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#早島町
magical-magyars · 1 year
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霧幻峡(むげんきょう)の渡し 只見線早戸駅にある船着き場から観光用の渡し船が出ている。2022.11.8
LOCATION   openstreetmap
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shirasuphoto · 1 year
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#あの保存車両を撮る No.8 豊島区・千早フラワー公園 都営地下鉄12-000形(試作車)
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似てない兄は,幻のゆめもぐら?
 「ゆめもぐら」という名称を知っているだろうか?まだ大江戸線が都営12号線だった頃,「東京環状線」の路線名と共に,新しい愛称になりそうだったのがゆめもぐらだ.いまの大江戸線に落ち着いたのは,作家でもあった石原慎太郎都知事が,環状線の名に対して指摘したからだ.ぐるぐる回らない東京環状線だけでなく,ゆめもぐらも消え去ったのだ.
 なぜその名前を思い出したのか.今も保存されている大江戸線の試作車が,もぐらに見えるからだ.車両は都営地下鉄がリニアメトロ採用に向けて導入した.この試作車の結果から,大江戸線は今の小さなトンネルで工事を行うことが決まった.
 試験後は大江戸線を走ることなく,公園に保存されている.前面の運転台下に出っ歯のようなライト,側面にステンレスの凹凸と,80年代のトレンドを取り入れている.スリムな量産車とは対象的に,どこかずんぐりしたデザイン.同じ形式だけど似つかない兄弟が正し��のか?
豊島区・千早フラワー公園 ◆車両公開日 毎日 ◆最寄り駅 東京メトロ有楽町線・副都心線要町,西武池袋線椎名町
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kagoshimayokamon · 2 years
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鹿児島市都市農業センターのコスモスを見に早朝訪問🌄(^-^)/ R 4/10/23 コスモスはコスモス畑としての全景も良いですが、光が差し込むこういった瞬間も大好きです🙌 #鹿児島 #鹿児島観光 #鹿児島市 #鹿児島市犬迫町 #犬迫町 #犬迫 #鹿児島の風景 #鹿児島の自然 #鹿児島コスモス #都市農業センター #鹿児島市都市農業センター #鹿児島都市農業センター #コスモス #コスモス畑 #秋桜 #早朝 #朝焼け #kani #kaniフィルター #kagoshima #kagoshimaphoto #kagoshimaphotograph #japan #sky_photography #anime #nipponpic #lovers_nippon #streetphotography (鹿児島都市農業センター) https://www.instagram.com/p/CkGHuXHpI_u/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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otarulove · 2 years
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〈あの頃のマッチは素敵でした。 その767〉 Partner 早稲田町38. #マッチ #川島商店 #マッチラベル #Partner #早稲田町 #早稲田 https://www.instagram.com/p/CiLcdE_vpRP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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akihiro0119 · 2 years
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. 若松町 夏目坂珈琲 早稲田の近く、若松町にあるコーヒースタンド。 店の真ん中でコーヒーを淹れ、そこを取り囲むように座席が配置されている、ユニークな作りのお店。こちらでは #広島 の #宮島 にある #伊都岐珈琲 さんの豆を使っており、すっきりした味わいのアイスコーヒーはおいしかったです。それ以外にも瀬戸内のレモンや、尾道にあるチョコレートショップのチョコレートドリンクなど、瀬戸内の空気を感じられます。 #夏目坂珈琲 #若松町 #夏目坂 #早稲田 #東京 #waseda #tokyo #コーヒー #珈琲 #coffee #アイスコーヒー #icedcoffee #coldbrew #カフェ #コーヒースタンド #cafe #coffeeshop #カフェ巡り #カフェ好き #コーヒー好き #東京カフェ #tokyocafe #cafestagram #cafepic (at 夏目坂通り) https://www.instagram.com/p/CiAdfmMLUL4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2ndhome-kw · 2 years
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個別指導塾2ndHome . . 早くも8月ですねー 暑すぎ!! 部活がある人、インハイの手伝いに 行く人はとくに熱中症に 気をつけてください!! . もう7月も終わったので、 SPY×FAMILYを観るのも いいですが 宿題や受験勉強は計画的に! . ちなみに いとー室長は超計画的なので、 SPY×FAMILYを1日で 全話観て寝不足になりました。 だいじょぶます。(29歳男性) . . マジでどうでもいいんですが、 先日、歯医者に行ったら 「今日はこの虫歯を やっつけていこうかぁ」と 言われました。 虫歯に対して 「やっつける」と表現できるのは 何歳までセーフですか?? 29歳中学18年生男子は ギリセーフですか?? 表現の自由ですか?? . . . #徳島市 #徳島市川内町 #学習塾 #塾 #セカンドホーム #2ndHome #いとー室長 #SPY×FAMILY #スパイファミリー #アーニャ #エアコンの下で描いたらペン先乾くのが早すぎてイライラした #ホワイトボードは描き込みにくい #野球部は絵が下手いというイメージを払拭する会 #表現の自由を駆使する歯医者 https://www.instagram.com/p/CgzhwZLPLJ4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yoooko-o · 10 months
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15/07/2023
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あじさいレアチーズケーキ(カフェのある祁答院町の町花)
レアチーズケーキの上にハーブの一種バタフライピーのゼリーを乗せたんだそうです(Butterfly pea unbaked cheesecake)。
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今日の日替わりランチはハンバーグ🍽この後日替わりランチは完売したそうです。
Today's daily lunch special is hamburg steak set meal.
