Tumgik
#朝起きて詩を詠むことで頭がいっぱいだったら詩人なんだって
danzoku · 2 years
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なりたいからやるんじゃない
詩人になりたくて詩を詠むんじゃない。
画家になりたいから絵を描くんじゃない。
イラストレーターになりたいからイラストを描くんじゃない。
デザイナーになりたいからデザインをするんじゃない。
ゲーマーでいたいからゲームをするんじゃない。
そうなのだ。いつもそれをわすれてしまう。
やりたくてやりたくて、仕方のないことや、溢れ出てしまうものなんて存外少ないんだもん。体の調子にもよるし。
ああ、でも、少しくらいは
やっぱり褒められたい。
だから何かにならなくてはと焦る。
私の理想は、そうではないのに。
ただやりたいことだけを、誰に構われなくともやり続けたいのに。それはとても難しい。私の心さえ私を裏切ることがあるから。
だから、死ぬまで売れなかった画家や、死後に評価されるまで埋もれていた人達を私は尊敬している。ゴッホとか?
評価に関わらず続けるというのは難しいことだ。継続は力なりというけれど、継続は困難なり。
それでも
目的やゴールなしに、発熱し続ける情熱を持った人でいたい。
という話。
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shakuhachi-kataha · 3 years
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第三十回ミニ講座☆朗庵とは、其の三! 
詩・漢文集などから知る、朗庵の人物像📖
今まで二回、朗庵の講座をしましたが、絵画や地誌に記された朗庵は、未だ雲をつかむように判然としません。
そこで、まずは中塚竹禅著の「琴古流尺八史観」から「朗庵タイプの薦僧」の一部分を抜粋したものを読んでみましょう。
朗庵タイプの薦僧
(前略)所で此の薦僧に大体に二種類あった。其の一は、無主義無方針なる本当の乞食を目的とする薦僧で、まず無頓漢である。他の一つは、或る一つの主義主張なり信念なりを持った自覚的薦僧で、従って行雲流水は彼らの手段、其の眼目は深遠幽玄なる人生の奥の院に到達して其の神秘の扉を打ち開こうという、特殊な連中であった。だから薦僧というても実は一種の行者であり道者である。前者は純然たる社会の寄生虫であるから之は問題にならないとして後者は一宗の宗祖にも比すべき、純真なる其道の行者である。後に普化禅を信奉する事になった普化道者である、此の行者の一番最初の人が釈朗庵で最も代表的な人物も亦朗庵である、朗庵以前に朗庵はなく、朗庵以後に朗庵無しといっても過言ではない程、傑出した人物である。此の朗庵の主義主張が後世の虚無僧を指導したのである。
これか!
「朗庵以前に朗庵はなく、朗庵以後に朗庵無し」!
ともかく、朗庵なくしては虚無僧を語れないということですね。
この言葉に背中を押され(笑)また根気よく、詩・漢文集などから朗庵のことを探ってみました。
1300年代から朗庵は存在したのか?
義堂周信(ぎどうしゅうしん)の『空華集(くうげ)』漢詩文集に「朗庵主」とあります。
弔朗庵主水墳
宇治橋辺一艸堂 
安禅座穴幾松床 
三千刹界皆棺槨 
底事将身水底蔵
宇治橋辺りの一艸堂「朗庵」の庵主が入水自殺したという解釈がされています。
義堂周信(1325―1388)は、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧。
別に「空華道人」とも号する。土佐(高知県)長岡の人。土佐の吸江庵(ぎゅうこうあん)出身で五山文学の重鎮。
おお、
土佐に同じ名前の吸江庵があるのですね。
というか、こっちが多分先。
土佐の吸江庵とは南北朝時代を代表する禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)を開山とする。1318年、夢窓疎石が北条高時の権政を逃れるために四国に渡り、土佐国の五台山の山麓に結んだ草庵を起源とする。夢窓が草庵の前に広がる浦戸湾を「吸江」と命名したことで、草庵は吸江庵と称するようになった。夢窓が足利尊氏の政治顧問に就いたこともあって、室町幕府の厚い庇護の下に隆盛し、海南の名刹と呼ばれた。土佐の中世禅宗文化の中心となり、吸江庵の名は明国にまで聞こえたほど有名であった。
