JAGATARAの名盤アルバム5作、リマスター・紙ジャケCD再発決定
JAGATARAの名盤アルバム5作、久保田麻琴リマスターで紙ジャケCD再発決定!
不世出のヴォーカリスト・江戸アケミを擁し、パンク~レゲエ~ファンク~アフロビート等々を取り込んだ唯一無二の音楽性と、タブーに臆せず鋭く時代を撃つ独自の言語感覚で格別の存在感を放った伝説のバンド・JAGATARA。
不慮の事故によるアケミの他界(1990年1月27日)から33年目の命日に合わせ、 1982年から1989年の間にリリースされた4作のオリジナルアルバムと、1993年リリースの2枚組ベスト盤『BEST OF JAGATARA~西暦2000年分の反省~』が、2023年1月25日に紙ジャケット仕様のCDで再発売されることが決定した。
今回再発される5作品は、2007年にも紙ジャケット仕様で発売されているが、現在はいずれも廃盤で入手困難となっていた。
今回はメンバー・OTOの強い要望により、新たに久保田麻琴(ex.裸のラリーズ、久保田麻琴と夕焼け楽団、サンディー&ザ・サンセッツ 他)によるリマスタリングが施されている。日本ロック史に残る問題作にして名盤との呼び声高いアルバム群が最新のサウンドトリートメントで甦る、JAGATARAファンならずとも注目必至の再発企画と言えよう。
<JAGATARA 2023 CD REISSUES>
完全生産限定盤・2023年1月25日発売
発売元:ソニー・ミュージックレーベルズ
紙ジャケット/高品質Blu-spec CD2仕様・2023年版最新リマスタリング by 久保田麻琴
[ソニーミュージック特設サイト]
JAGATARA『BEST OF JAGATARA~西暦2000年分の反省~』
Original release: 1993.2.24
(MHCL-30791~2(2枚組)・¥4400 tax in)
江戸アケミ死後の1993年にリリースされた2枚組ベストアルバム。“財団法人じゃがたら”時代のシングル曲「LAST TANGO IN JUKU」に始まり、キャリア全時代から代表曲が選ばれているが、随所にアケミのライヴMCやモノローグも挿入され、オリジナルとはまた違った聴感を残す。またDisc 1:5~8、Disc 2:1は1989年ニュー・ミックス。
Disc 1
1. LAST TANGO IN JUKU*
2. でも・デモ・DEMO**
3. BABY**
4. クニナマシェ**
5. 裸の王様
6. もうがまんできない
7. ゴーグル、それをしろ
8. 都市生活者の夜
Disc 2
1. みちくさ
2. つながった世界 FUCK OFF!! NOSTRADAMUS
3. ある平凡な男の一日 A DAY IN THE LIFE OF A MAN
4. 中産階級ハーレム―故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ― MIDDLE CLASS HARLEM
