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#来々軒
ramen-kobayashi777 · 1 year
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福岡県に行ったら絶対に食べて欲しいラーメンまとめ 今回は福岡のメンスタグラマーのもりたさんとのコラボ投稿! もりたさんの福岡県オススメラーメン屋さんを紹介してもらいましたのでまとめてみました✨ 福岡は大きく4つの地域に分かれていて ①北九州地域 ②福岡地域 ③筑後地域 ④筑豊地域 各地域から2つずつピックアップしてもらってます! ◆北九州エリア ・石田一龍本店 ・一真軒 ◆福岡エリア ・はなもこし ・ふくちゃん ◆筑後エリア ・沖食堂 ・大峰ラーメン ◆筑豊エリア ・来々軒 ・純とんこつ無双 ぜひ旅行や出張などで行った時は行ってみてください😊保存しておくと後で見返す時に便利ですよ✨ 麺処もりた @sup_yellmen 福岡県内を中心にラーメン巡りをしているメンスタグラマー🍜 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー #石田一龍本店 📍福岡県北九州市小倉南区下石田1-4-1 🚃日田英彦山線石田駅から徒歩5~7分 🕚営業時間 11:00~16:00、18:00~20:40 日曜営業 🎌定休日:年中無休 #一真軒 📍福岡県北九州市小倉北区大畠2-8-26 🚃香春口三萩野駅から1,613m 🕚営業時間 11:00~14:30(売切次第終了) 🎌定休日:不定休 #麺道はなもこし 📍福岡県福岡市中央区薬院2-4-35 エステート・モアシャトー薬院 1F 🚃福岡市営地下鉄七隈線 薬院大通から徒歩3分 🕚営業時間 [月~火、木〜土]
11時45分〜13時30分
現在は昼営業のみ 🎌定休日:水曜日、日曜日 #ふくちゃん 📍福岡県福岡市早良区田隈2-24-2 🚃賀茂駅より徒歩5分 🕚営業時間 [月]1:00~15:00
[水~日]11:00~20:00 日曜営業 🎌定休日:火曜日 #沖食堂 📍福岡県久留米市篠山町242-1 🚃JR鹿児島本線久留米駅から徒歩7分 🕚営業時間10:00~16:00 🎌定休日:日曜日・祝日 #大峰ラーメン 📍福岡県久留米市青峰2-5-1 🚃御井駅から3,227m 🕚営業時間 [月・火・木~日]
11:00~19:30 日曜営業 🎌定休日:水曜日 #来々軒 📍福岡県宮若市福丸270-2 🚃JR九州バス直方線本線 福丸駅バス停下車徒歩約1分 🕚営業時間 11:00~14:00 16:30~21:00 日曜のみ16:30~20:00
但し、麺、スープが無くなり次第閉店 日曜営業 🎌定休日:水曜日 #純とんこつ無双 📍福岡県飯塚市中484-2 🚃鯰田駅から1,673m 🕚営業時間11:00~17:30
(週末ともなれば、スープ切れで 閉店(営業時間)が早まる場合があります) 日曜営業 🎌定休日:水曜日 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー @k.ramen.csp Ramen⭐︎こばやし 東京のラーメン情報を毎日配信してます! ぜひフォローしてね! #福岡ラーメン #福岡グルメ #福岡ランチ #福岡県ラーメン #福岡県グルメ #福岡県ランチ #豚骨ラーメン #クリア豚骨 #豚骨らーめん #替玉 #とんこつラーメン (福岡県) https://www.instagram.com/p/CpaE31LykOH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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choco322 · 1 year
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昨日の2軒目🥂 ・ #ファイヤーキングカフェ #firekingcafe #代々木上原カフェ #代々木上原ランチ #代々木上原グルメ ・ #ガパオライス #ガーリックシュリンププレート #ポテトフライ ・ #ここでまさかのサプライズ #amazingstory #仕事中の旦那が来店 #お互いに時が止まる #すごい偶然 #そんなことある ?! #こんな偶然ある ?!😳 ・ #嫁飲んでてすみません #嫁は飲んでてもう2軒目 #振休とはいえ失礼 ・ #ドラマばりの #偶然出会う #悪いこと出来ないね #あーびっくりした 🤣 ・ #もちろんご飯も #美味しゅうございました ♡ #Japanesefood #ffoodie #instafood #instafoodie #2軒目 #二次会 (Fireking Cafe) https://www.instagram.com/p/CodRvx9yXvu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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petapeta · 9 months