義堂周信は夢窓疎石の門弟で、この地で学び、京都五山(禅寺)で活躍しているので、宇治の朗庵も訪れたのでしょう。弔いの詩を書くくらいなので、朗庵主とはよほどの顔見知りであったと推測します。
その義堂周信の影響で、後世の朗庵主が彼の出身地「吸江庵」の名をつけた可能性は高い。との推察がされております。
ここで、吸江庵の名前の由来がわかりました。
お次は、
一休禅師(1394ー1481)『狂雲集』にも「宇治朗庵主」とあります。
『狂雲集』は、一休宗純による風狂破格の世界を呈する漢詩集。 ほとんどが七言絶句で、狂雲とは一休の号である。
一休禅師も尺八を嗜んだとの事。一休禅師に関しては次回に詳しく迫りたいと思います。
まずは、
「尺八」という題の漢詩です。
尺八  
因憶宇治庵主會   
飢腸無酒冷於水   
明皇天上羽衣曲   
偶落人間慰野僧   
因に憶う宇治の朗庵主
飢腸(きちょう)に酒無く、氷よりも冷し。
明皇は天上羽衣(うい)の曲、
偶々(たまたま)人間(じんかん)に落ちて野僧を慰む。
宇治の庵主を憶う、空腹で酒も無く、この庵は氷よりも冷めたい。
天上の唐の玄宗皇帝ゆかりの羽衣の曲が、思いがけず地上に落ち、放浪僧を慰める
(片羽訳)
この漢詩は尺八吹きの亡霊が出てくる、狂言の『楽阿弥』の事を詠んでいるのだろうという田口和夫氏の解釈もあるようです。
一休禅師も宇治の朗庵を訪れて、尺八の音色を聞いたのでしょうか。
『體源抄(たいげんしょう)』(1512年成立)には「宇治」と記載。
『體源抄』とは室町時代の雅楽家・豊原統秋(むねあき)によって編纂された中世の楽書。
又自両頭テ切断後 
三千里外絶知音 又云狂言云シ人作之
尺八節高円口連 彼尋出處宇治邊 
一聲吹落兩棲月 百万軍中聞不眠  
前半の「又自両頭テ切断後 三千里外絶知音」は、狂言『楽阿弥』のセリフに書かれていたり、『祥啓筆朗庵像』(1477年)の讃にも書かれています。いずれも最初に誰によって書かれたのかは判然としていません。こちらは一休禅師作といわれているがさだかではないそうです。
さて、
1800年代になりますが『糸竹古今集(しちくこきんしゅう)』には、朗庵像が描かれています。
『糸竹古今集(しちくこきんしゅう)』とは、近世の邦楽書。1805年刊。江戸の神谷潤亭(かみや-じゅんてい)とその門人伊能一雲の共著。当時衰滅していた一節切を再興し、一節切本来の楽曲の譜のほか、箏曲、長唄、俗曲に合わせて吹いた小竹(こたけ)の用法、楽譜(指孔譜)を記したもの。
(精選版 日本国語大辞典の解説)
その中に「異人」とあります。
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手事(てこと)に伝住む異人ありて常に一節切をふく。宗佐老人異人によって其傳越え、次に高瀬備前守その傳を得たり。
「異人」としか書かれていませんね…。
こちらの「一節切伝来系譜」には最初に「蘆庵」です。
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蘆庵→宗佐→高瀬備前守…と続いています。
こちらが蘆庵(朗庵)像。
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(画像はいずれも国立国会図書館より)
持っているものは確かに一節切です。
ここで、問題点ですが、鎌倉時代の書かれた「教訓抄」(きょうくんしょう)(1233成立)に「今は目闇法師・猿楽之を吹く」と、盲法師や猿楽の徒が尺八を吹いたという事実があり、『山科教言卿日記』の1408年3月24日の条に、後小松天皇が足利義満の北山第で尺八伴奏の草歌を聞いたという記事がある。隆達小歌も一節切を伴奏に歌われることもあったとのこと。
朗庵が存在する約200年も前から一節切が存在した事になりますね🤔⁉️
ぢゃ、なんで朗庵が一節切の祖?
という疑問を考えると、1200年代の戦国時代のことは一節切の事は江戸時代には判然としていなかったという事と、誰かを創始者に持ってくるのは権威付けもあったのではないでしょうか。
では一節切が古代(雅楽)尺八(節が三つに孔が六つ)から変化したのか?という説もありますが簡単には断定できないそうです。
一節切、外来説はやっぱり謎!笑
確かに宇治に朗庵と呼ばれた草庵はあったようだし、そこに住む人もいたようです。
ま、ともかく
「朗庵以前に朗庵はなく、朗庵以後に朗庵無し」!