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食後はお約束の丸ごと桃ちゃんタルトとあじさいレアチーズケーキ(Peach tart & Butterfly pea unbaked cheesecake).
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藺牟田池では蝶のアップの撮影に成功🦋
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藺牟田池到着時はあれだけ晴れていたけれど、この後スコールのような土砂降りになったのが今でも信じられない☔⛈
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祁答院町唯一のケーキ屋、菓子工房クアトロに初訪問。
甘さがしつこくない、胃もたれしないと薩摩川内市内や姶良市、鹿児島市からもお客さんが来るとの評判のお店。桃のスイーツをお買い上げ💖
左)桃とラズベリーのパイ🍑
中央)もも菓🍑
右)桃のクレープ🍑
噂どおりに美味しいのに甘さがしつこくないのでペロリと食べました笑
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さつま町の蓮の花畑(広瀬)
国道504号線と鹿児島県道51号線の交差地点にあります。ピークを過ぎて花から種になりつつありますが、これまた圧巻の風景です。
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3日前から販売がスタートしたさつま町産のマンゴーを使ったタルト🥭
マンゴーの美味しさもさることながら、ケーキのタルト生地とクリームがマンゴーを邪魔していないので去年は週1~3日のペースで食べていました笑
今年も絶対食べたかったので、2日前の職場で昼休み中にお店に電話して取り置きしてもらいました。食べると、「これこれ🥰」って幸せになるんです🥭さつま町はキャッシュレス決済のキャンペーン真っ最中なので、また行かないと!
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薩摩川内市の特産品のひとつ、鬼灯(ほおずき)。
無病息災、魔除けとして古くから飾られるそうで、帰りに一休のオーナーから頂きました。玄関に吊るして飾ると、乾燥後もきれいだよと教えていただいたので、早速自宅の玄関に飾っています。下から撮っていますが、実際は140cmくらいの長さで、これまた圧巻です。
Ground cherries are sometimes used as talismans.
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myonbl · 4 months
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2024年1月3日(水)
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酒は好きだ。<休肝日>などというふざけた習慣とは無縁、1年365日規則正しく飲んでいる。もっとも、普段はワイン中心だが、正月となるとやはり日本酒だ。元日には今一番お気に入りの広島の<瑞冠>、二日目には熊野のH姉妹からいただいた<天領>、三日目には大津のT夫妻からいただいた<不老泉>、それぞれ美味しくいただいた。若い頃なら無理矢理一升酒などということもあったが、加齢とともに適度に飲めばすぐに眠くなってしまう。飲みたければ飲んで、寝たければ寝る、なんと正直者であることよ。
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5時45分起床。
ツレアイ(訪問看護師)は休み。
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朝食には、昨晩の残りのイカめしを頂く。
洗濯する。
散歩兼ねて、ツレアイと一緒に買い物に出る。
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無印良品では、福缶でゲットしたギフトカードを使ってパスタソースを、ジュピター@ポルタへ来るとなんと1/5で閉店とのこと、隙間の目立つ棚からスパイス系を物色する。
箱根駅伝、復路も青山学院が強い。
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ランチは久しぶりの2色スパゲッティ、もちろん🍷も。
録画番組視聴。
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最初の放映時にも見ているが、楽しい作品に仕上がっている。
午睡。
腹ごなしに軽く町内ウォーキング。
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早めの夕飯は冷蔵庫掃除。
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ニュースを確認した後で、桂枝雀「植木屋娘」「かぜうどん」。楽しいなぁー!
