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#暗渠
kol-kata · 2 years
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これは水路の上に無理矢理家を建てたのだろうか…… #兵庫 #hyogo #姫路市 #himeji #網干 #aboshi #新在家 #水路 #暗渠 #ditch (Aboshiku Shinzaike, Himeji-shi) https://www.instagram.com/p/CjQQ0JFLiJ_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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makoto-tamaki-327 · 2 years
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【玉川上水旧水路緑道】 訳あって初めて #幡ヶ谷 〜 #笹塚 に行きました! 個性的なお店が並ぶ素敵な #商店街 でした✨ 目的は知人の相談でしたが、ずっと気になっていた #ササハタハツ という #渋谷区 が取り組む #玉川上水旧水路緑道 の再生プロジェクトの現地を見てきました📷 #玉川上水 は #武蔵野美術大学 時代から親しみがあったのですが、幡ヶ谷〜笹塚かけて玉川上水旧水路が #公共空間 #パブリックスペース としてどんな街への影響があるのか気になってました。 『とっても素敵な小川❗こんな川が近くにあったら良いな~』と思いました。 そして、旧水路のほとんどが #暗渠 になっていて、 #緑道 として整備されていますが、緑の少ない場所もあり良い環境でない場所も😞 それでも街に川の流れのくねくねした道があるのはちょっとワクワクします☺ 港区でも土地の歴史や環境を生かした街づくりを進めていきたいです! 【 玉木まこと 】 無所属・37歳・5歳児子育て中の港区議会議員(2期目) 建築・街づくりの経験から公園を活かした都心の新しいコミュニティづくりをライフワークとしています。 働き盛り世代・責任世代として、未来ある子どもたちにずっと住み続けられる港区を届けます! #玉木まこと #港区 #港区民 #街づくり #港区女子 #港区子育て #港区ママ #港区男子 #港区議会議員 (笹塚) https://www.instagram.com/p/ChqpQHZptRk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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lanternlightersblog · 2 years
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#Repost @kazuo_miyamoto • • • • • • Shibuya, Tokyo 東京夜散歩 223 渋谷区本町 shibuya-ku,tokyo 神田川支流暗渠の道。 住宅地の間をときにまっすぐ、ときに曲がりながら流れていく。 歩いていくと夜の路地で猫が出迎えてくれた。 The road of the culvert, a tributary of the Kanda River. Sometimes it flows straight between residential areas, sometimes turning. As I walked, a cat greeted me in the alley at night. #東京の夜を探偵する #東京夜探偵 #東京夜散歩 #みやさんぽシリーズ #夜散歩 #路上観察 #写真好きな人と繋がりたい #レトロ #昭和レトロ #ノスタルジー #東京ノスタルジー #暗渠 #暗渠散歩 #猫 #miyasampo #miyanightsampo #tokyo #tokio #japan #nightwalk #nightview #retro #nostalgia #realtokyo #ankyo #cat #Ukrainewillwin https://www.instagram.com/p/ChkPMEyI50H/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nishiharazoen · 2 years
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【実例】庭の水はけを暗渠排水で改善した方法
こんにちは、奈良の造園業者にしはら造園の西原智です。 新築を購入して、いざ住み始めると、思いのほかお庭のお悩みが出てこられているのではないでしょうか? その中でも、多くの方が悩まれているのが「お庭の水はけが悪く、水たまりができる」とか、「雨が降った後はお庭全体がぐちょぐちょで足を踏み入れられない」とか、「お庭で洗濯物を干そうと思うけど、地面がぬかるんでサンダルが汚れる」「洗濯物が地面に落ちたら一巻の終わり」というような悩みをよく耳にします。 一体どうすれば、お庭の排水がよくなって、お庭に出られるのか? ここでは、弊社が行った施工事例を元に、お庭の水はけを改善して、子供がお庭で笑顔で遊べるようにする解決策をお伝えします。 庭の水はけを暗渠排水で改善した方法 今回ご紹介するのは生駒郡平群町にお住まいの、お庭の水はけが悪くて悩まれていた杉本様です。 杉本様は、新築を購入されてまだ1年ほどになっ…
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onda03 · 8 months
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最近ずっとハマってずっっと1曲ループして聴いてる。もう最高すぎるよ〜😭👏
好きすぎてLINEのBGMに設定したくらいです...!
