしたの?」  気味悪がって尋ねる私に、友人は自分の頼んだマンゴーミルクを差し出した。  「食べてみて、これ」  一口食べて、息をのんだ。  「ふふっ…。これ、常温で、無味…無臭…」  何がおかしいのか笑い続ける友人を見て、私も何故か笑いが止まらなくなっていた。  本当だ。はるばるチャイナタウンまできて結構な金を出し、得たものは無味無臭の氷の山。しかも友人の小皿いっぱいあるマンゴーミルクに至っては完全に常温。常温で無味無臭。これ、どうすればいいんだ…。  「無味…無臭…」  爆笑しながらそう呟き続ける私たちのもとに、刻々とナイトサファリツアーの時間が迫っていた。
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japanpilgmageother · 4 years
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2010年6月12日 よりみち 浄土寺
一乗寺からバスで法華口駅へ。何故そんな不便な方にわざわざ出たのかといえば、別に鉄道が好きだからでもなく、ただ小野町の浄土寺に行くためである。 法華口から粟生へ行き、そこで神戸電鉄に乗り換えると2つめの小野。小野町にはらんらんバスというのがあり、計画ではこれで均一料金の100円で行くはずであった。しかし、この日の朝のJR西の運行打ち切りの影響で、すべての予定が後ろ倒し。バスは既になく、タクシーがあればタクシーで行くつもりであった。 既に16時を過ぎていた。首尾よくタクシーは駅前に多くたむろしている。浄土寺まで約1500円。本来の計画であれば100円でいけるところを1500円の出費である。電車を途中で打ち切りにして、乗客をすべて駅に降ろし、その直後に、人が立ち入って安全を確認しているはずの同じ路線に、疾走する貨物列車を通すという不可解極まりないJR西の為に何故多くを払わねばならないか判らないが、東京生活の故、そんなくだらない会社を毎日使わないで済むだけでもよしとせねばならないのかもしれない。 ともかく間に合って良かった。先ずは国宝の浄土堂へ。いよいよ阿弥陀様、観音様、勢至様にお会いできる。有り難くお参りさせていただいた。またお寺の方にベストのシーズン、時間帯も教えていただいた。そして御来迎時の光の射し方について、如何に誤った情報が流通しているか教えていただいた。 
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また薬師堂にもお参りさせていただいた。 
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八幡神社本殿、八幡神社拝殿もなかなか風格がある。 
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帰り際にもう一度、浄土堂に入ってお参りさせていただいた。有り難いことだ。 帰りは当初予定していた17時少し過ぎのらんらバスに乗ることが出来た。実はここで運転手とひと悶着あったのだが、改めておれは東男で、関西の人間から見ると荒っぽく見えるのかもしれない、と感じた。ともかくもおれは巡礼の身。いろいろ慎まなければいかん。 JR市場駅。ここも無人の駅。自販機は最大1000円札までしか使えない。ここでも約40分何もないところで暇をつぶす。なかなかローカルな電車の旅をしてしまった。 
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加古川から、西明石へ。ホテルに預けておいた荷物をピックアップして、大阪のホテルへ移動だ。
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sikyosyounin · 7 years
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閃の軌跡IIIのお話
評価:★★ ★ ★ ☆ プレイ時間:100時間(2周目)  
いつも通り軽いネタバレはあります。
【Twitter検索メモ】
どうも、長年プレイし続けてきた軌跡シリーズの最新作が3年越しで発売するという報を受け、ぐんにょりと肩を落として全身でワクワクを顕していたタイプのファルコム信者です。
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そういう話になってくると、2014年以来ずっと釣り場で放置したままになっていたフィーも釣りをやめて帝国を救ってもらわないといけないわけで、重い腰を上げてカレイジャスであちこち飛び回ってNPCの御用聞きに走りまわってヘトヘトになりながらも、閃III発売2日前にきっちり閃IIをクリアした次第。
納期は確実に守る男、紫。
3年放置してやっとかよ、という向きもありますが、旧作の内容を鮮明に記憶したまま続編をプレイできているため、どこがどう変化したのかがはっきりわかるという点はかえってよかったのかなと。
さて、閃の軌跡I、II、東京ザナドゥに於いては色がうんこ、においがうんこ、ソウルがうんこと立て続けにうんこを浴びせられてきた為、IIIでも劇的に改善することはなかろうと踏んでいたのですが、いやはや。
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実はうんこ~♪
閃IIIが発売し、フタを開けてみれば ―つまり便器のフタのことですが―これはあまり臭くない!というか、正直に言ってしまえば輝くうんこ《オーリ・オール》へと昇華したといっても過言ではないでしょう。 うんこって言ってもアレですよ。美味しい方のうんこですよ。
旧作をプレイしている間ずっと感じていた不快感がかなり改善され、クソにまみれて見えなかった ―いやソウルがうんこだと中心もうんこになっちゃうんだけど― いい部分もちゃんと見えるようになっています。
ゲームを楽しむためにうんこを取り除いたりにおいに耐えなくてよくなったという点、これはとても重要です。
正直I、II、東京ザナドゥに対して紫さんが何を言ってきたのか知ってる人にとってはっていうか自分自身が一番驚いていますが、ようやくファルコムが改心したのだと、評価に値する作品になったと感じます。
ビジュアル面
■モデリング