5. SUPER STAR?
6. そらそれ(MANTLE VERSION)
7. HEY SAY!*
*���財団法人じゃがたら **…暗黒大陸じゃがたら
暗黒大陸じゃがたら『南蛮渡来』
Original release: 1982.5
(MHCL-30793・¥2750 tax in)
“暗黒大陸じゃがたら”名義で1982年バンド自身のレーベルUGLY ORPHANからリリースした1stアルバム。初期からのパンク的要素とのちの黒人音楽~アフロ要素が混在し、闇雲なパワーと危うさを孕んだ本作は、発表と同時に国内の代表的なロック・メディアから高い評価を受けた。本作のジャケット・デザインは再発の度に変更され全部で4種あると言われるが、今回のCDは初回発売盤LPに準拠している。Track 9、10はLP未収録。
1. でも・デモ・DEMO
2. 季節のおわり
3. BABY
4. タンゴ
5. アジテーション
6. ヴァギナ・FUCK
7. FADE OUT
8. クニナマシェ
9. 元祖家族百景
10. ウォークマンのテーマ
JAGATARA『裸の王様』
Original release: 1987.3.25
(MHCL-30794・¥2,750 tax in)
“JAGATARA”として初のオリジナル・アルバムとなる2nd。アケミの精神的不調による休養を経て、前作『南蛮渡来』から5年後の1987年にバンド自身のレーベルDOCTOR RECORDSから発表された。ファンク・ナンバーを中心に長尺曲4曲で構成され、“和製アフロビート”と呼ばれるスタイルを確立した作品。
本作のジャケット・デザインは色違いで数種類存在するが、今回のCDは初回発売盤LP(青色)に準拠している。
1. 裸の王様
2. 岬でまつわ
3. ジャンキー・ティーチャー
4. もうがまんできない
JAGATARA『ニセ予言者ども』
Original release: 1987.12.10
(MHCL-30795・¥2750 tax in)
『南蛮渡来』、『ロビンソンの庭』(山本政志監督映画サントラ)に続いて1987年3枚目のアルバムとなった作品で、バンド自身のレーベルDOCTOR RECORDSからリリースされた。収録全4曲すべてアンセムと呼ばれるほどの充実度を誇り、ますます冴えわたるアケミの詞作と共にアフロ/ファンクを血肉化した安定期のバンドの自信漲る演奏を堪能できる。これが彼らのインディ時代最後のアルバムとなった。
1. 少年少女
2. みちくさ
3. ゴーグル、それをしろ
4. 都市生活者の夜
JAGATARA『それから』
Original release: 1989.4.21
(MHCL-30796・¥2750 tax in)
満を持してBMGビクター(当時)から1989年にリリースされたメジャー第1作。ジョン・ゾーン、ハムザ・エル・ディンら海外勢も含む多数のゲストが参加。一部録音とミックスをパリで行い、ミキシング・エンジニアにはゴドウィン・ロギー(アスワド、キング・サニー・アデ他)を起用。音楽的にはカリプソ、ヒップホップ、フォーク等の要素も交えた多彩にしてゴージャスな作風となったが、後の瓦解の予感も忍ばせる。CDデザインは初回発売盤LPに準拠している。前回CD発売時未収録だったシングル曲「タンゴ(完結バージョン)」を追加収録。
1. TABOO SYNDROME いっちゃいけない症候群
2. GODFATHER 黒幕
3. BLACK JOKE 気の効いたセリフ
4. CASH CARD カード時代の幕開け
5. つながった世界 FUCK OFF!! NOSTRADAMUS
6. ある平凡な男の一日 A DAY IN THE LIFE OF A MAN
7. 中産階級ハーレム―故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ― MIDDLE CLASS HARLEM
8. ヘイ・セイ!(元年のドッジボール) HEY SAY!
9. タンゴ(完結バージョン) TANGO(COMPLETE VERSION)
JAGATARA Profile