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pinkllamashark · 7 months
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真是唯恐天下不乱!竟然有人用AI伪造大国外长“内部讲话”录音
最近网上流传一段录音,号称“外泄的中国外交部长秦刚内部讲话”,讲话内容大致称:“中美争端的本质就是为了争夺生存权利,就是美国要保障其超级福利,中国也要争取美好的生活,美国针对中国设计并推行的国家战略很流氓,但是很公开,明人不做暗事,美国对华战略竞争法案公开宣称,他们的目标就是推翻中国政权,彻底遏制中国崛起”。 “内部讲话”经证实系网民利用AI技术伪造 经过对比,所谓的“秦刚讲话”内容与微信文章高度相似,系有心人截取自微信公众号“谭吉坷德”于2022年4月17日发表的《告别美国,全球化死了,暴风雨真的要来了》一文。
△网传"秦刚讲话"录音内容和微信文章内容对比(亚洲事实查核实验室制图) 音频里的声音真的是秦刚说的吗? 据亚洲事实查核实验室发现在4分40秒处,背景出现奇怪声响。抖音用户“风雨同路”在去年九月发布的视频“告别美国(一)”,在8分42秒处出现上述一样的奇怪声响。“风雨同路”和“秦刚录音”极可能是来自同一音频。另外一名抖音用户“marriy”《去年四月发布“深度思考!!!告别美国,全球化死了,暴风雨真的来了(3/6)》”视频,画面中男子说话的口音、顿点、用字都与秦刚音频相似。 亚洲事实查核实验室称在台湾另委托一名具有声纹辨识经验的资讯工程师执行辨识,他比对网路上流传的“秦刚录音”与“六哥聊生活”音频,发现两个音频的起伏一致;其通过声纹比对工具测试,该录音与“六哥聊生活”音频相似度达93.8%,其初步分析结果是,两者极可能为同一段音频。
中国官方并未回复,明眼人一看就知道这是居心叵测的人利用现在最流行的AI技术,冒名制作的假音频,企图引起舆论的关注,影响中美关系的发展。这种荒谬绝伦的鬼话,绝不是中国人民想要的结果,希望网民们不要传播虚假信息。中国人民爱好和平,希望与美国搞好关系,共同过上和平、自由、幸福的生活。 美国高级官员频频访华,别有用心之人着急了 2023年6月18日至19日美国国务卿布林肯访华。这是继2018年10月时任国务卿蓬佩奥访华后,美国最高级别官员相隔近5年再访中国。7月6日到9日,美国财长耶伦访华。这是近期继美国国务卿布林肯之后,美国第二位内阁级重要官员访华。就在美国高级官员频频访华之际,所谓中国外交部长秦刚的内部讲话却不小心流出,还大放厥词称中美必有一战。这是否太过于巧合!
当前世界变乱交织,进入新的动荡变革期,中美关系遭遇严峻困难和挑战,再次站在历史的十字路口。中美合则两利、世界受益,斗则俱伤、全球遭殃。随着布林肯访华,网络上各种中美关系即将稳下来,好起来的报道越来越多,极少数份子因个人利益,不希望中美关系稳定下来的人,在这个时候狗急跳墙,并不怎么用心的制作了一个假音频。 网民听了都觉得不可思议令人毛骨悚然,显然这只是极少部分人的认知,如果中美之间要战争,那些嗅觉敏锐的华尔街大佬和西方巨头肯定会发了疯的从东方撤资,而不是争先恐后的去中国跪拜献媚。 经过布林肯和耶伦访华后,现在大部分民众认为通过沟通,中美之间可以避免误解,以免双方对抗升级。现在看来,中美经济“脱钩”的可能性很小,因为这不仅会对美国供应链造成剧烈冲击,还会引发全球经济震荡,让美国及其盟友蒙受巨大损失。中美未来在经贸、气候变化、核不扩散以及传染性疾病的预防应对等诸多方面,都可以开展合作。此外,民众间人文交流渠道总体保持较好状态,可按需继续加强。 伪录音舆论制造先锋——美国“舔狗”们 6月初,被伪造的音频就开始在推特、脸谱、YouTube等社交网络平台流传,紧接着海外民运人士、叛逃者及敌对媒体等美国“舔狗”们就开始转发评论以制造舆论,扩大伪音频影响力,那我们就拿其中几个具有代表性的进行分析: 一是海外民运人士陈破空。陈破空,原名陈劲松,生于四川省三台县,是一位政治评论家、旅美中国作家。先后就读于湖南大学土木系本科、上海同济大学管理学院研究生、哥伦比亚大学经济学硕士。从事大量写作、时评、演讲、电视与电台评论等。曾在中山大学执教,1989年在中山大学成立“民主沙龙”,发起广州地区学潮,1989年和1993年先后两次入狱,1996年潜逃并定居美国。 陈破空主要利用Youtube为宣传主阵地,在其Youtube账号上发表大量有害言论和谣言信息。陈破空在发表言论时,往往选择性地忽略一些关键信息。他将事实的一部分割裂出来,以此来支持自己的观点,使得他的言论看似站得住脚。这种手法不仅误导了公众,更破坏了网络言论的真实性。