これはかなり進化してます。 というかファルコムのグラフィックに関する能力をかなり低く見積もっていたが為に、最初にPVを見たときに「これ自社で作ったの!?マジで!?」というほどに驚きました。
洋ゲ―、FPSやアトリエシリーズなどの第一線級には遠く及ばないものの、PS4のタイトルを名乗っていいレベル―逆に言えばPS3やVitaなどの下位ハードではこれ無理でしょ―には達していると思います。
影の処理とか、あまり見たことのないタイプですが結構好きですよ。
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こんなに美人になって・・・レイプしたい。
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あと食べ物がめっちゃまともになりました。
サイズ感の崩壊したマグカップとかハンバーガーとか「いつもの」とか一体何だったんだ。
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いつもの。
■モーション(演技)
こちらに関しては目を見張る進化はしていないものの、旧作と比べるとそこそこ改善しています。
インタビュー記事で「PS4になったお陰で目を動かせるようになった」とあり、地味だな・・・と思ったものの、実際プレイしてみるとコレだけで大分まとも動きが出来るもんだなと感心しました。
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旧作は基本正面でしたからね。われわれは(ミミズク | コノハズク)なので。
この他、更に地味なところでは首がよく動くようになったと感じます。相手の方を向いたりうつむいたり、チンピラがよくやる首をグリっと回すあれとか。 また、 口に手を当ててあくび、頭の後ろで手を組む等々、バリエーションが増えています。
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一方、相変わらず目をつぶる頻度が高かったり、コブシを掌にパシィ!っとやったり、胸のあたりで握りこぶし(片手|両手)をグッとやったりと古臭い演技は健在ではあるのですが、色々と動作のバリエーションが増えたことで同じ動きを繰り返し繰り返し行う頻度は減ったと感じます。
アクションシーンに関しては相変わらずの低品質で、手を振り払う動作が初動と終わりで等速だったり(東京ザナドゥでも同様の指摘をしている)、イベント戦闘シーンではジャンプをさせるのが特に苦手らしく、まるでワイヤーアクションのようにフワァッと飛んで移動させるため、派手な戦闘シーンが台無しになっています。 この辺はハード性能のせいではなくファルコムの能力が頭打ちかなぁと。
あまりのしょっぱさに人形劇かよ、みたいな例えを出してしまいそうになりますが、今の人形劇の動きの凄まじさ、全くあなどれないっていうかとてもじゃないけどファルコムにあれの真似はできないと思います。
東離劍遊紀、見て。(宣伝
しかしながら戦闘中に関してはスキップしてしまうので、よく言われる「エフェクトでごまかしてる」みたいなのは個人的にあんまり気にならないんですけどね・・・
テキスト廻り
■ メインシナリオ
Amazonレビューの評価が悪いという声も聞こえてきますが、ここに比重を置く人は評価がかなり厳しいものになると思います。本当に、いやマジで。 というか悪評がつくとしたら究極的にはこの一点かな、という気すらしています。 これがどれだけ許せるかで相当評価が別れるだろうなぁと。
基本的に閃Iと同様に実習という形で帝国各地を回る、を繰り返すことになりますが、Iの時はどこへ行っても終始喧嘩喧嘩の繰り返しでうんざりしていたのですが、今回はそういったこともなく、他のクラスの生徒とも交流があり個人的には好感が持てました。
また、社長のインタビュー記事では「空・零・碧は閃の軌跡IIIへの布石」という旨の発言があり、 お前そんな大風呂敷を・・・とか、好きだった空のキャラが血の通ってない木偶人形になって台無しにされるのは嫌だなぁ、などと思っていたのですが、あながち大風呂敷でもなく、各章で各地を巡るというのが上手く作用し、スポット参戦という形でもあるものの、行く先々で旧作に登場した沢山のキャラが手を貸してくれるという、 この辺は お祭り感があって意外と楽しめています。
それについてはもしかしたら因果が逆で、沢山キャラクターを参戦させたいが為にシナリオを組んだのかな?という見方もできるので賛否はあるかもしれません。
ただ、やはりというか悪癖が抜け切らないようで、結社が方々で悪さをしている→止めに入る→倒す→実は本気を出していなかった→ピンチ→(鬼の力を解放 | ヴァリマールを召喚)しようとする→ちょっと待った!!→乱入
という流れは健在で、とにかく本当にあり得ないほど毎回茶々を入れてきます。 ピンチに仲間が駆けつけるというのは本来熱い展開のはずですが、これを毎回やられてしまうとさすがにゲンナリしてしまいます。
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旧作、特にIIではそういった展開を繰り返している上に、今回に至ってはイベント戦闘の勝利条件が「HPを70%まで減らせ」みたいなものが多く、戦闘前から「ああ、敵は本気じゃないんだな」「倒しても起き上がるの確定かよ」とやる気を削がれるようなシステムが追加されてしまっており、このへんは旧作から悪化したと感じます。
更に戦闘に勝ったところで、敵の目論見を阻止できるわけでもなければそもそも目論見がなんなのかも全く明らかにならず、ほんの少しだけ計画のヒントをほのめかして引き上げてしまうので、結局のところ何も得られず、ずっとモヤモヤが残ります。
お前らホンマなにがしたいねん。
のみならず、身内さえも裏がある連中ばかりで、あれも秘密これも秘密と、なかなかプレイヤーをコケにしてくれるなぁと感じる部分も多々あります。
ラストに関していろいろな意味で驚きましたが、まぁ不評になる理由は概ね・・・
旧作まで伏せていた謎が幾つか明らかにはなりましたが、反面新たな謎が追加されたので進展したという実感は薄いというか。
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“全然関係ありませんが” ボクの東京ザナドゥのtogetter貼っておきますね!!