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アホウドリのうんこでできたリン鉱石で潤いかつては世界一の金持ち国と言われた太平洋の島国ナウル。将来の資源枯渇を見越して、鹿児島空港に就航するなど太平洋のハブ空港を目指したり、不動産投資や株式投資など様々な挑戦を行うもことごとく失敗して借金漬けに。航空会社が運行できなくなりネットも途絶して国自体が遭難、ナウル国籍を2.5万USDで販売、タックスヘイブンとなるべく資金洗浄銀行を作成、お金をもらって難民を受け入れるなどして現在も奮闘中。もはや伝説となったこのナウルへ行く方法を調べてビザ発給を試みたところ、それは困難を極めた。 ナウルはいつか行きたい国として2010年代にたびたび情報を集めていた。当時からよく言われていたのは「真っ先にホテルを押さえろ」ということ。 工事や難民関連の職員が泊まる需要があるからか、ナウルの限られたホテルの客室は常に不足しており、空室を探すのはビザの申請より難しいと言われていた。仮に航空券を先に買っても滞在先がなければビザが取れず無駄になってしまうので、とにかくホテルを最優先で押さえるというのはナウル渡航者の間では常識となっていたのだ。 これが2010年代後半になると民泊仲介のAirbnbが出現してナウルでも利用できるようになり、選択肢が増えて安く滞在することもできるため以前よりはハードルが下がっていた。 しかし、コロナ禍により状況は一変した。ネットの途絶が原因なのか詳細はわからないが、ホテルの予約にExpediaやagodaといった宿泊予約サイトOTAやAirbnbが一切使えなくなってしまったのだ。そうなると、電話やメールで宿に直接連絡するしかない。南太平洋への国際電話は1分1USDくらいして高すぎるので、メールアドレスを探してメールで連絡することになる。なお、WhatsAppを使っている人もほぼいないようで、電話番号でWhatsAppアカウントを検索してもヒットしなかった(バヌアツで重宝した)。 ナウルには4軒くらいホテルがあるのでウェブを検索して調べたアドレスにメールを送ってみたものの、ドメインが失効しているのか「MAILER-DAEMON」で届かなかったり、音沙汰のないアドレスばかりだった。 南太平洋で人気のないキリバスやナウルといった国は、「地球の歩き方」も売れないので出版されない。そこで重宝するのは「国際機関 太平洋諸島センター」のウェブサイトで無料ダウンロードできる日本語ガイドpdfなのだが、ナウルが発行されたのは2017年。掲載されていたブダペストホテル、オドゥン・アイ・ウォ・ホテル、エワロッジはいずれも返信がなかった(エワロッジは連絡先が変わっていたことを後で知る)。
伝説の国ナウルに行く方法がコロナで完全に変わったのでまとめた。苦労の末に日本語で検索してはダメという真理にたどり着く : さざなみ壊変
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asagaquru · 8 months
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ビール、ビール、ハイボール、ビール。後半に彼が飲んでいた男梅サワー、日本酒と柑橘系の酸味あるサワーを少し盗み飲んだ。楽しかったからって飲み過ぎである。
職場の他部署の先輩で、優しいな〜と思っていた人がいる。今年始め、軽くジャブ打ったのにスルーされてしまってから「どうせ長い彼女いるんですね〜」と気持ちに蓋をしていた。そうしたら急に8月に入って、インスタ経由で「今度、○○部の人たちで飲むのですが、一緒にどうですか?」と言われ、4人で飲んだ。なんで誘ってくれたんですかと聞くと「インスタ見てて飲むの好きなんだな〜と思ったから」と言われた。そうだけどさ。その時も、ビールビールビール。楽しかったが、「半年付き合っている彼女がいる」と知り、絶妙だなと思って半分勝手に落ち込んでいた。その後、初めてサシで飲んだ時の話を書く。
乾杯する時に、「かんぱ〜い」ではなく「こんにちは〜」とか「やっほ〜」と挨拶してしまう変な癖がある。やはりその日も「こんにちは〜」で✳︎✳︎さんに笑われてしまう。目を細くして笑う人だ。職場の話をし、山の話をし、カフェの話をし、パン屋の話をし、コーヒーの話をする。若干緊張していて、会話がぎこちなくなる時があったが3杯目にハイボール飲んでいるうちに完全に心が緩んでいた。「今の彼女と結婚するんですか」「わからないんだよね」「わからない?」「性格も落ち着いて静かで、似ているし落ち着くけれど好きなのかわからない。それを伝えて付き合ってる。好きになれるかなと思ったけど半年経ってもわからない」 なんだそれ、と思った。「それって答えでないのがもう答えなんですよ。✳︎✳︎さんは、明るくて連れ出してくれる人がいいと思いますけど」「確かにずっと好きになれないんじゃないかなって思ってる。なんならこのままずっと結婚できないんじゃないかって」「え、卑猥な話しますけど」「卑猥な話?」と笑われる。一拍置いて「それってセックスするんですか?」と聞いてしまう。「するねえ」 するんだ。「会うたび?」「会うたび。俺、性欲強いんだと思う」見た目から想像つかなくて「サイコーじゃないですか」と笑い出してしまう。「彼女いるのに飲みに行くってやべえ奴だなって思ってない?」「大人になっちゃえばよくあることかなとは思いますけど」 彼女いるのに来てくれるのかなとは思っていたことは伏せておく。久々にできた彼女との出会いや現状を聞いて、この人奥手なんだなと思う。内向的なアウトドア。「✳︎✳︎さんって弟ですよね」「なんでわかったの?」「めちゃくちゃ出てます。あと歳も離れてる」「5個上の兄がいます」「あとA型でしょ」「なんでわかるの」とまた目を細くし��笑ってた。「お茶目ですよね」「あなたには敵いませんよ」
2軒目行こうかと言ってくれたけれど、お互い明日仕事なので帰ることにする。清算。外に出たら✳︎✳︎さんのリュックにしがみついて、周りをくるくる回ってしまう。じゃん負けでアイス食べましょ!と北海道に1番多くあり、道民が愛してやまないローカル大手コンビニ、セイコーマートに入る。じゃんけんには負けて、チョコミントアイスとブルガリアヨーグルトのアイスをそれぞれ食べながらケラケラと地下鉄まで歩く。出入り口まで着いて、もうバイバイなの嫌だなと思って少し間が空いた時に✳︎✳︎さんに抱きついた。笑いながら軽く抱きしめ返してくれて、2回目抱きついたら今度は強く抱きしめ返してくれた。余計帰りたくなくなって、手を取って頭に置いたらトントンと撫でてくれた。