ということで(笑)
虚無僧研究会機関誌「一音成仏」第四十五号、相良保之著「朗庵の足跡」にはとても詳しく書かれていますので、そちらも参考にして下さいませ〜。
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2ttf · 12 years
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shibaracu · 4 years
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◆●ますらお【猛男/猛夫/丈夫/益荒男】
◆●ますらお【猛男/猛夫/丈夫/益荒男】 
★じょう‐ふ【丈夫】 《「じょうぶ」とも。中国の周の制度で1丈(約2メートル)を男子の身長としたところから》りっぱな男。ますらお。「堂々たる―」「偉―」 ★ じょう‐ぶ【丈夫】 の解説 [形動][文][ナリ]    1 健康に恵まれているさま。達者。「丈夫で、病気ひとつしたことがない」「からだが丈夫な子」    2 物が、しっかりしていて壊れにくいさま。「丈夫なひも」「値段の割に丈夫な靴」    3 確かなさま。確実。        「何十年でも此所 (ここ) に留めませと―なる言ひ渡し」〈浮・歌三味線・一〉 [派生]じょうぶさ[名] ★たけ‐お【猛男/猛夫/丈夫】 強く勇ましい男。たくましく強い男。ますらたけお。ますらお。「近藤勇、土方歳三等の―を取しずめ」〈蘆花・黒潮〉 ★ ますら‐お【▽益▽荒▽男/丈=夫】 の解説 1 りっぱな男。勇気のある強い男。ますらたけお。ますらおのこ。⇔手弱女 (たおやめ) 。        「屈せずして待つが―の事なりと言う」〈鴎外訳・即興詩人〉 2 武人。兵士。        「大伴 (おほとも) の氏と名に負へる―の伴」〈万・四四六五〉 3 狩人。猟師。〈日葡〉 ★ますらお‐の【益荒男の/丈夫の】 [枕]ますらおが常に手結(たゆい)をつける意から、「たゆひ」にかかる。「―手結(たゆひ)が浦に海人娘子(あまをとめ)」〈万・三六六〉 ★ますらお‐ぶり【益荒男振り/丈夫風】 男性的でおおらかな歌風。賀茂真淵(かものまぶち)らの歌人たちが和歌の理想と考え、万葉集の歌の中にこれが見いだされると説いたもの。古今集以後の「たおやめぶり」に対していう。   ★ますらお、マスラオ (曖昧さ回避)  https://ja.wikipedia.org/wiki/ますらお ・益荒雄 - 元大相撲力士。 ・ますらお ―秘本義経記― https://ja.wikipedia.org/wiki/ますらお_-秘本義経記- ・北崎拓の漫画。 ・ますらお https://ja.wikipedia.org/wiki/ますらお_(斎藤けいのの漫画) ・マスラオ - 漫画『LAMPO-THE HYPERSONIC BOY-』の登場ロボット。名前の由来は益荒雄から。 ・GNX-U02X マスラオ - テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』の登場モビルスーツ。漢字表記は「磨修羅生」。 ・マスラオ - テレビアニメ『機巧奇傳ヒヲウ戦記』『天保異聞 妖奇士』の登場人物。   ★『日本人と日本文化』 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本人と日本文化 目次 はしがき:司馬遼太郎 第一章 日本文化の誕生    日本人の対外意識    外国文化の受け入れ方    「ますらおぶり」と「たおやめぶり」   ★ ますらお‐ぶり〔ますらを‐〕【益荒男振り/丈=夫風】 の解説 男性的でおおらな歌風。賀茂真淵 (かものまぶち) らの歌人たちが和歌の理想と考え、万葉集の歌の中にこれが見いだされると説いたもの。古今集以後の「たおやめぶり」に対していう。   ★ たおやめ‐ぶり【手弱女振り】 の解説 女性的で、優美・繊細な歌風。万葉集の「ますらおぶり」に対し、主として古今集以後の勅撰集に広くみられる詠みぶりをいう。   ★『にひまなび』    https://ja.wikipedia.org/wiki/にひまなび 賀茂真淵が国学・歌論について記した書。全1巻。新学とも表記される。 1765年(明和2年)に成立したが、刊行は没後の1800年(寛政12年)のことである。和歌を「国ぶり」のあらわれとし、和歌の研究と古代の研究を表裏一体として捉える立場から、『万葉集』の「ますらおぶり」と『古今和歌集』の「たおやめぶり」を比較し、更に『古事記』や『日本書紀』、『続日本紀』宣命や『延喜式』祝詞、令律を読む必要性を説き、更に柿本人麻呂・山部赤人・源実朝の和歌についても論じるなど、真淵の国学や歌論・古道に対する基本的な考え方が示されている。刊行後、香川景樹が『新学異見』を出して批判するなど、同書を巡って賛否が繰り広げられた。   ★大和魂(やまとだましい)https://ja.wikipedia.org/wiki/大和魂 大まかには、外国と比して日本流であると考えられる能力・知恵・精神などを指す用語・概念。時代によって意味は異なる。 