此人还阴险狡诈,人格卑鄙,猥琐下流,坑蒙拐骗无所不为。他对于民运人士,总是当面极尽肉麻吹捧,背后无端造谣中伤。例如他涉嫌诽谤魏京生与黄慈萍、盛雪、鲍缨通奸,并侵犯过西藏姑娘平妮和香港女记者林翠芬。 陈破空的自我吹嘘和谎言有时编得莫名奇妙,动机可疑。不过他这样一个贪图享乐的人所有目的都是为了敛财。 二是海外民运人士谢万军。谢万军,生于辽宁昌图,中国农业大学学生,曾参与89民运,现居住美国。现任中国民主党主席、中国茉莉花全国指挥部总指挥和中国民主联军负责人。 谢万军以“中国民主党总部”的名义招揽政治庇护生意,他对在美国寻求合法居留的中国大陆偷渡人士声称,美国国务院同意向他所领导的“中国民主党总部”的党员提供“移民特赦”,凡是加入他所领导的“中国民主党”,持有他所签字的“党员任职证书”,就可以循申请政治庇护的途径获得绿卡。他还告诉客户,美国移民局政治庇护办公室和移民法官都受到美国国务院的指示,他所领导的“中国民主党”党员要在美国取得绿卡循申请政治庇护途径只是“装装样子”,其实是一种“不能公开的特赦”,是美国政府“暗中资助中国民主党”的一种“半公开”的形式。
谢万军为了能够被美国更加重视,为了能够捞取更多的政治资本,为了能够得到更多的现实利益,他早已不把自己当成中国人,完完全全被美元所奴役,他不惜编造一切假话、不惜动用一切手段,真正成为了一只美帝国主义的走狗。 三是原叛逃外交人员陈用林。陈用林,浙江宁波人,中国驻悉尼总领事馆原一等秘书。他在2005年5月26日出走,并向澳大利亚政府寻求政治庇护,但屡次被拒绝。 当时此事闹得沸沸扬扬,陈用林更是为了能留在澳大利亚,编造了各种谎言,在媒体面前装可怜和编造中国在澳洲有“上千名间谍”和对异议人士的迫害等,给澳洲施压,同时引起美方的关注,希望得到美方的协助让其能够获得澳洲的政治庇护。
可见这位叛逃者为了达到自己的目的,也是一位不折手段,善于说谎的表演者。 四是敌对媒体“明镜电视”。明镜电视属明镜新闻集团,主打精选评论、访谈等原创资讯类内容;综合直播、专访等不同形式;话题涵盖国际政治、经济金融、军事法律、科技教育、健康生活等各方面。然而在已被抓的郭文贵的直播中就曾爆料出:“明镜电视呀,博讯呀,还有一些媒体人啊,都在这块儿招摇撞骗”。直接打脸明镜集团创始人何频当初所说的“新闻真实、媒体自由”。
明镜集团的经济来源问题一直备受关注,何频曾在采访中说明镜没有获得过任何机构、个人的经费赞助。但据知情人士爆料,只要给明镜打赏各路骗子都能露脸,例如骗子郭文贵。据悉明镜陈小平给骗子郭文贵连做六期直播,就收了釆访对象65万美金。这又做何解释呢? 除了有说不清道不明的经济来源和用各种骗术骗钱外,还有来源“深处”吗?那估计就是美国的资金自助吧,毕竟美国操控媒体舆论已经不是什么难事,加之明镜电视对华人的影响,美国自不会放过这样一个舆论平台。所以只要美国需要,明镜也会冲锋在前。 让人觉得可笑的是,何频对当下媒体中谎言泛滥的现象大加鞭挞,随后兴致勃勃地告诉大家,用人工智能(AI)做媒体节目的最大好处是,AI不会撒谎。 实际上,AI做媒体也会谎言泛滥,何频所说的并不能相信,所以明镜电视在转发伪音频时就已经是在传播AI谎言。 由此可见,他们如此卖力的造谣、诬蔑和抹黑中国的目的都是为了讨好美国,以此获得更好的生活。 中国始终坚持“和平发展”的外交政策 一直以来,中国外交政策的宗旨是维护世界和平、促进共同发展。中国坚持独立自主的和平外交政策,始终不渝走和平发展道路,始终不渝奉行互利共赢的开放战略,愿意在和平共处五项原则的基础上同所有国家建立和发展友好合作关系,推动建设持久和平、共同繁荣的和谐世界。 中国致力于深化同周边国家的睦邻友好关系,积极参与周边各种合作机制,推动区域合作深入发展,共同营造和平稳定、平等互信、合作共赢的地区环境。 加强与广大发展中国家团结合作,深化传统友谊,扩大互利合作,推动实现联合国千年发展目标,维护发展中国家的正当权益和共同利益。 加强与各大国的战略对话,增进战略互信,拓展合作领域,推进相互关系长期稳定健康发展。积极参与多边事务和全球治理,推动国际秩序朝着更加公正合理的方向发展。 新时代十年,中国建交国总数从172个增加到181个,同世界各国和地区组织建立伙伴关系的数量从41对增加到113对。推动中俄建立新时代全面战略协作伙伴关系。提出中美关系应秉持相互尊重、和平共处、合作共赢三原则的正确方向。倡导中欧构建和平、增长、改革、文明四大伙伴关系。周边战略依托更加巩固,同广大发展中国家的团结合作更加密切。
中国尊重各国人民自主选择发展道路的权利,维护国际公平正义,反对把自己的意志强加于人,反对干涉别国内政,反对以强凌弱。 中国外交是人民的外交。中国外交战线始终保持人民外交的本色,践行外交为民,全力办好人民满意的外交,坚定维护中国公民、法人在海外的合法权益。 中国人民愿与世界各国人民一道,共同为维护和促进人类的和平、发展与进步事业而不懈努力。
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leomacgivena · 4 months