片付け、入浴、体重は150g増。
日誌書く。
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なんとか10,000歩クリア、明日からはエクササイズを倍にしなくては。
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kennak · 3 months
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令和6年能登半島地震により下水道施設に甚大な被害が発生し、早期復旧を支援するため、下水道局は石川県輪島市に職員を派遣しています。また、政策連携団体である東京都下水道サービス株式会社(TGS)も同様に社員を派遣し、当局と合同で施設の被害状況確認などに取り組んでいます。 上水道の復旧時に遅れることなく下水道の応急復旧を加速する必要があるとともに、石川県から東京都内の工事事業者に応援を要請する依頼があったため、東京都内の工事事業者を帯同することとし、支援の体制を拡充します。 東京の下水道事業を支える三者(下水道局、TGS、民間事業者)がそれぞれの特性を活かした役割分担のもと、連携を強化し、施設復旧についてスピードアップを図ってまいります。 1 目的 下水道施設の応急復旧、被害状況の調査等 2 帯同する工事事業者 下水道メンテナンス協同組合の組合員 3社 下水道メンテナンス協同組合について 創立 昭和51年10月 組合員数 東京都内の下水道工事事業者97社 所在 東京都千代田区大手町二丁目6番3号銭瓶町ビルディング8階 主な業務内容 東京都下水道局の管渠の維持管理 東京都下水道サービス株式会社が行う下水道維持管理業務の補完 等 3 活動場所 石川県輪島市 4 派遣期間 令和6年2月4日(日曜日)から当面の間(予定) 問い合わせ先 下水道局総務部総務課 電話 03-5320-6506
能登半島地震 下水道施設復旧支援体制を拡充|東京都
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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moja-co · 8 months
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「御即位式」  大正天皇の御即位式が行われたのは、青島陥落の翌年、大正四年十一月十日だった。御即位式のことを、一般に御大典といったが、明治天皇の御大葬が、日本が文明開化の代になってから初めての出来事であったと同じように、御即位式もここ数十年の間かつてなかったことではあるし、欧州戦線のあおりを受けて、丁度日本が好景気のさなかだったので、全国民挙げてお祝い申し上げたのであった。その時僕は、五年生になってゐた。  その日は、学校で祝賀式があって、新しい天皇陛下の御真影を拝み、「君が代」を斉唱し、教育勅語の拝読��あと、校長先生から色々のお話があって、天皇陛下万歳を三唱して、その日の授業はお休みになった。  明治天皇の御真影はどうなったか知らないが、新しい天皇陛下の御真影を頂く行事があったことを覚えている。尤も、それが何年の何月だったか忘れたが、御即位式よりも前だったことは確かである。  多分、神戸の県庁で、校長先生が頂いて帰られたのだらうと思う。何時何分に御真影が姫路駅にお着きになり、何時何分に学校にお着きになる、と時刻予定がきまって、全校生徒は、校門の前にズラっと両側に整列して、お迎えした。その時刻の少し前から、学校前の道路は一般の通行禁止になって、警官が警戒に立ってゐた。  待つほどに、京口橋の方から、人力車がボツボツ来るのが見えて、「気をつけ!!」の号令がかかった。見てゐると、警官が一人、車の前をテクテク歩いて、人力車の上には、校長先生が白手袋の両手で、大きな紫色の風呂敷包みを、おもそうに捧げて居られる。それがやっと見えた頃に「最敬礼!!」の号令がかかった。しばらくすると、警官の足と、車夫の足と人力車の車輪、その後にもう一人の足が、目の前を通って行った。  その日しばらくしてから、講堂で、御真影奉戴式があった。明治天皇が崩御になってから、三大節にも、講堂の御真影の棚は開かなかったが、新しい天皇陛下の御真影を頂いてから、前通に、御真影奉拝の最敬礼が、よみがえったのであった。  御即位祝賀式のときには、校長先生から、御即位式について色々お話があった。万世一系の日本では、一日一刻も天皇陛下のない時があってはならぬので、明治天皇がなくなった時、すぐに、当時の皇太子殿下が三種の神器をお受けになって、天皇の位につかれた。