平安時代中期ごろから「才」「漢才」と対比的に使われはじめ、諸内容を包含するきわめてひろい概念であった。江戸時代中期以降の国学の流れのなかで、「漢意(からごころ)」と対比されることが多くなり、「日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」という観念が付与されていった。明治時代以降、ナショナリズムや民族主義の興隆とともに過剰な意味が付与されるようになり、第二次世界大戦期には軍国主義的な色彩を強く帯び、現状を打破し突撃精神を鼓舞する意味で使われることが主となった。日本の敗戦後は、日本の文化・思想界の主流から追いやられている。   ★日本人論(にほんじんろん)https://ja.wikipedia.org/wiki/ 日本人について論じる論、著作、報告のこと。 日本人論の起源としては古くは安土桃山時代や江戸時代の宣教師の母国への報告書や、海難・漂流体験からロシアやカナダなどを見る経験を得た日本人漁師や船頭の経験譚が挙げられる。幕末から明治にかけては日本からの海外視察団による報告や、来日外国人による文化人類学的な観察記録やエッセイなどに日本人論を見ることができる。   ★漢意(からごころ、唐心の意)https://ja.wikipedia.org/wiki/ 本居宣長が提唱した思想概念・批評用語の一つ。 日本古来のはかりごとを加えず善悪ともにありのままのさまを尊ぶ素直な態度に対して、中国文明に特徴的であると宣長の考えた、物事を虚飾によって飾りたて、様々な理屈によって事々しく事象を正当化したり、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度を指す。
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lostsidech · 6 years
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 みつが出ていく朝で、春の「春」の記憶は幕を閉じている。その日、ちょうど神奈神社の境内では庭の桜が盛りの最後を迎えようとしていた。
 一七になった女中の黒髪に桜の花びらが張り付いていた。別れの挨拶をしたみつの笑顔と一緒になって、それはお化粧の一部のように見えた。綺麗な人だったのだな、と春は思う。顔立ちがというよりも、その笑い方とか、門扉をくぐって駅に向かう、その後ろ姿とか。  何かを、その道がなんであれ、この道で生きていく、と決めた人はこんなふうに見えるのだろう。春は目を細めてその背中を見送った。 「あのね」  老宮司が首を傾げて言った。勤めの宮司もみつには世話になっていたので挨拶に来ていたのだ。  老人は庭の季節呆け桜に手を当てていた。すっかり葉と萎れ花が混じって不愛想になった老木に並び、宮司のしかめ面も一緒に木の皮みたいに見えた。 「桜って、花だけで咲くんじゃないんですわ。幹や枝の見えない中にね、こう、燃えるような紅色が流れているから花が薄く染まるって、私ら内々でよく言う。ほら、光に透かすとね、枝の先が桜色に見えるでしょう」  老人のありがちな説教がはじまる、と春は肩をすくめた。母の清子は音もなく先に背を向けてその場を離れていた。このあと言うことを聞く一二歳の春を捕まえて、御陵(ごりょう)の宮司は話をするのだ。だから春ちゃんや、見えないところでもきちんと勉強しなさい……要らないと思う手習いもきっちり練習しなさい……  けれど御陵老人は気難しげに眉根を寄せたままだった。 「ふつう、その色が染め物なんかにいちばん強く出るのがね、開花前の三月あたりなんだよ。花の終わった後にこんなに紅が残るかねえ」  薄い青空にふわっと風の光が散った。  その中で揺れた枝葉の影が確かに桜色をしていた気がして春は目をしばたいた。  庭の季節呆け桜はただでさえ花期が長いうえに、どうやらまだどこかで咲く気があるらしい――そういうことだろうか。  京に新しい季節が来る。一二歳の春を戸惑いにつつんで。 ×  神奈神社の例祭は九月に行われる。  表立って人を呼ぶことのない内々の祭りで、神奈と御陵の巫女・宮司両家の関係者と、一部の周辺有力者などを招いて儀式を行い、喫食するだけのものだ。この準備は毎年度三月の打ち合わせにはじまり、たっぷり半年をかけて構築されていく。春は夏から少しずつ大人たちの組む準備の日取りの中に組み込まれはじめる。例年のことでもう身体は覚えてしまっているが、祭りの目玉になる舞を行うのは春の役目なのだ。  弔花(とむらいばな)、あるいは弔花祭(ちょうかさい)。古くにあった大災害を鎮めるために執り行われたのだという古い儀式で、今も年に一度、京の都の平穏を祈念して繰り返される。  主儀式では巫女である春が神刀を用いて原初の風景を再現するくだりがある。紫の袋鞘から白刃を解き放ち、楽に合わせて短く舞い踊って膝をつく。足元に刀を置いて死を表現し、すでに散っていった命をとむらい、災いが鎮まることを祈る。巫女はかつてこうして舞いを捧げ、今ではもう名前の廃れてしまった土地の神さまの力を借りたのだそうだ。その功徳を引き継ぐために後から建てられたのが神奈神社。