Tumgik
#明後日は鶴橋で焼肉
mougen-nikki · 5 months
Text
1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
Tumblr media
2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
Tumblr media
3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
Tumblr media Tumblr media
4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
Tumblr media
5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
Tumblr media
運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
Tumblr media
6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
Tumblr media
7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
Tumblr media
8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
Tumblr media
0 notes
myonbl · 2 years
Text
2022年1月25日(火)
Tumblr media
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、いつもは週末だが今月は正月をはさんだこともあって火曜日にお願いしている。平飼い有精卵・畑無農薬野菜、それに手打ち蕎麦と鶏肉・鹿肉、を、アオサも入っている。最初の頃は見慣れない野菜が一杯あって名前を覚えるのに苦労したものだが、さすがにつきあいも長くなってくると「を、今回はロマネスコが入っている」などと言えるようになったのも嬉しいことだ。このラインナップだと・・・、今夜も鍋に決定!
Tumblr media
5時15分起床。
日誌書く。
Tumblr media
刻みうどん+ヨーグルト+豆乳。
可燃ゴミ、30L*1&45L*1。
Tumblr media
2男はオフ、弁当を2つ用意するが、3男はポリテクセンター京都からの連絡待ち、先にツレアイを職場まで送る。
戻ると「午後から開講(12時30分)」とのこと、それならと2男の弁当も用意する。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
奥川ファームから定期便届く、今月分を振り込む。
糠床メンテナンス、キュウリとニンジンを漬ける。
半熟酢卵仕込む。
11時40分に出発、3男を送る。
帰路、いつものMK石油で給油、170円*34L=5,780円。
残り物でランチ。
Kindleでパラパラ。
14時30分出発、3男を迎えに行く。昨日の休講分は明日以降の午後に補講が入るとのこと。
西大路七条・ライフまで買物、豚バラ肉/焼き豆腐/タコ/ゴマ。
Tumblr media
夕飯は鍋、とは言え野菜はまだ前回分が残っていたので、白菜と青梗菜を投入する。
ツレアイ帰宅、🍶+🍷で慰労する。
録画番組視聴。にっぽんの芸能
「豊竹咲太夫 精緻なる素浄瑠璃の世界」
初回放送日: 2022年1月21日
▽文楽太夫の人間国宝・豊竹咲太夫▽近松作「冥途の飛脚」淡路町の段を素浄瑠璃で堪能▽スタジオ収録で味わう精緻なる人間描写▽【浄瑠璃】豊竹咲太夫【三味線】鶴澤燕三
咲太夫と高橋英樹が同い年とのこと、テレビでは右側に字幕が入るので分かりやすい。
風呂の順番を待つ間にダウン。
Tumblr media
授業が終わると移動が少なくなるので、アクティビティのゴールを元に戻す。水分は、1,600ml。
5 notes · View notes
iakoykonasa · 3 years
Text
むっつ
6/1 意外と早く起きる。ふとギターを弾いたら曲ができそう。 割と暗い歌詞になりそう。そういう気持ちはないけれど。 夕方に役所へ。 うむうむ、という診断結果。いつもの通り。だから困るんだよ、という。 6/2 ラーメンを一袋食べるのがつらくなる。たまに。糖質過多になるので。 体がだるくなっていたが夜になってまともな食事をしたら回復した。やっぱり大事だな。 買い物いかないとまた食べるものがない...。
6/3 ちょっと疲れが出始めている。 夕方に役所へ行く。 とある診断をしたけど、やっぱ、向いてねーとなる。 本当にやる気ないよな。というかもうそういうあれが考えられない。
6/4 作業して買い物に行く。 最近、百貨店でいいのに当たらないな。相変わらず人が多い。
6/5 今日はものごっつうまいラーメンとホットケーキを食べられたのでよかった。 途中でものごっつい建築を見たのだけど、その設計がもしかして、とある女優さんのおじいさまなのかも。 偶然なんだけど、情報が一致していてびっくりしている。 コントが始まるを見た。俳優はやっぱ、声だよな…と何度も思う。 仲野太賀さんってなんであんないいんだろうな。 6/6 眠れなかったのでこのまま生活の矯正を図る。 モーニングに行った。やっと、マクドナルドのハッシュドポテトを食べられた。うまい。 その後、買い物などに行き、明日への準備。 これが日曜日にできると大きい。 おかえりモネを最新回まで見たんだけど、やっぱ、震災のことはきっつい。と、同時にあまちゃん、ラジオを思い出す。 刈谷友衣子さん、なにしてんだろうな…。 6/7 起きてから洗い物などをしてでかける。 信号待ちや電車の連絡など交通運がなかった。 地元へ帰る。 もう街を客観的にしか見えなくてもうここは自分の街じゃないんだって思った。 距離の問題じゃないんだな。 剪定をとてもした。これが仕事になればなあ。 猫が元気だった。 マクドがいい感じに空いててよかったなー。さすが。こんくらい空いてたらいいよな。 6/8 作業。作業。でおわり。 ミートソースのパスタのおいしい作り方をやっと発見したかも。 6/9 さくさく制作。 6/10 さくさく制作2。 というか忘れてしまったDayだろ。
6/11 上本町という街に初めて行く。フレッシュネス、サブウェイと揃ってて、当たり前のようにマクド、モスもあって最高の街だった。 あれは夢の街だったのかい?と問うほど。 駅がそのものがでかい。ここなら奈良にすぐ行けそう。 少し地方都市に来た気持ちになる。多分、古いままで止まってるからだ。 駅横のホテルの建物がなんだか良くて、植栽の紫陽花も綺麗だった。 調べてみたら村野藤吾の設計じゃないですか。そりゃ良い感じのはず。 中も入ってみたいなー。 目的のひとつの焼肉へ行く。地理的に言えば、鶴橋の外れと言った方が正しいか。 これがうんまい。地元でたまに行く焼肉屋の本店なんだけど、ここも咳がゆったりしてよかった。 あと、冷麺がうまいのもいいなー。食べ切れるか心配だったけど、大丈夫だった。 その後は街を散歩。南下いしたら学校いっぱいある住宅地で静かだった。 これが大阪?と思うほど。少し外れた閑静な住宅街みたいな印象。 綺麗な団地があって、あれ、ここ住めるならめっちゃええやんとなりました。 さらに歩いてたら四天王寺に遭遇。 存在は知ってたけど、初めて来た。広かった。亀がいっぱいいたのは気持ち悪かったけど。 今日初めて、もしくは6月初めての客ちゃうか?っていうくらい人がいない庭園を拝観する。 ここがまた良かった。夏のような日差しに木々が青い蔭を作ってくれてとても日本的、禅のような気持ちになり清々しい気持ちになった。 やっぱり、庭は人の心を豊かにするね。 四天王寺を満喫して出ようと思ったら、すぐ横の高校生たちがわんさか。 今の街に住んでたら高校生は見かけるものの匿名的というかどこどこ高校とかわからないから実態が捉えられないんだけど、こうしてわかるとここに通ってたらどんな生活なんだろうか、と想像が少し浮かんでいい。いや、実態は全然わからないんだけど。 (天王寺とかで遊んで帰るんだろうかとか。) そんなことを考えつつ、行きたかったカフェへ。 お洒落かつカフェラテも好みのもので良かった。思ってたより天王寺駅から離れてたので人もそこまでいなかった。 機会があればまた来たい。 自然と一心寺が近かったので、婆ちゃんの墓参りに行く。全然来れてなかったからなー。 前回来たの10年前くらいちゃうか、という。全然、祖母の記憶がないんだけどね。 今度からちゃんと来よう。 また、歩き出して上町台地の坂を堪能する。 大阪市内は坂が少ない地形なので街中の坂は貴重。3つ4つほど上り下りする。 実際あったら、面倒だけど散歩としてはとても良い。 トータルして3時間近く街歩きして足が疲れた。 短めの靴下を履いていて靴擦れした。 もうそんな季節か。 ということで新垣結衣さん、お誕生日おめでとうございます。
6/12 バーガーを食べに行く。うまい。 結局、歩いて戻ってしまう。 スーパーでパイナップルを買う。パイナップルってなんであんなおいしいんだろうな。 好きな果物は?と問われた時には「パイナップル」と答えてるけど、いまいち共感を得ないんだよな。 梨のおいしさが逆にわからん。 パイナップルの良さといえば、お菓子とかジュースとかの加工品でもその感じがブレないところ。 果物によってはこれが?という味がある。果物の個体別にしても。 パイナップルにはそれがない。安定してる。果物公務員。 「安定した職業に就きなさい」と言われたらパイナップル農家になろうと思う。
6/13 ドラムの編集。といえば、かっこいいがいわゆる打ち込みというやつをする。 うんうん、いい感じ。プラグインのフリーのドラムもなかなかいいやん。 多分、こんな使い方しないって使い方をしてる。 かなり完成に近づいた。 息抜きに別の曲を作る。1時間ほどで骨格は出来上がる。 骨格があってないようなもんだけど。それがアンビエント。
6/14 ひさしぶりにアコギに弦を張る。弦を張るという作業が昔から苦手。 いつも、どっちにペグを回すんだっけ?となる。多分、今回は合ってる。 ただ、やり出したら無心でできるというのもある。 弦を張ってから録音。忘れてた。 このギター、めちゃくちゃ弦高が高いんだった。たまに別の人のギターを弾いて驚く。 こんなに弾きやすいのか、と。多分、弦高が高いギターしか弾いてきてない。 おかげで録音にちょっと苦労。 でも、やっぱ、アコギにしてよかったかも。 ということで、エレキで弾いていたギターは公式に別の曲に使える。加工はする。ジャムみたいだな。 他の曲も即興的に弾いてみる。弾き終わってから、かなり集中していたことに気づく。 ゾーンに入っているのかも。ギター弾くときの集中力ってすごいもんね。 上手ではないけど、独自性は獲得しつつあるのかなあ。それだといいんだけど。 キングオブコントの会を途中まで見る。キャンプでのシソンヌ じろうさんとさまぁ〜ず 大竹さんの掛け合いが良かったなー。 こんなに相性いいんだって思った。大竹さんの哀愁の表情が秀逸すぎた。 ダウンタウン 松本さん作のおめでとうはさすが、という印象。 「あの頃」のごっつを思い出してしまう感じ。演出が小松さんだからか。それを今のメンツでされていた。 ちょっとチョコプラ感も感じたけど、逆なのか。チョコプラがっぽいのか。
6/15 この日記をまとめて書く。 日記を書くということがいかに大事かまた痛感する。 よりニュアンスを伝えるために書くならば、「ツッゥー!」(痛)だ。 そのくらい大事。がん保険くらい大事。めちゃめちゃ大事。 大事MANブラザーズバンドも「逃げ出さないこと 日記を書くこと」と歌っていた気がする。 とりあえず、1曲当てて、その20年後くらいにその曲に年号つけて再リリースしたい。 作業の日々。あらゆるものが形になってきつつある。 大豆田とわ子と三人の元夫の最終回を見る。最高最高最高でした。 このドラマを超えるものってもう出てこないんじゃない���、っていうくらいに。 ドラマを作る側の人間だったらもう圧倒的敗北感に苛まれて辞めちゃうんじゃないか。 役者の「声」というものがやっぱり重要。なんだろうね。 これは自分の中の研究テーマのひとつなんだよな。 役所に行って、珍しい名字の人に会った。 こんなにかわいい名字あるんだ。 鈴木福くんと芦田愛菜ちゃんが歌ってあれが名字。
6/16 引き続き役所。自分がやってる音楽について説明するのはいっつも「ぽかーん」とされるから面倒。 聞くわりに食いつかないし、ぽかーんとされるだけでなんか嫌な気持ちになるからやめたい。 当たり障りのない、思ってたような感じになり終了。 おかげで疲れてしまった。嫌だなあ。こういうのを避けたいんだよな。
6/17 作業したり買い物したり。事務作業をぽつぽつ。 プラグインを買ったりした。これでギターの録音が割と充実するはず。 徐々にプラグインとかが増えてきた。 寝ようと横になっているときに架空の会社名を考えて思いついた。 架空の組織図なんかも作ったりしている。
6/18 たまった洗い物をする。キムチはおいしいんだけど、汚れがすごよいね。 韓国料理とか中華料理を主に食べている方ってどういう洗い方してるんだろう。 キムチとチャーシューを食べるのがめっちゃおいしくてこれはビール飲みたくなるなっていうさすがに気持ちがわかる。 ビール飲める方だったら最高だよな、これ。 100分de名著の三島由紀夫の金閣寺が興味深かった。 三島の最後の自決のwikiを見ていたら、やっぱ空虚だなって思った。 全然、「美」じゃないなって。死をかけて訴えたことが野次でほとんど聞こえなかったって厳しすぎるでしょ。 拡声器とかを使わなかったからというものあるかもしれないけど。 介錯もスっといってないみたいでよりつらいな、と。 父はリアルタイムで知ってるはずだし、今度聞いてみよう。 その流れで調べてた三島の映画がきっかけで井浦新さんがエンドロールにアルファベットが並ぶのはどうか、という思いからから本名に改名したのにエンドロールのBGMが洋楽で驚いたっていう話にめちゃくちゃ笑った。 そんなことある? しかも大監督の映画なのに。空虚だな〜。笑
6/19 ちょっと手直しとか。なんとか。 音のバランス決めるのに時間がかかった。 というか一部だけソフトが言うことを聞いてくれなくてこまった。 操作方法が間違ってるのかなと、別のトラックで同様の作業をしたらすんなり。 なぜか、ピンポイントでだめで大きく時間をロスした。
6/20 やっと、マントッツォなるものを食べる。いろんなバリエーションがありそう。 まっちゃんねる、すごかったー。笑った。 昨日してた作業を再び。やり直し。良い感じかも。
6/21 朝から役所へ。すんなり終わって買い物へ。 いろいろ買って帰る。飯作り第一弾。 一旦、終えて今日から始まった好きな冷やしラーメンを食べに行く。 冷やしいりこそば、絶品でした。おいしい。冷やしはすごいよね。 帰ってきてラジオを聴きながら飯作りに没頭。 オードリーのANN、クミさん最高でした。本当に素敵な方だなー。 テレビ千鳥の一周だけバイキングがおもしろすぎた! ギャラクシー賞、取ってほしい。 バイキングであんなにおもしろくなるなんてなー。 企画の発想がすごい。 バイキングに行きたくなった!