このくそったれな東京ザナドゥに精一杯の愛を込めて このくそったれな東京ザナドゥに精一杯の愛を込めてSC
まぁなんというか、あのうたわれるもの2ですらいいところで「次回へ続く」だったがために散々ぶっ叩かれていましたし―とは言えあちらは最初から3部作と言っていましたが―プレイ中楽しめたかどうかという点よりスッキリ終わったかどうかで評価をするタイプの人は一定以上いるのでしょう。 今回は前作から3年空けたということもあり、なんとなくキリもいいし3作目で完結するであろうと思い込んでたこともあってそのカウンターがキツすぎたのでは思いますが。(俺も
みんないい加減疲れているのだ。
■会話
閃I閃II及び東京ザナドゥが苦痛だった最大の要因がこの会話だったわけですが、ようやく心を入れ替えたのか、単に3年の間に色々見聞きしたのかはわかりませんが、随分改善されていると感じました。
シナリオというのは会話の集合体であるわけで、ここが腐っていると全てが腐り果ててしまいます。
単なるNPCでしかない高校の空手部の部長に「"武"にたずさわるものとして(不良には屈しない)」とか言わせちゃうから胡散臭くなるんだよ。 ふつうの高校生なら「格闘技やってるものとして」とか「空手部の部長として」くらいが現実味あるだろ。
東京ザナドゥもだけど、キャラクター多い割に部活以外にアイデンティティない人ばっかりだから、気の利いたこと言おうとして「どんなメロディを奏でてくれるのかな(吹奏楽部)」「花壇のお花も喜んでるみたいです(園芸部?)」「"武"に携わるものとして(空手部)」とかみんなダダ滑りなんだけど。
登場人物の殆どが20前後の若者であるにも関わらず、まるで人形のように口を開けば"武"だの"道"だの"見極める"だのVII組VII組VII組・・・一見意識が高そうで中身がすっからかんの「ああ、そういうキャラ付けね」という発言ばかりでうんざりしていたのが、ここへ来て年相応の若者らしい、血の通った喋り方をするキャラクターが出てきたのはかなり好感が持てます。
未だに旧来通りの喋り方をする人物やシーンがなくなったわけではありませんが、大きな進歩です。
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パッツンパッツンの衣装で登場したアリサを見てオチ・・・妄想をふくらませバカ話をする男子生徒やら
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こういったおちゃらけたシーンも旧作ではなかなかお目にかかれませんでした。
ユウナは「ほんと、可愛くないわね」など、かなり若者らしい砕けた物言いで、エステルを意識したのかしてないのか、場を明るくする良いキャラクターだと思います。
他の生徒に関しても、閃I閃IIでは「私は何部の誰々です」以上のアイデンティティを持たない、人物ノートとクエストのためだけに何度か会話することになる、いわゆる”ルート営業先の兄ちゃん" “名前の付いたモブ”程度でしかなかったのですが、今作では個性豊かな面々で物言いも若者らしくなっています。
意外だったのは、かつてルート営業先の兄ちゃん(姉ちゃん)でしかなかった本校の生徒たちが、卒業後に軍属になって要塞の警備についていたり、商店をやっていたり記者になっていたりで再び出会うことになるのですが、それぞれ制服でなくなっているせいなのかグラフィックが改善したせいかボイスがついているせいなのか、実に生き生きとしており「お前・・・立派になったな!」と本気で思うことも。
ただひたすら「いけ好かない貴族」のテンプレートとしてVII組に絡み続けてきたボンクラ・ハイアームズの坊っちゃんがまともになっていたのは感動したよ。
ボイスと言えば、普段ボイスがあるのないの誰がやってるので特に評価しない方なんですが、閃IIでヴァリマールのカタナを作るためだけに出てきた爺さんが閃IIIでは大塚芳忠ボイスを備えて再登場し、猛烈な自己主張でキャラを立てていったのには恐れ入った。声優、すげぇわ。
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あとこれは素でビックリした。
余談ですが、閃IIIになってから変な口癖は増えましたね。
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リィンだけではないのでライターの問題だと思うんですが、「~というか。」で締めるテキストがやたらと目につくのが若干イラッとするというか。
■ガイウスは殺す
ガイウスは殺す。
発売前に公表されていた情報として、VII組のメンバーである彼が随分長いこと連絡が取れなくなっている、一体なにが!?
というものがあったのですが、ゲーム中ようやく会えたと思ったら
「長くなるから後でな」
「せっかくだしVII組全員揃ったら話すわ」
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「VII全員揃ったし話そうと思ったけどやめとくわ」
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「追々」
「みんな聞いてくれ、実はk」
と会う度会う度勿体つけて一向に話す気���がない構ってちゃんぶりを壮絶に発揮しており、彼が喋るだけで体調が悪くなったとかならないとか。
もうわかったからそれ以上喋るな、永遠に風の吹かない土の下で好きなだけ発表してろ。
「PS4の性能を快適さに割り振っている」
と言っていたのはファルコム株価掲示板の誰かですが。
個人的にはこの意見に賛同するとともに、高く評価しています。 基本的にシナリオまわりを除いたイライラする要素がガッツリ改善されており、ゲーム全体として減点は小さく、加点が大きくなっています。
■ロード
会話と並んで不快要素の双璧、ロードです。
そもそも私はロードというのが死ぬほど嫌いで、何度も言っていますがPCの空の軌跡からPSPに堕ちた零の軌跡以来ファルコムを呪い続けています。
それが今回完全にVitaを切り離したことでここまで快適になるとは。 やはり携帯機などいらん。疾く滅べ。
といった具合に非常に満足しています。
どこへ移動するにも数秒~十数秒のロードを挟み、だというのにマラソンを余儀なくされ、戦闘に入る度に3秒程度のロードが発生する・・・地獄か。