「下まで行くよ」というから改札まで来てくれる。歩いている途中で「うちくる?」と言われたが、いかないのが良しと思って「今日はちゃんと帰りますよ〜」と返す。改札前のベンチで少し話す。この時には体温が上がって、アルコールが余計回ってしまって記憶があまりない。「好きですよ」と言った気もするし、「好意持たれてからがスタートだと思ってます」だとか「今すぐどうこうなろうとか思ってないので、今まで通りで良いです」とか気持ちを吐露しては言い訳していた気がする。彼は嬉しいと言い、「好意はあるんだろうなと思ってたけれど5個も違うからこうなるとは思わなかった」と言った。顔が近づいて、心の準備ができてなくて背けてしまう。ひとことふたこと話して、本当に帰る雰囲気になってしまったから「キスしないんですか」と言ったら軽く触れるキスを2度してくれた。わー!と叫び出したかった。居ても立っても居られなくなって、今すぐ逃げ出したいのと、ここで別れるのが吉と感じて、頬にキスして「じゃね!」走って改札に行く。改札通って手を振り、地下鉄に乗り込む。胸がどきどきしていた。
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chaoticlovemiracle · 2 months
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個人情報駄々洩れ 工作員の背乗りに便利な工作員の活動拠点調査に持って来い
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nanaintheblue · 11 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを送れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決めつけて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果をみんなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって武器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方が楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思っ��。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい」と思うことがあるなんて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わないでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはここまで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄越したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさまった。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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hangorin · 9 months
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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chikuri · 8 months
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関東大震災時の朝鮮人犯罪の報道禁止(事態の鎮静化の為)から45日後に精査検証を経て発表された、朝鮮人の多数の凶悪犯罪とテロ活動について、今朝の小坂の書き込みの資料です。
 記事の一部になりますが、是非、じっくりとお読み下さい。
 こうした事実が現場に有ったことを我々は忘れてはなりません。
(以下、画像とテキストは神戸大学新聞記事文庫から引用です。東京時事新報大正12年10月22日の記事です)
 関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 : (記事差止め昨日解除)
 翻刻九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない
掠奪
九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋 住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた
放火
九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した
婦人に暴行
九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順 避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明
三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪
 九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団 柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明
掠奪
九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した
放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名 兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲
強奪
九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名 高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走
少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名 避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した