6/22 曲の調整が終わり。EPの作曲部分が終了。 一応、予定通りに間に合った。 意外と調整の時間がかかった。 で、から、ジャケットとか視覚的なデザイン作業。 だいたい、頭で組み立ててたものを出すだけだったから割とすぐにできた。よかった。 漠然としていたコンセプトを書き出す。 項目は決めてるけれど、やっぱり書き出すと長くなる。
6/23 ひたすら、ミックスとかマスタリング的な作業。 10こくらい作ってようやくこれでいいかもというのができる。 1番最初のものと比べると段違い。 長い時間かけてよかった。 冷やしすだちそばを食べる。 すだちと冷やしが相性抜群。うまい。 冷やしの場合ってけっこう塩が多めでも良いのかな。 また、ちょっと冷やしの研究しないとな。
6/24 書類を準備したり、あれこれ。 文章を書こうとするも思いつかなくて困った。 が、なんとか思いついて書く。書けた。 6/25 talk talkという曲を出しました。
6/26 体がだるおも…。ぐったりして遅れて前職の方々と会う。楽しく話した。 その後、役所。うーん、無駄な時間だった。あれであれか〜。って思っちゃった。
6/27 うどんを食べに行く。めちゃくちゃうまかった。が、これがのちに響いた。帰ってきて寝てしまった。頭痛も招いた気がする。 さらにかき氷を食べた。
6/28 夏の終わりのためのEPが完成。 めちゃくちゃ売れてほしい。 bandcampのアーティストガイドがいつの間にか変わっていた。うう、これはつらいことになったな。 買い物をいろいろして、今週はこれでかなり持ちそうだ。
6/29 少し止まっていた作業を再開。 うーん、微妙に進んだり進まなかったり。 変な時間に寝ちゃって寝るまでに時間がかかった。 しかし、そのおかげで新たな作品の構想を思いつく。少ない音数のミニアルバムにしたいな。
6/30 どうしようか作業に悩む。 とりあえず、一旦、おしまいにして後の作業でいい方向にもっていけるようにする。 とんかつはうまいね。
3 notes · View notes
challenz-life · 5 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2019年10月30日(水)
こんにちは! 今日は、昨日と違いい天気に恵まれました。 今日のライフは、京橋校と合同でBBQを鶴見緑地でしました。 先ほども言いましたが、いい天気に恵まれて最高のBBQ日和でした。 最初に自己紹介をし、BBQを開始しました。 ある職員の方式により、最初に野菜からでお肉は中間で最後に焼きそばを食べて終わりました。 終始、楽しい感じで終わりました。 その後は、咲くやこの花館へ行き花を見て帰ってきました。 やはり、BBQは大人数でするほうが楽しいですね。 また、このような機会が作れればと思いました。
明日は、木曜日ですがヨガはお休みです。 そのかわりに、室内で体を動かすことをしたいと思っています。 お茶など飲み物を持ってきてください。
今日も一日、お疲れさまでした。 明日も、よろしくお願いします。
1 note · View note
mmellowmm · 7 years
Photo
Tumblr media
三連休。大阪へ向かいます。 この間食べた、最高のフカヒレ料理 自然に触れた、青梅の杜 #海の日#大阪#新幹線#新幹線といえばチューハイ#青梅の杜#世界遺産#フカヒレ #筑紫楼#銀座シックスからすぐ裏のビル #北京ダックはもういいや#八角は不得意 #永福町#永福大勝軒##ginza#express #明後日は鶴橋で焼肉#宮下さん、いつもすいません笑 (筑紫樓 銀座店)
0 notes
2ttf · 12 years
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県���湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進���整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
5 notes · View notes
momijiyama1649 · 5 years
Quote
ざこば・鶴瓶らくごのご お題一覧 1992年    1 過労死・つくし・小錦の脂肪    2 一年生・時短・ニューハーフ    3 レントゲン・混浴・アニマル    4 ゴールデンウイーク・JFK・セクハラ    5 暴走族・かさぶた・バーコード    6 タイガース・母の日・入れ墨    7 目借り時・風呂桶・よだれ    8 しびれ・歯抜け・未婚の娘    9 ヘルニア・目ばちこ・フォークボール    10 造幣局・社員割引・オリンピック    11 父の日・猥褻・丁髷    12 ピエロ・ナメクジ・深爪    13 ミスユニバース・特許・虫さされ    14 魔法使いサリー・祇園祭・円形脱毛症    15 サザエさん・ジャンケン・バーゲンセール    16 ト音記号・北方領土・干瓢    17 妊婦体操・蚊帳・ビヤガーデン    18 身代わり・車だん吉・プラネタリウム    19 床づれ・追っかけ・男の涙    20 海月・肩パット・鶏冠    21 放送禁止用語・お年寄り・ピンポンパン    22 おかま・芋掘り・大人げない    23 復活・憧れ・食い逃げ    24 蒲鉾・風は旅人・半尻    25 泉ピン子・ヘルメット・クリーニング    26 美人姉妹・河童・合格    27 スカート捲り・ケツカッチン・秋の虫    28 チンパンジー・フォークダンス・いなりずし    29 稲刈り・小麦粉・フランス人    30 日本シリーズ・鶴瓶・落葉    31 クロスカウンター・学園祭・タクシー    32 付け睫毛・褌ペアー誕生・ツアーコンダクター    33 泣きみそ・ボーナス一括払い・ぎゅうぎゅう詰め    34 静電気・孝行娘・ホノルルマラソン    35 暴れん坊将軍・モスラ・久留米餅 1993年    36 栗きんとん・鶴・朝丸    37 成人式・ヤクルトミルミル・まんまんちゃんあん    38 夫婦善哉・歯磨き粉・夜更かし    39 金の鯱・オーディション・チャリティーオークション    40 ひ孫・いかりや長介・掃除機    41 北京原人・お味噌汁・雪祭り    42 視力検査・フレアースカート・美術館めぐり    43 矢鴨・植毛・うまいもんはうまい    44 卒業式・美人・転た寝    45 らくごのご・浅蜊の酒蒸し・ハットリ君    46 コレラ・さぶいぼ・お花見    47 パンツ泥棒・オキシドール・上岡龍太郎    48 番台・ボランティア・健忘症    49 長嶋監督・割引債・厄年    50 指パッチン・葉桜・ポールマッカートニー    51 同級生・竹輪・ホモ    52 破れた靴下・海上コンテナ・日本庭園    53 シルバーシート・十二単衣・筍    54 ぶんぷく茶釜・結納・横山ノック    55 睡眠不足・紫陽花・厄介者    56 平成教育委員会・有給休暇・馬耳東風    57 生欠伸・枕・短気は損気    58 雨蛙・脱税・右肩脱臼    59 鮪・教育実習・嘘つき    60 天の川・女子短期大学・冷やし中華    61 東京特許許可局・落雷・蚊とり線香    62 真夜中の屁・プロポーズ・水戸黄門諸国漫遊    63 五条坂陶器祭・空中庭園・雷    64 目玉親父・恐竜・熱帯夜    65 深夜徘徊・パンツ・宮参り    66 美少女戦士セーラームーン・盆踊り・素麺つゆ    67 水浴び・丸坊主・早口言葉    68 桃栗三年柿八年・中耳炎・網タイツ    69 釣瓶落とし・サゲ・一卵性双生児    70 台風の目・幸・ラグビー    71 年下の男の子・宝くじ・松茸狩り    72 関西弁・肉まんあんまん・盗塁王    73 新婚初夜・サボテン・高みの見物    74 パナコランで肩こらん・秋鯖・知恵    75 禁煙・お茶どすがな・銀幕    76 ラクロス・姥捨山・就職浪人    77 掛軸・瀬戸大橋・二回目    78 海外留学・逆児・マスターズトーナメント    79 バットマン・戴帽式・フライングスポーツシューター    80 法螺貝・コロッケ・ウルグアイラウンド    81 明治大正昭和平成・武士道・チゲ鍋 1994年    82 アイルトンセナ・正月特番・蟹鋤    83 豚キムチ・過疎対策・安物買いの銭失い    84 合格祈願・パーソナルコンピューター・年女    85 一途・血便・太鼓橋    86 告白・ラーメン定食・鬼は外、福は内    87 カラー軍手・放火・卸売市場    88 パピヨン・所得税減税・幕間    89 二十四・Jリーグ・大雪    90 動物苛め・下市温泉秋津荘・ボンタンアメ    91 雪見酒・アメダス・六十歳    92 座蒲団・蛸焼・引越し    93 米寿の祝・外人さん・コチョコチョ    94 談合・太極拳・花便り    95 猫の盛り・二日酔・タイ米    96 赤切符・キューピー・入社式    97 リストラ・龍神伝説・空巣    98 人間喞筒・版画・単身赴任    99 コッペン・定年退職・ハンドボール    100 百回記念・扇子・唐辛子    101 ビクターの手拭い・カーネーション・鉄腕アトム    102 自転車泥棒・見猿言わ猿聞か猿・トマト    103 紫陽花寺・豚骨スープ・阪神優勝    104 三角定規・黒帯・泥棒根性    105 横浜銀蝿・他人のふり・安産祈願    106 月下美人・フィラデルフィア・大山椒魚    107 鯨・親知らず・ピンクの蝿叩き    108 蛍狩・玉子丼・ウィンブルドン    109 西部劇・トップレス・レバー    110 流し素麺・目高の交尾・向日葵    111 河童の皿・コロンビア・内定通知    112 防災頭巾・電気按摩・双子    113 河内音頭・跡取り息子・蛸焼パーティ    114 骨髄バンク・銀杏並木・芋名月    115 秋桜・ぁ結婚式・電動の車椅子    116 運動会・松茸御飯・石焼芋    117 サンデーズサンのカキフライ・休日出勤・ウーパールーパー    118 浮石・カクテル・彼氏募集中    119 涙の解剖実習・就職難・釣瓶落し    120 ��ーベル賞・めちゃ旨・台風1号    121 大草原・食い込みパンツ・歯科技工士    122 助けてドラえもん・米沢牛・寿貧乏    123 祭・借金・パンチ佐藤引退    124 山乃芋・泥鰌掬い・吊し柿    125 不合格通知・九州場所・ピラミッドパワー    126 紅葉渋滞・再チャレンジ・日本の伝統    127 臨時収入・邪魔者・大掃除    128 アラファト議長・正月映画封切り・ピンクのモーツァルト 1995年    129 御節・達磨ストーブ・再就職    130 晴着・新春シャンソンショー・瞼の母    131 家政婦・卒業論文・酔っ払い    132 姦し娘・如月・使い捨て懐炉    133 立春・インドネシア・大正琴全国大会    134 卒業旅行・招待状・引っ手繰り    135 モンブラン・和製英語・和風吸血鬼    136 確定申告・侘助・青春時代    137 点字ブロック・新入社員・玉筋魚の新子    138 祭と女で三十年・櫻咲く・御神酒徳利    139 茶髪・緊張と緩和・来なかったお父さん    140 痔・恋女房・月の法善寺横丁    141 ひばり館・阿亀鸚哥・染み    142 初めてのチュー・豆御飯・鶴瓶の女たらし    143 アデランス・いてまえだへん(いてまえ打線)・クラス替え    144 長男の嫁・足痺れ・銅鑼焼    145 新知事・つるや食堂・南無阿弥陀仏    146 もぐりん・五月病・石楠花の花    147 音痴・赤いちゃんちゃんこ・野崎詣り    148 酒は百薬の長・お地蔵さん・可愛いベイビー    149 山菜取り・絶好調・ポラロイドカメラ    150 お父さんありがとう・舟歌・一日一善    151 出発進行・夢をかたちに・ピンセット    152 ホタテマン・深夜放送・FMラジオ    153 アトピッ子・結婚披露宴の二次会・おさげ    154 初産・紫陽花の花・川藤出さんかい    155 ビーチバレー・轆轤首・上方芸能    156 ワイキキデート・鹿煎餅・一家団欒    157 但空・高所恐怖症・合唱コンクール    158 中村監督・水着の跡・進め落語少年    159 通信教育・遠距離恋愛・ダイエット    160 華麗なる変身・遠赤ブレスレット・夏の火遊び    161 親子二代・垢擦り・筏下り    162 鮪漁船・新築祝・入れ歯    163 泣き虫、笑い虫・甚兵衛鮫・新妻参上    164 オペラ座の怪人・トルネード・ハイオクガソリン    165 小手面胴・裏のお婆ちゃん・ガングリオン    166 栗拾い・天国と地獄・芋雑炊    167 夜汽車・鳩饅頭・スシ食いねぇ!    168 長便所・大ファン・腓返り    169 美人勢揃い・雨戸・大江健三郎    170 親守・巻き舌・結婚おめでとう    171 乳首・ポン酢・ファッションショー    172 仮装パーティー・ぎっくり腰・夜更し    173 ギブス・当選発表・ちゃった祭    174 超氷河期・平等院・猪鹿蝶    175 コーラス・靴泥棒・胃拡張    176 誕生日・闘病生活・心機一転    177 毒蜘蛛・国際結婚・世間体 1996年    178 シナ婆ちゃん・有給休暇・免停    179 三姉妹・バリ・総辞職    180 家庭菜園・ピンクレディーメドレー・国家試験    181 ほっけ・欠陥商品・黒タイツ    182 内股・シャッターチャンス・金剛登山    183 嘘つき娘・再出発・神学部    184 金柑・恋の奴隷・ミッキーマウス    185 露天風呂・部員募集・ぞろ目    186 でんでん太鼓・ちゃんこ鍋・脳腫瘍    187 夢心地・旅の母・ペアウオッチ    188 (不明につき空欄)    189 福寿草・和気藹々・社交ダンス    190 奢り・貧乏・男便所    191 八十四歳・奥さんパワー・初心忘るべからず    192 お花見・無駄毛・プラチナ    193 粒揃い・高野山・十分の一    194 おぃ鬼太郎・シュークリーム・小室哲哉    195 くさい足・オリーブ・いやいや    196 ダイエットテープ・北京故宮展・細雪    197 若い季節・自動両替機・糞ころがし    198 おやじのパソコン・なみはや国体・紙婚式    199 降灰袋・ハンブルグ・乳首マッサージ    200 雪見酒・臭い足・貧乏・タイ米・コチョコチョ・雷・明治大正昭和平成・上岡龍太郎・お茶どすがな・トップレス(総集編、10題リレー落語)    201 夫婦喧嘩・川下り・取越し苦労    202 横綱・占い研究部・日本のへそ    203 マオカラー・海の日・息継ぎ    204 カモメール・モアイ・子供の事情    205 ありがとさん・文武両道・梅雨明け    206 団扇・ボーナス定期・芸の道    207 宅配・入道雲・草叢    208 回転木馬・大文字・献血    209 寝茣蓙・メロンパン・初孫    210 方向音痴・家鴨・非売品    211 年金生活・女子高生・ロングブーツ    212 エキストラ・デカンショ祭・トイレトレーニング    213 行けず後家・オーロラ・瓜二つ    214 金婚式・月光仮面・ロックンローラー    215 孫・有頂天・狸    216 雪女・携帯電話・交代制勤務    217 赤いバスローブ・スイミング・おでこ    218 参勤交代・ケーブルカー・七人兄弟    219 秋雨前線・腹八分・シルバーシート    220 関東煮・年賀葉書・学童保育    221 バンコク・七五三・鼻血    222 ホルモン焼き・男襦袢・学園祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%81%93%E3%81%B0%E3%83%BB%E9%B6%B4%E7%93%B6%E3%82%89%E3%81%8F%E3%81%94%E3%81%AE%E3%81%94
3 notes · View notes
cosmicc-blues · 3 years
Text
2021/8/29
朝、目覚ましで目が覚める。けっこうな記憶喪失になっていながら、観葉植物に霧吹きをする習慣だけは辛うじて残っていて、霧吹きをしているうちに今日の楽しみを思い出して大慌てでシャワーを浴びる。
そとは曇りで蒸し暑い。電車を乗り継いでNとの待ち合わせ場所に向かう。まだ記憶喪失の余韻が少しだけ残っていて、フワフワとした心持ちで。プラットホームでNに電話、今まさに通過している急行列車、もう過ぎた? って。うん、過ぎた、過ぎた。急行列車とすれ違うように歩いていくと遠くにNの姿が見えて、おたがいに手を振り合う。車窓の風景を眺めながら電車に揺られる。山寄りのこっち方面は高い建物が少なくて見晴らしがとてもよい。目の前の風景がゆるやかに横滑りしてゆくなかで、ひとつだけその場を動かずとどまり続けている電波塔のような高い塔がある。やがて塔とは反対側の窓になだらかな稜線を引いている淡い緑色の山影がずっと遠くのほうに見える。
いま乗っている電車にRが途中で乗ってくるアクロバティックな待ち合わせ、上手くいくかな~と心配していると、Rがばっちり乗り入れてくる。話題はもちろんRのことで、三人とも言葉を詰まらせながら、無言のなかに言葉を投げ入れてゆく。そんなどちらともつかない錯綜として重々しい空気感をそれでも列車はガタンゴトンと運んでゆく。山間の渓流が近づいてくる頃には会話も砕けてきて、それよりも何よりもお腹がペッコペコ。
駅前のそば屋さんに入る。お店のおばさん、おばあちゃんに、昼間っからビールを飲んでいる地元のおじさんたちが情勢のことを気遣いつつも、とてもフレンドリーに接してくれる。おじいちゃん、おばあちゃんの家に行ったときのように心が和む。つい先日、9歳の子どもが水難事故で���くなったはなしや、ダムのはなし、橋の裏表のはなし、吊り橋の種類のはなし、龍の指の数のはなしなんかを聞かせてもらう。橋には裏と表があり、橋の名前が漢字で記されているほうが表で、ひらがなで記されているほうが裏だということをはじめて知る。Nの叔母さんのはなしから親族や子どものはなしなんかになる。山菜そばおしい、おまけしてくれた野菜の天ぷらもおいし。いちばん酔っぱらっているおじさんがはなしをループしはじめて店内一同で失笑する。
おじさまたちに教えられた通りに道を歩いてゆく。他人の名前を呼ぶことのはなしになって、上手く呼べないなりに呼ぼうと努力していることを打ち明ける。そしたら二人が呼んで、呼んでーと無邪気に言ってくるから、照れながらNとRのことを呼ぶ。
川の流れる音がきこえてきて、渓流の吊り橋に辿り着く。吊り橋はぐわんぐわん揺れる。川の流れがミルクがかったエメラルドグリーンをしている。しんとした空気を一杯に吸い込む。活きのいい男どもが岩の高台からビビりながらもジャンプしている。岩は微妙に膨らんでいて、岩肌にぶつかるんじゃないかと心配になるけれど、みんなギリギリで岩の膨らみを避けて川の流れにザッブーンする。その高さといい岩の膨らみといい、どう考えてもかなり勇気のいることで、ひとり飛び込むたびにすでに飛んだ男どもから賞賛の拍手が送られる。楽しんでいるというよりは肝試しのような感じで、誰もが二度は飛び込みたがらない。ほんとうに見ているこっちが不安になるほどの危険な遊びで、最後のひとりが飛び立てずにいる。仲間たちの5、4、3、2、1のカウントで飛び込もうとしながらギリギリのところで尻込みしてしまう。飛び込みたいけど飛び込めない葛藤、そんなのが何度も繰り返される。下の仲間たちがギャラリーも応援してるよー! と煽りを入れる。最後のひとりが吊り橋を見上げ、頑張れー! の意味を込めて手を振ったり握り拳を振り上げたりする。最後のひとりも面目なさそうに手を振り返してくれる。それからも尻込みが何度も続いて、ついに、ザッブーン!!!! 水中に沈んで浮かび上がってきた最後のひとりが吊り橋を見上げてガッツポーズ! こっちも心の底からの祝福のガッツポーズをかます。ほんとうによかったね!!!!