だったのが、ほぼロードを意識しなくて済む程度にポンポン移動しまくることができると言うのは本当に素晴らしい。
まぁゲームが進むにつれて巨大な街、人が多い街、広大なフィールドとどんどん読み込み容量がデカくなるためか、「Nowe Loading...」を見る機会も増えているので、現在のところ”爆速”というよりは”普通”といった評価に落ち着いています。
普通ですよ普通。Iが発売した瞬間にロード改善パッチとか配布したにもかかわらずあの地獄のロードが健在だった閃の軌跡がですよ。
旧作―といってもVitaだけの問題かもしれませんが―恐らく純粋に読み込みが速いというより、キャッシュが効くようになっているのでは。
以前は校庭⇔校舎内で行き来する度に巨大な読み込みが発生するため、出来る限り校庭を経由しない順番でジャンプ・・・のような謎の工夫を強いられていましたが、今作では数回前にいた場所まではキャッシュされている為か、行ったり来たりする分にはロードが発生しません。非常に快適です。
■ジャンプ
地味に、しかし最強に強まっていたのがジャンプ機能です。 零の軌跡から(碧からだっけ)搭載はされていた、街の中の主要な建物だとか区画だとかに移動出来るジャンプ機能。 今回は一度に飛べる範囲が広がり、その章でアクセス出来る地方全てどこへでも飛べるようになっていました。
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何がすごいかって、街の中で隣の区画にジャンプ・・・なんてもんじゃなくて、「街から森」どころか「街の宿屋から森の最奥」が直通でジャンプ出来るので、ボス戦手前から宿屋に飛んでゲージ全快にしてから即戻ってくるみたいな、お前はボソンジャンプの能力者かというひどいジャンプすらできる始末で、辻褄とかはどうでもいい、便利だもっとやれ!と歓喜していました。超素晴らしい。
IIの時は広域マップでジャンプする際には一度メニューからカレイジャス(飛空艇)に戻ってトワ館長に話しかけて行き先を選択・・・でしたから、メニューからダイレクトに飛べるようになっただけでも快適さは段違いです。
欲を言えば、何故か町中でも礼拝堂や民家には飛べないという謎の制約があるので、ここもカバーしてもらえると歩く必要がなくなってとてもいい。
■イベントスキップ
スキップ機能もまたかなり強力になっていました。
旧来の×長押しによるいまいち速くない早送りに加え、 L1での更に高速の早送り(選択肢で止まる)、 OPTIONによるイベントそのもののスキップ(選択肢後も継続)
と場面場面で好きな方法を選べるため、周回の際のストレスが激減しています。
■戦闘
Vita版からなので特に顕著なのがロード時間。
敵シンボルに触れてから3秒程度ロード演出を挟んでから戦闘に入る旧作と比べるとその快適さは壮絶です。
触れた瞬間に戦闘態勢に入っている点に加えて、ダイレクトコマンドシステムの助けもあって誇張なしに”出会って4秒で殺戮”が可能。
リザルトもスパッとスキップできるので、一撃で倒せる相手であれば戦闘開始から終了まで10秒もあれば終わることが多いです。
ペルソナ5は戦闘時に属性をある程度考えなければいけない点とリザルトの長さがネックだったので、それと比較すると戦闘の快適さだけはペルソナ5を凌駕しています。
また、エンカウントシステムそのものも改修されており、閃I閃IIでは敵シンボルは見えない鎖につながれており、その鎖ギリギリで待機して諦めて帰ろうとするところを後ろから殴ってピヨらせて奇襲、という絵面は間抜けながらもそのアドバンテージの為に毎回そういったことを繰り返してきました。
閃IIIで同じことをしようとすると、鎖の長さで一旦止まりはするものの、目の前でじっとしていると鎖を引きちぎって突っ込んでくるという凶暴性に加え、奇襲するためには別に後ろから殴る必要がなくなったことと、奇襲しても直接ダメージではなくブレイクダメージになったため、そもそも別に奇襲するメリットがあまりなくなったこともあって、ダンジョンやフィールドでいちいち奇襲待ちの為に止まる必要がなくなったこともサクサクプレイするのに一役買っています。
ところで精査してないんで印象ベースですが、アーツの駆動は遅くなっている気がする。 というのも、オーダーで駆動時間0に出来るので、アーツ運用する場合にはそっちを使えってことなのかなぁという気も。 IIの時ほど猛威を奮わなくなった印象。
あとはUIが左右にとっちらかってしまってHPなどのゲージが把握しづらくなってしまった点、バフやデバフの継続ターン数がキャラクターの足元にしか表示されなくなってしまった点など本当に地味なところで良くないなと思うことはなくもない。
■料理
面倒だったシステムが色々カットされています。
空の時のように飲食店でオススメ料理を食べて覚える形式に回帰しているのは嬉しい。 どこの誰が持っているのかわからないレシピの為に誰かれ構わずNPCに話しかけるのってどうにも疲れるんですよね。
珍妙料理や独自料理を沢山食べさせてくれというNPCもいなくなったことと、パーティーに存在せず今どこでなにをしているのか全く不明のメンバーですら調理をすることが出来るようになったのは便利です。辻褄とかはいい!!(ぉ
今まではパーティーにいなければ料理もつくれず、得意料理も違うためNPCに食わせるためにいちいち入れ替えたりして管理が面倒だったんですよね。
いついかなる時でも料理をさせることが可能になった為、今日もまた辛口ジャンバラヤを無限に食べる日々が始まるのだ。
■マラソン関連
上記のように料理は飯屋に行くだけでコンプリートできるようになりました。
クエストマーカーが若干親切になっていて、本棚を調べて覚えるタイプの書籍は全体マップに表示されるようになっている一方、そうでない所持するタイプの書籍は今まで通りNPCにひたすら話しかける必要があります。
まぁ閃IIの時点で書物と同様に掘り出し物で買えるようにはなっていたので取りこぼしに関しては救済措置はあったのですが、本末転倒感が拭えない・・・
またサブクエストに関しても全体マップには表示されず、直接その人のいるマップに行くまでは不明です。
表示されるものとされないものがとっちらかっている印象。