春たちは彼女の子孫にあたる。  刀は最初の巫女が用いたものの模造ではあるけれど、しっかりと白銀の輝きを放っている真剣で、儀式の模擬引き継ぎがはじまった当時六歳であった春にはたいそう恐ろしく見えた。それも一二歳の春からするとほとんど両手の中に重心の収まってしまう小さな懐刀である。  春と清子の夏は弔花の準備で慌ただしくやってきて、慌ただしく過ぎていく。 「春さま、どこに」 「ちょっと知りたいことがあるの」  御陵の若い衆を振り向いて春は声を張り上げた。石造りの古蔵では屋根を叩く雨音が大きく反響する。ええ、と聞き返されたがそれ以上説明はしなかった。奥の梯子に陣取って片端から保存されている書物を開き始める。  梅雨ごろ、周辺の神社とのやり取りがあるとかで蔵が開放されて、ひらめいたのだ。今年は弔花の詳細を自分で調べたい。毎年祭りの当日に定型で繰り返される説明は聞き飽きて暗唱できるほどになったけれど、蔵にある資料の数からいえば、いかに大火で焼けたといってももう少し詳細な祭りの来歴が残っていておかしくないだろう。神奈神社の関係者にはもう何代もお世辞にも学があるとは言えなかった。どちらかというとそのせいで記録を読み解く力が失われ、神奈神社の歴史は消えたのではなかろうか。  とにかく資料を探すこと、精査し、穴を正確に掴むこと――あらゆる学術の根本としてなつめに(どちらかというと翳島に)叩き込まれた基本はいつの間にか春の身体の動きにも根付いている。  春はひとつ己に課した。――この課題を一人で解けるかどうか、自分を試そう。甘えてばかりの勉強だって楽しかったけれど、春はそのままではいたくなかった。一人で答えを探して――納得できるものを、何かひとつ掴んだら、そこで仲間たちに会いに行こう。  雨の降る六月は研究向きの環境だった。  春はすぐに没頭した。石蔵の瓦屋根を雨粒が跳ねるようにずっと叩いていた。雨どいの細い筒越しにちょろちょろと心地よい音が流れていた。  雨が降り、また翌日も雨が降り、深い青のあじさいが咲いた。  煤けた表紙を湿気にうねらせたぼろぼろの資料は比較的すぐに積み上がっていった。神奈神社の建立初期の神職たちが残した書き付けを、また聞きではあろうがまとめた記録帳が見つかったのだ――当時の京都には大きな「なゐ」があった。つまり地震だ。その平定を行った女性が神奈神社の最初の巫女になった。身分は農民だったので正確な名前は残っていない。  春はすこし微笑む。春がその巫女の子孫であるなら、迷える時代の農民の出であるとしたら、それは春の憧れの人と同じだ。  平安の都といえば、文治の大地震だろうか――授業で読まされた方丈記の知識をもとに、別の歴史書をぱらぱら捲ってみる。神奈神社の建立をうつした走り書きと文治の記述とは、被害区域や死者の規模が食い違っていた。おそらくもうすこし小さな地震だ。そうだろうな、と春は思う。それだけ悪名高い厄災を正式に治めていたら神奈神社にはもう少しちゃんとした記録や伝説が残っていてもいいはずだ。あるいは政官とのつながりとか。  そして、神の名前はなんだったのか。巫女が舞いを捧げ、地震を宥めたという土地の神。  春はそれが知りたかった。  祭神が特殊な「姫」という呼び名だけで呼ばれ、神話に系列化されていないことが神奈神社の社格がたいへん低い理由でもある。神奈家にお金がないのもある意味そのせいだ。  それを知ることができたら――その思いは、己の育った家に向いていると同時に、ずっと寄り添ってきてくれたぬくもりにも向いている。  粉屋の教室に行く時間がほとんど取れなくなっていた。あるいはどこか自然に足が遠くなっていた。自分で調べ物に没頭しはじめると、どこかで意地を張って。 (姫さま、わたしが、ね、一人でものを為すことができたら)  今年の弔花には、ひとつ問題がある。 (わたしをわがまま娘ではなく、巫女として、あなたに並び立つ友だちとして認めてくれるかしら)  姫の声が聞けることだけが取り柄だった不出来な巫女が、四月に姫と喧嘩したきり、一度もその身体に姫を降ろしていないことだ。 ×  ちいさい頃、春が今のような儀式前の期間中にわあわあ泣いたことがあった。 「姫さま、姫さま、お母さまは春のことが嫌いなの」 『これこれ、何を言う。急にどうした、春』  姫さまがふわりと降りてきて春をぬくもりに包んだ。春は触ることのできないけはいに縋り付いてしゃくりあげた。 「春はね、とても頑張っているのだけど、お母さまは一度も褒めてくれないの。黙ってわたしを見ているだけなの。お母さまは春のことが嫌いなのかな。春なんかいなければよかったって思ってるのかな」 『そうではない』  そう囁いて、春の手を握るようにあたためてくれた姫さまがいなければ、春はきっと、今のようには生きていかれなかったと思う。 『おぬしが���立派になるはずと信じておるのじゃ。ここで褒めるよりもずっと、もっと先の立派なおぬしの姿を見つめておるのじゃ』  あのぬくもりを、春は、思い出したい。 ×  梅雨明けが近づき、あじさいは色あせた赤に移っていった。  小雨の空に晴れ間が覗くようになり、古蔵を叩く雨音もどちらかといえば不規則な水音に変わりつつあった。  