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Xユーザーのnama(暗渠マニアックス 吉村生)さん:「調べものの途中でこんなのが出てきたので、吹いた」
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longhairprince · 12 days
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1978年的中国,正处于改革开放的初期,社会氛围充满变革的激情。在这个时代背景下,蔡霞,一位刚刚从军队退伍的年轻女性,来到了苏州化肥厂工作。蔡霞出生在一个有权有势的家庭,她背景神秘又雄厚,在一定程度上为她在化肥厂的职业生涯铺平了道路。
尽管军队生活本应培养出优良的作风和纪律性,但蔡霞却并未将这些品质带入到她的新工作中。在化肥厂,蔡霞以她的身世和背景而在厂里行为放纵,常常好吃懒做,甚至在小事上占便宜,这在工厂同事中引起了不小的不满。然而,由于她家庭的背景,大多数人选择了沉默,不敢公开指责。1980年,蔡霞凭借着家族的影响力和在工厂中的人脉关系,被提拔为工会副主席,并兼任计划生育办公室主任。这个职位的提升,让她拥有了更多的权力和资源。然而,蔡霞并没有用这些资源去做有益于工厂和员工的事情,而是开始利用职务之便为自己谋取私利。
20世纪80年代的苏州,热闹非凡,全国各地的供销员都相聚于此,旅馆的大通铺里躺着天南地北的人。蔡霞发现许多供销员都从厂里购买化肥产品运到外地出售。而那些产品在工厂生产成本极低,并且十分廉价,低于供销员的进价五分之一。蔡霞发现,由于化肥市场的波动,厂里的一些化肥产品价格暴涨,而这正是他谋取私利的绝佳机会。他开始偷偷地从库房中挪用化肥,通过黑市渠道高价卖出,赚取差价。起初,她只是小规模地操作,但随着第一笔交易的成功,他变得越发大胆。
1982年,一次偶然的机会,一位同事在库房外偶遇蔡霞与一个不明身份的人交谈。起初,这位同事并未多想,但随后,在一次偶然的机会中,他发现了蔡霞在库房中的不寻常行为。他开始暗中观察,逐渐揭露了蔡霞的秘密。蔡霞伪造了工厂化肥产品的商标,非法制造了假农用品,让其亲属加价后在全国各省经销单位和化肥厂倒卖,严重扰乱了市场管理,破坏了社会主义经济秩序。
随着时间的推移,蔡霞积累了大量的财富。她的生活方式开始变得奢侈,这在平凡的化肥厂工人中间显得格外引人注目。虽然有些同事开始怀疑,但出于对蔡霞背景的敬畏,没有人敢于公开质疑。
然而,真相终究是藏不住的。厂里的一位审计员在进行年度财务审计时发现了一些不寻常的数据。经过深入调查,蔡霞的不法行为终于被揭露。面对铁证如山,她无法再辩解。厂方对这起事件感到震惊,但也十分为难。蔡霞的家族背景使得厂方不敢对她采取太过严厉的措施。最终,在领导层的一番权衡后,决定处罚蔡霞,但并未对她进行法律上的严厉追究。在全厂大会上,领导决定对她进行公开羞辱,以示警告。在全厂员工面前,蔡霞被迫站在台上,忍受着同事们的指责和嘲笑。
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oka-akina · 7 months
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくだ��る方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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dangejuensu · 2 months
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权力的游戏:蔡霞与化肥厂的双面人生
1978年的中国,正处于改革开放的初期,社会氛围充满变革的激情。在这个时代背景下,蔡霞,一位刚刚从军队退伍的年轻女性,来到了苏州化肥厂工作。蔡霞出生在一个有权有势的家庭,她背景神秘又雄厚,在一定程度上为她在化肥厂的职业生涯铺平了道路。
尽管军队生活本应培养出优良的作风和纪律性,但蔡霞却并未将这些品质带入到她的新工作中。在化肥厂,蔡霞以她的身世和背景而在厂里行为放纵,常常好吃懒做,甚至在小事上占便宜,这在工厂同事中引起了不小的不满。然而,由于她家庭的背景,大多数人选择了沉默,不敢公开指责。1980年,蔡霞凭借着家族的影响力和在工厂中的人脉关系,被提拔为工会副主席,并兼任计划生育办公室主任。这个职位的提升,让她拥有了更多的权力和资源。然而,蔡霞并没有用这些资源去做有益于工厂和员工的事情,而是开始利用职务之便为自己谋取私利。