棍棒
九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名 榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した
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荒川区議 小坂英二 / X
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ramen-kobayashi777 · 1 year
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福岡県に行ったら絶対に食べて欲しいラーメンまとめ 今回は福岡のメンスタグラマーのもりたさんとのコラボ投稿! もりたさんの福岡県オススメラーメン屋さんを紹介してもらいましたのでまとめてみました✨ 福岡は大きく4つの地域に分かれていて ①北九州地域 ②福岡地域 ③筑後地域 ④筑豊地域 各地域から2つずつピックアップしてもらってます! ◆北九州エリア ・石田一龍本店 ・一真軒 ◆福岡エリア ・はなもこし ・ふくちゃん ◆筑後エリア ・沖食堂 ・大峰ラーメン ◆筑豊エリア ・来々軒 ・純とんこつ無双 ぜひ旅行や出張などで行った時は行ってみてください😊保存しておくと後で見返す時に便利ですよ✨ 麺処もりた @sup_yellmen 福岡県内を中心にラーメン巡りをしているメンスタグラマー🍜 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー #石田一龍本店 📍福岡県北九州市小倉南区下石田1-4-1 🚃日田英彦山線石田駅から徒歩5~7分 🕚営業時間 11:00~16:00、18:00~20:40 日曜営業 🎌定休日:年中無休 #一真軒 📍福岡県北九州市小倉北区大畠2-8-26 🚃香春口三萩野駅から1,613m 🕚営業時間 11:00~14:30(売切次第終了) 🎌定休日:不定休 #麺道はなもこし 📍福岡県福岡市中央区薬院2-4-35 エステート・モアシャトー薬院 1F 🚃福岡市営地下鉄七隈線 薬院大通から徒歩3分 🕚営業時間 [月~火、木〜土]
11時45分〜13時30分
現在は昼営業のみ 🎌定休日:水曜日、日曜日 #ふくちゃん 📍福岡県福岡市早良区田隈2-24-2 🚃賀茂駅より徒歩5分 🕚営業時間 [月]1:00~15:00
[水~日]11:00~20:00 日曜営業 🎌定休日:火曜日 #沖食堂 📍福岡県久留米市篠山町242-1 🚃JR鹿児島本線久留米駅から徒歩7分 🕚営業時間10:00~16:00 🎌定休日:日曜日・祝日 #大峰ラーメン 📍福岡県久留米市青峰2-5-1 🚃御井駅から3,227m 🕚営業時間 [月・火・木~日]
11:00~19:30 日曜営業 🎌定休日:水曜日 #来々軒 📍福岡県宮若市福丸270-2 🚃JR九州バス直方線本線 福丸駅バス停下車徒歩約1分 🕚営業時間 11:00~14:00 16:30~21:00 日曜のみ16:30~20:00
但し、麺、スープが無くなり次第閉店 日曜営業 🎌定休日:水曜日 #純とんこつ無双 📍福岡県飯塚市中484-2 🚃鯰田駅から1,673m 🕚営業時間11:00~17:30
(週末ともなれば、スープ切れで 閉店(営業時間)が早まる場合があります) 日曜営業 🎌定休日:水曜日 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー @k.ramen.csp Ramen⭐︎こばやし 東京のラーメン情報を毎日配信してます! ぜひフォローしてね! #福岡ラーメン #福岡グルメ #福岡ランチ #福岡県ラーメン #福岡県グルメ #福岡県ランチ #豚骨ラーメン #クリア豚骨 #豚骨らーめん #替玉 #とんこつラーメン (福岡県) https://www.instagram.com/p/CpaEgtAyKR6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 6 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお��さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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tokyowalking · 3 months
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月島のもんじゃストリートを歩く
今回は月島の下町風情が感じられるもんじゃストリートを紹介します! 月島といえばもんじゃ焼きが有名な場所。 歩いているだけでお腹が減る事まちがいなし!の場所ですね! スタートは千客万来から行ってみたいと思います。 豊洲千客万来は、2月1日にオープンした豊洲の新しいランドマーク! ここから歩いて行けるので是非チャレンジしてみてください! まずは軽く豊洲千客万来をご紹介しながらのスタートです! まずは1Fの「豊洲江戸前通り」から見てみます。 多くの飲食店が軒を連ねる豊洲江戸前通り!現在時刻は15:00で一旦休憩されているお店も多々あります。 豊洲千客万来でお食事される際は時間に留意して訪れるのも必要かもしれませんね。 つぎは2階部のフロアへ移動してみますね! 2階は大盛況!人が多いですね! メインフロアになるだけあって人は多いです! うーーーーん! 鰻の香りが香ばし…
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makikominowa · 6 months
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12月1日から、twililightにて、箕輪麻紀子の作品集『Afternoon Reading』(DOOKS)刊行記念原画展を開催いたします。