午前にあった舞の打ち合わせ明けに昼食をとって、眠たい時間をうつらうつらと古書に埋もれる。大事な資料に頭をぶつけそうになって何度かはっと目を覚ました。神奈家の記録は古いほうからだいぶ後代まで見尽くしてしまった。あとは春たちにも比較的近代の記憶としてなじみ深い時代の記録だけだ。当初の来歴を知るには手づまりになってきた感がある。  記載の作法なのか祭神は常に婉曲的に表現されて直截に名前を呼ばれたりはしていない。  いけないいけないと頭を振って、休憩を取るために腰をあげた。  根を詰めすぎるより、適度な休息と甘味が学問の効率を上げるものなのだ。気を逸らした瞬間に妙案が浮かぶこともある。セレンディピティといって、昔セイロンの王子たちが探し物の天才で、いつでも探すのをやめた瞬間に大事なものを発見することにちなんでいる。これもなつめ(と翳島)の教えだ。  空がだいぶ明るくなっていた。高い小窓から見上げるついでに、座りっぱなしで痛くなった腰に手をあてた。雨上がりの匂いのする七月の空気が心地よい。  そのまま背筋をそらして身体を解したとき、机代わりにしていた棚の端に肘を引っ掛けた。 「わっ!?」  振り向いて目を見開いた。押してしまったのは積んだ書物の山だった。大事な資料が順番に崩れて床の上に落下していく。  とっさに両腕をさしのべて床の上に身を投げ出した。ときに己の心身よりも先人の知を重んじる見習い学問者としての性であった。  ばさばさと倒れた春の上に残りの古紙の山が積み重なった。知の結晶を守れた気はあんまりしなかった。 「っつう……」  むしろどちらかといえば自身の体重で押しつぶしてしまった気がする。本の上で後悔に震えながら呻く。一人で何かをやろうとしても、春はまたこれだ。いつだってそそっかしくて、熱中するとまわりが見えなくて。身体を起こすと辺りの紙片がぱらぱらと落ちる。春自身も舞い散った埃でけほけほと咳き込んだ。  どだい、こんなへっぽこ巫女ひとりで一〇〇〇年の神社の謎を解こうなんて、無理な話だったのかもしれない。笑い話のような状況と相反して心境が曇り始めた。涙ぐみながら春は本や冊子を拾い上げひとつひとつ頁を伸ばす。  そのひとつを手に取ってふと動きをとめた。  昔願いをこめて神社に贈られたという詩歌のいくつかが厚紙に綴られている。  セレンディピティ。  春は破れかけの古紙をつまみ上げて窓の光にずっと翳していた。 ×  古書の包みを抱えて三条の昼下がりに繰り出した頃、晴れ間はいつしかじりつく日差しに変わって鮮やかな初夏の様相を呈していた。  藍の絽単衣に紅花柄の白い帯。春にしては珍しい落ち着いた色の着物だ。なんとなく気が締まって〝多少の背伸び〟のつもりで装った。でもやっぱり落ち着かなくて頭の後ろにこどもっぽいリボンを結んでいる。粉屋をあけていた期間はひと月にもなるかもしれない。春があけているからといって神奈神社に来るような人たちでもないから、顔を見せるのはほんとうに久しぶりだ。  少しは大きくなったように見えるかしら。見た目はそうそう変わらないんだけど。ちょっとつま先立ちで背筋を伸ばして、どきどきしながら三条の門を叩く。 「あ」 というのがその春に対する最初の出迎えだった。  麻見冬子であった。両手で携えていた帳面をぱたんと閉じた。  その手元から帳面に挟んでいたらしい紙の切れ端がいくつか滑り落ちて床に散った。春はとっさに拒絶めいたものを感じてしまって戸口で立ち尽くした。冬子は春と逆に彼女にしてはめずらしい稚気のある格好をしていた。というか冬子の夏服姿を初めて見た。橙の鮮やかな縞単衣。  心の中に一瞬うそ寒い風が吹き抜けた。  冬子とは春の終わりに橋げたですれ違ってからまだきちんと話をしていない。――姫さまと話さなくなってから。  あのあと何度かここに来たときにことごとく冬子はいなかったから、なんとなく彼女はここから自然に剥離して引退でもしたかのような気でいた。 「……冬さん」  意識的に気持ちを解凍するつもりで春は口を開いた。一方的に気まずくなったってしょうがない。ひと月会わなかったのは当たり前だけど春の勝手だ。 「なつめさんたちは?」 「あぁ、うん」冬子は粉屋の日陰でひとつふたつ瞬きした。「出てる」  ひと言。春は何が何やらわからない妙な心地���なって唇を結んだ。  冬子はもとから決して口数の多いほうではない。けれどたった三文字で表されたその呟きが、冬子となつめたちの思わぬ近さを示しているように思われたのだ。 「わたし……」  でも、春は、冬子に意地を張るために来たわけではない。  ここで黙り込んでしまったら、あるいはいっそ「じゃあいいです」なんて背を向けてしまったら、春はきっと姫さまと喧嘩した頃と一緒だ。春は姫さまや、春が認めてほしいたくさんの友人たちにきちんと顔を向けたい。  冬子だって友人の一人だ。なつめが認めた春たちの仲間なのだから。  春は改めて息を吸った。決意の表明だった。 「わたし、聞いてほしいんです。大事な発見をしました。まだ仮説ですが。この発見の確実性を、誰かに聞いて判断してほしいんです」  冬さんは賢い女性だから、となつめが言ったのを思い出している。  冬子がなつめの言うような賢い人であるのなら、春の思いついたことだって理解して、一緒に考えてくれるだろう。