それを践祚(せんそ)といったが、天皇陛下がその位におつきになったことを、天照大神その他の御先祖に報告されなければならぬし、国民一般に又外国にも、そのことをハッキリ知らせなければならないので、先帝陛下の喪が明けてから、その儀式を行われるのである。この御即位式は、大昔から続いてゐる儀式だから、昔からの仕来り通りに、元の皇居である京都御所の、紫宸殿という第一の御殿で、古式通り厳かに行われるのである、というようなお話であった。  御即位式の日取りがきまると、その儀式のことや日程が、次々に新聞で細かく解説予告されてゐたが、いよいよ式が始まると、天皇陛下が東京を出て、京都に向かわれる鹵簿((注)ろぼ=天子の行列のこと)や、関連の色々な写真が、その記事と共に、次々に掲載された。新聞もここ数年の間に非常に発達して、写真版などもきれいになってゐた。  又、前年の青島陥落のときと同じように、全市を挙げての祝賀行事が催され、我々小学生は、日の本の小旗をかざして、町々を旗行列をし、夜は夜で、色んな団体の提灯行列が、いくつもいくつも、「祝えや祝え!!」と歌いながら、又、それぞれで万歳万歳!!と、市内を行進して、大変な賑やかさだった。  御即位式のときに、国家社会に功労があって勲章を頂いてゐる人に、天皇陛下からごちそうを下される、ということがあった。特別立派な勲章を貰ってゐる人は、東京に召されるのだが、勲五等だった父には、神戸の県庁でごちそうを賜るという��で、菊の御紋章のついた御召状が届けられた。  父は以前に、広島や大阪に勤めて、軍需品の納入その他のことで、功績があったのだそうで、勲大等の旭日勲章を頂いたが、僕がごく幼い頃、専売局に勤めてゐた時に、一段進んで、勲五等になり、瑞宝章を頂いてゐた。だから、今では民間の塩田業者であったが、御即位式の御馳走に召されたので、大変の喜び方で、あちらやこちらで、大自慢にしてゐたが、いよいよその日には、朝早くからフロックコートを着て、これが勲五等の瑞宝章だ、これが勲大等の旭日章である。旭日章は本当に手柄がなければ頂けないので、一段下ではあるがこの方が立派なのだ。これが日清戦争の従軍章、これは北清事変(明治三十三年)の従軍章、これが日露戦役の従軍章だと、一つ一つ、僕に説明しながら、それを胸にズラッと吊り並べて、シルクハットをかぶって、意気揚々と停車場に向かった。  その日、もう日が暮れてから、父は、胸いっぱいに勲章を飾ったまま、人力車から自分独りで降りるのが危ないほど酒に酔って、それでも白い風呂敷包みだけは、大切に持って、帰ってきた。その風呂敷包みには、その日の御馳走が入ってゐたのである。素木の足のないお膳と、素焼きのお皿や瓶子(へいし)のようなものと、銀色のボンボニールとかいうものを取り出して、これには何が入ってゐた、これに何がと、一つ一つ説明してくれたが、どれも空だったことを記憶してゐる。
大正天皇の即位式の日のことが、大伯父(祖母の兄)の遺した回顧録に記されてました。 従兄弟が見つけて、文字起こしまでしてくれた! けっこう貴重な資料だと思う。
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shirasuphoto · 2 years
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No.335 東京八景 三者三様 西武6000系
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kagoshimayokamon · 2 years
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鹿児島市都市農業センターのコスモスを見に早朝訪問🌄(^-^)/ 雲のない晴天!と思ったら雲がモヤモヤ‥ 今日の日の出はダメかと思ったら、雲のお陰で昨年よりも良さげに🙌 今年も見れて良かった! #鹿児島 #鹿児島観光 #鹿児島市 #鹿児島市犬迫町 #犬迫町 #犬迫 #鹿児島の風景 #鹿児島の自然 #鹿児島コスモス #都市農業センター #鹿児島市都市農業センター #鹿児島都市農業センター #コスモス #コスモス畑 #秋桜 #早朝 #朝焼け #ハーフnd #kani #kaniフィルター #kagoshima #kagoshimaphoto #kagoshimaphotograph #japan #sky_photography #anime #nipponpic #lovers_nippon #streetphotography (鹿児島都市農業センター) https://www.instagram.com/p/CkDXC0Xpw9g/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oka-akina · 7 months