吊り橋を渡り、険しい岩場を下って川底に向かってみる。案の定、Nが岩場の半ばで身動きがとれなくなり、わんわん泣き言をいいながらの四苦八苦。スニーカーと靴下を脱いで、水の流れに足を浸す、冷たい! おじさまたちの言うようにダムが地下から水を放流しているから水がキーンと冷たい。Rに水飛沫をかけたら、報復で大量の水を浴びせられ、お漏らしした人みたいになる。流れの中の岩に立って、渓谷の全体を一望する。樹々はしんとしてあまり動かず、岩肌の地層と造形、そしてとどまることなく延々と押し寄せる水の流れ、こんなダイナミックな運動が日昼夜を問わず、何十年も何百年も何千年も絶えず繰り広げられていることの過剰さを想像すると目眩のするような気持ちになる。流れを遮るように細長い岩が横たわっていて、岩の上部の窪みを水が流れている。きっとこの窪みは水の流れが長い年月をかけて少しずつ削っていったんだろうなぁと思う。ボケーーっと濁流の音に耳を澄ましていると、耳の裏あたりに唐突な破裂音してビクッとする。振り返ると、Rが流水に岩を投げ入れたらしい。触発されて石投げをする。水は冷たいし、曇っているのに、湿気がもの凄くて、あっという間に汗まみれになる。あっついね! Nはずっと岩に腰掛けて足を流水に浸している。湿気は臨界点を超えて、小雨が降ってくる。恵みの雨に両手を掲げながら雨を受ける。岩や石の表面に雨粒の斑点模様が染み入ってゆく。Nは登りのときもわんわん泣き言をいいながら四苦八苦。
Sが来るまで吊り橋の裏側にあった喫茶店で待機する。これまた、おじいちゃんおばあちゃんの家のように和む雰囲気で、とくに階段を下った先にあるトイレがよりいっそう和む。趣味のはなしやDJのはなしをする。
駅に戻るとSが来るより少し早くて、Rにピッチングのフォームを伝授する。Rも左利きだとこのときはじめて知る。まだSには会ったことのないNが駅のホームに降り立ったSをいちばんに発見する。まったくそんな感じはしないけれど、SとNはどうやら初対面らしく初めまして挨拶を交わしている。ダムのほうを目指して歩きながら、SとNが早くも幽霊を見たはなしで盛り上がっている。トンネルをひとつくぐると、ダムがすぐそこにある。ダムの水面に向かってでかい石を投げつける。ダムの水門の上から放流口を覗き込む。じぶんたち人間が小っちゃい。水門はちょうど橋の役割をしていて、向こう岸に渡り、山道を練り歩く。湿気がさっきにも増してもの凄い。急勾配な丸太の階段を下ってゆくと、ふたたび渓流に出る。山の斜面に生えている樹の根の半分が剥き出しで、それに見惚れていると、Sがパシャパシャとフィルムカメラで写真を撮り始めている。このあいだの花火の写真がとってもよかったから、また現像があがってくるのが楽しみだなぁと思う。渓流沿いの岩場道を歩いてゆくと、さっき川底に下りたところに戻ってくる。吊り橋を渡って、もう少し下流のほうに向かってみる。急な崖になっているところに花束とお線香とメロンパンが置かれている。誰かがここから落ちて亡くなったのか。崖の近くに石造りの階段が下りている。岩場の突端に腰を落ち着かせて、タバコを吸ったり、あれこれとお喋りをする。Sのフィルムカメラを預かり、RとNとSのスリーショットを撮る。いい感じに撮れているといいなぁ。Nがそこら辺の草で指輪をつくる。
BBQの匂いに感化されて、日暮れも近いことだし、街に帰って焼き鳥を食べにいくことにする。坂道を歩くNとSの後ろ姿を写真におさめようとすると、Nが振り返って躍動感いっぱいにピース&ピース! 廃墟めいた旧家屋があり、柵をどかして階段を上ってゆくと、普通に生活感があって、どうやら廃墟ちがいだった模様。黄色い菜の花が花火のように咲いている大きな花壇がある。斜面の下の空き地から猛烈な草いきれがする。誰かが言っていたようにニラかネギを切ったときのような。ちょうど雑草を刈ったあとらしい。
ふたたび駅に帰ってくる。電車の時間はまだ先で、駅前の広場でRとピッチングの練習をする。漫才のコンビみたいって。それから噴水のように勢いよく水の出る水道で水遊び。Rが水も滴るイケメンになる。
帰りの電車はNの独壇場。指輪にした踊り草が自由自在に踊りまくる。踊り草と共鳴するNのからだもバカみたいに踊りまくっている。Nから踊り草の指輪をかりて、指につけてみると、けっこうナチュラルに我を失って踊り草にからだを持っていかれる、というか、これが自然ないつものじぶんだなぁと思う。踊り草がNの指にもどり、何でも踊り草に質問していいよのコーナーになる、イエスかノーで答えられる質問オンリーで。神様いる? 天使いる? UFO見たことある? みたいなイエスばかりの質問が続いて、ノーの答えを導き出したいと思い、嘘ってある? と質問してみると、はじめてノーの答えがでる。踊り草は笑福亭鶴瓶が大好き。そんなことをしていたらNの腕から唐突に小っちゃいアリんこが姿を現す。ちょこまかと動きまわる小っちゃいアリんこをNはどうにか踊り草に這わせようとする。Nの提案でアリんこに名前をつけることになり、ひとりずつ思い付いた名前を披露する。K‐テルマ、N‐すみれ、S‐とびちゃん、R‐貫太郎。Nの一存でSのとびちゃんに決まる。Nの指や腕と踊り草を何度も行き来するとびちゃん。とびちゃんにあれこれと語りかけるN。
とうとう、とびちゃんは焼き鳥屋さんの前まで来て、とびちゃんも一緒にご飯を食べることになろうとしたとき、とびちゃんがNの服のなかに忍び込んで行方不明になる。さようなら! とびちゃん! とびちゃんを諦めてお店に入る。この歳にもなってどういうわけか年齢確認をされ、堅苦しいなぁと思いつつ、みんなの顔を見てみると、確かに年齢確認をされてもおかしくないかもと考えを改める。店員さんも二人だけ身分証を確認して、あぁ、もう大丈夫です、ぜんぜん大丈夫でした、と疑ってごめんなさいの姿勢を見せている。わちゃわちゃと注文を済ませ、美味い美味いと焼き鳥を食べていると、とびちゃんがいつの間にかテーブルの上を探検している。とびちゃん! とびちゃんがピーマンの揚げびたしの汁のなかに落ちそうだから、キャベツに乗り移させて、Nのお皿に移動させる。Nがとびちゃん用に小っちゃいお肉をあげる。とびちゃんはお肉を全く食べようとしない、キャベツはちょいちょいかじっている。Rが、たしかに虫が鳥を食べるのは食物連鎖的におかしいと言う。Sの腕にどこからともなく羽虫が飛んできて、また飛び立ったらしく、とびちゃんが飛んできたのかと思った! ってびっくりしている。お話に夢中になっているうちに、またとびちゃんが行方不明になる。さようなら! とびちゃん!
0 notes
geniusbeach · 6 years
Text
香川旅行記
 ゴールデンウィーク後半を使って香川を旅行した。計画したのは出発前日の夜中で、今回のテーマはうどん巡りと温泉だ。私は昨年末に二泊三日で高松、琴平、直島、豊島を巡り、うどん7杯を食べて大満足で帰ったのだが、以来香川のことが忘れられず、また行きたいと思っていたところだった。
 1日目(5月2日)
 午前4時という、朝がひどく苦手な私にとっては信じがたい時刻に友人の車で出発。9時ごろ善通寺に到着し、食べログ一位のうどん屋、長田 in 香の香へ。巨大な駐車場と50mにも及ぶ行列を目の前にして一軒目ながら若干ひるむ。待ち時間を使って宿探しをするも、さすがGWだけあってどこも満室。無計画な私たちも悪いが、10軒ほど電話して空いていたのは一室のみだった。しかし結局宿泊料があまりにも高かったため断念し、並んでいた他のお客さんに健康ランドに泊まれることを教えてもらったので、最悪の場合そこにすることに。一時間弱待った後入店し、釜揚げ大と冷やし大を一杯ずつ注文。各1.5玉で350円だ。つゆはいりことかつおのダシがよく利いており、もちもちの麺からは小麦の香りが強く感じられたいそう美味かった。皆うどんだけ食べてさっさと出るおかげで回転率がかなり良く、11時ごろには食べ終えることができた。
 続いて二軒目のはなや食堂へ。地元に愛されるおばあちゃんのお店といった印象。冷やしとタコ天を注文。うどんは200円、天ぷらは300円と安い。小ぶりなタコを丸々一匹揚げた天ぷらは衣が黄色くふわふわの食感。うどんも無論美味い。食後に宿探しを再開し、栗林公園近くのところに電話するとあっさりOKが出た。電話口の主人の対応が少し気になったが、一人一泊2600円、ガッツポーズだ。せんべい布団でも座布団でも部屋でゆっくり寝られるだけありがたいので、即座に予約した。
 腹ごなしがてら金蔵寺(こんぞうじ)を覗く。お遍路さんが多くおり、皆お堂の前で一心に真言を唱えていた。友人曰く「水曜どうでしょう」に出ていた寺とのことで、ファンである彼の記念写真を撮った。ここに至るまでの道端の電柱には、八十八か所巡りの巡礼者を図案化した標識があった。小さなところにご当地感があってほんわかした。
 次はこんぴらさんにお参りすることに。 暖かくなったのと休暇も重なったことで人がごった返している。登り口にあるアカボシコーヒーで一服してからほぼ休みなしで駆け上がる。中腹では神馬2頭を見た。その隣には大型船のスクリュー(直径6m)とアフリカ象の像があった。前者は94年に今治造船が奉納したそう(今治造船HPより)で、当社が海の神を祀っていることやお座敷遊びのこんぴらふねふねでお馴染みの金比羅船に因むことが予想できたが、後者の意図はわからず、奉納品であれば何でも良いのかと思った。関連するとすれば、この山の名が象頭山であることぐらいか。
 程なくして本宮へ到着し、参拝の列に並ぶ。普段神社で手を合わせる時は何も祈らないようにしているが、今年に入ってからずっと精神が低調なままので、久しぶりに願をかけてみた。神様はこういう時の心のよりどころなのでありがたい。どうか届きますように。今回は、前回その存在を知らなかった奥社まで行こうとしていたが、道が閉鎖されていたためあえなく断念、またまた次回への持ち越しとなった。さて、全785段の石段往復は少々足に応え、途中で石段籠を見かけた時には思わず乗せてくれと言いそうになるくらいだったが、良い運動になったと思えば悪くはない。籠は参拝客の会話によれば片道3000円程だそうだ。乗っていたのはお婆さん、担いでいたのはお爺さんだった。
 麓に下りてから、こんぴらうどん参道店でとり天ぶっかけを食べる。一杯690円だ。二人とも腹が限界で、なぜここまでしてうどんを食べているのかわからなくなっていた。最早それはこの旅のテーマとして設定したうどん巡りの義務感からでしかなかったと言える。満腹中枢が刺激される前に片付けねばならないと、タケル・コバヤシ(※フードファイター)並みの速度でかき込んだ。とり天はジューシーで、麺にはコシがあって美味かったが、胃の圧迫で心臓が止まりそうになり、「うどん死(デス)」という言葉が頭をよぎった。
 疲労が甚だしかったため、喫茶店でまたも一服。琴平駅周辺には、「カキ三(さん)コーヒー使用」を看板に掲げた店が多くあり、前回の旅行でもそのオタフクソースのパッケージのようなオレンジと黒の色合いに親近感を覚えつつずっと気になっていた。おそらくそのカキ三を使ったであろうアイスコーヒーで意識を保ちながら、風呂にでも入ってリフレッシュしようということに話がまとまり、近くにあったこんぴら温泉湯元八千代へ。屋上に市街が一望できる露天風呂があるのだ。塀が低く、少しでも浴場のへりに近づけば周囲からは丸見えとなる(といっても建物より標高が高い所からだけだが)ため、内心ヒヤヒヤしていたが、やはり最高に気持ち良かった。受付で混浴と聞いて下品な期待もしていたが、二人組の女の子が少し覗いて引き返していったくらいで、終始客は私たちだけであった。なお、内風呂はごく普通の湯船がひとつあるだけだった。
 体力をわずかばかり回復し、瀬戸内の眺望を求めて五色台を目指す。16時半頃、大崎山の展望台��到着し、青空から海へと沈む夕日を眺めた。なんとも雄大なパノラマだ。遠くを見やると、薄水色の瀬戸大橋があやとりの糸のような慎ましさで陸地を繋いでいる。カメラで何枚も写真を撮った。ふと、ここ数日間で覚えた個人的な悲しみに対して、目の前に開けた海は、その豊満な胸で以て私を迎え、倒れ掛かる身体を圧倒的な光景によって生に押し戻してくれているような気がした。そうして下を見れば、山と山に挟まれた湾内の湿地に、草の生い茂る田んぼのようなもの���広がっていた。これは木沢塩田跡地といい、秋頃にはアッケシソウという好塩性植物が紅葉することで一帯が赤く染まるそうだ(大崎山園地の説明看板より)。一度そんな不思議な絵を見てみたいと思った。この日は風が非常に強かったため、目だけでなく全身で自然を感じられて嬉しかったが、そのせいで体が冷えたのと日没直前に雲がかかったため、18時半頃に引き上げた。
 高松市内中心部に車で乗り入れ、今宵の宿へ。見るからに怪しげな建物に三友荘という傾いた看板がかかっている。隣の広東料理屋の前に中華系とみられる男が3、4人たむろしており雰囲気が悪い。中に入ると、フロントというよりは雑然と物が置かれた生活スペースが大きく広がっており、その山の中から主人が顔を覗かせて、一言いらっしゃいと言った。それから、かなり雑な態度で駐車場を案内され、やべーところに来てしまった、と思う間もなく会計を済ませて鍵を受け取り3階へ。廊下は廊下で床がはがれていたり、アメニティが散乱していたりとさながらお化け屋敷に入ったような気分になる。部屋に入ると、これまた昭和から時間が止まっていると思われるほど古くカビ臭い和室で、その異様さに一瞬たじろいだ。とにかく寝られれば良いのだと割り切ることにして、外へ風呂に入りに行った。
 車を20分ほど走らせて向かったのは、市内中部にある仏生山温泉だ。前回も訪れて、その泉質と洗練された建築様式が気に入っていた。町の歴史が古いため、ここも昔からあるのかと思いきや、2005年開業と比較的新しい温泉らしい(仏生山温泉FBより)。入浴施設とは思えない白い箱のような建物入り口の外観が特徴だ。中に入ると、ドーンと奥行きのあるシンプルな休憩スペースがお出迎え。端には小洒落た物産品が並んでおり、また壁伝いには文庫本の古本が並べられている。客がひっきりなしに出入りし、脱衣場と浴場はまさに芋の子を洗うような状態であった。なんとか湯船の空いたスペースに身体を沈め、一日で溜まったとは思えないほどの疲れを癒す。とろりとした湯で肌がツルツルになり気持ちが良い。露天風呂のある広い空間は現代的な中庭といった印象で、入浴体験を一段上のものへ引き上げてくれる。インスタレーション的な、「空間そのものに浸かる」といった感じだろうか。内部はそのように隅まで配慮が行き届いており、とても面白く楽しめた。