1979年、江戸アケミ(vo)を中心に“エド&じゃがたら”として活動開始。 その後“財団法人じゃがたら”“暗黒大陸じゃがたら”等改名を重ね、1986年頃より“JAGATARA”に固定。 初期のライヴではアケミがステージ上で全裸になり流血、ニワトリやヘビを食いちぎる等の奇矯なパフォーマンスが一般誌でも報道され悪名を馳せる。 1981年のOTO(g)加入前後よりシリアスに音楽を追求する姿勢に方向転換。 アケミの精神的不調による活動休止(1984~86)を挟み、1989年『それから』でBMGビクター(当時)よりメジャーデビュー。 その後も旺盛なライヴ/レコーディング活動を展開したが、その矢先の1990年1月27日、アケミが不慮の事故で急死し、活動休止。 その後もナベ(b)、篠田昌已(sax)とメンバーの物故が続くが、OTOを中心に存命メンバーが折に触れて集結しライヴを行う。 アケミ他界から30年目となる2020年1月、“Jagatara2020”として新曲を含むCD『虹色のファンファーレ』を発表、豪華ゲストを多数交えて敢行した復活ライヴは大反響を呼んだ。 その後コロナ禍により活動休止を余儀なくされたが、2022年夏には橋の下世界音楽祭(愛知県豊田市)に出演、2年半ぶりのライヴ復帰を果たした。
*おことわり
JAGATARAがかつて発表した楽曲の一部には、現在では不適切と思われる歌詞内容を含んでいるものがあり、お客様によっては不快に感じられることがあるかもしれません。しかし、それらは当時の時代背景の中で、ヴォーカリストの故・江戸アケミをはじめとするJAGATARAのメンバーが、弱者・マイノリティーの立場から真摯に生み出した表現であることを鑑み、当時の内容のままで発売いたします。ご了承ください。
back to HOME
back to MOBSPROOF
back to MOBSPROOF web magazine
3 notes
·
View notes
『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
6 notes
·
View notes
2024年4月15日
青山クラブ取得から6年、活用策の行方は? 旧海軍ゆかりの施設 呉市は近くの3施設を含めて有識者会議で議論中(中国新聞)
広島県呉市が巨費を投じて購入した旧海軍ゆかりの施設「青山クラブ」(幸町)は、活用されないままの状態で取得してから6年がたった。市は昨年5月、近くの市立美術館など市所有の3施設を含め幸町地区一帯の在り方を検討する有識者会議を設置。同会議が出した結論を踏まえ、エリアの整備方針を策定する。約1年間で同会議の議論はどこまで進んでいるのか。状況を整理した。
観光集客などを目指し、市は2018年に青山クラブと隣接する桜松館、2施設のある国有地約8500平方メートルを約2億円で購入。施設の保存・活用を目指していたが、耐震診断で大幅な改修補強が必要なことが判明し、結論を先送りした。以降、活用されない状態が続いている。
有識者会議は建築や都市計画、まちづくりの専門家たち11人で構成。青山クラブを含む4施設の整備コンセプトや機能について約2年間かけて話し合う。昨年5月からこれまで5回会合を開いている。
議論は、物販や飲食、宿泊など各施設に想定できる機能のアイデア出しが中心だった。2月の中間まとめでは整備コンセプトを「呉の歴史と文化を未来へ」と定め、歴史を伝え感じる▽文化・芸術の発信▽にぎわいの拠点―の3機能をエリアに求めるとした。
ある委員は「機能面については丁寧に話し合いを重ね、アイデアが出尽くした。堂々巡りが続いている感もあり、一歩進める段階に来ている」とする。
複数の委員は議論を進める上で重要なポイントとして、(1)青山クラブの保存をどうするか(2)老朽化する市立美術館をどこに再配置するのか―の2点を挙げる。(1)については「市民の思い出や歴史が刻まれた場所。保存が望ましい」「改修補強に費用が掛かり、全面保存は現実的ではない」と意見はまとまっていない。「エリア内の施設の方向性を市にある程度示してもらわないと、具体的な機能の議論が深まらない」との指摘もある。
青山クラブを巡っては、新原芳明市長が17年の市長選で活用などを訴え、初当選。22年に市は市立美術館の機能を青山クラブに移転する考えを示したが、市議会で異論が噴出した経緯がある。新原市長は「有識者会議の結論などを踏まえ判断する」との考えを示す。