ぜひ足をお運びください。
会期:2023年12月1日(金)〜 11日(月) 会期中休み:12月5日、6日 会場:twililight
(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅歩5分) 営業時間:12:00〜21:00 
今作には、本と向き合うゆったりとした時間や空想、 その周辺の風景が描かれており、 全て本書のために書き下ろした新作となります。
巻末には、台湾のアーティストであり、 ブックレーベルnos:booksを運営している Chihoiにとても素敵な詩を寄せてもらいました。
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コロナ禍でChihoiから私への小さなお願い事のお礼に、彼自身の 著書 智海”Library & I’m With My Saint 圖書館 & 我和我聖人”(nos:books)という本を送ってくれたことがあった。
Chihoiの本や図書館をテーマにしたコミック作品や、 韓国のUnlimited Editionで私の作品集を丁寧に見てくれたことを 思い出し、私のドローイングについてと、“Midnight Cat“という架空の本を題材にして、絵ではなく文章をお願いできないかという 無理難題に対し、予想を遥かに超える素敵な詩を寄せてもらった。
夜の煙草休憩��時間に何度も推敲してくれたことを教えてくれた。 この詩が出来上がった夜の時間を想像して、とても嬉しくなった。
本を読む人の姿は忙しさを忘れ、ゆったりとした時間が流れている 雰囲気がある。 忙しない日々の中、その姿にとても憧れた。 この作品群はそういった私の、時間や風景への憧れ、想像から出来上がった。
《プロフィール》
箕輪 麻紀子 イラストレーター
広告、書籍、雑誌等で活動。 作品集に『Film』『ESCAPE』(共にELVIS PRESS)『Float 』(DOOKS)等。 http://www.makikominowa.com/
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aya-ebina · 8 months
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2023/09/23
長谷川書店水無瀬駅前店にて、詩集の刊行記念イベント。という名で、一日中軒先に座っていた。
7時くらいに起きるつもりが、6時半くらいに起きた。あんまり早く行っても迷惑だろうし、ゆっくり支度をして、10時20分頃水無瀬駅に着く。長谷川書店水無瀬駅前店はその名の通り、水無瀬駅の改札を出てすぐの高架下にある。長谷川さんがすでに机と椅子を用意してくれていた。
挨拶してから支度をした。わたしが用意したのは机に敷いている布、机に貼っているポスター、見本誌と本立てなど。後ろの筆文字の掲示物は、お店の人とお客さんによるお祝い。なんで「おせんべい」なのかはずっとわからなかった。
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水無瀬駅のある島本町は本当にのんびりしていて、ここが大阪府とは思えないくらい。町の人は掲示やポスターを眺めて、本屋さんに来たい人は入り、入らない人はスーッと通っていく。冷たい無視ではなく、暖かい無関心というか、いい感じに気にしないでいてくれる。たぶん、長谷川書店で何かあるのは日常的な光景だから、というのもあるだろう。
のんびりしましょう、というわけでお客さんの分も椅子がある。座ってもらうとのんびりゆっくり話ができてよかった。現代詩手帖の投稿欄から読んでいるという方、好きなバンドのライブが大阪であるから来たという山口県の方(中原中也賞の贈呈式で話をしたことがあるので驚いた)、はせしょで出会った方々、などなど。
わたしは合間に本を読んだり、油淋鶏を食べに行ったり、詩を書いたり、コーヒーを飲んだりしていた。書いた詩は手直ししてから公開しようと思う。
本の代金以外にもお金を払ってもらって何かする、というのがしっくり来なくて、座っているのでおしゃべりしに来てもらう方針にした。詩集は安くないのだ。それに、トークイベントなんてできそうにもないし、朗読会にはあまり興味がない。
文学フリマでたくさんの人に来てもらったことも嬉しいし、水無瀬駅という小さな駅まで来てもらえたことも嬉しい。イベントごとに違った楽しさや喜びがある。
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usono-musuko · 7 months
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2023年9月30日
「>ウイッチハンターロビンみたけど画面がスタイリッシュでかっこよくてめっちゃびびった メガネ外すと強くなるやつばかりのこの業界でメガネかけたらパワーアップするのロビンくらいしか知らない」
「夫に「友達は"作る"ものではなく"できる"ものだよね」と言ったら、「そう。友達を作ろうとしてはいけない。友達を欲しがる人間はツケこまれるからね」と言い出してなかなか闇が深かった。」
「最近の「オタク」的な振る舞い、情報量で戦い、行動力を求められ、SNSや実社会で顰蹙をかわない礼儀作法が必要なのであと何十年かしたら茶道みたいになってそう」
「ばけやろう。俺たちゃ、リアルな女体を描きたくてがんばってンじゃねェんだ。とてつもなくいかがわしい女体を描いてカキてェんださいてい。そのためなら、人間のカラダはこーは曲がらんなーとかここの身ィが邪魔だなーとか思ったら、ホネの2、3本は折るし内臓はみっつよっつ平気でヌクんでィ!」
「知り合いの造形師曰く1/1サイコガンの企画にノリノリで次は1/1クリスタルボーイの手のヤツだね!ってニコニコしてたのが印象的だったそうな 1/1ソード人とかどうっすかって冗談で言ったらそれだ!って後日に立体物に出来るように図面が送られてきたとも聞いた」