 さっぱりした後、宿に車を停め、土地の名物である骨付鳥を食べるために歩いて片原町近くの居酒屋蘭丸へ。本当は一鶴という店に行きたかったのだが、長蛇の列を目の前にして断念、ここに並ぶこととした。小一時間ほど待って入店し、とりあえずビールと親鳥・若鳥、それから鰆のタタキ、造り4種盛り、サラダを注文、香川の味覚に舌鼓を打った。特に親鳥は肉がぶりんぶりんの食感で旨味が凝縮されている。スパイシーな和風ローストチキンといった感じで、下戸なのに否が応でもビールが進む。皿にはたっぷりと鶏油が溜まっているが、それにキャベツをつけて食べるとまた美味いのだ。この骨付鳥の他にうどんと言い今日の行程と言い、なかなか歯応えのある旅だと思った。最後に親鳥をもう一皿と焼酎水割り、注いだ先から凍る日本酒を追加し、11時半頃ほろ酔いで宿に戻った。部屋では撮った写真を整理した後、もう一杯酒を飲んでから眠りについた。夜通し風がごうごうと窓を揺らしていた。
2日目(5月3日)
 7時半、なぜか小学校の廊下でスーフィーの集団と象に追われるという夢を見て飛び起きた。昨日神馬の横で象の像を見たせいか。しかしスーフィーは全くわからない。2か月ほど前に蠱惑的なズィクル(※スーフィズムの修行)の動画を見たからなのか。とにかく旅にはふさわしくない目覚め方だ。最近何かに追われる夢をよく見るのだが、おそらく疲れているのだろう。今日もよく眠れなかったようだ。他の理由としては強風もそうだが、宿が高架下にあるため電車が通るたび振動で部屋が揺れるのだ。夜中と朝方に何度か覚醒した気がする。昨日20時間近く活動した身体は、子供騙しのような睡眠では回復しきれなかったようだ。
 さて、今日は9時出発の船に乗り、犬島へ渡る予定だ。重い身体を叩き起こし、さっさと準備を済ませて高松築港へ。船の時間が近づいている。車を停めてから本気ダッシュで駅のそばにあるうどん屋味庄へと向かうも定休日だったため、近くにあったさぬきうどんめりけんやに入る。待ち時間にやきもきしながら冷肉ぶっかけ小を注文。430円だ。しっかり美味い。ここでも前日のごとくモリモリ腹に押し込み約3分で退店。ひょろい男の異常な食いっぷりに他の客は少なからず引いていたことだろうが、そんなことには構っていられない。再度、悪心を催すほどの全力疾走でフェリーの切符売り場へ。出航3分前、なんとか間に合うことができた。やる時はやる男なのだ、私たちは。などという安堵感も束の間、ここで無情にも定員オーバーが告げられる。肩で息をしながら愕然とする私たち。あーやってもうた、としか言えず、無意識に抑え込んでいたであろう胃の中で暴れるうどんに気付き普通に吐きそうになる。ただ次の便でも行けることが判明したことで難を逃れた。そうでなければ危うく待合所の床にBUKKAKEするところであった(読者よごめん)。そんなこんなで泣く泣く次便のチケットを買い、待つ間しばしの休憩タイムとなった。負け惜しみを言わせてもらえば、朝の海を見ながら飲んだコーヒーと吸ったタバコは格別に美味かった。これも良い思い出だ。
 10時過ぎの便に乗り込み、豊島の唐櫃港に到着。レンタルサイクルを借り、次便の出航する家浦港まで急ぐ。豊島美術館に寄ろうとしたが、1時間待ちと聞きパスした。せっかくの機会にもかかわらず無念だ。前回は誰も客がいなかったというのに、やはりGWは恐ろしい。立ち漕ぎで先を急ぐ。山のてっぺんまではギアなしの自転車と寝不足のエンジンにはかなりきつい坂が続いたが、なんとか越えることができた。途中、唐櫃聖水という空海伝説もある井戸に沸く、不思議なほど青々とした水を拝んでから家浦へ。初便に乗ることができていればこのように複雑な乗り継ぎも必要なかったが、私の性格上致し方ない。人生はエクササイズだと考えれば万事ハッピーだ。そうして無事チケットを買い、物産品店を冷かす。豊島の民謡集に熱を感じ、買おうか迷って結局やめた。そしてしばらくして船に乗った。
 13時前に犬島着。昼飯に港すぐの在本商店にて犬島丼なるものを食べた。白飯に甘辛く煮た大根や人参とともに舌平目のミンチを乗せ、甘めの汁をかけた瀬戸内の家庭料理だ。これに舌平目のフライと犬島産テングサを使用したコーヒーゼリーが付いたセットで1000円。どれも田舎風の優しい味わいで満たされた。出てから他の店も覗いてみたが、どこもコーヒーゼリーを出していた。単にさっきの店のデザートというわけではなく、これもご当地グルメのひとつのようだ。
 そしてようやく楽しみにしていた犬島精練所美術館へ。ここはかつて銅の精錬を行っていた跡地で、美術館内部は入り口から出口まで一定方向に自然の風が流れるように設計されているという。詳細は省くが、三島由紀夫の作品がモチーフになっており、意表を突くような仕掛けが多く、かなり強烈な印象を受けた。しかしその中でも悔しかったのが、便器の枯山水と銅製の文字が文章となってぶら下がる部屋があったことだ。この二つは自分の内に展示のアイデアとして全くと言っていいほど同じものを密かに温めていたのに、こんなにも堂々かつ易々と先を越されていた。やはり所詮は人が考えること、どんなにオリジナリティを確信していたとしても結局は似てしまうのだ。しかしちゃんと形にした人はすごいし、その点素直にあっぱれと言いたい。やや興奮した状態のまま外に出て周辺を散策する。レンガ造りの廃墟にノスタルジーを感じ、その歴史を想像した。少し歩いて砂浜へ行き、海を眺める。風が強いので瀬戸内の海といえど波が高く荒れていた。夏に来て本来の穏やかさを取り戻した海を一度泳いでみたい。その後、定紋石や家プロジェクトという名のギャラリー数軒を見て回る。F邸にあった名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」が個人的にグッと来た。発生は常に見えない、と私は詩に書いたことがあるが、言いたいことがそのまま形になっていた。2つの小部屋にはそれぞれ植物相と動物相のバイオモーフィックなモニュメントが数点あった。シンプルな発想ながらそこから湧き出す観念とイメージ喚起力の豊かさに驚かされた。創作において見習いたい点だ。
 船の時間が迫っていたため、港まで早歩きで向かった。全体的に時間の流れがゆるやかで静かな島であった。ここからは直島を経由して高松まで戻る。船内では景色も見ずに二人で眠りこけていた。直島に着くぞ、との声で飛び起き、本村港のチケット売り場へ猛然と走る。乗り継ぎ便が10分後に出るためだ。しかしここでも昨日と同じく定員オーバー、30分後に出る次便を待つこととなった。大型フェリーの前にはゆうに200mを超える列ができており、この島の人気の高さが伺える。そうして、ふと並んでいる時に自分のカバンが思ったより軽いことに気が付いた。はてなと思い中を探るとカメラがない。目の前が真っ白になった。置いてきたのは犬島か、船の中か、それとも盗られたか。考える間もなく、カメラ忘れた! と友人に叫びながら乗ってきた高速船乗り場へとダッシュした。出航していたらどうしようかと思ったが、一条の光が見えた。まだ停泊したままだったのだ。息も絶え絶えに駆け寄る私を見た人民服風の上下を着た船員が、カメラの忘れ物ですかあと声を上げる。良かった。あったのだ。すみませんでしたあ! と謝って相棒を受け取る。ほっと胸をなでおろした。どうやら寝ぼけて置き去りにしていたようだ。私は普段あまりものをなくさないので、こういう時必死に探して見つからなければひどく狼狽してしまう。特にカメラのような高価なものだとその後の旅に影響が出るほどだったのではないかと思う。今回は本当にラッキーだった。友人に詫びてから並び直し、島を後に。航行中は展望デッキからモノクロで日を撮った。夜のような昼の写真が撮れた。
 16時頃高松に着いた。後は帰るのみだ。最後にご飯を食べようということで、屋島を過ぎたところにあるうどん本陣山田屋本店へ。大きな屋敷を改築した店構えは壮観だ。本陣と名付くのは屋島の合戦ゆえか。前回の旅で、仏生山で終電を亡くした時に乗ったタクシーの運転手が、うどんならここらが本場だと言っていたため期待度が高まる。ざるぶっかけと上天丼を注文。うどんは570円、丼は720円だ。麺はもちもちとしており、良い塩梅にダシの利いたつゆと絡んですこぶる美味い。天丼にはサクサクの天ぷらがこれでもかと乗っており、ご飯が足りないほどだ。今流行りのロカボの逆を行く、ハイカーボダイエットにより思考が停止するほどの満腹感が得られた。これでコシの強いうどんともお別れかと思うと寂しい。京都の柔いうどんも薄味のダシがしみて美味いのだが、やはり一度讃岐のものを食べると物足りなく感じる。またすぐにでも来よう。次はざっくりと計画を立てて。それでは、さようなら香川。
 高速道路は予想通りところどころで渋滞が起こっていた。運転は最初から最後まで友人に任せっぱなしだったため大変な苦労を掛けた。ここに感謝したい。約5時間かけて京都に到着。0時半頃に岡崎で蛸安のたこ焼きを食べた。京都の味だ。ようやくカーボ地獄から抜け出すことができたと二人して喜んでいたが、よく考えなくともたこ焼きは炭水化物であった。うどんのオーバードーズのせいで腹だけでなく思考能力さえもやられてしまったようだ。喫茶店はなふさでマンデリンを飲み、旅費の精算をして解散となった。
 今回の旅も、弾丸(もはや散弾)にしてはうまくいった方ではないだろうか。休みに行ったのか疲れに行ったのかわからないが、気を紛らわすには最適な強行軍であった。うどんは5杯も食べられたし、その他のグルメも満喫できた。全ては偶然尽くしだったが、無計画だからこそ楽しめたものもある。私の場合は、ある程度見たいところを決めるだけで、そこに行っても行かなくても良いのだ。というよりはその方が楽だから、皆そうすればいいのにと思う。そこには予想もしない出会いがきっと多くあるはずだ。ただ、GWの人出を完全に舐めていたため、宿に関してだけは事前予約の必要性を痛感した。あと、食べ過ぎは単純に苦しいのであまりおすすめない。今回の旅でもうしばらくうどんは結構だ。などと思いつつ、翌日の昼には冷凍うどんを食べていた。どうやら脳までうどんになっていたようだ。しかし季節はそろそろ梅雨(つゆ)に入るので、ある意味おあつらえ向きなのかもしれない。
2 notes · View notes
nodatan · 4 years
Text
もう一度行きたいラーメン屋2019
のだたんが選ぶ、もう一度行きたいラーメン屋、2019〜!
(あたりさわりのないBGMイン)
さて今年も始まりました!視聴者が選ばない、アンケート投票ガン無視の独断と偏見ランキング!
その割にブログ主はハートがうたれ弱いので、絶賛のコメントのみ感想は受付中!
今年も年間約100杯食べたラーメンつけ麺油そば系の中から、味、サービス、雰囲気その他を総合的に判断しております。
いやあ楽しみですねえ、令和初のドリームレースを制するのは、果たしてどの麺なのか!?
それではいきます。第10位!
Tumblr media
桜木製麺所(五橋)
https://twitter.com/sakuragiseimen
昨年から2ランクダウン、ミシュランも認めた名店が今年もランクイン!
場所は1年ほど前に、多賀城から五橋に移転。なお五橋は現在かなりのラーメン激戦区となっている模様。
あっそういえば、昨年の時点では、移転してから行けてなかったですね…。
移転に伴い、メニューも大きく変わっていました。前は濃厚メニューがあったのが、現在は塩と醤油、トッピングは玉子と大盛りがあるのみ、大変シンプル。
それを仕上げる店主、激シブ!男の直球勝負!!
さらには店内…BGMがない!!!男らしすぎる…!!!!有線かけてもいいよ…
で、肝心の味。すっげーーーーうめえ。
昔から特徴的な、小麦が香る麺、2種類のチャーシューしっとり仕上げ、スープはかなりあっさり。
場所が結構わかりづらいです、Googleマップ片手に探してください。
第9位!
Tumblr media
麺屋とがし(南光台)
https://twitter.com/menya_togashi
昨年4位から5ランクダウンです、が、いつでも僕のハートの中にはとがしがいます。
平成最後のラーメンはとがしで締めました。
一応説明から。かいじ、龍冴、みなもと屋など、系列店がどこも大人気のグループ本店、こちら南光台に佇んでおります。
メニューは主に濃厚魚介豚骨がウリ。
10年近く前、とがしと初めて出会った時から、僕のラーメンライフは始まりました。
いや、そんな人も多いのでは?
とにかく偉大なお店です。
今年も何度か来訪したのですが、系列店がカラーを強める中、とがし本店は良くも悪くも、全てのパラメータがバランス良く振られた、主人公タイプの一杯と感じます。
そんな中あっさりメニューを産み出したり、攻める姿勢を忘れないとがしと共に、この令和の新時代をまた歩いていきたい。そう思うのだたんであった。
第8位!
Tumblr media
らぁ麺屋09。(中倉)
https://twitter.com/ramenyasuzuki
今年初登場!話題の新店がいきなりランクイン!
お店の名前は、まるきゅうと読むそうです、。までが名前。
09はとがし系列店の方が独立してオープンさせたお店。
過去、そのパターン含めた広義の「系列店」が、本店を抜いたのは、のだたんランキング史上初です。
すみません勝手にエモくなってます…最後までお付き合いください。
さてそんな09ですが、4号沿いの、もともとサバ6製麺所があったとこに、今年11月にオープン。
オープンしたてなのもあって店内とてもキレイ、テーブル席あり。ただ駐車場はややとめづらいので注意。
オーダーしたのは写真の、特製濃厚魚介らぁ麺、濃厚なんだけど案外スープはさらさら。固め細めの麺はとても食べやすい。
とがしらしさもありつつ、ビジュアルとも比較してしまうが、鶏ならくまがい、魚介ならここ、という棲み分けになりそう。さらなる飛躍までありますよこれは。
現在12/30の午前。
果たして大晦日までこのペースで間に合うのか。今年もオールスマホ、つらい。
第、7位〜!
Tumblr media
こもれ美(大衡)
https://twitter.com/hellskitchen128
ベスト10にカムバック!あの伝説のヘルズキッチンの魂が宿るこもれ美。
みなさん辿り着けましたか?すっっごいところにあります。こんなところにほこらが…!?みたいな、小さなメダル的場所。
そんな、人類生誕史上最濃スープを産み出した店主が作るあっさり…当然ただのあっさりではありません。
塩をオーダーしたのですが、濃厚な鶏油はあの頃の伸び足そのままに、大衡の直線を強引に駆け上がってきて、そのままゴーーールイン!
パワー型の父系から、切れ味も持った最強の産駒が誕生しております。
店内ログハウスみたいな内装で、メニューも豊富、お休みの日は大衡までドライブいかがでしょう?良い休日間違いなし。
第6位!!
Tumblr media
伊藤商店(俺は主に古川)
https://twitter.com/CSoWoDwjScBw12p
久しぶりのランクイン?のだたんジャパンに再招集です。
伊藤商店っていうと、あっさりなイメージないですか?