全部マップに出してくれると楽なんだけど、マラソンしたいって人もいるみたいなのでそこまではやり過ぎかも。
■釣り
イース8などはやっていないのでそのへんから変わっていたのかという点は言及できないんですが、タイミングよくボタンを押すだけのシステムに変更されているため、旧作のようにひたすら連打して疲れるもう釣りはいやだ・・・という感じではなく、気楽に釣れるのはいい点ですね。
序盤は難易度が高いように感じましたが、慣れればサクサク釣れるようになるし、釣り竿のカスタムで難易度が下がるのもいいです。
ただ、会話や戦闘をバシバシスキップできるようになった点に反して、釣果画面だけが早送りできないというところがどうにももどかしい。(わがまま
■会話ログ
この記事でも度々利用してますが、会話のログが実装されたおかげでスクショ撮るのが便利になりました。 吹き出しだとつい飛ばしちゃうので、飛ばしちゃったのも後から参照できるのはありがたい。
あとはNPC会話マラソンで全部会話すっ飛ばしてあとからまとめて内容確認するとか。(最悪
■はしごとか壺とか
前々からかったるいと思っていたはしごの昇り降り、降りる際に飛び降りることができるようになっていた。嬉しい。
所々にあるコンテナだの壺だののオブジェクト、旧作では破壊後にアイテム出現を確認→拾うが地味にかったるかった(ていうか拾いにくい)のが自動で回収されるようになった。嬉しい。
■周回ポイントの廃止・ やりこみ要素の簡素化
那由多なんかではクリア時にどれだけちゃんとやったかで周回時の引き継ぎ内容を選択できるポイント制、閃IIではクリア回数で引き継ぎ内容が増えるというものでしたが、今作ではそういったものを全廃し、一度のクリアで好きなものを好きなだけ引き継ぎできるようになっていました。
実績関連についても、旧作は真面目にやってたつもりでもノートが一つ二つ穴が空いていたり宝箱や書籍を取り逃したり、そもそも2周目にしか現れないおまけダンジョンをプレイしないと埋まらなかったりということが慣例化していたので、まぁやれるとこまでやったからいいかな・・・と半ば自分には関係ないやというスタイルでいました。
しかしながら、今回に限っては今まで通り取れるものは取っていこうと普通にやっていたら色々と埋まってしまい、あれ2周目のダンジョンとかは?と肩透かしを食らってしまったほどで、一周目で77%まで実績を取れてしまったこと、また上述のようにスキップなどの機能が強化されたこともあって「せっかくだから」と2周目をプレイしている次第。
一つのゲームに対してプレイ時間を潤沢に確保できない事情もあって、実績関連は延々と作業するハメになる場合が多いので「面白かったゲームをもっと遊ぶ口実」以外にコンプリートしようとは思わないことが多いのですが、閃IIIについては面白さや手間のバランスがよく、個人的にはこのくらいだと手を出しやすいです。
今日の剽窃企業
今Twitterでパクリだのオマージュだの騒がしいのでどうにもやりづらいんですが。(ぉ
■ダイレクトコマンドシステム
我が社自慢の画期的なダイレクトコマンドシステムをご覧くださいー!!
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攻撃/スキル/アイテムなどが一対一でボタンに対応したファルコムの画期的なやつです。
■ブレイブオーダーシステム
我が社自慢のブレイブオーダーシステムをご覧くださいー!!
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パーティ共有のゲージを消費して主に全体に対してバフをかけるファルコムの画期的なやつです。
■デュエルしようぜ
我が社独自のカードバトルをご覧くださいー!!
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そこらにいる人にデュエルを申し込み、勝利時に対戦相手からカードを奪い取ってデッキを強化していくファルコムの画期的なやつです。
■コメットさん
我が社独自のアトモs・・・かっこいい魔獣をご覧くださいー!!
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机の上からはじまる私的なプロジェクト/佐藤純也さんの制作
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「 絵に向かって行き 隙間をすり抜けて見える絵の外側から、何かが立ち上がるのを見届けたいと思っています。」
( 佐藤純也/以下 s.j 「Fiction? - 絵画がひらく世界」 2002 図録より )
佐藤さんのアトリエを訪れてから2ヶ月が過ぎて、そのときのことを思い出しながら、いくつか佐藤さんへメールで質問をしながら、そして結局は新潟へ向かうまでに間に合わず、今は佐渡汽船の中で文を書いています。外に見える海と空と自分との間に窓ガラス1枚が境としてある当たり前の不思議の横で。
そういえば…2002年に一緒に参加したグループ展「Fiction?」(東京都現代美術館)のカタログを家の本棚から引っ張り出してきて、佐藤さんの仕事・制作を再び見直したりもしました。一度のインタビューだけでは佐藤さんの仕事は書ききれない…なんて思いながら、すこしずつカタログと昨年statmentsで観た作品と、アトリエで聞いた話やメモなどを思い出したり、メールの回答を読み直したりしていると…なるほど、なんとなくわかってきて感覚的には納得してはじめているところです。そしてやっぱり文字で説明しきれない一抹の不安もありながら。
佐藤さんは同い年。グループ展を担当した当時は美術館の学芸員だった平野千枝子さんと一緒にアトリエへおじゃますると、ちょっとした同窓会みたい。それは佐藤さんの人を和ませる雰囲気もあったかもしれません。snsのアイコンが何よりいいのだけれど、去年15年ぶりにギャラリーで再会したときは「和やかないいおじ……お兄さんになったなぁ」でした。作品や制作過程の話をうかがいながら、単純に好きな作家をあげてもらうとロバート・ラウシェンバーグがすぐ出てきて、その理由はほほえんでいるポートレートがすごくよかったから。「苦痛の果てじゃない制作」(s.j)。自分達と同時代に生きていた作家で美術を更新していく存在が苦痛の果てにいるわけではない、その顔。アーティストや芸術家というと、様々な問題を抱えて苦労しながら制作をつづける、早く亡くなる、そんな人が多いからかもしれない。長く続けてくると、そう亡くなっていった友人知人が身近にいたからかもしれない。もちろん苦痛やネガティブと捉えられること、社会の様々なひずみ、そこから Art が生まれたり受け皿となることは大切だと思う。けれども佐藤さんが求めたラウシェンバーグの在り方、そういう方向もたくさんあっていいはず。その想いにはどこか安堵した。