有識者会議の事務局を務める市は「意見を幅広く聞きたいので、市が方向性を示す方式は取らない。次回の会合から具体案の議論を予定している」と説明する。
同会議は年内に最終的な結論をまとめ、市に報告する予定だ。議論の推移をみた市議の一人は「購入して6年。この間にも建物は老朽化している。市民の関心も高く、市はなるべく早く方向性を示すべきだ」と注文する。
「阿鼻叫喚。これが戦争」特攻志した元少年兵が訴えること 原爆投下直後の広島で救護した「暁部隊」(中国新聞)
暁部隊の軍服や胸章が並ぶ企画展
戦時中、水上特攻を志しながら原爆投下直後の広島で救護や遺体の処理に従事した少年兵たちがいた。陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」で、特攻兵を育成する秘密部隊に所属。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で開催中の企画展で紹介されている。元少年兵たちは来年の被爆80年を前に「命と平和を守ることを考えてほしい」と願う。
宇品地区(現南区)に本部があった暁部隊は原爆投下直後の広島で唯一、軍隊機能を保ち、市民の救援、救護に当たった。その中に、幸ノ浦(広島県江田島市)に駐屯していた船舶練習部第十教育隊の15~19歳の特別幹部候補生もいたという。
石川県七尾市の沢野実さん(96)は17歳で入隊した。「天皇陛下のために死ぬのが当たり前だった」。通称「マルレ」と呼ばれる全長5・6メートルのベニヤ板製の特攻艇で突撃する極秘訓練に明け暮れた。上官には「君たちは捨て石。国のために死ぬのが務めだ」と言われたという。「靖国神社で仲間と顔を合わせようとの思いだった」
原爆投下後、第十教育隊はマルレなどに乗り、広島市内に向かった。沢野さんも市中心部で負傷者の救護と遺体処理に当たった。「心臓が飛び出ている人や泣き叫んでいる人がいて、阿鼻叫喚の現場だった。これが戦争だと実感した」と振り返り、非戦を訴える。
「本土決戦に向け愛国心に燃えていた」と語る岩手県遠野市の伊藤宣夫さん(96)は原爆投下時、船舶通信隊補充隊におり、市中心部で「死の街」を見た。たまらず班長に「戦争はやめた方がいいです」と言うと、「軍人が弱気でどうするのか」と怒られたという。「罪のない国民が殺される戦争は絶対にいけない」と語気を強める。
祈念館の企画展は来年2月末までで、沢野さん、伊藤さんたち元少年兵9人の証言映像や軍服など12点が並ぶ。辞世の句「我が友よ 笑って散ろう 君のため 共に会ふど 九段の社」と書かれたアルバムもある。橋本公学芸員は「自分自身や子どもの身に置き換えて戦争の残酷さを感じてほしい」と話している。
原子炉内への核燃料搬入開始 柏崎原発、規制委が承認 東電(時事通信)2024年4月15日
東京電力柏崎原発7号機で開始された原子炉内への核燃料搬入作業=15日午後(同社提供)
東京電力は15日、停止中の柏崎刈羽原発7号機(新潟県)について、原子炉内への核燃料搬入作業を開始したと発表した。
再稼働に向けて必要な検査の一環で、原子力規制委員会が同日に計画を承認した。完了までは2週間以上かかる見通し。実際の再稼働には地元自治体の同意が必要となるため、具体的な時期の見通しは立っていない。
東電によると、まず制御棒などを原子炉内に入れた後で、敷地内のプールに保管中の核燃料872体を順次搬入する。その後、燃料が正しく配置されているかや、非常用炉心冷却系機能などの検査を1カ月半程度かけて行う。安全対策のため、宿直の所員を8人から51人に増員した。
岡本孝司(東京大学教授)補足 原子力規制委員会の了解を受けて、まずは原子炉に燃料装荷をスタートしているという事です。この後、原子炉を起動するには、地元の了解を得る必要があります。
原子炉を起動して核分裂が正常に起きていることを確認したのち、試運転に移り、様々なテストを繰り返したのち、営業運転に入ることになります。まだ、再稼働に向けた最初のプロセスです。
いずれにせよ、再稼働には、地元との安全協定に基づき、地元了解が必須です。