最近どうも、のだたん内で、写真の白の中華そば(背脂を結構入れたやつ)がパワーアップしてるのではないかと話題。
そんでもう、県内いろんなとこにありますよね?どうやら富沢にもできてそこは夜にもやってるんだとか。最高すぎじゃないですか。
てかさらに言うと、伊藤商店こそ国分町にあってほしいなと思うんですよね…飲みの締めにこれがあったら、くうー!
おっと某番組みたいにラーメン談義してしまった。閑話休題。
その白の中華そば、あっさり透き通り系スープの流れから、こってりマンも認めるパワーも兼ね備えた、最強の産駒が(またこの流れ)
いやほんと、あっさりとこってり結婚して生まれた子供みたいな、超王道ストレートど真ん中の勇者が誕生しとりますよ。
まじで、行ってくれ。あっさりの人は金の中華そばでよろしく。10時までに行くと一杯500円は歓喜!
はい。
おなかがリアルに、ぐうーと鳴っております。
ここで今年の特別賞。
ランクインは逃したものの、紹介したい一杯のコーナーです。
どうやら中継があるようです、中継先の、野田さ〜ん!
はぁい!リポーターの野田です!
今回は青葉区国分町に来ております。
今年も忘年会シーズン真っ盛り!国分町は今夜も、フィーバーしてますよ〜!
そんな飲み会のシメにぴったり!国分町のラーメン店をピックアップします!
まず取材に訪れたのはこちら!
Tumblr media
はま家さんでーす!
ハマグリスープが自慢のあっさりスープ!
オルニチンが年末年始のあなたの胃袋、やさしくしちゃいまーす!
(画面下のテロップ いやそんな人はラーメン食わずに帰ろうよ)
続いては…じゃーん!
Tumblr media
油そば一二三さん!
油そばって、どんなラーメンなんですか?
…はい、はい、へえ〜、名前は油だけど、思った以上につるっといけちゃうメニューなんですって!
この日も私、卓上の酢のおかげで、美味しくいただきましたー!
(画面下のテロップ 無料でもらえる鶏スープはあつあつだど)
最後は、一閃閣さんでーす!
Tumblr media
最高。
(画面下のテロップ 最高)
(画面下のテロップ とらの締めでよくお世話になりました)
(画面下のテロップ とらの尾たくさんの思い出をありがとう)
…野田さんどうもありがとうございました〜
(ざわつくスタジオ)
(固まるお茶の間)
(リポーター野田さんのとらでの当時の写真が流出し荒れるインターネット)
ランキングに戻りまして、第5位!!
Tumblr media
中華そば雷電(明石台)
https://twitter.com/mkr_gekko
話題の新店がこれまた初ランクイン!
魔界ラーメン月光というツッコミどこ満載の名前のお店の2号店。
場所は富谷の明石台ですね、車でgo。テーブル席有ります。
店内、乃木坂のDVDが大音量で流れており大変カオス。他諸々ふざけ倒してるけど味は間違いなく本物。最高に美味いです。
初めに食べたのは写真の、懐かしの平成中華そばというメニュー。ものっすごい昆布。俺梅干しそんな得意ではないんだけど、酸っぱさが昼休憩で疲れを癒してくれた。
Tumblr media
もう一度行ってみて、今度はコッテリ系のナショナルニボグラフィックをオーダー。エグくてしょっぱめの濃厚煮干しスープは、トロトロ感により永久にいけます。ちょっと麺は「はっと」っぽいかも。
あっさりだけでなくこってりも美味い、これはもはやフロックではない。県内でも指折りのクレイジーなお店、店を出る頃には乃木坂ごと好きになってるかもしれない。
第、4位〜〜!
Tumblr media
麺や碁飯(名取)
https://twitter.com/menyagohan
これまた新店がいきなりの4位にランクイン!!今年の勢いを象徴してますね。
名取の愛島という地区にあります。店の入口が2つあり、なんとそれぞれが別の部屋に出ますw小上がり席は右側の入り口からどうぞ。
ここのスープは、牡蠣スープ。ですがそこまでオイスターの主張は弱め、なんかわからんけど美味しければおっけいです!焼きバラ海苔もぐっじょぶ。
そんですごいのが、塩こうじトロロ飯。考えた人すごいわは俺はこっちに捧ぐ。うっめえ!!
どうも玄龍出身の方のようで、味噌もその感じだと思います。えっそれって強くない?なんかもっと人気出そうです。絶対行くべし!!
さーてここまでお送りしてきました。
惜しくものだたんジャパン入りを逃したメンバーはこちら。
第11位 蒼穹(下馬)
第12位 嘉一(二日町)
第13位 自家製麺くまがい(吉成)
第14位 麺屋くまがい(鶴ヶ谷)
第15位 太平楽(泉インターそば)
第16位 麺屋とがし龍冴(榴岡)
第17位 渡辺(七北田)
第18位 杉のや(柳生)
第19位 麺牛ひろせ(福室)
第20位 中華そばさかうち(若林)
そうそうたるメンツ、まさに20位までも含めて、ONE TEAMですね!(今年向けのカンペ)
さーーー、あとは残すところ3つ!
令和最初のグランプリを手にするのは、果たして!?
第、3位〜〜!
Tumblr media
めん屋みの家(柴田)
https://twitter.com/308minoya
昨年の3位をキープ!県南の雄!ちなみにめん屋みの家で屋と家がややややこしいプチ情報。
行ったことないけど一目千本桜の辺りらしいです、車で行きましょう。
今年で二度目の来訪でしたが、迷わず塩をオーダー、豚、鶏どっちのチャーシューも絶品だったのでWトッピング。
写真の通り、透明感溢れるクリーントーンにナチュラルなオーバードライブ(鶏油)+浅めにゆらぐコーラス…これはおそらく柑橘系。
チャーシューは3種類+1つくね。どれもあっさりスープを邪魔しないさわやか仕立て。
他の競合とは頭ひとつ抜けた感あります。強い!
第、2位!!!!!
Tumblr media
きく屋(丸森)
昨年5位から3ランクアップ!ツイッターアカウントはないみたい。
今年の宮城は台風の被害がありました。きく屋は丸森で、断水で営業できていないようでした。
俺のランキング、そういう事情は一切加味していないけれど、是非ともこれを読んでいる皆さん、丸森のきく屋に足を運んでいただきたい、です。
きく屋ですが、特筆すべきは、この薄口醤油スープ。
語弊恐れず言うと、もうほんとお冷と変わんないぜってくらいの、衝撃的なさらさらスープ。
どクリーンです。
麺はそうめん的なつるつるさわやか麺、量は多めだけどするっといけるのは、この薄口スープの仕業。
Tumblr media
さらには100点満点の、ガーリック系肉ごはん。うますぎてやれやれだぜ…!
みんな2020年の週末は、丸森までレッツドライブ!
ということで。
ランキング、1位を、発表します!!
(ドラムロール、イン)
令和初ののだたんランキング、1位のラーメンは…!!
ドゥン!!!!!!!
Tumblr media
麺や遊大(富谷)に決定しましたーーーー!!!!!
おめでとうございます!!!
3連覇!トリプルクラウン誕生ーーー!!
今年も悩みに悩みました…。正直、1〜3位がとても僅差。
でも、もう一度行きたい、一口目のインパクト、誰かにお勧めしたい、お店の雰囲気…いろんな要素を加味した結果、アタマ差で逃げ切った感じです。
おめでとう、遊大!
説明しましょう。遊大は富谷、厳密には富ヶ丘という地区にあります。
メニューのメインはタンメン。野菜の旨味あふれる豚骨スープは、元気の源!
うっめえんだ…。
昔よりどんどん食べやすくなってる気がします。
そんで、から揚げよねーここはやはり。
昨今から揚げを推してるお店は多いけど、良い意味で、ご飯と合わなくて遊大のタンメンには合う、ベストオブベストのチューニング。
店内は明るくテーブル席もあり。どうも最近は店主ではなく新しい店員さんが調理を担当しているとのこと。
令和の新時代も明るいな!!
ということで2019のグランプリは遊大でした。
あなたの推し麺は入っていましたか?
来年は、醤油をもう少し攻めたいと考えています。
かなり塩に偏ってきてるのと、この前醤油久しぶりに食べたら、おっ?となったので、まだなんというか自分にも伸びしろを感じています。
それではまた来年もお会いしましょう!
良いお年をお迎えください!
Tumblr media
0 notes
nyantria · 7 years
Quote
* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者     1984年12月の証言 部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。 あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。 彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。 ・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。 私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。 私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。 しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。 もし出て行こうとするならば秘かに処刑されると脅されました。 * 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生      1995年10月 証言 私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。 注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された 総勢22~23人だったと思います。 平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、 3時間しか寝られないほどでした。 午後は隊員の助手をやりました。 2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。 その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。 平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。 ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、 安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。 安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。 20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。 その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。 竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。 気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて大丈夫だということでしたが、 風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります ・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。 全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。 初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。 しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、 名前は書いてありませんでした。 中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。 これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。 ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、 ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。 731部隊には、子どももいました。 私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。 1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。 1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。 もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、 そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。 解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。 それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。 “マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。 これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、 それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。 正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。 通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、 このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、 意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。 はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。 臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。 他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、 どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。 菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。 片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。 731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」と聞きました ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、 自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。 今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。 チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。 私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。 チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。 航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。 その後どのような効果があったか調査に入りました。 ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。 当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。 ・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、 ノミが地上に散らばるというやり方です ・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。 もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。 アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。 朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、 この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。 アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。 1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている) ・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、 肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。 各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って 肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、 明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。 私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・ * 匿名 731部隊少佐 薬学専門家 1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から 昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。 「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。 防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、 窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。 「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、 約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。 死が確認されると将校たちは、毒ガス残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。 1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。 死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。 「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。 この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。 ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。 すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。 それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。 この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。 昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。 佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、 マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。 婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。 婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。 その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。 死んだのだと思う。 * 山内豊紀  証言  1951年11月4日   中国档案館他編「人体実験」 われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。 吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、 どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。 みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。 * 秦正  自筆供述書   1954年9月7日  中国档案館他編「人体実験」 私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。 1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。 まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。 これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。 日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。 (このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた) その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。 *上田弥太郎 供述書  731部隊の研究者   1953年11月11日  中国档案館他編「人体実験」 1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。 すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、 一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、 被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。 残酷な凍傷実験を行っていたのである。 * 上田弥太郎   731部隊の研究者 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言 ・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、 足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。 しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。 こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。 警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、 殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ ・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。 彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。 私たちはマルタ何本と呼んでいる。 そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかはわからない。 * 篠塚良雄    ��731部隊少年隊   1923年生    1994年10月証言から ・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは 「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。 建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。 「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました ・・・・当時私は16歳でした。 私たちに教育が開始されました・・・・ 「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。 見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・ 「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、 併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました ・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました ・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。 ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。 「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです ・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、 通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。 江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように それぞれ専門の細菌研究が進められていました ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。 大型の高圧滅菌機器が20基ありました ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。 この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。 ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは間違いありません ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。 1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました ・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間のようです。 ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。 まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。 これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。 そうするとネズミは死にますが、 ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。 おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。 5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、 あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。 ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。 その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。 睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。 ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。 まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。 特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。     注:ノモンハン事件 1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。 ハルハ河事件とも言う。 4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、 約17,000人の死者を出した。 ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。 あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。 731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。 参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、 瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。 (注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります) * 鶴田兼敏  731部隊少年隊  1921年生 1994年731部隊展の報告書から 入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、 麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。 不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。 しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。 するとマルタとは死刑囚だと言うんです。 軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、 「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・ 基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。 そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。 ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、 その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。 そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。 死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。 一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。 ノミの採取は月に1,2度行なっていました ・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。 「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。 私たちは言われたままに作業をしました ・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。 「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、 あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。 部隊本部の2階に標本室があったのですが、 その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。 中国人の男性でした。 また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。 それもやはり中国人でした。 今もそれが目に焼きついて離れません。 * 小笠原 明  731部隊少年隊 1928年生れ  1993~94年の証言から ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました ・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。 それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。 標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。 すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。 全身が標本となっていました。 またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。 これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。 拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので 死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました ・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、 どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。 人名も書いてありました。 このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。 田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです ・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました ・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。 10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。 * 千田英男 1917年生れ  731部隊教育隊  1974年証言 ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」 ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。 4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。 つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・ *石橋直方      研究助手 私は栄養失調の実験を見ました。 これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。 この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。 これには2人のマルタが使われていました。 彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。 1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。 食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、 そんなに長いこと生きられるはずがありません。 *越定男    第731部隊第3部本部付運搬班 1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ- -東条首相も視察に来た 本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、 東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。 しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。 -マルタの輸送について ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、 間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。 マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、 それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。 日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。 最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。 ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、 足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せなかった。 いや死んでからも外されることはなかったんです。 足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。 -ブリキ製の詰襟 私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。 安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、 彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。 マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、 頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、 マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。 むごい実験でした。 -頻繁に行われた毒ガス実験 731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。 実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。 その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、 観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。 使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。 マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、 10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、 時間を計ったり、記録をとったりしていました。 マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、 観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。 私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、 毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。 -逃げまどうマルタを あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。 この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、 感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、 爆発の瞬間を待っていました。その時でした。 1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。 驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。 私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、 足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。 豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。 残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、 我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。 -囚人は全員殺された 731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。 戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、 石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、 「731の秘密は墓場まで持っていけ。 機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤収作業に入りました。 撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。 大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。 私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。 私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。 被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。 *傳景奇  ハルピン市香坊区     1952年11月15日 証言 私は今年33歳です。 19歳から労工として「第731部隊」で働きました。 班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。 私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。 1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で   いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。   当時私は若く中に入って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。 2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。   煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、   涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。 3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、 しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。 壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。 4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、 私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。 5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が 工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。 6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました *関成貴  ハルピン市香坊区  1952年11月4日 証言 私は三家子に住んで40年以上になります。 満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして賃金をもらい生活を支えていました。 康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で 日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、 それにサル等の動物の血を注射器で採って、 何に使うのかわかりませんでしたが、 その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。 その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、 ちょうど数を勘定していると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、 馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。 しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。 この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、 足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。 1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、 自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。 ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。 *羅壽山  証言日不明 ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて 半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。 彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。 猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
3 notes · View notes
tanamaphoto · 5 years
Text
【Blog】大阪
思えば22でサラリーマン生活を開始してからというものの、
普通の若者よりは随分と出張の多い生活を送っていたと思う。
もともと旅好きという性分もあったけれど、
コンスタントに品川駅や東京駅、羽田空港を走り回り、四国や東北、九州、否、全国に飛び、
現地のお客さん、はたまた外部スタッフの機嫌の具合・虫のイドコロに絶えず気をもみ、雰囲気が悪ければ適切なタイミングでギャグをかまし、お酌をし…
という生活をよくもまぁ、繰り返していたと思う。おかげで20代前半の頃の土日祝日の記憶はほとんど、ない。
ゾッとする。
「最も効率のよい」行程通りにコトを進め、
目じりにできるだけ「感じよく」見える皺を寄せ、ベルトコンベヤーに乗るがごとく東京にとんぼ返り・・・
そんなことは当たり前だった。
大阪。
独特のイントネーションのいわゆる「関西弁」(私には騒々しい、という印象を感じさせる)と、要素の多い街の景観、ネオン、せわしない街の空気…
なんとなく苦手な分類にカテゴライズされていた街だ。
それでいて近年は仕事で大阪に出向く機会が随分と増えた。
―――
名古屋を過ぎたあたりでようやく社内販売の女性が車両に乗り込んでくる。
軽井沢ビールを買う。400円ちょうど。
プルトップを開ける。少し固い。カップを付けますか、と聞かれて断ったけれど付けてもらえばよかった。これはカップでないと香りが広がらないタイプのビールだ。
――
大阪出張の帰路、新幹線の中でキーボードを叩く。なんていうことはないが、最近大阪の印象が変わってきたということを書いておきたい。
――
毎年コンスタントに大阪に出向くうちに、無数に存在する大阪メトロ、JR、近鉄…の網の中に在る町々の個性もなんとなく把握できるようになり、
全体像から感じる印象というよりも、いわゆる「虫」の目とやらでゆっくりと街やひとを観察できるようになった。
心斎橋のレトロな(小汚い)カプセルホテルを贔屓にし出してから、
そこを拠点に、焼肉なら鶴橋、ディープな立ち飲み屋なら天満や中津、カジュアルだけど洒落たイタリアン、若者にウケるモダンな酒場なら堀江。
それから…お客さんを連れて行くなら難波のくわ焼き、大阪初心者なら新梅田食堂街もいい。十三の老舗、さらに足を延ばして箕面や岸和田で一味違った大阪の文化を味わうのも一興だ。
広い、大阪、
よそ者が恐れ多いが頭の中のブックマークがひとつまたひとつと増えるうちに、大阪はそんなに怖くない街だと気づく。
怖がっているのはわたしだけだ。
昨夜の深夜のことだ。
22:00少し前だろうか。
難波で「大阪っぽい」夕飯を満喫した後(ほら、あれがグリコで、よく人が飛び込む道頓堀、左に回るとかに道楽の看板があります!と王道のインフォメーションも勿論添えて)
お客さんをホテルに送り届ける道すがらのこと。
「もう一杯飲みませんか?」のひとことが言えずにもじもじしていた。
そうして健やかにホテルに戻って、おやすみなさいを言ったあと
気が付いたらスーツのジャケットをきちんとハンガーに掛け(リ●ッシュもする)、
携帯と財布をサブバックに入れ、
こっそりホテルを抜け出していた自分がいたのであった。
近隣のコンビニまで出かけるはずが、静かな街の中にらんらんと光る提灯を見逃すはずがない。
梅田近隣の駅、そのエリアに宿泊するのは初めてで、
お客さんとの長い一日を終えようやく全身の鎧が外れた気持ち、
「この飲み屋いいなぁ」
「あ、古本屋さんがこんなに遅くまでやってる」
なんて、4,5分の短い道を歩くのに
気持ちが自由だとこんなに足取りも軽いのか、と随分舞い上がった気持ちで歩を進めていた。
そしてわたしは
欲求の鐘
というものがもしも体内にあったとしたら
体中の細胞がそれを打ち鳴らし、毛細血管をぶち破り、
理性、と名のついたギアをグイーーーッと限界まで押し上げ
とにかくフェスティバルだ、祭りだ!と叫び踊り狂うほどの
なんともすてきな外観の大衆居酒屋を見つけたのであった。
駅直下の、下水臭いその店の暖簾をくぐる。なんと欲深い人間かと自分を恥じつつ、驚くほどスムーズに1人です、のサインを店員に送る。
しみったれた外観からは想像できない、驚くほどの奥行きのある店内のどこに座ったらいいのかがわからない。
「こっちに回った方がカウンター席、座りやすいよ」
定員に促され、テーブル席のエリアを背にカウンター席の方に回る。
「飲み物はどうするの」
「大瓶ください」
正直、先ほどまでの「接待」でお腹はパンパンだ。
「はいー。タベモンは?」
「えーと、わけぎ(ぬた)いただけますか」
「あーわけぎな。今日ないねん。」
「そしたら…(カウンター目の前のショーケースを一瞥して)このホタルイカをください」
目の前で店員のおじさん���大瓶をプシュウとあけ、業務用の酢味噌をぶっかけたホタルイカをサーッとサーブする。
ビールはぬるい。大瓶はだいぶんきついノルマのように感じる。
ああ、お腹いっぱいなのになぁ…そもそもわたしは明日立て替えるであろう多額の現金を下ろすためにコンビニに行くのだったけれど、
なぜだかここで生ぬるい大瓶を手酌している。
キリンビール。
右隣のカウンターには派手な髪色をした若い女性が二人。
パフォーマンス担当なのだろうか、妙に世話焼きのねじり鉢巻きのおじさんが若者にウケると思ってか否か、PUFFUYの往年のヒット曲などを「これ知っとる?」などと言って歌って見せている。
「ねえねえ、石川さゆりちゃんも話ししたらええやん。どっから来たん。」
PUFFYおやじはいつの間にかホタルイカと大瓶を抱えた疲れ切ったわたしを「いしかわさゆり」などと呼び、強引に会話に巻き込み始めた。
それからがひどい。
「この子杉並区から来たんやってー」と
随分遠くの座っている女性の一人客(大田区から観光で来たらしい)と互いに自己紹介をさせられたり、常連のサラリーマン3人組の卓に同席させられたり。
気が付けば小一時間が過ぎただろうか。
「さゆり」ではなく、「みほ」と呼ばれていた。いつの間にか。
みほって誰だ…?