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         微笑んでいないけれど若い頃のラウシェンバーグ    
話を遡って、なぜこのsadogaSHIMAのサイトで続けて作家のインタビューをしているかというと、秋冬は佐渡へ渡る機会がなかったのと、身近な世代の作家の話をきくことで私が数年前から患ってきたアート蜃気楼(と免疫疾患の持病。どちらも治りつつあるのですが)のリハビリみたいな作業として、まずは自分のためにしてきました。あと、一緒に始めてくれた梶井さんや上條さんが忙しすぎて書けなかったのもあり。自分のために話を聞いてみたい作家の言葉。それが現代アートの環境だけではなく、佐渡や他の地で出会った人、私が子育て中に出会った人、現代アートに興味がない方々や他のジャンルで活動されている方へ、すこしでもわかりやすく伝えられるといいなぁと。専門的に語るのは誰か他の方がきちんと書いてくれたら良いわけで、私の個人的な感想や主観になるのは仕方がないとして、風通しをよくしたい願いもあって続けてきました。
佐藤さんの作品は2002年のグループ展以降はなかなか観るタイミングがなく、昨年のstatmentsでのグループショウで久しぶりに拝見。当時の印象とだいぶ異なる仕事(制作)になっていて驚いて、どんな変遷を経てこの制作にたどり着いたのか、これまでの経過の話を聞いてみたくなって今回のアトリエ訪問につながった次第です。
それにしても10年以上の時間を経ているアトリエにはたくさんの作品がありました。去年の展示で気になったのはキャンバスを日焼けさせた絵でした。
外的な要因(s.j)
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たくさん見せてもらった作品は、ある時期を境に絵のつくりを「自分」ではなく「外」に決めてもらう試みに変わってきているようでした。それは先に紹介した大槻さんの「震災のために制作していない」にもつながるのかもしれませんが、やはりあの出来事は人々の暮らしや意識、作家の制作まで大なり小なり影響を及ぼしているのだとこのインタビューを続けてきて感じます。それと、絵を描く人が概ね通ることなのかもしれません。前回紹介した木下さんもそうでした。一人の人間の主観でコントロールするイメージを絵にするのではない、別の絵の在り方を試みること。私が気になった日焼けの作品もその一環の試みの中にある。佐藤さんから返ってきた言葉。
日焼け
ひと夏の間、窓際に絵をかける。海に出て日焼けをして夏の思い出をつくるように、絵にひと夏の日差しを浴びさせる。水着のシルエットの形にキャンバスの一部を隠して、オイル(ペインティング)を塗って壁にかける。夏の終わりに壁から外してそこで制作の時間は終了。夏をすぎて日焼けの跡も薄く跡を消しかけた頃、過ごした時間はどこかにしまわれていた、そんな遠い記憶も思い返したり。周りの誰も私が海に行ったなんてことも忘れても、記憶の中に過ぎた夏の経験は私に残っている。 絵に使われる言葉で「絵肌」ってありますよね。そんなことも頭によぎったり。(s.j)
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描くことを自分の気持ちや好み、イメージからではなく「外」「外部」「環境」に決めてもらう試みの作品は日焼け以外にもたくさんありました。水からお湯に沸騰するまで、沸騰したら絵を描くのをやめるシリーズや、ジャガイモを並べて数日間観察し、芽が出たら描くのをやめるシリーズ。絵の具をチューブからキャンバス上に出し切ったら描き終えるシリーズに、日が暮れる時間を一定観察して一番星がでた瞬間を描くシリーズ。これでもか!というぐらい、いつも何気なくある自然現象に身ではなく絵を委ねる。しかもひとつずつ検証的に何枚も。目前にあるたくさんの「外」に影響をうけた絵を見ながら、なんだかクラクラしてくるというか、絵ってなんだ?絵ができるとか、絵を描くことを改めて考え直す。イメージとは何?とも考え直す…なのかな。
十数年前のグループ展のカタログをまた見直す。あのときは感じ取れなかった佐藤さんの試み。絵の中だけで完結するのではなく、絵がキャンバスの上にあり、壁にかけられ、すこし離れて観る自分と身体の間…そのとりまく環境。自分と作品の間にある空気や距離、立っている位置や聞こえている音を意識しだすきっかけとしてキャンバスがあって、イメージがあって、またイメージの外を想像して…ということへ還っていくような。。。ぐるぐるめぐる。
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佐渡島に来てから二日目の夜になりました。東京へ戻るまでに更新目標。話は飛んで、今日は佐渡島の南は小佐渡にある岩首集落の棚田を再訪しました。その棚田の保存に生を投じている大石さんという「じじい」さんにいろんな話をうかがったり里山を案内してもらいながら、どこかで佐藤さんの制作と照らし合わせたりもしていました。棚田の風景はとても綺麗です。そしてこのきれいな風景、目前にひろがる景色のみえない裏側には、里山の環境をなんとかまもってきた方々の何代にもつづく長い時間と労力と、社会、歴史や自然の変遷との対峙があります。風景とそれを見ている自分と、すぐ目にはみえてこない想像力を働かせないと分からないことごと。