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらり��らりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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aya-ebina · 7 months
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2023/09/23
長谷川書店水無瀬駅前店にて、詩集の刊行記念イベント。という名で、一日中軒先に座っていた。
7時くらいに起きるつもりが、6時半くらいに起きた。あんまり早く行っても迷惑だろうし、ゆっくり支度をして、10時20分頃水無瀬駅に着く。長谷川書店水無瀬駅前店はその名の通り、水無瀬駅の改札を出てすぐの高架下にある。長谷川さんがすでに机と椅子を用意してくれていた。
挨拶してから支度をした。わたしが用意したのは机に敷いている布、机に貼っているポスター、見本誌と本立てなど。後ろの筆文字の掲示物は、お店の人とお客さんによるお祝い。なんで「おせんべい」なのかはずっとわからなかった。
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水無瀬駅のある島本町は本当にのんびりしていて、ここが大阪府とは思えないくらい。町の人は掲示やポスターを眺めて、本屋さんに来たい人は入り、入らない人はスーッと通っていく。冷たい無視ではなく、暖かい無関心というか、いい感じに気にしないでいてくれる。たぶん、長谷川書店で何かあるのは日常的な光景だから、というのもあるだろう。
のんびりしましょう、というわけでお客さんの分も椅子がある。座ってもらうとのんびりゆっくり話ができてよかった。現代詩手帖の投稿欄から読んでいるという方、好きなバンドのライブが大阪であるから来たという山口県の方(中原中也賞の贈呈式で話をしたことがあるので驚いた)、はせしょで出会った方々、などなど。
わたしは合間に本を読んだり、油淋鶏を食べに行ったり、詩を書いたり、コーヒーを飲んだりしていた。書いた詩は手直ししてから公開しようと思う。
本の代金以外にもお金を払ってもらって何かする、というのがしっくり来なくて、座っているのでおしゃべりしに来てもらう方針にした。詩集は安くないのだ。それに、トークイベントなんてできそうにもないし、朗読会にはあまり興味がない。
文学フリマでたくさんの人に来てもらったことも嬉しいし、水無瀬駅という小さな駅まで来てもらえたことも嬉しい。イベントごとに違った楽しさや喜びがある。
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ichinichi-okure · 2 months
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2024.2.13tue_tokyo
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7:00起床 昨夜、明日は永田町と下北沢のダブルヘッダーだから早く眠ろうと思っていたけれど、なかなか寝付けず。いろんなことを考えていた。だけど起きて青空見たら寝不足も気にならない。心情とは面白いね。
政治、とりわけ東京のことを考えるようになったのは住み始めた23年前の2001年頃。思えばさらには2011年東北大震災がきっかけだったように思う。福岡、佐賀時代は自分のことばかり見て、ちっとも想像が外に及ぶことはなかった。まったく褒められない酷い時代。
2019年の終わり、パンデミックが始まって「痛い、なぜこんなに痛いんだ?こんな状態だったんだ。いつからだったんだよ。」とダイレクトに心に生まれた痛さにようやく気付き世の中を見始める。とっくに人生はそうとう進んでいたね。酷い私の時代はずっと続いてたよ。
起きるコロナ禍が始まる頃、世界のこと、日本のこと、気候変動から始まる「全てのイシューは地続き」をつくづく実感した。その後興味を持って行き始めたスタンディング、マーチ、ダイイン、対話集会、プロテストレイヴと、その中にある様々な言葉を拾い探す努力をし始める。そして今日、たまたま二つの集会スピーチ、コールとそれに対話ライブとが重なり2つの梯子する日になった。
15:00 毎日お昼ご飯の代わりのおやつをしているからそんな毎日のルーティンは普通にして行きたいとお昼3時頃、コーヒーを入れおやつを仕込んだ。この頃くらいから朝に少し興奮した気持ちも随分落ち着いていたね。おやつとコーヒーは大事。
その後、カメラと荷物を抱え出かける。少し早く出たから散歩代わりに「LOST AND FOUND Tokyo」へ歯磨き粉を買いに歩く。おかげでよりカームダウンした気がする。いつも思っていることはなるべく熱狂しないということ。だいたいそれで失敗するし、必ずそんなことでくよくよする。