だけどもちっとも嫌な気がしないのだ。
むしろ、自分の薄柔い殻が優しい手でどんどん、どんどん剥かれていく感じ。
茹でた海老の殻に似たような、食べてもいいし捨ててもいい、中途半端な殻。
東京ではこんな機会は滅多にない。
余所者の自分がお邪魔しているという気後れがあるにしても、
ものすごく自然に酒場の人々は「こっち来たらええやん。こっち来たら楽しいで。」をやってのける。
こっち来たら、楽しいのだ。
恐るべし、魔窟・大阪。
聞けばこの酒場は、全国の酒好きが愛好する銘酒場中の銘酒場らしい。
下水臭がきつい大衆酒場だが、人を引き付けて離さない魅力があるのだろう。
筆舌に尽くしがたいそれを、わたしは思い出してニヤつくことでしか伝えられない。
大阪にはこんな酒場がゴロゴロと点在しているのを想像すると、
ゾッとしてしまう。昼間に天満の立ち飲み屋の前などを通り過ぎると、その暖簾の隙から様々なストーリー(と言っても酒飲みのただの日常だろう)を感じて胸が高鳴ってしまうのだ。
先入観で嫌っていたこの街に今は底知れぬ魅力を感じている。
まぁ、大阪の彼の人たちは至極自然に、その「底」に近いとこに居るのだろうけれど。
その近くまで泳ぎ着くことをいつか許してもらえるだろうか、ぬるい大瓶を抱えて。
わたしは次回の大阪行きをいつの間にかすごくすごく、楽しみにしている。
でもこのむず痒い喜びを、ただただニヤつくことでしか伝えられないのが残念で仕方がない。
0 notes
oguhyouban · 4 years
Text
大阪
大阪は、日本の近畿地方(関西地方)の地名、都市。
律令国では摂津国の範囲であり、近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
現在の「大阪」は、近畿地方に位置する包括的地方公共団体・大阪府や、その府庁所在地であり西日本最大の都市・大阪市を指し、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、京阪神大都市圏、近畿圏など)を漠然と総称することにも使われる。
全国からあらゆる食材が集まる「天下の台所」であり、瀬戸内の海産物や大阪近郊の野菜にも恵まれ、日本料理の基礎となった食文化が栄え、「大阪の食い倒れ」(大阪人は破産しそうなほど飲食に贅沢をするという意味であるが、大阪人は食べ物自慢にうるさい、大阪には食べ切れないほど美味いものが沢山ある、といった意味でも使われる)という諺まで生まれた。しゃぶしゃぶや懐石料理、うどんすき、大阪寿司や割烹などの本格的な日本料理の発祥地としてや、たこ焼きやお好み焼き、串カツ、イカ焼きといった、“粉もん”を中心とした庶民の味まで、さまざまな料理が楽しめる。現在大阪では廃れた最古級の発祥地として蕎麦があり、これは関東では「砂場」の蕎麦屋の名門屋号として知られている。
昔からの土産としては岩おこしやコンブがあり、現在は廃れたもののキュウリ、ダイコンなどの伝統野菜(なにわ野菜)が見直されたり、和泉でしかできない水なすや和泉のタマネギ、ミズナなど野菜の特産もある。特にネギは九条葱等の日本の青ネギの原種であり、最古(奈良時代には既にあった記録が残る)の品種である難波葱(なんばねぎ)の一大生産地として戦前まで栄え、難波(なんば)=ネギと代名詞ともなりこれは鴨南蛮の語源となったともされている。南河内では明治の頃より山梨に次ぐ古くから葡萄の栽培が盛んであり、現在でもその出荷量は全国上位に入る品種もある。近年では、葡萄の中でも日本古来6品種の一つで約400年前より大阪に伝わる「紫」葡萄が、特産の葡萄として復活させるべく栽培と普及が進められている。
昔から“大阪の味”として親しまれてきたものとしては、ハモ、フグ、きつねうどん、まむしなどがある。特にふぐ料理は全国消費量の約6割が大阪での消費であり、代表的な料理法としてはてっちりやてっさが挙げられる。
過去には主に商人の食卓で、「半助」(蒲焼にした後のウナギの頭部)を使った炊き合わせや「船場汁」など、節約料理も数多く見られた。
鶴橋などのコリア・タウンがあることから焼肉の店も多く、日本でホルモン焼きが広まった最初の都市である。またインスタントラーメンや酢昆布など、意外な大阪発祥の料理・食品も多い。
また食の風習としては、節分の行事としての太巻き寿司の丸かぶり(いわゆる恵方巻)が挙げられる。
オーグ 下着|オーグ 下着|オーグ 下着|オーグ 下着|オーグ 下着|オーグ 訪問販売|オーグ 訪問販売|オーグ 訪問販売|オーグ 訪問販売|オーグ 訪問販売
0 notes
tak4hir0 · 5 years
Link
福島県立勿来工業高等学校卒業後、上京。水商売を経て英会話教材・百科事典のセールスマンになり、巧みなセールストークで月40セットを売り上げるなど、優秀な成績を収めた。その後北海道において、1970年代後半インベーダーゲームブーム真っ盛りの時期にゲーム機の設置・販売を手がけ財をなすが、ゲーム機の新作発表会を見に上京した際に新宿・歌舞伎町でビニ本に出会ったのを機に裏本の制作・販売業に転じ、全48店舗を擁する北大神田書店グループの会長にまで上り詰める。草野自身がモデルを務めたり、「過激な内容」が好評を経て、後に「ビニ本の帝王」と呼ばれるまでに業界を牽引する存在となっていった。全盛期の頃、札幌東警察署の隣に店舗を出店していたことは草野(村西とおる)本人がさまざまなメディアにて明かしている[1]。 1983年には、裏本によって得た莫大な利益と、北大神田書店グループの流通網を用いて、自ら経営する出版社・新英出版より写真週刊誌『スクランブルPHOTO』を創刊した(編集長は本橋信宏である)。しかし、ほどなくして北大神田書店グループの摘発によって資金繰りが悪化したことにより、創刊からわずか10号で廃刊に追い込まれた。また、村西自身も猥褻図画販売容疑で指名手配・逃亡の後、1984年3月に逮捕され(後に懲役1年5か月、執行猶予4年の有罪判決が確定)、北大神田書店グループも解体された。 クリスタル映像時代 北大神田書店グループが解散し、1984年秋の保釈後、「村西とおる」の芸名でAV監督に進出した。「村西」とは、当時所属していたクリスタル映像の西村社長の名字をひっくり���したものであり、「とおる」とは、借金や前科のある自分が再び世にまかり通るかどうか、という思いでつけたものである。 北ヨーロッパにロケーションしたり、ストーリーもので擬似本番だった初期作品は酷評されて、当初は売れない日々が続いたものの、1985年11月に発売したドキュメント路線の立川ひとみ主演「恥辱の女」が専門誌「ビデオ・ザ・ワールド」の選評でその年の1位を獲得する評判を呼ぶ。これに自信を得て試行錯誤の末、自らが監督・男優・カメラマンを兼ねて本番をする「ハメ撮り」や、「ナイスですね〜」、「ゴージャスでございます。」、「エロチシズムとは美しさのコントラストでございます。」等、を始めとする独特の「村西トーク」(これはセールスマンの経験を通して身につけたものである)、顔面に射精することで本番行為を行っていることをアピールする「顔面シャワー」、駅弁売りのような態勢で女優を抱えながら行為に及ぶ「駅弁ファック」や、セーラー服やストッキングを荒々しく破く行為など村西独自のスタイルを編み出し、徐々に業界で知名度を高めていった。これに加えて1986年の職業安定法・児童福祉法違反容疑での逮捕(17歳の少女を出演させたとされるもので、後に処分保留で釈放された)により、一般にも広く知られるようになった。以後、毎年のように彼の逮捕をめぐる報道がなされ、一躍ワイドショーやニュースショーを賑わせることになる。 村西の作品が爆発的な知名度を得て、「アダルトビデオの帝王」と言われるきっかけとなったのが、1986年10月に発売された黒木香の「SMぽいの好き」である。横浜国立大学でイタリア美術を専攻する良家の令嬢でありながら、ドスケベな言葉を連呼し、16歳以降剃ったことのないという脇毛を振り乱し、絶頂時には「感じたときには1回、さらに感じたときには2回、あーもうだめ!いっちゃう!時には3回吹いてください。」とホラ貝(観光地のお土産屋にあるピンクの吸い口の小型のもの)を吹き鳴らさせるという刹那的意図を擁した斬新な演出は、当時大きな話題を呼んだ。これを契機に、様々な女優がホラ貝を吹き鳴らす「笛吹乙女」がシリーズ化され、併せて「私にエッチな言葉を言って」のシリーズを順次制作し、新たな村西スタイルを確立し成功を収める。1986年12月にはハワイでのロケ中(セスナ2機をパールハーバー上で並行飛行させ、スカイセックスの撮影を行う)にかねてから村西の動向を監視していたFBI特別捜査チームに一義的に「旅券法違反」の容疑で逮捕され、後に総量刑を懲役370年として求刑されて[1]半年以上かつ1億円以上の弁護・司法取引費用を費やして勾留・法廷闘争が行われたが、これも皮肉にも村西の知名度をさらに高めることになった。村西は当時、ソニーのベータカムを背負い、白いガウンのブリーフ姿になったり、ハメ撮りをするという強烈な姿をフジテレビのバラエティー番組『オレたちひょうきん族』の中で主に片岡鶴太郎が中心となって、『村西軍団』と称したものまねをされるなどして、子供や主婦層にまでも存在が浸透し、その影響から、フジテレビの深夜ドキュメンタリー番組でも「アダルトビデオの戦士たち」という特集番組まで制作され、放送された。村西自身も独特の村西節が世間に受けていたこともあり、時代の寵児として、実業家や評論家などの肩書きで11PMなどの深夜帯のテレビ番組や成人雑誌に登場するなど、マスメディアをも席巻する存在となっていった。 1988年4月には、17歳の少女をAVに出演させて児童福祉法違反容疑で逮捕。罰金30万円の有罪判決を受けた。さらに同年7月には、1989年第15回参議院通常選挙の出馬を宣言し、9月には「全日本ナイス党」を結党し、結党式にはマスコミの前で、「村西スタイル」である、白いガウンにBVDのブリーフ姿に加え、襷まで掛けた姿で登場し、村西節を盛り込んだ大々的な出馬宣言を行い、その模様を日本全国に報道された。しかし、結党式の翌日、16歳の少女を出演させたとしてまたもや児童福祉法違反容疑で警視庁・麹町署に逮捕され、懲役1年、執行猶予5年の判決を受けた。ただしこの少女は、成人していた姉の身分証明を使い年齢を偽って出演していたとされる。この件について、黒木香はワイドショーの取材に「いつもはめている村西監督が今回ばかりははめられた」などと発言した。 ダイヤモンド映像時代 この間、1988年9月に、クリスタル映像と袂を分かってダイヤモンド映像を設立した(村西は事実上のオーナーだったが、代表取締役には就いていない)。当初は売り上げが振るわなかったものの、村西自身が監督を務め、開通間もない横浜ベイブリッジを「駅弁」で疾走した「横浜ベイブリッジの女」、葛飾柴又の寅さんをイメージした「葛飾柴又の女」の「~の女」シリーズなどが好評を経て、後に出演した松坂季実子の発掘によって火がついた「巨乳ブーム」により同社が業界を牽引し、さらに業績を軌道に乗せるに至った。桜樹ルイら一時は10名以上の専属女優を抱え、目黒区青葉台、代々木上原に構えたダイヤモンド映像本社でスタッフと女優と共同生活を送る。AV女優に500万円から800万円の高額のギャラと高級服を弾み、写真撮影のため海外旅行にも出かけるうちに、ハーレム状態となった。黒木香の店(いわゆるタレントショップ)として渋谷東急文化村付近には高級焼肉店「香貴店」を出店した。 さらに日本ビデオ映画を設立し、本名の草野博美名義でかとうれいこ、本田美奈子、飯島直子、秋本奈緒美、横須賀昌美など一般のタレントを起用して、1990年から1992年にかけてビデオ映画の製作に進出。また、パワースポーツ企画販売ではアイドルのイメージビデオを手がけた。その他のグループ企業にはビックマンとビックマン販売がある。 しかし、ビデオ映画は失敗し、同時に過剰な不動産投資や、「空からスケベが降ってくる」との謳い文句で知られた通信衛星放送事業への過大投資などによって、ダイヤモンド映像は1992年に約50億円の負債を抱えて倒産するに至った。 ダイヤモンド映像倒産後 1994年4月からアナログ方式のCSテレビCS BAANでダイヤモンドチャンネルの本放送を開始。18万円のチューナーを購入し、月に3500円の受信料を払って1日8時間放送のアダルトビデオを見るシステムで、4000件の受信契約があったが、1996年夏に放送を中止した。同時期には京都ローカルのKBS京都で『アイドルお嬢様』というテレビ番組を放送したり、新宿歌舞伎町でショーパブを経営していた。この間の1994年12月からはビデオ安売王(日本ビデオ販売)と契約してセル専用のアダルトビデオを制作した。この際の、キャッチフレーズは「帰ってきたハメ撮りの帝王」であった。『実録若奥様』(小田かおる主演)のヒット作を飛ばすも、日本ビデオ販売はほどなくしてあえなく倒産。その後、株式会社日本映画新でビデオ制作を再開したものの、作品の多くはダイヤモンド映像時代の二次使用が主体であり、売り上げがあがらずまもなく解散。1996年には多くのAVメーカーに先駆けてDVDによるアダルト向け作品を発売した。 2007年からはニューシネマジャパンで、過去の作品の販売などを中心に活動している。なお、妻は元AV女優の乃木真梨子である。ダイヤモンド映像倒産時には、多くの作品の原版が流出し、裏ビデオ化された。
0 notes
kuroda-kanbee · 7 years
Text
数年分のコピペ001
1月 4, 2016
「独立は身を殺して仁をなした日本のおかげ」