今、東京電力の電気代は、原子力発電所が動いている関西電力の1.5~2倍しています。2社のホームページで、電気代単価を比較してみるとよくわかります。柏崎刈羽6,7号機は、ABWRという新しい型の原子炉で、安全性も十分に確認されています。安全第一で、この2基の原子炉が動けば、電気代も安くなる事を期待したいです。また、電力の安定供給にも大きく貢献する事が期待されます。
柏崎刈羽原発、燃料装着始まる 地元から不安の声「課題たくさん」(毎日新聞 4月16日)
東京電力柏崎刈羽原発7号機の炉心部。右手の四角い水槽が使用済み核燃料プール=2024年4月12日、田中泰義撮影
東京電力は15日、再稼働を目指す柏崎刈羽原発(新潟県)7号機の設備の健全性確認のため、原子炉へ核燃料を装着する作業を開始した。能登半島地震で、地元住民からは事故時に安全に避難できるか不安の声が上がる一方、東電による再稼働準備が進む。【内藤陽】
東電は同日、原子力規制委員会から安全対策設備の試験使用承認(使用前確認)を受けたとして、午後5時過ぎに開始。6時半ごろに1本目の核燃料を装着した。東電は「課題が見つかれば立ち止まり対策を講じるなど、一つ一つの工程を着実に進める」としている。
東電は10日に宿直態勢を8人から51人に増員し即応態勢を強化した。作業では、使用済み核燃料プールから核燃料872体を1本ずつ移動し、原子炉圧力容器に装着する。装着後、制御棒205本の動作確認のほか、原子炉圧力容器などからの漏えいの有無や冷却設備の機能などを確認する。すべての燃料の装着が終わるまで2週間程度、原子炉起動まで約1カ月半かかるとみられる。
花角英世知事は再稼働への立場を表明していない。燃料装着について、花角知事は今月3日の記者会見で「検査の一工程」と述べ、再稼働議論への影響はないとの認識を示した。柏崎市の桜井雅浩市長も「再稼働に必要な検査で、しっかり確認してほしい」と話している。
昨年12月の原子力規制委員会による事実上の運転禁止命令解除後、東電は県内各地で説明会を開き、原発の安全性を住民に訴えてきた。しかし説明会では原発事故時の避難や地殻変動による地盤の隆起などを心配する声が上がり、不安が払拭されたとは言い難い状況だ。
同原発から5キロ圏の同市椎谷に住む佐藤正幸さん(79)は「多くの課題に目をつむって再稼働に動き出すのはいかがなものか」と話す。能登半島地震で道路の寸断や家屋の倒壊が複数発生し、地盤が4メートル隆起したことなどを指摘。「課題がたくさんあるのに、目を背けたまま再稼働を準備するのは、けしからん事だ」と語気を強めた。
万博はもう中止できないのか?「オリンピックと同じ末路に」専門家は警鐘、でも政府は「能登」を横目に開催へ突き進む
2025年大阪・関西万博は、4月13日で開幕1年前を迎えた。国家的イベントが近づくにつれ、世論の期待は高まっている…と思いきや、SNS上では今も「万博中止」のハッシュタグが目立ち、延期を求める声も飛び交う。「期待一色」には程遠い状況だ。
なぜか。多額の税金が投入される会場整備費は、当初見込みの約2倍となる2350億円まで膨らんだ。独創的なデザインを競う海外パビリオンは想定よりも建設スケジュールが大きく遅れ、着工はわずか十数カ国(4月上旬時点)にとどまる。負担増や課題ばかりが目立つ中で、期待値を上げる方が無理というものだ。
そこに、2024年の元日に起きた能登半島地震が追い打ちをかけた。今も避難を余儀なくされる被災者からはこんな声が聞こえてくる。「万博どころじゃない」。国民に理解が広がらなければ、新型コロナウイルス禍の中で開催された東京五輪・パラリンピックと同じ末路をたどる、と警鐘を鳴らす専門家もいる。
逆風は強まるばかりなのに、政府や関係機関は予定通りの開幕をかたくなに維持する。万博は中止できないのか。費用や手続きの面から「なぜ開催にこだわるのか」に迫った。(共同通信=大阪社会部万博取材班)
※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。
▽「0.14%」と「27%」
吉村洋文大阪府知事は3月28日、万博と能登半島地震との関係についてこんな発言をしていた。「復興を最優先するべきだ。しかし万博を中止、延期して復興が進むのかと言うと、違う」。開幕1年前を控えたインタビューで、国内で実施されている各種建設工事のうち、万博が占める割合はわずか0.14%だとして計画変更の選択肢を否定。こう言葉を重ねた。「復興を理由に万博に反対するのは違う」