18:30 地下鉄に乗り国会議事堂前で降りる。久しぶりの国会議事堂は怪しく光っていた。いや、たぶん申し分無く思っていたら『今日の国会議事堂は穏やかな光を放っていたな』になったのかな?いくつかの集まりのコールと僧侶の人が立ち奏でる読経聞いた。様々な人の心が国会議事堂をつつむ。
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すでに始まっている国会議事堂前行動、近づくにつれ遠くてもよく通るチャント、コールが聞こえ出す。到着したと同時に小原隆治さんのスピーチがはじまりその一節の「正義を語る事を、止めよう。Let's talk about injustice.。I will not be silenced by injustice. 」が深く心に残り、しかも小原さんの歌うようなチャントに『すべてはリズムなのだ』ね。
21:00 時計を見ると21:00。まだスピーチの方は続くんだけれど、ダブルヘッダー二つ目、下北LIVE HAUSで開催されている「9Party」へ急いで向かった。入るとすぐにsakumagのメンバーでグラフィックデザイナー、ラッパーのnatsumeさんがいた。「しいねはるかさん」がライブ中。私たちも「9Party」に出演した時にご一緒したシンガー。音はもちろんのこと、しいねさんの言葉はいつも心に残る。あんな風に話せる人になりたいと毎回思うよ。その後、浅沼優子さん、佐久間裕美子さんがドイツとアメリカからリモートで対話に参加された。LIVE HAUSのスガナミさんが司会進行。思えばこんなに重要なお話で、遠くにあって間近に聞ける環境を作るスガナミさんのアクティビティーが本当に素晴らしい。とはいえ、あっという間の90分余り。もっとお二人のそしてみんなの話も聞きたかったな。
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今世界中に起きる、イシュー、クライシスを少しの時間だったけれど分かち合えたと思える時間だったよ。そして内容もさることながら、とにかく全てが優しいのだ。みんなが、その漂う全てが優しい。浅沼さん、佐久間さんのお話、エントランスに並ぶsakumagの本や地下BOOKS、バックパックブックス、ふるさとの店の本、しいねさんの歌、sakumagクルーのセレクトする音、そしてお好み焼きがくちゃん、チャーベさんが焼くお好み焼き。実際、ライブ中も対話中もずっと『ジュージュー』と素晴らしく優しいSEがフロアーに降り注いでいたね。
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23:30 家路に辿り着きふと歩数を見ると1万5千歩の文字。寝不足だし今日はあっという間に眠るなと思うも、1日の出来事を反芻するよにまた朝からを思い出していた。この日記みたいに。ただ私がこうやって日記を書いている「今」も世界はジェノサイドをタイムラインで見ている。そのことに憤りまた眠れぬ夜になってしまいそうだけど、私がいくら眠れなくなったとて辛くなったとて何も変わらない。だからこれからもアクティビティ続けようと確認した2月9日。
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明日の朝起きたら「全ては夢」だったってならないのかな?それではおやすみなさい。
チャーベさんの広島風お好み焼き美味しかったなー。
26:00就寝(たぶん)
-プロフィール- ムトウサツキ Small Circle of Friends & STUDIO75. @scof75
ムトウサツキとアズマリキの2人組。1993年、イギリスの人気DJジャイルス・ピーターソン主宰、United future organizationのレーベル”Brownswood”よりデビュー。以来17枚のフル・アルバムをリリース。2005年にはインストゥルメンタルに特化したサイド・プロジェクト「STUDIO75」をスタートアーティストのトータルプロデュースからbeat製作も多数。最新は、BASI、maco marets、kojikojiなど。Small Circle of Friends最新は12th AL” cell ”とセルフミックス “Another cell”。サツキはリユーステーラー「75Clothes」展開。2024年はSmall Circle of Friendsの30周年イヤー。13枚目のアルバムリリース予定です。音楽と服で毎日を暮らしています。
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