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棚田は斜面を活かして田んぼがつくられ、その風景をつくっています。斜面の上にはダムなどなく、田に水を張るには周りにある里山…落葉広葉樹林の土の下に貯えられる水が不可欠で、そのバランスを維持して成り立つ農業。その里山を守るには何百年ほど前からの時代の変化も影響していて、社会の様々な(ときに理不尽な)要請と折り合いをつけたり、選択を余儀なくされたりしてきた過程があります。いま棚田の上からみえるひとつの風景=「絵」までの間に、いまを生きている私の輪郭と、私の輪郭の外にある環境の制約の積み重なりのようなもの、それを感じとることと同じ感覚を佐藤さんの絵の試みを想ったときにふと体得できた気がします。
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マクロ・ミクロ
全体と部分。0と1。樹木と山。個人と社会。惑星と宇宙。
間をたゆたうことで認識を揺れ動かす。 見えなさを抱える。 自分の背中を自分自身では見返すことができないこと。常に全てが見通せているような不遜さより、もしかしたら見過ごしていることがあると考えることは、より多くのことにたどり気づけるような手段な気がします。インターネットやデジタルな環境がもたらしたことに対して考えるすべとして。(s.j)
アトリエで見せてもらった中に、お金をモチーフにした制作がありました。ある時期、1日の終わりにお財布に残った小銭を裏キャンバスにトレース(転写)する。これもイメージを描くのではなく、必然的にその日のこった物としての「お金」が絵の状態を決めていく。
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タイトル「cash flow」
貨幣としての形は同じだけれども細胞の新陳代謝のように、日々違うものが入り、流れ出ていく。
キャンバスの裏側に描かれているのは財布の中の表から見えない場所にあるというイメージです。 貨幣の本質はある種の概念であり、トレースされた輪郭に形を残した姿も概念的なイメージではないでしょうか。(s.j)
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佐藤さんの試みてきた絵へのアプローチを見ていると、循環し流れつづける事象と、その間に媒介物のようにいる「私」が立ち現れてくる。この海や川をモチーフにした制作もそう。
海、川の循環。水分としては同じですけど場所が変わることで変化してゆく。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。鴨長明「方丈記」 鴨長明の生きた時代は戦乱と自然の厄災に見舞われた時でした。日常的に飛び込んでくるテロのニュース、頻繁に起こる自然災害、今起こっていることが遠く離れた時代ともシンクロしている。そんなことも頭の隅にあります。 (s.j)
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物事がゆるやかに、ときに急激に変化すること。当たり前だと捉えていたことが当たり前でなくなったとき、他人の気持ちがわからなくなったとき。人は動揺したりショックを受けて、なかなか修復できずに時間はもどかしく過ぎていく。佐藤さんはその変化の隙間にある瞬間瞬間を、ショックをうけないようなことでも「なんで?」と問いを発して絵にしようとしている。その細やかな検証をすることで「分かり合えなさ」(s.j)が分かり合えるかもしれない可能性を求めて。絵を描くことは���い描くこと。見えていることから見えていないことまでを想像すること。机の上からはじまる一個人の試みは決して空論ではなく、分かり合えるかもしれないことを諦めない最初の一歩なのではないか。試みを続けていけば、切ない一瞬がくるかもしれないし、嬉しさを超える一瞬がくるのかもしれない。
小学生の頃に考古学者になりたいなと思っていました。具体的にどうその職業になるかとか、そんなことに及ぶまででなく、空を見上げて飛ぶ鳥に「あんな風に空を飛んでみたい」というぐらいの気持ちでしょうか。きっかけはハインリヒ・シュリーマンの偉人伝にいたく心動かされたことだったと覚えています。シュリーマンが子どもの頃に読んだホメロスの『イーリアス』の中にあるトロイア(トロイの木馬で有名な)の話を信じ、のちに発掘してその存在を確かめたというお話。気がついたら考古学から美術の道に歩みを変えていたわけですが、考古学者が昔に向かって時間を掘り進めていき、美術のこれからを作るということは未来に向かって掘り進めていくような作業かもしれません。ベクトルは違えど共にまだ今ここに見えていないものを見つけようとすることでは同じような気もします。(s.j)
佐渡島からの帰りのフェリー。あと少し。アトリエで佐藤さんの最近の制作は?とたずねると、出て来たのは木箱。フタを開けるとSNSアカウントの動物アイコンをモチーフに描かれた、たくさんの小さな立方体。積み木のようにコンパクトに並んでいる。
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人間が作ってきた膨大なモノたちは地表の隅々までに点在し、それは幾多の出来事や時間の経��があったとしても「どうしようもなく世の中に残っていく」のではないだろうか。そう考えた時にまた「イメージを取り戻す」ことが出来ると思うようになりました。いま進行しているシリーズの一つはこの時代のポートレートを描きたいというのがまずあって、そこから展開しています。人が持つ人間性は人ではないもの「動物」に投影されることはままあり。また、動物化する人間という視点でもあります。互いの言葉を聞き合えない居心地の悪さが目につくこのご時世ということも含めて。( s.j )
「分かり合えなさ」 これまでインタビューと称して話をしてきて、いろんな方々から何度か聞いたことがある。分かり合えない。自分以外の人と。好きな人と。どうしても苦手な人と。親と。子どもと。近所の人と。遠くの人と。好みが違う人と。。。分かり合えなくていいじゃない。わかってくれる人、同じような感覚の人たち同士とうまくやっていけば。そう思う。そう思うけれど。それでよければ世界は穏やかなはずなのに。なんでこんなにも不安で、争って、未来がみえなくなるような状況になっているのだろうか。佐藤さんが描いたSNSの動物アカウントが寄せ集められてパカっと蓋を閉められ、一つの箱のなかに収納される。動物はそれぞれの(人によってつくられた)イメージを身にまとい、ほかの動物と群れをなすことはない。絵本にでてくる動物のように、とりやサル、たぬきにキツネ、ゾウやきりんが話したり遊んだりすることもない。現実ではほとんど弱肉強食の世界で、食うか、喰われるか。それは自然なことではあるけれど、動物のように住み分けされたSNSのアカウントは人間で、本来なら分かり合えるはず、という願いがあるのか違うのか。つぶやきは断面。断片。それだけで判断するのは難しい。SNSの使い方もそれぞれに異なる。佐藤さんが蓋を閉めた木箱へ、これからも淡々と採集されていくアカウントの動物イメージは仲良く箱に収まれるのか。そんなことを想う。