ところが、国民感情はそう単純ではない。共同通信が2月に実施した世論調査では、能登半島地震からの復興を踏まえた上で万博を開催するべきかどうかを尋ねたところ「計画通り実施するべきだ」としたのは27.1%にとどまった。「延期するべきだ」が27.0%で拮抗し、「規模を縮小するべきだ」26.7%、「中止するべきだ」17.6%と続き、計画変更を求めたのは全体の7割を超えた。
市民団体「どないする大阪の未来ネット」(大阪市)には、開催中止を求める署名がオンラインを含めて14万件集まった。事務局長の馬場徳夫さん(84)は訴える。「延期してもコストが上がる一方だ。震災復興のためには中止が最適だ」。署名は日本国際博覧会協会(万博協会)や近畿経済産業局に提出している。
能登の被災地からは冷たい視線も向けられている。万博会場となる大阪市の人工島・夢洲から300キロ以上離れた石川県珠洲市内の避難所に身を寄せる井上等さん(65)は、自宅が全壊し、高齢の母との避難を余儀なくされた。会場整備費は国、大阪府・大阪市、経済界が3分の1ずつ負担することとなっており、石川県民も納税者として費用を賄う。井上さんは正直な胸の内を明かした。「今は万博どころではない。地震の前からある話なので、開くなら開けばいい。けれど正直、万博に使うお金があるなら、家を建て直す費用が欲しい」
▽「不可抗力」なのか
今回の万博を中止することは可能なのか、中止すると何が起きるのか。経済産業省の博覧会推進室に聞くと、浮かび上がってきたのは「不可抗力」というキーワードだ。
その前におさらいすると、2025年大阪万博の開催が決まったのは2018年11月。パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会で、加盟国の投票で選ばれた。5年に一度開かれる大規模な万博の日本開催は1970年大阪万博、2005年愛知万博(愛・地球博)に続き3回目だ。
仮に万博を延期する場合は、BIEの総会で3分の2以上の賛成が必要だ。根拠となるのは、万博の定義を定めた国際博覧会条約。2020年に予定されていたアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ万博は、新型コロナウイルス感染の世界的拡大が直撃。BIE加盟国から必要な同意を得て、延期が決まった。
では中止にはどのような手続きが必要になるのか。博覧会推進室によると、実は中止については国際博覧会条約には規定がない。関係者間の合意があればいいということになっている。
そこで、とある書類が重要になってくる。開催が決まった国がBIEに提出する「登録申請書」だ。2025年大阪万博の登録申請書を読むと、開幕まで1年となる2024年4月13日から開幕前日の2025年4月12日までに中止する場合、参加国とBIEに最大計5億5700万ドル(約840億円)を支払わなければならない、とある。
これは、時期ごとの準備状況に合わせて算出された数字で、補償額はパビリオンのタイプによって参加国ごとに異なる。各国が「相当の資金を負担して参加をしている」(万博協会幹部)だけに、直前の中止は影響が大きいというわけだ。政府中枢の首相官邸からはこんな声も聞こえる。「万博の開催は国際公約だ。中止や延期は国の威信にかかわる」
一方、経産省が把握する中で、これまで中止に伴う補償金が生じたケースはないという。直近ではアルゼンチンで開催が計画されていた2023年ブエノスアイレス万博が新型コロナウイルスの影響で取りやめとなった。ところがBIEの執行委員会で新型コロナによる中止は「不可抗力だ」と報告された。
2025年大阪万博の登録申請書の中では、この「不可抗力」についてこう言及している。「自然災害とみなすような事態に起因する『不可抗力』により中止された場合には、補償金は支払われない」
経産省の担当者は言う。「能登半島地震が不可抗力とみなされるかどうかは執行委員会で議論してみないと分からない」。では、補償金が生じる恐れがあるから開催を中止できないのか、と問うと「全くそうではない」と返ってきた。「万博には意義がある。その意義は震災には左右されないと思う。そもそも復興は『土木』のフェーズ、万博工事は『建築』のフェーズにあり、ニーズは重なっていない。むしろ、延期すれば復興の妨げになる可能性が高まる」