 昭和30年、後のタイ王国の首相、ククリット・プラモード氏は
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが(筆者注・日本の敗戦のこと)、
生まれた子はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
この重大な思想を示してくれたお母さんが、
一身を賭して重大決意をされた昭和16年12月8日(開戦の日)、
われわれはこの日を忘れてはならない」と述べている。
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1451795640/
【政治】「侵略戦争」は連合国の宣伝、日本は植民地アジアを解放した★2 c2ch.net (via worldwalker2)
(ladynuuから)
1月 4, 2016
部下に敬意を払わない上司は会社に大きな経済的損害を与えている。敬意を払うことが報酬の一部であるということはそれが不足しているぶんだけ給与を引き上げないと金銭的報酬は少なくてもより多くの敬意報酬を支払ってくれる競合他社のトータルの報酬額の方が大きく、人材を引き抜かれてしまうからだ。
Twitter / @fromdusktildawn (via raitu)
(mitaimonから)
1月 4, 2016
道徳を忘れた経済は犯罪だが、経済を忘れた道徳は寝言である。
二宮尊徳
道徳と経済 ≪ analog (via mcsgsym)
(ladynuuから)
1月 4, 2016
妥協して落しどころを探ると・・・骨抜き、玉虫色
強引に押し通すと・・・・・・・・独裁
部下に大きな権限を与えて任せると・・・丸投げ、無責任
官邸主導で進めると・・・・・・・・・・独裁
決断下すと・・・なぜ今なのか、慎重に議論すべき、他に大事なことがある
保留すると・・・また先送りか
支持率上がると・・・ポピュリズム、人気取り
支持率下がると・・・もっと国民の声に耳を傾けよ
靖国行くと・・・右派、軍歌の足音、いつか来た道
行かないと・・・公約破った
閣僚人事の予想があたると・・・新鮮味がない、地味
はずれると・・・・・・・・・・また小泉流サプライズの手法、実務派を使え
拉致問題取り組む前・・・北と仲良く、友好壊すな
取り組み後・・・・・・・なんでもっと早くやらなかったの、まだまだ足りない全員戻せ
北朝鮮に強い態度取ると・・・暴発するぞ
協調すると・・・・・・・・・弱腰
規制緩和すると・・・競争激しい、
しないと・・・・・・既得権益にメス入れろ
株価下がると・・・景気悪くなった、なんとかしろ
株価上がると・・・格差広がった、なんとかしろ
中韓と首脳会談が途絶えていると・・・・アジアから孤立している
中韓と首脳会談を行うと・・・・・・・・・・・・首相の点数稼ぎだ
語気を強めると・・・・感情的、逆ギレ
淡々と話すと・・・・・・歯切れが悪い
政治経済まとめ: 【コピペ】どうあがいてもマスコミのバッシングからは逃れることはできないことがよくわかるコピペ (via mcafee-x6)
2010-09-13 (via gkojax-text)
(元記事: 46187 (mitaimonから))
1月 4, 2016
何よりも不愉快なのは、一般の読者は「有害コミック」に影響を受けて悪いことをしでかすはずだという思い上がりです。「国民の判断力を信じられないのならば、あなたたち政治家が国民の投票で選ばれていることも疑うべきではないか」と言いたいです。
Twitter / 集英社インターナショナル (via yokumoku)
(lovecakeから)
1月 4, 2016
小津安二郎は、こう言った。 『どうでもいいことは、流行に従う。  大切なことは、道徳に従う。  そして、芸術に関しては、自分に従う。』
[mixi] さんSUKEさんのレビュー (via fialux, yohei917) (via ak47) (via dannnao) (via megane4141) (via o-x-y-s) (via the-whoooooooo) (via yuasa, yohei917-blog) (via chkk525)
1月 3, 2016
「ソシャゲのCMって意味不明なのばっかり。 あんなのでユーザ増えるのかよ?」みたいな発言をよく見かけますが、
来ます。 アホほど来ます。
デイリーの新規UUが3~4桁をいったりいたりしてる状態から、
いきなり5桁になるくらい来ます。
鯖だって落ちます。
Twitter / kajime_yaki (via rpm99)
(driftingheadから)
1月 3, 2016
「自分は役立っている」と実感するのに、相手から感謝されることや、ほめられることは不要である。貢献感は「自己満足」でいいのだ。(アドラー)
1月 3, 2016
昆虫は卵を沢山産むので、
ひとつの卵で成長するための卵黄の分配量
が少なくなってしまう。
そこで卵内の成長を最低限のとこで一旦止めて外部から栄養を取り込むようにする
これが幼虫である。
成長のための栄養を十分とると、
もう一度卵内の過程に戻る。
これが蛹である
【卵→幼虫→蛹→成虫】蛹(サナギ)って何なんだよ・・・一度全部ドロドロに解けるっておかしいだろ : 2のまとめR (via luna222)
(maumau-ruから)
1月 3, 2016
huckleberryfieldsforever:
s-sakihama:
今年もまたご一緒に九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。 
これは地球が太陽の周りを一周する距離です。速度はマッハ93。安全です。 
他の乗客がごたごたを起こさないよう祈りましょう。
星新一
今年もまた、旅に出る
(sakanappiから)
1月 3, 2016
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
 日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考えて、山川草木湖海風雷から井戸・かまどに至るまで、それらを司る神を想像した。
 日本人はこの国土をつくった神々の子孫で、この神々こそ我々の祖先である。
 この祖先である神々に奉仕し、この祖先を崇拝することが、我々の最高のつとめであると考えてきた。
 神道では他の宗教のように、地獄・極楽を説かない。
 日本人はその肉体が終えると同時に、超自然の力を得て、時間空間を超越した霊となって、子孫と国家を護るのである。
 この考えのない者は、日本人ではない。
「日本 解明への一試論 Japan An Attempt at Interpretation」より
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)=アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid783.html (via shinjihi)
(chiniuetakotetsuから)
1月 3, 2016
オットー・カロン=ドイツ人。ボン大学教授。
 ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。
 ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。
 平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。
 しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。
「天皇の真実」(河内正臣)より
 1950年(昭和25年)のカロンの言葉
※引用者注:昭和天皇の御巡幸は昭和21年から29年まで続き、沖縄をのぞく、全都道府県をまわられました。お立ち寄り箇所は1411カ所に及びました。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid783.html (via shinjihi)
(inquisitive-bookから)
1月 3, 2016
「俺は飯作って貰っても嫁さんに有難うなんて言わない」って豪語する上司に、社会勉強でOLしてる良い所のお嬢様が「ご両親にマナーを躾けて貰えなかったんですか?」って無邪気に返されて、亭主関白からただの育ちの悪い男に落とされたって話を友人から聞いて爆笑しております。
きゅーびさんはTwitterを使っています (via yasunao)
(tom-motomから)
1月 2, 2016
かつて初めて会社勤めした時、当時の上司から言われた言葉
「良い報告は忘れてもよい。悪い報告ほど早く簡潔にせよ。私は君から悪い報告を聞きたい。なぜなら、悪い報告をトラブルに発展させないのが私の仕事だからだ」
いい上司だった。
Twitter / shun1sta (via hutaba)
(tetsujin28mmから)
1月 1, 2016
何度も書いてることですが、現代文で点数を取るコツは「書いてないことまで読み取らないこと」です。これ出来てる人は「なんで出来ないの?」と不思議に思うようですが、出来ない人はとことん出来ません。ツイッターでよく突撃してくる方もこのパターン多いです。自分の頭の中の「文意」と戦ってる。
Twitter / tarareba722 (via rpm99)
(tknoriから)
1月 1, 2016
Favorite tweets: 『愚痴らない』『威張らない』『ご機嫌でいる』
この3つは『年上の人間の義務』だって事。
やっと気づきました。  山田玲司 (@yamadareiji) November 16, 2014
via http://ift.tt/1HeZaVR (via nsx)
(utakatawagotoから)
1月 1, 2016
そもそも、女から見ても女そのものが付き合いづらいものだ。筆者の生粋の文化系女子な知人がtwitterでつぶやいた、「めんどくさくない女に会ったことがない」という発言は、真理を突いた名言で忘れられない。男性から見て女の相手をするのがめんどくさいのは当然で、じつは、女同士も踏み込んではいけない領域をうかがうところから始まり、ざっくばらんに語るなんてまずはない。
第1回 〈女子〉と映画 | 青弓社 (via otsune)
(beta-opinionから)
1月 1, 2016
鼻腔のひだひだが充血して膨らんで気道を狭めるからですよ。膨らむ理由は炎症とか、鼻の骨のゆがみとかがあるからと思います。左右の目の瞳の下の頬骨のとがった辺り(「しょうきゅう」って言う所あたり。)を人差し指と親指で右側左側をはさむようにしてマッサージして見てください。頬骨が開く方向になると息が少しし易くなります。鼻が詰まっていると血行が悪くてその指で押している所はかなり痛いですが、痛くならないくらいまでマッサージします。程よく血行がもどったら鼻の通りはそれよりもよくなると思います。
鼻が詰まる理由について  Yahoo!知恵袋
本当だ!
(via kwwwsk)
(diving-penguinから)
1月 1, 2016
国内の業者なら、寸法の書かれていない本棚の設計図に、常識で考えられる範囲の寸法、例えば、文庫本が収まるサイズとかを当てはめて、それなりの寸法で板を切ってくれかもしれない。また、棚いっぱいに本を並べたときに壊れない程度の厚さの板をつかうかもしれない。海外の業者ならどうだろう?組み立てられる寸法かもしれないが、家で使うには大きすぎる本棚かもしれないし、本を横一列に並べたら棚が壊れるような厚さの板を使うかもしれない。え?そんなの考えて板を切るのが常識だって?品質意識がなってない?寸法を問い合わせてくるのが常識だぁ?あのな、常識なんてものが通用するのは日本国内だけなんだよ!
オフショア開発失敗の原因 - Sacrificed & Exploited (via jun26)
(kou-ryuから)
1月 1, 2016
「してあげたのに」は呪いの言葉です。 その後に続く言葉は「なのに、何もしてくれない」です。 「してあげたのに」を発した途端、全ての行為が取引に変わります。 愛情でしていた行為も、お返しを期待する取引行為に変わってしまうのです。 心で思っていても、声を出してはいけない言葉なのです。
Twitter / naname_ue_siko (via hutaba)
(rurinacciから)
1月 7, 2016
【可能性を変えて同意】
Could be:20%
ありえるね
Might be:40%
かもね
Should be:60%
そのはずだね
Would be:80%
だろうね
Must be:99%
間違いないね
Twitter / e_kazuma (via yellowblog)
(muuuuから)
12月 12, 2015
 Q. 地球上で最大の二酸化炭素の排出源は?
 A. 海。(2位落ち葉、3位動物・バクテリア)
 Q. 人類の排出する二酸化炭素は年6.5ギガトンです。海は何ギガトン?
 A. 10,000ギガトン(落ち葉1,000ギガトン、動物150ギガトン)
 Q. 温室効果ガスで大気中に最も多く存在するのは?
 A. 水蒸気。(約80%。ちなみにCO2は0.037%)
 Q. 温暖化の原因って二酸化炭素?
 A. マスコミや偉い人がみんなそう言ってます。間違いありません(笑)
ヒロイモノ中毒 温暖化の原因って? 