ぴりっと心の中を複雑な思いが駆け抜けた。冬子と学問的な話をしたことは春はほとんどない。  冬子は粉屋の日陰から黙って見ている。  思いを押し流すように、先手を打って喋った。 「わたしの家、神奈神社、は冬さんも、話にくらいは知っていますよね。麻見さんの家に比べたら噂にもならない田舎者で恥ずかしいのだけど……わたしが自分の家の『姫さま』と一緒に暮らしてきたのも、なつめさんたちから聞いてるはず」  息継ぎをする。己の言うことにどきどきしている。 「その姫さまの正体が、ずっとわからなかった。なつめさんたちも一緒に、それを調べようってずっと言ってて」  持ってきた包みをあけて、書物を取り出した。それはかつて有力な参拝者たちから神奈神社に贈られた歌を複製した、重たい和綴じ本だった。ここまで持ってくるのにも少しそわそわしたけれど、たぶん神奈神社ではもともとこの手の記録のたぐいがあまり丁寧に扱われていない。  春は机の端に本をどんと開いた。古い墨と埃の混じりあった匂いが頁の間から立ち昇って鼻腔に触れた。 「『佐保姫の秋も統べたるかむながら花も紅葉も錦とおもへば』」  読み上げた。 「佐保姫」  季節の「春」の神さまである。  もとは確か奈良の佐保山の神格だったはずだ。しかし佐保山が桜の名所であったことから桜や春霞を司る神となった。芽吹きの季節を象徴する女性神としての佐保姫は、歌集などに織り込まれて全国で登場する。  その姿は一般に薄い衣をまとった若い女性だ。 「『春の』神さまなんです……ふつうは秋の歌に歌いません。この歌、時代表記は江戸の文政、時節は神無月になっています。この頃はまだ神奈神社に伝承がきちんと残っていたのかもしれません。かむながらというのは神無月と響きを掛けているのでしょう。それと、神奈神社とも」  秋に災害を鎮めたという神奈神社とも。  心臓が高鳴っていた。神奈家の神木は桜の花だ。秋にも咲くことがあるという季節呆け桜――実際に咲いたら、特に災害の後の哀れな人民の前に咲いたら、彼らはこぞって自分たちの生き抜くための伝承を、その花に与えたがるだろう。  春はだから、己の姫を、佐保姫と定めて考えてみたのだ。  佐保姫の秋も統べたるかむながら、花も紅葉も錦とおもへば。  解題をしてみよう。春も齧る程度なら古文が読める。春の神であるはずの佐保姫が、秋の季節をも統べている。それが神無月、神奈の神の意志なのだ。桜も紅葉も、山を飾る錦という意味では、神さまも同じだと考えているから。  由来はどうだろうか。南やまとの国から来た、平穏の象徴のような春の神。神奈の最初の巫女が、そのお姫さまに世の平定を託したのだとしたら。 (素敵じゃないか)  それは、とても素敵な空想だ。胸の中で入り混じった桜と紅葉の風景が咲く。ふわっと風の匂いが重なって匂い、春の心を遠くに運んでいく。 「私さ」  冬子が口を挟んだ。冷静な声だった。  春は粉屋に引き戻された。  また遠くに意識が飛んでいた。悪癖だ。慌てて応じて頷く。  冬子はちょっと困ったような眉をして姿勢を正していた。粉屋は夏の日陰を落としていた。 「そういう研究とかなんかは全然わかんないって、前に言ったよね」  春は咳払いをして体裁を繕った。説明を足そうかと思ったのだが、冬子は迷惑そうだ。 「あの。でも、じゃあ、どうして今……何をしてたんですか」  春の目がうろうろと動いた。床に滑り落ちていた走り書きの紙を見る。冬子が最初に取り落としたものだ。いくつかの図案と英字が筆写されている。なつめが昔読んでいたはずのなんとかっていう科学者の本。  冬子はこれを読んでいたのじゃないのだろうか。自分で勉強するために……  冬子が身を乗り出して春の視界を遮った。  その死角越しに、素早い手つきで紙片を拾い集めて懐に仕舞った。一瞬の動作だった。春がきょとんとしていると、切れ長の目が無表情に春を見据えた。  聞かないで、と言わんばかりの。  なぜかさっきよりもずっと、拒むみたいに。 「一つ、私に言うことができるなら」  意図して表情を消したみたいなその話し方で、春は思わずたじろいだ。 「わからないけれど、その歌一個で決めちゃいけないんじゃない。ほかに根拠があるならいいんだけど」  春は口をつぐんだ。そもそも今日は指摘をもらいにきたのであり、そういう助言はむしろ歓迎のはずなのだ。なのに傷ついたのは、気づいていなかったことを指摘されたから以上に、冬子がそれを言ったという驚きのせいだった。  だって、冬子はいままで、調査や考察について意見を求めても、ほとんどまとまった考えを述べることはなく過ごしてきたのに。なつめの本で勉強をして、春のいないあいだにずっと詳しくなったのだろうか。 「どういう意味で……」 「私にはその歌、必ずしも神格についてのものだって思えなかったけれど。神奈神社って確か、変な時期に咲く桜があったでしょ? たまたまその年の秋頃に咲いて、綺麗だなってだけの歌かもしれないじゃない。佐保姫なんてほぼ、枕詞みたいなものだし」 「でも……」  春は眉を寄せる。神社に納める歌に、そうそう祭神と違う神の名前を含めて詠むだろうか。  冬子は続けて、首を振った。 「そうじゃなくても、神さまの名前や正体って、時代とともに変わっていくことがよくあるでしょ。