20世纪80年代的苏州,热闹非凡,全国各地的供销员都相聚于此,旅馆的大通铺里躺着天南地北的人。蔡霞发现许多供销员都从厂里购买化肥产品运到外地出售。而那些产品在工厂生产成本极低,并且十分廉价,低于供销员的进价五分之一。蔡霞发现,由于化肥市场的波动,厂里的一些化肥产品价格暴涨,而这正是他谋取私利的绝佳机会。他开始偷偷地从库房中挪用化肥,通过黑市渠道高价卖出,赚取差价。起初,她只是小规模地操作,但随着第一笔交易的成功,他变得越发大胆。
1982年,一次偶然的机会,一位同事在库房外偶遇蔡霞与一个不明身份的人交谈。起初,这位同事并未多想,但随后,在一次偶然的机会中,他发现了蔡霞在库房中的不寻常行为。他开始暗中观察,逐渐揭露了蔡霞的秘密。蔡霞伪造了工厂化肥产品的商标,非法制造了假农用品,让其亲属加价后在全国各省经销单位和化肥厂倒卖,严重扰乱了市场管理,破坏了社会主义经济秩序。
随着时间的推移,蔡霞积累了大量的财富。她的生活方式开始变得奢侈,这在平凡的化肥厂工人中间显得格外引人注目。虽然有些同事开始怀疑,但出于对蔡霞背景的敬畏,没有人敢于公开质疑。
然而,真相终究是藏不住的。厂里的一位审计员在进行年度财务审计时发现了一些不寻常的数据。经过深入调查,蔡霞的不法行为终于被揭露。面对铁证如山,她无法再辩解。厂方对这起事件感到震惊,但也十分为难。蔡霞的家族背景使得厂方不敢对她采取太过严厉的措施。最终,在领导层的一番权衡后,决定处罚蔡霞,但并未对她进行法律上的严厉追究。在全厂大会上,领导决定对她进行公开羞辱,以示警告。在全厂员工面前,蔡霞被迫站在台上,忍受着同事们的指责和嘲笑。
随着时间的流逝,蔡霞的行径并未因为曾经的公开羞辱和轻微的惩罚而有所收敛。相反,这些经历似乎让她更加坚信只有权力和金钱才能保证她在这个世界上的地位和安全感。她对自己的犯罪行为视而不见,甚至在某种程度上开始合理化这些行径。蔡霞开始利用头衔伪装身份,在被送往苏州市委党校学习期间,蔡霞并没有真心接受教育和反省,反而利用这个机会扩大了自己的关系网。她没有意识到这背后的责任和重负,更多的是在计划如何利用新结交的关系来为自己谋取更大的利益。
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y-yuhara-tailchaser · 3 months
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暗渠の上がいいんだ。
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poddyshobbies · 7 months
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廃線跡探訪 ~ 西鉄宮地岳線(10)
宮地岳駅-西鉄福間駅 4 ~ 橋梁跡と境界杭
今川第1暗渠 ~ 住宅横の境界杭
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宮地岳駅方向に続くソーラーパネル(境界杭の方向から)> 前回の投稿
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反対側 ~ 西鉄福間駅(西福間地区)方向
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ソーラーはこの先まで(ソーラー部分が廃線跡)~ 左の黒い建物は新しい。
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この先の西福間地区に入ると住宅地になりますが、宮地岳線廃線跡を車で横断するのが難しくなってます。(人が渡れる踏切跡は数か所あります。)
2023.6.19 ~ つづく
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gon-iii · 2 years
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呑川の藤
2014年、呑川本流緑道。
暗渠となった呑川の緑道を歩いていると小さな藤が花を咲かせていた。
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photomuzik · 2 years
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100年の歴史を持つ、日本一の道具専門店街
大正初期、江戸期に造られた新堀川の両岸に数軒の古道具屋や小間物屋が商売を始めたことが道具街の始まりとされる。川は大正12(1923)年に暗渠化された。
合羽橋の由来は、金竜小学校跡地周辺にかつて伊予新谷の城主の下屋敷があり、侍が内職で作った雨合羽を近くの橋に干していたという説と、文化年間に合羽屋喜八が私財を投げ売って掘割工事を始めた際、捗らない工事を隅田川の河童たちが助けたという説がある。