「両親の運転する軽自動車の後部座席に縮こまりながらタオルケットに丸まって眠るあの安心感はもう我々大人には戻らない。もしかしたら死ぬなんて事思いつきもせず皆がまるで永遠に生きるかのように毎日生きるあの無知がもたらす安心感はもう、ない。」
「19世紀の世界観、ダーウィンとかマルクスとか、機械的決定論みたいなのが強まるにつれて自分らの個性の存在自体が否定されてるように感じた人間の足掻きが随所に見られて、神秘主義が台頭するもそれも集合意識みたいなものに回収されて個性が消えるみたいな独特の味がある。」
「SNS戦略的に考えると現役JKがアルファアカウントになるのってクッソ無理くないスかね。「10代の能力で3年以内にバズれ」とかハードモード過ぎる。」
「>今年は天気のせいで1週間早い 例年通りに刈った連中が軒並み胴割れしてた おそろしや…」
「インターネットのコンテンツみて怒っている場合、「怒らされている」っていうのを自覚した方がいい っていう誰かの言葉は定期的に思い出している」
「おっさんが「俺のところに話が来てねえぞ」に拘るのも同じで、別に大して意見も知見もあるわけではないのだが、「事前に根回しされる重要人物である」という実感を得たい」
「奴隷とは以下のようなものだ。 何をしたいか考えなく良い。どうすればいいのか考えなくて良い。判断をしなくて良い。先のことを考えなく良い。心配しなくて良い。不安にならなくて良い。従うだけで良い。どんな命令であっても。奴隷の魅力を否定することは簡単な事ではない。」
「twitter有料化で、おそらく今生の別れになる人間も少なくないだろうと思うと悲しくなってきちゃったわね」
「「“辛かったら逃げてもいい“なんて言うけど、逃げた後の人生にそいつは責任取ってくれないよ!」
↑一見確かに! って思うけど、逃げずにいてヤバいことになった場合の責任も同様に誰も取ってくれないので、言説としては実は互角でしかない。後からカウンター打った方が勝ったように見える誤謬である」
「批評には何らかの評価軸が必要で、どの評価軸を選ぶかにその人の表現性が入り込まざるを得ないから、どうしても詩的な要素が出てくる。で、そういうものに対して「それってあなたの感想ですよね」というキラーワードが存在するのが2023年の日本。個人がどう感じるか?から何でも始まるはずなのに、そのルートが最初から封鎖されているという悲惨な�����。」
「(アリスとテレスのまぼろし工場) マリー脚本は最初と最後にやりたい事を持ってくるので途中の流れがなんかおかしいな!?って気になる人には向いていない 逆にラストシーンがいいって人にはものすごく刺さる」
「学生時代、泌尿器科の教授が「ペニスの役割は99%以上尿器なのに、持ち主からは残りの1%の仕事について強く追求される」と、まるでちんちんと対談してきたかのような事を仰ってて興味深かった。」
「昔ソープ店経営してたオッサンに「やっぱり親の借金の返済のためとか学費のためとかで頑張ってる子とかいるの?」って聞いたら「そんなのいない。夢を見るな」と言われてしまったのダ」
「小説でさ「ブラックユーモア力」って結構大事なんですよね。シリアス風な小説だと特に
ピンチな状況で皮肉やジョークをいうことで、笑いもいれて読みやすくなるし、それでいて逆に緊張と緩和のギャップでシリアス度は増える
タフな主人公を演出することもできるのでこの引き出し持ってる作家は強い」
「AV女優がセクシー女優になったのなら、 エロ漫画家もセクシー漫画家にならないとおかしいだろうが。 そうだろ。」
「世の中には不愉快なものを自分から見に行って勝手に不愉快になって勝手に怒るのがどうしょうもなく好きな人がいるので世の中を不愉快な形に切り取って売る商売が成立してしまうのだよ」
「最近は毎日ひたすら仕事して、空いてる時間は本読むかゲームしてるんだけど、特に楽しいのが昔読んだ小説の再読で、20代の時に読んでいた本の全てが、40代の今の俺には違った形と音を伴って響いてくる。
映画もそう。若い頃に見てピンとこなかったことが、何十年か経って見るとじわじわと沁みるようになっている。優れた創作物というものは、若い頃にわからないながらも一度は浴びるように見聞きしておいて、歳をとってからじっくりと楽しみ直すものだなと思う。」
「親族からの遺産相続の手続きの相談メールがことごとく迷惑メールフォルダに入っていた。そりゃそうだ、内容が詐欺メールと全く同じだもんな…」
「「安い仕事を受けるな」は、報酬額だと思いがちだがそうではなく、「自分を安く扱う相手との仕事」という意味だと、けっこう最近気づいた。」
「デリヘル嬢に引っ越し頼むときは事前に店に相談するように」
「家父長制のことを、東京以外のすべての地方に存在する悪しき風習であり、そこから東京に逃げて自由になった都会人が悲しみ(怒り憎しみ諦め等の負の感情に置換可能)とともに振り返る……みたいに描く作品が昨今どうも目に付きすぎて……そんなに楽しい?そのジャンル…そう……」
「「作品を見た。どう考えていいかわからないから他人のよく書けてる感想を検索してイイネして、最初から俺もそう考えていたことにするか」みたいな行動があるじゃないですが」
以上。
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asagaquru · 3 months
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GW辺りに札幌に行こうと思っています。おすすめの、絶対行ったほうがよい場所を教えていただけないでしょうか。カフェとかレストランとか美術館とか美術館とか…。あと夜パフェに行きたいので、どこを選ぶと間違いないか教えてほしいです。あともしかしたら注意したほうが良いことがあれば教えていただきたいです。
こんな質問がたまにDMでも来るので、いつも楽しく回答しています。あなたの住む街に行くときはおすすめを教えてくださいね。札幌というワードで、わたしを思い出してくれるのが嬉しい。