インタビュアーが「なぜ“焼夷弾”を落とすという選択をしたのか」とマクナマラに問う。
マクナマラはこう答える。(以下M)
M:「問題は焼夷弾ではない。」
M:「一晩で10万人の市民を殺戮していいかどうかだ」
M:「ルメイの答えは、イエスだ」
M:「彼は言うだろう。“君は10万人ではなくもっと少なければいいと言うのか? 日本上陸ともなれば何万もの米兵が死ぬかもしれん。それが賢い選択か?”と」
M:「だが、焦土にした上で、原爆まで落とす必要があるのか?」
M:「ルメイは、東京以外も焼夷弾で焼いた」
クリーブランドと同規模の横浜は58%が破壊された。
当時のN.Y.に匹敵していた東京は、51%が破壊。
富山は 99%が破壊された。
名古屋は 40%が破壊された。
大阪は 35.1%が破壊された。
西宮は 11.9%が破壊された。
下関は 37.6%が破壊された。
呉は 41.9%が破壊された。
神戸は 55.7%が破壊された。
大牟田は35.9%が破壊された。
和歌山は ���50%が破壊された。
川崎は 35.2%が破壊された。
岡山  68.9%
八幡  21.2%
鹿児島 63.4%
尼崎  18.3%
佐世保 41.4%
門司  23.3%
都城  26.5%
延岡  25.2%
宮崎  26.1%
福岡  24.1%
高知  55.2%
佐賀  44.2%
今治  63.9%
松山  64.0%
大分  28.2%
平塚  48.4%
徳山  48.3%
四日市 33.6%
宇治山田41.3%
大垣  39.5%
岐阜  69.6%
福井  86.0%
徳島  85.2%
堺   48.2%
八王子 65.0%
熊本  31.2%
伊勢崎 56.7%
高松  67.5%
明石  50.2%
福山  80.9%
青森  30.0%
岡崎  32.2%
静岡  66.1%
姫路  49.4%
千葉  41.0%
一宮  56.3%
清水  42.1%
大村  33.1%
奈良  69.3%
津   69.3%
桑名  75%
豊橋  67.9%
沼津  42.3%
銚子  44.2%
甲府  78.6%
宇都宮 43.7%
水戸  68.9%
仙台  21.9%
鶴賀  65.1%
名古屋 64.9%
日立  72.0%
熊谷  55.1%
浜松  60.3%
前橋  64.2%が破壊された。
【動画】「如何に日本人虐殺の効率を上げるか?」~マクナマラ元米国防長官の告白 THE FOG OF WAR~:Birth of Blues
原爆以外にこれだけ大規模な空襲を米軍がしていたなんて、、、知らなかった。
(via miro-cherry)
そう知られていないんだ。
(via kay-ikegami)
これを広めることが大切
(via rupazo)
(toapapaから)
0 notes
cosmicc-blues · 4 years
Text
かため号食物誌②
ある真冬の朝、店の後片づけをうっちゃってそのまま眠ってしまい、昼前に目を覚ますと、先輩のE氏とM氏も同じようにイスを三つ並べて眠っていた。身じろぎして身体を伸ばすと、イスがギイイと鳴り、その微かな音でふたりとも目を覚ました、地獄の底からの呻き声のような悲痛な叫びを発しながら。三人が三人とも二日酔いに参っていた、ここにゾンビ三人衆の誕生である。昨夜のラストナンバーはいったい何であったか、まさかマイケル・ジャクソンのスリラーではあるまいな。そう思いターンテーブルを確かめに行くと、その上にはゆらゆら帝国のひとりぼっちの人工衛星が乗っている。ずいぶんとしっぽりしたムードで〆たんだなあ、もはや何にも憶えていない、記憶のヒトカケラも残っていない。人工衛星のスイッチを押すと、世界の終焉を側から眺めやるような寂しげで、幽遠で、でもちょっとだけ優しさのあるような音楽が流れはじめる。が、しかし、世界が終ろうが何だろうが腹は減る。かつて先輩O氏が言ったように、どんなに満腹になっても数時間後にはまた腹が減るのである。
寂しげな音楽など意にも介さず、E氏とM氏はさっそく飯の話をはじめている。さすがは食通のE氏と、E氏の師匠格にあたるM氏である。これは最期の晩餐の日の朝ごはんを夢想するような類いの話ではなく、いま現実的にこれから何を食すかについての緊急を要する話し合いである。数々の店名が挙げ連ねられ、そのなかから隣駅のラーメンG店のすじが濃厚になった。G店は日曜日限定で、店主が力を思う存分に奮った採算度外視のスペシャルラーメンを提供しているのだ。そこで今日のラーメンはいかに、とネットで調べてみると、パパイヤとドラゴンフルーツから出汁をとったラーメンと書いてある。こ、これが、噂の......。スペシャルラーメンはもっぱら牡蠣とかズワイガニとか伊勢エビとか、いかにもスペシャル感のある具材で出汁をとるのだが、稀にスペシャルの方向性をまちがえて、かのような珍妙なフルーツから出汁をとることもあるようで、そんな日はお世辞にも美味しいとは言えないのだそうだ。さて、どうしたものか。とはいえ、私たちの腹はすでにスペシャルラーメンを求めている。不味いのを承知でスペシャルを食すか、それとも妥協して他のお店にするか。しかし、我々の辞書には妥協という文字は存在せぬ、とくに師匠のM氏たるや。そんな豪傑なM氏から怖ろしい提案がなされた。それならば、最近オープンしたばかりのラーメンJ郎の栃G店に行こうと言うのである。い、いったい何時間かかるのか、そもそも帰って来られるのか。これなら不味いのを承知でパパイヤとドラゴンフルーツのラーメンを食べたほうが幾分かマシであろう。が、私たちはM氏に妥協案を勧めるどころか、ヨイヨイと電車での行き方を調べはじめ、昼の営業時間にはどうにか間に合うだろうことが知れた。昨夜の酔いの勢いがまだ残っており、マトモな人間としての判断力を失調していたのである。
雑居ビル地下一階の店から出ると、外では冷たい雨がしとしとと降っている。列車に乗り込んでまもなく、雨は霙へと変わり、霙は雪へと変わった。さすがに二日酔いの勢いは尻すぼみに後退していき、それに代わって頭痛がじんじんと酔いの跡地を占拠する。降車駅でドアの開くたびに冷たい風が車内に吹きつける。M氏は雪などには目もくれず、西部劇のガンマンがそうするように帽子の位置をすこし前にずらしてうなだれた。E氏は靴を脱いで膝を抱えている。雪は延々と茫漠として窓ガラスを幾重にも過ぎてゆく。ひとりぼっちの人工衛星がふたたび頭のなかでリピートした。
さて、目的の駅について、私たちは呆気にとられた。横なぶりの吹雪もさることながら、雪をさえぎる建物が四方見渡してもどこにもないのである。駅前のロータリーを離れると、そこには果てしのない田園地帯とそれを貫いて真っ直ぐの道路がどこまでも続いていた。コンビニエンスストア? そんなものはごく限られた文明世界の産物であろう。私たち三人はおたがいを風避けにしながら進んだ。まるでエルサレムを追放されたユダヤ人の放浪の民のように。そして、私たちはJ郎の黄色い看板をこの目におさめて、さらに愕然とするのだった。この吹雪のなか、店の前には何十人という行列ができているのである。我々はもはや聖地を追放された流浪の民ではなく、聖地を巡礼する旅人のひとりになっていた。だが、しかし、流浪の民でいたほうがどんなに気楽であったことだろう。聖地巡礼とはまた、殉教をすら厭わないものなのだから。
トボトボと列の最後尾につくと、さっそく一番うしろの兄ちゃん衆から断りが入った。
「今日はこれで終わりだってさ。もう何人も諦めて帰ってたよ」
私たちは膝から崩れ落ちた。
「残念だったな。でもよぉ、お前さんたち見かけない顔だなあ。どっから来たんだい」
T京からだと応えると、
「そいつはお気の毒さまだな。まあ、でも、俺たちだって店の親父から頼まれてんだ、もうこれ以上の客は断ってくれってな、恨みっこなしだぜ」
すると、兄ちゃん衆のなかで一番小柄なやつが、
「なあ、兄貴ぃ、ここは譲ってやろうよ。俺たち、もう一週間も連続で食べてるんだぜ。それに、いつだって来れるし、今日はまだ並び始めたばっかじゃんか」
「お、おう、それもそうだな。お前たまにはいいこと言うじゃねえか。いいか、お前らぁ! 」
「ウィッス! 」
「と、いうことだからよぉ、譲ってやる。感謝ならこいつに言ってくれな。その代わり、後から来た客は丁重にお断りしてくれよな、約束を破ったんじゃ店主に顔向けできねえからよう」
私たちはこの日をもって田舎者をバカにするのは一切やめにしたという。さらに兄ちゃん衆は帰り際に、達者でなぁと言い残して、車の窓からホッカイロを投げてくれた。まったく、偽りだらけのこの世界にも素晴らしき出会いはあるものだ。が、はたして彼らの良心は鶴のひと声だったのか、それとも悪魔の囁きだったのか。この吹雪のなか、この行列に並ぶぐらいなら、いそいそと退散したほうが幾分かマシというものであろう。吹雪はますます強まっていた。私たちは極度の空腹だった。そして何より眠くて眠くて仕方なかった。寒い、眠い、ひもじい、三密ならぬ、三いの条件が見事に整ってしまっている。三いとはすなわち凍死のための条件である。見たところ、この行列では一時間半から二時間はかかるだろうか。さっそく膝がガクガクと震えてくる。そこで苦肉の策として、店の向かい側にあるビニールハウスで暖をとりつつ仮眠をとることとなった、ひとりずつ三十分交代でビニールハウスに避難する。本来であれば、列から離れるのはマナー違反であるが、幸いにも列の一番最後尾だし、しのごの言っている場合ではなかった、我々は三い状態をすみやかに回避しなければならなかったのだ。
正直、その日のラーメンの味はよく憶えていない。ただただ、しんどかった思い出として脳裏に刻まれている。
その他、遠征の思い出としてはK都に夜行バスで行った折り、第一Aと新福S館が隣同士に店を構えているのには感動した。いざ目的の地に辿り着いてみると、知ってはいたが、待ちに望んだ食べたいラーメン店が目の前にふたつもあるなんて! これほどまでに美しくも残酷な光景が他にあるだろうか! アダムとイブは知識のリンゴを食べたため、地上の楽園から追放されたというが、隣同士のラーメンはまさしく善悪のリンゴそのものであった。善悪の知識を得る代わりに我々は楽園から追放されるのだ。事実、私はここで善悪を知ってしまい、第一A派の人間になり下がり、地上の楽園からは永久に追放された。もはや隣同士に店を構える二店をみても、迷い悩むことも、それ故に心がときめくこともなくなったのである。何故なら私はリンゴを食べて善悪を知ってしまったのだから。
行列の思い出としては、T田B場の川沿いにあったBN店の最終日であろう。ひと月ほどまえに閉店が���ナウンスがされてからは大変な行列になっていると聞いていたが、都合のついたのがこともあろうに最終日だった。始発でT田B場に駆けつけると、すでに川沿いにはとんでもない行列が出来ていた。あまりにも長いので行列は橋を渡り、川を挟んだ店の向かい側にまで伸びていた。マジか......噂は聞いていたがこれほどとは......と思ったが、私にはどうやらそういった悪運があるらしく、列に加わろうか加わるまいかというところで店員が人数を数えにきて、ちょうど私のところで足切りとなった(ということはつまり、後から来る客に断りを入れる役を任されてしまったのである)。これでは帰るに帰れない。そもそもの問題として、始発で来たのだから、店が開くまであと五時間以上もある。さらにこの行列が捌けるのにいったい何時間かかるのか。さらにさらに悪運の強いことに予報外の小雨までが降ってくる。複数人で並んでいるひとは、ひとりに傘を買いに行かせ、買い出しに走ったひとは傘のみならず酒なんぞも買ってきて、あちらこちらの傘の下で酒盛りが開催される。私はといえば、ひとりであったから、列を離れることもできず、乏しい電話帳のなかから助けに来てくれそうなひとに片っ端から連絡してみる。時間も時間なのでもちろん誰からも応答はない。雨は徐々に強まってくる。諦めかけていたそのとき、なんとK氏から応答が、さすがは真の友である。曰く、T田B場でバイトをしているT氏の知人がちょうど仕事をあがったところだという。いやぁ、いくらなんでも、そんな見ず知らずの他人に、とも思ったが、雨はますます強まるばかりなので、よこしてくれ! とK氏に言づけた。
さて、傘をさしてやって来たのは、ギャ、ギャ、ギャ、ギャルのような風貌の女子である。しかも、もういっぽうの手にはコンビニのビニル袋をぶら下げており、缶ビールなんぞが入っている。少しの離れたところから目が合うと、トントントーンと駆け寄ってくる。
「どうも〜、デリバリーアンブレラ〜で〜す。ついでにビールで〜す」
軽い。いかにも軽い。まるでヘリウムガスのような軽さだ。私にはその第一声がそれこそヘリウムガスで声をボヤかしたように聞こえた。ただでさえ、人付き合いが苦手なのに、こんなギャルとどうやって話したらいいのか見当もつきやしない。しかも、先方はビール等数種のアルコールまで持参して、この場に滞在する気マンマンである。とりあえず、傘はおろか、こんなにたくさんの差し入れまで、と謝意を述べる。いや〜、助かった、ほんとうに助かりました〜、と過去形を最大限に強調する。なんとしても現在進行形にだけはしてはならない。どうにかしてお引きとりして頂かなければならないのだ。ところが先方は、いえいえ〜、と。
「こちらこそ助かっちゃいました。連勤の最終日なんです。こんな日はパーッと飲みたいじゃないですか。でも、こんな時間だし付き合ってくれるひともいなくて。お店もやってないし、家でひとりで飲むのも寂しいし」
「で、でも、こんな雨のなかで」
「え〜、いいじゃないですか〜、風情があって。花見ならぬ川見ですよ。あ〜、外で飲むのって久しぶり! 」
こんなドブ川で、と思った。今でこそドブ川でもなんでも川には目がないが、当時はまだ川なんて見えていなかったのである。
「う〜、もう限界、顔が窒息しそう」
そりゃあ、そんな厚化粧じゃ無理もあるまいと思った。
「ちょっとこの傘持っててください、化粧を落としちゃいます」
ところがどっこい、化粧を落として振り返った彼女の顔はギャルの風貌とは程遠い、別人と見間違えるほどの、親しみをおぼえるほどの素朴な顔立ちだったのである。
「わたし居酒屋のバイトなんですけど、同僚がギャルな子ばっかりで、溶け込むために仕方なく濃いめのメイクしてるんですよ」
そのひと言をきいて、私の彼女に対する印象は、ヘリウムはヘリウムでも気球か風船のように牧歌的な気軽さに変わっていた。開口一番の声の調子も居酒屋バイトの気分をまだ引きずっていたのだろう。私と彼女は雨の降りつのる傘の下で、ごく自然に打ち解けあった。旧知の仲の友人と喋っているのだと錯覚しそうになるほどだった。あるいは雨の日の気分がそう感じさせるのだろうか。雨の日は透明だ。だからこそ平時より浸透度がうんと高い。
昼前になり、とうとう店の入口に暖簾が掲げられた。行列の前のほうから順々にその震動が後方へと伝播してゆく。そんな変化の兆しが、行列にいまひとつの変化をもたらす。実はしばらくまえから雨はあがっていたのだ。誰しもが、またいつ降りはじめるやもしれない雨に惰性で傘をさし続けていた。あちらこちらで傘が畳まれはじめた。
ふぁあああ〜、と彼女は大あくびをした。昨日からずっと起きっぱなしなのだ、無理もあるまい。
「雨もあがったし、そろそろ帰って寝ようかなあ。付き合ってくれてありがとう、とっても楽しかった! 」
何を言っているのか。助けてもらったうえに、付き合ってもらったうえに、楽しい時間を過ごさせてもらったのはこっちのほうなのに。彼女は畳んだ傘を振っておやすみなさいの挨拶をしながら遠ざかっていった。あまりに自然に慣れ親しんでいたせいで、連絡先の交換もしていなかった。
さて、ようやく行列が動きはじめた。列に付いてからすでに五時間が経過していた。もう五時間も経ったのかと呆気にとられた。楽しい会話は時間を忘れさせるとはよく言ったものである。だが、ここからはたったひとりでの闘いである。彼女はもう夢のなかにいるのだろうか。
それからさらに四時間あまりが経ち、とうとう私は最後の客としてカウンター席に着いた。L字のカウンターに座る私たちは、身動ぎもせず、またたきもせず、店主の手さばきをこの目に焼き付けていた。まもなく最後のロットが茹で上がり、カウンターの上に湯気を吹いたラーメンの丼が並んだ。店主は全ての行程を終了すると、冷蔵庫から瓶ビールを出して王冠を外した。そして、
「おつかれ様でした! 」
と、カウンター越しの私たちに大きく乾杯をした。みんな、麺を啜るのも忘れて拍手した。あまりにも美しい光景に、涙がはらはらと頰をつたい、スープのなかに溶けていった。
後日、K氏に感謝を述べるというのはまったくの口実で、例の彼女の連絡先を聞き出そうとした。するとK氏は、そんなひとは知らないし、そんなことをした憶えはないと言う。またまた〜、担ごうとしたって無駄だぞ〜、と言い返しても、どうしたんだ、頭でも打ったのか、と真面目な顔で言い返される。これはもしかするとK氏の策謀なのかもしれん、と思い直し、これ以上突っ込むことはやめにした。
ところが私は意外なかたちで彼女と再会することになる。それはK氏の通夜の日のことだった(天国にて安らかに眠れ)。御焼香をすませて外に出ると、ちょうど雨が降りはじめたのだった。出入口にわだかまっていた一群がボフボフッと傘をさしはじめる。私はそのなかに彼女の姿をみとめた。目が合うと、あの日のようにトントントーンと駆け寄ってくる。
「また傘がないんですか? あ、どうも〜、デリバリーアンブレラ〜で〜す」
目のまえに現れた彼女を見、私はたまげて尻もちをつきかけた。なんというか様子がおかしいのである。なんていうか、こう、半透明というか、しかも足が無いのである。
「ど、ど、どうしたんだい、その姿は」
「あ、これですかー。今日はお通夜なんで、それらしくしようと思いまして。まあ、これが本来の姿なんですけどね。隠してたつもりじゃなかったんですけど。あ、驚かしちゃいました? 」
なんということか、軽いは軽いでも、彼女の軽さはヘリウムガスの軽さではなく幽霊の軽さだったのだ。以来、私は、お出かけの際に天気予報を気にしなくても済むようになった。むしろ積極的に傘を持つことをしなくなった。雨が降ると、デリバリーアンブレラ〜が来てくれるのだから。私と彼女はいまでもとても仲の良い友人同士である
0 notes