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新潟から東京に戻ってきた。バスに乗るまで新潟で出会った人たちと喋っていたのが嘘のような、早朝の人もまばらな新宿駅。佐渡や新潟で再会した人、初めて会った人たちとの会話を昨日見た夢のように思い出す。それは旅先で日常ではないから、いつもは距離があるから、あんなふうに短い時間でもいろいろ話し合えたりするのかもしれない。もしかしたら最初で最後かもしれない切なさもあるから話せるのかもしれない。でも、日常だって本当はそうなんじゃないの。毎日がずっと続いても、日々、何かは少しずつ変化している。ジャガイモの芽がのびたり、昼が夜に変わったり、水から湯気へ変わったりするように、一人の身体のなかでも血管や筋肉が衰えたり、病の芽が大きくなったりしている。昨日会った人が明日倒れるかもしれない。それは自分でもあるかもしれない。
調和ということを人は想定するけれど、現実は不均衡で、非対称的なバランスに世界は満ち溢れている。調和を希求しつつ、そこにはたどり着くことの難しさ、その逡巡や葛藤のはざまに、人間的な営みがあるように思えます。(s.j)
この数年、自分の住む場所以外の地へ少しずつ通った。といっても数えるほどしか訪れていないけれど、それでも余所者として入っていくと見えてくることもある。その地に住まう方々の日常と関係性。そこへ余所者は無責任に何も言えることはないし何もできない。私はただ絵描きとして、心に焼き付いた風景は絵として残ってほしいと願う。いいなと思う言葉やまなざしをもつ人にはまた会いに行きたい。時々だから成り立つもので都合がいいかもしれないけれど、可能性を開いておくには時にちゃらんぽらんのほうがいい気もする。かえって自分の日常でも同じだけれど、すべての人とうまくやっていくのは難しい。人の感情、記憶、考え方…絡み合って毎日は続いていく。思い通りにはならない他人の感情。自分の感情も。事実はどちらにも正しく折り合わない。そのまま年月が過ぎたり、大人数になると手はつけがたい。話合えない。仕方がないですむこともあれば争いにもなる。人間的な営み。調和できなさ。良くも悪くも動く感情。
キャンバスを日光で日焼けさせ、物理的な事実を定着させる。裏キャンバスへその日の財布に残った事実=小銭をトレースして刻印する。湯気が沸騰する瞬間、ジャガイモの芽がでる瞬間=事実で絵を描き終える………感情ではなくひたすらに事象を観察して絵を委ねたのは、目に見えない人々の感情に左右されるのではなく、できるだけ客観的な出来事を捉えることで未来を豊かにするための手がかりを知るためだったのかもしれない。絵を描く人はたぶん間にいる。絵を描くことは間にいるのだと思う。イメージと絵の間。想像と現実、過去と未来の間。後ろと前、空間と時間、次元の間。分かり合えなさと、分かり合えたらいいのに、の間。
東京に戻ってきてバタバタと休みなしの連日。忙しくさせられている。そこから抜け出せないから分かりあう機会も減るよね、なんて思いながら最後に佐藤さんのハチドリの制作を。ネジはすこしずつ緩むけど「いつまでもルーキー」と笑っていたさとじゅんさん。そう、悲観していたら細胞や生は縮んでしまう。ラウシェンバーグのように美術を更新しつづけてほしい。
生まれる前、死後。その間にある生としての時間。(s.j)
ハチドリの制作
キャンバスを袋のように形をつくっている作品です。キャンバスにはハチドリのシルエットがきり抜かれています。切り取られた形の奥にはキャンバスの裏側、絵の裏が見えます。ちなみにハチドリは日本にはいなくて、南米などに生息している、名前の通りハチのように小さい鳥のことです。 ペイントされている色は日の沈む手前の空の色で、夕刻から夜に移り変わる瞬間のような時間を色に置き換えています。 なんでハチドリなのか?由来としてはある映画をきっかけとしてその形を選んでいます。それはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「21グラム」という映画で、その映画についての詳細は見てもらうとしまして(笑)。そのタイトルの21グラムの由来となっているのが人間が死んだときに21グラムの体重が軽くなる。それでその軽くなった21グラムが人間の魂の質量なんだという。 私たちの前にある生。私たちの後に続く生。今ここにある私たちの生きる時間は暮れ行く前の間に刻々と色をかえる夕暮れの時間にも似ているのではないでしょうか。(s.j)
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佐藤純也
1977年宮城県生まれ 。2000年多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。主な展覧会に 2002「MOTアニュアルFiction?―絵画が開く世界」(東京都現代美術館/東京・2002)、「ten」(青山|目黒/東京・2010)、「VOCA展 2011」(上野の森美術館/東京・2011)、2015 「The Wanderer」( Museum of Contemporary Art/ブカレスト、ルーマニア・2014)、「Artist Recommendation vol.2 路傍の絵画」(アートラボはしもと/神奈川・2015)、「 After the summertime」 (statements/東京・2016)、「Spring Fever」(駒込倉庫/東京・2017)
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