パフェの語源はフランス語の“完璧”から来ているそうですね。夜パフェはカフェテリアパルが間違いないです。人匙ごとに味や食感が変わり、その美味しさにくらりと来ます。パフェって素晴らしい。価格帯が高めなのにいつも行列です。札幌の夜パフェは締めパフェなので、21時ごろから混み合います。すすきのでの1件目を手早く切り上げるのがおすすめです。
他にもパルよりは価格が安めな“ななかま堂”やお酒とのペアリングを楽しむ“ペンギン堂”とかもあります。クセ強店主がやっている“ぴーぷる・ぴーぷ”は色々な掟があり、確実に終電を逃しますが札幌名物って言えば名物なのかもしれません。夜ではないですが、札幌で1番美味しいパフェは“くなう”というアパートの一室で営われる喫茶“室”で、るるぶやSNSには掲載されません。アパートの一室と言えども、黒い壁紙にレースのカーテンが揺らめくだけの内装。華美ではなく、ただただ美しいパフェは美術品のようです。その甘みに背筋が伸びる。なんだか神様との対話みたいだなと思いながら食べています。勝手に“札幌で1番天国に近い場所”と呼んでいます。
どうしましょう。パフェの話だけでこんなに行数を使ってしまいました。あなたのために続けますね。北海道でみれば美術館は多いですが、札幌に屋内の美術館は少ない気がします。札幌にある北海道立近代美術館や札幌芸術の森美術館は気になった特別展の時に行く程度です。風が寒くなければ、モエレ沼公園なんてどうでしょう。イサムノグチが作った彫刻公園です。モエレ沼まで行かなくとも、街中を歩いていると、野外彫刻をよく見かけるのも札幌の小さな楽しみです。大通公園を西に降って散歩するのも面白いかもしれないですね。札幌の中心は、大通りで分断して北と南、創成川で東と西に分断した碁盤の目のような住所をしています。札幌で定められている景観色に則った建物が整然と並ぶので、他の政令都市とは違う空気感に包まれた街並みです。https://artpark.or.jp/sansaku/
よくお一人様をしてカフェを探訪していました。上記した“くなう”はパフェとして完成され過ぎている。お一人様専用なってはしまいますが“カルメル堂”は、深海のような濃いブルーの壁紙の内側でゆったりと過ごせます。季節ごとに出す甘味が変わり、5月はプリンとラムレーズンどら焼きだった気がします。わたしは7月の珈琲あんみつが梅酒寒天が乗ってて好き。“ギャラリー犬養”は、わたしが菊水に住むひとつの理由になった喫茶店です。大通り駅から地下鉄で2駅なので行きやすいかと思いますが、住宅街の奥にあるから迷いやすいかも。聞き馴染みのない西洋の伝統的なケーキが沢山あってどれも美味しい。食べた後に河川敷を散歩するのが好きでした。“喫茶店つばらつばら”と“石田珈琲店”、“一粒の麦”も好きです。
食は飲酒に重きを置いた人間なのでレストランには疎いですが、二四軒にある“ユニヴェール エス”は友人が修行していた洋食屋です。一皿一皿がキラキラして見えるのはきっととてつもなくこだわり抜かれているからなのでしょうね。後は、また菊水になってしまいますが”プティットレジョン”はフランスの家庭料理を出すビストロです。店内を一歩入ればそこは南フランス。ここもまた美味しいです。
注意することと言えば、気温でしょうか。北海道の桜はGWに咲くので、そのくらいの気温で、風も強い日が多い印象です。GWでの札幌観光ということで、移動は公共機関を想定しておすすめしてみました。土日祝日は、地下鉄が540円で1日乗り放題のドニチカという切符が買えます。おすすめしたモエレ沼公園以外は地下鉄だけで移動できます。特にカフェに関しては地下鉄で行けるものをピックアップしてみたので、レンタカーを使用するのであればまたお知らせくださいね。
5月中旬以降であればライラック祭りが大通公園で開催されます。金木犀と同じモクセイ科なので、とてもいい匂いがする薄紫の花の木です。札幌市のシンボルで、自生できる南限は関東らしいですね。大通公園のベンチの横にライラックが植えられているので、花の下でゆっくりするのが好きです。今年は雪解けも早そうなので、あなたが来る頃にライラックが咲いていたなら嬉しいな。旅行から帰ったらまた、質問箱でも良いので、札幌でのお話を一緒にしましょうね。
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newsgorvaptica · 3 months
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杉並分室につきまして
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[杉並分室]
三ヶ月程度ごとに行われる、とても小さな個展です
いつも新作があるわけでも無い
展示のために作られた部屋というわけでも無い
とても地味な空間を始めます
そのかわり、と言えるかどうかわかりませんが、お一人、あるいはお二人だけで、お茶でもしながら、せめてのんびり過ごされてください
- - -
※ご応募が募集総数に達しましたので、今回の募集は締め切ります。6月末か7月初旬あたりで次回開催できたらと考えております。
4/19
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/20
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/21
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
予約制 / ひと枠二時間
杉並区某所(中央線) 詳しい所在地は予約受付の際お伝えします
来場費:無料
-
- 予約受付について -
※募集総数に達しました。ありがとうございました。
3/19の午前0時から開始します。
予約方法は、上記の時間枠をご確認の上、
1. 氏名
2. 電話番号(可能であれば)
3. 希望の枠(できれば第三希望くらいまで)
4. 人数(1名か2名)
以上を添えて下記メールアドレスへお送りください。
柴田高志 宛
先着順です。
ご希望に添えない場合ももしかしたらあるかもしれません。何卒ご了承くださいませ。
. . .