▽頼みは公式キャラクター
万博旗振り役の経済産業省が言う「意義」とは何なのか。テーマの「いのち輝く未来社会のデザイン」や、コンセプト「未来社会の実験場」から国民が読み解くのは難しく、大阪府と大阪市が強調するメリット「2兆円の経済効果」のみが一人歩きする。
万博協会は昨年ホームページをリニューアルし、企業や海外勢によるパビリオンの紹介ページを充実させた。とはいえ、それだけでは「そもそも万博に興味がある人」への受け身のアプローチに過ぎず、万博でどんな体験ができるのかという点を広く知らせるには物足りない。
さらに、PRのけん引役が公式キャラクター「ミャクミャク」頼みになっていることも、意義が伝わらない一因といえる。
開幕500日前を迎えた昨年11月以降、大阪府内の各地では「くるぞ万博」と書かれたポスターがあちこちで見られるようになった。その中央でおどけたポーズを取るのがミャクミャクだ。
大阪市役所の前には涅槃像のように横たわったミャクミャクの巨大モニュメントを設置。府内で開催される自治体系のイベントには必ずと言ってもいいほど、ミャクミャクの着ぐるみが登場するようになった。
大阪府と大阪市が昨年12月に実施したアンケートでも、ミャクミャクの認知度は全国で88・3%と高く、万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」の認知度を30%近く上回った。
もちろん、公式キャラクターの人気はどんなイベントでも成功の柱になる。だが、現時点でミャクミャクの人気が万博への来場意向に与える影響は限定的だ。
アンケートで「万博に行きたい」と答えた人は全国で33.8%にとどまり、1年前から約7ポイント下落。ミャクミャクであふれる府内に限っても36.9%で、2023年度の目標に設定した55%を大幅に下回った。ミャクミャクの人気にあやかるのにも限界がありそうだ。
チケットの売れ行きも芳しくない。万博協会が設定する販売目標は2300万枚。前売り販売は昨年11月末に始まったが、4月��日時点で約123万枚と、目標の6%にも満たない。前売り販売目標の約半数は企業購入分に頼っており、今後はどれだけ個人購入を促せるかが焦点となる。
▽秘策は「ビビッドな情報」?
運営側の取り組みの粗雑さについて、社会学者で神戸大大学院の小笠原博毅教授は厳しく指摘する。
「意義があると言いながら、伝えない。誰が本気で開催したがっているのかが見えてこない」
2020年東京五輪・パラリンピックの開催に一貫して反対してきた小笠原教授は、万博の現状に五輪との共通点を見いだす。「世論を無視して強行した五輪と構図が似ている。多額の税金が使われるのに中身が空疎だ」。期間の短縮やテーマの分かりやすい説明を求める。
新型コロナウイルスの影響で1年延期された東京五輪は直前まで開催を疑問視する声が絶えなかった。開催1カ月前の世論調査でも中止を求める声が3割ほどあり、国民理解を十分得られないまま開会式を迎えた。小笠原教授は、万博も同じ末路をたどるとみている。
岸田文雄首相の国会答弁からは、能登半島地震の被災地復興という文脈で万博への理解を広げようという思惑がにじむ。「万博で被災地をPRし、復興につなげる」。小笠原氏はこうした言葉を「空虚なリップサービスだ」と突き放す。「万博開催による『2兆円の経済効果』をうたうならば、国民の暮らしへの支援や好影響、復興に割く金額を具体的に示すべきだ」
国民の幅広い歓迎に向けて、秘策はあるのか。4月1日に報道各社のインタビューに応じた万博協会の石毛博行会長の言葉は、現状とは裏腹に自信にあふれていた。「開幕に向けて、これからビビッドな情報を出していく」。全国的な機運が広がっていない現状は「経費の増加や海外パビリオンの遅れといったネガティブな報道が影響した」と分析。SNSやメールマガジンを使った地道な取り組みで挽回を宣言した。「万博へのイメージをアップデートする。世界が日本に2025年の万博開催を信任した。きちんとやり遂げるという形で世界との約束を守ることが、われわれにとって極めて重要なミッションだ」
歴史的円安背景にインバウンド絶好調 百貨店は軒並み“過去最高”記録づくめの決算に(TBS NEWS DIG)2024年4月15日