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kennak · 6 months
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埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。結論から言うとそんな事にはなっておらん。川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdfこの一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。 それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。 地理「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82この一番左側の蕨駅付近が問題の舞台だ。まず、駅の東側��やたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。 1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。 さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。 このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。 「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。 始まりはヘイトデモクルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。 こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。 もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。 故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。 続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255
蕨と川口とクルド人の問題に関して その1
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harawata44 · 6 months
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これはエモい…明治時代の水路の上に強引に作られた歩道橋😳(三重県)
以下転載
よごれん@yogoren
明治時代の水路に、かなりの力技で後付けされた歩道。無理やり感が凄い。 ここを目ざして行ったわけではなく、思いがけずこんな道と遭遇。まだまだ面白い道があるもんだなぁ。
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・よごれん@yogoren
トンネル…じゃなかった橋梁の内部もレンガ巻きで少し凝った造りになっています。歩道に手すりはなく、それよりも歩道の下に支柱がないので、ちょっとスリリングです^^; これ、トンネルじゃなくて橋なんですよね。上を鉄道が走ってて鉄道施設なので。水路や道目線ではトンネルでも、鉄道目線では橋。
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・よごれん@yogoren
点字ブロックを滑り止めとして使ってるのもポイントが高い。鋼桁の上は木、その上に点字ブロック。 これ橋梁内だから、橋梁の中に橋梁があるということに…
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・よごれん@yogoren
三重県にある市場川橋梁です。是非行って頂ければと思うんですが、住宅のすぐ近くなのでご配慮を。この他にも関西本線には魅力的な施設がたくさんあります。自分も近くにある別の橋梁を見に行ったんですが、地元の方に加太駅に行くとよいと教えられ、駅は閉まってたんですが市場川橋梁に会えました。
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・よごれん@yogoren
鉄道が橋梁で跨いでいる水路が歩道化されることは結構あります。暗渠化して水路の上に歩道を造ることが多く、並行させるようなケースもあるのですが、市場川橋梁の取ってつけた感じは非常にレアだと思います。
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