一昨年の12月、東京を離れました。
東京での暮らしは、大事に思えるものが多くあり、それらをもたらしてくれたのは、間違いなく当時居住していた部屋でした。杉並の住宅街の、奥まったところに建っている風呂の無いとても小さな一軒家で、七年間、たくさんの絵を描きました。
入居したての頃、部屋には文字通りトランク一つだけ、コップすらないので、手で水を飲みました。どうしてか、とても心が踊りました。
大して日当たりの良くなかったその部屋も、入居日、春のある日、大変暖かく、何にもないけどしみじみと、いい部屋だな、と思ったことを今でも思い出します。
そんなこの部屋もここ一年ちょっと、東京滞在時に泊まるためと、絵の置き場所としてしか使っていませんでした。オープンアトリエにする計画は転居前からありましたが、壁を作ったり照明をいじったりが大変だなと二の足を踏み、どういう風に室内を仕上げたものかと考えあぐねていました。
(自分にとってはですが)気持ちの良い部屋なのに...
ぼんやりと、内装のことを考えるでもなく考えていく間に、そんなにがんばらなくても、もともと自分が好きだった空気を保った部屋であることが一番なのかな、という、妥協することで最良と思われる納得に至り、ほんの少しだけ部屋を整え、2024年の春に予約制で公開することとしました。
部屋の名前について。以前お世話になったブックギャラリーポポタムさんでの個展の後、ちょうどコロナ禍が始まるかというくらいの時に、同じくポポタムさんが当時運営していた「ポポタム分室」という部屋で非公開個展をさせていただく機会をくださいました。
その時の個展での発見や気付きが、今回の公開につながっています。
今は無いポポタム分室に敬意と感謝を持ちつつ、東京都杉並にあるわたしの分室、ということで「杉並分室」という名を当ててお知らせしていこうと思います。
いつまで続けられるかわからない細々とした活動になりますが、お付き合いいただければ幸いです。
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- 杉並分室について -
滞在中、部屋の中にはあなただけです。わたしはいません。 折角、誰の視線も気にせず、日中は自然の光を受けた、日が沈んでからはあったかい照明の光に照らされた絵を、見るともなく見てもらえるのんびりした場所を用意しているのですから。お茶かコーヒーくらいはお出しします。置いている本も自由に読んでください。
わたしは部屋の外で本でも読んでますので、ききたいことがある、ちょっと話したい、一緒に外を散歩しましょう、などあれば、いつでも呼んでください。
部屋の中には手のひら大の小さな絵から、20号程度の絵あたりを数点展示予定です。ストックもあるので、ご希望があればお出しできるようにもしています。 もちろん絵や冊子などの購入は可能ですが、この部屋で絵をご覧いただけるだけで、わたしはとても嬉しいです。自分が一番長い時間、自分の絵を眺め、描いていた空気感そのままに、ご覧いただけることがとても嬉しいのです。
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さて、ここからは注意事項です。
1つめ
この部屋は住宅街の、入り込んだ場所にある大変小さな一軒家です。 基本的に、部屋の中ではお一人かお連れ添いお二人で過ごすことになり、希望されなければ室内にわたしは入りません。 ただ、あなたがたは知らない人の部屋に訪問することになってしまいます。 中には不安感を抱かれる方もいるかと思いますので、ご予約の前に、今一度お考えの上、ご連絡ください。
二つめ
建物はとても小さな一軒家です。二階部分が当部屋なのですが、狭めの階段がある上に、上がりきったところがまた極端に狭くなっています。脚が悪く階段を昇れない方や、特別身幅が広い方は、もしかしたら通過できないかも知れませんのでご了承ください。
三つめ
現在、向かいの家が更地になっています。もしかしたら四月ごろには何かしらの工事が行われているかも知れません。普段は大変静かな場所ですが、タイミング悪く騒音が響いてしまうことも懸念されますので、その際はどうぞ悪しからずご了承下さい。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
少し先の話ですが、ほんの少しでもお気に留めてもらえれば幸いです。
柴田
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