百貨店の年間決算は、歴史的な円安を背景にインバウンドが絶好調。各社“過去最高”の記録づくめの決算となりました。
「J.フロントリテイリング」のことし2月までの1年間のグループ全体の決算によりますと、売上高にあたる売上収益は前の年に比べ13.2%増え4070億円に、最終利益は299億円と前の年の2倍以上にのぼり、増収増益となりました。
国内の富裕層向けに高級ブランド品などの販売が好調だったほか、インバウンド客による免税売上高が過去最高の721億円となったことなどが主な要因です。
先月、48歳という若さで社長となったJ.フロントリテイリングの小野氏は初めて出席した決算会見で…
J.フロントリテイリング 小野圭一 社長 「いま非常に業界の中で追い風が吹いているが、これがある種の暴風ではないかというふうに感じています。2年、3年たって、コロナが終わってインバウンドがじゃんじゃん帰ってきて売上良くなってよかったということになってしまっているということに、私は一番危機感を持っている。いま好調の中で、どういった将来に向けた成長の種をまけるかというふうなことで、かなり大きな差がついてくるのではないかというふうに思っています」
このように述べたうえで、「現状の上にあぐらをかくのではなく、新しい事業にしっかり根を張って育てていく」としていて、今後、デジタル分野の事業展開などを強化する狙いです。
一方、「高島屋」のことし2月までのグループ全体の1年間の決算では、営業利益が前の年に比べ41.3%増え459億円に、最終利益も13.6%増えて316億円といずれも過去最高を更新。営業利益は、1990年度以来33年ぶりの最高益となりました。
新型コロナの5類移行や円安を背景に、インバウンド需要が増えたことなどで、国内店舗の売上が好調だったとしています。
高島屋の村田社長は、今回の決算内容の受け止めについて、「コロナからのリバウンド的な部分が多分にあることも事実」と述べたうえで、「今年から本当の力が試される年。冷静に過去最高益に浮かれるのではなくて、グループ全体で引き締め直す」と話しました。
また、「松屋」のことし2月までの1年間の決算では、売上高にあたる総額売上高は前の年と比べ31.2%増え1149億円となりました。
インバウンド客が多く訪れる主力の松屋銀座店では、売上高が前の年と比べ35.5%増え1018億円となり、1991年度以来、32年ぶりの過去最高を更新しました。
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)見解 インバウンドにおけるモノから体験への流れ、そしてかつての日本人も海外でのブランド漁りから脱却したように、百貨店のインバウンドはやがて収縮していく。
J.フロントリテイリングの小野圭一 社長 のインバウンド好調に対する危機感と、将来に向けた成長の種をまくことが重要だという指摘はまったくの正論。
いまこそ、百貨店の業態イノベーションとビジネスモデルの変革が求められている。
村山慶輔((株)やまとごころ 代表取締役/インバウンド戦略アドバイザー)見解 中国人観光客の完全復活を待たずに、都内や主要都市の商業施設においてインバウンド消費が順調。続く円安、万博効果もあり今後もさらに伸びる可能性がある。ただ、コロナ禍の状況を踏まえると、各企業は安心してはいられないというのが本音でしょう。
一方で、地域の中小企業において、インバウンド需要の回復はまだまだこれから。インバウンド需要も二極化しており、地方誘客が今後のカギになる。
石川智久(日本総合研究所 調査部長/チーフエコノミスト)補足 日本がこれほど安い国になってしまったことに危機感を持つ必要があります。脱成長を求める意見もありますが、世界は経済成長を続けており、成長していないのは日本くらいであることを認識する必要があります。日本が成長しなければ、企業はインバウンド頼みの経営になってしまいます。今こそ日本はいかにして経済成長を遂げるかを考えるべきです。世界では経済成長に財政資金を投じる傾向が強まっています。理系人材の育成や新産業創出に財政資金を投じて、経済を成長させることが、日本が海外から買いたたかれない方法といえます。
0 notes