私、別に春の思いつきを否定してはいないのよ。だけど、順番が逆かもしれないのではない? 当時もすでに神奈神社の神格はわからない状態になっていた。そこに桜が秋に咲いたから、きっと佐保姫だ、って歌われたとしても、理屈は通る。私が無学なだけ?」  春もそこまで言われて気が付いた。庭の神木は確か樹齢が一〇〇年と言われていたはずだ――神奈神社が建立された一〇〇〇年近い昔から、ではない。  だとすると、むしろあの樹は、この歌が詠まれたあと、後付けで神木になったとしてもおかしくない。  一〇〇年前、文政……。突然、手の中に携えた古い本が心象として重く、価値として軽く思われはじめた。そういえば春の部屋にある掛け軸だって文政のものだった。あのときは遠い昔のことだと思ったのに。  たった、一〇〇〇年のうちの一〇〇年。同じ時間をあと九回延長しなければ姫さまの「最初」には届かない。  心にずっと空いたままの空洞に、びゅんと歴史の風が吹き抜けたような気がした。  春にはまだ……届かない。 「そんな」  冬子が端正な顔をふとしかめた。 「そんなに思い詰めることかな。色々頑張ってまで」  その独り言に春は刺された気がしてぱっと顔を上げた。 「冬さんは」  思わず言い返しかけてあまりに刺々しい言葉になりかけたのですぐに呑み込んだ。冬さんはお家とずっと喧嘩してるからそんなことが言えるんだ。そんな意地悪を言いかけたのだ。  でも、冬子だって意地悪だ。春にとって姫さまはずっと家族で最愛の友人だったのだ。彼女を知りたい、また戻ってきてほしい気持ちは、外からじゃきっとわからない。  はしたない言葉を頭から掻き消す。代わりに春は別のことを言う。 「冬さんだったらどうやって探しますか。正解を。求めている謎の向こうを」  冬子は諦めたように鼻から細い息を吐いた。そのまま長いこと沈黙していた。 「私はね」  低い声で、 「何かをそんなに、知りたいと思うことがないから。知りたかった頃に、戻りたいことはあっても」  その手の中で、かさりと紙が音を立てる。  目を伏せた春は、その意味を考えた。冬子は前にもおとなになんてなりたくなかったって言った。そうやってまるで春との間に断絶があるみたいに振舞って、春を突き放す冬子のことが春はやっぱり好きになれない。もちろん冬子は年上の綺麗な女の人だけど、仲良くしたいと思うくらいには身近で生活している人なのに。  風呂敷を包み直すために手にとった。春にとっては意味のある発見だった。けれど、一を知って満足してはいけないのだと冬子は言う。正解が別の場所にあるのだとすれば、まだ突き止めるために探さなくてはならない。  無力感を振り払って力を込めたとき、冬子はもう一言言い足した。 「誉」  最初、その音が何を示すものなのか、春姫は聞き流しかけた。  それからはっと顔を上げた。 「誉?」  ほまれ? あの……僧服の少年の誉か? 他に思いつかなかった。けれどあまりに唐突だ。 「誉なら、もっと手がかりを知ってるかもしれない」  冬子はそう続けた。  なぜ冬子から、今、ここで、その名前が出る? 「冬さん……も、知り合いなんですか」  も、と付け足したのはなつめと翳島の顔が浮かんだからだ。春が知らないうちに仲間たちの内にあった共通観念としての少年。姫さまだって彼の名前を口にした。いつだってあの黒い影が春の近くについてまわる。  冬子は黙って宙を睨んで、小さな声で呟いた。 「春は、知らないでしょう」  何を。 「神奈神社は、高瀬川の警察ともともと関係がある」  不安がすうっと胸中を過ぎった。  ちょうど窓から差す夏の光に雲が覆いかぶさって粉屋の中も一瞬暗くなった。春は目線を合わせてくれない冬子の横顔を見つめながら当惑して呟いた。 「関係って……?」 「知らないわよ、私だって。みんなが言うのを聞いていただけ」  神奈神社は、高瀬川の警察ともともと関係がある。春にとってそれはひどく不穏な言葉だ。だから姫さまも誉のことを知っていたのだろうか? 誉が姫さまに語りかけることができたのも……?  冬子は両目を眇めて、先を続けた。明らかに意図を持って、抑揚を消したような言い方で。 「高瀬川に言えないから、まだ神奈神社にも黙っておこうとか。なつめ君が」  なつめ。  が、そう言ったって。  春は奇妙な感触が込み上げるのを胸のあたりを押さえて我慢した。 「なつめさんは」  震える声で。 「何かをわたしに、隠しているんですか……?」  誉と春に、関係があるということを。  ゆっくりと雲が動いて雲間から目も眩むような陽光が降り注いだ。春の中に遠く一年前の姫さまの声がよみがえってまたたいた。あやつ、何か隠しておろう。気に入らぬ……  冬子が頷いた。 「うん」  一言。  裏の勝手口ががらがらと開いて、少年たちの笑い声がいっせいに響いてきた。  春は後ずさって、とっさに自分の風呂敷をつかむとそのまま後ろの扉を飛び出した。粉屋の見えないところまで離れたのは、ほとんど無意識だった。  息せききって橋の欄干に縋りつき、ようやく汗だくで顔をあげたとき、春の眼に柱の銀のプレートが写った。  高瀬川だ。
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